Friday, September 25, 2026

シルバーバーチの霊訓(二)

Guidance from Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell



二章  宿命と自由意志

 ある日の交霊会にシルバーバーチのファンが訪れた。その人の悩みについていろいろと相談に乗った後、人間と背後霊との結びつきについてこう語った。

 「どうか私のファンの方々、ますます大きくなった私の家族ともいうべき方々によろしくお伝え下さい。そして目にこそ見えませんが私がその家族の一員として常に目を離さずにいると伝えて下さい。ただの挨拶お言葉として述べているのではありません。

実際の事実を述べているのです。決して見棄てるようなことは致しません。援助を必要とする時は精神を統一して私の名を唱えて下さるだけでよろしい。その瞬間に私はその方の側に来ております。私は精一杯のことを致しております。これ以上はムリというぎりぎりのところまで力になっているつもりです。

 困難に遭遇しないようにしてあげるわけにはまいりません。躓かないようにと、石ころを全部取り除いてあげるわけにはいきません。ただ、たとえ躓いても、転ばないように手を取って支えてあげることはできます。肩の荷をいっしょに担いであげることによって苦しみを和らげてあげることはできます。同時に喜びも共に味わって一増大きくしてあげることも出来ます。

 いかなる困難も、解決できないほど大きいものは決してありません。取り除けないほど大きい障害物もありません。私たち霊界の者からの援助があるからです。人間の力だけではムリとみた時は別の援助の手があります。人間としての精一杯の努力をした上での話ですが・・・」


 続いてシルバーバーチは若いゴードン・アダムズ夫妻に結婚生活の意義について語った。アダムズ夫人は著名な霊媒であるリリアン・ベイリー夫人の令嬢である(アダムズ氏は後にサイキック・ニューズ社の事務長になっている──訳者)二人は最近結婚したばかりで、シルバーバーチは以前からこのカップルと語り合う機会を持つ約束をしていた。まずアダムズ氏に向かってこう語る。


 「ようこそお出でになりました。どうか気楽になさってください。こうご挨拶できる機会を得て本当にうれしく思います。私があなたを蔭ながら援助しはじめてずいぶんになります。霊的知識獲得の道を歩まれるよう導いてまいりました。苦難に遭遇された時は必ず援助の手を差しのべてきました。その全てが成功したとは言えません。思うようにならなかった時は周りの条件が整わなかった時でした」

 ここで出席者全員に「今日は本当にうれしい日です」と述べてから、今度はこの若いカップルに向かってこう語った。

 「人間生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間として個性を存分に発揮するようになるのは、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。

 物質世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に、精神的なもの、霊的なものばかりの冥想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務を疎かにする人間は、一種の利己主義者です。

 肉体と精神と霊──この三つは一つの生命が持つ側面です。神が賦与して下さった才能の全てをその三つの側面を通じて発揮するための正しい知識を授けることが、こうして霊界から地上へ戻ってくる霊の仕事なのです。男性と女性は互いに補い合うべき存在です。

お互いが相手の足らざるものを具えております。両者が完全に調和して半分どうしが一体となった時こそ、神の意図が成就されたことになるのです。

 残念ながら二つの魂の一体を求めて地上へ誕生してくる霊の中には、それが成就されないケースが多すぎます。二つの魂を永遠の絆で結びつける唯一の原動力である〝愛〟に動かされていないためです。

 私の知る限り愛は宇宙最大の力です。他のいかなる力にも為し得ない驚異を働きます。愛は己れを知り尽くしております。それ故、愛する人だけでなく他のいかなる人に対しても邪なものが降りかかることを望みません。

お二人が愛によって結ばれ、この世だけでなく地上での巡礼が終わったのちにも互いを認め合い睦み合うことを許されたことを幸せと思わなくてはいけません。

 お二人は終わりのない旅へ向けて出発されました。しかし、手に手を取り合い、心と心、魂と魂を結び合って永遠に歩み続け、永遠に共に暮らすことでしょう。こうしてお二人が愛の力によって祝福され、尊ばれ、聖別された以上、もはや私の世界にも地上にも、改めて祝福を述べてくれる人を求める必要はありません。

 ですから私も〝この二人に祝福あれ〟などと申し上げる必要がないわけです。祝福はお二人を結びつけた愛の力によって既に成就され、お二人の前に続く未来永劫にわたる人生を堅固に、そして調和あるものとしてくれます。お二人を結びつけた霊的知識に感謝すべきです。

真の結婚、永続的な結びつきは、二つの魂が調和し、その当然の成り行きとして進化の法則の成就のために奉仕の道で共に援助し合うことであることを、肝に銘じて下さい。

 力と導き、霊感と叡知が常にあなた方の周りにあること、霊の力がいつもあなた方と共にあって手助けし、援助し、鼓舞してくれること、お二人に忠誠心と愛着さえあれば、それがいかに身近なものであるかをいつでも証明してみせることが出来ることを銘記して、前向きに生きることです。

 まさしくあなた方お二人は一体です。前途に横たわる人生には祝福に満ちております。問題も困難もトラブルも起きないと言っているのではありません。それは人間としてどうしても遭遇することになっているのです。地上生活を送る魂は有為転変の全てを体験しなければなりません。

が、お二人はきっとそれらに堂々と対処し、そして克服して行かれることでしょう。魂まで傷つくようなことはないでしょう。なぜなら、一人では苦しいことも、二人で対処すれば半分ずつとなり、結局少しも苦にならないことになるからです。

 こういう言い方をすると多分あなた方は、これから大変な苦労があるのだと勘ぐり始めておられるに相違ありません。が、私はそんな意味で言っているのではありません。苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことができることを述べんとしているまでです。

 それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるほどのものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることができるということです。

霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富──神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めたその宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。

 若くして(地上の年令で言えばのことですが)真理に目を開かせていただいた恵みに感謝しなければなりません。煩悩の霧が晴れ、その霊的真理があなた方の心に居場所を得たことを喜び、それがあなた方に真の自由をもたらしたように、こんどは他の人々へもその自由をもたらしてあげなくてはならないことを自覚してください」


 同じ交霊会にもう一つのカップルがいた。そして、ちょうどその日が二人の結婚記念日だった。そのカップルにシルバーバーチがこう語りかける。

 「私もあなた方の喜びにぜひあやかりたいものです。二つの魂が互いに相手を見出し、一体化を成就するのは、いつ見てもうれしいものです。そう度々あるものでないだけに、それをこうして地上において成就されたのを拝見するのが大変うれしいのです。

 お二人に愛が宿り、温かく包み、しかもそれがこれまでの永い年月の間に少しも曇ることがなく、光輝を失わなかったこと、その素晴らしさ、その美しさ、その魅力がいまお二人を包み、時の経過と共にますます強力となっていくことを喜ばなくてはいけません。

 地上のすべての人がそうした完全な一体化による幸せを味わうことができれば、と願うこと切なるものがあります。そうなれば人生がどんなにかラクに、そして意義あるものとなることでしょう。


 すると奥さんの方がこう述べた。

 「私どもはこれまで他の人々には得られない援助をあなたからたくさん頂いてきました」

 「それはお互いさまです。あなたが人のために尽くされ、私があなたを援助する。そうすることによって直接お目に掛かったことのない人々へ慰めをもたらすことが出来ました。それがどの程度まで成功したか、どこまで成就したかは知りません。

これまでたびたび述べてきたことなので皆さんは直ぐに引用できるほどではないかと思いますが、暗闇にいる人に光を見出させてあげることが出来れば、それがたった一人であっても、それだけでその人の人生は価値があったことになります。ここに集まった私達は、その〝たった一人であっても〟を〝大勢の人々〟に置きかえることができます。

 どうか皆さんはこの同志の集いを超えた広い視野を持ち、世の中には素朴な霊訓の一言が啓示となり次々と自由をたぐり寄せるきっかけとなる人が大勢いることを知っていただきたいのです」


 別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。婦人はもとはローマ・カトリックの信者であったが、他界した娘からの通信で死後の存続を信じるようになり、古い信仰を棄てることになった。

しかし夫を失った今は息子と二人きりの生活となった。夫の事故死は宿命だったのか、偶発事故だったのかについてシルバーバーチに鋭い質問をするが、それは後で紹介することにして、順序としてまずシルバーバーチの慰めと勇気づけの言葉から紹介しよう。


 「この度のご不幸はあなたにとっては忍ばねばならない重い十字架ですが、死後の存続の事実を知らずに色褪せた古い信仰をもって対処するよりは、あなたのように知識と理解とを持って対処できる方はどれだけ幸せでしょう。もはやあなたの人生は処理できないほど大きな問題も困難もありません。

そうしたものが地平線上に姿を現わしても、すぐに消えていくことに気づかれるでしょう。そこに霊の力が働いているからです。空虚な信仰ではなく確固とした知識の上に築かれた信仰から生まれる平静さと信頼感のあるところには、私たち霊界からの力も注ぎやすいということです。

 弱気になってはなりません。毎朝をこれから先の使命達成の前触れとして明るく迎えることです。これからも引き続き自信に満ちた生活の規範を垂れ、あなたより不如意な境遇のもとで迷い、恐れ、疑い、たぶん大きな不安の中で生きている人々が、あなたの生活ぶりの中に聖域、憩いの場、あるいは避難所を見出すことができるようにしてあげて下さい。

 あなたみずからが魂の灯台となって明るく照らせば、あなたはふんだんに霊の力の恩恵に浴し、それはひいては霊力の伝達者が同時に霊力の受信者でもあること、そのおかげで多くの仕事を為しとげることが出来ることの証となるのです。

 私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。
 
 でも感情的なストレスの多くが消えました。頭初のことを思えばずっと良くなられました。もうそろそろ、あなたへの影響を着実に行使することができるでしょう。これまでは思い出したように気まぐれにやっておりました。ご主人はもともとそういう方ではありません。

何ごともキチンとしたがるタイプで、これまでほっちらかしていたものを少しずつ整理していきたいと考えておられるところです」


 「私に何か力になってあげられることがあるでしょうか」と婦人が尋ねた。

 「愛の念を送ってあげて下さい。ご主人はいま何よりも愛を必要としておられます。こんなことを言うと妙な気持になられるかも知れませんが、地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。

 でもご主人はこれからそれを為しとげて行くだけのものをお持ちです。あなたはいささかも明日のことを思い煩う必要はありません。私は、心がけ次第でご自分のものとなる安心感──地上的な意味での安心感ではありません。

この世的なものは一時的で永続きしませんから──霊的な実在の上に築かれる安心感を何とかして伝達することができれば、どんなにか素晴らしいことだと思っております。

つまりあなたの行く道は面倒な悩み続きの道ではなく、次第に開けゆく道、すべてがいっそう明確に、光明が一段と明るく照らす道であることをお伝えできれば、と思う気持ちでいっぱいです」

 「そのお言葉は有難く、とても慰めになります」と婦人がうれしそうに言うと、
 「そうでしょうとも、そうでしょうとも」とシルバーバーチが元気づけるように言い、さらにこう続ける。

 「取越苦労ばかりしている人間が多すぎます。その心配の念が霧のようにその人を包み、障害物となって霊の接近を妨げます。心配すればするほど──あなたのことを言っているのではありません。人間一般についての話です──あなたに愛着を感じている霊の接近を困難にします」

 そこで列席者の一人が「ほとんどの人間がそのことに確信が持てないのです。何も分からず、それが取越苦労の原因となっているのです」と言うと、

 「おっしゃることは判ります」しかし、その知識を具えた人までが取越苦労をされている。それが私には理解できないのです。私は自信を持って皆さんに申し上げますが、この世の中には心配することなど何一つありません。

 人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものではないことを知り、生命が永遠であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。

 するとさっきの婦人が「でも私達には不幸が訪れます。それも、往々にして予想できることがあります」と言うと、

 「不幸の訪れの心配は不幸そのものよりも大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしています」

 ここで列席者の一人がこう意見を述べる。

 「あなたは進化された霊だからそうおっしゃるのであって、私たち凡人は進化が十分でないために神の摂理の完璧な働きが判らないのです」

 「私は私の知り得た限りのことを有りのまま述べております。そうしないと私の使命に背きます。私は決してあなた方が〝凡人〟と呼ぶ程度の人々と接触出来ないほど進化してはおりません。あなた方の悩みはすべて私にも判っております。ずいぶん永い間、地上生活に馴染んでまいりました。

あなた方お一人お一人の身近にいて、人生の困難さのすべてに通じております。しかし振り返ってご覧になれば、何一つとして克服できなかったものがないことが判るでしょう。

心配してはいけません。摂理を超えた出来ごとは決して起きません。霊の力も自然を無視したことは起こし得ないのです。不思議なことが起きるのは、それなりの必要条件が整った時だけです。

 私は地上の存在ではありません。霊の世界にいるのですから、地上での仕事を成就させるためにはあなた方がそのための手段を提供してくれなければなりません。あなた方は私たちスピリットの腕であり身体です。

あなた方が道具を提供し、その道具を使って私たちが仕事をするということです。忠実に、誠意を持ってこの仕事に携わる者が、後で後悔することは絶対にありません」


 こう述べてから「なんとかして他界されたお嬢さんをお目にかけることが出来ればと思うんですけどね・・・・・・」と言うと、婦人も、
 「私もほんとにそう思います」と感きわまった言い方で答えた。

 「お嬢さんはもうあなたと同じくらいの背丈になられました。今ではお父さんと一緒に仲良く暮らしておられます。いかがでしょう。私の話は少しはお役に立ったでしょうか。あなたとはあまりお話していませんね」

 「いえ、とても勇気づけられました」

 「あなたも私たちの仲間のお一人です。必要とあればいつでもお側に参ります。私には大勢の仲間がおり、その一人一人に援助の手を差しのべようと心掛けております。今夜この会が終わった後、あなたは決して〝手ぶら〟でお帰りになるのではありません。霊力の一部、宇宙で最も貴重なエネルギーがあなたとともに参ります。さらに必要とあらば私がお持ちしましょう」

