Wednesday, August 21, 2024

シアトルの晩夏 霊の書 完全なる人格

Perfect personality




このページの目次〈美徳と悪徳〉
〈感情〉
〈利己主義〉
〈人格者〉

〈美徳と悪徳〉


――美徳とされているものの中で最も徳性が高いのは何でしょうか。


「美徳はすべて価値があります。霊性の向上の証だからです。邪悪性を帯びた影響力の誘惑に自ら抵抗する行為も全て徳行と言えます。が、その徳行の崇高さは、他人への善行のために私利私欲を滅却するところにあります。最も崇高なる徳は、できるだけ多くの人への無私の善行という形を取った時です」


――誰の目にも明らかな欠点と悪徳は別として、一見するとそうは見えない不完全さの表れの中で最も特徴的なものは何でしょうか。


「利己主義です。一見すると徳の高そうな風貌をしていても、実はきらびやかなメッキにすぎず、試金石にはとても耐え切れないことがあります。世間的には“立派な方”で通っていて、確かにそこそこの人格をそなえていても、厳しい試練には耐え切れず、すぐに利己心をのぞかせます。それだけでどの程度の霊格をそなえているかが知れます。もっとも、絶対的な無欲というのは地上界では滅多にお目にかかれるものではなく、もしあれば驚嘆に値するでしょう」


――人のためになることを計画して、その実行のための資金を稼ぐということは間違っているでしょうか。


「純粋にそう思ってやっているのであれば結構でしょう。ですが、果たして心底から人のためと思っているでしょうか。利己心は一切無いと断言できるでしょうか。人のためと言いながら、その実、第一に考えているのは自分のことではないでしょうか」
〈感情〉


――感情というのは、本来、悪なのでしょうか。


「悪ではありません。悪となるのは度が過ぎた時だけです。度を越すということは意念の悪用の結果だからです。基本的には感情は人間の性格の形成に益するもので、偉大な仕事の成就に強烈な拍車をかけてくれることがあります。感情が害を及ぼすのは、その使い道を誤った時です」


――その善用と悪用の境界はどうやって認識するのでしょうか。


「感情は馬と同じです。手綱をうまく操っている間は役に立ちますが、いったんコントロールを失うと危険が生じます。抑えることができなくなると自分だけでなく他人をも傷つけるようになります」


――それは意志の力で克服できるのでしょうか。


「できます。ホンのちょっとした意志の働かせ方で抑えられるものです。その意志、抑えようとする意志の欠如が感情を暴走させてしまうのです。残念ながら、そういう努力をする人が少なすぎます」
〈利己主義〉


――悪徳の中でもその根源にあるものは何でしょうか。


「利己心です。このことはすでに何度も説いてきました。およそ悪と呼ばれているものは全てこの利己心から生じているからです。悪いこと、いけないこととされているものをよく分析してご覧なさい。その底には必ず自分中心の欲が巣食っています。それと闘い、克服して、悪を根絶やしにしないといけません。

利己主義こそ社会的腐敗の根源です。この地上生活(だけとは限りませんが)において幾らかでも道徳的に向上したいと願う者は、まず自分の心の奥から利己心を根こそぎ取り払わないといけません。利己心があるかぎり公正も愛も寛容心も生まれません。あらゆる善性を無力化してしまいます」


――利己心を撲滅するにはどうすればよいでしょうか。


「人間的欠点の中でも最も取り除き難いのがこの利己心です。その原因は物質の影響力と結びついているからです。人類はまだまだ物質性を多分に残していますから、それから解放されるのは容易ではありません。人間界の法律、社会的組織、そして教育までもが唯物主義の上に成り立っています。物的生活が精神的生活によって支配されるようになるにつれて、利己主義も薄められて行くでしょう。それにはスピリチュアリズムの普及によって死後の生命の実在についての認識が浸透することが大前提です。スピリチュアリズムの教義が正しく理解され、それまでの人類の信仰や慣習が見直されれば、習慣やしきたり、社会的関係の全てが改められるでしょう。

利己主義は自分という個的存在にこだわりすぎ、平たく言えば自分が偉いと思っているところから生じています。スピリチュアリズムを正しく理解すれば、それとは逆に、全てを大いなる生命の観点から見つめるようになって、己の小ささに気づきます。全体の中のささやかな存在にすぎないという認識によって自尊心が消え、必然的に利己心も消えてしまいます」

(署名)フェヌロン


訳注――フランソワ・フェヌロン(一六五一~一七一五)はフランスの聖職者・教育論者・著述家。ルイ十四世から孫(王子)の教育を託され、その功によって大主教に任ぜられるが、前任の教育係との間の神学論争に敗れて主教に降格される。その後王子の教育論を述べた大著を発表するが、ルイ王はそれを自分への風刺と受け取って発禁処分にし、対立する教育論者たちからも非難を浴びる。が、「王は臣民のためにあるのであり臣民が王のためにあるのではない」との説は最後まで歪げなかったという。
〈人格者〉


――高等な霊性をそなえていると判断できる人はどういう人格をしているでしょうか。


「肉体に宿っている霊の霊格の判断は、その人の日常生活での言動が神の摂理に適っているかどうか、そして霊的生命についてどの程度まで理解しているかによって決まります」


――地上生活によって徳性を高め、悪の誘いに抵抗していくには、どのような生き方が最も有効でしょうか。


「古賢の言葉に“汝自らを知れ”とあります」


訳注――ギリシャのデルファイの神殿に刻まれている言葉で、誰の言葉であるかは不明。


――その言葉の意味はよく分かるのですが、自分を知ることほど難しいものはありません。どうすれば自分自身を知ることが出来るでしょうか。


「私(聖アウグスティヌス)が地上時代に行った通りにやってご覧なさい。私は一日の終わりに自分にこう問いかけました――何か為すべき義務を怠ってはいないだろうか、何か人から不平を言われるようなことをしていないだろうか、と。こうした反省を通じて私は自分自身を知り、改めるべき点を確かめたものでした。毎夜こうしてその日の自分の行為の全てを思い起こして、良かったこと悪かったことを反省し、神および守護霊に啓発の祈りを捧げれば、自己革新の力を授かることは間違いありません。私が断言します。

霊的な真理を知ったあなた方は、こう自問してみることも一つの方法でしょう。即ち、もしも今この時点で霊界へ召されて何一つ隠すことのできない場にさらされたとしても、青天白日の気持ちで誰にでも顔向けができるか、と。まず神の御前に立ち、次に隣人に向かって立ち、そして最後に自分自身に向かって何一つ恥じることは無いかと問うのです。何一つ良心の咎めることはないかも知れませんし、治さねばならない精神的な病があるかも知れません。

人間は、仮に反省すべき点に気づいても自己愛から適当な弁解をするのではないかという意見には一理あります。守銭奴は節約と将来への備えをしているのだと言うでしょう。高慢な人間は自分のうぬぼれを尊厳だと思っているかも知れません。確かにそう言われてみればそうです。その意味では反省が反省になっていないかも知れません。が、そうした不安を払いのける方法があります。それは他人を自分の立場に置いてみることです。自分が行ったことをもし他人が行ったとしたら、それを見て自分はどう思うかを判断してみるのです。もしいけないことだと感じるのであれば、あなたの行いは間違っていたことになります。神が二つの秤(はか)り、二種類のモノサシを用いるはずはありません。

さらに又、他人は自分のしたことをどう見るか――とくに自分に敵対する者の意見も見逃してはいけません。敵方の意見には遠慮容赦がないからです。友人よりも率直な意見を述べます。敵こそは神が用意した自分の鏡なのです。

我々への質問は明確に、そして有りのままを述べ、幾つでもなさるがよろしい。そこに遠慮は無用です。人間は老後に備えてあくせくと働きます。老後の安楽が人生最大の目的――現在の疲労と窮乏生活をも厭わないほどの目的になっているではありませんか。疲労こんぱいの身体で人生最後の、ホンのわずかな時を経済的に安楽に過ごすことと、徳積みの生活に勤しんで死後の永遠の安らぎを得るのと、どちらが崇高でしょうか。

そう言うと人間は言うでしょう――現世のことは明確に分かるが死後のことは当てにならない、と。実はその考えこそ、我々霊団が人間の思念の中から取り除いて死後の実在に疑念を持たせないようにせよと命じられている、大きな課題なのです。だからこそ我々は心霊現象を発生させてあなた方の注意を喚起し、そして今こうして霊的思想を説いているのです。

本書を編纂するよう働きかけたのもその目的のためです。今度はあなた方がそれを広める番です」

(署名)アウグスティヌス


訳注――聖アウグスティヌス(三五四~四三〇・聖オーガスチンとも)は言わずと知れた初期キリスト教時代の最大の指導者・神学者・哲学者で、遺産を全て売り払って貧者に恵み、自らは清貧に甘んじ、とくに後半生は病弱と貧困に苦しめられたが、その中にあっても強靭な精神力、底知れぬ知性、深遠な霊性、崇高な高潔さは、キリスト教最高・最大の聖人と呼ばれるに相応しいものだったと言われる。

なお、これまでの通信でも“私”という言い方をしながら、それが誰であるかが記されていないものがある。それにも署名はあったであろうから、それを敢えて記さなかったのは、まったく無名の人物か、カルデックが本人であることに疑念を抱いたかの、どちらかであろう。フェヌロンとオーガスチンに関してはよほど確信を持ったということになる。

Tuesday, August 20, 2024

シアトルの夏 一教師の悩みに答える

Answering a teacher's concerns

  Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell


ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うに任せない悩みを抱えている。ふつうなら招待客の質問を聞いてシルバーバーチが答えるのがパターンであるが、その日は意外な展開となった。開会早々まずシルバーバーチから語り出したのである。

 「あなたの質問をお受けする前に二、三私の方から述べさせていただきたいことがあります。あなたはこれまで数々の難問に直面し、悩みを抱え、あれこれと心の中で反問し、胸を焦がし、思想上の葛藤を繰り返して来られましたが、それはあなたが自分の理性の指図による判断に基いて自分なりに得心した道を歩む上で是非とも必要なことでした。

 それは安易な道ではありませんでした。あなたがいい加減なことでは済まされない性格であり、何事も全身全霊を打ち込むタイプであり、他人も同じであってくれることを望まれる方だからです。私の言わんとすることがお判りですか」

