Tuesday, August 8, 2023

シアトルの夏 生 ・ 老 ・ 病 ・ 死 ・ 苦・・・・・・地上人生の意義

Birth, old age, sickness, death, suffering, the meaning of life on earth
シルバーバーチのスピリチュアルな生き方Q&A 崇高な存在との対話の通販/スタン・バラード/ロジャー・グリーン - 紙の本:honto本の通販ストア

【Q1】
人間(ヒト)として地上に誕生してくるのは、進化のどの段階でしょうか?

 霊としては常に存在していました。霊とは生命であり、生命とは霊だからです。あなたという存在は、常に存在してきたのです。
 あなたも大霊の一部ですから、いつから存在し始めたという〝始まり〟はないのです。しかし、一個の独立した意識的存在としては、生命の流れのなかのどこかで存在を得なければなりません。

 受胎というのは、男性と女性の細胞が合体して、その個的存在に自我を表現する媒体を提供する現象です。媒体を得るまでは、生命力は発現しないのです。その媒体を提供するのが、地上の両親です。双方の細胞が合体して一個の生命体を形成した時点で、霊的粒子がそれに付着し、物的世界での表現を開始します。

それが意識の始まりだというのが私の説です。その瞬間から意識のある個的生活が始まります。それからは永遠に個的実在であり続けます。


【Q2】
胎児のどの段階で霊が入るのでしょうか?

 何度も出された質問ですが、回答はいつも同じです。受胎が発生した時点で、すでに生命があります。そして、生命のあるところには霊が存在します。

 納得できない方がいるであろうことは、私も承知しています。しかし、私は断言します───精子と卵子が一体となり、ミニチュアのかたちで媒体としての機能をそなえた瞬間から、霊は地上生活を開始します。


【Q3】
次から次へと霊が地上へ誕生しています。一方、地上では人口増加が問題となっています。霊を生産すれば人口は増えるに決まっていますが、霊は一体どこからやってくるのでしょうか?
 その質問には誤解があるようです。霊は、あなた方人間がこしらえるのではありません。人間は、霊が自我を発現するためのチャンネルをこしらえるだけです。根源的存在である霊は、時空を超越したものであり、ものさしで計量することはできません。人間が行なっているのは、霊が身体に宿って、個別的存在を獲得するための手段(媒体)を提供することです。


【Q4】
スピリチュアリズムを占星術と同類と見ている人がいます。その人たちは、人生の出来事が星によって宿命づけられ操られていると考えていますが。

 人生は、一連の振動(Vibrations)、放射線(Radiations)、放散物(Emanations)から成り立っており、森羅万象のあらゆる相の影響を受けています。それらが、あなたに何らかの影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして、抵抗できないほど強力なパワーをもつものではありません。

 生まれた日に、ある星が東の地平線上にあったからといって、その星によって人生が運命づけられるというのは事実ではありません。

 あらゆる天体、あらゆる自然物、宇宙のあらゆる存在物、あらゆる生命体が、何らかの影響を及ぼすことでしょう。しかし、あくまでも主人は、あなたです。最終責任はあなたにあり、霊的進化の程度によって自分の運命を決定づけています。

 私が言いたいのは、要するにあなたも神の一部であること、そして、神性を宿すがゆえに、創造力を宿すがゆえに、この宇宙を創造した力の一部であるがゆえに、その身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことができるということです。
 わかりやすく言えば、私も影響力の一つです。あなたがつきあう人たちも何らかの影響を与えます。お読みになる本も影響力をもっています。しかし、あくまでも影響力に過ぎません。それによって、あなたが圧倒されることもないし、絶対的に支配されることもないでしょう。


【Q5】
死ねばおしまいと思って他界していった者は、どうなるのでしょう?

