Tuesday, August 16, 2022

シアトルの夏  同じ啓示が全ての魂の耳に届くとはかぎらぬ。     The same revelation may not reach the ears of all souls.



同じ啓示が全ての魂の耳に届くとはかぎらぬ。

同じ証が全ての魂の目に見えるとはかぎらぬ。

肉体的性向を精神的発達の欠陥によって地上生活における発達を阻害された霊が死後その不利な条件が取り除かれてのち、ようやく霊的進歩を遂げるという例は決して少なくないのである。

 というのも、本性は魔法の杖にて一度に変えるというわけにはいかぬものなのである。性癖というものは徐々に改められ、一歩一歩向上するものなのである。

故に生まれつき高度な精神的才能に恵まれ、その後の絶え間なく教養を積める者の目には、当然のことながら、無教養にして無修養の者のために用意せる手段はあまりに粗野にして愚劣に映ずるであろう。

否、その前に彼らが問題とせるものそれ自体が無意味に思えるであろう。

その声は耳障りであろう。その熱意は分別に欠けるであろう。

が、彼らは彼らなりにその本性が他愛なき唯物主義、あるいはそれ以上に救いがたき無関心主義に変化を生じ、彼らなりに喜びを感ずる新たな視野に一種の情熱さえ覚えるようになる。

彼らの洩らす喜びの叫びはアカ抜けはせぬが、彼らなりに真実の喜びである。汝の耳には不愉快に響くかも知れぬが、父なる神の耳には、親を棄てて家出せる息子が戻って発する喜びの声にも劣らず、心地よきものである。

その声には真実が籠っている。

その真実の声こそわれらの、そして神の、期待するところである。真実味に欠ける声は、いかに上手に発せられても、われらの耳には届かぬ。

 かくの如く、霊的に未発達なる者に対して用いる証明手段は、神と人間との間を取りもつ天使の声ではない。それでは無駄に終わるのである。

まず霊的事象に目を向けさせ、それを霊的に鑑識するように指導する。物理的演出を通じて霊的真理へと導くのである。

物理的演出については汝もすでに馴染んでおろう。そして、そうした物的手段の不要となる日も決して来ぬであろう。

いつの時代にもそうした手段によって霊的真理に目覚める者がいるからである。目的にはそれなりの手段を選ばねばならぬ。

そうした知恵を否定する者こそ、その見解に知恵を欠く視野の狭き者である。唯一の危険性はその物理的現象をもって事足れりとし、霊的意義を忘れ、そこに安住してしまうことである。

それはあくまで手段に過ぎぬ。霊的発達への足掛かりとして意図され、或る者にとっては価値ある不可欠の手段なのである。

 そこでわれらはこれより、汝が腹に据えかねている右の例以上に顕著なる例、すなわち、粗野にして無教養なる未発達霊の仕業について述べるとするが、汝にとって左程までに耳障りにして、その行為に不快を覚えさせる霊を汝は〝悪〟の声であると想像しているようであるが、果たして如何(いかが)なものであろうか。

 悪の問題についてはすでに取り挙げたが、また改めて説くこともあろう。が、ここでわれらは躊躇なく断言するが、邪霊の仕業であることが誰の目にも一目瞭然たる場合を除いては、大抵の場合、汝の想像するが如き悪の仕業ではない。

 悲しい哉、悪は多い。そして善に敵対する者が一掃され勝利が成就されるまでは、悪の途絶えることはあるまい。故にわれらは、決してわれらと汝を取り巻く危険性を否定も軽視もせぬ。

が、それは汝が想像するようなものではない。見た目に常軌を逸する者、垢抜けせぬもの、粗野なるものが必ずしも不健全とは言えぬ。

そうした観方は途方もない了簡違いと言うべきである。真に不健全なるものはそう多くは存在せぬ。むしろ汝らの気付かぬところに真の悪が潜むものである。

霊的にはまだ未熟とは言え、真剣に道を求むる者たちは、無限の向上の世界がすぐ目の前に存在すること、そしてその向上はこの地上における精神的、身体的、霊的発達にかかっていることを理解しつつある。

それ故彼らは身体を大切にする。酒浸りの呑んだくれとは異なり、アルコール類を極力控える。そしてその熱意のあまり同じことを全ての者に強要する。彼らは人それぞれに個人差があることまでは気が回らぬ。そして往々にしてその熱意が分別を凌駕してしまうのである。

