Tuesday, May 5, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論



14章 霊の身元と霊格の問題

一、生前の身元の証明はどこまで可能か

スピリチュアリズムの難問の中でも霊の地上時代の身元ほど異論の多い問題はない。その原因は、問題の性質上、確実な証拠とすべきものが霊側から提供できないということ、そしてまた、時として適当な氏名を名乗る霊がいるということである。

そうした理由から、霊の身元の確認は憑依現象に次いで、スピリチュアリズムの現象面における難題の一つである。もっとも、身元が絶対に間違いないか否かは二次的な意味しかなく、実質的な価値はほとんど無いということを念頭に置いておく必要がある。とくに高級霊になると尚さらである。なぜか。

霊は、霊性が純化されてそれ相応の界層へと進化向上して行くにつれて、本来の個性は変わらないが、言うなれば霊的資質の完成度の均一性において、互いに融合していく。我々が“高級霊”と呼んでいる段階がそうであるが、さらに進化した“純白霊”になると尚さらで、その段階にまで至った霊について、それまでに数知れず体験したであろう物的生活(地球以外の天体上の生活も含めて)の一つに過ぎない地上時代の姓名などを詮索しても意味はないであろう。

さらに留意すべきことは、霊はその霊性の親和性によって互いに引き合い引かれ合って一つの大きな霊的集団ないしは霊的家族(類魂団)を構成する。そうなると、我々人間との交信において、我々が知っていると思われる名前をその同族の中の誰かから借用して間に合わせることをする。

と言うのも、無数にいる同族霊の中には人類の歴史にその名を残している者よりも、まったく知られていない者の方が遥かに多い。その“無名”の高級霊が人間と交信をして高等なメッセージを送る時に氏名を述べる必要が生じたとしよう。その時まったく知られていない氏名を名乗っても意味がない。そこでそのメッセージの内容に相応しい名前を選んで使用するのである。

従って、かりに誰かの守護霊が“聖ペテロ”と名乗っても、それは必ずしもキリストの使徒だったあのペテロであるとは限らないのである。もしかしたら人類には全く知られていない人物で、今はあのペテロが属している霊団の一人なのかも知れないのである。

その場合、こちらから何という名で呼び出してもその霊が出てくるであろう。と言うのは、霊との交信はあくまでも“思念”で行われるので、ペテロと呼ばれようがパウロと呼ばれようが、その霊が出てくる。すでに交信状態ができ上がっているからである。それゆえ高等な通信に関するかぎり、その通信霊が地上時代に誰であったかは意味がないのである。

それが地上を去ってあまり年月が経っていない霊、つまり地上感覚から脱け切っていなくて記憶も習性もあまり変化していない霊となると、警戒すべきことが二つある。

一つは、そういう霊が歴史上の大人物や神話・伝説上の神仏の名を騙(かた)る場合、もう一つは、肉親や友人・知人の声色や話振りを真似て、人間を喜ばせたり感激させたりして面白がるケースである。

そうしたケースでその霊の身元を確認する方法の一つは、「神に誓ってそのお名前に偽りはございませんね?」と尋ねてみることである。中には平然と振る舞う曲者もいるが、大抵はすぐに怒り出すか、自動書記であれば用紙を破ったりエンピツを放り投げたりする。また平然とした態度を装う者に対しては、その述べるところに矛盾撞着がないかを見極めて、その点を突っ込んでいくことである。たとえば――

ある自動書記でいきなり「私は神(ゴッド)である」と名乗ってきたことがあった。霊媒は嬉しくて、一も二もなく信じた。そこでその霊を霊言霊媒を使って招霊して、さきほど述べたように

「神に誓って神様であることに偽りはございませんね?」と尋ねたところ、少し動揺した様子を見せ、

「神様であるとは言っておらぬ。神の子である」と言い出した。そこで、

「では、イエス様でいらっしゃるわけですか。神に誓ってイエス・キリストであることに偽りはございませんね?」と聞き返すと、さすがに畏れ多いと思ったのか、

「イエスであるとは言っておらぬ。神の息子だと言っているまでである。なんとなれば神に創造されたものだからである」と、わけの分からぬことを言ってきた。

低級霊の集団には、世界各地の交霊会に出没しては、出席者と縁故のある霊の声色を使ったり話し方を真似て、感激的な再会の場面を演出することを得意とする者がいる。その場合、名前や住所、家族名などを確かめても何にもならない。その程度の情報なら低級霊にも簡単に入手できるからである。

また証拠などが得られない高級霊の場合の身元の判断の材料は、名乗って出てくる名前や歴史上の史実ではなく、“言っていること”そのものの内容である。
二、霊格の程度と正邪の見分け方


霊の身元の証明は多くの場合、とくに高級霊の場合は二次的な問題でほとんど意味がないとしても、その霊が善霊か邪霊か、高級か低級かの判断はきわめて重大な問題である。というのは、その述べるところが一体何という名の霊からのものであるかは、事情によってはどうでもよいことであるが、その内容つまり何を述べているかということは、それを送ってくる霊の信頼度を計る唯一の手掛かりとなるからである。

今も述べたように、通信霊がいかなる霊格の持ち主であるかは、人間の人格を推し量る時と同じように、その言っていることによって判断しなくてはならない。かりに見知らぬ人々から二十通の手紙が届いたとしよう。その一通一通について文体と内容その他、こまごまとした特徴から、どの程度の人物からのものであるかは大よその見当がつくはずである。

霊からの通信についても同じことが言える。一度も会ったことのない霊からメッセージを受け取ったら、その文体と内容から大よそどの程度の霊格の持ち主であるかの見当をつけるべきで、立派そうな名前のサインがしてあるからというだけで有頂天になってはいけない。霊格はその言葉に表れる――これは間違いない尺度であって、まず例外は有り得ないと思ってよい。

高級霊からのメッセージはただ内容が素晴らしいというだけではない。その文体が、素朴でありながら威厳に満ちている。低級霊になると、やたらに立派そうな派手な用語を用いながら、訴える力がこもっていない。

用心しなければならないのは、知性である。ふんだんに知識をひけらかしているからといって高級霊と思ってはならない。知性は必ずしも徳性ないし霊性の証明ではないのである。非常に霊性の高い霊でも哲学的には深いことを語らないことがあるし、博覧強記で、知らないものはないかに知識を披露しても、霊格の低いことがある。

そうしたことから推察できる事実として、通信霊が地上時代に著名な科学者だったからといって、その後もその分野でますます高度の知識を蓄えているとは限らないことである。霊性の発達が遅れているために相変わらず地上的波動から脱け切れず、地上時代に名声を博した理論をいつまでも後生大事にして、それが進歩の足枷となっていることに気がつかない。

もちろん全ての科学者がそうだと言うつもりはない。ただ、これまでにそうした霊を数多く招霊しており、地上時代の名声は必ずしも霊性の高さの証明とはならないことを指摘しておくまでである。

繰り返すが、霊的通信を受け取った時は、内容的に見て理性と常識に反するものはないか、文章や言葉に品位があるか、偉ぶったところや尊大な態度は見られないか、といった点を徹底的に検証しないといけない。そうした態度に出られて、もしも機嫌を損ねるようであったら、それは低級霊・未熟霊・邪霊の類いと思って差し支えない。高級霊ないし善霊は絶対に機嫌を損ねないどころか、むしろそうした態度を歓迎する。何一つ恐れる必要がないからである。
一問一答


――通信霊の優劣は何を手掛かりに判断すればよいのでしょうか。


「文章(自動書記の場合)ないし言葉づかい(霊言の場合)です。人間の場合と同じです。すでに述べたように、高級霊の述べることには矛盾撞着がなく、全体が善性で貫かれております。善への志向しか持ち合わせないからです。それが高級霊の思念と行為の目的なのです。

低級霊はいまだに地上的感覚に支配されています。その語るところに無知と不完全さがさらけ出されます。知識の崇高さと冷静な判断力、これが高級霊のみの属性です。」


――優れた科学的知識は霊格の高さの指標でしょうか。


「そうとは言い切れません。その霊が今も地上的波動の中で生きているとすれば、人間的な煩悩と偏見を留めているはずです。地上を去ってすぐにそうした煩悩を捨て去ることができると思いますか。とんでもありません。こちらへ来ても相変わらず高慢で嫉妬ぶかく、その波動が地上時代と同じように魂を覆っています。

低級霊というのは、ただ単に無知である者よりも、なまじ知性が発達した者の方が始末に負えないものです。その生半可な知性にずる賢さと高慢とが結合するからです。彼らは大威張りで、怪しむことを知らない人間や無知な人間を標的にして働きかけます。また働きかけを受けた人間もそれを躊躇することなく受け入れます。

無論そうした誤った論説は最終的には真理には勝てませんが、一時的には混乱を引き起こし、スピリチュアリズムの発展を阻害します。霊能者は無論のこと、スピリチュアリズムの普及に携わる人々は、その点をしっかりと認識して、真理と虚偽とを明確に選り分けるように努力すべきです。」


――通信霊の中には歴史上に名を留めている聖人や有名人の名を名乗る者が多いのですが、どう対処すべきでしょうか。


「歴史に名を残している聖人や大人物がいったい何人いるというのでしょう? 通信を送る高級霊の中で地上の人間にその名を知られている者の数はたかが知れています。知られていない霊の方が遥かに多いのです。地上時代の氏名を聞かれても名乗りたがらない者が多いのは、そのためです。ところが、人間はそれでは承知せず、しつこくせがみます。そこでやむを得ず適当な人物の名を使用することにもなるのです。」


――それは一種の“詐称”と見なされるのではありませんか。


「邪霊が騙す目的でそういうことをすれば詐称と言えるでしょう。ですが、高級霊がそういうことをすることは、同じ霊格を持つ霊団の中では許されていることなのです。思想上の同一性と責任の連帯意識があるからです。」


――そうなると、霊団の一人がたとえば“聖パウロ”だと名乗っても、あのキリストの使徒のパウロだとは限らないということですか。


「その通りです。自分の守護霊は聖パウロだと言われた人が何千何万といる事実を見れば分かるはずです。が、霊格がパウロと同じ程度であれば名前はどうでもいいではありませんか。ですが、あなた方はすぐに地上時代の名前を知りたがります。そこで霊の方では適当な名前を選んで、それを自分の“呼び名”にするのです。それはちょうど地上の家族が同じ姓のもとで呼び名をつけて区別にするのと同じです。時にはラファエルとかミカエルといった大天使の名をつけて、問題が生じない範囲で用いることもあります。

さらに言えば、霊格が高まれば高まるほど、その影響力の及ぶ範囲も広がります。そこで、一人の高級霊が地上の何百何千という人間の面倒を見ることもあります。地上には弁護士というのがいて何十人何百人という人の世俗的問題の処理に当たりますが、それと同じと思えばよろしい。霊的な側面から面倒を見るわけです。」


訳注――マイヤースの“類魂説”でいうと、類魂団の親に当たる“中心霊”がいて、それが幾つでも分霊を出して地上その他の天体に生みつけ、その一人一人を類魂の中の誰かに面倒を見させるという。中心霊が全体を統括しながら個々の人間にも守護霊を付けているようである。「一人の高級霊が地上の何百何千という人間の面倒を見る」というのは“統括している”という意味に取るべきであろう。


――通信霊が聖人の名を使うことが多いのはなぜでしょうか。


「通信を受け取る側の人間の信仰上の慣習に合わせて、最も感銘を与えやすい名を選びます。」


ブラックウェル脚注――聖人に列せられている名を使うのはカトリック系の国に多く、プロテスタントの国では歴史上に名を残した人物や科学界の著名人の名を用いる傾向がある。


――高級霊は招霊されると自ら出てくるのでしょうか、それとも代理の者を差し向けることもあるのでしょうか。


「出られる場合は自ら出ます。出られない場合は代理の者を送ります。」


――その代理の霊は高級霊の代理として申し分ないだけの資格を身につけているのでしょうか。


「高級霊が自分の代理として選ぶのですから、十分にその資格をそなえた者にきまっています。さらに言えば、霊格が高まるほど霊団内の思想に緊密度が増しますから、その中の誰が出ても大して変わりはないのです。

お聞きしていると、地上の歴史に名を残している人物でないとその通信に価値がないかに思っておられる節がありますね。どうやらあなた方は、自分たち地上の人間だけがこの宇宙の住民であるかのように思い込み、そこから先が見えないようですが、そんなことでは、まるで孤島で暮らしている原始人と同じで、その島が全世界であると思い込んでいるようなものです。」


