Wednesday, November 26, 2025

シアトルの秋 シルバーバーチの霊訓(五)

  More Teachings of Silver Birch Edited by A.W. Austen

十一章 青年牧師との論争


 ある時メソジスト教派(※)の年次総会が二週間にわたってウェストミンスターのセントラルホールで開かれ、活発な報告や討論がなされた。が、その合間での牧師たちの会話の中でスピリチュアリズムのことがしきりにささやかれた。

(※メソジストというのはジョン・ウェスレーという牧師が主唱し弟のチャールズと共に一七九五年に国教会から独立して一派を創立したキリスト教の一派で、ニューメソッド、つまり新しい方式を提唱していることからその名があるが、基本的理念においては国教会と大同小異とみてよい───訳者)

 そのことで関心を抱いた一人の青年牧師がハンネン・スワッハーを訪ね、一度交霊会というものに出席させてもらえないかと頼んだ。予備知識としてはコナン・ドイルの The New Revelation (新しい啓示) という本を読んだだけだという。が、スワッハーは快く招待することにし、

 「明日の晩の交霊会にご出席ください。その会にはシルバーバーチと名告る霊が入神した霊媒の口を借りてしゃべります。その霊と存分に議論なさるがよろしい。納得のいかないところは反論し、分からないところは遠慮なく質問なさることです。その代わり、あとでよそへ行って、十分な議論がさせてもらえなかったといった不平を言わないでいただきたい。質問したいことは何でも質問なさって結構です。

その会の記録はいずれ活字になって出版されるでしょうが、お名前は出さないことにしましょう。そうすればケンカになる気遣いもいらないでしょう。もっともあなたの方からケンカを売られれば別ですが」という案内の言葉を述べた。
 
 さて交霊会が始まると、まずシルバーバーチがいつものように神への祈りの言葉を述べ、やおら青年牧師に語りかけた。


 「この霊媒にはあなた方のおっしゃる〝聖霊〟の力がみなぎっております。それがこうして言葉をしゃべらせるのです。私はあなた方のいう〝復活せる霊〟の一人です」

(訳者注ー聖霊というのはキリスト教の大根幹である三位一体説すなわち父なる神キリスト、子なる神イエス、そして聖霊が一体であるという説の第三位にあるが、スピリチュアリズム的に見ればその三者を結びつける根拠はない。キリスト教とスピリチュアリズムの違いは実にそこから発している。シルバーバーチもその点を指摘しようとしている)


牧師 「死後の世界とはどういう世界ですか」

 「あなた方の世界と実によく似ております。但し、こちらは結果の世界であり、そちらは原因の世界です」

(訳者注───スピリチュアリズムでは霊界が原因の世界で地上は結果の世界であるといっているが、それは宇宙の創造過程から述べた場合のことで、ここでシルバーバーチは因果律の観点から述べ、地上で蒔いたタネを霊界で刈り取るという意味で述べている)

牧師 「死んだ時は恐怖感はありませんでしたか」

 「ありません。私たちインディアンは霊覚が発達しており、死が恐ろしいものでないことを知っておりましたから、あなたが属しておられる宗派の創立者ウェスレーも同じです。あの方も霊の力に動かされておりました。そのことはご存じですね?」

牧師 「おっしゃる通りです」

 「ところが現在の聖職者たちは〝霊の力〟に動かされておりません。宇宙は究極的には神とつながった一大連動装置によって動かされており、一ばん低い地上の世界も、あなた方のおっしゃる天使の世界とつながっております。どんなに悪い人間もダメな人間も、あなた方のいう神、私のいう大霊と結ばれているのです」


牧師 「死後の世界でも互いに認識し合えるのでしょうか」

 「地上ではどうやって認識し合いますか」

牧師 「目です。目で見ます」

 「目玉さえあれば見えますか。結局は霊で見ていることになるでしょう」

牧師 「その通りです。私の精神で見ています。それは霊の一部だと思います」

 「私も霊の力で見ています。私にはあなたの霊が見えるし肉体も見えます。しかし肉体は影に過ぎません。光源は霊です」


牧師 「地上での最大の罪は何でしょうか」

 「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神への反逆でしょう」
 ここでメンバーの一人が 「その点を具体的に述べてあげて下さい」と言うと、

 「神の存在を知りつつもなおそれを無視した生き方をしている人々、そういう人々が犯す罪が一番大きいでしょう」
 
 別のメンバーが 「キリスト教はそれを〝聖霊の罪〟と呼んでおります」と言うと、
 「あの本(聖書)ではそう呼んでいますが、要するに霊に対する罪です」

牧師 「〝改訳聖書〟をどう思われますか。〝欽定訳聖書〟と比べてどちらがいいと思われますか」


 「文字はどうでもよろしい。いいですか。大切なのはあなたの行いです。神の真理は聖書だけでなく他のいろんな本に書かれています。それから、人のために尽くそうとする人々の心には、どんな地位の人であろうと、誰であろうと、どこの国の人であろうと、立派に神が宿っているのです。それこそが一ばん立派な聖書です」


牧師 「改心しないまま死んだ人はどうなりますか」

 「〝改心〟とはどう言う意味ですか。もっと分かりやすい言葉でお願いします」

牧師 「たとえば、ある人間は生涯を良くないことばかりしてそのまま他界し、ある人は死ぬまえに反省します。両者には死後の世界でどんな違いがありますか」

 「あなた方の本(聖書)から引用しましょう。〝蒔いた種は自分で刈り取る〟のです。これだけは変えることができません。今のあなたにそのままを携えてこちらへ参ります。

自分はこうだと信じているもの、人からこう見てもらいたいと願っていたものではなく、内部のあなた、真実のあなただけがこちらへ参ります。あなたもこちらへお出でになれば分ります」

 そう言ってからシルバーバーチはスワッハーの方を向いて、この人には霊能があるようだと述べ、「なぜ招待したのですか」と尋ねると、スワッハーは 「いや、この人の方から訪ねて来たものですから」と答えた。するとシルバーバーチは再びその牧師に向かって、

 「インディアンが聖書のことをよく知っていて驚いたでしょう」と言うと牧師が「よくご存じのようです」と答えた。すると別のメンバーが「三千年前に地上を去った方ですよ」と口添えした。牧師はすぐに年代を計算して「ダビデをご存知でしたか」と尋ねた。ダビデは紀元前一〇〇〇年頃のイスラエルの王である。


 「私は白人ではありません。レッドインディアンです。米国北西部の山脈の中で暮らしていました。あなた方のおっしゃる野蛮人というわけです。しかし私はこれまで、西洋人の世界に三千年前のわれわれインディアンよりはるかに多くの野蛮的行為と残忍さと無知とを見てきております。今なお物質的豊かさにおいて自分たちより劣る民族に対して行う残虐行為は、神に対する最大級の罪の一つと言えます」

牧師 「そちらへ行った人はどんな風に感じるのでしょう。やはり後悔の念というものを強く感じるのでしょうか」

 「いちばん残念に思うことは、やるべきことをやらずに終わったことです。あなたもこちらへお出でになれば分ります。きちんと成し遂げたこと、やるべきだったのにやらなかったこと、そうしたことが逐一分かります。逃してしまった好機(チャンス)が幾つもあったことを知って後悔するわけです」

牧師 「キリストへの信仰をどう思われますか。神はそれを嘉納(かのう)されるのでしょうか。キリストへの信仰はキリストの行いに倣(なら)うことになると思うのですが」

 「主よ、主よ、と何かというと主を口にすることが信仰ではありません。大切なのは主の心に叶った行いです。それがすべてです。口にする言葉や心に信じることではありません。頭で考えることでもありません。

実際の行為です。何一つ信仰というものを持っていなくても、落ち込んでいる人の心を元気づけ、飢える人にパンを与え、暗闇にいる人の心に光を灯してあげる行為をすれば、その人こそ神の心に叶った人です」

 ここで列席者の一人がイエスは神の分霊なのか問うと───

 「イエスは地上に降りた偉大な霊覚者だったということです。当時の民衆はイエスを理解せず、ついに十字架にかけました。


いや、今なお十字架にかけ続けております。イエスだけでなく、すべての人間に神の分霊が宿っております。ただその分量が多いか少ないかの違いがあるだけです」

牧師 「キリストが地上最高の人物であったことは全世界が認めるところです。それほどの人物がウソをつくはずがありません。キリストは言いました───〝私と父とは一つである。私を見た者は父を見たのである〟と。これはキリストが即ち神であることを述べたのではないでしょうか」

 「もう一度聖書を読み返してごらんなさい。〝父は私よりも偉大である〟とも言っておりませんか」

牧師 「言っております」

 「また、〝天に在しますわれらが父に祈れ〟とも言っております〝私に祈れ〟とは言っておりません。父に祈れと言ったキリスト自身が〝天に在しますわれらが父〟であるわけがないでしょう。〝私に祈れ〟とは言っておりません。〝父に祈れ〟と言ったのです」

牧師 「キリストは〝あなたたちの神〟と〝私の神〟という言い方をしております。〝私たちの神〟とは決して言っておりません。ご自身を他の人間と同列に置いていません」

 「〝あなたたちの神と私〟とは言っておりません。〝あなたたちは私より大きい仕事をするでしょう〟とも言っております。あなた方キリスト者にお願いしたいのは、聖書を読まれる際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をなさらぬことです。

霊的実相に照らして解釈しなくてはなりません。存在の実相が霊であるということが宇宙の全ての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を多用したのはそのためです」

牧師 「神は地球人類を愛するがゆえに唯一の息子を授けられたのです」と述べて、イエスが神の子であるとのキリスト教の教義を弁護しようとする。

 「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年もたってから例の二ケーア会議でそんなことが聖書に書き加えられたのです」

牧師 「二ケーア会議?」

「西暦三二五年に開かれております」

牧師 「でも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました」

「どうしてそれが分ります?」

牧師 「いや、歴史にそう書いてあります」

 「どの歴史ですか」

牧師 「どれだかは知りません」

 「ご存じのはずがありません。いったい聖書が書かれる、そのもとになった書物はどこにあるとお考えですか」

牧師 「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です」

 「いいえ、それよりもっと前の話です」

牧師 「聖書は西暦九〇年に完成しました」

 「その原典になったものは今どこにあると思いますか」

牧師 「いろんな文書があります。例えば・・・・・・」と言って一つだけ挙げた。

 「それは原典の写しです。原典はどこにありますか」
 牧師がこれに答えられずにいると───


 「聖書の原典はご存じのあのバチカン宮殿に仕舞い込まれて以来一度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典の写し(コピー)の写しの、そのまた写しなのです。

おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。

ところが、いつになっても再臨しないので、ついに諦めて記憶を辿りながら書きました。イエス曰く───と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは書いた本人も確かでなかったのです」

牧師 「でも、四つの福音書にはその基本となったいわゆるQ資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその四つの福音書に出ていると思うのですが・・・・・・」


 「私は別にそうしたことが全然起きなかったと言っているのではありません。ただ、聖書に書いてあることの一言一句までイエスが本当に言ったとは限らないと言っているのです。聖書に出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用が随分入っていることを忘れてはいけません」

牧師 「記録に残っていない口伝のイエスの教えが書物にされようとしていますが、どう思われますか」

 「イエスの関心は自分がどんなことを述べたかといったことではありません。地上のすべての人間が神の摂理を実行してくれることです。人間は教説のことで騒ぎ立て、行いの方をおろそかにしています。

〝福音書〟なるものを講義する場に集まるのは真理に飢えた人たちばかりです。イエスが何と言ったかはどうでもよいことです。大切なのは自分自身の人生で何を実践するかです。

 地上世界は教説では救えません。いくら長い説教をしても、それだけでは救えません。神の子が神の御心を鎧(よろい)として暗黒と弾圧の勢力、魂を束縛するものすべてに立ち向かうことによって初めて救われるのです。その方が記録に残っていないイエスの言葉より大切です」

牧師 「この世になぜ多くの苦しみがあるのでしょうか」

 「神の真理を悟るには苦を体験するしかないからです。苦しい体験の試練を経てはじめて人間世界を支配している摂理が理解できるのです」

牧師 「苦しみを知らずにいる人が大勢いるようですが・・・・・・」

 「あなたは神に仕える身です。大切なのは〝霊〟に関わることであり、〝肉体〟に関わることでないことくらいは理解できなくてはいけません。霊の苦しみの方が肉体の苦しみより大きいものです」

メンバーの一人が 「現行制度は不公平であるように思えます」と言うと、

 「地上での出来ごとはいつの日か必ず埋め合わせがあります。いつかはご自分の天秤を手にされてバランスを調節する日がまいります。

自分で蒔いたものを刈り取るという自然法則から免れることはできません。罪が軽くて済んでる者がいるようにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたには魂の豊かさを見抜く力がないからそう思えるのです。

 私がいつも念頭に置いているのは神の法則だけです。人間の法則は念頭においていません。人間のこしらえた法律は改めなければならなくなります。変えなければならなくなります。が、神の法則は決してその必要がありません。

地上に苦難がなければ人間は正していくべきものへ注意を向けることが出来ません。痛みや苦しみや邪悪が存在するのは、神の分霊であるところのあなた方人間がそれを克服していく方法を学ぶためです。

 もしもあなたがそれを怠っているとしたら、あなたをこの世に遣わした神の意図を実践していないことになります。宇宙の始まりから終わりまでを法則によって支配し続けている神を、一体あなたは何の資格を持って裁かれるのでしょう」

牧師 「霊の世界ではどんなことをなさっているのですか」

 「あなたはこの世でどんなことをなさっておられますか」

牧師 「それは、その、あれこれや読んだり・・・・・・、それに説教もよくします」

 「私もよく本を読みます。それに、今こうして大変な説教をしております」

牧師 「私は英国中を回らなくてはなりません」

 「私の方は霊の世界中を回らなくてはなりません。それに私は、天命を全うせずにこちらへ送り込まれてきた人間がうろついている暗黒界へも下りて行かねばなりません。それにはずいぶん手間がかかります。

あなたに自覚していただきたいのは、あなた方はとても大切な立場にいらっしゃるということです。神に仕える身であることを自認しながら、その本来の責務を果たしていない方がいらっしゃいます。ただ壇上に上がって意味もない話をしゃべりまくっているだけです。

 しかし、あなたが自らを神の手にゆだね、神の貯蔵庫からインスピレーションを頂戴すべく魂の扉を開かれれば、古(いにしえ)の予言者たちを鼓舞したのと同じ霊力によってあなたの魂が満たされるのです。そうなることによって、あなたの働かれる地上の片隅に、人生に疲れ果てた人々の心を明るく照らす光をもたらすことができるのです」

牧師 「そうあってくれればうれしく思います」

 「いえ、そうであってくれればではなくて、真実そうなのです。私はこちらの世界で後悔している牧師にたくさん会っております。みなさん地上での人生を振り返って自分が本当の霊のメッセージを説かなかったこと、聖書や用語や教説ばかりこだわって実践を疎かにしたことを自覚するのです。

そうして、できればもう一度地上へ戻りたいと望みます。そこで私はあなたのような(目覚めかけている)牧師に働きかけて、新しい時代の真理を地上にもたらす方法をお教えるのです。

 あなたは今まさに崩壊の一途を辿っている世界にいらっしゃることを理解しなくてはいけません。新しい秩序の誕生───真の意味の天国が到来する時代の幕開けを見ていらっしゃるのです。生みの痛みと苦しみと涙が少なからず伴なうことでしょう。

