私は今年で八五歳になります。すでに現役を退いておりますが、若い時から、そして今なお、生命の神秘と奇跡的現象に興味を抱き続けている、電気工学ならびに機械工学の専門家です。
一九三九年から四五年までの数年間、英国陸軍および空軍の下士官として行政に携わり、それが縁となってシンガポール、スリランカ、モーリシャス、ならびに東アフリカに出向くことがあり、そこでさまざまな宗教的儀式に参加し〝物質を凌駕する精神作用〟を始めとする超自然現象をこの目で見ることになりました。
一九七七年に現役を退いてから私は、科学・宗教・歴史の分野の関係書を読みあさり、霊能開発のサークルにも入って実体験を得ようとしましたが、納得のいく結果が得られないまま四年が過ぎました。
あらためて一人で瞑想を始めたところ、なぜか感動の涙が溢れ出て、世の不幸な同胞への憐みの情を感じ、間違った説教や学説を改める仕事をしたいという決意がわいてきました。それからというものは、求めている文章や文節がどの書物にあるということを教えてくれる声が聞こえるようになりました。
私と霊言との最初の出会いは、ホワイトイーグルの Spiritual Unfoldment で、その中で述べられているオーラの本質を読んで、複数の見えざる霊的身体は電磁場という形態においてのみ存在し機能することを理解しました。
その後、一九九二年になってシルバーバーチの霊言との出会いがあり、それを一読して、宇宙における 「神」 と人類のつながりが電磁エネルギーの場を媒体としてつながっていることを示す、完璧な図式を手にすることができました。
最近になって私は、シルバーバーチの教えを基盤として科学的見地から究極の理論をまとめ、Spirit of the New Millenium と言うタイトルの新著を出しました。これからはこれで世に訴えたいと思っているところです。
フランク・ニューマン 二〇〇三年七月
訳者付記───この 『日本語に寄せて』 は、私がニューマン氏に要請して書いていただいたものである。最後のところで自ら紹介している新著のタイトルは、スピリチュアリズムの淵源をよく理解した人にのみ理解できるものを暗示しており、巻末の 「訳者解説」 で言及してある。
序
ブァーノン・ムーア
人間はいったい何のために生きているのだろうか? はたして地上人生には生きる意義があるのだろうか?───これは誰しも抱く疑問ですが、この本はそうした疑問についての答えを模索しながら歩んでいる方々のために、フランク・ニューマン氏がやさしく語ってくれたものです。言うなればスピリチュアルな巡礼の道標です。
ニューマン氏は、れっきとした物理学者です。モーリス・バーバネルが霊媒をつとめる交霊会に出現した〝シルバーバーチ〟と名のる聡明な指導霊からのメッセージとの出会いによって、それまで抱いていたさまざまな問題───人生の疑問だけでなく専門の物理学の原理まで───を理解する上でのヒントを得たといいます。
かく言う私は、実は、そのシルバーバーチの交霊会に四十年から五十年ばかり出席したレギラーメンバーの一人でした。
「四十年から五十年」 という言い方は変ですが、シルバーバーチの霊言と出会った頃の私は英国国教会の牧師で、交霊会に出席した時はまだその説くところが容易には信じられず、何度も議論し、疑問点を質し、悩み苦しみ、出席したりしなかったりしたあげくに、ついに得心して牧師職を辞しました。その迷いの期間が十年ばかりあったということです。
シルバーバーチは、自分の説くことは絶対に間違っていないとは言っておりません。真理を述べるに際して独断 (ドグマ) を一方的におしつけることを嫌います。ドグマとは理性の介入を許さない説のことだから、というのがその理由です。
そして自分の説くことを理性の光に照らして判断し、納得がいかなければ拒絶し得心がいけば受け入れる───それでよろしい、と言うのです。半世紀にわたって交霊界に出席してきた私は、真剣に道を求める魂を得心させないようなことは、シルバーバーチは決して語っていないことを断言します。
人間がたどる巡礼の道は一人ひとり違います。私の旅は二二歳の時に始まりました。戦争に次ぐ戦争で人間の生命のはかなさを痛感していた時に、第一次世界大戦の従軍牧師だったスタッダート・ケネディの 「来世の存在を確信せずして地上生活の本当の幸せはあり得ない」 と言う言葉を何度も反芻(はんすう)したものです。
次の出会いは著名な英国人ジャーナリストのハンネン・スワッハーでエドワード・マーシャル・ホール卿と二人で、スピリチュアリズムの普及の為にクイーンズ・ホールを借りきって講演会を開いていました。