――重大な内容の通信の場合であれば異論はありませんが、低級霊が道を誤らせるような内容の通信を送ってくる時に聖人の名を騙るのをなぜ高級霊は許すのでしょうか。


「別に許しているわけではありません。地上と同じで、そういう騙しの行為をした霊は罰せられます。それは確かです。そしてまた、その騙しの悪辣さに応じて罰が酷しくなることも確かです。

しかし一方、もしもあなた方が完全な人間であれば常に善霊に取り囲まれていることでしょうが、万が一騙された時は、それはあなた方がまだまだ不完全であることの証左であると受け取るべきでして、その場合の責任は人間側にもあることになります。

そういう事態が生じるのは、一つには天の配剤としての試練であり、また一つには真実と虚偽との見分けが必要であることを教えることによって啓発するためでもあります。それでも啓発されなかったら、それはあなた方の霊性が十分に進化していない証拠であり、まだまだ失敗による教訓を必要としていることを物語っています。」


――霊格はあまり高くなくても真理の普及と向上心に燃える霊を、通信法の練習の機会を与える目的で、本来の高級霊に代わって出させることはありますか。


「スピリチュアリズムの大計画に基づく交霊会では絶対にそのようなことはさせません。もともとそうした重大な交霊会に出現する高級霊は自らその難しい仕事を買って出るものだからです。中には霊格は高くても、たとえば自動書記であれば“書く”という練習も兼ねることがあり、霊媒の知識の不足もあって、最初のうちは通信内容が粗悪である場合が少なくありません。が、プライベートな内容の通信の場合を除いて、代理の者に書かせることはしません。」


訳注――本書の二十年後に出たモーゼスの『霊訓』では、レクターその他の複数の霊が最高指揮霊インペレーターの“書記”をつとめている。また、さらに五十年後に出現したシルバーバーチはインディアンをマウスピースとして使用している。時代とともに変遷しているようである。


――お粗末きわまる通信の中に時としてびっくりするような名文が出てくることがありますが、この不合理をどう理解すべきでしょうか。霊格の異なる複数の霊が入れ替わり立ち替わり書いたように見受けられるのですが……。


「低級霊ないしは無知な霊が大した内容もない文章を綴ることがあります。地上でもそうではないでしょうか。文筆家がみな立派な人ばかりとは限らないのと同じです。が、その程度の霊と高級霊とが共同で書くようなことはしません。高級霊からの通信には一貫して崇高さが窺われます。」


――霊が間違ったアドバイスをして、それがもとで人間が誤りを犯した場合、そこには必ず意図的な作為があるのでしょうか。


「そんなことはありません。善意に満ちた霊でも真理に無知なことがあり、真実と思い込んで間違ったアドバイスをすることがあります。ただし自分の誤りに気づくと、それからは用心して間違いない範囲に限るようにします。」


――間違った内容の通信を送ってくる場合、良からぬ意図に発しているのでしょうか。


「これもそうとは言い切れません。霊でもよく軽はずみなことを述べてしまうことがあるものです。誤解しているわけでもなく、これといった意図があるわけでもないのですが、明確に理解していないことをいかにも分かっているかのごとき態度でまくし立て、煙(けむ)に巻くことがあります。」


――霊が声色を使ったり話し方を真似たりすることができるとなると、姿を偽装することによって霊視能力者をごまかすこともできるのでしょうか。


「そういうことが時おりあります。しかし霊言や自動書記でごまかすよりも難しく、しかも高級霊による配慮で、その霊能者を戒める目的で特別に雇われた霊だけに許されることです。その場合、霊自身は高級霊に雇われていることには気づきません。また霊視能力者もそうした軽薄な低級霊が見えてもごまかされていることには気づきません。霊聴能力で話を聞き取り自動書記で綴るのと同じことです。いたずら霊はそうした霊媒能力を逆手に取って偽装した姿を見せるのですが、それが可能かどうかは霊能者自身の霊性の程度に掛かっています。」


――騙されないようにするには真面目な心掛けが肝心なのでしょうか、それとも、どんなに真面目な真理探求者でも騙されるものなのでしょうか。


「真面目であればあるほど騙されることが少ないということは言えます。しかし、いかなる人間にもどこかに弱点があり、それが邪霊につけ入らせることになります。本当は弱いくせに自分では強いと思っている人がいます。自惚れや偏見はないと思っている人でも、自分で気づいていないだけの人がいます。霊能者はそうした点を十分に反省せずに霊的な仕事に携わるために、そこがいたずら霊のつけ入るスキとなります。自惚れや偏見を煽ればいい気になって、思うツボにはまることを彼らは知っているのです。」


――なぜ神はそういう邪(よこしま)な下心をもつ霊が人間に通信を送ることを許すのでしょうか。


「いかに邪悪な霊からの通信にも教訓を垂れるという目的がもくろまれているのです。そこから教訓を引き出し、それを有益な体験としていくことです。正邪を区別し、それを鏡として自分を映して反省するために、ありとあらゆる程度と種類の通信に当たってみる必要があるのではないでしょうか。」


――霊は通信の中に邪な猜疑心を煽るようなことを含ませて、サークルを仲違いさせるようなこともできるのでしょうか。


「根性のひねくれた妬み深い霊は、地上の悪人がするのと同じあらゆる悪事を企むことができます。常に油断を怠らないようにする必要があります。

高級霊が人間に仕置きをする時は、慎重さと節度を弁えた上で行います。決して非難のつぶてを投げるようなことはしません。警告はしますが、そこに優しさがあります。仮に二人のメンバーが今は会わない方がいいと判断した時は、会えなくなるような事情を生じさせて会わないようにします。トラブルや不信を生じさせるような通信は、どんな立派な署名がしてあっても、邪霊の仕業と思って間違いありません。ですから、メンバーの中の誰かを揶揄(やゆ)するようなことを述べている時は用心しないといけません。そして自分自身を厳しく反省し、偏見のないように心掛けることを忘れてはなりません。

霊界通信に関するかぎり、知性と良心に悖(もと)ることのない、上品で寛大で合理的な内容のものだけを受け取ることです。」


――それほどまでに邪霊・悪霊がつけ入りやすいとなると、霊界通信はどれ一つとして安心して受け取れないことになりそうですが……。


「その通りです。だからこそ理性という判断力が与えられているのです。仮に一通の手紙を読んだ時、それが悪逆非道の人物からのものか、育ちの良い人物からのものか、教養があるかないかは、一読しただけで分かるはずです。霊からの通信も同じです。

遠く離れた古い友人から久しぶりに便りが届いたとしましょう。それが間違いなくその友人からものであることをどうやって確認しますか。筆跡と内容で、とおっしゃるかも知れません。が、筆跡を真似たりプライベートなことを覗き見する者はいくらでもいます。が、直観的判断で間違いなくあの友人だと確信させる何ものかがその文面にはあるはずです。霊界通信も同じです。」


――高級霊がその気になれば、邪霊が偽名を使うのを阻止できるのではないでしょうか。


「もちろんできます。が、邪悪性が強い者ほど、その執拗性も強く、しつこく抵抗して容易に止めようとしません。それに、こういうことも知っておいてください。高級霊はその判断力でもって、成り行きに任せる場合と全力をあげて守る場合とがあります。高級霊が全力で守護する場合はいかなる邪霊も無力です。」


――そういう差別をする動機は何でしょうか。


「差別ではありません。公正です。言うことを素直に聞いて向上を心掛ける霊能者にはそれに相応しいことをします。言わば高級霊のお気に入りであり、いろいろと援助します。口先だけ立派なことを言いながら実行の伴わない者には、高級霊はまず構いません。」


――高貴な人物の名を騙るという冒涜行為を神はなぜ許すのでしょうか。


「そういう質問をなさるのなら、なぜ地上にはウソつきや不敬を働く者がいるのかを質問なさるがよろしい。人間と同じく霊にも自由意志があるのです。そして神の公正は善行についても悪行についても、きちんと働きます。」


――そういう邪霊を(悪魔払いのような)儀式で追い払うことはできませんか。


「儀式はあくまでも形式的なものです。大霊を志向した真摯な思念の方が遥かに効果があります。」


――ある霊が、自分たちには誰にも真似のできない図形的な標章をこしらえることができると言い、それを用いることによって絶対的な確実性をもって高級であることを証明できると言うのですが、本当でしょうか。


「高級霊であることの標章は説くところの思想とその言葉の崇高性以外にはありません。図形的な標章ならどんな霊にでも似たものをつくることができます。低級霊が幾ら悪知恵を働かせても、その素性を隠すことはできません。幾らでもボロを見せているのですが、それでも騙される人間はよほど物を見分ける目がないとしか言いようがありません。」


――低級霊は高級霊の思想まで真似ることができるのではないでしょうか。


「できるといっても、それは映画のスクリーンに映る大自然の風景がまがいものであるのと同じ程度のものです。」


――注意して観察すれば化けの皮はすぐに剥がれるということでしょうか。


「そうですとも。騙される人間は自ら騙されることを許しているのです。低級霊が騙すのはそういう人間だけです。本物かニセ物かを見分けるには宝石商のような鑑識眼を持たないといけません。自分で見分けられない時は鑑定家のところへ持って行って見てもらうことです。」


――勿体ぶった言説に簡単に参ってしまう程度の人間、つまり思想よりも美辞麗句に弱い人間は、反対に崇高なものは陳腐で下らぬものと見誤りがちです。こうした人間は、霊どころか、人を見抜く目も持たないと思えるのですが、どうしたらよいでしょうか。


「その人が本当に謙虚であれば自分の無力さを自覚して、都合のいい判断は下さないはずです。高慢で、自分がいちばん賢いと思い込んでいる人間は、自らその自惚れを生み出す結果を招きます。

純心ではあるが教養に欠ける者と、知識と教養は豊富ではあるが自惚れの強い者とがいるものですが、案外前者の方が騙されることが少ないものです。邪霊は、その自惚れ屋の感情をくすぐることによって好きに操るのです。」


――霊能者の中には霊が接近してくる時の雰囲気で善霊か悪霊かの判断をする人が多いようですが、けいれんを伴った興奮状態やイライラといった不快な反応は、間違いなく、働きかけている霊の邪悪性の証拠とみてよろしいでしょうか。


「霊能者は働きかける霊の精神状態を敏感に察知します。霊が幸福感に満ちていれば霊能者も冷静で心も軽やかで穏やかです。不快感を抱いていれば霊能者もイライラしたり興奮したりします。そしてそのイライラは当然霊能者の神経組織にも悪影響を及ぼします。人間と同じです。心に何一つやましいところがなければ沈着冷静です。腹に一物ある人間は落ち着きがなく、とかく興奮しがちです。」

シルバーバーチの霊訓(五)

 More Teachings of Silver Birch 

 Edited by A.W. Austen


四章 軽蔑と嘲笑の中で
        ───スピリチュアリズムの歩み

 一九世紀半ばから始まった科学的心霊研究、そしてその結果としてスピリチュアリズムの名のもとに盛んになり始めた霊的知識は、既成宗教界の侮蔑と弾圧の中にあっても着実に普及してきている。スピリチュアリズムの発端からほぼ百年の歩みを振り返ってシルバーバーチはこう述べた。(本書の初版は一九四一年───訳者)


 「私たちの仕事が始まった当初、(その表面の現象だけを見て)世間の人は何とたわいもないことをして、と軽蔑の眼差しで見たものでした。〝テーブルラッパー〟(※)───彼らはサークルのメンバーをそう呼んで軽蔑し嘲笑しました。しかし、そうした現象も実は大きな目的を持った一大計画に組み込まれていたのです。私たちの意図した影響力は次第に大きくなり世界中へ広がっていきました。

各分野で名声を得ていた名士を次々とその影響力に誘っていきました。偏見によって目隠しをされ理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言が全ての人に尊重されるという考えからそういう手段を選んだのです。(※初期の頃はテーブルの叩音(ラップ)による通信が盛んに行われた───訳者)

 その後もますます多くの人材が同じ霊的影響下に置かれていきました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学、医学、思想、宗教、その他ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時すでに猛威をふるっていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命感を示唆する霊的事実、唯物思想の終焉を予告する目に見えない力の存在へ目を向けさせました。