しかし最後は神の摂理が支配します。あなた方一人ひとりがその新しい世界を招来する手助けができるのです。なぜなら、人間のすべてが神の分霊であり、その意味で神の仕事の一翼を担うことができるのです」

 その牧師にとっての一回目の交霊も終わりに近づき、いよいよシルバーバーチが霊媒から去るに当たって最後にこう述べた。

 「このあと私もあなたが説教なさる教会へいっしょに参ります。あなたが本当に良い説教をなさったとき、これが霊の力だと自覚なさるでしょう」

牧師 「これまでも大いなる霊力を授かるよう祈ってまいりました」

 「祈りはきっと叶えられるでしょう」

 以上で第一回目の論争が終わり、続いて第二回の論争の機会が持たれた。引き続いてそれを紹介する。


牧師 「地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能でしょうか。すべての人間を愛することは可能なのでしょうか」

 これが二回目の論争の最初の質問だった。

 「それは不可能なことです。が、努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです。怒ることもなく、辛く当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてくるのです。成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。それはこちらへ来てからも同じです」

牧師 「イエスは〝天の父の完全であるごとく汝らも完全であれ〟と言っておりますが、これはどう解釈すべきでしょうか」

 「ですから、完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです。すなわち、内部に宿る神性を開発することです」

牧師 「私がさっき引用した言葉はマタイ伝第五章の終わりに出ているのですが、普遍的な愛について述べたあとでそう言っております。また、〝ある者は隣人を愛し、ある者は友人を愛するが、汝らは完全であれ。神の子なればなり〟とも言っております。神は全人類を愛して下さる。

だからわれわれもすべての人間を愛すべきであるということなのですが、イエスが人間に実行不可能なことを命じるとお思いですか」

 この質問にシルバーバーチは呆れたような、あるいは感心したような口調でこう述べる。

 「あなたは全世界の人間をイエスのような人物になさろうとするんですね。お聞きしますが、イエス自身、完全な生活を送ったと思いますか」

牧師 「そう思います。完全な生活を送られたと思います」

 「一度も腹を立てたことがなかったとお考えですか」

牧師 「当時行われていたことを不快に思われたことはあると思います」

 「腹を立てたことは一度もないとお考えですか」

牧師 「腹を立てることはいけないことであると言われている、それと同じ意味で腹を立てられたことはないと思います」

 「そんなことを聞いているのではありません。イエスは絶対に腹を立てなかったかと聞いているのです。イエスが腹を立てたことを正当化できるかどうかを聞いているのではありません。正当化することなら、あなた方は何でも正当化なさるんですから・・・・・・」

 ここでメンバーの一人が割って入って、イエスが両替商人を教会堂から追い出した時の話を持ち出した。

 「私が言いたかったのはそのことです。あの時イエスは教会堂という神聖な場所を汚す者どもに腹を立てたのです。ムチを持って追い払ったのです。それは怒りそのものでした。それが良いとか悪いとかは別の問題です。イエスは怒ったのです。

怒るということは人間的感情です。私が言いたいのは、イエスも人間的感情をそなえていたということです。イエスを人間の模範として仰ぐ時、イエスもまた一個の人間であった───ただ普通の人間より神の心をより多く体現した人だった、というふうに考えることが大切です。わかりましたか」

牧師 「わかりました」

 「私はあなたのためを思えばこそこんなことを申し上げるのです。誰の手も届かないところに祭り上げたらイエスさまがよろこばれると思うのは大間違いです。イエスもやはりわれわれと同じ人の子だったと見る方がよほどよろこばれるはずです。

自分だけ超然とした位置に留まることはイエスはよろこばれません。人類とともによろこび、ともに苦しむことを望まれます。一つの生き方の手本を示しておられるのです。

イエスが行ったことは誰にでもできることばかりなのです。誰もついていけないような人物だったら、せっかく地上へ降りたことが無駄だったことになります」


 話題が変わって───

牧師 「人間にも自由意志があるのでしょうか」

 「あります、自由意志も神の摂理の一環です」

牧師 「時として人間は抑えようのない衝動によってある種の行為に出ることがあるとは思われませんか。そう強いられているのでしょうか。それともやはり自由意志で行っているのでしょうか」

 「あなたはどう思われますか」

牧師 「私は人間はあくまで自由意志を持った行為者だと考えます」

 「人間には例外なく自由意志が与えられております。ただしそれは神の定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。これは神の愛から生まれた法則で、神の子すべてに平等に定められており、それを変えることは誰にもできません。その規則の範囲内において自由であるということです」

牧師 「もし自由だとすると罪は恐ろしいものになります。悪いと知りつつ犯すことになりますから、強制的にやらされる場合より恐ろしいことに思えます」

 「私に言えることは、いかなる過ちもかならず本人が正さなくてはならないということ、それだけです。地上で正さなかったら、こちらへ来て正さなくてはなりません」

牧師 「感心できないことをしがちな強い性癖を先天的に持っている人がいるとは思われませんか。善いことをしやすい人とそうでない人がいます」

 「難しい問題です。と申しますのは、各自に自由意志があるからです。誰しも善くないことをすると、内心では善くないことであることに気づいているものです。その道義心をあくまでも無視するか否かは、それまでに身に付けた性格によって違ってくることです。罪というものはそれが結果に及ぼす影響の度合に応じて重くもなり軽くもなります」

 これを聞いてすかさず反論した。

牧師 「それは罪が精神的なものであるという事実と矛盾しませんか。単に結果との関連においてのみ軽重が問われるとしたら、心の中の罪は問われないことになります」

 「罪は罪です。からだが犯す罪、心で犯す罪、霊的に犯す罪、どれも罪は罪です。あなたはさっき衝動的に犯すことがあるかと問われましたが、その衝動はどこからくると思いますか」

牧師 「思念です」

 「思念はどこからきますか」

牧師 「(少し躊躇してから)善なる思念は神から来ます」

 「では悪の思念はどこから来ますか」

牧師 「わかりません」(と答えているが実際は〝悪魔から〟と答えたいところであろう。シルバーバーチはそれを念頭において語気強くキリスト教の最大の矛盾を突く──訳者)

 「神はすべてに宿っております。間違ったことの中にも正しいことにも宿っています。日光の中にも嵐の中にも、美しいものの中にも醜いものの中にも宿っています。

空にも海にも雷鳴にも稲妻にも神は宿っているのです。美なるもの善なるものだけではありません。罪の中にも悪の中にも宿っているのです。お分かりになりますか。神とは〝これとこれだけに存在します〟というふうに一定の範囲内に限定できるものではないのです。

全宇宙が神の創造物であり、そのすみずみまで神の霊が浸透しているのです。あるものを切り取って、これは神のものではない、などとは言えないのです。日光は神の恵みで、作物を台無しにする嵐は悪魔の仕業だなどとは言えないのです。

神はすべてに宿ります。あなたという存在は思念を受けたり出したりする一個の器官です。が、どんな思念を受け、どんな思念を発するかは、あなたの性格と霊格によって違ってきます。

もしもあなたが、あなたのおっしゃる〝完全な生活〟を送れば、あなたの思念も完全なものばかりでしょう。が、あなたも人の子である以上、あらゆる煩悩をお持ちです。私の言っていることがお分かりですか」


牧師 「おっしゃる通りだと思います。では、そういう煩悩ばかりを抱いている人間が死に際になって自分の非を悟り〝信ぜよ、さらば救われん〟の一句で心に安らぎを覚えるという場合があるのをどう思われますか。キリスト教の〝回心の教義〟をどう思われますか」


 「よくご存じのはずの文句をあなた方の本から引用しましょう。〝たとえ全世界を得ようと己の魂を失わば何の益かあらん〟(マルコ8・36)〝まず神の国とその義を求めよ。

しからばこれらのものすべて汝らのものとならん〟(マタイ6・33)この文句はあなた方はよくご存じですが、はたして理解していらっしゃるでしょうか。

それが真実であること、本当にそうなること、それが神の摂理であることを悟っていらっしゃいますか。〝神を侮(あなど)るべからず。己の蒔きしものは己れが刈り取るべし〟(ガラテア6・7)これもよくご存じでしょう。

 神の摂理は絶対にごまかせません。暴若無人(ぼうじゃくぶじん)の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染み込んだ汚れが、それくらいのことで一度に洗い落とせると思われますか。

無欲と滅私の奉仕的精神を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。〝すみませんでした〟の一言ですべてが赦されるとしたら、はたして神は公正であるといえるでしょうか。いかがですか」

牧師 「私は神はイエス・キリストに一つの心の避難所を設けられたのだと思うのです。イエスはこう言われ・・・ 」

 「お待ちなさい。私はあなたの率直な意見をお聞きしているのです。率直にお答えいただきたい。本に書いておる言葉を引用しないでいただきたい。イエスが何と言ったか私には分っております。私は、あなた自身がどう思うかと聞いているのです」

牧師 「確かにそれでは公正とは言えないと思います。しかしそこにこそ神の偉大なる愛の入る余地があると思うのです」

 「この通りを行かれると人間の法律を運営している建物があります。もしその法律によって生涯を善行に励んできた人間と罪ばかりを犯してきた人間とを平等に扱ったら、あなたはその法律を公正と思われますか」

牧師 「私は、生涯を真っ直ぐな道を歩み、誰をも愛し、正直に生き、死ぬまでキリストを信じた人が・・・私は───」

 ここでシルバーバーチがさえぎって言う。

 「自分が種を蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る。この法則から逃れることは出来ません。神の法則をごまかすことは出来ないのです」

牧師 「では悪の限りを尽くした人間がいま死にかかっているとしたら、その償いをすべきであることを私はどうその人間に説いてやればいいのでしょうか」

 「シルバーバーチがこう言っていたとその人に伝えて下さい。もしもその人が真の人間、つまり幾ばくかでも神の心を宿していると自分で思うのなら、それまでの過ちを正したいという気持ちになれるはずです。自分の犯した過ちの報いから逃れたいという気持ちがどこかにあるとしたら、その人はもはや人間ではない。ただの臆病者だと、そう伝えて下さい」

牧師 「しかし、罪を告白するということは誰にでもはできない勇気ある行為だとは言えないでしょうか」

 「それは正しい方向への第一歩でしかありません。告白したことで罪が拭われるものではありません。その人は善いことをする自由も悪いことをする自由もあったのを、敢えて悪い方を選んだ。自分で選んだのです。ならばその結果に対して責任を取らなくてはいけません。

元に戻す努力をしなくてはいけません。紋切り型の祈りの言葉を述べて心が休まったとしても、それは自分をごまかしているに過ぎません。蒔いた種は自分で刈り取らねばならないのです。それが神の摂理です」

牧師 「しかしイエスは言われました。〝労する者、重荷を背負える者、すべて我れに来たれ。汝らに安らぎを与えん〟 (マタイ11・28)」

 「〝文は殺し霊は生かす〟(コリント後3・6)というのをご存じでしょう。あなた方(聖職者)が聖書の言葉を引用して、これは文字どうりに実行しなければならないのだと言ってみても無駄です。今日あなた方が実行していないことが聖書の中にいくらでもあるからです。私の言っていることがお分かりでしょう」

牧師 「イエスは〝善き羊飼いは羊のために命を捨つるものなり〟(ヨハネ10・11)と言いました。私はつねに〝赦し〟の教を説いています。キリストの赦しを受け入れ、キリストの心が自分を支配していることを暗黙のうちに認める者は、それだけでその人生が大きな愛の施しとなるという意味です」

 「神は人間に理性という神性の一部を植えつけられました。あなた方もぜひその理性を使用していただきたい。大きな過ちを犯し、それを神妙に告白する───それは心の安らぎにはなるかも知れませんが、罪を犯したという事実そのものはいささかも変わりません。

神の理法に照らしてその歪みを正すまでは、罪は相変わらず罪として残っております。いいですか、それが神の摂理なのです。イエスが言ったとおっしゃる言葉を聖書からいくら引用しても、その摂理は絶対に変えることはできないのです。

 前にも言ったことですが、聖書に書かれている言葉を全部イエスが実際に言ったとはかぎらないのです。そのうちの多くはのちの人が書き加えたものなのです。イエスがこうおっしゃったとあなた方が言う時、それは〝そう言ったと思う〟という程度のものでしかありません。

そんないい加減なことをするよりも、あの二千年前のイエスを導いてあれほどの偉大な人物にしたのと同じ霊、同じインスピレーション、同じエネルギーが、二千年後の今の世にも働いていることを知ってほしいのです。

 あなた自身も神の一部なのです。その神の温かき愛、深遠なる叡知、無限なる知識、崇高なる真理がいつもあなたを待ち受けている。なにも、神を求めて二千年前まで遡ることはないのです。今ここに在しますのです。二千年前とまったく同じ神が今ここに在しますのです。その神の真理とエネルギーの通路となるべき人物(霊媒・霊能者)は今も決して多くはありません。

しかし何ゆえにあなた方キリスト者は二千年前のたった一人の霊能者にばかりすがろうとなさるのです。なぜそんな昔のインスピレーションだけを大切になさるのです。なぜイエス一人の言ったことに戻ろうとなさるのです」

牧師 「私は私の心の中にキリストがいて業をなしていると説いています。インスピレーションを得ることは可能だと思います」

 「何ゆえにあなた方は全知全能の神を一個の人間と一冊の書物に閉じ込めようとなさるのです。宇宙の大霊が一個の人間あるいは一冊の書物で全部表現できるとでもお考えですか。私はクリスチャンではありません。

イエスよりずっと前に地上に生を受けました。すると神は私に神の恩恵に浴することを許して下さらなかったということですか。

 神のすべてが一冊の書物の中のわずかなページで表現できるとお思いですか。その一冊が書き終えられた時を最後に神は、それ以上のインスピレーションを子等に授けることをストップされたとお考えですか。聖書の最後の一ページを読み終わった時、神の真理の全てを読み終えたことになるというのでしょうか」

牧師 「そうであってほしくないと思っています。時おり何かに鼓舞されるのを感じることがあります」

 「あなたもいつの日か天に在します父のもとに帰り、今あなたが築きつつある真実のあなたに相応わしい住処に住まわれます。神に仕える者としてのあなたに分かっていただきたいことは、神を一つのワクの中に閉じ込めることはできないということです。神は全ての存在に宿るのです。

悪徳の固まりのような人間も、神か仏かと仰がれるような人と同じように神とつながっているのです。あなた方一人ひとりに神が宿っているのです。あなたがその神の心をわが心とし、心を大きく開いて信者に接すれば、その心を通じて神の力と安らぎとが、あなたの教会を訪れる人々の心に伝わることでしょう」

牧師 「今日まで残っている唯一のカレンダーがキリスト暦(西暦)であるという事実をどう思われますか」

 「誰がそんなことを言ったのでしょうか。ユダヤ人が独自のカレンダーを使用していることをお聞きになったことはないでしょうか。多くの国が今なおその国の宗教の発生と共に出来たカレンダーを使用しております。私は決してイエスを過小評価するつもりはありません。

私は現在のイエスがなさっておられる仕事を知っておりますし、ご自身は神として崇められることを望んでいらっしゃらないこともよく知っております。イエスの生涯の価値は人間が規範とすべきその生き方にあります。イエスという一個の人間を崇拝することをやめないかぎり、キリスト教はインスピレーションにはあまり恵まれないでしょう」

