Thursday, February 5, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
七章 天界の大軍、地球へ



4 第十界へのご到着

一九一九年三月十一日  火曜日

 吾々は第十界の高台に集合しました。人里離れた場所で、住居もまばらでした。建物はそのほとんどが中央の大塔との連絡のために使用されるものです。大塔は常時広大な地域にわたって眺望をきかせております。

──それは、もちろん、あなたが前にお話になった大聖堂の住民になられる以前の話ですね?

 そうです。(これから語る)ご降臨に際してキリストを拝したのは、ご降臨全体としてはずっと後半のことです。

当時の私はすでに第十界まで向上しており、その界の住民としての期間はかなり長期間に及んでいました。キリストがようやく十界の境界域に到達されたのは私が十界にいた時のことです。

 そのとき吾々は遠くの山脈に目をやっておりました。透き通るような光輝に映え、緑と黄金の色合いをしておりましたが、それに変化が生じはじめました。

まず緑が琥珀色を通して見た赤いバラのように、赤味がかったピンクになりました。それが次第に光沢を深めていき、ついに山並み全体が純金の炎のごとく輝きました。その中で従者が先頭をきって右へ左へと動き、それが光の波となってうねるのが見えます。

そのうちその従者の姿が吾々の方へ向けて進んでくるのが見えはじめました。キリストから放たれる光の雲を背景として、その輪郭をえどるように位置しております。

それぞれに憐憫たる光輝を放ち、雄大な容姿とそれに似合った霊力を具えておられます。

男性と女性です。それに、そこここに、男女が一体となった天使がいます。二つにして一つ、一つにして二つ──この話はこれ以上は述べません。

その神秘は貴殿には理解できないと思うからです。私も言語では表現しかねます。両性でもなければ中性(無性)でもありません。この辺で止めておきましょう。見るからに美しい存在です。男性というには柔和さが強すぎ、女性というには威厳が強すぎる感じがいたします。

 その一団が吾々の界の環境条件に波長を合わせつつ進入し、全天空を光輝と壮観で満たしたのです。吾々の足もとまで降りて来られたのではありません。

上空を漂いつつ、あたかも愛のそよ風のごとく、それでいて力に溢れ、深遠にして神聖なる神秘への理解力を秘めた優しさと安らぎの雫(しずく)を落としてくださるのでした。

その愛のしるしが降りそそがれる毎に吾々は、それまで理解の及ばなかった問題について啓発され、これから始まる仕事への力量を増すことになりました。

 天使の中には、大気が稀薄で吾々住民のほんの少数の者にしか永住困難な(そのときは一人の姿も見当たらなかった)高い峰に位置を取っておられる方がいました。

あるグループは一つの峰に、もう一つのグループはそれより遠く離れた峰に、という具合に位置して、全域を円形に囲み、その区域内の山と山との間にさらに幾つかのグループが位置しておりました。

 そのように位置を構えてからお互いに器楽と声楽による音楽で呼びかけ合い、それが一大ハーモニーとなって全天空に響きわたりました。

その音楽がまた新たな影響を吾々に及ぼしました。さきの愛の雫とは別に、あたかも安らかに憩う吾が子をさらに深き憩いへと誘う母の甘いささやきのごとき優しさを加えたのでした。

 やがて地平線の色調が深まって深紅色と黄金色とになりました。まだ黄金が主体でそれに深紅が混じっている程度でしたが、これでいよいよキリストが吾々の界のすぐそこまで来られたことを察知いたしました。

 そして、ついにお出ましになられました。そのお姿を現された時の様子、あるいはその顕現全体の壮観を私はいったいどう表現すればよいでしょうか。それを試みようとするだけで私は恐怖のあまり躊躇してしまうのです。

それはあたかも宮廷の道化師に君主が載冠に至る様子を演じさせ、その粗末な帽子でもって王冠を戴く様子を演じさせ、粗末な一本の棒切れでもって王笏(しゃく)を手にした様子を演じさせ、粗末な鈴でもって聖歌隊の音楽に似させることを命じるようなもので、

それは君主への不敬をはたらくこと以外の何ものでもありません。いま私が試みようとして躊躇するのはそれを恐れるからです。

 しかしもしその道化師が君主をこよなく尊敬しておれば、持てる力を総動員して人民に対する君主の振舞を演じ、同時にそのパロディ(粗末な模倣)が演技力と道具の不足のためにいかに実際とは似ても似つかぬものであるかを正直に述べるであろう。

私もそれに倣(ナラ)って、謙虚さと真摯な意図を唯一の弁明として語ってみましょう。

 キリストを取り巻く光輝はますますその強さと広がりとを増し、ついに吾々のすべてがその中に包み込まれてしまいました。

私からもっとも遠く離れた位置にいる仲間の姿が明確に識別できるほどになりました。それでも全体の大気はバラ色がかった黄金色を帯びていました。吾々の身体もその清澄な霊力の奔流に洗われていました。

つまりキリストは吾々全体を包むと同時に一人一人をも包んでおられたのです。吾々はまさにキリストその人とその個性の中に立ちつくし、吾々の中にもまわりにもキリストの存在を感じていたのです。

その時の吾々はキリストの中に存在を保ちつつ、しかもキリストの一部となり切っておりました。しかし、それほどまで吾々にとって遍在的存在となっても、キリストは外形をまとって顕現なさろうとはしませんでした。

 私にはキリストが吾々の周辺や頭上にいらっしゃるのが分かるのです。それは言葉ではとても表現が困難です。身体を具えた局所的存在として一度にあらゆる場所におられるようであり、それでいて一つの存在なのです。

そう表現するほかに良い表現が思い当たりません。それも、およそうまい表現とは言えません。

私が思うに、キリストの全人格からまったく同じものを感じ取った者は、吾々の中にはいなかったのではないでしょうか。私にとっては次に述べるようなお方でした。

 体軀はとても大きな方で、人間二人ほどの高さがありましたが、でっかいものという印象は与えません。〝巨人〟のイメージとは違います。吾々と変わるところのない〝人間〟なのですが、体軀だけでなく内面性において限りない高貴さを具えておられます。

頭部に冠帯を付けておられましたが、紅玉(ルビー)と黄金(ゴールド)が交互に混ざり合った幅の広い、ただのバンドです。

両者が放つ光は融合することなく、ルビーは赤を、ゴールドは黄金色を、それぞれに放っております。それが上空へ向けて上昇して天空いっぱいに広がり、虚空に舞う天使のロープに当たって一だんとそのロープの美しさを増すのでした。

 おからだは全身の素肌が輝いてみえましたが、といって一糸もまとっていないのでもありません。矛盾しているようですが、私が言わんとしているのは、まずその全身から放たれた光彩がその地域のすみずみにまで至り、すべてをその輝きの中に包みます。

するとその一部が吾々が抱いている畏敬の念というスクリーンに反射し、それが愛の返礼となってキリストのもとに返り、黄金の鎧のごとくおからだを包みます。その呼応関係は吾々にとってもキリストにとってもこの上なく快いものでした。

キリストは惜しげもなくその本来の美しさの奥の院の扉を開いてくださる。そこで吾々はその儀式にふさわしい唯一の衣服(畏敬の愛念)を脱ぎ、頭を垂れたままそれをキリストのおからだにお掛けする。そして優しさと崇敬の念に満ちた霊妙なる愛をこめてキリストへの絶対的信頼感を表明したのでした。

 しかしそれ以前にもすでにキリストの栄光を垣間見ておりましたから(六章Ⅰその他)、キリストの本来の力はそれでもなお控え目に抑えられ、いつでも出せる態勢にあることを知っておりました。

キリストは何一つ身にまとわれなくても、吾々配下の軍勢からの(畏敬の念という)贈りものを金色(こんじき)の鎖帷子(くさりかたびら)としてまとっておられたのです。

贈りものとはいえ所詮はすべてキリストのものである以上、キリストからいただいたものをお返ししたにすぎません。(ロープで隠されているはずの)おみ足がはだけておりました。

と言うのは、吾々からの贈りものは吾々がいただいたものには及ばず、その足りない分だけロープの長さが短かくなり、足くびのところで終っていたのです。

 そのキリストがここの一団、そこの一団と次々と各軍団のもとをまわられる時のお顔はいやが上にも厳粛にして哀れみに満ちておりました。

それでいて最初に姿を現された中心的位置を離れるようにも見えないのです。そのお顔の表情を私は、広げられた巻きものを見るように、明瞭に読み取ることができました。

その厳粛さは、口にするのも畏れ多き天上界──罪と無縁ではないまでも知識として知るのみで体験として知ることのないキリスト界からたずさえて来られたものであり、一方哀れみはほかのカルバリの丘での体験から来ておりました。

その二つが神にして人の子たるキリストの手によって天と地の中間において結ばれているのです。キリストは手をかざして遠く高き界層の天使へと目を向け、罪多き人間のために何を為さんとしているかを見届けながら、地球よりその罪の雫をみずからの額に落とされ、その陰影によってお顔を一だんと美しくされます。

かくして崇高なる厳粛さと悲しみとが一つに融合し、そこから哀れみが生じ、以来、神的属性の一つとなったのです。

 さらには愛がありました。与えたり与えられたりする愛ではありません。すべてを己れの胸の中に収め、すべてのものと一体となる愛。その時のキリストは吾々を包み込み、みずからの中に収められたのでした。

 また頭上には威厳が漂っておりました。それはあたかも全天の星を腕輪(ブレスレット)に、惑星をしたがえた太陽を指輪(シグネット)にしてしまうほどの、大いなる威厳でした。

 このようにしてキリストはお出ましになり、このような姿をお見せになったのです。それは今では過去のものとなりました。が、今なおその存在感は残り続けております。

吾々がいま拝するキリストはその時のキリストとは異なりますが、見ようと思えばいつでもそのシーンを再現し臨場感を味わうことができます。これも神秘の一つです。私は次のように考えております──主は地上へと去って行かれた。

が、そのマントのすそが伸びて、通過していった界層のすべてを光で包まれた。さらに下へ下へと進まれ、ついにかの地球を取り囲む毒気に満ちた濃霧のごとき大気の中へと入って行かれた・・・・・

 その威厳に満ちたご尊顔に哀れみの陰を見ている吾々の心に主を哀れむ情が湧くのを禁じ得ませんが、同時に敬愛と崇拝の念も禁じ得ません。

なぜなら、汚れなき至純のキリストにとって、その恐怖の淵は見下ろすだに戦慄を覚えさせずにおかないことですが、みずから担われた使命にしりごみされることはありませんでした。平静に、そして不敬の心をもって、浄化活動のための闘いに向かわれました。

そのお姿を拝して吾々はキリストとともにあるかぎり必ず勝利を収めるものと確信いたしました。キリストはまさしく空前絶後のリーダーです。

真の意味でのキャプテンであり、その御心に母性的要素すらうかがえるほどの優しさを秘めながらも、なお威厳あふれるキャプテンであられます。      アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
七章 天界の大軍、地球へ



3 お迎えのための最後の準備

  一九一九年三月十日  月曜日

 以上のような経緯(いきさつ)は地上的に表現すれば永い歳月に及んでいることを知っておいていただきたい。その間、吾々には吾々なりの為すべきことがありました。地上でも、一つの改革が進行している間も一般大衆にはそれぞれの日常生活があります。

吾々もそれと同じでした。しかし吾々の生活全体を支配している〝思い〟──何にたずさわっていても片時も心から離れなかったのは、キリストの降臨と、そのための上層界の態勢づくりのことでした。いずこへ赴いてもそれが窺えました。

時には仲間が集まってキリストの接近による光輝の変化のことを細かく語り合うこともありました。

とくに上層界から使者が訪れ、吾々の界層の環境に合わせた身体をまとい、山の頂上とか中空に立って集合を命じた時はほとんど全員が集まりました。指定の場所に集まった者は何ごとであろうと期待に胸をふくらませるのでした。

 前回に述べたのもその一つでした。

 しかしそうした時以外はいつもの生活に勤しみ、時には領主からお呼びが掛かって将来の仕事のための特別の鍛錬を受け、また時には特別の使命をさずかって他の界層へ赴いたりしていました。

他の界層へ赴いている間は連絡関係がふだんより緻密さを増します。急な用事で帰還命令が出された時に素ばやくそれをキャッチするためです。

 そうしたふだんの体験にも貴殿に興味のありそうなもの、ためになるものがいろいろとあるのですが、それは今は措いておき、将来その機会がめぐってくれば語ることにしましょう。さし当たっての私の目的はキリストその人の降臨について語ることです。

 吾々キリストの軍勢の一員として選ばれた者は、例の天使の塔の聳える風致地区内に集合しました。待機しながらその塔の頂上にのっているヤシの葉状の王冠を見上げると、一人また一人と天使の姿が現れ、全部で大変な数になりました。

ひざまずいている者、座している者、立っている者、例のレース細工によりかかっている者など、さまざまでした。他の場所からその位置へ移動してきたのではありません。

吾々の見ている前で、吾々の視力に映じる姿をまとったのです。最初は見えなかったのが見える形をまとったのです。見えるようになると、どの天使も同じ位置に留まっていないであちらこちらへと動きまわり、対話を交えておりました。

霊格の高い、かつ美しい方ばかりです。同じ光景を前にも叙述したことがあります。顔ぶれはかなり変わっておりましたが、同じ天使も多く見かけました。

 さて全天使が揃うと新たな現象が見えはじめました。それはこうです。

 王冠の中に初めて見るものが現れました。十字架の形をしており、中央から現れて上昇しました。そのヨコ棒の片側に最後に到着した天使が立ち、その左手をタテ棒の上部にあてています。他の天使にくらべて一まわり光輝が広がっています。

身体も十分に吾々の界の環境条件に合わせ終わると左手をお上げになり、吾々を見下ろされながら祝福を与えてくださいました。

それから鈴の音のような鮮明な声で話しかけられました。大きな声ではありませんが、はるか下方に位置する吾々ならびにその地区一帯に立ち並ぶ者全員にまで届きました。

遠くの丘や広い草原にいる者もあれば、屋上にいる者、湖のボートに乗っている者もいました。さてその天使はこう語られました。

 「このたび貴殿たちを召集したのは、いよいよこの界へお近づきになられた吾らが主キリストについてのメッセージを伝え、ご到着とご通過に際してその意義を理解し、祝福を受け損なうことのないよう準備をしていただくためである。

 貴殿たちはこれまで幾度か主をご覧になっておられるが、このたびのお出ましはそれとはまったく異なるものであることをまず知られたい。

これまでは限られた目的のために限られた必要性にしたがって限られた側面を顕現してこられた。が、このたびは、そのすべてではないが、これまでをはるかに凌ぐ王威をまとわれてお出ましになられる。これまでは限られた所用のために降りてこられた。このたびは大事業への父なる大神の勅令を体して来られるのである。