ほどなくして───実に短期間のうちに───そのテーブルラッパーたちは宗教を腐敗から守る運動の旗手となっていったのです。

 僅か百年足らずの間にどれだけのことが成就されたか、それをこうした経過の中から読み取り、それを教訓としてこれ以後どれだけのことが成就できるか、そこに皆さんの先見の明を働かせてください。しかし私たちが今まさに欲しているのは、もっと多くの道具───背後から導き鼓舞してくれる霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。

霊的実在を悟りそれを他の同胞のために使用してくれる人、真理を暗い生活の灯火として持ち歩いてくれる人です。

  私たちが望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らがそれを日常生活において体現し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目になるほど神のメッセンジャーであることを認識させることです。

それから今度は積極的に世に出て社会生活のすべての面にそれを応用していってほしいのです。つまり、まず自らが身を修め、それから他人のために自分を役立てる仕事に着手するということです。これまでもあなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先に成就されていく可能性に較べれば、それは物の数ではありません。

 世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使いものにならない教義やドグマの崩壊が見て取れるはずです。誤った信仰の上に築かれた構築物が至る所で崩壊しつつあります。私達の説く霊的真理(スピリチュアリズム)は(心霊学という)知識を土台として築かれております。

その土台はいかなる嵐にもビクともしません。なぜなら真実───霊的事実───を土台としているからです。あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなた方が(死んで)物質界に感応しなくなったのちも、あなた方の奮闘努力の記念碑として末永くその勇姿を失うことはないでしょう」

  同じテーマについて別の交霊会で───

 「真理は前進し、暗黒と無知と迷信と混迷を生む勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。これが私たちが繰り返し繰り返し宣言しているメッセージです。あなた方は今まさに地上に新しい存在の秩序を招来するために貢献しておられるということです。ゆっくりとではありますが、変革が生じつつあります。

新しいものが旧(ふる)いものと取って替わるとき数々の変動は避けられません。それも神の計画のうちに組み込まれているのです。

 常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭におき、その上に宗教観、科学観、哲学観、倫理観、道徳観をうち立ててください。すぐにご大層なことを想像なさる御仁に惑わされてはなりません。私たちの説く真理は至って単純であるがゆえに、誰にでも分かり誰にでも価値を見出すことができます。神の子としての人間の有るがままの姿を何の虚飾もなく説いているからです。

すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊の絆によって結ばれているという意味において真に同胞であり、人類全体が一大霊的家族であり神の前に平等であるということです。

 霊の目を持って見る者は民族、国家、気候、肌の色、宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つに繋ぐ霊の絆を見てとります。地上世界は今こそそうした単純な真理を見直す必要があります。余りに永いあいだ教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質ないしは生命の大霊とは何の関係もないものに躓(つまず)いてきました。

 私は魂をより意義ある生活へ誘うものでないかぎり教義、信条、ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心がないのです。根本的に重要なのは日常生活の生き方だからです。いかなる教義もいかなるドグマもいかなる儀式も、原因と結果の関係を寸毫(すんごう)だに変えることはできません。

霊性を一分(ぶ)たりとも増すことも減らすことも出来ません。それは日常生活によってのみ決定づけられるものだからです。私たちが忠誠を捧げるのは宇宙の大霊すなわち神とその永遠不変の摂理であって、教義でもなく書物でもなく教会でもありません。

 今や霊の力がこうして地上に顕現する新しい手掛かりが出来たことを喜んでください。真理を普及するための新しい人材が次々と霊力の支配下に導かれていることに着目してください。

新しい通信網が出来たことに着目してください。人類の進歩を妨げてきた既成権力が崩され障害が取り除かれていきつつあることに目を向けて下さい。私たちは刀剣や銃を手にせず愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神でもって闘っている大軍の一翼を担っております。私達の武器は真理と理性です。

そして目指すのは人間として当然受け取るべきものを手にできずにいる人々の生活に豊かさと美しさをもたらしてあげることです。

 神とその子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと容赦は致しません。地上に神の王国を築くためには地上のいずこであろうと赴く決意は決して揺らぎません。これまでも数々の虚言、中傷、敵意、迫害に遭ってまいりました。が、

勇気ある心の有ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘ってきてくれたおかげで、こうして霊の力が地上に顕現することができたのです。今も新しい世界の前哨地に多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は皆さんに、元気をお出しなさい、と申し上げるのです。

心に迷いを生じてさせてはなりません。変転きわまりない世の中の背後にも神の計画を読み取り、あなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っていることを自覚してください。真理は絶え間なく前進しているのです。

 意気消沈した人、悲しげにしている人に元気を出すように言ってあげてください。先駆者たちの努力のたまものをこれから刈り入れるのです。そしてそれが明日を担う子供たちにより大きな自由、より大きな解放をもたらす地ならしでもあるのです。不安は無知という暗闇から生まれます。

勇気は自信から生まれます。すなわち自分は神であるとの真理に目覚めた魂はいかなる人生の嵐を持ってしても挫かせることはできないとの自信です。

 私がお教えしているのはごく単純な真理です。しかし単純でありながら大切この上ない真理です。地上人類がみずからの力でみずからを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした霊的真理を日常生活において実践する以外にないからです。 

あなた方はその貴重な霊的な宝を手にされていること、それがすべての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信を持って生きてください。しかし同時に、知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。

知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊力を無視した生き方をする人は、知らないために霊的真理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります。

 その知識を賢明にそして有効に生かしてください。一人でも多くの人がその知識を手にすることが出来るように、それによって魂を鼓舞され心が開かれる機縁となるように配慮してあげてください。私たちの方でも一人でも多くの人の涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真理を見えなくしている目隠しを取り除いてあげようとの態勢でいるのです。

親である神を子等に近づかせ、子等を神に近づかせ、人生の奥義に関わる摂理を実践に移させようとして心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影を潜め、生命の充実感を地上に生きる人の全てが味わえることになるでしょう」


 ここでメンバーの一人がこうした心霊知識の普及を既成宗教の発端と同列に並べて考えようとする意見を聞いて、シルバーバーチはこう説いた。

 「私たちはこれまで確かに成功を収めてまいりました。しかし、そうしたスピリチュアリズムの発展を私たちは他の宗教と同列に並べて考えていないことを銘記してください。私たちにとってスピリチュアリズムというのは宇宙の自然法則そのものなのです。

これを体系化して幾つかの信条箇条とすべき性質の教えではありません。キリスト教とて頭初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし仏教もそうです。その他地上に誕生した宗教の全てが最初はそうでした。それぞれの教祖が霊覚でもってその時代の民衆の成長、発展、進化、慣習、鍛錬、理解力等の程度にふさわしいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。

それがさらに受け入れる用意のある者に受け継がれていきました。それは一部とはいえ真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、そのささやかな真理が(人間的夾雑物の下に)埋もれてしまいました。

 真理の持つ純粋な美しさを留めることができなかったのです。まわりに世俗的信仰、神学的概念、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。やがて神性が完全に影をひそめてしまいました。そして新たにそれを掘り起こし蘇生させる必要性が生じたのです。

過去の宗教はすべて───例外なしに───今日こうして地上へ届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり一かけらなのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。それらを比較して、どちらがどうということは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるのです。

たとえば今日の世の中ですと、昔では考えられなかった通信手段が発達しています。伝達し合うことにあなた方は何の不自由も感じません。何秒とかからずにお互いがつながり、メッセージを送り、地球を一周することができます。

 これまでの啓示と異なるところは、入念な計画にしたがって組織的な努力が始められたということです。それが地上の計算でいけば約百年前のことでした。こんどこそは何としてでも霊的知識を地上に根づかせ、いかなる勢力を持ってしても妨げることのできない態勢にしようということになったのです。

その計画は予定どおりに進行中です。そのことは、霊的知識が世界各地で盛んに口にされるようになってきていることで分ります。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。

 ご承知のように私は常に、一人でも多くの霊媒が輩出することの必要性を強調しております。霊界からの知識、教訓、愛、慰め、導きが地上に届けられるためには、ぜひとも霊媒が必要なのです。一人の霊媒の輩出は物質的万能思想を葬る棺に打ち込まれるクギの一本を意味します。

神とその霊的真理の勝利を意味するのです。霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。両界を繋ぐ霊媒だからです。知識と光と叡知の世界から私に届けられるものをこうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる(バーバネルと言う)霊媒を見出したことを嬉しく思うのも、そこに理由があります」

 こうした霊媒を仲介役として始められたスピリチュアリズムに対する抵抗がよく話題にされるが、その中から典型的なシルバーバーチの霊言を紹介しよう。

 「私たちはほぼ一世紀にわたって、霊的真理を基本とした訓えを地上に根づかせようと努力してまいりました。それこそがこれから築かれていく新しい秩序の土台である以上、何としでも困難を切り抜けなくてはならないからです。本来は最大の味方であるべき陣営の抵抗と敵意に耐え抜き闘い抜いてまいりました。

宗教的分野において子羊たちを導こうとする人間(キリスト教の指導者)ならもろ手をあげて歓迎すべきものなのに、逆に自分たちの宗教の始祖(イエス)の教えであるとして広めんとしてきた主義・信条のすべてにみずから背いて、そういう立場の人間にあるまじき酷い言葉でわれわれを非難してきました。

そこには愛も寛容心も見られません。それどころか、私たちを悪魔の使いであると決めつけ、神の子羊を正義の道から邪な行為、不道徳、利己主義へ誘導せんとする闇の天使であるとして、悪口雑言の限りを浴びせます。

 しかし、そうした激しい抵抗の中にあっても、私たちの説く真理は今や世界中に広がり、これまで抵抗してきた勢力は退却の一途をたどっております。私たちは現今のキリスト教が基盤としている教説を否認する者です。愛と正義と慈悲と叡知の根源である大霊が地上人類に対して呪うべき行為を働くはずがないことを主張する者です。

神の怒りを鎮めるのに残酷な流血の犠牲(いけにえ)が必要であった。などという言い訳は断じて認めません。いかなる権力を持ってしても自然の摂理に介入出来たためしは一度もないことを主張します。神学の基盤と構造の全てを否定する者です。

なぜならば、それは人類の進歩の時計を逆まわりさせ、その狭苦しいひとりよがりの世界に合わないものはいかなる発見も発明も進歩も拒絶してきたからです。

 そうしたものに代わって私は、啓示というものが常に進歩的であること、かつて指導者の一人ひとりが神の叡知の宝庫からひと握りずつを地上へもたらしてきたこと、そしてその一連の系譜の最後を飾ったのがかのナザレのイエスであり、私たちはそのイエスを鼓舞したのと同じ霊の力の直系の後継者として、同じ福音、同じ真理を説いている者であることを宣言します。

人間に贖(あがな)い主はいらないのです。神との仲介者は不要なのです。自分の荷は自分で背負う義務があり、日々の生活の中の行為によって霊的生命を高めもすれば傷つけもするのです。内部に神性を宿していることは今も、そしてこれから先も永遠に変わりません。

変るのは程度の上下であって、本質は決して変わりません。向上進化というのはその潜在的神性をより多く顕現していく過程にほかならないのです。

 いかなる教義、いかなる信条をもってしても、過った行為がもたらす結果をねじ曲げることはできません。私たちの説く神は永遠・不変の法則によって宇宙を統治しており、その法則の働きによって地上の人間は地上で送る人生によってみずからを裁くようになっていると説くのです。

かつて地上においてこうした真理を説き、それ故に迫害を受けた先駆者たちに対して私たちは、今や彼らの努力が実りの時代(トキ)を迎え、古き秩序が廃れ新しき秩序のもとに霊的生命が芽生え始めている兆しを地上のいたるところに見ることが出来るようになった事実をお知らせしております。

 永いあいだ真理の太陽をさえぎってきた暗雲が足ばやに去りつつあります。そして光明が射して無数の人々の生活を明るく照らし、こんどはその人たちが、自分を自由にしてくれた真理の伝道者となっていきます。それだけの備えができている人たちです。

私どもは地上の人々がみずからの力でみずからを救い、死せる過去と訣別し、精神と霊を物質による奴隷的束縛から解放する方法をお教えするために戻ってまいりました。古くからの教えだからといって有難がってはいけない───知的な目を持って真理を探究し、常識に反し理性を反撥させるものは一切拒絶しなさい、と申し上げているのです」


 しばしの休暇ののちに再会された交霊会でシルバーバーチは年二回開かれるという霊界での指導霊の総会(※)に出席していたと言い、〝光の世界から影の世界へ、実在の世界から幻影の世界へ戻って来るのは気が進まないものです〟と述べてからこう続けた。

