『霊界通信 ベールの彼方の生活』の第1巻は、英国の牧師G・V・オーエンを通じて伝えられたスピリチュアリズムの代表的古典です。死後の世界(天界の低地)の具体的な様子を詳細に描写しており、現代でも高い評価を受けている著作です。
三章 暗黒から光明へ
① 愛と叡智 ② 霊界の科学館 ③ 霊界のパビリオン ④ 暗黒街からの霊の救出
1 愛と叡智
一九一三年十月十日 金曜日
私たちの日常生活とあなた方の日常生活とを比較して見られれば、結局はどちらも学校で勉強しているようなものであること、実に大きな学校でたくさんのクラスがあり、大勢の先生がおられること、しかし教育方針は一貫しており、単純なことから複雑なことへと進むようになっていること、そして複雑ということは混乱を意味するのではなく、
宇宙の創造主たる神を知れば知るほどその知る喜びによって一層神への敬虔なる忠誠心を抱くように全てがうまく出来上っていることを悟るようになります。
そこで今日も従来からのテーマを取り上げて、こちらの世界で私たちが日頃どんなことをして過ごしているのか、神の愛がどのように私たちを包み、謙虚さと愛を身につけるにつれて事物がますます明快に理解されていくかを明らかにしてみましょう。
こちらの事情で大切なことの一つに叡智と愛のバランスが取れていないといけないことが挙げられます。両者は実は別個のものではなく、一つの大きな原理の二つの側面を表わしているのです。
言わば樹木と葉との関係と同じで、愛が働き叡智が呼吸しておれば健全な果実が実ります。解りやすく説明するために、私たちが自分自身のこと、および私たちが指導することを許された人々の世話をする中でどういう具合にその愛と叡智を摂り入れて行くか、一つの具体例をあげてみましょう。
つい先頃のことですが、私たちは一つの課題を与えられ、そのことで私たち五人で遠く離れたところにある地域(コロニー)を訪れることになりました。目的は神の愛の存在について疑念を抱き、あるいは当惑している地上の人間に対して取るべき最良の手段を教わることでした。
と言うのも、そうしたケースを扱う上でしばしば私たちの経験不足が障害となっていましたし、又あなたも御存知の通り地上にはそういう人が多いのです。
そこにあるカレッジの校長先生は地上では才能豊かな政治家だった方ですが、その才能が地上ではあまり発揮されず、こちらへ来て初めて存分に発揮できるようになり、結局地球だけが鍛錬の成果が発揮される場でないことを身を持って理解されたわけです。
訪問の目的を述べますと、その高い役職にも拘わらず、少しも偉(えらぶ)らず、極めて丁重で親切に応対されました。あなた達なら多分天使と呼びたくなるだろうと思われるほど高貴な方で、もしもそのお姿で地上に降りたら人間はその輝きに圧倒されることでしょう。
容姿もお顔も本当に美しい方で、それを形容する言葉としては、さしずめ〝燦然たる光輝に燃え立つような〟というところでしょう。親身な態度で私たちの話に耳を傾けられ、時折静かな口調で〝それで?〟と言って話を促され、私たちはついその方の霊格の高さも忘れて、恐れも遠慮もなく話しました。するとこうおっしゃいました。
「生徒の皆さん──ここにいる間は生徒ということにしましよう──お話は興味深く拝聴いたしました。と同時に、そういうお仕事によくある問題でもあります。さて、そうした問題を私が今あっさりと解決してあげれば、皆さんは心も軽くお仕事に戻ることが出来るでしょう。が、イザ仕事に携わってみると又アレコレと問題が生じます。
なぜか。それは、一ばん心に銘記しておくべきことというものは体験してみなければ解らない細々(こまごま)したことばかりだからです。それがいかに大切であるかは体験してみてはじめて解るということです。では私についてお出でなさい。大事なことをこれからお教えしましょう。」
私たちは先生の後について敷地内を歩いて行きました。庭では庭師が花や果実の木の剪定などの仕事に専念しておりました。小道を右に左に曲がりながら各種の植え込みの中を通り抜けました。小鳥や可愛い動物がそこここに姿を見せます。やがて小川に出ました。そしてすぐ側にエジプト寺院のミニチュアのような石の東屋があり、私たちはその中に案内されました。
天井は色とりどりの花で出来た棚になっており、その下の一つのベンチに腰掛けると、先生も私たちのベンチと直角に置いてあるベンチに腰を下ろされました。
床を見ると何やら図面のようなものが刻み込まれております。先生はそれを指さしてこうおっしゃいました。
「さて、これが今私があなた方を案内して回った建物と敷地の図面です。この印のところが今いる場所です。ご覧の通り最初に皆さんとお会いした門からここまで相当の距離があります。
皆さんはおしゃべりに夢中でどこをどう通ったかは一切気にとめられなかった。そこでこれから今来た道を逆戻りしてみるのも良い勉強になりますし、まんざら面白くないこともないでしょう。無事にお帰りになってお会いしたら、先ほどお聞きしたあなた方の問題についてアドバイスいたしましょう。」
そうおっしゃって校長先生は立ち去られました。私たちは互いに顔を見合わせ、先生が迷路のような道を連れて回られた目的に気づかなかったそのうかつさを互いに感じて、どっと笑い出しました。それから図面を何度も何度も調べました。直線と三角と四角と円がごちゃごちゃになっている感じで、始めはほとんど判りませんでした。
が、そのうち徐々に判りはじめました。それはそのコロニーの地図で、東屋はその中心、ほぼ中央に位置しております。が入口が記されておりません。しかもそれに通じる小道が四本あって、どの道を辿ればよいかが判りません。
しかし私はこれは大した問題でないと判断しました。と言うのは四本ともコロニーの外郭へつながっており、その間に何本もの小道が交叉していたからです。その判断に到達するまでのすったもんだは省きましょう。時間が掛かりますから。
とにかく私の頭に一つの案が浮かび、参考までに提案してみたところ皆んなそれはなかなか良い考えだと言い、これで謎が解けそうだと喜びました。と言って別に驚くほどのことではないのです。どの方向でも良いから、とにかく外へ出て一ばん直線的な道を進んでみるというだけの話です。
言い方がまずいようですね。要するに東屋からどちらの方角でも良いから一ばん真っ直ぐな道を取るということです。そうすると必ず外郭へ出る。その外郭は完全な円形をしているから、それに沿って行けば遅かれ早かれ門まで来ることになるわけです。
いよいよ出発しました。道中は結構長くて楽しいものでした。そして冒険的要素が無いわけではありませんでした。と言うのも、そのコロニーはそれはそれは広いもので、丘あり谷あり森あり小川ありで、それがまた実に美しいので、よほど目的をしっかり意識していないと、道が二つに岐れたところに来るとつい方向を誤りそうになるのでした。
しかし、必ずしも最短で直線的な道を選んだわけではないと私は思うのですが、私はついに外郭に辿り着きました。ついでに言うと、その外郭は芝生の生い茂った幅の広い地帯になっていて、全体は見えなくても、その境界の様子からして円形になっていることはすぐに判ります。
そこで左へ折れ、そのまま行くと間違いなく円形をしていて無限軌道のように続いておりました。どんどん歩いて行くうちに、ついに最初に校長先生にお会いした門のところまで来ました。
先生は、よく頑張りました、と言って迎えて下さり、その足で建物の前のテラスに上がり、それまでの冒険談──私が書いたものより遥かに多くの体験──をお聞かせしました。先生は前と同じように熱心に耳を傾けて下さり「なるほど。結構立派にやり遂げられました。目的を達成し、ここまで帰って来られたのですから。ではお約束通り、あなた方の学ばれた教訓を私から述べさせていただきましょう」と言って次のような話をされました。
「まず第一に、行きたいと思う方向を確認すること。次に近道と思える道ではなく一ばん確実と思える道を選ぶこと。その道が一ばん早いとは限りません。限りなく広がると思えたこのコロニーの境界領域までまずやってくる。その境界線から振り返ると、それまで通り抜けて来た土地の広さと限界の見当がつく。要はそれまでの着実さと忍耐です。望むゴールは必ず、達成されるものです。
「又、その限られた地域とその先に広がる地域との境界領域に立って見渡すと、曲がりくねった道や谷や小森が沢山あって、あまり遠くまで見通せなくても全体としては完全に釣合が取れている──要するに完全な円形になっており、内部は一見すると迷路でごった混ぜの観を呈していても、より大きい、あるいはより広い観点から見ると、全体として完全な統一体で、実質は単純に出来ていることが判るはずです。小道を通っている時は迷うでしょうけど。
それに、その外郭を曲線に沿って行くと限られた範囲しか目に入らなかったでしょう。それでも、その形からきっと求める場所つまり門に辿り着けると判断し、その理性的判断に基づいた確信のもとに安心して辿って来られた。そして今こうして辿り着き、少なくとも概略においてあなた方の知的推理が正しかったことを証明なさったわけです。
さてこの問題は掘り下げればまだまだ深いものがありますが、私はここであなた方をこの土地にいて私を援助してくれている仲間たちにお預けしようと思います。その人たちがこの建物や環境をさらにご案内し、お望みならもっと広い地域まで案内してくれるでしょう。面白いものがたくさんあるのです。
その方たちと私が述べた教訓について語り合われるとよろしい。少し後でもう一度お会いしますので、その時に話したいことや尋ねたいことがあればおっしゃって下さい。」
そうおっしゃって私たちにひとまず別れを告げられると、代わって建物の中から楽しそうな一団が出て来て私たちを中へ招き入れました。まだまだ続けたいけど、あなたにはまだお勤めが残っているから今日はこの辺でやめにしましょう。少しの間とはいえ、こうして交信のために降りて来るのは楽しいことです。あなたをはじめ皆さんに神の祝福を。母とその霊団より。
