Monday, August 25, 2025

シアトルの晩夏 古代霊 シルバーバーチ不滅の真理 

Silver Birch Companion   Edited by Tony Ortzen
一章  人生でいちばん大切なこと 

    シルバーバーチの霊言には、一貫して説かれている珠玉の教えが幾つかある。その一つが〝人のために役立つことをしなさい〟という教えである。これをシルバーバーチは〝サービス〟という一語で表現することがある。〝リップサービス〟(口先だけのお上手や見せかけの好意) ではなく、

日常生活の中での実のある親切がなかなか難しいものであることを知っていればこそ、そうした、まるで三歳の童子に説くような、簡単そうで実はなかなか実行できない素朴な教えを、繰り返し説くのである。

 シルバーバーチの交霊会はバーバネルの三十歳代に〝ハンネン・スワッファー・ホ-ムサークル〟の名称のもとに発足して、毎週一回、金曜日の夜に開かれていた。が、それも五十歳の声を聞く頃から二週間に一回、さらには月一回となり、七十歳代には不定期となっていった。

 が、交霊会に臨むバーバネルの態度は一貫して変ることがなかった。儀礼的なものは何もしない。応接間のソフア―に無造作に腰掛けると、メガネをはずし、グラスの水を飲み干してから、瞑目する。するとその顔の形相が巻頭のインディアンの肖像画そっくりに変貌し始める。

そして、鼻に掛ったいびきのような声を発しながら、何やらムニャムニャと一人ごとを言ったあと、「では始めることに致しましょう」と言って、インボケ―ションという〝開会の祈り〟の言葉を述べ始める。

時には
 「もう少し待って下さい。霊媒のトランス状態をもうすこし深めますので・・・・・・」 と言って静かにしていることもある。その意味するところ、極めて深長である。


 その日の交霊会も同じような要領で始まり、次第に〝サービス〟の大切さへと話が発展し、

 「いかなる分野の仕事にたずさわっていても同じことです。人に役立つことをするチャンスは決して見逃してはなりません」

と述べてさらにこう続けた。

 「私がこれまで皆さんにお教えしたかった教訓はそのことに尽きるのではないでしょうか。サービスこそ〝霊の正貨〟であること、それが霊の唯一の財産であること、それは天下の回り物であり、一人が独占すべきものではないということを理解していただこうと苦心してきたのです。

 知識には責任が伴います。このことを私は何度申し上げてきたことでしょう。責任とは、自分が手にした知識をタンスにしまい込んでいてはいけない───賢明にそして上手に使用するということです。

 霊の世界からこうして地上に戻ってくるのは、ただ単に皆さんを喜ばせるためではありません。死んだと思っていた人たちが別の世界で生き続けている事実を知ることによって魂が目を覚まし、生きる意欲を鼓舞され、それがひいては同胞のために役立つことをしたいという願望を抱かせることになることを望んでいるのです。

 それは何も、公開交霊会で大勢の聴衆を前にしてデモンストレーションをやったり、こうして家庭的な交霊会で少数の出席者を相手に語るといった形のものでなくてもいいのです。人さまのためになることをしてあげるチャンスなら日常生活に幾らでも転がっております。

高級界の神霊が地上人類に対して抱いている愛は、みなさんが日常生活において、本当に困っている人に手を差し伸べようとする時に抱く愛と同じものなのです。

 世の中を見回してごらんなさい。心の痛みに耐えている人、困り果てている人、悲しみに暮れている人、人生に疲れ、当てもなく戸惑っている人、信仰の基盤が揺さぶられ、今まで大事にしてきたものが全て無価値であることを知り、

しかもそれに代わる導きも手助けも希望も見いだせずにいる人、そういう人たちがいかに多いことでしょう。そういう人たちのために為すべきことがいくらでもあります。
℘26
 それとは別に信仰が足枷となっている人、教義やドグマ、儀式や慣習によって自らの牢獄をこしらえてしまっている人がいます。そういう人たちには、自由を見出す方法、魂の解放の手段を教えてあげないといけません。

 現在の地上には、正しい知識を手にした人による援助を必要としている人が無数におります。間違った信仰、盲目的信仰、迷信、独りよがり、商売根性にしがみついている人がいるかぎり、みなさんが活動する場があるということになります。

同じ大霊の子でありながら霊的真理について何も知らない人がいるかぎり、みなさんにも私たちにも、為すべき仕事があるということです。

 それこそが、私たちが使命と心得てたずさわっている仕事です。要するに真理を広めるということです。霊的真理に浴し、間違いと迷信、その背後の原因である無知によって生み出されている暗黒を打ち払わないといけません。