 自然法則によって死のうにも死ねないのですから、覚醒してから現実に直面せざるを得ません。霊的事実に得心がいくのにどれほどの時間がかかるかは、霊的進化の程度、霊性がどの程度発達しているか、新しい環境にどう適応していくかによって決まります。

 霊的事実に得心がいくのは、霊的理解力が目覚めたときです。あらかじめ霊的知識があれば、得心はよほど早いでしょう。ですから、私たちは無知と誤解と迷信、人工の教義や間違った神学と闘わねばならないのです。こうしたものは、どれ一つとして死後の目覚めに役立ちません。そうした夾雑物をすっかり払い落とすまでは、魂は長い長い休息(注)のなかで自己改造を強いられるのです。

訳注───ここで言う 「休息」 は二つの解釈ができる。一つは睡眠と同じ状態で、地上生活の過酷な辛苦によって疲弊した魂が、安らぎを得て無意識状態となり、その間に霊界の医師団によって治癒エネルギーによる癒しを受ける。

その長さは人によってまちまちで、長い人は何ヶ月も何年もかかることがあり、地上的時間では、はかりしれない要素があるようだ。

 もう一つは、その状態から覚醒して現実と直面し、地上時代の認識を改めて、霊的実在に目覚めていくのが通例であるが、シルバーバーチの回答にもある 「地上的夾雑物」 を完全に払い落とすまでには何百年、何千年、ときには何万年もかかることがあり、人によっては地上へ再生する必要が生じる場合もあるという。その次元の魂は、いわば夢幻のなかで生きており、実在界の高級霊から見れば酔生夢死の休息状態と変わらないらしい。


【Q6】
そもそも地上生活の目的とは何でしょうか?

 そもそもの目的は、本来の自分を理解することです。そのためには、物的身体の機能と霊としての資質を存分に発揮することが必要です。物的なことに偏って、霊的存在としての義務をおろそかにするのもいけませんが、霊的なことに偏って物的存在としての義務をおろそかにするのも間違いです。両者のバランスをとり、この世にありながら、この世的人間に堕することのないようにすべきです。

 肉体は神の分身である霊の神殿ですから、十分な手入れが必要です。そして成長と進化の過程にある霊は、その肉体を通して、成長と進化のための機会を与えられる必要があります。

 地上生活の目的は、地上を去った霊が次の階層での生活になじめるように、さまざまな体験を積むことです。そこで、まず地球へやってくるのです。地球は、トレーニングセンターです。肉体に宿った霊が、次の次元の生活への装備を提供してくれる教訓を学ぶための学校のようなものです。

 そういう理由から、私は改めて申しあげます。あなた方が嫌な体験と思っているものが、最高の薬になっていることがあるのです。本当の自分を見出すのは日向の生活のなかではなく、嵐のような生活のなかなのです。雷鳴が鳴り響き、稲光がひらめいているときです。

 人間は厳しく磨かれ、清められ、純化されなければなりません。絶頂もどん底も体験しなければなりません。地上生活だからこそ体験できるものを、体験しなくてはいけません。そうした体験によって霊性が強化され、補強され、死の向こうに待ち受ける生活への準備が整うのです。

 地上生活の目的は、霊性を活気づけることです。そのために、地上界の出来事は二面性と二極性を鮮烈に体験するようになっており、そこに地上生活の地上生活たるゆえんがあるのです。たとえば、善と善でないものが同居しています。これは、私たちの世界にはないことです。高次元の世界には、対照的なものが存在しないのです。

 地上生活の目的は、魂がその霊的資質を発揮できるように、さまざまな体験をするチャンスを与えて、霊性を一段と強化することです。そのために悪もあれば罪もあり、暴力も存在するのです。

 地上の全生命の存在目的は、人類をはじめ動物、その他の全生命に宿る神性に火がともされて火種となり、灯火となり、火焔となって燃えさかるように、刺激的体験を得ることです。霊的意識が目覚め、地上にありながら、生命の現象的側面にとどまらず、もっと大切な内的側面をも理解して、その恵みを享受するようになります。


【Q7】
永遠の時の観念からすると、地上生活はあまりにも短く、どれほどの意義があるのかといいたくなりますが‥‥。

 永遠も無限の小さな体験のつながりです。一つ一つの経験、一つ一つの行為、一つ一つの言葉や思念が、いくら小さなものであっても、永遠の時のなかで、それなりの役割を果たしています。それらの体験の蓄積が、永遠を形成するのであり、どれか一つを欠いても完全でなくなります。オーケストラによる演奏と同じです。

 たとえば、トライアングルの演奏家は、二〇〇人あるいは三〇〇人で構成されたオーケストラのなかでは最もめだたない存在でしょう。しかし、たった一回だけめぐってくる自分の演奏箇所で、もしも音階を間違えたり、音量が足らなかったりしたら、全シンフォニーが台無しになってしまいます。それはおわかりですね?地上生活も同じです。魂の鍛錬にとっては欠かせない一部なのです。そして、それが魂に消すことのできない跡形を印していくのです。


