Saturday, January 31, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen

六章 創造界の深奥



    

4 キリスト界         
     一九一九年二月二十七日  木曜日

──これまでお述べになったことは全て第十一界で起きたことと理解しております。そうですね、アーネルさん?


 ザブディエル殿がお示しになった界層の数え方に従えばそうです。私には貴殿の質問なさりたいことの主旨が目に見えます。精神の中で半ば形を整えつつあります。取りあえずそれを処理してから私の用意した話に移ります。


 すでにお話したとおり、この大事業の構想は第十一界で生まれたのではなく、はるかに上層の高級界です。キリスト界についてはすでに読まれたでしょう。


そこが実在界なのですが、語る人によってさまざまに理解されております。そもそも界層というのは内情も境界も、地上の思想的慣習によって厳密に区分けすることは不可能なのです。しかし語るとなるとどうしても区分けし分類せざるを得ません。


吾々も貴殿の理解を助ける意味でそうしているわけですが、普遍的なものでないことだけは承知しておいてください。吾々も絶対的と思っているわけではありません。


表面的な言いまわしの裏にあるものに注目してくだされば、数々の通信にもある種の共通したものがあることを発見されることでしょう。


界は七つあって七番目がキリスト界だと言う人がいます。それはそれで結構です。ザブディエル殿と私は第十一界までの話をしました。これまでの吾々の区切り方でいけばキリスト界は七の倍に一を加えた数となるでしょう。つまりこういうことです。


吾々の二つの界が七界説の一界に相当するわけです。七界説の人も第七界をキリストのいる界とせずに、キリストが支配する界層の最高界をキリスト界とすべきであると考えます。


 吾々の数え方でいけば第十四界つまり七の倍の界が吾々第十一界の居住者にとって実感をもって感識できる最高の界です。


その界より上の界がどうなっているかについての情報を理解することができないのです。


そこで吾々は、キリストがその界における絶対的支配者である以上は、キリスト自身はそれよりもう一つ上の界の存在であらねばならないと考えるのです。その界のいずこにもキリストの存在しない場所は一かけらも無いのです。


ということは、もしもその界全体がキリストの霊の中に包まれているとするならば、キリストご自身はさらにその上にいらっしゃらねばならないことになります。


それで七界の倍に一界を加えるわけです。以上がこれまでに吾々が入手した情報に基づいて推理しうる限界です。そこで吾々はこう申し上げます。数字で言えばキリスト界は第十五界で、その中に下の十四界のすべてが包含される、と。


吾々に言えるのはそこまでで、その十五界がどうなっているのか、境界がどこにあるのかについても断言は控えます。よく分からないのです。


しかし限界がどこにあろうと──限界があるとした上での話ですが──それより下の界層を支配する者に霊力と権能とが授けられるのはその界からであることは間違いありません。そこが吾々の想像の限界です。そこから先は〝偉大なる未知〟の世界です。


ただ、あと一つだけ付け加えておきましょう。ここまで述べてもまだ用心を忘れていないと確信した上で申しましょう──私は知ったかぶりをしていい加減な憶測で申し上げないように常に用心しております。


 それはこういうことです。私がお話した神々による廟議と同じものが各世紀ごとに召集されているということです。その際、受け入れる用意のある者のために啓示がなされる時期についての神々の議決は、地球の記録簿の中に記されております。


かくして物的宇宙(コスモス)の創造計画もその廟議において作成されていたわけです。


                             アーネル±


シルバーバーチの教え(新版・下)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver BirchA.W.
オースチン(編) 近藤千雄(訳)




16章 交霊会についての誤解

〔交霊会を催しても何ひとつ現象が起きないことがある。すると出席者は時間を無駄に費やしたと、不満に思うものである。ここでのシルバーバーチの言葉は、心霊現象を待ち望む人々に励ましをもたらすことになるであろう。〕


交霊会のような場で、霊的な一体化を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。あなた方が、何か現象が起きないかと辛抱強く待っていることは知っていますが、交霊会としては着々と進展していることを理解していただきたいのです。その間に私たち霊界の者との絆が強化され、出席者の霊的感受性は鋭くなっています。

高次の心霊現象は、出席者の内的な反応、つまり霊性の開発とそれを活用しようとしている力(霊団)によって発現するようになります。

ですから、どういう現象が見られたとか、どんな音が聞こえたのかということは大して重要ではありません。もっと大切なことは、サークルのメンバーの霊性の開発です。あなた方は毎週一回この交霊会に参加していますが、それによってより高度なバイブレーションに波長を合わせ、太古からの霊的叡智にいっそうなじむようになっています。霊的叡智は、地上という物質界に届けられることを待ち続けています。それが実際に地上に届けられるためには、そのバイブレーションに同調できる通路(チャンネル)が必要となります。

あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力な霊的エネルギーと接触できるようになります。そのエネルギーは目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそがあなた方の生命の真実在なのです。ところが、大半の人間は多くの時間を影を追い求めて過ごし、幻影を捕らえようとし、その場かぎりの満足を得ようとしています。

静寂と調和と愛の中で、皆さんの魂は一時(いっとき)も休むことなく開発されています。その速度は遅々としていますが、着実です。各自の内部に宿る大霊(神の分霊)が開発され、進化し、その分だけ神性を発現することが可能になっています。ナザレのイエスがその昔こう言いました――「二人ないし三人の者が集う所には大霊が祝福を授けてくださる」と。私たちも同じことを述べているのですが、誰も耳を貸そうとしません。


訳注――「耳を貸さない」とは、ここではキリスト教会のことを言っている。「大霊が祝福を授けてくださる」というのは霊媒能力によって霊界と地上界との交信が可能になるという意味で、それを実際にやって見せているのに認めようとしない教会を批判している。

真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。真理は不変です。なぜなら真理は正しい知識に基づくものだからです。その正しい知識は大霊から出ています。大霊こそ、すべてのインスピレーションの中心であり始原です。真理はとてもシンプルで、容易に理解できるものなのですが、地上人はそれをきわめて難しいものにしてしまっています。

このサークルの方たちとはすでに何度もお会いしていますので、私たち霊団との絆は強化されています。霊団の中には皆さんの知らない霊、名前を聞かされても分からない霊が大勢いますが、いずれもお役に立ちたいという一心で来ており、彼らは評価も報酬も一切求めてはいません。

そうした霊たちがこの場を訪れるのは、地上界へ霊的知識を届け、真理の普及を促進し、間違ったことを改め、悲しみと迷信を駆逐し、光明を広げ、痛みと苦しみの代わりに幸せと平和と繁栄をもたらす手段(霊媒と出席者)があるからです。

その仕事を推進するうえで、皆さんは大いに役に立っているのです。万一、何の役にも立っていないように思えたときには、どうか次のことを思い出してください。皆さんが人類に対する奉仕への熱い思いを抱いてこの部屋に来て、私たちと一時間ほど共に過ごすということが、ここに霊的神殿を築くための大きな力になっているということです。

この交霊会に出席して大霊と心を一つにしておられる時間は、一時として無駄に終わることはありません。調和と愛の心で集うときに蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築くうえで役に立っているのです。その架け橋を通って、新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けようとする霊が大挙して降りてきます。どうかそのことを忘れないでください。時には冗談を言って笑いの渦が巻き起こることがあっても、その背後には常に大きな目的が控えているのです。

その目的とは、大霊の摂理が皆さん方一人ひとりを通して地上界で十分に機能するようになることです。皆さんは、その目的のために今日まで献身してこられたのです。その目的を共有し、大霊を受け入れたいとの思いが強くなるほど、それだけ多くの大霊のエネルギーが地上界へもたらされるようになるのです。
質疑応答


――交霊会で笑い声があがるのは、良い影響をもたらすことになるのでしょうか。


心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。忘れないでください。あなた方は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた方を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことに煩(わずら)わされているかぎり、その真意は分かっていただけないかもしれません。

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。

こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた方の中にある」と教えているのですが……。


――自動書記は心霊現象の中でいちばん信頼性が乏しいようですが、なぜでしょうか。


それはその霊媒の能力の問題です。霊媒が未熟であれば、地上の人間の想念と霊界から送られてくるメッセージとの区別がつきません。能力の発達程度の問題で、ある一定のレベル以上に到達すれば地上界の想念を払いのけ、霊界からのメッセージを受け取りやすくなります。霊媒が未熟なのに、それを霊側の責任にしてはいけません。私たちとしては、そちらから提供してくれる道具で仕事をするしかないのです。


――幽界から霊界へと向上していった霊が地上と交信するときは、幽界まで降りてこなければならないのでしょうか。


いいえ、そんなことはありません。彼らは、メッセージを届けてくれる霊を見つけることができます。地上へ通信を送るための道具(霊界の霊媒)を、いつでも霊界サイドで調達できるのです。ただし、霊界の霊媒となる霊は、幽界を卒業しているだけでなく、そのレベルをはるかに超えていなければなりません。地上界の次の段階である幽界にいる者だけが地上界と交信できるというわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの能力があれば、直接交信することができるのです。


――霊的な問題についての知識の限度は地上人の受容能力によって決まるそうですが、そうなると霊的知識の理解力に欠ける人間は、霊媒を通して証拠を求めるのが賢明ということになるのでしょうか。


証拠と魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、霊界のどの界層まで至ることが可能か、ということで決まります。魂が真理を理解できる段階まで進化しているかどうかということです。それを証拠の追求と混同してはいけません。証拠の追求と魂の成長は、必ずしも足並を揃えて進んでいくものではありません。生命が死後にも存続する証拠を手にしていながら、霊性に目覚めていない人がいるものです。

Friday, January 30, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
六章 創造界の深奥


3 神々による廟議(びょうぎ)      ♰
      一九一九年二月二十六日 水曜日


──その〝尊き大事業〟というのは何でしょうか。 (訳者注──前回の通信との間に一週間の空白があるのに、いかにもすぐ続いているような言い方をしているのは多分その前に前回の通信についての簡単なやり取りがあったか、それともオーエンがそのように書き改めたかのいずれかであろう)

 それについてこれから述べようと思っていたところです。貴殿も今夜は書き留めることができます。この話題はここ何世紀かの出来ごとを理解していただく上で大切な意味をもっております。

 まず注目していただきたいのは、その大事業は例の天使の塔で計画されたものではないということです。これまでお話した界層よりさらに高い境涯において幾世紀も前からもくろまれていたことでした。

いつの世紀においても、その頭初に神界において審議会が催されると聞いております。
まず過去が生み出す結果が計算されて披露されます。遠い過去のことは簡潔な図表の形で改めて披露され、比較的新しい世紀のことは詳しく披露されます。

前世紀までの二、三年のことは全項目が披露されます。それらがその時点で地上で進行中の出来事との関連性において検討されます。それから同族惑星の聴聞会を催し、さらに地球と同族惑星とをいっしょにした聴聞会を催します。

それから審議会が開かれ、来るべき世紀に適用された場合に他の天体の経綸に当たっている天使群の行動と調和するような行動計画に関する結論が下されます。悠揚せまらぬ雰囲気の中に行われるとのことです。


──〝同族惑星〟という用語について説明してください。

 これは発達の程度においても進化の方向においても地球によく似通った惑星のことです。つまり地球によく似た自由意志に基づく経路をたどり、知性と霊性において現段階の地球にきわめて近い段階に達している天体のことです。

空間距離において地球にひじょうに近接していると同時に、知的ならびに霊的性向においても近いということです。


──その天体の名前をいくつか挙げていただけますか。

 挙げようと思えば挙げられますが、やめておきます。誰でも知っていることを知ったかぶりをして・・・・・・などと言われるのはいやですから。

貴殿の精神の中にそれにピッタリの成句(フレーズ)が見えます──to play to the gallery (大向うを喜ばせる、俗受けをねらう)。もっともそれだけが理由ではありません。同じ太陽域の中にありながら人間の肉眼に映じない天体もあるからです。

それもその中に数えないといけません。さらには太陽域の一ばん端にあって事実上は他の恒星の引力作用を受けていながら、程度においては地球と同族になるものも、少ないながら、あります。それから、太陽域の中──


──太陽系のことですか。

 太陽系、そうです──その中にあってしかも成分が(肉眼に映じなくても)物質の範疇(はんちゅう)に入るものが二つあります。現在の地上の天文学ではまだ問題とされておりませんが、いずれ話題になるでしょう。しかしこんな予言はここでは関係ありません。

 そうした審査結果がふるいに掛けられてから、言わば地球号の次の航海のための海図が用意され、ともづなが解かれて外洋へと船出します。


──それらの審議会においてキリストはいかなる位置を占めておられるのでしょうか。

 それらではなくそのと単数形で書いてください。審議会はたった一つだけです。が会合は世紀ごとに催されます。出席者は絶対不同というわけではありませんが、変わるとしても二、三エオン(※)の間にわずかな変動があるだけです。

創造界の神格の高い天使ばかりです。その主宰霊がキリストというわけです。(※ EON 地質学的時代区分の最大の期間で、億単位で数える──訳者)


──王(キング)ですか。

 そう書いてはなりますまい。違います。その審議会が開かれる界層より下の界層においては王ですが、その審議会においては主宰霊です。これは私が得た知識から述べているにすぎません。実際に見たわけではなく、私および同じ界の仲間が上層界を通して得たものです。これでお分かりでしょうか。もっと話を進めましょうか。


──どうも有難うございました。私なりに分かったように思います。

 それは結構なことです。そう聞いてうれしく思います。それというのも、私はもとより、私より幾らか上の界層の者でも、その審議会の実際の様子は象徴的にしか理解されていないのです。私も同じ手法でそれを貴殿に伝え、貴殿はそれに満足しておられる。結構に思います。

 では先を続けさせていただきます。以上でお分かりのとおり、審議会の主宰霊たるキリストみずからが進んでその大事業を引き受けられたのです。

それは私と共にこの仕事に携わっている者たちの目から見れば、そうあってしかるべきことでした。すなわち、いかなる決断になるにせよ最後の責任を負うべき立場の者がみずから実践し目的を成就すべきであり、それをキリストがおやりになられたということです。

今日キリストはその任務を帯びて地上人類の真只中におられ、地球へ降下されたあと、すでにその半ばを成就されて、方向を上へ転じて父の古里へと向かわれています。

この程度のことで驚かれてはなりません。もっと細かいことをお話する予定でおります。
以上のことは雄牛に突きさした矢印と思ってください。抜き取らずにおきましょう。途中の多くの脇道にまぎれ込まずに無事ゴールへ導くための目印となるでしょう。

脇道にもいろいろと興味ぶかいことがあり、勉強にもなり美しくもあるのですが、今の吾々にはそれは関係ありません。私がお伝えしたいのは地球に関わる大事業のことです。他の天体への影響のことは脇へ置いて、地球のことに話題をしぼりましょう。

少なくとも地球を主体に話を進めましょう。ただ一つだけ例外があります。
  火星人 
貴殿は地球以外の天体について知りたがっておられる様子なので、そのうちの火星について述べておきましょう。最近この孤独な天体に多くの関心が寄せられて、科学者よりも一般市民の間で大変な関心の的となっております。そうですね?


──そうです。ま、そう言っても構わないでしょう。

 その原因は反射作用にあります。まず火星の住民の方から働きかけがあったのです。地球へ向けて厖大な思念を送り、地球人類がそれに反応を示した──という程度を超えて、もっと深い関係にあります。

そうした相互関係が生じる原因は地球人類と火星人類との近親関係にあります。天文学者の中には火星の住民のことを親しみを込めて火星人(マーシャン)と呼んでいる人がいますが、火星人がそれを聞いたら可笑しく思うかも知れません。

吾々もちょっぴり苦笑をさそわれそうな愉快さを覚えます。火星人を研究している者は知性の点で地球人よりはるかに進んでいるように言います。そうでしょう?


──そうです。おっしゃる通りです。そう言ってます。

 それは間違いです。火星人の方が地球人より進んでいる面もあります。しかし少なからぬ面において地球人より後れています。私も訪れてみたことがあるのです。

間違いありません。いずれ地上の科学もその点について正確に捉えることになるでしょう。その時はより誇りに思って然るべきでしょう。吾々がしばしば明言を控え余計なおしゃべりを慎むのはそのためです。同じ理由でここでも控えましょう。


──火星を訪れたことがあるとおっしゃいましたが・・・・・・

 火星圏の者も吾々のところへ来たり地球を訪れたりしております。こうしたことを吾々は効率よく行っております。私は例の塔においてキリストの霊団に志願した一人です。

他にもいくつかの霊団が編成され、その後もさらに追加されました。幾百万とも知れぬ大軍のすべてが各自の役目について特訓を受けた者ばかりです。

 その訓練に倣(なら)ってこんどはみずから組織した霊団を特訓します。各自に任務を与えます。

私にとっては地球以外の天体上の住民について、その現状と進歩の様子を知っておくことが任務の遂行上不可欠だったのです。大学を言うなれば次々と転校したのもそのためでした。とても勉強になりました。その一つが〝聖なる山〟の大聖堂であり、もう一つは〝五つの塔の大学〟であり、火星もその一つでした。


──あなたの任務は何だったのか、よろしかったら教えてください。

 〝何だったのか〟と過去形をお使いになられました。私の任務は現在までつながっております。今夜、ここで、こうして貴殿と共にそれに携わっております。その進展のためのご援助に対してお礼申し上げます。
                                    アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
五章 造化の原理


2 光沢のない王冠  
        一九一九年二月二十日  木曜日

 やがて青色のマトンが気化するごとくに大気の中へ融け入ってしまいました。見ると主は相変わらず玉座の中に座しておられましたが、装束が変わっていました。

両肩には同じ青色をしたケープ(外衣)を掛けておられ、それが両わきまで下り、その内側には黄金の長下着を付けておられるのが見えました。

座しておられるためにそれが膝の下まで垂れていました。それが黄金色の混った緑色の幅の広いベルトで締められており、縁どりはルビー色でした。

冠帯は相変わらず頭部に付いていましたが、その内側には一群の星がきらめいて、それが主のまわりにさまざまな色彩を漂わせておりました。

主は右手に光沢のない白い王冠を持っておられます。主のまわりにあるもので光沢のないものとしては、それが唯一のものでした。それだけに一層吾々の目につくのでした。

 やがて主が腰をお上げになり、その王冠をすぐ前のあがり段に置かれ、吾々の方へ向いてお立ちになりました。それから次のようなお言葉を述べられました。

 「そなたたちはたった今、私の王国の中をのぞかれ、これより先のことをご覧になられた。が、そなたたちのごとくその内部の美しさを見ることを得ぬ者もいることを忘れてはならぬ。かの飛地にいる者たちは私のことを朧(おぼ)ろげにしか思うことができぬ。

まだ十分に意識が目覚めていないからである。ラメルよ、この者たちにこの遠く離れた者たちの現在の身の上と来るべき宿命について聞かせてあげよ」


 すると、あがり段の両わきで静かに待機していた天使群の中のお一人が玉座のあがり段の一ばん下に立たれた。白装束をまとい、左肩から腰部へかけて銀のたすきを掛けておられました。

その方が主にうながされて語られたのですが、そのお声は一つの音声ではなく無数の和音(コード)でできているような響きがありました。

共鳴度が高く、まわりの空中に鳴り響き、上空高くあがって一つひとつの音がゴースの弦に触れて反響しているみたいでした。一つ又一つと空中の弦が音を響かせていき、やがて、あたかも無数のハーブがハーモニーを奏でるかの如くに、虚空全体が妙(たえ)なる震動に満ちるのでした。

 その震動の中にあって、この方のお言葉は少しも鮮明度が失われず、ますます調子を上げ、描写性が増し、その意味する事柄の本性との一体性を増し、ますます具体性と実質性に富み、あたかも無地のキャンパスに黒の絵の具で描きそれに色彩を加えるような感じでした。

したがってその言葉に生命がこもっており、ただの音声だけではありませんでした。

 こう語られたのです──

 「主の顕現がはるか彼方の栄光の境涯にのみ行われているかに思えたとて、それは一向にかまわぬこと。主は同時にここにも坐(ま)します。われらは主の子孫。主の生命の中に生きるものなればなり。

 われらがその光乏しき土地の者にとりて主がわれらに対するが如く懸け離れて見えたとて、それもかまわぬこと。彼らはわれらの同胞であり、われらも彼らの同胞なればなり。

 彼らが生命の在(あ)り処(か)を知らぬとて──それにより生きて、しかも道を見失ったとて、いささかもかまわぬこと。手探りでそれを求め、やっとその一かけらを手にする。しかし少なくともそのことにおいて彼らの努力は正しく、分からぬながらもわれらの方へ向けて両手を差しのべる。

