【Q1】
霊媒というのは生まれながらのものなのでしょうか?それとも養成することも可能なのでしょうか?
霊的能力がそなわっているということが第一条件です。それは授けられるものです。人間は、霊的存在であるからには霊的属性を備えていますから、その意味では、潜在的にはすべての人間が霊媒であるといえます。
【Q2】
霊が支配するためには、霊媒は深いトランス状態に入る必要があるのでしょうか?
その必要はありません。霊媒が深いトランス状態に入らなくても、支配霊や指導霊はメッセージを伝えることができます。トランス状態の利点は、霊媒の構成要素(肉体・精神・霊)を自由に操ることができるという点にあります。霊媒の意識のでしゃばりを抑えるほど、仕事がやりやすくなります。しかし、支配霊や指導霊にとって、霊媒がトランス状態に入ることは必須というわけではありません。
【Q3】
霊媒現象およびスピリチュアリズム全体の普及のために、われわれは何をすべきかについて助言をいただけませんか?
スピリチュアリズムのあらゆる側面において、常に新しい要素が生まれ出ています。霊媒現象でも物理的なものが次第に影をひそめ、病気治療と霊的知識の分野で高次元の側面が徐々に出始めています。進化のサイクルが変わったということです。
どうすべきかとお尋ねですが、鼓舞されるままに進めばよろしい。あらかじめ用意されたものというものは何もありません。現在のあなたも、何かに鼓舞されてここまで来たのです。それと同じ力に任せればよろしい。その力は、これまで一度もあなたを見捨てたことはありませんでした。
地上のいかなるものよりも大切な霊的知識を手にするよう、今日まで導いてくれたのです。ひたすら前進することです。ベストを尽くすことです。その力が導き支えてくれます。
【Q4】
トランスを伴う現象は、健康に影響があるでしょうか?
ありますが、よい影響しかありません。ただし、トランス現象に関わる法則を守っていれば、のことです。たとえば、一日に三回も四回も交霊会を催せば、当然のことながら健康に害を及ぼすでしょう。常識的な線で定期的に行ない、演出される現象に進歩が見られれば、健康はむしろ増進するはずです。
なぜかといえば、そういう状態のときに、霊媒の身体を流れる霊的エネルギーは活力に富んでいて、会を催すたびに少しずつその活力を残していくからです。使い方一つで、健康を増進することにもなれば、阻害することにもなります。
【Q5】
心に念じたことは、必ず霊に通じるものでしょうか?
そうとは限りません。波動的に合致しているか否かによります。合致していれば通じます。もっとも、霊的な親和性のある魂同士であれば、地上と霊界の隔たりに関係なく、思念や要望は即座に通じます。
【Q6】
以前に比べて、霊界から通信を届けるのが容易になってきているのでしょうか?
容易になりました。混沌とした状態が次第に消え、秩序ができてきました。(戦争が生み出した)激しい、凶暴な感情が後退し、消えていきつつあります。地球を取り巻いていた怨恨の霧に晴れ間が見えるようになり、それだけ地上界に近づきやすくなりました。この傾向は今後も進展することでしょう。
【Q7】
霊視能力者が霊の姓名を伝えるときに、「姓」が伝えられないことがありますが、なぜでしょうか?
大体において、姓は呼び名よりも受け取りにくいのです。これは音のバイブレーションの感得力の問題に帰します。呼び名のように聞き慣れているものは、伝えやすく受け取りやすいのです。変わった名前、一般的でない名前ほど伝えにくく、また受け取りにくいものです。
さらにいえば、こちらの世界から霊媒または霊能者に送り届ける情報の多くは、絵画またはシンボルのかたちをとりますから、姓のような抽象的なものは伝えにくいのです。もちろん、霊視力ないしは霊聴力が格別に鋭い人は、鮮明に受け取ることができます。
ですが、ここで忘れてならないのは、霊的能力の善し悪しは姓が正しく受け取れるか否かで決まるわけではないということです。要は、霊の身元の証拠になるものが示せるか否かです。
【Q8】
ホームサークル(交霊会・実験会)には、ドアキーパー(玄関番・門衛)がいるそうですが、どういう役目をしているのでしょうか?
