Wednesday, April 30, 2025

シアトルの春 シルバーバーチのアイデンティティ

Silver Birch Identity



More Philosophy of Silver Birch
Edited by Tony Ortzen



まえがき

 本書はハンネン・スワッハー・ホームサークルでの過去七年におけるシルバーバーチの霊言の速記録を読み返し、ふるいにかけ、そしてまとめ上げたものである。夏期を除いて、交霊会は月に一回の割合で開かれた。

 私のねらいはシルバーバーチの哲学と教訓を個人的問題、社会的問題、および国際的問題との関連においてまとめることである。選んだ題目はなるべく多岐にわたるよう配慮した。

シルバーバーチはとかく敬遠されがちな難題、異論の多い問題を敢えて歓迎する。それを、ぎこちない地上の言語の可能性を最大限に発揮して、わかり易い、それでいて深遠な響きを持った言葉で解き明かしてくれる。

 私はこの穏やかな霊の聖人から受けた交霊会での衝撃をひじょうに印象ぶかく思い出す。開会直前のバーバネル氏の落着かぬ様子を見るに見かねて目を外らすことがしばしばだった。

いつもはジャーナリズムとビジネスの大渦巻のど真ん中に身を置いて平然としている、この精力的でエネルギッシュ過ぎるほどの人物がシルバーバーチに身をゆだねんとして、その訪れを待っている身の置き所のなさそうな何分間かは、本人にとっては神の裁きを待っている辛い瞬間のようで、私には痛々しく思えるのだった。

 しかし、シルバーバーチの訪れはいたって穏やかである。そしてそのメッセージはいたって単純素朴であるが、今崩壊の一途をたどりつつあるキリスト教の基盤にとっては、あたかもダイナマイトのような衝撃である。十八歳の青年だった懐疑論者のバーバネルをある交霊へ誘って入神させて以来ほぼ半世紀たった今、その思想は一貫して変わっていない。

 変わっていないということは進歩がないということではない。その間にいくつかの世界的危機と社会的変革がありながら、それを見事に耐え抜いてきたということは、その訓えの本質的な強固さと実用性を雄弁に物語っていると言えよう。

 これからシルバーバーチに登場していただくお膳立てのつもりのこの前書きも、結局はシルバーバーチの霊言を引用するのが一ばん良いように思われる。ある日の交霊会でシルバーバーチがこの私にこう語ったことがある。

  「活字になってしまった言葉の威力を過小評価してはいけません。活字を通して私たちは海を越えて多くの人とのご縁ができているのです。読んでくださる私の言葉、と言っても、高級界の霊団の道具として勿体なくもこの私が取り次いでいるだけなのですが、それが、読んでくださった方の生活を変え、歩むべきコース、方角、道しるべとなっております。

無知が知識と取って代わり、暗闇が光明に変わり、模索が確信に代わり、恐怖が平静と取って代わります。地上の人間としての義務である天命の成就に向かって踏み出しております。

 それほどのことが活字によって行われているのです。それにたずさわるあなたは光栄に思わなくてはいけません。話し言葉はそのうち忘れてしまうことがありますが、活字にはそれがありません。永久にそこにあります。何度でも繰り返して読むことができます。理解力が増すにつれて新しい意味を発見することにもなります。

 かくして私たちは、この世には誰一人、また何一つ希望を与えてくれるものはないと思い込んでいた人々に希望の光を見せてあげることが出来るのです。あなたも私も、そして他の大勢の人々が参加できる光栄な仕事です。

それはおのずと、その責任の重さゆえに謙虚であることを要求します。その責任とは、自分の説く霊的真理の気高さと荘厳さと威厳をいささかたりとも損なうようなことは行わないように、口にしないように、伝達しないように慎むということです」

 そういう次第で、本書には私個人の誉れとすべきものは何一つない。関係者一同による協力の産物である。では、主役の古代霊、穏やかな老聖人、慈愛あふれる支配霊にご登場願うことにしよう。
     トニー・オーツセン


