Thursday, August 17, 2023

シアトルの夏 完全なる因果律  死後につながる現世での所業

Perfect law of cause and effect deeds in this world that lead to the afterlife

シルバーバーチのスピリチュアルな法則 宇宙と生命のメカニズムの通販/フランク・ニューマン/近藤 千雄 - 紙の本:honto本の通販ストア

 
 

死後いずれは住まうことになっている霊的な世界がどうなっているかを理解するにあたって心得ておくべきことを、シルバーバーチの言葉から引用しておくと───

 「あなたは死後に赴く次の世界に今も立派に存在しているのです。バイブレーションの次元が違うにすぎません。死ぬことで霊的存在になるのではありません。死んだからといって、あなたの霊格が一ミリたりとも増えるわけではありません」

 「あなたは今この時点において立派に霊なのです。今この特殊な物的バイブレーションの階層における幽体のバイブレーションが、死後あなたが赴く階層を自動的に決めるのです」

 「これまでの地上界の寿命で生きてきた、その生き方と、その結果として発達した意識レベルが、今のあなたの幽体がどの次元で機能しているかを決定づけます。死後に目覚める階層のバイブレーションについてもこの原則が当てはまります」

 その階層について、シルバーバーチはこう述べています───

 「互いに混ざり合っています。空間に充満している無線電信のバイブレーションと同じです。さまざまな波長があり、さまざまなバイブレーションがあります。が、その全てが同じ空間を占めているのです」

 「境界というものはありません。国境もありません。バイブレーションが異なるだけです。異なる階層、ないしは異なる意識レベルで機能しているのです」

 では、意識レベルを上げて一段と高い階層の存在となるにはどうしたら良いか。そのカギは、シルバーバーチに言わせると〝人の為に役立つことをすること〟に尽きるようです。

 「こちらの世界では、各自の霊性の成長度に相応しい階層、つまりは、環境との調和が最もしっくりくる階層に落ち着きます。知的、道徳的、霊的成長度が自動的にそこに落ち着かせるのです。他の階層との違いは、そこに住まう霊の質の違いです」

 「霊的に高い次元にいる人ほど、質的に高いということです。他人への思いやりが強いほど、慈悲心が大きいほど、自己犠牲の意識が高いほど、地上界にあっても意識的に高い階層に生きていることになります」

 物理的に言えば、今支配している身体のバイブレーションのレベルが向上するにつれて見た目には物的でも質的には徐々に物質性が衰え、やがて消えてなくなり(死滅し)、次の進化の段階へと進みます。

かくして精神(魂)の内部での意識が発達するにつれて大霊(神)に近づくことになるわけです。
℘134
 簡単に言えば、以上が宇宙の各階層が互いに繋がりあっていることを示す、基本的なバイブレーションの関係です。

バイブレーションというと我々は如何にも実態がないかに想像しがちですが、シルバーバーチは 「死とともに後にする物質の世界よりもはるかに実体があり、遥かに実感があります」 と述べています。その死後の階層について、さらに細かく見てみましょう。

 地上生活を送っている間じゅうも 「皆さんは霊の世界の最高界から最低界までの全階層の影響を受ける状態にあります。が、

実際に受けるのは各自が到達した霊性と同じ次元のものに限られます。邪悪な魂は邪悪なものを引き寄せます。高潔な魂は高潔なものを引き寄せます。それが摂理なのです」

 地上時代に心に宿した思念と実生活の中身によって、死後に待ち受ける階層での環境が決ります。死後の世界に関して誤った知識を教え込まれ、「最後の審判」 の日を待ちながら居眠りを続けている霊の問題についてシルバーバーチは───

 「彼らの魂そのものが、そうした信仰が現実になると思い込んでいるのです。ですから、その信仰の概念が変化するまで、外部からは手の施しようがありません。

そうした人々は事実上、地上での全生涯を通じて、死んだら大天使ガブリエルがラッパを吹くまで墓で寝て待つのだという思念体を形つくり、それを毎日のように上塗りしてきているので、魂の内部での調整が進んでその思念体を切り崩すことが出来るようになるまで、その牢獄に閉じ込められ続けます」

 「自分が死んだことを認めようとしない者も同じです。無理やり信じさせることは出来ません。死んだという事実を得心させることがいかに難しいか、皆さんには想像できないことでしょう」

