Monday, February 17, 2025

シアトルの冬 さまざまな質問 シルバーバーチの祈り

Various questions
silver birch prayer


Silver Birch Companion  
Edited by Tony Ortzen

  残念なことに、かつては素敵だった言葉が乱用されすぎて、その価値を下げてしまったものが少なくない〝愛〟という言葉もその部類に入りそうである。ある日の交霊会でその愛の定義を求められて、シルバーバーチがこう答えている。

 「気が合うと言うだけの友情、趣味が同じということから生まれる友愛から、自己を忘れて人のために尽くそうとする崇高な奉仕精神に至るまで、愛はさまざまな形態を取ります。

 地上では愛という言葉が誤って用いられております。愛と言えないものまで、愛だ、愛だと、さかんに用いる人がいます。ある種の本能の満足でしかないものまで、愛だと錯覚している人もいます。

が、私が理解しているかぎりで言えば、愛とは、魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主である神とのつながりを悟った時に自然に湧き出てくる欲求のことです。

 最高の愛には一かけらの利己性もありません。つまりその欲求を満たそうとする活動に何一つ自分自身のためという要素がないのです。それが最高の人間的な愛です。

それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者への扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏みにじる既得権力に戦いを挑む人々の魂を鼓舞してまいりました。

 母国において、あるいは他国へ赴いて、そうした愛他的動機から人類の向上のために、言い替えれば、内部に秘めた無限の可能性を悟らせるために尽力する人は、愛を最高の形で表現している人です。

 愛の表現形態にもさまざまな段階(ランク)があります。愛の対象へ働きかけという点では同じであっても、おのずから程度の差があります。偏狭で、好感を覚える人だけを庇い、そして援助し、見知らぬ者には一かけらの哀れみも同情も慈愛も感じない者もいます。

 しかし、宇宙には神の愛が行きわたっております。その愛が天体を運行せしめ、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまで成就したものを全部お預けにして、この冷たく、薄暗い、魅力に乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです」


───その〝神〟のことを子供にはどう説いたらよいでしょうか。

 「説く人自らが全生命の背後で働いている力について明確な認識を持っていれば、それは別に難しいことではありません。

 私だったら大自然の仕組みの見事な芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドのごとき夜空の星の数々に目を向けさせます。太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝きに目を向けさせます。あたかも囁きかけるようなそよ風、そしてそれを受けて揺れる松の林に目を向けさせます。

さわやかに流れるせせらぎ、怒涛の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの営みが確固とした目的を持ち、法則によって支配されていることを指摘いたします。

 そしてさらに、人間がこれまでに自然界で発見したものは全て法則の枠内におさまること、自然界の生成発展も法則によって支配され規制されていること、その全体に人間の想像を絶した、広大にして複雑な、それでいて調和した一つのパターンがあること、宇宙のすみずみに至るまで秩序が行きわたっており、惑星も昆虫も、嵐もそよ風も、

そのほかありとあらゆる生命活動が、例え現象は複雑をきわめていても、その秩序において経綸されている事実を説いて聞かせます。

 そう説いてから私は、その背後の力、全てを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙のパノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している霊妙(クシビ)な力、それを神と呼ぶのだと結びます」


───自分の思念にはすべて自分で責任を取らねばならないでしょうか。

 「(精神的障害がある場合は別として)一般に正常とみなされている状態においては、自分の言動には全責任を負わねばなりません。これは厳しい試練です。

行為こそが、絶対的な重要性を持ちます。いかなる立場の人間にも、人のために為すべき仕事、自分の霊性を高めるべきチャンスが与えられるものです。

有徳の者や聖人君子だけが与えられるのではありません。全ての人に与えられ、そのチャンスの活用の仕方、疎かにした度合いに応じて、霊性が強化されたり弱められたりします」


───子供はそちらへ行ってからでも成人していくそうですが、交霊会に出てくる子供の背後霊が何年たっても子供だったり、十八年も二十年も前に他界した子供がその時のままの姿格好で出てくるのはなぜでしょうか。


 「地上の人間は、いつまでも子供っぽい人を変だと見るかと思うと、子供の無邪気さを愛するような口を利きます。しかも、人類のために敢えて幼児の段階に留る手段を選んでいる霊のことを、変だとおっしゃいます。

 幼児の方が得をするわけは容易に理解できるでしょう。幼児には大人にありがちな障壁がありません。きわめて自然に、いつも新鮮な視点から物事を眺めることができます。

大人が抱える種類の問題に悩まされることもないので、通信のチャンネルとしては好都合なのです。大人にありがちな、寛容性を欠いた先入観や偏見が少ないので、仕事がスムーズに運びます。

 いつも生き生きとして新鮮味を持って仕事に携わり、大人の世界の煩わしさがありません。煩わされないだけ、それだけ霊的交信に必要な繊細なバイブレーションをすぐにキャッチできるのです。

 しかし、実を言えば、その幼児の個性は大人の霊がその仕事のために一時的にまとっている仮の衣服である場合が多いのです。仕事が終われば、すぐに高い界へ戻って、それまでの生活で開発した、より大きな意識の糸をたぐり寄せることができます。

 変だと決めつけてはいけません。こういう霊のことを〝トプシー〟と言うのです。そういう形で自分を犠牲にして、地上の人々のために働いている愛すべき〝神の道具〟なのです。

 何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現するのは、自分の存続の証拠として確認してもらうためです。身元の確認を問題になさる時に忘れないでいただきたいのは、他界した時点での姿や性格やクセをそのまま見せないと、人間の方が承知してくれないということを考慮していることです。

 そこで霊媒(霊視能力者)に映像を見せて、それを伝達させるわけです。言わばテレビの画像のようなものです。霊媒が自分の精紳のスクリーンに映った影像を見て叙述するわけです。

直接談話であれば、映像の代わりに、エクトプラズムで他界当時と同じ発声器官をこしらえます。条件さえうまく整えば、地上時代とそっくりの声が再生できます」


───子供のころから動物に対して残酷なことをして育った場合は、そちらでどんな取扱いを受けるのでしょうか。動物の世話でもさせられるのでしょうか。

 「人間の永い歴史を通じて、動物がいかに人間にとって大切な存在であったかを教えることによって、地上時代の間違った考えを改めさせないといけません。

動物界をあちらこちら案内して、本来動物というものが、動物を本当に愛し理解する人間と接触すると、いかに愛らしいものであるかを実際に見せてやります。

知識が増すにつれて誤った考えが少しずつ改められていきます。結局は残酷を働いたその影響は、動物自身だけでなく、それを働いた人間にも表れるものであることを悟るようになります」


 (別にメンバー)───他界する者の大多数が死後の生活の知識を持ち合わせません。他界直後は目眩のような状態にあって、自分が死んだことに気がつかないといいますが、それは子供の場合も同じでしょうか。それとも本能的に新しい生活に順応していくものでしょうか。

 「それは子供の知識次第です。地上の無知や迷信に汚染されすぎていなければ、本来の霊的資質が生み出す自然な理解力によって、新たな自覚が生まれます」


───人間が寿命を完うせずに他界することを神が許されることがあるのでしょうか。

 「神の意図は、人間がより素晴らしい霊的生活への具えを地上において十分に身につけることです。熟さないうちに落ちた果実がまずいのと同じで、割り当てられた地上生活を完うせずに他界した霊は、新しい世界の備えが十分ではありません」


───子供が事故で死亡した場合、それは神の意図だったのでしょうか。

 「これは難しい問題です。答えとしては、そうですと言わざるを得ないのですが、それには但し書きが必要です。

 地上生活はすべてが摂理によって支配されており、その摂理の最高責任者は神です。しかし、その摂理は人間を通じて作用します。

究極的にはすべて神の責任に帰着しますが、だからといって、自分が間違ったことをしでかしておいて、これは神が私にそうさせたのだから私の責任ではない、などという理屈は通用しません。

 神がこの宇宙を創造し、叡智によって支配している以上は、最終的には神が全責任を負いますが、あなた方人間にも叡智があります。理性的判断力があります。自分が勝手に鉄道の線路の上に頭を置いておいて、神さま何とかして下さい、と頼んでみても何にもなりません」


───いわゆる神童について説明していただけませんか。

 「三つの種類があります。一つは過去世の体験をそのまま携えて再生した人。二つ目は、たとえ無意識ではあっても霊的資質を具えた人で、霊界の学問や叡智。知識・心理などを直接的にキャッチする人。三つ目が、進化の前衛としての、いわゆる天才です」


 シルバーバーチの交霊会にはレギラーメンバーのほかに必ず二、三人のゲストを迎えるのが慣例となっていた。

ゲストと言っても、必ずしもスピリチュアリズムの信奉者とかシルバーバーチの崇拝者にかぎられていたわけではなく、スピリチュアリズムを頭から否定する人や、シルバーバーチと霊媒のバーバネルはペテン師であると決めつけている者もいた。

そのバーバネルの〝化けの皮〟をはがしてやると意気込んで出席する者もいたが、帰る時はすっかり大人しくなっていた。ときには感動のあまり慟哭する者もいたという。

 さて、その日の交霊会では、スピリチュアリズムに批判的な人からの投書が朗読された。その中には〝スピリチュアリズムは危険な火遊びの類に属するものではないか〟とか〝指導霊はなぜシルバーバーチなどという変な名前を名のるのか───そんなことが私の疑念を増幅するのです〟といったことが述べられていた。

 聞き終えたシルバーバーチは、話題を広角的に捉えて、こう述べた。

 「進化のどの段階にある人でも、暗闇を歩むよりは光明の中を歩むのが好ましいに決まっています。無知に降り回されるよりは正しい知識で武装する方がいいにきまっています。知識の追求は理知的な人間にとっての基本的な人生の目的であらねばなりません。

 迷信・偏見・不寛容・頑迷といった低級な性向は、それに反撃し退却せしめるだけの知識がないところでは、傍若無人に振舞います。ですから、学ぶという態度を忘れて〝私はもうここまでで結構です。これ以上は進む気はありません〟などと言ってはなりません。

 知識は掛けがいのない宝です。人生の全体を視界におさめて、いかに生きるべきかを教える羅針盤のようなものです。船には必ず方向を操るための道具や器具が具えつけられています。

人生をいかに生きるべきかを判断する為の道具や器具が具えつけられています。人生をいかに生きるべきかを判断するための道具を持ち合わせないとしたらその人は愚かな人というべきです。

知識はいくらあってもよろしい。絶えず求め続けるべきものです。〝もうこれ以上知りたくありません〟などと言うようになったら、その時から思考力が衰え、鈍り、錆びついていくことを、自ら求めていることになります。

 生命というものは一定の場所にじっとしていることが出来ないものなのです───向上するか下降するかのどちらかです。みなさんは永遠の生命の道を行く旅人です。

今生きておられる地上生活は、その永遠の旅の、実に短い旅程にすぎません。これから先、まだまだ長い進化の旅が待ち受けているのです。

 ですからその旅に備えて知識をたくわえ、いかなる雑路でもしのげるように旅仕度を強化しておく方がいいにきまっています。ただ、その知識には責任が生じることを忘れてはなりません。これも一種バランス (埋め合わせ) の法則です。

 一方において知識を得れば、他方においてはそれを生かして使うべき責務が生じます。そこから先はあなた自身の問題です。

 私たちは、これまでの永い旅の経験で知った霊的法則の働きに基づいて、地上生活に役立つと見た知恵をお届けしてあげるだけです。それが、この私のように、地上界が陥っている泥沼から救い出すために派遣された者の役目なのです。

 全ての人がそれを受け入れる用意が出来ているとは思っておりません。そんなものは要らないと考える人もいるでしょう。そんなものよりも、子供のオモチャのようなものを喜ぶ人もいるでしょう。まだ人生の意義を考える段階にまでは至っていないということです。

 しかし、あなた方にはその背後の計画を包括的に認識していただかねばなりません。地上界は実に永い間、暗黒に包まれてまいりました。その間の身の毛もよだつような残虐行為を、今の時代になってようやく反省し始めております。その根底にあるものは、霊的摂理についての無知なのです。

物質万能の風潮と私利私欲を一掃しない限り、その呪いから免れることはできません。地上世界を見まわしてごらんなさい。窮乏・悲哀・流血・混とん・破たんばかりではありませんか。これら全てが、間違った物質万能主義、言い換えれば、霊的摂理についての無知から生じているのです。

 地上の人間は生活の基盤を間違えております。国家はその政策を自国だけの利益を中心に考えております。独裁者が生まれては、暴虐非道の限りを尽くしました。が、

それは、力こそ正義という間違った信条に取りつかれていたからにすぎません。いまこそ霊的知識が、個人だけでなく、国家だけでもなく、世界全体にとって必要であることに理解が行かないといけません。

 その霊的知識をいち早く我がものとされた皆さんは、それが今の生活にどれほどの豊かさをもたらしてくれているかを吟味してみられることです。もう二度と、それを知らずにいた時の自分に戻りたくないと思われたはずです。

この世のいかなる波風にもしぶとく耐えていくだけの堅固な基盤を与えておられます。自分がただの偶然の産物、あるいは、気まぐれのオモチャなどではなく、無限の力を秘めた大霊の一部であるとの理解があります。

 地上世界はとても病んでおります。恐ろしい病に苦しんでおります。それを治すための妙薬を私がこういう形で伝授しているのです。この霊的知識が世界中に広まれば───この物質の世界の向こうに新しい世界が待ち受けていること、自分の生活の全てに自分が責任を持たねばならないこと (いかなる信仰もそれを償ってはくれないこと)、

万人に完全なる公平さを持って働く永遠不変の摂理が存在することが理解されれば、新しい世界を構築するための基盤ができたことになるのです」

℘238
 〝無知〟と〝間違った信仰〟の恐ろしさについて、さらにこう述べた。

 「スピリチュアリズムは人間が秘めている霊的能力を教え、それを同胞のために役たてるために開発する方法を教えてくれます。たとえば、病気を霊的に治療する能力を持っている人、あるいは死後の存続を証明する証拠を提供する能力を持った人が、そうとは知らずに毎日を無為に過ごしております。

実にもったいないことです。そういう人材を掘り起こすためにも、霊的知識をできるだけ多く広めておくことが、いかに大切であるかがお分かりでしょう。無知は人間の大敵です。精神的にも霊的にも怠惰にしてしまいます。

 ところが、地上には無知と言うエサによって飼いならされている真面目な人間が実に多いのです。ただ信じるだけで良い───信仰は理性に優るのです。

と教え込まれ、スピリチュアリズムは悪魔の仕業であるから、それを説く者は邪霊にそそのかされているのですよと説き聞かされ、バイブルにちゃんとそう書いてありますと結論づけられます。

 そこに無知の危険性が潜んでいるのです。それを信じる者は、ひとりよがりの正義感に浸りながら、本当は怠惰な、間違った宗教的優越感の上にあぐらをかいてしまうのです。

一種の精神的倒錯を生み出し、それが全ての思考を歪め、本物の真理を目の前にしても、それが真理であるとは思えなくしてしまうのです」



 〝豚に真珠を与える勿れ〟と言ったイエスの真意は何だったのでしょうか。

「自分では立派な真理だと思っても、受け入れる用意の出来ていない人に無理やり押し付けてはいけないということです。拒絶されるから余計なことはするなという意味ではありません。それなら、イエスの生涯は拒絶されることの連続でした。

 そんな意味ではなく、知識・心理・理解を広めようとする努力が軽蔑と侮辱を持って迎えられるような時は、そういう連中は見る目がないのだから、むりして美しいものを見てもらおうとはせずに、手を引きなさいという意味です」


─── 一身上の問題で指導を仰ぐことは許されるでしょうか。

 「それは許されます。ただ、霊的なことに興味があっても、神髄を理解していない人に説明する時は慎重を要します。うっかりすると、霊界からの援助を自分の利益のためだけに不当に利用しているかの印象を与えかねません。

 スピリチュアリズムの基本は、つまるところ物的な豊かさよりも霊的な豊かさを求めることにあり、自分自身と宇宙の大霊についての実相を理解する上で基本となるべき摂理と実在を知ることです。むろん物的生活と霊的生活とは互いに融合し、調和しております。

