Thursday, January 8, 2026

10シアトルの冬 シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch Edited by Pam Riva 



十章 質問に答える

 ──私がこれまでに会った人の中には、自分はスピリチュアリストであると言いながら相変わらず何かの既成宗教に属している人がいます。スピリチュアリズムを信じるようになったら、それまでの宗教は捨てるべきではないでしょうか。

 私はそうした名称(ラベル)には煩わされません。実はこの私自身が果たしてスピリチュアリストなのかどうか定かでないのです。スピリチュアリストであるとの認証を頂いたわけではないからです。ご自分のことをどうお呼びになるかは問題ではありません。大切なのは毎日をどう生きるかです。
℘174
 いったい宗教とは何なのでしょう。教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名乗ることでしょうか。

 宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人のためになる行いをすることです。

 もしも霊界との交信の事実を信じてその恩恵を受けている人が相変わらず従来の神学的教義にこだわり続けている時は、その人のことを気の毒に思ってあげることです。密かに祈りの気持ちを送ってあげることです。その人はまだ梯子段の下の方、せいぜい中途までしか上がっていないからです。

 精神が従順で感化されやすく、与えられたものは何でも吸収していく幼少時に教え込まれた教義を棄てることは容易ではありません。それがいつしか潜在意識のタテ糸となりヨコ糸となって、その深層を形成します。そうなると、みずからその誤りに気付いて取り除くということは、殆ど不可能に近いと思わないといけません。
 
 ですから、我慢してあげることです。われわれだって、かつては間違った考えを抱いていたのを、その後の叡智の発達のお陰で棄て去ったことがあるではありませんか。所詮人間の誰一人として完全の極致まで到達した人はいないのです。それには永遠の時を必要とするのです。

 我慢してあげるのです。手助けをしてあげるのです。議論しあってはいけません。議論からは何も生まれません。詩人(※)が言っております──〝議論しても、入って来たのと同じドアから出て行くだけである〟と。(※英国の詩人フィッツジェラルド
                              Edward Fitzgerald)
 自分の宗教の教義より先が見えない人のことは辛抱強く見守ってあげなさい。時が立てばあなたの場合もそうであったように、きっと機が熟します。


──わけもなく塞ぎ込んでいる人間が多いのですが、若者にいったい何が起きているのでしょうか。霊的に飢えているのでしょうか。

 道を見失っているのです。彼ら若者は暴力の支配するこの時代に生を受けました。彼らの気持ちの中には大人は自分たちを裏切ったという考えがあります。また、従来の宗教では救いは得られないとも考えております。


──その考えは大人に責任を負わせ過ぎだとは思われませんか。誰しも自分なりの道があるはずです。

 私はそうした若者の考えに賛成であると言っているのではありません。私は現代の若者の心理を説明しているだけです。いずれは彼らも先輩になるのです。


──体験と言うものは掛けがいのないものです。

 苦々しい体験ほど薬になるのです。楽な体験は往々にして毒になるものです。サークルのメンバーの方なら私が何度も申し上げているのでよくご存知でしょうが、しくじるということの効用は、やり直しがきくということです。


──(旧約聖書の天地創造の話を持ち出して)ある人たちはその創造活動に宇宙人が参加したと言っておりますが、いかがでしょうか。

 申すまでもないことでしょうが、あなたは今、大気圏外から来た生物へ質問していらっしゃるのですよ! 創世紀その他の話に惑わされてはいけません。あなたの理性に照らして受け入れ難いものは拒絶なさることです。要するにあなたがお知りになりたいのは、地球はどうやって誕生したかという、その事実なのですから。


──その説が沢山あるのです。どれが事実なのかが分からないのです。

  生意気を言うようですが、私はそうした〝説〟を超えたものを手にしております。この問題に関しては少しばかり知識があるのです。地球は無窮の過去から存在し続けております。始まりも終わりもありません(※)。バイブルにもイエスが言ったとされる名文句があります──〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟と。 

(※これは最後に引用されているバイブルの文句から察せられるように、地球という惑星を物的天体としてではなく霊的存在として考えた上でのことである。地上の万物に霊が宿っているように、地球そのものにも霊が宿っている───と言うよりは地球の霊が顕現したのが生きとし生けるものであると考える方が順序であろう。日本の古神道ではその生成過程を寓話風に物語っている──訳者)

 霊は無窮の過去から存在しております。ある時ひょんなことから創造されたのではありません。それが地球に宿り、数えきれないほどの年数をけみして、やっと生命として顕現し始めたのです。生命は霊であり、霊は生命です。永遠の過去から無限の可能性を秘めているのです。

 その生命の誕生に大気圏外からの存在(※)が参加した事実はありません。内在していた生命力が無限の知性によって考案された進化の法則に従って顕現し、発達し、進化してきたのです。

(※天地創造についての質問に対する冒頭でシルバーバーチは自分のことを〝大気圏外から来た生物〟という冗談めいた表現をしているが、これはもちろん〝霊界からやってきた霊〟の意味で言っている。

ここで言っているのは他の惑星からのいわゆる宇宙人の参加はなかったという意味であって、霊界からの働きかけは大々的に行われたものと想像される。生命の誕生はそれなくしては考えられないことで、今後の研究にまたれる面白くかつ重大なテーマであろう──訳者)


──最近ではダーウィンの進化論がいろいろと批判を浴びております。ダーウィンはいろんな事実を見落としているようです。

 いかなる発達段階にあっても全知識を手にすることが出来ない以上、見落とされる事実があるのは仕方のないことです。完全のみが全知識を含むことになるのですが、その完全性は地上はおろか霊界においても誰一人として達成した者はいないのです。