 訳者注──本書はシリーズの中で一ばんページ数が多く、一ばん少ない第一巻に較べると倍以上の霊言が収められている。しかも〝再生〟の章を除いて、重複するところがまったくない。そこで、ぺージ数をほぼ平均にしたいという潮文社の要望も入れて、わたしはこれを二冊に分けることにした。

というのは、オーツセンが編集したものがもう一冊あるが、これが本書とうって変わってその九〇パーセントが他と重複するものばかりであること、さらに本書の後半が全霊言集の中から名文句を断片的に厳選して収録してあることから、それとこれとを一緒にして最終巻としたいと考えている。


 なおサイキックニューズ紙とツーワールズ誌には今なお断片的ながらシルバーバーチの霊言が掲載されている。その中には霊言集に出ていないものもある。最終巻にはそうしたものも収録してシルバーバーチの〝総集編〟のようなものにしたいと考えている。 





  一章 シルバーバーチのアイデンティティ

 シルバーバーチとはいったい誰なのか。なぜ地上時代の本名を明かさないのか。アメリカ・インディアンの幽体を使用しているのはなぜなのか。こうした質問はこれまで何度となく繰り返されているが、二人の米国人が招待された時もそれが話題となった。そしてシルバーバーチは改めてこう答えた。

 「私は実はインディアンではありません。あるインディアンの幽体を使用しているだけです。それは、そのインディアンが地上時代に多彩な心霊能力をもっていたからで、私がこのたびの使命にたずさわるように要請された際に、その道具として参加してもらったわけです。私自身の地上生活はこのインディアンよりはるかに古い時代にさかのぼります。

このインディアンも、バーバネルが私の霊媒であるのとまったく同じ意味において私の霊媒なのです。私のように何千年も前に地上を去り、ある一定の霊格を具えるに至った者は、波長のまったく異なる地上圏へ下りてそのレベルで交信することは不可能となります。

そのため私は地上において変圧器のような役をしてくれる者、つまりその人を通して波長を上げたり下げたりして交信を可能にしてくれる人を必要としたのです。

同時に私は、この私を背後から鼓舞し、伝えるべき知識がうまく伝えられるように配慮してくれている上層界の霊団との連絡を維持しなくてはなりません。ですから、私が民族の名、地名、あるいは時代のことをよく知っているからといって、それは何ら私のアイデンティティを確立することにはなりません。それくらいの情報はごく簡単に入手できるのです」


 では一体地上でいかなる人物だったのか、またそれはいつの時代だったのか、という質問が相次いで出されたが、シルバーバーチはその誘いに乗らずにこう答えた。

「私は人物には関心がないのです。私がこの霊媒とは別個の存在であることだけ分かっていただければよいのでして、その証拠ならすでに一度ならず確定的なものをお届けしております。

(訳者注──たとえばある日の交霊会でバーバネルの奥さんのシルビアにエステル・ロバーツ女史の交霊会でかくかくしかじかのことを申し上げますと予告しておいて、その通りのことを述べたことがある。

ロバーツ女史はまったく知らないことなので、バーバネルを通じてしゃべったのと同じ霊がロバーツ女史を通じてしゃべったことになる。つまりシルバーバーチはバーバネルの潜在意識ではない──二重人格の一つではないことの証拠となる)

 それさえ分かっていただければ、私が地上で誰であったかはもはや申し上げる必要はないと思います。たとえ有名だった人物の名前を述べたところで、それを証明する手段は何一つ無いのですから、何の役にも立ちません。

私はただひとえに私の申し上げることによって判断していただきたいと望み、理性と知性と常識に訴えようと努力しております。 もしもこうした方法で地上の方々の信頼を勝ち取ることができないとしたら、私の出る幕でなくなったということです。

 かりに私が地上でファラオ(古代エジプトの王)だったと申し上げたところで、何にもならないでしょう。それは地上だけに通用して、霊の世界には通用しない地上的栄光を頂戴することにしかなりません。私たちの世界では地上でどんな肩書き、どんな財産をもっていたかは問題にされません。要はその人生で何を為したかです。