 「先ほど主人に愛の念をとおっしゃいましたが、心に思うことはすべて力になるのでしょうか。知識も力になるのでしょうか」

 「なります。ご主人は頼りになるものをあなたに求めておられるからです。ご主人はまだ地上の雰囲気の中にいること、これからも当分今の状態が続くこと、したがって私たち霊よりもあなたの方が近づきやすいという事実を理解しなければなりません。ご主人はあなたが動揺したり躊躇したり疑ったりしない人間であってほしいのです。

ですから、あなたが岩のように堅固であれば、そのことがご主人に安心感を与えます。愛と援助の念を送ってあげれば、それがご主人を〝安心〟の衣で包んであげることになり、それが何よりの援助となりましょう」

 この未亡人との話がもう少し続いた後、一人の列席者の質問から話題が〝因果律〟と〝偶発事故〟の問題へと発展していった。
 

問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」


答 「代価は必ず払わされます」

 「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」
 「悪事の報いから逃れる者はいません」

 「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」

 「なりません」
 「どうしてでしょう」

 「いかなる法則をもってしても、自分が犯した罪の結果として病気になることは阻止できないからです。心霊治療が為し得ることはその病気の期間を縮めるか、治してしまうか、あるいは、もっと大切なこととして、真理に目覚める用意の出来た魂に感動的な体験を与えることです。悪事と懲罰の問題を超えたものがそこにあります。魂そのものの成長に関わる問題です。

魂が目覚めるまでは往々にして悲しみや病気がお伴をすることになります。絶望のどん底に落ちて初めて目覚めることもあります。物の世界には真の慰めとなるもの、希望を与えてくれるもの、魂を鼓舞してくれるものが無いことを悟った時に魂が目を覚まします。長いあいだ眠っていた霊性が目を覚ますのです。

心霊治療家がその感動と刺激を与え、新たな理解が芽を出しはじめることがあります。人生は精神と身体と霊の相互作用から成り立っています。残念ながら霊の活動が抑えつけられ、本来の属性や才覚や能力がほんの僅かしか顕現されていないケースが余りに多すぎます」

 「でも、やはり心霊治療によって、たとえば一か月患うべき者が一週間で済むということになるように思います」

 「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。霊は、何日も何週間もかかって体験するものを僅か二、三秒で体験することもできます。霊的なものを物的な尺度で判断することは出来ません。

霊的なものは霊的に判断しなければなりません。霊的なことが原因となって発生した現象を物的な期間を尺度として価値判断することは出来ません。さらに、理屈はどうであれ、治療家が痛みを軽減したり、ラクにさせたり、治癒させたりすることができるという現実は、そこに何らかの法則が伴っているという証拠であり、同時にそれは、その患者の魂がその救いを得る段階まで来ていたことを意味します。偶然とかまぐれとかで起きているのではありません」

 ここで先ほどの未亡人が尋ねる。

 「絶対にですか」
 「絶対に起きません。あなたが今何を考えておられるか、私には判っています。でも、全ては法則の働きによります。原因と結果の法則です。法則の内側にも更に別の次元の法則があります」

 「主人が亡くなったとき私は、これも宿命だったのだと信じる用意は出来ていたので、そのことをある方を通じてあなたに伝えてもらいました。するとあなたは、これは事故(アクシデント)だとおっしゃったのです。私は、アクシデントと法則とが同居できるはずはないと思いました」

 「私がアクシデントだと言ったのは、神が過ちを犯したという意味ではありません。法則の内側にも更に別の次元の法則が絡んでおります。その事実を、これから可能な限り判り易く説明してみましょう。私が申し上げたかったのは、ご主人はあの日に死ぬ運命ではなかったということです」

 「では私たちは何日に死ぬということまで決まっているわけではないということでしょうか」

 「ひじょうに難しい問題です。というのは、それが決まっている人もいるからです」
 「もし主人が私以外の女性と結婚していれば因果律もまったく別の形をとったはずです。もしかしたら、あの日のあの時刻に死ぬという結果を生む原因も起きなかったかも知れない──この考え方は考えすぎでしょうか」

 「いえ、私は考えすぎだとは思いません。人生はすべて法則によって支配されております。天命、宿命、運命───こうした問題は何世紀にもわたって思想家の頭を悩ませてきました。では真相はといえば、法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。

宇宙には何人(なんぴと)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」

 「判ります」
 「さて、ご主人はあの日地上を去って私どもの世界へ来る必要はなかったという意味においては、あれは偶発的な事故でした。しかし、それでもなおかつ、因果律の働きによるものでした」

 「原因の中にすでにあの事故が発生していたということでしょうか」
 「その通りです。私が言っているのは、あの日に他界するように運命づけられていたという意味ではないということです」

 「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」

 「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。さっきも言った通り、これは難しい問題です。問題は法則の絶対性という基本原理に必ず帰着します。

でも、あなた方も神です。つまりあなた方一人一人が神の計画に参画しているということです。生命はすなわち霊であり、霊はすなわち生命です。あなたもその霊なのです。つまりあなたにも神の計画の発展に寄与する力があるということです。宇宙の無限の創造活動の一翼を担う事ができるということです。

一方にはどうしても従わざるを得ない法則があり、他方には従うべきでありながら自由意志で勝手な行為に出てもよい法則もあります。ただし、その行為の中にはそれ相当の結果を生むタネが宿されているということです」

 「その結果を意識的に、あるいは意図的に避けることも出来ないことはないということですか」

 「それは、その時点における魂の進化の程度が問題となります」
 「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」

 「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。

炉の火はその子が良い子であるか悪い子であるかにお構いなく、その手に火傷を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという〝知識〟があったら手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。

私がこうした因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるといういい方をするのは、そういう要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望とかにはお構いなく働きます」

 「倫理・道徳にも関係ないと思いますが」
 「倫理・道徳にも関係ありません。万が一にも結果が原因と切り離されるようなことがあったら、宇宙は不可解な存在となり、公正も叡知も存在しないことになります。コルクを海に投げれば浮きます。石を投げれば沈みます。コルクが沈むことはないし、石が浮くこともありません。

法則に従うほかはありません。あなたが善人であるか悪人であるか、それは関係ありません。あなたのすることはそれ相当の結果が生じます。ですから、知識を増やすことです。霊格を高めることです。そうすれば霊的法則の働きについて一層の理解がいき、それによって人生を規制していくことができます」

 「要するに私達は地上で出来るだけ多くの知識を学ぶべきだということですね」
 「その通りです。ここで先ほどの質問に戻ってきました。知識を獲得した者は、それを他人の為に使用する義務があるということです。霊的能力を開発した人は、それを他人への奉仕の為に使用する義務があります。それが取りも直さず自分の魂の向上につながるのです。

他人への無関心、無頓着、無神経をなくし、優しさと慈悲と同情と奉仕の精神を広めなくてはいけません。魂が目覚めた人は他人の苦しみに無関心ではいられないはずです。同胞の痛みを自分の痛みとして感じ、同胞の悲しみを自分の悲しみとして感じるものです」

 「ナザレ人イエスが天国の宝を貯えておきなさいと言ったのは、人生を支配している霊的法則のことを言ったのですね」
 「その通りです。宝というのは霊の宝のことです。掛けがいのない宝石であり、魂の霊的属性の表現としての徳行です。霊性を自分で身につけ、自分で鍛え、自分で進化させるのです」今のあなたの高さ、霊的な高さが、死後の永遠の宝となります。

私はこれまで私が知り得た限りの摂理を披露しているだけです。私にできるのは、この霊的な人生哲学の基本の基本を力説するだけです。そして、敢えて断言しますが、いま私が述べたことは、不変・絶対の真理です。

 人間がその基本的霊的真理に則って生活すれば、地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすることができます。反対にそれを無視した生活を送れば、その生活は内的な面に関する限り空虚で無意味なものとなります。魂、霊、それがあなたの永遠の所有物です。それがあなたの本来の実像であり、肉体を捨てたあとに残るのはそれだけです」

シルバーバーチの霊訓(二)

Guidance from Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell


まえがき

 ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名告る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のための人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。

 シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。

 こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第二次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如のために、差し出した友愛の手が拒絶されている。

 思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。

 いわゆるハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広めるために他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。

 この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は一度もその交霊会へ出席したこともなければ、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。

 それに対してシルバーバーチは いつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れないほどの人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、その一つとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。

 まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許しください」との書き出しで自己紹介し悩みを披歴した後、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。

 「・・・それを読んで私は、これでやっと真理探究の目的地に辿り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ! と思ったのです。あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私のすぐ側にいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じたほどです。

私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それほどの緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。

 私がこうしてお便りしたのは果たしてそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きするためです。この遠きアフリカにいる私ごとき者にお教えいただけますでしょうか。私に代ってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良すぎるでしょうか(後略)」

 この手紙は已むを得ない事情で到着が遅れはしたが、私たちの催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終わったシルバーバーチはこう語った。

 「この方にこうお伝えください。大いなる勇気を持つこと、大自然の中に生きその変転極まりない現象に接してきた人間ならその背後に法則が存在することに気づいておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。

神は大自然のすみずみまで配慮し無限の変化を律している如くに、人間の一人一人にもそれなりの備えを用意して下さっております。

 過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処できるよう、力と安らぎを求めて祈ることです。

 またこうお伝えください。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰を持つ人の愛に浴していることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。

静かに己を見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤も終わりを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝えください。そしてこう言い添えて下さい。─── 挫けてはいけない。怯んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と。」


 このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。

 「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表したらよいか、言葉もありません。心の奥深く染みる思いが致します。きっと喜んでいただけることと思いますが、スワッハー氏にはじめてお手紙を差し上げて以来私もずいぶん進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。

願わくば私に代ってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝えいただき、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘いただいた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝えいただければ幸いです。」
 

 そしてシルバーバーチを〝素晴らしき霊〟と呼んで、こう結んでいる。

 「私が怏々(おうおう)として長年求めてなお得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。

この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同いただけるものと確信致します。そのようにお伝えいただけますでしょうか。」


 この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。

 「魂が目を覚ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えてください。彼が暗闇の中から這い出て光明を見出したように、つまり己の誤りから長い間苦悩の道を歩んだ後に真理を見出したように、今度は他人にそうしてあげなければならない。

即ち人生の不安を和らげ未だ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。その人の体験を単なる結果として終わらせずに誘発剤としなければならない───つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝えいただきたい。

いま献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さんともども、叡智の光の流れ出る泉となし、今なお暗闇にいる多くの人々にその光に気づかせていただきたい。そうすることが二人してその灯台を築かれた努力が報われるゆえんとなることでしょう。」


 シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏れ多いほど高い霊格の持ち主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。

慈悲心と情愛の固まりのような方である。それというのもシルバーバーチの使命が私たち地上の人間の弱点と欠点とに深く関わりあう性質のものだからであろう。しかし曽て一度たりともシルバーバーチが人を咎めるのを聞いたことがないのである。

 シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧さや取りとめのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とはまったく異質の存在であることが私にはよく判る。

 シルバーバーチは可能な限りいつでもどこでも援助の手を差し延べてくれる。私も曽て困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成るほどと得心がいくのである。

 心温まる親しみを込めた勇気づけをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。たとえば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。

 晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、

 「あなたのお父さんにとって死後の存在はごく当たり前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。

 「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと
 「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着を持っておられました。お父さんが目覚められるとすぐ私は弟さんが立って見ている側でお父さんの手を握りしめて〝ようこそ〟と語りかけました。(弟は第一次大戦で戦死)お父さんは私たち二人を見てはた目も構わずほろほろと感激の涙を流され、その身体───晩年より大きくなっておられます───を震わせておられました。」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。

 「あなた方地上の人間には霊の世界の真実の相は想像できません。私がどう伝えても、それより遥かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が表われるでしょう。

それより、お母さんもそう長くあなたと一緒に暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遥かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります。」(母はこのメッセージの後二、三カ月で他界した。)

 このようにシルバーバーチは全ての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。

 そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。

 「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です。」
 そのシルバーバーチがこうして地上に戻ってきた動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し伸べること───これに尽きる。
          一九四九年 シルビア・バーバネル

   
 一章 人のために役立つことを

 〝新聞界の法王〟の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏 Hannen Swaffer がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している。

         ※       ※       ※
      
 自分を人のために役立てること──これが繰り返し説かれ強調されて来たシルバーバーチの教訓の〝粋〟である。それを折あるごとに新たな譬えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。われわれレギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰り返し聞かされて来たことであるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である。

 数日前も私は三人の知人を招待した。三人ともシルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの一人は爵位をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の頭初からシルバーバーチが夫人の心を読み取っていることを思い知らされた。

 「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられてきた説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えて是非ともこのスピリチュアリズムの知識が必要であることを痛感されました。そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました」

 「おっしゃるとおりです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

  「あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。人のために尽くそうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。永遠に変わらぬものは〝愛〟です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。


 私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。それがあなたを通じて他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります」


 ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。

 ですから、少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。

どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判っていただけないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡知と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そして、いずれおやりになることでしょう」
 
 もう一人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘らせることが夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。

 シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差しかかるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売という人がいるかも知れないが立派に神の計画の一翼を担っていること、そして彼の動機の崇高さの故に何物も阻止しえないことを説いてからこう語る。

 「私には人生に疲れきった人間の数々──生活は暗く、あたかも霧と靄の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差し伸べようと願っているのです。

あなたには今心で願っておられることを成就するチャンスがあります。怖れることなく、そして立ち塞がる困難に惑わされることなく、あなたがこれまで少なくとも三度試みられたことを今一度試みていただきたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思えることも、近づいて行けば雲散霧消します。


 忘れないでください、あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹きを与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極小極大を問わず全存在に生命を与えたのとまったく同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進むことです。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます」

 三人目の招待客は右の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチからお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチはこう語りかけた。

「あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお一人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて、今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこには憎しみの念などひとかけらもありません。愛と哀れみの情が溢れております。

 そのあなたに大切な仕事があります。私が申し上げることは、まっしぐらにその道を進むこと、それだけです。生命、愛、記憶、意識──こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転してあなた方を援助してくれます。あなたのこれからの人生にも期待できることが大いにあります。自信をもって邁進なさることです」

