Thursday, October 29, 2026

アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)



10章 生命の四つの形態

このページの目次
〈鉱物と植物〉


――自然界の生命を鉱物と植物と動物、それに人類の四つに分ける説と、有機的生命と無機的生命の二つに分類する説とがありますが、どちらがよろしいでしょうか。


「どちらでも結構です。どちらにするかは観点の違いでしょう。物質に観点を置けば有機物と無機物の二つだけになります。生命に観点を置けば四つになることは明らかです」


――植物にも存在の意識があるのでしょうか。


「ありません。思考作用はありません。有機的生命活動のみです」


――感覚はあるのでしょうか。むしり取られたら痛みを感じるのでしょうか。


「植物は物的に反応する感覚はありますが、知覚はありません。従って痛みは感じません」


――オジギソウのように素早く反応する草や食虫植物のようにワナを仕掛ける植物には思考力があるのではないでしょうか。この種のものは植物と動物の中間に位置していて、次の段階へ変移しかかっているのではないでしょうか。


「自然界の全てのものが変移しています。種(しゅ)が全て異なり、それでいて全てがつながっているという事実がそれを物語っています。植物には思考力はありません。従って意志もありません。カキやイソギンチャクのような海中動物も意志があるかのような反応を示しますが、思考力はありません。自然の本能だけです」


――植物には自分に役立つものを摂取し害になるものは避けるという本能があるのではないでしょうか。


「それを本能と呼びたければそう呼ばれて結構です。本能という用語をどこまで拡大解釈するかによって違ってきますが、あれは純粋に機械的なものです。ご存じのように化学物質の中には簡単に結合するものがあります。親和性があるからですが、それを本能とお呼びになりますか」


――上層界へ行けば植物も完全に近づくのでしょうか。


「上層界では何もかもが完全に近づくことは事実です。が、動物があくまでも動物であり、人間があくまでも人間であるように、植物はあくまでも植物です」
〈動物と人間〉


――動物は本能だけで行動していると言えるでしょうか。


「大半の動物において本能が圧倒的に支配していることは事実です。ですが、動物が頑とした意志で行動するのを見かけませんか。あれは知性が働いている証拠です。しかし極めて限られています」


――動物にも言語があるのでしょうか。


「“言語”の意味が単語や音節でできたものということでしたら、そういうものはありません。が、仲間どうしでのコミュニケーションという意味でしたら、それはあります。あなた方が想像する以上に言語を発しています。が、その内容は身体上の欲求に限られています」


――動物にはその行為に関して自由意志がありますか。


「あなた方が想像するほど機械的ではなく自由意志の要素もありますが、それは身体的な欲求に限られており、人間の自由意志と比較することはできません」


――ある程度の行動の自由があるということは知性があるということになりますが、そうなると物質から独立した生命素があるのでしょうか。


「その通りです。それが死後に残るわけです」


――その生命素は人間の魂と同じものですか。


「“魂”をどう定義づけるかによって違ってきますが、そう呼ばれても結構です。ただし人間の魂よりは下等です。人間の魂と動物の魂の違いは、人間の魂と神との差ほどの大きな違いがあります」


――動物の魂は死後にも個性と自我意識を維持していますか。


「個性は維持していますが、自我意識はありません。知的生命は潜在の状態にあります」


――動物の魂が死後にも存在するとなると、人間の魂と同じようにさすらいの状態があるのでしょうか。


「身体につながっていないために一種のさすらいの状態にあると言えますが、“さすらいの霊”とは意味が違います。さすらいの霊は自由意志で考え行動します。動物にはその能力はありません。霊の基本的属性は“自我意識”だからです。動物には自我意識はなく、死後その魂はその道の担当の霊によって種ごとに分類され、すぐさま活用されます」


訳注――最後の“活用され”るのは何の目的に活用されるのかが言及されていない。そこが知りたいところであるが、他の霊界通信によると、種ごとの類魂に吸収され、類魂全体としての進化に寄与するという。


――動物にもある程度の知性があるとおっしゃいましたが、それはどこから摂り入れるのでしょうか。


「宇宙の普遍的要素からです」


――すると、人間の知性も動物の知性も同じ始源から発しているのでしょうか。


「もちろんです。ただ違うのは、人間の知性はそれに磨きがかけられて進化しているということです」


――そうなると魂は下等な段階の創造物の知的要素だった時期もあることになりそうですが……。


「自然界は全てがつながっていて一体化へ向かっていると申し上げたことがあったはずですが……あなた方には全てを知ることは不可能ですが、その下等な段階の創造物の知的要素に磨きがかけられ、少しずつ個別化され、発芽現象に似た一種の準備段階をへて形質変換が行われ、ようやく“霊”となったのです。各霊が未来時制の感覚と善悪の判断力、そして自己の行為に対する責任意識をもって生きることを始めたのはその時からです。人間が、誕生後、幼児期から青年期、成人期、そして老成期へと変化するのと同じです」


――人間の身体に宿ったことのある霊が動物の身体に宿ることがありますか。


「ありません。そのような再生は退化を意味します。霊は決して退化しません。川の水が水源に逆戻りすることはありません」(第二部・一章〈霊の進化〉の項参照)

アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)




9章 霊の仕事と使命


このページの目次

〈霊にとっての仕事〉 〈霊にとっての使命〉




〈霊にとっての仕事〉


――霊は向上・進化のための体験以外に何か仕事があるのでしょうか。


「神の意思を成就させることによって宇宙に調和をもたらすべく協力し合っております。つまりは神の使徒というわけです。霊の生活は絶え間ない仕事の連続ですが、仕事といっても地上における辛い労務とはまったく異なります。身体的疲労もありませんし、身体の欲求(飲食等)を耐え忍ぶということもありません」


――低級霊や未熟霊にも宇宙における役割があるのでしょうか。


「全ての霊に何らかの仕事があります。偉大な設計者による壮大な殿堂も、名もない大勢の石工(いしく)がいてこそ建てられるのです」


――各霊に特有の属性があるのでしょうか。


「霊は宇宙のすみずみまで統括することによって最終的には全ての地域に住み、全ての事についての知識を獲得しなければなりません。しかし『伝道の書』にもあるように“天が下の全ての事には季節があり”ます。かくして、ある霊は今は地上にあって自分の運命を成就しつつあるのであり、またある霊は別の時節に地球上で、水中で、あるいは空中で、それぞれの運命を成就するであろうし、すでに成就し終えた者もいるわけです」


訳注――『伝道の書』は旧約聖書にある十一章から成る比較的短い書で、エルサレムの王だった伝道者の言葉といわれる。ちなみに右の引用文の続きをもう少し紹介すると――

“天が下の全ての事には季節があり、全ての業には時がある。生まるるに時があり、死するに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり” 云々……。


――霊は絶え間なく仕事に従事しているのでしょうか。


「絶え間なく、ですか? 霊は思念で生活しており、思念は活動を止めることがないことを理解していただけば、そうですと申し上げます。ただし、人間の職業と同じものを想像してもらっては困ります。自分が役に立っているとの意識を通して、活動そのものに喜びを覚えるのです」


――それは善霊に関しては容易に理解できますが、低級霊についても同じなのでしょうか。


「低級霊は低級霊で、その霊性に似合った仕事があります」
〈霊にとっての使命〉


――霊がある使命を言いつけられた場合、それはさすらいの期間中に果たすべきものなのでしょうか、それとも再生して成就することもあるのでしょうか。


「両方のケースがあります。さすらいの状態にある霊でも使命を託されて忙しく活動している場合があります」


――どのような使命でしょうか。


「いろいろとあって一概には言えません。それに、人間に理解できない仕事もあります。霊は神の意思を代行するのであり、人間にはその神の意図の全てに通暁することは不可能です」


――霊は託された神の意図をきちんと理解できているのでしょうか。


「そうとは限りません。わけも分からずに携わっている者もいます。が、その意図されていることをしっかりと理解している者もいます」


――それは強制的に課せられるのでしょうか、それとも自由意志で引き受けるのでしょうか。


「自ら求めます。そして、それが許されれば喜びます」


――同じ使命に何人もの霊が志願することもあるのではないでしょうか。


「あります。一つの使命に数名の志願者がいる場合もあります。が、志願者の全てに同じものが与えられることはありません」


――使命をもって再生する場合の使命とはどのようなものでしょうか。


「人間を教育し、向上・進化を促し、また間違った慣習を改めることに直接携わります。もっとも、こうした使命は高尚で重大なものですが、その配下でコツコツと働く陰の功労者がいることも忘れてはなりません。世の中の全てがどこかでつながっているものです。霊は再生して人間的形体に宿って霊性を磨く一方で、神の計画の推進にも寄与しているのです。一人一人に使命があり、何らかの形で役立つものを秘めているからです」


――怠惰な人生を送っている者がいますが、そういう人間にも使命は授けてあるのでしょうか。


「人間の中には、一生涯、自分のためにだけ生きて、何一つ世の中のために貢献しない者がいることは事実です。実に哀れむべき人間で、その無為の生涯への償いとして大変な苦しい目に遭うことでしょう。しばしば今生(こんじょう)にあるうちにそれが始まります。厭世観と嫌悪感に嘖(さいな)まれます」


――人間が何か有意義な仕事を成し遂げた場合、それは再生前から使命として決まっていたことなのでしょうか。前もって決まったことを再生後に使命として授かることもあるのでしょうか。


「人間のすることが全てあらかじめ使命として命じられていたこととは限りません。人間界のために何か有意義なことをしたいと思っている霊が、適当な人物を利用して成し遂げることがよくあります。

例を挙げますと、あるテーマについて一冊の本を書きたいと思っている霊がいるとします。その霊は適当な人物を物色してそのテーマを吹き込み、構想を授け、そして書かせます。この場合、その書物の出版は使命だったわけではありません。

同じようなことが科学の発明・発見や芸術の分野でもよくあることです。肉体の睡眠中に、再生中の霊とさすらいの状態の霊とが直接会って、そうした構想について語り合うこともあります」


――人類に多くの真理をもたらした天才的霊能者が人間的に大きな過ちを犯したり、貴重な真理と同時にとんでもない間違った思想を説いている人がいます。こういう人たちの場合、使命とは何だったのでしょうか。


「自分で自分を裏切ったということです。引き受けた仕事に耐え切れなかったということです。ただし、そうした先輩を批判する時に考慮しなければならないのは、彼らが置かれた時代的背景です。天才的霊能力はあっても、その時代のレベルに合わせて語らねばならなかったということです。後世の者の目から見れば間違っており幼稚に思えても、その時代としてはそれで十分だったのです」


――親となることも使命であることがありますか。


「ありますとも。しかも重要この上ない義務でもあります。その義務の遂行は人間が想像するより遥かに大きく将来に重大な影響を及ぼします。

そもそも神が両親に子を授けるのは、後見人としてその子がまっとうな人生を送るように指導と監督をさせるためです。子供がか弱くデリケートにできているのは親の関与を多く必要とさせるためで、それだけ子供は親を通して新しいものを得るわけです。ところが現実には多くの親は“我が家”中心に考えて、一人間として立派な性格の子に育てるよりも、金(かね)のなる木になってくれるように腐心します。

その結果としてもしもその子が親のエゴの通りの人間になったとしたら、それは親としての信義に背くものとして罰を受けると同時に、いびつに育ったその子がこうむる苦しみの数々の責任も問われます。親としての本来の義務を遂行しなかったからです」


訳注――このあと細かい質問が幾つか続くが、いずれもこれまでの返答に出たものばかりで、通信霊も「神は公正です」という一言でぶっきら棒に片づけているのもある。霊格の高い親があえて邪悪な霊を我が子に迎えることもあれば、その逆もある。前世あるいは前々世と絡んだ問題であるから、いちいち具体例を挙げていったらキリがない。

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳



四章 不変・不滅・不可避の摂理

≪万が一にも大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこのたびの使命をすべて放棄します。もしどこかに摂理のとおりに行っていないところが見つかったら教えてください。しかし、そういうことは絶対にありません。原因にはかならず結果が伴います。蒔いたタネを刈るのです。それ以外には有りようがないのです≫   シルバーバーチ


 「皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは大自然の法則のことです。神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。

みなさんが親しんでいる物的地上界であろうと、人間に感知できない、それよりはるかに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。

