Thursday, August 20, 2026

シルバーバーチの霊訓  地上人類への最高の福音

The Seed of Truth
トニー・オーツセン(編)
近藤千雄(訳)


3章 知識はすべて、ためになるのです


シルバーバーチは、長年にわたって、世界中の数え切れないほどの愛読者から、敬愛と賞讃を得てきた。そして今なおその広がりは止(とど)まることを知らないが、これから紹介する二人の子供は、一人は八歳、もう一人は六歳の時からシルバーバーチの大の仲良しで、毎年一回、大体クリスマスの前ごろに交霊会に出席している。

名前は姉がルース、弟がポールといい、ジャーナリストで心霊書も数多く著しているポール・ハリス氏(ペンネームはポール・ミラー)のお子さんで、交霊会に出るようになってすでに六年目になる。奥さんのフェイもスピリチュアリズムに理解があり、一家揃ってシルバーバーチのお友達ということである。

この二人の子供が出席する時は、前もって質問事項を自分たちで考え、大人からの助言や指示は受けないことにしている。では、父親のハリス氏が綴ったある日の交霊会の様子を、そのまま紹介しよう。

ハンネン・スワッファー・ホームサークルの支配霊であるシルバーバーチのそばに二人の子供が立っていた。その二人が、代わるがわる、クリスマスタイム(十二月二十四日~一月六日)のしばしの別れの挨拶をすると、シルバーバーチはまず姉のルースに、

「上品さと同時にたくましさを、そして愛と叡智を身につけるようにね」と言い、続いて弟のポールには、

「たくましくなりなさい。そして、自分には霊の力が守ってくれてるのだという確信を忘れないようにね」と言い、最後に二人に向かって、

「わたしはいつでも、わたしの存在のすべてをかけ、愛の心と霊の力を傾けて、お二人のために尽くしますよ」と述べた。

確かに、そう述べたのであるが、こうして活字にしてしまうと、二人の子供が質問し、シルバーバーチが答えるという形で、年一回、六年間も続けられてきた三人の間の情愛の温(ぬく)もりは、その片鱗すら伝えられない。一時間と二十分、二人は真剣そのもので質問し、自分たちの意見を述べた。幼いとはいえ、スピリチュアリズムの真理が二人の生活の一部となり切っているようだ。

二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人のサゼスチョン(提言、助言)を一切ことわった。その問答が始まった。

ルース「人間が死ぬときの死に方が、霊界へ行ってから影響するのかどうかを知りたいのです。つまり自然な死に方のほうが霊界へ行きやすいのかということです」


「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上の人間のすべてが正しい知識をもち、自然な生き方をすれば――もしもですよ――そうすれば、死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして、死後の霊的身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまく行っておりません。

地上を去って霊界へ来る人のほとんどが、自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのようにでき上がっているのか、霊的な実在とはどんなものかについて、恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人が、それはそれは多いのです。

そういう人は、わたしがたびたび言っておりますように、熟さないうちにモギ取られた果物のようなものです。ルースちゃんも知っているとおり、そんな果物はおいしくありませんね? 果物は熟せばひとりでに落ちるものなのです。霊が十分に成熟すると、自然に肉体から離れるのです。今わたしのいる世界へ、渋い果物や酸っぱい果物がぞくぞくと送り込まれております。

そのため、そういう人たちをこちらで面倒をみたり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんなが、ちゃんとした知識をもって来てくれれば、わたしのように地上の人間の面倒をみている者は、とても手間がはぶけて助かるのですけどね。ルースちゃんの言う通り、死に方によって大変な違いが生じます。以上のような答えでよろしいですか」

ルース「ええ、とてもよくわかりました」

ポール「昔のインディアンは、儀式のようなことをして雨を降らせることができましたが、それには霊界の人はどのように関係しているのですか。何か関係があるのですか」


「関係ありません。心霊的法則(サイキック・ロー)と霊的法則(スピリチュアル・ロー)とは少し違うのです。まったく同じではないのです。どちらにでも言いかえることができると思っている人がいますが、同じものではありません。

かつてのインディアンは、地上の物的現象に関係した心霊的法則について、よく知っておりました。純粋に物的な現象です。そして、腕のいい熟練したまじない師は、儀式によってその心霊的要素を引き寄せる能力をそなえていたのです。

実は、これは簡単に説明するのが難しい質問なのです。とにかく霊界とは何のつながりもないのです。地上の物的な現象と関係した心霊的な法則とのつながりの方が大きいのです。こんな説明では、ポール君にはよくわからないでしょうね?」

ポール「いえ、わかります。ただ、その心霊的法則というのはどんなものですか」


「やっぱり、そこまで話さないといけませんかね」

ここで、交霊会の終わりが近づくまで大人は口出しをしてはいけないとの約束を忘れて、メンバーの一人が「それはサイコメトリ(※)のようなものでしょうか。あれは必ずしも霊的法則とは関係ないと思うのですが」と尋ねた。


※――ハンカチ、ボタン、帽子、衣服などを手に持つだけで、その所有者についての情報をキャッチする能力で、海外では犯人捜査に応用されて実績をあげた実例がある。これにも霊が関わっている場合と関わっていない場合とがある。日本語では“精神測定”と訳されている。


「例ならばいくらでも挙げられるのですが、この二人の子供にいちばんよく理解してもらえるものを考えているところです。たとえば霊視能力の場合を例にとってみましょう。

霊視がきくといわれる人でも、霊界のものは何も見えない人がたくさんいます。この場合は、心霊的能力の一部にすぎません。ですから、心霊的法則の支配をうけ、心霊的な能力で見るだけで、その背後に霊界の存在とのつながりはありません。他界した人の姿も見えません。肉眼に見えない遠くの情景は見えます。予知もできます。未来をのぞいたり過去の出来事を当てることもできます。ですが、そうしたことが霊界と全然つながっていないのです。生まれながらに備わっている、純粋に心霊的な能力なのです。これでわかりますか」

ここで二人の子供の母親のフェイが「私はそういうことがあるとは、思ってもみませんでした。霊界との関わりなしに言い当てたり見抜いたりすることができるとは知りませんでした」と言う。するとシルバーバーチが――


「でも、事実、そうなのです。この地上界の範囲だけの心霊的能力というのがあるのです。現に、多くの人がそれを使用しております。五感の延長と思えばよろしい。霊の世界とは何の関係もありません。物的法則とつながった心霊的法則、ないしは心霊的要素、の範囲内の現象です。易占い――ほんものの場合の話ですが――あるいは、ほんものの水晶占いで、霊的な働きかけなしに見たり聞いたりすることができるように、心霊的能力を駆使できるまじない師は、ある種の儀式によって物的法則の背後にある力を、その心霊能力と調和させて雨を降らせることができたのです。わたしに説明できるのは、こんなところですが……」

別のメンバーが「実によくわかりました。面白いテーマだと思います。私も、そうした能力がどの程度まで延ばせるのだろうかということに関心がありましたので……」と言うと――


「その可能性は大へんなものです。インドにはヨガの修行者で、すごいのがいます。それでも霊界とは何のつながりもありません。彼らが霊の姿を見たら、たまげることでしょう」

メンバーの一人「霊を見たら、その容姿を述べるのではないでしょうか」


「その時はすでに波長の次元が違います。霊媒現象というのは、霊的なものと心霊的なものとの組み合わせです。その融合作用で霊的通信が行われるのです。霊界と交信する能力は、霊媒のもつ心霊能力だけで行われるのではありません。支配霊ないしは指導霊との協力によって行われるのです」

ポール「すみません。ぼくは頭が悪いものですから、サイキックとスピリチュアルとはどこが違うのか、まだよくわかりません。今まではいっしょだと思っていました」


「似てはいますが、まったくいっしょではないのです。心霊的能力のすべてが開発されても、それが高級霊の指導を受けて、スピリチュアルな目的のために使用されるようになるまでは、それは霊的能力とは言えないのです。ポール君は物的身体のほかに、霊的身体もそなえています。その身体には、生まれつきさまざまな心霊能力が潜在していますが、それが開発され、しかも霊界の力と融合した時、はじめてスピリチュアルと言えるものになるのです」

ポール「死後の世界の界層(レベル)について教えてください。シルバーバーチさんはよくその違いについて話しておられますが、どういう違いがあるのですか」


「成長の度合が違うのです。しかし、その違いは地上のようにものさしで計れるものとは違います。もしわたしがポール君に、愚かな人と賢い人、あるいは、欲張りと聖人との違いを寸法で計りなさいと言っても、そんなことはできませんね?

しかし、それぞれの界に住む霊の成長には大きな差があるのです。こちらでは魂の成長に応じた界層、むずかしい言い方をすれば、その人の知性と道徳性と霊性の程度に合った世界に住むようになります。界層の違いは、そこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界層に住むことになります。

地上はその点が違います。物質界というレベルで生活しているからといって、みんなが精神的に、あるいは霊的に同じレベルの人たちばかりとはかぎりません。身体は同じレベルのものででき上がっていますが、その身体がなくなれば、魂のレベルに似合った界へ行くことになります」

ポール「はい、よくわかりました。もう少し聞きたいことがあります。この地球もそういう界の一つですか、それとも特別なものですか」


「いいえ、特別なものではありません。地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかと言うと、霊の住む世界はぜんぶ重なり合っているからです。宇宙に存在する生活の場のすべてが、互いに重なり合い、融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界という言い方は、一つの宇宙の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君はいま物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです」

ルース「あたしは、この交霊会での質問の準備をしながら、シルバーバーチさんはあたしたちよりはるかに多くのことを、あたしたちが夢にも思わないようなことまで知っておられるのだから、あたしたちの方から質問しなくても、ちゃんとお話してくださるだろうなと思ったりしました」


「ええ、お話しますとも。でも、だから何の質問もしなくていいということになるのですか?」

ルース「なりません。あたしが知りたいのは、子供の頃からスピリチュアリストとして育てられて、あたしたち二人は得をしているかどうかということです」


「ご自分ではどう思っていますか」

ルース「わかりません。だって、あたしは霊の世界に住んでいないでしょ? だから、どんな得をするか、自分ではわかりません」

母親「この子はスピリチュアリズムを知らない生活というものを体験していないものですから、比較ができないのです。その点、シルバーバーチさんは両方がご覧になれます」


「わたしは目を閉じていても見ることができます。わたしが“ご自分ではどう思っていますか”と尋ねたのは、ルースちゃんのお友だちには、死んでからのことを知らない人がたくさんいるからです。そういうお友だちは、ルースちゃんとくらベて得だと思いますか、損だと思いますか」

ルース「霊の世界へ行くときに何の準備もできていないという点では損だと思います。その知識も体験もないからです。でも、それ以外のことはよくわかりません。すみません」

ポール「今ルースが最初に言ったことは、その通りだと思います。でも、それ以外のことでは、損も得もないと思います。死ねばどうなるかがわかっているのは得だけど、そのほかの点では別に変わりはないと思います」


「答えは簡単なのです。知識はすべて、ためになるのです。ところが残念なことに、そうとばかりも言えないことが生じるのです。知識はたしかに喜びと幸せと落着きとをもたらしてくれますが、こんどは、それをどう生かすかという責任ももたらすのです。

知識は、無知から生じる愚かな心配(取り越し苦労)を取り除いてくれます。知識は、自分とは何かを自覚させ、これからどうすべきかを教えてくれます。そして、真理を知らずにいる人を見て気の毒に思うようになります。

真理を知らなかったために罪を犯す人は、もちろんそれなりの償いをさせられますが、真理を知っていながら罪を犯す人は、それよりもっと大きな償いをさせられます。より多くを知っているということが、罪を大きくするのです。ポール君は真理を知っているだけ得です。しかし、これからどういう行いをするかが問題です」

メンバーの一人「それだけは、あなたにもどうしようもないことなのですね?」


「わたしがその摂理を変えるわけにはいかないのです。わたしはただ、摂理がこうなっていますよ、とお教えするだけです。これまでわたしは何度か、みなさんが困った事態に陥(おちい)っているのを見て、その運命を何とかしてあげたい、降りかかる人生の雪と雨と寒さから守ってあげたいと思ったことがあります。しかし、それは許されないことなのです。なぜなら、そうした人生の酷(きび)しい体験をさせている力と同じ力が、人生に光と温もりをもたらしてくれるからです。一方なくして他方は存在しないのです。試練の体験を通してこそ、霊は成長するのです」

ルース「シルバーバーチさんにもそれが許されないのは、いいことだと思います。困ったことがあるたびにシルバーバーチさんにお願いしていたら、いつも誰かに頼らないといけない人間になってしまうからです」

ポール「人生の目的がなくなってしまいます」


「そうです。その通りです。ですが、それは、わたしにとって辛(つら)いことなのですよ。そういうお二人も、ほんとうの意味で“愛する”ということがどういうことなのか、愛する人が苦しんでいるのに何もしてあげられないということが、どんなに辛いことかがわかる日が来ることでしょう。

そこでもう一つ、さきほど述べたことに付け加えたいことがあります。これは、ルースちゃん、あなたにお聞かせしたいことです。スピリチュアリズムを知ったことによって生じる一ばん大きな違いは、自分が一人ぼっちでいることが絶対にない、ということを知ったことです。いつどこにいても、霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。

最善をつくしている時には、かならず霊界からの導きの力が加わっていること、あなたの持っているものから最善のものを引き出し、あなたの人生から最高のものを学び取ってくれるようにと願っている、友愛と親切心と協調精神に満ちた霊が身近に存在してくれているということです。このことがスピリチュアリズムがもたらしてくれる、一ばん有り難いことです。このことを知っただけ、ルースちゃんは、それを知らない人より幸せだということになります」

ポール「これまでの人類は、ずっと男性が女性を支配してきたように思えるのですが、これはなぜでしょうか。原因は何ですか」


「原因は、女性があまりに物ごとを知らなすぎたからです」

ポール「それを改めることができるでしょうか」


「改める必要はありません。これまでも、実際は女性の方が男性をリードしてきているからです」

メンバーの一人「これまで、あなたはそういう捉え方はなさらなかったように思うのですが……」


「ええ。でも、これにはそれなりの根拠があるのです。男性が狩りに出ていた時代の名残りです。つまり男性が家を建て、食糧を取りに出かけねばならない時代においては、男性が絶対的な支配力をもち、お腹をすかして疲れた体で帰ってきた時に、女性が優しく迎えて介抱し、食事を用意してあげていました。男性が行動的で女性が受動的だったために、何かにつけて男性に有利な習慣ができていきました。しかし、今それが変化しはじめ、どちらが上でも下でもない、お互いが補い合うようになっている、という認識が行きわたりつつあります」

ポール「よくわかりました。有り難うございました」


「お二人とは、ずいぶん長いつきあいですね。二本の小さな苗木がまっすぐに育っていくのを、わたしはずっと見てまいりました。そして、お二人が絶え間なく増えていく知識と理解力の中で生きておられるのを見て、うれしく思っております。

まだまだ知らねばならないことが沢山あります。でも、少なくともお二人は霊的な真理に守られて地上生活を送っておられ、その目的を理解し、何をしていても、誠意さえあれば決して挫(くじ)けることはないことを知っておられます。わたしはいつも身近にいて、わたしにできるかぎりの援助をいたしましょう。

今日はルースちゃんとポール君の二人が来てくれて、わたしはほんとにうれしく思っております。わたしがいつも身近にいることを知っていただく、いい機会になるからです。わたしは決して遠くにいるのではありません。お二人がお家(うち)にいる時も、学校へ行っている時も、遊んでいる時も、すぐそばにいることがあります。おかしくて笑い出すような光景を見ることもあります。

ですが、わたしの方から学び取ることも沢山あります。わたしは、まだまだ学ぶことが終わったわけではありません。西洋人の生き方や習慣には興味を引かれることが、いろいろとあります」

母親「私たちは、暖炉に火をくベながら、よくシルバーバーチさんのことを思い出すことがあるのですよ。暖炉の前に集まって、シルバーバーチさんは暖炉やいろりはお好きだろうかね、などと語り合うんですよ」


「わたしはいつも、わたしへ愛情を覚えてくださる方々の愛念によって心を温めております。わたしにとっては、地上で窒息しないために吸入できる唯一の酸素は“愛”なのです。地上へ降りてくるためにお預けにされる喜びを補ってくれる最大の慰めは、みなさんからの愛なのです。わたしの本来の住処(すみか)である高級界の霊的生活の壮厳をきわめた美しさを一度体験されたら、一度でもその世界の恩恵をほしいままにできる生活を体験されたら、悪意と敵意、憎しみと闘争、流血と悲劇に満ちた、この冷たくて陰うつな地上生活は、もう二度とご免こうむりたいと思われるはずです。

そんな世界に身を置いているわたしにとって、みなさん方の真理普及の活動によって魂が目を開かされた人々の心に灯された愛念が、何よりの慰めとなっております。地上世界での仕事は困難をきわめます。冷え切った心、歪んだ心のもち主、わたしたちからの叡智や指導はおろか、みずからの愛すら感じなくなっている人々が大勢います。そうした中にあって親近感や同情心、僚友精神や同志的友情がいかに大きな元気づけとなるものであるか、ご存知でしょうか。みなさんが想像される以上に、わたしにとって力となっております。さらに多くの人々へ手を差しのべていくための糧を供給してくださっていることになるのです。

ならば、道を見失い、同情の言葉に飢え、導きと慰めと希望の言葉を求めて、その日暮らしの生活に明け暮れている気の毒な人たちのことに、常に思いを馳せようではありませんか。そういう方たちはみな、この世に自分一人だけ取り残されたような悲哀の中で生きているのです。そういう人たちこそ、わたしたちが霊力の行使範囲に導くために何とかしてあげなくてはならないのです。憂うつな悲嘆の生活を一変させ、希望の光と真理の感触とをもたらしてあげることができるのです。

ご承知の通り、わたしはこれからしばしの間、地上を去ります(※)。うしろ髪を引かれる思いがいたしますが、しかし、時には高い世界のエネルギーを充電し、同じ使命にたずさわる同輩と協議し、失敗箇所と成功箇所、予定どおりに進行しているところと、そうでないところについて指示を仰ぐことがどうしても必要なのです。その時のわたしは、みなさんからの愛をたずさえて行き、わたしからの愛をみなさんにお預けしてまいります。再び戻ってくる日を心待ちにいたしております。

それでは最後に、みなさんとともに宇宙の最高のエネルギー、わたしたちがその一部を構成している大霊のエネルギーに波長を合わせましょう。そのエネルギー、神の力、大霊の息吹の恩恵をあらためて意識いたしましょう。その最高の力を受けるにふさわしい存在となるように努力いたしましょう。託された信頼を裏切ることのないように努力いたしましょう。高貴な目的のための道具として恥ずかしくない生き方、考え方、物の言い方を心がけましょう。そして、いかなる事態に立ち至っても、その神聖な使命を傷つけることのないようにいたしましょう。

双肩に担(にな)わされた使命を堂々と遂行いたしましょう。これから振りかかるいかなる受難にも、人のために己を役立てたいと望む者は、つねに限りない愛を秘めた大霊と一体であるとの信念に燃えて、不屈の決意をもって立ち向かいましょう」


※――三月のイースターと十二月のクリスマスの二度、シルバーバーチは本来の所属界へ帰って、地上の経綸に当っている高級指導霊による大集会に出席するという。モーゼスの『霊訓』にも、最高指導霊のインペレーターが同じことを述べている箇所がある。

