Friday, August 14, 2026

ベールの彼方の生活(三)

 「天界の政庁」

著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)
近藤千雄 訳




二章 霊的交信の原理
1 思念の濾過装置ーカスリーン  2 通信を妨げるもの
3 人間診断のスペクトル              4 男性原理と女性原理



1 思念の濾過装置ーカスリーン  
  一九一七年十一月十六日  金曜日

貴殿にとっては吾々の述べることの大半がさぞ不思議に思えることでしょう。吾々は現実に見ることも聞くことも出来るが、貴殿はかつて一度も見聞きしていないのであるから無理もないことです。そこで何か不可解なことがある時は次のことを思い起こしてほしい。

すなわち、今貴殿が耐え忍ばねばならない霧は、かつて吾々も遭遇したことがあるということです。ということは、貴殿の今の苦しい立場も疑念も吾々にとって決して理解できない性質のものではなく、貴殿がたびたび見せる躊躇(ためらい)も吾々にとって少しも驚きではないということです。

が、それはそれとして、貴殿の脳裏に浮かぶものをそのまま綴っていただきたい。

それを後で容赦ない批判的態度で読み返してみられたい。完璧性には欠けるかも知れないが、実質においても外殻(ガイカク)においても、苦心しただけの価値があることを認められるに相違ない。外殻よりも実質の方が重要であるが、更にその奥には核心がある。

吾々の通信もその核心まで見届けてほしい。何となれば、もし吾々の通信に幾らかでも価値があるとすれば、そこにこそ見出されるであろうからです。


──文章がいささか古めかしいですね。古い言いまわしの方が近代的なものよりお得意とお見受けします。私が近代的な語句を使用しようとしても、すぐに古風な言いまわしが割り込んできてそれを押し出してしまいます。そういうことがしばしばあります。

 当たらずといえども遠からず、というところであろう。かつての古い語句や言いまわしのクセが顔を出し、その方が使い勝手が良いので、ついそちらへ偏ることは事実です。が、何なら貴殿の脳の中から近代的なものを取り出して使用するように努力しましょう。貴殿がそう望まれるのならそうしてもよい。


──それには及びません。私はただこうした傾向があまり一般的でないので述べてみたまでです。例えば私が教会で説教を行っている時に指導してくれる霊は古い言い回しはしません。

 それはそうであろう。吾々の仕事においては各自のやり方に少しずつ違いがあるものです。正直言って彼の場合も時たまはうっかり生前使い慣れた言い方をしそうになるに相違ない。が彼はそうならぬよう心掛け、貴殿の言い方に倣っている。

うっかり聴き慣れない言い方をすると聴衆が変に思い、貴殿がどうかしたのではないかと、牧師としての適性を疑いかねないでしょう。

一方吾々は貴殿に書き取ってもらうことを前提としてしゃべるので、力強く印象付けないと使い物にならない用語や連語があり、そのために貴殿が戸惑い、書くのを躊躇することにもなる。が、それを避けようとすると肝心の目的からそれてしまうのです。


──では、どのようになさっておられるのか具体的に説明してください。

さて、さて、これは特殊な方法であるから、たとえ説明しても部分的にしか理解していただけないでしょう。が出来るかぎり説明してみよう。まず今夜ここに居合わせているのは七人のグループです。時にはもっと多いこともあるし少ないこともある。

何を述べるかは予(あらかじ)め大ざっぱにまとめてあるが、どのような表現にするかは貴殿の姿を見て精神状態を確かめ、同時に貴殿がそのあと何をする予定であるかを調べてから決める。それから貴殿から少し離れたところに位置をとる。


あまり近いと吾々の影響つまり数人の精神から出る意念の放射が一つにまとまらずにバラバラの形で貴殿に届けられ、貴殿の意識に混乱が生じる。

少し離れていると、それがうまく融合して焦点が定まり、貴殿に届く時には一つに統一され、語法にも一貫性ができあがる。

貴殿が時おり単語や語句を変に思って躊躇するのは、あれは吾々の思想が混ざり合ったままで、用語が決まるまでにまとまっていない時である。それで貴殿は筆を止める。が融合作用が進行して一つにまとまると貴殿の頭に一つの考えが閃き、また筆を進めることになる。確か貴殿はそれに気づいておられるはずですが・・・・・・。


──気づいてました。ただ、なぜそうなるのかが判りませんでした。

 無理もないことです。では先を続けよう。吾々が思想を貴殿へ送るわけだが、時にはそれが貴殿の言うようにひどく古くさい表現となって、貴殿はとっさにその意味を捉えかねることがある。それを修正するために中間に近代的な濾過装置を用意している。吾々がこのたび語りたいのはこの濾過装置のことである。

 それが実は他ならぬカスリーンです。カスリーンが間に入ってくれるおかげで吾々の思念を貴殿に届けることが出来るのです。これにはいろいろと理由がある。霊的状態が吾々よりも貴殿の方に近いということがまず第一である。

つまり吾々にはこちらへ来てからの年数が長く、地球そのものから遠く離れているので、地上的習慣や手段との馴染みが薄くなっていますが、その点カスリーンは比較的新しい他界者なので、しゃべる言葉がまだ貴殿に感応しやすい。

次にそれと関連した理由として、カスリーンにはまだ言語の貯えが残っていることが挙げられる。彼女は今でも地上の言語で思考することができる。しかもその言語は吾々のものより近代的である。もっとも吾々に言わせれば現代語は感心しない。

何やら合成語のような感じがするし、適確さに欠けるように思う。が、それなりの良さを持っているからには、吾々もアラ探しは控えねばなるまい。

吾々とて相変わらず偏見があり偏狭性を拭い切ってはいない。そうした人間的弱点はどこかに潜んでいるもので、こうして地上へ降りてくると、これまでの進化の道程で一度は捨て去ったはずのものが再び頭をもたげるのです。

地上に戻るとそうした人間的感情を再び味わうことになるが、それもまんざら悪いものでもありません。結構楽しいものです。

そうした点においてもカスリーンの方が貴殿に近く、それで吾々の思念の流れをいったん彼女を通過させて貴殿に届けるのです。また吾々が貴殿から少し離れたところに位置しているのは、吾々が一体となった時の威力が貴殿を圧倒してしまうからです。

オーラと言う語を使用してもよい──この言葉はあまり好きではないが、ここでは使わねばなるまい。つまり吾々のオーラの融合したものが貴殿に何とも言えぬ心地良さ──一種の恍惚状態──に導いてしまう。が、それでは貴殿が書き取れないことになる。

吾々がこうして降りて来るのは貴殿並びに他の大勢の人々に理性を持って読んでいただき、願わくば理解していただくために、文章として綴るのが目的なのですから。

 貴殿は今タイムキーパー(時間記録器)の文字盤へ目を向けられた。それを貴殿らはウォッチ(時計)と呼んでおられる。

なぜこのようなことを? 吾々が古い言いまわしを好む一例として述べてみたまでです。ウォッチと言うよりはタイムキーパーと言った方が吾々にはぴったりくる。が、吾々の好みを押し付けるつもりはありません。礼を失することになるでしょう。

いま貴殿が文字盤──それをどう呼ばれてもよいが──に目をやられた意味も判っております。そこでお寝みを申し上げるとしよう。貴殿並びに皆様に神の祝福のあらんことを、失礼します。

 カスリーンですが、私からも一言付け加えさせていただけますか。


──もちろん。どうぞ。

 いま霊団の方たちが何かおしゃべりをされてます。まるで昔なじみのように、別れ際にはいつも暫くおしゃべりをされるのです。いよいよ行ってしまう時はすぐにそれと知れます。いつも最後は皆んなで私の方を向いて、有難う、さよなら、と言ってくださるのです。光り輝く素敵な男性ばかりです。

時には女性の方が付いて来ていることもあります。それは男性的精神構造では理解できない問題を扱う時だろうと私は思っています。その女性の方がどなたであるかは知りません。でも威厳のある、美しい、しかも優しい感じの方です。では今回はこれでお別れします。間もなくまた参ります。一緒に筆記していただいて有難う。


──さようなら、カスリーン。有難うは私の方から言うべきだと思うけど。

 でも始めはあまり気乗りがしなかったのではないですか?


──そうね。片付けなければならないことが沢山あるものだから。それに、四年前の通信(第二巻)の時の苦しさが今も忘れられないのでね。

 でも、通信の再開の話は前もって打ち合わせてあったのでしょ? 憶えてらしたのでしょ? それに、思ったほど苦痛は感じないでしょ?


──両方ともおっしゃる通り。

 とくに、苦痛が少なくなったのは間違いないと思う。このカスリーンが間に入っているからです。ですから、これから先も私の存在を忘れないでね。

さようなら。そしてもう一度有難うと言わせていただきます。ルビーちゃん(※)なら〝それにキスも〟とでも言うところでしょうけど、それは娘だけの特権ね。私は愛と善意をこめて、ただ、さようなら、とだけ申し上げます。 カスリーン

(*オーエン氏の女児で、カスリーンが二十八歳で他界してから三年後にわずか十五か月で他界している。──訳者)


  
 2 通信を妨げるもの
一九一七年十一月十七日  土曜日

 吾々が送り届け貴殿が綴ったものをあとで読み返してみると、さまざまな入り組んだ事情のために、ぜひ伝えたいと思ったことがうまく表現されておらず、逆に思いも寄らないことが表に出ていることがあります。

こうしたことは通信を送る側の界と受け取る側の界との間に部厚いベールが存在することから当然生じることです。そのベールを境とした双方の大気は性質がまったく異なるために、吾々から発送した思念がそのベールに突入した際に急速にそして極端にスピードが落ち、思念の流れが乱れ、その境界線上において混乱が生じることは避け難い。

それは譬えてみれば川堰(かわぜき)を越えて流れ落ちる水のようなもので、その表面に激しい波が立つ。

そこで吾々はなるべく静かな底流を利用することになります。そうすれば通信内容も鮮明となる。しかし、こうしたことは数多い問題の一つに過ぎません。

 もう一つ、こういう問題もあります。人間の脳は実によく出来た器官ではあるが、あくまで物質であるために吾々の思念が脳に届いても、あるいは強く突き当っても、物質の固さのために内部への滲透が阻害され、その場で完全にストップされることもある。

と言うのも、吾々から出る思念のバイブレーションが高度であり、その微妙さが密度の粗い脳との感応を妨げるのです。

 さらに、こちらには地上の言語では表現できないことが数多く存在します。色彩にしても、スペクトルには感応しても人間の目には見えないものがある。が、

人間の目はおろか、スペクトルにも感応しない崇高な色彩も存在します。音も同じで、地上では絶対に感応しないものがある。エネルギーにしても、人間には利用もできないし存在を証明してみせることも出来ないものが存在する。人間側に知識も経験もないからです。

こうした事情から〝四次元〟という用語が用いられることがあります。必ずしも正確な表現とは言えないが、そう表現しておく方が、まったく述べずにおくよりはましかも知れません。といって吾々がそれを高く評価していると受取ってもらっては困るが・・・・・・。

とにかく、そうしたものやその他の無数の要素が入り組んで存在し、吾々の生活環境を形成しているわけです。

が、それについて、あるいは人間の目に映じる地上の諸現象との因果関係について語ろうとすると、とたんに吾々は大いに当惑し、人間に理解してもらい且つなるべく吾々の知る実相から掛け離れない程度に説明するには、一体どうしたものかと思案にくれるのです。

 これでお判りと思うが、こちらの界から地上界へ通信を送るには大変な操作が必要であり、それがまた決して容易ではないのです。が、それだけにやり甲斐の在る仕事でもある。吾々は鋭意努力して少しでも満足の行く仕事を残したいと思います。

 地上の人間がもし吾々の存在と吾々との協調関係についてもっと信仰心を持ってくれれば、吾々もずっと仕事がやり易くなることでしょう。

またその信仰がもっと大胆にして強烈なものとなり、心がもっと素直にそして一途なものとなってくれれば、霊的環境が改善されて仕事がやり易くなり、吾々からの援助が受け入れ易くなるでしょう。

 たとえば吾々にとっては西洋人よりもインド人の方が思念が伝わり易い。それはインド人が西洋人よりも霊的なものに馴染んでいるからです。西洋においては有機物と無機物──と西洋人は考えるがこれは誤りです──つまり物質の科学と、何かというと同盟や機構を作ること──いわば政治力学──にばかり躍起となります。

(*)それも必要であり、しかも立派に成し遂げている。さらにはそれを世界的規模にて行うのも必要なことではあった。

が、それもすでに現在の時勢に関するかぎり、ほぼ完全に近い。吾々としては西洋人がそろそろチャンネルを切り換えて霊的世界へ目を向けてくれるのを期待しています。

そうなってくれれば地上と連絡したがっている大勢の者にとって、そのチャンスを与えられることになる。その時も近い。

そして援助せんとする勢力もその時を今や遅しと待ち構えている。吾々にとっての最大の敵は西洋の物質万能主義であり、それとの闘いに吾々は貴殿と同じく喜びを持って挑みます。またそう易々とサジは投げません。

 今夜はこれ以上述べません。貴殿は疲れて来ました。ではお寝み。神の安らぎを。

 (*折しも第一次大戦が終局へ向かいつつある時で、三国同盟協商とかのことを指しているのであろう。──訳者)



 
 3  人間診断のスペクトル  
 一九一七年十一月二十二日 木曜日

 再び貴殿の精神をお借りして、吾々が人間界に対して行う仕事と援助の方法について、もう少し述べてみたいと思う。理解していただけると思いますが、天界は広大な範囲にまたがり、その住民の数は文字どおり無数であり、従って人間界への関わり方もまた地域によってさまざまであり、霊団の進化の度合いによっても異なります。

そこで、ここでは吾々の霊団の話に限定し他の霊団のことまでは言及しないことにします。実は霊団どうしで互いの強化と協力のために相手霊団の仕事の進展具合を研究し合っており、従って範囲を広げればキリがないのです。そこで吾々の霊団に限ることにしたい。

 こうして吾々の界より地上へ降りてきて人類のために授けるよう託されたものは数多くあります。それを幾つかに分類し、中でも特殊なものが幾つかの霊団に割り当てられる。ここにいる吾々七人はその霊団の中の一つの班を構成している。

その仕事が今こうして行っているように一連の通信をまずカスリーンを通して送り、さらに貴殿を通して地上の人々に届けるということです。霊団の数は時の経過とともに変わります。新しく加わることもあれば、古いメンバーが上層へ召されて行くこともある。


現在のところでは総勢三十六名です。それが六名のメンバーと一人のリーダーで一個の班をこしらえていますが、それは原則であって、その時々の仕事の内容次第でもっと多くなる時もあれば少なくなることもある。

一人でなく複数で行動する理由はエネルギーを結集して強化するためだけではなく、一つに融合した時の各メンバーの影響力のコンビネーションを考慮してのことです。このことはすでに説明しました(本章1)。

そのコンビネーションの効果を上げるためには、それを伝達するための地上の霊媒、場合によっては霊界の霊媒ともうまく調和しなければなりません。それがうまく行かないと確実性が乏しく、大なり小なりの誤りが生じやすくなります。仕事によってはそれを必要としないこともありますが、それは今は措いて、現在の吾々の仕事に限ることにする。

 今の吾々の仕事には二人の霊媒がいる。すなわちカスリーンと貴殿です。カスリーンは通訳──そう呼ぶのが適切であろう──として吾々の班の一人に加わっています。

彼女と貴殿の二人については過去何か月にも亘って観察を続けてきました。まず貴殿に目をつけました。そのきっかけは貴殿がご母堂から(第一巻)、そしてのちに吾々の霊団の最高指揮者であられるザブディエル殿から(第二巻)通信を受けていることを知ったからです。


──ザブディエル様について何か教えていただけませんか。

 喜んでお教えしたいところであるが、それは適切な時期を選んで改めて述べるとしよう。今夜は控えたい。

 さて吾々はそれから貴殿の精神構造と、そこに蓄積されているそれまでの地上生活の中身、それは貴殿の霊───貴殿の霊的身体と思えばよい。吾々はその意味で使用します──とその健康状態、そして、これ以後の仕事の完遂のために要請される要素等を分析検討し、そして最後に貴殿の魂そのものの質と性格を出来る限り診断した。

それから、そうした調査結果を吾々の界で使用しているスペクトルにかけてみたのである。

(地上の科学者が使用するスペクトルとはあまり似ていないが、地上の科学者が光波の分析に使用するのと同じように吾々はそれを人間の診断とオーラの分析に使用している)

こうして貴殿は何も知らないうちに吾々によって細心の注意をもって調査されテストされていたのです。つまり吾々は貴殿の詳細な診断書を作成して、それをザブディエル殿がかつて貴殿を使用される時に作成された診断書と比較し、また精密さにおいては劣るが、ご母堂の霊団が最初に貴殿に思念を印象付ける方法で通信を送る際に用意された相当くわしい記録とも比較してみました。

