Saturday, October 10, 2026

シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch
Edited by A.W. Austen
近藤 千雄訳



巻頭言

 あなたがもしも古き神話や伝来の信仰をもって足れりとし、あるいはすでに真理の頂上を極めたと自負されるならば、本書は用はない。が、もしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めてやまぬものであることをご存知ならば、ぜひお読みいただいて、世界のすべての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出して頂きたい。

 そこにはすべての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠の霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明りを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。

その中にはあなたの理性を反発させ、あなたの知性を侮辱するものは何一つない。なぜなら、すべては愛の心と奉仕の精神から生まれたものだからである。
シルバーバーチ


 
  まえがき  (編者)

 本書はほぼ一世紀前に(※)霊界において開始された大々的布教活動───すべての宗教の教義の下に埋もれてしまった必須の霊的真理を掘り起こし、その本来の単純素朴な形で地上に蘇らせる活動の一環として出版されるものである。

世界各地で催されている交霊会(ホームサークル)において、民族を異にする霊媒を通じて働きかけている支配霊たちが目的としているのは、人間に霊的実在を教え霊的叡智を授けることによってお互いがお互いのための生活を送り、そうすることによって同胞精神に満ちた新しい世界を招来する一助となるように導くことにある。
  (※一八四八年のスピリチュアリズムの勃興をさす───訳者)

 本書に収められているのは世界的に敬愛されている古代霊からの教訓である。その名をシルバーバーチというが、これは本名ではない。いま彼が所属している世界では名前はどうでもよいのだといって明かそうとしないのである。が、いつかは明かす日が来ることを約束している。


(※)それまでは私も語られた言葉だけで彼がいかなる人物であるかを判断することで満足するとしよう───誰が語っているのかは分からないままそのメッセージを受け入れていくことにしよう。

(※一九八一年バーバネルの死によってそれも果たされないまま終わった。いつかは明かすと言ったは、明かしてもよい時期が来たら明かすという意味で言ったのであろう。が現実にはシルバーバーチという人物像が強烈となるにつれて地上では誰だったのかという興味が次第に薄れ、そのせんさくが無意味に思われるようになっていったというのが実情である───訳者)


 過去九年間ほぼ週に一回の割でこの霊のメッセンジャー(使い)の入神談話を速記してきて───彼は自分のことを上層界の神霊によって派遣されたメッセンジャーに過ぎないと言い、功績を自分のように言われるのを嫌うが───私はシルバーバーチを高貴な個性と明確な視野と表現の流暢さとを兼ね具えた高級神霊の一人として尊敬するようになった。

 冷やかな活字では彼の言葉の温かさ、サークルに出席して個人的に接した者が肌で感じ取る情愛を伝えることはできない。一度も交霊会に出席したことがなく活字によってのみシルバーバーチを知る者には、直接(じか)にその声を耳にしているメンバーほどには彼の人類を思いやる心は感じ取れない。

 われわれメンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーとまったく変わらない実在の人物である。

彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌めることはしない、しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。
 
援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があればいかなる労苦もいとわず、いかに難しい説明も試みてくれる。

 初めて出席した招待者が礼を述べると、シルバーバーチはきまって、礼は神に述べなさいと言う。そして〝私は一介の僕に過ぎず、礼を述べていただくわけにはまいりません。

すべては神へ捧げるべきです〟と述べる。と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者たちによって影が薄くなってしまっている。

したがって我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それは何時かはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、ついには本来の使者を台無しにしてしまいかねないというのである。

その本来の使命は各自が自分の力で神との直接の繋がりを待つべきであり神保者(※)は無用であることを教えることにある。 (※キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者───訳者)



シルバーバーチの祈り

 これまでシルバーバーチが述べた祈りの言葉は数知れないが、表現はさまざまでもその趣旨に本質的な違いはない。大別すると、開会に際して成功を祈るもの Invocation と閉会に際しての感謝の祈り Benediction とがある。それぞれの典型的なものを紹介する。


○ Invocation

 神よ、私どもはあなたの測り知れぬ愛、限りなき叡智、尽きることなき知識、果てしなき顕現の相をどう説き明かせばよいのでしょうか。永きにわたってあなたを誤解し間違った信仰を抱いてきたあなたの子等にどう説けば、あなたを正しく認識できるのでしょうか。

あなたは決して無知な人間が想像する如き嫉妬深い、横暴な方ではございません。又残忍にして復讐心を抱き、血に飢え、えこひいきをし、選ばれし者のみを愛する方でもございません。

 あなたは全生命の大霊におわします。その息吹が創造を生み、そのリズムが永遠なる宇宙のあらゆる相、あらゆる動き、あらゆる鼓動に表われております。私どもはあなたを完璧なる摂理───絶対に誤らず、絶対に連続性を失うことのない法則として啓示せんものと努めております。

物的世界のみならず霊的世界の最奥をも含む全生命活動を支えるあなたの法則に断絶はあり得ないのでございます。宇宙間の何一つとしてあなたを超えて存在するものは有り得ないのでございます。

なぜならあなたは全存在の中に存在しておられるからです。しかしあなたの霊は、あなたがあなたに似せて創造された人間的存在において最高の形で表現されております。なぜならば、あなたは人間にあなたの霊、あなたの神性を賦与され、あなたの属性の全てを授けておられるからでございます。最下等の動物的存在の位より彼らを引き上げ、いずれはあなたの創造の大業に参加する権利を与えられたのでございます。

 かくして生まれたあなたとのつながりは、切ろうにも切れない宿命となります。なぜならば人間はあなたの一部であり、それは、あなたも人間を離れて存在し得ないことを意味するからでございます。

すなわち、あなたの霊は彼らの全てをお抱きになると同時に彼らの内部にも存在し、自己犠牲と愛他の生活、慈悲と思いやりの行為、老若男女、そしてまた鳥獣に対しても己れを役立てんとする行為において最高の形で顕現なさっておられます。

理想主義に燃え、迷える者に希望を、疲れし者には力を、暗闇にいる者に光を与えんと努力する者の生活にあなたが顕現しておられると理解しております。

 私どもは幾世紀にもわたって忘れ去られてきた摂理───霊眼を開き霊耳を持って聞き霊力の働きかけに素直に従って霊的感受性を鼓舞された少数の者のみが知ることを得た霊的法則を明かすべく努めております。

それを実践することがあなたへの理解を、宇宙についての理解を、そして全人類についての理解を深めることになる、そうした理法を教え、そこに自己の霊性を高めひいてはそれが同胞の霊性を高めることになり、かくして共にあなたのもとへ少しでも近づかしめる手掛かりを見出すことになるよう願っております。
 
 その仕事のために私どもは、同じく霊界にあって一日も早く地上へ新しい秩序をもたらし、新しい世紀を招来せんとして、あらゆる民族、あらゆる教義、あらゆる国家の人間とも協力する上で吾々と同じ立場を取る無数の霊に呼びかけております。

これこそが私どもの祈り───心から、魂の奥底から湧き出る願いであるとともに、可能なかぎり人のために己を役立てることによってそれを実現せんとする祈りでもございます。

その目標へ向けて私どもは真摯なる気持ちでもって自信を持って邁進いたします。あなたを味方とするかぎり決して挫折はないと信じるが故にほかなりません。なぜならば、あなたの力は、私どもの努力を必要とする場において、常に支え、守り、導き、援助し、指示してくださるからでございます。


 ○ Benediction

 いつもながら私は、ささやかなる勤めを可能ならしめる温かき愛を得て、宇宙の大霊に深い感謝の念を覚えつつ、この場を後に致します。この仕事を開始した当初、私どもは多難な条件のもとで何とか推進するために強烈なる祈念と真剣なる誓願をもって臨みました。今その努力が実りつつあることを私どもはこの上なくうれしく存じます。

 私たちすべての者に存在をお与えくださり、神性とその属性のすべてを宿らせ給いし神よ、どうかこののちも、私どものためにでなく真理のために、そしてその真理をぜひとも必要としている人々のために、より一層の成功を得させ給わんことを。

世界各地で行われておりますこの会と同じ交霊会において、そこがあなたの愛を知る機縁(よすが)となるべく、どうかあなたの霊の御力をこの幾層倍にも顕現なされたく、お祈り申しあげます。

あなたの子等が自分自身の中にあなたを見出し、それを生活の中にて発現せんとの決意に燃え、怖れも悲劇も争いもなく、あなたの豊かな恵みを享受できる世の中において、お互いがお互いのために努力し助け合い、平和と調和と一致協力のもとに生きつつ、あなたの御心を体現していくことになるよう、切にお祈り申し上げます。



     
  一章 シルバーバーチとは何者か

 「私は荒野に呼ばわる声です(※)。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは私のやっていることで判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するにあなた方人間世界における私の仕事が暗闇に迷える人々の心の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです」(※マタイ3・3。世に容れられない警世家、革命家などのこと───訳者)

 これはある日の交霊会でメンバーの一人がシルバーバーチの地上での身元について尋ねた時の答えである。シルバーバーチがインディアンではないこと、本来の高遠の世界と地上との間の橋わたしとして一人のインディアンの幽体を使用しているところの、高級霊団の最高指揮者であるということまでは、われわれにも知れている。が、これまで好奇心から幾度地上時代の実名を尋ねても、まだ一度も明かしてくれていない。

ラベルよりも仕事の成果の方を重んじるのである。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界の一役を担う者として、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。

私のことをいつもマウスピース(代弁者)としてお考えください。地上に根付こうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊の声を代弁しているに過ぎません。私の背後には遠々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意志の統一のもとに、一丸となって協調体制で臨んでおります。

私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとくに彼らも私を使用し、永い間埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘りおこされ無数の男女の生活の中で、本来の場を得つつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」

───でも私達にとって、あなたは単なる代弁者の声では無く実在の人物です。

 「私は別に私には個性がないと言っているわけではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

身分の高いも低いもありません。あるのはそれまでに各自が積み上げてきた霊的成就の差だけです。開発した霊的資質と能力を自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分より恵まれない人のために持てるものを提供する。かくして地上の最低界(※)から天界の最高界に至るまで連綿として強力な霊的影響力の輪がつながっているのです」

(※地獄のこと。地上の人間から見れば他界した者はすべて〝あの世〟の人間、つまり霊界の所属のように考えがちであるが、それは目に見えない存在となったからそう思えるまでのことで、霊的な程度の点ではその大半が地上圏に属しており、霊界側からみれば肉体のあるなしに関係なく〝地上の人間〟であることに変わりはない。

モーゼスの『霊訓』のイムペレーター霊は宇宙を大きく三層に分類し、最下層の煉獄の七つの界の最高界が地上で、次に試練の中間層がやはり七界つづき、その後に真の実在界が存在するという。その究極の到達点はいかなる霊にも知り得ないと述べている──訳者)


───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかし、その完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の交霊界で次のように述べている。

 「私はこれまであなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格を具えた存在であろうとそれはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、できうる限りの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。

 よろしいですか。私は確かに一方では永遠の真理を説き霊力の存在を明かさんとする教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友人でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

どうか、困ったことがあれば、どんなことでもよろしい、いつでもよろしい、この私をお呼びください。もし私にできることであればご援助しましょう。もし私に手出しできないことであれば、あなた方みずからが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の機会にこう語っている。

 「これまでの永い霊界での生活、向上・進化を目指して励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことはすべて、愛の心を持って快く皆さんにお教えしております。

そうすることを神がお許しになると信じるからです。ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方に対していかに情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するにあなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的といたしております。

 私たち霊団の者は功績も礼も感謝も一切求めません。お役に立ちさえすれば良いのです。争いに代わって平和を見ることが出来れば、涙にぬれた顔に代わって幸せな笑顔を見ることができれば、病と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体を見ることができれば、悲劇を無くすことができれば、意気消沈した魂に巣くう絶望感を拭い去ってあげることができれば、それだけで私たちは託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 顧わくは神の祝福のあらんことを。顧わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い、神の愛があなた方の心を満たし給い、その力を得て代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛をよく披瀝する。盛夏を迎え、これでしばし閉会となる最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

 「この会もこれよりしばらくお休みとなりますが、私たちは無言とはいえすぐ側で引き続きあなた方とともにあって、可能なかぎりインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして───ほんの束の間ですが───本当の我が家へ帰られます。その時あなた方は私たちとともに、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰でこうして数々の障壁をのり越えて語り合えるとはいえ、私たちはふだんは物質というベールによって隔てられておりますが、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお持ちする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思ってください。私たちはもっとも身近にして、もっとも親密な存在である、あなた方のために尽くすことによって、神に仕えんとする僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間のあいだ薄明かりの中でしゃべる声ではなく(交霊会では照明を弱くする───訳者)、いつもあなた方の身のまわりにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命に溢れた生きた存在とお考えください。

語る時はこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは間どろこしいかぎりですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼びください。私にできることであれば喜んで援助いたしましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもうよくご存知でしょう。

 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。

森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません。

大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうしたさまざまな形───語りかける声と声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」

 こう述べたあと最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて会を閉じた。

 「私はあなた方が愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。
 
また、あなた方に自分という存在についてもっと知っていただく───つまり(霊的に)いかに素晴らしくできあがっているかを知っていただくべく努力してまいりました。さらに私はあなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。

宗教的儀式のうわべの形式に捉われずに、その奥にある宗教の核心、即ち援助を必要とする人々のために手を差しのべるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方がまずみずから体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。

 私はかつて一度たりとも卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

私は常に人間の理性と知性に訴えるように心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査・探求にも耐えうるものであることを主張してまいりました。

そうした私に世界各地から寄せられる温かい愛念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身して下さるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるよう神に祈りたいと思います。

 間もなく私は会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたび皆さんとお会いできる時を大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでです。決して私という霊が去ってしまうわけではありません。

もしもあなた方の進む道を影が過(よぎ)るようなことがあれば、もしも何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、迷われるようなことがあれば、どうかそれらは実在ではなく影にすぎないことをご自分に言い聞かせることです。羽をつけて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください、あなた方お一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この物的宇宙を顕現せしめ、有機物・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力、恒星も惑星も、太陽も月も生み出した力、物質の世界に生命をもたらした力、人類の意識に霊の一部を宿らせた力、完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大漏らさず経綸しているところの巨大な力、その力はあなた方が見放さないかぎりあなた方を見放すことはありえません。

その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そして、いついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知ってください。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます───ごきげんよう」

Friday, October 9, 2026

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology

Edited by William Naylor
Psychic Prees Ltd.