ドアキーパーの役目は、ドアキーパーであることです。当たり前のことのようですが、邪霊やヤジ馬霊を排除するためのバリアをこしらえる力を操ることができるようにならないことには、その役目は果たせません。その力の源は、実はあなた方出席者であり、その集合的な力であることをご存じでしょうか?出席者一人ひとりから引き出し、担当の指導霊(ドアキーパー)がそれを素材にバリアをこしらえるのです。要するに、霊界のエネルギーと人間から引き出したエネルギーとを混合してバリアをこしらえ、サークル活動に使うのです。
【Q9】
スピリチュアリズム勃興以前にも、霊的な啓示があったのでしょうか?
突発的な啓示はいくつかありましたが、持続しませんでした。スピリチュアリズムと銘打った今回の啓示は組織的なものであり、コントロールされたものであり、規制されたものです。
人間の想像をはるかに超えた協調関係のもとに計画されたプロジェクトで、その背後の組織は途方もなく広大であり、緻密な計算のもとに実行に移されています。すべてに打ち合わせがなされているのです。
霊界の扉が地上へ向けて開かれることに決したとき、それは十分な熟慮の末に決したのであり、したがって、いったん開かれた以上は二度と閉じられることはありません。
私たちの使命は、目的性のあるもの、意義のあるものを授けることであり、霊的なことにも法則があることを証明する一方で、死後の世界についての知識と慰めを与えることです。つまり、死後の世界にも摂理・法則があることを説きあかすだけでなく、霊に関わる真理をお教えすることです。
私たちの使命に立ちはだかるものとして、間違った教えのうえに築かれた巨大な宗教的組織があります。何世紀にもわたって築きあげられてきたものを切り崩さねばなりません。誤った教義・信条のうえに築かれた聖職者の支配構造を破壊しなければならないのです。
私たちは、物質界の子らに、いかにすれば迷信から解放され、霊的真理の陽光を浴びることができるか、いかにすれば誤った教義の奴隷状態から脱け出ることができるかをお教えしようと努力しているところです。これは容易ならざる仕事です。なぜなら、いったん宗教の罠にかかってしまうと、正しい霊的真理が、その迷信の厚い壁を突き抜けるには、長い長い年月を要するからです。
私たちは、霊的真理の宗教的意義を説きあかしたいと努力しています。地上界の人間が、その霊的な意義を理解したとき、戦争や流血による革命より偉大な革命が成就されるからです。それは魂の革命であり、世界中の人間が本来享受すべきもの、霊的存在としての自由を満喫する権利を要求するようになります。
そのとき、足かせとなっていたものすべてが、ひとたまりもなく消し飛んでしまいます。私たちが忠誠を尽くすのは教義でもなく、書物でもなく、教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の自然法則です。
【Q10】
私は、ドグマや組織宗教には、すっかり落胆しています。しかし、教会には存在価値を認めるのですが・・・。
教会設立の起源に立ち戻ってみましょう。キリスト教の教会も、他の宗教の教会、寺院、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)、チャペルなどと同じく、遠い過去においても霊界から地上界への働きかけがあったからこそ、存在するようになったのです。そこでは常に(霊媒がいて)、いわゆる〝しるしと不思議〟、ときには奇跡的現象が発生していました。
それは、当時の信仰や教義やドグマの間違いを教える目的をもっていました。霊界からの働きかけが、本来は、病人を癒し、正しい生き方を教え、人生の基本原理、すなわち、物質は殻であり、霊こそ実在であることを強調することにあるという点において、神性を帯びていることを証明するものでした。
ところが残念ながら、これまでの歴史を見ればおわかりのとおり、そういう霊力のほとばしりは一時的なもので終わっています。
次第に神学者が(霊媒を押しのけて)支配するようになり、俗世的な頭で教義をこしらえ、霊的啓示にとってかわるようになりました。不毛の言葉が生きた啓示を凌ぎ始めたのです。その後も霊力のほとばしりに伴って、〝しるしと不思議〟と奇跡が発生してきました。同じことがいく度も繰り返されたのです。
【Q11】
あなたのおっしゃる「宗教的寛容」を明確に説いていただけませんか?宇宙が絶対的な自然法則によって支配されているとか、その法則は完璧で永遠不滅であるといった教えは、ある意味ではドグマ的で、寛容性に欠けていると言えないでしょうか?