以上がハリス氏の記事の全文であるが、続いて翌年のクリスマスにもルースとポールが招かれている。シルバーバーチによれば、二人の存在も計画の中に組み込まれており、二人を通して、それなくしては得られない、かけがえのない力を得ているということである。

その日の交霊会は、クリスマスにはどういう意味があるのかという話題から始まった。というのは、そのころポールの学校でクリスマスについてのお話があり、ポールはその意味がよくわからなくて、家に帰ってから両親に説明を求めたばかりだったのである。

そのいきさつを聞いてシルバーバーチがこう述べた。


「その問題に入る前に知っておいていただかねばならないことがあります。というのも、長いあいだ地上人類を悩ませてきたどうでもよい問題から先に片づけておく必要があるからです。ポール君は“神(ゴッド)”についてよくわからないことがありませんか」

ポール「これまでいろんな人が神についていろんな説き方をしているみたいです。それぞれに違っており、これだと得心のいくものが一つもないのです」


「その通りなのです。忘れてならないのは、人間はつねに成長しており、精神の地平線が絶え間なく広がっているということです。言いかえれば、境界線が取り除かれていきつつあるということです。知識が進歩すればするほど、宇宙そのものと、その宇宙に存在するものとについて、より大きな理解力がもたらされます。

太古においては、人間はまわりの環境についてほとんど知識がなく、自然現象についてはまったく理解していなかったために、何もかも神さまの仕業(しわざ)にしておりました。その神さまについても、人間を大きくしたような存在としてしか想像できませんでした。それが“いけにえ”の思想を生む元になりました。雷が鳴り、稲妻が走るのを見て、神さまが怒っておられるのだと思い、その怒りを鎮めるために、いろいろと生きたものをお供えするようになったのです。

そうした野蛮な小さな考えも次第に大きく成長し、人間は無知の暗闇から脱し、迷信の霧を突き抜け、知識の夜明けを迎えて、宇宙の根源はどうやら人間の想像を超えたものらしいということに気づきはじめました。しかし、だからといって、古い概念がそう簡単に消えたわけではありません。何かすごく大きな男性のような姿をした神さまが宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今でも存在しております。

さて、わたしはその概念を一歩進めて、宇宙を創造しそして支配しているのは、男性神でもなく女性神でもなく、とにかく形ある存在ではないと説いているのです。人間的な存在ではないのです。宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適用性においても、無限なのです。それは無限の愛と叡智とから生まれたものであり、したがって完璧であり、過ったり失敗したりすることがないのです。

わたしは生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、始めもなく終わりもないと説いております。霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物質というのは霊のお粗末な表現でしかありません。物質界に生きる人間は、視覚と聴覚と嗅覚と味覚と触覚の五つの感覚でしか物事を判断することができませんから、その五感を超えた生命の本質を理解することは無理なのです。

そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向こう側にあるものが理解できるわけがありません。そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、しかし人間は不完全であるために、その完全さを理解することができない、ということです。人間が一個の形をもった限りある存在である以上、形のない無限の存在を理解することはできないのです。これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の助けとなればと思って、申し上げてみました。

人類のすべてが――地球という一個の天体上だけではありません。数え切れないほどの天体上の人間的存在すべてがそうなのですが――わたしのいう大霊、みなさんのいう神(ゴッド)の一部を構成しているのです。大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです。これならわかるでしょう?」

ルース「人間は進歩するほど、神について複雑な考え方をするようになり、複雑になるほど、真実から遠ざかっていくのではないでしょうか」


「ほんとうの意味での進歩であれば、そういうことにはなりません。実は“脳”ばかり発達して、“精神”や“霊”の発達がともなっていないことがあるのです。すると頭のいい人が多くなりますが、頭がいいということは、必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。

それは、脳という物質のみにかぎられた発達なのです。そういう発達をした人の中には、複雑なことほど立派であるかに思い込んでいる人がいることは確かですが、ほんとうの発達、精神と魂の発達をともなったものであれば、霊的なことについても、より深く理解するようになります。正しい発達とは、精神的ならびに霊的発達のことをいうのです。そういう発達をしている人は、古い間違った概念を捨てて、ますます真理に近づいてまいります。

いつも忘れずにいてほしいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言語で説明することは不可能だということです。大きいものを小さいものの中に入れることはできません。これは当りまえのことです。わかってもらえたかな?

さて、ほかにはどんな質問がありますか」

ルース「人類による最大の発見は何だと思われますか」


「これは難しい問題ですよ。“最大”という言葉の意味がいろいろあるからです。どういう意味での“最大”なのか――物的にか、精神的にか、霊的にか、それを前もって考えてから質問すべきですね。

わたしの考えでは、人類による最大の発見は、人間が動物とは違うことを知ったこと、自我意識というものがあることを知ったこと、霊性を自覚したこと、お粗末とはいえ、身のまわりの現象について知る能力があることに気づいたことです。それが、他のすべての発見へとつながったからです。

いま“霊性を自覚した”と言いましたが、その意味は、人間が肉体だけの存在ではないこと、物質を超えた存在であること、やがて朽ち果てて土に帰っていく物質的容器とは違う存在であることを知ったということです。わたしは、これが何よりも大きな発見であると思います。

しかし、ルースちゃんの質問が、わたしにとっての最大の発見は何かという意味であれば、話はまた違ってきます」

ポール「それを聞きたいです。ぜひ話してください」


「わたしにとっての最大の発見は、地上の多くの人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までも、こんなにたくさん持っておられることを知ったことです。また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にも反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念をもつことができるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくださるものであることを知ったことです。

この冷たくてうっとうしい、およそ魅力のない地上での仕事に打ち込んできた、これまでの永い年月を振り返ってみて、わたしは一度もお目にかかったことがないにもかかわらず、わたしの訓えで救われたという気持ちから、感謝の愛念を贈ってくださる方々が増えることによって、地上にこうまで温かさがもたらされるものかと、驚きの念を禁じえません。

それほど多くの愛を頂戴することになろうとは、予想もしていなかったのです。わたしにとっては、それこそが感謝の源泉であり、それがわたしをさらに鼓舞し、同時に、もったいないことだという気持ちにもさせられます。なぜなら、わたしには、それに値するほどのことはしていないという自覚があるからです」

ルースとポールにとって、この答えはさすがに意外だったようである。子供心に、もっと楽しい話を予想していたのであろう。しかし、二人はかえって興味をそそられて、さらに質問する。

ポール「シルバーバーチさんが地上へ降りてこられてから、地上ではどんな変化があり、霊界ではどんな変化がありましたか」


「大ざっぱに言えば、地上における変化は“文明化”といわれる過程でしょう。人類は物質的な面で大きく飛躍しました。大自然の仕組みについて多くの発見をしました。山頂を征服し、海底を探査するようになりました。大陸と大洋を横断するようになりました。物質的な面では非常に高度なものを成就しました。驚異的な発達ぶりだったと言えましょう。

しかし、同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は、物質と精神と魂のうちの、物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについていってないのです。それが、利己主義という地上でもっとも厄介な罪を生み出すことになったのです。

さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。それは、物質面での発達を、全面的でなくてもいいから、霊的ならびに精神的側面にも、ある程度は反映するようにならないかぎり、人類は、みずから生み出したもの、みずからの創造の成果を、平和的な生活の中で味わえるようにはならないということです。そうならないかぎり、地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないということです。善いことをしようという意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事ヘ鼓舞するのは、精神と霊の発達なのです。

精神と霊の発達は利己主義を滅ぼし、代わって霊的教訓をもたらします。精神と霊に宿された才能を開発し、その上で、物質的文明の産物を自分一人のためでなく他のすべての人のために活用するようになれば、いわゆる地上天国が実現します。地上世界のすべての人間が、自分より恵まれない人のために役立てる、何らかの才能をそなえているものです。

さて、その間に霊界ではどんな変化があったかというご質問ですが、これは地上世界のことよりはるかにお答えしにくい問題です。簡単に言ってしまえば、地上とのコミュニケーションの橋をかける仕事がかつてなく組織的となり、二度と地上世界がチャンネル(霊媒・霊能者)の不足から霊界と絶縁状態とならないよう、入念な計画が練られ、そして実行に移されているということです。これ以上の説明は難しいです」

メンバーの一人「霊界においてそうした大きな仕事が成就され、コミュニケーションのための回線が敷設され、計画が順調に推進されていることを知って、わたしたちもうれしく思います。これには優れた霊媒が要請されることになりますが、今それが非常に不足しております」


「道具はそのうち揃います。霊力が多くのチャンネルを通じて恩恵をもたらすようになります。どんどん増えていきます。これまでの成果だけを見て、この程度のもの、と思ってはなりません。決してこの程度で終わるものではありません。昨日よりは今日、今日よりは明日と、ますます大きなことが成就されていきます。それが進歩というものです。われわれも進歩していくのです。“われわれのあとは誰が引き継いでくれるのだろうか?”――そう心配なさる方がいらっしゃるようですが、あなたがたの仕事が終われば、代わって別の人が用意されます。かくして霊力が今日以上に地上へ流れ込み続けます。それは誰にも阻止できません」

ルース「今スピリチュアリズムという形で霊界と地上界との間のコミュニケーションが開かれておりますが、それ以前にも大きなコミュニケーションの時代があったのでしょうか」


「一時的にインスピレーションがあふれ出たことはありますが、長続きしていません。このたびのコミュニケーションは組織的であり、協調的であり、管理・監督が行き届いており、規律があります。一大計画の一部として行われており、その計画の推進は、皆さんの想像も及ばないほどの協調体制で行われております。背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります。

そうした計画のもとに霊界の扉が開かれたのです(※)。このたび開かれた扉は二度と閉じられることはありません」


※――一八四八年の米国での“フォックス家事件”を皮切りに、地球規模の霊的浄化活動が始まったことを指している。

ルース「あたしたちが眠っている間は何をしているのでしょうか」


「皆さんは毎晩、その肉体を後にして別の世界へ行きます。訪れた世界での体験は二種類に分けることができます。一つは教育を目的としたもので、もう一つはただの娯楽を目的としたものです。教育的体験では、いずれ訪れる霊界生活で使用する霊的身体について教わります。娯楽を目的とした体験の場合は、たとえば霊界で催されている、いろいろな会場を訪れます。

いいですか、ルースちゃん、あなたは昨晩、わたしの世界の庭園へ連れて行ってもらったのですよ。それから、ポール君、あなたは音楽を聞きに行ったのですよ」

ポール「二人ともそのことを覚えていないなんて、つまんないですね」


「たしかに、そう思うのも無理ないかも知れませんね。でも、それは肉体から離れている間の異次元での体験を、肉体の脳で理解しようとするからなのです。ポットの水をぜんぶ一個のグラスに入れようとしても入りませんね。それと同じです。でも、夢を注意して見ていると、よいヒントになるものが見つかるはずですよ」

ルース「わけのわからない夢はどう理解したらいいのでしょうか」


「変な夢のことですか? あれは、異次元の体験を脳で思い出そうとする時にそうなるのです。脳は小さな袋のようなものです。霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入り切れないのです。それをムリして押し込もうとするために、あのような変な形になるのです。夢というのは、訪れた別世界の体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出にすぎません」

ポール「シルバーバーチさんのお仕事で、ボクたちにもお手伝いできることがあれば教えてください」


「わたしに愛の念を送ってください。わたしを信頼し、善意の思念を送ってください。それが、わたしの何よりの食べものであり飲みものなのです。ただただ、愛が欲しいのです。善意をいただきたいのです。それさえいただければ、わたしは幸せなのです。しかし、どうぞ、わたしの仕事のことで心配しないでください。自分でちゃんとやりますので……」

ここで、いったん話題が外れてメンバーの人たちと話したあと、再びルースとポールに向かって次のような感動的な教訓を述べた。


「お二人のこれからの人生が日向(ひなた)ばかりだとは申し上げられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨にうたれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に立たされることもあるでしょう。

人生は一本調子のものではありません。色彩もあり変化もあります。障害に出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ、性格が培(つちか)われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。

もしも人生が始めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく、耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず、一生けんめい頑張ったあとにいただくから価値があるのです。

そういう価値ある人間になるように努力しなさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来事は何一つ起きないのです。

一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思った時は、ひるまず自分にムチ打つのです。それだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして、自分という永遠の霊に傷を負わせたり、害を及ぼしたりするものは、決して生じないということを忘れないことです。

世間でいう“成功者”になるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直にしたがえることです。

それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ちうけている生活へのそなえが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。これが、わたしからのアドバイスです」

ルース「今のお話で、私たちの最後の質問をしなくてもよくなりました」


「さて、わたしはそろそろ行かねばならなくなりました。わたしの去り難い気持ちはおわかりいただけると思います。せっかくの親しいつながりを、しばらくのあいだ断(た)たねばならないからです。わたしは、もうすっかり地上のお付き合いが好きになってしまいました。しかし同時に、しばらくこのつながりを断たないことには、かえってわたしの存在価値が小さくなることも事実なのです。何となれば、これから先の仕事に必要なエネルギーが摂取できるのは、内奥の世界においてのみだからです。

その世界へ戻ると、わたしは地上へ帰りたい気持ちが薄らぎます。そこがわたしの本来の住処(すみか)だからです。何しろそこは、天上的なよろこびに満ちた、光輝あふれる世界なのです。しかし、わたしにはまだまだ為さねばならない仕事が残っております。これまでに成し遂げた仕事がそれで良かったのかどうかを確かめたいのです。そこでこれから、霊の絆において親密な同志たちと会ってきたいのです。

わたしの留守中も、どうかわたしのことを忘れないでくださいね。わたしの影響力だけはずっと残っていることを知ってください。そのうちまた、わたしみずから引き受けた仕事の推進のために戻ってまいります。皆さんの日常生活を絶え間なく見守り、付き添ってあげるために戻ってまいります。皆さんと生活を共にすることは、わたしにとって楽しみの一つなのです。お役に立つことができることを光栄に思っております。

では、またお会いする日まで、お別れすることにいたしましょう。わたしはいつも愛をもって訪れ、愛をもって去ります。皆さんに神の御恵みの多からんことを!」

ここで参考までに、別の交霊会で子供の宗教教育についてシルバーバーチが語ったものを紹介しておこう。


「今日の子供は明日の大人であるという、ごく当り前の考え方でこの問題と取り組んでみましょう。当然それは、学校教育を終えたあとの社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるベきものであらねばなりません。

意義ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため、人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが、教育の根本義なのです。それには何よりもまず、宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。人間が有する偉大な可能性を教え、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発してやらねばなりません。

子供は感受性が強いものです。知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することができません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま呑み込んでしまうのです。

このように、子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることになります。教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ糸とヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者たるものは、まず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。その子の潜在意識にかかわることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づけられ、それがその子のその後の思想を築いていく土台となるのです。その意味で、筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。

子供に種々さまざまな可能性が宿されていることを知らない人、霊的真理に通じていない人、子供が大人と同様、本来が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人――こうした人に育てられた子供は、健全な精神的発育を阻害されます。

ここで子供の物的生活における必須の要素について語るのは、わたしの領分ではありません。それについては、すでに十分な知識が普及しております。あらゆる分野の科学と、あらゆる分野の生命現象についての教育、地上なりの豊かな文学と芸術と教養の真価を味わえる精神を培う上で役立つもの、それを授けてやるべきであることは明白です。

そこで、宗教の問題にしぼって申せば、宗教とは個々の魂が人生のあらゆる闘いに堂々と対処し、そして克服していく上での指導原理なのですから、教育上きわめて重大な意義を有することは明らかです。子供の一人ひとりが神の一部であり、本質的に霊的存在であるからには、“自由”がもたらすあらゆる恵みを受けて生きるように意図されております。その魂を幼い時期から拘束し自由を奪うようなことをすれば、それは魂の基本的権利を無視することになります。隷属状態に陥らせることになります。霊的奴隷としてしまうことになります。

“自由”こそが教育の核心です。わたしの観るところによれば、宗教についての正しい真理を教わった子供は、自由闊達に成長します。教育にたずさわる人が、子供に真の自由を与えようという意図からでなく、古い神話や寓話への忠誠心を植えつけたいという願望から物事を教えていけば、それは子供の精神の泉を汚染することになります。知性が十分に発達していれば拒絶するはずの間違った教義を教え込むことは、宗教的観点からみても教育的観点からみても、その子にとって何の益にもなりません。

それだけでは済みません。そのうちきっといつか、魂が反発を覚える時期がまいります。無抵抗の幼い時期に間違ったことを教えてくれた人々に対して、背を向けるようになります。幼い魂は、若木のように、たくましく真っすぐに成長するように意図されております。それが間違った育て方をされるということは、存在の根をいじくり回されることであり、当然、成長が阻害されます。

霊について、神とのつながりについて、正しい真理を教えずに、倒れかかった教会を建てなおし、空席を満たそうとする魂胆から、誤った教義を押しつけんとする者すべてに対して、わたしは断固として異議を唱えます。宗教についての真実を申せば、真理のすべてを説いている宗教などありえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条(すじ)しか見ておりません。しかも悲しいかな、その一条の光すら、永い年月のうちに歪められ、狂信家によって捏造(ねつぞう)されております。

子供には、宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、まじめで無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません」

祈り

無用の悲劇に終止符を……


これより大霊の祝福を求めて、お祈りをいたします。変幻きわまりない生命現象の背後に控える摂理と目的とを、地上の子等に啓示するための仕事の一環として、わたしたちが知識と叡智と悟りを広めんとする努力は、大霊のご加護なくしては報われません。

宇宙の大霊なるあなたは、これまで子等によって誤解され続け、誤り伝えられてまいりました。復讐心を燃やし、血に飢え、犠牲(いけにえ)を求め、ある者は可愛がってある者は見捨て、限られた少数の者だけに恩恵を与え、自分に背を向ける大衆は無視する神(ゴッド)として、恐怖の中で崇められてまいりました。

それに代わってわたしたちは、あなたを生命の法則――不変・不滅の自然法則、悠久の過去より存在し悠久の未来へも存在し続ける摂理として啓示いたします。魂の働きを束縛する迷信という名のくさりを解きほどき、魂の目を見えなくしている目隠しを取り除き、魂の耳栓を取りはずし、心の扉を開いて、天命の全うヘ向けての導き手となるべく、より大きな真理、より大きな叡智、より大きな視野を受け入れる用意を整えさせるのは、その知識をおいて他にないとの認識のもとに、その普及に尽力しているのでございます。

わたしたちは、大自然の摂理についての誤解が生み出す無用の悲劇に終止符をうち、当然の権利として人類が手にすべき平和と調和の障害となっている、あらゆる専制的非道、理不尽な既得権、自己中心主義を排除したいと願っております。永いあいだ人類の視野を曇らせ、調和と福祉と協調的生活の達成の障害となってきた、無知という名の霧を晴らすべく努力いたしております。

わたしたちは、持てる力とインスピレーションと愛を、受け入れる用意のある者には惜しみなく授けます。いかなる差別もいたしません。子等が神(ゴッド)と呼んでいるところの父なるあなたの存在に触れて、あなたの聖なる力と叡智を我がものとなし、生活の中にそれを顕現させ、かくして無用の悲しみと悩みと苦しみに代わって、新しい知識、新しい目的、新しい悟りの中で暮らすことになってほしいと、ひたすらに祈るものです。

