Sunday, July 23, 2023

シアトルの夏 死後はどうなるか

what happens after death

Amazon.co.jp: 古代霊シルバーバーチ不滅の真理―スピリチュアリズム珠玉の名編 : オーツセン,トニー, Ortzen,Tony, 千雄,  近藤: Japanese Books
Silver Birch Companion   
 
Edited by Tony Ortzen

 

 ある日の交霊会で、死後の世界とそこでの生活の様子が主な話題となった。その中でシルバーバーチは、最近他界したばかりの人の現在の状態を説明して、地上に隣接した下層界は何もかも地上とそっくりであると述べた。すると次のような質問が出された。


───幽界がこの世とそっくりであるというのが、私には理解できないのですが・・・・・・

 「地上界の次の生活の場は、地上界の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない幼稚な霊に、耐えきれないショックを与えることでしょう。

ですから、霊界への導入は優しい段階をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は、地上と非常によく似ているということです。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのは、そのためです。
℘54
 こちらは本質的には思念の世界、思念が実在である世界です。思念の世界ですから、思念が生活と活動の表現のすべてに形態を与えます。

他界直後の世界は地表のすぐ近くにあり、ものの考え方が極めて物質的な男女が集まっていますから、思念の表現も極めて地上的で、考えることがすべて物的感覚によって行われます。

 そう言う人たちは〝物〟を離れての存在をかんがえることができません。かつて一度も、生命というものが物的なものから離れた形で意識にのぼったことがないのです。霊的な活動を心に思い浮かべることができないのです。精神構造の中に、霊的なものを受け入れる余地がないのです。

 ですが、死後の世界の生活にも段階があり、意識の開発とともに、徐々に、確実に地上臭が取れていきます。そして、生命というものが物的な相を超えたものであることが分かりはじめます。

そして、自覚が芽生えると、次第にそこの環境に反応しなくなり、いよいよ本当の霊の世界での生活が始まります。こうして、死と誕生(に相当するもの)が何度も繰り返されるのです」


───死後の世界での体験は主観的なのでしょうか。客観的なのでしょうか。

 「客観的です。なぜかと言えば、こちらの世界はそれぞれの界層で生活している同じレベルの住民の思念で構成されてるからです。意識がその界のレベルを超えて進化すると、自然にそこから離れていきます。成長と向上と進化によって霊的資質が身に着くと、自然の摂理によって次の段階へ移行するのです」


───ということは夢の世界ではないということですね?

 「そこを通過してしまえば夢の世界だったことになります。そこで生活している間は現実の世界です。それを〝夢〟と呼ぶか呼ばないかは、観点の違いの問題です。あなた方も夢を見ている間は、それを夢だとは思わないでしょう。夢から覚めて初めて夢だったことを知り〝なんだ、夢だったのか〟と思うわけです。

ですから夢が夢幻的段階を過ぎてしまうと、その時の体験を思い出して〝夢だった〟と言えるわけです。ですが、その夢幻を体験している間は、それがその霊にとっての現実です」

℘56
───全ての人間が必ずその低い界層からスタートするのでしょうか。

 「いえ、いえ、それはあくまでも何の予備知識も持たずにきた者や幼稚な者にかぎっての話です。つまり霊的実在があることを知らない人、物的なものを超越したことを思い浮かべることのできない人の場合です。

 あなた方が〝幽界〟と呼んでいるところは、霊の世界の中の小さな区域です。それは低い境涯から高い境涯へと至る、無数の階段の一つにすぎません。周囲がしきられているわけではありません。それを〝界〟と呼んでいるのは、あなた方に理解できる用語を用いるしかないからです」


引き続き霊界での成長について───

 「一つの界から次の界へよじ登っていくのではありません。自然に成長し、自然に進化していくのです。程度の低い要素が、程度の高い要素にその場を譲って行くのです。何度も死に、何度も誕生するのです。

幽体は、肉体の死のような過程で失われていくのではありません。低級なものが消えるに連れて、浄化され精妙になっていくのです。それが幽体の死です。


 そもそも〝死〟とは変化であり、復活であり、低いものから高いものへの上昇です。時間と空間にしばられた地上的制約から解放された霊の世界を説明しようとすると、何かと困難に遭遇します。低いものは高いものを理解できません。

有限なるものは無限なるものを包含することはできません。小さい器は大きい器を入れることはできません。奮闘努力の生活の中で理解を増していくしかありません」


───幽界では、例えば心臓なども残っていて、やはり鼓動するのでしょうか。

 「肉体器官の機能が残っている否かは、その霊の自覚の問題です。地上生活の後にも生活があることを知らず、霊の世界があることなど思いもよらない人の場合は、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けています。あらゆる機能です」


