Friday, June 17, 2022

シアトルの初夏 シルバーバーチの最大の特徴は、    The biggest feature of Silver Birch is


 シルバーバーチの最大の特徴は、成熟した大人の精神を持つ人間の理性的判断力に訴える態度に終始したことです。つまり自分が説くことで理性が反発を覚えることがあれば遠慮なく拒否してほしいと明言し、常に人類への慈しみの心で臨み、愚かしい質問にも決して腹を立てず、

失礼な態度を咎めることもなく、その態度と教説の内容は、みずから広言して憚らなかった 「宇宙の大霊から遣わされたメッセンジャー」 に恥じないものでした。

 もう一つの特徴は、自分の教えにハクをつけるために地上時代の高貴な身分や仰々しい肩書き、歴史上の大物の姓名を名のるようなことはしないという、厳しい掟を自ら自分に課したことです。 〈補注3〉


 〈訳者補注3〉
 この一節はシルバーバーチ自身語った言葉を著者が平たく述べたもので、これに類することは、その後もシルバーバーチは、表現を変えながら何度も述べている。

例えば 「私が地上でファラオ (エジプトの王) だったと言えば尊敬し、奴隷だったと言えばサヨナラをなさるおつもりですか」 と皮肉っぽく述べたり、 「人間は肩書きや身分や知名度などに拘るからいけないのです。

私がいかなる程度の存在であるかは、私が述べていることで判断していただきたい」、さらには 「私が述べていることが皆さんに訴えなくなったら、その時は存在価値はなくなったということでしょう」 とまで述べている。

 こうした一連の発現を裏返せば、そこにスピリチュアリズムと言う 〝地球人類の霊的浄化活動〟 が人類史でも空前絶後の、神界までも総動員した途方途轍もない大事業である事を、改めて実感させられる。〈補注2〉 で述べた、人間的煩悩から出る好奇心に超然とした態度がそこにあり 「謙虚」 などという言葉で表せる次元の話ではないのである。


さらにもう一つシルバーバーチは、私の専門であるバイブレーションの変換によって、自分よりさらに高い次元から送られてきたものを、地上で北米インデアンに所属していた霊を地上界(バーバネル) との直接アンテナとして送り届けているのであって、その教えは自分が考えたものではないと率直に述べている点でも、極めて特異です。

上には上があり、そのまた上にも上があり、宇宙は事実上無限の彼方までつながっていると言うのです。

 それは言い換えれば叡知(さとり)にも際限がないということになります。理解度が到達した次元までの知識を授かるのであって、それは一人ひとり違うことになります。スピリチュアリズムの発達の跡をたどってみても、心霊科学の発達も一進一退で、常に疑惑の目で見られてきました。

それは、人類の科学的知性がまだ霊的なものを証明する段階まで発達していなかったことを意味します。

 同じことがシルバーバーチの教えの理解についてもいえます。シルバーバーチが言わんとする核心まで理解が及ばず、結果的には、地上生活を送っている人間にとって都合のよいように解釈されていることがあります。

 新しいタイプの小説でも読むような感覚でシルバーバーチの説く宇宙観を読む人もいるようです。その核心に触れて目を覚まされ、本格的に人生を見つめ直すところまで行く人は、残念ながら少ないようです。あちらこちらで盛んに行われている超能力のデモンストレーションの話題を面白おかしく読むだけで満足している人もいます。

 また、信仰さえあれば知識はどうでも良いのではないかと思っている人も多いようです。そういう人は次のシルバーバーチの言葉をよく噛みしめてください。

 「知識は常に必要です。また常に求め続けるべきものです。もうこれで十分だと思って求めることをやめる人は、事実上、己の無能を宣言し、堕落し、錆びついていくことを求めているようなものです。魂は向上するか堕落するかのどちらかであり、同じ位置に留っていることは出来ません。人間は永遠に休むことのない旅人なのです」

℘45  
 さらに信仰について意見を求められてシルバーバーチはこう述べています。

 「人生には二つの大切な要素があります。一つは知識、もう一つは信仰です。知識の裏づけのない信仰は弱くて頼りになりませんが、知識に信仰を加えると素晴らしい組み合わせとなります」