 それでも暗闇の中で彼らは転び、あるいは脇道へと迷い込む。向上の道が妨げられる。その中にあって少しでも先の見える者は何も見えずに迷える者が再び戻ってくるのを待ち、ゆっくりとした足取りで、しかし一団となりて、共に進む。

 その道程がいかに長かろうと、それは一向にかまわぬこと。われらも彼らの到着を待ち、相互愛の中に大いなる祝福を得、互いに与え与えられつつ、手を取り合って向上しようぞ。

 途中にて躓(つまず)こうと、われらへ向けて歩を進める彼らを待たん。あくまでも待ち続けん。あるいはわれらがキリストがかの昔、栄光の装束を脱ぎ棄てられ、みすぼらしく粗末な衣服をまとわれて、迷える子羊を求めて降りられ、地上に慰めの真理をもたらされたごとくに、われらも下界へ赴きて彼らを手引きしようぞ。

 主をしてそうなさしめた力が最高界の力であったことは驚異なり。われらのこの宇宙よりさらに大なる規模の宇宙に舞う存在とて、謙虚なるその神の子に敬意を表し深く頭を垂れ給うた。

なんとなれば、すでに叡智に富める彼らですら、宇宙を創造させる力が愛に他ならぬこと──全宇宙が愛に満ち愛によりて構成されていることを改めて、また一だんと深く、思い知らされることになったゆえである。

 ゆえに、神がすべてを超越した存在であっても一向にかまわぬこと。われらにはその子キリストが坐(ま)しませばなり。

 われらよりはるかに下界に神の子羊がいても一向にかまわぬこと。キリストはその子羊のもとにも赴かれたるなり。

 彼らがたとえ手足は弱く視力はおぼろげであろうと一向にかまわぬ。キリストが彼らの力であり、道を大きく誤ることなく、あるいはまた完全に道を見失うことのなきよう、キリストが彼らの灯火(ランプ)となることであろう。

 また、たとえ今はわれらが有難くも知ることを得たより高き光明界の存在を彼らが知らずとも、いつの日かわれらと共によろこびを分かち、われらも彼らとよろこびを分かつ日が到来しよう──いつの日かきっと。

 が、はたしてわれらのうちの誰が、このたびの戦いのために差し向けられる力を背に、かの冠を引き受けるのであろう。自らの頭に置くことを申し出る者はどなたであろうか。それは光沢を欠き肩に重くのしかかることを覚悟せねばならぬが。

 信念強固にして一途なる者はここに立ち、その冠を受け取るがよい。
 今こそ光沢を欠くが、それは一向にかまわぬこと。いずれ大事業の完遂の暁には、内に秘められた光により燦然と輝くことであろう」

 語り終ると一場を沈黙が支配しました。ただ音楽のみが、いかにも自ら志願する者が出るまで終わるのを渋るが如くに、物欲しげに優しく吾々のまわりに漂い続けるのでした。

 その時です。誰一人として進み出てその大事業を買って出る者がいないとみて、キリスト自らが階段を下りてその冠を取り上げ、自らの頭に置かれたのです。

それは深く眉のすぐ上まで被さりました。それほど重いということを示しておりました。そうです、今もその冠はキリストの頭上にあります。しかし、かつて見られなかった光沢が少し見えはじめております。

 そこで主が吾々にこう述べられました──
 「さて友よ、そなたたちの中で私について来てくれる者はいるであろうか」
 その御声に吾々全員が跪(ひざまず)き、主の祝祷を受けたのでした。
     アーネル  ± 

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
六章 創造界の深奥


1 人類の未来をのぞく 
   一九一九年二月十九日 水曜日

 今夜貴殿とともにいるのは、一年前に王冠状の大ホールにおける儀式についての通信を送っていた霊団の者です。ご記憶と思いますが、あの時は貴殿のエネルギーの消耗が激しかったために中止のやむなきに至りました。

このたび再度あの時のテーマを取り上げて、今ここでその続きを述べたいと思います。

キリストと神への讃仰のために最初に玉座に近づいたのは人類を担当する天使群でした。
すると玉座の背後から使者が進み出て、幾つもの部門に大別されたその大群へ向けて言葉をかけられた。


天使とはいえその部門ごとに霊的発達程度はさまざまで、おのずから上下の差がありました。その部門の一つひとつに順々に声をかけて、これから先の進化へ向けて指導と激励の言葉をお与えになられたのでした。

 以上が前回までの要約です。では儀式の次の段階に進みましょう。
 創造の主宰霊たるキリストが坐す玉座のまわりに一群の霧状の雲が出現しました。その中で無数の色彩がヨコ糸とタテ糸のように交錯している様子は見るからに美しい光景でした。

やがてその雲の、玉座のまうしろになる辺りから光輝が扇状に放射され、高くそして幅広く伸びていきます。主はその中央の下方に位置しておられます。

 その光は青と緑と琥珀色をしており、キリスト界の物的部門──地球や惑星や恒星をこれから構成していく基本成分から成る(天界の)現象界──から生産されるエネルギーが放散されているのでした。

 やがてその雲状のものが活発な動きを見せながら凝縮してマントの形態を整えたのを見ると、色彩の配置も美事な調和関係をみせたものになっておりました。

それが恍惚たる風情(ふぜい)の中に座する主宰霊キリストに掛けられ身体にまとわれると、それがまた一段と美しく映えるのでした。全体の色調は青です。

深く濃い青ですが、それでいて明るいのです。縁どりは黄金色、その内側がボーダー(内ベリ)となっていて、それが舗道に広がり、上がり段にまで垂れております。

ボーダーの部分がとくに幅が広く、金と銀と緑の色調をしており、さらに内側へ向けて深紅と琥珀の二本の太い筋が走っております。時おり永い間隔を置いてその青のマントの上に逆さまになった王冠(そのわけをあとでオーエン氏自身が尋ねる──訳者)に似たものが現れます。

冠の緑にパールの襟飾りが付いており、それが幾種類もの色彩を放っております。パールグレー(淡灰色)ではなくて──何と言えばよいのでしょうか。

内部からの輝きがキリストの頭部のあたりに漂っております。といって、それによってお顔が霞むことなく、後光となってお顔を浮き出させておりました。

その後光に照らされた全体像を遠くより眺めると、お顔そのものがその光の出る〝核〟のように見えるのでした。しかし実際はそうではありません。

そう見えたというまでのことです。頭部には王冠はなく、ただ白と赤の冠帯が付けられており、それが頭髪を両耳のうしろで留めております。前にお話した〝祈りの冠帯(ダイアデム)〟にどこか似ておりました。


──このたびは色彩を細かく説明なさっておられますが、それぞれにどんな意味があるのでしょうか。

 吾々の目に映った色彩はグループごとに実に美しく且つそれなりの意図のもとに配置されていたのですが、その意図を細かく説明することは不可能です。が、大体の意味を、それも貴殿に理解できる範囲で述べてみましょう。

 後光のように広がっていた光輝は物質界を象徴し、それを背景としてキリストの姿を明確に映し出し、その慈悲深い側面を浮き上がらせる意図がありました。頭部の冠帯は地上の人類ならびにすでに地上を去って霊界入りした人類の洗練浄化された精髄の象徴でした。


──赤色と白色をしていたとおっしゃいましたが、それにも意味があったのでしょうか。

 ありました。人類が強圧性と貪欲性と身勝手さの境涯から脱して、すべてが一体となって調和し融合して一つの無色の光としての存在となっていくことを赤から白への転換として象徴していたのです。

その光は完璧な白さをしていると同時に強烈な威力も秘めております。外部から見る者には冷ややかさと静けさをもった雪のような白さの帯として映じますが、

内部から見る者にはそれを構成している色調の一つひとつが識別され、その融和が生み出す輝きの中に温か味を感じ取ります。外側から見ると白い光は冷たく見えます。内側から見る者には愛と安らぎの輝きとして見えます。


──あなたもその内側へ入られたわけですか。

 いいえ、完全に内側まで入ったことはありません。その神殿のほんの入口のところまでです。それも、勇気を奮いおこし、意念を総結集して、ようやくそこまで近づけたのでした。しかもその時一回きりで、それもお許しを得た上でのことでした。

自分で神殿の扉を開けたのではありません。創造界のキリストに仕える大天使のお一人が開けてくださったのでした。

私の背後へまわって、私があまりの美しさに失神しないように配慮してくださったのです。すなわち私の片方の肩の上から手を伸ばしてその方のマントで私の身体をおおい、扉をほんの少しだけ押し開けて、少しの間その状態を保ってくださいました。

かくして私は、目をかざされ身体を包みかくされた状態の中でその内側の光輝を見、そして感じ取ったのでした。それだけでも私は、キリストがその創造エネルギーを行使しつくし計画の全てを完了なされた暁に人類がどうなるかを十分に悟り知ることができました。

すなわち今はそのお顔を吾々低級なる霊の方へお向けになっておられる。吾々の背後には地上人類が控えている。吾々はその地上人類の前衛です。が、

計画完了の暁にはお顔を反対の方向へ向けられ、無数の霊を従えて父の玉座へと向かわれ、そこで真の意味で全存在と一体となられる。その時には冠帯の赤は白と融合し、白も少しは温みを増していることでしょう。

 さて、貴殿の質問で私は話をそらせて冠帯について語ることになってしまいましたが、例の青のマントについては次のように述べておきましょう。

すなわち物質の精髄を背景としてキリストおよびマント、そして王座の姿かたちを浮き上がらせたこと。冠帯は現時点の地上人類とこれ以後の天界への向上の可能性とを融合せしめ、一方マントは全創造物が父より出でて外部へと進化する時に通過したキリストの身体をおおっていること。

そのマントの中に物質と有機体を動かし機能させ活力を賦与しているところの全エネルギーが融合している、といったところです。

その中には貴殿のご存知のものも幾つかあります。電気にエーテル。これは自動性はなくてもそれ自身のエネルギーを有しております。それから磁気。そして推進力に富んだ光線のエネルギー。

もっと高級なものもあります。それらすべてがキリストのマントの中で融合してお姿をおおいつつ、しかもお姿と玉座の輪郭を際立たせているのです。


──さかさまの王冠は何を意味しているのでしょうか。なぜさかさまになっているのでしょうか。

 キリストは王冠の代りに例の赤と白の冠帯を付けておられました。そのうち冠帯が白一色となりキリストの純粋無垢の白さの中に融合してしまった時には王冠をお付けになられることでしょう。

その時マントが上げられ広げられ天界へ向けて浮上し、こんどはそのマントが反転してキリストとその王座の背景として広がり、それまでの光輝による模様はもはや見られなくなることでしょう。

又その時すなわち最終的な完成の暁に今一度お立ちになって総点検された時には、頭上と周囲に無数の王冠が、さかさまではなく正しい形で見られることでしょう。

デザインはさまざまでしょう。が、それぞれの在るべき位置にあって、以後キリストがその救える勇敢なる大軍の先頭に立って率いて行く、その栄光への方向を指し示すことでしょう。                             アーネル  ±

                                        
訳者注──王冠がなぜさかさまについては答えられていないが、それがどうであれ、霊界の情景描写は次元が異なるので本来はまったく説明不可能のはずである。

アーネル霊も〝とても出来ない〟と再三ことわりつつも何とか描写しようとする。すると当然、地上的なものに擬(なぞら)えて地上的な言語で表現しなければならない。しかもオーエンがキリスト教の概念しか持ち合わせていないために、その擬えるものも用語も従来のキリスト教の色彩を帯びることになる。

 たとえば最後の部分で私が〝最終的な完成の暁〟とした部分は in that far Great Day となっていて、これを慣用的な訳語で表現すれば〝かの遠い未来の最後の審判日〟となるところである。が〝最後の審判日〟の真意が直訳的に誤解されている今日では、それをそのまま用いたのでは読者の混乱を招くので私なりの配慮をした。

マント、玉座等々についても地上のものと同じものを想像してはならないことは言うまでもないが、さりとて他に言い表しようがないので、そのまま用いた。

シルバーバーチの教え(新版・下)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)



15章 交霊会の舞台裏

〔シルバーバーチは、物理的心霊現象を引き起こすには霊界サイドの組織体制が不可欠であると述べている。シルバーバーチの交霊会(ホームサークル)の最初の頃には直接談話現象や物質化現象が演出されたが、やがてサークルのメンバーが一新し、それにともないこうした物理的心霊現象は姿を消すことになった。〕


この交霊会には一団の霊が携わっています。それはあらゆる界層の霊たちで、地上近く(幽界下層)からやってきた霊もいます。彼らは物質的反応を演出したり、心霊現象の演出に必要となるもの(エクトプラズム)を供給したりします。

また一方には、光り輝く高級霊たちもいます。彼らは大霊のメッセンジャーです。彼らが活動しているのは、こうして交霊会を催しているときだけではありません。皆さんの睡眠中も活動しています。霊的真理を少しでも多く地上にもたらすために、いろいろと心を砕いているのですが、それでもまだ闇夜に輝くほのかな明かり程度でしかありません。

そうした大霊の使徒が足繁くこの小さな一室に通うのは、ここが荘厳な神殿だからです。それは建物が大きいとか、高くそびえているとか、広いということではありません。ここから地上界に光を注ぐことができるということです。そうして暗闇は真理の炎によって駆逐されるのです。こうしたサークルから、地上世界は新しいエネルギーを得ることになります。そして利己主義や不正・不寛容といった邪悪が一掃されていきます。なぜならそれらは、大霊の摂理に反するものだからです。

この仕事は、これからもずっと続きます。それは大霊の大事業の一環だからです。皆さんがこのサークルの一員として選ばれたのは、一人ひとりが特異な体験を持っており、その特質をうまく融和させると、愛と調和と善意による完全なサークルが形成されることになるからです。それが光の神殿を築くことを可能にするのです。

皆さんは、途方もなく大きな仕事をしています。大霊の神殿を建設しているのです。時として霊界で起きていることを垣間見ることがあるでしょう。そうかと思うと暗闇の中に取り残されて当惑し、疑問を抱くかもしれません。それは霊界からの働きかけに対して、皆さんの理解が及ばないからです。忘れないでいただきたいのは、私たち霊団の者は、暗闇に閉ざされた地上界へ光明をもたらすために片時も休むことなく全力を尽くしているということです。

直接談話現象(メガホンの中に発声器官をこしらえてスピリットがしゃべる現象で、霊言現象とは別。シルバーバーチの交霊会でも初期の頃はよく行われ、いろいろな霊がしゃべった――訳注)を上達させる(鮮明な声で長時間持続させる)には、繰り返し練習するしかありません。言いたいことをどれだけ伝えられるかは、実際にやってみないと分からないものです。ともあれ皆さんは当初からその上達ぶりを目の当たりにしてきた、本当に恵まれた方たちです。

交霊会ではバイブレーションが問題となります。交霊会の成否は、その問題をどの程度まで克服できるかにかかっています。皆さんの側としては語られたものしか聞こえないわけで、語られずに終わったものは、当然のことながらお分かりになりません。

霊界側にとって最も厄介なのは、話したがる者が多すぎるということです。彼らは「ほんの少しだけでいいからしゃべらせてください。一言だけでいいですから」と言って嘆願するのです。そこでやむをえず、彼らに話をさせることになります。

ここに神殿を築く仕事は休むことなく続けられています。エネルギーを蓄えること、いろいろと実験を試みること等々、くる日もくる日も、昼夜の別なく、この部屋での交霊会の準備のために大勢の霊が出入りしています。

あなた方が電話で話をしようとするとき、電話機を製造するために働いている人たちのことは念頭にありません。あなた方は電話口に向かってしゃべるだけで、先方もそれを聞いて受け答えをするだけです。が、実際は大勢の人たちの働きがあるからこそ両者は話が通じるわけです。私たちがやっている通信も、それと同じです。あなた方はこちらがしゃべったことを聞くだけですが、実際には両者の間で多くの仕事がなされているのです。

例えばこちらの化学者は一種の光線を使用します。それを用いて現象を発生させるのですが、その化学的成分は地上のいかなる分析器でも調べることはできません。こちらの化学者は常に忙しく動き回っています。その光線はとても強力なパワーを秘めていますが、このサークルの出席者に危害が及ぶようなことはありません。それは皆さん方の霊的身体がその光線に順応するようになっているからです。そのようにこちらで工夫しているのです。その光線を皆さんは見ることも感じることもできませんが、私たちにははっきりと見えています。

今夜、この部屋には五千人もの霊たちが集まっています。皆さんがよく知っている人で交霊会というものに関心のある霊もいれば、こんなことが本当にできるのだということを今まで知らなかったために、初めて見学に来たという霊もいます。

また、どのようにして霊界から地上界へ接触すべきかを学んだり、霊媒を他の分野でも使用できるかどうかを勉強するために、ここに集まってきている霊もいます。こうしたことは地上界ばかりでなく、霊界にとっても非常に重大な真理普及のための仕事なのです。私たちは、時間とエネルギーを無駄に用いることはしません。私たち霊界の者が学ばなければならない大切なことは、地上人の心に私たちからのメッセージを印象づけるためにはどのように霊力を使用したらよいのか、ということです。霊界サイドの者が霊力を用いるための法則を十分に理解するなら、あなた方の心に影響を及ぼしやすくなります。地上人は知らないうちに、霊界からのインスピレーションの受信者になっているのです。

あなた方の世界には、偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育者と言われる人たちが数多くいます。実は彼らは、霊界からの知識を伝える道具にすぎません。私たち霊界の者にとって、真理や発見が地上にもたらされるかどうかだけが問題なのであって、地上の誰がインスピレーションを受けるかは、どうでもいいことなのです。

霊界では、一人で仕事をするということはありません。なぜなら、協調こそが大霊の摂理だからです。そのため霊界ではグループを組織します。そして可能なかぎり、全体としての完璧性を目指します。グループの仕事にとって最も必要とされるのは、メンバーのあらゆる特性・長所を一つにまとめ上げることです。それができると、その中の一人がグループ全体のマウスピースになって地上に働きかけます。私も、私が所属する霊団のマウスピースです。霊団の一人として働く方が、自分一人で仕事をするよりもはるかに楽に進みます。達成された仕事の成果は、グループ全体の知力・精神力を総合したものなのです。

仕事の成果が素晴らしければ素晴らしいほど、霊団のメンバーは完璧に一体化しているということです。同様に、霊媒が首尾よく役目を果たしていればいるほど、霊媒と支配霊との調和がとれているということです。そうでないなら、必ずどこかできしみが生じます。

これと同じようなことが、地上界のチームづくりにも言えます。組織者(リーダー)が優れていれば、メンバーの一人ひとりにふさわしい仕事を与え、最高の結果を生み出すことになります。オーケストラでは、楽団員が演奏する楽器は一人ひとり違っていても、ハーモニーがとれるならば一つの立派なシンフォニーができ上がります。しかし、もしそのうちの一人でも音程を間違えるなら、全体は台なしになってしまいます。まさに調和こそが「神の摂理」なのです。
質疑応答


――心霊現象を起こすためには出席者の霊的エネルギーを使うそうですが、部屋にある物体を利用することもあるのでしょうか。


はい、あります。状況によっては、カーペットやカーテン、書物や家具なども利用します。物質に宿っていない私たちは、身近にある物体からエネルギーを引き出して使わざるをえません。と言っても、少しずつです。一度にあまり多く取り過ぎると、物体はバラバラに分解してしまいます。


――物質化現象が起きる部屋のもの、例えばカーテンなどが異常に早く朽ちるのはそのためですか。


そうです、それが原因です。ですが、私たちはその点にずいぶん気を使っています。物質化現象では色彩を必要とするときがありますが、これもその場の物体から抜き取ります。あなた方が私たちの仕事についてもっと知ってくださるなら、私たちが何ひとつ無駄にしていないことが分かっていただけると思います。しかし何よりも大きな力となるのは、あなた方列席者の内部からのエネルギーです。これが最も大切な要素なのです。

霊媒は、霊媒としての能力を向上させるだけでなく、自分の霊力を強化することも心がけないといけません。霊媒自身の霊力が強化されると、その霊媒から出るエクトプラズムの質も向上するのです。私たちが扱っているのは、材木や粘土ではありません。霊媒の体内にある生命のエッセンスを扱っているのです。思想や人間性や精神など、その霊媒のすべてがエクトプラズムに反映します。


――物質化現象は霊媒現象の中で質的に高いものでしょうか、低いものでしょうか。あなたとしては奨励なさいますか。


何事であれ、一人の人間に幸せをもたらし霊的摂理についての知識を与えることになるならば、それはそれなりに目的を達成したことになります。高いとか低いとかの概念で考えてはいけません。それを必要としている人にとって役に立つか否かの観点から考えるべきです。

