Thursday, April 2, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)



3章 霊界への帰還

このページの目次〈死後の魂〉
〈魂と肉体の分離〉
〈死後の意識の混乱〉



〈死後の魂〉

――死の瞬間、魂はどうなるのでしょうか。


「再び霊に戻ります。つまり霊の世界へ帰るわけです。ホンの少しの間だけ留守にしていたのです」


――その魂は死後も個性をそなえているのでしょうか。


「もちろんです。個性は決して失われません。もし個性を失ったら魂はどうなりますか」


――物的身体がないのに、なぜ個的存在としての意識が残っているのでしょうか。


「その霊特有の流動体(※霊体)が残っています。その天体の大気中から摂取したものです。それに、それまでの物的生活での魂の特徴が全て刻み込まれています。あなたのおっしゃるペリスピリットです」


――魂はそれ以外には地上生活から何も持っていかないのですか。


「地上生活の記憶と、より良い世界への憧れのみです。その記憶には地上生活をどう生きたかによって、楽しさか辛さのどちらかがいっぱい詰まっています」


――魂は、死後、普遍的な魂の集合体の中に戻っていくという説はどう理解すればよいでしょうか。


「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現してもよいのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持しています」


――死後の個性存続の証拠はどうすれば得られるのでしょうか。


「今こうして交信している事実が何よりの証拠ではないでしょうか。あなたにもし霊視力があれば霊の姿が見えるはずです。霊聴力があれば霊の声が聞こえるはずです。一日のうち何度もあなたと別個の人格があなたに話しかけているのですよ」


――永遠の生命というものをどう理解すべきでしょうか。


「永遠なるものは霊の生命だけです。肉体は束の間の儚(はかない)い存在です。肉体が死滅することによって魂は再び永遠の生命に戻るわけです」


――私が思うに、永遠の生命という用語は浄化しきった霊、つまり相対的な意味での完全の段階にまで到達して、もはや苦難による試練を必要としなくなった霊に当てはめるべきではないでしょうか。


「その段階の生命はむしろ“永遠の至福”の境涯と呼ぶ方が良いでしょう。ですがそれはあくまでも用語の問題です。あなた方の間で意味の解釈で合意ができていれば、何と呼ばれても結構です」
〈魂と肉体の分離〉


――魂が肉体から分離する時は苦痛を伴いますか。


「苦痛はありません。死の瞬間よりも、むしろ死に至るまでの人生の方が遥かに苦痛を伴います。死に際して魂自身は肉体に生じている変化を意識しないものです。それどころか、言うなれば“国外追放の刑期”を終える時がいよいよ近づいたことを自覚して、魂自身は嬉しさでわくわくしていることがよくあります」


――分離の現象はどのようにして行われるのでしょうか。


「魂をつなぎ止めていた絆(玉の緒(シルバーコード))が切れ、肉体から離れて行きます」


訳注――ここに掲げた写真はカルデックが一八五〇年に創刊した『心霊評論』La Review Spirite紙上で紹介されたもので、それが訳者が購読中だった米国の心霊月刊誌CHIMES(チャイムズ)に掲載された(現在は廃刊)。解説文によるとフランス北東部のアルザスに住む老婦人が他界して納棺される直前に、娘が写真を撮りたいと言うので、弔問に訪れていた高等学校の校長が代わりに撮ってあげた。十二枚のフィルムのうち四枚だけ残っていたので四枚撮った。最初の一枚は露光は一秒だったが、部屋の明かりが弱すぎるので、二枚目は十二秒、三枚目は十五秒、四枚目は二十秒にした。焼き付けてみると一枚目は老婦人の普通の写真が写っていたが、残り三枚には見事なシルバーコードの映像が写っていた。玉の緒(通夜における写真)
(露光12秒)(露光15秒)(露光20秒)


――それは突然、そして一瞬の間に行われるのでしょうか。生と死とを分ける明確な線があるのでしょうか。


「いえ、魂は少しずつ分離します。カゴが開けられて小鳥がぱっと飛んで出て行くような調子で、霊が肉体から急に去って行くのではありません。生と死との境を行ったり来たりしながら、霊は少しずつ肉体との絆を緩めていきます。一気に切断するのではありません」


――有機体としての生命が停止するより先に霊と肉体とが完全に分離することも有り得ますか。


「肉体の断末魔が始まる前に霊が去っているということが時おりあります。断末魔は有機体としての生命の終末の反応にすぎません。本人にはもはや意識はないのですが、わずかながら生命力が残っています。しょせん肉体は心臓の働きによって動く機械です。血液が巡っているから生き続けているだけで、魂はもう存在する必要はありません」


――死の現象の最中に霊がこれから帰って行く霊の世界を垣間見ることはありますか。


「霊は、肉体につなぎ止められてきた絆が緩んでいくのを感じると、その分離現象を促進して一刻も早く完了させようとするものです。その際、すでに物的束縛から幾分か脱していますから、これから入って行く霊的世界が眼前に広がり、それを楽しく眺めていることがあります」


――いよいよ分離して霊界での意識を取り戻した時の感じはどんなものでしょうか。


「各自の事情によって異なります。悪いことばかりしてきた者は、その悪事の場面を見せつけられて恥じ入るでしょうし、善行に励んできた者は肩の荷を下ろしたような、晴れやかな気分がすることでしょう。どんなに厳しい目で見られても恥じ入るところは何一つ無いのですから」


――地上時代の知り合いで先に他界した人たちと再会できるでしょうか。


「できます。ただ、愛情関係の度合いによって直ぐに会える人と、なかなか会えない人とがいます。霊界への帰還を察知して出迎えてくれ、物質との絆を解くのを手伝ってくれる人もいます。前世で知り合いだったのに、あなたが地上へ行ってしまったのでその間会えなかった人が出迎えてくれることもあります。霊界に帰りながら今なお迷っている者にも会えますし、地上に残した者のところへ行ってみることもあります」
〈死後の意識の混乱〉


――事故死のように、老齢や病気による衰弱が伴わない死の場合、魂の分離は肉体的生命の死と同時に発生するのでしょうか。


「大体においてそうです。そうでないケースも無きにしもあらずですが、いずれにしても肉体の死から魂の分離までの時間はそう長くはありません」


――例えば斬首された場合、意識はそのまま残っているのでしょうか。


「少しの間残っているケースがしばしばあります。が、それよりも、死の恐怖のために刑の執行直前に意識を失っているケースがよくあります」


編者注――ここでいう“意識”は肉体器官を通じての意識のことである。その意識の途絶えは必ずしも肉体からの魂の分離を意味しない。肉体が元気なうちの突然の死においてはペリスピリットがしっかりしているために、魂の分離に時間が掛かるようである。


――肉体から分離した魂は直ちに霊としての自我意識を持つのでしょうか。


「直ちにではありません。しばらくの間意識が混乱し、感覚が鈍い状態が続きます」


――それはどんな霊でも同じですか。


「いえ、霊性の発達程度によって違います。霊的浄化がある一定レベルまで達している霊は、すでに地上生活中に物的束縛から脱していますから、直ちに意識を取り戻します。一方、物的波動にどっぷりと浸っていた者や道義心が鈍い者は、いつまでも物的波動から抜け出られません」


――霊的真理を知っているということは死後の目覚めに影響がありますか。


「大いにあります。これから置かれる自分の新しい環境についてあらかじめ理解ができていることになるからです。しかし、やはり何よりも大切なのは実直な日常生活と道義への忠実さです」

シルバーバーチの霊訓(二)

Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


三章 一教師の悩みに答える

 ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うに任せない悩みを抱えている。ふつうなら招待客の質問を聞いてシルバーバーチが答えるのがパターンであるが、その日は意外な展開となった。開会早々まずシルバーバーチから語り出したのである。

 「あなたの質問をお受けする前に二、三私の方から述べさせていただきたいことがあります。あなたはこれまで数々の難問に直面し、悩みを抱え、あれこれと心の中で反問し、胸を焦がし、思想上の葛藤を繰り返して来られましたが、それはあなたが自分の理性の指図による判断に基いて自分なりに得心した道を歩む上で是非とも必要なことでした。

 それは安易な道ではありませんでした。あなたがいい加減なことでは済まされない性格であり、何事も全身全霊を打ち込むタイプであり、他人も同じであってくれることを望まれる方だからです。私の言わんとすることがお判りですか」

 「全くおっしゃる通りです」とその教師が答えると、シルバーバーチはさらに続けた。

 「私が ぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。他界した霊がこうして再び戻って来るそもそもの目的は、父なる神が子等に授けた全才能を発揮するように地上人類を促すことです。知識の探求、叡知と真理の追及において理性を無視したり、道義の鏡を曇らせたり、良識を踏みにじるようなことがあってはなりません。

