Sunday, March 9, 2025

シアトルの弥生 (一) 第十一章 おしまいに 

in the end


 Guidance from Silver Birch
Edited by Anne Dooley


 
    地上の人間は〝身体〟を中心に物事を考えます。私たち霊界の者はその身体を通して自我を表現しなければならない〝霊〟のことを第一に考えます。その霊が正常に自我を表現しておれば、身体との関係も自然にうまくいきます。なぜなら物質は常に従者の立場にあり、主人ではないからです。霊が王様で物質はその従臣だということです。

 この真理が今日ここにお集まりの方々の人生を明るく照らし、大きな革命をもたらして参りました。自分とは何かを見出されました。地上の言語では表現できない真理、地上の富では評価できない悟りを得て来られました。

 霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。大切なのは身体への影響ではなく、魂の琴線に触れる体験です。ですから、私はこれより先のあなた方の生活に問題が生じないとは決して申しません。

苦労がないとも申しません。障害やハンディを背負うことがないとも申しません。もしそんなことを言えばウソになります。

 地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。金塊が不純物を払い落としていく試練の場です。霊的開発と成就への道においては困難と苦痛と障害とハンディが必須不可欠の要素です。

もしも霊的な宝が容易に手に入るものであれば、それはもはや手に入れるほどの価値はないことになります。自己鍛錬、自己制御、自己開発、これを成就するのが人生の目的です。これは容易にできるものではありません。王道はないのです。

 悪戦苦闘すること、暗闇の中に光を見出さんと努力すること、嵐との戦いの末に再び太陽の光を見てその有難さをしみじみと味わうこと── 魂はこうした体験を通して初めて成長するのです。低く身を沈めただけ、それだけ高く飛躍することができるのです。

〝ゲッセマネの園〟を通らずして〝変容の丘〟へ辿り着くことはできません。

ナザレ人イエスの生涯は地上の人間の全てが体験するものと本質的において同じものです。敗北も勝利もともに必要です。敗北の味を知らずして勝利の味が分かるでしょうか。

 私は日常生活で是非とも活用すべき教訓をできるだけ簡潔に述べようと苦労しているのです。決して難解な哲学ではありません。いたって実用的な霊的教訓なのです。

それが人生から然るべきものを体得する方法を教えてくれます。魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表われます。すなわち真の自我を見出したことから生まれる魂の平安と自信です。

魂がその状態になった時を〝悟った〟というのであり〝神を見出した〟と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも悲しみにも負けることはありません。なぜなら悟りを開いたあなたは、いついかなる時でも神の兵器庫の扉を開けることが出来るからです。

また、あなたに解決できないほど大きな問題、背負えないほどの重い荷を与えられることはありません。それが与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があなたにあるからです。

 私はこうした真理をあなた方だけでなく他の多くの方々に説いて参りました。それが常に心に住みついているようになれば、何ものにも脅えることがなくなることを知っているからです。霊の力は絶大です。しかし、その力も通路のあるところしか流れません。あなた方がその通路なのです。

あなた方がその通路を提供して下さり、その通路を通って霊力が地上に流入する。具体的に言えば、喜んで人のために役立とうとする心と精神と霊とを用意して下さることが、その霊力の流入する条件を提供することになるのです。

かくして霊力があなた方を通過する際に必ずその一部があなた方の中に蓄積されて参ります。そしてそれが、あなた方自身の霊的な糧となりましょう。そうなった時のあなたは、自分の方から心のスキを見せない限り、この世に悩みなど全くなくなります。

 あなた方はいろいろと多くの教訓を学んでこられました。教訓は自分で学ばねばなりません。私が代わりに学んであげるわけにはいきません。私たち霊界の者にとっていちばん辛いのは、愛する人間が困難の中にあって必死に頑張っているのを傍観することです。

傍観と言っても、何もしないという意味ではありません。できる限りの援助は致します。しかし、魂の成長にとって掛けがえのないチャンスを奪うことになることだけは許されないのです。

 イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ17・22)と言いました。実に偉大なる真実です。神はどこか遠く離れた近づき難いところにおられるのではありません。

実にあなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中に居るのです。ということは自分の霊的成長と発達にとって必要な手段は全て自分の中に宿しているということです。それを引き出して使用することが、この世に生まれてきたそもそもの目的なのです。

 私はこれまでの身をもっての体験から、宇宙を支配する霊力に不動の信頼を置いております。一分一厘の狂いもなく、しかも深遠なる神の配慮のもとに、全大宇宙の運行を経綸する神的知性に私はただただ感嘆し、崇敬の念を覚えるのみです。

もしも地上人類が、その神の心をわが心として摂理と調和した生活を送ることが出来れば、地上生活は一変することでしょう。その力は幾らでも授かることができます。神がわが子に施す恩寵ほど気前のよいものはありません。

 ですから、決して絶望してはいけません。落胆してはいけません。くよくよしてはなりません。心に不安の念を宿してはなりません。恐怖心を近づけてはなりません。取り越し苦労は蹴散らしなさい。そんな憂うつな有難からぬ客を絶対に魂の奥の間へ招き入れてはなりません。

 人生の背後に秘められた目的を悟り、それと一体となった時、一時的にせよあなたの魂に霊的な静寂が訪れます。内と外からあなたを守る霊の力に身を委ねることです。

きっと援助を授けてくれます。歩むべき道を明確に示してくれます。問題に遭遇した時は、地上の雑踏、混乱、かんかんがくがくの論争から身を退き、魂の静寂の中へ引きこもり、霊の啓示を待つことです。

 霊の宝石は決して色褪せることがありません。地上的財産をふんだんに所有している人は、自分がその財産の管財人にすぎないことに気づいておりません。本当は自分のものではないことに気づいておりません。霊的真理を悟った人にとっては、知識に責任が伴うように、財産にも責任が伴います。

あなた方は宇宙最大の霊力の道具です。大司教(※)の礼服を着る必要もなければ、枢機卿(*)の指輪をはめる必要もありません。それはただの装飾品に過ぎません。

 実在とは何の関係もありません。あなた方を通路として働いているところの霊力はすべての法王、全ての大司教、全ての枢機卿より偉大です。宇宙最大の力なのです。
(※ともにカトリック系キリスト教会の最高位の聖職。──訳者)


      
 
                           

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