私はこれまで、絶対に間違ったことは言わないと主張したことは一度もありません。あなた方と同じ人間的存在であり、理性に訴えることを第一の心がけとして真理を説いてきました。私のいうことを拒絶したら罰が当たるようなことは、暗に、におわせることもしていないつもりです。こちらへ来てみてわかった真相はこうなっていますということをお伝えしているだけです。
どう受け取るかは、あなた方の判断に任せます。なるほどと納得がいけば受け取ってください。納得がいかなければ拒否なさればよろしい。信頼を勝ち取る方法がほかにあるでしょうか?
ご利益(あめ)と天罰(むち)ですか?とんでもない。私たちは、愛と常識で信頼を勝ち取り、共通の基盤のうえで語りあえることをモットーとしてのぞんでいます。
【Q12】
あなたの教えは、一般の人々を対象にしておられるのでしょうか?もしそうであれば、初期のキリスト教が説いたような単純なもの、たとえば、贖い(あがな)の教義を説いたほうがよろしいのではないでしょうか?高級霊による霊界通信よりも、そのほうが現代人には役に立つのではないでしょうか?
ご質問の根底にあるものは間違っていると、あえて申しあげます。私の教えが大衆を意図したものであることは認めます。また、大衆が理解し、吸収し、ありがたく思うような真理は単純なものであり、その単純なものこそが、大衆が宗教に求めているものを提供するというのが私の考えです。
教訓の真髄は単純そのもの、すなわち、真実であるということに尽きます。他の条件はどうでもよろしい。
その点、ひきあいに出された教え(キリスト教)が支持を失ってしまったのは、その教義が真実でないからです。そのなかの一つである贖罪説を例に出されましたが、罪を贖うのはあくまでも自分自身であって、他のだれにも贖うことはできません。
あなたの人生の責任は、あなたが背負うのです。あなたが犯した罪を赦してくれる者はいません。原因と結果の法則を阻止したり変更したりすることのできる者はいません。寸分たがわぬ正確さをもって働きます。
【Q13】
スピリチュアリズムと伝統的宗教との融合が望ましいのでしょうか?
それは言葉の遊戯に過ぎません。私は、タイトルやラベルや種類分けには興味はありません。要は真理を普及させ、人類を迷信から解放し、大霊の子が死後に待ち受ける生活にそなえた、生き甲斐ある生活ができるようにしてあげる───そうした目的に沿ったものであれば私は大歓迎ですし、魂の解放にとって意義があります。
スピリチュアリズムといい、伝統的宗教といい、いずれも漠然としていて、これを言葉で解説しようとすると混乱してしまいます。私の関心は、光明を求め内部の神性を発現して、自分より恵まれない人々の役に立つことをしようと心がけている一人ひとりの人間です。
一人ひとりの人間が授かった資質を活用して最善を尽くし、日々、大霊の計画とその子らのために寄与しているのだと実感する、それだけで十分です。霊能を授かった人は、一般の人にはできないかたちでの人助けができるという、はかりしれない恩恵に浴しています。ほとんど毎日のように訪れる素晴らしいサービスのチャンスに、心躍るほどの喜びを感じるようでなければいけません。
が、知識には責任が伴うことを忘れてはいけません。霊能者は、崇高な真理を授かっているばかりでなく、崇高なエネルギー、神性を帯びた生命力そのものも授かっていることを忘れてはいけません。
地上界を霊的に浄化し再生させる仕事にたずさわるということは、大変な責任を伴います。が、常に導きがあります。自信をもって進んでください。毎日、霊的歓喜を覚えるほどのサービスのチャンスがもたらされます。
霊的能力がそなわっているということが第一条件です。それは授けられるものです。人間は、霊的存在であるからには霊的属性を備えていますから、その意味では、潜在的にはすべての人間が霊媒であるといえます。
【Q2】
霊が支配するためには、霊媒は深いトランス状態に入る必要があるのでしょうか?