Wednesday, August 19, 2026

シルバーバーチの霊訓  地上人類への最高の福音

The Seed of Truth
トニー・オーツセン(編)
近藤千雄(訳)


2章 悟りは苦しみの中から生まれるのです



ロンドンが大空襲を受けた第二次大戦の最中(さなか)にも、ハンネン・スワッファー・ホームサークルはいつもと変わることなく、毎週一回の交霊を続けた。

当時《サイキックニューズ》の主幹だった霊媒のモーリス・バーバネルは、戦後その時のことを振り返って、「こっちの方も一回も休刊にしなかったからね」と、自慢げに語っていた。前の週の交霊会の記録を大戦中もずっと掲載し続けたことを誇りに思っていたことが、この言葉ににじみ出ている。確かに、そのおかげで高級霊界からの純粋無垢のインスピレーションが紙上に載り、多くの人々に確信と慰安と、そして何よりも、生きる希望を与えたことは間違いないからである。

では、当時の記録の中から幾つか拾ってみよう。シルバーバーチが苦労の大切さを力説することはよく知られているが、ある日の交霊会でも改めてそのことに言及して――


「苦しみの要素も摂理の一環です。いわれのない苦しみを被っていると思っている人も、やはり過去において何らかの形で摂理に反したことをしているからこそ、今のその苦しみがあるのです。それが因果律というものです。苦しみを味わってこそ摂理がわかるのです」

「でも、苦しむことだけが向上の唯一の道ではないと思いますが……」とメンバーの一人が言う。


「もちろんそうです。ですが、大切な道の一つであることは間違いありません。苦難や危険や困難から逃避しようとする人が、わたしには理解できません。目的を達成しようとすれば、あるいは、持てる資質を磨き上げようとすれば、試練の炎をくぐり抜けなければなりません。鍛えられ、しごかれないといけません。それ以外に一体どうすれば本当の性根が確かめられるのでしょうか」

すると別の出席者が――

「“慈悲深き神”という概念を説く人がおり、そういう人にとっては、苦難を通しての人格の陶冶(とうや)などということは無縁のようです」


「神が慈悲深いということを、どこのどなたが説いておられるのか知りませんが、神とは摂理のことです。究極においては慈悲深い配慮が行きわたっておりますが、そこに至る過程においては日照りの日もあれば雨の日もあり、雪の日もあれば嵐の日もあり、穏やかな日もあれば雷鳴の轟(とどろ)く日もあり、酷暑の日もあれば酷寒の日もあり、それがすべて法則によって支配されているのです。

わたしは、それと同じことが愛と憎しみ、怒りと純情についても言えることを説いたことがあります。そこにも大霊の摂理の働きがあるからです。が、それが理解できない人が大勢いらしたようです。大霊が憎しみの中にも宿るということが理解できないのです。しかし大霊は、大霊であるがゆえにこそ、必然的にすべてに宿るのです。摂理なのです。完全なる法則なのです」

「では、その摂理に完全にのっとった生き方をすれば、神の慈悲がわかるのでしょうか」と別のメンバーが述べる。

「もちろん、そういうことになります。ですが、そこまでに至る過程は永遠なのです。そのうちあなたも、地上人生を明確な視野のもとに見つめ直す時がまいります。その時、苦難こそ最も大切な教訓を教えてくれていること、もしもあの時あれだけ苦しまなかったら、悟りは得られなかったであろうことを、しみじみと実感なさいます。辛い教訓ではあります。が、教訓とはそういうものなのです。もしも教訓がラクに学べるものだとしたら、もしも人生に苦労も誘惑も困難もなく、気楽な漫遊の旅だったら、それは頽廃ヘの道を進んでいることになります」

その後の交霊会でも同じテーマが持ち出されて、シルバーバーチはこう語った。

「痛みも苦しみもない人生、辛苦も悲哀もない人生、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくともわたしは、そういう人を知りません」

すると、こういう質問が出された。

「もしも人格の陶冶にとって苦難が不可欠のものであるとしたら、苦しむことを知らない人たちがいるのは一種の不公平であるように思えますが……」

「苦しむことを知らない人がいる――それはどなたがおっしゃったのでしょうか。苦しみというものは必ずしも第三者の目に見える外面的なものばかりとはかぎりません。心が、精神が、魂が、その内奥で感じるのが本当の苦しみです。人間生活を日常のうわべの現象だけで判断してはなりません。それをどう受け止めていくかは、魂の問題です」

「苦難がそれほど大切なものであり、霊的進化にとって不可欠のものならば、なぜあなたは人の苦しみを和らげてあげる行為を奨励なさるのでしょうか」

「おっしゃる通り、わたしはそのことを大いに奨励いたします。ですが、よろしいですか、わたしは、いつの日かこの地上から全ての苦の要素が取り除かれて完璧な世界となると想像するほど愚かではありません。生命の進化は限りなく続くのです。わたしは三千年を生きてきた今、そう悟っているのです。その無限の階梯を登り続けるには、刻一刻と絶え間なく進化していかねばなりません。そして、その進化とは、不完全なものが少しずつ完全になっていくということを意味するのですから、それは当然、苦を伴う過程であるはずです。

そのこととは別に、同じく苦しむのでも、地上には無用の苦しみが多すぎるという事実を指摘したいのです。みずから背負(しょ)い込んでいる苦しみ、みずから好んで無知と愚かさの道を選んだために引き起こしている苦しみ、偏見が生み出している苦しみ、迷信に捉われているために生じている苦しみ――わたしが取り除きたいのは、そうした無くもがなの苦しみです。しかし人間は、本来が進化の要素を秘めた存在ですから、光明へ向けての葛藤の絶えることはありません。何事につけ、創造の過程には苦しみはつきものなのです。

問題は、人間の多くが、自分が今置かれている境遇に不満をかこつばかりで、過去の生活を冷静に振り返り、不満に思える現在の境遇から一歩離れて冷静に反省すれば、この世はすべて闇だ、イヤなことばかりだと思えたその時期こそ、霊的に最も大きく成長していたことが分かるということを、なかなか悟ってくれないことです」

「しかし、場合によっては、苦しみの体験が性格をいじけさせることもあります」

「それは、その体験が魂の本性を引き出すまでに至らなかったということです。それまでに顕現していた側面が、苦難の体験後もまだ真実の自我とはなっていないということです。実在がまだ顔を出していないのです」

別のメンバーが尋ねる――

「霊的な能力のある人とない人とがいるのはなぜでしょうか」

「潜在的にはすべての人間が霊的能力を所有しております。人間も本来は霊的存在である以上、それは当然のことです。ただ、人によってその能力が顕在意識の近くまで発達しているためにすぐに発揮される場合があるということです。

ですから今のご質問は“スタイルのいい人と悪い人がいるのはなぜですか”“絵の上手な人と下手な人とがいるのはなぜですか”というのと同じです。その拠(よ)ってきたる原因はちゃんとあるわけですが、それを全部説明するのは大変です」

別の日の交霊会で戦争が話題になったとき、次のような興味ある質問が出た。

「ダンケルクでの英国軍の撤退作戦のとき海が穏やかで、シチリア島での作戦のときも天候が味方してくれたと聞いていますが、これは神が味方してくれたのでしょうか」

「宇宙の大霊はいかなることにも特別の干渉はいたしません。法則、大自然の摂理として働き、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを中止したり干渉したりする必要性が生じるような事態は一度たりとも生じておりませんし、これからも絶対に起きません。世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、大霊による特別の干渉は必要ありません。もしも干渉がありうることになったら、大霊が大霊でなくなります。完全でないことになり、混乱が生じます」

「今の質問は、最近多くの高名な方が、ラジオ放送で、神が英国に味方してくれたかのように述べているので、お聞きしてみたのです」

「本当の高名は魂の偉大さが生むものです。それ以外に判断の基準はありません。何を根拠にしようと、大霊が自国に味方するかのように想像してはなりません。大霊とは法則なのです。あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです。窮地に陥ったあなた一人のために、どこか偉そうな人間的な神さまが総力をあげて救いに来てくれるような図を想像してはなりません。スピリチュアリストを自認する人たちの中にも、いまだにそういう風に考えている人が大勢います」

「一人ひとり進化の程度が異なるので理解の仕方も違ってくるのだと思います」


「ですから、わたしが申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいはわたしが間違っている――とんでもないことを言うヤツだ、と思われても一向にかまわないのです。わたしはわたしの見てきたままの真理を申し上げているだけです。永い永い進化の過程をへたのちに学んだままをお届けしているのです。それがキリスト教やヒンズー教、その他、聞いてくださる方の宗教を混乱させることになっても、それは、このわたしには関わりのないことです。わたしはそういう名称や教義、いかなる宗教の概念にもまったく関心がないのです。わたしはわたしが学んできた真理しか眼中にありません。それがわたしの唯一の判断基準です。

わたしの申し上げることがしっくりこないという方に押しつける気持ちは毛頭ありません。わたしに知り得たものを、精いっぱい謙虚に、精いっぱい敬虔な気持ちで披瀝するだけです。わたしが獲得した知識のすべて、叡智のすべてを、受け入れてくださる方の足もとに置いてさしあげるだけです。これは受け取るわけにはいきません、とおっしゃれば、それはその方の責任であり、わたしの責任ではありません」

別の日の交霊会に英国陸軍第八部隊所属の一軍人が招かれた。本来はフリート街の青年ジャーナリストである。早くからシルバーバーチの霊訓に魅せられ、これまでの霊言は読んでないものは一語もないほどだった。そして、輸送船の中で、野営地において、あるいは戦場において、戦友と議論を闘わせてきた。それだけに、シルバーバーチヘの質問には“永遠”の問題など、難解なものが飛び出したが、例によってシルバーバーチは直截簡明に答えている。まずシルバーバーチの方からこう語りかけた。


「あなたは今は英国の軍人でいらっしゃいますが、そのあなたにもぜひ参加していただかねばならない、もっと大きな戦いがあります。幾世紀も前から、真理普及のための強大な霊的軍団が組織されているのです。霊的真理に対して絶対的忠誠心をもって臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。

あなたへ届けられる“召集令状”は、人のために自分を役立てることを求めています。勲章は授けてくれません。襟章(バッジ)もつけてくれません。等級もありません。しかし、絶対的な忠誠心と堅忍不抜の献身的精神をもって臨めば、必ずや勝利を手にすることができることを、わたしがお約束します。

どうかあなたも、地上世界を毒している諸悪の駆逐のために、わたしたちの味方になってください。わたしたちの新たな道具として、一命を捧げていただけませんか。あなたの行為によってたった一つの魂でも救うことができれば、それだけであなたの人生は無駄でなかったことになります。わたしたちの仕事はそのようにして推進されていくのです」

「一人の人間のすることはたかが知れてるように思えるのです。軍隊にいると、ただ語り合うことしかできません」


「その、たった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。わたしは決して、自惚(うぬぼ)れて大きな口をたたいているのではありません。わたしにも謙虚な気持ちと哀れみの情はあります。わたし自身が、当初はとても無理と思える仕事を仰せつかったのです。地上の方にはまったく無名のこのわたしが、この声と素朴な教え以外には何の資産もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。

おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には、自分を役立てたいとの願望に燃える者にかならず授けられる強大な霊力が控えております。わたしは、あらゆる逆境と困難と障害の中にあって、一個の人間(バーバネル)に目星をつけました。その人間をわたしの目的にそって鍛練し、さらに試行錯誤をくり返しつつも忍耐強く、真理普及という仕事に協力してくれる人間(サークルのメンバー)を探し求めました。何かの報酬と引き替えに募ったのではありません。献身的精神を吹き込んでみた時の反応だけで選んだのです。そして、ご覧なさい。わずかな年数のうちに、われわれを伝達手段として、誇り高き道具として、霊的真理が全世界に広められました。

かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。その、たった一人の人間が、愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上へもたらしたのです。

たった一人で大きな仕事を始めた人は、ほかにもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。

いかがですか? たった一人でも大きな仕事ができることを示す例を、もっと挙げてほしいですか。あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな闘いにおいて、わたしたちの味方になられた方に“敗北”はありません。時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、われわれは絶え間なく前進を続けております。

わたしは古い霊です――皆さんからそう見られております。わたしくらいになると、人間の可能性というものが分かります。そのわたしから、あなたに激励の言葉を述べさせていただきます。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。そうです、わたしたちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくださる人々の協力を必要とする、大仕事があるのです。

あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を、寛容の精神で他人に披露して、その良さを知っていただくための努力を忍耐強く続けてください。そのうちきっと、少しずつ変革が生じていることに気づかれます。

それしか方法がないのです。集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛をもって、真実を説くことによって一人ひとり得心させていかねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」

「そう思います。しかし、それには気の遠くなるような時間がかかります」


「ある人が言ってますよ、地球はあなたが生まれる前から存在し、あなたが去ったあともずっと存在します、と。その地上での束の間の人生を、なんとか価値あるものにすることに専念なさることです。たった一個の魂のためにあなたの存在を役立てることができれば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになるのです」

「でも、生涯を何一つ他人のために役立つことをしないまま終わる人が大勢います」


「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていく――それが摂理なのです。わたしは若者特有の熱誠や情熱に水をさすつもりは毛頭ありません。わたしがこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする――これが一ばんです。わたしたちが人間を導く上でそれを一ばんの拠り所としています。だからこそ説得力があるのです。その方針でやってきて、わたしたちは多くの方が感じ取っておられる以上に、大きな進歩を遂げております。

失望なさってはいけません。わたしたちも、決してあなた方を失望させるようなことはいたしません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して、霊的資源を活用する用意があるからです。その資源は無尽蔵なのです。それを活用して、どんな境遇に置かれても、それを克服できるよう導き、そして支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくようにいたします。

奉仕(サービス)こそ霊の通貨(コイン)です。宗教とは何かと問われれば、わたしは躊躇(ちゅうちょ)なく申し上げます――いつどこにいても人のために自分を役立てることです、と。神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、教典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味があるのでしょう。ステンドグラスの窓にしたからといって、一体どうなるというのでしょう。法衣をまとったら、どこがどう違ってくるというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。

自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。

わたしが地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついてさえいれば、道を誤ることはありません。霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。

しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。

どうか、わたしがこれまでに述べてきた知識の中から、物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりに存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。それが、自我の霊的本性のもつ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物(ほうもつ)は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。

わたしたちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な、霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪(あ)せる心配がありません。永遠に価値を発揮しつづけます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での、光輝あふれる照明となってくれます」

「私たち兵士が外地を転戦した時、みんな敵の方が悪いのだと思って戦いました。しかし、考えてみると、その敵もみな、その戦いにかける大義名分があればこそ戦っていたのです。こうした場合、罪の報いはどうなるのでしょうか。われわれは敵が悪いと思って戦い、敵は自分たちこそ正しいと思って戦っているのです」


「いかなる問題においても、わたしたち霊界の者は、地上的観点から見ていないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている、近視眼的無分別に振り回されることは絶対にないことを、まず申し上げておきます。

さらに大切なこととして、いま定住している霊的世界における摂理の働きを体験してきたわたしたちは、地上の人間を悩ませる問題を、人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じ視野では捉えていないということも知ってください。

以上の大切な前置きを大前提として申し上げますが、そうした問題において何よりまず第一に考慮すべきことは、“動機”は何かということです。自分は正しいことをしているのだと、真剣に思い込んでいる人は、魂に罪過を負わせることにはなりません。いけないことと知りつつも、なおも固執する人間は、明らかに罪過を犯していることになります。なぜなら、道義心を踏みにじり、魂の進化を阻害していることになるからです。わたしたちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人ひとりが、国家の法律ではなく、大自然の摂理によって裁かれるのです」

「善と悪は、何を規準にして判断したらよいのでしょうか。人間一人ひとりの問題でしょうか、それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか」


「一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に、絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれています。これまでに何度となくこの問題が持ち出されましたが、わたしには一貫して主張している見解があり、それを変更する必要はみじんも認めません。

これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として、わたしはこう申し上げております。すなわち、正常な人間であるかぎり、言いかえれば、精神的・知的に異常または病的でないかぎり、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が正常に働きます。いわゆる道義心です。考えること、口にすること、行うことを正しく導く、不変の指標です。それが、いかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げてくれます。それを人間は、時として揉(も)み消したり、言い訳や屁理屈(へりくつ)で片づけようとします。しかし、真の自我はちゃんとわかっているのです」

このあと議論が発展して難解な哲学的思考(スペキュレーション)の域まで入った時、シルバーバーチは一応それに対応したあと、こう述べた。


「わたしは実用志向のタイプです。現在の地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たない方角ヘ議論が流れかけた時は、いつもお断りしております。わたしは、今地上世界が必要としているのは、基本的な霊的知識であるとみています。人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発現を妨げているからです。

地上世界を見回すと、すばらしい花園であるべきところに見苦しい雑草が生い茂り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこでわたしは言うのです――まずそうした基本的な問題と取り組みなさい。戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に、宣戦布告をしなさい、と。

人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利――神の直射日光を浴び、自由のよろこびを味わう権利を奪う、ありとあらゆる敵と戦うのです。

人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもし、あなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々が、その普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方たちにこう忠告してあげてください――基本的な目的は、難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように、大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです、と」

「私もそう思います。しかし、インドのような国に目をやり、食べるもの、着るものさえ満足に恵まれない民衆のことを思うと、複雑な気持ちになります。いかにしてインドを救うべきか――これは大変な仕事のように思えます」


訳注――この交霊会が開かれた正確な年月日は判らないが、インドがまだイギリスの植民地として、思想的にも物質的にも苦境にあえいでいた時代であることは間違いない。


「いいえ、霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗闇の中で暮らさせている教条主義の呪(のろ)いから解放しさえすればよいのです。

永いあいだ“宗教”の名をもって呼ばれてきた古代の神話・伝説にすぎないものを捨てて、その束縛から解放される方法を教え、代わって霊的真理の陽光を浴びる方法を教えてあげれば――宗教の名のもとに行われている欺瞞と誤謬を一掃することができれば、この地上を毒している問題の多くが解決されていきます。わたしは改めてここで、わたしに可能なかぎりの厳粛な気持ちで申し上げますが、地上世界はこれまで“教条主義”によって呪われ続けてまいりました」

「経済的な側面はいかがでしょうか」


「それも同じ問題の別の側面にすぎません。わたしはどうやら“人騒がせ者”のようです。キリスト教の教えと違うことばかり説いていると批難されております。しかし自分では、そう言ってわたしを批難する人よりも、キリスト教について、その本質をより多く理解しているつもりです。あらゆる問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち、人間は本来が霊的存在であり、大霊からの遺産(神性)を受け継いでいるが故に、生まれながらにして幾つかの権利を有しているということです。

その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活中にその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものは――いかなるものでも排除する――それだけのことです。それをどうお呼びになっても構いません。わたしはラベルや党派には関心はありません。わたしが関心を向けるのは“真理”だけです。

あなたも、わたしと同じ立場に立って、発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が、毎日のようにぞくぞくと霊界へ送り込まれてくるのをご覧になれば、多分わたしと同じように、この繰り返しに終止符を打つために何とかして地上を改革しなければ、という気持ちになられるはずです。

どうか、その若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました。しかし、それを成就すべき夏が、これから訪れます」
祈り