十章 シルバーバーチの祈り
 
  〇人間の神性を讃える祈り

 「神よ、私たちはあなたの永遠の真理、あなたの無限の力、あなたの不変の摂理の生き証人でございます。あなたの聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。

 私どもは昇りゆく太陽の中に、沈みゆく太陽の中に、夜空のきらめく星の中に、大海の寄せては返す潮(うしお)の中に、そよ風とその風に揺れる松のそよぎに、やさしい虫の音に、澄み切った青空の中に、そのほか移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見出すことが出来ます。

 また、あなたは生きとし生けるもののすべてに宿る霊の中に見出すことができます。人間においてそれは意識を有する個的存在として顕現しております。あなたとともに宇宙の限りなき創造の大業に携わらしめるために人間をその高き段階へとお引上げくださったのでございます。

 あなたは人間にあなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。人間はその霊的資質を有するが故の当然の成り行きとして、物的生命を超えたより精妙なる力、すなわち霊力を知覚せしめるところの霊的能力を有しております。

 人生を営むことを可能ならしめているものは、その霊力にほかなりません。人間を全創造物から超脱せしめているものもその霊力にほかなりません。思考をめぐらし、判断を下し、反省し、決断し、美に感嘆し、美を賞美し、叡智を授かり、その真価を悟り、知識を獲得し、それを大切にする能力も、霊力あればこそでございます。

 より高き世界からのインスピレーションを感受せしめるのも霊力でございます。人生の重荷に耐えかねている者のもとへ赴くことができるのも霊力あればこそでございます。

霊の世界の存在を知覚し、その世界の居住者が人間をより広き奉仕的行為のために使用せんとしている事実を認識することが出来るのも、霊の力ゆえでございます。果てしなき宇宙の大機構の中に置かれた己れの位置を理解せしめるのも霊の力でございます。

私たちは人間にそうした本来の役割を成就せしめるものについての知識、死後に赴く世界にふさわしきものを身につけさせるものについての知識を広めんと希望している者でございます。

 そうなって初めて人間は、いま目を曇らせている暗闇をみずから払いのけることを得ることでございましょう。そうなって初めて叡智と真理と悟りと調和と平和の中に暮らせるようになることでございましょう。

そうなって初めて同胞があなたとの真の繋がりと生きる目的、そして人間が死と呼ぶ扉の向こうに待ち受けている、より大きな生命の世界の存在を理解する上で力となることができることでございましょう」


 〇相互扶助の尊さを讃える祈り 

 「神よ、私たちはあなたの真理、あなたの叡智、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広めるために、力の限りあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。

地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること───真の霊的自我を見出し、暗黒と冷酷と怒りと憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。

私たちは霊的実在についての単純素朴な真理───正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。

道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある───よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。

 私たちは悲しみにくれる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近づき、あなたがその人々を決してお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。

 私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔てなく行きわたっております。あなたの霊は人間界のすみずみまで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現われ、意識的存在の全てに顕現されていると認識するゆえにございます。

 その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いのために生きる意欲を誘い、あなたの子のすべてに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう」
 こう祈った後、最後にサークルのメンバーに向かってこう説いた。


 「私たちの訓えの根本は Service(後注)の一語に尽きます。地上の悪弊(ガン)の一つである利己主義に対して、私たちは永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。

 私たちの説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになっていただきたい。そうすることによって持てる者が持たざる者に幾らかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の中にいる者を啓発してあげることになるからです。

 地上世界は今、もっともっとService を必要としております。人間の一人ひとりが同じ全体の一部であり、人類のすべてに神の霊が流れている───その意味において万人が神のもとにおいて平等である───その本性に関するかぎり平等である、という認識を広める必要があります。

性格において、霊格において、進化において、そして悟りにおいて一歩先んじている者が、その持てるものを持たざる者に分け与えんと努力するところに偉大なる行為が生まれます。

 霊の世界の働きかけに応じて働く人々、持てる才能を霊団に委ねる人々は、自分を捨てることによっていつも自分が得をしていることに気づくはずです。何となれば、その行為そのものが一つの摂理に適っているからです。収賄行為ではありません。

ご利益目当ての行為でもありません。因果律の作用にほかなりません。すなわち、最も多く施す者が最も多く授かるということです」



 訳者注ーService の訳語について
 英語には、民族の文化的背景の違いから、ぴったりと当てはまる日本語が見当たらない単語が幾つかありますが、その最たるものがこの Serviceです。これをサービスというカタカナにすると〝おまけ〟の意味合いが出てくるので、あえて横文字のまま用いたのですが、

本来の意味は他人のために何かをしてあげることで、テニスの〝サーブする〟と言い方に単的にそれが表われております。すなわち相手に働きかけて何らかの相互関係を持つことです。そこに報酬のあるなしは関係ありません。つまり手数料を取っても Serviceです。

日本人がこれを〝ただで差し上げる〟という意味で使用したことから非常にややこしくなりました。というのは〝奉仕する〟と訳すと日本人は〝無料奉仕〟の観念を思い浮かべますが、本当は有料であってもService であり、同時に〝無料奉仕〟の意味でも Serviceを用いるのです。

 日本人はお金を取ると奉仕でなくなる、つまり功徳が消えるかのように考え、お金を取らなかったら大変な功徳積みをしたかのように思う傾向がありますが、その行為によって相手が何らかの益を得ればそれだけで立派な Serviceであり、功徳積みであり、シルバーバーチもその意味で用いております。金銭的感覚を超越しております。

お金をいただくことがいけないことであるかのように考えること自体がすでにお金に拘っていることを意味し、これは多分に中国から来た儒教思想の影響ではないかと考えております。

つまり幼児期から教え込まれた中国の倫理・道徳思想(四書五経)の文面にこだわって本来の意味を取り損ねているのだと思います。

 シルバーバーチはサークルのメンバーも招待客もみなキリスト教国の人間だからキリスト教を引き合いに出し、その教義の誤りを指摘して本来の宗教のあり方を説いているまでで、私は、日本人にとっては儒教思想が西洋人にとってのキリスト教と同じ悪影響を及ぼしている面が多分にあると観ております。いずれそれを神ながらの道との関連においてまとめてみたいと考えております。

 それはともかくとして、私はこれまで Service をその場に応じて幾通りにも訳し分けてきました。他人のために自分を役立てる、人のために尽くす、奉仕する、献身する、援助する、手を差しのべる等々で、文章の前後関係から判断してそう訳し分けたわけです。

英文でお読みになる方は常に前後関係、脈絡───英語でいう Context ───を見究めた上で意味を読み取ることが大切であることを老婆心ながら申し添えておきます。

これも三十年近く大学受験生を教えてきた教師としての習性が言わしめるのでしょうが、そのついでにもう一言付け加えさせていただけば、柔軟な脳細胞をしているはずの若い学生が文法や構文や語句に拘って本来の意味を取り損ね(それだけならまだしも)オバケのような日本語に訳してしかもそれを変だと思わないのは、

教説に拘ってその本来の意味を忘れていながら、形式だけで済ませてそれで良しとする思考パターンと同じで、その辺に私は学制改革だけでは済まされない、もっと奥の深い問題点を見る思いがしております。

 シルバーバーチが教説はどうでもよろしい、人のためになることをすれば、それで立派な宗教ですと言うのは、人生百般に通じる単純にして明快な訓えであると思っております。


    
 解説 霊的教訓と心霊現象 

 本書は Silver Birch Anthology (シルバーバーチ名言集──一九五五年初版──)の全訳である。全訳と言っても、編者のネーラー氏がそれまでの霊言の中から〝珠玉の訓え〟と言えるものを集めたもので、その三分の一以上に相当する部分が邦訳シリーズの前三巻に出ているので、当然それは削除せざるを得ず、その穴埋め(と言っては語弊があるが)のために前三巻の原書でカットしておいたもの、及びオースチン編 Teachings of Silver Birch から関連した部分を抜粋してある。

 このことに関しては本文の「まえがき」の末尾でも「訳者注」として述べておいた。原書を読まれる方が不審に思われるのではないかと思ったからであるが、ついでにもう一つ念のために付け加えさせていただけば、編者が霊言のオリジナル原稿(速記録とテープ)から収録するとき、編者自身の判断で部分的に削除したり段落を適当につけている(週刊の「サイキックニューズ」月刊の「ツーワールズ」に転載されているものと照合するとそれが判る)ので、私が訳す際にもところどころ私の判断によって段落を変えたり削除されているものを付け加えたりしている個所があることである。

 とにかく私は公表された限りのシルバーバーチの霊言を三十年間近く書物と雑誌とテープを通じて徹底的に親しみ、一九八一年には霊媒のバーバネルに直接面会してその肉声にも接して、それが私の脳裏に焼き付いている。

今も折をみてカセットテープを聞いてその感じを忘れないようにしながら訳している。大ゲサに、そして、いささか僭越の謗(そし)りを覚悟の上で言えば、翻訳に携わっている時の私はシルバーバーチに成り切っていると理解していただきたい。(なぜか正座して威儀を正さないと訳せない)

 さて、本文の中で〝巻末「解説」参照〟と記した部分が二個所ある。両者は表面的には関係ないようで実は重大な関連性があるので、ここで解説しておきたい。

 一つは四章の次の一文である。「私が残念に思うのは本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちがテーブルを上げてみせたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです」

  これはいわゆる物理的心霊現象のことで、事実シルバーバーチの交霊会でも物理霊媒を呼んで種々の心霊現象を行っていた。心霊治療も行っていた。その最高責任者、総監督の立場にあったのがシルバーバーチであるが、物理現象の演出に直接携わるのはそれを専門とする霊団であり、心霊治療にも治療霊団が組織されていた。

 太古より霊的啓示には物理現象と病気治療はつきもので、イエスも盛んに活用している。それを聖書では〝しるしと奇跡〟Signs and Wonders と表現しているが、実際は聖書に記されているよりはるかに多く起きていたはずである。

ところが霊界通信の真実性を確信し始めた人はとかく現象的なものを軽蔑し始める傾向があり、奇妙なことにキリスト教徒が最もその傾向が強いが、これは間違いであると同時に極めて危険なことでもある。

 確かに物理的現象に直接携わるのは低級霊であり、モーゼスの『霊訓』の中でイムペレーターが述べているところによれば、いわゆる地縛霊がようやく目を覚まして修養と償いのために高級霊の指揮下で働いていることが多いようである。

言うなれば、〝更生の場〟を与えられているわけである。こうした場合は監督に当たる霊、いわゆる支配霊が高級であるから危険性はまず無い。

 それよりも意外に陥りやすい危険は、むしろそういうものを軽蔑して自分自身の、あるいは自分が所属するサークルないし宗教団体の霊言や自動書記のみを絶対のものとし、その霊媒の口ないし手を通して得られたものは何も彼も真実のもの絶対のもの高級なものと決めてかかってしまうことである。