2 霊界の科学館
一九一三年十月十一日 土曜日
昨夜は時間がなくて簡単な叙述に終わってしまったので、今日は引き続きあのコロニーでの体験の幾つかを述べてみたいと思います。
そこには色んな施設があり、その殆どは地上の人間で死後の世界について疑問に思っている人、迷っている人を指導するにはどうすれば一ばん効果的かを研究するためのものです。
昨夜お話した私たちの体験を比喩として吟味されれば、その中に託された教訓をふくらませることが出来ると思います。
さて、あのあと指導霊の一団の引率で私達はすでにお話した境界の外側へ出ました。そこは芝生地ですが、それが途方もなく広がっているのです。そこは時おり取り行われる高級界の神霊の〝顕現〟する場の一つです。
召集の通達が出されますと各方面からそれはそれは大勢の群集が集合し、その天界の低地で可能な限りのさまざまな荘厳なるシーンが展開します。
そこを通り過ぎて行くうちに次第に登り坂となり、辿り着いたところは台地になっていて、そこに大小さまざまな建物が幾つか立っております。
その中央に特別に大きいのが立っており、私たちはそこへ案内されました。入ってみるとそこは何の仕切りもない、ただの大きなホールになっております。
円形をしており、まわりの壁には変わった彫刻が施されております。細かく調べてみますと、それは天体を彫ったもので、その中に地球もありました。固定されているのではなく回転軸に乗っていて、半分が壁の中にあり半分が手前にはみ出ております。
そのほか動物や植物や人間の像も彫られていて、そのほとんどが壁のくぼみ、つまり入れ込みに置いてあります。尋ねてみますとそこは純粋な科学教育施設であるとのことでした。
私たちはその円形施設の片側に取り付けられているバルコニーに案内されました。そこは少し出っ張っていますので全体が一望できるのです。これからそこの設備がどういう風に使用されるかを私たちのために実演して見せて下さることになりました。
腰かけて見ておりますと。青い霞のようなものがホールの中心付近に立ち込みはじめました。と同時に一条(すじ)の光線がホールの中をさっと走って地球儀の上に乗っかりました。
すると地球儀がまるでその光を吸収していくかのように発光し始め、間もなく光線が引っ込められたあとも内部から輝き続けました。と見ているうちに今度はもう少し強烈な別の光線が走って同じように地球儀の上に乗りました。するとその地球儀がゆっくりと台座から離れ、壁から出て宙に浮きました。
それがホールの中央部へ向けて浮上し、青い霞の中へ入ったとたんに誇張をしはじめ、輝く巨大な球体となって浮かんでおります。その様子は譬えようもなく美しいものでした。
それが地球と同じようにゆっくりと、実にゆっくりとした速度で回転し、その表面の海洋や大陸が見えます。その時はまだ地上で使われる平面図にすぎませんでしたが、回転を続けていくうちに次第に様子が変わってきました。
山脈や高地が隆起し、河や海の水がうねり、さざ波を立て、都市のミニチュア、建物の細々(こまごま)とした部分までが見え始めたのです。きめの細かさがどんどん進んで、人間の姿──最初は群集が、やがて一人一人の姿が見分けられるようになりました。
直径80フィートから100フィートもあろうかと思える球体の上で生きた人間や動物が見えるというシーンは、とてもあなたには理解できないでしょう。がそれがこの施設の科学の目的なのです。つまり各天体上の存在を一つ一つ再現することです。
その素晴らしいシーンはますます精度を増し、回転する球体上の都市や各分野で急がしく働いている人間の様子まで見えるようになりました。
広い草原や砂漠、森林、そこに生息する動物類の姿まで見えました。さらに回転して行くうちに、今度は内海や外洋が見えて来ました。あるものは静かに波うち、あるものは荒れ狂っております。そして、そこここに船の姿が見えます。つまり地上生活の全てが目の前に展開するのでした。
私は長時間そのシーンに見入っておりました。するとその施設の係の方が下の方から私たちに声を掛けられました。おっしゃるには、私たちが今見ているのは現時点での実際の地上の様子で、もしお望みであれば過去へ遡って知性をもつ存在としての人類の起源までを再現できますということでした。
是非その美事な現象をもっともっと見せていただきたいと申し上げると、その方は現象の全てをコントロールしていると思われる器機のあるところへ行かれました。
その話の続きはあとにして、ここで今あなたの心の中に見えるものについて説明しておきましょう。そのホールは暗くはありません。全体がすみずみまで明るいです。ですが球体そのものが、強烈でしかも不快感を与えない光に輝いているために、青い霞の外側が何となく薄暗く見えるまでです。その霞のあるところが球体の発する光輝の領域となっているようでした。
さて、程なくしてその回転する球体上の光景が変化し始めました。そして私たちは長い長い年月を遡り、人間がようやく森林から出て来て平地で集落をこしらえるようになった頃の地上の全生命──人間と動物と植物の太古の姿を目のあたりにしはじめました。
さて、ここでお断りしておかなければならないのは、太古の歴史は地上の歴史家が言っているような過程を辿ってはいないということです。当時の現象は〝国家〟と〝世紀〟の単位でなく〝種〟と〝累代〟(※)の単位で起きておりました。
何代もの地質学的時代がありました。人間が鉄器時代とか石器時代、氷河期と呼んでいる時期を見ますと実に面白いことが発見されます。あらかじめある程度の知識を持つ者には、どうもそうした名称がでたらめであることが判るのです。
と言いますのは、例えば氷河期は当時の地球の一、二の地域には当てはまるかも知れませんが、決して全体が氷で覆われていたわけではないことが、その球体を見ていると判るのです。それも大てい一時代に一つの大陸が氷で覆われ、次の時代には別の大陸が氷で覆われていたのです。
が、そうした歴史的展開の様子は地球が相当進化したところで打ち切られました。そうして、さっきも述べたように人類の出現はその時はすでに既成事実となっておりました。 (※地質学的時代区分を二つ以上含む最大の単位──訳者)
どんどん様相を変えて行くこの多彩な宝石のような球体に魅入られ、これが他ならぬわが地球なのかと思い、それにしては自分たちが何も知らずにいたことを痛感していると、その球体が次第に小さくなって、もとの壁の入れ込みの中へ戻り、やがて光輝が薄れていき、ついには最初に見かけた時と同じただの石膏の彫り物の様なものになってしまいました。
この現象に興味をそそられた私たちが指導霊に尋ねると、そこの施設についていろいろと解説して下さいました。今見た地球儀にはもっと科学的な用途があること、
あのような美しい現象を選んだのは科学的鍛錬を受けていない私たちには美しさの要素の多いものが適切と考えたからであること、科学的用途としては例えば天体と天体との関連性とか、それぞれの天体の誕生から現在までの進化の様子が見られるようになっていること。等々でした。
壁にはめ込まれた動物も同じような目的に使用されるとのことでした。地球儀の時と同じように光線が当たると光輝を発してホールの中心部へやって来ます。
そこでまるで生きた動物のように動き回ります。事実ある意味でその間だけは生きた動物となっているのです。それが中央の特殊な台に乗っかると拡大光線──本当の科学的名称を知らないので仮りにそう呼んでおきます──を当てられ、さらに透明にする光線を当てられます。するとその動物の内臓がまる見えとなります。
施設の人の話によりますと、そうやって映し出される動物あるいは人間の内部組織の働き具合を見るのは実に見応えのあるものだそうです。
そのモデルに別の操作を施すと、今度は進化の過程を逆戻りして次第に単純になって行き、ついには哺乳動物としての原初形態まで遡っていくことが出来ます。つまりその動物の構造上の発達の歴史が生きた姿のまま見られるというわけです。
面白いのはその操作を過ると間違ったコースを辿ることがあることで、その時は初期の段階が終わった段階で一たん元に戻し、もう一度やり直して、今度は正しいコースを取って今日の段階まで辿り着くということがあるそうです。
又、研究生が自分のアイディアを組み入れた進化のコースを辿らせてみることも出来るそうです。動物だけでなく、天体でも国家でも民族でも同じことができるそうですが、それを専門的に行う設備が別のホールにあるとのことでした。
一度話に出た(八六頁参照)子供の学校の構内に設置されていた球体は実はこの施設の学生の一人がこしらえたのだそうです。勿論ここにあるものよりはずっと単純に出来ております。もしかしたらこの施設の美しさを見た後だからそう思えるのかも知れません。
今日はこれ位にしておきましょう。他にも色々と見学したものがあるのですが、これ以上続けると長くなり過ぎるので止めにします。
何か聞きたいことがあるみたいですね。その通りです。私は月曜日の勉強会に出席しておりました。あの方が私に気づいておられたのも知っておりました。私の述べた言葉は聞こえなかったようですけど。
では、さようなら。あす又お会いしましょう。
≪原著者ノート≫最後のところで言及している勉強会のことについて一言述べておく必要がある。前の週の月曜日のことである。私はその日、礼拝堂の手すりと手すりの間に着席し、勉強会のメンバーは聖歌隊席で向かい合って着席していた。
聖歌隊席の至聖所側の一ばん端で私の右手になる位置にE婦人が着席していた。そのE婦人が後で語ってくれたところによると、私が会の最後の締めくくりの言葉を述べている最中に私の母親が両手を大きく広げ情愛あふれる顔で祭壇から進み出て、私のすぐ後ろまで来たという。