進化について明言できることは、物的進化も精神的進化も霊的進化も、すべて大自然の摂理によって営まれているということです。


──私は人間がサルから進化したという説はあまり嬉しくないのですが・・・・・・

 もしかしたらサルの方もうれしく思っていないかも知れませんよ! 神の目から見ればサルは、大切な存在である点では人間とまったく同等なのですから。

(シルバーバーチがイエスの偉大さを述べ、地上において開始した地球浄化の大事業を死後もずっと続けており、シルバーバーチ自身もイエスの指揮のもとで働いていることを述べると)

── イエスの名のもとに行われた数々の歴史上の行為を見るのは、イエスにとって心の痛む思いだったに相違ありません。

 おっしゃる通りです。何度涙を流されたか知りません。もとよりそれはイエスの責任ではありません。スピリチュアリズムの七つの綱領の中には、各自が各自の行為に責任を持つとうたった条文があるのをご存知でしょう。


──イエスはどういうお顔の方だったのでしょうか。

 地上の画家が描いている肖像画とは似ていません。伝導時代に行動を共にした人たちとよく似ておりました。もし似ていなかったら使命は果たせなかったでしょう。

(訳者注──
原文から受けるニュアンスとしてはズバリ容貌を述べるのを避けているふしが窺える。それは多分、とかくイエスが神格化され、神々しくて近づき難い存在だったように想像されがちなので、実際はいたって人間味を具えた、その意味で平凡なユダヤ人だったと言いたいのであろう)


──霊界通信によっては、宇宙的キリストと人間としてのキリストの二つの言い方をしているのがあります。同じ存在の二つの側面を言っているのでしょうか。

 あなたは名称に惑わされています。まずイエスという人物がいました。その人物の姓はキリストではありません。一方、キリスト的生命力、つまり霊力が存在します。人間イエスと、そのイエスを動かした霊力とを区別してお考えになればすべてがすっきりします。


── イエスが述べた正確な言葉を自動書記か何かで入手することは可能でしょうか。

 何とも申せません。問題は当時イエスの言葉を記録した人物が一人もいなかったことです。ですから、それを伝えるには記憶に頼らねばならないわけです。がしかし、イエスの教えの肝心かなめは〝愛〟です。〝己を愛する如く隣人を愛せよ。汝に敵対する者にも優しくすべし〟です。

愛とは摂理(神の心)の通りに行うことです。人類の救済にとってこれ以上に必要なものがあるでしょうか。愛は霊性の最高の表現です。大霊から下さるのです。それを私たちがあなた方のお届けしているのです。

 イエスの使命は霊的実在を証明してみせることでした。もしも今の時代にイエスが出現して二千年前と同じことを説いたら、果たして耳を傾ける人がいるかどうか、私はきわめて疑問に思います。


──間違った教えをたずさえて霊界入りする者が多すぎるとおっしゃいましたが、ヨハネの福音書にはイエスを信じることによって永遠の生命を授かると述べられています。

 それは間違いです。人間は一人の例外もなく死後も生き続けるのです。何かの教義や信条、あるいはドグマを信じることによって永遠の生命を授かるのではなく、不変の自然法則によって生き続けるのです。それ自体は宗教とは何の関係もありません。因果律と同じ一つの法則なのです。

 いま引用なさった文句は地上に大きな混乱のタネを蒔き人類を分裂させてきた言葉の一つです。一冊の書物、それも宗教の書、聖なる書が、普通の書が起こそうにも起こせないほどの流血の原因となってきたということは、何という酷い矛盾でしょうか。

宗教の目的は人類を不変の霊的関係による同胞性において一体ならしめることにあるはずです。


──イエスは本当にはり付けにされたのでしょうか。

 そんなことについて私の意見をご所望ですか。どうでもいいことではないでしょうか。大切なのはイエスが何を説いたかです。はりつけにされた時にどういうことが起きたかは、いくら議論してもラチが明かないでしょう。私にもその立証はできません。

ですから、そのことについてはお答えしません。無意味に人を断罪するのは私の趣味ではないからです。それは私の使命ではありません。

(訳者注──イエスの処刑についてはいろんな説がある。一般には聖書の通りにその場で死亡して何日か後に蘇ったことになっているが、実は処刑されたのはイスキリという名の弟だったとか、完全に死んだと思って埋葬したが本当は死んでいなくて、生き返って国外へ逃げたとかの説があり、それぞれにもっともらしい論拠を揃えている。

国外へ逃亡したとする説にも、ローマへ行ったという説と日本へ来たという説、そして最近ではインドへ行ったという説があり、いずれの場合もかなりの高齢で他界したことになっている。

 無論シルバーバーチはそのことについての真実を知っているはずであるが、人間がとかくこだわる〝証拠〟となると何も提示できないからと言って返答を断っている。無論これは言い訳であって、本心はやはり最後で述べている通り、自分が述べることによって右の諸説のどれかを、あるいは全部を否定することになるのを避けたのであろう。

どうでもよいことだからである。シルバーバーチはイエスの出生についても死についても途中の事蹟についても、あまり深入りしたことを言っていない。使命ではないからであろう)

 私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。人間はどうでもよいことに拘り過ぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。

 肝心なことに関心を向けなさい。あなたは今あなたなりの役割───人を助け霊性を開発し悟りを深めるためのチャンスを提供してくれる、この地上という生活の場に来ていらっしゃるのです。火星にも人間のような存在がいるのだろうかとか、一千年後に間違いなく復活するだろうかとか、そんなことを心配してはいけません。