 そういう間違った考えが定着する原因はどこにあるかと言えば、心霊現象の基本、つまり精神的現象と物理的現象の原理(心霊学)についての認識が十分でないことにある。このことが同じく四章の一文の裏面の事情とつながってくる。 「私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません」

 これはキリスト教界がスピリチュアリズムのことをそう決めつけるので、それを念頭において述べているのであるが、キリスト教と切り離して考えても、心霊問題に関わる者が忘れてならない大切なことを暗々裏に述べている。つまり現実にそういう意図をもって画策している悪霊・邪霊の集団がうようよしているということである。

 先のイムペレーターもその点を再三にわたって指摘しているし、オーエンの『ベールの彼方の生活』の中でも、通信を横取りしようとしてスキを狙っている連中がいるので油断がならないと述べている。 

 そういう霊はうまく横取りした通信内容をさも自分のものであるかのように巧みに使用して、いかにも立派な高級霊であるかの如く振る舞い、そのうち通信の中にそれとなく偽りの事実を混入して問題を生じさせ、〝それみろ。霊界通信なんて全部ごまかしなんだ〟という風潮を立てさせ、そしてほくそ笑む。なぜそんなことをするかと言えば、高級神霊による計画推進を挫折させんとしているまでで、別に深い意図はない。

 では霊界通信の真偽をどうやって見分けるかということが問題となるが、シルバーバーチは常に批判的精神をもって理性的に判断するように───くだけた言い方をすれば、とことん疑ってかかれと説く。

確かにこうした活字になってしまえばそれしかないが、実際にその場に立ち会った時は、一種の直観力が何よりの武器となる。その雰囲気から読み取るのである。

 実は霊媒のバーバネル亡きあと、サイキックニューズ社はさっそく別の霊言霊媒を探し出して、その霊言を心霊誌に連載し始めた。私もそれを読んで、正直のところ最初はなかなかの内容だと思った。

そしてその後に発売されたカセットをすぐに取り寄せて、大きな期待をもって聞いたが、ものの一分も聞き続けることができなかった。

 直感的にこれはニセモノという気がしたのである。念のためにカセットを裏返して後半の部分を聞いていたが、やはり一分と聞く気になれなかった。それから一週間ほどしてもう一度気を取り直して三分間ほど聞いてみたが、やはりその雰囲気からは本物という判断はできなかった。

 果たせるかな、その後間もなくしてその霊媒のトリックが暴かれて、それきり連載も中止された。そして代わって連載されたのは又もやシルバーバーチであった。古い霊言集からの抜粋である。

 本物にはどうしようもない強みがある。英国新聞界の法王とまで呼ばれ、ヘソ曲がりの毒舌家として世界的に知られたハンネン・スワッハー(シルバーバーチの交霊会は当初はこの人の家で催され司会もこの人が勤めた)すら手も足も出なかったほどである。そのスワッハーがこう述べている。

 「が、いったん活字になってしまうとシルバーバーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがいかに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることを我々はひしひしと感じる。決して人を諌(いさ)めない。そして絶対に人の悪口を言わない」

 内容的にいいことを言っているというだけでは霊言としての真価は分からない。ということが以上のことから理解していただけると思う。問題は雰囲気であり風格である。私の翻訳もシルバーバーチという古代霊の風格を出すことに一番苦心している。

 原書を読まれる方もそれが読み取れるまで読み込んでいただきたい。文法や構文に振り回されていては本当の意味は読み取れない。これはシルバーバーチに限ったことではないが・・・。

 知識は力なりという。これから幽明交通がいっそう盛んになっていくにつれて次々と霊界通信なるものが輩出されることであろうが、その真偽性、純粋性、優秀性を適確に判断できるようになるには、スピリチュアリズムの全体像を理解すると同時に、その基本であるところの心霊学を勉強することが、直感的判断力を自然に養ってくれると信じる。

といって心霊学を好奇心からいじくり回していては何にもならない。こうした言わば落とし穴と誘惑に満ちた世界に踏み入って宝を探すための学問的基盤として、心霊現象の原理つまり霊界側がどういう形で物的世界に働きかけているのかを知ることが不可欠であることを指摘しておきたい。                              近藤 千雄

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology

Edited by William Naylor
Psychic Prees Ltd.




九章 宗教の本質と子供の宗教教育のあり方

 ある日の交霊会で〝宗教〟の定義を求められてシルバーバーチはこう述べた。

 「宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することです。本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません。人間の魂に内在する神性を地上生活において発揮させるものでなければなりません。

自分と神とのつながり、そして自分と同胞とのつながりを大きくするものでなければなりません。自分一人の世界に閉じ込もらずに広く同胞のために自分を役立てるように導くものでなければなりません。宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教です。

 そのほかのこととは何の関わりもありません。肉体が朽ちてしまえば、それまで永いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。

魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。

 地上にはこれまであまりに永いあいだ、あまりに多くの世俗的宗教が存在し、それぞれに異なった教えを説いております。しかしその宗教がもっとも大事にしてきたものは実質的には何の価値もありません。

過去において流血、虐待、手足の切断、火刑といった狂気の沙汰まで生んだ教義・信条への忠誠心は、人間の霊性を一インチたりとも増しておりません。逆に、いたずらに人類を分裂させ、障壁をこしらえ、国家間、果ては家族間にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。

分裂と不和を助長することばかりを行ってきました。神の子等を一つに結びつけることに失敗しております。私が宗教的建造物や俗にいう宗教に価値を認めない理由はそこにあります。主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは何を為すかです。


 続いて子供の宗教教育のあり方について聞かれて───

 「今日の子供は明日の大人であるという、ごく当たり前の考え方でその問題と取り組んでみましょう。当然それは学校教育を終えたあとの社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるべきものでなければなりません。

 意識ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが教育の根本義なのです。

それには何よりもまず宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。人間が有する偉大な可能性を教え、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発するよう指導してやらねばなりません。

 子供は感受性が強いものです。知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することが出来ません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま呑み込んでしまうのです。

 このように、子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることになります。教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ糸となりヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者はまず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。

子供の潜在意識に関わることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づけられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となるのです。

その意味で、筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明の将来に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。

 子供に種々さまざまな可能性が宿されていることを知らない人、霊的真理に通じていない人、子供が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人───こうした人に育てられた子供は健全な精神的発育を阻害されます。

 ここで子供の物的生活における必須の要素について語るのは私の領分ではありません。それについてはすでに十分な知識が普及しております。あらゆる分野の科学とあらゆる生命現象についての教育、地上なりの豊かな文学と芸術と教養の真価を味わえる精神を培う上で役に立つもの全てを教えてやるべきであることは明白です。

 そこで宗教の問題に絞って申せば、宗教とは個々の魂が人生のあらゆる闘いに堂々と対処し、そして克服していく上での指導原理である以上、教育上極めて重大な意義を有することは明らかです。

子供の一人ひとりが神の一部であり、本質的に霊的存在であるからには〝自由〟がもたらすところのあらゆる恵みを受けて生きるように意図されております。その魂を幼い時期に拘束し自由を奪うようなことをすれば、それは魂の基本的権利を無視することになります。奴隷状態に陥(おちい)らせることです。霊的奴隷としてしまうことです。

 〝自由〟こそが教育の核心です。私の考えでは、宗教についての正しい真理を教わった子供は自由闊達に成長します。

教育に携わる人が子供に自由を与えてやりたいという意図からでなく、古い神話や寓話への忠誠心を植えつけたいという願望から物ごとを教えていけば、それは子供の精神の泉を汚染することになります。

もしも知性があれば拒絶するはずの間違った教義を教え込むことは、宗教的観点からみても教育的観点からみても、その子にとって何の益にもなりません。

 それだけでは済みません。いつかきっと反撥を覚える時期がまいります。無抵抗の幼い時期に間違ったことを教え込んだ人たちみんなに背を向けるようになります。幼い魂は若木のように逞しく真っすぐに生長するように意図されております。それが間違った育て方をされるということは存在の根をいじくり回されることであり、生長が阻害されます。

 霊について、神とのつながりについて正しい真理を教えるのでなく、倒れかかった教会を建て直し、空席を満たそうとする魂胆から誤った教義を押し付けんとする者すべてに対して私は断固として異議を唱えます。

宗教についての真実を申せば、真理の全てを説いている宗教など有りえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条しか見ておりません。しかも悲しい哉、その一条の光すら永い年月のうちに歪められ、狂信者によって捏造されております。

 子供には宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、真面目で無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません」
                                            

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology

Edited by William Naylor
Psychic Prees Ltd.



八章  質問に答える


 再生の問題、動物実験の是非、犯罪、自殺等々についての質問がシルバーバーチのもとに数多く寄せられる。その中から幾つかを紹介しよう。
質問(一)─── 動物実験は正しいことでしょうか間違ったことでしょうか。
 これによって人類の益になるものが得られるのでしょうか。

「私はかねがね動物を使っての実験のすべてに反対しております。そこに何一つ正当化すべきものは見出せません。動物はあなた方人間が保護し世話すべきものとして地上に存在しているのです。

その成長と進化を促進する責任が、全面的とは言えませんが、人間に託されております。その無力な動物に苦痛を与えることは、動物が人間に示す情愛と献身と忠誠に対するあまりに酷い報復です。

 治癒力は自然界にさまざまな形で存在し、使用されるのを待っております。動物界の創造と進化をそんな形で邪魔しなくてもよいように、必要なものは創造主がちゃんと用意してくださっております。私たちの世界から援助するスピリットは苦痛を軽減したり不治と宣告された病すら治してしまう技術を身につけておりますが、決して生体実験は致しません。

 薬草を使うことがあります。霊波を使うことがあります。いずれも動物に対する残酷な行為は伴いません。宇宙には道義的な意図が行きわたっております。非道義的なものは摂理に反します」

質問(二)───スピリチュアリストの中にはスピリチュアリズムを占星術と同類とみている人がいます。そういう人たちは地上の出来ごとは星によって宿命づけられ操られていると考えています。

 「生命現象は一連のバイブレーション、放射性物質、放散物から成っており、したがって人間も自然界のあらゆる存在ないしは生命体によって影響されていることは確かです。そういったものが影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして、どうしようもない宿命的な力を持ってはおりません。

あなたの誕生日にある星が地平線上にあったからといって、その星によってあなたの生涯が運命づけられていると考えるのは間違いです。

すべての惑星、すべての自然、宇宙間のあらゆる存在、あらゆる生命体が何らかの影響を及ぼします。しかしあなたはあなたの魂の支配者です。あなたには自分で背負わねばならない責任があり、あなたの霊的進歩に応じて自分が運命を定めていくのです。

 占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、人体に影響を及ぼせば霊も影響を及ぼすことになります。しかし霊は絶対です。全てに優るものです。ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。

 私が言いたいのは、要するにあなた方は神の一部であること、そして神性を宿すがゆえに、創造力を宿すがゆえに、この宇宙を創造した力の一部であるがゆえに、あなた方はその身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことができるということです。

 分かりやすく言えば私も影響力の一つです。あなた方が付き合う人たちも何らかの影響を与えます。お読みになる本も影響力を持っております。しかしあくまで影響力にすぎません。それによってあなたが圧倒されることもないし、絶対的に支配されることもないでしょう」


質問(三)───再生は本当にあるのでしょうか。

 「再生は事実です。私はかつて地上へ再生したことのある霊に何人か会っております。 特殊な使命を託された人、預けた質を取り戻したい人がみずからの意志で行うものです。

 ただし再生するのは個的存在の別の側面です。同じ人格がそっくり再生するのではありません。ここに一個の意識的存在があって、そのごく小さな一部がちょうど氷山のように地上に顔を出します。それが誕生です。残りの大きい部分は顕現しておりません。

 次の誕生つまり再生の時にはその水面下の別の一部分が顔を出します。二つの部分に分かれても個的存在全体としては一つです。これが霊界において進化を重ねて行くと、その潜在している部分全体が顕現した状態となります」(表現する身体が精妙となっていき、それだけ神性が発揮しやすくなっていくー訳者)


質問(四)───私は最近、一方において若者による犯罪が激増し、他方においては体罰が禁じられていることについて大いに考えさせられております。暴力以外に青春のはけ口を知らず、けだもの同然となってしまっている若者をどう扱ったらよいのでしょうか。何かよい処罰の方法はないものでしょうか。(第二次大戦後のこと。本書は一九五五年の出版──訳者)

 「戦争が起きると気高い人間的精神(愛国心)が昂揚される半面、敵を殺そうとする、人類の最も残忍な性質が発揮されます。人間精神の極致ともいうべき英雄的行為を生むと同時に、むごたらしい野蛮性も生みます」


───両極端が発揮されるわけですね。

 「そういうことです。しかも、暴力の方は戦争の必然性として大いに奨励されることになります。では戦争が終われば暴力と残忍性がすぐに引っ込むかといえば、そう簡単にはまいりません。