 その一方には、そうした仕事を阻止しようとする勢力がいます。昨日、今日の話ではありません。幾世紀にもわたって私たちに戦いを挑んできております。それを退治するのも仕事の一つです。

一時的には後退のやむなきに至ることはありますが、計画は着実に進歩し、反抗勢力は次第に勢力を失いつつあります。
℘27
 人間の魂は、いつまでも牢獄に閉じ込められたままでは承知しません。永遠に暗闇の中で暮らす者はいません。いつかは魂が光明を求めるようになります。神性を秘めた魂が、暗い沈滞状態に不快を覚えるようになります。自由を求めるようになるのです。

束縛された状態に嫌気を覚えるようになるのです。そうした段階に至った人たちのために、できるだけ多くの霊的真理を普及させる仕事を続けていないといけないのです。

 それが又、いつかは必ず受け入れられる日が来るとの信念のもとに、理想を掲げ続けなければならない理由でもあるのです。愚かな敵対者による蔑みの声も耳に入るでしょうが、そうしたものにも耐え抜かないといけません。

弱みを見せない限り、そんなものによって傷つくようなことはありません。相手にしないことです。いかなる相手にも憎しみを抱くことなく、全ての人に愛を持って、艱難を征服し、そして勝利しなくてはなりません。

 それが霊的教訓の基調なのです。最も大切な教えとして、しっかりと心に植え付けて置かないといけません。一冊の書物でもよろしい。優しい言葉一つでもよろしい。心強い握手でもよろしい。

不自由な身体の人の手を取ってあげることでもよろしい。心温まる贈り物を届けてあげるだけでもよろしい。サービスのコインはいつでも差し出せるように用意しておいてください」



 別の日の交霊会で、地上時代の名を聞かれたシルバーバーチは───

 「私は荒野に呼ばわる声(※)です。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということに、いったい何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは、私の行為で判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するに今こうして人間界で私がたずさわっている仕事が、暗闇に迷える人々の心の灯火となり慰めとなったら、それだけで私はうれしいのです」


  ※───マタイ伝に出てくる、世に容れられない警世家のこと───訳者。

 シルバーバーチがインディアンでないこと、本来の高次元の世界と地上との間の橋渡しとしてインディアンの幽体を使用している高級霊であることまでは、われわれも知っている。

が、これまで、好奇心から幾度地上時代の実名を訊ねても、一度も明かしてくれていない。肩書よりも仕事の成果の方を重んずるのである。自分個人に対する賛美を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界での一役を担うものとして、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。私のことを常に〝代弁者〟(マウスピース)としてお考えください。地上に根づこうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊団の声を代弁しているにすぎません。

 私の背後には延々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意思の統一のもとに、一丸となって臨んでおります。私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとく、彼らも私を使用し、長いあいだ埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘り起こされ、無数の男女の生活の中で本来の場を得て行きつつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」


───でも、あなたは私たちにとっては単なるマウスピースではなく、実在の人物です。
℘30
 「私は何も、この私には個性がないと言っているのではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って、共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

 身分の高い低いも関係ありません。差があるとすれば、それまでに各自が積み上げてきた霊的成長だけです。開発した霊的資質と能力とを自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分よりも恵まれない人の為に、持てるものを提供する。

かくして地上の最低界 (※) から天界の最高界に至るまで、連綿として強力な霊的影響力が行きわたっているのです」

 ※───地上の人間から見れば他界した人間はみんな霊界の存在と思いがちであるが、目に見えなくなったからそう思えるまでのことであって、波動の原理から言えば、相変らず地上的波動から抜けだせない者がいて、地上生活から持ち越した感覚、感情のままで生活を続けている。その種の霊を〝自縛霊〟という。

ここでいう〝最低界〟とはその種の霊が類をもって集まっている界層のことで、古くから〝地獄〟とか〝暗黒界〟とかいわれているのがこれに相当する。神や悪魔がこしらえたのではなく、波動の原理で自然に出来上っているもので、霊性が高まって波動が変われば、それ相当の界層へ行くことになる───訳者
℘31  

───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかしその完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の日の交霊会で次のように述べている。

「これまで私は、あなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格をそなえた存在であろうと、

それはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、出来うるかぎりの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。
℘32
よろしいですか、私は確かに一方では永遠の真理を説き、霊力の存在を明かさんとしている教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

 どうぞ困ったことがあれば、どんなことでもよろしい。この私をお呼びください。もし私に出来ることがあれば、ご援助いたしましょう。もし私に手出しの出来ないことであれば、あなた方自らが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の交霊会でもこう語っている。

