一九一九年二月二十八日 金曜日
人類が目覚めのおそい永い惰眠を貪(むさぼ)る広大な寝室から出て活発な活動の夜明けへと進み、未来において到達すべき遠い界層をはじめて見つめた時にも、やはり神々による廟議は開かれていたのでした。
その会議の出席は多分、例のアトランティス大陸の消滅とそれよりずっと後の奮闘の時代───人類の潜在的偉大さの中から新たな要素がこれより先の進化の機構の中で発現していく産みの苦しみを見ていたことでしょう。
後者は同じ高き界層からの働きかけによって物質科学が発達したことです。人間はそれをもって人類が蓄積してきた叡智の最後を飾るものと考えました。
しかし、その程度の物的知識を掻き集めたくらいでおしまいになるものではありません。
大いなる進化は今なお続いているのです。目的成就の都市は地上にあるのではありません。はるか高遠の彼方にあるのです。
人間は今やっと谷を越え、その途中の小川で石ころを拾い集めてきたばかりです。こんどはそれを宝石細工人のもとへ持っていかねばなりません。そういう時期もいずれは到来します。細工人はそれを王冠を飾るにふさわしい輝きと美しさにあふれたものに磨き上げてくれることでしょう。しかし細工人はその低き谷間にはいません。
いま人類が登りかけている坂道にもいません。光をいっぱいに受けた温い高地にいるのです。そこには王とその廷臣の住む宮殿があります。しかし王自身は無数の廷臣を引きつれて遥か下界へ降りられ、再び地上をお歩きになっている。ただし、この度はそのお姿は(地上の人間には)見えません。
吾々はそのあとについて歩み、こうした形で貴殿にメッセージを送り、王より命じられた仕事の成就に勤しんでいるところです。
───では、アーネルさん、キリストは今も地上にいらっしゃり、あなたをはじめ大勢の方たちはそのキリストの命令を受けていると理解してよろしいでしょうか。
キリストからではないとしたら、ほかに誰から受けるのでしょう。今まさに進行中の大変な霊的勢力に目を向けて、判断を誤らぬようにしてください。
地上の科学は勝利に酔い痴れたものの、その後さらに飛躍してみれば、五感の世界だけの科学は根底より崩れ、物的尺度を超えた世界の科学へと突入してしまいました。皮肉にも物的科学万能主義がそこまで駆り立てたのです。
今やしるしと不思議(霊的現象のこと。ヨハネ4・48―訳者)がさまざまな形で語られ、かつてはひそひそ話の中で語られたものが熱弁をもって語られるようになりました。
周囲に目をやってごらんなさい。地上という大海の表面に吾々無数の霊が活発に活動しているその笑顔が映って見えることであろう。声こそ発しなくても確かに聞こえるであろう。姿こそ見えなくても、吾々の指先が水面にさざ波を立てているのが見えるであろう。
人間は吾々の存在が感じ取れないと言う。しかし吾々の存在は常に人間世界をおおい、人間のこしらえるパイ一つ一つに指を突っ込んでは悦に入っております。中のプラムをつまみ取るようなことはしません。
絶対にいたしません。むしろ吾々の味つけによって一段とおいしさを増しているはずです。
あるとき鋳掛屋(いかけや)がポーチで食事をしたあと、しろめ製の皿をテーブルに置き忘れたまま家に入って寝た。暗くなって一匹の年取ったネコが現われてその皿に残っていた肉を食べた。それからネコはおいしい肉の臭いの残る皿にのって、そこを寝ぐらにしようとした。
しろめの硬さのために寝心地が悪く、皿の中でぐるぐると向きを変えているうちに、その毛で皿はそれまでになくピカピカに光り輝いた。
翌朝、しろめの皿のことを思い出した鋳掛屋が飛び出してみると、朝日を受けてその皿が黄金のように輝いている。
「はて、不思議なことがあるもの・・・・・・」彼はつぶやいた。「肉は消えているのに皿は残っている。肉が消えたということは〝盗っ人〟のしわざということになるが、皿が残っていて、その上ピカピカに光っているところをみると、そいつは〝良き友〟に違いない。
しかし待てよ。そうだ。たぶんこういうことだろう───肉は自分が食べてしまっていたんだ。そして星のことかなんか、高尚なことを考えながら一ぱいやっているうちに、自分のジャーキン(皮製の短い上着)で磨いていたんだ」
───この寓話の中のネコがあなたというわけですね?
