Monday, September 14, 2026

シルバーバーチの霊訓 古代霊は語る

 

巻頭言 

あなたがもしも古き神話や伝来の信仰を持って足れりとし、あるいは既に真理の頂上を極めたと自負されるならば本書は用はない。がもしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めて已まぬものであることをご承知ならば、ぜひお読みいただいて、世界の全ての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出していただきたい。

そこにはすべての宗教の創始者によって説かれた訓えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠な霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明りを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。                                                シルバー・バーチ 


   

 はじめに

 シルバー・バーチ Silver Birch というのは、英国のハンネン・スワッハー・ホームサークル Hannen Swaffer Home Circle という家庭交霊会において、一九二〇年代後半から五十年余りにわたって教訓を語り続けてきた古代霊のことで、紀元前一〇〇〇年ごろ地上で生活したということです。

 もちろん仮りの呼び名です。これまで本名すなわち地上時代の姓名を教えてくれるよう何度かお願いしましたが、その都度、「それを知ってどうしようというのですか。戸籍調べでもなさるおつもりですか」 と皮肉っぽい返事が返ってくるだけです。そして、

 人間は名前や肩書にこだわるからいけないのです。もしも私が歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことに一段と箔がつくと思われるのでしょうが、それは非常にタチの悪い錯覚です。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、大富豪であろうと奴隷であろうと、そんなことはどうでもよろしい。

私の言っていることが成るほどと納得がいったら真理として信じて下さい。そんなバカな、と思われたら、どうぞ信じないで下さい。それでいいのです」 というのです。今ではもう本名の詮索はしなくなりました。 

 霊視家が画いた肖像画は北米インデアンの姿をしていますが、これには三つの深い意味があります。
 ひとつは、実はそのインデアンがシルバー・バーチその人ではないということです。インデアンは言わば霊界の霊媒であって、実際に通信を送っているのは上級神霊界の高級霊で、直接地上の霊媒に働きかけるには余りに波長が高すぎるので、その中継役としてこのインデアンを使っているのです。

 もう一つは、その中継役としてインデアンを使ったのは、とかく白人中心思考と科学技術文明偏重に陥りがちな西洋人に対し、いい意味での皮肉を込めていることです。

 むろん、それだけが理由の全てではありません。インデアンが人種的に霊媒としての素質においてすぐれているということもあります。

そのことは同じ英国の著名な霊媒エステル・ロバーツ女史 Estelle Roberts の支配霊レッド・クラウド Red Cloud、グレイス・クック女史 Grace Cook の支配霊ホワイト・イーグル White Eagle などがともに(男性の)インデアンであることからも窺えます。

 そして表向きはそのことを大きな理由にしているのですが、霊言集を細かく読み返してみますと、その行間に今のべた西洋人の偏見に対するいましめを読み取ることが出来ます。

 さらにもう一つ注意しなければならないことは、どの霊姿を見る場合にも言えることですが、その容姿や容貌が必ずしも現在のその霊そのものではなく、地上時代の姿を一時的に拵えて見せているにすぎないことが多いことです。シルバー・バーチの場合も、地上に降りる時だけの仮化粧と考えてよいでしょう。

 さて、シルバー・バーチの霊訓は「霊言集」の形でこれまで十一冊も出版されております。ホームサークルの言葉どおり、ロンドンの質素なアパートでの非常に家庭的な雰囲気の中で行われ、したがって英国人特有の内容や、その時代の世相を反映したものが多くみられます。

たとえば第二次世界大戦勃発の頃は 「地上の波長が乱れて連絡がとれにくい」 とか、 「連絡網の調子がおかしいので、いま修理方を手配しているところだ」 といった興味深い言葉も見られます。

 何しろ一九二〇年代に始まり半世紀以上にわたって連綿と続けられてきたのですから、量においても質においても大変なものがあります。

 そこで私は、あまりに特殊で日本人には関心のもてないものは割愛し、心霊的教訓として普遍的な内容のものを拾いながら、同時に又、理解の便を考慮して、他の箇所で述べたものでも関連のあるものをないまぜにしながら、易しくそして親しく語りかける調子でまとめていきたいと思います。「訳編」としたのはそのためです。

 重厚な内容をもつ霊界通信の筆頭は何といってもモーゼスの「霊訓」 Spirit Teachings by S. Moses であり、学究的内容をもつものの白眉としてはマイヤースの「永遠の大道」 The Road to Immortality by F. Myers があげられます。後者には宇宙的大ロマンといったものを感じさせるものがあります。

 私事にわたって恐縮ですが、東京での学生時代やっとのことで両書の原典を英国から取り寄せ、宝物でも手にしたような気持ちで、大学の授業をそっちのけにして、文字通り寝食を忘れて読み耽った時期がありました。

 特に 「永遠の大道」 はその圧巻である 「類魂」 の章に読み至った時、壮大にしてしかもロマンに満ちた宇宙の大機構にふれる思いがして思わず全身が熱くなり、感激の涙が溢れ出て、しばし随喜の涙にくれたのを思い出します。

「霊訓」 は非常に大部でしかも難解です。浅野和三郎訳のものもありますが部分的な抄訳にすぎません。何しろ総勢五十名から成る霊団が控え、その最高指導霊であるイムペレーター(もちろん仮名)紀元前五世紀に地上で生活した人物──実は旧約聖書に出てくる予言者マラキ Malachi ──です。

筆記者すなわち直接霊媒の腕を操った霊はかなり近代の人物が担当していますが、イムペレーターの古さに影響されてか、文章に古典的な臭いがあります。もっともそれが却って重厚味を増す結果となっているとも言えますが・・・・・・。

 それに比べるとシルバー・バーチの霊訓はいたって平易に心霊的真理を説いている点に特徴があります。モーゼスとマイヤースが主として自動書記を手段としたのに対し、霊言現象という手段をとったことがその平易さと親しみ易さの原因と考えてもよいでしょう。

 私はこれを、さきほど述べたように、一冊の原書を訳すという形式ではなく、十一冊の霊言集をないまぜにしながら、平たく分かり易く説いていく形で進めたいと考えます。

 時には前に述べたことと重複することもありましょう。それは原典でも同じことで、結局は一つの真理を角度を変えて繰り返し説いているのです。

 さらに私は、必要と思えば他の霊界通信、たとえば右のモーゼスやマイヤースの通信などからも、関連したところをどしどし引用するつもりです。大胆な試みではありますが、シルバー・バーチの霊訓の場合はその方法が一ばん効果的であるように思うのです。


 ここで、まことに残念なことを付記しなければならなくなりました。本稿執筆中の一九八一年七月、シルバー・バーチの霊言霊媒であったモーリス・バーバネル氏 Maurice Barbanell が心不全のため急逝されたとの報が入りました。

急逝といっても、あと一つで八十歳になる高齢でしたから十分に長寿を全うされ、しかも死の前日まで心霊の仕事に携わっていたのですから、本人としては思い残すことはなかろうと察せられますが、われわれシルバー・バーチ・ファンにとっては、もっともっと長生きして少しでも多くの霊言を残してほしかった、というのが正直な心境です。

 特に私にとっては、その半年前の一月にロンドンでお会いしたばかりで、あのお元気なバーバネルさんが・・・・・・としばし信じられない気持でした。あの時、バーバネル氏の側近の一人が私に 「あなたの背後にはこんどの渡英を非常にせかせた霊がいますね」 と言ったのを思い出します。

その時の私は何のことか分かりませんでしたが、今にして思えば、私の背後霊がバーバネル氏の寿命の尽きかけているのを察知して私に渡英を急がせたということだったようです。

 同時にそれは、私にシルバー・バーチの霊訓を日本に紹介する使命の一端があるという自覚を迫っているようでもあります。氏の訃報に接して本稿の執筆に拍車がかかったことは事実です。

 氏の半世紀余りにわたる文字通り自我を滅却した奉仕の生涯への敬意を込めて、本書を少しでも立派なものに仕上げたいと念じております。

 心霊はコマーシャルとは無縁です。一人でも多くの人に読んでいただくに越したことはありませんが、それよりも、関心をもつ方の心の飢えを満たし、ノドの渇きを潤す上で本書が少しでもお役に立てば、それがたった一人であっても、私は満足です。



    第一章 シルバー・バーチの使命

 シルバー・バーチが地上に戻って心霊的真理つまりスピリチュアリズムを広めるよう神界から言いつけられたのは、のちにシルバー・バーチの霊言霊媒となるべき人物すなわちモーリス・バーバネル氏がまだ母体に宿ってもいない時のことでした。

 そもそもこの交霊会の始まったのが一九二〇年代のことですから、シルバー・バーチが仕事を言いつけられたのは一八〇〇年代後半ということになります。

バーバネル氏が霊言能力を発揮しはじめたのは十八才の時でした。正確なことは分からないにしても、とにかく人間の想像を超えた遠大な計画と周到な準備のもとに推進されたものであることは間違いありません。

 さて言いつけられたシルバー・バーチが二つ返事でよろこんで引き受けたかというと、実はそうではなかったのです。

 『正直いって私はあなた方の世界に戻るのは気が進みませんでした。地上というのは、一たんその波長の外に出てしまうと、これといって魅力のない世界です。私がいま定住している境涯は、あなた方のように肉体に閉じ込められた者には理解の及ばないほど透き通り、光に輝く世界です。

 くどいようですが、あなた方の世界は私にとって全く魅力のない世界でした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなくてはなりません。

地上の同志を見つけ、その協力が得られるよう配慮しなくてはなりません。それから私の代弁者となるべき霊媒を養成し、さらにその霊媒を通じて語る真理を出来るだけ広めるための手段も講じなくてはなりません。

それは大変な仕事ですが、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証を得ました。そして計画はすべて順調に進みました。』

 その霊媒として選ばれたのが、心霊月刊誌 Two Worlds と週刊紙 Psychic News を発行している心霊出版社 Psychic Pressの社長であったモーリス・バーバネル氏であり、同志というのは直接的にはハンネン・スワッハー氏を中心とする交霊会の常連のことでしょう。

 スワッハー氏は当時から反骨のジャーナリストとして名を馳せ「新聞界の法王」の異名をもつ人物で、その知名度を武器に各界の名士を交霊会に招待したことが、英国における、イヤ世界におけるスピリチュアリズムの発展にどれだけ貢献したか、量り知れないものがあります。

今はすでにこの世の人ではありませんが、交霊会の正式の呼び名は今でもハンネン・スワッハー・ホームサークルとなっております。

 いま私は「直接的には」という言い方をしましたが、では間接的には誰かという問いが出そうです。


 一八四八年に始まったスピリチュアリズムの潮流は、そのころから急速に加速された物質文明、それから今日見るが如き科学技術文明という、言わば人間性喪失文明に対する歯止めとしての意義をもつもので、その計画の中にモーゼスの「霊訓」のイムペレーターを中心とする総勢五十名から成る霊団がおり、

「永遠の大道」のフレデリック・マイヤースがあり、さらに、これはあまり知られておりませんが、ヴェール・オーエン氏の「ベールの彼方の生活」のリーダーと名告る古代霊を中心とする霊団がおり、

南米ではアラン・カルデックの「霊の書」を産んだ霊団があり、そしてこのシルバー・バーチを中心とする霊団がいるわけです。

 このほかにも大小さまざまな形でその大計画が推進され、今なお進められているわけです。心霊治療などもそのひとつで、中でもハリー・エドワーズ氏などはその代表格(だった)というべきでしょう。日本の浅野和三郎氏などもその計画の一端を担われた一人でしょう。

 が、分野を霊界通信にしぼってみたとき、歴史的にみてオーソドックス(正統)な霊界通信は右に挙げたものが代表格といってよいでしょう。そのうちマイヤースについて特筆すべき点は、こうしたスピリチュアリズムの流れを地上で実際に体験した心霊家としてあの世へ行っていることです。

そしてこのシルバー・バーチについて特筆すべきことは、前四者が主として自動書記通信である(注)のと違って霊言現象の形で真理を説き、質疑応答という形も取り入れて、親しく、身近かな人生問題を扱っていることです。

(注──モーゼスの「霊訓」には「続霊訓」という百ページばかりの続編があり、これには霊言現象による通信も含まれています。その中でイムペレーターを中心とする数名の指導霊の地上時代の本名を明かしております)

 体験された方ならすぐに肯かれることと思いますが、数ある心霊現象の中でも霊言現象が一ばん親しみと説得力をもっています。

 もっとも霊媒の危険性と、列席者が騙されやすいという点でも筆頭かも知れません。が、それは正しい知識と鋭い洞察力を備えていれば、めったにひっかかるものではありません。

 シルバー・バーチも、自分が本名を明かさないのは、真理というものは名前とか地位によって影響されるべきものではなく、その内容が理性を納得させるか否かによって判断されるべきものだからだ、と述べていますが、確かに、最終的にはそれ以外に判断の拠り所はないように思われます。


 こう見てきますと、シルバー・バーチを中心とする霊団がロンドンの小さなアパートの一室におけるささやかなホームサークルを通じて平易な真理を半世紀以上にもわたって語り続けてきたことは、スピリチュアリズムの流れの中にあっても特筆大書に価することと言ってよいでしょう。

 しかし霊団にとっては、それまでの準備が大変だったようです。シルバー・バーチは語ります。

『もうずいぶん前の話ですが、物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。このためには霊媒と、心霊知識をもつ人のグループを揃えなくてはならないことも知らされました。私は霊界にある記録簿を調べ上げて適当な人物を霊媒として選びました。

それは、その人物がまだ母体に宿る前の話です。私はその母体に宿る日を注意深く待ちました。そして、いよいよ宿った瞬間から準備にとりかかりました』

 この中に出てくる「霊界の記録簿」というのは意味深長です。

 神は木の葉一枚が落ちるのも見落さないというのですから、われわれ人間の言動は細大もらさず宇宙のビデオテープにでも収められているのでしょうが、シルバー・バーチの場合は、霊媒のバーバネル氏が生まれる前から調べ上げてその受胎の日を待った、というのですから、話の次元が違います。続けてこう語ります。

 『私はこの人間のスピリットと、かわいらしい精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる面を細かく観察し、霊的に一体となる練習をし、物の考え方や身体上のクセをのみ込むよう努めました。要するに私はこの霊媒をスピリットと精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです」

 参考までにここに出た心霊用語を簡単に説明しておきましょう。スピリットというのは大我から分れた小我、つまり、神の分霊です。それ自体は完全無欠です。それが肉体と接触融合すると、そこに生命現象が発生し〝精神〟が生まれます。私たちが普段意識しているのはこの精神で、ふつう〝心〟といっているものです。これには個性があります。

肉体のもつ体質(大きいものでは男女の差)、それに遺伝とか自分自身及び先祖代々の因縁等が複雑に混り合っていて、それが人生に色とりどりの人間模様を織りなしていくわけです。

 シルバーバーチは続けてこう語ります。

 『肝心の目的は心霊知識の理解へ向けて指導することでした。まず私は地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的にはそのいずれにも反発させ、いわゆる無神論者にさせました。それはそれなりに本人の精神的成長にとって意味があったのです。

これで霊媒となるべきひと通りの準備が整いました。ある日私は周到な準備のもとに初めての交霊会へ出席させ、続いて二度目の時には、用意しておいた手順に従って入神させ、その口を借りて初めて地上の人に語りかけました。

いかにもぎこちなく、内容も下らないものでしたが、私にとっては実に意義深い体験だったのです。その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りの状態になりました。今ではこの霊媒の潜在意識を完全に支配し、私の考えを百パーセント述べることが出来ます。』

 その初めての交霊会の時、議論ずきの十八歳のバーバネル氏は半分ヤジ馬根性で出席したと言います。そして何人かの霊能者が代わるがわる入紳してインデアンだのアフリカ人だの中国人だのと名告る霊がしゃべるのを聞いて〝アホらしい〟といった調子でそれを一笑に付しました。そのとき「あなたもそのうち同じようなことをするようになりますヨ」と言われたそうです。

 それが二回目の交霊会で早くも現実となりました。バーバネル氏は交霊会の途中で〝ついうっかり〟寝込んでしまい、目覚めてから「まことに申し分けない」とその失礼を詫びました。すると列席者からこんなことを言われました。

 「寝ておられる間、あなたはインデアンになってましたヨ。名前も名告ってましたが、その方はあなたが生まれる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演をするようになるとも言ってましたヨ」

 これを聞いてバーバネル氏はまたも一笑に付しましたが、こんどはどこか心の奥に引っかかるものがありました。

 その後の交霊会においても氏は必ず入神させられ、はじめの頃ぎこちなかった英語も次第に流暢になっていきました。その後半世紀以上も続く二人の仕事はこうして始まったのです。


 では当のバーバネル氏に登場してもらいましょう。入神中の様子について氏は次のように述べています。

 『はじめの頃は身体から二、三フィート離れた所に立っていたり、あるいは身体の上の方に宙ぶらりんの格好のままで、自分の口から出る言葉を一語一語聞きとることが出来た。シルバー・バーチは英語がだんだん上手になり、はじめの頃の太いしわがれ声も次第にきれいな声──私より低いが気持のよい声──に変わっていった。

 ほかの霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば〝心地よい降服〟である。まず気持ちを落ち着かせ、受身的な心境になって、気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。

すると一種名状しがたい温かみを覚える、普段でも時おり感じることがあるが、これはシルバー・バーチと接触した時の反応である。温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そしていびきに似たものになる。

すると意識が薄らいでいき、まわりのことがわからなくなり、柔らかい毛布に包まれたみたいな感じになる。そしてついに〝私〟が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか、私自身にもわからない。

 聞くところによると、入神はシルバー・バーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバー・バーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。

時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流したあとのような感じが残っていることがあるからである。

 入神状態がいくら長びいても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水をいただいてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。

いそがしい毎日であるから、仕事が終るといきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日にどんな変わった出来ごとがあっても、入神には何の影響もないようである。あまり疲労がひどく、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られているのを知って驚くことがある。

 私の経験では、交霊会の前はあまり食べない方がよいようである。胸がつかえた感じがするのである。又、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待者)については、あらかじめアレコレ知らない方がうまく行く。余計なことを知っていると、かえって邪魔になるのである。』


 バーバネル氏はシルバー・バーチ霊のいわば専属霊媒です。かつては英米の著名人、たとえばリンカーンなども出たようですが、それは一種の余興であって、本来はシルバー・バーチに限られています。いずれにせよ、バーバネル氏が二つの心霊機関紙を発行する心霊出版社の社長兼編集長であることはよく知られていても、霊言霊媒であることは日本はもとより世界でも意外に知られていないようです。

 これは謙虚で寡欲なバーバネル氏が自分からそのことをしゃべったり書いたりすることがまず無いということに起因しています。シルバー・バーチが絶対に地上時代の名前を明かさないという徹底した謙虚さが、そのままバーバネル氏に反映しているのでしょう。

 実は氏は自分の霊言を活字にして公表することにすら消極的だったのです。それを思い切らせたのが他ならぬハンネン・スワッハー氏でした。

 ここで私が直接面会して感じ取ったバーバネル氏の素顔を紹介しておきましょう。

 幸いにも私は一九八〇年の暮れに渡英し、多くの心霊家に面会する機会を得ました。バーバネル氏とは新年早々の五日に心霊出版社で面会し、帰国する前日にお別れの挨拶にもう一度立ち寄りました。

 女性秘書がドアを開けてくれて社長室に入った時、バーバネル氏が意外に小柄なのにまず驚ろきましたが、満面に笑みをたたえて、知性と愛情にあふれたまなざしでしっかりと私の目を見つめ、無言のまま両手を差しのべて固く私の手を握り、左手でどうぞこちらへという仕草をされました。

そしてインターホーンでスタッフや秘書にアレコレと(私のための)指示をされてから、ようやく私に向かって「二通目の手紙は(出発までに)間に合いましたか」という問いかけがあって、ようやく会話が始まりました。

 普通なら「はじめまして」とか「お元気ですか」といった初対面の挨拶があるところですが、そんな形式を超えた、あるいは、そんな形式を必要としない、心と心の触れ合いから入りました。

 その前日に面会したテスター氏(拙訳『背後霊の不思議』の原著者)も、背恰好といい年恰好といいバーバネル氏と実によく似た老紳士で、その応対ぶりもそっくりで、目と目が合っただけで通じ合う感じでした。

 むろんこれはお互いがスピリチュアリズムという思想においてつながっているからでしょうが、私がこれまで接触のあった英米の教育者から実業家に至る多くの外人で人格者といえる人物は、クリスチャンであろうと無神論者であろうと、不思議に東洋的なものを感じさせる雰囲気をもっていたのが印象的です。

 バーバネル氏もテスター氏もまさにその通りで、私は何の違和感もなく、まるで親戚のおじさんにでも会ったような感じでした。二人はまた大の仲良しで、お互いの名前を出すのにミスター(Mr.)を付けずに呼び棄てにします。それが却って親しみを感じさせました。

