シルバーバーチの霊訓(六)
S・フィリップス編 近藤千雄訳
この男性は交霊会は今回が初めてであるが、スピリチュアリズムには早くから親しんでいた。そこでシルバーバーチがこう挨拶した。
「私はあなたを見知らぬ客としてではなく待ちに待った友として歓迎いたします。どうかサークルの皆さんと思い切り寛いだ気分になっていただき、お互いに学び合ってまいりましょう。
これまであなたもずいぶん長い道のりを歩んでこられました。けっして楽な道ではありませんでした。石ころだらけの道でした。それをあなたは見事に克服してこられました。あなたご自身にとって、またあなたの愛する方たちにとって重大な意味をもつ決断を下さねばならなかった魂の危機を象徴する、忘れ難い出来ごとが数多くあります」
これを聞いてその男性は 「少しピンと来ないところがあるのですが」 と述べてから、自分が霊的に飢えていたと言うのはどういう意味かと尋ねた。すると───
p139
「(通常意識とは別に)あなたの魂が切望していたものがありました。あなたの内部で無意識に求めていたものですが、あなたはその欲求を満たしてやることが出来なかった。
永い間あなたは何かを成就したい、やり遂げたい、我がものにしたいという絶え間ない衝動───抑えようにも抑え難い、荒れ狂ったような心の渇望を意識し、それがしばしば精神的な苦痛を生みました。〝一体自分の心の安らぎはどこに求めたらいいのか。
自分の心の港、心の避難場所はどこにあるのか〟と心の中で叫ばれました。次々と難問は生じるのに回答は見出せませんでした。ですが、いいですか、その心の動乱は実はあなた自身の魂の体質が生んでいたのです。
水銀柱が急速に上昇するかと思えば一気に下降します。あなたは暴発性と沈着性という相反するものを具えたパラドックス的人間です。いかがです、私の言っていることがお分かりになりますか」
───よく分ります。おっしゃる通りです。私なりに偉大な思想家から学ぼうと努力してきたつもりですが・・・・・・
「私にも真理のすべてをお授けすることはできません。真理は無限であり、あなたも私も同様に有限だからです。
℘140
われわれも無限なるものを宿していることは事実ですが、その表現が悲しいほど不完全です。完全の域に達するまでは真理のすべてを受け入れることはできません。真理とは無限の側面を持つダイヤモンドです。無限の反射光を持つ宝石です。
その光は肉体に閉じ込められた意識では正しく捉らえ難く、その奥の霊の持つ自然の親和力によって手繰り寄せられた部分をおぼろげに理解する程度です。私には〝さあ、これが真理ですよ〟と言えるものは持ち合わせません。あなたが求めておられるものの幾つかについて部分的な解答しかお出しできません。
あなたは感受性のお強い方です。男性のわりには過敏でいらっしゃいます。それはそれなりの代償を支払わされます。普通の人間には分からないデリケートで霊妙なバイブレーションを感知できるほどの感受性を持っておれば、当然、他の分野でも過敏とならざるを得ません」
───そのことを痛切に思い知らされております。
「感受性が強いということは喜びも悲しみも強烈となるということです。幸福の絶頂まで上がれるということは奈落の底まで落ちることも有り得るということです。強烈な精神的苦悶を味わわずして霊的歓喜は味わえません。
℘141
二人三脚なのです。私があなたのお役に立てることといえば、たとえ苦境にあってもあなたは決して泥沼に足を取られてにっちもさっちも行かなくなっているのではないこと、何時も背後霊によって導かれているということを理解させてあげることです。
一人ぼっちであがいているのではないということです。幸いなことにあなたは度を過して取り乱すことのない性格をしていらっしゃいます。時には目先が真っ暗に思えることがあっても、自分が望むことは必ず叶えられるとの確信をお持ちです。
どうぞ自信をもってください。あなたが生きておられるこの宇宙は無限なる愛によって創造され、その懐の中に抱かれているのです。その普遍的な愛とは別に、あなたへ個人的な愛念を抱き、あなたを導き、援助し、利用している霊の愛もあります。それは、よくよくのことがないかぎり自覚していらっしゃいません。私の申し上げたことが参考になりましたでしょうか」
───とても参考になりました。
※ ※ ※
話は前後するが、この交霊会より早く、女性の文筆家が二度招かれていた。この夫人はスピリチュアリズム普及のためにいろいろと書いておられる。が、最近ご主人に先立たれた。シルバーバーチが歓迎の言葉をこう述べた。
℘142
「あなたのペンの力で生き甲斐を見出してから他界した大勢の人に代わって、私が歓迎の言葉と感謝の気持ちを述べる機会を持つことができて、とてもうれしく思います。私たちにはあなたから慰めを得た人々の心、あなたの健筆によって神の恵みに浴することができた魂が見えるのです。
