Saturday, September 26, 2026

シルバーバーチの霊訓(二)

Guidance from Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell



三章 一教師の悩みに答える

 ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うに任せない悩みを抱えている。ふつうなら招待客の質問を聞いてシルバーバーチが答えるのがパターンであるが、その日は意外な展開となった。開会早々まずシルバーバーチから語り出したのである。

 「あなたの質問をお受けする前に二、三私の方から述べさせていただきたいことがあります。あなたはこれまで数々の難問に直面し、悩みを抱え、あれこれと心の中で反問し、胸を焦がし、思想上の葛藤を繰り返して来られましたが、それはあなたが自分の理性の指図による判断に基いて自分なりに得心した道を歩む上で是非とも必要なことでした。

 それは安易な道ではありませんでした。あなたがいい加減なことでは済まされない性格であり、何事も全身全霊を打ち込むタイプであり、他人も同じであってくれることを望まれる方だからです。私の言わんとすることがお判りですか」

 「全くおっしゃる通りです」とその教師が答えると、シルバーバーチはさらに続けた。

 「私が ぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。他界した霊がこうして再び戻って来るそもそもの目的は、父なる神が子等に授けた全才能を発揮するように地上人類を促すことです。知識の探求、叡知と真理の追及において理性を無視したり、道義の鏡を曇らせたり、良識を踏みにじるようなことがあってはなりません。

 私たち霊もあなた方人間とよく似た存在です。まだまだ人間的なところがあり、過ちも犯せば失敗もします。絶対的不謬性も完璧性も主張しません。人生の道において少し先を歩み、少しばかり多くの真理を学び、どういう地上生活を送ればこちらへ来てからどういうことになるかを、この目で見てきたというだけです。

 そこで私たちは人類のために何とかしてあげたい──霊的真理を教えることによって、これまで同胞が犯してきた過ちを二度と犯さないですむようにしてあげたい。私たち先輩の叡知を学び、宿された神性を活用することによって地上をより良い、より自由な、そしてより豊かな生活の場としてあげたい。それがひいては霊界が地上から送られてくる未熟で準備不足で不用意な不適格者によって悩まされることがなくなることにもなります。

 しかし、私たちに協力して下さる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度はとりたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。

死の淵を挟んだそちらとこちらの関係において、〝同志〟として手を握り合い、霊的知識の普及という共通の目的のために共に働き、何も知らない無数の地上の人々へ身体と精神と魂の自由をもたらしてあげたいと望んでおります。

 いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わない時、不合理あるいは不条理と思える時は、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。

私たちがあなた方の人生を代わりに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることも出来ます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。

 私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。

これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓えに耳を傾けて下さった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の〝理性〟であるというのが私の一貫した考えです」

 ここで教師はシルバーバーチの助言と勇気づけの言葉に礼を言い、ここ数年のあいだ悩み続けてきたので身に沁みて有難く感じると述べ、さらに、スピリチュアリズムの普及にどうすれば貢献できるかと尋ねた。すると───

 「地上世界はいま他人のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。他の大勢の人たちがそういう体験をしております。未来は過去から生まれます。これまでに起きたことは、その中から将来に役立つものを見出しさえすれば、すべて価値があったことになります。」

 そこで教師が自分の考えをこう述べた。

 「私の過去は霊的知識を幾らかでも獲得したことで有益だったと思います。イザという時に役立つもの、そして現在の意識の段階に辿りつくために経なければならなかった貴重な体験を得させてくれました。それがいわば私の人生の第一章で、これから第二章へ進みたい。つまり、ささやかながらこれまでに得た知識と、これから得られるであろう知識を実生活で役立てたいと思っております」

 「立派なお考えです。霊的知識の普及という仕事で私たちに協力してくださるお気持ちが無為に終わることは絶対ないと思ってください。それが私たちの仕事だからです。霊的知識によって地上人類を啓発し、無知の暗闇を照らし、明るい真理の光をもたらすことです。あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委ねてくだされば、あなたにできる仕事はいくらでもあります」

 「許されることなら、小さな霊団と仕事をしたいと思っております。いま霊界には、他界するまで私の心霊仲間だった者が二人おります。三人で一つのチームを結成できると思うのです。」

 「それは可能な範囲に限るのであれば結構なことです。二人ともよろこんで協力するでしょう。あなた方を結びつけているのは愛と親交だからです。その点に関しては何のご心配もいりません。ただ、あなたも自由意志を持った一個の霊であり、簡単に自分の考えを譲るようなことをしてはいけません。能力の限りを尽くす心の準備を整えたうえで、何を目標として進むのかを明確に確認し合わなくてはいけません。

それから、計画がうまく運ぶのは結構ですが、急いては事を仕損じる、ということがあります。顕幽にまたがるこの種の仕事の難しさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台無しになることがあることです。お分かりですか」

 「なるほど。すべてがいかに細かく配慮されているかが判ってきました。挫折の法則について私が抱いていた疑問もこれで解けました」

 「私たちの全てが従わなければならない計画があり、それに向かっての照合と再照合があります。それは法則によって支配されており、大枠において一人一人に割り当てられております。地上においてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人を目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です。

これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものは余り価値はないものです。手に入れても、価値が無ければ高い評価は与えられません。

 もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病いと悲哀を通してみずから学ぶことです。自我に目覚めて神に必死に助けを求めます。その時こそ、すなわち魂が培われ土壌が耕やされた時こそ、真理のタネが芽を出す時です。こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」

 「私は教師としての職業柄、青少年に大いに関心があります。あなたの霊訓のようなものを教えることができたらと思います。私の手がけた若者の助けになることをしたいのです。すでに(第一次)大戦で死んだ者もおり、援助を必要としております。

また戦争のために社会復帰がうまく行っていない者もおります。そうした私の教え子の多くに何かしっかりした人生思想と宗教を教える仲介役になれるのではないかと思うのです。また、書くことによって更に広い範囲の人々に思想を広め、同時に語り伝えることができればと思っております」

 「そうした奇特な望みは大いに叶えられるべきです。ただ、最初にお述べになったことは慎重におやりにならないといけません。教師という立場上、難しい問題があるからです。一般論としては若人にこうして霊的知識を教え込むことは可能です。が、あなたの場合は特殊なラベルは用いない方がよいでしょう。

 しばしば申している通り、あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが、これは地上でのラベルであって、私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては、とくにその真意を知らない人にとっては、何やら無気味な感じを与えます。

それよりも、大自然の法則──宇宙の物理的・精神的・霊的法則、まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力、表面下に存在する活動の世界、すなわち超自然界、人間の持つより繊細な能力──こうした広大な分野は〝スピリチュアリズム〟とか〝霊媒現象〟といった、誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます。

 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり、従って特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。すでに他界した人にも、地上で幻滅を感じている人にも──そういう人が実に多いのです──霊的知識を普及するチャンスを与えてあげることによって大いに助けになってあげられます。

今夜のこうした集会は私たち霊界での真理普及のためにもよく利用されています。(別のところで〝本日の交霊会には五千人もの霊が集まっている〟と述べている──訳者)

 そうした集会に集まる人々にあなた自身の体験──どのようにして死んだはずの人々と交信できたか、どんなことを聞かされたかを話してあげることができます。そして、あなたの想像以上の多くの方々が聞く耳をもっていることを知ることでしょう。

もちろん聞く耳をもたない人もいます。会をやめざるを得ないことになるかも知れません。あなたを変人と思う人もいることでしょう」

 「耳を傾けた人は、あとになってそれが芽を出すことになるでしょう」

 「必ず役に立ちます。魂に備えができるまでは側から手の施しようがありません。魂みずからが自分を発見しなければならないものだからです。が、実際にはちゃんと備えが出来ている場合が多いものです。そういう人が啓発を求めてあなたのもとに連れて来られます」

 ここで別の列席者が発言した。「確かに若者というのは何かを耳にすれば、遅かれ早かれ、必ず何らかの反応が生じるものです」

 「おっしゃる通りです。たとえその時は反発を覚えても、それが潜在意識に印象づけられ、ずっと存在し続け、本当にそれを必要とする時期が到来した時に呼び醒まされて活動を開始します」

 そこで教師が質問した。「私の場合はスピリチュアリスト教会との関係になるのでしょうか。それとも他の分野での仕事になるでしょうか」

 「私のみたかぎりで判断した意見を申し上げれば、あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。教会とか協会とか団体との関係をもってはいけないと言っているのではありません。機会があれば時にはそうした組織のために活躍して別に悪いとは申しませんが、私のみるかぎりでは、そこはあなたの本来の舞台ではないということです。

 あなたの場合はその種の教会に近づくことのない人々へ手を伸ばすことが可能です。その範囲内においてあなた自身も影響を受け、あなたの方から影響を与えることもできます。その世界は教会関係とは縁がなさそうですね」

 「まったくありません」

 「あなたは今日、私が(霊界から)ここへ来る前に他の出席者に話しておられましたね──あなたの家で催される交霊会の支配霊はアフィニティ(※)とだけ仕事をしたがる、と」(※同じ霊系に属する類魂で、霊的血縁関係とでもいうべきもの──訳者)

 「実は私が今日まっ先に書き留めておいた質問はそのことでした」
 「あなたのアフィニティは教会関係ではないと思います。アフィニティというものは、それ以外に結びつける要素のない関係においては強力な縁となりますが、縁というものは他にもさまざまな形態をとりますし、私たちはその全てを利用するようにしています」

 このあと、それに関連して教師から出された質問に対してシルバーバーチは「すべての出来ごとは因果律の絡み合いです」と述べてから、さらにこう続けた。

 「人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。しかし、あなたにとって何一つ無駄というものはありません。真理は真理です。

どうけなしても、真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が、真理はどうケチをつけてもその真実性が損なわれることはありません。それが真理というものなのです。

 真理というものは一度手に入れたら二度と失うことはありません。他のあらゆるものを失ない、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます」

 ここで教師が一つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が、金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないということだった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと。シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した。

 「それにもう一つ、交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が、人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題───五十年後には何でもなかったと思えるでしょうが───を霊に持ちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます」

 「潜在意識にある能力でしょうか」
 「そうです。霊媒現象は全て霊媒の潜在意識を使用していますから」

 「私は仕事のことでいろんな霊媒に質問したことがあります。すると、動物問題に興味を持っている霊媒は動物愛護のための仕事をしろと言います」

 「そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身にはごまかそうという意図はまったくありません。あなた方から質問する。それが大気中に放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺戟するわけです。

 霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。

 そういうわけで、日常的な悩みについて質問することは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です。もっとも私の場合はそれとはまったく別の要素がありますが。

 いずれにしても、霊媒の言ったことがその通りにならなかったからといって、すぐにそれを〝ごまかし〟と決めつけてはいけません。支配霊が憑っている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。

そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。もっとも、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除されてサッパリすることがよくあります。

 それがウヤムヤに終わると、動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続くことになりかねません。このように二つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいることを知っておく必要があります」


 話題が一転して教育問題になった。
 「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」

 「人間それ自身について真理を教える用意が為されていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間は本来が霊的存在で、それに精神───そしてたぶん魂とおぼしきもの───が宿っていると教えています。

本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上においてすでに〝霊〟なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにするための教訓を学ぶ好機であり、死後に待ち構えているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。

子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解───これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられすぎております」

 「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持ちで述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶を濁しています。教師として卑怯な態度だと思うのです」

 「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師自らがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植えることのできる指導者にまず私たちが働きかけることによって成就されることです」

 「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、
 「宇宙の創造自体がそう短い時間で終わったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられていることでしょう」

 「私たちも少しは進歩していると思うのですが・・・」と教師が言うと、
 「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳が上がり、明るさが増していくのが見えます」

 「スワッフハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」

 「真理というものは一人一人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは〝知的探求〟によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせることによって人の心を捉える───それしかありません」 
 
 その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことが分かりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。

 「お聞きしたいのは、私がすぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」

 「私から見れば、あなたが心に画いておられるほど事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま───そっくりそのままです。

私から見たあなたは、困難を克服し、ふつうの人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処してこられた方とお見受けします。確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強すぎたことがあったことは事実のようです。あなたがおっしゃるのはそのことですか」

 「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏ん張る拠りどころができました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」

 「逃げ腰になるとおっしゃったのはそのことですか」
 「そうです。そう思われませんか」

 「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。

 いかなる人間にも必ず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。

反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。

  あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担ぎ通して見せるぞ。これは自分の荷物なのだから〟という気持ちになれば軽く感じられるものです。

それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです。

 「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」

 「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」

 すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。

あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです」

 「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。

 人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。また、これで良かったかという動機づけについても、穏やかな精神状態の時ほどの明確な自信が持てないものです。

興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」

 「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、

 「おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております───自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」

 「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」

 「そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです」
 「それが私の悩みのタネなのです」

 「人生は螺旋階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合カギがあるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。

だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探究心といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」

 すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、

 「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」

 そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、

 「その通りです。いわゆる〝良心の声〟に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は必ず自分で得ることができます、と申し上げるのです」

 「私もそう思います」と未亡人が相づちを打つと、シルバーバーチは続けて、

 「でも、それは容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。

〝この世〟から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。

時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで〝旅行〟しなくてもできるものです」

 「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、

 「むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。

 あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。

すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお一人です。私にはあなたの気持がよく理解できます。

 私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。神は、あなた方の方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」
  

Friday, September 25, 2026

インペレーターの霊訓──続『霊訓』

More Spirit Teachings

W・S・モーゼス著  近藤 千雄訳




第二部 自動書記による霊訓
  
はじめに

 ステイントン・モーゼスによる自動書記は一八八三年にモーゼス自身によって『霊訓』Spirit Teachings と題する一巻の書にまとめられている。その多くはすでに心霊誌〝ライト〟Light に掲載されたものであるが、それについてインペレーターはモーゼスに(自動書記で)こう述べている。

 「あれは受け入れる用意のできた者のために独立した一個の霊が貴殿(あなた)の精神に働きかけることが可能であることを証明したものである。あの中に述べられていることを検証し得心しようとする意欲と、それとはまったく別個の知的存在とが交信している事実が明らかであろう。その事実は又新たな立証を得ることになろう」

 また一八七四年四月十日の発行の心霊誌〝スピリチュアリスト〟Spiritualist には次のような一節が見える。

 「霊的教訓が授けられる通路となっている人物(モーゼス)は書物を読みその内容に注意を向けても、霊側はその人物の手を借りて、それとは全く異なる問題について書くことが出来る。かくして死後存続についての驚異的な証拠が彼の霊媒能力を通して次々と提供されつつあります」
℘117
 その『霊訓』についてモーゼス自身は一八七四年九月にこう書いている。

 「この一年と半年の間に明らかに私以外の始源から届けられており、その筆跡は整然として乱れることがなかった。通信霊の一人ひとりが、機械的正確さをもって、文体と筆跡を維持し続けている。まったく乱れが見られないのである。書いている手にハンカチをかぶせたり、書きながら書物を読んだりしても、少しも変化が生じない。どんな場所で書いても、まとまったことを最後まで述べる。これは明らかに私以外の存在が書いている証拠である」

 霊団側の話によると、通信を受けながら別の用事が出来るというっことは、モーゼスの稀に見る霊媒的素質を示しており、あれだけの通信が得られるのは精神と肉体と霊的素質とが稀に見る一体関係にあったからだという。
                                       ──構成者


 (注)──特に指摘がない限り通信霊はインペレーターで質問者はモーゼスである。霊言と異なり自動書記は古い文語体で書かれている。『霊訓』(完訳)ではそれを訳文に反映させる必要があったが、本書は断片の寄せ集めで構成されており前後のつながりが途切れる所が多いので、それぞれの内容によって現代的な文語体と口語体とを織り交ぜた文に訳した。☆
℘118  
 「われわれは霊力と才能と発達の程度を異にする知的存在──さまざまな影響力と感化力をもつ霊の集団である。それ故、割り当てられる仕事は各自の能力に応じたものとなっている。命令を下す者がおり、それに従う者がいる。各分野に監督がおり、その指令にしたがって担当者が仕事に当たります。

 すべてにおいて忠実さと正確さを旨としています。われわれは神の福音を説く者の集団です。計画遂行のために構成された四十九名の霊団の組織についてはすでに述べてある。(通信の末尾に記される)署名(サイン)は一人であっても、その通信の中身については、多くの場合、複数の霊が関与している。その教説は従来の神学上の誤謬の修正と同時に、新たな真理の啓示も目的としており、真理の特殊な入手方法に心得のある者がその啓示に関わることになろう」

 「本日の到着が遅れたのは私の出席を必要とする霊の集会があったためです。全能なる大神への讃仰の祈りを捧げるためによく開かれる集会の一つです。霊団どうしの協力を必要とする時、及び我々よりさらに高級にして賢明なる霊からの力を授かる必要のある時に、そうした集会を持つのである」


 「われわれは今、聖なる天使と霊の大集会に出席してきたばかりです。その集会において(地上での大事業での進展具合について)協議し、大神へ厳かなる讃仰の祈りを捧げてまいりました。われわれの声が一体となって讃仰の聖歌へと高まり、それに応えて大神が聖なる霊力をお授けくださり、それが(地上での大事業における)闘争の支えとなるのである」


──具体的なことを教えていただけませんか。

 「地上各地で使命に携わっている霊団の指導霊が一堂に召集され、最高神への讃仰の大集会が催されます。時おりそうした集会をもって全能なる大神を讃美するのが、われわれの習わしなのです。それが、とかく過ちを犯しがちな魂を導く労多き仕事で疲弊しきったわれわれ自身の元気回復にもなります。エネルギーを一新し、神の恵み多き霊力を蓄えるのです。

 その荘厳な讃仰と讃美の儀式には、第3界以下(幽界)の霊は参列を許されません。また、われわれと同じ界の者でも、さしあたって他の存在のための仕事に携わっていないものは参列しません。

 その使命は、地上だけとは限らない。すでに肉体を棄てていながら、地上的な情愛や、かつて宿っていた肉体の欲情による自縛的状態から抜け切れずにいる霊、あるいは又、天寿を全うせずして未熟な状態で霊界へ送り込まれ、看護と指導を必要とする霊の救済に当たることを使命としている者もいる。
℘120
 地上時代ずっと指導に当たった霊が死後も引き続き指導霊として、地上時代に始まった教育を霊界において担当することは、よくあることである」


──あなたはイエス・キリストの直接の影響力のもとに行動しておられると理解してよろしいか。

 「よろしい。私は以前、私自身が試練の境涯を通過して超越界へと入って行かれた霊の影響下にあると述べたことがある。その霊こそ、かつて地上でイエスと名のった霊です。その方が今(超越界より再度降下されて)地上人類の霊的救済、新たな真理の啓示、そして積年の誤謬の一掃のための計画を用意されつつあります。そのための特使を神界にて選ばれ、その霊に地上の霊媒の選定を一任される。イエスこそ、このたびの大事業の最高指揮者であらせられる」