(※これはスピリチュアリズム思想推進のために経過報告と次の計画の指示を仰ぐための会合で、世界的規模で行われる。これが年に二回ということであるが、このほかにも実質的に地上の経綸に当たっている霊界の上層部において慣例的に行われる。〝讃仰のための集い〟もある。

オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻に、通信霊のアーネルがその会場に入った時の雰囲気を〝音が無いという意味での静けさではなく静寂という実体が存在する〟と表現している。

又モーゼスの『霊訓』にはイムペレーターからの通信がしばらく途絶えたのでモーゼスがその理由を尋ねると〝地上の用事とは別の用事があって留守にしていた〟と言い、霊界の上層部における神への厳かな崇拝と讃仰の祈りを捧げるために他の多くの霊とともに一堂、集結したのだと言う。その時の日付けが十月十二日となっている。

日本で十月のことを神無(かんな)月と呼ぶことには〝神の月〟と〝神がいなくなる月〟の二つの説があるようであるが、私は両者は詰まるところ同じことに帰すると思う。古代の日本人はそれを直感していたのである───訳者)


 「そもそも私がこの利己主義と残酷に満ちた地上へ降りてくることになったのは、人類への愛と使命があったからです。そこでこの度も(総会を終えたあと)こうしてあなた方のもとへ戻ってまいりました。

私なりに出来るかぎりの援助を与えるためです。人類を霊的奴隷状態から解放し、神性を宿す者が当然わがものとすべき神の恩寵───霊的生活、精神的生活、そして身体的生活における充足───を得させると言う(地球規模の)大使命の推進の一翼を担う者として戻ってまいりました。

 その使命の成就を妨げんとするものは何であろうと排除しなければなりません。私たちが目指す自由は(霊的・精神的・身体的の)あらゆる面での自由です。その道に立ちはだかる既成の特権と利己主義の全勢力に対して、永遠の宣戦を布告します。

あなた方より少しばかり永く生きてきたこの私、あなた方がこれより辿らねばならない道を知っている先輩としての私からあなた方に、どうか勇気を持って邁進されるよう申し上げます。お一人おひとりがご自分で思っておられる以上に貢献なさっておられるからです」

 更に地球規模の霊的活動における指導霊と交霊会の役割りに言及して───

 「過去数年の間に私たちは数多くの人々を知識の大通りへと案内してまいりました。しかしまだまだ大きな仕事が為されます。世界各地で数多くの心霊治療家によって行われている霊的治療の成果に目を向けて下さい。大地に再び視界が開けていく様子を思い浮かべてください。

予言者の声が再び地上にこだまするようになり、夢かと紛(まご)うものを見るようになります。先見の明が開けはじめます。病める人々が癒され、肉親の死を悲しんでいる人々が慰められつつあります。あなた方は本当に恵まれた方たちです。

人間が永遠の魂の旅の中にあってほんの束の間をこの地上という生活の場で過ごしている、永遠にして無限の霊的存在であることをご存知だからです。

 私はそのメッセージをあなた方の助力を得ながら広め、私を地上へ派遣した霊団の使命を推進したいと望んでおります。私たちはいま勝利へ向けて前進しております。誤謬と利己主義、迷信と無知、自惚れと悪逆無道の勢力を蹴散らし過去のものとしなければなりません。

 もはやそうしたものが許される時代は終わったのです。真理が理解されるに従って暗闇が光明へとその場を譲ってまいります。人々はその目を上へ向けて新しい世界の夜明けを待ち望んでおります。新しい世界は新しい希望と新しい悟りを与えてくれます。
 神のみ恵みの多からんことを」

シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch 

 Edited by A.W. Austen




三章 死後の後悔

 「皆さんは他界した人がぜひ告げたいことがあって地上へ戻ってきても、有縁の人たちが何の反応も示してくれない時の無念の情を想像してみられたことがあるでしょうか。

大勢の人が地上を去ってこちらへ来て意識の焦点が一変し、初めて人生を正しい視野で見つめるようになり、何とかして有縁の人々にうれしい便りを伝えたいと思う、その切々たる気持ちを察したことがおありでしょうか」

 ある日の交霊会でシルバーバーチは出席者にこう問いかけて、人間がいかに五感の世界だけに浸り切り、いかに地上生活の意義を捉えそこねているか、そしてそれが原因となって死後の生活にいかに深刻な問題を生じさせているかに焦点を当てた。

 「ところが人間が一向に反応を示してくれません。聞く耳を持たず、見る目も持ちません。愚かにも人間の大半はこの粗末な五感が存在の全てでありそれ以外には何も存在しないと思い込んでおります。

 私たちは大勢の霊が地上へ戻って来るのを見ております。彼らは何とかして自分が死後も生きていることを知らせたいと思い、あとに残した人々に両手を差しのべて近づこうとします。やがてその顔が無念さのこもった驚きの表情に変わります。もはや地上世界に何の影響も行使できないことを知って愕然とします。

どうあがいても、聞いてもらえず見てもらえず感じてもらえないことを知るのです。情愛に溢れた家庭においてもそうなのです。その段階になって私たちは、まことに気の毒なのですが、その方たちにこう告げざるを得なくなります───こうした霊的交流の場へお連れしないかぎりそうした努力は無駄ですよと」


 以上の話は一般家庭の場合であるが、シルバーバーチはこれを宗教界の場合にも広げて、宗教的指導者もご多分にもれないことを次のように語る。

 「私はこれまで何度か地上で教会の中心的指導者として仰がれた人たちに付き添って、かつての信仰の場、大聖堂や教会を訪ねてみたことがあります。彼らはこちらへ来て誤りであることを知った教義がそこで今なお仰々しく説かれ続けているのを見て、そうした誤りと迷信で固められた組織を存続させた責任の一端が自分達にもあることを認識して悲しみにうなだれ、重苦しい思いに沈みます」

 ───針のむしろに座らされる思いをさせられることでしょう。

 「罪滅ぼしなのです。それが摂理なのです。いかなる大人物も自分の犯した過ちは自分で責任を取らねばなりません。各自が自分の人生への代価を自分で支払うのです。収支の勘定は永遠の時の流れの中で完全な衡平(つりあい)のもとに処理され、だれ一人としてその法則から逃れることはできません」

 ───その人たちはどうすれば過ちを正すことになるのでしょうか。

 「間違った教えを説いた人々の一人一人に会わなければなりません」

 ───説教をした相手の一人ひとりに会わねばならないのでしょうか。

 「そうです」

 ───でも、その時までにすでに本人が真理に目覚めていることもあるでしょう。

 「そういう場合は、それだけその宗教家はラクをすることになります」

 ───正しいことをしていると信じていた場合はどうなりますか。そに点も考慮されるのでしょうか。

 「もちろん考慮されます。常に動機が大切だからです」


 ───その場合でも一人ひとりに会わなければならないのでしょうか。

 「魂がそう信じていたのならその必要はありません。が、現実はそうでない人が多いのです。名誉心と思いあがり、所有欲と金銭欲が真理よりも優先している人が多いのです。

いったん一つの組織に帰属してしまうと、いつしかその組織に呑み込まれてしまい、今度はその組織がその人間をがんじがらめに束縛し始めます。そうなってしまうと(心の奥では信じていない)古いお決まりの教説を繰り返すことによって理性をマヒさせようとしはじめるものです。

 私たちが非難するのは、誤りとは知らずに一心に説いている正直な宗教家のことではありません。心の奥では真実よりも組織の延命を第一と心得ている者たち、言いかえれば今もし旧来のものを捨てたらこれから先自分の身の上がどうなるかを心配している者たちです。

間違っているとは知らずに説いている人を咎めているのではありません。自分の説いていること、言っていることが間違っていることを知りながら、なおかつ詭弁を弄して〝これ以外に民を導く方法が無いではないか。説くべき教えが他に無いではないか〟と開き直っている人たちです。

 しかし、たとえそうとは知らずに間違った教えを説いた場合でも、過ちは過ちとして正さなければなりません。その場合は罪滅ぼしとは言えません。魂そのものが良心の咎めなしに行ったことですから、一種の貢献としての喜びさえ感じるものです」


 ここでかつてのメソジスト派の牧師が尋ねた。

 ───私もこれまでに説教した相手のすべてに会って間違った教えを正さなければならないということでしょうか。

 「そうです。その時点までにその相手がまだ真実に目覚めていなければ───言いかえればその魂があなたの間違った教えによって真理の光を見出すのを遅らされていれば、それを正してあげないといけません」

 ───そうなると大変です。私は随分多くの人々に説いてきましたから。

 「他の全ての人と同じようにあなたも自分のしたことには全責任を取らなければなりません。でも、あなたの場合はそうご心配なさることはありません」

 別のメンバーが口添えしてこう述べた。
 ───この方は牧師をおやめになられてから多くの人たちのために献身しておられ、その人たちが力になってくれるでしょう。


 「その通りです。永遠・不変の公正はけっしてごまかしが利きません。私がいつも見ているとおりの摂理の働きをあなたにもぜひお見せして、公正の天秤がいかに見事なつりあいを保っているかをご覧にいれたいものです。神の摂理は絶対に誤りを犯さないことを得心なさることでしょう。

 人に法を説く者が重大な責任を担っていることはお分かりでしょう。私はたびたび言っております───あなた方は知識を手にされた。しかし同時にその知識に伴う責任も担われた、と。

一般の人よりも高いものを求め、さらにその人たちを導き教えんとする者は、まず自らが拠って立つ足場をしっかりと固めなくてはなりません。

厳しい探求も吟味もせず、あらゆる批判に耐えうるか否かを確かめもせず、自分の説いていることが真実であるとの確信もないまま、そんなことには無頓着に型にはまった教義を説いていれば、その怠慢と無とん着さに対する代償を払わなければなりません」

 このことに関蓮して、別の日の交霊会で興味深い死後の事実が明かされた。メンバーの一人が、最後の審判の日を待ちながら何世紀もの間暗い埋葬地で暮らしている霊(地縛霊の一種)を大ぜい救ってあげた話を聞かされたがそんな霊が本当にいるかと尋ねた。

 「それは本当の話です。それが私達にとって大きな悩みのタネの一つなのです。そういう人たちはその審判の日をただ待つばかりで、その信仰に変化が生じるまでは手の施しようがありません。
 
死んだら大天使ガブリエルのラッパが聞こえるまで待つのだという思念体を事実上地上の全生涯を通じて形成してきております。その思念体をみずから破壊しない限り、それが一つの思想的牢獄となって魂を拘留し続けます。

 死んだことを認めようとしない人も同じです。みずからその事実を認めない限り、私たちはどうしようもないのです。

自分がすでに地上の人間でないことを得心させることがいかに難しいことであるか、あなた方には想像がつかないでしょう。あるとき私は地上でクリスタデルフィアン(※)だった人と会って、えんえんと議論を交わしたことがあります。彼は私を見据えてこう言うのです───〝こうして生きている私がなぜ死んでるとおっしゃるのでしょう〟と。どうしても私の言うことが信じてもらえず、〝復活〟の日まで待つと言い張るのです。そしてそこに留まっていました」

(※奇しくもスピリチュアリズム勃興の年である一八四八年に設立されたキリスト教系の新興宗教。バイブルを唯一の教義として既成神学の三位一体説を否定し、キリストの再臨とエルサレムを中心とするキリストによる祭政一致の地上王国の到来を信じた───訳者)



 ───何をして過ごすのでしょうか。

 「ただ待つだけです。こちらには〝時間〟というものがないことを忘れないでください。もし自分が待っているという事実に気がつけば、その思念体が破れるはずなのですが───自分でこしらえた牢獄なのですから。ですが、こうした事実を地上の人間に伝えるのは大変です。

あなた方がお考えになるような時間が無いのです。なぜなら、私たちの世界は軸を中心に回転する天体ではありませんし、昼と夜を生じさせる太陽も無いからです。昼と夜の区別がなければ昨日と今日の数えようがないでしょう」

 ───時間的な刻みはなくても時間の経過はあるのでしょう?

