Wednesday, October 21, 2026

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



六章 わが子に先立たれた二組の夫婦と語る

 英国空軍に所属していた息子の戦死に心を痛めている夫婦が招待された。ご主人はある新聞社の編集を担当しておられる。夫婦はそれまで幾人かの霊媒を通じて息子との交信を求めてきたが、効を奏していない。そこでご主人がシルバーバーチにこう尋ねた。


───他界した者との交信を求めてあの霊媒、この霊媒とまわり歩くのは良いことでしょうか。もし誰かほかの人がうまく交信に成功したときに、交信のできない霊へのメッセージを託すことは可能でしょうか。

 「私の目には人間の心と魂とが映ります。外部の身体は映りません。苦悩の淵に沈まれたあなたの心は私にはよく分かります。ですから、あなたの心の奥底で動めいているものを私が知らずにいると思ってはいけません。あなたはまさに悲しみのドン底を体験されました。そしてその悲しみを少しでも和らげてくれるものを求めておられます。

しかし、こんなことを申し上げては非情に思われるかもしれませんが、あなたが求めておられるものを叶えられなくしているのは、知らず知らずとはいえ、実はあなたご自身であることを知ってください。

 宇宙には科学の実験室における如何なる分析検査にもひっかからず、化学薬品によってもメスによっても分析できず、しかも、これまで大きさを測定し重量を量り切開できた他のいかなるエネルギーをも超越する力が存在します。

 私が言っているのは愛の力のことです。その愛は全生命の根源であり、宇宙を創造した大霊すなわち神の属性であるがゆえに死滅することはありません。それはまさに生命の息吹でありエッセンスなのです。

この愛さえあれば、縁で結ばれた者どうしはあらゆるハンディキャップ、あらゆる障害、あらゆる妨害を乗り越えて、いつかは必ずお互いを見出し合います。


 息子さんのことはよく存じております。聡明な、まばゆいばかりの青年でした。あなたは今その息子さんのことで心を痛めておられます。が、その息子さんは実は今もあなた方のお側にいるのです。死んでしまったのではありません。生命に満ち溢れた姿で生きておられます。

いつかはその存在を証明することに成功するでしょう。そして傷ついた心を自ら癒すことになるでしょう。どうか私の言うことを素直に信じてください。息子さんは(戦死によって)何の傷害も受けておられません。

精神的能力も霊的能力も全く健全です。そのうちきっと、今だにあなたを取り巻いている濃いモヤを取り除けるようになるでしょう。それを是非とも突き破らねばなりません。

 しかし、それは大変努力のいることです。実に困難なことです。いかに困難なものか、例をあげてみましょうか。私はこうして地上との交信を可能にしてくれる通信網を操るための訓練に二十年以上も費してまいりましたが、今日の地上を取り巻く状況が(戦争のために)あまりに混沌とし、騒乱と険悪さに満ちているために、やむを得ずその繊細な通信網を最小限にしぼって、ようやくこの霊媒との連絡を確保しているのが実情なのです。

 お子さんがあなた方を喜ばせてあげられないのはお子さんが悪いのではありません。地上に近い霊界の下層界における混乱状態のせいであり、それにもう一つ大切な原因として、無理もないこととはいえ、絶対的確証を得ないと気が済まない、あなたのその冷ややかな分析的精神構造があります。

しかし私もお手伝いをします。その内、その悲しみの鈍痛を忘れかけている時があることに気づかれるようになることを、ここで断言しておきましょう。

 胸もはり裂けんばかりの苦悩を味わうのも、愛することを知った者であればこそです。あなたもですよ」と言って奥さんの方を向き、さらに続ける。 「だからこそこうして私たちが戻ってくるのです。私がお届けする知識によって、大ぜいの人々の人生を台無しにしている無知を一掃しようというわけです。

 地上の人々が霊的な摂理を理解し、内部に具わっている霊的資質が自然に発揮されるような自然な生活を送れば、二つの世界の間にかかっているベールが突き破られ、すべての障害が撤去されることでしょう。

その障害はことごとく人間の無知と迷信と偏見とによって拵えられたものばかりなのです。言うなれば闇の勢力です。ぜひとも打ち破って、愛と力と導きと光明がふんだんに地上へ届けられるようにしなければなりません。

 私がいつも知識の普及を口にするのはそのためです。霊的知識こそが、自らを閉じ込めている牢獄から魂を解放する大きな力となるのです。自由と言う名の陽光の中で生きるべきでありながら暗い魂の牢獄の中で暮らしている人が多すぎます。

 あなたもその仕事に参加できます。知識を伝達する機関(新聞社)にお勤めだからです。地上生活の総決算をする時がきたとき、つまり地上に別れを告げて霊の世界へと移られると、誰がするというのでもなく、自家作用によって、自分で自分を裁くようになります。

その時の判断の基準は地上で何を考えたかでもなく、何を信じたかでもありません。世の中のためにどれだけ自分を役立てたかということです。

 私が説いているのは〝人のために〟という福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。改めて説くのもおかしいくらい当たり前のことなのです。ですが、やはり真実です。

 地上世界は単純さという本通りから外れて、ややこしい複雑な脇道に迷い込んでおります。あまりに複雑なものに惑わされて単純な真理が受け入れられなくなっている精神構造の人が大勢います。ですが、単純な真理は単純であるがゆえにこそ強いのです」


 続いて霊界の息子さんのことについて奥さんにこう語った。

 「そのうちお子さんは新しい世界で発見したことが伝えられるようになって、奥さんはその驚異に満ちた話に圧倒されることでしょう。

 ですが、その前にどうか次のことをよく理解してください。冷たいことを言うと思わないでください。本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。

 あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。息子さんは地上にいたときよりずっと幸せなのです。

もう肉体の病に苦しむことがないのです。刻々と蝕(むじば)まれていくということもありません。内部の霊的資質を開発し、それを何の障害に邪魔されることもなく自由に発揮し、それを必要とする人のために存分に役立てることができるのです。

 あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。

ただその手で触わってみることができないだけです。どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。

 死は生命に対してまったく無力なのです。生命はつねに意気揚々としています。愛する息子さんは決してあなたのもとを去ってはいません。むしろ死によって霊的にはさらに身近な存在となっているとも言えるのです。むろん、そのことが今のあなたに理解できないことは私も承知しております。

なぜならあなたは物質の世界に生き、物質の目で見つめておられ、霊の世界の素晴らしい壮観がご覧になれないからです。しかし、いつの日かその物質のベールが取り除かれて霊的な目が開かれれば、あなたも新しい世界の目も眩まんばかりの光輝をごらんになり、人生には完壁な償いの法則があり、すべてが神の摂理によって治められていることを理解されることでしょう。

私も何とか力になってあげたいと思っているのですが、そのためには、あなたと私とは同じ人生を二つの異なった角度から眺めていることを忘れてはなりません」

 ご主人から地上の人間としての心がけについて問われて───

 「私に言わせればそれは至って簡単なことであり、なぜ地上の人間がそれを難しく考えるのか理解に苦しみます。あなたも他のすべての人間と同様に、為すべき何らかの仕事があってこの物質界に誕生してこられたのです。ときには内省の時をもって、果たしてこれが自分にとっての本当の仕事なのだろうか、

世の中を啓発する上で少しでも役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、獲得した霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるだろうか───正直に自分にそう問いかけてみることです。そうすればおのずと答えが出てまいります。

 それだけでいいのです。自分に正直になり、最善を尽くす───それだけでいいのです。宗教的信条や教義などは必要ないのです。自分はいま何を為すべきかを素直に認識するだけでいいのです。その心掛けを日常生活で徹底させれば、決して道を誤ることはありません。この物質界に誕生してきた目的を成就させていることになるのです。

 私たち霊界の者の目には、本当は存在してはならない暗闇の中で生きている何億、何十億とも知れぬ神の子の姿が見えます。荒れ果てたみじめな家屋で空腹と渇きに苦しみながら、生得の権利であり神からの遺産であるところの〝魂の自由〟を奪われた生活を送っております。

 その一方には、己れの飽くなき貪欲を満たさんがためにそうした無数の同胞を虐(しいた)げつづけることに知恵をしぼっている者もいます。そこで私は霊性に目覚めた方々に申し上げるのです───勇気をもって闘いなさい。

あらゆる不正、あらゆる闇、あらゆる横暴、あらゆる不公平と闘いなさい。その人の背後には人間的煩悩から解放された霊の大軍が控え、鼓舞し援助し、決して見捨てるようなことはいたしません、と。

 これが知識を伝達する手段をお持ちの方に私からお願いしていることです。私の言わんとしていることがお分かりですね。為さねばならないことが沢山あります。あなたも含めて、死後存続の確証を得たいと望んでおられる方に申し上げたいのは(確証はおろか)霊的知識にめぐり合う機会すら得られない人が無数にいるということです。

 あなたも私たちと同じ視野に立って地上世界をご覧になることです。そうした無数の人たちが、いずこへ向かうべきかも分からぬまま、疑念と不安を抱きつつ狼狽し、途方に暮れた生活を送っております。道を見失っております。と言って、永年にわたって権威があるかに思ってきた宗教はもはや信じられなくなっております。

暗中模索と挫折の繰り返しです。そこで私たちは考えたのです───良い道具(霊媒・霊能者)さえ用意できれば安心と確信と自信を生み出す知識の光をふんだんに地上へもたらすことが出来るであろう。

そして神が意図された通りの生き方、つまり平和と協調と愛に溢れた生活ができ、神の一部としての霊性が要求するところのものを追及することに勤しむことになるであろう、と」


 もう一組の夫婦は娘を失っていたが、今はもう連絡も取れて得心している。その日の要望は、自分たちだけで霊的交信が持てるようになりたいので、そのためのアドバイスを聞くことであった。趣旨を聞いてシルバーバーチはこう答えた。

 「お二人が今お考えになっていることを実現するのは容易なことではありません。戦争という特殊な情勢が地上と霊界との関係に大きく影響しており、連絡が大変混乱していることをまず認識しなければなりません。ご自宅で交霊会を催そうとしてもなかなかうまく行かないのはそのためです。

 永年の経験を持つ霊媒と強力な背後霊団を控えているサークルにおいてさえ、今は交信が非常に難しくなっております。まして初心者であるあなた方がうまく行かなくても不思議ではありません。

 まず第一に、まだ霊的能力そのものが十分な時間をかけて鍛錬をされておりません。指導と強化がなされておりません。まだこれからという段階です。今の状態で行うと近づいた霊の誰にでも好きに操られてしまいます。それに、霊力を補助してくれるメンバーが足りません」


 「忍耐がいると思っております」と奥さんが言うと、 

 「それもそうですが、メンバーが少なくとも三人以上は必要です。お二人だけでは霊力の相乗効果が十分に出ません。その結果そちら側からドアを開けることができても、そのドアから入ってくるお客さんを整理する力が足りないことになります。すると当然、開けっ放しの入り口からゾロゾロと際限もなくお客さんが入ってきて混乱してしまいます。

そうした点を改めない限り成功は望めないと思います」(その〝成功〟の意味が大切であろう。そうしたお客さんが〝しゃべる〟霊言現象にしても〝書く〟自動書記現象にしても、現象そのものなら簡単に〝成功〟するであろうけど、果たしてその〝通信霊〟が期待した通りの人物なのか、それともイタヅラ霊がそう名のっているに過ぎないのかが問題である。

これには霊媒の霊格と入神の程度、審神者(さにわ)の霊格と体験と直感力が絡んでくるのでそう簡単に片づけられないが、いちばん危険なのは唯々諾々(いいだくだく)として何でも有難く拝聴してしまう安易な好奇心と慢心である─訳者)


 メンバーの一人が「招かざる客が入らないようにするのが支配霊の役目ではないのでしょうか」と聞くと、

 「そうなのですが、そのためにはそれなりのエネルギーを供給してもらわねばなりません」

 「その門番のことですが、どんな責任を負っているのでしょうか」とご主人が尋ねる。

 「門番の仕事は門の番をすることです。ですが、そのためには、入ってほしくない霊を締め出すために必要な〝棚〟をこしらえられるだけのエネルギーを供給してもらわねばなりません。そのエネルギーはあなた方人間からいただくのであり、それが総合されてはじめて威力を発揮するものであることをご存知でしょうか。

出席者一人ひとりから少しずついただいて、それを責任者である支配霊がまとめるのです。そこで霊界側で用意したエネルギーをミックスして交霊会の運営のために使用するのです。

 もし誰かれの区別なく通りがかりの霊にどうぞお入りくださいと言わんばかりにドアを開けっ放しにしておくと、みんな喜んで入ってきます。なぜかと言うと、それは言わば薄暗い場所に明かりを灯すのと同じで、その明かりを見て低級な霊が続々と集まってきます。すると門番も制し切れなくなります。それだけのエネルギーを十分に具えていないからです。

 このサークルではそういう事態は起こりません。何十年も賭けてメンバーを厳選した上でサークルを構成しているからです。それでも、きわめて稀にではありますが、急に邪魔が入って、少しのあいだ中断せざるを得なかったことはあります。ですが、悪だくみを持った者ばかりとは限りません。

いろんなタイプの霊がいるものです。ただ単に地上の人間と話をしてみたいと思う者、好奇心から割り込んでくる者、軽薄な見栄からおせっかいを焼く者など、いろいろです」

 このあとシルバーバーチは、そうした交霊会を開くことを考えるよりも、二人は霊的知識という宝を手にしているのだから、それを知らないまま悲しんでいる同じ境遇の人たちに教えてあげる仕事に精を出すべきであることを説いた。すると哲学に興味を持っているご主人が哲学的な問題を提出した。

  
「宇宙創造の目的についてどういうお考えをお持ちですか。その目的に付随して、なぜこんなに多くの苦痛と邪悪と苦闘とが無ければならないのか、それが分かりません。人類の立場からはそうした目的が理解できないのです」



 「目的はあります。永遠の時の中で成就すべき目的があります。生命は無窮の過去から存在し未来永却にわたって存在し続けます、しかしその生命のたどる道は、一つの頂上をきわめると次の頂上が見えてくるという、果てしない進化の道程です。一つの頂上をきわめるごとにあなたの霊的資質が向上して行くのです。

 鍛錬によって人間は内部の神性が目覚め、より広く、より豊かなものを表現してまいります。地上的なアカが落とされ、霊の純金が姿を現します。これは当然のことながら苦痛を伴わない過程ではあり得ません。が、それも宇宙的機構に仕組まれた一部───比較対照の中で真理に目覚めるように意図された機構の一部なのです。