 「地上の人間は内在する霊的資質の開発の必要性を常に自覚していなければなりません。このたびのわれわれの(心霊現象演出の)活動も霊的啓示を授けることを目的としたものであって、単に人間を面白がらせたり驚かせたりするためのものではない。教えを受けようとする心構えのない者には、われわれの教えも通じないものです。

 その高等な霊的真理への関心の乏しさが、高級霊が地上と交信しようとしても満足のいく結果が得られない原因です。人間側に学ぼうとする姿勢が乏しいからです。好奇心の満足しか求めないからです。われわれとしては、一方において邪霊集団による絶え間ない策謀によって不利な条件を強いられ、他方において人間の冷え切った信仰心、あるいは未熟な受容性に乏しい霊性に手こずりつつも、われわれとして出来得る限りの努力をしているところである」


 「われわれとしては、せめてわれわれの影響下に置かれた同志だけでも、魂の憧憬の崇高さに応じてそこに訪れる霊の霊格の程度が決まることを、実感として体験させてあげられればという気持ちです」

 「純真無垢な人間が邪霊集団からの攻撃を受けることはあり得ることです。が、その際は背後霊団の守護を得て首尾よく撃退せしめるでしょう。そうした場合は別として、親和力の法則に例外はありません。類は類を呼ぶ、ということです」

──必ずしもそうとばかりも言えないのではないでしょうか。
℘122  
 「絶対不変というわけではないが、それが通則です。悪は悪を引き寄せる。好奇心ばかり旺盛で見栄っ張りで軽薄な人間のまわりには同じように軽薄で未発達な霊が寄ってきます。しかし純粋無垢な善人には必ずしもその通則が当てはまらないことがある。時として未発達霊からの攻撃にさらされることがあります。試練である場合もあり、邪霊集団の策謀である場合もある」


 「高級霊による働きかけは声もなく音もなく、また往々にして何の兆候も見られないものです。結果を見てようやく知られるのみで、途中の過程にはそれが見られません。インスピレーションは人間が〝神〟と呼んでいるもの、すなわち宇宙にあまねく内在する大霊から流れてくるものです。

 われわれと同じく人間も霊の大海の中で生きているのであり、すべての知識と叡智はそこから魂へと注ぎ込まれている。これがいわゆる精霊の内在、すなわち神は人間とともにあり、人間の心の中に宿り給う(ヨハネ伝14・17)ということです。以前われわれが皆さんも神である──一人一人が内部に普遍的大霊の一部を宿しているという意味において、人間はすべて絶対神の顕現である、と述べたのも、それと同じ真理を述べたのでした。

 霊的身体はその霊の大海から養分を摂取し、存在を維持している。物的身体が呼吸によって大気中から生命素を摂取して存在を維持しているのと同じで、霊的大気と霊体との関係はまさに空気と肉体との関係と同じです。人間界の叡智もまたその霊的大気圏から得られる。主として霊による中継によって行われます。受容性の高い者、霊性の高いものほど多くを摂取する。

 いわゆる天才もその類に入ります。有用な発見、人類の役に立つ発明をする者もみな、そのインスピレーションを霊の世界から得ています。その発明品は人間が思いつく以前から霊界に存在していたのである。天才のひらめきも、その根源的アイデアが芽生える霊界から放たれる光の反射にすぎません」

 「霊媒能力は、別の分野なら(学問的・芸術的)天才という形で発揮されるものが、霊的な分野で発揮されたものである。霊の導きとインスピレーションに対して開かれた耳を持つ天才であり、それが次第に霊的現象へと移行したのです。教訓が忠実にそして明瞭に伝達されるためには、霊媒本人の個性は滅却しなければなりません。今の貴殿の場合がそうです。それゆえ今こうして与えられるメッセージは人間的誤謬を最大限排除した、霊の声ということです。

 一言にして言えば、霊的存在である人間が霊的影響力の流入口を開く──それが霊媒能力である。あくまで霊的な目的のために使用しなければならない。営利目的のため、単なる好奇心の満足のため、あるいは低俗な、無意味な目的のために使用してはなりません。
℘124
 「霊媒能力を発揮する人間の特質はその人の霊にあるのであって、肉体にあるのではない。そのことは、霊媒現象がありとあらゆる体質と体格の霊媒において起きている事実を見ても分かるであろう。男性と女性、磁気的体質と電気的体質、背が低くて頑健な体質と細くてきゃしゃな体質、年配の人と若い人、等々。こうした事実だけで霊媒能力が肉体だけの問題でないことが分るであろう。

 さらに、死後もなをその能力が存在しているという事実がそれを裏書きしている。地上で霊媒だった者は肉体の死後もその能力を維持していて、それをわれわれとの協力の中で使用する。地上へ派遣されるのはそうした霊がもっとも多い。交信が容易なのである。お陰でその種の能力を欠く霊も地上界と交信できる。貴殿が地上の霊媒であるごとく、その種の霊は霊界の霊媒というわけです。

 忘れてならぬことは、すべての霊的才能、霊媒能力は、進化にとって測り知れない価値を有するということである。祈りにも似た注意をもって培い、大切にすべきものであり、それを誤用悪用した時は恐ろしい代償を支払わねばならない。これを言いかえれば、霊能の所有者は普通一般のものより神とその天使の近くに存在していることである。天使からの働きかけに反応しやすいということである。

 しかし同時に、悪の勢力からの攻撃にもさらされやすいことになる。善を志向する影響力の感化を受け易いのであるから、普通一般の人より一層強力な熱意をもってその才能を大事にし、守らねばならない」


 「俗世的なものには、可能な限り、とらわれぬよう心がけることである。個人的見解というものを持たぬ方がよい。われわれにとって障害にしかなりません。ひたすらに永遠にして不変なるものへ向けて歩を進めることです。自分一個に関わることは往々にして利己的でケチくさいものとなりやすい。そうしたものはまずわれわれは関心を向けません。これまでわれわれは貴殿を宗教的側面に関わる教えに注意を向けさせてきた。すべてはわれわれの指導によって行われてきたことであり、これからも(現象的なものよりも)その種の問題に関心を向けてほしく思う」


──確かに、あなたの計画のあとをたどってみますと、私のすることは何もかもご存知なので不思議でなりません。ようやく私も、すべての行為が導かれていること、全人生が目に見えない力によって形作られて行っていることが分って来ました。

 「貴殿はわれわれに絶対的真理を啓示することが可能であるか否かを問い、これまで数々の霊が述べたものには矛盾があるところから、絶対的真理などはあり得ず、それを得ようとするのは時間の無駄であると述べている。

 もしも貴殿のいう〝真理〟が本質的に人間的理解力を超えた問題についての正確無比な叙述を意味するとすれば、われわれには、否、他のいかなる者にも、絶対的真理を啓示することは不可能です。人間には到底理解できないからである。が、もしも人間が知っておくべき事実に関するより高度な啓示──知性を発達させ、より次元の高い知識へと誘うものを意味するとすれば、われわれがこうして地上へ降りてきたそもそもの目的は、そうした真理の啓示が目的であると答えよう。それこそが我々の使命の目的なのです。

 われわれはいたずらに人間を喜ばせたリ驚かせたるために参ったのではない。教訓を授け、向上させんがためです。われわれの為すことには一つ一つに目的がある。すなわち絶対的真理についてより高度にして幅広き見解を啓示することです」

 (注)──モーゼスが述べたことと、それを受けてインペレーターが述べていることとが、一見、嚙み合っていないように思える。が、それはこの一部分のみを抜粋するからそう映るのであって、インペレーターはこうした霊的通信がいずれ書物となって広く世界の人間に読まれることを考慮して、局所的な質問に対しても大局から見た答え方をすることが多い。それはシルバーバーチの場合も同じである。要するにスピリチュアリズムは地球全体に関わる計画に基づいた霊的活動であり、したがってその霊媒となる人物のことは誕生前からすべてを知り尽くしていることを言っている。☆


──〝私と父とは一つである〟というイエスの言葉を説明してください。

 「その言葉には自分は神であるという意味は少しも含まれていません。とんでもない誤解というべきです。その意図はわれわれが主張するところとまったく同じです。すなわちわれわれは神の使者、特別なメッセージの証人として参っているのである。そして、イエスがそうしたように、そのメッセージの神性とその証拠としての現象に目を向けさせています。異論の多い問題はなるべく避けたい。たとえば貴殿は他の(キリスト教の)僚友と同様に、バイブルの中の用語に虚構の重要性を付すという過ちを犯している。

また、ヨハネの書の翻訳の中の一語句を引っ張り出して、その上に不吉なドグマを築き上げている(後注)。バイブルも一般の書物と同じように公正な解釈を施すべきです。また神学でも大げさに取り上げている言葉も、現代とは異なる時代の異なる民族に対して語られたもので、その伝えられた方の正確さもさまざまです。それらは思想においても必要性においても生活習慣においても、現代とは全く異なる人間に対して語られたもので、しかも、そうでなくても欠点だらけであるところに、それを大なり小なり不正確な〝翻訳〟を通じて読むとという新たな危険を冒してきている。

 貴殿が引用した一文には本来、神とイエスという二人の人物が一体であるという意味はありません。抽象的な意味しかありません。人物による一体ではなく目的において一つ、意図することにおいて一つということである。〝イエスなる私は、授かれる仕事において父と一体である〟ということである」


 (注)──これはヨハネ黙示録に出ているハルマゲドンのことを言っていると思われる。元来は善と悪との最後の決戦場として出ているだけであるが、それが地球の壊滅的な動乱と救世主イエスの再臨ということに発展している。『シルバーバーチの霊訓』第二巻に次のような問答がある。

「ハルマゲドンが急速に近づきつつあるという予言は本当でしょうか」
「いいえ、そういう考えは真実ではありません。注意していただきたいのは、バイブルの編纂にあたった人たちは大なり小なり心霊能力を持っていて。そのインスピレーションをシンボルの形で受け取っていたということです。

 そもそも霊的なものは霊的に理解するのが鉄則です。象徴的に述べられているものをそのまま真実として読み取ってはいけません。霊界から地上への印象づけは絵画的な翻案によって行います。それをどう解釈するかは人間側の問題です。いわゆるハルマゲドン、地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。すべての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終わりもありません」☆


──でも、そのほかにも自分のことを神であると言っているかに受け取れる言葉が沢山ありますが、それはどう解釈したらよろしいでしょうか。


 「われわれの見る所によれば、イエスの言葉は地上時代においてすでに誇張されて伝えられていました。つまり弟子たちがイエスの言葉をイエスが意図した意味よりはるかに誇張して記録したのです。確かにイエスは自分が神の使いであることを宣言したし、事実そうだった。それを東方教会流の誇張した比喩を用いて表現した。それを無知にして教養に欠ける弟子たちが〝十字架の死〟と〝復活〟、及びそれに付随して起きたさまざまな不思議な現象と結びつけて、必要以上に大げさに表現した。それがついには理知的人間にはついて行けない驚異的な次元へと発展してしまったのである」

 続いてモーゼスは通信の内容に(通信霊によって)矛盾するところがあることを指摘してからこう尋ねた。
──あなたはキリストの神性(神であること)、バイブルの不謬性(その内容はすべて神の絶対的な言葉であること)、及び再生説を否定なさると理解してよろしいでしょうか。


「はじめの二つはつまるところ神学的教義に帰する問題であり、もう一つはその霊の未来への洞察力の問題である。イエスを神であるとし、バイブルをすべて神の声であるとするのは神学の領域内でそう考えているに過ぎません。そうした誤った信仰を抱いた霊が死後何百年何千年たってもそう思い続けていることは、けっしてあり得ないことではない。致命的というほどの害にもならないので、指導霊は他のもっと大切なことを教えることに専念し、そうした地上時代の信仰や思想は取り合えず休眠状態に置いておきます。

 ところが、その霊が地上圏へ連れて来られると、そうした休眠中の古い考えが目を覚まして、かつてと同じように支配し始める。これは古い記憶の世界へ戻ることによって生じる必然の結果で、交霊に出現する霊が面影や癖、衣服まで地上時代と同じものを再現するのと原理は同じです。

 同じ原理は、地上生活でもお馴染みであろう。久しく忘れていた感覚に触れて、昔の記憶が呼び覚まされることがあるであろう。一輪の花、一場の光景を見て古い思い出が蘇ってくることがある。霊が地上へ戻って思い出の中に浸ると、完全に拭い去られていない誤った教義や信仰が息を吹き返し、精神を支配してしまうのである。

 であるから、霊が神学的な話を持ち出したからといって、それだけでその通信の価値をうんぬんすべきではない。よほど霊力のある、しっかりとした霊でないかぎり、列席者の思念によって影響され、霊媒の潜在意識にある強い思想・信仰に簡単に左右されます。

 未発達霊は貴殿がすでに間違いであることを理解している教義を大真面目に説くことがある。霊とは言っても肉体を棄てたというに過ぎず、間違いに中々気づかないものである」


──間違った教理を信じ切っている霊が何百年何千年とそう思い込んだままの状態でいると聞いて驚きを禁じ得ません。それはよくあることなのでしょうか。

 「そう滅多にあるものでもないが、霊媒を通じてしゃべりたがる霊は往々にして大して高度な悟りに到達していない者たちである。理解力に進歩のない連中である。請われもしないのに勝手に地上へ戻ってくるということ自体が、あまり進歩的でないことの証左ともいえよう。中でも、人間の拵えた教理にがんじがらめにされたまま戻ってくる霊がもっとも進歩が遅い。

 真の啓示は人間の理解力に応じて神みずから啓示なさるものである。数ある地上の教説や信仰は大なり小なり誤りが見られる。ゆえに(それが足枷となって)進歩が遅々としている者が実に多く、しかも、みずからはその誤りに気づかぬのである。そうした類の霊が徒党を組み、その誤りがさらに新たな誤りを生んでいくことがよくある。かくして無知と偏見と空理空論が下層階に蔓延し、人間にとってのみならず、われわれ霊側にとっても厄介なことになっている。


 というのも彼らの集団も彼らなりの使者を送って人間界を攪乱(かくらん)せんとするのです。彼らは必ずといってよいほど敬虔な態度を装い、勿体ぶった言葉を用いる。それが何時しか進歩を邪魔し真理を窒息させるように企んでいるのです。魂の自由を束縛し真理への憧憬を鈍らせるということにおいて、それは断じて神の味方ではなく敵対者の仕業である。

 霊の再生の問題はよくよく進化した高級霊にして初めて論ずることの出来る問題である。最高神のご臨席のもとに神庁において行われる神々による協議の中身については、神庁の下層の者にすら知り得ない。正直に言って、人間にとってあまり深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その一つが、霊の究極の運命である。神庁において神議(かむはか)り議られしのちに一個の霊が再び肉体に宿って地上へ生まれるべきか、それとも否か、そのいずれの判断が下されるかは誰にもわからない。誰にも知り得ないのである。守護霊さえ知り得ないのである。すべては良きに計らわれるであろう。

 すでに述べたように、地上で広く喧伝(けんでん)されている形での再生(機械的輪廻転生)は真実ではありません。又偉大なる霊が崇高な使命と目的とを携えて地上へ降り、人間と生活を共にすることがあることは事実です。ほかにもわれわれの判断に基づいて広言を避けている一面もある。まだその機が熟していないと見ているからです。霊ならばすべての神秘に通じていると思ってはなりません。そう広言する霊は、みずから己の虚偽性の証拠を提供しているに他ならない」


 「霊界での仕事は多種多様です。大神が教え給う崇高な真理をより多く学びより多く理解すること。礼拝と讃仰の祈りを捧げること。心優しき霊に真理と進歩を授けること。悩める心弱き霊たちへの援助活動。みずからの知性の開発。霊性の陶冶。愛と知識の進歩。慈悲の行為。宇宙の神秘の研究。宇宙エネルギーの操作。以上、要するに、不滅の存在である霊の渇望を知性と愛の両面において充実させることと言えよう」
℘134
 「界層と言えば人間は地上と同じような〝場所〟を想像する。たぶんそれ以外には想像のしようがないのかもしれない。

 が、ご承知の通り、地上においても、道徳的ならびに知的には同じ生活環境にありながら、霊的徳行と精神的美質において他に抜きんでている人がいるものです。

 霊性が自然に引き寄せられる状態ないし環境というものがあり、その環境ないし界層がさらに幾つもの区域に分かれている。魂どうしは互いが追及するものの共鳴性、気性の類似性、前世での体験の共通性、ないしは今たずさわっている仕事の同一性によって引かれ合う思索より行動に重点を置く者もいれば、行動より思索に重点を置く者もいる。そうした違いはあっても、ひかれあう者どうしは霊格の高さにおいては同じなのです。

 各界層に隔たりがあるのはもとよりのことで、それ独自の性格と特質を具えております。地上との違いほど大きくはないが、それぞれに相違点はある。肉体がないことから仕事の種類は異なってくるが、一人ひとりに為すべき仕事があります。地上世界のような時間も空間もない。身体のための必需品というものはない。霊体のエネルギーは肉体のそれより凝集性が強く、また、自己のためより外のために使用されます。


──食事は取りますか。運動はどうなりますか。

 「人間が摂取するものとは異なります。われわれの身体は空間に瀰漫している霊的エーテルによって維持されており、その点は人間の霊的身体も同じです。普遍的な霊の養分、エネルギー源であり、肉体のあるなしには関係ありません。

 運動は念力だけで事足ります。親和性があれば引かれ合い、なければ反発し合い、又、こちら側の欲求、ないしはこちら側の存在を望む相手側の欲求によっても引かれ合います。

 霊的界層は〝状態〟であって、地上でいうところの〝場所〟ではない。そこに住む霊は人間のように時間と空間の条件には支配されません。住民は一地域に閉じ込められているのではない。住民の持つ道徳的、知的ならびに霊的な状態によって、異なる界層が生じております。つまりアフィニティ(同じ霊系に属する親和性の強い霊どうし)が集まり、その共鳴性にあふれた交わりの中に喜びを味わっている。隣人だから、近所だからということで交わるのではなく、性向と目指す目的の類似性によって近づき合うのです。

 高い界層には不浄な者は入れません。低い界層に集まるのは教育的指導を必要とする者たちであり、その指導は、地上的雰囲気の中で喘いでいる霊のために一筋の光明をもたらさんとして、光輝あふれる住処をあとにして降下してくる高き界層の霊から授かります。