 「これまでの長い霊界での生活、向上進化をめざして励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことは、すべて、愛の心をもって快く皆さんにお教えしております。神はそれをお許しくださっていると信じるからです。

 ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方のどれほど情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するに、あなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的と致しております。

 私たち霊団の者は、功績も礼も感謝もいっさい求めません。お役に立ちさえすればよいのです。争いに代わって平和を見ることができれば、涙にぬれた顔に代って幸せな笑顔を見ることができれば、涙と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体となっていただくことができれば、

悲劇をなくすことができれば、意気消沈した魂に巣食う絶望感をぬぐい去ってあげることができれば、それだけで私たちは、託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 願わくは神の祝福のあらんことを。願わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い。神の愛があなた方の心を満たしたまい、その力を得て、代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを、切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは、自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛を、よく披歴する、盛夏を迎え、これで交霊界もしばし休会となる (※) 最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

℘34
 ※───ここでは夏休みのことを言っており、これは人間界の慣習に従って休みとするだけであるが、それ以外にも霊界側の慣習に従って休会とする時期が二度ある。イースターとクリスマスである。これは人間界の、しかもキリスト教の慣習という認識が一般的であると思うが、シルバーバーチを始めとする信頼のおける高級霊の一致した意見として、

本当は霊界の高級神霊によって催される審議と讃仰の大集会が地上に反映したものだという。日本でいう春分から立夏、すなわち三月から四月にかけてと、立冬から冬至、すなわち十一月から十二月掛けての時期に相当するようである。

私個人の考えを言わせていただけば、神道の祝詞にある 「八百万の神たちを神集(かむつど)へに集い賜え、神議(かむはか)りに議り賜ひて・・・・」 とあるのは、これに類するものではないだろうか───訳者。


 「この会も、これよりしばらくお休みとなりますが、私たちは、無言とはいえ、すぐお側にいて、ひき続きあなた方に可能なかぎりのインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

 一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして、ほんの束の間ですが、本当の我が家へ帰られます。その時のあなたがは、私たちと共に、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰で、こうして数々の障害を克服して語り合えるようになりましたが、ふだんは物質というベールによって隔てられております。でも霊的には、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお届けする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思って下さい。私たちは、最も身近で最も親密な存在であるあなた方のために尽くすことによって神に奉仕する僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間薄明かりの中でしゃべる声としてではなく、いつもあなた方の身の回りにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命にあふれた、生きた存在としてお考えください。

語る時にこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは、まだるい限りですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼び下さい。私にできることなら喜んで援助致しましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもう、よくご存じでしょう。

℘36
 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。

その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、よせては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に、神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。

数多くの啓示が盛りこまれている聖典だけではありません。大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうした様々な形───語りかける声と、声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」


 こう述べたあと、最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して、世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて、会を閉じた。

 「私は、あなた方の愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。

また、あなた方に自分と言う存在についてもっと多くを知っていただく───つまり霊的にいかに素晴らしく出来上っているかを知っていただくべく努力してまいりました。

 さらに私は、あなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。宗教的儀式のうわべに囚われずに、その奥にある宗教の核心、すなわち援助を必要とする人々のために手を差し伸べるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

 絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方が、まず自ら体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。
℘38
 私はかつて一度たりとも、卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

常に人間の理性と知性に訴えるよう心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査、探求にも耐え得るものであることを主張してまいりました。

 そうした私に世界各地から寄せられる暖かい愛の念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身してくださるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるように神に祈りたいと思います。

 私たちは間もなく会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたびお会いできる日を、大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでのことです。けっして私という霊が去ってしまうわけではありません。

 もしあなた方の進む道を、影がよぎるようなことがあれば、もし何か大きな問題が生じたときは、もしも心に疑念が生じ、そして迷いが生じた時は、どうぞそれらは実在ではなくて影にすぎないことを自分に言い聞かせて、羽根を付けて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください。あなた方はお一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この動的宇宙を顕現せしめ、有機的・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力───恒星も・惑星も、太陽も月も生み出した力───物質の世界に生命をもたらした力

───人類の意識に神性の一部を宿らせた力───完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大もらさず経綸しているところの巨大な力───その力は、あなた方が見放さないかぎり、あなた方を見放すことはありません。

 その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そしていついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知って下さい。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます。ごきげんよう」



℘40
  二章  死は第二の人生の始まり


 一寸先は闇の世の中といわれる人生において、一つだけ確実に予言できることがある。みんな〝いつかは死ぬ〟ということである。若くして死ぬ人がいる───往々にして悲劇的環境の中で・・・・・・長寿番付に名を連ねて、大往生を遂げる人もいる。が、おそかれ早かれ、みんないつかは死ぬのである。