その姿は輝くように美しく、まるで出席しているメンバーと少しも変わらない人間の身体をまとっているようだったという。E婦人の目には今にも私を抱きしめるかに見えたそうで、余りの生々しさに一瞬自分以外の者には見えていないことを忘れ、今にも驚きの声を出しそうになったけど、どうにかこらえて目をそらしたという。私が質問しようと思っていたのはそのことだった。
3 霊界のパビリオン
一九一三年十月十三日 月曜日
例のコロニーでの、あなたの喜びそうな体験をもう一つお話しましょう。私にとっても初めての体験で興味ぶかいものでした。全体として一つのグループを形成している各種の施設を次々と案内していただいていると、屋外パビリオンのようなものに出ました。
何本もの高い円柱の上に巨大なドームが乗っているだけで、囲まれている内部に天井がありません。建物の周りについている階段から壇上に上がると、その中央に縦横三フィート、高さ四フィートばかりの正方形の祭壇が設けてあります。
その上に何やら日時計のようなブロンズ製の平たい板が立ててあり、直線やシンボル、幾何学的図形等がいろいろと刻まれてありました。
その真上のドームの中央部に通路があり、そこから入って行くとその施設の器機の操作室に出るとの話でした。私たちをその文字盤(と呼んでおきましょう)のまわりに並ばせて、案内の方はその場を離れてドームの天井へ上がり操作室へとはいられました。
何が起きるのか判らないまま、私たちはじっとその文字盤を見つめておりました。
すると様子が変化し始めました。まず空気の色彩と密度が変わってきました。あたりを見ますと、さっきまでの光景が消え、円柱と円柱との間に細い糸で出来たカーテン状のものが広がっておりました。さまざまな色調の糸が編み合わさっています。それが見る見るうちに一本一本に分かれ、判然とした形態を整えていきました。
すっかり整え終わった時、私たちは周りを林によって囲まれた空地の中に立っておりました。そしてその木々がそよ風にゆれているのです。
やがて小鳥のさえずりが聞こえ、木から木へと飛び交うきれいな羽をした小鳥の姿が目に入りました。林はなおも広がり、美しい森の趣きとなってきました。ドームも消え、屋根のように樹木が広がっているところを除いては一面青空が広がっておりました。
再び祭壇と文字盤に目をやると、同じ位置にちゃんとありましたが、文字盤に刻まれた図形やシンボルは祭壇の内部から発しているように思える明りに輝いておりました。
やがて上の方から案内の方の声がして、文字盤を読んでみるようにと言われます。最初のうち誰にも読めませんでしたが、そのうち仲間の中で一ばん頭の鋭い方が、これは霊界の植物と動物の身体を構成する成分を解説しているものですと言いました。
その文字盤と祭壇とがどのような関係になっているのかも明らかとなりましたが、それは人間の言語で説明するのはちょっとムリです。ですが判ってみると成るほどと納得がいきました。
その後案内の方が再び私たちの所へ来られ、その建物の使用目的を説明して下さいました。ここの研究生たちが〝創造〟についての進んだ科学的学習を行うためには、創造に使用される基本的成分について十分に勉強をしておかねばならないようです。それは当たり前と言ってしまえば確かに当たり前のことです。
この建物は研究生が最初に学習する施設の一つで、例の文字盤は上の操作室にいる研究生が自分なりに考えた成分の組み合わせやその比率などの参考資料が記されているのです。
案内して下さった方はその道の研究で相当進んだ方で、さっきの森のシーンも同じ方法でこしらえたものでした。進歩してくると、その操置を使用しなくても思い通りのものが創造できるようになります。
つまり一つずつ装置が要らなくなり、ついには何の装置も使わずに自分の意念だけで造れるようになるわけです。
そこで私たちは、そうした能力が実生活においてどのような目的に使用されるかを尋ねてみました。するとまず第一に精神と意志の鍛錬が目的であるとのことでした。
その鍛錬は並大抵のものではなく大変な努力を要するとのことで、それがひと通り終了すると次は同じくこの界の別のカレッジへ行って別の科学分野を学び、そこでもさらに多くの段階の修練を積まねばなりません。
その創造的能力が本当に自分のものとなり切るのは、幾つもの界でそうした修練を経たのちのことです。その暁にはある一人の大霊、大天使、あるいは能天使(本当の呼び方は知りません)の配下に属することを許され、父なる宇宙神の無限の創造的活動に参加することになります。その時に見られる創造の過程は荘厳を極めるとのことです。
お話を聞いた時はそれは多分新しい宇宙ないしは天体組織の創造──物的か霊的かは別として──のことかも知れないと考えたりしました。が、
そんな高い界のことは現在の私たちにはおおよその概念程度のことしか摑めません。しかも、そこまでに至るには人智を絶した長い長い年月を要することです。勿論そういう特殊な方向へ進むべき人の場合の話です。どうやらそこを訪れた私たち五人の女性にとっては、向上の道は別の方角にあるようです。
でも、たとえ辿るべき宿命は違っても、さまざまな生命活動を知りたいと思うものです。全ての者が宇宙の創造に参加するとは限らないと私は思います。
遥か彼方の、宇宙創造神の玉座に近いところには、きっと創造活動とは別に、同じく荘大にして栄光ある仕事があるものと確信しております。
芝生の外郭を通って帰る途中で、別の科学分野を学ぶために別のカレッジへ行っていた研究生の一団と出会いました。男性ばかりではありません。女性も混じっております。
私がその女性たちにあなた方も男性と同じ分野を研究しているのですかと尋ねると、そうですと答え、男性は純粋に創造的分野に携わり、女性はその母性本能でもって産物に円(まる)みを持たせる働きをし、双方が相俟って完成美を増すことになるということでした。
もちろん完成美といってもその界での能力の範囲内で可能な限り美しく仕上げるという意味です。まだまだ天界の低地に属するこの界では上層界への進歩が目的であって、完璧な完成ということは有り得ないのです。
やがて私たちはこの円形のコロニーの校長先生と出会ったところに帰り着きました。
──何故その方のお名前を出されないのですか。
お名前はアーノルとおっしゃいます。少し変わったお名前で、地上の人間はとかく霊の名前に拘るので、出すのを控えていただけで他意はありません。霊の名前の由来はあなたには理解し難いので、これ以後もただ名前を述べるに留めて意味には言及しないことに致します。
──そうですね。その方が回りくどい説明が省けていいでしょう。
そうなのです。でも私たちがこうして霊界の生活を説明する時の霊的情況の真相がもし理解できれば、手間が掛かるほど間違いが少ないということが判っていただけると思います。例のアーノル様のコロニーでの私たちの体験と教訓を思い出して下さい。
──それにしても、名前を出すということがなぜそうまで難しいのでしょうか。難しいものであるという話は再三聞かされておりますが。
その難しさを説明するのがまた難しいのです。人間の立場から見れば何でもないことのように思えるでしょうけど。こういう説明ではどうでしょう。あなたもご存知の通り古代エジプト人にとっては神ならびに女神の名称には、頑迷な唯物主観の英語系民族(アングロサクソン)が考える以上に深い意味があったのです。
名前に何の意味があると言うのか──そう思われるかも知れませんが、私たち霊界人から観ると、そして又(こちらへ来てから得た資料で知ったのですが)古代エジプトの知恵から観ても、名前には大いに意味があるのです。
名前によっては、それを繰り返し反復するだけで現実的な力を発揮し、時には危害さえもたらすものがあります。地上にいる時は知りませんでしたが、こちらへ来てそれを知ったのです。それで私たちは、あなたには多分愚かしく思えるかも知れませんが〝名前〟という実在に一種の敬虔さを抱くようになるのです。
もっとも、物わかりの悪い心霊学者が期待するほどに霊界通信で名前が出てこないのは、それだけが理由ではありません。
こうして地球圏まで降りて来ますと、名前によっては単に口にしたり書いたりすることさえ、あなたが想像する以上に困難なことがあるのです。その辺の事情は説明が難しいです。こちらの四次元世界の事情にもっともっと通じていただきかないと理解できないでしょう。
この四次元という用語も他に適当な用語が無いから使用しているまでです。では、二、三の例を挙げて、それで名前の問題は終わりにしましょう。
その一つは例のモーゼが最高神の使者から最高神の名前を教えてもらった話(※)ですが、今日まで誰れ一人としてその名前の真意を知り得た者はおりません。
(※この説話は旧約聖書「出エジプト記三章」に出ているが、ステイントン・モーゼスの「霊訓」の最高指導霊イムペレーター、実は旧約聖書時代の予言者マキラによると、これは紀元前一三〇年頃の予言者、今で言う霊言霊媒チョムを通じて告げられたもので、その時の言葉は Nuk-Pu-Nuk、英訳すればI am the I am すなわち〝私は有るがままの存在である〟となり、宇宙の普遍的エッセンス、生命の根源をさすという。──訳者)
次はそれより位の低い天使がヤコブから名前を聞かれて断られています。アブラハムその他、旧約聖書中の指導者に顕現した天使は滅多に名を明かしておりません。
新約聖書においても同じように殆んどが〝天使〟と呼ばれているだけです。名前を告げている場合、例えばガブリエルの場合(※)も、その深い意味は殆んど理解されておりません。
((※)同じく「霊訓」によると、ガブリエルは同じ大天使の中でも〝守護救済〟の任に当たる天使団の最高位の霊であり、ミカエルは悪霊・邪霊集団と〝戦う天使団〟の最高霊であるという。──訳者)
──ところで、あなたの名前──そちらでの新しいお名前は何でしょうか。明かすことを許されているのでしょうか。
もちろん許されておりますが、賢明ではありません。明かした方が良ければ明かします。でも差し当たっては差し控えます。理由(わけ)はよく判っていただけなくても、あなたの為に良かれと思ってのことであることは判っていただけるでしょうから。
