Monday, April 27, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




6章 物質化現象

心霊現象の中でも取りわけ興味深いのは、言うまでもなく霊がその姿を見せる現象であろう。が、これも、これから紹介する一問一答による解説によって、少しも超自然的なものではないことが分かる。複数の霊による回答をまず紹介しよう。


――霊は自分の姿を人間に見せることができるものですか。


「できます。とくに睡眠中が多いです。覚醒中でも見ることができる人がいます。睡眠中ほど頻繁ではありませんが……」


編者注――肉体が休息すると霊は物的束縛から解放されて自由の身となり、霊姿を見たり霊と語り合ったりする。夢はその間の記憶の残像にすぎない(章末の訳注参照)。何も思い出さない時は睡眠中に何もなかったかに思うが、実際には霊眼でいろいろなものを見たり聞いたりして自由を楽しんでいる。が、本章では覚醒中のことに限ることにする。


――霊姿を見せるのは特殊な界層の霊に限られているのでしょうか。


「そんなことはありません。低界層から高級界までのありとあらゆる界層の霊が姿を見せることができます。」


――すべての霊が自分の姿を人間の視覚に映じさせる力を有しているということでしょうか。


「その通りです。ただし、そうする許しが得られるかどうかの問題と、そうしたいと思うかどうかの問題があります。」


――姿を見せる場合、その目的は何なのでしょうか。


「それはその霊によって違ってきます。正当な目的の場合と、良からぬ目的の場合とがあります。」


――え? 良からぬ目的の場合でも許されることがあるとおっしゃるのですか。


「その通りです。その場合は“幽霊”に出られた人間にとっての試練として出現が許されています。霊の意図は良くなくても結果として当人にはプラスになります。」


――良からぬ意図とはどんなことでしょう?


「怖がらせてやろうとか、時には復讐の場合もあるでしょう。」


――正当な意図とは?


「他界したことを悲しみ続けている者を慰めてやること、つまり、ちゃんと生き続けていて、いつも自分がそばにいることを知らせてやること。悩みごとの相談にのってやりたいということもあります。時には逆に自分のことで頼みごとをする場合もあります。」


――いつでもどこでも霊の姿が見えるようになったと仮定した場合、人間生活に何か不都合が生じるでしょうか。どんなに疑い深い人間も死後の生命存続の事実を疑わなくなると思うのですが……。


「霊はいつでもどこにでも存在するわけですから、それがもし見えるようになったら何かとやりにくいであろうし、やる気が無くなるであろうし、自由闊達な動きができなくなるでしょう。人間は誰からも見られていない方が思うような行動が取れるのです。

疑い深い人間のことですが、たとえ見ても信じない者は信じません。何かの幻影でも見ていると考えます。あなた方がそういう人間のことで心を痛めるには及びません。大霊が良きに計らってくださいます。」


――霊の姿が見えると不都合が生じるというのなら、なぜ姿を見せることがあるのでしょうか。


「それは、人間が肉体の死とともに無に帰するのでなく、死後も個性をたずさえて存続していることを証明するためです。そうした数少ない目撃者の証言で十分であり、霊に取り囲まれて気の休まることがないという不便も生じません。」


――地球より進化した天体上では霊との関係は頻繁に行われているのでしょうか。


「霊性が高まるほど霊との意識的交信が容易になります。霊的存在との交わりを困難にしているのは、その物的身体です。」


――いわゆる幽霊を見て人間が怖がることをそちらから見てどう思われますか。


「霊がいかなるものであれ、生身の人間より危険性が少ないことは、少し考えれば分かりそうなものです。霊はどこにでもいます。あなたのすぐそばにもいます。見える見えないには関係ないのです。何か悪さをしようと思えば、別に姿を見せなくてもできますし、むしろ見られない方が確実性があるくらいです。

霊だから危険性があるのではありません。危険性があるとすれば、それは人間の考えに働きかけて密かに影響力を行使し、正しい道を踏みはずさせて悪の道に誘い込むことができることです。」


――霊が姿を見せた時、その霊と対話をしてもいいのでしょうか。


「もちろん結構です。と言うより、ぜひとも対話をすべきです。名前は何と言うのか、何の用事なのか、何か役に立つことがあれば言ってみるように、といったことを問いかけてみることです。辛いこと苦しいことがあるのであれば、それを聞き出して、力になってあげることができますし、逆に高級な霊であれば、何かいいアドバイスを授けるために出現したのかも知れません。」


――そういう場合、霊はどういう方法で対話をするのでしょうか。


「生身の人間のようにはっきりとした言葉で語る場合もありますが、以心伝心(テレパシー)で行う場合が多いです。」


――翼の付いた姿で現れることがありますが、実際に付いているのでしょうか。それとも、ただのシンボルなのでしょうか。


「霊に翼はありません。必要ないからです。霊はどこへでも瞬時に移動できます。ただ、霊が姿を見せる場合には何らかの目的があり、それを効果的に演出するために外見にいろいろな装いをすることがあります。目立たない装いをすることもあれば、優雅な掛け布で身を包むこともあり、翼を付けることもあります。それが霊格の象徴である場合もあります。」


――夢の中に出てくる人物はその容貌どおりの人物と見てよろしいでしょうか。


「あなたの霊眼で見た通りの人物と思ってまず間違いないでしょう。」


――低級霊が生前親しかった誰かの容貌を装って、堕落の道へ誘うということは考えられませんか。


「低級霊でも途方もない容貌を装うことができますし、騙して喜ぶ者がいることも事実ですが、彼らのすることにもおのずから限度があり、やろうにもやらせてもらえないことがあるものです。」


――思念が霊を呼び寄せることは理解できますが、ならばなぜ一心に会いたいと思っている人が出現せずに、関心のない人、思ってもいなかった人が出現することが多いのでしょうか。


「そちらでいくら会いたいと念じても、霊によっては姿を見せる力を持ち合わせないことがあります。その霊の意志ではどうにもならない何らかの要因があって、夢にさえ出現できないのです。それが試練である場合もあります。いかに強烈な意念をもってしても免れることのできない試練です。

関心のない人、思ってもいなかった人とおっしゃいますが、そちらで関心はなくてもこちらに関心がある場合があります。さらに、あなた方には霊の世界の事情がお分かりにならないので無理もありませんが、睡眠中に昔の人や最近他界したばかりの人を含めて、実に多くの霊に会っているのです。それが目覚めてから思い出せないだけです。」


――ある種の情景が病気中に見えることが多いのはなぜでしょうか。


「健康な時でも見えることがありますが、病気の状態では物的な束縛が緩(ゆる)み、霊の自由の度合が増すために、霊との交信がしやすくなることは確かです。」


――幽霊が出たという話がよく聞かれる国とそうでない国とがあります。民族によって能力が違うのでしょうか。


「幽霊とか不思議な音といった現象は地球上どこででも同じように生じます。が、現象によってはその民族の特徴が反映するものがあります。例えば識字率の低い国では自動書記霊媒はあまり輩出しません。従ってそういう国では知的な通信よりもハデな現象の方が多く発生することになります。知的で高尚なものを有り難がりませんし、求められることもないからです。」


――幽霊が大てい夜に出現するのはなぜでしょうか。静けさや暗さが何か想像力に影響を及ぼすからでしょうか。


「それは星が夜の方がよく見えて昼間は見えないのと同じです。昼間の太陽の光がうっすらとした霊の姿をかき消してしまうから見えないまでです。“夜”という時間帯に特別の意味があるかに考えるのは間違いです。幽霊を見たという人の話を総合してみられるとよろしい。大半が昼間に見ているはずです。」


――霊の姿が見えるのは普通の状態の時でしょうか、それとも特殊な状態の時でしょうか。


「まったく普通の状態でも見えますが、トランス(入神)状態に近い特殊な状態にある時の方が多いです。霊視力が働くからです。」


――霊を見たと言う人は肉眼で見ているのでしょうか。


「自分ではそう思うでしょう。が、実際は霊視力で見ています。目を閉じても見えるはずです。」


――霊が自分の姿を見せるにはどんなことをするのでしょうか。


「他の物理現象と同じです。自分の意念の作用で流動体の中からある成分を抜き取り、さまざまな工夫を凝らして使用します。」


――霊そのものを見せることはできないのでしょうか。流動体(エクトプラズム)をまとわないと見えないのでしょうか。


「肉体をまとっているあなた方人間に対しては、半物質体の流動エネルギーの助けを借りないと見えません。流動体は物的感覚に訴えるための媒介物です。夢の中にせよ覚醒時にせよ、白昼にせよ暗闇の中にせよ、見えている姿はその流動体で形態を整えたものです。」


――それは流動体を凝縮して使うのですか。


「凝縮という用語はおよその概念を伝える上での類似語ていどのもので、正確ではありません。別に凝縮させるわけではありません。流動体を幾種類か集めて化合させると、特殊な合成物ができます。これが人間の目に映じるようにするのですが、地上にはこれに類するものは存在しません。」


――その霊姿は手で触ることができますか。例えば腕をつかむことができますか。


「通常はできません。影がつかめないのと同じです。が、人間の手に感触が残る程度にすることはできます。さらには、少しの間に限られますが、しっかりとした肉体と同じ程度にすることもできます。そんな時は合成物質(エクトプラズム)と肉体との間に共通したものがあることの証拠と言えます。」


――人間は本来、霊の姿が見えるようにでき上がっているのでしょうか。


「睡眠中(肉体からの離脱中)はそうです。覚醒中は誰でもというわけではありません。睡眠中はさきほど述べた媒介物がなくても見えます。覚醒中は多かれ少なかれ肉体という器官によって制約されています。睡眠中と覚醒中とでは必ずしも同じでないのは、そういう事情によります。」


――覚醒中に霊が見える、そのメカニズムはどうなっているのでしょうか。


「その人間の肉体という有機体の特質、およびその人が有する流動エネルギーが霊の流動エネルギーと合体しやすいか否かに掛かっています。霊が姿を見せてやりたいと思うだけではダメです。見せてやりたい人間にそういう適性があることを見極める必要があるわけです。」


――そういう能力は訓練によって発揮できるようになるものでしょうか。


「他のすべての能力と同じように、訓練しだいで発揮できます。ですが、なるべくなら自然な発達を待つ方がよい部類に属します。発揮しようとする意欲が強すぎると想像力をかき立てて妄想を生む恐れがあります。霊視力を日常的にいつでも使用できるほどの人は例外に属し、人類の通常の状態では霊視力は働きません。」


――人間の側から霊に向かって出現を要請することは可能でしょうか。


「不可能というわけではありませんが、稀です。霊は必ずといってよいほど自分の方から出現します。権威をもって呼び出すには余ほど特殊な霊的資質をそなえていなければなりません。」(ここでいう“霊”とは“高級霊”のことである。日本の霊界通信には神名を名のる霊からのものが多いが、神格をそなえた高級霊が“自分は神である”などと宣(のたま)うわけがない――訳注)


――人間の容姿以外の形態で出現することはできますか。


「人間の容姿が普通です。人間の容姿をいろいろに装うことはできますが、基本的には常に人間的形態をしています。」


――炎の形態で出現できませんか。


「存在を示すために炎や光をこしらえることはできます。どんな形態でも装うことができるのですから。が、それがすなわち霊そのものと思ってはいけません。炎は流動エネルギーの放射体、いわば幻像にすぎないことがよくあります。それも流動体のごく一部です。どのみち、流動体の現象は一時的な映像の域を出ません。」


――“鬼火”とか“キツネ火”とか呼ばれているものが魂または霊の仕業だという説がありますが、いかがでしょうか。


「ただの迷信にすぎません。無知の産物と言ってもよいでしょう。鬼火が発生する原因はすでに明らかになっているはずです。」(燐と水素が化合して発する青白い炎――訳注)


――霊が動物の形態を装うことはできますか。


「それはできないことではありません。が、そんなことをしてどうするのでしょう? それは余ほど低級な霊のすることです。また、たとえ装っても一時的なものです。本物の動物が霊の化身であるかに信じる愚か者はいないでしょう。動物はあくまでも動物で、それ以上のものではありません。」


――見えたものが幻影・幻覚であることがありますか。たとえば夢か何かで悪魔を見た場合、それは想像上の産物ではないでしょうか。


「そういうことは時おり有り得ます。たとえば強烈な印象を与える物語を読んで、それが記憶に残っていて、精神的に興奮している場合です。そういうものは実在しないのだという理解がいくまで、それが幻覚として見えることがあります。

しかし、前にも述べたことですが、霊は半物質の流動体を使用してどんなものでもどんな形態のものでもこしらえることができます。ですから、イタズラ霊が信じやすい人間をからかうために角(つの)を生やしたり巨大な爪を見せたりすることもできます。さきほども述べた、高級霊が翼をつけたり光輝を放つ容貌を見せたりするのと同じです。」


――半睡半夢の状態において、あるいは目を閉じた瞬間などに顔とかイメージが見えることがありますが、あれも幻覚でしょうか。


「感覚が空(うつ)ろになると霊的感覚が働きやすくなって、肉眼では見えないものが、遠近に関係なく見えるようになります。その時に映じるイメージは往々にして幻覚である場合もありますが、かつて見たある対象物が、音がしばらく耳に残るように、脳に残像を印象づけていて、それが見えることがあります。

霊は、肉体の束縛から解放されると、ちょうど写真のネガに写った影像のように脳に印象づけられたものを見ることがあります。その時、断片的でバラバラになっているものを一つのまとまったものに構成しようとします。それは他愛もない空想的なもので、次の瞬間には、もう少しよく見たいと思っても、崩れていきます。病気の時などによく見る、まったく現実味のない、奇っ怪な幻像もみな、そうした原因から生じていると考えて間違いありません。」


訳注――本章の最初の応答のあとのカルデックの“編者注”の中に「夢というのは睡眠中に霊の目で見たものの記憶の残影にすぎない」という一文があるが、この文章だけでは誤解を生じやすい。上の最後の応答の一節が夢そのものの絶好の説明にもなっているように思う。「病気の時などによく見る……」というのを「病気の時や睡眠中によく見る……」と書き換えてもよいほどである。

夢については心理学や精神医学や精神分析学などでもいろいろと説かれているが、こじつけや乱暴な説ばかりで、これまで納得のいくものに出会ったことがなかった。そして上の一節ですっきりとした気持ちになった。私の体験からもその通りだと思う。

自我のことを“統一原理”と呼んでいる通信があるが、上の回答で「断片的でバラバラになっているものを一つのまとまったものに構成しようとします。それは他愛もない空想的なもので、次の瞬間には、もう少しよく見たいと思っても崩れていきます」とあるのは、霊が物的身体から遊離していて、長年にわたる脳を中枢とした感覚に慣れているために、統一原理としての役目が果たせないのである。

結論としては、本章の最初の“編者注”と最後の回答とを併せて一つにすれば“睡眠中は何をしているのか”“夢とは何なのか”といった千古の疑問への完全な回答となるのではなかろうか。
oooo

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor



四章 シルバーバーチ霊団の使命

 自分自身についての単純・素朴な真理───これを本当に理解している人が何と少ないことであろう。ところがその自分みずからを知らない人間がとかく他人のことについては、あたかも深い洞察力を持っている人間であるかのような口を利くものである。

曰く───〝あいつも、もうそろそろ気づいてもよさそうなものだが・・・〟〝いつになったら目が覚めるのだろう〟〝あの人がもし側から見られるように自分で自分を見つめることが出来たら、さぞかし・・・〟等々。他人についての単純な真理を表現したこうした言葉はよく耳にするが、それを口にする本人も自分自身についてはとかく何も知らないものである。

 こうした中にあって、古来、その霊性の高さと教説の崇高さにおいて際立ったものを見せる存在がいる。人間それ自身についての彼らの説くところには永遠の真実味がある。

 ソクラテスがそれであり、イエスがそれであり、そしてこのシルバーバーチがそれである。ロンドンの霊媒(バーバネル)の言語機能を借りて語る、三千年前に地上を去ったという古代霊シルバーバーチは、交霊現象にまつわるあらゆる障壁を乗り越えて、しかも稀れに見る言語感覚の冴えをさりげなく発揮しながら、こう語る。

 「私にできることは永遠・不変の宇宙の原理・原則を指摘することだけです。地上世界のことがすべて探求しつくされ、説明しつくされ、理解されつくしたあとに、なおかつ誰一人として完全に究めることも説明することも出来ない永遠の摂理があります。それは構想においても適応性においても無限です。

人間のすべてが、日々決断を迫られる問題に直面した時に、自分が霊的存在であること、大切なのは物的なもの───それはそれなりに存在意義はあっても───ではなくて、それがあなたの本性、永遠の霊的本性に与える霊的な意義であることを自覚することができるようになれば、どれだけ素晴らしいことでしょう。

 物的なものはいずれ朽ち果て、元のチリに帰ります。野心、欲望、富の蓄積、こうしたものは何の役にも立ちません。所詮はあなた方も霊的存在なのです。真の富はその本性に宿されているものだけであって、それ以上ではありえませんし、それ以下でもありえません。

そのことを生涯を通じて悟っていかなくてはいけません。それを悟った時、あなたは真の自分を見出したことになり、自分を見出したということは神を見出したということになり、そうなった時のあなたこそ真の意味での賢者と言えるのです。

 私の目には、あれこれと〝大事なこと〟があって毎日あっちへ走りこっちへ走りして、忙しく暮らしながらその実〝一番大事なこと〟を見落とし、なおざりにしているために、心が絶望的でヤケになっている大勢の人々の姿が見えます。このあたりに私どもが説く教えの核心があるのですが、お判りになりますか。