───では、霊の世界について理解を持った人の場合はどうなりますか。

 「幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化し始め、そのうち消滅してしまいます」

℘58
───死の直後からそういう現象が生じるのでしょうか。それともゆっくりとした過程なのでしょうか。

 「それも霊的自覚の程度によります。程度が高ければ、それだけ調整期間が短くてすみます。忘れてならないのは、私たちの世界は精神的な世界、霊の世界であり、そこでは自覚というものが最優先されるということです。精神が最高の権威を持ち支配しています。精神が指示したことが現実となるのです。

 昔から、高級界からやってきた霊のことを〝光り輝く存在〟というふうに述べていて、姿かたちをはっきり述べていないことにお気づきになったことはありませんか。外形というものが無くなっていくのです。つまり形による表現が少なくなっていくのです」


───最後にはどういう形態になっていくのでしょうか。

 「美はどういう形態をしているのでしょう? 愛はどういう形態をしているのでしょう? 光はどういう形態をしているのでしょう?」


───形態を超越してしまうと、色彩が認識の基本になるのでしょうか。

 「その通りです。但し、地上世界の基本的色彩となっているものが幾つかありますが、私たちの世界には、あなた方の理解力を超えた別の色彩の領域が存在します。

私たちは高級霊の姿から発せられる光輝、そのメッセージとともに届けられる光によって、その方がどなたであるかを認識することができます。形態というものがまったく無いことがあるのです。ただ思念があるのみで、それに光輝が伴っているのです」


───翼がついている天使の絵をよく見かけるのですが、あの翼の概念はどこから来たのでしょうか。

 「太古の人は宇宙を三段に分けて想像しました。自分たちが立っている大地(地球)が真ん中にあって、その上に天国が、その下に地獄があると考えました。そして、その天国からも、地獄からも訪問者がやってくると信じ、そうなると天空を降りてくる天使には翼があるはずだと想像しました。

鳥と同じ翼がなければ遠い距離を飛んで来られるはずはないと考えたわけです。こうして翼のある天使の概念が生まれました」

℘60
───実際に翼のある天使はいるのでしょうか。

 「います。ですが、それはただの想念体に過ぎません。霊の世界に翼は必要ありません。私たちが霊媒にある概念を伝える場合にも想念による絵画(ピクチャー)を使用することがあるのですが、地上の幼い子供たちが天使には翼があるものと思い込んでいる場合には、それに合わせて、翼のある天使をイメージして届けることがあります。それが守護の天使として定着したのです」


 話題が変わって、他界した身内のものや友人・知人は、姿こそ見えなくても、地上にいた時よりいっそう身近な存在となっていることを説いて、こう述べた。

 「その方たちは今なお実在の人物であり、地上にいた時と同じように、あなた方のことを気遣ってくれていることを忘れてはなりません。彼らにはもはや言葉で話かけることはできませんし、あなた方もその声を聞くことはできませんが、あなた方のすぐ身の回りにいて、何かと面倒を見てくれております。

 そう言えばそんな感じがすると思われるでしょうが、実際はもっととっと密接な関係にあります。彼らはあなた方の心の秘密、口に出さないでいる欲求、願望、希望、そして心配なさっていることまで、全部読みとっております。そして地上的体験から、あなた方の魂の成長にとって必要なものを、摂取するように導いてくれております。

決して薄ぼんやりとした、影のような、あるいはもやのような存在ではありません。今なお皆さんのことを愛し、以前よりさらに身近な存在となっている。実態のある男性であり。女性なのです」


───霊界でも心霊治療を受ける人がいるそうですが、どういう人たちでしょうか。

 「さまざまな原因から、霊的身体に欠陥が生じている場合です。たとえば無残な事故で急死した場合は、新しい霊的生活に順応するための調整が必要です。

それを霊的エネルギーの注入によって行います。また地上時代ずっと、脳の欠陥のために精神に正しく情報が届かず、結果的に霊性が発揮されずに終わった人の場合などです」

℘62  
───戦争で爆弾の直撃を受けて、こっぱみじんになって死んだ場合はどうなりますか。

 「これも、こちらの世界へ次々とやってくる他界者のための受け入れ施設が受け持っている仕事の一環にすぎません。

地上でも、道ばたに倒れている人がいれば病院へ運ぶという仕事が、戦争になると負傷兵を看護する施設へと発展するように、こちらでも、通常の受け入れ体制の他に、さまざまな原因からいきなり放りこまれた霊界の生活に順応させる施設がたくさん用意されております」


 別の日の交霊会で、前に一度シルバーバーチを通じて出席者の一人に、地上時代に掛けた迷惑についての詫びを述べたことのある霊が、その日にまた同じことについての詫びを改めて届けてきた。その詫びの言葉を述べたあと、シルバーバーチがこう語った。