 「全くおっしゃる通りです」とその教師が答えると、シルバーバーチはさらに続けた。

 「私が ぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。他界した霊がこうして再び戻って来るそもそもの目的は、父なる神が子等に授けた全才能を発揮するように地上人類を促すことです。知識の探求、叡知と真理の追及において理性を無視したり、道義の鏡を曇らせたり、良識を踏みにじるようなことがあってはなりません。

 私たち霊もあなた方人間とよく似た存在です。まだまだ人間的なところがあり、過ちも犯せば失敗もします。絶対的不謬性も完璧性も主張しません。人生の道において少し先を歩み、少しばかり多くの真理を学び、どういう地上生活を送ればこちらへ来てからどういうことになるかを、この目で見てきたというだけです。

 そこで私たちは人類のために何とかしてあげたい──霊的真理を教えることによって、これまで同胞が犯してきた過ちを二度と犯さないですむようにしてあげたい。私たち先輩の叡知を学び、宿された神性を活用することによって地上をより良い、より自由な、そしてより豊かな生活の場としてあげたい。それがひいては霊界が地上から送られてくる未熟で準備不足で不用意な不適格者によって悩まされることがなくなることにもなります。

 しかし、私たちに協力して下さる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度はとりたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。

死の淵を挟んだそちらとこちらの関係において、〝同志〟として手を握り合い、霊的知識の普及という共通の目的のために共に働き、何も知らない無数の地上の人々へ身体と精神と魂の自由をもたらしてあげたいと望んでおります。

 いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わない時、不合理あるいは不条理と思える時は、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。

私たちがあなた方の人生を代わりに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることも出来ます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。

 私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。

これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓えに耳を傾けて下さった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の〝理性〟であるというのが私の一貫した考えです」

 ここで教師はシルバーバーチの助言と勇気づけの言葉に礼を言い、ここ数年のあいだ悩み続けてきたので身に沁みて有難く感じると述べ、さらに、スピリチュアリズムの普及にどうすれば貢献できるかと尋ねた。すると───

 「地上世界はいま他人のためになる行為なら何でも必要としております。何でもよろしい。自分でこれならできると思われることをやり始めることです。すると道が開け、進むにつれてどんどん広がって行くものです。他の大勢の人たちがそういう体験をしております。未来は過去から生まれます。これまでに起きたことは、その中から将来に役立つものを見出しさえすれば、すべて価値があったことになります。」

 そこで教師が自分の考えをこう述べた。

 「私の過去は霊的知識を幾らかでも獲得したことで有益だったと思います。イザという時に役立つもの、そして現在の意識の段階に辿りつくために経なければならなかった貴重な体験を得させてくれました。それがいわば私の人生の第一章で、これから第二章へ進みたい。つまり、ささやかながらこれまでに得た知識と、これから得られるであろう知識を実生活で役立てたいと思っております」

 「立派なお考えです。霊的知識の普及という仕事で私たちに協力してくださるお気持ちが無為に終わることは絶対ないと思ってください。それが私たちの仕事だからです。霊的知識によって地上人類を啓発し、無知の暗闇を照らし、明るい真理の光をもたらすことです。あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委ねてくだされば、あなたにできる仕事はいくらでもあります」

 「許されることなら、小さな霊団と仕事をしたいと思っております。いま霊界には、他界するまで私の心霊仲間だった者が二人おります。三人で一つのチームを結成できると思うのです。」

 「それは可能な範囲に限るのであれば結構なことです。二人ともよろこんで協力するでしょう。あなた方を結びつけているのは愛と親交だからです。その点に関しては何のご心配もいりません。ただ、あなたも自由意志を持った一個の霊であり、簡単に自分の考えを譲るようなことをしてはいけません。能力の限りを尽くす心の準備を整えたうえで、何を目標として進むのかを明確に確認し合わなくてはいけません。

それから、計画がうまく運ぶのは結構ですが、急いては事を仕損じる、ということがあります。顕幽にまたがるこの種の仕事の難しさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台無しになることがあることです。お分かりですか」

 「なるほど。すべてがいかに細かく配慮されているかが判ってきました。挫折の法則について私が抱いていた疑問もこれで解けました」

 「私たちの全てが従わなければならない計画があり、それに向かっての照合と再照合があります。それは法則によって支配されており、大枠において一人一人に割り当てられております。地上においてはその計画達成に二つの方法があります。一つは近道とでもいうべきもので、大勢の人を目を見張らせる方法で手っ取り早く魅了してしまうやり方です。

これにも利点はあります。が、結果として及ぼす影響力に永続性がありません。容易に得られるものは余り価値はないものです。手に入れても、価値が無ければ高い評価は与えられません。

 もう一つの方法は個々の魂が辛苦と闘争と困難、悲しみと悩み、病いと悲哀を通してみずから学ぶことです。自我に目覚めて神に必死に助けを求めます。その時こそ、すなわち魂が培われ土壌が耕やされた時こそ、真理のタネが芽を出す時です。こうして得られたものはそう易々と失われるものではありません」

 「私は教師としての職業柄、青少年に大いに関心があります。あなたの霊訓のようなものを教えることができたらと思います。私の手がけた若者の助けになることをしたいのです。すでに(第一次)大戦で死んだ者もおり、援助を必要としております。

また戦争のために社会復帰がうまく行っていない者もおります。そうした私の教え子の多くに何かしっかりした人生思想と宗教を教える仲介役になれるのではないかと思うのです。また、書くことによって更に広い範囲の人々に思想を広め、同時に語り伝えることができればと思っております」

 「そうした奇特な望みは大いに叶えられるべきです。ただ、最初にお述べになったことは慎重におやりにならないといけません。教師という立場上、難しい問題があるからです。一般論としては若人にこうして霊的知識を教え込むことは可能です。が、あなたの場合は特殊なラベルは用いない方がよいでしょう。

 しばしば申している通り、あなた方はスピリチュアリズムという言い方をされますが、これは地上でのラベルであって、私にとっては自然の法則そのものなのです。スピリチュアリズムという用語を用いると人によっては、とくにその真意を知らない人にとっては、何やら無気味な感じを与えます。

それよりも、大自然の法則──宇宙の物理的・精神的・霊的法則、まだまだ未開拓のままである人間の潜在的能力、表面下に存在する活動の世界、すなわち超自然界、人間の持つより繊細な能力──こうした広大な分野は〝スピリチュアリズム〟とか〝霊媒現象〟といった、誤解されやすい用語を用いなくても教えることができます。

 詭弁を弄しなさいと言っているのではありません。真理には多くの側面があり、従って特別なラベルを貼らなくても表現できることを言っているのです。すでに他界した人にも、地上で幻滅を感じている人にも──そういう人が実に多いのです──霊的知識を普及するチャンスを与えてあげることによって大いに助けになってあげられます。

今夜のこうした集会は私たち霊界での真理普及のためにもよく利用されています。(別のところで〝本日の交霊会には五千人もの霊が集まっている〟と述べている──訳者)

 そうした集会に集まる人々にあなた自身の体験──どのようにして死んだはずの人々と交信できたか、どんなことを聞かされたかを話してあげることができます。そして、あなたの想像以上の多くの方々が聞く耳をもっていることを知ることでしょう。

もちろん聞く耳をもたない人もいます。会をやめざるを得ないことになるかも知れません。あなたを変人と思う人もいることでしょう」

 「耳を傾けた人は、あとになってそれが芽を出すことになるでしょう」

 「必ず役に立ちます。魂に備えができるまでは側から手の施しようがありません。魂みずからが自分を発見しなければならないものだからです。が、実際にはちゃんと備えが出来ている場合が多いものです。そういう人が啓発を求めてあなたのもとに連れて来られます」

 ここで別の列席者が発言した。「確かに若者というのは何かを耳にすれば、遅かれ早かれ、必ず何らかの反応が生じるものです」

 「おっしゃる通りです。たとえその時は反発を覚えても、それが潜在意識に印象づけられ、ずっと存在し続け、本当にそれを必要とする時期が到来した時に呼び醒まされて活動を開始します」

 そこで教師が質問した。「私の場合はスピリチュアリスト教会との関係になるのでしょうか。それとも他の分野での仕事になるでしょうか」

 「私のみたかぎりで判断した意見を申し上げれば、あなたの場合は特定の組織内での仕事よりは、もっと広い範囲に向けるべきでしょう。教会とか協会とか団体との関係をもってはいけないと言っているのではありません。機会があれば時にはそうした組織のために活躍して別に悪いとは申しませんが、私のみるかぎりでは、そこはあなたの本来の舞台ではないということです。

 あなたの場合はその種の教会に近づくことのない人々へ手を伸ばすことが可能です。その範囲内においてあなた自身も影響を受け、あなたの方から影響を与えることもできます。その世界は教会関係とは縁がなさそうですね」

 「まったくありません」

 「あなたは今日、私が(霊界から)ここへ来る前に他の出席者に話しておられましたね──あなたの家で催される交霊会の支配霊はアフィニティ(※)とだけ仕事をしたがる、と」(※同じ霊系に属する類魂で、霊的血縁関係とでもいうべきもの──訳者)

 「実は私が今日まっ先に書き留めておいた質問はそのことでした」
 「あなたのアフィニティは教会関係ではないと思います。アフィニティというものは、それ以外に結びつける要素のない関係においては強力な縁となりますが、縁というものは他にもさまざまな形態をとりますし、私たちはその全てを利用するようにしています」

 このあと、それに関連して教師から出された質問に対してシルバーバーチは「すべての出来ごとは因果律の絡み合いです」と述べてから、さらにこう続けた。

 「人生にはその二つの力が作用しております。原因に対し、寸分の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。結果は原因に従うほかはないのです。その原因もまたそれ以前の原因の結果であり、その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続いております。しかし、あなたにとって何一つ無駄というものはありません。真理は真理です。

どうけなしても、真実なものは真実です。ニセモノは早晩消えていきます。が、真理はどうケチをつけてもその真実性が損なわれることはありません。それが真理というものなのです。

