Guidance from Silver Birch
Edited by Anne Dooley
シルバー・バーチシリーズ刊行に当たって
私は、ほぼ一年半前 (一九八四年五月) に 「シルバーバーチ霊言集」 全十一巻を総集した 『古代霊は語る』 を潮文社より上梓した。正直言って、その出版に際して訳者自身も潮文社の担当者も、この種のものに対する一般読者の反応に一抹の懸念を禁じ得なかった。
ところが、出版してみると、予想に反して全国各地から訳者と出版社の双方に感動と感謝の手紙が次々と寄せられた。英語の素養のある方からは原書の入手方法についての問い合わせもあった。そして、当然予想されたこととして、霊言集全十一巻を全訳してほしいという希望が多く寄せられた。
『古代霊は語る』の〝あとがき〟の中で私は「今この全十一巻を一冊にまとめて、何という無謀なことをしたのだろうと、恰も過ちを犯してしまった時のような気持ちがふと湧くことがある。が・・・(中略) 決して弁解して言うのではなく、私の理解力の範囲で確信して言うが、シルバーバーチの説かんとすることは本書が一応その全てを尽くしていると考えていただいて結構である」 と述べた。
そして今もその確信に変わりはないが、多くの読者からの希望を受け取るごとに、かなえられるものであれば全巻を訳しておくのも私の使命かも知れないという考えが深まっていった。そしてこの度潮文社のご理解を得て、幾つかの条件のもとにその実現に努力してみることになった次第である。
〝条件〟を考慮しなければならない最大の原因は、内容的に重複する箇所が多いことにある。 『古代霊は語る』 と題して一冊にまとめた理由もそこにあるが、〝まとめる〟という作業がエッセンスだけに絞ることになる傾向を避けられないことは確かで、現に読者から〝もっと細々(こまごま)とした悩みごとの質疑応答はないのでしょうか〟といった手紙も寄せられている。
そして、確かにそれが豊富にあるのである。全訳によってそれが紹介できることを有難いと思う一方、重複は是非避けたい気持ちもある。そこで翻訳のシリーズは原典のシリーズのそのままの置き替えではなく、重複箇所を削除し、編者による冗漫な解説も省かせていただくことにした。その点をご了解ねがいたい。
霊言集は五〇年余りにわたって蓄積された膨大な量の霊言をハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーがそれぞれの視点から編集したものである。そのうち二人のメンバーが二冊ずつ出しているので、全部で九人によって十一冊が編集されたことになる。
先日、メンバーの一人でバーバネルの秘書だったパム・リバ女史に手紙で確かめたところ、これ以後新たに編集する予定は今のところ無いということであった。
いま改めてその十一巻に目を通してみると、その扱い方は一冊一冊に特徴があり、実に多彩である。その中から本シリーズの第一巻としてアン・ドゥーリー女史の Guidance from Silver Birch (シルバーバーチの導き) を選んだのは、本書が全巻の中でもシルバーバーチの霊訓をもっとも平易な形でまとめてあり、また 「まえがき」 でシルバーバーチと霊媒バーバネルについての詳しい紹介があり、本シリーズの初巻を飾るものとしていちばん適当とみたからである。
また全巻の中で本書が最もページ数が少なかったことが、巻末に私自身の長文の解説 「霊的啓示の系譜」 を載せる余裕を与えてくれることにもなった。これによって人類史の背後の霊的な流れの中における「シルバーバーチの霊訓」の位置を理解していただけるものと信じている。
熱心な読者のために、願わくば一冊でも多く、そして少しでも早く出せることを心から念じている。
一九八五年七月 近藤 千雄
まえがき
古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル
四〇年余り前 (一九二〇年ごろ) のことである。文人による社交クラブで司会役をしていた十八歳の議論好きの青年が、思わぬ成り行きからスピリチュアリズム (章末注①) の研究に引きずり込まれた。そしてある心霊家の招きでロンドンの東部地区で催されていた交霊会 (注②) なるものに一種の軽蔑心を抱きつつ出席した。
これといった感動も覚えぬまま会の成り行きを見ていたその青年は、入神した人間の口をついてインディアンだのアフリカ人だの中国人だのが代わるがわるしゃべるのを聞いて苦笑を禁じ得なかった。そして列席者の一人から 「あなたもそのうち同じことをするようになります」 と言われた時もアホらしいといった気持ちで軽く聞き流した。のちにこれが現実となるとは神ならぬ身には知る由もなかった。
二度目に出席した時、青年は途中でうっかり〝居眠り〟をしてしまい、目覚めてから慌てて失礼を詫びた。ところが驚いたことに他の出席者たちから 「居眠りをなさっている間あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名のってましたが、その方はあなたがお生まれになる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演なさるようになるとも言ってました」と言われた。
