Wednesday, April 8, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

  The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


9章 霊の仕事と使命

このページの目次
〈霊にとっての仕事〉

――霊は向上・進化のための体験以外に何か仕事があるのでしょうか。


「神の意思を成就させることによって宇宙に調和をもたらすべく協力し合っております。つまりは神の使徒というわけです。霊の生活は絶え間ない仕事の連続ですが、仕事といっても地上における辛い労務とはまったく異なります。身体的疲労もありませんし、身体の欲求(飲食等)を耐え忍ぶということもありません」


――低級霊や未熟霊にも宇宙における役割があるのでしょうか。


「全ての霊に何らかの仕事があります。偉大な設計者による壮大な殿堂も、名もない大勢の石工(いしく)がいてこそ建てられるのです」


――各霊に特有の属性があるのでしょうか。


「霊は宇宙のすみずみまで統括することによって最終的には全ての地域に住み、全ての事についての知識を獲得しなければなりません。しかし『伝道の書』にもあるように“天が下の全ての事には季節があり”ます。かくして、ある霊は今は地上にあって自分の運命を成就しつつあるのであり、またある霊は別の時節に地球上で、水中で、あるいは空中で、それぞれの運命を成就するであろうし、すでに成就し終えた者もいるわけです」


訳注――『伝道の書』は旧約聖書にある十一章から成る比較的短い書で、エルサレムの王だった伝道者の言葉といわれる。ちなみに右の引用文の続きをもう少し紹介すると――

“天が下の全ての事には季節があり、全ての業には時がある。生まるるに時があり、死するに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり” 云々……。


――霊は絶え間なく仕事に従事しているのでしょうか。


「絶え間なく、ですか? 霊は思念で生活しており、思念は活動を止めることがないことを理解していただけば、そうですと申し上げます。ただし、人間の職業と同じものを想像してもらっては困ります。自分が役に立っているとの意識を通して、活動そのものに喜びを覚えるのです」


――それは善霊に関しては容易に理解できますが、低級霊についても同じなのでしょうか。


「低級霊は低級霊で、その霊性に似合った仕事があります」
〈霊にとっての使命〉


――霊がある使命を言いつけられた場合、それはさすらいの期間中に果たすべきものなのでしょうか、それとも再生して成就することもあるのでしょうか。


「両方のケースがあります。さすらいの状態にある霊でも使命を託されて忙しく活動している場合があります」


――どのような使命でしょうか。


「いろいろとあって一概には言えません。それに、人間に理解できない仕事もあります。霊は神の意思を代行するのであり、人間にはその神の意図の全てに通暁することは不可能です」


――霊は託された神の意図をきちんと理解できているのでしょうか。


「そうとは限りません。わけも分からずに携わっている者もいます。が、その意図されていることをしっかりと理解している者もいます」


――それは強制的に課せられるのでしょうか、それとも自由意志で引き受けるのでしょうか。


「自ら求めます。そして、それが許されれば喜びます」


――同じ使命に何人もの霊が志願することもあるのではないでしょうか。


「あります。一つの使命に数名の志願者がいる場合もあります。が、志願者の全てに同じものが与えられることはありません」


――使命をもって再生する場合の使命とはどのようなものでしょうか。


「人間を教育し、向上・進化を促し、また間違った慣習を改めることに直接携わります。もっとも、こうした使命は高尚で重大なものですが、その配下でコツコツと働く陰の功労者がいることも忘れてはなりません。世の中の全てがどこかでつながっているものです。霊は再生して人間的形体に宿って霊性を磨く一方で、神の計画の推進にも寄与しているのです。一人一人に使命があり、何らかの形で役立つものを秘めているからです」


――怠惰な人生を送っている者がいますが、そういう人間にも使命は授けてあるのでしょうか。


「人間の中には、一生涯、自分のためにだけ生きて、何一つ世の中のために貢献しない者がいることは事実です。実に哀れむべき人間で、その無為の生涯への償いとして大変な苦しい目に遭うことでしょう。しばしば今生(こんじょう)にあるうちにそれが始まります。厭世観と嫌悪感に嘖(さいな)まれます」


――人間が何か有意義な仕事を成し遂げた場合、それは再生前から使命として決まっていたことなのでしょうか。前もって決まったことを再生後に使命として授かることもあるのでしょうか。


「人間のすることが全てあらかじめ使命として命じられていたこととは限りません。人間界のために何か有意義なことをしたいと思っている霊が、適当な人物を利用して成し遂げることがよくあります。

例を挙げますと、あるテーマについて一冊の本を書きたいと思っている霊がいるとします。その霊は適当な人物を物色してそのテーマを吹き込み、構想を授け、そして書かせます。この場合、その書物の出版は使命だったわけではありません。

同じようなことが科学の発明・発見や芸術の分野でもよくあることです。肉体の睡眠中に、再生中の霊とさすらいの状態の霊とが直接会って、そうした構想について語り合うこともあります」


――人類に多くの真理をもたらした天才的霊能者が人間的に大きな過ちを犯したり、貴重な真理と同時にとんでもない間違った思想を説いている人がいます。こういう人たちの場合、使命とは何だったのでしょうか。


「自分で自分を裏切ったということです。引き受けた仕事に耐え切れなかったということです。ただし、そうした先輩を批判する時に考慮しなければならないのは、彼らが置かれた時代的背景です。天才的霊能力はあっても、その時代のレベルに合わせて語らねばならなかったということです。後世の者の目から見れば間違っており幼稚に思えても、その時代としてはそれで十分だったのです」


――親となることも使命であることがありますか。


「ありますとも。しかも重要この上ない義務でもあります。その義務の遂行は人間が想像するより遥かに大きく将来に重大な影響を及ぼします。

そもそも神が両親に子を授けるのは、後見人としてその子がまっとうな人生を送るように指導と監督をさせるためです。子供がか弱くデリケートにできているのは親の関与を多く必要とさせるためで、それだけ子供は親を通して新しいものを得るわけです。ところが現実には多くの親は“我が家”中心に考えて、一人間として立派な性格の子に育てるよりも、金(かね)のなる木になってくれるように腐心します。

その結果としてもしもその子が親のエゴの通りの人間になったとしたら、それは親としての信義に背くものとして罰を受けると同時に、いびつに育ったその子がこうむる苦しみの数々の責任も問われます。親としての本来の義務を遂行しなかったからです」


訳注――このあと細かい質問が幾つか続くが、いずれもこれまでの返答に出たものばかりで、通信霊も「神は公正です」という一言でぶっきら棒に片づけているのもある。霊格の高い親があえて邪悪な霊を我が子に迎えることもあれば、その逆もある。前世あるいは前々世と絡んだ問題であるから、いちいち具体例を挙げていったらキリがない。

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanel


十一章 新しい世界

 「私がしつこいほどみなさんに申し上げていることは、われわれは一人でも多くの人に手を差しのべなければならないということです」───こう述べてシルバーバーチは霊界の計画が世界的規模で推進されていることを指摘する。

 「私たちが携えてきたお土産をよくご覧になって下さい。いつまでも色褪せることのない、目も眩まんばかりの宝ものばかりです。その光輝はいつまでも輝き続けます。われわれのしていることに目を向けはじめる人の数がますます増えつつあります。莫大な規模の計画が用意され、われわれもその一部が割り当てられております。

克服しなければならない困難があることでしょう。取り除くべき障害物もあることでしょう。が、われわれ戦勝軍はひたすらに前進し続けております。

 長いあいだ圧制し続けた勢力も今となってはもうわれわれを圧制できなくなっております。過去幾世紀にもわたってわれわれに抵抗してきた勢力───正直に言わせていただけば唯物主義者と神学に凝り固まった宗教家たちは、全て退却の一途を辿りつつあります。

彼らの内部において混乱が生じ、時代とともに信じる者の数が減少の一途を辿っております。それにひきかえ、われわれはますます勢力を強めていきつつあります。真理、神の真理、永遠の真理が味方だからです。それを武器とした戦いに敗戦は決してありません。

 時に後退のやむなきに至ることがあるかも知れません。が、それも一時のことです。そのうちきっと失地を取り返し、結局は前進の一途を辿ります。この仕事に携わる人に私が決して絶望しないように、決して懐疑の念を抱かぬように、決して恐れないようにと申しあげるのはそのためです。

あなた方の背後に控える霊の力は、あなた方の想像も及ばないほど強力にして威厳に満ちているのです。前途に立ちはだかるものが何であろうと、困難が如何なるものであろうと、いつかは必ず取り除かれ、計画の推進とともに真理普及に必要なものは必ず授かります」



 ここで古くからのメンバーで第二次大戦に出征して無事生還した人がシルバーバーチに礼を述べた。実はこの人が出征する前───Dデー(※)の前から───シルバーバーチはこの方は真理普及のために必ず生きて帰りますと語っていたのである。(※連合軍による北フランス攻略開始日すなわち一九四四年六月六日のこと──訳者)礼を言われたシルバーバーチはこう語った。
 

 「そのことに関連して、私がなぜあなたのように私のもとに導かれてきた方に特別の関心をもつかを説明いたしましょう。(たとえ戦争の最中といえども)ものごとには偶然というものはないということです。特に私たちが携わっているこの仕事に関しては明確にそれが言えます。

途轍もなく大きな仕事がわれわれの双肩にかかっているのです。われわれの一人一人が地上世界の新生のための役割を授かっているのです。

 いつの時代にも地上に霊的真理が途絶えることのないように遠大な計画が推進されております。その計画の基礎はすでに確固たるものが出来あがっております。烈しい抵抗にあっても、悪口雑言の中にあっても、誤解されても、新しい真理の広がることを快く思わぬ者による敵意を受けながらも、霊の力は着々と地上に注がれつつあります」

 「決して新しい真理ではないでしょう」 と兵役から戻ってきたメンバーが言うと、
 「全ての真理と同じく、これも新しく且つ古いものです。まったくオリジナルなものという意味での新しい真理は存在しません。表現の仕方において新しいということはできます。つまり一点の疑問の余地もないまでに立証する証拠を伴っているという意味では新しいと言えます。

 霊的真理に実証的事実を添えたということです。かつては霊的真理は霊的手段によって理解するのみでした。それが今あなた方の時代においては物質の世界に身を置く者による挑戦に同じレベルで対処できるようになった───つまり霊的真理が五感によってその真実性を立証されることになったわけです。その意味で新しいわけです」

 「それもそうですが、イエスは二千年前に今日の霊媒が見せている実際の証拠を数多く見せています」 

「それは二千年前の話です。あなたはそうした現象に対して異常なほど懐疑的な人間の多い時代に生きておられます。その懐疑的な人間の中にはキリスト教界でもきわめて名の知られた方もいます。彼らはひそかに、ときには公然と、バイブルの中の霊的事象を必ずしも信じていないことを認めております」


 「懐疑的になるのも已むを得ないとは思われませんか」

 「思います。私は決して正直に疑う人を非難しているのではありません。もともと神は人間に理性的判断を賦与しております。それは日常生活において行使すべく意図された神からの授かりものです。理性を抑圧して理不尽なものを信じさせようとする者は光明へ逆らって生きていることになります。

理性に従う人間はその過程がいかに苦痛でいかに困難であろうと、そして又その結果、神聖にして侵すべからざるものと教え込まれた聖典に記されているものを放棄せざるを得なくなったとしても、少なくとも自分には正直であると言えます。

 (バイブルの時代においても) 霊的真理を現象によって実証し、見る目を持つ者、聞く耳を持つ者、触れる手を持つ者に一点の疑いもなく霊的真理の実在性を納得させようとの計画があったのです。

現に、交霊会での現象はバイブルの中の現象の多くを確認させております。もっとも全てが一致することは望めません。なぜなら、よくご存知の通り、バイブルは真理に身を捧げるのとは別の魂胆を持つ者の手によって骨抜きにされ、改ざんされてしまっているからです。

 われわれの目的は言わば宗教のリハビリテーションです。宗教を無味乾燥で不毛の神学論争から救い出すことです。

宗派間のいがみ合いから救い出し、教理上の論争を超越して、実証的事実の基盤の上に真の宗教を確立し、霊界からの啓示を今ますます増えつつある霊媒を通して地上に普及させ、あらゆる地域の人類に神が今なお働いていること、その恩寵は決して過去の時代にかぎられたものでなく、今日でも、どこにいようと、誰であろうと、同じ恩寵に浴することができることを知らしめる───そういう計画があるのです」

 「その霊的知識が地上に普及されたあともなお、地上と霊界とのつながりは続くのでしょうか」
 「続きます。水門が開かれればどっと水が流れ込みます。そして同時に、その水門が閉じられないようにしなければなりません。霊媒というチャンネルが増えれば増えるほど霊的真理という活力あふれる水が地上へ流れ込みます。霊力にはかぎりがありません。

霊は無限の可能性を秘めているからです。霊的真理を渇望する者が増え、必死に近づかんとすれば、それに呼応してより多くの霊力が注がれ、それまで恩恵に与(あずか)っていない知識と叡知とが視界に入るようになることでしょう。

 その霊的知識────目新しいものもあり革命的といえるものもありますが───人生をその霊的知識に忠実に送れば、世の中は次第に改善されてまいります。無用の長物や目ざわりなものが取り除かれ、精神と霊と身体とがより大きな自由を享受できる世の中となります。

不平等が減り、生活に豊かさが増し、人間の存在に尊厳と威信と気高さが増します。自己の霊性を自覚したことによる結果にほかなりません。

 これが未来像なのです。その目的に向かって、人間の難問を解決し悪の要素を取り除くために援助せんとする崇高なる霊が大ぜい待機しているのです」


 このあと出された質問に答えて、右と同じ主題をさらに敷衍してこう述べた。
 「人間にとって最も大切なことに関して革命的要素をもつ知識が次第に受け入れられ、欠乏、飢餓といった問題の解決に大きな援助を与え、より多くの人々により多くの恩恵がもたらされるようになることでしょう。
   
