Friday, October 16, 2026

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳




六章 婚約者を不慮の事故で失って

 映画女優のマール・オべロンには婚約者(フィアンセ)がいた。そのフィアンセを空港で見送った数秒後にオべロンの人生に悲劇が訪れた。フィアンセを乗せた飛行機が爆発炎上したのである。事故の知らせを聞いて当然のことながらオべロンは芒然自失の状態に陥った。

 その後間もなく、ふとしたきっかけでハンネン・スワッハーの My Greatest Story (私にとって最大の物語)という本を手に入れ、その中に引用されているシルバーバーチの霊言を読んで心を動かされた。たった一節の霊訓に不思議な感動を覚えたのである。

 オべロンはさっそくスワッハーを訪ねて、出来ればシルバーバーチとかいう霊のお話を直接聞きたいのですがとお願いした。その要請をスワッハーから聞いたシルバーバーチは快く承諾した。

そして事故からまだ幾日も経たないうちに交霊会に出席するチャンスを得た。その後さらに幾人かの霊媒も訪ねてフィアンセの存続を確信したオべロンは、その霊的知識のお陰で悲しみのどん底から抜け出ることができた。では、そのシルバーバーチの交霊会に出席した時の様子を紹介しよう。

 当日スワッハーが交霊会の部屋(バーバネルの書斎)へオべロンを案内し、まずシルバーバーチにこう紹介した。

 「ご承知と思いますが、この方は大変な悲劇を体験なさったばかりです。非凡な忍耐力を持って耐えていらっしゃいますが、本日はあなたのご指導を仰ぎに来られました」


 するとシルバーバーチがオべロンに向かってこう語りかけた。

 「あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力になってくれることがあります。是非理解していただきたいのは、大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通して初めて得られるものだということです。

人生というものはこの世だけでなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。

光と影の両面が無ければなりません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇が無ければ光もありません。光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように、困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。

もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去ったあとに待ち受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。

 あなたがこれまでに辿られた道もけっしてラクな道ではありませんでした。山もあり谷もありました。

そして結婚という最高の幸せを目前にしながら、それが無慈悲にも一気に押し流されてしまいました。あなたは何事も得心がいくまでは承知しない方です。

生命と愛は果たして死後にも続くものなのか、それとも死を持ってすべてが終わりとなるか、それを一点の疑問の余地もないまで得心しないと気が済まないでしょう。そして今あなたは死がすべての終りでないことを証明するに十分なものを手にされました。

ですが、私の見るところでは、あなたはまだ本当の得心を与えてくれる事実の全てを手にしたとは思っていらっしゃらない。そうでしょう?」


オベロン「おっしゃる通りです」

 「こういうふうに理解なさることです───これが私にできる最大のアドバイスです───われわれ生あるもの全ては、まず第一に霊的存在であるということです。霊であるからこそ生きているのです。霊こそ存在の根元なのです。生きとし生けるものが呼吸し、動き、意識を働かせるのは霊だからこそです。

その霊があなた方のいう神であり、私のいう大霊なのです。その霊の一部、つまり神の一部が物質に宿り、次の段階の生活に相応しい力を身につけるために体験を積みます。それはちょうど子供が学校へ行って卒後後の人生に備えるのと同じです。

 さて、あなたも他の全ての人と同じく一個の霊的存在です。物的なものはその内色褪せ、朽ち果てますが、霊的なものは永遠であり、いつまでも残り続けます。物質の上に築かれたものは永続きしません。物質は殻であり、入れ物に過ぎず、実質ではないからです。

地上の人間の大半が幻を崇拝しています。キツネ火を追いかけているようなものです。真実を発見できずにいます。こうでもない、ああでもないの連続です。本来の自分を見出せずにいます。

 神が愛と慈悲の心からこしらえた宇宙の目的、計画、機構の中の一時的な存在として人生を捉らえ、自分がその中で不可欠の一部であるとの理解がいけば、たとえ身に降りかかる体験の一つ一つの意義は分からなくても、究極においてすべてが永遠の機構の中に組み込まれているのだという確信は得られます。霊に関わるものは決して失われません。死は消滅ではありません。

霊が別の世界へ解き放たれる為の手段に過ぎません。誕生が地上生活へ入る為の手段であれば、死は地上生活から出るための手段です。あなたはその肉体ではありません。その頭でも、目でも、鼻でも、手足でも、筋肉でもありません。

つまりその生物的集合体ではないのです。それはあなたではありません。あなたという別個の霊的存在があなたを地上で表現していくための手段に過ぎません。それが地上から消滅したあとも、あなたという霊は存在し続けます。

 死が訪れると霊はそれまでに身につけたものすべて───あなたを他と異なる存在たらしめているところの個性的所有物のすべてを携えて霊界へ行きます。意識、能力、特質、習性、性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存在するのです。

真にあなたのものは失われません。真にあなたの属性となっているものは失われません。そのことをあなたが理解できるできないに関わらず、そしてまた確かにその真相のすべてを理解することは容易ではありませんが、あなたが愛する人、そしてあなたを愛する人は、今なお生き続けております。得心がいかれましたか?」

オベロン 「はい」

 「物的なものはすべてお忘れになることです。実在ではないからです。実在は物的なものの中には存在しないのです」

オベロン 「私のフィアンセは今ここにきておりますでしょうか」

 「来ておられます。先週も来られて霊媒を通じてあなたに話しかけようとなさったのですが、これはそう簡単にいくものではないのです。ちゃんと話せるようになるには大変な訓練がいるのです。

でも、諦めずに続けて出席なさっておれば、その内話せるようになるでしょう。ご想像がつくと思いますが、彼は今のところ非常に感情的になっておられます。まさかと思った最期でしたから感情的になるなという方が無理です。とても無理な話です」


オベロン 「今どうしているのでしょう。どういう処にいるのでしょう。元気なのでしょうか」

 この質問にシルバーバーチは司会のスワッハーの方を向いてしみじみとした口調で
 「このたびの事故はそちらとこちらの二人の人間にとって、よほどのショックだったようですな。まだ今のところ霊的な調整が出来ておりません。あれだけの事故であれば無理もないでしょう」と述べてから、再びオベロンに向かって言った。

 「私としては若いフィアンセがあなたの身近にいらっしゃることをお聞かせすることが、精一杯あなたの力になってあげることです。彼は今のところ何もなさっておりません。ただお側に立っておられるだけです。

これから交信の要領を勉強しなくてはなりません。霊媒を通じてだけではありません。ふだんの生活において考えや欲求や望みをあなたに伝えることもそうです。それは大変な技術を要することです。それがマスターできるまでずっとお側から離れないでしょう。

 あなたの方でも心を平静に保つ努力をしなくてはいけません。それができるようになれば、彼があなたに与えたいと望み、そしてあなたが彼から得たいと望まれる援助や指導が確かに届いていることを得心なさるでしょう。よく知っておいていただきたいのは、そうした交信を伝えるバイブレーションは極めて微妙なもので、感情によってすぐに乱されるということです。

不安、ショック、悲しみといった念を出すと、たちまちあなたの周囲に重々しい雰囲気、交信の妨げとなる壁をこしらえます。心の静寂を得ることが出来れば、平静な雰囲気を発散することができるようになれば、内的な安らぎを得ることができれば、それが私たちの世界から必要なものをお授けする最高の条件を用意することになります。

感情が錯乱している状態では、私たちも何の手出しも出来ません。受容性、受身の姿勢、これが私たちがあなたに近づくための必須の条件です」

     
 この後フィアンセについて幾つかプライベートな質疑がなされた後、シルバーバーチはこう述べた。

 「あなたにとって理解しがたいことは、多分、あなたのフィアンセが今はこちらの世界へ来られ、あなたはそちらの世界にいるのに、精神的には私よりもあなたの方が身近かな存在だということでしょう。理解出来るでしょうか。彼にとっては霊的なことよりも地上のことの方が気がかりなのです。

問題は彼がそのことについて何も知らずにこちらへ来たということです。一度も意識にのぼったことがなかったのです。でも今ではこうした形であなたが会いに来てくれることで、彼もあなたが想像なさる以上に助かっております。大半の人間が死を最期と考え、こちらへ来ても記憶の幻影の中でのみ暮らして実在を知りません。

その点あなたのフィアンセはこうして最愛のあなたに近づくチャンスを与えられ、あなたも、まわりに悲しみの情の壁をこしらえずに済んでおられる。そのことを彼はとても感謝しておられますよ」


オベロン 「死ぬ時は苦しがったでしょうか」

 「いえ、何も感じておられません。不意の出来ごとだったからです。事故のことはお聞きになられたのでしょう」

オベロン 「はい」

 「あっという間の出来ごとでした」

スワッハー 「そのことはこの方も聞かされております」

 「そうでしょう。本当にあっという間のことでした。それだけに永い休養期間が必要なのです」

オベロン「どれくらい掛かるのでしょう?」

 「そういうご質問はお答えするのがとても難しいのです。と申しますのは私たちの世界では地上のように時間で計るということをしないのです。でも、どのみち普通一般の死に方をした人よりは永く掛かります。

急激な死に方をした人はみなショックを伴います。いつまでも続くわけではありませんが、ショックはショックです。もともと霊は肉体からそういう離れ方をすべきものではないからです。そこで調整が必要となります」

 ここでさらにプライベートな内容の質疑があったあと───
オベロン 「彼は今しあわせと言えるでしょうか。大丈夫でしょうか」

 「しあわせとは言えません。彼にとって霊界は精神的に居心地がよくないからです。地上に戻ってあなたと一緒になりたい気持ちの方が強いのです。それだけに、あなたの精神的援助が必要ですし、自身の方でも自覚が必要です。これは過渡的な状態であり、彼の場合は大丈夫です。霊的に危害が及ぶ心配がありませんし、その内調整が為されるでしょう。

 宇宙を創造した大霊は愛に満ちた存在です。私たち一人一人を創造して下さったその愛の力を信頼し、すべてのことはなるべくしてそうなっているのだということを知らなくてはいけません。

今は理解できないことも、その内明らかになる機会が訪れます。決して口先で適当なことを言っているのではありません。現実にそうだからそう申し上げているのです。あなたはまだ人生を物質の目で御覧になっていますが、永遠なるものは地上の尺度では正しい価値は分かりません。

そのうち正しい視野をお持ちになられるでしょうが、本当に大事なもの───生命、愛、本当の自分、こうしたものは何時までも存在し続けます。死は生命に対しても愛に対しても、まったく無力なのです」


 訳者注───「本章は不慮の事故死をテーマとしているが、普通一般の死後の問題についてもいろいろと示唆を与えるものを含んでいる。そのすべてをここで述べる余裕はないが、一つだけ後半のところで〝霊的に危害が及ぶ心配がありませんし〟と述べている点について注釈しておきたい。

 これは裏返していえば霊的に危害が及ぶケースがあるということであり、ではその危害とはどんなものかということになる。これを「ベールの彼方の生活」第四巻の中の実例によって紹介しておく。

 通信霊のアーネルが霊界でのいつもの仕事にたずさわっていた時(霊界通信を送るようになる前)あるインスピレーション的衝動に駆られて地上へ来てみると、一人の若い女性が病床で今まさに肉体から離れようとしていた。ふと脇へ目をやると、そこに人相の悪い男の霊が待ち構えている。

アーネルにはその男がこの女性の生涯をダメにした(多分麻薬か売春の道へ誘い込んだ)因縁霊であると直感し、霊界でも自分達の仲間に引きずり込もうと企んでいることを見て取った。そこで奪い合いとなったが、幸いアーネルが勝ってその身柄を引き取ることが出来、その後順調に更生して、今では明るい世界へ向上しているという。

そのインスピレーションを送ったのは守護霊で、波長が高すぎて返って地上のことには無力なために、地上的波長への切り換えに慣れているアーネルに依頼したのだった。

 この実例でお分かりのように、いかなる死に方にせよ、死後ぶじ霊界の生活に正しく順応していくことは必ずしも容易ではないのである。そこには本人自身の迷いがあり、それに付け込んでさまざまな誘惑があり、また強情を張ったり見栄を捨てきれなかったりして、いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮らしている人が実に多いのである。

 では、そうならないためにはどういう心掛けが大切か───これは今さら私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上へ降りてきた目的なのである。

具体的なことはこうして霊言集をお読みいただいている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から一つだけ付け加えたいことは、あちらへ行って目覚めた時に、必ず付き添ってくれる指導霊の言うことに素直に従うことが何よりも大切だということである」

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳



五章 老スピリチュアリストとの対話

 英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(※)が招待され、シルバーバーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」 として丁重にお迎えした。

(※ 名前は紹介されていない。推測する手掛かりも見当たらない。霊言集にはこのように名前を明かしてもよさそうなのに、と思えるケースがよくあるが、多分、公表は控えてほしいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かもしれない───訳者)

シルバーバーチ 「思えば長い道のりでした。人生の節目が画期的な出来ごとによって織りなされております。しかし、それもすべて、一つの大きな計画のもとに愛によって導かれていることをあなたはご存知です。

