Monday, January 19, 2026

シアトルの冬 ベールの彼方の生活(三)

The Life Beyond the Veil Vol.Ⅲ The Ministry of Heaven By G. V. Owen

八章 暗黒街の探訪


5 地獄の底 
一九一八年一月十一日  金曜日

 私の話に元気づけられたキャプテンの後に付いて、吾々は再び下りて行った。やがて岩肌に掘り刻まれた階段のところに来て、それを降りきると巨大な門があった。キャプテンが腰に差していたムチの持ち手で扉を叩くと、鉄格子から恐ろしい顔をした男がのぞいて〝誰だ?〟と言う。

形は人間に違いないが、獰猛な野獣の感じが漂い、大きな口、恐ろしい牙、長い耳をしている。キャプテンが命令調で簡単に返事をすると扉が開けられ、吾々は中に入った。

そこは大きな洞窟で、すぐ目の前の隙間から赤茶けた不気味な光が洩れて、吾々の立っている場所の壁や天井をうっすらと照らしている。近寄ってその隙間から奥を覗くと、そこは急なくぼみになっていて人体の六倍ほどの深さがある。吾々は霊力を駆使してあたりを見まわした。

そして目が薄明りに慣れてくると、前方に広大な地下平野が広がっているのが分かった。どこまで広がっているのか見当もつかない。そのくぼみを中心として幾本もの通路が四方八方に広がっており、その行く先は闇の中に消えている。

見ていると、幾つのも人影がまるで恐怖におののいているかのごとく足早やに行き来している。時おり足に鎖をつけられた者がじゃらじゃらと音を立てて歩いているのが聞こえる。

そうかと思うと、悶え苦しむ不気味な声や狂ったように高らかに笑う声、それとともにムチ打つ音が聞こえてくる。思わず目を覆い耳をふさぎたくなる。苦しむ者がさらに自分より弱い者を苦しめては憎しみを発散させているのである。あたり一面、残虐の空気に満ち満ちている。私はキャプテンの方を向いて厳しい口調で言った。

 「ここが吾々の探していた場所だ! どこから降りるのだ!?」
 彼は私の口調が厳しくなったのを感じてこう答えた。

 「そういう物の言い方は一向に構いませんぞ。私にとっては同胞(とも)と呼んでくれるよりは、そういう厳しい物の言い方の方がむしろ苦痛が少ないくらいです。

と言うのも、私もかつてはこの先で苦役に服し、さらにはムチを手にして他の者たちを苦役に服させ、そしてその冷酷さを買われてこの先に出入口のある区域で主任監督となった者です。そこはここからは見えません。

ここよりさらに低く深い採掘場へ続く、幾つもある区域の最初です。それからさらにボスの宮殿で働くようになり、そして例の正門の衛兵のキャップテンになったという次第。

ですが、今にして思えば、もし選択が許されるものなら、こうして権威ある地位にいるよりは、むしろ鉱山の奥底に落ちたままの方がラクだったでしょうな。そうは言っても、二度と戻りたいとは思わん。イヤです・・・・・・イヤです・・・・・・」

 そう言ったまま彼は苦しい思いに身を沈め、私が次のような質問するまで、吾々の存在も忘れて黙っていた。

 「この先にある最初の広い区域は何をするところであろう?」

 「あそこはずっと先にある仕事場で溶融され調合された鉱石がボスの使用する凶器や装飾品に加工されるところです。出来上がると天井を突き抜けて引き上げられ、命じられた場所へ運ばれる。

次の仕事場は鉱石が選り分けられるところ、その次は溶融されたものを鋳型に入れて形を作るところ。一ばん奥の一ばん底が採掘現場です。いかがです? 降りてみられますか」

  私はぜひ降りて、まず最初の区域を見ることでその先の様子を知りたいと言った。

 それでは、ということで彼は吾々を案内して通風孔まで進み、そこで短い階段を下りて少し進むと、さっき覗いた隙間の下から少し離れたところに出た。

その区域は下り傾斜になっており、そこを抜けきって、さっきキャプテンが話してくれた幾つかの仕事場を通り過ぎて、ついに採掘場まで来た。私は何としてもこの暗黒界の悲劇のドン底を見て帰る覚悟だったのである。

 通っていった仕事場はすべてキャプテンの話したとおりだった。天井の高さも奥行きも深さも途方もない規模だった。が、そこで働く何万と数える苦役者はすべて奴隷の身であり、時たま、ほんの時たま、小さな班に分けられて厳しい監視のもとに地上の仕事が与えられる。が、

