The absolute basis of our teaching is that everything is everyone's responsibility.
───感情についてお聞きしたいことがあります。私たちが立派と思っている愛国心その他の愛でも、実際は一種の利己主義であることがあります。
何ごとも動機が大切です。愛国心でも、自分の国家と国民のことだけを考えて、よその国のことは一切眼中にないようでは、それは一種の利己主義です。
最高の指針となるのは人のために役立つこと、思いやり、謙虚さ、寛容心、協調性といった形で表現される愛です。愛は宇宙最大の力です。
あなた方は人間です。完全ではありません。完全は地上では絶対に達成されません。こちらの世界でも達成されません。絶えず発達し進化し伸びていく存在です。内部には神性を帯びた潜在力が秘められています。また、一定限度内での自由意志も授けられています。
したがってあなたは神の意図された通りのイメージにしたがって行動して内部の神性を発揮することもできますし、低級な感情と欲望の赴くままに生き、永遠の持ちものとはならない俗物を求めるだけの人生で終わることも許されます。それは神が地上の人間のすべてに与えられた自由選択の権利です。
しかし人間である以上はその選択を誤ることがあります。そして途中で挫折してしまいます。そこで私たちは、善悪の判断に際して〝動機〟を重要視します。神は一人一人に良心という絶対に狂うことのない監視装置(モニター)を用意してくださっております。それがあなたの行為が正しいか間違っているかを正確に教えてくれます。
───うつ病患者が多いのですが、私たちにはどういうことがしてあげられるでしょうか。
人生の視野を変え、知識を基盤とした信念を持つように指導してあげないといけません。何の根拠もない信念は砂上の楼閣のように、あっさりと崩れてしまいます。知識の上に築いてこそ永続きするのです。
その点、皆さんは霊力の証しをご覧になっておられる光栄な方たちです。無限なる力によって案出された崇高な知的計画があることを実感をもってご存知です。その計画はあなた方一人一人を包摂しております。そうした意識をお持ちである以上、常に前途に希望を抱き、楽観して、憂うつや恐れという暗闇を近づかせないようにすべきです。
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サークルのメンバーの中に過労から病気がちになっている人が何人かいることについてシルバーバーチが忠告する───
危険信号が見えた時はいつも注意してあげているのですが、それが無視されて倒れられる方がいるのは残念です。が、すべては各自の責任に帰されるというのが私たちの教えの絶対的な基本です。
許されることなら代わって荷を背負ってあげたであろうと思われることが何度あったか知れません。が、霊的向上の道は自分の力で切り開かないといけない以上、それは私には許されないと理解しております。
(女性のメンバーに向かって) あなたの場合この季節(冬)は特に身体を大切にし、酷使しないように注意しないといけません。休息は大切です。今のあなたにとって必要なのは休息です。それを欠くと霊が地上で機能するための道具を台無しにしてしまいます。
別に咎めているわけではありません。人生の基盤である不変の摂理の存在を指摘しているだけです。それを怠ると私の義務を果たしていないことになります。
───(古くから彼女を知っている人が弁護して) 翻訳の仕事が多くて原稿の締切期限(デッドライン)に間に合わせようとして過労になったようです。
この私にデットラインの話を持ち出されるとは愉快ですね。私が今の世の中をこしらえたわけではありませんし、そこで生活する人の身体も私がこしらえたわけではありません。
ただ、出来上った身体を見てみると実に複雑でありながら美事にまとまった機械であることが分かります。地上のいかに腕のいい技術者も到底これほどのものはこしらえられないでしょう。
幾億もの細胞が集まって血液、腱、筋肉、その他もろもろの組織をこしらえ、さらに各種のミネラルが昼となく夜となく働いて、霊が効果的に表現されるようにしております。
私が思うに、地上に存在する機械で、瞬時の休みもなく働きオーバーホール(修理・点検のための解体)されることもないのは人間の体だけでしょう。その度が過ぎると、使い過ぎによる欠陥が生じて使用中止の命令を下さねばならなくなります。