 以上三つの記録が貴殿の進歩の様子を明らかにしてくれました。貴殿はある面では・・・・・・貴殿のことを明かしてもよいであろうか。


──結構です。どうぞ。

 貴殿はある面では進歩しておられたが、別の面では退歩しておられた。それは主に今継続中の(第一次)大戦のために時間と思考が奪われているせいでもある。総合的に診断すれば貴殿は三、四年前に比べて霊媒としては少し劣っておられるように見受けられる。

が吾々は、この程度ならば何とか以前とほぼ同程度に使用できるとの結論に達したのです。問題は貴殿が奥深い霊覚を失っておられることであった。

つまり霊的高揚や法悦状態に導き、内的視力とも言うべき想像性豊かな能力と内的聴力に吾々が働きかけるのを可能にしてくれるものが消え失せていることでした。しかし何とか使用できる、そして使用するうちに改善される可能性もあると判断して、貴殿を吾々の道具とすることに決めたのです。

 そのほかにも吾々は、上がったり下がったりしながらの進化のコースは、右の三つの記録をつなぎ合わせた時の一直線のコースとは必ずしも一致しないことを発見しました。

そこに幾つかの食い違いがあったのです。そして吾々の記録とすぐその前の(ザブディエル殿の)記録との間の食い違いは吾々の診断の方に原因があり、ザブディエル殿のために記録を作成した霊団の手落ちではなかったことが判明しました。

これは吾々の採用した例の特殊な方法を考慮していただけば驚くには当たりません。何しろ貴殿の進歩は決して一定方向ではなく、数々の方向への線が複雑に交叉して絡み合い、そこに混乱が生じていたのです。ともあれ落度は吾々の側にありました。

 今夜はこれにて終わり、明日また同じ問題を扱うことにしたい。このたびは貴殿は一度ならず中断し、それも必要以上に間延びした。その意味で今夜は貴殿はあまり扱い易くありませんでした。これ以後こうしたことのないようにするために何か良い方法を考えねばなりますまい。

何とかやってみましょう。ではお寝み。貴殿の進まれる道に神の祝福のあらんことを。




 4  男性原理と女性原理    
 一九一七年十一月二十三日  金曜日

 前回の話を続けたい。
 吾々霊団の精神的融合体と、そこから出る思念体の流れを受け取る貴殿の鉛筆と用紙との間の連絡関係は、今まさに完璧な状態に近づきつつあります。

頭初、貴殿の人間性と特質の調査を終えたあと吾々は、こんどは吾々と貴殿との間を取り次ぐもの──その思念体の流れを受け取り、屈折させ、ある程度まで変質させ、言ってみればスペクトルの中の無用の要素、つまり人間の網膜に感応しない要素に相当するものを取り除くことのできる存在(カスリーン)を探す必要に迫られた。

これでお判りの様に、最終的に貴殿に届けられるのは吾々が最初に発送したもの全部ではないのです。

それは譬えてみればスペクトルの中の可視光線と呼ばれている部分、つまり赤外線と紫外線を除いた波長でできた、人間の目に映じる部分と同じである。人間の手によって綴られる通信に筋の通らないものが見られる要因も、そうした複雑な事情によります。 

 法則というものは全ての分野で一貫しており、どこか相通ずるものがあるもので、この問題においても同じである。例えば人間の目に映じる白色光は合成体ではなく統一体であるが、吾々の霊団についても同じことが言える。

つまり白色光が複数の色彩を統一して一色の光波つまりは無色の光の流れをこしらえるのと同じように、吾々霊団も六名の要素の寄せ集めではなく、融合統一することによって、あたかも一つの精神のように思えるほどの一体性を作り出す。

そこから出る思念がカスリーンという素晴らしい媒体を通過することで一層その度合を強める。その一体性を出すためには各自の霊力の割合をうまく調節しなければならない。

さもないと効果が損なわれます。それはちょうど光を構成している色彩の割合が崩れてそのうちの一つでも目立つと、もはや無色ではなくなり色合いが出てしまうのと同じです。

 さてここまでの説明は言ってみればプディングの材料を一つ一つ用意してきたようなものです。このままではまだオーブンには入れられない。もう一つだけ大切なものを忘れている。と言うよりは軽く扱い過ぎている。吾々がカスリーンに目を付けたのは、貴殿の血縁関係の一人との間の交友関係と二人の間の親和性とがあったからです。


──ルビーのことですか。

 いかにも。他にはいないでしょう。貴殿のお嬢さんのルビーはカスリーンにとって親友であると同時に指導者でもあります。うまくしたものです。と言うのは、カスリーンについても貴殿の場合とほぼ同じような調査をしたのですが、そのうち吾々の仕事の成否を左右しかねない、非常に微妙でしかもほほえましい問題に逢着したのです。

吾々六人は男性である。カスリーンは女性である。地上と同じように、こちらの世界でも科学の分野は圧倒的に男性が支配しており、地上との関係においても男性の頭脳の方が働きかけ易いものです。

そこで──勿体ぶらず結論を急ぐが──吾々は一方において吾々男性と通じ合うことができ、他方において女性とも通じ合える人物を見つけ出した。

それがルビーで、吾々の通訳のような役をしてくれています。彼女はこちらの世界の存在であり、同時に吾々の霊団の一人でもあり、従って実際の事実にも通じ、それもすでに長い期間に及んでいる。

メンバーの一人として霊団とよく調和しており、同時に女性の特性においてカスリーンともウマが合う。吾々の精神活動──思念操作──の全体をまとめ上げ、ブレンドした上で、さらにそれをカスリーンを通して貴殿に届けてくれるのはルビーなのです。

通信全体を通しての思想とその表現に男性的雰囲気が漂っているのに気づかれるであろう。それは霊団の中の班を構成している吾々六人の男性的要素が支配しているからです。

しかし、その中にあって時おり女性的要素が顔を出すのに気づかれるであろう。それは通信の内容上、女性がリードして吾々男性が哀れにも車を後押しするような形で力を貸した方が都合がよい時です。カスリーンも時おり顔をのぞかせることがあるでしょう。

そしてそれが彼女特有のナイーブな雰囲気をもたらして可愛らしさを感じさせるであろう。吾々にとっても同じです。


──お聞きしていると今回の通信はこの先かなり長く続きそうな感じがします。嫌がってるように受け取られては困るのですが、前回(第二巻)の時が苦痛だったものですから・・・・・・。


 いや、いや、そう怖がられることはない。今回の通信──そう大そうなものではないが──に当たってずいぶん骨を折ってきたが、貴殿が止めたいと希望されるなら、いつ止めても結構です。が、私が観たところ貴殿は吾々霊団を見放すようなことはなさらないであろう。

現に貴殿は、こうして吾々に接近して通信に耳を傾けることを結構楽しんでおられる。このまま私の意図した通りに通信が続きそうである。

ただ貴殿が懸念しておられるので私から一言申し上げておくが、吾々が目論んでいるのはザブディエル殿の通信ほど大きなものではない。あれほど深刻な内容のものではありませんが、しかし有益であるに相違ないと思う。


──あなたは時に〝私〟と言い、時に〝吾々〟とおっしゃっています。思うにそれはあなたの通信に二つの面があるからでしょう。流れは一つでも、その流れを構成している要素は複数である。それで七人が時に複数でしゃべり時に単数でしゃべる。そうじゃないですか。


──まずい説明とも言えない。ある程度は正鵠(せいこく)を得ている。が、ある程度、です。〝私〟と言ってる時は(現在のところ)三十六名の霊団全体のリーダーの資格において語っており、〝吾々〟と言う時はこの小班の他の六名を代表して〝私〟が語っている。

そこで貴殿もよく考えてほしい。統一性と多様性、単数と複数とがいかに見事にしかも、この通信に見られるように、いかに簡単に使い分けが可能であるかをです。

よく承知していただきたい。こちらの世界には肉体に宿っている者がどうあがいても探り得ない深層があります。何となれば、地上というところは崇高なる〝三位一体の神秘〟を秘蔵した宇宙最奥の聖殿の〝外郭〟に過ぎないからです。


<原著者ノート>この通信のあとカスリーンが私の妻が使用しているプランセットを通じて私のことで次のようなことを言って来た。「ジョージ(私)は明日教会で一人になれるでしょうか。〝リーダー〟が彼にあまり会話をさせないようにと望んでおられるのです。

話をしに来る人たちがジョージに余計な神経を使わせるのを気にしておられます。明日早朝に〝リーダー〟が通信を送られるので私がその準備に参ります。カスリーン」

私が「そのリーダーというのはあなたの属する班のリーダーのことですか」と聞くと、

「そうです。私たちはいつも〝リーダー〟とお呼びしています」とのことだった。これで私はこれ以後の通信の全てをリーダーからのものと判断した。

シルバーバーチの新たなる啓示

スピチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味
Lift Up Your Hearts
Compiled by Tony Ortzen 近藤千雄訳




二章  聖職者の使命

シルバーバーチが伝来の組織的宗教に批判的であることはよく知られている。したがって、キリスト教の位階の中でも高位の〝キャノン〟でありながらスピリチュアリズムにも理解のあるジョン・ピアスヒギンズ氏がゲストとして出席した時は、さぞかし見ものだったことであろう。その様子を次の対話から窺い知ることができそうである。

 まずシルバーバーチから述べる。
 「あなたほどの霊的真理を手にされ、新しい理解への道を歩んでおられる方が、今さらこの私に何のご用があるというのでしょうか」

キャノン───レンガ塀を取り壊す方法をお教え願えまいかと思いまして・・・。実は今、私は大きな壁に突き当たっているのです。

「旧約聖書にあるのではありませんか───ヨシュアという男が大声で怒鳴ったら、城壁が崩れ落ちたという話が・・・・・・。あなたも、一つ、大声で怒鳴って見られてはいかがですか」

キャノン───これはまた恐れ入った話で・・・・・・。崩れ落ちる破片で私自身がケガをしなければいいですが・・・・・・

「それは大丈夫です。あなたはこれまでずっと守られてきております。イザという時は援助の手が差しのべられております」

キャノン───あなたの助言を頂くのが一番だと聞かされてやってまいりました。

「私も、あなたと同じく一個の人間的存在に過ぎません。あなたより少しばかり長く生きてきたというだけです。ただ私には、あなたとは別の次元での生活体験があります。

その生活によって宇宙の摂理がどういう具合に働いているか、それを背後から霊的にどう操っているかについて、いくばくかの知識を得ることが出来ました。

そこで私は、これまで辿ってきた道を後戻りしてこの地球圏に舞い戻り、受け入れる用意の出来た人にその知識を分けて差し上げているところです。

〝馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることまではできない〟という諺があります。ナザレのイエスも豚に真珠を投げ与えるような愚かなことをしてはいけないと戒めております。霊的真理というものは、それを理解する能力が具わっていない人には、どう押し付けても無駄であることを教えているのです」

キャノン───それはよく分かります。

「正直に言わせて頂きますが、不幸にしてそういう人がキリスト教の牧師の中に多く見受けられます。そういう人は霊的なものを見ることも、聞くことも、語ることもできないのです。知識だけは大変なものをお持ちです。

神学・ドグマ・教義・儀式典礼・・・それはそれはよく勉強していらっしゃいます。が、所詮は物質界に関わったことばかりです。霊の世界に関わったものは何一つご存知ありません。

 さて、地上に生を受ける全ての人間がそうであるように、あなたも、この物質界に誕生するに当たって、今歩んでおられるようなコースを自ら選択なさっておられます。信じていただけないかも知れませんが、それは構いません。

人間にとって理解し難い問題であることは確かです。でも、たとえ信じていただけなくても、私としては事実は事実として述べるほかはありません」

キャノン───私は信じます。

「勇猛な闘士はロートス(※)を食べたいとは思いませんし、バラ色の人生を送りたいとも思わないものです。すすんで困難に満ちた人生コースを選んで生まれ、精神力をよりタフに、より厳しく鍛え上げます。だからこそ、あらゆる困難を克服できるのです」

 ※───ギリシャ神話で、その実を食べると現世の苦悩を忘れさせたと言う想像上の植物───訳者

 困難に打ち克つ方法はいろいろとあるでしょう。勇猛果敢にぶち当たるのも一つの方法でしょう。じっくりと耐えて、徐々に克服していくのも一つの方法でしょう。

もっと穏やかに、祈りと瞑想の中で解決法を見出すという方法もあります。あなたほどのお方になれば、どんなことがあっても、この道から外れるようなことはないでしょう。あなたには大事な仕事があります。

それは、霊的知識による啓発を受けるべき人々(聖職者)にそのチャンスを与えることです。使命を自覚するということの本当の意味を悟ってもらわねばなりません。

 聖職者の使命は、宇宙で最も崇高な力の中継役となることです。教会や礼拝堂を〝白塗りの墓〟とせず、彼ら自らが霊力の流れる生きた殿堂となることです。

霊的真理に飢えた人が彼らの言葉によって魂の渇きを癒やされ、魂の空腹を満たされ、身体の病を、イエスの時代と同じように、霊的治癒力によって癒やされるべきなのです。この原理は今も昔も同じです。奇跡というものはありません。自然法則の顕現に過ぎません。

 じっくりと時を待つことです。人間のいちばんいけない点は、何でも性急に求めすぎるということです。その態度を見ていると、まるで大霊に代わって自分が早く片付けてしまいたいと思っているかのようです。

何年もの間モグラのように暗闇の中にいたのが、ある日ふと見上げて〝光〟というものがあることを知ります。すると、もう、それに夢中になって、今すぐにでも世の中を変えてしまわないと気が済まないような態度を取り始めます。

 そう簡単にいくものではありません。霊に関わることは、ゆっくりと、霊妙に、しかし確実に進化するものです。霊的成長、霊的感性、霊的理解力というものは、アクセルを踏んで一気に進めるわけには行かないものです。霊力を強制的に操ることはできません。

無理やりに注入するわけには行きません。それに適した通路が要ります。地上に顕現されるための手段です。

キャノン───そうだと思います。

「霊的成長がもしも努力なしに得られるものだったら、それは神の公正が愚弄されることになります。罪深き人間が簡単に聖人になれることになります。それでは公正の原理が存在の意義を失います。霊的成長はゆっくりと、しかし確実に進行するしかありません。

次の一歩を踏み出すに先立って、今の足場をしっかりと踏み固めないといけません。成長と発達は無限に続くのですから、焦ることはありません」

キャノン───我慢しろとおっしゃるわけですね?

「何度も申し上げておりますように、ドアをそっと押してみて、もし開かなかったら、無理して開けようとなさらないことです。カギのかかったドアをこじ開けようとしてはいけません。が、もしもドアが気持ちよく開いたら、その方向へ行かれることです。機が熟せば、霊の力がひとりでに顕現するものです。

 高級霊に秘められた創案と実現の能力は、たぶんあなた方人間の想像力を絶しております。機が熟し、用意万端が整えば、すべてが納まるところに納まります。盲目的な信仰は愚かですが、霊的知識に基づいて築かれた信仰は、人生哲学と将来への展望を構築する上での確固たる基盤となります。

 人間は、今置かれている環境条件からいって、全知識と全叡知の所有者となることは不可能です。ですから、これまで導かれてきたように、これからもきっと導かれていくとの信念を持つことです。霊の力が挫折してしまうことはありません。

大霊は絶対に挫折しません。すべては定められた摂理に従って顕現し続けます。これまでに啓示していただいたものに感謝し、そして、後のことは辛抱強く待つことです」

キャノン───私の背後霊として集まるのは霊的真理をよく理解した霊ばかりでしょうか。

「もちろんです。ただし、援助を必要とする霊があなたのもとに連れて来られることはありますよ」

キャノン───その種の霊には手を焼かされますね。

まったくです。でも、そういう迷える霊を暗闇から光明へと導いてあげる上で手助けとなることは、とても光栄なことです。気の毒な霊たちでして、すでに死んでいるのに、波動的には霊界よりも地上世界の方に近いのです。

苦境に陥って不安になった時は、気持ちが未来へ向かうのを制して過去を振り返り、これまでに遭遇した、人生の節目となった体験のことを思い起こしてみられることです。万事休すと思えた時───とても解決は無理と思え、どちらを向いても頼るものがなくて途方に暮れた時のことを思い出してみられることです。

不思議にも道が開け、絶体絶命と思えたものが克服されていったように、霊の力はこれからも導き続けます。

 
 キャノンという要職にあるあなたは、他の人にはない、真理普及の絶好のチャンスに恵まれています。大霊の道具であること───その恩寵と愛と叡知と霊力を届ける通路となるチャンスに恵まれていることに感謝しなくてはいけません。

ミニチュアの形で内部に神性を宿していながらこの事実にまったく無知でいる人が、実に多いのは悲しいことです。その意味でもあなたは感謝しなければなりません。収支勘定をすれば、きっとあなたは貸しよりも借りの方が多いと思いますよ。

キャノン───間違いなくそうでしょう。

「もっとも、私が見ているのは霊的なバランスシートですけどね・・・・・・」

キャノン───さぞかし、ひどい状態でしょうね?