 これはただならぬ大事業である。地球は今や貴殿らによる援助の必要性が切迫している。それ故、主が通過されるに際し貴殿ら一人一人が今の自分にもっとも欠けているものをお授けくださるようお願いするがよい。

それによってこれより始まる仕事に向けて体調を整え、完遂のための体力を増強することができるであろう。

 万遺漏(ばんいろう)なきを期さねばならないことは言うまでもないが、さりとて主のご威光を過度に畏れることも控えねばならない。主は貴殿らの必要なるものを携えて来られる。

主ご自身にはさような必要性はない。貴殿らのために燦爛たる光輝をまとわれてお出ましになるのである。その光輝のすべてが貴殿らのためである。それ故、遠慮なくそれに身を浸し、その磁気的エネルギーに秘められている力と高潔さとを己れのものとなさるがよい。

 では、これより貴殿らの思うがままに少人数でグループを作り、私が今述べたことについて語り合ってもらいたい。私が述べた言葉はわずかであるが、それを貴殿らが膨らませてほしい。行き詰まった時は私の仲間がその解釈の手助けに参るであろう。

そうすることによって主が間もなくお出ましになられた時に慌てずに済むであろうし、この界を通過される間にその目で見、その耳で聞き、その肌で感じて、さらに理解を深めることになるであろう」

 話が終わるとすぐ吾々は言われた通りにしました。例のヤシの葉状の王冠の中にいた天使たちはその間も姿をずっと消されることはありませんでした。それどころか、吾々の中に降りてこられて必要な援助を与えてくださいました。

その時の魂の安らぎの大きかったこと。おかげでキリストがいつ通過されてもよいまでに全員がそれなりの準備を整えることができました。

キリストの生命力の尊い流れから汲み取って吾々のものとすることができるのです。それはキリストの内的叡智と決意の洗礼を受けることに他なりません。

 以上がキリストの降臨までに開かれた数々の集会の最後となりました。終わるとキリストの霊との一体感をしみじみと味わい、静寂と充足感の中にそのご到着をお待ちしました。
  アーネル ±

シルバー・バーチ最後の啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える〝生きる〟ことの喜び





四章 海外のスピリチュアリストを迎えて

 シルバーバーチの交霊会には、これまで世界のあらゆる国からの訪問者を迎えている。もしその全てを一堂に集めたら、国連と同じ様相を呈していたことであろう。これまでにも海外からのゲストを紹介してきたが、本章ではオーストラリアと南アフリカからの代表者が訪れた時のシルバーバーチとの対話を紹介しよう。



  オーストラリアから

 ドン・デービスならびにメアリー・デービス夫妻にとっては、シルバーバーチ交霊会への出席は英国旅行の最後を飾るハイライトであった。まずシルバーバーチが歓迎の言葉を述べる。

「霊的真理を普及し、神の働きかけが二千年前に終ったわけではないこと(※)、大霊が今も昔もそしてこれからも全ての子等とつながっていることを立証することに尽力している人をお迎えするのは、私にとって大きなよろこびですが、この英国から遠く離れた国々からお迎えするのは、ことのほかうれしく存じます。

 お二人は大きな祝福を受けておられます。暗闇の中から叡知の輝きの中に導かれ、霊的な道にしっかりと足を置かれ、内在する霊的能力の開発にいそしまれ、ご自分が救われたように他人を救う仕事を続けておられるからです。

 申し上げるまでもないことですが、私たちの使命は───〝私たち〟というのはベールを隔てたそちらとこちらとで地球浄化の大事業に関わっている協力者すべてを意味します───生命というものが、そちらでもこちらでも、驚異的な可能性を秘めていることを一人でも多くの人に教えてあげることです。

 あなた方がなさるサービスの行為の一つ一つがお仕事への祝福を加え、背後で協力している霊団との結束を強化している事実を知っていただきたいのです。

せっかくご出席くださったこの折に、あなた方が決して孤軍奮闘しているのではないこと、真理普及の大目的のために結集している霊の大軍が背後に控えていることをお耳に入れることができて、とてもうれしく思います」


※───キリスト教にはバイブルが神の啓示の全てであり、それきり啓示に蓋をされたという教説がある。クリスチャンがスピリチュアリズムを非難する根拠の一つがそこにある。

ドン・デービス「そのことを直接あなたからお聞きして満足この上もございません。オーストラリアというある広大な国には、当然のことながら幾多の問題があり、本日はいろいろと質問をたずさえてまいりました。

あれほどの大きな国になりますと、私たちの仕事など、焼け石に水の、微々たるものに思えてなりません」

 「微々たるものなんかではありませんよ」

 「時にはそう思えてならないことがあるのです」

 「そんなことはありません。あなた方は宇宙で最強の力の貯蔵庫なのです。霊の力です。その力を無きものにしたり、覆したり、進行を止めたりすることのできるものは何一つ、誰一人いません。

忘れないでください。地上生活が終りを迎えた時、たった一人でいいのです、その人が霊的な自我に目覚めるその手引きをしてあげていたら、今回の人生が無駄ではなかったことになるのです」

 「それは素晴らしいことです」と夫妻が声を揃えて言う。

 「今わたしたちが携わっている仕事の途方もない重大な意義を忘れてはなりません。地上の無数の人間の魂を束縛し抑圧してきた誤った教義の歴史を一から書き直そうとしているのです。

 本来ならば肉体と精神と霊の調和が生み出す生きる喜びを味わい、自分がいかなる存在なのか、いったい何者なのか、いずこへ向かっているのかを理解することによって得られる豊かな余裕の中で生きられるものを、迷信に等しい誤った教義が、基本的な霊的真理すら理解することを不可能にしてしまったのです。

 だからこそ、あなた方に苦労が絶えないのです。ですが、苦労が絶えないということは結構なことなのです。ドン、あなたはラクな道の方がいいですか」

 「とんでもありません!」

 「私たちも、この地上圏と連絡が取れるようになるまでには大変な困難に遭遇してきたのです。それを一つ一つ克服してまいりました。今や地上全土に霊の光が行きわたっております。霊の光が届かない国は一つもありません。

霊の道具として第一線で働く者は、時として人に知られないようにドアを閉め切って、ひっそりと会合を持たねばならないこともあるでしょう。それでも大事業は着々と進行します。無きものにすることのできる者はいないからです。

 ですから、困難というものを、霊の真価を発揮させるための挑戦課題として歓迎することです。人間も潜在的には地上で、最強のパワーを秘めているのです。その力で克服できないほどの悪条件、障害、難題は地上には発生しません。しかも、それより一段と高い次元のパワーを呼び寄せることもできるのです」

 「その力がどれほど私たちを救ってくださったことでしょう」

「苦難は克服すべきものとして持ってこられるのです。それを克服することによって、内部の霊性がよく強く自覚されるようになるのです」

 「そこが有り難いところです」

 「気を締め直してください。あなた方は地上の混乱や戦争、悲劇や憎しみ合いの根源である物欲第一主義が生み出す見苦しい悪感情のかずかず───どん欲・強欲・愚かしい利己主義等々───との大々的な闘争にたずさわっているのです。

 大きな仕事が待ち受けています。背後には物質界のあらゆる勢力を結集してもなお太刀打ちできない強大な力が控えていることを忘れずに励んでください。何一つ恐れるものはありません」

 「オーストラリアの私たちのサンクチュアリ(集会所)はあなたの教えを基本にしております。関係者一同があなたへの愛の気持を伝えてほしいと言っておりました」

 「有り難く頂戴いたしましょう。私は愛のみを糧としているからです。もっとも、私が語る教えは私自身のものではありません。私はマウスピースにすぎません。永遠に不変の霊的真理を取り継いでお届けしているまでです。こうして大霊の大使として活躍できることを、私たちは光栄に思っているところです。

 それだけに、私たちに託された信頼をみじんも傷つけないようにすることが、私たちの大きな責任であることになります」

 「私たちのサンクチュアリには有望な治療家が集まるようになり喜んでいるところですが、本日あなたのお言葉を伝えれば、みんな大いに勇気づけられると思います。感動すら覚えることでしょう。

 一つだけお聞きしたいことがあります。あなたの教えによって私たちがこれほど影響を受けているのに、そのことをあなたがご存知ないはずはないというのが仲間たちの意見なのですが、いかがでしょう、あなたは私たちがやっていることをつぶさに見ていらっしゃると思ってよろしいでしょうか」

 「私は大勢の指導霊の一人でして、私が適切と思う方法で最善を尽くしているところです」

 「私たちは、たまたまの巡り合わせで、あなたの教えに浴することになった・・・・・・」

 「〝たまたま浴した〟という言葉が適切かどうかは分かりませんが、結果的にこの大事業にたずさわることになった人々のことは、私たちはその生活のすみずみまで承知しております。

協調関係で推進するものである以上は、知っておく必要があるからです。みなさん方も私たちのことを知ってくださると有り難いのですが・・・・・・

 知識の領域を広げ、一人でも多くの病める人を癒やし、一人でも多くの喪中の人を慰め、人生の灯台としての真理の光を少しでも大きくして、人生に疲れた人に生き甲斐ある道を見出させてあげようとする真摯な努力、真剣な祈りが無駄に終ることは絶対にありません。

必ずや何らかの応答があります。あなた方は二人きりで仕事をなさっているのではありませんよ。霊の大軍の一員なのです。私たちの背後に、そしてさらにその向こうにも、たぶんあなた方には理解の及ばないほどの霊格を身につけた高級霊の集団が幾重にも連なって控えているのです。

あなた方も、この私も、そして大事業に参加している者すべてが、そうした霊団の援助をうけることができるのです。唯一それを制約するものがあるとしたら、それはその人の受容力、吸収力の程度だけです。

 霊性を開発するほど、美と光輝と崇高さが自分のものとなります。教会やシナゴーグや寺院や礼拝堂に通うよりもはるかに大きなものを成就させてくれます。霊力を発揮させるのです。教会は無味乾燥な教義しか説きません。それが、実は、霊性を開発させるどころか、窒息させてしまうのです。

 怖がることは何もありません。あなた方には為すべき立派な仕事があります。お二人が結ばれたのも偶然ではありません。霊的計画の一つだったのです。現在の情況も霊界からの導きです。グループが結成されたのも霊団の力によるのです。

 さあ、元気を出して、どこででも、可能なかぎり霊的知識を説かれるがよろしい。受け入れようとしない人もいるでしょう。そういう人には心の中で涙を流してあげなさい。

せっかくのチャンス、掛けがえのないものを手にする好機を失ったのですから。が、たった一人の魂に目を覚まさせることができたら、あるいは、たった一人の病人を癒やしてあげることができたら、そして無知の暗闇の中に叡知の光を灯してあげ、

背負っている重荷を少しでも軽くしてあげることができたら、それはあなた方がこの世に生まれてきた目的を果たしていることになるのです」



 「そうなれば素晴らしいことです」 とドンが言うと───

 「ほんとにそうなるのです。あなた方は二人きりではないのです。私たちの誰一人として自分一人だけという者はいません。みんな大霊団の援助を受けているのです。それに気づくか気づかないかは関係ありません」

 「あなたの教えの特徴的なものとして〝霊が正常であれば、当然、精神も身体も正常となります〟というのがあります。ただ疑問なのは、優秀な霊媒でよく病気をして医者の世話になっている人がいることです。

あなたのおっしゃることの意味は、霊が正常であれば精神や身体に関わる法則、たとえば食習慣や精神的なしつけは無視しても構わないということでしょうか」

 「いちばん最初に戻ってご説明しましょう。人間は肉体と精神と霊から構成されております。これを本当の意味での〝三位一体〟と言います。三者が一体となっており、一つが三者によって成り立っているわけです。この三者の間に調和が取れていなければならないことは言うまでもありません。

健康 wholeness とは〝欠けたところがない〟という意味からきたもので、つまりは調和が取れているということです。もし肉体に欠陥が生ずれば、それは自動的に三位一体の体制を崩すことになります。

 霊とは生命の活力源です、霊はすなわち生命であり、生命はすなわち霊です。霊がすべてに優ります。霊は主で、物質は従です。ですが、その霊が地上で顕現しようとすると、精神と肉体を通さねばならないという点で、まず制約を受けます。そして霊と精神と肉体の二者の間の相互関係からさまざまな問題が生じます。

 霊というのは、精神と肉体から切り離して〝これが霊です〟といってお見せできる性質のものではありません。同じことが精神についても肉体についても言えます。三者は切り離すことができないのです。

 さて私は、おっしゃる通り、霊が正常であれば精神も身体も正常となると申し上げております。同じように、肉体と精神が最大限に機能していれば、おのずと霊性が最大限に発揮されます。が、

残念ながら、そういうケースは地上では滅多にお目に掛かれません。それで病気、不調、痛みが生じます。すべては三者の調和が崩れたことに起因します。

 実を言いますと、もともと霊界において意図された心霊治療は、そうした病気を癒やすことを唯一の目的として考え出されたものではありません。

その病気の源となっているもの、つまり内的な不完全性を修正することが目的であり、その障害物となっているものを取り除くパワーをもった生命力を治療家を通して流し込むということで、そこが肝心な点です。

 といって、私たちは、副作用が出ないかぎりは他の治療法も頭から退けるつもりはありません。副作用があると知りつつ、むやみに注射で一時しのぎをするやり方は感心しないということです。大切な肉体と精神と霊の調和の原理に反するからです」

 「私たちが食するものの多くが汚染されていることも問題です」

 「おっしゃる通りです。ですが、霊的に正常で精神も正常であれば、その程度のことは問題のうちに入りません。といって、毒入りのグラスを一杯あおっておいて、〝オレは霊と精神が正常だから大丈夫だ〟などというバカなまねをしてもらっては困ります。そういう意味でないことはお分かりでしょう。常識の問題です。

 ですが、所詮、地上では完全は望めません。完全は永遠の時を要するプロセスだからです。でも、少しでも不完全を少なくし、発展を求めていく努力を怠ってはなりません。

日常生活でも心の持ち方を正すことです。そうすれば生活形態が正されます。そうなれば神の摂理を犯すこともなくなります。過去の過ちを正さないかぎり、道は拓けません。

 私たちの仕事は、地上の人間に〝正しい生き方〟というものがあることを教えることです。間違った生き方をしていて、それで体調を崩したら、心霊治療家のところへ行けば治してくれると思うのは間違いです。心霊治療はそういうものではありません。

 人間は責任ある存在です。正しい生き方を知らないといけません。摂理を犯したら、その責任として代償を払わないといけません」



メアリー・デービス「私たちもこの道でよく間違いを犯します。熱心がすぎて反撥を買い、落胆します。霊的真理の持ち出し方が間違っているのではなかろうかと反省することがあります」