 「このサークルの皆さんは、人生とその意義についての理解をもたらしてくれた知識をお持ちです。が、その知識も大海の一滴に過ぎないこともご存知です。そこに信仰という要素の必要性が生じます。しかし、あくまでも知識に裏打ちされた信仰であり、盲目の信仰ではありません。

知性を侮辱するような信仰ではなく、知識を基盤とした信仰、信じるに足る知識に裏打ちされた信仰です」

 知識と信仰、この二つの関係は五感で認識する世界と心で認識する世界の関係にすぎません。従って、限られた五感の世界を超越した知識を得ようとすれば、より高い次元で機能している意識に波長を合わせれば良いのです。

その時に直感される知識を〝悟り〟というのであり、それが人間の道徳的・霊的本性の向上を促すことになるのです。それをシルバーバーチはこう説いています。

 「あえて申し上げますが、地上界にもたらされる恩恵は、発明も発見もことごとく霊界にその根源があります。あなた方の精神は地上界へ新たな恩恵が霊界から届けられる、その受信装置のようなものです」
℘46
 こう述べてから、その知識を受け取った者には必然的に義務が生じることを指摘して、次のように述べます。

 「真理というものは、求める人には分け隔てなく与えられるようになっています。しかし、それを求める道は大いなる冒険の旅になることを覚悟しなければなりません。

境界線の見えない、果てしない探究の旅に出かけることを覚悟しなければなりません。時には障害が立ちはだかり危険にさらされることも覚悟しなければなりません。地図のない未知の領域を歩まざるを得ないことも覚悟しなければなりません。

しかし、そうした時でも、あくまでも真理の指し示す道に従い、誤りと思うことは、いかに古くからの教えであっても潔く拒絶する勇気がなくてはなりません」

 「新しい真理というものはありません。真理は真理です。それを受け入れる用意ができているか否かによって、そのレベルが決ります。皆さんも子供の時は能力に似合ったものを教えられます。アルファベットから教わって、知識の成長に従って単語を覚え文章が読めるようになります」


 「その単語に含まれている意味も、一度に分かるわけではありません。少しづつ分かっていきます。どれだけ理解できるかは、一(イツ)にかかって当人の理解力によります。

叡智には無限の奥行きがあります。精神的に、そして霊的に受け入れる用意が出来たものだけのものを手にすることができるのです」


 「みずから思いたって真理探究を志し、行為と想念でもって意思表示をすれば、その人物がそれまでに到達したレベルに相応した知識と教えを授かるように法則がはたらいて、その波動と調和し始めます。そのレベルには限界というものはありません。

ここで生き止まりと言う境界もありません。なぜなら人間みずからが無限の霊性を宿しており、真理も無限に存在するからです」

 「学ぶ前に、それまでの知識を洗い直さないといけません。正しい思考を妨げてきた夾雑物をすべて捨て去らないといけません。それができて初めて霊的成長の準備が整ったことになり、より高い真理を授かる用意ができたことになります。間違った知識、理性が反発するようなこと、宇宙の大霊の愛と叡智と相容れないものを捨て去ることがまず先決です」

 「伸び伸びとした思考が出来るようにならなければいけません。みずからを束縛してはいけません。自分の世界に垣根をこしらえて、新しいインスピレーションを入れなくしてはいけません。

真理探究の道はこつこつと絶え間なく続きます。魂が進化し、それに精神が反応して広がれば広がるほど、境界線はますます広がっていきます」

 「知識、真理、叡智、成長に限界がないことに気付いた時、あなたは真の意味で自由になるのです。心の奥で間違いに気付いたもの、理性が反発するものを即座に捨て去ることが出来るようになった時、あなたは自由になるのです。新しい光に照らして間違いであることが分ったものを、恐れることなく捨て去った時に始めて自由になるのです」

 「第三者の指導によってそういう状態に導くというのも一つの方法であることは違いありませんが、興味を見せているだけでまだ真理に目覚めていない人に、それがどういうものであるかを説明する時は注意が必要です。

当人はそれだけで悟ったように錯覚し、貴重な人間的努力や体験を低次元の霊力で代用して、それでよしという安直な満足感を抱かせる結果になりかねません」 〈補注4〉


 〈訳者注4〉
 これは一口で言えば、霊的真理を丸暗記しても悟ったことにはならないということを述べたものであるが、もっと大切なことも暗示している。シルバーバーチは 「サイキック」 と 「スピリチュアル」 とを区別している。