それに何度か出席しているうちに、スピリチュアリズムの真実性を確信するようになりました。そして、国際スピリチュアリスト連盟の会長で、最初にスピリチュアリズムに関するラジオ放送をしたアーネスト・オーテンの次の言葉は決して大げさでない事を知るに至りました。
「これまでに得た証拠によって私は、既に死の関門を通過した人々と(交霊会で)対話を交わしていることは間違いない事実である事を断言します。その確信は、たとえこの事実を信じる者が地上で私一人であっても、絶対に揺らぐ事はありません。」
ここまで巡礼の旅を続けて来た私がシルバーバーチの教えをまとめると次の様になります。
①この地上生活は魂の幼稚園のようなもので、死後に始まる次の段階の生活に必要な体験を積む場所であること。
②物質の仮面をかぶっている実在の霊的世界について、少しでも多くを理解するように努めることが望ましいこと。
③ 「神」 とか 「大霊」 と呼んでいるものは全存在の総計であると同時にそれを超越した存在であり、自然界のあらゆる側面に顕現していること。それは愛と叡智と実在の極致であり、それが法則となって森羅万象の営みの中で一瞬の休みもなく働いていること。
④ 「祈り」 の霊的な意味を理解することが必要であること。すなわち、自我の内と外に存在する大霊のパワーとの繋がりを緊密にするために憧憬の念を持って常に祈ることを怠らないようにすること。
こうした教えは、ニューマン氏の解説によって一段と理解を深められるに違いありません。最後に私自身の体験を述べておきましょう。
モーリス・バーバネル氏は若い頃よくハイドパークにある〝スピーカーズ・コーナー(演説広場)〟でスピリチュアリズムについての演説をしたものですが、急用が出来た時などに私に代役を頼むことがありました。当時はまだスピリチュアリズムは物笑いのタネにされる時代で、酷いヤジが飛んだものでしたが、演壇から降りて解散した後に必ず一握りの真面目そうな人が残っていて、キリスト教への疑問と不満を真剣な面持ちで私に語ったものでした。
その人たちのように、真剣に真理を求めながら在来の説に飽き足らず、あるいは大きな疑念を抱いている人が少なくありません。そういう人たちは言わば〝地上の迷子〟のようなもので、既成宗教から脱しようと思いながら、さまざまな理由で躊躇しているのです。本書はそう言う人々にこそ読んでいただきたいものです。
<訳者補注>
本書で初めて〝シルバーバーチ〟という名前を知った方のために、少しばかり解説しておく必要がありそうである。
シルバーバーチと名のる霊が無意識 (トランス) 状態のモーリス・バーバネルの口を使って初めてしゃべったのは一九二〇年のことで、当時バーバネルは十八歳、知人に誘われて交霊会に出席した時だった。
自分では〝うたた寝〟をしたと思い込んで、目が覚めると慌てて〝非礼〟を詫びたが、出席者たちから 「あなたは寝ていたのではない。シルバーバーチとか名のる霊があなたの口を借りてしゃべりましたよ。あなたもいずれこうした交霊会を催すようになるそうです」 と言われて、何のことやら、それこそキツネにつつまれたような気持ちだったという。
シルバーバーチのスピリチュアルな法則
宇宙と生命のメカニズム フランク・ニューマン著 近藤千雄訳
The UNIVERSE of SILVER BIRCH
by
Frank Newman
Published in 1998
The UNIVERSE of SILVER BIRCH
by
Frank Newman
Published in 1998
by
The Spiritual Truth Foundation
United Kingdom
The Spiritual Truth Foundation
United Kingdom
が、それが間もなく現実となる。バーバネルは自宅でもトランス状態にさせられて、やはりシルバーバーチと名のる霊がしゃべるようになった。最初のうちは居合わせた者だけが聞く程度で、記録というものを一切遺さなかったが、ハンネン・スワッハーが出席し始めてからは日時を金曜日の夜七時と定め、速記録を取って霊言の抜粋を翌週の 『サイキック・ニューズ』 紙に掲載するようになりそれがまとめられて単行本として発行されるようになった。
第一巻が出たのは一九三八年。ついでに言えば、その速記役を務めたのは、この序文を書いたムーア氏とのちに結婚したフランシスで、テープに録音するようになってからも速記は続けられた。ある意味では、このフランシス・ムーア女史が隠れた最大の貢献者と言えよう。