 大切なのは日常生活での身の処し方です。あなたなりの最善を尽くせばよいのです。それによって大霊とのより大きい調和が得られます。それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信という形をとります。神の心をわが心としようと心掛ける者すべてに必ず訪れるものです。


──人類はいつかは戦争のない平和な暮らしができるようになるのでしょうか。

 これは難しい問題です。まず理解していただかねばならないのは、神は人間に自由意志というものを授けられているということです。自由意志のない操り人形にしてもよかったのです。が、自由意志による選択の余地を与えられることによって、人間も永遠の創造的進化の過程に参加する機会が持てることになったのです。

人間は地上をエデンの園、楽園、天国にすることもできれば、暗く荒涼とした、恐ろしい悪の園にすることもできます。そこに選択の余地が残されているのです。

 戦争、暴力、貪欲、情欲、利己主義がはびこるのは物質中心の考え方をするからです。そういう考え方をするのは、これほど多くの宗教が存在しながら大半の人間が肉体が死ねばすべておしまいと思っているからです。

死後にも実感を伴った生活───地上生活の賞罰が清算される世界が存在するという事実が信じられず、地上生活が唯一の生活の場であると考えます。すると当然、物質がすべてなら今の内に思い切り欲望を満足させておこう、ということになります。それが戦争を生み、憎み合い、征服し合い、殺し合うことになります。

 もっともこれは真相の一面を述べたままです。有難いことに、他方では、人間のわがままによる混乱を抑制するための摂理も間違いなく働いております。その一環として私たちは、地上に霊的実在についての知識をもたらすための大事業にたずさわっているのです。

 霊媒の活用によって人間が霊的天命を背負った霊的実在であることを証明することができます。その天命を全うするも損なうも、日常生活における身の処し方一つに掛かっております。因果律、すなわちタネ蒔きと刈り取りの摂理は絶対に狂いません。

 良い行いをすればそれだけ幸せを味わいます。利己的な行いをすればそれだけ苦い思いをさせられます。摂理はごまかせません。死の床でいくら懺悔の言葉を述べても、すでに始動している因果律の働きを止められるものではありません。

 こうした真理を理解する人が増すにつれて戦争が減り、平和な地域が広がっていきます。これは一朝一夕(いっちょういっせき)にできることではありません。

 私には以上のようなお答しかできません。自分の役目を果たすのです。自分なりの最善を尽くすのです。縁あって近づく人の力になってあげることです。親切に、寛容に、そして慈悲の心をもって接するのです。機会さえあれば、どこででも人のために役立つことを心掛けることです。それが世の中に貢献するゆえんとなります。


──時おり味わう精神的な苦悩は外部から来るのではなく内部から湧いてくるのでしょうか。

 どちらからでもあります。よく理解していただきたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)から成っていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活しております。

ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。

 言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるということです。

 たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼(はがね)を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨き出す工程と同じです。


──多くの人間の間で精神的革命ともいうべきものが進行しているのを感じます。これは霊界からの働きかけの当然の結果で、今それが実現されつつあるのだと思います。

 地上世界は今るつぼの中にあります。バイブルの中の説話のような善と悪との戦いがあります。富の神マモンの崇拝、あくなき貪欲と強欲と権力欲、高尚なものや霊的なものの抑圧──要するに私が地上のガンと呼んでいる利己主義が生み出す不幸があります。

 それと同時に、世俗的な意味での宗教はその威力、影響力、指導力を失っております。いやしくも知性を具えた者には到底信じ難い教義に今なお忠誠を尽くしているようでは、既成の宗教に背を向ける者がますます増えていくのは当然の成り行きです。

 それに加えて、科学が間違った方向へ進みつつあります。果たして人類に益をもたらすのか、地球を破滅へ陥れるのではないかと思える、恐ろしいものを次々とこしらえております。人類は今まさに危機の十字路に立たされております。私たちが総力を挙げて救済活動に乗り出したのもそのためです。

 それは平和と調和と親善と和合と協調を達成する唯一の方向を示して指導しているところです。その唯一の方向とは、地上の一人一人が霊的な一大家族の一員であり、その親にあたるのがあなた方のいう神、私のいう大霊であるという認識です。

 私たちは何としてもこの仕事を成し遂げる覚悟です。ここにお集りの皆さんをはじめとして、スピリチュアリズムの仕事にたずさわっておられる方はみな、霊的大軍勢の一翼を担っておられるのです。だからこそ試され鍛えられて、割り当てられたこの重大な仕事で万が一にも挫折のないようにしなければならないのです。

 霊は物質に勝ります。物質の世界には霊力よりも強力な力は存在しません。たとえ時間は掛かっても必ず勝利を収めます。真理を手にした者には悲観主義も絶望も入る余地はありません。

神が人間の頭を身体の一ばん高いところに置かれたのは、見上げることができるようにということからです。見下ろすようにということであったら足もとに頭が付いていることでしょう。

 人間の霊的解放の仕事にたずさわる者は試練と挑戦を受けなくてはなりません。それが霊的発達の不可欠の要素なのです。それ以外に方法がないのです。いずれ霊界へ来られて地上時代を振り返ってごらんになれば、苦しい体験ほど大切な意義を持っていたことを知って神に感謝なさることでしょう。

 遠い昔から人間は地球の悲劇の予言をいくつもして来ました。地球の終末の日時まで告げているものもあります。そこへキリストが再臨して人類を救うというのがキリスト教の信仰のようですが、そういうことにはなりません。キリストは二千年前に地上での使命をきちんと終えています。