「そんなことはありません。人間としてはきわめて健全です。要するにあなたは、まだまだ果たさねばならない仕事が残っているということです」

キャノン───施す以上に施しを受けているようです。

「そういうものです。サービスを施せば、必ず霊界からそれ以上の施しを受け、時にはあふれるほどにもなることがあります」

牧師として、キャノンも数え切れないほどの祈りを捧げてきたことであろうが、シルバーバーチも、ハンネン・スワッファー・ホームサークルによる交霊会において、開会の祈りと閉会の祈りを捧げるのが慣例となっていた。次の祈りは開会の祈りの典型的な例である。

≪日ごろの重荷・心配・不安・悩みごとや取り越し苦労のすべてを、しばし、わきへ置いていただきましょう。可能なかぎり高度な調和状態を成就するように努めましょう。知識と霊的成長を少しでも促進する目的をもとに、向上心をいやが上にも高めましょう。

 至尊至高の創造主たる大霊を超えるものは、この宇宙には存在しません。私たちはその大霊に似せて創造されております。生命そのものを賦与し、聖なる息吹を吹き込み、無限の神的属性を授けて下さった、その大霊とのより緊密なる調和を求めて祈りましょう。

 これまでに啓示していただいた霊的知識によって私たちは、全生命の裁定者、宇宙の全機構の創造者、そしてその完全なる叡知によって全存在を治め、調整し、規制するための摂理を考案なされた絶対的霊力について、より明確なる心像を抱くことができるようになりました。

 その崇高なる霊力の大きさは、到底、私たちには測り知ることはできませんが、その影響力は心臓の鼓動ほどに身近に存在し、永遠なる生命のいかなる側面においても、切っても切れぬ絆によって結ばれているのでございます。

 その大霊の力は、ある時はインスピレーションとなり、ある時は啓示となり、ある時は叡智となり、ある時は真理となって届けられ、またある時は支援の力となり治癒力となって届けられます。それが神性を帯びたものであることは、各種の媒体を通して顕現された時に、それを受け入れた者へ及ぼす絶大なる影響そのものが物語っております。


 私たちはその媒体として、喪の悲しみの中にある人には慰めを与え、病に苦しむ人を癒やし、弱き者に力を与え、悩める人に導きを与え、かくして、手の届くかぎりの範囲において、不幸な人々を助けることができるという測り知れない名誉に浴することができるのでございます。この名誉を大霊に感謝し、更に大きな貢献の道具となることを祈るものです。

 ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます≫

Thursday, August 13, 2026

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts
Compiled by Tony Ortzen 




一章 組織と綱領   

霊媒としての厳しい試練 SNU会長としての苦労

物理現象も霊的教訓も大切
クリスチャン・スピリチュアリスト
協会の会長を招いて 

メキシコのスピリチュアリストと語る





まえがき


 本書の編纂を終えた頃の英国は、五月というのに数十年ぶりの猛暑が続いていた。朝起きてみると、いつも空は抜けるように澄み渡っていて、うっすらとモヤが掛かっていることはあっても、今日もまた暑い一日になることを予告していた。

 気の短い人間にとって、ロンドンのような大都会でのそうした季節はずれの暑さは、置かれている状況によっては、たとえば地下鉄に乗っているとか長い行列の中にいると、それはそれは耐え切れない苦痛である。

 反対に天候も気候もいい時は人間の心まで良くなることは、誰しも知るところである。晴れ渡った空はわれわれ人間の心まで晴ればれとさせてくれる。花は咲き、小鳥はさえずり、蝶が花に舞い、木々がそよ風に揺れて、すべて世は事もなしとにいった気分になる。

 しかし、シルバーバーチがよく強調するように、何事にも表と裏がある。夜があれば昼があり、愛には憎しみがあり、光には影がつきまとう。人生も同じである。何をやってもうまく行かない時期があるものだ。

 大所高所から見ればどうということはないことばかりかも知れないが、凡人の悲しさで、その一つ一つが不幸に思える。そして、とてつもない大きな災厄に見舞われてはじめて、それまでの自分が本当は幸せだったのだと気づく。

 先日も、のんびりとショッピングを楽しんでいると、中年の婦人がいきなりこの私に話しかけてきた。十二年前に十八歳の息子を交通事故で亡くしたというのである。様子から見て、その婦人にとっては、その息子の死とともに何もかもが終ってしまったようなものだったことは明らかだった。十二年後の今もその悲しみが消えやらないのだ。

 肉身との死別───それも母と子の間であれば、無理もない話で、私には一言も咎める気持ちはない。親と子のつながりは愛情と尊敬の念の上に成り立っているからだ。

《サイキック・ニューズ》の編集者として私は、そうした悲しい体験の便りをよくいただく。先週も、十三年間も飼っていた犬の死による心の痛みを切々と訴える手紙が寄せられた。私にとっては、動物とはいえ、生命はあくまでも神聖である。悲しむのを少しも不自然だとは思わない。子供が殺されたり事故で死んだという人からの手紙もよく受け取る。つい昨日も、十代でこの地上生活を終えた人の話を聞かされたばかりだ。

 そうやって悲しみの心情を私に吐露するのは、私が第三者だからであることは言うまでもない。私はそのことを光栄に思い、細やかな同情の気持を込めた返事を書くようにつとめている。

 そんな時、シルバーバーチの本を奨めることもある。それは、シルバーバーチがこの地上に戻ってきた高級指導霊の中でも、文句なしに最も説得力のある教えを説いているからである。初めて出現したのは今から半世紀以上も前であるが、英語による表現の巧みさは右に出る者はいないし、霊的思想の説明の明快さも類を見ない。掛け値なしに〝偉大なる霊〟であったし、今なおそうなのであるが、それらしく気取ったところはみじんも見られない。

 本書は、シルバーバーチ選集としてはいちばん新しいもので、ほぼ二十年間にわたる期間の霊言から抜粋してある。なるべく重複しないように気をつけたが、前に出た霊言集と重複するところがあるかも知れない。が、そのことは、このシルバーバーチの霊言に関するかぎり決して〝まずい〟こととは考えていない。何回でも繰り返すだけの価値があるし、むしろその必要性すらあると考えている。

 どういう仕事に携わっていようと、どこのどなたであろうと───シルバーバーチのファンは文字どおり世界中に広がっている───本書によって人生の難問が解け、人生観の地平線がさらに広がることを希望し、かつ祈るものである。

 願わくばシルバーバーチの言葉が、あなたにとっての慰めと親密感と充実感と生きる喜びの源泉となりますように。
                           トニー・オーツセン





 一章  組織と綱領 
 
 スピリチュアリズム思想の真実性を信じている人のことを、便宜上、スピリチュアリストと呼ぶ。そのスピリチュアリストの英国最大の統一組織 SNU (Spiritualists National Union) が掲げる七つの綱領は、大部分の会員がそれを受け入れ、座右の信条としていることであろう。

 これは心霊誌 Two Worlds を創刊したビクトリア時代の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて、霊界から霊言で届けられたものとされている。ある日の交霊会でその綱領についての評釈を求められたシルバーバーチは、建設的ではあるが非常に手厳しい評価を下している。


 訳者付記──折にふれて〝組織〟の弊害を戒めるシルバーバーチは、組織の代表を自分の交霊会に招くことは度々あったが、組織から招かれて講演したことは、私の知るかぎりでは皆無である。その最初となるべき一九八一年の世界スピリチュアリスト連盟の総会での特別講演が、その直前のバーバネルの急死によって実現しなかったのは皮肉だった。なお《サイキック・ニューズ》紙はいかなる組織からも独立した立場を取っている。


 1、神は全人類の父である。
「これは、用語が適切さを欠いております。神(ゴット)、私のいう大霊は、みなさんがお考えになるような意味での〝父〟ではありません。これでは、愛と叡智の無限の力、全生命の造化の大霊を、人間の父親、つまり男性とすることになります。かくしてそこに、偉大なる男性であるところの人間神というイメージができ上がります。

 大霊には男性と女性のすべての属性が含まれます。すべてを支配する霊である以上は、必然的に生命の全表現───父性的なもの・母性的なもの・同胞的なもの───を含むことになります。ありとあらゆる側面が大霊の支配下にあるのです」



 2、人間はみな兄弟である。

「ここでもまた用語が問題となります。〝人間〟を表わす英語の man は女性にも使えないことはありませんが、本来は男性中心の観念の強い用語です(女性は woman という)。 また、〝兄弟〟というのは〝姉妹〟に対する男性用語です。ですから、性別の観念を取り除いて、世界中の民族を一つの霊的家族とする観念を打ち出さないといけません」


 3、霊界と地上界との間に霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける。

「またしても表現に問題があり、定義が必要となります。〝霊的交わり〟よりは〝霊的感応と通信〟とした方がよろしい。
 次の〝天使の支配〟も問題があります。〝天使〟とは一体何なのでしょう? 人間の形体をまとったことのない、翼のある存在のことでしょうか。地上の人間とは何の関係もない、まったく別個の存在なのでしょうか。この項目は表現がとても不適切です。

 霊的な支配は確かにあります。が、それは地上的な縁によってあなたと繋がっているスピリット、または特別な縁はなくても、あなたを通路として、地上に指導と支援と手助けと愛情を授けたいと願っているスピリットが行なっているのです」


 4、人間の魂は死後も存続する。

「この事実に例外はありません。人間の魂(個性)は大霊の一部であるがゆえに、地上で自我を表現するための道具だった物的身体がその役割を終えると同時に、そのままいっしょに滅んでしまうものではありません。魂は本質的に永遠不滅の存在なのです。だからこそ生き続けるのです」


 5、自分の行為には自分が責任を取らねばならない。

「これも、その通りです。議論の余地はありません。私たちが地上のみなさんに説き聞かせているあらゆる教えの中核に、この〝自己責任〟の概念があります。

原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果をだれかに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。

 スピリチュアリズムの教えの核心に、この〝各人各個の責任〟の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。

それは、自分の人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受け取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません」


 6、地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる。

「これまた用語の意味が問題です。人間の容姿をした神様が立派な玉座に腰かけていて、こいつには賞を、こいつには罰を、といった調子で裁いていくかに想像してはなりません。そんな子供騙しのものではありません。

 原因と結果の法則、タネ蒔きと刈り取りの原理が働くまでのことです。自動的であり機械的です。かならず法則どおりになっていくのです。あなたが行なったことが必然的にそれ相当の結果を生み出していくのです。報賞も罰も、あなたの行為が生み出す結果にほかなりません」



 7、いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている。

「生命は、霊的であるがゆえに永遠なのです。誰であろうと、何であろうと、どこにいようと、あるいは、現在すでに到達した進化の段階がどの程度であろうと、これから先にも、永遠へ向けての無限の階段が続いているのです。不完全さを無くするためには永遠の時が必要です。

完全というのは、どこまで行っても達成されません。どこまで行っても、その先にもまだ達成すべき進化の段階があることを認識することの連続です。無限に続くのです」

 続いて質疑応答に入る。

───あなたから見て、われわれ人間が心掛けるべき信条として一つだけ選ぶとしたら、どういうことを説かれますか。無理な注文かも知れませんが・・・・・・

「いえ、無理ではありません。実に簡単なことです。すでに何度も説いていることです。〝自分に為しうることを精いっぱい行なう〟───これです。転んでも、また起きればよろしい。最善を尽くすということ───これがあなた方人間に求められていることです。

 霊的真理の自覚が深まるほど、それだけあなたの責任も重くなります。自覚していながら、知らなかったとシラを切ってみても、無駄です」


───スピリチュアリズムの綱領の中には動物についての教えもあってよいはずだと思うのですが・・・・・・

「その通りです。私もそう思います。私だったらこう表現します───〝全人類は、地上で生活を共にしているあらゆる生物と隣人に対して責任がある〟と」


───ジャーナリストが霊媒やスピリチュアリズムを軽蔑する記事を書いたりした場合、そのジャーナリストはこの地上生活中に何らかの罰が当たるのでしょうか。

「罰が当たるというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。すべては 原因に対する結果という形で進行するだけです。罰は間違った行為の結果であり、タネ蒔きと刈り取りの関係です。

 問題は〝動機〟に帰着します。つまり、そのジャーナリストは自分の記事の内容を本当にそう信じて書いたのか、それとも正直とか公正とか真理探求といった高尚な問題の範疇に属さない、何か別の単純な動機から書いただけなのかといった要素が結果に影響します。蒔いたタネが実を結ぶのです。

 その結果がそちらの世界で出るかどうかの問題は、また別の問題です。出る場合もあれば出ない場合もあります。それに関わる霊的原理によって決められることです」

───台風のような自然災害によって死亡した場合、それは偶発事故による死ということになるのでしょうか。それともやはりそれがその人の運命だったのでしょうか。

「もしもその〝偶発事故〟という用語が、因果律のリズムの範囲外でたまたま発生したという意味でしたら、私はそういう用語は使いたくありません。事故にも、それに先立つ何らかの原因があって生じているのです。原因と結果とを切り離して考えてはなりません。

 圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、あらかじめ分かっております。ということは、予定されている、ないしは運命づけられている、ということです。同時に、自由意志によってその〝死期〟を延ばすことができるケースも沢山あります。

そうした複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、基本的には自然の摂理によって規制されております」


───人間が動物の肉を食することは霊的に見て間違っているというのであれば、なぜ動物が動物を食い殺すことは許されているのでしょうか。なぜ神は肉を食べなくても済むようにしてくださらなかったのでしょうか。

「そういうご質問は私にでなく大霊にお尋ねになっていただけませんか。大霊の無限の叡知が全大宇宙のあらゆる側面に責任をもっております。人間は、身体的進化の点では、この地上における全創造物の頂点に立っています。他の創造物よりも進化しているということは、それらの創造物に対して先輩としての責任があるということです。

 進化の階梯において高い位置にあるということは、その事実に付随して生じるもろもろの意味あいを知的に、そして霊的に理解できるところまで進化しているということを意味します。

より高い者がより低い者を援助し、より高い者はさらにその上の者から援助を受ける───かくして、霊的発達というものは自己滅却(サービス)の精神と、思いやりと、慈しみを増すことであり、それが霊の属性なのです。

 人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。身体的構造をみてもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。

 動物界にも進化の法則があります。歴史を遡ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものではないことがお分かりになるはずです。

 ですから、これは人間の責任に関わる問題です。人間が進化して、その当然の結果として霊性が発揮されるようになれば、イザヤの言葉(旧約聖書・イザヤ書第十一章)が現実となります。すなわちオオカミが小ヒツジとともに寝そべり、仲良く安らかに暮らします。人間も、その霊的原理を実行に移せば、みんな仲良く平和に暮らせるようになるのです」


───核エネルギーも、それが善用されるか悪用されるかは、地上界の人間の責任ということになるのでしょうか。

「核エネルギーをどう利用するか───善用するか悪用するかは、もちろん深刻な問題です。戦争のための必要性に駆られて発明されたものが、実は霊的にはまだ正しく使いこなせない巨大なエネルギーだったことに、その深刻さの根があります。

 知的な発明品が霊的成長を追い越したということです。科学も、本当は霊的に、倫理的に、あるいは宗教的にチェックを受けるべきなのに、それが為されなかったところに、こうした途方もない問題が生じる原因があります。

人類は今まさに、莫大な恩恵をもたらすか、取り返しのつかない破壊行為に出るかの選択を迫られているのです。

 これはまた、自由意志の問題に戻ってまいります。これには逃れようにも逃れられない責任が伴います。大霊はその無限の叡知によって、地上の人間のすべてに、精神と霊と、モニターとしての道義心を賦与しておられます。もしも自由意志がなければ、人間はただのロボットであり、操り人形に過ぎないことになります。

 自分の行為への責任の履行なしには、神の恩恵は受けられません。その責任が課せられている人にしか解決できない問題というものがあるということです。

 核への恐怖が一種の戦争抑止力としての役割を果たしているという意見も出されるに相違ありません。たしかに物的観点からすればそうかも知れません。が、いずれにせよ、人間の為し得る破壊にも、限界というものがあります」


───責任の問題ですが、生まれつき知性が正常でない者の場合はどうなるのでしょうか。自分で物事が判断できない人の場合です。

 「道義心による警告に反応できない場合は、それだけ責任の程度が小さくなることは勿論です。脳の機能の異常による制約を受けているからです。神の公正は完璧です。そういう人にも向上進化の手段が用意されております。地上生活は、永遠の生命の旅路のホンの短いエピソード(語り草)にすぎないことを忘れてはなりません」


───自分の遺体を医学のために提供した場合に、何か霊的な影響がありますか。

「動機さえ正しければ、その提供者の霊には何ら影響は及びません」


───あなたはイエスのことを〝ナザレ人(ビト)〟とお呼びになります。別のサークルの指導霊のホワイトイーグル(※)はふつうに〝イエス〟と呼んでいるのですが、何か特別の理由があるのでしょうか。