シルバーバーチは、初めのうち自分は地上でアメリカ・インディアンだったと述べ、霊視能力を持った人の目には確かに叡智あふれるインディアンの顔が映り、それを描いたフランス人霊視画家マルセル・ポンサンによる肖像画がシルバーバーチその人という認識が固定し、シルバーバーチ自身も始めと終わりに行う神への祈りを 「あなたの僕インディアンの祈りを捧げます」 という言葉で締めくくっていたが、ある時期から、
つまり正しい霊的知識が十分に行き届いたとみた段階で、実は自分はインディアンではない───三千年前に地上で生活したことがあるが、長い長い生命の旅の末に、もうすぐ地上圏に別れを告げて二度と地上に戻れない段階へと旅立つところまで到達した、いわば 「古い霊」 であると告白した。
しかし、地上時代の姓名・民族・国家・地位などの個人的なことは、ついに述べずに終わった。バーバネルは一九八一年に他界し、それがシルバー・バーチ交霊会の終わりともなったが、ほぼ半世紀わたって速記録と録音によって遺された莫大な量の霊言は、サイキック・ニューズ社の九人のスタッフによって、各自の視点からまとめたものが全部で十六冊も出版されている (一人で二冊ないし五冊も編纂した人もいる)。
それらの日本語訳は三つの出版社から出た。うち一社からでた三冊が絶版となっているが、熱心なサークルによって自費出版で復刻されている。シルバーバーチ関係の訳者のリストと取り寄せ先の案内は巻末を参照されたい。
なお、シルバーバーチの交霊界の様子を録音したテープが何本かあったようであるが、出席者が素人流に録音したもので録音状態が悪く、実際に市販されたのは一本だけだった。それが日本では 『CDブック・シルバーバーチは語る』 (ハート出版) となって、英文と和文の対照本として発売されている。その取り寄せ方についても巻末を参照されたい。
謝辞
「知識」と言うのは、体験が精神の篩(フルイ)に掛けられて、各自の理解力によって解釈されて初めて身につくもので、何の分析もなしに蓄積されるだけであれば、知識の境界は生涯少しも広がらないことになります。
そうした分析と選択を行うことのできる柔軟な精神は、一つの型にはまった硬直した精神と違って、人生に愉しみを見出すことができます。その上、そうしたレベルの精神の持ち主は見えざる世界からの導きを得ることになります。
私にとって、そうした貴重な知識を与えてくれることになった恩人の名前を挙げていったらキリがありません。
霊媒のグレース・クックとウィリアム・クルックス博士、オーラの写真を撮ることに成功したウォルター・キルナー博士、『スピリチュア百科事典』の編集者ナンドー・フォドー博士、幽体離脱現象の研究家シルブァン・アンドゥーンとヒアワード・キャリントン、等々。
こうした方々の業績が触媒となり、私独自の瞑想法による直感力も加わって、私の専門であるエネルギーの 「磁場」、俗にいうオーラの本性と宇宙における存在機能を霊的観点から理解することができました。
私の理解は物理学者のH・S・バー教授の研究成果によって完全に裏打ちされ、またV・スタンレー・アルダー女史によるオーラの構造理論とも一致しました。さらに 「国際生物物理学研究所」 の研究成果も、偶然にもバー教授のものと一致しました。
こうした心霊学と物理学の成果に加えて私自身の直感力によって電磁場の理解が深まりましたが、シルバーバーチと名のる高級霊からのメッセージとの出会いによって私の視野は一段と広がり、心霊学と物理学と宇宙学とが渾然一体となって理解できるようになりました。
シルバーバーチの霊言集はサイキック・ニューズ社から出版され、現在では絶版となっているものも少なくありませんが、第二次世界大戦の戦前・戦中・戦後にわたる実に60年間、途切れることなく出版しつづけてくれた編集者の皆さんに、深甚なる謝辞を述べたいと思います。
またシルバーバーチ霊が〝同志〟と呼んでいるホワイト・イーグル霊の霊言からも多くを学んでおります。引用することを快く許して下さった出版社にもお礼を述べねばなりません。
真理は営利を目的として切り売りすべきものではなく、誰にでも自由に分け与えるべきものです。しかし、真理には無限の側面があります。その真理の価値は、それを手にした人の理解力一つに掛かっています。
はじめに