 最初の三つの界は地上近くに存在する。そこにはそうした(地上的煩悩から脱しきれない)者たちがひしめいている。第一の界層は、諸々の原因から、地上へ引き付けられている者です。地上生活ではほとんど進歩が得られなかった者たちで、必ずしも全面的に悪いわけではなく、ただ、せっかくのチャンスを利用しないまま無為に過ごしたために、今なお当てもなく迷い続けているのである。

 さらには、地上に残した僚友への情愛と親和性のために、向上する可能性を有しながら敢えて地上圏に留まって援助している者もいる。それに加えて、霊的に若く、進歩的教育の段階にある者、不完全な身体をもって誕生したために充分な体験を積むことが出来ず、学ぶべきだったことをこれから何とかして学ばねばならぬ者、不可抗力によって寿命を全うせずして地上を去った者がいる。みずからの責任ではないとは言え、向上するためにはその埋め合わせをしなければならないのです」


 「われわれの所属する界の素晴らしさ──漂う心地よい香気、咲き乱れる愛らしき花々、辺りに広がる嬉しさを誘う景色は、到底、人間的想像の及ぶところではありません」

──そちらの家屋もやはり〝もの〟で出来ているのでしょうか。

 「そうです。ただし、人間が考える〝もの〟とは違います。われわれにとって実体が感じられるということであり、人間の粗末な感覚では実感は感じられないでしょう。われわれは人間と違って空間の束縛を受けません。光や空気のように自在であり、地上の家のように一定の場所に固定されていません。それでいて生活環境は洗練された霊的感覚のお蔭で、人間が物的環境から受けるのと同じ、実体が感じられます」


 他界して間もない知人が出現したので、モーゼスが尋ねた。
──そちらの世界は地上とよく似ていますか。

 「何もかもよく似ています。違いを生じさせているのは条件の変化だけです。花も果実も気色も動物も小鳥も、地上とそっくりです。ただ、その構成要素の条件が異なるだけです。人間のように食べ物にガツガツすることがなく、従って生きるために動物に殺傷することもいりません。呼吸する空気とともに摂取するもの以外には、身体の維持に必要なものはありません。また行動が物的なものによって制約されることもありません。意のままに自在に動けます。私は今そうした新しい生活条件に少しづつ、それこそ赤ん坊のように、慣れて生きつつあるところです。その現実の様子はとてもお伝え出来ません」

℘138   
 〝S〟の署名で通信を送って来ていた人物がモーゼスの友人だったウィルバーフォース William Wilberforce (英国の政治家・奴隷解放運動家)であることが判明。そのウィルバーフォースがこう綴った。

 「こちらでも地上と同じく寄り集まって暮らしております。共同体を形成しており、やはり地上と同じように叡智と霊性の高い者によって統治されています。すべてがよく似ております。ただ、行為の一つ一つが普遍的な愛の精神に発しております。摂理への背反は高級霊によるその結果の指摘及び矯正のための教訓という形での罰を受けます。それを何度も繰り返していると、もう一段低い界層へ移動し、ふたたび霊格が相応しくなるまで上れません」


 このことに関連してインペレーターがこう付け加えた。

 「貴殿の友人がいま述べたのは低界層で彼が見た印象を述べたに過ぎない。そこでは霊が共同体の形で生活しており、高級指導霊のもとで、より高い境涯への準備を行っている。そこは試練と準備の境涯で、より高度な仕事への訓練を受けるところである。いかなる霊も霊性の相応しくない境涯に存在することはできない」


──そうした境涯はどこに存在するのですか。

 「それは〝状態〟のことである。貴殿の友人はまだ他界直後に置かれる地球圏の界層を抜け出ていない。似たような界層は他の惑星にも存在する。界層といっても〝状態〟のことであり、類似した状態はどこにでも存在できるし、現に存在している。人間が空間と呼んでいるところに無数の霊の住処が存在している」


 その友人のウィルパーフォースがインペレーターの容姿を次のように描写している。

 「はじめ私は高級霊たちが身につけている光り輝く衣服を見て不思議でなりませんでした。たとえば今のインペレーター霊の外衣(ロープ)は目も眩まんばかりの白色をしており、まるで純粋無垢のダイヤモンドで出来ていて、それが鮮やかな光輝を当てられているみたいに見えます。肩のまわりにサファイヤブルーをしたものをかけておられ、頭部には深紅の飾り環にはめ込まれた栄光の王冠が見えます。飾り環は愛を象徴し、サファイヤブルーの衣服は叡智を象徴し、光り輝くロープは清純さと完全性の高さを象徴しております」


──すばらしい! 王冠はどんなものですか。

 「尖塔が七つあり、その一つ一つの尖端に目も眩まんばかりの光輝を発する星状のものが付いております」

  
℘140   
 リフォーマー Reformer と名のる霊からの通信。
 「霊は愛と知識の進歩とともに光輝と美が増していきます。頭(かしら)(インペレーター)の頭上の王冠はその崇高な霊格、純粋性、愛、犠牲心、そして神への真摯な献身の象徴です。よほど高貴にして神聖なる者しか授からない王冠です。

 霊が身につけた叡智は、他の霊にはその衣装とサファイヤブルーのオーラに象徴されているのが見て分かります。また愛の深さは犠牲心と献身を象徴する深紅によって知れます。それを偽って見せる方法はありません。霊界ではすべての偽装がはぎ取られる。偽善も見せかけも不可能です。欠点も長所も偽ることができません。真に自分のものでないものを自分のものであるかに装うことはできません。真に自分のものは霊という存在の生得の資質のみです。

 今われわれの会議が終了し、大方の者はそれぞれの仕事に戻っています。インペレーター霊はまだ天上界に留まっておられるが、そのうち戻って来られるでしょう。頭(かしら)は所用でよく天上界へお帰りになります。頭ほどになられると地上の人間を特別に支配するということはなさりません。全体としての指揮・監督にあたられます」


──よほど高い地位の方なのでしょうか。

 「さよう。高級神霊界においても指導的立場にあられる霊のお一人です。それほどの方がこうして直接地上へ戻って来られることは極めて稀なことです。大抵は中継者として他の霊に命令を下します。よほどの大事業においてのみ高級神霊が直接戻って来られるが、それでも直接一個の人間を支配することはなく、総合的に指揮・命令を下し、計画をお立てになる。

 その会議のため、そして又、聖なる霊力の摂取のために集結した壮大な光り輝く存在の群れがもしも人間の目に映れば、言い表せない喜悦を覚えることでしょう。が、他方にはその反対の勢力も控えています。邪霊の大軍が二重、三重に集結し、神の真理の啓示の進歩を阻止し、歪めんとして、手ぐすね引いて待機しています」

 
 インペレーターは地上では旧約聖書に出ているマラキ(マラカイ)Malachi であるとの話について尋ねる。

──その名は象徴的な意味で用いているのでしょうか。(Malachi はユダヤ語で〝使者〟の意味がある─訳者)
℘142 
 「いや、そうではない。述べられたことは事実であり、象徴的なものではありません」


──あなたはリフォーマーと名のっておられますが・・・・・・(reformer には〝改革者〟の意味があり、これは象徴的に用いている─訳者)

 「地上時代の私はネヘミヤ Nehemiah と同一人物です。(旧約聖書ネヘミヤ記の筆者で紀元前五世紀のユダヤの指導者─訳者)同じ予言者と呼ばれた人物でも、モーセ、マリヤ、エレミヤ、エゼキエルに勝る霊覚者はいません。少なくとも記録に残されているユダヤ人の中にはいません。

 エホバは、よく言われている通り、アブラハムとイサクとヤコブの神でした。唯一絶対神ではなく、言わば一家の守り神です」 

モーゼスが通信霊の名のる名前と本人との同一性に疑念をはさんだところ、インペレーターが答えた。

 「そうした名前は、貴殿に集中的にもたらされる影響力を代表したものにすぎない。時にはその影響力は必ずしも一個の霊からのものとは限らぬもので、いうなれば非個人的である。一個の精神の産物ではなく、複数の精神の集約されたものである場合がむしろ多い。

 と言うのも、貴殿にかかわっている霊の多くは、さらに高い霊格の霊より届けられる影響力の通路にすぎないのである。そうするより外に影響力が届けられる手段がないのである。われわれはよく会議を開き討議を重ねる。したがって貴殿がうけ取るものはわれわれの思想の合体したものである場合が多いことになる。

 貴殿は霊的資質の開拓を心掛け、肉体的欲望を抑制し、俗世的環境を超脱することが肝要である。外面的な物的生活を内面的な霊的生活、より実在に近い生活への準備と見なすべきである。こちらの世界こそ実在であり、そちらの生活はその影である」


 「とくに留意してほしいことは、正常な霊的能力と異常な霊的能力の違いである。霊が外部から霊媒に直接的に働きかけて入神させ、その霊を肉体から一時的に退去させ、代わって別の霊がその身体的組織を操作するというやり方は異常手段であり、たとえてみれば催眠術で患者を催眠状態に導くのと同じである。

 正常な霊的能力というのは霊が潜在的資質を開発し、それが背後霊からのインスピレーションによって一段と高められ補強されるという形のものをいう。そこには霊を退去させて入神状態へ導く必要はなく、魂がその霊的才能を補強されて、背後霊団との協議に参加することさえ可能となる。

 魂が受動性の中で教育され、思惟活動の中庸性、行為と意図の純粋性と誠意を養成される。霊的感覚を全開させて、インスピレーションの鼓吹を受け入れる。かつては異常手段によって苦痛の中に伝えられたものが、今や、ごく自然な形で流れ込む、本来の霊力が阻害されることも阻止されることもなく、のびのびと成長し豊かになっていく」


──〝インスピレーション的霊能〟というのは具体的にはどういうものですか。

 「思想を原語に置きかえずに直接的に受信する能力のことである。これは霊能者の存在全体が霊の支配に浸り切れるようになって初めて可能な、最高の交霊手段である。この場合、霊との交信は精神的に(以心伝心で)行われ、言語は必要としない。もともと霊界の上層においては声も言語も存在しない。霊と霊とが直接的に認識し合い。その交信は完璧であり、聞き落とすということがない」

 「貴殿は今われわれが脳へ伝達した概念を、いつも使用している原語で書き表している。これにはいつも四人の霊が関わっており、周囲を外敵より遮断し、適切な調和状態を確保してくれている。手書きの手段を選んだのは個性の証としての意味以外には格別の意味はない。用語は貴殿が普段使用しているものであり、思想だけが我々のものである」


 「われわれは今、至上の大使命にたずさわっているところである。神の計画にもとづく仕事であり、それを人間が挫折させるようなことになってはならぬ。これまでわれわれは段階的経過のうちに霊的真理を明かすべく努力してきた。われわれが神の使徒であることをイエスと同様にしるし(心霊現象)によって証さんとしてきた。が、同時に心霊現象は大事業の補助的手段にすぎず、したがって、それにあまり熱心になり過ぎるのも、あるいはそれでもって事足れりとするのも間違いであることを警告してきた。

 現象はただの殻にすぎない。物理的と呼んでいる客観的現象の演出は、霊的真理の啓示というわれわれの使命を裏書きするものとしてのみ存在価値がある。現段階においてはまだ必要性があり、またそれを必要とする者は常に存在するであろう。それゆえにこそ折に触れてわれわれは驚異的現象を演出して見せてきたが、同時に、それにあまり興味を持ち過ぎぬように警告し、時として危険でさえあると述べてきた。総じて心霊現象には副次的な価値しかないものである」
℘146 
 「霊媒能力も過度に使用すると体力を消耗させる。この種の現象(物理的現象)は、あくまでも、真理を渇望する魂のためにわれわれが系統だて整理して伝えている通信を受け取るという仕事の補助的な価値しか持たない」

 「物理的現象に実在性があるかに思うのは間違いである。往々にして最低の手段に過ぎないことがあり、霊媒にとって危険でもあり、霊的交信のアルファベット(最も基本的なこと)を学ぶ者のためにのみ有効であるに過ぎない」

 「心霊写真に写る霊姿は霊的素材(エクトプラズムの一種)の映像であって、霊そのものではない。言わば作られたモデルであって、確認してもらうために輪郭を整えたに過ぎない。白い霧状の物質で包んであるのも同じ理由からである。霊的素材をまとった状態を維持するのは容易でないので、そうやって位置と形を保つのである」


──その霊的素材は物質化現象で見られる物質と同じものでしょうか。

 「いや、同類のものではあるが、物質化の程度が異なる。むしろ実験中に見られるライトに近く、濃度を濃くも薄くもできる性質のものである」


──そうやって確認されても、その場にいた証拠にはならないとおっしゃいましたが・・・・・・。 

 「それは存在の絶対的証拠とはならないということである。人間は存在の概念を物質的に考える。すでに述べたように、霊は遠距離からの操作も可能である。そこで、存在の証拠とはならなくても、他界した知人が地上へ戻ってきたしるしとして、そういうものをこしらえるのである。

 心霊写真は認知を目的として霊的素材でこしらえる映像である。その霊自身がこしらえる場合もあるし、その霊の指図で複数の霊(霊界の技術者)がこしらえる場合もあろう。ただし、邪霊に騙されていなければ、の話である。邪霊集団にはよくよく注意するよう改めて警告しておく。ウヨウヨしているし、これからますます暗躍が活発となろう。貴殿はそうした霊からの攻撃も覚悟しておく必要がある。われわれの使命が重大なものであるだけに、彼らの妬みを買いやすく、攻撃を受けることは避けられないのである。強く警戒を要請しておく」


 「真理を求める者は、肉を霊の支配下に置けるようでなければいけない。真実の霊的知識に憧れる者は生活のすべての面において純粋で、心身ともに勇猛果敢で、真理の追及において一途で、足れるを知る人間でなければならない。純粋さ、素朴さ、一途さ、そして進歩と真理への憧憬──こうしたものが霊的知識の領域へ導いてくれるのである。これに反し、肉体的煩悩が霊性を抑圧している者、霊的知識を卑俗な目的のために悪用せんとする利己主義者──この種の者は深刻な危険にさらされているといえる。

 移り気な人間はとかく神秘的なものに引かれる。神秘のベールが単なる好奇心でもって突き通せるものと安直に考えるのである。見栄が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるように見せかける。それが他人のものを覗き見する悪趣味を生む。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険がつきまとう。真摯な探求者には何一つ危険はない」

 「根っこからの悪人とは言えないまでも、自制心と規律に欠ける者、節度と調和を失える者は、邪霊による攻撃の格好の的にされやすい。その種の人間との付き合いは避けるがよい。同じく霊的であっても、未発達の有り難からぬ指導霊の都合のよい手先にされていることがよくあるからである。不節制で、非理知的で、興奮しやすい性格の持ち主には用心するがよい」


 「われわれ(神の使者)からのメッセージを求める者は、冷静さと誠実さと祈りの心、それに穏やかにして健全な身体的条件をもって臨んでほしい」


 「地上の人間は純粋な霊的交信を得るために微妙な条件をよく理解する必要がある。十分な条件が整わない時は、われわれはただ、人間が自ら招いた危険から守るために周囲の警戒態勢を維持するのが精いっぱいということになる。しかも人間はそのことに一向に気づかずにいる。邪霊の姿が見えぬからに過ぎない。それはあたかも無知な人間が自分の無分別な振る舞いによって周囲の者に及ぼしている迷惑を、その鈍感さゆえ少しも気にしないのと同じである。人間の目に映じない──ゆえに気がつかない。それだけのことである」

 「霊媒能力の開発には恩恵と同時に危険も伴うものである。よほど強力な霊団による守護がないと、未発達霊による進入の危険性がある。用心と祈りとが肝要である」

 「霊媒としての仕事は(使命を持つ霊団によって)選ばれたもの以外は勝手に始めてはならない。選ばれた者ならば霊団による守護がある。そうした霊媒に限って安全と言える。それも誠実にして真摯な心構えで〝神の仕事と栄光のために〟行うとの認識があってはじめて言えることである。自己中心の考え、いかなる形にせよ〝小我〟にとらわれることから生じる邪心──見栄、自惚れ、野心などは霊性を汚す致命的な誘惑である」

℘150
 「低級な霊媒現象につきまとう危険は実に深刻である。そのわけは、まず第一に、その種の現象はとかく眼を見張らせるような驚きと物珍しさの対象としてのみ扱われ、又金儲けの手段とされやすいからであり、第二は、出席者が種々雑多な思いを抱いて集まり、そこから生ずる雑多な雰囲気による調和の欠如が物質性の強い低級霊を引き寄せるのである。その種の霊も、高級霊の監督のもとに働くのであれば、むしろ高級霊よりも物的現象を扱うのはうまい。が、指導と監督の欠如は霊媒の堕落につながる。進入した低級霊のおもちゃにされがちだからである。

 貴殿の交霊会でも雰囲気がわれわれにとって厚い壁のように思われることがよくあり、突き抜けることが出来ず、毒々しささえ覚える。呼吸が出きないほどである。低級霊にとってはそれが有難く、地縛霊もまたそれをよろこぶ」



──なぜそうした霊の侵入を阻止してくれないのですか。

 「人間は災いを勝手に招いておいて、それをわれわれが阻止してくれないことに文句を言う。それを阻止するには交霊会の出席者みんなが心掛けと生活と動機を清潔にするほかはないのである。電機は何にでも流れるのではない。良導体だから流れるのである。物事は原因があって結果が生じる。霊も同じである。邪霊の働きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えぬからに過ぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれほど暗躍しているか、どういう悪影響を及ぼしているか、どういうことにまで及んでいるか、貴殿はまだ何もわかっていない」

 「われわれはあるがままの事実を述べているのであって、人間が勝手にこうであるに違いないと想像していることには関知しない。人間を騙そうと企む霊は間違いなく存在する。そして、これ以降も存在し続けるであろう。貴殿がそれを無視してかかることは、貴殿に対する悪企みの温床にしかならない」

 「眼を見張らせるような現象ばかり見せて〝珍しがり屋〟を喜ばせている霊媒は、知的にも道徳的にも低級な霊のおもちゃにされている。貴殿とて、いつも同じ霊が通信して居るものと思い込んではならない。名前は何とでも名乗れるし、見せようと思えばどんな霊の姿でも見せられる。そうやって人間を騙しては喜んでいるのである」

 「われわれは今、危惧の念をもって将来を見つめている。物質にとらわれないようにとの説得は果たして人間に通じるか、われわれは疑問を抱いている。それが果たせない限り純粋な霊的真理の普及は覚束ないであろう。われわれが嘆かわしく思うのは、人間が霊を物質界のレベルへ引きずり下してしまうことである。万一そういうことになれば、引きずり下ろされた霊は災いのタネとなりかねない。それよりは逆に人間の側が霊のレベルまで霊性を高めるよう努力すべきである。そうすれば霊の証と真理の両方を手にすることが出来るであろう。

 われわれとしては、なるべくなら物的な交信手段のすべてを排除してしまいたいところである。この方法(自動書記)とてインスピレーション的交霊(144℘参照)にくらべれば至ってお粗末なものである。