それは私には決してお情けとは思えなかった。むしろ残酷さと効率の計算から来ていた。つまり再び地下に戻されるということは絶望感を倍加させる。

そして真面目に、そして忠実に働いていると、またその報酬として地上へ上げてもらえる、ということの繰り返しに過ぎない。空気はどこも重苦しく悪臭に満ち、絶望感からくる無気力がみんなの肩にのしかかっている。それは働く者も働かせるものも同じだった。

 吾々はついに採掘場へ来た。出入口の向こうは広大な台地が広がっている。天上は見当たらない。上はただの暗黒である。ほら穴というよりは深い谷間にいる感じで、両側にそそり立つ岩は頂上が見えない。それほど地下深くに吾々はいる。

ところが左右のあちらこちらに、さらに深く降りて行くための横坑が走っており、その奥は時おりチラチラと炎が揺れて見えるほかは、殆どが漆黒の闇である。

そして長く尾を引いた溜め息のような音がひっきりなしにあたりに聞こえる。風が吹く音のようにも聞こえるが空気は動いていない。立坑もある。その岩壁に刻み込まれた階段づたいに降りては、吾々が今立っている位置よりはるか地下で掘った鉱石を坑道を通って運び上げている。

台地には幾本もの通路が設けてあり、遠くにある他の作業場へ行くための出入口につながってる。その範囲は暗黒界の地下深くの広大な地域に広がっており、それは例の〝光の橋〟はもとより、その下の平地の地下はるかはるか下方に位置している。

ああ、そこで働く哀れな無数の霊の絶望的苦悶・・・・・・途方もない暗黒の中に沈められ、救い出してくれる者のいない霊たち・・・・・・

 がしかし、たとえ彼ら自身もあきらめていても、光明の世界においては彼らの一人ひとりを見守り、援助を受け入れる用意のできた者には、この度の吾々がそうであるように、救助の霊が差し向けられるのである。

 さて私はあたりを見回し、キャプテンからの説明を受けたあと、まわりにある出入口すべての扉を開けるように命じた。するとキャプテンが言った。

「申しわけない。貴殿の言うとおりにしてあげたい気持ちは山々だが、私はボスが怖いのです。怒った時の恐ろしさは、それはそれは酷いものです。こうしている間もどこかでスパイがいて、彼に取り入るために、吾々のこれまでの行動の一部始終を報告しているのではないかと、心配で心配でなりません」

 それを聞いて私はこう言った。

 「吾々がこの暗黒の都市へ来て初めてお会いして以来そなたは急速に進歩しているようにお見受けする。以前にも一度そなたの心の動きに向上の兆しが見られるのに気付いたことがあったが、その時は申し上げるのを控えた。今のお話を聞いて私の判断に間違いがなかったことを知りました。

そこで、そなたに一つの選択を要求したい。早急にお考えいただいて決断を下してもらいたい。吾々がここへ参ったのは、この土地の者で少しでも光明を求めて向上する意志のある者を道案内するためです。そなたが吾々の見方になって力をお貸しくださるか、それとも反対なさるか、その判断をそなたに一任します。

いかがであろう、吾々と行動を共にされますか、それともここに留まって今までどおりボスに仕えますか。早急に決断を下していただきたい」

 彼は立ったまま私を見つめ、次に私の仲間へ目をやり、それから暗闇の奥深く続く坑道に目をやり、そして自分の足もとに目を落とした。それは私が要求したように素早い動きであった。そして、きっぱりとこう言った。

 「有難うございました。ご命令どおり、すべての門を開けます。しかし私自身はご一緒する約束はできません。そこまでは勇気が出ません───まだ今のところは」

 そう言い終わるや、あたかもそう決心したことが新たな元気を与えたかのごとく、くるりと向きを変えた。その後ろ姿には覚悟を決めた雰囲気が漂い、膝まで下がったチュニックにも少しばかり優雅さが見られ、身体にも上品さと健康美が増していることが、薄暗い光の中でもはっきりと読み取れた。

それを見て私は彼が自分でも気づかないうちに霊格が向上しつつあることを知った。極悪非道の罪業のために本来の霊格が抑えられていたのが、何かをきっかけに突如として魂の牢獄の門が開かれ、自由と神の陽光を求めて突進しはじめるということは時としてあるものです。

実際にあります。しかし彼はそのことを自覚していなかったし、私も彼の持久力に確信が持てなかったので黙って様子を窺っていたわけです。

 そのうち彼が強い調子で門番に命ずる声が聞こえてきた。さらに坑道を急いで次の門で同じように命令しているのが聞こえた。その調子で彼は次々と門を開けさせながら、吾々が最初に見た大きな作業場へ向かって次第に遠ざかっていくのが、次第に小さくなっていくその声で分かった。