 ついでに言えば、テスター氏の家の近辺には銀色をしたカバの木がそこかしこに見られます。それを英語でシルバー・バーチと言うのです。バーバネル氏曰く、

 「テスターが二十数年前にあそこに引っ越したのも意味があったんですヨ。」
 テスター氏夫妻は数え切れないほどシルバー・バーチの交霊界に出席しています。


 さてバーバネル氏とテスター氏がよく似通った紳士だと言いましたが、一つだけ大きく違うものがあります。それは声の質です。

 テスター氏の声は風貌に似合わず細く澄んだ声で、かなり早口です。これと対照的にバーバネル氏の声は太くごつい感じで、ゆっくりとしゃべります。これはシルバー・バーチの影響でしょう。

 風貌もシルバー・バーチの似顔絵に非常に似ている感じですが、シルバー・バーチが憑ってくるとその感じが一段と強まり、声がいっそうごつくなります。そして、しゃべり方が一語一語かみしめるようにゆっくりとした調子になり、英語のアクセントとイントネーション(抑揚)が明らかに北米インデアンの特徴を見せはじめます。

 しかし同時に、何とも言えない、堂々として威厳に満ちた、近づきがたい雰囲気が漂いはじめます。ハンネン・スワッハ―氏はこう表現しています。

 「が、いったん活字になってしまうと、シルバー・バーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバー・バーチがどんなに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることをわれわれはひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の悪口を言わない。」

 これは十一冊の霊言集のうちの一冊に寄せた緒言の中から抜粋したものですが、同じ緒言の中に興味ぶかいところがありますので、ついでに紹介しておきましょう。

 「霊媒のバーバネル氏が本当に入神していることをどうやって確認するのかという質問をよく受けるが、実はシルバー・バーチがわれわれ列席者に霊媒の手にピンをさしてみるよう言いつけたことが一度ならずあった。

おそるおそる軽く差すと、ぐっと深く差せという、すると当然、血が流れ出る。が入神から覚めたバーバネル氏に聞いてもまるで記憶がないし、そのあとかたも見当たらなかった。

 もう一つよく受ける質問は、霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのか、ということであるが、実はシルバー・バーチとバーバネル氏との間に思想的に完全に対立するものがいくつかあることが、そのよい証拠といえよう。

たとえばシルバー・バーチは再生説を説くが、バーバネル氏は通常意識のときは再生は絶対にないと主張する。そのくせ入神すると再生説を説く。」

 この緒言の書かれたのが一九三八年ですから、すでに四〇年余りも前のことになります。私が面会した時は再生問題は話題にのぼりませんでしたが、晩年はさすが頑固なバーバネル氏も再生を信じ、記事や書物に書いておりました。

℘25    
 本題に戻りましょう。シルバー・バーチが心霊知識普及の使命を言い渡され、不承不承ながらも引き受ける覚悟をきめたことはすでに紹介しましたが、覚悟をきめなければならない重大な選択がもう一つあったのです。それは、知識普及の手段として物理的心霊現象を選ぶか、それとも説教という手段をとるか、ということでした。

 ご承知のとおり物理的心霊現象は見た目には非常にハデで、物めずらしさや好奇心を誘うにはもってこいです。しかしそれは、その現象の裏側で霊魂が働いていること、言いかえれば死後の世界が厳然と存在することを示すことが目的であって、それ以上のものではありません。

 ですから、心霊現象を見て成るほど死後の世界は存在するのだなと確信したら、もうそれ以上の用事のないものなのです。霊界の技術者たちもその程度のつもりで演出しているのです。

 ところが現実にはその思惑どおりには行っていないようです。というのは、現象は見た目には非常に不思議で意外性に富んでいますから、人間はどうしてもうわべの面白さにとらわれて、そのウラに意図されている肝心の意義を深く考えようとしないのです。

 たとえば最近テレビではやっている心霊番組をご覧になればその点に気づかれると思います。怪奇現象を起こしたり写真に写ったりする霊魂について、それが身内の人であるとか先祖霊であるとか地縛霊であるとか浮遊霊であるとか、いろいろ述べるのは結構ですし、その供養まで勧めるのはなお結構なことだとは思うのですが、

しかし話はいつもその辺でストップし、その先の、たとえば死後の世界が存在することの重大性とか、その世界が一体どんな世界なのか、またそういう形で姿を見せない、その他の無数の霊たち、とくにすぐれた高級霊たちはどこでどうしているのか、といった疑問は一般の人からも出ないし、指導する霊能者の方からの解説もありません。

 その点についてひと通りの理解をもった心霊家ならいいとして、何も知らない人が同じ番組を見たら、死後の世界というのは実に不気味で、陰気で、何の楽しみも面白味もない、まるで夜ばかりの世界のような印象を受けるのではないかと案じられます。日本のテレビや雑誌にみる心霊の世界はおしなべてそんな傾向があるようです。

 そこへ行くとスピリチュアリズムは実に明朗闊達、広大無辺、そして自由無礙。人生百般に応用ができて、しかも崇高な宗教心も涵養してくれます。

 しかしそれは心霊を正しく理解した人に言えることであって、実はそこに至るまでが大変なのです。その第一の、そして最大の障害となっているのが、スピリチュアリズムが一般の宗教に見るような御利益的信仰心の入る余地がないということではないかと察せられます。

 人間は誰れしも、理屈はどうでもいい、とにかく今直面している問題──病気、家庭問題、仕事の行きづまり等々を解決してくれればいい、と考えるものです。

 それ自体は決して悪いことでも恥ずべきことでもないのですが、ただそれが解決すればもうそれでおしまいということになると問題です。あるいは、その解決だけを目的としてどこかの宗教に入信する、あるいはどこかの霊能者におすがりする、というのは困りものです。それでは何の進歩もないからです。シルバー・バーチもこんなことを言っています。

 『私がもしも真理を求めて来られた方に気楽な人生を約束するような口を利くようなことがあったら、それは私が神界から言いつけられた使命に背いたことになりましょう。私どもの目的は人生の難問を避けて通る方法を伝授することではありません。

艱難に真っ向から立ち向かい、これを征服し、一段と強い人間に生長していく方法を伝授することこそ私どもの使命なのです。』


 さてシルバー・バーチは最終的に「説教」の手段を選びました。が、これは心霊現象の演出よりはるかに根気と自信のいる仕事です。なぜ困難な方を選んだのか。それをシルバー・バーチ自身に語ってもらいましょう。

 『自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私はいわば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意しました。真理をできるだけ解り易く説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを身をもって証明しよう。そう決心したのです。

 同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。

 結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何ものでもないということです。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです。

 人間の宗教の歴史をふり返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏の座にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命は、そうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。

そうした人々が説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうが卑しい乞食であろうが、そんなことはどうでもいいことではありませんか。

 私どもは決して真実からはずれたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私どもの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義は何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、

その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているか、そして又、人類同士がいかに強い家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。

 といって、別に事新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊覚者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにして来たために私どもが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。

 人類は自分の誤った考えによって今まさに破滅の一歩手前まで来ております、やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば殺し合いなどしないだろうと思うのですが・・・。神は地上に十分な恵みを用意しているのに飢えに苦しむ人が多すぎます。

新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合がひどすぎます。貧苦の度が過ぎます。そして悲劇が多すぎます。

 物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい太陽の光の差す日が来るか来ぬかは、人間の自由意志一つにかかっているのです。

 一人の人間が他の一人の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。

誰れかが先頭に立って薮を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらねばなりません。やがてそこに道が出来あがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。

 高級神霊界の神々が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあります。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ、無駄に終わっていくのを見るからです。

そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせているのを見かけることもあります。無名の平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。

 私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志と共に、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。

 物質界に降りてくるのは、正直言って、あまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。たとえてみれば、弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。どこもかしこも陰気でいけません。

従って当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

 私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真の生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。

 それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべき所に不幸があり、光があるべき所に暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

 それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには出来ないのです、私どもに出来るのは、物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えてさしあげるだけです。ここにおられる方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを、身をもって示していただきたいのです。

 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることが出来たら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りて来た努力の一端が報われたことになりましょう。

私ども霊団は決してあなた方人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとするだけです。』


 この物質界は霊界から見てそんなにひどいところなのだろうか───右のシルバー・バーチの言葉を読まれた方の中にはそんな感慨を抱かれた方が少なくなかろうと思います。

 が、シルバー・バーチなどは霊言現象のせいで言葉に気をつけて表現しているほうで、一ばんひどいのになると「地球はまるでゴミ溜めのようなものだ」と書いている霊もいます。

 ここで参考までに有名な霊界通信のマイヤースの「個人的存在の彼方」を開いてみますと、第一部の第一章から地上生活に対して厳しい観察を述べています。

その表現も「このケチくさいチャチな時代」となっているのですから、およその雰囲気は察せられると思いますが、この章は浅野和三郎訳では省略されておりますので、その中から部分的に抜粋して紹介してみましょう。

マイヤースは地上時代は古典学者であると同時に詩人でもありましたから、さすがに表現はおだやかですが、その意味するところは深長なものがあります。

 『健全なる精神と健全なる肉体───古代ギリシャ人が求めた理想、つまり美と力への憧憬を今こそ地球人類はわが理想、わが憧憬としなければならない。私は今、地球を言うなれば山の頂上から眺める立場にある。そこから見る地上は、将来に対する真の洞察、熱慮ある反省ももたぬ盲目同然の群集がただ右往左往するのみである。

 幼児期の思考と夢が既にその子の未来の原型を形成しているという。あたかも陶器が焼窯に入れられて固く仕上げられる以前に既に形が出来ているように、人間の未来も歴史的過去において既に変えがたい形体が造られ、それが〝現在〟という時を通りすぎ、〝永遠〟という名の神の時刻の中に記録されていくのである。

 それ故わたしは、今まさに幼児期にあってこれからの未来を形づくりつつある人類に対し、古代ギリシャ人が求めた夢と理想───心と身体の健全さ、美と力への憧憬を思い出してもらいたいのである。

 私は決して人類に咎め立てする気もなければ、いたずらに迷わせるつもりで言うのではないが、現代人は人間というものを機械から截然(せつぜん)と切り離し、人生を〝金銭〟から切離して考えるよう切望してやまない。

絶え間なく回転し、文化生活とやらの担い手である、あの怪物の如き機械のジャングルの中にあっては、健全なる知識を産み出す静思や瞑想の時も雰囲気も見出せない。いったんその現代の怪物───唯物主義という名の悪魔の最後の権化である機械───の虜になったが最期、いかに深刻な運命が人類を待ち受けているかは、正に知る者のみぞ知る、である。

 二千年あまり前、神の御子イエス・キリストは地上に降りて肉体をまとい、その生きざまによって天上の美をこの世にもたらした。この二十世紀においては唯物主義の申し子である〝機械〟が地上に降り、その教義が今まさに全世界を席巻しつつある、そしてそれを人類は熱心に、熱烈に信仰している。


 が、ここにもう一つの怪物がいる。大都会という名の怪物である。現代の都会は人間の集まりであるより、むしろ一つの機械の如き性格を帯びつつあり、このまま進めば、その機械が人間を振り回すことになりかねない。恐ろしいのは、その人間の集団が一つの集団心理に巻き込まれて、一気に戦争に突入することである。

がそういう極端な形はとらなくても、人口の増加とそれに伴って増えるであろう無能な人間、弱い人間、堕落した人間、そして精神病者等によって不幸が生まれ悲劇が広がる危険性が多分にある。大都会という名の唯物主義の申し子は、ただ盲目的に質よりも量を求める。ただ機械的に人口を増やし、その結果不幸をも増やす。

 私は機械なんかブチ壊してしまえと言っているのではない。機械の本質をよくわきまえてほしいと言っているのである。魂をもたぬ機械は、思考する動物である人間の下僕であるべきであって、断じて主人の座に据えられるべきではない。

言い変えれば人間の生活と心に深刻なまでに影響を及ぼしている機械の力を人間自身がコントロールしチェックできるようでなければならない。その上でならば、人類の霊的進化のために、具われる力を思い切り発揮し、肉体と五感のよろこびを健全に味わいつつ、近代文明がふんだんにもたらしてくれる洪水の如き機械製品の恩恵に浴すればよいのである。』


 この警告が第二次世界大戦前の一九三〇年代に出ていたという事実は、われわれ日本人にもいろいろと示唆を与えてくれます。警告どおり日本は、マイヤースの言葉を借りれば、「丘を駈け下りるように」戦争への道を突進し、そして敗戦を迎えました。

そして一時は目覚ましい復興ぶりを見せますが、今や機械化された現代社会、言いかえれば人間性を喪失した科学技術文明の悪弊に悩まされ始めていることは、心ある人なら先刻お気づきのことでしょう。

 これは日本に限ったことではありません。世界の先進国といわれている近代国家は例外なくそうした文明病に悩まされています。

 なぜでしょう。なぜ人間は間違った方向にばかりに走りたがるのでしょう。シルバー・バーチの霊言に耳を傾ける前に私は、そうした人間の愚かさを批判し警鐘を鳴らしつづけている数多くの良識ある知識人の一人である生化学者のセント・ジェルジ博士 Albert Szent-Gyorgyi の意見を紹介したいと思います。

博士はハンガリー生まれで現在はアメリカに在住していますが、ビタミンCの発見者として知られ、一九三七年にノーベル賞を受賞しています。

 もっとも博士は、受賞で得た〝生涯のんびり食べていけるほどのお金〟を、これは国民の税金だからということで、社会に還元する方向でいっぺんに使い果たしています。

この事実一つだけでも博士の物の考え方がほぼ察しがつくというものですが、私の手許にある著書は特にこれからの若い世代のために書いた The Crazy Ape (狂った猿)という小冊子です。その「まえがき」の中でこう述べています。

 『人類が今まさに歴史始まって以来の最大の危機に直面していること、つまり、このまま行けば人類全体がそう遠からぬ将来においていっぺんに滅亡することも十分ありうるという危険な時期にさしかかっていることに、ほぼ疑いの余地はない。

なぜこんなことになってしまったのか、どうすればその危機から脱することが出来るかについては、数えきれないほどの意見が説かれてきた。軍事的見地から、政治的立場から、社会的観点から、経済的角度から、科学技術的な面から、はたまた歴史的見地から、それなりの分析が為されてきた。

しかしながら、一つだけ大きく見落されている要素がある。それは、人間それ自身───生物学的存在としての人間そのものである。(中略)究極の問題は、はたして人類はおよそまともな人間のすることとは思えない、言わば狂った猿とでもいうべき振舞いをする現状を首尾よく切り抜けられるかということである。』

 そして続く第一章の冒頭でこう述べています。

 『人間はなぜ愚の骨頂ともいうべき振舞をするのか。それが私がこれから取り扱う問題である。ある意味では今日ほど人生をエンジョイできる時代は歴史上かつてなかった。寒さにふるえることもない。空腹を耐えしのぶということもない。病気でコロコロ死んでいくということもなくなった。

つまり生きていく上で最低限必要とされるものが全て充足されたのは現代がはじめてのことであろう。ところが同時に、自らこしらえた爆弾のたった一発で人類全部を絶滅し、あるいは環境汚染によってこの愛すべき母なる大地を住めない場所にしてしまう可能性をもつに至ったのも、歴史上はじめてのことである。』

 さらに次のような興味深い物の観方を提言して第一章をしめくくります。

 『もし人間が真に愚かであるとしたら、一体どうして地球上に発生してからの百万年という歳月を首尾よく生き抜いてこれたのであろうか。この問いに対しては二つの考え方ができるように思う。

一つは、人間は決してそんな愚かな存在ではない。むしろ地球という生活環境の方が人類が適応できないほどまでに変化してしまったのだという考えである。がもう一つ、こうも考えることが出来よう。すなわち人間は今も昔も少しも変わってはいない。人類というのは本来が自己破壊的なのだ。

ただこれまでは、一度に絶滅させるほど強力な武器を持つに至らなかっただけなのだというのである。確かに人間の歴史は無意味な殺し合いと破壊の連続であった。

それが人類絶滅という事態に至らしめなかったのは、殺人の道具が原始的で威力に欠けていたからというにすぎない。だからこそ、どんなに烈しい戦争でも多くの生存者がいたわけである。が現代の科学技術の発達で事情が一変してしまった。今や人類は集団自殺の道しかないのだ。

 この二つの考えのどちらが正しいにせよ、とにもかくにもこの危機を切り抜けて生き延びるためには、一体どこがどう間違ってこんな事態に至ったかを見極め、そこから抜け出る可能性もしくは良い方法があるのかどうかを早急に検討しなければならない。』

 翻訳権の問題がありますのであまり多くを紹介できないのが残念ですが、私があえてスピリチュアリズムに直接関係のない人の意見を紹介したのは、スピリチュアリズムに関係のない、あるいは心霊を知らない人で案外スピリチュアリズム的な透徹した物の考え方をしている人が幾らでもいることを痛感しているからです。

 論語読みの論語知らずという諺がありますが、心霊心霊とやたらに心霊を口にする人、あるいはその道の本まで書いている人がまるで心霊の真髄を理解していないことが多いのにはウンザリさせられます。私は主義として、心霊とかスピリチュアリズムということを口にすることは滅多にありません。

そうしたものは自分の人生観や物の考え方の中で消化醗酵させておけばいいのであって、それが無形のエネルギーとして生きる力となり、人間性や生活態度に反映していくのだと信じているからです。

 やはり人間の全てを決するのはその人の日常生活ではないでしょうか。シルバー・バーチもその点を繰り返し協調しています。

 『唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんなことになるのかという質問をよく受けますが、宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが人間を長いこと迷わせて来たようです。実際は必ずしもそうばかりとも言えないのです。

ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。祭壇の前にひれ伏し神への忠誠を誓い〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物主義者とか無神論者、合理主義者、不可知論者といった宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらもあります。

問題は何を信じるかではなくて、これまでどんなことをして来たかです。そうでないと神の公正(Justice)が根本から崩れます。』


 少しわき道にそれたようですが、ではシルバー・バーチは右のセント・ジェルジ博士の提起した問題にどう答えるか、それをみてみましょう。シルバー・バーチは語ります。

 『人間はなぜ戦争をするのか。それについてあなた方自身はどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのか、その原因は何だと思いますか。なぜ人間世界に悲しみが絶えないのでしょうか。

 その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることが出来ないために、万物の背後に絶対的統一原理である〝神〟が宿っていることを理解できないからです。宇宙全体を唯一絶対の霊が支配しているということです。

ところが人間は何かにつけて〝差別〟をつけようとします。そこから混乱が生じ、不幸が生まれ、そして破壊へと向かうのです。

 前にも言ったとおり、私どもはあなた方が〝野蛮人〟と呼んでいるインデアンですが、あなた方文明人が忘れてしまったその絶対神の摂理を説くために戻ってまいりました。

あなた方文明人は物質界にしか通用しない組織の上に人生を築こうと努力してきました。言いかえれば、神の摂理から遠くはずれた文明を築かんがために教育し、修養し、努力してきたということです。

 人間世界が堕落してしまったのはそのためなのです。古い時代の文明が破滅したように、現代の物質文明は完全に破滅状態に陥っています。

その瓦礫を一つ一つ拾い上げて、束の間の繁栄でなく、永遠の神の摂理の上に今一度文明を築き直す、そのお手伝いをするために私どもは地上に戻ってまいりました。

それは、私どもスピリットと同様に、物質に包まれた人間にも〝神の愛〟という同じ血が流れているからに外なりません。

 こう言うと、こんなことをおっしゃる人物がいるかもしれません。“イヤ、それは大きなお世話だ。われわれ白人は有色人種の手を借りてまで世の中を良くしようとは思わない。白人は白人の手で何とかしよう。有色人種の手を借りるくらいなら不幸のままでいる方がまだましだ〟と。

 しかし、何とおっしゃろうと、霊界と地上とは互いにもたれ合って進歩して行くものなのです。地上の文明を見ていると、霊界の者にも為になることが多々あります。

私どもは霊界で学んだことをあなた方に教えてあげようと努力し、同時にあなた方の考えから成る程と思うことを吸収しようと努めます。その相互扶助の関係の中にこそ地上天国への道が見出されるのです。

  そのうち地上のすべての人種が差別なく混り合う日がまいりましょう。どの人種にもそれなりの使命があるからです。それぞれに貢献すべき役割を持っているからです。

霊眼をもって見れば、すべての人種がそれぞれの長所と、独自の文化と、独自の教養を持ち寄って調和のとれた生活を送るようになる日が、次第に近づきつつあるのが分かります。

 ここに集まられたあなた方と私、そして私に協力してくれているスピリットはみな、神の御心を地上に実現させるために遣わされた〝神の使徒〟なのです。私たちはよく誤解されます。