この時も青年は一笑に付した。しかしどこか心の奥にひっかかるものがあった。そしてその後出席する度に入神させられ、そのたびに同じインディアンがしゃべった。はじめのうち片言英語しか話せなかったのが次第に流暢になっていった。
その青年の名はモーリス・バーバネル。(注③) そしてインディアンはシルバーバーチ (注④) と呼ばれるようになった。両者は顕と幽の相反する世界にいながら密接に結びついた仕事で世界的に知られるようになる運命にあった。
前者は練達の宣伝家、著作家、編集者として、後者はハンネン・スワッハー氏 (注⑤) の言葉を借りれば〝他のいかなる説教家よりも多くの心酔者をもつ〟雄弁な説教者としてである。
スワッハーの言葉には説得力がある。スワッハー自身がその会の司会者であり、今日までその交霊会はハンネン・スワッハー・ホームサークルの名称で知られているからである。それにスワッハーはジャーナリズム界では〝フリート街の法王〟の異名を取る反骨のジャーナリストとして長くその存在を知られている人物である。
そのスワッハーの勧めでシルバーバーチの霊言が心霊紙上で公表されるようになってからも、霊媒がバーバネルであることは内密にされた。
バーバネルにしてみれば自分を通じての霊的教訓はいくら宣伝されてもそれだけの価値はあるが、それを掲載するサイキックニューズ紙とツーワールズ紙の主筆が実はその霊媒であるというのは、受け取られようではまずい印象を与えるのではないかという用心があったのである。
そういう次第でバーバネルがシルバーバーチの霊媒であるという事実は二十年余りも極秘にされていたが、いったい霊媒は誰なのかという次第に高まる一般のうわさを放置するわけにもいかなくなり、ついに一九五七年八月二四日のツーワールズ紙上でバーバネル自ら公表したのであった。
シルバーバーチについてスワッハーはこう述べている。 「シルバーバーチは実はインディアンではない。いったい誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高すぎて地上とは直接の交信が不可能であるために低い界の霊 (霊界の霊媒) の幽体を使用している。
シルバーバーチと名のるインディアンはたぶんその幽体の持ち主であろう。その証拠に彼はこう言っているのである。〝いずれ私の身元を明かす日も来ることでしょう。私は仰々しい名前を使うことによって敬愛を受けたくはありません。私が語る真理によって私の真価を証明するためにあえて素朴なインディアンに身をやつしております。それが自然の理というものなのです〟」と。
これらの教説が霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのかとの批評家の質問に対してスワッハーは、両者が別個の存在であることを示す決定的な事実がいくつかあると言う。例えばシルバーバーチは再生説(注⑥)を説くが、バーバネルは通常意識の時はこれを否定し、入神すると反対に再生説を主張する。
シルバーバーチ自身も自分が心霊家がよく持ち出す〝霊媒の第二人格〟でないことを示す証拠をこれまで何度も提供している。例えば霊媒の奥さんのシルビアに対してシルバーバーチが、今度のエステル・ロバーツ女史 (注⑦) の交霊会でかくかくしかじかのことを直接談話 (注⑧) で言います、と約束したことがある。
そしてその約束どおりのことが起きた。いっしょに出席していたバーバネルも初めてシルバーバーチの声を直接聞いて感動を覚えたという。
「文は人なり」 とは十八世紀のフランスの博物学者ビュフォンの名言であるが、これはシルバーバーチに関する限り人間性のみならず教説の説き方についても言える。霊媒のバーバネルもシルバーバーチの説き方の巧みさをまさに〝霊の錬金術〟であると激賞してこう述べている。
「年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体がすでに超人的であることを示している。
ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っぴきでやっと満足の行く記事が出来上がる。ところがこの〝死者〟は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。
その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。」
南アフリカにおけるスピリチュアリズムの中心的指導者であるエドマンド・ベントリー氏もその著書の中でシルバーバーチとバーバネルの相違を〝一目瞭然〟であると評し、とくに弁舌のさわやかさと文体の美しさにおいて際立った対照を見せていると述べてからこう続ける。
「バーバネルも確かに優れた演説家である。公開の演壇上で、宴会の席で、選挙の応援演説で、あるいは何万人もの聴衆を前にした集会の演説等々での体験から氏は実に弁舌さわやかであり、ユーモアのあるエピソートを混じえるのも巧みであり、なかんずく法廷弁護士にも似た理路整然とした説明にただならぬ才能を見せる。