今は私の住んでいる同じ霊界においての使命に精励しておられます。それが今われわれのたずさわっている霊的真理普及の活動の指揮・命令です。

 地球が一夜のうちに破滅することはありません。宇宙の大霊が無限の愛と叡智とを持って摂理を案出し、それによって巨大なもの、微細なもの、複雑なもの、単純なものの区別なく、存在のあらゆる側面を経綸しているのです。

それは一歩一歩の進化という形で働くのであって、大変革によって一挙に行われるのではありません。人間の力にも制限が加えられています。人間にできないことがあるということです。自由意志が与えられていますが、それにも限界があります。


──地球の将来はどうなるのか教えていただけませんか。

 たった一人の人間によっては無論のこと、何人の人がいっしょになっても、地球を破壊する力は持てませんから、地球はこれからも永遠に存在し続けます。地球にもたらす害にも、それを引き起こす手段にも、地球の存在自体に終止符を打たせるほどの規模にはならないように一定の限界というものが設けられています。

 怖がってはいけません。神の意志は必ず成就されるのです。将来への展望には自信と楽観と積極性をもって、ご自分の役目を果たすことに専念なさることです。恐怖心、心配、不安、こうした霊力の働きかけを止め無気力にさせるようものは、いっさい棄て去ってください。

私たちから要求するのはそれだけです。出来る限りのことをなさっていればよいのです。それ以上のことは出来るわけがないのですから。

 明日はどうなるかを案じてはいけません。明日は、潜在する神性を開発し、人生を物質的・精神的・霊的に存分に楽しみ、まわりに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。


──凶暴な犯罪は死刑制度によって解決できると思われますか。

 そうした報復的手段では何一つ解決できないでしょう。愛は摂理を成就することであると言います。いかなる手段にせよ、それによってその魂が救われることになるように工夫すべきであって、復讐心を抱かせてはなりません。

人を殺した奴だから殺してよいという理屈は許されません。国家による法的殺人では問題の解決にはなりません。暴力に暴力で対処することは善性・慈愛・優しい心を生み出すことになりません

 処罰は矯正と救済を目的としたものであらねばなりません。魂に本当の自分を悟らせてあげることを目的としなければなりません。何の用意もできていない魂を霊界へ送り込むことは問題を大きくするばかりです。地上においても霊界においても犯罪を減らすことにはなりません。それに、人間はとかく過ちを犯しがちなものであることも考慮してやらないといけません。


──そうした魂の病める霊をなぜそちらの方で看視して、地上の人間を同じ道へ誘わないようにしていただけないのでしょうか。

 そう簡単にはいかないのです。未熟な霊が次から次へと地上から送り込まれてまいります。それは霊界にとって迷惑なことです。そこで地上の人間が地上にいる間に霊界の生活に備えてもらおうと、今、霊的真理の普及に全力をあげているわけです。

 ひとことで言えば、私たちが地上へ戻って来た目的はイエスが説いた〝愛〟の福音を説くことにあります。人間は互いに愛し合うべきであり、憎み合ったり報復し合ったりしてはいけません。


 (刑事をしている人が初めてサークルに出席して質問した)

──職業柄、私は多くの人間が恐ろしい行為によってあたら生命を失っていくのを見てきました。そして、しばしば思ったことですが、そうした犯罪が二度と起きなくするために、そちらで復讐心に燃えている霊たちを説得していただけないものでしょうか。

 残念ながらそういう人たちはみな地縛霊となっており、自らこしらえた牢獄に光が射し込むまでには大変な時間を要します。

これは大へん難しい問題でして、時間さえあればいろいろと敷衍(ふえん)してお話できるのですが、結論だけ申し上げれば、彼らへの対処の仕方は報復ではなく矯正を目的としたもの、つまり、精神的リハビリテーションでなくてはならないということです。やられたらやり返すのが公正ではありません。


──私は阻止することこそ公正であると考えておりました。

 しかし現実には報復が優先されているのがほとんどです。旧約聖書では〝目には目を、歯には歯を〟でしたが、新約聖書ではイエスが隣人への愛を説いただけでなく、自分を憎む者をも愛せよ、と述べています。 何ごとも最後は動機が問題となります。動機さえ正しければ、すべてがうまく収まります。


 (代わってジャーナリストが質問する)

──霊界及び他の世界から人類へ向けてさまざまな警告が届けられております。あるものは原子力は悪であるから阻止せよと言い、またあるものは人類の独善主義について警告しています。そうした警告めいた予言を総合的に検討して記事を書くようにとの依頼を受けているのですが、ご意見を承りたいのです。

もし何か特別に警告すべきことがありましたら明確に述べて頂きたいのですが・・・・・・


  私は原子力が悪だとは思いません。その使用法が邪悪になることは有りえます。しかし反対に測り知れない恩恵をもたらすこともできます。そのカギを握るのは、その途方もないエネルギーを管理する、あるいは管理を誤るかも知れない立場にある人たちです。

 警告めいた予言のことですが、霊界にカッサンドラ(ギリシア伝説の凶事の予言者)のような霊がいて、何か大変なことが地球に迫りつつあるということで大ゲサに嘆いているような図を想像してはなりません。

 そんな単純なものではないのです。大霊は子等に一定限度内の自由意志を与えておられます。その自由意志による選択によって地上を光輝と美と豊かさに満ちた所にすることもできれば〝生き地獄〟とすることもできます。その選択をするのはあなた方人間なのです。