牧師 「キリストの誕生日を西洋歴の始まりと決めたのがいつのことだかよく分っていないのです。ご存じでしょうか」

 「(そんなことよりも)私の話を聞いてください。数日前のことですが、このサークルのメンバーの一人が(イングランドの)北部の町へ行き、大勢の神の子と共に過ごしました。高い地位の人たちではありません。

肉体労働で暮らしている人たちで、仕事が与えられると───大てい道路を掘り起こす仕事ですが───一生けんめい働き、終わると僅かばかりの賃金をもらっている人たちです。その人たちが住んでいるのはいわゆる貧民収容施設です。これはキリスト教文明の恥辱ともいうべき産物です。

 ところが同じ町にあなた方が〝神の館〟と呼ぶ大聖堂があります。高く聳えていますから太陽が照ると周りの家はその影になります。そんなものが無かった時よりも暗くなっています。これで良いと思われますか」

牧師 「私はそのダーラムにいたことがあります」

 「知っております。だからこの話を出したのです」

牧師 「あのような施設で暮らさねばならない人たちのことを気の毒に思います」

 「あのようなことでイエスがおよろこびになると思われますか。一方にはあのような施設、あのような労働を強いられる人々、わずかな賃金しかもらえない人々が存在し、他方にはお金のことには無とん着でいられる人が存在していて、それでもイエスはカレンダーのことなどに関わっていられると思われますか。

 あのような生活を余儀なくさせられている人が大勢いるというのに、大聖堂のための資金のことやカレンダーのことや聖書のことなどにイエスが関わられると思いますか。イエスの名を使用し続け、キリスト教国と名告るこの国にそんな恥ずべき事態の発生を許しているキリスト教というものを、いったいあなた方は何と心得ていらっしゃるのですか。 

 あなたは経典のことで(改訳聖書と欽定訳聖書とどっちがいいかと)質問されましたが、宗教にはそんなことよりもっと大切な、そしてもっと大きな仕事があるはずです。神はその恩寵を全ての子に分け与えたいと望んでおられることが分りませんか。

飢え求めている人がいる生活物質を、世界のどこかでは捨て放題の暮らしをしている人たちがいます。他ならぬキリスト者が同じことをしていて、果たしてキリスト教を語る資格があるでしょうか。

 私はあなたが想像なさる以上にイエスと親密な関係にあります。私は主の目に涙を見たことがあります。キリスト者をもって任ずる者が、聖職に在る者の多くが、その教会の陰で進行している恥ずべき事態に目を瞑っているのをご覧になるからです。

その日の糧すら事欠く神の子が大勢いるというのに、神の館のつもりで建立した教会を宝石やステンドグラスで飾り、その大きさを誇っているのを見て一体だれが涼しい顔をしていられましょう。

 その人たちの多くは一日の糧も満足に買えないほどの僅かな賃金を得るために一日中働き続け、時には夜更かしまでして、しかも気の毒にその疲れた身体を横たえるまともな場所もない有様なのです。あなたを非難しているのではありません。

私はあなたに大きな愛着を覚えております。お役に立つことならどんなことでもしてあげたいと思っております。が、私は霊界の人間です。そしてあなたのように、社会へ足を踏み入れて間違いを改めていくための一石を投じてくれるような人物とこうして語るチャンスが非常に少ないのです。

 あなたに理解していただきたいことは、聖書のテキストのことをうんぬんするよりも、もっと大切なことがあるということです。主よ、主よ、と叫ぶ者がみな敬虔なのではありません。神の意思を実践する者こそ敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているのです。なのに今日なおあなた方は、それが一番大切であることをなぜ信者に説けないのでしょうか。

 戦争、不正行為、飢餓、貧困、失業、こうした現実に知らぬふりをしている限りキリスト教は失敗であり、イエスを模範としていないことになります。

 あなたは(メソジスト教の)総会から抜け出て来られました。過去一年間、メソジスト教会の三派が合同して行事を進めてまいりましたが、せっかく合同しても、そうした神の摂理への汚辱を拭う為に一致協力しない限り、それは無意味です。私は率直に申し上げておきます。誤解を受けては困るからです」

牧師 「数年間に私たちは派閥を超えて慈善事業を行い、その時の収益金を失業者のための救済資金として使用しました。大したことは出来ませんが、信者の数の割にはよくやっていると思われませんか」

 「あなたが心掛けの立派な方であることは私も認めております。そうでなかったら二度もあなたと話をしに戻って来るようなことはしません。あなたが役に立つ人材であることを見て取っております。あなたの教会へ足を運ぶ人の数は確かに知れています。

しかしイエスは社会のすみずみにまで足を運べと言っていないでしょうか。人が来るのを待っているようではいけません。あなた方から足を運ばなければならないのです。

 教会を光明の中心となし、飢えた魂だけでなく飢えた肉体にも糧を与えてあげないといけません。叡知の言葉だけでなくパンと日常の必需品を与えてあげられるようでないといけません。

魂と肉体の両方を養ってあげないといけません。霊を救うと同時に、その霊が働くための身体も救ってあげないといけません。教会がこぞってそのことに努力しなければ、養うものを得られない身体は死んでしまいます」

 そう述べてから最後にその牧師のために祈りを捧げた。

 「あなたがどこにいても、何をされても、常に神の御力と愛が支えとなるように祈ります。常に人のためを思われるあなたの心が神の霊感を受け入れられることを祈ります。

願わくは神があなたにより一層の奉仕への力を吹き込まれ、あなたの仕事の場を光と安らぎと幸せの中心となし、そこへ訪れる人々がそこにこそ神が働いておられることを理解してくれるようになることを祈ります。

 神が常にあなたを祝福し、支え、神の道に勤(いそ)しませ給わんことを。願わくは神の意図と力と計画について、よりいっそう明確なる悟りを得られんことを。
 では神の祝福を。御機嫌よう」

Tuesday, November 25, 2025

シアトルの秋 霊媒の書 第2部 本論

The Mediums' Book
5章 アポーツの原理




……突発的な場合と実験的な場合


特定の霊媒を用意し、レギュラーメンバーの出席のもとに行う心霊実験会で発生する現象とは別に、霊的なことに何の知識も関心もない人の身辺で突如として発生する現象がある。これを突発的心霊現象と呼ぶ。

中でも頻繁に起こり、しかも最も単純なのがラップである。が、これは風とか動物の仕業である場合もあるので、注意が肝要である。耳の錯覚かも知れないと思った時に、その原因を確認するいちばん間違いない方法は、こちらから合図を出すことである。それに応じたラップがしたら、そこに目に見えない知的存在が働いていると見てよいであろう。

すでに述べたように、物理的心霊現象の目的は常識を超えた現象を見せることによって注意を喚起し、人間とは別個の、目に見えない知的存在すなわち霊が実在することを教えることにある。

同時に、そうした現象の発生に直接携わるのは高級霊ではなく、高級霊が低級霊を雇ってやらせているということも述べた。が、そうした現象の役割が終わったあとに、これから解説するような本格的な目的が用意されていて、現象はあくまでもその目的のための準備的手段であり、その役割が終われば現象は生じなくなる。我々の体験から単純な例を挙げてみよう。

私が仲間たちとスピリチュアリズムを研究し始めて間もない頃のことだったが、論文にまとめるために一緒に会合して相談し合うことがよくあった。そんなある日、いきなり我々の周囲でノックをするような叩音がし始めて、実に四時間にもわたって鳴り続けて、やっと終わった。

初めての体験だったが、どう考えても普通の原因によるものではない。と言って、なぜ空中でそんな音がするのかは、その頃の我々にはまだ分からなかったので、翌朝、当時評判のよかった霊能者を訪ねて、昨日の叩音の話をして、その音を出した霊と交信してほしいと依頼した。

するとその霊能者が、

「それはあなたと親しかった霊で、あなたと交信したがっておられますよ」と言う。

「何を伝えたいのでしょうね?」と私が尋ねると、

「あなたからお聞きになってみてはいかがですか。ここに来てますよ」と言う。

そこで私が紙面に質問事項を書くと、その霊能者がトランス状態に入って、自動書記でその霊からのメッセージを綴った。

まず寓意的な名前を綴ってから、我々が書いている論文に重大な間違いがあると述べて、その箇所を指摘し、そこはこのように書き改めるようにと助言し、これからも疑問に思う点があったら、この度のように尋ねるように、と述べてあった。

そういうことがあってから、そのノックするような音は一切聞かれなくなった。なぜか――所期の目的、すなわち我々を驚かせて霊能者のところへ出向かせ、そこで自分の存在を知らせ、その後の定期的な交信関係へと導く目標が達成されたからである。

その後の通信では同じ霊団に属する他の複数の霊からも通信が来るようになり、最初に自動書記通信を送ってきた霊が非常に高い界層の霊で、地上時代も重要な地位にあったことが明かされた。

我々の場合は使命をもった高級霊団の管理下であったから迷惑も危険もなかったが、突発的現象の中には地上時代の恨みつらみを晴らすための場合や、人間を驚かせてうれしがる幼稚な悪ふざけの場合もある。

そうした点について再び聖ルイに尋ねてみた。


――リュ・ダ・ノイヤルで起きたという例の怪現象は、あれは本当にあったことでしょうか。


「実際に起きたことです。想像たくましい人たちによって尾ヒレが付いてはいるが、ある霊が住人の迷惑も考えず面白がってやったことです。」


――あのような現象の場合、その家族の中に誰か原因となっている者がいるのでしょうか。


「あの種の現象には必ず攻撃の的になっている人物がいるものです。その人物に対して邪心を抱く霊によって起こされている。目的はその人物を悩ませ、その家にいたたまれなくすることです。」


――その場合、現象を生じさせるための霊媒的体質をした人物がいるのでしょうか。


「そういう人物がいなければ、あのような現象は起きなかったであろう。仮に邪心を持った霊がいても、霊媒的体質を持つ者がいないかぎりは大人しくしています。が、そういう体質の人間が現れると、やおら行動に移ります。」


――現場にそういう人間がいるということが絶対的条件でしょうか。


「通常はそうです。リュ・ダ・ノイヤルの場合はそうでした。今も述べたように、そういう人間がいなかったらあのような現象は起きなかったであろう。ただ、あの現象に限って述べているのであって、霊媒的体質の人間の存在が必要でないケースもあります。」


――そういう現象を起こす霊が霊性の低い霊であるとなると、そのための材料を提供する者も霊性の低い人間で、騒ぎを起こす霊たちとの間に親和性があるということを意味するのでしょうか。


「それは違う、必ずしもそうではない。あくまでも体質上の問題だからです。ただ言えることは、そういう邪霊に使われるようではいけないということです。霊性が高まるほど、引き寄せる霊も高級となる。そうなれば当然、邪霊は近づけないのが道理です。」


――そうした物理現象を起こすには、霊媒的素質の人間から出るエネルギーのほかに、物的素材が必要とのことですが、それはどこから摂取するのでしょうか。


「大体において現象が発生している場所、あるいはその近辺の物体から摂取されます。霊が放射するエネルギーの作用でその素材が流動エネルギーとなって抜き取られ、空中へ放射されたものを一箇所に集めて使用します。」(J・G・E・ライト著『エクトプラズム』によると、物質化現象に使用する流動体の組成および感触は、その部屋にある織物――カーテン・ジュータン等――に似る傾向があり、極端な場合はその織物の修繕箇所がそのまま現れることがあるという――訳注)


――その種の突発的現象が疑い深い人間を納得させる意図をもって仕組まれることがあるそうですが、それなら当の本人が真っ先にその証拠の前に降参してもよさそうなものです。ところが当人は因果関係が明確でないといって信用しようとしません。霊界側には否定しようのない決定的な証拠は出せないものでしょうか。


「この森羅万象には無限なる大霊の存在と思念の威力を暗示するものが溢れており、人間はそれを刻一刻と目撃しているにもかかわらず、無神論者や唯物論者がいるのはなぜであろうか。イエスが見せた奇跡によってその時代の者すべてが改心したであろうか。造化の驚異を見て人間を超える無限なる知的存在を直観しないような者は、いかに説得力のある現象を見せたところで霊の実在を信じるようにはなりません。

誠実さと真摯さとをもって真理を求める者には、大霊は必ずやその機会をお与えくださいます。人間が少々疑ったからとて大霊の計画の推進には何の支障にもなりません。スピリチュアリズムの発展にとっても何の障害にもなりません。

敵対する勢力の存在には取り合わないことです。絵画に陰影があるように、それが真理をより一層鮮明に引き立たせてくれるのです。」


――リュ・ダ・ノイヤル現象の張本人の霊を呼び出してもよろしいでしょうか。何か参考になることが聞けるでしょうか。


「呼び出したければ呼び出すがよい。ただし地縛霊であるから大して参考になる話は聞き出せないであろうが……」

以下はその霊との一問一答――


霊「なぜオレを呼び出した? お前も石を投げつけられたいのか。そうやって平気な顔をしているが、一目散に逃げ出すぞ。」


「石を投げられても別には怖くはありませんよ。第一、石を投げることがここでできますかね?」


霊「ここではできそうにないな。お前にはガーディアンが付いている。そいつが厳重に見張ってるもんな。」


「リュ・ダ・ノイヤルには、あなたのイタズラに協力した誰かがいたのですか。」


霊「いたとも! オレにとっては大事な道具でな。それに、ここみたいに賢人ぶった道徳の先生みたいなヤツ(聖ルイ)が邪魔することもないしな。オレだって時にはハデに楽しみたくなるんだよ。」


「大事な道具というのは誰のことですか。」


霊「メードの一人さ。」


「そのメードはそうとは気づかずに協力したわけですか。」


霊「そうさ、気の毒だけどな。そのメードが一番怖がってたな。」


「何か恨みでもあったのですか。」


霊「このオレに? オレに恨みなんかあるもんか。お前たちこそ何もかも調べ上げて、それを都合のいいように利用してるじゃないか。」


「どういう意味でしょうかね。おっしゃってることがよく分かりませんが……」


霊「オレはただ面白くてやっただけさ。それをお前たちスピリチュアリストが余計なせっかいをして、オレたちのような霊がいることを暴くことをしているということさ。これでまた証拠が一つ増えたわけだ。」


「恨みなんかないとおっしゃいましたが、アパートの窓という窓をぜんぶ壊したじゃないですか。あなたがやったことですよ。」


霊「あんなの大したことじゃないよ。」


「家の中に放り込んだものはどこから持ってきたのですか。」


霊「特別のものじゃないよ。あの家の庭にあったものもあるし近所の庭から持ってきたものもある。」


「そこにあったものばかりですか。あなたがこしらえたものもありましたか。」


霊「オレは何もこしらえていない。合成したものは何もない。」


「もしあのような物体が庭になかったら、こしらえることができたでしょうか。」


霊「その方が難しかったろうね。が、作ろうと思えばつくれるよ。」


「では、あのような物体を“投げる”というのは、どうやってやるのでしょうか。」


霊「ああ、そのことか! それはちょいと説明が難しいね。あのメードの電気性のエネルギーをオレのエネルギーにつなぐのさ。オレのエネルギーでは濃度が薄いからだよ。すると物体が動かせるんだ」(この答えは聖ルイが指示したことを後で認めている。本人はよく分かっていない――編者注)