その人たちが日々の生活の中に生きるよろこび───神の子として当然味わうべき充足感を見出してくれるようにと願って霊界から舞い戻ってくるそもそもの目的がそこにあることが判っていただけるでしょうか。

 それはいわゆる宗教、教会、信条、教義といったものより大切です。人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱の原因となってきた、その類のもののいずれにもまして大切です。が、それは自分という存在についての(霊的存在であるという)至って単純な事実に過ぎないのです。なのに、それを悟っているのはごく僅かな人たちだけで、大多数の人は知らずにおります」

 さて、こうした霊的啓示をわれわれは、たまたま良い霊媒がいたから得られた、気紛れで無計画なものと受け止めがちである。が、シルバーバーチがこれから明かすように、その背後では幾重にも組織された霊団によって、遠大な計画のもとに推進されている。

(訳者注───シルバーバーチに限っていえば霊媒のバーバネルが誕生する以前から計画を立て英語の習得や心霊現象の研究と準備を重ねてきたというが、同じことが各国・各民族において太古よりそれ独自の形で推進されてきており、これから先には本格的なものが計画されていることであろう。地上人類は言わばケンカや遊びから学ぶ幼児期を終えて、やっと本格的な霊的真理を学ぶ時代に入りつつある───そんな程度の段階にあるのではなかろうか)


 シルバーバーチはこう語っている。
 「私たち霊団の使命はれっきとした目的ないし意義を持つ証拠を提供し、それによって心霊的法則というものが存在することを立証する一方、生きる喜びと霊的教訓を授けるということです。物理的法則を超えた別の次元の法則の存在を証明するだけでなく、霊についての真理を啓示するということです。

 そうした使命を持つ私たちには、真っ向から立ち向かわねばならない巨大な虚偽の組織が存在します。過去幾世紀にもわたって積み重ねられてきた誤りを改めなければなりません。人間が勝手にこしらえた教義を基盤として築き上げられてきた虚飾の大機構を解体しなくてはなりません。

 私たちの努力は常に、物質界の神の子等にいかにして魂の自由を見出し、いかにして霊的真理の陽光を浴び、いかにして教義の奴隷となっている状態から脱け出るかをお教えすることに向けられております。これは容易な仕事ではありません。

なぜなら、いったん宗教という名の足枷をはめられたが最期、迷信という名の厚い壁をつき破って霊的真理が滲透するには永い永い年月を要するからです。

 私たちは霊的真理の宗教的意義をたゆまず説き続けます。その霊的な重要性に目覚めれば、戦争と流血による革命よりはるかに強烈な革命が地上世界にもたらされるからです。

 それは魂の革命です。その暁には世界中の人々が受けて当たりまえのもの───霊的存在としてのさまざまな自由を満喫する権利を我が物とすることでしょう。」


 私たちが忠誠を捧げるのは教義でもなく書物でもなく教会でもありません。宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理です。

 いずれ地上世界に強力な霊の力が注がれます。世界各地において霊的勢力の働きかけが認識されるようになります。これまで蔓延(はびこ)ってきた利己主義と無知に歯止めをかけるための大きな仕事があるからです。それはいつか必ず成就されます。が、その途中の段階においては大きな産みの痛みを味わわなくてはならないでしょう。

 その仕事を支援せんとして私どもの世界から大ぜいのスピリットが馳せ参じております。あなた方の顔見知りの人、血のつながりのある人もいれば、愛のつながりによって引かれて来る人もいます。

背後霊というとあなた方はすぐに顔見知りの名前を思い浮かべがちですが、一方にはまったくあなた方の知らない人たちで、ただ自分の力を役立てることにのみ喜びを覚えて援助してくれている人たちがいることも、どうか忘れないでください。

 聖書にはサウロ(のちのパウロ)がダマスカスへ行く途中、天からの光に包まれ、目が眩んで倒れ、それがきっかけで改心する話がありますが(使徒行伝9・3、22・6)世の中はそんな具合に一気に改まるものではありません。

一人ずつ霊的真理に目覚め、一人ずつ神の道具となっていくという形で、少しずつ光明が広がっていくのです。霊的なものは大事に育て慎重に広めていく必要があることを銘記しなければなりません。急激な改心はえてして永続きしないものです。私たちの仕事は永続性が生命です。

 一個の魂が神の道具となった時、一個の魂が暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真実へと目覚めたとき、その魂は世界の進歩に貢献していることになります。 なぜなら、その一人ひとりが言わば物質万能主義の棺に打ち込まれるクギのようなものだからです。

 発達にも二つの種類があることを知ってください。霊そのものの発達と、霊が使用する媒体(※)の発達です。

前者は魂そのものの進化であり、後者は単なる心霊的能力の開発にすぎません。霊的進化を伴わない心霊能力だけの発達では低い次元のバイブレーションしか出ません。両者が相携えて発達したとき、その人は偉大な霊能者であると同時に偉大な人物であることになります。

(※その働きを普段われわれは精神あるいは潜在意識として捉えている。この中にいわゆる超能力が宿されている。シルバーバーチは別のところでそれがいずれは人類の当たり前の能力として日常茶番に使用されることになると述べているが、ここでは、それがすなわち人格の向上を意味するものでないことを指摘し、超能力者だからといってすぐに崇めたがる風潮を戒めている。訳者)

 私たちが携えてくるメッセージは地上人類にとって実に素晴らしい恩恵をもたらします。魂を解放し、神からの遺産(神的属性)の素晴らしさに目を開かせます。あらゆる足枷と束縛を棄てるように教えます。霊的真理の本当の有難さを教えます。

物的生活の生き方と同時に霊的生活の生き方も教えています。美と愛と叡智と理解力と真理と幸福をもたらします。人のために、ひたすら人のために、と説くメッセージです。

 ところが、そのメッセージを携えてくる私たちが、神を正しく理解していない人々、霊の働きかけの存在を信じない人たちによって拒絶されております。それはいつの時代にもよくある話です。

 一方、現在の地上の状態はそうした私たちスピリットの働きかけをますます必要としております。流血につぐ流血、そしてその犠牲になった人々の涙の絶えることがありません。無明ゆえに地上人類は神の摂理に従った生き方をしておりません。暗黒と絶望の道を選択しております。そこで私たちが希望と光明と平和と調和をもたらす知識を携えてきたのです。

無知ゆえに私たちを軽蔑します。私達のメッセージを拒絶します。私たちを背後から導いている強大な力の存在に気づいてくれません。しかし霊的実在を教える大真理は必ずや勝利をおさめます。

 摂理に逆らう者はみずからその苦い実りを刈り取ることになります。摂理に従って生きる者は物的・霊的の両面において豊かな幸せを刈り取ります。

 暗闇が蔓延する地上にあって、どうか希望を失わず、あなた方と共に人類の高揚のために働いている多くの霊、物的世界を改善しようとしている霊の努力は必ず実ることを信じていただきたいのです。その背後に控える霊力は宇宙で最も強力な力だからです。

 価値あるものは苦難と悲哀なしには達成できません。地上は地上なりの教訓の習得方法があるのです。それは避けるわけにいきません。今、霊的勢力が地上全土にわたって活動を開始しつつあり、あらゆる地域の人々に霊的メッセージが届けられ、その心を明るく照らし、その光が広まるにつれて物質万能主義の闇を追い散らしていきます。

 私たちは罰の恐ろしさをチラつかせながら説得することはしません。恐怖心から大人しく生きる、そんな卑屈な臆病者になってほしくはありません。内部に宿る神性を自覚し、それを発揮することによって霊性を高め、一段と崇高な真理と叡知を身につけていただくことを目指しております。

 そのためには、まず、これまでに得たものに不満を抱くようにならなければなりません。なぜなら、今の自分に満足できず、さらに何かを求めようとするところに、より高い知識を得る可能性が生まれるものだからです。満足する人間は進歩が停滞します。満足できない者はさらに大きな自由へ向けて突き進むことになります。

 私たちは決してあなた方に〝理知的に難しく考えず、ただ信じなさい〟とは申しません。逆に〝神から授かった理性を存分に駆使して私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが述べることの中に低俗なこと、邪険なこと、道義に反することがあると思われたら、どうぞ拒絶してください〟と申し上げております。

(訳者注ーシルバーバーチがそう述べる時、自分の訓えを押し付けるつもりはないという態度の表明であると同時に、次のような事実を踏まえていることも指摘しておきたい。それは、シルバーバーチの名が広まるにつれてその名を騙(かた)る霊が出没していることである。

これは霊媒のバーバネルの在世中にもあったが、他界後も世界各地であるようである。シルバーバーチは自分が霊媒とは別個の存在であることを証明するために他の霊媒、たとえばロバーツ女史を通してバーバネル夫妻に語ったことはあるが、それもそう約束した上でのことだった。そういう事実を踏まえて、だから、変だと思われたら遠慮なく拒絶してくださいと言うことにもなった。)
 
 私たちはひたすらあなた方に〝より高潔な生活〟自己犠牲と理想主義を志向する生活を説いております。もしそれをお認めいただければ、それは私たちの訓えの中身に神の極印が押されていることを証明するものと言えましょう。

 たった一個の魂でも目覚めさせることができれば、悲嘆に暮れる者をたった一人でも慰めてあげることができれば、怖じ気づいた人の心を奮い立たせ人生に疲れた人に生きる勇気を与えることが出来れば、それだけでも努力の甲斐があったことにならないでしょうか。

 私たちのメッセージを耳にして心に動揺を来し、困惑し、分けが分らなくなりながらも、先入主的信仰によって身動きが取れずにいる人が大ぜいおります。しかしその人たちも、牢獄に閉じ込められた魂へ向けて呼びかける自由の声を耳にして煩悶しています。

 そういう人たちにこそ、私たちのメッセージを届けてあげるべきです。思いも寄らなかったものが存在することを知ってそれを必死に求めようとする、そのきっかけとなります。真理とはすべて踏み石の一つに過ぎません。

 この霊媒の口をついて出る言葉にもしもあなた方の理性に反撥を覚えさせるもの、神の愛の概念と矛盾するもの、愚かしく思えるもの、あなたの知性を侮辱するものがあるとすれば、それは、もはや私の出る幕ではなくなったことを意味します。私の時代は終わったことになります。

 この交霊会もこれまで数え切れないほど催されておりますが、その間私が魂の崇高なる願望と相容れないものを述べたことは、ただの一度もないと確信しております。私たちは常にあなた方の魂の最高の意識に訴えているからです。

 地球人類は地球人類なりに、みずからの力で救済手段を講じなくてはなりません。出来合いの手段はないのです。前もって用意されたお決まりの救済手段というものはないのです。

そのためにはこれが生命現象だと思い込んでいる自然界の裏側に目に見えない霊的実在があること、そして物質界に生活している人間は物的存在であると同時に霊的存在であり、物的身体を通して自我を表現しているという事実をまず理解しなくてはなりません。

 物的身体は、神の意図された通りに、生活上の必需品をきちんと揃えることによって常に完全な健康状態に保たねばなりません。一方、霊はあらゆるドグマと信条による足枷から解放されねばなりません。

そうすることによって実質的価値、つまり霊的に見て意味のないものに忠誠を捧げることなく、真実なるもののためにのみ精を出すことになり、過去幾千年にもわたって束縛してきた信条やドグマをめぐっての戦争、仲違い、闘争を無くすことが出来ます。


 私たちは神を共通の親とする全民族の霊的同胞性を福音として説いております。その理解を妨げるものは地上的概念であり、虚偽の上に立てられた教会であり、特権の横領(※)であり、卑劣な圧制者の高慢と権力です。

(※宗教組織の発達に伴って内部において権力の構造が生まれる。それは人間的産物にすぎないが、それを宇宙の絶対者から授かったものと錯覚し主張しはじめる。それを〝横領〟と表現したのであるー訳者)

 私たちの霊訓が理解されていくにつれて地上の民族間の離反性が消えていくことでしょう。各国間の障壁が取り除かれていくことでしょう。民族的優劣の差、階級の差、肌色の違い、さらには教会や礼拝堂や寺院どうしの区別も無くなることでしょう。

それは、宗教には絶対的宗教というものはなく世界の宗教の一つひとつが宇宙の真理の一部を包蔵しており、自分の宗教にとって貴重この上ない真理が他の宗教の説く真理と少しも矛盾するものでないことを理解するように成るからです。

 そうしていくうちに、表面上の混乱の中から神の意図(プラン)が少しずつ具体化し、調和と平和が訪れます。こう申し上げるのも、あなた方にその神のプランの一部───私たちが霊の世界から携わり皆さんの一人ひとりが地上において果たさなければならない役割を正しく理解していただくためです。

 私たちが説いていることは曽て人類の進歩のために地上へ降りた各時代の革命家、聖者、霊格者、理想主義者たちの説いたことと少しも矛盾するものではありません。彼らは霊的に偉大な人物でしたから、その霊眼によって死後の生命を予見し、その美しさが魂の支えとなって、あらゆる逆境と闘争を克服することが出来たのでした。

彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読み取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。

 彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁(ハンパク)され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。

強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれ始めたのです。いかなる地上の勢力を持ってしてもその潮流をせき止めることはできません。

 人間は問題が生じるとすぐ流血の手段でカタをつけようとします。が、そんな方法で問題が解決したためしはありません。流血には何の効用もありませんし、従って何の解決にもなりません。

なぜ神から授かった理性が使えないのでしょう。なぜ相手をできるだけ大ぜい殺すこと以外に、解決法が思いつかないのでしょう。なぜ一ばん多くの敵を殺した者が英雄となるのでしょう。地上というところは実に奇妙な世界です。

 地上にはぜひ私たちのメッセージが必要です。霊のメッセージ、霊的真理の理解、自分の心の内と外の双方に霊的法則と導きがあるという事実を知る必要があります。そうと知れば、迷った時の慰めと導きと援助をいずこに求めるべきかが判るでしょう。

 こうした仕事において私たちは、自分自身のことは何一つ求めていません。栄光を求めているのではありません。地上の人たちのために役立てばという、その願いがあるだけです。

永い間忘れられてきた霊的真理を改めて啓示し、新しい希望と生命とを吹き込んでくれるところの霊的なエネルギーを再発見してくれるようにと願っているだけです。

 今や、これまでの古い規範が廃棄され、あらゆる権威が疑問視され、その支配力が衰えつつある中で人類は戸惑っておりますが、そんな中で私たちは絶対的権威者であるところの宇宙の大霊すなわち神の存在を、けっして機能を停止することも誤ることもない法則という形で啓示しようとしているのです。地上世界がその法則に順応した生活規範を整えていけば、きっと再び平和と調和が支配するようになります。

 そうした仕事は、廃棄された信仰の瓦礫の中にいる人類が不信感と猜疑心からその全部を棄ててしまうことなく、真なるものと偽なるもの、事実と神話とを見分け、永いあいだ人類の勝手な想像的産物の下に埋もれてきた真に価値あるもの、すべての宗教の根底にあるもの、霊についての真理を見出すように指導するという、私ども霊団に課せられた大きな使命の一環なのです。


 霊の力───太古において人類を鼓舞し、洞察力と勇気、同胞のためを思う情熱と願望を与えたその力は、今日においてもすぐ身近に発見できる法則の働きの中に求めようとする心掛け一つで我がものとすることが出来るのです。

 教会の権威、聖典の権威、教理の権威───こうしたものが今ことごとく支配力を失いつつあります。次第に廃棄されつつあります。しかし霊的真理の権威は永遠に生き続けます。私がこうして戻ってくる地上世界は騒乱と混沌に満ちていますが、霊の光が隙間から漏れるようなささやかなものでなしに強力な光輝となって地上全土に行きわたれば、そうしたものは立ちどころに治まることでしょう。

 なぜ人間は光明が得られるのにわざわざ暗闇を求めるのでしょう。なぜ知識が得られるのに無知のままでいたがるのでしょう。叡知が得られるのになぜ迷信にしがみつくのでしょう。生きた霊的真理が得られるのに、なぜ死物と化した古い教義を後生大事にするのでしょう。単純・素朴な霊的叡知の泉があるのに、なぜ複雑怪奇な教学の埃の中で暮らしたがるのでしょう。

 外せるはずの足枷を外そうともせず、自由の身になれるはずなのに奴隷的状態のままでいながら、しかもその自ら選んだ暗闇の中で無益な捜索を続けている魂がいるのです。

思うにそういう人は余りに永い間鎖につながれてきたために、それを外すことに不安を覚えるようになってしまったのでしょう。永いあいだカゴの中で飼われた小鳥は、カゴから放たれた時、果たして飛べるかどうか不安に思うものです。

 足枷を外すまではいいのです。が、外した後に自ら歩むべき道がなくてはなりません。何の道しるべもなくて戸惑うまま放置されるようなことになってはいけません。私たちは彼らの魂の解放を望みますが、その自由が手引きしてくれる方向もよく見きわめてほしいのです。

 永いあいだ束縛の中で生きていると、 やっと自由を得た時に、もう何の指図も受けたくないという気持ちを抱きます。そしてこう言います───〝もう指図を受けるのは御免です。疑問と迷いの年月でした。それを振り棄てた今、私はもう宗教と名のつくものとは一切関わりたくありません〟と。
 
 足枷から解放されて迷いが覚めるとともに、激しい反動が起きることもあります。(たとえば神仏の化身として崇めていた教祖がただの人間に過ぎなかったことを知ってー訳者)

