Tuesday, September 8, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

 Silver Birch Companion

スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳




二章  死は第二の人生の始まり


 一寸先は闇の世の中といわれる人生において、一つだけ確実に予言できることがある。みんな〝いつかは死ぬ〟ということである。若くして死ぬ人がいる───往々にして悲劇的環境の中で・・・・・・長寿番付に名を連ねて、大往生を遂げる人もいる。が、おそかれ早かれ、みんないつかは死ぬのである。

 死について、また死後の生命について、いくら明るく健全な知識を手にした人でも、やはり身近な人の死は辛く悲しい体験であることには間違いない。ある日の交霊会でシルバーバーチは、こう述べた。

 「私の説く真理を極めてあたり前のことと受け取る方がいらっしゃるでしょう。すでにたびたびお聞きになっておられる方はそうでしょう。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮、さまざまな発達段階にある人類を相手にしていることですから、それは当然のことでしょう。

 私の述べることがどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定なさる方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人とみなされている人種の言っていることだということで一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし、真理は真理であるがゆえに真理であり続けます。

 あなた方にとって当たり前となってしまったことが、人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神とつながっている───私たち霊団が携えてくるメッセージは、いつもこれだけの単純な事実です。

神とのつながりは絶対に切れることはありません。時には強められ、時には弱められたりすることはあっても、決して断絶してしまうことはありません。

 人間は向上もすれば堕落もします。神のごとき人間になることもできれば、動物的人間になることもできます。自由意志を破壊的なことに使用することもできますし、建設的なことに使用することもできます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。

 こうした真理は、教会で朗唱するためにあるのではありません。日常生活において体現していかなくてはなりません。飢餓、失業、病気、貧民街(スラム)といった、内部に宿る神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすることにつながらなくてはいけません。
℘41
 私たちのメッセージは全人類を念頭においております。いかなる進化の段階にあろうと、そのメッセージには、人間の全てが手に取り、理解し、そして吸収すべきものを十分に用意してあります。

 人類が階段の一つに足を置きます。すると私たちは、次の階段でお待ちしています。人類がその段まで上がってくると、また次の段でお待ちします。こうして一段又一段と宿命の成就へ向けて登っていくのです」

 
 別の交霊会で肉親を失って、その悲しみに必死に耐えている人に対して、シルバーバーチがこう述べた。

 「あなたの、霊の世界を見る目が遮られているのが残念です。霊の声を聞く耳が塞がれているのが残念です。その肉体の壁を越えてご覧になれないのが残念です。今生きておられる世界が影であり実在でないことを悟っていただけないのが残念です。

あなたの背後にあって絶え間なく世話を焼いている霊の働きをご覧に入れられないのが残念でなりません。数々の霊───あなたのご存じの方もいれば、人類愛から手を指しのべている見ず知らずの人もいます───が、あなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたなら、どんなにか慰められるでしょうに・・・・・・。地上は影の世界です。実在ではないのです。

 私たちの仕事は、こうした霊媒を通してのものばかりではありません。もちろん、人間世界特有の (言語によって意思を伝える) 手段によって私たちの実在を知っていただけることを有り難く思っておりますが、実際には、皆さんの目に見えず耳に聞こえずとも、みなさんの現実の世界に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、みなさんの性格を伸ばし、魂を開発しております。

そうした中でこそ死後の生活に備えて、霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘うことができるのです」



 ある年の復活祭(イースター)の季節にシルバーバーチは〝死〟を一年の四季の巡りになぞらえて、こう語った。

 「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠の巡りに思いを馳せて御覧なさい。すべての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そして又、次の春までの眠りに備えて大自然が声をひそめはじめる秋。

 地上は今まさに大自然の見事な顕現───春・イースター・蘇り───季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりで安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が、いっせいに地上へ顕現する時期です。

間もなくあなた方の目にも樹液の活動が感じられるようになり、やがてつぼみが、若葉がそして花が目に入るようになります。地上全体の新しい生命の大合唱が響きわたります。
℘44
 こうしたことから、皆さんに、太古においては宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知っていただきたいのです。

彼らは移り行く大自然のドラマの星辰の動きの中に神々の生活、自分たちを見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。自分たちの生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として、最も大切に考えました。

 同じサイクルが人間一人一人の生命において繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しているのです。

 まず意識の目覚めと共に春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。が、それですべてが終わりとなるのではありません。

それは物的生命の終わりです。冬が終わると、その魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。

 この教訓を大自然から学びとってください。そして、これまで自分を見捨てることのなかった摂理は、これ以降も自分を、そして他のすべての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信して下さい」


 スピリチュアリズムの普及に活躍していた同志が他界したとの報に接して、シルバーバーチはこう語った。

 「大収穫者である神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後に辿る道をより明るく飾ることをなさいます。

 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命のよろこびを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。

私はつねづね〝死〟は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、よろこんでいることを説いております。
℘46
 ここにおいでの方は、他界した者は決してこの宇宙からいなくなったわけではないとの知識を獲得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると、必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及のために奮戦している私たちの仕事に協力してくれているということです。

 その闘いは地上の至る所で、日夜続けられております───霊の勢力と、醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一時は後退のやむなきに至り、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお陰で勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進しつづけます。

 いずれあなた方も、その戦いにおいて果たされたご自分の役割、すなわち大勢の人々に慰めと知識を与えてあげている事実を知って、大いなる喜びに浸ることになりましょう。

今は、それがお分かりにならない。私たちと共に推進してきた仕事によって、生きるよろこびを得た人が世界各地に無数にいることを、今はご存じありません。

 実はあなた方も、こうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、なるほどと得心がいき、心の傷と精神の煩悶と魂の憧憬のすべてに応えてくれる真実を求めている、飢えた魂にとって何ものにも替え難い宝となっております。
℘47
 太古の人間が天を仰いで福音を祈り求めたように、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新しいしるしを求めて天を仰いできました。

そこで私たちが、あなた方の協力を得て、真実の知識をお持ちしたのです。それは、正しく用いさえすれば、必ずや神の子の全てに自由を───魂の自由・精神の自由だけでなく、身体の自由までも───もたらしてくれます。

 私たちが目的としているのは、魂を解放することだけではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることも大切です。つまり私たちの仕事には三重の目的があります。すなわち精神の解放と、魂の解放、身体の解放です。

 そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと、取り越し苦労性の人たちから、そう何もかもうまく行くものではないでしょうという反論に遭うであろうことは、私もよく承知しております。

しかし事実、私たちの説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私たちの説く霊的真理の適用できない側面はありません。
℘48  
 挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住居を提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いておられる時、それは実は、私たち霊の世界からやってくる者の仕事の一部であることを知っていただきたいのです。

そうした俗世的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱く様でなければなりません。

 その真理にいかなる肩書き(ラベル)をつけようと構いません。政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル───どれでもお好きなものを貼られるがよろしい。が、

それ自体は何の意味もありません。大切なのは、その真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に、生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」

℘49  
 そして最後に〝死〟にまつわる陰湿な古い概念の打破を説いて、こう述べた。

 「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私たちはこうした形で週一回お会いしてわずかな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し、接触を深めていく上で役立っております。

毎週毎週、あなた方の霊そのものが影響力を受けて、それが表面へ出ております、その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。


 また、こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも、役に立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。

なぜなら、人間は毎日、毎時間、毎分、あくせくと物的生活に必要なものを追い求めているうちに、つい、その物的なものが殻に過ぎないことを忘れてしまいがちです。それは実在ではないのです。

 鏡に映るあなたは、本当のあなたではありません。真実のあなたの外形を見ているに過ぎません、身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具にすぎません。

 その身体があなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力───全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の成長と進化を統制し、太陽を輝かせ、星をきらめかせている大霊の一部なのです。

 その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。

それは、あらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方が想像するいかなるものよりも偉大なる存在なる存在です。

 あなたはまさに一個の巨大な原子───無限の可能性を秘めながら、今は限りある形態で自我を表現している、原子のような存在です。身体の内部に、いつの日か、全ての束縛を押し破り、真実のあなたにとって相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。

そうなることをあなた方は〝死〟と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。それは、相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思いこんでいる証拠です。

 しかし、死は生命に対して何の力も及ぼしません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼすことはできません。物的なものは、所詮、霊的なものには敵わないのです。

もしあなたが霊眼を持って眺めることができたら、もし霊耳を持って聞くことができたら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることができたら、その時こそ、肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で、意気揚々として、うれしさいっぱいの、蘇った霊をご覧になることができるでしょう。


 その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空に放たれたことに涙してはいけません。よろこんであげるべきです。

そして、その魂が真の自由を見出したことで、いま地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば、同じ自由、同じ喜びを味わうことができることを知って下さい。

 これで死の意味がお分かりになるはずです。そして、死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎないことを得心なさるはずです。

 他界してその自由を味わったのちに開発される霊力を、今ここであなた方に身を持って実感していただけないことを、私は実に残念に思います。しかし、あなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇をなくすことができます。

 人間はもう、何世紀にもわたって迷わされ続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途をたどっております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」

Monday, September 7, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion
スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳






巻頭言   

 あなたがもし古い神話や伝来の信仰をもって、これで十分と思い、あるいは、すでに真理の頂上を極めたと自負されるならば、本書は用はありません。

 しかし、もし人生とは一つの冒険である事、魂は常に新しい視野、新しい道を求めてやまないものである事をご承知ならば、是非本書をお読み頂いて、世界の全ての宗教の背後に埋もれてしまった必須の真理を見出して頂きたい。

 そこには、全ての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つありません。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必須不可欠の霊的知識が語られています。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明かりを灯し、魂を豊かにしてくれることでしょう。                              シルバーバーチ

    
                    

  古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル  訳者  近藤 千雄

  〇 霊言が始まるまで

一九二〇年から六〇年もの長きにわたってシルバーバーチと名のる〝霊〟の霊媒をつとめることになるモーリス・バーバネルは、その年までは霊的なものに関心もなければ、特別な霊的体験もない、ごく普通の人間だった。それどころか、むしろ宗教とか信仰とかいったものを嫌悪する傾向すらあった。

 というには、母親は敬虔なクリスチャンで教会通いも欠かすことがなかったが、父親はそういうことにはまったく無関心で、それを咎める母との間で口ゲンカが絶えなかったからである。

それが、自然、そういう性向を生んだのだろうと、自伝風の記事の中で述べている。従ってバーバネルは、生涯、バイブルと言うものを一度も繙いたことがなかったという。

 そのことが、実は、後に大きな意味をもつことになる。通常意識の時はかたことも出てこないバイブルのことばが、シルバーバーチが語り始めると、とうとうと出てくるのである。

それはつまり両者がまったく別人格であること───言いかえれば、シルバーバーチはバーバネルの潜在意識でないことの証拠となるわけである。絶対的証拠とは言えないまでも、有力な証拠であることは間違いないであろう。

 そのバーバネルが霊的なことに関わり合いを持つに至ったのは十八歳のときで、無報酬で司会役をしていた文人ばかりの社交クラブで当日の講演者がスピリチュアリズムの話題を持ち出したことがきっかけだった。講演のあとバーバネルはその講演者からロンドンの東部地区で催されているという〝交霊会〟なるものに誘われた。

 妻のシルビアと共に訪れてみると、霊媒はブロースタインという中年の女性で、トランス状態 (昏睡または無意識状態) に入ると、その人の口を使って代るがわる、いろんな国の死者の〝霊〟がしゃべる───そう説明された。が、当時のバーバネルにはそんなことがまるで信じられず、バカバカしく思えて仕方がなかったという。

 ところが、二度目に訪れた時、バーバネルはうっか〝居眠り〟をしてしまった───自分ではそう思った。そして、目覚めると慌てて非礼を詫びた。すると他の出席者たちから 「あなたは今居眠りをなさってのではありません。インディアンがあなたの口を使ってしゃべりました」 と聞かされた。

 もちろんバーバネルにはその記憶はない。が、その後、そういうことが頻繁に起きるようになった。そしてその口を使ってしゃべるインディアンも次第に英語が上手になり、やがて、シルバーバーチ (日本語に置きかえれば〝白樺〟) と名のるようになった。

それが一九二〇年のことで、それから十年余りはバーバネルのアパートの応接間で不定期に数人の知人、友人が聞くだけで、その霊言を速記するとこも録音することもしなかった。

 が、当時〝フリート街の法王〟と呼ばれて英国ジャーナリスト界のご意見番的存在だったハンネン・スワッファーという演劇評論家がその会に出席してから、変化が生じた。シルバーバーチの霊言のただならぬ質の高さに感銘したスワッファーは、会場を自宅に移して、

毎週金曜日の夜に定期的に催すことにし、その会の正式名を〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟とした。そしてその時から霊言を記録することになった。(その後テープ録音も併用された。)

 それがまとめられて 『シルバーバーチの教え』 Teachings of Silver Birch のタイトルで刊行されたのが一九三八年のことで以来、今日(一九九三年)までに十六冊が刊行されている。

 何しろ一九八一年にバーバネルが他界するまでの六十年間、ほぼ週一回 (一回が約一時間半) の割で語り続けたのであるから、記録を残さなかった最初の十年分を差し引いても、速記と録音による霊言の量は、厖大なものであろうと察せられる。

それを文章に起こしてまとめるのは大変な作業であるが、英米はもとより、ヨーロッパやアフリカに至るまでのシルバーバーチフアンの要望は絶えることなく、これからの刊行しされ続けることであろう。


  〇 シルバーバーチのアイデンティティ

 では、シルバーバーチの霊言の魅力と特色はどこにあるのか───これは、シルバーバーチの〝正体〟はいったい何なのかを説明することによって、おのずと明らかになるであろう。

 本人の語るところによれば、今からほぼ三千年前、すなわちイエスの時代より更に一千年前も前に、地上生活を送ったことがあるという。それがどこの民族の、どの国家の、どういう地位の人物としてであったかは、六十年間、ついに明かされることなく、終わっている。

サークルのレギラーメンバーをはじめ、招待客によって、何回も、何十回も、もしかしたら何百回も問い質されたはずなのであるが、シルバーバーチはそのつど

 「それを明かす事が、一体、私の教えにどれだけプラスになるというのでしょうか。大切なのは、語っている私が何者であるかではなくて、私が語っている教えが何であるかです」

 といった主旨のことを繰り返すだけで、人間がとかく地位や肩書(ラベル)や名声にこだわることの間違いを指摘するのが常だった。

 彼はインディアンでなかったとおっしゃる方がいるであろうが、実は巻頭に掲げたマルセルポンサンによる肖像画に描かれているインディアンは通信衛星のようなもので、いうなれば〝霊界の霊媒〟なのである。地上の霊媒であるバーバネルは各家庭の受信アンテナのようなものと思えばよい。

 当初はそのシルバーバーチもインディアンであることに徹し、祈りの最後も必ず 「神の僕インディアンの祈りを捧げます」 という言葉で締めくくっていたが、サークルのメンバーの理解が深まった段階で 「実は・・・・・・」 と言って、本当は自分はインディアンではなく、地球を取り巻く霊界の中でも指導的地位にある霊団に所属していることを打ち明けた。

 その界層にまで進化していくと、波動の原理から、地上界と直接のコンタクトが取れなくなり、それで中継役を必要とすることになる。その役がインディアンなのだという。もしそれが事実だとすると、シルバーバーチと名のるその霊はよほどの高級霊であると推察してよいであろう。

そして、ほぼ三千年前の地上時代の地位も名声も、余ほど高いものであったはずである。なぜなら、もしも無名で平凡な地位の人間だったならば、その名前と地位を明かしてもよかったはずだからである。

 それを明かさなかったということは、人間の好奇心におもねることによって、純粋な霊的真理に世俗的な雑念がこびりつくことを案じたからではなかろうか。


〇 霊言の種類

 ところで、霊言現象は霊が人間の発声器官を使って語る現象であるが、これには、大別して二つの種類がある。一つは電話式とでもいうべきもので、高級霊でも低級霊でも、善霊でも悪霊でも、乗り移ってしゃべることができるタイプで、したがって霊媒と異なる国籍の霊が乗り移れば、通常意識での霊媒には全くしゃべれない言語を流暢にしゃべることになる。

 もう一つは〝専属〟タイプで、支配霊(コントロール)と呼ばれる特定の霊しかしゃべらない───しゃべらせないのである。言ってみれば、名匠と言われる人が楽器や道具を絶対に他人に使わせないのと同じで、自分だけのものとして、そのクセと特徴を知り尽くしている。

シルバーバーチとバーバネルの関係はこのタイプに属し、バーバネルがシルバーバーチ以外の霊団に支配されることもなかったし、シルバーバーチがバーバネル以外の霊媒を通してしゃべったこともなかった。

(例外として一度だけあった。シルバーバーチがバーバネルのコントロールとして交霊会を始めたのとほぼ同じ頃から、レッド・クラウドと名のるインディアンがエステルロバーツという女性霊媒のコントロールとして毎週のように交霊会に出現していた。

バーバネル夫妻はその常連として欠かさず出席していたが、ある日、そのロバーツ女史の口を借りてシルバーバーチがバーバネル夫妻に語りかけた。バーバネルは、自分はいつもこんな調子で語っているのかと思って、いわく言い難い気分になったという。 シルビアバーバネル著 「ペットは死後も生きている」 ハート出版)参照

 シルバーバーチ自身が打ち明けたところによると、〝地球を霊的に浄化する〟ための計画の一環として、地球へ戻って霊的真理を語って欲しいという要請を受けた時は、バーバネルはまだ地上に誕生してもいなかったという。