 真理というものは一度手に入れたら二度と失うことはありません。他のあらゆるものを失ない、取り逃がし、人生が底なし沼のように思われる時でも、真理だけは必ずあなたの味方になってくれます。不動の決意をもって泰然としていられる堅固な土台を提供してくれます」

 ここで教師が一つの疑問を提示した。いつも良い証拠を提供してくれる霊媒が、金銭問題のような俗世的問題になると頼りにならないということだった。すかさず他の出席者が「それはその霊媒がそうした問題には不得手なのですよ」と言うと。シルバーバーチは霊媒を通じて霊にアドバイスを求める際の重大な問題点を指摘した。

 「それにもう一つ、交霊関係における法則の一つに、霊の側から自発的に述べる情報の方が、人間の側からの質問に応じて述べるアドバイスよりも霊的要素が大きい、ということがあります。今のあなたにとって重大と思える純粋に俗世的な問題───五十年後には何でもなかったと思えるでしょうが───を霊に持ちかけるということは、その霊媒にとってはいわば不意打ちを食らわされるようなもので、霊媒能力が慌てます」

 「潜在意識にある能力でしょうか」
 「そうです。霊媒現象は全て霊媒の潜在意識を使用していますから」

 「私は仕事のことでいろんな霊媒に質問したことがあります。すると、動物問題に興味を持っている霊媒は動物愛護のための仕事をしろと言います」

 「そんな場合でも、意識的にせよ無意識的にせよ、霊媒自身にはごまかそうという意図はまったくありません。あなた方から質問する。それが大気中に放射される。内容が地上レベルですから、それが(支配霊でなく)霊媒自身の潜在意識を刺戟するわけです。

 霊の方から自発的に俗世的な問題に関するメッセージを送ってきた場合は、それはその時のあなたの霊的発達程度がそうさせたのです。霊からの自発的なアドバイスと、人間側からの質問に対する返答とを区別しなさいと私が言ったのはそういう理由からです。

 そういうわけで、日常的な悩みについて質問することは感心しませんが、霊の方から日常的な問題についてアドバイスしてきた時は素直に受け取って結構です。もっとも私の場合はそれとはまったく別の要素がありますが。

 いずれにしても、霊媒の言ったことがその通りにならなかったからといって、すぐにそれを〝ごまかし〟と決めつけてはいけません。支配霊が憑っている時は霊媒の潜在意識が活発に働いています。

そこへ世俗的な質問をすると、たちまち意識の焦点が地上次元へと下がり、その次元での回答が出されます。もっとも、そうやって低次元の考えを吐き出させた方が思念の通路が掃除されてサッパリすることがよくあります。

 それがウヤムヤに終わると、動揺した潜在意識がその状態のまま最後まで続くことになりかねません。このように二つの世界の交信の過程は実に複雑で入り組んでいることを知っておく必要があります」


 話題が一転して教育問題になった。
 「現代の教育に欠けているものは何でしょうか」

 「人間それ自身について真理を教える用意が為されていないことです。人間が霊的な宿命を背負っている霊的存在であるという事実へ指向された教育が無いことです。根本的にはどの教育も人間は本来が霊的存在で、それに精神───そしてたぶん魂とおぼしきもの───が宿っていると教えています。

本来が霊的存在で、それが肉体に宿っていること、今この地上においてすでに〝霊〟なのであり、それが自我を発揮し霊性に磨きをかけていること、日々が霊性を豊かにするための教訓を学ぶ好機であり、死後に待ち構えているより大きな生活への準備をしているという事実を教えておりません。

子供の潜在的能力についての理解、宗教についての理解───これが欠けております。そして、大して必要でもない知識を教え込むことに関心が向けられすぎております」

 「肝に銘ずべきことだと思います」と、教育一筋に生きて来たその教師は真剣な面持ちで述べた。「大半の教師は異論の多い問題を敬遠します。味気ない、ただの歴史的叙述でお茶を濁しています。教師として卑怯な態度だと思うのです」

 「学校においてこうした霊的真理が教えられることは大いに望ましいことです。ですが、教師自らがそれを真理であることを確信しないことには、学校で教えられるようになることは期待できないでしょう。まだまだ先の長い仕事です。しかし、長くても着実です。そしてそれは、必要とするところに真理のタネを植えることのできる指導者にまず私たちが働きかけることによって成就されることです」

 「時間の掛かる仕事なのですね」と、別の出席者が言うと、
 「宇宙の創造自体がそう短い時間で終わったわけではありません。生命は永遠です。今あなたを悩ませている問題の多くは百年後にはすっかり忘れられていることでしょう」

 「私たちも少しは進歩していると思うのですが・・・」と教師が言うと、
 「少しではありません。大いに進歩しておられます。夜の帳が上がり、明るさが増していくのが見えます」

 「スワッフハー氏はこの運動(スピリチュアリズム)は一般庶民から始まって上の階層へ進まねばならないと言ったことがあります。私は上層から始めるべきだと思い違いをしておりました」

 「真理というものは一人一人が納得することによって広がっていくものです。一度に大勢の者を目覚めさせる方法はありません。またそれは〝知的探求〟によって成就されるものでもありません。無私の行いと、訓えを語って聞かせることによって人の心を捉える───それしかありません」 
 
 その後の交霊会で女性の出席者が「私はこれまで困難から逃げよう逃げようとしてきたことが分かりました。これからは正面から取り組み、決して逃げないようにしようと思っています」と述べ、続けてこう尋ねた。

 「お聞きしたいのは、私がすぐにパニック状態になったり塞ぎ込んだりするのは、その逃げ腰の心の姿勢のせいでしょうか、それとも私の知らない原因が別にあるのでしょうか」

 「私から見れば、あなたが心に画いておられるほど事態は深刻ではありません。あなたの性格はご自分で築いてこられたまま───そっくりそのままです。

私から見たあなたは、困難を克服し、ふつうの人なら挫けたかも知れない事態でも勇気を出し、難問にも正直さと最善を尽くそうとする意欲で対処してこられた方とお見受けします。確かに過去においては、独力ですべきところを依頼心が強すぎたことがあったことは事実のようです。あなたがおっしゃるのはそのことですか」

 「そうです。ですが、これからは自分の足でしっかりと踏ん張る拠りどころができました。それを決して失うことのないようにしたいと思います」

 「逃げ腰になるとおっしゃったのはそのことですか」
 「そうです。そう思われませんか」

 「思いません。それに、次のことを忘れてはいけません。他のすべての人と同じように、あなたの人生も、あなたの個性をあなた自身で発達させるための手段だということです。あなたの代わりにそれをやってくれる人はいないということです。魂の成長は個人的な問題です。

 いかなる人間にも必ず試練と困難、すなわち人生の悩みが訪れます。いつも日向ばかりを歩いて蔭を知らないという人は一人もいません。その人生の難問がどの程度まであなたに影響を及ぼすかは、あなたの霊的進化の程度に掛かっています。ある人には何でもないことのように思えることが、あなたには大変なことである場合があります。

反対に、ある人には大変な問題に思えることが、あなたには些細なことに思えることもあります。各自が自分なりの運命を築いていくのです。

  あなたに一個の荷が背負わされる。それをどう扱うかはあなた次第です。〝よし、担ぎ通して見せるぞ。これは自分の荷物なのだから〟という気持ちになれば軽く感じられるものです。

それだけ魂が成長するからであり、その成長の過程において内部のある力が魂を癒してくれます。困難に際して真っ正直さと勇気とをもって臨んで、霊的に損をする人は絶対にいません。何一つ怖がるものはないのです。

 「物的なことに関してはそういうことが言えると思いますけど・・・・」

 「私は物的なことを述べているのではありません。魂と霊と精神について述べているのです。私は物的なことに言及したことを述べたことはありません。この点があなた方を指導する上での私の泣きどころなのです。魂を照らす光明へ向けて順調に頑張っておられるのに、自分では精神的に暗闇にいるように思っておられる。それで私が、怖がらずに突き進みなさい、とハッパをかけるのです」

 すると別の出席者がこう弁明した。「私たち人間は自分の物的な立場からしか自分が見えないのです。自分はやるべきことをやっていないのではないか、と思い始めたら、もう、現実にやっていないということになってしまうのです。

あなたからみれば私たちは立派にやっていて、素晴らしい、純心な、光り輝く存在であっても、私たち自身はそうは意識していません。欠点ばかりが目につくのです」

 「そんなことはありません。あなた方はご自分で意識しておられる以上に立派な方ばかりです。高い知識を身に付けた方はとかく自分をみじめに思いがちなものです。その知識が謙虚さ、真の意味での謙虚さを生むからです。

 人間は困難のさなかにある時は、自分の置かれた情況について必ずしも明確な判断が出来ません。また、これで良かったかという動機づけについても、穏やかな精神状態の時ほどの明確な自信が持てないものです。

興奮と衝突と不協和音の中にあっては、冷静な反省は容易に得られるものではありません。その上、あなた方は全体像がつかめないという宿命的な立場に置かれております。あなた方に見えるのはホンの一部だけです」

 「人間が自由意志が行使できるといっても、獲得した知識に相当した範囲においてだけということになります」と教師が述べると、

 「おっしゃる通りです。でも私はいつもこう申し上げております───自分の良心の命ずるままに行動しなさい、と」

 「そう言われると私は困るのです。良心がある事を命じて、もしそれに従わないとペナルティ(報い・罰・罰金)を受けるということですね?」

 「そういうことです。結局はじめの問題に戻ってきたわけです」
 「それが私の悩みのタネなのです」

 「人生は螺旋階段のようなものです。単純であって、しかも複雑です。一つのプランのもとに展開しております。難題の一つ一つにはちゃんとそれを解く合カギがあるのです。が、必ずしもその合カギが手に入るとはかぎりません。それで、ドアがいつまでも開かないということになります。

だからこそ、人生の闘いの中にあっては理解力や真理の探究心といったものが要請されるわけです。それが私どもの世界から見守っているスピリットからの援助を呼び寄せることになるからです。それがあなた方自身の内部に宿されている資質と相まって困難を克服する十分な力を発揮させます」

 すると未亡人が「失敗を失敗として自覚する限り、その失敗は大して苦にする必要はないということになるように思います」と述べると、

 「あなた方には全体像が見えないのです。こちらへ来て霊眼をもって見れば、全てが明らかとなります。ある人が成功と思っていることが実は失敗であることがあり、失敗したと思っていることが実は成功だったりするものです」