 「あなたがたはこれからいろいろと学んでいかねばならない子供と思えばよろしい。前途には永遠の時があるのです。何も、そう焦ることはありません」

 「人生は短いのに、しなければならないことが沢山あって・・・・・・」

 「私のほうから言わせていただきますが、あなた方が霊的真理に目覚めるまで、私たちはどれほど待たねばならなかったことでしょう。大霊はこの宇宙をずっと管理なさってきて、何が今いちばん大切かをご存じなのです。

あなたが心を悩ませることはありません。最善を尽くしておればよろしい。私たちから要望することはそれだけです。

 過ちは誰でも犯すものです。その過ちから学べばよろしい。誰でも転ぶことがあります。すぐに立ち上がって、また歩み始めればよろしい。せっかく説いても聞き入れてくれない人もいるでしょう。が、理解してくれる人の方がきっと多くなっていくはずです。

 社会を一度に変えることはできません。同じように、人(の生き方)を変えることは容易ではありません。変えるのはあなたではなくて、当人自身であることを忘れてはいけません。あなたは真理を知った者としての責務を果たしていれば、それでよろしい。他人のことまで責任を負わされてはいません。

 ですから、ベストを尽くすことです。いつどこにいても人のために役立つことを心掛けることです。あなたが授かったものを他人に分けてあげるのです。よろこんで受け取ってくれれば喜びなさい。

受け取ってくれなければ、その人の思う道を歩ませてあげなさい。あなたが手を差しのべてあげるべき人が連れてこられるようになります」



  南アフリカから

 初めて交霊会に招かれた南アフリカの人類学者 (氏名は公表されていない) がまず次のように挨拶した。

 「今こうして自分がこの交霊会の場に出席していることを思うと、言葉に言い尽くせないほどの嬉しさで胸がいっぱいです。あなたの霊言と出会ってもうずいぶんになります。

あなたという存在を尊敬しておりますし、お説きになる思想にも感銘を受けております。このサークルについてはずいぶん前から知っておりました。私との交際や人類学の仕事が縁となってあなたの教えを知るようになった人が大勢おります。

 ぜひ申し上げたいことは、この六週間にわたって数か国を訪れた私の旅の最後の夜が、こうしてあなたの交霊会への出席という夢のような体験で祝福されて、感激しているということです。

 心からお礼を申し上げます」

 「私のほうこそ、あなたをお迎えして、とてもうれしく思っております。いつもそうなのですが、ただのマウスピースにすぎない私が皆さまのお役に立っていることを知ると、嬉しさで心が満たされます。

あなたは霊的真理という大きな知識をお持ちです。人類学者としてのお仕事そのものが、いかなる国民も、いかなる国家も、いかなる宗教も、大霊すなわち神の力を独占できないということを証明しております。

 私たち霊界の者は肌の色にはまったく関心がありません。肌の色は肉体だけのもので、魂には色はありません。黄色の魂、赤色の魂、黒色の魂などというものは存在しません。魂はその始源においてはすべてが同等です。一人ひとりが、あなた方が神と呼んでいる大霊の表現なのです。

 霊的観点からすれば、地上のいかなる民族の間にも障壁はありません。障壁があるとすれば、それは地理的なもの、物質的なもの、人間が勝手にこしらえたものばかりです。皮膚の色とか国家の違いは、いかなる意味での優越性も生み出しません。優越性はサービスと霊性の開発と熟達度によって決まるのです。

 私たち霊界の者は地上人類を一つの霊的大家族と見ております。全体を一つにつなぎとめる霊的な絆があることを実感しております。

 そのこと、すなわち全人類は霊性において一つであるということを知らねばなりません。地上生活の目的は人のために役立つことをする・・・・・・つまりお互いが助け合うということ、そして、そうした生き方の中で霊的に、精神的に、そして物質的に、あらゆる束縛から解き放たれることです。

いかなる形にせよ、束縛されるということは、いかなる原理に照らしても間違いです。

 その点あなたは心眼を開かれ、より大きな生命の世界の存在による驚異的現象をその目でご覧になり、霊力の恩恵にあずかっておられます。あなたはその恩恵へのお返しとして、あなたが導かれたように他の人々を導く努力をなさってこられました。

心の底からの正直で真摯な叫びが無視されるということは決してありません。こちらの世界には地上界のために役立つことをしたいと願う霊たちの感知装置が張りめぐらされております。善行にうんざりなさってはいけません。

 あなたは今、いろいろと難題を抱えた国にお住いです。が、動機に私欲がなければ、暴力や流血なしに解決のつくものばかりです。動機が肝心です。私心があってはなりません。同胞が手にすべき当然の権利を獲得するために尽力するということであらねばなりません。

 あなたがたずさえておられる真理は、他の国と同じようにあなたの国においても根づくべき真理です。あなたはそれがお出来になる方だからこそ、そこまで申し上げるのです。今日のこの交霊会があなたのお役に立てば、私はもう何も申し上げることはありません。これが私の本来の使命だからです」


 ここでプライベートなメッセージを述べたあと、シルバーバーチがこう述べてその日の会をしめくくった。

 「霊団の援助についての一抹の不安が万々一あなたの心をよぎるようなことがあったら、その時はいったんその疑念を止めて、これまでにあなたがたどってこられた道を振り返ってごらんになることです。間違いなく、目に見えない力による指示があなたをここまで導いてきていることに気づかれるはずです。

 その事実をあなたの生活の自信になさることです。これまで導いてくれた力が、これからも導いてくれないはずはない、と。

 ただ、これまでも幾度か申し上げてきたことですが、背後霊には背後霊なりの手段と手順があることを忘れないでください。人間の勝手な都合に合わせるわけにはいかないのです。しかし、決して見捨てることだけは致しません。

あなたなりの最善を尽くしていれば、それでよろしい。霊界と地上界とで協力し合って、地上の暗部に光をもたらすことができます。無知に代わって知識を、迷信に代わって真理を、病に代わって癒やしを、そして喪に代って激励を授けてあげることができます。

 それこそが私たち大霊団が組織された目的にほかなりません。高級界の進化せる存在───ただひたすら自分を役立てることだけを目的として地上圏へ降りて来ている高級霊の間では、地上世界も必ずや現在の不健全な状態から脱して、美しさにあふれた世界となるとの確信があるのです。

 あなたは本日こうして私たち同志と互いに語り合うことができたことを大霊に感謝すべきです」

シルバー・バーチ最後の啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える〝生きる〟ことの喜び



三章 質問に答える -  心霊治療について

───心霊治療のプロセスについてご説明ねがえませんか。

 「生み出す結果は驚異的でも、技術的にはきわめて単純です。患者がいて、治療家がいて、大霊がいます。その大霊の生命力である治癒エネルギーが治療家の霊的能力を通して患者の霊体に届けられる───それだけのことです。

 本質的にはそれが全てです。神秘もなければ魔法もありません。自然法則の働きがあるだけです。ただ、治癒エネルギーには無限の可能性があるということです。

その治癒エネルギーの流入を規制するものは何かといえば、治療家の資質、その治療家が到達した霊的進化の程度です。霊性が高ければ高いほど、それだけ受容力も高まります。

 もしも治療家が完全の域に達することができれば、治癒エネルギーも最高のものが届けられる理屈になります。が、完全というものは不可能ですから、実際には治癒エネルギーは治療家の霊性によって制約を受け、限定され、影響を受けることになります。

 治療家というチャンネルないしはパイプ───どうお呼びになっても結構です───は所詮は思考力をもった人間であり、身体と精神と霊の相関関係ででき上がった複雑きわまる存在ですから、それを出入りするエネルギーは、そうした人間性の影響をどうしても受けます。

 治療家はその人間性を極力控え、日常生活においても霊性を高めるように心掛ければ、流入するエネルギーの量も多くなり、それだけ良い結果が得られるようになります。

治癒エネルギーは生命力そのものです。したがって治療家は崇高な宇宙の生命力を扱っていることになるのです。私が邪悪な動機のためにその生命力を汚すようなことにならないようにと戒めるのは、そこに理由があるのです」

───治療家が患者に対して個人的に特殊な感情を抱くのはいかがでしょうか。

 「それはいけません。霊力の中継者である治療家が個人的感情に動かされると、霊力の流入が阻害されます。通路は常に無垢の状態でないといけません。少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。

あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差しはさむことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です。

 ところで、地上の医学者の診断を最終的なものと思ってはいけません。彼らなりの体験と勉強に基づいて結論を述べるのでしょうが、それを〝不可謬〟と信じてはなりません。

 すべての望みが断たれた時でも、霊力はその驚異的な回復力によって、全快とまではいかなくても、病気を改善することができます。現代医学とは根本的に観点が異なります。地上の医学者は人間を肉体のみの存在として、物的観点から処理します。

一方、私たちは基本的には霊的観点から人間を見ます。霊が正常であれば精神も正常であり、従って肉体も正常となります。その反対ではないのです。つまり肉体が正常になれば精神も霊も正常になるというものではないのです。霊がすべてを統率しています。

 しかしその霊も、いつかは肉体から離れる時がまいります。皆さんはそれを〝死〟と呼んでおられます。死は本来は病気とか苦痛の中で迎えるべきものではありません。静かで安らかな雰囲気の中で迎えるべきものです。間違った生活環境は精神と霊と肉体の調和を乱し、それが霊のスムーズな撤退を妨げます。

 肉体の病的状態が治癒不可能な状態に至れば、霊は撤退せざるを得なくなりますが、その撤退をスムーズにしてあげるのも治療家の役目です。

ふつうなら苦痛が大きく、しかも時間が長びくケースを、治療家はラクに、そして短時間で終らせるようにしてあげることができます。

 あなた方人間にとって死は相変らず恐ろしく、そして怖く、できることなら死にたくないと思われるようですが、それは間違った考えです。私たちから見れば、死は霊の誕生なのです」

───ということは、哀れみの情を抱くのは間違いだということになるのでしょうか。

 「それは違います。哀れみは霊の属性です。哀れみ・慈悲・思いやり───こうしたものは人を癒やしてあげたり手を差しのべてあげようとする欲求を鼓舞します。私心から発した偏った哀れみではなく、苦しみを背負った人すべてに対する哀れみでないといけません」

─── そこのところは私にもよく分かります。治療家が個人的に負担を感じて、そのあげくに治療が失敗した場合、自分の力が及ばなかったが故の失敗だと受け止めてしまう可能性があります。

 「今のあなたは〝治療が失敗した場合〟とおっしゃいましたが、その意味が私には解せませんが・・・・・・・・・・・・

─── 患者が良くならなかった場合のことです。

 「それを治療の失敗というのは間違いです。その患者はいろんな次元での摂理に反したことをしてきて今その症状が表れている。それがあなたの治療によって消えなかったということで、それは治療の失敗ではありません。まだ身体が正常になる段階に至っていないということです」

─── でも、治療家が自分で勝手なことをしたり、余計な思いを抱いたりして失敗するということは有り得るとは思われませんか。

 「でしたら、それは治療家の失敗です。あなたのご質問は治療そのものが失敗したとおっしゃりたいのでしょうけど、治療が失敗することはありません。治療家がヘマをすることはありますが・・・・・・」   


   長寿と食養生

─── 身体的に摂生につとめれば長生きできるでしょうか。

 「そうとはかぎりません。ほかにも考慮すべき要因がいろいろとあるからです。物的身体は物的法則だけで支配されているのではありません。精神的法則があり、霊的法則があり、それらが相互に関係し合っているからです。

 そもそも霊性というものは長寿とは関係ありません。霊的なものを物的なもので計ることはできません。長寿だから霊性が高く、短命だから霊性が低いということにはなりません」

─── 一点非のうちどころのない人生を送っていた人がガンで亡くなりました。なぜでしょうか。

 「その答えは簡単です。その人は一点非のうちどころのない人生を送ってはいなかったということです。もし一点非のうちどころのない生活をしていれば、ガンにはなりません。ガンになったということが、どこか摂理に反したことをしていたことの証明です」

 ここで、出席者の間で議論が交わされた。それを聞いていたシルバーバーチが言う───

 「摂理というのは、表向きは単純に見えても、奥は実に複雑なのです。摂理のウラに摂理があり、そのまたウラにも摂理があるというふうに、幾重にも重なっているのです。全体を見ることができれば、一つのパターンがあることに気づかれるのでしょうけど、あなた方には一つの側面しか見えません。

それで、〝どうして?〟〝なぜ?〟という疑問が生じるのです。一部でもって全体を判断しようとするからです。

 ガンは精神の持ち方と深く関わっている病気の一つです。個体としての不調和が原因です。病理学的には寄生虫病的な増殖をする種類に属しますが、原因をたどっていくと意地きたなさ・憎しみ・失意・虚栄心・その他、精神と肉体の調和を乱す何かがあり、その結果として悪性の細胞が手の施しようのない勢いで増殖していきます。

 病気は食べ物や飲み物だけで片づく問題ではありません。精神的な要素と霊的な要素も考慮しなければなりません。肉体に関わることだけで霊を判断することはできません。

不可能なのです。たとえばタバコを止めたからといって、止められずに吸い続けている人より霊的に上かというと、必ずしもそうとは言えません。霊性はその人の生き方によっておのずと決まるもので、第三者から見てどうのこうのと批判すべきものではありません」

───健康のための法則を守り、その結果として健康体を保っていれば、霊的にも健康な側面が顕現され、それだけ立派であると言えないでしょうか。

 「それは言えます。問題はそのように心掛ける動機です。何事も動機が大切です。たとえば健康に良くないから肉は食べないというだけでは、霊性は向上しません。呼吸器に悪いからという理由でタバコを吸わないようにしても、それで霊性が向上するわけではありません。

そうではなくて、霊性を開発しようと決意し、その開発に少しでも障害になるものは控えるというのであれば殊勝なことです。大切なのは動機です」

 ここで菜食主義に徹している人が、肉食をしないのは動物を殺して食することが間違いだからであることを述べると───

 「人類が自分たち以外の創造物への責任を自覚する段階に至れば、当然、殺生はできなくなります。それは霊性の発達の一つの指標です。




  死の悲しみと恐怖について

───愛する人を失った人に対して、その悲しみの最中に死後の話を持ち出すのは賢明でないと思うのです。そんな時、ひそかにその人に同情の念を送るほうがよいと思うのですが、いかがでしょうか。

 「霊性の発達した人は、その時どきに応じた知恵を働かせることができるものです。適応の方法ならいくらでも思いつくでしょう。

その時の当人の置かれた情況に応じて、知識と体験を有効に役立てるべきです。死別の悲しみの中にいる人にただの同情の言葉を掛けるだけでは、当人の救いには役立ちません」

 メンバーの一人が〝死〟そのものに対する牢固とした恐怖心の問題を持ち出すとシルバーバーチが───

 「こちらの世界での困った問題の一つに、二度と地上へ生まれたがらない霊がいることです。前回の地上生活で死後のことに何の予備知識もなかったために、霊的に辛い目にあったその体験から、地上という世界を嫌うのです。