そのネコの毛一本ということです。ほんの一本にすぎず、それ以上のものではありません。
アーネル ±
訳者注───この寓話の部分はなぜか文法上にも構文上にも乱れが見られ細かい部分が読み取れないので、大体のあらすじの訳に留めておいた。要するに人類は各分野での進歩・発展を誇るが、肝心なことは霊の世界からのインスピレーションによって知らないうちに指導され援助されているということであろう。
人類が目覚めのおそい永い惰眠を貪(むさぼ)る広大な寝室から出て活発な活動の夜明けへと進み、未来において到達すべき遠い界層をはじめて見つめた時にも、やはり神々による廟議は開かれていたのでした。
その会議の出席は多分、例のアトランティス大陸の消滅とそれよりずっと後の奮闘の時代───人類の潜在的偉大さの中から新たな要素がこれより先の進化の機構の中で発現していく産みの苦しみを見ていたことでしょう。
後者は同じ高き界層からの働きかけによって物質科学が発達したことです。人間はそれをもって人類が蓄積してきた叡智の最後を飾るものと考えました。
しかし、その程度の物的知識を掻き集めたくらいでおしまいになるものではありません。
大いなる進化は今なお続いているのです。目的成就の都市は地上にあるのではありません。はるか高遠の彼方にあるのです。
人間は今やっと谷を越え、その途中の小川で石ころを拾い集めてきたばかりです。こんどはそれを宝石細工人のもとへ持っていかねばなりません。そういう時期もいずれは到来します。細工人はそれを王冠を飾るにふさわしい輝きと美しさにあふれたものに磨き上げてくれることでしょう。しかし細工人はその低き谷間にはいません。
いま人類が登りかけている坂道にもいません。光をいっぱいに受けた温い高地にいるのです。そこには王とその廷臣の住む宮殿があります。しかし王自身は無数の廷臣を引きつれて遥か下界へ降りられ、再び地上をお歩きになっている。ただし、この度はそのお姿は(地上の人間には)見えません。
吾々はそのあとについて歩み、こうした形で貴殿にメッセージを送り、王より命じられた仕事の成就に勤しんでいるところです。
───では、アーネルさん、キリストは今も地上にいらっしゃり、あなたをはじめ大勢の方たちはそのキリストの命令を受けていると理解してよろしいでしょうか。
キリストからではないとしたら、ほかに誰から受けるのでしょう。今まさに進行中の大変な霊的勢力に目を向けて、判断を誤らぬようにしてください。
地上の科学は勝利に酔い痴れたものの、その後さらに飛躍してみれば、五感の世界だけの科学は根底より崩れ、物的尺度を超えた世界の科学へと突入してしまいました。皮肉にも物的科学万能主義がそこまで駆り立てたのです。
今やしるしと不思議(霊的現象のこと。ヨハネ4・48―訳者)がさまざまな形で語られ、かつてはひそひそ話の中で語られたものが熱弁をもって語られるようになりました。
周囲に目をやってごらんなさい。地上という大海の表面に吾々無数の霊が活発に活動しているその笑顔が映って見えることであろう。声こそ発しなくても確かに聞こえるであろう。姿こそ見えなくても、吾々の指先が水面にさざ波を立てているのが見えるであろう。
人間は吾々の存在が感じ取れないと言う。しかし吾々の存在は常に人間世界をおおい、人間のこしらえるパイ一つ一つに指を突っ込んでは悦に入っております。中のプラムをつまみ取るようなことはしません。
絶対にいたしません。むしろ吾々の味つけによって一段とおいしさを増しているはずです。
あるとき鋳掛屋(いかけや)がポーチで食事をしたあと、しろめ製の皿をテーブルに置き忘れたまま家に入って寝た。暗くなって一匹の年取ったネコが現われてその皿に残っていた肉を食べた。それからネコはおいしい肉の臭いの残る皿にのって、そこを寝ぐらにしようとした。
しろめの硬さのために寝心地が悪く、皿の中でぐるぐると向きを変えているうちに、その毛で皿はそれまでになくピカピカに光り輝いた。
翌朝、しろめの皿のことを思い出した鋳掛屋が飛び出してみると、朝日を受けてその皿が黄金のように輝いている。
「はて、不思議なことがあるもの・・・・・・」彼はつぶやいた。「肉は消えているのに皿は残っている。肉が消えたということは〝盗っ人〟のしわざということになるが、皿が残っていて、その上ピカピカに光っているところをみると、そいつは〝良き友〟に違いない。
しかし待てよ。そうだ。たぶんこういうことだろう───肉は自分が食べてしまっていたんだ。そして星のことかなんか、高尚なことを考えながら一ぱいやっているうちに、自分のジャーキン(皮製の短い上着)で磨いていたんだ」
───この寓話の中のネコがあなたというわけですね?
そのネコの毛一本ということです。ほんの一本にすぎず、それ以上のものではありません。
アーネル ±
訳者注───この寓話の部分はなぜか文法上にも構文上にも乱れが見られ細かい部分が読み取れないので、大体のあらすじの訳に留めておいた。要するに人類は各分野での進歩・発展を誇るが、肝心なことは霊の世界からのインスピレーションによって知らないうちに指導され援助されているということであろう。
No comments:
Post a Comment