すでに無数の人間が獣性をむき出しにした状態になっております。そうした事態にどう対処すべきかをお尋ねですが、それには二つの方法があります。

 いずれも地上で敬々しく読まれている本(新旧聖書)にはっきりと述べられているものです。古い方は〝目には目を、歯には歯を〟(出エジプト記)と説き、新しい方は〝己を愛するごとく隣人を愛せよ〟(マタイ)と説きます。どちらが良いかは分かり切ったことです。

 前者の方法を取れば解決は得られません。緩和剤、一時しのぎの荒治療にはなっても、罪悪ないし蛮行を根本から無くしたことにはなりません。

後者の方法を取り、そうした邪悪が精神と肉体と霊との不調和から生まれていることを認識し、それを矯正するための適切な手段を講ずれば、彼らもまともな市民となっていくでしょう。私はこの方法をお勧めします」


───それは解るのですが、問題はそうした暴徒にどう近づくか、つまり彼らの従順な側面をどう捉えるかです。

 「従順な側面をとらえるかどうかの問題ではありません。彼らの野獣性を鎮め、本来の姿である霊性を発揮させるような精神的治療を、さらに必要であれば霊的治療をいかに施すかの問題です。言ってみれば彼らは一種の病人であり、肉体と魂とが本来のつながりを失っているのです。

病気を治すにはいろんな方法がありますが、いちばん望ましい方法は身体と精神と霊の狂った関係に終止符を打ち、協調関係を取り戻させることです。すると自動的に健康状態になります。

それと同じで、秀れた心理学の専門家の協力、さらには心霊治療家の参加を得ることが出来れば、きっとうまく行くでしょう。しかし、残念ながら、地上はまだその段階まで来ておりません」


───(別のメンバーが)これは非常に考えさせられる問題です。そういう若者はしっかりと体罰を課せば一応おとなしくなると思うのですが・・・。

 「恐怖心を吹き込むばかりで、病弊の治療にはなりません」

───でも、おとなしくさせることは出来るでしょう。

 「できます。ですが、一個の人間としての問題の解決にはなりません。あなた方は極めて限られた視野で見ておられます。それはちょうど死刑にするのと同じです。

その人間をこの世から抹殺すれば問題は片づくじゃないかとおっしゃるようなものです。たしかに一面から見れば片づいたと言えるでしょう。しかし本人はちゃんと(死後の世界で)生き続けているのです」

(モーゼスの『霊訓』でイムペレーターが死刑にされた人間の霊や戦死者の霊の怨念と激情が地上の犯罪や暴力沙汰に拍車を掛けている事実を生々しく伝えているー訳者)

───一人の堕落者の更生の方が社会全体より大切なのでしょうか。

 「社会は個人が集まって出来あがっているのです。すべての者に注意を向けてやらねばなりません。私が指摘しているのはより良い方法です。つまり暴力に暴力を持って対処するのでなく、理解を持って臨み、凶暴性を鎮めて市民的意識を芽生えさせるということです」

───(さらに別のメンバーが)若者が暴徒と化してしまったことには我々にも責任があります。我々みんなの責任です。

 「私たちみんなに責任があります。なぜなら人類は一つであり、同胞へ及ぼす影響はこの私にも及びます。私たちが生活している宇宙は全生命があらゆる面において互いに依存し合っており、いかなる側面も他と隔絶することは出来ません」


───(最初の質問者)ムチを使うことは一時しのぎであり、単に恐怖心で持っておとなしくさせるに過ぎません。

 「現段階での地上人類はまだ社会悪に対する適切な矯正措置を生み出すところまで至っておりません。これは進化の問題です。かつては羊を一頭盗んだ者でも絞死刑にした時代がありました。死刑にしなかったら残りの羊はどうなるんだという理屈が大真面目でまかり通ったものです」


───未熟な社会では未熟な処罰が許されるのだと思います。

 「より良い方法に目覚めた人が一人でもいる限りは許されません。たとえば恐怖の監獄に放り込むのと、真面目な市民に更生させる目的をもった監獄の改善のために働かせるのと、どちらがより良いでしょうか。たった一人だけ更生に成功して九九人が失敗に終わったとしても、何の更生手段も講じないでいるよりはましです」

───死刑制度は正しいとお考えですか。

 「いえ、私は正しいと思いません。これは〝二つの悪のうちの酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることにしかなりません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を殺すのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」


───反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それはその人にとって気の毒なことだからでしょうか。

 「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調したいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。

なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に、別の世界へ突き落しただけです」


質問(五)───余暇の正しい使い方について教えてください。

 「余暇は精神と霊の開発・陶冶(とうや) に当てるべきです。これはぜひとも必要なことです。なぜかと言えば、身体に関係したことはすでに十分な時間が費やされているからです。

人間は誰しも健康を維持し増進するための食生活には大変な関心を示します。もっとも必ずしも健康の法則に適っておりませんが・・・・・・しかし、精神と霊も発育が必要であることをご存じの方はほとんどいません。

そういう人たちは霊的にみると一生を耳を塞ぎ口をつぐみ目を閉じたまま生きているようなものです。自分の奥に汲めども尽きぬ霊的な宝の泉があることを知りません。

精神と霊が満喫できるはずの美しさを垣間見たことすらありません。誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにおります。それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面の素晴らしさを知らしめます。

 となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。

その静寂の中で、周りに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することが出来ます。その宝は使われるのを待ち受けているのです」


質問(六)───直感について説明してください。

 「よろしい。ひとことで説明できます。〝霊の即発〟です。直感とは霊が自己を認識する手段です。ふだんの地上的推理の過程を飛躍します。考えに考えた末に到達するような結論でも、電光石火の速さで到達します。

同じ問題について多くの時間と思索ののちにやっと到達することを〝霊の即発〟によって一気に我がものとしてしまう、一種の 〝一体化〟の過程です」


質問(七)───有色人種と白人が結婚して子孫をこしらえることは好ましくないことでしょうか。

 「私も有色人種です。これ以上申し上げる必要があるでしょうか。地上では〝色素〟つまり肌の色で優劣が決まるかのように考えがちですが、これは断じて間違いです。優劣の差はどれだけ自分を役立てるかによって決まることです。ほかに基準はありません。

肌の色が白いから、黄色いから、赤いから、あるいは黒いからといって、霊的に上でもなければ下でもありません。肌の色は魂の程度を反映するものではありません。地上世界ではとかく永遠なるものを物的基準で判断しようとしがちですが、永遠不変の基準は一つしかありません。すなわち〝霊〟です。

 すべての民族、あらゆる肌色の人間が神の子であり、全体として完全な調和を構成するようになっております。大自然の見事なわざをご覧なさい。広大な花園で無数の色彩をした花が咲き乱れていても、そこには、ひとかけらの不調和も不自然さも見られません。すべての肌色の人間が融合し合った時、そこに完璧な人種が生まれます」


質問(八)───現段階の人間社会において、いわゆるハーフカースト(※)の子孫も社会に受け入れられるべきでしょうか。(※宗教または階級を異にする者同士の間の子孫、とくにヨーロッパのキリスト教徒とヒンズー教徒またはイスラム教徒との間の混血児のことー訳者)    

 「偏見を打ち崩し、誤った考えと闘わなければなりません。真理は、いかにその歩みはのろく苦痛を伴っても、真理であるがゆえに、必ず前進するものです。価値あるものほど手に入れるのに困難が伴うものです。成就は奮闘努力の末に得られるものです。

勇気を持って挑戦してそして征服した者こそ称賛に値します。恐怖心から尻込みし困難を避けようとする者に用はありません。人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚めるのです」

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology

Edited by William Naylor
Psychic Prees Ltd.





七章  霊媒を励ます

 シルバーバーチの交霊会にはよく霊媒や心霊治療家が招待される。そしてシルバーバーチがその一人ひとりに称賛と激励の言葉を述べる。その中には霊媒現象の裏面に関わることなどが窺われて、同じ仕事に携わる人はもとより、一般の読者にも興味のある話題が豊富である。本章では三人の霊媒と心霊治療家の場合を紹介する。

(本章では前巻の Wisdom of Silver Birchでカットしておいたものを紹介する―訳者)



リリアン・ベイリー女史 Lilian Bailey

シルバーバーチ「あなたは人類の救済のために背後からあなたを使用している素晴らしい霊団が存在している事実を喜ぶべきです。あなたのお蔭でどれほどのことが成し遂げられているか、あなたご自身は(入神しているので)ご存知でありません。

意識が消えて、やがて意識が戻る───あなたにはただそれだけのことのように思えるでしょうけど、実際はその間に誰かの魂が目を覚まし、誰かの心の荷が軽減され、悲しみに暮れる人が慰めを受け、挫折した心が癒され、混乱した精神が安らぎを見出しております。 あなたに感謝の気持ちを抱いている人が長い列をなすほどいらっしゃいます。

私たち霊団としても、神から授かった才能を自分のことを忘れてひたすら人類のために捧げんとする霊媒の存在をどれほど誇りに思っているかを、何とかして言い表わしたいとじれったく思っているところです。 あなたは神の豊かな恩寵を受けられた方です。本当に豊かな恵みを受けておられます。

地上で大物とか大家と言いはやされている人たちより、あなたの方がはるかに立派な仕事をしておられます。残念ながら今のところ一握りの人によってしか活用されていない霊力をあなたは存分に活用しておられます。

それはどしどし活用されるべきものです。 迷信という名の闇を地上から一掃するために、その霊力をできるだけ多くの人間の魂の中で胎動させなければなりません。

それが私たち───あなたと私、そして他のすべての神の道具───が偏見と無知という名の霧とモヤを一掃し、真理という名の光が世界中に射し込むようにするために全身全霊を打ち込んでいる大事な仕事なのです。偉大な仕事です。あなたもその光栄ある仕事の一翼を担っておられるのです。

 私たち神の道具はひたすら前進あるのみです。その道程においてはしばしば落胆させられます。些細ないざこざにうんざりさせられることもしばしばです。歓迎されてよいはずの場でしばしば反撃に会います。

そこで、あなたより少しばかり先の見透しの利く私から申し上げましょう。どうか、そうした邪魔は相手になさらず、かつてあなたに閃いたビジョン(先見の明・理想像・悟り)にすがっていただきたい。そして、あなたの霊的能力を最善に、純粋に、そして最高に活用することのみに専念していただきたい。

それ以外のことは構わないことです。そうしておればきっと愛の恵みが届けられ、ご自分が使用されている能力は神がその発現の通路を求めて間断なく行使しておられる霊力に他ならないことを認識されることでしょう」

 ここでベイリー女史が感謝の言葉を述べかけると、シルバーバーチはそれを制して───

 「私は暗闇に呼ばわる声の一つにすぎません。私を地上へ派遣した高き神霊の仕事を推進せんとしているだけです。私もこれまでに易しい真理を少しばかり学んできて、それを形を変え、言いまわしを変えながら説いておりますが、同じ単純・素朴な真理であることに変わりはありません。 それを地上の方々が受け入れてくだされば、すべての難問が解決されるのですが・・・・・・」と述べてから「このサークルに参加されてどんな感想をお持ちですか」と尋ねた。



ベイリー女史 「素晴らしいと思います。全体にみなぎる力がとても感じが良いです。もっとも、私には少し強すぎるようです。私の意識から離れて作用しているみたいです。この意味お分かりいただければ有難いですが・・・」

 このサークルでも直接談話をはじめ数々の現象が行われており、それぞれに霊媒が揃っている。ベイリー女史は霊視力もあり霊感も鋭いので、その〝舞台裏〟が見えたのである。女史は続けて「このボリューウムあふれるエネルギー、迫りくるパワーは物質化現象に使われるものですね?」と述べた。

シルバーバーチ 「そうです。このサークルにいつも潜在しているものです。今日はそれがあなたの存在によって刺激されております」


ベイリー女史 「何人かのスピリットがそのエネルギーを部屋の中央へ運んで一つの固まりをこしらえているようです。珍しい光景ですね。次の機会にはもっとしっかりと確かめたいものです。どうやら声が出されるみたいです」

シルバーバーチ 「声の準備ですよ。いつも行われているものです。以前はそれを使って発声器官をこしらえていたのですが、戦争の影響で大気が混乱しているためにそれができなくなり、今のところ私の入神談話だけで間に合わせているのです」

ベイリー女史 「私が見たところでは大きな柱のようですね。白い柱です。コチコチに固いものではありません。そこから何本かの紐状のものが伸びてメンバーの一人ひとりとつながろうとしています。各メンバーから何かを摂取しようとしてるみたいです」