※───シルバーバーチがバーバネルを霊媒として語り始める少し前から、女性霊媒グレイス・クックを使って語っていたインディアンで、クックが一九七九年に他界したあと、娘のジョーン・ホジソンを通して今なお語り続けている───訳者。

「同志の一人であるホワイトイーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう。私はただ混乱を避けるために〝ナザレ人〟と呼んでいるまでのことです。

地上の人々は忘れてしまったか、あるいはご存知ないようですが、 Jesus (イエス)という名前は当時ではごく一般的な男性名で、たくさんのイエスがいたのです。そこで The Nazarene (ザ ナザレン) といえば〝あのナザレのイエス〟ということで、はっきりします。それでそう呼んでいるまでのことです」


───瞑想によって意識を高め、霊界の高い界層とコンタクトを取る方法があるのでしょうか。

「通常の意識では届かない界層と一時的に波動を合わせる瞑想法はいろいろとありますが、ご質問の意味が、通常の霊的意識の発達の過程を飛び越えて一気に最高級の程度まで霊格を高めることができるかというのであれば、それは不可能です。

 霊的進化はゆっくりとしたものです。それを加速する特別の方法というものはありません。段階を一つずつ上がっていくしかありません。途中の階段をいくつも飛び越えて近道をするというわけにはまいりません。成長というものはなだらかな段階を踏んでいくものです。そうでないと本来の進化の意味をなしません」


───三位一体説をどう思われますか。

「私は〝霊〟(スピリット)と〝精神〟(マインド)と〝身体〟(ボディ)による三位一体しか知りません。キリスト教神学でいうところの三位一体説───創造主が男性神つまり〝父〟で、その息子が贖い主としての特別の〝子〟で、それが、〝聖霊〟によって身ごもったとする説には根拠はありません」

───Witchcraft (ウィッチクラフト)(魔法・魔術・妖術)をどうお考えでしょうか。

「まず用語の定義をはっきりさせないといけません。一般の通念としては、相手の心身に危害を及ぼす目的をもって、不気味な手段によって邪悪なエネルギーを行使するということのようです。

 しかし語源をたどってみますと(witch は wise 〈賢い・知恵のある〉の女性形で、それが craft 〈術〉と結びついたもの)、けっきょくは、〝賢い術、およびそれを使う人〟という意味です。

それが〝魔法使い〟と呼ばれるようになったのですが、もともとは霊能者のことでした。形式はよほど原始的だったことでしょうが、その術には一種類ないしは複数の霊的能力が伴っておりました。

 当時は無知と迷信がはびこっておりましたから、次第に誤解されるようになりました。時には国家権力や宗教を覆す策謀があるのではないかとの嫌疑で罰せられたり、拷問にあったり、処刑されたりしました。しかし本来は霊的能力を使って病気治療や人生相談の相手をする人でした」


───死刑廃止論が多いようですが、何の罪もない人間を巻き添えにしたテロ行為が多発している現状を考えると、尋常な防止手段では効果がないように思えます。そうした罪もない犠牲者を出さないためにも、死刑という厳しい処罰も考慮すべきではないでしょうか。

「死刑制度のお蔭で一般の人々の生命が守られたという明確な証拠でもあれば、あなたのご意見も一理あることになるでしょうが、そういう事実があるとは私には思えません。原則として人間が人間の生命を奪うのは間違いです。なぜなら、人間には生命を創造する力はないからです。

 私は、死刑制度によって事態は少しも改善されないと信じます。殺人行為を平気で行なう者が、絞首刑その他の処刑手段に怯えて行為を思い止まるようなことは、まず有り得ないと考えます。いずれにせよ、死刑に処することは正義からではなく報復心に駆られているという意味において、間違いです。

 いかなる場合においても、生命の基本である霊的原理から外れないようにしなくてはなりません。殺人者を殺すことによって、殺された人は少しも救われません」


───これから犠牲者となるかも知れない罪なき人々を救うことにならないでしょうか。

「ならないと思います。これまでの永いあいだ同僚たちと話し合ってきた挙句の結論として私は、地上社会の司法と行政が、霊的存在としての最高の知識に基づいたものとなるべきであることを、ここで強く訴えるものです。国家による殺人では問題の解決にならないということです。

 生命は神聖なるものです。そのことをあらゆる機会に訴えないといけません。地上の人間としてはこれしかないと思えることも、全体像のごく一部としてしか見ていないものです。霊的にはちゃんとした埋め合わせと懲罰とがなされているのです。

大霊をごまかすことはできません。すなわち、無限の知性と無限の叡知から編み出された摂理が、無比の正確さをもって働くのです。

 そのことに十二分に得心がいくようになってはじめて、地上の社会組織が改められていきます。テロ活動を行なう者には、その間違いを思い知らせるような体験をさせられる仕組みになっているのです。それを野蛮な手段で片づけてはいけません。

地上的生命を奪うような手段は絶対に許されません。生命の絶対的原理に照らした手段に訴えないといけません」


 ───今の時代になぜ暴力沙汰が絶えないのでしょうか。

「振子と同じです。因襲的なものや伝統的なものに対する不満が、今の時代に至って爆発しているのです。それに加えて、物量第一主義の台頭が貪欲と強欲と自分中心主義を生み出しております。

 しかし、振子は大きく振れたあと、かならず元に戻ります。そして、前よりは進歩した形で調和をもたらします。物質中心の思考が人類の意識を支配しているかぎり、それが生み出す不快な結果が自動的に生じます」



 霊媒としての厳しい試練

 SNU(英国スピリチュアリスト同盟)のゴードン・ヒギンソン氏は、これまでも何度かこのサークルに招待されているが、一九七一年にベテランの霊言霊媒レスリー・フリント氏(※)を伴って出席した。

 ※───フリント氏は直接談話を得意とした霊媒で、入神もせず、ただ腰掛けているだけで、その部屋のあちこちからスピリットの声がする。学者による厳しいテスト、たとえば口にガムテープをはられるなどされたが、それにお構いなく、入れ替り立ち替わりスピリットの声がした。著書には自伝的内容の Voices in the Dark がある。現在は老齢のため霊媒活動はしていない───訳者。


 まずシルバーバーチはフリント氏に声を掛け、ヒギンソン氏には「あなたにも関係のある話なので、よく聞いてほしい」と言ってから次のように述べた。
「霊媒という仕事が、列席者の目に映っている外見からはおよそ想像のつかない厳しい道を歩まされ、大きな犠牲を強いられるものであることは、私が他の誰よりもよく知っております。

 あなたの背後に素晴らしい霊団が控えていることは、ご存知と思います。叡知に富む高級なスピリットばかりです。ロンドン訛りのある若者(※)がいますが、それをもって教養が低いと思ってはなりません。あの若者は霊界側の霊媒でして、高級なスピリットの意志を取り次いでいるのです。

最初に聞こえる独特の言い回しは、会場の雰囲気を和らげて、最高のコミュ二ケーションを得る上で必要なバイブレーションを生み出すために、わざと行なっているのです。たぶんあなたはご存知と思いますが・・・・・・」

 ※───ミッキーという呼び名の進行役のことで、〝最初に聞こえる独特の言い回し〟がどういうものかは著書 Voices in the Dark にも出ていない───訳者。

フリント───もちろん知っております。

「あのシーンに出てくるスピリットは、言ってみれば梯子の下の段に相当します。いちばん下の段に位置する地上の霊媒、つまりあなたと、いちばん上の段に位置する中心的指導霊とのつなぎ役、いわば霊界の霊媒役(※)をつとめているのです」

 ※───シルバーバーチを霊視したマルセル・ポンサンによる肖像画は北米インディアンに描かれていて、表向きはそれがシルバーバーチということになっている。が、これは霊界の霊媒であって、シルバーバーチその人でない。

 シルバーバーチと名のる中心的指導霊については、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外は、姿はおろか、地上時代の姓名も国籍もわかっていない。六十年に及んだ交霊会で何度となくそれを訊ねられたが〝そんなことはどうでもいいことです。大切なのは私が述べている教えです〟と言って、ついに明かさずに終わった。

 この事実、つまり高級霊ほど地上時代のことを明かそうとしないということの重大性がどこまで理解できるかが、その人の霊的理解力の尺度であると私は見ている───訳者。

 引き続きシルバーバーチが「こんなことを申し上げるのは、これまでにあなたが辿られた道がどんなに辛く、石ころだらけで、およそラクな暮らしとはいえないものだったとしても───」と言いかけると、

フリント氏が「火打石(フリント)のようでした───ただの石ころよりも酷しかったです」と、シャレを引っかけて言う。


「でも、どうしようもない窮地に陥ったことはないはずです。生きるために必要な最低限のものは、最後の最後まで忍んでいれば必ず用意されてきております。他人のために尽くす行為をする人は他人から尽くされる、というのが霊的摂理の一環なのです。そして、他人のためになる行為が大霊の目に止まらないことは絶対にありません。

 しかし同時に、アクセルとブレーキの操作も絶え間なく行なわれていることも知らないといけません。促進と抑制とでうまく調整しながら、あなたが使命と心得てこの世に生まれてきた道から外れることのないようにするのです。

振り返ってごらんになれば、なんだかんだと言いながらも、何とか切り抜けてきておられることがお分かりでしょう。あなたの生活レベルは、地上の尺度で見れば決して裕福とはいえないかも知れませんが、霊的視野から見れば、大変恵まれていらっしゃいます。

 悲哀の極にある人に慰めを与えてあげる仕事は、誰にでも出来るというものではありません。キリスト教会にも為し得ない、何ものかが必要なのです。

キリスト教信者は〝信仰〟を自負しますが、ただの信仰というものは頼りないものでして、何事もない時は間に合うかも知れませんが、愛する者を奪い去られる体験をした人には、何の役にも立ちません。

 霊の力があなたを通して働くのです。その結果として悲哀の涙が、霊的知識がもたらす穏やかな確信と置き換えられます。かくして、この地上世界に、霊的悟りを手にした人が一人増えることになります。暗黒と悲哀の中にいるかに思える体験も、実は神の意図があるからこそであることを悟った人が一人増えるのです。

 あなたも困難のさ中にあって、よく〝なぜこんな体験をさせられるのだろうか。これにも意味があるのだろうか〟と自問されることと思いますが、ちゃんと意味があるのです。そして、その困難に耐えて行く上で支えになるのが、確固とした知識が生み出す霊力なのです」


 フリント───はい、よく分かります。

「千々に乱れた心を癒してあげることができたら、愛する者を失って片腕をもぎ取られたような思いをしている人に慰めを与えてあげることができたら、病身の人に健康を取り戻させてあげることができたら、それがたった一人であっても、その行為の価値は絶大です。

そういう行為こそ、こちらの最高級界に淵源を発する地球浄化の大事業計画にもくろまれている目的の一環なのです。

 その界層においては、進化せる高級霊たちが、一人でも多くの地上の人間に霊的存在としての本来の生き方を悟らせ、美しさと荘厳さと崇高さを身につけさせる上での不可欠の知識を授ける計画の推進に当たっているのです。

 あなたは、授けられた使命を立派に果たしておられます。このことを感謝しないといけません」



 
 SNU会長としての苦労

ここでヒギンソン氏に向かって───

「お聞きになられましたね? あなたにとってもこれまでの道は平担ではありませんでした。しかし、価値の高い仕事を託された人は、その仕事を担うに足る霊力を試すための、さまざまな試練と試金石とが与えられるものです。

あなたも、ご自分で自覚しておられる以上に、人のために役立つ仕事をなさっておられます。そして、まだまだこれからも、貢献すべきあなたならではの分野が残されております」

 何か質問がありますかと問われて、まずフリント氏が尋ねた。

───最近は物理霊媒がとみに少なくなったようです。聞くところによれば、物理的心霊現象の時代は終わって、これからは精神的心霊現象の時代だそうですが、スピリチュアリズムが今日のような基盤を築くことができたのは(十九世紀末から二十世紀初頭にかけての)著名な科学者による物理現象の研究のお蔭であることは間違いない事実です。

 その意味で、物理霊媒を養成する努力が十分になされていないことを残念に思います。そのための時間を割くのが容易でなくなったという一面もあるようです。私たちは何年も掛けたものです。スピリチュアリズムが本格的な市民権を得るためには、もっと多くの物理現象を見せる必要があると私は考えます。

それによって地上の全人類に霊界とのつながりの真実性を得心させることができるのではないでしょうか。


「この私に何を言ってほしいのでしょうか」

フリント───霊界側にとっても物理霊媒が欲しいに違いないと思うのですが・・・・・・

 これにはすぐ答えずに、シルバーバーチはヒギンソン氏に意見を求めた。ヒギンソン氏は霊視能力を得意とする霊能者でもあるが、物理実験会を催したこともある。


 ヒギンソン───私が思うに、問題は現代生活のスピード化にあるようです。小人数による交霊会を催しても、最も大切な要素である〝和気あいあい〟の雰囲気が出にくくなってきたようです。霊界側がわれわれ人間に何を望んでいるかが知りたいのです。

大切なものは、そちらの方がこちらより、よくお分かりのはずです。やはり現代は物理的なものより精神的なものの方が要求される時代なのでしょうか。


「私も、私より上の界層の方たちから教わったことしか申し上げられません。地球浄化の計画の一環として、毛を刈り取られた小羊への風当たりを和らげてあげる仕事が与えられております。それを地上の、その時どきの現実の条件のもとで可能なかぎり行わねばなりません。

 おっしゃる通り、一昔前に物理現象が科学者の関心を呼んだ時期がありました。もちろん、それも計画の一環でした。従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまでも科学的手段によって、その実在性を立証するという目的がありました。

 歴史を振り返ってごらんになれば、物理現象が盛んに見られた時代というのは、きまって物質科学が優勢となって、伝統的宗教が基盤を失いかけていたことがお分かりと思います。

宗教と科学とは常に対立してきました。物的証拠のない分野のことは宗教が独自の教義を説き、物理的に証明できるものしか扱わない科学は、そうした教義を拒否しました。


 科学の発達によって宗教的思想が完全に消滅してしまうような事態になっては危険です。そこで、物質科学が万能視されはじめたあの時代に、物理現象による盛んな挑戦を受けることになったのです。

 しかしその後、科学の世界にも大きな変化が生じております。今や科学みずからが不可視の世界へと入り込み、エネルギーも生命もその根源は見かけの表面にはなく、目に見えている物質のその奥に、五感では感知できない実在があることを発見しました。

 原子という、物質の最も小さい粒子は、途方もない破壊力を発揮することができると同時に、全人類に恩恵をもたらすほどのエネルギーを生み出すこともできます。科学はすっかり展望を変えました。

なぜなら、かつてはもうこれ以上は分解できないと思われていた原子を、さらに細かく分裂させることができることを知り、それが最後の粒子ではないとの認識をもつようになったからです。

 そうなると、地上界へのこちら側からのアプローチの仕方も必然的に変ってきます。心霊治療が盛んになってきたのは、その一つの表われです。身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なものです。

現代という時代の風潮は、そういう二重の要素を必要としているのです。現代の人類は、そういうものでないと治せないほど病的になっているということでもあります。

 それは、物理霊媒はもう出なくなるという意味ではありません。まだまだ生命を物質的な目でしか見つめられない人がいる以上、そういう人に対処したレベルでのデモンストレーションも必要です。

 しかし同時に、さきほどご指摘なさった通り、生活のテンポが速くなったことも見逃せない要素です。それが精神を散漫にさせ、かつての家族だんらんというものを、ほとんど破壊しつつあります。

 さらに、ラジオ・テレビ・その他の娯楽が簡単に手に入るようになり、才能を発達させようという意欲を誘う刺激が、霊媒能力に対してはもとより、一般的な分野でも減ってきております。ピアノやバイオリンなどの器楽能力の鍛錬でも、かつてほどの根気がありません。

 何につけても、スピードと興奮を求めようとする傾向があります。こんな時代に、霊媒のような犠牲を強いられるものを目指して努力する人など、多く出るはずがありません。まして、霊媒現象の歴史が〝詐術〟の嫌疑との闘いの連続だったことを知ると、なおさらのことです」


ヒギンソン───私自身はそんな観方はしていませんでした。世の中の風潮に合わせて、できるだけ要求に合わせることに努力してきました。

「時代が変わったのです。今日の宇宙観は一世紀前とは、まるきり違います」


ヒギンソン───ということは、科学者も、その調子で物質的なアプローチの仕方から高次元のアプローチの仕方へと進歩する、ということでしょうか。

「みずからの論理でそうせざるを得なくなるでしょう。どうしても目に見えない世界へと入り込み、その莫大な未知の潜在力の研究へと進むでしょう。霊的に成長すれば、その莫大なエネルギーを善用する方法も分かるようになります。そうなれば、自我に秘められた霊的能力の発達にも大いに関心を向けるようになります。