 その秘書が謙虚に「私は本当に無力なのです」と述べると、シルバーバーチはこう語った。 
 「ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性よりも情緒によって支配されるために弱い面があります、しかしそれは決して悪いことではありません。それだけ感受性が強いということだからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働き掛けに敏感であり、影響を受けやすいということになります。

 その点男性は余り情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識出来ないのです。

 むろん女性が情緒的であることにもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまうことです。しかしそれも身体にはない魂の属性の一つであることに変わりありません」

 
 交霊会を閉じる直前にシルバーバーチは今自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の一人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の一人で最初に紹介した婦人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った。

 「ハーディ氏は偉大な霊の一人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸進的なものであることを覚悟しておられるからです。

氏は庶民が一段また一段と生得の権利の獲得を目指して梯子を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できるものは無いと氏は信じております。

 庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。なぜなら、いかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙してその生得の権利を奪うことは許されないからです。一時的には神の計画を邪魔することはできます。

しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ず勝利を収めます。ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具であることを銘記しましょう」そう述べてから、いつものように締めくくりの言葉に入った。

 「常に崇高なる目的のためにわれわれを使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬようにいたしましょう。常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心をわが心といたしましょう。そうすればわれわれが神の意図された通りに努力していることを自覚することでしょう。神の御恵みの多からんことを」

 かくして人のために尽くさんと心がけている人々が心を新たにし、勇気を新たにして会をあとにする。


 以上がハンネン・スワッフハーによるある日の交霊界の描写である。〝人のため〟という教えはシルバーバーチが繰り返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている。
 
 「私たちが説く全教説の基調は〝人のために己を役立てる〟という言葉につきます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

 私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。

 地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれつの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。

性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

 霊的な仕事に携わる人たち、己れの霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知るでしょう。

なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。

 こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵──改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

 私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させることです。一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的〝宝〟、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。

無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡知の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

 神から霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を坐視するわけにはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

 それは大変な仕事です。そして、あなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明けです。その恩恵の全てに浴したければ、真理の受け入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きることです。


 獲得した知識は着実に実生活に生かして行くように心がけましょう。その知識全体に行きわたる霊的理念にそって生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人から成るほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

 そう努力することが又、より大きな叡知、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを得ることになるのです」

 別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。叡知も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。
 続いてシルバーバーチはリラックスすることの効用を次のように説く。

 「リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返ることとは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与えることです。

 あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にすることと言えばただ忙しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて、あたら貴重な時間を費やしています。

そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡知と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されることを待ちうけているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです」


 ここで曽てのメンバーの一人で理由(わけ)あってしばらく欠席し、この度何年振りかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変わらず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変わっていないことを述べると、

 「おっしゃる通り私は曽てと同じ霊であり、説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間は曽てとは同じではありません。常に変わりつつあり、叡知の声に耳を傾け霊の力を受け入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました」

 そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる。


 「私の力でそうなったのではありません。そんな大それたことは私は申しません。むろん私も私なりに貢献しているでしょう。でもそれは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のほんの小さな一部にすぎません。これまで成し遂げた進歩は確かに驚異的なものがあります。しかし、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです」


 さて、シルバーバーチは自分が霊界のマウスピース(代弁者)にすぎないことをよく強調する。

 「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信を持っております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。

というのは私自身はただの道具にすぎない──私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。が私はその援助の全てを得て、思う存分に仕事をさせてもらえる、その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。
 
 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っておればよいのです。威力と威厳に溢れたスピリットの集団なのです。

進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです」


 会を閉じるにあたってシルバーバーチは次のように語った。

 「私達は深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆を取り戻したことをうれしく思います。人のために己れを捧げる者は必ず報われます。

 この集会には真剣な目的が託されていることを忘れてはなりません。人類の行く手に横たわる危険な落とし穴を教えてあげる重大な任務を帯びているからです。人生に疲れ、あるいは迷う人々の心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。


 困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげることができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教えることができます。

そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。

 それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません」

Thursday, September 24, 2026

シルバー・バーチの霊訓(一)

Guidance from Silver Birch

Edited by Anne Dooley





第十二章  シルバーバーチの祈り

 ハンネン・スワッハー・ホームサークル、すなわちシルバーバーチ交霊会はきまってシルバーバーチの祈りの言葉で始まり、終わりも必ずシルバーバーチの祈りの言葉で締めくくられる。祈りの内容は大同小異であるが、その表現は一つひとつ違い、出席者はその妙味に感嘆させられるのが常である。その中から典型的なものを紹介する。

 神よ───天地の創造主、至尊至高の絶対的な力、全存在の宿命の統括者にまします神よ、私たちはこれまであなたの得さしめ給いし全てのものに対して深甚なる感謝の意を表明いたします。

 私たちの為に暗き道を明るく照らし給いしその光、あなたを、そして私たち自らをより深く理解させて下さったその知識、そして私たちを栄光と光輝とによりて温かく包んでくださったその叡智に対して深く感謝いたします。

 私がこうして存在することの真の理由、宇宙人生の背後に秘められた真の目的を啓示され給い、日夜私たちをお導きくださるその愛に深く感謝いたします。

 また、私たちのために真理普及の道を切り開いて下さった先達の数々、地ならしをして下さった開拓者の数々、悪戦苦闘した改革者たち、その他、宗教家、哲学者、賢聖 ───そのうちのある者は地上にては名も知られず、死して漸くその偉大さを認められ、あるいは死後もなおその偉大さを気づかれずにおりますが、こうした人々の全てに対しても深い感謝の念を禁じ得ません。

 これまでにあなたより授けられた恩寵に対し厚く御礼申し上げます。皆々と共に感謝の言葉を捧げるとともに、代わりて私たちがあなたの御力の通路となり、あなたの御計画推進の一翼を担い、御子たちのために役立つことができますよう導き給わんことを。

 ここに、ひたすら人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。


 (注釈──祈りの初めあるいは途中で神に呼びかける時、シルバーバーチは必ず Great White Spirit という言い方をします。普段の霊言の中では神のことを Great Spirit ── 時に God──と言っており、これを文字通りに訳せば〝大霊〟ということになります。

われわれ一人ひとりが〝霊〟で、その生みの親である神を〝大霊〟というのは理屈では分かりますが、これでは日本人にとって古来〝神〟という文字およびそれを口にした時の響きから受ける崇敬の念が感じ取れません。そこで私はこれまで、ある時は神と訳しある時は大霊と訳したりしましたが、

これにさらに White という形容詞が付くと、もはや日本語では訳せなくなります。と言うのは、シルバーバーチはホワイトという用語を〝無色〟の意味で用い、それによって〝無垢〟を象徴させているのですが、英語ではそれで良いとしても、これを〝白い〟とか〝白色の〟とか〝無色の〟とかの日本語に直すと、日本語特有の感覚的な〝味〟が強く出て理解の妨げになります。

 その点、カミと言う言葉は、言霊的にみても響きの上からもシルバーバーチの説く God あるいは Great spirit とぴったりであるとの考えから、私は祈りの冒頭の Great White Spirit もあっさりと〝神〟と訳しました。

 また、シルバーバーチは祈りの最後に必ず〝あなたの僕インディアン〟your Indian servant と言うのですが、このインディアンがシルバーバーチ霊その人でないことは「まえがき」で編者がハンネン・スワッハーの言葉を引用して解説しています。

しかしこのインディアンの霊も紀元前の古代霊であり、神界 ── 少なくとも地球圏の最高界 ── の波長を受信できるほど進化した高級霊であることは間違いありません。

霊界の霊媒として元インディアンだった霊を使ったことには、インディアンが民族的に心霊能力が優れていることも理由の一つでしょうが、私は、これまで白人中心の文明思想に毒されてきている地球人類への戒めが込められていると観ております。それはシリーズを読み通していただけば、きっと読み取っていただけるものと思います。)



 訳者あとがき 

 本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーの一人アン・ドゥーリー女史が編纂した Guidance from Silver Birch(シルバーバーチの導き)の全訳である。

 巻頭で紹介したように、霊言集は十一冊あり、一冊一冊に編纂者の特色が出ていて興味ぶかい。交霊会は開会の祈り──講話──質疑応答──閉会の祈りというパターンになっているが、その質疑応答は主に招待客との間で行われるから、そのつど新鮮味があり、シルバーバーチも巧みに質問者に合った説明をするので聞く者を退屈させない。

その相手が著名な学者であることもあれば、心霊研究家や心霊治療家であることもあり、青年牧師である場合もあれば、幼い子供たちであることもあり、それが霊訓の内容を多彩なものにしている。

 本書に収められたのは大部分が講話の部分であり、質疑応答も割に平凡なものを一つの章にまとめており、全体としてみればシルバーバーチ霊訓のエキスのようなものになっている。『古代霊は語る』を読まれた方には少し物足らなさを感じられるかもしれないが、シリーズである以上は全体としてのバランスを考えねばならず、その意味で、本書は初めての方にとって格好の〝入門書〟であるとみて選んだ。

巻末の「霊的啓示の系譜」はこれに物足らなさを感じられる方への配慮と受け取っていただきたい。              
                                近藤 千雄
                           

  
  解説  霊的啓示の系譜

 歴史的に辿れば、人類全体としての啓発に寄与するほどの霊的啓示は、各民族個有の宗教の起源となった聖典に求めることができよう。モーセの「十戒」、キリスト教のバイブル、イスラム教のコーラン、仏教の原初仏典、日本の古神道の原典等がその主だったものと言えよう。

 これらの中でも日本の古神道いわゆる神ながらの道の思想は人工的夾雑物が少なく、自然で、最もスピリチュアリズム的要素に富んでいるというのが、長年各種の霊界通信に親しんできた筆者の私見であるが、問題はいかなる啓示もその起源においては霊的であっても、時代とともに人間的主観によって歪められていくということである。

 〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて今なお欧米においてロングセラーを続けるモーゼスの『霊訓』の中で、イムペレーターと名のる最高指導霊(実は旧約聖書に出て来る預言者マラキ)がこう述べている。

 「・・・・・聖書(バイブル)に記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大なる霊の数々がある。彼らは地上にありては真理と進歩の光として輝き、地上を去りて後は後継者を通じて啓示をもたらしてきた。

その一人──神が人間に直接的に働きかけるものとの信仰が今より強く支配せる初期の時代の一人にサレム(現在のパレスチナの西部にあった古代都市)の王メルキゼデクがいる。

彼はアブラハムを聖別(聖なる目的に使用するために世俗より離す)して神の恩寵の象徴による印章を譲ったのだった。これはアブラハムが霊力の媒体として選ばれたことを意味する。当時においてはまだ霊との交わりの信仰が残っていたのである。彼は民にとりては暗闇に輝く光であり、神にとりては民のために送りし神託の代弁者であった。

 ここで今まさに啓発の門出に立つ汝に注意しておくが、太古の記録を吟味するに当たりては事実の記録と単なる信仰の表現にすぎぬものとを截然と区別せねばならぬ。初期の時代の歴史には辻褄の合わぬ言説が豊富に見受けられる。

それらは伝えられるがごとき秀でた人物の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれし時代の伝説的信仰の寄せ集めに過ぎぬ。

それ故、たしかに汝らの聖書と同じくその中に幾ばくかの事実はなきにしもあらずであるが、その言語の一つひとつに無条件の信頼を置くことは用心せねばならぬ。」

 こう述べた後、キリスト教を例にしてその啓示の系譜を明らかにする。

 「メルキゼデクは死後再び地上に戻り、当時の最大の改革者──イスラエルの民をエジプトより救出し、独自の律法と政体を確立せる指導者──モーセを導いた。


霊力の媒介者として彼は心身ともに発達せる強力なる人物であった。当時すでに、当時としては最高の学派において優れた知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していた。人を引きつける彼の強烈なる意志が、支配者としての地位にふさわしき人物とした。

その彼を通じて強力なる霊団がユダヤの民に働きかけ、それがさらに世界各地へと広がっていった。大民族の歴史的大危機に際し、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法律と規律を制定した。

その時代はユダヤ民族にとりては、他の民族も同様に体験せる段階、そして現代も重大なる類似性を持つ段階、すなわち古きものが消えゆき、霊的創造力によりて全てのものが装いを新たにする。霊的真理の発達段階であった。

 ここでもまた、推理を誤ってはならぬ。モーセの制定する律法は汝らの説教者たちの説くがごとき、いつの時代にも適応さるべき普遍絶対のものにはあらず。その遠き古き時代に適応せるものが授けられたのである。

すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであった如く、神の使途によりて霊的能力に富む者を介して授けられたのである。

      (中 略)

 今日なお存続せるかの「十戒」は変転きまわりなき時代のために説かれた、真理の一面にすぎぬ。もとより、そこに説かれたる人間的行為の規範は、その精神においては真実である。が、すでにその段階を超えたる者に字句どおりに当てはめるべきものにはあらず。かの十戒はイスラエルの騒乱から逃れ、地上的煩悩の影響に超然たるシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団より授けられたのであった。

(中 略)

 メルキゼデクがモーセの指導霊となりたるごとく、そのモーセも死後エリヤの指導霊として永く後世に影響を及ぼした。断わっておくが、今われらはメルキゼデクよりキリストに至る連綿たる巨大な流れを明確に示さんが為に他の分野における多くの霊的事象に言及することを意図的に避けている。

またその巨大な流れの中には数多くの優れたる霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最小限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去りたる後もなお地上へ影響を及ぼし続けている事実を強く指摘せんとしているのである。他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理の普及のための中枢が数多く存在した。

がそれは今の汝にはかかわりはあるまい。イエス・キリストに至る巨大な潮流こそ汝にとりて最大の関心事であろう。もっとも、それをもって真理の独占的所有権を主張するが如き、愚かにして狭隘(きょうあい)なる宗閥心だけは棄ててもらわねばならぬ。」 

 さてスピリチュアリズムは、人間が知性の飛躍的発達とともに霊的なものに背を向け、物質文明へ向けて急旋回し始めた十九世紀半ば頃勃興し、今日までに数多くの珠玉の霊的啓示を入手することに成功している。その代表的なものが右に紹介した『霊訓』並びに『続霊訓』であり、マイヤースの『永遠の大道』並びに『個人的存在の彼方』であり、