 この法則を通して神の意志が働いているのです。人間の法律には変更と修正がつきものです。不完全であり、あらゆる情況を考慮に入れていないからです。が、神の法則は、起こりうるあらゆる事態に備えてあります。すべてが規制され、すべてが管理され、神の配剤がすべてに行きわたっております。

 人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。

補給源とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。

 心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。 (オーラには磁気性と電気性の二種類がある。詳しくは『母と子の心霊教室』を参照───訳者) 

その障害を取り除くまでは生命力は流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。

 無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来あがっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。

あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。

 私には自然法則を変える力はありません。因果律という不変の法則に私が干渉することは許されません。たとえばあなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしかできません。

身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するにきまっています。すると休息と修理によって機能を回復させるほかはありません。法則はごまかせないのです。

 あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです。

 いくら愛があるとはいえ、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念の責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません、行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が責任を取るのです。
身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行において支障がないように十分な手入れをしておく必要があります。人体は地上のいかなる機械よりもはるかに入り組んだ、すばらしい組織体です。まさしく驚異というにふさわしい道具です。が、それにも手入れがいります。

 自然の摂理と調和した生き方をしていれば病気も異状も不快感もありません。こうしたものは不調和から生じるのです。摂理に反することをすれば、その代償を払うことになります。摂理の範囲内で生活していれば恩恵を受けます。

 何よりも動機が優先されます。が、摂理に違反したことをすれば、それに対してペナルティが科せられます。自分の気持ちを満足させようとして身体を痛めるところまで行ってしまうか否かは、一人ひとりがその霊的進化の程度にしたがって判断することです。

地上生活にも神の計画の中でのそれなりの役割があります。無理を重ねて次の段階の生活への準備が十分に整わないうちに地上を去るようなことになってはいけません。

 たとえば、ここに人類の福祉に貢献している高潔な人物がいるとしましょう。その人がもしもその道での超人的活動で健康を損ねた場合、それは立派と言えるでしょうか。それも本人自身が判断すべきことです。

ただ残念なことに、そうした決断を下すに当たって必ずしも自分自身に真っ正直になり切っていないということです。どこかに自惚れの要素───オレ以外に出来るヤツはいないのだという考えが潜んでいるものです。

 法則にも、次元の違いによっていろいろあります。物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的次元のもの、さらにはそれらが入り組んで作用する場合もあります。悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解できません。

それは実在を無視した生活に終始しているからです。物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。

 しかし魂はいつかは真の自我に目覚めなくてはなりません。その時から内在する神性が発現しはじめるのです。それも神が定めた埋め合わせの法則の一環なのです。苦難が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。

 神は宇宙の会計士のようなものです。生命の帳簿は常に帳尻が合っており、すべてがきちんと清算されております。霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものはあなたに相応しい分だけであり、多すぎることもなければ少なすぎることもありません。

その計算はあなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準にして行われます。霊的なことは常に完全な清算が行き届いており、ごまかしも見せかけも通用しません。

 法則は無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです。

それを因果律といいます。原因と結果の間にはいかなる者も干渉できません。偶発事故とか不測の事態というものは起きません。すべては自然の摂理でそうなっているのです。

 その摂理が廃止されたり、一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することもできません。その摂理と調和して生きることです。

すると良い結果が得られます。摂理にひっかからないように上手にすり抜ける方法はありません。その作用は絶対です。宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません」


 《私たちがこれまでに賜った知識のすべて───いま生きている宇宙について、その宇宙を法則によって管理している絶対的な力について、そしてその力と私たちとの関係ならびに私たち相互の関係について、より明確な理解を得させてくれた知識を有難く思っております。

 私たちは宇宙の摂理の働きについてより多くのことを学び、それが一つの手落ちもなく私たちの幸福にとって不可欠のものをいかに美事に用意してくれているか───無限なる叡智によって考案され、無限なる愛によって管理されている摂理が私たちすべてを包摂し、私たちのあらゆる必要性に備え、誰一人としてその支配からはみ出ることがないことを理解しております》                          
                         シルバーバーチ

アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)





8章 霊の物質界への関与

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〈霊界から覗いた人間の生活〉


――霊には人間のすることが全部見えますか。


「その気になれば見ることができます。絶えず人間の身の周りにいるのですから。ですが、実際問題として、関心のないことには注意を払いませんから、受け持ちの範囲のことにしか注意を向けていません」


――完ぺきに秘密にしていることでも分かりますか。


「あなた方が隠そうとしていることをよく見かけます。行為も思念も霊には隠せません」


――そんな時、霊の方ではどんな気持ちで見ているのでしょうか。


「それはその霊自身の質によります。低級ないたずら霊だったら人間がイライラするような事態を生じさせ、カッカするのを見て面白がるでしょう。高級霊であればその愚行を憐れんで、その欠点を改めさせる方向で指導するでしょう」
〈人間の思念・行動に及ぼす霊的影響〉


――人間の思念や行動は霊の影響を受けているのでしょうか。


「あなた方が想像する以上に影響を受けています。と言うのも、そもそも人間は霊の指示で動いているのですから」


――我々自身から出た思念と、霊によって吹き込まれた思念があるのでしょうか。


「人間も思考力をもった霊です。従って当然、自分から出た思いもありますが、次から次へと考えが湧き、しかも同じ問題に関してしばしば対立する考えが入り込んでくることも経験しているはずです。そうした場合、どちらかが自分のもので、どちらかが霊に吹き込まれたものです。二つが相反するものですから決心が揺れるのです」


――そんな時はどのようにして区別したら良いのでしょうか。


「強いて言えば霊からの示唆は、あたかも語りかけられたような感じで、自分自身が考えたことは大抵最初に思い浮かんだものと言えますが、実際問題としてはその区別はどうでも良いことです。区別できない方が良い場合もあります。それだけ自分一人による自由な判断の範囲が広がるわけで、結果的に正しい選択であれば、自分の判断力に自信がつきますし、間違っていれば自分自身の間違いとして責任を一身に背負えることにもなるからです」


――科学者や天才による発明・発見は自分で生み出すのでしょうか。


「自分の霊的産物であることもありますが、大抵は背後霊が教える価値があると判断し、正しく受け入れてくれると確信した上で示唆しています。その程度の科学者や天才になると、自分自身では生み出せないと自覚すると、無意識のうちにインスピレーションを求めるものです。一種のエボケーション(招霊)で、本人はそうとは気づいていません」


――示唆されたアイディアが善霊からのものか邪霊からのものかは何によって判断すれば良いのでしょうか。


「内容をよく検討することです。善悪を見分けるのは人間自身です」


――悪の道に誘い込もうとする邪霊の影響を排除することは可能でしょうか。


「可能です。と言うのは、邪霊が付きまとうのはその人間自身の思念や欲望が邪だからです」


――人間側が悪の誘惑を拒絶した場合、邪霊は誘惑をあきらめますか。


「あきらめるしかないではないですか。もくろみ通りに行かないと分かれば、彼らは誘惑を止めます。ですが、ネコが常にネズミを狙っているように、その後もずっとスキを狙っているものと思ってください」


――邪霊が人間を悪の道に誘う時、その人間の置かれた境遇につけ入るのでしょうか、それとも彼らの思うツボにはまるような事情をつくり出すことまでするのでしょうか。


「都合の良い条件が発生すればどんなことでも利用しますが、人間が良からぬ願望を抱くと、その目的の成就に向けて欲望を煽ります。人間はそれに気づきません。

例を挙げましょう。どこかの通りに大金の札束が落ちているとします。そこへその人間が通りかかりました。まさか霊が札束をそこへ置くはずはありません。そこを通りかかるように仕向けたのです。その札束を見つけてその人間はどういう態度に出るか――邪霊はそれを我がものとするように吹き込み、一方善霊は然るべきところへ届け出る考えを吹き込みます。どちらを選ぶか、それは当人の道義心の問題です。すべての誘惑は大体こんな風にして行われるのです」
〈憑依〉


――霊は人間の肉体に取り憑いて、その人間に代わって肉体を使用することができるのでしょうか。


「霊が憑依するといっても、部屋の中に入るような調子で人体に入り込むわけではありません。同じ欠点、同じ性癖をもつ人間と波動上でつながることはありますが、主体性を持つのはあくまでも肉体に宿っている霊です。霊と肉体とは一体不離の関係で結ばれており、神が定めた寿命が尽きるまで切り離されることはありません」


――俗に言う“取り憑く”ことはなくても、肉体に宿っている魂が低級霊によって支配され、思うように操られ、ついには自我意識がマヒしてしまうに至ることはないでしょうか。


「それは有り得ます。それが本来の意味での憑依の実態です。ですが、忘れないでいただきたいのは、そういう憑依現象は憑依される側の“弱み”または“自由意志”によってそういう事態になることを許しているということで、それがないかぎり発生しません。人間は永い間そういう現象をてんかんのような脳障害による症状と同じに考えて、霊的治療家よりも医者による治療にまかせてまいりました」(『霊媒の書』十三章参照)


ブラックウェル注――霊的憑依現象を発生させる“弱み”とは、現世または前世における悪行への罰であり罪滅ぼしのことである。


――憑依された状態から自力で脱することは可能でしょうか。


「可能です。本気でその気になれば、いかなる束縛状態でも解くことができます」


――邪霊によって完全に憑依され、本人の自我意識が奪われたとします。そんな場合に第三者がその呪縛状態を解くことができるでしょうか。


「高潔な人格者が存在すれば、その意志の力で救済のための善霊の協力を引き寄せることが出来るかも知れません。人格が高潔であるほど霊力が強いですから、邪霊を追い払い、善霊(霊医)を呼び寄せることが出来るという理屈になります。ですが、そういう事態にまで至った場合、いかに優れた人物がいても、憑依されている本人が意識的に自由を取り戻そうとする意志を見せないかぎり、まったく無力です。

と言うのは、そういう人間は得てして依頼心が強く、堕落した好みや願望につけ入られても、それをむしろ快く思うものなのです。霊性の低い霊は高級霊から軽蔑されているというひがみ根性から救済に協力しようとしませんし、仮に協力しても邪霊集団の相手ではありません」


――悪魔払(エクソシズム)いの儀式は邪霊集団を追い払うのに役立ちますか。


「役には立ちません。真面目くさってそういう儀式をやっているのを見て、邪霊たちは小ばかにします。そして、ますます憑依状態を続けます」


――祈りはどうでしょうか。


「祈りが援助を呼び寄せることは事実です。ですが、その祈りがただ文句を唱えるだけのものでは何の効果もありません。天は自ら助くる者を助くとは至言です。自らは何も努力せずに、ただ願いごとを並べるだけの者には援助の手は差し延べません。ですから、憑依されている人間が、そもそも邪霊につけ入られることになった(依頼心が強いという)弱点・欠点を正すということがまず肝要です」
〈守護霊・指導霊〉


――人間各自には守ったり援助したりする目的で付いている霊がいるそうですが……。


「います。霊的同志です。あなた方が指導霊(ガイド)と呼んでいるものです」


――守護霊(ガーディアン)というのはどういう存在でしょうか。


「霊格の高い指導霊のことです」


――守護霊の使命は何でしょうか。


「父と子供との関係と同じです。ある目的をもって、その成就のための道から外れないように、時には忠告を与え、悲しみの中で慰めを与え、苦難の中にあっては生き抜く勇気を与えたりします」


――誕生の時から付いているのでしょうか。


「誕生から死に至るまでです。しばしば死後霊界でも、あるいはその後の幾つかの再生生活でも守護霊として付くことがあります。霊的観点から見れば、物的生活を幾つ重ねても、ごく短いものです」


――守護霊という役目は自発的なものでしょうか、強制的なものでしょうか。


「あなた(カルデック)の守護霊の場合は要請されて引き受けていますから、義務としてあなたを見守っています。が、一般的に言えば守護霊は自分で親和性の強い人間を選ぶことを許されております。楽しみとして進んで引き受ける場合もありますし、使命ないしは義務として引き受ける場合もあります」


訳注――私が“英国の三大霊訓”と呼んでいるモーゼスの『霊訓』、オーエンの『ベールの彼方の生活』、そして『シルバーバーチの霊訓』のうち、守護霊が出てくるのは『ベールの彼方の生活』の第三巻のザブディエルと名のる霊だけで、他は守護霊以外の者が携わっている。