──結構です。あなたの判断にお任せします。
その内あなたにも判る日が来ます。その時は「生命(いのち)の書」(※)の中に記されている人々にいかなる栄光が待ち構えているかを理解されるでしょう。この書の名称も一考に値するものです。軽々しく口にされておりますが、その真意はほとんど、あるいは全然理解されておりません。
(※正式には Book of Life of the Lamb)で「キリストの生命の書」。天国に召されるのを約束された聖人を意味するとされている。──訳者)
ではあなたにもローズにもそしてお子たちにも、神の祝福のあらんことを。ルビー(まえがき参照)が間もなく行けるようになると言ってちょうだい、と私に可愛らしく告げています。指図を書き留められるようになってほしいなどと言ってますよ。まあ、ほんとに無邪気な子ですこと。皆んなから可愛がられて。ではさようなら。
4 暗黒街からの霊の救出
一九一三年十月十五日 水曜日
自分のすぐ身の回りに霊の世界が存在することを知らない人間に死後の存続と死後の世界の現実味と愛と美を説明するとしたら、あなたなら何から始められますか。多分第一に現在のその人自身が不滅の霊であることを得心させようとなさることでしょう。
そしてもしそれが事実だったら死後の生活にとって現在の地上生活が重大な意味を持つことに気づき、その死後の世界からの通信に少しでも耳を傾けようとすることでしょう。何しろその世界は死というベールをくぐり抜けたあとに例外なく行き着くところであり、否応なしに暮さねばならないところだからです。
そこで私たちは、もしも地上の人間が今生きているその存在も実在であり決して地上かぎりの果敢(はか)ないものではないことを理解してくれれば、私たちのように身をもって死後の生命と個性の存続を悟り、同時に地上生活を正しく生きている人間には祝福が待ちかまえていることを知った者からのメッセージを、一考の価値のあるものと認めてくれるものと思うのです。
さて、その死の関門をくぐり抜けてより大きい自由な世界へと足を踏み入れた人間が、滞(とどこお)りなく神の御国での仕事に勤しむことになるのは何でもないことのようで、実はただ事ではないのです。
これまで私たちは地上生活と死後の世界との因果関係について多くのケースを調べてみて、地上での準備と自己鍛錬の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないという認識を得ております。多くの人間は死んでからのことは死んでからで良いと多寡をくくっておりますが、イザこちらへ来てみるとその考えが認識不足であったことに気づくのです。
──今お書きになっているのはどなたですか。
あなたの母親と霊団のものです。アストリエル様は今夜はお見えになっておりません。またいつかお出でになるでしょう。霊団とともに通信に来られた時はお知らせしましょう。
では話を続けましょう。〝橋〟と〝裂け目〟の話は致しました・・・・・・
──ええ、聞きました。それよりも、アーノル様のコロニーでの体験と、あなたの本来の界へ戻られてからのことはどうなりました。ほかに面白いエピソードはもう無いのですか。
いろいろと勉強になり、知人も増え、お話したことより遥かに多くのことを見学したということ以外には別に申し上げることはありません。それよりも、ぜひあなたにお聞かせしたいと思っていることがあります。あのコロニーでの話を続けてもいいですが、これも同じように為になる話です。
〝裂け目〟と〝橋〟──例の話を思い出して下さい。(四一頁参照)。その橋──地上の橋と少し趣きが異なるのですが、引き続きそう呼んでおきましょう──が暗黒界から延びてきて光明界の高台へ掛かるあたりで目撃したエピソードをお話しましょう。
私たちがそこへ派遣されたのは恐ろしい暗黒界から脱出して首尾よくそこまで到達する一人の女性を迎えるためでした。その方は〝光〟の橋を渡ってくるのではなく、〝裂け目〟の恐怖の闇の中を這い上がって来るというのです。
私たちにはもう一人、すぐ上の界から強力な天使様が付いて来てくださいました。特別にこの仕事を託されている方で、首尾よく救出された霊が連れて行かれるホームを組織している女性天使団のお一人でした。
──お名前を伺いたいのですが。
ビーニ──いけません。出てきません。あとにしましょう。書いているうちに思い出すかも知れません。
到着してみると、谷を少し下った岩だらけの道に一個の光が見えます。どなたか男性の天使の方がそこで見張っていることが判りました。やがてその光が小さくなり始め、谷底へ下りて行かれたことを知りました。それから少しすると谷底から上に向けて閃光が発せられ、それに呼応して〝橋〟にいくつか設けられている塔の一つから照明が照らされました。
それはサーチライトに似てないこともありません。それが谷底の暗闇へ向けられ、一点をじっと照らしています。するとビー・・・・・、私たちに付いて来られた天使様が私たちに〝しばらくここに居るように〟と言い残してその場を離れ、宙を飛んで素早く塔のてっぺんへ行かれました。
次の瞬間その天使様の姿が照明の中に消えて失くなりました。仲間の一人が天使様が光線に沿って斜めに谷底へ下りて行くのを見かけたと言います。私には見えませんでしたが、間もなくその通りだったことが判明しました。
ここで注釈が要りそうです。その照明は見え易くするためのものではありません(高級霊は自分の霊眼で見えますから)。その光には低級界の陰湿な影響力から守る作用があるのです。
最初に谷底へ下った霊から閃光が発せられ、それに呼応して、常時見張っている塔から照明が当てられたのも、そのための合図だったのです。私には判りませんでしたが、その光線には生命とエネルギーが充満しており──これ以上うまい表現が出来ません──谷底で援助を必要としている霊のために発せられたわけです。
やがて二人の天使が件(くだん)の女性霊を連れて帰って来られました。男の天使の方は非常にお強い方なのですが、疲れ切ったご様子でした。あとで聞いたところによりますと、途中でその女性霊を取り返そうとする邪霊集団と遭遇したのだそうで、信号を送って援助を求めたのはその時でした。
お二人はその女性霊を抱きかかえるようにして歩いて来ましたが、その女性は光の強さに半ば気絶しかかっておりました。それを気遣いながら塔へ向けてゆっくりと歩いて行かれました。私にとってこんな光景は初めてでした。もっとも、似たような体験はあります。
例の色とりどりの民族衣装を着た大集団が集結した話(四八頁参照)をしましたが、こんどの光景はある意味ではそれよりも厳粛さがありました。というのは、あの光景にはただただ喜びに溢れておりましたが、いま目の前にした光景には苦悩と喜びとが混ざり合っていたからです。
三人はついに橋に辿り着き、そこで女性霊は建物の一室に運び込まれ、そこで十分に休養を取り、回復したあと私たちに引き渡されたのでした。
この話には私たちにとって新らしい教訓が幾つかあり、同時にそれまでは単なる推察に過ぎなかったものに確証を与えてくれたものが幾つかあります。その内の幾つかを挙げてみましょう。
まず、女性霊を救出した二人の天使を見れば判るとおり、霊格の高い天使が苦しみを味わうことが無いかのように想像するのは間違いだということです。現実に苦しまれるし、それも度々あるのです。邪悪な霊の住む領域に入ると天使も傷(や)られます。
ならば、その理屈でいくと邪霊集団が大挙して押し寄せれば全土を征服できそうに思うのですが、やはり光明と善の勢力の組織がしっかりしていて、且つ常に見張っておりますので、現実にそうした大変な事態になった話を聞いたことがありません。
しかし彼らとの闘いは真実〝闘い〟なのです。しかも、たいへんなエネルギーの消耗を伴います。これが第二の教訓です。高級霊でも疲労することがあるということです。
しかし、その苦痛も疲労も厭わないのです。逆説的に聞こえるかも知れませんが、高級霊になると、必死に救いを求める魂のために自分が苦しみを味わうことに喜びを感じるものなのです。
また例の照明の光──エネルギーと活力の光線とでも言うべきかも知れません──の威力は強烈ですから、何かで光を遮断してあげなかったら女性霊は危害をこうむったはずです。あのように光に慣れない霊にとってはショックが強すぎるのです。
さらにもう一つ。その光線が暗闇の地帯の奥深く照らされた時、何百マイルもあろうかと思える遠く深い谷底から叫び声が聞こえて来ました。それは何とも言えない不思議な体験でした。と言うのは、その声には怒りもあれば憎しみもあり、絶望の声もあり、はたまた助けとお慈悲を求める声も混じっていたのです。
それらが混ざり合ったものが至るところから聞こえて来るのです。私にはそれが理解できないので、あとで件の女性霊を待っている間にビーニックス Beanix ──こう綴るよりほかないように思えますのでこれで通します。綴ってみるとどうもしっくり来ないのですが──その方に何の叫び声でどこから来るのかお聞きしました。
するとビーニックス様は、それはよくは知らないが霊界にはそうした叫びを全部記録する装置があって、それを個々に分析し科学的に処理して、その評価に従って最も効果的な方法で援助が差し向けられるとのことでした。叫びの一つ一つにその魂の善性又は邪悪性が込められており、それぞれに相応しいものを授かることになるわけです。
件の女性をお預かりした時、私たちはまずは休養ということで、心の安まる雰囲気で包んであげるよう心がけました。そして十分に体力が回復してから、用意しておいたホームへご案内しました。今もそこで面倒を見てもらっています。
私たちはその方に質問は一切しませんでした。逆にその方から二、三の質問がありました。なんと、あの暗黒界に実に二十年以上も居たというのです。地上時代のことは断片的にしか聞いておらず、一つの話につなげられるほどのものではありません。