オーエンの『ベールの彼方の生活』であり、フランス人アラン・カルデックの編纂になる『霊の書』並びに『霊媒の書』であり、そしてこの『シルバーバーチの霊訓』全十一巻である。

 以上は比較的長文のものを拾ったまでで、小冊子程度のものまで数えれば、それこそ枚挙にいとまがないほどであり、内容的に貴重なものも少なくない。

もっと言えば、立派な通信を入手しながら、さまざまな事情から公表をあきらめたものもあるであろう。筆者がそう推測する根拠は、オーエンが『ベールの彼方』を刊行するまでの経緯にある。その「まえがき」の中でこう述べている。

 「さて〝聖職者というものは何でもすぐに信じてしまう〟というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど〝信仰〟というものを生命とする職業である以上、そういう観方をされてもあながち見当違いとも言えないかもしれない。

が、私は声を大にして断言しておくが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けを取らないと信じる。

ちなみに私が本通信を〝信じるに足るもの〟と認めるまでにちょうど四分の一世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際に存在することを認めるのに十年、そしてその霊界通信という事実が大自然の理法に適っていることを明確に得心するのに十五年もかかった。」

 国教会の牧師だったオーエンはこれを出版したことで教会長老の怒りをかい〝回心〟を求められたが頑として聞きいれず自ら辞職している。可能性としては身の保全のためにそれを公表せずに焼却処分にすることも有り得たわけであり、現実にそうしたケースが他にいくつもあったであろうことは十分に推測される。

 さて『霊訓』の一節に人類の進歩とともに啓示の内容も進歩するという件りがあるが、右に紹介した霊界通信に絞ってみてもそれがうかがえる。例えば『霊訓』の中においては〝再生〟の問題は一切見当たらず、モーセの死後に編纂された『続霊訓』の中に僅かに散見される程度である。この続編はモーセの恩師であるスピーア夫人が審神者となって得た霊言を主体に収録されているが、その中に次のような箇所がある。

 「霊魂の再生の問題はよくよく進化せる高級霊のみが論ずることの出来る問題である。大神のご臨席のもとに神庁において行われる神々の協議の中身につきては、神庁の下層部の者にすら知ることを得ぬ。正直に申して、人間にとりて深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。その一つが霊魂の究極の運命である。

神庁において神議(はかり)に議られしのちに、一個の霊が再び地上へ肉体を持って生まれるべしと判断されるか〝否〟と判断されるかは、誰にも分からぬ。誰にも知り得ぬのである。守護霊さえ知り得ぬのである。すべては良きに計らわれるであろう。

 すでに述べたごとく、地上にて広く喧伝されている形での再生は真実にはあらず。また偉大なる霊が崇高なる使命と目的とをもちて地上に降り人間と共に生活を送ることはある。他にもわれわれなりの配慮により広言を避けている一面もある。

まだその機が熟していないからである。霊なら全ての神秘に通じていると思ってはならぬ。そう広言する霊は自ら己れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならぬ。」

 これはイムペレーターの霊言である。末尾の〝他にもわれらなりの配慮により云々…〟という言葉からうかがえるように、再生は〝あるにはある〟といった程度に止めている。

 これがほぼ半世紀後に出たシルバーバーチになると、再生を魂の向上進化の絶対的条件として前面に押し出し、〝人間の言語ではその真相はうまく伝えられないが・・・〟と断りつつも、その目的と意義を繰り返し説いている。

本書(アン・ドゥリー編)では再生に関する具体的な霊言は採録されておらず、僅かに第十章の「質問に答える」の中で簡単に触れているだけであるが、他の十巻の全部で詳しく説かれている。

 霊媒のモーゼスもバーバネルもともに英国人である。英国において同じくイエス・キリストを霊的源流とする二つの霊的啓示が、一方は〝まだその時機でない〟という態度を取り、他方が〝今こそその時機である〟という態度で臨んでいるこの対照は、明らかに〝啓示の進歩〟を物語るものと観てよいであろう。

 今も述べたように、先に列挙した霊的啓示は多かれ少なかれキリスト教的色彩を帯びている。ナザレ人イエスにその淵源を求めることが出来るという意味である。

すなわちメルキゼデクに発した大きな霊的潮流がイエス・キリストの出現で一つのクライマックスを迎え、それがいったん埋もれたあと、十九世紀の後に再び多くの霊媒を通して霊言あるいは自動書記の形で地上へ奔出しはじめたと観ることが出来る。シルバーバーチはイエスについて見解を求められて次のように語っている。

 「ナザレ人イエスは神より託された使命を成就せんがために物質界へ降りた多くの神の使途の一人でした。イエスは地上での目的は果たしました。が残りの使命はまだ果たしておりません。それが今まさにイエスの指揮のもとに成就されつつあるところです。

          (中   略)

 イエスを通して地上へ働きかけた霊は、今なお、二千年前に始まった事業を果たさんとして引き続き働きかけております。その間イエスの霊は数え切れないほど何度もはりつけにされ、今なお毎日のようにはりつけにされております。」
 
 ───あなたが〝ナザレ人イエス〟と言う時、それは地上で生活したあの人間イエスのことですか、それともイエスを通して働いている霊的威力のことですか。

「あの人間イエスのことです。ただしその後イエスも向上進化し、地上時代よりはるかに大きな意識となって顕現しております。地上時代は、当時の時代的制約に合わさざるを得なかったのです。それでもなお、地上の人間でイエスほど霊の威力を発揮した者はおりません。イエスほど強烈に霊的摂理を体現した人間はおりません。」

 ───この二千年の間に一人もいないのでしょうか。

「いません。前にも後にもおりません。地上という世界があの時代ほど偉大な神の啓示に浴した時代はありません。しかし私たちは地上に誕生した人間イエスを崇めているのではありません。イエスを通して働きかけた霊の力に敬意を表するのです。人間というのは、どれだけ霊力の道具として役に立ったかによって、その人に払われる敬意の度合いが決まるのです。」


 ───霊界には今後イエスのごとき人物を地上へ送ることによってさらに奥深い啓示をもたらす計画があるのでしょうか。

「さまざまな民族の必要性に応じて、さまざまな手段が講じられつつあります。忘れてならないのは、現在の地上はますます複雑さを増し、相互関係がますます緊密となり、それだけ多くの通信回路を開かねばならなくなっているということです。

各民族の異なった気質、習慣、思想、生活手段や様式を考慮に入れなくてはなりません。通信の内容もその国民の生活環境や特質、民族的習性に合わさなくてはなりません。それをその国民の言語で表現せねばならず、その他もろもろの制約があります。が、啓示の由って来る究極の淵源はみな同じです。」

 百年を生きるのがやっとというわれわれ地上人の人間にとって二千年とか五千年という時の流れは気の遠くなる思いがするが、悠久の宇宙的尺度をもってすればほんの短い一時期にすぎないのであろう。

巷間(こうかん)にはこれから後の僅か百年二百年について、やたらに悲愴感を煽る勿体ぶった予言書が出版されているが、筆者はこうした、人の心を怖じけづかせ魂を縮み上がらせるようなものは決して純正な予言ではない、否、極めて悪質であると思う。もっとも、悠久の目をもってみれば〝悪質なイタズラ〟程度のものなのかもしれないが。

 純正な霊的啓示は常に魂を鼓舞し生きる勇気を与えてくれるものをもっている。それは以上紹介した霊的啓示の系譜の中に如実に見られる一大特質である。

 筆者が今携わっている仕事はいわば西洋的系譜の啓示を日本へ輸入することであるが、右のシルバーバーチの霊言から推測されるように、日本には日本なりの一大啓示の時代がいずれ到来するものと信じている。

私見によれば、それは多分神道的色彩を帯びることであろう。そしてそれを西洋へ逆輸出する形になるのかもしれない。そうすることによって西洋的な啓示と東洋的な啓示とが合流して一大奔流となって世界を流れる時こそ真の世界平和、いわゆる地上天国が築かれるのではなかろうか。

 ただ少なくとも日本の現状に目をやる時、今はこうした西洋的系譜の啓示を是非とも普及しなければならない時代であるという認識を持つのは、一人筆者のみではないと信じている。

 では、おしまいに再び『霊訓』から啓示の本質に触れた部分を紹介しておこう。〝新しい啓示〟と〝古い啓示〟との間の矛盾の問題に言及してイムペレーターはこう述べている。

 「啓示は神より与えられる。神の真理であるという意味において、啓示が別の時代の啓示と矛盾するということはあり得ぬ。ただしその真理は常にその時代の必要性と受容能力に応じたものが授けられる。一見矛盾するかに思えるものは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。

人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入してはせっかくの品質を落し、勝手な推論と思惑とで上塗りする。時の経過とともにいつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなっていく。矛盾すると同時に不純でありこの世的なものとなってしまう。

 やがて新らしき啓示が与えられる。がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新らしきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示には矛盾はない。が、矛盾せるが如く思わしめるところの古き夾雑物がある。

まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。人間はそれに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は、無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。

 神は決して押し売りはせぬ。このたびの啓示も、地ならしとして限られた人間への特殊な啓示と思うがよい。これまでもそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者をみるがよい。自国民に受け入れられた者が一人でもいたであろうか。

 神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押し付けはせぬ。用意の出来ている者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。」
                                 近藤 千雄
 

Wednesday, September 23, 2026

シルバー・バーチの霊訓(一)

Guidance from Silver Birch

Edited by Anne Dooley


十章 質問に答える

 シルバーバーチの交霊会では開会の祈りと講話のあと〝何かお聞きになりたいことがありますか。もしあれば私の知る限りで精一杯お答えしましょう〟と述べる。

 質問はあらかじめまとめておいて司会者が述べることもあるが(投書による質問もある)、招待客がその専門分野、例えば心霊治療について直接質問することもある。その内の幾つかを紹介する。


 問 「もう一度やり直すチャンスは全ての人に与えられるのでしょうか」

 答 「もちろんです。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。墓に埋められて万事が終わるとしたら、この世は実に不公平だらけで、生きてきた不満の多い人生の埋め合わせもやり直しもできないことになります。

私どもが地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は人生が〝死〟をもって終了するのではないということ、従って苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことができるということ。言いかえれば、悔やし涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。 

人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時にまた、愚かにも摂理を無視し他人の迷惑も考えずに横柄に生きてきた人間は、その悪行の償いをするチャンスが与えられます。

神の公正は完璧です。だますことも、ごまかすこともできません。すべては神の眼下にあります。神は全てをお見通しです。そうと知れば、真面目に正直に生きてきた人間が何を恐れることがありましょう。恐れることを必要とするのは利己主義者だけです。


 問 「祈りに効果があるでしょうか」

 答 「本当の祈りと御利益信心との違いを述べれば、祈りが本来いかにあるべきかがお分かりになると思います。御利益信心は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい。カネが欲しい、家が欲しい──こうした物的欲望には霊界の神霊はまるで関心がありません。

そんな要求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。一方、魂のやむにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、暗闇に光を求める必死の祈り、万物の背後に控える霊性との融合を求める祈り、そうした祈りもあります。そうした祈りには魂の内省があります。

つまり自己の不完全さと欠点を自覚するが故に、必死に父なる神の加護を求めます。その時の魂の状態そのものがすでに神の救いの手を受け入れる態勢となっているのです。

ただ、これまでも何度か述べたことがありますが、そうした祈りをあえて無視して、その状態のまま放っておくことが実はその祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。

こちらからあれこれと手段を講じることがかえって当人にとってプラスにならないという判断があるのです。しかし魂の奥底からの要求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める魂の願望は、自動的に満たされるものです。

つまり、その願望が霊的に一種のバイブレーションを引き起こし、そのバイブレーションによって当人の霊的成長に応じた分だけの援助が自動的に引き寄せられます。危険の中にあっての祈りであれば保護のためのエネルギーが引き寄せられ、同時に救急のための霊団が派遣されます。

それは血縁関係によって繋がっている霊もおれば、愛の絆によって結ばれている類魂もおります。そうした霊たちはみな自分もそうして救われた体験があるので、その要領を心得ております。」


 問 「唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんな目に遭うのでしょうか。」

 答 「宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが人間を永い間迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それが全てのカギです。

祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか、無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらもあります。問題は何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。

 問 「霊界の医師にはガンの治療法が分かっているのでしょうか」

 答 「あらゆる種類のガンが治せるという意味での特殊な治療法はありません。全部が同じ原因から発生しているのではないからです。身体的なものに由来するものもあれば精神的なものもあり、また霊的なものもあります。

その全てを同じ方法で治すことはできません。私たち霊界の者が地上の問題にかかわるにはそれなりの制約があることを理解して下さい。

人間から頼まれて〝ああ、その問題ですか。じゃあ、こうしなさい〟といった調子で受け合うわけには参りません。地上の人間は地上の人間なりの努力をして解決していかねばなりません。ただし人生観が誤っていたり、動物に苦痛を与える実験をしたり、要するに援助を受けるべき資格のない状態でいくら努力をしても、治療法は見つかりません。

 霊界からの援助は二重に行われます。真摯で献身的な治療家が正しい霊的法則に則って治療に当たっている時、霊界からそのチャンスをうかがっているその道の専門家が自動的に引き寄せられます。次にその患者に受け入れる用意が出来ている時、霊的治癒エネルギーがふんだんに注ぎ込まれます。

霊界からの治療は全てこの霊力によってなされます。決して魔法の杖を使うわけではありません。霊力は患者の魂によって引き寄せられます。ですから、その魂が霊力を受け入れない限り反応は生じません。魂が窓を開けてくれない限り、霊力と魂とを繋ぐものがないのです。閉め切った魂とは接触は得られません。この他にもいくつかの要素があります。

ガンの直接の(物的)原因にもよりますし、この度の地上への誕生の目的にかかわる問題もありますし、誕生以前に 地上人類以外の何らかの身体での生活の体験があるかどうかもかかわってきます。決して単純な問題ではないのです。