シルバーバーチの教え(新版・下)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)



14章 霊界通信の難しさ

〔シルバーバーチの交霊会にたびたび出席しているメンバーは、霊界通信の問題点を知っているが、彼らは霊界側があらゆる障壁を打ち破って地上にメッセージを送ってきたという事実にしばしば驚かされる。シルバーバーチは霊媒をコントロールするシステムを見事に進化させてきたために、霊媒を通して彼の思想のすべてを地上に伝えることができると述べている。とは言うもののシルバーバーチは、時に霊媒の潜在意識が通信の妨げになることも認めている。この章では、霊界通信に関するさまざまな問題を取り上げている。〕


あなた方の住む物質界は活気がなく、どんよりとしています。あまりに重苦しくてうっとうしいために、私たちがそれに合わせようとバイブレーションを下げていくうちに高級界との連絡が途切れてしまうことがあります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて、冷たくて、じとじとした世界です。

あなた方は、目も眩(くら)まんばかりに神々しく光り輝く霊界の太陽を、まだご覧になったことがありません。あなた方はその色あせた模造を見ているにすぎません。ちょうど月が太陽の光を反射して輝いているように、あなた方の目に映っている太陽は、私たちの太陽のかすかな反射程度にすぎないのです。

こうして地上に降りてきた私は、カゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去っていくときの私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように、果てしない宇宙の彼方(かなた)へ喜び勇んで飛び去っていきます。あなた方の言う“死”とは、鳥カゴという牢獄から解放されることなのです。

あなた方から「知り合いの霊からのメッセージを教えてほしい」と頼まれたときには、私はその霊のレベルに合わせたバイブレーションに切り換えます。そのときの私は、単なるマウスピースにすぎません。状態がよいときは簡単に霊からのメッセージをキャッチできます。しかし、この交霊会が開かれている部屋の近所で何か事が起きると混乱が生じます。突然、通信ルートが途絶えてしまうことがあります。そうしたとき私は、急いで別の通信ルートに切り換えなければなりません。バイブレーションを新しいものに切り換えるということです。

個人的なメッセージを伝えるとき、相手の霊が言っていることが手に取るように聞こえることがあります。それはこうして私が今この霊媒を使って語っているときのように、同じレベルのバイブレーションで通じ合っていることを意味します。

しかし、これが高級界からの啓示を受け取るとなると、そう簡単にはいきません。私は別の意識に切り換えなくてはならないため、同じバイブレーションを使うわけにはいきません。シンボルとか映像、ビジョン、直観といった形で印象を受け取り、それを言語で表現することになります。それは地上の霊能者が啓示に接するのと非常によく似ています。そのときの私は、普段シルバーバーチとして親しんでくださっている意識よりも、一段と高い次元の意識を表現しています。

画家がインスピレーションを受けるときは、いつも使用しているものとは異なるバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家は霊力の受け手となり、それを映像に転換してキャンバスの上に描きます。インスピレーションが去ると、それができなくなります。

これと同じで、私が皆さんに霊的真理を伝えようとするときは、高度なバイブレーションに反応できる意識の回路を開き、霊界からのメッセージを表現しなければなりません。そうすることで高級霊は、私を道具として用いることができるのです。

その際、私はこの霊媒の語彙(ごい)(記憶している言葉)の制約を受けるだけでなく、霊媒の魂の進化の程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長すればその分だけ、それまで表現できなかったことが表現できるようになるのです。

今ではこの霊媒の脳のどこにどんな単語があるのかが分かっていますから、それらを何とか駆使して、私の思ったことやここへ来るまでに用意した思想を百パーセント表現することができます。

この霊媒を通じて語り始めた頃は、霊媒の脳の中にある一つの単語を使おうとすると、それとつながった不要な単語まで出てきて困りました。神経、特に脳の中枢全体をコントロールする術(すべ)を身につけなければなりませんでした。それによって必要な単語だけを用いることができるようになりました。現在でも霊媒の影響をまったく受けていないとは言えません。時々、霊媒の言葉が私のメッセージをわずかに着色することがあります。しかし、私の言おうとする内容が変えられることはありません。

あなた方西洋人の精神構造は、私たちとはかなり違います。私たちインディアンの霊が(西洋人の)霊媒をうまく使いこなせるようになるには、相当の年数を要します。霊媒的素質を持った者の睡眠中に、その霊的身体を使って実験を繰り返します。そうした訓練の末に、ようやくこうして霊媒を入神させてその口を使って語ることができるようになるのです。

他人の身体を使ってみると、人間の身体がいかに複雑にできているかがよく分かります。霊媒の心臓をいつものように鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、適度な刺激によって脳の機能を正常に保つ一方で、彼の潜在意識の流れを止めて、その間に私たちの考えを送り込みます。それは容易なことではありません。

初めのうちは、そうした操作を意識的にやらなければなりません。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには、最初は一歩一歩、足を運ぶことをマスターしなければなりません。そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。私がこの霊媒をコントロールできるようになるまでには、やはり同じような経過をたどりました。しかし、今では自動的にできるようになっています。

他界したばかりの霊が霊媒を通してしゃべるときは、そこまでする必要はありません。霊媒の潜在意識に霊の思念を印象づけるだけでよいのです。それでもかなりの練習が要ります。その練習をこちらの世界の者同士で行いますが、それほど簡単なものではありません。こうして霊媒の口を使って語るよりは、メガホンを使ってしゃべる方がずっと楽です。


訳注――物理的心霊実験で、霊界の技術者がメガホンの中にエクトプラズムで発声器官をつくり、通信霊がそれを口にあててしゃべる。この種の心霊現象は、初期のスピリチュアリズムにおいて盛んに演出された。

人間の潜在意識には、それまでの長年の生活によって決まったパターンが形成されています。考え方や表現方法や用いる概念に、一定の傾向ができ上がっています。その潜在意識を使ってこちらの思想やアイデアや単語を伝えるためには、潜在意識の流れ(回路)をいったん止めて、新しい回路をつくらなくてはなりません。もしも同じような考えが潜在意識にあれば、その回路に切り換えます。それはレコードプレーヤーのようなものです。レコード板のトラック(溝)の上に針を置けば、自動的に曲が出てくるのと同じです。

私がこの部屋に入ってくるのに壁は障害にはなりません。私のバイブレーションにとって壁は硬い物質ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が硬い壁のように感じられます。霊媒のオーラが私のバイブレーションに影響を及ぼすからです。霊媒のオーラは私にとっては牢獄のようなもので、私は霊媒の肉体によって制約を受けます。そのため私はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めなければなりません。それがうまくいくようになるのに十五年もかかりました。

霊媒のオーラの中にいる間は暗くて何も見えません。霊媒の肉体によって私の能力は制約を受けます。この霊媒は、子供のときから霊媒として必要なすべてのことを身につけなければなりませんでした。そして私は、この霊媒をどのように使用するかを学ばなければなりませんでした。もっとも、足の使い方は知る必要がありませんでした。私には足は用がないからです。必要なのは脳と手だけです。

この霊媒を支配しているときに別の霊からのメッセージが届き、それをそのまま伝えることがありますが、その際は霊媒の耳を使うのではなく私自身の霊耳(れいじ)を使います。これも霊媒のオーラと私のオーラの問題です。私のオーラは霊媒のオーラほど鈍重ではなく、霊媒のオーラの中にいるときでも、他の霊が私のオーラに思念を印象づけることができるのです。

それは譬えてみるなら、皆さんが誰かと電話で話をしながら、同じ部屋にいる別の人の話を聞くのと同じことです。それは二つの異なるバイブレーションを利用しているわけです。二つの行為を同時にすることはできませんが、バイブレーションを切り換えることはできます。
質疑応答


――霊言現象は、霊が霊媒の身体の中に入ってしゃべるのですか。


必ずしもそうではありません。大抵の場合、霊媒のオーラを通じて操作します。


――霊は、霊媒の発声器官を使いますか。


使うこともあります。現に私は今、この霊媒の発声器官を使っています。もし私がそうしようと思えば(エクトプラズムで)私自身の発声器官をつくることも可能ですが、エネルギーの無駄づかいになります。私の場合はこの霊媒の潜在意識を完全に支配していますから、霊媒のすべての肉体器官をコントロールすることができます。言わば霊媒の意志まで私が代行し――本人の同意を得ての話ですが――その間だけ身体を預かるわけです。通信が終わると私はオーラから退き、霊媒は意識が戻って、いつもの状態になります。


――霊媒の霊的身体を使うこともありますか。


ありますが、その霊的身体は常に肉体とつながっています。


――交霊会を邪魔しようとする低級霊集団を排除するためには、参加者にも心の準備が要りますか。


当然、要ります。何よりも大切なことは、あなた方の心と魂を「愛」で満たすことです。そうすれば同じように愛にあふれた霊以外は近づきません。


――交霊会を開くときには、霊界側でもそのための配慮をするのですか。


もちろんです。常に妨げるものがない状態にしておかなければなりません。あなた方との調和もはからなければなりません。最高の成果をあげるためには、あらゆる要素を考慮しなければならないのです。その目的のために私たちは、高度に組織された体制で臨んでいます。


――霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識を得た方がよいでしょうか。それとも自分の霊媒能力に自信を持って、それ一つで勝負した方がよいでしょうか。


心霊能力の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという意見には賛成できません。知識は、ないよりはあった方がいいと思います。知識というのは先人たちの経験の蓄積ですから、勉強してそれを身につけるように努力するのが賢明でしょう。私はそう考えます。


――立派な霊能者になるためには、霊的な生活を送る必要がありますか。


あなたがより良い生活を送れば、それだけ大霊の道具として立派になります。生活態度が高尚であればあるほど、それだけ内部に宿された神性が多く発揮されることになります。日常生活で発揮されているあなた自身の霊性が、あなたをより優れた道具にしていくのです。


――ということは、霊的に向上すればするほど霊能者としても向上すると言ってよいでしょうか。


その通りです。生活面が立派であればあるほど、霊能力も立派になります。自分を犠牲にする覚悟のできていない人間は、価値ある仕事を達成することはできません。これは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上へ戻ってきた私たちが身をもって学んできた教訓そのものなのです。


――他界した霊からの援助を受けるにはどうすればよいでしょうか。


かつてあなたが愛し、またあなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てるようなことはありません。あなたは常に彼らの愛に包まれています。彼らにはあなたに対する愛があるため、あなたの傍(そば)を離れることはありません。

時に彼らは、誰よりも身近にいることがあります。彼らは、あなたに対して、自分たちの影響力を及ぼすこともできるのです。あなたは、そうした霊界からの働きかけを受け入れやすいときもあれば、恐怖感・悩み・心配等の念に心がとらわれて壁をつくり、彼らが近づくことを困難にするときもあります。悲しみの涙に暮れていると、その涙であなたを愛する霊たちを遠くへ押しやってしまいます。穏やかな心・安らかな気持ち・希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれているときには、大勢の霊が寄ってくることを実感するようになります。

私たち霊界の者は、地上の人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どの程度まで接近できるかは、その人の雰囲気、人間的成長の度合、霊的進化の程度によります。霊的なものに一切反応しない人間とは、接触できません。霊的自覚・悟り、ないしは霊的活気のある人間とはすぐに接触が可能となり、一体関係をつくることができます。

それは必ずしもスピリチュアリストとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことは知らなくても、霊的なことが理解できればそれでよいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。そうすれば私たち霊界の者は、あなた方に近づくことができるのです。恐れや悩みや心配の念を心に宿してはいけません。それらは心にモヤを生み出し、私たちが近づくことを困難にしてしまいます。


――愛していた人間が他界した場合、こちらから送った愛念はその霊に通じますか。


一概に「イエス」とも「ノー」とも言いかねます。魂の進化のレベルが問題となるからです。双方が精神的ならびに霊的に同じレベルであるならば通じるでしょう。が、あまりにも離れ過ぎていれば、地上からの思いは通じないことになります。


――他界した人のことをあまり心配すると、彼らの向上の妨げになるのでしょうか。


地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。霊界の人間は霊界での行為によって進歩するのであって、地上の人間の行為とは関係ありません。


訳注――例によってシルバーバーチは大所高所から、つまり永遠の生命の観点から述べている。が、実際には病的なほど死者を嘆き悲しむ人間がいるのも事実で、その念が死者をいつまでも地上圏に引き留めている例は少なくない。


――どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。


大霊のために自分を役立てようとする人間は皆、大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことではないでしょうか。

自分を愛するように隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるように努力することです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることです。それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べた通りです。


――世俗から隔絶した場所で瞑想の生活を送っている人がいますが、あれでよいのでしょうか。


「よい」という言葉の意味しだいです。世俗から離れた生活は心霊能力の開発には好都合で、その意味ではよいことと言えるでしょう。が、私の考えでは、世俗の中で生活しつつしかも世俗から超然とした生き方をする方がはるかに上です。つまり努力と忍耐と向上を通して自己を確立したのちに、大霊から授かった霊力を同胞のために役立てるのが、より良い生き方なのです。


――世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか。


いちばん大切なことは、他人のために己(おのれ)を捨てるということです。自分の能力を発達させようとすること自体は間違ってはいませんが、開発した才能を他人のために活用するのは、はるかに大切なことです。


――これからホームサークルをつくりたいと思っている人たちへのアドバイスをいただけますか。


ホームサークルをつくってそこに霊力を顕現させるためには、たいへんな忍耐と交霊会を継続していくための準備が必要となります。

イヤな思いをすることのない、本当に心が通い合う人々が同じ目的を持って一つのグループをつくります。そして週に一回、同じ時刻に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよいのですが、祈りから始めて受動的な状態をつくります。各自が前もって、本当に自分たちは目的を達成したいと願っているか、心の内を厳しく見つめ、動機や意欲を問いたださなければなりません。

人のために役立ちたいとの動機から出発しているなら、粘り強くホームサークルを続けていくことです。もし動機が面白半分から出ているとすれば、良い結果は得られません。サークルのメンバーが一つの場所に集い、心を一つにし、霊力を顕現させようと願っているなら、そのとき霊力との触れ合いが始まり、徐々にそれが顕現するようになっていきます。

私たちの目的は、人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りを喜ばせることではありません。人類の霊性を引き上げ、使わずに忘れ去られてきた大霊から授かった霊力をもう一度、見いださせてあげることなのです。

Thursday, January 29, 2026

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


13章 再生(生まれ変わり)

〔再生は、スピリチュアリズムにおいても異論の多いテーマで、通信を送ってくる霊の間でも意見の食い違いがある。シルバーバーチは再生を全面的に肯定する一人であるが、従来の輪廻転生説のような機械的な生の繰り返しではなく、大きな意識体の別の部分が異なる時に肉体を持って誕生することであると言う。ここでは再生に関する質問にシルバーバーチが答える。〕


――一つの意識が部分に分かれて機能することが可能なのでしょうか。


今の“あなた”という意識とは別に、同じく“あなた”と言える大きな意識体(類魂)があります。そのほんの小さな一部が地球という物質界で発現しているのが、今のあなたなのです。そして、今のあなたの他にも同じ意識体を構成する他の部分が、それぞれの意識層で発現しています。


――個々の部分(霊)は独立しているのでしょうか。


独立はしていません。あなたも他の霊も、一個の「内奥(ないおう)の霊的実在(類魂)」の側面なのです。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな表現媒体を通して自我を発現しており、時にその霊同士が一体化することもあります。彼らは自我を発現し始めて間もない頃にはお互いの存在に気がつきませんが、そのうちすべての霊が共通の合流点を見いだして、再び統一されます。


訳注――フレデリック・マイヤースはこの時から十数年前に送ってきた最初の通信『永遠の大道』の中で同じ説を「グループ・ソウル」という呼び方で紹介し、スピリチュアリズム思想に飛躍的発展をもたらした。それからさらに十年後、ちょうど本書(原書)が出た頃に二つ目の通信『個人的存在の彼方』でさらに詳しい解説を施してくれた。シルバーバーチは、別のところで「それはマイヤースの言うグループ・ソウルと同じですか」と問われて、「まったく同じものです」と答えている。なお、このグループ・ソウルを浅野氏は「類魂」と訳した。本書も、この訳語に倣っている。


――こうした霊同士が出会っていながら、それに気づかないことがあるでしょうか。


大きな意識体(類魂)を、一つの大きな円として想像してください。大きな円(類魂)を構成する個々の霊は、その円に対して同心円を描いて回転しています。時おりその霊同士が出会い、お互いが共通の大きな円の中にいることを認識します。最後には個々の霊は回転することをやめ、それぞれの場を得て一体化し、元の円(類魂)が完成します。


――二つの霊が連絡し合うことはできますか。


その必要があればできます。


――二つの霊が同時に地上に誕生することがありますか。


ありません。それは全体の目的に反することだからです。個々の霊の再生の目的は、あらゆる界層での体験を得るということです。同じ界層へもう一度戻るのは、それなりの成就すべき(埋め合わせをすべき)ことが残っている場合に限られます。


――類魂では、個々の霊はその進化に自らが責任を負い、他の霊が学んだ教訓による恩恵は受けないというのは本当でしょうか。


その通りです。個々の霊は一つの大きな意識体(類魂)の構成分子であり、さまざまな形態で自我を発現しているわけです。進化するにつれて個々の霊は大きな意識体を自覚するようになります。


訳注――マイヤースは「類魂」の説明の中で他の仲間の体験を自分のものにすることができると述べている。ここでシルバーバーチはそれを否定するかのようなことを述べているが、マイヤースが言及しているのは、地上体験の共有化による霊的成長についてである。それに対し、シルバーバーチがここで述べているのは、個人が犯した罪の償いと霊的成長についての関係である。たとえ同じ類魂の仲間とはいえ、他の霊が地上で犯した罪を代わって償い、霊的成長を促すことはできないという意味に解釈すべきである。


――そして、進化のある一点において、それらの霊が一体となるわけですね?