その必要はありません。霊媒が深いトランス状態に入らなくても、支配霊や指導霊はメッセージを伝えることができます。トランス状態の利点は、霊媒の構成要素(肉体・精神・霊)を自由に操ることができるという点にあります。霊媒の意識のでしゃばりを抑えるほど、仕事がやりやすくなります。しかし、支配霊や指導霊にとって、霊媒がトランス状態に入ることは必須というわけではありません。
【Q3】
霊媒現象およびスピリチュアリズム全体の普及のために、われわれは何をすべきかについて助言をいただけませんか?
スピリチュアリズムのあらゆる側面において、常に新しい要素が生まれ出ています。霊媒現象でも物理的なものが次第に影をひそめ、病気治療と霊的知識の分野で高次元の側面が徐々に出始めています。進化のサイクルが変わったということです。
どうすべきかとお尋ねですが、鼓舞されるままに進めばよろしい。あらかじめ用意されたものというものは何もありません。現在のあなたも、何かに鼓舞されてここまで来たのです。それと同じ力に任せればよろしい。その力は、これまで一度もあなたを見捨てたことはありませんでした。
地上のいかなるものよりも大切な霊的知識を手にするよう、今日まで導いてくれたのです。ひたすら前進することです。ベストを尽くすことです。その力が導き支えてくれます。
【Q4】
トランスを伴う現象は、健康に影響があるでしょうか?
ありますが、よい影響しかありません。ただし、トランス現象に関わる法則を守っていれば、のことです。たとえば、一日に三回も四回も交霊会を催せば、当然のことながら健康に害を及ぼすでしょう。常識的な線で定期的に行ない、演出される現象に進歩が見られれば、健康はむしろ増進するはずです。
なぜかといえば、そういう状態のときに、霊媒の身体を流れる霊的エネルギーは活力に富んでいて、会を催すたびに少しずつその活力を残していくからです。使い方一つで、健康を増進することにもなれば、阻害することにもなります。
【Q5】
心に念じたことは、必ず霊に通じるものでしょうか?
そうとは限りません。波動的に合致しているか否かによります。合致していれば通じます。もっとも、霊的な親和性のある魂同士であれば、地上と霊界の隔たりに関係なく、思念や要望は即座に通じます。
【Q6】
以前に比べて、霊界から通信を届けるのが容易になってきているのでしょうか?
容易になりました。混沌とした状態が次第に消え、秩序ができてきました。(戦争が生み出した)激しい、凶暴な感情が後退し、消えていきつつあります。地球を取り巻いていた怨恨の霧に晴れ間が見えるようになり、それだけ地上界に近づきやすくなりました。この傾向は今後も進展することでしょう。
【Q7】
霊視能力者が霊の姓名を伝えるときに、「姓」が伝えられないことがありますが、なぜでしょうか?
大体において、姓は呼び名よりも受け取りにくいのです。これは音のバイブレーションの感得力の問題に帰します。呼び名のように聞き慣れているものは、伝えやすく受け取りやすいのです。変わった名前、一般的でない名前ほど伝えにくく、また受け取りにくいものです。
さらにいえば、こちらの世界から霊媒または霊能者に送り届ける情報の多くは、絵画またはシンボルのかたちをとりますから、姓のような抽象的なものは伝えにくいのです。もちろん、霊視力ないしは霊聴力が格別に鋭い人は、鮮明に受け取ることができます。
ですが、ここで忘れてならないのは、霊的能力の善し悪しは姓が正しく受け取れるか否かで決まるわけではないということです。要は、霊の身元の証拠になるものが示せるか否かです。
【Q8】
ホームサークル(交霊会・実験会)には、ドアキーパー(玄関番・門衛)がいるそうですが、どういう役目をしているのでしょうか?