そこで私は、私という一個人、ただのメッセンジャー(使いの者) に過ぎない者に過度の関心を寄せられるのを好まないのです。私はメッセージそのものにすべてを賭けております。地上の人間は余りに永いあいだ教えを説く人物に関心を寄せ過ぎ、超人的地位に祭り上げ、肝心の訓えそのものを忘れてきました。

 私たちの使命はもはやそんな、しょせん人間に過ぎない者を超人的地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡知をお届けするだけです。

私が地上で傑出した指導者であったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでもよいことです。私の述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのはあなた方の理性だけです。

 人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは何一つ要求いたしません。人間としての道義に反すること、尊厳に関わること、屈辱感を覚えさせること、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。

私たちは全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類どうしの同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。

 これまでのように何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威を振りかざしたりすることは致しません。私たちは神から授かっている理性を唯一の拠り所として、それに訴えます。ただ単に聖書に書いてあるからというだけの理由で押し付ける方法は取りません。 理性が反撥を覚えたら拒否なさって結構です。

ただ、よく吟味して下されば、私たちの説くところが霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が間違った古い考えを洗い落とし、代わって、後できっと有難く思って下さるはずの大切な真理をお教えすることであることが分っていただけるものと確信します。

地上のいわゆる宗教は真実を基盤とすべきであり、理性の猛攻撃に抗しきれないようなものはすべて廃棄すべきです。

 私たちが霊的真理を説くとき、それは霊的世界の摂理に関わることとしてのみ説いているのではありません。物的世界に関わることでもあるのです。私たちの目から見れば物的世界は神の創造された宇宙の一側面であり、それを無視して、つまり絶望の淵に沈む人類の苦しみに無関心でいて〝宗教的〟ではありえません。

そういう人たちのために援助の手を差しのべる人はすべて偉大なる霊と言えます。真理を普及することのみが人のための仕事ではありません。他にもいろいろあります。

 貧困にあえいでいる人々への物的援助もそうです。病に苦しむ人々の苦痛を取り除いてあげることもそうです。不正と横暴を相手に闘うこともそうです。憎しみ合いの禍根を断ち、人間的煩悩を排除して内奥の霊性に神の意図されたとおりに発現するチャンスを与えてあげる仕事もそうです。


 私が残念に思うのは、本来霊的存在であるところの人間が余りにも霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちスピリットがテーブルを浮揚させたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです。(巻末〝解説〟参照)

 あなた方も一人の例外もなく神の分霊なのです。ということは、あたかも神があなた方にこう語りかけているようなものです───〝私がすべての法則を用意し、あなた方一人ひとりに私の分霊を授けてあります。宇宙を完全なものにするための道具はすべて用意してあります。

そのすべてを利用することを許しますから、自分にとって良いものと悪いものとをみずから選択しなさい。それを私の定めた法則に順応して活用してもよろしいし、無視してもよろしい〟と。

 そこで神の子等はそれぞれ好きなように選択してきました。しかし他方において、霊界から地上の経綸に当たっている者は神の計画を推進するために、地上において間違いなく神の御心に感応出来る人材を送り込まねばならないのです。

地上の神の子等はこれまで大きく脇道に外れてしまったために霊的なことにすっかり無関心となり、物的なことしか理解できなくなっております。

 しかし冷たい冬の風が吹きまくった後には必ず春の新しい生命が芽生えるものです。地面に雪が積もり、すべてが寒々とした感じを与える時は、春の喜びは分かりません。が春はきっと訪れるのです。そして生命の太陽はゆっくりと天界を回って、いつかは生命の壮観がその極に達する時が参ります。

 今、地上全体を不満の暗雲がおおっています。が、その暗雲を払いのけて夢を抱かせる春、そしてそれを成就させる夏がきっと訪れます。その時期を速めるのも遅らせるのも、あなた方神の子の自由意志の使い方一つに掛かっております。

 一人の人間が他の一人を救おうと努力する時、その背後に数多くのスピリットが群がり寄って、その気高い心を何倍にも膨らませようと努めます。善行の努力が無駄にされることは絶対にありません。奉仕の精神も決して無駄に終わらせることはありません。

誰かが先頭に立って藪を開き、後に続く者が少しでもラクに通れるようにしてあげなければなりません。やがて道らしい道が出来上がり、通れば通るほど平坦になっていくことでしょう。
 
 高級神霊界の神が目にいっぱい涙を浮かべて悲しんでおられる姿を時おり見かけます。今こそと思って見守っていたせっかくの善行のチャンスが踏みにじられていく人間の愚行を見て、いつかはその愚かに目覚める日が来ることを祈りつつ眺めているのです。

そうかと思うと、うれしさに顔を思い切りほころばせておられるのを見かけることもあります。無名の平凡な人が善行を施し、それが暗い地上に新しい希望の灯をともしてくれたからです。

 私はすぐそこまで来ている新しい地球の夜明けを少しでも早く招来せんがために、他の大勢の同志と共に波長を物質界に近づけて降りてまいりました。その目的は神の摂理を説くことです。その摂理に忠実に生きさえすれば神の恵みをふんだんに受けることが出来ることを教えてあげたいと思ったのです。

 物質界に降りてくるのは、正直言ってあまり楽しいものではありません。光も無く活気も無く、うっとうしくて単調で生命力に欠けています。たとえてみれば弾力性のなくなったヨレヨレのクッションのような感じで、何もかもがだらしなく感じられます。

どこもかしこも陰気でいけません。したがって当然、生きる喜びに溢れている人はほとんど見当たらず、どこを見渡しても絶望と無関心ばかりです。

 私が住む世界は光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。住民の心は真に生きるよろこびが漲り、適材適所の仕事に忙しくたずさわり、奉仕の精神にあふれ、お互いに自分のたらざるところを補い合い、充実感と生命力とよろこびと輝きに満ちた世界です。

 それにひきかえ、この地上に見る世界は幸せがあるべきところに不幸があり、光があるべきところに暗闇があり、満たさるべき人々が飢えに苦しんでおります。なぜでしょう。

神は必要なものはすべて用意して下さっているのです。問題はその公平な分配を妨げる者がいるということです。取り除かねばならない障害が存在するということです。

 それを取り除いてくれと言われても、それは私どもには許されないのです。私どもにできるのは物質に包まれたあなた方に神の摂理を訓え、どうすればその摂理が正しくあなた方を通じて運用されるかを教えて差し上げるだけです。今日ここにいらっしゃる方にはぜひ、霊的真理を知ればこんなに幸せになれるのだということを身を持って示していただきたいのです。

 もしも私の努力によって神の摂理とその働きの一端でも教えて差し上げることができたら、これにすぎるよろこびはありません。これによって禍を転じて福となし、無知による過ちを一つでも防ぐことができれば、こうして地上に降りてきた苦労の一端が報われたことになりましょう。

私たちの霊団は決して本来あなた方人間が果たすべき義務を肩代わりしようとするのではありません。なるほど神の摂理が働いているということを身を持って悟っていただける生き方をお教えしようとしているだけです。
 
 そう言うとある人はこんなことを言います───〝おっしゃる通りです。だから私たちも施しをします。が、施しを受ける者はまず神に感謝しなければいけません〟と。施しをしたあと、その相手がそのことを神に感謝しようがすまいが、そんなことはどうでも良いことではないでしょうか。

お腹を空かした人がいれば食べ物を与えてあげる───それだけで良いではありませんか。寝るところに困った人に一夜の宿りを提供してあげる。それは良いことですが〝どうぞウチで泊っていってください。ですが、ちゃんと神にお祈りをなさって下さいよ〟などと余計なお説教をしてはいけません。

 スピリチュアリズムの真実を知ったあなた方は、その分だけを物的なもので差し引いて勘定してみたことがおありですか。つまりあなた方は地上的なものでは計れない貴重なものを手に入れられた。霊的真理という掛けがいのない高価なものをお持ちになっている。

自分が霊的に宇宙の大霊と直結していることを悟られた。神の分霊であるという事実を悟られた。その神から遣わされた使者の働きかけを受け止める心掛けも会得された。 

 そうしたことに比べれば、俗世的な宝はガラクタも同然です。あなた方はこれから先も永遠に生き続けるのです。すると、この地上で学んだ知識、体験から得た叡知が、俗世で追い求めている物的なものに比して、その永遠の魂にとっていかに大切であるかがお判りになるはずです。
 
 見かけの結果だけで物ごとを判断してはいけません。あなた方は〝物〟の目でしか見ていないのです。〝霊〟の目でご覧になれば、一人ひとりの人間に完全に公正な配慮がなされていることを知るでしょう。私は時おりあなた方をはじめ他の多くの人間の祈りに耳を傾けることがあります。

そしていつもこう思うのです───もしも神がそのすべてを叶えてあげたら、ゆくゆくはあなた方にとって決してうれしくない結果をもたらすであろう、と。

 地上を去って霊の世界へ来る人たちに私はよく質問して見ることがあるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません。

(訳者注ーこれは、すべてなるべくしてそうなっていた、つまり自分が蒔いたタネだったということで、〝文句を言う人は一人もいない〟というのは誰しもその事実関係は認めざるを得ないことを言っているのであるが、だからみんなすぐに反省して殊勝な心掛けに立ち帰るという意味ではない。

頭でそう認めても心が素直に従うとは限らないのは地上でもよくあることで、地上ならば片意地を張って通すことは出来ても霊界ではそうはいかない。その頑な心の奥にある恨みや嫉妬等の悪感情がすぐさま身辺の雰囲気に漂い、環境にそぐわなくなり、親和作業によって同じような感情の中で生きる霊ばかりのいる境涯へと引きつけられていく。そこを地獄という)

 地上世界には今三つの大きな問題があります。一つは無知であり、もう一つは悲劇であり、三つ目は貧困です。この三つは霊についての認識が政治と結びつき、みんながその新しい知識の指し示す方向で思考し、そして生きるようにならない限り、いつになっても無くならないでしょう。

 しかし勝利の潮流は着実に押し寄せてきます。古い秩序が廃れ、新しい秩序にその場を譲っていきます。新しい世界は近づいております。しかし、新しい世界になったら地上から暗い場所が完全に無くなるとは思ってはいけません。相変わらず涙を流す人がいることでしょう。心を痛める人がいることでしょう。大いなる犠牲が求められることもあるでしょう。

 神の計画に関わる仕事は犠牲なしには成就されないのです。取り壊しなしには建て直しは出来ません。人間は大きな悲劇に遭遇して初めて霊的なことに関心を抱きはじめ、その拠ってきたる源を探ろうとします。つまり、あれこれと物的手段を試みてその全てが何の役にも立たないことを知ると、ワラをもつかむ気持ちでどこかの宗教団体にすがりつき、そしてやがて失望します。

 そうしたことの繰り返しの中で霊的真理が台頭し、新しい世界───神の摂理が正しく機能している世界───の建設が始まります。そうなるまでは何かと大きな問題の絶えることはありません。が、いずれにしても、何も言うことのない完全な世界にはなりません。なぜならば完全に近づけば近づくほど、その先により高い完全が存在することを知るからです」


───霊界が地上のスピリチュアリズムの普及に関心があるのなら、なぜもっとマスコミに働きかけないのでしょうか。

 「これは、これは。どうやら貴方は(真理のあり方について)あまり理解がいっていないようですね。知識が普及すること自体は良いことにきまっております。でも、いきなりマスコミを通じての宣伝効果の話を持ち出されるとは驚きました。あなたは魂というものがいついかなる状態で真理に感動するものかをご存じないようです。

 私たちは私たちなりの手段を講じております。計画はちゃんと出来ているのです。後はあなた方地上世界の協力を俟(ま)つのみなのです。

 忘れないでいただきたいのは、私たちは〝魔法の杖〟は持ち合わせていないということです。〝魔法の呪文〟をお教えするのではありません。宇宙の自然の理法を明かして差し上げようとしているだけです。

 その理法を知って魂が目を覚まし、自分も神の分霊であること、自分を通じて神が地上へ働きかけることもあり得ることを理解してもらいたいと願っているのです。そのために私たちなりの普及活動は行っております。が、地上の雑音(マスコミを通じての宣伝)によってそれを行ってみても必ずしも効果は期待できません。

一個の魂、一つの心に感動を与えていくこと、つまり霊とのより密接な一体化を体験させることによって成就していくほかはありません。


───地上の体験、たとえば戦争、苦難、精神的並びに肉体的受難、病気、悲しみ、憎しみ等々は人類の進化と発達にとって不可欠のものとして神の計画の中に組み込まれているのでしょうか。

 「いえ、そんなことはありません。戦争は神が計画されるのではありません。病気は神が与えるのではありません。人類が自由意志の使用を誤ってみずから招来しているのです。その中にも学ぶべき教訓があることは確かです。しかしそれは、何も人類同士で野蛮な行為や恐ろしい残虐行為をし合わなくても学べることです。人間が勝手にやり合っていることを神の行為と取り違えてはなりません」


───今は連邦となっている英国の〝王室〟の存続は有益であると思われますか。

 「そう思います。なぜなら、何であれ国民を一つに結び合わせるものは大切にすべきだからです。世界人類が共存していくための団結の要素を求め、お互いに近づき合うようにならなければいけません。離反、孤立を求めて争うことを私がいけないというのはそこに理由があります。魂が一切の捉われを無くすると、世界中の誰とでも調和した一体化を求めるようになるものです」


───霊界のプランがあることを何度も聞かされておりますが、それらしい明確な証が見当たらないのですが・・・・・・。

 「物的な目を持ってご覧になるから見えないのです。あなた方は全体の進歩というものを自分一人の短い生涯との関連において判断されますが、私たちは別の次元から眺めております。その私たちの目には霊的真理の普及、霊的知識の理解、寛容的精神の向上、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的奴隷状態の障壁の破壊が着実に進行しているのが見えます。

進歩は突発的な改革のような形で為されるものではありません。絶対にあり得ません。霊的成長はゆっくりとした歩調で為されねばならないからです。どうか失望なさらないでください。

なるほど物質万能主義の風潮がはびこるのを見ていると失望の要素ばかりが目につきます。が、他方では、霊的真理がそうした物質万能的な利己主義のモヤに浸透していくにつれて、希望の光が射し込みつつあります。正しい認識が広まれば真理が勝利を収めます。
 
 だからこそ私たちのメッセージが大切なのです。私たちにとって大切なのではありません。あなた方にとって大切なのです。私たちは地上の人類がその利己主義に対して、その理不尽な無知に対して、その計画的な残虐行為に対して払わねばならない代償の大きさを認識させるべく努力しているのです。あなた方のために努力してるのです。何とか力になってあげようとしているのです。その動機はあなた方に対する私たちの愛に他なりません。

 私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません。私たちはあなた方の品性を汚すことや残虐な行為、あるいは罪悪を犯させようとしているのではありません。

それどころか、逆にあなた方の内部に宿る神性、神から授かっている霊的能力を認識させ、それを駆使して自分を他人のために役立てる方法を説き、そうすることによって神の計画の推進に役立たせてあげたいと望んでいるのです」(巻末〝解説〟参照)

Sunday, April 26, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




5章 アポーツの原理

……突発的な場合と実験的な場合


特定の霊媒を用意し、レギュラーメンバーの出席のもとに行う心霊実験会で発生する現象とは別に、霊的なことに何の知識も関心もない人の身辺で突如として発生する現象がある。これを突発的心霊現象と呼ぶ。

中でも頻繁に起こり、しかも最も単純なのがラップである。が、これは風とか動物の仕業である場合もあるので、注意が肝要である。耳の錯覚かも知れないと思った時に、その原因を確認するいちばん間違いない方法は、こちらから合図を出すことである。それに応じたラップがしたら、そこに目に見えない知的存在が働いていると見てよいであろう。

すでに述べたように、物理的心霊現象の目的は常識を超えた現象を見せることによって注意を喚起し、人間とは別個の、目に見えない知的存在すなわち霊が実在することを教えることにある。

同時に、そうした現象の発生に直接携わるのは高級霊ではなく、高級霊が低級霊を雇ってやらせているということも述べた。が、そうした現象の役割が終わったあとに、これから解説するような本格的な目的が用意されていて、現象はあくまでもその目的のための準備的手段であり、その役割が終われば現象は生じなくなる。我々の体験から単純な例を挙げてみよう。

私が仲間たちとスピリチュアリズムを研究し始めて間もない頃のことだったが、論文にまとめるために一緒に会合して相談し合うことがよくあった。そんなある日、いきなり我々の周囲でノックをするような叩音がし始めて、実に四時間にもわたって鳴り続けて、やっと終わった。

初めての体験だったが、どう考えても普通の原因によるものではない。と言って、なぜ空中でそんな音がするのかは、その頃の我々にはまだ分からなかったので、翌朝、当時評判のよかった霊能者を訪ねて、昨日の叩音の話をして、その音を出した霊と交信してほしいと依頼した。

するとその霊能者が、

「それはあなたと親しかった霊で、あなたと交信したがっておられますよ」と言う。

「何を伝えたいのでしょうね?」と私が尋ねると、

「あなたからお聞きになってみてはいかがですか。ここに来てますよ」と言う。

そこで私が紙面に質問事項を書くと、その霊能者がトランス状態に入って、自動書記でその霊からのメッセージを綴った。

まず寓意的な名前を綴ってから、我々が書いている論文に重大な間違いがあると述べて、その箇所を指摘し、そこはこのように書き改めるようにと助言し、これからも疑問に思う点があったら、この度のように尋ねるように、と述べてあった。