そうです。無限の時を経てのことですが……。


――個々の霊の地上への誕生は一回きり、つまり大きな意識体(類魂)としては再生の概念が当てはまっても、個々の霊には再生はないという考えは正しいでしょうか。


再生は個々の霊の成就すべき目的に関わる問題です。特殊な使命がある場合など、同じ霊が二度も三度も再生することがあります。


――一つの意識体の異なる部分とは、どういうものでしょうか。


これは説明の難しい問題です。あなた方には「生きている」ということの本当の意味が理解できないからです。あなた方にとっての生命とは、実は最も進化の低い形態で顕現しているものなのです。あなた方の考えが及ぶすべてのものを超越している生命の実相を思い描くことはできません。

宗教家が高次の神秘体験をしたと言い、芸術家が最高のインスピレーションに触れたと言い、詩人が恍惚(こうこつ)たる喜悦に浸ったと言っても、私たち霊界の者からすれば、それは実在のかすかな影を見たにすぎません。あなた方は、物質世界の鈍重さによって自己を表現することを制限されているため、生命の実相を理解することができません。それなのにどうして、「意識とは何か、どのようにしたら自分を意識できるようになるのか」といった問いに答えられるでしょうか。

私の苦労を察してください。譬えるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれがなく、あなた方にはせいぜい、光と影、日向(ひなた)と日陰の比較くらいしかできません。地上界の虹の色は確かに美しいですが、それとて地上人の理解を超えている霊界の色彩と比べることはできません。


――個々の霊の一つひとつを、大きな意識体のさまざまな特性・人間性の側面と考えてもよいでしょうか。


いいえ、それはまったく違います。大きな意識体の別々の側面ではありません。どうもこうした問いにお答えするのは、まるで生まれつき目の不自由な方に晴天の青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えることができません。


――あなたの言う大きな意識体は、マイヤースの言う「類魂(グループ・ソウル)」と同じものですか。


まったく同じものです。ただし、単なる個々の霊の集まりとは違い、異なる意識から形成された統一体(大きな意識体)で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやって来るのです。


――それぞれの霊は類魂に戻って一体化すると、個性を失ってしまうのでしょうか。


川の水が大海へ流れ込んだとき、その水の存在は失われてしまうでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、バイオリンの音は消えてしまうでしょうか。


――なぜ、霊界サイドから再生の証拠を提供してくれないのでしょうか。


こうした「霊言」という手段では説明のしようがない「再生の問題」についての証拠など、示すことができるでしょうか。あなた方の意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になって初めて、それを認めることができるのです。こちらの世界にも“再生はない”と言う者が大勢いますが、それは彼らが、まだ再生の事実を受け入れることができる意識段階に達していないからです。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに説明することができるでしょうか。芸術家がそのインスピレーションの体験をまったく芸術的センスのない人に説明できるでしょうか。意識の段階が違うのです。


――再生するときは、魂(霊)はそれを知っているのでしょうか。


魂自身は直感的に知っていますが、知的にそれを知っているわけではありません。魂(大霊の分霊)は、永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に自らを発現させていきます。しかしどの段階であっても、発現されていない部分が大半を占めています。


――では、魂は無意識のまま再生するのでしょうか。


それは、魂の進化の程度によります。多くの魂は再生する前にそれを知っていますが、知らない魂もあります。魂は知っていても知的には意識しないまま再生することもあります。これは生命の神秘中の神秘に触れる問題であり、とうてい地上の言語で説明できるものではありません。


――生命がそのように絶え間なく変化し進歩するものであるなら、生まれ変わりが事実だとしても、どのようにしたら霊界へ行ったとき地上で愛し合っていた人々と会い、地上で約束した再会の喜びを味わうことができるのでしょうか。


愛は必ず成就します。なぜなら愛こそが宇宙最大の力だからです。愛する者同士は常に、愛の絆によって引き寄せられます。愛で結ばれた者たちを引き裂くことは、絶対にできません。


――でも、再生を繰り返せば、互いに別れ別れの連続ということになりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが……。


一致しないのは、あなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念でしょう。宇宙とその法則は大霊によって造られたものであり、大霊の子供であるあなた方がつくったものではありません。賢明な人間は新しい事実を前にすると自分の考えを改めます。自分の思い通りにしようとしても、その事実を変えることはできないことを知っているからです。


――これまで何度も地上生活を体験していることが事実だとすると、もっと進化し、理想的な人間になっているはずだと思うのですが……。


物質界にあっても聖人は聖人であり、最下等の人間は最下等の人間なのです。地上だから、霊界だからということで違いが生じるのではありません。要は魂の進化の問題です。


――これからも、これまでのように苦難の道が無限に続くのでしょうか。


そうです。無限に続きます。苦しみや困難という試練を通して内部の大霊(神性)が開発されます。苦難によって神性は試されるのです。金塊がハンマーで砕かれ精錬されて初めてあの輝きを見せるように、内なる神性も苦難の試練を受けて純化され、強化され、洗練されることになります。


――そうなると、死後に天国があるという考えは意味がないのでしょうか。


今日のあなたには天国のように思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。というのは、真の幸福は今より少しでも高いものを目指して不断の努力をするところにあるからです。


――再生するときは前世と同じ国(民族)に生まれるのでしょうか。例えばインディアンはインディアンに、イギリス人はイギリス人に、という具合に……。


そうとは限りません。さらなる進化のために最適と思われる国や民族を選びます。


――男性か女性かの選択も同じですか。


はい、同じです。必ずしも前世と同じ性に生まれるとは限りません。


――死後、霊界で地上生活の償いをさせられるだけでなく、地上に再生してからも同じ罪を償わなければならないというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのでしょうか。


それは償うとか罰するとかの問題ではなくて、進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているかどうか、魂の教育と向上という一連の鎖を強化する必要があるかどうかということです。必ずしも罪の償いのためではなく、欠けている部分を埋める目的で再生する場合がよくあります。魂を鍛えるためであったり、前世で学べなかった教訓を学ぶために再生する場合もあります。再生は罪の償いのためだけとは限りません。二度も三度も罰せられるというようなことは決してありません。大霊の摂理を知れば、その完璧さに驚かれるはずです。なぜなら摂理を造られた大霊そのものが、完全な存在だからです。


――自分はこれまでに地上生活を何回経験しているかということが、明確に分かる霊がいますか。


います。それを知ることが必要な段階にまで成長すれば、分かるようになります。光に耐えられるようになるまでは光を見ることができないのと同じです。名前をいくつか挙げてもけっこうですが、それでは何の証拠にもなりません。何度も言ってきましたが、再生の事実は「説く」だけで十分です。

私は大霊の摂理について私なりに理解したことを述べているのです。知り得たかぎりの真理を述べているにすぎません。私の語ることに得心がいかない人がいても、それはいっこうにかまいません。ありのままの事実を述べているだけですから、受け入れてもらえなくてもかまいません。私と同じだけの年数を生きたなら、その人もきっと考えが変わることでしょう。


――異論の多い再生の問題を避けて、死後の存続ということだけに関心の的をしぼることはいかがでしょうか。


闇の中にいるよりは、光の中にいる方がよいでしょう。無知のままでいるよりは、知識を得た方がよいでしょう。大霊の摂理について知らないよりは、知った方がよいでしょう。何もしないでじっとしているよりは、真実を求めて忍耐強く努力する方がよいでしょう。進歩のために努力し続けることが大切なのです。死後にも生命が存続することを知ったからといって、真理探求の道が終わったわけではありません。自分が大霊の分霊であり、それゆえに何の支障もなく死の関門を通過し、すべてが続いていくことを理解したとき、さらなる探求の歩みが始まります。それが本当の意味での出発なのです。

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)



12章 睡眠中は何をしているのか


〔睡眠中に体験したことを翌朝になって思い出せる人が何人いるであろうか。もし睡眠中に霊界で活動しているのなら、肉体に戻ったときにその間のことを少しは思い出してもよさそうなものである。シルバーバーチはここで、なぜ睡眠中の体験が脳に記憶されないのか、その理由を述べている。〕


実は、すべての人間が睡眠中に霊界を訪れています。これは霊的身体を死後の環境に適応しやすくするための大霊の配慮の一つなのです。その体験は、いよいよ肉体との縁が切れたときにショックを和らげてくれます。そして地上時代に霊界を訪れたときの記憶が徐々に蘇り、新しい環境への適応が促進されるようになるのです。それはちょうど地上生活の中で、子供の頃の体験を思い出すようなものです。

物質界では(脳を中枢とする)小さな意識しか持てないため、より大きな霊的意識の中で生じたことを思い出すのは困難です。あなた方は死ぬまで、本当の意味で生きているとは言えないのです。しかし時に地上界でも、覚醒中に背後霊との一体化がなされ、一瞬の間ではあっても物質界では味わえない天上的な至福感に浸ることがあります。

霊性のレベル、いわゆる霊格は、魂の進化の程度によって決まります。霊界では誰もが行きたい所へ行けますが、それには霊性のレベルによる制約があります。ある者は睡眠中に暗い界層へ行きます。この場合、二つのケースが考えられます。一つは、その人の霊性のレベルが低いために、親和力によってそれに見合った環境へ惹きつけられるケースです。もう一つは、霊性の高い人が(低い界層の霊たちを)救済するために、自ら願って出向くケースです。

死後の世界では、肉体に宿った(睡眠中の)地上人の霊が、低級霊の救済に役立つことが多いのです。バイブルにもイエスがいわゆる“地獄”へ降りていった話があります。この場合は睡眠中ではありませんが、原理的には同じことです。

訓練によって睡眠中のことを思い出せるようにすることは、不可能ではありません。しかしそれには、霊的意識を脳の細胞に印象づける訓練をしなければならないため、かなりの努力が要求されます。睡眠中の体験を思い出すことは物的身体と霊的身体との連携がどれほど緊密かによって決まるため、人によって難しさの程度が異なります。睡眠中の体験を容易に思い出せるようになる人は、優れた精神的霊媒(主観的心霊現象に関わる霊媒)になれる素質を持った人と言えます。
質疑応答


――死んでから低い界層に行った人はどんな状態なのでしょうか。今おっしゃったように、やはり睡眠中に訪れたときのこと――多分低い界層だろうと思いますが――を思い出すのでしょうか。そしてそれがその人の死後の世界への適応に役に立つのでしょうか。


低い界層へ惹きつけられていく人は、睡眠中にその界層を訪れているのですが、そのときの記憶は死を自覚するうえでは役に立ちません。なぜならそうした人が目覚める界層は、地上ときわめて似ているからです。死後の世界は低い界層ほど地上によく似ています。バイブレーションが粗いからです。高い界層ほどバイブレーションが精妙になります。


――朝、目覚めて、睡眠中の霊界での体験を思い出すことがあるのでしょうか。


睡眠中、あなた方の霊は肉体から抜け出ていますから、当然、脳から解放されています。脳はあなた方を物質界につなぎ止める肉体器官です。睡眠中、あなた方は魂の発達程度に応じたバイブレーションの世界での体験をします。その時点ではあなた方はそこでの体験を意識しているのですが、肉体に戻って睡眠中の体験を思い出そうとしても思い出すことはできません。それは、霊界での体験の方が地上よりも大きいからです。小さなものは、大きなものを包むことはできません。そのために歪(ゆが)みが生じるのです。

譬えて言うならそれは、小さな袋の中に無理やり多くのモノを詰め込むようなものです。袋には容量があり、無理やり詰め込むと、モノの形は歪んでしまいます。それと同じことが、あなた方が霊的世界から肉体に戻るときに生じるのです。ただし魂がすでに進化しており、意識がある段階に到達している場合には、霊界での体験を思い出せるようになります。脳を訓練することができるからです。

実を言いますと、私はここにおられる皆さんとは、睡眠中によく会っているのです。その際、私は「地上に戻ったら、今体験していることを思い出してください」と言うのですが、どうも思い出してくださらないようです。皆さん方、一人ひとりに会って、あちらこちらを案内しているのです。でも、今は思い出してくださらなくてもいいのです。決して無駄にはなりませんから……。


――こうした霊的体験の記憶は、私たちが死んでそちらへ行ったときに役に立つということでしょうか。


そうです。何ひとつ無駄にはなりません。摂理は完璧です。長年、霊界で生活を送ってきた私たちは、神の摂理の完璧さにただただ驚くばかりです。大霊を非難する地上の人間のお粗末なセリフを聞いていると、まったく情けなくなります。知らない者ほど己の無知をさらけ出すものです。


――睡眠中に仕事で霊界へ行く人もいるのでしょうか。睡眠中に霊界を訪れるのは死後の準備が唯一の目的でしょうか。


仕事をしに来る人は確かにいます。霊界には、地上人が睡眠中に貢献できる仕事があるからです。しかし、大抵は死後の準備のためです。地上界を去った後、霊界ですることになっている仕事の準備のために、睡眠中にしかるべき所へ連れていかれます。そうした準備をしないでいきなり霊界へ来ると、ショックが大きくて回復に時間がかかってしまいます。

地上時代から霊的知識を知っておくと霊界への適応が容易になる、と言われるのはそのためです。霊的知識を知らなかった人は、霊界に適応できるようになるまで長い期間、眠った状態に置かれます。あらかじめ知識があれば地上から霊界への移行がスムーズになされ、新しい自覚が早く得られるようになります。

それはちょうど、ドアを開けて日光の照る屋外へ出るようなものです。光のまぶしさに慣れなければなりません。闇の中にいた人が光に慣れるには時間がかかります。地上の赤ん坊のよちよち歩きと同じです。彼らには地上時代の体験の記憶はあっても、夢を思い出しているような状態なのです。

いずれにしても体験というものは、地上であれ霊界であれ、何ひとつ無駄なものはありません。そのことをよく胸に刻み込んでおいてください。


――夢について説明していただけませんか。どう考えても霊界での体験の記憶とは思えないものがありますが……。


夢には数えきれないほどの種類があります。(幽体離脱中の)脳の残像の反映にすぎないものとか、食べたものの影響など、物理的に説明のつく夢もありますが、そうしたものの他に、霊界での体験が断片的な形として記憶され、それが夢になっているものがあります。

夢が支離滅裂になりがちなのは、肉体の制約から離れて霊界へ行っていた人間が、再び肉体に戻ってその体験を思い出そうとすると、物質的制約の中でそれが歪んでしまうからです。


――睡眠中の人間に働きかける霊は、自分の働きかけがきちんとその人間の意識に印象づけられたかどうか分かるものでしょうか。


いいえ、必ずしも分かってはいません。それはこうした交霊会(入神談話)も同様で、どの程度まで伝わっているかは、その時点で判断がつくとは限りません。睡眠中の体験の印象づけも同じことです。


――もし私たちが、睡眠中に指導霊としばしば会っているとするなら、交霊会での話の中でそれについて言及することが少ないのはなぜでしょうか。


言及しているのです。皆さんはいつか、睡眠中の体験が自分の魂の中に記憶されていることを知るでしょう。たとえ今は脳を介して睡眠中の記憶を思い出せなくても、いずれそのことを知るようになるでしょう。そのうちその記憶が蘇ってくる日がきます。今は分かっていなくても、霊界での体験は事実だからです。


――睡眠中は、私たちの霊は肉体を離れていて、その間の肉体は言わば“空き家”になっているわけですが、そのようなときに地縛霊に侵入されたり憑依されたりしないための仕組みがあるのでしょうか。担当の背後霊が憑依されないように監視してくれているのでしょうか。


当人に憑依される原因がある場合は別として、睡眠中に低級霊に憑依されることがないのは、そのようにならない法則があるからです。

自我の本体である霊は、肉体の中に存在しているのではありません。霊は肉体とはバイブレーションが違っており、内側にあるとか外側にあるというようなものではありませんし、心臓と肺の間に挟まれて小さくなっているというようなものでもありません。本来のあなたは、地上で肉体器官を通して自我を表現している「意識体」なのです。

睡眠中の体験のすべては、その「意識体」が肉体ではなく霊体を通して自我を表現しているのであって、その間は霊界にいるわけです。その間に、その肉体に他の霊が入り込むようなことはありません。肉体のドアを開けて外出している間に別の者が入り込んでドアを閉めてしまうようなことはありません。「意識体」は睡眠中に肉体から霊体へと移行しますが、その際も相変わらず肉体を管理しており、肉体に戻る時間がくれば再び脳とつながった意識をすぐに取り戻します。


――ということは、憑依する霊は憑依される人間の霊の許しを得て侵入するということでしょうか。


そうではありません。憑依されるのはその人間の内部に憑依を引き起こす原因があってのことで、それぞれの人間の問題なのです。

あなた方の心が愛と奉仕の精神に満たされているときは、あなた方を道具として用いようとする高級霊が引き寄せられます。憑依もそれと同じ法則によって発生します。法則は善の方向だけに働くのではなく、悪の方向にも働きます。最高の奉仕のために働く法則は、悪なる行為にも働くのです。あなた方は高く上がることができますが、低く堕ちることもできるのです。どちらも同じ法則(親和性の法則)の働きです。その法則は、あなた方の選択に応じて働きます。


――予知的な夢は、そちら側から伝達されるのでしょうか。


そういうこともあります。愛の絆で結ばれた霊からの警告であることもあります。他に、物的束縛から放たれた霊的身体が未来の出来事を感知して、それを夢の形で持ち帰ることもあります。


――睡眠中は霊が肉体から離れているのに、肉体はどのようにして生気を保ち、死なないようになっているのでしょうか。


霊はシルバーコードで肉体とつながっているため、霊の意識は肉体に反映されるようになっています。シルバーコードが切れて霊と肉体とのつながりがなくなれば、霊は肉体を生かすことはできなくなってしまいます。


――麻酔をかけられている間、霊はどこにいるのでしょうか。


それは分かりません。どこかにいるのでしょう。どれくらい遠くへ行けるか、どんな所へ行くかは、その人の魂の進化の程度によって違ってきます。


――脳の障害によって生じた無意識状態と睡眠中の無意識状態とでは、何か違いがあるのでしょうか。


もちろんです。障害による無意識状態は、霊と肉体との正常な関係が妨げられることによって発生します。一方、睡眠は自然な生理現象で、霊は夜になると肉体のバイブレーションが下がることを知っていて、霊界へ行く準備をします。前者は物的身体に障害を与える異常現象であり、後者は正常な人間の営みの一部です。睡眠の場合は霊は自発的に肉体を離れますが、障害による場合は肉体が正常に機能しないため、霊は無理やり肉体から追い出される状態になります。

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
五章 造化の原理



4 通信の中断

 一九一八年三月二十五日  月曜日

    吾々がこれまでに述べたことは、言ってみれば神の衣のふさべりに触れた程度にすぎません。その衣は神の光と美をおおい隠すと同時に、それを明かすこともします。


貴殿が精神をお貸しくだされば吾々はもう少し深入りできそうです。お伝えしたいことはいくらでもあります。貴殿の伝達能力の範囲で可能なかぎりのことをお話してみましょう。
 そのことでお願いしておきたいのは、日常生活の身のまわりに生じる出来ごとの裏側に存在する神の意図を吾々が説き明かすのを、根気よく聞いていただきたいということです。霊界の者は人間の一人一人に生じる出来ごとに細かく通じております。

そこでこちらから手助けしようとするのですが、さまざまな障害のために見過さざるを得ないことがあります。吾々霊団の者としても、際限なく広がり何一つ行く手を遮るもののないエネルギーを秘めた生命の海の中にあっては、ほんの小さな存在にすぎません。

 物質となって顕現している宇宙と、全存在の源であり、収穫の時期にはすべての稔りが取り入れられる大中心との因果関係については、すでにいくつか述べました。

 ところで、吾々が例の王冠状の大ホールの中に立った時、大中心から流れくる強烈なエネルギーによる圧迫感を身辺に感じ取って、みな陶然となりました。

そこには静寂と威厳と美の中にことばがキリストとなって顕現していたのです。

ここのところによく注目してください。そのとき吾々はキリストの霊と、そのキリストを通して奥深き未知なる存在から流れ来たったものを目のあたりにしていたのです。

それはキリストを通して垣間みる以外には吾々にとってまったく未知の世界なのです。それが今キリストを通して吾々の同化吸収力を超えた重みとスケールをもって放射され、強烈なエネルギーの威圧を感じていたのです。

しかもキリストがすぐ目の前におられてその個性の内部と背後の光のいくばくかを吾々の教化と高揚とより完全なる喜びを味わわせるために放射されていることだけは確実に理解することができました。

 キリストは例の創造活動の大展覧が周囲に展開し終るまで完全な静止状態のまま立っておられました。その様子はあたかも創造の驚異を吾々に展示せんがために全能力を最高に緊張させておられるようでした。

それが終り、雄大な展覧が完了すると、そこで一息入れられました。するとその背後に玉座が出現し、同時に玉座の背後に得も言われぬ美しい天使の姿が次々と出現し、礼拝の姿勢でじっとしています。

するとキリストがくるりと背をこちらへ向け、七つの階段を上がって玉座に腰かけられました。するとその上がり段の前に通路が現われ、それが伸びて人類を展示してある区画を取り囲むように位置する天使群のところまで来ました。

すると天使の群れはその通路を通って玉座の前まで足を運び、そこで全員が立ち止まり、視線を地面へ向けました。

するとその背後の人類の区画の方角から歌声が響いてきました。遠い遠い虚空の腹部から出てくる壮大なダイヤペーソン(音域の全てが一つになった音)のようなハミングで、あたかも天体と天体との間にハーブの弦を張ったのかと思われるほどの壮大さでした。

その低音のハミングの調和のとれた響きはキリストの前に整列した天使群の一体化を象徴しておりました。

 そう見ていると、玉座の背後から一人の輝く大天使が現われ、キリストの右に立って、集結した天使群に語りかけました。

その言葉は吾々にも鮮明に聞き取ることができました。が、その間も遠き虚空の彼方から響いてくる歌声は止まず、その歌声の響く中でその大天使はキリストが全宇宙による愛を顕現されるために払われた犠牲が立証されたことを語って聞かされたのでした。

 原著者注──この時点で私の霊力が尽き、それ以降(まる一年間)交信が途絶えた。霊力が尽きたのは牧師としての仕事と第一次大戦に関連した仕事による私の過労のせいである。この二つの足枷は私には大きすぎ、このように突然、通信がストップしてしまった。

 (半月後の)四月十日の水曜日に妻がプランセットで通信していた中で父親にこう質問した。

 「ジョージ(オーエン)との通信はなぜストップしたのでしょうか」

 すると次のような返事が綴られた。

 「説明しよう。あのころジョージは疲労がひどく、そのうえ夏も近づいていて、自分でも通信を中止したい気持になっていた。たしかに休息が必要な状態になっており、これで良くなるだろう。これで通信が終わってしまったと思ってはいけない」


 訳者注──その疲労のせいと思われるが、この第五章の通信はこれまでになく読みづらく、従って訳しにくかった。

とくに最後の通信はオーエン自身のキリスト教的先入観がかなり混入しているのではないかと思われるふしがある。が、

かつてのナザレのイエスが死後その本来の霊的資質を取り戻し、地上経綸の主宰霊として大々的に活躍していることは、イムペレーターもシルバーバーチも異口同音に述べていることであり、本通信に出てくる〝キリストの顕現〟は、イムペレーターのいう〝高級神霊による讃仰の祈りのための会合〟、シルバーバーチのいう