 どうかわれわれのことを同志と心得てもらいたい。そして貴殿の三位一体の存在(霊・精神・肉体)が有する能力のうちの最高のものを使用できるように協力してもらいたい。退屈きわまる物的現象を何度も何度も繰り返すことはいい加減にしてほしい。そして、われわれに託された使命に恥じない威厳をもって頂きたいのである。

 霊的秘密を求め、真理の道具として選ばれた者が攻撃の矢面に立たされることは、必然のしからしむところである」
℘153   
 「能力を物的レベルから(精神的レベルへ)引き上げること、知覚力を鋭敏にすること、内部の霊的能力を開発すること、われわれの存在の身近さを(現象という形でなしに)ごく自然に感識出来るようになること、入神という危険性のある状態にならずにわれわれを認識し交信できるようになること、以上のことを心掛けてくれれば、われわれとしては申し分ないところである。これが人間として可能な最高の生活形態の手始めである。

 貴殿がそろそろ現象的なものから手を引いて霊能をより高度なものに発展させようと考えていることを、われわれはうれしく思っている。すでに述べたように、成長過程の一つとして、われわれも一時的に貴殿を物的現象のために利用されるのを許さざるを得なかった。その段階をストップさせてもよい時期を見計らって、われわれは今度は貴殿の存在そのものである霊の本質について学ばせるために、他の霊と接触を許したのである」


 (注)──《解説》で概略が述べられていることであるが、モーゼスは当初は霊の存在に懐疑的だったが、多くの交霊会に出席するうちに次第に信じるようになり、そのうち自分の身辺でも各種の心霊現象が発生するようになって、ようやく核心を得るに至った。その間もずっと自動書記は続けられていたのであるが、背後霊団の身元について確信を得たのは、自動書記を綴ったノートが十四冊になったころからだという。(全部で二十四冊)。〝他の霊との接触を許した〟というのは、それまでプライベートな身近な話題ばかりだったのが、今度は霊団の中でも高級な霊が入れ代わり立ち代わり名のって出て高等な内容の通信を送り始めたことを言っている。☆


 「われわれの教えの中に新たな要素が見られるようになったことに貴殿も気づいている。これまで貴殿を取り巻いていたドグマの垣根が少しづつ取り壊され、かつては理解できなっかった真理が把握できるようになった。神聖であると思い込んでいたものの多くを捨てさることができるようになった。かつては不可解な謎とされていたものについて考究するようになってくれた。

 われわれは貴殿の教育をまず物的レベルから始めた。物質に勝る霊の威力を見せつけ、貴殿を通じて見えざる知的存在が働いているその証拠を見せることが出来た。その初期の段階では物理的現象で十分であった。が、その後われわれは徐々にわれわれ自身の身元について語り、貴殿の精神に新たな啓示の観方を吹き込んだ。それによって貴殿は神の真理が一民族、一個人、一地方、一時代に限られるものでないことを理解することが出来た。人間が勝手にこしらえたとは言え、いかなる宗教にも真理の芽が内蔵されていることを示したのであった。

 われわれの指導は二つの平行線をたどったのである。一つは物質的ないし物理的現象であり、われわれが使用する隠れた霊力の目に見える証拠である。もう一つはわれわれが届けるメッセージの内容とその意義である。人間が肉体という物質にくるまれている以上は、現象的証拠に関心が行き過ぎるのもやむを得ない事である。だからこそ我々は、それがあくまで副次的なもの──われわれの本来の使命の証にすぎないとの見解の理解を貴殿に要請してきたのである」


 モーゼスの使命に備えての霊団側の指導過程が明かされた。(『霊訓』の二十二節でモーゼスは〝私の全生涯にわたる霊的使命に関する長文の通信が送られてきたのはその時だった。その内容に私は非常に驚いた〟と述べながら、プライベートすぎるからという理由で公表していないが、これから引用される部分が多分それではないかと推察している─訳者)


 「〝真理の太陽〟の一条の光が貴殿の魂に差し込んだ時、死せる者──と貴殿が思い込んでいた者──も生者の祈りによって救われること、永遠の煉獄は神学的創作、あるいはそれ以上に愚かなたわごとであることを悟った。神は、神を求める子等すべてを等しく好意の目をもって見つめ給い、信仰と信条よりも正直さと誠実さの力を嘉納されることを学んだ。

 また貴殿は、神はバイブル以外のいずこにおいても、また他のいかなる形でも人間に語りかけておられること──ギリシャ人にもアラブ人にもエジプト人にもインド人にも、その他、すべての子等に等しく語りかけておられることを学んだ。神は信条よりも誠心誠意を嘉納されることを学んだ。貴殿の心の中でプラトンの思想が芽を出し、その言葉が蘇ったことがある。が、その時はまだ、神の言葉はプラトンを通じて啓示されても、あるいはイエスを通じて啓示されても、その価値にかわりはないとの理解がで来ていなかった。

 その後、貴殿は例の叔父たち(後注①)の教理や信仰が本質的にいかなるものであったかを学んだ。真相を理解し、それに背を向けた。初期の教会時代の神学を精神的に超えたのである。型にはまった神学に満足し、アタナシウス教義(後注②)の害毒によろこびさえ覚えていた段階から一段と向上したのである。不条理なもの、神人同形同性説的な幼稚なものを思い切って棄てた。

 貴殿にしてみれば、みずからの思索によってそうしたと言いたいところであろう。が、それは違うのである。われわれが手引きしてその結論を固めさせたのである。やがてわれわれは、もはや貴殿の知的ならびに宗教的首位準に合わなくなった教会での牧師としての職から身を引かせるのが懸命と判断した。初期の目的を果たした場所より身を引かせ、地上における使命の次の段階のための準備へと歩を進めた。幾度かあった身体的病気も、それによって貴殿の気質を調節する効果を目的としたものであり、それは実はわれわれにとっては霊力のエンジンの調節であった。それによって貴殿の健全なるコントロールを維持してきたのである」

 (注)①──キリスト教初期の教会において教理・戒律となる著作をした人たち。
 (注)②──初期の神学には神人同形同性説を唱えるアタナシウス派と、それを否定するアリウス派とがあり、三二五年のニケ―ア宗教会議で後者が異端とされた。☆

──私のこれまでの人生はそのための準備だったわけですか。

 「その通りである。われわれは唯一その目的のために計画し導いてきたのである。何とかして十全な準備を整えた霊媒を確保したかったのである。まず精神が鍛えられていなければならない。それから知識を蓄えていなければならない。そして生活そのものが真理の受け皿として進歩的精神を培うにふさわしい者でなければならなかった。

 そのあげくに貴殿は、ある時われわれにとって最も接触しやすい人物(スピーア夫人《解説》参照)によってスピリチュアリズムへの関心を持つように手引きされた。その折のわれわれによる働きかけは強烈であった。計画を積極的に進めていった。それまでの教説よりはるかに進んだ神の福音を直接的に教えて行った。

℘158  
 今貴殿が抱いている神の概念は、それまでのものに比べてどれほど真実に近いことであろう。ようやく理解してくれた豊かなる神の愛は、どこかの一土地の一民族だけをひいきするような偏ったものではなく、宇宙と同じく無限にして無辺なのである。いかなる教理にも縛られることなく、人類はすべてが兄弟関係で結ばれており、共通の神の子であり、その神は何時の時代にも必要に応じてご自身を啓示してこられているのである。

 神人同形同性説が人間の無知の産物であること、神の言葉であるとまことしやかに喧伝されているものが往々にして人間の勝手な現象にすぎないこと、最高神が一個の人体に宿って降誕するなどという考えは人間のたわごとであるということ、そのような迷信は知識が進化すれば、それに由来する教義、神を冒涜するような見解とともに棄て去れれるものであるとの理解に到達した。

 また自分以外に〝救い主〟は無用であること、自己と同胞と神に対する責務を忠実に遂行することこそ唯一の幸福への道であることを学んだ。そして今まさに貴殿は、現在の罪に対する死後の懲罰、進歩と善行の結果としての霊界での幸福と充足感について、われわれ霊団の者が教えるところの真理を理解しつつある。霊の訓えが貴殿にどれほどの影響を及ぼしたかを知りたければ、かつて抱いていた思想を吟味し、それを現在の考えと比較対照し、いかにして貴殿が暗黒より神の真理の驚異的光明へと導かれたかを見極めることである。

 貴殿は、おぼろげながらも、人生が外部の力によって形づくられるものであることを認識し、霊が想像以上に人間界に働きかけているのではないかと思っている。事実その通りなのである。人類全体が、ある意味で、霊界からの指導の受け皿なのである。とは言え、われわれといえども原因と結果の連鎖関係に干渉することだけは出来ない。人間の犯した罪の生み出す結果から救ってあげるわけには行かない。愚かしい好奇心に迎合することもしない。試練の場としての地上を変えるわけには行かないのである。

 また、全知なる神が、隠しておくのが賢明と考えられたが故に謎とされているものを、われわれが勝手に教えるわけにもいかない。知識を押し付けることもできない。提供することしか許されないのである。これをよろこんで受け入れる者を保護し、導き、鍛え、将来の進歩のために備えさせることのみ許されるのである。

 われわれの使命についてはすでに述べた。それは、実は、人間と神との交わりの復活にすぎない。かつての地上の精神的指導者が今なお霊界において人類の指導に心を砕いており、このたび貴殿を監視し守護し指導してきたのも、貴殿がそうした指導者のメッセージを受け入れ、それを広く人類一般に伝えてくれること、ひとえにそれを目標としてのことであった。貴殿をその仕事にふさわしい人物とすることが、これまでのわれわれの仕事であった。これからは神の福音を受け取り、機が熟せばそれを世界の人々へ伝えることが次の仕事となろう」 

──では、これは宗教的活動なのでしょうか。

 「まさにその通りである。われわれが人間にとってぜひとも必要な福音を説きに来た〝神の真理の伝道者〟であることを、ここに改めて主張する。その使命にとって大切なこと以外は、われわれは何の関心もない。その点によく留意してほしい。差し当たってわれわれは貴殿が個人的な知友との交霊のための霊媒とされようとしている傾向は阻止する。その種のことに身をさらすのは危険この上ない。霊格の発達した者は、地上の者と交信したがっている無数の霊に取り憑かれやすいことを貴殿は忘れている。感受性が発達するほど地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性も増える。実に恐ろしい事であり、貴殿をそういう危険にさらすわけには行かない。低級霊のすることは貴殿もすでに知って居る筈である。その種の行為に貴殿は実に過敏である。そうなった時はもはやわっれわれも手出しが出来ぬかもしれない」


 「交霊会は霊の目には光の中枢として映るもので、はるか遠方からでも見え、地上の縁者と語りたがっている無数の霊が寄り集まって来る。その中には物質を操る能力においては強力なのがいる。事実その点においては高級霊よりは上手なのである。霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」

 「出席者の側に霊性が欠けている交霊会に群がる霊が死後一向に進化しない低級霊であることは、まぎれもない事実である。いわゆる地縛霊であり、列席者がかもしだす雰囲気に誘われて訪れ、他愛もないことを述べて戸惑わせたり困乱させたりして面白がり、あるいは悪徳や罪悪へ誘い込もうとする。

 そもそも霊的交信なるものは何のために行うのか、その存在意義を明確にわきまえ、それが今いかに堕落した目的のために行われつつあるかを、よく考えてみることである。何の警戒態勢もないまま行われる交霊会に集まる霊に操られはじめたら最後、遅かれ早かれ列席者も同じレベルまで引き下げられてしまう。つまり精神的に、道徳的に、そして肉体的に、堕落の一途をたどることになる。今の貴殿はあたかも伝染病の隔離病棟に入りながら病原菌だけは移されまいと期待するのにも似ている。いつの日かきっと大それたことをしたことを思い知らされることであろう。

 以前から吸血鬼が貴殿をねらっている(後注)。さらに今は吐き気を催すような悪霊が付きまとっている。それはぜひとも払い除けねばならない。それは余程骨の折れることであろうが、もしそれが出来なければ、いつかはその餌食となるしかない」

 (注)──〝吸血鬼〟という種族が実在するわけではない。〝悪魔〟が、そう呼びたくなるほど邪悪な性質をもつに至った存在という意味であるのと同じで、これも用語上の問題である。スカルソープの『私の霊界紀行』(潮文社)に次のような体験が紹介されている。

 「ある時いよいよ離脱の状態に入り、間違いなく離脱しているのであるが、どこかしら不安がつきまとい、霊界へ行かずに寝室の中を漂っていた。やがて階下の店へ降り、カウンターの後ろに立った。なぜか辺りの波長が低く陰気で、全体が薄ぼんやりとした感じがする。かつてそのような雰囲気を体験したことがなかったので、もしかして離脱の手順を間違えたのかと思っていた。

 すると突然、邪悪で復讐心に満ちた念に襲われたような気がした。その実感は霊的身体をもって感じるしかない種類のもので、言葉ではとても表現できない。とにかく胸の悪くなるような、そして神経が麻痺しそうな感じがした。その念が襲ってくる方角を察して目をやると、二十ヤードほど離れたところに毒々しい煤けたオレンジ色の明かりが見えた。その輝きの中に、ニタニタ笑っている霊、憎しみを顔いっぱいに表している霊が見える。そして、自分たちの存在が気づかれたと知ると、とっさに思念活動を転換した。

 すると代わって私の目に入ったのは骸骨、朽はてた人骨、墓地などが幽霊や食屍鬼(しょくしき)、吸血鬼、そのほか地上的無知とフィクションの産物と入り乱れている光景だった。
     (中略)
 愚かしい概念も、何世紀にもわたって受け継がれてくると、各国の人民の精神に深く刻み込まれていく。未知なるものへの恐怖心もその影響の一つである。暗黒を好み、地上の適当な場所を選んで、そうした低級霊がたむろし、潜在的な心霊能力でもって地上の人間に影響を及ぼす。彼らが集団を形成した時の思念は実に強烈で、幽霊話に出て来るあらゆる効果を演出することが出来る。未知なるものへの恐怖心も手伝って、そうした現象は血も凍るような恐怖心を起こさせる」☆


 純正な物理現象が行われている最中に明らかにごまかしと分かる愚にもつかぬ行為が見られることを述べると──

 「物理現象に携わる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、ごまかす意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。特に完全物質化現象は低級霊にしかできない現象の一つであるが、霊側は別にごまかすつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが一番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれがせっかくの純正な現象の中にもごまかしが混じっているかに思われるのである。

 現象によっては、高尚な心を持たない存在、したがって道義心というものを持たない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾の悪い動物の行為のようにうつるであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本物と偽ものとが混じっていることに動揺しないことである。

 そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者のために必要なだけであってわれわれが神の使者であることの証拠ではなく、また、われわれの教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念にとらわれている者のために用意された手段に過ぎないのである。

 それにはその演出にもっとも適切な霊が当てられる。その種の霊はきわめて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者がもっとも強力な働く手となってくれるが、残念ながら彼らには道徳的な見極めがつけられない。

 だからといって貴殿が〝たかが家具を移動させる程度のもの〟と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしい事であろう。偉大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発のために神によって派遣されていたのあり、そのような霊を、物質中心のものの考え方しかできない者のために、証拠として演出して見せるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それほどの霊になればもはや鈍重な物資への影響力は持ち合わせず、直接的に働きかけることは不可能である」

 「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。また、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それゆえ、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究のための実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬものでしたがって、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならない。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、また彼らの教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気をできるだけ高めることを目的とすべきである」

──物理現象は止めてしまうべきでしょうか。

 「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(さいぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めていくことを目標としてほしい。霊的なものを物的なものへ引きずり下ろすことになってはならない」

 「病気の時、あるいは心配毎のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中に一人でも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、いちずな真理探究心、こうしたものがわれわれにとって最高の助けとなる。

何よりも障害となるのは猜疑心からくる不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、すべてを手を込んだごまかしであると決めてかかる、のぞき見的猜疑心である」

 
 モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。

 「交信のための条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求めすぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼のおける通信は得られぬものと思うがよい。

 しばしの間われわれとの交信は中止されよ。ぜひ中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力をわれわれの方でしばし預かることにしたのである。今の状態でわれわれの交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分っていないようである。われわれがその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが・・・・・・」


 交霊会に関する心得。
 「満腹の食事をした直後、あるいは精神的ないし肉体的に疲れがひどい時、または、会の雰囲気が調和に欠ける時は開かないこと。

 会に先立って言い争いのような会話、あるいは心理的にエネルギーを消耗するようなことをしないこと。精神は受身的に、そして身体はラクにする。

 部屋の空気がムンムンする状態で開かないこと。会に先立って新鮮な空気を通しておくこと。
 なるべくなら開会する前に三、四時間ほど明かりを遮断しておく。ドアを閉じる前に芳香性の樹脂をほんの少量だけ焚くとよい。

 開会中は物珍しさから勝手な要求をしてはならない。霊側で用意している計画を台無しにするからである。真剣で用心深い精神的態度を維持すること。とくに、まじめで祈りに満ちた心で、より高い知識を求めて素直に耳を傾けること。常に霊的なものを求め、俗世間的なものは求めぬこと。
 霊媒は自分の身を隔離してオーラへの影響を断った方がよいことがある。キャビネットを設けるのも一つの方法である」


 音楽の効用について尋ねると──
 「良い音楽であれば使用しても結構であるが、無くてはならぬというものではない。われわれにとっては音楽よりもむしろ静寂と集中心の方が大切である。どちらかといえば音楽は低次元の現象や未熟な霊にとって有効なだけであって、われわれにとっては、いつも聞かされている音楽(サウンド)は何の効果もない。逆効果である場合すらある」


 ある日の交霊会のあと不快な臭気が漂ったので、そのことを尋ねると──
 「会の霊的状態が悪かったためである。これで出席者の方に分かっていただけると思うが、会に先立っての会話は議論になったりケンカ腰になったり興奮させるようなものは避けるべきである。高級な交霊を求めるためには隔離された状態と瞑想と断食と祈りが不可欠であるとされるのはそうした理由による。昔から霊覚者や霊能者はそれに気づいていた。われわれも貴殿にしばしば身体をじっと静かに保つこと、精神を安らかに保つことの大切さを説いてきた。それを欠くと交霊会は危険である」


 「交霊現象においてわれわれが使用するエネルギーは、身体機能が(受身的状態であっても)正常に働いている時にのみ利用できるのである。(激論などした後)脳が活発に働いていると、エネルギーは脳へ動員されてしまうが、受け身の状態になるとそれが神経組織の方へ流れるので、われわれはそれを利用する。消化器官が活動している時はエネルギーはそこへ集中されてしまう。突然のショックを受けると神経のバランスが崩れ、エネルギーはしばらく散逸状態となる。