 私たちが施すものには二重の目的があります。基本的にはその中身は霊的であるということです。それが最も大切だからです。人生において各自の霊に関わることが他の全てのものに優先します。霊こそが永遠の実在だからです。ですが一方、地上の物的生活において生じることが霊性に深刻な影響を及ぼすこともあります。

それゆえ私たちの努力は、地上的環境を改善し改革し修正し、ありとあらゆる不公平を是正し、不公正を取り除き、病気を駆逐し、害悪を及ぼす汚点を払拭することにも向けなくてはならないのです。

私ども霊界の者は地上の落伍者、備えなき者、未熟者が次から次へと送り込まれて来るのをいつまでも許しておくわけにはいかないのです。魂の準備は本来そちらですべきものであり、こちらではないのです。地上は霊が修行のために送り込まれるところです。

霊界の生活への適応性を身につけないまま霊界入りする者が多すぎます。こちらへ来てからでは教育がしにくくなります。地上の方がやり易いのです。
 
 そういう次第ですから、霊的に、精神的に、あるいは物質的に人間の運命の改善という重大な仕事に身を捧げるわれわれは意志を強く持ち、努力は決して無駄に終わらないことを確信いたしましょう。

古い秩序が崩れ、新しい秩序が取って代りつつあります。遠い過去の時代に灯された思想が今や大きな炎となって燃えさかっております。それは決して消されることはありません」


 これまでもシルバーバーチはたびたびメンバーに向かって、混乱の世界から新しい世界が生まれつつあることを述べて来た。悲劇の数々も新しい知識の時代、霊的知識の時代の〝産みの痛み〟であると述べている。そして最近の交霊会でも次のように述べている。

 「夜明けの光が見えつつあります。あなた方が物的状況から予想するよりはるかに急速な足取りで近づきつつあります。今まさに地上世界は運命の岐路に立っております。私が心を込め最大級の確信をもって申し上げたいことは、その新しい世界はすでに根付いているということです。

これからの問題ではなく、すでに誕生しております。産みの痛みとうめきの中から生まれて、すでに地上各地に広がりつつあります。世界中に一様にというわけにはいきません。

それは有り得ないことです。が、確かに根づいております。これから建設に取りかからねばならないとか、創造していかねばならないとかの問題ではありません。

すでに新しい世界となっております。無秩序、暗黒、混乱がいかに支配しても、あるいは真面目な学徒による思想上の対立がいかに喧(かまびす)しくても、あるいは圧力と権力と豪華さを振りかざして既得権を死守せんとしても、すでに大勢は決しております。新しい世界は始まっているのです」 

Tuesday, April 7, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)




8章 霊の物質界への関与

このページの目次

〈霊界から覗いた人間の生活〉
〈人間の思念・行動に及ぼす霊的影響〉
〈憑依〉
〈守護霊・指導霊〉
〈人間生活への霊力の行使〉
〈自然界における霊の働き〉
〈戦争と霊〉
〈魔よけ・呪術〉


〈霊界から覗いた人間の生活〉

――霊には人間のすることが全部見えますか。


「その気になれば見ることができます。絶えず人間の身の周りにいるのですから。ですが、実際問題として、関心のないことには注意を払いませんから、受け持ちの範囲のことにしか注意を向けていません」


――完ぺきに秘密にしていることでも分かりますか。


「あなた方が隠そうとしていることをよく見かけます。行為も思念も霊には隠せません」


――そんな時、霊の方ではどんな気持ちで見ているのでしょうか。


「それはその霊自身の質によります。低級ないたずら霊だったら人間がイライラするような事態を生じさせ、カッカするのを見て面白がるでしょう。高級霊であればその愚行を憐れんで、その欠点を改めさせる方向で指導するでしょう」
〈人間の思念・行動に及ぼす霊的影響〉


――人間の思念や行動は霊の影響を受けているのでしょうか。


「あなた方が想像する以上に影響を受けています。と言うのも、そもそも人間は霊の指示で動いているのですから」


――我々自身から出た思念と、霊によって吹き込まれた思念があるのでしょうか。


「人間も思考力をもった霊です。従って当然、自分から出た思いもありますが、次から次へと考えが湧き、しかも同じ問題に関してしばしば対立する考えが入り込んでくることも経験しているはずです。そうした場合、どちらかが自分のもので、どちらかが霊に吹き込まれたものです。二つが相反するものですから決心が揺れるのです」


――そんな時はどのようにして区別したら良いのでしょうか。


「強いて言えば霊からの示唆は、あたかも語りかけられたような感じで、自分自身が考えたことは大抵最初に思い浮かんだものと言えますが、実際問題としてはその区別はどうでも良いことです。区別できない方が良い場合もあります。それだけ自分一人による自由な判断の範囲が広がるわけで、結果的に正しい選択であれば、自分の判断力に自信がつきますし、間違っていれば自分自身の間違いとして責任を一身に背負えることにもなるからです」


――科学者や天才による発明・発見は自分で生み出すのでしょうか。


「自分の霊的産物であることもありますが、大抵は背後霊が教える価値があると判断し、正しく受け入れてくれると確信した上で示唆しています。その程度の科学者や天才になると、自分自身では生み出せないと自覚すると、無意識のうちにインスピレーションを求めるものです。一種のエボケーション(招霊)で、本人はそうとは気づいていません」


――示唆されたアイディアが善霊からのものか邪霊からのものかは何によって判断すれば良いのでしょうか。


「内容をよく検討することです。善悪を見分けるのは人間自身です」


――悪の道に誘い込もうとする邪霊の影響を排除することは可能でしょうか。


「可能です。と言うのは、邪霊が付きまとうのはその人間自身の思念や欲望が邪だからです」


――人間側が悪の誘惑を拒絶した場合、邪霊は誘惑をあきらめますか。


「あきらめるしかないではないですか。もくろみ通りに行かないと分かれば、彼らは誘惑を止めます。ですが、ネコが常にネズミを狙っているように、その後もずっとスキを狙っているものと思ってください」


――邪霊が人間を悪の道に誘う時、その人間の置かれた境遇につけ入るのでしょうか、それとも彼らの思うツボにはまるような事情をつくり出すことまでするのでしょうか。


「都合の良い条件が発生すればどんなことでも利用しますが、人間が良からぬ願望を抱くと、その目的の成就に向けて欲望を煽ります。人間はそれに気づきません。

例を挙げましょう。どこかの通りに大金の札束が落ちているとします。そこへその人間が通りかかりました。まさか霊が札束をそこへ置くはずはありません。そこを通りかかるように仕向けたのです。その札束を見つけてその人間はどういう態度に出るか――邪霊はそれを我がものとするように吹き込み、一方善霊は然るべきところへ届け出る考えを吹き込みます。どちらを選ぶか、それは当人の道義心の問題です。すべての誘惑は大体こんな風にして行われるのです」
〈憑依〉


――霊は人間の肉体に取り憑いて、その人間に代わって肉体を使用することができるのでしょうか。


「霊が憑依するといっても、部屋の中に入るような調子で人体に入り込むわけではありません。同じ欠点、同じ性癖をもつ人間と波動上でつながることはありますが、主体性を持つのはあくまでも肉体に宿っている霊です。霊と肉体とは一体不離の関係で結ばれており、神が定めた寿命が尽きるまで切り離されることはありません」


――俗に言う“取り憑く”ことはなくても、肉体に宿っている魂が低級霊によって支配され、思うように操られ、ついには自我意識がマヒしてしまうに至ることはないでしょうか。


「それは有り得ます。それが本来の意味での憑依の実態です。ですが、忘れないでいただきたいのは、そういう憑依現象は憑依される側の“弱み”または“自由意志”によってそういう事態になることを許しているということで、それがないかぎり発生しません。人間は永い間そういう現象をてんかんのような脳障害による症状と同じに考えて、霊的治療家よりも医者による治療にまかせてまいりました」(『霊媒の書』十三章参照


ブラックウェル注――霊的憑依現象を発生させる“弱み”とは、現世または前世における悪行への罰であり罪滅ぼしのことである。


――憑依された状態から自力で脱することは可能でしょうか。


「可能です。本気でその気になれば、いかなる束縛状態でも解くことができます」


――邪霊によって完全に憑依され、本人の自我意識が奪われたとします。そんな場合に第三者がその呪縛状態を解くことができるでしょうか。


「高潔な人格者が存在すれば、その意志の力で救済のための善霊の協力を引き寄せることが出来るかも知れません。人格が高潔であるほど霊力が強いですから、邪霊を追い払い、善霊(霊医)を呼び寄せることが出来るという理屈になります。ですが、そういう事態にまで至った場合、いかに優れた人物がいても、憑依されている本人が意識的に自由を取り戻そうとする意志を見せないかぎり、まったく無力です。

と言うのは、そういう人間は得てして依頼心が強く、堕落した好みや願望につけ入られても、それをむしろ快く思うものなのです。霊性の低い霊は高級霊から軽蔑されているというひがみ根性から救済に協力しようとしませんし、仮に協力しても邪霊集団の相手ではありません」


――悪魔払(エクソシズム)いの儀式は邪霊集団を追い払うのに役立ちますか。


「役には立ちません。真面目くさってそういう儀式をやっているのを見て、邪霊たちは小ばかにします。そして、ますます憑依状態を続けます」


――祈りはどうでしょうか。


「祈りが援助を呼び寄せることは事実です。ですが、その祈りがただ文句を唱えるだけのものでは何の効果もありません。天は自ら助くる者を助くとは至言です。自らは何も努力せずに、ただ願いごとを並べるだけの者には援助の手は差し延べません。ですから、憑依されている人間が、そもそも邪霊につけ入られることになった(依頼心が強いという)弱点・欠点を正すということがまず肝要です」
〈守護霊・指導霊〉


――人間各自には守ったり援助したりする目的で付いている霊がいるそうですが……。


「います。霊的同志です。あなた方が指導霊(ガイド)と呼んでいるものです」


――守護霊(ガーディアン)というのはどういう存在でしょうか。


「霊格の高い指導霊のことです」


――守護霊の使命は何でしょうか。


「父と子供との関係と同じです。ある目的をもって、その成就のための道から外れないように、時には忠告を与え、悲しみの中で慰めを与え、苦難の中にあっては生き抜く勇気を与えたりします」


――誕生の時から付いているのでしょうか。


「誕生から死に至るまでです。しばしば死後霊界でも、あるいはその後の幾つかの再生生活でも守護霊として付くことがあります。霊的観点から見れば、物的生活を幾つ重ねても、ごく短いものです」


――守護霊という役目は自発的なものでしょうか、強制的なものでしょうか。


「あなた(カルデック)の守護霊の場合は要請されて引き受けていますから、義務としてあなたを見守っています。が、一般的に言えば守護霊は自分で親和性の強い人間を選ぶことを許されております。楽しみとして進んで引き受ける場合もありますし、使命ないしは義務として引き受ける場合もあります」


訳注――私が“英国の三大霊訓”と呼んでいるモーゼスの『霊訓』、オーエンの『ベールの彼方の生活』、そして『シルバーバーチの霊訓』のうち、守護霊が出てくるのは『ベールの彼方の生活』の第三巻のザブディエルと名のる霊だけで、他は守護霊以外の者が携わっている。

インペレーターもモーゼスの守護霊ではない。その上にもう一人プリセプターと名のる最高級霊が控えていたというが、多分それが守護霊であろう。シルバーバーチもバーバネルの守護霊ではない。六十年間についに一度も出現していない。

このカルデックの守護霊も誰であるかは分からない。聖ルイは守護霊ではないはずである。そう判断する理由は、大きな仕事においては守護霊は総監督として見守るだけで、直接的には携わらないというのが、私の知るかぎり、通例だからである。


――一人の人間の守護霊となった以上は他の人間の面倒は見ないのでしょうか。


「そうとは限りません。が、控え目にはなるでしょう」


――守護霊が人間を見捨てるということが有り得ますか。


「いくら忠告を発しても聞く耳を持たず、低級霊の誘いに完全にはまってしまったと見た場合は、手を引くことがあります。と言っても見捨てるわけではありません。わずかなチャンスを狙って善の道に引き戻そうとします。守護霊が人間を見捨てるのではなく、人間の方が守護霊の言うことに耳を貸さなくなるということです。霊性が目覚めて善性を求めるようになれば、喜んで受け入れます。

それほど労が多く、報われることが少なく、忍耐のいる仕事に高級霊が携わるのが信じられないと思われる方には、こうお答えしましょう。まず第一は、我々は高遠の世界からわざわざ地上まで下降してくるわけではありません。計り知れないほどの距離も我々には何の障害にもならず、次元を異にする世界にいても交信は可能だということです。

もう一つは、我々には人間には想像もできない資質があるということです。神は我々の手に負えないほどの仕事は決して課しませんし、人間を、友も援助者(背後霊団)も付けずに地球という孤島に島流しにしたわけではありません。一人一人に必ず守護霊が付いており、父が我が子を見守るように、一瞬の休みもなく見守っています。言うことを聞いてくれれば喜び、無視されると残念がっております」


――人間が悪の道に入って行くのを守護霊も許すことがあるとおっしゃいましたが、それは邪霊集団に太刀打ちできないからでしょうか。


「そうではありません。太刀打ちする、つまり邪霊集団と張り合うよりも、思い切ってその道に入らせても本人は必ずや間違いを悟って大きく成長するという確信があるからです。