たとえて言えば、地上で八〇歳まで生きた者が、自分が学問というものがないことを悔いて、もう一度小学校からやり直したいと思うようなものです。精神的には大人ですから、それは無理なのです。

 こうしている間でも地上から何百万、何千万という人間がこちらへ送られてきますが、そのほとんどが死後への準備が何もできていないのです。

みんな当惑し、混乱し、茫然自失の状態です。それでわれわれが、いろいろと手焼くことになります。本当はそちらで霊的教育を始めるほうがはるかに面倒が少なくて済むのです。

 もしもあなたが死の恐怖におびえそうになった時は、自分の存在の始源、すなわち大霊の分霊であることを思い起こし、この全大宇宙を創造したエネルギーと同じものが自分にも宿っていることの意味を熟考するのです。

そこから勇気を得て、壮大の気宇を抱くことです。下を向いてはいけません。上を見るのです。そして、援助は自分の内部と外部の双方から得られることを知ってください。

 あなたを愛する人々、そしてあなたの心臓の鼓動や呼吸と同じくらい身近かにいて世話を焼いてくれている人々が、あなたを見放すはずがないとの信念に燃えて下さい。

内的な平安と静寂、自信と決意、そして、すべては大霊が良きに計らってくださるとの悟りは、そうした認識の中においてこそ得られるのです。

 もとより、私の申し上げていることがそう簡単に実行できるものではないことは、私自身も先刻承知しております。が、霊的なことの成就が容易であろうはずがないのです。

何度も申し上げておりますように、霊的意識が目覚めるのは、安楽な条件の中ではなく、難題と辛苦の中においてです。だからこそ一段と強化され、内部の霊性がますます発揮されることになるのです。

 それが人生の目的そのものなのです。ラクなことばかりで何の苦労もなく、トゲのないバラの花に囲まれての生活では、成長は得られません。発達はしません。霊性は開発されません。

これは大霊が定めた埋め合わせの原理の一環なのです。いつの日かあなたは、その時はイヤで仕方がなかった体験を振り返り、それらが実際はあなたの霊的進化を促す貴重な手段であったことを知って、感謝なさる日が来ることでしょう」

   

   進化と発展

───あなたのお説ですと、大体において人間は誕生前から地上でどういう人生を送るかは分かっているそうですが、ある未熟な霊が一回の地上生活でこんどこそは飛躍的に向上してみせると決意して生まれてきた場合、それは可能でしょうか。そのために例えば霊媒としての道を選んだ場合、プラスになるでしょうかマイナスになるでしょうか。

 「どちらとも言えません。要はその能力をどう使用するかです。完全に無私の献身的な態度を維持すればプラスになります。私利私欲に走ればマイナスになります」

───精神的にも霊的にも意識が向上した人が過去の罪を地上生活中に奉仕の生活によって償うのは可能でしょうか。

 「もちろん可能です。それが地上に生まれてくる、そもそもの目的なのですから。難しく考えることはありません。いろんな霊的意識が目覚め、なぜ地上にいるかが分かれば、それからの人生は償うべきものをどんどん償う人生となります」

───歴史をみても真理が権力によって抹殺されることがあるようですが、一体そういう敵対者がいる中ではたして霊的真理を機能させることができるものでしょうか。

 「霊的真理はいかなる物的手段によっても抹殺されることはありません。抑圧・不正・圧政・独裁などによって後退させられることはあっても、無きものにされることはありません。

霊を破滅させる力をもったものは地上には存在しません。地上での真理の普及には困難はつきものです。が、真理は真理であるがゆえに、最後はかならず行きわたります。

 自由を旗印にしている人が酷い目にあうことはあるかも知れません。殉教者・改革者・先駆者といわれる人たちはみな、自分が啓示を受けた真理に忠実たらんとした人たちです。

人類の歴史は、そうした人たちが迫害に耐えながら、なおも真理への忠誠心を失うことがなかった、長い物語であるといってもよいでしょう。地上には真理を抹殺できる力は存在しません」

───生きものは全て大霊が創造したものである以上、ビールスなども大霊がこしらえたものに相違ありません。それを殺虫剤や消毒剤などで無きものにしてしまうのは間違いでしょうか。

 「そうすべきだと考えてするのであれば、そうなさればよろしい。何事も、動機によって正否が決まります。地上世界はまだ未熟です。不完全で、完全へ向けて発展しているところです。

その道程には幾多の困難や試練や障害や難題が横たわります。それらにどう対処していくかによって人類の進歩が決まります。

 そもそも人間の生命を奪うようなビールスが発生するということは、人類の生き方がどこか間違っていることの証拠です。人類の生き方は地上の環境のすべてに反映するのです。生き方を正せば、そういう克服できそうにない問題は生じなくなります。人類の行動と環境との間には不離の関係があるのです」

───宇宙旅行や宇宙探索の時代に入りましたが、人間はいずれは太陽系全体にまで活動範囲を広げるべきなのでしょうか。それとも地球という一天体にとどまるべきでしょうか。

 「物的側面の発展を阻止することはできません。人間は常により高いところに憧れ、より深いものを探ろうとするものだからです。ですが、この問題でも動機が問われます。純粋な知識の追求なのか、それともライバルに先んじて物的優位を得ようとするのか、そういった点が問われます」

───人間として最優先すべきものを忘れないという点も問われるのでしょうか。

 「霊的原理に基づいた行動をしていれば、そういう問題は生じません。その点みなさんは霊的真理を知り得る立場にあるという点で恵まれていらっしゃいます。少なくとも自分の鼻の先しか見えない者よりは、少しばかり遠くがお見えになります」

───あなたは、時にはこの世の喧噪から逃れて内なる霊的叡知を求めることを奨励なさいますが、生涯を世俗と絶縁した生活を送ることをどう思われますか。たとえば修道士や修道女のように隔離された世界で生きる人たちのことです。

 「これも動機しだいです。人のために奉仕するためであれば結構なことですし、世俗から遁れることだけが目的であれば、それは良くありません。さらには、霊的資質を開発するために物欲から離れるというのであれば、それは望ましいことです」

───鎮痛剤や麻酔薬の使用は好ましくないと、どの霊も言うのですが、ひどい苦痛にさいなまれている者にも絶対に使用してはいけないのでしょうか。 

 「それは、その時の事情と動機によりけりです。痛みを和らげてあげるのであれば、悪いことではありません。それ自体は私は反対しません。私が反対しているのは、スタミナの増進のために薬物を使用することです。

地上の人間として心掛けるべき優先課題というものがあるはずです。すなわち霊と精神と肉体の調和です。その基本を踏まえた上で、苦しみ喘いでいる人に一時的に特殊な処方をするのは、決して悪いことではありません」

───因果律の問題も考慮に入れなければならないのではないでしょうか。

 「もちろんです。私は今、目の前で七転八倒している人にどうしてあげるべきかという問題にお答えしているのです。原則として薬物の使用が良くないことは今さら申し上げるまでもないことです。

その時どきの事情で、今はこうするしかないと思い、良かれと思ってやっている人を非難することはできません。

 このことは、今地上でどうすべきかと迷い、真剣に解答を求めている人たちの立場も考えて申し上げていることです。地球を救うための大事業に多くの霊が参加し、私がこうして地上圏へと降りて来たそもそもの目的も、結局はその点にあります。

こうした真剣な質問を出してくださるようになったことに、私は満足しているところです。真剣に求めていけば、さらに大きな光明を見出されることでしょう」


   〝神人合一〟は有り得るか

───ヨガの行者の中には、霊との交信は危険であり有害であると言う人がいます。そして彼らは、背後霊の援助なしに直接的に神との交流をもつのだと言います。それが事実だとすると、スピリチュアリズムはなぜ指導霊などの世話にならなければならないのでしょうか。

 「もしも宇宙の最高神と直接の交流がもてるとすれば、指導霊のような中間的存在は無用となるでしょう。が、そんなことが出来るかのごとき言葉を耳にすると、私は、言いたくないのですが、〝キザな霊的俗物根性〟の響きを感じずにはいられません。

 私たちは、地上の人間であろうとこちらの世界の者であろうと、みんな大霊の子です。子供なのです。交信ができるのは、各自が到達した霊性開発の熟達度に応じた範囲内のことであって、至高の極致など、とんでもありません。

もちろん、より高いものを求めるのは結構なことです。が、それも日々の生活で獲得する進化によって初めて可能なのです。

 私のような指導霊がなぜ地上圏へ戻ってくるのか、そして、そのために敢えてそれまでに獲得した霊的資質まで犠牲にするかと言えば、地上の人々を本来の霊性に目覚めさせ、せめて地上において霊的進化の階梯の最初の一歩を踏ませてあげたいと望むからです。それがその後の進化を促進することになるのです。

 大霊との触れ合いの問題ですが、それも各自の霊的発達に関わる問題です。生命を授かったということ、すなわち地上に生を享けたという事実それだけで大霊との間に霊的なつながりがあることを意味し、その生命力にあずかることができることになります。 

 が、どの程度の触れ合いができるかとなると、それは各自の霊的発達の程度によって違ってきます。大霊は無限の存在ですから、触れ合いにも無限の段階があることになります。各自が最善と思える方法によって、霊的啓示という目標に向けての手段を講ずることです」


  人生の目的と背後霊の存在

───地上生活の目的は何なのでしょうか。また、その目的を達成するための最も良い方法は何でしょうか。

 「目的は、物的身体に宿った霊にさまざまな体験をさせ、次の段階、つまり肉体の死後から始まる生活にそなえることです。地球という天体は学校です。そこで魂が勉強し、永遠の生命のカリキュラムの次の学年にそなえているのです。

 それを達成する最も良い方法は、地上の人間を構成している霊・精神・肉体の三位一体の機能を存分に発揮させることです。そうすることによって、その三つの次元の機能が一つに調和して働くのです。

 また霊能を授かった人にとって大切なことは、その才能が花開き実が熟成するように、みずからの生活を規律正しくして、その才能を人のために使用することです」

───指導霊の役目について教えていただけませんか。過去のいくつかの〝前世〟の縁があった人たちでしょうか。それともある特殊な意図を持って、私なら私を選んで付くのでしょうか。

 「基本的には自分を役立てたいという欲求にそって、人間を選択します。そこには互いの関心事に親和性が存在します。それが前世で起きたことが縁となっていることもあります。いずれにせよ、何度も申し上げている通り、指導霊はみな地上人類のために何かをしたいという欲求から来ているのです。

 そのつながりは基本的には霊的なものであり、それから精神的なものとなります。達成すべき目標に関して共通性があるのです。言うまでもなく、指導霊と言う用語の通り、指導することが役目です。大霊によって監督指導を託された高級霊です」




   障害児の問題

───知的障害児のことについてお伺いします。
 この種の精神病は歴史的にみて新しいタイプなのでしょうか。なぜ霊はそういう障害をもつ肉体に宿るのでしょうか。知的障害児の症状がどれもよく似ているのはなぜでしょうか。そういう子供を授かって、両親は何か特別に得るものがあるのでしょうか。それとも霊のほうから両親を選ぶのでしょうか。

 「皆さんから幼児に関する質問───障害児とか早世する子の問題───をお受けするたびに、私の答えが皆さん方、地上の人間には冷ややかな印象を与えるであろうことを承知しております。が、私は宿命的な板ばさみの立場に置かれていることを知ってください。

 やむを得ぬこととはいえ、この種の質問はみな、物的な側面のみを見るところから生じるものです。地上の人間にとっては霊的な観点から見ることは不可能でしょう。

言わば短期的な視点から見ておられ、長期的な視点から見ることができません。皆さんの焦点はつねに地上生活の期間だけに置かれていて、それで不完全なものとなるのです。

 さて、ご質問は再生とカルマと奉仕的精神、それに霊性の進化と熟達度が絡んでおります。とても複雑なのです。生命の霊的本質とその無限の可能性がすべての基本にあるのです。

 この種の問題に心を砕かれる方々にぜひ理解していただきたいのは、こうした深刻な問題にその場かぎりの安直な返答ですり抜けることは、私には許されないことです。

これには物的法則と精神的法則と霊的法則とが絡んでおります。法則は法則どおりの結果をもたらすものです。因果律による罰があるように、埋め合わせもあります。神の秤りは寸分の不公正もありません。

 見た目には何か大きな手違いがあったかに思えるかも知れませんが、霊的な観点から見た場合、地上人類の現在の進化の階梯では理解の及ばない事情がいろいろとあることを理解してください。差し当たってはそう申し上げる以外に、お答えのしようがありません」



   憑依と除霊の問題

───霊が取り憑くというのは事実でしょうか。キリスト教で行なう悪魔払いの儀式は効果があるのでしょうか。

 「ただの儀式として行なうのであれば何の効果もありません。儀式はみなそうです。教会で行なおうと礼拝堂で行おうとシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)で行なおうと寺院で行おうと、同じことです。なぜかと言えば、儀式は物的表現形式にすぎず、その反応はせいぜい精神の次元どまりです。霊にまで及ぶことは滅多にありません。

 本日ご出席の方の中には除霊の為のサークル活動(※)に参加なさった方がいらっしゃいます。霊が取り憑くということがどういう条件下で生じるのか、取り憑く霊と取り憑かれる人間のどこが間違っているのか、

といったようなことについてお知りになりたければ、それをまとめた資料(※※)があります。霊を見分ける能力をもたないキリスト教の牧師にどうして除霊が出来ましょう。古くさい決まり文句をくり返すだけでは何の効果もありません」

※───米国の精神科医カール・ウィックランド博士が司会者となって行なった招霊実験のことで、夫人のアン・ウィックランドが霊媒となって、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての三十年余りにわたって続けられた。

※※───それをまとめたのがThirty Years Among the Dead で、今なおロングセラーを続けており、その邦訳は『迷える霊との対話』のタイトルでハート出版から出ている。博士夫妻は何度かシルバーバーチの交霊会に招かれている。

    

   大地のヒーリングパワー

───私は園芸コンサルタントをしている者ですが、私の庭園を訪れる人が口を揃えて、治癒エネルギーを感じると言います。それは土地そのものから出ているのでしょうか。

「もちろんです。大地は自然そのものです。大霊の一表現です。実質的には、ありとあらゆる霊的可能性が大地に含まれております。言うまでもないことですが、太陽光線にもヒーリングパワーが含まれていますから、それを適当に浴びることで、身体が爽快になるはずです」


   堕胎・脳の手術の是非、その他

───中絶は創造主に対する罪になるのでしょうか。それとも生まれ出ようとした霊に対する罪なのでしょうか。あるいはその双方に対する罪なのでしょうか。その場合、霊はどうなるのでしょうか。