 そこで教師が本当に成功だったか失敗だったかは自分で分かるものであることを述べると、

 「その通りです。いわゆる〝良心の声〟に従えるほど冷静になればわかります。良心はいつも見つめております。それで私は、問題に対する回答は必ず自分で得ることができます、と申し上げるのです」

 「私もそう思います」と未亡人が相づちを打つと、シルバーバーチは続けて、

 「でも、それは容易にできることではありません。地上の人間の大きな問題点は、自我を鎮め、内部に安らぎを見出し、波長を整えて調和を取り戻す方法を知らないことです。ほんのわずかの間でもよろしい。

〝この世〟から(物的な意味ではなく)精神的・霊的に身を引き、代わって、とかく抑えられている内的自我を表面に出すようにすれば、人生の悩みに対する回答を見出します。

時には毎日の型にはまった生活を崩して田園なり海岸なりに足を運んでみるのもよいでしょう。精神状態が変わって、ふと良い解決方法を思いつくことにもなることでしょう。しかし本来は、コツさえ身につければ、そんな遠くまで〝旅行〟しなくてもできるものです」

 「でも、それは大変な努力を要することです」と教師が言うと、

 「むろん、とても難しいことです。しかし霊的な宝は容易に得られるものではありません。もっとも望ましいことは、もっとも成就しにくいものです。努力せずして手に入るものは大して価値はありません。

 あなたに申し上げます。迷わず前進なさい。これまでのあなたの人生で今日ほど魂が生き生きと目覚めておられる日はありません。その魂に手綱を預けてしまうのです。その魂に煩悶を鎮めさせるのです。

すべては佳(よ)きに計らわれていることを知ってください。その安堵感の中にあってこそ、あなたの求めておられる魂の安らぎと静寂とを見出されることでしょう。魂の中でも時に嵐が吹きすさぶことがあることを自覚している人はわずかしかいません。あなたはその数少ないお一人です。私にはあなたの気持がよく理解できます。

 私からも手をお貸ししましょう。私達の世界からの愛をもってすれば、けっして挫けることはありません。信じて頑張るのです。頑張り抜くのです。真実であると信じるものにしがみつき通すのです。神は、あなた方の方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」

Sunday, August 18, 2024

シアトルの夏 人のために役立つことを


Do something useful for others.




 〝新聞界の法王〟の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏 Hannen Swaffer がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している。

         ※       ※       ※
      
 自分を人のために役立てること──これが繰り返し説かれ強調されて来たシルバーバーチの教訓の〝粋〟である。それを折あるごとに新たな譬えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。われわれレギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰り返し聞かされて来たことであるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である。

 数日前も私は三人の知人を招待した。三人ともシルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの一人は爵位をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の頭初からシルバーバーチが夫人の心を読み取っていることを思い知らされた。

 「あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね」とシルバーバーチが語り始めた。「あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられてきた説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えて是非ともこのスピリチュアリズムの知識が必要であることを痛感されました。そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました」

 「おっしゃるとおりです」と夫人が答えると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。

  「あなたが片時も一人ぼっちでいることはないことはご存知でしょう。人のために尽くそうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。なぜならば双方に理解力における親和性があるからです。永遠に変わらぬものは〝愛〟です。

人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。


 私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。

強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。

 これが人のために役立てるということの仕組みです。つまり自分を無にして霊の力に委ねるのです。霊の力を取りとめのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れることが出来るのです。それがあなたを通じて他人へ働きかけ、より大きな悟りを開く助けとなります」


 ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた。するとシルバーバーチは、「精神統一をなさることです。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになることです。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づくことを不可能にします。

 ですから、少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫することです。すると次第に役に立つ良い考えが浮かんでくるようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほど、それだけ高度なインスピレーションが入ってきます。

どれほど多くの愛があなたのまわりを包んでいるか、それが判っていただけないのが残念です。その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。

 人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ、やむを得ないことです。しかし本当は身のまわりの目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し、堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ、困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡知と悟りを授けんとして、その好機を窺っております。あなたには為すべきことがあります。そして、いずれおやりになることでしょう」
 
 もう一人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘らせることが夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである。

 シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差しかかるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売という人がいるかも知れないが立派に神の計画の一翼を担っていること、そして彼の動機の崇高さの故に何物も阻止しえないことを説いてからこう語る。

 「私には人生に疲れきった人間の数々──生活は暗く、あたかも霧と靄の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます。そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差し伸べようと願っているのです。

あなたには今心で願っておられることを成就するチャンスがあります。怖れることなく、そして立ち塞がる困難に惑わされることなく、あなたがこれまで少なくとも三度試みられたことを今一度試みていただきたい。真一文字に突き進みなさい。障害と思えることも、近づいて行けば雲散霧消します。


 忘れないでください、あなたに生命を賦与した力、あなたに息吹きを与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極小極大を問わず全存在に生命を与えたのとまったく同じものなのです。心に唯一の目的を抱いて真一文字に進むことです。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます」

 三人目の招待客は右の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチからお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチはこう語りかけた。

「あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお一人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて、今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこには憎しみの念などひとかけらもありません。愛と哀れみの情が溢れております。

 そのあなたに大切な仕事があります。私が申し上げることは、まっしぐらにその道を進むこと、それだけです。生命、愛、記憶、意識──こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転してあなた方を援助してくれます。あなたのこれからの人生にも期待できることが大いにあります。自信をもって邁進なさることです」

 その秘書が謙虚に「私は本当に無力なのです」と述べると、シルバーバーチはこう語った。 
 「ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性よりも情緒によって支配されるために弱い面があります、しかしそれは決して悪いことではありません。それだけ感受性が強いということだからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働き掛けに敏感であり、影響を受けやすいということになります。

 その点男性は余り情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識出来ないのです。

 むろん女性が情緒的であることにもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまうことです。しかしそれも身体にはない魂の属性の一つであることに変わりありません」

 
 交霊会を閉じる直前にシルバーバーチは今自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の一人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の一人で最初に紹介した婦人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った。

 「ハーディ氏は偉大な霊の一人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸進的なものであることを覚悟しておられるからです。

氏は庶民が一段また一段と生得の権利の獲得を目指して梯子を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できるものは無いと氏は信じております。

 庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。なぜなら、いかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙してその生得の権利を奪うことは許されないからです。一時的には神の計画を邪魔することはできます。

しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ず勝利を収めます。ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具であることを銘記しましょう」そう述べてから、いつものように締めくくりの言葉に入った。

 「常に崇高なる目的のためにわれわれを使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬようにいたしましょう。常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心をわが心といたしましょう。そうすればわれわれが神の意図された通りに努力していることを自覚することでしょう。神の御恵みの多からんことを」

 かくして人のために尽くさんと心がけている人々が心を新たにし、勇気を新たにして会をあとにする。


 以上がハンネン・スワッフハーによるある日の交霊界の描写である。〝人のため〟という教えはシルバーバーチが繰り返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている。
 
 「私たちが説く全教説の基調は〝人のために己を役立てる〟という言葉につきます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。

 私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽くし合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。

 地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれつの関係にあること、全ての人間に同じ神性が流れていること、故に神の目には全てが平等であること、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。

性格において、生長において、進化において、そして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。

 霊的な仕事に携わる人たち、己れの霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却することによって実は自分が救われていることを知るでしょう。

なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取り引きだの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。

 こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵──改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて、霊界の軍団の指揮下に置かれております。

 私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させることです。一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的〝宝〟、驚異的な霊力が一人でも多くの人間に行きわたることを望んでいます。

無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡知の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。

 神から霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を坐視するわけにはまいりません。地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。

 それは大変な仕事です。そして、あなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明けです。その恩恵の全てに浴したければ、真理の受け入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て、無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み、神が意図された通りに生きることです。


 獲得した知識は着実に実生活に生かして行くように心がけましょう。その知識全体に行きわたる霊的理念にそって生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人から成るほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。

 そう努力することが又、より大きな叡知、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを得ることになるのです」

 別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれることがあっても知識は絶対に盗まれません。叡知も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。
 続いてシルバーバーチはリラックスすることの効用を次のように説く。

 「リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返ることとは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取り戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与えることです。

 あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にすることと言えばただ忙しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて、あたら貴重な時間を費やしています。

そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には、永遠に錆びることも色褪せることもない貴重な知識と叡知と真理の宝が、あなた方によって存分に使用されることを待ちうけているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです」


 ここで曽てのメンバーの一人で理由(わけ)あってしばらく欠席し、この度何年振りかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変わらず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変わっていないことを述べると、

 「おっしゃる通り私は曽てと同じ霊であり、説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間は曽てとは同じではありません。常に変わりつつあり、叡知の声に耳を傾け霊の力を受け入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました」

 そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる。


 「私の力でそうなったのではありません。そんな大それたことは私は申しません。むろん私も私なりに貢献しているでしょう。でもそれは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のほんの小さな一部にすぎません。これまで成し遂げた進歩は確かに驚異的なものがあります。しかし、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです」


 さて、シルバーバーチは自分が霊界のマウスピース(代弁者)にすぎないことをよく強調する。

 「私はこうした形で私に出来る仕事の限界を十分承知しておりますが、同時に自分の力の強さと豊富さに自信を持っております。自分が偉いと思っているというのではありません。私自身はいつも謙虚な気持ちです。本当の意味で謙虚なのです。

というのは私自身はただの道具にすぎない──私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。が私はその援助の全てを得て、思う存分に仕事をさせてもらえる、その意味で私は自信に満ちていると言っているのです。
 
 私一人ではまったく取るに足らぬ存在です。が、そのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると、自信をもって語ることができます。霊団が指図することを安心して語っておればよいのです。威力と威厳に溢れたスピリットの集団なのです。

進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当たっている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです」


 会を閉じるにあたってシルバーバーチは次のように語った。

 「私達は深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆を取り戻したことをうれしく思います。人のために己れを捧げる者は必ず報われます。

 この集会には真剣な目的が託されていることを忘れてはなりません。人類の行く手に横たわる危険な落とし穴を教えてあげる重大な任務を帯びているからです。人生に疲れ、あるいは迷う人々の心を軽やかにし、精神を目覚めさせ、指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。