インペレーターもモーゼスの守護霊ではない。その上にもう一人プリセプターと名のる最高級霊が控えていたというが、多分それが守護霊であろう。シルバーバーチもバーバネルの守護霊ではない。六十年間についに一度も出現していない。

このカルデックの守護霊も誰であるかは分からない。聖ルイは守護霊ではないはずである。そう判断する理由は、大きな仕事においては守護霊は総監督として見守るだけで、直接的には携わらないというのが、私の知るかぎり、通例だからである。


――一人の人間の守護霊となった以上は他の人間の面倒は見ないのでしょうか。


「そうとは限りません。が、控え目にはなるでしょう」


――守護霊が人間を見捨てるということが有り得ますか。


「いくら忠告を発しても聞く耳を持たず、低級霊の誘いに完全にはまってしまったと見た場合は、手を引くことがあります。と言っても見捨てるわけではありません。わずかなチャンスを狙って善の道に引き戻そうとします。守護霊が人間を見捨てるのではなく、人間の方が守護霊の言うことに耳を貸さなくなるということです。霊性が目覚めて善性を求めるようになれば、喜んで受け入れます。

それほど労が多く、報われることが少なく、忍耐のいる仕事に高級霊が携わるのが信じられないと思われる方には、こうお答えしましょう。まず第一は、我々は高遠の世界からわざわざ地上まで下降してくるわけではありません。計り知れないほどの距離も我々には何の障害にもならず、次元を異にする世界にいても交信は可能だということです。

もう一つは、我々には人間には想像もできない資質があるということです。神は我々の手に負えないほどの仕事は決して課しませんし、人間を、友も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにしたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています。言うことを聞いてくれれば喜び、無視されると残念がっております」


――人間が悪の道に入って行くのを守護霊も許すことがあるとおっしゃいましたが、それは邪霊集団に太刀打ちできないからでしょうか。


「そうではありません。太刀打ちする、つまり邪霊集団と張り合うよりも、思い切ってその道に入らせても本人は必ずや間違いを悟って大きく成長するという確信があるからです。

守護霊は常に賢明な助言の思念を送っていますが、必ずしも聞き入れてもらえません。邪霊がつけ入るのはそうした弱点、スキ、慢心などを通してです。それに負けるのは、抵抗するだけの霊性が身についていないことを意味します」


――守護霊を必要としなくなる段階があるのでしょうか。


「あります。生徒が十分に学んで先生を必要としなくなる時期があるように、守護霊がいなくても一人で十分にやって行ける段階が来ます。しかし、地上界に関するかぎり、そういうことは有り得ません」


――歴史上の有名人の名を名のっている守護霊は間違いなくその人物でしょうか。


「そうとは限りません。同じ霊系に属する、ほぼ霊格の同じ霊である場合があり、多くの場合、当人から依頼を受けて出ています。(偽っているわけではなく)人間の方が名前にこだわるものですから、それで安心させる意味でその名を使用するのです。あなた方だって使いの用事を言いつけられて、どうしても都合がつかない時は代理の者を行かせることがあるでしょう。それと同じです」


――霊界へ行って守護霊に会えばそれと分かりますか。


「分かります。と言うのは、多くの場合、再生する前まで顔見知りの間柄だからです」


――未開人や文明人で道徳的意識の低い人にでも守護霊がついているのでしょうか。


「守護霊の付いていない人間はいません。ただ、割り当てられる責務によって守護霊の霊格も違ってきます。読み書きを習い始めたばかりの子供に大学教授を家庭教師に付けますか。神は常に一人一人の人間の本性とそれまでに到達した霊性に応じて守護霊を付けます」


――守護霊とは別に、善悪の判断力を試す目的で邪霊も一人一人に付けられているのでしょうか。


「“付けられている”という言い方は正しくありません。確かに、悪の道へ誘い込もうとしてスキを伺っている複数の低級霊が必ずいるものです。が、仮にその邪霊の一人が実際に人間に付きまとうようになったら、それはその邪霊が何らかの意図をもってやっていることです。その場合は言わば善と悪との闘いとなるわけで、どっちに軍配が上がるかは当人の判断力にかかっております」


――守護霊のほかにも面倒をみてくれている霊がいるのでしょうか。


「今述べたように悪の道に誘惑しようとする邪霊が何人もいるように、守護霊(ガイド)の指示のもとで面倒をみてくれている指導霊が何人かいます。霊格の高さはまちまちですが、親和性があり、情愛で結ばれております」


――そうしたガイドは使命があって付くのでしょうか。


「霊によっては一時的な使命を仰せ付かっている場合がないでもありませんが、一般的には、良きにつけ悪しきにつけ、情緒的に共通する霊が付くものです」


――今のお言葉ですと親和力で結ばれている霊でも善霊と悪霊とがいることになりますが……


「その通りです。性格のいかんにかかわらず、相通じ合う霊に取り囲まれていると思うがよろしい」


――“親しい霊”は“親和力で結ばれている霊”および“守護してくれる霊”と同じでしょうか。


「“守護に当たる”とか“親和性に富む”という表現にもいろいろと意味合いがあります。どう呼んでも構いませんが、“親しい霊”という場合は“身内の霊”といった家族的な意味合いが強いです」


――社会、一都市、一国家にも特別の霊団が付いているのでしょうか。


「付いています。そういう集団には共通した目的があり、その目的によって指示を与える霊格の高い霊団が付いています」


――その種の霊団は一般個人の霊団よりも霊格が高いのでしょうか。


「個人の場合でも集団の場合でも人間側の霊性の発達程度に応じた霊団が組織されます」
〈人間生活への霊力の行使〉


――霊団は道徳上の忠告や指導をするだけでなく、日常生活のことも気遣ってくれているのでしょうか。


「その人間に関わるあらゆる側面に気を配っています。責務としてやらねばならないことに関連して、いろいろと忠告を発しています。問題は人間側がそれに耳を傾けてくれないことで、結局は自分の判断の誤りで問題を大きくしているのです」


――思念で忠告する以外に、直接的に霊力で働きかけることはないのでしょうか。


「あります。ですが、それにも許される自然法則の範囲があり、それを超えることはありません」


――例えばある人が梯子をのぼっていて、途中で梯子の段が折れて落下して死亡したとします。このような場合、そういう宿命を果たすために霊力でその梯子を折るようなことをするのでしょうか。


「霊が物質に働きかける力を持っていることは明らかですが、それはあくまでも自然法則の運用のためであって、ある予期せぬ出来事を起こすために法則に逆らって演出するようなことは許されません。

今おっしゃった事故の場合は梯子の材木が腐っていたか、その人間の体重が重すぎたかの、いずれかの原因で折れたのでしょう。つまり自然法則の結果です。そのことと、その人間の死との関連は、そういう梯子を使用するような事態に至るというところに運命的な働きがあったと見るべきであって、殺すために超自然現象で梯子を折るということをするわけではありません」


――もう一つ例を挙げますと、急に嵐になって近くの大木の下に雨宿りをしていたら、その木に雷が落ちて死亡したとします。この場合、霊がその木を目がけて雷を落としたのでしょうか。


「これも先ほどの例と同じです。雷は自然法則に従ってその木に落ちたのであって、その人を殺す目的でその木に命中させたわけではありません。その人がその木の下にいようがいまいが雷は落ちたでしょう。肝心な点はその木に雨宿りしようという考えを抱いたことです」


――地上時代に他人に危害を与えた者が霊界へ戻ると、その時に抱いた敵意は消えるものでしょうか。


「自分の行為の間違いに気づき後悔の念を抱く者が多いのですが、相変わらず敵意を抱き続けているケースも少なくありません。そういう関係は試練の延長として神が認めているのです」


――我々第三者がその種の迫害に終止符を打たせる方法はないものでしょうか。


「多くの場合、祈ることによって終止符を打たせることができます。憎しみの念に対して愛の念を送り返すことによって、邪念に燃える霊に徐々に反省の気持ちを芽生えさせます。そして忍耐強く続けることによって愛は邪悪な企みに優ることを知らしめ、憎しみの空しさを抱かせ、かくして攻撃することを止めさせることになります」
〈自然界における霊の働き〉


――自然界の大変動は偶発的なものでしょうか、全てに神の意図があるのでしょうか。


「何事にも理由があります。神の許しなしに生じることは何一つありません」


――そうしたものは全て人間との関連性があるのでしょうか。


「人間に関連したものも時にはありますが、大部分は大自然が均衡と調和を取り戻そうとする働きに過ぎません」


――全ての現象の根源には神の意図があるに違いないことは認めますが、霊が物質に働きかけることが出来るからには、霊が神の意志の行使者として自然界の構成要素に働きかけて自然現象を起こしているのではないかと思うのですが……


「その通りですし、それ以外には考えられません。神が直接物質に働きかけることはありません。無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えています」


――例えば嵐を起こす場合、一人の霊の仕業でしょうか、それとも大勢の霊の仕業でしょうか。


「大勢の霊です。数え切れないほどの大群と言った方がいいでしょう」


――その場合、自由意志によって、知識と意図をもって現象を起こすのでしょうか、それとも理性のない本能的衝動から発しているのでしょうか。


「知識と意図をもって携わっている者もいれば、本能だけで働いている者もいます。譬え話で説明しましょう。

今大海のどまん中に一群の島ができつつあるとします。その島の生成について神が認知していないはずはありませんし、その群島の出現が大海という地球の表面の調和に影響を及ぼさないはずはありません。ところが、その生成に携わるのは最下等の極微動物であり、神の道具として使用されているという認識などみじんもありません。ただ動物の本能で働いているだけです。

同じことが最下等の霊的存在についても言えます。自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然のさまざまな側面での現象の演出に携わっております。指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいます。それが知的進化を遂げて指令を発する立場にまわり、造化の仕事から倫理・道徳の摂理の管理へと進みます。

このように大自然は根本の原子から始まって大天使に至るまでの雄大なスケールの存在の調和によって進化しており、その全体像は地上の人間の理解力では遠く及びません」
〈戦争と霊〉


――戦争が行われている時は霊界でも敵と味方がいるのでしょうか。


「当然います。そして戦闘意欲をかき立てています」


――戦争はどちらかの側に非があると思うのですが、なぜ非のある側に味方する霊がいるのでしょうか。


「改めて申すまでもないことですが、霊の中には混乱と破壊だけを楽しみにしている邪霊集団がいます。そういう連中にとっては戦争のための戦争であって、正当とか不当とかはどうでも良いことなのです」


――司令官が作戦を練るに当たって霊団から指示が与えられるでしょうか。


「当然です。他の生活面と同様に、作戦にも参加します」


――敵方の霊がまずい作戦を吹き込むことも有り得ますか。


「有り得ます。しかし司令官にも自由意志があります。守護霊団が吹き込む作戦と敵方の霊団が吹き込む作戦のどちらに決断するかに迷い、結果的に作戦に失敗した時は、その責任は自分が負わねばなりません」


――司令官の中には予知能力のある人がいて作戦の行方を予見することがあるそうですが……


「天才的な軍人によくあることです。いわゆるインスピレーションを的確に受け取れる人で、それを受けた時は自信をもって命令を発します。霊団から送られてくるもので、それを天賦の霊能で受け取ります」


――戦闘中に戦死した霊はどうなるのでしょうか。霊界でも戦い続けるのでしょうか。


「戦い続ける者もいますし、撤退する者もいます」


――戦場の爆音や鬨(とき)の声などは相変わらず聞こえるのですか。


「聞こえます、そっくりそのまま」


訳注――シルバーバーチの霊言に次のような一節がある。

「これが戦時下となると、いろいろと問題が厄介となります。何しろ何の準備もできていない、何の用意もしていない人間が大挙して霊界へ送り込まれてくるのですから……みんな自分が死んだことすら知りません。(中略)死んだことにも気づかずに死んだ時と同じ行為を続けております。地上戦で死んだ者は地上戦を、海上戦で死んだ者は海上戦を、空中戦で死んだ者は空中戦を戦い続けております。そのうち、期間は各自まちまちですが、少し様子が違うことに気づき始めます。