守護霊は常に賢明な助言の思念を送っていますが、必ずしも聞き入れてもらえません。邪霊がつけ入るのはそうした弱点、スキ、慢心などを通してです。それに負けるのは、抵抗するだけの霊性が身についていないことを意味します」


――守護霊を必要としなくなる段階があるのでしょうか。


「あります。生徒が十分に学んで先生を必要としなくなる時期があるように、守護霊がいなくても一人で十分にやって行ける段階が来ます。しかし、地上界に関するかぎり、そういうことは有り得ません」


――歴史上の有名人の名を名のっている守護霊は間違いなくその人物でしょうか。


「そうとは限りません。同じ霊系に属する、ほぼ霊格の同じ霊である場合があり、多くの場合、当人から依頼を受けて出ています。(偽っているわけではなく)人間の方が名前にこだわるものですから、それで安心させる意味でその名を使用するのです。あなた方だって使いの用事を言いつけられて、どうしても都合がつかない時は代理の者を行かせることがあるでしょう。それと同じです」


――霊界へ行って守護霊に会えばそれと分かりますか。


「分かります。と言うのは、多くの場合、再生する前まで顔見知りの間柄だからです」


――未開人や文明人で道徳的意識の低い人にでも守護霊がついているのでしょうか。


「守護霊の付いていない人間はいません。ただ、割り当てられる責務によって守護霊の霊格も違ってきます。読み書きを習い始めたばかりの子供に大学教授を家庭教師に付けますか。神は常に一人一人の人間の本性とそれまでに到達した霊性に応じて守護霊を付けます」


――守護霊とは別に、善悪の判断力を試す目的で邪霊も一人一人に付けられているのでしょうか。


「“付けられている”という言い方は正しくありません。確かに、悪の道へ誘い込もうとしてスキを伺っている複数の低級霊が必ずいるものです。が、仮にその邪霊の一人が実際に人間に付きまとうようになったら、それはその邪霊が何らかの意図をもってやっていることです。その場合は言わば善と悪との闘いとなるわけで、どっちに軍配が上がるかは当人の判断力にかかっております」


――守護霊のほかにも面倒をみてくれている霊がいるのでしょうか。


「今述べたように悪の道に誘惑しようとする邪霊が何人もいるように、守護霊(ガイド)の指示のもとで面倒をみてくれている指導霊が何人かいます。霊格の高さはまちまちですが、親和性があり、情愛で結ばれております」


――そうしたガイドは使命があって付くのでしょうか。


「霊によっては一時的な使命を仰せ付かっている場合がないでもありませんが、一般的には、良きにつけ悪しきにつけ、情緒的に共通する霊が付くものです」


――今のお言葉ですと親和力で結ばれている霊でも善霊と悪霊とがいることになりますが……


「その通りです。性格のいかんにかかわらず、相通じ合う霊に取り囲まれていると思うがよろしい」


――“親しい霊”は“親和力で結ばれている霊”および“守護してくれる霊”と同じでしょうか。


「“守護に当たる”とか“親和性に富む”という表現にもいろいろと意味合いがあります。どう呼んでも構いませんが、“親しい霊”という場合は“身内の霊”といった家族的な意味合いが強いです」


――社会、一都市、一国家にも特別の霊団が付いているのでしょうか。


「付いています。そういう集団には共通した目的があり、その目的によって指示を与える霊格の高い霊団が付いています」


――その種の霊団は一般個人の霊団よりも霊格が高いのでしょうか。


「個人の場合でも集団の場合でも人間側の霊性の発達程度に応じた霊団が組織されます」
〈人間生活への霊力の行使〉


――霊団は道徳上の忠告や指導をするだけでなく、日常生活のことも気遣ってくれているのでしょうか。


「その人間に関わるあらゆる側面に気を配っています。責務としてやらねばならないことに関連して、いろいろと忠告を発しています。問題は人間側がそれに耳を傾けてくれないことで、結局は自分の判断の誤りで問題を大きくしているのです」


――思念で忠告する以外に、直接的に霊力で働きかけることはないのでしょうか。


「あります。ですが、それにも許される自然法則の範囲があり、それを超えることはありません」


――例えばある人が梯子をのぼっていて、途中で梯子の段が折れて落下して死亡したとします。このような場合、そういう宿命を果たすために霊力でその梯子を折るようなことをするのでしょうか。


「霊が物質に働きかける力を持っていることは明らかですが、それはあくまでも自然法則の運用のためであって、ある予期せぬ出来事を起こすために法則に逆らって演出するようなことは許されません。

今おっしゃった事故の場合は梯子の材木が腐っていたか、その人間の体重が重すぎたかの、いずれかの原因で折れたのでしょう。つまり自然法則の結果です。そのことと、その人間の死との関連は、そういう梯子を使用するような事態に至るというところに運命的な働きがあったと見るべきであって、殺すために超自然現象で梯子を折るということをするわけではありません」


――もう一つ例を挙げますと、急に嵐になって近くの大木の下に雨宿りをしていたら、その木に雷が落ちて死亡したとします。この場合、霊がその木を目がけて雷を落としたのでしょうか。


「これも先ほどの例と同じです。雷は自然法則に従ってその木に落ちたのであって、その人を殺す目的でその木に命中させたわけではありません。その人がその木の下にいようがいまいが雷は落ちたでしょう。肝心な点はその木に雨宿りしようという考えを抱いたことです」


――地上時代に他人に危害を与えた者が霊界へ戻ると、その時に抱いた敵意は消えるものでしょうか。


「自分の行為の間違いに気づき後悔の念を抱く者が多いのですが、相変わらず敵意を抱き続けているケースも少なくありません。そういう関係は試練の延長として神が認めているのです」


――我々第三者がその種の迫害に終止符を打たせる方法はないものでしょうか。


「多くの場合、祈ることによって終止符を打たせることができます。憎しみの念に対して愛の念を送り返すことによって、邪念に燃える霊に徐々に反省の気持ちを芽生えさせます。そして忍耐強く続けることによって愛は邪悪な企みに優ることを知らしめ、憎しみの空しさを抱かせ、かくして攻撃することを止めさせることになります」
〈自然界における霊の働き〉


――自然界の大変動は偶発的なものでしょうか、全てに神の意図があるのでしょうか。


「何事にも理由があります。神の許しなしに生じることは何一つありません」


――そうしたものは全て人間との関連性があるのでしょうか。


「人間に関連したものも時にはありますが、大部分は大自然が均衡と調和を取り戻そうとする働きに過ぎません」


――全ての現象の根源には神の意図があるに違いないことは認めますが、霊が物質に働きかけることが出来るからには、霊が神の意志の行使者として自然界の構成要素に働きかけて自然現象を起こしているのではないかと思うのですが……


「その通りですし、それ以外には考えられません。神が直接物質に働きかけることはありません。無限の階梯の一つ一つの界層に神の意志の行使者が控えています」


――例えば嵐を起こす場合、一人の霊の仕業でしょうか、それとも大勢の霊の仕業でしょうか。


「大勢の霊です。数え切れないほどの大群と言った方がいいでしょう」


――その場合、自由意志によって、知識と意図をもって現象を起こすのでしょうか、それとも理性のない本能的衝動から発しているのでしょうか。


「知識と意図をもって携わっている者もいれば、本能だけで働いている者もいます。譬え話で説明しましょう。

今大海のどまん中に一群の島ができつつあるとします。その島の生成について神が認知していないはずはありませんし、その群島の出現が大海という地球の表面の調和に影響を及ぼさないはずはありません。ところが、その生成に携わるのは最下等の極微動物であり、神の道具として使用されているという認識などみじんもありません。ただ動物の本能で働いているだけです。

同じことが最下等の霊的存在についても言えます。自由意志もなく、何の目的なのかについての自覚もないまま大自然のさまざまな側面での現象の演出に携わっております。指令を発する存在がいて、それに反応して働く存在(精霊)がいます。それが知的進化を遂げて指令を発する立場にまわり、造化の仕事から倫理・道徳の摂理の管理へと進みます。

このように大自然は根本の原子から始まって大天使に至るまでの雄大なスケールの存在の調和によって進化しており、その全体像は地上の人間の理解力では遠く及びません」
〈戦争と霊〉


――戦争が行われている時は霊界でも敵と味方がいるのでしょうか。


「当然います。そして戦闘意欲をかき立てています」


――戦争はどちらかの側に非があると思うのですが、なぜ非のある側に味方する霊がいるのでしょうか。


「改めて申すまでもないことですが、霊の中には混乱と破壊だけを楽しみにしている邪霊集団がいます。そういう連中にとっては戦争のための戦争であって、正当とか不当とかはどうでも良いことなのです」


――司令官が作戦を練るに当たって霊団から指示が与えられるでしょうか。


「当然です。他の生活面と同様に、作戦にも参加します」


――敵方の霊がまずい作戦を吹き込むことも有り得ますか。


「有り得ます。しかし司令官にも自由意志があります。守護霊団が吹き込む作戦と敵方の霊団が吹き込む作戦のどちらに決断するかに迷い、結果的に作戦に失敗した時は、その責任は自分が負わねばなりません」


――司令官の中には予知能力のある人がいて作戦の行方を予見することがあるそうですが……


「天才的な軍人によくあることです。いわゆるインスピレーションを的確に受け取れる人で、それを受けた時は自信をもって命令を発します。霊団から送られてくるもので、それを天賦の霊能で受け取ります」


――戦闘中に戦死した霊はどうなるのでしょうか。霊界でも戦い続けるのでしょうか。


「戦い続ける者もいますし、撤退する者もいます」


――戦場の爆音や鬨(とき)の声などは相変わらず聞こえるのですか。


「聞こえます、そっくりそのまま」


訳注――シルバーバーチの霊言に次のような一節がある。

「これが戦時下となると、いろいろと問題が厄介となります。何しろ何の準備もできていない、何の用意もしていない人間が大挙して霊界へ送り込まれてくるのですから……みんな自分が死んだことすら知りません。(中略)死んだことにも気づかずに死んだ時と同じ行為を続けております。地上戦で死んだ者は地上戦を、海上戦で死んだ者は海上戦を、空中戦で死んだ者は空中戦を戦い続けております。そのうち、期間は各自まちまちですが、少し様子が違うことに気づき始めます。

全体としては以前と変わらないのに気をつけて見るとどうも辻褄が合わない。奇妙な、あるいは無気味なことがくり返されていることに気づきます。殺したはずの相手が死んでいない。銃を撃ったはずなのに弾丸が飛んで行かない。敵兵に体当たりしても少しも動かない。触っても気がつかない。大声で話しかけても知らん顔をしている。そしてその光景全体に霧のような、靄のような、水蒸気のようなものが立ち込めていて、薄ぼんやりとしている。自分の方がおかしいのか相手の方がおかしいのか、それも分からない。時には自分が幻影に惑わされているのだと思い、時には相手の方が幻影の犠牲者だと考えたりします。

が、そのうち――霊的意識の発達程度によってそれが何分であったり何時間であったり何日であったり何か月であったり何年であったり何世紀であったりもしますが――いつかは自覚が芽生えます。その時やっと援助の手が差しのべられるのです。」


――仮に霊が傍観者として冷静に戦場の様子を見つめていれば、斃(たお)れた人間から霊が次々と離脱して行く様子が見えますか。


「全ての戦死者の死が一瞬の間に成就されるわけではありません。大抵は、肉体的には即死の状態でも、霊はそのことに気づきません。精神的に落ち着きを取り戻すと自分の死体がそばに横たわっていることに気づきます。が、その過程が実に自然なので動揺することはありません」
〈魔よけ・呪術〉


――邪悪な人間が邪霊の助けを借りて怨みの相手に危害を加えることはできますか。


「できません。そういうことは神が許しません」


――でも、呪術をかける力を持った人間がいるという信仰がありますが……


「強力な生体磁気を持っている人間がいます。その人間の心が邪悪であればそれを悪用することは考えられます。その場合に似たような邪悪な霊が加担することも有り得ることです。しかし、それを超自然的な魔力のせいにしてはいけません。それは自然法則に無知な迷信的人間の想像力の中にのみ存在するものです。魔力が存在する証拠とされているものは自然な原因の働きによるものを間違って観察し、さらに間違った解釈をした結果です」


――霊の意念を操ることが出来るとされる呪文や秘法の効果は実際にあるのでしょうか。


「本当にそういうものを信じているとしたら、その効果はその人が嘲笑の的になることだけです。もしも信じていないのにそういうことをしているとしたら、それは詐欺師であり、処罰に値します。その種の儀式は全てペテンです。霊を操るような秘密の言葉やしるし、魔よけなどは存在しません。なぜなら、霊は思念で感応するのであって、物的なものではないからです」


――でも、そういう儀式の中には霊が伝授してくれたものがあるのではないでしょうか。


「おっしゃる通りです。霊の中には摩訶不思議な加持や呪文を教える者がおり、それをもとに、いわゆる“おまじない”をする人がいますが、そういう人たちは低級霊の良い遊び相手にされており、摩訶不思議をすぐに信じたがる性格をもてあそばれています」


――良い悪いは別として、魔よけの威力を信じることが実際に霊の力を呼び寄せることにならないでしょうか。魔よけが精神を集中する媒体となって、その人の思念を活発にすると思うのです。


「そういう働きは一応考えられます。しかし呼び寄せる霊の程度を決めるのは、霊を呼び寄せる動機とその人間の心証の純粋性です。魔よけなどの効果を信じるほど単純な人間が高尚な動機で行うということはまず考えられません。

つまるところ、この種の儀式や行事にこだわるのは、人間を騙すことばかり考えている未熟な霊に取り憑かれやすい低俗な精神構造の人間であることを証明していると考えてよろしい」