 といって、受け身の状態が無活動・無関心の状態になってしまうと、それもまた困る。目の前で進行中のことへの関心を持続させること(集中力)が磁気性オーラ(後注)の流れを軽快で規則正しいものにし、それが霊側と人間側との連絡を完璧なものにする。公開交霊会で入神演説をする場合も、聴衆が一心に聞き入ることが、そうした磁気的調和状態を保たせることになる。

 心配の念も禁物である。これには侵食する性質があり、受け身的状態とは相反するものだからである。

 (注)──人体から発するオーラには磁気性のものと電気性のものの二種類がある。具体的なことは『母と子の心霊教室』(潮文社)を参照されたい。☆


 二つの埋葬地の中間に位置する家に滞在したことを咎められたモーゼスが「そてがなぜいけないのですか」と尋ねたのに対してレクター Rector と名のる霊が──
 「最近の貴殿(あなた)は墓地に漂う臭気に一段と影響を受け易くなっているからです。その近辺で長時間寝たり呼吸したりしてはいけません。そこに発生するガスや臭気は鈍感な人なら大して害はないが、貴殿ほどに発達してくると有害です」

──でも、すぐ近くではありません。

 「二つの墓地の中間に位置しています。辺りの空気には貴殿の身体に有害なものが充満しています。
 肉体が腐敗していくときに強烈な臭気を発散する。それが正者の呼吸する空気に混入し、それに引かれて地縛霊がうろつきます。どこからどうみても感心しないものであるが、霊的感受性が過敏な人間にとっては尚さら有害です」

──墓地を嫌っておられるようですが、埋葬より火葬の方が良いというお考えですか。

 「朽ちて行く人間を生きた人間の生活の場のど真ん中に埋めることほど愚かなことはありません。呼吸する空気が毒されてしまいます。もう少し進歩すれば、生きた人間に害になるようなことはしなくなるでしょう」


  モーゼスの知人が霊にまんまと騙されたことについてインペレーターが──

 「その知人に、一人で勝手に霊と交信することを中止させないといけません。このままでは邪霊集団の餌食にされてしまう。われわれ(組織的計画に基づいて働いている霊団の者)は所属するサークル以外のことには関与しません。それぞれのサークルには支配霊がおり、その指示のもとに行動している。われわれとしては低級霊との交霊は絶対に避けるべきであると述べるのみです。危険に充ちています。その危険にわざわざこちらから近づくことはあるまい。ウソとごまかしばかりしている集団に関わり合ってはなりません」


──最近他界したばかりの人が二、三年で第七界(現象界の最高界)まで到達したというケースをご存知ですか。(多分どこかの交霊会に出席した得体のしれない霊が二、三年前に他界したモーゼスの知人の名を騙って、もう最高界まで到達した、と自慢げに言ったのであろう。日本でもよくあるケースである─訳者)

 「知りません。そういうことはあり得ぬことです。何もかもデタラメデス。そのようなことを言う霊と関わり合ってはなりません」


──霊能が悪霊によって邪悪な目的のために開発されるということはあり得ますか。

 「ある。大いにある。地上との係わりにおいては高級霊よりも低級霊の方が強力であるという事実から考えても、それが分かるはずである。彼らはその霊力を善のために使おうとはしません。逆に、いずれは冷媒とって害になるようなことをして、われわれの未来の仕事に対する不信感を誘おうと企む。危険です。実に危険です」

 「ベンジャミン・フランクリンが叩音(ラップ)現象」による通信手段を発見していたこと、スェーデンボルグのお蔭で霊側が地上との交信の可能性を知り、関心を持つようになったことは事実です。その当時は地上と霊界のすべての住民が何時でも交信ができるようになると信じられたのである。しかし人間側の無知と、霊側にすぐに著名人の名前を騙りたがる者が多すぎることで、その可能性が大幅に縮小されました。さらには、指導に当たる霊の間で、たとえば貴殿の知人のように、地上に戻ることを許すと忘れかけていた快楽を思い出させることになって必ずしも為にならないという認識が行きわたりました。そこでそう言う霊は他の天体ないしは他の境涯へ連れて行かれており、従って地上との交信には出ません」


──その発見はこちらより先にそちらの世界でなされていたわけですね。

 「すべてこちら側でなされたことで、地上では何一つなされておりません。霊が発見して地上へ伝えられたものです。古代においてはラップのような手段は知られておりませんでした。これは現代特有のものです。古い時代においてはもっと物質性の少ない手段で交信が行われていたものです。珍しいケースを除いては物的手段を通す必要がなかったのです。霊と霊との直接の交信でした。が、人間が物質的になるにつれてその種の交信が減少し、ほんのわずかな人に限られることになりました。そこで信号による物的手段が発明されたのです」(この通信にはレクターとフランクリンの二人の署名がついている)

 (注)──フランクリンの没年は一七九〇年であるから、スピリチュアリズムの発端とされるフォックス家におけるラップ現象より半世紀以上の前のことになる。が、そのころから霊界では着々と準備をしていたことがこれで分かる。☆


 インペレーターに代わる。

 「地上で精神病者とされている者が実は低級霊の道具にされているに過ぎないことがよくある。その人間の身体を勝手に操作しようとしてそれがうまく行かず、支離滅裂な話をしたり辻褄の合わないことを言ったりすることすることになる」

 「交霊会の雰囲気が乱れる時は、その原因となる人間なり霊なりが必ずその場に存在していると考えるのは間違いである。とくに霊感の鋭い人間は単なる思念の放射だけで調子を狂わされることがよくある。われわれにとっては思念こそが強力なエンジンなのである。それをいろいろな形で道具として使用するのである。直感がわれわれの感覚であり、思念は道具である」

 「霊が肉体から離れると思念の行使がずっとたやすくなる。こちらでは思念の投射が会話の通常の方法であり、地上との通信や連絡の当たり前の手段である。人間のように身体を携えてその場におもむく必要はない。霊と霊との交信は時間と空間を超越して行われる。時間と空間は地上だけの条件である」

 「高級霊がみずから出頭せずに下級霊を通じて働きかけることは、よくあることである。実によくあることで、支配霊として交霊の場に居なくても、指示だけが送られて、それに従って会が進行する。が、われわれのサークルにおいては、誰それの霊が来ていると述べた時には、実際にその場に来ていると思ってよい。同志を無防備のまま放置しておくようなことはしないと思われよ。が、それでもなお、思念の投射によって会の霊的雰囲気が乱されることがある。どうも思い通りに会が進行出来ない時は、それが原因であることが少なくない。そのような時は会の中止を命じる。

 出席者が多い場合も雰囲気が乱れやすい。霊が出現したがるその情念の強さが原因となることもあるし、あたりに集結した邪霊集団の策謀である場合もある。

 人間の大半がまだその事実を理解する水準に達していない。そのためにスピリチュアリズムは悪魔との交わりであるとか、特殊な精神的ないし身体的病気であるとか、幻覚であるとか、イカサマであるとかの見方をされることにもなるわけである。

 それとは別に、霊的真理を正しく理解した少数の者による地道なサークルもある。高次元の交霊の崇高さの確証を手にして、わずか二人ないし三人が信念と誠実さをもって会合し、授かる言葉に耳を傾ける。その種のサークルにおいては精神は純粋にして真摯であり、崇高なる憧憬にあふれ、霊的思想に満ちあふれている。会に先立っての然るべき準備も整えられ、高級霊が訪れるための環境条件が揃っている。かようなサークルにおいては、成果もまたそれ相応に高尚なものとなる。

 会の雰囲気が純朴な情愛に満ちたものであれば、先に他界した知人もしばしば訪れて身元を明かすことができよう。あるいは霊的親和性に富む(見知らぬ)霊が訪れて慰安と励ましのメッセージを語ることもある。さらには又、われわれ同様に、真理を希求する者のための啓発と向上を任務とする霊が訪れて、他の分野にも及ぶ知識を授けることもあろう。

 こうしたサークルは、用意周到ささえ怠らなければ、人類の大いなる啓発のための貴重な機関となるところである。ところが悲しい哉、人間の使命感はもろいものである。支えとなるべきいちずな憧憬にやがて倦怠感が訪れる。俗世に心が奪われる。仕事に追いまくられる。取越苦労と悩みが入り込む。こうなると、われわれの目指すものにとってその霊媒はもはや無用のものとなる。あるいはサークルの同志の理解力一杯のところまで学んで、関心が衰えて来ることもある。

 こうした次第で、サークル活動はよほど稀有な条件が整っていない限り長続きしないものである。なかなか進歩が見られぬし、いろいろな障害が邪魔するからである」


 「本来、霊の衣服は人間の目には映じないものであり、したがって霊姿というものは確認できぬものである。そこでわれわれは人間側が期待しているような形態を装うことになる。かりに霊が地上の友人に姿を見せたければ、多分地上時代によく着ていた衣服に似たものを着て出現するであろう。そして、確証として特徴ある身ぶり、衣装あるいは表情を特に誇張して注意を引くことであろう。そうやってせっかく確認してほしいと思って苦心したのに、友人が得心してくれなかった時の無念さと悲しみは一通りのものではない。

 これが、後に残した愛する人のためを思って戻ってくる霊につきまとう無念残念の一つである。付き添って何とか面倒を見ようとするのであるが、どうしても通じない。そこでどこかの霊媒を見つけて、そこへ出席してくれるように誘導する。ようやく出席してくれたので、ここぞとばかりに苦心して生前の姿を見せ、死後の存続を証明し、変わらぬ愛を示そうとする。が、悲しい哉、その誠意が空しく物笑いの対象とされ、自分の存在が認めてもらえなかった時の傷心の深さは測り知れないものがある。そして多分、霊界との交信の事実そのものが根拠のない愚かな幻想であると決めつけられる。首尾よく自分が確認して貰えて変わらぬ愛を確かめることが出来た霊の測り知れないよろこびとは対照的に、それは霊にとっての測り知れない心の傷みとなる」


 モーゼスが自分のサークルにおいてそうしたプライベートな交信が少ないことに残念を表明すると──

 「貴殿にはそれとは別の使命があるのである。われわれとしてはそうしたプライベートな交信にサークルが利用されることは許すわけには行かない。好奇心の満足、例え愛に発するものであっても私情の混じったことの満足のためには絶対に許すわけにはいかない。貴殿のサークルはその程度の目的のために利用してはならない。もっともっと高尚な目的を持ったものなのである。貴殿に託された使命の崇高さについて充分な自覚が芽生えるまで待つほかはない。その時になればわれわれがプライベートなものを拒絶する理由がわかるであろう」
℘179   
──私の使命はイエス直々のご計画によるものなのでしょうか。

  「すでに述べた通り、このたびの大事業には二人の偉大なる霊、すなわちモーセとエリヤが密接にかかわっておられる。私が直接受けるインスピレーションは私の守護霊であるエリヤからのものである。私が地上にあった時も(紀元前五世紀)エリヤが私を鼓舞し、今は私を通じて貴殿に影響力を行使しておられる。が、彼を初め、われわれはすべての人間がイエスと呼ぶ崇高なる霊の支配下にある」

──イエスにお逢いになったことがありますか。それからモーセとエリヤにも。

 「いかにも。私の守護霊たるエリヤと偉大なる霊モーセとは早くからお会いしている。会話も交わし、同時に指示を仰いできている。

 が、イエスと直接の接触にあずかったのは、このたびの使命とのかかわりが出来てからのことである。偉大なる大事業の計画を目的とした高級神霊の大集会へのお召しにあずかった時にはじめてお姿を拝した。

 私が知る限り、主が再び試練の現象界まで降りて来られたのはごく最近のことである。またその大集会で拝見した高級神霊もやはり最近になって降りてこられた。多分、主がこのたびと同じ目的をもって地上へ降誕されて以来、久しぶりのことであろう」



──どの集会のことでしょうか。確かあなたはイエスは一度も戻ってきていないとおっしゃいましたが・・・・・・

 「大集会というのは、貴殿も知っての通り、私がサークルを留守にしていた時に開かれたものである。それから、私は自分が定かでないことについて断定的な言い方をしたことはないつもりである。イエスは人間に直接的に働きかけられる境涯の彼方(超越界)へ行っておられたが、地上時代に肉体に宿って着手された大事業を一段と進める必要があり、再び現象界へと帰って来られたのである。


──私と同じようにその大事業のために準備された者は他にもいるのでしょうか。あなたが関わっておられる霊媒は他にもいますか。

 「私が直接かかわっている人間は貴殿以外にはいない。が、使命を担った霊の指導によって着々と研鑽を重ねつつある者は大勢いる。これまでにわれわれは貴殿の中に高級界と地上界との間に開かれた通路として最も貴重な要素を開発することに成功している。貴殿の精神が冷静になるにつれて他の多くの霊が訪れるようになるであろう。そして貴殿の疑念も晴れることであろう。現在の精神状態ではまだ他の霊には近づくことができぬ。

 それはともかくとして、霊界ではさまざまな知識を人類に授けるための適切な人材を見出すべく、今後とも努力するであろう」

 マグナス Magnus と名のる霊からの通信。
 「教育と養成を任務とする霊は、それを授かる人間と霊的な意味において一体です。教師の霊的知識源から生徒が吸収し、そこで一体となる。これが霊と霊との融合です」

──その関係は死後も続くのですか。

 「続きます。それは永遠の相互依存の法則です。霊の生活においては孤立という観念は存在しません。それは地上的錯誤です。霊は融和と共存の中で生活しており、互いに依存し合っております。教えた者と教えられた者とは親和関係で結ばれています」
℘182    
 モーゼスが〝キリストの再臨〟について尋ねたのに対してインペレーターが──

 「聖書の記録の言いまわしにはあまりこだわらぬが良い。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解できぬ者が、いい加減な印象を記録した。それがさらに拙劣な用語で(英語その他に)翻訳され、結局は間違った概念を伝えることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、特に新たなる啓示について、概略ながら多く存在する。地上にありながら死後再び地上世界へ帰ってくることについて語っていたからである」

──では帰ってくるというのは純粋に霊的な意味なのでしょうか。

 「その通りである。今まさに主イエスが(新しい啓示をたずさえて)地上へ帰って来つつあるのである。それを、中継の霊団を通じて行っておられる。必要とあればみずから影響力を人間に行使されることもあるかもしれぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主が地上に降りられた時代のそれと類似している。

 〝変容の丘〟(マタイ17ほか)において主は、影響力の通路となっていた二人の霊すなわちモーセとエリヤと現実に語り合った。その二人はこのたびのスピリチュアリズム及び歴史上のいくつかの霊的活動に深く関わってきており、今なお関わっておられる。主イエスの指示のもとにこのたびの活動を鼓舞し指揮しておられる。これで、われわれがスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」


 レクターRector`ドクター Doctor`ブルーデンスPrudens の三人の署名のもとに次のように綴られた。

 「ハルマゲドンと呼ばれている地上圏での善と悪との黙示的な戦いは今まさに進行中です。その真っ只中にキリストが立っておられる。われわれがこうして新しい霊的真理を告げに戻ってきたのは、そのキリストのお出ましに備えるためです。と言っても蘇れるキリストが肉体をまとって出現なさるのではなく、霊的影響力としてのキリストの再来のための下準備です。

 そのところをよく理解してほしい。今地上界に再生しつつあるのは、かの歴史上のイエスその人ではなく〝キリストの原理〟なのである。これまでの物的概念を棄て去り、その黙示的な真理を学んでほしい。

 地上の人間は〝キリストの再臨〟をイエスがもう一度肉体に宿って地上へ出現するかの如く考えていますが、本当の意味はイエスが(二千年前に)地上へ降りて範を垂れた〝キリスト〟の原理の蘇りであり復興です。

 イエスが身をもって範を垂れた原理が地上の人間に顕現されたのは決してそのベツレヘムに誕生した時が最初ではない。いつの時代にも、又いつの民族においても、神は御身を人間に顕現しておられる。救世主(めしや)出現の概念が生まれ、具体化し、さらにそこへその救済の方法として最後の審判という誤った観念が生まれた。今に至るも、これは変わっておりません。

 現代のキリスト教徒も同じ信仰を抱いています。言いかえれば、キリストの再臨について同じ誤解をしています。その昔ユダヤ人はソロモンが再臨して、かつての栄耀栄華を取り戻してくれることを待ち望みました。現代のキリスト教徒は主イエスが天使の大軍を従えて天空に現れ、思い通りの世界平和と栄光の治世を開始してくれるものと期待しています。そして又、そのユダヤ人がまさか身分卑しき大工の息子が彼らの待ち望むメシヤであることが信じられなかった如く、現代の聖職者たちにはいまさかんに喧伝されている霊的真理(スピリチュアリズム)がその蘇れるキリストからの福音であることが、どうしても信じ切れずにいます。

 新しい霊的摂理が今まさに人類に浸透しつつあります。これぞまさしく〝助け主〟の治世であり、人間に理解し得る最高の真理の発展です。それは地上的天国の設立ではなく、見えざる霊的王国の設立です。

 確かにわれわれが説くキリストの再臨も、キリスト教徒が信じている通り、キリストが帰ってくるということにおいては同じです。ただ霊的な影響力として帰ってくるということであり、一方、キリスト教徒の考えは地上的であり物質的であるということです」


──イエスはこれまでのところその姿を見せておりませんが、これからそれが有り得ると私は考えるのですが・・・・・・

 「かつて地上に降誕したあのイエスと呼ばれた人物はもう二度と現れません。地上に誕生できる境涯の彼方へ行かれたからです」

──影響力として帰ってくるのでしょうか。

 「その通りです。高級神霊界からの霊的影響力として帰って来られ、それが一時的に貴殿に集中している。それを、貴殿と接触できるわれわれが行っているところです。今貴殿を取り巻いているさまざまな喧騒は真理の新たな発展に付随して起きる衝突の微候(しるし)です。真理の誕生に苦痛と苦悩は付きものです」

℘186
 「ささやかながらも地上に顕現している霊力の影響は、霊界において着々と進められている霊的作業の反映にすぎません。オペレーションセンターは霊界にあります。われわれの努力は貴殿の周囲に調和と平安のための霊的条件を整えることに集中しているところです。霊の世界こそが原因の世界です。貴殿を嘆かせている喧騒は、霊界で巻き起っている激しい闘争の微々たる反映にすぎません。

 われわれは今、敵対勢力によって大々的に攻勢が仕掛けられる時代を通過しつつあります。その影響力がわれわれを、そして貴殿を悩ませ障害となっています。偉大にして崇高なる思想が霊の世界から発せられる如く、地上に邪悪と混乱を巻き起こす影響力もまた霊の世界から発せられる。すべて霊的なものです」