暗い影のように思えた出来ごとも、今から思えば計画の推進に不可欠の要素であったことが分かります。あなたがご自分の責務を果たすことが出来たのは、あなた自身の霊の感じる衝動に暗黙のうちに従っておられたからです。

 これより先、その肉体を大地へお返しになられるまでにあなたに課せられた仕事は、とても意義深いものです。これまで一つ一つ階段を追って多くの啓示に接してこられましたが、これから先さらに多くの啓示をお受けになられます。

これまではその幾つかをおぼろ気に垣間みてこられたのであり、光明のすべて、啓示のすべてが授けられたわけではありません。それを手にされるには、ゆっくりとした発達と霊的進化が必要です。私の言わんとするところがお分かりでしょうか」


 「よく分ります」

シルバーバーチ 「これは一体どういう目的があってのことなのか───あなたはよくそう自問してこられましたね?」

 「目的があることは感じ取れるのです。目的があること自体を疑ったことはありません。ただ、自分の歩んでいる道のほんの先だけでいいから、それを照らし出してくれる光が欲しいのです」


シルバーバーチ 「あなたは〝大人の霊〟です。地上へ来られたのはこの度が最初ではありません。それは分かっておられますか」

 「そのことについてはある種の自覚を持っております。ただ、今ここで触れるつもりはありませんが、それとは別の考えがあって、いつもそれとの葛藤が生じます」


シルバーバーチ 「私にはその葛藤がよく理解できます。別に難しい問題ではありません。その肉体を通して働いている意識と、あなたの本来の自我である、より大きな側面の意識との間の葛藤です。有象(うぞう)無象のこの世的雑念から離れて霊の力に満たされると、魂が本来の意識を取り戻して、日常の生活において五感の水際に打ち寄せてしきりに存在を認めてほしがっていた、より大きな自我との接触が得られます。

 さきほどおっしゃった目的のことですが、実は霊の世界から地上へ引き返し、地上人類のために献身している霊の大軍を鼓舞し動かしている壮大な目的があるのです。無知の海に知識を投入すること、それが目的です。暗闇に迷う魂のために灯火(ともしび)を掲げ、道を見失える人々、悩める人々、安らぎを求める人々に安息の港、聖なる逃避所の存在を教えてあげることです。

私たちを一つに団結させている大いなる目的です。宗教、民族、国家、その他ありとあらゆる相違を超越した大目的なのです。その目的の中にあってあなたもあなたなりの役目を担っておられます。そしてこれまで多くの魂の力になってこられました」

 「ご説明いただいて得心がいきました。お礼申し上げます」

シルバーバーチ 「私たちがいつも直面させられる問題が二つあります。一つは惰眠をむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。

もう一つは、目覚めてくれたのはよいとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑えることです。神は決してお急ぎになりません。宇宙は決して消滅してしまうことはありません。

法則も決して変わることはありません。じっくりと構え、これまでに啓示されたことは、これからも啓示されていくことがあることの証明として受け止め、自分を導いてくれている愛の力は自分が精一杯の努力を怠りさえしなければ、決して自分を見捨てることは無いとの信念に燃えなくてはいけません」


 実はこの老スピリチュアリストは今回の交霊会に備えて三つの質問を用意していた。その問答を紹介しておく。

 「私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全能の神の最高傑作であり、形態ならびに器官の組織において大宇宙(マクロコズム)のミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え、特殊な変異は生まれません。しかし一体その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別できる個性を決定づける要因は何なのでしょうか」


シルバーバーチ 「これは大変な問題ですね。まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。

肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従っており、この三者が互いに協調し合っております。かくして法則の内側に法則があることになり、時には、見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾も無いことが分ります。

法則のウラ側に法則があると同時に、一個の人間のさまざまな側面が交錯し融合し合って、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。

そこには三者の明確な区別はなくなっております。肉体は遺伝的な生理的法則に従っておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるということです。

かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます。霊は肉体に影響を及ぼし、肉体も又霊に影響を及ぼすからです。これでお分かりいただけるでしょうか」

 「だいぶ分かってきました。これからの勉強に大いに役立つことと思います。では次の質問に移らせていただきます。人間はその始源、全生命の根元から生まれてくるのですが、その根元からどういう段階を経てこの最低次元の物質界へ下降し、物的身体から分離した後(死後)今度はどういう段階を経て向上し、最後に〝無限なる存在〟と再融合するのか、その辺のところをお教えいただけませんか」


シルバーバーチ 「これもまた大きな問題ですね。でも、これは説明が困難です。霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明することはとても出来ません。霊的生命の無辺性を完全に解き明かせる言語は存在しません。ただ単的に、人間は霊である、但し大霊は人間ではない、という表現しかできません。

 大霊とは全存在の究極の始源です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。霊として人間は始めも終りも無く存在しています。それが個体としての存在を得るには、地上にかぎって言えば、母胎に宿ってた時です。物的身体は霊に個体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることにあります。

 霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくということです。

人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし私は人間は神の生命の中に吸収されてしまうという意味での再融合の時期が到来するとは考えません。神が無限である如く(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の過程であると主張する者です」


 「よく分かります。お礼申し上げます。次に三つ目の質問ですが───今おっしゃられたことがある程度まで説明して下さっておりますが───人間は個霊として機械的に無限に再生を繰り返す宿命にあると輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか。

もしそうでないとすれば、最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外での複数の前生で蓄積した個性や特質が、今度は死後、向上進化していく過程を促進もし渋滞もさせるということになるのでしょうか。私の言わんとしていることがお分かりいただけますでしょうか」

シルバーバーチ 「こうした存在の深奥に触れた問題を僅かな言葉でお答えするのは容易なことではありませんが、まず、正直に申して、輪廻転生論者がどういうことを主張しているのかは私は知りません。が私個人として言わせて頂けば───絶対性を主張する資格は無いからこういう言い方をするのですが───再生というものが事実であることは私も認めます。それに反論する人たちと議論するつもりはありません。

理屈ではなく、私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。預けた質を取り戻しに行くのです。

 ただし、再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようなものだと思って下さい。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。死後再び生まれて来た時は別の部分が海面上に顔を出します。

潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになっていきます。再生問題を物質の目で理解しようとしたり判断しようとなさってはいけません。霊的知識の理解から生まれる叡知の目で洞察してください。そうすれば得心がいきます」

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳




四章 ジョン少年との対話

   人間の目と霊の目

 
 十一歳のジョン君にとってこれが最初の交霊会だった。幼い時に妹を失い、こんどは父親を不慮の事故で失って母親と二人きりとなったが、母親がシルバーバーチを通じて聞いた二人からのメッセージをいつもジョン君に語っていたので、十一歳の少年ながら、すでに死後の世界の存在を自然に信じるようになっていた。

 まずシルバーバーチの方からお父さんと妹がここに来てますよと言い、二人ともジョン君と同じようにわくわくしていると言うと、

ジョン「ぼくは妹のことをよく知らないんです」

「でも妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」

ジョン「ぼくがまだちっちゃかった時に見たきりだと思います」
℘69
 「いいえ、そのちっちゃい時から今のように大きくなるまで、ずっと見てきております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるんです。同じように二つの目をしていても、ジョン君とはまったく違う目をしています。壁やドアを突き通してみることができるんですから」

ジョン「そうらしいですね。ぼく知っています」

 「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるんです。霊の目で見るのです。霊の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えます」



  霊に年齢はない
ジョン「いま妹はいくつになったのですか」

 「それはとても難しい質問ですね。なぜ難しいかを説明しましょう。私たち霊の成長のしかたはジョン君たちとは違うのです。
℘70
誕生日というものが無いのです。歳が一つ増えた、二歳になった、というような言い方はしないのです。そういう成長のしかたをするのではなく、霊的に成長をするのです。言いかえれば、完全(パーフィクト)へ向けて成長するのです」


ジョン「パーフェクトというのは何ですか」

 「パーフェクトというのは魂の中のすべてものが発揮されて、欠点も弱点もない、一点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです」

ジョン「言いかえればピースですか」

(訳者注───Peace(ピース)には戦争に対する平和という一般的な意味以外に、日本語でうまく表現できない精神的な意味が幾つかある。ここでは悟り、正覚(しょうがく)、といった意味であるが、少年がそのような難解な意味で使うのはおかしいし、さりとて平和の意味でもないので、原語のままにしておいた。たぶん何の悩みも心配もないことを言っているのであろう)

 「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし実を言うと〝これがパーフェクトです〟と言えるものは存在しないのです。どこまで到達しても、それは永遠に続く過程の一つの段階にすぎないのです。いつまでも続くのです。終りというものが無いのです」
℘71


  死は悲しいことではない
ジョン「でも、パーフェクトに手が届いたらそれで終りとなるはずです」

 「パーフェクトには手が届かないのです。いつまでも続くのです。これはジョン君には想像できないでしょうね? でも、ほんとにそうなのです。霊的なことには始まりも終りもないのです。ずっと存在してきて、休みなく向上していくのです。

ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のように身体が大きくなったのではなくて、精神と霊が大きくなったのです。成熟したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でも身体のことではありません。いくつになったかは地上の年齢の数え方でしか言えません。

 そんなことよりもジョン君に知ってほしいことは、もう分かってきたでしょうけれど、妹とお父さんはいつも側にいてくれてるということです。これはまだまだ知らない人が多い大切な秘密です。
℘72
いつもいっしょにいてくれているのです。ジョン君を愛し力になってあげたいと思っているからです。このことを人に話しても信じてくれませんよね? みんな目に見えないものは存在しないと思っているからです。

このことを理解しないために地上では多くの悲しみが生じております。理解すれば〝死〟を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。

まったく新しい生活の場へ向上して行くことなのです。ジョン君もそのことをよく理解して下さいね。妹のことは小さい時に見たことがあるからよく知ってるでしょう?」


ジョン「今この目で見てみたいです」

 「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」

ジョン「この部屋にいる人が見えるようにですか
℘73    
「まったく同じではありません。さっきも言ったように〝霊の目〟で見るのです。霊の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。もちろんお父さんはジョン君のことを何でも知っています。いつも面倒をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」



  考えることにも色彩がある
ジョン「僕に代わって礼を言って下さいね」

 「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解は無理かな? でも、ジョン君がしゃべること、考えてることも、みなお父さんには分るのです。フラッシュとなってお父さんのところに届くのです」

ジョン「どんなフラッシュですか」
℘74
 「ジョン君が何か考えるたびに小さな光が出るのです」

ジョン「どんな光ですか。地上の光と同じですか。ぼくたちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすった時に出るフラッシュのようなものですか」

 「いえ、いえ、そんなんじゃなくて、小さな色のついた明かりです。ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色が違うのです。地上の人間の思念はそのように色彩となって私たちのところに届くのです。

私たちには人間が色彩のかたまりとして映ります。いろんな色彩をもった一つのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩の一つ一つの意味を読み取ることができます。ということは、隠しごとはできないということです。その色彩が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほか何もかも教えてくれます」



℘75   スピリチュアリズムはなぜ大切か
ジョン「スピリチュアリズムについて知るとどういう得をするのでしょうか」

 「知識はすべて大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりその分だけ得をします。知らないでいることは暗やみの中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」

ジョン「光の中です」

 「でしたら少しでも多くを知らなくてはいけません。知識は大切な財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵が生まれるからです。判断力が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。分かりますね?