しかも、洗練された者に反撥を覚えさせるそうした不条理さと誇大なる言説をふり回す気狂いじみた熱狂者が、果たして、心までアルコールに麻痺され身体は肉欲に汚され道徳的にも霊的にも向上の道を閉ざされた呑んだくれよりも霊的に不健全であろうか。

そうではないことは汝にも判るであろう。前者は、少なくとも己の義務と信念とに目覚め必死に生きている。今や曾ての希望も目的もなき人間とはわけが違う。死者の中より蘇ったのである。その復活が天使に喜びと感激の情を湧かせるのである。

その叫びが条理を欠いていたとて、それがどうだというのであろうか。情熱と活気がそれを補いて余りあるではないか。その叫びは確信の声であり、死にも譬えるべき無気力より目覚めた魂の叫びなのである。

それは生半可なる信仰しか持たぬ者が、紋切り型の眠気を催すキザな言い回しで化粧し、さらには〝ささやき〟程度のものでも世間に不人気なものは避けんと苦心するお上品ぶりよりも遥かにわれらにとりて、そして神にとりて、価値あるものである。

何となればそれは新たに勝ち得た確認を人にも知らしめんとする喜びの声であり、われらの使命にとりても喜びであり、より一層の努力を鼓舞せずにはおかぬのである。

 汝は俗うけするスピリチュアリズムは無用であると言う。その説くところが低俗で聞くに耐えぬという。断言するが、汝の意見は見当ちがいである。

適確さと上品さには欠けるが、確信に満ちたその言葉は、上品で洗練された他の何ものよりも大衆に訴える力がある。

野蛮なる投石器によって勢いよく放たれた荒削りの石の方が、打算から慣習に迎合し体裁を繕いたる教養人の言説よりもよほど説得力がある。荒削りであるからこそ役に立つのである。現実味のある物的現象を扱うからこそ、形至上的判断力に欠ける者の心に強く訴えるのである。

 霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。〝物〟にしか反応を示さぬ唯物主義者には物的法則を超越せる目に見えぬ力の存在の証拠を提供する。

固苦しき哲理よりも、肉身の身の上のみを案じ再会を求める者には、確信を与えるために要する証拠を用意してその霊の声を聞かせ、死後の再会と睦み合いの生活への信念を培う。

筋の通れる論証の過程を経なければ得心できぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩的段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神聖の秘奥と人間の宿命についての啓示を垂れさせる。

かくの如く人間にはその程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。

 今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは曾ての福音の如き単なる見せかけのみの啓示とは異なる。地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。

それを総合するものがスピリチュアリズムに他ならぬ。が、実はそれだけと見なすのも片手落ちである。

汝にとって、そしてまた汝と同じ観点より眺める者にとってはそれで良いかも知れぬ。が、他方には意識の程度の低き者、苦しみに喘ぐ者、悲しみに打ちひしがれし者、無知なる者がいる。彼らにとってはスピリチュアリズムはまた別個の意味を持つ。

それは死後における肉身との再会の保障であり、言うなれば個人的慰安である。実質的には五感の世界と霊の世界とを結ぶことを目的とする掛け橋である。

肉体を捨てた者も肉体に宿れる者と同様に、その発達程度はさまざまである。そこで、地上の未熟なる人間には霊界のほぼ同程度の霊があてがわれる。

故にひと口にスピリチュアリズムの現象と言うも、程度と質とを異にする種々さまざまなものが演出されることになる。底辺の沈殿物が表面に浮き上がることもあり、それのみを見る者には奥で密かに進行しているものが見えぬということにもなる。

 今こそ汝にも得心がいくであろうが、世界の歴史を通じて同種の運動に付随して発生する〝しるし〟を見れば、それが決してわれらの運動のみに限られたものとの誤解に陥ることもあるまい。

それは人間の魂をゆさぶる全てのものに共通する、人間本来の性分が要求するのである。

イスラエルの民を導いたモーセの使命にもそれがあり、ヘブライの予言者の使命にもそれがあり、言うまでもなくイエスの使命にも欠かせぬ要素であった。

人類の歴史において新しき時代が画されるときにはかならず付随して発生し、そして今まさに霊的知識の発達にもそれが付随しているのである。が、それをもって神の働きかけの全てであると受け取ってはならぬ。

政治的暴動がその時代の政治的理念の全てではないのと同様に、奇跡的異常現象をもってわれらの仕事の見本と考えてはならぬ。

 常に分別を働かせねばならぬ。その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう。

 汝の提示せる問題についてはいずれまたの機会に述べるとしよう。此の度はひとまずこれにて───さらばである。
                          
 ♰ イムペレーター

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