 「さきにわれわれは比喩の形で霊が七つの現象界を向上して行く話をしました。そうした過程の中でみずからを救済し地上で蓄積した汚れを取り除くか、あるいは来るべき超越界での生活に備えて叡智を身につけるかのいずれかに努力する。真の実在界、無限と絶対の超越界には完全なる安寧が存在します。その世界の清純無垢なる霊は、その安寧の幾ばくかをもたらすための余ほどの必要性が生じぬ限り、その境界線を超えて混沌たる現象界へと降りてくることは、まずありません。絶無というわけではありません。地球の歴史における霊的大変動期に降臨してその深遠たる叡智により人心を鼓舞した霊は、幾例かあるにはある。しかし極めて稀です。貴殿としては今、同じ神の火花が貴殿の魂にも宿っており、したがって無限の可能性が貴殿の掌中にあることを知るだけで充分です」


 次の質問に答えているのはインペレーターである。
──地上界のすぐ下の界にはどういう霊が住んでいるのでしょうか。

 「人間界より一段低い界層には動物性が過度に発達してそれが霊性を圧倒してしまった者が存在する。彼らはもはや肉欲以外には何も求めぬ者たちであり、その動物的性向によって他人を傷つけた者たちであり、今なおかつての歓楽街をうろついている。食道楽、ギャンブル狂、守銭奴もこの界にやって来る。

 もう一段低い界にはさらに肉欲によって霊性が汚され、さらに徹底的に魂を見失える者たちが住んでいる。その界の各地で、その種の霊の救済を任務とする霊の監視下で、みずからを呪い、肉欲によって生活を破壊せる飲んだくれや忌まわしき好色家が生活している。進歩を望まぬが故に何時までもそこから向上しないのであるが、みずから望めば、待機せる霊の祈りによって更生の道へ導かれる。堕落の道へ深く沈み行く者を更生させ救済するには祈りしかないのである」

──私たちは、死後、みずからの罪と過ちを償うことになるのでしょうか。
 
 「いかにもその通りである。罪が償わされずに終わることは絶対にない。いかに怠惰な過ちも見逃されることはない。魂そのものによって、いずれは償わされる。すなわち過ちの所産が可能な限り拭い去られるということである。友よ、故意に犯せる罪は苦き涙という代償を支払わされることになることを心されよ。過ちの種を蒔けばいかに恐ろしき報いを刈り取ることになるか、貴殿は知らぬ。何としてもみずから刈り取らねばならぬのである。悲しみと恥辱の中に償わねばならぬのである」

 モーゼスが当時さかんだったキリスト教のリバイバル運動の催しに出席した後調子がおかしくなったことを述べると──

 「地上の霊的浄化のために今さまざまな種類の霊が働いている。そしてその中には粗野で未熟なのもいる。さまざまな種類の人間に働きかけるためにさまざまな霊が利用されているのである。人間界の今の沈滞状態よりは、いかなる形にせよ、霊的騒乱の方がましである。未熟霊は多くの点で誤りを犯しがちである。が、それは構わぬ。大衆を霊的存在へ関心を向けさせてくれればそれでよい。死にも似た惰眠をむさばっている者を揺り起こして目覚めさせることは結構なことであり、そのためにいかなる手段が用いられようと構わぬ。

 ロンドンの死せるがごとき大衆を揺り起こすために用いられている手段について、あまり神経質にならぬことである。貴殿を相手にしているわけではない。それを必要とする者のためであるから、いちいち構わぬがよい。それも、今地上にさまざまな形で広まりつつある霊的影響力の大波の一つなのである。全体としてみれば行き過ぎもあろう。が、それなりの効用もある。洗練された者にはショッキングに思えるかも知れぬが、それによって目を覚まされ、破滅より救われる者もいる。貴殿にはショッキングであろうが、われわれは喜ばしく思っている」

  
 病床にあるアイルランドの知人(女性)を何とかしてあげられないものかと尋ねると──

 「貴殿から得られる霊力はある一定の距離を超えると利用できなくなる。又、その霊力を受け付けない雰囲気を生じさせている障害を取り除いてやることも、われわれには不可能である。


 が、貴殿の真摯なる祈りが大きな力となるであろう。と言って、願い通りになるという意味ではない。病床にある身体を善良なる天使が良きに計らう上での力となるという意味である。そう願って祈るがよい。それが病においても死に際しても強力な援助となろう。すなわち病においては、人間的看護が無力となった時に霊界の専門家が手を施す時の力となろう。患者とのつながりが出来さえすれば、霊はその強力な治癒力によって病状を和らげ、体力回復のための生命力を注ぐことになる。又、死して霊界へ赴くことになれば、尚のこと祈りの力を頼りとして、その霊を受け入れる霊団を差し向け、慣れぬ新しい環境の中での生活を指導してやることが望ましい。

 いずれにせよ、霊界側からの援助を可能にしてくれる人間側の真摯にして積極的な祈念を怠らないでほしい。祈りの実際の威力を知れば、人間はもっともっとそれを活用することになるであろうが・・・・・・。人間が勝手にこうあってほしいと望む通りになるというのではない。待機せる霊が悲しみを慰め、煩悩を和らげ、人間が想像するよりはるかに豊かな恵みをもたらす、その機縁となるということである」


──人間は祈りの効用をほとんど知らずにいます。そのため、確かに、祈ることを怠りがちです。

 「さよう。人間のまわりには善悪さまざまな霊が存在し、未熟な心が未熟な霊を呼び寄せるように、祈りに満ちた心が恵みの霊の援助を引き寄せるものであることを認識してくれれば有難いのであるが・・・・・・」

  その後その女性が他界したので、霊界での様子を尋ねると──

 「彼女は今」、徐々に他界直後のもうろうとした意識状態から回復しつつあるところである。現在の脆弱な状態はここ当分続き、霊的強健さを身につけるまでは、その状態から抜け出られないであろう。養護を必要とする者のために設けられた施設で専門の霊によって看護されているところである。若死にした者、あるいは乱暴な最期を遂げた者の多くは、それ迄生活した地上に近いところに特別に設けられた場所で専門の霊の看護を受けることになる。

 そこは中間境で、そこで休息しながら霊的機能の発達をはかり、不足しているものを補う。どの天体にもそうした境涯があり、弱って居る者、苦しんでいる者、霊的に飢えている者、若くして地上での生命を絶たれた者が集められ、専門霊によって養育と看護とを受ける。向上する準備が整うまでそこに留まねばならない。整った時点でようやく本来の霊格に合った境涯へと赴き、そこで本格的な向上進化のために生活が始まり、次第に発展して行くことになる。嵐の航路の後の休息の港である。その境涯にいる者は地上との交信は許されない。言うなれば〝霊の庭〟かくまわれているようなもにであり、地上の粗野な空気にさらされることは許されないのである。そちらより交霊を求めることは止めよ。その思いは本人にとって障害にしかならぬ。それよりも、守護天使のもとでの順調な回復を祈ってあげることである。

 同じく女性の知人で、やはり最近他界したばかりの人に就いて尋ねると──
 「彼女も、霊界の生活に何の備えもないままやってくる人間の一人であった。彼女の背後霊が申すには、彼女の地上生活は調和と安らぎと喜びに満ちた霊界生活への準備としては気の毒なものだったとのことである。喜びの乏しい、調和に欠ける人生ほど霊性を鈍らせ、餓(かつ)えさせ、憧憬の念を殺ぐものである。

 真の地上生活は調和と愛と進歩の生活である。愛に欠ける生活においては霊は拘束され締め付けられ、そして傷ついていく。地上生活において調和と進歩を得ずに終わった霊が、自分と同じような境遇で苦しむ者のために地上へ戻り世話をするということはよくあることである。

 われわれが思うに、彼女もいずれは戻って来て、霊性の発育を妨げられて冷え冷えとした生活を余儀なくされている地上の魂に愛を温もりを授ける仕事にたずさわることになろう。慰め、元気づけ、天上的な安らぎを注ぐのである。いつの日か彼女は愛の天使となっていくことであろう」

℘193    
 霊と物質について──
 「霊こそ実在である。物質はその霊の数ある現象形態の一つに過ぎない。人間は霊というものを極めて実体の乏しい、蒸気のような無形の存在と考えている。〝モヤ〟がそれを一番よく象徴していよう。が、霊は実態も形状もある実在なのである。従って霊界は実在の世界であり、実態があり、それが物質の内側にも外側にも存在している。その霊の形態もさまざまであり、蒸気のような無形のものから密度の高いものまである。

 霊界は地球全体にくまなく広がっており、全存在に生命を吹き込み、動物、植物、野菜に至るまで存在を与えている。人間が実体があるかに思っているのも、その霊という実在の影にすぎない。霊とは生命であり、実在であり、永遠不滅の根源的要素なのである。

 この霊が人間に宿っているように、すべての物質に宿って生命を賦与している。天体をそれぞれの位置を保たせ軌道上を回転させているエネルギーもすべて霊的なものである。光といい、熱といい、磁気といい、電気というも、たった一つの霊的エネルギーの外皮にすぎない。そのすべてに霊が内在しているのである。物的成分そのものには形態を整える力はない。物質の根源的特質の一つは惰性(みずからは活動しないという性質)である。石切り場の大理石の中から人間の形態をした彫像がひとりで転がり出て来ることはあるまい。

 まず霊による働きかけがあって物質が動くのである。法則というものも、このエネルギーの表現にすぎない。宇宙のいずこを見ても、大は天空を回転する天体から小はシダの植物に至るまで、霊の存在のあかしでないものは無い。それがすべてを動かしており、霊妙な化学的過程によって露、雨、空気、光等々から甘美な分泌液と芳香とを放散させ、かくして自然界を美しく飾っている──それを人間は慣れきっていて不思議と思わぬだけである。

 〝自然〟とは何か、どういう仕組みになっているのか、人間は何も知らずにいる。人間は勝手なものを想像し、それを〝自然〟と呼び、一定の作用をいくつか発見してそれを〝定理〟と呼び、それで事足りれとしている。が、裏を返せば、それは人間の無知の証明に他ならない。

 自然とは霊であり、自然法則も霊的である。あらゆる物的形体は──植物も動物も鉱物も──霊を宿す仮面である。人間も本来が霊であり、霊的なものが肉体を支えているのである。激しい新陳代謝をくり返す細胞の固まりも、霊によって組成を保ち活力を与えられている。霊が引っ込めば腐敗の一途をたどり、他の組成へと変わって行く。霊こそ人間であり、逆の言い方をすれば、人間は霊であるからこそ自然界の全創造物に君臨できるのである。人間は他の創造物が所有していない霊的資質を賦与されているが故に、もっとも進化しているのである」

──すべてが一丸となって秩序ある発達過程をたどりつつあるように思えます。
℘195     
 「無論である! 地球上の物質は、最も単純な組織である結晶から人間に至るまでの、無数の段階をたどっている。岩石や土から植物が成育する。つまり植物的生命が鉱物と入れ代わる。それに感性が加わり神経組織が与えられて、別の高等な有機的生命が生まれ、植虫類(イソギンチャク・サンゴ類)から人間へと進化してきた。一段また一段と進化し、その創造活動の頂点が人間である。人間は神性を宿しているが故に、程度において質においても、他の創造物とは異なる存在である」


 「霊体こそ真の個体である。地上という一時期を、刻々と変化する物的原子をまとって生活するが、それが不要となった時にも霊体のアイデンティティは絶対に不変である。

 われわれの目には霊体は鮮明で何のごまかしも利かない。われわれの視野も行動も地上に存在する物体によって妨げられることはない。人間にとって固いと思えるものも、われわれにとってはスケスケである。地上という一時期を霊体がまとう物的原子は個的存在の本質的要素ではない。地上期間においてすら永続性はなく刻一刻と変化しているが、人間にはそれが知覚出来ない。われわれの視覚は別である。地上的存在特有の物的原子は何の障害にもならない。われわれに見えるのは霊体である」

──霊体は肉体から分離して別個の生活を送ることがあるのでしょうか。たとえば睡眠中などに・・・・・・

 「それはある。霊体は独立した存在である。そして肉体が滅びると異なった環境条件のもとで生活することになる。一般的に言えば、肉体の睡眠中は霊体も休息しているが、眠るということはしない。その間の体験を肉体に戻った時に回想しようとして、それがうまく行かなくて混乱したものが夢である。霊には霊体でみたものすべてが回想できず、精神に印象づけられたものが五感による印象(潜在意識)とごっちゃになり、そこに辻褄のあわない夢が出来上がる。

 その夢の中には霊界での体験を正確に思い出しているものもあるし、予告や警告である場合もある。肉体に宿っている間は霊感が鈍るので、守護霊が睡眠中を利用して警告を与えることがあるのである。霊体に語りかけておいて、それが肉体に戻った時に(潜在意識の中の)他の印象と混同せぬよう保護し、その記憶を鮮明に保つ。こうした場合は正確に思い出せるし、実際によくあることである。が、普通はおぼろげにしか思い出さないものである。

 珍しいケースとして、霊体が特殊な才能を与えられ、高級界へ案内されて本来の住処を見せてもらったり、使命を知らされたりすることがある。深遠な叡智を吸飲して地上へ持ち帰ることもある」
℘197  

(注)──この項で述べていることは三次元の脳を焦点とした意識と、時空を超越したいわゆる異次元世界での霊的意識との関連性に言及した重大なもので、死後存続の事実の得心は煎じ詰めればその関連性の理解に尽きると言ってよい。コペルニクスが地動説を思いついたきっかけは自分の位置を頭の中で太陽へ持って行き、そこから地球を眺めたことにあるという。死後存続も自分を霊の世界へ持って行き、人間は本来が霊的存在であって、それが一時的に物的原子をまとっているにすぎないと考えれば、あっさりと片付く。

オリバーロッジの『幻の壁』の中に次のような一節がある。〝われわれはよく肉体の死後も生き続けるのだろうかという疑問を抱く。(中略)私に言わせればこうした疑問は実に本末を転倒した思考から出る疑問に過ぎない。と言うのは、こうして物質をまとってこの世にいること自体が驚異なのである。これは実に特殊な現象というべきである。私はよく、死は冒険であるが楽しく待ち望むべき冒険である、と言ってきた。そうに違いないのであるが、実は真に冒険というべきはこの地上生活の方なのである。地上世界というのは実に奇妙で珍しい現象である。こうして肉体をまとって地上へ出てきたこと自体が奇跡なのだ。失敗する者が幾らでもいるのである〟

 インペレーターは幽体離脱という用語を用いていないが、それは当時まだ心霊学がそこまで発達していなかったということである。末尾で〝珍しいケースとして〟と述べているが、将来はこれが人類にとって〝ごく当たり前のこと〟となる時代が来るに違いない。☆


 死後の霊体の変化について──

 「地球圏を離れたあと霊体は浄化の過程に入り、その過程の中で死に似た変化を幾つも体験する。肉体を捨てた霊体が形体は同じでも肉体より洗練されているごとく、魂が向上すると、それまでの霊体を捨てて、さらに洗練された霊体に宿ることになる。かくして洗練の過程を続けて、ついには超越界へ突入するに相応しい段階に至る。そこに至るまでには霊的に合わなくなった身体を捨てて新しい身体をまとうことの繰り返しである。その度に死に似た変化が伴う。

 肉体から離れるとすぐ霊は新しい環境から必要な要素を摂取して、肉体とそっくりの霊的身体をまとう。ある意味では霊はつねに物的身体に宿っていると言っても間違っていない。その物的要素が人間の五感に感応しない性質であるというだけである。人間にとって物質が実感があるように、われわれにとってはそれを実感をもって感識出来るのである」


 ドクターに代わる。
 「真の自分である霊体は、地上生活という一時期を、絶え間なく変化する物的原子をまとって過ごします。地上教育の過程を終了すると物的原子は捨て去られます。その時がいわゆる〝復活〟です。蘇り──物質に閉じ込められていた個性の」蘇生、つぼみの発芽、幽閉され拘束状態にあった霊の解放──それも永い永い眠りの後の遠い未来の話ではなく、即時・即刻に行われるのです。

 キリスト教徒が、見当違いとはいえ、毎年イースター(復活祭)を祝うことには不滅の真理が内在しております。ただ人間は、愚かにも、いったん朽果てた肉体がふたたび修復され、蘇生されて、完全な元通りの身体になると想像し、そうして説をでっちあげる中で肝心な真理を見落としてしまいました。部分的にはそれに近いものを含んでいますが・・・・・・

 肉体はいったん自然界へ戻ってしまったら最後、二度ともと通りにはなりません。消散してしまえばそれ切りであり、、いずれ将来は別の物的形態の構成要素となる。キリスト教で説くような復活はありません。人間にはもう一つの身体があるのです。霊的身体です。それを人間は忘れています。本当の時分であるその霊体が地上から蘇生して、本来の住処へと運ばれるのです」


──キリストの場合はどう解釈したらよいのでしょうか。
℘200
 「死後に見せたあの姿も霊体だったのです。それを肉眼で見える程度まで物質化して見せたのです。肉体は絶対に蘇生しておりません」


 死後の向上・進化についての質問にインペレーターが答える。

 「宇宙の全存在が着実に進化しているか、さもなくば退化しているかのいずれかであることは貴殿も理解していよう。地上に生を受けた霊は、肉体に宿ってのその間の行為によって、死後、然るべき境涯に落ち着く。すなわち善なる行為をしたか邪なる行為をしたかによって、高い界へ行く者もおれば低い界へ行く者もおり、又、同じ界でも高い境涯に置かれる者もおれば低い境涯に置かれる者もいる。

 さて、落ち着くべき所に落ち着くと、教育を担当する指導霊によって地上時代の誤った概念が一掃され、犯した罪悪についての内省を迫られ、それがもたらした結果に対して責任を取りたいという欲求を持つように導かれていく。これが進化の第一歩となる。そして浄化はさらに続き、より高い境涯へ進むと、そこで又新たな浄化作用が行われ、こうした過程が続けられていくうちに、ついに〝浄化〟の境涯を通過して、今度は〝教育〟の境涯へと入って行く。

そこで一段と進んだ知識が授けられる。魂は一段と洗練され、ますます物的要素(後注)を振り落とし、さらに高度な純化の過程を経ることになる。この過程は物的要素が完全になくなるまで続けられる。そして、いよいよ超越界、〝無〟の境涯へと突入して行く。そこでわれわれの視野から消える」


 (注)──ここで言う〝物〟は地上の物質のことではなく、霊が使用する形態のことである。霊が〝有〟の現象界に存在を持つためには何らかの形態(もの)を必要とする。それが無くなれば霊のみの〝絶対無〟の世界の存在となる。☆


──それから先どうなるかはご存知ないわけですね? 個的存在(アイデンティティ)を失うのでしょうか。

「それはわれわれにも分らぬ。当然のことながら人間が個的存在という用語から連想するものを多く失うことであろう。一個の人物から連想する形態を失うことであろう。霊はそれに比例して向上し、いよいよ光明と叡智の大根源に融合して行くことであろう。

 われわれに分かるのは、神へ向けての絶え間ない進化が霊性をいやが上にも神の霊性に近づけ、最後は文字どおり〝神の子〟となる──神のごとく純粋、神のごとく無垢──さよう、神の無限なる完全性にある程度まで匹敵する完全性を身につける、ということだけである。これがわれわれの栄光の未来像(ビジョン)である」


──生命の究極の目的が大根源への没入であるとすれば、それまでの努力は空しいものに思えるのですが・・・・・・

 「生命! いったい貴殿は、生命についてどれほど知ったつもりでいるのであろうか。その真実の意味が貴殿の中では、哀れなほど短い地上的生命にとらわれてケチ臭きものとなり果てている。超越界に至るまでの数々の境涯における生命の栄光ですら言語に絶するものを、生命の大根源における栄光が貴殿のどれほど知れようぞ!