 科学技術の発達とともに途方もないエネルギーの存在が明らかにされて、それをいかなる目的に使用するかの責任が大きくなって参ります。正しい進化の方向を選ぶことになる唯一の道は、私の理解している限りでは、無限の神性を宿している子等がそれをできるだけ多く発揮して地上世界を美しく飾り、大自然がその豊かな恩恵を実らせるようにする以外にありません。

 それが人間が選択すべき唯一の道です。それを無視して富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことはどうでもよいと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされることになります。

 しかし、そう申し上げながらも尚かつ私は、人間がいかに驚異的なエネルギーを手にしようと、それによって起こす破壊や荒廃を一定程度で食い止める無限の力には到底太刀打ちできないことを断言しておきます。地球全体を、あるいは宇宙そのものを完全に破壊する力は持てません。


 ──やはりあくまでも神の持ち物というわけですね。

 そうです、あくまでも大霊の持ち物であり、大霊が支配しなければならないのです。大霊は無限です。無限なる愛であり、無限なる叡智であり、すべての子等に、地上を天国となしてそこに共存するための手段を提供してくださるのです。それを受け取るか否かの選択は自由ですが・・・・・・

 自由だからいいのです。もしも人間が操り人形かロボットのようなものだったら人生は何の意味もないことになるでしょう。完成へ向けての進化も成長もありません。永遠の虚無の世界となってしまいます。それは神の意図するところではありません。

 皆さん方のどなたよりも永く宇宙人生を送ってきた私は、神の完全性が生み出した宇宙の美事な機構を畏れと驚嘆と敬意と感嘆をもって眺めるようになりました。無限の知性が考案した摂理の働きを阻止できるものは何一つ存在しません。

 人生のすべての相を支配している永遠の霊的原理をかい間見るという光栄に浴した者は、明日はどうなるのかという不安を抱く必要はみじんもありません。驚異的な科学技術の発達、科学的業績は善にも悪にも使用できますが、いくら悪いことに使っても、それがもたらす破壊にも限界があります。

地球全体、及びそこに住む人類をもろとも破滅させてしまうほどの無制限・無束縛の自由が許されるわけではありません。

 愛は憎しみに勝ります。霊は物質に勝ります。その宇宙最大の力は生命の大霊から出ているのです。無限の知性によって考案され、無限の叡智によって支配されている宇宙の摂理は、今住んでおられる世界が少しでも良い世界へ向けてゆっくりと着実に進歩するように配慮してあるのです。


  (話題が動物愛護の問題へと発展するとシルバーバーチがこう述べた)

 悲しいかな、霊的発達の未熟さゆえに人間は、自分を生かしめている霊力が地球を共有している他のすべての生命体を生かしめている霊力と同じであることに理解がいかないのです。動物も人間と同じく物的身体を具えた霊であることが理解できないのです。

 われこそは万物の霊長であると信じているのであれば、それゆえにこそ動物に対する責務があるはずなのに、人間はそこが理解できないのです。上の者は下の者を手助けするのが当たり前です。しかるに現実は、罪もない動物に無用の残虐行為を情け容赦なく行っております。

しかもそれは人間の健康増進の為と信じてのことなのですが、それは間違いであり、そういう手段から健康は得られません。

 そうした邪悪で悪魔的でさえある実験を完全に阻止するためにも霊的真理の普及が急務なのですが、これは永い時間の掛かる問題です。今自分たちが行っていることが間違いであることに気づいて良心の苛責を覚えるようになるまで、霊性が発達するのを待たねばならないのです。


──なぜ動物は人間の手によって苦しめられねばならないのでしょうか。人間の霊的成長の試金石となるために地上に置かれているのでしょうか。もっと高い進化の段階に達している別の天体へ置かれていれば、そこの住民に可愛がられて霊的進化も促進されるはずですが・・・・・・

 それと同じ疑問が人間についても言えませんか。つまり、なぜ人間は地上で同じ人間の手で苦しめられねばならないのかということです。なぜ苦しむことのない、どこか別の世界へ置いてもらえないのでしょうか。

 理解しなければならないのは、地上というところは予備校ないしはトレーニングセンターであって、その目的は内部の神性を可能なかぎり発揮する機会を提供することである、ということです。

 人間には、ある一定限度内での話ですが、自分の行為を決定する自由意志が与えられております。その自由選択の結果として地上あるいは霊界における進歩を促進もすれば阻止もするという、そういう体験の繰り返しの中で霊性が発達し、少しずつ不完全な部分を棄てて行くことになるのです。

 自由意志があるということは、その当然の可能性として、それを間違ったこと、愚かしいこと、報復的なことに使用する者もいることになり、その結果として苦しむ人も出てくることになります。

もしも神が動物も人間も申し分のない状態であることを望まれたならば、地上にもあるいは霊界にも存在していないでしょう。とっくに完全の頂上を極めていることでしょう。しかしそれは有り得ないことなのです。なぜなら、完全とは永遠に続く過程のことだからです。

 動物への虐待を阻止するには、いろいろとしなければならないことがあります。善の勢力と悪の勢力との戦い、真理を知った者と無知な者との戦いが延々と続いております。

また、動物にも地上で果たしている役割があること、人間が住む権利があるのと同じ意味において動物も地上に住む権利があることが、どうしても理解できない近視眼的な人種もいます。これからも戦いは続きます。が、真理は必ず勝利を収めます。


──人間とともに進化を続けている鳥類や魚類は次は何になるのか教えていただけないでしょうか。それは、いわゆる〝精霊進化〟に属するのでしょうか。昆虫は次は何に進化していくのでしょうか。昆虫の中にはとても進化していて独自な複雑な〝文明〟すら持っているように思えるのが多くいますが・・・・・・