全体としては以前と変わらないのに気をつけて見るとどうも辻褄が合わない。奇妙な、あるいは無気味なことがくり返されていることに気づきます。殺したはずの相手が死んでいない。銃を撃ったはずなのに弾丸が飛んで行かない。敵兵に体当たりしても少しも動かない。触っても気がつかない。大声で話しかけても知らん顔をしている。そしてその光景全体に霧のような、靄のような、水蒸気のようなものが立ち込めていて、薄ぼんやりとしている。自分の方がおかしいのか相手の方がおかしいのか、それも分からない。時には自分が幻影に惑わされているのだと思い、時には相手の方が幻影の犠牲者だと考えたりします。

が、そのうち――霊的意識の発達程度によってそれが何分であったり何時間であったり何日であったり何か月であったり何年であったり何世紀であったりもしますが――いつかは自覚が芽生えます。その時やっと援助の手が差しのべられるのです。」


――仮に霊が傍観者として冷静に戦場の様子を見つめていれば、斃(たお)れた人間から霊が次々と離脱して行く様子が見えますか。


「全ての戦死者の死が一瞬の間に成就されるわけではありません。大抵は、肉体的には即死の状態でも、霊はそのことに気づきません。精神的に落ち着きを取り戻すと自分の死体がそばに横たわっていることに気づきます。が、その過程が実に自然なので動揺することはありません」
〈魔よけ・呪術〉


――邪悪な人間が邪霊の助けを借りて怨みの相手に危害を加えることはできますか。


「できません。そういうことは神が許しません」


――でも、呪術をかける力を持った人間がいるという信仰がありますが……


「強力な生体磁気を持っている人間がいます。その人間の心が邪悪であればそれを悪用することは考えられます。その場合に似たような邪悪な霊が加担することも有り得ることです。しかし、それを超自然的な魔力のせいにしてはいけません。それは自然法則に無知な迷信的人間の想像力の中にのみ存在するものです。魔力が存在する証拠とされているものは自然な原因の働きによるものを間違って観察し、さらに間違った解釈をした結果です」


――霊の意念を操ることが出来るとされる呪文や秘法の効果は実際にあるのでしょうか。


「本当にそういうものを信じているとしたら、その効果はその人が嘲笑の的になることだけです。もしも信じていないのにそういうことをしているとしたら、それは詐欺師であり、処罰に値します。その種の儀式は全てペテンです。霊を操るような秘密の言葉やしるし、魔よけなどは存在しません。なぜなら、霊は思念で感応するのであって、物的なものではないからです」


――でも、そういう儀式の中には霊が伝授してくれたものがあるのではないでしょうか。


「おっしゃる通りです。霊の中には摩訶不思議な加持や呪文を教える者がおり、それをもとに、いわゆる“おまじない”をする人がいますが、そういう人たちは低級霊の良い遊び相手にされており、摩訶不思議をすぐに信じたがる性格をもてあそばれています」


――良い悪いは別として、魔よけの威力を信じることが実際に霊の力を呼び寄せることにならないでしょうか。魔よけが精神を集中する媒体となって、その人の思念を活発にすると思うのです。


「そういう働きは一応考えられます。しかし呼び寄せる霊の程度を決めるのは、霊を呼び寄せる動機とその人間の心証の純粋性です。魔よけなどの効果を信じるほど単純な人間が高尚な動機で行うということはまず考えられません。

つまるところ、この種の儀式や行事にこだわるのは、人間を騙すことばかり考えている未熟な霊に取り憑かれやすい低俗な精神構造の人間であることを証明していると考えてよろしい」


――では“魔法使い”はどう理解したらよいのでしょうか。


「そう呼ばれている人間がもし性格的に真面目であれば、予知能力に類する超常能力でもそなえている人と考えられます。普通の人間に理解できないことをやってみせるために超能力の持ち主とされているだけです。学者だって無学な人間から見れば超人的に見えるのではないでしょうか」

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳




三章 霊の威力

 《もしも霊力が働かなくなるようなことがあったら、地球は回転を止め、四季は巡ってこなくなることでしょう。もしも霊力が働きを中止したら、太陽の炎は消滅し、月はあの幽玄な輝きを見せなくなるでしょう。もしも霊力がしくじることがあったら、種子は花を咲かせず実を結ばなくなることでしょう。》                    シルバーバーチ


 「私たちは、霊が生命を吹き込んでくれたおかげで共通の絆を与えられているのです。そのことによって全世界の神の子が根源において結ばれていることになるからです。人間が地上でも、そして死後も生き続けることを可能にしているのは、神を共通の親として、全人類を一つの家族に結びつけているのと同じ霊力なのです。

 この崇高な事実こそ私たちが啓示せんとしている真理です。あらゆる物的差違、あらゆる障害、あらゆる障壁を超えるものです。肌の色の違い、言語の違い、国家の違いを超越するものです。物的存在の表面の内側に、断とうにも絶つことのできない同胞性で全人類を結びつけている、共通の霊的属性があることを教えております。

 今の地上世界にはぜひともこの真理が必要です。その理解さえ行きわたれば戦争は無くなります。世界中ではびこり過ぎている利己主義と貪欲と既得の権利が撲滅されます。人間の唯一の、そして真の尊厳すなわち霊性が、今あまりにはびこっている低俗な物的価値基準に対する優位を発揮するようになります。

 その理解が行きわたるにつれて、無限の豊かさと輝きと崇高さと愛と指導力と治癒力とを秘めた霊の力がそれだけ多く発揮され、これまであまりに永いあいだ支配して混沌と災禍をもたらしてきた無知と偏見と迷信を駆逐して行くことでしょう。

 あなた方も、お一人お一人がミニチュアの大霊すなわち神なのです。その霊はあなた方の努力次第で生長と発達と拡大を続け、成熟して開花する可能性を秘めているのです。どこまで発揮できるかを決定づけるのはあなた自身です。他の誰もあなたに代わってあげることはできません。それが地上生活の目的なのです。

あなたも大霊であることを自覚することです。そうすれば神の王国があなた自身の中にあることに理解がいくはずです。霊力は絶対に裏切りません。

 必需品を永遠に供給していくための摂理があり、それに順応しさえすれば、あなたは必要なものに事欠くことは有り得ません。空腹や渇きに苦しむようなことは決してありません。

しかし、必要以上のものは授かりません。あなたの成長度に合ったものを授かるのであって、多すぎることも少なすぎることもなく、高すぎることも低すぎることもありません。摂理ですから、それ以外に有りようがないのです。

 霊は物質による制約には負けません。全生命の原動力であり、全存在の始源である霊は、あなたが地上生活において必要なものはすべて供給してくれます。その地上生活の目的はいたって単純です。本来のあなたである霊的本性を開発・強化して、死後に待ちかまえる次の生活の身支度をすることです。

となると、ありとあらゆる人生体験───楽しいことも苦しいことも、光も蔭も、有利なことも不利なことも、愛も憎しみも、健康も病気も、その一つ一つがあなたの霊的成長にとって何らかのプラスになるということです。

 真理の顕現には無限の形態があります。真理とは無限なる大霊から出るものであり、顕現の媒体となる人物の進化の程度によってその形態が違ってくるからです。その真理の理解は単純・素朴さを通して行われます。

やたらに綴りの長い単語や聞きなれない難解な用語を用いたからといって、それで真理にハクがつくわけではありません。むしろそれが無知の仮面となっていることがよくあるものです。

 私たちの説く真理は、無辺・無限の大霊の真理です。すべての人のためのものであり、一宗一派、一個人のものではありません。全人類を愛の抱擁の中に包まんとして働きかけております。

 実在は物質の中には見出せません。その肉体の中にも発見できません。存在の種子は物的器官の中には見出せません。あなたは今からすでに霊的存在なのです。私たちの世界へ来てはじめて霊性を身につけるのではありません。

 受胎の瞬間から人間も霊的存在なのです。その存在の源である霊という実在からあなた自身を切り離そうとしても、それは絶対にできません。地上世界のすべてが霊のおかげで存在しているのです。霊なくしては生命はありません。なぜなら生命とは霊であり、霊は生命だからです。

 (物的表面にとらわれず)肝心かなめのものにすがることです。目を逸らしてはいけません。これこそ真実であると確信したものにしっかりとすがることです。そして煩雑な物的生活の中で何が何やらわけが分からなくなった時は、大霊の力と安らぎの住む内部へ退避して、その雑念を忘れることです。

そうすればその静寂の中にあなたにとって必要なものを見出すことでしょう。あなたという存在の組織は必ず神の定めたパターンにしたがって織っていくことが大切です。

 そのためには一体われわれは何の目的で神によって創造されたかを忘れないようにしましょう。その神とのつながりに汚点を残すような行為は絶対にしないようにいたしましょう。そうなることが全生命の根源たる神の意図を正しく理解している者すべてに必ず与えられる恩寵に、われわれも常に浴すことになるのです」


 シルバーバーチの祈りから。

《私たち子等を互いに結び、そして私たちとあなたとを永遠に結びつけているのは、全生命の息吹であるあなたの霊にほかなりません。私たちすべてを霊的大家族としてつないでいるその霊的きずなを断絶させうるものは、地上にも霊の世界にも、何一つ存在いたしません》


   
 四章 不変・不滅・不可避の摂理

≪万が一にも大自然の摂理に欠陥が見つかったら、私はこのたびの使命をすべて放棄します。もしどこかに摂理のとおりに行っていないところが見つかったら教えてください。しかし、そういうことは絶対にありません。原因にはかならず結果が伴います。蒔いたタネを刈るのです。それ以外には有りようがないのです≫   シルバーバーチ


 「皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは大自然の法則のことです。神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。

みなさんが親しんでいる物的地上界であろうと、人間に感知できない、それよりはるかに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。

 この法則を通して神の意志が働いているのです。人間の法律には変更と修正がつきものです。不完全であり、あらゆる情況を考慮に入れていないからです。が、神の法則は、起こりうるあらゆる事態に備えてあります。すべてが規制され、すべてが管理され、神の配剤がすべてに行きわたっております。

 人間には一種の機械としての物的身体が与えられています。あなたはその身体を通して自我を表現している一個の霊なのです。あなたが悩みを抱くと、霊と身体との間の水門が閉ざされ、身体は生命力の補給路を失うことになります。

補給源とのつながりを断たれることになります。そのことに気づいて心構えを改めないかぎり、あなたの身体はその不健康な作用と反作用の法則に従いつづけることになります。

 心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。 (オーラには磁気性と電気性の二種類がある。詳しくは『母と子の心霊教室』を参照───訳者) 

その障害を取り除くまでは生命力は流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。

 無限の愛と叡智を有する神がこの摂理を創案したのです。完璧に出来あがっており、必ずその通りに作用します。心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。

あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのための機会は日常生活の中にいくらでも用意されております。

 私には自然法則を変える力はありません。因果律という不変の法則に私が干渉することは許されません。たとえばあなたの身体が衰弱している兆候を見つければ、大切にするよう警告してあげることしかできません。

身体は一種の機械です。したがってそれなりの手入れがいります。手入れを怠れば故障するにきまっています。すると休息と修理によって機能を回復させるほかはありません。法則はごまかせないのです。

 あなたはその身体を通して自我を表現しているのです。その身体のすることにも限界があり、それを超えてしまえばバッテリーを補充しなければなりません。それはあなたの責任です。あなたの身体だからです。

 いくら愛があるとはいえ、あなたの行為、あなたの言葉、あなたの思念の責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません、行為の一つひとつ、言葉の一つひとつ、思念の一つひとつについて、あなた自身が責任を取るのです。
身体はその責任ある自己表現の媒体なのですから、その遂行において支障がないように十分な手入れをしておく必要があります。人体は地上のいかなる機械よりもはるかに入り組んだ、すばらしい組織体です。まさしく驚異というにふさわしい道具です。が、それにも手入れがいります。

 自然の摂理と調和した生き方をしていれば病気も異状も不快感もありません。こうしたものは不調和から生じるのです。摂理に反することをすれば、その代償を払うことになります。摂理の範囲内で生活していれば恩恵を受けます。

 何よりも動機が優先されます。が、摂理に違反したことをすれば、それに対してペナルティが科せられます。自分の気持ちを満足させようとして身体を痛めるところまで行ってしまうか否かは、一人ひとりがその霊的進化の程度にしたがって判断することです。