 そう述べてからその〝触手〟 を霊界の技師たちが操っている様子を細かく説明した。


シルバーバーチ 「地上の方々はこうした霊界の働きの現実を理解してくださらないのです。いつでも使用できる態勢になってるのです。あなたはその眼でご覧になったのですから、ぜひその事実を伝えて下さらないといけません」


ベイリー女史 「ときどき人間の探求は表面的すぎるという印象を抱くことがあります。ですからその背後に働く単純な現実を理解させるのが難しいのです」

シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。しかし私たちの世界には、かつて地上で一見とても勝算はないと思えた逆境の中で、長いこと忠誠心に燃えて戦った古強者が沢山おります。彼らはその仕事が引き継がれ少しずつ成果が実っていくのを見守っております。

 私があなた方にひたすら前進なさいと申し上げるのはそのためです。あなた方はそれだけで(他のことは何も心配しないで)よろしい。霊的知識だけを広めることだけを考えておればよろしい。

理解力を広めるのです。思いやりの心を広めるのです。無知をなくすのです。光明へ向けて進むべき者を引き止めんとする勢力を打ち砕くのです。私たちが掲げる光明は決してささやかなものではありません。

なぜなら、いったん霊の力がいかに働きかけているかを知ったら、いったん死の扉を開くカギを手にしたら、いったん死の向こうに広がる生命躍如たる世界をご覧になったら、その時こそその人は霊的実在を理解し、神の永遠の計画の中における自分の位置を悟ることになるからです。

あなたはひたすらご自分の信じる道を突き進まれることです。後は私が力の限り鼓舞し援助します」


 W・H・リリー氏  W.H. Lilley
 A・リチャーズ氏  Arthur Richards

心霊治療家のリリー氏が同僚のリチャーズ氏を伴って出席したことがある。まずリリー氏が、二人でロンドンに心霊クリニックを設立しようとしているが偏見と無理解から来るさまざまな難問に遭遇している事情を説明してから、面接に出た役人が 〝この連中は一体何者なのか〟といった目つきで二人をじろじろ見つめ回した話をした。

 すると シルバーバーチが───
 
 「この連中はいったい何者か───このセリフは遠い昔にも言われたものです。霊力が一握りの男たちを鼓舞し真理普及のために自分を捨てて邁進させたのは二千年足らず前のことでした。

不変の摂理を啓示し、地上のいかなる力よりも偉大な力───人を導き霊感を注ぐことの出来る力、訓え諭すことの出来る力、病を癒し、傷つき衰弱した身体を回復させる力が存在することを身を持って証明しました。

すると人々は言いました───いったいこの者たちは何者かと。別に耳新しいセリフではありません。これから何度も何度も聞かされることでしょう。

 あなたがこうした光栄ある仕事に携われることになったのは神から才能を授かっておられるからこそです。使用するために授かったのです。私どもの世界から援助せんとする者と全面的に協調する姿勢を持ち続けるかぎり、その才能を行使することを妨げる力は地上にはありません。

問題や障害が立ちはだかっているとおっしゃいましたが、それは克服すべきものとして与えられているのです。ただし、その中にはあなたご自身が自ら招かれた問題もあることを忘れてはなりません。あなた自身が蒔いたタネもあるということです。

と申しますのは、あなたは(操り人形のように)ただ黙って言うなりになる道具ではないからです。(自由意志が尊重されているから過ちも犯しているということー訳者)ですが、背後にはいかなる困難の中をも導きとおす力を具えた霊団、永年の霊界での研鑽によってその能力を立証している霊団が控えております。

これまでも数多くの困難を克服し、数多くの悩みごとを解消してきております。いつか、これまでのあなたの辿って来られた人生を振り返りじっくりと見つめられれば、そこに霊による導きがあったことを明確にお認めになるはずです。

 あなたは心霊治療家です。病を癒す仕事です。それを阻止する力は誰にもありません───あなたご自身が拒否なされば別ですが。ぜひとも使用しなければならない力を授かっておられます。地上の力ではありません。はるか高級界から送られてくる力です。

 それは病に苦しむ数知れぬ人々に恩恵をもたらし祝福を与えることになりましょう。あなたに決意さえあれば、地上にはそれを阻止できる権力はありません。

問題はあなたの心のどこにも心配の念を宿らせないことです。これまで導いてくれた霊団が自分を見放すはずはないという断固たる信念を持たねばなりません。まだまだ越えねばならない険しい道があるからです。

まだまだ献身を必要とする仕事の場がたくさんあるからです。怖じ気づいてはなりません。かつてあなたがもう絶対にダメだと思ったことが霊の力によって克服されてきたように、これから先もきっとその力は凱旋を続け、あとで振り返った時、今のあなたには難問に思えることが他愛ない杞憂にすぎなかったことを知って、にっこりなさることでしょう。

 為さねばならない仕事があるのです。治療の手を必要とする人が大勢いるのです。悩める魂が大勢いるのです。怖(こわ)ごわ生きている人が大勢いるのです。

身体の異状と病に苦しんでいる人が大勢いるのです。あなたはそうした人々を救うことの出来る霊力を授かっている数少ない人間の一人です。いかに祝福された方であり、いかに素晴らしい能力を授かっている方であるか、あなたご自身の想像も及ばないほどです」


 続いてリチャーズ氏が、この交霊会に出席できたことを光栄に思うという挨拶をしたあと次のように述べた。

リチャーズ氏 「私はこれまで、あなたが毎週毎週お説きになっている訓えを忠実に信じておられる患者さんを大ぜい治療しております。そして私自身もあなたのお説きになる思想を細かく読み、それを道しるべとしてまいりました。

私の理解したところを言わせていただけば、あなたは神についての誤った観念を打ち砕き、それに代わって理知的な概念を説き、それを〝無色の大霊〟the Great White Spirit と呼ばれたり〝法則〟と呼ばれたりしております。

私にとって、あなたを始めとする霊団の方々は人間より高等な知的存在であり、したがって個的人格を具えた存在ですが 〝大霊〟 は非人格的存在であるように思えます。この私の理解の仕方はさらに深い理解への中途の段階にすぎないのでしょうか」

シルバーバーチ 「永い間地上を毒し続けてきた無知が私の力によって幾らかでも取り除かれたことを嬉しく思います。しかし、無知を無くしていく仕事はゆっくりとした、時間の要る仕事であることを忘れてはなりません。眼の見えなかった人に視力が戻る時はゆっくりと光に慣れさせていかねばなりません。

真っ暗闇からいきなり真昼の太陽の中に出せば逆に眼をひどく痛めてしまいます。そこで、ある意味で、〝教える〟立場にあるこの私は、教える相手の意識の程度に合わせて、叡智を噛みくだいてあげなければなりません。それは段階を経ながら徐々に行うしかありません。

地上にはこれまで余りにも誤りが多すぎました。間違った神々を信じてきました。あまりに永いあいだ叡智を拒絶してきたために、そのすべての誤りを正すには弛まぬ忍耐を持って臨むしかないのです。

 人格を具えた神の概念は、いつの時代にも個人はもとより民族・人種・国家にもそれを導く霊がいるという信仰にさかのぼります。つまり知識というものが今日ほど広がることのなかった時代にあっては、霊界から時おり姿を見せる指導者を畏怖の心を持って崇めたものです。そしてそれがいつの間にか神の座に祭り上げられていったのです。それだけのことなのです。

地球の歴史において、人類の痕跡のあるところには必ずそうした信仰があるといってよろしい。そして遠くさかのぼればさかのぼるほど、その信仰には神話と寓話がごたまぜになっております。

 さて、神とは法則です。私が思想や観念を述べるにはどうしても地上の言語を使用せざるを得ませんが、実はその言語そのものが障害となり、制約となり、限界となっているのです。

と申しますのは、観念を言語に移しかえる時、言いかえれば大なるものを小なるものに合わせようとする時、必然的に脱落する要素が沢山あるのです。ですから、私が述べたいと思っている思想や考えの符号またはシンボルとして言葉を使用しなければならない───それも往々にしてきわめてぎこちないものです───という事実そのものが、それを聞かれてあなた方が脳裏に画かれるものが必ずしも私が本当に述べたいと思っていることと同じではないことを意味します。お判りでしょうか」

 すると司会者のハンネン・スワッハーが意見を述べた。

スワッハー 「こう解釈してよろしいでしょうか。あなたはアメリカ・イディアンを霊界の霊媒として使用しておられるので、たとえば神のことをインディアンの古い用語である Great White spirit を使用することになる───このほうが国教会で使用されている God よりも自然の摂理の表現として確かに適切です」

シルバーバーチ「それがまさしく私の言わんとしていたことです。どうやらここで詳しく解説しておく必要がありそうですね。このインディアンは私の道具です。ですが、道具とはいえ(さきほど述べたとおり)これを使用している間はその個性によって条件づけられ、したがって私は私の言いたいことを表現する上で役に立つ要素を精一杯活用することになります。

たとえば大自然を支配する法則を私はアメリカ・インディアンの用語である〝大霊〟を使用しますが、それは一つには今なお残っている〝神は人間である───えらく威張った人間である〟とする観念、しかもむろん女性ではなく、自分の言うことを聞く者だけを可愛がりそして特権を与え、気に入らぬ者には腹を立て憎むことすらする男性であるとする、いわゆる神人同形同性説との相違をはっきりさせるためです。

 が、もう一つの理由として、それをどう表現しようと、その用語を超えた観念として私が何とかして明らかにしたい完璧な摂理の働き───あなた方や私の願望にはおかまいなしに働く法則、全宇宙を支配する法則、四季のめぐり潮の満ち引きを調節する法則、地上の生命の生長と活動と運動とリズムを管理している法則の観念があるのです。

その法則は全存在の行為の一つたりとも、言葉の一つたりとも、思念の一つたりとも、観念の一つたりとも見逃すことはありません。表に出る出ないに関わりなく、生活現象の全てを管理しています。その法則こそ私が最高の崇敬を捧げているものです。

それを大霊と呼ぼうと神と呼ぼうと、その他いかなる名称で呼ぼうと、その背後にある意味を理解してくだされば、それはどうでもよいことです。それが全存在をあらしめている力です。

その力なくしては生命は存在しえないのです。いかなる形態を取ろうと、その力なしには存在しえないのです。生命に存在を与えている根源的エネルギーなのです。それを神と呼ぶのも結構でしょう。大霊と呼ぶのも結構でしょう。全知全能の知的存在と呼ぶのも結構でしょう。しかし、いずれも、所詮は言葉にすぎません。

 私がそれを法則として説くのは、人間の意志ではどうしようもない絶対的な理法というものがあることを指摘したいからです。それを正しく認識すれば、そのワク内でお互いが協調的に生きることができ、それに背いて不和と仲違いと利己主義と貪欲と腐敗と戦争を生むことにならなくて済むはずです。

その摂理を理解しさえすれば、人生の図式が分かるようになり、進むべき方向と道しるべと目的が見えるようになります。そして同時にそれに自分を合わせていく方法も分かるようになります。なぜなら、自分も一個の霊、全生命の親である神の一部として、永遠の営みに参加できることを悟るようになるからです」


リリー氏 「病気はすべて治せるのでしょうか」

シルバーバーチ 「病気はすべて治せます。さらに言えば、正しい生き方をしておれば病気にはなりません。病気とは根源からいえば不調和、不協和音、つまり神の摂理に適った生活をしていないことから生じています。が、人類にはさまざまなタイプがあることを考えれば、病気にもさまざまなタイプがあるわけであり、それがさらに細かく変化していきつつあります。

したがって治療に使う霊力もそれぞれのタイプに合わせていく必要があります。あらゆるタイプの病気に効くたった一つのバイブレーションというものはありません。治療が成功するか否かは、それぞれの病気に合ったバイブレーションの霊力を見出せるか否かに掛かっております。

 しかし治療の不成功を単純に霊界側の責任、担当した専門の霊の責任、あるいは治療家の責任と決めつけることは出来ません。数え切れないほどの要素が絡んでいるからです。(訳者注ー別のところで百人の霊視家が見てもすべての要素を見究めることはできないと述べている)。

そこで治療家であるあなたにとって一ばん大切なことはこう考えることです───自分を使用する霊力と完全にそして完璧に一体となるためにはいかなる生き方をすべきか、ということです。言うまでもなくあなたと背後霊団との間にはさまざまな相違点があります。

それを一つでも少なくすることが、治療霊団にとって、一人ひとりの患者に適切なバイブレーションをあなたを通して注ぐことを容易にすることになります。

こちらの世界には莫大な種類の治療エネルギーがあり、かつて地上で病気治療に当たった者や科学者たちが弛まぬ研究を重ねております。しかし無数の治療エネルギーのうちのどれをどれだけ活用できるかは、ひとえに治療家に掛かっているのです。そこにあなたの役割があります。すなわち魂の成長と精神の啓発と身体の管理です」