 
6 〝強者(つわもの)よ、何ゆえに倒れたるや〟
一九一八年一月十五日 火曜日

 そこで吾々はこの時ばかり一斉に声を張り上げて合唱しました。声のかぎりに歌いました。その歌声はすべての坑道を突き抜け、闇の帝王たるボスの獰猛(どうもう)な力で無数の霊が絶望的な苦役に甘んじている作業場や洞窟のすみずみにまで響きわたりました。

あとで聞かされたことですが、吾々の歌の旋律が響いてきたとき彼らは仕事を中止してその不思議なものに耳を傾けたとのことです。

と言うのも、彼らの境涯で聞く音楽はそれとはおよそ質の異なるもので、しかも吾々の歌の内容(テーマ)が彼らには聞き慣れないものだったからです。



──どんな内容だったのでしょう。

 吾々に託された目的に適ったことを歌いました。まず権力と権威の話をテーマにして、それがこの恐怖の都市で猛威をふるっていることを物語り、次にその残酷さと恥辱と、

その罠にかかった者たちの惨状を物語り、続いてその邪悪性がその土地にもたらした悪影響、つまり暗闇は魂の暗闇の反映であり、それが樹木を枯らし、土地を焦がし、岩場をえぐって洞窟と深淵をこしらえ、水は汚れ、空気は腐敗の悪臭を放ち、至るところに悪による腐敗が行きわたっていることを物語りました。

そこでテーマを変え、地上の心地良い草原地帯、光を浴びた緑の山々、こころ和ませるせせらぎ、それが、太陽の恵みを受けた草花の美しく咲き乱れる平地へ向けて楽しそうに流れていく風景を物語りました。

続いて小鳥の歌、子に聞かせる母の子守歌、乙女に聞かせる男の恋歌、そして聖所にてみんなで歌う主への讃仰の歌──それを天使が玉座に持ち来り、清めの香を添えて主に奉納する。

こういう具合に吾々は地上の美を讃えるものを歌に託して合唱し、それから更に一段と声を上げて、地上にて勇気を持って主の道を求め今は父なる神の光と栄光のもとに生きている人々の住処──そこでは荘厳なる樹木が繁り、豪華けんらんたる色彩の花が咲き乱れ、父なる神の僕として経綸に当たる救世主イエスの絶対的権威に恭順の意を表明する者にとって静かなる喜びの源泉となるものすべてが存在することを歌い上げました。


──あなたが率いられた霊団は全部で何名だったのでしょうか。

 七の倍にこの私を加えた十五人です。これで霊団を構成しておりました。さて吾々が歌い続けていると一人また一人と奴隷が姿を現しました。青ざめ、やつれきった顔があの坑道この坑道から、さらには、岩のくぼみからも顔をのぞかせ、また吾々の気付かなかった穴やほら穴からも顔を出して吾々の方をのぞき見するのでした。

そしてやがて吾々の周りには、恐怖におののきながらもまだ光を求める心を失っていない者たちが、近づこうにもあまりそばまで近づく勇気はなく、それでも砂漠でオアシスを見つけたごとく魂の甦るのを感じて集まっていた。

しかし中には吾々をギラギラした目で睨み付け、魂の怒りを露(あらわ)にしている者もいた。

さらには吾々の歌の内容が魂の琴線に触れて、過去の過ちへの悔恨の情や母親の子守歌の記憶の甦りに慟哭して地面に顔を伏せる者もいた。彼らはかつてはそれらを軽蔑して道を間違えた──そしてこの道へ来た者たちだったわけです。

 その頃から吾々は歌の調子を徐々にゆるやかにし、最後は安息と安らぎの甘美なコードで〝アーメン〟を厳かに長く引き延ばして歌い終わった。

 するとその中の一人が進み出て、吾々から少し離れた位置で立ち止まり、跪いて〝アーメン〟を口ずさんだ。これを見た他の者たちは彼にどんな災難がふりかかるのかと固唾(かたず)をのんで見守った。と言うのも、それは彼らのボスに対する反逆に他ならなかったからです。

が、私は進み出て彼の手を取って立たせ、吾々の霊団のところまで連れてきた。そこで霊団の者が彼を囲んで保護した。これで彼に危害の及ぶ気遣いはなくなった。

すると三々五々、あるいは十人二十人と吾々の方へ歩み寄り、その数は四百人ほどにもなった。そして、まるで暗誦文を諳(そら)んずる子供のようにきちんと立って、彼に倣って〝アーメン〟と言うのだった。

