Saturday, June 14, 2025

シアトルの初夏 通信霊シルバーバーチについて

A treasure trove of spiritual wisdom 
The teachings of Silver Birch Editorial
Editor's Preface
Foreword by Hannen Swaffer
Chapter 1: About the Communicating Spirit Silver Birch




巻頭言

本書は、霊の世界の祝福を受けて物質の世界へ届けられたものです。願わくば本書を手にしたあなたが、これを読まれることによって心の目を開き、魂に感動を覚えられんことを祈ります。魂が輝きを取り戻し、生命活動の背後にある、より高い、より深い、より尊い、そしてより雄大な側面に気づくまでは、人は暗い霧の中で生きていることになるからです。

シルバーバーチ


編集者まえがき

シルバーバーチは、これは自分の教えではなく、自分の所属界よりもさらに高い界層から送られてきたものを自分が中継しているにすぎないと言う。

霊界通信は盲目的に受け入れるものではなく、また、新しい宗教をつくるために行われるものでもない。霊的啓示は常に進歩的で、それを受け入れるかどうかは地上の人間の能力にかかっている。

シルバーバーチは人間の理性に訴えることを主義としている。したがって、もしもその言説の中に読者の理性が納得しかねるものがあれば遠慮なく拒否するか、さらなる証明が得られるまで留保すればよい。

読者の便宜を考慮して私は、各章に掲げたテーマに関して、数多くの交霊会での霊言の中から適切なものを拾って編纂(へんさん)した。ということは、各章が一つの交霊会(の速記録)をそのまま文章に起こしたものではなく、三十回ないし四十回の交霊会でのシルバーバーチの霊言からの抜粋で構成されていることをご承知いただきたい。

当然、その構成に当たっては思想の流れに一貫性を持たせることに意を用いたが、さらに読みやすさを考慮して文字を通常のローマン体と太字のボールド体と斜体のイタリック体の三種類に使い分けた。

一九三八年三月

A・W・オースティン


訳注――最後のところで述べている字体は、もちろん日本語にはないので私なりに工夫した。



序文 ハンネン・スワッファー


我々がシルバーバーチと呼んでいる霊は、実はレッド・インディアンではない。いったい誰なのか、今もって分からない。分かっているのは、その霊はたいへんな高級界に所属していて、その次元からは直接地上界と接触できないために、かつて地上でレッド・インディアンだった霊の霊的身体を中継して我々に語りかけている、ということだけである。

いずれにせよ、その霊が“ハンネン・スワッファー・ホームサークル”と呼称している交霊会の指導霊である。その霊が最近こんなことを言った。

「いつの日か私の本名(地上時代の名前)を明かす日もくることでしょうが、私は仰々しい名前などを使用せずに、私の説く中身の真実性によって確かに大霊の使徒であることを立証したいと思っています。それが地上の皆さんの愛と献身とを獲得する道であり、そのためにこうしてインディアンに身をやつしているのです。それが大霊の摂理なのです。」

もっとも、一度だけ、シルバーバーチがその本名をもう少しで口にしそうになったことがあった。一章の冒頭に出てくる、自分が使命を仰せつかってそれを承知するに至る場面でのことだった。

ところで、私とシルバーバーチとの出会いは、一九二四年にスピリチュアリズムの真実性を確信して間もない頃のことだった。以来私は、毎週一回一時間あまりシルバーバーチの教えに耳を傾け、助言をいただき、いつしかその霊を地上のいかなる人物よりも敬愛するようになった。


訳注――スワッファーはシルバーバーチの交霊会に出席する前は、同じ作家仲間が司会をするデニス・ブラッドレー・ホームサークルという交霊会に出席して死後の個性存続を確信していた。正確に言うと最初に出席したのは一九二四年二月二十七日で、そのときは親戚の者が(声で)出現しているが、まだ得心するには至らなかった。それが同年十月七日の交霊会に大先輩で《デイリー・メール》の創刊者のノースクリフ卿が出現して動かしがたい証拠を見せつけられ、会の終了後にブラッドレーに「今日のは凄かった。私もこれで死後の存続と、霊との交信の真実性を確信したよ」と語った。その五日後にスワッファーは、自分が主筆をしていた《ザ・ピープル》でその体験を公表し、続いて『Northcliffe's Return』という単行本を出版して大センセーションを巻き起こした。

