Monday, March 27, 2023

シアトルの春 お裁きというものはありません。

 There is no such thing as judgment.

 

白樺模様 ポスター - 自然風景アート写真 - Posterstore.jp

 

「お裁きというものはありません。

魂がそれにふさわしいものを受ける――因果律です。

蒔いたタネを刈り取るのです。

地上での行為の結果が死後のあなたを決める――それだけのことです。

それより良くもなれませんし、それより悪くもなれません。

それより上にもあがれませんし、それより下にもさがれません。

あなたの有るがままの姿――それがあなたです。

それまでの行為がそういうものを生み出したのです。

それだけのことです」

 

シルバーバーチ

Sunday, March 26, 2023

シアトルの春 相対的体験と、その中での試行錯誤の努力を通して、魂が磨かれていくのです」

 Through relative experience and the effort of trial and error within it, the soul is refined.”

白樺林イラスト/無料イラスト/フリー素材なら「イラストAC」

 「人間はいつになっても摂理に違反した行為をいたします。

 
もしも完全に摂理と調和した地上生活を送ることができれば、それは地上で完全性を成就したことになりましょうが、完全性の成就は地上では有り得ないのです。
 
なぜなら地球そのものが不完全だからです。

地球は学習のために通う“学校”です。
 
その学習は、比較対象の体験による以外には有り得ません。
 
日向(ひなた)と陰、嵐と凪(なぎ)、愛と憎しみ、善と悪、健康と病気、楽しみと苦しみといった相反する体験を通して学習していくのです。
 
相対的体験と、その中での試行錯誤の努力を通して、魂が磨かれていくのです」
 
シルバーバーチ

Saturday, March 25, 2023

シアトルの春 知識は掛けがいのない宝です。

 Knowledge is a priceless treasure.

白樺の丘(横) – 素材ごよみ
人生の全体を視界におさめて、いかに生きるべきかを教える羅針盤のようなものです。船には必ず方向を操るための道具や器具が具えつけられています。


人生をいかに生きるべきかを判断する為の道具や器具が具えつけられています。人生をいかに生きるべきかを判断するための道具を持ち合わせないとしたらその人は愚かな人というべきです。知識はいくらあってもよろしい。絶えず求め続けるべきものです。〝もうこれ以上知りたくありません〟などと言うようになったら、その時から思考力が衰え、鈍り、錆びついていくことを、自ら求めていることになります。

 生命というものは一定の場所にじっとしていることが出来ないものなのです───向上するか下降するかのどちらかです。みなさんは永遠の生命の道を行く旅人です。

今生きておられる地上生活は、その永遠の旅の、実に短い旅程にすぎません。これから先、まだまだ長い進化の旅が待ち受けているのです。

 ですからその旅に備えて知識をたくわえ、いかなる雑路でもしのげるように旅仕度を強化しておく方がいいにきまっています。ただ、その知識には責任が生じることを忘れてはなりません。これも一種バランス (埋め合わせ) の法則です。

 一方において知識を得れば、他方においてはそれを生かして使うべき責務が生じます。そこから先はあなた自身の問題です。

 私たちは、これまでの永い旅の経験で知った霊的法則の働きに基づいて、地上生活に役立つと見た知恵をお届けしてあげるだけです。それが、この私のように、地上界が陥っている泥沼から救い出すために派遣された者の役目なのです。

 全ての人がそれを受け入れる用意が出来ているとは思っておりません。そんなものは要らないと考える人もいるでしょう。そんなものよりも、子供のオモチャのようなものを喜ぶ人もいるでしょう。まだ人生の意義を考える段階にまでは至っていないということです。

 しかし、あなた方にはその背後の計画を包括的に認識していただかねばなりません。地上界は実に永い間、暗黒に包まれてまいりました。その間の身の毛もよだつような残虐行為を、今の時代になってようやく反省し始めております。その根底にあるものは、霊的摂理についての無知なのです。

物質万能の風潮と私利私欲を一掃しない限り、その呪いから免れることはできません。地上世界を見まわしてごらんなさい。窮乏・悲哀・流血・混とん・破たんばかりではありませんか。これら全てが、間違った物質万能主義、言い換えれば、霊的摂理についての無知から生じているのです。

 地上の人間は生活の基盤を間違えております。国家はその政策を自国だけの利益を中心に考えております。独裁者が生まれては、暴虐非道の限りを尽くしました。が、

それは、力こそ正義という間違った信条に取りつかれていたからにすぎません。いまこそ霊的知識が、個人だけでなく、国家だけでもなく、世界全体にとって必要であることに理解が行かないといけません。

 その霊的知識をいち早く我がものとされた皆さんは、それが今の生活にどれほどの豊かさをもたらしてくれているかを吟味してみられることです。もう二度と、それを知らずにいた時の自分に戻りたくないと思われたはずです。

この世のいかなる波風にもしぶとく耐えていくだけの堅固な基盤を与えておられます。自分がただの偶然の産物、あるいは、気まぐれのオモチャなどではなく、無限の力を秘めた大霊の一部であるとの理解があります。

 地上世界はとても病んでおります。恐ろしい病に苦しんでおります。それを治すための妙薬を私がこういう形で伝授しているのです。この霊的知識が世界中に広まれば───この物質の世界の向こうに新しい世界が待ち受けていること、自分の生活の全てに自分が責任を持たねばならないこと (いかなる信仰もそれを償ってはくれないこと)、

万人に完全なる公平さを持って働く永遠不変の摂理が存在することが理解されれば、新しい世界を構築するための基盤ができたことになるのです」

シルバーバーチ

Friday, March 24, 2023

シアトルの春 つい忘れがちですが

  I tend to forget

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自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにしてください。

ふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われて霊的実相を忘れてしまいがちです。

が、それだけは絶対に忘れないようにしなければなりません。

地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にないのです。


霊こそ実在です。

物質は実在ではないのです。

あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じ取ることもできないかも知れません。

少なくとも物質的感覚で感識している具合には感識できません。

しかし、やはり霊こそすべての根源であることに変わりありません。

あなた方は永遠の存在であることを自覚してください。生命の旅路においてホンの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。

勇気をもって進みなさい。落胆や失敗がないというのではありません。

これからも数多くの失敗と落胆があることでしょう。

しかし、いかなる事態にあってもあなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうな時には励ましを与えてくれる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。

一人ぼっちということは決してないということです。

大霊(神)が使者を派遣して下さっております。

私(シルバーバーチ)もその中の一人です。

シルバーバーチ

Thursday, March 23, 2023

シアトルの春 どうか“不治の病”という観念はお持ちにならないでください。

 Please don't hold onto the notion of an "incurable disease."

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パキスタンから招待された人がこう尋ねた。

「一見なんでもなさそうな病気がどうしても治らないことがあるのはなぜでしょうか」


「不治の病というものはありません。すべての病気にそれなりの治療法があります。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥にまた法則があるのです。

知識は新しい知識へ導き、その知識がさらに次の知識へと導きます。理解には際限がありません。叡智も無限です。

こんなことを申し上げるのは、いかなる質問にも簡単な答えは出せないということを知っていただきたいからです。すべては魂の本質、その構造、その進化、その宿命にかかわることだからです。

地上の治療家から、よくこういう言い分を聞かされます――“この人が治ったのに、なぜあの人は治らないのですか。愛と、治してあげたい気持ちがこれほどあるのに治らなくて、愛を感じない、見ず知らずの人が簡単に治ってしまうことがあるのは、なぜですか”と。

そうしたことはすべて法則によって支配されているのです。それを決定づける法則は魂の進化と関係しており、魂の進化は現在の地上生活だけで定まるのではなく、しばしば前世での所業が関わっていることがあります。

霊的な問題は地上的な尺度では計れません。人生のすべてを物質的な尺度で片づけようとすると誤ります。

しかし、残念ながら、物質の中に閉じ込められているあなた方は、とかく霊の目をもって判断することができず、それで、一見したところ不正と不公平ばかりが目につくことになります。

大霊は完全なる公正です。その叡智は完璧です。なぜなら、完全なる摂理として作用しているからです。あなた方の理解力が一定の尺度に限られている以上、宇宙の全知識をきわめることは不可能です。

どうか“不治の病”という観念はお持ちにならないでください。

そういうものは存在しません。

治らないのは、往々にしてその人の魂がまだそうした治療による苦しみの緩和、軽減、安堵(あんど)、ないしは完治を手にする資格を身につけていないからであり、そこに宿業(カルマ)の法則が働いているということです。

こう申し上げるのは、あきらめの観念を吹聴(ふいちょう)するためではありません。

たとえ目に見えなくても、何事にも摂理というものが働いていることを指摘したいからです」

シルバーバーチ

Wednesday, March 22, 2023

シアトルの春 〝無知〟と〝間違った信仰〟の恐ろしさについて、さらにこう述べた。

 Concerning the horrors of "ignorance" and "wrong faith," he further said:

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〝無知〟と〝間違った信仰〟の恐ろしさについて、さらにこう述べた。

 「スピリチュアリズムは人間が秘めている霊的能力を教え、それを同胞のために役たてるために開発する方法を教えてくれます。たとえば、病気を霊的に治療する能力を持っている人、あるいは死後の存続を証明する証拠を提供する能力を持った人が、そうとは知らずに毎日を無為に過ごしております。