 目に見えている外面は、内面にあるものが形態をもって顕現したにすぎません。生命力というものは切り刻むことはできません。根元は一つであり、それが無限の形態で顕現しているのです。原子に秘められた生命も、人間・動物・花・樹木などの生命と本質的には同じものです」


ヒギンソン───現代の科学者はそういうことが理解できるレベルにまで到達しているのでしょうか。

「全体としてはまだです。が、到達している人もいます。オリバー・ロッジなどはその典型といえるでしょう。現象界の奥にある実在を認識した科学者の模範です」


ヒギンソン───その事実は、現代という時代において、スピリチュアリズム思想へ向かっての曲がり角におけるパイオニアが用意されているということを意味しているのでしょうか。

「その通りです。ちゃんとしたプランがあり、それぞれに果たすべき役割があるということです。大霊は無限の存在であり、全知・全能です。何一つ忘れ去られることがありませんし、誰一人として見落とされることがありません。神の計画は完ぺきに実行に移されます。

完全性の中で編み出されたものだからです。今も完全性によって支配されております。そこに過ちというものは有り得ないのです。
 
 しかし、その計画の中にあって、あなた方にはその一部を構成している存在としての自由意志が与えられております。神の計画を促進させる方向を選択し、無限の創造活動に参加する好機をものにするか、拒否するか、それはあなたの自由ということです。

 霊的存在としての人間は、どこにいても、それぞれに果たすべき役割というものがあります。その一人ひとりの生涯において、いわば曲がり角、危機、発火点といったものに立ち至ります。

その体験が触媒となって魂が目覚め、自分が物的身体を通して機能している霊的存在であることを悟ります。

 自我とは、霊をたずさえた身体ではなく、身体をたずさえた霊なのです。実在は霊なのです。身体は外形です。殻です。機械です。表面です」


ヒギンソン───現在のスピリチュアリズムは正しい方向へ向かっていると思われますか。私には非常に混乱したイメージしかありません。どこへ足を運んでも、そこにはまた違った考えをもった人たちがいます。

正しい理解が行きわたるまでには、どれくらいの年月が掛かるのでしょうか。進むべき道はどちらにあるのでしょうか。


「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる───つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。

 悲しいことに、見栄と高慢と煩悩が害毒を及ぼしているのです。初めて真理の光に接した時の、あの純粋なビジョンが時の経過とともに色あせ、そして薄汚くなっていくのを見て、何時も残念に思えてなりません。一人ひとりに果たすべき役目があるのですが・・・

 私たちはラベルやタイトル、名称や組織・団体といったものには、あまりこだわりません。私自身、スピリチュアリストなどと自称する気にはなれません。

大切なのは暗闇と難問と混乱に満ちた地上世界にあって、霊的知識を正しく理解した人が一人でも多く輩出して、霊的な灯台となり、暗闇の中にある人の道案内として、真理の光を輝かせてくださることです。

 霊的真理を手にした時点で、二つのことが生じます。一つは、霊界との磁気的な連結ができ、それを通路としてさらに多くの知識とインスピレーションを手にすることができるようになるということです。

もう一つは、そうした全生命の根元である霊的実在に目覚めたからには、こんどはその恩恵を他の人々に分け与えるために、自分がその為の純粋な通路となるように心がけるべき義務が生じることです。

 人のために役立つことをする───これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。大切なのは〝自分〟ではなく〝他人〟です。魂の奥底から他人のために良いことをしてあげたいという願望を抱いている人は、襲いくる困難がいかに大きく酷しいものであっても、必ずや救いの手が差しのべられます。道は必ず開けます。

 自信を持って断言しますが、われわれ霊界の者が人間を見放すようなことは絶対にありません。残念なことに、人間側がわれわれを見放していることが多いのです。われわれは霊的条件のもとで最善を尽くします。が、人間の側にも最善を尽くすように要求します。

こちらもそちらも、まだまだ長所と欠点を兼ねそなえた存在であり、決して完全ではありません。完全性の達成には永遠の時を必要とします。

 ですから、その時その時の条件下で最善を尽くせばよいのです。転んだらまた起きればよろしい。転ぶということは起き上がる力を試されているのです。

自分がしようとしていることが正しいと確信しているなら、思い切って実行すればよろしい。袂を分かつべき人とは潔く手を切り、その人の望む道を進ませてあげればよろしい。そのうち、あなたの目に霊の力が発揮される場合がいろいろと見えてまいります。

そうなっていくことが肝心なのです。組織とか教会、協会、寺院、その他の建造物は、霊力の顕現の場としてのみ存在意義を持つのです。

教会はスピリットが働きかける聖なる場所として以外には、何の価値もありません。莫大な費用をかけて豪華にしてみても、そこに霊力というものが通わなければ、ただの〝巨大な墓〟にすぎません。霊力の働きかけが何よりも大切なのです。

 あなたが会長をしておられるSNU(英国スピリチュアリスト同盟)という組織の中に〝人のために役立ちたい〟という真情に燃えた人が集まれば、その人達の周りには自動的に、霊界において同じ願望に溢れる自由闊達なスピリットが引き寄せられます。

その両者が一致協力して、他の手段では救えない人の救済に努力します。悲しいかな、地上にはそういう気の毒な人が多いのです。

 人間は(組織・団体に属さなくても)人のために役立つ仕事(サービス)ができるという特典があります。サービスこそ霊の通貨なのです。何度も申し上げておりますように、人のために役に立つということは崇高なことです。

 私たちが忠誠を捧げねればならないのは、宇宙の大霊と、その大霊の意志の働きとしての永遠不変の摂理です。
 以上のお答でよろしいでしょうか」


ヒギンソン───結構です、有り難うございました。

「私に対する礼は無用です。感謝はすべからく大霊に捧げましょう。私達は互いにその大霊の忠実な使者たらんと努力しているのですから」


ヒギンソン───(SNU に所属している)スピリチュアリスト・チャーチを訪ねて回ることがあるのですが、こんな程度のものなら閉鎖してしまった方がいいのではないかと思うことがあります。要は霊力を顕現させるための場であることが本来の目的だと思うのです。

「霊界側が何時も待ち望んでいるのは、霊力が働きかける為の通路(チャンネル)です。霊力とは神性の顕現そのものなのです。それをあなた方は神(ゴッド)と呼び、私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるわけです。

宇宙にはこれに優る力はなく、絶対的な愛に裏打ちされた無限の力なのですから、それに顕現の場を与えずにおくのは勿体ない話です。

 霊とは摂理であり、生命であり、愛です。愛はバイブルにもありますように、摂理の実行にほかなりません。あなたの心が愛と慈悲に満ちていれば、あなたのもとを訪れる人の力になってあげることができます。

反対に不快・不信・怨みなどを抱いているようでは、霊力のチャンネルとはなり得ません。そうした低級感情は霊力の流れの妨げとなるからです」



    
 物理現象も霊的教訓も大切

ヒギンソン───SNUは一個の組織ですが、かつてのキリスト教と同じパターンにはまっていると思われますか。礼拝の進め方などが似ているので戸惑う人がいるようです。改めるべきでしょうか。

「改めるべきところは改めないといけません。優秀なチャンネル(霊媒・霊能者)さえ用意されれば、進むべき方向が示されます」

ヒギンソン───優秀なチャンネルであれば、あなたご自身も働きかけるのですね?

「当然です。大霊の力は、それを顕現させる能力をそなえた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です。霊媒能力は神からの授かりものであり、努力して発揮させねばなりません。発揮するほどにますます発達し、実り多いものとなってまいります。豊かさと成熟度を増せば、それだけ受容度が増します。

 霊力は無限です。地上の霊媒を通して届けられる霊力は、使用されるのを待っている霊力の、ごくごく一部に過ぎません。その意味でも、われわれの働きかけに制限を加えるようなことがあってはなりません。

 あなたの率いる SNU は今後も生き残るでしょう。しかし、いろいろと改革が必要です。あなたが正しいと思うことを実行なさることです。あなたの良心、つまり神の監視装置が命じているのはこれだ、と確信するところに従って行動し、他の者が何と言おうと気になさらぬことです」

 ここでヒギンソン氏が各地のスピリチュアリスト・チャーチが取っている方法に高度な霊性が欠けていることに不満を表明してから

「物理現象の方に関心が偏り過ぎて、霊的教訓がおろそかにされております。これでよろしいものでしょうか」と付け加えた。するとシルバーバーチが───

「どちらも間違っておりません。高度なものであれば、現象を求めること自体は少しも悪いことではありません。いけないのは、霊媒が未熟で、いい加減で、品性が劣る場合です。

 現象は物理的であろうと精神的であろうと構いません。霊媒が能力的に優秀で質の高いものが披露できるのであれば、それはそれなりに有用です。要は交霊会で霊的能力が最高に発揮されれば、後はその能力の顕現が何を意味するかをしっかりと検討することです。

 霊的真理は、霊的意識の芽生えていない人にはなかなか理解してもらえません。そこで現象的なものが必要となるのです。しかし、いったん現象に得心がいったら、それをオモチャのようにいつまでも玩(モテアソ)んではいけません。

霊的な意義を考える生活へと切り換えないといけません。その人なりの悟りがきっと芽生えてまいります。魂の琴線に触れる体験がないといけません。これは、あなたの組織内の全ての指導者について言えることです」


ヒギンソン───失敗したスピリチュアリスト・チャーチの多くは、現象面に偏り過ぎたためということは考えられないでしょうか。霊界からのメッセージをもっと多く摂り入れれば生き残れるはずだが、と思えるところがあります。私が大きな関心を寄せているのはそこです。〝指導者会議〟の開催を提唱している理由の一つにそれがあるのです。

 「霊力が地上に届けられる目的は、明日はどうなるかを教えてあげるためではありません。日常生活において警告すべきことや援助すべきことがあれば、それは各自の背後霊が面倒を見てくれます。教会というものをこしらえて、そこを霊力の顕現する聖殿としたいのであれば、低俗なものを拒否し、高級なものを志向すべきです。

霊媒現象がただのサイキック(※)なものに止まるのであれば、せっかく教会を設立した意味がなくなります。
 
 ぜひともスピリチュアル(※)なレベルにまで上げないといけません。みなさんに知っていただきたいのは、霊の資質は、下等なものから高等なものへと、段階的に顕現させることができるということです。
それを、最下等のサイキックなレベルで満足しているということは、進歩していないということになります。停滞しているということです。自然は真空を嫌うものです」

※───サイキックとスピリチュアルの違いは、今はやりの超能力を例に取れば、スプーンを曲げたり硬貨をいったん気化して再び物質化して見せる───右の手に握っていた硬貨を左手に移したり、テーブルを貫通させて下に落とすなど───といったレベルがサイキックで、人体の腫瘍を溶解したり骨髄を再生したりする、いわゆる心霊治療になると、スピリチュアルのレベルとなる。高級なスピリットの働きが加わって人類のためになることをするものがスピリチュアルと考えればよい───訳者。



ヒギンソン───どうすればそれが理解してもらえるでしょうか。

「そういう方向へ鼓舞する、何か動機づけとなるものを与え、進むべき道を明示する必要があります。一つの基準を設ければ、みんなそれに従うようになるでしょう。従わないものは脱落していくでしょう。霊力というものは、ただの面白半分では顕現しなくなります。

 思い切って突き進みなさい。問題はおのずから解決されていきます。あなたは決して一人ぽっちにはされません。進むべき道が見えてきて、援助の手が差しのべられます」

そう述べて、その先駆者の名前をいくつか挙げてから、さらに言葉を継いで───
「こうしたスピリットたちが霊力をたずさえて、あなたのまわりに控えているのです。あなたが一人ぽっちでいることは決してありません」


シルバーバーチの交霊界は、インボケーションという神の加護を求める祈りで始まって、感謝の祈りのベネディクションで終る。その日のベネディクションは次のようなものだった。


 《無限にして初めも終りもなき存在である大霊への祈りに始まった本日の会も、同じ大霊への祈りで終ることに致しましょう。

  大霊からの愛の恵みを授かるべく、心を高く鼓舞いたしましょう。ふんだんに授かっている叡智と真理と知識に感謝いたしましょう。

 大霊の意志をわが意志とし、わが心が宇宙の心と調和して鼓舞するように、生活を規律づけましょう。
すべてを支配する力との調和と親交を求め、大霊の愛のマントに包まれていることを実感できるようになりましょう。

 皆さんに大霊の恵みの多からんことを》


訳者付記───SNUの会長、ゴードン・ヒギンソン氏は一九九三年一月に他界し(享年七十四歳)、エリック・八ットン氏(写真)が後任に選出されている。
 なおSNUよりさらに大きな団体であるISF(世界スピリチュアリスト連盟)の会長だったロビン・スティーブンス氏も同年六月に、わずか五十一歳で急死している。後任にはライオネル・オーエン氏(写真)が選ばれている。


   
クリスチャン・スピリチュアリスト協会の会長を招いて

 ヒギンソン氏が率いるSNUは英国の数あるスピリチュアリズムの組織の中心的存在であるが、同じくスピリチュアリズムを標榜していても、ちょっぴり毛色の違う団体もある。

 〝クリスチャン・スピリチュアリスト協会 〟The Greater World Christian Spiritualist Association(※)もその一つで、一九七七年に当時の会長ノラ・ムーア女史が招待されて、シルバーバーチと語っている。

(※)───〝クリスチャン〟を冠していることからも窺われるように、〝スピリチュアリズムを摂り入れたキリスト教〟といった色彩が強く、ヒギンソン氏などは〝都合のいい折衷思想〟として、事あるごとに批難している。が、シルバーバーチは〝組織〟とか〝名称〟にはこだわらず招待して、真理を語り合っている───訳者。

 
 当日、ムーア女史とともに招待されていたベテラン霊媒のネラ・テーラー女史が、霊媒としての仕事を通じて人のためにお役に立つことができてうれしく思っていることを述べると、シルバーバーチが───

「縁あって自分のもとを訪れる人たちに、生き甲斐を見出させてあげ、地上生活の目的を理解し、日常の体験の中から意義を悟るように、物の見方を変えるお手伝いができることほど大きな喜びはありません。

 私にとっては、そういう仕事をなさっている〝霊の道具〟をお招きすることができることを光栄に思います。お招きする理由は、霊媒が遭遇するさまざまな困難や難題がよく分かっておりますので、時には霊界側から直接励ましの言葉を述べて、今たずさわっておられる仕事がいかに大切であるかを再認識して頂く必要があるからです。霊媒も人間である以上は、やはり迷いがあります。

 一人間として生きて行くからには、世俗的な苦難に耐え切れなくなる時もあります。そんな時には、あなたが手にしておられる崇高な霊的真理にしがみつくことです。きっと世間の荒波を耐え忍ぶための堅固な心の支えになってくれるはずです」


テーラー ───分かりました。さよう心得てまいります。

「ご自分がこの地上で為し遂げるべきものが何であるかを自覚しているかぎり、本来の霊的自我に危害が及ぶような事態は、この地上には何一つ生じません。
 ですから、大胆不敵な魂を失ってはなりません。毅然たる姿勢を保ち、まぎれもなく大霊の使者であることを人に示すことです」

続いてムーア女史に向かって───
「前回お会いした時に比べて、ずっと明るくなられましたね。ご自分の身の処し方を会得なさったようですね?」

ムーア───そう思います。これも(夫君で前会長の)フレッドを始めとする霊団側のお力添えがあってのことと存じます。


「ご主人はあなたのもとを去ってはいないことが、これでお分かりでしょう?」

ムーア───よく分かりました。


「真実の愛によって結ばれた者どうしは決して離ればなれにはなりません。死は愛と生命に対して何も為し得ません。生命と愛は死よりも強いのです。人間的な愛も、無限なる愛の一つの表現です。あなたはこの宇宙の中の誰よりも身近かな存在である方からの愛をずっと受け続けておられる、大変お幸せな方です。

 ご主人は今なお、地上でたずさわっておられた仕事を続けておられ、彼なりの貢献をなさっておられます。その必要性をよく認識しておられます」

ムーア───はい、私もそう信じております。ただ、わたしたちは今、世俗的な面で多くの難題に直面しております。

「これはまた捨ておけない課題を提供してくださいましたね。あなたは真理と霊力とがもたらす威力を知らずにいる人たちにそれを知らしめる仕事をなさっている、大変恵まれた方です。生き甲斐のある生き方を教えてあげることほど偉大な仕事は、ほかにありません。

 あなたにとっての悩みは、永遠不変の霊的真理を理解する人がこの地上においては極めて少数派であることから生じております。

 でも、やはり霊的真理こそが、今日の地上世界でいちばん求められている〝霊的意識の回復〟という大仕事にとって、その手段を提供してくれる生命線なのです。

 そこで私は、常づね、同志の方に申し上げております───愛する者を奪われた人をたった一人でも慰めてあげることができたら、病をかかえた人をたった一人でも治してあげることができたら、苦悩のさ中にある人に解決策を見出させてあげることができたら、それだけであなたの全人生が無駄でなかったことになるということです。