 肉体器官の機能を支えていた幽体の働きはどうなるかとの質問に、シルバーバーチはこう答えている───

 「肉体器官の機能が残っているかどうかの問題も意識の程度次第です。死後の生命についてまったく無知で、死後の世界があるかどうかなど考えたこともない人間は、肉体の機能がそのまま幽体に残っていて、死んだことに気づかないまま、地上時代と同じ生活を続けています」

 「もちろん死後の世界でも罪を犯します。こちらの世界での罪悪は利己主義という罪悪です。こちらではそれがすぐに外に現れます。心に宿すと、直ちに知れます。その結果も地上より遥かに早く出ます」

 「それは罪を犯した当人にすぐに現れ、霊性が低下するのが分ります。どういう罪かと問われても〝自己中心的思考が生み出す罪〟と表現する以外、地上の言語で具体的に説明するのは困難です」

 死後の生命存続を知っていた者はどうなるかとの問いには───

 「そういう人の幽体は希薄化 (より高い次元への変化) が進みます。無用であることを知っている器官は次第に萎縮していき、ついには消えてなくなります」

 そういう変化は徐々に進むのか、それとも別のケースもあるのかとの問いに───

 「それは当人の意識の程度によって違います。意識が高ければ高いほど、調整の必要性が少なくなります。こちらは精神の世界であること、つまり意識が主人公である霊的世界であることを常に忘れないでください」

 「低い階層、幽的世界は、多くの点で地上世界の写しのようなものです。それは、新しくやってきた人間が戸惑わずに順応できるようにとの〝神の配剤〟の一環です」

 こうして死の現象を経た魂が次の階層へ目覚めていくのが本当の意味での〝復活〟で、イエススも説いているし、ヒンズー教の経典である 『バガバット・ギータ』 でも説かれています。残念ながらその後の信奉者がそれを正しく解釈していないのです。

 シルバーバーチは死後の生活はみな低い階層から始まるのかとの問いに───

 「とんでもありません。それは死後のことを教わっていない者、その種のことに無知な者、霊的事実に対する感性が欠けている者、言い換えれば物的なもの以外の存在が思い浮かべられない者の場合です。幽界も霊的世界の一部です。

霊的世界にも低い階層から高い階層まで沢山の段階があり、幽界はそのひとつに過ぎません」

 「霊的生命の世界は〝界〟〝面〟ないし〝表現の場〟が段階的に繋がっています。進化的な意味での段階であって、地理的な意味ではありません。一段また一段と、次の界へ融合していきます。魂が発達して次の界への適応能力がそなわると、自動的にその界へ上昇していくわけです」

 「より低いものがより高いものに場を譲ります。あなた方の言葉で言えば、いったん〝死んで〟 、それから〝生まれ変わる〟のです。といって、肉体がなくなるように幽体がなくなるわけではありません。希薄化が進むのです。

バイブレーションの低いものが消滅しただけバイブレーションが高まるのです。それがこちらの世界での〝死〟です。死とは本質的には脱皮現象であり、甦りであり、より高いものがより低いものから上昇していくことです」

「進化するほど、自我の未開発の部分が表面へ出てきます。言い換えれば、完全性が発現するほど大霊に近づいていきます。もしも完全性が有限の過程であれば、そのうちあなた方も大霊と融合していくことになりますが、哲学的に言うと完全性は無限の過程です。

進化すればするほど、さらに進化すべき余地があることに気づくことの連続で、その分だけますます個性化が進むことになります」


 以上で、大まかながら霊的進化というものがバイブレーションのレベルの問題であり、そのレベルは自我意識の発達の反映であることが明らかになりました。進化するのは個的意識と呼んでいる〝霊的種子〟(魂) であり、それが無限のバイブレーションの段階を経ながら永遠に開発され続ける、ということに得心がいったことと思います。

 また、進化を促す〝心の姿勢〟にはそれなりの摂理があり、それは人間がこしらえた宗教的教義や信仰によってごまかすことはできないこと、日常生活における〝行い〟が肝心であることを認識しなければならないでしょう。

 どうやら幽界の低い階層には地上よりさらに広いバイブレーションの周波帯が存在することは間違いないようです。その周波帯の中にあっても、意識レベルが高まるほど高級界と接触できる周波帯が狭くなりますが、先の近似死体験に出てきた高級界の〝光の存在〟との面会も叶えられることになるわけです。

