一九一三年十月三一日 金曜日
吾々がこうして地上を訪れるのは人間を援助するためである、と思って下さるのは結構であるが、人間本来の努力が不要となるほどの援助を期待されるのは間違いです。地上には地上なりの教育の場としての価値があり、その価値を減じるようなことは許されません。
これはもう自明の理と言ってもよいほどの当たり前のことでありながら、人間にしか出来ないことまで吾々に依頼する人が多く、それもほどほどならともかくも、些(いささか)か度を超した要求をする人が多くて困ります。
──どなたでしょうか
ご母堂と共に参りました。アストリエルとその霊団の者です。
──どうも。いつもの母の霊団の文章とは違うように思えたものですから。
違いましょう。同じではないはずです。その理由(ワケ)は一つには性格が異なり、属する界が異なり、性別も違うからです。性別の違いは地上と同じく、こちらでもそれぞれ特有の性格が出るものです。もう一つは、地上での時代がご母堂たちとは違うからです。
──古い時代の方ですか。
さよう。英国でした。ジョージ一世(1660~1727)の時代です。もっと古い時代の者もおります。
──霊団のリーダーとお見受けしますが、ご自身について何かお教えねがえませんか。
いいでしょう。ただ地上時代の細かい事柄は貴殿らには難なく分かりそうに思えても、吾々には大変厄介なものです。でも分かるだけのことを申し上げましょう。
私はウォーリック州に住み、学校の教師──学校長をしておりました。他界したのが何年であったか、正確なことは判りません。調べれば判るでしょうが、大して意味のないことです。
では用意してきたものを述べさせていただきましょうか。吾々は援助することは許されていても、そこには思慮分別が必要です。
例えば吾々霊界の者は学問の分野でもどんどん教えるべきだと考える人がいるようですが、これは、神が人間なりの努力をするための才能をお授けになっていることを忘れた考えです。人間は人間なりの道を踏みしめながら努力し、出来るかぎりのことを尽くした時にはじめて吾々が手を差しのべ、向上と真理探究の道を誤らないように指導してあげます。
──何か良い例を挙げていただけますか。
すぐに思い出すのは、ある時、心理学で幻影と夢について研究している男性を背後から指導していた時のことです。彼は夢の中に予知現象が混じっている原因を研究していました。つまり夢そのものと、その夢が実現する場合の因果関係です。
私との意志の疎通ができた時に、私は、今までどおりに自分の能力を駆使して研究を続けておれば時機をみて理解させてあげようという主旨のことを伝えました。
その夜彼が寝入ってから私は直接彼に会い(※)現在という時の近くを浮遊している出来ごと、つまり少し前に起きたことと、そのすぐ後に起きることとを影像の形で写し出す実験をする霊界の研究室へ案内しました。
そこでの実験にも限界があり、ずっと昔のことや、ずっと先のことまでは手が届かないのです。それはずっと上層界の霊にしか出来ません。(睡眠中人間は肉体から脱け出て、地上または霊界を訪れる。その時かならず背後霊が付き添うが、その間の体験は物的脳髄には滅多に感応しない。きちんと回想出来る人が霊能者である。──訳者)
吾々は器具をセットしてスクリーンの上に彼の住んでいる地区を映し出し、よく見ているように言いました。そこに〝上演〟されたのは、さる有名な人物が大勢の従者を従えて彼の町に入ってくる光景でした。終わると彼は礼を言い、吾々の手引きで肉体へ戻って行きました。
翌朝目を覚ました時何となくどこかの科学施設で実験をしている人たちの中にいたような感じがしましたが、それが何であったかは思い出せません。が午前中いつもの研究をしている最中に、ふと夢の中の行列の中で見かけた男性の顔が鮮明に蘇って来ました。それと一緒に、断片的ながら夢の中の体験も幾つか思い出しました。
それから二、三日後のことです。新聞を開くと同じ人物が彼の住んでいる地区を訪問することになっているという記事を発見したのです。そこで彼は自分で推理を始めました。
吾々が案内した実験室も、スクリーンに上演して見せたものも思い出せません。がその人物の顔と従者だけは鮮明に思い出しました。そこで彼が推理したのはこういうことでした。──肉体が眠っている時人間は少なくとも時たまは四次元の世界を訪れる。
その四次元世界では本来のことを覗き見ることが出来る。が、この三次元の世界に戻る時にその四次元世界での体験の全てを持ち帰ることは出来ない。しかし地上の人物とか行列の顔といった三次元世界で〝自然〟なものは何とか保持して帰る、と。