地上生活にも神の計画の中でのそれなりの役割があります。無理を重ねて次の段階の生活への準備が十分に整わないうちに地上を去るようなことになってはいけません。

 たとえば、ここに人類の福祉に貢献している高潔な人物がいるとしましょう。その人がもしもその道での超人的活動で健康を損ねた場合、それは立派と言えるでしょうか。それも本人自身が判断すべきことです。

ただ残念なことに、そうした決断を下すに当たって必ずしも自分自身に真っ正直になり切っていないということです。どこかに自惚れの要素───オレ以外に出来るヤツはいないのだという考えが潜んでいるものです。

 法則にも、次元の違いによっていろいろあります。物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的次元のもの、さらにはそれらが入り組んで作用する場合もあります。悲しいかな、人間は物的次元のことがギリギリの絶望的段階に至るまで、霊的次元の真理が理解できません。

それは実在を無視した生活に終始しているからです。物的なものだけが大切と思い込んでいるからです。

 しかし魂はいつかは真の自我に目覚めなくてはなりません。その時から内在する神性が発現しはじめるのです。それも神が定めた埋め合わせの法則の一環なのです。苦難が大きいだけ、そこから得られる悟りもそれだけ大きいものとなります。

 神は宇宙の会計士のようなものです。生命の帳簿は常に帳尻が合っており、すべてがきちんと清算されております。霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものはあなたに相応しい分だけであり、多すぎることもなければ少なすぎることもありません。

その計算はあなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準にして行われます。霊的なことは常に完全な清算が行き届いており、ごまかしも見せかけも通用しません。

 法則は無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです。

それを因果律といいます。原因と結果の間にはいかなる者も干渉できません。偶発事故とか不測の事態というものは起きません。すべては自然の摂理でそうなっているのです。

 その摂理が廃止されたり、一時停止されたり、妨害されたりすることは絶対にありません。自然の摂理は絶え間なく作用しており、変わることもなければ修正することもできません。その摂理と調和して生きることです。

すると良い結果が得られます。摂理にひっかからないように上手にすり抜ける方法はありません。その作用は絶対です。宇宙の大霊は摂理の精髄であり、権化であり、哀願も弁解も通用しません」


 《私たちがこれまでに賜った知識のすべて───いま生きている宇宙について、その宇宙を法則によって管理している絶対的な力について、そしてその力と私たちとの関係ならびに私たち相互の関係について、より明確な理解を得させてくれた知識を有難く思っております。

 私たちは宇宙の摂理の働きについてより多くのことを学び、それが一つの手落ちもなく私たちの幸福にとって不可欠のものをいかに美事に用意してくれているか───無限なる叡智によって考案され、無限なる愛によって管理されている摂理が私たちすべてを包摂し、私たちのあらゆる必要性に備え、誰一人としてその支配からはみ出ることがないことを理解しております》                          
                         シルバーバーチ


 五章 死別の教訓

《肉親の死に遭遇した時、あの顔、あの姿がもう二度と見られなくなったことを悲しむのならまだしも、死んでいった当人の身の上を悲しむのであれば、それは止めなくてはいけません。

 人生は霊的価値を基盤として考えないといけません。その価値があなたの行為の一つ一つの輝ける指標として、日々の生活の中で発揮されなくてはいけません。スピリチュアリストを自任している方々は、スピリチュアリズムを死という不幸に遭遇した時だけ持ち出して、それ以外の時はどこかに仕舞い込んでおくようなことでは困ります》
                シルバーバーチ  


 その日の交霊会には奥さんを失った男性、二人の子供を失った両親、それにジャーナリストとして有名だったロレンス・イースターブルック氏の奥さんが息子さんといっしょに出席していた。死別の不幸を味わったこの三組の招待客に対してシルバーバーチが次のように語りかけた。

 まず奥さんを失った男性に対して───

 「これまでずいぶん過酷な道を歩んで来られましたが、あなたはこれ以上為すべきことはないというところまで、よく頑張られました。考えうるかぎりのことをおやりになりました。いかに愛しているとはいえ、その人の身体がもはや霊を引き止めておけない状態になってしまえば、それ以上生き永らえてくれることを望むのは酷というものです。

地上の人生にはいつかは別れる時がまいります。頑健な方が居残り、弱った者は先に行った方がよいのです。

 あなたには有難く思うべきことが山ほどあります。大きな危機に、無知のままではなく正しい知識をたずさえて臨むことができました。もしも霊についての知識がなかったら、あなたの人生は今よりどれほど大変なものとなっていたことでしょう。

その意味であなたは貴重な人生のおまけを体験なさったと言えます。そのことをあなたは感謝しなくてはいけません。が、霊を引き止めておけなくなった身体から奥さんが去って行くのは、もはやどうしようもありませんでした。

 あの時の奥さんの心境は複雑でした。もう死んでしまいたいと思ったこともあれば、何とかして生き延びたいと思ったこともありました。が、生き延びたいと思ったのはあなたの立場を思ってのことでして、ご自分の立場からではありませんでした。奥さんにはもう何の苦痛もありません。

老いも病気も衰弱も、そのほか人生の盛りを過ぎた者にかならず訪れる肉体の宿命に苦しむことはなくなりました。肉体が衰弱するほど霊は強くなるものです。

 あなたが楽しくしていれば奥さんも楽しい気分になります。あなたが塞ぎ込めば奥さんも塞ぎ込みます。一人ぼっちになられたのは身体上だけの話であり、霊的には少しも一人ぼっちではありません。奥さんは決して遠くへ離れてはいません。今でもあなたを夫と思い、あなたの住む家を我が家と思っていらっしゃいます。

 あなたは信仰心をお持ちです。ただの信仰心ではなく、あなたに証された〝事実〟を根拠とした現実味のある信仰心です。それが、間違いなく訪れる不幸に備えるために、受け入れ態勢の整った時点でもたらされました。それをあなたの人生の全ての基盤となさってください。

あなたはこれからまだまだこの地上で得るものが沢山あります。あなたの人生はまだ終末に来てはいません。他人のために為すべきことがあり、開発すべき資質があり、成就すべき目的があります。

 神は完全なる公正です。自然の摂理を通して因果応報がきちんと行われております。収支は常に完全なバランスを保っております。あなたは忘れ去られることも見落とされることも無視されることもありません。

あなたを導き、援助し、慈しんでくれる愛があります。それを頼みの綱となさることです。それが、いついかなる事態にあっても不動の信念を維持させてくれることでしょう」


 次に子供を失った夫婦に対して───

 「あなた方お二人が、縁あって訪れてくる人たちにいろいろとお役に立っておられる様子を見て、お子さんはとても誇りに思っておられますよ。大切なのは受け入れる用意のできた土壌に蒔かれるタネです。

あなた方が受け入れられたタネはいま見事な花を咲かせております。お子さんは、お二人の人生に衝撃的な影響を及ぼした霊的真理を自然に受け入れて行かれるのをご覧になって、とてもよろこんでいらっしゃいます。

お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、真の自分を見出させてくれることになった触媒でした。

 魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。

 現在のお二人の生活も決して楽ではありません。これまでも楽だったことは一度もありません。が、日常の問題にもちゃんとした摂理があります。それは、人のために自分を役立てる者は決して生活に不自由はしないということです。

基本的に必要とするものは必ず与えられるということです。その際に大切なことは、それまでの体験によって得たものを、日常の生活の中で精いっぱい生かしていくことです。そうすることの中で、神とのつながりを強化して行くことになるからです。そのつながりが強くなればなるほど、援助と力とが流れ込む通路が内面的に奥深くなって行くのです。

真理を理解した人間は沈着、冷静、覚悟が身についております。恐れるということがありません。不安の念の侵入を受けつけず、無知と迷信と悩みが生み出す暗黒を打ち消します。自分に生命を与えてくれた力、宇宙を支配している力、呼吸し活動するところのものに必需品を供給する力は絶対に裏切らないとの信念があるからです。

 大切なのは、ご自分の方から神を裏切らないことです。これまでに得たもの、いま受けつつあるもの、そしてそれから生まれる叡智のおかげでせっかく宿すようになった信頼を裏切るような行為をなさらないように心掛けることです。

 霊的真理にしがみつくことです。これまでに自分たちに啓示されたものを信じて物事に動じないことです。一つ一つの問題に正面から取り組み、精いっぱい努力し、済んだことは忘れることです。援助は必ず与えられます。

なぜなら、お二人を愛する人たち、地上にいた時より一段と親密度を増している人たちが、お二人が難題を切り抜けるように取り計らってくれるからです」


 続いてイースターブルック氏の奥さんに対して───

 「今ここにご主人が来ておられますよ。あなたと息子さんのことをとても誇りに思っていらっしゃいます。試練の時を立派に乗り切られたからです。こうして陰から守り導くことができることをご主人が証明してみせたからには、これからもずっと見守っているものと確信してほしいと希望しておられます。

明日のことを思い煩ってはいけません。心配の念を心に宿してはいけません。地上世界には何一つ怖いものはありません。

 ご主人はいつもあなたのお側にいます(〝解説〟参照)。愛のあるところには必ずご主人がいると思ってよろしい。あなたの心、あなたの家庭からいっときも離れることはありません。物質的には離れてしまいましたが、霊的にはいつもいっしょです。霊的につながっている者はけっして別れることはありません。

そうした霊的次元の愛を知り、理解力を身につけ、そしてお互いに足らざるところを補い合う関係───半分ずつが合わさって統一体を構成する関係、魂の結婚という、地上で滅多に見かけられない真実の霊的関係を成就されたあなた方は、本当におしあわせです。

 あなたはご主人のことを誇りに思うべきです。その啓蒙の光は在世中にもしばしば異彩を放っていた偉大なる霊です。彼ほどに人の心の琴線にふれ、高邁(こうまい)なものに手の届く人はそう多くはいません。

 お二人に対する愛は少しも変わっておりません。その愛が鋼鉄の帯のようにお二人を取り囲んでおります。これからも常にお側におられます。お二人を守り、導き、支えとなり、慈しんでくれることでしょう。あなた方が手にされたこうした知識が他の無数の人々も手にできるようになれば、地上はどんなにか変わることでしょう。

 ですから、毎朝を無限の可能性に満ちた新しい霊的冒険の始まりとして、又、あなたの霊的な輝きと資質を増す機会の到来として、歓喜をもって迎えるのです。毎朝が、霊的成長を促し内部の神性を発達させ全生命の始源へ近づけてくれる好機(チャンス)をもたらしてくれるのです」

(訳者注───次に掲げる霊言は誰に向って述べられたものかが明記されておらず、内容からもその手掛かりが得られないので、一般的なものとして訳出しておく)

 「一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。それを因果律というのです。過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする───霊的法則がそうなっているのです。

 地上世界には不正、不公平、不平等がよく見られます。不完全な世界である以上、それはやむを得ないことです。しかし霊的法則は完全です。絶対に片手落ちということがありません。

一つの原因があれば、数学的正確さをもってそれ相応の結果が生じます。原因と結果とを切り離すことはできません。結果は原因が生み出すものであり、その結果がまた原因となって次の結果を生み出していきます。

 その関係が終わりもなく続くのです。もしもその因果関係が人為的に変えられ、利己主義者が博愛主義者と同じように霊的に成長することが可能であるとしたら、それは神の公正を根底から愚弄することになります。自分が蒔いたタネは自分で刈り取る───そうあらねばならないのです。

 あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。その行為の結果を自分が引き受けるのです。これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。

そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。

 過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい一日、新しい夜明けが必ず訪れます。

 うちの宗教の教えを信ずれば罪も赦されるかに説いている宗教がいくつかあるようですが、そういうことは有り得ません。罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみです。〝神聖〟とされる文句や言葉をいくら繰り返しとなえても、原因から生じる結果を赦免したり消去したりすることはできません。

 ですから、いくら愛しい人であっても、その人の行為にあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人みずから学び、学ぶことによって成長し進化していくのです。それが生命の法則なのです。生命は静止することがありません。絶えず向上を目指して動いております。動くということが永遠の進化のための一つの要素なのです。

完全へ向けての向上に終止符(ピリオド)を打つことはできません。無限の時をかけて完全へ近づくことの連続であり、これでおしまいということがないのです。完全性の達成は無限の過程です。完全なのは大霊のみです。