 形体のない階層では色彩が認識の手段となるのかとの問いにシルバーバーチは───

 「その通りです。ただ、地上界の色彩は基本的な幾つかのものに限られていますが、こちらにはあなた方の理解を超えた波長の色彩が存在します。

高級界の存在になると、外観は光り輝いて見えるだけで、一定の形体がなく、それでいてメッセージが送られてくるようになります。光輝をともなった思念体と言うものがあるのです」

 「幽界の低いバイブレーションの階層にはそこが物質界でないことに気づかずに、延々と、ただぼんやりと過ごしている人がいます。こちらには時間がないということを忘れてはいけません。そのうち自分がただの思念体の中に閉じ込められていることに気づけば、その思念体が崩壊し始めるのですが、自分でこしらえた牢獄です」

 これは死後のことに何の知識もないままやってきた者が住む階層です。その中には戦争や暴力沙汰で命を落として、あっという間に送り込まれた者が大勢います。

思念が硬直していますから、精神的にも、従って霊的にも進歩せず、地上での最期となった体験による反動から抜けきれずにいます。時間が止まっているのです。その最期の体験を何回となく再生(リプレイ)し、それがいわゆる〝幽霊屋敷〟となっているのです。
℘140
 こうした気の毒な霊は当然のことながら自分の本体の磁場との接触がなく、その結果としてその次元の指導霊との接触もありません。不安と恐怖、それに地上時代の誤った信仰による洗脳がそれを妨げるのです。シルバーバーチはこう述べています───

 「死後のことに無知だった者、偏見を抱いていた者、迷信によって生活を牛耳られていた者は精神的なバリアを築いており、その一つひとつが霊力の流入を妨げます。それが崩壊するまでにどれくらいの年数が掛るかは、そのバリアの性質によって異なります」

 このグループは少なくとも霊媒を使った方法 〈補注1〉 によって、すでに地上を去って霊の世界にいることを得心させ、〝光の存在〟に近づくための心構えを教えることが可能な波動のレベルにいます。


 〈訳者補注1〉
 これは 「招霊会」 ないしは 「招霊実験」 といって、そうした〝迷える霊〟を高級霊団が強引に霊媒に乗り移らせ、霊媒の発声器官を使って審神者(サニワ) と対話させることによって説得する方法。この方法で三十年以上にわたって救済活動を行ったのが米国の精神科医カール・ウィックランド博士で、その成果が 『迷える霊との対話』 (ハート出版)にまとめられている。なお、ウィックランド博士はシルバーバーチの交霊会にも度々招待されている。

 
 さらにその先の一段とバイブレーションの低い階層には、地上時代に暴力、強盗、淫乱、酒乱、麻薬等で世の中に迷惑をかけどうしだった者たちがたむろしています。

 そのまた先の最低界には拷問と虐殺の限りを尽くした、卑劣にして悪辣な魂が類をもって集まっています。そうした中から、時折、再び肉体に宿って地上界へ出現し、同じような行為を繰り返す者もいるようです。

 そうした残虐行為の最たるものが、中世のローマ・カトリック教会による異端審問と、第二次世界大戦におけるユダヤ人虐殺でしょう。今日でさえ地上には同胞の生命や存在価値に無頓着な者がいます。皮肉なことに、その多くが宗教の名のもとに組織をこしらえて、富と権威と名声を大きくすることに奔走している代表者なのです。

 もともと宗教というのは、イエスのような秀(ひい)でた霊覚者によって説かれた同胞への愛と共存精神のもとに自然発生的にできたものでしたが、それが後継者たちによって信者を人工の教義によって強制的に縛るようになっていきました。

それは当然それを信じる者たちの言動に影響し、幽体のバイブレーションを下げる結果となりました。
℘142
 やがてその信者たちも死を迎えます。すると類は類をもって集まるの譬えで、同じバイブレーションをした低層界に集まります。そこでは〝気心の合った〟(精神的発達程度が同じ)者ばかりがいて、そこでまた地上時代と同じような生活を営みます。