そこで、〝霊界の記録簿〟の中にある、これから誕生する人物の中から最も適切と思える人物を物色して、それが地上に誕生するチャンスを窺い、いよいよ母体に宿った瞬間から、霊言霊媒として育てるための準備に取りかかったという。と同時に、英語の勉強も始めたという。

 こうしたことは多分、霊界の霊媒であるインディアンの役目だったはずでシルバーバーチ本人はそのインディアンとの打ち合わせの方に重点を置いて準備をしていたことであろう。

そして一九二〇年のある日、ブロースタインの交霊会に出席中にバーバネルをトランス状態に誘って語ったのが、地上との最初のコンタクトとなるのであるが、この時点でもまだインディアンとバーバネルとの関係が主体であって、シルバーバーチ本人はその様子を観察していた程度ではなかったろうかと察せられる。

 一九二〇年と言えば第一次大戦が終結して間もない頃で、一応戦火は消えていた。が、ハンネン・スワッファー・ホームサークルが発足した頃は再び世界情勢は険悪となり始めた時期で、それから間もなく第二次大戦の口火が切られている。

そして一九四五年日本の降伏をもって終戦を迎えるのであるが、そうした険悪な情勢の中にあっても、バーバネルは交霊会を中止しなかった。 とは言え、霊団側の苦心は並大抵のものではなかったようである。その時の苦労をシルバーバーチはこう語っている。

 「私たちは物的存在ではありません。物的世界との接触を求めているところの霊的存在です。霊の世界と物の世界との間に大きな懸隔(ギャップ)があり、それを何らかの媒介によって橋渡しする必要があります。

私が厄介な問題に遭遇するのはいつもその橋渡しの作業においてです。それを容易にするのも難しくするのも、人間側の精神的状態です。

 雰囲気が悪いと、私と霊媒とのつながりが弱くなり、私と霊界との連絡も困難となります。わずか二、三本の連絡網によってどうにか交信を保つということもあります。そのうち霊媒が反応を見せなくなります。そうなると私は手の施しようがなくなり、すべてを断念して引き上げざるを得なくなります。

 私は当初から、こうした問題が生じるとこは覚悟しておりました。一時は、果たして、このまま地上との接触を維持することが賢明か否かを、霊団の者たちと議論したこともありました。

しかし私は、たとえわずかとはいえ、私が携えてきた知識を伝えることにより、力と希望と勇気を必要としている人々にとって、私の素朴な霊訓が生きる拠り所となるはずだと決断しました。

 今、私は、もしも私たちがお届けした霊的真理が無かったら今なお苦難と絶望の中で喘いでいるかもしれない人々の慰めと力になってあげることができたことを、うれしく思っております」



  〇 地球浄化の大計画───スピリチュアリズム

 右の言葉の中に〝霊団の者たちと・・・・・・〟という表現があるが、シルバーバーチがこの仕事のために組織した霊団のメンバーが何名で、どういう顔ぶれがいたかは、断片的には分かっていても、その全ては分かっていない。

リンカーンもいたらしいが、その他にシルバーバーチが挙げた何人かの名前は日本人には全く馴染みのない人ばかりである。それが本当であろう。前世とか守護霊とかの名前が歴史上の著名人ばかりであるのは、土台おかしな話である。

 尚シルバーバーチは〝私は〟という言い方と〝私たちは〟という言い方の二通りを用いている。これは、もちろん自分自身の場合と霊団を代表している場合との違いであるが、もう一つの観方としては、シルバーバーチが所属する高級霊界に立ち戻って述べている場合があることに注意する必要がある。

 どうやら霊界の上層部では、支配霊の仕事をしている高級霊ばかりの集会が年に何回か開かれて、反省と計画の修正が行われ、その界層の更に高い界層の霊から助言を受けていたらしいのである。その中の一柱で、総指揮者的な立場にあった (今もあると推察される) のが地上でイエスと呼ばれた人物であると、シルバーバーチは言う。

もちろん地上時代よりははるかに高い霊格を備えていることであろう。というよりは、本当は、もともと神とも仰ぐべきほどの霊格、すなわち神格を具えた存在だったのが、ある計画にそって物質界へ降誕したと見るのが妥当であろう。

その〝ある計画〟というのがほかでもない、地球を霊的に浄化するための一連の活動、すなわちスピリチュアリズムだった。

 むろんその計画は今なお進行中であり、バーバネル亡きあとも、シルバーバーチ霊団そのものは、たぶんバーバネル自身も加わって、地球人類のために活動していることであろう。このたび装いも新たに本書が刊行されることになったことにも、シルバーバーチ霊団働きかけがあるものと、私は信じている。



℘23
 一章  人生でいちばん大切なこと

 シルバーバーチの霊言には、一貫して説かれている珠玉の教えが幾つかある。その一つが〝人のために役立つことをしなさい〟という教えである。これをシルバーバーチは〝サービス〟という一語で表現することがある。〝リップサービス〟(口先だけのお上手や見せかけの好意) ではなく、

日常生活の中での実のある親切がなかなか難しいものであることを知っていればこそ、そうした、まるで三歳の童子に説くような、簡単そうで実はなかなか実行できない素朴な教えを、繰り返し説くのである。

 シルバーバーチの交霊会はバーバネルの三十歳代に〝ハンネン・スワッファー・ホ-ムサークル〟の名称のもとに発足して、毎週一回、金曜日の夜に開かれていた。が、それも五十歳の声を聞く頃から二週間に一回、さらには月一回となり、七十歳代には不定期となっていった。

 が、交霊会に臨むバーバネルの態度は一貫して変ることがなかった。儀礼的なものは何もしない。応接間のソフア―に無造作に腰掛けると、メガネをはずし、グラスの水を飲み干してから、瞑目する。するとその顔の形相が巻頭のインディアンの肖像画そっくりに変貌し始める。

そして、鼻に掛ったいびきのような声を発しながら、何やらムニャムニャと一人ごとを言ったあと、「では始めることに致しましょう」と言って、インボケ―ションという〝開会の祈り〟の言葉を述べ始める。

時には
 「もう少し待って下さい。霊媒のトランス状態をもうすこし深めますので・・・・・・」 と言って静かにしていることもある。その意味するところ、極めて深長である。


 その日の交霊会も同じような要領で始まり、次第に〝サービス〟の大切さへと話が発展し、

 「いかなる分野の仕事にたずさわっていても同じことです。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません」

と述べてさらにこう続けた。

 「私がこれまで皆さんにお教えしたかった教訓はそのことに尽きるのではないでしょうか。サービスこそ〝霊の正貨〟であること、それが霊の唯一の財産であること、それは天下の回り物であり、一人が独占すべきものではないということを理解していただこうと苦心してきたのです。

 知識には責任が伴います。このことを私は何度申し上げてきたことでしょう。責任とは、自分が手にした知識をタンスにしまい込んでいてはいけない───賢明にそして上手に使用するということです。

 霊の世界からこうして地上に戻ってくるのは、ただ単に皆さんを喜ばせるためではありません。死んだと思っていた人たちが別の世界で生き続けている事実を知ることによって魂が目を覚まし、生きる意欲を鼓舞され、それがひいては同胞のために役立つことをしたいという願望を抱かせることになることを望んでいるのです。

 それは何も、公開交霊会で大勢の聴衆を前にしてデモンストレーションをやったり、こうして家庭的な交霊会で少数の出席者を相手に語るといった形のものでなくてもいいのです。人さまのためになることをしてあげるチャンスなら日常生活に幾らでも転がっております。

高級界の神霊が地上人類に対して抱いている愛は、みなさんが日常生活において、本当に困っている人に手を差し伸べようとする時に抱く愛と同じものなのです。

 世の中を見回してごらんなさい。心の痛みに耐えている人、困り果てている人、悲しみに暮れている人、人生に疲れ、当てもなく戸惑っている人、信仰の基盤が揺さぶられ、今まで大事にしてきたものが全て無価値であることを知り、

しかもそれに代わる導きも手助けも希望も見いだせずにいる人、そういう人たちがいかに多いことでしょう。そういう人たちのために為すべきことがいくらでもあります。
℘26
 それとは別に信仰が足枷となっている人、教義やドグマ、儀式や慣習によって自らの牢獄をこしらえてしまっている人がいます。そういう人たちには、自由を見出す方法、魂の解放の手段を教えてあげないといけません。

 現在の地上には、正しい知識を手にした人による援助を必要としている人が無数におります。間違った信仰、盲目的信仰、迷信、独りよがり、商売根性にしがみついている人がいるかぎり、みなさんが活動する場があるということになります。

同じ大霊の子でありながら霊的真理について何も知らない人がいるかぎり、みなさんにも私たちにも、為すべき仕事があるということです。

 それこそが、私たちが使命と心得てたずさわっている仕事です。要するに真理を広めるということです。霊的真理に浴し、間違いと迷信、その背後の原因である無知によって生み出されている暗黒を打ち払わないといけません。

 その一方には、そうした仕事を阻止しようとする勢力がいます。昨日、今日の話ではありません。幾世紀にもわたって私たちに戦いを挑んできております。それを退治するのも仕事の一つです。

一時的には後退のやむなきに至ることはありますが、計画は着実に進歩し、反抗勢力は次第に勢力を失いつつあります。
℘27
 人間の魂は、いつまでも牢獄に閉じ込められたままでは承知しません。永遠に暗闇の中で暮らす者はいません。いつかは魂が光明を求めるようになります。神性を秘めた魂が、暗い沈滞状態に不快を覚えるようになります。自由を求めるようになるのです。

束縛された状態に嫌気を覚えるようになるのです。そうした段階に至った人たちのために、できるだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。

 それが又、いつかは必ず受け入れられる日が来るとの信念のもとに、理想を掲げ続けなければならない理由でもあるのです。愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょうが、そうしたものにも耐え抜かないといけません。

弱みを見せない限り、そんなものによって傷つくようなことはありません。相手にしないことです。いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、全ての人に愛を持って、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。

 それが霊的教訓の基調なのです。最も大切な教えとして、しっかりと心に植え付けて置かないといけません。一冊の書物でもよろしい。優しい言葉一つでもよろしい。心強い握手でもよろしい。

不自由な身体の人の手を取ってあげることでもよろしい。心温まる贈り物を届けてあげるだけでもよろしい。サービスのコインはいつでも差し出せるように用意しておいてください」



 別の日の交霊会で、地上時代の名を聞かれたシルバーバーチは───

 「私は荒野に呼ばわる声(※)です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということに、いったい何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私の行為で判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するに今こうして人間界で私がたずさわっている仕事が、暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです」


  ※───マタイ伝に出てくる、世に容れられない警世家のこと───訳者。

 シルバーバーチがインディアンでないこと、本来の高次元の世界と地上との間の橋渡しとしてインディアンの幽体を使用している高級霊であることまでは、われわれも知っている。

が、これまで、好奇心から幾度地上時代の実名を訊ねても、一度も明かしてくれていない。肩書よりも仕事の成果の方を重んずるのである。自分個人に対する賛美を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界での一役を担うものとして、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。私のことを常に〝代弁者〟(マウスピース)としてお考えください。地上に根づこうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊団の声を代弁しているにすぎません。

 私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意思の統一のもとに、一丸となって臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとく、彼らも私を使用し、長いあいだ埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘り起こされ、無数の男女の生活の中で本来の場を得て行きつつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」


───でも、あなたは私たちにとっては単なるマウスピースではなく、実在の人物です。
℘30
 「私は何も、この私には個性がないと言っているのではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って、共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

 身分の高い低いも関係ありません。差があるとすれば、それまでに各自が積み上げてきた霊的成長だけです。開発した霊的資質と能力とを自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分よりも恵まれない人の為に、持てるものを提供する。

かくして地上の最低界 (※) から天界の最高界に至るまで、連綿として強力な霊的影響力が行きわたっているのです」

 ※───地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことであって、波動の原理から言えば、相変らず地上的波動から抜けだせない者がいて、地上生活から持ち越した感覚、感情のままで生活を続けている。その種の霊を〝自縛霊〟という。

ここでいう〝最低界〟とはその種の霊が類をもって集まっている界層のことで、古くから〝地獄〟とか〝暗黒界〟とかいわれているのがこれに相当する。神や悪魔がこしらえたのではなく、波動の原理で自然に出来上っているもので、霊性が高まって波動が変われば、それ相当の界層へ行くことになる───訳者
℘31  

───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかしその完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の日の交霊会で次のように述べている。

「これまで私は、あなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、

それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来うるかぎりの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。
℘32
よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとしている教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

 どうぞ困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることがあれば、ご援助いたしましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方自らが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の交霊会でもこう語っている。

 「これまでの長い霊界での生活、向上進化をめざして励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことは、すべて、愛の心をもって快く皆さんにお教えしております。神はそれをお許しくださっていると信じるからです。

 ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方のどれほど情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するに、あなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的と致しております。

 私たち霊団の者は、功績も礼も感謝もいっさい求めません。お役に立ちさえすればよいのです。争いに代わって平和を見ることができれば、涙にぬれた顔に代って幸せな笑顔を見ることができれば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となっていただくことができれば、

悲劇をなくすことができれば、意気消沈した魂に巣食う絶望感をぬぐい去ってあげることができれば、それだけで私たちは、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い。神の愛があなた方の心を満たしたまい、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを、切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは、自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を、よく披歴する、盛夏を迎え、これで交霊界もしばし休会となる (※) 最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

℘34
 ※───ここでは夏休みのことを言っており、これは人間界の慣習に従って休みとするだけであるが、それ以外にも霊界側の慣習に従って休会とする時期が二度ある。イースターとクリスマスである。これは人間界の、しかもキリスト教の慣習という認識が一般的であると思うが、シルバーバーチを始めとする信頼のおける高級霊の一致した意見として、

本当は霊界の高級神霊によって催される審議と讃仰の大集会が地上に反映したものだという。日本でいう春分から立夏、すなわち三月から四月にかけてと、立冬から冬至、すなわち十一月から十二月掛けての時期に相当するようである。

私個人の考えを言わせていただけば、神道の祝詞にある 「八百万の神たちを神集(かむつど)へに集い賜え、神議(かむはか)りに議り賜ひて・・・・」 とあるのは、これに類するものではないだろうか───訳者。


 「この会も、これよりしばらくお休みとなりますが、私たちは、無言とはいえ、すぐお側にいて、ひき続きあなた方に可能なかぎりのインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

 一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時のあなたがは、私たちと共に、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰で、こうして数々の障害を克服して語り合えるようになりましたが、ふだんは物質というベールによって隔てられております。でも霊的には、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお届けする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思って下さい。私たちは、最も身近で最も親密な存在であるあなた方のために尽くすことによって神に奉仕する僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間薄明かりの中でしゃべる声としてではなく、いつもあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命にあふれた、生きた存在としてお考えください。

語る時にこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは、まだるい限りですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼び下さい。私にできることなら喜んで援助致しましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもう、よくご存じでしょう。

℘36
 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。

その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、よせては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に、神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。

数多くの啓示が盛りこまれている聖典だけではありません。大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうした様々な形───語りかける声と、声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」


 こう述べたあと、最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して、世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて、会を閉じた。

 「私は、あなた方の愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。

また、あなた方に自分と言う存在についてもっと多くを知っていただく───つまり霊的にいかに素晴らしく出来上っているかを知っていただくべく努力してまいりました。

 さらに私は、あなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。宗教的儀式のうわべに囚われずに、その奥にある宗教の核心、すなわち援助を必要とする人々のために手を差し伸べるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

 絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方が、まず自ら体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。
℘38
 私はかつて一度たりとも、卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

常に人間の理性と知性に訴えるよう心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査、探求にも耐え得るものであることを主張してまいりました。

 そうした私に世界各地から寄せられる暖かい愛の念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身してくださるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるように神に祈りたいと思います。

 私たちは間もなく会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたびお会いできる日を、大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでのことです。けっして私という霊が去ってしまうわけではありません。

 もしあなた方の進む道を、影がよぎるようなことがあれば、もし何か大きな問題が生じたときは、もしも心に疑念が生じ、そして迷いが生じた時は、どうぞそれらは実在ではなくて影にすぎないことを自分に言い聞かせて、羽根を付けて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この動的宇宙を顕現せしめ、有機的・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力───恒星も・惑星も、太陽も月も生み出した力───物質の世界に生命をもたらした力

───人類の意識に神性の一部を宿らせた力───完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力───その力は、あなた方が見放さないかぎり、あなた方を見放すことはありません。

 その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そしていついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知って下さい。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます。ごきげんよう」


シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A

崇高な存在との対話
スタン・バラード / ロジャー・グリーン共著 近藤千雄 訳




第12章 霊性の進化


【Q1】

本人の罪でもなく親の罪でもないのに、子どもが手足や目の障害を抱えて生まれてくるのはなぜでしょうか?

 魂というものを外見だけで判断してはいけません。魂の霊性の進化と、それが地上で使用する身体の進化とを混同してはいけません。

 たとえ遺伝の法則で、父親または母親、あるいは双方から障害を受け継いでいても、それが霊性の進化を妨げることはありません。

 よくご覧になれば大抵おわかりになると思いますが、身体上の欠陥をもって生まれた人は、魂のなかに埋め合わせの原理をもちあわせているものです。五体満足の人よりも他人への思いやり、寛容心、やさしさをその性格のなかに秘めています。因果律の働きから逃れられるものは何一つありません。

 親となる人は来るべき世代の人間に物的身体を授ける責任があるわけですから、当然その身体をできるだけ完全なものにする義務があります。その義務を怠れば(注)、それなりの結果が出ます。法則は変えられないのです。

 訳注──一般的には食生活が考えられるが、タバコやアルコール、麻薬などの弊害を示唆しているようにも思える。母親からの直接の影響はいうまでもないが、父親からの間接的な影響も無視できないであろう。

【Q2】

精神に異常があれば責任はとれません。(あなたがおっしゃるように)霊界では、地上で培った性格と試練への対処の仕方によって裁かれるとなると、そういう人が霊界へ行った場合、どのような扱いになるのでしょうか?