 地上世界には暗闇が多すぎます。無知が多すぎます。利己主義が多すぎます。物質偏重の度が過ぎます。そうした中にあって、こうした崇高な仕事に携わっていることを光栄に思わないといけません。

 さて、あなたのおっしゃる物的側面での問題ですが、霊的な側面をきちんと整えておけば、物的な面もきちんと整います。なぜならば、物質は霊の反映に過ぎないからです。物質には独自の存在はないのです。霊なくしては物質の存在は有り得ないのです。全存在を動かし、生命を賦与しているのは、霊なのです。あなたはその霊の力を使ってお仕事をなさっているのです」



ムーア───ですばらしいことだと思います。

「これは大変なことなのです。ところが、あなたも人間として生きて行く上での必需品のことにかまけて、つい、その事実を忘れてしまいがちです。現代の生活はとくに、経済的要素が厳しくなっております。

 しかしバイブルには〝まず神の王国とその義を求めよ。さらば、それらのものはおのずから整うべし〟とあります。また、〝地球とそれに満つるものとは、みな主のものなり〟とも言っております。こうした言葉は、優先させるべきものを優先させ、霊的摂理と物的法則にかなった生き方をしていれば、すべてがきちんと整うことを教えているのです。

 次の言葉もご存知でしょう。

 〝野のユリはいかに育つかを思え。労することもせず、紡(ツム)ぐこともせざるなり。されど、われ汝らに告ぐ。栄華を極めたるソロモンの服装(ヨソオイ)も、そのユリの花一つにも及ばざりき〟

 これは、自然の摂理に調和した生き方をしていれば、必要なものはその摂理が用意してくれるという意味です。病気も、見た目には肉体が病んでいるように思えても、精神と霊と肉体とが調和していないことから生じているのです。その意味では、何も思い煩うことはないのです。

 こう言うと、〝あなたは地上の人間でないから、そんなきれいごとが言えるのですよ〟と言われそうですね」


ムーア───私たちとは異なる視点からご覧になるからでしょう。

「でも、こうして地上界へやってきて、全生命の基本的原理を説くことをしなかったら、私たちは使命を果たしていないことになります。私たちは決して、物的側面での義務までもおろそかにしなさいとは申しておりません。物質面にはそれなりの存在意義があります。それを無視してはなりません。

しかし、何よりも大切である霊的原理を無視するのも同じく間違いです。根元的には全てがそれによって生じているのですから。
 ほかに何かお聞きになりたいことがありますか?」


ムーア───いっぱいあるのですが、これまでのお話で自然に解決してしまったものが幾つかあります。とにかく私は、私自身を役立てるチャンスが与えられることを、何よりも有り難く思っております。言葉で言い表せないほど感謝しております。私には使命があると言い聞かされております。

 「それを果たすまでは地上を去ることは許されませんよ。人のために役立つことをすること(サービス)が最高の宗教です。サービスは霊の通貨です。崇高な通貨です。すでに何度も申し上げてきたことですが、何度でも繰り返すだけの価値があるのです。

 あなたは霊的真理の生ける証人です。これまでに啓示された知識に忠実に生きていれば、全てのことが収まるべきところに収まります。そのことに関連して私がいつも同志の方たちに申し上げているのは、スピリチュアリズムのお蔭で信仰に知識を加えることができたとはいえ、時には、知識に信仰を加えないといけないことがあるということです。地上にあるかぎり全てのことを知ることはできないからです。

 これまでに手にしたものに感謝し、毎日を不安の念ではなく素晴らしい霊的可能性を秘めたものとして、大いなる期待の念をもって迎えてください。

 同志の方たちにもよろしくお伝えください。今たずさわっている霊的真理普及の仕事に献身しておられる方たちに対して、私たちはいつも尊敬の念を抱いていると伝えてください。

素直な心の持ち主ばかりで、霊界からの援助に浴していらっしゃいます。あなたと同じように、まだまだ果たすべき仕事がたくさん残っております」

 今は亡き夫君のフレッド・ムーア氏のことに言及してムーア女史が「あの人は生涯をこの仕事とともに生きた人でした」と言うと

 「今でもそうですよ。彼にとってはあなたがこの仕事そのものなのですから・・・この仕事は何ものにも代え難い大切なものだと、今おっしゃっていますよ」

ムーア───私と彼とは互いに一つの魂の片割れだと、彼が言ったことがあります。

 「そうです、アフィニティ(※)どうしがいっしょになったのです。類魂が地上生活で出会って結ばれるということは、そう滅多にあることではありません」

※───affinity 同系統の魂の集まりを類魂 group souls と呼ぶが、その中でも最も親しい関係にある魂どうしのこと。語原的には〝親和性の強い関係〟といった意味であるが、そのことと、人間的に好きになったり愛を感じたりすることとは必ずしも一致しない。

前世の問題と同じで、事実としては存在しても、脳という物質を通しての知性であげつらうべきものではないと私は考えている───訳者。



 
 メキシコのスピリチュアリストと語る

 その日のもう一人の招待客は、今は亡きメキシコのスピリチュアリズムの指導者、ケネス・バ二スター氏の娘ミリアム・リアリー女史だった。バニスター氏がスピリチュアリスト・センターを設立した時に、シルバーバーチがその開所式でお祝いの言葉(霊言)を贈ったいきさつがある。

リアリー ───私たちセンターの者はあなたのことを親愛の情をもって思い出しております。その後もずっとあなたの霊訓を心の支えにしております。あなたに対して一種の愛情を抱いております。

 「私の方こそセンターのみなさんに愛情を抱いております。ゆっくりではありますが、着実に仕事が進行し、障害が取り除かれていきつつあることを大変うれしく思っております。お父さんが計画なさった通りに進行しております」

 リアリー ───素晴らしいことです。きっと父も援助してくれているものと確信しております。それを実感しております。

 「当然のことです。あなたはその若さでこうして霊的知識を手にされて、大変お幸せな方です。だからこそ目に見えない霊力によって導かれていることが自覚できるのです。

 メキシコはまだまだ課題が山積しております。私が連絡を取り合っている地上の多くの国の中でも、暗黒部分の多い国に入ります。しかし、霊の世界からの働きかけの存在を自覚する人が増えるにつれて、事態は少しずつ改善へ向かっております」


リアリー ───あなたは、霊的に正しければ物的な側面も自然に収まるとおっしゃっていますが、動物の世界のことはどう理解したらいいのでしょうか。霊的には少しも悪いことはしていないのに、人間によって虐待され、屠殺され、悪用されております。

 「動物と人間とは、その属する範疇が違うのです。人間には正しい選択をする責任が与えられているという点において〝自由意志〟 の行使が許されているということです。その使い方次第で進化の計画を促進する力にもなれば妨害することも有り得ます。

そこに、この地球という天体を共有する他の生物をどう扱うかを選択する自由意志の行動範囲があります。もちろん限界はありますが・・・・・・。


 現在の地上世界はその自由意志の乱用が多すぎます。その中でも無視できないのが、動物の虐待行為と、食用のための乱獲です。しかし、そういう事態になるのも、人間に自由意志が授けられている以上やむを得ない、進化の諸相の一面として捉えないといけません。自由意志を奪ってしまえば、個性の発達と進化のチャンスが無くなり。そこが難しいところです」


リアリー ───どうしてそういう事態の発生が許されるのかが私たちには理解できないのです。

「〝どうして許されるのか〟という言い方をなさるということは、人類から自由意志を奪ってしまった方がいいとおっしゃっていることになります。

繰り返し申し上げますが、自由意志を奪ってしまえば、人類はただの操り人形になってしまうことになり、内部の神性を発揮することができなくなってしまいます。霊的な属性が進化しないとなると、地上に生まれてきた意味がすべて失われます。

 地上世界はある人にとっては託児所であり、ある人にとっては学校であり、ある人にとってはトレーニング・センターです。いろいろな事態に直面し、それを克服しようと四苦八苦するところに意義があるのです」


サークルのメンバー───われわれ人間の目に不公平に思えるのは、人間がそうやって自由意志で行っていることが間違っている場合に、その犠牲になっているのが無抵抗の動物たちであることです。人間が過ちを犯し、そのツケを動物が払うという関係は、どこか間違っているように思えるのです。

「では、あなたはどうあればよいとおっしゃるのでしょうか」


───人間が間違いを犯した以上は、動物ではなくて人間みずからがツケを払うということでないとおかしいと思うのです。

「埋め合わせと償いの法則というのがあります。人間はその行為によって、善悪それぞれに、霊的にそして自動的に影響を受けます。因果律というのは逃れようにも逃れられません。不当な行為を受ければ埋め合わせがあり、その行為者は償いをさせられます。それが自然界の摂理なのです。

 身に覚えのないことで不当な苦しみを受けた人には、それなりの埋め合わせがあるように、人間の身勝手な行為の犠牲になっている動物にも、ちゃんとした埋め合わせがあります」


別のメンバー───この調子では動物への虐待行為を人類が思い止まる日は来そうにないように思えるのですが・・・・・・

「いえ、そうとも言えませんよ。人類は、徐々にではありますが、他の創造物への義務を自覚していくでしょう。一夜にして残虐行為を止めるようになるとは申しておりません。みなさんは進化の途上にある世界において進化しつつあるところです。

一見すると同じことの繰り返しのようで、全体としては少しずつ進化しております。進化とはそういうものなのです。無限の叡知と愛によって、地上のあらゆる存在に対してきちんとした配慮がなされていることを理解なさらないといけません」

別のメンバー───現在の動物の残酷な扱われ方は、どうみても間違っております。が、徐々にではありますが、動物の肉を食べ過ぎているのではないかという反省が生まれつつあるようです。


リアリー───そういう行為が残酷であることを立ちどころに思い知らせるようであって欲しいのです。人間はその辺をうまく擦りぬけているように思います。

「罰を擦り抜けられる者は一人もいません。法則は必ず法則どおりに働くのです。地上生活中にその結果が出なくても、こちらへ来て償いをさせられます。いかなる手段をもってしても、因果律を変えることはできないのです。不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。原因があれば必ず結果が生じるのです。

 誰ひとり、悪行の結果を擦り抜けられる者はいません。もしそれが可能だとしたら、大霊が大霊であるゆえんである〝公正〟というものが崩れてしまいます。

 こうした問題においていつも私が強調しているもう一つの側面があります。それは、残念ながら人間には長期間の展望がもてないということ、いつも目先のものしか目に入らないということです。みなさんには地上での結果しか見えないのですが、こちらの世界へ来れば、すべてがきちんと清算されていることが分かります」

リアリー ───人間はせっかちなのです。

「その点は先刻承知しております。一人でも多くの人が人類としての義務を自覚できるように、みなさんに可能な限りの努力をなさることです。オオカミが小ヒツジといっしょに寝そべる日が一日も早く到来するように祈ることです。進化は必ずやその目的を成就することになっているのです」 

ムーア───人間がもっと自然で神の意志に適った生き方ができるようになれば、あれほどまで多くの動物を実験材料に使わなくなると思うのです。

「おっしゃる通りです。ですから、われわれ真理を知った者は、いつどこにいてもその真理の普及と啓発のための努力を怠らないようにしなくてはなりません。

障害を一つ取り除くごとに祝盃を上げるべきです。霊力はゆっくりとした進化によって地上に根づいていくものでして、急激な革命によって一気に行なわれるものではありません。

 大自然の摂理から外れて、奥に秘められた莫大なエネルギーから遠ざかるようなことをしていては、いつかはその代償を支払わなければならなくなります。人間は霊的属性、霊的潜在力、霊的可能性を秘めた霊的存在なのです。自分以外の地上の生命、特に動物がそれ本来の生き方ができるように指導する力量をそなえているのです。

 神の計画は必ずや成就されることになっています。それを人間の愚行によって遅らせたり邪魔だてしたりすることはできても、完全に挫折させてしまうことは絶対にできないのです」


 シルバーバーチの交霊会の恒例として、最後にサークルのメンバーの一人ひとりから個人的な悩みごとの相談を受けることになっていた。それが終わったあと、出席者全員に向かって次のようなメッセージを述べた。

「 みなさんが遭遇する問題について、私はそのすべてを知っております。とくに何人かの方とは、地上的表現でいう〝ずいぶん永いお付き合い〟を続けております。生活上でもいろいろと変化があり、悩みごとや困難、避けられない事態に対処していかれる様子をこの目で拝見してまいりました。

ですが、今こうしてお会いしてみて、魂に何一つ傷を負うことなく、そのいずれをも見事に克服してこられたことが分かります。

 遭遇する問題の一つひとつを、あなたへの挑戦と受け止めないといけません。障害の一つひとつが挑戦なのです。ハンディキャップの一つひとつが挑戦なのです。

地上生活では挑戦すべき課題が次から次へと絶え間なく生じます。しかし、いかに強烈でも、いかに強大でも、あなたの進化を妨げるほどのものは絶対に生じません。大切なのは、それにどう対処するか───その心の姿勢です。

 自分の霊性の発達にとって、どういう体験が大切であるかの判断は、あなた方自身にはできません。大きな全体像の中のごく限られた一部しか目に入らないために、あなた方自身が下す判断はどうしても歪められたものとなります。

 ですから、体験の価値をうんぬんしていないで、とにかくそれを克服していくのです。きっと克服できます。克服するごとに霊性が強化されていきます。身体は不完全であり、弱さを持っております。あまりのストレスに負けて、体調を崩すことがあるかも知れません。

 しかし、あなた方の宿る霊性は大霊の一部なのです。霊は、潜在的には完ぺきです。すべてを克服していく資質を秘めております。その認識のもとに対処すれば、きっと克服できます。このことを語気を強めて申し上げるのは、それが私たちの教えの中枢だからです。

 私の教えによって救われたという感謝の言葉をよく聞かされます。が、私の教えではないのです。私よりはるかに叡知に富んだ高級界の存在から私が預かったものなのです。しかし、地上界にそういう教えを受け入れてくださる方がいることを知ることは、大変うれしいことです。

そういう方は霊的な受け入れ態勢が整っていたことを意味し、これから後も大霊の無限の恵みに浴していかれることでしょう。



 私も含めて、ここに集まっておられる人たちは大変な光栄に浴していることを知らねばなりません。これまでに啓示していただいた叡知を、大霊に感謝いたしましょう。しかし同時に、それだけの啓示に浴することができたのなら、もっともっと多くの啓示に浴せる可能性が待ち受けていることも知ってください」    



ベールの彼方の生活(三)

「天界の政庁」
著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)
近藤千雄 訳





一章 天使による地上の経綸
1 霊界の霊媒カスリーン 2 憩いの里 3 生命の河
6〝過ぎにし昔も来る世々も
7〝後なる者、先になること多し
       靴職人




1 霊界の霊媒カスリーン           
 一九一七年九月八日 土曜日

 私(※)は今あなたの精神を通して述べております。感応したままを綴っていただき、評価はその内容をみて下してください。そのうち私の思念をあなたの思念と接触させることなく直接書き留めることが出来るようになるでしょう。

そこでまず述べておきたいのは、こうした方法による通信を手掛ける人間は多くいても、最後まで続ける人が少ないことです。それは人間の思念と私たちの思念とが正面衝突して、結果的には支離滅裂なことを述べていることになりがちだからです。

 ところで私が以前もあなたの手を使って書いたことがある──それもたびたび──と聞かされたら、あなたはどう思われますか。実は数年前この自動書記であなたのご母堂とその霊団が通信を送ってきた時に、実際に綴ったのはこの私なのです。

あれは、あの後の他の霊団による通信のための準備でもありました。今夜から再び始めましょう。あっけない幕開きですが・・・・・・。書いていけば互いに要領が良くなるでしょう。

(※ここで〝私〟と言っているのはカスリーンである。第一巻並びに第二巻の通信も実はこのカスリーンが霊界の霊媒として筆記していたのであるが、未発表のものは別として少なくとも公表された通信の中では、カスリーンの個性が顔をのぞかせたことは一度もなかった。

それが、本書ではこうして冒頭から出て来てみずからその経緯を述べ、このあと署名(サイン)までしている。しかし回を追うごとに背後の通信霊による支配が強くなっていき、八日付けの通信では途中でオーエン氏が〝どうも内容が女性のお考えになることにしては不似合のように感じながら綴っているのですが、やはりカスリーンですか〟と、確かめるほどになる。

そして第二章になるとリーダーと名告(なの)る男性の霊が前面に出て来る。─訳者)


「神を愛する者には全てのこと相働きて益となる」(ロマ8・28) ───この言葉の真実性に気づかれたことがありますか。真実なのですが、その真意を理解する人は稀です。人間の視野が極めて限られているからです。〝全てのこと〟とは地上のことだけを言っているのではなく、こちらの霊の世界のことも含まれております。

しかもその〝全てのこと〟が行き着く先は私どもにも見届けることが出来ません。それは高き神庁まで送り届けられ、最後は〝神の玉座〟に集められます。が、働きそのものは小規模ではありますが明確に確かめることが出来ます。