 「ありません。まわりの出来ごととの関連によって成長と進化を意識していくのでして、時間が刻々と過ぎてゆくというのとは違います。魂が成長し、それにつれて環境が変化していきます。

時間というのは出来ごととの関連における地上独自の尺度にすぎません。あなたが無意識であれば時間は存在しません。出来ごととの関連が無くなるからです。夢を見ている間も出来ごとの関連が普通とは変化しています。肉体に繋がれている時よりも出来ごとが速く経過するのはそのためです」

Monday, May 4, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




13章 低級霊に憑依されるまでの三つの段階

スピリチュアリズムの現象面につきものの問題の中でも第一位にランクされるものは、憑依現象、つまり霊が地上の人間を完全に支配してしまう現象であろう。ただしこの場合の霊は決まって低級霊で、諒解なしに良からぬ意図をもって操っている。

高級霊が憑依する時は、本書で紹介している通信霊のように、人類の啓発という目的をもって、霊媒の諒解を得て書いたり語ったりしている。終われば憑依状態を解き、霊媒は普段の精神状態に戻る。また霊媒自身あるいは立会人に理解力がないとみたら、二度と出なくなる。

これと違って低級霊が悪意をもって取り憑く場合は、いったん目をつけたらしつこく付きまとい、子供を扱うように手玉に取る。そして当人だけでなく、その親族にまで迷惑を及ぼす。

“憑依”というのは概括的な用語で、そのメカニズムと、憑依された人間に表れる霊障によって、三つのタイプに分けられる。まず“付きまとわれる”だけの場合。次が“幻惑される”場合。そして“取り憑かれる”場合である。詳しく解説しよう。
(一)しつこく付きまとわれる


前章の問答の中でも述べられているように、どんなに優秀な霊媒でも低級霊につけ入られて、愚劣きわまる通信を受けたり霊言を述べたりする。この事実から想像がつくように、霊媒や霊能者は常に低級霊や邪霊につけねらわれていると思ってよい。が、その段階ではまだ憑依ではない。かりに波動が合って通信状態に入っても、それは一時的であって、すぐに縁は切れる。いくら用心していても正直な人間ほど人に騙されることがあるのと同じである。また霊団側でも一つの警告として体験させることすらある。これには実害はない。(ここでは霊的なことに携わっている人に限った言い方になっているが、実際には普通一般の者にも当てはまる。『霊の書』の中に、一人の人間が殺意を抱いた時、それに感応して邪霊が一気に群がってくるという主旨の一文がある――訳注)
(二)幻惑される


(一)のようにしつこく付きまとって、日常生活に支障を来す程度のものに“幻惑”が加わると、さらに深刻となる。邪霊が思念そのものに直接的に働きかけて幻想を生じさせ、正邪・善悪の判断力をマヒさせるのである。

たとえば自分は神の化身であると思い込ませ、それらしき勿体ぶった態度でご託宣を述べさせる。誰が聞いても滑稽きわまる内容なのであるが、その辺の判断力がマヒしているから、本人はみじんもおかしいとは思わずに大まじめで大言壮語をする。

こうしたケースは無知で無学の者にかぎられると思うのは大間違いである。知的職業に携わる者でも、安直に霊能開発などを始めると、こういう醜態をさらす。見えない次元で異常なことが起きていることは明らかで、それが邪霊・悪霊の画策である。

今、この種の憑依を“さらに深刻”と述べたのは、憑依霊によって幻惑されてしまうと、どんなにバカげた話でも大まじめに信じ込み、時には無分別で、不名誉で、危険なことでも平気でするようになるからである。

(一)の段階と(二)の段階は容易に見分けがつく。それはそのまま低級霊の種類の違いでもある。

(一)の段階では“しつこく付きまとわれる”という点が厄介なだけで、本人もその状態を客観的に見つめることができる。そして、こんなことではいけないと判断すれば、危険から逃れることは可能である。

が、人間には見栄がある。異常なことが起きることから自分が特殊な人間であるかに思い始めると、次第に(二)の段階へと移行する。憑依霊の方も狡猾で手練手管に富んでいるから、巧みに思考活動にまで入り込んで、“慈悲心”だの“人類救済”だの“神の愛”といった美辞麗句を吹き込む。当人はすでに魅入られているから、救世主にでもなったかのような錯覚に陥って、大まじめにそれらしいことを口にする。

この際、低級霊にとっていちばん困るのは洞察力に富んだ立会人(司会者・さにわ)が存在することで、自分の画策が見抜かれ、当人が説諭されて理性を取り戻すことを恐れる。そこで自分たちがこしらえた“お告げ”の矛盾に気づかれないようにと知恵を絞る。が、全体としての低劣さ、歯の浮くようなキザな表現は覆うべくもない。
(三)憑依される


最終段階には当人の自由意志は完全にマヒし、人格全体が憑依されてしまう。ただし、この憑依状態にも精神的と肉体的の二種類がある。

精神が憑依されていく場合は、支離滅裂な行為をしながら、それを正常で立派な行為と思っている。(二)の幻惑状態の一種であるが、異なるのは、思考活動だけでなく自由意志まで奪われていることである。

肉体的に憑依されている場合は肉体器官そのものも支配されて、不随意筋まで自由に操られるようになる。メカニズム的には自動書記や霊言現象と同じであるが、憑依している霊の霊格と動機が異なる。

自動書記や霊言の場合は、終了すれば霊は去り、霊媒の人格は通常に戻る。が、邪霊による憑依の場合は、書くもの(ペンやエンピツなど)も持たずに通路上とかドアとか壁に書く仕草を延々と続けるようになる。

かつては異常行動をする者はすべて“悪魔の憑依”とされた。が、“悪の化身”という意味での“悪魔”は存在しない。霊性の進化の程度が低いという意味での低級霊で、その発想に邪悪な要素が強いというにすぎない。

では一体そうした低級霊はいかなる動機から憑依しようとするのであろうか。招霊して聞き質してみたところによると、その憑依霊によってそれぞれ違うようである。

怨みを抱きながら他界した者が霊界から復讐しようとしている場合がある。前世または前前世での怨念が絡んでいる場合すらある。

別にそうした怨念があるわけではなく、困らせてやりたいという、ただそれだけの動機からの場合もある。

地上時代に苦労が多かった者が、幸せに暮らしている子孫が癪に思えて取り憑くこともある。

善なるものに対する憎しみから、真面目に生きている人間を困らせようとする者もいる。同じ取り憑くなら悪事を働く者を選んだらどうかと尋ねたら「悪いヤツらのことは羨ましくは思わんよ」と答えた者がいた。

気の弱そうな真面目人間を選んで取り憑こうとする者もいる。そのわけを尋ねたら「オレは誰かをいじめたくて仕方がないんだ。が、しっかりしたヤツには追っ払われる。この間抜け(取り憑いている人間)にはオレを追い出すほどの徳の力がないもんな」などとうそぶいていた。

さらにまた、悪意というほどのものは持たなくても、軽薄なプライドから尊大になり、科学や社会問題、倫理・道徳・政治問題等に関する自分の考えが最高であると思い上がって、それを伝えてくれる人間を求めることもある。

このように人間に取り憑こうとする低級霊への対抗措置や防御措置も、その動機の違いに応じて違ってくる。それを次の一問一答から読み取っていただきたい。


――霊に付きまとわれて困っている霊能者が自分でそれを排除できなかったり、高級霊に援助を求めても何もしてくれず、直接のコミュニケーションが持てないことがあるのはなぜでしょうか。


「高級霊に力が足りないわけではありません。そうした場合、力が足りないのは霊能者自身の方で、高級霊が援助する条件を整えてくれないことが原因です。

もともと霊能者というのは特殊な体質をしていて、霊との関係が容易にでき上がります。その流動エネルギーが使いやすい霊は必ずいます。霊性やモラルの感覚が低いと、当然低級霊が付きまとって、そのエネルギーを大いに利用しようとします。」


――ですが、一点非のうちどころのない人格をそなえた立派な霊媒が高級霊からの通信を阻害されているケースがよくあるようですが……。


「そういうケースは、罪滅ぼしというよりは一種の試練として、あえて邪霊にそうさせていることがあります。と言うのも、一点非のうちどころがないとおっしゃいますが、そういう人にも心の奥に隠れた不純さが絶対にないと誰が断言できるでしょうか。見かけの立派さの裏に高慢さが潜んでいないと誰が断言できますか。そういう試練には、霊媒のそうした弱点をさらけ出して謙虚さを身につけさせようという意図があります。

完全な人間だなどと言える人間は地上には一人もいません。側(はた)から見ていかに徳が高そうに思える人でも、その魂には必ずといってよいほど隠れた欠点、古くからの欠陥の酵母が潜んでいるものです。

たとえば不正なことは一切せず、人間関係でも真っ正直で尊敬に値する名士として知られている人でも、その実、魂の奥にはそうした表向きの徳性を台なしにしてしまうような高慢さや利己心の残滓(ざんし)が潜んでいることがあるものです。また、側からは分からないところで貪欲で妬み深く、冷酷で毒気のある性格をしている人もいます。普段のお付き合いではそうした面が出ないから気づかれないだけで、魂の奥には巣くっていることがあるものです。

邪霊に付け込まれないようにする最も確実な方法は高級霊の資質を可能なかぎり見習うことです。」


――低級霊に邪魔をされて高級霊からの通信が受け取れなくなった場合、それはその霊媒が霊媒として不適格であることの証拠なのでしょうか。


「一概にそうは言い切れませんが、その霊媒に道徳的ないしその他の面で通信にとって障害となる何かがあることを示していることは確かです。その障害は常に魂の中に存在するわけですから、その霊媒はそれを取り除くべく努力しないといけません。願望や祈りを表明するだけでは何にもなりません。病気の人が医者に向かって“健康をください。私は健康になりたいのです”と言っても意味がないのと同じです。健康になるための処方に素直に従ってもらう以外に医者には為すすべがないでしょう。」


――では通信の途絶は一種の罰ということでしょうか。


「場合によりけりですが、まさしく天罰である場合があります。通信の再開という形で報われるように努力すべきです。」


――邪魔をしている低級霊を向上の道へ導くという方法もあるのではないでしょうか。


「おっしゃる通りです。そこまで考える霊能者は滅多にいないのですが、実はそれこそが大切な責務でもあるのです。優しい心と宗教心でもって低級霊を諭すのも霊能者の役目です。後悔の念が芽生え、向上への道が開けます。」


――その場合、人間は高級霊のような影響力がありませんが、どうしたらいいのでしょうか。


「人間を悩ませ邪魔をする低級霊は、波動的には高級霊より人間の方に近いのです。高級霊とはあまりに波動が違いすぎるために、敬遠して係わり合わないようにするものです。

そうした低級霊が人間界への悪さを画策していることが明らかになると、それを思い止どまらせることを仕事とする一団が差し向けられます。影響力が程よく向いている霊の集団です。しかし、諭されてあっさりと手を引くような連中ではありません。まず一笑に付して耳を貸そうとしないものです。

そんな時に重要なのが霊能者自身の判断力です。付きまとわれて、これは低級霊の仕業だと覚って無視する態度に出ると、そのうち霊の方も諦めます。

高級霊ではあまりに格差が大きすぎて、光線のあまりの強烈さに低級霊は目が眩み、恐れをなして退散します。(が、高級霊が去るとまたやってくるために、そこに理解と向上は望めないということ――訳注)

確かに人間は高級霊ほどの霊力を持ち合わせません。波動的にはどちらかというと低級霊に近いのですが、だからこそ低級霊への影響力を行使しやすいということが言えるのです。人間の努力で邪霊が目を覚まし、向上の道を歩み始めるのを見て、高級霊は天界と地上界の間の連帯関係を一段と明確に認識して喜ぶものです。

人間が霊に対して優位に立つか否かは霊性の発達程度で決まります。その意味で、高級霊に影響を行使することはできません。まだ霊界の高い界層まで至っていないが高潔で愛に満ちた霊に対しても、やはり行使できません。が、霊性の発達程度が劣る霊に対しては、その影響力でもって向上の道へ誘(いざな)うことは必ずできます。」


――肉体的に憑依された場合、それが精神異常に発展することがありますか。


「あります。原因が世間一般に知られていないもので、(脳の機能障害からくる)いわゆる精神病とは異なる異常を来します。精神病と呼ばれているものの中には低級霊のとりこになっているに過ぎないものがあり、これはその霊を諭して向上の道へ導いてやる以外には治療法はありません。それを薬の投与といった物理的な治療法しか講じないために、本当の精神病になってしまうのです。

地上の医師がスピリチュアリズムの思想を正しく理解すれば、その二種類の異常の違いが区別できるようになるでしょう。すると当然これまでよりも多くの患者を治すことができるはずです。」