人間の身体は、肉体だけでなく幽体も霊体も本体もオーラというものを発していることはスピリチュアリズムの常識ですが、残念ながらその 構造と機能に関しては〝学説〟と呼べるほどのものはまだ確立されていません。
それはなぜかと言えば、科学のさまざまな分野で〝電磁エネルギー〟の存在を確認していながら、学者がそれを物的関連においてのみ研究し、目に見えない身体との関連においての研究がなおざりにされているからです。
一方、俗に言う〝霊的なもの〟の存在を認めている人々の間では、オーラの構成要素について数多くの発見をしていますが、それが何を意味しているかという肝心かなめについての理解が出来ていません。
それをシルバーバーチは 「霊が全てを支配しているのです。霊は全生命を構成しているエッセンスです。霊こそ生命であり、生命は霊なのです」 と述べてから 『ヨハネ伝』(6・63) のイエスの名言を添えます。
《生かすものは霊なり、肉は益するところなし。我が語りし言葉は霊なり、生命なり》 (英和対照 『新約聖書』 一九五一年版)
こうした言葉が教えているのは、全生命のエッセンスである霊がなければ、私たちが現在体験している物的表現は存在しないということです。つまり 「霊(スピリット)」 こそ肉体・幽体・霊体・本体の四つの身体の発達をつかさどっている根源的叡智であるということになります。 〈補注1〉
〈訳者補注1〉
東洋と西洋の霊視能力者によって確認された四つの身体を総合的にまとめたのが次ページの図。キルリアン写真 (後述) やEMRスキャナー (医学で用いるCTスキャナーとキルリアン写真とを組み合わせたもの) でも幽体までは確認できる。
各身体の呼び方は霊視家によって、英語でも日本語でも異なるが、この図でいえば幽体が 「アストラル・ボディ」、霊体が 「メンタル・ボディ」、 本体が 「コーザル・ボディ」 に相当する。なお 「イセリック・ボディ」 というのは以上の三つの身体と肉体とを結ぶ接着剤のような役目をしているテンプレート(型板) で、「ダブル(複体)」 と呼ぶ人もいる。
・・・ここp18に「人体を構成する磁場」の絵図があり・・・肉体 PHYSICAL BODY ダブルETHERIC BODY 幽体 ASTRAL BODY 霊体 MENTAL BODY 本体 CAUSAL BODY と細かく説明があります・・・
辞書で〝スピリット〟 の項目を見ると 「知性と意思を持った形体のない存在」 とか 「人間に内在する要素で、身体に活力を与えながらも身体から切り離せるもの」 とあります。
ここで言う身体とは物的身体のことですが〝対外遊離現象〟(幽体離脱とも) という超常現象は 「幽体」 と呼ばれている目に見えない身体に宿って体験しているもので、これにもオーラという電磁場があります。
科学の世界ではオーラのことを 「生命」 とか 「バイオ」 とか 「バイオプラズマ」 とか 「電磁場」 という用語で呼び、
これは肉体から派生する副産物であると説明していますが、肉体に活力を与え維持しているものがそのオーラに内在する知性、すなわち〝霊〟(スピリット)なのですから、「肉体から派生する副産物」 という表現を逆にして 「肉体こそ霊の産物」 ということになり、先ほどのシルバーバーチとヨハネの言葉に〝なるほど〟と得心がいくわけです。
うれしいことは最近、科学会にも、俗世的偏見を捨てて〝神秘的現象〟と呼ばれているものに表面から取り組もうとする学者が、徐々にではありますが、着実に台頭しつつあります。科学によって宇宙の真相を明らかにしたいと望むのであれば、宗教的ないしは霊的知識を一つの方向性として取り入れなくてはならなくなってきたと言えるでしょう。
神秘的な修法家や霊覚者が平凡人の五感では見ることも聞くこともできないものを見たり聞いたりして、それをありありと叙述することができるのもオーラの機能を活用しているからですが、困ったことに、そういう能力を持った人たちは、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのかが自分では判らないために、科学者から詰問されると返答に窮してしまい、結果として懐疑の目で見られてしまうことになります。
ですから超能力を具えた人が自説を理解してもらい、同時に人生とは何か、宇宙はどうなっているかについて、一般常識とは異なる説を打ち出したいのであれば、それを裏付けるだけの実証的資料を用意しなければなりません。科学的データーなくしては、さまざまな形で世の中をリードしている知識層を得心させることは、まず不可能です。