 苦痛を知らずして健康の有難さを知ることはできません。日蔭を知らずして日向の有難さは分かりません。そうしたことのすべてが、リズムと調和の中で展開する創造活動の一大パノラマを演じているのです。

 人間は永遠の海を当てもなく波に翻弄されているコルクではありません。永遠の創造活動の中の不可欠の存在なのです。自分の努力、自分の行為、自分の生活がそうした永遠の創造過程になにがしかの貢献をしているのです。

神の息吹の一部であり、無限なる霊の一部であり、永遠なる宇宙の一部であり、それが自分を通して働き、雄大なる宇宙的機構に光輝を加えることになるのです」


 「取りあえず私たちにもそれが分かるとしましょう。苦と楽の効用は理解できます。しかし、為になっているとは思えない存在がたくさんあるように思うのです」

 「人間生活のことでしょうか」

 「人間生活もそうですが、とくに小鳥や昆虫のような動物の世界においてです。比較対照という機構を理解するよう要求されても、自分の置かれた苦しい立場からしか見つめることが出来ません」

 「こう申しては失礼ですが、あなたは物事をガラス越しに薄ぼんやりと見つめておられます。真剣ではいらっしゃるかも知れませんが、極めて小さいなレンズで覗いて全体を判断しようとなさっています。

あなたにはまだ永遠の尺度で物事を考え判断することがおできになりません。この途方もなく巨大な宇宙の中にあって、ほんの小さなシミほどの知識しかお持ちでないからです。しかし今、それよりは少しばかり多くの知識を私たちがお授けしているわけです。

 少しだけです。全知識をお授けしましょうとは申し上げません。それは私たちも持ち合わせていないのです。私たちはあなた方地上の人間より少しばかり多くの知識を手にしているだけです。あなた方より少しばかり永い生活体験があるからにすぎません。

あなた方がこれから行かれる世界、私たちが本来の住処としている世界において、自然法則の仕組みと働きのいくつかを見てきているからです。

 その体験と、私たちよりさらに多くを知っておられる上層界の方々から教わったことを土台として私たちは宇宙人生の計画と目的について一段と明確な認識を得ております。そこに完璧な摂理の働きを見ております。

自然の摂理です。手落ちということを知らない法則、絶対に誤ることのない法則、極大から極小にいたるまでの宇宙間の全存在の全側面を認知し、何一つ無視することのない法則、すべてを包括し、すべての活動に責任を持つ法則です。

 私たちはその法則の完璧さに驚嘆しております。絶対に誤ることが無いのです。そして私たちは、これまでに明かしていただいたその完璧さゆえに、愛と叡智と慈悲によって育まれた完全な計画の存在を知り、現時点で理解し得ないこと、まだ明かしていただいていない側面もまた、同じく完璧な法則によって支配されているものと確信しております。そう確信するだけの資格があると信じるのです。

 その法則が構想においても働きにおいても完璧であるからには、当然その中に人間的な過ちに対する配慮も用意されているに決まっております。埋め合わせと懲罰が用意されております。

邪悪の矯正があり、過ちと故意の悪行に対する罰があり、何の変哲もなく送った生活にもきちんとした裁きが為されております。私から申し上げるのはそれだけです。

 私から申し上げられるのはそれだけです。私がこれまで送ってきた(三千年にわたる)生活において〝自分は神の法則によって不当に扱われている───不公平だ〟と真剣に言える者を一人も知りません。私の知るすべての者が神の永遠の公正はその規模において無限であり、その適用性において完全であることを認めております」


 「霊界にも時間があるのでしょうか。それから、ある事が行われなくなって霊が困るというようなことがありますでしょうか」

 「地球と接している幽質の界層を超えてしまうと、あなた方が理解しておられるような時間は存在しなくなります。こちらの世界は地球の自転とは何の関係もありません。昼もなく夜もなく、季節の変化もありません。地上世界で使用されている意味での時間はありません。

太陽は見たところ昇ったり沈んだりしていますが、こちらにはそういうものはないのです。以上が最初のご質問に対する答えです。二番目のご質問はよく分かりませんでした。もう少し分かりやすく述べてください」


 ここで代わって奥さんが「定期的に開かれているサークルを中止したら娘が残念がるかということです」と言うと───

 「それに対しては〝イエス〟という答えしかないでしょう。ですが、次のことを知っていただかねばなりません。私もあなた方の世界のことは少しばかり体験しており、いろいろと難しい面があることを理解しておりますが、そうした中で、忙しい時間のいくばくかを割いて、背後霊との霊的な交流を持つことを心掛けてくださると、背後霊はとても助かるということです。

そして、これは何度も申し上げていることですが、背後霊とのつながりを求め、たとえ表面的には何の反応もなくても、霊的には必ず何かが起きているものです。

 ですから、たとえばテーブルも何も用いずに何分間か、ただお二人で座って黙禱するというだけでもいいのです。言葉に出すのもいいかもしれません。が、それも必ずしも必要ではありません。心を空にして穏やかな気持ちの中で精神を統一するだけで十分です。

 その統一状態の中で霊の力が働くのです。そうした静かな精神状態というのが、物的生活に振り回されている騒々しさに一時的なストップをかけることになります。そのわずかな時間を霊性の開拓と、自宅内での霊的存在の認識へ向けたことになります。

 地上の人間は静かな精神状態を持つことの効用を十分に認識しておりません。私がよく申し上げているように、あなた方にとって無活動の時が私たちにとって活動の時なのです。あなた方が静かに受身の心でじっとしている時が私たちにとって一番近づきやすいからです。

 今お二人がお嬢さんをごらんになられたらびっくりなさいますよ。どんどん大きくなっておられます。今ではもうお二人が知っている曽てのあの少女ではありません」

 「成長したのだなあと思うことがあります」と母親が言う。すでに何人もの霊媒を通じていろいろと証言を得ているからである。


 「もちろんご両親への愛は変わっていませんよ。それが一ばん大切なのです」

 最後に二人がシルバーバーチに礼を言いかけると、いつものようにこう述べた。

 「私が言ったからといって何もかも信じることはありません。私だって間違ったことを言っているかもしれません。あなた方にとって成るほどと得心のいったことだけを受け入れてくださればいいのです。これは私がいつもお願いしていることです。

 あなた方は私たちに手を貸し、私たちはあなた方を援助するという形で、お互い協力し合いながら宇宙の真理を究めていくのです。お互いがお互いから学ぶことが沢山あります。誰一人として間違いを犯さない者はいませんし、全能者ではないからです。私たちだってみな人間的存在です。永遠の道を旅する巡礼者なのです」

シルバーバーチの霊訓(七)

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Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



五章 懲罰と報復───大戦が終わって

 ヨーロッパの戦乱が終結して間もないある日の交霊会で、「敗戦国の人々に対して霊的真理をどう説かれますか」と問われて、シルバーバーチは次のように語った。(訳者注──第二次大戦で枢軸国と呼ばれた日・独・伊三国のうち、まず独伊が降服し、それから二ヶ月後に日本が降服したので、この交霊会はその間つまり一九四五年六月から八月の間に開かれた計算になる)


 「真理は真理です。その本質は永遠に変わることはありませんが、そのバリエーション(質・程度・適用性などの変化・変異)は無限です。大衆に一度に理解してもらえるような真理を説くことはできません。一人ひとりが異なった進化の段階にあり、同じ真理に対して各人各様の反応を示すものだからです。

 私はつねづね、神の計画は一度に大勢の人間を目覚めさせることにあるのではないことを説いてまいりました。そういうやり方では、永続性のある効果は期待できないからです。いっときの間は魔法をかけられたようにその気になっても、やがて必ず反動が生じ、群集心理から覚めて個人としての意識が戻ると、しばしば後悔の念とともに現実に目覚めるものです。

 それではいけません。私たちの計画は個人を相手として、一人ひとりその霊的需要度に応じて真理を授けることにあります。大ていの場合、地上でもっとも縁の強かった人からのメッセージで確信を植えつけます。それによって確立された信念はいつまでも持続し、いかなる人生の嵐に遭っても、いかなる痛打を受けても挫けることはありません。

 ですから、大勢の人を一度に目覚めさせる方法はないのです。少なくとも満足すべき結果を残させる方法はありません。

 忘れてならないのは、真理を理解するには前もって魂に受け入れ態勢が出来上がっていなければならないということです。その態勢が整わないかぎり、それは岩石に針を突きさそうとするようなもので、いくら努力しても無駄です。

魂が苦しみや悲しみの体験を通じて耕されるにつれて岩石のような硬さが取れ、代わって受容性のある、求道心に富んだ従順な体質が出来上がります。

 しかし、敗戦の苦しみの中におかれた人々へのメッセージが一つだけあります。何ごとも自分の理性に訴え、自分の道義の鏡に照らして行動しなさいということです。動物時代の名残りを呼び覚まされて、目には目を歯には歯をの考えで臨んでもラチはあかないということです。

 苦難の代償はそれによって自らを霊的に開放し、憎しみも怨念も敵意もない、協調的精神に富んだ〝新しい世界〟に適応し、然るべき役割を果たせる人材となることであらねばなりません」


 ここで話題が〝敗れた枢軸国を連合軍はどう扱うべきか〟という、当時のもっとも関心の大きかった問題に発展した。かつてのキリスト教の牧師だったメンバーが正直に述べた。
──私はそれらの国の人間とは二度と握手する気にはなれません──

 「迷える者に手を差し伸べるということが真理を手にした者の義務です。戦乱の雰囲気に巻き込まれて、その背後の永遠の霊的実在まで見えなくなるようではいけません」


──しかし生意気を言うようですが、どう間違っても私にはあれほどの残虐行為はできません。

 「心配なさるには及びません。神の摂理は完全です。一人ひとりが過不足のない賞罰を受けます。無限の叡智をもってこの全大宇宙を計画し不変の法則によって支配している神は、そこに生活している者のすべてのために摂理を用意しており、誰一人としてその働きから遁(のが)れることはできません。懲罰と報復とを混同してはいけません。

 私たちは同じ問題をあなた方とは別の視野で眺めております。復讐心と憎しみによって世の中を良くすることはできません。その邪心が判断力を曇らせ、決断を下すにも計画するにも不適格な状態になってしまいます」


──報復も懲罰の一種ではないでしょうか。

 「違います。報復は古いモーゼの律法であり、懲罰は神の摂理です。つまり一人ひとりがその功罪に応じて報いを受けるのです」


──人間どうしで一方が他方を罰することは許されないとおっしゃるのですか。

 「私だったら、その相手を精神的に未熟な人間として扱います。つまり人生を正しい視野で眺められるように、矯正していくための処方を考えています。もし罰せざるを得ないとすれば──私はその必要があるとは思いませんが──魂が真の自我に目覚めるような性質のものでなければなりません。憎しみを増幅させ、新たな戦争を生むような性質のものであってはなりません」


──ああいう国民を甘い処分で済ませておくと、二十年もしたらまた戦争になります。それで私は徹底的に打ちのめすべきだと言うのです。

 「どうやって打ちのめすのですか」


──このたびの戦争でやったようにです。

 「それで問題が解決されたのでしょうか。肉体が機能しなくなったらその人の影響も存在しなくなるのでしょうか。お伺いしますが、憎悪を抱いたまま肉体から無理やりに離された幾百万とも知れない人間が、地上の人間のために働いてくれると思われますか」


──一つの教訓を教えることにはなると思います。少しは変わってくれると思います。

 「それは憎むことを教えることになるでしょう。憎しみは憎しみを呼び、愛は愛を呼ぶものです。物質の目で物事を判断してはなりません。これまで何度も繰り返されてきたことです。殺人犯を処刑しても問題を解決したことにはなりません。地上へ戻ってきて他の人間を殺人行為へそそのかします。

 では一体どうすれば問題の解決になるのかということになりますが、処罰を矯正的な目的をもったものにすればいいのです。社会の一員として相応しい人間になってくれるように、言いかえれば神の公正の理念に基づいて然るべき更生の機会を与えてあげるように配慮すればよいのです。

そういう人間は心が病んでいるのです。それを癒してあげないといけません。それが本来の方向なのです。それが本人のためになるのです。それが〝人のため〟の本来のあり方なのです。摂理に適い、それを活用した手段なのです」


──戦争で敵・味方となって戦い合って死んだ二人に、あなたはそれぞれどう対処されますか。

 「それはその二人の霊の状態次第です。条件つきの答えで申しわけありませんが、そうした問題は規格品的回答で片づけられる性質のものではないのです。それぞれの霊的進歩の状態によって異なるのです。死んだあとも延々と戦い続けている者もいます。が、いつかは、地上で抱いた敵対心は肉体の死とともに消滅すべきものとの認識が芽生えてきます。 

 霊界の下層界では地上で起きていることのすべてが再現されております。地上での戦争や抗争がそのまま続けられております。が、霊的覚醒とともに、その界層を離れて、地上で培われた偏見と敵意をきれいに棄て去ります。

そうなると問題はひとりでに解決されてまいります。霊的摂理の理解とともに、自分の為すべきことは霊的な身支度をすること、自分自身の霊性を磨くこと、自分自身の能力を開発することであることを自覚し、それは他人のために自分を役立てることによってのみ成就されるものであることを認識します。

いずれにしても問題はあくまで過渡的なものです。霊的事実を知らずにいる者にいかにしてそれを認識させるかということです。そのためにあらゆる手段を講じるのです。

 一 ばん厄介なのは、自分がすでに地上を去った人間であることが納得できない人たちです。ひじょうに頑固なのがいます。さほどでもない者もいます。わりに素直なのもいます。このように、人類の全てが同じ進化の階梯にいるわけではないのです。

したがって一人ひとりの霊への対処の仕方も、それぞれのその時点での必要性に応じたものでなければなりません」


──あなたの訓えの中には〝恐怖心〟を捨てるように説いておられるものが多いのですが、実際に爆弾が投下されているときにそれを要求するのは無理です。そういう状態では怖がって当然ではないでしょうか。

 「おっしゃる通り当然でしょう。が、その状態こそ恐怖心を捨てる試金石でもあります。私たちがみなさんの前に掲げる理想がひじょうに到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、最大の富は往々にして困難の末に得られるものです。

 それには大変な奮闘努力が要求されます。が、それを私があえて要求するのはそれだけの価値があるからです。いつも申し上げておりますように、あなた方はそれぞれに無限の可能性を秘めた霊なのです。