それに、そんな昔の体験をいきなり鮮明に思い出させることは賢明ではないのです。現在から少しずつ遡って霊界での体験をひと通り復習し、それから地上生活へと戻ってこの因果関係──原因と結果、タネ蒔きと収穫──を明確に認識しないといけないのです。
今日はこの程度にしておきましょう。ではさようなら。
神の祝福と安らぎを。アーメン。
宇宙の創造主たる神を知れば知るほどその知る喜びによって一層神への敬虔なる忠誠心を抱くように全てがうまく出来上っていることを悟るようになります。
そこで今日も従来からのテーマを取り上げて、こちらの世界で私たちが日頃どんなことをして過ごしているのか、神の愛がどのように私たちを包み、謙虚さと愛を身につけるにつれて事物がますます明快に理解されていくかを明らかにしてみましょう。
こちらの事情で大切なことの一つに叡智と愛のバランスが取れていないといけないことが挙げられます。両者は実は別個のものではなく、一つの大きな原理の二つの側面を表わしているのです。
言わば樹木と葉との関係と同じで、愛が働き叡智が呼吸しておれば健全な果実が実ります。解りやすく説明するために、私たちが自分自身のこと、および私たちが指導することを許された人々の世話をする中でどういう具合にその愛と叡智を摂り入れて行くか、一つの具体例をあげてみましょう。
つい先頃のことですが、私たちは一つの課題を与えられ、そのことで私たち五人で遠く離れたところにある地域(コロニー)を訪れることになりました。目的は神の愛の存在について疑念を抱き、あるいは当惑している地上の人間に対して取るべき最良の手段を教わることでした。
と言うのも、そうしたケースを扱う上でしばしば私たちの経験不足が障害となっていましたし、又あなたも御存知の通り地上にはそういう人が多いのです。
そこにあるカレッジの校長先生は地上では才能豊かな政治家だった方ですが、その才能が地上ではあまり発揮されず、こちらへ来て初めて存分に発揮できるようになり、結局地球だけが鍛錬の成果が発揮される場でないことを身を持って理解されたわけです。
訪問の目的を述べますと、その高い役職にも拘わらず、少しも偉(えらぶ)らず、極めて丁重で親切に応対されました。あなた達なら多分天使と呼びたくなるだろうと思われるほど高貴な方で、もしもそのお姿で地上に降りたら人間はその輝きに圧倒されることでしょう。
容姿もお顔も本当に美しい方で、それを形容する言葉としては、さしずめ〝燦然たる光輝に燃え立つような〟というところでしょう。親身な態度で私たちの話に耳を傾けられ、時折静かな口調で〝それで?〟と言って話を促され、私たちはついその方の霊格の高さも忘れて、恐れも遠慮もなく話しました。するとこうおっしゃいました。
「生徒の皆さん──ここにいる間は生徒ということにしましよう──お話は興味深く拝聴いたしました。と同時に、そういうお仕事によくある問題でもあります。さて、そうした問題を私が今あっさりと解決してあげれば、皆さんは心も軽くお仕事に戻ることが出来るでしょう。が、イザ仕事に携わってみると又アレコレと問題が生じます。
なぜか。それは、一ばん心に銘記しておくべきことというものは体験してみなければ解らない細々(こまごま)したことばかりだからです。それがいかに大切であるかは体験してみてはじめて解るということです。では私についてお出でなさい。大事なことをこれからお教えしましょう。」
私たちは先生の後について敷地内を歩いて行きました。庭では庭師が花や果実の木の剪定などの仕事に専念しておりました。小道を右に左に曲がりながら各種の植え込みの中を通り抜けました。小鳥や可愛い動物がそこここに姿を見せます。やがて小川に出ました。そしてすぐ側にエジプト寺院のミニチュアのような石の東屋があり、私たちはその中に案内されました。
天井は色とりどりの花で出来た棚になっており、その下の一つのベンチに腰掛けると、先生も私たちのベンチと直角に置いてあるベンチに腰を下ろされました。
床を見ると何やら図面のようなものが刻み込まれております。先生はそれを指さしてこうおっしゃいました。
「さて、これが今私があなた方を案内して回った建物と敷地の図面です。この印のところが今いる場所です。ご覧の通り最初に皆さんとお会いした門からここまで相当の距離があります。
皆さんはおしゃべりに夢中でどこをどう通ったかは一切気にとめられなかった。そこでこれから今来た道を逆戻りしてみるのも良い勉強になりますし、まんざら面白くないこともないでしょう。無事にお帰りになってお会いしたら、先ほどお聞きしたあなた方の問題についてアドバイスいたしましょう。」
そうおっしゃって校長先生は立ち去られました。私たちは互いに顔を見合わせ、先生が迷路のような道を連れて回られた目的に気づかなかったそのうかつさを互いに感じて、どっと笑い出しました。それから図面を何度も何度も調べました。直線と三角と四角と円がごちゃごちゃになっている感じで、始めはほとんど判りませんでした。
が、そのうち徐々に判りはじめました。それはそのコロニーの地図で、東屋はその中心、ほぼ中央に位置しております。が入口が記されておりません。しかもそれに通じる小道が四本あって、どの道を辿ればよいかが判りません。
しかし私はこれは大した問題でないと判断しました。と言うのは四本ともコロニーの外郭へつながっており、その間に何本もの小道が交叉していたからです。その判断に到達するまでのすったもんだは省きましょう。時間が掛かりますから。
とにかく私の頭に一つの案が浮かび、参考までに提案してみたところ皆んなそれはなかなか良い考えだと言い、これで謎が解けそうだと喜びました。と言って別に驚くほどのことではないのです。どの方向でも良いから、とにかく外へ出て一ばん直線的な道を進んでみるというだけの話です。
言い方がまずいようですね。要するに東屋からどちらの方角でも良いから一ばん真っ直ぐな道を取るということです。そうすると必ず外郭へ出る。その外郭は完全な円形をしているから、それに沿って行けば遅かれ早かれ門まで来ることになるわけです。
いよいよ出発しました。道中は結構長くて楽しいものでした。そして冒険的要素が無いわけではありませんでした。と言うのも、そのコロニーはそれはそれは広いもので、丘あり谷あり森あり小川ありで、それがまた実に美しいので、よほど目的をしっかり意識していないと、道が二つに岐れたところに来るとつい方向を誤りそうになるのでした。
しかし、必ずしも最短で直線的な道を選んだわけではないと私は思うのですが、私はついに外郭に辿り着きました。ついでに言うと、その外郭は芝生の生い茂った幅の広い地帯になっていて、全体は見えなくても、その境界の様子からして円形になっていることはすぐに判ります。
そこで左へ折れ、そのまま行くと間違いなく円形をしていて無限軌道のように続いておりました。どんどん歩いて行くうちに、ついに最初に校長先生にお会いした門のところまで来ました。
先生は、よく頑張りました、と言って迎えて下さり、その足で建物の前のテラスに上がり、それまでの冒険談──私が書いたものより遥かに多くの体験──をお聞かせしました。先生は前と同じように熱心に耳を傾けて下さり「なるほど。結構立派にやり遂げられました。目的を達成し、ここまで帰って来られたのですから。ではお約束通り、あなた方の学ばれた教訓を私から述べさせていただきましょう」と言って次のような話をされました。
「まず第一に、行きたいと思う方向を確認すること。次に近道と思える道ではなく一ばん確実と思える道を選ぶこと。その道が一ばん早いとは限りません。限りなく広がると思えたこのコロニーの境界領域までまずやってくる。その境界線から振り返ると、それまで通り抜けて来た土地の広さと限界の見当がつく。要はそれまでの着実さと忍耐です。望むゴールは必ず、達成されるものです。
「又、その限られた地域とその先に広がる地域との境界領域に立って見渡すと、曲がりくねった道や谷や小森が沢山あって、あまり遠くまで見通せなくても全体としては完全に釣合が取れている──要するに完全な円形になっており、内部は一見すると迷路でごった混ぜの観を呈していても、より大きい、あるいはより広い観点から見ると、全体として完全な統一体で、実質は単純に出来ていることが判るはずです。小道を通っている時は迷うでしょうけど。
それに、その外郭を曲線に沿って行くと限られた範囲しか目に入らなかったでしょう。それでも、その形からきっと求める場所つまり門に辿り着けると判断し、その理性的判断に基づいた確信のもとに安心して辿って来られた。そして今こうして辿り着き、少なくとも概略においてあなた方の知的推理が正しかったことを証明なさったわけです。
さてこの問題は掘り下げればまだまだ深いものがありますが、私はここであなた方をこの土地にいて私を援助してくれている仲間たちにお預けしようと思います。その人たちがこの建物や環境をさらにご案内し、お望みならもっと広い地域まで案内してくれるでしょう。面白いものがたくさんあるのです。
その方たちと私が述べた教訓について語り合われるとよろしい。少し後でもう一度お会いしますので、その時に話したいことや尋ねたいことがあればおっしゃって下さい。」
そうおっしゃって私たちにひとまず別れを告げられると、代わって建物の中から楽しそうな一団が出て来て私たちを中へ招き入れました。まだまだ続けたいけど、あなたにはまだお勤めが残っているから今日はこの辺でやめにしましょう。少しの間とはいえ、こうして交信のために降りて来るのは楽しいことです。あなたをはじめ皆さんに神の祝福を。母とその霊団より。
2 霊界の科学館
一九一三年十月十一日 土曜日
昨夜は時間がなくて簡単な叙述に終わってしまったので、今日は引き続きあのコロニーでの体験の幾つかを述べてみたいと思います。
そこには色んな施設があり、その殆どは地上の人間で死後の世界について疑問に思っている人、迷っている人を指導するにはどうすれば一ばん効果的かを研究するためのものです。