中絶されることをあらかじめ知っているのでしょうか。もし知っているとすれば、なぜ、わざわざその身体を求めたのでしょうか。

「中絶は殺人行為です。その認識のもとにお考えになればよろしい。が、動機となる事情にはやむを得ないものがあることも私は理解しております。

 なぜその身体に宿ったかということですが、母胎を提供した人物との間に因縁があって、それで霊のほうから選択する場合があります。中絶されてしまえば、別の身体を求めるでしょう。同じ母胎に戻ってくる場合もあります」

───人間の行動には必ずしも霊の意志の反映とは言えない面もあるように思うのです。たとえば脳の生理的物質の不均衡や過多が異常行動の原因だったりします。そんな場合に脳に手術を施すことによって、すっかり性格が変るケースがあります。霊界側からみてどう思われますか。

「霊界側の見解は簡単明瞭です。ご質問者はパーソナリティとインディビジュアリティとを混同していらっしゃるということです。脳の手術によってそれまでとは別のパーソナリティを表現するようにしてあげることはできても、インディビジュアリティは同じです。本来の自我には何の変りもありません。

 パーソナリティと言うのは地上かぎりの物的表現です。インディビジュアリティはそのパーソナリティを通して部分的に顕現している本来の霊的自我です。霊的物質に優ります。霊が王様で物質は従者です。

 当然のことながら物的身体は五つしかない感覚機能によって霊の自己表現を制約します。そこには常に霊と身体機能との間で相互作用が行われております。

バイオリンの性能が良ければバイオリニストの腕もそれだけよく発揮され、性能が悪いと演奏の質が落ちます。霊と身体の関係も同じです。

 霊が身体を支配しているのです。身体は霊のおかげで存在しているのであって、身体があるから霊が存在するのではありません。そのことをあらゆる面で認識して下さい。霊の欲求、霊の影響力と調和するような生活を心掛ければ、自然の摂理によって、あなたの生活に霊性がみなぎり、身体までも気高くなります」

───こんなケースはどう理解すべきでしょうか。私が懇意にしている夫婦は互いに愛し合っていたのですが、夫が死期が近づくにつれて奥さんへの憎しみをあらわにするようになりました。

 「それは精神と脳との連絡が阻害されてきたことから生じる一時的な症状に過ぎません」

───奥さんはそう理解して我慢していましたが、最後まで変りませんでした。

 「一時的なハプニングで永遠を裁定してはいけません」

───(別の出席者)これも、粗末な楽器で演奏する音楽家のたとえと同じなのでしょうね。

 「身体機能が衰えれば霊の表現がそれだけ制約されます」

───神の摂理と調和した生活をしていれば健康でいられると、あなたはかねがねおっしゃってますが、健康に関わる神の摂理とは一体どういうものなのでしょうか。

と申しますのは、私の知っている方の中には、霊媒も含めて高徳な方がいらして、まさに神と人類のために献身的な毎日を送っておられたのですが、いつもどこか病気を抱えておられました。なぜでしょうか。 

 「献身的な霊媒だからということで健康に関わる自然法則が免除になるわけではありません。法則は法則として働きます。病気になるということは、どこかで法則に違反しているということの証拠です。何か不自然なことをして、それが原因で一連の法則が働いて、その最後の結果が苦痛という形で表われているわけです。

 苦痛は、大霊が罰として与えているのではありません。賞も罰も、因果律にのっとって、自分で自分に与えているのです。タネ蒔きと刈り取りです。

 全生命と調和して生きていれば病気になるはずはありません。健康とは調和のことだからです。病気になるということは、その調和を乱していることの証拠です。

職業とは関係ありません。いかに献身的であっても関係ありません。どこかで法則に反したことをしていて、その結果として病気が生じているのです」

───潜在意識とは何でしょうか。

 「精神の中の意識にのぼらない部分のことです」

───脳とはどういう関係があるのでしょうか。

 「実質上の関係はありません。潜在意識の働きは精神的なものであり、脳の働きは物質的です」

───潜在意識そのものに独自の指導原理、つまり知性のようなものがあるのでしょうか。

 「過去のどこかの時点で意識的に吹き込まれた指示と情報(※)があるのみです」

※───呼吸とか乳房を吸うといった本能的なものは別として、その後の赤ん坊の機能的成長、たとえば歩くとか語るとかの機能は、意識的な指示が積み重ねられて潜在意識に仕舞い込まれたもの。ちなみにシルバーバーチはこのあと述べているように、バーバネルの言語機能の潜在意識を操作してしゃべっているのであるが、歩くとかの運動神経は操作できない、と別のところで述べている。

───潜在意識は過去や未来の出来事をピックアップする能力はありますか。

 「自分に関係のある過去の出来事ならピックアップできますが、未来のことはできません」

───あなたご自身は霊媒の潜在意識を使用して通信をなさっているのですか。

 「そうです。それしか方法がないのです。潜在意識がこの霊媒の身体の機能を自動的にコントロールしているからです。

私の言いたいことを表現するには、そのコントロールルームを使わせてもらうのがいちばんラクなのです。霊媒現象の成長は霊媒の潜在意識の中の支配的な観念をいかにコントロールするかに掛っております」

訳者付記───ある霊媒による交霊会で霊媒の入神直後に、いつもの支配霊らしくないことをまくしたてるので列席者が戸惑っていると、ひとしきりして、こんどはいつのも調子で 「実はこの霊媒の潜在意識の中にしつこく居座っている観念があって邪魔なので、今それを吐き出したのです」 と言った。霊がしゃべると言うが、外面から想像するほど簡単なことではないことを知るべきである。

───今の質問には潜在意識と霊媒の霊魂とは同一のものかという意味が含まれていると思うのですが・・・・・・

 「それは違います。潜在意識は精神の中の意識されていない部分にすぎません。言わば貯蔵庫です。記憶の層です。身体の機能を規制しているものの中の、自動的になった部分の事です」

Wednesday, February 4, 2026

シルバー・バーチ最後の啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
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二章 二人の〝ドリス〟

 現在(一九九〇年)英国でもっとも目立った活躍をしている女性霊媒に、二人の〝ドリス〟がいる。一人はドリス・ストーク、もう一人はドリス・コリンズである。その二人がそれぞれの夫君を伴って出席した時の、シルバーバーチとの対話の様子を紹介しよう。

 最初に紹介するのはストーク女史で、夫君で心霊治療家でもあるジョン・ストーク氏を伴って出席した。シルバーバーチは例によって歓迎の言葉を述べた。

 「私の霊団の者はお二人を新参者とは思っておりません。悩みごとをかかえて訪れる人に霊的自由、精神的自由、そして肉体的自由を与える仕事において私たちに協力して下さっている仲間、同僚とみております。

 こうして、日々、霊の道具として働いておられる方をお迎えするのは、私の大きな喜びです。とくに多くの霊媒の方たちが、私との対話を楽しみにお出でになることを知って、私も満ちたりた気分になります。

と言いますのも、皆さんは進化の高い界層からの高級霊の指導のもとに仕事をなさりながらも、その霊たちが地上での仕事のために本来の波動を下げており、〝自分〟を出すことを嫌うために、その代表としてこの私に質問を用意して来られるのでしょう。

 ご注意申し上げたいのは、私も皆さんと同じく一個の人間的存在であること、宇宙の全知識、全真理を手にしたわけではないということです。皆さんのご存知ない高い界層での生命活動の体験と、宇宙の摂理の働きについて幾ばくかの知識を身につけてきましたので、それを聞く耳をもつ地上の人々にもおすそ分けしようと思っているまでのことです。

 どの霊能者、どの霊媒も拒みません。どなたも、こちらの情報源を通してそれぞれの使命について知らされ、なぜ今こうして地上に来ているかについて直観的に悟っておられることでしょうが、

私が申し上げることはそうしたものといささかも矛盾しないどころか、改めてそれを確認し、さらに、いかなる障害や困難に遭遇しても挫けることなく、さらに邁進するよう元気づけてあげることができます。

 霊的能力者が施すサービスはきわめて特殊なもので、天賦の才能をもつ者のみの特権といってよいでしょう。そういう人たちがたどる人生には、似通った過酷なパターンがあります。

必ず人生のドン底を味わい、もはや物質の世界には頼りにすべきものが無いと諦めた土壇場で、崇高な霊的真理との出会いがあります。

 魂の琴線に響く感動を味わう、その触媒となる体験を得るのがこの段階です。魂に内在する神性の火花に点火され、霊的意識が芽生え、霊界との間にリンクが出来ます。

そのリンクは一度できると二度と切れることがないばかりか、霊力がその量を増しながら、そのリンクを通して流れ込みます。私が言わんとしていることがお分かりでしょうか」

二人が声を揃えて、「分かりますとも」と言うと、シルバーバーチが続ける。

 「そういうパターンをたどる以外に方法はないのです。天賦の才能を授かっている人は、自分を含めたあらゆる存在の源が物的なものではなく霊的なものにあるという真理に目覚めるには、絶体絶命の窮地の体験を味わうことになっているのです。

 霊媒能力は特権であると同じに、大きな責任があることも意味します。生命力そのものを委託されているからです。

その能力のおかげで、病気の人々を癒やし、霊の世界からのメッセージを届けるばかりでなく、あなた方のもとを訪れる人々の魂を目覚めさせ、本当の意味で生きるということ───暗闇の中でなく真理の光の中で生きること───を教えてあげることができます。お分かりでしょうか」

ドリス・ストーク 「分かりますとも。霊媒としてまだ未熟だったころから、私はあなたの教えを座右の書として読み、あなたを尊敬してまいりました。いろいろと教えていただいております」

 「そのようにおっしゃっていただくと、いささか当惑させられます。さきほども申しました通り、私もあなたと同じ人間的存在にすぎないからです。が、私が少しでも皆さんのお役に立っているとすれば、それは私にとっての最大の報酬をいただいたようなものです。

私も、物的カルマから超脱した高遠の世界の神霊のマウスピースとして、地上の皆さんに必要なメッセージをお届けするという仕事を、何よりの特権と心得ております。

仕事中に手応えを感じ、たった一人の魂にでも霊的真理が根づいたことを知った時、地球浄化の大事業が着々と進捗していることを知ってうれしく思います。

 今この部屋にいる私たち一同、および霊界で同じ仕事にたずさわっている同志たちも、みなこの崇高な計画の一翼を担っているのです。

その目的とするところは、地上の人間に本来の生き方を教え、肉体と精神を存分に発揮すると同時に、本来の自我である霊性をよりいっそう顕現させるよう導くことです。

 かくして得られた人生の目的についての悟りは、本当はエデンの園であるべきでありながら今や身の毛もよだつ恐ろしい唯物病に冒されている地球を救済するための手段でもあるのです。

 お二人には、ご自分が貢献しているその成果を推し量ることはできませんが、大変な貢献をなさっておられます。それは本当は教会が行なうべきものです。が、イエスがいみじくも述べておりますように、キリスト教会は霊的真理の宝庫であるどころか、

人間生活の問題や大きな可能性とは無縁の、空虚で陳腐で時代おくれの独善的な教義を説くしか能のない、〝白塗りの墓〟(※)と化しております。



 ※───ユダヤ教の律法学者やパリサイ人を〝偽善者〟と決めつけて白塗りの墓になぞらえたのであるが、ここでは霊性がカケラも見られなくなった、ただの建造物の意味に使用している。

 このように霊力は、大主教や主教や法王、司祭や牧師などを通してではなく、あなたのような、ごく普通の人間でありながら崇高な愛や叡知や霊力をあずかることのできる人を通して地上へ顕現されるように計画されているのです。

 悲しみの涙にくれている、たった一人の人間の涙を拭ってあげることができれば、あるいは不治の宣告を受けた人をたった一人でも治してあげることができたら、あるいは出口の見えない迷路にはまった人に光明への道を教えてあげることができたら、それだけであなたの全人生が価値があったことになります。

 私たちの仕事も同じです。受け入れる用意のできた人に霊力による援助を授けることです。そういう人はいろんな逆境の中であなたのもとを訪れます。

愛する人を失った悲しみを抱えて、あるいは人生に絶望して、あるいは不治の病に冒された身体で、あるいは悩みを抱え生きる意義を見失って等々、その動機はさまざまです。が、どの人も既成の宗教や科学や哲学や医学では解決策を見出すことができなかったのです。

あなた方は崇高な使命を担った者として、日常生活においてさまざまな困難に遭遇しますが、決して挫けてはいけません。何の面倒も生じないバラ色の人生など、およそ私たちにはお約束できません。

お約束できるのは、霊的な意味において使命の成就に勤しんでいれば、霊的に報われるということです。その段階に至ってはじめて、地上という物質界に降誕した意義があったことになるのです」

ストーク女史 「一か月前に他界したばかりの人が私(の入神現象)を通じて地上に残した奥さんへ通信を送ってきたのですが、その話の中で霊界での朝と昼と夜の生活ぶりを語っています。霊界でも地上と同じ〝一日〟の生活があるのでしょうか」

 「こちらへ来てまだ霊的バイブレーションに順応していないうちは、地上時代と同じパターンの生活を営みます。低級界、いわゆる幽界は、いろいろな点で地上とそっくりです。これは、新参者にショックを与えないようにとの神の配慮なのです。いきなり環境が変わると順応が難しいからです。

 そこで、今おっしゃった方のように、こちらへ来てからも引き続き朝と昼と晩の生活を営む者がいることになります。そういうものという固定観念を抱いているために、そうなるのです。こちらは思念が実在となる世界です。

意識の変化が生じないかぎり、その状態が続きます。それとは別に、地上に残した愛する者の面倒を見たくて、より高い世界への向上を望まない者もいます。

こちらにも庭があり、家があり、湖があり、海があります。それぞれに実体があります。実在なのです。フワフワとした、形態のない世界ではありません。住民はやはり人間的存在です。ただ、物的身体がないというだけです。霊界の自然環境は芸術的な美しさにあふれ、とても言語では表現できません。

 家屋に住まうということは自然なことです。こちらでも家の中での生活がありますが、こちらの家は、地上時代にその人が培った霊性が反映して自然にこしらえられているという点が、地上と違います(※)。その家に庭があるのも自然なことですが、

庭木の手入れは、しなければならないと思えば、すればよろしいし、特に手入れをしなくても、その人の霊性に応じて手入れがなされます。そのように霊の世界の仕組みができているのです。だからこそ新参者もショックを受けずに霊的環境に適応していくのです。

 ※───死後に住まう家がこの地上生活中に着々とこしらえられているという話は、他の霊界通信でもよく出てくる。信じられないのであるが、シルバーバーチまでもがこうもはっきりと述べているとなると、信じざるを得ない。

地上では豪邸に住んでいても、その生活に霊性が欠けていれば、霊界では貧弱な家に住むことになるらしい。俗にいう「徳積み」が、霊的には生活環境となって具現化すると考えればよいのであろうか。その辺の原理を説いた通信は見当たらない。