――では“魔法使い”はどう理解したらよいのでしょうか。


「そう呼ばれている人間がもし性格的に真面目であれば、予知能力に類する超常能力でもそなえている人と考えられます。普通の人間に理解できないことをやってみせるために超能力の持ち主とされているだけです。学者だって無学な人間から見れば超人的に見えるのではないでしょうか」

シルバーバーチの霊訓(二)

Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanel


十章 霊訓を必要とする時代
 
 「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がよりいっそう要請されます。

 地上の至るところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(がかい)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。

 人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。

扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的部分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。

 教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることはできなくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のおきまりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。

となれば当然、人間が勝手にこしらえた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。
  
 この点に関する限り、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人たちの考えが唯物的になっていくかというと、そうではないのです。というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。

それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。

(訳者注──物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の〝もの〟の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでもなおそのバイブレーションを構成する究極の要素は突きとめられていない。

かつては〝これが一ばんの素〟という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)

 こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気づき、何もかもが改造のためにるつぼの中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。

 かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。
 
今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。愛は死の淵を超えて届けられます。愛するものを導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。

 そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、そのために取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。

一度それを把握したら、一度自分のものにしたら、一度理解してその有難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、二度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。

 かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人のために自分を役立てる貴重な手段であることが分かります。

煩悶の叫び声をあげている数知れぬ人々は、私たちが奮闘すべき場を提供してくれているのであり、一人が光を見出すごとに、一人が無知の闇から抜け出て知識を手にするごとに、一人が悲しみの涙をよろこびの笑みに変えるごとに、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。

 ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念のもとに、この人類にとって掛けがいのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

 
 このあと質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で〝百人の霊媒のうち九十九人まではデタラメをしゃべっている〟というショー・デスモンド(※) の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。

(※Shaw Desmond 英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている── 訳者)

 「本物の支配霊───支配霊としての仕事を完う出来る才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討をへて選ばれ、またその適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証済みだからです。

 そうした本物の支配霊に関する限り今の批判は当たりませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今一つの修行を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。

 そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何とか良からぬ評判がささやかれ、それがみな支配霊のせいにされてしまいます。

実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟なためであることがあり、時には霊媒そのものが未熟であるために、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているにすぎないことがあります。

 ですから支配霊はデタラメばかりと言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関する限り、そういう言いがかりは不当であると思います。最も、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」


 次に読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。

 「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、及び物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」


 「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表われです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。

 たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神との繋がりをより緊密にすることです。

そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。

 何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立て下さいという祈りの気持ちで包んであげることです。

 ですが、それを自分が愛着を覚える人のみに限ることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」


 この後シルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。

 「皆さんに自覚していただきたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せつけられた霊的真実への節操が要請されます。

 さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。

 自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知るほど謙虚な気持ちで満たされるものです。ですが、それでもなお私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚りません。それが私のような者にも与えられているのです。

私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれる限り続くことでしょう。

 私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的にみずからを御して行くことができるのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。

霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面をおろそかにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面をおろそかにするのと同じように愚かしいことです。

 神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を謳歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕し給う美を満喫なさるがよろしい。

 と同時に、その背後にあって私たちを道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受するために心を広く持ちましょう。なるほど私たちが神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心がけましょう」


 別の日の交霊界で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。

 「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒と怒号の鳴りやむ時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。

それに対する手段が十分に整ったことは一度もありませんが、常に何らかの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことは出来ません。届く範囲で努力いたしましょう。

 今なお世界大戦の余波が残っております。(※)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序がはびこり、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。

その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私たちの手で広げようではありませんか。決して色あせることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在 ─── 一度理解したら人生の全図式を一望のもとに見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。

(※この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが一九四九年、つまり終戦から五年後のことであることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく──訳者)

 皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部にすぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。

宇宙のいずこにも ───人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力をはるかに超えた範囲においても───法則の行き届かないところはありません。

 その法則の中に神の意志が託されているのです。およそ人間のこしらえる法律というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、すべての条件を満たすものではないからです。

 が、神の摂理は考え得るかぎりのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。

 科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探究の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落しているからです。

 私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。

それとても実は私の望んでいるところの一部に過ぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私たちの使命の一部ではあります。

しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何のためにこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか───こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが一番大切なことです。

 これから先にも大きな仕事が私たちを待ちうけております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸のために心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人─── 私たちはこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。

 今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもってわれわれの方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてそれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることができます。霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処できます。

 世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再検討を迫られております。その大渦巻きの中にあって〝これこそ基盤とすべき原理である〟と自信を持って断言できる人はきわめて稀れです。

 再構築にはそれに先だっての破壊が必要です。基盤は何度も言ってきたとおりすでに敷かれております。計画(プラン)はできあがっているのです。今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現わし、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。

そこには不安や失望のタネは何一つありません。為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることができます。
 
 私たちに与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることができることの特権に感謝し、それがその人たちにも革命をもたらし、自分が愛と叡知にあふれた神の一部であること、その神は人間が人生から美とよろこびと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」  
     
 

Monday, April 6, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


〈睡眠と夢〉

 ―霊にとって物的身体は居心地の良いものでしょうか。


「その質問は牢に入れられている囚人に向かって居心地はどうかと尋ねるようなものです。霊は、本性的には、一瞬の間もおかずに常に物的束縛からの解放を望んでいるものです。身体が鈍重であるほど一層それを望みます」


――肉体の睡眠中は霊も休息を取るのでしょうか。


「いいえ、霊が活動を停止することはありません。睡眠中は肉体につなぎ止めている絆(魂の緒(シルバーコード))が緩み、肉体も霊の存在を必要としなくなっているので、空間を自在に行き来し、他の霊と遥かに直接的なコミュニケーションを取っています」


――その睡眠中のことをなぜ思い出さないのでしょうか。


「あなた方が睡眠と呼んでいるものは肉体の休息のことです。霊は常に活動しています。その肉体の休息中に霊はかなりの程度の自由を回復し、この地上ないしは他の天体の親しい人とコミュニケーションを持ちます。その間の記憶が覚醒時に回想できないのは、肉体器官の物質性があまりに鈍重で粗野であるために、霊的波動の中での体験は感知できないからです」


――夢そのものに意味があるかに説く人がいますが、いかがでしょうか。


「夢には、占い師がもっともらしくこじつけるような意味はありません。つまり、夢がある種の出来事の予兆であるなどというのは滑稽きわまる話です。しかし、地上生活での出来事には何の関係もなくても、霊そのものにとって真実味のあるイメージであることは有り得ます。

さらに夢は、すでに述べたように(肉体の)睡眠中の霊の体験の回想である場合があり、時にはその中に虫の知らせが入っていたり、どこかへ連れて行かれて見せられた自分の将来の光景であったりすることもあります。むろん神の許しがあってのことです」


――虫の知らせのようなものが現実には発生しないことがあるのはなぜでしょうか。


「その種のものは霊としての体験の中で生じているもので、肉体の体験とのつながりはありません。つまり霊の願望がそういうものを感じさせているのです。

これに関連して忘れてならないのは、睡眠中といえども霊は大なり小なり物的波動の影響を受けていることです。と言うことは、日常生活における思念や願望から完全に抜け切っていないわけですから、昼間の願望や恐怖が夢に反映し、事実上は想像の産物に過ぎないものを生み出すのです。覚醒中の精神が強く意識したものは、どんなものとでもつながりがちなものです」


――霊が自由になるためには熟睡していないといけませんか。


「そんなことはありません。霊というのは、肉体の感覚が鈍りはじめるとすぐに活発になり始めます。本性的に常に自由になりたくて、肉体が与えてくれるちょっとした緩みに乗じて自由を得ようとします。例えば生命力が衰え始めると霊は肉体から離れます。肉体が弱るほど霊は自由になります」


――睡眠中ないしはウトウトとした時などに素晴らしいアイディアが浮かびながら、覚醒してから思い出そうとしても記憶から消えていることがありますが、そういう時のアイディアはどこから来るのでしょうか。


「霊が自由になった時の産物です。つまり肉体から離れ、物的波動から抜け出た時に霊的感覚が働くのです。背後霊からの助言である場合が多いです」


――どうせ思い出せない、あるいは記憶に残らないものを貰って何の益があるのでしょうか。


「そうしたアイディアは霊界に通用する性質のもので、地上界では役に立たないことがよくあります。しかし、一般的に言って脳の記憶の層には反応しなくても霊そのものは記憶していて、それが日常生活の中でインスピレーションのように顕現することがあります」


――そうした肉体の睡眠中の霊の活動が肉体を疲労させることがありますか。


「あります。その時の霊は肉体という柱にくくりつけられたアドバルーンのようなもので、バルーンの動きによって柱が左右に揺れるように、霊の活動がシルバーコードを通して肉体に反映し、疲労させることがあります」


――睡眠中のそうした肉体と霊との関係をお聞きしていると、結局人間は同時に二つの生活を送っている――一つは肉体に宿っての物的生活、もう一つは魂の霊的生活――ということになりそうですが、そう理解してよろしいでしょうか。


「魂が肉体から離れている間は魂の霊的生活の方が肉体の物的生活よりも優位に立っていることは事実です。ですが、厳密に言えばその両者の生活を二つに分けて考えるのは正しくありません。一つの生命の二つの側面と見るべきです」


――顔見知りどうしが睡眠中に訪問し合うことがありますか。


「ありますとも。顔見知りでない人とも大勢の人と会って話を交わしております。別世界に知人がいて、少しも怪しむことなくお付き合いをしています。寝入ると肉体から離れて友人・知人・親戚等々、会って為になる人のもとへ頻繁に通っております。ほとんど毎晩です」


――同じ地上の親しい者どうしが霊界で会合をもつことができますか。


「できますとも。友情の絆は、古いものでも新しいものでも、霊界で互いに呼び合って楽しい時を過ごしております」


編者注――ここでいう“古いもの”というのは前世・前々世のものという意味にとるべきであろう。
〈共時性(シンクロニシティー)の原理〉


――同じアイディア、例えば発明・発見などを遠く離れた数人の人間が同時に思いつくというのはなぜでしょうか。


「前にも述べたように霊は睡眠中にもコミュニケーションを行っています。それが目が覚めてから頭に浮かび、本人はそれを自分で発明したと思い込みます。それと同じことが何人かの人間に同時に起きるのです」


――昼間の覚醒時でも霊的なコミュニケーションがもてますか。


「霊というのは箱の中に納められたように肉体の中に閉じ込められているのではなく、全方向へ向けて思念を発散しています。ですから、覚醒時でも他の人間と交信が可能です。もちろん睡眠中よりは難しいですけど……」


――完全な覚醒時に二人の人間が同時に同じ考えを抱くのは?


「親和性の強い二人が互いに思念を交換し合っている場合が考えられます」
〈昏睡状態・仮死状態〉


――昏睡状態や仮死状態では本人は周りの状況をちゃんと見聞きしていながら、それが表現できないようですが、その時に見聞きしているのは肉体の目と耳の機能によるのでしょうか。


「そうではありません。いずれも霊の能力によります。霊そのものは意識しているのですが、それが表現できないのです」


――なぜ表現できないのでしょうか。


「肉体器官が使用できない状態にあるからです。この特殊な状態を見ても、人間が肉体だけの存在ではないことが分かるはずです。肉体はそこにありながら機能せず、一方、霊の方は全てを見聞きしているのです」


――昏睡状態において霊は、いったんその肉体から離れて見かけ上どこから見ても死亡した状態にしておいて、再び戻ってその肉体を使用することはできますか。


「昏睡状態は死とは違います。肉体としての生理機能は続いているからです。生命力はさなぎのように潜伏状態にあり、消滅してしまったわけではありません。その状態にあるかぎり霊は肉体とつながっております。が、つないでいるコードが切れてしまえば両者は完全に分離し、霊は二度と肉体に戻れません。完全に死亡したと思われていた人が生き返った場合は、肉体と霊との分離が完全でなかったことを意味します」
〈夢遊状態〉


訳注――英語でsomnambulismと呼んでいるものを便宜上こう訳した。その状態下にある人をソムナンビュリストと言い、心理学ではそれぞれ「夢遊病」「夢遊病者」と訳されているが、実際は病的なものではないので、これは使用できない。また英語の原義は「夢遊歩行」であるが、〝歩行〟はその現象の一つにすぎないので、これも使えない。このあとに出てくる(トランス(入神状態))の項目の冒頭で「トランスとは無遊状態の一段と垢抜けのしたもの」という説明があることからも察せられるように、セミ・トランス(半入神状態)のことで、原理的には前項の昏睡状態や仮死状態とも共通したものと見てよいと考える。


――自然な夢遊状態と夢を見ている時の状態との間に何か関係があるのでしょうか。


「夢遊状態においては魂は夢を見ている時よりも肉体による束縛が少なく、それだけ霊的機能が多く発揮されています。夢を見ている時に働いていない霊的感覚が働いているということです。言い変えれば、夢は不完全な夢遊状態の産物と言えます。

夢遊状態では肉体は硬直状態になっていて、外部からの刺激には何の反応も示しません。この状態が睡眠中にいちばん起きやすいのは、肉体に不可欠の休息を与えるために霊が肉体から離れているからです。セミ・トランス状態になるのは、霊が物理現象や自動書記のように人体を使用しなければならない現象のことを強く意識するからです。

夢を思い出すのは、記憶機能を含む肉体機能が覚醒しかけた時に見たものだからで、その印象がおぼろげなまま霊に伝わるために、肉体に戻って間もない霊は脈絡のない支離滅裂な状態で受け止め、それに日常生活や前世での記憶などが入り交じって、一段と混乱するわけです。

これで、夢遊状態での体験が本人には記憶がないこと、そして大半の夢が合理的な意味をもたないことがお分かりでしょう。“大半の”と言ったのは、夢の中には前世での体験や未来の出来事の正確な知識も入っているからです」