実にもったいないことです。そういう人材を掘り起こすためにも、霊的知識をできるだけ多く広めておくことが、いかに大切であるかがお分かりでしょう。無知は人間の大敵です。精神的にも霊的にも怠惰にしてしまいます。

 ところが、地上には無知と言うエサによって飼いならされている真面目な人間が実に多いのです。ただ信じるだけで良い───信仰は理性に優るのです。

と教え込まれ、スピリチュアリズムは悪魔の仕業であるから、それを説く者は邪霊にそそのかされているのですよと説き聞かされ、バイブルにちゃんとそう書いてありますと結論づけられます。

 そこに無知の危険性が潜んでいるのです。それを信じる者は、ひとりよがりの正義感に浸りながら、本当は怠惰な、間違った宗教的優越感の上にあぐらをかいてしまうのです。

一種の精神的倒錯を生み出し、それが全ての思考を歪め、本物の真理を目の前にしても、それが真理であるとは思えなくしてしまうのです」

シルバーバーチ

Tuesday, March 21, 2023

シアトルの春 愛こそがすべてのカギです

love is the key to everything

霊的新時代の到来 : シルバーバーチの霊訓(トニー・オーツセン 編 ; 近藤千雄 訳) / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」 /  日本の古本屋
 
シルバーバーチ 「あなたご自身にとって何かとても重大で、しかも解答が得られずにいる難問をおもちですか」


「解答が得られずにいる問題で重大なものと言えるものはありません。ただ、わたしはよく、進化は永遠に続く――どこまで行ってもこれでおしまいということはない、と申し上げておりますが、なぜそういうおしまいのない計画を大霊がお立てになったのか、そこのところがわかりません。いろいろとわたしなりに考え、また助言も得ておりますが、正直いって、これまでに得たかぎりの解答には得心がいかずにおります」

「大霊それ自体が完全でないということではないでしょうか。あなたはいつも大霊は完全ですとおっしゃっていますが……」


「ずいぶん深い問題に入ってきました。かつて踏み入ったことのない深みに入りつつあります。

わたしには、地上の言語を使用せざるを得ない宿命があります。そこで“神”のことも、どうしても、わたしが抱いている概念とはかけ離れた、男性神であるかのような言い方をしてしまいます(※)。わたしの抱いている神の概念は、完璧な自然法則の背後に控える無限なる叡智です。その叡智が無限の現象として顕現しているのが宇宙です。が、わたしはまだ、その宇宙の究極の顕現を見た、と宣言する勇気はありません。これまでに到達したかぎりの位置から見ると、まだまだその先に別の頂上が見えているからです。

わたしなりに見てきた宇宙に厳然とした目的があるということを、輪郭だけは理解しております。まだ、その細部のすべてに通暁しているなどとは、とても断言できません。だからこそわたしは、皆さんもわたしと同じように、知識の及ばないところは信仰心で補いなさいと申し上げているのです。

“神”と同じく、“完全”というものの概念は、皆さんが不完全であるかぎり完全に理解することはできません。現在の段階まで来てみてもなお、わたしは、もしかりに完全を成就したらそこで全てが休止することを意味し、それは進化の概念と矛盾するわけですから、完全というものは本質的に成就できない性質のものであるのに、なぜ人類がその成就に向かって進化しなければならないのかが理解できないのです」


※――“大霊” the Great Spiritを使用しても“神” Godを使用しても、二度目からは男性代名詞の“彼” “彼の” “彼を”He His Himを使用していることを言っている。

「こうして私たちが問題をたずさえてあなたのもと(交霊会)へ来るように、あなたの世界でも相談に行かれる場所があるのでしょうか」


「上層界へ行けば、わたしよりはるかに叡智を身につけられた方がいらっしゃいます」

「こうした交霊会と同じものを催されるのですか」


「わたしたちにも助言者や指導者がいます」

「やはり入神して行うのですか」


「プロセスは地上の入神とまったく同じではありませんが、やはりバイブレーションの低下、すなわち高い波長をわたしたちにとって適切な波長に下げたり光輝を和らげたりして、ラクにしてくださいます。一種の霊媒現象です。こうしたことが宇宙のあらゆる界層において段階的に行われていることを念頭においてくだされば、上には上があって、“ヤコブのはしご”には無限の段がついていることがおわかりでしょう。その一番上の段と一番下の段は、誰にも見えません」

「霊媒を通じて語りかけてくる霊は、われわれが受ける感じほどに実際に身近な存在なのでしょうか。それとも、霊媒の潜在意識も考慮に入れなければならないのでしょうか。そんなに簡単に話せるものなのでしょうか。私の感じとしては、想像しているほど身近な存在ではないような気がしています。少し簡単すぎます」


「何が簡単すぎるのでしょうか」

「思っているほど身近な存在であるとは思えないのです。多くの霊媒の交霊会に出席すればするほど、しゃべっているのは霊本人ではないように思えてきます。時にはまったく本人ではない――単にそれらしい印象を与えているだけと思えるものがあります」


「霊が実在する――このことを疑っておられるわけではないでしょうね? 次に、わたしたち霊にも個性がある――このことにも疑問の余地はありませんね? では、わたしたちは一体誰か――この問題になると、意見が分かれます。そもそも“同一性(アイデンティー)”とは何を基準にするかという点で、理解の仕方が異なるからです。わたし個人としては、地上の両親がつける名前は問題にしません。名前と当人との間には、ある種の相違点があるからです。

では一体わたしたちは何者なのかという問題ですが、これまた、アイデンティティーを何を基準にするかによります。ご存知のとおり、わたしはインディアンの身体を使用しておりますが(※)、インディアンではありません。こういう方法が一番わたし自身をうまく表現できるからそうしているまでです。このように、背後霊の存在そのものには問題の余地はないにしても、物質への霊の働きかけの問題は実に複雑であり、通信に影響を及ぼし内容を変えてしまうほどの、さまざまな出来事が生じております。




※――地上とコンタクトするための“変圧器”のような役目をしているインディアンのことで、言わば霊界の霊媒である。ふだんは一応これをシルバーバーチということにしており、“祈り”の末尾でも“あなたの僕インディアンの祈りを捧げます”と述べているが、“わたし”と言っている一番奥の通信霊が誰であるかは、“いつかは明かす日も来るでしょう”と言いつつ、六十年間、ついに明かされることはなかった。


通信がどれだけ伝わるか――その内容と分量は、そうしたさまざまな要素によって違ってきます。まして、ふだんの生活における“導き”の問題は簡単には片づけられません。なぜかと言えば、人間はその時点での自分の望みを叶えてくれるのが導きであると思いがちですが、実際には、叶えてあげる必要がまったくないものがあるからです。一番良い導きは、本人の望んでいる通りにしてあげることではなくて、それを無視して放っておくことである場合が、しばしばあるのです。

この問題は要約して片づけられる性質のものではありません。意識の程度の問題がからんでいるからです。大変な問題なのです。わたしはよく人間の祈りを聞いてみることがありますが、要望に応(こた)えてあげたい気持ちは山々でも、そばに立って見つめているしかないことがあります。時にはわたしの方が耐え切れなくて、何とかしてあげようと思って行動に移りかけると、“捨ておけ!”という上の界からの声が聞こえることがあります。一つの計画の枠の中で行動する約束ができている以上、わたしの私情は許されないのです。

この問題は容易ではないと申しましたが、それは困難なことばかりだという意味ではありません。時には容易なこともあり、時には困難なこともあります。ただ、理解しておいていただきたいのは、人間にとって影(不幸)に思えることが、わたしたちから見れば光(幸せ)であることがあり、人間にとって光であるように思えることが、わたしたちから見れば影であることがあるということです。

人間にとって青天のように思えることが、わたしたちから見れば嵐の予兆であり、人間にとって静けさに思えることが、わたしたちから見れば騒音であり、人間にとって騒音に思えることが、わたしたちから見れば静けさであることがあるものです。

あなた方が実在と思っておられることは、わたしたちにとっては実在ではないのです。お互いに同じ宇宙の中に存在しながら、その住んでいる世界は同じではありません。あなた方の思想や視野全体が物的思考形態によって条件づけられ、支配されております。霊の目で見ることができないために、つい、現状への不平や不満を口にされます。わたしはそのことを咎(とが)める気にはなれません。視界が限られているのですから、やむを得ないと思うのです。あなた方には全視野を眼下におさめることはできないのです。

わたしたちスピリットといえども完全から程遠いことは、誰よりもこのわたしがまっ先に認めます。やりたいことが何でもできるとは限らないことは否定しません。しかし、そのことは、わたしたちがあなた方の心臓の鼓動と同じくらい身近な存在であるという事実とは、まったく別の問題です。あなた方が太陽の下を歩くと影が付き添うごとく、イヤ、それ以上に、わたしたちはあなた方の身近な存在です。

わたしの愛の活動範囲にある方々は、わたしたちの世界の霊と霊との関係と同じく、わたしと親密な関係にあります。それを物的な現象によってお見せできないわけではありませんが、いつでもというわけにはまいりません。霊的な理解(悟り)という形でもできます。が、これまた、人間としてやむを得ないことですが、そういう霊的高揚を体験するチャンスというものは、そう滅多にあるものではありません。そのことを咎めるつもりはありません。これから目指すべき進歩の指標がそこにあるということです。