宇宙を創造した力と本質的に同じものが各自に宿っているのです。その潜在力を開発する方法を会得しさえすれば、内在する霊的な貯えを呼び覚ます方法を会得しさえすれば、霊力の貯水池から吸み上げることが出きるようになりさえすれば、恐怖の迫った状態でも泰然としていられるようになります。
 
 人生の旅においてあなたを悩ますあらゆる問題を克服していく手段は全部そろっているのです。それがあなたの内部に宿っているのです。イエスはそれを〝神の御国は汝の中にある〟と言いました。神の御国とはその無限の霊的貯蔵庫のことです。

自己開発によってそれを我がものとすることが出来ると言っているのです。開発すればするほど、ますます多くの宝が永久に自分のものとなるのです。もしも私の説く教えがラクなことばかりであれば、それは人生には発展と進化のチャンスがないことを意味します。

人生には無数の困難があります。だからこそ完全へ向けてのチャンスが無数にあることになるのです。生命は永遠です。終りがないのです。完全へ向けての成長も永遠に続く過程なのです」


──極端な言い方かもしれませんが、同じく参戦を拒否するにしても、恐怖心の一種である〝臆病〟から来ている場合があります。人類がもっと臆病になれば戦争も少なくなるのではないかと思うのですが、この考え方を霊界からどうご覧になりますか。

 「臆病も人間としての情の自然な発露です。私はいつも人生とは対照の中で営まれている──愛の倒錯したのが憎しみであり、勇気が倒錯したのが臆病である、と申し上げております。いずれも本質において同じ棒の両端を表現したものです。

また私は、低く沈むことができただけ、それだけ高く上昇することが出来るとも申し上げております。

 臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることができるということです。この考え方がとても受け入れ難い人がいることでしょう。が、これが私の考えです。人間の精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。

それをうまくコントロールするところにあなたの成長があり進化があり、低いものが高いものに転換されていくのです」


──臆病であることは悪いことでしょうか。

 「良いとか悪いとかの問題ではありません。一つの感情が発露したものであり、その人の個性の一部であるというまでのことです。たとえ表に出なくても内部にはあるわけです。怖いという気持ちにならない時でもどこかに潜んでいるわけです。

私が言わんとしているのは、そうした感情がいかに陰性のものであっても、いかに好ましからぬものであっても、あなたにはそれをより高度なものに転換する力が具わっているということです。私はこの教えが最も大切であると思っています。

臆病は本質において勇気と同じものなのです。ただ歪められているだけなのです。そしてそれはあなたに具わっている力を駆使することによって正しい方向へ転換することが出来るのです」


──憎しみと同じく臆病心も人間の属性の一つだとおっしゃるのでしょうか。 

 「そうです。人間が具えている資源の一部だと言っているのです。精神にはありとあらゆる資源が具わっているのです」

 ここで、さきの質問にあった〝人類がもっと臆病になれば戦争が少なくなるのではないか〟との意見についてのコメントを求められて──

 「そうはまいりません。みんなを臆病にすることによって戦争が解決されるものでないことは言わずと知れたことです」

 別の日の交霊会において再び戦争が話題になったとき次のような興味ある質問が出た。


──ダンケルクでの英国軍の撤退作戦のとき海が穏やかで、シチリヤ島での作戦のときも天候が味方してくれたと聞いておりますが、これは神が味方してくれたのでしょうか。

 「宇宙の大霊である神はいかなることにも干渉いたしません。法則、大自然の摂理というものが存在し、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを止めたり干渉したりする必要性が生じるような事態はかつて一度たりとも起きていませんし、これからも絶対におきません。

 世の中の出来ごとは自然の摂理によって支配されており、神によるいかなる干渉も必要ありません。もし干渉がありうることになったら神が神でなくなります。完全でなくなり、混乱が生じます」


──今の質問は、最近多くの高名な方たちがラジオ放送で神が英国に味方してくれたかのように述べているのでお聞きしてみたのです。

 「ほんとうの高名は魂の偉大さが生むものです。それ以外に判断の基準はありません。何を根拠にしようと、神が自国に味方するかのように想像してはなりません。神とは法則なのです。

 あなたが正しいことをすれば、自動的にあなたは自然法則と調和するのです。窮地に陥ったあなた一人のために、どこか偉そうな人間的な神さまが総力を挙げて救いに来てくれるような図を想像してはいけません。スピリチュアリストをもって自認する人たちの中にも今だにそういう風に考えている人が大勢います」


──一人ひとり進化の程度が異なるので理解の仕方も違ってくるのだと思います。

 「ですから、私が申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいは私が間違っている、とんでもないことを言うヤツだと思われても一向に構わないのです。私は私が見たままの真理を申し上げているだけです。

永い永い進化の過程を経たのちに学んだままをお届けしているのです。それがキリスト教やヒンズー教、その他、聞いてくださる方の宗教を混乱させることになっても、それは私には関わりのないことです。

私はそうした名称や教義、いかなる宗教の概念にもまったく関心がないのです。私は私がこれまで学んできた真理しか眼中にありません。それが私の唯一の判断基準です。

 私の申し上げることがしっくりこないという方に押し付ける気持ちは毛頭ありません。

私は私の知り得たものを精いっぱい謙虚に、精一杯真摯に、精一杯敬虔な気持ちで披歴するだけです。私の全知識、私が獲得した全叡智を、受け入れてくださる方の足元において差し上げるだけです。これは受け取れませんとおっしゃれば、それはその方の責任であって、私の責任ではありません」

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



四章 若き軍人と語る

 
 シルバーバーチと語ることを永年の夢にしていた英国陸軍第八部隊所属の一軍人が、念願かなってハンネン・スワッハー・ホームサークルに招かれた。本来はフリート街の青年ジャーナリストである。

(訳者注──フリート街は英国の一流新聞社が軒を連ねているところで、そこの御意見番的存在だったのがほかならぬハンネン・スワッハーで、そういう関係からこの青年軍人も出席が叶えられたのであろう)

 青年は早くからシルバーバーチの霊訓に魅せられ、これまでの霊言の一語として読んでないものはないというほどだった。そして輸送船の中で、野営地において、あるいは戦場において戦友と議論を闘わせてきた。それだけにシルバーバーチへの質問には〝永遠〟の問題など難解なものも飛び出したが、例によってシルバーバーチは直截簡明(ちょくせつかんめい)に答えている。

 まずシルバーバーチからこう語りかけた。
 「あなたは英国の軍人でいらっしゃいますが、あなたにもぜひ参加していただかねばならない、もっと大きな戦いがあります。何世紀にもわたって強大な霊的軍団が組織されております。霊的真理に対して絶対的忠誠心を持って臨めば、あなたの強力な味方となってくれます。

 あなたへ届けられる〝召集令状〟は人のために自分を役立てることを求めています。勲章は授けてくれません。バッジもくれません。襟章もつけてくれません。等級もありません。しかし、絶対的な忠誠心と堅忍不抜の献身的精神を持って臨めば、必ずや勝利を手にすることが出来ることを私たちがお約束します。

どうかあなたも地上世界を毒している諸悪の駆逐のために私たちの味方になってください。私たちの新たな道具として一命を捧げていただけませんか。あなたの行為によってたった一人の魂でも救われれば、それだけで、あなたの人生は無駄でなかったことになります。私たちの仕事はそのようにして推進されていくのです」


── 一人の人間のすることは多寡(たか)が知れてるように思えるのです。軍隊にいるとただ語り合うことしかできません。

 「そのたった一人の人間も、霊の力を背後にすれば大きな仕事ができるのです。私は決して自惚れてでかい口をきいているのではありません。私にも謙虚な精神と哀れみの情はあります。私もかつてはとても無理と思える仕事を仰せつかりました。地上の方にはまったく無名のこの私が、この声と素朴な訓え以外には何の資産もなしに、たった一人で地上へ赴き、自分で道具(霊媒)を見つけ、愛と理性のみで勝利してみよと言われたのです。

 おっしゃる通り、たった一人のすることです。見た目にはたった一人です。が、その背後には自分を役立てたいとの願望を抱く者に必ず授けられる強大な霊力が控えております。

私はあらゆる逆境と困難と障害の中にあって一人の人間(バーバネル)に目星をつけました。その人間を私の目的に沿って鍛錬し、さらに、試行錯誤を繰り返しつつも忍耐づよく、真理普及という仕事に協力してくれる人間(サークルのメンバー)を探し求めました。

何かの報酬と引き替えに募ったのではありません。献身的精神を吹き込んでみたときの反応だけで募ったのです。そして、ごらんなさい、僅かな年数のうちに、われわれを伝達手段として、誇りある道具として、霊的真理が全世界に広まりました。

 かつても、大きな仕事をたった一人で始めた人がいました。その名をナザレのイエスと言いました。そのたった一人の人間が愛を基本理念とした新しい宗教の規範を地上にもたらしました。

 たった一人で大きな仕事を始めた人はほかにもいます。その名をリンカーンと言いました。彼は奴隷を解放し、あの大きな大陸を一つにまとめました。

 いかがです? たった一人でも大きな仕事ができることを示す例をもっと上げてほしいですか。あきらめてはなりません。真理普及というこの大きな戦いにおいて私たちの味方となった方には〝敗北〟はありません。

時として後退のやむなきに至ることはあるでしょう。が、知識が無知を追い払い、光が闇をかき消しながら、我々は絶え間なく前進し続けております。

 私は古い霊です──皆さんからそう見られております。(訳者注──old(オールド)という用語を用いているが、時間のない霊界には古いとか新しいとか若いとか年老いたといった表現は存在しない。ただ紀元前一千年頃に地上生活を送ったことがあり、地上的年齢計算でいくと三千歳になるという意味でそう言ったわけである。霊界には魂の成熟度しかない)

私くらいになると人間の可能性というものがわかります。その私からあなたに激励の言葉を述べさせていただきましょう。一切のあきらめの念を駆逐しなさい。そうです。私たちには為さねばならない仕事があるのです。偉大な仕事です。

よろこんでその手を、その心を、その精神を貸してくれる人の協力を必要とする大仕事があるのです。あなたもぜひ参加してください。あなた自身が手にされた知識を寛容の精神で他人に披露して、その良さを知ってもらうための努力を忍耐ずよく続けてください。そのうちきっと少しずつ変革が生じていることに気づかれます。

 それしか方法が無いのです。集団的暗示や熱狂的説教による陶酔ではいけません。理性と叡智と論理と常識、そして何よりも愛を持って、真実を説くことによって、一人ひとり得心させて行かねばなりません。結局はそれしかないのです。そう思われませんか」


──そう思います。しかしそれには気の遠くなるような時間が掛かります。  

 「ある人が言ってますよ。地球はあなたが生まれる前から存在し、あなたが去った後もずっと存在するであろう、と。その地上でのご自分の束の間の人生を、なんとか価値あるものにすることに(余計な心配をせずに)専心なさることです。

たった一個の魂のためにあなたを役立てることが出来れば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになります」


──でも、生涯を何一つ他人のためになることをせずに終わる人が大勢います。

 「若者はとかくせっかちに考えがちなものです。が、世の中は急激な革命によってではなく、ゆっくりとした進化によって改められていく──それが摂理なのです。私は若者特有の熱誠や情熱に水をさすつもりは毛頭ありません。私がこれまでに見てきたままを申し上げているのです。ご自分の経験から得られる叡智を道しるべとする──これが一ばんです。

人間を導く上で私たちはそれを一ばんの拠りどころとしています。だからこそ説得力があるのです。そうした方針でやってきて、結構私たちは、多くの方が気づいておられる以上に大きな進歩を遂げております。

 失望なさってはいけません。私たちは決してあなた方を失望させるようなことはしません。自惚れているのではありません。霊的法則に関する知識を駆使して霊的資源を活用する用意があるからです。この資源は無尽蔵なのです。

それを活用して、あなたがどんな境遇に置かれてもそれを克服できるように導き支援して、あなたの存在をできるだけ有効に生かす道を歩んでいただくように致します。

 奉仕こそ霊の通貨(コイン)なのです。宗教とは何かと問われれば私は躊躇なく申し上げます。──いつどこにいても人のために自分を役立てることです。と、神学などはどうでもよろしい。教義、儀式、祭礼、経典などは関係ありません。祭壇に何の意味がありましょう。尖塔に何の意味がありましょう。

ステンドグラスの窓にしたからどうなるというのでしょう。法衣をまとったからといってどう違うというのでしょう。そうしたものに惑わされてはいけません。何の意味もないのです。

 自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘ってください。

 私がわざわざ地上へお伝えに戻ってきた真理とは、こうした何でもないことばかりなのです。しかし、こうした基本的な真理にしがみついていさえすれば、道を誤ることはありません。知識を広めることです。時には拒否され、時には嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。

しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたはあなたの為すべきことをなさったのです。

 しかし一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちの役に立てば、それだけで少なくともあなたの人生は存在価値を持つことになります。

 どうか私がこれまで述べてきた知識の中から物的生活の背後で働いている霊的活動、あなたの身のまわりにほうはいとして存在する莫大な霊力、あなた方を善のために活用せんとして待ち構えている霊の存在を認識してください。あなた自身の中に潜在する可能性をしっかりと認識してください。

それが自我の霊的本性の持つ莫大な兵器庫、魂の宝庫を開くカギとなるからです。神の叡智は無限であるということ、宇宙の宝物(ほうもつ)は無尽蔵であるということの意味を、しっかりと理解してください。

 私たちは金や銀の財宝をお持ちしてあげるわけにはまいりません。が、それより無限大に貴重な霊的真理という名の宝石をお持ちしております。これは色褪せる心配がありません。永遠に価値を発揮し続けます。これさえ携えていれば、人生を生き抜く上での光輝あふれる照明となってくれます」


──私たち兵士が外地を転戦したとき、敵の方が悪いのだと思って戦いました。しかし、その敵軍を構成している一人一人も、その戦いにかける理想があればこそ戦っているのだということが分かってきました。こうした場合、罪の報いはどうなるのでしょうか。我々は敵が悪いと思って戦い、敵は自分たちこそ正しいと思って戦っているのです。


 「いかなる問題においても、私たちは決して地上的観点から物ごとを見ないということ、地上的尺度で判断しないということ、人間的な憎しみや激情には絶対に巻き込まれないということ、往々にして人間の判断力を曇らせている近視眼的無分別に振り回されることはないということを忘れないでください。

さらに大切なこととして、今定住している霊的世界における神の摂理の働きを体験してきた私たちは、地上の人間を悩ませる問題を人間自身の受け止め方とは違った受け止め方をしていること、あなた方と同じ視野で捉えていないということを知ってください。