「あなた自身のことを少しお聞きしてもいいですか。まず最初にお聞きしたいのは、亡くなられてどのくらいになりますか」


霊「もう長いよ。まるまる五十年だ。」


「地上では何をなさっていましたか。」


霊「あまり自慢できることはしてないな。汚いことばかりやってた。あの辺りで屑拾いをしたり酔っぱらって歩き回ったりして、ずいぶん嫌われて、いじめられもした。だから仕返しにああやって家から追い出してやるんだ。」


「こちらからの質問に対する答えは全てあなた自身が考えたことですか。」


霊「指示を出す人がいたよ。」


「それは誰ですか。」


霊「フランスの王様だったルイだよ。」


「今あなたは何をなさってるのですか。これから先のことを考えたことがありますか。」


霊「ないね。オレは流れ者さ。地上の人間はオレのことなんか構ってくれないし、祈ってもくれない。放ったらかしだからオレも何もする気がしないよ。」(このあとの問答で“祈り”や“話を聞いてやる”ということがいかに大切かが分かる――編者注)


「地上時代の名前は?。」


霊「ジャネット。」


「ではジャネットさん、私たちがあなたのために祈ってあげましょう。こうして呼び出したことがあなたにとって迷惑だったでしょうか、それとも嬉しかったですか。」


霊「ま、嬉しいね。あなた方は心優しい、いい方ばかりだ。ちょっぴり真面目すぎるけどね。でも、話を聞いてくれて、それが私にはとても嬉しい。」

以上は俗にポルターガイスト(騒々しい霊)と呼ばれている現象の張本人である霊を呼び出して、その意図やアポーツのメカニズムについて尋ねたものである。

これと同じ現象が我々の実験会でも突如発生して驚いたことがある。我々の場合は窓を突き破って投げ込まれたのではなく、いつの間にかその実験室に持ち込まれていた。

これにはアポーツの専門の技術者がいて、我々の質問に答えてくれたものを次に紹介するが、さきのジャネットが何のメカニズムも知らずにやっていたのとは違って、技術者らしい説明をしている。

ところが、霊格が一段と高い霊から見るとやはり勘違いしているところがあるらしく、それをエラステスという、かつて聖パウロの弟子だったという霊が補足的に解説を加えている。


――あなた方が物品を持ち込む時は、霊媒がきまってトランス状態にあるのはなぜですか。


「それは霊媒の体質のせいです。この霊媒の場合はトランス状態で持ち込む同じ物体を、別の霊媒の場合は普通の覚醒状態で持ち込むことができます。」


――アポーツが起きる時はひどく待たされるのはなぜですか。また約束の品物を持ち込む際に霊媒の物欲を煽(あお)るようなことを言うのはなぜですか。


「時間が掛かるのは、アポーツに必要な流動エネルギーを何種類か用意しなくてはならないからです。また霊媒の物欲を煽るのは出席者を喜ばせてあげるためです。」


エラステス付記――この霊はこれ以上のことは分かっていない。霊媒の物欲を煽るのは、本人は出席者を喜ばせるためと言っているが、実際はそれが流動エネルギーの放散を促進するからである。本人は本能的にやっていて、その効果には気づいていない。アポーツは多量のエネルギーを必要とするので、自然にそういうことが必要となる。突発的よりも実験会の方がその必要性が大きく、とくに霊媒によって違ってくる。


――アポーツの発生には霊媒の特殊な体質が不可欠なのでしょうか。例えばこの霊媒よりも速やかに、そして容易に発生させる霊媒が他にいるのでしょうか。


「あの現象には霊媒体質の人間が大きく係わっています。いくつかの特質が必要で、しかもそれらが調和が取れていないといけません。現象の発生を速やかにするということに関しては、同じ霊媒を何度も使って一つのパターンをこしらえるということが必要です。」


――出席者による影響のことですが、それが現象の発生を促進したり阻害したりするものでしょうか。


「猜疑心や反抗心を抱いている者がいると阻害されることがよくあります。なるべくなら信じている人やスピリチュアリズムをよく理解している人の方が好ましいです。と言っても、地上の人間の悪意で我々の仕事が完全に阻害されることはありません。」


――今回持ち込んだ花や砂糖菓子はどこから取ってきたのでしょうか。


「花はどこかの庭から取ってきます。気に入ったのを選びます。」


――砂糖菓子の方は? 売店から取ってきたら店の人は減っていることに気づくでしょう?


「ま、適当なところから頂載します。店の人は気づきません。代わりのものを置いておきますから……」


――でも、あの指輪、いくつかありますが、みな高価なものばかりです。どこから持ってきたのですか。持ち主に悪いではないですか。


「誰も知らない所から頂載しますから、私が取ったことで被害をこうむる人はいません。」


エラステス付記――この霊は知識不足のために十分な説明になっていない。物品を頂載することで問題を引き起こしたことは有り得ることで、この霊は“盗み”の咎めを指摘されたくないからあのような言い逃れを述べているだけである。代わりのものを置く以上は形も価値もまったく同じものでなくてはいけない。もしまったく同じものをこしらえて置き代えられるのなら、無理に頂載しなくてもよいわけで、こしらえたものを持ち込めばよいことになる。


――別の天体からでも花を持ってこれますか。


「それはできない。私にはできません。」


編者注――ここでエラステスに「他の霊にはできる者がいますか」と尋ねると大気の条件が違うので不可能であるとのことだった。


――別の半球、例えば熱帯地方からだったら持ってこれますか。


「それはできます。地球上であればどこからでも持ってこれます。」


――今回持ち込んだものを逆に元のところへ持ち帰れますか。


「持ち込んだのと同じように簡単に持ち帰ることができます。どこへでも持って行けます。」


――その操作に苦心する事がありますか。そのために疲労を覚えるとか……。


「許されてやっている時は何ら苦心することはありません。許しを得ずに勝手にやったら、とても疲労を覚えるでしょう。」


エラステス付記――本当は苦心しているのだが、それを認めないだけである。本質的には物質に近いものを操作するのだから大変である。


――難しい点といえばどんなことですか。


「難しいことといえば流動エネルギーが扱いにくい場合です。思うようになりません。」


――物体を運ぶ時はどのようにするのでしょうか。手で持つのですか。


「いえ、我々の身体にくるんでしまいます。」


エラステス付記――説明が十分でない。身体にくるむわけではない。自分から出す流動エネルギーに膨張性と浸透性があり、その一部を霊媒から抜き取った活性化された流動エネルギーの一部と合成して、その中に物体を包み込んで運ぶのである。従って自分自身の中にくるむという表現は正確でない。


――相当に重い物体でもラクラクと運べるのでしょうか――例えば四キロとか五キロのものでも……。


「我々にとって重量は関係ありません。花を持ち込むのは、重々しいものより見た目に気持ちがいいからです。」


エラステス付記――これは彼の言う通りである。十キロのものでも何十キロのものでも同じである。これはあなたたち人間の感覚にとっての重量であって、霊にとっては無重量に等しい。ただ、ここでも彼の説明の仕方に問題がある。合成された流動エネルギーの総量と移動させる物体との間に釣り合いが取れていないといけない。つまり使用するエネルギーが、克服すべき抵抗力と釣り合っていなければならない。このことから推理できるように、花のような軽いものを持ち込むのは、得てして霊媒ないし霊自身にそれ以上の重量のものに必要なエネルギーが見出せない場合である。


――確かここに置いておいたはずのものが失くなっていることがあるのは、霊の仕業である場合も有り得るわけですか。


「よくあることです。あなたたちの想像以上によく起きています。頼めば持ち帰ってくれるかも知れません。」


エラステス付記――その通りであるが、持ち帰る時は持ち出した時と同じ条件を必要とするので、よほど特殊な能力をそなえた霊媒がいないと不可能である。それゆえ何かが行方不明になった時は、霊の仕業であるよりも自分の不注意であると考えた方がよい。


――我々が自然現象と思っているものの中には実際は霊の仕業であるものもあるのでしょうか。


「人間の日常生活はその種の出来事だらけと言ってよいほどです。そのように思えないのは、真剣に考えないからです。じっくり考察すれば本質に気づくはずです。」


エラステス付記――人間の仕業まで霊の仕業にしてしまってはならないが、霊的な影響力が絶え間なく地上に注がれていて、人間の行為、時には生死に係わることまで経綸するための環境づくりや出来事の発生まで関係していることは知っておくべきであろう。


――持ち込まれた物品の中には霊がこしらえたものもあるのではありませんか。


「私の場合はありません。私にはそういうことは許されていません。高級霊のみに許されていることです。」


――先日の実験では幾つかの物品が持ち込まれましたが、実験室は完全に密閉されていたのに、どうやって持ち込んだのですか。


「私と一体となって、つまり私の身体に包み込んで持ち込みました。その辺のメカニズムは要するに“説明不可能”と申し上げるしかありません」


――一瞬見えなくなって次の瞬間に見えるようになったわけですが、どのようにするのですか。


「物体をくるんでいる物質を取り除いたのです。」


エラステス付記――厳密に言うと、くるんでいるのは物質ではなく、霊媒のダブルの一部と担当の霊のダブルの一部とで合成した流動体である。


訳注――このアポーツ、日本語で「物品引寄現象」と呼んでいる現象は、訳者にとっても年来の興味あるテーマである。エラステスも、どうやって壁を貫通させるのかと改めて問われて「とても複雑な問題だ」と答え、「貫通させるということは破壊させることになるので、それはできない」と述べている。

しかし、その答えの部分を英語に訳したブラックウェルも注を設けて、「まだ解明されていないが、多くの実験結果からみると、霊は我々に理解できない方法で物体を貫通させることができるようである」と述べている。どうやら“貫通”という用語の捉え方に食い違いがあるように思える。『ジャック・ウェバーの霊現象』の中でも、いったん高振動の状態に分解して持ち込み、そこで再物質化すると述べている。が、それ以上のことは人間に教えても理解できないとも言っている。

『これが心霊の世界だ』の中にはキャサリン・バーケルという霊媒の支配霊ホワイト・ホークの説明がある。それによると、物品が分解するまで原子の振動速度を高めていき、分解した状態で運び込んでそれを再物質化するという。

このテーマを考える時にいつも頭に浮かぶのはテレビジョンである。これもいったん映像を分解して電波で運んで受像機の中で再生する。次元を異にする霊界では“人間に教えても理解できない”複雑な操作があるようであるが、基本的には“分解と再生”の原理に基づくと考えてよいように思う。

いずれにしても、霊界へ行けば何でも分かるというものではないらしい。いい加減な霊媒のお告げを信じるのが危険であることがよく分かる。

シアトルの秋 シルバーバーチの霊訓(五)

 More Teachings of Silver Birch Edited by A.W. Austen

十章 二人の幼児と語る

    サークルの正式のメンバーではないが、シルバーバーチの〝お友だち〟として毎年クリスマスが近づくと交霊会に招待されて、シルバーバーチと楽しい語らいを持っている子供がいる。ルース(女児)とポール(男児)の二人で、ともに心霊ジャーナリストの P・ミラー氏のお子さんである。

これから紹介するのはそのミラー氏がサイキックニューズ紙に発表したその日の交霊会に関する記事である。


 まずシルバーバーチが次のような祈りの言葉を述べた。
 「神よ、なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡知、あなたの慈悲を知る力を授けたまえ。素朴さと無邪気さの中にあなたに近づき、童子のごとき心をもつ者のみに示される真理を悟らしめ給わんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりなき大自然の栄光の中のみならず、童子の無邪気さの中にも顕現しておられるからでございます」

 そして二人に向かい、あたかも慈父のごとき口調で、目にこそ見えなくてもたびたび二人の家を訪れていることを述べ、さらに、

 「私はあなた達と遊んでいるのですよ。妖精や天使たちといっしょに、そして、とくにあなたたちに霊の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪れているのですよ」
と述べた。

 すると最近になって霊視力が出始めたルースが寝室で見かける〝光〟は何かと尋ねた。ポールもルースといっしょにいる時に同じものを見かけることがある。シルバーバーチはそれが妖精と天使が見せてくれているものであることを説明してからルースに向かって、

 「あの光はその妖精たちが携えてくる〝守護の光〟で、あなたたちを取りまいております」と述べ、今度はポールに向かって、

 「霊の世界には地上で遊ぶチャンスが与えられないうちに連れてこられた子供がそれはそれはたくさんいるのです。そういう子供たちをあなたたちと遊ばせるために連れ戻すことがあります。あなたたちとの遊びを通して、まだ一度も体験したことのないものを得ることができるのです」


 ルースがシルバーバーチにこうして霊界からお話をしに戻って来てくれることにお礼を言うと、シルバーバーチは、

 「いえ、いえ、あなたたちこそ私の話を聞きに来てくれてありがとう。こうしてお話をしに来ることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものを頂いているのです。お二人の心には私の本当の住処である高い境涯の純粋さが反映しております。

その純粋さは地上近くで仕事をしている霊にとって、とても大切なものなのです。それをお二人の心の中に見つけて、いつも慰められております」

ルース 「霊界のお友達に会いに戻られるのは楽しいですか」

 「もちろん楽しいですとも、ルースちゃんがもしお家から遠く離れて暮らし永いことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされた時はうれしくないですか。

私はもうすぐ〝多くの住処〟のある私の本当の〝父の家〟に帰って(※)そこで大勢の私の愛する霊、私を愛してくれてる霊、私にこの使命を授けて下さった霊と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている地上のさらに大勢の人たちのお役に立つための力をいただくためです」

(※ヨハネ14・2 〝わが父の家には住処多し〟───霊界にもさまざまな生活の場があるということ。訳者)

ルース 「私も妖精を見るのが楽しみです」

 「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。何も感じない人が大ぜいいるのですから」

 
 ここで二人が霊媒のびざに座ってシルバーバーチに口づけをさせてほしいと言う。それが終わると今度は霊界について何か楽しいお話をしてほしいと頼んだ。するとシルバーバーチは───

 「霊界にも広い広い動物の王国があることをご存知ですか。そこでは動物のあらゆる種類が───動物も小鳥も───襲ったり恐がったりすることなくいっしょに暮らしております。ライオンが小羊と並んで寝そべっても、ケンカもせずえじきになることもありません。

美しい花園もたくさんあります。そこに咲いている花々はそれぞれの種類に似合った色彩、濃さ、形をしています。地上では見られない色彩がたくさんあります。

また美しい湖、山々、大きな川、小さな川、豪華な羽毛と目の覚めるような色彩をした小鳥がたくさんいます。昆虫も綺麗な種類のものがたくさんおります。地上で見かけるものよりは変異しています。(物質界という)さなぎの段階を通過して、本当の美しい姿を見せているからです」

ポール 「地上でもし小羊がライオンのそばに寝そべったら、まるごと食べられてしまいます」

 「地上のことではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫です」

ルース 「シルバーバーチさんのお家はきれいでしょうね」

 「それはそれは美しくて、とても言葉では言い表せません。絵かきさんが描こうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表そうにも、地上の楽器では出せない音階があります。〝マーセルおじさん〟───シルバーバーチの肖像画を描いた心霊画家のマーセル・ポンサン氏でその日も出席していた───に聞いてごらんなさい。

あの人は絵かきさんです。時おりインスピレーションで見ている霊界の美しさを描く絵の具が無いとおっしゃるはずですよ」


ルース 「寝ている間に霊界へ行ったことを覚えていないのですけど・・・・」

 「大きな精神で体験したことが人体の小さな脳に入りきれないからです」

ポール 「シルバーバーチさんは英語がはっきりと話せるのですね」(ふだんのバーバネルよりもっとゆっくりと、そして一語一語はっきりと発音してしゃべる───訳者)