 霊の世界は進化の階梯を上昇しながら、上下の界が互いに融合し合っているのでして、平面上の地理によって区分けされているのではありません。

霊性が開発され、魂が向上するにつれて、より高い界層へと適応するようになり、自動的にその界に所属するようになります。こうしたことは完ぺきな摂理の完ぺきな働きの結果です。何一つとして偶然の産物は存在しません。

 霊性に歪みがあれば、霊界の病院へ行って然るべき治療を受けることになります。霊界の孤児、つまり両親がまだ地上にいる子供の場合は〝養母〟にあたる霊が付き添います。

地上的縁のある霊の場合もありますが、霊的な親和性の関係で付く場合もあります。その他、ありとあらゆる事情にそれなりの備えが用意されています。大自然の摂理は何一つ、誰一人として見落とすことはありません」

ここでシルバーバーチは話題を変えて、かつてストーク女史が〝支配霊信仰〟の話題をだした時のことに言及して、改めてこう述べた。

「これはとかく地上の人間が陥る過ちの一つでして、残念に思います。指導霊とか支配霊というのはどの霊媒にも付いています。が、そういう資格を与えられた霊は、自分が崇拝の対象とされることは間違いであることを、よく承知しております。(※)。

崇拝の対象は大霊以外にはありません。愛と叡知と摂理の権化です。私が皆さんからの感謝の言葉を有難いと思いつつもお受けしないのは、そういう理由からです。

本来の崇拝の念は大霊へ向けられるべきであり、そこに親と子の関係にも似た、より深い融和が生まれます。その対象から外れて自分へ向けられるようになることは、支配霊として許されないことなのです」

※───これはスピリチュアリズムという大事業の計画のもとに選ばれた指導霊や支配霊 (この用語の区別にとくにこだわる必要はない)について言えることである。霊的知識や教養のない霊能者の背後には崇拝の対象とされる───いわゆる〝神や仏に祭り上げられる〟───のを得意に思う者がいて、歴史上や神話上の立派な名前を騙るようになる。その波動を受けて霊能者の方もそう思い込むようになる。

 この種の霊および霊能者はもともと大事業の計画の中に組み込まれていなかったとみて差しつかえない。シルバーバーチの霊言の陰にかくれて存在が薄くなっている高級な霊言集に 「ラマダーンの叡智」とか「ブラック・クラウドは語る」というのがある。

ラマダーンもブラック・クラウドもシルバーバーチが〝同志〟と呼んでいる高級霊であるが、やはり最後まで自分の地上時代の身元を明かさず、本当に通信を送っているのは自分よりはるかに上層界の〝光輝く存在〟であって、自分はそのマウスピースにすぎないと、シルバーバーチと同じことを言っている。

 ドリス・ストーク女史は霊能養成会を開いているが、ある日の交霊界にその会員十二人が揃って出席してシルバーバーチと対話を交えている。その時の質疑応答を紹介しておこう。

───指導霊はどのようにして決まるのでしょうか。(ここでは守護霊も含めた背後霊全体の意味で訊ねている)

「宇宙には斥力(反発力)があるように引力(親和力)もあります。親和性のある者どうしが自動的に引き合い、引かれ合うという法則です。

愛は、霊力と同じく、宇宙で最も強力なエネルギーの一つです。バイブルにも、愛は摂理の成就である、とあります。摂理として顕現している大霊は、愛と叡知の権化だからです。

 時として地上での前世の縁で指導霊になる場合もあります。どうしても片づけなければならない事が地上にあって、そのために再生することになった場合、霊的自我はあらかじめそのことを承知しております。そして同じ霊系の高級霊の指導のもとに段取りを整えます。

 指導霊としての責務を引き受けた霊は、それまでに身につけた霊的資質の多くを犠牲にして(波動を下げて)、この魅力のない世界───と言っては失礼ですが───の圏内へと降りて来ます。

それは、危険と犠牲を強いられる仕事ですが、それを敢えて引き受けることができるということは、その霊の進化の水準の高さの証明でもあるのです。

 その犠牲的献身によって地上の人々の人生に光明をもたらし、生きる目的を見出させ、使命を成就させることになるのです。ここに愛の摂理の実践の典型があります」

―――私が向けている関心の一つに動物への福祉問題があります。が、英国でも動物実験が多いことを残念に思っております。何かよい改善方法はないものでしょうか。

 「これは私にとってきわめてお答えしにくい問題の一つです。簡単に〝こうしなさい〟と申し上げたいところですが、それができません。

なぜかというと、地上生活の目的の一つは霊的意識の覚醒です。それが成就されれば、大局からの物の見方ができるようになります。優先すべきものを優先させることができるようになるということです。合わせるべき焦点が正確になるということです。

 残念ながら現段階の人類の大半は、霊性の発達の欠如から、自分がもともと霊であり、それと同じものが動物にも宿っていることが理解できません。たしかに人類は機能的には動物に優ります。

が、本質的には同じ霊的存在なのですから、自分より進化の低い階梯にある動物を慈しみ保護してやるべきなのに、自分たちの病気治療の研究のために、無抵抗の動物を材料として、残酷な実験をくり返しております。が、これは間違いです。

 こうした邪悪な、悪魔的ともいえる動物実験を止めさせるためにも、時間は掛かりますが、まず霊的知識の普及が必要です。

そして、人類全体が、今行なわれていることが間違いであることに気づく段階にまで意識が向上する必要があります。短期的に見れば、それまでは、一時的に今まで以上に動物実験が盛んになることもあるでしょう。

 皆さんとしては、何とかして生きた動物に苦痛を与える方法以外の方法へ転換させるように、不断の努力をすることです。決してあきらめてはいけません。霊的な旗印を鮮明に維持しつづけることです。点滴、岩をもうがつ、と言います。最後まで頑張ってください」

───霊性開発につとめているのですが、一歩進んだかと思うと二歩後退しているように思えます。こういうものなのでしょうか。背後霊や私の母親は私に絶望しないかと心配なのですが・・・・・・

 「二歩後退しているというのは、どうして分かるのでしょうか」

───努力すれば努力するほど、人に与える印象がスピリチュアルでなくなっていくように思えるのです。

 「霊的な褒賞はそう簡単に得られるものではありません。もしも簡単に得られるものであれば、あえて得るほどの価値はないことになります。この道は石ころだらけの、進みにくい悪路の連続です。霊的摂理の関係上どうしてもそうならざるを得ないのです。

 考えてもごらんなさい。もしあなたが困難と悲哀と苦悶の体験をしなかったら、そういう逆境の中にいる人があなたのもとを訪れた時、あなたはどう対処なさるのでしょうか。

空は晴れわたり、太陽がさんさんと降りそそぎ、何の苦労もない毎日を送っているようでは、魂は目を覚ましません。困苦と難渋の中でこそ魂は目を覚ますのです。

 魂の奥に隠された黄金は、たたき砕かれてはじめてその光輝を発揮することになるのです。ダイヤモンドは最初からあの美しい姿で飾られているのではありません。もとは土塊と埃の中に埋もれていたのです。それが掘り起こされ、砕かれ、磨き上げられて、ようやくあの輝きを見せるのです。

 霊性も同じです。しごかれ、試されてはじめて発揮されるのです。鋼鉄と同じです。それ以外に方法はないのです。苦難を体験してはじめて霊の光輝と崇高性が発揮されるのです。

 ですから、困難を魂への挑戦課題として歓迎するのです。それが地上人生の目的なのです。もしも気楽で呑ん気な生活を送っていたら、内部に宿る素晴らしい霊性に気づかないまま生涯を終えることになります」

───私は精神統一の修行を何年も続けておりますが、どうすればいちばん良いのでしょうか。

 「今までどおり修行なさることです」

───これからもずっとですか。

 「そうです。完ぺきの域に達するには永遠の時を要します。もちろん地上生活では不可能ですし、こちらへお出でになっても、やはり不可能です。完全なのは大霊のみです」

───大霊と一体になるのは可能なのでしょうか。

 「本質的には人間は大霊と一体です。霊性においてつながっているという意味です。ですから、心配・不安・悩みといった低級感情を消し、大霊の計らいに絶対的な確信と信念を抱き、世俗の喧噪から遁れて魂の奥に入り、平安と静寂の中に休らい、不屈の精神に燃えることです。

精神を統一するにはいろいろな方法があります。いずれにしても、決して容易ではありません。が、修行の努力は必ず報われます」

───ある人のために苦心さんたんして、全身全霊を傾けたあげくに、お礼どころか、ひどいしっぺ返しを受けることがあります。

 「霊的能力を授かった人の責任は、いつでも手を差しのべる用意をしておくことです。あなたが力になってあげることの出来る人が連れてこられます。あなたの方から探してまわることはありません。

あなたから発せられる霊的な光輝によって、そういう人が引きつけられるのです。その時こそあなたが人のために役立つことができるチャンスです。

 あなたが精いっぱいの努力によって、かりに成果をあげることができなくても、それはあなたが悪いのではありません。その人がまだ霊的な用意が十分でなかったということです。そんな時、せっかくのチャンスが実らなかったことに、ひそかに涙を流してあげて、またいつか、チャンスが巡ってくることを祈ってあげることです」

───霊界の住民は誰でも地上の者と通信できるものでしょうか。また、みんな通信したがっているのでしょうか。通信には特別の練習がいるのでしょうか。

 「霊界から地上界へと通信を送るのは、そう簡単なものではありません。さまざまな障壁があります。が、それらを克服して通信を送ってくるのは、愛の絆があるからにほかなりません。愛もなく、地上界へ何の魅力を感じない人もいます。

地上を去ったことを喜んでいるのです。さらには、死んだことに気づかず、いつまでも地上圏をうろついている者もいます。

 地上人類への愛念を抱く霊───それは必ずしも地上的血縁のある者とはかぎりません───は、ありとあらゆる手段を尽くして地上界と接触しようと努力します。

そして通信を送るテクニックを身につけます。地上界と霊界とでは存在の次元が異なります。同じ霊的存在ではあっても、地上の人間は肉体という物質にくるまれた霊です。

そこに通信の難しさが生じます。こうして私が通信しているのを、あたかも受話器を取ってダイヤルを回すだけの電話のように想像してもらっては困ります。電話ですら不通になったり混線したりします。

 霊界通信にも困難はつきものです。が、愛・友情・親和性・血縁関係、それに相互の関心のあるところには、通信を可能にするための、ありとあらゆる努力が為されます」

───私は今だに自分のことがよく分かりません。私のために働いてくれている何ものかがいることは分かるのですが、まだ自分の指導霊ないし支配霊が誰なのか分かりません。

 「光を見出すのは闇の中にあってこそです。喜びを見出すのは悲しみを味わってこそです。健康の有り難さが分かるのは、痛みを味わってこそです。あなたはご自分についてこれから見出していかれます。本当の自我はちゃんとあるのです。ずっと存在しているのです。

 あせってはいけません。地上の人間の悪い点は、せっかちだということです。霊的成長はインスタントに身につくものではありません。私たちも、あなた方が長い眠りから覚めるのを根気よく待っているのです。

何十年も掛かるかも知れません。ところが、ようやく覚めると、いきなり〝何をぼやぼやしているのです!早くやらなくては!〟と言い出します。

 大霊は急ぎません。すべてが計画どおりに着実に進化するように、摂理を配剤しておられるのです。

 そのうちあなたの真の姿が明らかにされる日が来ます。あなたは今、梯子のいちばん下の段に足を置いたばかりです。これから昇りはじめるのです。いくつもの段を昇らねばなりません。が、昇るにつれて、ご自分について、そしてご自分の無限の可能性について悟るようになります」

───この世を去ったあとたどる七つの界層についてご説明ねがえませんか。一界一界どういう過程をたどるのか、また各界がどういう仕事をするのか、大ざっぱで結構ですが・・・・・・

 「まず最初にお断りしますが、私はその〝七つの界〟とやらを知りません。第一から第七まで番号のついた界というものを私は知りません。私が知っているのは、たった一つの界があって、それが無限の階梯をなしているということです。

霊性が高まれば、自動的に次の境涯へと進化しています。そういう過程が永遠に続くのです。なぜなら完全は永遠の時を要するからです。

 どういう仕事をするか、ですか。それはその人によりけりです。もしも授かっていた本能を地上で発揮できなかった人は、こちらへ来て発揮するよう努めます。地上でやりたくても出来なかったものが、こちらで出来ます。

たとえば、子供が大好きなのに子宝に恵まれなかった人は、こちらで多くの霊的孤児 (幼くして親より先に他界した子供)の面倒を見ることになります。

 心霊治療家だった人は、こちらの病院でその能力を発揮することができます。音楽の才能のある人は、地上で経済上の理由から音楽会などに行けなかった人たちのために演奏会を開くこともできます」

───私はどのスピリチュアリスト教会にも所属していないのですが・・・・・・

 「それが何か不都合でも生じましたか」

───私はどうということはありません。多分あなたにも・・・・・・

 「私もどうということはありませんよ」

───どういうわけか私は教会に所属する気になれないのです。何かが私を躊躇させるのです。何なのでしょうか。

 「人間には自由意志と責任があるというのが、私たちの基本的理念です。自分の意志を自由に表現する機能を大霊から授かっています。糸であやつられる人形ではないということです。自由意思があるということです。もちろん、ある一定範囲内でのことです。

つまり、あなたが到達した進化の程度に応じて行使できる範囲がきまるのです。

 もしもあなたが気に入らないと思えば、拒否なさればよいのです。あなたにはもっと別の進むべき道があるのかも知れません。霊界のほうから強制することはありません。援助を求めている人にだけ援助します。ただし、あなたが選択なさることについての責任は、すべてあなたにあることにもなります」

ストーク女史 「この方はご自分ではそうは思っていらっしゃらないでしょうけど、人間的にはスピリチュアリストをもって任じている人よりもっとスピリチュアリスト的な方です」

 「打ち明け話をしましょう。私自身もスピリチュアリストだとは思っておりません。私は肩書には関心がないのです。どうでもいいことです。こちらの世界では何の意味もありません。

大切なのは人のために役立つことをし、可能なかぎり最高の理想へ向かって生きることです。皆さんの名前だってずいぶんいい加減なものです。私が関心をもっているのは、霊的自我と、それをどのように発揮しようとしているかです」

───私はスピリチュアリズムが大好きなのですが、時折怖くなることがあります。なぜだか自分でも分からないのですが・・・・・・

 「恐怖心というのは〝未知〟であることから生まれるものです。分かってしまえば恐怖心は消えます。ですから、なるべく多くの知識を手に入れることです。多く知ることにより、それが光となってあなたの全存在を照らし、恐怖心を追い払います」