 問 「生まれ変わりは本当にあるのでしょうか。」

 答 「これは非常にややこしい問題です。というのは、この問題に関してはこちらの世界でも事実を知る者と知らない者とで意見がさまざまに分かれているからです。知らない者はあくまでも〝ない〟と主張し、知っている者は自分の体験から自信をもって〝ある〟と断言します。私は後者の一人です。

私にも体験があるからです。ですから再生が事実であるという点は問題ないとしても、その真相の説明となると、これは大変やっかいです。なぜかと言えば、何度も述べてきたように、再生するのは同じ霊であっても、物質界に顕現するのは同じ面ではないからです」


 問 「霊的法則は霊界でも地上でも同じ作用をするのでしょうか。」

 答 「違います。こちらでは同一レベルにまで進化した者同士の生活が営まれており、霊格による区別がはっきりしているからです。ですから地上のように比較対照というものがありません。各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とが一緒に暮らすということがありません。

地上では精神的ならびに霊的発達程度の異なる者が毎日のように顔を合わせますが、こちらではそういうことはありません。ただし、使命を受けて(地上的言い方をすれば)低い階層へ降りて行けば別です。そうでない限り同じレベルの霊同志の生活が営まれます。

やがてそのレベル以上に向上してくれば次のレベルへ進んで行きます。ですから一つの階層で対照的な生活が営まれることがないわけです。

 とにかく私たちの世界には光と闇といった対照がなく、従って影もありません。光だけです。光の中だけで生きていける段階まで到達した霊は、光とは何かについて完全な理解が出来ております。そうでなかったらその階層におれません。

その階層に至るまではやはり光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。そうすれば実在の真相をより正しく理解するようになり、実相をあるがままに知ることができます。

 たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその〝全体像〟を見ることができれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです。

内側には地上のような外側だけの世界に見られない無限の種類の色彩があります。色調も無数にあります。そして物的感覚では理解できない霊的な実体感を有しております。

私たちは地球の引力の作用を受けません。また永遠の光が存在します。魂が開発されるにつれて、その程度にふさわしい美しさも開発されます。こちらは創造進化の世界です。そこに生活する者自らが創造していく世界です。」


 問 「昨今のスピリチュアリズムの動向をどう観られますか」

 答 「潮に満ち潮と引き潮があるように、物事には活動の時期と静止の時期とがあるものです。いかなる運動も一気に進めるわけにはいきません。なるほど表面的にはスピリチュアリズムはかなりの進歩を遂げ、驚異的な勝利を収めたかに見えますが、まだまだ霊的真理について全く無知な人が圧倒的多数を占めております。

いつも言っているように、スピリチュアリズムというのは単なる名称にすぎません。

私にとってそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。私の使命はその知識を広めることによって少しでも無知をなくすることです。その霊的知識の普及に手を貸してくださるものは、それが一個人であってもグループであっても、私はその努力に対して賞賛の拍手を贈りたいと思います。

神の計画はきっと成就します。私の得ている啓示によってもそれは間違いありません。地上における霊的真理普及の大事業が始まっております。

時には潮が引いたように活動の目立たない時期もありましょう。そうかと思うとブームのような時期があり、そして再び無関心の時期が来ます。普及に努力するのが嫌になる人もおりましょう。が、こうしたことは神の計画全体から見ればほんの部分的現象にすぎません。

その計画の中でも特に力を入れているのが心霊治療です。世界各地で起きている奇跡的治癒は計画的なものであって、決して偶発的なものではありません。その治癒の根源が霊力にあることに目覚めさせるように霊界から意図的に行っているものです。

私は真理の普及に関して決して悲観的になることはありません。常に楽観的です。というのは、背後で援助してくれている強大な霊団の存在を知っているからです。

私はこれまでの成果に満足しております。地上の無知な人々がわれわれの仕事を邪魔し、遅らせ、滞らせることはできても、真理の前進を完全に阻止することはできません。ここが大切な点です。

遠大なる神の計画の一部だということです。牧師が何と説こうと、医者がどうケチをつけようと、科学者がどう反論しようと、それは好きにさせておくがよろしい。時の進展と共に霊的真理が普及していくのをストップさせる力は彼らには無いのです。」


 問 「死後の世界でも罪を犯すことがありますか。」

 答 「ありますとも! 死後の世界でも特に幽界と言う処は地上と非常によく似ています。住民は地上の平凡人とほぼ同じ発達程度の霊たちで、決して天使でもなければ悪魔でもありません。

高級すぎもせず、さりとて低級すぎもせず、まあ、普通の人間と思えばいいでしょう。判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭いきれない恨みや憎しみ、欲望などに囚われて罪悪を重ねることもあります。要するに未熟であることから過ちを犯すのです。」


 問 「弱肉強食の自然界をこしらえた創造主がどうして全てを愛する神であり得るのでしょうか。」

 答 「限りある知恵で無限の叡知を理解することはできません。宇宙規模の問題を肉眼だけを通して覗いてみても、つまり限られた知性でもって理解しようとしても解決は得られません。全体のごく限られた一部しか見えないからです。

確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹が空けば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって、人間界と同様に動物界にも調和と協調の原理が働いております。チャンスに恵まれればその原理を如実に見ることができます。

 それとは別に人間としての責務に関わる一面もあります。つまり、上に立つ者が低い進化の過程にある者に対してもつ責務です。人間も動物も、樹木や果実、花、野菜、小鳥などと共に一つの生命共同体を構成しているからです。

全生命は、進む時は共に進み、後戻りする時は共に後戻りします。ですから、人間が愛と慈悲と同情の心を発揮すれば、それこそオオカミと小ヒツジが相寄りそって寝そべるようになるでしょう。」


 問 「人間一人ひとりに守護霊がついているのですか。」

 答 「母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。

守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。

が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり、自分はこの男性にしようとか、あの女性の方が良さそうだ、といった勝手な注文は許されません。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されております。」


 問 「地上で犯す罪は必ず地上で報いを受けるのでしょうか。」

 答 「そういう場合もあれば、そうでない場合もあります。いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活期間中に成就されるとは限りません。しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことはできないのです。

しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それはその原因の性質いかんに関わってきます。すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中には出ないものもあります。

その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すと、その罪がその人の霊に記録され、それなりの結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。

それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」


 問 「死とは何かを子供にどう説かれますか。」

 答 「その子供に理解力があればの話であることは無論ですが、死とは、小鳥が鳥かごから放たれて自由に羽ばたくように肉体から解き放たれて、より大きな生活の世界へ進んで行くことであると説明しましょう。」


 問 「いたいけない幼児が不治の病で苦しむのは何か原因があるのでしょうか。これで神が公正と言えるだろうかと思うことがありますが・・・。」

 答 「本来霊的な問題を物的尺度で解決することはできません。地上生活という極めて短い期間の体験でもって永遠を判断することはできません。神の公正は無限の摂理によって支配されており、その全てを小さいひとかけらだけで持って理解することはできません。

小さなものが自分より大きいものを理解出来るでしょうか。一滴の水が大海を語れるでしょうか。部分が全体を理解出来るでしょうか。

宇宙はただただ感嘆するばかりの見事な法則によって支配されております。完璧な叡知によって創造されているからです。法則が狂うということは絶対にありません。時に不公平のように思えることがあるのは全体の一部だけを見ているからです。

全体が見えるようになれば考えが変わります。地上にいる限り、その短い期間で無限を理解することはできません。

 埋め合わせ、あるいは応報の原理は人間には理解できません。霊の世界の豊かさ、美しさ、見事さは、それを譬えるべきものが地上に無いのですから、人間には理解する手掛かりがないわけです。宿命的に判断力が制限され、視野が狭められている人間にどうして地上の裏側の世界が理解できましょう。

 子供の身体は両親の血と肉とでこしらえられる以上、両親の肉体的要素が全部その子に受け継がれていくに決まっています。ですから、子供は両親の身体的欠陥まで頂戴することになります。

 しかし、子供は誕生という行為によって宇宙の大霊の一部となるのです。神の遺産、あらゆる物的障害に負けない潜在的神性を宿しております。物質は霊を凌ぐことは出来ません。物質はあくまでも従者です。霊が主人です。霊的成長はゆっくりとして着実な道程です。霊的感覚と理解力は魂にその用意ができた時に初めて得られるものです。

私たちの説く真理が馬の耳に念仏である人もいます。が、それになんらかの感動を覚えた時、その人はその後に待ち受ける数々の真理を理解していく用意が出来たことを意味します。あたかも神の立場に立って判決を下すようなことをしてはいけません。」


 問 「心霊的能力の発達は人類進化の次の段階なのでしょうか。」

 答 「霊能者とか霊媒と呼ばれている人が進化の先駆けであることに疑問の余地はありません。進化の梯子の一段上を行く、いわば先遣隊です。 そのうち心霊的能力が人間の当たり前の能力の一部となる時代が来ます。地上人類は今精神的発達の段階を通過しつつある処です。このあとには必然的に心霊的発達の段階が来ます。

 人間が五感だけを宇宙との接触の通路としている哀れな動物でないことをまず認識しないといけません。五感で知り得る世界は宇宙のほんの一部です。それは物的手段で感識できるものに限られています。人間は物質を超えた存在です。

精神と霊とで出来ているのです。その精神と霊にはそれなりのバイブレーションが備わっており、そのバイブレーションに感応する別の次元の世界が存在します。地上にいる間は物的なバイブレーションで生活しますが、やがて死を経て、高いバイブレーションの世界が永遠の住み家となる日が来ます。」


 問 「霊界のどこに誰がいるということがすぐに分かるものでしょうか。」

 答 「霊界にはそういうことが得意な者がおります。そういう霊には簡単に分かります。大ざっぱに分類すると死後の霊は、地上へ帰りたがっている者と帰りたがらない者とに分けられます。

帰りたがっている霊の場合は有能な霊媒さえ用意すれば容易に連絡が取れます。が、帰りたがらない霊ですと、どこにいるかは簡単に突き止めることはできても、地上と連絡を取ることは容易ではありません。嫌だと言うのを無理やり連れてくるわけには参りません。」


 問 「永遠の生命を考えると、地上でのこんな限られた物的体験に意義があるでしょうか。」

 答 「永遠も無数の小さな体験の総計から成り立つのです。一つの体験、一つの行為、一つの言葉、一つの思念にも、それがいかに小さなものであってもそれなりの意義があります。そうした細々とした体験の寄せ集めが永遠を作るのです。その内の一つが欠けても完全性を失います。

例えば、二、三百名から成るオーケストラの中でトライアングルを一度だけ鳴らす人がいるとします。分量から言えば全くささやかな存在ですが、もしもその人が、たった一回の演奏で音階を間違えたらどうなりますか。あるいは音が弱すぎて聞き取れなかったらどうなりますか。

オーケストラ全体が台無しになるでしょう。分かりますね。あなた方の地上生活での体験もそれと同じことです。一つひとつが魂の陶冶(とうや)のための一部──大切な一部を担っているのです。その体験は永久に魂に刻み込まれていきます。」
            


  第十一章  おしまいに

 地上の人間は〝身体〟を中心に物事を考えます。私たち霊界の者はその身体を通して自我を表現しなければならない〝霊〟のことを第一に考えます。その霊が正常に自我を表現しておれば、身体との関係も自然にうまくいきます。なぜなら物質は常に従者の立場にあり、主人ではないからです。霊が王様で物質はその従臣だということです。

 この真理が今日ここにお集まりの方々の人生を明るく照らし、大きな革命をもたらして参りました。自分とは何かを見出されました。地上の言語では表現できない真理、地上の富では評価できない悟りを得て来られました。

 霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。大切なのは身体への影響ではなく、魂の琴線に触れる体験です。ですから、私はこれより先のあなた方の生活に問題が生じないとは決して申しません。

苦労がないとも申しません。障害やハンディを背負うことがないとも申しません。もしそんなことを言えばウソになります。

 地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。金塊が不純物を払い落としていく試練の場です。霊的開発と成就への道においては困難と苦痛と障害とハンディが必須不可欠の要素です。

もしも霊的な宝が容易に手に入るものであれば、それはもはや手に入れるほどの価値はないことになります。自己鍛錬、自己制御、自己開発、これを成就するのが人生の目的です。これは容易にできるものではありません。王道はないのです。

 悪戦苦闘すること、暗闇の中に光を見出さんと努力すること、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わうこと── 魂はこうした体験を通して初めて成長するのです。低く身を沈めただけ、それだけ高く飛躍することができるのです。

〝ゲッセマネの園〟を通らずして〝変容の丘〟へ辿り着くことはできません。

ナザレ人イエスの生涯は地上の人間の全てが体験するものと本質的において同じものです。敗北も勝利もともに必要です。敗北の味を知らずして勝利の味が分かるでしょうか。

 私は日常生活で是非とも活用すべき教訓をできるだけ簡潔に述べようと苦労しているのです。決して難解な哲学ではありません。いたって実用的な霊的教訓なのです。

それが人生から然るべきものを体得する方法を教えてくれます。魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表われます。すなわち真の自我を見出したことから生まれる魂の平安と自信です。

魂がその状態になった時を〝悟った〟というのであり〝神を見出した〟と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも悲しみにも負けることはありません。なぜなら悟りを開いたあなたは、いついかなる時でも神の兵器庫の扉を開けることが出来るからです。

また、あなたに解決できないほど大きな問題、背負えないほどの重い荷を与えられることはありません。それが与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があなたにあるからです。

 私はこうした真理をあなた方だけでなく他の多くの方々に説いて参りました。それが常に心に住みついているようになれば、何ものにも脅えることがなくなることを知っているからです。霊の力は絶大です。しかし、その力も通路のあるところしか流れません。あなた方がその通路なのです。

あなた方がその通路を提供して下さり、その通路を通って霊力が地上に流入する。具体的に言えば、喜んで人のために役立とうとする心と精神と霊とを用意して下さることが、その霊力の流入する条件を提供することになるのです。

かくして霊力があなた方を通過する際に必ずその一部があなた方の中に蓄積されて参ります。そしてそれが、あなた方自身の霊的な糧となりましょう。そうなった時のあなたは、自分の方から心のスキを見せない限り、この世に悩みなど全くなくなります。