そういうことがあってから、そのノックするような音は一切聞かれなくなった。なぜか――所期の目的、すなわち我々を驚かせて霊能者のところへ出向かせ、そこで自分の存在を知らせ、その後の定期的な交信関係へと導く目標が達成されたからである。

その後の通信では同じ霊団に属する他の複数の霊からも通信が来るようになり、最初に自動書記通信を送ってきた霊が非常に高い界層の霊で、地上時代も重要な地位にあったことが明かされた。

我々の場合は使命をもった高級霊団の管理下であったから迷惑も危険もなかったが、突発的現象の中には地上時代の恨みつらみを晴らすための場合や、人間を驚かせてうれしがる幼稚な悪ふざけの場合もある。

そうした点について再び聖ルイに尋ねてみた。


――リュ・ダ・ノイヤルで起きたという例の怪現象は、あれは本当にあったことでしょうか。


「実際に起きたことです。想像たくましい人たちによって尾ヒレが付いてはいるが、ある霊が住人の迷惑も考えず面白がってやったことです。」


――あのような現象の場合、その家族の中に誰か原因となっている者がいるのでしょうか。


「あの種の現象には必ず攻撃の的になっている人物がいるものです。その人物に対して邪心を抱く霊によって起こされている。目的はその人物を悩ませ、その家にいたたまれなくすることです。」


――その場合、現象を生じさせるための霊媒的体質をした人物がいるのでしょうか。


「そういう人物がいなければ、あのような現象は起きなかったであろう。仮に邪心を持った霊がいても、霊媒的体質を持つ者がいないかぎりは大人しくしています。が、そういう体質の人間が現れると、やおら行動に移ります。」


――現場にそういう人間がいるということが絶対的条件でしょうか。


「通常はそうです。リュ・ダ・ノイヤルの場合はそうでした。今も述べたように、そういう人間がいなかったらあのような現象は起きなかったであろう。ただ、あの現象に限って述べているのであって、霊媒的体質の人間の存在が必要でないケースもあります。」


――そういう現象を起こす霊が霊性の低い霊であるとなると、そのための材料を提供する者も霊性の低い人間で、騒ぎを起こす霊たちとの間に親和性があるということを意味するのでしょうか。


「それは違う、必ずしもそうではない。あくまでも体質上の問題だからです。ただ言えることは、そういう邪霊に使われるようではいけないということです。霊性が高まるほど、引き寄せる霊も高級となる。そうなれば当然、邪霊は近づけないのが道理です。」


――そうした物理現象を起こすには、霊媒的素質の人間から出るエネルギーのほかに、物的素材が必要とのことですが、それはどこから摂取するのでしょうか。


「大体において現象が発生している場所、あるいはその近辺の物体から摂取されます。霊が放射するエネルギーの作用でその素材が流動エネルギーとなって抜き取られ、空中へ放射されたものを一箇所に集めて使用します。」(J・G・E・ライト著『エクトプラズム』によると、物質化現象に使用する流動体の組成および感触は、その部屋にある織物――カーテン・ジュータン等――に似る傾向があり、極端な場合はその織物の修繕箇所がそのまま現れることがあるという――訳注)


――その種の突発的現象が疑い深い人間を納得させる意図をもって仕組まれることがあるそうですが、それなら当の本人が真っ先にその証拠の前に降参してもよさそうなものです。ところが当人は因果関係が明確でないといって信用しようとしません。霊界側には否定しようのない決定的な証拠は出せないものでしょうか。


「この森羅万象には無限なる大霊の存在と思念の威力を暗示するものが溢れており、人間はそれを刻一刻と目撃しているにもかかわらず、無神論者や唯物論者がいるのはなぜであろうか。イエスが見せた奇跡によってその時代の者すべてが改心したであろうか。造化の驚異を見て人間を超える無限なる知的存在を直観しないような者は、いかに説得力のある現象を見せたところで霊の実在を信じるようにはなりません。

誠実さと真摯さとをもって真理を求める者には、大霊は必ずやその機会をお与えくださいます。人間が少々疑ったからとて大霊の計画の推進には何の支障にもなりません。スピリチュアリズムの発展にとっても何の障害にもなりません。

敵対する勢力の存在には取り合わないことです。絵画に陰影があるように、それが真理をより一層鮮明に引き立たせてくれるのです。」


――リュ・ダ・ノイヤル現象の張本人の霊を呼び出してもよろしいでしょうか。何か参考になることが聞けるでしょうか。


「呼び出したければ呼び出すがよい。ただし地縛霊であるから大して参考になる話は聞き出せないであろうが……」

以下はその霊との一問一答――


霊「なぜオレを呼び出した? お前も石を投げつけられたいのか。そうやって平気な顔をしているが、一目散に逃げ出すぞ。」


「石を投げられても別には怖くはありませんよ。第一、石を投げることがここでできますかね?」


霊「ここではできそうにないな。お前にはガーディアンが付いている。そいつが厳重に見張ってるもんな。」


「リュ・ダ・ノイヤルには、あなたのイタズラに協力した誰かがいたのですか。」


霊「いたとも! オレにとっては大事な道具でな。それに、ここみたいに賢人ぶった道徳の先生みたいなヤツ(聖ルイ)が邪魔することもないしな。オレだって時にはハデに楽しみたくなるんだよ。」


「大事な道具というのは誰のことですか。」


霊「メードの一人さ。」


「そのメードはそうとは気づかずに協力したわけですか。」


霊「そうさ、気の毒だけどな。そのメードが一番怖がってたな。」


「何か恨みでもあったのですか。」


霊「このオレに? オレに恨みなんかあるもんか。お前たちこそ何もかも調べ上げて、それを都合のいいように利用してるじゃないか。」


「どういう意味でしょうかね。おっしゃってることがよく分かりませんが……」


霊「オレはただ面白くてやっただけさ。それをお前たちスピリチュアリストが余計なせっかいをして、オレたちのような霊がいることを暴くことをしているということさ。これでまた証拠が一つ増えたわけだ。」


「恨みなんかないとおっしゃいましたが、アパートの窓という窓をぜんぶ壊したじゃないですか。あなたがやったことですよ。」


霊「あんなの大したことじゃないよ。」


「家の中に放り込んだものはどこから持ってきたのですか。」


霊「特別のものじゃないよ。あの家の庭にあったものもあるし近所の庭から持ってきたものもある。」


「そこにあったものばかりですか。あなたがこしらえたものもありましたか。」


霊「オレは何もこしらえていない。合成したものは何もない。」


「もしあのような物体が庭になかったら、こしらえることができたでしょうか。」


霊「その方が難しかったろうね。が、作ろうと思えばつくれるよ。」


「では、あのような物体を“投げる”というのは、どうやってやるのでしょうか。」


霊「ああ、そのことか! それはちょいと説明が難しいね。あのメードの電気性のエネルギーをオレのエネルギーにつなぐのさ。オレのエネルギーでは濃度が薄いからだよ。すると物体が動かせるんだ」(この答えは聖ルイが指示したことを後で認めている。本人はよく分かっていない――編者注)


「あなた自身のことを少しお聞きしてもいいですか。まず最初にお聞きしたいのは、亡くなられてどのくらいになりますか」


霊「もう長いよ。まるまる五十年だ。」


「地上では何をなさっていましたか。」


霊「あまり自慢できることはしてないな。汚いことばかりやってた。あの辺りで屑拾いをしたり酔っぱらって歩き回ったりして、ずいぶん嫌われて、いじめられもした。だから仕返しにああやって家から追い出してやるんだ。」


「こちらからの質問に対する答えは全てあなた自身が考えたことですか。」


霊「指示を出す人がいたよ。」


「それは誰ですか。」


霊「フランスの王様だったルイだよ。」


「今あなたは何をなさってるのですか。これから先のことを考えたことがありますか。」


霊「ないね。オレは流れ者さ。地上の人間はオレのことなんか構ってくれないし、祈ってもくれない。放ったらかしだからオレも何もする気がしないよ。」(このあとの問答で“祈り”や“話を聞いてやる”ということがいかに大切かが分かる――編者注)


「地上時代の名前は?。」


霊「ジャネット。」


「ではジャネットさん、私たちがあなたのために祈ってあげましょう。こうして呼び出したことがあなたにとって迷惑だったでしょうか、それとも嬉しかったですか。」


霊「ま、嬉しいね。あなた方は心優しい、いい方ばかりだ。ちょっぴり真面目すぎるけどね。でも、話を聞いてくれて、それが私にはとても嬉しい。」

以上は俗にポルターガイスト(騒々しい霊)と呼ばれている現象の張本人である霊を呼び出して、その意図やアポーツのメカニズムについて尋ねたものである。

これと同じ現象が我々の実験会でも突如発生して驚いたことがある。我々の場合は窓を突き破って投げ込まれたのではなく、いつの間にかその実験室に持ち込まれていた。

これにはアポーツの専門の技術者がいて、我々の質問に答えてくれたものを次に紹介するが、さきのジャネットが何のメカニズムも知らずにやっていたのとは違って、技術者らしい説明をしている。

ところが、霊格が一段と高い霊から見るとやはり勘違いしているところがあるらしく、それをエラステスという、かつて聖パウロの弟子だったという霊が補足的に解説を加えている。


――あなた方が物品を持ち込む時は、霊媒がきまってトランス状態にあるのはなぜですか。


「それは霊媒の体質のせいです。この霊媒の場合はトランス状態で持ち込む同じ物体を、別の霊媒の場合は普通の覚醒状態で持ち込むことができます。」


――アポーツが起きる時はひどく待たされるのはなぜですか。また約束の品物を持ち込む際に霊媒の物欲を煽(あお)るようなことを言うのはなぜですか。


「時間が掛かるのは、アポーツに必要な流動エネルギーを何種類か用意しなくてはならないからです。また霊媒の物欲を煽るのは出席者を喜ばせてあげるためです。」


エラステス付記――この霊はこれ以上のことは分かっていない。霊媒の物欲を煽るのは、本人は出席者を喜ばせるためと言っているが、実際はそれが流動エネルギーの放散を促進するからである。本人は本能的にやっていて、その効果には気づいていない。アポーツは多量のエネルギーを必要とするので、自然にそういうことが必要となる。突発的よりも実験会の方がその必要性が大きく、とくに霊媒によって違ってくる。


――アポーツの発生には霊媒の特殊な体質が不可欠なのでしょうか。例えばこの霊媒よりも速やかに、そして容易に発生させる霊媒が他にいるのでしょうか。


「あの現象には霊媒体質の人間が大きく係わっています。いくつかの特質が必要で、しかもそれらが調和が取れていないといけません。現象の発生を速やかにするということに関しては、同じ霊媒を何度も使って一つのパターンをこしらえるということが必要です。」


――出席者による影響のことですが、それが現象の発生を促進したり阻害したりするものでしょうか。


「猜疑心や反抗心を抱いている者がいると阻害されることがよくあります。なるべくなら信じている人やスピリチュアリズムをよく理解している人の方が好ましいです。と言っても、地上の人間の悪意で我々の仕事が完全に阻害されることはありません。」


――今回持ち込んだ花や砂糖菓子はどこから取ってきたのでしょうか。


「花はどこかの庭から取ってきます。気に入ったのを選びます。」


――砂糖菓子の方は? 売店から取ってきたら店の人は減っていることに気づくでしょう?


「ま、適当なところから頂載します。店の人は気づきません。代わりのものを置いておきますから……」


――でも、あの指輪、いくつかありますが、みな高価なものばかりです。どこから持ってきたのですか。持ち主に悪いではないですか。


「誰も知らない所から頂載しますから、私が取ったことで被害をこうむる人はいません。」


エラステス付記――この霊は知識不足のために十分な説明になっていない。物品を頂載することで問題を引き起こしたことは有り得ることで、この霊は“盗み”の咎めを指摘されたくないからあのような言い逃れを述べているだけである。代わりのものを置く以上は形も価値もまったく同じものでなくてはいけない。もしまったく同じものをこしらえて置き代えられるのなら、無理に頂載しなくてもよいわけで、こしらえたものを持ち込めばよいことになる。


――別の天体からでも花を持ってこれますか。


「それはできない。私にはできません。」


編者注――ここでエラステスに「他の霊にはできる者がいますか」と尋ねると大気の条件が違うので不可能であるとのことだった。


――別の半球、例えば熱帯地方からだったら持ってこれますか。


「それはできます。地球上であればどこからでも持ってこれます。」


――今回持ち込んだものを逆に元のところへ持ち帰れますか。


「持ち込んだのと同じように簡単に持ち帰ることができます。どこへでも持って行けます。」


――その操作に苦心する事がありますか。そのために疲労を覚えるとか……。


「許されてやっている時は何ら苦心することはありません。許しを得ずに勝手にやったら、とても疲労を覚えるでしょう。」


エラステス付記――本当は苦心しているのだが、それを認めないだけである。本質的には物質に近いものを操作するのだから大変である。


――難しい点といえばどんなことですか。


「難しいことといえば流動エネルギーが扱いにくい場合です。思うようになりません。」


――物体を運ぶ時はどのようにするのでしょうか。手で持つのですか。


「いえ、我々の身体にくるんでしまいます。」


エラステス付記――説明が十分でない。身体にくるむわけではない。自分から出す流動エネルギーに膨張性と浸透性があり、その一部を霊媒から抜き取った活性化された流動エネルギーの一部と合成して、その中に物体を包み込んで運ぶのである。従って自分自身の中にくるむという表現は正確でない。


――相当に重い物体でもラクラクと運べるのでしょうか――例えば四キロとか五キロのものでも……。


「我々にとって重量は関係ありません。花を持ち込むのは、重々しいものより見た目に気持ちがいいからです。」


エラステス付記――これは彼の言う通りである。十キロのものでも何十キロのものでも同じである。これはあなたたち人間の感覚にとっての重量であって、霊にとっては無重量に等しい。ただ、ここでも彼の説明の仕方に問題がある。合成された流動エネルギーの総量と移動させる物体との間に釣り合いが取れていないといけない。つまり使用するエネルギーが、克服すべき抵抗力と釣り合っていなければならない。このことから推理できるように、花のような軽いものを持ち込むのは、得てして霊媒ないし霊自身にそれ以上の重量のものに必要なエネルギーが見出せない場合である。


――確かここに置いておいたはずのものが失くなっていることがあるのは、霊の仕業である場合も有り得るわけですか。


「よくあることです。あなたたちの想像以上によく起きています。頼めば持ち帰ってくれるかも知れません。」


エラステス付記――その通りであるが、持ち帰る時は持ち出した時と同じ条件を必要とするので、よほど特殊な能力をそなえた霊媒がいないと不可能である。それゆえ何かが行方不明になった時は、霊の仕業であるよりも自分の不注意であると考えた方がよい。


――我々が自然現象と思っているものの中には実際は霊の仕業であるものもあるのでしょうか。


「人間の日常生活はその種の出来事だらけと言ってよいほどです。そのように思えないのは、真剣に考えないからです。じっくり考察すれば本質に気づくはずです。」


エラステス付記――人間の仕業まで霊の仕業にしてしまってはならないが、霊的な影響力が絶え間なく地上に注がれていて、人間の行為、時には生死に係わることまで経綸するための環境づくりや出来事の発生まで関係していることは知っておくべきであろう。


――持ち込まれた物品の中には霊がこしらえたものもあるのではありませんか。


「私の場合はありません。私にはそういうことは許されていません。高級霊のみに許されていることです。」


――先日の実験では幾つかの物品が持ち込まれましたが、実験室は完全に密閉されていたのに、どうやって持ち込んだのですか。


「私と一体となって、つまり私の身体に包み込んで持ち込みました。その辺のメカニズムは要するに“説明不可能”と申し上げるしかありません」


――一瞬見えなくなって次の瞬間に見えるようになったわけですが、どのようにするのですか。


「物体をくるんでいる物質を取り除いたのです。」


エラステス付記――厳密に言うと、くるんでいるのは物質ではなく、霊媒のダブルの一部と担当の霊のダブルの一部とで合成した流動体である。


訳注――このアポーツ、日本語で「物品引寄現象」と呼んでいる現象は、訳者にとっても年来の興味あるテーマである。エラステスも、どうやって壁を貫通させるのかと改めて問われて「とても複雑な問題だ」と答え、「貫通させるということは破壊させることになるので、それはできない」と述べている。

しかし、その答えの部分を英語に訳したブラックウェルも注を設けて、「まだ解明されていないが、多くの実験結果からみると、霊は我々に理解できない方法で物体を貫通させることができるようである」と述べている。どうやら“貫通”という用語の捉え方に食い違いがあるように思える。『ジャック・ウェバーの霊現象』の中でも、いったん高振動の状態に分解して持ち込み、そこで再物質化すると述べている。が、それ以上のことは人間に教えても理解できないとも言っている。

『これが心霊の世界だ』の中にはキャサリン・バーケルという霊媒の支配霊ホワイト・ホークの説明がある。それによると、物品が分解するまで原子の振動速度を高めていき、分解した状態で運び込んでそれを再物質化するという。

このテーマを考える時にいつも頭に浮かぶのはテレビジョンである。これもいったん映像を分解して電波で運んで受像機の中で再生する。次元を異にする霊界では“人間に教えても理解できない”複雑な操作があるようであるが、基本的には“分解と再生”の原理に基づくと考えてよいように思う。