 まず〝文明〟という用語はここでは適切でないと思います。いかなる生活にせよ、文明とは社会及び生活様式に適応していくための手段のことです。

 さてご質問の意味ですが、一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかということであれば、答えはノーです。精霊進化というのは妖精およびそれに類する存在に関わる自然的生命の進化のことです。自然界の成長の中で果たす役割があるのです。

進化とは全生命に関わる自然法則の一環であって、それは神の愛の証しでもあります。低い次元から高い次元へ向けての不断の向上のことです。

 進化の法則はすべての生命、すなわち昆虫類、鳥類、動物、そして人類のすべてを包摂しています。それぞれに果たすべき役割があり、しかもお互いに関連し合っております。

孤立しているものは一つもありません。全体として完全な複合体を形成しているのです。あなた方人間も動物の進化に関連した法則と同じ法則によって支配されているのです。

 その自然法則に従って生活していれば、言いかえれば自然法則と調和していれば、あなたは天命を全うできると同時に他の生命の進化を助けることにもなります。各自が協調的要素としての役割を果たすように宇宙の全機構ができあがっているのです。

協調とは反対に自然に逆らった行為に出る者は、その逆らった対象だけでなく自分自身に対しても酷い仕打ちをすることになります。自然と協調する者は自然の発達を助けると同時に、自分自身の霊性の開発をも助長することになるのです。


──ということは、われわれは人類として特別の存在ではなく、大自然の進化の過程の一部にすぎないということになるのでしょうか。

 人類も生命の永遠の営みの一部に過ぎません。その中にあってもし人間がオレたちは他の生命よりも特別に高等なのだと自負するのであれば、ちょうどあなた方が霊界の高級霊からの援助を求めるように、他の下等な生命を援助してやる義務があるはずです。


──動物の世界には〝高等な生命〟というものがあるのでしょうか。

 ありません。それぞれの種にそれぞれの進化のコースが割り当てられているのです。生命として存在しているものは、霊であるからこそ存在できているのです。霊は生命であり、生命は霊です。それゆえ、生きとし生けるものすべてが───小鳥も魚も花も木も果実も、みな霊なのです。

高等とか下等とかいうのは、その無数の生命現象の中にあって、他の生命に比べた場合の進化の到達度を言っているにすぎません。人類は魚類に比べれば高い発達段階にあるかも知れませんが、私達の世界の神庁に所属する神霊に比べれば低いことになります。


──動物保護運動がなかなか思うに任せません。むしろ悪化の一途をたどっているように思えます。

 それは人間に自由意志が与えられていることから生じる当然の結果です。もしも何一つ問題がなく闘争もなく犠牲が強いられることもなく困難も生じなかったら、人間は進歩しません。

進歩は困難に遭遇した時に得られるのであって、気楽な生活の中では得られません。それぞれの魂が内在する力を引き出すための努力をするように何らかの試練の時に遭遇するというのが、進化における不可欠の過程の一つなのです。

 進歩の速い面もあれば遅い面もあります。とにかく同じ地球を共有する他のすべての存在と仲良くするということが人間の責務です。が、どっちへ転んだところで自然の摂理による埋め合わせがあります。動物が動物なりの進化のコースをたどるように配慮するのは人間の責務です。

それを怠れば、人間はそれなりの代償を払わねばなりません。動物に残酷な仕打ちをしている者は、いずれその行為の一つ一つに霊的代償を払わねばなりません。

 悲しいかな、苦しめられるのはいつも罪のない側です。が、自然の摂理は曲げられません。殺人を犯せば殺した方はその償いをしなければなりませんし、殺された方にはその犠牲の埋め合わせがあります。埋め合わせの原理は間違いなく働きます。神は一人一人の人間にきちんと賞罰が計算されるように公正の原理を定めておられます。


──自然界では〝強い者〟が生き残っているように思えるのですが、そうなるとその原則は人間界や霊的なことにはどう適用されるのでしょうか。

 相利共生(二種類の生物が相互に利益を得ながら生活すること)という言葉をお聞きになったことはありませんか。これが自然界の原則ではないでしょうか。互いに協力し合うことによって自然界がその目的を果たしていく、というのが基本原理ではないでしょうか。

 樹木が大気中の炭酸ガスを吸収しそれを酸素にして排気する。それを人間が呼吸して生命を維持する。これが調和、協調、つまりは自然の力の働きではないでしょうか。


──私はとくに動物のことを念頭において質問したのですが・・・

 有史以前の動物の中で現在まで生き残っているのはどの種類でしょうか。たとえば象がいます。象は獰猛な動物だったでしょうか。そうではありません。草食動物であり、他の動物を襲ったりしませんでした。なのに生き残っており、他の肉食動物は滅びています。どっちが〝強い者〟でしょうか。

あなたも庭をお持ちなのでご存知でしょうが、自然の摂理を大切にすれば立派な庭になり、摂理を無視すれば台無しになります。人間同士だけでなく動物に対しても情愛を向けないといけません。他の人間を搾取してはいけません。動物を搾取してはいけません。大自然を搾取してはいけません。

 そういう心掛けで生きれば、人間だけでなく地上に生きているすべての存在が、宇宙最大の力すなわち神によって考案された進化の法則の究極の目的である平和と秩序と調和を手にする上であなたも貢献していることになるのです。