 死について、また死後の生命について、いくら明るく健全な知識を手にした人でも、やはり身近な人の死は辛く悲しい体験であることには間違いない。ある日の交霊会でシルバーバーチは、こう述べた。

 「私の説く真理を極めてあたり前のことと受け取る方がいらっしゃるでしょう。すでにたびたびお聞きになっておられる方はそうでしょう。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮、さまざまな発達段階にある人類を相手にしていることですから、それは当然のことでしょう。

 私の述べることがどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定なさる方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人とみなされている人種の言っていることだということで一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし、真理は真理であるがゆえに真理であり続けます。

 あなた方にとって当たり前となってしまったことが、人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神とつながっている───私たち霊団が携えてくるメッセージは、いつもこれだけの単純な事実です。

神とのつながりは絶対に切れることはありません。時には強められ、時には弱められたりすることはあっても、決して断絶してしまうことはありません。

 人間は向上もすれば堕落もします。神のごとき人間になることもできれば、動物的人間になることもできます。自由意志を破壊的なことに使用することもできますし、建設的なことに使用することもできます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。

 こうした真理は、教会で朗唱するためにあるのではありません。日常生活において体現していかなくてはなりません。飢餓、失業、病気、貧民街(スラム)といった、内部に宿る神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすることにつながらなくてはいけません。
℘41
 私たちのメッセージは全人類を念頭においております。いかなる進化の段階にあろうと、そのメッセージには、人間の全てが手に取り、理解し、そして吸収すべきものを十分に用意してあります。

 人類が階段の一つに足を置きます。すると私たちは、次の階段でお待ちしています。人類がその段まで上がってくると、また次の段でお待ちします。こうして一段又一段と宿命の成就へ向けて登っていくのです」

 
 別の交霊会で肉親を失って、その悲しみに必死に耐えている人に対して、シルバーバーチがこう述べた。

 「あなたの、霊の世界を見る目が遮られているのが残念です。霊の声を聞く耳が塞がれているのが残念です。その肉体の壁を越えてご覧になれないのが残念です。今生きておられる世界が影であり実在でないことを悟っていただけないのが残念です。

あなたの背後にあって絶え間なく世話を焼いている霊の働きをご覧に入れられないのが残念でなりません。数々の霊───あなたのご存じの方もいれば、人類愛から手を指しのべている見ず知らずの人もいます───が、あなたの身のまわりに存在していることが分かっていただけたなら、どんなにか慰められるでしょうに・・・・・・。地上は影の世界です。実在ではないのです。

 私たちの仕事は、こうした霊媒を通してのものばかりではありません。もちろん、人間世界特有の (言語によって意思を伝える) 手段によって私たちの実在を知っていただけることを有り難く思っておりますが、実際には、皆さんの目に見えず耳に聞こえずとも、みなさんの現実の世界に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、みなさんの性格を伸ばし、魂を開発しております。

そうした中でこそ死後の生活に備えて、霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘うことができるのです」



 ある年の復活祭(イースター)の季節にシルバーバーチは〝死〟を一年の四季の巡りになぞらえて、こう語った。

 「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠の巡りに思いを馳せて御覧なさい。すべての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そして又、次の春までの眠りに備えて大自然が声をひそめはじめる秋。

 地上は今まさに大自然の見事な顕現───春・イースター・蘇り───季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりで安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が、いっせいに地上へ顕現する時期です。

間もなくあなた方の目にも樹液の活動が感じられるようになり、やがてつぼみが、若葉がそして花が目に入るようになります。地上全体の新しい生命の大合唱が響きわたります。
℘44
 こうしたことから、皆さんに、太古においては宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知っていただきたいのです。

彼らは移り行く大自然のドラマの星辰の動きの中に神々の生活、自分たちを見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。自分たちの生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として、最も大切に考えました。

 同じサイクルが人間一人一人の生命において繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人一人の魂において展開しているのです。

 まず意識の目覚めと共に春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。が、それですべてが終わりとなるのではありません。

それは物的生命の終わりです。冬が終わると、その魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。

 この教訓を大自然から学びとってください。そして、これまで自分を見捨てることのなかった摂理は、これ以降も自分を、そして他のすべての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信して下さい」


 スピリチュアリズムの普及に活躍していた同志が他界したとの報に接して、シルバーバーチはこう語った。

 「大収穫者である神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後に辿る道をより明るく飾ることをなさいます。

 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私たちの世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命のよろこびを味わい始める魂を迎えて、うれし涙を流します。