リチャーズ氏 「心霊治療についての偏見を無くす必要もあると思います」
  
シルバーバーチ 「おっしゃる通りです。だからこそ私たちが援護射撃をしているのではありませんか。数年前でしたらあなた自身も私の言うことなどには耳を貸さなかったでしょう。

それが今はこうして熱心にお聞きになるということは、私たちの働きよって偏見を一つ減らすことができたということです。強烈な体験によって魂が目を覚まし、奉仕的精神を鼓舞された人を一人ずつ私たちの霊力の活動範囲の中に導いていくのです。

あなた方はお一人お一人が私たちの働きかけによる成果の生き証人なのです。そのつど一つの偏見が取り除かれたということです。それだけ私たちの仕事がラクになったということです。

まだまだ取り除くべき偏見が山のように立ちはだかっているという事実に、私どもは別に途方に暮れることはありません。それが私たちの仕事なのです。すなわち神の子がその魂の奥に秘めた霊性を発揮することによって生命の喜びを味わい、当然受けるべき神の遺産を存分に我がものとするように導いてあげることです。

 お二人もその役割を担っておられるのです。ひたすらお仕事に邁進なさることです。数々の困難に遭遇することでしょう。しかし背後に控える霊団がいかなる試練にも荒波にも支えになってくれます。首をうなだれてはなりません。

堂々と背筋を伸ばし、決して自分を見棄てるようなことをしない援助の手によって支えられていること、そして心の奥に芽生えた信念への忠誠心を失わず真摯な気持ちで奉仕し、神に召された今の仕事に良心的に仕えておれば、決して挫折することはないことを確信してください。

あなた方が一心に努力しておれば強力なる霊団が参加し、援助し、偉大な勝利へと導いてくれます。これから為し遂げていく仕事を大いなる期待を持って楽しみにするくらいの気構えが必要です。そしてそのお陰で数知れぬ人々が喜んでくれることを知ってください。

 人のために自分を役立てるということは大いなる特権です。その機会を与えられたことをお二人は誇りに思うべきです。それと同時に、私たちの世界から協力する者にも使命が託されていること、重大な使命、神からの使命が託されていること、そしてあなた方の方から見放さないかぎり決してあなた方を見放すことはないことを信じることです。

これまでも大いなる成果が上がっております。これからもさらに多くの仕事が成就されていくことでしょう」



 パリッシュ夫妻  Mr. and Mrs. Parish

イーストシーン治療所を滅多に離れることのない心霊治療家のパリッシュ氏が夫人を伴って出席した。この交霊会の長老格である。早朝から一六時間もぶっ通しで治療した後なのに、出席者の中でも一番元気そうに見える。シルバーバーチがこう語りかけた。

 「私はあなたとお話できる時はいつも楽しくてなりません。光栄にも私は現在の治療所で微力ながら毎日のように背後よりお手伝いさせていただいておりますが、こうして二人で人間らしく語り合えば、ほかの方々はまた別の意味でよろこばれます。

お二人の献身的なお仕事によって霊の力が着々と広がり、多くの魂が感動して目を覚まし、暗黒の中にいる人々が光を見出していることを私たち霊界の者がどれほどうれしく思い、世界中の人々が(遠隔治療を)どれほど有難く思っているかを知っていただきたいと思います。

 今ではあなた方を通して真理と悟りの光を見出した人が世界のほとんどの国におられます。あなたのこれまでの人生、そして今なお続けておられる毎日の献身的活躍によって巨大な奉仕の金字塔が築かれております。

憶えておいででしょうが、何年か前に初めてお会いした時、私はあなたにこれから後のお仕事の発展ぶり、どういう具合に世界の隅々まで広がり、いかに多くの人々が祝福を受けに来ることになるかを申し上げました。

すべての人が治るとは限りません。それぞれに地上との縁の切れ時(寿命)というものがあります。が、たとえすべての人の病気を治してあげられなくても、わずかな光明、暗闇の中に一条の光を見出させてあげていることを知ってください。

前にも一度申し上げたことがありますが、病気を治してあげることは確かに大切ですが、もっと大切なことは魂を目覚めさせること───真の自分を見出し、自分を見出すことによって生命の大霊であるところの神とのつながりをより緊密にしてあげることです。

 私たち霊界側でも絶え間なく活躍しております。あなた方に協力している高級霊団、あなた方を地上への働きかけの道具としている霊団では常に新しい霊波の研究をしており、また、あなた方が徐々に体験しておられる精神統一における意識の深まりが、治療エネルギーをより多く地上へ注ぎ込む可能性を大きくしてくれております。

治療に入る前にあなた方が背後霊団との完全な連繋態勢と調和を得るために行っておられる心掛けと工夫もその一環となっております。

どういうことかと言えば、精神統一が深まりあなたという個的存在が消滅する直前においての治癒エネルギーとの融合が完全に近づけば近づくほど、そのエネルギーの威力がより多くあなたの身体を通して流れるからです。それは治療所における直接治療の場合でも、世界各地への遠隔治療の場合でも同じです。

(訳者注ー私の師である間部詮敦氏が予言について語ったところによると、精神統一を深めていくと次から次へといろんな情報が飛び込んでくる。が、それにすぐに飛びついてはいけない。どんどん統一が深まっていき、もうすこしで意識が消えるというギリギリのところまで行った時に閃いたものが一番信頼できるということだった。

ある時は地震を何時何分何秒まで正確に当てたことがある。シルバーバーチが別のところで、霊媒の霊格が向上するほど程度の高い叡智を授かるようになると述べているが、これは言いかえれば精神統一の深さの程度のことであり、波長が高くなるということであろう)

 そうは言うものの、時にはうんざりなさることもありましょう。無意味に思えることもあることでしょう。しかしそれも詮ずるところ厳然たる計画と目的を持った仕事の一環です。あなたはそのための道具です。ただ一人で悟りへ向けて、孤独な道、犠牲の道を徐々に手引きされております。

かつても申し上げたことをあるのを覚えておいででしょうが、その道は行くほどに見慣れた景色を一つひとつ後にしていかねばならない寂しい道です。しかしそれしか道がないのです。みずから魂を高揚しなければなりません。高き憧憬を抱き続けねばなりません。

魂の受容性を高めねばなりません。内的意識を拡大していかねばなりません。しかし、それが順調にいくだけ、それだけ多く霊界からの生命力が流れ込むことになるのです。

 あなたとともに大ぜいのスピリットが働いております。地上で医者だった者、病気治療の専門家だった者はもとよりのこと、こちらで永い永い年月にわたって研究を重ね、各種の治癒エネルギーを扱って人間の霊的身体への影響を調べているスピリットもいます。

 ご承知のとおり私たちの世界は決して終局の世界ではありません。すべてのことが分かる世界ではありません。すべてが成就されてしまって、もう何もすることがないという世界ではありません。

私達も実験・研究が必要なのです。が、治療家としてふさわしい身体を持ち、人のためにという願望一つに燃え、大方の人間が追い求めるチャチな物的ぜいたくには目をくれず、ただひたすら魂と精神と身体を完全にマスターするための修行の道に勤む人間がいないことには、私たちとの協力関係も完璧は期しがたいのです。

その修養は一種の霊的浄化の過程です。純金が姿を現わすためには不純物を取り除かねばなりません。あなたも人間である以上、多少の不純物はかならずあります。しかし、あなた方はいま正道を歩んでおられます。そして、それは偉大なことと言うべきです」

 パリッシュ夫人も治療能力を持っておられ、シルバーバーチがその養成についての助言を与えた。夫人も霊の道具として活躍できることのよろこびを語った。

夫妻は霊媒として大望を抱く者にとって一つの模範である。といって、二人の治療がすべて奇跡的な効果を上げているわけではない。シルバーバーチも言っているように〝困難があり、失敗があり、そして心を大いに痛めることもある〟が、それでもお二人は尚も前向きの姿勢を失わない。

 二時間に及んだその日の交霊会の最後に、シルバーバーチはサークル全員にこう励ました。

 「決して弱気になってはいけません。堂々と胸を張り、宇宙の全生命を創造した力、夜空にきらめく星空を支えている力、花に香を添え、太陽を昇らせそして沈ませる力、虹にあの美しい色彩を施し小鳥にあの可憐なさえずりを与えた力、全生命に存在価値を与え、人間に神性を賦与した力、その力がいつもあなた方を支え、守り、そして導いていることを忘れてはなりません」

 

Thursday, October 8, 2026

霊訓〈完訳・上〉

The Spirit Teachings

ステイントン・モーゼス(著)
近藤千雄(訳)


霊界側と、霊媒の牧師モーゼスとの激しい論争の中から、教訓的な内容を選びまとめたもの。スピリチュアリズム史上、第一級の霊界通信で“霊訓(霊の教え)中の霊訓”――“スピリチュアリズムのバイブル”と言われています。



17節

本節の内容
*著者の不満と要望
*拒絶とその理由
*これまでの霊訓の復習
*著者に反省を求めるために霊団の一時総引き上げを示唆
*数学的正確さをもつ証拠は提供不可能
*キリストの“私と父は一つである”の真意
*著者の旅行先での霊信
*性急な要求は事を損ねる
*猜疑心の及ぼす影響
*著者の忍耐と理性的判断を重ねて要請


〔思うに、私がこうして執拗に霊信に反発しているのを知友たちはさぞかし満足に思っていたことであろう。しかし私としては、激しく私の魂を揺さぶるこの不思議な通信を徹底的に究明すること以外に、それに忠実な道が見出せなかったというに過ぎない。私はどうしても得心がいかないし、得心できぬままでいることも出来なかった。そこで再び論争を挑んだ。インペレーターの通信が終わると私はそれを細かく読み、二日後(一八七三年七月十四日)にその中でどうしても受け入れかねる点について反論した。それは次の三点であった。(一)インペレーターの地上時代の身元、(二)イエス・キリストの本質と使命、(三)通信の内容の真実性を示す証拠。私はこの三点について私以外の霊媒を通じて通信するよう要求し、その霊媒を指定しようと思うがどうかと述べた。同時にこれまでの通信の内容について、いろいろと反論したが、それは今ここで取り挙げるほどのものではない。とにかく、私はその時点での私の確信を正直に表明したが、今にして思えば私の反論は不十分な知識の上で為されていたことが判る。それはその後順次解決されていき、解決されていないものもやがて解決されるであろうとの確信が持てるまでになった。そうは言っても当時の私の心境はおよそ満足と言えるものからは程遠く、私は忌憚なくその不満を打ち明けた。以下がそれに対する回答である――〕


友よ。そなたの述べることには率直さと明快さが窺えて喜ばしく思う。もっとも、そなたはわれらの述べることにそれが欠けていると非難するが……。そなたの(われらの身元についての)要求については、そなたがそう要求する心境は判らぬでもないが、それに応ずるわけには参らぬし、たとえ応じても何の益にもならぬ。申し添えるが、そなたの要求の全てにわれらがすぐに応じぬからとて、われらの側にそなたに満足を与える意志がないわけでは決してない。われらとてそなたの心に確信を植えつけんと切に願っている。が、そうするためにはわれらの側にもその手段と時期に条件がある。計画の一部たりとも阻害され、あるいは遅延のやむなきに至ることは、われらにとりてこの上なく残念なことであり遺憾に思う。そなたにとりてもわれらにとりても残念なことである。が、結果としてこうなった以上は致し方あるまい。われらとて全能ではない。これまで通りの論議と証言の過程による以外に対処する手段はないのである。その論議も証言も今のところそなたの心に得心がいかぬとみえる。ということは、そなたにそれを受け入れる備えが出来ておらぬということと観て、われらはそれが素直にそなたの心に安住の地を見出す日を忍耐強く待つとしよう。

そなたの提出する疑問についてはその殆どに答える必要を認めぬ。現時点にて必要と見たものについてはすでに回答を与えてあるからである。すでに回答を与えたものについて改めて述べても意味があるとは思えぬ。単なる見解の相違の問題につきて深入りするのは無意味であろう。われらの述べたるところがこれまでのわれらの言動に照らしてみて、果たして一致するか否かといったことは些細な問題である。そなたの今の心境はそうした問題について冷静なる判断を下せる状態ではない。また、いわゆるスピリチュアリズムなる思想が究極においてわれらの言う通りのものとなるか、それともそなたが主張する如きものとなるかは、これまたどうでもよい問題である。われらはその問題については一段と高き視野に立って考察しており、それは今のそなたには理解の及ばぬところである。そなたの視野は限られており、それに比してわれらは遥かに広き視野のもとに眺めている。またそなたがわれらの訓えをキリスト教の論理的展開の一つと見るか否かも取るに足らぬ問題である。その道徳的崇高性はそなたも認めている。その論理的根拠についてはここで論ずる必要を認めぬ。そなたが信じようが信じまいが、地上人類が絶対必要としているものであり、そなたが受け入れるか否かに関わりなく、遅かれ早かれ感謝の念をもって人類に受け入れられていく訓えである。そなたがわれらの存在を認め、その布教に手を貸す貸さぬにお構いなく、きっと普及していく訓えである。