【Q8】
戦争、痛み、精神的ならびに肉体的苦しみ、病気、悲しみ、愛、憎しみ、喜び、幸せといった地上的体験は、人類の発達と進歩にとって欠かせない神の計画の一部なのでしょうか?
 神の計画という見方は間違いです。戦争は大霊が起こすのではありません。病気は大霊が与えるのではありません。そうしたものは、物質界の人間が自由意志の使用を過ったために引き起こされるのです。もちろん、学ぶべき教訓はあるでしょう。が、それは人間同士で身の毛もよだつ残虐行為をしなくても学べるはずです。人間同士で勝手にやっていることを、大霊のせいにしてはなりません。


【Q9】
地球上の自然災害は、神の計画の範囲内で起きているのでしょうか?

 そう言ってよいでしょう。因果律という動かし難い法則によって支配されているという意味で、神の配剤からはみ出ることはあり得ないからです。絶対的支配力をもつその因果律が、人間に制約を加えるということです。

 少し乱暴なたとえですが、人間の科学がいくら発達しても、物的宇宙を完全に破壊するほどの爆薬を開発することはできません。そこに限界があります。
 一夜にして地球が破壊されることはありません。大霊は、その無限の愛と英知によって宇宙間のあらゆる次元の存在(極大のものから極小のもの、複雑なものから単純なものに至るまでの全存在)に配慮した自然法則を用意しておられます。その自然法則は、進化という目的にそって機能するのであって、変革によって機能するのではありません。

となれば、当然、その法則によって人間の力は制約を受けます。どうしようもないこともある、ということです。自由意志はあります。しかし、ある一定限度内でのことです。


【Q10】
本当の自由とはどういうことでしょうか?

 私は、いかなるテーマも霊の体験という光に照らして考察します。人間というのは、物的身体を通して自我を表現している霊です。ところが、いく百万とも知れない地上の霊が窒息させられ、踏みつぶされ、抑圧され、踏みにじられています。
 本当の自由とは、好き勝手なことをする権利のことではありません。出来心や気まぐれや性癖のおもむくままにする権利のことではありません。自由には責任が伴います。そして、何のためにこの地上におかれているかという、存在の目的についての理解がなければなりません。


【Q11】
自由意志とカルマは、どう関係づけたらよいのでしょうか?

 生命のすべてが、自然法則による規制を受けています。筋の通らないことや奇跡や偶然によって起きることはありません。すべてが原因と結果、種まきと刈り取りの摂理の働きによります。そうでないと、宇宙は大混乱に陥ります。無限の配剤、無限の知性の働きを示す証拠なら、どこへ目をやっても存在します。

 四季のめぐり、惑星や星雲、潮の満ち引き、無数の姿かたちをした花々にも見られます。どれ一つとっても、法則によって営まれているのです。その法則の枠を離れることがないということですから、そこに制約があるということになります。しかし、法則の裏に別の次元の法則が存在します。物的法則だけに限りません。精神の働きにも法則があり、霊的次元にも法則があります。
 自由意志という要素、ある条件下で、右か左かを選択する力と能力をそなえているということは、神の配剤の一つです。それを最善に、そして最高に活用すれば、あなたの所属する民族、この地上世界、宇宙、森羅万象の霊的発展と進化の一翼を担うことができるのです。なぜなら、あなたも、霊的には大霊の一部だからです。

 全存在物に生命を付与している神性が、あなたにも内在しているのです。その意味で、あなたはミクロの大霊なのです。大霊が所有する無限の属性をあなたも所有しているのであり、それを発現していくための無限の時も用意されているのです。
 明朝、あなたはいつもより一時間早く起きてもよろしいし、一時間遅く起きてもよろしい。起きたくなければ、そのままベッドのなかにいてもよいでしょう。起きてから散歩に行ってもよいし、ドライブに行ってもよいでしょう。かんしゃくを起こしてもかまいませんし、思い直して我慢するのも、あなたの自由です。このように、あなたに許されていることはいろいろとあります。

 しかし、太陽の輝きを消すことは、あなたにはできません。嵐を鎮めることは、あなたにはできません。あなたの力を超えているからです。このように、選択の範囲が限られているという意味で、あなたの自由意思にも制約があります。