前者は肉体と幽体のレベルの法則が絡み合って生じる現象のことで、これは自我の霊性は関与しない。これが後者となると自我が覚醒し高級なスピリット、特に守護霊の働きかけが加わる。

前者にもスピリットの働きかけがあるが、まだ地上界の波動から抜けきっていない者、いわゆる 「自縛霊」 の集団であるから、浅はかな知恵で本来は人間が努力して行うべきこと、時には失敗や病気や災難を通して悟るべきチャンスを、あたら奪ってしまうことになる。

「あたら」 というのは高級霊の立場にたってそう述べたもので、彼らは親切のつもりでいても、それは喩えで言えば、学校の宿題を親がやっているようなものであり、あとで困るのは本人自身で、霊的進化が遅れることになる。

誰でも参加してよいような、安直に催される交霊会に出現するスピリットに 「人生相談」 を持ちかけるのは危険である。


 「要するにスピリチュアリズムの基本理念は、地上人類を物質的に豊かにすることではなく、霊的に豊かにすることです。いったい自分とは何なのか、宇宙とは何なのか、そして全てを創造した大霊とは何なのかについての理解に必要な摂理と実在についての知識をもたらすことです」
℘50
 「地上界がそれを必要とするのは、それを知ることこそが人生の全体像をつかみ不可解なことを理解しやすくするからです。その理解さ得られれば、あまりにも長いあいだ進歩のブレーキとなってきた、誤った教えが生み出す幼稚で悪逆な行為に苦しめられることがなくなるでしょう」

 「それが理解できない人はいるでしょう。そんなものは必要ないと考える人もいるでしょう。子供と同じで、まだオモチャが手放せない人もいますから、そういう人にはそういう人なりの教え方が必要です。

霊的真理の普及を目指すこのスピリチュアリズム計画の背後の全体像を、ぜひ理解してください」

 「スピリチュアリズムは、地上界を長いあいだ取り巻いてきた暗闇、今の時代になって、つらい思いとともに次第に分かってきた悪逆非道の原因を根絶することが目的なのです。

そうした邪悪の根源には霊的摂理への無知があります。唯物主義とそれが生み出す私利私欲の悪弊を吹き飛ばしさえすれば、地上界を最大の呪いから救うことができるということを、もうお分かりいただけると思います」

 「皆さんが偶然の産物ではないこと、気まぐれの遊び道具ではないこと、無限のエネルギーを秘めた無限なる霊すなわち神の一部であることは、すでにご存知です。

この真理が世界的規模で受け入れられれば、またこの物質界の彼方にも別の世界が存在すること、地上界で送る自分の生活には自分が責任を取らされ、それが次の世界に反映されること、そこには完全な公正を持ってはたらく永遠に不変の摂理が存在すること、こうしたことを単なる知識としてではなく実感をもって認識できるようになれば、人生の新しい基盤ができたことになります」

 「私たちがこうして地上へ戻ってきた理由はそこにあります。すなわち、たった一人の人物、たった一冊の書物、たった一つの教会、物質界であろうと霊界であろうと、たった一個の存在に忠誠を尽くすのはおやめなさい───ひたすらに大霊の摂理にのみ忠誠をつくしなさい。

と説くためです。誤ることも間違うこともないのは大霊の摂理だけだからです」

 「大霊の摂理の大切さを強調するのはそのためです。それを理解することによって全知識が調和するのです。科学者も哲学者も自由思想家も、その他いかなる種類の人間も、これだけは理性が反発を覚えることはないはずです。

なぜならそれは、永遠に不変・不易の大霊のはたらきの上に成り立っているからです」


 「進化のいかなる段階においても。、暗闇の中を歩むよりは光の中を歩む方が良いに決まっています。無知でいるよりは知識を身につけている方が良いに決まっています。ですから、いやしくも知性を授かった人間ならば、知識の探求は人生の基本的な目的であらねばなりません。