ジョン君はいま地球という世界に住んでいます。自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです。それは次の世界での生活に備えるためです。

 さてスピリチュアリズムのことですが、人生の目的は何かを知ることはとても大切なことなのです。なぜなら、人生の目的を知らないということは何のために生きているかを知らずに生きていることになるからです。
℘76
そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。なぜなら、亡くなったお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」

ジョン「そう思います。前よりも助けられることが多いです」

「ほらジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ? さて次の質問は?」



  原子爆弾は善か悪か (本書の出版は一九五二年───訳者)
ジョン「地上の人間が発明するものについて霊の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆のことなんかについて」

 「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。

℘77   
 地上の科学者たちは戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという秘密を発見しました。そしてそれを爆弾に使用しました。

しかし本当はその秘密は人間が精神的、霊的にもっと成長してそれを正しく扱えるようになってから発見すべきだったのです。もうあと百年か二百年のちに発見しておれば地上人類も進歩していて、その危険な秘密の扱い方に手落ちがなかったでしょう。

今の人類はまだまだうっかりの危険性があります。原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘めているからです。ですから、今の質問に対する答えは、地上人類が精神的、霊的にどこまで成長するかにかかっています。分かりますか?」


ジョン「最後におっしゃったことがよく分かりません」

 「では説明のしかたを変えましょう。原子エネルギーの発見は時期が早すぎたということです。人類全体としてまだ自分たちが発見したものについて正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊の目的のために使用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有効な目的のために利用されたことでしょう。

℘78
 そこで最初の質問に戻りますが、もしも地上の科学者のすべてが正しい知識、霊的なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題について悩むこともなかったでしょう。出てくる答えは決まっているからです。霊的な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉のためという答えしか出てこないからです」


ジョン「それが本当にどんなものであるかが分かったら正しい道に使うはずです」

 「その通りです。自分の発明したものの取り扱いに悩むということは、まだ霊的理解力が出来ていないということです」



  幽霊と霊との違い
ジョン「幽霊と霊とはどう違うのですか」

「これはとてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。
℘79
地上の人たちが幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったためにいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。

幽霊さわぎの原因は大てい最初に述べた霊、つまり地上世界から抜け出られない霊のしわざである場合が多いようです。死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望しか考えなかった生活がその霊を地上に縛りつけるのです」


ジョン「もう質問はありません」

 「以上の私の解答にジョン君は何点をつけてくれますか」


ジョン「ぼく自身その答えが解らなかったんですから・・・」

 「私の答えが正しいか間違っているかがジョン君には分からない───よろしい! 分からなくても少しもかまいません。
℘80
大切なのは次のことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけではなく、私たち霊の世界の者からの大きな愛情によっても包まれているということです。目には見えなくても、ちゃんと存在しています。

触わってみることができなくても、ちゃんと存在しています。何か困ったことがあったら、静かにして私かお父さんか妹か、誰でもいいですから心に念じて下さい。きっとその念が通じて援助にまいります]


 別の日の交霊会で同じ原爆の問題が取り上げられ次のような質問が出された。

───国家が、そして人類全体が原爆の恐怖に対処するにはどうすればよいでしょうか。

 「問題のそもそもの根元は人間生活が霊的生活によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互いに扶け合い協調と平和の中に暮したいという願望は見られず、我が国家を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しております。

すべての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義という言葉は今日ではかなり影をひそめてきているかも知れませんが、実質的には同じです。
℘81
誰が何と言おうとこの世はやはりカネと地位と人種が物を言うのだと考えています。そしてそれを土台としてすべての制度をこしらえようとします。永遠の実在が無視されております。人生のすべてを目で見、耳で聞き、手で触れ、舌で味わえる範囲の、つまりたった五つの感覚で得られるほんの僅かな体験でもって判断しようとしています。

 しかし生命は物質を超えたものであり、人間は土くれやチリだけで出来ているのではありません。化学、医学、原子、こうしたもので理解しようとしても無駄です。生命の謎は科学の実験室の中で解かれる性質のものではありません。魂をメスで切りさいたり化学的手段で分析したりすることはできません。

いかなる物的手段によって解明しようとしても、生命を捉(と)らえることはできません。なのに物質界の大半の人間は(生命を物質と思い込んで)霊的実在から完全に切り離された生活を営んでおります。最も大切な事実、全生命の存在を可能ならしめているところの根元を無視してかかります。

 地上の全生命は〝霊〟であるがゆえに存在しているのです。あなたという存在は霊に依存しているのです。実在は物質の中にあるのではありません。その物的身体の中には発見できません。存在のタネは身体器官の中を探しても見つかりません。あなた方は今の時点において立派に霊的存在なのです。
℘82   
死んでこちらへ来てから霊的なものを身につけるのではありません。母胎に宿った瞬間からすでに霊的存在であり、どうもがいてみても、あなたを生かしめている霊的実在から離れることはできません。地上の全生命は霊のおかげで存在しているのです。霊なしには生命は存在しません。なぜなら生命とはすなわち霊であり、霊とはすなわち生命だからです。

 死人が生き返ってもなお信じようとしない人は別として、その真理を人類に説き、聞く耳をもつ者に受け入れられるように何らかの証拠を提供することが私どもの使命の大切な一環なのです。

人間が本来は霊的実在であるという事実の認識が人間生活において支配的要素とならないかぎり、不安のタネは尽きないでしょう。今日は原爆が不安のタネですが、明日はそれよりさらに恐ろしい途方もないものとなるでしょう (水爆、さらにはレーザー兵器のことを言っているのであろう───訳者)。

が、地上の永い歴史を見れば、力による圧政はいずれ挫折することは明らかです。独裁的政治は幾度か生まれ、猛威をふるい、そして消滅していきました。独裁者が永遠に王座に君臨することは有り得ないのです。

霊は絶対であり天与のものである以上、はじめは抑圧されても、いつかはその生特権を主張するようになります。魂の自由性 freedom (※)を永遠に束縛することはできないのです。魂の自在性 liberty (※)を永遠に拘束し続けることもできません。
℘83      
自由性と自在性はともに魂がけっして失ってはならない大切な条件です。人間はパンのみで生きているのではありません。物的存在以上のものなのです。精神と魂とをもつ霊なのです。人間的知性ではその果てを測り知ることのできない巨大な宇宙の中での千変万化の生命現象の根元的要素である霊とまったく同じ不可欠の一部なのです。

(※ freedom と liberty は英語においても共通性の多い単語で、日本語訳でもその違いが曖昧であるが、私はここでは freedom とは外部からの束縛がないという意味での自由性、liberty とは内部での囚れがないと意味での自在性と解釈してそう訳した───訳者)

 以上のような真理が正しく理解されれば、すべての恐怖と不安は消滅するはずです。来る日も来る日も煩悶と恐れを抱き明日はどうなるのだろうと不安に思いながら歩むことがなくなるでしょう。霊的な生得権を主張するようになります。なぜなら霊は自由の陽光の中で生きるべく意図されているからです。内部の霊的属性を存分に発揮すべきです。

永遠なる存在である霊が拘束され閉じ込められ制約され続けることは有り得ないのです。いつかは束縛を突き破り、暗闇の中で生きることを余儀なくさせている障害のすべてを排除していきます。正しい知識が王座に君臨し無知が逃走してしまえば、もはや恐怖心に駆られることもなくなるでしょう。ですからご質問に対する答えは、とにもかくにも霊的知識を広めることです。
℘84   
すべての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出てくることでしょう。不安のタネの尽きない世界に平和を招来するためには霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践をおいて他に手段はありえません」

      

  真理普及は厳粛な仕事
 「ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚を持たねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なるものです。

いい加減な気持で携わってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大半といってよい霊媒が自分の能力を神聖なるものと自覚せず、苦しむ者、弱き者、困窮せる者のために営利を度外視して我が身を犠牲にするというところまで行きません。

 また、真理の啓示を受けた者───永いあいだ取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めたはずの人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が必要です。まだまだ精進が足りません。
℘85
まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果たして自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか。今一度その時の真摯なビジョンにすべてを捧げる決意を新たにする必要はないか。

時の流れとともに煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己の全生活を捧げたいという熱誠にもう一度燃えて頂きたいのです」

              

         
 五章 老スピリチュアリストとの対話

 英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(※)が招待され、シルバーバーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」 として丁重にお迎えした。

(※ 名前は紹介されていない。推測する手掛かりも見当たらない。霊言集にはこのように名前を明かしてもよさそうなのに、と思えるケースがよくあるが、多分、公表は控えてほしいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かもしれない───訳者)

シルバーバーチ 「思えば長い道のりでした。人生の節目が画期的な出来ごとによって織りなされております。しかし、それもすべて、一つの大きな計画のもとに愛によって導かれていることをあなたはご存知です。

暗い影のように思えた出来ごとも、今から思えば計画の推進に不可欠の要素であったことが分かります。あなたがご自分の責務を果たすことが出来たのは、あなた自身の霊の感じる衝動に暗黙のうちに従っておられたからです。

 これより先、その肉体を大地へお返しになられるまでにあなたに課せられた仕事は、とても意義深いものです。これまで一つ一つ階段を追って多くの啓示に接してこられましたが、これから先さらに多くの啓示をお受けになられます。

これまではその幾つかをおぼろ気に垣間みてこられたのであり、光明のすべて、啓示のすべてが授けられたわけではありません。それを手にされるには、ゆっくりとした発達と霊的進化が必要です。私の言わんとするところがお分かりでしょうか」


 「よく分ります」

シルバーバーチ 「これは一体どういう目的があってのことなのか───あなたはよくそう自問してこられましたね?」

 「目的があることは感じ取れるのです。目的があること自体を疑ったことはありません。ただ、自分の歩んでいる道のほんの先だけでいいから、それを照らし出してくれる光が欲しいのです」


シルバーバーチ 「あなたは〝大人の霊〟です。地上へ来られたのはこの度が最初ではありません。それは分かっておられますか」

 「そのことについてはある種の自覚を持っております。ただ、今ここで触れるつもりはありませんが、それとは別の考えがあって、いつもそれとの葛藤が生じます」


シルバーバーチ 「私にはその葛藤がよく理解できます。別に難しい問題ではありません。その肉体を通して働いている意識と、あなたの本来の自我である、より大きな側面の意識との間の葛藤です。有象(うぞう)無象のこの世的雑念から離れて霊の力に満たされると、魂が本来の意識を取り戻して、日常の生活において五感の水際に打ち寄せてしきりに存在を認めてほしがっていた、より大きな自我との接触が得られます。

 さきほどおっしゃった目的のことですが、実は霊の世界から地上へ引き返し、地上人類のために献身している霊の大軍を鼓舞し動かしている壮大な目的があるのです。無知の海に知識を投入すること、それが目的です。暗闇に迷う魂のために灯火(ともしび)を掲げ、道を見失える人々、悩める人々、安らぎを求める人々に安息の港、聖なる逃避所の存在を教えてあげることです。

私たちを一つに団結させている大いなる目的です。宗教、民族、国家、その他ありとあらゆる相違を超越した大目的なのです。その目的の中にあってあなたもあなたなりの役目を担っておられます。そしてこれまで多くの魂の力になってこられました」

 「ご説明いただいて得心がいきました。お礼申し上げます」

シルバーバーチ 「私たちがいつも直面させられる問題が二つあります。一つは惰眠をむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。

もう一つは、目覚めてくれたのはよいとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑えることです。神は決してお急ぎになりません。宇宙は決して消滅してしまうことはありません。

法則も決して変わることはありません。じっくりと構え、これまでに啓示されたことは、これからも啓示されていくことがあることの証明として受け止め、自分を導いてくれている愛の力は自分が精一杯の努力を怠りさえしなければ、決して自分を見捨てることは無いとの信念に燃えなくてはいけません」


 実はこの老スピリチュアリストは今回の交霊会に備えて三つの質問を用意していた。その問答を紹介しておく。

 「私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全能の神の最高傑作であり、形態ならびに器官の組織において大宇宙(マクロコズム)のミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え、特殊な変異は生まれません。しかし一体その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別できる個性を決定づける要因は何なのでしょうか」


シルバーバーチ 「これは大変な問題ですね。まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。

肉体は物的法則に従い、精神は精神的法則に従い、霊は霊的法則に従っており、この三者が互いに協調し合っております。かくして法則の内側に法則があることになり、時には、見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾も無いことが分ります。

法則のウラ側に法則があると同時に、一個の人間のさまざまな側面が交錯し融合し合って、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。

そこには三者の明確な区別はなくなっております。肉体は遺伝的な生理的法則に従っておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるということです。

かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます。霊は肉体に影響を及ぼし、肉体も又霊に影響を及ぼすからです。これでお分かりいただけるでしょうか」

 「だいぶ分かってきました。これからの勉強に大いに役立つことと思います。では次の質問に移らせていただきます。人間はその始源、全生命の根元から生まれてくるのですが、その根元からどういう段階を経てこの最低次元の物質界へ下降し、物的身体から分離した後(死後)今度はどういう段階を経て向上し、最後に〝無限なる存在〟と再融合するのか、その辺のところをお教えいただけませんか」


シルバーバーチ 「これもまた大きな問題ですね。でも、これは説明が困難です。霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明することはとても出来ません。霊的生命の無辺性を完全に解き明かせる言語は存在しません。ただ単的に、人間は霊である、但し大霊は人間ではない、という表現しかできません。

 大霊とは全存在の究極の始源です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。霊として人間は始めも終りも無く存在しています。それが個体としての存在を得るには、地上にかぎって言えば、母胎に宿ってた時です。物的身体は霊に個体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることにあります。

 霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくということです。

人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし私は人間は神の生命の中に吸収されてしまうという意味での再融合の時期が到来するとは考えません。神が無限である如く(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の過程であると主張する者です」


 「よく分かります。お礼申し上げます。次に三つ目の質問ですが───今おっしゃられたことがある程度まで説明して下さっておりますが───人間は個霊として機械的に無限に再生を繰り返す宿命にあると輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか。

もしそうでないとすれば、最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外での複数の前生で蓄積した個性や特質が、今度は死後、向上進化していく過程を促進もし渋滞もさせるということになるのでしょうか。私の言わんとしていることがお分かりいただけますでしょうか」

シルバーバーチ 「こうした存在の深奥に触れた問題を僅かな言葉でお答えするのは容易なことではありませんが、まず、正直に申して、輪廻転生論者がどういうことを主張しているのかは私は知りません。が私個人として言わせて頂けば───絶対性を主張する資格は無いからこういう言い方をするのですが───再生というものが事実であることは私も認めます。それに反論する人たちと議論するつもりはありません。

理屈ではなく、私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。預けた質を取り戻しに行くのです。

 ただし、再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようなものだと思って下さい。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。死後再び生まれて来た時は別の部分が海面上に顔を出します。

潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになっていきます。再生問題を物質の目で理解しようとしたり判断しようとなさってはいけません。霊的知識の理解から生まれる叡知の目で洞察してください。そうすれば得心がいきます」
  

Thursday, October 15, 2026

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳





三章 自分の責任・他人の責任

 熱心なスピリチュアリストである実業家がある交霊会で質問した。

───背後霊や友人(の霊)に援助を要求するのはどの程度まで許されるのでしょうか。

 「生身(なまみ)の人間である霊媒との接触によって仕事をしている私どもは、地上生活における必要性、習慣、欲求といったものを熟知していなければなりません。物的必要性について無頓着ではいられません。現実に地上で生きている人間を扱っているからです。

結局のところ霊も肉体も神の僕です。霊の宿である肉体には一定の必需品があり、一定の手入れが必要であり、宇宙という機構の中での役割を果たすための一定の義務というものがあります。

肉体には太陽光線が必要であり、空気が必要であり、着るものと食べるものが要ります。それを得るためには地上世界の通貨(コイン※)であるお金が必要です。そのことはよく承知しております。しかし次のことも承知しております。(シルバーバーチは口グセのように〝奉仕は霊のコインである〟と言っている。それになぞらえている───訳者)

 霊も肉体も神の僕と申し上げましたが、両者について言えば霊が主人であり肉体はその主人に仕える僕です。それを逆に考えることは大きな間違いです。あなた方は本質的には霊なのです。それが人間が潜在的に神性を宿していると言われるゆえんです。つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿していることになります。
p55           
宇宙という大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人ひとりにも宿っているのです。意識をもった存在としての生をうけたということが、神的属性のすべてが内部に宿っていることを意味します。

全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出すことができるのです。

 そのためには平静さが必要です。いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することが出来ます。

 それに加えて、背後霊の愛と導きがあります。困難が生じた時は平静な受身の心になるよう努力なさることです。そうすればあなた自身の貯蔵庫から───まだ十分に開発されていなくても───必要な回答が湧き出てきます。きっと得られます。

われわれはみな進化の過程にある存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによっては十分なものが得られないことがあります。が、その場合もまた慌てずに援助を待つことです。こんどは背後霊が何とかしてくれます。

 求めるものが正しいか間違っているかは、単なる人間的用語の問題にすぎません。私たちからみて大切なのは〝動機〟です。
p56       
いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人のために役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、けっして無視されることはありません。

それはすなわち、その人がそれまでに成就した霊格の表れですから、祈るという行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております」


 ここでメンバーの一人が、学識もあり誠実そのものの人でも取越苦労をしていることを述べると───


 「あなたは純粋に地上的な学識と霊的知識とを混同しておられるのではないでしょうか。霊的実在についての知識の持ち主であれば、何の心配の必要もないことを悟らねばなりません。人間としての義務を誠実に果たして、しかも何の取越苦労もしないで生きていくことは可能です。

義務に無とん着であってもよろしいと言っているのではありません。かりそめにも私には、そんな教えは説きません。むしろ私は、霊的真理を知るほど人間としての責務を意識するようになることを強調しております。しかし、心配する必要などどこにもありません。霊的成長を伴わない知的発達もあり得ます」

p57      
───あからさまに言えば、取越苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか。

 「その通りです。真理を悟った人間はけっして取越苦労はしません。なぜなら人生には神の計画が行きわたっていることを知っているからです。まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。

無用の心配をするということそのことが霊的成長の欠如の示標といえます。たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。偉大なる魂は泰然自若(たいぜんじじゃく)の態度で人生に臨みます。

確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺することはありません。このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです」
   


───たとえば50人の部下がいて、その部下たちが良からぬことをしたとします。その場合は気苦労のタネになってもやむを得ないように思いますが・・・
p58     
 「責任は個々において背負うというのが摂理です。摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を負うことはありません」


───文明社会においては責任を負わざるを得ないことがあるでしょう?。

 「文明はかならずしも摂理に適ったものではありません。摂理は完全です。機能を中止することはありません。適確さを欠くこともありません。間違いを犯すこともありません。あなたには自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任があります。

あなたの成長の指標が魂に刻まれているからです。したがって他人の魂のすることに責任を負うことはできません。それが摂理です。もしそうでなかったら公正が神の絶対性を欠くことになります」


───もし私がある人をそそのかし、その人が意志が弱くてそれを実行した場合、それでも私には責任はないでしょうか。
    
 「その場合はあります。他人をそそのかして悪いことをさせた責任があります。それはあなたの責任です。
p59      
一種の連鎖反応を起こさせたことになります。何ごとも動機が第一に考慮されます。私はけっして自分以外のことに無とん着になれと言っているのではありません。


魂がある段階の偉大さを身につければ、自分の責任を自覚するようになり、やってしまったことはやってしまったこと───自分が責を負うことしかないと深く認めるようになるものなのです。いったんその段階まで到達すれば、何ごとにつけ自分にできる範囲で最善を尽くし、これでよいという確信をもつようになります」


───自分で理解しているかぎりの摂理にしたがっておればのことですか。

 「いいえ、(摂理をどう理解しているかに関係なく)原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉できる人はいません。その絶対的法則と相いれないことが起きるかのように説く教説、教理、教訓は間違っております。原因と結果の間にはいかなる調停も許されません。

あなた自身の責任を他人の肩に背負わせる手段はありませんし、他人の責任があなたの肩に背負わされることもあり得ません。各自が各自の人生の重荷を背負わねばなりません。そうあってはじめて正直であり、道徳的であり、倫理的であり、公正であると言えます。

それ以外の説はすべて卑劣であり、臆病であり、非道徳的であり、不公平です。摂理は完璧なのです」

p60      
───広い意味において人間は他のすべての人に対して責任があるのではないでしょうか。世の中を住み良くしようとするのはみんなの責任だからです。

 「おっしゃる通りです。その意味においてはみんなに責任があります。同胞としてお互いがお互いの番人(創世記4・9)であると言えます。なぜなら人類全体は〝霊の糸〟によって繋がっており、それが一つに結びつけているからです。

しかし責任とは本来、自分が得た知識の指し示すところに従って人のために援助し、自分を役立て、協力し合うということです。

しかるに知識は一人ひとり異なります。したがって他人が他人の知識に基づいて行ったことに自分は責任はないことになります。しかしこの世は自分一人ではありません。お互いが持ちつ持たれつの生活を営んでおります。

すべての生命が混り合い、融合し合い、調和し合っております。そのすべてが一つの宇宙の中で生きている以上、お互いに影響を与え合っております。だからこそ知識に大きな責任が伴うのです。知っていながら罪を犯す人は、知らずに犯す人より重い責任を取らされます。
p61       
その行為がいけないことであることを知っているということが罪を増幅するのです。霊的向上の道は容易ではありません。

知識の受容力が増したことは、それだけ大きい責任を負う能力を身に付けたことであらねばならないのです。幸と不幸、これはともに神の僕です。

一方を得ずして他方を得ることは出来ません。高く登れば登るほど、それだけ低くまで落ちることもあるということであり、低く落ちれば落ちるほど、それだけ高く登る可能性があることを意味します。それは当然のことでしょう」


 その日の交霊会には二人の息子を大戦で失った実業家夫妻が招待されていた。その二人にシルバーバーチは次のような慰めの言葉を述べた。

 「霊の力に導かれた生活を送り、今こうして磁気的な通路(霊媒)によって私どもの世界とのつながりを持ち、自分は常に愛によって包まれているのだという確信をもって人生を歩むことができる方をお招きすることは、私どもにとって大いに喜ばしいことです。

お二人は神の恵みをふんだんに受けておられます。悲しみの中から叡知を見出されました。眠りのあとに大いなる覚醒を得られました。犠牲の炎によって鍛えられ清められて、今お二人の魂が本当の自我に目覚めておられます。
p62          
 お二人は悲痛の淵まで下りられました。魂が謀反さえ起こしかねない酷しい現実の中で人間として最大の悲しみと苦しみを味わわれました。しかし、その悲痛の淵まで下りられたからこそ喜びの絶頂まで登ることもできるのです。

〝ゲッセマネの園〟と〝変容の丘〟は魂の体験という一本の棒の両端です。一方がなければ他方もあり得ません。苦痛に耐える力は深遠な霊的真理を理解する力と同じものです。

悲しみと喜び、闇と光、嵐と好天、こうしたものはすべて神の僕であり、その一つひとつが存在価値をもっているのです。魂が真の自我に目覚めるのは、存在の根源が束の間の存在である物的なものにあるのではなく永遠に不変の霊的なものにあると悟った時です。

地上的な財産にしがみつき、霊的な宝をないがしろにする者は、いずれ、この世的財産は色あせ錆つくものであることを思い知らされます。

霊的成長による喜びこそ永遠に持続するものです。今こそあなた方お二人は真の自我に目覚められ、霊界の愛する人々とのつながりがいっそう緊密になっていく道にしっかりと足を踏まえられました。

 ご子息が二人とも生気はつらつとして常にあなた方のお側にいることを私から改めて断言いたします。昼も夜も、いっときとしてお側を離れることはありません。みずから番兵のつもりでお二人を守り害が及ばないように見張っておられます。

といってお二人のこれからの人生に何の困難も生じないという意味ではありません。そういうことは有り得ないことです。
p63       
なぜなら人生とは絶え間ない闘争であり、障害の一つ一つを克服していく中に個性が伸び魂が進化するものだからです。

いかなる困難も、いかなる苦難も、いかなる難問も、あなた方を包んでいる愛の力によって駆逐できないものはありません。それはみな影であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。訪れては去っていく影にすぎません。

悲劇と悲しみをもたらしたのはすべて、あなたのもとを通り過ぎていきました。前途に横たわっているのは豊かな霊的冒険です。あなた方の魂を豊かにし、いま学びつつある永遠の実在に一段と近づけてくれるところの、驚異に満ちた精神的探検です。

 お二人がこれまで手を取り合って生きて来られたのも、一つの計画、悲しみが訪れてはじめて作動する計画を成就するためです。そうした営みの中でお二人は悲しみというものが仮面をかぶった霊的喜悦の使者であることを悟るという計画があったのです。悲しみは仮面です。本当の中身は喜びです。仮面を外せば喜びが姿を見せます。

 どうかお二人の生活を美しさと知識、魂の豊かさで満たして下さい。魂を本来の豊かさの存在する高所まで舞い上がらせて下さい。そこにおいて本来の温もりと美しさと光沢を発揮されることでしょう。魂が本来の自我を見出した時は、神の御心と一体であることをしみじみと味わい不動の確信に満たされるものです。
p64      
 私たちの述べることの中にもしもあなた方の理性に反すること、叡知と相入れないように思えることがあれば、どうか受取ることを拒否なさってください。良心の命令に背いてはいけません。自由意志を放棄なさってはいけません。私どもは何一つ押しつけるつもりはありません。強要するものは何一つありません。

私たちが求めるものは協調です。ご自分で判断されて、こうすることが正しくかつ当然であるという認識のもとに、そちらから手を差しのべて協力して下さることを望みます。

理性をお使いになったからといって少しも不快には思いません。私どもの述べたことに疑問を持たれたからといって、いささかも不愉快には思いません。その揚げ句に魂の属性である知性と理性とがどうしても納得しないということであれば、それは私たちはあなた方の指導霊としては不適格であるということです。

 私はけっして盲目の信仰、無言の服従は強要いたしません。それが神が自分に要求しておられることであることを得心するがゆえに、必要とあらば喜んで身を捧げる用意のある、そういう協力者であってくれることを望みます。

それを理想とするかぎり、私たちの仕事に挫折はありません。ともに神の使いとして手に手を取り合って進み、神の御心を日頃の生活の中で体現し、われわれの援助を必要とする人、それを受け入れる用意のある人に手を差しのべることができるのです」
p65
 そしてその日の交霊会を次の言葉でしめくくった。

 「始まりも終りもない力、無限にして永遠なる力に見守られながら本日も又、開会した時と同じ気持ちで閉会致しましょう。神の御力の尊厳へ敬意を表して、深く頭を垂れましょう。その恵みをお受けするために、いっときの間を置きましょう。その霊光を我が身に吸い込み、その光輝で我が身を満たし、その御力で我が身を包みましょう。

無限の叡知で私たちを導き、自発的な奉仕の精神の絆の中で私たちを結びつけようとなさる神の愛を自覚致しましょう。かくして私たちは意義ある生活を送り、一段と神に近づき、その無限なる愛の衣が私たちを、時々刻々、温かく包んでくださっていることを自覚なさることでしょう」

霊訓〈完訳・下〉

 The Spirit Teachings

ステイントン・モーゼス(著)
近藤千雄(訳)


霊界側と、霊媒の牧師モーゼスとの激しい論争の中から、教訓的な内容を選びまとめたもの。スピリチュアリズム史上、第一級の霊界通信で“霊訓(霊の教え)中の霊訓”――“スピリチュアリズムのバイブル”と言われています。