 私たち霊もあなた方人間とよく似た存在です。まだまだ人間的なところがあり、過ちも犯せば失敗もします。絶対的不謬性も完璧性も主張しません。人生の道において少し先を歩み、少しばかり多くの真理を学び、どういう地上生活を送ればこちらへ来てからどういうことになるかを、この目で見てきたというだけです。

 そこで私たちは人類のために何とかしてあげたい──霊的真理を教えることによって、これまで同胞が犯してきた過ちを二度と犯さないですむようにしてあげたい。私たち先輩の叡知を学び、宿された神性を活用することによって地上をより良い、より自由な、そしてより豊かな生活の場としてあげたい。それがひいては霊界が地上から送られてくる未熟で準備不足で不用意な不適格者によって悩まされることがなくなることにもなります。

 しかし、私たちに協力して下さる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度はとりたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。

死の淵を挟んだそちらとこちらの関係において、〝同志〟として手を握り合い、霊的知識の普及という共通の目的のために共に働き、何も知らない無数の地上の人々へ身体と精神と魂の自由をもたらしてあげたいと望んでおります。

 いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わない時、不合理あるいは不条理と思える時は、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。

私たちがあなた方の人生を代わりに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることも出来ます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。

 私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。

これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓えに耳を傾けて下さった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の〝理性〟であるというのが私の一貫した考えです」

 ここで教師はシルバーバーチの助言と勇気づけの言葉に礼を言い、ここ数年のあいだ悩み続けてきたので身に沁みて有難く感じると述べ、さらに、スピリチュアリズムの普及にどうすれば貢献できるかと尋ねた。すると───

 「地上世界はいま他人のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。他の大勢の人たちがそういう体験をしております。未来は過去から生まれます。これまでに起きたことは、その中から将来に役立つものを見出しさえすれば、すべて価値があったことになります。」

 そこで教師が自分の考えをこう述べた。

 「私の過去は霊的知識を幾らかでも獲得したことで有益だったと思います。イザという時に役立つもの、そして現在の意識の段階に辿りつくために経なければならなかった貴重な体験を得させてくれました。それがいわば私の人生の第一章で、これから第二章へ進みたい。つまり、ささやかながらこれまでに得た知識と、これから得られるであろう知識を実生活で役立てたいと思っております」

 「立派なお考えです。霊的知識の普及という仕事で私たちに協力してくださるお気持ちが無為に終わることは絶対ないと思ってください。それが私たちの仕事だからです。霊的知識によって地上人類を啓発し、無知の暗闇を照らし、明るい真理の光をもたらすことです。あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委ねてくだされば、あなたにできる仕事はいくらでもあります」

 「許されることなら、小さな霊団と仕事をしたいと思っております。いま霊界には、他界するまで私の心霊仲間だった者が二人おります。三人で一つのチームを結成できると思うのです。」

 「それは可能な範囲に限るのであれば結構なことです。二人ともよろこんで協力するでしょう。あなた方を結びつけているのは愛と親交だからです。その点に関しては何のご心配もいりません。ただ、あなたも自由意志を持った一個の霊であり、簡単に自分の考えを譲るようなことをしてはいけません。能力の限りを尽くす心の準備を整えたうえで、何を目標として進むのかを明確に確認し合わなくてはいけません。

それから、計画がうまく運ぶのは結構ですが、急いては事を仕損じる、ということがあります。顕幽にまたがるこの種の仕事の難しさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台無しになることがあることです。お分かりですか」

 「なるほど。すべてがいかに細かく配慮されているかが判ってきました。挫折の法則について私が抱いていた疑問もこれで解けました」

 「私たちの全てが従わなければならない計画があり、それに向かっての照合と再照合があります。それは法則によって支配されており、大枠において一人一人に割り当てられております。地上においてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人を目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です。

これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものは余り価値はないものです。手に入れても、価値が無ければ高い評価は与えられません。

 もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病いと悲哀を通してみずから学ぶことです。自我に目覚めて神に必死に助けを求めます。その時こそ、すなわち魂が培われ土壌が耕やされた時こそ、真理のタネが芽を出す時です。こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」

 「私は教師としての職業柄、青少年に大いに関心があります。あなたの霊訓のようなものを教えることができたらと思います。私の手がけた若者の助けになることをしたいのです。すでに(第一次)大戦で死んだ者もおり、援助を必要としております。

また戦争のために社会復帰がうまく行っていない者もおります。そうした私の教え子の多くに何かしっかりした人生思想と宗教を教える仲介役になれるのではないかと思うのです。また、書くことによって更に広い範囲の人々に思想を広め、同時に語り伝えることができればと思っております」

 「そうした奇特な望みは大いに叶えられるべきです。ただ、最初にお述べになったことは慎重におやりにならないといけません。教師という立場上、難しい問題があるからです。一般論としては若人にこうして霊的知識を教え込むことは可能です。が、あなたの場合は特殊なラベルは用いない方がよいでしょう。

 しばしば申している通り、あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが、これは地上でのラベルであって、私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては、とくにその真意を知らない人にとっては、何やら無気味な感じを与えます。

それよりも、大自然の法則──宇宙の物理的・精神的・霊的法則、まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力、表面下に存在する活動の世界、すなわち超自然界、人間の持つより繊細な能力──こうした広大な分野は〝スピリチュアリズム〟とか〝霊媒現象〟といった、誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます。

 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり、従って特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。すでに他界した人にも、地上で幻滅を感じている人にも──そういう人が実に多いのです──霊的知識を普及するチャンスを与えてあげることによって大いに助けになってあげられます。

今夜のこうした集会は私たち霊界での真理普及のためにもよく利用されています。(別のところで〝本日の交霊会には五千人もの霊が集まっている〟と述べている──訳者)

 そうした集会に集まる人々にあなた自身の体験──どのようにして死んだはずの人々と交信できたか、どんなことを聞かされたかを話してあげることができます。そして、あなたの想像以上の多くの方々が聞く耳をもっていることを知ることでしょう。

もちろん聞く耳をもたない人もいます。会をやめざるを得ないことになるかも知れません。あなたを変人と思う人もいることでしょう」

 「耳を傾けた人は、あとになってそれが芽を出すことになるでしょう」

 「必ず役に立ちます。魂に備えができるまでは側から手の施しようがありません。魂みずからが自分を発見しなければならないものだからです。が、実際にはちゃんと備えが出来ている場合が多いものです。そういう人が啓発を求めてあなたのもとに連れて来られます」

 ここで別の列席者が発言した。「確かに若者というのは何かを耳にすれば、遅かれ早かれ、必ず何らかの反応が生じるものです」

 「おっしゃる通りです。たとえその時は反発を覚えても、それが潜在意識に印象づけられ、ずっと存在し続け、本当にそれを必要とする時期が到来した時に呼び醒まされて活動を開始します」

 そこで教師が質問した。「私の場合はスピリチュアリスト教会との関係になるのでしょうか。それとも他の分野での仕事になるでしょうか」

 「私のみたかぎりで判断した意見を申し上げれば、あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。教会とか協会とか団体との関係をもってはいけないと言っているのではありません。機会があれば時にはそうした組織のために活躍して別に悪いとは申しませんが、私のみるかぎりでは、そこはあなたの本来の舞台ではないということです。

 あなたの場合はその種の教会に近づくことのない人々へ手を伸ばすことが可能です。その範囲内においてあなた自身も影響を受け、あなたの方から影響を与えることもできます。その世界は教会関係とは縁がなさそうですね」

 「まったくありません」

 「あなたは今日、私が(霊界から)ここへ来る前に他の出席者に話しておられましたね──あなたの家で催される交霊会の支配霊はアフィニティ(※)とだけ仕事をしたがる、と」(※同じ霊系に属する類魂で、霊的血縁関係とでもいうべきもの──訳者)

 「実は私が今日まっ先に書き留めておいた質問はそのことでした」
 「あなたのアフィニティは教会関係ではないと思います。アフィニティというものは、それ以外に結びつける要素のない関係においては強力な縁となりますが、縁というものは他にもさまざまな形態をとりますし、私たちはその全てを利用するようにしています」

 このあと、それに関連して教師から出された質問に対してシルバーバーチは「すべての出来ごとは因果律の絡み合いです」と述べてから、さらにこう続けた。

 「人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。しかし、あなたにとって何一つ無駄というものはありません。真理は真理です。

どうけなしても、真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が、真理はどうケチをつけてもその真実性が損なわれることはありません。それが真理というものなのです。

