Friday, March 17, 2023

シアトルの春 宇宙創造の目的  


 Purpose of creating the universe

無料イラスト 白樺の木立

 霊的教訓の真髄は確かに単純素朴かもしれないが、すべての人間がそれだけで満足するかというと、そうはいかない。ある日の交霊会で〝宇宙が創造された目的は何か〟という難しい質問が出された。その質問者は具体的にまずこう訊ねた。


───人間は徐々に進化を重ねて、究極的に大霊の中に吸収されてしまうのであれば、なぜ人間を創造する必要があったのでしょうか。

 「私は、人間が最後は大霊に吸収されてしまうという説をとっているわけではありません。いつも申し上げているように、私は究極のことは何も知りません。始まりのことも知りませんし、終わりのことも知りません。

 私に言わせれば〝存在〟はいつからということはなく、いつまでということもなく、いつまでも存在し続けます。地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全性を目指してゆっくりと上昇して行きつつある状態が〝存在〟です。

 その意識なるものがいつ芽生えたかについても私は何も知りません。いつ完全の域に達するかについても知りません。私には完全とか吸収(寂滅)とかの時が来るとは思えません。

なぜなら、魂というものは霊性を高めて向上するにつれて、言いかえれば、過去の不完全性の不純物を払い落とすごとに、更に大きな進歩の必要性を自覚するものだからです。

進化すればするほど、なお進化すべき余地があることに気づくものです。高く登れば登るほど、その先にはまだ登らねばならない高いところがあると知ることの連続です。

 私の考え方は、大霊の一部である意識の、生活の中における開発と発展に主眼を置いています。この意識なるものは、私の知る限り無窮の過去から常に存在してきたものですが、それがさまざまな形態を通して顕現し、その表現を通して絶え間なく洗練されつつ、内在する神性をより多く発現していくのです。

 これまで、ありとあらゆる生命現象を通して顕現してきて、今なお顕現し続けております。いま人間という形態で表現している意識も、かつては動物・鳥類・魚類・植物その他の生物と、無生物と呼ばれているもの全てを通して表現されてきたのです。

これからも進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。それが創造の全目的です。大霊の一部である意識が、千変万化の形態を通して絶え間なく顕現していくということです。

 そのことに加えて、私は是非次のことを申し上げておきたいと思います。それは人間の存在を創造の大事業と切り離す、あるいは、縁のない存在として考えてはならないと言うことです。

なぜなら人間もその創造活動に参加しているからです。創造的エネルギーが人間を通して働いているのです。あなたの人生、あなたの努力、あなたの葛藤が、無限の創造活動に貢献するということです。

 一つ一つの生命がそれなりの貢献をしております。その生命が高級になればなるほど、つまり愛他性を増し、排他性を減らすにつれて、変化に富んだ創造の世界に美しさを加えてまいります。

画家や音楽家や詩人だけが、美への貢献をしているのではありません。あらゆる生命が───そのつもりになれば───美をもたらすことが出来るのです」


 創造の問題は必然的にバイブレーション(波動・波長・振動)の問題となる。


───スピリチュアリズムでは〝バイブレーション〟という用語が良く使用されますが、これを分かり易く説明していただけませんか。

 「生命のあるところには必ず運動があり、リズムがあり、鼓動があり、バイブレーションがあります。生命は活動せずにはいられないのです。静止したり惰性的になったりすることはありません。

生命には必ず運動が付随します。その運動を理解し、その意味を理解するには、まずその定義から始めなければなりません。

 私がバイブレーションという時、それはエネルギーの波動となって顕現している生命のことで、無数の生命形態ないしは現象の一つを指しております。

存在するものは全て振動(バイブレード)し、何かを放射し、活動しております。私たちがこうして地上へ働きかけることが出来るのも、バイブレーションのお陰です。

 私たちは、普段は物的感覚の領域を超えたバイブレーションの世界で生活しております。霊的エネルギー、霊的パワー、霊的現象は、ことごとく物質より感度の高い、微妙なバイブレーションから成り立っております。