27節

本節の内容
*民族と宗教の揺藍地インド
*轢死者の霊が著者に憑依
*霊的引力と斥力



〔ある本でインドが民族と宗教の揺籃の地であるとの説を読んだことがあり、われわれの交霊会でもその問題に触れた霊言を聞いたことがあった。その点を質すと(1)――〕


その通りである。今の貴殿の信仰の底流となっている宗教的概念の多くはインドにその源流を発している。インドに発し、太古の多くの民族によって受け継がれてきた。その原初において各民族が受けた啓示は単純素朴なものであったが、それにインドに由来する神話が付加されていったのである。救世主出現の伝説は太古よりある。いずれの民族も自分たちだけの救世主を想像した。キリスト教の救世主説も元を辿ればインドの初期の宗教の歴史の中にその原型を見出すことが出来る。インドの伝承文学の研究がこれまで貴殿が勉強してきた言語学的側面と大いに関わりがあるように、その遠く幽(かす)かな過去のインドの歴史の宗教的側面の研究は今の貴殿にとって必要欠くべからざるものである。関心を向けよ。援助する霊を用意してある。

インド、ペルシャ、エジプト、ギリシャ、ローマ、ユダヤ――これらの民族とその知的発達に応じた神の概念の啓示の流れについて今こそ学ぶべきである。ジャイミニー(2)とヴェーダ・ヴャーサ(3)がソクラテスとプラトンの先輩であったことを知らねばならない。そのことに関してはその時代に地上生活を送り、その事実に詳しい者がいずれ教えることになろう。が、その前に地上に残る資料を自らの手で蒐集する努力をせねばならない。指導はそれが終了した後のことである。

さらに、その資料の中に人間がいつの時代にも自分を救ってくれる者の存在の必要性を痛感して来たこと、そしてまた、そうした救世主にまつわる伝説が太古より繰り返されて来ている事実を見出さねばならない。数多くの伝説を生んだ神話の一つが、純潔の処女デーヴァキー(4)の奇跡の子クリシュナ(5)の物語であることも判るのであろうし、そうした事実がこれまでキリスト教の中で闇に包まれていた部分に光を当てることにもなろう。もっともわれらはこの事実を重大なるものとして早くから指摘して来た。貴殿の異常な精神状態がその分野に関する全くの無知と相俟って、われらをして手控えさせたのである。

このほかにもまだまだ取り除かねばならぬ夾雑物は多い。これを取り除かぬかぎり安心して正しい思想体系の構築は望めぬ。大まかな荒筋においてさえ貴殿にはまだ奇異に思えることが多い。まずそれに馴染んだ後でなければ細部へ入ることは出来ぬ。たとえば古代の四大王国、すなわちエジプト、ペルシャ、ギリシャ、ローマの哲学と宗教はその大半がインドから摂り入れたものである。インドの大革命家であり説教者であったManou(6)がエジプトではManesとなり、ギリシャではMinosとなり、ヘブライ伝説ではMosesとなった。いずれも固有名詞ではなく“人間”Manを意味する普通名詞であった。偉大なる真理の開拓者はその顕著な徳ゆえに民衆からThe Manと呼ばれた(7)。民衆にとっては人間的威力と威厳と知識の最高の具現者だったわけである。

インドのManou(マヌ)はキリストの誕生より三千年も前の博学な学識者であり、卓越せる哲学者であった。いや実は、そのマヌでさえそれよりさらに何千年も昔の、神と創造と人間の運命について説かれたバラモンの教説の改革者に過ぎなかった。

ペルシャのゾロアスター(8)の説ける真理も全てマヌから学んだものであった。神に関する崇高なる概念は元を辿ればマヌに帰する。法律、神学、哲学、科学等の分野において古代民族が受けたインドの影響は、貴殿らが使用する用語がすべてマヌ自身が使用した用語と語源が同一である事実と同様に間違いない事実であるとの得心がいくであろう。近代に至ってからの混ぜ物がその本来の姿を歪めてしまったために、貴殿には類似点を見出し得ぬかも知れないが、博学なる言語学者ならばその同一性を認めることであろう。一見したところ世界の宗教はバラモンの伝承的学識の中に類似性を見出せぬかに思われるが、実はマヌが体系づけ、マーニーManesがエジプトに摂り入れ、モーセMosesがヘブライの民に説いた原初的教説から頻繁に摂取しているのである。

哲学及び神学のあらゆる体系の中にヒンズー(インド)的思想が行き渡っている。たとえば、古代インドの寺院において絶対神への彼らなりの純粋な崇拝に生涯を捧げたデーヴァダーシー(9)と呼ばれる処女たちの観念は、古代エジプトではオシリス(10)の神殿に捧げられる処女の形を取り、古代ギリシャではデルポイ(11)の神殿における巫子(みこ)となり、古代ローマではケレース(12)神の女司祭となり、後にあのウェスターリス(13)となって引き継がれていった。

が、これはわれらが貴殿に教えたいことの一例に過ぎない。ともかく注意をその方向へ向けて貰いたい。われらは極めて大まかな概略を述べたに過ぎない。細かき点はこれより後に埋め合わせるとしよう。貴殿にはまだ概略以上のことは無理である。


――確かに私は知らないことばかりです。それにしてもあなたは人間がまるで霊の道具に過ぎないような言い方をされます。出来のいい道具、お粗末な道具、分かりのいい道具、分かりの悪い道具。


これまでもしばしば述べて来た如く、知識はすべて霊界よりもたらされる。実質はわれらの側にあり、人間はその影に過ぎない。地上にても教えやすい者ほど学ぶことが多いのと同じく、われらの交わりにおいても素直な者ほど多くを学ぶことになる。貴殿に学ぶ心さえあれば幾らでも教える用意がある。


――人間には取り柄(え)はないということですか。


従順さと謙虚さの取り柄がある。従順にして謙虚な者ほど成長する。


――もし霊側が間違ったことを教えた場合はどうなります。


すべての真理に大なり小なりの誤りは免れない。が、その滓(かす)はいずれ取り除かれるものである。


――霊によって言うことが悉く違う場合があります。どちらが正しいのでしょう。真実とは一体何なのでしょう。


言うことが違っているわけではない。各霊が自分なりの説き方をしているまでである。故に細部においては異なるところはあっても、全体としては同じことを言っている。貴殿もそのうち悪と呼んでいるものが、実は善の裏側に過ぎぬことが判るようになるであろう。地上においては混じり気のない善というものは絶対に有り得ない。それは空しき夢想というものである。人間にとっては真理はあくまで相対的なものであり、死後にも長期間に亙って相対的であることは免れない。歩めるようになるまではハイハイで我慢しなければならない。走れるようになるまでは歩くだけで我慢しなければならない。高く跳べるようになるまでは走るだけで我慢しなければならならない。

(プルーデンス)


〔私が「霊の身元」と題する記事(14)で紹介した、例の他界したばかりの霊による不思議な影響力を受けたのはこの頃であった。ある人がベーカー通りに近い通路の舗装工事中にローラー車の下敷きとなって悲惨な死を遂げ、私がたまたまその日に現場を通りかかったのである。その時私はその事故のことは知らなかった。そしてその夜、グレゴリー夫人(15)の家でデュポテ男爵(16)による交霊会に出席したところ、その霊が出現した。二月二十三日にその件について尋ねると、その霊の述べた通りであることが確認された(17)。〕


その霊がそなたに取り憑くことが出来たこと自体が驚きである。そなたがその男の死の現場の近くを通りかかったからである。余りそのことは気にせぬほうがよい。心を乱される恐れがある。


――(最近他界した)私の友人がまだ眠りから覚めないのに、何故その男はすぐに目を覚ましたのでしょう。


非業の死を遂げた後の休眠を取っておらぬからである。本当は休眠した方がよいのである。休眠しないと、そのままいつまでも地縛の霊となる。そうした霊にとっては休息することが進歩への第一歩となる。未熟なる霊はなるべく休眠を取り、地上生活を送った汚れた場所をうろつかぬことが望ましい。


――あのような思っただけでもぞっとするような死に方をしても霊は傷つかないのでしょうか。


肉体が酷い傷を受けても、霊まで傷つくことはない。但し激しいショックは受ける。それが為に休息できず、うろつき回ることになるのである。


――あの霊は死の現場をうろつき回ったのですか。それがどんな具合で私に取り憑いたのでしょうか。


あのような死に方をした霊はよく現場をいつまでもうろつき回るものである。そこをそなたが通りかかった。そなたは極度に過敏な状態にあるから、磁石が鉄を引きつける如くに霊的影響を何でも引き寄せてしまう。この種の霊的引力はそなたにはまだ理解できぬであろう。が、それでは困る。地上では低き次元での霊的引力の作用が現実にあるからである。毎日の交わりの中で引力と斥力とが強力に作用している。大半の者は気づいておらぬが、すべての人間、とくに霊感のある者は、その作用を受けている。肉体がなくなれば一層その作用が強烈となる。五感を通して伝達されていたものが、親和力とそれと相関関係にある排斥力の直覚的作用に代わるのである。

が、この件に関しては余り気にせぬがよい。余り気にすると、再び親和力の法則が働いて、未発達霊の害毒を引き寄せることになる。彼には思慮分別の力はない。そのことは、あの気の毒な霊もそなたに取り憑いたことで何の益にもならなかったことで知れる。

(†インペレーター)



〔注〕

(1)プルーデンスが回答。三世紀のエジプト生まれの哲学者プロティノス。ギリシャ、ローマで学ぶ。
(2)Djeminy.(正確にはJaimini)
(3)Veda Vyasa.(ジャイミニーの師)
(4)Devaki.
(5)ChrishnaまたはKrishna.
(6)原文のままであるが、インド哲学の専門家によればManuが正しくManouという綴りは有り得ないという。訳者の推測ではManuを英語読みにするとマニューとなるので、モーゼスの英語感覚の影響を受けて原文のようになったのであろう。
(7)現在でもその年で最も活躍の目覚ましかった者を、The Man of the Yearなどと呼ぶ。
(8)Zoroaster 紀元前600年頃の宗教家。ゾロアスター教の開祖。
(9)Devadassi.(10)Osiris.(11)Delphi.(12)Ceres.
(13)Vestal virgin女神ウェスタVestaに身を捧げた処女。
(14)心霊誌Lightに連載。
(15)Mrs. Mackdougall Gregory.(16)the Baron Dupotet.
(17)再びインペレーターが回答。

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳




         
二章 心霊治療───その本当の意義

 「これまでに成し遂げてこられたことは確かに立派ですが、まだまだ頂上は極められておりません」

 世界的に知られる心霊治療家のハリー・エドワーズ氏が助手のジョージ・バートン夫妻と共に交霊会を訪れたときにシルバーバーチがそう語りかけた。(訳者注───今はもう三人ともこの世にいないが、〝ハリー・エドワーズ心霊治療所〟Harry Edwards Healing Sanctuary はその名称のままレイ・ブランチ夫妻が引き継ぎ今も治療活動を続けている)

 シルバーバーチは続けてこう語る───

 「あなた方のこれまでの努力がまさに花開かんとしております。これまでのことは全てが準備でした。バプテスマのヨハネがナザレのイエスのために道を開いたように、これまでのあなた方の過去は、これからの先の仕事のため、つまりより大きな霊力が降りてあなた方とともに活動していくための準備期間でした。

 ほぼ完璧の段階に近づいているあなた方三人の信頼心と犠牲的精神とそれを喜びとする心情は、それみずからが結果をもたらします。霊の力と地上の力との協調関係がますます緊密となり、それがしばしば〝有り得ぬこと〟と思えることを成就しております。条件が整った時に起きるその奇跡的治療のスピードに注目していただきたいと思います」

エドワーズ「何度も目のあたりにしております」

 「大いなる進歩がなされつつあること、多くの魂に感動を与え、それがさらに誘因となって他の大勢の人々にもその次元での成功(単なる病気治療にとどまらず魂の琴線に触れさせること)をおさめる努力が為されつつあります。常にその一つに目標をおいて下さい。すなわち魂を生命の実相に目覚めさせることです。

それがすべての霊的活動の目標、大切な目標です。ほかは一切かまいません。病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、さまざまな霊的現象も、究極的には人間が例外なく神の分霊であること、すなわち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めて意義があり、神から授かった霊的遺産を我がものとし宿命を成就するためには、ぜひその理解が必要です。

 それが困難な仕事であることは私もよく承知しております。が、偉大な仕事ほど困難が伴うものなのです。霊的な悟りを得ることは容易ではありません。とても孤独な道です。それは当然のことでしょう。

もしも人類の登るべき高所がいとも簡単にたどりつくことができるとしたら、それは登ってみるほどの価値はないことになります。安易さ、吞ん気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難儀の中にあってはじめて目を覚まします。これまで、魂の成長が安易に得られるように配慮されたことは一度たりともありません。
 
 あなた方が治療なさる様子を見ていとも簡単に行っているように思う人は、表面しか見ていない人です。今日の頂上に到達するまでには、その背景に永年の努力の積み重ねがあったことを知りません。治療を受ける者が満足しても、あなた方は満足してはなりません。