 「あなたが、もういいのにと、思われる気持は私にはよく理解できます。でも、彼には詫びの気持ちを述べずにはいられない事情があるのです。懺悔をするということは、あなたに対してというよりは、彼自身にとって意味があるのです。

 他界した者が地上時代の行為について懺悔の気持ちを何らかの形で届けたいと思うようになるということは、本当に自我に目覚めつつあることの証拠です。あなた方にとってはもう過ぎたことであり、忘れていらっしゃるかも知れません。が、

その行為、ないしは事実は、霊的自我に刻み込まれていて、霊性が成長し、それについての正しい評価が下されるまでは、絶対に消える事はありません」


 さらに別の日の交霊会でも、他界したあとに抱く地上への思いを、こう述べた。

 「皆さんは、いったん霊の世界へ来てから地上界へ戻り、何とかして働きかけたいと思いながら、それが叶えられずにいる人たちの気持ちがどんなものか、考えてみたことがおありですか。

地上界を去ってこちらへ来てみて視野が変わり、人生を初めて正しい視野で捉えるようになって、そのよろこびを何とかして地上の愛する人たちに教えてあげたいと、一生けんめいになっている霊が大勢いることをご存じでしたか。
℘64
 ところが人間は、そういう人たちの働きかけにまったく鈍感なのです。見ることはおろか、聞くこともできません。愚かにも五感だけが実在のすべてであると思い込み、その粗末で気のきかない五つの感覚が捉えている世界以外には何も存在しないと考えています。

 私たちがこちらでよく見かける光景は、死後も立派に生き続けていることを知らせてあげようと、手を思いきり差しのべてあれこれと尽くすのに、そのうち、どうしても気づいてもらえないことを知ってがっかりとした表情を浮かべている人たちです。

呼びかけても聞いてもらえず、目の前に立ちはだかっても見て貰えず、思念を送っても感じてもらえません。

 悲しみに暮れている人たちばかりを相手にした話ではありません。楽しく暮らしている明るい家庭においてもそうです。そこで私たちは、重苦しい気持ちを引きずれながらその人たちに近づいて、人間側が交霊会にでも出席してくれるようになるまでは、どう努力しても無駄ですよ、と告げるしかないのです」


 シルバーバーチはさらに次のような、他界後の霊界の実情を打ち明けた。

 「これまでに私は、何人もの〝国教会の大黒柱〟と呼ばれていた人を連れて、かつて彼らが勤めていた礼拝堂、大聖堂、教会等へ行ったことがあります。

そこで彼らが目にするのは、当然、かつて自分も説いたことのある教説の繰り返しですが、今ではそれが間違っていることがよく分かるものですから、彼らの心は次第に重苦しく沈み込んでいきます。間違いと迷信で出来上った組織を助長したのは、ほかならぬ自分たちであることを自覚するからです」


───針のむしろに座らされる思いでしょうね?

 「それが彼等にとっての煉獄(れんごく)なのです。辛いでしょうが、それが摂理なのです。自分が犯した過ちは自分で改めないといけません。

自分が送った間違った人生の代償を払わないといけないのです。永遠なる公正のもとにおいて、ありとあらゆる勘定が清算させられます。この摂理から逃れる人は一人もいません」



───その司祭たちはどういう方法で償うのでしょうか。
℘66
 「間違った教えを説いた信者の一人一人に会って、その間違いを修正してあげないといけません」


───説教をした信者の一人一人に面接しないといけないのでしょうか。

 「そうです」


───でも、それまでに信者自身が修正していることもあるでしょう?

 「そういう場合は、それだけ負担が軽くなります」


───正しいと確信して説いていた場合はどうなるのでしょうか。少しは違うのでしょうか。

 「その場合は事情が違ってきます。何事も〝動機〟が大切だからです」

℘67
───その場合でもやはり一人一人に会わないといけませんか。

 「本心からそう信じていた場合は、その必要はありません。ですが、実際は、命をかけてそう信じている人は少ないようです。高慢と、地位、財産の方が真理よりも大切な人が多いようです。いったん教会という組織の中に組み込まれて、その中に浸りきってしまうと、それが鎖のように魂を縛りつけてしまいます。

心の奥では納得できずにいながら、お座なりの説教を繰り返すことによって理性を麻痺させようという卑劣な態度をとるようになります。

 私たちは、そうとは知らずに間違ったことを説いている真面目な牧師を咎めようとは思いません。咎めたいのは、心の奥では真理なんかどうでもいい───教会という組織を存続させることが第一だ、と考えている指導者たち、あるいは、間違っていると知りつつも、ではそれを捨てたら、これから先自分たちはどうなるのだ、という単純な不安から、伝統的教義を守ろうとしている牧師たちです。