 地上のように、物質に浸り切り包まれている世界と交信するためには、次の二つの方法のうちのどちらかを取らなければなりません。すなわち、人間の側がその低いバイブレーションを高めてくれるか、それとも私達霊側がその高いバイブレーションを下げるかです。

両方が歩み寄ればよいのでは・・・・・・誰しもそうお考えになるでしょう。ところが、どうして、どうして、なかなかそううまくはいかないのです。いつも私たちの方が遠路はるばるおりてこなければなりません。地上世界からの援助はそう多くは望めないのです。

 この霊媒(バーバネル)を使ってしゃべるためには、私は私本来のバイブレーションを下げております。その状態から抜け出て私本来の界へ戻る時は、その界にあった意識を取り戻すために、バイブレーションを加速しなければなりません。

このように全てはバイブレーションの操作によって行われるわけです。それを簡潔に説明するにはバイブレーションという用語しか見当たりません。

 それにしても、永いあいだ霊的な分野のことには一切耳を貸そうとせず、目を瞑って来た科学者が、今になって、物質の謎を解くカギはバイブレーションにあるという認識をもちはじめたことは、興味深いことです」


続いて祈りの問題が持ちだされると───

 「祈りとは何かを理解するには、その目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願い事を口にしたり、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。テープを再生する様な調子で陳腐な言葉を大気中に放っても、耳を傾ける人はいませんし、訴える力を持った波動を起こすこともできません。

 私たちは型にはまった文句には興味はありません。その文句に誠意がこもっておらず、それを口にする人みずからがその内容に無頓着であることが普通です。永い間それをロボットのように繰り返しているに過ぎないからです。

 真の祈りにはそれなりの効用があることは事実です。しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労力の代用とはなり得ません。

 祈りは、義務を回避しようとする臆病者の避難場所ではありません。人間として為すべき仕事の代用とはなりません。責任を逃れる手段ではありません。いかなる祈りにもその力はありませんし、絶対的な因果律を少しも変えることはできません。

 人のためにという動機、自己の責任と義務を自覚した時に油然として湧き出る祈り以外は、すべて無視されるがよろしい。その後に残るのが心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル ※) な行為であるがゆえに自動的に応答のある祈りです。

自動的ですから、その応答は必ずしも本人の期待した通りのものではありません。その祈りの行為によって生じたバイブレーションが生み出す、自然な結果です。


 ※───サイキックというのは五感の延長としての、オカルト的な超能力が生じさせるもので、物質次元の中に入る。スピリチュアルというのは、物質次元から脱して霊的次元のエネルギーや法則が生ぜしめるもの───訳者。


 あなた方を悩ます全ての問題と、困難に対して、正直に、正々堂々と、真正面から取り組んだ時───解決のためにありたけの能力を駆使して、しかもなお力が及ばないと悟ったとき、その時こそ何らかの力、

自分より大きな力を持つ存在に対して、問題解決のための光を求めて祈る資格ができたと言えましょう。そして、きっとその導き、その光を手にされる筈です。

あなたのまわりにいる洞察力に富んだ霊は、あなた方の魂の状態をありのままに見抜く力があるからです。たとえば、あなた方が本当に正直であるか否かは、一目瞭然です。

 さて、その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。すなわち、肉体に宿るがゆえの宿命的な障壁を克服して、本当の自我を見出したいと望む魂の祈りです。これは必ず叶えられます。

なぜならば、その魂の行為そのものが、自動的にそれ相当の結果を招来するものだからです。

 このように一口に祈りといっても、その内容・動機を見分けた上で論ずる必要があるのです。

 ところでキリスト教の〝主の祈り〟のことですが、あのように型にはまった祈りは、人類にとって何の益ももたらさないことを断言します。

単なる形式的行為は、その起源においては宿っていたかも知れない潜在的な力まで奪ってしまいます。儀式の一環としては重宝かも知れませんが、人間にとっては何の役にも立ちません。