精神のレベルと幽体のバイブレーションとが環境と調和して居心地がいいわけです。

 見方を変えれば、彼らは〝光の存在〟との接触が出来ない階層までバイブレーションが下がったということは、それだけ霊的進化を犠牲にしたということです。

そうなった場合にまずいのは、波動の原理で地上界の同じレベルの人間と無意識のうちに一体となって、物的地上生活を体験することになることです。

 こうして自由意志を履き違えた人間によって自然発生的に出来上がった〝地獄〟が永続し、宇宙に不調和音を響かせます。人間は知性と欲望を合わせ持った唯一の存在であることを考えると、これは当然のことです。地上の他の創造物は食べることと子孫を遺す本能を持つだけです。

シルバーバーチは自由意志の問題をこう解説します───

 「その意味では堕落した人間、同胞に危害を与えて何とも思わない人間の存在は大霊の責任であると言えないことはありません。しかし霊の普遍的な特権として〝自由意志〟というものが授けられています。これは霊的に進化するにつれて正しい使用方法を会得していきます。霊的進化の階段を上るほど、その使用範囲が広まります」

 イエスも 『マタイ伝』(10・28)で 《肉体を殺しても魂を殺し得ぬものを恐れてはならない。肉体と魂をともに地獄にて滅ぼしうるものを恐れよ》 と述べ、パウロも精神の意識レベルの影響を《肉体的な思念(おもい)は死なり。霊的な思念は生命なり、平安なり》 と表現しています。

 こうした場合の〝殺す〟とか〝死〟といった表現は霊的進化が不可能となるという意味に取るべきでしょう。

 ヒンズー教徒の経典 『バガバット・ギータ』 も霊的進歩をみずからの意思で拒否した者の運命をこう述べています───

 《正と死の果てしなき循環 (生まれ変わり) の中で、そのような最低の人間、残忍で邪悪で憎しみに満ちた魂は、私が容赦なく破滅へと葬り去るであろう。アルジュナよ〈補注2〉、より低き階層の闇の中に生まれ変われる者は、もはや私のもとへは来ぬ。地獄への道を落ち延びていくであろう。

その地獄への道と魂の死に至る門が三つある。情欲の門と激怒の門、そして貪欲の門である。この三つの門を人間に通らせるでないぞ》

 〈訳者補注2〉
 Bhagavad-Gita はインドの叙事詩で、ヴイシュナ神の化身クリシュナと英雄アルジュナとの哲学的な対話。ここで〝私〟と言っているのはクリシュナ。なお、最初に出ている〝生と死の果てしなき循環〟には、地上界だけでなく幽界の下層階への転落も含まれている。そういう魂と波動が一致した人間は、身は地上にあっても、魂はその下層界に属していることになる。


 かくして人類は、自由意思があるがゆえに、この地上にありながら〝自分の地獄〟ないしは〝自分の天国〟をこしらえることになります。日常生活において高層界と波動が繋がった生き方をしている人間は、死後、その階層へ赴くことになります。

イエスの言う〝多くの館〟のある界です。そこは特別の界ではありません。正常な普通の人間なら誰しも住まうことのできる世界です。

 この自由意思が果たしている意義についてシルバーバーチは───

 「人間を支配しているものに相反する二種類の力があり、それが常に人間界で葛藤を繰り広げております。一つは動物の段階から引き継いできた獣性、もう一つは大霊の息吹ともいうべき神性を帯びた霊力で、これがあるからこそ、人間も永遠の創造に参加することができるのです」

 「その絶え間ない葛藤の中で、そのどちらを選ぶかは各自の自由意思に任されております。

こちらの世界に来ると、それが獣性による罪悪を克服し内部の高等な属性を発現させるための絶え間ない努力、つまり、完全性へ、光明へと向う道程での葛藤、粗野な要素を削ぎ落とし霊という名の黄金がその輝きを見せるまで鍛えられ、純化され、精錬され、試されるための葛藤において、各自がそれをどう受け止めるかは、当人の自由意思に任されているということです」

 その霊の世界については───

 「地上界の次の階層は物質の世界と生き写しです。もしそうでなかったら、何も教えられず従って何も知らずにやってくる多くの新参者が、あまりの違いにショックを受けることになるので、初期の段階は馴染みやすい環境になっているのです。それまで生活した環境とよく似ています。死んだことに気付かずにいる者が多いのはそのためです」

 「こちらは本質的には思念の世界です。思念が実在なのです。思念の世界ですから、思念が表現と活動を形成します。地上に近く、また相変わらず唯物的な人生観を抱いた男女が住まっていますから、発せられる思念は至って低俗で、何もかもが物質的です」