一つの山頂を極めたら、その先にまた別の山頂がそびえていることを自覚しなくてはいけません。いかがでしょう。私の話は参考になりますでしょうか。あなた方はすでによくご存じのことばかりでしょう」


エドワーズ 「分ってはいても改めて認識することは大切なことです」

 「こうした会合の場は、地上の人間でない私どもがあなた方地上の人間に永遠の原理、不滅の霊的真理、顕幽の区別なくすべての者が基盤とすべきものについての認識を新たにさせることに意義があります。物質界に閉じ込められ、物的身体にかかわる必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。

 肉体こそ自分である、いま生きている地上世界こそ実在の世界であると思い込み、実は地上世界はカゲであり、肉体はより大きな霊的自我の道具にすぎないことを否定することは実に簡単なことです。

もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみることを忘れなければ、どんなにか事がラクにおさまるだろうにと思えるのですが・・・・・・残念ながら現実はそうではありません。

 こうした霊界との協調関係の中での仕事にたずさわっておられる人でさえ、ややもすると基本的な義務を忘れ、手にした霊的知識が要求する規範に適った生き方をしていらっしゃらないことがあります。知識は大いなる指針となり頼りになるものですが、手にした知識をどう生かすかという点に大きな責任が要請されます。

 治療の仕事にたずさわっておられると、さまざまな問題──説明できないことや当惑させられること──に遭遇させられることでしょうが、それは当然のことです。私どもは地上と霊界の双方の人間的要素に直面させられどおしです。治療の法則は完全です。が、それが不完全な道具を通じて作用しなければなりません。

人間を通して働かねばならない法則がいかなる結果を生み出すかを、数学的正確さを持って予測することは不可能ということになります。

 たとえ最善の配慮をもってこしらえた計画さえも挫折させるほどの事情が生じることがあります。この人こそと思って選んで開始した何年にもわたる準備計画が、本人の自由意志によるわがままによって水の泡となってしまうことがあります。しかし全体として見れば霊力の地上への投入が大幅に増えていることを喜んでよいと思います。

現実にあなた方が患者の痛みを和らげ、あるいは治癒してあげることができているという事実、苦しむ人々を救うことができているという事実。お仕事が広がる一方で衰えることがないという事実。たとえワラを掴む気持ちからではあっても、あなた方のもとへ大ぜいの人々が救いを求めて来ているという事実、こうした事実は霊力がますます広がりつつあることの証拠です。

霊力によって魂がいったん目を覚ましたら、その人は二度と元の人間には戻らないという考えがありますが、私もそう考えている一人です。言葉には説明しがたい影響、本人も忘れようにも忘れられない影響を受けているものです」


エドワーズ 「その最後の段階で病気の治癒と真理の理解との兼ね合いがうまくいってほしいのですが、霊的高揚というのはなかなか望めないように思います」

 「見た目にはそうです。が、目に見えない影響力がつねに働いております。霊力というのは磁気性をもっており、いったん出来あがった磁気的繋がりは決して失われません。一個の人間があなたの手の操作を受けたということは───〝手〟というのは象徴的な意味で用いたまでです。

実際には身体に触れる必要はありませんから───その時点でその人との磁気的つながりが出来たということです。つまり霊の磁力がその人の〝地金〟を引きつけたということで、その関係は決して切れることはありません。

 その状態を霊の目すなわち霊視力で見ますと、小さな畑の暗い土の中で小さな灯りがともったようなものです。理解力の最初の小さな炎でしかありません。種子が芽を出して土中から頭をもたげたようなものです。暗闇の中から初めて出て来たのです。

 それがあなた方の為すべき仕事です。からだを治してあげるのは結構なことです。それに文句をつける人はいません。が、魂に真価を発揮させること、聖書流に言えば魂に己れを見出させることは、それよりはるかに大切です。魂を本当の悟りへの道に置いてあげることになるからです」

 ここでサークルのメンバーの一人が述べた───「心霊治療で治った人の中には魔術的なものが働いたと考える人がいます。つまり治療家を一種の魔術師と考え、神の道具とは考えません」

 「それは困ったことだと思います。なぜかと言えば、そういう受け取り方はせっかくのチャンスによるもっと大切な悟りの妨げになるからです。霊的な力が治療家を通して働いたのだということを教えてあげれば、病気が治ったということだけで全てが終らずに、それを契機にもっと深く考えるようになるのですが」

エドワーズ 「治療後も霊的な治癒力が働き続けている証拠として、時おり、その時は効果が見えなかった人から一年もたってから〝あれから良くなってきました〟という手紙を受け取ることがあります」

 「当然そうあってしかるべきです。霊的な成長だけは側(はた)からどうしようもない問題なのです。このことに関しては以前にも触れたことがありますが、治療の成功不成功は魂の進化という要素によって支配されております。それが決定的要素となります。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具わらないかぎり絶対に治らないということです。からだは魂の僕(しもべ)です。主人(あるじ)ではありません。」


エドワーズ 「未発達の魂は心霊治療によって治すことができないという意味でしょうか」

 「そういうことです。私が言わんとしているのは、まさにそのことです。ただ、〝未発達〟という用語は解釈の難しいことばです。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。

それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし法則の裏側にまた別の次元の法則があるというふうに、幾重にもなっております。しかるに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることはできません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くということになります。

 物質界の人間は肉体に宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階にあります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。

肉体は霊が到達した発達段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治癒エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことはできないと言うことです。

 苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものはすべて摂理の中に組み込まれているのです。話はまた私がいつも述べていることに戻ってきました。日向と日蔭、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在し得ません」

メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」

 「〝摂理を破る〟という言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言ってください。確かに人間は時として摂理への背反(ハイハン)を通して摂理を学ぶほかはないことがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらすさまざまな〝境遇〟に身を置いてみることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは、魂は成長しません。

 摂理が働かないことは絶対にありません。もし働かないことがあるとしたら、神は神でなくなり、宇宙に調和もリズムも目的もなくなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼を置かねばなりません。なぜなら、人間には宿命的に知ることのできない段階があり、それは信仰心でもって補うほかないからです。

私は知識を論拠として生まれる信仰は決して非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでもすぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識のすべてを手にすることができない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。

といって、その結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。しかたない〟等と言うようになっていただいては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中に置いて本来の霊的責務を果たしていることになるからです。」

 いくつかの質問に答えたあと、さらに───

 「魂はみずから道を切り開いていくものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。この二重の関係が常に続けられております。しかし優位に立っているのは魂です。魂は絶対です。魂はあなたという存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然しごくのことです」

エドワーズ 「それはとても基本的なことであるように思います。さきほど心霊治療によって治るか治らないかは患者自身の発達程度に掛かっているとおっしゃいましたが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療の方に力を入れるべきであるということになるのでしょうか」

 「訪れる患者の魂に働きかけないとしたら、ほかに何に働きかけられると思いますか」

エドワーズ「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されるということでしょうか」

 「そうです。私はそう言っているのです」

エドワーズ 「では私たち治療家は通常の精神面をかまう必要はないということでしょうか」

 「精神もあくまで魂の道具に過ぎません。したがって魂が正常になればおのずと精神状態も良くなるはずです。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も起こりません。魂がさらに発達する必要があります。つまり魂の発達を促すためのいろんな過程を体験しなければならないわけです。それには苦痛を伴います。魂の進化は安楽の中からは得られないからです」


エドワーズ 「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法はないのでしょうか」

 「その点は地上も霊界も同じです」


メンバーの一人「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」

 「真理は真理です。その真理を何と名付けようと、私たち霊界の者には何の違いもありません。要は中味の問題です。かりにクリスチャン・サイエンスの信者が霊の働きかけを得て治り(クリスチャン・サイエンスではそれを否定する───訳者)、それをクリスチャン・サイエンスの信仰のおかげだと信じても、それはそれで良いのです」

エドワーズ 「私たち治療家も少しはお役に立っていることは間違いないと思うのですが、治療家を通じて患者の魂にまで影響を及ぼすというのはとても難しいことです」

 「あなた方は少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなた方地上の治療家がいなくては私たちも仕事になりません。霊界側から見ればあなた方は私たちが地上と接触するための通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路というわけです」

エドワーズ 「流れるというのは何に流れるのですか。肉体ですか、魂ですか」

 「私たちは肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのでしょう」

エドワーズ 「生理状態です」

 「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのでしょう」

エドワーズ 「無くなっています。病気に負けて病的状態になっています」

 「その活力が再びそこを流れはじめたらどうなりますか」

エドワーズ 「腕の動きも戻ると思います」

 「その活力を通わせる力はどこから得るのですか」

エドワーズ 「私たちの意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」

 「腕をむりやり動かすだけではだめでしょう?」

エドワーズ 「力ではどうにもなりません」

 「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れられていた機能が回復すれば、腕は自然に良くなるということです」

メンバーの一人「治療家の役目は患者が生まれつき具わっている機能にカツを入れるということになるのでしょうか」

 「そうとも言えますが、それだけではありません。というのは、患者は肉体をまとっている以上とうぜん波長が低くなっています。それで霊界からの高い波長の霊波を注ぐにはいったん治療家というコンデンサーにその霊波を送って、患者に合った程度まで波長を下げる必要があります。

そういう過程をへた霊波に対して患者の魂がうまく反応を示してくれれば、その治癒効果は電光石火と申しますか、いわゆる奇跡のようなことが起きるわけですが、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢ができていない時は何の効果も生じません。たとえば曲がってた脚を真っすぐにするのはあなた方ではありません。患者自身の魂の発達程度です」


列席者の一人「神を信じない人でも治ることがありますが・・・・・・」

 「あります。治癒の法則は神を信じる信じないにお構いなく働くからです」

───さきほど治癒は魂の進化の程度と関係があると言われましたが・・・・・・

 「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです。いいですか、あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。ですが、喜んでください。あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。

みながみな治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらないことです。と言って、それで満足して努力することを止めてしまわれては困ります。いつも言っているように、神の意志は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。

嵐の日にも神の法則が働いております。成功にも失敗にもそれなりの価値があります。失敗なくしては成功もありません」


 ───信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識を持った人でも意外に思えるほど治療に反応を示さない人がいますが、なぜでしょうか。やはり魂の問題でしょうか。


 「そうです。必ず同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂の問題であり、その魂が進化の過程で到達した段階の問題です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けません」

エドワーズ 「治療による肉体上の変化は私たちにも分かるのですが、霊的な変化は目で確かめることができません」


 「霊視能力者を何人集めても、全員が同じ治療操作を見ることはないでしょう。それほど(患者一人一人に違った)複雑な操作が行われているのです。かりそめにも簡単にやっているかに思ってはなりません。物質と霊との相互関係は奥が深く、かつ複雑です。

肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれにとても複雑なのですから、その両者をうまく操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行きわたっておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏に法則があり、それらが複雑に絡み合っております」

バートン夫人 「肉体上の苦痛は魂に影響を及ぼさないとおっしゃったように記憶しますけど・・・」

 「そんなことを言った憶えはありません。肉体が受けた影響はかならず魂にも及びますし、反対に魂の状態はかならず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしには自我の表現は出来ないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます」

バートン夫人 「では肉体上の苦痛が大きすぎて見るに見かねる時、もしも他に救う手がないとみたら、魂への悪影響を防ぐために故意に死に至らしめるということもなさるのでしょうか」

 「それは患者によります。実際は人間の気まぐれから自然法則の順序を踏まずに無理やりに肉体から分離させられていることが多いのですが、それさえなければ、霊は摂理に従って死ぬべき時が来て自然に離れるものです」

バートン夫人 「でも、明らかに霊界の医師が故意に死なせたと思われる例がありますけど・・・・・・」

 「あります。しかしそれはバランス(埋め合わせ)の法則にのっとって周到な配慮の上で行っていることです。それでもなお魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが」

バートン夫人 「肉体を離れるのが早すぎたために生じるショックですか」

 「そうです。物事にはかならず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げるとかならずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。それがどういうものになるかは個人によって異なります。

あなた方治療家の役目は患者の魂に、それだけの資格ができている場合に、苦痛を和らげてあげることです。その間に調整がなされ、言わば衝撃が緩和されて、魂がしかるべき状態に導かれます」


エドワーズ 「絶対に生き永らえる望みなしと判断したとき、少しでも早く死に至らしめるための手段を講じることは許されることでしょうか許されないことでしょうか」

 「私はあくまで〝人間は死すべき時が来て死ぬべきもの〟と考えています」



エドワーズ 「肉体の持久力を弱めれば死期を早めることになります。痛みと苦しみが見るに見かね、治る可能性もないとき、死期を早めてあげることは正しいでしょうか」

 「あなた方の辛い立場はよく分かります。また私としても好んで冷たい態度をとるわけではありませんが、法則はあくまでも法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備ができた時に来るべきです。それはちょうど柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さないうちにもぎ取ってはいけません。私はあくまでも自然法則の範囲内で講ずべき手段を指摘しております。

たとえば薬や毒物ですっかり身体をこわし、全身が病的状態になっていることがありますが、身体はもともとそんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。