シルバーバーチの地上への最初の働きかけは、普通とは少し違っていた。ある日、十八歳の無神論者の青年が、ロンドンの貧民街で行われていた交霊会にひやかし半分の気持ちで出席した。そして霊媒が次々といろいろな言語でしゃべるのを聞いて、青年は思わず吹き出してしまった。ところがその中の一人の霊が、「そのうちあなたも同じことをするようになりますよ」と諌(いさ)めるように言った。

その日はバカバカしいという気持ちで帰ったが、翌週、再び同じ交霊会に出席したところ、青年は途中でうっかり居眠りをしてしまった。目覚めると慌てて非礼を詫びたが、すぐ隣に座っていた人が「今あなたは入神しておられたのです」と言ってから、こう続けた。「入神中にあなたの指導霊が名前を名乗り、『今日までずっとあなたを指導してきたが、近いうちにスピリチュアリストの集会で講演をするようになる』と言っておられました」と。これを聞いて青年(モーリス・バーバネル)はまた笑い飛ばしたが、間もなくそれが現実となった。

当初、シルバーバーチは多くを語ることができず、それもひどいアクセントの英語だったが、年を経るにつれ語る回数が増えたことも手伝って、英語が飛躍的に上達した。今日ではその素朴で流麗な英語は、私がこれまで聞いたいかなる演説家もその右に出る者はいないほどである。

ところで、霊媒のバーバネルが本当に入神していることをどうやって確認するのか、という質問をよく受けるが、実はシルバーバーチが我々列席者に、霊媒の手にピンを刺してみるように言ったことが一度ならずあった。恐る恐るそっと刺すと、「思いきって深く刺しなさい」と言う。入神から覚めたバーバネルにそのことを聞いてもまったく記憶がないし、その傷跡も見当たらなかった。

もう一つよく受ける質問は、霊媒の潜在意識の仕業ではないことをどうやって見分けるのか、というものであるが、実はシルバーバーチとバーバネルとの間には思想的に完全に対立するものがいくつかあることが、そのよい証拠と言えよう。例えばシルバーバーチは再生説を説くが、バーバネルは通常意識のときには再生は絶対にないと主張する。そのくせ入神すると再生説を説く。(晩年は「再生説」を信じるようになった――訳注)

些細なことだが、さらに興味深い事実を紹介すると、シルバーバーチの霊言が《サイキック・ニューズ》紙に掲載されることになって速記録が取られるようになるまでのことであるが、バーバネルがベッドに入ると、その日の交霊会で自分が入神中にしゃべったことが霊耳(れいじ)に聞こえてくるのだった。

これには訳がある。バーバネルはもともと入神霊媒になるのがイヤだったのであるが、自分がしゃべったことをあとで聞かせてくれるのなら、という条件をシルバーバーチとの間で取りつけていたのである。速記録が取られるようになると、それきりそういう現象は止まった。

翌日、交霊会の速記録が記事になったのを読んでバーバネルは、いつものことながら、その文章の美しさに驚く。自分の口から出た言葉なのに……。

シルバーバーチは教えを説くことに専念しており、病気治療などは行わない。また心霊研究家が求めるような、証拠を意図したメッセージも滅多に持ち出さない。「誠に申しわけないが自分の使命は霊的教訓を説くことに限られているので……」と言って、我々人間側の要求のすべてには応じられない理由を説明する。

最近、私は各界の著名人を交霊会に招待している。牧師、ジャーナリスト、その他あらゆる分野から招いているが、シルバーバーチという人物にケチをつける者は誰ひとりいない。その中の一人で若い牧師を招いたとき、私は前もって「あなたの考えうる限りの難解な質問を用意していらっしゃい」と言っておいた。その牧師は、日頃仲間の牧師からさんざん悪口を聞かされている“交霊会”というものに出席するというので、この機会に思いきってその“霊”とやらをやり込めてやろうと意気込んで来たようである。しかしシルバーバーチが例によって“摂理”というものをやさしい言葉で説明すると、若者はそれきり黙り込んでしまった。難解きわまる神学が、いとも簡単に解きほぐされてしまったからである。

