Friday, June 27, 2025

シアトルの夏 続『霊訓』インペレーターの霊訓



訳者まえがき

 本書は英米をはじめとする西洋各国で〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続篇である。
 正篇は昭和十二年に浅野和三郎の抄訳によって本邦に紹介され、このたび(六十年)潮文社からその復刻版が発行されている。それとほぼ時を同じくして私による完訳版が国書刊行会から出ている。

 『霊訓』の第一の特徴はキリスト教の牧師だったステイントン・モーゼスと、紀元前に地上生活を体験したという身元不明の霊との熾烈な論争という形で霊的真理が説かれていることである。主としてキリスト教の教義がその論争のテーマとなっているために、読者の側にキリスト教に関する基礎的知識が要求される点が、本書を西洋人にくらべて東洋人にどこか取っつきにくくしている事実は否めない。しかし、キリスト教を熱烈に信仰し、自らもそれを説き聞かせる職にあるモーゼス(のちに辞職して教師となる)の手がひとりでに動いて綴った文章(自動書記通信)が自分の信仰と真っ向から対立する内容であり、そのことに悩み、苦しみ、それに反論し、かくして〝目に見えざる存在〟との論争をえんえん十年間も続けながらまったく正常な人格者であり続けたという事実が、この五感の世界以外に知的で理性的で愛を知る存在が実在していることを何よりも雄弁に物語っているといえよう。

 その熾烈な論争──一時は霊側の総引き上げという形での決裂寸前にまで至ったほどの遠慮容赦のない激論を闘わせながら、モーゼスの側はあくまでも真摯な真理探究心を、霊側は真実の光明へ導かんとする温かい愛を最後まで失っていないところが、本書が稀有の価値を与えていると私は考えている。

 私はこれを一日数時間、ほぼ三百日をかけて完訳したのであるが、その間、訳者としての立場を忘れて思わず情的にその内容に巻き込まれ、感涙の流れるに任せざるを得なかったことが何度あったか知れない。今でも心が落ち着きを失いかけた時は必ず繙(ひもと)くことにしているが、その度に勇気百倍、生きる意欲を鼓舞される『シルバーバーチの霊訓』『ベールの彼方の生活』と並んでこれを私が〝英国の三大霊訓〟の一つに数えるのはそのためである。

 さて、この続編はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士 S・T・Speerの夫人が、博士宅で催された交霊会(自動書記は自宅の書斎で、交霊会は博士宅で行われた。博士一家との縁については巻末「解説」を参照されたい)の筆記録の中から、ぜひとも公表すべきであると思われるものを選んで心霊紙 Light に掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それといっしょに一冊にまとめたものである。

 本書の特徴は、正篇が自動書記通信だけで構成されているのに対して、霊言現象による通信が紹介されていることである。霊言と自動書記の違いは、霊言が霊媒の発声器官を使用し自動書記が霊媒の腕を使用するという形の上から言えばそれだけのことであるが、表向きは単純のようで裏面の原理はそれぞれに何種類もあって複雑である。


 そもそも霊界通信なるものの入手方法は右の霊言と自動書記の外にもう一つ、幽体離脱によって霊界を探検したり指導霊からじかに教わったものを持ち帰って綴る、あるいは語る、という方法がある。これはいわば霊界旅行記であるが、霊言や自動書記に於いて霊が行っている役割を自分が行う──いうなれば一人二役をするだけのことで、原理的には右の二つと同じである。

 この場合でも本人の目には見えなくても大勢の背後霊が陰から指導し援助し、又危険から守ってくれている。この道の第一人者ともいうべき A・J・デービスは自分は霊の力を一切借りずに全部一人でやっているようなことを述べているが、これはただ自分でそう思っていただけで、実際には陰から指導と援助と保護を受けていたのである。本書の中でも通信霊の一人が、それには例外はないと断言している。