 そしてもう一つ、あなたの精神的ならびに霊的発達の程度による制約があります。たとえば、人を殺めるという行為は、だれにでもできます。が、あなたにはできないでしょう。これまでに築いてきた人間性および霊性が、それを許さないからです。

 ですから、どちらかの選択をするとき、そこには人間性と霊性の程度が関わっているのです。ここにも、宇宙によくあるパラドックス(一見矛盾しているかに思えること)があります。自由といっても、一定限度内の自由ということです。
 さて、ここからもう一歩踏み込まねばなりません。カルマの問題が出されたからです。これも、たしかに考慮に入れなくてはならない重大なテーマです。なぜかといえば、地上へ誕生するに当たって、前もって、カルマの解消をスケジュールのなかに入れている人が少なくないからです。その自覚は、すぐには意識の表面に出てきませんが、意識するしないに関係なく、そのことも自由意志に制約を加えます。

(原書では、この項目はここで終了しているが、カルマへの言及が足りないので、霊的治療家のハリー・エドワーズとのQ&Aのなかから、参考になる部分を編集して紹介しておく)

あなたのもとを訪れる患者は、その人なりの霊的成長段階にあります。人生というはしごの一つの段の上に立っているわけです。それがどの段階であるかが、その人に注がれる治癒力の質・量を決します。それが私のいう「カルマ的負債」です。

 あなたにも手の施しようのない人がいます。肉体を犠牲にする、つまり、死ぬこと以外に返済の方法がないほど負債が大きい人もいます。もう一度チャンスを与えられる人もいます。そんな人が、あなたとの縁で完治することになる場合もあります。
 精神的要素のために治らない人もいます。そんな場合は、一時的に快方に向かっても、また別の症状となってぶり返すでしょう。それは、当人に賦課された税金のようなものであり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書きは他の何者によっても書き換えることはできません。

 はじめに私は、すべては法則の枠のなかに存在すると申しあげました。何ごとも、それを前提として働きます。人間のいう「奇跡」は生じません。自然法則の停止も変更も廃止もありません。すべてが原因と結果から成り立っています。そこに自由の制約があります。もしも因果関係がキャンセルできるとしたら、神の公正が崩れます。

 治療家にできることは魂を解放し、精神に自由を与えることです。その結果が、自然に身体にあらわれます。それが、カルマ的負債を返済する手助けになるのです。私が、霊的治療家はその患者の魂の琴線にふれ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが最も重要な役目であると申しあげる理由はそこにあります。


【Q12】
航空機事故は、犠牲者のカルマ的負債を償却するためにもくろまれるのでしょうか?もしそうだとすると、予言や虫の知らせがあるのはなぜでしょうか?それによって人生が一八〇度変わってしまいます。

 むずかしい問題です。まず 「もくろまれる」 という言い方は適当でありません。いかにも悲劇を引き起こすために、わざと事故を計画したことになるからです。何ごとも原因と結果の法則によって生じています。そうした悲劇の犠牲者(あなた方にならってそう呼んでおきますが) には別の見方があることを忘れないでください。

 死は地上の人間にとっては恐ろしいことのようですが、私たちにとっては喜ぶべきことなのです。赤ちゃんが地上へ誕生して行ったとき、こちらでは泣いて見送る者が大勢いるのです。そして、死んで肉体から解放された者を喜んで迎えているのです。
 しっくり理解できないかもしれませんが、永遠の時の流れのなかでの宇宙の大機構において、宿命という要素が役割を演じています。定められたことと自由意志という二つの矛盾した要素が絡んだ、複雑なテーマです。両方とも真実です。定められた運命のなかで、自由意志が許されているということです。このように説明するのが最もわかりやすいでしょう。

 予知の問題ですが、これは三次元の脳の意識から離れて、たとえ一瞬にせよ、より高い次元の階層に入り、その次元での時間に接したときに体験するものです。そもそも時間とは〝永遠の現在〟なのです。あなた方が、過去とか未来と呼んでいるものを決定づけるのは、地上次元でのあなたと時間とのつながりです。その三次元の物的束縛から離れて本来の時間と接したとき、人間にとって未来であるものが現時点で感得できるのです。


【Q13】
人間の一人ひとりに守護霊(注)がついているというのは本当でしょうか?