 真理というものは一度手に入れたら二度と失うことはありません。他のあらゆるものを失ない、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます」

 ここで教師が一つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が、金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないということだった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと。シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した。

 「それにもう一つ、交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が、人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題───五十年後には何でもなかったと思えるでしょうが───を霊に持ちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます」

 「潜在意識にある能力でしょうか」
 「そうです。霊媒現象は全て霊媒の潜在意識を使用していますから」

 「私は仕事のことでいろんな霊媒に質問したことがあります。すると、動物問題に興味を持っている霊媒は動物愛護のための仕事をしろと言います」

 「そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身にはごまかそうという意図はまったくありません。あなた方から質問する。それが大気中に放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺戟するわけです。

 霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。

 そういうわけで、日常的な悩みについて質問することは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です。もっとも私の場合はそれとはまったく別の要素がありますが。

 いずれにしても、霊媒の言ったことがその通りにならなかったからといって、すぐにそれを〝ごまかし〟と決めつけてはいけません。支配霊が憑っている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。

そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。もっとも、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除されてサッパリすることがよくあります。

 それがウヤムヤに終わると、動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続くことになりかねません。このように二つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいることを知っておく必要があります」


 話題が一転して教育問題になった。
 「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」

 「人間それ自身について真理を教える用意が為されていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間は本来が霊的存在で、それに精神───そしてたぶん魂とおぼしきもの───が宿っていると教えています。

本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上においてすでに〝霊〟なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにするための教訓を学ぶ好機であり、死後に待ち構えているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。

子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解───これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられすぎております」

 「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持ちで述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶を濁しています。教師として卑怯な態度だと思うのです」

 「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師自らがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植えることのできる指導者にまず私たちが働きかけることによって成就されることです」

 「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、
 「宇宙の創造自体がそう短い時間で終わったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられていることでしょう」

 「私たちも少しは進歩していると思うのですが・・・」と教師が言うと、
 「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳が上がり、明るさが増していくのが見えます」

 「スワッフハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」

 「真理というものは一人一人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは〝知的探求〟によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせることによって人の心を捉える───それしかありません」 
 
 その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことが分かりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。

 「お聞きしたいのは、私がすぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」

 「私から見れば、あなたが心に画いておられるほど事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま───そっくりそのままです。

私から見たあなたは、困難を克服し、ふつうの人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処してこられた方とお見受けします。確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強すぎたことがあったことは事実のようです。あなたがおっしゃるのはそのことですか」

 「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏ん張る拠りどころができました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」

 「逃げ腰になるとおっしゃったのはそのことですか」
 「そうです。そう思われませんか」

 「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。

 いかなる人間にも必ず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。

反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。

  あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担ぎ通して見せるぞ。これは自分の荷物なのだから〟という気持ちになれば軽く感じられるものです。

それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです。

 「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」

 「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」

 すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。

あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです」

 「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。

 人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。また、これで良かったかという動機づけについても、穏やかな精神状態の時ほどの明確な自信が持てないものです。

興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」

 「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、

 「おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております───自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」

 「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」

 「そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです」
 「それが私の悩みのタネなのです」

 「人生は螺旋階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合カギがあるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。

だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探究心といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」

 すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、

 「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」

 そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、

 「その通りです。いわゆる〝良心の声〟に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は必ず自分で得ることができます、と申し上げるのです」

 「私もそう思います」と未亡人が相づちを打つと、シルバーバーチは続けて、

 「でも、それは容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。

〝この世〟から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。

時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで〝旅行〟しなくてもできるものです」

 「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、

 「むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。

 あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。

すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお一人です。私にはあなたの気持がよく理解できます。

 私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。神は、あなた方の方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」

Wednesday, April 1, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book
第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


2章 霊の物質界への降誕

このページの目次〈降誕の目的〉
〈魂〉
〈唯物思想〉

〈降誕の目的〉


――霊が物質界へ誕生してくる目的は何でしょうか。


「それは、完全性を成就するための手段として神が課した必要性の一つです。ある者にとっては罪の償いであり、ある者にとっては使命である場合もあります。完全性を成就するためには物的身体に宿ってのありとあらゆる体験を重ねる必要があります。個霊としての存在価値を発揮させるのは、浄化のための辛苦の体験です。

降誕にはもう一つの目的があります。すなわち造化の仕事に携わるに相応しい力を付けることです。その目的をもって、派遣された天体の物的環境に調和した物的身体を授かります。それを手段として、神によって割り当てられた各自の仕事を成就することができます。かくして一方で各自の霊性を磨きつつ、その世界の福祉のための役割をも果たすようになっているのです」


――個霊としての存在を得た当初から摂理にかなった道を歩んできた者にとっても必須なのでしょうか。


「全ての霊は無垢と無知の状態で創造されています。そして物的生活における苦闘と辛苦から教訓を得るために物質界へ降誕するのです。公正なる神は、ある者だけに苦難も努力も必要としないラクな人生を与えるようなことはしません。そんな人生では結局は何の価値もありません」


――もしそうだとすると、摂理にかなった道を歩んでも物的生活の困苦から免れないことになり、一体何のために正しい道を歩むのかという疑問が生じます。


「そういう霊は他の霊よりも速やかにゴールに到達するということです。そして、それとは別に、人生の苦労は、得てして霊としての不完全さの結果である場合が多いのです。ですから、そういう欠陥が少ないほど苦労も少ないことになります。妬むことも羨むことも知らず、貪欲も野心もない人は、そういう欠点をもつ者が遭遇する苦悶を味わう必要はありません」
〈魂〉


――魂(ソウル)とは何でしょうか。


「物的身体に宿っている霊(スピリット)のことです」


――物的身体に宿る前の魂は何だったのでしょうか。


「霊(スピリット)です」


――すると魂も霊も同一物ということでしょうか。


「そうです。魂も霊です。物的身体と結合する前の魂は見えざる世界で生活する知的存在で、それが浄化と啓発を得るために一時的に肉体に宿るということです」


――人間にはその魂と肉体のほかにまだ何かあるのでしょうか。


「その魂と肉体とを結びつけるものがあります」


――その結びつけるものというのはどういう性質をしているのでしょうか。


「半物質体、つまり魂と肉体との中間的性質をしたものです。異質の両者を結びつけるために必要なものです。霊が物質に働きかけ、物質が霊に働きかけるのは、この半物質体を通してです」


――魂は生命体(肉体)とは別個の存在なのでしょうか。


「繰り返し申し上げている通り、肉体は魂の媒体です」


――肉体は魂がいなくても(離脱しても)存在できますか。


「できます。ただし、魂が去ってしまえば生きていられません。誕生前の(母胎内での)魂と肉体との関係は完全ではありません。が、無事に誕生して両者の結合が確定的となれば、両者のつながりを断ち切ることができるのは肉体の“死”のみです。それを限りに魂は肉体から引き上げます。有機的生命は魂が抜けた身体を生かしめることはできますが、魂は有機的生命のない身体には宿れません」


――もし魂がなかったら肉体はどうなりますか。


「知性のない、ただの肉の塊です。何と呼んでもかまいません。人間でないことだけは確かです」


――同じ霊が同時に二つの肉体に宿って生まれることはできますか。


「できません。霊は分割できません。それゆえ二つの肉体を同時に生かしめることはできません」(『霊媒の書』第七章参照


――魂は筋肉の数だけ細分化されて、それが肉体の機能を支配しているという説がありますが、いかがでしょうか。


「魂という用語の意味が問題です。生命の流動体のことであれば、その説は正しいと言えます。宿っている霊のことであれば、それは間違いです。霊が分割できないことはすでに述べました。流動体を通して肉体器官を動かしているのであって、各器官に分散しているのではありません」


――でも、そういう説を唱える霊がいます。


「無知な霊はよく原因と結果とを取り違えます」


――魂は肉体の外部にあって肉体をくるんでいるという説は正しいでしょうか。


「魂が肉体に宿ると言う時、小鳥がカゴの中に閉じ込められているような図を想像してはいけません。魂のもつ霊的影響力がちょうど電球の光があたり一面を照らすように、あるいは音が四方へ鳴り響くように肉体全体に行きわたり、さらに肉体の外部にまで及んでいます。その意味では肉体の外部にあると言えますが、だからと言って魂は肉体をくるんでいるということにはなりません。

魂には二種類の媒体があります。第一の、ないしは、いちばん奥にあるのが、あなたのおっしゃるペリスピリット(※霊体)で、軽妙で繊細です。もう一つが肉体で、粗野で鈍重です。魂はこの二種類の媒体の中心で、ちょうど果実のタネの胚のようなものと思えばよろしい」