私たちは魂そのものを裁くのです。財産や地位ではありません。魂こそ大切なのです。地上では間違ったことが優先されております。あなた方のお国(アメリカ)では黄金の仔牛(旧約聖書に出てくる黄金の偶像で富の象徴)の崇拝の方が神への信仰心をしのいでおります。

圧倒的多数の人間が神よりもマモン(富の神)を崇めております。それが今日のアメリカの数々の問題、困難、争いごとの原因となっております。

 私がもしアリマタヤのヨセフ (※) だったとかバプテスマのヨハネ (※※)だったとか申し上げたら、私の威信が少しでも増すのでしょうか。それともイロコワ族(※※※)の酋長だったとでも申し上げればご満足いただけるのでしょうか」

(※ イエスの弟子。 ※※イエスに洗礼を施した人物。 ※※※北米インディアンの五つの部族で結成した政治同盟。イロコイ、イロカイオイとも──訳者)


その後の交霊会で 「あなたは代弁者(マウスピース)にすぎないとおっしゃってますが、その情報はどこから伝達されるのですか」との質問に答えて──

「数え切れないほどの中継者を通じて、無尽蔵の始源から届けられます。その中継者たちは真理の本来の純粋性と無垢の美しさが失われないようにするための特殊な仕事を受け持っているのです。

あなた方のいう〝高級霊〟のもとに大霊団が組織されています。が、高級などという表現をはるかに超えた存在です。神の軍団の最高指令官とでも言うべき位置にあり、それぞれが霊団を組織して責務の遂行に当たっております。

 各霊団の組織は真理が首尾よく地上世界に滲透することを目的とすると同時に、それに伴って霊力がより一層地上へ注がれることも意図しております。生命力といってもよろしい。 霊は生命であり、生命は霊なのです。

生命として地上に顕現したものは、いかなる形態であろうと、程度こそ違え、本質において宇宙の大霊と同じものなのです。お分かりでしょうか。

 忘れないでいただきたいのは、私たちはすべて(今述べた最高指令官による)指揮、監督のもとに仕事をしており、一人で勝手にやっているのではないということです。私は今、私が本来属している界、言わば〝霊的住処〟から帰ってきたばかりです。

その界において私は、私を地上へ派遣した上司との審議会に出席し、これより先の壮大な計画と、これまでに成し遂げた部分、順調にはかどっているところ、しっかりと地固めができた部分について教わってきました。

 その界に戻るごとに私は、天界の神庁に所属する高級霊団によって案出された計画の完璧さを再確認し、巨大な組織による絶妙の効果に驚嘆の念を禁じ得ないのです。そして、地上がいかに暗く、いかに混沌とし、仕事がいかに困難を極めようと、神の霊力がきっと支配するようになるとの確信を倍加して地上へ戻ってまいります。

 そのとき他の同志たち(他の霊媒や霊覚者を通じて地上に働きかけている霊団の支配霊)とともに私も、これからの仕事の継続のために霊的エネルギーを補充してまいります。指揮に当たられる方々から計画が順調に進行していることを聞かされることは、私にとって充足感の源泉です。すでに地上に根づいております。

二度と追い帰されることはありません。 かつてのような気紛れな働きかけではありません。絶え間なく地上にその影響力を滲透させんとして働きかけている霊力の流れを阻止できる力は、もはや地上には存在しません。

 ですから、悲観的になる材料は何一つありません。明日を恐れ、不安におののき、霊的真理なんか構ってはいられないと言う人は、好きにさせておくほかはありません。幸いにも霊的光明をかいま見ることができ、背後に控えている存在に気づかれた方は、明日はどうなるかを案ずることなく、常に楽観的姿勢を維持できなければいけません」


 シルバーバーチは交霊会の途中ないしは終了時にサークルのメンバーや招待客から感謝の言葉を述べられると必ず「私に礼を言うのは止めてください」と言う。ある日の招待客からそのわけを聞かれて──