ストーク女史 「私から質問があります。私は養成会を指導しているのですが、私自身は正式のトレーニングを受けていないものですから、やり方が伝統的ではありません。

体験に基づいて私の思うままを教えるしかありません。これまでのやり方でよろしいのでしょうか、それとも私自身がもっと正式なトレーニングを受けるべきでしょうか」

 「大霊が無限であるということは、大霊に近づく道も無数にあるということを意味します。たった一本の道というものはありません。またどこかの一個の団体の専売特許でもありません。

私たちは〝今はやりの〟とか〝伝統的な〟といった方法にはこだわりません。むしろ非伝統的であることに誇りを覚えるくらいです。伝統的ということは古くさいということを意味し、進歩がないということの証明でもあります。


 たとえばチャクラ(※)について説くことは必ずしも必要とは考えません。肝心なことは、特別な人(霊能者)に賦与されている霊的能力を発現させることです。誠実さを動機とし、人のためにということをモットーとしておれば、道を誤ることはありません。

※───チャクラというのは〝車輪〟を意味するサンスクリット語で、肉体と幽体の接着剤的役割をしている〝ダブル〟にある七つの皿状の凹んだ渦巻きのことである。これが回転することによって生命力を出し入れしている。これが霊的能力にも大きく関わっていて、ヨガではこの開発を奨励する。

シルバーバーチがあまり勧めないのは、とかく超能力にこだわって霊性の開発をおろそかにする傾向があるからで、私は、人体の構造と内臓器官の生理を知ることが治療家にとって不可欠であるように、霊能開発を本格的にこころざすには、こうした霊的生理について知ることが不可欠であると考えている。

 ご自分でこうだと思うことを実践なさることです。間違っていれば、すぐに気づきます。大霊は各自に判断のモニター装置を植え込んでくださっています。道から外れかけていると、すぐに警告を発してくれます。目的さえ誠実であれば、必ず良い結果が得られます。

 私は、こうして養成会の皆さんと語り合う機会を得たことを大変うれしく思うと同時に、これが皆さんにとって何らかの力になることを望んでおります。また、皆さんからお寄せくださる愛と感謝と情愛に深く感謝の意を表現したいと思います。

私の語ったことが皆さん方の存在の中に宿り、人生とその目的について、以前より少しでも深く理解する上で力になっていることを知ることは、私にとって途切れることのない感謝の源泉です」

ストーク女史「養成会を代表して私から、本日こうしてあなたとの語り合いの機会を設けてくださったことに厚くお礼申し上げます。この日をどれだけ心待ちにしていたことでしょう。きっと生涯忘れ得ない夜となるものと信じます。

これからは、あなたの霊言集を読むたびに〝ああ、自分はこの方と直接語り合ったのだ〟と、今日のことを思い出して、その光栄をしみじみと思い出すことでしょう。皆の者に成り代って私から改めてお礼申し上げます」

「そのお言葉は有り難く頂戴いたしますが、いつも申し上げておりますように、私はいかなる礼も頂きません。指導霊や支配霊を崇拝の対象とする傾向に対して、私は断固として異議を唱えます。崇拝の対象は大霊以外にはあってはならないのです。

 私は地上の年数にして皆さんよりはるかに長く生きてきたというだけのことです。その間に為し遂げたことの結果として、地上の言語では説明のできない光明と美にあふれた境涯に到達することができました。

 すでに何度も申し上げた通り、そういう境涯にいる同輩の多くに、地球浄化の大事業への参加の要請があったのです。それには、これまでたどってきた道のりを逆戻りしなければなりません。が、

私は喜んでお引き受けして、それまでに蓄積した体験から得た知恵、知り得た大自然の摂理の働き、宇宙の大霊についての理解と崇敬の念、およびその大霊から届けられる恵みのすべてを皆さんにもお分けすることにしたのです。

 もちろん、霊的に受け入れの用意ができた人にお分けするということです。ここにお集まりの皆さんにはその用意がおありです。

私たちは協調の体勢で地上を浄化し、より美しい、生き甲斐のある生活の場とするための大事業計画の一端を担うことができた皆さんは、この上ない光栄に浴されておられます。私も光栄です。

 地球浄化の一環として私たちがたずさわっているのは、物欲第一主義の打破です。

これは言わば地球のガンです。利己主義・どん欲・強欲・暴力───これらはみな物欲第一主義の副産物です。これらを無くし、地上の子らが精神的にも霊的にも豊かさを享受して、互いに協調し合える世界を築くことが目的です。

 今、私たちはそういう仕事にたずさわっているのです。これは大規模な戦です。皆さんの中には将校として参加すべく武装している最中の方もいます。小競り合い程度の問題で絶え間なく葛藤させられているのは、その大規模な戦に備えて、将校としての資質を試されているのです。

 ですから、迷わず突き進んでください。常に最善のものを求めてください。そうした努力が大霊へ近づかせ、創造の大源から放たれる愛に浸らせることになるのです。大霊の祝福のあらんことを」



 次にドリス・コリンズ女史が夫君フィリップ・コリンズ氏と霊視能力者のマージョリ・オズボーン女史とともに出席した時の様子を紹介しよう。まずシルバーバーチが歓迎の挨拶のあとコリンズ女史にこう述べた。

 「あなたは背後で絶え間なく援助している高級霊団の存在には先刻お気づきのはずです。これから申し上げることが、その霊団から告げられていることを補足ないし確認することになれば幸いです。

 といっても、私がこの霊媒(バーバネル)を通して申し上げていることは、私の霊団から授かったものをくり返しているに過ぎません。が、首尾よく伝えることができれば、それだけ多くの霊的真理が地上に届けられたことになります。

 覚悟はできておられると思いますが、天賦の霊的才能を授かって生まれてきた人のたどる道は、平坦なものではありません。ロートスの実(※)を食べて安楽な道を歩みたい者は、この道にたずさわらないほうがよろしい」

 ※───ギリシャ神話で、これを食べると浮き世の苦しみを忘れるという。

コリンズ女史「覚悟はできております」

 「私は実はそのウラを申し上げたくて酷なことを申し上げたのです。大霊の大事業に霊界から参加し、地上人類に本来の生き方を教えることに献身している霊たちは、あなたのような方を通して仕事をするのです。あなたのような才能を身につけた方を通して働く以外に方法はないのです。

 地上の指導者であるべき人たち───聖職者・科学者・思想家───が何もできずにいるとき、あなた方は悲しみに暮れている人、病気に苦しんでいる人、悩みを抱えている人、生きる目的を見失った人に解答を授けることができます。

崇高な霊力のチャンネルとして、そういう人々の霊性に働きかけて、本来の機能を取り戻させることができます。それは霊能者にしかできない仕事です。大霊の子らに奉仕することによって大霊に奉仕するという特権を授かっているということです。

 自己の存在価値をあらしめる仕事にたずさわるということは、詮ずるところ犠牲を強いられるということです。なぜならば、それには莫大な霊力が投入されるからです。霊力は無尽蔵です。が、それが地上に顕現されるチャンスが少なすぎます。

そこであなたのような方に犠牲を強いることになるのです。が、犠牲が大きければ大きいほど、それだけ多くの霊性が発揮されます。神の道具としてよりいっそう磨きがかかり、以前にはできなかったことが可能になります。

 と言って、決してラクな道ではありません。が、もともと霊の褒賞は刻苦することによってのみ得られるのです。葛藤の末に得られるものです。遭遇する困難、それに、物分かりの悪い連中によって持ち出される、あらずもがなの障害も克服しなければなりません。

そうした困難や障害との葛藤があなたの霊性を磨き、洗練し、背後霊団との調和を促進し、豊かな霊力の受容力を高めてくれるのです。私の申していることがお分かりでしょうか」

コリンズ女史「分かりますとも、シルバーバーチさん。よく分かります」

 「私からのメッセージが元気づけの言葉となって、あなたがこのまま勇敢に突き進まれ、最善を尽くされ、いつどこにいても人のために役立つことをなさっておれば、私は私なりに存在価値を発揮したことになり、あなたも同様に存在価値を発揮されていることになるのです」

 そう述べてから夫君のフィリップのほうを向いて、

 「以上の私の話をお聞きになりましたか」

フィリップ「拝借しました。一言もらさず・・・・・・」

コリンズ夫人「私の使命の大きさは先刻承知しております。そういう使命を授かったこと、そして(フィリップという)よきパートナーを用意してくださったことを、神に感謝いたしております。これからも力のかぎりを尽くす所存です」

 「あなたに要請されているのはそれだけです。最善を尽くすということです。本日ここに集まった方たちは、私たち霊団も含めて、神の大いなる計画の一翼を担っております。

私が永遠の創造過程と呼んでいるものを促進するために、こうして集められたのです。人類の進化に寄与できることは何と素晴らしいことでしょうか。

 私たちは地上人類の本来の姿、すなわち物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを教えてあげることができます。その生活の中で最優先すべきものを優先し、霊的原理に基づいた生き方をしていれば、かつて経験したことのない生きる喜びを見出すことになります。

 地上人類の最大の問題点は、大霊よりも黄金の子牛(金銭)を崇拝の対象としている者が多すぎることです。欲の皮がつっ張れば霊性はしぼみます。

霊性が第一であることを一人でも多くの人に説かないといけません。地上のいかなる財産も、この世かぎりのものです。来世まで持って行くことはできません。

 知識が無知と取って代るにつれて、光が闇をかき消し、真理が広まるにつれて迷信が退却せざるを得なくなります。私たちと同じくあなたも、物欲第一主義の戦場で霊的解放のために闘うという栄誉を担われた方です。霊は必ずや物質をしのぎます。

霊的叡知が行きわたれば、すべてが収まるべきところに収まります。すべての人類が自分自身の(肉体と霊と精神の)調和のみならず、同胞との調和の中で暮らすようになります。

 そうなれば病気もなくなります。残念ながら今の地上には病気が多すぎます。さらに、霊的に全人類が一つであるという理解が広まれば、みっともない利己主義の産物も出なくなるでしょう」

 そう述べたあと、子供へのお説教みたいなことを述べて申し訳ないと詫びてから、コリンズ女史の背後には素晴らしい霊団が控えているので、憶することなく突き進むようにとの励ましの言葉を述べ、さらに、ご主人のフィリップに向かってこう述べた。

 「あなたは奥さんの片腕として、言うなれば〝人間の砦〟となるべく連れてこられたのです。これからも精いっぱいのことをしてあげてください。これまでも決してラクな道ではありませんでしたが、埋め合わせの法則は間違いなく働きます。低く落ちれば、それだけ高く上がることができます。

 失敗しても、すぐに気を取り直して、また始めるのです。個人であろうとグループであろうと、本当のあなた、神性を秘めた永遠の霊的自我に危害を与えるような出来ごとを生み出せる者は、この物質界にはいません。

いついかなる時も泰然自若とした態度を保持することです。なるほど大事業のために選ばれた人は違うと思わせる、冷静で自信に満ちた雰囲気を常に発散してください」

 続いて霊視家のマージョリ・オズボーン女史に向かって、

 「コリンズご夫妻に申し上げたことは、あなたにも当てはまるとは思われませんか」

 と問いかけると、

オズボーン「そっくりそのままと言ってもよいと思います」

 「何とかして話をあなたのことにもつなげようとしたのですが、どうやらうまく行ったようですね。霊的大事業の道具として派遣された者にラクな道は有ろうはずがありません。もしラクであれば、授けられた才能が発揮されないのです。

ラクで呑ん気な生活をしていれば、内部の神性は顕現しないのです。困難・障害・難題・悪条件の中でこそ霊性に磨きがかけられるのです。

 ダイヤモンドがあの無垢の輝きを見せるようになるまでには、何工程もの破砕と研磨とを経ているのです。それなしには秘められた美しさが出てこないのです。

 霊力に優る力はこの地上には存在しません。万事休す、と思われた絶体絶命の窮地からでも救い出すことのできる力をそなえております。もしもその力について疑念が湧いた時は───人間である以上それはやむを得ないことです───かつてあなたが真っ暗闇の中に閉じ込められた時に、ひとすじの光明、霊の黄金の光が射し込み、進むべき道が示され、人間的愛とともに神の愛の存在に気づかされた時のことを思い出して下さい」

 オズボーン「おっしゃる通りでした」

 「道に迷ったがゆえに本当の自分を見出すことができたのです。霊的に二度と迷われることはありません」

オズボーン「本当に有り難いことです」

 「私は、本日ここにお集まりのどなたよりも長い生活を体験してまいりました。その私が今もって感動を禁じ得ないのは、神の摂理の完ぺきさであり、叡知の無限さです。誰一人として見落とされることもなく、またその監視から逃れることもできません。

 霊的能力を授かっている者は、それを発揮させねばなりません。それがその人に課せられたサービスです。いかなることが起きようと、その能力を授かったがゆえの特権を行使することによって、自己実現に努めなくてはなりません。

それ一つに専心していれば、他のことはすべて落着くところに落着きます。

 取り越し苦労は何の役にも立ちません。霊性をむしばむ大敵です。不屈の精神・沈着・自信・決意───こうしたものは悟りを開いた魂の属性です。これまで導かれてきたのです。これからも導かれます。

疑念が湧いた時は、その思いをそこで押し止め、精神を静めて、魂の奥に引っ込むのです。本当の自我である霊性が道を教えてくれます。

 この地球浄化のための戦いにおいて、将校たる者はうろたえることがあってはなりません。持ち場を死守しないといけません。弱気になってはいけません」

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
七章 天界の大軍、地球へ




2 先発隊の到着
  一九一九年三月七日  金曜日

 十重二十重(とえはたえ)と上方へ延びている天界の界層を見上げつつ、吾々は今や遅しと(キリストの降臨を)お待ちしておりました。

その天界の連なる様子はあたかも巨大なシルクのカーペットが垂れ広がっているごとくで、全体にプリーツ(ひだ)とフラウンス(ひだべり飾り)が施された様子は天界の陽光を浴びてプリズムのごとく輝くカスケード(階段状の滝)を思わせます。

プリーツの一つ一つが界層であり、フラウンスの一つ一つが境界域であり、それが上下の二つの界をつなぎ、それぞれの特色ある色彩を一つに融合させておりました。その上方からきらめく波がその巨大なマントを洗うように落ちて来ます。

色彩が天上的光輝を受けて、あたかも宝石のごとくきらめきます。その宝石の一つ一つが天使であり、それぞれに天上的光輝の美しさを一身に受け、そして反射しているのです。

 そう見ているうちに、吾々の視力の届くかぎりの一ばん高い位置の色彩がゆっくりと変化しはじめました。本来の色彩をとどめつつも別の要素、新たなきらめきが溢れております。

それを見て吾々はキリストならびに従者の一行がようやく吾々の視界の範囲まで降下してこられたことを知りました。


シルクのプリーツの一つがすぐ下のプリーツへ重なり、あたかも次のプリーツに口づけし、そのプリーツが同じように頭を垂れて頬を次のプリーツの肩にそっと触れていくのにも似た光景は、何とも言えない美しさでした。

