Monday, February 13, 2023

シアトルの冬 霊界の科学館 Spirit World Science Museum

         
一九一三年十月十一日 土曜日

 昨夜は時間がなくて簡単な叙述に終わってしまったので、今日は引き続きあのコロニーでの体験の幾つかを述べてみたいと思います。

そこには色んな施設があり、その殆どは地上の人間で死後の世界について疑問に思っている人、迷っている人を指導するにはどうすれば一ばん効果的かを研究するためのものです。

昨夜お話した私たちの体験を比喩として吟味されれば、その中に託された教訓をふくらませることが出来ると思います。

 さて、あのあと指導霊の一団の引率で私達はすでにお話した境界の外側へ出ました。そこは芝生地ですが、それが途方もなく広がっているのです。そこは時おり取り行われる高級界の神霊の〝顕現〟する場の一つです。

召集の通達が出されますと各方面からそれはそれは大勢の群集が集合し、その天界の低地で可能な限りのさまざまな荘厳なるシーンが展開します。

 そこを通り過ぎて行くうちに次第に登り坂となり、辿り着いたところは台地になっていて、そこに大小さまざまな建物が幾つか立っております。

 その中央に特別に大きいのが立っており、私たちはそこへ案内されました。入ってみるとそこは何の仕切りもない、ただの大きなホールになっております。

円形をしており、まわりの壁には変わった彫刻が施されております。細かく調べてみますと、それは天体を彫ったもので、その中に地球もありました。固定されているのではなく回転軸に乗っていて、半分が壁の中にあり半分が手前にはみ出ております。 

そのほか動物や植物や人間の像も彫られていて、そのほとんどが壁のくぼみ、つまり入れ込みに置いてあります。尋ねてみますとそこは純粋な科学教育施設であるとのことでした。 

 私たちはその円形施設の片側に取り付けられているバルコニーに案内されました。そこは少し出っ張っていますので全体が一望できるのです。これからそこの設備がどういう風に使用されるかを私たちのために実演して見せて下さることになりました。

 腰かけて見ておりますと。青い霞のようなものがホールの中心付近に立ち込みはじめました。と同時に一条(すじ)の光線がホールの中をさっと走って地球儀の上に乗っかりました。

すると地球儀がまるでその光を吸収していくかのように発光し始め、間もなく光線が引っ込められたあとも内部から輝き続けました。と見ているうちに今度はもう少し強烈な別の光線が走って同じように地球儀の上に乗りました。するとその地球儀がゆっくりと台座から離れ、壁から出て宙に浮きました。

 それがホールの中央部へ向けて浮上し、青い霞の中へ入ったとたんに誇張をしはじめ、輝く巨大な球体となって浮かんでおります。その様子は譬えようもなく美しいものでした。

それが地球と同じようにゆっくりと、実にゆっくりとした速度で回転し、その表面の海洋や大陸が見えます。その時はまだ地上で使われる平面図にすぎませんでしたが、回転を続けていくうちに次第に様子が変わってきました。

 山脈や高地が隆起し、河や海の水がうねり、さざ波を立て、都市のミニチュア、建物の細々(こまごま)とした部分までが見え始めたのです。きめの細かさがどんどん進んで、人間の姿──最初は群集が、やがて一人一人の姿が見分けられるようになりました。

直径80フィートから100フィートもあろうかと思える球体の上で生きた人間や動物が見えるというシーンは、とてもあなたには理解できないでしょう。がそれがこの施設の科学の目的なのです。つまり各天体上の存在を一つ一つ再現することです。

 その素晴らしいシーンはますます精度を増し、回転する球体上の都市や各分野で急がしく働いている人間の様子まで見えるようになりました。

広い草原や砂漠、森林、そこに生息する動物類の姿まで見えました。さらに回転して行くうちに、今度は内海や外洋が見えて来ました。あるものは静かに波うち、あるものは荒れ狂っております。そして、そこここに船の姿が見えます。つまり地上生活の全てが目の前に展開するのでした。

 私は長時間そのシーンに見入っておりました。するとその施設の係の方が下の方から私たちに声を掛けられました。おっしゃるには、私たちが今見ているのは現時点での実際の地上の様子で、もしお望みであれば過去へ遡って知性をもつ存在としての人類の起源までを再現できますということでした。

是非その美事な現象をもっともっと見せていただきたいと申し上げると、その方は現象の全てをコントロールしていると思われる器機のあるところへ行かれました。

 その話の続きはあとにして、ここで今あなたの心の中に見えるものについて説明しておきましょう。そのホールは暗くはありません。全体がすみずみまで明るいです。ですが球体そのものが、強烈でしかも不快感を与えない光に輝いているために、青い霞の外側が何となく薄暗く見えるまでです。その霞のあるところが球体の発する光輝の領域となっているようでした。

 さて、程なくしてその回転する球体上の光景が変化し始めました。そして私たちは長い長い年月を遡り、人間がようやく森林から出て来て平地で集落をこしらえるようになった頃の地上の全生命──人間と動物と植物の太古の姿を目のあたりにしはじめました。