〝指導霊ばかりの途方もない大集会〟などの催しにおいてもそのイエスが主宰していることを考え合わせると、民族・国家の違いによって大小さまざまな形はあるにしても、今なおひんぱんに行われているものと私は信じている。


ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
五章 造化の原理



3  二人三脚の原理
  一九一八年 三月二十二日 金曜日

 今夜も例の顕現の場における宇宙創造に関する研究から得た原理をテーマとして述べてみたいと思います。

 エネルギー作用におけるスパイラルの原理についてはすでに述べました。そこでもう一つ吾々が学んだ原理をお教えしましょう。

 創造的生命のあらゆる部門においてその発展を司る者が必ず遭遇し適応しなければならないものに、潜在的な反抗的衝動があります。

その影響力が生ずるに至った始源をたどれば悠久の太古にさかのぼり、しかもそれは神の心を物質という形態での顕現を完遂させようとする天使群の努力の中から生じたものなのです。

 当時──はるか太古のことですが──その完遂へ向けての道程に関して天使群の間で意見が二つに分かれました。時間をかけるべきと主張する側と早く仕上げるべきと主張する側です。と言っても真っ向から対立したわけではありません。

その考え方には共通した部分がいろいろとありました。が、不一致から生じた混乱によって今日人間が〝悪〟と呼ぶ要素が生まれたのです。今すべてが完成へ向けて進行していることは事実です。

が、そのための活動の分野は無限といえるほど広大であり、当然それに要する期間は地上の年数で計算すれば無限といってもいいでしょう。

永遠の存在である神の目から見れば長いも短いもないのですが、川の流れと同じで、上から見下ろせば一つの流れであっても、これを始源からたどれば全体をカバーするに延々とした道のりとなります。

 造化の進展におけるその多様性が現時点の地球意識が機能している外的界層にいかに顕現しているかは貴殿にもお分かりでしょう。

と言うのは、地球の表面には一方においては今なお発達途上にある才能の蓄積を生み、他方においては進化の大機構における目的に寄与して今や生命の質の向上によっていっそう入り組んだより敏感な媒体が必要となったために捨てられてしまった、かつての天使の叡智の試練の贈(タマモノ)があふれている──否、地球全体がそれによって構成されていると言えるほどだからです。

遠い太古の遺物にもそのことが言えますが、他方、発展せんとする衝動の強さにとって媒体が不適当であることが表面化し、窮屈となり、生命の鼓動が小さくなり、無力化し、ついにその系統の進化活動が停止するに至ったことを物語るものがあります。


 現在化石として残っている巨大な哺乳動物や爬虫類は創造物としては高度の技術を要した素晴らしい産物でした。が、現時点から見るとお粗末で不格好な作品に見えます。

ただ見落としてならないのは、そうしたぎこちない創造物の中にも、今なお造化の過程にある生き生きとして進歩性に富む生命力の宿る神殿(媒体)の基礎を据える上で役に立ったものがあるということです。

そうした基礎工事に較べれば神殿のデザインがいかに改良されてきたかがお分かりになると思います。今貴殿らが立って眺めている階段の標高がいかに高いかもお分かりでしょう。

その位置からは、今日の地上の生命の基礎が据えられた時の地球と同じ段階にある新しい天体の造化に当たっている他の天使群の作業場が、はるか虚空の彼方に見晴らせるのです。

 そこで私のいうもう一つの原理はこうです。発展というのは必ず二重のコースが並行して進みます。

一つはすでに述べた通りの統一性から多様性へ向けるのコースですが、それと並行して必ず、その対であるところの霊的なものから物的なものへのコースが伴うということです。両者は常に並んで走る二人のランナーのようなものです。

一人は〝統一性から多様性へ〟のランナー、もう一人は〝霊から物質へ〟のランナーです。二人は常に同じペースで走らなければなりません。一方が他方を追い越すことは許されません。競争ではなく、同時にゴールインしなければならないのです。

 ところが、その造化の大業にたずさわる者の中にタイミングの読みを間違えて、まだゴールの標識に至らないうちに外部への進展を止め、その創造的生命力をふたたび霊の方向へ向かわせる操作をした者がいたのです。

その標識とは地上の科学者が〝宇宙〟と呼んでいるところの、創造的活動の物質的表現のことです。実はそれが宇宙の全てではありません。

もっと奥深い次元での内的顕現の物質的側面に過ぎません。その背後には造化を司る天使群が控え、意念の活性化によって、銀河の世界の恒星の大艦隊が首尾よく物質の大海原を航海し、目指す港に到着すればくるりと向きを変えて帰路につけるように、たゆみなくその操作に当たっているのです。

 しかし、帰路に着くといっても、来た時と同じ航路を逆戻りするのではありません。

と言うのは、疾風怒濤の荒波を乗り越えてきた航路において生命の多彩な表現の豊かさを身につけて、最初に船出した時はただの漕ぎ手と荷上げ人足に過ぎなかったのが今や一人ひとりが船長の資格を持ち、指導者としての霊格を身につけていますから、来た時よりはるかに陽光にあふれた航路を進むことになるのです。

 さて私が先ほど混乱が生じたと申し上げたのは、その造化の天使群のうちの一部が目指す港への到着を待ちきれずに旋回しようと企てたことです。

艦隊はすでに悠久の時を閲しながら航海してきて、その大海のど真ん中で帆をいっぱいに膨らませたまま旋回しようというのです。疾風と怒涛の真っ只中です。

各船体が大きく揺れ、激突し合って今にも沈没しかけるものもありました。そこに至って彼らもやはり順風を受けて進むべきであることを思い知らされ、ふたたび当初の目的地へ向きを戻したのでした。

そうしてようやく目指す港へ着いた時は船体は傷つき、帆は破れ、くぐり抜けてきた嵐の跡がそこかしこに見られるのでした。

 以上の物語の意味を説明しましょう。大海は無限絶対の心すなわち神が外部へ向けて顕現していく存在の場です。艦隊は神の命を受けて造化に当たる天使群によって創造された顕幽にまたがる宇宙です。

外部へ向けてのコースの目指す港は現在の地球が一部を占めている物的宇宙です。帰路のコースは貴殿らがいま向かいつつあるものです。

最も外部の地点まで辿り着き、そこの標識を今まさに折り返しつつあるところです。

今日地上に何かと不穏な状態が生じているのは、人類がその折り返し点に来ているから──不活潑な物質の港から活潑な外洋へと船出せんとしている、その旋回が原因です。

そのうち帆に風いっぱいに受けてぶじ帰路に着くことでしょう。そして士官も乗組員も上機嫌となり、艦隊が存在の場を波を切って進むにつれて、悠久の港に船出した母港へと近づきます。すでに光が射しはじめ神の微笑が見えるはるか遠い東の空に待ちうける歓待へ向けて進むにつれて、喜びと安らぎが次第に増していくのです。


──混乱が生じたのはいつ頃のことだったのでしょうか。つまり造化にたずさわる天使群が過ちを犯しはじめたのは進化のどの段階でのことだったのでしょうか。

 私にもたどることができないほど遥か遠い昔のことでした。さらに言えば、地上の視点からすれば〝読み間違えた〟ように思えるかもしれませんが、実際には必ずしもそうではないのです。私は貴殿からは見えないところに位置しておりますが、進歩の程度からいえば、ほんの一歩先を歩んでいるだけです。

私およびここにいる私の仲間たちには、その〝間違えた〟と言っているものも、目指す港に着いてみれば現在の吾々が考えているものとは異なったものであるように思えるのです。

我々が〝悪〟だとか〝不完全〟だとか決めつけ、そう思い込んでいるものも、そこへ行き着けばまるでミニチュアの小島の岩に打ち寄せる小さな波のようなもの──無限なる大海の真っ只中の小さな一滴にすぎないのです。

その波が砕けて(大げさに)しぶきを上げているように思えます。が、落ちゆくところは母なる海であり、しょせん元の大海は増えてもいなければ減ってもいないのです。

吾々はその真っ只中の一点の島に当たって砕け散ったカップ一杯ほどの水でもって海の深さを測ってはならず、豊かなその懐の威厳を推し測ってもならないように、無限なるもののほんの一かけらを取り上げて神の偉大なる叡智に評価を下してはなりません。

 あるとき一匹のアリが仲間に言いました。

 「なあ、オレたちはアリマキよりは頭がいいんだよな。あいつらを働かせてオレたちが要るものを作らせてるんだから・・・・・・」

 「そりゃあそうさ」と仲間は答えました。

ところがそこへアリ食いが現われて、そのアリたちの知恵も一瞬のうちに消えてしまいました。アリ食いは日なたで寝そべってこうつぶやきました。

「アリたちはあんなことを言ってやがったが、みろ、オレはその上を行ったじゃないか。だが、オレよりもっと大きな知恵をもったヤツがいるに違いないんだ・・・・・・」

 人間がアリと同じような考えでいても、宇宙にはもっと大きい、そしてそれに似合った力を具えた存在がいるのです。そういう大きな存在はせっかちな結論は下しません。それを知恵が足りないからだと考えてはなりません。 
                                アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
五章 造化の原理



2  文明の発達におけるスパイラル
 一九一八年 三月十五日 金曜日

──今夜はどういう目的でいらしたのでしょうか。

 例の顕現で学んだ教訓についての叙述を続けたいと思います。


──例の類似性についてのお話の最後の部分がよく理解できませんでした。私には今一つ要領を得ない感じがしました。私は正しく受け止めていたでしょうか。

 結構でした。取り損ねられたのは応用についての部分です。あの時はすでに消耗が度を越していたようです。今夜はその補足説明しようと思います。

 さて、物的世界を支配する原理、すなわち物質の形態による外部への生命の顕現は霊的世界にも当てはまります。


 まずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然のことで、物的原子のすべてが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。その神から湧き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序をへて降下し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。

したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが分かります。

これは、もしそのエネルギーが流れる霊的界層においてもスパイラルの原理が働いているからこそであって、もしそうでなかったら有り得ないことです。ではどういう具合に働いているかを述べてみたいと思います。

 実はヤシの葉状の王冠がそのスパイラルの原理の一つの象徴でした。スパイラル状に編まれておりましたし、例の顕現の中で王冠のまわりに集結した天使群も当然スパイラル状に整列しておりました。

それが彼らの仕事の象徴のようなもので、その位置の取り具合によって吾々に教訓を読み取らせる意図があったのです。

 では次にこれを動物的生命の創造に見てみましょう。

 そもそも〝感覚〟による動作が最初に見られるのは植物です。そしてそこにもスパイラルの原理がはっきりとした形で現れているのが分かります。

たとえば豆科の植物は他のつる科の植物もみなそうであるように、スパイラル状に伸びます。典型的なスパイラルを描くものもあれば、少し形の崩れたものもありますが・・・・・・

 樹液の流れも幹を上昇しながら直線から曲線へ移行しようとする傾向を見せます。巻きひげによって登って行く植物も、ひげをスパイラル状に巻き付けて支えています。空中を遠く飛び散る種子も同じような曲線を描きながら地面へ落下します。

こうしたことは全てスパイラルの原理の働きの結果で、太陽から送られるバイブレーションが地上の植物にまで届くのにもそれが作用しています。つまり虚空を通過してくる際にはミニチュアの形でスパイラル運動が生じ、みずから天体の回転を真似ているのです。

 さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いていることが分かります。たとえば、小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしていることが明らかになります。

同じことが海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。

自由意志が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。逆に自由意志が少なくなるほどその原則が明確に見られます。

たとえばカタツムリの殻をご覧になればよく分かります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意志に代って本能が作用しているからです。



 一方、人間に関して言えば、個々の人間の個性よりも各民族全体を指導する大精神(※)に関わる事象においてそれは顕著に見られます。たとえば文明は東から西へと進行し、幾度か地球を楯回(じゅんかい)しています。その地球は太陽を中心として動いている。

しかし太陽の子午線は赤道に沿って直線上に走っているわけではなく、地球がどちらかに傾くたびに北に振れたり南に振れたりしている。

こうした地球の動きは太古における地球の動きの名残りであり、同じスパイラル運動が支配している星雲から誕生したことを示しております。こうして現在は顕著なスパイラル運動はしていないとはいえ、地球上の文明の進路が続けて二度同じコースをたどることは決してありません。

文明の波が前と同じ経線のところまで戻ってきた時には地球自身の両極は何度か───北極が南へ、南極が北へ──傾いております。かくして太陽からの地球へのエネルギーの放射の角度が変わると、文明の進路も変化します。

こうしてその文明は言うなれば地球にとっての〝新たな発見〟という形を取っていくわけです。

(幻の大陸と言われている)レムリアとアトランティスの位置についての憶測を考えていただけば、私の言わんとするところがお分かり頂けるでしょう。(※地球の守護神のこと。これを人間的容姿を具えた神様のように想像してはならない。

地球の魂そのものであり、無形の霊的存在であり、前巻で述べた通り、これがキリストの地球的顕現である。人間はすべてその分霊を受けて生まれる。それを最も多くそして強力に体現したのがイエス・キリストということである──訳者)

 それだけではありません。この原理は文明のたどるコースだけでなく文明の産物そのものをも支配しています。これは説明がさらに困難です。

こちらの世界ではそれを鮮明に認識することができます。と言うのも、人類の精神的活動の様子が地上より生き生きと見えるだけでなく、広範囲の年代のことを一度に見ることが出来るからです。

そういう次第で私は、人類の歩みが着実に上へ向いていること、しかしそれは巨大なスパイラルを描いていると明言することができます。

 その意味を分かっていただくには、〝太陽の下に新しいものなし〟(旧約・伝道の書1・9)という言葉を思い出していただくのが一番良いでしょう。

これは文字通りの真理というわけではありませんが、ある程度は言い当てております。貴殿は、新しい発見が為されたあとでそれに似たものがすでに何千年も前に予測されていたということを聞かされたことがあるでしょう。

私は予測されていたという言い方は賛成できません。そうではなくて、このたびの新しい発見はそれに先立つ発見が為された時に科学が通過しつつあったスパイラル状の発達過程の位置のすぐ上の時期に当たるということです。

発明・発見のスパイラルはあくまでも上昇しながら楯回しているわけです。ですから発明・発見が〝新しい〟というのは、前回の楯回の時のものの新しい翻案という意味においてのみ言えることです。


──例を挙げていただけませんか。

 エーテル分子(※)の人類の福祉のための活用がそのよい例といえるでしょう。この分野の科学は実にゆっくりとした段階で研究されてきたことにお気づきでしょう。

とりあえず〝燃焼〟の段階から始めてみましょう。燃焼によって固体が気化されました。次に、これによって熱を発生させることを知り、さらに熱によって生産した蒸気を利用することを知りました。

続いて同じ気化熱を蒸気を媒介とせずに利用することを知り、さらに微細なバイブレーションを活用することを知り、今日では急速に蒸気が電気へと変わりつつあります。

が、さらに次の段階への一歩がすでに踏み出されており、いわゆる無線の時代へ移行しつつあります。

(※エーテルの存在はかつてオリバー・ロッジなどが主張していたが今日の科学では否定される傾向にある。

がこの通信霊アーネルは第三巻でも明らかにその存在を認めた説明をしている。〝エーテル〟といい〝霊〟といい、地上の人間がそう呼ぶから霊の方でもそう呼んでいるまでのことで、科学が存在を認めようと認めまいと、あるいは、たとえ認めてそれをどう呼ぼうと、霊の方は存在の事実そのものを目の当たりにした上で語っているのであるから、

現在の科学理論でもって通信の内容の是非を論じるのは主客転倒であろう。なおこの一節は過去一世紀間の科学の発達を念頭に置いてお読みいただけば理解がいくであろう──訳者)

 ところが実はこうした一連の発達は、完成の度合いこそ違え、現代の人間には殆ど神話の世界の話となっている遠い過去の文明の科学者によって為されたことがあるのです。

そしてさらに次の段階の発達も見えているのです。それは〝エーテルの活動〟に代わって〝精神の波動〟(※)の時代が来ているということです。

このことも実はすでに優れた先駆者の中にはその先見の明によって捉らえた人がいたのです。が、道徳的に十分に発達していない人間によって悪用されるといけないので、その発表を止められていたのです。

現代の人類でもまだ科学として与えられるにはもう少し霊的進化が必要でしょう。今の段階で与えられたら、益になるより害になる方が大きいでしょう。

(※エーテルの波動は言わば物的科学の原理ということであり、精神の波動は霊的科学の原理のことと解釈できるが、ただ最近見られる程度のもので超能力の威力を予測してはならない。まだまだ幼稚すぎるからである──訳者)

 それは別として、現段階の科学の発達は、同じ分野に関して、前回の周期(サイクル)の時にストップしたままの段階よりはさらに発達することでしょう。

前回のサイクルにおいて科学の発達が下降しはじめ、それまでに成就されたものが霊界側に吸収されて、次のサイクルが巡ってきた時点で、それまでの休息の時代に霊界で担当の霊によってさらに弾みをつけられたものが、受け入れるだけの用意の出来た人類に授けられることになります。

 霊界を内側と呼ぶならば地上界は外側ということになり、すでに述べたエーテル原子の動きと同じ原理が地上界に再現されていることになります。

 この問題にはまだまだ奥があるのですが、それを貴殿が理解できるように言語で述べることは不可能です。

要するにこれまで説明してきた原理が今私が例を挙げたような力学においてだけでなく、政治においても、植物及び動物の〝種〟の育成においても、天文学においても、化学においても働いていると理解していただけば結構です。


──占星術と錬金術とは現代の天文学と化学との関係と同じ類似性をもつものだったのでしょうか。

 それは違います。断じてそうではありません。

今夜の話は(人間の歴史の)世紀(センチュリー)を単位としたものではなくて(地球の歴史の)代(エオン)を単位としています。

占星術と錬金術はその二つの時代の科学の直接の生みの親であり、私のいう巨大なスパイラルの中の同じサイクルに属し、その距離はわずかしか離れておらず、すこし傾斜した同じ平面にあります。

 私のいう類似物とは違いますが、ただ、化学については一言だけ付け加えておきたいことがあります。それで今夜はおしまいにしましょう。

 化学というのは高級神霊が中心的大精神に発したバイブレーションが多様性と変異性とへ向けての流れを統御していく活動の中でも最も外的な表現であるということです。

すなわち神に発した生命の流れが霊の段階を通過して物質となって顕現する活動の中で、化学的物質が分化の過程によって細分化され、さらに分子となっていきます。

そして最低の次元に到達するとその衝動が今度は逆方向へ向かい、上方へ、内部へ、と進行します。分析化学に携わる人はその統一性から多様性へと向かう衝動に従っているわけです。

反対にそれを統合しようとする化学者はその流れに逆らっているわけですから、試行錯誤の多い、効率の悪い仕事に携わっていることになります。

多様性から統一性へと向かわせようとしているからです。言わば内部におけるコースがまだまだ外部へ向けてあくまでスパイラル状に行進を続けようとしているのに、その人だけは宇宙原子の一ばん外側のスパイラルで踵(きびす)を返してしまっているのです。

 この通信は前回の通信と照らし合わせて検討してください。
アーネル ±

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


11章 死後の世界

〔シルバーバーチはよく、死後の世界の素晴らしさを語る。さらに、我々地上人が睡眠中にしばしばそこを訪れている事実を明らかにしている。残念なことに大半の人間は目覚めたとき、睡眠中の体験を思い出すことができないと言う。〕


私たちがお届けする霊の世界からの贈り物の意味を正しく理解すれば、私たちが地上界へ降りて仕事をするのは、あなた方に対する愛の思い以外の何ものでもないことがお分かりになるはずです。

あなた方はまだ、霊の世界の本当の素晴らしさを知りません。肉体の牢獄から解放され、望む所へは自由に行け、心で考えたことが形を取って眼前に現れ、好きなことにいくらでも専念でき、お金の心配がない……こうした霊界の生活と比べることができるものは、地上には存在しません。あなた方はまだ霊的世界の喜びを味わったことがないのです。

地上の人間は、美しさの本当の姿を理解することはできません。霊の世界の光、色彩、景色、樹木、小鳥、川、渓流、山、花、こうしたものがどれほど美しいか、あなた方はご存じありません。

地上の人間にとって「死」は、恐怖の最たるもののようです。が、人間は死んで初めて生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、実際にはほとんど死んでいるも同然です。霊的なことに対しては死人のごとく反応を示しません。小さな生命の灯火(ともしび)が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示しません。ただ、徐々にではあっても進歩しています。私たちの働きかけによって、霊的な勢力が物質界に増えつつあります。霊的真理の光が広まることによって、暗闇は後退しつつあります。