それを怠ると、迷信と偏見と不寛容と頑迷さがのさばるようになり、それを抑えきれなくなります」
℘52
 「ここまで来ればもう十分だという段階は決して来ません。学ぶこと、成長すること、進歩すること、向上すること、より高いものを求め低いものを捨て去ること───これはどこまで行ってもやむことがあってはなりません」

 「しかし、知識には責任が伴います。これも埋め合わせの原理の一環です。かつて所有していなかったものを手にした時、天秤のもう一方には、その知識をいかなることに用いるかという責任が生じます」

 「霊の力の働きかけを人類の歴史の特殊な時期だけに限られた、神の啓示の最後のものと受け止めてはなりません。啓示はその時代、その民族の理解力の進歩に応じて絶え間なく、そして発展的なものが授けられるのです」

 「必然的にそれは理解力の範囲内のものだけということになります。ほんの一歩だけ進んだものが授けられ、それが終了すればさらに次の段階のものが授けられます。その叡智の階段は無限の彼方まで続いているのです」
℘53
 「知識は喜びや幸せ、心の平静をもたらしてくれますが、同時に、その知識をどう生かすかという責任をもたらします。無知が生み出す愚かしい取越苦労を追い出してくれますが、その知識を手にした人間としてやらねばならないことにも気付くはずです。

知らなかったが故に犯す罪にもそれなりの代償は免れませんが、知っていながら犯す罪には、知らずに犯す罪より重い代償を支払わねばなりません」


 「時として、脳だけが発達して、精神と霊の発達が伴っていないことがあります。いわゆる〝知的人間〟ということになりますが、知的だから偉大であるとか立派であるということにはなりません」

 「それは物的側面、つまり脳に限られた発達です。そういうタイプの人間の中には、込み入ったこと、難解なことほど価値があるかに思っている人がいることは事実ですが、精神と霊性が正しく発達していれば、霊的真理の理解もそれだけ深くなります。

結果的には古い誤った概念を捨て去ることになり、それだけ真実に近づくことになります」

 「サークルの皆さんには、普段の物的生活の裏側で人知れず行われていること、地上界に打ち寄せている莫大な霊的エネルギー、皆さんを価値あることに使用せんとして苦心している大勢のスピリットの存在についての知識を得ていただきたいと思います」

 「また、あなた方自身に秘められた霊的本性の強力さと豊かさを我がものとしていただくために、その潜在力について理解していただきたいと思います。大霊の叡知、霊的叡智は無尽蔵であること、大霊の財産は無限であることを理解していただきたいのです」

 「断言しますが、真剣な気持ちで自分を役立てたいと願う人は、宇宙最大のパワー、生命力そのものを引き寄せることになります。それが義務の一つだからです。熱意を込め、そして賢明に活用することです」

 「ご自分の手の届く範囲の人に手を差し伸べなさい。この霊的真理の話をして聞き入れてくれない人は、その人の思う道をいかせればよろしい。

ご自分の光と良心に照らして、これで良いと思う通りにおやりになることです。何ごとも動機が大切です。動機さえ正しければ、いかなる事態になっても、最後は必ずうまくいきます」

 「いつどこで、と迷わずに、いつでもどこでも霊的真理を説くことです。時には拒絶されたり、小バカにされたり、物笑いのタネにされたり、嘲笑の的にされたりすることもあるでしょう。そんなことに構うことはありません。そんなことで怯むようではいけません。

受け入れる用意のできていない人は拒絶して当たり前です。あなたはなすべきことをなさったのです。それよりも魂に渇きを覚え、一滴の水を欲しがっている人が大勢います。
℘55
そういう人にとっては何にも替えがたい貴重な施しであり、そういうチャンスに恵まれたあなたは、たったそれだけで地上に存在した意義があったことになるのです」

 「真理は閉ざされた心には入ることが出来ません。受け入れる用意のできた人の心にだけ居場所を見つけることが出来ます。真理は、大霊と同じく無限に存在します。

このうちのどれだけを手にするかは、各自の受容能力によって決ります。受容能力が増せば、それだけ多くの真理を悟ることになります。が、いくら努力しても、宇宙の真理の全てを手にする段階には到達できません」


 以上は何冊かの霊言集から、霊的真理を知るということはどういうことなのか、また、霊的に向上するためには現在よりも次元の高い意識階層からの教えを吸収しなければならないことを説いた言葉を引用したものです。

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