 そもそも〝神〟とは法則なのです。自分で解決できる程度の要求で神の御手を煩わせることはありません。それに、ナザレのイエスがそれを口にした (とされる) 時代から二千年近くも過ぎました。

その間に人類も成長し、進化し、人生について多くのことを悟っております。イエスは決してあの文句の通りを述べたわけではありませんが、いずれにしても当時のユダヤ人に分かり易い言葉で述べたことは事実です。

 今のあなた方には、父なる神が天にましますものでないことくらい、お分かりになるでしょう。完全な摂理である以上、神は全宇宙、全生命に宿っているのです。この宇宙のどこを探しても、完璧な法則が働いていない場所は一つとしてありません。

神は地獄のドン底にいるわけでも、天国のいちばん高いところに鎮座ましますものでもありません。大霊として宇宙全体にあまねく存在し、宇宙の生命活動の一つ一つとなって顕現しております。

 〝御国の来まさんことを〟などと祈る必要はありません。地上天国の時代は、いつかは来ます。かならず来るのです。しかし、それがいつ来るかは霊の世界と協力して働いている人たち、一日も早く招来したいと願っている人たちの努力一つに掛っております。

そういう時代が来ることは間違いないのです。しかし、それを速めるか遅らせるかは、あなた方人間の努力いかんに掛っているということです」


───モーゼの「十戒」をどう思われますか。

 「もう時代遅れです。今の時代には別の戒めが必要です。

 人間の永い歴史のどの時代にも述べられたものであっても、それを持って神の啓示の最後と受け止めてはいけません。啓示というものは連続的かつ進歩的なものです。

その時代の人間の理解力の程度に応じたものが授けられているのです。理解力が及ばないほど高等すぎてもいけませんが低すぎてもだめで、つまり、理解の及ぶ範囲より一歩先んじたものでなければなりません。

 霊界から授けられる叡智は、いつの時代にも一歩先んじております。そして人類がその段階まで到達すれば、次の段階の叡智を受け入れる準備ができたことになります。

人類がまだ幼稚な段階にあった時代に、ある特殊な民族のために授けられたものを、なぜ、当時とは何もかも事情の異なる今の時代に当てはめなければならないのでしょうか。

 もっとも私は〝十戒〟ならぬ〝一戒〟しか持ち合わせておりません。〝お互いがお互いのために尽くし合うべし〟───これだけです」


───霊力とはどんなものでしょうか。実感があるのでしょうか。目で見て描写出来る性質のものでしょうか。

 「ずいぶん解釈の難しい言葉をお使いになられましたね。〝実感があるか〟とおっしゃるのは、どういう意味でしょうか。五感に反応するかということでしょうか。その意味でしたら、実感はありません。

真実味があるかという意味でしたら、知識に真実味があり、進化に真実味があり、愛に真実味があり、ありとあらゆるエネルギーに真実味があるように、霊力にも真実味があります。

 私たちにとっては、もちろん真実味はありますが、霊覚が発達せず、その真実味が認識できる段階まで来ていない者には、その存在は実感できません。一種のエネルギーです。霊的なエネルギーです、生命活動を操るエネルギーです。

無知な人、偏見を抱く人、迷信に動かされるような人は、自分でいくつもの精神的障壁をこしらえ、その一つ一つが霊力の働きの障害となります。それが何時になったら突き崩せるかは、その障害の性質によって違ってきます。

 人によっては、霊的なものに漠然とした概念すら抱くことなく、地上生活を終えることがあります。そういう人は生命がすなわち霊であり、霊がすなわち生命であること、地上の全生命は霊力のお陰で存在が維持されていることに気づきません。

霊的実在についてはまったく無知で、言わば、死が解放してくれるまで肉体という牢獄の中に閉じ込められた生活を送るわけです。といっても、死んですぐに実在に目覚めるわけではありません。ご存じのように、それには永い調整期間が必要です。

 そうした、完全に無知な人間とは別に、生命現象を創造し、支配し、導いている超越的エネルギーを、何らかの体験の中でチラリと垣間見る程度に意識する人もいます。

さらには、あなた方のように、こうして直接的に知識を獲得して、日常生活の中で霊力の恩恵にあずかる人もいます。心と精神と魂の窓を開いた方です。こうした方は、地上の生命現象の全てを表現している霊力と同じものの道具として、いつでも使われる用意が整っている方です。

 霊界のほうでも、あなた方を通して他の受け入れ準備の整っている者を少しでも早く目覚めさせようと腐心しております。そうしたことに使用されるのは、みな霊力なのです。生命現象の全てを統制している力は、私の霊団が操作し、
私がこうして話すことを可能にしてくれている力と同じものなのです」


 そのシルバーバーチ霊団とホームサークルとのつながりについて出された質問に答えて、こう語る。

 「信じることです。わけも分からず信じるのではなく、確固とした知識の上に立った信念を持つことです。確信です。これは使い古された古い用語ですが、私は何一つ新しい教えは持ち合わせないのです。

それがあなた方の精神構造の一部となり切るまで、私は同じことを声の続くかぎり何度でも呼び続けます。確信をもつことです。あなた方が、あなた方なりの役割を果たして下さっていれば、私たちは私たちなりの役割を果たします。決して見捨てるようなことはいたしません。

 人間がインスピレーションにあずかるチャンスはいくらでもあります。ところが取り越し苦労・疑念・不安・こうした邪念が障害となっているのです。こういう念が心に宿るスキを与えてはなりません。

 あなた方の協力を得て為さねばならない仕事が山ほどあるのです。目的意識を忠実に持ち続けることによって、私を援助していただきたいのです。これまでの私の永い体験をもってしても、容易に克服できない障害が沢山あります。

だからこそ、みなさんの私への忠誠心、確信、なかんずく、大胆不敵な心、つまり恐怖心・悩み・心配を精神に根づかせないように心掛けることで、私の力となっていただきたいのです。

 行く道を問題が遮ることがあるかもしれません。が、構わないで放っておけば、そのまま行ってしまいます。居座ることはありません。解決できないほど難しい問題は生じません。

背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。取り越し苦労はいけません。明日がもたらすものに不動の信念と断固たる精神で立ち向かいなさい。万事うまく行きます。

 世の中には、あなたのように霊的真理を手にした者による救いを求めている人が大勢います。あなた方は、そういう人を援助し、使命を果たす備えができていなければなりません。

どうのこうのと立派なことを言っても、それを人のために役たてなかったら、つまり人間が手にした知識を他の人に分けてあげなかったら、せっかくあなたに授けられた知識の本来の意義を、自分の人生に活かしていないことになるのです。

 為さねばならないことが山ほどあります。私たちの努力によって喜ばせてあげられる人が、あちらこちらにも大勢いることを自覚して、心躍る気分で仕事に邁進しようではありませんか」


 別の日の交霊会で、これから霊媒のバーバネルがトランス状態に入ってシルバーバーチがしゃべりだすのを待ちながら、二人のメンバーがスピリチュアリズムの宣伝活動の価値について議論し合っていた。やがてシルバーバーチがバーバネルに乗り移って、こう語った。

 「私たちがこうして地上へ戻ってくるのは一体何のためだとお考えでしょうか。少数の特殊な人のため? それとも大勢の人々のため?