いずれにしても、霊界へ行けば何でも分かるというものではないらしい。いい加減な霊媒のお告げを信じるのが危険であることがよく分かる。

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論





4章 物理的心霊現象のメカニズム

さて、霊の実在が理論と実際の両面から立証され、また霊が物質界に働きかけることが可能であることも明らかとなったが、続いて確認しなければならない問題として、テーブルなどの、動くはずもない物体がどういう原理で動くのか、霊はどういう手段を用いるのかという点が残っている。

初めの頃は我々は人間の常識的判断で大よそのことを想像していた。ところが霊との交信が始まってその点を質すと、我々の想像は簡単に一蹴された。ということは、霊信は我々の想像力の反映ではないことの証明ともなった。

実験会における現象が霊の有するダブルという半物質体の仕業であること、人間とそっくりの感触のある手が出現して物体を握ったり持ち上げたりするところを観察すると、霊媒は存在しなくてもいいのではないかと思いたくなる。霊媒は物体にまったく触れないのである。

我々の霊団の統括霊である“聖(セント)ルイ”が我々の質問に次のように答えている。(ルイ九世のこと。一二二六年から四十四年間も王位にあって六十六才で他界した名君の一人で、“聖人”に列せられている。この霊がパリの「カルデック協会」の主宰霊であり、霊団の最高指導霊だった――訳注)


――宇宙に遍満する流動性の半物質体というのは宇宙の大霊からの放射物でしょうか。


「違います。」


――やはり大霊による創造物でしょうか。


「大霊を除いて、すべてが創造されたものです。」


――その流動体は普遍的要素でしょうか。


「そうです。すべての存在物の基本的原理です。」


――電気という、我々が反応によってのみその存在を知っている流動体と何か関係がありますか。


「その基本的要素です。」


――その普遍的流動体が我々人間の感覚に訴えるものの中で最も純粋なものはどういう状態でしょうか。


「絶対的純粋性を求めていけば、完全に浄化されつくした最高級の霊にまで行き着かねばなりません。地上においては多かれ少なかれ濃密な物的環境に相応しい形に変質させてあります。その条件下で最も純粋な状態のものを挙げるとすれば、生体磁気でしょう。」


――その普遍的流動体は生命の源であると言われておりますが、知性の源でもあるのでしょうか。


「違います。流動体の働きは物質を活性化するだけです。」


――ダブルを構成している流動体は、地球圏との係わりにおいては、ある程度まで物質性を帯びた凝縮状態で存在しているのではないかと思われますが、いかがでしょうか。


「その通りです。ただし、おっしゃる通り、ある程度までです。流動体には物質の成分のすべてが含まれているわけではないからです。各天体の物質に合わせて凝縮してあります。」


――霊が固体の物体を動かせるのはなぜでしょうか。


「いま述べた流動体の一部に霊媒の身体から抽出した流動体を結合させます。」


――テーブルを持ち上げる場合、そちら側のプロセスによって固体化した手足を使うのでしょうか。


「その質問に対する回答は、残念ながらあなた方が想像なさっているメカニズムの確認とはなりません。あなた方が両手を置いているテーブルが動き始めた時、そのテーブルに働きかけている霊は、テーブルを活性化するための成分を普遍的流動体から抽出し、合成エネルギーをこしらえて、言わば充電のようなことをします。

そうした下準備のあと、担当の霊は意念によって放出した自分の流動体を使ってテーブルを引き寄せ、操ります。エネルギーが不足して思うように動かせない時は、複数の他の霊の援助を求めます。霊性の発達がほぼ同等の霊です。

霊は、その性質上、何らかの媒体がなければ鈍重な物質に働きかけることはできません。霊と物質とを結びつけるための媒体です。それがペリスピリット(ダブル)と呼んでいるもので、それが物理的心霊現象を理解するカギです。」


編者(カルデック)注――冒頭の一文「その質問に対する回答は、残念ながらあなた方が想像なさっているメカニズムの確認とはなりません」に注目していただきたい。この通信霊は我々が想像しているメカニズムをあらかじめ承知していて、我々の質問がそれを引き出すように順序立てられていることも承知していたので、それとは全く異なる回答になることを、あらかじめそういう言い方で予告したわけである。


――他の霊の援助を求めるとおっしゃいましたが、霊格の低い霊ですか――命令下に置かれている……。


「ほとんどが同じ程度の霊と思ってよろしい。そして、自ら援助を申し出ることがよくあります。」


――物理現象はどんな霊にでも起こせるのでしょうか。


「この種の現象を起こすことができるのは、物的影響力から完全に脱し切っていない下層界の霊と思って間違いありません。」


――高級霊が低級な波動の物体に関知しないことは理解できますが、お聞きしたいのは、高級霊でもその気になれば同じような現象が起こせるのかということです。


「高級霊は倫理・道徳に係わる影響力を行使し、低級霊は物理的な影響力を行使します。高級霊が物理的な力を必要とする時は、それを行使できる者を雇います。荷物運搬人を雇う要領で低級霊を雇うということは、すでに述べた通りです。」


――あなたのおっしゃるところによると、普遍的流動体に生命原理が存在し、霊はダブルを構成している半物質的媒体をその流動体から抜き取り、それを手段として物質に働きかける――そういう理解の仕方でよろしいでしょうか。


「それでよろしい。言いかえれば一種の合成エネルギーによって物質に活性を与え、生命原理が動物的身体に宿って生命活動を営むのと同じ要領で、その物体を一時的に生かしめていると理解すればよろしい。

手を置いているテーブルが動き始めた時、そのテーブルを構成している物質は、その間だけは肉体に宿って生きているのと同じように生きているということです。言わば、雇い主である知的存在の言う通りに従います。知的存在(霊)が、人間が手で物を動かすのと同じ要領でテーブルを動かすわけではなく、知的意志の働きかけを受けて、みずから動くのです。

それゆえテーブルが動いた時、それは霊が腕を使って動かしているのではなく、霊が発した指令に従って、一時的に活性化されたテーブルの素材が反応し、自然に動いているのです。」


――そうした現象の発生に霊媒はどのような役割をしているのでしょうか。


「すでに述べたように、霊媒が有する流動エネルギーと普遍的流動エネルギーとが化合する。この二種類の流動体すなわち活性化されたエネルギーと普遍的に存在するエネルギーとの合成は、テーブルに生命を付与する上で必要です。

ただし、忘れてならないのは、テーブルに付与されたエネルギーは一時的なものであることです。それを付与した霊による働きかけが終われば、そのエネルギーは消滅します。また、流動エネルギーの補給が不足して現象を支えられなくなった時は、霊の働きかけが終わらないうちにでも消滅してしまいます。」


――霊は霊媒の流動エネルギーを使用せずに物体に働きかけることができますか。


「霊は、霊媒が自分が使用されていることを意識していなくても、現象を起こすことができます。同じ意味で、列席者の中にも利用されていながら気づかない人が多くいます。

霊は井戸から水を汲み上げるように列席者から活性化された流動エネルギーを抜き出します。霊媒という特殊な存在が必ずしもその場にいなくてもよい場合があるのは、そういう理由からです。特に突発性の現象の時は、当然、霊媒はいません。」


――テーブル自体は自分の働きを自覚しているのでしょうか。つまり思考力がありますか。


「かりに棒切れで知的な合図をした場合、その棒切れに知性があるわけではないのと同じで、テーブルに思考力はありません。一時的に付与された生命力によって、霊による知的な働きかけに従うことができているまでです。動き始めたテーブルが霊に代わるわけではありません。それ自体には思念も意志もありません」


――こうした現象を起こす上で最も大切な要素は何でしょうか。霊でしょうか流動体でしょうか。


「霊は働きかける動因であり、流動体はそのための材料です。どちらも大切です。」


――霊媒の意思はどのような役割をするのでしょうか。


「霊を呼び寄せること、そして霊が流動体に働きかける時に力を貸すこと、この二つです。」


――その霊媒の意思は絶対に不可欠のものでしょうか。


「霊のパワーを増すことになるということで、不可欠というものではありません。霊が意図した動きは霊媒の意思に逆らってでも、あるいは無視してでも、起こすことができます。ということは、霊媒の働きとは別個の、もっと基本的な要因があるということの証明と言えます。」


編者注――物体を動かす上で、手を触れるということは必ずしも必要でない。大ていの場合、最初の衝動を与えるために必要であるが、いったん物体が活性化したら、それ以上触れている必要はない。霊媒のパワーないしは物体そのものの性質によってまちまちである。場合によっては最初の接触も必要でないことすらある。我々の会でも、物理現象が生じることをまったく予想していなかった時に、いきなり物体が浮揚したり移動したりしたことがある。


――人間の誰もが霊媒と同じことができるわけではないこと、また、全ての霊媒のパワーが同じでないのはなぜでしょうか。


「それは全て体質の違い、および霊媒の流動体と普遍的流動体との合成の難易度の違いによります。さらには霊媒の霊性と霊団の霊性との親和性が高い場合と低い場合があります。

時には霊媒の体質の中に適当なエネルギーが見出せないこともあります。生体磁気の強い人と弱い人がいるのと同じで、流動体のパワーが強烈な霊媒と弱い霊媒とがいます。さらには、活性化された流動エネルギーがきわめて融和性に富む霊媒もいれば、意志による努力を必要とする霊媒もいます。

出席者の中にもその合成が本人の気づかないうちに自然に行われていて、自分が霊媒と同じ役目を果たしていることを知らない者もいます。」


編者注――生体磁気が心霊現象の基本要素であることは間違いないが、その働きは一般に想像されているのとは違うようである。と言うのは、強い磁気的体質をした人で小さなテーブルを動かせない人もいるし、反対に磁気的反応を見せない人、たとえば子供などでも、指先をそっと触れるだけで大きなテーブルが動き出すという人もいる。このように霊媒的パワーと磁気力とは必ずしも一致しないところからも、心霊現象には別の要素が加わっていることは明らかである。


――生体磁気の強い人は霊媒的体質の人とみてよいでしょうか。


「そういう体質の人は現象の発生に必要な流動エネルギーを引き寄せることができるので、外的援助なしに現象を起こすことができます。ですから、そういう人はあなた方のいう意味での霊媒ではないにしても、霊がその体質を利用して現象を起こすことは可能です。」


――霊が堅い物体を動かす時、その霊は物体の中にいるのですか、外にいるのですか。


「中にいる時もあれば外にいる時もあります。何度も述べているように、霊にとって物質は何の障害にもなりません。全てを貫通します。霊自身のダブルの一部が、貫通する物体と結びつくのです。」


――霊はどうやって音を出すのですか。何か物的なものを使うのですか。


「腕も使いませんし、いかなる物体も使いません。ハンマーを持ち合わせないことはご存じでしょう。物体を動かすにせよ音を出すにせよ、そのための道具は意念で合成した流動エネルギーです。物体が動いたことは照明があれば分かります。音がした時は空気がその波動を伝えています。」


――堅い物体を叩いたというのなら理解もいきますが、そういうものが存在しない空中から聞こえる――それも明瞭に聞こえるのはなぜでしょうか。


「霊が物質に働きかけることができる以上、テーブルだけでなく空気にも働きかけることができるのは当然です。明確に聞こえるというのは、そういう音をこしらえることができるということです。」


――テーブルを動かすのに手は使わないとおっしゃいますが、物質化現象の実験会で両手が出現して、それがキーボードの上を動きながらキーを叩き、音を出すところを我々は見ています。そうした場合、キーの動きは物質化した指が押さえるからではないのでしょうか。その押さえるという動作は、我々が自分の身体を押さえて感じる、その“押さえ”と同じく直接的で現実的なものではないのでしょうか。


「霊の本質およびその行動様式は人間には理解できません。譬えで説明するしかないのですが、それも、およそ十分とは言えません。というのは、人間はどうしても自分たちの行動様式に当てはめて理解しようとするのですが、それは間違いです。

我々霊は、霊という組織体の特質に合った方法で現象を起こす以外に方法がありません。申し上げた通り、ダブルの流動エネルギーが物体に浸透し、霊的化学反応を起こして、一時的に特殊なエネルギーを合成します。(これをウィリアム・クルックスは“サイキック・フォース”と呼んでいる――訳注)

さて、おっしゃる通り、物質化した指先をキーの上に置きます。その時、指先がキーに触れるのは事実です。ですが、キーを押して音を出した時、それは人間のように筋力を使っているのではありません。さきにテーブルを活性化すると言いましたが、それと同じ要領で、指が触れたことによってキーが活性化されます。するとキーは霊の意念の言う通りに動くのです。指先でキーを叩いているように見えても、メカニズムはまったく違うのです。

さらにもう一つ人間に理解しがたいことを申し上げます。それに携わっている霊は、あなた方が想像しているように自分では地上時代と同じように自分の指でキーを叩いているつもりでいるということです。物理現象に直接携わる霊は波動的には地上圏に属していて、まだ地上的感覚で生活しています。ですから、音楽の素人が音が出る仕組みが分からないままピアノのキーを叩くのと同じで、その霊たちは自分たちが起こしている現象のメカニズムを知らないまま、高級霊の言う通りにしているのです。

ですから、彼らにどうやってピアノを弾いているのかと尋ねたら、指で叩いていると答えるでしょう。初めからそう思って弾いているのですから、地上時代と同じ感覚で……ですが実際は弾こうと思うその意念がキーを動かしているのです。」


――“超自然的”なエネルギーの存在の証拠とされている現象の中には、明らかに自然法則と矛盾しているものがあります。それを疑問視するのも一理あるのではないでしょうか。


「人間が大自然の法則を知り尽くすなどということは到底あり得ないことです。そうやって大自然に限りがあるかに思う自負心が日一日と崩れていきつつあります。それでもなお人間は自惚れを止めません。大霊は絶え間なく神秘のベールを剥いで見せることによって、人間の知識の狭さを思い知らせているのです。そうしないと、いかなる大学者でも、いつかは知識の無限さにうろたえる時がまいります。

引力の法則にしても、その法則に逆らった動きをしているものならば身の周りにいくらでもあります。弾丸がその一例です。一時的には引力なんか物ともしないではないですか。万物の霊長であるかに誇り、それがいかに愚かしい自惚れであるかを毎日のように思い知らされている人間は、宇宙にあっては実にちっぽけな、そして何も知らずにいる哀れな存在であることを、そろそろ自覚しないといけません。」

以上の説明によって我々は次のような重大な知識を確認することになった。すなわち普遍的流動体には生命原理が宿されており、その流動体が心霊現象の主役を演じていること。その流動体が霊の働きかけを受けて、あたかも人間の手で操っているかのように物体を動かしていること。が、同じように見えて、実はメカニズムはまったく異なること。

たとえばテーブルが移動したり空中へ浮揚したりする時、霊が手や腕を使っているかに見えるが実際は霊自身の流動体と霊媒の流動体とで合成した半物質体(エクトプラズム)でテーブルを一時的に活性化し、霊の意思によって操っているということ。

こうした説明を聞いて成るほどと納得がいった現象がある。虚弱そうに見える若い女性がたった二本の指で、ガッチリとした体格の男性を、腰かけているイスごと、まるで羽毛をつまむように軽々と持ち上げるのを何度も目撃している。そのパワーの本当の源は見えざる世界にあったのである。


訳注――私自身が高校生時代に心霊実験に出席して強烈な影響を受けているから断言できることであるが、霊の実在を確信する上で物理的現象は不可欠である。しかも、聖ルイの説明をお読みいただけば分かるように、その現象の裏には宇宙の秘密がまだまだ沢山隠されているようである。

直接携わっている霊は確かに低級かも知れないが、その背後には高級霊が控えていて、その低級霊の知らない原理をこうして説明してくれるのは、それが大切な意味を持っているからにほかならない。

もっとも、だからといって安易に物理実験会を催したり、誘われて出席したりするのは危険である。前章の訳注でも述べたが、スピリチュアリズムは地球浄化の大事業として始められたものであって、そのリーダー的な役割を果たす人はみな、そうした使命を授かり、その背後には高級霊による指導と監視の目があり、直接携わる低級霊も霊性の向上のための修行として、同じ高級霊団の監視のもとに置かれている。面白半分に、あるいは興味本位に行う者にはそうした守護と監視がない。そこに危険性があるのである。

カルデックの時代には原子エネルギーはまだ発見されていなかった。戦争に触発されて急速に発達した物理学は、ついに原子の秘密を発(あば)いた。電子顕微鏡でも正体がつかめないほどの極微の原子核に、地球をも破壊してしまうほどの莫大なエネルギーが潜在していることを人類は知ってしまった。

シルバーバーチは百年早すぎたと言っている。つまり霊性の進化が伴っていないということで、それが悲劇を生んでいきつつある。が、それすら大霊は人間の自由意志の産物として許している。これから先どういう秘密が発かれていくか想像すらつかない。

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 
 Edited by William Naylor



 三章 再生の原理

〝再生〟───生れ変わり───はスピリチュアリストの間でも議論の的となっている問題で、とかく意見が食い違うことがある。

シルバーバチはこれを全面的に肯定するスピリットの一人であるが、ただ従来の輪廻転生説にみられる機械的な生の繰り返しでは無く、進化の為の埋め合わせを目的とし、しかも生まれ変わるのは同一霊の別の意識層であるとする。次がそれについての問答である。


───意識が部分的に分かれて機能することが可能なのでしょうか。

 「今のあなたという意識とは別に、同じくあなたと言える大きな意識体があります。それのホンの一部(分霊)がいま地上という物質界でそのあなたを通じて表現されているわけです。そして、あなたの他にも同じ意識体を構成する分霊が別の世界で表現されております」