あなたのご意見は、ちょっと聞くと正しいように思えますが、近視眼的であり、すべての事実に通暁しておられない方の意見です。とは言え、わたしたち霊界からの指導者は常に寛大な態度で臨まねばなりません。教師は生徒の述べることに一つ一つ耳を貸してあげないといけません。意見を述べるという行為そのものが、意見の正しい正しくないに関係なく、魂が成長しようとしていることの指標だからです。

まじめな意見であれば、わたしたちはどんなことにも腹は立てませんから、少しもご心配には及びません。大いに歓迎します。どなたがどんなことをおっしゃろうと、またどんなことをなさろうと、みなさんに対するわたしの愛の心がいささかでも減る気づかいはいりません」

「私たちも、あなたに対して同じ気持ちを抱いております。要は求道心の問題に帰着するようです」


「今わたしが申し上げたことに、批判がましい気持ちはみじんも含まれておりません。われわれはみんな大霊であると同時に人間でもあります。非常に混み入った存在――一見すると単純のようで、奥の深い存在です。魂というものは開発されるほど単純さを増しますが、同時に奥行きを増します。単純さと深遠さは、同じ一本の棒の両端です。作用と反作用は、科学的にいっても正反対であると同時に同一物です。

進歩は容易には得られません。もともと容易に得られるようになっていないのです。われわれはお互いに生命の道の巡礼者であり、手にした霊的知識という杖が、困難に際して支えになってくれます。その杖にすがることです。霊的知識という杖です。それを失っては進化の旅は続けられません」

「私たちはあまりに霊的知識が身近すぎて、かえってその大切さを見失いがちであるように思います」


「わたしは、常づね二つの大切なことを申し上げております。一つは、知識の及ばない領域に踏み入る時は、その知識を基礎とした上での信仰心に頼りなさいということです。それからもう一つは、つねに理性を忘れないようにということです。理性による合理的判断力は大霊からの授かりものです。

あなたにとっての合理性の基準にそぐわないものは、遠慮なく拒否なさることです。理性も各自の成長度というものがあり、成長した分だけ判断の基準も高まるのです。一見すると矛盾しているかに思える言葉がいろいろとありますが、このテーマもその一つであり、一種の自家撞着(パラドックス)を含んでおります。が、パラドックスは真理の表象でもあるのです。

理性が不満を覚えて質問なさる――それをわたしは少しも咎めません。むしろ結構なこととして、うれしく思うくらいです。疑問を質(ただ)そうとすることは魂が活動していることの証拠であり、わたしにとってそれは喜びの源泉だからです。

さて、わたしは何とか皆さんのご質問にお答えできたと思うのですが、いかがでしょうか」

そう述べてから、その日の中心的質問者だった、かつてメソジスト派の牧師だった人の方を向いて、笑顔でこう述べた。


「いかがでしょう、わたしの答案用紙に“思いやりあり”“人間愛に富む”とでも書き込んでくださいますか?」

Monday, March 20, 2023

シアトルの春 最高神の道具となったということです。

 It means that it has become a tool of the Supreme God.

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スピリチュアリズムによる新しい啓示の重大性について、こう述べる。

 「闇に閉ざされたこの地上界にあって、意義ある貢献する機会を与えてくれる霊的知識を手にされた皆さんは、何と幸せな方たちでしょう。幾十世紀にもわたって偉大なる頭脳を悩ませてきた多くの謎を解くカギを手にされた皆さんは、何と幸せでしょう。

歩むべき道を照らしだし、永遠の生命の機構の中におけるご自分の存在すべき位置を理解させてくれる叡智を授かった皆さんは、実にお幸せな方たちです。そうした霊的知識を誇りに思わないといけません。

誤った教えの下敷きとなってしまっている人々を救いだし、正しい知識と理解への道を指し示してあげることが出来るからです。

 しかしそれにも増して大きいのは、そうした知識を手にした人が背負うことになる責任です。本当の意味で大霊の使徒となるからです。最高神の道具となったということです。忠誠を捧げる聖なる大義を汚すようなことは絶対にしないという責任が、その人の双肩に掛ってきます。

 地上世界は霊的知識を必要としております。それは生活の全側面を照らしだし、理解に苦しむ問題を簡単に解いてくれます。人類の進歩のブレーキとなってきた誤った教えの粗悪さと不当性によって、これ以上苦しめられることは無くなるでしょう。

今まさに地上世界は、歴史的に見ても重大な時期を迎えているのです。皆さんの目の前で新しい歴史が刻まれつつあるのです。魂の最終のゴールである〝自由〟の獲得への道を、あなた方が整備してあげているのです。

 皆さんには霊的貢献の分野があります。大霊の子が人生の嵐の中を生き抜く上での正しい基盤を手にすることが出来るように、この霊的真理を普及させないといけません。

その普及活動を阻止しようとする勢力は次第に衰えつつあります。かつては脅威に思えた反抗が、今やおぼろな影となっております。かつて先駆者たちが直面させられた苦難は、その先駆者たち自身のお陰で大幅に取り除かれました。

しかし、まだまだ為すべきことが多く残されております。その大きな仕事の一端が、あなた方の双肩に掛っているのです。

 堂々と胸を張り、魂の自由と進歩と啓発に貢献していることに、誇りを持って下さい。大霊の子等が暗闇でなく真理の光の中で生きるための魂の自由と解放という仕事において、皆さんは、ご自分で考えておられる以上に、大きな貢献をしておられます。

 本当の自我に目覚める霊が増えつつあります。ここぞという重大な時に何の役にも立たなかった古い教えに背を向ける男女が増えつつあります。今や古い秩序は完全に砕かれました。

古いものはやはり古いという認識のもとに、古い宗教的体制への不信感が加速されております。新しい教義、新しい人生指導原理を求めているのです。


 人々は光明を求めています。のちの世代に光明を約束してくれるものに希望を託しております。過去が残してくれたものに不審を抱き、新しい霊的真理を渇望しているのです。それを提供するのが、あなた方の役目です。

これから始まる再構築の大事業に備えるための知識と力とを身につけさせるために、陰ながら導いてくれている背後霊の存在を認識させてあげるのです。

 肩書(ラベル)と言うものが次第に魅力を失いつつあります、地上人類は今まであまりに長い間、タイトルや肩書を崇めてきました。それが今、そうしたものに幻滅を感じ始めております。新しいタイプの魂、真実を問い質す魂、真理を求める魂、権威を自称するものを容易に信用しない魂、遠い昔の聖なる書はあくまでもその時代のもので、しかもただ霊的啓示であると信じられているに過ぎないから信じない、と主張する魂が生まれつつあります」


次に、霊的交流を求める上での心掛けについてのアドバイスを求められて───

 「精神を受け身の状態にし、冷静でいてしかも受容力に富んだ態度を保つ修業が必要です。霊力は、人間の方から命令的に求められる性質のものではありません。秩序正しい段階を踏んで用意を整えて下さらないと、授けることは出来ないのです。

ある一定の必須の条件というものがあるからです。通信回路が正しく開かれていないと、インスピレイションは流れませんし、たとえ流れても、歪められてしまいます。

 何よりも大切なのは、いかなる困難、いかなる騒ぎの中にあっても、平静さを失わないようになることです。私たちの教えを知識としていくら沢山詰め込んで下さっても、心の平静さを保つ修業ができないかぎり、その価値は十分に発揮されないことになります。

 あなたも大霊の一部なのです。その無限の力の宝庫から必要なものを引き出すことができるのです。いかなる人生の嵐、喧騒、混乱の中にあっても、平然とそれを達観し、永遠にして無限なる霊的存在としての〝あなた自身〟は絶対に惑わされないとの、不敵な信念に燃えないといけません。

困難には正面から取り組んで、それを克服しないといけません。その葛藤の中においてこそ性格が形成され、霊性が磨かれ、真実の自我を発見していくことになるのです。

 霊的真理を手にした私たちには、為すべきことが山ほどあります。今行われている(第二次)世界大戦、大量の肉体の殺し合い、狂気の破壊行為、世界全体を被う悲しみの波動は、これから先、大変な困難を生み出して行くことでしょう。

しかし、戦争は永遠に続くものではありません。いつかは終わります。その時には私達が再びその使命を果たす役目が廻ってきます」


 そして最後に、地球浄化の大事業者に携わっている世界中の指導霊を代表する形で、こう激励した。

 「この事業が成功するかしないかは、皆さんのような地上の道具の忍耐力と共鳴度と理解力に掛っております。私も、これまでずいぶん永い間、みなさんを陰から導いてまいりました。せっかく順調に奉仕の道を歩んでいるのに、ふと迷いが生じて不純な動機を宿した時、私が、皆さんの良心の耳元で囁いて、無事正しい道に引き戻したことが何度あったか知れません。

 長年にわたるそうした苦労の末に、こうして同志の方を一堂に集めることに成功しました。その目的は、地上の人間が大霊の意図したとおりに霊的属性を発揮するにはどういう生き方をすべきかを教えてあげることです。皆さん方から背を向けない限り、私たちはこれからも忍耐強くこの仕事を続けてまいります。

 大霊から授かっている才覚を精一杯発揮して、一人でも多くの人に霊的真理を知らしめるのが、私たちの使命なのです。最初はごく少数の集まりでした。が、その滴のような小さな集まりが小川となり、やがて大河となって海へ注ぐことになるのです。

 スピリチュアリズムと呼ばれている新しい啓示が世界中に知れわたるのに、(十九世紀半ば以来)ほぼ一世紀を要しました。もう一世紀後には、その数は信じられないほど多くなっていることでしょう。皆さんはその先駆者(パイオニア)なのです」

 

シルバーバーチ

Sunday, March 19, 2023

シアトルの春 体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。

 There is no formula that states that a weak body means a poor spirit, and a strong body means a rich spirit.