坑道の蔭では舌打ちしながら吾々へ悪態をついている者もいたが、腕ずくで行動に出る者はいなかった。そこで私は、希望する者は全員集まったとみて、残りの者に向けてこう述べた。

「この度ここに居残る選択をした諸君、よく聞いてほしい。諸君より勇気のある者はこれよりこの暗黒の鉱山を出て、先ほどの吾々の歌の中に出てきた光と安らぎの境涯へと赴くことになる。

今回は居残るにしても、再び吾々の仲間が神の使いとして訪れた時、今この者たちが吾々の言葉に従うごとく、どうか諸君もその使いの者に従う心の準備をしておいてほしく思う」

 次に向きを変え、そこを出る決心をした者へ勇気づけの言葉を述べた。と言うのも、彼らはみな自分たちの思い切った選択がもたらす結果に恐れおののいていたからです。

「それから私の同志となられた諸君、あなた方はこれより光明の都市へ向けて歩むことになるが、その道中においてボスの手先による脅しには一向に構ってはなりませんぞ。もはや彼はあなた方の主(ぬし)ではなくなったのです。

そして、もっと明るい主に仕え、然るべき向上を遂げた暁には、それに相応しい衣服を給わることになります。が、今は恐れることなく一途に私の言うことに従ってほしい。間もなくボスがやってきます。全てはボスと決着つけてからのことです」

 そう述べてから、吾々がキャプテンとともにそこに入ってきた門、そして四百人もの奴隷が通ってきた門の方へ目をやった、それに呼応するかのように、それよりさらに奥の門の方から騒々しい声が聞こえ、それが次第に近づいてきた。

ボスである。吾々の方へ進みながら奴隷たちに、自分に付いてきて傲慢きわまる侵入者へ仕返しをするのだとわめいている。脅しや呪いの言葉も聞こえる。恐怖心から彼の後に付いてくる哀れな奴隷たちも彼を真似してわめき散らしている。

 私はボスを迎えるべく一団の前に立った。そしてついにそのボスの姿が見えてきた。 


──どんな人でしたか──彼の容貌です。

 彼も神の子であり従って私の兄弟である点は同じです。ただ、今は悪に沈みきっているというまでです。それ故に私としては本当は慈悲の心から彼の容貌には構いたくないのです。彼が憎悪と屈辱をむき出しにしている姿を見た時の私の心にあったのは、それを哀れと思う気持ちだけでした。

が、貴殿が要求されるからにはそれを細かく叙述してみましょう。それが〝強者(つわもの)よ、何ゆえに倒れたるや〟(サムエル書(2)1・19)という一節にいかに深い意味があるかを悟られる縁(よすが)となろうと思うからです。

 図体は巨人のようで、普通の人間の1.5倍はありました。両肩がいびつで、左肩が右肩より上がっていました。ほとんど禿げあがった頭が太い首の上で前に突き出ている。煤けた黄金色をしたソデなしのチュニックをまとい、右肩から剣を下げ、腰の革のベルトに差し込んでいる。


錆びた(鎧)のスネ当てを付け、なめされていない革の靴を履き、額には色褪せた汚れた飾り輪を巻いている。その真ん中に動物の浮き彫りがあるが、それは悪の力を象徴するもので、それに似た動物を地上に求めれば、さしづめ〝陸のタコ〟(というものがいるとすればであるが)であろう。

彼の姿の全体の印象を一口で言えば〝王位の模倣〟で、別の言い方をすれば、所詮は叶えられるはずもない王位を求めてあがく姿を見る思いでした。その陰険な顔には激情と狂気と貪欲と残忍さと憎しみとが入り混じり、同時にそれが全身に滲みわたっているように思えた。実際はその奥には霊的な高貴さが埋もれているのです。

つまり善の道に使えば偉大な力となったはずのものがマヒしたために、今では悪のために使用されているにすぎない。彼は足をすべらせた大天使なのです。それを悪魔と呼んでいるにすぎないのです。


──地上では何をしていた人か判っているのでしょうか。

 貴殿の質問には何なりとお答えしたい気持ちでいます。質問された時は私に対する敬意がそうさせているものと信じています。そこで私も喜んでお答えしています。どうぞこれからも遠慮なく質問されたい。