 「それはいたって単純な理由から自分で自分に誓ったことでして、これまで何度もご説明してきました。私は自分がお役にたっていることを光栄に思っているのです。ですから、もしも私の努力が成功すれば、それは私がみずから課した使命を成就しているに過ぎないのです。ならば、感謝は私にそのチャンスを与えてくださった神に捧げるべきです。


 私は自分の意志でこの仕事をお引受けし、これまでに学んだことを、受け入れる用意のできている方々にお分けすることにしたのです。もし成功すれば私が得をするのです。わずかな年数のうちに多くの方々に霊的実在についての知識を広めることができたことは私にとって大きな喜びの源泉なのです。

 これほどのことが成就できたことを思うと心が喜びに満たされるのです。ほんとうならもっともっと大勢の方々に手を差しのべて、霊的知識がもたらしてくれる幸せを味わっていただきたいのです。

なのに地上の人間はなぜ知識よりも無知を好み、真理よりも迷信を好み、啓示よりも教理を好むのでしょうか。それがどうしても理解できないのです。私の理解力を超えた人間的煩悩の一つです。

 あなた(質問者)の人生が決して平坦なものでなかったことは私もよく承知しております。スピリチュアリズムという大きな知識を手にするために数々の大きな困難を体験しなければならない──それが真理への道の宿命であるということがあなたには不可解に思えるのではありませんか。けっして不可解なことではありません。そうでないといけないのです。

 ぜひともご注意申し上げておきたいのは、私はけっして叡知と真理と知識の権化ではないということです。あなた方より少しばかり多くの年数を生き、地上より次元の高い世界を幾つか体験したというだけの一個の霊にすぎません。

そうした体験のおかげで私は、素朴ではありますが大切な真理を学ぶことができました。その真理があまりに啓発性に富み有益であることを知った私は、それを受け入れる用意のできた人たちに分けてあげたいと思い、これまでたどってきた道を後戻りしてきたのです。

 しかし私もいたって人間的な存在です。絶対に過ちを犯さない存在ではありません。間違いをすることがあります。まだまだ不完全です。書物や定期刊行物では私のことをあたかも完全の頂上を極めた存在であるかのように宣伝しているようですが、とんでもありません。

私はただ、こうして私がお届けしている真理がこれまで教え込まれてきた教説に幻滅を感じている人によって受け入れられてきたこと、そして今そういう方たちの数がますます増えていきつつあること、それだけで有難いと思っているのです。

 私は何一つややこしいことは申し上げておりません。難解な教理を説いているわけではありません。自然の摂理がこうなっていて、こういう具合に働くのですと申し上げているだけです。そして私は常に理性に訴えております。

そうした摂理の本当の理解は、それを聞かれた方がなるほどという認識が生まれた時にはじめて得られるのです。何が何でも信じなさいという態度は私たちの取るところではありません。

  霊界からのメッセージが届けられて、その霊がいかに立派そうな名をなのっていようと、もしもその言っていることにあなたの理性が反撥し知性が侮辱されているように思われた時は、遠慮なく拒否しなさいと申し上げております。理性によって協力が得られないとしたら、それは指導霊としての資格がないということです」


 とくに最近になってシルバーバーチは〝指導霊崇拝〟の傾向に対して警告を発するようになった。その理由をこう述べている。

 「指導霊といえども完全ではありません。誤りを犯すことがあります。絶対に誤りを犯さないのは大霊のみです。私たちも皆さんと少しも変わらない人間的存在であり、誤まりも犯します。ですから私は、霊の述べたものでも(すぐに鵜呑みにせず)かならず理性によってよく吟味しなさいと申し上げているのです。

私がこうして皆さんからの愛と好意を寄せていただけるようになったのも、私自身の理性で判断して真実であるという確信の得られないものは絶対に口にしていないからです。

 私は何一つ命令的なことを述べたこともなければ、無理やりに押しつけようとしたこともありません。私は霊的にみて一ばん良い結果をもたらすと確信した案内指標(ガイドライン)(これはなかなか良い言葉です)をお教えしているのです。霊的にみてです。物的な結果と混同してはいけません。