 あなたも、物的なものと霊的なものとを混同しておられます。脳細胞が異常をきたせば、地上生活は支離滅裂となります。表現器官が異常をきたしているために自我を正常に表現できないわけですが、そうした状態のなかでも魂そのものは自分の責任を自覚しています。

 大霊の摂理は、魂の発達程度に応じて働きます。地上的な尺度ではなく、永遠の英知が魂を裁くのです。ですから、地上的な常識では間違いと思えることをした魂が、地上において(不当な)裁きを受けることはあるでしょうが、実質的には魂に責任はないわけですから、霊界に行ってその責任をとらされることはありません。

 同じことが、狂乱状態のなかで、人の命を奪ったり自殺したりした場合にもいえます。表現器官が正常でなかったのですから、責任は問われません。

 こちらの世界の絶対的な判定基準は、魂の動機です。これを基準とするかぎり、誤りは生じません。

【Q3】

脳の障害のために地上生活の体験から何も学ぶことができなかった場合、霊界ではどういう境涯におかれるのでしょうか?

 表現器官が正常でないために、地上で体験すべきものが体験できなかったわけですから、それだけ損失を強いられたことになります。貴重な物的生活の価値を身につけることができなかったわけです。しかし、そうしたなかにも「埋め合わせの原理」が働いています。

【Q4】

われわれは地上でのさまざまな試練によって身につけた人間性をたずさえて霊界へ行くわけですが、精神異常者の場合はどうなるのでしょうか?やはり、そのままの人間性で裁かれるのでしょうか?

 そういう人の場合は、それまでの魂の進化の程度と動機(注)だけで裁かれます。
 訳注──この〝動機〟についてさらに質問してほしかったところである。訳者の推察では、これは再生(生まれかわり)とつながる問題であり、質問者がさらに突っ込んで問いただせば説明してくれたはずである。

【Q5】

地上では、精神的にも道徳的にも衛生的にも、不潔きわまるスラムのような環境に生まれついて、つらい、そして面白くない生活を送らねばならない者がいる一方、美しいものに囲まれ、楽しい人生が約束された環境で育つ者もいます。こうした不公平には、どのような配慮がなされるのでしょうか?

 魂には、その霊性の進化の程度が刻み込まれています。地上の人間は、物的尺度で価値判断をし、魂の発現という観点からの判断をしません。身分の上下にかかわらず、すべての人間に、他人のために自分を役立てるチャンスが訪れます。それは言い換えれば、自我意識に目覚めて、その霊性を発現するチャンスです。その霊性こそが唯一の判定基準です。

 物的基準で判定すれば、地上界は不公平ばかりのように思えますが、本当の埋め合わせの原理が魂の次元で働いています。それによって、魂があらゆる艱難を通して、自我を顕現していくように意図されているのです。

【Q6】

でも、悪い人間がよい思いをしていることがありますが、なぜでしょうか?

 それも、あなた自身のこの世的な基準による判断に過ぎません。よい思いをしているかに見える人が、惨めな思い、虐げられた思い、懊悩や苦痛に悩まされていないと、何を根拠に判断なさるのでしょう?いつもニコニコしているからでしょうか?贅沢なものに取り囲まれた生活をしているからでしょうか?豪華な服装をしていれば魂も満足しているのでしょうか?永遠の判断基準は霊であって、物を基準にしてはいけません。そうしないと、真の公正がないことになります。

【Q7】

でも、やはり罪悪や飢餓、その他、低俗なものばかりがはびこる環境よりもよい環境のほうが、立派な動機を生みやすいのではないでしょうか?

 私は、そうは思いません。私が見てきたかぎりでは、偉大なる魂は必ずといってよいほど低い階層に生まれついています。偉人と呼ばれている人はみな、低い階層の出です。耐え忍ばねばならない困難が多いほど、魂はそれだけ偉大さを増すのです。本来の自我を見出させてくれるのは困難との闘争です。ものごとを外側からではなく、内側から見るようにしてください。

【Q8】

霊性は、物的生命と同時進行で進化してきたのでしょうか?

 同時進行ではありましたが〝同じ道〟ではありませんでした。霊が顕現するための道具として、物的身体のほうが霊よりも先に、ある程度の進化を遂げておく必要があったからです。

【Q9】

われわれは、死後も努力次第で向上進化するのであれば、罪深い動機から転落することもあるのでしょうか?

 ありますとも!こちらの世界に来ても、地上的な欲望から抜け切れずに、何百年も、ときには何千年も、進化らしい進化を遂げない者が大勢います。地上時代と同じ欲求と願望に明け暮れる生活を送り、霊的な摂理など理解しようとしません。身は霊界にあっても、地球の波動のなかで生活しており、霊的なものにまったく反応しないまま、刻一刻と霊性が堕落していきます。

【Q10】

そうやって際限もなく堕落していって、最後は消滅してしまうのでしょうか?

 そういうことはありません。内部に宿された大霊の火花が今にも消えそうに明滅するまでになることはあっても、完全に消えてなくなることはありません。大霊と結びつける絆は永遠なるものだからです。いかに低級な魂も、もはや向上できなくなるというほど堕落することはありません。いかに高級な魂も、もはや低級界の魂を救えないほど向上してしまうことはありません。

【Q11】

個霊は死後さまざまな階層をへて、最後は大霊と融合し、その後、物質その他の成分となって宇宙にばらまかれるのでしょうか?

 私は、完全の域まで達して完全性のなかに融合してしまったという個霊の話を聞いたことがありません。完全性が深まれば深まるほど、まだまだ完全でないところがあることに気づくことの連続です。そうやって意識が開発されていくのです。意識は、大霊の一部ですから無限であり、無限性へ向けて永遠に開発し続けるのです。究極の完全性というものを私たちも知りません。

【Q12】

でも、個霊が進化していくうちに類魂のなかに融合し切って、個々のアイデンティティーを失ってしまうのは事実ではないでしょうか?

 私の知るかぎり、そういうことはありません。ただ、次のようなことはあります。成就すべき大切な仕事があって、心を一つにする霊団が、知識と情報源を総動員してそれに没頭し、そのなかの一人が残り全員を代表してスポークスマンとなる、ということです。その間は全員が一つの心のなかに埋没してアイデンティティーを失っています。が、それも一時的なことです。

【Q13】

ペットは死後もそのまま存続しているそうですが、ふつうの動物でも存続しているのをご覧になることがありますか?

 あります。現在では犬や猫が人間のペットになっていますが、私たちが地上にいた頃は、ふつうの動物でも、私たちの仲間だったものがたくさんいました。人間との交わりで個性を発現した動物は、そのままの個性をたずさえて存続していました。もっとも、動物の場合は永遠ではありません。わずかな期間だけ存続して、やがて類魂のなかに融合していきます。その類魂が種を存続させるのです。

 大霊の子である人類は、大霊の霊力を授かっているがゆえに、意識がまだ人類の進化の次元にまで達していない存在に対して、その霊力を授けることができることを知らねばなりません。それが愛であり、その愛の力によって、まだその次元に達していない存在の進化を促進してあげることができるのです。

【Q14】

そのように人間にかわいがられた場合は別として、原則として動物も個性をたずさえて死後に存続するのでしょうか?

 存続しません。

【Q15】

動物が原則として個性をたずさえて存続しないとなると、たとえば人間にかまってもらえない動物や虐待されている動物と大霊との関係はどうなるのでしょうか。創造した者と創造された者との関係として見たとき、そういう動物の生命に大霊の公正はどのようなかたちで示されるのでしょうか?

 地上の人間の理解力を超えた問題を解説するのは容易ではありません。これまで私は、動物は死後、類魂のなかに融合していくと述べるにとどめてきましたが、その段階で埋め合わせの原理が働くのです。絶対的公正の摂理の働きによって、受けるべきでありながら受けられなかったもの、すべてについて埋め合わせがあります。

 しかしそれは、人間の進化の行程とは次元が異なります。しいてたとえれば、十分な手入れをされた花と、ほったらかしにされてしぼんでいく花のようなものでしょう。あなた方には、その背後で働いている摂理が理解できないかもしれませんが、ちゃんと働いているのです。

【Q16】

個々の動物について埋め合わせがあるのでしょうか?

 いえ、類魂としてです。受けた苦痛が類魂の進化を促すのです。

【Q17】
そのグループのなかには苦痛を受けた者とそうでない者とがいるはずですが、それがグループ全体として扱われるとなると、埋め合わせを受けるべき者とその必要のない者とが出てきます。そのへんはどうなるのでしょうか?

 体験の類似性によって、各グループが構成されます。

【Q18】

ということは、虐待された者とそうでない者とが、別々のグループを構成しているということでしょうか?

 あなた方の身体が、さまざまな種類の細胞から構成されているように、類魂全体にもさまざまな区分けがあります。

【Q19】

ばい菌のような原始的生命はなぜ存在するのでしょうか?また、それが発生し消毒されるということは、宇宙が愛によって支配されていることと矛盾しませんか?
 人間には自由意志が与えられています。大霊から授かっている霊力と、正しいことと間違ったこととを見分ける英知とを用いて、地上界を〝エデンの園〟にすることができます。それをしないで、ほこりと汚れで不潔にしておいて、それが生み出す結果について大霊に責任を求めるというのは虫がよ過ぎないでしょうか?

【Q20】

地上的生命の創造と進化が、弱肉強食という血染めの行程をたどったという事実のどこに、善性と愛という神の観念が見出せるのでしょうか?

 そういう意見を述べる人(注)は、なぜそういう小さな一部だけを見て全体を見ようとしないのでしょうか?進化があるということ、そのことが神の愛の証しではないでしょうか?その人たちは、そういう考えが一度も浮かんだことがないのでしょうか?人間が低い次元から高い次元へと進化するという事実そのものが、進化の背後で働いている摂理が愛の力であることの証しではないでしょうか?

 訳注──答えが直接質問者に向けられていないのは、多分、質問が読者からの投書だったのであろう。主語が「you」でなく「they」となっているところからそう判断したのであるが、もしかしたら質問が「という意見を述べる人がいますが…」となっていたのかもしれない。




  訳者あとがき 
 読者というのは、はじめてその本を読む人のことと理解してよいと思うが、本書に関するかぎりは、はじめての方に加えてすでにシルバーバーチを繰り返し読んでいる方が多い──むしろ、そういう方のほうが圧倒的に多いに違いないという想定のもとに、「あとがき」を書かせていただく。

 そのあと新しい読者のために、シルバーバーチ霊からのメッセージの中継者として生涯を捧げたモーリス・バーバネルの手記を紹介する。

 「編者まえがき」の冒頭で述べられているように、本書はすでに霊言集として十数冊の単行本として発行されているもののなかから、Q&A、つまり交霊会の出席者からの質問にシルバーバーチが答えたものばかりを編集したものである。

私は霊言集の原書をすべてそろえており、そのすべてを翻訳して一六冊の日本語版として四つの出版社から上梓した(巻末参照)。
 したがって、本書の原書を手にしたときは、その日本語版にあるものばかりなのだから、あえて訳す必要性はないと考えていたのであるが、「勉強会」を進めていくうちに、こういう問答形式のテキストも使い勝手がよい、むしろそのほうが効用が大きいように思えてきた。

 そこで翻訳に着手して、一章ごとに「勉強会」で披露していったのであるが、そのうち気がついたのは、部分的には訳した覚えがあっても、全体としては別個のものが、かなりの頻度で出てくることだった。

同じシルバーバーチが述べたことであるから、どこか似ていることを述べていても不思議はないのであるが、そのうち〝編纂〟という作業に関して、日本人と英国人との間に考え方の違い、大げさに言えば、精神構造の違いをほうふつさせる事実が明るみになってきた。

 それは、原書の編集者は、単に霊言を集めてテーマ別に区分けするというだけではなく、ときには別々の交霊会での霊言をつぎはぎして新しい文章をこしらえることがあるということである。

無駄、ないしはなくてもよいと思える文章を削るのはまだしも、そこで述べていないもの──たとえ別の箇所で述べていても──それをつぎ足してかたちだけ整えるのは、いささか悪趣味が過ぎるのではないかと思うので、私はそれを発見したときは削除した。
 そんな次第で、既刊の霊言集に出ているものと本書に出ているものとの間に〝似て非なるもの〟があるときは、本書のほうが正しい、つまりよけいなつけ足しをしていないと受け取っていただきたい。もちろん、表現を改めたところは少なからずあるが‥‥。

 もう一つ気づいたことは──これは嬉しい発見であるが──どの霊言集にも掲載されていない問答がいくつか見られることである。

そこで考えたのであるが、どうやら二人の編者は、前任者たちが霊言集を編纂したときの資料、つまり交霊会の速記録やテープ録音を文字に転写したもののなかから、新たに拾い出したものを採用したのではないかということである。

 これは、そうした資料に直接アクセスできない者にとっては実にありがたいことで、もしも条件が整えば、私自身がそうしたものの発掘の旅に英国まで行ってきたい心境である。未公開のものがいくらでもあるはずであるから‥‥。

 さて、回答で指摘したとおり、私自身の誤訳も見つかった。ある意味では大切な発見で、本文でもお詫びかたがた注を施しておいた。「not」を見落とした単純ミスで、いわゆる「思い込み違い」である。

が、その単純ミスがその後の文章の意味をわかりにくくしてしまうという、二重の過ちを犯したことになる。この一節はシルバーバーチ特有の、簡潔にして含蓄の深い文章の典型で、たった数行であるがきわめて難解である。

テーマは「アフィニティ」説で、二十世紀初頭に入手されたフレデリック・マイヤースの「類魂」説と基本的に同一である。

 けがの功名で、はからずも今回の誤訳の発見によって解説がしやすくなったので、ここで「霊魂」とは何か、それが「進化する」とはどういうことかを、改めて解説しておきたい。

 まず用語の意味を整理しなければならない。日本人は「霊」と「魂」を並べて「霊魂」という呼び方をする。見方によってはそれで問題ない場合もあるが、スピリチュアリズムでは明快に区別している。
 それをシルバーバーチの言葉で説明すると──「霊」とは全存在の根源的生命力で、無形・無色、影もかたちもないという。われわれ人間について言えば、身体のどこそこにあるという〝場所をもつ〟存在ではなく、「しいて言えば、意識です」とシルバーバーチは言うのであるが、この「しいて言えば」と断ること自体が、必ずしも「意識」とは言えない状態での存在もあることを示唆している。

 それについては後述するとして──「魂」とは、その霊が自我を表現するための媒体をまとった状態を指す。地上では、物的身体という媒体に宿って生命活動を営んでいるわけで、その意味で、人間も「霊」であると言ってもよいし、「魂」であると言ってもよいし、「霊魂」であると言っても間違いではないことになる。

シルバーバーチが用語にこだわらずに、ときには矛盾するかのような使い方をするのは、決していい加減な表現をしているわけではない。シルバーバーチがわれわれの実体を鳥瞰図的に見ているのに対し、われわれは脳の意識を焦点として考えているので、どうしても視野が狭くなり、字句にこだわることになる。

 日本の古神道には「一霊四魂」という思想がある。霊は自我で、その表現媒体として四つの魂、すなわち荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)があるというもので、スピリチュアリズムでいう自我と肉体・幽体・霊体・神体(または本体)の四つの身体という説とまったく同一である。

 さらには、これらの身体に相応した物質界・幽界・霊界・神界があるというわけであるが、ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

    
 さて、自我である「霊」は、無始無終の存在として、単細胞生物にはじまって植物、動物と、その媒体を変えながら進化し、最後に「霊的流入(Spiritual Influx)」という過程をへてヒトの身体に宿る。そして、この段階ではじめて自我意識が芽生える。霊的生命の発達と進化の過程における「画期的飛躍」と呼んでよいであろう。

 シルバーバーチが「見ず知らずというわけではない」と述べたのは「意識的には知らない」という意味に解釈してよいであろう。無限の資質と可能性を秘めた霊的生命が、無意識の静的状態から動的状態へと移行し、機能的進化を重ねたあげくに「霊的流入」という飛躍をへてヒトとなり、自我意識と個性をそなえて、精神的ならびに霊的進化の旅に出ることになる。その旅に終点はないという。

 では、本書に掲載されていないシルバーバーチの霊言で、「霊的流入」を考慮してはじめて理解できる一節を紹介しておく。



「いく百万年とも知れない歳月をかけて、あなた方は下等な種から高等な種へと、媒体を徐々に発達させながら、泥のなかから天空へ向けて一段また一段と、ゆっくりと進化してきたのです。その間、少しずつ動物性を捨てては霊性を発揮するという過程を続けてきました。今あなた方が宿っている身体がそこまで発達するのに、はたして何百万年かかったことでしょう。しかし、まだ進化は終わっていないのです。