昨夜お話した私たちの体験を比喩として吟味されれば、その中に託された教訓をふくらませることが出来ると思います。
さて、あのあと指導霊の一団の引率で私達はすでにお話した境界の外側へ出ました。そこは芝生地ですが、それが途方もなく広がっているのです。そこは時おり取り行われる高級界の神霊の〝顕現〟する場の一つです。
召集の通達が出されますと各方面からそれはそれは大勢の群集が集合し、その天界の低地で可能な限りのさまざまな荘厳なるシーンが展開します。
そこを通り過ぎて行くうちに次第に登り坂となり、辿り着いたところは台地になっていて、そこに大小さまざまな建物が幾つか立っております。
その中央に特別に大きいのが立っており、私たちはそこへ案内されました。入ってみるとそこは何の仕切りもない、ただの大きなホールになっております。
円形をしており、まわりの壁には変わった彫刻が施されております。細かく調べてみますと、それは天体を彫ったもので、その中に地球もありました。固定されているのではなく回転軸に乗っていて、半分が壁の中にあり半分が手前にはみ出ております。
そのほか動物や植物や人間の像も彫られていて、そのほとんどが壁のくぼみ、つまり入れ込みに置いてあります。尋ねてみますとそこは純粋な科学教育施設であるとのことでした。
私たちはその円形施設の片側に取り付けられているバルコニーに案内されました。そこは少し出っ張っていますので全体が一望できるのです。これからそこの設備がどういう風に使用されるかを私たちのために実演して見せて下さることになりました。
腰かけて見ておりますと。青い霞のようなものがホールの中心付近に立ち込みはじめました。と同時に一条(すじ)の光線がホールの中をさっと走って地球儀の上に乗っかりました。
すると地球儀がまるでその光を吸収していくかのように発光し始め、間もなく光線が引っ込められたあとも内部から輝き続けました。と見ているうちに今度はもう少し強烈な別の光線が走って同じように地球儀の上に乗りました。するとその地球儀がゆっくりと台座から離れ、壁から出て宙に浮きました。
それがホールの中央部へ向けて浮上し、青い霞の中へ入ったとたんに誇張をしはじめ、輝く巨大な球体となって浮かんでおります。その様子は譬えようもなく美しいものでした。
それが地球と同じようにゆっくりと、実にゆっくりとした速度で回転し、その表面の海洋や大陸が見えます。その時はまだ地上で使われる平面図にすぎませんでしたが、回転を続けていくうちに次第に様子が変わってきました。
山脈や高地が隆起し、河や海の水がうねり、さざ波を立て、都市のミニチュア、建物の細々(こまごま)とした部分までが見え始めたのです。きめの細かさがどんどん進んで、人間の姿──最初は群集が、やがて一人一人の姿が見分けられるようになりました。
直径80フィートから100フィートもあろうかと思える球体の上で生きた人間や動物が見えるというシーンは、とてもあなたには理解できないでしょう。がそれがこの施設の科学の目的なのです。つまり各天体上の存在を一つ一つ再現することです。
その素晴らしいシーンはますます精度を増し、回転する球体上の都市や各分野で急がしく働いている人間の様子まで見えるようになりました。
広い草原や砂漠、森林、そこに生息する動物類の姿まで見えました。さらに回転して行くうちに、今度は内海や外洋が見えて来ました。あるものは静かに波うち、あるものは荒れ狂っております。そして、そこここに船の姿が見えます。つまり地上生活の全てが目の前に展開するのでした。
私は長時間そのシーンに見入っておりました。するとその施設の係の方が下の方から私たちに声を掛けられました。おっしゃるには、私たちが今見ているのは現時点での実際の地上の様子で、もしお望みであれば過去へ遡って知性をもつ存在としての人類の起源までを再現できますということでした。
是非その美事な現象をもっともっと見せていただきたいと申し上げると、その方は現象の全てをコントロールしていると思われる器機のあるところへ行かれました。
その話の続きはあとにして、ここで今あなたの心の中に見えるものについて説明しておきましょう。そのホールは暗くはありません。全体がすみずみまで明るいです。ですが球体そのものが、強烈でしかも不快感を与えない光に輝いているために、青い霞の外側が何となく薄暗く見えるまでです。その霞のあるところが球体の発する光輝の領域となっているようでした。
さて、程なくしてその回転する球体上の光景が変化し始めました。そして私たちは長い長い年月を遡り、人間がようやく森林から出て来て平地で集落をこしらえるようになった頃の地上の全生命──人間と動物と植物の太古の姿を目のあたりにしはじめました。
さて、ここでお断りしておかなければならないのは、太古の歴史は地上の歴史家が言っているような過程を辿ってはいないということです。当時の現象は〝国家〟と〝世紀〟の単位でなく〝種〟と〝累代〟(※)の単位で起きておりました。
何代もの地質学的時代がありました。人間が鉄器時代とか石器時代、氷河期と呼んでいる時期を見ますと実に面白いことが発見されます。あらかじめある程度の知識を持つ者には、どうもそうした名称がでたらめであることが判るのです。
と言いますのは、例えば氷河期は当時の地球の一、二の地域には当てはまるかも知れませんが、決して全体が氷で覆われていたわけではないことが、その球体を見ていると判るのです。それも大てい一時代に一つの大陸が氷で覆われ、次の時代には別の大陸が氷で覆われていたのです。
が、そうした歴史的展開の様子は地球が相当進化したところで打ち切られました。そうして、さっきも述べたように人類の出現はその時はすでに既成事実となっておりました。 (※地質学的時代区分を二つ以上含む最大の単位──訳者)
どんどん様相を変えて行くこの多彩な宝石のような球体に魅入られ、これが他ならぬわが地球なのかと思い、それにしては自分たちが何も知らずにいたことを痛感していると、その球体が次第に小さくなって、もとの壁の入れ込みの中へ戻り、やがて光輝が薄れていき、ついには最初に見かけた時と同じただの石膏の彫り物の様なものになってしまいました。
この現象に興味をそそられた私たちが指導霊に尋ねると、そこの施設についていろいろと解説して下さいました。今見た地球儀にはもっと科学的な用途があること、
あのような美しい現象を選んだのは科学的鍛錬を受けていない私たちには美しさの要素の多いものが適切と考えたからであること、科学的用途としては例えば天体と天体との関連性とか、それぞれの天体の誕生から現在までの進化の様子が見られるようになっていること。等々でした。
壁にはめ込まれた動物も同じような目的に使用されるとのことでした。地球儀の時と同じように光線が当たると光輝を発してホールの中心部へやって来ます。
そこでまるで生きた動物のように動き回ります。事実ある意味でその間だけは生きた動物となっているのです。それが中央の特殊な台に乗っかると拡大光線──本当の科学的名称を知らないので仮りにそう呼んでおきます──を当てられ、さらに透明にする光線を当てられます。するとその動物の内臓がまる見えとなります。
施設の人の話によりますと、そうやって映し出される動物あるいは人間の内部組織の働き具合を見るのは実に見応えのあるものだそうです。
そのモデルに別の操作を施すと、今度は進化の過程を逆戻りして次第に単純になって行き、ついには哺乳動物としての原初形態まで遡っていくことが出来ます。つまりその動物の構造上の発達の歴史が生きた姿のまま見られるというわけです。
面白いのはその操作を過ると間違ったコースを辿ることがあることで、その時は初期の段階が終わった段階で一たん元に戻し、もう一度やり直して、今度は正しいコースを取って今日の段階まで辿り着くということがあるそうです。
又、研究生が自分のアイディアを組み入れた進化のコースを辿らせてみることも出来るそうです。動物だけでなく、天体でも国家でも民族でも同じことができるそうですが、それを専門的に行う設備が別のホールにあるとのことでした。
一度話に出た(八六頁参照)子供の学校の構内に設置されていた球体は実はこの施設の学生の一人がこしらえたのだそうです。勿論ここにあるものよりはずっと単純に出来ております。もしかしたらこの施設の美しさを見た後だからそう思えるのかも知れません。
今日はこれ位にしておきましょう。他にも色々と見学したものがあるのですが、これ以上続けると長くなり過ぎるので止めにします。
何か聞きたいことがあるみたいですね。その通りです。私は月曜日の勉強会に出席しておりました。あの方が私に気づいておられたのも知っておりました。私の述べた言葉は聞こえなかったようですけど。
では、さようなら。あす又お会いしましょう。
≪原著者ノート≫最後のところで言及している勉強会のことについて一言述べておく必要がある。前の週の月曜日のことである。私はその日、礼拝堂の手すりと手すりの間に着席し、勉強会のメンバーは聖歌隊席で向かい合って着席していた。
聖歌隊席の至聖所側の一ばん端で私の右手になる位置にE婦人が着席していた。そのE婦人が後で語ってくれたところによると、私が会の最後の締めくくりの言葉を述べている最中に私の母親が両手を大きく広げ情愛あふれる顔で祭壇から進み出て、私のすぐ後ろまで来たという。
その姿は輝くように美しく、まるで出席しているメンバーと少しも変わらない人間の身体をまとっているようだったという。E婦人の目には今にも私を抱きしめるかに見えたそうで、余りの生々しさに一瞬自分以外の者には見えていないことを忘れ、今にも驚きの声を出しそうになったけど、どうにかこらえて目をそらしたという。私が質問しようと思っていたのはそのことだった。
3 霊界のパビリオン
一九一三年十月十三日 月曜日