 以上の大切な前置きを大前提として申し上げますが、そうした問題において何よりもまず第一に考慮すべきことは〝動機〟です。自分は正しいことをしているのだと真剣に思い込んでいる人は、魂に罪過を負わせることにはなりません。いけないことと知りつつなおも固執する人間は明らかに罪過を犯していることになります。

なぜなら道義心を踏みにじり魂の進化を阻害していることになるからです。私たちの目には国家の別はありません。全体が霊的存在で構成された一つの民族であり、一人一人が国家の法律でなく大自然の摂理によって裁かれるのです」


──善と悪は何を規準にして判断したらよいのでしょうか。人間一人ひとりの問題でしょうか、それとも霊的法則の中に細かく規定されているのでしょうか。

 「一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれているのです。これまでに何度となくこの問題を持ち出されましたが、私には一貫して主張している見解があり、それをみじんも変更する必要を認めません。これまでに獲得した霊的知識を総合的に検討した結果として私はこう申し上げております。

すなわち、正常な人間であるかぎり、言いかえれば精神的・知的に異常または病的でないかぎり、自分の思考と行動を監視する、絶対に誤ることのない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。

考えること、口にすること、行うことを正しく導く不変の指標です。それがいかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇なく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。

 それを人間は、時として揉み消し、時として言い訳や屁理屈で片づけようとします。が、真の自我はちゃんと分かっているのです」


 このあと議論が発展して難解な哲学的思考(スペキュレーション)の域まで入った時、シルバーバーチは一応それに対応したあと、こう述べた。

 「私は実用志向のタイプです。今日の地上世界が置かれている窮状を救う上で何の役にも立たないと思われる方向へ議論が流れかけた時はいつもお断りしております。私は今地球が必要としているのは基本的な霊的知識であるとみています。

人間社会の全組織を改め、そこに巣くっている汚毒、汚物、スラム、不平等、不正を一掃する上で役立つ知識です。そうした環境が人間の霊性の発現を妨げているからです。

 地上世界を見回すと、素晴らしい花園であるべきところに醜い雑草が生い繁り、花がその美しさを発揮する場所がなくなっています。そこで私はこう言うのです───まずそうした基本的な問題と取り組みなさい──戦場で戦ういかなる敵よりもはるかに強力なその敵に宣戦布告なさい、と。

 人間の霊性を踏みにじっている敵と戦うのです。人間の霊性を抑圧し、魂を束縛する敵と戦うのです。霊的存在としての基本的権利──神の直射日光を浴び、自由の喜びを味わう権利を奪う、あらゆる敵と戦うのです。

 人間はまずそうした問題に関心を向けるべきです。そしてもしあなたとの縁によって霊的知識に何らかの価値を見出した人々がその普及に意欲を燃やしてくれた時は、その方たちにこう忠告してあげてください──基本的な目的は難解なスペキュレーションを満足させることにあるのではなく、この地上生活において霊的教訓を学べるような環境にすること、言いかえると、現在のように大勢の者が悲しむべき哀れな姿で霊界へ来るような事態を改めることにあるのです、と」


──私もそう思います。しかし、インドのような国に目をやり、食べるもの、着るものさえ満足に恵まれない民衆のことを思うと、複雑な気持ちになります。いかにしてインドを救うべきか──これは大変な仕事のように思えます。


 「いいえ、霊界からの声と力による導きと援助を素直に受け入れるようになりさえすれば、さほど大変なことではありません。多くの魂を束縛し、怨念と敵意と憎しみを助長し、神の子を迷信と偏見と無知による真っ暗闇の中で暮らさせている教条主義の呪いから解放しさえすればよいのです。

 永い間〝宗教〟の名を持って呼ばれてきた、ただの古代神話、伝説にすぎないものを棄ててその拘束から脱する方法を教え、代わって霊的真理の陽光を浴びる方法を教えてあげれば──〝宗教〟の名のもとに行われている欺瞞と誤謬を地上から一掃することが出来れば、地上を毒している問題の多くが解決されていきます。

私はここで改めて、私に可能な限りの厳粛な気持ちで申し上げますが、地上はこれまで教条主義によって呪われ続けてまいりました」


──経済的な側面はいかがでしょうか。

 「それも同じ問題の一つの側面に過ぎません。私はどうやら〝人騒がせ者〟のようです。キリスト教の教えを違うことばかり説いていると批難されております。しかし自分では、そう言って批難する人たちよりもキリスト教の本質についてより多くのことを知っていると思っております。

あらゆる地上の問題を煮つめれば、その原因はたった一つの事実を知らないことに帰着するのです。すなわち人間は本来が霊的存在であり、神からの遺産を受け継いでいるがゆえに、生まれながらにしていくつかの権利を有しているということです。

 その権利は、次の生活の場に備えるために、地上生活においてその属性を十分に発揮させるためのものです。その妨げとなるものはいかなるものでも排除する──それだけのことです。それをどう呼ばれようと構いません。私はラベルや党派には関心はありません。私が関心を持っているのは〝真理〟だけです。

 もしもあなたが私と同じ立場に立って、毎日のように発育を阻害された者、挫折した者、精神を歪められた者、未発達者、何の用意もできていない者が続々と私たちの世界へやってくるのをご覧になれば、多分あなたも私と同じように、この繰り返しに終止符を打つために何とかして地上を改革しなければという気持ちを抱かれるはずです。

 どうか、その若さで霊的知識を手にされたことを喜んでください。それを人生の冬(晩年)になってようやく手にして悔しがる人が多い中で、あなたは人生の春にそれを手にされました。しかし、あなたにはそれを成就すべき夏がこれから訪れます」
  

Tuesday, October 20, 2026

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳


巻頭言
 
 頑固(かたくな)な心、石ころのような精神では真理の種子(たね)は芽を出しません。受容性に富む魂───率直に受け入れ、それが導くところならどこへでも付いて行ける魂においてのみ花開くものです。

 あなたがそのような気持ちになるまでには、つまり真理を魂の中核として受け入れる備えができるまでには、あなたはそのために用意される数々の人生体験を耐え忍ばなくてはなりません。

 もしもあなたがすでにその試練を経ておられるならば、その時点においては辛く苦しく無情に思え、自分一人この世から忘れ去られ、無視され、一人ぼっちにされた侘しさを味わい、運命の過酷さに打ちひしがれる思いをされたことでしょう。しかし魂は逆境の中にあってこそ成長するものです。黄金は破砕と精錬を経て初めてその純金の姿を見せるのです。

 あなたがもしもそうした体験をすでに積まれた方ならば、今手にされている本書の中で私が語り明かす真理に耳を傾ける資格があることを、堂々と宣言なさることができます。しかしそのことは私が語ることのすべてを受け入れることを要求するものではありません。あなたの理性が反撥することは遠慮なく拒絶なさってください。あなたの常識的感覚にそぐわないものはどうぞお捨てになってください。

 私もあなた方と少しも変わるところのない一個の人間的存在です。ただ私は、死後もなお続く人生の道を少し先まで歩んできました。今その道を逆戻りしてきて、あなたが死の敷居をまたいだのちに絶対的宿命として直面することになっている新しい、そしてより広大な人生がどのようなものであるかを語ってあげております。

 どうか謙虚に、そして畏敬の念をもって真理を迎えてやってください。謙虚さと畏敬の念のあるところには真理は喜んで訪れるでしょう。そして、せっかく訪れてくれた真理が少しでも長居をしてくれるよう、手厚くもてなしをあげてください。

真理こそがあなたに自信と確信と理解力と、そして何にもまして、永遠に失われることのない、掛けがえのない霊的叡智をもたらしてくれることでしょう。
                               シルバーバーチ
                                         

 編者まえがき    

 私はこれまでシルバーバーチの交霊会に何百回も出席しているが、その霊言を聞き飽きたという感じを抱いたことは一度もない。 

 三千年前に地上で北米インディアンとしての生涯を送ったというシルバーバーチは、現在では大へんな高級霊であるらしいことは容易に察しが付くが、その本来の霊的位階をけっして明かそうとしない。そのわけは、こうして霊界から戻ってくるのは地上人類のための使命を遂行するためであって、自分を崇めてもらうためではないからだという。

 その使命とは、聞く耳を持つ者に永遠不変の霊的真理を説くこと、これに尽きる。その説くところは常に単純・素朴であり、そして単刀直入的である。宗派や信条やドグマにはいっさい囚れない。

その主張するところはきわめて単純・明快である。すなわち、われわれの一人一人に神の火花───完全なる摂理として顕現している宇宙の大霊の一部が宿っているのであるから、お互いがお互いのために尽くし合うのが神に尽くすゆえんとなるというのである。

 そうした内容もさることながら、シルバーバーチが語るときのその用語の巧みさ、美しさ、流暢さは、初めて出席した者が等しく感動させられるところである。美辞麗句を並べるというのではない。用語はきわめて素朴である。それがいかなる質問に対しても間髪を入れずに流れ出てくる。

それを耳にしていて私は時おり、シルバーバーチが初めて霊媒(編者の主人モーリス・バーバネル)の口を使って語り始めた時のことを思い出すことがある。

 もう二十年以上も前のことになるが、私たち夫婦は、あるスピリチュアリストの招きで、ロンドンでも貧民層が集まっている地域のある家で開かれている交霊会に出席した。第一回目の時は女性霊媒を通じていろんな国籍の霊がしゃべるのを聞いて主人はあほらしいといった気持ちしか抱かなかったが、第二回目の時にいきなり入神させられ、何やらわけのわからないことを喋った。

その時はシルバーバーチとは名のらなかったが、今のシルバーバーチと同じ霊である。そのころはぎこちない英語、どうにか簡単な単語をつなぐことしか出来なかったころのことを思うと、今は何という違いであろう。が、ここまでに至るのには大変な時間と経験を要したのである。

 そのシルバーバーチの道具として選ばれた十八歳の青年霊媒は、その後の用意されている仕事の遂行に備えて、さまざまな試練と訓練を耐え忍ばねばならなかった。その目指す目標はただ一つ───シルバーバーチの語る教説を少しでも遠く広く地上に行きわたらせるための機会をもつことにあった。

 良く知る者から見ればシルバーバーチは良き助言者、よき指導者であると同時に、よき友人でもある。決して人類から超然とした態度を取らず、世俗的な問題や人間的煩悩に対しても深い同情心を見せてくれる。

 当初にくらべてシルバーバーチも性格が発達し深みを増した───というよりは、本来の霊的個性がより多く霊媒を通じて発揮できるようになったといった方が適切であろう。最初のころはふざけっぽく、時には乱暴なところさえ見せながらも、つねに愛すべき支配霊という感じだった。

それが次第に今日の如き叡智に長けた、円熟した指導者へと徐々に〝進化〟してきた。声の質も変化して、今では霊媒の声とはまったく異質のものとなった。

 今でも、続けて出席していないと同一霊であるかどうかを疑うかも知れないほどの異質の側面を見せることがある。が、いつも変わらぬ側面がある。特にユーモアのセンスと当意即妙の応答の才能は少しも変わらない。

 シルバーバーチの霊言はサイキック・ニューズ紙にずっと連載されてきており、書物にもなっている。その間には第二次世界大戦が勃発したこともあって各地の戦地においても読まれている。そして陸軍・海軍・空軍の兵士から、苦悶と苦難と疑問の中にあってシルバーバーチの言葉から何ものにも変え難い慰めと勇気を得ることが出来たとの喜びの手紙が数多く寄せられた。そのうちの一つを紹介しておこう。これは陸軍の一下司官からの手紙で、こう述べている。

〝私はたった今〟 More Teachings of Silver Birch (邦訳シリーズ第五巻)を読み終えたところです。終わりの部分はオランダを転戦中に読みました。その壮麗な説得力とさまざまな疑問に対する明快そのものの応答は深い感銘を受けました。

 ぜひシルバーバーチ霊に、こうした戦地においても霊言が愛読され掛け替えのない影響を及ぼしていることを知っていただきたいと思って筆をとりました。どうかシルバーバーチの努力が今後とも何らかの形で認識されていくことを心から願っております。シルバーバーチ霊に神の祝福のあらんことを!

 私はこうした霊的真理を折ある毎に僚友に伝え、それがこの戦地においてさまざまな波紋を呼び起こしております。私がスピリチュアリズムに関心を抱いて十五年にもなりますが、その測り知れない深さと高さを私の魂が身に沁みて味わったのは、やっとこの一、二年のことです云々・・・。

 同じくシルバーバーチを知り尊敬してきた者の一人として、このたび新たに本書を編纂することになったのも、私にとっては愛の行為の結実に他ならない。その編纂の作業が終わったのは(第二次大戦の)戦乱が終わって間もなくのことだった。(それから二か月後に日本が降伏して全面的に終結する───訳者)

 願わくは戦乱によって傷ついた暗い西欧世界にようやく訪れた平和がシルバーバーチのいう〝新しい世界〟の夜明けであってくれればと祈らずにはいられない。シルバーバーチが〝必ず来ます〟と述べ、そのためにわれわれに求めてきた視野も常にその方角である。そこにおいて初めて真の同胞精神が招来される。シルバーバーチの霊訓の基盤もまたそこにあるのである。
        一九四五年六月  シルビア・バーバネル


 訳者注───この〝まえがき〟の原文はかなり長文のものであるが、他のまえがき、特に第一巻の〝古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル〟と重複する部分と、重複しなくてもあまり重要と思えない部分とがあり、それよりは霊言そのものを少しでも多く載せた方がよいとの私の判断で、それらは省いてある。 




 
  一章 二つの世界が交わる場所    ───ある日の交霊会───

 その日の出席者は六人だった。ロンドンのアパートの一室で小さなテーブルを囲んで座り、全員が両手をそのテーブルの上に軽く置いた。そしてスピリチュアリスト用に作られた、霊力の素晴らしさを讃える讃美歌を歌っているうちにテーブルが動きはじめる。

 そこでシルバーバーチ霊団の各メンバーがかわるがわるそのテーブルを動かすことによって挨拶した。最も、これは誰であるかが明確に分かるのは二人だけで、それ以外は挨拶の仕方にこれといった特徴はないのであるが、霊団を構成しているのが複数の男性のインディアンと英国人、二人のかつての国教会の牧師、著名なジャーナリスト一人、

アラブ人が一人、ドイツ人の化学者が一人、中国人が一人、英国人の女性が二人であることは分かっている。その全員がテーブルによる挨拶を終わるころには、そろそろ霊媒のモーリス・バーバネルの入神(トランス)の用意が整う。