時にはあなた方人間にとって大へんな不幸に思えることが霊的には大へんな利益をもたらすことがあるのです。

 人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者は往々にして食い違うものなのです。たとえば〝他界する〟ということは地上では〝悲しいこと〟ですが、霊の世界では〝めでたいこと〟なのです。

  人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから、前にも申し上げたように、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計らわれているのだという)信念で補うしかありません。しかし、所詮、そこから先のことは各自の自由意志の問題です。

自分の生き方は自分の責任であり、ほかの誰の責任でもありません。他人の人生は、たとえ肉親といえども代わりに生きてあげるわけにはいかないのです。その人がしたことはその人の責任であって、あなたの責任ではありません。もしそうでなかったら神の判断基準は地上の人間の公正な観念よりお粗末であることになります。

 自分が努力した分だけを霊的な報酬として受け、努力を怠った分だけを霊的な代償として支払わされます。それが摂理であり、その作用は完璧です。

こうした仕事を通じて私たちが皆さんにお教えしなければならない任務の一つは、私たち自身は実に取るに足らぬ存在であることを認識していただくことです。どの霊もみな神の使者にすぎないのです。

ですから、自分以外の誰かがその神の意志(こころ)と霊力(みちから)にあやかれるようにしてあげれば、それは自分に課せられた仕事を成就していることですから、その機会を与えられたことに感謝すべきだと考えるわけです。

 私がこうしてこの霊媒を使用するように、私を道具として使用する高級霊団の援助のもとに素朴な真理をお届けすることに集中していると、時として私自身の存在が無くなってしまったような、そんな感じがすることがあります。

 私はこれまでたどってきた道を後戻りして、その間に発見したものを受け入れる用意のある人たちに分けてあげるようにとの要請を受け、そしてお引受けしたのです。

私は絶対に誤りを犯さないなどとは申しません。まだまだ進化のゴールに到着したわけではありません。が、これまでに発見したもの、学んだことを、それが皆さんのお役に立つものであれば、なんでも惜しみなくお分けします。

 その教えが悲しみと悩みと困難の中にある人たちの救いになっていることを知るのが、私にとって充足感の源泉の一つなのです。その教えは私個人の所有物ではないのです。

それは全ての者がたどるべき道があることを教え、その道をたどれば自分自身についての理解がいき、全生命を支配している無限の霊力の存在に気づき、各生命がその霊力の一部をいただいていること、それ故に絶対に切れることのない絆で結ばれていることを知ります。

 そういう次第ですから、指導霊ないしは支配霊としての資格を得るにいたった霊は、自分自身が崇拝の対象とされることは間違いであるとの認識があるのです。

崇拝の念は愛と叡智と真理と知識と啓示と理解力の完全な権化であるところの宇宙の大霊、すなわち神へ向けられるべきなのです。神とその子等との間の一層の調和を目的とした感謝の祈りをいつ、どこで、どう捧げるべきかについて、間違いのないようにしないといけません。

もっとも、皆さんからの愛念は大歓迎です。私がこうして使命を継続できているのも地上に愛があるからこそです。その愛を私がいただけるということは、私が託された仕事を成就しつつあるということです。これからも、この冷ややかな地上世界に降りた時の何よりの支えとなる愛の温かさを頂戴しつづけるつもりです。

 自我の開発──これが人間としてもっとも大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、言いかえれば霊的革新の方法をお教えすることです。内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないからです。今の地上にはそれとは逆の〝内紛〟が多すぎます。

 数からすれば私たちの霊団は比較的少数ですが、計画は発展の一途をたどっております。着実に進歩しております。確実な大道を見出す巡礼者の数がますます増えております。まことに悦(よろこ)ばしいことです」


 招待客の夫婦がシルバーバーチの霊言集を読んで感動と勇気づけをうけていることを述べて感謝すると──

 「私はマウスピースにすぎませんが、この私を通して届けられた訓えがお役に立っているということは、いつ聞かされても嬉しいものです。私たちがこの仕事を始めた当初はほんの一握りの少数にすぎませんでした。