無知という名の暗闇から生まれる恐怖心を追放し……


ああ、大霊よ。あなたの無限なる知性は、この全大宇宙を案出なされた知性でございます。あなたの摂理は、絶え間ない日常の出来事の全パノラマを規制し統制している摂理でございます。あなたの霊力は、森羅万象を支える力でございます。あなたの無限なる霊は、物的存在に生命を賦与し、なかんずく人間を、動物的段階から引き上げ、霊的自我意識をもつ存在の仲間入りをさせた霊にほかなりません。

わたしどもは、あなたを究極の摂理――不易にして不可変の絶対的法則として啓示いたします。その法則の外側で生じるものは何一つありえないのでございます。宇宙のすべての存在が、その法則の不変性に無言の讃辞を向けております。それに加えて、あなたの霊的領域においてより大きな生活体験を積み重ねてきたわたしたちは、生命活動のすべてを律している、ある者がゴッド(神)と呼び、わたしがグレイトスピリット(大霊)と呼んでいる霊力の働きの完全さに、感嘆の讃辞を贈ります。

わたしたちが地上に広げたいと願っているのは、地上生活のあらゆる側面を律しているその摂理についての知識でございます。あなたの子等は、それを理解することによって、あなたがふんだんに用意されている恩恵を存分に我がものとして、生き甲斐を実感し、みずからの手で平和の中で生きることのできる社会組織を創り出すことができるのでございます。

わたしたちは、人間の無知という名の暗闇から生まれる恐怖心を追放し、生命の大機構の中で占める“死”の真の意味を理解させ、内在する霊的可能性に目覚めさせ、本当の自我の無限の霊的資質を自覚してほしいと願っております。それが、人間とあなたの間、および全世界の人間どうしを結びつけている霊的な絆を知らしめることになるからでございます。

あなたの霊が地球全体を取り巻いております。あなたの神性の糸が全存在を貫いております。地上の人間は、誰であろうと、何者であろうと、いずこにいようと、絶対に断たれることのない霊的な絆によってあなたと永遠に結びついているのでございます。

子等とあなたとの間を取り持つ仲介者は要りません。大霊の分霊を宿すがゆえに、あなたが用意されている叡智と愛と知識と真理の無限の宝庫に、自由に出入りすることが許されるのでございます。

わたしたちの仕事は、人間の内奥に存在するその霊性を活気づけ、霊的資質を存分に発揮させ、子等があなたの意図された通りの生き甲斐のある人生を送るように導いてあげることでございます。

そうなって初めて人間は、その霊的責務を果たすことになりましょう。そうなって初めてこの病める世界を癒し、愛と善意を広める上で、同胞としての貢献ができるのでございます。

そうなって初めて人間は、それまであなたの真実の姿を見えなくしていた暗黒に永遠に別れを告げて、悟りの光の中で生きることができるのでございます。

あなたの僕インディアンの祈りをここに捧げます。

シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音

 

  • The Seed of Truth
  • トニー・オーツセン(編)
  • 近藤千雄(訳)

日本のシルバーバーチファンの皆さんへ

――トニー・オーツセン


私が思うに、世界の大きな宗教のほとんどが死後の生命を約束しておりますが、それを一個の宗派の信者のみのものとしてではなく人類すべてのものとして、つまり一つの“事実”として証明しているのはスピリチュアリズムだけである――そう申し上げて間違いないでしょう。

その根拠はといえば、すでに他界している愛する人たちがその死後の世界から戻ってきて、いわゆる霊媒――死者の霊の姿を見たり、声を聞いたり、その存在を直感できる人――を通じて、死後もなお立派に生き続けていることを立証してくれているからです。

さて、今世紀初めのことです。みじめな貧民層が軒を並べて生活していたロンドン東部地区に、モーリス・バーバネルという青年が住んでいて、商売のかたわら、ある社交クラブに所属していました。そのクラブには各界の著名人が集まり、誰かが講演をして、それに反論して議論の輪を広げていくのが彼の役目でした。ところが、ある日の会合でスピリチュアリズムについての講演があった時に彼はなぜか、自分はスピリチュアリズムについて何も知らないのでと言って討論を拒否し、半年の猶予をいただきたいと申し出ました。本格的にスピリチュアリズムなるものを勉強してみようと決心したのです。

それからのちの経緯(いきさつ)は長くなりますので割愛させていただき、結論だけを申し上げれば、勉強のために何度か交霊会を訪れているうちに、いつの間にか自分自身が霊媒となっておりました。そして、彼の口を使ってシルバーバーチと名のる高級霊がしゃべるようになり、以来六十年にわたって、毎週一回、晩年は月一回の割で出現し、地上生活と死後の生活に関するあらゆる問題についての教えを説いたのでした。(*詳しくは『霊性進化の道しるべ』巻末のバーバネルの遺稿《シルバーバーチと私》を参照してください。)

それが六十年間も続き、その間に説かれた教えがバーバネル亡きあと今なお世界中で愛読されているという事実は、シルバーバーチを指導霊とした交霊会が、まやかしのない、真実そのものに根ざした、よほど堅固なものであったことを物語っております。

残念ながらシルバーバーチは地上時代の姓名を名のらないままで終わりました。自分が説く教えそのもので勝負したいからだと言い、かりに地上時代はファラオ(古代エジプトの王)だったとしても、それを立証する手だてがない以上、結局は意味がないことになる、と言うのです。

シルバーバーチという霊について分かっていることは、三千年前に地上で生活したことがあるということ、それが地上時代にインディアンだった別の霊を霊界側の霊媒として使用し、そのインディアンの立場で通信を送ってきたということだけです。それも本当かどうか分からないではないか、とおっしゃる方がいるかも知れません。確かにその通りですが、六十年間に交霊会に訪れた人の中で霊視力をもった人は、みんな口を揃えて、確かにインディアンの容姿が見えたと述べています。中でも霊視力をそなえた画家のマルセル・ポンサン氏が描いた肖像画は、叡智あふれるインディアンの風貌をしており、それが一応シルバーバーチであるとされています。

シルバーバーチの教えには多くの特質がありますが、私が思うに、その中でもとくに大切なのは、人類は全体として一つの大きな家族であり、民族の別、肌の色の違いに関係なく、地上のすべての人間が霊的に結びついているということです。この事実の理解がないところに、飢えと戦争が絶えない原因があるというのです。シルバーバーチの説く教えにそった生活が営まれるようになれば、地上世界は平和と豊かさに満ちあふれることでしょう。飢えに苦しむ者も貧しさに泣く人もいなくなることでしょう。

私はこれまでに、シルバーバーチの教えを何冊かの本にまとめましたが、そのたびに、表現の見事さに感嘆させられております。用いる言葉はいたって素朴なのですが、その意味するところが実に深遠なのです。

どうか、日本におけるシルバーバーチの霊言の愛読者の皆さんが、本書の中に新たな安らぎと確信と導きと喜びを見出されるよう、心から祈っております。

編者まえがき


誰でもよい、町の通りを歩いている人を呼び止めて、三千年前に地上で生活したことのある霊が戻ってきて、人生のあらゆる問題に答えてくれている事実を信じますかと尋ねたら、たぶんその人は一目散に逃げ出すであろう。

しかし、肉体の死が生命の終焉(えん)だと信じている人、最後の息を引き取った時、ローソクの火が消えるごとく生命の火が消えるのだと主張する人は、ほんとに気の毒というほかはない。この地上での寿命など、永遠の生命の流れの中ではホンの一瞬の間に過ぎないからである。

死後にこそ実在の世界があること、そこから地上世界へ戻ってくることもできる、というのがスピリチュアリズムの基本的思想である。それを証明する証拠は十分に揃っているし、歴史をみても、それを裏づける事象は豊富である。

シルバーバーチの地上での使命は、一九八一年の七月十七日の夜、霊媒モーリス・バーバネルの他界をもって終了した。今は霊界にいる両者にとって、二人して地上にもたらした霊的真理が今なおこうして世界中で読まれ、感動を呼び、そして広まって行きつつあることを、どれほど喜んでいることであろう。

シルバーバーチは言葉の錬金術師である。世の中が日増しに暴力的傾向を強めていく現在の地上世界にあって、シルバーバーチが語るその言葉と思想は、まさしく魂のオアシスである。

さらにまた、半世紀以上にもわたってシルバーバーチが倦(う)むことなく証明してくれていることは、死者も人間界へ語りかけることができること、地上時代の個性も記憶もすべてたずさえていること、人間と同じように理性を働かせることができる知的存在であること、死後もなお、地上に残した縁者のことを気づかってくれていること、そして、肉体の束縛から解放されて、より大きな視野で生命の実相を捉えているということである。

本書に収められた質問は、例によって多彩をきわめる。シルバーバーチは火葬についてどういう見方をしているか、心霊研究についてどう考えているか、死後にも家屋や書物や食べものがあるのか、苦労は性格の発達にとってやはり必要なのか、“モーゼの十戒”は書き改める必要があるのかないのか、患者は複数の心霊治療家にお世話になってもいいのだろうか――こうした疑問について、シルバーバーチは見事な回答を与えてくれている。

シルバーバーチが返答を断ったり、戸惑ったり、答えに窮したりしたことは一度もない。いかに難解な質問をしても、適切な答えを、説得力をもって当意即妙に与えてくれる。

ジャーナリストの端くれとして私も、文章を書くということに慣れてはいるが、シルバーバーチの霊言を編集していていつも感嘆させられることは、文章を修正したり表現を改める必要がまず皆無に等しいということである。その英文の絶妙さは、まず類を見ない。

私の執務室には心霊画家マルセル・ポンサンによるシルバーバーチのカラーの肖像画(ポートレート)(ということになっているが、実際は霊界の霊媒であるインディアンのもの)が掛けてある。これは、一九三七年にスワッファー夫妻と心霊治療家ビリー・パリッシュ夫妻、それにジャーナリストのポール・ハリス夫妻からバーバネル夫妻に贈られた、クリスマスプレゼントである。

以来四十年以上にわたってバーバネル家の書斎に掛けてあったが、今ではサイキックニューズ社の編集室に掛けてある。そもそもサイキックニューズ紙はバーバネルが創刊したのであるから、ここに飾るのが、バーバネルとシルバーバーチ双方への何よりの敬意のしるしとして適切であろう。

本書に収められた叡智あふれる言葉はかなり以前のものであるが、今もってその輝きを少しも失っていない。身分の上下にかかわりなく、すべての人の魂に訴えるものを秘めている。

願わくば読者が、本書をお読みになることによってご自身の中から新たなる活力と精神力と判断力とを引き出し、さらには心の安らぎと未来への希望を見出されんことを。

トニー・オーツセン

巻頭のメッセージ


わたしの言葉を活字で読んで慰めを得たと言ってくださる方々、それまでは孤独な思いの中で生きてきたつもりが、本当は決して一人ぼっちではなく、霊界からの大いなる愛に包まれていたことに気づいてくださった方々に、わたしからささやかなメッセージを贈りたく思います。

わたしの言葉がたった一人の方の魂の琴線にふれて真の自我が目を覚まし、魂に真の自由をもたらす霊的真理に気づかせてあげたことを知るだけで、わたしは何よりもうれしく思います。無知を追い払うごとに、迷信が退散していくごとに、頑迷さが消えていくごとに、偏狭さが薄れていくごとに、わたしの心は喜びに満たされます。霊力が顕現し、愛が死の障壁を突き通して届けられるのをみて、わたしは喜びに堪えません。

霊的知識が正しく届けられ、地上の善男善女が大霊の愛の存在に気づき、その愛の摂理は、正しく理解すれば、物的世界のいかなる力をもってしても、与えることも奪うこともできない豊かさを見出させてくれることを悟ってくれるごとに、わたしは無上の喜びを覚えます。

このわたしへ静かなる思慕の念をお寄せくださる方々、温かい愛の念を送ってくださる方々、さらには真摯なる祈りの念を届けてくださる方々――残念ながら今すぐその一つ一つに直接の応答はできかねますが、その方々に今この場をお借りして、わたしからの感謝の気持ちを表明させていただきます。そして、どうか、わたしが引き続いて皆さま方の願いにそうべく努力すること、大霊の摂理と力と安らぎが得られる道へいっそう近づくよう導いてさしあげることを、お誓い申し上げます。

空を雲がよぎり、日の光が陰ります。やがて夜になり、星がまたたき、淡い月の光が夜空を照らします。辺りが闇に包まれ、夜のとばりに被われます。が、やがてまた、太陽が昇り、こうこうたる光を放ちます。太陽は輝きを失ってはいなかったのです。見えないところで輝いていたのです。神の摂理は、たとえ皆さんにはそのすべては理解できなくても、一瞬の途切れもなく働き、変わることもないのです。

そう思うときまたしてもわたしの魂に大霊への祈りの気持ちが湧いてまいります。

無始無終に存在し給う大霊よ。わたしどもは、あなたをいっそう深く理解し、あなたの摂理をいっそう広く生活の中で実践することによって、わたしども子等の一人一人に内在するあなたの神性の豊かさと美しさをよりいっそう顕現することになりますよう、ここに祈ります。

シルバーバーチ

1章 この私が誰であるかは、どうでもよいことです


ある日の交霊会に若いアメリカ軍人が招かれた。アメリカでは知らぬ人のない著名人の息子さんで、何なりと質問してくださいと言われて、シルバーバーチに初歩的な質問をした。まず、シルバーバーチが霊媒のバーバネルの口を借りてしゃベり始めた初期のころのことに言及して、こう質問した。

「最初の質問は簡単です。スワッファーさんから伺った話によりますと、あなたは初めのころは英語があまりお上手でなかったそうですが、どういう言語を話しておられたのでしょうか」


「どこでの話でしょうか。この地上でのことでしょうか、それともわたしの本来の世界でのことでしょうか」

「英語がうまく話せなかったということは、何かほかに表現の手段をお持ちだったはずです。地上ではそれを言語といいますが、それは多分この地上で話しておられたものであろうと私は想像しているのですが……」


「ご覧のとおり、ここに一個の物的身体があります。皆さんはこれを霊媒とお呼びになっています。媒介となる霊的な通路の意味です。あるものが届けられるための仲介の道具ということです。

さて、霊界には幾層にもつらなる生命の世界が存在します。そこに生活する者の霊的成長度によって格付けされている世界です。段階的な上下の差があり――互いに融合し合っておりますが――それぞれの界層には、そこに住まうだけの霊的成長を達成した者がいっしょに生活しています。

死後、こちらでの生活を続けていくうちに次第にこの地上世界から遠ざかり、大なり小なり地上との縁が薄れてまいります。わたしもこの三千年間でそこそこの霊的成長を遂げたのですが、ある時わたしを含む相当数の者にお呼びがかかり、地上へ戻って、虚偽と迷信と無知と誤解と偏見の下敷きとなって忘れ去られている永遠の霊的真理、単純素朴な生命の原理のいくつかを説いて、地上世界を救う手だてを講じてほしいとの依頼を受けたのです。

地上世界へ教えを説くためには、わたしの本来のバイブレーションを下げなければなりません――下げるという言い方は正しくないのですが、皆さんにはこれが一ばん分かりやすいでしょう――それは同時に、わたしの個性の何割かを犠牲にすることになるのです。物的波動の世界へ近づくほど、真の自我、霊的な自我は発揮しにくくなるからです。しかも、地上世界とコンタクトするには、わたしの波長と地上の波長とを中継してくれる役(霊媒)が必要となります。

さて、わたしが時おり戻る本来の界層で使用する意志の伝達手段は、地上の言語とは根本的に異なります。表象とか表形といったものは必要でないのです。ですが、地上の人間にわたしの教えを理解してもらうためには、わたしの方が地上世界の言語を勉強するしかありませんでした。そこでわたしも、その道の専門家(エキスパート)のもとで勉強したのです」

「地上ではどこの国にいらしたのですか」


「それはどうでもよろしい。あなたは、わたしの述べることをご自分の理性に照らして、納得がいけば受け入れてください。もしもわたしの言うことにあなたの常識が反発すればそれは拒否なさることです。わたしに限りません。いかなる霊媒の口から出たことでも、霊的というにはお粗末すぎると思われれば、それは受け入れる必要はありません。

わたしが地上世界での仕事を始めてから、もうずいぶんになりますが、開始当初から直面したハンディは、わたしの説く霊的原理の合理性を唯一の旗印としなければならなかったことです。

その正当性については、どなたとでも議論し証言する用意がありますが、それを何らかの権威を振りかざして押しつけることはいたしません。わたしが説くところの中身をよく吟味していただきたいというだけです。それには間違いなく霊的純粋性の太鼓判が押されていること、いかなる検証――理性による検証、叡智による検証、常識による検証のどれをとってみても、ボロの出る心配はみじんもないこと、そこには人生の霊的原理が説かれており、それを実行することによって憎しみと悲劇と不正と利己主義――要するに、今地上にはびこっている邪悪なものすべてを排除することができる、ということを申し上げております。

たとえば、わたしはジュリアス・シーザーですと申し上げたところで、それでわたしの述べていることが少しでも価値を増すかといえば、決してそういうものではありません。真理というものは、立派そうな名前を冠した人が言ったからということではなく、真実であるという事実そのものによって価値が確立されるのです」

「もう一つ質問があります。あなたは本来の世界では別の言語を使うとおっしゃいましたが……」と言いかけると、司会のハンネン・スワッファーがそれを遮って、

「言語といっても、こうした言葉ではなくて思念による言語ですよ。霊ならどこの国の人にでも理解できるのです。そうですね?」とシルバーバーチに向かって言う。するとシルバーバーチがその若い軍人に向かって、ていねいに説明する。


「今あなたはわたしに質問なさっていますが、その時あなたは、まず最初に頭の中に思念を抱きます。その思念の中身はあなた自身にはよく分かっています。つまり何を考えているかが分かっていらっしゃるわけです。ところが、それをこのわたしに伝えようとすると、何らかの表現形式、それも、わたしに理解できるものに置き換えないといけません。それを皆さんは“言語”とお呼びになっているわけです。あなたが使用する言葉は、あなたが頭に抱いた思念を相手に理解してもらえる形式で表現しようとする試みの表れなのです。

そうなると、頭に描いた思念が相手にうまく伝わるか否かは、その人の表現能力にかかってくることになりますが、しかし、たとえシェークスピアほどの才能があっても、思念は非物質的なものであり、それを物質的な言語に置き換えるのですから、そのすべてを表現できるはずがありません。しかも、それを聞く側は聞く側で、その内容を理解するためには、その言葉を通して元の思念を想像しなければなりません。

このように、人間どうしでも、とても厄介な操作が長々と行われているのです。それに加えて、言葉にならない思念でも何とか言葉に置き換えないといけませんから、そこに無理が生じ、誤解が生じます。言葉は必ずしも思っている通りのことを伝えてはいないのです」

「確かに、おっしゃる通りですね」


「ですから、もしも言葉の中継なしに思うことを伝え合うことができれば、地上世界を悩ませている問題のすべて、とまではいかなくても、その多くが解消されるはずです。言葉による誤解とか思い違いといったものが生じないからです。伝えたいことがそのまま伝わり、外交辞令とか、言葉をにごすといった余計なことをしなくなるはずです。

わたしの世界の言語は思念の言語です。つまり、心と心との直接の交信によって通じ合い、地上時代の習慣から脱け切ると、言葉は使用しなくなります。したがって言語の違いによる混乱が生じないわけです。地上でフランス人だった人がスウェーデン人と、エスキモーだった人がイタリア人と、気楽に通じ合います。地上のように、思ったことをいったん言葉というシンボルに置き換えることなく、そのままで通じ合えるのです。おわかりでしょうか」