同志と思っていた者がいつしか敵の側にまわることがしばしばあります。しかしだからといって仕事の手をゆるめるわけにはいきません。神の目から見て一ばん正しいことを行っているが故に、地上にない霊界の強力なエネルギーのすべてを結集して、その遂行に当たります。

徐々にではあっても必ずや善が悪を滅ぼし、正義が不正を駆逐し、真が偽をあばいていきます。時には物質界の力にわれわれ霊界の力が圧倒され、あとずさりさせられることがあります。しかしそれも一時のことです。

 われわれはきっと目的を成就します。自ら犯した過ちから人間を救い出し、もっと高尚でもっと気の利いた生き方を教えてあげたい。お互いがお互いのために生きられるようにしてあげたい。

そうすることによって心と霊と頭脳が豊かになり、この世的な平和や幸福でなく、霊的なやすらぎと幸福とに浴することが出来るようにしてあげたいと願っているのです。

 それは大変な仕事ではあります。が、あなた方と私たちを結びつけ一致団結させている絆は神聖なるものです。どうか父なる神の力が一歩でも地上の子等に近づけるように、共に手を取り合って、神の摂理の前進を阻もうとする勢力を駆逐していこうではありませんか。

 こうして語っている私のささやかな言葉が少しでもあなた方にとって役に立つものであれば、その言葉は当然それを知らずにいる、あなた方以外の人々にも、私がこうして語っているように次々と語りつがれていくべきです。自分が得た真理を次の人へ伝えてあげる──それが真理を知った者の義務なのです。

 私とて、霊界生活で知り得た範囲の神の摂理を、英語という地上の言語に翻訳して語り伝えているに過ぎません。

それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが、必ずしも私の解釈の仕方に得心がいくとはかぎらないでしょう。しかし忘れないでください。私はあなた方の世界とはまったく次元の異なる世界の人間です。英語という言語には限界があり、この霊媒にも限界があります。

ですから、もしも私の語った言葉が十分納得できない場合は、それはあなた方がまだその真理を理解する段階にまで至っていないか、それともその真理が地上の言語で表現し得る限界を超えた要素をもっているために、私の表現がその意味を十分に伝え切っていないかの、いずれかでありましょう。

 しかし私はいつでも真理を説く用意ができています。地上の人間がその本来の姿で生きていくには、神の摂理、霊的真理を理解する以外にないからです。盲目でいるよりは見える方がいいはずです。聞こえないよりは聞こえた方がいいはずです。居睡りをしているよりは目覚めていた方がいいはずです。

皆さんと共に、そういった居睡りをしている魂を目覚めさせ、神の摂理に耳を傾けさせてやるべく努力しようではありませんか。それが神と一体となった生活への唯一絶対の道だからです。

 そうなれば身も心も安らぎを覚えることでしょう。大宇宙のリズムと一体となり、不和も対立も消えてしまいましょう。それを境に、それまでとは全く違った新しい生活が始まります。

 知識はすべて大切です。これだけ知っておれば十分だ、などと考えてはいけません。私の方は知っていることを全部お教えしようと努力しているのですから、あなた方は吸収できるかぎり吸収するよう努めていただきたい。

こんなことを言うのは、決して私があなた方より偉いと思っているからではありません。知識の豊富さを自慢したいからでもありません。自分の知り得たことを他人に授けてあげることこそ私にとっての奉仕の道だと心得ているからにほかなりません。

 知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇っていくのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろうと、階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収していくほかに道はありません。

 このことは物質的なことにかぎりません。霊的なことについても同じことが言えるのです。というのは、あなた方は身体は物質界にあっても実質的には常に霊的世界で生活しているのです。

従って物的援助と同時に霊的援助すなわち霊的知識も欠かすことが出来ないのです。ここのところをよく認識していただきたい。あなた方も実際は霊的世界に生きている───物質はホンの束の間の映像にすぎないのだ──これが私たちのメッセージの根幹をなすものです。

 そのことにいち早く気づかれた方々がその真理に忠実な生活を送って下されば、私たちの仕事も一層やりやすくなります。スピリットの声に耳を傾け、心霊現象の中に霊的真理の一端を見出した人々が、小さな我欲を棄て、高尚な大義の為に己れを棄てて下されば、尚一層大きな成果を挙げることが出来ましょう。

 繰り返しますが、私は久しく忘れ去られてきた霊的真理を、今ようやく夜明けを迎えんとしている新しい時代の主流として改めて説くために遣わされた、高級霊団の通訳にすぎません。要するに私を単なる代弁者と考えて下さい。

地上に霊的真理を普及させようと努力している高級霊の声を、気持ちを、そして真理を、私が代弁していると考えて下さい。その霊団を小さく想像してはいけません。それはそれは大きな高級霊の集団が完全なる意志の統一のもとに、一致団結して事に当っているのです。

その霊団がちょうど私がこうして霊媒を使っているように私を使用して、霊的真理の普及に努めているのです。

 決して難解な真理を説こうとしているのではありません。いま地上人類に必要なのは神学のような大ゲサで難解で抽象的な哲学ではなく、いずこの宗教でも説かれている至って単純な真理、その昔、霊感を具えた教祖が説いた基本的な真理、すなわち人類は互いに兄弟であり、霊的本質において一体であるという真理を改めて説きに来たのです。

 すべての人種に同じ霊、同じ神の分霊が宿っているのです。同じ血が流れているのです。神は人類を一つの家族としておつくりになったのです。そこに差別を設けたのは人間自身であり、私どもがその過りを説きに戻ったということです。

 四海同胞、協調、奉仕、寛容──これが人生の基本理念であり、これを忘れた文明からは真の平和は生まれません。協力し合い、慈しみ合い、助け合うこと、持てる者が持たざる者に分けてあげること。こうした倫理は簡単ですが繰り返し繰り返し説かねばなりません。

個人にしろ、国家にしろ、人種にしろ、こうした基本的倫理を実生活で実践するときこそ、神の意図した通りの生活を送っているといえましょう。

 そこで私の使命は二つの側面をもつことになります。すなわち破邪と顕正です。まず長いあいだ人間の魂の首を締めつけてきた雑草を抜き取らねばなりません。

教会が、あるいは宗教が、神の名のもとに押しつけてきた、他愛もない、忌わしい、不敬きわまるドグマの類を一掃しなければなりません。なぜなら、それが人間が人間らしく生きることを妨げてきたからです。これが破邪です。

 もう一方の顕正は、誰にもわかり、美しくて筋の通った真実の訓えを説くことです。この破邪と顕正は常に手に手をとり合って進まねばなりますまい。それを神への冒涜であると息巻いたり尻込みしたりする御仁に係わりあっているヒマはありません。』

 シルバー・バーチ交霊会の全体のパターンは、最初に 「祈りの言葉」 があり、続いて右に紹介したような 「説教」 があり、そのあとに列席者との間の一問一答があり、そして最後にしめくくりの 「祈り」 があります。

 質問は個人的な内容のものから哲学的なものまで種々様々ですが、時にはすでに説教の中で述べたことと重複することもあります。が、シルバー・バーチは煩をいとわず懇切ていねいに説いて聞かせます。

 かつては週一回だった交霊会が晩年には月一回になったとはいえ、半世紀以上にわたる交霊会での応答は大変な量にのぼります。その中から各章に関連のあるものを選んで章の終りに紹介しようと思います。


 一問一答

問「昨今のスピリチュアリズムの動向をどう見られますか」
シルバー・バーチ「潮にも満ち潮と引き潮があるように、物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気にやってしまうわけにはいきません。成るほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利をおさめたように見えますが、まだまだ霊的真理について、まったく無知な人が圧倒的多数を占めております。

いつも言っているように、スピリチュアルズムというのは単なる名称にすぎません。私にとってはそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。

私の使命はその知識を広めることによって少しでも無知をなくすることです。その霊的知識の普及に手を貸してくださるものであれば、それが一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を贈りたいと思います。

神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。

時には潮が引いたように活動の目立たない時期がありましょう。そうかと思うとブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのがイヤになる人もおりましょう。が、こうしたことは、神の計画全体からみればホンの部分的現象にすぎません。

その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇蹟的治癒は計画的なものであって決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。私は真理の普及について決して悲観的になることはありません。

常に楽観的です。というのは、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。私はこれまでの成果に満足しております。地上の無知な人がわれわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻むことは決して出来ません。

ここが大切な点です。遠大なる神の計画の一部だということです。牧師が何と説こうと、医者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展とともに霊的真理が普及していくのをストップさせる力は、彼らにはないのです」


問「死後の世界でも罪を犯すことがありますか」  

シルバー・バーチ「ありますとも! 死後の世界でもとくに幽界というところは非常に地上と似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の人たちで、決して天使でもなければ悪魔でもありません。

高級すぎもせず、かといって低級すぎもせず、まあ、普通の人間と思えばいいでしょう。判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭い切れない恨みや憎しみ、欲望等にとらわれて罪悪を重ねることもあります。要するに未熟であることから過ちを犯すのです」


問「人間一人ひとりに守護霊がついているそうですが・・・」

シルバー・バーチ「母体における受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。

自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊はきまって一人ですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめわかっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。

つまり自分はこの男性にしようとか、あの女性の方がよさそうだ、といった勝手な注文は許されないのです。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されているのです」

日本語流にいえば「産土神の許可を得て・・・」ということになるのでしょうが、この問題は次の質問にある因果律、日本流に言えば因縁の問題もからみ、さらには再生問題にも係わる重大な問題を含んでおります。最後の「こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております」というのはその辺も含めた言葉として解釈すべきです。

問「地上で犯す罪は必ず地上生活で報いを受けるのでしょうか」

シルバー・バーチ「そういう場合もあるし、そうでない場合もあります。いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間内に成就されるとは限りません。しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことは出来ないのです。

しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質如何にかかわってきます。すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。

罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を産み、それだけ苦しみます。それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはいろんな事情が絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」

問「霊界のどこに誰れがいるということがすぐにわかるものでしょうか」

シルバー・バーチ「霊界にはそういうことの得意な者がいるものでして、そういう人には簡単に分かります。大ざっぱに分類すると死後の世界の霊は地上に帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。帰りたがっている霊の場合は、有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡がとれます。

が帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは簡単につきとめることが出来ても、地上と連絡をとることは容易ではありません。イヤだというのを無理につれてくるわけにもいかないのです」

 俗に拝み屋という、霊魂との取り次ぎのような商売をしている人がいます。頼めばどんな先祖霊でも呼び出してくれるようですが、右のシルバー・バーチの答えを読めば、それが必ずしも信のおけるものでないことがわかります。

シルバー・バーチは霊界にはスピリットの所在を突き止めるのが得意な霊がいると言っておりますが、実はそれとは別に、地上の拝み屋のような低級な霊能者のところをドサ回りのようなことをしながら、声色を使ったりクセをまねたりして、信心深い人間を騙しては面白がっているタチの悪い霊団がいることも忘れてはなりません。

そんな霊にからかわれないためにも、正しい心霊知識を少しでも多く身につけたいものです。

Sunday, September 13, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

  Silver Birch Companion

スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳


十二章 さまざまな質問

  残念なことに、かつては素敵だった言葉が乱用されすぎて、その価値を下げてしまったものが少なくない〝愛〟という言葉もその部類に入りそうである。ある日の交霊会でその愛の定義を求められて、シルバーバーチがこう答えている。

 「気が合うと言うだけの友情、趣味が同じということから生まれる友愛から、自己を忘れて人のために尽くそうとする崇高な奉仕精神に至るまで、愛はさまざまな形態を取ります。

 地上では愛という言葉が誤って用いられております。愛と言えないものまで、愛だ、愛だと、さかんに用いる人がいます。ある種の本能の満足でしかないものまで、愛だと錯覚している人もいます。

が、私が理解しているかぎりで言えば、愛とは、魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主である神とのつながりを悟った時に自然に湧き出てくる欲求のことです。

 最高の愛には一かけらの利己性もありません。つまりその欲求を満たそうとする活動に何一つ自分自身のためという要素がないのです。それが最高の人間的な愛です。

それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者への扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏みにじる既得権力に戦いを挑む人々の魂を鼓舞してまいりました。

 母国において、あるいは他国へ赴いて、そうした愛他的動機から人類の向上のために、言い替えれば、内部に秘めた無限の可能性を悟らせるために尽力する人は、愛を最高の形で表現している人です。

 愛の表現形態にもさまざまな段階(ランク)があります。愛の対象へ働きかけという点では同じであっても、おのずから程度の差があります。偏狭で、好感を覚える人だけを庇い、そして援助し、見知らぬ者には一かけらの哀れみも同情も慈愛も感じない者もいます。

 しかし、宇宙には神の愛が行きわたっております。その愛が天体を運行せしめ、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまで成就したものを全部お預けにして、この冷たく、薄暗い、魅力に乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです」


───その〝神〟のことを子供にはどう説いたらよいでしょうか。

 「説く人自らが全生命の背後で働いている力について明確な認識を持っていれば、それは別に難しいことではありません。

 私だったら大自然の仕組みの見事な芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドのごとき夜空の星の数々に目を向けさせます。太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。あたかも囁きかけるようなそよ風、そしてそれを受けて揺れる松の林に目を向けさせます。

さわやかに流れるせせらぎ、怒涛の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの営みが確固とした目的を持ち、法則によって支配されていることを指摘いたします。

 そしてさらに、人間がこれまでに自然界で発見したものは全て法則の枠内におさまること、自然界の生成発展も法則によって支配され規制されていること、その全体に人間の想像を絶した、広大にして複雑な、それでいて調和した一つのパターンがあること、宇宙のすみずみに至るまで秩序が行きわたっており、惑星も昆虫も、嵐もそよ風も、

そのほかありとあらゆる生命活動が、例え現象は複雑をきわめていても、その秩序において経綸されている事実を説いて聞かせます。

 そう説いてから私は、その背後の力、全てを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙のパノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している霊妙(クシビ)な力、それを神と呼ぶのだと結びます」


───自分の思念にはすべて自分で責任を取らねばならないでしょうか。

 「(精神的障害がある場合は別として)一般に正常とみなされている状態においては、自分の言動には全責任を負わねばなりません。これは厳しい試練です。

行為こそが、絶対的な重要性を持ちます。いかなる立場の人間にも、人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるべきチャンスが与えられるものです。

有徳の者や聖人君子だけが与えられるのではありません。全ての人に与えられ、そのチャンスの活用の仕方、疎かにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします」


───子供はそちらへ行ってからでも成人していくそうですが、交霊会に出てくる子供の背後霊が何年たっても子供だったり、十八年も二十年も前に他界した子供がその時のままの姿格好で出てくるのはなぜでしょうか。


 「地上の人間は、いつまでも子供っぽい人を変だと見るかと思うと、子供の無邪気さを愛するような口を利きます。しかも、人類のために敢えて幼児の段階に留る手段を選んでいる霊のことを、変だとおっしゃいます。

 幼児の方が得をするわけは容易に理解できるでしょう。幼児には大人にありがちな障壁がありません。きわめて自然に、いつも新鮮な視点から物事を眺めることができます。

大人が抱える種類の問題に悩まされることもないので、通信のチャンネルとしては好都合なのです。大人にありがちな、寛容性を欠いた先入観や偏見が少ないので、仕事がスムーズに運びます。

 いつも生き生きとして新鮮味を持って仕事に携わり、大人の世界の煩わしさがありません。煩わされないだけ、それだけ霊的交信に必要な繊細なバイブレーションをすぐにキャッチできるのです。

 しかし、実を言えば、その幼児の個性は大人の霊がその仕事のために一時的にまとっている仮の衣服である場合が多いのです。仕事が終われば、すぐに高い界へ戻って、それまでの生活で開発した、より大きな意識の糸をたぐり寄せることができます。

 変だと決めつけてはいけません。こういう霊のことを〝トプシー〟と言うのです。そういう形で自分を犠牲にして、地上の人々のために働いている愛すべき〝神の道具〟なのです。

 何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現するのは、自分の存続の証拠として確認してもらうためです。身元の確認を問題になさる時に忘れないでいただきたいのは、他界した時点での姿や性格やクセをそのまま見せないと、人間の方が承知してくれないということを考慮していることです。

 そこで霊媒(霊視能力者)に映像を見せて、それを伝達させるわけです。言わばテレビの画像のようなものです。霊媒が自分の精紳のスクリーンに映った影像を見て叙述するわけです。

直接談話であれば、映像の代わりに、エクトプラズムで他界当時と同じ発声器官をこしらえます。条件さえうまく整えば、地上時代とそっくりの声が再生できます」


───子供のころから動物に対して残酷なことをして育った場合は、そちらでどんな取扱いを受けるのでしょうか。動物の世話でもさせられるのでしょうか。

 「人間の永い歴史を通じて、動物がいかに人間にとって大切な存在であったかを教えることによって、地上時代の間違った考えを改めさせないといけません。

動物界をあちらこちら案内して、本来動物というものが、動物を本当に愛し理解する人間と接触すると、いかに愛らしいものであるかを実際に見せてやります。

知識が増すにつれて誤った考えが少しずつ改められていきます。結局は残酷を働いたその影響は、動物自身だけでなく、それを働いた人間にも表れるものであることを悟るようになります」


 (別にメンバー)───他界する者の大多数が死後の生活の知識を持ち合わせません。他界直後は目眩のような状態にあって、自分が死んだことに気がつかないといいますが、それは子供の場合も同じでしょうか。それとも本能的に新しい生活に順応していくものでしょうか。

 「それは子供の知識次第です。地上の無知や迷信に汚染されすぎていなければ、本来の霊的資質が生み出す自然な理解力によって、新たな自覚が生まれます」


───人間が寿命を完うせずに他界することを神が許されることがあるのでしょうか。

 「神の意図は、人間がより素晴らしい霊的生活への具えを地上において十分に身につけることです。熟さないうちに落ちた果実がまずいのと同じで、割り当てられた地上生活を完うせずに他界した霊は、新しい世界の備えが十分ではありません」


───子供が事故で死亡した場合、それは神の意図だったのでしょうか。

 「これは難しい問題です。答えとしては、そうですと言わざるを得ないのですが、それには但し書きが必要です。

 地上生活はすべてが摂理によって支配されており、その摂理の最高責任者は神です。しかし、その摂理は人間を通じて作用します。

究極的にはすべて神の責任に帰着しますが、だからといって、自分が間違ったことをしでかしておいて、これは神が私にそうさせたのだから私の責任ではない、などという理屈は通用しません。

 神がこの宇宙を創造し、叡智によって支配している以上は、最終的には神が全責任を負いますが、あなた方人間にも叡智があります。理性的判断力があります。自分が勝手に鉄道の線路の上に頭を置いておいて、神さま何とかして下さい、と頼んでみても何にもなりません」


───いわゆる神童について説明していただけませんか。

 「三つの種類があります。一つは過去世の体験をそのまま携えて再生した人。二つ目は、たとえ無意識ではあっても霊的資質を具えた人で、霊界の学問や叡智。知識・心理などを直接的にキャッチする人。三つ目が、進化の前衛としての、いわゆる天才です」


 シルバーバーチの交霊会にはレギラーメンバーのほかに必ず二、三人のゲストを迎えるのが慣例となっていた。

ゲストと言っても、必ずしもスピリチュアリズムの信奉者とかシルバーバーチの崇拝者にかぎられていたわけではなく、スピリチュアリズムを頭から否定する人や、シルバーバーチと霊媒のバーバネルはペテン師であると決めつけている者もいた。

そのバーバネルの〝化けの皮〟をはがしてやると意気込んで出席する者もいたが、帰る時はすっかり大人しくなっていた。ときには感動のあまり慟哭する者もいたという。

 さて、その日の交霊会では、スピリチュアリズムに批判的な人からの投書が朗読された。その中には〝スピリチュアリズムは危険な火遊びの類に属するものではないか〟とか〝指導霊はなぜシルバーバーチなどという変な名前を名のるのか───そんなことが私の疑念を増幅するのです〟といったことが述べられていた。

 聞き終えたシルバーバーチは、話題を広角的に捉えて、こう述べた。

 「進化のどの段階にある人でも、暗闇を歩むよりは光明の中を歩むのが好ましいに決まっています。無知に降り回されるよりは正しい知識で武装する方がいいにきまっています。知識の追求は理知的な人間にとっての基本的な人生の目的であらねばなりません。

 迷信・偏見・不寛容・頑迷といった低級な性向は、それに反撃し退却せしめるだけの知識がないところでは、傍若無人に振舞います。ですから、学ぶという態度を忘れて〝私はもうここまでで結構です。これ以上は進む気はありません〟などと言ってはなりません。