ドアキーパーの役目は、ドアキーパーであることです。当たり前のことのようですが、邪霊やヤジ馬霊を排除するためのバリアをこしらえる力を操ることができるようにならないことには、その役目は果たせません。その力の源は、実はあなた方出席者であり、その集合的な力であることをご存じでしょうか?出席者一人ひとりから引き出し、担当の指導霊(ドアキーパー)がそれを素材にバリアをこしらえるのです。要するに、霊界のエネルギーと人間から引き出したエネルギーとを混合してバリアをこしらえ、サークル活動に使うのです。
【Q9】
スピリチュアリズム勃興以前にも、霊的な啓示があったのでしょうか?
突発的な啓示はいくつかありましたが、持続しませんでした。スピリチュアリズムと銘打った今回の啓示は組織的なものであり、コントロールされたものであり、規制されたものです。
人間の想像をはるかに超えた協調関係のもとに計画されたプロジェクトで、その背後の組織は途方もなく広大であり、緻密な計算のもとに実行に移されています。すべてに打ち合わせがなされているのです。
霊界の扉が地上へ向けて開かれることに決したとき、それは十分な熟慮の末に決したのであり、したがって、いったん開かれた以上は二度と閉じられることはありません。
私たちの使命は、目的性のあるもの、意義のあるものを授けることであり、霊的なことにも法則があることを証明する一方で、死後の世界についての知識と慰めを与えることです。つまり、死後の世界にも摂理・法則があることを説きあかすだけでなく、霊に関わる真理をお教えすることです。
私たちの使命に立ちはだかるものとして、間違った教えのうえに築かれた巨大な宗教的組織があります。何世紀にもわたって築きあげられてきたものを切り崩さねばなりません。誤った教義・信条のうえに築かれた聖職者の支配構造を破壊しなければならないのです。
私たちは、物質界の子らに、いかにすれば迷信から解放され、霊的真理の陽光を浴びることができるか、いかにすれば誤った教義の奴隷状態から脱け出ることができるかをお教えしようと努力しているところです。これは容易ならざる仕事です。なぜなら、いったん宗教の罠にかかってしまうと、正しい霊的真理が、その迷信の厚い壁を突き抜けるには、長い長い年月を要するからです。
私たちは、霊的真理の宗教的意義を説きあかしたいと努力しています。地上界の人間が、その霊的な意義を理解したとき、戦争や流血による革命より偉大な革命が成就されるからです。それは魂の革命であり、世界中の人間が本来享受すべきもの、霊的存在としての自由を満喫する権利を要求するようになります。
そのとき、足かせとなっていたものすべてが、ひとたまりもなく消し飛んでしまいます。私たちが忠誠を尽くすのは教義でもなく、書物でもなく、教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の自然法則です。
【Q10】
私は、ドグマや組織宗教には、すっかり落胆しています。しかし、教会には存在価値を認めるのですが・・・。
教会設立の起源に立ち戻ってみましょう。キリスト教の教会も、他の宗教の教会、寺院、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)、チャペルなどと同じく、遠い過去においても霊界から地上界への働きかけがあったからこそ、存在するようになったのです。そこでは常に(霊媒がいて)、いわゆる〝しるしと不思議〟、ときには奇跡的現象が発生していました。
それは、当時の信仰や教義やドグマの間違いを教える目的をもっていました。霊界からの働きかけが、本来は、病人を癒し、正しい生き方を教え、人生の基本原理、すなわち、物質は殻であり、霊こそ実在であることを強調することにあるという点において、神性を帯びていることを証明するものでした。
ところが残念ながら、これまでの歴史を見ればおわかりのとおり、そういう霊力のほとばしりは一時的なもので終わっています。
次第に神学者が(霊媒を押しのけて)支配するようになり、俗世的な頭で教義をこしらえ、霊的啓示にとってかわるようになりました。不毛の言葉が生きた啓示を凌ぎ始めたのです。その後も霊力のほとばしりに伴って、〝しるしと不思議〟と奇跡が発生してきました。同じことがいく度も繰り返されたのです。
【Q11】
あなたのおっしゃる「宗教的寛容」を明確に説いていただけませんか?宇宙が絶対的な自然法則によって支配されているとか、その法則は完璧で永遠不滅であるといった教えは、ある意味ではドグマ的で、寛容性に欠けていると言えないでしょうか?