それが地上の皆さん方の協力を得て、素朴ではありますが深遠な霊的真理が活字になって出版されるに至りました。それによって霊的真理に目覚める人が大幅に増えつつあることは何と有難いことでしょう。

 地上の霊的新生のための大計画をはじめて教えられ、並大抵の苦労では済まされない大事業だが一つあなたもこれまでに手にしたもの(霊的幸福)を犠牲にして参加してみないかと誘われたとき、私のような者でもお役に立つのであればと、喜んでお引受けしました。

 進化の階梯を相当高くまで昇った光輝あふれる存在の中で生活している者が、その燦爛たる境涯をあとにして、この暗くてじめじめした、魅力の乏しい地上世界で仕事をするということは、それはそれは大変なことなのです。

しかし幸いなことに私は地上の各地に協力者を見出すことに成功し、今ではその方たちとの協調的勢力によって、そこここに心の温かみを与えてくれる場をもうけることができました。おかげでこの地表近くで働いている間にも束の間の安らぎを得ることができるようになりました。

 他の大勢の方々と同じように、お二人からも私がお役に立っていることを聞かされると、こうして地上圏へ突入して来なければならない者が置かれる冷えびえとした環境にまた一つ温かみを加えることになります」

 ここでメンバーの一人が「今のご気分はいかがですか」と言い、「こういう質問をした者はいないみたいですね」と述べる。

 「有難いことに私は地上の病気や悩みに苦しめられることがありません。私はすこぶる健康です。あなた方のように年を取ることもありません」


──私はそのことをお聞きしたのではありません。(地上圏が冷えびえとしていると聞かされたので、その日の交霊会へ来てみてどんな気分かと尋ねたのであろうが、それに対する次の返事も何となく噛み合っていない──訳者)

 「これからも霊的成長を続けたいと願っております」

──悩みごとというのはないのですね。

 「この地上へ来た時しかありません」

──死後の世界がそんなに素晴らしいところだとは知りませんでした。地上を去ったときと同じ状態でいるとばかり思っていました。


 「同じ死後の世界でも、どこに落着くかによって違ってきます。バラにもトゲがあります」
(質問者が〝素晴らしい世界〟のことを a bed of roses 〝バラの花壇〟と表現したのでそう述べた───訳者)

──何の悩みもないのでしょうか。

 「あります。が、それもすべて今たずさわっている使命に関わったことだけです。だからこそ時おり地上を去って、私を地上へ派遣した霊団の人たちのもとへ帰り、こんど地上へ行ったらこうしなさいとの指示を仰ぐのです。私たちも数々の問題を抱えています。が、それはすべて神の計画の達成という目的に付随して起きることです」


 ここで、最近新しい方法でスピリチュアリズムの普及を始めている二人のメンバーにシルバーバーチが 「何かお困りになっていることがありますか」 と尋ねると、一人が 「大した問題はありません。とにかくお役に立つことができれば嬉しく思っております」 と述べた。するとシルバーバーチが──

 「あなた方は本当に恵まれた方たちです。私はいつも思うのですが、あなた方のような(真理普及にたずさわる)人たちが、いつか、ご自分の身のまわりで立ち働いている霊の存在をぜひ目のあたりにできるようになっていただきたいのです。そうすれば、たずさわっておられる仕事の偉大さについて一段と認識を深められることでしょう」


 別のメンバーの関連質問に答えて──

 「私たちはまだまだ舵取りに一生けんめいです。あらんかぎりの力を尽くしております。が、地上的条件による限界があります。やりたいことが何でもできるわけではありません。私たちが扱うエネルギーは実にデリケートで、扱い方が完全でないと、ほとんど成果は得られません。

コントロールがうまくいき、地上の条件(霊媒及び出席者の状態)が整えば、物体を私たちの意のままに動かすこともできます。が、いつでもできるというものではありません。そこでその時の条件下で精一杯のことをするしかないわけです。ですが、最終的な結果については私たちは自信を持っております。