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───何の罪もないのに無邪気な赤ん坊が遺伝性疾患や性病その他の病気を背負ってこの世に生まれてきます。これは公平とは思えません。子供には何の罪も無いのですから・・・この問題をどうお考えでしょうか。

 「不公平を口にされるのは、問題を肉体の問題としてだけ、つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えになっていないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊が傷ついたり奇形になったりすることはありません。

両親の遺伝的特質や後天的性格を受け継ぐことはありません。それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼすことはあっても霊そのものを変えるようなことにはなりません。

 確かに、地上的観点から、つまり物的観点からのみ人生を眺めれば、病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、物的には不幸の要素が多いと言えるでしょうが、その意見は霊については当てはまりません。

身体が病弱だから霊も気の毒で、身体が頑健だから霊が豊かであるという方程式は成り立ちません。実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして、多くの痛みや苦しみを味わうことによって霊が豊かになるという考え方が正しいのです」

シルバーバーチ


Saturday, March 18, 2023

シアトルの春 古い時代 (イエスの時代の少し後) に、霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。

 In ancient times (shortly after the time of Jesus) there was a conflict between the mediums, the instruments of the spirit, and the clergy.

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 「わたしたち霊界の者がこうして地上へ戻ってくる目的の真意が、ほかならぬ宗教の指導者であるべき人から曲解されております。いつの時代にあっても、宗教とは基本的には霊力との関わり合いでした。

それはまず、地上の人間の霊的向上を指向し規制する摂理を教える使命を帯びた者が、地上へ舞い戻ってくるということから始まります。つまり宗教の本来の目的は、人間の霊性に関わっているからです。

 そこから出発し、ではその霊性を正しく発達させる上で、霊界からの指導を受けるにはどうすべきかを説くのが、宗教の次の仕事です。霊的摂理は広範囲にわたっております。

ところが、それが不幸して誤って解釈され、その上、それとは別の意図を持った聖職者が割り込んできたために、そこに混乱が生じたのです。

 人間も根本的には霊であり、それが肉体を使用しているのであって付属品として霊を宿した肉体的存在ではないわけです。肉体は霊に従属しているのです。地上生活の全目的は、その内在する霊に修業の場を与え、さまざまな体験を通じてそれを育み、死によってもたらされる肉体からの解放の時に備えて、身支度をさせることにあります。

そこから本当の意味での〝生活〟が始まるのです。宗教とは、霊が霊として本来の生活ができるように指導するための処世訓であり、道徳律であると言えます。

 ところが不幸にして、古い時代 (イエスの時代の少し後) に、霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。聖職者の本来の仕事は、聖堂や教会といった宗教的行事の執り行われる建造物の管理でした。

原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。が、ある時代から聖職者の方が、紳示(霊界通信)を受ける霊媒にばかり関心をむけられることに不快感を抱くようになりました。

そしてそれまでに入手した神示を資料として、信条・儀式・祭礼・ドグマ・教説等を分類して綱領をこしらえる、いわゆる神学的操作を始めたのです。今日まで引き継がれているもののうち、どれ一つとして霊の資質と実質的に関わりのあるものはありません。

 かくして、真の宗教の概念が、今日では曖昧となってしまいした。宗教というと何かお決まりの儀式のことを思い浮かべ〝聖典〟と呼ばれるものを読み上げることと考え、賛美歌を歌い、特別の衣装を着ることだと思うようになりました。何やら難しい言説を有り難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと思いつつも、なおそれにしがみつきます。
℘142  
 私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。私たちが関心を持つのは人間の霊性であり、私たちの説くこともすべて、絶対的に従わねばならないところの霊的自然法則に向けられています。人間がこしらえたものを崇めるわけにはいきません。

宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。そこに、宗教の捉え方の違いの核心があります。

 人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること、多くの重荷に喘ぐ人の荷を一つでも持ってあげること、こうした行為こそが私たちの説く宗教です。

 〝神とイエスと聖霊は三にして一、一にして三である〟などと説くことが宗教ではありません。宗教的であるとも言えません。それを口にしたからといって、霊性はみじんも成長しません。朝から晩まで賛美歌を歌ったからといって霊性が増えるわけではありません。

 バイブルを読んでも(キリスト教)、タルムードを読んでも(ユダヤ教)、コーランを読んでも(イスラム教)、バカバット・ギ―タ―を読んでも(ヒンズー教)、その他、いかなる聖なる書と呼ばれているものを、目が疲れるほど読んでも、それだけで霊性が成長するわけではありません。

 〝宗教的〟とみなされている行事のすべてを行っても、それによって一段と価値ある人生へ魂を鼓舞することにならなければ、私たちが考えている意味での宗教的人間になるわけではありません。

シルバーバーチ

 肩書(ラベル)はどうでもいいのです。形式はどうでもいいのです。口先だけの文句はどうでもいいのです。大切なのは〝行為〟です。どういうことをしているかです。つまり各自の日常の生活そのものです。

 私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。

 また、神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。すなわち、親切・寛容・同情・奉仕の行為が自動的に、それ相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に利己主義・罪悪・不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。この法則は変えようにも変えられないのです。みっともない執行猶予も、安価な赦免もありません。
℘144
神の公正が全宇宙に行きわたっております。霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。死後の床での悔い改めも通用しません。

 巨大なる宇宙の中で生じるもの全てに責任を持つ大霊の、不変にして絶対的威力を有する摂理に目を向けましょう。私は常にその摂理を念頭に置いています。

なぜなら私たちの説く神は、人間的弱点───激情や憤怒に動かされたり、好きな人間と嫌いな人間とを選り分けたりするような、そんな人間的存在ではないからです。

 私が見る宇宙は法則によって支配されています。すみずみまで行きわたり、これからも常に永遠に存在しつづける法則です。

地上の人間に永い間振り回され、隷属させられてきた誤った概念と虚偽、偏見と無知を無くしていくには、地上の生命現象と生活現象のすべてが、その絶対的法則によって支配されていることを教える以外に方法はありません。

 その知識が少しでも増えれば、それだけ理解力も豊かになるでしょう。本来の美しさを遮っていたベールが取り除かれ、有限の地上的存在の視野を超えた所に存在する、より大きな生活を少しでも垣間見ることになるでしょう。

 かくして私たちは、常に神の永遠の自然法則、絶対に狂うことも過つこともない法則、地位の高い低いに関わりなく、すべての存在に等しく働く法則に、忠誠と感謝の念を捧げるものです。

誰一人として等閑(なおざり) にされることはありません。誰一人として独りぼっちの者はいません。法則の働きの及ばない者。範囲からはみ出る者など、一人もいません。あなたがこの世に存在するという事実そのものが、神の摂理の証しです。

 人間の法則は機能しないことがあります。改められることがあります。人間の成長と発達に伴って視野が広がり、知識が無知をなくし、環境が変化するに伴って新たな法令が要請されると、従来の法律が廃止されたり、別の法律と置き換えられたりすることもあります。

 しかし、神の法則に新しい法則が付け加えられことは絶対にありません。改正もありません。解釈上の変化も生じません。いま機能している法則は、これまでずっと機能してきた法則であり、これからも変わることなく機能してまいります。一瞬の休みもなく機能し、そして不変です」

シルバーバーチ

Friday, March 17, 2023

シアトルの春 宇宙創造の目的  


 Purpose of creating the universe

無料イラスト 白樺の木立

 霊的教訓の真髄は確かに単純素朴かもしれないが、すべての人間がそれだけで満足するかというと、そうはいかない。ある日の交霊会で〝宇宙が創造された目的は何か〟という難しい質問が出された。その質問者は具体的にまずこう訊ねた。


───人間は徐々に進化を重ねて、究極的に大霊の中に吸収されてしまうのであれば、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか。

 「私は、人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説をとっているわけではありません。いつも申し上げているように、私は究極のことは何も知りません。始まりのことも知りませんし、終わりのことも知りません。

 私に言わせれば〝存在〟はいつからということはなく、いつまでということもなく、いつまでも存在し続けます。地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全性を目指してゆっくりと上昇して行きつつある状態が〝存在〟です。

 その意識なるものがいつ芽生えたかについても私は何も知りません。いつ完全の域に達するかについても知りません。私には完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。

なぜなら、魂というものは霊性を高めて向上するにつれて、言いかえれば、過去の不完全性の不純物を払い落とすごとに、更に大きな進歩の必要性を自覚するものだからです。

進化すればするほど、なお進化すべき余地があることに気づくものです。高く登れば登るほど、その先にはまだ登らねばならない高いところがあると知ることの連続です。

 私の考え方は、大霊の一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通して顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。

 これまで、ありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。

これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです。

 そのことに加えて、私は是非次のことを申し上げておきたいと思います。それは人間の存在を創造の大事業と切り離す、あるいは、縁のない存在として考えてはならないと言うことです。

