Your world is a shadow. This is where the light comes from.
──その新しい世界はわれわれ人間がみずからの努力によって実現しなければならないはずなのに、なぜその基盤作りがあなたの世界で行われたのでしょうか。
「あなた方の世界は影です。光はこちらから出ているのです。あなた方はこちらで立てられたプランを地上で実行し実現させて行きつつあるところです。オリジナルの仕事───と呼ぶのが適切か否かは別として───は全てこちらで行われます。
なぜなら全てのエネルギー、全ての原動力は物質から出るのではなく霊から出るのです。皆さんは、意識するしないにかかわらず、霊力の道具なのです。受信して送信する道具なのです。霊的影響力をどこまで受け止められるかによって、成功するしないが決まるのです」
───と言うことは結局、そちらからの援助を得て私たちが努力することから新しい世界が生まれるということでしょうか。
「その通りです。何ごとも人間一人では成就し得ません。人間が何かを始める時、そこには必ずこちらからの援助が加味されます。私達は常に道具を探し求めております。人間の方から波長に合わせる努力をしていただかねばなりません。完璧は決して望めません。つねに困難を克服し邪魔を排除する仕事は永遠に続きます」
───私たち自身の努力で地上の新しい世界を招来しなければならないわけですね。
「努力して初めて得られるのです。私から申し上げられることは、神の計画の一部として成就しなければならないことはすでに決まっているのです。が、それがいつ実現されるかはあなた方人間の協力次第ということです。計画はできているのです。
しかしその計画は自動的に実現されるわけではありません。それはあなた方人間の自由意志に任されております。あなた方は自由意志を持った協力者です。ロボットでも操り人形でもないのです。宇宙の大霊の一部なのです」
───新しい世界が来るとおっしゃっても、私たちにはそれらしい兆しが見当たらないのですが・・・・・・
「古い秩序が崩壊していくのと同じ速さで新しい秩序が生まれます。現にその目でその崩壊の過程をご覧になったばかりではありませんか。大帝国が崩れ去りました。お金の力が絶対でなくなりました。利己主義では割に合わないことが証明されました。
(戦争体験によって)普通一般の男女の力の本当の価値が証明されました。どうか私に対して〝進歩が見られない〟等とおっしゃらないでいただきたい。教訓はあなた方の前にいくらでもあります。別に霊眼は必要としません。肉眼で見えるところにあります(これほどの切実な体験をした)現代の人々に新しい世界が訪れて当然です。
もしその新しい世界の恩恵に浴せないとしたら、その人はまだ内部の霊的な力を使用するまでに至っていないということです。それだけの努力をした人々は、その犠牲と引き替えに恩恵を受けておられます。私はそれが機械的なプロセスで与えられると申しているのではありません。
それだけの用意が整っていると言っているのです。それを受け取るには、あなた方の方でやっていただかねばならない仕事があります。それは一方では霊的知識を広め、他方で古い権力構造の面影に貪欲にしがみついている因襲的既得権に対して飽くなき闘いを挑むことです」
別の日の交霊会で同じく人類の真の自由の獲得のための闘争についてこう語っている。
「私達はなくもがなの無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせたはずの我が子が無知の暗闇の中で暮らし、影と靄の中を歩み、生きる目的も方角も分らず、得心のいく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。
真に欲する者には存分に分け与えてあげられる無限の知識の宝庫が用意されておりますが、それは本人の魂の成長と努力と進化と発展を条件として与えられます。魂がそれに相応しくならなければなりません。精神が熟さなくてはなりません。心がその受け入れ態勢を整えなくてはなりません。
その時初めて知識がその場を見出すのです。それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。
目の見えなかった人が見えるようになったとしても、その視力に応じて少しづつ見せてあげなくてはなりません。一気に全部を見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。梯子を一段一段上がるように、一歩一歩、真理の源へ近づき、そこから僅かずつを我がものとしていくのです。
いったん糸口を見出せば、つまり行為なり思念なりによって受け入れ態勢が出来ていることを示せば、その時からあなたは、その辿り着いた段階にふさわしい知識と教訓を受け入れる過程と波長が合いはじめます。そのあとは、もう、際限がありません。
これ以上はダメという限界がなくなります。なぜなら、あなたの魂は無限であり、知識もまた無限だからです。しかし闘わねばならばならない相手は無知だけではありません。
永い間意図的に神の子を暗闇に住まわせ、あらゆる手段を弄して自分たちのでっち上げた教義を教え込み、真の霊的知識を封じ込めてきた既成宗教家とその組織に対しても闘いを挑まなければなりません。
過去を振り返ってみますと、人間の自由と解放への闘争のためにわれわれが霊界からあらゆる援助を続けてきたにもかかわらず、自由を求める魂の自然な欲求を満足させるどころか、逆に牢獄の扉を開こうとする企てを宗教の名のもとに阻止しようとする勢力と闘わねばなりませんでした。
今日なおその抵抗が続いております。意図的に、あるいはそうとは知らずに、光明の勢力に対抗し、われわれに対して悪口雑言を浴びせ、彼らみずから信じなくなっている教義の誤りを指摘せんとする行為を阻止し、勝手な神聖不可侵思想にしがみつき、
自分で勝手に特権と思い込んでいるものがどうしても捨て切れず、擦り切れた古い神学的慣習を後生大事にしている者がまだまだ存在します。
そこで私どもが人間のすぐ身のまわりに片時も休むことなく澎湃(ほうはい)として打ち寄せる、より大きく素晴らしい霊の世界があることを教えに来るのです。そうした障害を破壊し、莫大な霊力、全てに活力を与えるダイナミックな生命力を全ての人間が自由に享受できるようにするためです。
その生命力がこれまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞してきました。今でも多くの人々に啓示を与えております。そして、これから後も与え続けることでしょう。
荒廃に満ちた世界には、これから為さねばならないことが数多くあります。悲哀に満ち、悲涙にむせぶ人、苦痛に喘ぐ人にあふれ、何のために生きているのかを知らぬまま、首をうなだれ行く先が分からずにさ迷っている人が大勢います。
こうした人々にとって、目にこそ見えませんが、霊の力こそ真の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気づけ、導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在であることを、その霊力みずからが立証します。
そこにこそ、霊的知識を授かった人々の全てが参加し、自由の福音、解放の指導原理を広め、人生に疲れ果て意気消沈した人々の心を鼓舞し、魂の栄光をしらしむべく、この古く且つ新しい真理普及の道具として、一身を捧げる分野が存在します。
私たちが提供するのは、〝霊の力〟です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡知と理解力を顕現せしめ、神の子等に恒久的平和を築かせることができるのは、霊の力を措いてほかに無いのです」
シルバーバーチ
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