――スピリチュアリズムには危険性があると勝手に思い込み、それを防ぐには霊界との交信を止めさせるしかないと信じている者がいますが、どう理解すればよいでしょうか。


「霊界との交信を求めている者を止めさせることはできるでしょうが、突発的に生じる現象を起きなくすることは不可能でしょう。霊が出られないようにすることはできませんし、霊力の行使を阻止することもできないのですから。そういうことを言う人間は、まるで子供が手で自分の目を覆って、誰からも見られないと思っているようなものです。

これほど重大な情報をもたらしてくれるものを、一部の不届きな霊能者の行状だけで止めにすることほど愚かなことはありません。スピリチュアリズムを正しく理解しない者によって生じるそうした迷惑を阻止する方法は、止めにするのではなくて、反対に世間一般に知らしめて正しく理解してもらうことです。」


訳注――仕事柄、私は霊能者・チャネラー・心霊治療家を自称する人々から面会を求められることが多い。中には謙虚そのものの方もいないわけではないが、大抵の人の口から“地球浄化・人類救済”の大任を担わされているとの“大言壮語”を聞かされる。その一端を担わされている人なら大勢いるに違いないが、自分一人が救世主であるかに思い込んでいる人が多い。そういう人は一種の憑依状態にあることが、本章を訳しながら理解がいった。

スピリチュアリズムというのは地球浄化の大事業そのものであるが、その計画は神界で立てられ、霊界で準備され、幽界の浄化に始まって十九世紀半ばになって地球圏にまで波及してきたもので、やっと緒についたばかりである。幽界の浄化の様子はオーエンの『ベールの彼方の生活』に生々しく描写されているが、幾百幾千とも知れぬ地縛霊(の状態から脱しかけたばかりの未浄化霊)を引き連れて地球圏から引き上げてくる集団に出会った話などを訳しながら私は、「地上の人間一人のすることなんかたかが知れてる!」と叱るような口調でおっしゃった恩師の間部詮敦氏の言葉を思い出したものだった。霊界では地上より遥かに大きな規模で救済運動が進行していることをご存じだったのである。だからこそ偉ぶった言動がみじんもなかったのである。

この“憑依”についてカルデックが三つのカテゴリーにまとめたものを訳しながら、年来のおぼろげな理解が鮮明になる思いがした。とくに印象的なのは、邪霊集団が人間に悪さを画策していると、それを思い止どまらせることを任務とする霊団が差し向けられるということで、それが不首尾に終わると、後は霊媒や霊能者のモラルの感覚に全てが掛かってくるという。私のもとへ大言壮語をしに来る者は、すでに“幻惑”される状態にまで進行しているのであろう。

ところで憑依の問題を扱ったもので忘れてならないのはカール・ウィックランドの『迷える霊との対話』であろう。その中でウィックランドは、遊び半分でプランセットなどで受信しているうちに憑依され、発狂状態になった例や、幸せそのものの家庭を羨んだ霊に憑依されて母親が発作的に首つり自殺した話などを挙げて注意を喚起している。本章の一問一答を訳しながらそのことを思い出したが、本章で触れられていないタイプの憑依現象として、迷い歩いているうちに人間のオーラに引っ掛かり、それが進行して、その霊の欲求や思念が脳に反応するようになり、いわゆる二重人格・多重人格になってしまうというケースがある。憑依されやすいタイプの場合には十人、十五人と、信じられないほどの数の霊がオーラに入り込んでいることがある。そういうタイプの憑依もあることを知っておく必要があろう。

シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch 

 Edited by A.W. Austen



二章 死は第二の誕生
 
 シルバーバーチは〝死〟を悲しむべき出来ごととは見ていない。それどころか、より大きな意識、より広い自由、潜在意識をより多く表現できる機会(チャンス)を与えてくれる、喜ぶべき出来ごとであると説く。

 「この交霊会も死が幻影であることを証明する機会の一つです。すなわち死の淵を霊的知識で橋渡しをして、肉体という牢獄を出たあとに待ち受ける充実した新たな生活の場の存在を紹介するために私たちはこうして戻ってきているということです。

何でもない、実に簡単なことなのです。ですが、その簡単なことによって、これまでどれほど意義ある仕事が成し遂げられてきたことでしょう。

手を変え品を変えての普及活動も、結局は古くからの誤った認識を駆逐するためにその簡単な事実を繰り返し繰り返し述べているにすぎません。その活動によって今や霊的知識(スピリチュアリズム)への抵抗が少しずつ弱まり、橋頭堡が少しずつ広がりつつあります。

われわれの活動を歯牙にかけるに足らぬものと彼らが多寡をくくっていたのも、つい先ごろのことです。それがどうでしょう。今やあなた方の周りに、崩れゆく旧態の瓦礫が散乱しております。

 私たちは施設はどうでもよいのです。関心の的は人間そのものです。魂と精神、そして両者を宿す殿堂としての身体───これが私たちの関心事です。人間も神の一部であるが故に永遠の霊的存在である───この単純にして深遠な真理に耳を傾ける人すべてに分け隔てなく手を差しのべんとしているのです。

実に単純な真理です。が、その意味するところはきわめて深長です。いったんこの真理の種子が心に宿れば、大いなる精神的革命をその人にもたらします。

 皆さんはよく、かつての偉大な革命家を鼓舞したのはいったい何であったかが分からないことが多いとおっしゃいます。しかし人間の思想を一変させるのは、何気なく耳にする言葉であることもあります。ほんのささやき程度のものであることもあります。

一冊の書物の中の一文であることもあります。新聞で読んだたった一行の記事である場合だってあります。私たちが求めているのも同じです。単純素朴なメッセージによって、教義でがんじがらめとなった精神を解放してあげ、自らの知性で物ごとを考え、人生のあらゆる側面に理性の光を当てるようになっていただくことです。

古くからの教えだから、伝来の慣習だからということだけで古いものを大切にしてはいけません。真理の宝石、いかなる詮索にも、いかなるテストにも、いかにしつこい調査にも耐えうる真理を求めなくてはなりません。

 私の説く真理を極めて当たり前のことと受け取る方がいらっしゃるでしょう。すでにたびたびお聞きになっておられるからです。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮さまざまな発達段階にある人類を相手にしていることですから当然のことです。

私の述べることがどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定する方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人とみなされている人種の言っていることだということで一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし真理は真理であるが故に真理であり続けます。

 あなた方にとって当り前となってしまったことが人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神と繋がっている───私たち霊団が携えてくるメッセージはいつもこれだけの単純な事実です。

神とのつながりは絶対に切れることはありません。時には弱められ、時には強められたりすることはあっても、決して断絶することはありません。人間は向上もすれば堕落もします。神の如き人間になることもできれば動物的人間になることもできます。

自由意志を破壊的なことに使用することもできますし、建設的なことに使用することもできます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。

 こうした真理は教会で朗唱するためにあるのではありません。日常生活において体現して行かなくてはなりません。飢餓、失業、病気、スラム等々、内に宿す神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすことにつながらなくてはいけません。

 私たちのメッセージは全人類を念頭においております。いかなる進化の階梯にあっても、そのメッセージには人類が手に取り理解しそして吸収すべきものを十分に用意してあります。人類が階段の一つに足を置きます。すると私たちは次の段でお待ちしています。

人類がその段まで上がってくると、また次の段でお待ちします。こうして一段また一段と宿命の成就へ向けて登って行くのです」

 別の交霊会で、肉親を失ってその悲しみに必死に耐えている人に対してシルバーバーチがこう述べた。

「あなたの(霊の世界を見る)目がさえぎられているのが残念でなりません。(霊の声を聞く)耳が塞がれているのが残念でなりません。その肉体の壁を超えてご覧になれないのが残念でなりません。あなたが生きておられる世界が影であり実在でないことを知っていただけないのが残念でなりません。

あなたの背後にあって絶え間なくあなたのために働いている霊の力をご覧にいれられないのが残念でなりません。数多くの霊───あなたのご存じの方もいれば人類愛から手を差しのべている見ず知らずの人もいます───があなたの身の回りに存在していることが分かっていただけたら、どんなにか慰められるでしょうに。地上は影の世界です。実在ではないのです。

 私たちの仕事はこうした霊媒だけを通して行っているのではありません。もちろん人間世界特有の(言語によって意志を伝える)手段によって私たちの存在を知っていただけることをうれしく思っておりますが、実際にはその目に見えず、その耳に聞こえずとも、あなた方の生活の現実に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、あなた方の性格を伸ばし、魂を開発しております。そうした中でこそ(死後の生活に備えて)霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘うことが出来るのです」


 ある年のイースタータイム(※)シルバーバーチは〝死〟を一年の四季のめぐりに見事になぞらえて、こう語った。

(※イースターはキリストの復活を祝う祭日で、西洋ではクリスマスと並んで大々的に祝う。その時期は国によって少しずつズレがあるが、当日をイースターサンデー、その日を含む週をイースターウィーク、五〇日間をイースタータイムという───訳者)

 「四季の絶妙な変化、途切れることの無い永遠のめぐりに思いを馳せてごらんなさい。全ての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そしてまた次の春までの眠りに具えて自然が声をひそめはじめる秋。

 地上は今まさに大自然の見事な顕現───春、イースター、復活───の季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりの中で安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命がいっせいに地上へ顕現する時期です。

間もなくあなた方の目に樹液の活動が感じられ、やがてつぼみが、若葉が、群葉が、そして花が目に入るようになります。地上全土に新しい生命の大合唱が響きわたります。

 こうしたことから皆さんに太古の非文明化時代(※)において宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知っていただきたいのです。彼らは移り行く大自然のドラマの星辰の動きの中に、神々の生活───自分たちを見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。

自分たちの生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節としてもっとも大切にいたしました。

(※シルバーバーチは文明の発達そのものを少しも立派なものとは見ていない。それによって人類の霊的な感覚がマヒしたとみており、その意味でこの表現に〝野蛮〟と言うイメージは込められていない───訳者)

 同じサイクルが人間一人ひとりの生命においても繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人ひとりの魂において展開しているのです。まず意識の目覚めとともに春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰えはじめる秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。しかし、それですべてが終りとなるのではありません。それは物的生命の終りです。

冬が終わるとその魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。この教訓を大自然から学び取ってください。そしてこれまで自分を見捨てることの無かった摂理はこれ以後も自分を、そして他のすべての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信して下さい」

 スピリチュアリストとして活躍していた同志が他界したことを聞かされてシルバーバーチは───

 「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後にたどる道をより明るく飾ることをなさいます。

 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界ではまた一人物質の束縛から解放されて、言葉で言い表せない生命のよろこびを味わいはじめる魂を迎えて、うれし涙を流します。

私はいつも〝死〟は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮せずに終わった内部の霊性を発揮する機会(チャンス)に満ちた世界での生活を始めたことを知って喜んでいることを説いております。

ここにおいでの方々は、他界した者が決してこの宇宙からいなくなったのではないとの知識を獲得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及のために奮闘している吾々を援助してくれているということです。

 その戦いは地上のいたるところで日夜続けられております───霊の勢力と醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一時は後退のやむなきにいたり、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のおかげで勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進しつづけます。

いずれあなた方もその戦いにおいて果たされたご自分の役割───大ぜいの人々の慰めと知識を与えてあげている事実を知って大いなるよろこびに浸ることになりましょう。

今はそれがお分かりにならない。私たちと共に推進してきた仕事によって生きるよろこびを得た人が世界各地に無数にいることを今はご存じでありません。

 実際はあなた方はこうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、なるほどと得心がいき心の傷と精神の疑問と魂の憧憬の全てに応えてくれる真実を求めている飢えた魂にとって、何ものにも替えがたい宝となっております。

太古の人間が天を仰いで福音を祈ったごとくに、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新たなしるしを求めて天を仰いできました。

そこで私たちがあなた方の協力を得て真実の知識をお持ちしたのです。それは正しく用いさえすれば必ずや神の子すべてに自由を───魂の自由と精神の自由だけでなく身体の自由までももたらしてくれます。

 私たちの目的は魂を解放することだけが目的ではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることにも努力しております。

つまり私達の仕事には三重の目的があります───精神の解放と魂の解放と身体の解放です。そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと取越苦労性の人たちから、そう何もかもうまく行くものでないでしょうといった反論に会うであろうことは私もよく承知しております。

しかし、事実、私たちの説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くのものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても私たちの説く霊的真理の適用できない側面はありません。

 挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差しのべ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住居を提供するという、

こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いている時、それは実は私たち霊の世界からやって来る者の仕事の一部でもあることを知っていただきたいのです。