例のコロニーでの、あなたの喜びそうな体験をもう一つお話しましょう。私にとっても初めての体験で興味ぶかいものでした。全体として一つのグループを形成している各種の施設を次々と案内していただいていると、屋外パビリオンのようなものに出ました。
何本もの高い円柱の上に巨大なドームが乗っているだけで、囲まれている内部に天井がありません。建物の周りについている階段から壇上に上がると、その中央に縦横三フィート、高さ四フィートばかりの正方形の祭壇が設けてあります。
その上に何やら日時計のようなブロンズ製の平たい板が立ててあり、直線やシンボル、幾何学的図形等がいろいろと刻まれてありました。
その真上のドームの中央部に通路があり、そこから入って行くとその施設の器機の操作室に出るとの話でした。私たちをその文字盤(と呼んでおきましょう)のまわりに並ばせて、案内の方はその場を離れてドームの天井へ上がり操作室へとはいられました。
何が起きるのか判らないまま、私たちはじっとその文字盤を見つめておりました。
すると様子が変化し始めました。まず空気の色彩と密度が変わってきました。あたりを見ますと、さっきまでの光景が消え、円柱と円柱との間に細い糸で出来たカーテン状のものが広がっておりました。さまざまな色調の糸が編み合わさっています。それが見る見るうちに一本一本に分かれ、判然とした形態を整えていきました。
すっかり整え終わった時、私たちは周りを林によって囲まれた空地の中に立っておりました。そしてその木々がそよ風にゆれているのです。
やがて小鳥のさえずりが聞こえ、木から木へと飛び交うきれいな羽をした小鳥の姿が目に入りました。林はなおも広がり、美しい森の趣きとなってきました。ドームも消え、屋根のように樹木が広がっているところを除いては一面青空が広がっておりました。
再び祭壇と文字盤に目をやると、同じ位置にちゃんとありましたが、文字盤に刻まれた図形やシンボルは祭壇の内部から発しているように思える明りに輝いておりました。
やがて上の方から案内の方の声がして、文字盤を読んでみるようにと言われます。最初のうち誰にも読めませんでしたが、そのうち仲間の中で一ばん頭の鋭い方が、これは霊界の植物と動物の身体を構成する成分を解説しているものですと言いました。
その文字盤と祭壇とがどのような関係になっているのかも明らかとなりましたが、それは人間の言語で説明するのはちょっとムリです。ですが判ってみると成るほどと納得がいきました。
その後案内の方が再び私たちの所へ来られ、その建物の使用目的を説明して下さいました。ここの研究生たちが〝創造〟についての進んだ科学的学習を行うためには、創造に使用される基本的成分について十分に勉強をしておかねばならないようです。それは当たり前と言ってしまえば確かに当たり前のことです。
この建物は研究生が最初に学習する施設の一つで、例の文字盤は上の操作室にいる研究生が自分なりに考えた成分の組み合わせやその比率などの参考資料が記されているのです。
案内して下さった方はその道の研究で相当進んだ方で、さっきの森のシーンも同じ方法でこしらえたものでした。進歩してくると、その操置を使用しなくても思い通りのものが創造できるようになります。
つまり一つずつ装置が要らなくなり、ついには何の装置も使わずに自分の意念だけで造れるようになるわけです。
そこで私たちは、そうした能力が実生活においてどのような目的に使用されるかを尋ねてみました。するとまず第一に精神と意志の鍛錬が目的であるとのことでした。
その鍛錬は並大抵のものではなく大変な努力を要するとのことで、それがひと通り終了すると次は同じくこの界の別のカレッジへ行って別の科学分野を学び、そこでもさらに多くの段階の修練を積まねばなりません。
その創造的能力が本当に自分のものとなり切るのは、幾つもの界でそうした修練を経たのちのことです。その暁にはある一人の大霊、大天使、あるいは能天使(本当の呼び方は知りません)の配下に属することを許され、父なる宇宙神の無限の創造的活動に参加することになります。その時に見られる創造の過程は荘厳を極めるとのことです。
お話を聞いた時はそれは多分新しい宇宙ないしは天体組織の創造──物的か霊的かは別として──のことかも知れないと考えたりしました。が、
そんな高い界のことは現在の私たちにはおおよその概念程度のことしか摑めません。しかも、そこまでに至るには人智を絶した長い長い年月を要することです。勿論そういう特殊な方向へ進むべき人の場合の話です。どうやらそこを訪れた私たち五人の女性にとっては、向上の道は別の方角にあるようです。
でも、たとえ辿るべき宿命は違っても、さまざまな生命活動を知りたいと思うものです。全ての者が宇宙の創造に参加するとは限らないと私は思います。
遥か彼方の、宇宙創造神の玉座に近いところには、きっと創造活動とは別に、同じく荘大にして栄光ある仕事があるものと確信しております。
芝生の外郭を通って帰る途中で、別の科学分野を学ぶために別のカレッジへ行っていた研究生の一団と出会いました。男性ばかりではありません。女性も混じっております。
私がその女性たちにあなた方も男性と同じ分野を研究しているのですかと尋ねると、そうですと答え、男性は純粋に創造的分野に携わり、女性はその母性本能でもって産物に円(まる)みを持たせる働きをし、双方が相俟って完成美を増すことになるということでした。
もちろん完成美といってもその界での能力の範囲内で可能な限り美しく仕上げるという意味です。まだまだ天界の低地に属するこの界では上層界への進歩が目的であって、完璧な完成ということは有り得ないのです。
やがて私たちはこの円形のコロニーの校長先生と出会ったところに帰り着きました。
──何故その方のお名前を出されないのですか。
お名前はアーノルとおっしゃいます。少し変わったお名前で、地上の人間はとかく霊の名前に拘るので、出すのを控えていただけで他意はありません。霊の名前の由来はあなたには理解し難いので、これ以後もただ名前を述べるに留めて意味には言及しないことに致します。
──そうですね。その方が回りくどい説明が省けていいでしょう。
そうなのです。でも私たちがこうして霊界の生活を説明する時の霊的情況の真相がもし理解できれば、手間が掛かるほど間違いが少ないということが判っていただけると思います。例のアーノル様のコロニーでの私たちの体験と教訓を思い出して下さい。
──それにしても、名前を出すということがなぜそうまで難しいのでしょうか。難しいものであるという話は再三聞かされておりますが。
その難しさを説明するのがまた難しいのです。人間の立場から見れば何でもないことのように思えるでしょうけど。こういう説明ではどうでしょう。あなたもご存知の通り古代エジプト人にとっては神ならびに女神の名称には、頑迷な唯物主観の英語系民族(アングロサクソン)が考える以上に深い意味があったのです。
名前に何の意味があると言うのか──そう思われるかも知れませんが、私たち霊界人から観ると、そして又(こちらへ来てから得た資料で知ったのですが)古代エジプトの知恵から観ても、名前には大いに意味があるのです。
名前によっては、それを繰り返し反復するだけで現実的な力を発揮し、時には危害さえもたらすものがあります。地上にいる時は知りませんでしたが、こちらへ来てそれを知ったのです。それで私たちは、あなたには多分愚かしく思えるかも知れませんが〝名前〟という実在に一種の敬虔さを抱くようになるのです。
もっとも、物わかりの悪い心霊学者が期待するほどに霊界通信で名前が出てこないのは、それだけが理由ではありません。
こうして地球圏まで降りて来ますと、名前によっては単に口にしたり書いたりすることさえ、あなたが想像する以上に困難なことがあるのです。その辺の事情は説明が難しいです。こちらの四次元世界の事情にもっともっと通じていただきかないと理解できないでしょう。
この四次元という用語も他に適当な用語が無いから使用しているまでです。では、二、三の例を挙げて、それで名前の問題は終わりにしましょう。
その一つは例のモーゼが最高神の使者から最高神の名前を教えてもらった話(※)ですが、今日まで誰れ一人としてその名前の真意を知り得た者はおりません。
(※この説話は旧約聖書「出エジプト記三章」に出ているが、ステイントン・モーゼスの「霊訓」の最高指導霊イムペレーター、実は旧約聖書時代の予言者マキラによると、これは紀元前一三〇年頃の予言者、今で言う霊言霊媒チョムを通じて告げられたもので、その時の言葉は Nuk-Pu-Nuk、英訳すればI am the I am すなわち〝私は有るがままの存在である〟となり、宇宙の普遍的エッセンス、生命の根源をさすという。──訳者)
次はそれより位の低い天使がヤコブから名前を聞かれて断られています。アブラハムその他、旧約聖書中の指導者に顕現した天使は滅多に名を明かしておりません。
新約聖書においても同じように殆んどが〝天使〟と呼ばれているだけです。名前を告げている場合、例えばガブリエルの場合(※)も、その深い意味は殆んど理解されておりません。
((※)同じく「霊訓」によると、ガブリエルは同じ大天使の中でも〝守護救済〟の任に当たる天使団の最高位の霊であり、ミカエルは悪霊・邪霊集団と〝戦う天使団〟の最高霊であるという。──訳者)
──ところで、あなたの名前──そちらでの新しいお名前は何でしょうか。明かすことを許されているのでしょうか。
もちろん許されておりますが、賢明ではありません。明かした方が良ければ明かします。でも差し当たっては差し控えます。理由(わけ)はよく判っていただけなくても、あなたの為に良かれと思ってのことであることは判っていただけるでしょうから。
──結構です。あなたの判断にお任せします。
その内あなたにも判る日が来ます。その時は「生命(いのち)の書」(※)の中に記されている人々にいかなる栄光が待ち構えているかを理解されるでしょう。この書の名称も一考に値するものです。軽々しく口にされておりますが、その真意はほとんど、あるいは全然理解されておりません。