さて、シルバーバーチを支配霊とする私のホームサークルは毎週金曜日の夜に開かれ、その霊言は定期的に《サイキック・ニューズ》紙に掲載される。その版権が私のホームサークルに所属するのは、サークルとしての私用を目的としてのことではなく、これを世界中に広めるためである。今ではシルバーバーチは、地上のいかなる説教者よりも多くのファンを持つに至っている。あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる肌の色(人種)の人々に敬愛されている。

そうしたシルバーバーチの言葉も、いったん活字になってしまうと、その崇高さ、その温かさ、その威厳に満ちた雰囲気の片鱗(へんりん)しか伝えることができない。交霊会の出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがどんなに謙虚に語っても、我々は高貴にして偉大なる霊の前にいることをひしひしと感じる。決して人を諌めない。そして絶対に人の粗探しをしない。

キリスト教では“ナザレのイエス”なる人物についてよく語るが、実は本当のことはほとんど知らないし、そもそもイエスという人物が実在した証拠は何ひとつ持ち合わせていないのである。

そのイエスをシルバーバーチは、彼が連絡を取り合っている霊団の中で最高の霊格を持つ存在と位置づけている。私は長年にわたってシルバーバーチと親しく交わってきて、その誠実な人柄に全幅の信頼をおいているので、シルバーバーチの言う通り、新約聖書の主役であるイエス・キリストは地上で開始した霊的刷新の使命に今なお携わっていると確信している。

そう信じて初めて、(マタイ伝の最後にある)「見よ! 私はこの世の終わりまで常にあなた方と共にいる」というイエスの言葉の真の意味が理解できる。今の教会では、この説明はできない。

これから紹介するシルバーバーチの教えを読むに当たってあらかじめ知っておいていただきたいのは、そのすべてが真っ暗闇の中で語られ、それがベテランの(盲人用の)点字速記者によって書き留められたという事実である。

元来じっくり語りかけるシルバーバーチも時には早口になることがあり、そんなときは付いていくのは大変だったろうと察せられるが、あとで一語たりとも訂正する必要はなかった。もとよりそれはシルバーバーチの英語が完璧だったことにもよるであろう。が、通常の英語に直したときに要求される作業は句読点を書き込むだけで、しかもその位置はいつも、きわめて自然に決まるような文章の流れになっていたというから驚きである。

シルバーバーチの哲学の基本的概念は、いわゆる汎神論(はんしんろん)である。すなわち神は大自然そのものに内在し、不変の法則としてすべてを支配している。要するに、神とはその法則(摂理)なのである。それをシルバーバーチは、「あなた方は大霊の中に存在し、また大霊はあなた方の中に存在します」と表現する。ということは、我々人間も潜在的にはミニチュアの神であり、絶対的創造原理の一部ということになる。

もっともシルバーバーチは理屈をこね回すだけの議論には耳を貸さない。人間は何らかの仕事をするためにこの地上へ来ているのだということを繰り返し説き、「宗教とは、人のために自分を役立てること」と単純明快に定義する。そして、お粗末とはいえ我々は今この地上にあって、戦争に終止符を打ち、飢餓を食い止め、神の恩寵(おんちょう)が世界中にふんだんに行きわたる時代を招来するための“霊の道具”であることを力説する。

「我々が忠誠を捧げるのは一つの教義ではなく、一冊の書物でもなく、一個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の摂理です」――これがシルバーバーチの終始一貫して変わらない基本姿勢である。

それはサークルのメンバーの構成からも窺(うかが)われる。当初、サークルは六人で構成されていたが、その中には三人のユダヤ人がいた。スピリチュアリズムは民族の違いや宗教の違いには頓着しないことの表れである。残りの三人は懐疑論者であり、うち一人はメソジストの牧師だった人物で、スピリチュアリズムの真理を知ってメソジストの教義が信じられなくなり、サークルのメンバーになる前に脱会している。