 困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげることができます。人間の歩むべき道、つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教えることができます。

そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。

 それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられることは絶対にありません」
   

Saturday, August 17, 2024

シアトルの夏 霊の書 再生の前兆 

Omen of Rebirth

霊の書
アラン カデラック


――物質界へ再生する時期は予知されるのでしょうか。


「目をつぶっていても火に近づくと体で熱を感じるように、再生する時期が近づくと自然に直感するものです。死を予期するのと同じ調子で、また生まれ変わることを予知します。が、それが正確にいつであるかは知ることはできません」


――近づく再生にそなえての準備もあるのでしょうか。


「一向に気に掛けない者もいますし、何も知らずにいる者もいます。それはその霊の霊性の発達程度による問題です。将来のことが何も分からないという不安な状態に置かれることが罰であることもあります」


――再生の時期を早めたり遅らせたりすることは出来るのでしょうか。


「強烈な意念でもって望めば早めてもらうことは出来るでしょう。待ち受ける試練にしり込みして拒否の態度を続ければ延期してもらうことも出来るでしょう。人間界と同じで、霊界にも臆病者や横着者がいるものです。ですが、延期が叶えられても、それだけの代償は必ず払わされます。病気の治療と同じです。こういう療法で必ず治ると分かっているのにそれを拒否すれば、治るのが遅れるのは当たり前です」


――さすらいの状態にありながらも今の状態が結構楽しくて幸せであると感じている場合は、その状態を無期限に延ばすことは許されるでしょうか。


「無期限にというわけには行きません。向上の必要性は遅かれ早かれどの霊もが感じるものです。霊は例外なく向上しなくてはなりません。それが宿命なのです」


――宿る身体はあらかじめ決まっているのでしょうか。それとも最初の段階で選択するのでしょうか。


「生まれ出る新生児にどの霊が宿るかは決まっています。霊が次の人生で体験することに意を決すると、再生の手続きに入ります。神はその霊について裏も表も全てを知り尽くしていますから、新しい人生も予見して、かくかくしかじかの霊はかくかくしかじかの身体がよいということを判断なさるのです」


――霊には宿る身体を選択する自由はないのでしょうか。


「身体を選ばせてもらえることもあります。なぜなら、障害の多い身体に宿れば大変な試練の人生となりますから、それを選ぶことによって遭遇する苦難を首尾よく克服すれば、それは大いに進歩の多い人生となるからです。ただし、それだけにまた挫折も多いわけですから、一人で勝手に選ぶことは許されません。そういう願いを出して許しを乞うということになります」


――選んだ身体に宿る直前になってそれを拒絶することもできますか。


「もし拒絶した場合は、新たな試練を求めなかった場合よりも多くの苦難をこうむります」


――生まれ出る胎児に宿る霊がいないという事態は起こり得ますか。


「神はあらゆる不慮の事態に備えています。生まれ出る胎児には必ずそれに宿るべき霊も決められています。計画なしに創造されるものは何一つありません」


――肉体に宿りきった瞬間は死後の意識の混乱と同じものを伴うのでしょうか。


「伴います。死後の混乱よりも大きく、とくに期間がずっと長く続きます。死後は肉体への隷属状態からの解放ですが、誕生は再びその状態に入り込むのですから」


――再生する瞬間は霊自身にとって厳粛な気持ちになるものでしょうか。


「譬えてみれば危険な航海に出て行く時の心境です。果たして無事荒海を乗り切ることができるかどうか、大いなる不安の中での船出です」


――その不安というのは新しい人生での試練を無事克服できるかどうかということから生じるのでしょうか。


「そうです。とても不安です。それにどう対処するかによって霊的進化を遅らせることになるか速めることになるかが決まるからです」


――再生する時、見送ってくれる仲間がいるのでしょうか。


「それはどの界層に属するかによって違ってきます。情愛の強い界層であれば、愛する者たちが最後の別れの間際まで付き添い、勇気づけ、再生後もずっと付き添うこともよくあります」


――夢などによく姿を見せながらその容貌に記憶がないということがよくあるのですが、それはその類いの霊でしょうか。


「そうです、そういうことが非常に多いです。牢に入れられた者を見舞うのと同じように、あなたのもとを訪れてくれているのです」
〈魂と肉体の合体〉


――魂が肉体と合体するのはいつでしょうか。


「受胎の瞬間から結合作用が開始されますが、完了するのは誕生の瞬間です。受胎の瞬間に、その肉体に宿ることになっている霊と受胎した細胞とが流動質の紐でつながります。そのつながりは日を追って緊密になり、出産後の産声(うぶごえ)によって地上の人間の一人となったことを告げることになります」


――霊と胎児との結合は受胎の瞬間において確定的なものになるのでしょうか。つまり、結合して間もない頃に霊がその肉体に宿ることを拒否することが出来るのでしょうか。


「両者の結合は、他の霊には絶対に侵入を許されないという意味において確定的と言えます。しかし、物質的なつながりは脆弱(ぜいじゃく)ですから、自ら選択した試練にしり込みして霊が強烈に拒否すれば、そのつながりは切断されます。その場合は胎児は死亡します」


――宿った胎児が何らかの原因で死亡した場合、霊はどうなりますか。


「別の肉体を選びます」


――生後二、三日で死亡するような嬰児に宿って再生することにどんな意味があるのでしょうか。


「その場合、新しい存在としての意義はまだ芽生えていませんから、死そのものの影響はほとんどありません。前にも述べましたが、こうした死は主として両親にとっての試練である場合が大半です」


――霊自身はあらかじめその身体が生き永らえる可能性がないことを知っているのでしょうか。


「知っていることもあります。もし知っていたとすれば、それは新しい人生での試練にしり込みして、そういう身体を選んでいます」


――そうやって、原因は何であれ、せっかくの再生に失敗した場合、すぐに次の再生が準備されるのでしょうか。


「すぐにとは限りません。失敗にそなえて次の再生の準備が整えられていた場合は別として、一般的には新たな選択をするのに時間を要します」


――胎児との結合が確定的となり、もはや拒否することができなくなった時点で霊が後悔することがありますか。


「ご質問の意味が、人間となってからその人生に不平を言ったり、生まれてくるんじゃなかったと思うことがあるかということであれば、そういうことはあるでしょう。が、再生する際の人生の選択を間違えたと後悔することがあるかという意味であれば、そういうことはありません。なぜなら、その時点ではすでに霊としてそういう選択をした記憶は消えているからです。いったん再生してしまうと、霊の時代に意識して選択したことは思い出せません。しかし人生の重荷に耐えかねて絶望することはあります。その場合、自殺ということも起こり得ます」


――受胎から誕生までの期間中に、霊は霊的能力を使用しているのでしょうか。


「妊娠期間中のさまざまな時点で大なり小なり使用しています。新しい物的身体と結合したといっても、まだ合体するまでには至っていないからです。一般的には受胎の瞬間から意識の混濁が始まり、その時点で自分がいよいよ再生の過程に入ったことを直感します。その混濁は日を追って強まり、分娩に至ります。その期間中の霊の意識状態は睡眠状態に近いと思ってよろしい。分娩時が近づくにつれて意識は消え、過去の記憶も消え、それは誕生後もずっと思い出せません。死後霊界に戻ると徐々に記憶が蘇ります」


――いわゆる死産の場合、当初から再生が意図されていなかったケースもあるのでしょうか。


「あります。当初から霊が宿る予定はなく、霊的には何も為されないことがあります。そういうケースは両親にとっての試練としての意義しかありません」


――そういう胎児でも一通りの妊娠期間があるわけですか。


「全てではありませんが、あります。ですが、生きて産まれ出ることはありません」


――堕胎は霊にどういう影響を及ぼすでしょうか。


「無駄に終わったことになり、一からやり直さなければなりません」


――人工中絶はどの段階であっても罪悪でしょうか。


「神の摂理を犯す行為はすべて罪悪です。母親であろうと誰であろうと、生まれ出るべき胎児の生命を奪う者は必然的に罪を犯したことになります。生まれ出る身体に宿って再生し試練の一生を送るはずだった霊から、そのせっかくの機会を奪ったことになるからです」


――かりにその母親の生命が出産によって危機にさらされると診断された場合でも、中絶することは罪になるのでしょうか。


「すでに完成されている人体(母親)を犠牲にするよりも、まだ完成されていない人体(胎児)を犠牲にすべきでしょう」
〈霊的属性の発達〉


――人間の道徳性はどこから生まれるのでしょうか。


「その身体に宿っている霊の属性です。霊が純粋であるほど、その人からにじみ出る善性が際立ってきます」


――そうすると善人は善霊の生まれ変わりで、悪人は悪霊の生まれ変わりということでしょうか。


「それはそうなのですが、悪霊と言わずに“未熟霊”と言い変えた方がいいでしょう。そうしないと常に悪であり続ける霊、いわゆる悪魔が存在するかに想像される恐れがあります」


――非常に知的な人で、明らかに高級霊の生まれ変わりであると思われる人が、一方において極端に非道徳的なことをやっていることがあるのは、どう理解したらよいのでしょうか。


「それはその身体に宿っている霊が道徳的に本当に純化されていないからです。そのためにその人よりも波動的に低い霊の誘惑に負けて悪の道に陥るのです。霊の進化は一本道を上昇していくのではありません。霊のもつ多くの属性が少しずつ進化して行きます。進化の長い旅路において、ある時は知性が発達し、またある時は道徳性が発達するといった具合です」


――霊的属性は物的身体の器官によって制約を受けるのでしょうか。


「肉体器官は霊的属性を発現させるための魂の道具です。ですから、その発現の程度は肉体器官の発達程度によって制約を受けます。名人の腕も道具次第であるのと同じです」


――すると、頭脳の発達程度から道徳的ならびに知的属性の発達程度を推しはかることが出来るのですね?