(訳者注───ここでいう〝意識体〟は次の質問に対する答えの中に出てくる〝内奥の霊的実在〟と同じで、これを私は浅野和三郎氏に倣って〝中心霊〟と訳しておく)


───個々が独立しているのでしょうか。

 「いいえ、独立はしていません。あなたも他の分霊も一個の中心霊の側面です。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな媒体を通して自我を表現しており、時おりその分霊どうしが合体することもあります。

※ですから、分霊どうしが霊的に無縁というわけではありませんが、互いに意識するのは何らかの媒体を通して自己表現し始めてからのことです。そのうち合流点にたどり着いて、最終的には全体として一つに再統一されます」 

平成5年7月15日 第3刷発行では次のようになっている──※「合体したことに互いが気づかないこともありますが、それは表現しはじめて間もない頃(霊的な幼児期)にかぎられます。そのうち共通の合流点を見いだして最終的には全体として一つに統一されます。

(マイヤースはその部分的存在を〝類魂(グループソール)〟と呼んでいるー訳者)


───その分霊どうしが地上で会っていながらそうと気づかないことがあるのでしょうか。

 「中心霊を一つの大きな円として想像してください。その円を構成する分霊が離ればなれになって中心核のまわりを回転しています。時おり分霊どうしが会ってお互いが共通の円の中にいることを認識し合います。そのうち回転しなくなり、各分霊がそれぞれの場を得て再びもとの円が完成されます」


───二つの分霊が連絡し合うことができますか。

 「必要があればできます」


───二つの分霊が同時に地上に誕生することがありますか。

 「ありません。全体の目的に反することだからです。個々の意識であらゆる界層での体験を得るということが本来の目的です。同じ界層へもう一度戻ることがあるのは、それなりに成就すべき(埋め合わせをすべき)ことが残っている場合に限られます」


───個々の意識はみずからの進化にみずからが責任を負い、他の分霊の体験による恩恵は受けないというのは本当でしょうか。

 「そのとおりです。個々の霊は一つの中心霊の構成分子であり、さまざまな形態で自我を表現しているわけです。進化するにつれて小我が大我を意識していきます」

(訳者注ーマイヤースは〝類魂〟の説明の中で他の仲間の体験を自分のものとすることが出来ると述べている。ここでシルバーバーチはそれを否定するかのようなことを述べているが、マイヤースが喜怒哀楽を中心とした体験を言っているのに対して、シルバーバーチは例によって因果律の観点から述べているのであって、たとえ同じ類魂同士とはいえ、他の仲間の苦難の体験によって罪業が中和されたりすることはないという意味に解釈すべきである)


───そうして進化のある一点においてそれらの小我が一体となるわけですね。

 「(理屈では)そうです。無限の時を経てのことですが・・・」


───個々の小我の地上への誕生は一回きり、つまり大我としては再生の概念は当てはまっても小我には再生はないという考えは正しいでしょうか。

 「それは成就すべき目的いかんに関わる問題です。同じ小我が二度も三度も再生することがあります。ただしそれは特殊な使命のある場合に限られます」


───一つの意識体の個々の部分、というのはどういうものでしょうか。
 
 「これは説明の難しい問題です。あなた方には〝生きている〟ということの本当の意味が理解できないからです。実はあなた方にとっての生命は実質的には最も下等な形態で顕現しているのです。

そのあなた方には生命の実体、あなた方に思いつくことのできるものすべてを超越した意識を持って生きる、その言語を絶した生命の実情はとても想像できないでしょう。

 宗教家が豁然大悟したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても私たち霊界の者から見れば、それは実在のかすかなカゲを見たにすぎません。

鈍重なる物質によってその表現が制限されているあなた方に、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのか、といった問いにどうして答えられましょう。

 私の苦労を察してください。譬えるものがちゃんとあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれが無い。あなた方にはせいぜい光と影、日向と日陰の比較ぐらいしかできません。虹の色は確かに美しい。ですが、地上の言語で説明できないほどの美しい霊界の色彩を虹に譬えてみても、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解してもらえないのです」


───再生は自発的なものでしょうか。それとも果たすべき目的があってやむを得ず再生するのでしょうか。

 「そのいずれの場合もあります」


───ということは、つまり強制的ということですね。

 「強制的という言葉の意味が問題です。誰かに再生しろと命令されるのであれば強制的と言ってもいいでしょうが、別にそういう命令が下るわけではありません。ただ地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世での過ち、施すべきでありながら施さなかった親切、こうしたものを明確に自覚するようになり、今こそ実行するのが自分にとって最良の道だと判断するのです」


───死後は愛の絆のある者同士が生活を共にすると聞いておりますが、愛する者が再生していったら残った者との間はどうなるのでしょうか。

 「別に問題はありません。物的な尺度で物ごとを考えるからそれが問題であるかに思えてくるのです。何度も言っていることですが、地上で見せる個性は個体全体からすればホンの一部分に過ぎません。私はそれを大きなダイヤモンドに譬えています。

一つのダイヤモンドには幾つかの面があり、その内の幾つかが地上に誕生するわけです。すると確かに一時的な隔絶が生じます。つまりダイヤモンドの一面と他の面との間には物質という壁ができて一時的な分離状態になることは確かです。が、愛の絆のあるところにそんな別れは問題ではありません」


───霊魂は一体どこから来るのですか。どこかに魂の貯蔵所のようなものがあるのでしょうか。地上では近頃産児制限が叫ばれていますが、作ろうと思えば子供は幾らでも作れます。でもその場合、魂はどこから来るのでしょうか。

 「あなたのご質問には誤解があるようです。あなたがた人間が霊魂をこしらえるのではありません。人間がすることは霊魂が自我を表現するための器官を提供することだけです。生命の根源である〝霊〟は無限です。無限なるものに個性はありません。

その一部が個体としての表現器官を得て地上に現われる。その表現器官を提供するのが人間の役目なのです。霊は永遠の存在ですから、あなたも個体に宿る以前からずっと存在していたわけです。しかし個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得ることになります。

霊界にはすでに地上生活を体験した人間が大勢います。その中にはもう一度地上へ行って果たさねばならない責任、やり直さなければならない用事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が沢山います。そして、その目的のためのチャンスを与えてくれる最適の身体を求めているのです」


───人間の霊も原始的段階から徐々に進化してきたものと思っていましたが・・・

 「そうではありません。それは身体について言えますが霊は無始無終です」


───古い霊魂と新しい霊魂との本質的な違いはどこにありますか。

 「本質的な違いは年輪の差でしょう。当然のことながら古い霊魂は新しい霊魂より年上ということです」


───類魂の一つひとつを中心霊の徳性の表現とみてもいいでしょうか。

 「それはまったく違います。どうも、こうした問いにお答えするのは、まるで生まれつき目の不自由な方に晴天の日のあの青く澄みきった空の美しさを説明するようなもので、譬えるものがないのですから困ります」


───それはマイヤースの言う類魂と同じものですか。

 「まったく同じものです。ただし、単なる類魂の寄せ集めとは違います。大きな意識体を構成する集団で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやって来るのです」


───その意識の本体に戻った時各霊は個性を失ってしまうのではなかろうかと思われるのですが・・・・・。

 「川が大海へ注ぎ込んだとき、その川の水は存在が消えてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、例えばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか」


───なぜ霊界の方から再生の決定的な証拠を提供してくれないのでしょうか。

 「霊言という手段によっても説明しようのない問題に証拠などありえるでしょうか。意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になって初めて事実として認識されるのです。再生はないと言う者が私の世界にもいるのはそのためです。

まだその事実を悟れる段階にまで達していないからそう言うに過ぎません。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに語ってもしょうがないでしょう。芸術家がインスピレーションの体験話を芸術的センスのない人に聞かせてどうなります。意識の段階が違うのです」


───再生するということが自分で分かるのでしょうか。

 「魂そのものは本能的に自覚します。しかし知的に意識するとはかぎりません。神の分霊であるところの魂は、永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に表現を求めています。が、どの段階でどう表現してもその分量は僅かであり、表現されない部分が大半を占めています」


───では無意識のまま再生するのでしょうか。

 「それも霊的進化の程度次第です。ちゃんと意識している霊もいれば意識しない霊もいます。魂が自覚していても、知覚的には意識しないまま再生する霊もいます。これは生命の神秘中の神秘にふれた問題で、とてもあなた方の言語では説明しかねます」


───生命がそのように変化と進化を伴ったものであり、生れ変わりが事実だとすると、霊界へ行っても必ずしも会いたい人に会えないことになり、地上で約束した天国での再会が果たせないことになりませんか。

「愛は必ず成就されます。なぜなら愛こそ宇宙最大のエネルギーだからです。愛は必ず愛する者を引寄せ、また愛する者を探し当てます。愛する者同志を永久に引き裂くことは出来ません」


───でも再生を繰り返せば互いに別れ別れの連続ということになりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが。

 「一致しないのはあなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念の方でしょう。宇宙及びその法則は神が拵えたのであって、その子供であるあなた方が拵えるのではありません。賢明なる人間は新しい事実を前にすると自己の考えを改めます。自己の考えに一致させるために事実を曲げようとしてみても所詮は徒労に終わることを知っているからです」


───これまで何回も地上生活を体験していることが事実だとすると、もう少しはましな人間であってもいいと思うのですが・・・。

 「物質界にあっても聖人は聖人ですし、最下等の人間は何時までも最下等のままです。体験を積めば即成長というわけにはいきません。要は魂の進化の問題です」


───これからも無限に苦難の道が続くのでしょうか。
 
 「そうです。無限に続きます。なんとなれば苦難の試練を経て始めて神性が開発されるからです。ちょうど金塊がハンマーで砕かれ磨きをかけられて初めてその輝きを見せるように、神性も苦難の試練を受けて始めて強く逞しい輝きを見せるのです」

───そうなると死後に天国があるということが意味がないのではないでしょうか。

 「今日あなたには天国と思えることが明日は天国とは思えなくなるものです。というのは真の幸福というものは今より少しでも高いものを目指して努力するところにあるからです」


───再生する時は前世と同じ国に生まれるのでしょうか。例えばインディアンはインディアンに、イギリス人はイギリス人に、と言う具合に。

 「そうとは限りません。目指している目的のために最も適当と思われる国、民族を選びます」


───男性か女性かの選択も同じですか。

 「同じです、必ずしも前生と同じ性に生まれるとは限りません」


───死後、霊界へ行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してから又同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか。

 「償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているということであり、魂の教育と向上という一連の鎖の欠けている部分を補うということです。

生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながらそれを果たせなかったことをもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いとばかり考えてはいけません。

ましてや二度も罰せられるということは決してありません。神の摂理を知れば、その完璧さに驚かされるはずです。決して片手落ちということがないのです。完璧なのです。神そのものが完全だからです」


───自分は地上生活を何回経験している、ということをはっきりと知っている霊がいますか。

 「います。それが分かるようになる段階まで成長すれば自然にわかるようになります。光に耐えられるようになるまでは光を見ることはできないのと同じです。名前を幾つかあげても結構ですが、それでは何の証拠にもなりますまい。何度も言ってきましたように、再生の事実は〝説く〟だけで十分なはずです。

私は神の摂理について私なりに理解した事実を述べているだけです。知っている通りを述べているのです。

私の言うことに得心がいかない人がいても、それは一向にかまいません。私はあるがままの事実を述べているだけですから。人が受け入れないからといって、別にかまいません。私と同じだけの年数を生きられたら、その人もきっと考えが変わることでしょう」


───再生問題は問題が多いから、それを避けて、死後の存続ということだけに関心の的を絞るという考えは如何でしょう。

 「闇の中にいるよりは光の中にいる方がよろしい。無知のままでいるよりは摂理を少しでも多く知った方がよろしい。何もしないでじっとしているよりは、真面目に根気よく真理の探究に励む方がよろしい。向上を目指して奮闘するのが良いに決まっています。死後存続の事実は真理探究の終着駅ではありません。

そこから始まるのです。自分が神の分霊であること、それ故に何の苦もなく、何の変化もなく〝死〟の関門を通過できるという事実を理解したとき、それで全てがおしまいになるのではありません。そこから本当の意味で〝生きる〟ということが始まるのです」


───新しい霊魂はどこから来るのですか。

 「その質問は表現の仕方に問題があります。霊魂はどこから来るというものではありません。霊としてはずっと存在していたし、これからも永遠に存在します。生命の根源であり、生命力そのものであり、神そのものなのです。

聖書でも〝神は霊なり〟と言っております。ですからその質問を、個性を与えた霊魂はどこから来るのか、という意味に解釈するならば、それは受胎の瞬間に神の分霊が地上で個体としての表現を開始するのだ、とお答えしましょう」


───ということは、われわれは神という全体の一部だということですか。

 「その通りです。だからこそあなた方は常に神と繋がっていると言えるのです。あなたという存在は決して切り捨てられることはあり得ないし、消されることもあり得ないし、破門されるなどということもあり得ません。生命の根源である神とは切ろうにも切れない、絶対的な関係にあります」


───でも、それ以前にも個体としての生活はあったのでしょう。

 「これまた用語の意味が厄介です。あなたのおっしゃるのは受胎の瞬間から表現を開始した霊魂はそれ以前にも個体としての生活があったのではないか、という意味でしょうか。その意味でしたら、それはよくあることです。

但し、それは今地上で表現し始めた個性と同じではありません。霊は無限です。無限を理解するには大変な時間を要します」


───再生するに際して過ちのないように指導監督する官庁のようなものが存在するのでしょうか。

 「こうした問題は全て自然法則の働きによって解決されます。再生すべき人は自分でそう決心するのです。つまり意識が拡大し、今度再生したらこれだけの生長が得られるということがわかるようになり、それで再生を決意するのです。再生専門の機関や霊団がいるわけではありません。全て魂自身が決めるのです」


───再生するごとに進歩するのでしょうか。時には登りかけていた階段を踏み外して一番下まで落ちるというようなこともあるのでしょうか。

「すべての生命、特に霊的な生命に関するかぎり、常に進歩的です。今は根本的な霊性についてのみ述べています。それが一ばん大切だからです。一たん神の摂理に関する知識を獲得したら、それを実践するごとに霊性が生長し、進歩します。進歩は永遠に続きます。なぜなら、完全なる霊性を成就するには永遠の時間を要するからです」


───先天性心臓疾患の子や知能障害児は地上生活を送っても何の教訓も得られないのではないかと言う人がいます。私たちスピリチュアリストはこうした難しいことは神を信じて、いずれは真相を理解する時が来ると信じているわけですが、疑い深い人間を説得するいい方法はないものでしょうか。

 「疑い深い人間につける薬はありません。何でも疑ってかかる人は自分で納得いくまで疑ってかかればよろしい。納得がいけばその時初めて疑いが消えるでしょう。私は神学者ではありません。宗教論争をやって勝った負けたと言い争っている御仁とは違います。

すべては悟りの問題です。悟りが開ければ、生命の神秘の理解がいきます。もっとも、全てを悟ることはできません。全てを悟れるほどの人なら地上には来ないでしょう。地上は学校と同じです。

少しずつ勉強し、知識を身につけていくうちに、徐々に霊性が目覚めていきます。すると更に次の段階の真理を理解する力がつくわけです。それが人生の究極の目的なのです。激論し合ったり、論争を求められたりするのは私はごめんこうむります。

私はただこれまで自分が知り得たかぎりの真理を説いて教えてさし上げるだけです。お聞きになられてそれはちょっと信じられないとおっしゃれば、〝そうですか。それは残念ですね(アイアムソリー)〟と申し上げるほかはありません」


───霊にいくつかの側面があり、その内の一つが地上に生れ、残りは他の世界で生活することもあり得る、という風におっしゃいましたが、もう少し詳しく説明していただけませんか。

 「私たち霊界の者は地上の言語を超越したことがらを、至ってお粗末な記号にすぎない地上の言語でもって説明しなくてはならない宿命を背負っております。言語は地上的なものであり、霊はそれを超越したものです。その超越したものを、どうして地上的用語で説明できましょう。これは言語学でいう意味論の重大な問題でもあります。

私に言わせれば、霊とはあなた方のいう神 God 、私のいう大霊 Great Spirit の一部分です。あなた方に理解のいく用語で表現しようにも、これ以上の言い方は出来ません。生命力 life force 動力 dynamic、活力 vitality、本質 real essence、神性 divinity、それが霊です。

かりに私が〝あなたはどなたですか〟と尋ねたらどう答えますか。〝私は〇〇と申すものです〟などと名前を教えてくれても、あなたがどんな方か皆目分かりません。

個性があり、判断力を持ち、思考力を具え、愛を知り、そして地上の人間的体験を織りなす数々の情緒を表現することの出来る人───それがあなたであり、あなたという霊です。その霊があるからこそ肉体も地上生活が営めるのです。

霊がひっこめば肉体は死にます。霊そのものに名前はありません。神性を具えているが故に無限の可能性を持っています。無限ですから無限の表現も可能なわけです。

その霊にいつくかの面があります。それを私はダイヤモンドに譬えるわけです。それぞれの面が違った時期に地上に誕生して他の面の進化のために体験を求めるのです。

もしも二人の人間が別格に相性がいい場合(めったにないことですが)それは同じダイヤモンドの二つの面が同じ時期に地上に誕生したということが考えられます。

そうなると当然、二人の間に完全なる親和性があるわけです。調和のとれた全体の中の二つの部分なのですから。これは再生の問題に発展していきます」


───あなたがダイヤモンドに譬えておられるその〝類魂〟について、もう少し説明していただけませんか。それは家族関係(ファミリー)のグループですか、同じ霊格を具えた霊の集団ですか、それとも同じ趣味を持つ霊の集まりですか。あるいはもっとほかの種類のグループですか。