 受胎の瞬間から、ときにはそれ以前から、誕生してくる魂を守護する霊が付き添います。「神がそなたの管理を配下の天使に託し、諸事にわたりて配慮させ給う」という 『祈祷書』 の言葉は、文字どおり真実です。その霊は、あなたが死の関門を通過してこちらへ来るまで、能力の限りを尽くして守護してくれます。

その関係は、あなたがその事実を知っているほど行き届いたものになります。まったく知らずにいると、何かとやりにくいものです。守護霊は一人ですが、それを補佐する指導霊が何人かいます。

 あなたの人生にどういうことが待ち受けているかは、守護霊にはわかっていますし、そのことに関して勝手な干渉は許されません。だれの守護霊になるかについて選り好みも許されません。私たちの世界は組織の行き届いた世界です。

訳注──「守護霊」は、英語でも 「Guardian Angel(守護天使)」で、ともに「守る」という意味が込められているために、とかく母親がヨチヨチ歩きのわが子を、ころばないように、ケガをしないようにと守っているかの印象を与えがちであるが、「諸事にわたりて配慮させ給う」 という 『祈祷書』 の表現どおり、当人のカルマの解消や使命の成就のために、大所高所から配慮するのが本来の使命であり、そのためには病気や困難もあえて体験させることもあることを知らねばならない。Q15の回答の波動の原理も考慮する必要があろう。


【Q14】
だれが任命するのでしょうか?

 親和力の法則です。

訳注──シルバーバーチの言う「アフィニティ」、マイヤースの言う「類魂」のなかの一人が、全体を統括している高級霊によって任命されるのであるが、その基本において働いているのは親和力である。


【Q15】
災害から救われるケースと救われないケースとがありますが、守護霊との関係はどうなっているのでしょうか?

 すべては、その時点での環境条件によって支配されます。だれにも守護霊がついているのは事実ですが、その事に気づいている人はどれほどいるでしょうか?もし気づいていなければ、無意識のうちに霊感でも働いていないかぎり、守護霊は地上界と感応することはできません。

 このように、霊の働きかけというのは、地上界の人間が条件を整えることが大前提なのです。条件がそろうと、つまり人間側が霊界の波動と調和した道具になってくれると、守護霊や指導霊が物質界と感応し、物質に強く働きかけることができます。

 奇跡的救出や保護や導きの話が数多く語られていますが、いずれもそうした条件が整ったときなのです。人間側が条件を整えないといけないのです。私たち霊にとって、人間は〝手〟のようなものです。手がなくては、地上界で何の仕事もできません。


【Q16】
愛する伴侶を失って、失望のあまり自殺する人がいますが、許されることでしょうか?

 許されません。あくまでも摂理にのっとって生きなければなりません。摂理の働きは常に完璧なのです。その摂理の背後では、すべてのものに内在し、すべてのものを通して働く大霊の愛と英知が働いているのです。その摂理に干渉する権利は、だれにもありません。それを無視して自らの命を絶てば、その代償を支払わねばなりません。

 リンゴを熟さないうちにもぎとれば、まずくて食べられません。霊が然るべき準備もなしに無理やり次の次元へ行くと、その調整に長い長い時間をかけて代償を支払わねばなりません。そのうえ、願いとは裏腹に、乱れた波動のために、愛する人との間にみぞをつくってしまい、かえって離ればなれになってしまいます。


【Q17】
自殺は、すべて許されないのでしょうか?

 一概にすべていけないとは言えません。その人がそれまで生きてきた人生、その間に発達させた資質、霊性の進化の程度、そして何よりも大切なものとして、動機は何かによって、死後におかれる状態が違ってきます。

キリスト教では自殺を一つのカテゴリーに入れて、すべて罪悪であると説いていますが、そういうものではありません。もちろん基本的には、生命を自ら断つ権利はありませんが、そういう行為に至るには、それなりに考慮すべき要素、情状酌量すべき事情があることは疑いの余地がありません。

 地上生活を中断して魂にプラスになることは、何一つありません。が、だからといって、自殺した魂がすべて、気の遠くなるほど長い間、暗黒界でもいちばん暗いところに押し込められるわけではありません。


【Q18】
自殺が、霊的進化の大きなつまずきであることは間違いないでしょう?