道を見失える者、疲れ果て困惑しきってあなたのもとを訪れる人々に、あなたは真心を込めて力になってあげられました。自分を人のために役立てること、これが私たちにとって最も大切なのです」
───ご理解いただいているように、ともかく私は人のためにお役に立ちたいのです。
「私たちの価値判断の基準は地上とは異なります。私たちは、出来ては消えゆく泡沫のような日々の出来ごとを、物質の目でなく魂の知識で見つめます。その意味で私たちは、悲しみの涙を霊的知識によって平静と慰めに置きかえてあげる仕事にたずさわっている人に心から拍手喝采を送るものです。
地上の大方の人間があくせくとして求めているこの世的財産を手に入れることより、たった一人の人間の魂に生甲斐を見出させてあげることの方がよほど大切です。
℘143
有為転変(ういてんぺん)きわまりない人生の最盛期において、あなたはその肩に悲しみの荷を負い、暗い谷間を歩まねばならないことがありましたが、それもすべては、魂が真実なるものに触れてはじめて見出せる真理を直接(じか)に学ぶためのものでした。
大半の人間がとかく感傷的心情から、あるいはさまざまな魂胆から大切にしたがる物的なものに、必要以上の価値を置いてはいけません。そうまでして求めるほどのものではないのです。いかなる魂をも裏切ることのない中心的大原理即ち霊の原理にしがみつかれることです」
さらにシルバーバーチはその文筆家が主人を亡くしたばかりであることを念頭におきながらこう続けた。
「あなたが今こそ学ばねばならない大切な教訓は、霊の存在を人生の全ての拠りどころとすることです。明日はどうなるかという不安の念を一切かなぐり捨てれば、きっとあなたも、そのあとに訪れる安らぎと静寂とともに、それまで不安に思っていた明日が実は、これから辿らねばならない道においてあなたを一歩向上させるものをもたらしてくれることに気づかれるはずです。
非常に厳しい教訓ではあります。しかし、すべての物的存在は霊を拠りどころとしていることはどうしようもない事実なのです。
℘144
物的宇宙は全大宇宙を支配する大霊の表現であるからこそ存在し得ているのです。そしてあなたもその身体に生命と活力を与えている大霊の一部であるからこそ存在し得ているのです。物的世界に存在するものはすべて霊に依存しております。言わば実在という光の反射であって、光そのものではないのです。
私たちとしては、あなた方人間に理想を披歴するしかありません。言葉をいい加減に繕うことは許されません。あなたがもし魂の内部に完全な平静を保つことができれば、外部にも完全な平静が訪れます。
物的世界には自分を傷つけるもの、自分に影響を及ぼすものは何一つ存在しないことを魂が悟れば、真実、この世に克服できない困難は何一つありません。かくして、訪れる一日一日が新しい幸せをもたらしてくれることになります。いかに優れた魂にとっても、そこまでは容易に至れるものではないでしょう。
しかし人間は苦しい状態に陥ると、それまでに獲得した知識、入手した証拠を改めて吟味しなおすものです。本当に真実なのだろうか、本当にこれでいいのだろうか、と自問します。しかし、これまで何度も申し上げてきたことですが、ここでまた言わせていただきます。万事がうまく行っている時に信念を持つことは容易です。が、
信念が信念としての価値を持つのは暗雲が太陽をさえぎった時です。が、それはあくまでも雲にすぎません。永遠にさえぎり続けるものではありません」
℘145
(訳者注───このあとに続く部分は第四巻の八章「質問に答える」の中で質問(四)として引用されている。次の問答はその続きとしてお読みいただきたい)
───最近の大規模な疎開政策によって家族関係が破壊され、それが責任意識に欠けた若者を生む原因になっていると私は考えるのですが、いかがでしょうか。
「そういうことも考えられます。が、それがすべてというわけではありません。元来家庭というのは子供の開発成長にとっての理想的単位であるべきなのですが、残念ながらこれにも多くの例外があります。
私が思うに、暴力行為を誘発すると同時に道徳基準を破壊してしまうという点において、やはり何といっても戦争が最大の原因となっております。一方で相手を殺すことを奨励しておいて、他方で戦争になる前のお上品さを求めても、それは無理というものです」
───結局、社会環境を改善するしかないように思います。
℘146
「そのために霊的実在についての知識を普及することです。自分が霊的存在であり物的存在ではないこと、地上生活の目的が霊性の開発と発達にあることをすべての人間が理解すれば、これほど厄介な野獣性と暴力の問題は生じなくなることでしょう」