 「質問者がファミリーという言葉を文字通りに解釈しておられるとしたら、つまり血縁関係のある者の集団と考えておられるとすれば、私のいう類魂はそれとはまったく異なります。肉体上の結婚に起因する地上的姻戚関係は必ずしも死後も続くとは限りません。そもそも霊的関係というものは、その最も崇高なものが親和性に起因するものであり、その次に血縁関係に起因するものが来ます。

地上的血縁関係は永遠なる霊的原理に基づくものではありません。類魂というのは、人間性にかかわった部分にかぎって言えば、霊的血縁関係ともいうべきものに起因した霊によって構成されております。

同じダイヤモンドを形づくっている面々ですから、自動的に引き合い引かれ合って一体となっているのです。その大きなダイヤモンド全体の進化のために個々の面々が地上に誕生することは有り得ることですし、現にどんどん誕生しております」


───われわれ個々の人間は一つの大きな霊の一分子ということですか。
 
 「そういってもかまいませんが、問題は用語の解釈です。霊的には確かに一体ですが、個々の霊はあくまで個性を具えた存在です。その個々の霊が一体となって自我を失ってしまうことはありません」


───では今ここに類魂の一団がいるとします。その個々の霊が何百万年かの後に完全に進化しきって一個の霊になってしまうことは考えられませんか。

 「そういうことはあり得ません。なぜなら進化の道程は永遠であり、終わりが無いからです。完全というものは絶対に達成されません。一歩進めば、さらにその先に進むべき段階が開けます。聖書に、己を忘れる者ほど己を見出す、という言葉があります。これは個的存在の神秘を説いているのです。

つまり進化すればするほど個性的存在が強くなり、一方個人的存在は薄れていくということです。おわかりですか。個人的存在というのは地上的生活において他の存在と区別するための、特殊な表現形式を言うのであり、個性的存在というのは霊魂に具わっている神的属性の表現形式を言うのです。進化するにつれて利己性が薄れ、一方、個性はますます発揮されていくわけです」


───〝双子霊〟Twin Souls というのはどういう場合ですか。

 「双子霊というのは一つの霊の半分ずつが同時に地上に生を享けた場合のことです。自分と同じ親和性を持った霊魂───いわゆるアフィニティ affinity── は宇宙にたくさんいるのですが、それが同じ時期に同じ天体に生を享けるとは限りません。

双子霊のようにお互いが相補い合う関係にある霊同士が地上で巡り合うという幸運に浴した場合は、正に地上天国を達成することになります。霊的に双子なのですから、霊的進化の程度も同じで、従ってその後も手に手を取り合って生長していきます。私が時おり〝あなたたちはアフィニティですね〟と申し上げることがありますが、その場合がそれです」


───双子霊でも片方が先に他界すれば別れ別れになるわけでしょう。

 「肉体的にはその通りです。しかしそれもホンの束の間のことです。肝心なのは二人は霊的に一体関係にあるということですから、物質的な事情や出来ごとがその一体関係に決定的な影響を及ぼすことはありません。しかも、束の間とはいえ地上での何年かの一緒の生活は、霊界で一体となった時と同じく、素晴らしい輝きに満ちた幸福を味わいます」


───物質界に誕生する霊としない霊がいるのはなぜですか。

 「霊界の上層部、つまり神庁には一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物質器官を通しての表現を体験をしなくても成長進化を遂げることが出来るのです。頭初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中には、そうした神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります」


───大きな業(カルマ)を背負って生れてきた人間が、何かのキッカケで愛と奉仕の生活に入った場合、その業がいっぺんに消えるということは有り得ますか。

 「自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律です。業もその法則の働きの中で消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消えることはありません。原因があれば必ずそれ相当の結果が生じ、その結果の中に次の結果を生み出す原因が宿されているわけで、これはほとんど機械的に作動します。

質問者がおっしゃるように、ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすれば、それはそれなりに業の消滅に寄与するでしょう。しかし、いっぺんにというわけには行きません。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅します。業という借金をすっかり返済したことになります」


───戦争と事故、疾病などで何万もの人間が死亡した場合も業だったのだと考えるべきでしょうか。もって生まれた寿命よりも早く死ぬことはないのでしょうか。戦争は避けられないのでしょうか。もし避けられないとすると、それは国家的な業ということになるのでしょうか。

 「業というのは詰るところは因果律のことです。善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。その働きには何者といえども介入を許されません。これは神の公正の証として神が用意した手段の一つです。もし介入が許されるとしたら、神の公正は根底から崩れます。

因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり、多すぎることも少なすぎることもないよう配慮されています。それは当然個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。次に寿命についてですが、寿命は本来、魂そのものが決定するものです。

しかし個人には自由意志があり、また、もろもろの事情によって寿命を伸び縮みさせることも不可能ではありません。戦争が不可避かとの問いですが、これはあなた方人間自身が解決すべきことです。

自由意志によって勝手なことをしながら、その報酬は受けたくないというようなムシのいい話は許されません。戦争をするもしないも人間の自由です。が、もし戦争の道を選んだら、それをモノサシとして責任問題が生じます」


───寿命は魂そのものが決定するとおっしゃいましたが、すべての人間に当てはまることでしょうか。たとえば幼児などはどうなるのでしょう。判断力や知識、教養などが具わっていないと思うのですが・・・。

 「この世に再生する前の判断力と、再生してからの肉体器官を通じての判断力とでは大きな差があります。もちろん再生してからの肉体器官の機能の限界のために大きな制限を受けます。しかし大半の人間は地上で辿るべき道程について再生前からあらかじめ承知しています」


───地上で辿るべきコースが分っているとすると、その結果得られる成果についてもわかっているということでしょうか。

 「その通りです」


───そうなると、前もって分っているものをわざわざ体験しに再生することになりますが、そこにどんな意義があるのでしょうか。

 「地上に再生する目的は、地上生活から戻って来て霊界で行うべき仕事があって、それを行うだけの霊的資格(実力)をつけることにあります。前もって分ったからといって、霊的進化にとって必要な体験を身につけたことにはなりません。

 たとえば世界中の書物を全部読むことは出来ても、その読書によって得た知識は、体験によって強化されなければ身についたとは言えますまい。霊的生長というのは実際に物ごとを体験し、それにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります」


───航空機事故のような惨事は犠牲者及びその親族が業を消すためなのだから前もって計画されているのだという考えは、私にはまだ得心がいきませんが・・・。

 「ご質問はいろいろな問題を含んでおります。まず、〝計画されている〟という言い方はよくありません。そういう言い方をすると、まるで故意に、計画的に、惨事を引き起こしているように聞こえます。すべての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。

その犠牲者───この言い方も気に入りませんが取り敢えずそう呼んでおきます───の問題ですが、これには別の観方があることを知って下さい。つまり、あなた方にとって死は確かに恐るべきことでしょう。が私たち霊界の者とっては、ある意味で喜ぶべき出来ごとなのです。

赤ちゃんが誕生すればあなた方は喜びますが、こちらでは泣き悲しんでいる人がいるのです。反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらは大よろこびでお迎えしています。

次に、これはあなた方には真相を理解することは困難ですが、宿命というものが宇宙の大機構の中で重大な要素を占めているのです。これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが、二つとも真実です。

つまり運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されているわけです。説明の難しい問題ですが、そう言い表すほかにいい方法が思い当たりません」


───事故が予知できるのはなぜでしょう。

 「その人が一時的に三次元の物的感覚から脱して、ホンの瞬間ですが、時間の本来の流れをキャッチするからです。大切なことは、本来時間というのは〝永遠なる現在〟だということです。このことをよく理解して下さい。人間が現在と過去とを区別するのは、地上という三次元の世界の特殊事情に起因するのであって、時間には本来過去も未来もないのです。

三次元の障壁から脱して本来の時間に接した時、あなたにとって未来になることが今現在において知ることが出来ます。もっとも、そうやって未来を予知することが当人にとってどういう意味を持つかは、これはまた別の問題です。

単に物的感覚の延長に過ぎない透視、透聴の類の心霊的能力 Psychic Powers によっても予知できますし、霊視・霊聴の類の霊感 spiritual Powers によっても知ることが出来ます。Psychic と spiritual は同じではありません。

いわゆる ESP (Extra Sensory Perception 超感覚的知覚 )は人間の霊性には何のかかわりもなく、単なる五感の延長に過ぎないことがあります」

  
───占星術というのがありますが、誕生日が人の生涯を支配するものでしょうか。

 「およそ生命あるものは、生命を持つが故に何らかの放射を行っております。生命は常に表現を求めて活動するものです。その表現は昨今の用語で言えば波長とか振動によって行われます。

宇宙間のすべての存在が互いに影響し合っているのです。雷雨にも放射活動があり、人体にも何らかの影響を及ぼします。言うまでもなく太陽は光と熱を放射し、地上の生命を育てます。

木々も永年にわたって蓄えたエネルギーを放射しております。要するに大自然すべてが常に何らかのエネルギーを放射しております。従って当然他の惑星からの影響も受けます。それはもちろん物的エネルギーですから、肉体に影響を及ぼします。しかし、いかなるエネルギーも、いかなる放射性物質も、霊魂にまで直接影響を及ぼすことはありません。

影響するとすれば、それは肉体が受けた影響が間接的に魂にまで及ぶという程度に過ぎません」


───今の質問者が言っているのは、例えば二月一日に生まれた人間はみんな同じ様な影響を受けるのかという意味だと思うのですが・・・。

 「そんなことは絶対にありません。なぜなら霊魂は物質に勝るものだからです。肉体がいかなる物的影響下におかれても、宿っている霊にとって征服できないものはありません。

もっともその時の条件にもよりますが。いずれにせよ肉体に関するかぎり、すべての赤ん坊は進化の過程の一部として特殊な肉体的性格を背負って生まれてきます。それは胎児として母体に宿った日や地上に出た誕生日によって、いささかも影響を受けるものではありません。

しかし、そうした肉体的性格や環境の如何にかかわらず、人間はあくまで霊魂なのです。霊魂は無限の可能性を秘めているのです。その霊魂の未来の力を発揮しさえすれば、いかなる環境も克服しえないことはありません。もっとも、残念ながら、大半の人間は物的条件によって霊魂の方が右往左往させられておりますが・・・」


───これから先のことはどの程度まで運命づけられているのでしょうか。それは自分の行いや心掛けによってどの程度まで変えられるのでしょうか。

〝なあ、ブルータスよ、
オレたちがうだつが上がらんのは星のせいじゃない。
オレたち自身が悪いのさ〟(シェークスピア)

〝門がいかに狭かろうが
いかなる逆境が運命の巻き物に記されていようと、
私は平気だ。なぜなら
運命の主人公はこの私だからだ。
私が魂の指揮者なのだ〟(W・E・ヘンリー)


 この二つの誌文を引用してからシルバーバーチはこう続けた。
 「惑星は物的存在です。それぞれに放射物を出しバイブレーションを発しております。しかしあなた方は物的存在であると同時に霊的存在です。内部には、物的なものから受ける影響のすべてを克服する力を具えております。未来は過去が生んでいきます。

自分の行為を思念によって創り出していくのです。大自然の法則についてはすでにお話しました。その一つに因果律があります。自分が蒔いたタネは自分が刈り取るという法則です。ある花のタネを蒔けば、その種の花が咲き、それ以外の花は咲きません。あなた方の未来も同じです。

過去と現在によって決定されるのです。外部から与えられる罰ではありません。自分でこしらえていくのです。これから先どうなるのだろう───こうした不安の念を抱くということそれ自体が、それを本当に実現させる手助けをしていることになります」


 出席者がしきりに〝災害〟とか〝悲劇〟とかの言葉を使って語り合っているのを聞いていてこう述べた。

 「物的な側面だけを見つめてはいけません。物的尺度で無限なるものを計ることはできません。そのことを常に念頭において物事を判断して下さい。物的な目だけで見れば地上は不公平だらけです。しかし悪行に対する懲罰があるように、善行に対する報酬も必ずあります。

霊的な天秤はいつかは平衝を取り戻すようになっているのです。地上生活は永遠なる生命のごく短い一時期に過ぎません。

 人間にとって悲劇に思えることが私どもにとって有難いことである場合があります。人間が有難がっていることが私どもにとって困ったことである場合があります。人間は私たちから見てどうでもいいこと、あるいは霊的に何の価値もないものを大切にしすぎます。財産、この世的な富、権力、支配への欲望です。強欲と貪欲によって動かされている人間が多すぎます」


 さらに霊的進化について聞かれて───

 「霊に関わる分野において進歩が容易に得られることは有り得ません。もし容易であれば成就する価値がないことになります。霊的進化はもっとも成就しがたいものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだからです。

霊的褒賞を手に入れるには奮闘努力がいるのです。もしも簡単に手に入るものであれば価値は無いことになります。価値が出るのは入手が困難だからです。それはいつまでも終わることのない道程です。霊的進化に終局というものはありません。水平線のようなものです。近づくほどに遠ざかっていきます。

 それと同じで、学べば学ぶほど、さらに学ぶべきのものがあることを知ります。進歩は知識や真理や叡智と同じく、限界というものがありません。ここまでという区切りがないのです。

一段よりも二段が上であり、二段よりも三段が上であり、三段よりも四段が上であるに決まっていますが、いずれもそこまでの到達度を示しているにすぎません。一段一段が人生の目的、真実、人生の拠って立つ永遠の原理をそれだけ多く理解したという指標であり、その理解と共に調和が訪れます。

 成就は調和を生みます。宇宙を支配する霊力を身につけるごとに、それだけその根源との調和が深まります。生活が豊かさを増します。本当の価値の識別力が身に付きます。その識別力が正しく働くようになります。選択の優先順位がきちんと決められるようになります。何がもっとも大切であるかが分かるようになります。

ほかの人たちが必死に追い求めるものがあほらしく思えるようになります。この世的な富への執着がすっかり無くなった時、霊の宝がいささかも色褪せることなく、傷つくこともなく、常に本来の純粋素朴な美しさを見せるものです。

 私は物質面での進歩についてあれこれ申し上げる立場にありませんが、物的進歩にもそれなりの役割があります。身体にとって必須のものを無視することは私どもの教えに反します。身体がその正しい成長にとって必須のものをきちんと得ていないと、霊も正しく機能を発揮することが出来ません。

大切なのは身体と精神と霊の調和です。この三者が一体となって機能し、その結果として健康と幸福と冷静さと自信と決断力と安らぎが得られるのです。

 霊的なことばかり気を奪われて身体上のことをおろそかにすることは、身体のことばかり気を奪われて霊的なことをなおざりにするのと同じく間違っております。心の修養にばかりこだわって他の側面を忘れるのもまた間違っております」
                 
 


   

Saturday, April 25, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論





3章 知的要素の加わった物理現象

前章で紹介した物理現象を検討したかぎりでは、格別に超自然的な力のせいにすることはない――電気とか磁気、あるいはそれに類する流動的エネルギーの作用で片付くのではないかと思われるかも知れない。

確かに当初はそれが代表的な説であり、一応合理的であるかに思われていた。が、やがて、それでは十分でないことを示す事実が明らかとなった。その現象が知的なメッセージを伝達していることが分かったのである。

知的なメッセージなら、当然、知的存在が発しているはずである。となると、かりに電気や磁気のようなものが働いていることは認めるとしても、その奥では知的存在も係わっていることを認めねばならないことになる。

では、その知的存在とは何であろうか。

現象に知的要素が加わっていることの証拠としては、必ずしもその述べていることが雄弁であるとか、ウィットに富んでいるとか、高尚である必要はない。その動きが自在で自発的で何らかの意図がうかがわれ、まとまった考えを伝えたり、こちらの考えにまともな反応をすれば、それで十分である。

譬え話で説明しよう。風見鶏は風に吹かれて方向を右に左に変えるが、それが機械的な動きであることは誰でも知っている。が、もしその動きの中に意図的なもの、つまり何かを伝えようとする信号のようなものが読み取れたら――たとえば「右を向け」と命令したら右を向き、「左を向け」と命令したら左を向き、「ゆっくり動け」と言ったらゆっくりとなり、「速く動け」と言ったら速くなったとしたら――それは風見鶏そのものに知性があるのではなくて、何らかの知的存在によって風見鶏が操られていると考えてよいであろう。

テーブル現象についても全く同じことが言える。我々が見た例を挙げれば、いったん上昇したテーブルの四本の脚のうちのどれかが出席者の要求に従って床を叩く――どの脚で、何回、という細かい要求を出してもその通りにする。また部屋中をぐるぐる動き回るその途中で「右へ」「こんどは左へ」「前へ」「こんどは後ろへ」と命令すると、その通りに動いた。

テーブルの脚を使ってメッセージを伝える現象となると一段と知性の働きが顕著となる。一般に“叩音(ラップ)”と呼ばれているものにもいろんな種類があり、ドラムを叩くような音から一斉射撃のような物凄いもの、のこぎりでゴシゴシ切るような音、ハンマーで叩いているような音、誰でも知っている曲の楽器演奏まである。それだけでも十分に知的作用の証拠と言えるが、テーブルの脚が床を叩くその回数で符丁を取り決めて、質疑応答をやり取りするようになると、内容が完全に知的次元のものとなって、興味が一段と増してくる。