 思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生み出し、それがあなたを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態になると霊の力も突き通せなくなります」

《われわれは、顕と幽の区別なくいずこに存在しようと、神を父とし、一人ひとりがその子供という関係において一つの広大な霊的家族を構成しております。神性の絆がわれわれのすべてをつなぎ、一体としております。

その意味で私たちは、こうして顕と幽の二つの世界の間に横たわる障害の多くを克服してきたことを、この上ない恩恵として感謝しております。そのおかげで地上世界へ影響力を行使できる聖なる霊が次々と輩出しております》
                             シルバーバーチ
               

Wednesday, October 28, 2026

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳

 

二章 活字の効用

 《印刷された文字には絶大な影響力があります。話し言葉は忘れ去られるということがあります。人間の脳という小さなスクリーンにゆらめく映像はいたって儚いもので、それに付随して生まれる言葉には不滅の印象を残すほどの威力はありません。その点、活字には永続性があります。

いつでも参照することができます。目に見えますし、その意味をくり返し吟味することもできます。また人から人へと伝えられ、海をも超えて、悲運をかこつ孤独な人のもとに届けられることもあります。

幸いにして私は、これまでに手にすることの出来た叡智をこうして皆さんにお聞かせしておりますが、それが速記者の仲介をへて次々と活字になっております。そのおかげで各地で魂が目を覚まし、種子が実を結んでおります》
シルバーバーチ


  Brother John (ブラザージョン)のペンネームで二十年以上(一九六九年現在)にわたってサイキックニューズ紙上で心霊知識の解説と人生相談を担当してきたコラムニストが初めてシルバーバーチ交霊会に招かれた。冒頭の引用句はそのジョンが〝なぜあなたは説教者としての仕事を選び、またその霊媒としてバーバネルを選んだのですか〟と質したのに対して答えたものである。

 ブラザー・ジョンが二十年あまり一週も欠かすことなく執筆し続けた記事は、延べにして一千回を超える。その中には読者から寄せられた質問に対する情愛あふれる回答も含まれている。たとえば一九六七年の一年間に寄せられた手紙は千四百通にのぼり、人生相談的なものからコラムの内容についての質問まであるが、彼はそのすべてに、ていねいに回答している。

 その真摯にして謙虚な態度はシルバーバーチと同じで、死後の存続の事実と、それが有する重大な意義について十年一日のごとく、倦むことなく語り続けている。その彼が媒体としているのも又、活字である。

(訳者注──その間の膨大な記事をまとめ上げた本が一九七七年に Truth Has No Label 〝真理にラベルはない〟の題名で出版されている。その〝まえがき〟の中でブラザー・ジョンは「サイキックニューズ紙上に毎週掲載してきた記事を一冊の本にまとめてはどうかという勧めを聞くようになって久しいが、私はそれをずっと遠慮してきた。

このたびついに説得されて出版の運びとなったが、やはり戸惑いを禁じえない」と謙虚に述べている)

 これまでの霊言集の編者のうちの二人が、冷ややかな活字ではシルバーバーチの温かい人間味と愛を伝えることは到底できないと述べている。確かにその通りである。交霊会に出席する光栄に浴した人は例外なく、顕と幽との二つの世界の言うに言われぬ交わりを体験して感動するものである。

 しかし、私自身はそうたびたび出席したわけではないが、そうした人間味とか愛のみがシルバーバーチという一個の霊の個性のもっとも重要な要素とは思えないし、その使命の主たる目的でもないと考えている。

私自身が出席した交霊会の霊言が活字になったのを読んでも、私は改めて感動を覚える。要するにシルバーバーチの述べていることそのものが魂に訴えるものをもっているということである。

 このたび本書を編纂するに当たってこれまでの霊言記録に目を通してみて私は、改めてシルバーバーチという霊の述べた言葉の威力───一つのフレーズ(句)、一つのセンテンス(文)を何の準備もなしに当意即妙に述べる、その〝言葉の錬金術〟に驚嘆させられた。

 これまでに出版された霊言集はすべて読んでいるし、またサイキックニューズ社での仕事の一つが月刊誌ツーワールズに連載されている霊言の校正もある。その私が本書を編纂しながら一度も退屈さを感じなかった。

シルバーバーチは自分のことを〝古いメッセージをたずさえた同じ古い霊です〟と言うが、その助言、その内側に秘めた真理と率直さは常に生き生きとして新鮮である。

 かの手厳しい評論家のハンネン・スワッハーでさえ十五年前にこう書いている───〝私はシルバーバーチの教え・指導・助言に毎週一回一時間あまりにわたって耳を傾けることをずっと続けているが、地上のいかなる人物よりも敬愛し尊敬するようになった〟と。

 今では録音技術の進歩のおかげでカセットテープにまで収められて、シルバーバーチのナマの声が世界各国で聞けるようになった。が、シルバーバーチがみずからに課した使命のエッセンスは、いつも哀れみを込めて語り続ける言葉が活字となって広く読まれることにあると私は確信している。その思想の真価は、少なくともこの地上においては直々に会うことは望めない世界各地の人々に及ぼす影響力によって計られるのである。

 みずから述べているように、シルバーバーチにとっては、基本的な霊的真理を一人でも多くの人に伝えるための霊媒の発見が第一の仕事であった。そして、最終的にモーリス・バーバネルに白羽の矢が立てられたことはなるほどと思わせる。なぜならバーバネルは週刊と月刊の二つの心霊ジャーナルの主筆であり、シルバーバーチの霊訓を遠く広く流布する手段として打ってつけの人物だったからである。 

 さて、初めての交霊会の印象をブラザー・ジョンは次のように書いている。

 〝永い年月の中で、このシルバーバーチ交霊会での体験ほど素晴らしいものはなかった。シルバーバーチが語ってくださった言葉に私は思わず涙を流した。シルバーバーチという霊に何か強烈な親近感を覚え、それでつい、ほろっとしてしまった。私にとって忘れ難い夜となった〟

 その夜のシルバーバーチ霊言の中から幾つかを抜粋して紹介しておこう。


 「今夜はようこそお出でになりました。まっ先にご注意申し上げておきますが、私についていささか誇張された宣伝がなされており、私がまるで全ての叡智を具えているかのように書かれておりますが、とんでもないことです。

私もあなたと同じ、いたって人間的な存在であり、弱点もあれば欠点もあり、誤りも犯します。ただ私は、霊的真理について少しばかり知識の蓄えがあり、それを、受け入れる用意のできた人たちにお分けしたいと思っているところです。

 それとても私自身の所有物ではありません。私はただの代弁者にすぎません。私はその仕事を要請されたのです。仕事が完了して地上から引き上げる時期が来るまでは続けることになりましょう。が、

今はまだその時期ではありません。まだもう少し時間が掛かります。これまで多くのことが成就されてまいりましたが、まだまだ為さねばならないことがあります。

 霊力は条件さえ整えば、つまり一かけらの心配の念もなく、知識を基盤とした信仰と体験から生まれた確信とがあれば、時として驚異的なことをやってのけます。


 あなたが今の職責を果たしていらっしゃるのも霊力のお陰です。それは私から申し上げるまでもないこととは思いますが、ただ、あなたはその貢献度、奉仕度を過小評価していらっしゃる。それはいけません。読者のために施しておられる援助の大きさはあなた自身にはお分かりになりません。

多くの魂に感銘を与えていらっしゃいます。そしてそれは、地上で為しうる最も大切な仕事の一つなのです。

 地上に肉体をたずさえて生まれて来るそもそもの目的は、魂が真の自我を見出すこと、言いかえれば、宿された神性に点火し、燃え上がらせ、輝かしい炎とすることです。残念ながら必ずしもそういう具合に行かないのが実情です。迷信と無知の暗闇、疑念と恐怖と困惑の泥沼の中で過ごす人が多すぎるのです。

そうした中で一人でも真理に目覚めさせてあげることができれば、それだけであなたの存在価値があったことになります。たった一人でいいのです。それで十分なのです。それをあなたはすでに数え切れないほどの人に施しておられます。

 その程度はどうあれ、神の使徒として働けるわれわれは光栄この上ないことです。これはキリスト教の教会にはもはや望めないことです。心の奥ではもう信じていない古い教えを決まり文句として口にするだけとなっております。とっくの昔に意味を失ってしまった紋切り型の語句、使い古した慣習と儀式をくり返すのみです。

 そうした教会、大聖堂、寺院などが陳腐で空しい死物と化してしまったのは、そこに霊の力が働かなくなったからです。生命を与えているのは霊なのです。なのに、そうした建造物の中で行われていることは、霊力、キリスト教でいう聖霊を拒絶することばかりなのです。

そこで、われわれのように、風変わりな式服もまとわず、祭壇もしつらえず、ただ霊力の流れる通路となり、この世で誰一人として無視されたり見落とされたりすることのない神の摂理の存在を教えることだけを心掛ける者を利用せざるを得なくなったのです。

 あなたの場合も、人生が暗く荒涼として、いずこへ向かうべきかも分からず、あたかも絶望の壁に四方を仕切られた思いをさせられていた時に、啓示をうけられました。これ以上申し上げる必要はないでしょう。愛、情愛、友情、同情、慈悲、哀れみ、寛容心、こうしたものは不滅の霊性です。愛に死はないのです。

死は生命に対しても愛に対しても無力なのです。いま申し上げた霊性もみな元をただせば愛の諸相なのです。私はけっしてナゾナゾを申し上げているのではありません」


 ここでシルバーバーチはその日の交霊会に、かつてブラザー・ジョンといっしょに仕事をしたこともある偉大な心霊治療家で、今はブラザー・ジョンの背後霊の一人として働いているフレッド・ジョーンズが来ていることを述べてから、さらにこう続けた。

 「今この会場に訪れているあなたの霊団は実にすばらしい方ばかりです。あなたをこの道に導いたのはこの方たちであり、今もずっと指導しておられます。フレッド・ジョーンズは偉大な霊です。

彼にとって物的身体が小さすぎるほど霊性が大きくなったためにこちらへ来られましたが、地上に立派な足跡を残されました。この道の先駆者としての仕事をしたのです。その努力は無駄ではありませんでした。

 彼が地上で仕事をしていた頃は、心霊治療を施す者はほんの一にぎりにすぎませんでした。が、今日では数え切れないほどになっております。身体と精神と魂を病んだ人がいたるところにいる病める地上では、それだけの数が必要なのです。残念ながら物質中心主義から生まれる病は感染力が強く、すぐにまん延する一種の伝染病です。

しかし、光が闇を駆逐するごとく、心霊治療は正しい生き方を教えることによってその病弊を駆逐していくことでしょう。

 健康を増進するのは医学でも医薬でも劇薬でもありません。不自然なものを体内に注ぎ込むことによって健康にすることはできません。それは言わば医学的愚行です。正しい生き方さえしていれば、つまり思念に邪なところがなく、

霊と精神と身体とが調和していれば健康でいられるのです。日常生活のストレスと心労、あるいは利己心や邪心や強欲が生み出す不自然な緊張───こうしたものは物的存在のすべての息の根を止める毒薬です。

 もしも私の話をお聞きになられて今後も頑張ろうという気持ちになってくだされば、本日ここにお出でになられた甲斐があったことになります。思うにまかせぬことがあることはよく存じております。が、霊的な褒章を求める者にはラクな道はありません。

 大霊は完全です。摂理は完全です。必ず摂理どおりに働きます。が、そのワクの中に自由意志の要素が存在し、その中に、自分の意志で貢献するチャンスが与えられているわけです。全世界を破滅に追いやる力はありません。大混乱を巻き起こすくらいならできるでしょう。が、人間のすることにはおのずと限界があります。

 神の計画が狂うということは絶対にありません。もし狂えば、ないしは狂うことも有りうるとしたら、神は神でなくなります。完全が間違いを犯すはずがないのです。もし犯せば完全が完全でなくなります。自然法則という形での神の定めは無窮の過去から常に存在し、一度たりともその定め通りに働かなかったことはありません。

 地球が一瞬でも回転を止めたことがあるでしょうか。汐が満ちてこなかった日が一日でもあったでしょうか。昼のあとにはかならず夜が来ていないでしょうか。蒔いたタネは正直にその果実を実らせていないでしょうか。