 知識は掛けがいのない宝です。人生の全体を視界におさめて、いかに生きるべきかを教える羅針盤のようなものです。船には必ず方向を操るための道具や器具が具えつけられています。

人生をいかに生きるべきかを判断する為の道具や器具が具えつけられています。人生をいかに生きるべきかを判断するための道具を持ち合わせないとしたらその人は愚かな人というべきです。

知識はいくらあってもよろしい。絶えず求め続けるべきものです。〝もうこれ以上知りたくありません〟などと言うようになったら、その時から思考力が衰え、鈍り、錆びついていくことを、自ら求めていることになります。

 生命というものは一定の場所にじっとしていることが出来ないものなのです───向上するか下降するかのどちらかです。みなさんは永遠の生命の道を行く旅人です。

今生きておられる地上生活は、その永遠の旅の、実に短い旅程にすぎません。これから先、まだまだ長い進化の旅が待ち受けているのです。

 ですからその旅に備えて知識をたくわえ、いかなる雑路でもしのげるように旅仕度を強化しておく方がいいにきまっています。ただ、その知識には責任が生じることを忘れてはなりません。これも一種バランス (埋め合わせ) の法則です。

 一方において知識を得れば、他方においてはそれを生かして使うべき責務が生じます。そこから先はあなた自身の問題です。

 私たちは、これまでの永い旅の経験で知った霊的法則の働きに基づいて、地上生活に役立つと見た知恵をお届けしてあげるだけです。それが、この私のように、地上界が陥っている泥沼から救い出すために派遣された者の役目なのです。

 全ての人がそれを受け入れる用意が出来ているとは思っておりません。そんなものは要らないと考える人もいるでしょう。そんなものよりも、子供のオモチャのようなものを喜ぶ人もいるでしょう。まだ人生の意義を考える段階にまでは至っていないということです。

 しかし、あなた方にはその背後の計画を包括的に認識していただかねばなりません。地上界は実に永い間、暗黒に包まれてまいりました。その間の身の毛もよだつような残虐行為を、今の時代になってようやく反省し始めております。その根底にあるものは、霊的摂理についての無知なのです。

物質万能の風潮と私利私欲を一掃しない限り、その呪いから免れることはできません。地上世界を見まわしてごらんなさい。窮乏・悲哀・流血・混とん・破たんばかりではありませんか。これら全てが、間違った物質万能主義、言い換えれば、霊的摂理についての無知から生じているのです。

 地上の人間は生活の基盤を間違えております。国家はその政策を自国だけの利益を中心に考えております。独裁者が生まれては、暴虐非道の限りを尽くしました。が、

それは、力こそ正義という間違った信条に取りつかれていたからにすぎません。いまこそ霊的知識が、個人だけでなく、国家だけでもなく、世界全体にとって必要であることに理解が行かないといけません。

 その霊的知識をいち早く我がものとされた皆さんは、それが今の生活にどれほどの豊かさをもたらしてくれているかを吟味してみられることです。もう二度と、それを知らずにいた時の自分に戻りたくないと思われたはずです。

この世のいかなる波風にもしぶとく耐えていくだけの堅固な基盤を与えておられます。自分がただの偶然の産物、あるいは、気まぐれのオモチャなどではなく、無限の力を秘めた大霊の一部であるとの理解があります。

 地上世界はとても病んでおります。恐ろしい病に苦しんでおります。それを治すための妙薬を私がこういう形で伝授しているのです。この霊的知識が世界中に広まれば───この物質の世界の向こうに新しい世界が待ち受けていること、自分の生活の全てに自分が責任を持たねばならないこと (いかなる信仰もそれを償ってはくれないこと)、

万人に完全なる公平さを持って働く永遠不変の摂理が存在することが理解されれば、新しい世界を構築するための基盤ができたことになるのです」

℘238
 〝無知〟と〝間違った信仰〟の恐ろしさについて、さらにこう述べた。

 「スピリチュアリズムは人間が秘めている霊的能力を教え、それを同胞のために役たてるために開発する方法を教えてくれます。たとえば、病気を霊的に治療する能力を持っている人、あるいは死後の存続を証明する証拠を提供する能力を持った人が、そうとは知らずに毎日を無為に過ごしております。

実にもったいないことです。そういう人材を掘り起こすためにも、霊的知識をできるだけ多く広めておくことが、いかに大切であるかがお分かりでしょう。無知は人間の大敵です。精神的にも霊的にも怠惰にしてしまいます。

 ところが、地上には無知と言うエサによって飼いならされている真面目な人間が実に多いのです。ただ信じるだけで良い───信仰は理性に優るのです。

と教え込まれ、スピリチュアリズムは悪魔の仕業であるから、それを説く者は邪霊にそそのかされているのですよと説き聞かされ、バイブルにちゃんとそう書いてありますと結論づけられます。

 そこに無知の危険性が潜んでいるのです。それを信じる者は、ひとりよがりの正義感に浸りながら、本当は怠惰な、間違った宗教的優越感の上にあぐらをかいてしまうのです。

一種の精神的倒錯を生み出し、それが全ての思考を歪め、本物の真理を目の前にしても、それが真理であるとは思えなくしてしまうのです」



 〝豚に真珠を与える勿れ〟と言ったイエスの真意は何だったのでしょうか。

「自分では立派な真理だと思っても、受け入れる用意の出来ていない人に無理やり押し付けてはいけないということです。拒絶されるから余計なことはするなという意味ではありません。それなら、イエスの生涯は拒絶されることの連続でした。

 そんな意味ではなく、知識・心理・理解を広めようとする努力が軽蔑と侮辱を持って迎えられるような時は、そういう連中は見る目がないのだから、むりして美しいものを見てもらおうとはせずに、手を引きなさいという意味です」


─── 一身上の問題で指導を仰ぐことは許されるでしょうか。

 「それは許されます。ただ、霊的なことに興味があっても、神髄を理解していない人に説明する時は慎重を要します。うっかりすると、霊界からの援助を自分の利益のためだけに不当に利用しているかの印象を与えかねません。

 スピリチュアリズムの基本は、つまるところ物的な豊かさよりも霊的な豊かさを求めることにあり、自分自身と宇宙の大霊についての実相を理解する上で基本となるべき摂理と実在を知ることです。むろん物的生活と霊的生活とは互いに融合し、調和しております。

両者の間にはっきりとした一線を画することはできません。霊的なものが物的世界へ顕現し、物的なものが霊的なものへ制約を与え、条件づけております」


───この世に生きる目的は、霊的な顕現を制約するものを少しでも排除し、霊的資質が肉体を通してなるべく多く顕現することだと私は理解しておりますが・・・・・・

 「その通りです。地上生活の目的はそれに尽きます。そうすることによって自分とは何かを悟っていくことです。

自分を単なる肉体だと思っている人は、大きな幻影の中で生活していることになり、いつかは厳しい現実に目覚める日が来ます。その日は地上生活中に訪れるかもしれないし、こちらへ来てからになるかもしれません。

地上にいるうちに悟った方がはるかに有利です。なぜなら、地上には魂の成長と顕現の為の条件が全部揃っているからです。

 人間は地上生活中に身体機能ならびに霊的機能を存分に発揮するように意図されているのです。霊的なことのみに拘って身体を具えた人間としての義務を怠ることは、身体上のことばかりに目を奪われて霊的存在としての義務を疎かにすると同じく、間違っております。

 両者が完全なバランスがとれていなければなりません。その状態の中で始めて、この世にありがちな俗世に染まらない生き方が出来ることになります。

つまり身体は、神性を帯びた霊の〝宮〟として大事にし、管理し、手入れをする。すると進化と成長の過程にある霊が身体を通して成長と進化の機会を与えられる、ということです」


───心霊治療を始めるには、治療家自身がまず健康体でならなければならないのでしょうか。

「むろん、誰しも健康体であるのが望ましいに決まっています。ただ、霊力によって病気を治す人も、霊媒と同じく〝道具〟です。つまり自分が受け入れたものを伝達する機関にすぎません。

その人を通って霊力が流れるということです。いわば“〝通路〟であり、それも、内部へ向けてではなく外部へ向けて送る通路です。

 その人の資質、才能、能力がその人なりの形で顕現しますが、それが霊界との中継役、つまりそれが霊媒としての資格となり、生命力と賦活力と持久力にあふれた健康エネルギーを地上へもたらす役目が果たせるのです。

その際、治療家自身の健康に欠陥があるということ自体は、治療能力の障害にはなりません。治療エネルギーは霊的なものであり、欠陥は身体的なものだからです」


───精神統一によって心の静寂、内的生命との調和を得ることは健康の維持に役立つでしょうか。

 「自然法則と調和した生活を送り、精神と身体との関係を乱すような行為をしなければ、全ての病気に効果があるでしょう。

あるいは、遺伝的疾患のない健全な身体を持って生まれていれば効果があるでしょう。内部に秘められた〝健康の泉〟の活用法を知れば、全ての病気を駆逐することができることは確かです。

 しかし、現実には、地上に病気が蔓延している以上、事は非常に厄介です。限界があるということです。たとえば〝死ぬ〟ということは誰にも避けられません。

 身体は用事が終われば捨てられるのが自然法則だからです。しかし困ったことに、余りに多くの人間が内部の霊性が十分に準備ができないうちに、つまり熟し切らないうちに、肉体を捨てています。魂の鍛錬にとって必要な体験を十分に積んでいないうちにです。

 私は法則をありのままに述べているまでです。人間にとってそれを実践することは容易でないことは、私も承知しております。何しろ地上というところは物質が精神を支配している世界であり、精神が物質を支配していないからです。

本当は精神が上であり、霊がその王様です。しかし、その王国も人間の行為の上に成り立っています」


───心の静寂が得られると肉体器官にどういう影響が現れるのでしょうか。

 「それ本来のあるべき状態、つまり王様である霊の支配下に置かれます。すると全身に行きわたっている精神が、その入り組んだ身体機能をコントロールします。

根源において生命を創造し身体を形づくった霊の指令にしたがっておこなわれます。その時は霊が身体の構成要素のあらゆる分子に対して優位を占めています。

 それが出来るようになれば、完全な調和状態───あらゆる部分が他と調和し、あらゆる調和が整い、真の自我と一体となります。不協和音もなく内部衝突もありません。静寂そのものです。宇宙の大霊と一体となっているからです」


───あなたはなぜそんなに英語がお上手なのでしょう。

 「あなた方西洋人は時折妙な態度をお取りになりますね。自分たちの言語がしゃべれることを人間的評価の一つになさいますが、英語が上手だからといって別に霊格が高いことにはなりません。たどたどしい言葉でしゃべる人の方がはるかに霊格が高いことだってあるのです。

 私はあなた方の言語、あなた方の習性、あなた方の慣習を、長い年月をかけて勉強しました。それは、こちらの世界ではごく当たり前の生活原理である〝協調〟 の一環です。いわば互譲精神を実践したまでのことです。


 あなた方の世界を援助したいと望む以上は、それなりの手段を講じないといけません。その手段の中には人間の側に最大限の努力を要求することになるものがある一方、私たちにとって嫌悪感を感じ得ないほどの、神の子としてぎりぎりの最低線まで下がらなくてはならないこともあります。

 私はこうして英語を国語としている民族を相手にしゃべらねばなりませんので、英語を習得するのに永い歳月をかけました。皆さんからの援助もいただいております。

同時に、かつて地上で大人物として仰がれた人々の援助も受けております。今でも言語的表現の美しさと簡潔さで歴史にその名を残している人々が、数多く援助してくれております」


───心に念じたことは全部その霊に通じるのでしょうか。

 「そんなことはありません。その霊と波長が合うか合わないかによります。合えば通じます。バイブレーションの問題です。私と皆さんとは波長がよく合います。ですから、皆さんの要求なさることが全部読みとれます。

何かを要求なさると、そこにバイブレーションが生じ、その〝波動〟が私に伝わります。それを受け取る受信体制が私に整っているからです。地上と霊界との間は、魂に共鳴関係があれば、思念や願いごとの全てがすぐさま伝わります」


───われわれが死ぬ前と後には、霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか。

 「見てくれます。霊体をスムースに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。臨終の床にいる人がよく肉親や知らない人の霊が側に来ていることに気づくのは、そのためです。魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです」


───昨今のような酷い地上環境では、まったく新しいタイプの霊が誕生する方がいいのではないでしょうか。

 「私たちは、人間一人ひとりが果たすべき責任を持って生まれていると説いております。たとえ今は世界が混とんと心配と喧騒に満ち、敵意と反抗心と憎しみに満ちていても、そうした苦闘と悲劇を耐え忍ぶことの中から、新しい世界が生まれようとしております。

そのためには、そのための旗手となるべき人々がいなくてはなりません。その人たちの先導によって、真一文字に突き進まなければなりません。

 霊は苦闘の中で、困難の中で、刻苦の中で自らを磨かねばなりません。平坦な道ではなく、困難を克服しつつ前進し、そして勝利を手にしなくてはなりません。恐怖心が一番の敵です。無知という名の暗黒から生まれるものだからです」




 シルバーバーチの祈り

 ああ、大霊よ、あなたは全生命の背後の摂理にあらせられます。
 太陽の輝きは、あなたの微笑みです。
 天より降り注ぐ雨滴は、あなたの涙です。
 夜空に煌めく星は、あなたの眼差しです。
 夜の帷(とばり)は、あなたのマントです。
 そして、人のためを思いやる心は、あなたの愛にほかなりません。
 あなたの霊は、全存在に内在しております。森羅万象はあなたの霊の顕現にほかなりません。

 美しく咲き乱れる花となり、さえずる小鳥の声となって顕現しておられます。あなたへの思いを抱くものならば、あなたは誰にでも理解できるのでございます。

 ああ、大霊よ、全宇宙を法則によって知ろしめされるあなたは、無窮の過去より存在し、無窮の未来にわたって存在いたします。

 これまでにも、霊の目を持ってみるものに真実の姿を顕示され、愛を教え、叡智を説き、理解し得る範囲において、ご計画を披露してまいられました。

 地上天国を築かんと願う者たちの魂を鼓舞し、霊力が生み出す勇気を持ってあなたの進化の仕事に協力するよう、導かれました。

 また、あなたの使者として私たちを地上へ遣わされ、地上の子等の魂を解放し、あなたがいかに身近な存在であるかを認識させるために、あらたなる光明、新たなる知識、新たなる真理、新たなる叡智をもたらすべく、高揚と、慰安と、教化と、啓示の仕事を託されたのでした。

 願わくはこのサークルをあなたの霊力によって満たし、ここを聖殿としてあなたの真理の輝きを流入せしめ、地上の暗き場所を明るく照らし、平和と幸せと叡智をもたらすことができますように。
                 完  
 

ベールの彼方の生活(四)

著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)

近藤千雄 訳



八章 地球浄化の大事業 
1 科学の浄化 2 宗教界の浄化   キリスト教の間違い
キリストについての認識の浄化
イエス・キリストとブッダ・キリスト




1 科学の浄化
  一九一九年三月十二日  水曜日

 さて、今やキリストの軍勢に加わった吾々はキリストのあとについて降下しました。いくつかの序列にしたがった配置についたのですが、言葉による命令を受けてそうしたのではありません。

それまでの鍛錬によって、直接精神に感応する指示によって自分の持ち場が何であるか、何が要求されているかを理解することができます。それで、キリストとの交霊によって培われた霊感にしたがって各自が迷うことなくそれぞれの位置につき、それぞれの役割に取りかかりました。

 ではここで、地球への行軍の様子を簡単に説明しておきましょう。地球の全域を取り囲むと吾々は、その中心部へ向けていっせいに降下していきました。こういう言い方は空間の感覚──三次元的空間の発想です。

吾々の大計画の趣旨を少しでも理解していただくには、こうするよりほかに方法がないのです。

 キリストそのものは、すでに述べましたように、遍在しておりました。絶大な機能をもつ最高級の大天使から最下層の吾々一般兵士にいたるまでの、巨万の大軍の一人一人の中に同時に存在したのです。自己の責務について内部から霊感を受けていても、外部においては整然とした序列による戦闘隊形が整えられておりました。

最高の位置にいてキリストにもっとも近い天使から(キリストからの)命が下り、次のランクの天使がそれを受けてさらに次のランクへと伝達されます。

その順序が次々と下降して、吾々はそれをすぐ上のランクの者から受け取ることになります。その天使たちは姿も見えます。姿だけでしたら大体三つ上の界層の者まで見えますが、指図を受けるのは、よくよくの例外を除けば、すぐ上の界層の者からにかぎられます。

 さて吾々第十界の者がキリストのあとについて第九界まで来ると、吾々なりの活動を開始しました。まず九界全域にわたってその周囲を固め、徐々に内部へ向けて進入しました。するとキリストとその従者が吾々の界に到着された時と同じ情景がそこでも生じました。

九界にくらべて幾分かでも高い霊性を駆使して吾々は、その界の弱い部分を補強したり、歪められた部分を正常に修復したりしました。それが終了すると、続いて第八界へと向かうのでした。

 それだけではありません。九界での仕事が完了すると、ちょうど十一界の者と吾々十界の者との関係と同じ関係が、吾々と九界の者との間に生じます。

つまり九界の者は吾々十界の者の指図を受けながら、吾々のあとについて次の八界へ進みました。八界を過ぎると、八界の者は吾々から受けた指図をさらに次の七界の者へと順々に伝達していきます。

 かくしてこの過程は延々と続けられて、吾々はついて地球圏に含まれる三つの界層を包む大気の中へと入っていきました。そこまでは各界から参加者を募り、一人一人をキリストの軍勢として補充していきました。しかしここまで来ていったんそれを中止しました。

と言うのは、地球に直接つながるこの三つの界層は、一応、一つの境涯として扱われます。なぜなら地球から発せられる鈍重な悪想念の濃霧に包まれており、吾々の周囲にもそれがひしひしと感じられるのです。

黙示録にいう大ハルマゲドン(善と悪との大決戦──16・16)とは実にこのことです。吾々の戦場はこの三つの界層にまたがっていたのです。そしてここで吾々はいよいよ敵からの攻撃を受けることになりました。


 その間も地上の人間はそうしたことに一向にお構いなく過ごし、自分たちを取り巻く陰湿な電気を突き通せる人間はきわめて稀にしかいませんでした。が、

吾々の活動が進むにつれてようやく霊感によって吾々の存在を感じ取る者、あるいは霊視力によって吾々の先遺隊を垣間見る者がいるとの話題がささやかれるようになりました。

そうした噂を一笑に付す者もいました。吾々を取り巻く地上の大気に人間の堕落せる快楽の反応を感じ取ることができるほどでしたから、多くの人間が霊的なことを嘲笑しても不思議ではありません。

そこで吾々は、この調子では人間の心にキリストへの畏敬の念とその従僕である吾々への敬意が芽生えるまでには、よくよく苦難を覚悟せねばなるまいと見て取りました。しかしそのことは別問題として、先を急ぎましょう。

 とは言え、吾々の作戦活動を一体どう説明すればよいのか迷います。もとより吾々は最近の地上の出来ごとについて貴殿によく理解していただきたいとは願っております。

すばらしい出来ごと、地獄さながらの出来ごと、さらには善悪入り乱れた霊の働きかけ──目に見えず、したがって顧みられることもなく、信じられることもなく、しかし何となく感じ取られながら、激しい闘争に巻き込まれている様子をお伝えしたいのです。

貴殿の精神の中の英単語と知識とを精一杯駆使して、それを比喩的に叙述してみます。それしか方法がないのです。が、せめてそれだけでも今ここで試みてみましょう。

 地球を取り巻く三層の領域まで来てみて吾々は、まず第一にしなければならない仕事は悪の想念を掃討してしまうことではなく、善の想念へ変質させることであることを知りました。

そこでその霧状の想念を細かく分析して最初に処理すべき要素を見つけ出しました。吾々より下層界からの先遺隊が何世紀も前に到着してその下準備をしてくれておりました。ここでは吾々第十界の者が到着してからの時期についてのみ述べます。

 地球の霊的大気には重々しくのしかかるような、どんよりとした成分がありました。実はそれは地上の物質科学が生み出したもので、いったん上昇してから再び下降して地上の物質を包み、その地域に住む人々に重くのしかかっておりました。

もっとも、それはたとえ未熟ではあっても真実の知識から生まれたものであることは確かで、その中に誠実さが多量に混じっておりました。

 その誠実さがあったればこそ三つの界層にまで上昇できたのです。しかし所詮は物的現象についての知識です。いかに真実味があってもそれ以上に上昇させる霊性に欠けますから、再び物質界へと引き戻されるにきまっています。

そこで吾々はこれを〝膨張〟という手段で処理しました。つまり吾々は言わばその成分の中へ〝飛び込んで〟吾々の影響力を四方へ放散し、その成分を限界ぎりぎりまで膨らませました。膨張した成分はついに物質界の外部いっぱいにまで到着しました。が、