 そして他方において、魂も進化させなければならないのですが、それにも、これから何百万年かけることになるでしょうか。
 かつて、あなたはサルでした。サルそのものだったという意味ではありません。サルという種を通して顕現した時期もあったという意味です。それも大霊の機構の一部なのです。生命のあるところには、大霊の息吹があります。それなくしては、生命活動は存在しません。ただ、その息吹に段階的な差があるということです。発達と開発があり、下等な段階から高等な段階への転移があるということです。」


 では、このたびはじめてシルバーバーチと出会ったという方のために、シルバーバーチの専属霊媒としての生涯を送ったモーリス・バーバネルの手記を紹介する。
 これはバーバネルの後継者として週刊紙『サイキック・ニューズ(Psychic News)』の編集長となったトニー・オーツセンに「自分が死んでから公表してほしい」といって手渡したもので、その遺言どおり、一九七九年七月の他界後に同紙に掲載された。


 シルバーバーチと私                 モーリス・バーバネル

私の記憶によれば、スピリチュアリズムなるものをはじめて知ったのは、ロンドンで催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた18歳のときのことで、およそドラマティックとは言えないことがきっかけとなった。

 クラブで私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、どうにか大過なくやりこなしていた。

 もう一つは、講演の内容いかんにかかわらず、私がそれに反論することでディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が「なかなかやるじゃないか」と誉めてくれていた。

実はその頃、数人の友人が、私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん、はじめてのことで、私は大真面目で出席した。ところが、終わってはじめて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。

たとえ冗談とはいえ、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

 同時に、その頃の私は、他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教には背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が、「教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから、ぜひ同伴してほしい」と嘆願しても、頑として聞かなかった。

二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈のうえでは必ずといってよいほど、父のほうが母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それからさらに不可知論へと変わっていった。

 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく、その背景として必要だと考えたからである。
 ある夜の会で、これといった講演者のいない日があった。そこで、ヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼は、スピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると、同僚が例によって私のほうを向き、反論するようにとの合図を送ってきた。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近、にせの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、したがって、それをまったくもちあわせない私の意見では価値がないと思うと述べた。これには出席者一同が驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わると、サンダース氏が近づいてきて「体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしそうだったら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか」と尋ねた。「ええ……」──私は、つい、そう返事をしてしまった。が、「結論を出すまで六カ月の期間がいると思います」と付け加えた。

 そのことがきっかけで、サンダース氏は、私を近くで開かれていた交霊会へ招待してくれた。約束の日時に、私は、当時、婚約中だったシルビアを伴って出席した。会場に案内されてみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。

若い者もいれば、老人もいる。あまり好感はもてなかったが、真面目な集会であることはたしかだった。

 霊媒は、ブロースタインという中年の女性だった。その女性がトランス状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。

そして事実、そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが「死者」であることを得心させる証拠は、何一つ見当たらなかった。

 しかし、私には、六カ月間、スピリチュアリズムを勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが、会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり居眠りをしてしまった。目を覚ますと、私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに、私は居眠りをしていたのではなく、レッド・インディアンが、私の身体を借りてしゃべっていたことを知らされた。

 それが私の最初の霊媒的トランス体験だった。何をしゃべったかは、自分にもまったくわからない。聞いたところでは、ハスキーで、のどの奥から出るような声で少しだけしゃべったという。その後、現在に至るまで大勢の方々に聞いていただいている、地味ながら人の心に訴えるとの評判を得ている響きとは、似ても似つかぬものだったらしい。

 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホーム・サークルが誕生した。シルバーバーチも回を重ねるごとに、私の身体のコントロールがうまくなっていった。

コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまくいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

 はじめのうち、私は、トランス状態に入るのはあまり好きではなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が、私自身にわからないのは不当だという、生意気な考えのせいであったと思われる。

 ところが、あるとき、こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベッドに横たわっていたときのことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声、つまり私の口を使っての霊言とともに、ビデオのように映し出されたのである。そんなことが、その後もしばしば起きた。

 が、その後、それは見られなくなった。それは、ほかならぬハンネン・スワッファーの登場のせいである。その後「フリート街の法王」(フリート街は、ジャーナリズム界の通称)と呼ばれるほどのご意見番となったスワッファーも、当時からスピリチュアリズムには彼なりの体験と理解があった(別の交霊会で劇的な霊的体験をして死後存続の事実を信じていた)。

 そのスワッファーが、私のトランス霊言に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチ霊をえらく気に入り始めていた。そして、これほどの霊的教訓がひと握りの人間にしか聞けないのはもったいない話だといい出した。

元来が宣伝好きの男なので、それをできるだけ多くの人に分けてあげるべきだと主張し、『サイキック・ニューズ』(週刊の心霊紙)に連載するのがいちばんいいという考えを示した。

 はじめ、私は反対した。自分が編集している新聞に、自分の霊的現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、ずいぶん論議したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 その頃から、私の交霊会は「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、同時に、その会での霊言が毎週定期的に掲載されるようになった。

当然のことながら、霊媒は一体だれなのかという詮索がしきりになされたが、かなりの期間、内密にされていた。しかし、顔の広いスワッファーが次々と著名人を招待するので、いくら箝口令を敷いても、いつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して事実を打ちあける記事「シルバーバーチの霊媒はだれか──実はこの私である」を掲載したのだった(カッコ内は訳者。わかりやすく編集した箇所もある)。

Sunday, September 6, 2026

シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A

崇高な存在との対話
スタン・バラード / ロジャー・グリーン共著 近藤千雄 訳





第11章 大自然の摂理

【Q1】

宇宙の全生命を統率している摂理について説明していただけませんか?

 私たち(注1)は、大霊の定めた永遠不変の自然法則を第一義として、これに敬虔なる忠誠とまごころを捧げます。絶対にしくじることのない摂理、絶対に誤ることのない法則、身分の上下に関係なく、すべての存在にわけへだてなく配剤されている英知だからです。

 だれ一人として無視されることはありません。だれ一人として見落とされることはありません。だれ一人として忘れ去られることはありません。だれ一人として孤立無援ということはありません。大霊の摂理・法則が行き届かなかったり、その枠からはずれたりする者は一人もいないのです。この宇宙に存在するという、その事実そのものが、大霊の法則が働いたことの証しなのです。

 人間がこしらえる法律は、そのまま適用できないことがあります。書き換えられることがあります。成長と発展が人間の視野を広め、知識が無知を駆逐し、情況の変化が新たな法律を必要とすることになれば、古い法律は破棄されたり改められたりします。しかし、大霊が定めた摂理は、新たに書き加えられることがありませんし、〝改訂版〟を出す必要もありません。修正されることもありません。今働いている摂理はすべて、無限の過去から働いてきたものであり、これからもそのまま永遠に働き続けます。不変にして不滅です。

 ここで、根源的摂理である因果律について、霊言集の各所で述べているものを集めて紹介しておきましょう。

 因果律の働きは完璧です。原因があれば数学的正確さをもって結果が生じます。その原因と結果のつながりに寸毫たりとも影響を及ぼす力をもつ者は一人もいません。刈り取る作物はまいた種から生じているのです。人間はみな、地上生活での行ないの結果を魂に刻み込んでおり、それを消し去ることは絶対にできません。その行ないのなかに過ちがあれば、その行為の結果はすでに魂に刻み込まれており、その一つ一つについて、然るべき償いを終えるまでは霊性の進化は得られません。

 因果律は根源的なものであり、基盤であり、変更不能のものです。自分が種をまいたものは自分で刈り取る──これが絶対的摂理なのです。原因があれば、それ相当の結果が数学的正確さをもって生じます。それ以外にはあり得ないのです。かわって、その結果が新たな原因となって結果を生み出し、それがまた原因となる──この因果関係が途切れることなく続くのです。咲く花は、間違いなく、まいた種に宿されていたものです。

 無限の変化に富む大自然の現象は、大きいものも小さいものも、単純なものも複雑なものも、みな因果律にしたがっているのです。だれ一人として、また何一つとして、その因果関係に干渉することはできません。もしも原因に不相応の結果が出ることがあるとすれば、地上界も物的宇宙も、霊的宇宙も大混乱に陥ります。私の言う大霊もあなたの言うゴッドも、創造神も絶対神も、愛と英知の権化でもなく全存在の極致でもなくなります。

 宇宙は、絶対的公正によって支配されています。もしも犯した過ちが、呪文やマントラを口にするだけで消し去ることができるとしたら、摂理が完全でなかったことになります。自然の大原則が簡単に変えられたことになるからです。

 大自然は、人間的な願望におかまいなく、定められたコースをたどります。成就すべき目的があるからであり、それはこれからも変わることはありません。人間も、その大霊の意志と調和した生き方をしている限りは、恵みある結果を手にすることができます。あなたの心の持ち方次第で、大自然は豊かな実りをもたらしてくれるということです。

 善い行ないをすれば、それだけ霊性が増します。利己的な行ないをすれば、それだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけはごまかすことができません。死の床にあっていくら懺悔の言葉を述べても、それで悪行がもたらす結果から逃れられるというものではありません。

 どの法則も大法則の一部です。いずれも大霊の計画の推進のためにこしらえられたものですから、全体としての調和を保ちながら働きます。これは、物質界の人間は男性・女性の区別なく、自分が犯した罪は自分の日常生活における苦難のなかで自分で償うしかないこと、それを自分以外のだれかに転嫁できるかに説く誤った教義(注2)は捨て去らなければいけないことを教えています。

 人間は自分自身が、自分の魂の庭師です。英知と優雅さ、美しさといった霊性の豊かさを身につけるうえで必要なものは、すべて大霊が用意してくださっています。道具は全部そろっているのです。あとは各自がそれをいかに賢明に、いかに上手に使うかにかかっています。

 大霊は無限なる存在であり、あなた方はその大霊の一部です。完全な信念をもって摂理に忠実な生活を送れば、大霊の豊かな恵みにあずかることができます。これは地上のだれについても、例外なく言えることです。真理に飢えた人が完全な信念に燃えれば、きっと然るべき回答を得ることでしょう。

 摂理とはそういうものです。何事にも摂理があります。その摂理に忠実であれば、求める結果が得られます。もし得られないとしたら、それはその人の心がけが摂理にかなっていないことの証しでしかありません。歴史書をひもといてごらんなさい。最下層の極貧の出でありながら、正しい心がけで真理を求めて、決して裏切られることのなかった人は少なくありません。求めようとせずに不平をかこつ人を例にあげて、なぜあの人は…といった疑問を抱いてはなりません。

 もう一つの摂理をお教えしましょう。代償を支払わずして、価値あるものを手にすることはできないということです。優れた霊媒現象を手にするには、霊的感性を磨かねばなりません。それが代償です。それをせずに金銭を蓄えることに専念すれば、それにも代償を支払わなければいけなくなります。

 金儲けに目がくらんで本来の使命をおろそかにすれば、この地上では物的な豊かさを手にすることができるかもしれませんが、こちらへ来てから本来の自我がいかに貧しいかを思い知らされます。

 訳注1──シルバーバーチが「私たち(we)」と言うときは、自分を中心とした霊団を指す場合と、シルバーバーチの言う「liberated beings」、つまり「物」による束縛から解放された高級霊を指す場合とがある。ここでは後者である。

 訳注2──改めて指摘するまでもなく〝誤った教義〟は、キリスト教の「贖罪説」のことで、「イエスへの信仰を告白した者」といった条件つきの法則は全体の調和を乱すという意味。

【Q2】

では、悪人が健康で仕事もうまくいき、善人が苦しい思いをしていることがよくあるのはなぜでしょうか?

 自然の摂理を地上界の現実に照らして判断するのは、基準があまりにもお粗末過ぎます。地上人生は途方もなく巨大な宇宙人生のほんの短い一面に過ぎず、個々の生命は死後も永遠に生き続けるのです。

 が、それはそれとして、地上の現実を、今おっしゃったような表面的な実情で判断してよいものでしょうか。心の奥、魂の中枢、精神の内側までのぞき見ることができるものでしょうか。一人ひとりの内的生活、ひそかに抱いている思い、心配、悩み、苦しみ、痛みがわかるものでしょうか。わかるのはほんの一部でしかありません。

 実際は、あらゆる体験が魂に刻み込まれているのです。楽しみと苦しみ、喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐の体験を通して、霊性は磨かれていくようになっているのです。

【Q3】

人生の教訓が愛と哀れみを身につけることであるのなら、なぜ大自然は肉食動物という、むごい生き物を用意したのでしょうか?

 大自然が悪い見本を用意したかに受け止めるのは間違いです。大自然は大霊の表現です。大霊は完全ですから、大霊の用意した摂理も完璧です。大自然は、その摂理のおもむくままに任せれば、必ずバランスと調和を保つようにできています。
 ですから、人間が大自然と調和した生き方をしていれば、地上世界はパラダイス、いわゆる〝神の王国〟となるはずです。

 たしかに、肉食動物はいます。が、それは〝適者生存〟という大自然のおきての一環としての存在であり、大自然の一側面に過ぎません。全体としては「協調・調和」が自然のあるべき姿です。「共存共栄」と言ってもいいでしょう。人間がきちんと手入れをして自然と調和していれば、素晴らしい〝庭〟になることでしょう。

 実は、ほかならぬ人類こそが、地球上の最大の肉食動物なのです。何百万年もの歴史のなかでこれほど破壊的な創造物を私は知りません。

【Q4】

摂理の働き方は、地上界も霊界も同じなのでしょうか?

 いえ、同じではありません。霊界では、ある一定の進化のレベルに達した者が、同じ階層で生活しているからです。ということは、地上のように同じ界に対照的な体験をもつ者がいないということです。全員が同じ霊格に達した者ばかりなのです。未発達な霊が、高級な霊と同じ階層にいるということがないのです。地上では、毎日毎日、さまざまな知的ならびに霊的発達レベルの者と交わります。霊界では、そういうことがないのです。

 もっとも、特殊な使命を帯びて自分の界より低い界へ下りていくことはあります。そういうことでもないかぎり、私たちが出会うのは、霊的に同じ発達レベルの者ばかりです。霊性が向上すれば、それ相応の階層へ向上していきます。そこでも同じ霊格の者ばかりが生活しています。

 とにかく、私たちの世界には、暗黒と光明といった対照的なものは存在しません。影というものが存在しないのです。霊的光明のなかで生きる段階にまで到達した者は、光明とは何かについての理解ができています。そうでなかったら、光明界にはいられないでしょう。その段階にまで到達していない者は、光と闇で織りなされる夢幻の階層から抜け切っていないことを意味します。

 霊性がさらに向上すれば、そういう対象を必要としない理解の仕方が身につきます。実在についての理解力が増し、実相を実相として悟るようになります。

 霊的洞察力が身につけば、たとえば一本の花を見ても、その美しさの内側と外側まで見えるので、地上では理解できない、その花の全体像がわかるようになります。色彩一つをとってみても、地上界にない無限のバリエーションがあります。微妙な色調があり、また肉眼では理解できない、素材そのものに託された霊的な意味もあります。

 私たちの世界は、地球の引力の影響は受けません。夜はなく、常に明るい光に包まれています。霊性が高まるほど、美しさの内奥が顕現されていきます。

 その意味で、私たちの世界は、創造的な世界です。すなわち、そこに住む者が自らの霊力で創造していく世界です。

【Q5】

地上での行為、地上生活中に、因果律が働くのでしょうか?

 そういうこともありますし、そうでないこともあります。因果律は、必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。が、必ず成就されます。そういうように宿命づけられているからです。原因と結果とを切り離すことはできません。

 ただ、原因の性質によって、それが結果を生み出すまでの時間的要素に違いがあります。ですから、行為によっては地上生活中に反応が出る場合もあり、出ない場合もあります。が、霊的な余波は機械的に影響を及ぼしています。

 なぜなら、たとえば他人を傷つけた場合、その行為は機械的に行為者の魂に刻み込まれていますから、その罪の深さに応じて行為者自身の魂も傷ついて霊性が弱まっています。その結果が、地上生活中に表面化するか否かはわかりません。そのときの環境条件によって違ってきます。当人の永遠の霊的生命を基準にして配剤されるものです。

 埋め合わせの原理は、自動的に働きます。絶体絶命の窮地にあって援助と導きを叫び求めても、何の働きかけの兆候もないかに思えるときがあることでしょう。が、実は、そんななかにあっても、人のために役立つことができるという事実そのものが、豊かな埋め合わせを受けていることの証しなのです。自分も、だれかのおかげで霊的真実に目覚めたのです。このことは、治療家や霊媒としての仕事にたずさわる人に、特に申しあげたいことです。

 もしも埋め合わせと懲罰の原理がなかったら、大霊の絶対的公正はどうなるのでしょう?罪悪の限りを尽くした者と、聖人君子に列せられるような有徳の人物とが、同等の霊性を身につけることができるでしょうか?もちろん、できません。人のために役立つことをすれば、それだけ霊性が高まります。利己的なことをすれば、それだけ霊性が下がります。

 あなたの霊的宿命をよくするのも悪くするのも、あなた自身です。責任はすべて、あなた自身にあります。もしも死の床で懺悔して、それで生涯で犯した罪がもたらす結果からすっかり逃れることができるとしたら、それはお笑いものであり、悪ふざけです。

【Q6】

若いときに犯した罪の償いを、死んで霊界へ行ってからさせられるということがあるのでしょうか?地上にいる間に償いをさせられることもあるのでしょうか?