 あなた方はいろいろと多くの教訓を学んでこられました。教訓は自分で学ばねばなりません。私が代わりに学んであげるわけにはいきません。私たち霊界の者にとっていちばん辛いのは、愛する人間が困難の中にあって必死に頑張っているのを傍観することです。

傍観と言っても、何もしないという意味ではありません。できる限りの援助は致します。しかし、魂の成長にとって掛けがえのないチャンスを奪うことになることだけは許されないのです。

 イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。実に偉大なる真実です。神はどこか遠く離れた近づき難いところにおられるのではありません。

実にあなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中に居るのです。ということは自分の霊的成長と発達にとって必要な手段は全て自分の中に宿しているということです。それを引き出して使用することが、この世に生まれてきたそもそもの目的なのです。

 私はこれまでの身をもっての体験から、宇宙を支配する霊力に不動の信頼を置いております。一分一厘の狂いもなく、しかも深遠なる神の配慮のもとに、全大宇宙の運行を経綸する神的知性に私はただただ感嘆し、崇敬の念を覚えるのみです。

もしも地上人類が、その神の心をわが心として摂理と調和した生活を送ることが出来れば、地上生活は一変することでしょう。その力は幾らでも授かることができます。神がわが子に施す恩寵ほど気前のよいものはありません。

 ですから、決して絶望してはいけません。落胆してはいけません。くよくよしてはなりません。心に不安の念を宿してはなりません。恐怖心を近づけてはなりません。取り越し苦労は蹴散らしなさい。そんな憂うつな有難からぬ客を絶対に魂の奥の間へ招き入れてはなりません。

 人生の背後に秘められた目的を悟り、それと一体となった時、一時的にせよあなたの魂に霊的な静寂が訪れます。内と外からあなたを守る霊の力に身を委ねることです。

きっと援助を授けてくれます。歩むべき道を明確に示してくれます。問題に遭遇した時は、地上の雑踏、混乱、かんかんがくがくの論争から身を退き、魂の静寂の中へ引きこもり、霊の啓示を待つことです。

 霊の宝石は決して色褪せることがありません。地上的財産をふんだんに所有している人は、自分がその財産の管財人にすぎないことに気づいておりません。本当は自分のものではないことに気づいておりません。霊的真理を悟った人にとっては、知識に責任が伴うように、財産にも責任が伴います。

あなた方は宇宙最大の霊力の道具です。大司教(※)の礼服を着る必要もなければ、枢機卿(*)の指輪をはめる必要もありません。それはただの装飾品に過ぎません。

 実在とは何の関係もありません。あなた方を通路として働いているところの霊力はすべての法王、全ての大司教、全ての枢機卿より偉大です。宇宙最大の力なのです。
(※ともにカトリック系キリスト教会の最高位の聖職。──訳者)

Tuesday, September 22, 2026

シルバー・バーチの霊訓(一)

Guidance from Silver Birch

Edited by Anne Dooley



九章 霊とは何か
 
    霊とは何かを言語によって完璧に描写することは絶対に不可能です。無限だからです。言語はすべて有限です。私はこれからそれを何とか説明してみようと思いますが、いかにうまく表現してみたところで、霊力のほんのお粗末でぎこちない描写でしかないことをご承知下さい。

 宇宙の大霊すなわち神が腹を立てたり残酷な仕打ちをしたりわがままを言ったりするような人間的存在でないことは、すでにご承知でしょう。何度も言ってきたように、神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を支える力です。

それは生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。その中に極小と極大の区別もありません。

 こうした大まかな表現によって私たちは自分本来の姿、つまりミクロの神でありミニチュアの宇宙である自我について、どうにかその片鱗をつかむことができます。全体を理解するには余りに大きすぎます。あなた方がこうして地上に生を享けたのは、その内部の神性を少しでも多く発現させるためです。それは永遠に終わることのない道程です。

何故なら神性は無限に顕現するものだからです。神性の本性として自発的に顕現を求め、それがあらゆる種類の美徳と善行、つまり親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛となって表現されます。その量が多ければ多いほど、それを発現している霊は偉大であることになります。

 では、いかにすればこの驚異的な潜在的神性を意識的に発現させることができるのでしょうか。

 それに関して地上には各種の学説、方法、技術があります。いずれも目指すところは同じで、脳の働きを鎮め、潜在的個性を発現させて本来の生命力との調和を促進しようというものです。

要するに物的混沌から脱け出させ、霊的静寂の中へと導くことを主眼としておりますが、私はどれといって特定の方法を説くことには賛成しかねます。各自が自分なりの方法を自分で見出していくべきものだからです。

 自我を一時的に潜在意識にコントロールさせ、それをきっかけにして内部の生命力とのつながりをより緊密に、そしてより強くさせることを目的とした内観法が幾つかあります。それが次第に深まれば霊界からのインスピレーションを受けることも多くなります。

まず心霊的(サイキック)な面が開発されます。続いて霊的(スピリチュアル)な面が開発され(※)宇宙の内奥に存在する生命力がふんだんに流れ込むようになります。

(※サイキックとスピリチュアルの違いはこうした自我の開発のほかに心霊能力にも心霊治療にもあります。心霊治療については第七章でシルバーバーチが詳しく説明しています。心霊能力について言えば、たとえば単なる透視力は動物の超能力と同じで五感の延長にすぎません。これがサイキックです。

つまり目の前に存在するもの──地上にせよ霊界にせよ──しか見えません。これに背後霊の働きが加わり、その場に存在しないもの、あるいは高次元の世界のものを映像またはシンボルの形で見せられるようになれば、それがスピリチュアルです。── 訳者)

 ある種のテクニックを身につければ病気を自分で治し、体内の不純物を排出し、欠陥を矯正することができるようになります。自我の全ての側面──霊と精神と身体の調和を成就することができます。

かくして霊性が本来の優位を確保していくに従って、霊的叡知、霊的理解、霊的平穏、霊的自信、霊的静寂が増し、不滅の霊力との真の繋がりを自覚するようになります。

 人間は霊的存在である以上、宇宙の大霊すなわち神の属性を潜在的に所有しております。あなた方一人ひとりが神であり、神はあなた方一人ひとりなのです。一人ひとりが神の無限の霊力の一翼を担っているのです。地上への誕生はその大霊の一部が物質と結合する現象です。その一部に大霊の神性の全てが潜在的に含まれております。いわば無限の花を開かせる可能性を秘めた種子と言えましょう。

 その可能性の一部が霊界からの働きかけによって本人も気づかぬうちに発揮されるということがあります。むろん無意識よりは意識的の方が望ましいに決まっています。ですが無意識であっても、全然発揮されないよりはましです。人間が同胞に向けて愛の手を差し伸べんとする時、その意念は自動的に霊界の援助の力を呼び寄せます。

その、人のために役立とうとする願望は魂をじっとしていられなくします。そして、やがて機が熟して魂が霊性に目覚める時が来ます。その時からは自己の存在の意義を成就する目標へ向けて意識的に邁進するようになります。

 先にサイキックという用語を用いましたが、これは物質と霊との中間的段階をさします。悟りを求め、あるいは霊能を開発せんとして精神統一の訓練を開始すると、まず最初に出てくるのが心霊的(サイキック)な超能力です。これはその奥の霊的(スピリチュアル)な能力に先がけ出て来ます。

超能力の開発は霊性の発達を阻害すると説く人がいます。そう説く人は心霊的な段階を経ずに一気に、独力で、神との合一を求めるべきであると主張するのですが、私はこれは間違っていると思います。それもあえて出来ないとは申しませんが、大変な修行のいることであり、しかも往々にして危険を伴います。

 霊格が向上するほど生命活動が協調によって営まれていることを悟るものです。自分一個で生きているものは何一つありません。お互いが力を出し合って生きております。一人ひとりが無限の連鎖関係の中の一つの単位なのです。

そんな中でなぜ初心者が熟練者の手助けを拒絶するのでしょう。私たちがこうして地上に戻ってあなた方を手助けし、手助けされたあなた方が同胞の手助けをする。そこにお互いの存在の理由があるわけです。

一人だけ隔離された生活をするようにはなっていないのです。みんなと協力し合って生きていくように出来ているのです。この見解を世界中に広めなければなりません。

すなわち世界の人間の全てが霊的に繋がっており、いかなる人間も、いかなる人種も、いかなる階級も、いかなる国家も、他を置き去りにして自分だけ抜きん出ることは許されないのです。

 登るのも下るのもみんな一緒です。人類だけではありません。動物も一緒です。なぜなら生命は一つであり、無限の宇宙機構のすみずみに至るまで、持ちつ持たれつの関係が行きわたっております。独善的考えから他の全ての方法を蔑視して独自の悟りの境地を開くことも不可能ではありません。

が、私はそうした独善的な生き方には反対です。私の理解した限りにおいて、宇宙の摂理は協調によって成り立っており、他の存在から完全に独立することは絶対に不可能です。他人の援助を頼まずに独力で事を成就しようとする気構えは、それ自体は必ずしも利己的とは言えません。

私はただ、その方法はお勧めしないと言っているのです。自分を他人に役立てること── これが霊的存在の真の価値だと私は信じます。私はその心掛けで生きて参りました。それが宇宙の大霊の意志だと信じるからです。そうではないと思われる方は、どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい。

 人類の手本と仰がれている人々は、病に苦しむ人には霊的治癒を、悲しみの人には慰めの言葉を、人生に疲れた人には生きる勇気を与えて、多くの魂を鼓舞してきました。要するに己を犠牲にして人のために尽くしたのです。それが神の御心なのです。

悲しみの涙を拭ってあげる。病を治してあげる。挫折した人を勇気づけてあげる。苦境にある人に援助の手を差しのべてあげる。

たったそれが一人であっても立派に神の意志を行為で示したことになります。そんなことをする必要はないと説く教えは絶対に間違っております。救いの手を差し伸べることは決して間違っておりません。それを拒絶する方が間違っております。

 もちろんそこに動機の問題もあります。見栄から行う善行もありましょう。が、それも何もしないよりはましです。邪な考えに発した偽善的行為、これはいけません。魂にとって何の益もありません。摂理をごまかすことはできないのです。完璧なのです。

イエスが〝慈悲の心は耐え忍ぶもの〟(※)と語ったのは神の意志の偉大さを説かんとしたのです。善行はそれ自体の中に報酬が宿されております。

(※コリント前書13・4-この言葉は聖書では〝愛は寛容である〟と訳されております。イエスの言葉はこの後さらに次のように続きます。

〝愛は慈悲に富む、愛は妬まず、誇らず、高ぶらず、非礼をせず、己れの利益を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、全てを許し、全てを信じ、全てを希望し、全てを耐え忍ぶ〟。──訳者)

 霊力の道具として働く霊能者は多くの魂へなんらかの影響を及ぼしています。そこが霊的現象の大切な点です。悲しみの人に慰めを与え、病の人に治癒を与え、主観・客観の両面にわたって霊力の証を提供することも確かに大切ですし、これを否定できる人はおりません。が、真の目的は現象的なものを超えたところにあります。魂に感動を与え実在に目覚めさせることです。

地上は未だに〝眠れる魂〟で一杯です。生命の実相をまるで知らず、これから目覚めていかねばなりません。

 霊的現象の目的はそうした個々の魂に自我への覚醒をもたらし、物的感覚を超えて自分が本来霊的存在であることを自覚させることです。いったん霊性を悟れば、その時から神からの遺産として宿されている神性の種子が芽を出して生長を開始します。その時こそ全大宇宙を経綸する無限の創造力のささやかな一翼を担うことになります。

 こうして霊力の道具として役立つだけの資格を身につけるまでには、それなりのトレーニングが要ります。それは大変なことです。何となれば、その結果としてある種の鍛錬、ある種の確信を身につけなければならず、それは苦難の体験以外には方法がないからです。霊力の道具として歩む道は厳しいものです。

決して楽ではありません。容易に得られた霊能では仕事に耐えきれないでしょう。魂の最奥・最高の可能性まで動員させられる深刻な体験に耐えるだけの霊性を試されて初めて許されることです。そうして身に付けたものこそ本物であり、それこそ霊の武器と言えます。

 その試練に耐え切れないようでは自分以外の魂を導く資格は有りません。自ら学ぶまでは教える立場に立つことは出来ません。それは苦難の最中、苦悩の最中、他に頼る者とてない絶体絶命の窮地において身につけなければなりません。最高のものを得る為には最低まで降りてみなければなりません。

こうした霊的覚醒、言えかえれば飢えと渇きに喘ぐ魂に霊的真理をもたらすことは実に大切なことです。それが地上での存在の理由の全てなのです。なのに現実は、大多数の人間が身につけるべきものをロクに身につけようともせず地上を素通りしております。

 ですから、イザこちらの世界へ来た時は何の備えも出来ていないか、さもなければ、一から学び直さなければならないほど誤った思想・信仰によってぎゅうぎゅう詰めになっております。本来そうしたものは地上の方が遥かに学びやすく、その方が自然なのです。

悲しみの人を慰め、迷える人を導き、悩める人を救うためには、自らが地上において苦難の極み、悲哀のドン底を体験しなければなりません。自分自身の体験によって魂が感動した者でなければ人に法を説く資格は有りません。

 教える立場に立つ者は自らが学ぶ者として然るべき体験を積まなくてはなりません。霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。艱難辛苦── 辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばなければなりません。それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。

そうでなければ有難いのだが、と私も思うことがあります。しかし側(はた)の者には分からないあなただけの密かな霊的覚醒、霊的悟り、魂の奥底からの法悦は、そうした辛い体験から得られるものです。なぜならその艱難辛苦こそ全ての疑念と誘惑を蹴散らし、祝福された霊として最後には安全の港へと送り届けてくれるからです。

 これも神の摂理として定められた一つのパターンです。霊的成就への道は楽には定められておりません。もし楽に出来ておれば、それは成就とは言えません。楽に得られるものであれば、得るだけの価値はありません。人のために役立つためにはそれなりの準備が要ります。