われらとしては、そなたのことを良き霊媒を得たと喜んでいた。そして今もそう思っている。何となれば、今のそなたの混乱する心境は一時的な過程に過ぎず、やがて疑うだけ疑った暁に生まれる確信へと変っていくことであろう。が、万一そうではなくそなたが失敗したとなれば、われらは再び神の命令を仰ぎ、われらに託されたる使命達成のために新たなる手段を見出さねばならぬことになる。もっとも霊媒はわれらの究極の目的にとって必ず不可欠というものでもない。が、使用する以上は良き霊媒であることが望ましい。われらがこの上なく嘆かわしく思うのは、そなた自身にとりても啓発と向上の絶好の手段となるべきものを無視せんとする態度に出ていることである。が、それもわれらの手の及ぶところではない。自由意志による判断に基づきてあくまで拒否すると言うのであれば、われらとしてはその決断を尊重し、そなたが精神的にわれらの提供せるものを受け入れる用意のなかったことを残念に思うほかはあるまい。

われらの身元についてであるが、そなたの要求するが如き押しつけがましき方法で証明せんとすることは無益というより、徒に混迷を大きくするのみであろう。

そのような試みは結局は失敗に終わることであろう。そして絶対的確信を得ることは出来ぬであろう。間接的証拠ならば折々に提供していくことも出来ぬではない。好機があればその機を利用するに吝(やぶさ)かではない。われらとの縁が長びけば、それだけそうした機会も多く、証拠も多く蓄積されていくことであろう。が、われらの教説はそのようなもので価値を増すものではない。そのような実体なき基盤の上に成り立つものではない。そのような証拠では“時”の試練には耐え切れぬであろう。われらは精神的基盤の上に訴えるものである。地上的なものでは、一時的にしておよそ得心のいくものでないことを、そなたもそのうち悟る日が来ることを断言しておく。

とは言え、今のそなたの精神状態は得心のいく証拠を要求できる状態ではない。われらは神の味方か、それとも悪魔か、そのいずれかであろう。もしもわれらが自ら公言している如く神の味方であるとすれば、そなたの言うが如き、世間から嘲笑をもって受けとめられるような言説をわざわざでっち上げる気遣いはあるまい。が、もしもわれらがそなたの思いたがるように悪魔の手先であれば、その悪魔の述べる言説が明らかに崇高な神性を帯びているのは何故か、そなた自ら問い直してみるがよかろう。われらとしては、このような問題にこれ以上関わろうとは思わぬ。これまでわれらが述べてきたところを正しく吟味検討してくれさえすれば、それが悪魔の言葉と結論づけられる気遣いは毛頭ない。関心を向けるべきは通信の内容であり、通信者の身元ではない。

われら自身のことはどうでもよいことである。大事なのは神の仕事であり、神の真理である。今のそなたにとりて最も大事な問題はそなた自身のことであり、そなたの未来のことである。そのことを時間をかけてじっくり考え、とくと反省するがよい。そなたを中心として得られた啓示の顕れ方がいささか急激に過ぎ、目を眩ませたようである。言いたいことも多々あろうが、今は黙して真摯に、そして厳粛に熟考するがよい。われらも暫し身を引き、そなたにその沈思黙考に耽る余裕を与えたく思う。と言うことはそなたを一人置き去りにするということではない。より一層の警戒心をもつ複数の守護の霊と、より経験豊かなる同じく複数の指導の霊がそなたのそばに待機するであろう。その方がわれらにとりても得策であるように思う。と言うのも、事態がかくの如くなった以上は、果たしてこれより後もこの仕事を続行すベきや否や、それともこれまでの努力が無駄であったとして改めて仕事を始めからやり直すべきや否やを“時”が判断してくれるかも知れぬからである。いずれにせよ、これほど多くの努力と、これほど多くの祈りを傾注せる仕事が実を結ぶことなく地に落ちるとは、何とも悲しき失望であることには相違なかろう。しかし、われらもそなたもあくまで内に宿せる道義の光に照らして行動せねばならぬ。これまでの経緯に関するかぎり責任はすべてわれらの側にある。故にわれらは問題を解決すべく何らかの手を打たねばならぬ。これまでより一層多くの祈りを、一層の熱意を込めてそなたに送るとしよう。きっと一層の効果をあげるであろうことを確信する。

では、これにてさらばである。神の加護と導きのあらんことを。

(†インペレーター)


〔このあと私は数回に亙って通信を試みた。また始めに示唆した通りに、一面識もない霊媒のところへ行ってみた。そして私の背後霊についての情報、とくにインペレーターの身元の確認を得ようと、出来るかぎりのことを試みた。が、無駄だった。得られた情報は、私についている霊はZOUDと名のるロシア人の歴史家だということだけだった。帰宅すると私はさっそくそのことを書いて通信を求めた。すると、その霊媒の述べたことは間違いであると断言してからこう綴った(1)――〕


われわれとしては、そのような霊言を信じることはとても勧められない。信頼が置けないからである。われわれの忠告を無視して一面識もない、しかも、われわれと何の協力関係もない霊たちと通信を試みれば、信のおけぬ通信を受け取り事態をますます混乱させることになろう。


〔この忠告にも私は強く反発し、あの機会を利用してくれていれば私の合理的要求を満たすことは容易に出来たはずだと述べた。すると同じ霊が――〕


それは違う。われわれとしても満足を与えたい気持は山々である。が、あの会場への出現は(インペレーターから)止められたのである。しかも、われわれは貴殿の出席は阻止できなかった。あのような体験は今の貴殿には毒になるばかりである。禍いを招くことにしかならぬ故に今後一切あのような招霊会には出席せぬよう厳重に忠告しておく。今必要なのは耐えることである。性急に無理強いすることは徒にわれわれにとって迷惑と困惑を生じさせるのみである。それよりも静かに心を休め、待つことのほうが遥かによい。全てインペレーターが良きに計らって下さる。早まった行動は誤りのもとである。


――しかし(と私は反抗的に述べた)あなたたちこそグルになって私を迷わせているようにしか思えません。私の要求には何一つ応じられないというのですか。


友よ。そなたの要求するが如き数学的とも言うべき正確なる証拠は、得ようとしても所詮無理である。われらとしても、そなたの求むる通りのものを授けることは出来ぬ。たとえ出来たとしても、それがそなたにとりて益になるとは思えぬ。全てはわれらの側にて良きに計らってある。


〔これはインペレーターである。私はとても気持が治まらないので、やむなく通信を一たん中止した。そして七月二十四日に神学上の問題について幾つかの質問を提出した。その一つは例の「私と父は一つである(2)」という有名な文句に言及したものだった。以前、霊言による対話の中で私は、インペレーターの言説がこの文句と相容れないものであることを主張したことがあったのである。そういう経緯もあって質問することになったのであるが、それに対してこう回答してきた――〕


そなたの引用せる文句は前後の脈絡の中において理解せねばならぬ。その時イエスはエルサレムでハヌカー祭(3)に出席していた。その折そこに集まれる民衆が“もしもあなたがキリスト神だと言うのであれば、その明確な証を見せてほしい”とイエスに迫った。彼らは今のそなたと同様に疑念を晴らすための何らかの“しるし”を求めたのである。そこでイエスはわれらと同じく、自分の説く訓えとその訓えによりてもたらされる業(わざ)の中に神のしるしを見てほしいと述べた。またそれを理解する備えのある者――イエスの言う“父の羊たち”――はその訓えの中に父の声を聞き、それに答えたも同然であると述べた。が、質問者たちはそのような回答を受け入れることが出来なかった。なぜなら、彼らにはそれが理解できず、信ずる心の準備が出来ていなかったからである。備えある者はイエスの言葉に従って永遠なる生命と進歩と生き甲斐を得た。それこそが神の意図するところであり、誰もそれを妨げることは出来ぬ。彼らは父のもとに預けられたのであり、彼らのみならず、人類の全てに新たなる息吹きを吹き込んだのである。すなわち、父なる神と、その真理の教師たるイエスが一体となった――「私と父は一つである」

イエスはそう述べたのである。が、そのユダヤ人たちはそれを神の名誉を奪うものであるとして非難のつぶてを投げつけた。しかし、イエスの弁明は正しかった。どう正しかったか。己の神性を認め、神の子であることを弁明した点において正しかったのである。それが余にも弁明できるかとな? それは出来ぬ。が、その心に陰日向(かげひなた)の一かけらもなきイエスは、その非難に驚き、こう聞き返した――一体自分の行なえる奇跡のどれをもって非難するのかと。非難者たちは答えた。奇跡のことを非難しているのではない。完全な神と一体であるなどと公言するその倣慢不遜の態度を非難するのであると。そう言われたイエスはこれを無視して取り合わなかった。なぜか。聖書にもある如く、イエスは自分と神とが一体であるとの言葉を霊性に目覚めた者すベてに適用し、「あなたたちも神である」と述べていたからである。ならばイエスほどの特殊なる使命を背負える人物が自分は神の子であると述べて、果たしてそれを不遜なる言葉と言えるであろうか。疑うのなら私の為せる業を見よ、とも言っている。そこには自分こそが神であるなどという意味はかけらもない。むしろその逆である。


〔翌二十五日、私が霊媒となって霊言による交霊会を開き、インペレーターがしゃベった(4)。が、これといって私の精神状態に触れたものは出なかった。他の列席者は私の抱える事情には全く関心がなく、私を通じて彼らなりの問題を提出し彼らなりの解決を得た。その間私の意識は休止状態なので霊言そのものには影響はなかった。そのあと最近他界したばかりの知人が出て私しか知らない事実に言及し、確かな身元の確認が得られた。これには私も感心したが、満足は得られなかった。

それから夏休暇(5)に入り、私はロンドンを発ってアイルランドヘの旅に出た。行った先でロンドンの病床にある友人に関する興味深い通信を得たが、私の一番の悩みを解決するものではなかった。アイルランドからこんどはウェールズへ向かった。そして八月二十四日にインペレーターからの別の通信を受け取った。これは紹介しておく必要があると思うのでこのあと紹介するが、この時も私は懸命に私の要求に対する回答を引き出そうとしたが、どうしてみたところで私の為にはならぬという警告を受けた。その時の私の体調があまり勝れず、精神状態は混乱していた。先のことをあまり考えずに、これまでの経過をよく復習するようにとの忠言を受けた。〕


これまでたどれる道をよく振り返ってみることである。われらに許された範囲でそなたのために尽くせるもろもろのことを細かく吟味し直すことである。その上で今そなたが目の前にしているものの価値を検討してみるがよい。その価値を正しく評価し、われらの言説の崇高性に注目してもらいたい。われらはそなたの今の精神状態が生み出す疑問そのものを咎めはせぬ。そなたが何もかも懐疑的態度でもって検討することはやむを得ぬ。人間は自分と対立する意見はとかく疑ってかかるものだからである。ただ、そなたの性急な性格があまりにも結論をあせり過ぎることを注意しているのである。精神的に混乱するのもその所為である。何かと面倒が生ずるのもその所為である。それは咎めはせぬ。われらが指摘しているのは、そのような心の姿勢では公平無私なる判断は下せぬということである。その性急な態度を和らげ、結論をあせる気持を抑え、一方ではアラ探し的な批判をやめ、われらの言説の中に建設的な面を見出してもらいたい。今のところそなたはあまりに破壊的過ぎるのである。

さらに友よ、そなたの抱ける疑問と混乱は、それが取り除かれるまでは、われらの今後の進展にとっても障害となることを忘れてはならぬ。これまでも大いに障害となり、進展を妨げて来た。が、それは(仕事の性質上)やむを得なかったと言えよう。が、これ以後は思い切り心を切り換え、判断を迷わせる原因となってきたわだかまりを、きれいさっぱりと洗い流してほしい。暫しの休息と隔離のあと、是非そうなってくれることを期待している。われらが出る交霊会も、出席者が和気あいあいたる精神に満ちていることが何より大切である。湧き出る疑念は、旅人を迷わせる靄と同じく、われらの行く手を阻む。靄の中では仕事は出来ぬ。是非とも取り除かねばならぬ。先入観を棄てて正直に過去を点検すればきっと取り除かれるであろうことを信じて疑わぬ。そなたの心の地平線に真理の太陽が昇れば、立ちどころに消滅するであろう。そして眼前に広がる新たなる視野に驚くことであろう。