霊の世界は地上の言語では表現できません。譬えるものが地上界には見いだせないのです。あなた方が“死人”と言っている霊界の者たちの方が、あなた方よりも生命の実相について、はるかに多くのことを知っています。

こちらの世界に来て、芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることができるようになります。画家も詩人も大きな夢を達成することができます。与えられた才能を思う存分発揮することができるようになるのです。こちらの世界では、あらゆる才能や素質は、お互いに奉仕するために用いられます。霊界における以心伝心の素晴らしさは、ぎこちない地上の言語ではとても表現できません。心に思うことが霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

こちらには、金銭の心配がありません。生存競争というものがありません。弱者がいじめられることもありません。霊界での強者とは、弱者に手を差し伸べる力があるという意味だからです。失業などというものもありません。スラム街もありません。利己主義もありません。宗派もありません。教典もありません。あるのは大霊の摂理だけです。

物質圏へ近づくにつれて、霊は思うことが表現できなくなります。正直に言って私も、地上界へ戻るのは気が進みませんでした。それなのにこうして戻ってくるのは、地上界のために役立ちたいとの約束をしたからであり、あなた方地上人に対する愛があるからです。あなた方への奉仕が、私に喜びを与えてくれるのです。

死ぬということは決して悲劇ではありません。むしろ地上で生きている方が悲劇です。大霊の庭が利己主義と強欲という名の雑草で足の踏み場もない状態になっていることこそ悲劇なのです。

死は、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が自由の喜びを満喫するようになることです。苦しみから解放されて霊本来の姿に戻ることが、本当に悲劇でしょうか。天上的色彩を眺め、物質的表現を超越した天上の音楽を聴けるようになることが悲劇でしょうか。痛みのない身体で自己を表現し、一瞬のうちに世界中を駈けめぐり、霊の世界の美しさを満喫できるようになることを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか。

地上のいかなる天才的画家も、霊の世界の壮大で美しい眺めを絵の具で描き出すことはできません。いかなる天才的音楽家も、その音楽の素晴らしさを音符で表現することはできません。いかなる名文家も、霊界の美の一端さえ地上の言語で書き表すことはできないのです。そのうちあなた方も、こちらの世界へ来られます。そしてそのすべてに驚嘆なさることでしょう。そのときあなた方は、真の意味で霊界を知ることになるのです。

地上は今まさに五月、辺りは美に包まれています。皆さんは大霊の顕現を至るところで目にしています。生命の息吹が辺り一面に広がっています。そして皆さんは花の美しさや芳香に触れて、神の御業(みわざ)は何と偉大なことかと感嘆しています。

しかし、その美しさも霊の世界の美しさと比べるならば色あせて見えます。霊の世界には、地上の誰ひとり見たことがない花があり、色彩があります。地上にはない風景や森があり、小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つ取っても、地上のそれとは比較にならないほど美しいのです。

そのうち皆さんも、その美しさを味わえる日がきます。そのときは、いわゆる「幽霊」になっています。
質疑応答


――霊的知識がないまま他界した者でも、こちらからの思いやりや祈りの念は届くのでしょうか。


死後の目覚めは理解力が芽生えたときに起こります。霊的知識があれば目覚めはずっと早くなります。その意味でも私たちは、無知と誤解と迷信、間違った教義と神学をなくすために戦わなければなりません。それらは、死後の目覚めの妨げになるからです。そうした障害物が取り除かれるまでは、魂は少しずつ死後の世界に慣れていくほかはありません。そのための長い長い休息が必要となります。

また、地上に病院があるように、こちらでも魂に深い傷を負った人たちを看護する施設があります。一方、地上時代に他者への奉仕に励み、他界に際して多くの人々から愛情と祈りを受けるほどの人物は、そうした人々の善意の波動によって目覚めが促進されるようになります。


――死後の生命を信じず、死ねば終わりだと思っている人はどうなりますか。


死のうにも死ねないのですから、結局は目覚めてから死後の世界の事実に直面することになります。目覚めるまでにどのくらい時間がかかるかは、魂の進化の程度によって違います。すなわち霊性がどれだけ発達しているか、新しい環境にどこまで順応できるかにかかっています。


――死ねばすべて終わりだと思っている人の死のプロセスには、困難がともないますか。


それも魂の進化の程度によります。一般的には、地上から霊界への移行に困難はともないません。大抵の人間は、死の瞬間を無意識状態で迎えるからです。死ぬときの様子を自分で意識できるのは、よほど霊格の高い人に限られます。


――善人が死後の世界の話を聞いても信じなかった場合、死後そのことで何か咎(とが)めを受けるでしょうか。


私にはその「善人」とか「悪人」とかの意味が分かりませんが、要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、どれだけ内部の神性を発揮したかにかかっています。大切なことはそれだけです。知識はないよりはあるに越したことはありません。が、その人間の真価は、毎日をどう生きたかによって決まるのです。


――霊界では、愛する人と再会したり若返ったりするのでしょうか。イエスは「天国では娶(めと)ったり嫁いだりすることはない」と言っていますが……。


地上で愛し合った男女の間に真実の愛があり、その愛が二人を霊的に一つにし、霊的進化のレベルが同じである場合には、死が二人を引き離すことはありません。死は、魂にとってより自由な世界への入り口のようなものですから、二人の結びつきは地上にいたときよりも、いっそう強くなります。

しかし、二人の結婚が魂の結びつきではなく肉体の結びつきにすぎず、しかも両者の魂の進化のレベルが異なる場合には、死は両者を引き離すことになります。二人はそれぞれの進化のレベルに合った界層へ惹かれていくことになるからです。

もし二人に真実の愛があれば、霊界では若返ったり年を取ったりしないことが分かり、成長・進化・発達という体験をすることになるでしょう。こうしたことは魂の問題であって、肉体の問題ではありません。

イエスが「娶ったり嫁いだりすることはない」と言ったのは、地上のような肉体上の結婚(結びつき)のことを言ったのであって、魂の結婚についてではありません。男女といっても、あくまでも男性に対する女性、女性に対する男性のことです。物質の世界ではこの二元の原理が完璧に貫かれていますが、霊の世界では界層が上がるにつれて男女の差は薄れていきます。


――死後の世界でも罪を犯すことがありますか。もしあるとすれば、どんな罪がいちばん多いですか。


もちろん霊界でも罪を犯すことがあります。霊界における罪とは「利己主義の罪」です。こちらの世界では、それがすぐに表面に出ます。心で思ったことがすぐさま人に知られてしまうのです。原因に対する結果が、地上よりはるかに速く出ます。したがって醜い心(利己的思い)を抱くと、それが瞬時に容貌全体に表れて、霊的に低くなってしまいます。霊界での罪とは何かを地上の言語で説明するのは難しく、「利己主義の罪」と呼ぶ以外によい表現が見当たりません。


――死後の世界は地上界に比べて実感があり、立派な支配者、君主、または神の支配する世界であることは分かりましたが、こうした天界の王国についての歴史は昔から地上の人間に啓示されてきたのでしょうか。


霊の世界の組織について啓示を受けた人間は大勢います。しかし、こちらの世界には地上で言うような支配者はいません。霊界の支配者とは唯一、自然法則すなわち「大霊の摂理」だけです。また霊の世界は、境界線によってどこかで区切られているわけではありません。進化のレベルの低い界層から高いレベルの界層へとつながっていて、その間に境界はなく、すべての界層が一つに融合しています。霊格が向上するにつれて、高い界層へと上昇していきます。


――地上で孤独な人生を余儀なくされた者は、死後も同じような人生を送るのでしょうか。


いいえ、そんなことはありません。大霊の摂理は常に完璧です。人間は自分で種を蒔き、その結果を収穫します。摂理に反した種を蒔けば、自ら罰をつくり出すことになるのです。霊界では愛がお互いを引き寄せることになるため、愛によって結ばれた人間同士は、こちらで再会を果たすことになります。


――霊界では、シェークスピアとかベートーベン、ミケランジェロなどの歴史上の天才的人物に会うことができるでしょうか。


特に愛着を感じ慕っている人物には、大抵の場合、会うことができるでしょう。生前、世の中のために役立つことをしたことで人々から愛されてきた人間は、その愛が共感の絆をつくり出し、それが霊界で両者を引き寄せることになります。


――肉体を脱ぎ捨ててそちらへ行っても、霊界には地上世界のようなしっかりとした実感があるのでしょうか。


地上よりはるかに実感があり、しっかりとしています。本当は地上の方が実感がないのです。地上界は霊界の影にすぎません。霊界こそが実在の世界であり、こちらへ来るまでは本当の実在感を理解することはできないのです。


――ということは、地上の環境が地上人の五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊にとっては自然で現実的なものに感じられるということですか。


地上よりもはるかに実感があります。こちらの方が実在なのですから。現在のあなた方は、いわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられ、四方を囲まれています。地上では、本当の自分のほんの一部分しか表現できません。


――霊界では意念で通じ合うのですか、それとも地上の言語のようなものがあるのでしょうか。


意念だけで通じ合えるようになるまでは言語も使われます。


――急死した場合、新しい環境にすぐに慣れるでしょうか。


魂の進化の程度によります。


――呼吸が止まった直後にどんなことが起きるのでしょうか。


魂に意識がある場合(霊性が発達している人の場合)は、霊的身体が徐々に肉体から抜け出るのが分かります。すると霊的な目が開き、自分を迎えに来てくれた人たちの姿が見えます。そしてすぐに新しい生活が始まります。

魂に意識がない場合は、看護に来てくれた霊の援助によって適当な場所、例えば病院とか休息所に連れていかれ、そこで新しい環境に慣れるまで手当てを受けます。


――地上で愛し合いながら社会的因習などで一緒になれなかった者も、死後は一緒になれますか。


愛し合う者たちから愛を取り上げることはできません。


――すでに他界している肉親や親戚の者とも会えますか。


彼らとの間に愛があれば会えます。愛がなければ会えません。


――死後の生命は永遠ですか。


生命はすべて永遠です。なぜなら生命とはすなわち大霊のことであり、大霊は永遠の存在だからです。


――あなたが住んでおられる界層は、地球とか太陽とか惑星とかを取り巻くように存在しているのでしょうか。


そのいずれも取り巻いてはいません。霊界の各界層は地理的に区切られているわけではありません。天体とか惑星のような形をしているわけではありません。霊界の界層は、無限の霊界の一部分なのです。それぞれの界層は融合していて、すべての界層でさまざまな形態の生活が営まれています。あなた方は(スピリチュアリズムのお蔭で)そのうちのいくつかを知ったわけですが、まだあなた方には知らされていない生命活動が営まれている界層がたくさんあります。


――霊の世界にも、地球と同じようにマテリアルな中心部というものがあるのでしょうか。


私という存在はマテリアルなものでしょうか。男女の愛はマテリアルなものでしょうか。芸術家のインスピレーションはマテリアルなものでしょうか。音楽の鑑賞力はマテリアルなものでしょうか。こうした問いに対する答えは、あなたのおっしゃる「マテリアル」という用語の意味によって違ってきます。実感のあるもの、実在性を有するものという意味でしたら、霊の世界はマテリアルなものという答えになります。霊とは生命の最奥(さいおう)の実在だからです。あなたがおっしゃるのは「物質的なもの」という意味だと思いますが、それはその実在を包んでいる「殻」のようなものにすぎません。


――霊の世界も中心部は地球と同じ電磁場ないしは重力場の中に存在していて、地球と太陽の動きとともに宇宙空間を運行しながらヘラクレス座の方向へ向かっているのでしょうか。


霊の世界は地球の回転による影響は受けません。したがって霊の世界には、昼と夜の区別はありません。太陽のエネルギーは地球が受けているだけで、私たちには関係ありません。重力(引力)の作用も地上界の物質が受けるだけで、霊の世界とは無縁です。霊的法則とは別のものです。


――霊界での移動のスピードには限界がありますか。


霊界での移動には時間と空間の制約はありません。霊界の生活に慣れた者には、時間と空間の制約はないのです。各自の思念と同じ速さで、どこへでも行くことができます。霊界では、思念は実在性を持っているのです。霊界に住む者にとっての移動のスピードは、各自の霊性の高さによって制約され、自分の霊的レベルを超えることはできません。また、各自は自分が到達した界層よりも高い界層へ行くこともできません。それが霊にとっての限界です。霊的世界における限界なのです。


――人間的存在が居住するすべての天体には、それぞれ別々の霊界があるのでしょうか。


あなた方の言う「霊界」というのは宇宙の霊的側面のことで、それはあらゆる界層において顕現しているすべての生命を包含しています。


――霊界はたった一つだけですか。


霊の世界は一つです。しかし、その表現形態は無限です。地球以外の天体にも、それぞれ霊の世界があります。いずれの天体も物的領域だけでなく、霊的領域を持っているのです。


――その分布状態は地理的なものですか。


地理的なものではありません。精神的段階によるものです。もっとも、ある程度は物的なものによっても影響を受けています。


――霊界での分布とは、霊界の界層と同じ意味でしょうか。


その通りです。霊界では、物的条件によって影響を受けないような進化の段階に至るまでは、皆さんが考えるようなさまざまな「界層」が存在します。


――霊界では、幼くして他界した我が子がすぐに分かるものでしょうか。


分かります。親が我が子だと分かるように、子供の姿を装って見せてくれるからです。子供の方はずっと両親の地上生活を見ていますから様子がよく分かっており、親が他界したときには真っ先に迎えに来てくれます。


――例えば死刑執行人のような罪深い仕事に携わっている人は、霊界でどのような裁きを受けるのでしょうか。


もしもその人が、いけないことだ、罪深いことだと知っていたなら、それなりの報いを受けるでしょう。しかし、悪いことだと思わずにそれをしていたのであれば、別に咎めは受けません。


――動物を殺して食べるということについてはどうでしょうか。


動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、悪いと知りつつやることは、何事であれ許されません。やはりそれなりの報いを受けます。その段階まで進化しておらず、悪いとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。知識には必ず代償がともないます。責任という代償です。

Wednesday, January 28, 2026

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


10章 霊的進化の道を歩む神の子供たち

〔キリスト教の神学者たちは「原罪(人間の堕落)」を説く。しかしシルバーバーチはそれを否定し、人類は誕生以来、ずっと進化の道をたどっており、その歩みに終着点はないと明言する。(原罪とは、最初の人類であるアダムとイブが神の掟を破ったところから発生し、人間は皆、その子孫として生まれながらに罪を負うようになったとする説――訳注)〕


種子が暗い土の中に埋められるのは、養分を摂取して発芽後の成長に備えるためです。それと同じく、人間の生命の種子が物質界という暗黒の世界に生まれてくるのは、霊界へ戻ってからの進化に備えて地上生活での体験を積むためです。

地上人生のあらゆる体験は、大きな計画の中の一つです。落胆・挫折・悲しみ・痛み……これらは人間的心情からすればあって欲しくないものかもしれませんが、魂の進化にとっては、とても貴重な体験なのです。

しかしあなた方は、その体験の最中(さなか)にあってはそうは思えないでしょう。人生体験の価値を明確に認識できるようになるのは、こちらへ来て地上人生の一部ではなく、全体を振り返ることができるようになったときです。さまざまな逆境を通して人間性が試され、悲哀を通して魂が強化されたことを知るようになるのです。

私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取しようとする人のことです。辛いことや煩悩(ぼんのう)の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。

摂理は完璧であり、自動的に働きます。誰ひとり摂理から逃れることはできません。自由意志そのものでさえ摂理の一つであり、その摂理の働きは一定の進化の段階に至っている者には明瞭に見て取ることができます。

自由意志を行使できるといっても、あくまでもあなた方が到達した進化の段階の範囲内でのことです。何でも思うようにできるというものではなく、各自が到達した進化のレベルによって制約を受けるのです。

あなた方は大霊の一部であり、発現すべき無限の神性を秘めています。その神性が発現した分だけ、より高い次元の摂理との関わり合いが生じます。その摂理は、それまでの低次元の摂理と矛盾するものではありません。霊性が進化したために関わり合うことになった摂理です。

無限とは、文字どおり“限りがない”ということです。美の完全性にも音楽の壮麗さにも限りというものはありません。霊性が進化するにつれて、より高度な美と調和の世界を自分のものにすることができるようになります。魂が向上するにともない、もっと素晴らしい調和の世界が待ち受けているのです。

低い次元にいる者が高い次元の世界を理解することはできません。が、高い次元にいる者は低い次元の世界を理解することができます。宇宙の全側面をつかさどっている摂理は自動的に働きますが、それぞれの次元で作動している摂理との関わりは、その次元まで霊性を高めないかぎり生じません。

あなた方はこれまでの霊的成長によって、今後の成長の道を選択することになります。しかしあなた方は、霊的成長を遅らせるような選択をすることもできるのです。その時点における方向性は、さまざまな摂理の相互作用によって自動的に決定します。あなた方の意識は進化のレベルに応じて変化し、それによって選択がなされます。魂が目覚めていれば進化を促す方向を選ぼうとしますが、肉体の脳を通して顕現している意識(顕在意識)は、それに歩調を合わせることができません。

あなた方は、霊性の進化を通して自然の法則(摂理)を学んでいきます。何よりもまず、事実に反するもの、理性が反発するもの、大霊の愛と叡智に一致しないものを、すべて捨て去ることを学ばなければなりません。新たな知識を取り入れるに先立って、それまでの間違った知識を捨て去らなければなりません。正しい思考を妨げるものを、すべて取り除かなければなりません。そうしてようやく魂が成長し、より高次の知識を取り入れる用意ができることになるのです。

このサークル(交霊会)に出席している皆さんは、魂が成長し、大霊の無限の叡智に接する機会が多くなっています。霊的現象を演出するための法則や、日常生活に関連する法則についても学んでいます。あなた方は進歩するにつれて、より多くの知識を手にすることができるようになるのです。

皆さんからシルバーバーチと呼ばれているこの私がお届けしている知識は、無限の界層に存在する知識のうちのごく一部にすぎません。皆さんがさらに成長すれば、私よりも一段と高い指導霊が、私を使ってより高度な知識と叡智をお届けすることになるでしょう。

霊的進化には、これで終わりという段階は存在しません。また、完全というものも存在しません。あなた方も、そしてこの私も、刻一刻と進化向上しています。そして私よりも進化している霊から聞いたところによれば、彼らの背後にはさらに高級な霊たちが控えているとのことです。とにかく霊的進化には終着点というものはありません。もしあるとしたら、大霊による創造の営みはそこで停止してしまうことになります。

何百万年もの間、人間の肉体は進化してきました。それにともなって人間の魂も、大地から空に向かって上昇するように、ゆっくりと少しずつ低い段階からより高い段階へと進化してきました。獣性が徐々に拭われ、神性が現れるようになってきました。

人間の肉体が現在の進化のレベルに至るまでには、何百万年もの永い時がかかりました。そしてその進化は、まだ終わったわけではありません。今後もそうした肉体の進化とともにあなた方の魂は、永い永い時をかけてどこまでも進化していくことになります。

それほど遠くない昔、人間はサルでした。実際にサルであったということではなく、サルに似た肉体を通して働いていた「霊」であったという意味です。その霊は、大霊の分霊にほかなりません。生命のあるところならどこでも、大霊の息吹が存在します。大霊の息吹がなければ、生命は存在しません。大霊の息吹にはランク(段階)があり、その息吹によって人間は進歩し、低い段階から高い段階へと進化することになったのです。

生命を持っているもののすべてに大霊の息吹があればこそ、物質界の最下等の生命体から聖人君子に至るまで、大霊につながっていると言えるのです。いかなる極悪人も、限りなく美しい心の持ち主も、内部に大霊の息吹を宿しているという意味で兄弟姉妹なのです。摂理から逃れられる者は一人もいません。全人類がお互いに責任を持っているということです。
質疑応答


――本人には何の罪もないのに、身体的欠陥や盲目といった障害を持って生まれてくる子供がいるのはなぜでしょうか。


肉体という外形だけで魂を判断してはいけません。魂の進化と、魂が地上生活で使用する身体の進化とを混同してはいけません。父親または母親、あるいは双方から受け継いだ遣伝的法則の結果として障害を持って生まれてくる子供がいるのは事実ですが、それが魂の進化を阻害することはありません。

肉体に障害を持って地上に生まれてくる子供には、その魂に埋め合わせの摂理が働いています。そうした子供たちは、優しさや忍耐力や他人への思いやりを持っています。永遠の埋め合わせの摂理があり、それによって誰もが公平に扱われているのです。

次代の子孫に物的身体を提供する責任を担っている両親は、可能なかぎり完全な身体を提供すべきです。もし親がその責任を怠るなら、大霊の摂理が肉体の不完全さを補うことはできません。