「ええ、よくわかりました。では、つい最近霊界入りしたばかりの人と、大昔に他界した人との間はどうでしょうか。やはり簡単に通じ合えるのでしょうか」


「必ずしもそうはいきません。考慮しなければならない要素がいくつかあります。まず、人間は霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊であるという考え方から出発しなくてはなりません。物質の世界に生きている以上、どうしても生命を物質的なものとして捉えがちですが、本質的には生命は物質的なものではなく、その根本は非物質的なものです。あなたという存在は本来は物質ではないのです。肉体は物質です。が、本当のあなたは、今の条件下では触れてみることも、見ることも、聞くこともできません。“霊”なのですから……

さて、その本当のあなたの、その時その時の“質”の程度は、それまでどういう生き方をしてきたかによって決まります。その摂理は、身分上下の隔てなく、すべての人間に当てはまることであり、何人(なんぴと)といえども、それに干渉することはできません。

わたしのいう摂理とは、自然界の法則という意味です。原因と結果の法則、因果律です。自分第一の生活を送れば、その人の霊性にいじけた生活の結果が色濃く出てきます。利己的生活はいじけた霊性をつくり出すように摂理が働くからです。反対に、自分を忘れ、人を思いやる生活を送れば、霊性が発達します。そういうように摂理ができ上がっているのであり、そこに例外はありません。

つまり現在のあなたは、これまでのあなたの行為――その身体で行ったこと、心で行ったこと、つまりは生活全体の総合結果であるということです。その本来の姿は地上にいる間は見えませんが、死の敷居をまたいで肉体から切り離された瞬間から、そのありのままの姿がさらけ出されます。高すぎもせず低すぎもしません。地上生活中に自分でこしらえた個性をそっくりそのままたずさえて、こちらへ来られます。あなたにとっての本当の財産とは、地上での日常生活で発揮した霊的資質だったのです。だからこそ摂理は公平なのであり、分け隔てがないのです。いやしくも合理的思考能力をもつ者なら、文句のつけようのない判断基準が用意されているのです。

以上のことから死後のことを想像してください。あなたはそうした霊的本性に合った世界へ赴くのです。特別の使命がないかぎり、それより低い世界へは行きたいとは思いません。が、それより高い世界へは、行きたくても行けません。その時に発揮しているバイブレーションより高いものは発揮できないからです。そういう次第ですから、結局は霊的成長度と霊的能力において同等の人たちと交わることになるわけです」

「ということは、古い時代の人であっても霊的に同格であれば、同じ界層でいっしょになれるということですね?」


「そうです。そういうことになるのです。年代には関係ありません。地上の年齢には関係ありません。すべては霊的成長度によって決まるのです。その点が地上世界とこちらの世界との大きな違いです。今あなたが生活しておられる世界では、精神的にそれぞれに程度が異なる人々が同一平面上で暮らしております。が、こちらへ来ると、同じ程度の人たちといっしょに暮らすことになります。といって、たとえば大音楽家の音楽が聴けなくなるという意味ではありません。生活上で交わる相手が同格の霊性を身につけた者に限られるということです。絶対に誤ることのない霊的親和力の法則によって自然にそう収まるのです」

このあと霊界と地上界との交信についての問題点が議論されてから、シルバーバーチがこう続けた。


「地上界は永い間の物質偏重の生活によって、霊性を鈍らせてしまったのです。人類もかつては目に見えない界層との連絡活動を盛んに行っていたのです。内在する永遠の実在の資質である霊的能力について、ちゃんとした認識があったのです。古い時代の記録、たとえばキリスト教のバイブルを細かくご覧になれば――といって、わたしがバイブルにこだわっていると思われては困りますが――太古にさかのぼるほど、心霊的能力が自然に使用されていたことがわかります。残念なことに、それが他の能力と同じように、使用されなくなるにつれて退化していき、今日では、霊的波動を捉えることのできる人は、ごくごく少数となってしまいました。

今日の人間は“牢(ろう)”の中で暮らしているようなものです。その牢には小さな窓がたった五つしかついておりません。それが五感です。目に見え、耳に聞こえ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌で感じるものだけを実在と思い、それ以外の、身のまわりに起きている無数の出来事には、まったく気づいていらっしゃいません。あなたが存在するその場所、およびその周辺には、次元の異なる世界がぎっしり詰まっていて、そこでも生命活動が活発に展開しているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。あなたの感覚ではその波動が捉えられないというだけのことです。

人間が“死”と呼んでいるのは、その物的身体が活動を止めるというだけのことです。往々にしてそれが、残念なことに、魂に十分な準備ができていないうちに起きることがあります。が、いずれにせよ、死とともに、本当のあなたである霊は肉体という牢から解放され、より精妙な身体、霊的身体――幽体と呼ぶ人もいます――を通して自我を表現することになります。それまでずっと無意識のうちにその時に備えていたのです(※)。あなたがたが“死”と呼んでいる現象は、実は、それまでとは比較にならないほど大きな活動の舞台、生命活動の世界へ誘(いざな)ってくれる門出なのです。なぜなら、その時から霊的能力が本格的に機能を発揮しはじめるからです」


※――これには二つの要素が含まれている。一つは、母胎内において誕生後の大気中での生活に備えて成長が進行しているのと同じで、各自の肉体の成長とともに幽体が発達し、知的生活によって霊体が発達し、喜怒哀楽の人生体験によって本体が発達している。もう一つは、毎晩眠りにつくと同時に霊的身体が肉体から脱け出て、霊的世界での勉強や遊び、旅行などを通じて準備している。異次元の体験であるために、特殊な霊能者を除いて、ほとんどがその記憶を顕在意識で捉えることができないが、無意識ではあっても、記憶の層には着々と蓄積されている。

「死後も地上の同じ場所に留まるのでしょうか。それとも、まったく新しい別世界となるのでしょうか」


「宇宙はたった一つです。が、その中に無数の世界が存在するのです。生命はたった一つです。が、それも無数の段階があるのです。こうした霊的実在の問題を扱う際に直面するのが、言語の不便さです。大ざっぱで、ぎこちなくて、意を尽くしがたい、ただの符号(シンボル)にすぎないものを使用しなければなりませんので、わたしの本意が伝わりにくいのです。

生命は一つです。宇宙は一つです。そこには限界というものがありません。ここが宇宙の端っこですという、最先端がないのです。ですから、皆さんの視界から消え去った過去の人たちは、今もあなたと同じ宇宙の中で生き続けているのです。しかし、界層が異なります。波長の次元が異なります。次元の異なる意識の中で生活しているのです。それでいて、あなたと同じ場所にいるのです。その肉眼に見えないだけです。それはちょうど、あなた自身は気がつかなくても、あなたは今わたしの世界である霊界にいるのと同じことです。

生命のあらゆる側面が一つに融合しているのです。仕切り線というようなものはありません。その中に物的な側面と霊的な側面とが存在し、同じ場所で融合しているのです。

たとえてみれば、無線の周波のようなものです。あなたのいらっしゃる同じ位置に、周波数の異なる電波が無数に存在するのです。宇宙空間に充満しているのです。が、そのうちのどれをキャッチするかは、受信機の性能一つにかかっています。それと同じで、あなたは今の段階では物的波動に制約されています。それしかキャッチできないのです。霊視能力者というのは同じく光の波動でも物的なものとは次元の異なる、より精妙な波動をキャッチできる人のことです。霊聴能力者というのは、同じく音波でも物的なものを超えた、より繊細な波動をキャッチできる人のことです。すべてはその人の性能にかかっております。

さて、死後のことで、ぜひとも知っておいていただきたいのは、肉体を捨ててこちらの世界――生命の別の側面、いわゆる霊の世界へ来てみると、初めのうちは戸惑いを感じます。思いも寄らないことばかりだからです。そこで、しばらくは地上世界のことに心が引き戻されます。愛情も、意識も、記憶も、連想も、すべてが地上生活とつながっているからです。そこで、懐かしい場所をうろつきますが、何に触っても感触がなく、誰に話しかけても――我が家でも会社でも事務所でも――みんな知らん顔をしているので、一体どうなったのだろうと困惑します。自分が“死んだ”ことに気づかないからです。しかし、いつまでもその状態が続くわけではありません。やがて霊的感覚が芽生えるにつれて、実在への自覚が目覚めてまいります」

この米国軍人には最近他界したばかりの兄弟がいる。その話を持ち出して――

「何度か私は、彼も今いっしょだったらなあとか、この場面をあいつにも見せたいなあ、などと思うことがあります」


「ちゃんと見えてますよ、いつも」

「でも私には、彼が今いっしょにいるということを知る手だてがありません」


「おっしゃる通り、残念ながら、ありませんね。あなたが霊的能力を発達させて、彼の姿を見たり交信したりすることができるようになるしか、方法はありません。彼の方はあなたにない能力が加わっていますから、あなたのことは何もかもわかっています。が、あなたにはまだその能力が発達していませんから、彼のことを知ることができないわけです」

「今のお言葉ですと、私にもその能力が備わっているみたいですが……」


「もちろん備わってますとも。人間のすべてに備わっているのです。わたしは、この事実を知るだけでも革命的といえるのではないかと考えています。世界の著名な宗教家はみなその事実を説いております。偉大な宗教家の教えの根本には、必ずその事実があります。自分自身がそのお蔭でインスピレーションを受けていたからです。みな同じ霊的始原に発しているのです。どの宗教家も基本的にはまったく同じ霊的真理を説いたのです。すなわち、人間は霊的天命を背負った霊的存在であること、死後の、より大きな生命の舞台に備えるために今この地上に来ていること、そして、多くの人から受けた愛と、自らこしらえた性格と、自ら開拓した霊的資質とをたずさえて、この世を後にするということです。

それがあらゆる宗教の中心的な教えではないでしょうか。そして、その基本的な教えがすべての宗教から、一つの例外もなく、忘れ去られているのが事実ではないでしょうか。厖大な量の教義と神学と教条主義――要するに宗教とは何の関係もない、そして宗教として何の価値もない、人間の勝手な説に置き換えられているのです」

では一体どういう心がけで生きるべきかについて、シルバーバーチはこう説いた。


「あなたはまだ、このわたしをよくご存知ではありませんが、すでによくご存知の方に再三申し上げてきたことを、あなたにも申し上げます。自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。世間がどう言おうと構うことはありません。まわりの人が何と言おうと気にすることはありません。自分で正しいと思うこと――この方が得だとか都合がよいとかではなく、心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです。

いたって単純なことなのです。ところが地上という世界は、その単純なことでは気が済まないところのようです。複雑なもの、込み入ったことがお好きのようです。そろそろ平凡に思えてくると、真実とはもっと難しいものなのではないかと思いはじめます。そこでわたしは、あくまでも良心の声に従いなさいと申し上げるのです。良心とは内部に設置されている、神の監視装置――当人にとっての善と悪とを選り分け、進むべき道を決断するための手段です。

問題はそのあとです。かくあるべきとの良心からの指示を得たら、その方向にいかなる困難が予想されようと、臆することなく、迷うことなく、その指示に従わないといけません。最後はきっとそれで良かったということになるのです。単純なのです。これ以上わかりやすい話はありません。

あなたには、宿命的に、有利な条件と不利な条件とがあります。しかし、同時に、あなたならではの才能をお持ちです。それを他人のために役立てなさい――わたしからはそう申し上げるしかありません。今生きておられる世の中は、涙と苦しみと悲しみと惨めさに満ち満ちております。そうした中にあって、あなたより幸せの少ない人たちのために役立つことをなさることです。

見回してごらんなさい。慰めを求めている人、導きを求めている人、光を求めている人たちが無数にいます。そういう人たちのためにあなたが何かの役に立つかも知れません。自分ではどうしようもない、不幸な境遇の犠牲になっている人が多すぎます。その日の食べものにも事欠く人が多すぎます。ほこりと不潔と病気の中で暮らしている人が多すぎます。思うにまかせない不自由な身体で生きざるをえない人が多すぎます。

もしかしたら、その中にあなたにも手助けしてあげられる人がいるかも知れません。そういう人たちの身になってあげることが大切なのです。そして、あなたなりの手助けをしてあげる――そこにあなたの試金石があります。

いいですか、ほかのことは信じていただかなくても結構ですから、次のことだけは信じてください。あなたが生涯でたった一人の魂に光明を見出させてあげることができたら、たった一人の人間の飢えを満たし、のどの渇きをうるおしてあげることができたら、たった一人の人間の肩の荷を軽くしてあげ、前途に横たわる石ころを取り除いてあげることができたら、それは地上の全財宝にも勝る貴重な行為をしたことになるのです。

そのためにも、これからあなたは霊的実在について少しでも多くの知識を身につける努力をなさらないといけません。残念ながら生涯を暗闇の中で過ごす人が多すぎます。わたしたちはその暗闇にささやかな霊的真理の明かりを灯してさしあげようと努力しているところです。それは無用の闇だからです。地上にも真の天国となる可能性があるのです。それが実現するか否かは、真理を手にした人が生活の中で実行するか否かにかかっております。

わたしからは、ともかくも人のためになることを心がけなさい、と申し上げます。わたしにとっては、それが唯一の宗教だからです。讃美歌も、聖書も、教会も、礼拝堂もいりません。その種のものは、世の中をより良くしようという気持ちを起こさせないかぎり、何の意味もありません。真の宗教とは、いつどこにいても、同胞のために自分を役立てることです。

このわたしが誰であるかは、どうでもよろしい。それは関係ありません。もしかしたら地上で大変な人物だったかも知れませんし、つまらぬ人間だったかも知れません。が、身分や姓名は何の意味もありません。わたしの述べた真理があなたにとってお役に立てば、それで満足なのです。わたしの存在価値が発揮されたことになるからです。

さて、わたしとの対話がお役に立ったかどうかは別として、最後に一つだけ申し上げさせていただきましょう。それは、いついかなる時も、あなたの身のまわりには見えざる存在がいてあなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。一人ぼっちでいることは決してありません。見捨てられることは絶対にありません。いついかなる時も愛のマントに包まれております。その愛の力は霊の力です。全生命の始原です。太陽を、月を、星を、海を、山を、全生命を、全宇宙を創造した力なのです」

祈り

この果てしなき創造機構の中にあって……


ああ、真白き大霊よ。全生命の背後の崇高なる摂理にあらせられ、森羅万象を創造したまい、全大宇宙のあらゆる営み、あらゆる活動を制約し規制するための、永遠不変の法則を稼動なされた方として、わたしたちは、あなたという絶対的存在に思いを馳せるのでございます。

あなたの心は、ほかならぬその摂理を案出せる心であり、あなたの愛は、ほかならぬその摂理を維持している愛でございます。すべてはあなたに始まり、存在するものはすべてその淵源をあなたに発しております。すべての存在にあなたの霊が浸透し、したがって何一つ忘れ去られることがなく、何一つ等閑(なおざり)にされることがないのでございます。

あなたの崇高なる御業(みわざ)は、大自然の無数の美の広大なパノラマの中に見ることができます。移りゆく四季おりおりの壮観と美の中に、あなたの崇高なる御業を見出すことができます。絶え間なく、休むことなく機能している進化の法則の中にも、あなたの神性が反映しております。

しかし、あなたの神性の最大の顕現は、ほかならぬ人間の霊性の中に見出すことができます。その最高の表現が、人のために己を犠牲にする行為でございます。

あなたは、子等を永劫(ごう)の絆によってあなたご自身と結びつけておられます。その絆は、切ろうにも切れるものではございません。人生のいかなる出来事、たとえ“死”といえども、子等をあなたから、あるいは子等からあなたを切り離すことはできません。生得の資質ゆえに、すべての叡智、すべての愛、すべてのインスピレーション、すべての知識の泉であるあなたと、常に結びついているのでございます。

わたしどもの仕事は、この果てしなき創造機構の中にあって、地上の子等がその存在意義をより多く発揮し、あなたの道具として、あなたの御心を広め、あなたの真理を普及させる上で役立つ力を身につけるように指導することでございます。

その備えができてはじめて、弱き者に援助の手を差しのべ、苦しむ者の心の支えとなり、挫けた者を救い、道を見失った者に指示を与え、飢えに苦しむ者に食べものを、住む家もない者に宿りを提供し、無知の支配するところに知識をもたらし、闇に包まれたところに光をもたらしてあげることができるのでございます。あなたを知らぬ無数の子等があなたの存在に気づき、豊かな理解力をさずかる生き方を見出す、そのカギを手にさせてあげることができるのでございます。

物質の世界と霊の世界との間に横たわる障害を取り払い、あなたの道具を通して豊かなインスピレーションが絶え間なく地上へ届けられ、あなたの愛がふんだんに流入して、それを必要とする者に行きわたり、喪(も)の悲しみの中にある人の涙を霊的摂理の知識によって拭ってあげる――それがわたしどもの仕事でございます。

ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


Monday, August 17, 2026

シルバーバーチの新たなる啓示

スピチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味

Lift Up Your Hearts
Compiled by Tony Ortzen 近藤千雄訳



六章 霊能養成会と青年心霊グループの代表を迎えて


 霊能養成会のメンバーを中心として開かれた交霊会で、シルバーバーチは矢つぎ早の質問を受けた。


───地上では肌色による人種差別が問題となっていますが、霊界でもあるのでしょうか。

 「霊の世界が何もかも明るく美しいとものばかりと思うのは間違いです。なぜなら、そちらの世界から送り込まれてくる者によって構成されているからです。

 もしそちらから送り込まれてくる者が聖人君子ばかりであれば、死後の世界は今すぐにも天国となるでしょう。ところが残念ながら、現実はおよそそれとはかけ離れております。私たちが迎え入れる者の中には、性格のいびつな者、無教養の者───霊的なことに無知な者───がいます。そういうものを学ぶ環境に置かれていなかった人たちです。

 また、利己的なことにばかり奔走して、霊的な側面がまったく眠ったままの状態でやってくる者もいます。ですから、霊の世界を美と光と素敵さばかりであるかに想像するのは間違いです。

  霊の道具となるための訓練をなさっているあなた方の役目、つまり霊能者となるための仕事は、人々に地上生活の本来の生き方を教えることによって、少しずつでも霊の世界の暗い部分を無くしていくことなのです。

そうすれば、どちらの世界も明るくなります。地上天国を願うのであれば、そうするよりほかに道はありません」




  
 容易でない霊能者への道

───霊的悟りへの道はなぜこんなに酷しいのでしょうか。

 「霊的な褒賞が大した苦労もなく簡単に手に入るものだとすれば、それはあえて手に入れるほどの価値はないでしょう。霊性を磨く道は容易ではありません。困難の連続です。奥深く踏み入るほど、平坦な人生にはない体験ばかりとなり、孤独を味わうようになります。
 
 しかしその一方で、内面的にはそれに似合っただけの埋め合わせ───霊性の成長、悟り、背後霊との結束の強化、インスピレーションの増幅、直観的な価値判断力の向上、といったものが身につきます。霊的な成長の成就というのは、そうしたものを身につけることを言うのです」


───誠実さ、一途さ、献身性をそなえた優秀な霊媒が育った時の、そちら側の反応はどのようなものでしょうか。

 「潜在的な霊能者を探し出し、それを指導して〝使いものになる霊媒〟、つまりこちらから伝達する知識や叡知を純粋な形で受け止めてくれる段階にまで持っていくには、大変な時を要します。そして、その段階に来てから、今度は、内的な成長を成就する段階が始まるのです。