 「彼らは物質から離れた人生が考え付きません。かつて一度たりとも純粋に物的なものから離れた存在というものが意識の中に入ったためしがないのです。霊的なものを思い浮かべることが出来ないのです。従って彼らの思考体系の中に霊的なものは存在しないのです」

 「しかし幽界生活にも段階があります。そうした生活の中においても霊的意識が徐々に目を覚まし、粗悪さが消え、洗練されていきます。すると彼らの目に、生きているということに物的側面を超えた何かがあることが分かり始めます。

そう気付いて霊的感性が目覚めた時から、彼らは幽的世界に対して〝死んだ〟も同然となり、いつしか霊的世界で生活し始めることになります。かくして生命活動には幾つもの〝死〟といくつもの〝誕生〟があることになります」

 これはバイブレーションの理論でいけば、ある次元から次の次元へと進化し、自動的にそれまでの役目を果たした身体を脱ぎ捨てて、次の段階に相応しい身体をまとうということです。シルバーバーチはそうして段階的に開けゆく霊の世界の素晴らしさを次のように語ります───

 「私たちの世界がどういうものか実感を持ってお伝えすることはとても困難です。こちらの世界には探検するものがたくさんありますと申し上げる時、それは実際の事実を正直に述べているのです。

あなた方は霊の世界の無限の生命現象について何もご存じありません。森羅万象の美しさ、景色の雄大さ、千変万化の優雅な現象は、あなた方にはとても想像できません」

 「私たちの世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、荘厳さ、光輝はとてもあなた方には想像できません。それを説明する言葉を見出すこともできません」

 「こちらの世界の場は平面的に区切られているのではなく、無数の次元に分かれており、それが渾然一体となっております。各次元の存在はあなた方の言う客観的な実在でありそこで生を営む者にとっては同じに見えます。

丘があり、山があり、川があり、せせらぎがあり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。すべてに実感があります」

 「(病気などの) 肉体の苦痛から解き放たれ (疲労などの) 肉体の束縛から逃れた霊の世界での生活は、物質の生活には譬えるものがありません。行きたい所へは一瞬のうちにどこへでも行けますし、思ったことがすぐに形態を持って現れますし、思い通りのことに専念できますし、お金の心配もいりません」

 「以心伝心という、地上の言語では説明のできない手段で意思を通じあう世界です。思念そのものが生きた言語であり、電光石火の速さで伝わります」

 「お金の心配をする必要もなく、競合する相手もなく、弱いものが窮地に陥ることもありません。こちらで〝強い者〟と言う時は、自分より幸せでないものに自分のものを分けてあげる人のことです」

 「失業者もいません。スラム街もありません。利己主義者もいません。宗教教団などもありません。〝大自然の摂理〟という宗教があるだけです。聖なる教典もありません。神の摂理のはたらきがあるのみです」

 「痛みというものを知らない身体で自我を表現し、その気になれば地上界を一瞬のうちに巡ることができ、しかも霊的世界のぜいたくを味わうことができるようになる (死ぬ) ことを、あなた方は悲劇と呼ぶのでしょうか」

 「この世界では芸術家は地上時代の夢が存分に叶えられます。画家や詩人は大望を実現し、天才は存分に才能を発揮します。地上的抑制の全てが取り払われ、天賦の才能と才覚がお互いのために使用されます」

 「私が所属している世界の美観を、その一端でも描ける画家は地上にはいません。地上界の音階で、こちらの世界の壮観をその一端だけでも表現できる音楽家はいません。地上界の言語で霊の世界の素晴らしさを描ける文筆家は、一人もいません」

 「地上界は今まさに美しさの真っただ中 (五月) です。生命のサイクル (四季) が巡って再び生命の息吹が辺りを覆い尽くし、あなた方はその美しさと花の香りに驚嘆し、神の御業のなんと見事なこと! とおっしゃいます」

 「しかし、皆さんが目にするのは私たちの世界の壮観のほんの微かな反映に過ぎません。こちらには皆さんが見たこともない種類の花があります。皆さんが目にしたこともない色彩があります。景色にしても森にしても、小鳥にしても植物にしても、小川にしても山にしても、地上のもの