――精神障害者として自らの行為に責任を持てない人は、死後どうなるのでしょうか。私たちは地上生活で形成された人間性によって裁かれると聞いておりますが……。


あなたは、物的なことと霊的なことを混同しています。地上では、脳に障害があると混乱が生じます。宿っている霊は脳に欠陥があることで自我を正常に表現できなくなりますが、自分自身の責任は自覚しています。

大霊の摂理は、あくまでも魂の進化を大前提として機能します。魂は、地上的な尺度ではなく永遠の叡智を尺度として評価されます。したがって地上的な善悪の基準では“悪”とされる行為であっても、魂そのものに責任がなければ、霊的には“悪”とは見なされません。

例えば、発狂状態で他人または自分自身の生命を奪った場合などです。それは知的判断力をつかさどる器官が正常に機能しなかった結果ですから、その霊が責任を問われることはありません。私の世界(霊界)では魂の動機を最優先して判断します。動機を基準とするかぎり、判断を誤ることはありません。


――肉体器官の欠陥によって地上生活で教訓を学べなかった霊は、霊界でどうなりますか。


肉体器官の欠陥のために霊が必要な地上体験を学ぶことができなかった、つまり地上人生の価値が失われたということです。しかし、埋め合わせの摂理は常に働いています。


――私たちは、地上生活でのさまざまな試練をくぐり抜けながら形成した人間性を携えて霊界へ行くわけですが、精神障害者の場合も同じように、地上で形成された人間性によって裁かれるのでしょうか。


魂の進化の程度と動機だけを基準として裁かれます。


――飲んだくれや精神異常、道徳的腐敗や心身の堕落が蔓延するスラムの中に生を享けて、過酷な人生を歩まされる子供がいる一方で、美しいものに囲まれた環境に生を享けて、何の不自由もない人生を送る子供もいます。この不公平はどう理解したらよいのでしょうか。


魂の進化は、魂そのものに刻み込まれていきます。ところが地上の人間はとかく、霊的なものではなく物的なもので判断しがちです。高い身分に生まれようと低い身分に生まれようと、人のために役立つことをするチャンスは必ず与えられます。魂が内部の神性に目覚め、それを発揮するチャンスはすべての人に訪れるのです。それこそが唯一の判断基準です。物的基準で計るかぎり、地上界は不公平だらけに思えるかもしれません。しかし、真の埋め合わせとは魂の次元におけるものであり、魂は自らを顕現させるために、あらゆる苦難を通して学ぶのです。


――でも、なぜ悪人が栄えるのでしょうか。


それもまた、地上的尺度による見方です。どうしてあなた方は、恵まれた生活をしている人の魂は不幸も悩みも苦痛も知らないと思うのでしょうか。いつも笑顔を絶やさないからでしょうか。豪華なものに囲まれているからでしょうか。紫の衣と亜麻糸の布が、そのまま満ち足りた魂を表すのでしょうか。永遠の基準は霊を基準としたものであり、物質を基準としたものではありません。そうでないなら神の公正が存在しないことになります。


訳注――「紫の衣と亜麻糸の布」は聖書のルカ伝十六章のイエスの説話に出てくる語句で、恵まれた環境と高い地位を象徴する言葉としてよく用いられる。


――しかし、飢えに苦しみ、悪徳や低俗なものばかりがはびこる環境よりは、恵まれた環境の方が明らかに善なる動機を発揮しやすいと思うのですが……。


私はそうは思いません。その証拠に、私が知るかぎりでは、地上の偉人はほぼ間違いなく低い身分の出身です。偉大な精神的指導者に至っては、まず間違いなく低い階層から出ています。葛藤を余儀なくさせられる困難が多いほど、それだけ魂が成長するものです。霊的自我に目覚めるのは、厳しい環境を克服しようとする闘いの中においてこそです。人生を外面からではなく、内部から見るようにしてください。


――人間の霊は、肉体的生命と同時に進化してきたのでしょうか。


たしかに霊は進化してきましたが、肉体と同じ進化の道をたどってきたのではありません。というのは、霊が肉体を通して自我を表現するためには、ある一定の段階までの肉体機能の進化が必要だったからです。


――死後にも進化向上することができるということは、霊界において邪悪な動機から罪を犯し、より低いレベルの界層に堕ちることもあり得るのでしょうか。


もちろんです。すでに霊の世界に来ていながら、何百年、時には何千年ものあいだ進化することなく、地上時代と同じ煩悩を抱き続けている者が少なくありません。彼らは貪欲で本能的欲望に満ちており、霊的摂理を理解しようとしません。霊的なことに対する感性が芽生えないのです。身は霊界にありながら、意識としては完全に地上で生活しており、しかも下降の一途をたどっています。


――人間の魂はあまりにも下降し過ぎると、最後には消滅してしまうのでしょうか。


いいえ、内在する大霊の炎が今にも消えそうに点滅することはあっても、消滅してしまうことはありません。大霊との霊的な絆は永遠であり、決して切れることはないからです。いくら下降しても、二度と向上できなくなるということはありません。また、いくら向上しても、最も低い界層の魂に救いの手を差し伸べるために下降できなくなるということはありません。


――個的生命は死後、ありとあらゆる界層を通過して個性を失い、最終的に大霊と融合し、その後さまざまな要素に振り分けられるのでしょうか。


私は、完全なる大霊と融合するほど完成の域に到達した霊を知りません。完全性を高めれば高めるほど、さらに高い領域があることを知るようになります。言い換えれば、意識にはどこまでも開発する余地があるということです。あなた方の意識は大霊の一部ですから、無限の奥行きがあります。私たちは究極の完全性というものを知りません。


――複数の個霊が進化して、どこかで一個のグループとして融合し、その中で個性を失うというようなことはないのでしょうか。


私の知るかぎりでは、ありません。ただ、次のようなことは確かにあります。ある重大な仕事が生じ、その達成のために一丸となった霊の集団が各自の知識と情報を持ち寄り、そのうちの一人が全体を代表して行動するというケースです。その仕事の進行中は、残りの者のアイデンティティーは薄れて一つになっています。しかし、それはその仕事の期間中だけのことです。


――ペットは死後も存続するそうですが、他にも存続する動物がいるのでしょうか。


はい、います。私たちが地上にいたとき友人のようにしていた多くの動物たちや、(あなた方がかわいがっていた)犬や猫などのペットは、死後も人間の中に混じって生きています。これらの動物たちは、人間の愛情を受けて一種の個性(パーソナリティー)を発現するようになり、そのパーソナリティーを携えて死後も人間の霊に混じって生きているのです。しかし、長続きはしません。ほんの一時期のことで、やがてそれぞれの「種」の母体であるグループ・スピリットの中に融合していきます。

大霊の子供である人間は、大霊の力を有しているお蔭で、まだ発現していない意識を持った動物に、死後に存続する力を与える能力が備わっていることを知ってください。本来の進化の過程においてその意識が発現する時期を一歩早め、進化を促すことができるのです。それが「愛の力」なのです。


――ペットは別として一般の動物も死後、個別に存続するのでしょうか。


いいえ、個別には存続しません。


――もしペットではない動物が死後、個として存在しないなら、まったく世話をされていない動物や虐待されている動物と大霊との関係はどうなっているのでしょうか。「創造した者」と「創造された者」という関係から見て、そうした動物の生命に大霊の愛ないしは公正がどういう形で現れているのでしょうか。


地上の人間の理解力が及ばないテーマを説明するのは、とても難しいことです。私は、動物が死んだときグループ・スピリットに融合していくことについて説明しました。そこには埋め合わせの摂理が働いています。その埋め合わせの摂理は、神の公正さの中で正しく機能します。とは言っても、それはあくまでも動物の進化の話であって、人間の進化とは次元が異なります。

あなた方は、大切に育てられて(自然に)枯れていく花と、放っておかれて枯れていく花を見て、その違いを説明しようとするかもしれませんが、あなた方にはそれぞれの花の背後にある摂理について理解することはできません。しかし、そこには同じ(埋め合わせの)摂理が働いているのです。


――動物には一匹ごとに埋め合わせの摂理が働いているのでしょうか。


いいえ、種のグループ全体に働いています。埋め合わせの摂理によって、地上で受けた苦痛がグループ・スピリット全体の進化を促します。


――グループ全体として扱われるとなると、そのグループの中に虐待された動物とそうでない動物とがいれば摂理の働きに偏りが生じるはずで、その点が理解できません。


それぞれのグループは似たような体験をした動物で構成されています。


――ということは、虐待されたグループとそうでないグループがあるということでしょうか。


さまざまな部分からグループ全体が構成されています。それはちょうど、あなた方の身体がさまざまな形態の細胞が集まって全体を構成しているのと同じことです。


――下等動物がなぜ存在するのか、またそれが創造されながら自然淘汰されていくという現実は、宇宙が神の愛によって経綸されているという事実と、どう辻褄(つじつま)を合わせたらよいのでしょうか。


人間には自由意志が与えられています。大霊から授かった力を駆使し、正しいことと間違ったことを判断する叡智を働かせるなら、地上界を“エデンの園”にすることができるのです。それを怠り、地上界をゴミやホコリで汚しておいて、人間が招いた悪い結果をどうして大霊に押しつけることができるのでしょうか。


――創造進化の大業が殺戮(さつりく)の血に染められてきたという事実のどこに、神の善意と愛のしるしが見いだせるのでしょうか。


なぜそのように小さな一部分を見るだけで、全体を見ようとしないのでしょうか。創造進化があるという事実そのものが、神の愛のしるしと言えるのではないでしょうか。あなたは、そういう考えに思い至ったことはありませんか。低い次元から高い次元へと進化するという事実は、摂理の背後に「愛の力」があるということの証拠ではないでしょうか。


――なぜ神は、地震や火山の噴火などの発生を許すのでしょうか。


そのように「なぜ神は……」という問いを発するとき、あなた方は大自然の法則の働きに疑念を抱いているのだということを忘れないでください。私は、法則というものが存在すること、そしてその法則に関わる私の体験をお教えしようとしているだけです。地震というのは物質界の進化における浄化作用の一つです。物質界はまだ進化の完成段階にまで達していないのです。


――その場合、地震によって亡くなった何の罪もない多くの人々は、地球の進化の犠牲者ということになります。それで公正と言えるでしょうか。


死者になることが悲劇であるかのようなご意見ですが、私はそのようには考えません。私に言わせれば、死は魂が自由を獲得するための素晴らしい時なのです。


――地震で亡くなった人々はすべて、それが他界する時期だったということでしょうか。


はい、そうです。ただ、そうした形で死を迎えたことについては、前世での所業(カルマ)が絡んでいます。


――我々より霊的に進化している、あるいは劣っている人間的存在が住んでいる天体がありますか。


ありますとも! あなた方より進化している人間的存在の住む天体はたくさんあります。地球と呼ばれている惑星は、この大宇宙に存在する無数の惑星の一つにすぎません。しかも、地球より劣っている天体は一つあるだけです。


――よくあることですが、重要だと思う一連の仕事を進めようとすると、しつこく邪魔が入ることがあります。それはなぜでしょうか。


価値のあること、成し遂げるに値することほど大きな困難がともなうものです。それを達成する道は楽ではありません。困難があり、妨害があり、邪魔が入るものです。

そうしたことは人間形成の一環なのです。困難や障害にどう対処するかによって、あなた方の魂の成長が決まります。何の困難もなしに、魂に内在する最高のものを顕現させられるとしたら、それは価値あるものとは言えません。

ですから、とにかく挫(くじ)けないことです。潜在する力を活用しても克服できないほどの大きな困難や障害は絶対に生じません。他人が故意に与える困難も、内在する力を発揮して立ち向かえば必ず消滅します。あなた方は地上生活において、自分の力のほんの一部しか発揮していないことがお分かりになっていません。


――今なお数えきれないほど多くの新生児が生まれてすぐに、あるいはその後に、間引きの慣習とか、その他もろもろの原因によって死んでいます。そうした子供たちが生まれてくることには、いったいどういう意味があるのでしょうか。


物的なものさしで判断するかぎり、永遠の摂理は理解できないでしょう。地上のいかなる賢者といえども、地上的知識を超えたことは分かりません。霊的叡智の光が見える段階まで進化すれば大霊の計画に納得がいくでしょうが、現段階では地上のいかなる覚者もガラス越しにぼんやりと見ているだけで、まだ理解してはいません。

皆さんがある人の人生を評価するのに、その人の学生時代だけを見て、卒業後のもっと長い人生を無視して判断するようなことはないでしょう。あなた方には、今生きている地上よりもはるかに素晴らしい生活が待ち受けているのです。美と色彩にあふれた世界です。愛の世界、真摯(しんし)な願いが成就される世界、地上では叶えられなかったことが実現する世界です。そうした世界をご覧になるまでは、大霊を批判するようなことを言ってはなりません。


――あなたが指導を仰いでおられる高級霊たちは、時にはこの交霊会を訪れることがあるのでしょうか。


いいえ、そうしたことはありません。高級霊たちは皆、強い絆で結ばれています。この霊媒(バーバネル)は私とあなた方とをつなぎ、私はあなた方と私よりも高い霊たちとをつないでいます。彼らはこの私と、さらなる高級霊たちとをつないでいるのです。それが霊の世界の深奥(しんおう)へ向かって、私の目の届かないところまで延々とつながっているのです。


――私たちは、いつかその最高の次元まで到達するようになるのでしょうか。


最高の次元まで到達するということはありません。こうしたことは、あなた方にはまだ理解できません。あなた方は地上では、魂のほんの一部分を顕現させることしかできません。魂の全部を顕現させようとしても、まだその準備ができていないのです。

私は霊界の奥深くへ戻るほど、本来の私をより多く発揮するようになります。それで私は年に二回、クリスマスとイースターに本来の所属界へ帰り、真の自我を取り戻すのです。


訳注――スピリチュアリズムまたはスピリティズムの名のもとに霊的真理の普及に携わっている霊団の連絡網は地球規模で構成されていて、その指導霊たちがクリスマスとイースターに一堂に会し、計画の進捗状況の報告と次の計画の指示を仰ぐ。その最高責任者が地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた霊で、モーゼスの『霊訓』のインペレーター霊も同じことを述べている。


あなた方は皆、霊的進化の道を歩んでいる大霊の子供です。あなた方は愛する人との死別を悲しみますが、他界した人たちはこちらの世界で、地上時代よりもいっそう自我を発現するようになっていることを忘れてはいけません。


――それにしても、なぜ早いうちに死んでしまう子供たちがいるのでしょうか。地上で学ぶべきものを学べないように思えるのですが……。


早死にする子供たちは、(前世で)何か摂理に反したことをしているのです。それを償うには、そうした厳しい体験を通して大霊の戒めを学ぶしかないのです。

もしもその戒めが簡単に学べるとしたら、人類は自分自身を必死になって救おうとはしなくなるでしょう。そうしたら何世代も経ないうちに、大霊の意思はこの地上に顕現しなくなってしまいます。

苦悶(くもん)と病苦と悲哀を体験した人間は、他人の苦しみに心を配る、大きな魂へと成長するようになります。やりたい放題の人生を送り、はかない幻(まぼろし)を追い求めている魂は、いつかは真実に直面しなければならなくなります。安楽な日々を送っている人を見て羨(うらや)ましがることはありません。その行く先には過酷な人生が待ち受けているのです。

地上界にあっても霊界にあっても人間は、ありとあらゆる体験を積まなければならないようになっています。いかなる体験にも必ず学ぶべき教訓があります。あらゆる体験を乗り越えて初めて本当の自我を確立し、魂の内奥(ないおう)の完全性に至ることが許されるようになるのです。

それは確かに難しいことです。難しくないはずがありません。簡単に聖人や殉教者になれるでしょうか。簡単に宗教指導者や社会革命家になれるでしょうか。簡単になれるはずがありません。自己の責任から逃れようとするような人間に、人を導く資格はありません。

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


7章 正しい祈りとは

〔祈りは、スピリチュアリズムに限らず、あらゆる宗教においてよく論じられるテーマである。「祈れば神が聞き届けてくださるか」ということであるが、祈りは摂理の支配を受けており、摂理に適えば効果を生み、摂理に適わなければ何も生じないということを知っている人は少ないようである。シルバーバーチは祈りについての質問に対して、次のような見解を示している。〕
質疑応答


――祈るということは大切でしょうか。


その祈りがどういうものであるかによって答えが異なります。目的のないきまり文句のただの繰り返しでは、空気に振動を起こすだけです。が、魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との一体化を深め、大霊の道具として有用な存在になりたいとの願望から出た祈りは、祈る者の霊性を強化し、大霊の道具としてより相応しい存在にします。そうした祈りは自我を顕現しようとする行為であり、心を開く行為であり、私たち霊界の者との結束を固めることになります。


――それは、祈りが生み出す結果は主観的なものだけで客観的なものは生み出さないということでしょうか。人間性を高めることはあっても、具体的なものは生み出さないのでしょうか。


真実の祈りは、あなた方にとって奉仕(サービス)の準備を整えるためのものです。あなた方を、より高度なエネルギーと調和させるための手段です。本当の祈りとは、誰かがつくった祈りの文句を意味も分からずに繰り返すことではなく、全身全霊を込めて到達できる最も高い次元にまで魂を引き上げようとする行為のことです。そのとき、祈りの結果としてもたらされるインスピレーションによって魂が満たされ、霊性が強化されるのです。


――他人のために祈ることにも何か効用があるのでしょうか。


あります。真摯(しんし)な祈りは決して無駄にはなりません。そうした祈りの意念には効力があります。


――治療家による遠隔治療の祈りには現実的な効果があるのでしょうか。


あります。これまでの質問には個人的な祈りを念頭にお答えしてきましたが、同じことがどの祈りにも当てはまります。祈りによって心霊的(サイキック)エネルギーが放出され、それが霊的治療家の背後霊団によって活用されることになります。


――祈りによって霊界の人々の援助を得ることは可能でしょうか。


もしあなたが、真心を込めて祈るなら、それによってより高度なエネルギーを受け入れやすくなります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊を傾けた祈りのことです。単なる願い事は祈りではありません。真実の祈りは重要な霊的修練なのです。「祈りは、あくまでも目的に至るための手段であって目的そのものではない」――これが最も正しい祈りの定義です。

私が勧める祈りの言葉は、たった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。大霊のため、そして大霊の子供たちのために一身を捧げたいとの祈りほど、崇高なもの、偉大な愛、これに優る宗教、これより深い哲学はありません。どのような奉仕でもかまいません。大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べ物を与えてあげることでも、あるいは暗い心を明るくしてあげることでもよいのです。人々のために役に立ちさえすれば、どのような方法であってもかまいません。

自分のことを忘れて他人への奉仕を優先すればするほど、それだけ霊性が発達します。それは、あなた方一人ひとりの内部に宿る大霊が発揮されるということです。至って単純なことなのです。ところが人間は教会を建立し、何やら奇妙な説教をします。彼らは私にも理解できない長たらしい言葉を用いて、これぞ宗教とばかりに仰々しい儀式を行います。

そんなことよりも、生きる意欲を失くしている人のところへ出かけていって元気づけ、疲れた人に眠る場所を与え、飢えに苦しむ人の空腹を満たし、渇いた人の喉を潤し、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の光を灯してあげることです。そうしたことを実行しているとき、あなた方を通して大霊の摂理が働いていることになるのです。


――しばしば、祈りが聞き届けられないように思えることがあるのですが、なぜでしょうか。


すべての人間の内面では、常に“人間臭いもの”と“神性を帯びたもの”との間で葛藤があります。後者が勝てば大霊と一体となった喜びを味わいますが、前者が勝ったときには霊性が低下します。私たち霊界の者は、皆さん方が望む方向ではなく、最高の奉仕に役立つ方向に導こうとしております。

地上の人間はとかく、魂の成長にとって良くないもの、進歩を遅らせることになるものを要求しがちです。これは叶えてあげるわけにはいきません。また、手にする資格のないものを要求することもあります。これも叶えられません。さらに、こちら側ですでに授ける準備をしていて、そのタイミングをはかっているものを要求することもあります。大霊はすべての人間の祈りを、たとえ口には出さなくても先刻ご承知であることを知ってください。

身を横たえる家もなく、風雨にさらされ、夜空の下で寝なければならない者、また肉体を養うだけの食べ物にありつけない者がいるというのに、あなた方の取るに足りない心配事が大霊の目から見て大事だと思われますか。