シルバーバーチは交霊会に変化をつけるために、時おり自分以外の人物にも語らせている。《デイリー・メール》の創刊者ノースクリフ、英国の小説家ゴールズワージー、同じく英国の小説家ホール・ケイン、政治家だったギルバート・パーカー、米国のジャーナリストだったホーラス・グリーリー、英国の聖職者ディック・シェパード、かの有名な米国大統領リンカーン、その他、サークルのメンバーの親しい知人などが声で出現している。

長年のメンバーである私は、シルバーバーチが前回での約束を忘れたという事実を、いまだかつて知らない。シルバーバーチは大切な真理を、平易に、そして人生に役立つ形で説くという本来の使命から一瞬たりとも逸脱したことはない。



1章 通信霊シルバーバーチについて


〔高級霊団から使命を仰せつかったシルバーバーチが、地上圏での活動の準備と開始に至るまでの経緯について語る。〕


ずいぶん前の話になりますが、他の多くの指導霊と同じように私も地上圏に降りて協力者の一団を集め、霊的メッセージを地上界へ届ける仕事を引き受けてくれないかとの懇請を受けたとき、私はそれを使命としてお引き受けしました。

そのためには、メッセージを受け取ってくれる霊媒を探し出す必要があることも知らされました。そこで私は霊界の記録簿を調べ、この霊媒に白羽の矢を立てました。


訳注――霊界の記録簿とは地球圏の記憶の層のことで、「生命の書」とか、サンスクリットを英語読みにして「アカシック・レコード」などと呼ぶこともある。なお、チャネラーを自称する人の中にはいとも簡単に読み取れるような態度で語る人がいるが、高級霊にして初めて可能なことであり、肉体に包まれている人間にはまず不可能と断言しておきたい。

それは、この霊媒がまだ母胎に宿る前の話です。私は彼が母胎に宿る一瞬を注意深く待ち、いよいよ宿って自我を発現し始めた瞬間――と言っても、まだほのかな明かり程度のものにすぎませんでしたが――から私なりの影響力を行使し、今日まで続いている一体関係がその時から始まったのです。

私はこの人間の霊とその小さな精神の形成に関与しました。誕生後も日常生活のあらゆる側面を細かく観察し、互いの一体関係を促進し、物の考え方や身体上の癖を呑み込むように努めました。つまり私は、この霊媒を霊と精神と肉体の三面から徹底的に研究したわけです。

次に私がしなければならなかったことは、この霊媒を霊的真理の理解へ向けて指導することでした。まず、地上の宗教を数多く勉強させました。そして最終的には彼はそのいずれにも反発を覚えて、いわゆる無神論者になってしまいました。が、それはそれなりに当人の精神的開発にとって意味があったのです。これで「霊言霊媒」となるべき一通りの準備が整いました。

ある日、私は周到な準備のもとに初めて彼を交霊会へ出席させ、彼の口を使って私の意思を発言してみました。いかにもぎこちなく、内容もつまらないものでしたが、私にとっては実に意義深い体験だったのです。

その後は回を追うごとにコントロールがうまくなり、今ではご覧の通りにまでなりました。今はこの霊媒の潜在意識に邪魔されることなく、私の考えを百パーセント伝えることができます。

ここで私自身の使命についてお話ししたいと思います。先ほど申した通り私はさる筋から使命を仰せつかったのですが、そのときこう言われたのです。「使命を果たすためには、あなたは物質界まで降りなければなりません。そして適当な道具(霊媒)を見つけてから、その霊媒と霊的に親近性のある人間を数名選び出し、その霊媒を通してあなたがメッセージを語る場を用意しなくてはなりません。」その言葉通り、私がここへ、あなた方を導いたのです。

私にとっての最大の問題は、物理的心霊現象を演出するか、それとも教えを説く、つまり霊的真理を説くか、この二つのどちらを選ぶかということでした。そして私は、あえて困難な後者を選びました。

私はその使命をお引き受けしたとき、こう言いました――「これまでの長い霊界生活における多種多様な体験を携えて地上圏へ戻り、慈しみの心で人間に接してみます。まず何よりも理性に訴えたい。霊的に進化し、成熟した魂の持ち主に訴えてみたい。霊界からのメッセージをできるだけ単純明快な形で説き明かすべく努力します」と。