しかしシルバーバーチはこうした人間的評価の域を完全に超えている。シルバーバーチには荘厳さと威厳があり、それに王者の風格ともいうべき高度な素朴さと情愛とが一体となった風合いが感じられる。
あえて説明するに及ばぬことであるが、その表現力の幅広さ、用語の選択の適確さ、生気溢れる爽やかな弁舌をみれば、シルバーバーチと名のる存在が明らかにバーバネルとは別個の霊界からの訪問者であり、それが豊富な知識と叡智と才能を携えて訪れ、地上の人間の身体を借りて語っていることは明白である。」
そのシルバーバーチがバーバネルの身体を完全に使いこなすに至る過程をバーバネル自身が次のように語っている。
「はじめのころは身体から二、三フィート離れたところに立っていたり、あるいは身体の上の方で宙ぶらりんの格好で自分の口からでる言葉を一語一語聞き取ることができた。シルバーバーチは英語がだんだん上手になり、はじめのころの太いしわがれ声も次第にきれいな声──私より低いが気持ちのよい声──に変わっていった。
ほかの霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば〝心地良い降服〟である。まず気持ちを落着かせ、受身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。
そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名状し難い温かみを覚える。ふだんでも時折感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触したときの反応である。
温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はないはずである。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そして鼾(いびき)にも似たものになる。
すると意識が薄らいでいき、まわりのことが分からなくなり、柔らかい毛布で包まれたみたいな感じになる。そしてついに〝私〟が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか私にも分からない。
聞くところによると、入神はシルバーバーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバーバーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は、部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。
時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流したあとのような感じが残っていることがあるからである。
入神状態がいくら長引いても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水を頂いてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まってすぐにも水を一杯いただく。
忙しい毎日であるから、仕事が終わっていきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、あるいはその日どんなに変わった出来ごとがあっても、入神には何の影響もないようである。
あまりに疲労がひどく、こんな状態ではいい成果が得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られていることを知って驚くことがある。
私の経験では交霊会の前はあまり食べないほうが良いようである。胸がつかえた感じがするのである。また、いろいろと言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者 (招待客) についてあらかじめあまり知らない方がうまくいく。
余計なことを知っているとかえって邪魔になるのである。」
私(アン・ドゥーリー) にとっては一九六三年秋に初めて出席した交霊会は忘れ難いものとなった。格別目を見張るような現象があったわけではない。常連のメンバー六人に私を含む招待客六人の計十二人が出席した。雰囲気は極めてリラックスして和気あいあいとしていた。部屋はロンドン近郊の樹木に囲まれたバーバネル氏の自宅の一階の居間で、書物の並ぶ壁で四方を取り囲まれた素敵な部屋であった。
聞いた話では交霊会は〝テーブルの振動〟によって始まるとのことであった。確かにそうなのだが、その時の印象は見ると聞くとでは大違いであった。
死んだカエルの足がピクピク引きつるのを科学者が目撃したのが電気時代の始まりだそうだが、私にとってそんな言い草は、他の出席者と共に両手をテーブルの上に置いたとたんに消し飛んだ。テーブルに〝生命〟が吹き込まれるのをこの目で見ただけでなくこの手で感じ取ったのである。