 すべての束縛から解放された霊が、神々しさと崇高さに満ちた霊との交わりの中で生活する高き境涯での生命活動が貴殿にどこまで想像できよう。ましてや、さらに荘厳さを増した超越界の生命活動、何もかも地上と正反対の世界、一切の形態による束縛から超脱した世界、真実の叡智の大道が無限に延び、〝自己〟その他、とらわれるもの一切が永遠になくなった世界、個人的存在、人物像、その他〝個〟の観念のまとわりつくものすべてが永遠に消滅した世界、そうした世界がどうして今の貴殿に想像できよう。

 そして、もしも有限なる精神には理解できぬ無限の時がついに尽き果てるとき──有限なる叡智の泉が空となり、霊が感覚のすべてを体験しつくし、努力と苦悩を通して完全無欠となり、神の栄光の相続権を手中にし、完成せる霊のみの住処にて神と存在をともにする資格を得るに至る──その没我の時がかりに貴殿に寂滅と思えようと、個的存在の喪失と思えようと、あるいは永遠なる真理の太陽への没入と思えようと、それが今の貴殿に取りて何の意味があろう。せいぜい、その真理の太陽に目を眩まされぬよう、目を伏せるがよい。

 信じられよ──果てしなく続く生命の旅路において獲得せる叡智は、それまでの努力を償いて余りあるものであることを」


インぺレーターの祈り

 永遠なる父よ! 至高にして全能なる神よ! 待ちこがれる子等に愛の心を注ぎたまえ。御身と、御身の直属の天使と一体たらしめんがためでございます。

 真理の神よ! 御身のものであり御身より出でる真理を求めて歩む子等が、最後まで挫けることのなきよう、気概を与えたまえ。

 不変にして永遠なる神よ! 子等に熱誠の精神を授けたまえ。不撓(ふとう)不屈の目的意識をもって永遠の光明の泉たる御身へ向けて向上せしめんがためでございます。

 至純なる霊よ! 何とぞ子等に汚れなき清純さを保たせたまえ。思念を浄化し、動機を清め、願望を高めさせたまえ。

 叡智の霊よ! 子等の叡智と知識を増し、さらに多くを渇望するよう導きたまえ。

 恵み深き神よ!子等に取りて益ありと見なされる恵みを限りなく注ぎたまえ。

 子等の過ちを取り除きたまえ。真理への愛を強めたまえ。叡智を吹き込みたまえ。慈愛を注ぎたまえ。進歩を促したまえ。子等の一人ひとりに、それなりの資格において、われら使者とともに御身への讃仰の聖歌に加わらしめんがためでございます。

 至高にして至聖、愛の権化たる御身に、栄光と尊厳と崇拝の念を捧げ奉ります。

シルバーバーチの霊訓(二)

Guidance from Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell



二章  宿命と自由意志

 ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗った後、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。

 「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶お言葉として述べているのではありません。

実際の事実を述べているのです。決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。

 困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びも共に味わって一増大きくしてあげることも出来ます。

 いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリとみた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが・・・」


 続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏は後にサイキック・ニューズ社の事務長になっている──訳者)二人は最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会を持つ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。


 「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさってください。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時は必ず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時は周りの条件が整わなかった時でした」

 ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、今度はこの若いカップルに向かってこう語った。

 「人間生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間として個性を存分に発揮するようになるのは、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。

 物質世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。

 肉体と精神と霊──この三つは一つの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその三つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。

お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。

 残念ながら二つの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。二つの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である〝愛〟に動かされていないためです。

 私の知る限り愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪なものが降りかかることを望みません。

お二人が愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終わったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。

 お二人は終わりのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしてお二人が愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。

 ですから私も〝この二人に祝福あれ〟などと申し上げる必要がないわけです。祝福はお二人を結びつけた愛の力によって既に成就され、お二人の前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。お二人を結びつけた霊的知識に感謝すべきです。

真の結婚、永続的な結びつきは、二つの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。

 力と導き、霊感と叡知が常にあなた方の周りにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、お二人に忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近なものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。

 まさしくあなた方お二人は一体です。前途に横たわる人生には祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。

が、お二人はきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、一人では苦しいことも、二人で対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。

 こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。

 それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。

霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富──神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。

 若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」


 同じ交霊会にもう一つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が二人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。

 「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。二つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。

 お二人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお二人を包み、時の経過と共にますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。

 地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう。


 すると奥さんの方がこう述べた。

 「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」

 「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。

これまでたびたび述べてきたことなので皆さんは直ぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私達は、その〝たった一人であっても〟を〝大勢の人々〟に置きかえることができます。

 どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野を持ち、世の中には素朴な霊訓の一言が啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」


 別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。

しかし夫を失った今は息子と二人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか、偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。


 「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とを持って対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。

そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。

 弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。

 あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。

 私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。
 
 でも感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。ご主人はもともとそういう方ではありません。

何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」


 「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。

 「愛の念を送ってあげて下さい。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。

 でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感──地上的な意味での安心感ではありません。

この世的なものは一時的で永続きしませんから──霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。

つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開けゆく道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明るく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持ちでいっぱいです」

 「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、
 「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。

 「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨げます。心配すればするほど──あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話です──あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」

 そこで列席者の一人が「ほとんどの人間がそのことに確信が持てないのです。何も分からず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、

 「おっしゃることは判ります」しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信を持って皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。

 人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。

 するとさっきの婦人が「でも私達には不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、

 「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」

 ここで列席者の一人がこう意見を述べる。

 「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」

 「私は私の知り得た限りのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が〝凡人〟と呼ぶ程度の人々と接触出来ないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染んでまいりました。

あなた方お一人お一人の身近にいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってご覧になれば、何一つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。

心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こし得ないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。

 私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。

あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意を持ってこの仕事に携わる者が、後で後悔することは絶対にありません」


 こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね・・・・・・」と言うと、婦人も、
 「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。

 「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんと一緒に仲良く暮らしておられます。いかがでしょう。私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話していませんね」

 「いえ、とても勇気づけられました」

 「あなたも私たちの仲間のお一人です。必要とあればいつでもお側に参ります。私には大勢の仲間がおり、その一人一人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終わった後、あなたは決して〝手ぶら〟でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙で最も貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」

 「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」

 「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分今の状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。ご主人はあなたが動揺したり躊躇したり疑ったりしない人間であってほしいのです。

ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を〝安心〟の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」

 この未亡人との話がもう少し続いた後、一人の列席者の質問から話題が〝因果律〟と〝偶発事故〟の問題へと発展していった。
 

問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」


答 「代価は必ず払わされます」

 「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」
 「悪事の報いから逃れる者はいません」

 「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」

 「なりません」
 「どうしてでしょう」

 「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為し得ることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意の出来た魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。

心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんの僅かしか顕現されていないケースが余りに多すぎます」

 「でも、やはり心霊治療によって、たとえば一か月患うべき者が一週間で済むということになるように思います」

 「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することは出来ません。

霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することは出来ません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」

 ここで先ほどの未亡人が尋ねる。

 「絶対にですか」
 「絶対に起きません。あなたが今何を考えておられるか、私には判っています。でも、全ては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にも更に別の次元の法則があります」

 「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」

 「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです」

 「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」

 「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」
 「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない──この考え方は考えすぎでしょうか」

 「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命───こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。

宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」

 「判ります」
 「さて、ご主人はあの日地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」

 「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」
 「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」

 「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」

 「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本原理に必ず帰着します。

でも、あなた方も神です。つまりあなた方一人一人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担う事ができるということです。

一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」

 「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」

 「それは、その時点における魂の進化の程度が問題となります」
 「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」

 「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。

炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという〝知識〟があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。

私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」

 「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」
 「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡知も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。

法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」

 「要するに私達は地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」
 「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人の為に使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕の為に使用する義務があります。それが取りも直さず自分の魂の向上につながるのです。

他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」

 「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」
 「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがいのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分で鍛え、自分で進化させるのです」今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。

私はこれまで私が知り得た限りの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢えて断言しますが、いま私が述べたことは、不変・絶対の真理です。

 人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」

シルバーバーチの霊訓(二)

Guidance from Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell


まえがき

 ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名告る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のための人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。

 シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。

 こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第二次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如のために、差し出した友愛の手が拒絶されている。

 思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。

 いわゆるハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広めるために他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。

 この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は一度もその交霊会へ出席したこともなければ、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。

 それに対してシルバーバーチは いつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れないほどの人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、その一つとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。

 まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許しください」との書き出しで自己紹介し悩みを披歴した後、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。

 「・・・それを読んで私は、これでやっと真理探究の目的地に辿り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ! と思ったのです。あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私のすぐ側にいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じたほどです。

私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それほどの緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。

 私がこうしてお便りしたのは果たしてそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きするためです。この遠きアフリカにいる私ごとき者にお教えいただけますでしょうか。私に代ってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良すぎるでしょうか(後略)」

 この手紙は已むを得ない事情で到着が遅れはしたが、私たちの催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終わったシルバーバーチはこう語った。

 「この方にこうお伝えください。大いなる勇気を持つこと、大自然の中に生きその変転極まりない現象に接してきた人間ならその背後に法則が存在することに気づいておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。

神は大自然のすみずみまで配慮し無限の変化を律している如くに、人間の一人一人にもそれなりの備えを用意して下さっております。

 過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処できるよう、力と安らぎを求めて祈ることです。

 またこうお伝えください。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰を持つ人の愛に浴していることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。

静かに己を見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤も終わりを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝えください。そしてこう言い添えて下さい。─── 挫けてはいけない。怯んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と。」


 このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。

 「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表したらよいか、言葉もありません。心の奥深く染みる思いが致します。きっと喜んでいただけることと思いますが、スワッハー氏にはじめてお手紙を差し上げて以来私もずいぶん進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。

願わくば私に代ってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝えいただき、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘いただいた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝えいただければ幸いです。」
 

 そしてシルバーバーチを〝素晴らしき霊〟と呼んで、こう結んでいる。

 「私が怏々(おうおう)として長年求めてなお得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。

この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同いただけるものと確信致します。そのようにお伝えいただけますでしょうか。」


 この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。

 「魂が目を覚ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えてください。彼が暗闇の中から這い出て光明を見出したように、つまり己の誤りから長い間苦悩の道を歩んだ後に真理を見出したように、今度は他人にそうしてあげなければならない。

即ち人生の不安を和らげ未だ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。その人の体験を単なる結果として終わらせずに誘発剤としなければならない───つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝えいただきたい。

いま献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さんともども、叡智の光の流れ出る泉となし、今なお暗闇にいる多くの人々にその光に気づかせていただきたい。そうすることが二人してその灯台を築かれた努力が報われるゆえんとなることでしょう。」


 シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏れ多いほど高い霊格の持ち主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。

慈悲心と情愛の固まりのような方である。それというのもシルバーバーチの使命が私たち地上の人間の弱点と欠点とに深く関わりあう性質のものだからであろう。しかし曽て一度たりともシルバーバーチが人を咎めるのを聞いたことがないのである。

 シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧さや取りとめのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とはまったく異質の存在であることが私にはよく判る。

 シルバーバーチは可能な限りいつでもどこでも援助の手を差し延べてくれる。私も曽て困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成るほどと得心がいくのである。

 心温まる親しみを込めた勇気づけをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。たとえば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。

 晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、

 「あなたのお父さんにとって死後の存在はごく当たり前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。

 「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと
 「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着を持っておられました。お父さんが目覚められるとすぐ私は弟さんが立って見ている側でお父さんの手を握りしめて〝ようこそ〟と語りかけました。(弟は第一次大戦で戦死)お父さんは私たち二人を見てはた目も構わずほろほろと感激の涙を流され、その身体───晩年より大きくなっておられます───を震わせておられました。」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。

 「あなた方地上の人間には霊の世界の真実の相は想像できません。私がどう伝えても、それより遥かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が表われるでしょう。

それより、お母さんもそう長くあなたと一緒に暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遥かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります。」(母はこのメッセージの後二、三カ月で他界した。)

 このようにシルバーバーチは全ての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。

 そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。

 「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です。」
 そのシルバーバーチがこうして地上に戻ってきた動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し伸べること───これに尽きる。
          一九四九年 シルビア・バーバネル

   
 一章 人のために役立つことを

 〝新聞界の法王〟の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏 Hannen Swaffer がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している。

         ※       ※       ※
      
 自分を人のために役立てること──これが繰り返し説かれ強調されて来たシルバーバーチの教訓の〝粋〟である。それを折あるごとに新たな譬えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。われわれレギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰り返し聞かされて来たことであるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である。

 数日前も私は三人の知人を招待した。三人ともシルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの一人は爵位をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の頭初からシルバーバーチが夫人の心を読み取っていることを思い知らされた。

 「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられてきた説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えて是非ともこのスピリチュアリズムの知識が必要であることを痛感されました。そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました」

 「おっしゃるとおりです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

  「あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。人のために尽くそうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。永遠に変わらぬものは〝愛〟です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。


 私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。それがあなたを通じて他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります」


 ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。

 ですから、少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。

どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判っていただけないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡知と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そして、いずれおやりになることでしょう」
 
 もう一人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘らせることが夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。

 シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差しかかるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売という人がいるかも知れないが立派に神の計画の一翼を担っていること、そして彼の動機の崇高さの故に何物も阻止しえないことを説いてからこう語る。

 「私には人生に疲れきった人間の数々──生活は暗く、あたかも霧と靄の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差し伸べようと願っているのです。

あなたには今心で願っておられることを成就するチャンスがあります。怖れることなく、そして立ち塞がる困難に惑わされることなく、あなたがこれまで少なくとも三度試みられたことを今一度試みていただきたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思えることも、近づいて行けば雲散霧消します。


 忘れないでください、あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹きを与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極小極大を問わず全存在に生命を与えたのとまったく同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進むことです。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます」

 三人目の招待客は右の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチからお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチはこう語りかけた。

「あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお一人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて、今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこには憎しみの念などひとかけらもありません。愛と哀れみの情が溢れております。

 そのあなたに大切な仕事があります。私が申し上げることは、まっしぐらにその道を進むこと、それだけです。生命、愛、記憶、意識──こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転してあなた方を援助してくれます。あなたのこれからの人生にも期待できることが大いにあります。自信をもって邁進なさることです」

 その秘書が謙虚に「私は本当に無力なのです」と述べると、シルバーバーチはこう語った。 
 「ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性よりも情緒によって支配されるために弱い面があります、しかしそれは決して悪いことではありません。それだけ感受性が強いということだからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働き掛けに敏感であり、影響を受けやすいということになります。

 その点男性は余り情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識出来ないのです。

 むろん女性が情緒的であることにもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまうことです。しかしそれも身体にはない魂の属性の一つであることに変わりありません」

 
 交霊会を閉じる直前にシルバーバーチは今自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の一人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の一人で最初に紹介した婦人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った。

 「ハーディ氏は偉大な霊の一人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸進的なものであることを覚悟しておられるからです。

氏は庶民が一段また一段と生得の権利の獲得を目指して梯子を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できるものは無いと氏は信じております。

 庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。なぜなら、いかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙してその生得の権利を奪うことは許されないからです。一時的には神の計画を邪魔することはできます。

しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ず勝利を収めます。ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具であることを銘記しましょう」そう述べてから、いつものように締めくくりの言葉に入った。

 「常に崇高なる目的のためにわれわれを使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬようにいたしましょう。常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心をわが心といたしましょう。そうすればわれわれが神の意図された通りに努力していることを自覚することでしょう。神の御恵みの多からんことを」

 かくして人のために尽くさんと心がけている人々が心を新たにし、勇気を新たにして会をあとにする。


 以上がハンネン・スワッフハーによるある日の交霊界の描写である。〝人のため〟という教えはシルバーバーチが繰り返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている。
 
 「私たちが説く全教説の基調は〝人のために己を役立てる〟という言葉につきます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

 私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。

 地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれつの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。

性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

 霊的な仕事に携わる人たち、己れの霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知るでしょう。

なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。

 こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵──改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

 私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させることです。一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的〝宝〟、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。

無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡知の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

 神から霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を坐視するわけにはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

 それは大変な仕事です。そして、あなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明けです。その恩恵の全てに浴したければ、真理の受け入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きることです。


 獲得した知識は着実に実生活に生かして行くように心がけましょう。その知識全体に行きわたる霊的理念にそって生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人から成るほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

 そう努力することが又、より大きな叡知、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを得ることになるのです」

 別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。叡知も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。
 続いてシルバーバーチはリラックスすることの効用を次のように説く。

 「リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返ることとは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与えることです。

 あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にすることと言えばただ忙しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて、あたら貴重な時間を費やしています。

そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡知と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されることを待ちうけているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです」


 ここで曽てのメンバーの一人で理由(わけ)あってしばらく欠席し、この度何年振りかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変わらず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変わっていないことを述べると、

 「おっしゃる通り私は曽てと同じ霊であり、説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間は曽てとは同じではありません。常に変わりつつあり、叡知の声に耳を傾け霊の力を受け入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました」

 そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる。


 「私の力でそうなったのではありません。そんな大それたことは私は申しません。むろん私も私なりに貢献しているでしょう。でもそれは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のほんの小さな一部にすぎません。これまで成し遂げた進歩は確かに驚異的なものがあります。しかし、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです」


 さて、シルバーバーチは自分が霊界のマウスピース(代弁者)にすぎないことをよく強調する。

 「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信を持っております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。

というのは私自身はただの道具にすぎない──私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。が私はその援助の全てを得て、思う存分に仕事をさせてもらえる、その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。
 
 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っておればよいのです。威力と威厳に溢れたスピリットの集団なのです。

進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです」


 会を閉じるにあたってシルバーバーチは次のように語った。

 「私達は深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆を取り戻したことをうれしく思います。人のために己れを捧げる者は必ず報われます。