――魂は子供から大人になるまでの一生をかけて成長して完成されるという説はいかがでしょうか。


「霊というのは個霊として一単位であり、子供の時でも大人と同じく全ての属性をそなえた統一体です。一生をかけて成長するのは魂の表現機能としての肉体器官です。その説もまた原因と結果を取り違えています」


――なぜ全ての霊が魂について同じ定義が述べられないのでしょうか。


「この種の問題に関して全ての霊が同じ程度に啓発されているとは限らないからです。知的な発達が遅れていて、抽象的な概念が理解できない者がいます。地上の子供といっしょと思ってください。また、間違った知識ばかりを詰め込まれている者もいます。そういう霊は聞く者に権威をふりかざそうとして、やたらに難しい用語を並べ立てます。これ又、地上によく見かける例です。

それとは別に、正しく啓発されていながら、一見すると全く異なった用語を用いる霊がいます。基本的には同じことを言っているのですが、特に地上の言語では明確に表現できない問題についてはそうなりがちです。それを比喩や象徴的表現を用いて説明するのですが、それが文字通りに受け取られてしまうということもあります。魂という用語はとても曖昧で、各自が勝手な想像を加えて解釈しています」


――魂は身体のどこかに、周りを取り囲まれた存在場所をもっているのでしょうか。


「そういうものはありません。ただ、天才や思考を仕事とする人は主として頭部に、情緒に富んだ人や人道主義的な仕事に携わっている人は主として心臓部にあるということは言えるかも知れません」


――身体の中央部にあるという説もありますが……


「さまざまな思いはどうしても中心部に集中する傾向がありますから、そこに霊が位置していると言えるかも知れませんが、そういう説を立てる人は、霊の働きを生命力の流れと混同しているようです。それはそれとして、魂は知的ならびに道徳的な性格の表現を受け持つ器官に存在することが多いということは言えるかも知れません」
〈唯物思想〉


――解剖学者や生理学者、その他、一般的に自然科学に携わる人は唯物思想に陥りがちなのはなぜでしょうか。


「生理学者は、当然、何もかも五感を基準にしてものを考えます。科学者は全てを知り尽くしたと自惚れ、それまでの知識で理解できないものは、その存在自体を認めようとしません。科学そのものが人間を生意気にしてしまい、大自然で人間に知られていないものはないかに思い込んでいます」


――本来なら大自然を支配する大いなる知性の優位性を証明すべき科学的研究の結果が唯物思想を生むというのは嘆かわしいことではないでしょうか。


「唯物思想が科学的研究の結果、というのは正しくありません。科学的研究の成果から誤った結論を出す、人間の不完全性の結果です。人間はとかくそのようにして最高の宝を台なしにしてしまいます。さらに言えば、死は全ての終わりという概念は、実は、それを口にしている当人の方がジレンマを感じているのです。彼らは自信をもってそれを公言しているのではありません。偉そうな態度を取っているだけなのです。

いわゆる唯物主義者の大半はそう確信しているのではなく、死後の生命に合理的証明が得られないから取りあえず唯物論をぶっているだけです。こうして生きている生命が死とともに無に帰するという、あくびの出るような面白くない人生観しか抱けない学者が、ふとしたことで死後の生命に確かな拠り所を見つけてごらんなさい。とたんに、まるで溺れかかった人間のようにその証拠にしがみつくでしょう」

シルバーバーチの霊訓(二)

Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell




二章  宿命と自由意志

 ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗った後、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。

 「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶お言葉として述べているのではありません。

実際の事実を述べているのです。決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。

 困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びも共に味わって一増大きくしてあげることも出来ます。

 いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリとみた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが・・・」


 続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏は後にサイキック・ニューズ社の事務長になっている──訳者)二人は最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会を持つ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。


 「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさってください。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時は必ず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時は周りの条件が整わなかった時でした」

 ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、今度はこの若いカップルに向かってこう語った。

 「人間生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間として個性を存分に発揮するようになるのは、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。

 物質世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。

 肉体と精神と霊──この三つは一つの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその三つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。

お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。

 残念ながら二つの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。二つの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である〝愛〟に動かされていないためです。

 私の知る限り愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪なものが降りかかることを望みません。

お二人が愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終わったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。

 お二人は終わりのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしてお二人が愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。

 ですから私も〝この二人に祝福あれ〟などと申し上げる必要がないわけです。祝福はお二人を結びつけた愛の力によって既に成就され、お二人の前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。お二人を結びつけた霊的知識に感謝すべきです。

真の結婚、永続的な結びつきは、二つの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。

 力と導き、霊感と叡知が常にあなた方の周りにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、お二人に忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近なものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。

 まさしくあなた方お二人は一体です。前途に横たわる人生には祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。

が、お二人はきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、一人では苦しいことも、二人で対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。

 こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。

 それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。

霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富──神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。

 若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」


 同じ交霊会にもう一つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が二人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。

 「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。二つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。

 お二人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお二人を包み、時の経過と共にますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。

 地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう。


 すると奥さんの方がこう述べた。

 「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」

 「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。

これまでたびたび述べてきたことなので皆さんは直ぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私達は、その〝たった一人であっても〟を〝大勢の人々〟に置きかえることができます。

 どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野を持ち、世の中には素朴な霊訓の一言が啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」


 別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。

しかし夫を失った今は息子と二人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか、偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。


 「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とを持って対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。

そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。

 弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。

 あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。

 私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。
 
 でも感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。ご主人はもともとそういう方ではありません。

何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」


 「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。

 「愛の念を送ってあげて下さい。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。

 でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感──地上的な意味での安心感ではありません。

この世的なものは一時的で永続きしませんから──霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。

つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開けゆく道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明るく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持ちでいっぱいです」

 「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、
 「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。

 「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨げます。心配すればするほど──あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話です──あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」

 そこで列席者の一人が「ほとんどの人間がそのことに確信が持てないのです。何も分からず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、

 「おっしゃることは判ります」しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信を持って皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。

 人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。

 するとさっきの婦人が「でも私達には不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、

 「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」

 ここで列席者の一人がこう意見を述べる。

 「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」

 「私は私の知り得た限りのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が〝凡人〟と呼ぶ程度の人々と接触出来ないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染んでまいりました。

あなた方お一人お一人の身近にいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってご覧になれば、何一つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。

心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こし得ないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。

 私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。

あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意を持ってこの仕事に携わる者が、後で後悔することは絶対にありません」


 こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね・・・・・・」と言うと、婦人も、
 「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。

 「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんと一緒に仲良く暮らしておられます。いかがでしょう。私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話していませんね」

 「いえ、とても勇気づけられました」

 「あなたも私たちの仲間のお一人です。必要とあればいつでもお側に参ります。私には大勢の仲間がおり、その一人一人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終わった後、あなたは決して〝手ぶら〟でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙で最も貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」

 「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」

 「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分今の状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。ご主人はあなたが動揺したり躊躇したり疑ったりしない人間であってほしいのです。

ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を〝安心〟の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」

 この未亡人との話がもう少し続いた後、一人の列席者の質問から話題が〝因果律〟と〝偶発事故〟の問題へと発展していった。
 

問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」


答 「代価は必ず払わされます」

 「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」
 「悪事の報いから逃れる者はいません」

 「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」

 「なりません」
 「どうしてでしょう」

 「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為し得ることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意の出来た魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。

心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんの僅かしか顕現されていないケースが余りに多すぎます」

 「でも、やはり心霊治療によって、たとえば一か月患うべき者が一週間で済むということになるように思います」

 「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することは出来ません。

霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することは出来ません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」

 ここで先ほどの未亡人が尋ねる。

 「絶対にですか」
 「絶対に起きません。あなたが今何を考えておられるか、私には判っています。でも、全ては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にも更に別の次元の法則があります」

 「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」

 「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです」

 「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」

 「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」
 「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない──この考え方は考えすぎでしょうか」

 「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命───こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。

宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」

 「判ります」
 「さて、ご主人はあの日地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」

 「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」
 「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」

 「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」

 「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本原理に必ず帰着します。

でも、あなた方も神です。つまりあなた方一人一人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担う事ができるということです。

一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」

 「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」

 「それは、その時点における魂の進化の程度が問題となります」
 「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」

 「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。

炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという〝知識〟があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。

私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」

 「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」
 「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡知も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。

法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」

 「要するに私達は地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」
 「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人の為に使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕の為に使用する義務があります。それが取りも直さず自分の魂の向上につながるのです。

他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」

 「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」
 「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがいのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分で鍛え、自分で進化させるのです」今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。