とは比べものにならないほど美しいものばかりです。しかも皆さんもいずれはそれを目にすることができるのです。その時は地上の人間としては〝幽霊〟となるわけですが、実は本当の自分自身なのです」


 以上が平凡な人間がごく普通に人生を送り、そして与えられた寿命を全うした場合に赴く死後の世界の簡単なスケッチです。死者の世界から戻ってきて死後に待ち受けるものについて語った者はいない、と豪語する者には格好の反論となるでしょう。

シルバーバーチがまさにその強力な証人ですが、スピチュアリズムの歴史にはそうした霊界通信が、語られたり書かれたりして、豊富に存在します。近代のものでは英国人霊媒で米国でも活躍したレスリー・フリントの霊言通信に見るべきものがあります。〈補注3〉

 長い入院生活の末に他界した人や死後の存続について何の知識がないまま霊界入りした人の面倒をみるための、地上のクリニックや療養所に相当する施設の話も出てきます。そこで少しづつ身の上の変化に気づき、地上とは異なる新しい環境への理解が芽生えるといいます。

 住まう家もあります。熱中する趣味もあります。美術品や音楽を観賞するための美しいホールやさまざまな建造物もあります。それぞれの階層の色彩や、それが環境に与える輝きなどについて解説してくれる施設もあります。すべてが思念の力で営まれているのです。

 これだけのシナリオを手にしていれば、自然の摂理に適った生き方をしている人間にとって死の恐怖は無縁のはずです。シルバーコードが切れる際も痛みは伴いません。落ち着くべき階層に至ると、先に他界した縁ある人々の出迎えを受け、しかも地上に残した人たちとのつながりも切れていません。

 その辺のことを心配している方のために、一九一八年に他界したセントポール寺院の参事 H・S・ホーランドからのメッセージを紹介しておきましょう。

 「死は何でもありません。隣の部屋に移るようなものです。私は相変わらず私であり、あなたは相変わらずあなたです。お互い地上時代のままが、そのまま続きます。私のことを昔の愛称で呼んでください。地上時代と同じように気楽に語りかけてください。

恭(うやうや)しさや悼(いた)みを込めた言い方は止めてください。くだらない冗談で大笑いしたように気楽に笑ってください」

 「人生の持つ意味は地上時代と少しも変わっていません。そのまま続いています。去る者日々に疎(うと)し、などと思わないでください。皆さんがお出でになるのをお待ちしております。それも遠い先のことではありません。もうすぐ、そして、すぐ先の曲がり角で。すべて世は事もなし、です」

 未知なるもの(死)への恐怖をシルバーバーチは戒めています───

 「明日 (死後) を素晴らしい冒険と可能性の前触れとして歓迎しなさい。わくわくするような気持ちで毎日を送らないといけません。不安を蹴散らしなさい。ただの無知と迷信の産物に過ぎません。皆さんは正しい知識という陽の光の中で生活できる、恵まれた方たちです」
 

 〈訳者補注3〉
 レスリー・フリントは同じ霊言霊媒であっても、「直接談話」 Dirgct Voice と言って、バーバネルの場合のようにスピリットが霊媒の口を使ってしゃべるのではなく、空中から直接語るという特異なもので、それだけにSPR (心霊研究協会) の徹底した調査を受けた。

そのメカニズムをここで解説する余裕はないが、唯一の著書 『暗闇の中で語る声』 Voices in the Dark で、出現した著名人の霊言を豊富に掲載しており、その中でも特にカンタベリー大主教コスモ・ラングの霊言が非常に興味深い。

 モーリス・バーバーネルが〝ミスタースピリチュアリズム〟の異名を取るきっかけとなった生前のコスモ・ラングとの激論は、当時の英国じゅうの話題をさらった。

それは英国国教会のスピリチュアリズム調査委員会がまとめた 『多数意見調査書』 を巡るもので、複数の霊媒を使った二年間の調査による結論がスピリチュアリズムを肯定する内容だったことから、ラングが公表をためらっていたので、サイキック・ニューズ紙のスタッフが国教会の主教につぶさにあたり、ついにその報告書のコピーを入手し、

バーバネルの決断でその全文を 『サイキック・ニューズ』 紙に掲載した。そのことに激怒したラングとの間で、書簡による激論が始まった。その内容は次のレンドール参事会員の論評が適確に物語っている───