 私たちの説く真理は、ひと握りの人のために、どこかの小さな団体、あるいは秘密結社のようなところに仕舞い込んでおくべきものでしょうか。真理を知らずに迷い、絶望的になり、あるいは悲嘆にくれている数知れない人々の姿が、私たちに見えていないとでもお思いでしょうか。
℘160 
 私たちがお届けするメッセージには重大な目的があるのです。世界中の人間に例外なく宿る宇宙の大霊、すなわち神の崇高な資質を顕現させることを目的としているのです。まず第一に人生を支配している法則───物的生活・精神的生活・霊的生活を支配している法則の存在を説かなければなりません。

続いて人生の目的、地上に生まれてきた理由、内部に宿るすばらしい能力、潜在的神性、人間に為しうる貢献度、目指すべき理想世界、身につけるべき知識、到達できる極致を理解させなければなりません。

 私たちの説く真理は、最後は地上のすべての人間、それも地上に生きているうちに実生活に応用することによって実地に学ばせるために、地上のすみずみに至るまで広められる使命を担っているのです。

誤りを訂正し、不足を補い、これまでも人間が愚かにも、しでかしたことの後片付けをするだけで何十年も何百年も費やします。地上の人間がこうまで無知でなければ、そのエネルギーを別の用途へ向け、時間も無駄も省けるのですが・・・・・・

 ここにお集まりのみなさんには、すでにその知識があります。霊的知識について少しばかり多くのことを学んでおられます。霊的交信の素晴らしさも味わわれました。

永遠に別れてしまったと思っていた、愛する人との縁を、再び取り戻されました。遠大な神の計画の一端をご覧になりました。そしてその見事な構想に驚愕されました。

霊力の証しも幾つかご覧になられました。高い世界からのインスピレーションの喜びも味わわれました、高い世界の知識の泉にも近づかれました。

 こうしたことは一体何のためだったのでしょうか。自分一人で楽しむため? もちろん違います。知識には責任が伴います。今度は代ってあなた方が、その知識を自分にできる範囲内で広めなければならないのです。あなたがたが得た喜びが何であれ、それを他の人に回してあげるのが責務です。

そうすることで一人でも多くの人が霊力に近づき、高い世界で待機している高級霊の愛を知り、これまで多くの男女に大霊の雄大な計画の一翼を担う道具となる決意をさせた、その強烈な力によって、さらに多くの人が魂を鼓舞されるように努力しなければならなのです。

 知識に制約を加えようともくろむ人種とは、縁を切ることです。知識は自由に広められるべきものです。それが無知と迷信と、あまりに永い間、人類の足枷となってきたものを全て打ち崩すことになるのです。

知識こそが魂を解放し、大霊からの授かりものである自由の喜びを満喫することになるのです。

 太陽の輝きを拝めるはずの人間が、ろうそくの明かりしか知らないとは、何という愚かしいことでしょう。私が一個の道具に過ぎないように、皆さんも道具です。

どこの誰ということなく、全ての人の心を解放してあげるのが私たちの仕事です。それが地上世界に進歩をもたらし、大霊の子すべてが霊的摂理にもとづいて意義ある人生が送れるように、社会秩序を改めていくのです



 最後にこれからの見通しについて───

 「私の関心ごとは真理を普及することだけです。真理こそが最も大切です。私のいう新しい世界が基盤とすべき永遠不変の霊的真理を理解していただくためには、私はひたすら自分を役たてることだけを考えております。

その大事業から外れたことをする人は、本来同胞のために捧げるべきエネルギーをムダ使いしていることになるのです。

 私たちがこうして地上へ戻ってきたそもそもの目的は、聞く耳を持つ人間の魂に刺激を与えて、新しい世界の構築のために地上の人間なりの役割を果たしていただくことにあります。

地上世界は、形式への盲従が度を越しております。因習を大切にし過ぎます、私は、知識の普及と、それを今なお暗闇に居る人々の啓発のために使用していただくこと以外には、関心はありません。

私にとって宗教はたった一つしかありません。人のために自分を役たてること───これだけです、教会・聖堂・信条・教理、こうしたものには私はまるで興味がありません。行為・生活・動機───これで評価します。
℘163  
 霊的な知識を得た人が、それを正しく普及していく上において心しなければならないことは、それを無理やり押し付けることによって、肝心の霊界からの邪魔になるような事態になってはいけないということです。