私はこれまで私が知り得た限りの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢えて断言しますが、いま私が述べたことは、不変・絶対の真理です。

 人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」

Tuesday, March 31, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book
第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)

〈霊の起源と本性〉

――霊とは何でしょうか。


「霊とは“創造物の中の知的存在”と定義できます。宇宙の顕幽両界に生息する知的存在で、物質界の物的諸形態と対照をなしています」


編者注――ここに言う霊とは個性をそなえた個的存在としての霊のことで、普遍的要素としての霊ではない。


――霊は神とは別個の存在でしょうか、それとも神の一部ないしは放射物で、その意味で“神の子”なのでしょうか。


「霊は神の作品です。機械が製作者の作品であるのと同じです。その機械は製作者のものですが、製作者そのものではありません。あなた方が素敵な物をこしらえた時、“これは我が子のようなものです”という表現をします。神との関係も同じです。その意味において我々は全て神の子です。神の造り給うたものだからです」


――霊には始まりがあるのでしょうか、それとも神と同じく永遠の過去から存在し続けているのでしょうか。


「もしも始まりが無いとしたら、霊は神と同等ということになります。が、霊は今も述べた通り神の創造物であり、神の意思(摂理)の支配下にあります。神が無始無終の存在であることに議論の余地はありません。が、その神がいつ我々を造り給うたかについては、我々も知りません。

神は無始無終の存在であるがゆえに絶え間なく創造し続けているに相違ないという意味においては、我々にも始まりはないと言えるかも知れません。しかし、繰り返しますが、我々一人一人がいつ創造されたかは誰にも分かりません。大いなる謎です」


――宇宙には知的要素と物的要素の二種がある以上、霊は物体が物的要素からこしらえられたように、知的要素からこしらえられたと考えてよろしいでしょうか。


「そういう理屈になることは明らかです。物体が物的要素の個別化によって生じたように、霊は霊的要素の個別化によって生じています。ただ、それがいつどのようにして為されたかは、我々にも不明だと申し上げているのです」


――霊の創造は常に行われているのでしょうか、それとも時間の始まりと同時に行われ、それきり行われていないのでしょうか。


「常に行われています。言い変えれば、神は創造活動をお止めになったことはありません」


――霊は非物質的存在であるという表現は正しいでしょうか。


「地上に比較すべきものもなく、言語で表現することもできないものを、どうして定義づけられましょう? 見たこともないものが定義できますか。“非物質的”というのは適切ではありません。“固定的形態がない”という表現の方がまだ少しは真実に近いでしょう。霊も創造されたものである以上は実体のある何ものかであるはずです。言わば生命のエキスです。が、それは人間の理解力の範囲内では表現できない状態で存在しており、あまりの霊妙さゆえに、人間の五感では感得できません」


――霊の存在にも終わりがあるのでしょうか。その始源である普遍的要素は永遠であっても、そこから出た個々の霊は、肉体が大自然に還るように、遅かれ早かれ、いつかは普遍的要素へ還っていくのではないでしょうか。始まりがあるものに終わりがないというのは理解し難いのです。


「人間に理解できないことは沢山あります。知性に限りがあるからです。しかし、だからといって“おかしい”と決めつける理由にはなりません。父親が知っていることの全てが子供に理解できるでしょうか。霊の存在に終わりはない――その問題について申し上げられるのは、現段階ではそれだけです」
〈根源界〉


――霊の世界は我々人間の目に映じている世界とは別個の存在なのでしょうか。


「そうです。霊の世界、ないしは固定的形態のない世界を構成しています」


――宇宙の秩序の点からみて、そちらとこちらの、どっちが主要なのでしょうか。


「霊の世界です。他の何よりも先に存在しており、物的なものが全て消滅した後にも存在し続けます」


――霊の世界は、物的世界が存在しようが消滅しようが、その本質には変わりないのでしょうか。


「変わりません。二つの世界はそれぞれに独立した存在です。それでいて、なおかつ、互いに絶え間なく関係し合っております。反応し合うのです」


――霊は宇宙空間にあって一定の枠に囲まれた範囲を占めているのでしょうか。


「霊はどこにでも存在します。無辺の宇宙に無数の霊が充満しております。気がつかないでしょうが、あなた方の周りに絶え間なく存在して、あなた方の行動を観察し、また働きかけております。霊は大自然のエネルギーの一種であり、神が定めた計画の推進のための道具なのです。しかし、霊だからといってどこへでも行けるわけではありません。霊性の低い者には“禁制”となっている地域があります」
〈霊の形態と動きと遍在〉


――霊にははっきりとした、縁(ふち)のある、一定の形があるのでしょうか。


「人間の肉眼で見るかぎり、そういうものはありません。が、我々にとってはちゃんとした形態があります。もっとも、人間の目には炎とか輝きとか微妙な火花にしか見えないでしょう」


――それには色彩がありますか。


「もし霊視力があれば、ぼんやりとしたグレーからきらびやかなルビー色まで、いろいろに見えるでしょう。その人の霊性の程度によって違います」


――霊が移動するのに時間を要しますか。


「時間を要するかと言われれば要しますが、その速さは思念と同じです」


――思念は霊そのものの動きでしょうか。つまり霊がその場所まで運ばれるのでしょうか、それとも霊によって思考された想念体でしょうか。


「思念のあるところには霊が存在します。思念を発するのは霊だからです。思念は霊の属性です」


――霊が一つの場所から別の場所へ移動する時、通過する途中の距離と空間を意識しますか、それとも行きたいと思った瞬間に着いているのでしょうか。


「どちらのケースもあります。じっくりと途中の距離を意識したいと思えば意識できますし、距離の意識を完全に消すこともできます。霊の意志と霊格の程度によります」


――物質は霊の動きの障害になりませんか。


「なりません。霊はあらゆるものを貫通します。空気・地面・水・火、何でも貫きます」


――霊は遍在することが可能でしょうか。つまり、自分自身を分割したり、一度に複数の場所に姿を見せることができるでしょうか。


「霊そのものを分割することはできません。が、霊は思念を発する中枢で、全方位に自我を放射することができますから、同時に数か所に姿を見せることはできます。太陽は一つですが、全方位に光を放射し、大変な距離にまで及びます。が、太陽そのものが分割されるわけではありません」


――その放射の能力はどの霊も同じですか。


「大変な違いがあります。霊性の発達程度によって違います」
〈ペリスピリット〉


――霊には外部を被うものはないのでしょうか。何らかの“もの”で包まれているのでしょうか。


「強いて地上の譬えで言えば水蒸気のようなもので包まれていますが、我々自身にとってはしっかりとした外被です。しっかりとしていても大気中を何の抵抗もなく動けますし、宇宙空間を神速自在に移動できます」


訳注――植物の胚を包む外胚乳をペリスパームperispermということからカルデックは、スピリットを包むものという意味でperispirit(periは周囲を意味する接頭語)という用語をこしらえている。

この後の通信内容から察するに、霊界の各界層ごとにその波動に似合ったペリスピリットがあって、界層が高くなるほどその質が精妙化していくという。


――そのペリスピリットはどこから摂取するのでしょうか。


「所属する天体の普遍的流動体から取り寄せます。各天体によってペリスピリットの質が異なります。それゆえ天体を移動する時は、衣服を着更えるようにペリスピリットを取り替えます」


――すると地球圏より波動の高い世界から下降して地球圏内で仕事をする場合は、鈍重なペリスピリットをまとうわけですか。


「その通りです。地球圏へ入るには地上的波動の物質で身をくるむ必要があります」


――それは形を装うことができるのでしょうか。また人間の五感に感応するようにもなりますか。


「それは可能です。霊の思いどおりに形を装うことができます。夢の中、あるいは覚醒中でも、霊姿を見せることができるのはそのためです。手で触れることができるほどにもなります」
〈霊の格付け〉


――霊は全て平等なのでしょうか、それとも霊格の差による階級があるのでしょうか。


「その時までに到達した霊性の進化の程度に従って階級ができています」


――その階級には決まった数があるのでしょうか。


「数は無限です。霊性の進化の程度に境界や区分けは存在しません。ということは霊には一定の、あるいは恣意的な区分け法は通用しないということですから、どこに視点を置くかによって、さまざまな分け方もできる理屈になります。しかしながら、霊の性格を総合的に観察すると、大きく三つの基本的な階級ないし段階に集約できるようです。