 もちろんです。何ごとにも例外はありますが、それはきわめて少数です。ご承知のように、私は、何ごとも動機が大きな比重を占めると申しあげています。が、魂の裁きは、行為そのものが受けます。

 あなたは、自分の人生の書を、自分の筆で書いているのです。書いたものは消せません。ごまかすことはできません。自分で自分を裁くのです。摂理は決まっており、改められることはありません。ですから、私は「自分の責任には、臆せず正面から立ち向かいなさい」と申しあげるのです。いかなる窮地も、案じているほど暗いものではありません。



【Q19】
死刑制度をどう見られますか?

 人を殺した人間だから殺してもよいという理屈は、霊的には通らないということを、これまで私は躊躇することなく申しあげてきました。

 地上界の人間は、正義と復讐とを区別しないといけません。復讐心という最低の人間的感情からすれば、憎いやつを地上界から消すことは正義と思えるかもしれませんが、それでは未熟な魂を霊界へ送り込むだけで、それによって成就されるものは何一つありません。公正な裁きがなされないといけません。

国による殺人を行なっても、地上界はカケラほども霊的に進化しません。それどころか「目には目、歯には歯」の復讐の場に堕落してしまいます。激情が理性を凌駕したところに正義は生まれません。

 肉体の死後にも生命が存続することは、議論の余地のない事実なのですから、それに基づいた原理・原則を信念としなければなりません。死後の生活に何の準備もしていない者が、次々と地上界から送られてくるために、こちらでは面倒なことがますます増えています。なかには、冤罪によって処刑されているケースや、不当な刑を受けているケースもあります。

 生命は神聖なものであり、人間が与えたり奪ったりすべきものではありません。生命は物質から創造されるのではありません。物質が生命によって創造され、維持されているのです。生命は霊的なものであり、大霊を始原としており、神性を帯びているのです。ですから、生命とその物的顕現を扱うときは、最高の慈悲心と思いやりと同情心をもってのぞむべきです。そして、動機は間違っていないかを確認することを忘れないでください。

 死刑制度では、問題は何一つ解決しません。罪を犯した人のことを思いやる心こそが、摂理を成就させるのです。いかなる方法をとるにせよ、更生を促進するものであるべきで、決して復讐心を生み出すようなものであってはなりません。


【Q20】
人間の誕生は自然法則によって支配されているとおっしゃっていますが、そうなると産児制限はその自然法則に干渉することになり、間違っていることになるのでしょうか?

 いいえ、間違ってはいません。経済的理由、健康上の理由、その他の理由でそうせざるを得ないと判断したのであれば、出産を制限することは正しいことです。この問題でも動機が大切です。何ごとも動機が正しければ正しい決着をみます。出産を制限することも、その動機が正しければ、少しも間違ったことではありません。

 しかし、霊の世界には、地上での生活を求めている者が無数にいて、物的身体を提供してくれる機会を待ちかまえているという現実も忘れないでください。


【Q21】
妊娠中絶はいけないとおっしゃっていますが、どの段階からいけないことになるのでしょうか?

 中絶行為をしたその瞬間からです。(妊娠してすぐでもいけないかと念を押されて)とにかく中絶が実施された瞬間から間違いを犯したことになります。いいですか、あなた方人間には、生命を創造する力はないのです。あなた方は、生命を霊界から地上へ移す役しかしていないのです。その生命の顕現の機会を滅ぼす権利はありません。

 中絶は殺人と同じです。妊娠の瞬間から、霊は子宮に宿っています。中絶されれば、その霊は、未熟な霊的身体に宿って霊界で生き続け、成長しなければなりません。中絶によって物的表現の媒体をなきものにすることはできても、それに宿っていた霊は滅んでいないのです。霊的胎児の自然な成長を阻止したことになるのです。もっとも、これも動機しだいで事情が違ってきます。常に動機というものが考慮されるのです。

 私の住む世界の高級霊で、人工中絶を支持する霊は一人もいません。が、動機を考慮しなければならない特殊なケースがあることも事実です。行為そのものは、絶対にいけないことですが。

 あなた方が生命をこしらえているのではないのです。したがって、その生命が物質界に顕現するための媒体を、勝手に滅ぼすべきではありません。物質をなきものにしたことで、すべてが終わったわけではないこと、それに関わった当事者は、いつの日か、その中絶によって地上への誕生を阻止された霊と対面させられることになるという事実を知れば、そうした行為はずっと少なくなると、私は考えています。
 

No comments:

Post a Comment