右の言葉は天使が天界と地上界の双方において任務に勤しんでいることを指しているのであり、往々にして高き神庁の高級霊が最高神の命のもとに行う経綸が人間の考える公正と慈悲と善性の観念と衝突するように思えても、頂上に近い位置にある高級霊の視野は、神の御光のもとにあくまでも公正にして静穏であり、私たちが小規模ながら自覚しているように、その〝神の配剤の妙〟に深く通じているのです。

 今日、人間はその神の使徒に背を向けております。その原因はもしも神が存在するならこんなことになる筈がないと思う方向へ進んでいるかに思えるからです。

しかし深き谷底にいては、濃く深く垂れこめる霧のために、いずこを見ても何一つ判然とは見えません。あなたたちの地上界へは霊的太陽の光がほとんど射し込まないのです。

 このたびの(第一次)大戦も長い目で見ればいわば眠れる巨人が悪夢にうなされて吐き出す喘(あえ)ぎ程度のものに過ぎません。安眠を貪(むさぼ)る脳に見えざる光が射し込み、音なき旋律がひびき、底深き谷、言わば〝判決の谷〟(ヨエル書)にいて苛立(いらだ)ちの喘ぎをもらすのです。これからゆっくりと目を覚まし、霧が少しずつ晴れ、

(眠っている間に行われた)殺戮(さつりく)の終わった朝、狂気の夜を思い起こしては驚愕(きょうがく)することでしょうが、

それに劣らず、山頂より降り注ぐ温かき光に包まれたこの世の美しさに驚き、つい万事が愛によって経綸されていること、神はやはり〝吾らが父〟であり、たとえそのお顔は沸き立つ霧と冷たき風と谷底の胸塞ぐ死臭に遮られてはいても、その名はやはり〝愛〟であることを知ることでしょう。

 それは正にこの世の〝死〟を覆い隠す帳であり、その死の中から生命が蘇るのです。その生命はただただ〝美しい〟の一語に尽きます。なぜならば、その生命の根源であり泉であるのが、ほかならぬ〝美〟の極致である主イエス・キリストその人だからです。

 ですから、神の働きは必ずしも人間が勝手に想像するとおりではないこと、その意図は取り囲む山々によって遮られるものではなく、光明と喜悦の境涯より届けられることを知らねばなりません。私たちの進むべき道もそこにあるのです。では今夜はこれまでにします。

 これも道を誤った多くの魂の暗き足元を照らすささやかな一条(ひとすじ)の光です。

 願わくば神が眠れる巨人をその御手にお預かり下さり、その心に幼な子の心を吹き込まれんことを。主の御国は幼な子の心の如きものだからです。そして、その安眠を貪り、何も見えず何も聞こえぬまま苛立つ巨人こそ、曽て主が救いに降りられた人類そのものなのです。                                カスリーン

 2 憩いの里
一九一七年一月六日 火曜日

 讃美歌に〝岸辺に生命(いのち)の木は茂れり〟という句がありますが、この言葉はよく考えると、二つの意味があるようです。もちろん植物がその養分を河(※)から摂取するという表面的な意味もありますが、こちらの世界へ来てみて私たちは、地上の営みの一つ一つがいかに霊的な意味を持っているかを理解します。

つまりその表面的な現象が、人間の目に映るのと同じ程度の自然味をもって私たちに訴える霊的真理を秘めているのです。

作者がその天界の事情によく通じていたかどうか、それは知りません。ですが、少なくともそれを書かせた霊には、聞く耳を持つ者に対して地上的現象以上のものを伝えんとする意図があったことは考えられます。

そこで、これから私は天界の科学に私以上に通じておられる方々のご援助を得て、それを天界の事情に当てはめ、私の知識の及ぶかぎり拡大解釈してご覧に入れようと思います。(※ここに言う〝岸辺〟は次の八日付の通信に引用される〝生命の河〟と同じく、〝ヨハネ黙示録〟に画かれている霊界の河のことである。──訳者)

 もっとも、今の私の念頭にあるのは河というよりは、地上なら内海(うちうみ)とでも呼ぶべき大きな湖で、この第六界を大きく二つに分ける独立した境界域を形成しております。岸辺はとても変化に富み、岩だらけで切り立った崖となっているところもありますが、なだらかな芝生と庭園の趣も持ったところもあります。

また私の目には一本一本の樹木よりも、ぎっしりと繁った森が青味がかった黄金色に輝く湖を帯状に取り巻いているのが見えます。それはさらに丘を越え高原をおおい、一方、切り立った崖を新緑で縁(ふち)どっています。

その岸辺の近くに、とくに繁った木立ちに囲まれて、大きな施設(ホーム)が建っております。そこは湖を渡ってくる人々のための憩いの場です。ある者は陸と海を越えての長距離の旅で疲れきっております。

第五界からようやくこの界へ辿り着いた新参がいます。この新しい国をさらに奥深く入るために身体をこの界の条件に順応させる必要があるので、ここで一服するのです。

また、使命を帯びて下層界へ、時には今の私のように地上界まで降りてきた人もいます。

その帰途、必ずとも言えませんが、しばしこの土地に立寄って、これよりそれぞれの界の領主あるいは霊団の指揮者に成果を報告しに行くために、体力を回復させるのです。

中には再び下層界へ赴くためにいったんここに戻って元気を回復し、急を要するので内陸を通らずにその湖を通って下り、未完のまま残されている仕事の完遂に奮闘する人もいます。

それから時折──これは決して珍しいことではないのですが──上層界の高級霊が地上ないしはその途中のどこかの界へ訪れる時、あるいはその帰途にここにお立ち寄りになり、しばし滞在なさってその光輝あふれる霊性で招待者を喜ばせることがあります。

まさしくここは憩いの里──この里に入った時の安らぎは入ってみた者でないと分かりません。援助を必要とする者のために危険を伴う高き使命に奮闘したあとのこの里での憩いは、私たちの最大の愉しみの一つなのです。

湖の岸辺のいかにも相応しい位置に、こんもりとした木立に囲まれて佇(たたず)む住処──そこは薄暗い天界の低地に蒔かれた善意の種子が実を結び、それを領主にご報告申し上げる処なのです。

愛の旗印のもと、激しくかつ鋭い痛撃のやり取りの中に勝ち取った数々の戦勝記念品もまたここに持ち帰り、英気を養い心を癒す縁(よすが)とされます。かつて主イエスが勇気を持って闘いそして勝ち得た、生きた戦利品と同じなのです。

 そろそろお疲れのようです。こうして書いていくうちに無理なくラクにあなたの腕が使えるようになるでしょう。私からの愛と感謝の気持ちをお受けください。ではお寝み。



 3 生命(いのち)の河  
一九一七年十一月 八日  木曜日

 ではその〝憩いの里を〟を後にして内陸への旅をしてみましょう。その道中にもいろいろと学ぶことがあることでしょう。あなたも私も共に巡礼者であることを忘れてはなりません。

同じ光明へ向けて同じ道を歩んでいるのであり、この界と次の第七界との境界にある高い山脈を越えて、さらにさらに向上の道に励まなくてはならないのです。

 私たちはその里の敷地と庭園を後にして、広々とした田園地帯に続く長い並木道を行きます。行きながら気づいたことは、その道は一直線に走っているのではなく、そこを通って海に注ぐ小川のある谷に沿っているのです。では、先に進む前に、ここでその小川の水の持つ性質を幾つか説明しておきましょう。

〝生命の水〟の話をお読みになったことがあると思いますが、これは比喩ではなく文字どおり生命の水なのです。と言うのは、こちらの世界の水には地上の水にない成分が含まれていて、それぞれの水が他に見られない独特の成分を含んでいるのです。

川にせよ泉にせよ湖にせよ、水は高級霊によって管理されており、精気と啓発の徳が賦与されているのです。

その水を浴びることによって高級霊の賦与した生命波動から精気を吸収し啓発されていくのです。私が知っている噴水池が高い塔の屋上に設けてありますが、装置を作動させると深遠な雰囲気のハーモニーを持つ一連の和音を響かせます。

(第一巻一三五頁参照)これはその土地で何かの催しがある時に近隣の人々を召集するための合図の鐘の代わりに使われております。

しかもその噴水のしぶきはかなりの広い範囲にわたって飛び散り、さまざまな色彩の光の花びらとなって、その一帯の家や庭園に落ちていきます。

その花びらにはこれから催される集会のおよその性格と目的の主旨を伝えるものが含まれており、それを浴びる人の全身に心地よき温もりを漲(みなぎ)らせ、ぜひ出席したいと思わせるところの同志愛と連帯意識を自覚させるものも含まれているのです。

その地域一帯に集会の時と場所を知らせることも兼ね、同時に、しばしば高き界から講演のため、あるいはその界の領主の名代としてある仕事を執行するために訪れる天使についての情報を知らせることもあります。

 いま私どもが歩いているすぐ側を流れている川の主成分は〝安らぎ〟です。この川の側を通る人は、地上の人には遠く理解の及ばない方法でその安らぎの成分を吸収するのです。川面の色彩、色合い、流れのざわめき、両岸に繁る植物、岩石や土手の形や雰囲気、等々がみな安らぎを与えるように構成されているのです。

また地球に近い下層界での仕事を終えて例の湖を渡って帰ってくる霊の中にも、その安らぎを必要とする者が大勢おります。

私たちは時として大変な奮闘努力を余儀なくされることがあるのであり、地上の人がよく想像するように、のんびりと単調な生活を送っているのではないのです。

そこで時としてしばし肩の荷を下ろして憩い、待ち受ける次の仕事に備えて、使命成就に必須の安らかにして強力なる霊的静寂を取り戻す必要があるのです。

 さらに、ここでは全ての存在が滲み入るような個性を持っていることを理解していただかねばなりません。一つ一つの森、一つ一つの木立、一本一本の樹木、そのほか湖も小川も草原も花も家も、ことごとく滲み入るような個性を持っているのです。

それ自体は人格的存在ではないのですが、その存在、その属性、その性分は自然霊のたゆまぬ意志の働きの結果なのです。ですから、それと接触する者が摂取するのは自然霊の個性であり、またその人の感受性の度合いによって摂取量も違ってくるわけです。

たとえば樹木に対して特に感受性の強い人もいれば、小川に対して強い反応を示す人もいるといった具合です。しかし、やはり建築物に対しては誰もが反応を示すようです。中に入った時がとくにそうです。

それというのも、自然霊というのは人間と少しかけ離れた存在ですが、建物の建造に当たる霊は人間と同じ系列の高級霊であるという点で、質、程度ともに自然霊ほど遠くかけ離れた存在ではないからです。

 実はそうしたこちらの世界で当たり前のことが、程度こそ違いますが地上界の普通一般の人にも起きているのです。人類は現段階ではまだ物質にどっぷりと浸っていますから、その結果として感覚が鈍いというだけです。

明瞭性の度合いが劣るというだけで、真実性の度合いは決して劣らないのです。

 さっきからあなたの精神の中に質問が形成されつつありますが、何でしょうか。おっしゃってみて下さい。お答えしますから。


──実は内容が女性のお考えになることにしては不似合な感じがしております。お聞きしますが、私の手を使いたいとおっしゃったのはカスリーンですが、今書いているのもそうですか。


 そうです。私です。ですが、私一人のおしゃべりでは満足なさるわけがないでしょう。

まさか私が一人で無駄話などするつもりだとは想像なさらなかったはずですが、いかがですか。とにかく私としては、そんなみじめな想像をされないためにも、私があなたを使うのとほぼ同じように私を使う方を何人か用意しました。

男性ばかりではありません。女性の方も何人かおられます。全体が一つの声、一つのメッセージとなるように一体となって作業しており(*)、したがって私が綴る言葉はさまざまな知性がブレンドしたものなのです。

このところあなたの抵抗感(**)が少し和らいでいますので、まずまずうまく行っております。どうかこの状態を維持してください。私たちもこちらなりに最善を尽くしますから。

 ではお寝み。こうして書いていくことによってますます進歩が得られますように。
 (*二章の1で具体的な説明がある。**オーエン氏はこの段階でもまだ時おり疑念を抱くことがあった。次の十日付の通信の末尾でもそれが表面化している。─訳者)



4 生命の気流   
一九一七年十一月十日 土曜日




 〝天界からお声が掛かる〟──あなたと私がまさにそれです。私があなたに呼びかけると私は上層界の方から呼びかけられ、その方たちはさらに上層界の神霊からお声が掛かり、かくして最後は、かの遠き昔、父なる神より呼ばれて薄暗き地上へと派遣された主イエスにまで辿り着きます。

私たちが絶大なる確信を抱くことが出来る根拠は実に、霊力乏しき低地の者へその強力な霊力をお授けくださる崇高なる神霊から〝お声が掛かる〟という事実にあります。

 〝下界へ参れ〟との命を受けるということは、これはもうただ事ではないのです。下界へ向けて歩を進めるにつれて環境も私たちの身体も次第に光輝を失っていき、いよいよ地上界へ辿り着いた時には、あたりを見極めることが容易でないほどの状態となっています。

 が、それも初めのうちだけです。次第に目が地上の波長に慣れてきて、やがて見えるようになります。これを繰り返すことによって、ますます容易になります。もっとも、そのこと自体は少しも有難いことではありません。

有難いのは、そうなることによって地上で仕事が出来るということです。と言うのは、私たちの目に映る地上の光景はおよそ楽しいものではなく、一時も早く自分の界層(くに)へ帰りたい気持ちに駆られます。

その意味でも前回お話した水辺の景色や施設が有難く望ましいものであるばかりでなく、私たちの仕事にとって絶対に不可欠のものなのです。

これに関連して、もう一つお話しなければならない機能があります。それは、その〝憩の里〟には上層界から送られてきた生命力が蓄えられていて、それが気流となってその里一帯を流れており、必要な者に存分に与えられるということです。

私たちがいざ地上へ向かう時は途中でこの里に立ち寄り、その気流に身を浸して体力と活力を摂取します。地上に近づいた時に必ずしもその効力を実感しませんが、実際には澎湃として身辺を洗い、身体に滲み込んでいます。

そして、ちょうど海中に潜っているダイバーが海上から送られる空気で生命を維持するように、私たちを支えています。

自由で広大な海上からの光が届かぬ海底は薄暗く、水という鈍重な要素のために動きが重々しくなりますが、私たちもこうして地上に降りている間はまったく同じ条件下にあります。

ですから、聞いてもらいたいことがうまく述べられなかったり、用語を間違えたり、通信内容に不自然なところがあっても、どうかそれは大目に見ていただき、決して邪霊に騙されているかに思わないでいただきたいのです。

潜水服に身を固められたダイバーが水中で別のダイバーに話しかけている図でも想像してみて下さい。私たちベールのこちら側にいる者にとって、それがいかに根気とたゆまぬ努力を要することであるか、まして人間の言い分に耳を傾けることは尚のこと根気のいるものであることが、これで理解していただけるでしょう。

 ですが同時に、この地上での仕事を終え、くるりと向きを変えて天界へ上昇して行くと、そうした不自由を味わっただけ、それだけ遠き〝憩の里〟から流れてくる生命の気流をいち早く感じ取ることにもなります。

 生命力の波動が再び身辺を洗います。疲れた頬に心地よく当たります。くすんでいた飾りの宝石も次第に本来の輝きを取り戻します。

 衣服は一段と明るい色調に輝き、髪は光沢を増し、目から疲れと暗さが消え、そして何よりも有難いのは、私たちの耳に神のお召しのメロディが聞こえはじめ、次第に明瞭さを増していくことです。それは、神の蔵に蓄えるべき如何なる収穫を得たかをお確かめになるために、私たちを〝収穫の祝宴〟に招いてくださっているのです。

 さて、これ以上お引き留めするのはやめましょう。あなたは一刻の遅れも許されない大切なお仕事が進行中であることは私にもよく分かっております。

 あと一つだけ添えましょう。それは、こうしてあなたに呼びかける私たちとあなたとの間に再び懐疑の念が頭をもたげていることです。ですが、この度の通信があなたご自身から出たものでないことは確かでしょう。


──どうすればそれが私に納得できますか。

 忍耐あるのみです。それが進歩を確かなものとし、確信を深めるのです。おやすみなさい。安らぎのあらんことを。

 カスリーン並びに他の通信霊より慎んで申し上げます。


  
5 天界の音楽と地上の音楽
一九一七年十一月十二日 月曜日

──オルガン奏者がこれから演奏を始めますが、邪魔にならないでしょうね。

 邪魔にならないどころか、逆にはかどります。好い機会ですので、今夜は天界の音楽について少しばかりお話しておきましょう。そうなのです。私たちにも地上のあなた方と同じような音楽があるのです。

しかし──この〝しかし〟はとくにアクセントを強くして申し上げておきます──実は地上の音楽は天界にある音楽の〝貯蔵所〟からこぼれ落ちた程度のものに過ぎません。壮麗な輝きを持つ天界の調べは地上界へも届いているのです。