 そういう献身的な霊媒、つまりこちらからの指導を素直に受け入れてくれる有能な人材を確保した時の喜びは、ひとしおです。その霊媒を通してさらに大きな霊力を地上へ送り込み、それだけ多くの成果が成就されるからです。

 地上というところは今もって混とんとして、悲劇と暗黒と無意味な苦悶にあふれ、間違った生き方、間違った考えが生み出す病いに苦しめられております。

そうしたものを一掃して地上なりの威厳と光輝にあふれた生活を創り出す資質を内部に秘めているにもかかわらず、現実がそのような状態であることが哀れに思えてなりません。なぜ人間は暗黒の方を好むのでしょうか。

 が、そこにあなた方の活躍の場があるのです。死別の悲しみに暮れている人には死後の存続の事実を教え、病気に苦しむ人には癒やしを与え、生きる目的を見失っている人には本当の〝人の道〟を教えてあげるのです」



    
 指導霊による大審議会

───White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という指導霊ばかりの組織があるそうですが・・・・・・

 「地上の同志を通して最大限の霊力を注ぎ、霊的知識を広めることを使命として働いている高級霊の組織です。きわめて高度に組織された集団です。

私たちはこうして地上で行なった仕事の成果を報告するために、ある特定の時期(地上のイースターとクリスマスに当たる)に地上圏から離れ、私たちの本来の住処である界層に帰ります。

 そこで全員が一堂に会し、さらに高い界層から私たちを指揮しておられる方々から計画の進捗ぐあい、つまりどこが成功しどこがうまくいっていないかを指摘していただき、総合的な地球浄化の計画の今後の進展のための指示を仰ぎます」


訳者付記─── White(ホワイト) Brotherhood(ブラザーフッド) という用語は交霊会では何度か出ていたのであるが、霊言集に出たのはこれが最初である。シルバーバーチのいう〝大霊〟はもともと Great White Spirit といい、直訳すれば〝大いなる白色の霊〟となる。

それをシルバーバーチも大てい White を略してGreat Spirit と言っている。この〝白色〟というのはシルバーバーチのいう Shining Ones (光り輝く存在)のShining、すなわち光り輝いている様子をそう表現したもので、すでに形体を失い、ただ白く輝いている存在で、ここに紹介したイラストで言えば、神界に属する。



  コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の界層のイラスト
(Ivan Cooke ; The Return of Arthur Conan Doyle より ) 本誌℘177

 実はシルバーバーチも本来は神界の存在でありながら、この地球浄化の大事業のために、あえてバイブレーションを下げ、このイラストでいえば霊界の上層まで降りてきて、そこから例のインディアンを中継して放送している。

 そういう指導の霊団は地球全体に組織されていて、それをホワイト・ブラザーフッドと呼んでいるのである。どうやらその最高責任者がシルバーバーチらしいのであるが、徹底して謙虚な態度を取り続けるシルバーバーチは、そのことを明からさまには言わない。

 なお、前の一節のあと、「シルバーバーチが祈りの言葉を述べた」とあるが、それは省略されている。たぶんいつもの通りだからであろう。私の推察ではその時の会場は厳粛な雰囲気にあふれ、シルバーバーチも自然に祈りの言葉が出たのであろう。

それが終わってから、たぶん自分が地上の人間とは格が違うという印象を与えないようにという配慮からであろう、養成会メンバーに向かって次のように述べている。このあたりがいかにもシルバーバーチらしいと言えよう。


    
 霊能者の責務

「かく申す私も、あなた方と同じく一個の人間的存在に過ぎません。叡智のすべて、真理のすべてを知り尽くしたわけではありません。地上でいう時間の概念でいえば、私は皆さん方のどなたよりも長い期間を生活してまいりました。その結果として皆さんよりは多くの知識を蓄えております。

 それを、受け入れる用意のできた人に分けてあげるべく、これまでの道を後戻りして地上圏へ降りてくれないかとの要請を受けたのです。もしも私の述べることが皆さんのお役に立てば、それだけでこうして私が戻ってきた価値があったことになります。

 今夜ご出席の皆さんが霊能力の開発につとめておられるグループであることは承知しております。霊に宿された資質であり、それを開発することによって、あなた方のもとを訪れる人々のために役立てることができます。

 霊力はもはや確実に地上に根づいております。かつてのように、無きものにすることは出来ません。いかなる人間も、またいかなる権威をもってしても、今や確実に根づき、そして着実に広がりつつある霊力を地上から追い払うことはできません。

 地上界をそういう世界にすることが、霊界の高い界層の進化せる存在によって目論まれた計画の一環なのです。目的はただ一つ、地上人類に本当の自我に目覚めさせること、つまり、

本来は霊的存在であり、それが今は物的身体を通して表現しているに過ぎないこと、そして、内部には神性を帯びた無限の可能性が秘められていて、それを少しでも多く発揮することが地上生活の目的であることを教えてあげることです。

 霊力は生命そのものです。あなた方のいう〝神〟の分霊です。生命とは霊であり、霊とは生命なのです。霊はいかなる形態を通してでも生命を表現しています。大霊から出たものが私たち霊界の存在を通して地上圏まで届けられ、地上のチャンネルないしはミーディアム(霊媒)を通して地上に注入されております。それが物的身体の奥に宿る霊性に活力を賦与し、潜在する霊的資質を発現させることになるのです。

 なぜ今の時代にそれが必要かといえば、それは唯物主義がもたらした混乱、黄金の子牛の像の崇拝、すなわちお金第一主義がはびこり過ぎたからです。

 唯物主義はその本質自体が貪欲、強欲、自分第一主義に根ざしています。同じ天体上に住んでいながら、自分以外の者への思いやりも気遣いも考えず、ひたすら自分の快楽と蓄財に励みます。敵対関係、戦争、怨恨───こうしたものを産み出すのは唯物主義です。

物質がすべてである、死はすべての終わりである。だったら自分の思うままに生きて何が悪い、という論法です。

 こうした自己中心の考えが地上界に暗黒と困難、闘争と暴力と憎み合いを生み出すのです。人間は霊的存在としての宿命を背負っているのですから、その宿命を成就するための生き方をするには、そうしたものを無くさないといけません。

 残念ながら、慣習となっている伝統的な宗教も哲学も教育も、今では頼りにされなくなっています。とくに若い世代はそっぽを向いています。愛する人を失った時と同じように、悩みや苦しみを持つ人は教会や寺院やシナゴーグ(ユダヤ教の教会堂)を訪れますが、もはやそこには真の救いを与えてくれる人はいません。

  病いを得た者が病院へ行っても、必ずしも治してもらえるとはかぎりません。哲学者も納得のいく答えを与えてくれません。

あれほどの鋭い頭脳を持った人が・・・・・・と思えるほどの学者でも、心霊現象を研究してその真実性を認めた先輩の科学者たちの業績を見て、ただあきれ返るばかりで、理解できずにいます。その気になれば今でも同じ実験ができるのですが・・・・・・

 あなた方は、そうした現象を起こす霊力と同じものを顕現させて、他の何ものによっても出来ない形で人のために力になってあげることができます。

死別の悲しみに暮れる人を慰め、病いの人を癒やし、人生に疲れた人に生きる元気を与え、迷える人を導き、全生命の基盤である永遠の霊的実在を証明してみせることができます。

 霊というものは実体のないもののように想像されがちですが、あなた方は霊こそ実在であることを証明してみせることができます。死後の生命の実在、不治の病いの治癒、その他諸々の霊媒現象によって立証できます。

それは人間本来の生き方の基盤を提供することでもあります。そういうものを必要とする人は、あなた方から呼び掛けなくても、向こうから訪れるようになります。

 訪れた人に何らかの力になってあげることができたら、そういうチャンスを与えて下さったことを大霊に感謝することです。もしも力になってあげることができなかったら、あるいはもしその人がまだ霊的に目覚める用意ができていなかったら、自分自身でなく、その人の為に、密かに涙を流してあげなさい。

あなた方としては、何時でも手を差し伸べられる用意をしておくことが大切です。あなた方自身も、そういう人がいてくれたからこそ霊的真理に目覚めることができたのですから。

 神は、御機嫌がいいと褒美を与え、腹を立てるとバチを与えるというようなものではありません。原因と結果の連鎖が、摂理に則って自動的に、あるいは機械的に、途切れることなく続くのです。何事にも自分が責任を負うのです。

 良い行ない、つまり人のためになることをすれば、自動的に霊性の向上という結果が生じます。反対に、人間の煩悩から過ちを犯した場合、言いかえると物的欲望に拘りすぎて堕落した生活に陥った時は、自動的に霊性が低下します。

 人のために役立つことをしただけ、それだけあなた方も他人から、ここぞという時に手を差しのべてもらえるのです。

そうした生活を続けていると、内なる輝き、内なる落着き、内なる平安というものが具わってきていることに気づきます。それは、霊の世界の援助者との繋がりがより緊密になってきていることの証拠です」




  
 青年心霊グループの代表との対話

 その日は青年心霊グループ Psychic Youth Group の代表四人が出席していて、質問の順番が回ってきた。最初に出された質問は複雑だった。

───われわれ青年グループと同じように、今多くの若者が真実を求めております。われわれの子供が育つ環境をより良いものにしたいと願っております。そんな時になぜ人間どうしが殺し合い、傷つけ合うのでしょうか。なぜ人種どうし、あるいは宗教どうしで憎み合うのでしょうか。

なぜこうまで愛が乏しいのでしょうか。われわれは平和が欲しいのですが、いつ、どういう形で平和になるのでしょうか。われわれの先輩───われわれよりも人生の知恵を身につけているはずの世代が成就し得なかったことを、果たしてわれわれに為し得るでしょうか。われわれにあるのは若さと力とやる気です。

そして無知と愚かさ、強欲と憎しみをなくすための闘争に参加したいのです。何かアドバイスをいただければ有り難いのですが・・・・・・


 「これはまた、大変な質問をして下さいましたね」と言ってから、改まった口調でこう続けた。
「あなたのおっしゃる〝無知〟と〝愚かさ〟は別に今に始まったものではありません。したがって、それを一晩のうちになくする魔法のような手段はありません。大自然の働きの基調は革命(レボリューション)ではなく、進化(イボリューション)です。進化の過程はゆっくりと、そして着実に進行します。

物的なものの生長も、無理強いすると取り返しのつかないことになります。霊的なものも同じです。一気呵成に事を成就させようとすると誤ります。

 悲観的な気持ちからそう申すのではありません。霊的実在に少しでも目覚めた者は希望に溢れた物の見方をすべきであると、私は常々説いております。

無知から、あるいは愚かさから、人間がいかに無謀なことをしても、それにもおのずと限界というものがあります。大自然には法則というものがあり、そればかりは人間にはどうしようもないからです。

 といって、今すぐ提案できる万能薬は、私たちも持ち合わせません。申し上げられることは、霊的知識が広がり、その結果として無知が少なくなるにつれて、人間同士の対立が減り、戦争が減り、強欲が減り、光明の地域が増えていくということだけです。

私たちが人間に代わって地上環境を改めるわけにはいきません。受け入れる用意のある人間に霊的真理を教え、その人に生き方を正してもらうことしかできません。

 人間にも、ある一定限度内でのことですが、選択の自由が与えられています。大霊の創造活動の一端を担って進化に貢献することもできますし、それを阻止したり、遅らせたり、邪魔立てすることもできます。それもアンチテーゼ(対立要素)としての貢献なのです。

 大霊は人間を、操り人形やロボットとしてこしらえたのではありません。大霊の属性のすべて、いわゆる神性を潜在的に所有しているのです。ですから、自らの判断力を行使して選択すべきなのです。戦争という手段を選ぶことも許されます。が、

戦争では問題は解決されないどころか、さらに問題を生み出すこと、強欲や自己中心の考えは、その内部に自分自身の破滅のタネを宿していることを知るべきです。

 ナザレ人イエスも〝剣を取るものは剣にて滅ぶ〟と言っております。それくらいのことは人間もいい加減に悟ってほしいものです。あなた方としては、一人ひとりが、出来うる範囲内で霊的知識を広めることを心がければよろしい。

自分自身が光明を見出したように、今度は誰か自分以外の人たった一人に光明を見出させてあげることができたら、それだけでこの度の地上生活は有意義だったことになるのです。以上が私から申し上げられるお答えです」


 別のメンバーが代表して「正直言って現在のスピリチュアリズム運動は次元が低く・・・・・・」と言いかけたところ、シルバーバーチが───


 「ちょっとお待ちください。私はその〝スピリチュアリズム運動〟とやらには関心はありません。私たち霊団としては霊的能力のある人、あるいは、それを発達させる段階に来ている人を援助することを仕事としており、その人がどこかの団体組織に属しているか否かは問いません。

 組織というものはそれなりの目標を持って活動しており、それはそれで結構です。が、私たちは、いついかなる場においても人の役に立つことをする人を援助することをもって、第一の責務と心得ております。

 名称はどうでもよろしい。スピリチュアリスト、セオソフィスト(神智学会員)、ローゼクルーシャン(バラ十字会員)、こうしたものはただのラベルにすぎません。肝心なことは、各自がその能力に応じて精一杯、真理の普及に努力することです。

霊媒能力を私たちが重要視するのは、その能力を通して地上界で真理普及のために最大の貢献ができるからです。途方もなく大きな責任を担ったものであり、その能力を授かった者には聖なる信託がなされているのです」


     
  麻薬の問題

───麻薬中毒がとくに若い世代に急速に蔓延しておりますが、何が原因でしょうか。私たちに出来る救済手段があるのでしょうか。
  
 「あります。ヒーリング、つまり霊的治癒エネルギーを使用することです。実はこのエネルギーは、危険な薬物の中毒になっている人でまだ救済の可能性のある人に、常時注がれているのです。治癒エネルギーも大霊を始源として発せられている霊力、または生命力そのものであることを銘記して下さい。

 霊力は活力であり、動力であり、全生命活動の推進力です。霊なくしては生命は存在しません。あなた方が動き回り、呼吸し、思考を働かせるのも、霊であればこそなのです。

その霊力が、麻薬によって身体と精神と霊の調和を乱され活力を弱められている人に、治癒エネルギーとして作用するのです。麻薬がその三者の調和を乱し、自然な生命力の流れを阻害しているのです。

 霊的治療を施す能力が備わっている人とは、その治癒エネルギーのチャンネルとしての役割が果たせる人のことです。

その人を通路として、ちょうどバッテリーの切れた電池に充電するように、活力の衰えた人に生命力が注がれ、病気の原因となっている障害を取り除いてしまいます。薬害を取り除くためにさらに別の薬を使用するというのでは、本当の治療にはなりません。

 麻薬がこうまで蔓延する原因は簡単です。彼らは希望を失っているのです。挫折感に襲われ、悲観的になっています。実在というものに触れたことがなく、といって唯物的な生き方にも共鳴できず、生きる道を見失っているのです。

そこで麻薬に手を出すのですが、それで解決になるわけがありません。さきにも申し上げた通り、大自然の基調はイボリューションであり、レボリューションではないのです」


───有色人種と白人との間の溝を無くす最善の方法は何でしょうか。

「手本を示すよりほかに方法はありません。あなた方の生きざまによって、魂にはイエローもレッドもブラックもないこと、肌の色は魂の本性とは何の関係もないことを示せば、偏見によって謂われない妨害や禁止、排斥にあっている人々の注視を引くようになります。

 大霊は人類の肌色を色とりどりに分け、全体として調和が取れるように配慮しておられます。白い肌は霊の優位の証明ではありません。有色の肌は霊が劣等であることの証明ではありません。霊の優劣は内部の神性がどれだけ発現しているかによって決まります」

 

         
 臓器移植の問題

───心臓移植は霊的観点からみてどうなのでしょうか。

 「何ごとも動機が大切です、もちろん地上的生命を永らえさせること(救命)を目的としているケースもあることは認めますが、一つの実験が別の実験への勇気を生み、それがいつしか〝救命〟という目的から外れていきます。

 それに関連してもう一つ言わせていただきたいことは、動物を使って行なう残酷な実験には、霊的観点からみて何一つ価値は見出せません。残酷性の中から人間の健康のカギは見出せません。人間のエゴから行なう実験で大自然の秘密は解明されません。

 私は臓器の移植には賛成できません。実は、輸血にも賛成できないのです。あくまで私個人としての意見ですが、肉体的生命の維持(死なないようにすること)が第一の目的であらねばならないとは考えません。

 私の考えでは、人間としての正しい生き方───霊的に、精神的に、そして物質的にどういう生き方が好ましいかを教えることこそ、第一の目的であるべきです。

心の持ち方が自然の摂理に適っていれば、おのずと品行も方正となり、身体も健康となるはずです。それを臓器を取り替えることで解決しようとしても無駄です。最良の解決法は自然の摂理にかなった生き方に戻ることです。

 そしてもう一つ指摘しておきたいことは、人間は同胞への思いやりと同時に、この地球という天体上に生息している動物への思いやりも持たねばならないということです。大霊は動物を人間の物的生命を引き延ばすための実験材料として地上に送っているのではありません」


───ということは、心臓移植は結局は成功しないと明言してよいでしょうか。

 「上手くいくケースもあるでしょうけど、私が申し上げているのは、移植手術という手段は霊的観点からみて方向を間違えているということです。

人間の幸福の一環としての健康に人生を捧げている人たちのすることではないということです。臓器移植で健康を回復できません。本来健康とは調和状態のことです。臓器移植は一時的には身体に継ぎはぎ細工をするようなものです」


───人体は他人の臓器を拒否するように出来あがっているのでしょうか。

「最も大切で、しかも極めて単純な真実を知っておかないといけません。あなた方人間は、肉体と精神と霊とが最初から一体となって生まれて来ているということです。三者は分離できないのです。他と置き替えることもできません。全体として一個の存在を形成しているのです。

健康であるためにはその三者が一体性・調和・リズム・協調性を保たないといけません。ですから、健康を回復させるのは薬ではありません。医術でもありません。これらは一時しのぎの気安めにすぎません」


───一時しのぎと知りつつも臓器移植を望む背景には、死への恐怖があるのではないでしょうか。

「地上人類の無知がそうした恐怖心を生むのです。死というものを、できることなら逃れたい恐ろしい化け物のように考えています。死ぬのが怖いのです。

 が、死は自然の摂理の一つの過程に過ぎません。不老長寿は地上生活の目的ではありません。地上界はトレーニングの場です。いずれは行くことになっている次の段階の生活にそなえて勉強する学校です」



      
 神と人間

───神とは何なのでしょう?