吾々の影響力が与えた刺戟はそこで停止せず、みずからの弾みで次第に外へ外へと広がり、ついに物質界の限界を超えました。

そのため物的と霊的との間を仕切っている明確な線──人間はずいぶんいい加減に仕切っておりますが──に凹凸が生じはじめ、そしてついに、ところどころに小さなひび割れが発生しました──最初は小さかったというまでで、その後次第に大きくなりました。

しかし大きいにせよ小さいにせよ、いったん生じたひび割れは二度と修復できません。

たとえ小さくても、いったん堤防に割れ目ができれば、絶え間なく押し寄せていたまわりの圧力がその割れ目をめがけて突入し、その時期を境に、霊性を帯びた成分が奔流となって地球の科学界に流れ込み、そして今なおその状態が続いております。

 これでお分かりのように、吾々は地上の科学を激変によって破壊することのないようにしました。過去においては一気に紛砕してしまったことが一度や二度でなくあったのです。

たしかに地上の科学はぎこちなく狭苦しいものではありますが、全体としての進歩にそれなりの寄与はしており、吾々もその限りにおいて敬意を払っていました。それを吾々が膨張作用によって変質させ、今なおそれを続けているところです。

 カスリーン嬢の援助を得て私および私の霊団が行っているこの仕事は今お話したことと別に関係なさそうに思えるでしょうが、実は同じ大事業の一環なのです。

これまでの吾々の通信ならびに吾々の前の通信をご覧になれば、科学的内容のもので貴殿に受け取れるかぎりのものが伝えられていることに気づかれるでしょう。大した分量ではありません。それは事実ですが、貴殿がいくら望まれても、能力以上のものは授かりません。

しかし、次の事実をお教えしておきましょう。この種の特殊な啓示のために貴殿よりもっと有能で科学的資質を具えた男性たち、それにもちろん少ないながらも女性たちが、着々と研さんを重ねているということです。道具として貴殿よりは扱いやすいでしょう。

 その者たちを全部この私が指導しているわけではありません。それは違います。私にはそういう資格はあまりありませんので・・・・・・。各自が霊的に共通性をもつ者のところへ赴くまでです。そこで私は貴殿のもとを訪れているわけです。

科学分野のことについては私と同じ霊格の者でその分野での鍛錬によって技術を身につけている者ほどにはお伝えできませんが、私という存在をあるがままにさらけ出し、また私が身につけた知識はすべてお授けします。

私が提供するものを貴殿は寛大なる心でもって受けてくださる。それを私は満足に思い、またうれしく思っております。

貴殿に神のより大きい恩寵のあらんことを。今回の話題については別の機会に改めて取りあげましょう。貴殿のエネルギーが少々不足してきたようです。                           アーネル ±



2 宗教界の浄化
  一九一九年三月十七日  月曜日

 次に浄化しなければならない要素は宗教でした。これは専門家たちがいくら体系的知識であると誇り進歩性があると信じてはいても、各宗教の創始者の言説が束縛のロープとなって真実の理解の障害となっておりました。

分かりやすく言えば、私が地上時代にそうであったように(四章2参照)ある一定のワクを超えることを許されませんでした。そのワクを超えそうになるとロープが──方向が逆であればなおのこと強烈に──その中心へつながれていることを教え絶対に勝手な行動が許されないことを思い知らされるのでした。

その中心がほかでもない、組織としての宗教の創始者であると私は言っているのです。イスラム教がそうでしたし、仏教がそうでしたし、キリスト教もご多分にもれませんでした。

 狂信的宗教家が口にする言葉はなかなか巧みであり、イエスの時代のユダヤ教のラビ(律法学者)の長老たちと同じ影響力を持っているだけに吾々は大いに手こずりました。

吾々は各宗教のそうした問題点を細かく分析した結果、その誤りの生じる一大原因を突きとめました。

私は差しあたって金銭欲や権力欲、狂言という言わば〝方向を間違えた真面目さ〟、自分は誠実であると思い込んでいる者に盲目的信仰を吹き込んでいく偽善、こうした派生的な二次的問題は除外します。

そうしたことはイスラエルの庶民や初期の教会の信者たちによく見られたことですし、さらに遠くさかのぼってもよくあったことです。私はここではそうした小さな過ちは脇へ置いて、最大の根本的原因について語ろうと思います。
 
 吾々は地球浄化のための一大軍勢を組織しており、相互に連絡を取り合っております。が各小班にはそれぞれの持ち場があり、それに全力を投入することになっております。


私はかつて地上でキリスト教国に生をうけましたので、キリスト教という宗教組織を私の担当として割り当てられました。それについて語ってみましょう。

 私のいう一大根本原因は次のようなことです。
 
 地上ではキリストのことをキリスト教界という組織の創始者であるかのような言い方をします。が、それはいわゆるキリスト紀元(西暦)の始まりの時期に人間が勝手にそう祭り上げたにすぎず、以来今日までキリスト教の発達の頂点に立たされてきました。

道を求める者がイエスの教えに忠実たらんとして教会へ赴き、あの悩みこの悩みについて指導を求めても、その答えはいつも〝主のもとに帰り主に学びなさい〟と聞かされるだけです。

そこで、ではその主の御心はどこに求めるべきかを問えば、その答えはきまって一冊の書物──イエスの言行録であるバイブルを指摘するのみです。その中に書かれているもの以外のものは何一つ主の御心として信じることを許されず、結局はそのバイブルの中に示されているかぎりの主の御心に沿ってキリスト教徒の行いが規制されていきました。

 かくしてキリスト教徒は一冊の書物に縛りつけられることになりました。なるほど教会へ行けばいかにもキリストの生命に満ち、キリストの霊が人体を血液がめぐるように教会いっぱいに行きわたっているかに思えますが、しかし実はその生命は(一冊の書物に閉じ込められて)窒息状態にあり、身体は動きを停止しはじめ、ついにはその狭苦しい軌道範囲をめぐりながら次第に速度を弱めつつありました。

 記録に残っているイエスの言行が貴重な遺産であることは確かです。それは教会にとって不毛の時代を導く一種のシェキーナ(ユダヤ教の神ヤハウェが玉座で見せた後光に包まれた姿──訳者)のごときものでした。

しかし、よく注意していただきたいのは、例のシェキーナはヤコブの子ら(ユダヤ民族)の前方に現れて導いたのです。

その点、新約聖書は前方に現れたのではなく、のちになって崇められるようになったものです。それが放つ光は丘の上の灯台からの光にも似てたしかに真実の光ではありましたが、それは後方から照らし、照らされた人間の影が前方に映りました。

光を見ようとすれば振り返って後方を見なければなりません。そこに躓(つまず)きのもとがありました。前方への道を求めて後方へ目をやるというのは正常なあり方ではありません。

 そこに人間がみずから犯した過ちがありました。人間はこう考えたのです──主イエスはわれらの指揮者(キャプテン)である。主がわれらの先頭に立って進まれ、われらはそのあとに付いて死と復活を通り抜けて主の御国へ入るのである、と。

が、そのキャプテンの姿を求めて彼らは回れ右をして後方へ目をやりました。それは私に言わせれば正常ではなく、また合理性にそぐわないものでした。

 そこで吾々は大胆不敵な人物に働きかけて援助しました。ご承知の通りイエスは自分より大きい業(ワザ)を為すように前向きの姿勢を説き、後ろから駆り立てるのではなく真理へ手引きする自分に付いてくるように言いました。(※)

そのことに着目し理解して、イエスの導きを信じて大胆に前向きに進んだ者がいました。

彼らは仲間のキリスト教者たちから迫害を受けました。しかし次の世代、さらにその次の世代になって、彼らの蒔いたタネが芽を出しそして実を結びました。(※ヨハネ14・12)

 これでお分かりでしょう。人間が犯した過ちは生活を精神的に束縛したことです。

生ける生命を一冊の書物によってがんじがらめにしたことです。バイブルの由来と中味をあるがままに見つめずに──それはそれなりに素晴らしいものであり、美しいものであり、大体において間違ってはいないのですが──それが真理のすべてであり、その中には何一つ誤りはないと思い込んだのです。

しかしキリストの生命はその後も地上に存続し、今日なお続いております。四人の福音書著者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)によって伝えられたバイブルの中のわずかな言行は、およそキリスト教という流れの始源などではあり得ません。

その先の広い真理の海へと続く大きい流れの接点で立てているさざ波ていどのものにすぎません。

 そのことに人間は今ようやく気づきはじめています。そしてキリストは遠い昔の信心深き人々に語りかけたように今も語りかけてくださることを理解しはじめております。

そう理解した人たちに申し上げたい──迷わず前進されよ。後方よりさす灯台の光を有難く思いつつも、同時に前方にはより輝かしい光が待ちうけていることを、それ以上に有難く思って前進されよ、と。

なぜなら当時ナザレ人イエスがエルサレムにおられたと同じように今はキリストとして前方にいらっしゃるからです。(後方ではなく)前方を歩んでおられるのです。

恐れることなくそのあとに付いて行かれることです。手引きしてくださることを約束しておられるのです。あとに付いて行かれよ。躊躇しても待ってはくださらないであろう。福音書に記されたことを読むのも結構であろう。が、

前向きに馬を進めながら読まれるがよろしい。〝こうしてもよろしいか、ああしてもよろしいか〟と、あたかもデルポイの巫女に聞くがごとくに、いちいち教会の許しを乞うことはお止めになることです。そういうことではなりません。

人生の旅に案内の地図(バイブル)をたずさえて行かれるのは結構です。進みつつ馬上で開いてごらんになるがよろしい。少なくとも地上を旅するのには間に合いましょう。

細かい点においては時代おくれとなっているところがありますが、全体としてはなかなかうまく且つ大胆に描かれております。しかし新しい地図も出版されていることを忘れてはなりません。ぜひそれを参照して、古いものに欠けているところを補ってください。

しかし、ひたすら前向きに馬を進めることです。そして、もしもふたたび自分を捕縛しようとする者がいたら、全身の筋肉を引きしめ、膝をしっかりと馬の腹に当てて疾駆させつつ、後ろから投げてかかるロープを振り切るのです。

残念ながら、前進する勇気に欠け前を疾走した者たちが上げていったホコリにむせかえり、道を間違えて転倒し、そして死にも似た睡眠へと沈みこんで行く者がいます。

その者たちに構っている余裕はありません。なぜなら先頭を行くキャプテンはなおも先を急ぎつつ、雄々しく明快なる響きをもって義勇兵を募っておられるのです。その御声を無駄に終わらせてはなりません。

 その他の者たちのことは仲間が大勢いることですから同情するには及ばないでしょう。
死者は死者に葬らせるがよろしい(マタイ8・22)。そして死せる過去が彼らを闇夜の奥深くへ埋葬するにまかせるがよろしい。

しかし前方には夜が明けつつあります。まだ地平線上には暗雲が垂れこめておりますが、それもやがて太陽がその光の中に溶け込ませてしまうことでしょう───すっかり太陽が上昇しきれば。そしてその時が至ればすべての人間は、父が子等をひとり残らず祝福すべくただ一個の太陽を天空に用意されたことに気づくことでしょう。

その太陽を人間は、ある者は北から、ある者は南から、その置かれた場所によって異なる角度から眺め、したがってある者にとってはより明るく、ある者にとってはより暗く映じることになります。

しかし眺めているのは同じ太陽であり、地球への公平な恩寵として父が給わった唯一のものなのです。

 また父は民族によって祝福を多くしたり少なくしたりすることもなさりません。地上の四方へ等しくその光を放ちます。それをどれだけ各民族が自分のものとするかは、それぞれの位置にあって各民族の自由意志による選択にかかった問題です。

 以上の比喩を正しくお読みくだされば、キリストがもし一宗教にとって太陽のごときものであるとすれば、それはすべての宗教にとっても必然的に同じものであらねばならないことに理解がいくでしょう。

なんとなれば太陽は少なくとも人間の方から目を背けないかぎりは、地球全土から見えなくなることは有り得ないからです。たしかに時として陽の光がさえぎられることはあります。しかし、それも一時(いっとき)のことです。
アーネル ±



3 キリストについての認識の浄化
  一九一九年三月十八日  火曜日

 前回はキリストについて語り、キリスト教徒がそうと思い込んでいるものより大きな視野を指摘しました。今回もその問題をもう少し進めてみたいと思います。

 実は吾々キリスト教界を担当する霊団はいよいよ地球に近づいた時点でいったん停止しました。吾々の仕事のさまざまな側面をいっそう理解するために、全員に召集令が出されたのです。

集合するとキリストみずからお出ましになり、吾々の面前でその形体をはっきりお見せになりました。中空に立たれて全身を現されました。

 そのときの吾々の身体的状態はそれまで何度かキリストが顕現された時よりも地上的状態に近く、それだけにその時のキリストのお姿も物的様相が濃く、また細かいところまで表に出ておりました。

ですから吾々の目にキリストのロープがはっきりと映りました。膝のところまで垂れておりましたが、腕は隠れておらず何も付けておられませんでした。

吾々は一心にそのロープに注目しました。なぜかと言えば、そのロープに地上の人間がさまざまな形で抱いているキリストへの情感が反映していたからです。

 それがどういう具合に吾々に示されたかと問われても、それは地上の宗教による崇拝の念と教理から放出される光が上昇してロープを染める、としか言いようがありません。言わば分光器のような働きをして、その光のもつ本質的要素を分類します。

それを吾々が分析してみました。その結果わかったことは、その光の中に真の無色の光線が一本も見当たらないということでした。いずれもどこか汚れており、同時に不完全でした。

 吾々はその問題の原因を長期間かけて研究しました。それから、いかなる矯正法をもってそれに対処すべきかが明らかにされました。それは荒療治を必要とするものでした。

人間はキリストからその本来の栄光を奪い取り、代って本来のものでない別の栄光を加えることをしていたのです。が加えられた栄光はおよそキリストにふさわしからぬまがいものでした。やたらと勿体ぶったタイトルと属性ばかりが目につき、響きだけは大ゲサで仰々しくても、内実はキリストの真の尊厳を損なうものでした。


──例をあげていただけませんか。

 キリスト教ではキリストのことを神(ゴッド)と呼び、人間を超越した存在であると言います。これは言葉の上では言い過ぎでありながら、その意味においてはなお言い足りておりません。キリストについて二つの観点があります。

一つの観点からすれば、キリストは唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。

それは人間が思考しうるかぎりの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です。

 しかし別の実際的観点からすれば、吾々にとってキリストは人間が父なる神に帰属させているいかなる権能、いかなる栄光よりも偉大なものを所有する存在です。キリスト教徒にとって最高の存在は全知全能なる父です。

この全知全能という用語は響きだけは絶大です。しかしその用語に含ませている観念は、今こうして貴殿に語っている吾々がこちらへ来て知るところとなったキリストの真の尊厳にくらべれば貧弱であり矮小(わいしょう)です。

その吾々ですらまだ地上界からわずか十界しか離れていません。本当のキリストの尊厳たるや、はたしていかばかりのものでしょうか。

キリスト教ではキリストは父と同格である、と簡単に言います。キリスト自身はそのようなことは決して述べていないのですが、さらに続けてこう言います──しかるに父は全能の主である、と。ではキリストに帰属すべき権能はいったい何が残されているのでしょう。

 人間はまた、キリストはその全存在をたずさえて地球上へ降誕されたのであると言います。そう言っておきながら、天国のすべてをもってしてもキリストを包含することはできないと言います。

 こうしたことをこれ以上あげつらうのは止めましょう。私にはキリストに対する敬愛の念があり、畏敬の念をもってその玉座の足台に跪く者であるからには、そのキリストに対して当てられるこうした歪められた光をかき集めることは不愉快なのです──たまらなく不愉快なのです。

そうした誤った認識のために主のロープはまったく調和性のない色彩のつぎはぎで見苦しくなっております。もしも神威というものが外部から汚されるものであれば、その醜い色彩で主を汚してしまったことでしょう。が、

その神聖なるロープが主の身体を護り、醜い光をはね返し、それが地球を包む空間に戻されたのです。主を超えて天界へと進入する事態には至らなかったのです。下方へ向けて屈折させられたのです。それを吾々が読み取り、研究材料としたのです。

 吾々に明かされた矯正法は、ほかでもない、〝地上的キリストの取り壊し〟でした。まさにその通りなのですが、何とも恐ろしい響きがあります。しかしそれは同時に、恐ろしい現実を示唆していることでもあります。説明しましょう。

 建物を例にしてお話すれば、腕の良くない建築業者によって建てられた粗末なものでも建て直しのきく場合があります。ぜんぶ取り壊さずに建ったまま修復できます。

が一方、ぜんぶそっくり解体し、基盤だけを残してまったく新しい材料で建て直さなければならないものもあります。地上のキリスト観は後者に相当します。本来のキリストのことではありません。

神学的教義、キリスト教的ドグマによってでっち上げられたキリストのことです。今日キリスト教徒が信じている教義の中のキリストは本来のキリストとは似ても似つかぬものです。ぜひとも解体し基礎だけを残して、残がいを片づけてしまう必要があります。

それから新たな材料を用意し、光輝ある美しい神殿を建てるのです。キリストがその中に玉座を設けられるにふさわしい神殿、お座りになった時にその頭部をおおうにふさわしい神殿を建てるのです。

 このこと──ほんの少し離れた位置から私が語りかけていることを、今さらのごとく脅威に思われるには及びません。このことはすでに幾世紀にもわたって進行してきていることです。

ヨーロッパ諸国ではまだ解体が完了するに至っておりませんが、引き続き進行中です。地上の織機によって織られた人間的産物としての神性のロープをお脱ぎになれば、天界の織機によって織られた王威にふさわしいロープ──永遠の光がみなぎり、愛の絹糸によって柔らか味を加え、天使が人間の行状を見て落とされた涙を宝石として飾られたロープを用意しております。

その涙の宝石は父のパビリオンの上がり段の前の舗道に撒かれておりました。それが愛の光輝によって美しさを増し、その子キリストのロープを飾るにふさわしくなるまでそこに置かれているのです。それは天使の大いなる愛の結晶だからです。   
                            アーネル ±



4 イエス・キリストとブッタ・キリスト
 一九一九年三月十九日  水曜日

 キリストについての地上的概念の解体作業はこうして進行していきましたが、これはすでに述べた物質科学の進歩ともある種の関連性があります。とは言え、それとこれとはその過程が異なりました。しかし行き着くところ、吾々の目標とするところは同じです。

関連性があると言ったのは一般的に物的側面を高揚し、純粋な霊的側面を排除しようとする傾向です。この傾向は物質科学においては内部から出て今では物的領域を押し破り、霊的領域へと進入しつつあります。

一方キリスト観においては外部から働きかけ、樹皮をはぎ取り、果肉をえぐり取り、わずかながら種子のみが残されておりました。しかしその種子にこそ生命が宿っており、いつかは芽を出して美事な果実を豊富に生み出すことでしょう。

 しかし人間の心はいつの時代にあっても一つの尺度をもって一概に全世界の人間に当てはめて評価すべきものではありません。

そこには自由意志を考慮に入れる必要があります。ですからキリストの神性についての誤った概念を一挙にはぎ取ることは普遍的必要性とは言えません。イエスはただの人間にすぎなかったということを教えたがために、宇宙を経綸するキリストそのものへの信仰までも全部失ってしまいかねない人種もいると吾々は考えました。

そこで、信仰そのものは残しつつも信仰の中身を改めることにしました。でも、いずれそのうちイエスがただの人間だったとの説を耳にします。そして心を動揺させます。

しかし事の真相を究明するだけの勇気に欠けるために、その問題を脇へ置いてあたかも難破船から放り出された人間が破片にしがみついて救助を求めるごとくに、教会の権威にしがみつきます。

 一方、大胆さが過ぎて、これでキリストの謎がすべて解けたと豪語する者もいます。彼らは〝キリストは人間だった。ただの人間にすぎなかった〟というのが解答であると言います。しかし貴殿もよく注意されたい。

かく述べる吾々も、この深刻な問題について究明してきたのです。教えを乞うた天使も霊格高きお方ばかりであり、叡智に長(た)けておられます。なのになお吾々は、その問題について最終的解決を見出しておらず、高級界の天使でさえ、吾々にくらべれば遥かに多くのことを知っておられながら、まだすべては知り尽くされていないとおっしゃるほどです。

 地上の神学の大家たちは絶対神についてまでもその本性と属性とを事細かにあげつらい、しかも断定的に述べていますが、吾々よりさらに高き界層の天使ですら、絶対神はおろかキリストについても、そういう畏れ多いことはいたしません。それはそうでしょう。