 さて、ここでお断りしておかなければならないのは、太古の歴史は地上の歴史家が言っているような過程を辿ってはいないということです。当時の現象は〝国家〟と〝世紀〟の単位でなく〝種〟と〝累代〟(※)の単位で起きておりました。

何代もの地質学的時代がありました。人間が鉄器時代とか石器時代、氷河期と呼んでいる時期を見ますと実に面白いことが発見されます。あらかじめある程度の知識を持つ者には、どうもそうした名称がでたらめであることが判るのです。

と言いますのは、例えば氷河期は当時の地球の一、二の地域には当てはまるかも知れませんが、決して全体が氷で覆われていたわけではないことが、その球体を見ていると判るのです。それも大てい一時代に一つの大陸が氷で覆われ、次の時代には別の大陸が氷で覆われていたのです。

が、そうした歴史的展開の様子は地球が相当進化したところで打ち切られました。そうして、さっきも述べたように人類の出現はその時はすでに既成事実となっておりました。 (※地質学的時代区分を二つ以上含む最大の単位──訳者)

 どんどん様相を変えて行くこの多彩な宝石のような球体に魅入られ、これが他ならぬわが地球なのかと思い、それにしては自分たちが何も知らずにいたことを痛感していると、その球体が次第に小さくなって、もとの壁の入れ込みの中へ戻り、やがて光輝が薄れていき、ついには最初に見かけた時と同じただの石膏の彫り物の様なものになってしまいました。

 この現象に興味をそそられた私たちが指導霊に尋ねると、そこの施設についていろいろと解説して下さいました。今見た地球儀にはもっと科学的な用途があること、

あのような美しい現象を選んだのは科学的鍛錬を受けていない私たちには美しさの要素の多いものが適切と考えたからであること、科学的用途としては例えば天体と天体との関連性とか、それぞれの天体の誕生から現在までの進化の様子が見られるようになっていること。等々でした。

 壁にはめ込まれた動物も同じような目的に使用されるとのことでした。地球儀の時と同じように光線が当たると光輝を発してホールの中心部へやって来ます。

そこでまるで生きた動物のように動き回ります。事実ある意味でその間だけは生きた動物となっているのです。それが中央の特殊な台に乗っかると拡大光線──本当の科学的名称を知らないので仮りにそう呼んでおきます──を当てられ、さらに透明にする光線を当てられます。するとその動物の内臓がまる見えとなります。

施設の人の話によりますと、そうやって映し出される動物あるいは人間の内部組織の働き具合を見るのは実に見応えのあるものだそうです。

 そのモデルに別の操作を施すと、今度は進化の過程を逆戻りして次第に単純になって行き、ついには哺乳動物としての原初形態まで遡っていくことが出来ます。つまりその動物の構造上の発達の歴史が生きた姿のまま見られるというわけです。

面白いのはその操作を過ると間違ったコースを辿ることがあることで、その時は初期の段階が終わった段階で一たん元に戻し、もう一度やり直して、今度は正しいコースを取って今日の段階まで辿り着くということがあるそうです。

又、研究生が自分のアイディアを組み入れた進化のコースを辿らせてみることも出来るそうです。動物だけでなく、天体でも国家でも民族でも同じことができるそうですが、それを専門的に行う設備が別のホールにあるとのことでした。

 一度話に出た(八六頁参照)子供の学校の構内に設置されていた球体は実はこの施設の学生の一人がこしらえたのだそうです。勿論ここにあるものよりはずっと単純に出来ております。もしかしたらこの施設の美しさを見た後だからそう思えるのかも知れません。

 今日はこれ位にしておきましょう。他にも色々と見学したものがあるのですが、これ以上続けると長くなり過ぎるので止めにします。

 何か聞きたいことがあるみたいですね。その通りです。私は月曜日の勉強会に出席しておりました。あの方が私に気づいておられたのも知っておりました。私の述べた言葉は聞こえなかったようですけど。

 では、さようなら。あす又お会いしましょう。

≪原著者ノート≫最後のところで言及している勉強会のことについて一言述べておく必要がある。前の週の月曜日のことである。私はその日、礼拝堂の手すりと手すりの間に着席し、勉強会のメンバーは聖歌隊席で向かい合って着席していた。

聖歌隊席の至聖所側の一ばん端で私の右手になる位置にE婦人が着席していた。そのE婦人が後で語ってくれたところによると、私が会の最後の締めくくりの言葉を述べている最中に私の母親が両手を大きく広げ情愛あふれる顔で祭壇から進み出て、私のすぐ後ろまで来たという。

その姿は輝くように美しく、まるで出席しているメンバーと少しも変わらない人間の身体をまとっているようだったという。E婦人の目には今にも私を抱きしめるかに見えたそうで、余りの生々しさに一瞬自分以外の者には見えていないことを忘れ、今にも驚きの声を出しそうになったけど、どうにかこらえて目をそらしたという。私が質問しようと思っていたのはそのことだった。

No comments:

Post a Comment