なぜなら人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通して働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

 一つ一つの生命がそれなりの貢献をしております。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富んだ創造の世界に美しさを加えてまいります。

画家や音楽家や詩人だけが、美への貢献をしているのではありません。あらゆる生命が───そのつもりになれば───美をもたらすことが出来るのです」


 創造の問題は必然的にバイブレーション(波動・波長・振動)の問題となる。


───スピリチュアリズムでは〝バイブレーション〟という用語が良く使用されますが、これを分かり易く説明していただけませんか。

 「生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないのです。静止したり惰性的になったりすることはありません。

生命には必ず運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

 私がバイブレーションという時、それはエネルギーの波動となって顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しております。

存在するものは全て振動(バイブレード)し、何かを放射し、活動しております。私たちがこうして地上へ働きかけることが出来るのも、バイブレーションのお陰です。

 私たちは、普段は物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象は、ことごとく物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。

 地上のように、物質に浸り切り包まれている世界と交信するためには、次の二つの方法のうちのどちらかを取らなければなりません。すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私達霊側がその高いバイブレーションを下げるかです。

両方が歩み寄ればよいのでは・・・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。ところが、どうして、どうして、なかなかそううまくはいかないのです。いつも私たちの方が遠路はるばるおりてこなければなりません。地上世界からの援助はそう多くは望めないのです。

 この霊媒(バーバネル)を使ってしゃべるためには、私は私本来のバイブレーションを下げております。その状態から抜け出て私本来の界へ戻る時は、その界にあった意識を取り戻すために、バイブレーションを加速しなければなりません。

このように全てはバイブレーションの操作によって行われるわけです。それを簡潔に説明するにはバイブレーションという用語しか見当たりません。

 それにしても、永いあいだ霊的な分野のことには一切耳を貸そうとせず、目を瞑って来た科学者が、今になって、物質の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識をもちはじめたことは、興味深いことです」


続いて祈りの問題が持ちだされると───

 「祈りとは何かを理解するには、その目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願い事を口にしたり、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。テープを再生する様な調子で陳腐な言葉を大気中に放っても、耳を傾ける人はいませんし、訴える力を持った波動を起こすこともできません。

 私たちは型にはまった文句には興味はありません。その文句に誠意がこもっておらず、それを口にする人みずからがその内容に無頓着であることが普通です。永い間それをロボットのように繰り返しているに過ぎないからです。

 真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労力の代用とはなり得ません。

 祈りは、義務を回避しようとする臆病者の避難場所ではありません。人間として為すべき仕事の代用とはなりません。責任を逃れる手段ではありません。いかなる祈りにもその力はありませんし、絶対的な因果律を少しも変えることはできません。

 人のためにという動機、自己の責任と義務を自覚した時に油然として湧き出る祈り以外は、すべて無視されるがよろしい。その後に残るのが心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル ※) な行為であるがゆえに自動的に応答のある祈りです。

自動的ですから、その応答は必ずしも本人の期待した通りのものではありません。その祈りの行為によって生じたバイブレーションが生み出す、自然な結果です。


 ※───サイキックというのは五感の延長としての、オカルト的な超能力が生じさせるもので、物質次元の中に入る。スピリチュアルというのは、物質次元から脱して霊的次元のエネルギーや法則が生ぜしめるもの───訳者。


 あなた方を悩ます全ての問題と、困難に対して、正直に、正々堂々と、真正面から取り組んだ時───解決のためにありたけの能力を駆使して、しかもなお力が及ばないと悟ったとき、その時こそ何らかの力、

自分より大きな力を持つ存在に対して、問題解決のための光を求めて祈る資格ができたと言えましょう。そして、きっとその導き、その光を手にされる筈です。

あなたのまわりにいる洞察力に富んだ霊は、あなた方の魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。たとえば、あなた方が本当に正直であるか否かは、一目瞭然です。

 さて、その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。すなわち、肉体に宿るがゆえの宿命的な障壁を克服して、本当の自我を見出したいと望む魂の祈りです。これは必ず叶えられます。

なぜならば、その魂の行為そのものが、自動的にそれ相当の結果を招来するものだからです。

 このように一口に祈りといっても、その内容・動機を見分けた上で論ずる必要があるのです。

 ところでキリスト教の〝主の祈り〟のことですが、あのように型にはまった祈りは、人類にとって何の益ももたらさないことを断言します。

単なる形式的行為は、その起源においては宿っていたかも知れない潜在的な力まで奪ってしまいます。儀式の一環としては重宝かも知れませんが、人間にとっては何の役にも立ちません。

 そもそも〝神〟とは法則なのです。自分で解決できる程度の要求で神の御手を煩わせることはありません。それに、ナザレのイエスがそれを口にした (とされる) 時代から二千年近くも過ぎました。

その間に人類も成長し、進化し、人生について多くのことを悟っております。イエスは決してあの文句の通りを述べたわけではありませんが、いずれにしても当時のユダヤ人に分かり易い言葉で述べたことは事実です。

 今のあなた方には、父なる神が天にましますものでないことくらい、お分かりになるでしょう。完全な摂理である以上、神は全宇宙、全生命に宿っているのです。この宇宙のどこを探しても、完璧な法則が働いていない場所は一つとしてありません。

神は地獄のドン底にいるわけでも、天国のいちばん高いところに鎮座ましますものでもありません。大霊として宇宙全体にあまねく存在し、宇宙の生命活動の一つ一つとなって顕現しております。

 〝御国の来まさんことを〟などと祈る必要はありません。地上天国の時代は、いつかは来ます。かならず来るのです。しかし、それがいつ来るかは霊の世界と協力して働いている人たち、一日も早く招来したいと願っている人たちの努力一つに掛っております。

そういう時代が来ることは間違いないのです。しかし、それを速めるか遅らせるかは、あなた方人間の努力いかんに掛っているということです」


───モーゼの「十戒」をどう思われますか。

 「もう時代遅れです。今の時代には別の戒めが必要です。

 人間の永い歴史のどの時代にも述べられたものであっても、それを持って神の啓示の最後と受け止めてはいけません。啓示というものは連続的かつ進歩的なものです。

その時代の人間の理解力の程度に応じたものが授けられているのです。理解力が及ばないほど高等すぎてもいけませんが低すぎてもだめで、つまり、理解の及ぶ範囲より一歩先んじたものでなければなりません。

 霊界から授けられる叡智は、いつの時代にも一歩先んじております。そして人類がその段階まで到達すれば、次の段階の叡智を受け入れる準備ができたことになります。

人類がまだ幼稚な段階にあった時代に、ある特殊な民族のために授けられたものを、なぜ、当時とは何もかも事情の異なる今の時代に当てはめなければならないのでしょうか。

 もっとも私は〝十戒〟ならぬ〝一戒〟しか持ち合わせておりません。〝お互いがお互いのために尽くし合うべし〟───これだけです」


───霊力とはどんなものでしょうか。実感があるのでしょうか。目で見て描写出来る性質のものでしょうか。

 「ずいぶん解釈の難しい言葉をお使いになられましたね。〝実感があるか〟とおっしゃるのは、どういう意味でしょうか。五感に反応するかということでしょうか。その意味でしたら、実感はありません。

真実味があるかという意味でしたら、知識に真実味があり、進化に真実味があり、愛に真実味があり、ありとあらゆるエネルギーに真実味があるように、霊力にも真実味があります。

 私たちにとっては、もちろん真実味はありますが、霊覚が発達せず、その真実味が認識できる段階まで来ていない者には、その存在は実感できません。一種のエネルギーです。霊的なエネルギーです、生命活動を操るエネルギーです。

無知な人、偏見を抱く人、迷信に動かされるような人は、自分でいくつもの精神的障壁をこしらえ、その一つ一つが霊力の働きの障害となります。それが何時になったら突き崩せるかは、その障害の性質によって違ってきます。

 人によっては、霊的なものに漠然とした概念すら抱くことなく、地上生活を終えることがあります。そういう人は生命がすなわち霊であり、霊がすなわち生命であること、地上の全生命は霊力のお陰で存在が維持されていることに気づきません。

霊的実在についてはまったく無知で、言わば、死が解放してくれるまで肉体という牢獄の中に閉じ込められた生活を送るわけです。といっても、死んですぐに実在に目覚めるわけではありません。ご存じのように、それには永い調整期間が必要です。

 そうした、完全に無知な人間とは別に、生命現象を創造し、支配し、導いている超越的エネルギーを、何らかの体験の中でチラリと垣間見る程度に意識する人もいます。

さらには、あなた方のように、こうして直接的に知識を獲得して、日常生活の中で霊力の恩恵にあずかる人もいます。心と精神と魂の窓を開いた方です。こうした方は、地上の生命現象の全てを表現している霊力と同じものの道具として、いつでも使われる用意が整っている方です。

 霊界のほうでも、あなた方を通して他の受け入れ準備の整っている者を少しでも早く目覚めさせようと腐心しております。そうしたことに使用されるのは、みな霊力なのです。生命現象の全てを統制している力は、私の霊団が操作し、
私がこうして話すことを可能にしてくれている力と同じものなのです」