親羊は陽気にたわむれる子羊のように威勢よく突っ走ることはいたしません。が、子羊よりは威厳と同時に叡智を具えております。

 さて信仰だけは剥奪せずにおく方がいい人種がいるとはいえ、その種の人間からはキリストの名誉回復は望めません。それは大胆不敵な人たち、思い切って真実を直視し驚きの体験をした人たちから生まれるのです。

前者からもある程度は望めますが、大部分は少なくとも偏見を混じえずに〝キリスト人間説〟を読んだ人から生まれるのです。むろんそれぞれに例外はあります。私は今一般論として述べているまでです。

 実は私はこの問題を出すのに躊躇しておりました。キリスト教徒にとっては根幹にかかわる重大性をもっていると見られるからです。ほかならぬ〝救世主〟が表面的には不敬とも思える扱われ方をするのを聞いて心を痛める人が多いことでしょう。

それはキリストに対する愛があればこそです。それだけに私は躊躇するのですが、しかしそれを敢えて申し上げるのも、やむにやまれぬ気持からです。

願わくはキリストについての知識がその愛ほどに大きくあってくれれば有難いのですが・・・・・・。と言うのも、彼らのキリストに対する帰依の気持は、キリスト本来のものではない単なる想像的産物にすぎないモヤの中から生まれているからです。

いかに真摯であろうと、あくまでも想像的産物であることに変りはなく、それを作り上げたキリスト教界への帰依の心はそれだけ価値が薄められ容積が大いに減らされることになります。その信仰の念もキリストに届くことは届きます。しかしその信仰心には恐怖心が混じっており、それが効果を弱めます。

それだけに、願わくはキリストへの愛をもってその恐怖心を棄て去り、たとえ些細な点において誤っていようと、勇気をもってキリストの真実について考えようとする者を、キリストはいささかも不快に思われることはないとの確信が持てるまでに、

キリストへの愛に燃えていただきたいのです。吾々もキリストへの愛に燃えております。しかも恐れることはありません。

なぜなら吾々は所詮キリストのすべてを理解する力はないこと、謙虚さと誠意をもって臨めば、キリストについての真実をいくら求めようと、それによる災いも微罰もあり得ぬことを知っているからです。

 同じことを貴殿にも望みたいのです。そしてキリストはキリスト教徒が想像するより遥かに大いなる威厳を具えた方であると同時に、その完全なる愛は人間の想像をはるかに超えたものであることを確信なさるがよろしい。


──キリストは地上に数回にわたって降誕しておられるという説があります。たとえば(ヒンズー教の)クリシュナや(仏教の)ブッタなどがそれだというのですが、本当でしょうか。

 事実ではありません。そんなに、あれやこれやに生まれ変ってはおりません。そのことを詮索する前に、キリストと呼ばれている存在の本性と真実について理解すべきです。

とは言え、それは吾々にとっても、吾々より上の界の者にとってもいまだに謎であると、さきほど述べました。そういう次第ですから、せめて私の知るかぎりのことをお伝えしようとするとどうしても自家撞着(パラドックス)に陥ってしまうのです。

 ガリラヤのイエスとして顕現しそのイエスを通して父を顕現したキリストがブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの説は真実ではありません。

またキリストという存在が唯一でなく数多く存在するというのも真実ではありません。イエス・キリストは父の一つの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。

 人間も一人一人が造物主の異なれる側面の顕現です。しかしすべての人間が共通したものを有しております。同じようにイエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有しております。

しかし顕現の大きさからいうとイエス・キリストの方がブッダ・キリストに優ります。

が、真のキリストの顕現である点においては同じです。この二つの名前つまりイエス・キリストとブッダ・キリストを持ち出したのはたまたまそうしたまでのことで、他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、そのすべてに右に述べたことが当てはまります。

 貴殿が神の心を見出さんとして天界へ目を向けるのは結構です。しかしたとえばこのキリストの真相の問題などで思案に余った時は、バイブルを開いてその素朴な記録の中に兄貴としてまた友人としての主イエスを見出されるがよろしい。

その孤独な男らしさの中に崇拝の対象とするに足る神性を見出すことでしょう。差し当たってそれを地上生活の目標としてイエスと同等の完璧さを成就することができれば、こちらへ来られた時に主はさらにその先を歩んでおられることを知ることになります。

天界へ目を馳せ憧憬を抱くのは結構ですが、その時にも、すぐ身のまわりも驚異に満ち慰めとなるべき優しさにあふれていることを忘れてはなりません。

 ある夏の宵のことです。二人の女の子が家の前で遊んでおりました。家の中には祖母(バア)ちゃんがローソクの光で二人の長靴下を繕っておりました。そのうち片方の子が夜空を指さして言いました。

 「あの星はあたしのものよ。ほかのよりも大きくて明るいわ。メアリ、あなたはどれにする?」
 するとメアリが言いました。

 「あたしはあの赤いのにするわ。あれも大きいし、色も素敵よ。ほかの星のように冷たい感じがしないもの」

 こうして二人は言い合いを始めました。どっちも譲ろうとしません。それでついに二人はばあちゃんを外に呼び出して、どれが一ばん素敵だと思うかと尋ねました。ばあちゃんならきっとどれかに決めてくれると思ったのです。ところがばあちゃんは夜空を見上げようともせず、相変わらず繕いを続けながらこう言いました。

 「そんな暇はありませんよ。お前たちの長鞄下の繕いで忙しいんだよ。それに、そんな必要もありませんよ。あたしはあたしの一ばん好きな星に腰かけてるんだもの。これがあたしには一ばん重宝(ちょうほう) しているよ」 アーネル ± 
 

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

 Silver Birch Companion

スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳


十一章  霊力とは? 神とは?

───霊力とはどんなものでしょうか。

 「霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計量器でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さもなく色もなく、容積もなく味もにおいもありません。

ですから常識的な地上の計量法でいけば霊力というのはこの世には存在しないことになります。つまり実在とは五感で捉えられないものと決めて掛っている唯物的自然科学者とっては、霊力は存在しないことになります。

 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験したものが証明してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし、霊の力はそれよりも無限大に強烈です。

 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力があればこそです。あなた方の行動のすべて、存在のすべては霊の力のお陰です。

物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活とを与えられているのです。

 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが、一時的に間借りしている宿に過ぎません。

 霊の力は、あなた方が〝神〟と呼んでいるもの、そのものなのです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかもしれませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかもしれません。ともかくその霊力が、かつては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。

 その霊力が土塊から身体をこしらえて、それに生命を吹き込んだのです。魂がまとう衣服です。地上のあらゆる生命を創造し、自然界のあらゆる動き、あらゆる変化を支配し、四季を調節し、一粒の種子、一本の植物、一輪の花、一本の樹木の成長にまで関与している力、要するに千変万化の進化の機構に全責任を負っているのが、霊力なのです。

 それが雄大であるゆえんは、物質界に限られていないところにあります。すなわち無数の物的現象を通じて絶え間なく働いているだけでなく、見えざる世界の霊的活動のすべて、今のあなた方には到底その存在を知ることのできない、幾重にもつながった高い界層、そしてそこで展開する、これまたあなた方の想像を絶した光輝あふれる生命現象に至るまで、その霊力が支配しているのです。

 しかし、いかに雄大であっても、あるいは、いかにその活動が驚異的であるといっても、それにも制約があります。すなわち、それが顕現するには、それが適した器、道具、霊体、通路、霊媒───どうお呼びになっても構いません───そうしたものが無ければならないということです。

壮大な霊の流れも、そうしたものによる制約を受けるのです。地上にどの程度のものが流れ込むのかは、人間側が決定づけるということになります。

 私がつねづね、心配の念をはらいなさい、自信を持ちなさい、堅忍不抜の精神で生きなさい。神は絶対にお見捨てにならないから、と申し上げてきたのは、そうした雰囲気、そうした条件のもとでこそ霊力が働きやすいからです。

地上的な力はいつかは衰え、朽ち果てます。人間が築く王国は儚いものです。今日は高い地位にいても、明日は転落するかもしれません。

 しかし霊の王国は決して滅びることはありません。霊の尊厳は不変です。神の力は決して衰えません。ただし、その働きの程度を決定づけるのはあなた方であり、現にいつも決定づけております。

 スピリチュアリズムを少しばかりかじった人は、よく、なぜ霊界の方からこうしてくれないのか、ああしてくれないのかと文句を言うようですが、実際には、そうしたことを言う人ほど、霊界からそうしてあげるための条件を整えてくれないものです。

 この苦悩に満ちた世界、暗闇と不安におおわれた世界にあって、どうか皆さんには灯台の光となっていただきたい。あなた方の自信にあふれた生きざまを見て人々が近づき、苦悩の最中における憩いの場、聖域、波静かな港を発見することが出来るようにしてあげていただきたい。

皆さんはそういう人たちの心の嵐を静め、魂の静寂を取り戻してあげる霊力をお持ちなのです」


───霊はいつ肉体に宿るのでしょうか。

 「霊としてのあなたは無始無終の存在です。なぜなら、霊は生命を構成する要素そのものであり、生命は霊を構成する要素そのものだからです。あなたという存在は常にありました。

生命力そのものである宇宙の大霊の一部である以上、あなたには始まりというものはありません。が、個体として、つまり他と区別された意識ある存在としては、その無始無終の生命の流れの中のどこかで始まりをもつことになります。

 受胎作用とは精子と卵子が結合して、生命力の一分子が自我を表現するための媒体を提供することです。その媒体が提供されるまで、生命力は顕現されません。

それを地上の両親が提供してくれるわけです。精子と卵子とが結合して新たな結合体をこしらえると、小さな霊の分子が自然の法則にしたがってその結合体と融合し、かくして物質の世界での顕現を開始します。

 私の考えでは、その時点が意識の始まりです。その瞬間から意識を持った個体としての生活が始まるのです。それ以降は永遠に、個体を具えた存在を維持します」


───何の罪もないのに無邪気な赤ん坊が遺伝性疾患や性病その他の病気を背負ってこの世に生まれてきます。これは公平とは思えません。子供には何の罪も無いのですから・・・この問題をどうお考えでしょうか。

 「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。

両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるようなことにはなりません。

 確かに、地上的観点から、つまり物的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。

身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考え方が正しいのです」


───では、この世をよりよくしようとする衝動はどこから出てくるのでしょうか。

 「帰するところ、神がその無限の創造事業への参加者としての人間に与えた自由意思から出ています」


───物的な苦痛によって霊が進化するのであれば、なぜその苦痛を無くする必要があるのでしょうか。

 「私はそのような説き方はしておりません。私がそのことを引き合いに出したのは、人生には寸分の狂いもなしに埋め合わせの原理が働いていることを指摘するためでした。

 ここに二人の人間がいて、一人は五体満足で、もう一人はどこかに障害があるとした場合、後者は死後も永遠にその障害を抱えていくわけではないと言っているのです。要するに肉体の健康状態がそのまま霊の状態を現すのではないことをお教えしようとしているのです。

 霊には霊としてのたどるべき進化の道程があります。その霊がいかなる身体に宿っても、必ず埋め合わせと償いの法則がついてまわります」


───でも、やはり身体は何の障害も無い状態で生まれるのが望ましいのではないでしょうか。

 「もちろんです。同じように地上に貧民(スラム)街がない方がいいに決まっています。しかし、その貧民(スラム)街をこしらえるのも地上天国をこしらえるのも、結局は同じ自由意思の問題に帰着します。人間に自由意思がある以上、それを正しく使うこともあれば誤って使うこともあるのは当然です」


───でも不幸が霊のためになると知ったら、地上をより美しくしようとする意欲をそがれる人もいるのではないでしょうか。

 「地上の出来事で埋め合わせのないものは何一つありません。もしも神の働きが阻害されて、当然報われるべき行為が報われずに終わることがあるとすれば、これは神の公正を嘲笑う、深刻な事態となります。

私が指摘しているのは、埋め合わせの原理が厳然として存在すること、そして、進化の法則に逆らった行為を犯しながら神の摂理とは別の結果が出るようにいくら望んでも、神の計画は少しもごまかされないということです。

 しかし同時に、次の事実も知っておく必要があります。すなわち、たとえ現代の地上の不幸の原因が取り除かれても、人間はまたみずからの自由意思によって、みずからの複雑な文明の中からさらに新たな不幸を生じさせる原因を生み出していくということです。

 しょせん、人間は完全へ向けての無限の階段の連続です。一段又一段と、みずからの力で向上していかねばなりません。しかも、いつかは最後の一段にたどり着くと思ってはなりません」
(ここで質問と答えに少しズレが見られるが、このあともう一度同じ質問がでる──訳者)


───肉体の病気は霊的な進化を促進するかも知れませんが、その逆もあり得る、つまり性格を損ねる事もあるでしょう?

「損ねる事もあるし損ねないこともあります。どちらのケースもあります。病気になるのは摂理に反した行為をするからです」


───では病気または病気に相当するものは絶対に不可欠のものとおっしゃるわけですね?

 「いえ、私は病気に相当するものとは言っておりません。何らかの〝苦〟に相当するものです。人間に自由意思がある以上、選択の仕方によって楽しい体験となったり苦しい体験となったりするのは当然でしょう」


───それは分かります。苦しみを味わわないと幸福も味わえないからです。ですが、どうも私には、もしもあなたがおっしゃるように、こういうことがあれば必ずこういう埋め合わせがあるというのが事実であれば、世の中を良くしようとして苦労する必要はなさそうに思えるのですが・・・・・・

 「人間に選択の自由があるのに、ほかにどうあってほしいというのでしょう」


───この度の戦争のことはさて措いて、私は今日の世界は三百年前よりはずっと幸せな世の中になっていると思うのです。世界中のほとんどの国が、戦争はあっても、やはり幸せな世の中になっております。

 「おっしゃる通りですが、それが私が言っていることと、どこがどう矛盾するのでしょう?」



───われわれ人間は(取り立てて人のためと説かれなくても) 常に世の中を良くしてきているということです。

 「しかしそれは、世の中を良くしたいと言う願望に燃えた人がいたからこそですよ。魂に宿された神性が自然な発露を求めたのです。神の一部だからこそです。

かりに今日要求したことが明日、法の改正によって叶えられても、明日はまた不満が出ます。進化を求めてじっとしていられない魂が不満を覚えるのです。それは自然の成り行きです。魂が無意識のうちに、より完全なものを求めようとするからです。

 今日の地上の不幸は、その大半が自由意思による選択を誤ったことに起因しています。それには必ず照合がなされ、さらに再照合がなされます。そうすることで進歩したり退歩したりします。

そうした進歩と退歩の繰り返しの中にも、少しずつ向上進化が為されております。先んずる者もいれば後れをとる者もいます。先を行っている者が遅れている者の手を取って引きあげてやり、遅れている者が先を進み過ぎている者にとって、適当な抑制措置となったりしております。

そうやって絶え間なく完成へ向けての努力が為されているわけです。が、その間の人生のあらゆる悲劇や不幸には、必ず埋め合わせの原理が働いていることを忘れてはなりません」


───改めるべきものは山ほどありますね。

 「あなた方は自由主義を誇りにしておられますが、現実には少しも自由とはいえない人々が無数におります。有色人種をごらんなさい。世界中のどの国よりも寛容心を大切にしているあなた方の国においてですら、劣等民族としての扱いを受けております。

私がいつも、これで良いと思ってはいけない、と申し上げている理由はそこにあります。世の中はいくらでも明るく、いくらでも清らかに、そしていくらでも幸せになるものなのです」


───葛藤や苦悩が霊的進化にとって不可欠なものならば、それは霊界においても必要なのではないでしょうか。なのに、あなたは、そちらには悪と邪の要素が無いようにおっしゃっていますが・・・・・・

 「ご質問者は私の申し上げたことを正しく理解していらっしゃらないようです。私は邪と悪には二種類ある───この〝悪〟という言葉は嫌いなのですが───すなわち、既得権に安住している利己主義者が生み出しているものと、人類の未熟さからうまれるものとがあると申し上げたつもりです。

 私たちの世界には邪悪なものは存在しません。もちろん、ずっと低い界層へ行けば霊性が貧弱で環境の美を増すようなものを何も持ち合わせない者の住む世界があります。が、そうした侘しい世界は例外として、こちらの世界には邪悪なものは存在しません。

邪悪なものを生み出す原因となるものが取り除かれているからです。そして、各自が霊的発達と成長と進化にとって、適切かつ必要なことに心行くまで従事しております。

 葛藤や苦悩はいつになっても絶えることはありません。もっとも、その意味が問題ですが・・・・・・地上では人間を支配しようとする二つの力の間で、絶え間ない葛藤があります。

一つは動物的先祖ともいうべきもの、つまり身体的進化向上に属する獣的性質、そしてもう一つは神性を帯びた霊、つまり無限の創造の可能性を賦与してくれた神の息吹です。

その両者のどちらが優位を占め、そしてその優位をどこまで維持するかは、地上生活での絶え間ない葛藤の中で、自由意思によって選択することです。

 こちらの世界へ来からでも葛藤はあります。それは、低い霊性の欠点を克服し、高い霊性を発揮しようとする、絶え間ない努力という意味です。

完全へ向けての努力、光明へ向けての努力ということです。その奮闘の中で不純なものが捨て去られ、強化と精錬と試練をへて、ようやく霊の純金が姿を現します。

こちらの世界にも悩みはあります。しかしそれは、魂が自分の進歩に不満を覚えたことの表れであって、ほんの一時のことです。完成へ向けて長い行進の中で短い調整期間のようなものです」


───でも、葛藤と進歩、そして努力の必要性はつねにあるわけでしょう?

 「おっしゃる通りです。だからこそ私は、先ほどの言葉の解釈が問題だと申し上げたのです。自然界の常として、より高いものがより低いものを無くそうとします。それは当然のことで、そうでなかったら進化というものが真実でなくなります。 

 人間は低い段階から高い段階へ向けて成長しようとする、進化性を持った存在です。進化するためには、光明へ向けての絶え間ない葛藤がなければなりません。その場合の葛藤は、成長のための必須の過程の一つであるわけです。

 さきほど私が言いたかったのは、地上には不必要な葛藤、無益な努力が多過ぎるということです。それは自由意思の使用を誤って、薄汚い知恵、病気、貧民(スラム)街といった、あってはならないものを生み出し、それが霊界からの働きかけをますます困難にしているのです」


───〝神(ゴッド)〟は完全無欠ですか?