 「そのことを有がたいと思っています。こうなるまでにずいぶん永い時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのとほぼ同じ位の年数がいりました。このぎこちない地上の言葉をしゃべるようになるために私はずいぶん練習しました。

私の世界ではそんな面倒がいりません。言葉はしゃべらないのです。こちらは思念の世界です。あるがままが知れてしまうのです」

ポール 「ウソをついても知られないようにすることができますか」


 「ウソというのが存在できないのです。神様の摂理(おきて)をごまかすことはできないからです。あるがままの姿が映し出されるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎ取られてしまい、そのままの姿がみんなに見られるのです。でも、それを恐がるのは自分のことしか考えない人たちだけです」

ルース 「いまイエスさまが話そうと思えば霊媒を通じて話すことができますか」

 「いいえ。イエス様は王様が家来の者を使うように私たちを使っていらっしゃいます。私たちはイエス様の使節団なのです。イエス様のお考えを地上の人たちに伝え、地上の人たちの考えをイエス様にお伝えするのです。でも、イエス様の霊はいつも私たちとともにあります。けっして遠くにいらっしゃるのではありません。

前にもお話ししたことがありますが、私がイエス様のところに行く時は───もうすぐ参りますが───ルースとポールという名前の二人の良い子の考えと言葉と愛とをたずさえて参ります。ご存じのようにイエス様は子供が大好きなのです」

 二人がこの言葉の意味を考えている少しの間沈黙が続いた。やがてルースが言った。

ルース 「霊や妖精がいることを信じることができてうれしいです。いつまでも信じていたいと思います」


 「そうですとも、その信仰を忘れてはいけませんよ。人に笑われても気にしてはいけません。こんなすてきな信仰が持てて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人は何も知らないのです」

 こう述べてからシルバーバーチはサークルのメンバーに 「この子は心の中で妖精を見たいという念をしきりに抱いているので、いま見せてあげようとしているところです」と述べ、妖精はバイブレーションが高いので普通の人間の目には見えないけど、いつか皆さんにも(物質化して)お見せできるでしょうと言った。


 ここで私(ミラー)が誰か私の友人が来ていますかと尋ねるとシルバーバーチは、
 「人間というのは面白いですね。よくそういう質問をなさいますが、愛の繋がりのある人はいつもそばにいてくれているのです。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。みなさんは肉体という牢に閉じ込められているからそれに気づかないだけです。

霊の世界には時間もありませんし距離もありません。意識の焦点を合わせさえすればいいのです。私はこれから遠くへ参りますが、あい変らずここにいると言ってもいいのです。この問題はここでは深入りしないでおきましょう。二人の子供が混乱しますから」

ポール 「僕たちはどのようにして物事を思い出すのでしょうか。」

 「一つのことを知ると、それは〝記憶の部屋〟にしまわれます。そしてその知識が必要になると、知りたいという欲求がテコになって(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶がよみがえってきて、使用されるのを待ちます。使用されるとまた記憶の部屋へ戻っていきます。一度学んだことは決して失われません。いったん憶えたことは決して忘れません」

ルース 「じゃ、あたしたちが考えていることが全部そちらから分るのですか」

 「親しい間柄の霊には分ります。人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読み取れます。親しくない人には分かりません。近づけないからです」

ルース 「あたしはシルバーバーチさんが大好きです。どう説明してよいのか分らないくらい好きです」と言って、ポールと一緒に霊媒の顔をじっと見つめた。

 「私だってルースちゃんとポール君が大好きですよ。この気持ちは愛の大中心からくる愛、世界全体を支配している愛、宇宙全体を動かしている愛、全部の生命を優しく抱きしめ、たった一人の子供も、どこにいようと何をしようと、絶対に見放すことのない愛と同じものなのです。

それが、宇宙が始まる前から、そして宇宙が終わった後も、永遠に霊を一つに結びつけるのです。それは永遠に変わることのない神さまの愛であり、愛の神さまです。その愛の心をお二人が出すたびに神さまの心が発揮され、宇宙の創造の仕事が続けられるのを助けることになるのです」

  この対話にサークルの全員が涙を流した。

 続いて話題がシルバーバーチのインディアンとしての地上時代の生活に移った。まず山ふところでの〝水〟に左右された生活の様子を語った。

その生活は素朴で、現代生活にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日が暮れると子供の霊がやって来て、良い子はもう寝る時間ですよと告げてくれたこと、寝入ると霊の世界へ遊びに行ったことなどを話して聞かせた。そして最後にこう述べた。

 「ではもう一つだけお話ししてお別れすることにいたしましょう。私は間もなく地上を離れ、いくつもの界を通過して私の本当の住処のある境涯へ行き、そこで何千年ものあいだ知り合っている人たちとお会いします。地上のために働いている人たちばかりです。しかもたびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへ行って、かつて身に付けた霊力を取り戻してきます。

 そこへ行って私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに私が仰せつかった仕事をちゃんとやり遂げているかどうか、どこまで成功しどこが失敗したか、それを次の機会にやり直すことが出来るかどうかをお聞きします。

それからみんなで揃って大集会に出席して、そこであなたたちがイエスさまと呼んでいる方とお会いします。するとイエスさまは美しさとやさしさと理解と同情にあふれたお言葉を掛けてくださいます。 

そのとき私たちは神さまのマントで包まれます。愛の衣で包まれます。そして神さまの尊い力で身を固めて一人ひとりに授けられた新しい使命に向かって出発します。

お二人のような子供から〝シルバーバーチさんが大好き〟と言われるごとに私は〝ああ良かった〟と思います。なぜなら私たちの仕事は愛を得てはじめて成し遂げられるものであり、愛の反応を見出してはじめて仕事がうまく行っていることを知るからです」

 どうかその天界の光が皆さんの毎日の生活に反映されることを祈ります。神の恵みがいつもみなさんとともにあることを祈ります。ここにおいでのみなさんは今まさに神が託した霊団の保護のもとにいらっしゃいます」

 かくして二人の子供にとってその年で最高の一日が終わった。霊媒が意識を取り戻してふだんのバーバネルに戻り、二人に話りかけると、二人は驚いた様子で見つめていた。そして娘のルースは私に抱きつき、涙を流しながら言った───〝シルバーバーチさんとお友達になれて、あたし、ほんとにしあわせよ〟と。
              

Monday, November 24, 2025

シアトルの秋 霊媒の書 第2部 本論

The Mediums' Book
4章 物理的心霊現象のメカニズム


さて、霊の実在が理論と実際の両面から立証され、また霊が物質界に働きかけることが可能であることも明らかとなったが、続いて確認しなければならない問題として、テーブルなどの、動くはずもない物体がどういう原理で動くのか、霊はどういう手段を用いるのかという点が残っている。

初めの頃は我々は人間の常識的判断で大よそのことを想像していた。ところが霊との交信が始まってその点を質すと、我々の想像は簡単に一蹴された。ということは、霊信は我々の想像力の反映ではないことの証明ともなった。

実験会における現象が霊の有するダブルという半物質体の仕業であること、人間とそっくりの感触のある手が出現して物体を握ったり持ち上げたりするところを観察すると、霊媒は存在しなくてもいいのではないかと思いたくなる。霊媒は物体にまったく触れないのである。

我々の霊団の統括霊である“聖(セント)ルイ”が我々の質問に次のように答えている。(ルイ九世のこと。一二二六年から四十四年間も王位にあって六十六才で他界した名君の一人で、“聖人”に列せられている。この霊がパリの「カルデック協会」の主宰霊であり、霊団の最高指導霊だった――訳注)


――宇宙に遍満する流動性の半物質体というのは宇宙の大霊からの放射物でしょうか。


「違います。」


――やはり大霊による創造物でしょうか。


「大霊を除いて、すべてが創造されたものです。」


――その流動体は普遍的要素でしょうか。


「そうです。すべての存在物の基本的原理です。」


――電気という、我々が反応によってのみその存在を知っている流動体と何か関係がありますか。


「その基本的要素です。」


――その普遍的流動体が我々人間の感覚に訴えるものの中で最も純粋なものはどういう状態でしょうか。


「絶対的純粋性を求めていけば、完全に浄化されつくした最高級の霊にまで行き着かねばなりません。地上においては多かれ少なかれ濃密な物的環境に相応しい形に変質させてあります。その条件下で最も純粋な状態のものを挙げるとすれば、生体磁気でしょう。」


――その普遍的流動体は生命の源であると言われておりますが、知性の源でもあるのでしょうか。


「違います。流動体の働きは物質を活性化するだけです。」


――ダブルを構成している流動体は、地球圏との係わりにおいては、ある程度まで物質性を帯びた凝縮状態で存在しているのではないかと思われますが、いかがでしょうか。


「その通りです。ただし、おっしゃる通り、ある程度までです。流動体には物質の成分のすべてが含まれているわけではないからです。各天体の物質に合わせて凝縮してあります。」


――霊が固体の物体を動かせるのはなぜでしょうか。


「いま述べた流動体の一部に霊媒の身体から抽出した流動体を結合させます。」


――テーブルを持ち上げる場合、そちら側のプロセスによって固体化した手足を使うのでしょうか。


「その質問に対する回答は、残念ながらあなた方が想像なさっているメカニズムの確認とはなりません。あなた方が両手を置いているテーブルが動き始めた時、そのテーブルに働きかけている霊は、テーブルを活性化するための成分を普遍的流動体から抽出し、合成エネルギーをこしらえて、言わば充電のようなことをします。

そうした下準備のあと、担当の霊は意念によって放出した自分の流動体を使ってテーブルを引き寄せ、操ります。エネルギーが不足して思うように動かせない時は、複数の他の霊の援助を求めます。霊性の発達がほぼ同等の霊です。

霊は、その性質上、何らかの媒体がなければ鈍重な物質に働きかけることはできません。霊と物質とを結びつけるための媒体です。それがペリスピリット(ダブル)と呼んでいるもので、それが物理的心霊現象を理解するカギです。」


編者(カルデック)注――冒頭の一文「その質問に対する回答は、残念ながらあなた方が想像なさっているメカニズムの確認とはなりません」に注目していただきたい。この通信霊は我々が想像しているメカニズムをあらかじめ承知していて、我々の質問がそれを引き出すように順序立てられていることも承知していたので、それとは全く異なる回答になることを、あらかじめそういう言い方で予告したわけである。


――他の霊の援助を求めるとおっしゃいましたが、霊格の低い霊ですか――命令下に置かれている……。


「ほとんどが同じ程度の霊と思ってよろしい。そして、自ら援助を申し出ることがよくあります。」


――物理現象はどんな霊にでも起こせるのでしょうか。


「この種の現象を起こすことができるのは、物的影響力から完全に脱し切っていない下層界の霊と思って間違いありません。」


――高級霊が低級な波動の物体に関知しないことは理解できますが、お聞きしたいのは、高級霊でもその気になれば同じような現象が起こせるのかということです。


「高級霊は倫理・道徳に係わる影響力を行使し、低級霊は物理的な影響力を行使します。高級霊が物理的な力を必要とする時は、それを行使できる者を雇います。荷物運搬人を雇う要領で低級霊を雇うということは、すでに述べた通りです。」


――あなたのおっしゃるところによると、普遍的流動体に生命原理が存在し、霊はダブルを構成している半物質的媒体をその流動体から抜き取り、それを手段として物質に働きかける――そういう理解の仕方でよろしいでしょうか。


「それでよろしい。言いかえれば一種の合成エネルギーによって物質に活性を与え、生命原理が動物的身体に宿って生命活動を営むのと同じ要領で、その物体を一時的に生かしめていると理解すればよろしい。

手を置いているテーブルが動き始めた時、そのテーブルを構成している物質は、その間だけは肉体に宿って生きているのと同じように生きているということです。言わば、雇い主である知的存在の言う通りに従います。知的存在(霊)が、人間が手で物を動かすのと同じ要領でテーブルを動かすわけではなく、知的意志の働きかけを受けて、みずから動くのです。

それゆえテーブルが動いた時、それは霊が腕を使って動かしているのではなく、霊が発した指令に従って、一時的に活性化されたテーブルの素材が反応し、自然に動いているのです。」


――そうした現象の発生に霊媒はどのような役割をしているのでしょうか。


「すでに述べたように、霊媒が有する流動エネルギーと普遍的流動エネルギーとが化合する。この二種類の流動体すなわち活性化されたエネルギーと普遍的に存在するエネルギーとの合成は、テーブルに生命を付与する上で必要です。

ただし、忘れてならないのは、テーブルに付与されたエネルギーは一時的なものであることです。それを付与した霊による働きかけが終われば、そのエネルギーは消滅します。また、流動エネルギーの補給が不足して現象を支えられなくなった時は、霊の働きかけが終わらないうちにでも消滅してしまいます。」


――霊は霊媒の流動エネルギーを使用せずに物体に働きかけることができますか。


「霊は、霊媒が自分が使用されていることを意識していなくても、現象を起こすことができます。同じ意味で、列席者の中にも利用されていながら気づかない人が多くいます。

霊は井戸から水を汲み上げるように列席者から活性化された流動エネルギーを抜き出します。霊媒という特殊な存在が必ずしもその場にいなくてもよい場合があるのは、そういう理由からです。特に突発性の現象の時は、当然、霊媒はいません。」


――テーブル自体は自分の働きを自覚しているのでしょうか。つまり思考力がありますか。


「かりに棒切れで知的な合図をした場合、その棒切れに知性があるわけではないのと同じで、テーブルに思考力はありません。一時的に付与された生命力によって、霊による知的な働きかけに従うことができているまでです。動き始めたテーブルが霊に代わるわけではありません。それ自体には思念も意志もありません」


――こうした現象を起こす上で最も大切な要素は何でしょうか。霊でしょうか流動体でしょうか。


「霊は働きかける動因であり、流動体はそのための材料です。どちらも大切です。」


――霊媒の意思はどのような役割をするのでしょうか。


「霊を呼び寄せること、そして霊が流動体に働きかける時に力を貸すこと、この二つです。」


――その霊媒の意思は絶対に不可欠のものでしょうか。


「霊のパワーを増すことになるということで、不可欠というものではありません。霊が意図した動きは霊媒の意思に逆らってでも、あるいは無視してでも、起こすことができます。ということは、霊媒の働きとは別個の、もっと基本的な要因があるということの証明と言えます。」


編者注――物体を動かす上で、手を触れるということは必ずしも必要でない。大ていの場合、最初の衝動を与えるために必要であるが、いったん物体が活性化したら、それ以上触れている必要はない。霊媒のパワーないしは物体そのものの性質によってまちまちである。場合によっては最初の接触も必要でないことすらある。我々の会でも、物理現象が生じることをまったく予想していなかった時に、いきなり物体が浮揚したり移動したりしたことがある。


――人間の誰もが霊媒と同じことができるわけではないこと、また、全ての霊媒のパワーが同じでないのはなぜでしょうか。


「それは全て体質の違い、および霊媒の流動体と普遍的流動体との合成の難易度の違いによります。さらには霊媒の霊性と霊団の霊性との親和性が高い場合と低い場合があります。

時には霊媒の体質の中に適当なエネルギーが見出せないこともあります。生体磁気の強い人と弱い人がいるのと同じで、流動体のパワーが強烈な霊媒と弱い霊媒とがいます。さらには、活性化された流動エネルギーがきわめて融和性に富む霊媒もいれば、意志による努力を必要とする霊媒もいます。