 このことは地上と霊界との関係に限ったことではなく、霊界に於ける上層界と下層界との関係においても同じである。『ベールの彼方の生活』の通信霊アーネルが部下とともに暗黒界を探検し、その間ずっと自分達だけでやっていたと思っていたのが、帰還して見ると、悉く上層界からの指示と加護を受けていたことを知る、という経緯が述べられている。

 その点『私の霊界紀行』(潮文社)のスカルソープ氏は自分の行動はすべて背後霊団によって準備され案内され守られていると述べていて、デービスと対照的に実に謙虚である。見かけのスケールは小さいが、霊的には非常に高い、あるいは深いことを述べていて、信頼度は抜群であると私は見ている。

 他に有名な人としてはスェーデンボルグが挙げられるが、実際に見たものを無意識のうちに潜在的な観念によって歪曲している部分が多すぎて、私はあまり、というより、ほとんど価値を見出せずにいる。とくに初心者には妙な先入観念を植えつけられる危険性さえある。

 この霊能において肝要なのは、異次元の世界で見たものをどこまで生のまま三次元の言語で表現できるかであって、その純度が価値を決定づける。そこに背後霊団の援助と霊能者本人の霊格の高さが要求されるわけである。なおこの体外遊離現象はモーゼスも体験していて、わずかではあるが第三部で紹介されている。

 次に霊言現象の原理であるが、これには四種類ある。
(一)直接談話現象──これはエクトプラズムという特殊な物質によって人間の発声器官と同じものをこしらえ、それを霊が自分の霊的身体の口を当てがってしゃべる現象である。空中から聞こえる場合は肉眼に見えないほど稀薄な物質でこしらえてある場合で、メガホンから聞こえる場合は、そのメガホンの中に発声器官がこしらえてある。

(二)霊媒の発声器官を使用する場合──ふつう霊言現象というのはこれを指す場合が多い。この場合は霊媒の潜在意識(精神機能)の中の言語中枢を使用するので、霊媒自身の考えによって影響されないだけの訓練が要請される。モーリス・バーバネルを通じて五十年にわたって霊言を送って来たシルバーバーチ霊は、その為の訓練をバーバネルが母体に宿った瞬間から開始したという。

(三)リモコン式に操る場合──シルバーバーチのように霊媒の身体を占領するのではなく、遠距離から霊波によって操る。原理的にはテレビのリモコンやオモチャのラジコンと同じである。霊視するとその霊波が一本の光の棒となって霊媒とつながっているのが見られる。

(四)太陽神経叢を使用する場合──みぞおちの部分にある神経叢が心霊中枢の一つとなっていて、そこから声が出てくる人がいる。また、なぜかこの霊能を持つ人がほとんど決まって米国のナイヤガラ瀑布の近辺の出身か、そこで修業した人であるという事実も興味深い。

 次に自動書記現象の原理であるが、これには大きく分けて三種類、細かく分けると四種類ある。

(一)ハンドライティング──霊が霊媒の腕と手を使用する場合で、これはさらに二種類に分けることが出来る。
 ①霊媒の腕を直接使用する場合、ふつう自動書記と言えばこれをさす。モーゼスの場合もこれである。
 ②リモコン式に操る場合、霊言の場合と同じで、霊波によって霊媒の言語中枢と筆記機能とを操作する。

(二)ダイレクト・ライティング(直接書記)──紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られる。
ストレートライテングもこの部類に入る。多量のエネルギーを必要とするので、長文のものは困難で、簡単なメッセージ程度のものが多い。

(三)インスピレーショナル・ラィテング(霊感書記)──霊感で思想波をキャッチすると自動的に手が動いて書く。原理的にはふだんわれわれが考えながら書くのと同じで、ただその考えがインスピレーション式に送られてくるというだけの違いである。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこの方式によって綴られている。

 さて、本書の第一部は最高指導霊のインペレーターをはじめとして、他に数人の霊による霊言が集められている。そのインペレーターの言葉に、「私はいま皆さんからはるか彼方にいます」とあることから、その時はリモコン式にメッセージを送っていたことが推察される。それでもインペレーターが語る時は交霊会の部屋に厳かさと力強さが漲ったという。そのインペレーターが冒頭で紹介している霊団の組織と役割分担についての説明は非常に興味ぶかい。