ところが、その知的反応をしているのは何ものなのかという問題になると、これまた、あきれるほど乱暴な説が出されてきた。

まず最初に出されたのは、当然のことながら霊媒か、質問を提出する者か、サークルのメンバーの知性の総合体のいずれかであるという説だった。が、その知性にはラップが伴うのである。そのラップは霊媒も質問者もサークルのメンバーも出していないことを確認するのは容易である。それが確認されると、では霊媒の想念体であろうということになった。

しかし、霊媒の想念体がテーブルに反応して音を出したり部屋中を動き回らせるという発想は、もはや現象そのものよりも奇っ怪である。しかもアルファベットを符丁にしてメッセージを受け取ってみると、その言語が霊媒も質問者もサークルのメンバーも知らないものである場合があるのである。

伝えられるメッセージの内容も、霊媒を始め出席者の誰一人として知らないことである場合もある。一例を挙げると、こんな話があった。

フランス海軍の軍艦がシナ海に停泊中のことである。将校を始めボーイまでが毎晩のように集まって交霊会を開き、テーブル現象を楽しんでいた。

ある日の交霊会で二年前に同艦の副艦長だったという人物からのメッセージが届けられた。それは、実は在世中に艦長からお金を借りたことがあるのだが、お返しできないまま死んでしまって申し訳なく思っている。済まないが幾ら幾らを払ってあげてくれないだろうか、という内容のもので、金額まできちんと述べた。

意外なメッセージにみんな戸惑った。霊媒や出席者はむろんのこと、当の艦長までがそんな記憶はないというのである。そこで念のために艦長が古い出納簿を調べてみたところ、確かにその通りの事実が記載されており、額まで一致していた。

想念体の反射説を唱える人は、これを誰の想念の反射と言いたいのであろうか。

テーブルラップによる通信は、このように最初は脚で床を叩くという原始的な方法で始まった。符丁も、一度叩けば「イエス」、二度叩けば「ノー」といった単純なものからアルファベットを使用するようになって、かなり内容の深い通信が交わされるようになったが、まわりくどくて手間が掛かった。

そのうち霊側から通信方法について提案が出されるようになり、小さなオモチャのテーブルを使ったり、俗にプランセット(ウィージャ盤とも)と呼ばれているものを使ったりした時期もあった。そして最後に自動書記と呼ばれる、霊媒の手または腕を道具として“綴る”ようになった。

その他に直接書記というのもあるが、それについては“霊界通信”の項で扱うことにしたい。


訳注――テーブル現象は複数の人間が参加するので比較的危険が少ないとされている。が、次章で霊団の最高統括霊の“聖(セント)ルイ”(十三世紀の名君ルイ九世)も述べているが、物理現象に携わるのは地上的波動から脱し切っていない低級霊であることはスピリチュアリズムの常識で、面白半分にやるのはやはり危険である。まして一人でやるプランセットや日本の“こっくりさん”などは発狂した例が少なくないという報告もあるので、絶対にやってはならない。

では、カルデックやスワッファーのサークルでは交霊会の初めにテーブル現象をよくやったのはなぜかと言えば、その交霊会の霊的磁場を強固なものにするためで、何の問題も生じなかったのは、その背後に高級霊団が控え、邪魔が入らないように万全の対策を講じていたからである。

しかも――これが一番肝心な点であるが――そうしたサークルには、いずれは地球人類全体にも及ぶであろう霊的使命があったことを見落してはならない。

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 
 Edited by William Naylor



二章 〝苦〟の哲学

 シルバーバーチが神の摂理を説くとき、その絶対性への確信が余りに深く、その述べ方が余りにあっさりとしているために、われわれ地上の人間には冷淡な印象すら与えることがある。たとえば次のように述べる───

 「摂理であるが故に摂理であるところのもの─── 永遠の心すなわち神の働きであるがゆえにこれまで絶え間なく機能し、これからも絶え間なく機能し続けるところの摂理の存在を指摘しているのです。その摂理に則って生きれば内にも外にも調和と安らぎが得られます。

逆らって生きれば内にも外にも不和と混沌が生じます。あなた方人間は霊的存在です。これは、誰もがいつの日か直面することになる厳粛な事実です。が、いつの日かではなく今すぐに認めて、これから先の何十年ものムダな困難を省いた方がどれだけ賢明でしょうか」

 そう言われれば、われわれには反論の余地がなくなる。それが冷淡さと受け取られかねないのである。霊的に未熟な者、あるいは悲しみの涙で視野を雲らされている者が苦しみと悲しみの必要性を説かれると、いっそうその感じを強く抱くことであろう。しかし、シルバーバーチはさらにこう説くのである。

 「神は無限なる愛です。そしてこの全宇宙のいかなる出来ごとも神の認知なしに生じることはありません。全ての苦はそれが魂の琴線に触れることによって自動的に報いをもたらし、それが宇宙のより高い、より深い実相について、より大きな悟りを得させることになるのです」

 別の交霊会でもこう述べている。
 「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたもの全てが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです。過去を振り返ってごらんなさい。往々にして最大の危機に直面した時、最大の難問に遭遇した時、人生で最も暗かった時期がより大きな悟りへの踏み台になっていることを発見されるはずです。

いつも日向で暮らし、不幸も心配も悩みも無く、困難が生じても自動的に解決されてあなたに何の影響も及ぼさず、通る道に石ころ一つ転がっておらず、征服すべきものが何一つないようでは、あなたは少しも進歩しません。向上進化は困難と正面から取り組み、それを一つひとつ克服していく中にこそ得られるのです」

 さらに別の交霊会で───

 「一つひとつの体験があなたの人生模様を織りなしています。あなた方はとかく一時の出来ごとでもって永遠を裁こうとされます。つまり目先の矛盾撞着にとらわれ、人生全体を通して神の叡知の糸が織りなされていることを理解しません。

 調和を基調とするこの大宇宙の中であなた方一人ひとりが神の計画の推進に貢献しております。人生での出来ごと───時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが───その一つひとつがこれから辿りゆく道のために魂を鍛える役割を果たしているのです。

 光と闇、日向と陰、こうしたものは唯一絶対の実在の反映にすぎません。陰なくして光はなく、光なくして陰はありません。人生の困難は魂が向上していくための階段です。

 困難、障害、不利な条件───これらみな魂の試練なのです。それを一つ克服した時、魂はいっそう充実し向上して、一段と強くそして純粋になってまいります。

 いったい無限の可能性を秘めた魂の潜在力が困難も苦痛も無く、影もなく悲しみも無く、苦難も悲劇も体験せずに発揮されると思われますか。もちろん思われないでしょう。

 人生のよろこび、楽しい笑いの味は、人生の辛酸をなめつくして始めて分かります。なぜなら、深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の蔭を体験するほど、それだけ日向の喜びを味わうことができます。

 体験の全てが霊的進化の肥やしです。そのうちあなた方も肉体の束縛から解放されて曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば紆余曲折した一見とりとめのない出来ごとの絡み合いの中で、一つひとつがちゃんとした意味を持ち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出す上で意義があったことを、つぶさに理解されるはずです。

 地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、人間の魂にとって必ずやプラスになるものを持っております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界を想像できるでしょうか。

そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」


 こうして一方では厳しい生き方を説きながらも、他方では慰めの教説も忘れない。最近ご主人を失ったばかりの婦人にこう語って聞かせた。

 「あなたもそのうち物的なつながりよりも霊的なつながりの方が大きいことを理解し始めることでしょう。ご主人はこの世にいた時よりもはるかにあなたにとって身近な存在となっておられます。

 地上人類が肉体的存在の消滅を大変な不幸として受け止めるのは、地上世界の進化が物的バイブレーションの段階を超えていないからです。その段階を超えて進化すれば、物質というものがただの殻にすぎないことを理解するようになります。それを実在であるかに思い込むのは地上が影の世界だからです。

 霊的に向上して行くと、光とその光によって生じる影との区別ができるようになります。地上的縁には拘束力はありません。霊的な縁こそ永遠に続くものです。

 ぜひ銘記していただきたいのは、あなた自身にとって大変な悲しい出来ごとのように思えることも、実は他の大勢の人たちのためにあなたを役立てようとする計画の一端であることがある、ということです。あなただけの個人的(パーソナル)な見地からのみ眺めてはいけません。

その体験を通じてもし大ぜいの人々の魂が鼓舞されることになれば、それがひいてはあなた自身の魂の成長を促すことになります。そして、あなた自身がこちらへおいでになりご主人と再会された時にも、それが大きな拠りどころとなります。

 〝死んだ人〟たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて新しい生活へ入っていくだけです。その人たちにとって死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。

 いくら順調に進化していても、地上にいる限りは相変わらず霊的なバイブレーションよりは物的なバイブレーションの方が感応しやすいものです。縁故のあるスピリットがすぐ身のまわりにいます。肉体に宿っていた時よりも一段と親近感を増しているのですが、人間の方は鈍重なバイブレーションにしか反応しないために、すぐ近くにいても、その高いバイブレーションに感応しないだけです。

あなた方は今この時点において立派に霊魂(スピリット)なのです。物的世界での教訓を身につけるために地上にやって来ているところです。時としてそれが辛い教訓となることがありますが、それはそれなりに価値あることではないでしょうか。

 皆さんはなぜ物的な出来ごとを持って永遠を判断しようとなさるのでしょう。皆さんは空の広さは計れません。地球の大きさすら測れません。なのに、僅かな地上生活で持って永遠を計ろうとなさいます」


 同じく主人を失い、失意の余り自殺まで考えた婦人が次のような質問を寄せ、それがシルバーバーチに読んで聞かされた。


───みずからの行為によってそちらの世界へ行くことは許されることでしょうか。例えば最愛の伴侶を奪われた人の場合です。

 「許されません。あくまでも摂理に従って寿命を完うしなければなりません。神の摂理はつねにその働きが完璧だからです。

完全な愛によって、つまり全存在に宿り全存在を通じて働いている神の意志によって支配されているからです。その摂理の働きに干渉する権利は誰にもありません。もし干渉して与えられた寿命をみずからの手で切り上げるようなことをすれば、それに対する代償を支払わせられます。

 たとえばリンゴを熟さないうちにもぎ取れば、リンゴの美味しさは味わえません。それと同じで、霊的に熟さないうちに無理やりに次の世界へ行くようなことをすると、(地上での悲しく苦しい期間よりも)永い期間にわたって辛い体験を支払わされることになります。

おまけに、せっかく一緒になりたいと思った愛する人にも会えないことにもなります。その摂理に背いた行為が一種のミゾをこしらえるからです」

 このシルバーバーチの回答がサイキック・ニューズ誌に掲載されたのを読んだその夫人が次のような礼状を寄せてきた。

 「質問にお答え下さったことへの私の感謝の気持ちをシルバーバーチ霊にお伝えいただけるものかどうか存じませんが、もしお伝えいただけるものでしたら、〝後に残された者〟の質問にこんなに明快にそしてこんなに早く回答して下さったことに対する私の感謝の気持ちをお伝え下さい。

そして、こうもお伝え下さい───お言葉に大変失望いたしましたが、お訓えを信じ神からのお呼びの声が掛るまで、力のかぎり〝生き続ける〟覚悟を決めました、と」


 では〝安楽死〟はどうであろうか。これは現代の世間一般の関心事であると同時にスピリチュアリズムでも議論の的となっている問題である。ある日の交霊会でそれについての質問が出された。


─── 回復の見込みのない患者を死なせる特権を法律によって医師に与えるべきだという考えをどう思われますか。

 「私は全ての生命は神のものと申し上げております。肉体が滅び霊が解き放たれる時が来れば、自然の摂理でそうなります」


───物的手段を講じて永生きさせることは正しいとお考えでしょうか。

 「はい」


───たとえ永生きさせることが苦しみまで永引かせることになってもですか。

 「そうです。ただ、この問題に関して一つお忘れになっていることがあります。霊は肉体を去るべき時が至ればかならず去るもので、地上にはその理法を変える手段はないということです」


───不治の患者を人為的に死なせた場合、それは死後その患者の霊にさらに苦痛をもたらすことになるのでしょうか。

 「そういうことはありませんが、死後に備えの出来ていない霊に一種のショックを与えることになり、そのショックが何かと良からぬ影響をもたらします。自然に死ねば必要でなかったはずの手間をかけて埋め合わせをしなければならなくなります」


───医師にも寿命を永引かせる力があるでしょうか。

 「医師が肉体を生き続けさせようと努力なさる───それは結構です。が、霊にはその肉体を去るべき時というものがあり、死の時が至れば地上の医師には為すべき手段はありません」


───ということは生命を維持させようと幾ら医師が努力しても無駄ということになるのでしょうか。

 「そういうことです。もしもあなたのおっしゃる通り医師に生命を維持させる力があるとすれば、なぜ最後はみんな死んで行くのでしょう」


───でも少しの間だけでも永生きさせてあげることはできます。

 「患者がその処置に反応すればの話です。例えば酸素吸入が出来ます。しかしそれもある程度までのことでしょう。霊が私達の世界へ来るべき準備が整ったら最期、医師には為す術がありません」


───もし寿命というものが定まっていて、各自が原則として霊的に準備が整った状態で死んでいくのが事実だとすると、なぜ平均寿命が延びているのでしょうか。

 「人類が進化しているからです。肉体的なことが霊的なことを決定づけているのではありません。霊的なことが肉体的なことを決定づけるのです」


 〝死なせる権利〟とは反対に 〝誕生させない権利〟の問題もある。次がその問題に関する問答である。なお、ここでは受胎調節つまり避妊の意味で述べており、人工中絶のことではない。


───産児制限をどう思われますか。

 「人間には正しいことと間違ったこととを見分ける道義的判断力と、それを選択する自由意志とが与えられております。つまるところ動機(意図、魂胆)の問題です。何のために?───これをみずからの良心に問いかけるのです。一度ならず何度でも問いかけてみるのです。その結果として選択したもの、それが何より大切です。他のことはどうでもよろしい」


───でも、生命の誕生を阻止することは神の摂理に反することではないでしょうか。

 「どうしても地上に誕生すべき宿命を持った霊は避妊しない夫婦を選んで誕生してきます。因果律は絶対です。一対の夫婦にとって新しい生命が誕生することが進化のためのプランに組み込まれておれば、それを阻止することはできません。本人(夫婦)みずからそれを要望するようになるものです」


───生れてくることになっていれば夫婦の方でそれを望むようになるということでしょうか。

 「そうです。その夫婦の進化の程度が新しい生命の誕生による影響を必要とする段階に達したということもあるでしょう」


───当然それはより高い進化を意味するわけですね。

 「いえ、必ずしも高いとは言えません。必ずしも低いとも言えません(第三巻一四一頁参照)。中には肉体的快楽だけを求めてその結果(避妊)は避けようとする者もいますので、この種の人間は別に扱わなくてはいけません。むろん私はそうした生き方は感心しません。その意図が同じく利己的で程度が低いからです」

(訳者注───シルバーバーチは利己性はすべていけないとは言っていない、人間界においては、たとえ愛に発する行為でも、大なり小なり利己性は免れないという。要は動機の程度が高いか低いかの問題で、そこでこのように lowly selfishness, 直訳すれば〝下賤な利己主義〟という言い方もするわけである。これはきわめて大切なことである。

この点を正しく理解していないと安易な自己犠牲精神に駆り立てられ、その犠牲が何も生み出さずに無駄に終わって元も子も無くしてしまう危険性がある。別のところでもシルバーバーチは、人類愛や博愛精神を説く一見崇高そうな人間の心の奥にも、霊界から見ると〝オレこそは〟といった自惚れと野心がうごめいているのがよく読み取れると言っている。

私が若いころ師の間部氏から〝人間のすることなんかタカが知れている!〟と強い口調で戒められたことがあったが、そういう意味合いがあったのでろう )


───でも、それがもし生まれてくる子供にとって不幸だという考えからだったらどうでしょうか。(裏返せば育児が面倒だと言うことー訳者)

 「それが動機ということになりませんか。何事も動機に帰着します。摂理をごまかすことはできません。摂理は各自の魂に入力されております。そしてあらゆる行為、あらゆる思想、あらゆる観念、あらゆる願望が細大もらさず魂のオーラに印象づけられていきます。

霊の目をもって見れば、そのすべてが一目瞭然です。地上生活での行為がいかなる意図のもとに為されたかが明確に知れます。あなた方の魂は霊の目の前では裸も同然です」


───霊は妊娠中のどの時期に宿るのでしょうか。

 「異議を唱える方が多いことと思いますが、私は二つの種子(精子と卵子)が合体して、ミニチュアの形にせよ、霊が機能する為の媒体を提供した時、その時が地上生活の出発点であると申し上げます」


───遺伝的に精神病を抱えた人の人生が、その肉体的な欠陥のために地上体験から教訓が得られないという意味で無意味であるとした場合、その病気の遺伝を防ぐ目的で断種をするという考えをどう思われますか。

 「私には、そして全宇宙のいかなる存在もみなそうですが、生命の法則を変える力はありません。一個の魂が物質界に誕生することになっている時は、それを阻止しようと如何に努力しても、必ず誕生してきます。なぜかとお聞きになることでしょう。そこで私は再生の事実の存在を説くのです。それが理由です」