 狂いません。神の計画は絶対に狂いません。本来は人間もその定められた計画にそって進まねばならないのです。しかし人間は愚かさと無知と利己心から誤った道へ外れる可能性もあるのです。

美しい花を咲かせるべき庭園に雑草を生い茂らせることも有りうるということです。正し生き方とは何であるかを、みずから学んで行かねばなりません。そうすることが人間としての神への貢献となるのです。潜在的には無限の霊的属性を秘めておりますが、それを駆使できるようになるには、それなりの努力をしなければならないということです」


 交霊会が終わったあとブラザー・ジョンは、何よりもシルバーバーチの素朴さと謙虚さに一ばん心を打たれたと語り、こう続けた。

 「その素朴さとは二つの世界を一体ならしめる素朴さ───偉大なる魂が素朴にして深遠な真理を説くために地上のもう一つの魂の身体と精神とを支配するための素朴さである。

 それに謙虚さ───シルバーバーチの言葉の中にはこの偉大な特質の表現と思えるものが何度も出て来たが、私との対話の中でとくに心に沁みる思いがした場面が三回あった。それは私が思わずお礼の言葉を口にした時で、そのたびにシルバーバーチは穏やかに、そして優しく〝私への礼はおやめ下さい。私が感謝を頂戴するわけにはまいりませんから〟と述べるのだった」

 《こうした人材の操作、つまり適時に適材を適所に活用することは、入りくんだ複雑な協力態勢を必要とする大へんなわざです。今や神の教えが多くの人々に届けられるようになりました。私の教えではありません。

私はそれを中継してお届けしているだけです。同志の協力を得て、霊光と霊力をいくらかでも悩める地上世界へお届けすることができております。いつの日か皆さんが私のもとへ来られて、書物なり心霊誌に書かれていたのを読んだことが救いになったと告げてくだされば、私は、こうした協調的努力が無駄でなかったことを知ることになります》 
                         シルバーバーチ
 

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳 





まえがき
 
 十二人の出席者が扇形に席を取った。みんなヒソヒソと話を交わしているが、私の目はソファの右端に座っている小柄で身ぎれいな男性に注がれていて、まわりの人たちの話の内容は分からない。

 その眠気を催すような低音の話声だけを耳にしながら、私はその男性が少しづつ変身していく様子をじっと見守っていた。ふだんは実に弁舌さわやかな人間が、そうした取りとめもない雑談から身を引くように物を言わなくなっていった。

 やがて黒縁の眼鏡と腕時計をはずし、頭を下げ、両目をこすってから、その手を両膝の間で組んだ。顎が、居眠りをしているみたいに腕のところに来ている。

 それから二、三分してから新しい変化を見せ始めた。背をかがめたまま顔を上げた。出席者たちはそんなことにはお構いなしに雑談に耽りながらも、すでに霊媒(ホスト)が肉体を離れていることを感じ取っていた。そして代って主賓(ゲスト)の挨拶の第一声が発せられると同時に、水を打ったように静寂が支配した。

 その霊媒モーリス・バーバネルが肉体を離れ、代わって支配霊のシルバーバーチがその肉体を〝拝借〟して、今われわれの真っ只中にいる。霊媒とは対照的にゆっくりとした、そして幾分しわがれた感じの声で情愛溢れる挨拶をし、いつものように開会の祈りを述べた。

 「神よ、自らに似せて私たちを造り給い、自らの神性の一部を賦与なされし大霊よ。私たちは御身と私たち、そして私たち相互の間に存在する一体関係を一層緊密に、そして強くせんと努力しているところでございます。

 これまでに私たちに得させてくださったものすべて、かたじけなくもお与えくださった叡智のすべて、啓示してくださった無限なる目的への確信のすべてに対して、私たちは感謝の意を表し、同時に、これ以後もさらに大いなる理解力を受けるにふさわしき存在となれるよう導き給わんことを祈るものでございます。

 私たちは、これまであまりに永きに渡って御身をおぼろげに見つめ、御身の本性と意図を見誤り、御身の無限なる機構の中における私たちの位置について誤解しておりました。しかし今ようやく私たちも、御身の永遠の創造活動に参加する測り知れない栄誉を担っていることを知るところとなりました。

その知識へ私たちをお導きくださり、御身について、私たち自身について、そして私たちの置かれている驚異に満ちた宇宙について、いっそう包括的な理解を得させてくださったのは御身の愛に他なりません。

 今や私たちは御身と永遠につながっていること、地上にあっても、あるいは他界後も、御身との霊的な絆が切れることは絶対にないことを理解いたしております。それゆえに私たちは、いかなる時も御身の視界の範囲にあります。

いずこにいても御身の摂理のもとにあります。御身がいつでも私たちにお近づきになられるごとく、私たちもいつでも御身に近づけるのでございます。

 しかし、子等の中には自分が永久に忘れ去られたと思い込んでいる者が大勢おります。その者たちを導き、慰め、心の支えとなり、病を癒し、道案内となる御身の霊的恩寵の運び役となる栄誉を担った者が、これまでに数多くおりました。

 私たちは死のベールを隔てた双方に存在するその先駆者たちの労苦に対し、また数々の障害を克服してくれた人達に対し、そして又、今なお霊力の地上への一層の導入に励んでくださっている同志に対して、深甚なる感謝の意を表明するものでございます。

 どうか私たちの言葉のすべてが常に、これまでに啓示していただいた摂理に適っておりますように。また本日の交霊会によって御身に通じる道を一歩でも前進したことを知ることができますように。
 ここに常に己を役立てることをのみ願うインディアンの祈りを捧げます」


 私(女性)はバーバネル氏のもとで数年間、最初は編集秘書として、今は取材記者(レポーター)として、サイキックニューズ社に勤めている。

 私にとってはその日が多分世界一と言える交霊会への初めての出席だった。英国第一級のジャーナリストだったハンネン・スワッハー氏の私宅で始められたことから氏の他界後もなおハンネン・スワッハー・ホームサークルと呼ばれているが、今ではバーバネル氏の私宅(ロンドンの平屋のアパート)の一室で行われている。

 その日開会直前のバーバネル氏は、チャーチル(元英国首相)と同じようにトレードマークとなってしまった葉巻をくわえて、部屋の片隅で出番を持っていた。一種の代役であるが、珍しい代役ではある。主役を演じるのは北米インディアンの霊シルバーバーチで、今では二つの世界で最も有名な支配霊となっている。

そのシルバーバーチが憑ってくるとバーバネルの表情が一変した。シルバーバーチには古老の賢者の風格がある。一分のスキもなくスーツで身を包んだバーバネルの身体がかすかに震えているようだった。

 そのシルバーバーチとバーバネルとの二つの世界にまたがる連繋関係は、かなりの期間にわたって極秘にされていた。シルバーバーチの霊言が一九三〇年代にはじめてサイキックニューズ誌に掲載された時の英国心霊界に与えた衝撃は大きかった。活字になってもその素朴な流麗さはいささかも失われなかった。

 当初からその霊言の価値を認め、是非活字にして公表すべきであると主張していたのが他ならぬスワッハー氏だった。これほどのものを一握りのホームサークルだけのものにしておくのは勿体ないと言うのだった。

 初めはそれを拒否していたバーバネルも、スワッハー氏の執拗な要請についに条件付きで同意した。彼がサイキックニューズ誌の主筆であることから、〝もし自分がその霊媒であることを打ち明ければ、霊言を掲載するのは私の見栄からだと言う批判を受けかねない〟と言い、〝だから私の名前は出さないことにしたい。

そしてシルバーバーチの霊言はその内容で勝負する〟という条件だった。

 そういう次第で、暫くの間はサークルのメンバーはもとより、招待された人も霊媒がバーバネルであることを絶対に口外しないようにとの要請を受けた。とかくの噂が流れる中にあって、最終的にバーバネル自身が公表に踏み切るまでその秘密が守られたのは立派と言うべきである。

 あるとき私が当初からのメンバーである親友に「霊媒は誰なの?」と密かに聞いてみた。が、彼女は秘密を守りながらも、当時ささやかれていた噂、すなわち霊媒はスワッハーかバーバネルかそれとも奥さんのシルビアだろうという憶測を、否定も肯定もしなかった。

 当時の私にはその中でもバーバネルがシルバーバーチの霊媒としていちばん相応しくないように思えた。確かにバーバネルはスピリチュアリズムに命を賭けているような男だったが、そのジャーナリズム的な性格は霊媒のイメージからは程遠かった。まして温厚な霊の哲人であるシルバーバーチとはそぐわない感じがしていた。

 サイキックニューズとツーワールズの二つの心霊誌の主筆として自らも毎日のように書きまくり、書物も出し、英国中の心霊の集会に顔を出しまわって〝ミスター・スピリチュアリズム〟のニックネームを貰っているほどのバーバネルが、さらにあの最高に親しまれ敬愛されているシルバーバーチの霊媒までしているというのは、私には想像もつかないことだった。

そのイメージからいっても、シルバーバーチは叡智に溢れる指導者であり、バーバネルは闘う反逆児だった。

 今から十年前(一九五九年)、バーバネル自身によるツーワールズ誌上での劇的な打ち開け話を読んだ時のことをよく覚えている。

 〝永い間秘密にされていたことをようやく公表すべき時期が来た。シルバーバーチの霊媒は一体誰なのか。その答えは───実はこの私である〟とバーバネルは書いた。

 「それ見ろ、言った通りだろう!───こうしたセルフがスピリチュアリストの間で渦巻いた。

 シルバーバーチが霊媒の〝第二人格〟でないことの証拠としてあげられるのが、再生説に関して二人が真っ向から対立していた事実である。バーバネルは各地での講演ではこれを頭から否定し、その論理に説得力があったが、交霊会で入神して語り出すと全面的に肯定する説を述べた。が、

バーバネルもその後次第に考えが変わり、晩年には「今では私も人間が例外的な事情のもとで特殊な目的をもって自発的に再生してくることがあることを信じる用意が出来た」と述べていた。

 シルバーバーチの叡智と人間愛の豊かさは尋常一様のものではない。個人を批判したり、けなしたり、咎めたりすることが絶対にない。それに引き換えバーバネルは、自らも認める毒舌家であり、時には癇癪を起すこともある。

交霊会でシルバーバーチの霊言を聞き、他方で私のようにバーバネルと一緒に仕事をしてみれば、二人の個性の違いは歴然としていることが分かる。

 バーバネルは入神前に何の準備も必要としない。一度私が、会場(バーバネルの自宅)へ行く前にここ(サイキックニューズ社の社長室)で少し休まれるなり、精神統一でもなさってはいかがですかと進言したことがあるが、

彼はギリギリの時間まで仕事をしてから、終わるや否や車を飛ばして会場へ駆け込むのだった。交霊会は当時はいつも金曜日の夕刻に開かれていたから、一週間のハードスケジュールが終わった直後と言うことになる。

 私も会場まで車に乗せて頂いたことが何度かある。後部座席に小さくうずくまり、一切話しかけることは避けた。そのドライブの間に彼は、間もなく始まる交霊会の準備をしていたのである。と言っても短い距離である。目かくしをしても運転できそうな距離だった。 

 会場に入り、いつも使用しているイスに腰を下ろすと、はじめて寛いだ様子を見せる。そしてそれでもうシルバーバーチと入れ替わる準備が出来ている。その自然で勿体ぶらない連繋プレーを見ていて私は、職業霊媒が交霊会の始めと終わりに大袈裟にやっている芝居じみた演出と較べずにはいられなかった。

 シルバーバーチが去ることで交霊会が終わりとなるが、バーバネルには疲れた様子は一切見られない。両目をこすり、眼鏡と時計をつけ直し、一杯の水を飲み干す。ややあってから列席者と軽い茶菓をつまみながら談笑にふけるが、シルバーバーチの霊言そのものが話題となることは滅多にない。そういうことになっているのである。

 シルバーバーチを敬愛し、その訓えを守り、それを生活原理としながら、多分地上では会うことの無い世界中のファンのために、シルバーバーチとバーバネル、それにサークルの様子をおおざっぱに紹介してみた。霊言集はすでに八冊が出版され、世界十数か国語に翻訳されている。その世界にまたがる影響力は測り知れないものがある。