また、こうも言いました――「人間の理性が反発を覚えるようなことは絶対に述べないことにしたい。慈しみの心で接し、怒りをもって諌(いさ)めることだけは絶対にすまい。自ら公言している通り自分が確かに大霊の使者であることを、教訓と模範と実際の行為によって証明したい」と。

さらに私は、地上時代の姓名を絶対に明かさないという重荷を自ら背負いました。仰々しい名前や称号・地位・名声は持ち出さず、私が述べることと態度で私という存在を判断してもらいたいと思ったのです。

実は前回の会合で神庁の高級霊たちとお会いしたのですが、その席上で私はお褒(ほ)めの言葉をいただき、使命が順調に進捗(ちょく)していることを聞かされました。その言葉に、私は思わず感激の涙を流しました。しかし、使命が終わったわけではありません。まだまだ為さねばならないことがあります。


訳注――モーゼスの『霊訓』にも出てくることであるが、霊界では一年に二回、地上のクリスマスとイースターに相当する時期に、地球圏で指導霊として活動している霊が一堂に会して、反省と今後の方針についての指示を受けるという。そのときの主宰霊が地上で“イエス”と呼ばれた人物である。

私の霊団と同じ仕事に携わっている他の霊団による尽力もあって、あなた方の世界ではかつてよりも多くの光明が射し、幸せが生まれ、悲しみが減り、涙が流されることが少なくなりました。死についての無知が、わずかながら克服されたことを意味します。

また、私たちは多くの魂を鼓舞して、日常生活において高度な自我を自覚させました。正義と真理についての目を曇らせてきた数々の間違った概念を駆逐しました。長年にわたって地上界を毒し続け、愚行によって理性を辱(はずかし)めてきた教義(ドグマ)の牢獄から多くの人々を解放しました。

私たちは、特定の者だけをかわいがり、憤怒(ふんぬ)に燃えて報復したり、疫病をまき散らしたりする神に代わって、慈しみと叡智の始原としての大霊の概念を説くことに努め、それはある程度まで成功しました。また、ナザレのイエスを(唯一の神の子としてではなく)偉大なる人間の模範として示そうと努めてきました。そして多くの人々が、私たちの説く教えを理解してくれるようになりました。

確かに大きな成果をあげることができましたが、これから為さねばならない、もっと大きな仕事があります。地上世界にはいまだに、あってはならない戦争が存在します。もしも私たちが説く真理を理解し、日常生活に生かすなら、殺し合いなどなくなるはずです。

飢餓もあります。大霊は十分な恵みを与えてくださっているのに、新鮮な空気も太陽の光も入らない粗末なあばら家で、生きるか死ぬかの生活を余儀なくされている人々がいます。困窮(こんきゅう)と悲嘆と苦痛が多すぎます。廃絶すべき迷信が数多く存在します。心を痛めている人が多すぎます。根絶すべき病気があります。私たちの仕事は、まだ終わっていません。

私たちはこれまでの成果を喜ぶと同時に、あなた方の協力を得て、さらに多くの奉仕(サービス)を成し遂げるための力を授かりたいと願っています。

私は、この地上へ私を派遣した高級霊団のマウスピース(本来は楽器の吸い口ないしは電話機の送話口のことで、転じて「代弁者」の意――訳注)にすぎず、私という一個の存在としての栄誉とか褒賞を求める気持ちはみじんもありません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせていません。私はただ、これまで申し上げたような霊的真理、長いあいだ忘れ去られていた真理に改めて「神の真理」のシールを貼って、こうして地上界へお届けするための道具であることに喜びを感じているのです。

私の役目は、私が所属する霊団からのメッセージをお届けすることです。この霊媒と私自身の力量の範囲内で受け取ったものを、忠実に伝達する努力を続けてまいりました。私はただ、お役に立てばそれでよいのです。もしも私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂にとっての安らぎとなり、疑念の嵐をくぐり抜けてきたあとの真理の避難所となれば、あるいはまた、こうした素朴な霊的真理の聖域の中に幸せと生き甲斐を見いださせてあげることになれば、父なる大霊から仰せつかった使命の幾ばくかを成就したことになりましょう。










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