大霊がもしも人間に完全であることを望むならば、完全な身体を用意されたはずです。が、地上というところは永遠の進化のための無数の生活の場の一つに過ぎません。今この地上にあるかぎりは、その身体を大切に維持・管理する責任があります。使い過ぎると本来の機能が果たせなくなります。
もう一人の方にも同じことを申し上げたいと思います。悩みや困難に追いまくられるとおっしゃいます。が、私はいつも申し上げております───〝それは百も承知しております。もしも悩みも困難もなかったら、あなたはこの世にいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理するために地上へ来ていらっしゃるのですから〟と。
遭遇しなければならない困難というものが必ずあります。それに挑戦することによって内部の貯え、潜在する霊的資質、神的属性の幾つかが呼び覚まされるのです。ですが、度を過してはなりません。からだが〝疲れました。もうこれ以上はムリです〟と訴え始めたら、休息を与えてあげて下さい。
皆さんへの愛の気持ちはあっても代わって生きてあげるわけには参りません。手引きはしてあげます。援助はします。支えにもなってあげます。道を教えてあげることはできます。しかし皆さんがみずから背負うべき責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません。
私たちの力の限りを尽くして、是非とも必要な守護は受けられるようにしてあげましょう。が、自分のすることには自分で責任を取るのです。
───角膜移植には反対ですか。霊的には何ら問題はないように思えますが・・・・・・
私は原則として臓器の移植手術には反対です。他人のために自分の臓器を提供する方の誠意を疑うわけではありません。
神は霊が地上で自我を表現するための道具として物的身体をお与えになりました。そこに身体と霊との緊密な関係があるわけです。もしも臓器移植が不可欠のものであったら、心臓や腎臓の移植手術に失敗は有り得ないはずです。
角膜の問題はとても厄介です。人間の苦痛に対して冷淡であるかに思われたくないのですが、時として失明の原因がカルマにあることがあります。
何もかもカルマのせいにしてしまうのは卑怯だと思われかねないことは私も承知しておりますが、地上でも、あるいは霊界でも、偶然にそうなったというものは一つもありません。因果律は絶対であり、ありとあらゆる出来事を規制しております。
目が見えないということも因果律の結果です。目の見えない人が角膜を移植してもらって見えるようになるということが、霊的にみて果たしてその人にとって良いことであるか否かは、一概に片づけられる問題ではなく、議論したら延々と続くことです。
身体的には良いことかも知れません。が、霊的には必ずしも良いこととは言えません。皆さんより永い人生体験をもつ霊界の存在という有利な立場から申し上げれば、もっとも大切なのは霊的にみて良いことかということです。
───それは病気全般について言えることでしょうか。
カルマが絡んでいるものに限っての話であれば、そうです。その場合は霊的治療も奏効しません。したがって角膜移植をしても視力は戻りません。
───しかし、もしも臓器移植が許されないとすれば、手術はできなくなります。
人間には自由意志があります。操り人形ではありません。十字路で右へ曲がるか左へ曲がるかは自分で決められます。選択は自由です。もしも神が人間を操り人形にした方がよいとお考えになっていれば、皆さんは操り人形になっていたはずです。
しかし皆さんも私が〝無限の創造活動〟と呼んでいるものに参加するだけの力を秘めているのです。が同時にそれを邪魔し、妨害し、遅らせることもできます。ただし、変更させることはできません。
───医術の発達はよいとしても、肉体をつぎはぎ細工のようにいじくりまわすのは霊的な間違いを犯すことになる可能性があるということですね。各自に霊的な存在価値があるわけですから。
私たちがお教えしたいと思っているのは、まさしくそのことです。身体は霊の宮であるからこそ大切なのです。いかなる形にせよその根本的な摂理を犯せば病気は発生します。その代償を支払わねばならないということです。それだけは避けられません。
私は外科医の仕事そのものに反対しているわけではありません。皮膚の移植には反対しません。人を喜ばせてあげたいという誠意には反対しません。ただ私が置かれている立場上、すべての問題をその根底にある霊的な意義という観点から申し上げるしかないのです。
シルバーバーチ
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