The Spirits' Book
アラン・カルデック(編)
近藤千雄(訳)
〈死後の魂〉
――死の瞬間、魂はどうなるのでしょうか。
「再び霊に戻ります。つまり霊の世界へ帰るわけです。ホンの少しの間だけ留守にしていたのです」
――その魂は死後も個性をそなえているのでしょうか。
「もちろんです。個性は決して失われません。もし個性を失ったら魂はどうなりますか」
――物的身体がないのに、なぜ個的存在としての意識が残っているのでしょうか。
「その霊特有の流動体(※霊体)が残っています。その天体の大気中から摂取したものです。それに、それまでの物的生活での魂の特徴が全て刻み込まれています。あなたのおっしゃるペリスピリットです」
――魂はそれ以外には地上生活から何も持っていかないのですか。
「地上生活の記憶と、より良い世界への憧れのみです。その記憶には地上生活をどう生きたかによって、楽しさか辛さのどちらかがいっぱい詰まっています」
――魂は、死後、普遍的な魂の集合体の中に戻っていくという説はどう理解すればよいでしょうか。
「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現してもよいのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持しています」
――死後の個性存続の証拠はどうすれば得られるのでしょうか。
「今こうして交信している事実が何よりの証拠ではないでしょうか。あなたにもし霊視力があれば霊の姿が見えるはずです。霊聴力があれば霊の声が聞こえるはずです。一日のうち何度もあなたと別個の人格があなたに話しかけているのですよ」
――永遠の生命というものをどう理解すべきでしょうか。
「永遠なるものは霊の生命だけです。肉体は束の間の儚(はかない)い存在です。肉体が死滅することによって魂は再び永遠の生命に戻るわけです」
――私が思うに、永遠の生命という用語は浄化しきった霊、つまり相対的な意味での完全の段階にまで到達して、もはや苦難による試練を必要としなくなった霊に当てはめるべきではないでしょうか。
「その段階の生命はむしろ“永遠の至福”の境涯と呼ぶ方が良いでしょう。ですがそれはあくまでも用語の問題です。あなた方の間で意味の解釈で合意ができていれば、何と呼ばれても結構です」
〈魂と肉体の分離〉
――魂が肉体から分離する時は苦痛を伴いますか。
「苦痛はありません。死の瞬間よりも、むしろ死に至るまでの人生の方が遥かに苦痛を伴います。死に際して魂自身は肉体に生じている変化を意識しないものです。それどころか、言うなれば“国外追放の刑期”を終える時がいよいよ近づいたことを自覚して、魂自身は嬉しさでわくわくしていることがよくあります」
――分離の現象はどのようにして行われるのでしょうか。
「魂をつなぎ止めていた絆(玉の緒(シルバーコード))が切れ、肉体から離れて行きます」
訳注――ここに掲げた写真はカルデックが一八五〇年に創刊した『心霊評論』La Review Spirite紙上で紹介されたもので、それが訳者が購読中だった米国の心霊月刊誌CHIMES(チャイムズ)に掲載された(現在は廃刊)。解説文によるとフランス北東部のアルザスに住む老婦人が他界して納棺される直前に、娘が写真を撮りたいと言うので、弔問に訪れていた高等学校の校長が代わりに撮ってあげた。十二枚のフィルムのうち四枚だけ残っていたので四枚撮った。最初の一枚は露光は一秒だったが、部屋の明かりが弱すぎるので、二枚目は十二秒、三枚目は十五秒、四枚目は二十秒にした。焼き付けてみると一枚目は老婦人の普通の写真が写っていたが、残り三枚には見事なシルバーコードの映像が写っていた。玉の緒(通夜における写真)
(露光12秒)(露光15秒)(露光20秒)
――それは突然、そして一瞬の間に行われるのでしょうか。生と死とを分ける明確な線があるのでしょうか。
「いえ、魂は少しずつ分離します。カゴが開けられて小鳥がぱっと飛んで出て行くような調子で、霊が肉体から急に去って行くのではありません。生と死との境を行ったり来たりしながら、霊は少しずつ肉体との絆を緩めていきます。一気に切断するのではありません」
――有機体としての生命が停止するより先に霊と肉体とが完全に分離することも有り得ますか。
「肉体の断末魔が始まる前に霊が去っているということが時おりあります。断末魔は有機体としての生命の終末の反応にすぎません。本人にはもはや意識はないのですが、わずかながら生命力が残っています。しょせん肉体は心臓の働きによって動く機械です。血液が巡っているから生き続けているだけで、魂はもう存在する必要はありません」
――死の現象の最中に霊がこれから帰って行く霊の世界を垣間見ることはありますか。
「霊は、肉体につなぎ止められてきた絆が緩んでいくのを感じると、その分離現象を促進して一刻も早く完了させようとするものです。その際、すでに物的束縛から幾分か脱していますから、これから入って行く霊的世界が眼前に広がり、それを楽しく眺めていることがあります」
――いよいよ分離して霊界での意識を取り戻した時の感じはどんなものでしょうか。
「各自の事情によって異なります。悪いことばかりしてきた者は、その悪事の場面を見せつけられて恥じ入るでしょうし、善行に励んできた者は肩の荷を下ろしたような、晴れやかな気分がすることでしょう。どんなに厳しい目で見られても恥じ入るところは何一つ無いのですから」
――地上時代の知り合いで先に他界した人たちと再会できるでしょうか。
「できます。ただ、愛情関係の度合いによって直ぐに会える人と、なかなか会えない人とがいます。霊界への帰還を察知して出迎えてくれ、物質との絆を解くのを手伝ってくれる人もいます。前世で知り合いだったのに、あなたが地上へ行ってしまったのでその間会えなかった人が出迎えてくれることもあります。霊界に帰りながら今なお迷っている者にも会えますし、地上に残した者のところへ行ってみることもあります」
〈死後の意識の混乱〉
――事故死のように、老齢や病気による衰弱が伴わない死の場合、魂の分離は肉体的生命の死と同時に発生するのでしょうか。
「大体においてそうです。そうでないケースも無きにしもあらずですが、いずれにしても肉体の死から魂の分離までの時間はそう長くはありません」
――例えば斬首された場合、意識はそのまま残っているのでしょうか。
「少しの間残っているケースがしばしばあります。が、それよりも、死の恐怖のために刑の執行直前に意識を失っているケースがよくあります」
編者注――ここでいう“意識”は肉体器官を通じての意識のことである。その意識の途絶えは必ずしも肉体からの魂の分離を意味しない。肉体が元気なうちの突然の死においてはペリスピリットがしっかりしているために、魂の分離に時間が掛かるようである。
――肉体から分離した魂は直ちに霊としての自我意識を持つのでしょうか。
「直ちにではありません。しばらくの間意識が混乱し、感覚が鈍い状態が続きます」
――それはどんな霊でも同じですか。
「いえ、霊性の発達程度によって違います。霊的浄化がある一定レベルまで達している霊は、すでに地上生活中に物的束縛から脱していますから、直ちに意識を取り戻します。一方、物的波動にどっぷりと浸っていた者や道義心が鈍い者は、いつまでも物的波動から抜け出られません」
――霊的真理を知っているということは死後の目覚めに影響がありますか。
「大いにあります。これから置かれる自分の新しい環境についてあらかじめ理解ができていることになるからです。しかし、やはり何よりも大切なのは実直な日常生活と道義への忠実さです」
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