 すべては環境条件によって決まることです。自分が犯した罪は自分で償う──これは不変の摂理です。魂に刻み込まれた汚点を完全に消し去るまでは、向上進化は得られません。その過ちがいつなされたか(若いときか、中年か、年老いてからか)は関係ありません。能力のすべてを駆使して償わねばなりません。

 その努力を始めたとき、あるいはそう決意したとき、あなたの魂のなかで過ちを正すための別の側面が動き始めます。摂理の仕組みは、そのように簡単なのです。

 若いときに犯した間違いは、肉体を通して顕現している間のほうが償いやすいでしょう。地上で犯したのですから、地上のほうが償いやすいはずです。償いが遅れるほど修正もむずかしくなり、霊的進化を妨げます。
 大切なのは、自分の過ちを素直に悔いて償いを決意したとき、ふだんから見守っている霊団の者(類魂)が、間髪を入れずに、力添えに馳せ参じるということです。向上進化を志向する努力を、人間界の経綸に当たっている高級霊は、決して無駄に終わらせません。


第12章 霊性の進化


【Q1】

本人の罪でもなく親の罪でもないのに、子どもが手足や目の障害を抱えて生まれてくるのはなぜでしょうか?

 魂というものを外見だけで判断してはいけません。魂の霊性の進化と、それが地上で使用する身体の進化とを混同してはいけません。

 たとえ遺伝の法則で、父親または母親、あるいは双方から障害を受け継いでいても、それが霊性の進化を妨げることはありません。

 よくご覧になれば大抵おわかりになると思いますが、身体上の欠陥をもって生まれた人は、魂のなかに埋め合わせの原理をもちあわせているものです。五体満足の人よりも他人への思いやり、寛容心、やさしさをその性格のなかに秘めています。因果律の働きから逃れられるものは何一つありません。

 親となる人は来るべき世代の人間に物的身体を授ける責任があるわけですから、当然その身体をできるだけ完全なものにする義務があります。その義務を怠れば(注)、それなりの結果が出ます。法則は変えられないのです。

 訳注──一般的には食生活が考えられるが、タバコやアルコール、麻薬などの弊害を示唆しているようにも思える。母親からの直接の影響はいうまでもないが、父親からの間接的な影響も無視できないであろう。

【Q2】

精神に異常があれば責任はとれません。(あなたがおっしゃるように)霊界では、地上で培った性格と試練への対処の仕方によって裁かれるとなると、そういう人が霊界へ行った場合、どのような扱いになるのでしょうか?

 あなたも、物的なものと霊的なものとを混同しておられます。脳細胞が異常をきたせば、地上生活は支離滅裂となります。表現器官が異常をきたしているために自我を正常に表現できないわけですが、そうした状態のなかでも魂そのものは自分の責任を自覚しています。

 大霊の摂理は、魂の発達程度に応じて働きます。地上的な尺度ではなく、永遠の英知が魂を裁くのです。ですから、地上的な常識では間違いと思えることをした魂が、地上において(不当な)裁きを受けることはあるでしょうが、実質的には魂に責任はないわけですから、霊界に行ってその責任をとらされることはありません。

 同じことが、狂乱状態のなかで、人の命を奪ったり自殺したりした場合にもいえます。表現器官が正常でなかったのですから、責任は問われません。

 こちらの世界の絶対的な判定基準は、魂の動機です。これを基準とするかぎり、誤りは生じません。

【Q3】

脳の障害のために地上生活の体験から何も学ぶことができなかった場合、霊界ではどういう境涯におかれるのでしょうか?

 表現器官が正常でないために、地上で体験すべきものが体験できなかったわけですから、それだけ損失を強いられたことになります。貴重な物的生活の価値を身につけることができなかったわけです。しかし、そうしたなかにも「埋め合わせの原理」が働いています。

【Q4】

われわれは地上でのさまざまな試練によって身につけた人間性をたずさえて霊界へ行くわけですが、精神異常者の場合はどうなるのでしょうか?やはり、そのままの人間性で裁かれるのでしょうか?

 そういう人の場合は、それまでの魂の進化の程度と動機(注)だけで裁かれます。
 訳注──この〝動機〟についてさらに質問してほしかったところである。訳者の推察では、これは再生(生まれかわり)とつながる問題であり、質問者がさらに突っ込んで問いただせば説明してくれたはずである。

【Q5】

地上では、精神的にも道徳的にも衛生的にも、不潔きわまるスラムのような環境に生まれついて、つらい、そして面白くない生活を送らねばならない者がいる一方、美しいものに囲まれ、楽しい人生が約束された環境で育つ者もいます。こうした不公平には、どのような配慮がなされるのでしょうか?

 魂には、その霊性の進化の程度が刻み込まれています。地上の人間は、物的尺度で価値判断をし、魂の発現という観点からの判断をしません。身分の上下にかかわらず、すべての人間に、他人のために自分を役立てるチャンスが訪れます。それは言い換えれば、自我意識に目覚めて、その霊性を発現するチャンスです。その霊性こそが唯一の判定基準です。

 物的基準で判定すれば、地上界は不公平ばかりのように思えますが、本当の埋め合わせの原理が魂の次元で働いています。それによって、魂があらゆる艱難を通して、自我を顕現していくように意図されているのです。

【Q6】

でも、悪い人間がよい思いをしていることがありますが、なぜでしょうか?

 それも、あなた自身のこの世的な基準による判断に過ぎません。よい思いをしているかに見える人が、惨めな思い、虐げられた思い、懊悩や苦痛に悩まされていないと、何を根拠に判断なさるのでしょう?いつもニコニコしているからでしょうか?贅沢なものに取り囲まれた生活をしているからでしょうか?豪華な服装をしていれば魂も満足しているのでしょうか?永遠の判断基準は霊であって、物を基準にしてはいけません。そうしないと、真の公正がないことになります。

【Q7】

でも、やはり罪悪や飢餓、その他、低俗なものばかりがはびこる環境よりもよい環境のほうが、立派な動機を生みやすいのではないでしょうか?

 私は、そうは思いません。私が見てきたかぎりでは、偉大なる魂は必ずといってよいほど低い階層に生まれついています。偉人と呼ばれている人はみな、低い階層の出です。耐え忍ばねばならない困難が多いほど、魂はそれだけ偉大さを増すのです。本来の自我を見出させてくれるのは困難との闘争です。ものごとを外側からではなく、内側から見るようにしてください。

【Q8】

霊性は、物的生命と同時進行で進化してきたのでしょうか?

 同時進行ではありましたが〝同じ道〟ではありませんでした。霊が顕現するための道具として、物的身体のほうが霊よりも先に、ある程度の進化を遂げておく必要があったからです。

【Q9】

われわれは、死後も努力次第で向上進化するのであれば、罪深い動機から転落することもあるのでしょうか?

 ありますとも!こちらの世界に来ても、地上的な欲望から抜け切れずに、何百年も、ときには何千年も、進化らしい進化を遂げない者が大勢います。地上時代と同じ欲求と願望に明け暮れる生活を送り、霊的な摂理など理解しようとしません。身は霊界にあっても、地球の波動のなかで生活しており、霊的なものにまったく反応しないまま、刻一刻と霊性が堕落していきます。

【Q10】

そうやって際限もなく堕落していって、最後は消滅してしまうのでしょうか?

 そういうことはありません。内部に宿された大霊の火花が今にも消えそうに明滅するまでになることはあっても、完全に消えてなくなることはありません。大霊と結びつける絆は永遠なるものだからです。いかに低級な魂も、もはや向上できなくなるというほど堕落することはありません。いかに高級な魂も、もはや低級界の魂を救えないほど向上してしまうことはありません。

【Q11】

個霊は死後さまざまな階層をへて、最後は大霊と融合し、その後、物質その他の成分となって宇宙にばらまかれるのでしょうか?

 私は、完全の域まで達して完全性のなかに融合してしまったという個霊の話を聞いたことがありません。完全性が深まれば深まるほど、まだまだ完全でないところがあることに気づくことの連続です。そうやって意識が開発されていくのです。意識は、大霊の一部ですから無限であり、無限性へ向けて永遠に開発し続けるのです。究極の完全性というものを私たちも知りません。

【Q12】

でも、個霊が進化していくうちに類魂のなかに融合し切って、個々のアイデンティティーを失ってしまうのは事実ではないでしょうか?

 私の知るかぎり、そういうことはありません。ただ、次のようなことはあります。成就すべき大切な仕事があって、心を一つにする霊団が、知識と情報源を総動員してそれに没頭し、そのなかの一人が残り全員を代表してスポークスマンとなる、ということです。その間は全員が一つの心のなかに埋没してアイデンティティーを失っています。が、それも一時的なことです。

【Q13】

ペットは死後もそのまま存続しているそうですが、ふつうの動物でも存続しているのをご覧になることがありますか?

 あります。現在では犬や猫が人間のペットになっていますが、私たちが地上にいた頃は、ふつうの動物でも、私たちの仲間だったものがたくさんいました。人間との交わりで個性を発現した動物は、そのままの個性をたずさえて存続していました。もっとも、動物の場合は永遠ではありません。わずかな期間だけ存続して、やがて類魂のなかに融合していきます。その類魂が種を存続させるのです。

 大霊の子である人類は、大霊の霊力を授かっているがゆえに、意識がまだ人類の進化の次元にまで達していない存在に対して、その霊力を授けることができることを知らねばなりません。それが愛であり、その愛の力によって、まだその次元に達していない存在の進化を促進してあげることができるのです。

【Q14】

そのように人間にかわいがられた場合は別として、原則として動物も個性をたずさえて死後に存続するのでしょうか?

 存続しません。

【Q15】

動物が原則として個性をたずさえて存続しないとなると、たとえば人間にかまってもらえない動物や虐待されている動物と大霊との関係はどうなるのでしょうか。創造した者と創造された者との関係として見たとき、そういう動物の生命に大霊の公正はどのようなかたちで示されるのでしょうか?

 地上の人間の理解力を超えた問題を解説するのは容易ではありません。これまで私は、動物は死後、類魂のなかに融合していくと述べるにとどめてきましたが、その段階で埋め合わせの原理が働くのです。絶対的公正の摂理の働きによって、受けるべきでありながら受けられなかったもの、すべてについて埋め合わせがあります。

 しかしそれは、人間の進化の行程とは次元が異なります。しいてたとえれば、十分な手入れをされた花と、ほったらかしにされてしぼんでいく花のようなものでしょう。あなた方には、その背後で働いている摂理が理解できないかもしれませんが、ちゃんと働いているのです。

【Q16】

個々の動物について埋め合わせがあるのでしょうか?

 いえ、類魂としてです。受けた苦痛が類魂の進化を促すのです。

【Q17】
そのグループのなかには苦痛を受けた者とそうでない者とがいるはずですが、それがグループ全体として扱われるとなると、埋め合わせを受けるべき者とその必要のない者とが出てきます。そのへんはどうなるのでしょうか?

 体験の類似性によって、各グループが構成されます。

【Q18】

ということは、虐待された者とそうでない者とが、別々のグループを構成しているということでしょうか?

 あなた方の身体が、さまざまな種類の細胞から構成されているように、類魂全体にもさまざまな区分けがあります。

【Q19】

ばい菌のような原始的生命はなぜ存在するのでしょうか?また、それが発生し消毒されるということは、宇宙が愛によって支配されていることと矛盾しませんか?
 人間には自由意志が与えられています。大霊から授かっている霊力と、正しいことと間違ったこととを見分ける英知とを用いて、地上界を〝エデンの園〟にすることができます。それをしないで、ほこりと汚れで不潔にしておいて、それが生み出す結果について大霊に責任を求めるというのは虫がよ過ぎないでしょうか?

【Q20】

地上的生命の創造と進化が、弱肉強食という血染めの行程をたどったという事実のどこに、善性と愛という神の観念が見出せるのでしょうか?

 そういう意見を述べる人(注)は、なぜそういう小さな一部だけを見て全体を見ようとしないのでしょうか?進化があるということ、そのことが神の愛の証しではないでしょうか?その人たちは、そういう考えが一度も浮かんだことがないのでしょうか?人間が低い次元から高い次元へと進化するという事実そのものが、進化の背後で働いている摂理が愛の力であることの証しではないでしょうか?

 訳注──答えが直接質問者に向けられていないのは、多分、質問が読者からの投書だったのであろう。主語が「you」でなく「they」となっているところからそう判断したのであるが、もしかしたら質問が「という意見を述べる人がいますが…」となっていたのかもしれない。




  訳者あとがき 
 読者というのは、はじめてその本を読む人のことと理解してよいと思うが、本書に関するかぎりは、はじめての方に加えてすでにシルバーバーチを繰り返し読んでいる方が多い──むしろ、そういう方のほうが圧倒的に多いに違いないという想定のもとに、「あとがき」を書かせていただく。

 そのあと新しい読者のために、シルバーバーチ霊からのメッセージの中継者として生涯を捧げたモーリス・バーバネルの手記を紹介する。

 「編者まえがき」の冒頭で述べられているように、本書はすでに霊言集として十数冊の単行本として発行されているもののなかから、Q&A、つまり交霊会の出席者からの質問にシルバーバーチが答えたものばかりを編集したものである。

私は霊言集の原書をすべてそろえており、そのすべてを翻訳して一六冊の日本語版として四つの出版社から上梓した(巻末参照)。
 したがって、本書の原書を手にしたときは、その日本語版にあるものばかりなのだから、あえて訳す必要性はないと考えていたのであるが、「勉強会」を進めていくうちに、こういう問答形式のテキストも使い勝手がよい、むしろそのほうが効用が大きいように思えてきた。

 そこで翻訳に着手して、一章ごとに「勉強会」で披露していったのであるが、そのうち気がついたのは、部分的には訳した覚えがあっても、全体としては別個のものが、かなりの頻度で出てくることだった。

同じシルバーバーチが述べたことであるから、どこか似ていることを述べていても不思議はないのであるが、そのうち〝編纂〟という作業に関して、日本人と英国人との間に考え方の違い、大げさに言えば、精神構造の違いをほうふつさせる事実が明るみになってきた。

 それは、原書の編集者は、単に霊言を集めてテーマ別に区分けするというだけではなく、ときには別々の交霊会での霊言をつぎはぎして新しい文章をこしらえることがあるということである。

無駄、ないしはなくてもよいと思える文章を削るのはまだしも、そこで述べていないもの──たとえ別の箇所で述べていても──それをつぎ足してかたちだけ整えるのは、いささか悪趣味が過ぎるのではないかと思うので、私はそれを発見したときは削除した。
 そんな次第で、既刊の霊言集に出ているものと本書に出ているものとの間に〝似て非なるもの〟があるときは、本書のほうが正しい、つまりよけいなつけ足しをしていないと受け取っていただきたい。もちろん、表現を改めたところは少なからずあるが‥‥。

 もう一つ気づいたことは──これは嬉しい発見であるが──どの霊言集にも掲載されていない問答がいくつか見られることである。

そこで考えたのであるが、どうやら二人の編者は、前任者たちが霊言集を編纂したときの資料、つまり交霊会の速記録やテープ録音を文字に転写したもののなかから、新たに拾い出したものを採用したのではないかということである。

 これは、そうした資料に直接アクセスできない者にとっては実にありがたいことで、もしも条件が整えば、私自身がそうしたものの発掘の旅に英国まで行ってきたい心境である。未公開のものがいくらでもあるはずであるから‥‥。

 さて、回答で指摘したとおり、私自身の誤訳も見つかった。ある意味では大切な発見で、本文でもお詫びかたがた注を施しておいた。「not」を見落とした単純ミスで、いわゆる「思い込み違い」である。

が、その単純ミスがその後の文章の意味をわかりにくくしてしまうという、二重の過ちを犯したことになる。この一節はシルバーバーチ特有の、簡潔にして含蓄の深い文章の典型で、たった数行であるがきわめて難解である。

テーマは「アフィニティ」説で、二十世紀初頭に入手されたフレデリック・マイヤースの「類魂」説と基本的に同一である。

 けがの功名で、はからずも今回の誤訳の発見によって解説がしやすくなったので、ここで「霊魂」とは何か、それが「進化する」とはどういうことかを、改めて解説しておきたい。

 まず用語の意味を整理しなければならない。日本人は「霊」と「魂」を並べて「霊魂」という呼び方をする。見方によってはそれで問題ない場合もあるが、スピリチュアリズムでは明快に区別している。
 それをシルバーバーチの言葉で説明すると──「霊」とは全存在の根源的生命力で、無形・無色、影もかたちもないという。われわれ人間について言えば、身体のどこそこにあるという〝場所をもつ〟存在ではなく、「しいて言えば、意識です」とシルバーバーチは言うのであるが、この「しいて言えば」と断ること自体が、必ずしも「意識」とは言えない状態での存在もあることを示唆している。

 それについては後述するとして──「魂」とは、その霊が自我を表現するための媒体をまとった状態を指す。地上では、物的身体という媒体に宿って生命活動を営んでいるわけで、その意味で、人間も「霊」であると言ってもよいし、「魂」であると言ってもよいし、「霊魂」であると言っても間違いではないことになる。

シルバーバーチが用語にこだわらずに、ときには矛盾するかのような使い方をするのは、決していい加減な表現をしているわけではない。シルバーバーチがわれわれの実体を鳥瞰図的に見ているのに対し、われわれは脳の意識を焦点として考えているので、どうしても視野が狭くなり、字句にこだわることになる。

 日本の古神道には「一霊四魂」という思想がある。霊は自我で、その表現媒体として四つの魂、すなわち荒魂(あらみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)があるというもので、スピリチュアリズムでいう自我と肉体・幽体・霊体・神体(または本体)の四つの身体という説とまったく同一である。