そういう観点から考えていけば、どうすれば良いかはおのずと決まってくると思います。何ごとも自然の摂理の範囲内で処置すべきです。本人も医者も、あるいは他の誰によってもその摂理に干渉すべきではありません。もちろん、良いにせよ悪いにせよ、何らかの手を打てばそれなりの結果が生じます。

ですが、それが本当に良いことか悪いことかは霊的法則にどの程度まで適っているかによって決まることです。つまり肉体にとって良いか悪いかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」


 同じくエドワーズ氏とバートン夫妻が出席した別の日の交霊会で、シルバーバーチはこう強調した。

 「霊力の真の目的は(病気が縁となって)あなた方のもとを訪れる人の魂を目覚めさせることです。自分が本来霊的な存在であり、物的身体は自分ではないことに気づかないかぎり、その人は実在に対してまったく関心を向けないまま地上生活を送っていることになります。言わば影の中で幻を追いかけながら生きていることになります。

実在に直面するのは真の自我、すなわち霊的本性に目覚めた時です。地上生活の目的は、帰するところ自我を見出すことです。なぜなら、いったん自我を見出せば、それからというものは(分別のある人であれば)内部に宿る神性をすすんで開発しようとするからです。

残念ながら地上の人間の大半は真の自分というものを知らず、したがって不幸や悲劇に遭うまで自分の霊的本性に気づかないのが実情です。光明の存在に気づくのは人生の闇の中でしかないのです。

 あなた方がお会いになるのは大半が心身に異常のある方たちです。治療を通じてもしその人たちに自分が霊的存在であるとの自覚を植えつけることができたら、もしその人たちの霊的本性を目覚めさせることができたら、もし内部の神の火花を点火させることができたら、やがてそれが炎となってその明かりが生活全体に輝きをもたらします。

もとより、それは容易なことではありません。でも、たとえ外れた関節を元どおりにするだけのことであっても、あるいは何となく不調を訴えた人がすっきりしたというだけのことであっても、そうした治療を通じてその人に自分が肉体を具えた霊的存在であり霊を具えた肉体的存在ではないことを理解させることに成功すれば、あなた方はこの世で最大の仕事をしていることになるのです。

 私どもが肉体そのものよりもその奥の霊により大きな関心を向けていることを理解していただかねばなりません。

霊が正常であれば肉体は健康です。霊が異常であれば、つまり精神と肉体との関係が一直線で結ばれていなければ、肉体も正常ではありえません。この点をよく理解していただきたいのです。なぜなら、それはあなた方がご苦労なさっているお仕事において、あなた方自身にも測り知ることのできない側面だからです。

完治した人、痛みが和らいだ人、あるいは回復の手応えを感じた人があなた方へ向ける感謝の気持も礼も、魂そのものが目覚め、内部の巨大なエネルギー源が始動しはじめた事実にくらべれば、物の数ではありません。

 あなた方は容易ならざるお仕事にたずさわっておられます。犠牲と献身を要求される仕事です。困難のさなかにおいて為される仕事であり、その道は容易ではありません。

しかし先駆者のたどる道はつねに容易ではありません。奉仕的な仕事には障害はつきものです。かりそめにもラクな道、障害のない道を期待してはなりません。障害の一つ一つ、困難の一つ一つが、それを乗り越えることによって霊の純金を磨き上げるための試練であると心得て下さい」



エドワーズ 「魂の治療の点では私たち治療家の役割よりも霊界の治療家の役割の方が大きいのですか」

 「当然そうなりましょう」



エドワーズ 「そうすると私たちが果たす役目は小さいということでしょうか」

 「小さいとも言えますし大きいとも言えます。問題は波長の調整にあります。大きく分けて治療には二通りの方法があります。一つは治癒エネルギーの波長を下げて、それを潜在エネルギーの形で治療家自身に送ります。それを再度治癒エネルギーに還元してあなた方が使用します。

もう一つは、特殊な霊波を直接患者の意識の中枢に送り、魂に先天的に具わっている治癒力を刺激して、魂の不調和すなわち病気を払いのける方法です。こう述べてもお分かりにならないでしょう」



エドワーズ 「いえ、理屈はよく分ります。ただ現実に適応するとなると・・・・・・」

 「では説明を変えてみましょう。まず、そもそも生命とは何かという問題ですが、これは地上の人間にはまず理解できないと思います。なぜかというと、生命とは本質において物質とは異なるものであり、いわゆる理化学的研究の対象とはなり得ないものだからです。

で、私はよく生命とは宇宙の大霊のことであり、神とはすなわち大生命のことだと言うのですが、その意味は、人間が意識を持ち、呼吸し、歩き、考えるその力、また樹木が若葉をまとい、鳥がさえずり、花が咲き、岸辺に波が打ち寄せる、そうした大自然の脈々たる働きの背後に潜む力こそ、宇宙の大霊すなわち神なのだというのです。同じ霊力の一部であり一つの表現なのです。

 あなた方が今そこに生きておられる事実そのものが、あなた方も霊であることを意味します。ですから同じく霊である患者の霊的進化の程度に応じたさまざまな段階で、その霊力を注入するというのが心霊治療の本質です。

ご承知のとおり病気には魂に起因するものと純粋に肉体的なものとがあります。肉体的なものは治療家が直接触れる必要がありますが、霊的な場合は今のべた生命力を活用します。が、この方法にも限界があります。

あなた(エドワーズ)の進化の程度、協力者のお二人(バートン夫妻)の進化の程度、それに治療を受ける患者自身の進化の程度が絡み合って自然にできあがる限界です。また、いわゆる因縁(カルマ)というものも考慮しなくてはなりません。因果律です。これは時と場所とにおかまいなく働きます」


エドワーズ 「魂の病にもいろいろあってそれなりの影響を肉体に及ぼしていると思いますが、そうなると病気の一つ一つについて質の異なる治癒エネルギーが要るのではないかと想像されますが・・・・・・」
  
 「まったくその通りです。人間は三位一体の存在です。一つは今述べた霊(スピリット)で、これが第一原理です。存在の基盤であり、種子であり、すべてがそこから出ます。次にその霊が精神(マインド)を通じて自我を表現します。これが意識的生活の中心となって肉体(ボデイ)を支配します。この三者が融合し、互いに影響し合い、どれ一つ欠けてもあなたの存在は無くなります」


エドワーズ 「一方通行ではないわけですね」

 「そうです。霊的ならびに精神的発達の程度に従って肉体におのずから限界が生じますが、それを意識的鍛錬によって信じられないほど自由に肉体機能を操ることが出来るものです。インドの行者などは西洋の文明人には想像も出来ないようなことをやってのけますが、精神が肉体を完全に支配し思いどおりに操るように鍛錬したまでのことです」


エドワーズ 「心霊治療が魂を目覚めさせるためのものであり、霊が第一原理であれば、霊界側からの方がよほどやり易いのではないでしょうか」

 「そうも言えますが、逆の場合の方が多いようです。と言うのは、死んでこちらへ来た人間でさえ霊的波長よりは物的波長の中で暮らしている(地縛の)霊が多いという事実からもお分かりの通り、肉体をまとった人間は、よほど発達した人でないかぎり、たいていは物的な波長にしか反応を示さず、私たちが送る波長にはまったく感応をしないものです。

そこであなた方地上の治療家の存在が必要となってくるわけです。霊的波長にも物的波長にも感応する連結器というわけです。治療家に限らず霊能者と言われている人が常に心の修養を怠ってはならない理由はそこにあります。霊的に向上すればそれだけ仕事の範囲が広がって、より多くの価値ある仕事ができます。

そのように法則ができあがっているのです。ですが、そういう献身的な奉仕の道を歩む人は必然的に孤独な旅を強いられます。ただ一人、前人未踏の地を歩みながら、後の者のための道しるべを立てていくことになります。あなたにはこの意味がお分かりでしょう。すぐれた特別の才能にはそれ相当の義務が生じます。両手に花とはまいりません」


エドワーズ 「さきほど治癒エネルギーのことを説明されたとき、霊的なものが物的なものに転換されると言われましたが、その転換はどこで行われるのでしょうか。どこかで行われるはずですが・・・・・・」

 「使用するエネルギーによって異なります。信じられない方がいらっしゃるかも知れませんが、いにしえの賢人が指摘している〝第三の目〟とか太陽神経叢などを使用することもあります。そこが霊と精神と肉体の三者が合一する〝場〟なのです。これ以外にも患者の潜在意識を利用して健康な時と同じ生理反応を起こさせることによって失われた機能を回復させる方法があります」


エドワーズ 「説明されたところまでは分かるのですが、その〝中間地帯〟がどこにあるかがよく分りません。どこで物的状態と霊的治癒エネルギーとがつながるのか、もっと具体的に示していただきたいのです。どこかで何らかの形で転換が行われているに違いないのですが・・・・・・」


 「そんなふうに聞かれると、どうも困ってしまいます。弱りました。分かっていただけそうな説明がどうしてもできないのです。強いて譬えるならば、さっきも言ったコンデンサーのようなことをするのです。コンデンサーというのは電流の周波を変える装置ですが、大体あんなものが用意されていると想像してください。

エクトプラズムを使用することもあります。ただし実験会での物質化現象や直接談話などに使用するものとは形態が異なります。もっと微妙な、目に見えない・・・」


エドワーズ 「一種の〝中間物質〟ですか」

 「そうです。霊の念波を感じやすく、しかも物質界でも使用できる程度の物質性を具えたもの、とでも言っておきましょうか。それと治療家のもつエネルギーが結合してコンデンサーの役をするのです。そこから患者の松果体ないしは太陽神経叢を通って体内に流れ込みます。その活エネルギーは全身に行きわたります。電気的な温みを感じるのはその時です。

知っておいていただきたいことは、とにかく私たちのやる治療法には決まった型というものが無いということです。患者によってみな治療法が異なります。また霊界から次々と新しい医学者が協力に参ります。

そして新しい患者は新しい実験台として臨み、どの放射線を使用したらどういう反応が得られたかを細かく検討します。なかなか渉(はかど)らなかった患者が急に快方へ向かいはじめることがあるのは、そうした霊医の研究結果の表れです。

また治療家のところへ行く途中で治ってしまったりすることがあるのも同じ理由によります。実質的な治療というのは、あなた方が直接患者と接触する以前にすでに霊界側において大部分が済んでいると思って差支えありません」


エドワーズ 「そうするともう一つの疑問が生じます。いま霊界にも大ぜいの霊医がいると申されましたが、一方で遠隔治療を受けながら別の治療家のところへ行くという態度は、治療にたずさわる霊医にとって困ったことではないでしょうか」

 「結果をみて判断なさることです。治ればそれでよろしい」


エドワーズ 「なぜそれでいいのか、理屈が分からないとわれわれ人間は納得できないのですが」

 「場合によってはそんなことをされると困ることもありますが、まったく支障にならないこともあります。患者によってそれぞれ事情が違うわけですから、一概に言い切るわけにはまいりません。あなただって患者を一目見て、これは自分に治せる、とは判断できますまい。

治せるか否かは患者と治療家の霊格によって決まることですから、あなたには八分通りしか治せない患者も、他の治療家のところへ行けば全治するかもしれません。

条件が異なるからです。その背後つまり霊界側の複雑な事情を知れば知るほど、こうだ、ああだと、断定的な言葉は使えなくなるはずです。神の法則には無限の奥行があります。あなたがた人間としては正当な動機と奉仕の精神にもとづいて、精一杯、人事を尽くせばよいのです。こうすれば治る、これでは治らないとかを予断できる者はいません」


エドワーズ 「細かい点は別として、私たちが知りたいのは、霊界の医師は必要とあらばどこのどの治療家にも援助の手を差しのべてくれるかということです」

 「霊格が高いことを示す一ばんの証明は人を選り好みしないということです。私たちは必要とあらばどこへでも出かけます。これが高級神霊界の鉄則なのです。あなた方も患者を断わるようなことは決してなさってはいけません。

あなたがたはすでに精神的にも霊的にも本質において永遠の価値を持った成果をあげておられます。人間的な目で判断してはいけません。あなたがたには物事のウラ側を見る目がないのです。したがって自分のしたことがどんな影響を及ぼしているかもお分かりになりません。

しかし実際にはご自分で考えておられるよりはるかに多くの貢献をしておられます。あなたがたの貢献は地上で為しうる最大のものの一つであることに自信をもってください。

一生けんめい治療なさって何の反応も生じなくても、それはあなたの責任でもありませんし、あなたの協力者(バートン夫妻───たとえばエドワーズ氏が患者の頭部に手を当てバートン夫妻が左右の手を握って祈念するという形での協同治療のことで、エドワーズ氏に代って夫妻が治療するという意味ではない───訳者)の責任でもありません。

すべては自然の摂理の問題です。ご承知のように奇跡というものは存在しません。すべては無限なる愛と無限なる叡知によって支配されているのです。

 あなたと、協力者のお二人に申し上げます。つねに霊の光に照準をあてるように心がけて下さい。この世的な問題に煩わされてはなりません。(エドワーズ氏は治療費を取らず自発的な献金でまかなっていたために慢性的な資金不足の問題をかかえ、借り入れ金の返済も滞りがちで、運営の危機に直面したことが何度かある───訳者)