 「この調査委員会による結論の公表を禁止させた主教連中による心ない非難や禁止令、それに何かというと 『極秘』 を決め込む態度こそ、国教会という公的機関の生命をむしばむ害毒の温床となってきた、了見の狭い職権権威主義をよく反映している」

 そのラングが死後フリントの交霊会へ出席し、この件に言及してこう述べている───

 「もし私が今やっと知るに至った霊的知識をたずさえてもう一度人生を一からやり直すことができたら、どれほど意義ある人生を送れるだろうかと思えて、無念の極みです。その気になればできたのです。ですが私は憶病でした」

 そう述べてから、大戦で戦死して次から次へと送られてくる若者たちが、国教会が死後の存在と顕幽両界の交信の可能性について教えてくれなかったことに憤っていることを述べ、さらに、現在の日本の心霊界にも当てはまる傾聴すべき指摘をしている───

 「スピリチュアリズムが人生に重大な意味を持ち、とても大切なものを秘めていることを強く感じますし、すべての人に知ってほしいと思いますが、同時にその捉え方を誤ると危険極まりないことも感じています」

 「高級霊、優れた霊、人類を高揚するほどの力を有する階層との接触を得るには、それ相応の精神と思想、そして高度な波動を具えた霊媒ないしは霊能者を用意しなければなりません。その点、不幸にして現在の地上の霊能者は低級な人が多すぎます。咎めているのではありません。私は何とか力になりたくて申し上げているのです。

高尚な精神をそなえ、自分の存在を地球人類のために犠牲にするほどの気概に燃える霊媒を揃えてスピリチュアリズムが正しく活用されれば、それは間違いなく人類を益するものとなるでしょう」

 「しかし、私が見るところでは、百人のうち九十九人の霊媒がやっていることは、いわば幽界の表面をひっかく程度のものでしかなく、これはスピリチュアリズムにはむしろ危険です。なぜなら、類は類を呼ぶの譬えで、地上界にへばりついている低級霊に利用され、いい加減なこと、不幸や面倒なことを引き起こすようなことばかり口にするからです」

 「その上危険なのは、立ち会っている人たちがそうした低級霊に憑依されてしまうことです。そうなると人間性が歪められ、さらに真理が歪められていきます」

 また別の日の交霊会では本章と同じテーマについて述べているので、ついでに訳出しておく。

 「人間は幾世紀にもわたって真理に背を向け、人間は本来は霊であること、それゆえに永遠に不滅であるという最も大切な真理が見えずにまいりました。今、自分の地上人生を振り返ってみると、自分がいかに宗教的教訓と体験の道から逸脱していたかが分ります」

 「神の言葉を聞きに集まった善男善女に私は、あのヴァチカンの説教壇から、これこそ真理と思うことを説いてきました。その時は自分では真理を知ったつもでいたのです。が、今から思えば、単純明快さと内部の霊性についての知識が欠けておりました」

 「イエスを始めとする初期の偉大なる改革者や指導者の教えの真意を理解していたら、と残念に思えてなりません。初期の時代から貫かれている黄金の糸に気付いていれば、と悔やまれてなりません。

その黄金の糸とは、人間は信仰に関わりなく全てが大霊の子であり創造の大計画に組み込まれていること、全生命は不滅であり、地上の最下等の生命でさえ、地上だけでなく死後も存在の意味を持っているという事実のことで、これが全真理の基本なのです」

 「霊とは人間的形体や宇宙の森羅万象として顕現しているエネルギーのことです。生命力であり、エネルギーであり、バイブレーションです。全生命が同じ生命の一部ですから、不滅なのです。地上にいる皆さんは同じバイブレーション、同じ振動、同じ波長の中にいますから、肉体の五感は環境を実感があるように思い、固いという感触を得ています」

 「しかし、今や科学によって、地上界には実体のあるものは存在しないことが分っております。今そうやって座っておられるイスを皆さんは固いと感じているでしょうが、それは、その椅子を構成している素材の原子核の周りを回転している電荷と、あなた方の身体の電荷が同じだというに過ぎません」

 「死ぬと今度は幽体と呼ばれている、より高い周波数で振動している身体で生活を続けます。その幽体は死後の階層の波長と同じですから、今皆さんが身の回りの環境が固いと感じているのと同じ原理で、やはり全てが固くて実感があるように思えるのです」

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