まず最高級界が“純粋霊”とでも呼ぶべき、完成の域――といっても相対的な意味においてのことですが――に到達した霊です。

二番目の階級が進化の階梯の中間に位置する霊で、霊性の浄化が唯一の願望となり、一途に進化向上を目標としている霊です。

そして三番目つまり最低界層には向上の観念の乏しい霊、および完全からは程遠い霊がいます。その特徴を挙げれば、無知で、邪悪性を好み、向上を妨げる低級感情の全てを秘めております」


――二番目のランクの霊は完全への願望を抱いているだけで、それを達成する力量はそなわっていないのでしょうか。


「それぞれに達成した純粋性の度合いに応じてその力量をそなえております。ある者は科学的知識に優れ、ある者は叡知に優れ、またある者は憐憫(れんびん)の情に長けています。しかし、一様に言えることは、まだまだ誘惑と苦難による試練を必要とするということです」


――最下層の霊は全て邪悪なのでしょうか。


「そういうわけではありません。善いこともしなければ悪いこともしない、無気力で、どっちつかずの生き方をしている者もいれば、邪悪性を好み、悪事を働く機会を見つけると喜ぶという者もいます。さらには軽薄で、愚かで、気まぐれで、邪悪というよりはイタズラ好きで、積極的な敵意に満ちているわけではないが、狡猾で油断がならないといった者、働きかけやすい人間に付きまとって誇大妄想を抱かせては愉快がっている者、気晴らしに下らぬ取り越し苦労のタネを蒔いて喜んでいる者など、いろいろです」
〈霊の進化〉


――霊にはもともと善なる者と悪なる者とがいるのでしょうか、それとも本来はまったく同じもので、それが各自の努力で善性を増して行くのでしょうか。


「本来は同じであるものが努力によって善性を増して行きます。その善性の成長の過程が低い界層から高い界層への向上となって表れるのです」


――善性の高い霊として創造される者と邪悪性の強い霊として創造される者とがいるのでしょうか。


「神は全ての霊を無垢と無知の状態で創造されています。言い変えれば、何も知らないということです。その一人一人に神は使命を持たせてあります。その達成のための努力の中で啓発され、真理を知ることによって徐々に完全に近づき、つまりは神ご自身に近づくように配剤されています。

霊にとって完全とは永遠不変の無垢の喜悦の状態です。神によって課せられた試練をくぐり抜けることによって叡知を身につけていくのですが、問題はその試練への対処の仕方です。素直に受け入れ、そこに目論(もくろ)まれたものを速やかに理解していく者がいる一方、不平だらだらで対処し、その意義を悟らず、いつまでも完全と至福の境涯から遠く離れたままの者もいます。自業自得です」


――今のお説ですと、霊はその起源においては幼い童子のごとく無知で経験に欠けるが、さまざまな人生体験を経て少しずつ叡知を身につけていくということのようですが……


「おっしゃる通りです。その譬えで結構です。子供は反抗ばかりしているといつになっても無知で欠点だらけです。従順さに応じてその成長度も決まってきます。ただ、地上の人生には限りがあります。一方、霊の旅は永遠の彼方へと延びているのです」


――永遠に低界層に留まる霊もいるのでしょうか。


「いません。全てが完成へと向かいます。懲罰の期間がいくら長かろうと、いつかは変化するものです。人間の親でも、出来の悪い我が子を生涯勘当するでしょうか」


――進化向上を速めるのも遅らせるのも本人の自覚しだいということでしょうか。


「その通りです。向上心の強さと神の摂理に従順たらんとする願望の程度によって、ゴールに速く着く者もいれば遅い者もいるということになります。ひねくれ者で怠け者よりも素直な子の方が学ぶのは速いのではありませんか」


――霊が退化することは有り得ますか。


「有り得ません。進化するにつれて、それまで進化を阻害していたものを理解します。そうやって一つの試練を克服するごとに霊はその試練のもつ教訓を学び取り、二度と忘れることはありません。静止することはあっても退化することは決してありません」


――ある霊を最高の界層へ到達させるために、神が、その霊が受けるべきだった試練を免除してやるということは有り得ますか。


「もしも全ての霊が初めから完全無欠なものとして創造されていたら、完全性を成就することから生じる喜悦を味わう資格があるでしょうか。奮闘努力をしないところに一体いかなる価値が生まれるのでしょうか。申し上げますが、そもそも霊が上下善悪さまざまで、言わば“不平等”であるという事実は、互いの霊性の進化にとって有意義なことなのです。さらに言えば、各霊が進化の途上において一つ一つ成就していく使命は、宇宙全体の調和を確信する上において、それなりの意義を持つように配剤されているのです」


――全ての霊は悪の道を通って善へ到達するのでしょうか。


「悪の道ではありません、無知の道です」


――ある者は善の道をたどり、ある者は悪の道をたどるのはなぜでしょうか。


「自由意志というものがあるのをお忘れですか。初めから邪悪な霊として創造された者はいません。みな無垢と無知の状態で創造されているのです。ということは善にも悪にも向かう可能性があるということです。邪悪になったのは、自らの自由意志でそうなったまでのことです」


――まだ自我意識が芽生えていない原初において、どうやって善と悪とを選択する自由が得られるのでしょうか。


「自由意志というのは自我意識の発達にともなって獲得されていくものです。もしも自分の意志とは別個の原因にそそのかされて善悪の選択が為されるとしたら、その霊には自由意志はないことになります。その選択を決定づける要因はその霊の内部にあるのではなくて外部にある――つまり自由意志で選んで従った外部の影響力にあります。人類の堕落と原罪という有名な比喩に秘められているのは、この自由意志のことです。誘惑に負ける者もいれば、屈せずに耐え抜く者もいます」


――外部の影響というのはどこから来るのでしょうか。


「未浄化霊です。とりこにして支配しようとする者たちで、自分たちの誘惑に負けていくのを見るのが愉快なのです。比喩で“サタン”として描かれているのは、その誘惑のことです」


――そういう誘惑は創造された当初からあるのでしょうか。


「霊としての存在のあらゆる側面において付きまとい、自制心がついて完全に抵抗できるようになり、邪霊があきらめるまで続きます」


――神はなぜ霊が間違った道へ迷い込むのを許すのでしょうか。


「各自に選択の自由を与えているところにこそ神の叡知があるのです。成就した時の功績もその霊自身のものとなるからです」


――当初から迷うことなく正しい道を歩む者と、悪の道のドン底まで迷い込む者とがいるからには、その中間には大なり小なりの無数の逸脱があるわけですね?


「まさにおっしゃる通りです。その段階の数だけ、霊の歩んでいる道があるということです」


――極悪非道の道を歩んでいる霊でも、いつかは正しい道を歩むようになるものでしょうか。


「なります。ただし“永遠の苦悶”の期間は他の霊よりも長いでしょう」


編者注――ここでいう“永遠の苦悶”というのは、低界層の霊が先が予見できないために現在の苦悶が永遠に続くと信じている状態のことと解釈すべきであろう。新たな誘惑が次から次へと訪れ、なかなか自制心がつかないのである。


――そういう長い迷いの末にようやく最高界へたどりついた霊は、神の目から見て、順調にたどりついた霊よりも功績の点で劣るのでしょうか。


「神は両者を同じ目、同じ愛で受け入れます。一時は邪霊の部類に入れられたことがあったとは言え、そうなる前は他の全ての霊と同じく、善と悪に対しては完全に無色だったのですから」


――知的能力においても霊は平等に創造されているのでしょうか。


「全ての霊が知的にも平等に創造されています。ただし、自分がいずこより来たのかということだけは誰も知りません。その謎の解明に向かって各自が自由意志で存分に知性を働かせないといけません。その度合いによって、霊性の面と同じく知性の面においても、進歩の速い者と遅い者とが出てくるわけです」


――天使とか大天使とか呼ばれている存在は普通の霊とは別の、特殊な存在の範疇に属するのでしょうか。


「特殊なものではありません。あらゆる不完全性から浄化されつくした霊は進化の最高の段階に到達し、あらゆる側面での完全性を具現しております」


――その天使たちもやはりあらゆる進化の段階をへて向上して行ったのでしょうか。


「あらゆる段階を一歩一歩向上して行ったのです。ただし、前にも述べたとおり、与えられた使命を不平も言わずに受け入れた者は速やかにゴールに到達し、道草を食った者は同じゴールへの到達が遅くなります」


――創造された時から特別に完全性を身につけている霊はいないとおっしゃいましたが、そういう特殊な霊がいることを物語る伝承説話がほとんどの国に見られるのはなぜでしょうか。


「地球という天体は永遠の過去から存在しているのではありません。地球が存在するようになる遥か以前から、無数の霊がすでに最高界にまで到達していました。地上の人間がそういう霊は永遠の過去からずっと完全な状態でいるのだと想像したのも無理はありません」