 十一章 シルバーバーチの祈り 


(シルバーバーチの祈りを載せずに霊言集を閉じるわけにはいかない。いつの交霊会も必ず開会の祈り Invocation インボケーションで始まり感謝の祈り Benediction ベネデクションで閉会となる。その内容はいつも同じ霊的真理を述べるだけであるが、その表現に一つ一つ味わいがある。これから紹介するのはその中でも特に平凡に真理を語るだけの祈りの典型である )


 〇インボケーション

 これより霊的世界に属する摂理の一端を啓示させていただくに当たり、その成功を宇宙の大霊にお祈りいたします。

 大霊について、また大霊と宇宙間の全生命現象及びそこに住まう大霊の子等とのつながりについて、より明確な理解を得さしめることができますよう、お祈りいたします。

 幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見くびられ、制約されてまいりました。そこで私どもは完全なる法則の働きとしての大霊の真の姿を啓示せんとしているところでございます。

 大霊はすべての生命現象の背後に存在するものでございます。宇宙間に存在するものはすべて大霊の活力と栄養を得ているからこそ存在できているのでございます。

 進化のあらゆる段階にある創造物がその摂理に絶対的に従っております。雄大なるものも慎ましきものも、強きものも弱きものも、小鳥も花も、木も風も、海も山も、丘も谷も、晴天の日も雨の日も、嵐も稲妻も、およそ大霊の表現でないものは無いのでございます。

 私どもはすべてが大霊の霊的イメージに似せて創造されていること、その存在を通して大霊の神性が表現されていること、動き呼吸し生きていられるのは大霊が内部に宿っているからであり、また大霊の内部に存在しているからであることを啓示せんといたしております。

 その親と子の関係に割って入れる者は誰一人いません。なぜなら、無限なるその貯蔵庫に納められている全インスピレーション、全真理、全叡智、全摂理、全知識は、子等が向上心と謙虚さと奉仕的精神を持ってその道具となることを望みさえすれば、誰にでも手にすることができるものだからです。

 また私どもは人間の魂の中に例外なく潜在している偉大さ、誤解によって閉じ込められ、使用されることを待ち望んでいる強大な力、日常生活の中で身体を通して勢いよく顕現して霊的高揚を覚えさせる力をお見せしたく思っております。

すべての子等が充実した生活、美にあふれた生活、地上に生を受けた目的を得心した生活を送り、望みさえすれば得られる地上ならではの豊かさと愉しさと利点を手にして欲しく思うのでございます。

 要するに私どもは大霊を子等に近づけ、また子等を大霊に近づけ、立ちはだかる障害を克服し制約と限界を無くして、子等が大霊の存在を知り仕事の中でその御心を顕現して行けるようにしてあげることを目的としているのでございます。
 ここに、ひたすらに人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


 〇ベネディクション

 私は、たとえ声は聞こえなくても、たとえ姿は見えず手に触れることはできなくても、私たちが常にお側にいることを皆さんに知っていただきたいと思います。

 愛するが故に私どもは皆さんの周りに、またすぐお側に待機しており、その愛が、皆さんにそして皆さんを通して愛を必要とする人々に手を差し伸べることを可能にしてくれるのです。

 か弱い人たち、元気を失くした人たち、路傍に倒れている人たち、社会の落伍者たち、いずこへ向かうべきかを知らぬまま人生に疲れ果てている人たち、もはや俗世の宗教に安らぎを見出すことができず、しかもなお真実を求めている人たち、魂は自由を求めつつも教義とドグマと、対立する宗派の教えによってがんじがらめにされている人たち──こうした人たちに愛の手を差しのべることができるのでございます。

 私どもの教える真理は永遠にして無限なる大霊の真理です。一人のものではなく、すべての人に分け与えられるべきものです。全人類をその温かき抱擁の中に収めてしまうのです。

 願わくば皆さん方の直ぐ身のまわりに存在する強大な力、休みなく地上へ注がれている大いなる愛、皆さんを通して顕現することを求めているインスピレーション、啓示されることを待ちわびている真理、地上を啓発せんとしている叡智の存在に気づかれんことを。

 また願わくば人のために役立つ仕事を通してみずからを強大なる霊力に近づけ、その莫大なエネルギー、万物の背後に控える大霊と一体となり、その摂理に順応し、その知識を豊かに体得することによって、大霊の道具として、子等のために役立たれんことを。

  神の祝福のあらんことを。




 十二章 シルバーバーチと私  モーリス・バーバネル


 私と心霊との係わりあいは前世にまで遡ると聞いている。もちろん私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において 『サイキック・ニューズ』 紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束したそうである。

 私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを始めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えないことがきっかけとなった。

 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと、私のことを褒めてくれていた。

 実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん始めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって始めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴してほしいと懇願しても、頑として聞かなかった。

二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った。

 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく上で、その背景として必要だと考えたからである。

 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれをまったく持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。

これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、〝調査研究の体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしも本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟 と尋ねた。

 〝ええ〟 私はついそう返事をしてしまった。しかし〝結論を出すまで六ヶ月の期間がいると思います〟 と付け加えた。日記をめくって見ると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今もなお研究中だが・・・・・・。

 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。余り好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。

 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが〝死者〟である、ということを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。

 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり 〝居眠り〟 をしてしまった。目を覚ますと私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに 〝居眠り〟 をしている間、私がレッドインディアンになっていたことを聞かされた。

 それが私の最初の霊媒的入神だった。何をしゃべったかは自分には全く分からない。が、聞いたところでは、シルバーバーチと名告る霊が、ハスキーでノドの奥から出るような声で、少しだけしゃべったという。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いていただいている。地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言って下さる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。

 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、会を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまく行くようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