もちろん、これにも例外があります。伝統的宗教にどっぷり浸かっている人たちです。どこの宗教の教義も人工的教義の上に立っており、それを子供の時から聞かされて育った人はそれを絶対的に信じていますから、その人生観を改めるのは容易なことではありません。
しかしそれも、科学的知識の普及とともに事情が少しづつ変化しつつあります。〈補注2〉
それより憂慮されるのは、社会全体のモラルの低下です。これを正すには、やはり科学的基盤を持つスピリチュアリズム思想によって、宇宙の中における人間の位地についての理解を促す努力が必要でしょう。〈補注3〉
〈訳者補注2〉
最も抽象的な例は〝地動説〟とキリスト教会の関係であろう。〝天動説〟に異を唱えた最初の学者はポーランドのコペルニクスであるが、彼はもともと聖職者で、しかも病弱だったために研究成果を公表しないま知人に託して他界した。
それが書物となって公表されたものに触発されたイタリアの自然哲学者ジョルダーノ・ブルーノが公然と地動説を唱え、しかも宇宙こそ無限絶対の存在であると説いたことで、キリスト教会によって〝異端者〟として火刑に処せられた。
更に〝自然科学の父〟と言われるガリレオ・ガリレイがコペルニクスの説を支持したことで宗教裁判にかけられ、投獄されているうちに失明し獄死したことは有名な話であるが、こうした理不尽な行為の非を認めて 「教会側の間違いだった」 と詫びたのはローマ法王ヨハネ・パウロ二世で、それも皮肉にも 「コペルニクス大学」 においてであった。
科学的事実を前にしながら己の非を認めるのに四五〇年もかかるとは、宗教界は何と硬直した世界であることか、ニューマン氏はそのことを言っている。
〈訳者補注3〉
肉体をまとって生活する場として〝地球〟があるように、幽体で生活する場、霊体で生活する場、本体で生活する場がある。次ページの図は複数のスピリットに個別に訪ねた上でまとめた死後の世界の概略図で、地上界が最も鈍重で粗い波動の世界。仏教で言う生老病死にすべて苦痛が伴うが、だからこそ修行の場として最適であるということになる。
私は電気工学の分野に携わってきた人間ですが、その間ずっと感じていたのは、いわゆる〝神秘的現象〟にも科学的説明ができるはずだということでした。いくら奇怪な出来事でも、実際に見たと断言する生き証人がいる以上は、それをただの幻覚や錯覚と決めつけるべきではないというのが私の考えです。
ところが現実には、いつの時代にも知識人と言われる人たちは、なぜかそうしたものを真剣に取り上げようとせず、たわごととして一蹴してしまう。そういう人は社会的に影響が大きいだけに、実際にはその方向に特に造脂が深いわけでもないのに、一般人はやはりその人の言うことを信じてしまいます。
p23に・・・地球を取り囲む三つの階層・・・の絵図がある。
〝権威〟というのは、ある特定の分野において真剣に、必要にして充分や研究を積んだ者に自然にそなわるもので、それも、あくまでもその人物の理解力の程度が問われるのです。その〝程度〟には人格の高潔さと熱意が大きく関わってきます。
私は、ある時期、政府の要請で熱帯地方での学術調査活動に従事した事があり、その滞在中にヒンズー教の火渡りの術や、肉体に銀針や釣針や槍を突き刺しても形跡が残らない術を目のあたりにしていたので、役職から離れた後、当然のことながらそうした〝超常現象〟の不思議の解明に関心が行きました。
まずそれを科学的見地から、哲学的見地から、そして宗教的見地から扱った書物を読み漁り、更に霊能開発のためのサークルにも幾つか参加してみました。が、それを六年ばかり続けた時点で、なぜかそういう行(ぎょう) には進歩がない───どこか歪んだ方向へ向かっていることに気がきました。
私は思い切ってそれを止めて、自分一人での瞑想に切り替えることにしました。時間を決めて、キチンと精神の統一を図りました。
他のメンバーの動きに気を散らされることもなく、私は比較的ラクに心を空っぽにすることができ、やがて譬えようもない安らぎと静寂に包まれる段階に到達し、その中で、自分という存在の小さな実感から生まれる真の謙虚さを味わうようになりました。
さらに進むと、今度はその静寂のなかで、時折、突如として映像や言葉によるインスピレーションが流入するようになりました。それは、それまでに自分が読んだ科学や哲学や宗教の本の内容に関するものでしたが、のちには、大して重要でもないことに集中している時にも体験するようになりました。