訳注――信頼のおける霊界通信では、当初から高級界に所属しているいわゆる“神霊(※天使)”の存在を指摘するもの、あるいはそれを暗示するものが少なくない。多分カルデックの時代にはあまり深入りしないことになっていたのであろう。半世紀後のシルバーバーチの霊言に次のような問答がある。

――物質界に誕生する霊としない霊とがいるのはなぜですか。

「霊界の上層部つまり神庁には、一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物的器官を通しての表現を体験しなくても進化を遂げることができるのです。当初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を 帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中にはそうした高級神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります。」


――いわゆる“悪魔”というのは存在するのでしょうか。


「もしも悪魔が存在するとすれば、それも神が創造したものということになります。ですが、邪悪と残忍の中に永遠に生きるものを神が創造するなどということが考えられますか。もしも悪魔と呼ぶに相応しいものが存在するとすれば、それは地球および地球程度の低級界にのみ存在する偽善者のことです。正義の神の代理人のごとき口を利きつつ、その本性は残忍で執念深く、神の名において忌まわしい行為を犯しつつ、それが神へのお追従のつもりでいるのです」

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


まえがき

 ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名告る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のための人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。

 シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。

 こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第二次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如のために、差し出した友愛の手が拒絶されている。

 思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。

 いわゆるハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広めるために他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。

 この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は一度もその交霊会へ出席したこともなければ、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。

 それに対してシルバーバーチは いつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れないほどの人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、その一つとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。

 まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許しください」との書き出しで自己紹介し悩みを披歴した後、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。

 「・・・それを読んで私は、これでやっと真理探究の目的地に辿り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ! と思ったのです。あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私のすぐ側にいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じたほどです。

私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それほどの緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。

 私がこうしてお便りしたのは果たしてそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きするためです。この遠きアフリカにいる私ごとき者にお教えいただけますでしょうか。私に代ってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良すぎるでしょうか(後略)」

 この手紙は已むを得ない事情で到着が遅れはしたが、私たちの催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終わったシルバーバーチはこう語った。

 「この方にこうお伝えください。大いなる勇気を持つこと、大自然の中に生きその変転極まりない現象に接してきた人間ならその背後に法則が存在することに気づいておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。

神は大自然のすみずみまで配慮し無限の変化を律している如くに、人間の一人一人にもそれなりの備えを用意して下さっております。

 過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処できるよう、力と安らぎを求めて祈ることです。

 またこうお伝えください。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰を持つ人の愛に浴していることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。

静かに己を見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤も終わりを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝えください。そしてこう言い添えて下さい。─── 挫けてはいけない。怯んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と。」


 このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。

 「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表したらよいか、言葉もありません。心の奥深く染みる思いが致します。きっと喜んでいただけることと思いますが、スワッハー氏にはじめてお手紙を差し上げて以来私もずいぶん進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。

願わくば私に代ってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝えいただき、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘いただいた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝えいただければ幸いです。」
 

 そしてシルバーバーチを〝素晴らしき霊〟と呼んで、こう結んでいる。

 「私が怏々(おうおう)として長年求めてなお得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。

この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同いただけるものと確信致します。そのようにお伝えいただけますでしょうか。」


 この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。

 「魂が目を覚ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えてください。彼が暗闇の中から這い出て光明を見出したように、つまり己の誤りから長い間苦悩の道を歩んだ後に真理を見出したように、今度は他人にそうしてあげなければならない。

即ち人生の不安を和らげ未だ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。その人の体験を単なる結果として終わらせずに誘発剤としなければならない───つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝えいただきたい。

いま献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さんともども、叡智の光の流れ出る泉となし、今なお暗闇にいる多くの人々にその光に気づかせていただきたい。そうすることが二人してその灯台を築かれた努力が報われるゆえんとなることでしょう。」


 シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏れ多いほど高い霊格の持ち主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。

慈悲心と情愛の固まりのような方である。それというのもシルバーバーチの使命が私たち地上の人間の弱点と欠点とに深く関わりあう性質のものだからであろう。しかし曽て一度たりともシルバーバーチが人を咎めるのを聞いたことがないのである。

 シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧さや取りとめのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とはまったく異質の存在であることが私にはよく判る。

 シルバーバーチは可能な限りいつでもどこでも援助の手を差し延べてくれる。私も曽て困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成るほどと得心がいくのである。

 心温まる親しみを込めた勇気づけをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。たとえば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。

 晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、

 「あなたのお父さんにとって死後の存在はごく当たり前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。

 「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと
 「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着を持っておられました。お父さんが目覚められるとすぐ私は弟さんが立って見ている側でお父さんの手を握りしめて〝ようこそ〟と語りかけました。(弟は第一次大戦で戦死)お父さんは私たち二人を見てはた目も構わずほろほろと感激の涙を流され、その身体───晩年より大きくなっておられます───を震わせておられました。」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。

 「あなた方地上の人間には霊の世界の真実の相は想像できません。私がどう伝えても、それより遥かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が表われるでしょう。

それより、お母さんもそう長くあなたと一緒に暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遥かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります。」(母はこのメッセージの後二、三カ月で他界した。)

 このようにシルバーバーチは全ての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。

 そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。

 「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です。」
 そのシルバーバーチがこうして地上に戻ってきた動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し伸べること───これに尽きる。
          一九四九年 シルビア・バーバネル

   
 一章 人のために役立つことを

 〝新聞界の法王〟の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏 Hannen Swaffer がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している。

         ※       ※       ※
      
 自分を人のために役立てること──これが繰り返し説かれ強調されて来たシルバーバーチの教訓の〝粋〟である。それを折あるごとに新たな譬えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。われわれレギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰り返し聞かされて来たことであるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である。

 数日前も私は三人の知人を招待した。三人ともシルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの一人は爵位をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の頭初からシルバーバーチが夫人の心を読み取っていることを思い知らされた。

 「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられてきた説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えて是非ともこのスピリチュアリズムの知識が必要であることを痛感されました。そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました」

 「おっしゃるとおりです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

  「あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。人のために尽くそうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。永遠に変わらぬものは〝愛〟です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。


 私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。それがあなたを通じて他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります」


 ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。

 ですから、少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。

どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判っていただけないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡知と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そして、いずれおやりになることでしょう」
 
 もう一人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘らせることが夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。

 シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差しかかるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売という人がいるかも知れないが立派に神の計画の一翼を担っていること、そして彼の動機の崇高さの故に何物も阻止しえないことを説いてからこう語る。

 「私には人生に疲れきった人間の数々──生活は暗く、あたかも霧と靄の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差し伸べようと願っているのです。

あなたには今心で願っておられることを成就するチャンスがあります。怖れることなく、そして立ち塞がる困難に惑わされることなく、あなたがこれまで少なくとも三度試みられたことを今一度試みていただきたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思えることも、近づいて行けば雲散霧消します。


 忘れないでください、あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹きを与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極小極大を問わず全存在に生命を与えたのとまったく同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進むことです。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます」

 三人目の招待客は右の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチからお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチはこう語りかけた。

「あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお一人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて、今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこには憎しみの念などひとかけらもありません。愛と哀れみの情が溢れております。

 そのあなたに大切な仕事があります。私が申し上げることは、まっしぐらにその道を進むこと、それだけです。生命、愛、記憶、意識──こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転してあなた方を援助してくれます。あなたのこれからの人生にも期待できることが大いにあります。自信をもって邁進なさることです」

 その秘書が謙虚に「私は本当に無力なのです」と述べると、シルバーバーチはこう語った。 
 「ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性よりも情緒によって支配されるために弱い面があります、しかしそれは決して悪いことではありません。それだけ感受性が強いということだからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働き掛けに敏感であり、影響を受けやすいということになります。

 その点男性は余り情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識出来ないのです。

 むろん女性が情緒的であることにもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまうことです。しかしそれも身体にはない魂の属性の一つであることに変わりありません」

 
 交霊会を閉じる直前にシルバーバーチは今自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の一人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の一人で最初に紹介した婦人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った。

 「ハーディ氏は偉大な霊の一人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸進的なものであることを覚悟しておられるからです。

氏は庶民が一段また一段と生得の権利の獲得を目指して梯子を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できるものは無いと氏は信じております。

 庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。なぜなら、いかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙してその生得の権利を奪うことは許されないからです。一時的には神の計画を邪魔することはできます。

しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ず勝利を収めます。ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具であることを銘記しましょう」そう述べてから、いつものように締めくくりの言葉に入った。