 「あなたがおっしゃる神が何を意味するかが問題です。私にとって神とは、永遠不変にして全知全能の、摂理として顕現している宇宙の大霊です。その摂理に、私はいかなる不完全さも不備も見つけたことがありません。

原因と結果の連鎖関係が完璧です。この複雑を極めた宇宙の全生命活動のあらゆる側面において、完璧な配慮が行きわったっております。

 例えば、強大から極微までの無数の形と色と組織を持った生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けていただけば、神の法則の全構図と全組織とがいかに包括的で完全であるかを認識なさるはずです。

私にとっては神とは法則であり、法則がすなわち神です。ただ、あなた方人間は不完全な物質の世界に生活しておられるということです。

 物質の世界に生きておられる皆さんは、今のところその物質すら、たった五つの物的感覚でしか理解できない限られた条件下で、限りある精神を通して自我を表現しておられるわけです。物的身体に宿っているかぎりは、その五感が、周囲の出来ごとを認識する範囲を決定づけます。

それゆえに、あなた方は完全無欠というものを理解すること自体が、そもそも不可能なのです。五感に束縛されている限りは、神の存在、言いかえれば、神の摂理の働きを完全に理解することは不可能ということになります。

 その限界ゆえに、摂理の働きが不完全であるかに思えることがあるかもしれませんが、知識と理解が増し、より深い叡智をもって同じ問題を眺めればそれまでの捉え方が間違っていたことに気づきはじめます。

 物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として、時には静かな、時には波動を作った、さまざまな発展的現象があります。それは地球を形成していく為の絶え間ない自然力の作用と反作用の現れです。

常に照合と再照合が行われるのです。存在していくための手段として、その二つの作用は欠かせない要素なのです。実に複雑なのです」


───神は完全だとおっしゃいましたが、われわれ人間が不完全であれば神も不完全ということになりませんか。

 「そうではありません。あなた方は完全性を備えた種子を宿しているということです。その完全性を発揮するための完全な表現器官をそなえるまでは、完全にはなり得ないということです。現在のところ、その表現器官がきわめて不完全です。

進化して完全な表現器官、つまり完全な霊体をそなえるに至れば、完全性を発揮できるようになりますが、それには無限の時を要します」


───ということは、神のすべての部分が完全の段階に至るのにも無限の時を要するということでしょうか。

 「違います。神は常に完全です。ただ、現在物質の世界に人間という形態で顕現されている部分の表現が不完全だということです。それが完全な表現を求めて努力しているわけです」


───それを譬えて言えば、ある正しい概念があって、それが人によって間違って理解され使用されているようなものでしょうか。

 「その通りです。しかも、それも、一歩ずつではあっても、絶えず理想へ近づいていかねばなりません。完全は存在します。それを私は、あなた方は本当の自分のほんの一かけらしか表現していないと申し上げているのです。

もしも現在のその身体を表現されている一かけらだけであなたを判断したら、極めて不当な結論しか出てこないでしょう。が、それは本当のあなたの一部に過ぎません。

もっと大きなあなた、もっと大きな意識が存在し、それが今もあなたとつながっているのです。ただ、それは、それに相応しい表現器官が与えられないと発揮されないということです」


───お聞きしていると、神が一個の存在でなくなっていく様に思います。独立した存在として神はいるのでしょうか。

 「真っ白な、豪華な玉座に腰掛けた、人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体を具えた存在ではありません。摂理・法則です」


───それに心が具わっているわけでしょうか。

 「心というものは、あなた方の身体を通してのみ働いているのではありません。法則を通して働いているのです。心を脳味噌と切り離して考えないといけません。

意識というのは、そのお粗末な脳細胞だけを焦点として働いているのではありません。脳とは完全に独立した形で存在します。その小さな脳という器官との関連で心の働きを考えるのは止めないといけません。

 心はそれ自体で存在出来ます。しかしそれを自覚するには何らかの表現器官が必要です。そのために、人間には幾つもの、霊的身体が具わっているわけです。

身体を具えていない状態を想像することは可能であり、その状態でもあなたは厳として存在しますが、それではあなたと言う個性を表現する手段がないことになります。

 神という存在を人間に説明するのは、実に困難です。人間には、独立した形態を具えた存在としてしか想像できないからです。言語や記号を超越したものを地上の言語で説明しようとするのが、そもそも無理な話です。創造の本質に関わることなのです。


 神と言う存在をどこかのある一点に焦点を持つ力として考えてはいけません。そんなものではないのです。神とは完全な心、始めも終りもなく、永遠に働き続ける完璧な摂理です。

真っ暗だったところへ、ある日突然、光が差し込んだというものではありません。生命は円運動です。始まりも終りもありません」


───宇宙のすみずみまで神が存在するのと同じように、我々一人ひとりにも神が宿っているとおっしゃるわけでしょうか。

 「私のいう神は、全創造物に顕現されている霊の総体から離れて存在することは出来ません。残念ながら西洋世界の人は、いまなお人類の創造をエデンの園(アダムとイブの物語)と似たような概念で想像します。実際はそれとはまったく異なるのです。

宇宙の進化は無窮の過去から無窮の未来へ向けて延々と続いております。かつて何もなかったところへ、突如として宇宙が出現したのではありません。宇宙は常にどこかに存在します。生命は何らかの形態で常に顕現してきました。そしてこれからも何らかの形で永遠に存在し続けます」


 スピリチュアリズムによる新しい啓示の重大性について、こう述べる。

 「闇に閉ざされたこの地上界にあって、意義ある貢献する機会を与えてくれる霊的知識を手にされた皆さんは、何と幸せな方たちでしょう。幾十世紀にもわたって偉大なる頭脳を悩ませてきた多くの謎を解くカギを手にされた皆さんは、何と幸せでしょう。

歩むべき道を照らしだし、永遠の生命の機構の中におけるご自分の存在すべき位置を理解させてくれる叡智を授かった皆さんは、実にお幸せな方たちです。そうした霊的知識を誇りに思わないといけません。

誤った教えの下敷きとなってしまっている人々を救いだし、正しい知識と理解への道を指し示してあげることが出来るからです。

 しかしそれにも増して大きいのは、そうした知識を手にした人が背負うことになる責任です。本当の意味で大霊の使徒となるからです。最高神の道具となったということです。忠誠を捧げる聖なる大義を汚すようなことは絶対にしないという責任が、その人の双肩に掛ってきます。

 地上世界は霊的知識を必要としております。それは生活の全側面を照らしだし、理解に苦しむ問題を簡単に解いてくれます。人類の進歩のブレーキとなってきた誤った教えの粗悪さと不当性によって、これ以上苦しめられることは無くなるでしょう。

今まさに地上世界は、歴史的に見ても重大な時期を迎えているのです。皆さんの目の前で新しい歴史が刻まれつつあるのです。魂の最終のゴールである〝自由〟の獲得への道を、あなた方が整備してあげているのです。

 皆さんには霊的貢献の分野があります。大霊の子が人生の嵐の中を生き抜く上での正しい基盤を手にすることが出来るように、この霊的真理を普及させないといけません。

その普及活動を阻止しようとする勢力は次第に衰えつつあります。かつては脅威に思えた反抗が、今やおぼろな影となっております。かつて先駆者たちが直面させられた苦難は、その先駆者たち自身のお陰で大幅に取り除かれました。

しかし、まだまだ為すべきことが多く残されております。その大きな仕事の一端が、あなた方の双肩に掛っているのです。

 堂々と胸を張り、魂の自由と進歩と啓発に貢献していることに、誇りを持って下さい。大霊の子等が暗闇でなく真理の光の中で生きるための魂の自由と解放という仕事において、皆さんは、ご自分で考えておられる以上に、大きな貢献をしておられます。

 本当の自我に目覚める霊が増えつつあります。ここぞという重大な時に何の役にも立たなかった古い教えに背を向ける男女が増えつつあります。今や古い秩序は完全に砕かれました。

古いものはやはり古いという認識のもとに、古い宗教的体制への不信感が加速されております。新しい教義、新しい人生指導原理を求めているのです。


 人々は光明を求めています。のちの世代に光明を約束してくれるものに希望を託しております。過去が残してくれたものに不審を抱き、新しい霊的真理を渇望しているのです。それを提供するのが、あなた方の役目です。

これから始まる再構築の大事業に備えるための知識と力とを身につけさせるために、陰ながら導いてくれている背後霊の存在を認識させてあげるのです。

 肩書(ラベル)と言うものが次第に魅力を失いつつあります、地上人類は今まであまりに長い間、タイトルや肩書を崇めてきました。それが今、そうしたものに幻滅を感じ始めております。新しいタイプの魂、真実を問い質す魂、真理を求める魂、権威を自称するものを容易に信用しない魂、遠い昔の聖なる書はあくまでもその時代のもので、しかもただ霊的啓示であると信じられているに過ぎないから信じない、と主張する魂が生まれつつあります」


次に、霊的交流を求める上での心掛けについてのアドバイスを求められて───

 「精神を受け身の状態にし、冷静でいてしかも受容力に富んだ態度を保つ修業が必要です。霊力は、人間の方から命令的に求められる性質のものではありません。秩序正しい段階を踏んで用意を整えて下さらないと、授けることは出来ないのです。

ある一定の必須の条件というものがあるからです。通信回路が正しく開かれていないと、インスピレイションは流れませんし、たとえ流れても、歪められてしまいます。

 何よりも大切なのは、いかなる困難、いかなる騒ぎの中にあっても、平静さを失わないようになることです。私たちの教えを知識としていくら沢山詰め込んで下さっても、心の平静さを保つ修業ができないかぎり、その価値は十分に発揮されないことになります。

 あなたも大霊の一部なのです。その無限の力の宝庫から必要なものを引き出すことができるのです。いかなる人生の嵐、喧騒、混乱の中にあっても、平然とそれを達観し、永遠にして無限なる霊的存在としての〝あなた自身〟は絶対に惑わされないとの、不敵な信念に燃えないといけません。

困難には正面から取り組んで、それを克服しないといけません。その葛藤の中においてこそ性格が形成され、霊性が磨かれ、真実の自我を発見していくことになるのです。

 霊的真理を手にした私たちには、為すべきことが山ほどあります。今行われている(第二次)世界大戦、大量の肉体の殺し合い、狂気の破壊行為、世界全体を被う悲しみの波動は、これから先、大変な困難を生み出して行くことでしょう。

しかし、戦争は永遠に続くものではありません。いつかは終わります。その時には私達が再びその使命を果たす役目が廻ってきます」


 そして最後に、地球浄化の大事業者に携わっている世界中の指導霊を代表する形で、こう激励した。

 「この事業が成功するかしないかは、皆さんのような地上の道具の忍耐力と共鳴度と理解力に掛っております。私も、これまでずいぶん永い間、みなさんを陰から導いてまいりました。せっかく順調に奉仕の道を歩んでいるのに、ふと迷いが生じて不純な動機を宿した時、私が、皆さんの良心の耳元で囁いて、無事正しい道に引き戻したことが何度あったか知れません。

 長年にわたるそうした苦労の末に、こうして同志の方を一堂に集めることに成功しました。その目的は、地上の人間が大霊の意図したとおりに霊的属性を発揮するにはどういう生き方をすべきかを教えてあげることです。皆さん方から背を向けない限り、私たちはこれからも忍耐強くこの仕事を続けてまいります。

 大霊から授かっている才覚を精一杯発揮して、一人でも多くの人に霊的真理を知らしめるのが、私たちの使命なのです。最初はごく少数の集まりでした。が、その滴のような小さな集まりが小川となり、やがて大河となって海へ注ぐことになるのです。

 スピリチュアリズムと呼ばれている新しい啓示が世界中に知れわたるのに、(十九世紀半ば以来)ほぼ一世紀を要しました。もう一世紀後には、その数は信じられないほど多くなっていることでしょう。皆さんはその先駆者(パイオニア)なのです」

Saturday, September 12, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

  Silver Birch Companion

スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳



十章  各界のゲストを招いて

 ハンネン・スワッハー・ホームサークルの招きでシルバーバーチの交霊界に出席した各界の著名人は、これまででも相当な数にのぼる。政治家・芸術家・舞台俳優・動物保護団体のメンバー等々、実に多彩である。本章はそうしたゲストとの問答を特集してみた。

 まずロンドンのフリート街に立ち並ぶ新聞社の一つの主筆で、スピリチュアリズムにも興味を持つジャーナリストが、ある日の交霊会で、思念とインスピレーションの違いについて質問した。それについてシルバーバーチはこう答えた。

 「物質の世界に住んでおられるあなた方は、きわめて創造性の乏しい存在です。よくよくの例外を除いて、まず何一つ創造していないと言ってよろしい。が、基本的には、受信局であると同時に、発進局でもある存在です。

 まず外部から思念が送られてきます。それがいったんあなたという受信局で受け止められ、それに何かが付加されて発信され、それを別の人が受信するという具合です。あなたに届いた時の思念と、あなたから発信される時の思念とは、すでに同じではありません。

あなたの個性によって波動が高められることもあり低められることもあり、美しくなっていることもあり、醜くなっていることもあり、新たに生命力を付加されていることもあり衰弱していることもあります。

 しかし、それとは全く別に、霊的な波動の調整によって、あなたと同じ波動をもつ霊からのインスピレーションを受けることもできます。人間が死んで私たちの世界へ来ます。

その時、精神と魂に宿されているものは何一つ失われることはありません。それは霊的にして永遠であり、霊的にして永遠なるものは絶対に消滅することはないからです。その魂と精神に宿された資質はその後も成長し、拡大し、発達し、成熟してまいります。

 そうした霊性を宿しているからこそ、こちらへ来てしばらくすると、地上の人間のために何か役立つことをしたいと思うようになるわけです。そして、やがて自分と同質の人間を見出します。あるいは見出そうと努力しはじめます。

 地上で詩人だった人は詩人を探すでしょう。音楽家だった人は音楽家を探すでしょう。そして、死後に身につけたものを全てを惜しげもなく授けようとします。問題は波長の調整です。インスピレーションが一瞬の間の体験でしかないのは、私たちの側が悪いのではありません。

二つの世界の関係を支配している法則が完全に理解されれば───言いかえれば、地上の人間が霊界の自由な交信の障害となる偏見や迷信を取り除いてくれれば、無限の叡智が人間を通してふんだんに流れ込むことでしょう。

 要は、私たちの側から発信するものを受信する道具がなければならないこと、そしてその道具がどこまで高い波動の通信を受け取れるかという、性能の問題です。すべてのインスピレーション、すべての叡智、すべての真理、すべての知識は、人間側の受信能力に掛っております」


───それだけお聞きしてもまだ、なぜインスピレーションというものが一瞬のひらめきで伝わるのかが理解できません。

 「その瞬間、あなたの波長が整って、通信網に反応するからです」
 と答えた後、そういう思念が霊界からのものか地上の人間からのものかの区別の仕方について質問されて、こう述べた。

 「両者をはっきり選別することはとても困難です。思念には、地上の人間の発したものが地上の他の人間によって受け取られることもありますが、霊界からのものもあります。

思念は常に循環しております。そのうちのあるものが同質の性格の人に引き寄せられます。これはひっきりなしに行われていることです。

 しかしインスピレーションは、霊界の者が、ある共通の性質、関心あるいは衝動を覚えて、自分がすでに成就したものを地上の人間に伝えようとする、はっきりとした目的意識をもった行為です。地上の音楽や詩、小説、絵画の多くは、実質的には霊界で創作されたものです」


───天才をどう説明されますか。

 「まず理解していただきたいのは、大自然または法則───どう呼ばれても構いません───は、決して真っすぐの一本の線のように向上するようには出来ていないことです。

さまざまな変異・循環・螺旋を描きながら進化しています。全体からみれば、アメーバ―から霊にいたる段階的進化がはっきりしておりますが、その中にあって、時たま一足跳びに進化するものと後退するものとが出てきます。先駆けと後戻りが常に存在します。天才はその先駆けに当たります。

これから何十世紀あるいは何百世紀かのちには、地上の全人類が、程度の差こそあれ、今の天才と同じ段階まで発達します。天才は言わば人類進化の前衛です」


───現在地上で行われている進化論と大分違うようですが・・・・・・

 「私の見解はどうしても地上の説とは違ってきます。皆さん方はどうしても物的観点から問題を考察せざるを得ません。物的世界に生活し、食糧だの衣服だの住居だのといった俗世の問題を抱えておられるからです。

そうした日々の生活の本質そのものが、その身を置いている物的世界へ関心を向けさせるようになっているのです。

日常の問題を永遠の視点から考えろと言われても、それは容易にできることではありません。が、私たちから見れば、あなた方も同じ霊的存在なのです。いつ果てるともない進化の道を歩む巡礼者である点では同じです。

 いま生活しておられるこの地上が永遠の住処でないことは明白です。これから先の永遠の道程を思えば、地上生活などホンの一瞬の出来事でしかありません。私たちの視界は焦点が広いのです。皆さんからお受けする質問も、霊的真理に照らしてお答えしております。

その真理が人間生活においてどんな価値を持つか、どうやって他の同胞へ役たてるべきか、どんな役に立つかといった点を考慮しながらです。

 これまでの私は、私の説く真理が単純素朴なものであること、唯一の宗教は人の為に自分を役たてることであることを、皆さんもいい加減うんざりなさるのではないかと思うほど、繰り返し述べてきました。私たちの真理の捉え方が地上の常識と違う以上、そうせざるを得ないのです。

 大半の人間は、地上だけが人間が住む世界だと考えております。現在の生活が人間生活のすべてであると思い込み、そこで物的なものを、いずれは死んで残して行かねばならないものなのに、せっせと蓄積しようとします。

戦争・流血・悲劇・病気の数々も、元はといえば、人間がこの時点において立派に霊的存在であること、つまり人間は肉体のみの存在ではないという生命の神秘を知らない人が多すぎるからです。人間は肉体を通して自我を表現している霊魂なのです。

それが地上という物質の世界での生活を通じて魂を成長させ発達させて、死後に始まる本来の霊の世界における生活に備えているのです」


 このシルバーバーチの言葉がきっかけとなって、サークルのメンバーの間で〝進化〟についての議論がひとしきり花が咲いた。それを聞いていたシルバーバーチは、やおら次のような見解を述べた。

 「人間はすべて、宇宙の大霊の一部、言いかえれば無限の創造活動の一翼を担っているということです。一人ひとりがその一分子として進化の法則の働きを決定づけるということです。

霊としての真価を発揮していく階梯の一部を構成しているのです。霊は、自我意識が発現しはじめた瞬間から存在し、その時点から霊的進化が始まったのです。身体的に見れば人類は、事実上、進化の頂点に達しました。が、霊的にはまだまだ先は延々と続きます」


 別の日の交霊会に、世界的に名の知れた小説家が出席した。シルバーバーチが出る前に、地上で世界的に有名だった人物で今ではシルバーバーチ霊団のメンバーとして活躍している複数の霊がバーバネルの口を借りて挨拶し、それに応えてサークルのメンバーが挨拶を介している様子を、その小説家は黙って見つめていた。

やがてシルバーバーチが出現して、その小説家に向かって

 「私には、あなたが今日はじめての方とは思えません。実質的に霊力に無縁の方ではないからです」
 と述べてから、更にこう続けた。

 「あなたの場合は意識的に霊力を使っておられるのではありません。あなたご自身の内部で表現を求める叫び、使ってほしがっている単語、原語で表現してほしがっているアイディア、湧き出てきてあなたを包み込もうとする美、時として困惑させられる不思議な世界、そうしたものが存在することを知っている人間が持つ、内的な天賦の才能です。違いますか?」


───全くおっしゃる通りです。

 「しかし同時に、これは多くの方に申し上げていることですが、ふと思いに耽り、人生の背後でうごめいているものに思いを馳せ、いかにして、なぜ、いずこへ、といった避け難い人生の問題に対する回答をみずから問うた時、宿命的とも言えるいきさつで道が開けてきました。お若い頃からそうであったはずですが、いかがですか?」


───その通りです。

 「私たちは方法は何であれ、自分の住む世の中を豊かにし、美と喜びで満たし、いかなる形にせよ慰めをもたらす人を、誇りをもって歓迎いたします。しかし、あなたは、これまでになさったことより、まだまだ立派なことがお出来になります。お分かりでしょうか? 」


───ぜひ知りたいものですね

 「でも、何となくお感じになっておられるのではありませんか?」


───(力強い口調で)感じております。

 ここでシルバーバーチがサークルのメンバーの一人に向かって

 「この方は霊能をお持ちです」
と言うと、そのメンバーも 「そのようですね。霊眼をお持ちです」 と相づちを打った。


 するとシルバーバーチは
 「しかしこの方の霊能は、まだ鍛錬がなされておりません。純粋に生まれつきのものです」

 と述べてから、今度はその小説家の方へ顔を向けて

 「あなたは陰から指導している複数の霊の存在にお気づきですか。あなたが感じておられるより、はるかに多くの援助をしてくれているのですよ」

 といった、すると別のメンバーが、その小説家がこれからするべきことは何かを訊ねた。

 「それは、これまでなさってきたことより、はるかに大きな仕事です。そのうち自然に発展していきます。すでにその雰囲気がこの方の存在に充満しておりますから、多分ご自分でも気づいておられるはずです。じっとしていられないことがあるはずです。私が言わんとしていることがお分かりでしょう?」


───非常によく分かります。

 「次に申し上げることをよく理解しておいてください。他のすべての人間と同じく、あなたも、その小さな身体に大きな魂を宿しておられるということです。ぎこちない大ざっぱな言い方をしましたが、あなたという存在は、肉体という、魂の媒体としては痛ましいほど不適当な身体を通して表現せざるをえないということです。

 あなたの真の自我、真の実在、不滅の存在であるところの魂に宿る全能力───芸術的素質・霊的能力・知的能力のすべてを顕現させるにつれて、その分だけ、身体による束縛から逃れることになります。魂そのものは本来は物質を超越した存在ですから、

たとえ一時的には物質の中に閉じ込められても、そのうち、鍛錬や養成をしなくても、無意識のうちに物質を征服し優位を得ようと、あらゆる手段を試みるようになります。

 それが今まさに、あなたの身の上に起きつつあるわけです。インスピレーション・精神的活動・目に見えない側面の全てが一気に束縛を押し破り、あなたの存在に流入し、あなたはそれに抗しきれなくなっておられる。私の言っていることがお分かりでしょうね?」


───非常によく分かります。

 しかし同時に、あなたは私たちの世界の存在によって援助されております。すでに肉体の束縛から解放された人たちです。その人たちは情愛によってあなたと結ばれております愛こそ宇宙最大の絆なのです。愛は、自然の成り行きで愛する者同士を結び付け、いかなる力も、いかなるエネルギーも、その愛を裂くことはできません。

愛がもたらすことのできる豊かさと温もりのすべてをたずさえてあなたを愛している人たちは、肉体に宿るあなたには理解できない範囲で、あなたのためにいろいろと援助してくれております。

 しかし、それとは別に、そうした情愛・血縁・家族で結ばれた人々よりも霊性においてはるかに高級な霊が、共通の関心と、共通の目的意識をもって、あなたのために働いてくれております。