 トランスは段階的に行われる。軽いトランスの段階でシルバーバーチが〝主の祈り〟を述べ、出席者との間で挨拶ていどの会話を交わす。その間によくシルバーバーチは、霊媒をもっと深くトランスさせたいのでもう少し待ってほしい、と述べることがある。

 いよいよ望み通りのトランス状態になるとシルバーバーチはまず祈りの言葉をのべ、それが速記されていく。その日の祈りは次のようなものだった。


 「神よ。私たちは到達しうるかぎりの高く尊く清きものとの調和を求めて祈りを捧げるものです。私たちはあなたの中に完全なる愛と叡知の精髄と、宇宙の全生命活動を支配する永遠不減の大精神の存在を確信いたしております。小さき人間の精神ではあなたのすべてを捉らえることはできませぬ。それゆえに人間が抱くあなたについての概念は、ことごとく真理の全体像のおぼろげな反映にすぎないのでございます。

 しかし同時に私たちは、全宇宙をその愛の中に抱擁し、規律と不変性をもって、過失も欠陥も汚損もなく統括し支配している絶対的摂理の驚異を理解することはできます。

すなわち、あなたはその叡知によって全存在の一つ一つの側面、活動の一つ一つが管理され、すべてが一つのリズムのある、調和のとれた宇宙機構の中で滞ることなく流動しております。その中にあってあなたの子等はそれぞれの定められた位置を有し、全体に対して必須にして不可欠の役割を演じているのでございます。

 その一つ一つの小さな火花があなたの巨大なる炎の存在に貢献いたしております。私どもは各自に潜在する未熟なる霊の萠芽がその始源であるあなたとのつながりに気づき、永遠に切れることのない霊的きずなによって結ばれていることを悟ることによって、その霊性を存分に発揮することになるよう指導いたしております。

 私たちの仕事は、人間が今発揮している資質よりさらに精妙なる霊的資質を発揮することによって、今は手の届かない高所を目指し、待ち受ける霊の宝庫へ一歩でも近づこうとする向上心を鼓舞すべく、力と知識と叡知の源であるあなたの存在を説くことにあります。

 宇宙には、資格ある者なら自由にそして存分にわがものとすることのできる、莫大な霊的宝庫が存在いたします。そして地上よりはるかに広大な生活の場における新たな体験から生み出された叡知によって、地上世界に光明と豊かさをもたらさんとしている進化せる先輩霊もまた無数に存在いたします。

その活動の障害となるのは偏見と歪曲、迷信と無知、そして人間生活の暗黒面に所属するものすべてが蓄積せるものです。

 私たちは地上世界を知識の照明によって満たし、人間がつねに真理によって導かれ、あなたの愛の存在に気づいてくれることを望んでやみませぬ。そうすることがあなたからの豊かな遺産と崇高なる宿命を悟らせ、手にした真理に則った生活を送らせてあげるゆえんとなるからに他なりませぬ。
 ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます」

 少し間を置いてから一同に向かって───

 本日もこうして皆さんとともに一堂に会し、霊の世界からの私の挨拶の言葉と愛をお届けできることをうれしく思います。前回お会いして皆さんの愛の温もりを感じて以来久しぶりですが、またこの部屋を訪れて霊的仕事の回線をつなぎ、地上の人々のためにお役に立つことができることになりました」

 そう述べてから、まず最初に、しばらく病気のために欠席していた女性に向かって、
 「ようこそお出でになりました。あなたのお姿が見えないと、どうも物足りなく思えるのです」と言うと、その女性が、

 「これはまた有難いお言葉をいただいて恐縮です」 と月並みな挨拶をした。するとシルバーバーチが、

 「いえ、事実を申し上げているのです」 と真剣な調子で述べた。 (訳者注───すぐれた指導霊による交霊会ではレギュラーメンバーは何らかの存在価値を持った者が厳選されている。中にはただ出席して椅子に腰かけているだけで好影響を及ぼす人もいる)

 続いてその女性のご主人で、交霊会の速記係をしている人に挨拶をし、それから二言三言出席者と軽いやり取りをしたあと、いよいよ本題へと入っていく。たとえばその日は次のような話をした。

 「ここにおいでの皆さんは人類全体の役に立つ才能、能力をお持ちの方ばかりです。これまで、その能力ゆえに、さらに豊かな才能を持つこちらの世界の者から援助を受けてこられました。

ぜひその能力を実らせて、代わって皆さんが多くの人々によろこびを与え、さらにその人たちが自分にも世の中の役に立つ資質があることに気づいてくれるようになる───こうしてお互いがお互いにのためにという輪がどんどん広がっていきます。

 世間の中傷を気にしてはいけません。反発に動揺してはなりません。嫌悪の態度を見せられても気になさらないことです。あなた方がこの地上に生を受けたそもそもの使命に向かってひたすら努力している限り、そんなものによって困った事態になることはありません。

 地上世界にはまだまだ奉仕の精神が足りません。絶望の淵にあえぐ人が多すぎます。心は傷つき、身体は病に冒され、解決できない問題に苦悶する人が無数にいます。

 そういう人たちを真理の光の届くところまで連れてきてあげれば、悩みへの解答を見出し、乱れた生活を規律あるものにしようとする心が芽生え、すべての人間が平和と調和の中で生きていける環境作りに意欲を燃やすことになりましょう。

 休暇中に私は、長い間住みなれた界層に戻ってまいりました。そこで多くのことを見聞して、それを出来るだけ皆さんにお分けしてあげるべく、こうしてまた帰ってくるのです。

 そのとき私はあなた方のまったくご存知ない霊たち───私が誇りを持って兄弟と呼び姉妹と呼べる進化せる霊たちからの愛と善意をたずさえてまいります。その霊たちも地上の悩める者、苦しむ者、人生に疲れはてた者のために献身している私の仲間であり協力者なのです」


 こう述べてから、一転してシルバーバーチ一流のユーモアを混じえて、

 「ああ、そうそう、うっかり忘れるところでした。あなた方のことをなかなかしっかりした人たちだと感心しておりました」

 「誰がですか」 と一人のメンバーが聞くと
 「ですから、私が話をしてきた上層界の霊たちです」

 「あなたの〝秘密の参謀(ブレーン)〟ですか」 と、別のメンバーが冗談めかして聞いた。

 「いえ、いえ、そんなんじゃありません。〝父の住処〟にいる人たちです」(訳者注───ヨハネ14・2〝わが父の家には多くの住処がある〟からの引用で、これがキリスト教においてどの程度の現実味をもって理解されているか疑問であるが、 『ベールの彼方の生活』 によると、それが地上を最低界とする広大な宇宙を経綸する〝政庁〟とも言うべき実在の世界であることが分かる。

〝秘密のブレーン〟かと聞かれて〝とんでもない〟といった調子で答えているのは、人間からすれば目に見えないから秘密であるかに思えるだけで、シルバーバーチにすればごく当たり前の現実の世界なのである)

  続いて別のメンバーが友人が他界した話を持ち出すと、

 「この会(の霊団)も最初は小さな人数で始めましたが、その後どんどん数が増えて、今では大所帯となってきました。しかし、いくら増えても、これ以上入れられなくなるようなことはありませんから、ご心配なく」とユーモアを交えて述べた。


 交霊会も終わりに近づいて、シルバーバーチは最後に次のようなメッセージを述べた。

 「私はあなた方のすべてに好意を抱き、これからのちも援助の手を引っ込めるようなことは致しません。そして、きっとあなた方も私に対して好意を抱いてくださり、私の意図することに献身して下さるものと信じております。

どうか、どこのどなたであろうと、私に好意をお寄せ下さる方のすべてに私からの愛の気持ちをお伝え頂き、さらに次のメッセージをお届けください。

 私に対して愛念と思念と善意と祝福をお届けくださる大勢の見知らぬ方々に対して、私は喜びと感謝の気持ちをお伝えしたく思います。私は自分がそういう情愛の運び役であることを誇りに思っております。

それは私がその方たちにとって何らかのお役に立っているからこそであると信じるからであり、たとえ私の姿を御覧になることはなくても、私はその方たちのご家庭へお邪魔していることをご承知ください。実際にお伺いしてお会いしているのです。

 私にとっては愛こそが生活であり、人のために自分を役立てることが宗教であるからです。そうした私の考えにご賛同くださり、同じ生活信条を宗(むね)とされる方すべてを心から歓迎するものです」

 そして最後を次の言葉でしめくくった。

 「さて、みなさん、ほんの僅かな時間でもよろしい、時には日常的な意識の流れを止めて、まわりに溢れる霊の力に思いを寄せ、その影響力、そのエネルギー、永遠なる大霊の広大な顕現、その抱擁、その温もり、その保護を意識いたしましょう。

 願わくはその豊かな恵みに応えるべく日常生活を律することが出来ますように。その中で神の永遠なる摂理に適っているとの認識が得られますように。どうか神の道具としての存在価値を存分に発揮し、豊かな祝福をもたらしてくれた真理の光を輝かせて、人々がわれわれの生活をその真理の模範となすことができますように」

 そう言い終わると霊媒がいつものモーリス・バーバネルに戻り、一杯の水を飲み干して、それで会が終わりとなる。以上がある日のホームサークルであり、いつもこれと似たようなことが行われているのである。

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



三章 戦地でも愛読された霊訓

 ハンネン・スワッハー・ホームサークルにとっての最大の危機は第二次世界大戦の勃発だった。波長の乱れによって霊的回線が混乱し、時には切れてしまったりして、その補修工事をしながらどうにか切り抜けたが、霊団の中には 「もう無理です。当分中止しましょう」 と進言する者もいたらしい。

が、シルバーバーチは地上人類もかつてない危機にひんしている、今こそ自分たちの存在価値があるとの主張を貫き通し、週一回の交霊会を止めなかった。

 そのシルバーバーチの期待どおり、霊言集は遠い戦地へも届き、傷心と孤独の中の軍人に生きる希望と自信を与えた。陸軍、海軍、空軍はもとより、商船隊の乗組員、本国の民間軍属、防空対策員、家庭にあって子供を守る母親、負傷した人たち、そして病気の人々と、ありとあらゆる階層の人がシルバーバーチの霊訓によって慰めを得ていた。その大戦もそろそろ終局へと向かいつつあったころ、シルバーバーチはこう述べた。


 「今はまさに地上のあらゆる思想・制度がるつぼの中へ放り込まれ、改革を余儀なくさせられている重大な時期です。古い制度が消滅し、昨日の権威への敬意を失った男女が、果たして明日は何をもたらしてくれるであろうかと期待しております。

 無数の平凡な男女が、かつてない苦しみの中でかつてない勇気を出すことによって、そこに人間の到達しうる限りの高所と、理想に燃えたときの人間の忍耐力の可能性を示しました。

 しかし同時にこの時期は、短かったとはいえ人間の残忍性の奥をのぞかせた時期でもありました。つまり人間の到達しうる限りの気高さと醜さの極限を見せてきました。言いかえれば人間の霊性の素晴らしさを見せると同時に、堕落した時の極悪非道ぶりも見せつけたのです。

 しかし、いずれも同じく人間のしたことです。霊と肉の両極から成り立っている存在だからです。そのどちらがより強く人間を操るかによって生じる差にすぎません。霊の道を選ぶか、それとも肉の道を選ぶかの差です。私たち霊界の者にはもはや肉体はありません。ですから、民族、国家の別、肌の色、教義、階級の違いの観点から物事を処理することはしません。

 人間がとかくこだわる境界線とか制限区域といった観念にはとらわれません。全人類を神性という共通の要素をもった霊的存在としてみます。一人一人が全体にとって無くてはならぬ存在なのです。

 肉体が死ぬと人間は霊界の存在となり、地上的束縛のすべて───それまで自分の本来の姿を見る目を曇らせてきたもの、無意味な残酷さへ追い立ててきた狭量さ、長い間地上のガンとなってきたケチくさい不寛容精神と利己主義のすべてをかなぐり棄てます。

 大切なのは、あなた方はもともと霊的存在であり、果たすべき霊的宿命を持ってこの地上にあるという認識です。ですから、これからの新しい時代は霊的真理を土台として築かなければなりません。証拠を持って立証されたという意味において真理といえるものを土台としなければなりません。

(その霊的真理から生まれる)寛容精神と善意と愛と奉仕精神と協調心を持って臨めば、地上に恒久的平和と調和のとれた世界を招来することが出来るでしょう。

古い概念にとらわれ、憎み合い、国家間の不和、民族と肌の色と階級の違いにこだわり続けているかぎり、地上に戦争のタネは尽きないことになります。戦争は、とどのつまりは、憎悪と利己心と物質的な私利私欲から生れるものだからです。

 かつて崇高な精神の持ち主たちを暴虐と暗黒の地上の浄化へと駆り立てたのと同じ精神が、この度の大戦が終結したあとに訪れる世界においても人々を鼓舞しなければいけません。それ以外に地上再生の道はありません。私たちの世界には、かつて地上において自由解放の理念のために、いわゆる〝一死奉公〟の精神に殉じた人々が数えきれないほどいます。

その人たちを二度と裏切ることがあってはなりません。かつての暗黒時代に見事に開花した理想主義の理念を忘れてはなりません。すべてが荒涼として絶望的に見えた時代になお息づいていた僚友精神を忘れてはなりません。

 人類はイザとなれば至善至高のものを出すだけの力を具えているのです。奉仕活動への呼びかけ、すべての者にとって地上をより良く、より公平に、より豊かにしようとする願望に対して応える資質を、人間は立派に具えているのです。ところが残念ながら、いつの時代にも、飽くなき欲望に駆られる人間、自分の利益しか考えない人間、人類全体の福祉、人の理想、人類の全てに宿る神からの霊的遺産に対してまるで無頓着な人種がいるものです。

そうした種類の人間に対して皆さんは敢然と立ち向かわなくてはいけません。これは終りなき闘いです。貪欲と利己主義への闘いです。人類を本来の歩むべき道から堕落させ、折角の遺産を詐取しようとする連中です。

 私たちの説く真理はもとより愛する者を失った悲しみの人々に慰めをもたらしてあげることも大切な目的ですが、開発可能な人間の霊的資質の奥を披露し、虐げられた人々や生活に困窮している人たちの救済に身を捧げようとする者、地上の豊かな恵みをすべての人に平等に行きわたらすための活動に奉仕する人たちに、よろこびと勇気とを与えてあげることも目的としております。