出席者の中にもその合成が本人の気づかないうちに自然に行われていて、自分が霊媒と同じ役目を果たしていることを知らない者もいます。」


編者注――生体磁気が心霊現象の基本要素であることは間違いないが、その働きは一般に想像されているのとは違うようである。と言うのは、強い磁気的体質をした人で小さなテーブルを動かせない人もいるし、反対に磁気的反応を見せない人、たとえば子供などでも、指先をそっと触れるだけで大きなテーブルが動き出すという人もいる。このように霊媒的パワーと磁気力とは必ずしも一致しないところからも、心霊現象には別の要素が加わっていることは明らかである。


――生体磁気の強い人は霊媒的体質の人とみてよいでしょうか。


「そういう体質の人は現象の発生に必要な流動エネルギーを引き寄せることができるので、外的援助なしに現象を起こすことができます。ですから、そういう人はあなた方のいう意味での霊媒ではないにしても、霊がその体質を利用して現象を起こすことは可能です。」


――霊が堅い物体を動かす時、その霊は物体の中にいるのですか、外にいるのですか。


「中にいる時もあれば外にいる時もあります。何度も述べているように、霊にとって物質は何の障害にもなりません。全てを貫通します。霊自身のダブルの一部が、貫通する物体と結びつくのです。」


――霊はどうやって音を出すのですか。何か物的なものを使うのですか。


「腕も使いませんし、いかなる物体も使いません。ハンマーを持ち合わせないことはご存じでしょう。物体を動かすにせよ音を出すにせよ、そのための道具は意念で合成した流動エネルギーです。物体が動いたことは照明があれば分かります。音がした時は空気がその波動を伝えています。」


――堅い物体を叩いたというのなら理解もいきますが、そういうものが存在しない空中から聞こえる――それも明瞭に聞こえるのはなぜでしょうか。


「霊が物質に働きかけることができる以上、テーブルだけでなく空気にも働きかけることができるのは当然です。明確に聞こえるというのは、そういう音をこしらえることができるということです。」


――テーブルを動かすのに手は使わないとおっしゃいますが、物質化現象の実験会で両手が出現して、それがキーボードの上を動きながらキーを叩き、音を出すところを我々は見ています。そうした場合、キーの動きは物質化した指が押さえるからではないのでしょうか。その押さえるという動作は、我々が自分の身体を押さえて感じる、その“押さえ”と同じく直接的で現実的なものではないのでしょうか。


「霊の本質およびその行動様式は人間には理解できません。譬えで説明するしかないのですが、それも、およそ十分とは言えません。というのは、人間はどうしても自分たちの行動様式に当てはめて理解しようとするのですが、それは間違いです。

我々霊は、霊という組織体の特質に合った方法で現象を起こす以外に方法がありません。申し上げた通り、ダブルの流動エネルギーが物体に浸透し、霊的化学反応を起こして、一時的に特殊なエネルギーを合成します。(これをウィリアム・クルックスは“サイキック・フォース”と呼んでいる――訳注)

さて、おっしゃる通り、物質化した指先をキーの上に置きます。その時、指先がキーに触れるのは事実です。ですが、キーを押して音を出した時、それは人間のように筋力を使っているのではありません。さきにテーブルを活性化すると言いましたが、それと同じ要領で、指が触れたことによってキーが活性化されます。するとキーは霊の意念の言う通りに動くのです。指先でキーを叩いているように見えても、メカニズムはまったく違うのです。

さらにもう一つ人間に理解しがたいことを申し上げます。それに携わっている霊は、あなた方が想像しているように自分では地上時代と同じように自分の指でキーを叩いているつもりでいるということです。物理現象に直接携わる霊は波動的には地上圏に属していて、まだ地上的感覚で生活しています。ですから、音楽の素人が音が出る仕組みが分からないままピアノのキーを叩くのと同じで、その霊たちは自分たちが起こしている現象のメカニズムを知らないまま、高級霊の言う通りにしているのです。

ですから、彼らにどうやってピアノを弾いているのかと尋ねたら、指で叩いていると答えるでしょう。初めからそう思って弾いているのですから、地上時代と同じ感覚で……ですが実際は弾こうと思うその意念がキーを動かしているのです。」


――“超自然的”なエネルギーの存在の証拠とされている現象の中には、明らかに自然法則と矛盾しているものがあります。それを疑問視するのも一理あるのではないでしょうか。


「人間が大自然の法則を知り尽くすなどということは到底あり得ないことです。そうやって大自然に限りがあるかに思う自負心が日一日と崩れていきつつあります。それでもなお人間は自惚れを止めません。大霊は絶え間なく神秘のベールを剥いで見せることによって、人間の知識の狭さを思い知らせているのです。そうしないと、いかなる大学者でも、いつかは知識の無限さにうろたえる時がまいります。

引力の法則にしても、その法則に逆らった動きをしているものならば身の周りにいくらでもあります。弾丸がその一例です。一時的には引力なんか物ともしないではないですか。万物の霊長であるかに誇り、それがいかに愚かしい自惚れであるかを毎日のように思い知らされている人間は、宇宙にあっては実にちっぽけな、そして何も知らずにいる哀れな存在であることを、そろそろ自覚しないといけません。」

以上の説明によって我々は次のような重大な知識を確認することになった。すなわち普遍的流動体には生命原理が宿されており、その流動体が心霊現象の主役を演じていること。その流動体が霊の働きかけを受けて、あたかも人間の手で操っているかのように物体を動かしていること。が、同じように見えて、実はメカニズムはまったく異なること。

たとえばテーブルが移動したり空中へ浮揚したりする時、霊が手や腕を使っているかに見えるが実際は霊自身の流動体と霊媒の流動体とで合成した半物質体(エクトプラズム)でテーブルを一時的に活性化し、霊の意思によって操っているということ。

こうした説明を聞いて成るほどと納得がいった現象がある。虚弱そうに見える若い女性がたった二本の指で、ガッチリとした体格の男性を、腰かけているイスごと、まるで羽毛をつまむように軽々と持ち上げるのを何度も目撃している。そのパワーの本当の源は見えざる世界にあったのである。


訳注――私自身が高校生時代に心霊実験に出席して強烈な影響を受けているから断言できることであるが、霊の実在を確信する上で物理的現象は不可欠である。しかも、聖ルイの説明をお読みいただけば分かるように、その現象の裏には宇宙の秘密がまだまだ沢山隠されているようである。

直接携わっている霊は確かに低級かも知れないが、その背後には高級霊が控えていて、その低級霊の知らない原理をこうして説明してくれるのは、それが大切な意味を持っているからにほかならない。

もっとも、だからといって安易に物理実験会を催したり、誘われて出席したりするのは危険である。前章の訳注でも述べたが、スピリチュアリズムは地球浄化の大事業として始められたものであって、そのリーダー的な役割を果たす人はみな、そうした使命を授かり、その背後には高級霊による指導と監視の目があり、直接携わる低級霊も霊性の向上のための修行として、同じ高級霊団の監視のもとに置かれている。面白半分に、あるいは興味本位に行う者にはそうした守護と監視がない。そこに危険性があるのである。

カルデックの時代には原子エネルギーはまだ発見されていなかった。戦争に触発されて急速に発達した物理学は、ついに原子の秘密を発(あば)いた。電子顕微鏡でも正体がつかめないほどの極微の原子核に、地球をも破壊してしまうほどの莫大なエネルギーが潜在していることを人類は知ってしまった。

シルバーバーチは百年早すぎたと言っている。つまり霊性の進化が伴っていないということで、それが悲劇を生んでいきつつある。が、それすら大霊は人間の自由意志の産物として許している。これから先どういう秘密が発かれていくか想像すらつかない。

シアトルの秋 シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch Edited by A.W. Austen 

九章 神は愛の中にも憎しみの中にも


    シルバーバーチの説く神の概念はスピリチュアリストにとっても当惑させるものを含んでいる。常識的な愛と善のみの神の概念から、善も悪も、愛も憎しみも超越した〝法則〟としての存在を説くからである。その真意を次の問答から理解していただきたい。(同じ編者による Teachings of Silver Birch からの抜粋と組み合わせて構成した───訳者)


───神とは何でしょうか。あるいは何者でしょうか。それは愛───すべての者に宿る愛の精神、ないしは感覚でしょうか。

「神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。神は宇宙のすみずみまで行きわたっております。人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。まだ知られていない、より大きな宇宙にも瀰漫しております。

  神は全生命に宿っております。全存在の内部に宿っております。全法則に宿っております。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。僕にすぎないわれわれがどうして主人(あるじ)を知ることを得ましょうか。ちっぽけな概念しか抱けないわれわれにどうして測り知れない大きさを持つ存在が描写できましょう」


───神はすずめ一羽が落ちるのもご存知であると教わっています。ですが世界の莫大な人口、いわんやすでに他界した幾百億と知れぬ人間の一人ひとりに起きることを細大もらさず知ることがどうして可能なのでしょうか。

  「神と呼ばれているところのものは宇宙の法則です。それはすべての存在に宿っております。すべての存在が神なのです。各自の魂が自分を知っているということは神がその魂を知っているということです。すずめが神であるということは神がすずめを知っているということです。

神が風に揺れる木の葉に宿っているということは、その木の葉が神であるということです。あなた方の世界と私たちの世界、まだ人間に知られていない世界を含めた全宇宙が神の法則の絶対的支配下にあります。その法則を超えたことは何一つ起きません。すべてが自然法則すなわち神の範囲内で起きているのですから、すべてが知れるのです」


───あなたは神がすべてに宿る───全存在の根源であるから愛にも憎しみにも、叡智にも不徳にも神が宿るとおっしゃいます。そうなると、過ちを犯す者も正しいことをする人間と同じように神の法則の中で行っていることになります。

愛と平和を説く者と同じく、憎悪と戦争を説く者も神の法則の中で行動していることになります。すべてが神の法則の一部である以上、その法則に違反する者もいないことになってしまいますが、この矛盾をどう説明されますか。

 「完全が存在する一方には不完全も存在します。が、その不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生れるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。

 生きるということは進化することです。前に向かって進むことであり、上へ向かって努力することであり、発達であり開発であり発展であり進展です。あなた方のおっしゃる善も悪もその進化の行程における途中の階梯に過ぎません。終りではありません。

あなた方は不完全な理解力でもって判断しておられます。その時点においては善であり、その時点においては悪だと言っているに過ぎません。それはあなただけに当てはまる考えです。あなたと何の係わりもなければ、また別の判断をなさいます。とにかく神は全存在に宿っております」


───では神は地震にも責任を負うわけですか。

 「神は法則です。万物を支配する法則です。法則が万物を支配しているのです。宇宙のどこにもその法則の支配を受けないものは存在しません。

 地震、嵐、稲妻───こうしたものの存在が地上の人間の頭脳を悩ませていることは私も承知しております。しかしそれらもみな宇宙の現象の一部です。天体そのものも進化しているのです。この天体上で生を営んでいる生命が進化しているのと同じです。

物質の世界は完全からはほど遠い存在です。そしてその完全はいつまでも達成されることはありません。より高く、あくまでも高く進化していくものだからです」


───ということは神も進化しているということでしょうか。

 「そうではありません。神は法則でありその法則は完璧です。しかし物質の世界に顕現している部分は、その顕現の仕方が進化の法則の支配を受けます。忘れてならないのは地球も進化しているということです。地震もかみなりも進化のしるしです。地球は火焔と嵐の中で誕生し、今なお完成へ向けて徐々に進化している最中です。

 日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、嵐や稲妻や雷鳴や大雨は神のものではないなどと言うことは許されません。すべては神の法則によって営まれていることです。

 それと同じ寸法であなた方は、神が存在するならばなぜ他人に害を及ぼすような邪悪な人間がいるのかとおっしゃいます。

 しかし人間各個に自由意志が与えられており、魂の進化とともにその活用方法を身につけてまいります。霊的に向上しただけ、それだけの多くの自由意志が行使できるようになります。あなたの現在の霊格があなたの限界ということです。

しかし、あなたも神の分霊である以上、人生のあらゆる困難、あらゆる障害を克服していくことができます。霊は物質に優ります。霊が王様で物質は召使です。霊がすべてに君臨しております。全生命のエッセンスです。つまり霊は生命であり、生命は霊なのです」


───神という存在はその神がこしらえた宇宙とは別個に存在するのでしょうか。

 「いえ、宇宙は神の反映です。神がすなわち宇宙組織となって顕現しているのです。蠅に世の中のことが分るでしょうか。魚が鳥の生活を理解できるでしょうか。犬が人間のような理性的思考ができるでしょうか。星が虚空(こくう)を理解できるでしょうか。すべての存在を超えた神をあなた方人間が理解できないのは理の当然です。

 しかしあなた方は魂を開発することによって、ひとことも語らずとも、魂の静寂の中にあってその神と直接の交わりを持つことができるのです。その時は神とあなたとが一つであることを悟られます。それは言葉では言い表せない体験です。あなたの、そして宇宙の全ての魂の静寂の中においてのみ味わえるものです」


───霊が意識を持つ個的存在となるためには物質の世界との接触が必要なのでしょうか。

 「そうです。意識を獲得するためには物的身体に宿って誕生し、物的体験を得なければなりません。物 matter から霊 spirit へと進化していくのです。つまり物的身体との結合によって、物的個性を通して自我を表現することが可能となります。霊は物に宿ることによって自我を意識するようになるのです」

(訳者注───質問者は地上の物質を念頭に置いて the world of matter と言っているが、シルバーバーチは spirit との対照におけるmatter の観点から答えていることに注意する必要がある。死後の世界でまとう身体もその一種であり、その精妙化が進むにつれて霊性が発揮されやすくなる。

それを進化というのであり、その究極がイムペレーターのいう〝静の世界〟、インド哲学でいうニルバーナ、いわゆる涅槃の境涯である。

ただ従来はそれが飛躍的に、ないしは短絡的に捉えられており、悟りを開いた人は死後すぐその境涯へ行くかに考えられてきたが、イムペレーターによるとそこに至るのに何百億年かかるか想像もつかないと述べている。

いずれにせよ、そこに至るまでは〝物の世界〟にいるのであり、地上と同じく主観と客観の世界にいるのである。その中でも地上の物質界が最も鈍重というまでのことである)
 


───となると神はわれわれを通じて体験を得ているということでしょうか。

 「そうではありません。あなた方の進化がすでに完全であるものに影響を及ぼすことはありません。」

───でもわれわれは神を構成する分子です。部分の進化は全体に影響を及ぼすのではないでしょうか。

 「それはあなた方を通じて顕現されている部分に影響を及ぼすだけです。それ自体も本来は完全です。が、あなた方一人ひとりを通じての顕現の仕方が完全ではないということです。霊それ自体はもともと完全です。宇宙を構成している根源的素材です。生命の息吹です。

それがあなた方を通じて顕現しようとしているのですが、あなた方が不完全であるために顕現の仕方も不完全なのです。あなた方が進化するにつれて完全性がより多く顕現されてまいります。あなた方が霊という別個の存在を進化させているのではありません。

あなた方自身であるところの霊が顕現する身体(※)を発達させているのです」(※bodies と複数になっていることからも、さきの訳者注で述べたこと、つまりシルバーバーチが〝物〟を地上だけにかぎって考えていないことが窺える。幽体も霊体もシルバーバーチに言わせると〝物的身体〟なのである───訳者) 


───霊が自我を表現する身体にもさまざまな種類があるということでしょうか。

 「そういうことです。法則は完全です。しかしあなた方は不完全であり、従って完全な法則があなたを通して働けないから、あなたを通して顕現している法則が完全でないということになります。あなたが完全へ近づけば近づくほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現することになります。

 こう考えてみて下さい。光と鏡があって、鏡が光を反射している、鏡がお粗末なものであれば光のすべてを反射させることができない。その鏡を磨いてより立派なものにすれば、より多くの光を反射するようになります。

 要するに、すべての存在がより一層の顕現を求めて絶え間なく努力しているのです。前に私は、原石を砕きながらコツコツと宝石を磨いているのが人生だと申し上げたつもりです。原石は要らない、宝石だけくれ、というムシのいい話は許されません」


───でも各自にとって良いもの悪いものの概念があるのではないでしょうか。

 「それはその時点での話に過ぎません。進化の途上において到達した一つの段階を表現しているだけです。魂がさらに向上すればその概念を捨ててしまいます。不完全な道具を通して完全な法則が顕現しようとして生じた不完全な考えであったわけです。すべてが大切だと申し上げるのはそこに理由があります」


───それでは神は原初においては善ではなかったということになるのでしょうか。

 「私は原初のことは何も知りません。終末についても何も知りません。知っているのは神は常に存在し、これからも常に存在し続けるということだけです。神の法則は完璧に機能しております。つまり今の譬え話で申し上げた通り、あなたは完全な光をお持ちです。

ですが、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。それを、光が不完全だ、光が悪だとは言えないでしょう。

まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。地上で〝悪〟と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している〝不完全さ〟を意味するに過ぎません」


───創造力を持つ存在は神と呼ぶ唯一の存在のみで、われわれには何一つ創造する力はないと考えてよいでしょうか。

 「神は無窮の過去から存在し未来永劫(えいごう)に存在し続けます。全生命が神であり、神は全生命です。ならば、あなた方に何が創造し得ましょう。しかし魂が進化すれば進化するほど宇宙をより美しくし、完成させていくことができます。

進化の程度が未熟であるほど宇宙における位置が低いということになります」(訳者注───〝宇宙をより美しく完成させていくことが出来る〟ということは神の創造の大業に参加できるということである。

『霊訓』 にも 『ベールの彼方の生活』 にもその趣旨のことが述べられているが、マイヤースは 『個人的存在の彼方』 の中でこれを〝創造されたものが創造する側にまわる。そこに生命と宿命の秘密が存在する〟と表現している)


───愛の神が人間の最低の感情の一つである憎しみの中にも存在するということが理解できないのですが・・・・・・

 「それは今だに神というものを人間的存在と考える概念から抜け切っていないからです。神とは法則なのです。法則がすべてのものを維持し保持し顕現させているのです。神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。

晴天だけでなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけでなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。

太古の人間は神というものを自分たちの考える善性の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの想像する神のせいにしたくないものを感じ取ったのと同じです。

 神は法則なのです。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在出来ません。これは私が繰り返し説いていることです。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。

愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できる性質は憎しみを表現する時に使用する性質と同じものなのです。人生は常に比較対照の中で営まれています。

 たとえば、もしも日向にばかりいたら日光の有難さは分らないでしょう。時には曇りの日があるから太陽の有難さが分るのです。人生も同じです。苦しみを味わえばこそ幸せの味が分るのです。

病気になってみて初めて健康の有難さが分かるのです。病気にさせるものがあなたを健康にもするのです。愛させるものが憎ませもするのです。すべては神の法則の中で表現されていきます。それが人生のあらゆる側面を支配しているのです」

 ここで別のメンバーが、たとえば悪を憎むためには当人が憎しみという要素を持っていることが必要となるのではないか、われわれは憎むということを学ぶべきだということにならないかといった趣旨のことを述べた。すると───

 「私はそのような考え方はしません。私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないという考え方をとります。あなたが悪い奴らと思っている人間は未熟な人間ということです。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。
 
 自分から〝悪人になってやろう〟〝利己主義者になってやろう〟と思って悪人や利己主義者になる人間はめったにいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。

目に見え手に触れるものだけがすべてだと考え、従って物的世界が提供するものをすべて所有することによってしか自分の存在を主張できない人間なのです。

利己主義とは、利他主義が方角を間違えたにすぎません。善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。
   
 神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件つきの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全智、全能、不可変、不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。

 神を、右手にナザレのイエスを従えて玉座に坐している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体───雄大な千変万化の諸相の一つひとつに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則のことです」


 この問答がサイキックニューズ紙に掲載されるとすぐに反響があった。(交霊会はいつも週末に催され、その記事はすぐに翌週に掲載された───訳者)

 読者からの批判的な手紙が読み上げられるのを聞き終わったシルバーバーチはこう答えた。

 「困りました。そうした方たちは永いあいだ神とは善なるものにのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された立派な人間であるかに想像し、人間から見て良くないもの、親切とはいえないもの、賢明でないものは所有してほしくないというにすぎません。

しかし神は人間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。

そこのところが理解できない人にとってはいろいろと疑問が生じるでしょうけど、成長と共に理解力も芽生えてきます。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰がこしらえたかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます」


───悪魔はキリスト教が生み出したのでしょう?

 「そうです。自分たちからみて悪と思えるものを何とか片付けるためにはそういうものを発明しなければならなかったのです。悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長───絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。

人間にとって悪に思え苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告がないことになります。暗闇がなければ光もありません。悪がなければ善もありません。

地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう」


───いつの世にもその時点での人類の進化の段階からみて不正と思えるものが存在するということでしょうか。

 「そういうことです。進化の階段を登れば登るほど、改めるべきものを意識するようになるものだからです。私が進化は永遠ですと言い、宇宙には始まりも終りもありませんと申し上げるのはそのためです。向上の道に終点はありません。無限に続くのです。

それぞれの段階がそれまでの低い段階への勝利の指標にすぎません。が、低いものがなければ高いものもあり得ないことになります。人生は一本調子(モノトーン)ではありません。

光と蔭、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。闘争を通して、奮闘を通して、逆境の克服を通してはじめて、神性を宿した人間の霊が芽を出し、潜在するさまざまな可能性が発揮されるのです。

そういう摂理になっているのです。私がそう定めたのではありません。私はただそれを自ら身に修める努力をしてきて、今それを皆さんにお教えしているだけです。

 人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。

そうしたものはすべて視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。

なぜならば、世の中が不変にして不可変、全知全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。

 だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だからこそ何一つ見逃されることがないのです。いかに些細なことでも、いかに巨大なことでも。すべてが法則のワク内に収められているからです。

すべてが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。

人間に与えられている自由意志が混乱を引き起こし、法則の働きを正しく見えなくすることはあっても、法則は厳然と存在しますし、また機能してもらわなくては困ります。私はキリスト教の神学は人類にとって大きな呪いであったと思っています。しかし、その呪われた時代も事実上終わりました」

Sunday, November 23, 2025

シアトルの秋 シルバーバーチの霊訓(五)

 More Teachings of Silver Birch Edited by A.W. Austen

八章 病気は自分で治せる




 サークルのメンバーの一人で心霊治療家を目指している人が自分の病気を話題に出した。するとシルバーバーチは言下に───

 「その病気を追い出してしまいなさい。自分は絶対に病気にはならないのだと自分に言い聞かせるのです〝医者よ、汝みずからを癒せよ〟───この古い言葉をご存じでしょう」(ルカ4・23)


───そのことを考えたことはあります。やはり病気は自分で治せるのでしょうか。

 「治せるだけでなく、げんに治しております。魂の優位を主張し、肉体という下等なものによって束縛され抑えられることを拒否することによって病気を追い払うのです。身体を従者にするのです。主人にしてはなりません。誰にでも出来ることです。ですが、大部分の人間は頭から出来ないものと思い込んでいます。だから出来ないのです。

 肉体は精神の従僕です。精神は肉体に隷属しているのではありません。肉体は束の間の存在であり精神は永遠の存在です。肉体はいずれ朽ち果てます。精神が宿っている間だけ現在の形態を維持している一時的な存在です。それがその人ではありません。その人の表現体であり、道具であり、地上で認識してもらうための手段です。

その肉体が精神によって歩きまわることを教わり、筋肉を動かすことを教わり、血液を循環させることを教わり、心臓を鼓動させることを教わり、内臓の全ての機能を働かせることを教わったごとくに、こんどはその(リズムを狂わせている)機能に本来のリズムを取り戻させることによって病気や疾患や異常を無くしてしまうことができるはずなのです」


───ということは誰でも自分で健康を回復できるということでしょうか。

 「まさにその通りです。ただしそのためには〝自分は神である。無限の創造活動の一部を担う存在である。全生命への責任を担う霊的存在である。本来は完全なる霊なのだ〟と宣言できる段階まで悟りができなくてはなりません」

 ここで別のメンバーがその教えはクリスチャン・サイエンス(※)と同じであることを指摘した。

(※信仰治療または信念によって自らを治すことを主義とした新興宗教の一派で、メアリ・エディという女性霊媒者によって創設された。が、この後でシルバーバーチも指摘するように肉体は無いと思えと説いたところに間違いがあり、それを死後 『霊界からのエディの告白』 と題する懺悔の通信の中で認めている。


霊感の鋭い人で霊的事実についての理解はあったが、豪華な教会を建ててやろうという野心が自分を過らせたと告白している───訳者)


 「私はいわゆるクリスチャン・サイエンスが説く真理を全面的に否定はしません。かなりの程度まで正しい教えを説いておりますが、その多くが脇道へ外れてしまいました。物質の存在を否定するに至ったところに問題があります。

私は物質は実在するがあくまで精神の支配下にあると説いております。あなたは無限の可能性を具えた存在です。その肉体があなたではありません。

その肉体を使用している霊なのです。つまりあなたは肉体を具えた霊であって、霊を宿した肉体ではないということです。肉体は現在の形体をせいぜい五十年、六十年、あるいは七十年、もしかして百年のあいだ維持しながら次第に朽ちていき、やがて元のチリに帰ります。しかし霊はそういう経過はたどりません。不滅の素材で出来ているからです」 


───私たちのすべてが治病能力を具えているのになぜ心霊治療家の存在が必要なのでしょうか。

 「神の摂理を知らない人が多すぎるからです。みんなそんな摂理なんかあるわけがないと思い込み、健康を回復する法則を実践できる段階まで意識を高めることが出来ないと決めてかかっているからです。神の摂理に従って生きれば病気も異常も生じません。

肉体に異常が生じるのは摂理に反した生き方をしているからです。(霊と精神と肉体の)調和が乱れると病気になり、自分自身の努力、または霊界からの治療エネルギーによって調和を取り戻すまでその状態が続きます」


───自分で治した場合でも霊界からの援助を受けているのでしょうか。

 「そういう場合もあり、そうでない場合もあります。というのは、人間は常に何らかの思念、観念、エネルギーといった影響力をまわりから受けているからです。しかし同時にあなた方も霊であり、生命の大霊の一部であり、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出して我がものとし、ふだんより大きな力を発揮できるのです。

人類が今の段階ですでに進化の頂上に到達したと思われますか。現在の文明の状態を見れば、まだまだ人類には成長と進化の余地があることが明白ではないでしょうか。

 あなた方も神性を宿しておられるのです。ほんの小さな火花にすぎませんが、人間の一人ひとりに宿されているのです。その火花を煽(あお)いで大きな炎とするか、それとも手入れを怠って消えてしまいそうにするか、それは各自の自由意志によってみずからが決めていくことです。誰も代わって決めることは出来ないからです。

各自が自分の運命の裁決者なのです。自分の未来を自分で形成していくのです。神性を発揮するか否かはあなた方自身が選択することです。代わって選択してあげようにも出来ないのです。向上進化は自分が自覚しない限り、側から促進してあげることはできません」


───各自に神が宿っているのであれば、自然に発揮されてくるのではないでしょうか。

 「夏の盛りの大自然の美事な景観をご覧になれば、その背後にそれだけのものを発揮する種子が宿されていたはずだとは思われませんか。例えばバラのあの可憐な花びらと芳しい香りもみな一個の小さな種子の中に宿されていたのであり、それがまずつぼみの形で顕現されます。

バラの美しさのすべてがそこに宿されているのですが、それはつぼみが開かないことには発揮されません。あなた方の魂には神が宿っております。そのつながりは永遠であり、決して断絶はありません。しかし、その神の属性をどれだけ発揮するかは各自が決めることです」

 心霊治療はどういうメカニズムで病気を治すのか、治療家と患者との間にどういう関係が生じるのかを問われて───

 「賦活性を持った放射線が注入されるのです。病気に応じて種類が異なります。どういうものかと言われても、地上にはそれに類するものが見当たりませんので説明できません。たとえばX線、無線、磁気、電気といったものもあくまで〝用語〟であって、本質を伝えてはいません。

要するにこちらの世界には病気を癒す力を持った放射線、エネルギー───どう呼ばれても結構です───が存在し、それを使用するのです。賦活性をもった生命力の一種で、それを人類のために使用できるまでに進化した霊が駆使しているのです。

 霊的啓示を授ける者が叡知の泉から汲み上げるように、心霊治療家は健康の泉から治癒力を汲み上げることができます。同じく、必要な物的証拠を提供する霊は、地上でまだ知られていない何種類かの気体を使用しています。すべての生命が刻一刻と進化していることを認識して下さい。

学問は墓場で終わるのではありません。開発は死とともにストップするのではありません。霊魂は叡知を蓄積しつつ、どこまでも前進し続けます」


 別の日の交霊会で治療を妨げる最大の障害物は患者の不安と取り越し苦労であることをシルバーバーチが指摘すると、メンバーの一人がすかさず質問した。


───心配するのもやむを得ないこともあるのではないでしょうか。それとも、心配することは絶対にいけませんか。

 「いいとかいけないとかの問題ではありません。その念が連絡の通路を塞いでしまうのです。治療エネルギーの流れを妨げ、近づけなくしてしまうのです。心配の念を抱くとそれが大気に響いて、その人のまわりにわれわれの進入を妨げる雰囲気をこしらえてしまいます。

冷静で受容的雰囲気でいてくれれば容易に接近できます。確信を抱いている時、完全な信頼心を抱いてくれている時は接触が容易です。信念が完全に近づけば近づくほど、自信が深まれば深まるほど、それだけわれわれとの接触が緊密になります」

 この心霊治療を医事法違反として規制する法案が英国議会に提出されたときシルバーバーチは、たとえ全議員がそれに賛成しても、たとえ権力者のすべてが支持しても、たとえ教会のすべてがこぞって同意しても、心霊治療を地上から撲滅してしまうことは出来ないと述べてから、こう続けた。


 「神の業であるからには心霊治療はそうしたものを乗り越えて存在しますし、また存続させねばなりません。私たちが啓示している自然法則は人間の法律によって成立するものではありませんし、その普及が妨げられるものでもありません。私どもは誤まることを避け難い人間がこしらえた法律にはまったく関心がありません。

神の法則、不変、不易にして不可変、全知全能の摂理、無始の過去より存在し無窮の未来まで存続しつづける摂理を説いているのです。人間がわれわれのこと並びにわれわれの説く真理のことにどうケチを付けようと一向に構いません。

 かつて地上世界の改革に努力した人々、理想に燃えて同胞のために献身した人々は、人類の最先端を歩んでいたために、進化の階梯において一歩先んじていたために、侮(あなど)りと蔑(さげす)みと嘲(あざけ)りを耐え忍ばねばなりませんでした。