その準備を整えるためには魂の琴線に触れる体験を積み、霊性を開発し、心霊的能力を可能な限り霊的レベルまで引き上げなければいけません。心霊的能力を具えた人は大勢います。が、それを霊的レベルまで高めた人は多くは居ません。

私たちがかかわるのは霊そのものの才能であって、霊的身体(幽体)の持つ能力、つまり肉体の五感の延長でしかないものには、たとえ地上の学者がどんなに面白い実験(※)をしてくれても関心はありません。私は決してそれを軽蔑して言っているのではありません。それにはそれなりの意味があります。

(※ここではESPつまり超感覚的能力の実験を指していますが、シルバーバーチの説を総合すれば、ヨガや密教における超人的な術、未開人におけるまじない的な術、雨を降らせる術なども同類に入ります。──訳者)

 地上には、自分を変えようとせずに世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、全ての発展、全ての改革は先ず自分から始めなくてはなりません。自分が霊的資質を開発し、発揮し、それを何かに役立てることが出来なければ、他の人を改める資格はありません。

地上人類の霊的新生という大変な事業に携っていることは事実ですが、それにはまず自分を霊的に新生させなければなりません。真の自我を発見しなければなりません。心を入れ替え、考えを改め、人生観を変えて、魂の内奥の神性を存分に発揮しなければなりません。

 宗教的呼称や政治的主義主張はどうでもよろしい。私はその重要性を認めません。もし何かの役に立てば、それはそれで結構です。が、本当に大切なのは神の子として授かった掛けがえのない霊的遺産を存分に発揮することです。

その光輝、その気高さ、その威厳の中に生きることです。いかなる名称の思想、いかなる名称の教会、いかなる名称の宗教よりも偉大です。

神の遺産は尽きることがありません。地上に誕生してくる者の全てが、当然の遺産としてその一部を無償で分け与えられております。

 人生の重荷を抱えた人があなた方のもとを訪れた時、大切なのはその人の魂に訴えることをしてあげることです。他界した肉親縁者からのメッセージを伝えてあげるのも良いことには違いありません。メッセージを送る側も送られる側も共に喜ぶことでしょう。しかし喜ばせるだけで終わってはいけません。

その喜びの体験を通して魂が感動し、宇宙の絶対的な規範であるところの霊的実在に目覚めなければなりません。慰めのメッセージを伝えてあげるのも大事です。病気を治してあげるのも大事です。私がこうしておしゃべりすることよりも大事です。

ですが、霊界において目論まれている目的、こうして私どもが地上へ舞い戻って来る本当の目的は、地上の人間の霊的覚醒を促進させることです。

 その仕事にあなた方も携わっておられるわけです。困難に負けてはいけません。神の道具として託された絶大なる信頼を裏切らない限り、決して挫折することはありません。嵐が吹きまくることもあるでしょう。雨も降りしきることでしょう。

しかし、それによって傷めつけられることはありません。嵐が去り太陽が再び輝くまで隔離され保護されることでしょう。

煩わしい日常生活の中に浸り切っているあなた方には、自分が携わっている恵み深い仕事の背後に控える霊力がいかに強力で偉大であるかを理解することは難しいでしょう。

ですから、あなた方としてはひたすらに人の役に立つことを心掛けるほかないのです。あなた方を通して働いている力はこの宇宙、想像を絶する広大な全大宇宙を創造した力の一部なのです。

 それは全ての惑星、全ての恒星を創造した力と同じものなのです。雄大なる大海の干満を司るエネルギーと同じものなのです。無数の花々に千変万化の色合いと香りを与えたエネルギーと同じものなのです。

小鳥、動物、魚類に色とりどりの色彩を施したのも同じエネルギーです。土くれから出来た人間の身体に息吹きを与え生かしめている力と同じものです。それと同じエネルギーがあなた方を操っているのです。目的は必ず成就します。

 真摯な奉仕的精神をもって然るべき条件さえ整えば、その霊力は受け入れる用意の出来た人へいつでも送り届けられます。怖じけてはいけません。あなた方は神の御光の中に浸っているのです。それはあなた自身のものなのです。
 

Monday, September 21, 2026

シルバー・バーチの霊訓(一)

Guidance from Silver Birch

Edited by Anne Dooley




八章 愛の力

 愛は大きさを測ることができません。重さを測ることもできません。いかなる器具をもってしても分析することはできません。なのに愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。

愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。

生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。辿り着いた高級霊界からの遼遠の旅路の末に再び地上に舞い戻り、古くかつ新しい名言〝愛は死を乗り超える〟を改めて宣言することができるのも、この愛あればこそです。

 あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。

昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。日常の煩瑣(はんさ)な雑事の渦中にあって、時には僅かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。

 心に怖れを宿してはいけません。完全に拭い去らないといけません。誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。

なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事があるからです。霊がこの世へ携えて来た能力がこれからもその役目を果たしていきます。こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。それは決して裏切ることはありません。

 宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。

受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法を学ばねばなりません。それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落着きを身につけなければなりません。

 そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。

受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。

 宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。

愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。

 好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する──これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。
 
確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。他人に出来ないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。

 最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心掛けでは出来ません。が、

それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登って行けば、己れのために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界に辿り着きます。ただ施すのみの世界です。

 願わくばあなた方の世界も是非そうあってほしいと思うことしきりです。私たちのことが理解できない人々はいろいろと勝手なことを言ってくれますが、私たち自身はどう評価されたいとも思っておりません。

手の届くかぎりの人々に手を差しのべたいと思うだけです。その意味でも、あなた方には霊の世界の最高レベルの階層と感応するよう努力していただきたい。

あなた方は決して孤軍奮闘しているのではないこと、まわりにはあなた方を愛する人々、手引きし援助し鼓舞せんとする霊が大勢取り囲んでいることを認識していただきたい。

そしてまた、霊的開発が進めば進むほど、宇宙の大霊である神へ向けて一歩一歩近づきつつあり、よりいっそう、その摂理と調和していきつつあることを理解していただきたいのです。

 単なる信仰、ただそう信じているというだけでは、厳しい体験の嵐が吹けばあっけなく崩れてしまいます。が知識に根ざした信仰はいかなる環境にあってもゆるぎない基盤を提供してくれます。霊の力の証を授からなくても信じられる人は幸いです。が、

証を授かり、それ一つを手掛かりとして他の多くの真理を信じることのできる人は、それ以上に幸いです。なぜならばその人は宇宙の摂理が愛と叡知そのものであるところの霊の力によって支配されていることを悟っているからです。

 人生とは生命そのものの活動であり、霊的であるが故に死後も永遠に続くことは立証可能な事実です。かくして人間は地上にあっても霊的存在であり物質的存在ではないこと、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないということを自覚することができます。

物質界への誕生は測り知れない価値ある遺産の一部を享けることです。霊であるからこそ物質と結合し、活動と生命を賦与することができるのです。その霊は宇宙の大霊の一部であり、本質的には神性を具え、性質的には同種のものであり、ただ程度において異なるのみです。

 我欲を棄て他人の為に自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。

排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。

 家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。

その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。

愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます。

 霊の世界へ来た者がなぜ地上に舞い戻って来るかご存知ですか。大多数の人間にとって死は有難いことであり、自由になることであり、牢からの解放であるのに、なぜ戻って来るのでしょうか。霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。

地上の住民を脅かす老いと病いと数々の煩悩に別れを告げたのです。なのに、地上との間に横たわる測り知れない困難を克服してまで自ら志願して帰って来るのは、あなた方への愛があるからです。彼らは愛の赴くところへ赴くのです。

愛のあるところに存在するのです。愛あればこそ役に立ちたいと思うのです。霊界において如何なる敵対行為が私達へ向けられても、妨げんとする邪霊集団の勢力がいかに強力であろうと、それが最後には効を奏することができないのは、そうした愛に燃えた霊たちの働きがあればこそです。
 
 これまでに得させて頂いたものを喜ぶべきです。浴し得た恩寵に感謝すべきです。愛は死よりも強いこと、立ちはだかる障害も愛によってきっと克服されるという認識を得たことを有難く思うべきです。あなた方を包む愛によって存分に慰められ、支えられ、励まされるがよろしい。

その愛の豊かさはとても私には表現し尽くせません。時には何とか伝えてみようと努力することもあるのですが、あなた方の心臓の鼓動よりもなお身近にあるその愛の深さはとうてい人間の言語では表現できません。

 あなた方はこれまで、愛に発する利他的行為、英雄的行為、奉仕的行為、滅私的行為による目覚ましい成果を見て参りましたが、霊界の高級霊が生命力そのものを結集してあなた方を温く包む、その愛の底知れぬ潜在力はとうてい推し測ることはできません。

もっとも、それを受け入れる器がなければ授かりません。それが摂理なのです。理屈は分かってみれば簡単です。資格ある者が授かるというだけのことです。

霊力は無尽蔵です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。人間が少しでもその受容能力を増せば、その分だけを授ける用意がこちらにはいつでも出来ております。が、それ以上のものは絶対に授けることはできません。

 常に上を向いて歩んで下さい。下を向いてはいけません。太陽の光は上から差します。下からは照らしません。太陽は永遠の輝きの象徴です。霊的太陽は啓蒙と活力の源泉です。内在する霊に刺激を与えます。自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。

霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。

 神聖こそ、その無限の愛の抱擁力によって私たちを支えている力であり、その尊い遺産を発揮し宿命を成就するよう導いてくれる力です。宇宙における最大の力であり、極大極小の別なく全ての現象を根本において操っております。魂のそれぞれの必要性を察知し、いかにしてそれを身につけるかを知らしめんと取り計らってくれます。

自分とは一体何なのか、いかなる存在なのか、いかなる可能性をもつかを徐々に悟らせる方向へと導いてくれます。ですから、私達は愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。

 完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。

これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。それは宇宙の大霊から放たれる無限なる愛であり、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。

気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。あなたの周りに張りめぐらされた防御帯であり、決して破られることはありません。神の力だからです。

 私ども霊界の者が是非とも提供しなけらばならない証は、愛が不滅であること、死は愛し合う者の仲を裂くことはできないこと、物的束縛から脱した霊は二度と死に囚われることがないということです。愛の真の意義を悟るのは霊の世界へ来てからです。

なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。宇宙の大霊の顕現なのです。互いが互いのために尽くす上で必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。邪なるもの、害なるものを知りません。愛は己れのためには何も求めないのです。

 死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。

愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。神の摂理が顕幽の隔てなく働くと言われるのはそのことです。愛とは神の摂理の顕現であり、それ故にありとあらゆる人間の煩悩── 愚かさ、無知、依怙地、偏見等々を乗り超えて働きます。

 二人の人間の愛の真の姿は魂と魂の結びつきです。神はその無限の叡知をもって、男性と女性とが互いに足らざるものを補い合う宿命を定めました。両者が完全に融合し合うことこそ真の愛の働きがあり、互いに補足し合って一体となります。

愛は無限なる霊の表現ですから、低い次元のものから高い次元のものまで、無限の形をとります。すなわち磁気的で身体的な結びつきから精神的な結びつき、さらには根源的な霊的な結びつきへと進みます。

その魂と魂との結びつきが地上で実現することは極めてまれなことであり、むしろ例外的なことに属します。が、もし実現すれば両者はその宿命を自覚し、一体となります。これが魂と魂との真の結婚の形態です。

 これは本来一体である親和性をもった魂が二つに分かれて地上へ顕現しているという、いわゆる〝同類魂〟(アフィニティー)の思想で、古来からあります。それが再び一体となるには何百万年、何千万年もの歳月を要します。それが僅か五十~七十年の短い期間に地上という小さな天体上で巡り合うということは極めて異例のことです。

幸いにしてその幸運に浴した時は、それは神がそう図られたとしか考えられません。そしてそのアフィニティーの二人は死後も融合同化の過程を、人智を超えた歳月にわたって続けます。人間的個性を少しずつ脱ぎ捨て、霊的個性をますます発揮していき、その分だけ融合の度合いを深めていくことになります。
 
 愛は血縁に勝ります。愛は死を乗り超えます。愛は永遠不易のエネルギーです。それが宇宙を支配しているのです。神の意図によって結び合った者は生涯離れることなく、死後も離れることはありません。墓には愛を切断する力はありません。愛は全てのものに勝ります。

なぜなら、それは宇宙の大霊すなわち神の一表現だからです。そして神の統一体(※)としての一部を構成するものは永遠にして不滅です。(※それを欠けば完全性を失う必須の存在。──訳者)


シルバー・バーチの霊訓(一)

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Edited by Anne Dooley


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七章 心霊治療と生命力

 (本章は主として心霊治療の専門家グループを招待した交霊会での霊言である。──訳者)

 あなた方には病気を治すだけでなく霊的真理へ向けて魂を開眼させる生命力について是非理解していただきたいと思います。魂に霊的悟りをもたらせることこそ心霊治療の真髄だからです。身体的障害を取り除いてあげても、その患者が霊的に何の感動を覚えなかったら、その治療は失敗したことになります。

もしもなんらかの霊的自覚を促すことになったら成功したことになります。内に秘められた神の火花を大きく燃え上がらせ輝きを増すのを手助けしてあげたことになるからです。

 それが常に変わらぬ心霊治療の隠れた目的です。治療家としてこの世に生を享けたのは、その仕事を通して神の計画の遂行に参加し、自分が何であるかも自覚せず何のために地上に生まれきたのかも知らず、従って何をなすべきかも知らずに迷っている神の子等に、永遠の真理、不変の実在を教えてあげるためです。これは何にも勝る偉大な仕事です。

たった一人でもよろしい。治療を通じて霊的真理に目覚めさせることができたら、あなた方の地上生活は無駄でなかったことになります。一人でいいのです。それであなた方の存在の意義があったことになります。

 真理普及の仕事が次第に発展しつつあること、霊的威力に目を向ける人が増えつつあることを私は非常にうれしく思っております。その人たちが困難に遭遇した時はいつでも援助の手を差しのべております。病気治療にはいっそう強力な生命力を注ぎ込みます。