 さらには、これらの身体に相応した物質界・幽界・霊界・神界があるというわけであるが、ここではこれ以上は踏み込まないことにする。

    
 さて、自我である「霊」は、無始無終の存在として、単細胞生物にはじまって植物、動物と、その媒体を変えながら進化し、最後に「霊的流入(Spiritual Influx)」という過程をへてヒトの身体に宿る。そして、この段階ではじめて自我意識が芽生える。霊的生命の発達と進化の過程における「画期的飛躍」と呼んでよいであろう。

 シルバーバーチが「見ず知らずというわけではない」と述べたのは「意識的には知らない」という意味に解釈してよいであろう。無限の資質と可能性を秘めた霊的生命が、無意識の静的状態から動的状態へと移行し、機能的進化を重ねたあげくに「霊的流入」という飛躍をへてヒトとなり、自我意識と個性をそなえて、精神的ならびに霊的進化の旅に出ることになる。その旅に終点はないという。

 では、本書に掲載されていないシルバーバーチの霊言で、「霊的流入」を考慮してはじめて理解できる一節を紹介しておく。



「いく百万年とも知れない歳月をかけて、あなた方は下等な種から高等な種へと、媒体を徐々に発達させながら、泥のなかから天空へ向けて一段また一段と、ゆっくりと進化してきたのです。その間、少しずつ動物性を捨てては霊性を発揮するという過程を続けてきました。今あなた方が宿っている身体がそこまで発達するのに、はたして何百万年かかったことでしょう。しかし、まだ進化は終わっていないのです。

 そして他方において、魂も進化させなければならないのですが、それにも、これから何百万年かけることになるでしょうか。
 かつて、あなたはサルでした。サルそのものだったという意味ではありません。サルという種を通して顕現した時期もあったという意味です。それも大霊の機構の一部なのです。生命のあるところには、大霊の息吹があります。それなくしては、生命活動は存在しません。ただ、その息吹に段階的な差があるということです。発達と開発があり、下等な段階から高等な段階への転移があるということです。」


 では、このたびはじめてシルバーバーチと出会ったという方のために、シルバーバーチの専属霊媒としての生涯を送ったモーリス・バーバネルの手記を紹介する。
 これはバーバネルの後継者として週刊紙『サイキック・ニューズ(Psychic News)』の編集長となったトニー・オーツセンに「自分が死んでから公表してほしい」といって手渡したもので、その遺言どおり、一九七九年七月の他界後に同紙に掲載された。


 シルバーバーチと私                 モーリス・バーバネル

私の記憶によれば、スピリチュアリズムなるものをはじめて知ったのは、ロンドンで催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた18歳のときのことで、およそドラマティックとは言えないことがきっかけとなった。

 クラブで私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、どうにか大過なくやりこなしていた。

 もう一つは、講演の内容いかんにかかわらず、私がそれに反論することでディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が「なかなかやるじゃないか」と誉めてくれていた。

実はその頃、数人の友人が、私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん、はじめてのことで、私は大真面目で出席した。ところが、終わってはじめて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。

たとえ冗談とはいえ、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

 同時に、その頃の私は、他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教には背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が、「教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから、ぜひ同伴してほしい」と嘆願しても、頑として聞かなかった。

二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈のうえでは必ずといってよいほど、父のほうが母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それからさらに不可知論へと変わっていった。

 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく、その背景として必要だと考えたからである。
 ある夜の会で、これといった講演者のいない日があった。そこで、ヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼は、スピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると、同僚が例によって私のほうを向き、反論するようにとの合図を送ってきた。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近、にせの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、したがって、それをまったくもちあわせない私の意見では価値がないと思うと述べた。これには出席者一同が驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わると、サンダース氏が近づいてきて「体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしそうだったら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか」と尋ねた。「ええ……」──私は、つい、そう返事をしてしまった。が、「結論を出すまで六カ月の期間がいると思います」と付け加えた。

 そのことがきっかけで、サンダース氏は、私を近くで開かれていた交霊会へ招待してくれた。約束の日時に、私は、当時、婚約中だったシルビアを伴って出席した。会場に案内されてみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。

若い者もいれば、老人もいる。あまり好感はもてなかったが、真面目な集会であることはたしかだった。

 霊媒は、ブロースタインという中年の女性だった。その女性がトランス状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。

そして事実、そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが「死者」であることを得心させる証拠は、何一つ見当たらなかった。

 しかし、私には、六カ月間、スピリチュアリズムを勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが、会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり居眠りをしてしまった。目を覚ますと、私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに、私は居眠りをしていたのではなく、レッド・インディアンが、私の身体を借りてしゃべっていたことを知らされた。

 それが私の最初の霊媒的トランス体験だった。何をしゃべったかは、自分にもまったくわからない。聞いたところでは、ハスキーで、のどの奥から出るような声で少しだけしゃべったという。その後、現在に至るまで大勢の方々に聞いていただいている、地味ながら人の心に訴えるとの評判を得ている響きとは、似ても似つかぬものだったらしい。

 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホーム・サークルが誕生した。シルバーバーチも回を重ねるごとに、私の身体のコントロールがうまくなっていった。

コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまくいくようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

 はじめのうち、私は、トランス状態に入るのはあまり好きではなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が、私自身にわからないのは不当だという、生意気な考えのせいであったと思われる。

 ところが、あるとき、こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベッドに横たわっていたときのことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声、つまり私の口を使っての霊言とともに、ビデオのように映し出されたのである。そんなことが、その後もしばしば起きた。

 が、その後、それは見られなくなった。それは、ほかならぬハンネン・スワッファーの登場のせいである。その後「フリート街の法王」(フリート街は、ジャーナリズム界の通称)と呼ばれるほどのご意見番となったスワッファーも、当時からスピリチュアリズムには彼なりの体験と理解があった(別の交霊会で劇的な霊的体験をして死後存続の事実を信じていた)。

 そのスワッファーが、私のトランス霊言に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチ霊をえらく気に入り始めていた。そして、これほどの霊的教訓がひと握りの人間にしか聞けないのはもったいない話だといい出した。

元来が宣伝好きの男なので、それをできるだけ多くの人に分けてあげるべきだと主張し、『サイキック・ニューズ』(週刊の心霊紙)に連載するのがいちばんいいという考えを示した。

 はじめ、私は反対した。自分が編集している新聞に、自分の霊的現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、ずいぶん論議したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 その頃から、私の交霊会は「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、同時に、その会での霊言が毎週定期的に掲載されるようになった。

当然のことながら、霊媒は一体だれなのかという詮索がしきりになされたが、かなりの期間、内密にされていた。しかし、顔の広いスワッファーが次々と著名人を招待するので、いくら箝口令を敷いても、いつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して事実を打ちあける記事「シルバーバーチの霊媒はだれか──実はこの私である」を掲載したのだった(カッコ内は訳者。わかりやすく編集した箇所もある)。

Saturday, September 5, 2026

天界の大学 ベールの彼方の生活(四)

 著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)

近藤千雄 訳



五章  
造化の原理
1 スパイラルの原理     
二人三脚の原理   4 通信の中断



1 スパイラルの原理
一九一八年 三月十一日  月曜日

──創造的活動にたずさわる天使の大群とともに例の大学の大ホールで体験されたことや学ばれたことについて語っていただけませんか。

 私が仲間の学徒とともに大学を見学することになってすぐさま気がついたことは、すべてが吾々の理解を促進する知識の収集に好都合に配置されていることでした。

すべてが整然と構成されているのです。巨大な造化の序列の間には向うの端が遠くかすんで見えるほどの長い巾広いもの (avenues とあるが並木道、本通り、通路等の訳語しか見当たらない──訳者)で仕切られています。

と言っても、序列のどれ一つとして他から隔離されたものではないので、それはただの〝仕切り〟division ではなく、横切って通るための〝路〟road でもなく、実はそれ自体が両隣りを融和させる機能を具えた〝部門〟department なのです。

 そこを見学しているうちに吾々は、創造活動において造化の天使が忠実に守っている基本原則が幾つかあることを知らされて感心しました。その原則は無機物にも植物にも動物にも本質的には同じものが適用されています。

しかし最も進化せる界層に顕現されている叡智と巧みさに満ちた豪華絢爛たる多様性も、原初におては単純な成分の結合に端を発し、永い進化の時を閲しながら単純なものから複雑なものへと発達し、ついに今日見るがごとき豪華な豊かさへと至っていることを思えば、その事実は当然のことと言えるでしょう。

 私が言わんとすることを例を挙げて説明してみましょう。

 その仕切りの一つを通って行くと、天体がいかにして誕生したかが分かるようになっていました。左側は神の思念が外部へ向けて振動し鼓動しつつ徐々に密度を増し、貴殿らのいうエーテルそのものとなっていく様子が分かるようになっていました。

それを見ると〝動き〟の本質が分かります。本質的には螺旋状(スパイラル)です。それが原子の外側を上昇して先端までくると、今度は同じくスパイラル状に、しかし今度は原子の内部を下降しはじめます(これが象徴的表現に過ぎないことをこの後述べている──訳者)。

空間が狭いために小さなスパイラルでも上昇時よりもスピードを増します。そして猛烈なスピードで原子の底部から出ると再び上昇スパイラルとなりますが、スピードは少しゆるやかになり、上昇しきると再びスピードを増しながら内部を下向していきます。

 原子は完全な円でなく、といって卵形でもなく、内部での絶え間ない動きの影響で長円形をしています。その推進力は外部からの動力作用で、もしその動力源をたどることができれば、きっと神の心に行き着くのではないかと私は考えています。

お気付きと思いますが、〝先端〟とか〝底部〟とか〝上昇〟とか〝下降〟という言い方は便宜上そう表現したまでのことです。エーテルの原子に上も下もありません。

 さて、エーテルの原子を例に挙げたのは、これを他のさらに密度の高い性分へとたどっていくためのモデルとしていただくためです。たとえば地上の大気のガス物質を構成する原子にまでたどっても、やはり同じ運動をしております。

エーテルの原子の運動とまったく同じ循環運動をしております。細かい相違点はあります。

同じスパイラルでも細長い形もあれば扁平なのもあります。スピードの速いのもあれば遅いのもあります。いずれにせよ原子の内側と外側のスパイラル運動であることに変わりはありません。

 鉱物の原子を見てもやはり同じ原理になっていることが分かります。また一つの原子について言えることは、原子の集合体についても言えます。たとえば太陽系の惑星の動きもスパイラルです。但し、惑星を構成する物質の鈍重さのせいで動きはずっとゆっくりしています。

 同じことが衛星の運動にも言えます。さらに銀河系の恒星をめぐる惑星集団、さらに銀河の中心をめぐる恒星集団についても言えます。

 ただし各原子の質量と密度の双方がスパイラル運動の速度に影響します。密度の高い原子から成る物質においては速度が遅くなります。しかしその場合でも原子の内部での速度の方が外部での速度より速いという原則は同じです。

内側の運動から外側の運動へと移る時は、動くのがおっくうそうな、ゆっくりとしたものになります。しかしあくまできちんと運動し、その運動は軸を中心としたスパイラルの形をとります。

月もいまだに軌道運動に関してその性則を維持しようとしています。地球を中心とするかつてのスパイラル運動をしようとしながら出来ずにいるかのごとく、みずからを持ち上げようとしては沈みます。地球も同じことを太陽の周りで行ってなっております。

完全な円運動ではなく、完全な平面上の円運動でもありません。地軸に対しても平面に対しても少しずつずれており、それで楕円運動となるのです。

 以上のようにエーテルの原子、地球のガス物質、および地球そのものについて言えることは太陽ならびに銀河の世界についても言えます。その運動は巨大なスパイラルで、恒星とその惑星が楕円を描きながら動いております。

 こうした情況を吾々はその巾広い通りの左側に見たのです。がその反対側には物的創造物の霊的側面を見ました。つまり両者は表裏一体の関係になっているのです。

そして吾々が位置している通りが両者を結びつける境界域となっているのです。地上生活から霊界へ入る時はそれに似た境界域を横切るのです。そしてやがてその〝部門〟から次の〝部門〟へと移行することになります。

横切る通りは言わば地球の人間と天界の人間とを隔てる境界ということになります。


──さっき述べられた原理すなわちスパイラル運動の原理の他にも何か観察されたのでしょうか。

 しました。あの原理を紹介したのは説明が簡単であり、同時に基本的なものでもあるから・・・・・・いや多分基本的だから単純なのでしょう。

 では、もう一つの原理を紹介しましょう。基本的段階を過ぎると複雑さを増し説明が困難となります。が、やってみましょう。

 吾々が知ったことは造化の神々は先に述べたエーテルの原子よりさらに遡った全存在の始源近くにおいて造化に着手されているということです。またエーテルの進化を担当するのも太古より存在する偉大なる神々であるということです。

そこで吾々はずっと下がって材質の密度が運動を鈍らせるに至る段階における思念のバイブレーションを学習することになりました。

そしてまず知ったことは、吾々学徒にとって最も困難なことの一つは、正しく思惟し正しく意志を働らかせることだということです。物質を創造していく上でまず第一にマスターしなければならないことはスパイラル状に思惟するということです。

これ以上の説明は私には出来ません。スパイラルに思惟する───これを習慣的に身につけるのは実に困難な業です。

 しかし貴殿は別の原理を要求しておられる。それでは感覚的創造物───植物的生命の創造を観てみましょう。

 例の〝通り〟の一つを進んでいくと片側に地球ならびに他の惑星上の植物的生命が展示され、反対側にその霊的裏面が展示されていました。

それを観察して知ったことは、植物界の一つ一つの種に類似したものが動物界にも存在するということでした。それにはれっきとした理由があります。

そしてそれは樹皮、枝、葉という外部へ顕現した部分よりもむしろ、その植物の魂に関連しております。が、それだけでなく、よく観察するとその外見と魂との関係にも動物と植物の関連性を垣間みることができます。


──どうもお話について行けないのですが・・・・・・もう少し説明していただけますか。

 では、いったん動物と植物の対比から離れて、それからもう一度その話に戻ってきましょう。その方が分かりやすいでしょう。

 天界はさまざまな発達段階の存在──権威において異なり、威力において異なり、性格において異なり、さらには各分野における能力において異なる存在がいます。

 このことは途上に関しても言えることです。

 従ってそれは動物界についても言えることであることがお分かりでしょう。動物は種類によって能力がさまざまです。それぞれに優れた能力を発揮する分野があります。性格的にそうなっているのです。馬は蛇よりも人間と仲良くなり易いですし、ハゲワシよりオウムの方が人間によく懐(なつ)きます。

 さて先程述べかけた類似に原理は、大ていの場合さほど明確でないにしても、植物界と動物界にも存在することが分かります。たとえば植物の代表としてカシの木を、動物の代表として小鳥を例にとって考えてみましょう。

カシの木は種子(どんぐり)を作って地上に落とします。これが土に埋もれて大地で温められ、内部の生命が殻を破って外部へと顕現します。

実はそのどんぐりと小鳥は構造においても発生のメカニズムにおいても本質的にはまったく同じなのです。

 この〝内部から外部へ〟という生命の営みは普遍的な法則であって、けっして敗れることはありません。それは又、現在の宇宙を生んだ根源的物質の奥深く遡っても同じです。エーテルの原子の説明を思い出してください。原子の最初の運動は内部に発します。

そこでは速度が加速され、運動量が集積されます。外部に出ると両方とも鈍ります。


 同じルールが他の分野についても言えることが分かりました。創造界の神々が順守すべき幾つかの統一的原理が確立されているということです。

そのうちの一つが、まず外皮があってその内部の美がそれを突き破って顕現し、その有用性に似合っただけの喜びが見る者の目を楽しませるということであり、また一つは二つの性──能動的と受動的──であり、循環器系でいえば樹液と血液であり、呼吸器系で言えば毛穴と気孔であり、その他にもいろいろと共通の原理があります。

 これ以上貴殿のエネルギーが続きそうにありません。これにて中止されたい。
                                アーネル ±


 訳者注──最後の部分がよく理解できないが、これは次の通信の冒頭でアーネル霊も指摘し、通信が正しく伝わっていないと言って、その補足説明を行っている。

しかし年代的にアーネル霊は中世の人間であり、オーエンは現代の人間であっても科学的には素人なので、内容の表現や用語に素人くささが出ている。

大巾な書き変えは許されないので原文のまま訳しておいたが、読者はその趣旨を読み取る程度にお読みいただきたい。



2  文明の発達におけるスパイラル
 一九一八年 三月十五日 金曜日

──今夜はどういう目的でいらしたのでしょうか。

 例の顕現で学んだ教訓についての叙述を続けたいと思います。


──例の類似性についてのお話の最後の部分がよく理解できませんでした。私には今一つ要領を得ない感じがしました。私は正しく受け止めていたでしょうか。

 結構でした。取り損ねられたのは応用についての部分です。あの時はすでに消耗が度を越していたようです。今夜はその補足説明しようと思います。

 さて、物的世界を支配する原理、すなわち物質の形態による外部への生命の顕現は霊的世界にも当てはまります。


 まずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然のことで、物的原子のすべてが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。その神から湧き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序をへて降下し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。

したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが分かります。

これは、もしそのエネルギーが流れる霊的界層においてもスパイラルの原理が働いているからこそであって、もしそうでなかったら有り得ないことです。ではどういう具合に働いているかを述べてみたいと思います。

 実はヤシの葉状の王冠がそのスパイラルの原理の一つの象徴でした。スパイラル状に編まれておりましたし、例の顕現の中で王冠のまわりに集結した天使群も当然スパイラル状に整列しておりました。

