More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
ハンネン・スワッハー・ホームサークルにとっての最大の危機は第二次世界大戦の勃発だった。波長の乱れによって霊的回線が混乱し、時には切れてしまったりして、その補修工事をしながらどうにか切り抜けたが、霊団の中には 「もう無理です。当分中止しましょう」 と進言する者もいたらしい。
が、シルバーバーチは地上人類もかつてない危機にひんしている、今こそ自分たちの存在価値があるとの主張を貫き通し、週一回の交霊会を止めなかった。
そのシルバーバーチの期待どおり、霊言集は遠い戦地へも届き、傷心と孤独の中の軍人に生きる希望と自信を与えた。陸軍、海軍、空軍はもとより、商船隊の乗組員、本国の民間軍属、防空対策員、家庭にあって子供を守る母親、負傷した人たち、そして病気の人々と、ありとあらゆる階層の人がシルバーバーチの霊訓によって慰めを得ていた。その大戦もそろそろ終局へと向かいつつあったころ、シルバーバーチはこう述べた。
「今はまさに地上のあらゆる思想・制度がるつぼの中へ放り込まれ、改革を余儀なくさせられている重大な時期です。古い制度が消滅し、昨日の権威への敬意を失った男女が、果たして明日は何をもたらしてくれるであろうかと期待しております。
無数の平凡な男女が、かつてない苦しみの中でかつてない勇気を出すことによって、そこに人間の到達しうる限りの高所と、理想に燃えたときの人間の忍耐力の可能性を示しました。
しかし同時にこの時期は、短かったとはいえ人間の残忍性の奥をのぞかせた時期でもありました。つまり人間の到達しうる限りの気高さと醜さの極限を見せてきました。言いかえれば人間の霊性の素晴らしさを見せると同時に、堕落した時の極悪非道ぶりも見せつけたのです。
しかし、いずれも同じく人間のしたことです。霊と肉の両極から成り立っている存在だからです。そのどちらがより強く人間を操るかによって生じる差にすぎません。霊の道を選ぶか、それとも肉の道を選ぶかの差です。私たち霊界の者にはもはや肉体はありません。ですから、民族、国家の別、肌の色、教義、階級の違いの観点から物事を処理することはしません。
人間がとかくこだわる境界線とか制限区域といった観念にはとらわれません。全人類を神性という共通の要素をもった霊的存在としてみます。一人一人が全体にとって無くてはならぬ存在なのです。
肉体が死ぬと人間は霊界の存在となり、地上的束縛のすべて───それまで自分の本来の姿を見る目を曇らせてきたもの、無意味な残酷さへ追い立ててきた狭量さ、長い間地上のガンとなってきたケチくさい不寛容精神と利己主義のすべてをかなぐり棄てます。
大切なのは、あなた方はもともと霊的存在であり、果たすべき霊的宿命を持ってこの地上にあるという認識です。ですから、これからの新しい時代は霊的真理を土台として築かなければなりません。証拠を持って立証されたという意味において真理といえるものを土台としなければなりません。
(その霊的真理から生まれる)寛容精神と善意と愛と奉仕精神と協調心を持って臨めば、地上に恒久的平和と調和のとれた世界を招来することが出来るでしょう。
古い概念にとらわれ、憎み合い、国家間の不和、民族と肌の色と階級の違いにこだわり続けているかぎり、地上に戦争のタネは尽きないことになります。戦争は、とどのつまりは、憎悪と利己心と物質的な私利私欲から生れるものだからです。
かつて崇高な精神の持ち主たちを暴虐と暗黒の地上の浄化へと駆り立てたのと同じ精神が、この度の大戦が終結したあとに訪れる世界においても人々を鼓舞しなければいけません。それ以外に地上再生の道はありません。私たちの世界には、かつて地上において自由解放の理念のために、いわゆる〝一死奉公〟の精神に殉じた人々が数えきれないほどいます。
その人たちを二度と裏切ることがあってはなりません。かつての暗黒時代に見事に開花した理想主義の理念を忘れてはなりません。すべてが荒涼として絶望的に見えた時代になお息づいていた僚友精神を忘れてはなりません。
人類はイザとなれば至善至高のものを出すだけの力を具えているのです。奉仕活動への呼びかけ、すべての者にとって地上をより良く、より公平に、より豊かにしようとする願望に対して応える資質を、人間は立派に具えているのです。ところが残念ながら、いつの時代にも、飽くなき欲望に駆られる人間、自分の利益しか考えない人間、人類全体の福祉、人の理想、人類の全てに宿る神からの霊的遺産に対してまるで無頓着な人種がいるものです。
そうした種類の人間に対して皆さんは敢然と立ち向かわなくてはいけません。これは終りなき闘いです。貪欲と利己主義への闘いです。人類を本来の歩むべき道から堕落させ、折角の遺産を詐取しようとする連中です。
私たちの説く真理はもとより愛する者を失った悲しみの人々に慰めをもたらしてあげることも大切な目的ですが、開発可能な人間の霊的資質の奥を披露し、虐げられた人々や生活に困窮している人たちの救済に身を捧げようとする者、地上の豊かな恵みをすべての人に平等に行きわたらすための活動に奉仕する人たちに、よろこびと勇気とを与えてあげることも目的としております。
そうした使命を持つ私たちに、この戦時下にあって愛慕の念を失うことなく協力し続けて下さった皆さんを私は心から誇りに思っております。あなた方の協力なくしては推進できなかった困難な仕事でしたが、あなた方は、私にそれをお受けする資格があるとの自信が持てない程の忠誠心を持って、私への協力を惜しみませんでした。
いついかなる時も、皆さんは私がきっと成就して見せますと約束した使命の継続を可能にしてくださいました。そのことに私は心から感謝しております。なぜなら、それが不安を抱えながら生きている人々に確信を与え、霊的知識の聖域へと導き、その聖域において生気を取り戻したその人たちが私たちに代わって霊的知識の普及に邁進してくれることになったからです。