これまで幾つもの困難に遭遇し、これからも行く手に数々の困難が立ちはだかることでしょうが、奉仕の精神に徹している限り、克服できない障害はありません。すべてが克服され、奉仕の道はますます広がっていくことでしょう。あなたがたのお仕事は人々に苦痛の除去、軽減、解放をもたらすだけではありません。

あなたがたの尊い献身ぶりを見てそれを見習おうとする心を人々に植えつけています。そしてそれがあなたがたをさらに向上の道へと鼓舞することになります。私たちはまだまだ霊的進化の頂上を極めたわけではありません。まだまだ、先ははるかです。なぜなら、霊の力は神と同じく無限の可能性を秘めているのです」


サークルの一人「患者としてはあくまで一人の治療家のお世話になるのが好ましいのでしょうか」

 「それは一般論としてはお答えしにくい問題です。なぜかと言いますと、大切なのはその患者の霊的状態と治療家の霊的状態との関連だからです。心霊治療にもいろいろと種類があることを忘れてはなりません。霊的な力をまったく使用しないで治している人もいます。自分の身体のもつ豊富な生体エネルギーを注入することで治すのです。

霊の世界はまったく係わっておりません。それは決していけないことではありません。それも治療法の一つというにすぎません。ですから、患者のとるべき態度について戒律をもうけるわけにはまいりません。ただし、一つだけ好ましくない態度を申せば、次から次へと治療家をかえていくことです。それでは治療家にちゃんとした治療を施すチャンスを与えていないことになるからです。

私たち霊界の者は何とか力になってあげたいと臨んでいても、そういう態度で訪れる人の周りには一種のうろたえ、感情的なうろたえの雰囲気が漂い、それが霊力の働きかけを妨げます。ご承知のように、霊力が一番働きやすいのは受身的な穏やかな雰囲気の時です。その中ではじめて魂が本来の自分になりきれるからです」


エドワーズ 「一人の治療家から直接の治療を受けながら別の治療家から遠隔治療を受けるというのはどうでしょうか」

 「別に問題はありません。現にあなたはそれを証明しておられます。他の治療家に治療してもらっている人をあなたが治されたケースが幾つもあります」
    

バートン氏 「私は祈りの念が霊界へ届けられる経路について考えさせられることがよくあります。祈り方にもいろいろあり、特に病気平癒の祈願が盛んに行われています。その一つとして患者へ向けて祈念する時間が長いほど効果があると考えている人がいます。いったい祈りは霊界でどういう経路で届いているのか知りたいのですが」

 「この問題も祈りの動機と祈る人の霊格によります。ご承知の通り宇宙はすみからすみまで法則によって支配されており、偶然とか奇跡とかは絶対に起こりません。もしもその祈りが利己心から発したものであれば、それはそのままその人の霊格を示すもので、そんな人の祈りで病気が治るものでないことは言うまでもありません。

ですが、自分を忘れ、ひたすら救ってあげたいという真情から出たものであれば、それはその人の霊格が高いことを意味し、それほどの人の祈りは高級神霊界にも届きますし、自動的に治療効果を生む条件を作り出す力も具わっています。要するに祈る人の霊格によって決まることです」


バートン氏「祈りはその人そのものということでしょうか」

 「そういうことです」

バートン氏「大主教による仰々しい祈りよりも素朴な人間の素朴な祈りの方が効果があるということでしょうか」

 「地位には関係がありません。肝心なのは祈る人の霊格です。大主教が霊格の高い人であればその祈りには霊力が具わっていますが、どんなに立派な僧衣をまとっていても、筋の通らない教義に凝り固まった人間でしたら何の効果もないでしょう。

もう一ついけないのは集団で行う紋切り型の祈りです。案外効果は少ないものです。要するに神は肩書や数ではごまかされないということです。祈りの効果を決定づけるのは祈る人の霊格です。

 祈りとは本来、自分の波長を普段以上に高めるための霊的な行為です。波長を高め、人のために役立ちたいと祈る行為はそれなりの効果を生み出します。あなたが抱える問題について神は先刻ご承知です。

神は宇宙の大霊であるが故に宇宙間の出来ごとのすべてに通じておられます。神とは大自然の摂理の背後の叡知です。したがってその摂理をごまかすことは出来ません。神をごまかすことは出来ないのです。あなた自身さえごまかすことは出来ません」


バートン夫人「治療の話に戻りますが、患者が信仰心を持つことが不可欠の要素だと言う人がいますし、関係ないと言う人もいます。どうなのでしょうか」

 「心霊治療に限らず霊的なことには奥には奥があって、一概にイエスともノーとも言い切れないことばかりなのです。信仰心があった方が治りやすい場合が確かにあります。霊的知識に基づいた信仰心は魂が自我を見出そうとする一種の憧憬ですから、魂に刺激を与えます。あくまで自然の摂理に関する知識に基づいた信仰でして、何か奇跡でも求めるような盲目の信仰ではだめです。反対に、ひとかけらの信仰心がなくても、魂が治るべき段階まで達しておれば、かならず治ります」


バートン夫人 「神も仏もないと言っている人が治り、立派な心がけの人が治らないことがあって不思議に思うことがあります」

 「その線引きは魂の霊格によって決まります。人間の観察はとかく表面的で内面的でないことを忘れてはなりません。魂そのものが見えないために、その人がそれまでにどんなことをしてきたかが判断できません。

治療の結果を左右するのはあくまでも魂です。ご承知の通り私も何千年か前に地上で幾ばくかの人間生活を送ったことがあります。そして死後こちらでそれより遥かに永い霊界生活を送ってきましたが、その間、私が何にもまして強く感じていることは、大自然の摂理の正確無比なことです。

知れば知る程その正確さ、その周到さに驚異と感嘆の念を強くするばかりなのです。一分(いちぶ)の狂いも不公平もありません。地上だけではありません。私どもの世界でも同じです。差引勘定をしてみれば、きちんと答えが合います。

 何事も憂えず、ただひたすら心に喜びを抱いて、奉仕の精神に徹して仕事をなさることです。そして、あとのことは神にお任せすることです。それから先のことは人間の及ぶことではないのです。

あなた方は所詮、私たちスピリットの道具に過ぎません。そして私たちも又、さらに高い神霊界のスピリットの道具に過ぎません。自分より偉大なる力がすべてを佳きに計らってくれているのだと信じて、すべてをお任せすることです」


 最後に、別の日の交霊会で再び心霊治療の話題が取り上げられた時の注目すべき霊言を紹介しておこう。パキスタンから招待された人が〝見たところ何でもなさそうな病気がどうしても治らないことがあるのはなぜでしょうか〟と尋ねたのに対して、シルバーバーチはこう答えた。

 「不治の病というものはありません。すべての病気にそれなりの治療法があります。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥に又法則があるのです。知識は新しい知識へ導き、その知識がさらに次の知識へと導きます。理解には際限がありません。叡知は無限です。

こう申し上げるのは、いかなる質問にも簡単な答えは出せないということを知っていただきたいからです。すべては魂の本質、その構造、その進化、その宿命に関わることだからです。

 地上の治療家からよくこういう言い分を聞かされます───〝この人が治ったのになぜあの人は治らないのですか。愛と、治してあげたいという気持ちがこれだけあるのに治らなくて、愛も感じない、見ず知らずの人が簡単に治ってしまうことがあるのはなぜですか〟と。

そうしたことはすべて法則によって支配されているのです。それを決定づける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活によって定まるだけでなく、しばしば前生での所業が関わっていることがあります。霊的な問題は地上的な尺度では計れません。人生の全てを物質的な尺度で片付けようとすると誤ります。

しかし残念ながら、物質の中に閉じ込められているあなた方は、とかく霊の目を持って判断することができず、そこで、一見したところ不正と不公平ばかりが目につくことになります。

 神は完全なる公正です。神の叡知は完全です。なぜなら完全なる摂理として作用しているからです。あなた方の理解力が一定の尺度に限られている以上、宇宙の全知識を極めることは不可能です。どうか〝不治の病〟という観念はお持ちにならないでください。

そういうものは存在しません。治らないのは往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵、ないしは完治を手にする資格を身につけていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いているということです。

こんなことを申し上げるのは、あきらめる観念を吹聴するためではありません。たとえ目に見えなくても、何ごとにも摂理というものが働いているという原則を指摘しているのです」
   
         

シルバーバーチの霊訓(六)

Silver Birch Speaks Again

Edited by S. Phillips
近藤千雄訳



編者まえがき

 ハンネン・スワッハー・ホームサークルの指導霊としてあまねく知られているシルバーバーチの霊言集はすでに数冊出版されているが、読者の要望にお応えして新たにこの一冊が加えられることになったのは有難いことである。これが六冊目となる。他に小冊子が二冊、訓えを要約したものと祈りの言葉を精選したものとが出ている。

 もとより活字ではシルバーバーチの温かい人間味が出せないし、ほとばしり出る愛を伝えることはできない。シルバーバーチは実に威厳のある霊であり、表現が豊かであり、その内容に気高さがあり、しかも喜んで人の悩みに耳を傾け、何者をも咎めることをしない。単純素朴さがその訓えの一貫した性格であり、真理の極印を押されたものばかりである。

 交霊会を年代順に追ったものとしては本書が最初である。一章の中に一回の交霊会の始めから終りまでをそっくり引用したものもあるが、他の二、三の交霊会から部分的に引用して構成したものもある。

私はなるべく同じ霊訓の繰り返しにならないようにしようと思ったが、それはしょせん無理な話だった。シルバーバーチの霊訓の真髄は基本的な霊的真理をさまざまな形で繰りかえして説くことにあるからである。内容的には同じことを言っていても煩をいとわず、その時の言葉をそのまま紹介しておいた。

 これまでの霊言集の中でも説明されているように、シルバーバーチの霊言は速記者によって記録されている。が、シルバーバーチは英語を完璧にマスターしているので、引用に際してはただコンマやセミコロン、ピリオドを文章の流れ具合によって付していくだけでよく、それだけで明快そのものの名文ができあがる。これは驚くべきシルバーバーチの文章能力の為せるわざである。

 さらに付け加えておきたいことは、シルバーバーチはその文章をスラスラと淀みなく口に出しているということである。質疑応答となると、質問者が言い終わるとすぐに答えが返ってくる。

そのあまりの速さに、初めて出席した人は、その会が打ち合わせなしのぶっつけ本番であることが信じられないほどである。

 古くからのシルバーバーチファンは本書を大歓迎してくださるであろうし、初めての方も、本書を読まれることによってきっとシルバーバーチを敬愛する数多くの読者の仲間入りをされることであろう。  
                              S ・ フィリップス



 一章 神への祈り
 いつの交霊会でもシルバーバーチはかならず祈りの言葉で開会する。延べにして数百を数える祈りの中には型にはまった同じ祈りは一つもない。しかしその中味は一貫している。次はその典型的なもののひとつである。

 「神よ、いつの時代にも霊覚者たちは地上世界の彼方に存在する霊的世界を垣間みておりました。ある者は霊視状態において、ある者は入神(トランス)の境地において、そして又ある者は夢の中においてそれを捉え、あなたの無限なる荘厳さと神々しき壮麗さの幾ばくかを認識したのでした。

不意の霊力のほとばしりによる啓示を得て彼らはこれぞ真理なり───全宇宙を支配する永遠にして不変・不動の摂理であると公言したのでした。

 今私どもは彼らと同じ仕事にたずさわっているところでございます。すなわちあなたについての真理を広め、子等があなたについて抱いてきた名誉棄損ともいうべき誤った認識を正すことでございます。

これまでのあなたは神として当然のことであるごとく憎しみと嫉妬心と復讐心と差別心を有するものとされてきました。私どもはそれに代わってあなたの有るがままの姿───愛と叡知と慈悲をもって支配する自然法則の背後に控える無限なる知性として説いております。

 私どもは地上の人間一人ひとりに宿るあなたの神的属性に目を向けさせております。そしてあなたの神威が存分に発揮されるにはいかなる生き方をすべきかを説こうと努めているものでございます。

そうすることによって子等もあなたの存在に気付き、真の自分自身に目覚め、さらにはあなたの摂理の行使者として、彼らを使用せんとして待機する愛する人々ならびに高級界の天使の存在を知ることでございましょう。

 私どもはすべての人類を愛と連帯感を絆として一体であらしめたいと望んでおります。そうすることによって協調関係をいっそう深め、利己主義と強欲と金銭欲から生まれる邪悪のすべてを地上からいっそうすることができましょう。

そして、それに代ってあなたの摂理についての知識を基盤とした地上天国を築かせたいのです。その完成の暁には人類は平和の中に生き、すべての芸術が花開き、愛念が満ちあふれ、すべての者が善意と寛容心と同情心を発揮し合うことでしょう。地上を醜くしている悪徳(ガン)が姿を消し、光明がすみずみまで行きわたることでしょう。

 ここに、己れを役立てることをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます」