Friday, December 23, 2022

シアトルの冬  困難にもなくもがなの困難があります。 

 



まだまだ地上の人類は、悲しみ、苦しみ、艱難、辛苦が存在することの理由を理解しておりません。その一つひとつが霊的進化の上で大切な機能を果たしているのです。

ご自分の人生を振り返ってごらんなさい。最大の危機、最大の困難、お先まっ暗の時期が、より大きな悟りを開く踏み台になっていることを知るはずです。

日向でのんびりと寛ぎ、何の心配も何の気苦労も何の不安もなく、面倒なことが持ち上りそうになっても自動的に解消されてあなたに何の影響も及ぼさず、足もとに石ころ一つなく、自分でやらねばならないことが何一つ無いような人生を送っていては、向上進化は少しも得られません。

困難に遭遇し、それに正面から立ち向かって自らの力で克服していく中でこそ成長が得られるのです。

知識を広める必要があるのは無知という名の暗闇が生み出す無意味な残虐行為、無駄な苦労を一掃するためです。

自然の摂理に反することをしでかしておいて、それが生み出す結果への対処に無駄なエネルギーを費やすという愚かさを無くすために霊的真理の普及が必要なのです。

同じ苦しみにも無くもがなの苦しみがあります。

困難にも無くもがなの困難があります。が、それも霊的な成長と進化、光明へ向けての歩みにとっての糧とすることができます。

失敗も災難もみな薬です。何かを教えてくれます。結局人間は宇宙という大きな学校の生徒というわけです。

これでよいという段階はけっして来ません。成長すればするほど、まだまだ開発し磨いていかなねばならないものがあることに気づくものだからです」

そうした人生において大切な心掛けとして、シルバーバーチはこれまで繰りかえし注意してきたことを再び説いた。

「絶対に許してならないことは不安の念を心に居座わらせることです。取越苦労は魂を朽ちさせ、弱らせ、蝕みます。判断力を鈍らせます。理性を曇らせます。

事態を明確に見きわめることを妨げます。いかなる人間も自分で解決できないほどの問題はけっして与えられません。

克服できないほど大きな障害は生じません───内在する神性が発揮されるような心掛けをしておればの話ですが・・・・・・。地上の人間は、少数の例外を除いて、まだまだ本当の意味で生きているとは言えません。

内在する霊的属性のごくごく一部しか発揮しておりません。よくよくの危機、よくよくの非常事態において、その霊力が呼び覚まされて勇気と知恵とを与えてくれますが、本来はいつでも引き出せるものです。

病気を治し、迷いの時に指針を与え、悩みの時には指導を与え、疲れた時には力を与え、視野が遮られている時には洞察力を与えてくれます。それを可能にするのはあなた方の心掛け一つにかかっております」

あまりの戦火の激しさに、こんな情況ではささやかなサークルのメンバーが少しばかり真理を説いても無意味のように思われるとの一メンバーの考えを聞かされたシルバーバーチは、こう述べて力づけた。

(訳者注───この頃はまだシルバーバーチの霊媒がサイキック・ニューズ社の社長兼主筆であるバーバーネルであることは内密にされていたほどで、いきおい普及活動も範囲が限られていた。

一九三〇年代初期はまだ霊言がサイキック・ニューズ紙上にも掲載されていなかった。嫌がるバーバネルを説き伏せてハンネン・スワッハーがそれを紙上に連載させ、一九四七年にはついに霊媒がバーバネルその人であることまで公表されるに及んで、ようやく普及活動に弾みがつき世界的に普及しはじめたのだった。)

「さまざまな出来ごとがありましたが、霊的真理の光は今なおこの小さな島(英国)に生き続けております。一度も消えたことはありません。

こののちも、ますます広がり続けて、いずれは世界のすみずみにまで行きわたることでしょう。その恩恵を受けた数知れぬ人々から、あなた方は敬愛され祝福を受けることでしょう。

その貢献を誇りに思わなくてはいけません。胸を張って生きられるがよろしい。まだまだこれから成就しなければならない大きな宿命があなた方を待ち受けております。

私たちには授けるべきメッセージがあります。今日ほどそれを必要とする時代はありません。今の地上こそ私たちの奮闘を必要とする土地です。慰めを必要とする人が大勢います。

悲しみに打ちひしがれ知識と援助を叫び求める人々が大勢おります。私たちに代わってそういう人たちを救うことのできる説教者や指導者が一体どこにいるでしょうか。授けるものとして一体何があるでしょうか。遠い過去の愛用句でしょうか。

使い古された教義でしょうか。信じる者のいなくなった教説でしょうか。それとも誤ったドグマでしょうか。

本人みずからその信用性に自身のない者がそんな太古の物語を引き合いに出して、はたして現代人を慰めることができるのでしょうか。

英国中、いや世界中いたるところで、闇夜に救いを求める人がいます。その祈り───声に出しての祈りも声なき祈りも───ただならぬ窮地で指針を求める魂の叫びが私どものところまで響いてまいります。

そういう人たちこそわれわれが手を差しのべてあげなければなりません。

道に迷っている人々です。その多くは自分が悪いのではありません。闇に囲まれ悲しみに打ちひしがれ、目に涙をうかべて〝死〟の意味を知りたがっています。

なぜ愛する者がこうも呆気なく奪い去られるのかと尋ねます。が、教会はそれに対応する答えを持ち合わせません。

悲しみの杯をなめ苦しみのパンをかじらされた者は、〝処女懐胎〟だの〝エデンの園〟だの〝使徒信条〟だのについての説教はどうでもよいのです。

真実の知識が欲しいのです。事実が知りたいのです。確証が欲しいのです。

彼らは素直にこう考えます───もしもこの世に救いになるものがあるとすれば、それは今の自分、苦しみの渦中にある自分たちをこそ救えるものであるべきだ、と。

そこで私たちはあらゆる不利な条件、あらゆる障害をいとわず、そうした絶望の底に喘ぐ人々を慰めようと必死になるのです。

これまでも幾度か申し上げてきたことですが、皆さんはこうしたささやかなサークルが僅かの間ここに集まって私たちのために力を貸してくださるそのことが、どれほど大きな意味があるのか、そしてそのおかげでどれほど遠く広く真理を広めることができているかをご存じないようです。

私どもが述べる僅かな真理の言葉───僅かとはいえ永遠の実在を土台とした不易の叡知なのですが───それが受け入れる用意のできた人々の心、霊的に成熟した魂に根づいていく。

これは実に偉大な仕事というべきです。その真理を語るわれわれが成るほど神の使徒であることを証明するには、ひたすらに人の役に立つことをするしかありません。

つまり脅しや恐怖心や心配の念を吹き込まず、ただただ、薄幸の人々に救いの手を差しのべたいと望んでいる者であることを身をもって証明していくしかありません。
(訳者注───古来宗教が信者に恐怖心を吹き込むことによって存続を謀ってきた歴史を踏まえて述べている)

シルバーバーチ

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