「原因と結果を混同してはいけません。能力や資質は霊に所属しているのです。肉体器官がそれを生み出すのではなく、それが肉体器官の発達を促すのです」


――その視点から言えば、各自の素質はひとえに霊の発達程度によるのでしょうか。


「“ひとえに”と極言するのは正確ではありません。物質界に再生した霊の資質が持って生まれたものであることに疑いの余地はありません。が、宿った物的身体の影響も考慮に入れなくてはなりません。大なり小なり、内在する資質の発現を阻害するものです」
〈白痴と錯乱〉


――一般に白痴は普通の人間よりも下等と信じられていますが、そう信じてよい根拠があるのでしょうか。


「ありません。人間の魂であることに変わりはなく、実際には外見から想像するより遥かに高い知性を秘めていることがあります。ただ、それを発現させる機能が大きく阻害されているだけです。耳が聞こえない人、物が見えない人がいるのと同じです」


――そういう不幸な扱いを受けている人がいることにも神意があると思うのですが、一体どういう目的があるのでしょうか。


「白痴は大きな懲罰を受けている霊の再生です。そうした発育不全ないしは障害のある器官に拘束され、発現できない状態での苦痛を体験させられているのです」


――白痴のような、善も悪も行えず従って進歩が得られない状態での人生に何のメリットがあるのでしょうか。


「そういう人生は何らかの才能を悪用したその罪の代償として科せられているのです。その霊の進化の旅程の一時的中断です」


――と言うことは、その白痴の人物の身体に宿っている霊は、かつては天才だったということも有り得るのでしょうか。


「大いに有り得ます。天才も、その才能を悪用した時は天罰を受けます」


――その身体に宿っている霊は、霊的にはそれを自覚しているのでしょうか。


「自覚していることがよくあります。自分の行動を阻止しているクサリが試練であり罪滅ぼしであることを理解しているものです」


――精神的錯乱状態の人間の場合、霊はどういう状態になっているのでしょうか。


「霊は、完全に自由な状態(霊界に所属している間)では、全ての機能が自在に働き、物質へも直接的に働きかけることができます(心霊現象を生じさせる場合)が、いったん物質界に再生してしまうと条件が一変し、肉体器官という特殊な媒体を通して能力を発揮することになります。ですから、もしもその器官のどれか一つ、あるいは器官の全てが損傷を受けると、その人間の行為ないしは受信機能が阻害されます。眼球を失えば見えなくなり、聴覚を損なえば聞こえなくなるといった具合です。

そういう次第で、かりに知性や意思の表現を司る機能が部分的に、あるいは完全に阻害されれば、器官はそなわっていても、まったく機能しないか、異常な反応をするために、表向きは錯乱した行動を取ります。霊的には異常であることに気づいていても、どうしようもないのです」


――それが自殺という行為を生むことがあるのはなぜでしょうか。


「今も述べたように霊的次元では本当の自我は異状に気づいていて、その機能不全による拘束状態に苦しんでいます。その拘束を断ち切る手段として自ら死を選ぶのです」


――死後も地上時代の錯乱状態が続くのでしょうか。


「しばらく続くかも知れませんが、そのうち物的波動から抜け出ます。それはちょうど、あなた方が朝目を覚ましてしばらくは意識がぼんやりとしているのと同じです」


――脳の病気がどうして死後の霊にまで影響を及ぼすのでしょうか。


「一種の記憶の残影の影響で、重荷のように霊にのしかかっています。本人には自分の錯乱状態での行為の記憶はありませんので、本来の自分を取り戻すのに普通より時間が掛かります。死後の不安定な状態が地上時代の病的状態の長さによって長かったり短かったりするのはそのためです。霊は肉体から解放されたあとも、多かれ少なかれ、肉体とのつながりによる影響を引きずっているものです」
〈幼児期〉


――霊はなぜ再生の度毎に幼児の段階を経なくてはならないのでしょうか。


「地上へ降誕する目的は霊性の進化です。物的身体に宿った霊は(生長するにつれて物的器官による束縛が大きくなって行くけれども)幼児期は霊的感覚がまだ強く残っているので、指導を任された背後霊団からの印象を受け易く、それが発達を促します」


――最初の意志表示がただ泣くだけということには何か意味があるのでしょうか。


「母親の関心を引きつけて看護に落ち度がないようにするためです。考えてもごらんなさい。もしも赤ん坊がいつも機嫌よく笑い声ばかり立てていたらどうなります? 母親だけでなく周りの者も、その時に必要としているものに気づかずに放っておくはずです。そうした配慮の中にも大霊の叡知を読み取ってください」


――そうした幼児期から成人へ向けて変化して行くのは、内部の霊そのものが変化するからでしょうか。


「霊が、内在する本来の資質を発揮しはじめるのです。

あなた方は表面上の無邪気さの裏に隠された秘密をご存じないようですね。我が子が一体いかなる人間になるのか、生まれる前は何者だったのか、これからどんな人間に成長するかも知らないまま、あたかも自分の分身であるかのごとくに愛撫し、全てを忘れて育て、その愛は海よりも深いと称(たた)えられていますが、他人でさえ感じる幼な子のあの愛らしさ・優しさはどこから来ると思いますか。その始源は何だと思いますか。ご存じないでしょう。では、それをじっくりお聞かせしましょう。

子供は神の許しを得て新しい物的生活の場へ送られてきます。その際、神は、その人生の酷しさが不当であるとの不満を抱くことのないよう、どの霊も表向きは無邪気そのものの赤子として誕生させます。たとえ宿っている霊が極悪非道の過去を持っていても、その悪行に関する記憶はまったく意識されないようにしてあります。無邪気さによって悪行が払拭(ふっしょく)されているわけではありません。一時的に意識されないようにしてあるだけです。その純真無垢の状態こそ霊の本来の姿なのです。だからこそ、それが汚れて行くことについては、その霊が全責任を負わねばならないことが明らかとなるのです。

赤子が純真無垢の状態で生まれてくるのは、それに宿る霊のためだけではありません。その赤子に愛を注ぐ両親のためにも――むしろ両親のためにこそ――神の配慮があるのです。もしも過去の残虐な行為がそのまま容貌に現れたらどうしますか。愛は大きく殺(そ)がれることでしょう。邪気もなく、従って従順だからこそ愛の全てを注ぎ、細心の看護を施すことが出来るのです。

しかし、親による扶養も必要でなくなる十五才あるいは二十才頃になると、本来の性癖と個性が赤裸々に表に出て来ます。もともと善性の強い霊であれば、いわゆる“良い子”に育つでしょう。が、それでも幼少時は見られなかった性癖や性格の陰影が見られるようになります。

生まれてくる子の霊は、親とは全く異なる世界からやってくることを忘れてはいけません。親とは全く異なる感情、性癖、嗜好をもってやって来た者が、いきなり地上世界に馴染めるでしょうか。やはり神の配剤、すなわち純真無垢の幼児期という篩(ふるい)を通過することによって、その準備をするのです。生成発展の過程にある無数の天体が生み出す全想念、全性格、全生命が最終的に入り交じることが出来るのは、この幼児期の篩の過程があるからこそなのです。

無邪気な幼少時代にはもう一つの効用があります。霊が地上生活に入るのは霊性の発達、言わば自己改革のためです。その観点からすれば、幼少時代の物質性の弱さが背後霊による指導に反応しやすくします。その結果、邪悪な性向が抑えられ、問題のある性格がある程度まで改善されます。この抑制と改善は親たるべく神から運命づけられている者にとって、厳粛な使命でもあるのです。

このように、幼児期というのは有用であり必要不可欠であるばかりでなく、それ以上に、宇宙を支配する神の摂理の自然な配剤でもあるのです」
〈親しみを感じる人・虫の好かぬ人〉


――前世で知り合ったり愛し合ったりした二人が次の地上生活で出会った時、それと分かるものでしょうか。


「互いに認識し合うことはできません。しかし互いに親しみを感じるかも知れません。そうした前世での縁が親和力となって次の地上生活で愛情関係へと発展することはよくあることです。偶然としか思えない事情の重なりで一緒になることはよくあることで、それは実は偶然ではなく、このごった返した人間の集まりの中にあって無意識のうちに二人の霊が求め合っていた、その結果です」


――認識し合えればもっと良いのではないでしょうか。


「必ずしもそうとは言えません。過去世の記憶には、あなた方が単純に想像するのと違って、大きな不都合が伴うものです。死後には互いに認識し合い、それまでの過去世を思い出すことになります」


――親しみを感じる場合は決まって前世での縁があるからでしょうか。


「そうとは限りません。人間としての前世での縁がなくても、霊的に親和性がある場合は自然に打ち解けます」


――反対になぜか初対面の時から虫が好かない間柄というのがありますが、何が原因でしょうか。


「霊的な斥力(せきりょく)が働いて、互いに言葉を交わさなくても互いの本性を直感して反発し合うのです」


――その場合、どちらか一方または双方に邪悪な性質があることの表れでしょうか。


「反発を感じるからといって必ずしも邪悪であるとは限りません。反発を感じるのは類似性が欠けているからに過ぎないこともあります。その場合でも互いに霊性が向上すれば相違の陰影が薄れていき、反発心も消えていきます」
〈過去世の記憶〉


――再生した霊はなぜ過去の記憶が消えるのでしょうか。


「神がその無限の叡知によって人間に全てを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。遮ってくれている忘却という名のベールがもし無かったら、暗闇からいきなり直射日光にさらされたように、人間は目が眩んでしまいます。過去世のことを忘れているからこそ自分を確保できているのです」


――地上生活の艱難辛苦は、それもやむを得ないほどの過去の悪事を思い出すことができて初めて納得がいくと思うのです。ところが再生の度に前世を忘れていけば、どの地上人生も初体験と同じであることになります。神の公正はどうなるのでしょうか。


「新しい物的生活を体験するごとに霊は叡知を身につけ、善悪を見分ける感覚が鋭敏になって行きます。そして死の現象を経て本来の生活(霊界での生活)に戻ると、地上での全生活が披露されます。犯した罪、苦しみを生み出した悪行を見せつけられ、同時に、その時どうすればそれが避けられたかも見せられます。その結果各自は、自分に割り当てられた善悪両面の摂理による裁きについて得心がいきます。