その種の俗世的問題から超然とさせるために霊的真理を説いているのではありません。霊的な真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱くようでなければなりません。その真理にいかなる名称(ラベル)を付けようと構いません。

政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル───どれでもお好きなものを貼られるのがよろしい。それ自体なんの意味もありません。大切なのはその真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」


 そして最後に〝死〟にまつわる陰湿な古い観念の打破を説いて、こう述べた。

 「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私たちはこうした形で週に一度お会いして僅かな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し接触を深めていく上で役に立っております。毎週毎週あなた方の霊そのものが霊的影響力を受けて、それが表面へ出ております。

その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。また、こうしたサークル活動はあなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも役立っております。人間にはこうしたものが是非とも必要です。

なぜなら人間は毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしているうちに、つい、その物的なものが殻に過ぎないことを忘れてしまいがちだからです。それは実在ではないのです。

 鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているに過ぎません。身体が人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現するための道具に過ぎません。

その身体はあなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全宇宙を支えている生命力、全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠のめぐりを規制し、全生命の生長と進化を統制し、太陽を輝かせ星をきらめかせている大霊の一部なのです。

その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。

程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。それはあらゆる物的概念を超越した存在です。すべての物的限界を超えております。あなた方の想像されるいかなるものよりも偉大なる存在です。

あなたはまさに一個の巨大な原子───無限の可能性を秘めながらも今は限りある形態で自我を表現している原子のような存在です。

身体の内部に、いつの日かすべての束縛を押し破り、真実のあなたにより相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。そうなることをあなた方は死と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。

それは相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。

 しかし死は生命に対して何の力も及ぼしえません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼすことはできません。物的なものは所詮、霊的なものには敵わないのです。

もしあなたが霊眼をもって眺めることができたら、もし霊耳をもって聞くことができたら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることができたら、肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で意気揚々として、うれしさいっぱいの蘇った霊をご覧になることができるでしょう。

 その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに涙を流してはいけません。

よろこんであげるべきです。そしてその魂が真の自由を見出したこと、いま地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在力を開発すれば同じ自由、同じよろこびを味わうことができることを知ってください。

死の意味がお分かりになるはずです。そして死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎないことを得心なさるはずです。

 他界してその自由を味わったのちに開発される霊力を今すぐあなた方に身を持って実感していただけないことは私は実に残念に思います。しかしあなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇を無くすることができます。

人類はもう、何世紀も迷わされ続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途を辿っております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」
       
     

Sunday, May 3, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




12章 霊能者のモラルの問題

訳注――ここで“霊能者”と訳したのは英文版では前章までと同じmedium(ミーディアム)である。これを“霊媒”と訳さなかったのは、日本では霊媒という用語は、物理現象や自動書記ならびに霊言現象における“入神(トランス)霊媒”というニュアンスが定着していて、本章のように同じくミーディアムでも霊視・霊聴・霊感といった主観的霊能を使用する人にも当てはまる内容には“霊媒”では不適切と判断し、限定的に用いるにとどめた。また、人格・識見を兼ね備えた優れた霊能者を“霊覚者”と呼ぶことにしていることも理解していただきたい。


――霊的能力の発達は霊能者自身のモラルに掛かっているのでしょうか。


「そうとは言えません。厳密に言うと、元来、霊的能力は体質に係わる問題であって、モラル的要素とは無縁です。しかしその霊能をいかに使用するかの問題になるとモラルの面が出て来ます。最終的にはモラルの高い低いが霊媒現象の質を決定づけます。」


――霊能は“大霊からの贈り物”と言われますが、そうであれば立派な人だけが授かればよいのに、中にはどうみても不似合いと思える人、つまり霊能の使い道を間違っている人がいるのはなぜでしょうか。


「才能はすべて神の恩寵として感謝すべきものです。あなたの言い分は、神はなぜ悪人に良い視力を与えるのか、なぜペテン師に鋭い勘を与えるのか、人を口車に乗せるのがうまい者になぜ流暢な弁舌を与えるのかとおっしゃっているようなものです。

霊能についても同じことが言えます。相応しくないと思える人が霊的能力に恵まれていることがよくありますが、それはその人にとって必要だからであって、それを使用することによって人間的に向上することを目的として授けられているのです。大霊が邪悪な人間には更生の手段を与えないということが有り得るでしょうか。その逆です。少しでも進歩すると、さらに多くの手段を用意なさいます。その手にしっかりと持たせるのです。

ですから、才能というのは、まずは当人がその恩恵に浴するためのものなのです。」


――その霊能の使用を誤った時は、それ相当の報いがあるのでしょうか。


「倍の報いを受けます。普通の人より多くの啓発の手段を授かっているからです。目が見えるのに道を間違える人は、目の見えない人が溝に落ちるのとは別の次元の裁きを受けます。」


――自動書記霊媒の中には同じテーマ、たとえばモラルの問題やその霊媒の短所に関連した通信が繰り返し綴られる者がいますが、何か特別な意図をもって行われているのでしょうか。


「そうです。繰り返し言及されているテーマについて当の霊能者を啓発し、短所を改めさせようという意図があります。霊団側はその目的のもとに、ある霊能者には自尊心について、別の霊能者には慈悲心について説きます。おのれの欠点に目覚めさせるために警告と忠告を繰り返しておく必要がある、そういう性癖をもった霊能者がいるものです。

野心や我欲のために才能を悪用する者、あるいは自惚れ、独善、軽率さといった欠点によって、せっかくの霊能を台なしにしかねない者には、霊団から折あるごとに警告が発せられます。が、残念なことに、そうした霊能者ほど自分には関係ないと思うものです。」


――しかし、霊能者自身のためという意図はなしに、一般的な戒めとして、その霊能者を通して授けている場合もあるのではないでしょうか。つまり一般人への教訓の道具として霊能者を使っているという場合です。


「もちろんです。我々霊界側としては、霊能者を媒介として届ける以外に方法のない人々のためを意図して忠告することがよくあります。もちろん取り次ぐ者がそれを自分への警告として受け止めることもあるでしょう。原則として霊的能力はその霊能者本人の霊性の向上だけでなく、人類一般の啓発のために授けられるのですから、ただ今のご意見はまさにその通りです。

我々は霊能者をあくまでも“道具”と見なし、道具として大切にしますが、決して他の一般の人々より特別に扱うわけではありません。従って体質的に霊的教訓の通路として役立つと見た時は、どの霊能者でも利用します。が、それも現段階での話です。いずれ人類が進化して優れた霊能者が続々と輩出するようになれば、体質だけで選ぶことはなくなり、精神的・道徳的に霊性の発達した霊能者を選ぶようになるでしょう。」


――霊能者の徳性の高さが低級霊を近づけなくしているとすれば、間違いなく徳性が高いと思える霊媒を通して信の置けない愚劣なメッセージが届けられたりするのはなぜでしょうか。


「間違いなく徳性が高い、とおっしゃいますが、あなたは霊能者の魂のすみずみまでお見通しなのでしょうか。邪悪性はないとしても、まだまだ軽薄さのような欠点が残っていることがあるものです。その意味でも常に反省を怠らぬように、こちらから時おり警告を発する必要があります。」


――優れた霊能を有し、従って大きな貢献をする可能性のある人が誤った道へ外れて行くのを、高級霊はなぜ許すのでしょうか。


「霊団側としては、あらゆる種類の霊能者に正しい道を歩ませるべく指導します。が、それに耳を傾けず、堕落の道を歩み続ける者には見切りをつけます。そして、霊能そのものは劣っても、少しでも徳性の高くある者を、渋々ですが、使用します。それ以上の人材が見当たらないのですから、やむを得ません。偽善者を通して真理が正しく伝えられることは有りません。」


――モラルの感覚に欠ける霊媒を通して高等な通信が得られることは、絶対にありませんか。


「そういう霊媒でも、能力的に良いものを持っていれば、今も述べた通り、他にこれといった人材がいないという特殊事情にかんがみて、取りあえずその者で間に合わせます。が、そのうち他に適切な霊媒が見つかれば、すぐに見捨てます。」


編者注――注目すべき事実として、高級霊団は霊能者が道徳的に堕落して低級霊の餌食になり始めたら、必ずといってよいほど、大きな事件を持ち上がらせてその過ちを暴くことをする。真面目な求道者がその霊能者に騙されないようにとの配慮からである。高級霊になると、いかに霊能が優れていようと、それには代えられないという見方をするようである。


――では完全な霊覚者とはどういう資質を有するのでしょうか。


「完全? ああ、残念ながらこの地上には完全なものは存在しません。もし完全だったら、この世には存在しないでしょう。“まっとうな”霊能者とでも呼びましょうか。いや、それでもまだ言い過ぎでしょう。まっとうな霊能者にも滅多にお目にかかれません。“完全な”霊覚者だったら邪霊集団も騙そうという考えすら抱かないでしょう。地上で求められる最高の霊覚者としては、常に高級な善霊との親和関係を保ち、せめて邪霊に騙されることが滅多にない者といったところでしょう。」


――善霊との親和関係を保っていてもなお騙されることがあるということでしょうか。なぜでしょうか。


「いかに優れた霊能者であっても、高級霊があえて騙されるに任せることがあるのです。洞察力を試すためであり、また、真実と虚偽との見分け方を教えるためでもあります。さらには、いかに優れているといってもどこかに欠点があるわけですから、邪霊のつけ入るスキは必ずあるものです。そこで時おり痛い目に遭わせるのです。

時おり他愛もない通信を受け取るのは、決して油断はならぬとの警告であり、自惚れさせないためです。手回しオルガンの奏者がいくら良い曲を聞かせても自慢にはならないのと同じで、いくら高等な通信を受け取っても自分が偉いわけではないのですから。」


――高等な霊界通信を受け取るための最適の条件とはどんなことでしょう?


「動機にやましい点がないこと、我欲と高慢がないこと。この二つが必須の条件です。」


――高級霊からの通信がそんなに厳しい条件のもとでしか入手できないとなると、霊的真理の普及の障害となるのではありませんか。


「そんなことはありません。求める者には必ず光が与えられます。取り払うべき地上の闇は不純な心から生まれたものです。高慢と貪欲と無慈悲をなくすことです。そうすれば、格好つけた交霊会など開かなくても、善霊は光明へ導いてくれます。

霊能者に恵まれないまま真理の光を求めている人々には、自分自身の理性を頼りとして大霊の無限の霊力と叡智を学ぶように告げてあげてください。その真摯な求道心はいつかは最高の証しを生み出し、必ずや高遠の世界からの援助にあずかることでしょう。」

シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch 
 Edited by A.W. Austen


巻頭言

 あなたがもしも古き神話や伝来の信仰をもって足れりとし、あるいはすでに真理の頂上を極めたと自負されるならば、本書は用はない。が、もしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めてやまぬものであることをご存知ならば、ぜひお読みいただいて、世界のすべての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出して頂きたい。

 そこにはすべての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠の霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明りを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。

その中にはあなたの理性を反発させ、あなたの知性を侮辱するものは何一つない。なぜなら、すべては愛の心と奉仕の精神から生まれたものだからである。
シルバーバーチ


 
まえがき  (編者)

 本書はほぼ一世紀前に(※)霊界において開始された大々的布教活動───すべての宗教の教義の下に埋もれてしまった必須の霊的真理を掘り起こし、その本来の単純素朴な形で地上に蘇らせる活動の一環として出版されるものである。

世界各地で催されている交霊会(ホームサークル)において、民族を異にする霊媒を通じて働きかけている支配霊たちが目的としているのは、人間に霊的実在を教え霊的叡智を授けることによってお互いがお互いのための生活を送り、そうすることによって同胞精神に満ちた新しい世界を招来する一助となるように導くことにある。
  (※一八四八年のスピリチュアリズムの勃興をさす───訳者)

 本書に収められているのは世界的に敬愛されている古代霊からの教訓である。その名をシルバーバーチというが、これは本名ではない。いま彼が所属している世界では名前はどうでもよいのだといって明かそうとしないのである。が、いつかは明かす日が来ることを約束している。


(※)それまでは私も語られた言葉だけで彼がいかなる人物であるかを判断することで満足するとしよう───誰が語っているのかは分からないままそのメッセージを受け入れていくことにしよう。

(※一九八一年バーバネルの死によってそれも果たされないまま終わった。いつかは明かすと言ったは、明かしてもよい時期が来たら明かすという意味で言ったのであろう。が現実にはシルバーバーチという人物像が強烈となるにつれて地上では誰だったのかという興味が次第に薄れ、そのせんさくが無意味に思われるようになっていったというのが実情である───訳者)