これにサークルのメンバーが 「そうなれば当然戦争などは起こり得ないですね」 と相づちを打つと、シルバーバーチが───
「人類の全てが霊性を認識し、人類という一つの家族の一員としてお互いの間に霊という不変の絆がありそれが全員を家族たらしめているということを理解すれば、地上から戦争というものが消滅します」
別のメンバーが 「それがいわゆる不戦主義者の態度なのですね?」と述べると───
「私はラベルには関心はありません。私はなるべく地上のラベルには係わり合わないようにしております。理想、理念、動機、願望───私にとってはこうしたものが至上の関心事なのです。たとえば自らスピリチュアリストを持って任じている人が必ずしもスピリチュアリズムを知らない人よりも立派とは言えません。
不戦主義者と名のる人がおり、その理念が立派であることは認めますが、問題は結局その人が到達した霊的進化の程度の問題に帰着します。
℘147
不完全な世の中に完全な矯正手段を適用することは出来ません。時には中途半端な手段で間に合わせざるを得ないこともあります。世の中が完全な手段を受け入れる用意が出来ていないからです。
こちらの世界では高級な神霊はまず動機は何かを問います。動機がその行為の指標だからです。もしその動機が真摯なものであれば、その人の願望はまるまる我欲から出たものではないことになり、したがって判断の基準も違ってきます」
(訳者注───最後に述べている〝まるまる我欲から出たものではない〟というセリフは注目すべきであろう。前巻でも注釈しておいたことであるが、シルバーバーチは〝利己性〟をすべていけないものとは見ていない。
霊的なものに目覚めた当初はとかく完全な純粋性を求め、それが叶えられない自分を責めがちであるが、肉体という〝悲しいほど不自由な牢〟に閉じ込められている人間に、そのような完全性を求めるつもりはさらさらないようである。だから〝動機さえ正しければ〟ということになるのである)
ここで先ほどの女性が 「立派な兵士と真面目な不戦主義者とがともに正しいということもあり得るのですね」 と述べると───
℘148
「その通りです。二人の動機は一体何かを考えればその答えが出ます。何ごとも動機がその人の霊的発達の程度の指標となります」
───こういう場合には自分だったらこうするだろうということは予断できないと思うのです。
「そうなのです。なぜかと言えば、人間はその時点までに到達した進化の程度によって制約されていると同時に、地上生活での必需品として受け継いだ不可避の要素(前世からの霊的カルマ、肉体の遺伝的要素などが考えられる───訳者) の相互作用の影響も受けるからです。ですから、常に動機が大切です。
それが、どちらが正しいかを判断する単純明快な基準です。かりに人を殺めた場合、それが私利私欲、金銭欲、その他の利己的な目的が絡んでいれば、その動機は浅はかと言うべきでしょうが、愛する母国を守るためであれば、その動機は真摯であり真面目です。
それは人間として極めて自然な情であり、それが魂を傷つけることにはなりません。ただ残念なことに、人間は往々にしてその辺のところが曖昧なことが多いのです」
別のメンバーが 「でも、もちろんあなたは人を殺めるということそのものを良いことだとは思われないでしょう」 と言うと、
℘149
「もちろんです。理想としては殺し合うことは間違ったことです。ですが、前にも述べたことがありますように、地上世界では二つの悪いことの内の酷くない方を選ばざるを得ないことがあるのです」
(訳者注─── この後の死刑制度についての問答は同じく第四巻の 「質問に答える」 の質問(四)の最後に引用されているが、これをカットすると脈絡が取れにくくなるので再度掲載しておく)
───死刑制度は正しいとお考えですか。
「いえ、私は正しいと思いません。これは〝二つの悪いことの酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることでしかありません。個人が人を殺せば罪になり国が人を処刑するのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」
───反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それは雇われた人にとって気の毒なことだからでしょうか。
℘150
