Thursday, January 4, 2024

シアトルの冬 霊の書 スピリチュアリズムの真髄 思想

The Spirits' Book
アラン・カルデック(編)
近藤千雄(訳)

編者まえがき

これまでに明かされたいかなる法則によっても説明のつかない現象が、今、世界各地で発生している。そしてその原因として、自由意志をそなえた見えざる知的存在の働きかけがクローズアップされてきている。
理性的に考えれば、知的結果には知的原因があるはずである。事実、さまざまな事象から、その知的存在は物的符丁を使用することによって人間と交信することが可能であることが証明されている。
その知的存在の本性を追求してみると、かつては我々と同じく地上で生活したことがあり、肉体を捨てたあと霊的存在として別の次元の世界で存在し続けていることが分かってきた。かくして霊の実在ということが厳然たる事実となってきたのである。

その霊の世界と地上世界との間の交信も自然現象の範疇に属し、そこには何一つ摩訶不思議はないことが分かっている。その交霊の事実は世界のいずれの民族にも、そしてまたいつの時代にもあったことが史実として残っているだけでなく、今日では一般的でごく当たり前のこととなりつつある。

その霊たちが断言するところによると、大霊が定めた死後存続の事実の世界的規模での顕現の時節が今まさに到来し、大霊の使徒でありその意志の道具である彼らの使命は、新しい啓示を通して、人類の霊的革新の新時代を切り開くことにあるという。

本書は、その新しい啓示の集大成である。これまでの一宗一派の偏見と先入観を排除した理性的哲学の基盤を確立することを目的として、高級な霊格をそなえた霊団による指導と指令によって書き上げられたものである。その中には霊団の意図の発現でないものは一切ない。また、項目の配列とそれに付したコメント、さらには、ところどころで採用した表現形式は、本書の刊行を委任されたこの私の責任において工夫したものであるが、いずれに関しても霊団側の是認を受けている。

本書上梓に参画してくれた霊団のメンバーの多くは、時代こそ違え、かつてこの地球上に生をうけ、教訓を説き、徳と叡知を実践した人たちであることを自ら認めている。その名を歴史に留めていない人物も少なくないが、その霊格の高さは、教説の純粋さと、そうした高名な歴史上の人物との一致団結ぶりによって、十分に立証されている。

では本書の編纂開始に際してその霊団の総意として寄せられた、私への激励を込めたメッセージを披露させていただく。

アラン・カルデック


カルデックへの、霊団からの激励のメッセージ

我々との協調関係のもとに行うこの仕事に着手するに当たって、そなたに対して熱誠と忍耐とを要請したい。これは実質的には我々の仕事だからである。これから編纂される書物の中に、全人類を愛と慈悲の精神において一体たらしめる新しい殿堂の基盤を構築したいと思う。完成後それを世に出す前に我々がその全編に目を通し、誤りなきを期したい。

質(ただ)したいことがあれば遠慮なく呼び出すがよい。いついかなる時でも力になるであろう。すでに明かしたごとく、我々には大霊から割り当てられた使命があり、本書の編纂はその使命の一端にすぎない。

これまでに明かした教説の中には、当分はそなたの内に秘しておくべきものもある。公表すべき時期が到来すれば、さよう告げるであろう。それまではそなた自身の思考の糧として、じっくり温めておくがよい。課題として取り扱うべき時期が到来した折に理解を容易にするためである。

巻頭に我々の描いたブドウの蔓(つる)の絵を掲げてほしい。これは、創造主による造化の仕事の象徴である。身体と霊を象徴する要素が合体している図である。蔓が身体を表し、樹液が霊を表し、ブドウの実が両者の合体を表す。人間の努力は樹液という潜在的資質を呼び覚ます。すなわち、努力によって獲得される知識を通して、身体が魂に潜在する霊的資質を発達させるのである。

これより先そなたは、敵意に満ちた非難に遭遇することであろうが、それによって怯(ひる)むようなことがあってはならぬ。とくに既存の悪弊に甘んじて私利私欲を貪(むさぼ)る者から、悪意に満ちた攻撃を受けることであろう。

人間界にかぎらぬ。同じことを霊界から受けることもあろう。彼らは物的波動から抜け切らずに、憎しみと無知から、スピリチュアリズムへの疑念のタネを蒔き散らそうと画策する。

神を信じ、勇猛果断に突き進むがよい。背後より我々が支援するであろう。スピリチュアリズムの真理の光が四方に放たれるようになる時節も間近い。

全てを知り尽くしたかに自惚れ、全てを既存の誤れる教説で片付けることで満足している者たちが真っ向から抵抗するであろう。しかし、イエスの偉大なる愛の原理のもとに集(つど)える我々は、あくまでも善を志向し全人類を包摂する同胞愛の絆のもとに結ばれている。用語の差異についての下らぬ議論をかなぐり捨てて、真に価値ある問題へ向けて全エネルギーを注いでいる。地上時代の宗派の別を超えて、高き界層の霊からの通信から得られる確信にはいささかの相違もないのである。

そなたの仕事を実りあるものにするのは、一(いつ)に掛かって忍耐である。我々が授けた教説が本書を通して普及し、正しく理解されることによってそなたが味わう喜びは、また格別なるものがあろう。もっとも、それは今すぐではなく遠い未来のことかも知れぬが……。

疑り深き人間、悪意に満ちた者たちがバラ撒くトゲや石ころに惑わされてはならぬ。確信にしがみつくことである。その確信こそが我々の援助を確かなものにし、その援助を得てはじめて目的が達成されるのである。

忘れてはならぬ。善霊は謙虚さと無私無欲の態度で神に奉仕する者にのみ援助の手を差し延べる。霊的なことを世俗的栄達の足掛かりにせんとする者は無視し、高慢と野心に燃える者からは手を引く。高慢と野心は人間と神との間に張りめぐらされる障壁である。それは天界の光線を見えなくする。光の見えぬ者に神は仕事を授けぬということである。

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