両者の間にはっきりとした一線を画することはできません。霊的なものが物的世界へ顕現し、物的なものが霊的なものへ制約を与え、条件づけております」


───この世に生きる目的は、霊的な顕現を制約するものを少しでも排除し、霊的資質が肉体を通してなるべく多く顕現することだと私は理解しておりますが・・・・・・

 「その通りです。地上生活の目的はそれに尽きます。そうすることによって自分とは何かを悟っていくことです。

自分を単なる肉体だと思っている人は、大きな幻影の中で生活していることになり、いつかは厳しい現実に目覚める日が来ます。その日は地上生活中に訪れるかもしれないし、こちらへ来てからになるかもしれません。

地上にいるうちに悟った方がはるかに有利です。なぜなら、地上には魂の成長と顕現の為の条件が全部揃っているからです。

 人間は地上生活中に身体機能ならびに霊的機能を存分に発揮するように意図されているのです。霊的なことのみに拘って身体を具えた人間としての義務を怠ることは、身体上のことばかりに目を奪われて霊的存在としての義務を疎かにすると同じく、間違っております。

 両者が完全なバランスがとれていなければなりません。その状態の中で始めて、この世にありがちな俗世に染まらない生き方が出来ることになります。

つまり身体は、神性を帯びた霊の〝宮〟として大事にし、管理し、手入れをする。すると進化と成長の過程にある霊が身体を通して成長と進化の機会を与えられる、ということです」


───心霊治療を始めるには、治療家自身がまず健康体でならなければならないのでしょうか。

「むろん、誰しも健康体であるのが望ましいに決まっています。ただ、霊力によって病気を治す人も、霊媒と同じく〝道具〟です。つまり自分が受け入れたものを伝達する機関にすぎません。

その人を通って霊力が流れるということです。いわば“〝通路〟であり、それも、内部へ向けてではなく外部へ向けて送る通路です。

 その人の資質、才能、能力がその人なりの形で顕現しますが、それが霊界との中継役、つまりそれが霊媒としての資格となり、生命力と賦活力と持久力にあふれた健康エネルギーを地上へもたらす役目が果たせるのです。

その際、治療家自身の健康に欠陥があるということ自体は、治療能力の障害にはなりません。治療エネルギーは霊的なものであり、欠陥は身体的なものだからです」


───精神統一によって心の静寂、内的生命との調和を得ることは健康の維持に役立つでしょうか。

 「自然法則と調和した生活を送り、精神と身体との関係を乱すような行為をしなければ、全ての病気に効果があるでしょう。

あるいは、遺伝的疾患のない健全な身体を持って生まれていれば効果があるでしょう。内部に秘められた〝健康の泉〟の活用法を知れば、全ての病気を駆逐することができることは確かです。

 しかし、現実には、地上に病気が蔓延している以上、事は非常に厄介です。限界があるということです。たとえば〝死ぬ〟ということは誰にも避けられません。

 身体は用事が終われば捨てられるのが自然法則だからです。しかし困ったことに、余りに多くの人間が内部の霊性が十分に準備ができないうちに、つまり熟し切らないうちに、肉体を捨てています。魂の鍛錬にとって必要な体験を十分に積んでいないうちにです。

 私は法則をありのままに述べているまでです。人間にとってそれを実践することは容易でないことは、私も承知しております。何しろ地上というところは物質が精神を支配している世界であり、精神が物質を支配していないからです。

本当は精神が上であり、霊がその王様です。しかし、その王国も人間の行為の上に成り立っています」


───心の静寂が得られると肉体器官にどういう影響が現れるのでしょうか。

 「それ本来のあるべき状態、つまり王様である霊の支配下に置かれます。すると全身に行きわたっている精神が、その入り組んだ身体機能をコントロールします。

根源において生命を創造し身体を形づくった霊の指令にしたがっておこなわれます。その時は霊が身体の構成要素のあらゆる分子に対して優位を占めています。

 それが出来るようになれば、完全な調和状態───あらゆる部分が他と調和し、あらゆる調和が整い、真の自我と一体となります。不協和音もなく内部衝突もありません。静寂そのものです。宇宙の大霊と一体となっているからです」


───あなたはなぜそんなに英語がお上手なのでしょう。

 「あなた方西洋人は時折妙な態度をお取りになりますね。自分たちの言語がしゃべれることを人間的評価の一つになさいますが、英語が上手だからといって別に霊格が高いことにはなりません。たどたどしい言葉でしゃべる人の方がはるかに霊格が高いことだってあるのです。