それが彼らの仕事の象徴のようなもので、その位置の取り具合によって吾々に教訓を読み取らせる意図があったのです。

 では次にこれを動物的生命の創造に見てみましょう。

 そもそも〝感覚〟による動作が最初に見られるのは植物です。そしてそこにもスパイラルの原理がはっきりとした形で現れているのが分かります。

たとえば豆科の植物は他のつる科の植物もみなそうであるように、スパイラル状に伸びます。典型的なスパイラルを描くものもあれば、少し形の崩れたものもありますが・・・・・・

 樹液の流れも幹を上昇しながら直線から曲線へ移行しようとする傾向を見せます。巻きひげによって登って行く植物も、ひげをスパイラル状に巻き付けて支えています。空中を遠く飛び散る種子も同じような曲線を描きながら地面へ落下します。

こうしたことは全てスパイラルの原理の働きの結果で、太陽から送られるバイブレーションが地上の植物にまで届くのにもそれが作用しています。つまり虚空を通過してくる際にはミニチュアの形でスパイラル運動が生じ、みずから天体の回転を真似ているのです。

 さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いていることが分かります。たとえば、小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしていることが明らかになります。

同じことが海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。

自由意志が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。逆に自由意志が少なくなるほどその原則が明確に見られます。

たとえばカタツムリの殻をご覧になればよく分かります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意志に代って本能が作用しているからです。



 一方、人間に関して言えば、個々の人間の個性よりも各民族全体を指導する大精神(※)に関わる事象においてそれは顕著に見られます。たとえば文明は東から西へと進行し、幾度か地球を楯回(じゅんかい)しています。その地球は太陽を中心として動いている。

しかし太陽の子午線は赤道に沿って直線上に走っているわけではなく、地球がどちらかに傾くたびに北に振れたり南に振れたりしている。

こうした地球の動きは太古における地球の動きの名残りであり、同じスパイラル運動が支配している星雲から誕生したことを示しております。こうして現在は顕著なスパイラル運動はしていないとはいえ、地球上の文明の進路が続けて二度同じコースをたどることは決してありません。

文明の波が前と同じ経線のところまで戻ってきた時には地球自身の両極は何度か───北極が南へ、南極が北へ──傾いております。かくして太陽からの地球へのエネルギーの放射の角度が変わると、文明の進路も変化します。

こうしてその文明は言うなれば地球にとっての〝新たな発見〟という形を取っていくわけです。

(幻の大陸と言われている)レムリアとアトランティスの位置についての憶測を考えていただけば、私の言わんとするところがお分かり頂けるでしょう。(※地球の守護神のこと。これを人間的容姿を具えた神様のように想像してはならない。

地球の魂そのものであり、無形の霊的存在であり、前巻で述べた通り、これがキリストの地球的顕現である。人間はすべてその分霊を受けて生まれる。それを最も多くそして強力に体現したのがイエス・キリストということである──訳者)

 それだけではありません。この原理は文明のたどるコースだけでなく文明の産物そのものをも支配しています。これは説明がさらに困難です。

こちらの世界ではそれを鮮明に認識することができます。と言うのも、人類の精神的活動の様子が地上より生き生きと見えるだけでなく、広範囲の年代のことを一度に見ることが出来るからです。

そういう次第で私は、人類の歩みが着実に上へ向いていること、しかしそれは巨大なスパイラルを描いていると明言することができます。

 その意味を分かっていただくには、〝太陽の下に新しいものなし〟(旧約・伝道の書1・9)という言葉を思い出していただくのが一番良いでしょう。

これは文字通りの真理というわけではありませんが、ある程度は言い当てております。貴殿は、新しい発見が為されたあとでそれに似たものがすでに何千年も前に予測されていたということを聞かされたことがあるでしょう。

私は予測されていたという言い方は賛成できません。そうではなくて、このたびの新しい発見はそれに先立つ発見が為された時に科学が通過しつつあったスパイラル状の発達過程の位置のすぐ上の時期に当たるということです。

発明・発見のスパイラルはあくまでも上昇しながら楯回しているわけです。ですから発明・発見が〝新しい〟というのは、前回の楯回の時のものの新しい翻案という意味においてのみ言えることです。


──例を挙げていただけませんか。

 エーテル分子(※)の人類の福祉のための活用がそのよい例といえるでしょう。この分野の科学は実にゆっくりとした段階で研究されてきたことにお気づきでしょう。

とりあえず〝燃焼〟の段階から始めてみましょう。燃焼によって固体が気化されました。次に、これによって熱を発生させることを知り、さらに熱によって生産した蒸気を利用することを知りました。

続いて同じ気化熱を蒸気を媒介とせずに利用することを知り、さらに微細なバイブレーションを活用することを知り、今日では急速に蒸気が電気へと変わりつつあります。

が、さらに次の段階への一歩がすでに踏み出されており、いわゆる無線の時代へ移行しつつあります。

(※エーテルの存在はかつてオリバー・ロッジなどが主張していたが今日の科学では否定される傾向にある。

がこの通信霊アーネルは第三巻でも明らかにその存在を認めた説明をしている。〝エーテル〟といい〝霊〟といい、地上の人間がそう呼ぶから霊の方でもそう呼んでいるまでのことで、科学が存在を認めようと認めまいと、あるいは、たとえ認めてそれをどう呼ぼうと、霊の方は存在の事実そのものを目の当たりにした上で語っているのであるから、

現在の科学理論でもって通信の内容の是非を論じるのは主客転倒であろう。なおこの一節は過去一世紀間の科学の発達を念頭に置いてお読みいただけば理解がいくであろう──訳者)

 ところが実はこうした一連の発達は、完成の度合いこそ違え、現代の人間には殆ど神話の世界の話となっている遠い過去の文明の科学者によって為されたことがあるのです。

そしてさらに次の段階の発達も見えているのです。それは〝エーテルの活動〟に代わって〝精神の波動〟(※)の時代が来ているということです。

このことも実はすでに優れた先駆者の中にはその先見の明によって捉らえた人がいたのです。が、道徳的に十分に発達していない人間によって悪用されるといけないので、その発表を止められていたのです。

現代の人類でもまだ科学として与えられるにはもう少し霊的進化が必要でしょう。今の段階で与えられたら、益になるより害になる方が大きいでしょう。

(※エーテルの波動は言わば物的科学の原理ということであり、精神の波動は霊的科学の原理のことと解釈できるが、ただ最近見られる程度のもので超能力の威力を予測してはならない。まだまだ幼稚すぎるからである──訳者)

 それは別として、現段階の科学の発達は、同じ分野に関して、前回の周期(サイクル)の時にストップしたままの段階よりはさらに発達することでしょう。

前回のサイクルにおいて科学の発達が下降しはじめ、それまでに成就されたものが霊界側に吸収されて、次のサイクルが巡ってきた時点で、それまでの休息の時代に霊界で担当の霊によってさらに弾みをつけられたものが、受け入れるだけの用意の出来た人類に授けられることになります。

 霊界を内側と呼ぶならば地上界は外側ということになり、すでに述べたエーテル原子の動きと同じ原理が地上界に再現されていることになります。

 この問題にはまだまだ奥があるのですが、それを貴殿が理解できるように言語で述べることは不可能です。

要するにこれまで説明してきた原理が今私が例を挙げたような力学においてだけでなく、政治においても、植物及び動物の〝種〟の育成においても、天文学においても、化学においても働いていると理解していただけば結構です。


──占星術と錬金術とは現代の天文学と化学との関係と同じ類似性をもつものだったのでしょうか。

 それは違います。断じてそうではありません。

今夜の話は(人間の歴史の)世紀(センチュリー)を単位としたものではなくて(地球の歴史の)代(エオン)を単位としています。

占星術と錬金術はその二つの時代の科学の直接の生みの親であり、私のいう巨大なスパイラルの中の同じサイクルに属し、その距離はわずかしか離れておらず、すこし傾斜した同じ平面にあります。

 私のいう類似物とは違いますが、ただ、化学については一言だけ付け加えておきたいことがあります。それで今夜はおしまいにしましょう。

 化学というのは高級神霊が中心的大精神に発したバイブレーションが多様性と変異性とへ向けての流れを統御していく活動の中でも最も外的な表現であるということです。

すなわち神に発した生命の流れが霊の段階を通過して物質となって顕現する活動の中で、化学的物質が分化の過程によって細分化され、さらに分子となっていきます。

そして最低の次元に到達するとその衝動が今度は逆方向へ向かい、上方へ、内部へ、と進行します。分析化学に携わる人はその統一性から多様性へと向かう衝動に従っているわけです。

反対にそれを統合しようとする化学者はその流れに逆らっているわけですから、試行錯誤の多い、効率の悪い仕事に携わっていることになります。

多様性から統一性へと向かわせようとしているからです。言わば内部におけるコースがまだまだ外部へ向けてあくまでスパイラル状に行進を続けようとしているのに、その人だけは宇宙原子の一ばん外側のスパイラルで踵(きびす)を返してしまっているのです。

 この通信は前回の通信と照らし合わせて検討してください。
アーネル ±


3  二人三脚の原理
  一九一八年 三月二十二日 金曜日

 今夜も例の顕現の場における宇宙創造に関する研究から得た原理をテーマとして述べてみたいと思います。

 エネルギー作用におけるスパイラルの原理についてはすでに述べました。そこでもう一つ吾々が学んだ原理をお教えしましょう。

 創造的生命のあらゆる部門においてその発展を司る者が必ず遭遇し適応しなければならないものに、潜在的な反抗的衝動があります。

その影響力が生ずるに至った始源をたどれば悠久の太古にさかのぼり、しかもそれは神の心を物質という形態での顕現を完遂させようとする天使群の努力の中から生じたものなのです。

 当時──はるか太古のことですが──その完遂へ向けての道程に関して天使群の間で意見が二つに分かれました。時間をかけるべきと主張する側と早く仕上げるべきと主張する側です。と言っても真っ向から対立したわけではありません。

その考え方には共通した部分がいろいろとありました。が、不一致から生じた混乱によって今日人間が〝悪〟と呼ぶ要素が生まれたのです。今すべてが完成へ向けて進行していることは事実です。

が、そのための活動の分野は無限といえるほど広大であり、当然それに要する期間は地上の年数で計算すれば無限といってもいいでしょう。

永遠の存在である神の目から見れば長いも短いもないのですが、川の流れと同じで、上から見下ろせば一つの流れであっても、これを始源からたどれば全体をカバーするに延々とした道のりとなります。

 造化の進展におけるその多様性が現時点の地球意識が機能している外的界層にいかに顕現しているかは貴殿にもお分かりでしょう。

と言うのは、地球の表面には一方においては今なお発達途上にある才能の蓄積を生み、他方においては進化の大機構における目的に寄与して今や生命の質の向上によっていっそう入り組んだより敏感な媒体が必要となったために捨てられてしまった、かつての天使の叡智の試練の贈(タマモノ)があふれている──否、地球全体がそれによって構成されていると言えるほどだからです。

遠い太古の遺物にもそのことが言えますが、他方、発展せんとする衝動の強さにとって媒体が不適当であることが表面化し、窮屈となり、生命の鼓動が小さくなり、無力化し、ついにその系統の進化活動が停止するに至ったことを物語るものがあります。


 現在化石として残っている巨大な哺乳動物や爬虫類は創造物としては高度の技術を要した素晴らしい産物でした。が、現時点から見るとお粗末で不格好な作品に見えます。

ただ見落としてならないのは、そうしたぎこちない創造物の中にも、今なお造化の過程にある生き生きとして進歩性に富む生命力の宿る神殿(媒体)の基礎を据える上で役に立ったものがあるということです。

そうした基礎工事に較べれば神殿のデザインがいかに改良されてきたかがお分かりになると思います。今貴殿らが立って眺めている階段の標高がいかに高いかもお分かりでしょう。

その位置からは、今日の地上の生命の基礎が据えられた時の地球と同じ段階にある新しい天体の造化に当たっている他の天使群の作業場が、はるか虚空の彼方に見晴らせるのです。

 そこで私のいうもう一つの原理はこうです。発展というのは必ず二重のコースが並行して進みます。

一つはすでに述べた通りの統一性から多様性へ向けるのコースですが、それと並行して必ず、その対であるところの霊的なものから物的なものへのコースが伴うということです。両者は常に並んで走る二人のランナーのようなものです。

一人は〝統一性から多様性へ〟のランナー、もう一人は〝霊から物質へ〟のランナーです。二人は常に同じペースで走らなければなりません。一方が他方を追い越すことは許されません。競争ではなく、同時にゴールインしなければならないのです。

 ところが、その造化の大業にたずさわる者の中にタイミングの読みを間違えて、まだゴールの標識に至らないうちに外部への進展を止め、その創造的生命力をふたたび霊の方向へ向かわせる操作をした者がいたのです。

その標識とは地上の科学者が〝宇宙〟と呼んでいるところの、創造的活動の物質的表現のことです。実はそれが宇宙の全てではありません。

もっと奥深い次元での内的顕現の物質的側面に過ぎません。その背後には造化を司る天使群が控え、意念の活性化によって、銀河の世界の恒星の大艦隊が首尾よく物質の大海原を航海し、目指す港に到着すればくるりと向きを変えて帰路につけるように、たゆみなくその操作に当たっているのです。

 しかし、帰路に着くといっても、来た時と同じ航路を逆戻りするのではありません。

と言うのは、疾風怒濤の荒波を乗り越えてきた航路において生命の多彩な表現の豊かさを身につけて、最初に船出した時はただの漕ぎ手と荷上げ人足に過ぎなかったのが今や一人ひとりが船長の資格を持ち、指導者としての霊格を身につけていますから、来た時よりはるかに陽光にあふれた航路を進むことになるのです。

 さて私が先ほど混乱が生じたと申し上げたのは、その造化の天使群のうちの一部が目指す港への到着を待ちきれずに旋回しようと企てたことです。

艦隊はすでに悠久の時を閲しながら航海してきて、その大海のど真ん中で帆をいっぱいに膨らませたまま旋回しようというのです。疾風と怒涛の真っ只中です。

各船体が大きく揺れ、激突し合って今にも沈没しかけるものもありました。そこに至って彼らもやはり順風を受けて進むべきであることを思い知らされ、ふたたび当初の目的地へ向きを戻したのでした。

そうしてようやく目指す港へ着いた時は船体は傷つき、帆は破れ、くぐり抜けてきた嵐の跡がそこかしこに見られるのでした。

 以上の物語の意味を説明しましょう。大海は無限絶対の心すなわち神が外部へ向けて顕現していく存在の場です。艦隊は神の命を受けて造化に当たる天使群によって創造された顕幽にまたがる宇宙です。

外部へ向けてのコースの目指す港は現在の地球が一部を占めている物的宇宙です。帰路のコースは貴殿らがいま向かいつつあるものです。

最も外部の地点まで辿り着き、そこの標識を今まさに折り返しつつあるところです。

今日地上に何かと不穏な状態が生じているのは、人類がその折り返し点に来ているから──不活潑な物質の港から活潑な外洋へと船出せんとしている、その旋回が原因です。

そのうち帆に風いっぱいに受けてぶじ帰路に着くことでしょう。そして士官も乗組員も上機嫌となり、艦隊が存在の場を波を切って進むにつれて、悠久の港に船出した母港へと近づきます。すでに光が射しはじめ神の微笑が見えるはるか遠い東の空に待ちうける歓待へ向けて進むにつれて、喜びと安らぎが次第に増していくのです。


──混乱が生じたのはいつ頃のことだったのでしょうか。つまり造化にたずさわる天使群が過ちを犯しはじめたのは進化のどの段階でのことだったのでしょうか。

 私にもたどることができないほど遥か遠い昔のことでした。さらに言えば、地上の視点からすれば〝読み間違えた〟ように思えるかもしれませんが、実際には必ずしもそうではないのです。私は貴殿からは見えないところに位置しておりますが、進歩の程度からいえば、ほんの一歩先を歩んでいるだけです。

私およびここにいる私の仲間たちには、その〝間違えた〟と言っているものも、目指す港に着いてみれば現在の吾々が考えているものとは異なったものであるように思えるのです。

我々が〝悪〟だとか〝不完全〟だとか決めつけ、そう思い込んでいるものも、そこへ行き着けばまるでミニチュアの小島の岩に打ち寄せる小さな波のようなもの──無限なる大海の真っ只中の小さな一滴にすぎないのです。

その波が砕けて(大げさに)しぶきを上げているように思えます。が、落ちゆくところは母なる海であり、しょせん元の大海は増えてもいなければ減ってもいないのです。

吾々はその真っ只中の一点の島に当たって砕け散ったカップ一杯ほどの水でもって海の深さを測ってはならず、豊かなその懐の威厳を推し測ってもならないように、無限なるもののほんの一かけらを取り上げて神の偉大なる叡智に評価を下してはなりません。

 あるとき一匹のアリが仲間に言いました。

 「なあ、オレたちはアリマキよりは頭がいいんだよな。あいつらを働かせてオレたちが要るものを作らせてるんだから・・・・・・」

 「そりゃあそうさ」と仲間は答えました。

ところがそこへアリ食いが現われて、そのアリたちの知恵も一瞬のうちに消えてしまいました。アリ食いは日なたで寝そべってこうつぶやきました。

「アリたちはあんなことを言ってやがったが、みろ、オレはその上を行ったじゃないか。だが、オレよりもっと大きな知恵をもったヤツがいるに違いないんだ・・・・・・」

 人間がアリと同じような考えでいても、宇宙にはもっと大きい、そしてそれに似合った力を具えた存在がいるのです。そういう大きな存在はせっかちな結論は下しません。それを知恵が足りないからだと考えてはなりません。 
                                アーネル ±