ですが地上を取り巻く厚いベールを通過する際にどんどんその輝きを失っていきます。地上で名曲とされているのもその程度のものに過ぎないのです。

 ではこれから私が、そうした天上の音楽がどういう具合に地上へ届けられるかを説明します。どうか思い切り想像の翼を広げて聞いてください。いくら想像を逞しくしてもなお及ばないでしょう。

 目にも見えず耳にも聞こえず(*)──天界の音楽のあの崇高な躍動、盛り上がりと下降、そして魂の奥底まで響く力強さは、とうてい人間の肉耳(にくじ)には感応しないのです。

(*これはシェークスピアの〝真夏の夜の夢〟の一節であるが、天界に人間には聞こえない壮大な妙音が流れているという思想は紀元前からピタゴラスなどが説いていた。──訳者)

 それどころではありません。受信と通訳の二つの機能を併せ持つ脳を備えた物的身体に宿っているかぎり、天界の調べのあの得(え)も言われぬ美しさのイメージは、とても人間には想像できないでしょう。まして産み出すことなど全く不可能でしょう。

 その天界の最高界から最切に流れ出た旋律がいかなるものであったかは、この低地にいる私たちには測り知ることはできません。それはあなた方地上の人間に私たちの界の音楽が想像できないと同じです。

 ただ、このことだけは断言できます。これしか判らないと言ってもいいでしょう。

(そう思う程度のことです。いずれにせよ私たちの間では常識とされていることですが)それは〝神の御胸〟こそ音楽におけるハーモニーの源であるということです。神の偉大なる〝心臓部〟です。

そこから神のメロディの愛の調べが流れ出て、最も感応しやすい界層がそれを受け、他のもろもろの要素と合体して〝美〟の根源たる神にいやが上にも近づいていきます。かくて永遠の時の経過の中で遥か高き上層界の神霊が荘厳さと崇高さを帯び、神的属性を身に付けて行きつつあるのです。

 しかしこの問題は次元が高すぎて、私ごとき者にはとてもうまく叙述できません。このたびの目的は数少ない言葉を精いっぱい駆使して、その流れが私たちの界まで下降してきた後地上まで送り届けられる過程を私たちに知り得た範囲で叙述することです。

私たちの界を通過した旋律はその音色を構成する微粒子の一つひとつが膨張して互いに押し合い、密度を失い、かくて漸く地上との境界に辿り着いた時は基調(テクスチャー)のキメが非常に粗いものとなっていて、地上的感覚にしか感応しなくなっております。

 具体的に言えば、第六界まで流れて来たものが一つの受け入れ容器を見つけます。二つまたはそれ以上のこともあります。それが貯蔵所となり、それを利用してさまざまな節や旋律が構成され、小さくはあっても強烈な作品が再び地上へ向けて下降を開始します。

が下降しはじめた瞬間から先に述べたような膨張が始まります。ですから、あなた方が受け取った時はそれはすでに純粋なエキスではなくなっており、いわば原液が薄められた状態となっております。

これを譬えてみれば壁に開けられた小さな穴から真暗な部屋に射し込んだ光のようなもので、小さくても射し込んだ時は強烈だったものが、突き当りの壁に届いた時は性質が遥かに弱まっており、さらに雑音も加わっていて、それは隙間から飛び込んだ時の輝きを失わせることにしかなりません。

 もっとも、そうして地上に届く音楽でも魂を高揚させる素晴らしいものがあることは事実です。となると私たちの界の音楽がいかに素晴らしいものであるかは、思い半ばに過ぎるものがあるでしょう。

私たちは痛いほどに魂を鼓舞する旋律に心を奪われてしまいます。それを聞いた一人ひとりがみずから霊的エネルギーの集積体となり、さらにそれを各自の個性によって解釈し形体を賦与して、自分より低い界層の者へ送ります。その際、その音楽に秘められた繊細さと効力の度合いがその道の専門家によって適当に下げられます。

高き天界の大音楽家より発せられた旋律を捉え幾らかでも留めることができる地上の程度の高い音楽家の理解力に合わせて、あまり繊細過ぎないようにとの配慮からそうするのです。

 出来ればもっと話を進めたいのですが、そろそろあなたの受信度が悪くなってきました。そこであと一言だけ簡単に述べておきます。何事も同じですが、この問題においても父なる神より末端の人間に至るまでの整然たる階梯を通じて、次の大原則が支配しているのです。

すなわち〝父が自らの中に生命を宿すごとく父はその子イエスに生命を与え給うた〟ということです。単に生命のみではありません。生命現象の全てを含めての話です。その一つが音楽であるわけです。

 そのイエス様が父の貯蔵所から受ける生命を大天使に分け与えるごとくに、大天使もまたその能力に応じて小天使へと授けて行く───両親が子に生命を授けるように単に生命のみを与えるのではなく、愛と美と高尚な思想と天界のメロディをも併せて授けられます。

 では、私を通じてメッセージを届けている霊団の者になり代って、カスリーンが愛の祝福を申し上げます。
 

 
 6 〝過ぎにし昔も来る世々も〟
一九一七年十一月十三日 火曜日

 以上、父なる神の愛の流れ、天界の水とその効用、そして音楽について述べました。そこで今夜は最高界で定められた厳令を下層界へ向けて行使することを責務とする神霊によって目論まれた、ある特殊な目的の為のエネルギーの調節について少しばかり言及してみたいと思います。

こう言えば、地上という最前線にて生活する貴殿(*)には、地上に割当てられる責務が遥か天界の上層界の神霊によって、その程度と目的を考慮して定められていることがお判りであろう。役割分担によるそうした計画が下層界へ向けて末は地上に到るまで伝達されます。

その感識の仕方は各自異なる。感識の度合いも異なる。ある者は鮮明に、ある者は不明瞭に感識する。それだけ用心の度合いが劣るということです。

しかし地上生活という生存競争の渦中にいる者には、もし自ら求めて人生とは何か、自分はいかなる目的に向けて導かれているかについての確証を得たいと望むのであれば、人生の秘密の巻物を読むことが許されます。

(*そろそろリーダーと名告る高級霊、実は第一巻でアーノルの名で紹介された霊が強く表に出はじめ、文体が古めかしさを帯び始める。──訳者)

 とは言え、遠き未来まで見通すこと、あるいは垣間見ることを許される者は極めて少数に限られます。イエスがかつて述べた如く〝今日一日にて足れり〟(*)が原則なのであり、人間の信頼心が堅固にして冷静でありさえすれば、確かにそれで足りよう。

未来が絶対に知り得ないものだからではない。知り得るのであるが、人生の大目的を知り得るのは余程高度の能力と地位の者に限られているからに過ぎない。

吾々の能力も僅かに先のことを知り得る程度のものであり、平均的人間の能力に至っては一寸先も見えないであろう。

先ほど述べた神の大計画も、数多くの界層を通過して来るからには当然、各界の色合いを加味され、いよいよ地上に至った時はあまりの複雑さのために究極の目的が曖昧模糊として見分け難く、吾々のように地上に関わってある程度のコツを身に付けた者にとっても、往々にして困難なことがある。そこに実は信仰の目的と効用があります。

すなわち自分の義務は自覚できても、それ以上のことは判らない。そこで計画を立てた高級界の神霊にはその目的が瞭然と見えているに相違ないとの確信のもとに勇気を持って邁進するのです。

その計画遂行の手となり足となるべき者が信念に燃え精励を厭わなければ、計画を立てた者にとっては目的成就の為の力を得たことになる。が、もし信念を欠き精励を怠れば、成就は覚束(おぼつか)ないことになる。

なぜなら全ての人間に選択の自由があり、その問題に関するかぎりいかなる者も意志を牛耳られることはないからです。信頼心をもって忠実に突き進んでくれれば目的成就は固い。

が、たとえ計画からそれたコースを選択しても、吾々はそれを強制的に阻止することはしない。教育的指導はするが、それも穏やかに行う。そしてもしそれが無視されるに至った時は、もはや好きにやらせるほかはない。

一人ぼっちになってしまうという意味ではありません。すぐに別の種類の霊的仲間が付くでしょう。数に事欠くことはありません。

(*マタイ6・34。〝この故に明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。〟)

 具体的に説明してみよう。たとえば科学に関する書物が必要になったとします。するとまず〝科学〟を基調とする界層の霊団が内容の概略を考える。

それが〝愛〟を基調とする界層へ届けられます。そこで和(やわ)らかい円味(まるみ)を吹き込まれ、今度は〝美〟を基調とする界層へ送られます。すると調和と生彩を出すための解説が施され、それがさらに地上人類の特質を研究している霊団へ送られます。

その霊団はその内容を分析検討して、それを地上へ届けるのに最も相応しい(霊界の)民族を選択します。選択すると、最終的に託すべき界層を慎重に選ぶ。と言うのは、仕上げとして歴史的事例を付加する必要があるかも知れないし、詩的風味を注入した方がよいかも知れないし、もしかしたらロマンス精神を吹き込む必要があるかも知れません。

かくして、ただの科学的事実として出発したものが、地上に辿り着いた時は科学的論文となっていたり、歴史的梗概(こうがい)となっていたり、小論文となっていたり、はては誌とか讃美歌となっていたりするわけです。

 ちなみに貴殿がよく親しんでいる讃美歌を右の言説に照らして見直されると、吾々の言わんとするところが僅かでも判っていただけるでしょう。例えば〝神の御胸はいとも奇(くす)し〟(二八番)は宇宙哲学あるいは宇宙科学の解説的論文として書き変えることが出来る。

また〝誰(た)れにも読める書(ふみ)あり〟(**)、〝過ぎにし昔も来る世にも〟(八八番)などは神の摂理の歴史的研究の根幹を成すものであり、その研究を基調とする界層において、多分、最初の創作の段階でそうした誌文に盛り込まれたものに相違ない。

貴殿もすぐに理解がいくことと思いますが、そうした計画は一つの界層において全てが仕上げられるのではなく、数多くの界層を経過するのであり、しかも一つの界から次の界への伝達の仕方も必ずしも一様でない。

また頭初は書物として計画されたものが、幾つかの界層を経るうちに、あるいは議会の法令となり、あるいは戯曲となり、時には商業上の企画に変わることすらある。

その方法・手段には際限がない。とにかく、神の創造の大業の促進と人間の進化のための計画に関わる者が決断したことが実行に移されるのです。

かくて人間は高き世界より監視し指導する神霊の仕事を推進していることになる。ならば、そうと知った者は背後に強大な援助の集団が控えることを自覚し、何ものをも恐れることなく、途中で狼狽(うろた)えることなく、勇気を持って邁進することです。


 カスリーンより。以上は私が代筆したものですが、私自身からも一言付け加えたいと思います。

 右のメッセージは私より遥かに多くの知識を持つ方々が、世の為に働くさまざまな人間のために贈られたものです。ですが、私の観るところではあなたの今の仕事にも当てはまるものと考えます。いかなる人間のいかなる仕事も、天界の指導と援助を受けないことはありません。お別れに当たって私からのこのささやかなメッセージをお受け取り下さい。ささやかではありますが、これはカスリーン本人からのものです。

 (**これは英国の詩人キーブル John Keble の作品であるが、日本語の讃美歌集にも英語の讃美歌集にも見当たらないところをみると、讃美歌ではなく誌歌なのであろう。「オックスフォード引用句辞典」にその一節だけが載っている。その意味は、宇宙には真理を求める者、心清き者、キリストの心を持つ者であれば誰でも読める書が用意されている、ということ。──訳者)

 

 7 〝後なる者、先になること多し〟
一九一七年十一月十五日 木曜

  吾々が地上生活を送っていた時代には〝霊的真理の道を選んだ者はすぐに後悔するが最後には必ず勝利を得る〟と言われたものです。それを身を持って証明した者が少なくとも吾々の霊団の中にも幾人かいます。視野をこの短い地上的時間に縛られることなく、限りない永遠性に向けていたからでした。

今この天界より振り返り、これまでの旅路を短縮して一枚の絵の如く平たく画いてみると、そのカンバスでとくに目立った点が浮き彫りにされ、そこから読み取れる教訓に沿って本来のコースを定めることも可能です。

 それにしても、天界の光に照らし出されたその絵は、かつて吾々がその最中において悪戦苦闘した時に想像していたものと何という違いであろう。そこで貴殿に忠告しておくが、人生全体と日々の暮らしを形作っているさまざまな要素の価値判断においてあまりに性急であってはならないことである。

今にして思えば、当時吾々が携わった仕事が偉大であったのは全体として見た場合のことであって、一人ひとりの役割に目を向ければ実にささやかなものであり、大切だったのは個々の持ち前ではなく、それに携わる動機のみであったことが判る。


というのも、一個の偉大な事業のもとに参加する者が多ければ多いほど、それだけ存在価値も分散し、役割分担が小さくなっていくのが道理だからです。重要なのは根気よくそれに携わる動機である。事業全体としての趣旨は人類のためであり、一人一人がその恩恵に浴するが、その分け前は至って僅かなものです。


しかし一方、動機が気高くさえあれば、世間がそれをどう評価しようと問題ではない。人生という闘争の場において自分に最もふさわしい役割を与えられたのであるから。



──何だかややこしくなって来ました。好い例を挙げて説明していただけませんか。 

例ならば幾らでもあります。では一つだけ紹介しよう。

地上の言い方をすれば〝何年も前〟のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。


こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分如き身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。
案内された所も地上近くの界層の一つで、決して高い界層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。

と言うのも、苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見出し、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕も出来たからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。

 ある日のこと──地上的に言えばのことであるが──彼の住まいのある通りへ一人の天使が訪れた。中をのぞくと彼は横になって一冊の本をどこということなく読んでいる。


その本は彼がその家に案内されてここがあなたの家ですと言われて中に入った時からそこに置いてあったものである。天使が地上時代の彼の名前──何といったか忘れたが──を呼ぶと彼はむっくと起き上がった。

「何を読んでおられるのかな?」と天使が聞いた。

「別にたいしたものじゃありません。どうにかこうにか私にも理解できますが、明らかにこの界の者のための本ではなく、ずっと高い界のもののようです」と男は答えた。


「何のことが書いてあるのであろう?」

「高い地位、高度な仕事、唯一の父なる神のために整然と働く上層界の男女の大霊団のことなどについて述べてあります。その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとに暮らしていたようです。話ぶりがそれを物語っております。


しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、互いの愛情においても合理的理解力においても何一つ差別がなくなっております。


目的と仕事と願望において一団となっております。こうした事実から私はこの本はこの界のものではなく、遥か上層の界のものと判断するわけです。その上この本には各霊団のリーダーのための教訓も述べられているようです。

と言うのは、政治家的性格や統率者的手腕、リーダーとしての叡智、等々についての記述もあるからです。それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかも知れませんけど・・・。一体なぜこんな本が私の家に置いてあったのか、よく判りません」

 そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である、彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴じられた自分の名前があるのに気づいたからである。戸惑いながら彼はこう言った。

 「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」

 「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。と言うことは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。


もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取り掛からなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」

 彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。

「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」

 そこで天使がこう語って聞かせた。

 「そう言う言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の一つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。


あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。例えば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。

それをモットーにしておられたほどです。そのモットーがあなたの魂に泌み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。

 その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘らず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。そのために割いた時間はローソクの明りで取り戻した。そうしなければならないほど世活費に困っておられた。

そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。と言うのも、こちらの世界には、私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしがきく利点があるのです。

ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります。


 この他にも、あなたの地上での行為とその経緯(いきさつ)について述べようと思えばいろいろありますが、ここではそれは措いておきます。それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。

実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団がいるのです。霊団として組織され、すでに訓練も積んでおります。

その使命は地上近くの界を訪れ、他界して来る霊を引き取ることです。新参の一人ひとりについてよく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。もう、いつでも出発の用意が出来ており、そのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します」

 それを聞いて彼は跪き、額を天使の足元につけて涙を流した。そしてこう言った。

 「私にそれだけの資格があれば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。それに私はその一団の方々を知りませんし、私に従ってくれないでしょう」


 すると天使がこう説明した。「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。

と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、あなたはその肉体から脱け出て、いつもその界を訪れていたのです。そうです。地上にいる時からそうしていたのです。


その界においてあなたも彼らと一緒に訓練をなさっていたのです。まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。お会いになれば皆あなたのご存知の方ばかりのはずです。彼らもあなたをよく知っております。

大天使も力になってくださるでしょうから、あなたも頑張らなくてはいけません」

 そう言い終わると天使は彼を従えてその家を後にし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。

 道中は長びいたが楽しいものであった。(長びいたのは本来の姿を穏やかに取り戻すためであった)そしてついに霊団の待つところへやって来た。ひと目見て彼には彼らの全てが確認できた。出迎えて彼の前に整列した彼らを見た時には、彼はすでにリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に愛の光を見たからである。