――セミ・トランス状態にある者でも霊視力が働くのであれば、見えないものがあったり観察したものに間違いがあったりするのはなぜでしょうか。


「第一に言えることは、霊性が低い場合は全てを見通し理解することはできないということで、人間と同じように間違いや偏見があります。次に言えることは、大なり小なり物的波動の中にあるかぎりは、霊的能力の全てを使うことは不可能ということです。神は厳粛で意義のある目的のためにのみ霊視力を授けてあり、ただ見てみたいと思う程度の興味本意の人には授けません。トランス状態でも見えるものに限りがあるのはそのためです」


――セミ・トランス状態でも不透明な物体が突き抜けて見えるのはなぜでしょうか。


「不透明なのは人間の肉眼にとっての話です。何度も申しているように、霊にとっては物質は何の障害でもありません。自由自在に突き抜けます。トランス状態の者が額で見たとか膝で見たとか言うのを奇異に思うのは、肉体に閉じ込められている人間が物を見るためには肉眼が必要という先入観があるからです。霊視力をもっている人間でも目で見ているつもりでいる人がいますが、実際に霊視力を働かせている状態では肉体のどこからでも見える――つまり肉体とは無関係に見えるのです」


――覚醒時には知らないことを正確に述べたり当人の通常の知性を超えた能力を見せることがありますが、その原因は何なのでしょうか。


「夢遊状態にある時は覚醒時よりも多くの知識を使用することができます。ただしその知識は覚醒時は潜在状態にあり、霊としては知っていても、肉体器官があまりに鈍感であるために回想できません。

しかし一体人間とは何なのかを、今一度おさらいしてみてください。人間も我々と同じく霊であって、何らかの目的をもって物質界に生まれてきているのです。昏睡状態に陥るということは、そのマンネリ化した物的生活にカツを入れることが目的であることがあるのです。誰しもすでに幾つかの人生を体験していることは、これまで何度も述べてきた通りです。その人生の変転が、新しい肉体との結合によって、前世で知っていたことを分からなくさせます。昏睡状態に陥るようないわゆる危機的体験は、そうした潜在している知識を思い出させます。と言っても、全てではありません。なぜかは分からないまま、思い出すのです。が、危機が去るとともにその記憶も次第に薄れ、またもや物的生活の闇の中に入って行きます」


――夢遊状態で遠距離のものを見る力はどこから出るのでしょうか。


「睡眠中でも魂は遠距離まで行けるのですよ。夢遊状態でも同じことです」


――その霊視力の強弱は肉体組織から来るのでしょうか、それとも宿っている霊の本性によるのでしょうか。


「両方です。が、それ以外にもう一つ、肉体の性質には霊が離れやすいものと離れにくいものとがあります」


――夢遊状態で使用する霊的能力は死後霊界で使用するのと同じものですか。


「同じものです。ただし、限界があります。肉体につながれている間は物的波動による制約があります」


――霊界の霊の姿が見えますか。


「その人の霊能の質と発達程度によります。大半の人には見えますが、必ずしもそれが霊界の霊であることには気づかず、普段の人間を見ているつもりでいます。夢遊状態を体験した人の大半がそのように錯覚するようで、スピリチュアリズムの知識のない人は特にそうです」


編者注――これは死の直後の一般人の感覚と同じである。自分はいつもの通りに生きているつもりでいて、従って周りに見える人をみな肉体をもった人間と錯覚するらしい。


――夢遊状態で遠距離まで行っているのに、その土地の暑さや寒さが肉体にまで伝わるのはなぜでしょうか。


「肉体から離れているといっても絶縁したわけではなく、シルバーコードで結ばれています。そのコードが物的感覚を伝えるのです。地上でも遠く離れた二つの都会で電話をすれば、電線が伝導体となって、すぐ近くにいる人と語り合うように通じ合えるのと同じです」


――夢遊状態で体験したことも死後の生活にプラスになるでしょうか。


「大いにプラスになります。神から授かった能力を日常生活でいかに活用するかが死後に大きく影響するのと同じです」
〈トランス〉


――トランス(入神)状態と夢遊状態との違いは何でしょうか。


「トランス状態は夢遊状態が一段と垢抜けのしたものです。トランス状態での魂は夢遊状態の時よりさらに自由を得ます」


――その状態での魂は実際に高級界へ入ることができますか。


「できます。その世界を見物し、そこに住まう霊たちの幸せな波動を感じ取ることができます。しかし、霊性がある一定の水準以上まで純化していない者は近づけない世界もあります」


――仮にトランス状態の人間を放置しておいたら、そのまま他界してしまうことが有り得ますか。


「有り得ます。ですから、地上界との絆を切らせないようにあるゆる手段を尽くして呼び戻す必要があります。特に大切なのは、トランス中に訪れて味わった幸福感に魅せられてその界層に居つづけたいと思わせないようにすることで、シルバーコードを意図的に切断するようなことは間違いであることを理解させないといけません」


――トランス状態にある者が、時おり地上的な信仰や偏見の混じった想像力の産物に過ぎないものを見て、それを口にすることがあります。その場合は必ずしも実在物を見ていないことになるわけですね?


「見ているものは本人には実在感があります。しかし普段は常に地上的観念の影響にさらされていますから、その観点から霊界の事物を見ます。もっと正確に言えば地上的に偏向した観念、あるいは生まれ育った因習的概念に合わせた表現をするかも知れません。その方が正確に理解してもらえると思ってしまうのです。そこに霊能者が犯す間違いがあります」


――ではトランス状態で述べられたことにはどこまで信頼が置けるのでしょうか。


「ずいぶん誤りがあります。特に人間界に漏らしてはならないことにまで入り込むと、それを表現する言葉がないために自分勝手な解釈を施して表現したり、例によって邪霊集団の餌食となり、その熱心さをうまく利用されて大変な高級霊であるかに思い込まされ、いいようにあしらわれます」


――夢遊現象やトランス現象は何を教えているのでしょうか。


「過去世および来世のごく一部を垣間見せてくれるもの、といった程度に理解しておけば良いでしょう。が、現象そのものには、それを深く究めれば、ただの理性では入り込めない謎の解明のカギが秘められております」


訳注――同じくトランス状態に入る霊能者でも、バーバネルのようにシルバーバーチと名のる高級霊が乗り移って語る場合と、エドガー・ケーシーやスウェーデンボルグのように、本人が霊界入りして霊的知識を持ち帰る場合とがある。ここでいうトランスは後者の場合を言っている。自らチャネラーと称している人たちもみなこの部類に入るとみてよい。要するに自分の霊能だけでやっている人で、それをもって大変な霊能者であるかに錯覚しているのであるが、ここで通信霊がいみじくも言っているように、肉体につながれたままですることなど多寡が知れていて、しかも「ずいぶん誤りがある」ので用心が肝要である。
〈透視・千里眼〉


訳注――英語のsecond sight、直訳すれば“第二の視力”で、“第三の眼”と同じである。これはシルバーバーチのいう“サイキック”の次元の霊視力で日本語の透視に相当する。地球的波動を超えた高次元の世界で使用する霊視力をシルバーバーチは“スピリチュアル”と呼んでいるが、同じことを本章の最後の回答の中で暗示している。


――俗に透視とか千里眼と呼ばれている現象は夢を見る現象や夢遊現象と何か関係がありますか。


「全て同じものです。透視現象と呼ばれているのは、肉体は睡眠状態ではなくても霊が肉体の束縛から離れている状態での現象です。透視力は魂の眼です」


――これは永久的な能力ですか。


「能力は永久的に存在します。が、永続的に働かせられるわけではありません。地上界より物質性の薄い世界では肉体から簡単に離れ、ある程度の言語の使用は欠かせませんが、大体、以心伝心で交信できます。そこの住民の視力は大半が透視力です。人間界での健全な夢遊状態が彼らにとっては普通の状態です」


――透視力は突発的に出るものでしょうか、それとも見ようという意志を働かせないと出ないものでしょうか。


「一般的には自然発生的に働きますが、意志の働きも大きな役割をすることがよくあります。たとえば占い師――そういう能力を持っている人なら誰でもよろしい――が未来を意識的に見ようとすれば透視力を働かせることになり、いわゆる“ビジョン”(未来の映像)を見ることになります」


――訓練によって発達させることも可能でしょうか。


「可能です。何事につけ、努力は進歩を生み、包み隠しているベールを取り払って行きます」


――この能力は肉体組織から出ているのでしょうか。


「もちろん体質が大いに関係しています。この能力が馴染まない体質の人もいます」


――遺伝的と思われる家族があるようですが……


「それは体質の類似性から生じるもので、他の体質と同じく、その体質が透視力の伝導体の役をしているのです。また、ある種の教育によって能力が開発され、それが世代から世代へと伝達されることもあります」


――環境によって発現することがあるというのは本当でしょうか。


「大病、危機一髪、動乱などがきっかけで突如として発現することがあります。そうした体験で身体が、普段の肉眼で見えないものが魂の眼に見えるような状態になることがあるのです」


――特に目立った才能も教養もない人が日常生活で際立った明晰な判断力を見せることがあるのですが、これは透視力のせいでしょうか。


「そうした判断力の鋭さは(透視力とは関係なく)魂の働きが物的波動に埋もれている人よりも活発で、物事の直観力が正確であることから生まれます」


――その判断力の鋭さは未来の出来事の予知能力も生むのでしょうか。


「そうです。予感が鋭くなります。この透視力、つまり魂の視力には幾つもの段階があり、どの段階でも使える人もいれば、ほんの一部しか使えない人もいます」

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


九章 この世、そしてあの世


 「死んであの世へ行った人はどうやって時を過ごすのですか」───ある日の交霊会でこんな質問が出た。

「この世と同じように明るさと暗さを伴った時間があるのでしょうか。それとも、まったく別の時の流れがあるのでしょうか。何をして過ごすのでしょうか。やはり働くのですか。勉強もするのですか。楽しみがあるのでしょうか」

 こうした質問にシルバーバーチが次のように答えた。

 「それについては何度も何度もお答えしてまいりました。時間の問題は地上の時間とは関係がありませんので、むしろその意味で興味ある課題です。

 地上の時間は便利さを目的として刻んであります。つまり地球の自転と太陽との関係に基づいて、秒、分、時間、日を刻んであるわけです。私どもの世界には夜と昼の区別がありません。光の源が地上とは違うのです。

従って地上と同じ意味での時間はないことになります。こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言いかえれば、経験していく過程の中で時の流れを感じ取ります。一種の精神的体験です。


 霊界の下層界では生活に面白味が乏しいですから、時間が永く感じられます。上層界では───むろん比較上の問題ですが───快い活動が多くなりますから短く感じられます。次々と新しい体験があるという意味です。別に時間とか月とか年とかの分け方はありません。仕事への携わり方はその人次第です。精神と霊に関連した活動はいくらでもあります。
 
 ご質問者は霊的な体験を物的尺度で理解しようとなさっている点に問題があります。霊界へ来てからの精神と霊のすることは範囲が広く際限がありません。教養(文化)的なものもあれば教育的なこともあり、一つ一つにれっきとした目的があり、物質界への働きかけもあり、やりたいだけ存分にそれに携わることができます」

 「でも、こういう問題が生じませんか───もしも地上のような時間がないとすると、これから先の予定はどうやって立てるかということです」

 「私が誰れかと会う約束をしたい時などのことでしょうか。そんな時は思念を送って都合が良ければ会うということになります。手紙での連絡はありません」

 「誰れかと特定の時刻に会いたい時はどうされますか」


 「そういうことにはならないのです。唯一それに似たものとしては、地上の祝祭日にこちらが合わせる場合です。たとえばイースターとかクリスマスには私は自分の界へ戻ります。地球圏から脱け出るのですが、それは習慣に合わせているだけの話です。

必要とあれば、本日の予定が終わり次第引き上げることも出来ます。どこかの霊の集まりに参加するようにとの私への要請があるとすれば、その要請は思念で届けられます。それを私が受信して、そして参加するということになります。もっとも、今すぐそんな要請は来ないでしょう。

私がこうして地上の方々と話をしていることが判っておりますから。日ごよみなどはありません。あくまで精神と霊の世界なのです」
 

 「霊界にも電車はありますか」

 「ありません。但し電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現われます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現われるのです。

 皆さんだって、夢の中で船に乗ろうと思うことがあるでしょう。すると船が現われます。自分がこしらえるのです。そして少なくとも自分にとっては本物の船です。それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ?その時の意識の場においては現実なのです。現実というのは相対語であることを忘れないでください」
 「そのことは何度も聞かされ書物でも読んでおりますが、正直言って私には理解できません」

 「そうでしょうとも。ですが、あなた方の世界でも時間の錯覚があります。一時間はいつも一時間とは限りません。たった五分が一時間のように感じられることもあります。それが時間の精神的要素です。

地上においてもその精神的要素が現実に存在することを理解して下されば、私ども霊界の者が地上の時間の純粋に機械的要素とは無縁であることがお判りいただけるでしょう。こういう説明よりほかに良い説明方法がないように思います」

 「みんな自分の家を持っているのでしょうか」

 「はい、持ちたいと思っている者は持っております。そう望んでそれなりの努力を致します。が、持とうと思わない者もいます。同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。こうしたことはその霊の創造的才能に関わる個人的な好みの問題です」

 「霊界の家はそれまでの生活の中身によって左右されるとおっしゃったことがありますが・・・・・・」  
   
 「持ちたいと望み、それなりの努力をしたら、と言ったつもりです。が、いったん家をこしらえたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。青空天井にしたければそうなります。好みというものは長い間の習慣によって形作られていることを忘れてはいけません。習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。

 生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、したがって同じような様式の家に住むことになります。そういう習性が残っているからです。