今ここで簡単には説明できないほど援助してきており、これからのち、条件さえ整えば、存在をあなたに知らしめることもあり得るでしょう」


───ぜひ知らせてほしいものです。それに、そうした背後霊の皆さんに、私からの感謝の気持ちを伝えていただけますでしょうか。

 「もう聞こえていますよ。今日私からぜひあなたにお授けしたいのは、あなたのまわりに存在する霊力の身近さについての認識です。私は皆さんから見て、古い霊です。

私にも為し得る仕事があることを知り、わずかですが、私が摂取した知識が地上の人々にお役に立てばと思って、こうして戻ってまいりました。

 すでに大勢の友、その知識を広めるために私の手足となってくれる同僚をたくさん見いだしております。本日も出席しているバリッシュ (心霊治療家) のように特殊な使命を帯び、犠牲と奉仕の記念碑を打ち立てている者もいます。

 しかし、すべての同志が、自分が使用されていることを意識しているわけではありません。でも、そんな人たちでも、時たま、ほんの一瞬に過ぎませんが、何とも言えない内的な高揚を覚え、何か崇高な目的の成就のために自分も一翼を担っていることを自覚することがあるはずです」

 
 別の日の交霊会に米国人ジャーナリストが招かれた。そして最初に出した質問が「霊界というのはどんなところでしょうか」という、極めて基本的なものだった。

その時レギラーメンバーの一人が「この方は心霊研究家 ※」とお呼びしてもよいほどの方ですよ。と言ったことが、次のようなユーモラスな答えを引き出すことになった。


 ※───ここでは心霊学にくわしい人といった程度の意味で言ったのであろう。その心霊学は心霊現象の科学的研究を目的としているだけで、霊魂説も幾つかの学説の中の一つとして扱われているだけである。その点を念頭に置いて、シルバーバーチがその学説を並べ立てて皮肉っぽく答えているところがユーモラスである───訳者。



 「この私は、地上の人たちから〝死んだ〟と思われている一人です。存在しないことになっているのです。私は、本日ここにお集まりの方々による集団的幻影にすぎません。私は、霊媒の潜在意識の産物なのだそうです。霊媒の第二人格であり、二重人格であり、分離人格ということになっております。

 こうした用語のどれをお使いになっても結構ですが、私もあなたと同じ、一個の人間的存在です。ただ私は、今あなた方が使っておられる」肉体を随分前に棄ててしまいました。

あなたとの違いは、ただそれだけです。あなたは物的身体を通して自我を表現しているスピリットであり、私は霊的身体を通して表現しているスピリットであるということです。

 私はほぼ三千年前に霊の世界へまいりました。つまり三千年前に〝死んだ〟のです。三千年というと、あなた方には大変な年数に思えるかもしれませんが、永遠の時の流れを考えると、わずかなものです。その間に私も、少しばかり勉強しました。

霊の世界へ来て、神からの授かりものである資質を発揮していくと、地上と同じ進化の法則に従って進歩していきます。霊的な界層を一段また一段と向上してまいります。

 〝界層〟という言い方をしましたが、一つ一つが仕切られているわけではありません。霊的な程度の差であり、それぞれの段階には、その環境条件にふさわしい者が存在するということです。

霊的に進化向上していくと、それまでの界層を後にして、次の、一段と高い界層へ融合していきます。それは階段が限りなく続く長い長い、一本のはしごのようなものです。

 そう考えていけば、何百年、あるいは何千年か後には物質界からはるか遠く離れていき、二度と接触する気持ちが起きなくなる段階に至ることは、あなた方にも理解できるでしょう。所詮、地上というところは、大して魅力のある世界ではないのです。

地上の住民から発せられる思念が充満している大気には、およそ崇高なものは見られません。腐敗と堕落の雰囲気が大半を占めております。人間の生活全体を暗い影がおおい、霊の光が届くのは、ほんの少数の人に限られております。

 一度あなたも、私と同じように、経済問題の生じない世界、お金が何の価値ももたない世界、物的財産が何の役にも立たない世界、各自があるがままの姿がさらけ出される世界、唯一の富が霊的な豊かさである世界、唯一の所有物が個性の強さである世界、生存競争も略奪も既得権力も無く、弱者が窮地に追いやられることもなく、

内在する霊的能力が、それまでは居眠りをしていても、存分に発揮されるようになる世界に住まわれたら、地上という世界がいかにむさ苦しく、いかに魅力の乏しい世界であるかが分かっていただけると思います。

 その地上世界を何とかしなければならない───私のようにまだ地上圏に戻ることのできるスピリットが援助し、これまでに身につけた霊的法則について幾らかでも教えてあげる必要があることを私は他の幾人かの仲間と共に聞かされたのです。

人生に迷い、生きることに疲れ果てている人類に進むべき方向を示唆し、魂を鼓舞し、悪戦苦闘している難題の解決策を見出させてあげるには、それしかないことを聞かされたのです。

 同時に私たちは、そのために必要とする力、人類の魂を鼓舞するための霊力を授けてくださることも聞かされました。しかし又、それが大変な難事業であること、この仕事を快く思わぬ連中、それも宗教組織内の、そのまた高い地位にある者による反抗に遭遇するであろうことも言い聞かされました。

悪魔の密使とみなされ、人類を邪悪の道へ誘い、迷い込ませんとする悪霊であると決めつけられるであろうとの警告も受けました。

 要するに、私たちの仕事は容易ならざる大事業であること、そして、ついでに付け加えさせていただけば、その成就のためにはそれまでの永い年月の中で体験してきた霊界生活での喜びも美しさも、すべてお預けにされてしまうということでした。

が、そう言い聞かされてこれを断った者は、私たちのうちの誰一人としていませんでした。かくして私たちは、他の仲間と共に地上へ戻ってまいりました。再生するのではありません。地上界の圏内で仕事をするためです。

 地上圏へ来てからのまず第一の仕事は、霊媒となるべき人物を探すことでした。これは、どの霊団にとっても一ばん骨の折れる仕事です。次に、あなたがたの言語(英語)を勉強し、生活習慣も知らねばなりませんでした。あなた方西洋人の文明も理解する必要がありました。

 続いてこの霊媒の使用法を練習しなければなりませんでした。この霊媒の口を借りて、幾つかの訓え───誰にでも分かる簡単なもので、したがってみんなが理解すれば地上が、一変するはずの真理───を説くためです。

 同時に私は、そうやって地上圏で働きながら、私を派遣してくれた高級霊たちと連絡を保ち、より立派な叡智、より立派な知識、より立派な情報を私が代弁してあげなければならなかったのです。初めのころは大いに苦労しました。今でも決して楽ではありませんが・・・・・・

 そのうち私の働きかけに同調してくれるものが次第に増えてまいりました。すべての人が同調してくれたわけではありません。居眠りしたままの方を好む者も大勢いました。

自分で築いた小さな牢獄にいる方を好む者もいました。その方が安全と考えたわけです。自由へ解放された後のことを恐れたのです。

 が、そうした中にも、そこここに、分かってくれる人を見出しました。私からのご利益は何もありません。ただ、真理と理性と常識と素朴さ、それに、近づいてくれる人の為をのみ考える、かなり年季の入った先輩霊としての真心をお持ちしただけです。

 その後は、私たちの仕事は順調に運び、多くの人々の魂に感動を与えてまいりました。無知の暗闇から抜け出た人が大勢います。自由の旗印のもとに、喜んで馳せ参じた人が大勢います。〝死〟の目的と〝生〟の意味を理解することによって、二度と涙を流さなくなった人が大勢います」


───魂は母体に宿った時から存在が始まるのでしょうか。それともそれ以前にも存在(前世)があるのでしょうか。

 「これは又、厄介な問題に触れる質問をしてくださいましたね。私は自分でこう思うということしか述べるわけにはまいりません。私はいつも人間の理性と思慮分別に訴えております。

もしも私の述べることが皆さんの理性を反発させ、知性を侮辱し、そんなことを認めるわけにはいかないとおっしゃるのであれば、どうぞ聞き捨てて下さい。拒絶していただいて結構です。

拒絶されたからといって私は少しも気を悪くすることはありません。腹も立てません。皆さんへの愛の気持ちに変わりはありません。

 ここにおいでのスワッファーも、相変わらず考えを改めようとしない者の一人です。他の者はみんな私の口車に乗って(?)前世の存在を信じるようになってくれているのですが・・・・・・

 私の知るかぎりで言えば、前世はあります。つまり生まれ変わりはあるということで、その多くは、はっきりとした目的を持つ自発的なものです」

 これを聞いたスハッファーが

 「私は再生の事実を否定したことはありませんよ。私はただ魂の成長にとって再生が必須であるという意見に反対しているだけです」

と不服そうに言うとシルバーバーチが

 「これはうれしいことを聞きました。あなたも私の味方というわけですな。全面的ではなくても・・・・・・」

と皮肉っぽく言う。するとスワッファーが言い返す。

 「あなたは、私も今生に再生してきているとおっしゃったことがあるじゃないですか。私はただ、再生に法則はないと言っているだけです」

これを聞いたシルバーバーチが穏やかにそれを否定して言う。

 「何かが発生する時、それは必ず法則に従っております。自発的な再生であっても法則があるから可能なのです。ここでいう法則とは、地上への再生を支配する法則のことです。この全大宇宙に存在するものは、いかに小さなものでも、いかに大きなものでも、すべて法則によって支配されているというのが私の持論です」


ここで米人ジャーナリストが関連質問をした。

───人間にとって時間が理解しにくいことが再生問題を理解しにくくしているというのは事実でしょうか。


 「例によって、私なりの観点からご説明しましよう。実は、あなたはあなたご自身をご存じないのです。あなたは物質界へ一度も顔を出したことのない側面があるのですが、あなたはそれにお気づきになりません。

物的身体を通して知覚した、ごくごく小さな一部分しか意識しておられません。が、本当のあなたは、その身体を通して顕現しているものより、はるかに大きいのです。

 ご存じの通り、あなたはその身体そのものではありません。あなたは身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではありません。

その証拠に、あなたの意識はその身体を離れて存在することが出来ます。たとえば睡眠中がそうです。ただし、その間の記憶は物的脳髄の限界のために意識されません。

 結局あなた方が意識できる自我は、物質界に顕現している部分だけということになります。他の、より大きい部分は、それなりの開発の過程をへて意識できるようにならないかぎり、ごく稀に、特殊な体験の中で瞬間的に顔をのぞかせるだけです。一般的に言えば、大部分の人間は死のベールをくぐり抜けて初めて真の自我を知ることになります。

 以上があなたのご質問に対する私の回答です。今あなたが物的脳髄を通して表現しておられる意識は、それなりの開発法を講ずるか、それともその身体を棄て去るかのいずれかでないかぎり、より真実に近いあなたを認識することはできないということです」


───この地上には、あなたの世界に存在しない邪悪なものが溢れているとおっしゃいますが、なぜそういう邪と悪とが存在するのでしょうか。

 「権力の座にある者たちのわがままが原因となって生じる悪と邪───私は〝無明〟という言葉の方が好きですが───、それと、人類の進化の未熟さゆえに生じる悪と邪とは、はっきりと区別する必要があります。

 地上の邪と悪には、貧民(スラム)街ができるような社会体制の方が得をする者たち、儲けることしか考えない者たち、私腹を肥やす為なら同胞がどうなろうと構わない者たちといった、現体制下の受益者層の存在が原因となって発生しているものが実に多いことを知らねばなりません。そうした卑劣な人種がのめり込んでしまった薄汚い社会環境があるということです。

 しかし、他方において忘れてならないのは、人間は無限の可能性を秘めていること、人生は常に闇黒から光明へ、下層から上層へ、弱小から強大へ向けての闘争であり、進化の道程を絶え間なく向上して行くものであるということです。闘争もなく困難もなければ、霊にとって征服すべきものが何もないことになります。

 人間には神の無限の属性が宿されてはいますが、それが発揮されるのは、努力による開発を通してしかありません。その開発の過程は黄金の採取と同じです。粉砕し、精錬し、磨きあげなければなりません。地上にも、いつかは邪悪の要素が大幅に取り除かれる時が来るでしょう。

しかし、改善の可能性が無くなる段階は決して来ません。なぜなら、人間は内的神性を自覚すればするほど、昨日の水準では満足できなくなり、明日の水準を一段高いところにセットするようになるものだからです」

℘190
───イエスの山上の垂訓にある〝黄金律〟(人からしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい) は〝適者生存〟の原理と、時として矛盾することがあるように思えるのですが・・・・・・

 「私は進化の法則を、無慈悲なものほど強く生き残るという意味での “適者生存〟 と解釈することには賛成できません。適者生存の本当の意味は、生き残るための適応性を具えた者が存在する、ということです。言い換えれば、存続するための適性を発揮した者が生き残るということです。

 注目していただきたいのは、生き残っている動物を観察してみると、それが生き残れたのは残虐性の性でもなく適者だったからでもなく、進化の法則に順応したからであることが明らかなのです。

もしも適者のみが生き残ったとすると、なぜ有史以前の動物は死滅したかといいう疑問が生じます。その当時はいちばん強い生物だったはずですが、生き残れませんでした。

 進化の法則とは成長の法則の一つです。ひたすらに発展していくという法則です。他の生命との協調と互助の法則です。つまるところ、イエスの黄金律に帰着します」


〝偶然〟の要素について質問さされて───

 「世の中が偶然によって動かされることはありません。どちらを向いても───天体望遠鏡で広大な星雲の世界を覗いても、顕微鏡で極小の生物を検査しても───そこには必ず不変不滅の自然法則が存在します。

あなたも偶然に生まれてきたのではありません。原因と結果の法則が途切れることなく繰り返されている整然とした秩序の世界には、偶然の要素の入る余地はありません。

 全生命を創造した力は、その支配のために、規則ないしは法則、あるいは摂理というものを用意したのです。その背景としての叡智も機構も完璧です。すべては霊的なものです。

すべての生命は霊的存在だからです。生命が維持されるのは、その本質が物質ではなく霊だからです。霊は生命であり、生命は霊です。

 生命が意識を持った形態を取る時、そこには個としての霊が存在することになります。そこが動物と異なるところです。人間は個別化された霊、つまり大霊の一分霊なのです。

 人生には個人としての生活、家族としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応をしたり逆らったりしながら生きております。

逆らえば、そこに暗黒と病気、困難と混乱と破産、悲劇と流血が生じます。順応した生活を送れば、叡智と知識と理解力と真実と正義と公正と平和がもたらされます。それが黄金律の真意です。

 人間はロボットではありません。一定の枠組みの中での自由意思が与えられているのです。決断は自分で下さないといけません。個人の場合でも国家の場合でも同じです。摂理に適った生き方をしている人、黄金律を生活の規範として生きている人は、大自然から、そして宇宙から、よい報いを受けます」


 続いて〝汝の敵〟に対する態度のあり方について、こう説いている。

 「私から見れば、どの人間もみな〝肉体を携えたスピリット〟です。私の目にはドイツ人もイギリス人もアメリカ人もありません。みんなスピリットであり、大霊の一部であり、神の子です。

 時には対症療法としてやむを得ず〝罰〟を与えねばならないこともあるでしょうが、すでに述べたとおり、新しい世界は憎しみや復讐心からは生まれません。

全ての人類のためを思う心からしか生まれません。復讐を叫ぶ者、目には目を、歯には歯をの考えを持つ者は、将来の戦争の種を蒔いていることになります。

 全ての人間には生きる場が与えられております。理性と常識とによって問題を解決していけば、全ての者に必要なものが行きわたるはずです。そう申し上げるより説明のしようがありません。

 あなたの国(米国)はなぜあの短い期間にあれだけの進歩を成し遂げたか。それは一語に尽きます───寛容心です。英国が永い歴史の中で発展してきたのも、寛容心があったからこそです。

米国は人種問題、国籍問題、宗教問題を解決してまいりました。その歴史を通じて、全ての人種にそれぞれの存在価値があること、人種が増えるということは、いずれは優れた国民を生むことになることを学んできました。

 今あなた方の国民が体験していることは、やがて全世界が体験することになります。米国は、世界問題解決のミニチュア版のようなものです。たとえば、あなたの存在を分析してみても、遺伝的要素の一つ一つは確認できないでしょう。

それと同じで、米国は雑多な人種から構成されておりますが、その一つ一つが存在意識を持っており、雑多であるが故に粗末になるということはありません。逆に、豊かさを増すのです。

 成長の途上においては、新しい要素の付加と蓄積とがひっきりなしに行われ、その結果として最良のものが出来上ります。

それは自然と言うものが新しい力、新しい要素の絶え間ない付加によって繁栄しているものだからです。限りない変化が最高の質を生み出すのです。大自然の営みは、いっときの休みもない行進です」


 その日のもう一人のゲストに、ポーランドの役人がいた、そしてまず最初に次のような質問をした。


───霊界の美しさを味わうことができるのは、地上で美しさを味わうことができた者に限られるというのは本当でしょうか。

 「そんなことはありません。それでは不公平でしょう。地上には真の美的観賞力を養成するための施設がないのですから、数知れぬ人が美しさを味わえないことになってしまいます。

霊の世界は償いの世界であると同時に、埋め合わせの世界でもあります。地上世界では得られなかったものが補われて、バランスを取り戻すのです」


 これを聞いてメンバーの一人が───


───今の方の質問の背景には、人間が死ぬ時はこの世で培ったものを携えていくという事実があるように思うのですが・・・・・・


 「地上の人間は、無限の精神のほんの一部を表現しているにすぎないことを銘記しないといけません。それを表現する窓が五つ(五感のこと)しかありません。それも至ってお粗末です。

 それが肉体から解放されると、表現の範囲が飛躍的に大きくなります。精神がその本領を発揮しはじめます。表現器官の性能がよくなるからです。

霊界にはあらゆる美が存在しますが、それを味わう能力は、霊性の発達の程度いかんに掛っています。二人の人間に同じ光景を見せても、一人はその中に豊かさと驚異を発見し、もう一人は何も発見しないということもあり得ます。

 それにもう一つ別の種類の美───魂の美、精神の美、霊の美があり、その美しさの中に、永遠不変のものが有する喜びを味わうことができます。

充実した精神───思考力に富み、内省的で人生の奥義を理解出来る精神には、一種の気高さと美しさがあるものです。それは、その種のものとは縁遠い人、従って説明しようにも説明出来ない者には、見られないのです」

℘196
───美の観賞力を養う最良の方法は何でしょうか。

 「それも、大体において、各個人の霊的発達の問題です。適切な教育が全ての人に等しく利用できることを前提として言えば、美を求める心は、魂の発達とともに自然に芽生えてくるものです。

価値観が高まれば高まるほど、精神が成長すればするほど、醜い、卑劣な環境に不快感を抱くようになるものです。波長が合わなくなるからです。自分の置かれた環境をより美しくしたいと思い始めたら、それは進化と成長の兆しであると思ってよろしい。

 地上界をより美しくしようとする人間の努力は、魂が成長していく無意識の発現です。それは同時に、無限の宇宙の創造活動へ寄与していることでもあります。神は人間に、あらゆる材料を提供して下さっております。その多くは未完の状態のままです。

そして、地上のすみずみにまで美をもたらすには、魂・精神・理性・知性・成長の全てを注ぎ込まねばなりません。

最後は何事も個人単位の問題であり、各自の成長に帰着します。霊性が開発すればするほど、進化すればするほど、それだけ神の属性を発現することになり、それだけ一層、美を求めるようになります。私がつねづね霊的知識のもつ道徳的ないし倫理的価値を強調するのはそのためです。

貧民(スラム)街が存在してならないのは、神性を宿す者がそんな不潔な環境に住まうべきではないからです。飢餓がいけないのは、神性を宿す肉体が飢えに苦しむようであってはならないからです。

悪がすべていけないのは、それが内部の神性の発現を妨げるからです。真の美は、物質的、精神的、霊的のすべての面において、真の調和がいきわたることを意味します」


───美的観念を植えつけるにはどうしたらよいでしょうか。

 「個々の魂が自ら成長しようとすることが必須条件です。外部からありとあらゆる条件を整えてあげても、本人の魂が成長を望まなければ、あなたにも為す術がありません。

ですから、あなたに出来ることは霊的知識を広めることによって無知をなくし、頑迷な信仰をなくし、偏見をなくしていくことです。とにかく、知識のタネを蒔くのです。

時にはそれが石ころだけの土地に落ちることもあるでしょう。が、根づきやすい土地も至るところにあります。蒔いたタネはきっと芽を出します。

 私たちの仕事は、真理の光を可能な限り広く行きわたらせることです。その光は徐々に世界中を照らすようになり、人間が自分たちの環境を大霊の分子、すなわち神の子が住まうにふさわしいところにしようと望めば、迷信という名の暗闇のすべて、醜さと卑劣さを生み出すものすべてが改善されていくことでしょう」