 以上が吾々が見たキリストの降臨の最初の様子です。吾々には突き透せない光輝の中から今やっとお出ましになり、一歩一歩地球へ近づきつつもなおその間に広大な距離を控え、各界にその霊力を放散しつつ降りて来られるようでした。

流れ落ちる光の波はついに吾々の界より二、三手前の界層の境界域に打ち寄せてまいりました。そこまで来てさらに一段と理解がいきました。

吾々が見ているのはキリストの近衛兵の大連隊が光輝を発しつつ前進してくる様子だったのです。しかしキリストのお姿はまだ見えませんでした。

 その途方もない霊力と栄光の顕現にただただ感嘆と高揚にしばし浸っているうちに、こんどは吾々自身の内部から、愛と慈悲の念と今まさに始まらんとしている大事業に全力を投入しようとの決意の激発による魂の興奮を覚えはじめました。



それは同時に、いよいよキリストが近くまでお出でになられたことを告げるものでした。

 いよいよお出でになられた時の様子、さらには吾々の界を通過して下界へ降りて行かれた時の様子、それはとても言葉では尽くせません。あまりにも荘厳すぎるのです。が、私にできるかぎり何とか表現してみましょう。

 魂の興奮は次第に度合いを増し、吾々はお出ましの瞬間を見届けんものと、身を乗り出し首を伸ばして見つめました。まず目に入ったのは側近の随行者の先遺隊でした。

その一行は吾々にお迎えの準備を促す意味がありました。と言うのは、この度のお出ましはこれまでに私がたびたび叙述した顕現とは異なるのです。大事業の完遂のために幾千万とも知れぬ大軍を率いて、その本来の威力と栄光のままにお出ましになられるのです。

吾々もそのご威光を少しでも多く摂取する必要があり、それにはゆっくりとした過程で順応しなければなりません。そこでまず先発隊が派遣され、道中、必要とみた者には叡智を授け、ある者には祝福を与え、またある者には安らぎの口づけをするのです。

いよいよその一行が悠揚迫らぬ態度で吾々のところまで来られました。いずれ劣らぬ尊い霊格を具えられた方ばかりです。

上空を飛翔される方々と吾々の間を通り抜けて行かれる方々とがありました。そして吾々の誰かに目が行き、一瞬のうちにその足らざるところを察知して、必要なものを授け、そして先を急がれました。

上空を行かれる方から指示が出されることもありました。全体が強調的態勢で行動し、それが吾々にとって大きな教訓となりました。



──あなたご自身には何かありましたか。
 その一行の中には女性が混じっておりました。それは吾々の霊団も同じです。地上の戦争にも女性が派遣されるでしょう。吾々も女性ならではの援助の仕事のために女性を引き連れておりました。

 そのとき私は仲間から離れて後方にいました。というのは、従者の一行に話しかけたい者が大ぜいの仲間とともに前の方へ出て来たからです。

するとその私のところへ一対の男女が近づいて来られ、にっこりと微笑まれて双方が私の手を片方ずつ握られました。男性の方は私よりはるかに体格があり、女性の方は男性より少し小柄でした。いずれ劣らぬ端整な容姿と威厳を具えておられますが、そうした従者のいずれもがそうであるように、素朴な謙虚さと愛を感じさせました。

男性の方はもう一方の手を私の肩に置いてこう言われるのです──〝アーネル殿、貴殿のことを吾々二人はよく存じ上げております。吾々は間断なく生じる仕事においていつも互いの資質を出し合って協力し合っている間柄です。

実はこのたびこの界を通り過ぎることになって二人して貴殿をお探ししておりました。このご婦人から貴殿に申し上げたいことがあるようです。かねてよりそのことを胸に秘めて機会をうかがっておられました〟

 さてその婦人は実にお美しい方で、男性の光輝と相まった眩しさに私はただただ狼狽するばかりで、黙って見まわすしか為すすべがありません。

すると婦人はその握りしめていた手をさらに強く握られながら幾分高く持ち上げられました。続いて婦人の美しい頭にのっていた冠が私の目の前に下りて来ました。

私の手に口づけをされたのです。そしてしばしその姿勢を保たれ、私は婦人のしなやかな茶色がかった髪に目を落としました。まん中で分けられた髪が左右に垂れ、黄金のヘアバンドを付けておられました。私はひとことも口が利けませんでした。

高揚性と至純な聖(キヨ)さに溢れたよろこびが私を圧倒してしまったのです。それはとても筆舌に尽くせるものではありません。

 それから私はおもむろに男性の方へ目をやって私の戸惑いの気持ちを訴えました。すると婦人がゆっくりと頭を上げ私の顔を見つめられ、それと時を同じくして男性の方がこう言われたのです──〝アーネル殿、このご婦人は例の少女ミランヌの祖母に当たられる方です〟

 そう言われて婦人の方へ目を向けると、婦人はにっこりとされてこう言われたのです。

 「お礼申し上げます、アーネル様。あなた様は私が遠く離れ過ぎているために出来なかったことをしてくださいました。実はその子が窮地におかれているのを見て私はあなたへ向けて送念いたしました。あなたは私の願いに鋭敏に反応してくださいました。

間もなくその子も自分からお礼を申し上げるに参ることでしょうが、私からひとことお礼をと思いまして・・・・・・」

 そう言って私の額に口づけをされ、やさしく私のからだをご自分のおからだの方に引き寄せられました。それからお二人そろって笑顔でその場を立ち去られました。

その時の強烈な印象はその後いささかも消えやらず、霊的には常に接触が取れているように思います。今もそれを感じます。

 貴殿はミランヌなる少女が何者であろうかと思っておられる。実は私もその時そう思ったのです。もっともその少女との係わり合いについてはよく覚えております。

 古い話ではありません。あるとき仕事をしていると、貴殿も体験があると思いますが、誰かが自分に注意を向けているような感じがして、ふと仕事の手を休めました。そしてじっと受身の気持でいると、声ではなくて、ある種の衝動を覚え、すぐさまそれに従いました。


私は急いで地上へ向かいました。たどり着くとまた外部からの力で、今まさに地上を去って霊の世界へ入ろうとしている若い女性のところへ一直線に導かれていきました。最初は何のためなのかよく分かりませんでした。

ただそこに臨終を迎えた人体が横たわっているというだけです。が、間もなく分かりました。そのすぐ脇に男の霊が立っていて、その女性の霊が肉体から離れるのを待ちかまえております。

その男こそ地上でずっと彼女に災いをもたらしてきた霊で、彼女が肉体から離れるとすぐに邪悪の道へ引きずり込もうと待ちかまえていたのでした。

 その後のことをかいつまんで言えば、彼女が肉体から出ると私は身を挺してその男が近づくのをさえぎり、男の近づけない第三界の安全な場所へ運んだということです。今ではさらに二界層向上しております。その間ずっと私が保護し介抱してきました。

今でも私が保護者となってあげている霊の一人です。これでお分かりでしょう。お二人にお会いして、あの時の要請の出どころが分かり、同時に、その要請に応えて私が期待どおりにお役に立っていたことを知って、とてもうれしく思った次第です。

 そうした喜びは地上にいる間は理解できないでしょう。しかしイエスは施物分配の話と、首尾よく使命を全うした者を待ちうける歓迎の言葉の中に、そのことをすでに暗示しておられます。こう言っておられます──〝よくぞ果たされた。

そなたたちの忠誠心をうれしく思う。さ、私とともに喜びを分かち合おう〟(※)

 私もイエスとともに喜びを分かち合う光栄に浴したのです。ささやかながら私が首尾よくそれを全うして、今こうして一層大きな喜びの中に新たな大事業に参加することを許されたのです。多分ご婦人の言葉はキリストがお述べになる言葉そのものだったのだと確信しました。キリストの喜びとは常に献身の喜びなのです。
アーネル ±


(※マタイ25・21。この部分は聖書によって用語や若干の違いが見られるが、そのいずれもこの通信の文章とはかなり異なっている。アーネル霊は霊界の記録を見ているのであるから、この方が実際のイエスの言葉に近いのであろう──訳者)


ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
七章 天界の大軍、地球へ



 

1 キリストの軍勢
   一九一九年三月六日  木曜日 

 天界の大草原のはるか上空へ向けてキリストの軍勢が勢揃いしておりました。上方へ向けて位階と霊格の順に一段また一段と階段状に台地(テラス)が連なり、私も仲間の隊員とともに、その上方でもなく下方でもなく、ほぼ中間に位置するあたりの台地に立っておりました。雲なす軍勢の一人一人がそれぞれの任務を帯びていたのです。

 このたびの戦いに赴くための準備が進行するうちに吾々にさまざまな変化が生じておりました。

その一つは地球圏の上層界と前回の話に出た他の複数の惑星の経綸者の双方から霊力の援助をうけて吾々の磁気力が一段と増し、それにつれて視力も通常の限界を超えて広がり、それまで見ることを得なかった界層まで見通せるようになったことです。

その目的はエネルギーの調整──吾々より上の界と下の界の動きが等しく見えるようになることで、言いかえれば視力の焦点を自在に切り換えることができるようになったということです。

これで一層大きな貢献をするためにより完璧な協調態勢で臨むことになります。下の者は上の者の光輝と威力を見届けることができて勇気を鼓舞されることにもなり、さらに、戦いにおいて指揮と命令を受けやすくもなります。

 私はその視力でもって上方の光景と下方の光景、そしてあたり一面を見渡して、そこに見た驚異に畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。それまで数々の美と驚異を見ておりましたが、その時に見た光景ほど驚異に満ちたものはありませんでした。

 地球の方角へ目をやると、さまざまな色彩が幾つもの層を成して連なっています。それは私の界と地上界との間の十の界層を象徴する色彩で、これより下降すべく整列している軍勢の装束から放たれているのでした。

その下方、ちょうどその軍勢の背景となる位置に、霧状のものが地球を取り巻いているのが見えました。

そのどんよりとして部厚く、あたかも濃いゼリー状の物質を思わせるものがところどころで渦を巻いている中を、赤色と暗緑色の筋や舌状のものがまとわりついているさまは、邪悪の化身である身の毛もよだつ地獄の悪行に奔走しているさまを彷彿とさせ、見るからに無気味なものでした。

 その光景に吾々は別にしりごみはしませんでした。恐怖心はいささかも抱きませんでした。それどころか、愛と僚友意識の中で互いに手を取り合い、しばし厳粛な思いに浸りました。

これからの吾々の旅はあの無気味な固まりと立ち向かい、しかもそれを通過しなければならないのです。目指す地球はその中にあるのです。

何としてでも突き抜けて地球まで至らねばなりません。陰うつ極まる地球は今こそ吾々の援助を必要としているのです。その無気味な光景を見つめている私の脳裏に次のような考えが浮かびました──〝人間はよくもあの恐ろしい濃霧の中にあって呼吸し生きていられるものだ〟と。

 吾々自身について言えば、吾々の仕事は、すでに述べた通り、質の転換作用によって少しでも多く吾々の組織体の中にそれを取り入れていくことでした。

どうしても消化不可能なものはさらに地獄の奥へと追いやり、言うなれば自然崩壊をまつほかはありません。大変な〝食事〟だと思われるでしょう。しかも大して〝美味〟ではありません。

それは確かですが、それほどの軍勢で、しかもキリストをリーダーとして、吾々はきっと成就できるとの確信がありました。

 続いて吾々は向きを変えて、こんどは上方へ目をやりました。すると幾重にも連なる台地に光り輝く存在が、ある者は立ち並び、ある者は悠然と動きまわっているのが見えました。

その台地の一つ一つが天界の一界であり、それがパノラマ式に巨大な階段状に連なって延々と目も眩まんばかりに上方へと伸び、ついに吾々の視力では突き通せない光輝の中へと突入し、その頂上が視界から消えました。

その光輝を突き抜けて見届けうるのは吾々よりはるか上方の、光輝あふれる界層の存在のみでした。吾々にとってはただの光の空間であり、それ以外の何ものにも見えませんでした。

 それでも、可能なかぎりの無数の輝く存在を目にすることだけでも吾々に大いなる力を与えてくれました。最も近くの界層の存在でさえ何とすばらしかったことでしょう。

吾々より下層の者は見たこともない色調をした光輝を放つ素材でできた長衣(ロープ)に身を包んでおられました。

さらに上層界の存在はゴースのごときオーラに包まれ、身体はその形も実体も麗しさにあふれ、その一体一体が荘厳な一篇の詩であり、あるいは愛と憧憬の優しい歌であり、優雅にして均整の取れた神であり、同格の神々とともに整然たる容姿を完全に披露してくださっておりました。

その位置を貴殿なら多分はるか彼方と表現するところでしょう。確かにはるか彼方ではありました。が吾々の目にはその形状と衣装が──その形体を包む光輝を衣装と呼ぶならば──全体と同時に細部まで見ることができました。

 しかし、それとてまだ中間の界層の話です。そのまた先には吾々の視力の及ばない存在が無数に実在していたのです。そのことは知っておりました。

が、知ってはいても見ることはできません。吾々の霊格にとってはあまりにも崇高すぎたのです。そしてその頂上には吾らがキリストが君臨していることも分かっておりました。

 その光景を見つめながら吾々仲間はこう語り合ったものです──〝目(ま)のあたりにできる光景にしてこの美しさであれば、吾らがキリストの本来の栄光はいかばかりであろうか〟と。

しかし吾々の感嘆もそこまでで、それから先へ進むことはできず、一応そこで打ち切りました。と言うのも、間もなくそのキリストみずから吾々の指揮のために降りて来られることが判っていたからです。

その折には地球へ向けて下降しつつ、各界の住民の能力に応じた波長の身体をまとわれるので、吾々の視力にも映じる可視性を身につけておられることも知っておりました。

天界の大軍の最高位にあらせられるキリストみずからその大軍の中を通り抜けて、一気に地球の大気圏の中に身を置かれるということだったのです。

 然り、然り。キリストほどのリーダーはいません。天使ならびに人類を導く者としてキリストに匹敵する霊は、神格を具えた無数の存在の中にさえ見出すことはできません。

私は厳粛なる気持でそう断言します。と申しますのも、天界の経綸に当たる神々といえども、その力量は一列平等ではなく、地上の人間と同じくその一柱一柱が独自の個性を表現しているのです。

平凡な天使の部類に属する吾々もそうであり、さらに神聖さを加えた階級の天使もそうであり、さらにその上の階級の天使もそうであり、かくして最高級の大天使ともなれば父なる神の最高の美質を表現しておりますが、それにも各々の個性があるのです。

 そうした多種多様な神々の中にあっても、指導者としての資質においてキリストに匹敵する者はいないと申し上げるのです。私がさきほど語り合ったと述べた仲間たちも同じことを申しておりました。そのことについては改めて述べるつもりでおります。その時は以上の私の断言が正しいか否かがはっきりすることでしょう。  
 アーネル ±