「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調しておきたいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決にはなっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることにほかならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に別の世界へ突き落しただけです」
───そのうえ困ったことに、そういう形で強引にあの世へ追いやられた霊による憑依現象が多いことです。地上の波長に近いためすぐに戻って来て誰かに憑依しようとします。
「それは確かに事実なのです。霊界の指導者が地上の死刑制度に反対する理由の一つにそれがあります。死刑では問題を解決したことになりません。さらに、犯罪を減らす方策───これが方策と言えるかどうか疑問ですが───としても実にお粗末です。そのつもりで執行しながら、それが少しもその目的のために役立っておりません。
℘151
残虐行為に対して残虐行為を、憎しみに対して憎しみを持って対処してはなりません。常に慈悲心と寛恕と援助の精神を持って対処すべきです。それが進化した魂、進化した社会であることの証明です」
───そこまで至るのは大変です。
「そうです、大変なのです。しかし歴史のページを繙けば、それを成就した人の名が燦然たる輝きを持って記されております」
───憑依現象のことですが、憑依される人間はそれなりの弱点を持っているからではないかと思っています。つまり、土の無いところにタネを蒔いても芽は出ないはずなのです。
「そうです。それは言えます。もともとその人間に潜在的な弱点がある、つまり例によって身体と精神と霊の関係が調和を欠いているのです。邪霊を引きつける何らかの条件があるということです。アルコールの摂り過ぎである場合もありましょう。薬物中毒である場合もありましょう。
℘151
度を越した虚栄心、ないしは利己心が原因となることもあります。そうした要素が媒体となって、地上世界の欲望を今一度満たしたがっている霊を引きつけます。意識的に取り憑く霊もいますし、無意識のうちに憑っている場合もあります」
その日の交霊会の終りに、最近一人娘を失ったばかりの母親からの手紙が読み上げられた。その手紙の主要部分だけを紹介すると───
〝私は十九歳のひとり娘を亡くしてしまいました。私も夫も諦めようにも諦めきれない気持ちです。私たちにとってその娘が全てだったのです。私たちはシルバーバーチの霊言を読みました。シルバーバーチ霊はいつでも困った人を救ってくださるとおっしゃっています。
(肢体不自由だった)娘は十九年間一度も歩くことなく、酷しい地上人生を送りました。その娘が霊界でぶじ向上しているかどうか、シルバーバーチ霊からのメッセージがいただけないものでしょうか。地上で苦しんだだけ、それだけあちらでは報われるのでしょうか。私は悲しみに打ちひしがれ、途方に暮れた毎日を生きております〟
これを聞いたシルバーバーチは次のように語った。
℘153
「その方にこう伝えてあげてください。神は無限なる愛であり、この全宇宙における出来ごとの一つとして神のご存知でないものはありません。すべての苦しみは魂に影響を及ぼして自動的に報いをもたらし、そうすることによって宇宙のより高い、より深い、より奥行きのある、側面についての理解を深めさせます。
娘さんもその理解力を得て、地上では得られなかった美しさと豊かさをいま目の前にされて、これからそれを味わって行かれることでしょう。
また、こうも伝えてあげてください。ご両親は大きなものを失われたかもしれませんが、娘さん自身は大きなものを手にされています。お二人の嘆きも悲しみも悼みも娘さんのためではなく実はご自身のためでしかないのです。ご本人は苦しみから解放されたのです。
死が鳥かごの入り口を開け、鳥を解き放ち、自由に羽ばたかせたことを理解なされば、嘆き悲しむことが少しも本人のためにならないことを知って涙を流されることもなくなるでしょう。やがて時が来ればお二人も死が有難い解放者であることを理解され、娘さんの方もそのうち、死によって消えることのない愛に満ちた、輝ける存在となっていることを証明してあげることができるようになることでしょう」
こう述べてから、次の言葉でその日の交霊会を結んだ。
「地上で死を悼んでいる時、こちらの世界ではそれを祝っていると思ってください。あなたがたにとっては〝お見送り〟であっても、私たちにとっては〝お迎え〟なのです」
℘154
さて次の交霊会にも同じ女性文筆家が出席した。シルバーバーチは開会早々こう述べた。
「今あなたを拝見して、前回の時よりオーラがずっと明るくなっているのでうれしく思います。少しずつ暗闇の中から光の中へ出てこられ、それとともにすべてが影に過ぎなかったという悟りに到達されました。本当は今までもずっと愛の手があなたを支え、援助し、守っていてくださったのです。同じ力が今なお働いております。