 「常に崇高なる目的のためにわれわれを使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬようにいたしましょう。常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心をわが心といたしましょう。そうすればわれわれが神の意図された通りに努力していることを自覚することでしょう。神の御恵みの多からんことを」

 かくして人のために尽くさんと心がけている人々が心を新たにし、勇気を新たにして会をあとにする。


 以上がハンネン・スワッフハーによるある日の交霊界の描写である。〝人のため〟という教えはシルバーバーチが繰り返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている。
 
 「私たちが説く全教説の基調は〝人のために己を役立てる〟という言葉につきます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

 私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。

 地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれつの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。

性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

 霊的な仕事に携わる人たち、己れの霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知るでしょう。

なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。

 こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵──改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

 私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させることです。一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的〝宝〟、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。

無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡知の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

 神から霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を坐視するわけにはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

 それは大変な仕事です。そして、あなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明けです。その恩恵の全てに浴したければ、真理の受け入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きることです。


 獲得した知識は着実に実生活に生かして行くように心がけましょう。その知識全体に行きわたる霊的理念にそって生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人から成るほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

 そう努力することが又、より大きな叡知、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを得ることになるのです」

 別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。叡知も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。
 続いてシルバーバーチはリラックスすることの効用を次のように説く。

 「リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返ることとは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与えることです。

 あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にすることと言えばただ忙しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて、あたら貴重な時間を費やしています。

そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡知と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されることを待ちうけているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです」


 ここで曽てのメンバーの一人で理由(わけ)あってしばらく欠席し、この度何年振りかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変わらず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変わっていないことを述べると、

 「おっしゃる通り私は曽てと同じ霊であり、説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間は曽てとは同じではありません。常に変わりつつあり、叡知の声に耳を傾け霊の力を受け入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました」

 そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる。


 「私の力でそうなったのではありません。そんな大それたことは私は申しません。むろん私も私なりに貢献しているでしょう。でもそれは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のほんの小さな一部にすぎません。これまで成し遂げた進歩は確かに驚異的なものがあります。しかし、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです」


 さて、シルバーバーチは自分が霊界のマウスピース(代弁者)にすぎないことをよく強調する。

 「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信を持っております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。

というのは私自身はただの道具にすぎない──私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。が私はその援助の全てを得て、思う存分に仕事をさせてもらえる、その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。
 
 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っておればよいのです。威力と威厳に溢れたスピリットの集団なのです。

進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです」


 会を閉じるにあたってシルバーバーチは次のように語った。

 「私達は深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆を取り戻したことをうれしく思います。人のために己れを捧げる者は必ず報われます。

 この集会には真剣な目的が託されていることを忘れてはなりません。人類の行く手に横たわる危険な落とし穴を教えてあげる重大な任務を帯びているからです。人生に疲れ、あるいは迷う人々の心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。


 困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげることができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教えることができます。

そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。

 それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません」
   

Monday, March 30, 2026

霊の書(1部 ) アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book
スピリチュアリズムの真髄「思想編」
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)



4章 生命素

このページの目次〈有機物と無機物〉
〈生と死〉
〈知性と本能〉


〈有機物と無機物〉

――物質の原素を合体させる力は有機物の場合も無機物の場合も同じものですか。


「同じものです。親和性の法則は全てに同じです」


――有機物と無機物とではどこが違うのでしょうか。


「物質でできている点は双方とも同じです。が、有機物においてはその物質が活性化されています」


――その活性化の原因は何でしょうか。


「生命素との一体化です」


――その生命素は何か特殊な作用因子の中に存在するのでしょうか、それとも組織をもつ物体の一要素にすぎないのでしょうか。つまり、それは原因なのか結果なのかということです。


「両方です。生命というのは物質へのある因子の働きかけによって生じた結果です。しかしこの因子も、物質がなければ生命を生み出すことはできませんし、物質もこの因子の働きかけなしには活性化されません。生命素はそれを受け止めて一体化するものに生命を賦与するということです」


――これまで私は霊と物質が宇宙の二大主要構成要素であると思っておりました。この生命素は第三の要素なのでしょうか。


「宇宙を構成する不可欠の要素の一つであることは論をまちません。しかし、その源は普遍的物質の変化にあります。その目的に即して変化したものです。人間にとっては酸素や水素と同じく原素ですが、究極の要素ではありません。人間に知られている原素は全て、究極の原素のように思えても実質は基本的流動体の変化したものです」


――今のご説明ですと、活力というのはそれ自体が独立した因子ではなく、普遍的流動体の特殊な要素で、それがある種の変化を遂げたものということになりそうですが……


「その通りです。これまで述べたことを結論づければ当然そうなります」


――その生命素は人間に知られているあらゆる物体に内在しているのでしょうか。


「その源は普遍的流動体にあります。いわゆる磁気流とか電流と呼ばれているものが活性化されたものです。霊と物質との中間的存在です」


――生命素は有機的存在の全てに共通したものでしょうか。


「同じものですが、種によって変化が加えられています。動きと活動の原動力となっているのがその生命素で、その点がただの物質とは異なるところです。物質も動きますが、自発的な動きではありません。物質は動かされるもので、動きを生み出すことはありません」


――活力はその生命素の不変の属性なのでしょうか、それともその活力を生み出している器官の働きによるのでしょうか。


「活力は生命素が物体とつながることによって初めて生じます。さきほどこの因子(生命素)は物質がなければ生命を生み出せないと申し上げたはずです。生命の生産には両者の合体が必要です」


――生命因子が物体と合流しないうちは活力は潜在状態にあると考えてよろしいでしょうか。


「その通りです」
〈生と死〉


――有機体の死の原因は何でしょうか。


「器官の活力の枯渇です」


――その死を機械が故障して動きが止まった状態になぞらえるのは正しいでしょうか。


「いいでしょう。機械が故障すれば動きが止まります。身体が病に冒されれば生命は引っ込みます」


――心臓病による死亡率が他の臓器よりも高いのはなぜでしょうか。


「心臓は生命を生み出す器官です。ですが死をもたらすのは必ずしも心臓の病気だけではないでしょう。心臓は身体という機械を動かす必須の機関の一つにすぎません」


――有機体の身体と生命素は死後どうなるのでしょうか。


「身体は分解して新しい物体の構成要素として使用されます。生命素は普遍的流動体の海の中へ帰ります」
〈知性と本能〉


――知性は生命素の属性ですか。


「違います。その証拠に、植物は生命を有しながら思考力はありません。有機的生命を有するのみです。知性と物質との間には何の依存性もありません。ただし、物体は知性がなくても存在できますが、知性は物的器官を通じないと意思表示ができません。活性化された物質(肉体)が霊と一体となって初めて知的活動が可能となります」


編者注――それゆえ地上の存在物は三つに大別できる。第一は、物質のみの不活性の存在で、生命も知性もない、無機物の世界。第二は、物質でできた身体と活力を有するが、知性を持たない、動植物の世界。そして第三が活力ある身体と、思考力を生み出す知的原理をそなえた人類。


――知性の始源は何でしょうか。


「普遍的知性です」


――こういう定義はいかがでしょうか。すなわち、知的存在は各自が普遍的始源から知性の一部を引き寄せ、引き寄せつつ吸収し、同時に生命素も吸収する、と。


「そういう定義はおよそ真相から離れています。知性というのは各自その分に応じて授けられる能力で、精神的個性の一部を形成するものです。

さらに言わせていただけば、宇宙には人間に絶対理解できないことがいろいろあります。知性の始源も、現段階の人類にとっては、その中に入ります」


――本能というのは知性とは何の関係もないのでしょうか。


「そう明確に断定することはできません。と言うのは、本能も知性の一種であることには違いないからです。本能は言わば論理的思考力をもたない知性です。進化の階梯の低い段階にある存在は、この本能によって必要性を満たします」


――知性と本能との違いを一線で画すことはできますでしょうか。つまり、ここまでが本能でここからが知性、という具合に。


「できません。双方が混じり合っていることがよくあります。しかし、本能から出た行為と知性から出た行為とは明確に見分けることができます」


――知的能力の発達とともに本能が退化すると考えてよいでしょうか。


「それは違います。本能は本能として存在しつづけます。人間がそれを軽視しているだけです。本能も理性と同じように正しい方向へ導いてくれることがあります。その導きはまず間違いなく感得できるものです。時には理性的判断よりも確かなことがあります。決して脱線することはありません」


――なぜ理性的判断が必ずしも頼りにならないのでしょうか。


「間違った教育、自惚れ、私利私欲によって歪められさえしなければ理性は正しい判断を下します。本能は論理を超えて直覚的に判断を下します。理性は常に選択の余地を残し、人間に自由意志を与えます」