やがてその習性から脱け出せば、また別の種類の住居を持つことになります。こうしたことも生活の連続性を維持するための神の賢明なる配慮なのです。ショックを防ぎ、生活をスムーズに、そして調和のあるものにしてくれています」

(訳者注──この質問と回答には少しズレが見られる。質問者は霊格の低い霊の家はみすぼらしく、高い霊は見るも麗しい、神々しい家に住むという事実を踏まえて質問している。確かにシルバーバーチも別のところでそう言っており、他の霊界通信でも同じことを言っている。もっとも、みすぼらしいと言っても相対上の問題で、住まってる本人は少しもみすぼらしいとは思っていない)

 別の日の交霊界ではこう述べている。

 「霊界には〝国会〟はありません。住民の生活を規制するための法律をこしらえる必要がないからです。霊界では自然法則が全てを律するのです。逃れようにも逃れられない形でその法則が付いてまわります。物的身体はもうありません。

物的生活にかかわる諸問題も関係がなくなります。今や霊的な形態で自分を表現しており、霊的自然法則が直接に作用することになります。その仲立ちをするものは何も要りません」


 「コンサートとか演劇とか博物館のようなものもありますか」

 「博物館は大きな建物───学問の殿堂(ホール) の中に設けてあり、そこにありとあらゆる種類のコレクション───地上の全歴史にわたる資料から霊界の興味深い生活形態を示すものまでが展示されております。例えば地上に存在しない花の種類があります。そのほか人間の知らない自然の様相(すがた) が沢山あります。そのサンプルがホールに陳列してあるのです。

 コンサートはしょっちゅう開かれております。音楽家には事欠きません。大音楽家と言われる人も大勢いて、自分の才能を出来るだけ多くの人を楽しませるために役立てたいと願っております」劇場───これも数多くの種類があります。純粋に芸術としてのドラマを目的としたものもあれば、教養を目的としたものもあり、教育を目的としたものもあります。


 地上で持っていた天賦の才、素質、能力は死と共に消えてしまうのではありません。逆に、死がより大きな自由をもたらし、それを発揮する機会を広げてくれます。

 「新聞やラジオもあるのでしょうか」

 「ラジオはありません。通信様式が違うからです。いちばん一般的な方法はテレパシーですが、要領さえ呑み込めば、目の前にいなくても莫大な数の人に向けて呼びかけることができます。それは地上のラジオとは原理が異なります。

また、いわゆる新聞はありません。地上のようにその日その日の出来ごとを書いて知らせる必要がないからです。必要な情報はそれを専門としている者が然るべき方面へちゃんと送り届けてくれます。その要領はあなた方には理解しがたいものです。

 例えば私が知らずにいることでぜひ知る必要のある事柄があるとしましょう。そんな時、知らせるべきだと思った人が思念で私に知らせてくれます。そういう仕事を担当している霊団があるのです。そしてそのための特殊な訓練をしております」

 「私たちがインスピレーションを受ける時も同じ過程によるのでしょうか」

 「それはまた次元が異なります。人間がインスピレーションを受け取る時は、意識的にせよ無意識的にせよ、霊界のある知的存在(霊)と交信状態にあります。そして、その状態にある間はその霊の力なりインスピレーションなりメッセージなりを受け取ることができます。

意識できる場合もあれば無意識の内に受けている場合もあります。それはその時の環境条件によります。

 その点、私どもの世界では絶え間なく思念を出したり受けたりしております。霊的波長が同じ者どうし、つまり霊的知性が同質である者どうしで送信と受信を行っております。その波長は霊的発達程度によって定まります」
 「名前は霊界へ行っても地上時代のままでしょうか。例えばリンカーンは今でも Abraham Lincoln という氏名で知られているのでしょうか」

 「そうです。身元の確認の上でそうしておく必要がある人は地上時代の氏名のままです。ただ、氏名がすなわちその人物では無いことを忘れてはなりません。その人を認知するための手段の一つに過ぎません」

 「たとえば地上で有名だった人は死後もその名前を使うのが便利ですね」

 「そういうことです。身元の確認の上でそうしておく必要がある場合です。その状態が人によって何百年も何千年も続くことがあります。しかし、いつかは地球の磁場から超脱します。そうなると、もうその名前は意味がなくなります。その人の本来の霊格によって存在が確認されるようになります」


 「ひと目見てそれが確認できるのでしょうか」

 「できます。地球の引力圏から脱すると、つまり地球とのつながりで暮らしている段階を超えて純粋に霊的といえる段階まで到達すると、ある種の光輝を発するようになり、それを見ればそれが誰それで、どの程度の霊格を具えているかが一目瞭然となります。理解しにくいですか」

 「いえ、そんなことはありません。地上でも、人に会った時などにその人がどんな人物であるかが、話を交わす前から分かることがあります」

 「そうでしょう。オーラに刻まれているのです。こちらでも同じです。ただ、はるかに強烈になるということです」

 「地上で有名人だった人とは別に、そちらへ行ってから有名になった人がいるものでしょうか」

 「もちろんですとも。地上での名声は単なる〝生まれ〟に由来し、他に何の原因も無い場合が多いものです。生きざま、努力、苦労によって克ち得たものでない場合が多いのです。そうした中で全く名を知られず偉大さを認められなかった人物が、こちらへ来てそれに相応しい評価を受けている人が大勢、実に大勢いるものです。魂こそ消そうにも消せないパスポートなのです」


 「書物あるいはそれに類するものがありますか」

 「あります。書物なら実にたくさんあります。地上にある本の全ての複製もあります。地上にない本もたくさんあります。こちらには芸術の全分野の資料を集めてある巨大な建造物(ホール)がいくつもあり、その中に印刷物も含まれております。あなた方が興味を抱くものならどんなものでも用意してあります」

 「誰れが用意するのですか」
 「著述の専門家、書物を用意することを専門にしている人たちです」
 「霊が手に取って読めるようにエーテル質で出来ているのですか」
 「もちろんですとも!」


 シルバーバーチは質問者が相変わらず死後の世界を夢まぼろしのように想像していることにいささか呆れ気味であるが、このあとさらに「同じ本が他の人には違ったものになったりすることはありませんか」と聞かれて、その〝夢まぼろし観〟の誤りを次のように直していく。

 「そんなことはありません。ところであなたは夢の中で本を読んだことはありませんか」
 「ありませんけど、どんなものであるかは想像できます」
 「その場合それは本物の書物でしょうか」
 「いいえ」

 「ではもしあなたが永遠に目覚めないと仮定したら、その夢はあなたにとっていつまでも現実であり、その夢の中の生活と比較すべき覚醒時の生活がない以上は夢の中で起きたことはことごとく現実であり、逆にそれまでの覚醒時に起きたことは全て夢まぼろしであったことになりませんか。

 死後の世界ではそうした夢の中での精神的過程が何倍もの強烈さをもって働くと思っていただけば良いのです。そうした精神状態はこちらの世界の者にとっては実在であり、あなた方が物質に実感を覚えると同じように、霊にとっては実感があるのです」


 「何だか怖いような気がします」
 「なぜですか」
 「どうも私にはその生活が現在の地上の生活のような実在感を伴った、しっくりとしたものではないように思えるのです」

 「それは全く相対上の問題にすぎません。実際は地上生活は霊界という名の太陽によって出来た影にすぎません。地上生活は殻であり実質がないのです。物質が霊によって存在が与えられている以上、物質界には真に実在と言えるものは何一つ存在しません。物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた表現の一つに過ぎません」

 「私があのように申し上げたのは、私には、同じく美しいものでも主観的なものは客観的なものほど楽しくないからです」

 「いま主観的と思っておられることが客観的となり、客観的と思っておられことが主観的となります」

 「そう理解するには個人的な実体験が無くてはならないでしょう」
 「そのとおりです。でも今あなたはその実体験が無いわけではないと思いますが・・・・」
 「夢の中でのことでしょうか」

 「いえ、あなたご自身の精神の中でのことです。たとえば、あなたは奥さんをとても愛しておられる。その愛は主観的でしょうか客観的でしょうか」
 「両方が一緒になってると思います」

 「でも愛というのは霊と精神の属性です。そうでなかったら永続性はありません。実在はかならず内部から発するものです。あなた方は物的身体を持った霊的実在です。永遠の実在は霊であり、肉体ではありません。肉体が朽ちて元の原素に戻っても霊は存在し続けます」


 ある時シルバーバーチは、今霊界の奥から帰ってきたばかりだと述べ、その目的はこれまでの仕事の進展ぶりを総点検し、これから先の仕事のための新たなエネルギーを摂取するためであると説明してから、さらにこう述べた。
 
 「こうして再び地上へ戻って来る時の私の気持ちは何時も〝味気なさ〟です。この表現でもまだ十分に意を尽くしていません。地上には光と生命が欠けています。うっとうしくて単調で、活力に欠けております。まるで弾力性を失ったクッションのようで、何もかもがだらしなく感じられます。いきいきとした魂、愉快な精神の持ち主はきわめて稀れです。

全体を無気力の雰囲気が支配しています。生命のよろこびに満ち溢れた人は少なく、絶望と無関心がはびこっております。多分あなた方自身はそれに慣れっこになっているためにお気づきにならないのでしょう」
 
 「私たちにもそれは感じられるように思います。世を拗ねた心がはびこっているようです」

 「それは取りもなおさず戦争に対して払わされている代償です。あれだけの激しさをもって一気にエネルギーを使い果たせば、その結果として衰弱を来すのは当然のことではないでしょうか。かくて熱気、情熱、熱心さが見られないわけです。

私は全てが光り輝く色彩豊かな境涯からやってまいります。そこでは心は真の生きるよろこびにあふれ、各自が自分に合った仕事に忙しく携わり、芸術の花が咲き乱れ、全ての者が奉仕の精神にみなぎり、自分が持っているものを持たざる人に分け与え、知らざる人を教え導くことを喜びとし、情熱と迫力とよろこびをもって善行に励んでおります。

 その点この地上は全てが今述べたような陰気さに包まれております。しかし、ここが私どもの奮闘しなければならない土地なのです。ここが私たちが奉仕しなければならない領域なのです。ここが全力を投入すべき場なのです。

一人一人が神の無限の可能性を秘めた統一体としての一部なのです。自分という存在の内部に日常生活のあらゆる問題を克服していくためのインスピレーションとエネルギーを摂取する手段を宿しているのです。その永遠の実在に気づいている人、あるいは奥に秘められた能力を引き出す方法を心得ている人は極めて稀れのようです。

そうなると当然、物質的生活と同じく実感のある霊的生活───本当はより実感があるのですが───の豊かさとよろこびを味わえるはずなのに、物的生活の味気ない単調さの方を好む者が多いことになります。私がなぜこんなことを言うのかお判りですか」


 「判ります。でも、死後の世界にも地上よりはるかに面白くない境涯があるのではありませんか」

 「それは事実です。測り知れない程の絶望の淵から天上的喜悦の境涯まであります」

 「そうした奈落の底にいる者にとっては地上は天国のように思えることでしょう」
 「何ごとにつけ、比較の仕方によって良くも悪くもなることは事実ですが、私が較べたのは、これまで地上で見てきたものと、先ほど行ってきた天上の境涯です。

ですが、地上の人々もここに集える私どもと同じ知識を身につければ、少しもみじめに思う必要はなく首をうなだれることもないでしょう。元気づけてあげることが出来るということです。全ての力の根源は霊にあり、永遠の富を獲得することは人生の悩みのタネとなる物的なものよりも大切であることを悟ることでしょう。

 私の目には、あまりに多くの人間がその貴重なエネルギーを浪費させることにしかならない事で悩み、怖れ、取越苦労している姿が見えるのです。重点の置きどころが間違っているのです。視点を間違えているのです」


 さらに質問者が霊界での睡眠や休息について尋ねると、シルバーバーチは少し調子を変えてその質問者にこう述べた。

 「どうやらあなたは死後の世界についての疑問でいつも頭が一杯のようですね」
 「正直言ってそうなんです。もちろん聞かされた通りを盲目的にそうなのだと思い込めばよいのでしょうけど、どうも私の本性がこうして問い質させるようです」
 
 「私が盲目的な受け入れをよろこばないことはご存知でしょう。霊界ではベッドが欲しいと思う人は用意していますが、寝る必要はありません。夜が無いのですから」

 「寝る人もいることはいるのでしょう?」 
 「もちろんいます。寝なくては、と思うからです。実相に目覚めた霊は寝ません。土手に腰を下ろして休みたいと思えば休みます。が、疲れたからではありません」

 「座って冥想するのが気持ちが良いからでしょう」
 「それもありますが、自然の美しい景観を眺めながら誰かと交信するということもあります。ただし〝済みません、少し疲れましたので、一服しようと思います〟とか、〝急いで食事をとってきますので・・・〟といったようなことにはなりません。食事を取る必要はないのです。

もっとも、食べたいという気持ちが残っていれば別ですが・・・肉体のように栄養を補給しなくてはならない器官がないのです。バイブレーションが物的ではありませんから・・・・・・」 



       
   十章 霊訓を必要とする時代
 
 「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がよりいっそう要請されます。

 地上の至るところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(がかい)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。

 人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。

扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的部分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。

 教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることはできなくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のおきまりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。

となれば当然、人間が勝手にこしらえた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。
  
 この点に関する限り、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人たちの考えが唯物的になっていくかというと、そうではないのです。というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。

それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。

(訳者注──物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の〝もの〟の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでもなおそのバイブレーションを構成する究極の要素は突きとめられていない。

かつては〝これが一ばんの素〟という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)

 こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気づき、何もかもが改造のためにるつぼの中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。

 かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。
 
今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。愛は死の淵を超えて届けられます。愛するものを導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。

 そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、そのために取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。

一度それを把握したら、一度自分のものにしたら、一度理解してその有難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、二度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。

 かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人のために自分を役立てる貴重な手段であることが分かります。

煩悶の叫び声をあげている数知れぬ人々は、私たちが奮闘すべき場を提供してくれているのであり、一人が光を見出すごとに、一人が無知の闇から抜け出て知識を手にするごとに、一人が悲しみの涙をよろこびの笑みに変えるごとに、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。

 ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念のもとに、この人類にとって掛けがいのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

 
 このあと質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で〝百人の霊媒のうち九十九人まではデタラメをしゃべっている〟というショー・デスモンド(※) の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。

(※Shaw Desmond 英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている── 訳者)

 「本物の支配霊───支配霊としての仕事を完う出来る才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討をへて選ばれ、またその適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証済みだからです。

 そうした本物の支配霊に関する限り今の批判は当たりませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今一つの修行を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。

 そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何とか良からぬ評判がささやかれ、それがみな支配霊のせいにされてしまいます。

実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟なためであることがあり、時には霊媒そのものが未熟であるために、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているにすぎないことがあります。

 ですから支配霊はデタラメばかりと言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関する限り、そういう言いがかりは不当であると思います。最も、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」


 次に読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。

 「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、及び物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」


 「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表われです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。

 たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神との繋がりをより緊密にすることです。

そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。

 何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立て下さいという祈りの気持ちで包んであげることです。

 ですが、それを自分が愛着を覚える人のみに限ることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」


 この後シルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。

 「皆さんに自覚していただきたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せつけられた霊的真実への節操が要請されます。

 さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。

 自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知るほど謙虚な気持ちで満たされるものです。ですが、それでもなお私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚りません。それが私のような者にも与えられているのです。

私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれる限り続くことでしょう。

 私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的にみずからを御して行くことができるのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。

霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面をおろそかにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面をおろそかにするのと同じように愚かしいことです。

 神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を謳歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕し給う美を満喫なさるがよろしい。

 と同時に、その背後にあって私たちを道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受するために心を広く持ちましょう。なるほど私たちが神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心がけましょう」


 別の日の交霊界で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。

 「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒と怒号の鳴りやむ時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。

それに対する手段が十分に整ったことは一度もありませんが、常に何らかの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことは出来ません。届く範囲で努力いたしましょう。

 今なお世界大戦の余波が残っております。(※)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序がはびこり、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。

その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私たちの手で広げようではありませんか。決して色あせることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在 ─── 一度理解したら人生の全図式を一望のもとに見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。

(※この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが一九四九年、つまり終戦から五年後のことであることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく──訳者)

 皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部にすぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。

宇宙のいずこにも ───人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力をはるかに超えた範囲においても───法則の行き届かないところはありません。

 その法則の中に神の意志が託されているのです。およそ人間のこしらえる法律というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、すべての条件を満たすものではないからです。

 が、神の摂理は考え得るかぎりのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。

 科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探究の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落しているからです。

 私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。

それとても実は私の望んでいるところの一部に過ぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私たちの使命の一部ではあります。

しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何のためにこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか───こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが一番大切なことです。

 これから先にも大きな仕事が私たちを待ちうけております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸のために心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人─── 私たちはこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。

 今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもってわれわれの方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてそれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることができます。霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処できます。

 世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再検討を迫られております。その大渦巻きの中にあって〝これこそ基盤とすべき原理である〟と自信を持って断言できる人はきわめて稀れです。

 再構築にはそれに先だっての破壊が必要です。基盤は何度も言ってきたとおりすでに敷かれております。計画(プラン)はできあがっているのです。今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現わし、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。

そこには不安や失望のタネは何一つありません。為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることができます。
 
 私たちに与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることができることの特権に感謝し、それがその人たちにも革命をもたらし、自分が愛と叡知にあふれた神の一部であること、その神は人間が人生から美とよろこびと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」  
     

 

Sunday, April 5, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

  The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


6章 物質界への再誕

このページの目次〈再生の前兆〉
〈魂と肉体の合体〉
〈霊的属性の発達〉
〈白痴と錯乱〉
〈幼児期〉
〈親しみを感じる人・虫の好かぬ人〉
〈過去世の記憶〉



〈再生の前兆〉

――物質界へ再生する時期は予知されるのでしょうか。


「目をつぶっていても火に近づくと体で熱を感じるように、再生する時期が近づくと自然に直感するものです。死を予期するのと同じ調子で、また生まれ変わることを予知します。が、それが正確にいつであるかは知ることはできません」


――近づく再生にそなえての準備もあるのでしょうか。


「一向に気に掛けない者もいますし、何も知らずにいる者もいます。それはその霊の霊性の発達程度による問題です。将来のことが何も分からないという不安な状態に置かれることが罰であることもあります」


――再生の時期を早めたり遅らせたりすることは出来るのでしょうか。


「強烈な意念でもって望めば早めてもらうことは出来るでしょう。待ち受ける試練にしり込みして拒否の態度を続ければ延期してもらうことも出来るでしょう。人間界と同じで、霊界にも臆病者や横着者がいるものです。ですが、延期が叶えられても、それだけの代償は必ず払わされます。病気の治療と同じです。こういう療法で必ず治ると分かっているのにそれを拒否すれば、治るのが遅れるのは当たり前です」


――さすらいの状態にありながらも今の状態が結構楽しくて幸せであると感じている場合は、その状態を無期限に延ばすことは許されるでしょうか。


「無期限にというわけには行きません。向上の必要性は遅かれ早かれどの霊もが感じるものです。霊は例外なく向上しなくてはなりません。それが宿命なのです」


――宿る身体はあらかじめ決まっているのでしょうか。それとも最初の段階で選択するのでしょうか。


「生まれ出る新生児にどの霊が宿るかは決まっています。霊が次の人生で体験することに意を決すると、再生の手続きに入ります。神はその霊について裏も表も全てを知り尽くしていますから、新しい人生も予見して、かくかくしかじかの霊はかくかくしかじかの身体がよいということを判断なさるのです」


――霊には宿る身体を選択する自由はないのでしょうか。


「身体を選ばせてもらえることもあります。なぜなら、障害の多い身体に宿れば大変な試練の人生となりますから、それを選ぶことによって遭遇する苦難を首尾よく克服すれば、それは大いに進歩の多い人生となるからです。ただし、それだけにまた挫折も多いわけですから、一人で勝手に選ぶことは許されません。そういう願いを出して許しを乞うということになります」


――選んだ身体に宿る直前になってそれを拒絶することもできますか。


「もし拒絶した場合は、新たな試練を求めなかった場合よりも多くの苦難をこうむります」


――生まれ出る胎児に宿る霊がいないという事態は起こり得ますか。


「神はあらゆる不慮の事態に備えています。生まれ出る胎児には必ずそれに宿るべき霊も決められています。計画なしに創造されるものは何一つありません」


――肉体に宿りきった瞬間は死後の意識の混乱と同じものを伴うのでしょうか。


「伴います。死後の混乱よりも大きく、とくに期間がずっと長く続きます。死後は肉体への隷属状態からの解放ですが、誕生は再びその状態に入り込むのですから」


――再生する瞬間は霊自身にとって厳粛な気持ちになるものでしょうか。


「譬えてみれば危険な航海に出て行く時の心境です。果たして無事荒海を乗り切ることができるかどうか、大いなる不安の中での船出です」


――その不安というのは新しい人生での試練を無事克服できるかどうかということから生じるのでしょうか。


「そうです。とても不安です。それにどう対処するかによって霊的進化を遅らせることになるか速めることになるかが決まるからです」


――再生する時、見送ってくれる仲間がいるのでしょうか。


「それはどの界層に属するかによって違ってきます。情愛の強い界層であれば、愛する者たちが最後の別れの間際まで付き添い、勇気づけ、再生後もずっと付き添うこともよくあります」


――夢などによく姿を見せながらその容貌に記憶がないということがよくあるのですが、それはその類いの霊でしょうか。


「そうです、そういうことが非常に多いです。牢に入れられた者を見舞うのと同じように、あなたのもとを訪れてくれているのです」
〈魂と肉体の合体〉


――魂が肉体と合体するのはいつでしょうか。


「受胎の瞬間から結合作用が開始されますが、完了するのは誕生の瞬間です。受胎の瞬間に、その肉体に宿ることになっている霊と受胎した細胞とが流動質の紐でつながります。そのつながりは日を追って緊密になり、出産後の産声(うぶごえ)によって地上の人間の一人となったことを告げることになります」


――霊と胎児との結合は受胎の瞬間において確定的なものになるのでしょうか。つまり、結合して間もない頃に霊がその肉体に宿ることを拒否することが出来るのでしょうか。


「両者の結合は、他の霊には絶対に侵入を許されないという意味において確定的と言えます。しかし、物質的なつながりは脆弱(ぜいじゃく)ですから、自ら選択した試練にしり込みして霊が強烈に拒否すれば、そのつながりは切断されます。その場合は胎児は死亡します」


――宿った胎児が何らかの原因で死亡した場合、霊はどうなりますか。


「別の肉体を選びます」


――生後二、三日で死亡するような嬰児に宿って再生することにどんな意味があるのでしょうか。


「その場合、新しい存在としての意義はまだ芽生えていませんから、死そのものの影響はほとんどありません。前にも述べましたが、こうした死は主として両親にとっての試練である場合が大半です」


――霊自身はあらかじめその身体が生き永らえる可能性がないことを知っているのでしょうか。


「知っていることもあります。もし知っていたとすれば、それは新しい人生での試練にしり込みして、そういう身体を選んでいます」


――そうやって、原因は何であれ、せっかくの再生に失敗した場合、すぐに次の再生が準備されるのでしょうか。


「すぐにとは限りません。失敗にそなえて次の再生の準備が整えられていた場合は別として、一般的には新たな選択をするのに時間を要します」


――胎児との結合が確定的となり、もはや拒否することができなくなった時点で霊が後悔することがありますか。


「ご質問の意味が、人間となってからその人生に不平を言ったり、生まれてくるんじゃなかったと思うことがあるかということであれば、そういうことはあるでしょう。が、再生する際の人生の選択を間違えたと後悔することがあるかという意味であれば、そういうことはありません。なぜなら、その時点ではすでに霊としてそういう選択をした記憶は消えているからです。いったん再生してしまうと、霊の時代に意識して選択したことは思い出せません。しかし人生の重荷に耐えかねて絶望することはあります。その場合、自殺ということも起こり得ます」


――受胎から誕生までの期間中に、霊は霊的能力を使用しているのでしょうか。


「妊娠期間中のさまざまな時点で大なり小なり使用しています。新しい物的身体と結合したといっても、まだ合体するまでには至っていないからです。一般的には受胎の瞬間から意識の混濁が始まり、その時点で自分がいよいよ再生の過程に入ったことを直感します。その混濁は日を追って強まり、分娩に至ります。その期間中の霊の意識状態は睡眠状態に近いと思ってよろしい。分娩時が近づくにつれて意識は消え、過去の記憶も消え、それは誕生後もずっと思い出せません。死後霊界に戻ると徐々に記憶が蘇ります」


――いわゆる死産の場合、当初から再生が意図されていなかったケースもあるのでしょうか。


「あります。当初から霊が宿る予定はなく、霊的には何も為されないことがあります。そういうケースは両親にとっての試練としての意義しかありません」


――そういう胎児でも一通りの妊娠期間があるわけですか。


「全てではありませんが、あります。ですが、生きて産まれ出ることはありません」


――堕胎は霊にどういう影響を及ぼすでしょうか。


「無駄に終わったことになり、一からやり直さなければなりません」


――人工中絶はどの段階であっても罪悪でしょうか。


「神の摂理を犯す行為はすべて罪悪です。母親であろうと誰であろうと、生まれ出るべき胎児の生命を奪う者は必然的に罪を犯したことになります。生まれ出る身体に宿って再生し試練の一生を送るはずだった霊から、そのせっかくの機会を奪ったことになるからです」


――かりにその母親の生命が出産によって危機にさらされると診断された場合でも、中絶することは罪になるのでしょうか。


「すでに完成されている人体(母親)を犠牲にするよりも、まだ完成されていない人体(胎児)を犠牲にすべきでしょう」
〈霊的属性の発達〉


――人間の道徳性はどこから生まれるのでしょうか。


「その身体に宿っている霊の属性です。霊が純粋であるほど、その人からにじみ出る善性が際立ってきます」


――そうすると善人は善霊の生まれ変わりで、悪人は悪霊の生まれ変わりということでしょうか。


「それはそうなのですが、悪霊と言わずに“未熟霊”と言い変えた方がいいでしょう。そうしないと常に悪であり続ける霊、いわゆる悪魔が存在するかに想像される恐れがあります」


――非常に知的な人で、明らかに高級霊の生まれ変わりであると思われる人が、一方において極端に非道徳的なことをやっていることがあるのは、どう理解したらよいのでしょうか。


「それはその身体に宿っている霊が道徳的に本当に純化されていないからです。そのためにその人よりも波動的に低い霊の誘惑に負けて悪の道に陥るのです。霊の進化は一本道を上昇していくのではありません。霊のもつ多くの属性が少しずつ進化して行きます。進化の長い旅路において、ある時は知性が発達し、またある時は道徳性が発達するといった具合です」


――霊的属性は物的身体の器官によって制約を受けるのでしょうか。


「肉体器官は霊的属性を発現させるための魂の道具です。ですから、その発現の程度は肉体器官の発達程度によって制約を受けます。名人の腕も道具次第であるのと同じです」


――すると、頭脳の発達程度から道徳的ならびに知的属性の発達程度を推しはかることが出来るのですね?