 私はあなた方の言語、あなた方の習性、あなた方の慣習を、長い年月をかけて勉強しました。それは、こちらの世界ではごく当たり前の生活原理である〝協調〟 の一環です。いわば互譲精神を実践したまでのことです。


 あなた方の世界を援助したいと望む以上は、それなりの手段を講じないといけません。その手段の中には人間の側に最大限の努力を要求することになるものがある一方、私たちにとって嫌悪感を感じ得ないほどの、神の子としてぎりぎりの最低線まで下がらなくてはならないこともあります。

 私はこうして英語を国語としている民族を相手にしゃべらねばなりませんので、英語を習得するのに永い歳月をかけました。皆さんからの援助もいただいております。

同時に、かつて地上で大人物として仰がれた人々の援助も受けております。今でも言語的表現の美しさと簡潔さで歴史にその名を残している人々が、数多く援助してくれております」


───心に念じたことは全部その霊に通じるのでしょうか。

 「そんなことはありません。その霊と波長が合うか合わないかによります。合えば通じます。バイブレーションの問題です。私と皆さんとは波長がよく合います。ですから、皆さんの要求なさることが全部読みとれます。

何かを要求なさると、そこにバイブレーションが生じ、その〝波動〟が私に伝わります。それを受け取る受信体制が私に整っているからです。地上と霊界との間は、魂に共鳴関係があれば、思念や願いごとの全てがすぐさま伝わります」


───われわれが死ぬ前と後には、霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか。

 「見てくれます。霊体をスムースに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。臨終の床にいる人がよく肉親や知らない人の霊が側に来ていることに気づくのは、そのためです。魂が肉体から抜け出るのを手助けしているのです」


───昨今のような酷い地上環境では、まったく新しいタイプの霊が誕生する方がいいのではないでしょうか。

 「私たちは、人間一人ひとりが果たすべき責任を持って生まれていると説いております。たとえ今は世界が混とんと心配と喧騒に満ち、敵意と反抗心と憎しみに満ちていても、そうした苦闘と悲劇を耐え忍ぶことの中から、新しい世界が生まれようとしております。

そのためには、そのための旗手となるべき人々がいなくてはなりません。その人たちの先導によって、真一文字に突き進まなければなりません。

 霊は苦闘の中で、困難の中で、刻苦の中で自らを磨かねばなりません。平坦な道ではなく、困難を克服しつつ前進し、そして勝利を手にしなくてはなりません。恐怖心が一番の敵です。無知という名の暗黒から生まれるものだからです」




 シルバーバーチの祈り

 ああ、大霊よ、あなたは全生命の背後の摂理にあらせられます。
 太陽の輝きは、あなたの微笑みです。
 天より降り注ぐ雨滴は、あなたの涙です。
 夜空に煌めく星は、あなたの眼差しです。
 夜の帷(とばり)は、あなたのマントです。
 そして、人のためを思いやる心は、あなたの愛にほかなりません。
 あなたの霊は、全存在に内在しております。森羅万象はあなたの霊の顕現にほかなりません。

 美しく咲き乱れる花となり、さえずる小鳥の声となって顕現しておられます。あなたへの思いを抱くものならば、あなたは誰にでも理解できるのでございます。

 ああ、大霊よ、全宇宙を法則によって知ろしめされるあなたは、無窮の過去より存在し、無窮の未来にわたって存在いたします。

 これまでにも、霊の目を持ってみるものに真実の姿を顕示され、愛を教え、叡智を説き、理解し得る範囲において、ご計画を披露してまいられました。

 地上天国を築かんと願う者たちの魂を鼓舞し、霊力が生み出す勇気を持ってあなたの進化の仕事に協力するよう、導かれました。

 また、あなたの使者として私たちを地上へ遣わされ、地上の子等の魂を解放し、あなたがいかに身近な存在であるかを認識させるために、あらたなる光明、新たなる知識、新たなる真理、新たなる叡智をもたらすべく、高揚と、慰安と、教化と、啓示の仕事を託されたのでした。

 願わくはこのサークルをあなたの霊力によって満たし、ここを聖殿としてあなたの真理の輝きを流入せしめ、地上の暗き場所を明るく照らし、平和と幸せと叡智をもたらすことができますように。
                 完  


No comments:

Post a Comment