 そうした使命を持つ私たちに、この戦時下にあって愛慕の念を失うことなく協力し続けて下さった皆さんを私は心から誇りに思っております。あなた方の協力なくしては推進できなかった困難な仕事でしたが、あなた方は、私にそれをお受けする資格があるとの自信が持てない程の忠誠心を持って、私への協力を惜しみませんでした。

 いついかなる時も、皆さんは私がきっと成就して見せますと約束した使命の継続を可能にしてくださいました。そのことに私は心から感謝しております。なぜなら、それが不安を抱えながら生きている人々に確信を与え、霊的知識の聖域へと導き、その聖域において生気を取り戻したその人たちが私たちに代わって霊的知識の普及に邁進してくれることになったからです。

 しかし、これまで成就してきたことは、これから成就していくべきものに較べれば、物の数ではありません。数えきれないほどの人々があなた方のなさっていることに、一抹の恐れを抱きつつも期待の眼差しを向け、苦悶の中にあって自分たちに幾らかでも慰めを与えてくれるだろうか、絶望の中にある自分たちに一かけらでも希望の光を与えてくれるだろうか、混沌としているこの時代に少しでも平穏をもたらしてくれるだろうかと思っております。

 そこに私達の耕す土地があります。そこに、何時かはきっと花を咲かせてくれる知識の種子を蒔いてあげたいのです。

 われわれは見せかけは独立した存在ですが、霊的には一大統一体を構成する部分的存在です。そうして、どこにいても、まわりには物的束縛から解放された先輩霊の一大軍勢が待機し、地上へ働きかけるための手段(受容性に富む人間)を求めて常時見張りを続けており、過去の過ちを繰り返さぬために、

そして平凡な日常生活から人間が叡知を学び地上生活が実のあるものになってくれるように霊的知識を少しでも多く授けたいと願っている、そうした事実を認識して、これからの仕事に臨もうではありませんか。われわれは愛と叡知によって導かれ、知識とインスピレーションによって支えられている、偉大にして遠大な目的のための道具であることを片時も忘れぬようにいたしましょう。

 願わくは託された使命に恥じないだけの仕事に励むことが出来ますように」

 同じ趣旨のことを別の交霊会で次のように訴えている。

 「私たちの仕事はこちら側とそちら側の双方に存在する〝無明〟という名のベール、人間精神が暗黒であるがゆえに生み出される愚かさと無知と迷信のベールを取り除くことです。

 あなた方は今まさに、その無知を助長し真理の普及を妨げ啓発と改善に抵抗してきた勢力の崩壊と解体を目の当たりにしておられます。そうした勢力はけっきょく私たちに霊的生活への備えが何もできていない人間的難破貨物、人生への海をいずこともなく漂う漂流物というツケを回してくれました。そうした人生の落伍者を啓発し、地上で犯した悪行のすべての償いをさせるための努力がえんえんと続けられねばならないのです。

 とは言っても、私たちは別に難解な真理を説いているのではありません。いたって単純なことばかりなのです。いたって分かり易い、筋の通ったことばかりであり、それがなぜこうまで誤解を受けなければならないのか、なぜこうまで反撃されねばならないのか、なぜこうまで敵意を向けられねばならないのか、ただただあきれ返るばかりなのです。

 もしも私たちのもたらすメッセージが人類に永遠の地獄行きを宣告し、いったん神に見放されたら二度と救われるチャンスはないと説き、神とは人間を憎しみをもって罰し、責め立て、ムチ打つことまでする恐ろしい魔神であると述べているのであれば、こうした敵対行為も容易に理解できましょう。

しかし私たちのメッセージは愛と奉仕のメッセージなのです。生命は永遠にして無限であり、死は存在しないこと、人間の一人一人が宇宙の創造という大目的の一翼を担う存在であると説いているのです。

人間は物的身体ではなく永遠なる霊的存在であり、年令とともに衰えることなく、内部の神性が開発されるに連れてますます光輝を増していく存在であると説いているのです。

 また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはないこと、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。

死は決して愛する者との間を永遠に引き裂くものでないこと、いつかは必ず再会の時が訪れること、それも、どこやら遠い遠いところにある摑みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりも遥かに実感のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。

 善はみずから報酬をもたらし、罪と悪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることも出来ません。誰にも出来ません。

たとえ豪華な法衣をまとっていても、あるいは高貴な〝上級聖職階〟を授かっていても、神とあなたとの間の仲介役の出来る人は一人もいないのです。

あなたに存在を与え、全生命を創造された大霊の力から片時も離れることは無いのです。苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更生のチャンスが与えられるのです。神から授かった才能が永遠に使用されることなく放置されることはありません。何時かはそれを存分に発揮できる環境が与えられます。

 以上、私たちが宣言する良い知らせの幾つかを述べてみました。真面目な男女の心にきっと喜びをもたらす事柄ばかりであるはずです。なのに私達は宗教界のリーダーを持って任じる者達からの反抗に遭っております。

地上世界を暗黒の奈落へと突き落とした張本人たち、復讐心に燃える神、残忍にして嫉妬深く、専横で独裁的で執念深い存在の物語をあふれさせた宗教家たち、教義の方が行為に優先するなどと説き、神の裁きも信仰の告白によってお目こぼしがあるかのように説く者たち、こうした者たちが私たちに反抗し、私たちの説く霊的真理は悪の親玉、暗黒の魔王が仕かけているワナであると宣伝する仕末です。

 しかし時すでに遅しです。彼らにはもはや人類の宿命をねじ曲げる力はありません。人間の一人一人に宿る霊性の発露を妨げることはできません。それが神の摂理なのです。いま私は彼らに対して酷しい言葉を用いましたが、私の心の奥では彼らに対する大いなる憐みの情を抱いております。

なぜなら私の目的は彼らを非難することではなく、真理と知識と叡知を普及することにあるからです。

 知識こそすべての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生から喜びと美しさと豊かさを見出すことはできません」

霊の書 アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)



第1部 根源


1章 神とは
〈神と無限〉 〈神の実在の証拠〉 〈神の属性〉 〈汎神論〉

2章 宇宙を構成する一般的要素
〈物質の根源的要素〉 〈霊と物質〉 〈宇宙空間〉

3章 創造
〈天体の形成〉 〈生命体の発生〉 〈人類の発生〉 
〈人種の多様性〉

4章 生命素
〈有機物と無機物〉 〈生と死〉 〈知性と本能〉



1章 神とは

このページの目次
〈神と無限〉 〈神の実在の証拠〉 〈神の属性〉 〈汎神論〉





〈神と無限〉


――神とは何でしょうか。


「神とは至高の知性――全存在の第一原理です」


――無限というものをどう理解すればよいでしょうか。


「始まりも終わりもないもの、計り知れないもの、知り尽くし得ないもの、それが無限です」


――神は無限なる存在であるという言い方は正しいでしょうか。


「完全な定義とは言えません。人間の言語の貧困さゆえに、人間的知性を超越したものは定義できません」
〈神の実在の証拠〉


――神が存在することの証拠として、どういうものが挙げられるでしょうか。


「地上の科学的研究の全分野における大原則、すなわち“原因のない結果は存在しない”、これです。何でもよろしい、人間の手になるもの以外のものについて、その原因を探ってみられることです。理性がその問いに答えてくれるでしょう」


――神の実在を人類共通の資質である直観力で信じるという事実は何を物語っているのでしょうか。


「まさに神が実在するということ、そのことです。なんとなれば、もしも実在の基盤がないとしたら、人間の精神はその直観力をどこから得るのでしょうか。その直観力の存在という事実から引き出される結論が“原因のない結果は存在しない”という大原則です」


――神の実在を直観する能力は教育と学識から生まれるのでしょうか。


「もしそうだとしたら原始人がそなえている直観力はどうなりますか」


――物体の形成の第一原因は物質の本質的特性にあるのでしょうか。


「仮にそうだとしたら、その特性を生み出した原因はどうなりますか。いかなる物にもそれに先立つ第一原因がなくてはなりません」


――造化の始源を気まぐれな物質の結合、つまりは偶然の産物であるとする説はいかがでしょうか。


「これまた愚かな説です。良識をそなえた者で偶然を知的動因とする者が果たしているでしょうか。その上、そもそも偶然とは何なのでしょう? そういうものは存在しません」


――万物の第一原因が至高の知性、つまり他のいかなる知性をも超越した無限の知性であるとする根拠は何でしょうか。


「地上には“職人の腕はその業を見れば分かる”という諺があります。辺りをごらんになり、その業から至高の知性を推察なさることです」
〈神の属性〉


――神の根源的本質は人間に理解できるでしょうか。


「できません。それを理解するための感性が人間にはそなわっていません」


――その神の神秘はいずれは人間にも理解できるようになるのでしょうか。


「物質によって精神が曇らされることがなくなり、霊性の発達によって神に近づくにつれて、少しずつ理解できるようになります」


――たとえ根源的本質は理解できなくても、神の完全性のいくばくかを垣間(かいま)見ることはできるでしょうか。


「できます。いくばくかは。人間は物質による束縛を克服するにつれて、神性を理解するようになります。知性を行使することによってそれを垣間見るようになります」


――神とは永遠にして無限、不変、唯一絶対、全知全能、至上の善と公正である、と述べても、属性の全てを表現したことにはならないでしょうか。


「人間の観点からすればそれで結構です。そうした用語の中に人間として考え得るかぎりのものが総括されているからです。

ですが、忘れてならないのは、神の属性は地上のいかなる知性をも超越したものであり、人間的概念と感覚を表現するだけの地上の言語をもってしては、絶対に表現できないということです。

神が今述べられたような属性を至高の形で所有しているに相違ないことは、人間の理性でも理解できるはずです。そのうちの一つでも欠けたら、あるいは無限の形で所有していないとしたら、神は全てのものを超越することはできず、従って神ではないことになります。全存在を超越するためには神は森羅万象のあらゆる変化変動に超然とし、想像力が及ぶかぎりの不完全さの一つたりとも所有していてはなりません」
〈汎神論〉


――神は物的宇宙とは別個の存在でしょうか、それとも、ある一派が主張するように、宇宙の全エネルギーと知性の総合体でしょうか。


「もしも後者だとすると、神が神でなくなります。なぜなら、それは結果であって原因ではないことになるからです。神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません。

神は実在します。そのことに疑いの余地はありません。そこが究極の最重要ポイントです。そこから先へ理屈を進めてはいけません。出口のない迷路へと入り込んでしまいます。そういう論理の遊戯は何の益にもなりません。さも偉くなったような自己満足を増幅するのみで、その実、何も知らないままです。

組織的教義というものをかなぐり捨てることです。考えるべきことなら身の回りにいくらでもあるはずです。まず自分自身のことから始めることです。自分の不完全なところを反省し、それを是正することです。その方が、知り得ようはずもないことを知ろうとするよりも、遥かに賢明です」


――自然界の全ての物体、全ての存在、天体の全てが神の一部であり、その総合体が神であるとする、いわゆる汎神論はどう理解すべきでしょうか。


「人間は、所詮は神になり得ないので、せめてその一部ででもありたいと思うのでしょう」


――その説を唱える者は、そこに神の属性のいくつかの実証を見出すことができると公言します。例えば天体の数は無限であるから神は無限であることが分かる。真空ないしは虚無というものが存在しないということは、神が遍在していることの表れである。神が遍在するがゆえに万物は神の不可欠の一部である。かくして神は宇宙の全ての現象の知的原因である、と。これには何をもって反論すべきでしょうか。


「理性です。前提をよく検討してみられるがよろしい。その不合理性を見出すのに手間は掛かりません」


訳注――カルデックが“かくかくしかじかの説を唱える者がいるが……”と述べる時、それはキリスト教系の説と思ってまず間違いない。同じ時代に米国の次期大統領の有力候補だったニューヨーク州最高裁判事のジョン・エドマンズがカルデックと同じような実験会に参加してその真実性を確信し、その信ずるところを新聞に掲載したことで轟きたる非難を浴び、ついに判事職を辞任するに至った原因も、その信念がキリスト教の教義と相容れないという、ただそれだけのことだった。カルデックも似たような非難を浴びていたであろうことは容易に想像できる。だからこそ〝序〟にあるような激励の文を霊団が寄せたのである。





2章 宇宙を構成する一般的要素

このページの目次
〈物質の根源的要素〉


――人類は物質の根源的要素についていつかは認識することになっているのでしょうか。


「いえ、地上には人間に理解できないものがあります」


――現在のところ人間には秘密にされていることも、いずれは理解できるようになるのでしょうか。


「魂が純化される度合いに応じてベールが取り払われて行きます。が、ある一定レベル以上のものを理解するには、これまでに開発されていない能力が必要となります」


――人間は科学的探求によって大自然の秘密をあばいて行けるでしょうか。


「科学的研究の才覚は人類の各方面における進歩のための手段として授けられたものです。しかし、現段階における才覚の限界を超えることはできません」


――そうした限界を超えた問題、つまり五感の範疇を超えているがゆえに通常の科学的研究の領域に属さない問題に関して、高級霊界からの通信を受けることは許されるでしょうか。


「許されます。それが有用であるとの判断が下されれば、神は科学では無力とみた範囲のことについて啓発を授けられます」
〈霊と物質〉


――物質は神と同じく永遠の過去から存在しているのでしょうか、それとも、ある特定の時期に創造されたのでしょうか。


「神のみぞ知る、と申し上げておきましょう。ただ、一つのヒントとして、人間の理性でも十分に推理できることを申し上げれば、無始無終の存在である神が一瞬たりともその活動を止めたことはないということです。その活動の始まりを限りなく遠い遠い過去まで溯っていっても、神が一瞬たりとも無活動の状態になった時期があったことを想像することはできません」


――物質とは一般に“広がりがあり”“五感に印象を与え”“貫通できないもの”と定義されておりますが、これで正しいでしょうか。


「人間の観点からすれば正しいと言えます。知り得たものを基準に定義するしかないからです。しかし、物質は人間がまだ知らずにいる状態でも存在できます。例えば人間の感覚で捉えられないほど霊妙な状態で存在し、それでいて物質の範疇に属します。もっとも人間にはそうは思えないでしょうけれど……」