しかし、これまで成就してきたことは、これから成就していくべきものに較べれば、物の数ではありません。数えきれないほどの人々があなた方のなさっていることに、一抹の恐れを抱きつつも期待の眼差しを向け、苦悶の中にあって自分たちに幾らかでも慰めを与えてくれるだろうか、絶望の中にある自分たちに一かけらでも希望の光を与えてくれるだろうか、混沌としているこの時代に少しでも平穏をもたらしてくれるだろうかと思っております。
そこに私達の耕す土地があります。そこに、何時かはきっと花を咲かせてくれる知識の種子を蒔いてあげたいのです。
われわれは見せかけは独立した存在ですが、霊的には一大統一体を構成する部分的存在です。そうして、どこにいても、まわりには物的束縛から解放された先輩霊の一大軍勢が待機し、地上へ働きかけるための手段(受容性に富む人間)を求めて常時見張りを続けており、過去の過ちを繰り返さぬために、
そして平凡な日常生活から人間が叡知を学び地上生活が実のあるものになってくれるように霊的知識を少しでも多く授けたいと願っている、そうした事実を認識して、これからの仕事に臨もうではありませんか。われわれは愛と叡知によって導かれ、知識とインスピレーションによって支えられている、偉大にして遠大な目的のための道具であることを片時も忘れぬようにいたしましょう。
願わくは託された使命に恥じないだけの仕事に励むことが出来ますように」
同じ趣旨のことを別の交霊会で次のように訴えている。
「私たちの仕事はこちら側とそちら側の双方に存在する〝無明〟という名のベール、人間精神が暗黒であるがゆえに生み出される愚かさと無知と迷信のベールを取り除くことです。
あなた方は今まさに、その無知を助長し真理の普及を妨げ啓発と改善に抵抗してきた勢力の崩壊と解体を目の当たりにしておられます。そうした勢力はけっきょく私たちに霊的生活への備えが何もできていない人間的難破貨物、人生への海をいずこともなく漂う漂流物というツケを回してくれました。そうした人生の落伍者を啓発し、地上で犯した悪行のすべての償いをさせるための努力がえんえんと続けられねばならないのです。
とは言っても、私たちは別に難解な真理を説いているのではありません。いたって単純なことばかりなのです。いたって分かり易い、筋の通ったことばかりであり、それがなぜこうまで誤解を受けなければならないのか、なぜこうまで反撃されねばならないのか、なぜこうまで敵意を向けられねばならないのか、ただただあきれ返るばかりなのです。
もしも私たちのもたらすメッセージが人類に永遠の地獄行きを宣告し、いったん神に見放されたら二度と救われるチャンスはないと説き、神とは人間を憎しみをもって罰し、責め立て、ムチ打つことまでする恐ろしい魔神であると述べているのであれば、こうした敵対行為も容易に理解できましょう。
しかし私たちのメッセージは愛と奉仕のメッセージなのです。生命は永遠にして無限であり、死は存在しないこと、人間の一人一人が宇宙の創造という大目的の一翼を担う存在であると説いているのです。
人間は物的身体ではなく永遠なる霊的存在であり、年令とともに衰えることなく、内部の神性が開発されるに連れてますます光輝を増していく存在であると説いているのです。
また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはないこと、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。
死は決して愛する者との間を永遠に引き裂くものでないこと、いつかは必ず再会の時が訪れること、それも、どこやら遠い遠いところにある摑みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりも遥かに実感のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。
善はみずから報酬をもたらし、罪と悪はみずから罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛かっているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかすことも、それから逃れることも出来ません。誰にも出来ません。
たとえ豪華な法衣をまとっていても、あるいは高貴な〝上級聖職階〟を授かっていても、神とあなたとの間の仲介役の出来る人は一人もいないのです。
あなたに存在を与え、全生命を創造された大霊の力から片時も離れることは無いのです。苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更生のチャンスが与えられるのです。神から授かった才能が永遠に使用されることなく放置されることはありません。何時かはそれを存分に発揮できる環境が与えられます。
以上、私たちが宣言する良い知らせの幾つかを述べてみました。真面目な男女の心にきっと喜びをもたらす事柄ばかりであるはずです。なのに私達は宗教界のリーダーを持って任じる者達からの反抗に遭っております。
地上世界を暗黒の奈落へと突き落とした張本人たち、復讐心に燃える神、残忍にして嫉妬深く、専横で独裁的で執念深い存在の物語をあふれさせた宗教家たち、教義の方が行為に優先するなどと説き、神の裁きも信仰の告白によってお目こぼしがあるかのように説く者たち、こうした者たちが私たちに反抗し、私たちの説く霊的真理は悪の親玉、暗黒の魔王が仕かけているワナであると宣伝する仕末です。
しかし時すでに遅しです。彼らにはもはや人類の宿命をねじ曲げる力はありません。人間の一人一人に宿る霊性の発露を妨げることはできません。それが神の摂理なのです。いま私は彼らに対して酷しい言葉を用いましたが、私の心の奥では彼らに対する大いなる憐みの情を抱いております。
なぜなら私の目的は彼らを非難することではなく、真理と知識と叡知を普及することにあるからです。
知識こそすべての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生から喜びと美しさと豊かさを見出すことはできません」
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