出席者が誠実な人ばかりであることは確信していたので、誰かが故意に動かしているのではないことは断言できる。そのテーブルがこちらの挨拶に応えて筋の通った反応を見せた時に、私がこれまで抱いていた万有引力の法則の概念が崩れ去った。
何の変哲もない無生物である木製のテーブルがギーギーときしむ音を出しながら人間が頷くような動作から、苛立つように激しく前後に揺れ動く動作まで、さまざまな動きを見せるのだった。
そうした現象がひと通り終わって全員が着席すると、霊媒のバーバネルがソファに腰掛けて入神状態に入った。その瞬間から会が目に見えぬ一団によって進められている雰囲気となった。そして私は神秘家の言う〝聖霊の降下〟を垣間見ることとなった。
驚いたことにバーバネル氏の顔が急に変貌し始めたのである。仕事の上で慣れ親しんでいるあの皮肉屋でいつも葉巻を口にした毒舌家のジャーナリストに、一体何の変化が生じたのだろうか。フロイトに言わせると、精神病や夢の原因はことごとく潜在意識の仕業だそうで、われわれもそう思い込んできた。
が、それから八〇分間にわたって私がこの目で見この耳で聞いたものは、そんな単純な説明ではとても解釈できるものではなかった。ジャーナリストとしてネタ集めに奔走してきた関係で、私は熟練の税関職員と同じように、話しぶりや挙動でその人の本性を見抜く才能が身についている。
いま目の前でしゃべり始めたのが日ごろ親しくしているバーバネル氏とは別人であることを私はすぐに直感した。バーバネル氏の身体がしゃべっているのであるが、それはバーバネル氏その人ではない。話しぶりが全く違うのである。
その日、シルバーバーチは出席者の一人一人に個別に語りかけたが、その内容は万人に共通した普遍的なものであった。ただ序(ついで)に付け加えれば、その日この強(したた)か者の私を含む三人の女性が涙を流した。悲しみの涙ではない。感激の涙である。
こう言うとまた否定論者の偏見を招くことになるかもしれない。が、ギリシャのデルポイの神託でリディアの最後の王クロイソスが何の変哲もないメッセージを受けたことがもとで、王国が根柢から揺れ動いた例もあることを忘れてはならない。
さて長年の慣例に従い私もシルバーバーチに悩みごとの相談を許された。私はこう質問した。「私が今なお理解できないのはこの世に不可抗力の苦難が絶えず、それが私を含めて多くの人間を神へ背を向けさせていることです。」
シルバーバーチ「なるほど。でも神はその方たちに背を向けませんよ。いったいどうあってほしいとおっしゃるのですか。苦労なしに勝利を収め、努力なしに賞を獲得したいとおっしゃるのでしょうか」
次に私は 「当然の報いと慈悲との関係がよく分かりません」 と尋ねた。
シルバーバーチ 「報いは報いであり慈悲は慈悲です。地上で報われない時はこちらの世界 (死後の世界) で報われます。神をごまかすことはできません。なぜなら永遠の法則が全ての出来事をチェックしているからです。その働きは完璧です。宇宙を創造したのは愛です。無限なる神の愛です。
無限なる愛がある以上、そこに慈悲が無いはずはないでしょう。なぜなら慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛、こうしたものはすべて神の属性だからです。
苦難は無くてはならぬものなのです。いったい霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安逸をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身についてしまえば楽に思えるでしょう。身につくまでは楽ではなかったのです。」
このハンネン・スワッハー・ホームサークルにおけるシルバーバーチの霊言の全てが公表されれば、いま物質主義的文化の危険な曲がり角に立つ人類が抱える諸問題についての注目すべき叡智が数多く発見されることであろう。
とりあえずその中から私なりに選んだ叡智の幾つかを紹介するに際し、読者の全てがご自分の人生において慰めとなり、あるいは思考の糧となる何ものかを見出されることを希望してやまない次第である。
一九六六年 アン・ドゥーリー
注釈
①スピリチュアリズム Spiritualism
狭義には、古来〝奇蹟〟または〝超自然現象〟と呼ばれてきたものを組織的に調査・研究した結果、その背後に〝霊魂〟つまり他界した先祖の働きがあるとする〝霊魂説〟およびそれを土台とする死後の生命観、道徳観、神に関する思想・哲学を意味するが、広義には、次の注②の交霊会を通じその死者との交信や心霊現象一般を指すこともある。ラテン諸国ではスピリティズム Spiritism と呼んでいる。
②交霊会
霊媒を通じて死者の霊と交信したり心霊現象を観察したりする会で、出席者が十人前後の私的な集いと科学的調査研究を目的としたものとがある。西洋では前者を家庭交霊会(ホームサークル)と呼ぶが、日本では双方とも心霊実験会と呼んでいる。