――では、そちら側からはどう定義されますか。


「物質とは霊をつなぎ止めるもので、同時に霊に仕える道具であり、霊の働きかけによって活動するものである、と」


――霊とは何でしょうか。


「宇宙の知的根源素です」


――その究極の本性は何でしょうか。


「霊の本性を人間の言語で説明することは不可能です。人間の感覚には反応しませんから“もの”とは言えないでしょう。しかし我々にとっては“もの”です」


――霊は知性と同義ですか。


「知性は霊の本質的属性の一つです。が、両者は一つの根源素として融合していますから、人間にとっては同一物と言ってよいでしょう」


――霊は物質とは別個の存在でしょうか、それとも、ちょうど色彩が光の特性の一つであり音が空気の特性であるように、物質の特性の一つにすぎないのでしょうか。


「霊と物質とは全く別個の存在です。しかも、物質に知的活動を賦与するためには霊と物質との合体が必要です」


――その合体は霊自体の表現にとって必要なのでしょうか。


「人間にとっては必要です。なぜなら、人間は物質と離れた状態で感識するような有機的構造にはなっていないからです。現段階での人類は物質から独立した次元での感覚をそなえていません」


――物質のない霊、霊のない物質というものが考えられるわけでしょうか。


「もちろんです。ただし観念上のことですが……」


――すると宇宙には霊と物質の二つの要素が存在することになるのでしょうか。


「その通りです。そしてその両者の上に神すなわち万物の生みの親である創造主が君臨しています。この三つの要素が生きとし生けるもの全ての原理、言わば普遍的三位一体というわけです。

しかし、物質には霊との接着剤的媒介の役目をしている普遍的流動体が付属しています。物質と霊との質的差異が大きすぎるために、霊が物質に働きかけるための中間的媒介物が必要なのです。その観点から見るかぎり流動体は物的要素の中に入りますが、いくつかの点で霊的性質もそなえています。これを物質の範疇に入れるのであれば、霊も物的範疇に入れてもよいほど物的性質をそなえています。つまりは中間的存在ということです。

その流動体が物質の特性とさまざまな形で結合し、霊の働きかけを受けて、ご存じの心霊現象を演出しているわけです。それとて可能性のほんの一部にすぎません。この原始的ないし基本的な流動体は、そのように霊が物質に働きかけるための媒体であって、この存在なくしては物質は永久に他の存在と離れたままの存在でしかなく、重量を有するがゆえに(霊の働きかけによって)生ずるさまざまな特性を発揮することはできないでしょう」


――その流動体は我々のいう電流と同じものでしょうか。


「今の回答の中で物質の性質を無数の形で結合すると申しました。地上界でいう電気とか磁気といったものもその流動体の変化したものです。が、厳密に言えば、普遍的流動体はそうしたものよりも純度が高く、霊妙で、それ独自の存在を有していると考えてもよいでしょう」


――霊も“もの”であるからには、これを“知的物体”と呼び物質を“不活性の物体”と呼ぶ方がより正確ではないかと思うのですが……


「用語の問題は我々にとってはどうでもよろしい。人間どうしで通じ合えるような用語をこしらえることです。地上の論争の大半は、五感に反応しないものに関して地上の言語が不完全であるために、用語について共通の同意が欠けていることから生じています」


訳注――穏やかな調子で回答しているが、実際はあきれてまともな返答ができないというのが、この時の霊側の正直な心境であったと推察される。この回答の後にも、また他のほとんどの回答にもカルデックのコメントが付してあるが、スピリチュアリズム勃興の初期にはやむを得なかったにしても、今日ではポイントがズレているので削除した。今後とも、よくよく気の利いたもの以外は訳出しない。読者各自の理解力で読み取っていただきたい。


――密度は物質の本質的属性でしょうか。


「そうです。ただし人間がいう物質の属性であって、普遍的流動体としての物質の属性ではありません。この流動体を構成する霊妙な物質は人間には計量できません。にもかかわらず地上の物質の基本的要素です」


編者注――地上の物質の密度も、あくまでも相対的なものである。天体の表面からある一定の距離以上まで離れると“重量”はなくなる(無重力状態)。“上”とか“下”がなくなるのと同じである。


――物質は一つの要素から成っているのでしょうか、それとも複数の要素で構成されているのでしょうか。


「一種類の基本的要素でできています。とは言え、単純に見える物体も実際は基本的元素そのものでできているのではありません。物体の一つ一つが根源的物質の変化したものです」


――物質のさまざまな特性はどこから生じるのでしょうか。


「各種の基本分子が合体したり、ある条件の作用を受けたりすることによる形態の変化によって生じます」


――その観点から言えば、各種の物体の特性、芳香、色彩、音色、有毒か健康に良いかといったことも皆、たった一つの基本的物質が変化したその結果にすぎないことになるのでしょうか。


「まさしくその通りです。そして、そうしたものを感知するように出来あがっている器官の機能のおかげでもあります」


――同じ基本的物質がさまざまな形態に変化し、さまざまな特性をそなえることが出来るわけでしょうか。


「その通りです。そして“全ての中に全てが存在する”という格言はその事実のことを言っているのです」


――その説は、物質の基本的特性は二つしかない――力と運動であるとし、その他の特性は全て二次的な反応にすぎず、その力の強さと運動の方向によって違ってくる、という説を支持しているように思えますが、いかがでしょうか。


「その説自体に間違いはありません。ただし、それにさらに“分子の配列の形態によって”という条件を付け加えないといけません。例えば不透明な物体が分子の配列しだいで透明になり、その逆にもなることはご存じでしょう」


――物質の分子には形態があるのでしょうか。


「あります。そのことに疑問の余地はありませんが、人間の感覚器官では確認できません」


――その形態は一定不変ですか、それとも変化しますか。


「原始的基本分子は不変ですが、基本分子の団塊である副次的な分子は変化します。地上の科学で分子と呼んでいるものは副次的なもので、まだまだ基本分子とは程遠いものです」


訳注――原始的基本分子を人間の科学では最初“原子”と呼び、その後“素粒子”と呼び、最近では“クォーク”と呼んでいる。これこそ物質の究極の相だろうと思ったものが、こうして次々と覆され、一九九四年には“トップクォーク”の存在が確認されている。が、右の回答は百年前のものとはいえ、このトップクォークでさえまだまだ究極のものではなさそうな感じを抱かせる。いずれにしても物質というものが五感で慣れ親しんでいるものとは全く違うもので、その意味で我々は仮相の世界、言わば錯覚の世界に生きていることがよく分かる。「そうしたものを感知するようにでき上がっている器官のおかげでもあります」というのはその辺を言いたかったのであろう。
〈宇宙空間〉


――宇宙空間は無辺でしょうか、それとも限りがあるのでしょうか。


「無辺です。もしもどこかに境界があるとしたら、その境界の向こうは一体どうなっているのでしょう? この命題は常に人間の理性を困惑させますが、それでも、少なくとも“それではおかしい”ということくらいは理性が認めるはずです。無限の観念はどの角度から捉えてもそうなります。人間の置かれている条件下では絶対に理解不可能な命題です」


――宇宙のどこかに絶対的真空というものが存在するのでしょうか。


「いえ、真空というものは存在しません。人間から見て真空と思えるところにも、五感その他いかなる機器でも捕らえられない状態の“もの”が存在しています」






3章 創造

このページの目次
〈天体の形成〉


――物的宇宙は創造の産物でしょうか、それとも神と同じく永遠の過去から存在し続けているのでしょうか。


「もちろん宇宙がみずからをこしらえるはずはありません。もしも神と同じく永遠の過去からの存在であるとしたら、それは神の業(わざ)ではないことになります」


――どのようにして創造されたのでしょうか。


「有名な表現を借りれば“神のご意思によって”です。神が“光よあれ”と言われた。すると光が生まれた。この“創世記”の言葉以外に、全能の神のあの雄大な働きをうまく表現したものはありません」


――天体が形成されていく過程を教えていただけませんか。


「人間の理解力の範囲内でこの命題に答えるとすれば、空間にまき散らされた物質が凝縮して天体となった、と表現するしかありません」


――彗星は、天文学で推測されている通り、その物質の凝縮の始まり、つまり形成途上の天体なのでしょうか。


「その通りです。ただし、彗星にまつわる不吉な影響を信じるのは愚かです。すべての天体には、ある種の現象の発生にそれぞれの役割分担があります」


――完成された天体が消滅し、宇宙のチリとなって再び天体として形成されるということはありませんか。


「あります。神は、天体上の生き物を新しくつくり変えるように、天体そのものも新しくつくり変えます」


――天体、たとえばこの地球が形成されるのに要した時間は分かるでしょうか。


「それは我々にも分かりません。創造主のみの知るところです。いかにも知っているかのごとき態度で長々と数字を並べたりするのは愚か者のすることです」
〈生命体の発生〉


――地球上の生物はいつ頃から生息するようになったのでしょうか。


「天地初発(あめつちはじめ)の時は全てが混乱の状態で、あらゆる原素が秩序もなく混じり合っていました。それが次第に落ちつくべき状態に落ちつき、その後、地球の発達段階に応じて、それに適合した生物が出現して行きました」


――その最初の生物はどこから来たのでしょうか。


「どこからというのではなく、地球そのものに“胚”の状態で含まれていて、発生に都合のよい時期の到来を待っておりました。地球の初期の活動がようやく休止すると、有機的原素が結合して地上に生息するあらゆる生物の胚を形成しました。そして各々の種に生気を賦与する適切な時期の到来まで、その胚はさなぎや種子と同じように、不活性の状態で潜伏していました。やがてその時期が到来して発生し、繁殖して行きました」


――その有機的原素は地球が形成される以前はどこに存在していたのでしょうか。


「言うなれば流動体的状態で空間や霊界、あるいは他の天体に存在し、新しい天体での新たな生命活動を開始すべく、地球の造成を待っておりました」


――今でも自然発生しているものがあるのでしょうか。


「あります。ですが、潜在的には胚の状態で以前から存在しているのです。その例なら身のまわりに幾らでもあります。例えば人間や動物の体には無数の寄生虫が胚の状態で存在していて、生命がなくなると同時に活動を開始して腐敗させ、悪臭を放ちます。人間の一人一人が、言うなれば“眠れる微生物の世界”を内部に含んでいるのです」
〈人類の発生〉


――ヒトの種も有機的原素の一つとして地球に含まれていたのでしょうか。


「そうです。そして創造主の定めた時期に発生したのです。“人間は地のチリから造られた”という表現はそこから来ています」


――そのヒトの発生、および地上の他の全ての生物の発生の時期は確認できるのでしょうか。


「できません。あれこれと数字を並べる霊がいますが、何の根拠もありません」


――人類の胚が有機的原素の中に含まれていてそれが自然発生したとなると、今でも(生殖作用によってでなく)自然発生的にヒトの種が誕生してもよさそうに思えるのですが……


「生命の起原のことは我々にも秘密にされております。ただ断言できることは、最初の人類が発生した時に、すでにその内部に、その後の生殖活動によって繁殖していくために必要な要素を全て所有していたということです。他の全ての生物についても同じことが言えます」


――最初の人間は一人だったのでしょうか。


「違います。アダムは最初の人間でもなく、唯一の人間でもありません」


――アダムが生きていた時代を特定できますか。


「大体“創世記”にある通りです。キリストより四〇〇〇年ほど前です」


編者注――アダムという名で記録にとどめている人物は、当時地球上を襲った数々の自然災害を生き抜いた幾つかの人種の一つの長であろう。
〈人種の多様性〉


――地上の人種に身体的ならびに精神的な差異が生じた原因は何でしょうか。


「気候、生活形態、社会的慣習などです。同じ母親から生まれた二人の子供でも、遠く離れた異なる環境条件のもとで育てられると、それぞれに違った特徴を見せるようになります。とくに精神的には全く違ってきます」


――人類の発生は一か所だけでなく地球上の幾つもの地域で行われたのでしょうか。


「そうです。それも、幾つもの時代に分けて行われました。このことも人類の多様性の原因の一つです。原始時代の人間はさまざまな気候の地域へ広がり、他の集団との混血が行われたので、次々と新しいタイプの人類が生まれて行きました」


――その違いが種の違いを生んだのでしょうか。


「それは断じて違います。全ての民族で人類という一つの家族を構成しています。同じ名前の果実にいろいろな品種があっても、果実としては一つであるのと同じです」


――人類の始祖が一つでなく地球上で幾つも発生したということは、互いに同胞とは言えないことになるのではないでしょうか。


「創造主とのつながりにおいては全ての人種は一つです。同じ大霊によって生命を賦与され、同じ目的に向かって進化しているからです。人間はとかく言葉にこだわり、表現が異なると中身も異なるかに解釈しがちですが、言葉というのは不十分であり不完全なものです」
〈地球外の生息地〉


――宇宙空間を巡っている天体の全てに知的存在が生息しているのでしょうか。


「そうです。そしてその中でも地球は、人間が勝手に想像しているような、知性、善性、その他の全般的な発達において、およそ第一級の存在ではありません。数え切れないほど存在する天体の中で地球だけが知的存在が生息する場である――神は人類のために宇宙をこしらえたのだと豪語する者がいるようですが、浅はかな自惚れもここに極まれりという感じです」


――どの天体も地質的構成は同じなのでしょうか。


「同じではありません。一つ一つが全く違います」


――あれほどの数の天体がありながら、その組成が同じものが二つとないとなると、そこに生息している存在の有機的組成も異なるのでしょうか。


「当然です。地上でも魚は水の中で生きるようにできており、鳥は空を飛ぶようにできているのと同じです」


――太陽から遥か遠く離れた天体は光も熱も乏しく、太陽が恒星(星)の大きさにしか見えないのではないでしょうか。


「あなたは光と熱の源は太陽しかないとでも思っていらっしゃるのですか。また、ある天体上では電気の方が地上より遥かに重要な役割を果たしている事実をご存じですか。そういう世界でも地球と同じように眼球を使って物を見ているとでも思っていらっしゃるのですか」


訳注――カルデックの質問の中には時おり「おや?」と思うようなものが出てきて訳者を戸惑わせることがある。奥さんと共に私塾を開いて天文学、物理学、解剖学といった、当時としては最先端の学問を教えていたようであるが、百年以上も昔のことであるから、その幅も奥行きも現代とは比較にならないものであったことは容易に想像がつく。

この質問も太陽も恒星の一つで銀河系には二〇〇〇億個もの恒星があり、その中でもわが太陽はごく小さい部類に属するので、このような質問はナンセンスである。が、回答の中で眼球を必要としない知的存在がいることを暗示しているので、それが大きな暗示を与えてくれると思って訳出した。コウモリは声帯から出す超音波で一瞬のうちに距離を計って飛び回り、イルカも超音波で信号を出し合って連絡し合っているという。眼球や耳のない人間的存在がいても不思議ではないのである。