 4 通信の中断

 一九一八年三月二十五日  月曜日


 吾々がこれまでに述べたことは、言ってみれば神の衣のふさべりに触れた程度にすぎません。その衣は神の光と美をおおい隠すと同時に、それを明かすこともします。


貴殿が精神をお貸しくだされば吾々はもう少し深入りできそうです。お伝えしたいことはいくらでもあります。貴殿の伝達能力の範囲で可能なかぎりのことをお話してみましょう。
 そのことでお願いしておきたいのは、日常生活の身のまわりに生じる出来ごとの裏側に存在する神の意図を吾々が説き明かすのを、根気よく聞いていただきたいということです。霊界の者は人間の一人一人に生じる出来ごとに細かく通じております。

そこでこちらから手助けしようとするのですが、さまざまな障害のために見過さざるを得ないことがあります。吾々霊団の者としても、際限なく広がり何一つ行く手を遮るもののないエネルギーを秘めた生命の海の中にあっては、ほんの小さな存在にすぎません。

 物質となって顕現している宇宙と、全存在の源であり、収穫の時期にはすべての稔りが取り入れられる大中心との因果関係については、すでにいくつか述べました。

 ところで、吾々が例の王冠状の大ホールの中に立った時、大中心から流れくる強烈なエネルギーによる圧迫感を身辺に感じ取って、みな陶然となりました。

そこには静寂と威厳と美の中にことばがキリストとなって顕現していたのです。

ここのところによく注目してください。そのとき吾々はキリストの霊と、そのキリストを通して奥深き未知なる存在から流れ来たったものを目のあたりにしていたのです。

それはキリストを通して垣間みる以外には吾々にとってまったく未知の世界なのです。それが今キリストを通して吾々の同化吸収力を超えた重みとスケールをもって放射され、強烈なエネルギーの威圧を感じていたのです。

しかもキリストがすぐ目の前におられてその個性の内部と背後の光のいくばくかを吾々の教化と高揚とより完全なる喜びを味わわせるために放射されていることだけは確実に理解することができました。

 キリストは例の創造活動の大展覧が周囲に展開し終るまで完全な静止状態のまま立っておられました。その様子はあたかも創造の驚異を吾々に展示せんがために全能力を最高に緊張させておられるようでした。

それが終り、雄大な展覧が完了すると、そこで一息入れられました。するとその背後に玉座が出現し、同時に玉座の背後に得も言われぬ美しい天使の姿が次々と出現し、礼拝の姿勢でじっとしています。

するとキリストがくるりと背をこちらへ向け、七つの階段を上がって玉座に腰かけられました。するとその上がり段の前に通路が現われ、それが伸びて人類を展示してある区画を取り囲むように位置する天使群のところまで来ました。

すると天使の群れはその通路を通って玉座の前まで足を運び、そこで全員が立ち止まり、視線を地面へ向けました。

するとその背後の人類の区画の方角から歌声が響いてきました。遠い遠い虚空の腹部から出てくる壮大なダイヤペーソン(音域の全てが一つになった音)のようなハミングで、あたかも天体と天体との間にハーブの弦を張ったのかと思われるほどの壮大さでした。

その低音のハミングの調和のとれた響きはキリストの前に整列した天使群の一体化を象徴しておりました。

 そう見ていると、玉座の背後から一人の輝く大天使が現われ、キリストの右に立って、集結した天使群に語りかけました。

その言葉は吾々にも鮮明に聞き取ることができました。が、その間も遠き虚空の彼方から響いてくる歌声は止まず、その歌声の響く中でその大天使はキリストが全宇宙による愛を顕現されるために払われた犠牲が立証されたことを語って聞かされたのでした。

 原著者注──この時点で私の霊力が尽き、それ以降(まる一年間)交信が途絶えた。霊力が尽きたのは牧師としての仕事と第一次大戦に関連した仕事による私の過労のせいである。この二つの足枷は私には大きすぎ、このように突然、通信がストップしてしまった。

 (半月後の)四月十日の水曜日に妻がプランセットで通信していた中で父親にこう質問した。

 「ジョージ(オーエン)との通信はなぜストップしたのでしょうか」

 すると次のような返事が綴られた。

 「説明しよう。あのころジョージは疲労がひどく、そのうえ夏も近づいていて、自分でも通信を中止したい気持になっていた。たしかに休息が必要な状態になっており、これで良くなるだろう。これで通信が終わってしまったと思ってはいけない」


 訳者注──その疲労のせいと思われるが、この第五章の通信はこれまでになく読みづらく、従って訳しにくかった。

とくに最後の通信はオーエン自身のキリスト教的先入観がかなり混入しているのではないかと思われるふしがある。が、

かつてのナザレのイエスが死後その本来の霊的資質を取り戻し、地上経綸の主宰霊として大々的に活躍していることは、イムペレーターもシルバーバーチも異口同音に述べていることであり、本通信に出てくる〝キリストの顕現〟は、イムペレーターのいう〝高級神霊による讃仰の祈りのための会合〟、シルバーバーチのいう

〝指導霊ばかりの途方もない大集会〟などの催しにおいてもそのイエスが主宰していることを考え合わせると、民族・国家の違いによって大小さまざまな形はあるにしても、今なおひんぱんに行われているものと私は信じている。









シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A

崇高な存在との対話
スタン・バラード / ロジャー・グリーン共著 近藤千雄 訳


第10章 神──大霊とは

【Q1】
神とは何でしょうか?


 神とはこういうものですと、ひとまとめにしてお見せすることはできません。無限なる存在だからです。いかなる言語も概念も説明図も有限です。小なるものが大なるものを包含することはできません。ただ、宇宙をご覧になれば私のいう大霊がいかなるものかが、いくらかはおわかりになるでしょう。

あくまで自然法則(注)によって規制され、千変万化の現象のすみずみに至るまで配剤が行き届いています。極微の世界から荘厳をきわめた極大の世界に至るまで、生を営み運動し呼吸するもの、要するに宇宙に存在するものすべてが、大自然の法則によってコントロールされています。

法則の支配を受けないものは何一つ存在しません。季節は一つ一つ順を追ってめぐり、地球は地軸に乗って回転し潮は満ち引きを繰り返します。どんな種をまいても芽を出すのは内部にあったものです。本性が出るのです。

法則は絶対です。新しい発見も、いかなるものであろうと、どこで行なわれようと、同じ法則によってコントロールされています。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることもありません。

 その法則として働いているものは一体何か?無限なる存在です。旧約聖書に出てくる巨人のような人間ではありません。復讐心に満ち、機嫌を損ねると地上に疫病をまき散らすような、そんな気まぐれで憤怒に燃えた神ではありません。歴史と進化のあとをたどれば、人類社会は未開から徐々に向上進化しており、その背後で働いている力が慈愛を志向する性質のものであることがわかります。

ですから、すべてを支配し、すべてを治め、すべてを監督し、しかもすべてのなかに存在する無限なる愛と英知は、みなさんが霊性の進化に伴って徐々に悟っていくものです。それを私は「大霊」と呼んでいるのです。
                                   トップ℘へ
                                   
 訳注──「法則」と訳したのは原語では「laws」となっている。最初に出ている「自然法則」は「natural laws」であるが、この用語には「物理的法則」の感じが強い。シルバーバーチが「laws」というときは倫理・道徳でいう「摂理」も含まれているので、その色彩が強いときは「摂理」を用いることにしている。ときには「摂理・法則」と訳すこともある。「man’s laws」となれば「人間が定めた法律」となる。


【Q2】
大霊はいずこにも存在する──私たち人間のすべてにも宿っているとおっしゃるのでしょうか?

 (顕幽にまたがる)全創造物として顕現している大霊の総和とは別個の大霊というものは存在しません。

 人間的存在としての神は、人間がこしらえたもの以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間がこしらえたもの以外には存在しません。黄金色に輝く天国も、火炎もうもうたる地獄も、人間がこしらえたもの以外には存在しません。そうしたものは限られた視野しかもたない人間の想像的産物に過ぎません。大霊は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。

 なぜなら、すべてが不変にして不滅、完璧にして全能の法則によって治められていることを悟れば、完全無欠の公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構のなかにあって、だれ一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。

【Q3】

大霊とはだれなのでしょうか、あるいは何なのでしょうか?愛の精神ないしは愛の情感でしょうか?

 大霊とは宇宙の自然法則のことです。顕幽にまたがる全生命の背後の創造力です。完全なる愛であり、完全なる英知です。大霊は全宇宙に瀰漫しています。あなた方がご存知のその小さな物的宇宙だけでなく、まだご覧になっていない宇宙にも瀰漫しています。

 大霊はすべての生命に充満しています。あらゆる存在の内部に息づいています。あらゆる法則、あらゆる摂理にも大霊が宿っています。生命であり、愛であり、すべてです。創造された私たちに、どうして創造者が叙述できましょう。無限の壮大さをもつものを、お粗末な概念しか描けない私たちにどうして叙述できましょう。

【Q4】

人類の歴史を通じて大霊が、個としての霊を通してではなく直接語りかけたことがありますか?

 大霊は人物ではありません。神々しい個的存在ではありません。個的存在を超えたものです。摂理と愛と英知と真理の究極的権化です。大霊はこの広大無辺の宇宙で絶えまなく作用している無限の知性です。

【Q5】

その大霊を幼い子どもに、どう説いて聞かせたらよいでしょうか?

 説く人みずからが、全生命の背後で働いている力について明確な認識をもっていれば、それは別にむずかしいことではありません。

 私だったら、大自然の仕組みの見事な芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドのような夜空の星に目を向けさせます。太陽のあの強烈な輝きと名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。ささやきかけるようなそよ風、それになびいて揺れる松の林に目を向けさせます。さらさらと流れるせせらぎと怒涛の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの営みが確固とした目的をもち、法則によって支配されていることを指摘します。

 そしてさらに、人間がこれまで自然界で発見したものはすべて、法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって規制されていること、その全体に広大にして複雑な、それでいて調和のとれた一つのパターンがあること、全大宇宙のすみずみに至るまで秩序が行きわたっており、惑星も昆虫も嵐もそよ風も、その他ありとあらゆる生命活動が、いかに複雑をきわめていても、その秩序によって経綸されていることを説いて聞かせます。

 そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、まだ人間に知られていない見えざる世界までも支配している霊妙な力、それを大霊と呼ぶのだと結びます。

【Q6】

あなたは大霊はすべてのものに宿る──全存在の根源であるから愛にも憎しみにも英知にも不道徳にも宿っているとおっしゃいます。そうなると、過ちを犯す人間も正しいことをする人間と同じように、大霊の摂理のなかで行動していることになります。愛と平和を説く者と同様に、憎悪と戦争を説く者も、摂理のなかで行動していることになります。すべてが大霊の摂理の一部である以上、その摂理に違反する者はいないことになってしまいますが、この矛盾をどう説明されますか?

 完全が存在する一方には、不完全も存在します。が、その不完全も完全の種子を宿しています。完全も、不完全から生まれるのです。完全は、完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。

 生きるということは進化することです。前に向かって進むことであり、上へ向かって努力することであり、発達であり開発であり発展であり進展です。あなた方のおっしゃる善も悪も、その進化の工程における途中の階梯に過ぎません。終わりではありません。

 あなた方は不完全な理解力でもって判断しておられます。その時点においては善であり、その時点においては悪だといっているに過ぎません。それはあなただけに通用する考えです。あなたと何の関わりもなければ、また別の判断をなさるでしょう。いずれにせよ、大霊は全存在に宿っています。

【Q7】

では、大霊は、地震にも責任を負うのでしょうか?

 大霊は法則です。万物を支配する摂理です。宇宙のどこにもその支配を受けないものは存在しません。地震、嵐、稲妻──こうしたものが地上の人間の頭脳を悩ませているのは承知しています。しかし、それらもみな、宇宙間の現象の一部です。宇宙も進化しているのです。そこで生活を営む生命が進化しているのと同じです。

 物質の世界は完全からはほど遠い存在です。しかもその完全は、いつまでたっても達成されることはありません。より高く、あくまでも高く進化していくものなのです。

【Q8】

ということは、大霊も進化しているということでしょうか?

 そうではありません。大霊は法則であり、その法則は完璧にできあがっています。が、物質の世界に顕現している部分は、その顕現の仕方が進化の法則の支配を受けます。地球も進化していることを忘れてはいけません。地震や嵐や稲妻はその進化のあらわれです。地球は火焔と嵐のなかで誕生し、今なお完成へ向けて徐々に進化している最中です。

 日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、たのしい小鳥のさえずりは大霊のもので、嵐や稲妻や雷鳴や大雨は、大霊とは関係ないというものではありません。そうしたものもすべて、大霊の絶対的法則によって営まれているのです。
 同じように、あなた方は、堕落した人間や他人に害を及ぼすような人間を、大霊はなんとかしてくれないのかとおっしゃいます。しかし、人間一人ひとりは、自由意志が与えられており、霊性の進化とともにその正しい活用法を身につけていきます。霊的進化の階梯を上がるにつれて、それだけ多くの自由意志が行使できるようになります。言い換えれば、現在のあなたの霊格があなたの限界ということになります。

 しかし、あなたも大霊の一部である以上、人生のあらゆる困難、あらゆる障害を克服することができます。霊は物質に勝ります。霊が王様で、物質は召使いです。霊がすべてに君臨しています。全生命のエッセンスです。霊は生命であり、生命は霊なのです。

【Q9】

大霊は、自分が創造した宇宙とは別個の存在なのでしょうか?

 そうではありません。宇宙は大霊の反映そのものです。つまり、大霊が宇宙組織となって顕現しているのです。
 ハエに人間界のことが理解できるでしょうか?魚が鳥の生活を理解できるでしょうか?犬に人間のような理性的思考ができるでしょうか?星が虚空を理解できるでしょうか?すべての存在を超えた大霊を、あなた方人間が理解できるはずはありません。

 しかし、あなた方も魂を開発することによって、一言も語らずとも、魂の静寂のなかにあって大霊と直接の交わりをもつことができるのです。そのときは、大霊とあなたとが一つであることを悟ります。それは言葉では言い表わせない体験です。あなたの、そして宇宙のすべての魂の静寂のなかにおいてのみ、味わえるのです。

【Q10】

霊が意識をそなえた個的存在となるには、物質の世界との接触が必要なのでしょうか?

 そうです。意識を獲得するためには、物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。「物(matter)」から「霊(spirit)」へと進化していくのです。つまり、物的身体との結合によって、物的人物像を通して自我を表現することが可能となります。「霊」は「物」に宿ることによって自我を意識するようになるのです。

【Q11】

となると、大霊は、われわれ人間を通して体験を得ているということでしょうか?

 そうではありません。あなた方の進化が、すでに完全であるものに影響を及ぼすことはありません。

【Q12】

でも、われわれは大霊を構成する分子です。部分の進化は全体に影響を及ぼすのではないでしょうか?

 それは、あなた方を通じて顕現している部分に影響を及ぼすだけです。それ自体も本来は完全です。が、あなた方一人ひとりを通じての顕現の仕方が完全ではないということです。霊それ自体は、もともと完全です。

宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹です。それがあなた方を通じて顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全であるために顕現の仕方も不完全なのです。

あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されます。あなた方が霊という別個の存在を進化させているのではありません。あなた方自身であるところの霊が顕現する媒体(注)を発達させているのです。

 訳注──これはQ10の回答との関連において理解しなければならない。原語で「bodies」となっているところから、シルバーバーチが「物(matter)」を地上の物質だけに限っていないことがわかる。幽体も霊体も、厳密な意味では「物的身体」である。

【Q13】

霊が自我を表現する媒体も、さまざまな形態の「物」でできているということでしょうか?

 そういうことです。法則は完全です。しかしあなた方は不完全であり、したがって完全な法則があなた方を通して働けないから、あなた方を通して顕現している法則が完全でないということになります。あなた方が完全へ近づくほど、より多く完全な法則があなた方を通して顕現するようになります。
 こう考えてください。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡がお粗末なものであれば光のすべてを反射させることができない。その鏡を磨けば磨くほど、より多くの光を反射するようになります。要するに、すべての存在がよりいっそうの顕現を求めて、絶えまえまなく努力しているのです。前に私は、原石を砕きながらコツコツと宝石を磨いているのが人生だと申しあげたつもりです。原石はいらない、宝石だけがほしい、という虫のいい話は許されません。

【Q14】

でも、人間一人ひとりに、善いものと悪いものの概念があるのではないでしょうか?

 それは、その時点での話です。進化の途上において到達した一つの段階を表現しているだけです。魂がさらに向上すれば、その概念は捨て去られます。あるべき道から逸脱してしまった人間を通して完全な摂理・法則が顕現しようとして生じた、不完全な考えであったわけです。すべてが大切だと申しあげるのは、そこに理由があります。

【Q15】

それでは、大霊は原初においては善ではなかったということになるのでしょうか?

 私は、原初のことは何も知りません。終末のことも何一つ知りません。知っているのは、大霊は常に存在し、これからも常に存在し続けるということだけです。大霊の法則は完璧なかたちで機能しています。(今のたとえで言えば)あなたは完全な光をおもちです。
 ですが、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。それを「光は不完全だ。光は悪だ」とは言えないでしょう。まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。地上界で「悪」と呼んでいるものは、不完全な段階で大霊を表現している〝不完全さ〟を意味しているに過ぎません。