 本書はそのシルバーバーチのいつも変わらぬ人生哲学を私なりに検討してみてまとめ上げた、その愛すべき霊の哲人の合成ポートレードである。
                             ステラ・ストーム


  
一章 シルバーバーチはなぜ戻ってきたか

  《正直言って私は、あなた方の世界に戻るのは気が進みませんでした。地上というのは、いったんその波長の外に出てしまうと、これといって魅力のない世界です。私がいま定住している世界は、あなた方のように物質に閉じ込められている者には理解の及ばないほど透き通り、光り輝く世界です。

 くどいようですが、あなた方の世界は私には魅力ある世界ではありませんでした。しかし、やらねばならない仕事があったのです。しかもその仕事が大変な仕事であることを聞かされました。まず英語を勉強しなければなりませんでした。地上の同志を見つけて、その協力が得られるよう配慮しなくてはなりませんでした。

 それから私の代弁者となるべき霊媒を養成し、さらにその霊媒を通じて語る真理をできるだけ広く普及させるための手段も講じなくてはなりませんでした。しかし同時に、私が精一杯やっておれば上方から援助の手を差し向けるとの保証も得ました。そして計画は順調に進められました》                                        シルバーバーチ


 「ずいぶん前の話ですが、私は物質界に戻って霊的真理の普及に一役買ってくれないかとの懇請を受けました。そのためには霊媒と同時に心霊知識をもつ人のグループを揃えなくてはならないことも知らされました。私は霊界にある記録簿を調べあげた上で、適当な人物を霊媒として選び出しました。

それはその人物がまだ母胎に宿る前の話です。私はその母体に宿る瞬間を注意深く見守りました。そしていよいよ宿ったその霊が自我を表現しはじめた時から影響力を行使し、以来その関係が今なお続いているわけです。

 私はこの霊媒の霊と小さな精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる面を細かく観察し、霊的に一体となる練習をし、物の考え方や身体のクセを呑み込むように努めました。要するに私はこの霊媒を、霊と精神と身体の三つの側面から徹底的に研究したのです。

次に私は霊的知識の理解へ向けて指導しなければなりませんでした。まず地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的にはそのすべてに反発させ、いわゆる無神論者にさせました。これで霊媒となるべき準備がひと通り整いました。

 その上で、ある日私はこの霊媒を初めて交霊会へ出席するように手引きしました。そこで、用意しておいたエネルギーを駆使して───いかにもぎこちなく内容も下らないものでしたが、私にとってはきわめて重大な意義をもつ───最初の霊的コンタクトをし、他人の発声器官を通じてしゃべるという初めての体験をしました。

 その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、ごらんの通りになりました。今ではこの霊媒の潜在意識にあるものを完全に支配して、私自身の考えを百パーセント述べることができます。

 要請された使命をお引き受けしたとき私はこう言われました───〝あなたは物質の世界へ入り、そこであなたの道具となるべき人物を見出したら、こんどはその霊媒のもとに心が通い合える人々を集めて、あなたがメッセージを述べるのを補佐してもらわねばなりません〟と。私は探しました。そして皆さん方を見出してここへ手引きしました。

 私が直面した最大の難問は、同じく地上に戻るにしても、人間が納得する(死後存続の)証拠つまり物理現象を手段とするか、それとも(霊言現象による)真理の唱道者となるか、そのいずれを選ぶかということでした。結局私は難しい方を選びました。

 自分自身の霊界生活での数多くの体験から、私は言わば大人の霊、つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと決意したのです。真理をできるだけ解りやすく説いてみよう。常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい。そうすることで私がなるほど神の使者であることを身をもって証明しよう。そう決心したのです。

 同時に私は生前の姓名は絶対に明かさないという重荷をみずから背負いました。仰々しい名前や称号や地位や名声を棄て、説教の内容だけで勝負しようと決心したのです。

 結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないということです。私が誰であるかということが一体なんの意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私のやっていることで判断していただきたい。私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです。

 人間の宗教の歴史を振り返ってごらんなさい。謙虚であったはずの神の使徒を人間は次々と神仏にまつり上げ、偶像視し、肝心の教えそのものをなおざりにしてきました。私ども霊団の使命はそうした過去の宗教的指導者に目を向けさせることではありません。

そうした人たちが説いたはずの本当の真理、本当の知識、本当の叡智を改めて説くことです。それが本物でありさえすれば、私が偉い人であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよいことではありませんか。

 私どもは決して真実から外れたことは申しません。品位を汚すようなことも申しません。また人間の名誉を傷つけるようなことも申しません。私たちの願いは地上の人間に生きるよろこびを与え、地上生活の意義はいったい何なのか、宇宙において人類はどの程度の位置を占めているのか、

その宇宙を支配する神とどのようなつながりをもっているのか、そして又、人類同士がいかに強い霊的家族関係によって結ばれているかを認識してもらいたいと、ひたすら願っているのです。

 と言って、別に事新しいことを説こうというのではありません。すぐれた霊格者が何千年もの昔から説いている古い古い真理なのです。それを人間がなおざりにしてきたために、私たちが改めてもう一度説き直す必要が生じてきたのです。要するに神という親の言いつけをよく守りなさいと言いに来たのです。


 人類はみずからの過った考えによって、今まさに破滅の一歩手前まで来ております。やらなくてもいい戦争をやります。霊的真理を知れば、殺し合いなどしないだろうにと思うのですが・・・。

 神は地上に十分な恵みを用意しているのに、飢えに苦しむ人が多すぎます。新鮮な空気も吸えず、太陽の温かい光にも浴さず、人間の住むところとは思えない場所で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人が大勢います。欠乏の度合いがひどすぎます。貧苦の度がすぎます。そして悲劇が多すぎます。

 物質界全体を不満の暗雲が覆っています。その暗雲を払いのけ、温かい陽光の射す日が来るか来ないかは、人間の自由意志一つに掛かっているのです。

 一個の人間が他の人間を救おうと努力するとき、その背後には数多くの霊が群がってこれを援助し、その気高い心を何倍にもふくらませようと努めます。善行の努力は絶対に無駄にはされません。奉仕の精神も決して無駄に終わることはありません。

誰かが先頭に立って藪を切り開き、あとに続く者が少しでも楽に通れるようにしてやらないといけません。やがてそこに道ができあがり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。

 高級神霊界の神々が目にいっぱい涙をうかべて悲しんでおられる姿を時おり見かけることがあります。今こそと思っていたせっかくの善行のチャンスが、人間の誤解と偏見とによって踏みにじられ無駄に終わってしまうのを見るからです。

そうかと思うと、うれしさに顔を思いっ切りほころばせているのを見かけることもあります。名もない平凡人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。

 私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志とともに、波長を物質界の波長に近づけて降りてまいりました。その目的は、神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったからです。

 物質界に降りてくるのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光もなく活気もなく、うっとうしくて単調で、生命力に欠けています。例えてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもだらしなく感じられます。

どこもかしこも陰気でいけません。したがって当然、生きるよろこびに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

 私が定住している世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心には真の生きるよろこびがみなぎり、適材適所の仕事にたずさわり、奉仕の精神にあふれ、互いに己れの足らざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。

 それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せであるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。神は必要なものはすべて用意してあるのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

 それを取り除いてくれと言われても、それは私たちには許されないのです。私たちに出来るのは、物質に包まれたあなた方に神の摂理を教え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えてさしあげることです。ここにお出での方にはぜひ、霊的真理を知るとこんなに幸せになれるのだということを身をもって示していただきたいのです。
 
 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えてさしあげることができたら、これに過ぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りてきた努力の一端が報われたことになりましょう。

 私たちは決してあなたたち人間の果たすべき本来の義務を肩がわりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身をもって悟ってもらえる生き方をお教えしようとしているだけです。

 今こうして語っている私は、(四十年ほど前に)はじめて語った、あの霊と同じ年輩の霊です。説くメッセージも同じです。古くからある同じ真理です。ただ、語り聞かせる相手は同じ古い世界ではなくなりました。世の中は変わっており、霊的叡智に耳を傾ける人が増え、霊力の受容力が増しております。

 霊的真理も大きく前進しました。私たちの影響力がどれほど行きわたっているか、できることならそれを皆さんにお見せしたいところです。努力がこれほど報われたことを私はとても誇りに思っております。かつては悲しみに打ちひしがれていた心が今ではよろこびを味わいはじめています。

光明が暗闇を突き通したのです。かつては無知が支配していたところに知識がもたらされました。

 うぬぼれているわけではありません。宇宙について知れば知るほど私は、ますます謙虚の念に満たされてまいります。が同時に、導いてくださる霊力の存在も知っているのです。それが私のような者にも頂けるのです。私が偉いからではありません。私が志している真理普及への努力を多としてくださってのことです。

これまでの永い年月を通じて、この交霊関係はずっとその霊的援助を受けてまいりました。これからも皆さんが望むかぎり、与えられ続けることでしょう。

 改めて申し上げますが、私はただの道具にすぎません。地上への霊的真理、霊についての単純な真理、すなわち人間も一人ひとりが神の一部としての霊であるという認識をもたらさんとしている多くの霊のうちの一人にすぎません。

 人間も神の遺産を宿しているのであり、その潜在する神性のおかげで神の恩寵のすべてを手にする資格があります。そのための努力を続ける上において手かせ足かせとなる制度や習慣をまず取り除かないといけません。また私たちの仕事は魂と精神だけの解放を目的としているのではありません。肉体的にも(病気や障害から)解放してあげないといけません。

 それが今私たちが全霊を捧げている仕事なのです。微力ながら奮闘努力している仕事なのです。もしもこの私が一個の道具として皆さんのお役に立つ真理をお届けすることができれば、私はそれを光栄に思い、うれしく思います。

 私が皆さんとともに仕事をするようになって相当な期間になりますが、これからも皆さんとの協同作業によって地上世界にぜひとも必要な援助をお届けしつづけることになるでしょう。皆さんは知識をお持ちです。霊的真理を手にされています。そしてそれを活用することによっていっそう有効な道具となる義務があります。

 私のことを、この交霊会でほんのわずかな時間だけしゃべる声としてではなく、いつも皆さんのお側にいて、皆さんの霊的開発と進化に役立つものなら何でもお届けしようと待機している、脈動する生きた存在とお考え下さい。

 これまで私は、皆さんが愛を絆として一体となるように導いてまいりました。より高い界層、より大きな生命の世界の法則をお教えし、また人間が(そうした高級神霊界の造化活動によって)いかに美事に出来あがっているかを解き明かそうと努力してまいりました。

 また私は、そうして学んだ真理は他人のために役立つことに使用する義務があることをお教えしました。儀式という形式を超えたところに宗教の核心があり、それは他人のために自分を役立てることであることを知っていただこうと努力してまいりました。

 この絶望と倦怠と疑念と困難とに満ちあふれた世界にあって私は、まずはこうして皆さん方に霊的真理をお教えして、その貴重な知識を皆さん方が縁ある人々に広め、ゆくゆくは全人類に幸せをもたらすことになるように努力してまいりました。

 もしも皆さんの行く手に暗い影がよぎるようなことがあったら、もしも困難がふりかかったら、もしも疑念が心をゆさぶり、不安が宿るようなことがあったら、そうしたものはすべて実在ではないことを自分に言い聞かせるのです。翼を与えて追い出してやりなさい。


 この大宇宙を胎動させ、有機物と無機物の区別なく全生命を創造した巨大な力、星も惑星も太陽も月もこしらえた力、物質の世界へ生命をもたらし、あなた方人間の意識に霊性を植えつけてくださった力、完璧な摂理として全生命活動を支配している力、その大いなる霊的な力の存在を忘れてはなりません。

 その力は、あなた方が見捨てないかぎり、あなた方を見捨てることはありません。その力をわが力とし、苦しい時の避難場所とし、心の港とすることです。神の愛が常に辺りを包み、あなた方はその無限の抱擁の中にあることを知ってください」


 一読者の手紙から───



 《文章の世界にシルバーバーチの言葉に匹敵するものを私は知りません。眼識ある読者ならばそのインスピレーションが間違いなく高い神霊界を始源としていることを認めます。一見すると単純・素朴に思える言葉が時として途方もなく深遠なものを含んでいることがあります。その内部に秘められた意味に気づいて思わず立ち止まり、感嘆と感激に浸ることがあるのです》