 間違っていることに気づかずに、一生けんめい説いている者を咎めるつもりはありません。自分たちの説いている教えや行っている儀式が何の根拠もないことを知りつつも、奇弁を弄してつくろい〝これを捨てたら、ほかに何があると言うのか───教えることが何もなくなるではないか〟という幼稚な自己弁護をしている連中のことを咎めているのです。
℘68
 とは言うものの、たとえ知らなかったとはいえ、やはり間違っていたことは正さないといけません。ただし、その場合は煉獄の苦しみではなく、むしろ喜びすら覚えるものです。魂が進んでそれを求めてすることですから、それは一種のサービスの喜びとなります」


 これを聞いてかつてメソジスト派の牧師だったメンバーが訊ねた。

───では、私もこれまでの説教してきた信者のすべてに会って正さないといけないことになるのでしょうか。

 「そういうことです。会った時にまだ間違った教えを信じている場合、言いかえると、あなたの教えを信じたために光明を見出すのが遅れている場合は、光明への正しい道を教えてあげないといけません」

℘69
───それは大変です。大変な数の人に教えを説いてきましたから・・・・・・

 「あなただけではありません。すべての牧師が直面させられる摂理なのです。でも、あなたの場合そう苦になさることはないでしょう」


 ここで別のメンバーが 「たぶん、この方の場合は、牧師を止められてから救ってあげた人たちが協力してくれるはずです」 というとシルバーバーチが───

 「その通りです。永遠に不変の公正は決してごまかされません。叶えられることなら皆さんにも、私が見ている通りの摂理の働き具合をご覧にいれて、公正の天秤がいかに見事にバランスがとれているかを知っていただきたいのですが・・・・・・大霊のなさることに寸分の狂いもないことを得心なさるはずです。

 教えを説く者には深刻な責任があることは、ここのおいでの皆さんがご存じないはずはありません。知識には責任が伴うことを何度申し上げたことでしょう。

自分を他の人たちより高め、人を教え導きたいと思うのであれば、まずは自分自身が拠って立つ足場をしっかりと固めないといけません。

 徹底的に探究し試してみることを怠り、批判に身をさらすこともせずに自己満足し、本当かどうかの確信もないまま人に教えを説くようなことをしていると、その怠慢と軽率さに大きな代償を払わされる時が必ず来ます」

℘70
 別の日の交霊会で、地上時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている例が話題になった。メンバーの一人が、最後の審判日を待ちながら死体の埋葬されている墓地で暮らしている霊がいるという話を聞いたが、そんなことが本当にあるのかと尋ねると───

 「事実その通りなのです。それが私たちにとって厄介な問題の一つなのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、側からはどうしようもないのです。  

 死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つものという想念体を、全生涯をかけて作り上げて来ているわけですから、その想念体が崩れないかぎりは、いつまでのその牢獄から抜け出られないのです。

 死んだことが信じられない霊の場合も同じです。信じることを拒んでいるかぎり、私たちも為すすべがありません。もう死んで霊の世界に来ているという事実を信じさせることがどんなに難しいか、みなさんには理解できないでしょう。

 ずいぶん前の話ですが、クリスタデルフィアン(一九五〇年代に米国で生まれたキリスト教の一派)だという霊と長々と話し合ったことがあります。

私は何とかしてその人がすでに死んでいる事実を納得させようとしたのですが、〝こうして生きているのに、なぜ私が死んでいるのですか〟と言い返して、どうしても信じてくれませんでした。復活の日まで待ちますと言って、その場から離れようとしませんでした」


───時間をどうやって過ごすのでしょうか。

 「ただ待つだけです───〝待つ〟という想念の中にいるだけです。自分でこしらえた想念体の牢獄の中に閉じ込められているのです。そのことに気づけば、想念体が崩れて眼が覚めるのですが、こうした事実を地上の人に説明するのはとても困難です。

 こちらの世界には〝時間〟というものがないのです。地球の自転によって昼と夜とが生じるようなことがないからです。昼と夜とで一日、といった計算をすることがない世界において、どうやって昨日と今日とを区別するのでしょう?」


───時間の単位はなくても、時間の経過はあるのでしょう?

 「それもありません。まわりで生じる変化との関連において成長と進化を意識することはありますが、時間の経過はありません。霊的な成長と、それに伴う環境の変化があるのみです。時間というのは、そうした変化との関連における尺度にすぎません。

 無意識でいる間は時間は存在しません。環境との関係が変わったからです。夢の中では環境との関係が変わっていますから、肉体につながれている時よりも物事が早く推移するわけです」

    

No comments:

Post a Comment