私はこれまで、絶対に間違ったことは言わないと主張したことは一度もありません。あなた方と同じ人間的存在であり、理性に訴えることを第一の心がけとして真理を説いてきました。私のいうことを拒絶したら罰が当たるようなことは、暗に、におわせることもしていないつもりです。こちらへ来てみてわかった真相はこうなっていますということをお伝えしているだけです。
どう受け取るかは、あなた方の判断に任せます。なるほどと納得がいけば受け取ってください。納得がいかなければ拒否なさればよろしい。信頼を勝ち取る方法がほかにあるでしょうか?
ご利益(あめ)と天罰(むち)ですか?とんでもない。私たちは、愛と常識で信頼を勝ち取り、共通の基盤のうえで語りあえることをモットーとしてのぞんでいます。
【Q12】
あなたの教えは、一般の人々を対象にしておられるのでしょうか?もしそうであれば、初期のキリスト教が説いたような単純なもの、たとえば、贖い(あがな)の教義を説いたほうがよろしいのではないでしょうか?高級霊による霊界通信よりも、そのほうが現代人には役に立つのではないでしょうか?
ご質問の根底にあるものは間違っていると、あえて申しあげます。私の教えが大衆を意図したものであることは認めます。また、大衆が理解し、吸収し、ありがたく思うような真理は単純なものであり、その単純なものこそが、大衆が宗教に求めているものを提供するというのが私の考えです。
教訓の真髄は単純そのもの、すなわち、真実であるということに尽きます。他の条件はどうでもよろしい。
その点、ひきあいに出された教え(キリスト教)が支持を失ってしまったのは、その教義が真実でないからです。そのなかの一つである贖罪説を例に出されましたが、罪を贖うのはあくまでも自分自身であって、他のだれにも贖うことはできません。
あなたの人生の責任は、あなたが背負うのです。あなたが犯した罪を赦してくれる者はいません。原因と結果の法則を阻止したり変更したりすることのできる者はいません。寸分たがわぬ正確さをもって働きます。
【Q13】
スピリチュアリズムと伝統的宗教との融合が望ましいのでしょうか?
それは言葉の遊戯に過ぎません。私は、タイトルやラベルや種類分けには興味はありません。要は真理を普及させ、人類を迷信から解放し、大霊の子が死後に待ち受ける生活にそなえた、生き甲斐ある生活ができるようにしてあげる───そうした目的に沿ったものであれば私は大歓迎ですし、魂の解放にとって意義があります。
スピリチュアリズムといい、伝統的宗教といい、いずれも漠然としていて、これを言葉で解説しようとすると混乱してしまいます。私の関心は、光明を求め内部の神性を発現して、自分より恵まれない人々の役に立つことをしようと心がけている一人ひとりの人間です。
一人ひとりの人間が授かった資質を活用して最善を尽くし、日々、大霊の計画とその子らのために寄与しているのだと実感する、それだけで十分です。霊能を授かった人は、一般の人にはできないかたちでの人助けができるという、はかりしれない恩恵に浴しています。ほとんど毎日のように訪れる素晴らしいサービスのチャンスに、心躍るほどの喜びを感じるようでなければいけません。
が、知識には責任が伴うことを忘れてはいけません。霊能者は、崇高な真理を授かっているばかりでなく、崇高なエネルギー、神性を帯びた生命力そのものも授かっていることを忘れてはいけません。
地上界を霊的に浄化し再生させる仕事にたずさわるということは、大変な責任を伴います。が、常に導きがあります。自信をもって進んでください。毎日、霊的歓喜を覚えるほどのサービスのチャンスがもたらされます。
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