 神の地上計画を妨害し、その達成を遅らせることはできても、完全に阻止することはできません。そういう態度に出る人間は自分みずからがみずからの進歩の最大の障害となっているのです。愚かしさ、無知、迷信、貪欲、権勢欲、こうしたものが地上で幅をきかせ、天国の到来を妨げているのです。

 物的な面では、すべての人にいきわたるだけのものがすでに地上にはあります。そして霊的にも十分すぎるほどのものがこちらに用意されています。それをいかにして受け入れる用意のある人にいきわたらせるか、その手段を求めて私たちは一層の努力をしなければなりません。問題はその受け入れ態勢を整えさせる過程です。

何かの体験が触媒となって自我を内省するようになるまで待たねばならないのです。外をいくら見回しても救いは得られないからです。

 これまでこの仕事にたずさわっている方々の生活において成就されたものを見ても、私たちは、たとえ一時的な障害はあっても、最後は万事がうまくいくとの自信があります。
皆さんのすべてが活用できる莫大な霊力が用意されているのです。
 
精神を鎮め、受容性と協調性に富んだ受身の姿勢を取れば、その霊力がふんだんに流入し、人間だけでなく動物をも治癒させる、その通路となることができます。

 ここにおいでの皆さんの多くはみずから地上への再生を希望し、そして今この仕事にたずさわっておられます。地上にいらっしゃる間に自我の可能性を存分に発揮なさることです。そして最後に下される評価は、蓄積した金銀財宝で問われるのではありません。霊的なパスポートで評価されます。それを見ればあなたの霊的な本性が一目瞭然です」


──霊媒が他界した場合、それまでの支配霊は別の霊媒を探すのでしょうか。

 「それは霊媒現象の種類によります。物理的現象が盛んだった初期のころは、そうした現象を起こすための難しい技術をマスターした指導霊が大勢いました。その種の霊はそれまでの霊媒が他界すると別の霊媒を探し出して仕事を継続しました。

 精神的心霊現象の場合には滅多にそういうことはありません。なぜかというと支配霊と霊媒とのつながりが物理霊媒の場合よりはるかに緊密だからです。オーラの融合だけの問題ではありません。時には両者の潜在的大我の一体化の問題もあるのです。そんな次第で、霊媒が他界すると同時に支配霊としての仕事も終わりとなります。

そして支配霊は本来の所属界へ帰っていきます。私の場合、この霊媒が私の世界へ来てしまえば、別の霊媒を通じて通信することはありませんし、通信を試みるつもりもありません。なぜならば、この霊媒を通じて語るための訓練に大変な年数を費やしてきましたので、同じことを初めからもう一度やり直す気にはなれません。

 私の場合、霊媒との関係は誕生時から始まりました。仕事がご承知のような高度なものですから、まず初期の段階は、通信をできるだけ容易にするために必要な霊体と霊体、幽体と幽体の連係プレーの練習に費やさねばなりませんでした。

 そのうち霊媒が生長して自意識に目覚め、人間的に成長しはじめると、今度は発声器官を使用して、どんな内容のものでも伝えられるようにするための潜在意識のコントロールという、もう一つの難しい仕事に取りかかりました」

 人間的な年齢でいうと何歳になるのかと尋ねられて──

 「私がお教えしようとしている叡知と同じ年季が入っているとお考えくださればよろしい。有難いことに私はこうしてお教えしている自然の摂理の驚異的な働きをこの目で確かめることができました。つまり、あなたがこれから行かれる霊的世界において神の摂理がどう顕現しているかを見ております。

その素晴しさ、その大切さを知って私は、ぜひとも後戻りしてそれを地上の方にも知っていただこう──きっと地上にもそれを受け入れて本当の生き方、すなわち霊的なことを最優先し、物的なことをそれに従属させる生き方に目覚めてくれる人がいるはずだと思ったのです」

                

 

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