そこまで来ると今度は、地上に残してきた罪科の後始末のために、もう一度再生したいという願望が生じます。前回しくじったのと同じ環境条件のもとでの新たな挑戦を求め、先輩霊たちにも援助を要請します。その中には守護霊となるべき霊もいます。守護霊は前回の地上生活での失敗原因を熟知していますから、同じ条件下で遠慮のない試練を与えます。悪想念、罪悪への誘惑によって彼を試します。それに対して、親の躾のお蔭で誘惑に打ち勝ったと思えるケースもあることでしょう。が、実際は彼自身にそなわった善悪判断のモニター、いわゆる良心の声に従ったからなのです。

しかし、その良心の声にこんどこそ従うことが出来たのは、二度と同じ過ちを犯すまいと誓った過去の体験があるからなのです。新たな物的生活に入った霊は、このように堅忍不抜の覚悟で臨み、悪行への誘惑に抵抗し、かくして少しずつ霊性を高めて、霊の世界へ戻った時には一段と向上しているのです」


――そうした過去世についての啓示は地上生活中には得られないのでしょうか。


「誰でもというわけには行きません。どういう人物だったとか、どういうことをしたといった程度のことなら、垣間見ている人は少なくないでしょう。が、それについて語らせたら、奇妙な啓示になってしまうでしょう」


訳注――霊感者とかチャネラーとかが人の前世を語るのを私は、かねがね、霊的原理から言って有り得べくもないことなので奇妙なことだと思っていたが、この回答はそれを見事に指摘してくれていて、すっきりした気分になった。前世についてはシルバーバーチも「一瞬のひらめきの中で垣間見るだけ」と言っているように、人間がとかく想像しがちな、まるでビデオを見ているようなものとは違うのである。

それを、まるで小説でも書くような調子で、さる女優の前世を長編の物語にした米国人チャネラーがいて、それが翻訳されて日本でもベストセラーになったことがあるが、私にとっては一般の人々のいい加減さに幻滅を覚えるだけだった。案の定その後それがチャネラーの作り話にすぎないことが判明して、当の女優も「人を惑わすようなことは二度としたくない」とサイキックニューズ紙で語っていた。確かに“人を惑わすもの”で、これに係わった者は全員、霊的に罪を犯したことになる。


――自分の過去世について漠然とした記憶があって、それが目の前をさっと通り過ぎ、もう一度思い出そうとしても思い出せないという人がよくいるのですが、そういう場合は幻影でしょうか。


「真実の場合もありますが、大体において幻影であり、用心が肝要です。想像力が興奮状態になった時の反映に過ぎないことが多いからです」


訳注――『霊媒の書』に“憑依に至る三つの段階”というのがあるが、これはその第二段階で、低級霊が当人の思考過程の中に入り込もうとしているケースである。だから“用心が肝要”と言っているのである。


――地球より発達した天体上では前世をもっと正確に思い出せるのでしょうか。


「その通りです。まとう身体の物質性が薄らぐにつれて、宿る霊の回想力が鮮明になります。波動の高い天体で生活している者にとっては、過去の記憶は地球の人類より遥かに鮮明です」


――人生の有為転変は過去世の罪滅ぼしであるとなると、その有為転変を見て、その人の前世についておよその推察は可能でしょうか。


「可能なことはよくあるでしょう。受ける罰は犯した悪行に対応するのが鉄則ですから。しかし、それを全てに当てはまる尺度とするのは関心しません。直観的判断の方が確実です。霊にとっての試練は過去の行いに対応すると同時に未来のためを考慮に入れたものなのですから」

Friday, August 16, 2024

シアトルの夏 愛の力 全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。

 Love, which is the source of all life, flows onto the earth through each and every human being seeking greater expression.


Guidance from Silver Birch1−8
Edited by Anne Dooley

 愛は大きさを測ることができません。重さを測ることもできません。いかなる器具をもってしても分析することはできません。なのに愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。

愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。宇宙がその宿命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。

生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。辿り着いた高級霊界からの遼遠の旅路の末に再び地上に舞い戻り、古くかつ新しい名言〝愛は死を乗り超える〟を改めて宣言することができるのも、この愛あればこそです。

 あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。

昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。日常の煩瑣(はんさ)な雑事の渦中にあって、時には僅かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。

 心に怖れを宿してはいけません。完全に拭い去らないといけません。誕生以来今日までずっとあなたを導いてきた霊が、今になって見捨てるはずがありません。これまで日夜あなたの生活の支えとなってきたのであり、これ以後もずっと支えとなることでしょう。

なぜなら、あなたに絶対成就してもらわねばならない仕事があるからです。霊がこの世へ携えて来た能力がこれからもその役目を果たしていきます。こちらから援助に当たる霊の背後には宇宙の大霊すなわち神の力が控えております。それは決して裏切ることはありません。

 宇宙は無限・無窮の神的エネルギーによって存在しております。しかし地上の人間の圧倒的多数はそのエネルギーのごくごく僅かしか感識しておりません。

受け入れる条件が整わないからです。ですから、あなた方人間はその神の恩寵を存分に受け入れるべく、精神と魂を広く大きく開く方法を学ばねばなりません。それには信念と信頼心と信仰心と穏やかさと落着きを身につけなければなりません。

 そうしたものによって醸し出される雰囲気の中にある時、無限のエネルギーから莫大な豊かさを受けることができます。それが神の摂理なのです。そういう仕組みになっているのです。受け入れ、吸収する能力に応じて、エネルギーが配給されるということです。

受容力が増せば、それだけエネルギーも増します。それだけのことです。悲哀の念が消えるに従って、魂を取り巻いていた暗雲が晴れ、確信の陽光がふんだんに射し込むことでしょう。

 宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。

愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。そして、いつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。

 好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する──これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。
 
確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。他人に出来ないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。

 最高の徳は愛他的です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。愛らしい顔をした子供を治療してあげる、これはやさしいことです。しかし、奇形の顔をした気の毒な人、ぞっとするような容貌の人を治療するのは並大抵の心掛けでは出来ません。が、

それが奉仕です。真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登って行けば、己れのために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界に辿り着きます。ただ施すのみの世界です。

 願わくばあなた方の世界も是非そうあってほしいと思うことしきりです。私たちのことが理解できない人々はいろいろと勝手なことを言ってくれますが、私たち自身はどう評価されたいとも思っておりません。

手の届くかぎりの人々に手を差しのべたいと思うだけです。その意味でも、あなた方には霊の世界の最高レベルの階層と感応するよう努力していただきたい。

あなた方は決して孤軍奮闘しているのではないこと、まわりにはあなた方を愛する人々、手引きし援助し鼓舞せんとする霊が大勢取り囲んでいることを認識していただきたい。

そしてまた、霊的開発が進めば進むほど、宇宙の大霊である神へ向けて一歩一歩近づきつつあり、よりいっそう、その摂理と調和していきつつあることを理解していただきたいのです。

 単なる信仰、ただそう信じているというだけでは、厳しい体験の嵐が吹けばあっけなく崩れてしまいます。が知識に根ざした信仰はいかなる環境にあってもゆるぎない基盤を提供してくれます。霊の力の証を授からなくても信じられる人は幸いです。が、

証を授かり、それ一つを手掛かりとして他の多くの真理を信じることのできる人は、それ以上に幸いです。なぜならばその人は宇宙の摂理が愛と叡知そのものであるところの霊の力によって支配されていることを悟っているからです。

 人生とは生命そのものの活動であり、霊的であるが故に死後も永遠に続くことは立証可能な事実です。かくして人間は地上にあっても霊的存在であり物質的存在ではないこと、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないということを自覚することができます。

物質界への誕生は測り知れない価値ある遺産の一部を享けることです。霊であるからこそ物質と結合し、活動と生命を賦与することができるのです。その霊は宇宙の大霊の一部であり、本質的には神性を具え、性質的には同種のものであり、ただ程度において異なるのみです。

 我欲を棄て他人の為に自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。

排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面とがあるものです。

 家族的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されていることがよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。

その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。

愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます。

 霊の世界へ来た者がなぜ地上に舞い戻って来るかご存知ですか。大多数の人間にとって死は有難いことであり、自由になることであり、牢からの解放であるのに、なぜ戻って来るのでしょうか。霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。

地上の住民を脅かす老いと病いと数々の煩悩に別れを告げたのです。なのに、地上との間に横たわる測り知れない困難を克服してまで自ら志願して帰って来るのは、あなた方への愛があるからです。彼らは愛の赴くところへ赴くのです。

愛のあるところに存在するのです。愛あればこそ役に立ちたいと思うのです。霊界において如何なる敵対行為が私達へ向けられても、妨げんとする邪霊集団の勢力がいかに強力であろうと、それが最後には効を奏することができないのは、そうした愛に燃えた霊たちの働きがあればこそです。
 
 これまでに得させて頂いたものを喜ぶべきです。浴し得た恩寵に感謝すべきです。愛は死よりも強いこと、立ちはだかる障害も愛によってきっと克服されるという認識を得たことを有難く思うべきです。あなた方を包む愛によって存分に慰められ、支えられ、励まされるがよろしい。

その愛の豊かさはとても私には表現し尽くせません。時には何とか伝えてみようと努力することもあるのですが、あなた方の心臓の鼓動よりもなお身近にあるその愛の深さはとうてい人間の言語では表現できません。

 あなた方はこれまで、愛に発する利他的行為、英雄的行為、奉仕的行為、滅私的行為による目覚ましい成果を見て参りましたが、霊界の高級霊が生命力そのものを結集してあなた方を温く包む、その愛の底知れぬ潜在力はとうてい推し測ることはできません。

もっとも、それを受け入れる器がなければ授かりません。それが摂理なのです。理屈は分かってみれば簡単です。資格ある者が授かるというだけのことです。

霊力は無尽蔵です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。人間が少しでもその受容能力を増せば、その分だけを授ける用意がこちらにはいつでも出来ております。が、それ以上のものは絶対に授けることはできません。

 常に上を向いて歩んで下さい。下を向いてはいけません。太陽の光は上から差します。下からは照らしません。太陽は永遠の輝きの象徴です。霊的太陽は啓蒙と活力の源泉です。内在する霊に刺激を与えます。自分が本質において永遠なる存在であり何事も修行であることを忘れぬ限り、何が起きようと意気消沈することはありません。

霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。

 神聖こそ、その無限の愛の抱擁力によって私たちを支えている力であり、その尊い遺産を発揮し宿命を成就するよう導いてくれる力です。宇宙における最大の力であり、極大極小の別なく全ての現象を根本において操っております。魂のそれぞれの必要性を察知し、いかにしてそれを身につけるかを知らしめんと取り計らってくれます。

自分とは一体何なのか、いかなる存在なのか、いかなる可能性をもつかを徐々に悟らせる方向へと導いてくれます。ですから、私達は愛をもって導いてくれるこの力に安心して身を任せようではありませんか。その愛の導きに身を委ね、いついかなる時も神の御手の中にあることを自覚しようではありませんか。

 完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。進歩した霊はいついかなる時も恐れることがありません。なんとなれば、自分に神が宿る以上は人生のいかなる局面に遭っても克服できぬものはないとの信念があるからです。

これまであなたを包んできた愛が今になって見放すわけがありません。それは宇宙の大霊から放たれる無限なる愛であり、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り、人のために役立たんと志す人々の力となります。

気力喪失の時には力を与え、悲しみの淵にある時は慰めを与えてくれます。あなたの周りに張りめぐらされた防御帯であり、決して破られることはありません。神の力だからです。

 私ども霊界の者が是非とも提供しなけらばならない証は、愛が不滅であること、死は愛し合う者の仲を裂くことはできないこと、物的束縛から脱した霊は二度と死に囚われることがないということです。愛の真の意義を悟るのは霊の世界へ来てからです。

なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。宇宙の大霊の顕現なのです。互いが互いのために尽くす上で必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。邪なるもの、害なるものを知りません。愛は己れのためには何も求めないのです。

 死は地上生活の労苦に対して与えられる報酬であり、自由であり、解放です。いわば第二の誕生です。死こそ真の生へのカギを握る現象であり、肉の牢の扉を開け、閉じ込められた霊を解き放ち、地上で味わえなかった喜びを味わうことを可能にしてくれます。

愛によって結ばれた仲が死によって引き裂かれることは決してありません。神の摂理が顕幽の隔てなく働くと言われるのはそのことです。愛とは神の摂理の顕現であり、それ故にありとあらゆる人間の煩悩── 愚かさ、無知、依怙地、偏見等々を乗り超えて働きます。

 二人の人間の愛の真の姿は魂と魂の結びつきです。神はその無限の叡知をもって、男性と女性とが互いに足らざるものを補い合う宿命を定めました。両者が完全に融合し合うことこそ真の愛の働きがあり、互いに補足し合って一体となります。

愛は無限なる霊の表現ですから、低い次元のものから高い次元のものまで、無限の形をとります。すなわち磁気的で身体的な結びつきから精神的な結びつき、さらには根源的な霊的な結びつきへと進みます。

その魂と魂との結びつきが地上で実現することは極めてまれなことであり、むしろ例外的なことに属します。が、もし実現すれば両者はその宿命を自覚し、一体となります。これが魂と魂との真の結婚の形態です。

 これは本来一体である親和性をもった魂が二つに分かれて地上へ顕現しているという、いわゆる〝同類魂〟(アフィニティー)の思想で、古来からあります。それが再び一体となるには何百万年、何千万年もの歳月を要します。それが僅か五十~七十年の短い期間に地上という小さな天体上で巡り合うということは極めて異例のことです。

幸いにしてその幸運に浴した時は、それは神がそう図られたとしか考えられません。そしてそのアフィニティーの二人は死後も融合同化の過程を、人智を超えた歳月にわたって続けます。人間的個性を少しずつ脱ぎ捨て、霊的個性をますます発揮していき、その分だけ融合の度合いを深めていくことになります。
 
 愛は血縁に勝ります。愛は死を乗り超えます。愛は永遠不易のエネルギーです。それが宇宙を支配しているのです。神の意図によって結び合った者は生涯離れることなく、死後も離れることはありません。墓には愛を切断する力はありません。愛は全てのものに勝ります。

なぜなら、それは宇宙の大霊すなわち神の一表現だからです。そして神の統一体(※)としての一部を構成するものは永遠にして不滅です。(※それを欠けば完全性を失う必須の存在。──訳者)
         

Thursday, August 15, 2024

シアトルの夏 あなたとは何か 

who you are?


 いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。  

 ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。これまであなたはその身体に包まれた〝小さな自分〟以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。

今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。お分りにならないでしょう。


 となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。

 そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。

霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。

 それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。

その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。

 この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。

 あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることが出来ます。

その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。

 あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。

 宇宙にはある計画に沿った〝摂理(きまり)〟というものがあります。私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。東洋の諺に〝師は弟子に合わせて法を説く〟というのがあります。霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。

こちらから求めなくても良いのです。豁然と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。

 と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。

内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。

 悲しいかな、あまりに多くの人々が暗黒の霧に取り巻かれ、人生の重荷に打ちひしがれ、病める身と心と魂を引きずりながら、どこへ救いを求めるべきかも分からずに迷い続けております。私どもはこうした人々に救いの手を差し延べなければならないのです。

 もしも私どもが霊性の開発が容易であるとか、暗黒の中にささやかなりとも光明をもたらしたいと願う人々の仕事が楽に達成されるかのような口を利くことがあれば、そのこと自体がすでに私どもの失敗を証言していることになりましょう。

決してそんな容易なものではありません。歴史を見てもその反対を証言することばかりです。真理と誤謬とがいつ果てるともない闘いを続けております。たぶん〝完全〟が成就されるまで続くことでしょう。しかし完全ということは事の性質上絶対に成就されることはありません。その意味で私どもは長く困難で苦労の多い仕事に携わっているわけです。

 これより先どれほどの偏見と反感と敵意と誤解と迷信と故意の敵対行為に遭遇しなければならないかは、あなた方には想像もつかないことでしょう。

怖じけづかせようと思って言っているのではありません。事を成就するためにはそのあるがままの背景を理解しておく必要があるからです。私にはその大変さがよく分かるのです。

 これまでも私は可能な限りの力を駆使して、克服不可能と思われた障害を克服して、あなた方の世界に近づいてまいりました。私一人の力ではありません。私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。なぜその必要があるのか。

それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭堡を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破壊に陥れることになるからです。

 人類は物質文明を自負しますが、霊的には極めてお粗末です。願わくはその物質文明の進歩に見合っただけの霊性が発達することを祈ります。つまりこれまで〝物〟に向けられてきた人間的努力の進歩に匹敵するだけの進歩が精神と霊性の分野にも向けられればと思います。

 進歩に霊性が伴わない今の状態では、使用する資格のないエネルギーによって自ら爆破してしまう危険があります。そこで私どもは、地上生活全体の根幹であるべき霊的真理に従って各自が生活を営めるように、ということを唯一の目的として努力しているのです。

 嫉妬心、口論、諍い、殺人、戦争、混乱、羨望、貪欲、恨み、こうしたものを地上より一掃することは可能です。そして、それに代わって思いやりの心、親切、優しさ、友愛、協力の精神によって生活の全てを律することができます。

それにはその根幹として、霊性において人類は一つであるとの認識が必要です。決して救いようのないほど暗い面ばかりを想像してはいけません。

明るい面もあります。なぜならそうした障害と困難の中にあっての進歩は、たった一歩であっても偉大な価値があるからです。

 たった一人でいいのです。全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。そして一人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。

 霊の宝は楽々と手に入るものではありません。もしそうであったら価値はないことになります。何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利といえるでしょうか。何の苦労もせずに頂上を征服したとしたら、それが征服と言えるでしょうか。

霊的進化というものは先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。なぜなら、それは前人未踏の地を行きながら後の者のために道標を残していくことだからです。そこに霊的進化の真髄があります。

 〔地上の人間が何かを成就しようとして努力する時、少なくとも同等の、あるいは多くの場合それ以上の援助の努力が霊界において為されていることを強調して次のように述べる──〕

 援助を求める真摯な熱意が等閑(なおざり)にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。その時に発生する背後での霊的事情の実際はとても言語では説明できません。

元来地上の出来ごとを表現するように出来ている言語は、それとは本質的に異なる霊的な出来ごとを表現することは不可能です。どう駆使してみたところで、高度な霊的実在を表現するにはお粗末なシンボル程度の機能しか果たせません。

 いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一種の悟りを開きます。大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気付かぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。

 人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体があって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。

 肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。

その辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出はじめたのです。ようやく暗闇の世界から光明の世界へと出て来たのです。あとは、あなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。

 そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。霊性を一切行使することなく生活している人間は、あたかも目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えます。

 霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。

霊の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。物的なものが全て色褪せ、錆つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。

 魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。

これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。

 この霊的自覚が確立された時、あなたにはこの世的手段をもってしては与えることも奪うことも出来ないもの──盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ──自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。

 人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。どうか、何処でもよろしい、種を蒔ける場所に一粒でも蒔いて下さい。冷やかな拒絶に会っても、相手になさらぬことです。

議論をしてはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません。無理して植えても不毛の土地には決して根付きません。根づくところには時が来れば必ず根づきます。あなたを小馬鹿にして心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねて来ることでしょう。

 私たちを互いに結びつける絆は神の絆です。神は愛をもって全てを抱擁しています。これまで啓示された神の摂理に忠実に従って生きておれば、その神との愛の絆を断ち切るような出来事は宇宙のいずこにも決して起きません。

 宇宙の大霊である神は決して私たちを見捨てません。従って私たちも神を見捨てるようなことがあってはなりません。宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に辿っております。地球は地軸を中心に自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、恒星も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も永遠の巡りを繰り返しています。

種子は芽を出し、花を咲かせ、枯死し、そして再び新しい芽を出すことを繰り返しています。色とりどりの小鳥が楽しくさえずり、木々は風にたおやに靡(なび)き、かくして全世命が法則に従って生命活動を営んでおります。

 私たちはどうあがいたところで、その神の懐の外に出ることはできないのです。私たちもその一部を構成しているからです。どこに居ようと私たちは神の無限の愛に包まれ、神の御手に抱かれ、常に神の力の中に置かれていることを忘れぬようにしましょう。

シルバーバーチ

Wednesday, August 14, 2024

シアトルの夏 生命の四つの形態

Four forms of life

霊の書
アラン カデラック

このページの目次