③モーリス・バーバネル Maurice Barbanell (1902~1981)
ミスター・スピリチュアリズムの異名をとった英国第一級の心霊ジャーナリストで、本文で紹介されている二つの週刊心霊紙(ツーワールズは後に月刊誌となる) の主筆をつとめつつ、シルバーバーチの霊言霊媒として五十年余りにわたって毎週一回 (晩年は月一回) 交霊会を開き、数え切れない人々に啓発と慰安を与えた。
④シルバーバーチ Silver Birch
バーバネルの遺稿 「シルバーバーチと私」 によると当初は別のニックネームでよばれていたが、それが公的な場で使用するには不適当ということで、本人自らこの名を選んだ。
面白いことに、そう決まった翌日バーバネル氏の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺 の木(シルバーバーチ) の絵はがきが入っていたという。常識では、距離的に考えてすぐ翌朝に届く筈はない。
⑤ハンネン・スワッハー Hannen Swaffer (1879~1962)
〝フリート街の法王〟(フリート街は英国の新聞社が林立する通り) と呼ばれた世界的なジャーナリスト。シルバーバーチの霊言を高く評価し、当初は自宅に呼んで交霊会を開き、のちにバーバネルの自宅で定期的に行われるようになり、その霊言を二つの心霊紙に掲載させる一方、自分の知名度を利用して各界の名士を招待して、スピリチュアリズムの普及と理解に大いに貢献した。
⑥再生説
いったん他界した人間が再び人体に宿って地上に誕生してくるという説。スピリチュアリズムの中でも賛否両論があり、従って定説とはなっていないが、シルバーバーチはこれを五十余年にわたって首尾一貫して説き続け、その説に矛盾撞着は見られない。
これを肯定する霊の間にも諸説があり、中には否定する霊さえいるが、その間の事情についてシルバーバーチはこう語っている。
「知識と体験の多い少ないの差がそうした諸説を生むのです。再生の原理を全面的に理解するにはたいへんな年月と体験が必要です。霊界に何百年何千年いても再生の事実を全く知らない者がいます。なぜか。それは死後の世界が地上のように平面的でなく段階的な内面の世界だからです。
その段階は霊格によって決まります。その霊的段階を一段また一段と上がって行くと、再生というものが厳然と存在することを知るようになります。もっともその原理はあなた方が想像するような単純なものではありませんが・・・」
⑦エステル・ロバ―ツ Estelle Roberts
英国屈指の女性霊媒で、多彩な霊能を発揮したが、中でも霊視と霊聴の適確さは完璧であった。中心的支配霊はブラック・クラウドと名のるやはりインディアンで、直接談話 (注⑧参照) でユーモア溢れる話術で列席者と親しく交わった。
バーバネルは女史を英国最高の霊媒として敬意を表し、毎週開かれる交霊会に出席して細かくメモを取り、それを中心的資料として名著 This is Spiritualism (邦訳「これが心霊の世界だ」 潮文社刊) を著わした。
⑧直接談話
シルバーバーチは入神中のバーバネルの発声器官を使用した。これを入神談話または霊言現象と呼ぶが、霊媒の身体を使わず直接空中からメガホンを使って話しかけるのを直接談話と呼ぶ。この際も実際にはエクトプラズムという霊質の物質でメガホンの中に人間と同じ発声器官をこしらえている。
第一章 あなたとは何か
いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。これまであなたはその身体に包まれた〝小さな自分〟以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。
今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。お分りにならないでしょう。
となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。
霊が主人であり身体は召使いなのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。
その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。
身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。家であってあなた自身ではないということです。家である以上は住み心地よくしなければなりません。手入れが要るわけです。しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。
この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。生命は物質ではありません。霊なのです。そして霊は即ち生命なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。
あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることが出来ます。
その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。
あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。
宇宙にはある計画に沿った〝摂理(きまり)〟というものがあります。私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。東洋の諺に〝師は弟子に合わせて法を説く〟というのがあります。霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。
こちらから求めなくても良いのです。豁然と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。
と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。
内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。
悲しいかな、あまりに多くの人々が暗黒の霧に取り巻かれ、人生の重荷に打ちひしがれ、病める身と心と魂を引きずりながら、どこへ救いを求めるべきかも分からずに迷い続けております。私どもはこうした人々に救いの手を差し延べなければならないのです。
もしも私どもが霊性の開発が容易であるとか、暗黒の中にささやかなりとも光明をもたらしたいと願う人々の仕事が楽に達成されるかのような口を利くことがあれば、そのこと自体がすでに私どもの失敗を証言していることになりましょう。
決してそんな容易なものではありません。歴史を見てもその反対を証言することばかりです。真理と誤謬とがいつ果てるともない闘いを続けております。たぶん〝完全〟が成就されるまで続くことでしょう。しかし完全ということは事の性質上絶対に成就されることはありません。その意味で私どもは長く困難で苦労の多い仕事に携わっているわけです。
これより先どれほどの偏見と反感と敵意と誤解と迷信と故意の敵対行為に遭遇しなければならないかは、あなた方には想像もつかないことでしょう。
怖じけづかせようと思って言っているのではありません。事を成就するためにはそのあるがままの背景を理解しておく必要があるからです。私にはその大変さがよく分かるのです。
これまでも私は可能な限りの力を駆使して、克服不可能と思われた障害を克服して、あなた方の世界に近づいてまいりました。私一人の力ではありません。私は地上へ戻るべく選ばれた霊団の一人です。なぜその必要があるのか。
それは今、地上人類に降りかからんとしている苦難があまりに恐ろしいものであるために、霊界の力を結集して地上のあらゆる地点に橋頭堡を築かなければ、人類自らが人類を、そして地球そのものを破壊に陥れることになるからです。
人類は物質文明を自負しますが、霊的には極めてお粗末です。願わくはその物質文明の進歩に見合っただけの霊性が発達することを祈ります。つまりこれまで〝物〟に向けられてきた人間的努力の進歩に匹敵するだけの進歩が精神と霊性の分野にも向けられればと思います。
進歩に霊性が伴わない今の状態では、使用する資格のないエネルギーによって自ら爆破してしまう危険があります。そこで私どもは、地上生活全体の根幹であるべき霊的真理に従って各自が生活を営めるように、ということを唯一の目的として努力しているのです。
嫉妬心、口論、諍い、殺人、戦争、混乱、羨望、貪欲、恨み、こうしたものを地上より一掃することは可能です。そして、それに代わって思いやりの心、親切、優しさ、友愛、協力の精神によって生活の全てを律することができます。
それにはその根幹として、霊性において人類は一つであるとの認識が必要です。決して救いようのないほど暗い面ばかりを想像してはいけません。
明るい面もあります。なぜならそうした障害と困難の中にあっての進歩は、たった一歩であっても偉大な価値があるからです。
たった一人でいいのです。全てが陰気で暗く侘しく感じられるこの地上において元気づけてあげることができれば、それだけであなたの人生は価値があったことになります。そして一人を二人に、二人を三人としていくことができるのです。
霊の宝は楽々と手に入るものではありません。もしそうであったら価値はないことになります。何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利といえるでしょうか。何の苦労もせずに頂上を征服したとしたら、それが征服と言えるでしょうか。
霊的進化というものは先へ進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。なぜなら、それは前人未踏の地を行きながら後の者のために道標を残していくことだからです。そこに霊的進化の真髄があります。
〔地上の人間が何かを成就しようとして努力する時、少なくとも同等の、あるいは多くの場合それ以上の援助の努力が霊界において為されていることを強調して次のように述べる──〕