そうした体験の特徴は、いわく言い難い喜びの念を伴っていることで、それは私が受け取った真理が正しいことを確認させてくれると同時に、それが私が抱いている構想の全体像の中でどういう位地を占めているかを教えてくれるものでした。
書店や図書館でも私の手が一人でに動いて一冊を取り出し、タイトルを見るとなぜこんなものをと思うようなものなのに、ページをめくっていくと、一連の思考過程の中で行き詰まっていたことを打開してくれたり、それが正しいことを確認してくれる文章に出くわすことがよくありました。こうした過程を経て私は、人間と環境とが密接な関係にあることを証明するには科学はどうすれば良いかについて、私なりの考えにたどり着きました。
科学にはさまざまな分野がありますが、本書で私が提供する証拠はどの分野にも通じるものです。しかし、科学界には古い唯物的な宇宙観に囚われた人がまだまだ少なくありません。
そういう学者は真理への正道を見出して突き進もうとする学者の説を見くびる態度に出ます。実際には入手した新しいデータをもとに宇宙観を総ざらいすれば、古い概念に囚われた科学者も目を覚ますに違いないのです。
瞑想によって、私自身の精神の世界が広がり始めて数年たってから、ふとしたきっかけで 「シルバーバーチの教え」 を編集した何冊かの書物に出会いました。シルバーバーチというのは、モーリス・バーバネルという人物をチャンネルとしてメッセージを送ってきた、高次元の世界の知的存在です。 (『序』 の 〈補注〉 参照)
それを読んで驚きました。私が十年ばかりにわたって営々として築いてきた大自然の本質についての考えが、難しい用語でなしに、至って平凡な言葉であっさりと説かれているのです。その核心は、この森羅万象は崇高な超越的叡智が顕現したものであり、それが全存在の内部に宿っており、そこには民族の別も、肌の差別も、宗教的信条の違いもないということです。
ある時、私の学術論文を読んだSNU 〈補注4〉 会長のゴードン・ヒギンソンが、これをシルバーバーチの教えと結びつけて解説してみてはどうか、と提案しました。なるほどと思って書きあげたのが本書です。
本書は決して難解な宇宙物理学を説こうというのではありません。人間はいったい何のために生きているのか、死んだらどうなるのか───無に帰するのか、それともどこかで生き続けるのか、といったことについて日ごろから思いを馳せている人々に、思考と議論の糧を提供するものです。
〈訳者補注4〉
SNUとは 「英国スピリチュアリスト同盟」 Spiritulist Nationl Union のこと。スピリチュアリズムの真実性を信じる者の集団で、英国最大を誇っている。ただ、ゴートン・ヒギンソンが会長をつとめた頃は、その強力な個性で意義ある活動をしていたが、会員が増え肥大化していくうちに内部紛争が絶えなくなり、ヒギンソンが引退してからは、ニューエイジの宗教集団のような様相を呈していると聞いている。
ちなみにモーリス・バーバネル亡き後 『サイキック・ニューズ』 紙の編集を引き継いだのは、トニー・オーツセンとティム・ヘイで、私は二人とも面会しているが、オーツセンはその後 『トゥー・ワールズ』 の編集長として出ていき、若いヘイが編集長として頑張ったが、その頃からSNUによる買収工作が始まっていたらしく、バーバネルという一枚看板を失ってからの凋落傾向に歯止めがかからなかった。
まもなく 『サイキック・ニューズ』 は買いとられ、内部事情を知っていたヘイを始め、スピリチュアリズムの本質を理解していた社員はすべて辞任している。
私はSNUの機関紙となってからも一年ばかり購読を続けたが、その間に二度も編集長の辞任劇があり、内部の権力争いを窺わせる記事が見られるようになって、嫌気がさして数年前に購読を止めた。
こうしたウラ事情をあえて披露したのは、バーバネルが健在だった時代に出版された書物やカセットテープなどの版権は、本書の出版元である 《霊的真理普及基金》 The spiritual Truth Foundation という名称の非営利機関によって管理されていることを知っていただきたかったからである。
『シルバー・バーチのスピリチュアルな生き方Q&A』 は英国の勉強用のテキストとして編纂されたものであり、『シルバーバーチは語る』 というCDブックは、カセットテープだけで販売されていたものを同基金の了解を得て転写・翻訳したものである。(ともにハート出版)。CD化に際し事務長からいただいた手紙には 「実にいいアイディアですね」 という一文が添えてある〉
No comments:
Post a Comment