(※正式には Book of Life of the Lamb)で「キリストの生命の書」。天国に召されるのを約束された聖人を意味するとされている。──訳者)
ではあなたにもローズにもそしてお子たちにも、神の祝福のあらんことを。ルビー(まえがき参照)が間もなく行けるようになると言ってちょうだい、と私に可愛らしく告げています。指図を書き留められるようになってほしいなどと言ってますよ。まあ、ほんとに無邪気な子ですこと。皆んなから可愛がられて。ではさようなら。
4 暗黒街からの霊の救出
一九一三年十月十五日 水曜日
自分のすぐ身の回りに霊の世界が存在することを知らない人間に死後の存続と死後の世界の現実味と愛と美を説明するとしたら、あなたなら何から始められますか。多分第一に現在のその人自身が不滅の霊であることを得心させようとなさることでしょう。
そしてもしそれが事実だったら死後の生活にとって現在の地上生活が重大な意味を持つことに気づき、その死後の世界からの通信に少しでも耳を傾けようとすることでしょう。何しろその世界は死というベールをくぐり抜けたあとに例外なく行き着くところであり、否応なしに暮さねばならないところだからです。
そこで私たちは、もしも地上の人間が今生きているその存在も実在であり決して地上かぎりの果敢(はか)ないものではないことを理解してくれれば、私たちのように身をもって死後の生命と個性の存続を悟り、同時に地上生活を正しく生きている人間には祝福が待ちかまえていることを知った者からのメッセージを、一考の価値のあるものと認めてくれるものと思うのです。
さて、その死の関門をくぐり抜けてより大きい自由な世界へと足を踏み入れた人間が、滞(とどこお)りなく神の御国での仕事に勤しむことになるのは何でもないことのようで、実はただ事ではないのです。
これまで私たちは地上生活と死後の世界との因果関係について多くのケースを調べてみて、地上での準備と自己鍛錬の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないという認識を得ております。多くの人間は死んでからのことは死んでからで良いと多寡をくくっておりますが、イザこちらへ来てみるとその考えが認識不足であったことに気づくのです。
──今お書きになっているのはどなたですか。
あなたの母親と霊団のものです。アストリエル様は今夜はお見えになっておりません。またいつかお出でになるでしょう。霊団とともに通信に来られた時はお知らせしましょう。
では話を続けましょう。〝橋〟と〝裂け目〟の話は致しました・・・・・・
──ええ、聞きました。それよりも、アーノル様のコロニーでの体験と、あなたの本来の界へ戻られてからのことはどうなりました。ほかに面白いエピソードはもう無いのですか。
いろいろと勉強になり、知人も増え、お話したことより遥かに多くのことを見学したということ以外には別に申し上げることはありません。それよりも、ぜひあなたにお聞かせしたいと思っていることがあります。あのコロニーでの話を続けてもいいですが、これも同じように為になる話です。
〝裂け目〟と〝橋〟──例の話を思い出して下さい。(四一頁参照)。その橋──地上の橋と少し趣きが異なるのですが、引き続きそう呼んでおきましょう──が暗黒界から延びてきて光明界の高台へ掛かるあたりで目撃したエピソードをお話しましょう。
私たちがそこへ派遣されたのは恐ろしい暗黒界から脱出して首尾よくそこまで到達する一人の女性を迎えるためでした。その方は〝光〟の橋を渡ってくるのではなく、〝裂け目〟の恐怖の闇の中を這い上がって来るというのです。
私たちにはもう一人、すぐ上の界から強力な天使様が付いて来てくださいました。特別にこの仕事を託されている方で、首尾よく救出された霊が連れて行かれるホームを組織している女性天使団のお一人でした。
──お名前を伺いたいのですが。
ビーニ──いけません。出てきません。あとにしましょう。書いているうちに思い出すかも知れません。
到着してみると、谷を少し下った岩だらけの道に一個の光が見えます。どなたか男性の天使の方がそこで見張っていることが判りました。やがてその光が小さくなり始め、谷底へ下りて行かれたことを知りました。それから少しすると谷底から上に向けて閃光が発せられ、それに呼応して〝橋〟にいくつか設けられている塔の一つから照明が照らされました。
それはサーチライトに似てないこともありません。それが谷底の暗闇へ向けられ、一点をじっと照らしています。するとビー・・・・・、私たちに付いて来られた天使様が私たちに〝しばらくここに居るように〟と言い残してその場を離れ、宙を飛んで素早く塔のてっぺんへ行かれました。
次の瞬間その天使様の姿が照明の中に消えて失くなりました。仲間の一人が天使様が光線に沿って斜めに谷底へ下りて行くのを見かけたと言います。私には見えませんでしたが、間もなくその通りだったことが判明しました。
ここで注釈が要りそうです。その照明は見え易くするためのものではありません(高級霊は自分の霊眼で見えますから)。その光には低級界の陰湿な影響力から守る作用があるのです。
最初に谷底へ下った霊から閃光が発せられ、それに呼応して、常時見張っている塔から照明が当てられたのも、そのための合図だったのです。私には判りませんでしたが、その光線には生命とエネルギーが充満しており──これ以上うまい表現が出来ません──谷底で援助を必要としている霊のために発せられたわけです。
やがて二人の天使が件(くだん)の女性霊を連れて帰って来られました。男の天使の方は非常にお強い方なのですが、疲れ切ったご様子でした。あとで聞いたところによりますと、途中でその女性霊を取り返そうとする邪霊集団と遭遇したのだそうで、信号を送って援助を求めたのはその時でした。
お二人はその女性霊を抱きかかえるようにして歩いて来ましたが、その女性は光の強さに半ば気絶しかかっておりました。それを気遣いながら塔へ向けてゆっくりと歩いて行かれました。私にとってこんな光景は初めてでした。もっとも、似たような体験はあります。
例の色とりどりの民族衣装を着た大集団が集結した話(四八頁参照)をしましたが、こんどの光景はある意味ではそれよりも厳粛さがありました。というのは、あの光景にはただただ喜びに溢れておりましたが、いま目の前にした光景には苦悩と喜びとが混ざり合っていたからです。
三人はついに橋に辿り着き、そこで女性霊は建物の一室に運び込まれ、そこで十分に休養を取り、回復したあと私たちに引き渡されたのでした。
この話には私たちにとって新らしい教訓が幾つかあり、同時にそれまでは単なる推察に過ぎなかったものに確証を与えてくれたものが幾つかあります。その内の幾つかを挙げてみましょう。
まず、女性霊を救出した二人の天使を見れば判るとおり、霊格の高い天使が苦しみを味わうことが無いかのように想像するのは間違いだということです。現実に苦しまれるし、それも度々あるのです。邪悪な霊の住む領域に入ると天使も傷(や)られます。
ならば、その理屈でいくと邪霊集団が大挙して押し寄せれば全土を征服できそうに思うのですが、やはり光明と善の勢力の組織がしっかりしていて、且つ常に見張っておりますので、現実にそうした大変な事態になった話を聞いたことがありません。
しかし彼らとの闘いは真実〝闘い〟なのです。しかも、たいへんなエネルギーの消耗を伴います。これが第二の教訓です。高級霊でも疲労することがあるということです。
しかし、その苦痛も疲労も厭わないのです。逆説的に聞こえるかも知れませんが、高級霊になると、必死に救いを求める魂のために自分が苦しみを味わうことに喜びを感じるものなのです。
また例の照明の光──エネルギーと活力の光線とでも言うべきかも知れません──の威力は強烈ですから、何かで光を遮断してあげなかったら女性霊は危害をこうむったはずです。あのように光に慣れない霊にとってはショックが強すぎるのです。
さらにもう一つ。その光線が暗闇の地帯の奥深く照らされた時、何百マイルもあろうかと思える遠く深い谷底から叫び声が聞こえて来ました。それは何とも言えない不思議な体験でした。と言うのは、その声には怒りもあれば憎しみもあり、絶望の声もあり、はたまた助けとお慈悲を求める声も混じっていたのです。
それらが混ざり合ったものが至るところから聞こえて来るのです。私にはそれが理解できないので、あとで件の女性霊を待っている間にビーニックス Beanix ──こう綴るよりほかないように思えますのでこれで通します。綴ってみるとどうもしっくり来ないのですが──その方に何の叫び声でどこから来るのかお聞きしました。
するとビーニックス様は、それはよくは知らないが霊界にはそうした叫びを全部記録する装置があって、それを個々に分析し科学的に処理して、その評価に従って最も効果的な方法で援助が差し向けられるとのことでした。叫びの一つ一つにその魂の善性又は邪悪性が込められており、それぞれに相応しいものを授かることになるわけです。
件の女性をお預かりした時、私たちはまずは休養ということで、心の安まる雰囲気で包んであげるよう心がけました。そして十分に体力が回復してから、用意しておいたホームへご案内しました。今もそこで面倒を見てもらっています。
私たちはその方に質問は一切しませんでした。逆にその方から二、三の質問がありました。なんと、あの暗黒界に実に二十年以上も居たというのです。地上時代のことは断片的にしか聞いておらず、一つの話につなげられるほどのものではありません。
それに、そんな昔の体験をいきなり鮮明に思い出させることは賢明ではないのです。現在から少しずつ遡って霊界での体験をひと通り復習し、それから地上生活へと戻ってこの因果関係──原因と結果、タネ蒔きと収穫──を明確に認識しないといけないのです。
今日はこの程度にしておきましょう。ではさようなら。
神の祝福と安らぎを。アーメン。