そして使命を終えてこちらへ来ると、後世の人間は彼らのことを人類の模範として崇拝し、そうしながら一方では同時代の超能力者をはりつけにして葬りました。真理というものは確立されるまでには数々の闘いに打ち勝たねばならないものなのです。


 恐れてはなりません。われわれのすべてに存在を与えてくれている力、地上のために私たちを地上へ派遣してくださっている力、あなた方にみずから体現させてあげたいと私たちが望んでいるところの力は、宇宙の全生命を創造した力と同じものなのです。それはあなた方の方から見捨てない限りあなた方を見捨てることはありません。

 地球はこれからもずっと地軸を中心に回転し続けます。太陽はこれからもずっと輝き続けます。すべての天体が定められたコースを運行し続けます。潮は満ち引きを繰り返し、春の後には夏が、夏の後には秋が、秋のあとには冬がめぐってきます。

それはその背後で支える力が無限であり誤まることが無いからです。これだけの大自然の見事なスペクタクル(壮観・美観)を目の前にしながらあなた方は、それと同じ霊力が地上世界のことでしくじりを犯すことがあり得ると思われますか。

 その霊力を顕現させる道具が存在するかぎり、人のために役立ちたいと願う男性あるいは女性がいて下さるかぎり、私たちは病気に苦しむ人を癒し、生命が墓地の向こうにも存在することを証明し、永遠の霊的実在の証(あかし)を提供し続けます。

そうすることが物質万能主義を永遠に駆逐し、霊の働きかけの実在を曖昧なものにしてきた教条主義の暗闇を排除し、奉仕を基調とする真の宗教を確立することになるからです」

 では、そもそも病気とは何であろうか。シルバーバーチはこれを霊と精神と肉体の三位一体の協調関係が崩れた状態であるという。ではそれを崩す原因は何であろうか。純粋な精神的原因、純粋な霊的原因というものがあるのであろうか。

前生との関係は? 病気というものが人生に於ける最大の苦痛の原因であるだけに、心霊治療の問題は人生そのものの問題であるともいえる。その解答を次の問答から読み取っていただきたい。まずシルバーバーチがこう述べた。

 「物的身体と霊的身体との間に相関関係があり、両者は絶え間なく反応し合っております。物的身体は霊的身体にその存在自体を依存しており、霊的身体は物的身体にその表現を依存しております。物的身体を通して獲得する経験が霊的身体の成長を決定づけていきます」

───肉体は幽体を原型としているのですか。

 「そうです」

───となると病気になった場合は幽体を治療すべきなのでしょうか。

 「必ずしもそうではありません。病気の原因がどこにあるかによります。純粋に霊体から来ているものであれば霊体を治療することによって治せます。が、原因が純粋に肉体的なものであれば、霊的方法よりは物的方法の方が効果があります。

 ご承知の通り、あなたは今の時点でも霊魂です。ただ、こうして霊的身体と同時に物的身体を通して表現している間は、物的世界のことは物的身体を通して感得しております。そして、物的世界に生じたことは物的身体に影響を及ぼすと同時に霊的身体にも影響を及ぼします。

 同時に、霊的身体へ影響を及ぼすものはことごとく物的身体へも影響を及ぼします。かくして、両者の間の作用と反作用が絶え間なく行われております。物的、精神的、霊的の三つの影響力の間に絶え間ない相互関係が営まれております」

(訳者注───精神は霊が肉体を操作するためのコントロールルームのような存在で、霊にとっては実質があり実感がある)


───伝染病は純粋に物的原因によるのでしょうか。

 「必ずしもそうではありません。実際は肉体に原因があるのではなくて霊に原因がある病気も数多くあります」

───それはどんな原因があるのでしょうか。

 「利己主義、強欲、金銭欲。イエスが、治療した患者に〝汝の罪は赦されたり〟と述べた話はご存じでしょう。病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類があることを知らねばなりません。どちらの場合でも同じ方法で治すことも不可能ではありませんが、物的な治療法の方が効果が大きい病気があります。

病気の影響が霊的身体にまで及んでいる場合があり、あるいは霊的身体にそもそもの原因がある場合もありますが、霊的身体そのものが病気になることはありません。物的身体との相互関係の異常に過ぎません。その異常がバイブレーションを乱し、物的身体との関係を乱し、それが病気となって現われます。

 怒りが脾臓を傷めることがあります。嫉妬心が肝臓を傷めることがあります。そうした悪感情が異常の原因となり、バランスが崩れ、調和が乱れます。病気が進行してバランスが完全に崩れてしまうと霊的身体が脱出のやむなきに至ります。それが死です」


───腕を失った場合、それは幽体の腕にどんな影響を及ぼしますか。

 「幽体の腕に影響が及ぶような事態は決して起きません。両者の相互関係の欠如という事態にはなります。が、幽体の腕は肉体に宿っている間は働こうにも働けません。それはともかくとして、私たちの口から〝この病気は治りません〟という言葉をお聞きになったことはないでしょう。治る望みは必ずあります。ただ、そのためにいろいろと考慮しなければならない要素があるということです。

 人間には物的身体と霊的身体とがあり、両者は生命の紐、言うなれば命綱で結ばれております。病気、異状、あるいは年齢といったものが物的身体に忍び寄るにつれて両者の相互関係が次第に緊密度を失ってまいります。そうした中で物的世界からの離脱の準備が進行しているわけです。

病気には物的、精神的、霊的の三つの原因があります。骨折も霊的に治すことが出来ないことはありませんが、物理的な手当の方が簡単でしょう」


───遺伝子疾患と神の公正とをどう結び付けられますか。

 「地上へ生を享ける時は因果律によってその霊が当然宿るべき身体に宿ります。前世で身に付けたものを携えて現世をスタートいたします。前世を終えた時点でふさわしいものを携えて再生するのです。遺伝的疾患も少しも不公平ではありません。(前世に照らして)これからの進化にとって必要なものを成就するのにふさわしい身体を与えられるのです」


───心霊治療によって治る人と治らない人がいます。患者と魂の進化という観点から見て種類が異なるのでしょうか。

 「そうではありません。誰であろうと霊界へ旅立つべき時がくれば、いかなる治療家もそれを阻止することはできません」


───でも、治療家のところへ行かなかったらもっと早く死んでいたということもあるでしょう。

 「それも数日かそこいらの話です。永遠の時の中でそれがどれ程の意味があるのでしょう」


───だったらいっそのこと心霊治療家も要らないことになりませんか。

 「そうはまいりません。苦しむ人を救ってあげたいという情は神の心の自然の発露だからです。人間の病気や異状の多くは魂の進化の程度の低さに由来するのではなく、無知から神の摂理に反した生き方をするからです。もっとも、神の摂理に反した生き方をするのは、その摂理が理解できる段階まで魂が到達していないから、と言う観方もできることは確かです。魂が摂理と一体となる段階にまで進化すれば病気は生じません」


───二人の人間が同じ病気で苦しんでいて、一方は治り他方は治らないという場合がありますが、これは不公平ではないでしょうか。

 「そもそも心霊治療家のところへ足を運ぶということ自体、偶然のことと思われますか。偶然ではありません。偶然というものはあなたの世界にも私の世界にも存在しないのです。断言します───神の摂理は完璧です。いずれあなたもその働きを理解し、その完璧な摂理をこしらえた完全なる愛の存在を知って、私と同じように、まるで鉄鎚を食わされたような思いをなさる日が来るでしょう。

 私たちはすべて───私も同じなのです───暗闇の中で手探りで進みながら時おり光明の閃きを見つけ、摂理への洞察力を手にします。そこで感嘆します。しかし暗闇の中にいる限り摂理の全貌が見えませんから、私たちはそれをとかく偶然のせいにし、運よくそうなったのだと考えます。しかし、断言しますが、偶然というものは存在しません。

 そう言うと皆さんはきっと〝では自由意志の問題はどうなるのか〟と聞かれるでしょう。確かに人間には自由意志が与えられております。が、その自由意志の範囲は魂の進化の程度によって規制されると申し上げたはずです。

自由は自由です。が、その自由にも程度があるということです。自由は自由です。が、それも宇宙の法則、すべてを経綸している法則の中における自由だということです。宇宙最大の組織であろうと極小の生命体であろうと、その法則から逃れることはできません。何ものも神の摂理から逃れることはできません。完璧なのです」


───心霊治療家と磁気治療とはどういう点が違うのでしょうか。

 「まったく違います。磁気治療は治療家自身の持つエネルギーによって治します。心霊治療は治療家が背後のスピリットの波長と一体となり、通常の手段では物質界に感応しない霊波がその治療家を通して流れ込むのです」


───一卵性双生児が同じ病気にかかり医学では不治と診断されて見放された場合、霊界からの力で二人とも治すことができるでしょうか。

 「私にはどちらとも言えません。病気の軽減及び治療のための霊力はちゃんと存在しますが、それがどう活用されるかは、その霊力が流れる治療家の適合性にかかっています。現段階における地上世界はまだ神の治癒力の活用がその頂点まで達しておりません。治療家が霊的に向上すれば、それだけ多くの治癒力が流れます。私たち霊界側の問題であると同時にあなたがた地上側の問題でもあります。

所詮われわれは媒介役に過ぎません。この霊媒(バーバネル)の背後にこの私(シルバーバーチ)がいます。この私の背後に私より高い存在が控えており、その背後にさらに高い存在が控えています。その連鎖関係は無限に続いているのです」

Saturday, November 22, 2025

シアトルの秋 霊媒の書 第2部 本論

The Mediums' Book
3章 知的要素の加わった物理現象



前章で紹介した物理現象を検討したかぎりでは、格別に超自然的な力のせいにすることはない――電気とか磁気、あるいはそれに類する流動的エネルギーの作用で片付くのではないかと思われるかも知れない。

確かに当初はそれが代表的な説であり、一応合理的であるかに思われていた。が、やがて、それでは十分でないことを示す事実が明らかとなった。その現象が知的なメッセージを伝達していることが分かったのである。

知的なメッセージなら、当然、知的存在が発しているはずである。となると、かりに電気や磁気のようなものが働いていることは認めるとしても、その奥では知的存在も係わっていることを認めねばならないことになる。

では、その知的存在とは何であろうか。

現象に知的要素が加わっていることの証拠としては、必ずしもその述べていることが雄弁であるとか、ウィットに富んでいるとか、高尚である必要はない。その動きが自在で自発的で何らかの意図がうかがわれ、まとまった考えを伝えたり、こちらの考えにまともな反応をすれば、それで十分である。

譬え話で説明しよう。風見鶏は風に吹かれて方向を右に左に変えるが、それが機械的な動きであることは誰でも知っている。が、もしその動きの中に意図的なもの、つまり何かを伝えようとする信号のようなものが読み取れたら――たとえば「右を向け」と命令したら右を向き、「左を向け」と命令したら左を向き、「ゆっくり動け」と言ったらゆっくりとなり、「速く動け」と言ったら速くなったとしたら――それは風見鶏そのものに知性があるのではなくて、何らかの知的存在によって風見鶏が操られていると考えてよいであろう。

テーブル現象についても全く同じことが言える。我々が見た例を挙げれば、いったん上昇したテーブルの四本の脚のうちのどれかが出席者の要求に従って床を叩く――どの脚で、何回、という細かい要求を出してもその通りにする。また部屋中をぐるぐる動き回るその途中で「右へ」「こんどは左へ」「前へ」「こんどは後ろへ」と命令すると、その通りに動いた。

テーブルの脚を使ってメッセージを伝える現象となると一段と知性の働きが顕著となる。一般に“叩音(ラップ)”と呼ばれているものにもいろんな種類があり、ドラムを叩くような音から一斉射撃のような物凄いもの、のこぎりでゴシゴシ切るような音、ハンマーで叩いているような音、誰でも知っている曲の楽器演奏まである。それだけでも十分に知的作用の証拠と言えるが、テーブルの脚が床を叩くその回数で符丁を取り決めて、質疑応答をやり取りするようになると、内容が完全に知的次元のものとなって、興味が一段と増してくる。

ところが、その知的反応をしているのは何ものなのかという問題になると、これまた、あきれるほど乱暴な説が出されてきた。

まず最初に出されたのは、当然のことながら霊媒か、質問を提出する者か、サークルのメンバーの知性の総合体のいずれかであるという説だった。が、その知性にはラップが伴うのである。そのラップは霊媒も質問者もサークルのメンバーも出していないことを確認するのは容易である。それが確認されると、では霊媒の想念体であろうということになった。

しかし、霊媒の想念体がテーブルに反応して音を出したり部屋中を動き回らせるという発想は、もはや現象そのものよりも奇っ怪である。しかもアルファベットを符丁にしてメッセージを受け取ってみると、その言語が霊媒も質問者もサークルのメンバーも知らないものである場合があるのである。

伝えられるメッセージの内容も、霊媒を始め出席者の誰一人として知らないことである場合もある。一例を挙げると、こんな話があった。

フランス海軍の軍艦がシナ海に停泊中のことである。将校を始めボーイまでが毎晩のように集まって交霊会を開き、テーブル現象を楽しんでいた。

ある日の交霊会で二年前に同艦の副艦長だったという人物からのメッセージが届けられた。それは、実は在世中に艦長からお金を借りたことがあるのだが、お返しできないまま死んでしまって申し訳なく思っている。済まないが幾ら幾らを払ってあげてくれないだろうか、という内容のもので、金額まできちんと述べた。

意外なメッセージにみんな戸惑った。霊媒や出席者はむろんのこと、当の艦長までがそんな記憶はないというのである。そこで念のために艦長が古い出納簿を調べてみたところ、確かにその通りの事実が記載されており、額まで一致していた。

想念体の反射説を唱える人は、これを誰の想念の反射と言いたいのであろうか。

テーブルラップによる通信は、このように最初は脚で床を叩くという原始的な方法で始まった。符丁も、一度叩けば「イエス」、二度叩けば「ノー」といった単純なものからアルファベットを使用するようになって、かなり内容の深い通信が交わされるようになったが、まわりくどくて手間が掛かった。

そのうち霊側から通信方法について提案が出されるようになり、小さなオモチャのテーブルを使ったり、俗にプランセット(ウィージャ盤とも)と呼ばれているものを使ったりした時期もあった。そして最後に自動書記と呼ばれる、霊媒の手または腕を道具として“綴る”ようになった。

その他に直接書記というのもあるが、それについては“霊界通信”の項で扱うことにしたい。


訳注――テーブル現象は複数の人間が参加するので比較的危険が少ないとされている。が、次章で霊団の最高統括霊の“聖(セント)ルイ”(十三世紀の名君ルイ九世)も述べているが、物理現象に携わるのは地上的波動から脱し切っていない低級霊であることはスピリチュアリズムの常識で、面白半分にやるのはやはり危険である。まして一人でやるプランセットや日本の“こっくりさん”などは発狂した例が少なくないという報告もあるので、絶対にやってはならない。

では、カルデックやスワッファーのサークルでは交霊会の初めにテーブル現象をよくやったのはなぜかと言えば、その交霊会の霊的磁場を強固なものにするためで、何の問題も生じなかったのは、その背後に高級霊団が控え、邪魔が入らないように万全の対策を講じていたからである。

しかも――これが一番肝心な点であるが――そうしたサークルには、いずれは地球人類全体にも及ぶであろう霊的使命があったことを見落してはならない。