今のあなたには微かな光を見ることができ、それが暗闇を突き破って届いてるのがお分かりになります。その光はこれから次第に力を増し、鮮明となり、度合いを深めていくことでしょう。あなたは何一つご心配なさることはありません。愛に守られ、いく手にはいつも導きがあるとの知識に満腔の信頼を置いて前進なさることです。
来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、背後霊の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常に周りに存在しているのです。あなた一人ぼっちでいることは決してありません」
℘155
───そのことはよく分かっております。なんとかして取越苦労を克服しようと思っています。
「そうです敵は心配の念だけです。心配と不安、これはぜひとも征服すべき敵です。日々生ずる一つ一つにきちんと取り組むことです。するとそれを片付けていく力を授かります。
今やあなたは正しい道にしっかりと足を据えられました。何一つ心配なさることはありません。これから進むべき道において必要な導きはちゃんと授かります。私にはあなたの前途に開けゆく道が見えます。もちろん時には暗い影は過(よぎ)ることがあるでしょうが、あくまでも影にすぎません。
私たちは決して地上的な出来ごとに無関心でいるわけではありません。地上の仕事にたずさわっている以上は物的な問題を理解しないでいるわけにはまいりません。現にそう努力しております。しかし、あくまでも霊の問題を優先します。
物質は霊のしもべであり主人ではありません。霊という必須の要素が生活を規制し支配するようになれば、何ごとが生じても、きっと克服できます。
少しも難しいことは申し上げておりません。きわめて単純なことなのです。が、単純でありながら、大切な真理なのです。
℘156
満腔の信頼、決然とした信念、冷静さ、そして自信───こうしたものは霊的知識から生まれるものであり、これさえあれば、日々の生活体験を精神的ならびに霊的成長を促す手段として活用していく条件としては十分です。
地上を去ってこちらへお出でになれば、さんざん気を揉んだ事柄が実は何でもないことばかりだったことを知ります。そして本当にためになっているのは霊性を増すことになった苦しい体験であることに気づかれることでしょう」
最後に同じく夫を悲劇の中に失った未亡人に対して次のように述べた。
「あなたからご覧になれば、私がこうして教訓やメッセージをお伝えできることから、私にはどんなことでも伝えられるかに思われるかも知れませんが、私には私なりにどうしても伝えきれないもの、私に適性が欠けているものがあることを常に自覚しております。
なにしろ私たちには五感では感識できない愛とか情とか導きとかを取り扱わねばならないのです。こうしたものは地上の計量器で計るような具合には参りません。
それでも尚、その霊妙な力は、たとえ地上的な意味では感識できなくても、霊的な意味ではひしひしと感識できるものです。愛と情は霊の世界では人間の想像をはるかに超えた実在です。あなたが固いとか永続性があるとか思っておられるものよりずっとずっと実感があります。
℘157
私が今ここで、あなたのご主人はあなたへの愛に満ちておられますと申し上げても、それは愛そのものをお伝えしたことにはなりません。言葉では表現できないものをどうしてお伝えできましょう。そもそも言葉というのは実在を伝えるにはあまりにお粗末です。情緒や感情や霊的なものは言語の枠を超えた存在であり、真実を伝えるにはあまりに不適切です」
ここで未亡人が「主人が今私に何を告げたいかは私の心の中で理解しているとお伝えください」と言うと、
「次のことをよく理解してください。これは以前にも申し上げたことですが、地上を去って私たちの世界へ来られた人はみな、思いも寄らなかった大きな自己意識の激発、自己開発の意識のほとばしりに当惑するものです。肉体を脱ぎ棄て、精神が牢から解放されると、そうした自己意識のために地上での過ちを必要以上に後悔し、逆に功徳は必要以上に小さく評価しがちなものです。
そういうわけで、霊が真の自我に目覚めると、しばらくの間は正しい自己評価ができないものです。こうすればよかった、ああすべきだったと後悔し、せっかくの絶好のチャンスを無駄にしたという意識に苛(さいな)まれるものです。実際にはその人なりに徳を積み、善行や無私の行為を施しているものなのですが、その自覚に到達するには相当な期間が必要です」
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