この(サークルが開かれている)家には、絶えず一団の霊が訪れています。その一人ひとりが高い世界へ向上する権利を一時的に放棄して、地上の暗闇に光明をもたらすための環境づくり(光のサークルづくり)に携わっているのです。そうした使命に比べれば、地上の些細なトラブルなど物の数ではありません。

忘れないでいただきたいのは、皆さん方一人ひとりが大霊の素晴らしい計画に参加し、わずかではあってもその目的達成のために貢献しているということです。いつの日か計画のすべてが達成され、地上のあらゆる人種・民族が、それぞれの役割を担うことになります。その時、完全な地上世界が実現することになります。

交霊会で何の動きも生じていないと思われるようなときでも、実は静寂の中で霊的な反応が起きています。それが刺しゅうの中に織り込まれることになるのです。昼も夜も、巨大な織物は休むことなく織り続けられ、ついには地上全体を被うことになります。皆さんは、その仕事の一端を担っているのです。


――各地の教会で日々繰り返されている祈りには、何か効果があるのでしょうか。


祈る人によります。口先だけの祈りは、虚しい音声の羅列にすぎません。魂からの祈り、大霊に近づきたいと切望する本心からの祈りであれば、その熱誠が祈りに翼を与え、霊界の深奥(しんおう)へと運ばれていくことになります。


――酒浸りの親を更生させたいという幼い子供による祈りは効果を発揮するでしょうか。


真摯な祈りには必ず霊力がともなうものです。が、その霊力がどこまで物的次元に転換されるかとなると、いろいろな条件を考慮しなければなりません。今おっしゃった例で言えば、子供の父親の霊性レベルが問題となります。祈りが父親の魂に届くか、あるいはあまりにも霊性が低いために霊的なことに何の反応も示さないかのどちらかが考えられます。したがってご質問に対しては、イエスともノーとも言えません。


――でも、何らかの影響はあるのではないでしょうか。


すべての祈りは自らを高めようとするところから発するものです。人の役に立つことを願う祈り、知識や光明、叡智や導きを求める祈り、こうした祈りはすべて魂の進化の現れです。あなたの精神は肉体の一部ではなく、霊の一部、大霊の一部なのです。そしてそれは大霊に由来する力を秘めています。しかし、あなたがその力を使用できるようになるには魂の進化が先決です。それなくして内在する大霊を顕現させることはできません。


――祈りの言葉は霊に聞こえるのでしょうか。それともある種のバイブレーションに調和し反応するような力が必要なのでしょうか。


祈りは魂の表現です。そのことを分かりやすく説明しましょう。祈りは光明と導きを願い求める魂の叫びです。祈るという行為そのものが回答をもたらすのです。なぜなら、その行為が思念の力を生み出すからです。

その力が原因となって回答を生み出します。その回答が結果です。霊は、あなたの祈りの言葉を待っているわけではありません。祈りに込められたあなたの思念が、ただちにそれにふさわしい界層の霊に届くのです。あなたの魂の進化の程度に応じた界層です。

その霊たちは地上世界のために役に立ちたいと切望していますから、あなたの思念の力に、その霊たちの力が加わるのです。大霊の一部である思念のバイブレーションが、新たな活動を呼ぶことになります。それは、あなたの霊性のレベルに応じた宇宙のエネルギーを動かすことが可能になったということです。宇宙のエネルギーを、あなたも活用することができるようになったということを意味しています。

祈る人の進化の程度によっては、ある理想に向けて意念を集中しなければならないことがあるかもしれません。その方が有効だという人に、私は異論は唱えません。ただ私が申し上げたいのは、祈りをするうえで常に意識しなければならない対象とは、大霊、生命の摂理、宇宙の自然法則であるということです。

大霊は完全なる存在ですから、大霊の摂理も完全です。その完全なる大霊の一部があなたの内部に潜在していて、発現を求めているのです。祈りや奉仕によってそれを発現させるなら、大霊があなたを通して顕現することになります。祈りや奉仕といった魂の向上のために為すすべての実践は、あなたの霊性の進化を促すことになるのです。


――すべてのものが不変の法則によって支配されているのであれば、大霊に祈っても意味がないのではないでしょうか。というのは、祈りとは大霊に法則を変えてくれるように依頼することではないかと思うからです。


それは私が理解している祈りとは違います。祈りとは、大霊に近づこうとする魂の願望です。自己の内部の大霊を顕現しようとする行為であり、その行為が魂を開かせ、それまで届かなかった段階に至ることを可能にするのです。

そこには不公平もえこひいきもありません。祈りは内部の大霊をより多く顕現させ、より多くの恩寵(おんちょう)を引き寄せるための魂の活動です。大霊の恩寵は無限であり、あなたの魂は、その無限性を顕現させようと学んでいるのです。


――人間はなぜ、神に罪の許しを乞うのでしょうか。摂理を犯せば必然的に罰が与えられると思うのですが……。


許されたからといって、それで償いが済むわけではありません。代償は必ず払わなければなりません。しかし祈りによって許しを乞うということは、大霊の摂理に調和しようとする行為であり、償いの始まりです。これまでの歩みを見直し、自己を省みるところから本当の償いと霊的進化が始まるのです。


 

シルバーバーチの教え(新版・上)

Treasury of Spiritual Wisdom
Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)



9章 キリスト教の人工的教義の間違い

〔英国国教会内部にも教義の解釈についての意見の衝突がある。そこで二十五人の神学者が十五年の歳月を費やして、国教会としての統一見解をまとめる作業を続け、一九三八年一月にようやく「英国国教会の教義」と題する大部の報告書を発行した。その中のいくつかの項目が読み上げられるのを聞いてから、シルバーバーチがその一つひとつにコメントを加えた。〕(太文字が引用文)


■「イエス・キリストの復活」は、人類史上におけるきわめて特殊な神の御業(みわざ)である。


そんな結論に達するのに十五年もかかったのですか。ナザレのイエスを裏切っているのは自ら“クリスチャン”を名乗っている人たちであるとは、まさにその通りです。

「復活」は生命の法則の一環です。肉体の死とともに、すべての魂は復活するのです。復活はイエス一人だけのものではなく、大霊の子のすべてに生じるものです。いずれすべての人間が死の関門を通過し、物的身体を捨て去り、霊的身体で新しい生活を始めるようになります。地上人は、すべての時を霊界での生活に備えて過ごしているのです。

イエスは自然法則に反するようなことは一度もしていません。そもそもイエスが地上界へ降りてきたのは、大霊の摂理を実行するためでした。イエスのすべての行為、すべての教えは、大霊の摂理の一部でした。イエス自身こう述べているではありませんか――「こうしたことのすべては、あなた方にもできるし、あなた方はもっと大きなこともできるようになる」と。

イエスを、大霊の子供たちが近づけない天界のはるか高い位置に持ち上げるなら、せっかく彼が地上へ降誕した使命は台なしになってしまいます。なぜならイエスの地上人生の究極の目的は、「地上の人間も内在する大霊を人生の中で顕現させるなら、これほどのことが可能なのだ」ということを証明するところにあったからです。

そしてイエスは霊界へ戻った後、再び同じ姿を取って地上で縁のあった人々の前に現れました。これをキリスト教では「復活」と呼んでいます。イエス以前にも死者が生前の姿で現れた例はたくさんありますし、イエス以後にも数えきれないほどあります。

この宇宙に“特別”というものは存在しません。すべてが大霊の摂理(法則)によって統制されており、常に何かが起きているという事実そのものが、法則が実在することを証明しているのです。


■洗礼は、幼児洗礼であっても、罪を犯させようとする影響力の支配から逃れる手段である。聖人とされる人物でも、もし洗礼を受けていなければ、その意味で欠陥があることになる。


いかなる聖職者(司祭)も魔法の力は持ち合わせていません。水を水以外のものに変える力はありません。赤子の額に水を二、三滴振りかけたからといって、それでその子の人生――地上だけでなく死後も含めて――に何も変化が生じるわけではありません。振りかける前も振りかけた後も、ただの水です。司祭にはその成分を変える力はありませんし、法則と違った結果を生み出す力もありません。

魂は洗礼によって何の影響も受けません。あなたの魂を進化させる力を持った人間はいません。魂の進化は、地上での生活を通して、あなた方自身が達成していくものなのです。自分の行為が生み出す結果を、他人が取り除くことはできません。自分で償い、自分で報いを受けることによって成就していくものなのです。

“聖人”と洗礼とは何の関係もありません。日常生活の中で、可能なかぎり完全に近い行いをすることによって大霊を顕現させ、少しでも多く神性を発揮しようとする人が“聖人”なのです。


■当委員会は、神がその気になれば奇跡を生じさせることができるという点では一致をみたが、果たして奇跡的現象というものが起きるものであるか否かについては意見が分かれた。


さらに十五年も討議すれば、委員会は結論を出せたのでしょうか。何という情けない話でしょう! (聖書にある)盲人が盲人を手引きしているとは、まさにこのことです。その程度の者たちが人類を導いているのです。そして奇跡的な現象が起きるか否かは分からないと、まるで他人事(ひとごと)のように言っています。(原因がないという意味での)奇跡は存在しません。これまで一度も起きておりませんし、これからも絶対に発生しません。

大霊はあくまでも大霊です。大霊の法則の働きは完璧です。それは大霊の完全無欠性によって生み出されたものだからです。その法則が万一機能しなくなったとしたら、宇宙は大混乱をきたします。大霊が予測しなかった事態が生じて創造機構の手直しをしなければならなくなるとしたら、大霊は完全無欠ではなくなります。

(キリスト教で言うように)もしも選ばれた少数の者を寵愛するために奇跡を生じさせるとしたら、大霊は分け隔てをする不公平な神であることになり、全生命の源である無限の存在ではないことになります。委員会のメンバーは、そのお粗末な概念によって、大霊を何とちっぽけな存在に貶(おとし)めていることでしょう。

彼らは高次元の摂理について無知であり、霊力の存在についても知らず、霊界の上層からもたらされる霊力に触れたことがないために、霊媒を通して演出される現象が理解できないのです。

委員会のメンバーは、イエスにまつわる現象(しるしと不思議)が今日の物理法則に矛盾すると思い、“奇跡”というものを考え出さなければならなかったのです。彼らが霊的法則の働きを知れば、大霊は昔も今も未来永劫、不変であることを理解するようになります。地上人生において大霊から授かった霊的資質を発揮するならば、誰もが大霊の力を活用することができるようになるのです。


■もし奇跡が生じるなら、それは秩序の破壊ではなく神の意思の表現であり、それが自然界の新たな秩序を決定づけることになる。それゆえ決して不合理なものでも気まぐれなものでもないのである。


委員会のメンバーは、大霊の法則は無窮(むきゅう)の過去から存在し、無窮の未来まで存在し続けるということを理解していません。地上人類が新しい法則を発見したといっても、それは性能のよい器機の発明によって、それまで知らなかった宇宙の生命活動の一端を知ったというだけで、人間が新しいものを創造したというわけではありません。もともと存在していたものを見つけ出したにすぎません。

あなた方が何かを創造するということは不可能です。すでに存在している被造物の一部を発見することしかできません。また、大霊の法則に反して何かが発生することもあり得ません。人間がその存在を知ると知らないとに関係なく、大霊の法則のすべては、ずっと存在しているのです。

したがって大霊が新たに法則を考案する必要はありません。宇宙の経綸に必要な法則は残らず用意されており、それは未来にわたっても働き続けます。大霊は完全無欠であるがゆえに、あらゆる状況に適応する法則を準備しておられるのです。


■クリスチャンの立場からすれば、聖書は神の特殊な啓示を記録したもので、唯一無二のものである。


何という精神の暗さでしょう! いったいどこまで盲信の暗闇に閉ざされているのでしょう! 彼らを取り囲む壁は何と厚く、盲信の砦(とりで)を守る暫壕(ざんごう)の何と深いことでしょう!

物質界というものが出現して以来、多くの大霊の使徒が地上界へ降誕して啓示をもたらしてきました。それは当然、その時代の言葉で語られました。啓示の内容はその時代の必要性や、その国の事情に応じたものであり、人々の精神的・霊的な発達程度に合わせたものでした。要するにその啓示の意味が理解されやすい形で――レベルが高すぎて手が届かないことにならないようにとの配慮のもとに――与えられました。

一方、進化のプロセスはどこまでも続いていきます。地上人類が成長し進化すれば、それに相応しい新たな指導者、新たな預言者、新たな霊能者が派遣され、その時代が必要とするビジョン、理想、預言、メッセージ、インスピレーション、真理等が授けられます。啓示には終わりというものがありません。なぜなら大霊は完全無欠の存在だからです。

新たな啓示は古い啓示と一貫しており、矛盾していません。今私たちが説いている真理は、ナザレのイエスによって説かれた真理を否定するものではありません。イエスも、モーセの説いた真理を否定してはいません。そして私たちのあとに現れるであろう次代の指導者も、今私たちが説いている真理を否定することはありません。

しかし明日の大霊の子らは、今日の子らよりも一段と高い進化の段階にいますから、彼らに明かされる真理は、今あなた方に説かれている真理よりも一段と進歩的なものになります。


■クリスチャンにとってキリストは、唯一の、そして不可欠の(神との)仲介者である。父(神)とキリストとのつながりは直接的であったが、我々クリスチャンとのつながりはキリストを介して行われる。


これは間違いです。大霊は、あなた方一人ひとりの内に存在しています。同時にあなた方一人ひとりは、大霊の内に存在しているのです。イエスも「神の王国はあなた方の中にある」と述べているではありませんか。クリスチャンはなぜ、こんなにもイエスの教えを理解していないのでしょう!

(クリスチャンだけでなく)いかなる人間も大霊から切り離されることはありませんし、大霊が人間から切り離されることもありません。いかに重い罪を犯した人間であっても、それによって大霊から切り離されることは絶対にありません。人間と大霊とを結んでいる絆は永遠に断ち切ることができないものであり、大霊との関係が失われてしまうようなことは決してないのです。

人間は、内在する神性を日常生活の中で顕現させるにつれて大霊に直接的に接近していくことになります。あなた方一人ひとりに大霊の分霊が宿されているのであり、大霊とあなた方との間に仲介者を立てる必要などありません。

ナザレのイエスは、そんな目的のために降誕したのではありません。人間はいかに生きるべきか、いかにすれば内部の神性を顕現させられるかを教えるために地上界へ降りてきたのです。

キリスト教の神学は、地上世界にとってまさしく“災いのもと”です。人類にとって大きな手かせ・足かせとなっています。人々の魂を牢獄に閉じ込めています。それから逃れるためには、自らを縛っている人工的教義と間違った信条を断ち切り、霊的インスピレーションによって示される本物の真理に目覚めることです。人間の知性は大霊のインスピレーションに優るものではありません。


■「キリストの復活」は、永遠の生命という希望を裏付けるものである。


またしても何というお粗末な認識でしょう! 人間は内部に大霊の分霊を宿しているからこそ存在しているのです。物質は霊によって存在しているのです。霊は永遠の実在であり、破壊できないものです。霊は不滅にして無限なる存在です。

あなた方は霊であるからこそ、墓場を越えて火葬の炎の向こうまで生き続けるのです。物質界にも霊界にも、内部に秘められた神性を破滅させることができるものはありません。人間の内部の神性は、誕生とともに大霊から授かった最も重要な贈り物なのです。

あなた方が今生きているのは霊だからこそです。墓場を越えて生き続けるのも霊だからこそです。霊であればこそどこまでも永遠に生き続けるのです。霊はいかなる指導者とも無関係です。霊は、あなた方が生まれつき持っている権利であり、大霊からの賜物(たまもの)なのです。

なぜかクリスチャンは、宇宙の創造主であり、千変万化の大宇宙の営みを経綸する大霊(神)を限定して考えようとします。彼らのしていることがお分かりでしょうか。物質界でわずか三十三年を生きた人物(イエス)と大霊を同列に扱っているのです。しかも大霊の恩寵(おんちょう)は、イエスを信じた者だけに与えられると説いています。何と情けないことでしょう! 「宗教」という言葉をこれほど辱(はずかし)める教義はありません。イエスご自身がどれほど悲しみと嘆きの涙を流しておられるか、知っているのでしょうか。いまだにクリスチャンは、イエスを磔(はりつけ)に処し続けているのです。

自らを“クリスチャン”と名乗ったからといって、また、教会に所属したからといって、それで「地の塩(模範的人間)」になれるわけではありません。地上で身につけたラベル(名誉ある地位や肩書き)は霊界では通用しません。教義を厳格に守ったからといって大したことではありません。あなた方にとって大切なことはただ一つ――地上にいる間にどれだけ内在する大霊を顕現させたか、それだけなのです。


■キリスト教の「贖罪(しょくざい)」の教義の根本にあるのは、それが本質的に神の御業であり、神がキリストの調停によって人類と和解したとの確信である。


これは、嫉妬と怒りに燃えた神をなだめすかすために、最愛の子を血の犠牲にしなければならなかったという、あの古くからの贖罪説の焼き直しでしょうか。大霊は怒りっぽい人間より、もっと残酷で無慈悲だとでも言うのでしょうか。我が子と和解するのに血の犠牲を要求するとでも言うのでしょうか。大霊とイエスをこれほど哀れな存在に貶める説はありません。

イエスみずからが愛と慈悲と優しさに満ちた“父”のごとき存在と説いた大霊のご機嫌を取るために、なぜ血を流さなくてはならないのでしょうか。地上の人間は一人の例外もなく、自分の努力で人格を形成し、自分の努力で霊的進化を達成するために地上界へ来ているのです。

もし、あなた方が利己的な生き方を選ぶなら、それなりの代償を払わなくてはなりません。人のために役立つ道を選ぶなら、人間性の発達という形で報われます。摂理の働きによってそのようになっているのであり、いかに偉大な指導者といえども、その働きを変えることはできません。

もしも間違いを犯したら、潔くその代価を支払えばいいのです。屁理屈をこねて、他人に責任を転嫁するようなことをしてはいけません。

私たちの世界では利他的で霊性が優れた者は、利己的な者よりも高いレベルの界層にいます。それ以外にありようがないのです。もしも、利己的な生活を送った人が死後、生涯を他人のために捧げた人と同じように高い界層に行けるとしたら、それは大霊と大霊の完全な正義を愚弄(ぐろう)することになります。

もちろん、そんなことはありません。人生は、あなた方自身が形成していくものです。どのような地位にあろうと、職業が何であろうと、家柄が高かろうと低かろうと、問題ではありません。肩書きや階級、人種や民族や国家といったものとは関わりなく、すべての人間に奉仕(サービス)のチャンスは等しく与えられているのです。もし、あなた方がそのチャンスを無視するなら、それ相当の代償を払うことになります。その摂理の働きを妨げられる者はいません。

イエスの言葉を引用して終わります――「自分が蒔いた種は自分で刈り取らなければならない。」


〔当日の交霊会を総括してシルバーバーチが次のように述べた。〕


私は皆さん方に、イエスが説き、私たちが語っているシンプルな真理と、今地上において宗教界のリーダーと目されている人たちが説いている教説とを比較していただきたいのです。

私たちはあなた方に、メッセージをお届けしています。それはあなた方の理性に反することのない、知性を侮辱(ぶじょく)することのないメッセージです。それはシンプルな霊的真理をもたらします。

私たちはまず、あなた方地上人がいちばん求めていること、すなわち他界した愛する人々は今も生き続けており、「死」は永遠の別れではないという証拠を示します。

次に私たちは、霊界からもたらされる霊力は、人類を向上させるために献身している人々を鼓舞しているという事実を明かします。霊力は、人生を生き甲斐のあるものに、そして調和のとれたものにするための“豊かさ”をもたらしてくれるのです。

さらに私たちは、病んでいる人々の苦痛を和らげるために霊的治療エネルギーをもたらします。私たちは、地上の人々に互いに助け合って生きる方法を教えるという神聖な使命を果たすために、力を結集して努力しているのです。

私たちは、これまでの人類の歴史の中で大霊のインスピレーションに触れた者たちが説いたのと同じ真理を繰り返し述べています。神の摂理の存在を強調し、それらがどのような形で働いているかを明らかにしています。そして私たちは同じ法則を使用して、過去に起きた現象を今、再現させているのです。

しかし実際には、本来なら霊力の働きを認めるべき人々(聖職者たち)から拒絶されています。彼らは“神学”という名の隔離された世界に身を隠しています。“教条主義”という名の修道院に閉じこもっています。

彼らは、内心では怖いのです。霊的真理が地上人類の間に広まれば、司祭も牧師も主教も大主教も要らなくなってしまうことを知っているからです。

本日、国教会の「報告書」の一部を聞かせていただき、教条主義が徐々に勢力を失い、代わって私たちの使命が成功しつつあることを改めて確信いたしました。