「神、私のいう大霊の全体像は、言語によっても絵画によっても描写することはできません。言語も絵画も限りあるものだからです。小さいものが大きいものを包含することはできません。が、大自然の営みをよく観察すれば、ある程度の理解は得られるでしょう。

 大自然が法則によっていかに精密に制御されているかを、よくご覧になることです。顕現の仕方はまさに千変万化でありながら、その一つ一つにきちんとした配慮が行きわたっております。

極微のものであろうと壮大なものであろうと、生命あるもの、動くもの、呼吸するもの、存在するもの全てが、自然法則によって制御されているのです。

 法則の支配の行きとどかないものは何一つありません。四季は一つずつ巡り、地球は地軸に逆らうことなく回転を繰り返し、潮は干満を止めることがありません。タネを蒔くと、そのタネの中に宿された種が芽を出します。別の種が出てくることはありません。

 法則の支配は絶対です。どんな新しい発見が為されようと、またそれがどこでなされようと、同じ法則の支配を受けます。何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見逃されることもありません。

何一つおろそかにされることもありません。そうした働きの背後にある力は何なのでしょうか。それが無限なる存在、すなわち大霊なのです。

 人間を途方もなく大きく拡大したものを想像してはいけません。旧約聖書のエホバ神のようなものではありません。復讐心に燃え、不機嫌になって疫病を蔓延させるようなことをする、気まぐれで怒りっぽい神さまではありません。

 歴史と進化の過程をみれば、地上界がゆっくりとした速度ではあっても、常に前へ、そして上へと進んでおり、その背後で働いている力が(人間的な善悪の観念でいえば)善を志向する存在であることを示しています。


 これをさらに発展させていけば、すべてを支配し、すべてを管理し、すべてを指揮し、しかもすべての内部に存在する、無限の愛と叡智をそなえたあるもののイメージが浮かんできます。それを私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるのです」


───それに関連してよく出されるものに〝神への回帰〟の問題があります。神へ回帰した時にわれわれの個的存在がなくなるのではと考える人がいます。

 「進化の究極の目的はニルバーナ(涅槃・寂滅)に入ることではありません。霊的進化は限りなく個性を増幅していくことです。個性が消えていくのではなく、増していくのです。潜在する無限の資質を発達させ、ますます多くの知識を吸収し、個性がますます強化されてまいります。

 大霊は無限の存在です。ということは、進化は無限に続くということになります。完全性が成就されることはありません。どこまでいっても完全へ向けての努力の連続です。その結果がより大きな自我を見出すことにもなるのです」


───進化はどこまでいっても〝中途〟段階であるとして、ある一定の段階に到達することがどういうことなのか、表現できるものでしょうか。

 「それはできません。到達する界層ないし境地は言語を超えたものだからです。意識と自覚の程度の反映です。そこまで到達した者にしか理解できない性質のものです」


───究極のことをこう表現してもよいでしょうか。つまり、最後は大いなる意識(神)の海に埋没してしまうのではなく、その海の深さが個性の中に吸収されていく、ということです。

 「いいですね、なかなかいい表現だと思います」


───洞察力とは何でしょうか。

 「その人ないし霊が受けるインスピレーションです」


───物的な富や財産は霊的成長にとって必ず障害となるのでしょうか。

 「いえ、必ずというわけではありません。しかし、難しくすることは間違いはありません」


───叡知を身につけるためには経済的に貧しくないといけないのでしょうか。

 「そんなことはありません。霊的な叡知を物的な貧しさとを天秤にかける必要はありません。ただ、物的な富を所有し、さらにそれを増やそうとする欲望は、残念ながら霊的成長の障害になる傾向があることは確かです。

それよりも、地上の人間として正しい生活を心掛けていれば、必要なものは必ず与えられるものなのです。まず神の国を求めれば他のものは全て添えて与えてくださるというイエスの言葉は、その通りです。どちらを優先するかの問題です」



    
 自由意志と宿命

───人間には完全な自由はないのでしょうか。

「ありません」


───地上生活で宿命というものがどの程度の役割を演じているのでしょうか。

 「とても重要な役割を演じています」


───どういう役割か、ご説明願えますか。

 「摂理によって規制されたさまざまな力の働きの一部です」


───仮に私が〝そういう仕事をすることになったのは、あなた宿命です〟と言われた場合の宿命とは、どういう意味でしょうか。

 「あなた自身がその仕事を選んだということも有り得ます」


───外部の力によって予定通りにそうなったということでしょうか、それとも私自身の意志で選択したということでしょうか。

 「どちらのケースも考えられます。つまり外部からの力があなたの選択を促すということです。自由意志も行使できますが、宿命的な力も働くということです」




    
 類魂と再生説
 
───生まれ変わり(再生)を認めておられますが、なぜ、そして何の目的のためにでしょうか。

 「地上生活が存在のすべてであるという考えで満足しておられる方は、どうぞ、そう思っておられて結構です。が、今その身体に宿っている霊は以前にも別の身体に宿って別の側面を見せていたということが考えられるのです。

 つまり、あなたは大きなダイヤモンドの一側面で、一つ一つの側面が別々の時代に地上に誕生して、その体験をおのおのが持ち帰ってダイヤモンド全体の進化に貢献しているということです」


───そのダイヤモンドの一側面は類魂(グループソウル)の一つということだと思うのですが、私なら私が他の幾つかの魂のための体験を持ち帰るというのは、生命の永遠性を考えると論理的でないように思えるのですが・・・・・・

 「全宇宙にわたって作用と反作用が起きております。どんなに遠く離れた土地の人でもあなたに影響を及ぼして、全体としての知識の増加に貢献しているのです。身体的にも精神的にも霊的にも、絶対に孤立した存在は有りません。

 グループといい、ダイヤモンドといい、言語では表現できないものを、強いてそういう用語で表現しているだけです。

 一体〝あなた〟とは何なのでしょう? 〝あなた〟という個的存在はいつから始まったのでしょう? 受胎した時からでしょうか。

 ナザレのイエスは〝アブラハムの前にも私はいました〟と述べていますが、これはどういう意味だと思われますか。霊としては自分は常に存在していたということで、あなたも私もそうなのです。その永遠の時の中で、幾つかの側面が幾つかの時代に地上に顔を出すということは有り得ることです」


 ホームサークルの若いメンバー ───私は常づね〝グループソウル〟(集団を構成している魂)よりも〝ソウルグループ〟(魂の集団)と呼んだ方が分かりやすいのではないかと思っているのですが・・・・・・


 この意見に、シルバーバーチは直接答えずに、普遍的な問題を改めて述べた。

 「あなたの霊性進化の道が開けるに従って内的な真理の悟りが深まります。私にはその場しのぎの安直な答えを述べるわけにはまいりません。私自身が体験した結果として学んだことしか述べられません。

 私の申し上げることが受け入れられない方たちと議論する気はありません。ご自分の理性が反発するものは拒否なさいと申し上げております。もしもこうした私の気持ちに同調して下さり、そして出来うることなら私への愛がいただければ、それは皆さんの理性が私の申し上げることを真実と認めて下さったことの証しに違いありません。

 反対に、皆さんの理性によって私への愛着心まで消えてしまった時は、私たち霊団の努力が失敗に終わったことを意味します。

ですから、私はあくまでも確信の持てる知識を基盤として、皆さんの問いに正直に答える必要があるわけです、そうした厳しい査定をパスすることによって、さらに高いものを求めて、一歩一歩、霊性進化の道を歩もうではありませんか。

 これからも皆さんには楽しいことがたくさん待ちうけております。が、難問にも遭遇するでしょうし、困難も常に付きまといます。完全な世界の完全な存在ではないからです。あなたも不完全ですし、世の中も不完全です。が、自由意志をお持ちです。世の中の不公正とあなた方自身の欠点を正していく機会にも恵まれます。それが皆さんの仕事です。

 いかなる知識を得ても、それをどう使用するかについて新たな責任が加わります。あなた方への信託が増したということです。その信託を裏切ってはいけません。皆さんの生きざまによって、これまでに得た知識にふさわしい人間であるだけでなく、これから与えられる新たな知識にもふさわしい人物であることを示さないといけません。

 あなたは比較的お若い年齢でこうした霊的知識と出会う機会とめぐり合ったことを喜ばないといけません。多くの人が鬼火を追いかけ、幻影を抱き、実在を見出すことなく、暗い影の中で生きています。

最初に述べましたように、今夜こうしてここに集った私たちは、わくわくするほど素敵な冒険に挑んでいる同志なのです。

 皆さんは無限の可能性の貯蔵庫です。それを引き出して人生に活用した時、その展望は目も眩まんばかりのものとなります。どの程度まで引き出せるかは、皆さんの努力次第です。そこに自由意志を働かせる余地があるわけです。成功の程度はあなた自身が決めるということです」


    
 地上界は訓練学校

 別の日の交霊会で〝サイキック・ニューズ〟紙のレポーターをしているクリス・ライダー氏がフィアンセと一緒に招待されていた。

 まずシルバーバーチの方から歓迎の挨拶をした。
 「この交霊会にお若い方をお迎えするのを私はいつも楽しみにしています。地上人生の早いうちから霊的知識と出会って、大変しあわせな方だと思うからです。

 地上界が抱える問題の一つは、無意味な生活をしている人が多すぎることです。自分がどちらへ向かってるのかを知りません。自分がどこにいるのかも知りません。何のために生まれてきたのかも分からずにいます。

 地上生活の何もかもが、そういう人にとって無意味に思えるのです。人生とは大きな〝?〟に過ぎません。神(ゴッド)という言葉も、それが何であるかを知らずに使っております。自我を成長させるチャンス───内在する美と威厳と気高さと壮大さと豊かさを発見させる機会をことごとく失っております。

肉体的にはちゃんと目と耳と口をそなえていても、霊的には何も見えず、何も聞こえず、何も語ることができません。

 こうした人達が地上を去って私たちの世界へ来た時、意識的にも能力的にも、新しい次元への備えがまったく出来ていないために、こちらで一からやり直さないといけないのが厄介なのです。訓練学校である地上界の方がよほど学びやすいのです。

 その点、あなたはすでに永遠不変の霊的真理を知り、無限の生命機構の一端を理解し、みずからもその活動に参画し、人のために役立つことをすることの大切さもご存知です。

 もとよりそれは口で言うほど簡単にできることではありません。いろいろと難しいことが生じます。問題も起きます。しかし、そういうものを嫌って安楽な道を選ぶ人は、私には用はないのです。

 そうした葛藤を強いられるのは、あなたの地金を試すためです。克服すべきものとして次々と困難が用意されるのです。それを一つ克服するごとに、内在する霊的能力と霊性がより大きく発現するのです。

 忘れないでください。私達は地上のガンともいうべき唯物主義の勢力と、かつてない大規模な闘争を繰り広げているのです。その最前線で将軍として活躍していただく人材は、その役柄にふさわしい霊力を身につけて貰うために鍛え上げないといけません。

 ですから、あなたも困難を歓迎しないといけません。地上生活で生じるいかなる困難も、背後霊団の力で克服できないものはありません。今夜この会に集まっている方々は、信じられない程の働きかけを身をもって体験しておられる方ばかりです。

 その力は、あなたの意志で操ることはできません。こうあって欲しいというあなたの望み通りに従わせることはできません。命令はできないのです。

 が、同時に、霊団側が一方的に命令を下すこともしません。この道の仕事はあくまでも協調です。今日ご出席のベテランのメンバーに聞いてごらんなさい。もうダメだと思った窮地、それこそ十一時五十九分になって、救いの手が差し伸べられたという経験をお持ちの方ばかりです。
 いかがですか、皆さん、今私が述べたことに反論なさりたい方がいらっしゃいますか」



       
 魂が永遠に消えない傷を負うことはない

「私はおっしゃる通りだと思います」とレギュラーの一人が言うと、シルバーバーチが続ける。

 「皆さんは霊的知識という要塞をお持ちです。霊力という兵器庫が、イザという時に持久力と増援を提供してくれます。困難との闘いを前にして逃げ出すよりも、堂々と闘って敗ける方が立派です。

それによって一時的には傷つくかも知れませんが、永遠の魂にまで傷が及ぶ事は絶対にないとの自信を得るきっかけとなるでしょう。永遠なる生命は無限の可能性を提供してくれます。

 毎朝の到来が素敵な機会の前触れです。霊的並びに精神的にわくわくする体験をもたらしてくれます。毎朝、新しい世界が誕生しているのです。大いなる気持ちで迎えることです。

 そして一日が終わって、これから一時的にその肉体を離れる(眠る)前に、今日一日のうちに人のために役立つ機会をいただいたことを大霊に感謝すると同時に、自分の行なったことに間違いがなかったことを祈ることです。

 もしも明らかに間違っていたと思われることがあれば、もう一度やり直す機会を下さるようにお願いすることです。失敗を恐れる必要はありません。転ぶということは、もう一度立ち上がることができるということです。一度も転んだことのない人は、真っすぐに立つということがどういうものかを知らない人です。

 物質界も霊界も限りない可能性と素敵な褒賞と永遠に色褪せることのない富─── 一度手にしたら二度と失うことのない宝を提供してくれます。

 黄金は地中から掘り出された時から輝いているわけではありません。打ち砕かれ、精錬され、不純物を取り除かれて、ようやく純金の輝きを見せるのです。立派な人材も、困難との葛藤を経てはじめて本物となるのです。

 永遠不滅に真理にしがみつくことです。影がさし、太陽の光が遮られても、それは一時的に雲が通りかかったに過ぎないと思いなさい。その雲の後ろでは太陽が輝いているのです。

逆境の時にも、大霊の愛が働いているのです。人生の計画は必ずその通りに推移します。皆さんは今、わくわくするような体験をさせてくれる人生の出発点に立っていることを喜ばないといけません」

 何かご質問がおありですかとシルバーバーチから言われて、〝サイキック・ニューズ〟のレポーターのクリス・ライダー氏が訊ねた。

───私は、他の多くのスピリチュアリストと同じように、普遍的な生命原理の存在と地上人生の有り方を知識としては知っているつもりです。ところが現実には、いけないと知りつつも自然の摂理に反することをやっては、痛い目にあっております。

正しい知識を手にしながら相変わらずそれが実行できないのは、どこがいけないのでしょうか。


「それはまだまだ霊性がひ弱だからです。強健でないからです。これで答えになりましたでしょうか」


───まったくそうだ思います。が、簡単なことが意外に実行できないものですね。私はまだまだです。  
 ところで、宇宙の摂理に従って生きる方法を同胞に教えるにはどうすればよいかという質問に対して、あなたは〝手本を示すことです〟とおっしゃいました。
 
私には、手本はそこらじゅうにありながら、それが無視されているように思えるのです。何か別の方法を考えるべき時期に来ているのではないかと思うのですが・・・・・・

 「たとえば?」


     
 生きざまによって手本を示す

───手本を示すこと以外に、何かもっと良い方法はないものでしょうか。

 「でも、うまく行けば、これほど効果的なものはありませんよ。

 よくお考えなさい。地球が生まれてからずいぶんと年月が経っています。科学者も地質学者も地球の誕生の頃のことはあまりよく知りません。それも無理はありません。百万単位の年数の差も大して問題とならない程、悠久の歴史があるのです。


 言わばその地球の管理人の立場にあるのが大霊です。もちろん人間的存在ではありません。神々しい人間でもありません。私が〝愛と叡知の権化〟と呼んでいる、崇高なる力です。無限の知性であり、全知識と全真理の極致です。

 あなたも、地上界についてある程度の知識をお持ちです。地上の生命活動がことごとく自然法側によって規制されていることもご存知です。結果には必ず原因があります。

自分が蒔いたタネは自分で刈り取るのです。四季は一つ一つ順序よく巡ります。地球の回転も地軸にさからうことはありません。潮は干満を繰り返し、その正確さは数式できちんと計算できるほどです。

 銀河系の大星雲といえども、その中の星の一つ一つ、惑星の一つ一つ、そして星座の一つ一つが、それぞれに定められた軌道上を動いているのです。

あらゆる草木、花、果実、野菜、小鳥、人間の男女、子供の一人一人にいたるまで、不変の自然の法則によって規制され、考え得る限りの行動や変化もきちんと認知されているのです。

 こうした大機構の中にあって人間は、手本によって学ぶように大霊が配慮しておられるのです。あなたは〝他にもっと良い方法はないものでしょうか〟とおっしゃいましたが、そういうものはありません」


    
 薬物の使用は禁物

 「分かりました」とクリス・ライダー氏は答え、さらに次のような質問を述べた。

───ある種の薬物を使用することで一時的に心霊能力が覚醒した状態となります。私はこのことに関心を持っています。これは将来の霊的能力の開発の新しい方法として一考の価値があると思うのですが、いかがでしょうか。

 「断じて、そして真っ向から、私は薬物の使用には反対です。
 心霊能力は人類に先天的に潜在しているものです。霊が使用すべき能力として用意されているのです。物質と霊とをつなぐ懸け橋であり、当然開発し発達させるべきものですが、あくまでも鍛錬と正しい心掛けと生き方の中ではぐくまれるべきものであって、

不自然な促進剤の使用によって行なうべきものではありません。一個の種子を例にとっても、それを不自然に促成栽培したらどういうことになるか、ご存知のはずです。

 薬物によって幻覚症状が誘発されることがあることは事実です。それによって一時的に身体と精神と霊とのつながりが緩められるからです。しかし、そんな状態で実在を直観し次元の高い啓示に接することはできません。


 さらに、それ以前の問題として、私は、たとえ健康のためであっても薬剤を使用するのは間違いであると考えます」


───おっしゃることは分かるのですが、そういう代替の手段もあってもよいのではないかと思うのです。今のお考えは古い薬物観ではないでしょうか。

 「そういうご意見にも私は耳を傾けてまいりましたが、いかなる手段を講じようとも、インスタントコーヒーを入れるような調子で霊性を発現することは出来ません。霊性の伴わない能力を発揮してどうしようというのでしょう? まだ反論なさいますか」


───正直を申しますと、ここへ来た時はあくまでも自論を主張してやろうと思っておりましたが、お話を伺って我が身の浅はかさを恥じ入っております。

 「恥をかかせるつもりなど毛頭ありません。私は人を傷つけたり辛い思いをさせるようなことを申し上げたくはないのですが、永遠の真理から外れるようなことを申し上げるようになった時は、私の使命から外れたことになってしまいます。

 薬物中毒患者───いかなる種類のものであれ、安易な手段、手っ取り早い方法で幸せを求めようとする堕落者───を扱うのも、私たちの仕事なのです。

 いけません! 幸せに近道はありません。タネ蒔きと刈り取り、原因と結果の法則が厳然と存在するのです。万一その摂理が逆転して、一瞬のうちに罪が赦されて聖人君子になれるとしたら、神の公正が愚弄されたことになります。摂理の働きは絶対なのです。

 人間には三つの義務があります。自分自身への義務、生活を共にする者への義務、そして地上の同胞への義務です。自分一人の勝手な振舞いは許されません。

薬物を使うのは自分の勝手という言い訳は許されません。正しい手段で、しかも努力の積み重ねによって身につけないといけません。もしも努力も葛藤もなしに得られるものだったら、それは初めから手に入れる価値のないものです」


───分かりました。最後にもう一つだけ質問があります。 

 さる有名なスピリチュアリストの本に、戦地で戦友と共に一瞬のうちに戦死して、その時のショックがその後も残っている霊の話が出ておりました。あなたのお話では霊が傷つくことはないとおっしゃっていますが、この場合はどう理解すればよいのでしょうか。


 「一時的に傷つき、ショックが残ることはあります。が、肉体の傷が癒えるのと同じで、そのうち正常に復します。

 事故死や戦死のような予期せぬ状態での死は霊にショックを与えます。死というものに何の予備知識もなかったために、その反動のようなものが生じるわけです。それで調整期間というものが必要となり、その間に自分が置かれている身の上についての理解と、霊的感覚の覚醒を促します。