ムキにならぬことである。そなたにとりて目新しく聞き慣れぬものも、ただそれだけの理由で拒絶することは止めよ。そなたの判断の光に照らして吟味し、必要とあらばひとまずそれを脇へ置き、もう一歩進んだ啓発を求めるがよい。真摯にして真っ正直な心には、時が至れば全てが叶えられる。今のそなたにとりて目新しく聞き慣れぬことも、いつかはしっくりと得心のいく段階に到達するであろう。ともかく、そなたの知らぬ新しき真理、これより学ばねばならぬ真理、改めねばならぬ古き誤りがまだまだ幾らでも存在するという事実を忘れぬことである。

(†インペレーター)


〔注〕

(1)インペレーターの指揮下にある別の霊による。
(2)ヨハネ10‥30
(3)Hanukkah 古代シリアのアンチオコス四世によって奪われたエルサレム神殿を、ユダヤの独立運動の指導者マカベウスが奪回したことを記念する祭。
(4)スピーア博士宅ではこの霊言が多かったが、モーゼス自身は入神状態なので記憶がなく、したがって客観的な証拠とはなっていない。
(5)当時モーゼスは学校の教師をしていた。

霊訓〈完訳・上〉

 The Spirit Teachings

ステイントン・モーゼス(著)
近藤千雄(訳)


霊界側と、霊媒の牧師モーゼスとの激しい論争の中から、教訓的な内容を選びまとめたもの。スピリチュアリズム史上、第一級の霊界通信で“霊訓(霊の教え)中の霊訓”――“スピリチュアリズムのバイブル”と言われています。




16節

本節の内容
*これまでの霊信の総括
*恐怖を吹き込む教義は魂を萎縮させる
*宗派の別は些細な問題
*どの宗教にも真理と誤謬が混在する
*真理を独占する宗教は皆無
*キリスト教神学は諸悪の根源
*キリストの福音は生命の不滅性の証明
*それが宗教の根幹


〔思いつくまま反論を試みようとしたところ、制止されて逆に次のような通信が来た。〕


これまで述べてきたところをまとめる意味で今少し述べてみたく思う。そなたは宗教というものが人類全体としては大した影響力をもたぬことを十分に理解しておらぬ。そして、むしろわれらの述べる言説の方が人類の必要性と願望を満たする要素をもつことも理解しておらぬ。どうやら、今そなたが置かれている交友関係とその精神状態では明確に理解し得ぬものをここで指摘しておく必要がありそうである。

人間界に蔓延せる死後の問題の無頓着さが何を意味するかをそなたは理解しておらぬようである。死後はどうなるかについて関心を示す者がたどりついた結論は、これまでの来世観では曖昧にして愚劣であり、矛盾撞着があり、とても得心がいかぬということである。つまり理性的に観れば、神の啓示が全てであるとする聖書には、人間の混ぜものが歴然としており、純然たる人間的産物に適用される判断規準さえも耐えきれぬこと、そしてまた、理性は啓示の判断規準に他ならぬが故に、啓示はすべからく知的判断の範囲外に置き、ただひたすらに信ぜよとの牧師の言葉は、実は決して誤らぬはずの福音の中に数多く発見される誤りと、矛盾を被い隠すための巧妙なる言い逃れの手段であることは容易に知れる。理性という試金石を使用すれば、その程度のことは立ちどころに知れる。理性をもたぬ者のみが盲目的信仰へと避難し、狂信的、偏狭的、そして非合理きわまる盲目的信奉者となっていく。そして教え込まれた通りの因習的教義に凝り固まり、そこから一歩も出ようとせぬ。それもただ、それに疑義をはさむことが恐ろしいからに他ならぬ。

宗教上の問題につきて、理知的思考を禁ずることほど精神を拘束し、魂の発育を歪めるものはない。それは思考の自由を完全に麻痺させ、魂の生長をほぼ完全に阻害する。魂というものはその欲求を満たすと満たさぬとに係わりなく、一つの因習的宗教によりて縛りつけられるものである。魂の生命の糧を自ら選択する自由が皆無となるからである。遠き祖先にとりてはそれで良かったかも知れぬことも、時代を異にして苦悩する魂にとりては全く無意味なことも有り得る。故にその自由を奪われては魂の栄養は誕生する時代と土地とによって決定づけられてしまうことになろう。キリスト教徒となるのも、マホメット教徒となるのも、あるいはそなたらの言う異教徒になるのも、そこに本人の自由選択を行使する余地は皆無ということになる。その神がインディアンの言う大霊となるも、未開人の呪物となるも、あるいはその預言者がキリストとなるも、マホメットとなるも、孔子となるも――要するに、その宗教的観念が世界の東西南北いずれの地域のものであろうと、それが宿命的拘束力をもつことになる。何となれば、いずれの国にありても古来その国なりの神学を生み出し、それが子孫に対して、魂の救済において絶対不可欠の拘束力をもつに至っているからである。

この事実はそなたにとりて熟考を要する問題である。いかなる宗教といえども、地上の一つの国の民族に訴えることはあっても、唯一その宗教のみが神の啓示の全てを包含すると考えるのは、人間の虚栄心と思い上がりが生む作り話に過ぎぬ。いま地上にて全盛を誇る宗教も、あるいは曾て全盛をきわめた宗教も、どれ一つとして真理を独占するものなどは存在せぬ。完全なる宗教などはどこにも存在せぬ。その発生せる土地、そしてまたそれを生み出した者の必要性を満たすそれなりの真理を幾つか具えてはいても、それには同時にそれなりの誤りも多く含まれており、精神構造も違えば霊的必要性も異なる他の民族に押しつけらるべきものではない。それは神よりその民族のために与えられた霊的栄養なのである。それをもって絶対性を主張すること自体がすでに人間らしき弱点をさらけ出している。人間はとかく自分のみが特別の真理の所有者であると思いたがるものである。その妄想にしがみつき、われこそは神の真理を授かれる者なりと思い上がり、世界各地に宣教師を派遣して他の土地、他の民族にもその万能薬を広めねばならぬと真剣に思い込みたる者を見ると、われらはそのけなげなる気持ちに微笑(ほほえ)まずにはおれぬ。もっともその思い上がりを笑われ、その思想を蔑(さげす)まれるのが落ちであるが……

秀れた学識を具えている筈の神学者が、自分に届けられた真理の光をもって唯一無二の真理と思い込み、それに無用の手を加えて折角の輝きを曇らせているが、その光は、これまで地上に注がれた数多くの真理の太陽の光の一条に過ぎぬことに今まで気づかずにきたこと、そして今なお気づかずにいることは、われらにとりて驚異というほかはない。神の真理は太陽の如く、あまりに強烈であり、そのままではとても人間の目では直視できぬ。それは是非とも地上の霊媒を通すことによりて和らげる必要がある。すなわち、光に慣れぬ目を眩まさぬように、人間的伝達手段を通すことによりて幾分か光度を落とさねばならぬ。その中間的介在物を通さずに直接真理の光を見出せるようになるのは、肉体を棄て天上高く舞い上がった時である。

地上の全ての民族にそれ相当の真理の光が授けられている。それを各民族なりに最高の形で受け取り、それなりに立派に育て上げられたものもあれば、歪められてしまったものもある。いずれにせよ結局はその民族なりの必要性に応じて変形されてきた。故に地上のいかなる民族といえども、真理の独占を誇り、あるいはそれを他民族に押しつけんとする無益な努力が許される道理はない。地球が存続してきた限りにおいて、全ての宗教――バラモン教もマホメット教もユダヤ教もキリスト教も、それ独自の特異な真理を授かってきたのであり、ただ勝手にそれを真理の全てであると思い込み、わが宗教こそ神の遺産の相続者であると自負したに過ぎぬ。その過ちを最も顕著に示しているのが他ならぬキリスト教である。教会こそ神の真理の独占者であると思い込み、地上全土にそのランプの光を持ち歩かねばならぬと信じておりながら、その実、教会内部において相対立する宗派が最も多いのもキリスト教であるという事実が、それを何よりも雄弁に物語っていよう。キリスト教界内の分裂、その支離滅裂の教義、互いに神の愛を独占せんとして罵り合う狂気の沙汰の抗争、こうしたことはキリスト教こそ神の真理の独占者であるという愚かなる自負に対する絶好の回答である。

が、この人間的無知の霧に新たな光が射し込む日が近づきつつある。その新しき啓示の普及による啓発の前に、そうした宗閥的勢力争いも消滅するであろう。人類はそなたが想像する以上にその啓示を受け入れる用意が出来ているのである。その暁には、各宗教には中心的太陽とも言うべき神の光の一条のみが与えられているに過ぎぬこと、しかも、その光が人間の無知によりて曇らされていること、しかしその奥には真理の芽が隠されていることを知るであろう。故に人間は他民族の信仰の中にも真理を見出し、それなりの教訓を学び取り、邪を棄て善を摂取し、人間的過ちの中にも神を見出し、これまで己の欲求にそぐわぬと思えたものの中にも神聖なるものを認識せねばならぬ。

われらがその普及を使命としているところの壮大なる霊的教訓は、理性的観点からすれば、合理的にして且つ崇高なるものであり、その普及によりて、これまで宗教の名を辱しめ、神学を世間の嘲笑の的としてきたところの宗閥的嫉妬心と神学的暴言、憎悪と悪意、怨恨と偽善が地上より払拭される日も間近い。それにしても、何たる醜態であることか! 本来ならば神の本性を明らかにし、そうすることによりて神の愛を少しでも魂に吹き込むべき神学であるものを。ああ、それが事もあろうに宗派と分派の戦場と化し、児戯に類する偏見と見苦しき感情をむき出しにする不毛の土地と化し、神につきての無知を最もあらわにさらけ出し、神の本質と働きにつきて激しく非難し合う佗しき荒地と化してしまうとは! 神学! これはもはやそなたらキリスト者の間でさえ侮蔑をもって語られるに至っているではないか。神につきての無知の証とも言うベき退屈きわまる神学書は、見苦しき悪口雑言、キリスト者として最もあるまじき憎悪、厚顔無恥の虚言の固まりである。神学! 聖なる本能の全てを掻き消し、敵に向けるベき攻撃の手を同志に向け、聖者の中の聖者とも言うべき霊格者を火刑に処し拷問にかけ八つ裂きにし、礼遇すべきであった人々を流刑にし或いは追放し、人間として最高の本能を堕落させ、自然の情緒を掻き消すことを正当化するための口実とされて来たではないか。何たる悲しきことであることか。そこは今なお人間として最低の悪感情が大手を振って歩く世界であり、その世界より一歩でも出ようとする者を押し止めんとする。“退(さ)がれ! 退がれ! 神学のあるところに理性の入る余地などあるものか”これが神学者の態度である。真摯なる人間を赤面せしめる人間的煩悩の殆ど全てがそこにあり、自由なる思索は息切れし、人間はあたかも理性なき操り人形と化している。

本来ならば神について語るべき叡知を人間はそのような愚劣なる目的のために堕落させて来たのである。

しかし、友よ、われらの目的成就の日も間近い。神学による悪癖をいつまでも放置しておくわけには参らぬ。今はまさにイエス・キリストの降臨前と同じである。夜明け前の漆黒の闇と同じである。無知という名の夜が足早に過ぎ去りつつある。聖職の権能によりてがんじがらめにされた魂がその束縛を断ち切り、常軌を逸せる愚行、無知が生む偽善、そして曖昧模糊たる思索の産物に代わりて、理性を得心させる宗教と信仰を手にする日が訪れよう。その時は神につきてのより豊かな概念と、人間の義務と宿命につきてのより正しき見解を手にするであろう。人間の言う死者が今なお生き続けていること、それも人間より一段と生命の実感をもって生きていること、しかも地上時代と変わらぬ情愛をもって加護に当たっていることを知るであろう。

キリストは地上に生命と不滅性をもたらしたと聖書にある。その言葉は筆記者が意味したより広き意味にて真実である。キリストによる黙示の成就は――今まさに成就されんとしているのであるが――真実の意味における“死”の観念の撲滅であり、生命の不滅性の実証に他ならぬ。その偉大なる真理、すなわち、人間は永遠に死なぬということ、たとえ死にたくとも死ぬことが出来ぬという事実の中に、未来への鍵が託されている。信仰の一つとしてでなく、教義の一項目としてでもなく、生きた知識と現実の事実の一つとして、生命の不滅性は未来の真の宗教の基調であらねばならぬ。われらの説く深遠なる真理も、崇高なる義務の概念も、壮大なる宿命の観念も、人生の真実の悟りも、すベてその生命の不滅性の上に成り立つのである。

今のそなたには理解できぬかも知れぬ。炎に慣れぬ魂は目が眩むことであろう。が、やがてわれらの言葉の中に真理のしるし――神性の一面を認めるようになる日も来よう。

(†インペレーター)