 始めのうち私は入神状態に余り好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身には分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいであったろう。

 ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベットに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。

一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。

 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も一九三二年に心霊新聞 『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別な形をとり始めた。

 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓をひとにぎりの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』 紙に連載するのが一番得策だという考えを示した。

 初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、随分議論した挙句に、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニック・ネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが 「シルバーバーチ」 Silver Birch だった。

不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色(シルバー)の樺の木(バーチ)の絵はがきが入っていた。

 その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、スワッハー亡き後今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が 『サイキック・ニューズ』 紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。

 シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女の事をいつも the scribe (書記)と呼んでいた。

 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ会のすべてが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。

 私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れ出たらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

 心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格に過ぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話器のようなものかもしれないが、電話器と違ってこちらは生き物なのである。

従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。

 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で読んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書きこむ他は、一点の非のうちどころもないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混ざっていることである。

シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私とまったくの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

 ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、〝あなた方が解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう〟 と約束したことがあった。当時私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。

 むろんロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私たちはその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭のあいさつの中で、私たち夫婦しか知らないはずの事柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。

 交霊会の演出に天才的うまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らさせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた、そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。

 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二―ナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

私の身体を使ってしゃべったシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

 ほかにも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげてほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですが、レッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現われて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだというのである。

 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会へ招待した。戦死した息子さんが両親と 〝声の対面〟 をしたことは言うまでもない。

訳者付記

 ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界直後に、週刊誌『サイキック・ニューズ』の一九八一年七月下旬号、及び月刊誌『ツー・ワールズ』の八月号に掲載された。



   
 訳者あとがき

 本書は原題を Light from Silver Birch といい、 そのまま訳せば、シルバーバーチからの光、ないしは光明ということになる。これまでの霊言集の表題は〝シルバーバーチの教え〟〝シルバーバーチの導き〟〝シルバーバーチの叡智〟〝シルバーバーチの哲学〟といったパターンになっているが、意味するところは皆同じである。

 編者パム・リーバ女史とは二度会っている。最初はバーバネルの秘書をしていた時で、社長室のある三階から下りてきて私を迎え、折り返し三階まで案内してくれた。その時の東洋人的な、いかにも貞淑な物腰が印象に残っただけで、顔は後で思い出せるほどはっきりは覚えていなかった。

 二度目に会った時はバーバネル亡き後で、サイキックニューズ社のスタッフの一人として働いていた。私のことを覚えていてくれて、私が来ていることを知ってわざわざ二階の編集室から下りてきてくれた。その時初めてとても美しい方であることを知った。ハデな美しさではなく、奥に何かを秘めて清楚な美しさで、才色兼備とはこういう人に使う言葉であろうと思ったりした。

 私が「今シルバーバーチを訳しているけど、そのうちあなたの編集したものも訳しますよ」と言ったら Oh, lovely !(まあ、素敵!)と言って、まるで童女のようなあどけない仕ぐさで、嬉しそうにしたのが印象的だった。

 本文の一三六頁でシルバーバーチが「この霊媒と奥さんと私とは一個のインディビジュアリティに所属しております」と述べている。つまり霊的な親族(アフィニティ)、いわゆる類魂同士であるという意味であるが、私は永年バーバネルの秘書を務めたこのリーバ女史もアフィニティの一人として計画の推進のために生まれてきていると思う。スワッハーもしかり、速記係のムーア女史も然りである。

 話を戻して、続いて私が「その後バーバネルから何か通信がありますか」と尋ねたところ、自動書記とか霊聴という形ではないけど、霊感的に近くにバーバネルの存在を感じることはよくあるといった主旨のことを語ってくれた。バーバネルは今でもサイキックニューズをはじめとしてスピリチュアリズム関係の仕事を霊界から援助してくれていることは、当然想像できるところである。

 さて本書にはバーバネルが他界する直前の霊言も収められており、一九三八年に始まった原典シリーズも本書が最後となる。日本語シリーズとしてはオーツセンの More Philosophy の残り半分を主体として構成したものを次の第十一巻とし、最終巻は全霊言集のほかにサイキックニューズ紙やツーワールズ誌に引用されている珠玉の言葉や祈りをもれなく集めて〝総集編〟としたいと考えている。

 もちろんそれでシルバーバーチの霊言がすべて出つくすわけではない。分量としてはむしろ残されているものの方が多いのではないかと推測している。現に最近の情報では、すでに次のシリーズを企画中のようである。シルバーバーチファンにとっては嬉しい限りであるが、それはそれとして、本シリーズは全十二巻をもって完結としたい。

 実は二年ほど前に別々の機会に二度〝この後シルバーバーチを新たに出す予定はあるのか〟と尋ねたことがあるが、二度ともその予定はないと言っていた。それが今になって新しい企画がされたということは、シルバーバーチの霊言がその後も世界的にますます注目されていることの表われであり、それは言い変えれば、現代人がこうした霊的な叡智を要求し始めているということであろう。

 『古代霊は語る』がきっかけとなってついに十二巻もの霊言集が出せることになった。振り返ってみると、これまでの展開ぶりは私自身にとっても〝まさか〟の一語につきるもので、これも潮文社の理解なくしては不可能なことだったことは言うまでもないが、その背後に大規模な霊界からの働きかけがあることを痛切に感じている。私も一個の道具としてその計画の中に組み込まれているのであろう。

 今後の計画がどう進展するかは知る由もないが、〝すべては良きに計られる〟とのシルバーバーチの言葉を信じて地道に歩んで行きたいと思っている。 

     一九八七年十一月                  

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