 そのシルバーバーチ霊団とホームサークルとのつながりについて出された質問に答えて、こう語る。

 「信じることです。わけも分からず信じるのではなく、確固とした知識の上に立った信念を持つことです。確信です。これは使い古された古い用語ですが、私は何一つ新しい教えは持ち合わせないのです。

それがあなた方の精神構造の一部となり切るまで、私は同じことを声の続くかぎり何度でも呼び続けます。確信をもつことです。あなた方が、あなた方なりの役割を果たして下さっていれば、私たちは私たちなりの役割を果たします。決して見捨てるようなことはいたしません。

 人間がインスピレーションにあずかるチャンスはいくらでもあります。ところが取り越し苦労・疑念・不安・こうした邪念が障害となっているのです。こういう念が心に宿るスキを与えてはなりません。

 あなた方の協力を得て為さねばならない仕事が山ほどあるのです。目的意識を忠実に持ち続けることによって、私を援助していただきたいのです。これまでの私の永い体験をもってしても、容易に克服できない障害が沢山あります。

だからこそ、みなさんの私への忠誠心、確信、なかんずく、大胆不敵な心、つまり恐怖心・悩み・心配を精神に根づかせないように心掛けることで、私の力となっていただきたいのです。

 行く道を問題が遮ることがあるかもしれません。が、構わないで放っておけば、そのまま行ってしまいます。居座ることはありません。解決できないほど難しい問題は生じません。

背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。取り越し苦労はいけません。明日がもたらすものに不動の信念と断固たる精神で立ち向かいなさい。万事うまく行きます。

 世の中には、あなたのように霊的真理を手にした者による救いを求めている人が大勢います。あなた方は、そういう人を援助し、使命を果たす備えができていなければなりません。

どうのこうのと立派なことを言っても、それを人のために役たてなかったら、つまり人間が手にした知識を他の人に分けてあげなかったら、せっかくあなたに授けられた知識の本来の意義を、自分の人生に活かしていないことになるのです。

 為さねばならないことが山ほどあります。私たちの努力によって喜ばせてあげられる人が、あちらこちらにも大勢いることを自覚して、心躍る気分で仕事に邁進しようではありませんか」


 別の日の交霊会で、これから霊媒のバーバネルがトランス状態に入ってシルバーバーチがしゃべりだすのを待ちながら、二人のメンバーがスピリチュアリズムの宣伝活動の価値について議論し合っていた。やがてシルバーバーチがバーバネルに乗り移って、こう語った。

 「私たちがこうして地上へ戻ってくるのは一体何のためだとお考えでしょうか。少数の特殊な人のため? それとも大勢の人々のため?

 私たちの説く真理は、ひと握りの人のために、どこかの小さな団体、あるいは秘密結社のようなところに仕舞い込んでおくべきものでしょうか。真理を知らずに迷い、絶望的になり、あるいは悲嘆にくれている数知れない人々の姿が、私たちに見えていないとでもお思いでしょうか。
℘160 
 私たちがお届けするメッセージには重大な目的があるのです。世界中の人間に例外なく宿る宇宙の大霊、すなわち神の崇高な資質を顕現させることを目的としているのです。まず第一に人生を支配している法則───物的生活・精神的生活・霊的生活を支配している法則の存在を説かなければなりません。

続いて人生の目的、地上に生まれてきた理由、内部に宿るすばらしい能力、潜在的神性、人間に為しうる貢献度、目指すべき理想世界、身につけるべき知識、到達できる極致を理解させなければなりません。

 私たちの説く真理は、最後は地上のすべての人間、それも地上に生きているうちに実生活に応用することによって実地に学ばせるために、地上のすみずみに至るまで広められる使命を担っているのです。

誤りを訂正し、不足を補い、これまでも人間が愚かにも、しでかしたことの後片付けをするだけで何十年も何百年も費やします。地上の人間がこうまで無知でなければ、そのエネルギーを別の用途へ向け、時間も無駄も省けるのですが・・・・・・

 ここにお集まりのみなさんには、すでにその知識があります。霊的知識について少しばかり多くのことを学んでおられます。霊的交信の素晴らしさも味わわれました。

永遠に別れてしまったと思っていた、愛する人との縁を、再び取り戻されました。遠大な神の計画の一端をご覧になりました。そしてその見事な構想に驚愕されました。

霊力の証しも幾つかご覧になられました。高い世界からのインスピレーションの喜びも味わわれました、高い世界の知識の泉にも近づかれました。

 こうしたことは一体何のためだったのでしょうか。自分一人で楽しむため? もちろん違います。知識には責任が伴います。今度は代ってあなた方が、その知識を自分にできる範囲内で広めなければならないのです。あなたがたが得た喜びが何であれ、それを他の人に回してあげるのが責務です。

そうすることで一人でも多くの人が霊力に近づき、高い世界で待機している高級霊の愛を知り、これまで多くの男女に大霊の雄大な計画の一翼を担う道具となる決意をさせた、その強烈な力によって、さらに多くの人が魂を鼓舞されるように努力しなければならなのです。

 知識に制約を加えようともくろむ人種とは、縁を切ることです。知識は自由に広められるべきものです。それが無知と迷信と、あまりに永い間、人類の足枷となってきたものを全て打ち崩すことになるのです。

知識こそが魂を解放し、大霊からの授かりものである自由の喜びを満喫することになるのです。

 太陽の輝きを拝めるはずの人間が、ろうそくの明かりしか知らないとは、何という愚かしいことでしょう。私が一個の道具に過ぎないように、皆さんも道具です。

どこの誰ということなく、全ての人の心を解放してあげるのが私たちの仕事です。それが地上世界に進歩をもたらし、大霊の子すべてが霊的摂理にもとづいて意義ある人生が送れるように、社会秩序を改めていくのです



 最後にこれからの見通しについて───

 「私の関心ごとは真理を普及することだけです。真理こそが最も大切です。私のいう新しい世界が基盤とすべき永遠不変の霊的真理を理解していただくためには、私はひたすら自分を役たてることだけを考えております。

その大事業から外れたことをする人は、本来同胞のために捧げるべきエネルギーをムダ使いしていることになるのです。

 私たちがこうして地上へ戻ってきたそもそもの目的は、聞く耳を持つ人間の魂に刺激を与えて、新しい世界の構築のために地上の人間なりの役割を果たしていただくことにあります。

地上世界は、形式への盲従が度を越しております。因習を大切にし過ぎます、私は、知識の普及と、それを今なお暗闇に居る人々の啓発のために使用していただくこと以外には、関心はありません。

私にとって宗教はたった一つしかありません。人のために自分を役たてること───これだけです、教会・聖堂・信条・教理、こうしたものには私はまるで興味がありません。行為・生活・動機───これで評価します。
℘163  
 霊的な知識を得た人が、それを正しく普及していく上において心しなければならないことは、それを無理やり押し付けることによって、肝心の霊界からの邪魔になるような事態になってはいけないということです。

霊力は勝手に制約したり命令したりすることはできません。発現できると見たら、どんな人を通してでも流入します。私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、普通の男女───霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです。これはのんびり構えていられない問題です。

 私はなぜこの地上へ戻ってくるのか───実は、霊界へ送り込まれてくる人間の中に、もしも地上で霊的知識を身につけていたら、こうまで酷くはならなかったであろうと思われる廃残者、堕落者、霊的生活への備えがまるでできていない者が、余りに多過ぎるのです。

無知と恐怖と迷信と偏見に満ちたものばかりなのです。そうした地上の暗黒面を助長している勢力を打ち崩すことが、私たちの仕事なのです。

 私はそれを敢えてスピリチュアリズムと呼ぶつもりはありません。私は自然法則について語っているだけです。〝父なる神〟などという言い方もいたしません。私は宇宙の大霊という呼び方をしています。法則に目を向けます。宇宙の創造の目的に目を向けます。
 人間は霊的に成長しなければならないのです。もしも地上で為すべきことの一部だけでも成就できたら、避けようにも避けられない宿命である次の霊的生活への準備が整ったことになります。そうなるように仕向けるのが、私たちがこうしてあなた方の世界へ戻ってくる目的です。

同胞である地上人類への愛に発しているのです。情愛の絆がわれわれを結び付け、私たちがあなた方に真理を語り、代ってあなた方が同胞のためにそれを語り継いでくださればよいのです。

 私は、ただ私が見てきたままの事実を述べているだけです。そしてその評価は、あなた方の理性に訴えております。それが最高の判定者であると考えるからです。とにかく正しい知識を広めることです。迷信を突き崩すのです。光明を輝かせ、闇を無くすのです。

古くからの誤った権威を滅ぼすのです。強欲・貪欲・私利私欲・旧態依然たる教理と慣行の息の根を止めるために、何とかしなければなりません。

 そうしたもの全てが霊力の敵です。断じて無くさないといけません。新しい世界にとっての障害物です。行く手を邪魔するものは、たとえ一時的にせよ、神の計画を妨害していることになるのです。

真理はいかなる組織、団体よりも大切です。難しく考えることはありません。真理は極めて単純なのです。ところが人間はそれでは気が済まないのです。

 形式と慣習を好みます。よその形式と慣習を真似したがります。よそが教会をたてると、自分のところも教会をたてないと気がすみません。よそが祈祷で儀式を始めるようになると、自分のところでも祈祷文をこしらえます。よそが賛美歌を歌うようになると、自分のところでも賛美歌をこしらえます。