予知された夢と実際の出来ごととの関係は四次元状態から三次元状態への連絡の問題であり、前者は後者より収容能力が大きいために、時間的にも、出来ごとの連続性においても、後者よりはどうしても広い範囲に亘ることになります。
さて、こうして彼は自分の才能を駆使して、私が直接的に教示するのと変わらない、大いなる知識の進歩を遂げました。それは同時に彼の知能と霊力の増強にも役立ちました。
むろん彼の出した結論はこちらの観点からすればとても合格とは言えず、幾つか修正しなければならない点がありますが、全体的に見てまずまずであり、実際的効用を持っております。私が直接的にインスピレーションによって吹き込んでも、あれ以上のことは出来なかったでしょう。
以上が吾々の指導の仕方の一例です。こうしたやり方に不満を抱き、人間的観点からの都合のよいやり方をしつこく要求する人は、吾々は放っておくしかありません。謙虚さと受容性を身につけてくれれば再び戻って来て援助を続けることになります。
ではこの話が差し当たって貴殿とどう関わりがあるかを説明しましょう。貴殿は時おり吾々の通信が霊界からのものであることに疑念も躊躇もなしに信じられるよう、なぜもっと(貴殿の表現によれば)鮮明にしてくれないのかと思っておられるようであるが、以上の話に照らしてお考えになれば、貴殿自ら考察していく上でヒントになるものはちゃんと与えてあることに納得がいかれるはずです。
忘れないでいただきたいのは、貴殿はまだまだ〝鍛錬〟の段階にあるということです。本来の目的はまだまだ成就されておりません。いや、地上生活中の成就は望めないでしょう。
ですが吾々を信じて忠実に従って下されば事情がだんだん明瞭になって行きます。自己撞着(どうちゃく)のないものだけを受け入れていけばよろしい。証拠や反証を求めすぎてはいけません。それよりは内容の一貫性を求めるべきです。
吾々は必要以上のものは与えませんが、必要なものは必ず与えます。批判的精神は絶対に失ってはなりません。が、その批判に公正を欠いてはなりません。貴殿のまわり、貴殿の生活には虚偽よりも真実の方がはるかに多く存在しています。
少しでも多くの真理を求めることです。きっと見出されます。虚偽には用心しなければなりませんが、さりとて迷信に惑わされて神経質になってはなりません。例えば山道を行くとしましょう。貴殿は二つの方向へ注意を向けます。
すなわち一方で正しい道を探し、もう一方で危険が無いかを確かめます。が、危険が無いかというのは消極的な心構えであって、貴殿なら正しい道という積極的な方へ注意を向けるでしょう。それでよろしい。危険ばかり気にしては先へ進めません。
ですから、滑らないようにしっかりと踏みつけて歩き、先を怖がらずに進むことです。怖がる者はとかく心を乱し、それがもとで悲劇に陥ることがよくあります。
では失礼します。こちらでの神の存在感はただただ素晴らしいの一語に尽きます。そして地球を取り巻く霧を突き抜けて輝き渡っております。その輝きは万人に隔てなく見えるはずのものです──見る意志なき者を除いては。神の光は、見ようとせぬ者には見えません。
<原著者ノート>読者は多分、母からの通信を中心とするこのシリーズの終わり方が余りに呆っ気なさすぎるようにお感じであろう。筆者もその感じを拭い切れない。そこで次に通信を引き継いだザブディエル霊にその点を率直に質してみた。(第二巻の冒頭で──訳者)
──私の母とその霊団からの通信はどうなるのでしょう。あのまま終わりとなるのでしょうか。あれでは不完全です。つまり結末らしい結末がありません。
さよう、終わりである。あれはあれなりで結構である。もともと一つにまとまった物語、あるいは小説のようなものを意図したものではないことを承知されたい。断片的かも知れぬが、正しき眼識を持って読む者には決して無益ではあるまい。
──正直言って私はあの終わり方に失望しております。余りに呆気なさすぎます。また最近になってこの通信を(新聞に)公表する話が述べられておりますが、そちらのご希望は、有りのままを公表するということですか。
それは汝の判断にお任せしよう。個人的に言わせてもらえば、そのまま公表して何ら不都合は無いと思うが、ただ一言申し添えるが、これまでの通信も今回新たに開始された通信も、これより届けられるさらに高尚なる通信のための下準備であった。それを予が行いたい。
結末について筆者が得た釈明はこれだけである。どうやら本篇はこれから先のメッセージの前置き程度のものと受け取るほかはなさそうである。
G・V・オーエン
Tuesday, February 21, 2023
シアトルの冬 予知現象の原理 Principle of prognostic phenomena
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