 この集会には真剣な目的が託されていることを忘れてはなりません。人類の行く手に横たわる危険な落とし穴を教えてあげる重大な任務を帯びているからです。人生に疲れ、あるいは迷う人々の心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。


 困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげることができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教えることができます。

そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。

 それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません」

Thursday, September 24, 2026

シルバー・バーチの霊訓(一)

Guidance from Silver Birch

Edited by Anne Dooley





第十二章  シルバーバーチの祈り

 ハンネン・スワッハー・ホームサークル、すなわちシルバーバーチ交霊会はきまってシルバーバーチの祈りの言葉で始まり、終わりも必ずシルバーバーチの祈りの言葉で締めくくられる。祈りの内容は大同小異であるが、その表現は一つひとつ違い、出席者はその妙味に感嘆させられるのが常である。その中から典型的なものを紹介する。

 神よ───天地の創造主、至尊至高の絶対的な力、全存在の宿命の統括者にまします神よ、私たちはこれまであなたの得さしめ給いし全てのものに対して深甚なる感謝の意を表明いたします。

 私たちの為に暗き道を明るく照らし給いしその光、あなたを、そして私たち自らをより深く理解させて下さったその知識、そして私たちを栄光と光輝とによりて温かく包んでくださったその叡智に対して深く感謝いたします。

 私がこうして存在することの真の理由、宇宙人生の背後に秘められた真の目的を啓示され給い、日夜私たちをお導きくださるその愛に深く感謝いたします。

 また、私たちのために真理普及の道を切り開いて下さった先達の数々、地ならしをして下さった開拓者の数々、悪戦苦闘した改革者たち、その他、宗教家、哲学者、賢聖 ───そのうちのある者は地上にては名も知られず、死して漸くその偉大さを認められ、あるいは死後もなおその偉大さを気づかれずにおりますが、こうした人々の全てに対しても深い感謝の念を禁じ得ません。

 これまでにあなたより授けられた恩寵に対し厚く御礼申し上げます。皆々と共に感謝の言葉を捧げるとともに、代わりて私たちがあなたの御力の通路となり、あなたの御計画推進の一翼を担い、御子たちのために役立つことができますよう導き給わんことを。

 ここに、ひたすら人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。


 (注釈──祈りの初めあるいは途中で神に呼びかける時、シルバーバーチは必ず Great White Spirit という言い方をします。普段の霊言の中では神のことを Great Spirit ── 時に God──と言っており、これを文字通りに訳せば〝大霊〟ということになります。

われわれ一人ひとりが〝霊〟で、その生みの親である神を〝大霊〟というのは理屈では分かりますが、これでは日本人にとって古来〝神〟という文字およびそれを口にした時の響きから受ける崇敬の念が感じ取れません。そこで私はこれまで、ある時は神と訳しある時は大霊と訳したりしましたが、

これにさらに White という形容詞が付くと、もはや日本語では訳せなくなります。と言うのは、シルバーバーチはホワイトという用語を〝無色〟の意味で用い、それによって〝無垢〟を象徴させているのですが、英語ではそれで良いとしても、これを〝白い〟とか〝白色の〟とか〝無色の〟とかの日本語に直すと、日本語特有の感覚的な〝味〟が強く出て理解の妨げになります。

 その点、カミと言う言葉は、言霊的にみても響きの上からもシルバーバーチの説く God あるいは Great spirit とぴったりであるとの考えから、私は祈りの冒頭の Great White Spirit もあっさりと〝神〟と訳しました。

 また、シルバーバーチは祈りの最後に必ず〝あなたの僕インディアン〟your Indian servant と言うのですが、このインディアンがシルバーバーチ霊その人でないことは「まえがき」で編者がハンネン・スワッハーの言葉を引用して解説しています。

しかしこのインディアンの霊も紀元前の古代霊であり、神界 ── 少なくとも地球圏の最高界 ── の波長を受信できるほど進化した高級霊であることは間違いありません。

霊界の霊媒として元インディアンだった霊を使ったことには、インディアンが民族的に心霊能力が優れていることも理由の一つでしょうが、私は、これまで白人中心の文明思想に毒されてきている地球人類への戒めが込められていると観ております。それはシリーズを読み通していただけば、きっと読み取っていただけるものと思います。)



 訳者あとがき 

 本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーの一人アン・ドゥーリー女史が編纂した Guidance from Silver Birch(シルバーバーチの導き)の全訳である。

 巻頭で紹介したように、霊言集は十一冊あり、一冊一冊に編纂者の特色が出ていて興味ぶかい。交霊会は開会の祈り──講話──質疑応答──閉会の祈りというパターンになっているが、その質疑応答は主に招待客との間で行われるから、そのつど新鮮味があり、シルバーバーチも巧みに質問者に合った説明をするので聞く者を退屈させない。

その相手が著名な学者であることもあれば、心霊研究家や心霊治療家であることもあり、青年牧師である場合もあれば、幼い子供たちであることもあり、それが霊訓の内容を多彩なものにしている。

 本書に収められたのは大部分が講話の部分であり、質疑応答も割に平凡なものを一つの章にまとめており、全体としてみればシルバーバーチ霊訓のエキスのようなものになっている。『古代霊は語る』を読まれた方には少し物足らなさを感じられるかもしれないが、シリーズである以上は全体としてのバランスを考えねばならず、その意味で、本書は初めての方にとって格好の〝入門書〟であるとみて選んだ。

巻末の「霊的啓示の系譜」はこれに物足らなさを感じられる方への配慮と受け取っていただきたい。              
                                近藤 千雄
                           

  
  解説  霊的啓示の系譜

 歴史的に辿れば、人類全体としての啓発に寄与するほどの霊的啓示は、各民族個有の宗教の起源となった聖典に求めることができよう。モーセの「十戒」、キリスト教のバイブル、イスラム教のコーラン、仏教の原初仏典、日本の古神道の原典等がその主だったものと言えよう。

 これらの中でも日本の古神道いわゆる神ながらの道の思想は人工的夾雑物が少なく、自然で、最もスピリチュアリズム的要素に富んでいるというのが、長年各種の霊界通信に親しんできた筆者の私見であるが、問題はいかなる啓示もその起源においては霊的であっても、時代とともに人間的主観によって歪められていくということである。

 〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて今なお欧米においてロングセラーを続けるモーゼスの『霊訓』の中で、イムペレーターと名のる最高指導霊(実は旧約聖書に出て来る預言者マラキ)がこう述べている。

 「・・・・・聖書(バイブル)に記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大なる霊の数々がある。彼らは地上にありては真理と進歩の光として輝き、地上を去りて後は後継者を通じて啓示をもたらしてきた。

その一人──神が人間に直接的に働きかけるものとの信仰が今より強く支配せる初期の時代の一人にサレム(現在のパレスチナの西部にあった古代都市)の王メルキゼデクがいる。

彼はアブラハムを聖別(聖なる目的に使用するために世俗より離す)して神の恩寵の象徴による印章を譲ったのだった。これはアブラハムが霊力の媒体として選ばれたことを意味する。当時においてはまだ霊との交わりの信仰が残っていたのである。彼は民にとりては暗闇に輝く光であり、神にとりては民のために送りし神託の代弁者であった。

 ここで今まさに啓発の門出に立つ汝に注意しておくが、太古の記録を吟味するに当たりては事実の記録と単なる信仰の表現にすぎぬものとを截然と区別せねばならぬ。初期の時代の歴史には辻褄の合わぬ言説が豊富に見受けられる。

それらは伝えられるがごとき秀でた人物の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれし時代の伝説的信仰の寄せ集めに過ぎぬ。

それ故、たしかに汝らの聖書と同じくその中に幾ばくかの事実はなきにしもあらずであるが、その言語の一つひとつに無条件の信頼を置くことは用心せねばならぬ。」

 こう述べた後、キリスト教を例にしてその啓示の系譜を明らかにする。

 「メルキゼデクは死後再び地上に戻り、当時の最大の改革者──イスラエルの民をエジプトより救出し、独自の律法と政体を確立せる指導者──モーセを導いた。


霊力の媒介者として彼は心身ともに発達せる強力なる人物であった。当時すでに、当時としては最高の学派において優れた知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していた。人を引きつける彼の強烈なる意志が、支配者としての地位にふさわしき人物とした。

その彼を通じて強力なる霊団がユダヤの民に働きかけ、それがさらに世界各地へと広がっていった。大民族の歴史的大危機に際し、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法律と規律を制定した。

その時代はユダヤ民族にとりては、他の民族も同様に体験せる段階、そして現代も重大なる類似性を持つ段階、すなわち古きものが消えゆき、霊的創造力によりて全てのものが装いを新たにする。霊的真理の発達段階であった。

 ここでもまた、推理を誤ってはならぬ。モーセの制定する律法は汝らの説教者たちの説くがごとき、いつの時代にも適応さるべき普遍絶対のものにはあらず。その遠き古き時代に適応せるものが授けられたのである。

すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであった如く、神の使途によりて霊的能力に富む者を介して授けられたのである。

      (中 略)

 今日なお存続せるかの「十戒」は変転きまわりなき時代のために説かれた、真理の一面にすぎぬ。もとより、そこに説かれたる人間的行為の規範は、その精神においては真実である。が、すでにその段階を超えたる者に字句どおりに当てはめるべきものにはあらず。かの十戒はイスラエルの騒乱から逃れ、地上的煩悩の影響に超然たるシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団より授けられたのであった。

(中 略)

 メルキゼデクがモーセの指導霊となりたるごとく、そのモーセも死後エリヤの指導霊として永く後世に影響を及ぼした。断わっておくが、今われらはメルキゼデクよりキリストに至る連綿たる巨大な流れを明確に示さんが為に他の分野における多くの霊的事象に言及することを意図的に避けている。

またその巨大な流れの中には数多くの優れたる霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最小限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去りたる後もなお地上へ影響を及ぼし続けている事実を強く指摘せんとしているのである。他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理の普及のための中枢が数多く存在した。

がそれは今の汝にはかかわりはあるまい。イエス・キリストに至る巨大な潮流こそ汝にとりて最大の関心事であろう。もっとも、それをもって真理の独占的所有権を主張するが如き、愚かにして狭隘(きょうあい)なる宗閥心だけは棄ててもらわねばならぬ。」 

 さてスピリチュアリズムは、人間が知性の飛躍的発達とともに霊的なものに背を向け、物質文明へ向けて急旋回し始めた十九世紀半ば頃勃興し、今日までに数多くの珠玉の霊的啓示を入手することに成功している。その代表的なものが右に紹介した『霊訓』並びに『続霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』並びに『個人的存在の彼方』であり、

オーエンの『ベールの彼方の生活』であり、フランス人アラン・カルデックの編纂になる『霊の書』並びに『霊媒の書』であり、そしてこの『シルバーバーチの霊訓』全十一巻である。

 以上は比較的長文のものを拾ったまでで、小冊子程度のものまで数えれば、それこそ枚挙にいとまがないほどであり、内容的に貴重なものも少なくない。

もっと言えば、立派な通信を入手しながら、さまざまな事情から公表をあきらめたものもあるであろう。筆者がそう推測する根拠は、オーエンが『ベールの彼方』を刊行するまでの経緯にある。その「まえがき」の中でこう述べている。

 「さて〝聖職者というものは何でもすぐに信じてしまう〟というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど〝信仰〟というものを生命とする職業である以上、そういう観方をされてもあながち見当違いとも言えないかもしれない。

が、私は声を大にして断言しておくが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。

ちなみに私が本通信を〝信じるに足るもの〟と認めるまでにちょうど四分の一世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際に存在することを認めるのに十年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っていることを明確に得心するのに十五年もかかった。」

 国教会の牧師だったオーエンはこれを出版したことで教会長老の怒りをかい〝回心〟を求められたが頑として聞きいれず自ら辞職している。可能性としては身の保全のためにそれを公表せずに焼却処分にすることも有り得たわけであり、現実にそうしたケースが他にいくつもあったであろうことは十分に推測される。

 さて『霊訓』の一節に人類の進歩とともに啓示の内容も進歩するという件りがあるが、右に紹介した霊界通信に絞ってみてもそれがうかがえる。例えば『霊訓』の中においては〝再生〟の問題は一切見当たらず、モーセの死後に編纂された『続霊訓』の中に僅かに散見される程度である。この続編はモーセの恩師であるスピーア夫人が審神者となって得た霊言を主体に収録されているが、その中に次のような箇所がある。

 「霊魂の再生の問題はよくよく進化せる高級霊のみが論ずることの出来る問題である。大神のご臨席のもとに神庁において行われる神々の協議の中身につきては、神庁の下層部の者にすら知ることを得ぬ。正直に申して、人間にとりて深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その一つが霊魂の究極の運命である。

神庁において神議(はかり)に議られしのちに、一個の霊が再び地上へ肉体を持って生まれるべしと判断されるか〝否〟と判断されるかは、誰にも分からぬ。誰にも知り得ぬのである。守護霊さえ知り得ぬのである。すべては良きに計らわれるであろう。

 すでに述べたごとく、地上にて広く喧伝されている形での再生は真実にはあらず。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とをもちて地上に降り人間と共に生活を送ることはある。他にもわれわれなりの配慮により広言を避けている一面もある。

まだその機が熟していないからである。霊なら全ての神秘に通じていると思ってはならぬ。そう広言する霊は自ら己れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならぬ。」

 これはイムペレーターの霊言である。末尾の〝他にもわれらなりの配慮により云々…〟という言葉からうかがえるように、再生は〝あるにはある〟といった程度に止めている。

 これがほぼ半世紀後に出たシルバーバーチになると、再生を魂の向上進化の絶対的条件として前面に押し出し、〝人間の言語ではその真相はうまく伝えられないが・・・〟と断りつつも、その目的と意義を繰り返し説いている。

本書(アン・ドゥリー編)では再生に関する具体的な霊言は採録されておらず、僅かに第十章の「質問に答える」の中で簡単に触れているだけであるが、他の十巻の全部で詳しく説かれている。

 霊媒のモーゼスもバーバネルもともに英国人である。英国において同じくイエス・キリストを霊的源流とする二つの霊的啓示が、一方は〝まだその時機でない〟という態度を取り、他方が〝今こそその時機である〟という態度で臨んでいるこの対照は、明らかに〝啓示の進歩〟を物語るものと観てよいであろう。

 今も述べたように、先に列挙した霊的啓示は多かれ少なかれキリスト教的色彩を帯びている。ナザレ人イエスにその淵源を求めることが出来るという意味である。

すなわちメルキゼデクに発した大きな霊的潮流がイエス・キリストの出現で一つのクライマックスを迎え、それがいったん埋もれたあと、十九世紀の後に再び多くの霊媒を通して霊言あるいは自動書記の形で地上へ奔出しはじめたと観ることが出来る。シルバーバーチはイエスについて見解を求められて次のように語っている。

 「ナザレ人イエスは神より託された使命を成就せんがために物質界へ降りた多くの神の使途の一人でした。イエスは地上での目的は果たしました。が残りの使命はまだ果たしておりません。それが今まさにイエスの指揮のもとに成就されつつあるところです。

          (中   略)

 イエスを通して地上へ働きかけた霊は、今なお、二千年前に始まった事業を果たさんとして引き続き働きかけております。その間イエスの霊は数え切れないほど何度もはりつけにされ、今なお毎日のようにはりつけにされております。」
 
 ───あなたが〝ナザレ人イエス〟と言う時、それは地上で生活したあの人間イエスのことですか、それともイエスを通して働いている霊的威力のことですか。

「あの人間イエスのことです。ただしその後イエスも向上進化し、地上時代よりはるかに大きな意識となって顕現しております。地上時代は、当時の時代的制約に合わさざるを得なかったのです。それでもなお、地上の人間でイエスほど霊の威力を発揮した者はおりません。イエスほど強烈に霊的摂理を体現した人間はおりません。」

 ───この二千年の間に一人もいないのでしょうか。

「いません。前にも後にもおりません。地上という世界があの時代ほど偉大な神の啓示に浴した時代はありません。しかし私たちは地上に誕生した人間イエスを崇めているのではありません。イエスを通して働きかけた霊の力に敬意を表するのです。人間というのは、どれだけ霊力の道具として役に立ったかによって、その人に払われる敬意の度合いが決まるのです。」


 ───霊界には今後イエスのごとき人物を地上へ送ることによってさらに奥深い啓示をもたらす計画があるのでしょうか。

「さまざまな民族の必要性に応じて、さまざまな手段が講じられつつあります。忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているということです。

各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮に入れなくてはなりません。通信の内容もその国民の生活環境や特質、民族的習性に合わさなくてはなりません。それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。」

 百年を生きるのがやっとというわれわれ地上人の人間にとって二千年とか五千年という時の流れは気の遠くなる思いがするが、悠久の宇宙的尺度をもってすればほんの短い一時期にすぎないのであろう。

巷間(こうかん)にはこれから後の僅か百年二百年について、やたらに悲愴感を煽る勿体ぶった予言書が出版されているが、筆者はこうした、人の心を怖じけづかせ魂を縮み上がらせるようなものは決して純正な予言ではない、否、極めて悪質であると思う。もっとも、悠久の目をもってみれば〝悪質なイタズラ〟程度のものなのかもしれないが。

 純正な霊的啓示は常に魂を鼓舞し生きる勇気を与えてくれるものをもっている。それは以上紹介した霊的啓示の系譜の中に如実に見られる一大特質である。

 筆者が今携わっている仕事はいわば西洋的系譜の啓示を日本へ輸入することであるが、右のシルバーバーチの霊言から推測されるように、日本には日本なりの一大啓示の時代がいずれ到来するものと信じている。

私見によれば、それは多分神道的色彩を帯びることであろう。そしてそれを西洋へ逆輸出する形になるのかもしれない。そうすることによって西洋的な啓示と東洋的な啓示とが合流して一大奔流となって世界を流れる時こそ真の世界平和、いわゆる地上天国が築かれるのではなかろうか。

 ただ少なくとも日本の現状に目をやる時、今はこうした西洋的系譜の啓示を是非とも普及しなければならない時代であるという認識を持つのは、一人筆者のみではないと信じている。

 では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。〝新しい啓示〟と〝古い啓示〟との間の矛盾の問題に言及してイムペレーターはこう述べている。

 「啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するということはあり得ぬ。ただしその真理は常にその時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。

人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落し、勝手な推論と思惑とで上塗りする。時の経過とともにいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純でありこの世的なものとなってしまう。

 やがて新らしき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新らしきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるが如く思わしめるところの古き夾雑物がある。

まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。

 神は決して押し売りはせぬ。このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者をみるがよい。自国民に受け入れられた者が一人でもいたであろうか。

 神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押し付けはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。」
                                 近藤 千雄