4章 生命素

このページの目次
〈有機物と無機物〉


――物質の原素を合体させる力は有機物の場合も無機物の場合も同じものですか。


「同じものです。親和性の法則は全てに同じです」


――有機物と無機物とではどこが違うのでしょうか。


「物質でできている点は双方とも同じです。が、有機物においてはその物質が活性化されています」


――その活性化の原因は何でしょうか。


「生命素との一体化です」


――その生命素は何か特殊な作用因子の中に存在するのでしょうか、それとも組織をもつ物体の一要素にすぎないのでしょうか。つまり、それは原因なのか結果なのかということです。


「両方です。生命というのは物質へのある因子の働きかけによって生じた結果です。しかしこの因子も、物質がなければ生命を生み出すことはできませんし、物質もこの因子の働きかけなしには活性化されません。生命素はそれを受け止めて一体化するものに生命を賦与するということです」


――これまで私は霊と物質が宇宙の二大主要構成要素であると思っておりました。この生命素は第三の要素なのでしょうか。


「宇宙を構成する不可欠の要素の一つであることは論をまちません。しかし、その源は普遍的物質の変化にあります。その目的に即して変化したものです。人間にとっては酸素や水素と同じく原素ですが、究極の要素ではありません。人間に知られている原素は全て、究極の原素のように思えても実質は基本的流動体の変化したものです」


――今のご説明ですと、活力というのはそれ自体が独立した因子ではなく、普遍的流動体の特殊な要素で、それがある種の変化を遂げたものということになりそうですが……


「その通りです。これまで述べたことを結論づければ当然そうなります」


――その生命素は人間に知られているあらゆる物体に内在しているのでしょうか。


「その源は普遍的流動体にあります。いわゆる磁気流とか電流と呼ばれているものが活性化されたものです。霊と物質との中間的存在です」


――生命素は有機的存在の全てに共通したものでしょうか。


「同じものですが、種によって変化が加えられています。動きと活動の原動力となっているのがその生命素で、その点がただの物質とは異なるところです。物質も動きますが、自発的な動きではありません。物質は動かされるもので、動きを生み出すことはありません」


――活力はその生命素の不変の属性なのでしょうか、それともその活力を生み出している器官の働きによるのでしょうか。


「活力は生命素が物体とつながることによって初めて生じます。さきほどこの因子(生命素)は物質がなければ生命を生み出せないと申し上げたはずです。生命の生産には両者の合体が必要です」


――生命因子が物体と合流しないうちは活力は潜在状態にあると考えてよろしいでしょうか。


「その通りです」
〈生と死〉


――有機体の死の原因は何でしょうか。


「器官の活力の枯渇です」


――その死を機械が故障して動きが止まった状態になぞらえるのは正しいでしょうか。


「いいでしょう。機械が故障すれば動きが止まります。身体が病に冒されれば生命は引っ込みます」


――心臓病による死亡率が他の臓器よりも高いのはなぜでしょうか。


「心臓は生命を生み出す器官です。ですが死をもたらすのは必ずしも心臓の病気だけではないでしょう。心臓は身体という機械を動かす必須の機関の一つにすぎません」


――有機体の身体と生命素は死後どうなるのでしょうか。


「身体は分解して新しい物体の構成要素として使用されます。生命素は普遍的流動体の海の中へ帰ります」
〈知性と本能〉


――知性は生命素の属性ですか。


「違います。その証拠に、植物は生命を有しながら思考力はありません。有機的生命を有するのみです。知性と物質との間には何の依存性もありません。ただし、物体は知性がなくても存在できますが、知性は物的器官を通じないと意思表示ができません。活性化された物質(肉体)が霊と一体となって初めて知的活動が可能となります」


編者注――それゆえ地上の存在物は三つに大別できる。第一は、物質のみの不活性の存在で、生命も知性もない、無機物の世界。第二は、物質でできた身体と活力を有するが、知性を持たない、動植物の世界。そして第三が活力ある身体と、思考力を生み出す知的原理をそなえた人類。


――知性の始源は何でしょうか。


「普遍的知性です」


――こういう定義はいかがでしょうか。すなわち、知的存在は各自が普遍的始源から知性の一部を引き寄せ、引き寄せつつ吸収し、同時に生命素も吸収する、と。


「そういう定義はおよそ真相から離れています。知性というのは各自その分に応じて授けられる能力で、精神的個性の一部を形成するものです。

さらに言わせていただけば、宇宙には人間に絶対理解できないことがいろいろあります。知性の始源も、現段階の人類にとっては、その中に入ります」


――本能というのは知性とは何の関係もないのでしょうか。


「そう明確に断定することはできません。と言うのは、本能も知性の一種であることには違いないからです。本能は言わば論理的思考力をもたない知性です。進化の階梯の低い段階にある存在は、この本能によって必要性を満たします」


――知性と本能との違いを一線で画すことはできますでしょうか。つまり、ここまでが本能でここからが知性、という具合に。


「できません。双方が混じり合っていることがよくあります。しかし、本能から出た行為と知性から出た行為とは明確に見分けることができます」


――知的能力の発達とともに本能が退化すると考えてよいでしょうか。


「それは違います。本能は本能として存在しつづけます。人間がそれを軽視しているだけです。本能も理性と同じように正しい方向へ導いてくれることがあります。その導きはまず間違いなく感得できるものです。時には理性的判断よりも確かなことがあります。決して脱線することはありません」


――なぜ理性的判断が必ずしも頼りにならないのでしょうか。


「間違った教育、自惚れ、私利私欲によって歪められさえしなければ理性は正しい判断を下します。本能は論理を超えて直覚的に判断を下します。理性は常に選択の余地を残し、人間に自由意志を与えます」

霊の書 アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book
スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)


本書について

カルデックによる『霊の書』は、シルバーバーチの霊訓、モーゼスの霊訓と並ぶ最高級レベルの霊訓です。まさしく人類にとって最高の宝、スピリチュアリズムの“三大霊訓”と言えるものです。

本書は仏人アラン・カルデックが、通信霊、聖ルイにありとあらゆる質問を投げかけ、これに対する答えを得るという形で進められています。そのため、スピリチュアリズムの細部にわたるまで実に手にとるように明らかにされ、スピリチュアリズムの真理の全てが理解されるようになっています。




アラン・カルデックの生涯と業績

カルデックは本名をイポリット=レオン=ドゥニザール・リヴァイユといい、一八〇四年にフランスのリヨンで生まれている。アラン・カルデックというペンネームは、いくつかの前世での名前の中から背後霊団の一人が選んで合成して授けたものである。


家系は中世のいわゆるブルジョワ階級で、法官や弁護士が多く輩出している。初等教育はリヨンで修めたが、向学心に燃えてスイスの有名な教育改革家ペスタロッチのもとで科学と医学を学んだ。


帰国して二十八歳の時に女性教師と結婚、二人で新しい教育原理に基づいた私塾を開設する。が、偶発的な不祥事が重なって、塾を閉鎖せざるを得なくなり、リヨンを離れ、幾多の困難と経済的窮乏の中で辛酸をなめる。が、その間にあっても多くの教育書や道徳書をドイツ語に翻訳している。


その後名誉を回復して多くの学会の会員となり、一八三一年にはフランス北部の都市アラスの王立アカデミーから賞を授かっている。一八三五年から数年間、妻とともに自宅で私塾を開き、無料で物理学、天文学、解剖学などを教えている。


スピリチュアリズムとの係わり合いは、一八五四年に知人に誘われて交霊会に出席したことに始まる。そこでは催眠術によってトランス状態に入ったセリーナ・ジェイフェットという女性霊媒を通して複数の霊からの通信が届けられていた。


すでにその通信の中にも“進化のための転生”の教義が出ていて、一八五六年にはそれがThe Spirits'Bookのタイトルで書物にまとめられていた。が、その内容にはまだ一貫性ないし統一性がなかった。それが本格的な思想体系をもつに至るのは、カルデックがビクトーリャン・サルドゥーという霊能者が主催するサークルに紹介されて、そこで届けられた通信の中で、カルデックが本格的な編纂を委託されてからだった。それが同じタイトルで一八五七年に出版され、大反響を呼んだ。


このように、カルデックは霊界通信によってスピリチュアリズムに入り、当初は物理的心霊現象を軽視していた。さらに、スピリチュアリズム史上もっとも多彩な現象を見せたD・D・ホームと会った時に、ホームが個人的には再生(転生)説を信じないと言ったことで、ますます物理現象を嫌うようになった。


その後カルデックも物理現象の重要性に目覚める。「霊媒の書」がその証と言えるが、フランスでの心霊現象の研究は、カルデックの現象嫌いで二十年ばかり遅れたと言われている。


一八六九年に心臓病で死去。六十五歳。遺体はペール・ラシェーズ墓地にあり、今なお献花する人が絶えない。


業績は多方面にわたり、多くの学術論文を残しているが、著書としてはThe Spirits'Book(本書)、The Mediums'Book(「霊媒の書」)の他にHeaven and Hell(天国と地獄)、The Four Gospels(四つの福音書)など、スピリチュアリズム関係のものが多い。編者まえがき

これまでに明かされたいかなる法則によっても説明のつかない現象が、今、世界各地で発生している。そしてその原因として、自由意志をそなえた見えざる知的存在の働きかけがクローズアップされてきている。

理性的に考えれば、知的結果には知的原因があるはずである。事実、さまざまな事象から、その知的存在は物的符丁を使用することによって人間と交信することが可能であることが証明されている。

その知的存在の本性を追求してみると、かつては我々と同じく地上で生活したことがあり、肉体を捨てたあと霊的存在として別の次元の世界で存在し続けていることが分かってきた。かくして霊の実在ということが厳然たる事実となってきたのである。

その霊の世界と地上世界との間の交信も自然現象の範疇に属し、そこには何一つ摩訶不思議はないことが分かっている。その交霊の事実は世界のいずれの民族にも、そしてまたいつの時代にもあったことが史実として残っているだけでなく、今日では一般的でごく当たり前のこととなりつつある。

その霊たちが断言するところによると、大霊が定めた死後存続の事実の世界的規模での顕現の時節が今まさに到来し、大霊の使徒でありその意志の道具である彼らの使命は、新しい啓示を通して、人類の霊的革新の新時代を切り開くことにあるという。

本書は、その新しい啓示の集大成である。これまでの一宗一派の偏見と先入観を排除した理性的哲学の基盤を確立することを目的として、高級な霊格をそなえた霊団による指導と指令によって書き上げられたものである。その中には霊団の意図の発現でないものは一切ない。また、項目の配列とそれに付したコメント、さらには、ところどころで採用した表現形式は、本書の刊行を委任されたこの私の責任において工夫したものであるが、いずれに関しても霊団側の是認を受けている。

本書上梓に参画してくれた霊団のメンバーの多くは、時代こそ違え、かつてこの地球上に生をうけ、教訓を説き、徳と叡知を実践した人たちであることを自ら認めている。その名を歴史に留めていない人物も少なくないが、その霊格の高さは、教説の純粋さと、そうした高名な歴史上の人物との一致団結ぶりによって、十分に立証されている。

では本書の編纂開始に際してその霊団の総意として寄せられた、私への激励を込めたメッセージを披露させていただく。

アラン・カルデック



カルデックへの、霊団からの激励のメッセージ


我々との協調関係のもとに行うこの仕事に着手するに当たって、そなたに対して熱誠と忍耐とを要請したい。これは実質的には我々の仕事だからである。これから編纂される書物の中に、全人類を愛と慈悲の精神において一体たらしめる新しい殿堂の基盤を構築したいと思う。完成後それを世に出す前に我々がその全編に目を通し、誤りなきを期したい。

質(ただ)したいことがあれば遠慮なく呼び出すがよい。いついかなる時でも力になるであろう。すでに明かしたごとく、我々には大霊から割り当てられた使命があり、本書の編纂はその使命の一端にすぎない。

これまでに明かした教説の中には、当分はそなたの内に秘しておくべきものもある。公表すべき時期が到来すれば、さよう告げるであろう。それまではそなた自身の思考の糧として、じっくり温めておくがよい。課題として取り扱うべき時期が到来した折に理解を容易にするためである。

巻頭に我々の描いたブドウの蔓(つる)の絵を掲げてほしい。これは、創造主による造化の仕事の象徴である。身体と霊を象徴する要素が合体している図である。蔓が身体を表し、樹液が霊を表し、ブドウの実が両者の合体を表す。人間の努力は樹液という潜在的資質を呼び覚ます。すなわち、努力によって獲得される知識を通して、身体が魂に潜在する霊的資質を発達させるのである。

これより先そなたは、敵意に満ちた非難に遭遇することであろうが、それによって怯(ひる)むようなことがあってはならぬ。とくに既存の悪弊に甘んじて私利私欲を貪(むさぼ)る者から、悪意に満ちた攻撃を受けることであろう。

人間界にかぎらぬ。同じことを霊界から受けることもあろう。彼らは物的波動から抜け切らずに、憎しみと無知から、スピリチュアリズムへの疑念のタネを蒔き散らそうと画策する。

神を信じ、勇猛果断に突き進むがよい。背後より我々が支援するであろう。スピリチュアリズムの真理の光が四方に放たれるようになる時節も間近い。

全てを知り尽くしたかに自惚れ、全てを既存の誤れる教説で片付けることで満足している者たちが真っ向から抵抗するであろう。しかし、イエスの偉大なる愛の原理のもとに集(つど)える我々は、あくまでも善を志向し全人類を包摂する同胞愛の絆のもとに結ばれている。用語の差異についての下らぬ議論をかなぐり捨てて、真に価値ある問題へ向けて全エネルギーを注いでいる。地上時代の宗派の別を超えて、高き界層の霊からの通信から得られる確信にはいささかの相違もないのである。

そなたの仕事を実りあるものにするのは、一(いつ)に掛かって忍耐である。我々が授けた教説が本書を通して普及し、正しく理解されることによってそなたが味わう喜びは、また格別なるものがあろう。もっとも、それは今すぐではなく遠い未来のことかも知れぬが……。

疑り深き人間、悪意に満ちた者たちがバラ撒くトゲや石ころに惑わされてはならぬ。確信にしがみつくことである。その確信こそが我々の援助を確かなものにし、その援助を得てはじめて目的が達成されるのである。

忘れてはならぬ。善霊は謙虚さと無私無欲の態度で神に奉仕する者にのみ援助の手を差し延べる。霊的なことを世俗的栄達の足掛かりにせんとする者は無視し、高慢と野心に燃える者からは手を引く。高慢と野心は人間と神との間に張りめぐらされる障壁である。それは天界の光線を見えなくする。光の見えぬ者に神は仕事を授けぬということである。