もっとも、その多くは文句が同じで、歌い方を変えているだけですが・・・よそが説教を始めると、自分たちも説教を始めます。

 そんなことをしなくても、ただひたすら霊力を第一に考えておれば、大霊についての知識と霊的法則の普及のための合流点は、いくらでもあるのです。そのことが何より大切です。

 レンガはあくまでもレンガです。建築物はあくまでも建築物に過ぎません。そんなものに手を合わせてはいけません。忠誠を捧げるべきものは宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理です。

そのことを知った者は、その真理の炎を絶やさぬように努力し、向かうべき方向も分からずに迷っている人々に、いつでも希望と慰めと啓示を与えてあげられるようになることが勤めです。

 地上界は暗闇に満ちております。人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めの一言、一片の真理を渇望している人々が大勢います。あなた方による援助を必要としております。

そういう人々のために、あなた方は一刻を惜しんで真理普及のために努力すべきです。その霊的真理こそが、その人たちにとって人生を建て直す盤石の土台となることでしょう」

シルバーバーチ



Thursday, March 16, 2023

シアトルの春 スピリチュアリズムとは信仰ではありません。    Spiritualism is not a faith

25,815点のBirch Treeのストックフォト - Getty Images


スピリチュアリズムとは信仰ではありません。

人間とは本来は霊的存在であるということ、我々は神の不変の法則のもとで生きているということを知る〝知識〟なのです。 

神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。

宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。

 この物的地上界であろうと、人間に感知できない、それよりはるかに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。 

シルバーバーチ

Wednesday, March 15, 2023

シアトルの春 「祈り」とは〈波長を合わせること〉です。

 "Prayer" is <tuning the wavelength>.

白樺の木イラスト/無料イラスト/フリー素材なら「イラストAC」

 

すなわち自分の意思を宇宙の大霊の意思と調和させることであり、大霊とのつながりをより一層緊密にすることです。
 

型にはまった文句には何の効用もありません。その上、その文句に誠意がこもっておらず、それを口にする人みずから内容に無頓着であるのが通例です。

永い間それをロボットのように繰り返してきているからです。
 

真の祈りにそれなりの効用があるのは事実です。

 

しかし、何と言い訳をしようと、身を粉にして果たさねばならない人間的努力の代用にはなりません。
 

祈りは、自分の責任と義務を避けようとする臆病者の避難場所ではありません。

いかに強烈に祈っても、神の定めた因果律を寸毫(すんごう)も変えることはできません。
 

人のためという動機、自己の責任と義務を自覚した時に魂の奥底から自然に湧き出る祈り───それこそが霊的であるが故に自動的に反応の返ってくる祈りです。
 

その反応は必ずしも当人の期待した通りのものではありません。

しかし、それはその祈りの行為によって生じた霊的波動が生み出す自然な結果です。

シルバーバーチ

Tuesday, March 14, 2023

シアトルの春 霊力の働き  working of spiritual power

春の白樺林 のイラスト素材・ベクタ - . Image 82285202.



 スピリチュアリズム的な霊的原理を理解した者は、健全な意味で楽天的人生をもつようになるのであるが、どんなに悟ったつもりでいる人でも、人生の荒波に疲れ果てる時期が必ず訪れるものだ。思わぬ災難が重なる・・・・・・腹の煮えかえるかのような不快な思いをさせられる・・・・・・

 が、そうした耐えがたい苦難の体験もそれぞれに意義を持っており、長い視野で眺めれば、ごく些細な出来事にすぎないものらしい。

 シルバーバーチの教えも楽天主義を基調としており、またその必要性を強調する。ある日の交霊会でも、スピリチュアリズムがキリスト教を始めとする数々の既得権力による反抗にもかかわらず、振り返って見ると大きな前進を勝ち得ていることを強調してこう述べた。

 「私たちの仕事が始まった当初、世間の人は、何とたわいもないことをして・・・・・・と軽蔑の眼差しを向けたものでした。〝テーブルラッパー〟(※)そう呼んで軽蔑し嘲笑しました」
℘90
 ※───初期の頃はテーブルの叩音(ラップ)による通信が盛んにおこなわれた。出席者がテーブルを囲んで両手をテーブルの上において瞑目していると、蓄積したエネルギーを利用して霊団側がそのテーブルを浮上させ、少し傾斜させて脚の一本で床を叩いて、一定の符牒で通信を送ってくる。極めて幼稚な通信法で、したがって高等な内容のものは送ってこないが、心霊実験の中では簡単に行えてしかも危険性の少ない現象である───訳者


 しかし実はそうした現象も大きな目的を持った一大計画に組み込まれていたのです。私たちの意図した影響力は次第に強くなり、世界中に広がっていきました。各分野で名声を得ている名士を次々とその影響下に誘っていきました。

偏見によって目隠しをされ、理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言は一般の人から尊重されるという考えから、そういう手段を選んだのです。

 その後もますます多くの人材が、同じ影響下に置かれていきました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学・医学・思想・宗教その他、ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時すでに猛威をふるっていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命観を思考する霊的事実、

唯物思想の終焉を予告する眼に見えない力の存在へ目を向けさせました。ほどなくして───実に短期間のうちに───そのテーブルラッパーたちは、宗教を腐敗から守る運動の旗手となっていったのです。

 わずか百年足らずの間にどれだけ多くのことが成就されたか───それをこうした経過の中から読み取って、それを教訓として、それ以後どれだけのことが成就できるか、そこに皆さんの先見の明を働かせて下さい。

 私たちが今まさに欲しているのは、もっと多くの道具───背後から導き鼓舞している霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟り、それは他の同胞のために使用してくれる人、真理を生活の灯として持ち歩いてくれる人です。

 私たちが望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らが日常生活においてそれを実践し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目に、なるほど神のメッセンジャーであることを認識させることです。

それから今度は積極的に世に出て、社会生活のすべての面にそれを応用していってほしいのです。
℘92
 つまり、まずみずからが身を修め、それから他人のために自分を役たてる仕事に着手するということです。これまでも、あなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先さらに成就されていく可能性に較べればそれは物の数ではありません。

 世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使い物にならない教義やドグマの崩壊が見て取れるはずです。誤った信仰の上に築かれた構築物が、いたるところで崩壊しつつあります。

 私たちの説く霊的真理(スピリチュアリズム)は、心霊学という知識を土台として築かれております。その土台はいかなる嵐にもビクともしません。なぜなら、それは事実を───霊的事実を───土台としているからです。

 あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなたがたが地上を去って物質界に感応しなくなったのちも、あなた方の奮闘努力の記念碑として、末永くその勇姿をとどめることでしょう」

 同じテーマについて別の交霊会で───

 「真理は前進し、暗黒と無知と迷信と混迷を生み出す勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。それが、私たちが繰り返し宣言しているメッセージです。

 皆さんは今まさに、地上に新しい存在の秩序を招来するために貢献しておられるのです。ゆっくりとではありますが、変革が生じつつあります。新しいものが旧いものととって代る時、数々の変動が生じるのは避けられません。それも神の計画のうちに組み込まれているのです。

 常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭に置き、その上に宗教感・科学感・哲学感・倫理感・道徳観を打ち立てて下さい。口を開くと大言壮語をする御仁に惑わされてはなりません。

 私たちの説く真理は至って単純であるがゆえに、誰にでも分かり、誰にでも価値を見出すことができます。神の子としての人間のあるがままの姿を何の虚飾もなしに説いているからです。

 すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊的な絆によって結ばれているという意味において真実〝同胞〟であり、人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であるということです。

℘94
 霊の目を持って見る者は、民族・国家・気候・肌の色・宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つにつなぐ霊の絆を見て取ります。地上世界は今こそ、そうした単純な真理を見直す必要があります。余りに永い間教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質、ないしは生命の大霊とは何の関係もないのに躓(つまず)いてきました。

 私は、魂をより意義ある生活へ誘ってくれるものでないかぎり、教義とか信条、ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心を向けません。根本的に重要なのは、日常生活の生き方だからです。

いかなる教義も、いかなるドグマも、いかなる儀式も、原因と結果の法則を一寸たりとも変えることはできません。霊性を一分たりとも増すことも減らすことも出来ません。それは日常生活によってのみ決定づけられるものだからです。

私たちが忠誠を捧げるのは、宇宙の大霊すなわち神と、永遠不変の摂理であって教義でもなく、書物でもなく、教会でもありません。

  霊の力がこうした形で地上に顕現するようになったことを喜んでください。真理を普及するための新しい人材が次々と霊力の支配下に導かれて行きつつあることに着目して下さい。新しい通信網ができたことに着目してください。

人類の進歩を妨げてきた既得権力が崩され、障害が取り除かれていきつつあることに目を向けてください。

私たちは刀剣や銃を手にせずに愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神を持って闘っている大軍の一翼を担っております。私たちの武器は真理と理性です。そして目指すのは、人間として当然受け取るべきものを手に出来ずにいる人々の生活に、豊かさと美しさをもたらしてあげることです。

神とその子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと、容赦は致しません。地上に神の王国を築くためには、地上のいずこであろうと赴く決意はけっして揺らぎません。

これまでも数々の虚言・中傷・敵意・迫害にあってまいりました。しかし勇気ある心の持ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘ってくれたお陰で、こうして霊の力が地上に顕現することができたのです。