「原因と結果を混同してはいけません。能力や資質は霊に所属しているのです。肉体器官がそれを生み出すのではなく、それが肉体器官の発達を促すのです」


――その視点から言えば、各自の素質はひとえに霊の発達程度によるのでしょうか。


「“ひとえに”と極言するのは正確ではありません。物質界に再生した霊の資質が持って生まれたものであることに疑いの余地はありません。が、宿った物的身体の影響も考慮に入れなくてはなりません。大なり小なり、内在する資質の発現を阻害するものです」
〈白痴と錯乱〉


――一般に白痴は普通の人間よりも下等と信じられていますが、そう信じてよい根拠があるのでしょうか。


「ありません。人間の魂であることに変わりはなく、実際には外見から想像するより遥かに高い知性を秘めていることがあります。ただ、それを発現させる機能が大きく阻害されているだけです。耳が聞こえない人、物が見えない人がいるのと同じです」


――そういう不幸な扱いを受けている人がいることにも神意があると思うのですが、一体どういう目的があるのでしょうか。


「白痴は大きな懲罰を受けている霊の再生です。そうした発育不全ないしは障害のある器官に拘束され、発現できない状態での苦痛を体験させられているのです」


――白痴のような、善も悪も行えず従って進歩が得られない状態での人生に何のメリットがあるのでしょうか。


「そういう人生は何らかの才能を悪用したその罪の代償として科せられているのです。その霊の進化の旅程の一時的中断です」


――と言うことは、その白痴の人物の身体に宿っている霊は、かつては天才だったということも有り得るのでしょうか。


「大いに有り得ます。天才も、その才能を悪用した時は天罰を受けます」


――その身体に宿っている霊は、霊的にはそれを自覚しているのでしょうか。


「自覚していることがよくあります。自分の行動を阻止しているクサリが試練であり罪滅ぼしであることを理解しているものです」


――精神的錯乱状態の人間の場合、霊はどういう状態になっているのでしょうか。


「霊は、完全に自由な状態(霊界に所属している間)では、全ての機能が自在に働き、物質へも直接的に働きかけることができます(心霊現象を生じさせる場合)が、いったん物質界に再生してしまうと条件が一変し、肉体器官という特殊な媒体を通して能力を発揮することになります。ですから、もしもその器官のどれか一つ、あるいは器官の全てが損傷を受けると、その人間の行為ないしは受信機能が阻害されます。眼球を失えば見えなくなり、聴覚を損なえば聞こえなくなるといった具合です。

そういう次第で、かりに知性や意思の表現を司る機能が部分的に、あるいは完全に阻害されれば、器官はそなわっていても、まったく機能しないか、異常な反応をするために、表向きは錯乱した行動を取ります。霊的には異常であることに気づいていても、どうしようもないのです」


――それが自殺という行為を生むことがあるのはなぜでしょうか。


「今も述べたように霊的次元では本当の自我は異状に気づいていて、その機能不全による拘束状態に苦しんでいます。その拘束を断ち切る手段として自ら死を選ぶのです」


――死後も地上時代の錯乱状態が続くのでしょうか。


「しばらく続くかも知れませんが、そのうち物的波動から抜け出ます。それはちょうど、あなた方が朝目を覚ましてしばらくは意識がぼんやりとしているのと同じです」


――脳の病気がどうして死後の霊にまで影響を及ぼすのでしょうか。


「一種の記憶の残影の影響で、重荷のように霊にのしかかっています。本人には自分の錯乱状態での行為の記憶はありませんので、本来の自分を取り戻すのに普通より時間が掛かります。死後の不安定な状態が地上時代の病的状態の長さによって長かったり短かったりするのはそのためです。霊は肉体から解放されたあとも、多かれ少なかれ、肉体とのつながりによる影響を引きずっているものです」
〈幼児期〉


――霊はなぜ再生の度毎に幼児の段階を経なくてはならないのでしょうか。


「地上へ降誕する目的は霊性の進化です。物的身体に宿った霊は(生長するにつれて物的器官による束縛が大きくなって行くけれども)幼児期は霊的感覚がまだ強く残っているので、指導を任された背後霊団からの印象を受け易く、それが発達を促します」


――最初の意志表示がただ泣くだけということには何か意味があるのでしょうか。


「母親の関心を引きつけて看護に落ち度がないようにするためです。考えてもごらんなさい。もしも赤ん坊がいつも機嫌よく笑い声ばかり立てていたらどうなります? 母親だけでなく周りの者も、その時に必要としているものに気づかずに放っておくはずです。そうした配慮の中にも大霊の叡知を読み取ってください」


――そうした幼児期から成人へ向けて変化して行くのは、内部の霊そのものが変化するからでしょうか。


「霊が、内在する本来の資質を発揮しはじめるのです。

あなた方は表面上の無邪気さの裏に隠された秘密をご存じないようですね。我が子が一体いかなる人間になるのか、生まれる前は何者だったのか、これからどんな人間に成長するかも知らないまま、あたかも自分の分身であるかのごとくに愛撫し、全てを忘れて育て、その愛は海よりも深いと称(たた)えられていますが、他人でさえ感じる幼な子のあの愛らしさ・優しさはどこから来ると思いますか。その始源は何だと思いますか。ご存じないでしょう。では、それをじっくりお聞かせしましょう。

子供は神の許しを得て新しい物的生活の場へ送られてきます。その際、神は、その人生の酷しさが不当であるとの不満を抱くことのないよう、どの霊も表向きは無邪気そのものの赤子として誕生させます。たとえ宿っている霊が極悪非道の過去を持っていても、その悪行に関する記憶はまったく意識されないようにしてあります。無邪気さによって悪行が払拭(ふっしょく)されているわけではありません。一時的に意識されないようにしてあるだけです。その純真無垢の状態こそ霊の本来の姿なのです。だからこそ、それが汚れて行くことについては、その霊が全責任を負わねばならないことが明らかとなるのです。

赤子が純真無垢の状態で生まれてくるのは、それに宿る霊のためだけではありません。その赤子に愛を注ぐ両親のためにも――むしろ両親のためにこそ――神の配慮があるのです。もしも過去の残虐な行為がそのまま容貌に現れたらどうしますか。愛は大きく殺(そ)がれることでしょう。邪気もなく、従って従順だからこそ愛の全てを注ぎ、細心の看護を施すことが出来るのです。

しかし、親による扶養も必要でなくなる十五才あるいは二十才頃になると、本来の性癖と個性が赤裸々に表に出て来ます。もともと善性の強い霊であれば、いわゆる“良い子”に育つでしょう。が、それでも幼少時は見られなかった性癖や性格の陰影が見られるようになります。

生まれてくる子の霊は、親とは全く異なる世界からやってくることを忘れてはいけません。親とは全く異なる感情、性癖、嗜好をもってやって来た者が、いきなり地上世界に馴染めるでしょうか。やはり神の配剤、すなわち純真無垢の幼児期という篩(ふるい)を通過することによって、その準備をするのです。生成発展の過程にある無数の天体が生み出す全想念、全性格、全生命が最終的に入り交じることが出来るのは、この幼児期の篩の過程があるからこそなのです。

無邪気な幼少時代にはもう一つの効用があります。霊が地上生活に入るのは霊性の発達、言わば自己改革のためです。その観点からすれば、幼少時代の物質性の弱さが背後霊による指導に反応しやすくします。その結果、邪悪な性向が抑えられ、問題のある性格がある程度まで改善されます。この抑制と改善は親たるべく神から運命づけられている者にとって、厳粛な使命でもあるのです。

このように、幼児期というのは有用であり必要不可欠であるばかりでなく、それ以上に、宇宙を支配する神の摂理の自然な配剤でもあるのです」
〈親しみを感じる人・虫の好かぬ人〉


――前世で知り合ったり愛し合ったりした二人が次の地上生活で出会った時、それと分かるものでしょうか。


「互いに認識し合うことはできません。しかし互いに親しみを感じるかも知れません。そうした前世での縁が親和力となって次の地上生活で愛情関係へと発展することはよくあることです。偶然としか思えない事情の重なりで一緒になることはよくあることで、それは実は偶然ではなく、このごった返した人間の集まりの中にあって無意識のうちに二人の霊が求め合っていた、その結果です」


――認識し合えればもっと良いのではないでしょうか。


「必ずしもそうとは言えません。過去世の記憶には、あなた方が単純に想像するのと違って、大きな不都合が伴うものです。死後には互いに認識し合い、それまでの過去世を思い出すことになります」


――親しみを感じる場合は決まって前世での縁があるからでしょうか。


「そうとは限りません。人間としての前世での縁がなくても、霊的に親和性がある場合は自然に打ち解けます」


――反対になぜか初対面の時から虫が好かない間柄というのがありますが、何が原因でしょうか。


「霊的な斥力(せきりょく)が働いて、互いに言葉を交わさなくても互いの本性を直感して反発し合うのです」


――その場合、どちらか一方または双方に邪悪な性質があることの表れでしょうか。


「反発を感じるからといって必ずしも邪悪であるとは限りません。反発を感じるのは類似性が欠けているからに過ぎないこともあります。その場合でも互いに霊性が向上すれば相違の陰影が薄れていき、反発心も消えていきます」
〈過去世の記憶〉


――再生した霊はなぜ過去の記憶が消えるのでしょうか。


「神がその無限の叡知によって人間に全てを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。遮ってくれている忘却という名のベールがもし無かったら、暗闇からいきなり直射日光にさらされたように、人間は目が眩んでしまいます。過去世のことを忘れているからこそ自分を確保できているのです」


――地上生活の艱難辛苦は、それもやむを得ないほどの過去の悪事を思い出すことができて初めて納得がいくと思うのです。ところが再生の度に前世を忘れていけば、どの地上人生も初体験と同じであることになります。神の公正はどうなるのでしょうか。


「新しい物的生活を体験するごとに霊は叡知を身につけ、善悪を見分ける感覚が鋭敏になって行きます。そして死の現象を経て本来の生活(霊界での生活)に戻ると、地上での全生活が披露されます。犯した罪、苦しみを生み出した悪行を見せつけられ、同時に、その時どうすればそれが避けられたかも見せられます。その結果各自は、自分に割り当てられた善悪両面の摂理による裁きについて得心がいきます。

そこまで来ると今度は、地上に残してきた罪科の後始末のために、もう一度再生したいという願望が生じます。前回しくじったのと同じ環境条件のもとでの新たな挑戦を求め、先輩霊たちにも援助を要請します。その中には守護霊となるべき霊もいます。守護霊は前回の地上生活での失敗原因を熟知していますから、同じ条件下で遠慮のない試練を与えます。悪想念、罪悪への誘惑によって彼を試します。それに対して、親の躾のお蔭で誘惑に打ち勝ったと思えるケースもあることでしょう。が、実際は彼自身にそなわった善悪判断のモニター、いわゆる良心の声に従ったからなのです。

しかし、その良心の声にこんどこそ従うことが出来たのは、二度と同じ過ちを犯すまいと誓った過去の体験があるからなのです。新たな物的生活に入った霊は、このように堅忍不抜の覚悟で臨み、悪行への誘惑に抵抗し、かくして少しずつ霊性を高めて、霊の世界へ戻った時には一段と向上しているのです」


――そうした過去世についての啓示は地上生活中には得られないのでしょうか。


「誰でもというわけには行きません。どういう人物だったとか、どういうことをしたといった程度のことなら、垣間見ている人は少なくないでしょう。が、それについて語らせたら、奇妙な啓示になってしまうでしょう」


訳注――霊感者とかチャネラーとかが人の前世を語るのを私は、かねがね、霊的原理から言って有り得べくもないことなので奇妙なことだと思っていたが、この回答はそれを見事に指摘してくれていて、すっきりした気分になった。前世についてはシルバーバーチも「一瞬のひらめきの中で垣間見るだけ」と言っているように、人間がとかく想像しがちな、まるでビデオを見ているようなものとは違うのである。

それを、まるで小説でも書くような調子で、さる女優の前世を長編の物語にした米国人チャネラーがいて、それが翻訳されて日本でもベストセラーになったことがあるが、私にとっては一般の人々のいい加減さに幻滅を覚えるだけだった。案の定その後それがチャネラーの作り話にすぎないことが判明して、当の女優も「人を惑わすようなことは二度としたくない」とサイキックニューズ紙で語っていた。確かに“人を惑わすもの”で、これに係わった者は全員、霊的に罪を犯したことになる。


――自分の過去世について漠然とした記憶があって、それが目の前をさっと通り過ぎ、もう一度思い出そうとしても思い出せないという人がよくいるのですが、そういう場合は幻影でしょうか。


「真実の場合もありますが、大体において幻影であり、用心が肝要です。想像力が興奮状態になった時の反映に過ぎないことが多いからです」


訳注――『霊媒の書』に“憑依に至る三つの段階”というのがあるが、これはその第二段階で、低級霊が当人の思考過程の中に入り込もうとしているケースである。だから“用心が肝要”と言っているのである。


――地球より発達した天体上では前世をもっと正確に思い出せるのでしょうか。


「その通りです。まとう身体の物質性が薄らぐにつれて、宿る霊の回想力が鮮明になります。波動の高い天体で生活している者にとっては、過去の記憶は地球の人類より遥かに鮮明です」


――人生の有為転変は過去世の罪滅ぼしであるとなると、その有為転変を見て、その人の前世についておよその推察は可能でしょうか。


「可能なことはよくあるでしょう。受ける罰は犯した悪行に対応するのが鉄則ですから。しかし、それを全てに当てはまる尺度とするのは関心しません。直観的判断の方が確実です。霊にとっての試練は過去の行いに対応すると同時に未来のためを考慮に入れたものなのですから」