しかし忘れないでいただきたいのは、何ごとにも必ずそれ相当の原因があるということです。

霊界からいかなる援助の手を差しのべても、その原因と結果の間に割って入るわけにはいかないのです。手助けはできます。が、厳然とした原因に由来する結果を抹消してあげるわけには参りません。あなた方人間は物的身体を通して自我を表現している霊魂です。

霊魂に霊的法則があるように、身体には生理的法則があります。その法則の働きによって身体に何らかの影響が表われたとすれば、それも原因と結果の法則が働いたことを意味します。私どもは霊力によって手助けすることは出来ても、その法則の働きによる結果に対しては干渉できません。

 要するに奇跡は起こせないということです。大自然の因果律は変えられないということです。神は摂理として、その霊力によって創造した宇宙で一瞬の休みもなく働いております。全てを包含し、木の葉一枚落ちるのにも摂理の働きがあります。

ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった患者が、もし心霊治療によって見事に治ったとしたら、それは奇跡ではなく霊的法則が働いた証と考えるべきです。地上でそれまで巡り合ったいかなる力にも勝る力を身をもって体験したことになります。

 その体験によって魂が何らかの感動を覚えたら──本来そうあるべきであり、そうならなかったら成功とは言えないというのが私の考えですが──それは霊的自我に目覚めたということであり、存在の意義を成就し始めたことになります。

この根本的目標を理解していない人が一般の人はもとよりスピリチュアリズムの仕事に携わる人々の中にも大勢おります。スピリチュアリズムにおける様々な現象はそれぞれに意義があります。しかし、それはしょせんは注意をひくためのオモチャに過ぎません。

いつまでもオモチャで遊んでいてはいけません。幼児から大人へと成長しなければなりません。成長すれば、よろこばせ、興味を引くために与えられたオモチャは要らなくなるはずです。

 一口に心霊治療と言っても、内面的にみれば磁気的(マグネチック)なもので生理的とも言えるものと、心霊的(サイキック)ではあっても霊的(スピリチュアル)とは言えないもの、そしてわれわれ霊による最も程度の高いもの、すなわち治療家と霊界の医師との波長が一致し、しかも患者の治るべき時機が熟している時に治療家が一切手を触れずに一瞬の内に治してしまうものがあります。

健康体のもつ磁気だけでも治る場合があります。その時は霊界とは何のかかわりもありません。その方法と霊的方法との中間的なものがサイキックなもので、遠隔治療と呼ばれているものはたいていこれによります。

その上にあるのが治療家を通して霊界の医師が症状に応じた治療エネルギーを注ぎ込むやり方で、患者の身体に一切触れずに一瞬の内に治すことができます。

 その治療エネルギーは実は人間の全てに宿されているのです。霊的兵器庫の中にしまわれていて、努力次第で活用することができるのです。身体に自然治癒力があるように、霊的存在であるあなた方には霊的に治癒する力が具わっております。ただそれにはそれなりの摂理があるということです。

 そもそも健康とは身体と精神と霊の三者の関係が健全であるということです。この三つの必須要素が調和のとれた状態にあることです。そのうちの一つでも正常に働かなくなると連係がうまくいかなくなり、そこに病が生じます。 

三者の調和を保つ方法はその三者がそれぞれに与えられた地上での機能を果たすことです。霊力は素晴らしい威力を発揮します。これには反駁(はんぱく)の余地はありません。この事実を否定したり、この知識の普及を妨げんとする者は必ずその結果に対して責任を取らねばなりません。


 霊的治癒エネルギーの威力を目のあたりにされるあなた方は、宇宙の全創造物を支配する莫大なエネルギーのミニチュア版を見ているようなものです。同じ質のものが大海の動きを支配し、引力を支配し、星座の運行を支配し、人間、動物、植物、その他ありとあらゆる生命の千変万化の造化を支配しています。治癒エネルギーはその生命力の一部なのです。

身体に生命を賦与しているのは霊です。物質そのものには生命はありません。霊から離れた物質に意識的存在はありません。あなた方を生かしめている原理と同じものが、痛みに苦しむ人、精神的に病める人、そして身体を患う人の治療に際して、あなた方を通して働くのです。

 このように、ある意味であなた方は、宇宙の大霊と共に宇宙的創造計画の中において、その無限の生命力を使用する責任を担っていることになります。その仕事に邪魔を入れんとする者は必ず後悔します。

かつてはこれが聖霊に対する罪、霊力の働きを邪魔する大罪と見なされました。その霊力の流入を存分に受け入れるように心を開けば、その霊力と共に自動的に宇宙の根源的創造主から発せられる恩寵に浴することになります。

 物質的にも精神的にも霊的にも病的状態にある地上には、なさねばならない大切なことがいろいろとあります。私どもにとっても、あなた方にとっても、身体と精神と霊の病を駆逐し、混沌の霧の中を道を探し求めてさ迷う人々に愛の証をもたらすことが大切な仕事の一つです。

それが全ての霊媒現象の究極の目的なのです。悲しみに心重く、目に涙を浮かべた人々に愛のメッセージを伝えること、これが大切です。痛みに苦しめられ、病気に悩まされ、異常に苛まれる人々を癒してあげること、これはまさに慈悲の行為であり、いまこそ要請されていることです。

 しかし、これもあくまで手段であって、そのことが目的ではありません。目的は眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらすことです。魂が目を覚まし、地上に生れてきた目的を理解し始めた時、地上に霊的新生をもたらす膨大な計画の一翼を担ったことになります。

そこにこそ私達が一致協力する理由があります。それが真理への扉を開くカギです。霊的自覚をもたらすことの方が、病気を治し悩みを解消してあげることより大切です。それが神の目的を成就する所以だからです。そこまで至らない限り真に成功したことにはなりません。

 全ての霊媒現象と、その中でも重要な部分を占めるこうした霊的通信の背後にはそうした目的があり、その実現に全エネルギーを傾注すれば、それはあなた方の宿命を成就していることになります。それがこの世に生れてきた目的だからです。

 霊力は無限です。尽きることがないのです。通過する道具によって制限されるだけです。道具なしには霊力は地上に発現されません。ですから、道具となるべき霊能者は受容能力を少しでも広く深くする努力をしなくてはいけませんし、そうすることによって霊性も発達させなければなりません。

霊性こそが霊力の分量を決することになるからです。霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになります。尽きることがありません。

霊的潜在力には際限が無いのです。そうした人間的努力の背後では高級霊がそれぞれの霊媒についていろいろと試し、エネルギーの効果的な組み合わせを考えて、より素晴らしい、そしてより速やかな治癒が得られるようにと、研究を怠りません。

こちらの世界には〝これでおしまい〟ということがないのです。ただこの道の仕事の宿命として、人間という道具を使用しなければならず、与えられた道具で最大の効果をあげるしかないのです。

 心霊治療の真の理解には長い長い時間を要します。霊の威力を地上で見せつける方法は大勢の人間を一度に改心させることではありません。一度に一人の人間、一人の子供を治すことによって、いわば霊的橋頭堡を築き、それをしっかりと固め、不朽のものとするのです。

千種万様の形をとる霊力は、心霊治療にせよ、霊訓にせよ、公開での交霊会にせよ、魂にそれを受け入れる備えが出来た者によってその真価が発揮されます。受入態勢が出来ているということが絶対条件なのです。


 人間が神の摂理を犯し、物質と精神と霊の協調関係を乱します。そこで心霊治療によって内部の霊的エネルギーにカツを入れて本来の協調関係を取り戻させます。

こうして霊の威力による治療が次々と成就され、宣伝され、その霊的事実関係に関する理解が深まるにつれて、そこに一石二鳥の成果が得られていることが分かります。すなわち病気が減ると同時に、その分だけ霊力による目的成就が容易になるということです。

 人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。すべての病気にはそれなりの治療方法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視し動物実験による研究を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。

動物はそんな目的のために地上に生を享けているのではありません。真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。

三つの機能が一体となって働くということです。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるのではありません。

宇宙の摂理に調和した生き方を成就すれば自然に得られるのです。そういう生活を送れば人間は病気によって死ぬことはなくなり、老化現象によって死を迎えることになります。肉体がそれなりの目的を果たし、次の世界の生活のための霊的準備が整った結果としてそうなるのです。

 身体が病むということは精神か霊かのいずれかに不自然なところがあるということです。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常であるはずです。身体に出る症状はすべて霊と精神の反映です。これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。

魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体は当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。

 あなた方の治療によって患者の症状が取り除かれても魂に何の感動も及ぼさなかったとしたら、その治療は失敗であったことになります。あなた方の失敗であると同時に私どもの失敗でもあり、その患者は悟りへの道を失ったことになります。絶好のチャンスを手にしながら、それを実りあるものに出来なかったわけです。

本当はその病気は当の患者に人生の目的と、存在の意義を成就するためになさねばならぬことを啓示するための手段であったのです。魂の琴線に触れる体験をさせること、これが最も大事なことです。真理は真理です。絶対に変えるわけにはいきません。

それが真理です。人間の一人ひとりに宇宙の大霊が宿っており、それが絶えず発現を求めます。より広く顕現することによって初めて人生から豊かさを獲得できるからです。事は極めて簡単です。顕現しなければ悟りは得られないのです。

 そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。光が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。ただし、その体験による魂の顕現はそれから始まる大冒険の始まりにすぎません。その大冒険こそ神の意図する人生のあるべき姿なのです。

疾風怒濤の霊的冒険であり、その体験を通して叡知と崇高さと美しさと光輝と威厳と気品と尽きることのない霊的遺産を手にすることです。それが地上生活のあるべき本来の姿です。ところが現実はそうではありません。唯物主義がはびこり、利己主義が横行し、貪欲が支配し、奉仕の精神、協調の心、向上心、人助けの気持ちが失われております。

 そのことを思えば、こうして人の役に立つ機会が次第に広く開かれていくことを、あなた方は有難く思うべきです。そうです。身体の痛みを取り除き、悩む心を慰め、魂を鼓舞し、肉の牢から開放してあげることが大事です。大切なのはそこなのです。

なぜならば、魂が一度霊的自我に目覚め、神との霊的つながりを再構築すれば、その時から真の意味で〝生きる〟ということが始まるからです。治療家が障害物を取り除いてあげれば、霊力がふんだんに流れ込むようになります。

障害とは無知であり、誤まった生き方であり、誤った考えであり、高慢であり、うぬぼれであり、嫉妬心であり、失望です。人間は神と自己と同胞と調和しつつ、大自然の摂理に則った生活を送るようにならなければなりません。

 苦が全てというわけではありません。人生の一部でしかありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難があることが進化の必須の条件なのです。あなた方の住む世界は完全ではありません。身体も完全ではありません。

ただし、魂の内部には完全性の種子を秘めております。人生の目的はその種子を発芽させ発達させ、その完全性を賦与してくれた根源へ向けて少しずつ近づいて行くことです。この巨大な宇宙組織の内面には進化の機構を操るエネルギーの相互作用があります。

生命はじっとしておりません。生命の世界には絶え間なく増幅していく円運動または螺旋運動の形での発達があります。その全機構がどう働いているかを察知できるようになるのは、人生の目的を悟った暁のことです。

 霊的治癒は魂がそれを受けるに値する段階に至るまでは何人といえども受けられません。いかに勝れた治療家にも治せない患者がいる理由はそこにあります。治らないのは治療家の責任ではありません。

患者の魂にそれを受け入れる準備が整っていなかったということです。全てが自然法則によって支配されています。トリックは利きません。いかなる治療家もその法則の働きを変えたり外らせたりすることはできません。

 ですから、人間としての最大限の成果をあげるべく努力をすることです。それが私から言える唯一の助言です。背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。この仕事は延々と続きます。人間は御し難いものです。しょせん地上は完璧な世界ではないからです。完璧であれば地上には居ないはずです。

寛容的でなければならない理由がそこにあるのです。自分が一般の人より先を歩んでいることを自覚されるなら、なおのこと寛容的であらねばならない責任があります。

 奉仕の仕事に嫌気がさしてはなりません。奉仕は霊の通貨(コイン)のようなものです。神が発行される万人共通の通貨です。あなた方の仕事にとって必要な力は用意されています。しかし一度に大きな仕事を成就しようとしてはいけません。今日は今日出来ることだけをして、明日やるべきことは今日は忘れることです。

力に限界が来たら無理して出そうとするより補給することを考えなさい。その方が無理をしてその乏しいエネルギーを使い果たし、結局は仕事を全面的に休止しなければならなくなるよりはましです。

 限界があるのは実はエネルギーではありません。身体と言う機能の方です。いかなる機械も限界を超えた仕事を課せられると故障が生じます。人間の身体ほど多くの仕事を課せられながら休息の少ない機械は他にありません。霊の宿る貴重な神殿です。良く管理し、保護し、大切にすべきです。

 どの分野であろうと、人のために尽くす仕事に携わる人が時には嫌気がさし、疲れを覚え、不快に思うことがあることは私も承知しております。もう駄目かと思えることもあるでしょう。しかし道は必ず開けます。霊的真理、霊的事実は最後には勝つのです。

貪欲、利己主義、残酷、粗暴、過酷、邪悪、こうしたものは全て一掃されねばなりませんし、きっと一掃される時が来ます。

そして人間同士の平和だけでなく、人間と他の創造物とが調和し一体となって進化の道を歩むことになることでしょう。

 地上で自由を享受するのは人間だけではありません。創造物の全てが自由を享受する資格があるのであり、本来守ってやるべき立場にある人間によって勝手に捕えられ苦しめられ利用されて良いものは何一つありません。その代償は必ず支払わされます。

因果律は必ず働きます。人間に生命を賦与し地上での存在を可能にしている処の神性をごまかすことは出来ません。

 全生命は不可分のものです。物的形態上の違いはあっても深奥での区別は無いのです。生命は一つなのです。霊は一つなのです。そして霊とは神であり、全存在に内在しております。かなうものならば、あなた方の視界を遮るベールが取り払われ、背後で協力している光輝く霊的存在を一目お目にかけることができれば、と思うことしきりです。

立ちはだかる困難の一つひとつは、あなた方が是非とも迎えうち克服し、そうすることによって霊の力が物の力に勝ることを証明していかねばならない、一つの挑戦でもあります。