 あくまでも一時的なものです。霊が取り返しのつかない傷を負うことはありません」



 
 訳者あとがき

 本書は、多分、シルバーバーチ霊言集の最後の一冊となるであろうと予想されている、Lift Up Your Hearts (直訳すれば〝心を奪い立たせなさい〟)の前半で翻訳である。これまでの霊言集のほぼ二冊分がぎっしりと詰められており(すべて新しいものばかり)、ハート出版との相談の結果、これを二冊に分け、そしてタイトルも別にして出版することになった。

 本書の原典は、編者のトニー・オーツセンにとっても訳者の私にとっても、記念すべき一冊となった。オーツセンにとっては、本書の出版のあと、一年間の引き継ぎの期間の後に、編集長のイスを若いティム・ヘイに譲って、サイキック・ニューズ社を円満に退社する、その最後の出版物となったのからである。

 オーツセンは二十歳の時にサイキック・ニューズ社に入り、バーバネルのもとで親分子分のような関係(オーツセンはバーバネルのことを〝ボス〟と呼んでいた)の中で修行し、バーバネル亡きあと、その編集長のイスに座って多忙をきわめる毎日を送ってきた。

 中でもいちばん力を入れたのがシルバーバーチ霊言集の編纂で、彼一人が編集したものだけでも、本書を含めて六冊もある。彼が編集したものはどれもページ数が多いのが特徴であるが、とりわけこの六冊目は(いつもの霊言集の)倍の分量である。

その編集に取りかかった時はすでに退社を表明していたことから推察して、自分が辞めた後はもうシルバーバーチを編集する者はいないとの判断があって、それで、これまでに公表されていないものを出来るだけ多く、と考えたのであろう。もっとも、わずかではあるが重複する部分があり、そこは私の訳では省いた。

 実はこうしたオーツセンの意気込みを生んだ背景には、全世界のシルバーバーチファンから寄せられる、新しい霊言集の出版を期待する声があった。

そして中には、出版費用に当てて下さいと、寄付を同封してくる人もいた。かく言う私もその一人で、そう大きくはない印税収入から必ず一部を寄付に当ててきた。

 そうした支援者への感謝をこめて、実はこの六冊目の巻頭に三十二の個人と団体の名が列記されている。しかも市販のものはペーパーバックなのに、支援者に限ってクロス張りのハードカバーにそれぞれの氏名のイニシャル(私の場合はKK)を刻印してあるものが贈られている。

私にとってこれに優る記念品はない。これまでの翻訳の苦労がこの一冊で全て報われる思いがしたと言っても過言ではない。


 さて本書の翻訳中に、私にとって意味深長な、ある科学者との出会いがあった。九十歳という高齢にもかかわらず今なおかくしゃくとして第一線で活躍しておられる、サイ科学会会長の関英男先生で、紫綬褒章と勲三等瑞宝章を受章しておられる工学博士である。

 昨年(平成五年)の夏ごろから私は、気功を霊的レベルにまで上げて難病を治療し、今世界中から注目を浴びている中川雅仁氏とのご縁があって、これまでに何度か伊豆下田の沖ヨガ道場で毎月開かれている気功師養成講座に講師として招かれているが、

今年の二月十二日に大阪で催された真気光体験会に、関先生と共に講師として招かれて、それぞれ小一時間ずつ講演をしたあと、中川氏も加わって三人でパネル・デスカッションを行なった。

 国内はもとより世界中を駆け回っておられる中川氏のタフぶりにはいつも感服の念を禁じ得ないのであるが、その日初めてお会いした関先生の頭脳明晰ぶりには、九十歳というお年を考えると、ただただ敬服するばかりだった。

 が、それにもまして驚いたのは、霊的なものに関する理解の広さと深さである。いただいた名刺には〝加速学園代表〟とだけ記されているが、その学園はサイ科学、すなわち物質科学を超えた高次元の科学を学び合う科学者の勉強会のようなものとお聞きしている。

 その研究の範囲は死後の世界はもとより、UFOの問題や異星人(宇宙人)からのメッセージにもわたっていて、昨今テレビに出てムキになって超能力の存在を否定している、どこかの大学教授の御説など、小犬の遠吠えのようにしか聞こえないであろう。

 サイと言うのはサイキックの語源でもあるPsi のことで、これを〝心霊〟と訳さずに〝サイ〟で通しておられるのは、私がスピリチュアリズムを〝心霊主義〟と訳さないのと同じ考えからであろう。

 先生の最新著「高次元科学」(ファーブル館)を通読して、スピリチュアリズムと完全に一致していることを知って驚いたが、強いて特徴をあげれば、スピリチュアリズムが地球圏の霊界からのメッセージ、いわゆる霊界通信に重点を置いているのに対して、サイ科学では別の天体、たとえば俗にスバルと呼んでいるプレアデス星団からのメッセージ、幅広くいえばUFOを送ってくる天体からのメッセージにも関心を寄せていることである。

 が、基本的にはスピリチュアリズムと同じであることは次に一節から充分に窺える。
「私のもとには、さまざまな霊能者や超能力者が情報を持ちよって来てくれます。人間がその頭でどう考えても及ばないことが、霊能者や超能力者には分かります。

人間以外のエネルギー体から、いろいろな形でメッセージが届いているのです。ある人には、勝手に手が動いて自動書記という現象で届いたり、ある人には霊言という言葉で届いたり、夢でお告げがあったりといった具合です。

 いい加減な低級霊の仕業ということもありますので、その情報の取捨には慎重になる必要があるのですが、ほとんどの霊能者・超能力者の言葉で共通しているのが、このさまざまな天変地異の意味です。

つまり、今起こっている天変地異は、地球の自浄作用だということです。環境汚染で病んだ地球が、自らを癒すために生命力を働かせているというわけです」

 さきほど〝私にとって意味深長〟と表現したのは、私をスピリチュアリズムに導いて下さったのが間部詮敦という元子爵の稀れにみる霊覚者で、その指導のお蔭で私は四十年間にわたって曲がりなりにもスピリチュアリズムを日本に紹介する仕事に携わり、

その集大成としてつい最近ハート出版から「霊的人類史は夜明けを迎える」という書き下ろしを出したばかりであるが、このたび科学界の重鎮である関先生との出会いで、先生が他の科学者から異端視されながらも平然として説いておられるその著書の内容が、私の著書の内容と基本的に軌を一にしているからである。

 手短に言えば、来るべき二十一世紀は人類にとって輝かしい世紀となるということで、それまでに〝世紀末的〟といわれる大なり小なりの天災や混乱はあっても、それは、関先生の譬えを借りれば漢方医学でいう〝めんげん〟 現象にすぎず、そのあとに地上天国ともいうべき幸せな生活環境が生まれるというのである。

〝めんげん〟は漢字で〝瞑眩〟と書き〝めんけん〟 とも〝めいげん〟とも読む。これは治療がうまくいって病気(とくに長く患っているもの)が好転し始めた時に発熱したり、吐き気を催したり下痢をしたりする現象のことで、一見悪化したように思えるが、その段階を越えると急速に快復する。

 地球もこれから、地球という天体そのものの自然治癒力によって瞑眩反応を起こし、一時的に〝世紀末的〟な現象を呈するが、人類の滅亡などという深刻なものとはならずに、そのあとに明るい世紀が訪れる、というのがスピリチュアリズムの説である。

最近世界各地で頻発する異常気象や地震、山火事といった天災、そして民族紛争などは、地球がすでに瞑眩期に入っていることを物語っていると私はみている。

 UFOに関して私はこれまで言及を避けてきたが、私自身にとっては早くからごく当たり前の存在である。まだ乗船したことはないが、目撃した回数は十指に余る。そのうち、錯覚かも知れないと思えるものを消去していっても、残る三回は私にわざわざ見せてくれたようなもので、その驚異的というか、人間の常識では考えられない飛行をじっくりと観察させてもらっている。

 実は昨年六月に、私の住んでいる福山市で、全国の〝UFOの会〟の会員五十人ばかりが集まって、観察と体験談を語り合う催しが開かれた。

私は会員ではないが、その日の主催者が私の教え子(近くの大学で美術の講師をしている)で、私の心霊関係の話にも興味を抱いている人だったので、私に基調講演を依頼してきたのだった(本人自身も霊的体験があり、UFOの写真も百枚ばかり撮影している)。

 当日のUFOの観察は夜十一時頃から真夜中の三時頃まで続けたが、残念ながらそれらしきものはついに姿を見せてくれなかった。ただの興味本位のことには異星人も関心はないだろうと予想していたので、私はさほど残念にも思わなかったが、わざわざ関東地方から出席した人たちには、ご苦労さんという気持ちだった。

 が、翌日の三人による乗船体験談はその残念を補って余りあるものだった。どの人の話も説得力があり、作り話とは思えなかった。間違いなくUFOに乗っており、又その発進地である異星まで連れて行かれている。多い人は百回以上も乗船しており、操縦席(コックピット)の説明も得心のいくものだった。

 私にとってとくに興味深く思われたのは、幽体離脱の状態で連れて行かれることが多いということで、UFO発進地である天体では、知的生命体が物質の段階から幽質の段階にまで進化していることを窺わせるものだった。その意味で私の講演も参加者全員に理解のいくものだった。

 関先生の説も全く同じで、だからこそ何千、何万、何十万光年も遠く離れた天体からでも一瞬のうちに飛来できるのだとおっしゃる。一種のテレポーテーションで、アポーツ(物品移動)と原理は同じである。

 ではなぜ満天の星の中のスバルでないといけないのかということになるが、実は、第二次大戦終結直後に地球に派遣されてきた宇宙人がメキシコのチャパラ湖畔に一年間住んでいた事実があり、その宇宙人の家(というのが適切かどうかは別として)が今も存在し、スバルとの交信に使用されているというのである。

関先生も、そして建築家の足立育朗氏も、その家を訪れて何枚かの写真に収めておられるからには、間違いない話であろう。

 譬えて言えば、ラジオで最初に受信した周波がスバルからのものだったというだけのことで、これから受信できる周波数がいくらでも増えていくことであろう。

何しろこの銀河系だけでも地球レベルないしそれ以下の知的生命体が存在している星は千百五十億個あり、地球レベル以上の、自然の摂理に適った生活をしている星は七百億個以上もあるというのである。

スピリチュアリズムでいう四界説を当てはめれば、そんな問題は簡単に片づく。地球を取り囲むように幽界・霊界・神界が存在することはスピリチュアリズムではすでに常識であるが、太陽系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在し、銀河系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在する。

そして地球の幽界の上層部から霊界あたりになると、太陽系および銀河系全体の幽界とも接触できるようになる。

 その段階に至ると、もはや地上的感覚の距離は消滅し、ちょうど衛星中継で地球の反対側の映像がほぼ同時に見られるのと同じように、宇宙のどこで何が起きても、瞬時に分かるようになる。地上にいても、チャンネルさえ合えば何億光年も離れた星からでも通信を受けることが出来るようになる。

 これには伝導の媒体としてのエーテルの存在が前提となる。エーテルの存在はスピリチュアリズムの先駆者である英国の物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジがしきりに説いていた。が、それが、アインシュタインの相対性理論が出るに及んで否定されるようになった。

 私にとって実はこれは頭の痛い話で、現代の科学者から「エーテルの存在は否定されていますよ」という批判が来ないかと気懸りだった。

ところが最近のサイキック・ニューズ紙や、サイキック・ワールド紙(月刊)に毎号のように寄稿しているロン・ピアスンという理学博士がエーテルの存在を正面きって説くようになり、アインシュタインの相対性理論にも間違いがあることを明言している(ピアスン博士もシルバーバーチの熱心な愛読者)。

 妙なもので(この辺が〝導かれている〟ということなのか)、この稿を書いている合間に書店をのぞいたところ、徳間書店刊の『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』というのと、その続編の『「相対論」はやはり間違っていた』の二冊が並んでいた。前者は窪田登司氏によるもの、後者は八人の学者による共著である。

 私には「相対性理論」はどうでもいいのである。要はエーテルの存在が肯定されるか否定されるかが気懸りなので、パラパラとめくっていくと、やはりエーテルの存在に言及した部分があり、「エーテルの存在は否定できない」とあった。

しかし、僭越ながらこの八人の学者に申し上げたいのは、関先生のお話によると、アインシュタインの相対論が間違っていたのではなくて、その解釈を間違えたというのが真相のようである。『高次元科学』の中で先生はこうおっしゃっている。

 「アインシュタインは光速度不変の法則を基本に相対論を展開し、アインシュタイン以前にマイケルソン・モーレーは実験によって、絶対静止空間に対して運動しても光速度に変化がないことを証明しました。このことは、あたかも真空中の超微粒子、エーテルと呼びますが、その存在を否定したことだと解釈されました。

そして、それ以降の科学はエーテルは存在しない、真空中には何もないことを前提に研究が進められてきました。しかし、最近になって、アインシュタインが言ったことは、空間に絶対的に静止したエーテルがないということで、エーテルが存在しないということではないことが明らかになったのです。

霊能者に話を聞きますと、こうした誤解を生んだことを、あの世でアインシュタインは嘆いているそうですが、確かにその誤解が本当の意味で科学の発展を阻害したことは間違いないでしょう」

 ピアスン博士は「科学は間違いだらけ」という記事を書いている。関先生も「科学者は分かったような顔をして説いているだけで、本当のところは何も分かってはいないのですよ」と笑いながらおっしゃっていた。

私は科学者ではないので、そこまではっきりと言える立場にないが、一つだけ断言できることは、これまでに発見された物理化学の法則だけで心霊現象の実在をうんぬんするのは間違いだということである。次元がまったく違うのである。

 十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、世界的に名声のある科学者が積極的に心霊現象の研究に参加し、しかも一人の例外もなくその真実性を肯定する結論を出した。のみならず、そうした現象を生ぜしめているのがわれわれの先輩であるという〝霊魂説〟を打ち出した。

 ところが、その後の科学者たち、なかんずくSPR(心霊研究協会)のメンバーが霊魂説に懐疑的になり、本来はスピリチュアリズムの傘下にあるべき立場を逸脱して一人歩きを始め、スピリチュアリズムとの間が敵対関係を呈するほどになった。

 が、最近になって潮流が大きく変わりつつあることが英国の心霊紙にはっきりと出て来た。その最大の動きは、英国SPRの会長であるアーチー・ロイ氏(エディンバラ大学の天文学教授)が最近の講演で英国スピリチュアリスト同盟(SNU)にラブコールを送るとともに、へっぴり腰の科学者をこっぴどく非難していることである。

 一度スピリチュアリズムの傘下からはみ出たSPRが数十年ぶりで戻ってきたという感じがする。

 「心霊研究の進むべき新しい方向」と題する講演をロイ氏はこう締めくくっている。

 《私は、学者としてあるまじき態度で〝安直〟な否定論を振り回す科学者には、SPRが敢然と挑戦すべきだと考える。

 心霊研究は実に興味津々の時代に入りつつあるとというのが私の実感である。SPRの創設当初の、あの、死後の存続という途方もない事実の可能性を前にして、わくわくする思いで研究にいそしんだ時代に戻る態勢が整ってきたように思う。

 現代的手法を駆使して、人間とは何かという命題に向かってSNUと協力できると考える。否定論者に言いたいのは、正面から堂々と取り組むか、さもなくば黙って引っ込んでなさい、ということである》
  (サイキック・ワールド紙より)

 最後に一九九三年四月二十四日付けのサイキック・ニューズ紙に掲載されたベテランの科学者フランク・ニューマン氏の「科学者よ、シルバーバーチを読め!」と題する寄稿文を訳出しておく。

《シルバーバーチの霊訓を読んでいる人でも、その奥の深い意味まで理解している人は案外少ないものだ。それほどシルバーバーチの教えには含畜がある。

 私に言わせれば、むしろ科学者がシルバーバーチを読めば───そしてその奥に秘められた意味を理解すれば、いま科学者を悩ませている難問への解答を見出すに違いない。

 今科学界が到達した宇宙観によれば、どうやらわれわれが認識している世界が宇宙の全てではないらしいこと───今こうして生活している世界と共存の形で、無数の世界が存在しているらしいこと───それらの中にはこの地球と同じ世界もあれば、まったく違う世界もあるらしい、ということである。

 最新の量子論からいっても、そうした別世界(オールタナティブ)は地上界から絶縁した世界ではなく、この物質の世界と接触し合い、互いの原子が押し合いへし合いをしていても、少しもおかしくはないのだ。

 その見えざるオールタナティブにも、われわれ地上人類と同じ精神構造と身体構造をしている存在が生活している───基本的にはその意識的生活は同じであることも、十分に有り得るのだ。

 結局のところ生命とは、たぶん化学的結合をベースとして、宇宙エネルギーが組織的に形体を具えたもの、その定義に辿り着く。この定義は科学者なら誰しも納得がいく。問題は、目に見えざる世界が存在する、その有りようがしっくりと認識できない点にあるといえる。

 そこでシルバーバーチに登場願うことになる。シルバーバーチは平面的な〝場〟を意味するプレイン plane という用語を用いずに〝状態〟を意味するステイツ state を用いている。シルバーバーチは言う────

「すべてが混ざり合った状態にあるのです。無線電信の波動が宇宙に充満しているのと同じ状態です。いろいろな波長があり、いろいろなバイブレーションがあります。

 が、それらが同時に同じ場に共存できるのです。境界というものはありません。波動が異なるだけです。反応する意識の側面が違うのです。」

 このことから考えると、地上生活というのは、脳髄という物質を通して波動する精神をコントロールしている、ある一定レベルの意識での生活の場ということになる。つまり五感でキャッチしたものが、脳と生命の糸(玉の緒)を通して精神ないしは魂へと伝えられて、それぞれの反応を生じる、ということである。

 このことは、さらに、人の為に役立つ心掛けと中庸の生活こそが意識のレベルを高め、精神の活動の場を広げることになる、という考えを生む。

結局〝死〟というのは、肉体から離れた魂がその意識レベルに相当したバイブレーションのオールタナティブへ移動するだけのことということになる。死後の環境に違和感を感じないというのは当然のことなのである。

 その後の進化についてもシルバーバーチは簡明にこう述べる───

「魂が成長すれば、波動のより高い状態に適応できるようになり、自動的により高い界層で生活することになります」

 その界層のもつ電磁波の作用でそうなるのであろう。となると当然、乱れた生活をしている人間は、その乱れた波動に似合った世界へと引きつけられていくことになる。かくして、聖書の言葉どおり、〝麦ともみがらが選りわけられ〟〝多くの住処が〟生じるわけである。

 英国電子音現象研究センターの所長ギルバート・ボナー氏は、かなり広範囲の波動の他界からのメッセージをキャッチすることに成功している。

 科学者による共同研究がさらに進めば、オーディオとビジュアルの双方による他界からの通信が確立されても不思議ではない。いま生身の霊媒を通して行なわれていることが、そうやって器械によってなされるようになるのが、これからの科学者の目指すべき方向であることは間違いない》

 もっとも、これはいかにも科学者らしい発想で、あのエジソンも考えたことがあるらしいのであるが、本文の四章でシルバーバーチが断言しているように、器械が霊媒の代用となることは有り得ないらしい。愛に根ざした人間的情緒は器械では伝えられないということであろう。

 といって、シルバーバーチも、その方面での研究開発を無駄と決めつけているわけではなかろう。私も、かなりの程度まで可能ではないかと想像している。しかし所詮、手書きの手紙とワープロの手紙との違いにも似た、何か人間味の欠けたものとなるであろうことは想像に難くない。

                     平成六年三月  近藤千雄