もしかしたら私にも気づかない要因があるのかも知れません。その辺は調べてみないと分かりませんが、ただ、それに対する私の回答の意味を取り違えないでいただきたい。

そのボスが仮に地上ではこの英国の貧民層のための大きな病院の立派な外科医だったとしても、少しもおかしくありません。もしかして牧師だったとしても、あるいは慈善家だったとしても、これ又、少しも不思議ではない。

外見というものは必ずしも中身と一致しないものです。とにかく彼はそういう人物でした。大ざっぱですが、この程度で我慢していただきたいのですが・・・・・・


──余計な質問をして申しわけありません。

 いや、いや、とんでもない。そういう意味ではありません。私の言葉を誤解しないでいただきたい。疑問に思われることは何なりと聞いていただきたい。貴殿と同じ疑問を他の大ぜいの人も抱いているかもしれない。それを貴殿が代表してることになるのですから・・・・・・

さて、そのボスが今まさに目の前に立っている。わめき散らす暴徒たちにとっては紛れもない帝王であり、後方と両側に群がる人数は何千を数える。

が、彼との間には常に一定の距離が置かれている───近づくのが怖いのである。左手にはムチ紐が何本もついた見るからに恐ろしい重いムチがしっかりと握られていて、奴隷たちは片時もそのムチから目を離そうとせず、他の方向へ目をやってもすぐまたムチへ目を戻す。

ところがそのボスが吾々と対峙したまま口を開くのを躊躇している。そのわけは、彼が永い間偉そうに、そして意地悪く物を言うクセが付いており、いま吾々を前にして、吾々の落着き払った態度が他の連中のおどおどした態度とあまりにも違うためにためらいを感じてしまったのです。

 そうやって向かい合っていた時である。ボスの後方に一人の男が例の正門のところで会った守衛の服装の二人の男に捕らわれて紐でしばられているのが私の目に入った。蔭の中にいたので私は目を凝らして見た。なんとそれはキャプテンだった。

私はとっさに勢いよく進み出てボスのそばを通り──通りがかりにボスの剣に手を触れておいて──二人の守衛の前まで行き「紐をほどいてその男を吾々に渡すのだ」と命じた。

 これを耳にしたボスが激怒して剣を抜き私に切りかかろうとした。が、すでにその剣からは硬度が抜き取られていた。まるで水草のようにだらりと折れ曲がり、ボスは唖然としてそれを見つめている。

自分の権威の最大の象徴だった剣が威力を奪われてしまったからである。もとより私自身は彼をからかうつもりは毛頭なかった。しかし他の者たち、即ち彼の奴隷たちはボスの狼狽した様子に、ユーモアではなく悪意からでる滑稽さを見出したようだった。

岩蔭から嘲笑と侮りの笑い声がどっ沸きおこったのである。するとどうであろう。刀身が見る間に萎れ、朽ち果て、柄(つか)から落ちてしまった。

ボスは手に残った柄を最後まで笑っている岩蔭の男を目がけて放り投げつけた。その時私が守衛の方を向くと、二人は慌ててキャプテンの紐をほどいて吾々の方へ連れてきた。

 とたんにボスのカラ威張りの雰囲気が消え失せ、まず私に、それから私の仲間に向かって丁寧におじぎをした。その様子を見ても、このボスは邪悪性が善性へ向かえばいつの日か、吾らが父の偉大なる僕となるべき人物であることが分かる。

「恐れ入った・・・・・・」彼は神妙に言った。「あなた様は拙者より強大な力を自由に揮(ふる)えるお方のようじゃ。そのことには拙者も潔くカブトを脱ごう。で、拙者と、この拙者に快く骨身を惜しまず尽してくれた忠実な臣下たちをどうなさるおつもりか、お教えねがえたい」


 いかにも神妙な態度を見せながらも、彼の言葉のいたるところに拗ねた悪意が顔をのぞかせる。この地獄の境涯ではそれが常なのである。すべてが見せかけなのである。奴隷の境遇を唯一の例外として・・・・・・

 そこで私は彼に吾々のこの度の使命を語って聞かせた。すると彼はまたお上手を言った。

「これはこれは。あなた様がそれほどのお方とは存じ上げず、失礼を致した。そうと存じ上げておればもっと丁重にお迎え致しましたものを・・・・・・しかし、その償いに、これからはあなた様にご協力を申し上げよう。さ、拙者に付いて参られたい。正門まで拙者が直々にご案内いたそう。皆さんもどうぞ後に続かれたい」

 そう言って彼は歩き始め、吾々もその後に続き、洞窟や仕事場をいくつか通り抜けて、吾々が鉱山に入って最初に辿り着いた大きな門へ通じる階段の手前にある小さな門のところまで来た。

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