今も、新しい世界の前哨地に、多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は、みなさんに、元気をお出しなさい、と申し上げるのです。心に迷いを生じてはなりません。

変転極まりない世の中の背後にある神の計画を読み取り、あなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っていることを自覚して下さい。真理は絶え間なく前進しているのです。
℘96
意気消沈した人、悲しげにしている人たちに、元気を出すように言ってあげてください。先駆者たちの努力のたまものを、これから獲り入れるのです。そしてそれが、明日を担う子供たちにより大きな自由、より大きな解放をもたらすための地ならしでもあるのです。

不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち、自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐を持ってしても挫かせることはできないという自信です。

私がお教えしているのは、ごく単純な真理です。しかし単純ではあっても、大切この上ない真理です。地上人類が自らの力で自らを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした単純な霊的真理を日常生活において実践する以外にはないからです。

皆さんはその貴重な霊的な宝を手にされていること、それが全ての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信を持って生きて下さい。

しかし同時に、知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊的真理を無視した生き方をする人は、知らないために霊的摂理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります。

℘97    
その知識を賢明に、そして有効に生かして下さい。一人でも多くの人がその知識を手にすることができるように、そしてそれによって魂が鼓舞され、心が開かれる機縁となるように配慮してあげてください。

私たちの方でも、一人でも多くの人の涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真意を見えなくしている目隠しを取り除いてあげる為の態勢を整えているのです。

言いかえれば、親である神を子等に近づかせ、子等を神に近づかせ、人生の奥義に関わる摂理を実践に移させようと、心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影をひそめ、生命の充足感を地上に生きる人の全てが味わえることになるでしょう」


 ここでメンバーの一人が、こうした霊的真理の普及を既成宗教の発端と同列に並べようとする意見を述べたのに対して、シルバーバーチはこう説いた。

 「私たちはこれまで、確かに成功を収めてまいりました。しかし、そうしたスピリチュアリズムの発展を他の宗教と同列に並べて考えてはいけないことを銘記してください。

私たちにとってスピリチュアリズムは、宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信条とすべきものではありません。」


キリスト教の発生とて、当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし、仏教もそうです。そのほか地上に誕生した宗教のすべてが最初はそうでした。

それぞれの創始者が霊覚によって、その時代の民衆の成長・発展・進化・慣習・鍛錬・理解力などの程度にふさわしいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。

それがさらに、受けいれる用意のある者に受け継がれていきました。それは全体の一部であったとはいえ、真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、そのささやかな真理が人間的不純物の下に埋もれてしまいした。

真理の持つ純粋な美しさを留めておくことができなかったのです。周りに世俗的な信仰や神学的なドグマ、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。やがて神性が完全に息の根を止められてしまいした。そして新たにそれを蘇生させる必要性が生じたのです。

 過去の宗教はすべて───例外なしに───今日こうして届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり、ひとかけらなのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。それらを比較して、どちらがどうということは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるのです。

 たとえば今日の世の中ですと、昔では考えられなかった通信手段が発達しております。伝達し合うことに、あなた方は何の不自由も感じません。何秒とかからずに、お互いがつながり、メッセージを送り、地球を一周することができます。

 唯一これまでの啓示と異なるところは、入念な計画にしたがって組織的な努力が始められたということです。それが地上の年代でいえば、十九世紀半ばのことでした。

今度こそは何としてでも霊的知識を地上に根づかせ、いかなる勢力を持ってしても妨げることのできない態勢にしようということになったのです。

 その計画は予定通りに進行中です。その事は霊的知識が世界各地で盛んに口にされるようになってきていることでもお分かりでしょう。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。


 ご承知のように、私は常づね、一人でも多くの霊能者が排出することの必要性を強調しております。霊界からの知識・教訓・愛・慰め・導きが地上に届けられるためには、ぜひとも霊的中継者が必要なのです。

一人の霊媒の排出は物質万能思想を葬る棺に打ち込まれるクギの一本を意味します。神とその霊的真理の勝利を意味するのです。

 霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。両界をつなぐ媒体だからです。

 知識の光と叡智の世界から私に届けられるものを、こうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる、このバーバネルという霊媒を見出したことを嬉しく思うのも、そこに理由があります」 

シルバーバーチ

Sunday, March 12, 2023

シアトルの春 地上人類への最高の福音 訳者後書き






春の白樺林 のイラスト素材・ベクタ - . Image 82285202.

 

一九二〇年に始まったシルバーバーチの霊言は、当初は霊媒のバーバネル自身が乗り気でなかったこともあって、記録として残す考えはまったくなく、したがって何も残されていない。また、記録として残すほどの内容でもなかったらしい。言ってみればシルバーバーチの練習(リハーサル)に費やされていたようなもので、ハンネン・スワッファーが司会者となってホームサークルを結成してから正式に速記録の係を置くようになり、さらに後になってテープに録音されるようになった。


私の訳で潮文社から出ている全十二巻のシリーズは、八人のサイキックニューズのスタッフが、その記録の中から互いに重複しない箇所をテーマ別に抜粋して構成したもので、その手間の大変さは、思い半ばに過ぎるものがある。が、今こうしてオーツセン一人による新シリーズを訳していきながら気づいたことは、その十二巻に編纂されたもの以外にも、まだまだ素晴らしい霊言、胸を打つ言葉がたくさん残っているということである。

が、そうした言わば“取り残し”の部分だけを断片的に拾い出しただけでは、全体としての筋がまとまらないという弊害が生じる。そこでオーツセンは、すでに前シリーズに出ているものでも敢えて削除せずに、その前後の霊言といっしょに引用するという形で新しい趣向をこらしている。前シリーズと異なって、自分一人で編纂した新シリーズを出すことにしたオーツセンの意図が、その辺から読み取れる。

確かに、こうして形を変え角度を変えて読むと、三十年以上も読み続け、そして翻訳までしてきた私でさえ、何かしら新しいものを読む感じがするから不思議である。同時に、一瞬ドキッとさせられる鋭い言葉が出てきて、襟を正させられることがある。つい先ごろ届いたオーツセンからの手紙によると、いま五冊目を手がけているとのことである。一冊でも多く出してくれることを、日本のシルバーバーチファンを代表してお願いしておいた。

さて、ご存知の方も多いことであろうが、私は本書の前に、コナン・ドイルの『妖精物語』を出している。これは俗に“コッティングレー事件”と呼ばれている衝撃的な妖精写真を扱ったものであるが、これが注目を集めたのが一九一七年から三年間ほどのことで、ドイルがその経緯をまとめて出版したのが一九二二年であるから、時期的にはシルバーバーチが出現しはじめた頃と、ほぼ一致する。

と言って、その二つの現象の間に直接のつながりはないであろう。意義の重大性の点でも、かなりの開きがあるであろう。が、一八四八年の米国における“ハイズビル事件”に始まる、地球の霊的浄化活動――これをスピリチュアリズムと呼ぶ――の気運に乗った、計画的なものであることは間違いないと私は見ている。

こうした気運は、今日、当時よりさらに勢いを増して世界的規模で広がりつつある。心霊治療家や、霊言・自動書記等のいわゆる霊界通信の輩出がそれを物語っている。私がこの道に関心を抱きはじめた昭和三十年頃は、霊的なことを口にするのも憚(はばか)られたものであるが、それを思うと、大きな時代の流れを痛感する。

しかし同時にそうなったらそうなったで、また別の問題が生じている。いかがわしい霊媒・霊能者、そして、いかがわしい霊界通信の氾らんである。ほんものが出ると必ずまがいものが出るのは世の常であるから、これもやむを得ないことかも知れないが、私が今もっとも懸念しているのは、テレビジョンという素晴らしい発明品も、テレビ局のスタッフの良識いかんによっては、社会に害毒をもたらすような内容の情報やドラマが、無差別に茶の間に持ち込まれることがあるように、言論・出版の自由をよいことに、“売れる”ことのみを当てこんで、理性的に考えればあろうはずもないような霊言や自動書記通信が、無節操に出版されはじめていることである。

危険性の伴う機械には何段階もの安全装置が取り付けられているように、社会の仕組みにもチェック機能があってしかるべきであろう。出版にかぎって言えば、その第一のチェックは出版社に求められるべきであろう。さらには、それを売りさばく書店にもその機能の一端を果たしてもらいたいところである。買う人がいるから売る、といった態度では、倫理・道徳は地に落ちてしまう。もっとも、現在の出版界全体の事情のもとでは、あまり高度な理解を求めるのは無理なのかも知れない。

結局、最後で最大のチェック機能をもつのは“自分自身”ということになる。レッテルやタイトルは何とでもつけられる。中身も、それらしいことを書けば格好はつく。霊言と銘うっているものを、まるで駄菓子でもつまむような調子で読みあさるのが趣味という人は、それはそれでよいが、真実のものを求めているつもりの人のために、次の二つのシルバーバーチの言葉を再び引用しておきたい。

「“光”を差し出されても、結構です、私は“闇”で結構です、というのであれば、それによって傷ついても、それはその人の責任です」

「その(神の)働きの邪魔だてをしているのは、ほかならぬ自分自身なのです。自分の無知の暗闇を追い出し、正しい知識の陽光の中で生きなさい」

短いが、深遠な意味を含んだ言葉である。

平成元年五月

近藤干雄