 過去九年間ほぼ週に一回の割でこの霊のメッセンジャー(使い)の入神談話を速記してきて───彼は自分のことを上層界の神霊によって派遣されたメッセンジャーに過ぎないと言い、功績を自分のように言われるのを嫌うが───私はシルバーバーチを高貴な個性と明確な視野と表現の流暢さとを兼ね具えた高級神霊の一人として尊敬するようになった。

 冷やかな活字では彼の言葉の温かさ、サークルに出席して個人的に接した者が肌で感じ取る情愛を伝えることはできない。一度も交霊会に出席したことがなく活字によってのみシルバーバーチを知る者には、直接(じか)にその声を耳にしているメンバーほどには彼の人類を思いやる心は感じ取れない。

 われわれメンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーとまったく変わらない実在の人物である。

彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌めることはしない、しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。
 
援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があればいかなる労苦もいとわず、いかに難しい説明も試みてくれる。

 初めて出席した招待者が礼を述べると、シルバーバーチはきまって、礼は神に述べなさいと言う。そして〝私は一介の僕に過ぎず、礼を述べていただくわけにはまいりません。

すべては神へ捧げるべきです〟と述べる。と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者たちによって影が薄くなってしまっている。

したがって我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それは何時かはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、ついには本来の使者を台無しにしてしまいかねないというのである。

その本来の使命は各自が自分の力で神との直接の繋がりを待つべきであり神保者(※)は無用であることを教えることにある。 (※キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者───訳者)



シルバーバーチの祈り

 これまでシルバーバーチが述べた祈りの言葉は数知れないが、表現はさまざまでもその趣旨に本質的な違いはない。大別すると、開会に際して成功を祈るもの Invocation と閉会に際しての感謝の祈り Benediction とがある。それぞれの典型的なものを紹介する。


○ Invocation

 神よ、私どもはあなたの測り知れぬ愛、限りなき叡智、尽きることなき知識、果てしなき顕現の相をどう説き明かせばよいのでしょうか。永きにわたってあなたを誤解し間違った信仰を抱いてきたあなたの子等にどう説けば、あなたを正しく認識できるのでしょうか。

あなたは決して無知な人間が想像する如き嫉妬深い、横暴な方ではございません。又残忍にして復讐心を抱き、血に飢え、えこひいきをし、選ばれし者のみを愛する方でもございません。

 あなたは全生命の大霊におわします。その息吹が創造を生み、そのリズムが永遠なる宇宙のあらゆる相、あらゆる動き、あらゆる鼓動に表われております。私どもはあなたを完璧なる摂理───絶対に誤らず、絶対に連続性を失うことのない法則として啓示せんものと努めております。

物的世界のみならず霊的世界の最奥をも含む全生命活動を支えるあなたの法則に断絶はあり得ないのでございます。宇宙間の何一つとしてあなたを超えて存在するものは有り得ないのでございます。

なぜならあなたは全存在の中に存在しておられるからです。しかしあなたの霊は、あなたがあなたに似せて創造された人間的存在において最高の形で表現されております。なぜならば、あなたは人間にあなたの霊、あなたの神性を賦与され、あなたの属性の全てを授けておられるからでございます。最下等の動物的存在の位より彼らを引き上げ、いずれはあなたの創造の大業に参加する権利を与えられたのでございます。

 かくして生まれたあなたとのつながりは、切ろうにも切れない宿命となります。なぜならば人間はあなたの一部であり、それは、あなたも人間を離れて存在し得ないことを意味するからでございます。

すなわち、あなたの霊は彼らの全てをお抱きになると同時に彼らの内部にも存在し、自己犠牲と愛他の生活、慈悲と思いやりの行為、老若男女、そしてまた鳥獣に対しても己れを役立てんとする行為において最高の形で顕現なさっておられます。

理想主義に燃え、迷える者に希望を、疲れし者には力を、暗闇にいる者に光を与えんと努力する者の生活にあなたが顕現しておられると理解しております。

 私どもは幾世紀にもわたって忘れ去られてきた摂理───霊眼を開き霊耳を持って聞き霊力の働きかけに素直に従って霊的感受性を鼓舞された少数の者のみが知ることを得た霊的法則を明かすべく努めております。

それを実践することがあなたへの理解を、宇宙についての理解を、そして全人類についての理解を深めることになる、そうした理法を教え、そこに自己の霊性を高めひいてはそれが同胞の霊性を高めることになり、かくして共にあなたのもとへ少しでも近づかしめる手掛かりを見出すことになるよう願っております。
 
 その仕事のために私どもは、同じく霊界にあって一日も早く地上へ新しい秩序をもたらし、新しい世紀を招来せんとして、あらゆる民族、あらゆる教義、あらゆる国家の人間とも協力する上で吾々と同じ立場を取る無数の霊に呼びかけております。

これこそが私どもの祈り───心から、魂の奥底から湧き出る願いであるとともに、可能なかぎり人のために己を役立てることによってそれを実現せんとする祈りでもございます。

その目標へ向けて私どもは真摯なる気持ちでもって自信を持って邁進いたします。あなたを味方とするかぎり決して挫折はないと信じるが故にほかなりません。なぜならば、あなたの力は、私どもの努力を必要とする場において、常に支え、守り、導き、援助し、指示してくださるからでございます。


 ○ Benediction

 いつもながら私は、ささやかなる勤めを可能ならしめる温かき愛を得て、宇宙の大霊に深い感謝の念を覚えつつ、この場を後に致します。この仕事を開始した当初、私どもは多難な条件のもとで何とか推進するために強烈なる祈念と真剣なる誓願をもって臨みました。今その努力が実りつつあることを私どもはこの上なくうれしく存じます。

 私たちすべての者に存在をお与えくださり、神性とその属性のすべてを宿らせ給いし神よ、どうかこののちも、私どものためにでなく真理のために、そしてその真理をぜひとも必要としている人々のために、より一層の成功を得させ給わんことを。

世界各地で行われておりますこの会と同じ交霊会において、そこがあなたの愛を知る機縁(よすが)となるべく、どうかあなたの霊の御力をこの幾層倍にも顕現なされたく、お祈り申しあげます。

あなたの子等が自分自身の中にあなたを見出し、それを生活の中にて発現せんとの決意に燃え、怖れも悲劇も争いもなく、あなたの豊かな恵みを享受できる世の中において、お互いがお互いのために努力し助け合い、平和と調和と一致協力のもとに生きつつ、あなたの御心を体現していくことになるよう、切にお祈り申し上げます。



     
  一章 シルバーバーチとは何者か

 「私は荒野に呼ばわる声です(※)。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは私のやっていることで判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するにあなた方人間世界における私の仕事が暗闇に迷える人々の心の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです」(※マタイ3・3。世に容れられない警世家、革命家などのこと───訳者)

 これはある日の交霊会でメンバーの一人がシルバーバーチの地上での身元について尋ねた時の答えである。シルバーバーチがインディアンではないこと、本来の高遠の世界と地上との間の橋わたしとして一人のインディアンの幽体を使用しているところの、高級霊団の最高指揮者であるということまでは、われわれにも知れている。が、これまで好奇心から幾度地上時代の実名を尋ねても、まだ一度も明かしてくれていない。

ラベルよりも仕事の成果の方を重んじるのである。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界の一役を担う者として、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。

私のことをいつもマウスピース(代弁者)としてお考えください。地上に根付こうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊の声を代弁しているに過ぎません。私の背後には遠々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意志の統一のもとに、一丸となって協調体制で臨んでおります。

私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとくに彼らも私を使用し、永い間埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘りおこされ無数の男女の生活の中で、本来の場を得つつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」

───でも私達にとって、あなたは単なる代弁者の声では無く実在の人物です。

 「私は別に私には個性がないと言っているわけではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

身分の高いも低いもありません。あるのはそれまでに各自が積み上げてきた霊的成就の差だけです。開発した霊的資質と能力を自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分より恵まれない人のために持てるものを提供する。かくして地上の最低界(※)から天界の最高界に至るまで連綿として強力な霊的影響力の輪がつながっているのです」

(※地獄のこと。地上の人間から見れば他界した者はすべて〝あの世〟の人間、つまり霊界の所属のように考えがちであるが、それは目に見えない存在となったからそう思えるまでのことで、霊的な程度の点ではその大半が地上圏に属しており、霊界側からみれば肉体のあるなしに関係なく〝地上の人間〟であることに変わりはない。

モーゼスの『霊訓』のイムペレーター霊は宇宙を大きく三層に分類し、最下層の煉獄の七つの界の最高界が地上で、次に試練の中間層がやはり七界つづき、その後に真の実在界が存在するという。その究極の到達点はいかなる霊にも知り得ないと述べている──訳者)


───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかし、その完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の交霊界で次のように述べている。

 「私はこれまであなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格を具えた存在であろうとそれはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、できうる限りの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。

 よろしいですか。私は確かに一方では永遠の真理を説き霊力の存在を明かさんとする教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友人でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

どうか、困ったことがあれば、どんなことでもよろしい、いつでもよろしい、この私をお呼びください。もし私にできることであればご援助しましょう。もし私に手出しできないことであれば、あなた方みずからが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の機会にこう語っている。

 「これまでの永い霊界での生活、向上・進化を目指して励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことはすべて、愛の心を持って快く皆さんにお教えしております。

そうすることを神がお許しになると信じるからです。ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方に対していかに情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するにあなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的といたしております。

 私たち霊団の者は功績も礼も感謝も一切求めません。お役に立ちさえすれば良いのです。争いに代わって平和を見ることが出来れば、涙にぬれた顔に代わって幸せな笑顔を見ることができれば、病と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体を見ることができれば、悲劇を無くすことができれば、意気消沈した魂に巣くう絶望感を拭い去ってあげることができれば、それだけで私たちは託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 顧わくは神の祝福のあらんことを。顧わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い、神の愛があなた方の心を満たし給い、その力を得て代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛をよく披瀝する。盛夏を迎え、これでしばし閉会となる最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

 「この会もこれよりしばらくお休みとなりますが、私たちは無言とはいえすぐ側で引き続きあなた方とともにあって、可能なかぎりインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして───ほんの束の間ですが───本当の我が家へ帰られます。その時あなた方は私たちとともに、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰でこうして数々の障壁をのり越えて語り合えるとはいえ、私たちはふだんは物質というベールによって隔てられておりますが、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお持ちする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思ってください。私たちはもっとも身近にして、もっとも親密な存在である、あなた方のために尽くすことによって、神に仕えんとする僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間のあいだ薄明かりの中でしゃべる声ではなく(交霊会では照明を弱くする───訳者)、いつもあなた方の身のまわりにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命に溢れた生きた存在とお考えください。

語る時はこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは間どろこしいかぎりですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼びください。私にできることであれば喜んで援助いたしましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもうよくご存知でしょう。

 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。

森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません。

大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうしたさまざまな形───語りかける声と声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」

 こう述べたあと最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて会を閉じた。

 「私はあなた方が愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。
 
また、あなた方に自分という存在についてもっと知っていただく───つまり(霊的に)いかに素晴らしくできあがっているかを知っていただくべく努力してまいりました。さらに私はあなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。

宗教的儀式のうわべの形式に捉われずに、その奥にある宗教の核心、即ち援助を必要とする人々のために手を差しのべるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方がまずみずから体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。

 私はかつて一度たりとも卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

私は常に人間の理性と知性に訴えるように心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査・探求にも耐えうるものであることを主張してまいりました。

そうした私に世界各地から寄せられる温かい愛念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身して下さるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるよう神に祈りたいと思います。

 間もなく私は会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたび皆さんとお会いできる時を大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでです。決して私という霊が去ってしまうわけではありません。

もしもあなた方の進む道を影が過(よぎ)るようなことがあれば、もしも何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、迷われるようなことがあれば、どうかそれらは実在ではなく影にすぎないことをご自分に言い聞かせることです。羽をつけて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください、あなた方お一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この物的宇宙を顕現せしめ、有機物・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力、恒星も惑星も、太陽も月も生み出した力、物質の世界に生命をもたらした力、人類の意識に霊の一部を宿らせた力、完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大漏らさず経綸しているところの巨大な力、その力はあなた方が見放さないかぎりあなた方を見放すことはありえません。

その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そして、いついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知ってください。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます───ごきげんよう」