私はつねづね〝死〟は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しいよろこび、そして地上で発揮できずに終わった内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、よろこんでいることを説いております。
℘46
 ここにおいでの方は、他界した者は決してこの宇宙からいなくなったわけではないとの知識を獲得された幸せな方たちですが、それに加えてもう一つ知っていただきたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると、必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及のために奮戦している私たちの仕事に協力してくれているということです。

 その闘いは地上の至る所で、日夜続けられております───霊の勢力と、醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一時は後退のやむなきに至り、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお陰で勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進しつづけます。

 いずれあなた方も、その戦いにおいて果たされたご自分の役割、すなわち大勢の人々に慰めと知識を与えてあげている事実を知って、大いなる喜びに浸ることになりましょう。

今は、それがお分かりにならない。私たちと共に推進してきた仕事によって、生きるよろこびを得た人が世界各地に無数にいることを、今はご存じありません。

 実はあなた方も、こうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、なるほどと得心がいき、心の傷と精神の煩悶と魂の憧憬のすべてに応えてくれる真実を求めている、飢えた魂にとって何ものにも替え難い宝となっております。
℘47
 太古の人間が天を仰いで福音を祈り求めたように、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新しいしるしを求めて天を仰いできました。

そこで私たちが、あなた方の協力を得て、真実の知識をお持ちしたのです。それは、正しく用いさえすれば、必ずや神の子の全てに自由を───魂の自由・精神の自由だけでなく、身体の自由までも───もたらしてくれます。

 私たちが目的としているのは、魂を解放することだけではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることも大切です。つまり私たちの仕事には三重の目的があります。すなわち精神の解放と、魂の解放、身体の解放です。

 そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと、取り越し苦労性の人たちから、そう何もかもうまく行くものではないでしょうという反論に遭うであろうことは、私もよく承知しております。

しかし事実、私たちの説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私たちの説く霊的真理の適用できない側面はありません。
℘48  
 挫折した人を元気づけ、弱き者、寄るべなき者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐほどの家とてない人々に住居を提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いておられる時、それは実は、私たち霊の世界からやってくる者の仕事の一部であることを知っていただきたいのです。

そうした俗世的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的真理を知れば知るほど、自分より恵まれない人々への思いやりの気持ちを抱く様でなければなりません。

 その真理にいかなる肩書き(ラベル)をつけようと構いません。政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル───どれでもお好きなものを貼られるがよろしい。が、

それ自体は何の意味もありません。大切なのは、その真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に、生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」

℘49  
 そして最後に〝死〟にまつわる陰湿な古い概念の打破を説いて、こう述べた。

 「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私たちはこうした形で週一回お会いしてわずかな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し、接触を深めていく上で役立っております。

毎週毎週、あなた方の霊そのものが影響力を受けて、それが表面へ出ております、その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。


 また、こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも、役に立っております。人間にはこうしたものがぜひとも必要です。

なぜなら、人間は毎日、毎時間、毎分、あくせくと物的生活に必要なものを追い求めているうちに、つい、その物的なものが殻に過ぎないことを忘れてしまいがちです。それは実在ではないのです。

 鏡に映るあなたは、本当のあなたではありません。真実のあなたの外形を見ているに過ぎません、身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具にすぎません。

 その身体があなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力───全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の成長と進化を統制し、太陽を輝かせ、星をきらめかせている大霊の一部なのです。

 その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。

それは、あらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方が想像するいかなるものよりも偉大なる存在なる存在です。

 あなたはまさに一個の巨大な原子───無限の可能性を秘めながら、今は限りある形態で自我を表現している、原子のような存在です。身体の内部に、いつの日か、全ての束縛を押し破り、真実のあなたにとって相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。

そうなることをあなた方は〝死〟と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。それは、相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思いこんでいる証拠です。

 しかし、死は生命に対して何の力も及ぼしません。死は生命に対して何の手出しもできません。死は生命を滅ぼすことはできません。物的なものは、所詮、霊的なものには敵わないのです。

もしあなたが霊眼を持って眺めることができたら、もし霊耳を持って聞くことができたら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることができたら、その時こそ、肉体という牢獄からの解放をよろこんでいる、自由で、意気揚々として、うれしさいっぱいの、蘇った霊をご覧になることができるでしょう。


 その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空に放たれたことに涙してはいけません。よろこんであげるべきです。

そして、その魂が真の自由を見出したことで、いま地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば、同じ自由、同じ喜びを味わうことができることを知って下さい。

 これで死の意味がお分かりになるはずです。そして、死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎないことを得心なさるはずです。

 他界してその自由を味わったのちに開発される霊力を、今ここであなた方に身を持って実感していただけないことを、私は実に残念に思います。しかし、あなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇をなくすことができます。

 人間はもう、何世紀にもわたって迷わされ続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途をたどっております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」

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