援助を求める真摯な熱意が等閑(なおざり)にされることは決してありません。衷心からの祈りによる霊的つながりが出来ると同時に、援助を受け入れる扉を開いたことになります。その時に発生する背後での霊的事情の実際はとても言語では説明できません。
元来地上の出来ごとを表現するように出来ている言語は、それとは本質的に異なる霊的な出来ごとを表現することは不可能です。どう駆使してみたところで、高度な霊的実在を表現するにはお粗末なシンボル程度の機能しか果たせません。
いずれにせよ、その霊的実在を信じた時、あなたに霊的な備えが出来たことになります。すなわち一種の悟りを開きます。大勢の人が真の実在であり全ての根源であるところの霊性に全く気付かぬまま生きております。こうして生きているのは霊的存在だからこそであること、それが肉体を道具として生きているのだということが理解できないのです。
人間には霊がある、あるいは魂があると信じている人でも、実在は肉体があって霊はその付属物であるかのように理解している人がいます。本当は霊が主体であり肉体が従属物なのです。つまり真のあなたは霊なのです。生命そのものであり、神性を有し、永遠なる存在なのです。
肉体は霊がその機能を行使できるように出来あがっております。その形体としての存在はほんの一時的なものです。用事が済めば崩壊してしまいます。が、その誕生の時に宿った霊、これが大事なのです。
その辺の理解ができた時こそあなたの内部の神性が目を覚ましたことになります。肉体的束縛を突き破ったのです。魂の芽が出はじめたのです。ようやく暗闇の世界から光明の世界へと出て来たのです。あとは、あなたの手入れ次第で美しさと豊かさを増していくことになります。
そうなった時こそ地上生活本来の目的である霊と肉との調和的生活が始まるのです。霊性を一切行使することなく生活している人間は、あたかも目、耳、あるいは口の不自由な人のように、霊的に障害のある人と言えます。
霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生から皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。
霊の宝は地上のいかなる宝よりも遥かに偉大であり、遥かに美しく、遥かに光沢があります。物的なものが全て色褪せ、錆つき、朽ち果てたあとも、いつまでも存在し続けます。
魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。
これは単に地上で血縁関係にあった霊の接近を可能にさせるだけでなく、血縁関係はまるで無くても、それ以上に重要な霊的関係によって結ばれた霊との関係を緊密にします。その存在を認識しただけ一層深くあなたの生活に関わり合い、援助の手を差し延べます。
この霊的自覚が確立された時、あなたにはこの世的手段をもってしては与えることも奪うことも出来ないもの──盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだ──自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。
人間の大半が何の益にもならぬものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、永遠不滅の実在、人類最大の財産を犠牲にしております。どうか、何処でもよろしい、種を蒔ける場所に一粒でも蒔いて下さい。冷やかな拒絶に会っても、相手になさらぬことです。
議論をしてはいけません。伝道者ぶった態度に出てもいけません。無理して植えても不毛の土地には決して根付きません。根づくところには時が来れば必ず根づきます。あなたを小馬鹿にして心ない言葉を浴びせた人たちも、やがてその必要性を痛感すれば向こうからあなたを訪ねて来ることでしょう。
私たちを互いに結びつける絆は神の絆です。神は愛をもって全てを抱擁しています。これまで啓示された神の摂理に忠実に従って生きておれば、その神との愛の絆を断ち切るような出来事は宇宙のいずこにも決して起きません。
宇宙の大霊である神は決して私たちを見捨てません。従って私たちも神を見捨てるようなことがあってはなりません。宇宙間の全ての生命現象は定められたコースを忠実に辿っております。地球は地軸を中心に自転し、潮は定められた間隔で満ち引きし、恒星も惑星も定められた軌道の上を運行し、春夏秋冬も永遠の巡りを繰り返しています。
種子は芽を出し、花を咲かせ、枯死し、そして再び新しい芽を出すことを繰り返しています。色とりどりの小鳥が楽しくさえずり、木々は風にたおやに靡(なび)き、かくして全世命が法則に従って生命活動を営んでおります。
私たちはどうあがいたところで、その神の懐の外に出ることはできないのです。私たちもその一部を構成しているからです。どこに居ようと私たちは神の無限の愛に包まれ、神の御手に抱かれ、常に神の力の中に置かれていることを忘れぬようにしましょう。
No comments:
Post a Comment