霊力は勝手に制約したり命令したりすることはできません。発現できると見たら、どんな人を通してでも流入します。私たちが欲しいのはそういう道具、霊媒、普通の男女───霊力が受け入れられ、霊の教えが語られ、知識が伝達されるような精神構造をした人たちです。これはのんびり構えていられない問題です。

 私はなぜこの地上へ戻ってくるのか───実は、霊界へ送り込まれてくる人間の中に、もしも地上で霊的知識を身につけていたら、こうまで酷くはならなかったであろうと思われる廃残者、堕落者、霊的生活への備えがまるでできていない者が、余りに多過ぎるのです。

無知と恐怖と迷信と偏見に満ちたものばかりなのです。そうした地上の暗黒面を助長している勢力を打ち崩すことが、私たちの仕事なのです。

 私はそれを敢えてスピリチュアリズムと呼ぶつもりはありません。私は自然法則について語っているだけです。〝父なる神〟などという言い方もいたしません。私は宇宙の大霊という呼び方をしています。法則に目を向けます。宇宙の創造の目的に目を向けます。
 人間は霊的に成長しなければならないのです。もしも地上で為すべきことの一部だけでも成就できたら、避けようにも避けられない宿命である次の霊的生活への準備が整ったことになります。そうなるように仕向けるのが、私たちがこうしてあなた方の世界へ戻ってくる目的です。

同胞である地上人類への愛に発しているのです。情愛の絆がわれわれを結び付け、私たちがあなた方に真理を語り、代ってあなた方が同胞のためにそれを語り継いでくださればよいのです。

 私は、ただ私が見てきたままの事実を述べているだけです。そしてその評価は、あなた方の理性に訴えております。それが最高の判定者であると考えるからです。とにかく正しい知識を広めることです。迷信を突き崩すのです。光明を輝かせ、闇を無くすのです。

古くからの誤った権威を滅ぼすのです。強欲・貪欲・私利私欲・旧態依然たる教理と慣行の息の根を止めるために、何とかしなければなりません。

 そうしたもの全てが霊力の敵です。断じて無くさないといけません。新しい世界にとっての障害物です。行く手を邪魔するものは、たとえ一時的にせよ、神の計画を妨害していることになるのです。

真理はいかなる組織、団体よりも大切です。難しく考えることはありません。真理は極めて単純なのです。ところが人間はそれでは気が済まないのです。

 形式と慣習を好みます。よその形式と慣習を真似したがります。よそが教会をたてると、自分のところも教会をたてないと気がすみません。よそが祈祷で儀式を始めるようになると、自分のところでも祈祷文をこしらえます。よそが賛美歌を歌うようになると、自分のところでも賛美歌をこしらえます。

もっとも、その多くは文句が同じで、歌い方を変えているだけですが・・・よそが説教を始めると、自分たちも説教を始めます。

 そんなことをしなくても、ただひたすら霊力を第一に考えておれば、大霊についての知識と霊的法則の普及のための合流点は、いくらでもあるのです。そのことが何より大切です。

 レンガはあくまでもレンガです。建築物はあくまでも建築物に過ぎません。そんなものに手を合わせてはいけません。忠誠を捧げるべきものは宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理です。

そのことを知った者は、その真理の炎を絶やさぬように努力し、向かうべき方向も分からずに迷っている人々に、いつでも希望と慰めと啓示を与えてあげられるようになることが勤めです。

 地上界は暗闇に満ちております。人生に疲れ、生きる意欲を失い困惑している人々、慰めの一言、一片の真理を渇望している人々が大勢います。あなた方による援助を必要としております。

そういう人々のために、あなた方は一刻を惜しんで真理普及のために努力すべきです。その霊的真理こそが、その人たちにとって人生を建て直す盤石の土台となることでしょう」

シルバーバーチ



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