 第二部は、自動書記による通信で正篇に盛られていないものの中から、スピーア夫人が是非ともと思うものを選び出したもので、正篇を補足する形になっている。
 注目すべきこととしては、ここで初めて〝再生〟の問題が取り上げられていることで、多くは語っていないがインペレーターがそれを肯定する立場から含蓄のあることを述べている。私の推察では、この再生問題はインペレーター霊団の役目の中に予定されておらず、いずれ、ほぼ半世紀後にシルバーバーチ霊団が再生説を基本概念とした霊的進化論を説くことになっているという、全体の予定表が出来ていたのであろう。

 第三部はモーゼス自身をテーマとして、先ず他界後、心霊誌ライトに載った追悼の言葉、続いて交霊会で起きた珍しい物理現象、さらに、入神中の体外遊離体験、そして最後に、生前モーゼスがライト誌に投稿した記事の中から興味深いもの、参考になるものを抜粋して紹介している。

 モーゼスの人となり、及びスピリチュアリズムに関する見解を知る上でそれが非常に参考になるが、私はそれをさらに補足する目的で、ナンドー・フォドーの《心霊科学百科事典》から<ステイントン・モーゼス>の項目を全訳して巻末に紹介した。その内容がそのまま『霊訓』ならびに霊媒としてのモーゼスの解説となっているからである。インペレーターを初めとする背後霊団の地上時代の身元についての調査資料も一般の読者の方には興味ぶかいテーマであろう。

 なお第一部の構成者(編者はスピーア夫人であるが本書の構成者は別人である。名前は公表されていないが、多分当時のサイキック・ニューズ社のスタッフの一人であろう)が〝はじめに〟の中で述べているように、本書に収録されたものは断片的に抄出したものであって内容に連続性がない。そこでその〝断片〟の合間に正篇から抜粋を挿入して、理解を深める上で参考となるように私なりの配慮をした。時には長文に及ぶものもあるが、読者はいちいち正篇を繙く手間が省けるであろう。

 また場合によっては内容の重大性に鑑みて、『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』からも抜粋して紹介してある。要するに私は本書を英国のいわゆる〝三大霊訓〟のダイジェスト版のようなものに仕上げたつもりである。

 今後ますます霊的なものが輩出することが予想される日本に於いて、その真偽の判断の拠り所として、こうした時代の荒波にもまれながら生き延びてきた、真の意味での聖典(バイブル)と言えるものをぜひとも座右に置いておく必要があると考えるのである。

 初めに紹介した霊言現象および自動書記現象による霊からのメッセージの入手方法の原理と合わせて、霊についての正しい常識と知恵を身に付けていただくことになれば幸いである。

 最後にひとこと、翻訳の文体について述べておきたい。この『霊訓』の原文は正続ともに古めかしい文体で書かれており、それは霊言の場合でも同じである。そこで国書刊行会からの完訳版ではなるべくそれを訳文に反映させるように工夫したために古い堅苦しい文体となったが、本書では霊言が主体となっていることも考慮して、思い切って現代文で表現してみた。インペレーター独特の重厚味が欠ける憾みがなきにしもあらずであるが、広く現代の読者に読んでいただくためにはこの方が親しみやすくて良いと判断した次第である。
  一九八七年六月
                                        近藤千雄

シアトルの夏 霊界側から見た戦争

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編)近藤千雄(訳)




〔シルバーバーチが戦争を非難する姿勢は一貫しており、常に霊的真理を普及することの必要性を強調している。ここでは、戦争に関するシルバーバーチの言葉を見ることにする。〕


私たちは霊界が、地上の戦争によって傷ついた魂のための野戦病院のようになっては困るのです。私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。

霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊されたことで傷ついた魂を、なぜ霊界で癒さなければならないのでしょうか。地上人がなすべきことを疎(おろそ)かにしたことで生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。

もし私たちに、あなた方への愛、大霊の愛がなかったなら、こうして地上界のために働いてはいないでしょう。皆さんは、私たちが伝えようとしている霊的真理によって私たちを判断してください。もし皆さんが「あなたの教えは間違っている。これまでの地上の常識に反している」と言われるなら、私たちとしてはもはや為す術(すべ)がありません。

地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。

実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。

地上世界には建設しなければならない仕事がいくらでもあるというのに、指導的立場にいる人たちは、なぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。

皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。皆さんは、大霊が流血を望まれると思いますか。戦争によって悲劇や苦難、失業や飢餓や貧困が生み出されるのを望まれると思いますか。せっかくの賜物(たまもの)を無駄にし、小さな子供たちが両親から引き離されて無理やり霊界に追いやられてしまうのを見て、大霊が喜ばれると思いますか。

私たちがお届けしている教えに忠実でありさえすれば、大霊のために奉仕している私たちと同じように、あなた方もこの大事業において役に立つことができるのです。

他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。

国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子供であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。

よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らなければなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。

愛が欲しければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。
質疑応答


――大戦で戦死した人々の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。


少なくとも私の目には何の意義も見いだせません。あなた方が言う「偉大なる戦い」が始まったときよりも今の方が混乱し、一段と破壊が進んでいます。


訳注――「偉大なる戦い」とは「戦争をやめさせるための戦争」を大義名分とした第一次世界大戦の別称であるが、シルバーバーチが敢えてこの呼び方をしたことには、「偉大」と呼べる戦争などあり得ないという皮肉が込められている。


――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあってよいものでしょうか。霊的な影響はまったくないのでしょうか。


犠牲となった一人ひとりには報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてはならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相変わらず物質中心の考え方をしているために、彼らの犠牲は無意味に終わっているのです。


――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。


たとえ二分間でも死者のことを思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示して祝ったところで、何の意義も見いだせません。なぜ、霊的な行事で祝えないのでしょうか。


――戦没者の記念をスピリチュアリズム的な催しとして行うことには賛成ですか。


真実が語られるところには、必ず善なるものが生まれます。もちろんその演説が奉仕的精神を鼓舞するものであれば、なおさらです。無意味な演説からは何も生まれません。演説をするだけでは十分ではありません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかのような気分に浸るだけではいけません。

私は「行為」を要求しているのです。人のために役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけるようなことをしてほしいのです。病気に苦しむ人々を癒し、喪の悲しみの中にいる人を慰め、住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の汚点とも言うべきすべての害悪に、終止符を打ってほしいのです。

平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕の精神を抱き、それを実行に移すようになるまでは地上に平和は訪れません。


――参戦を拒否する平和主義者の運動についてどう思われますか。


私はいかなる“派”にも属しません。私にはラベルというものがないのです。私は、人のために役立つ行為と動機にしか関心がありません。肩書きや名称に惑わされてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意と善意を持った人がいるものだからです。私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります。

霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。

それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。

私たちは、これこそ真実であると確信した霊的真理を説いています。そしてそれを実行に移せば、きっと良い結果がもたらされるということを教えています。あなた方は物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さん自身が責任を負うことになります。私たちはただ、愛と誠意を持って導き、あなた方が正道から外れないように力を貸してあげることしかできません。


――ヨーロッパの大国のすべてが完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが武装化を抑制しているのは間違いではないでしょうか。


あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくらつくっても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――


――「制裁」という手段をどう思われますか。


私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。


――しかしこの場合は、動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争をやめさせるためという大義があるのですから……。


武力という種を蒔けば、その種はさらなる武力を生むことになります。「戦争をやめさせるための戦争」だと、当事者が言っているではありませんか。


――では、残虐な連中が無抵抗の人々を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。


あなた方はよく、そういう論理で私たちの意見を求めますが、私たちは永遠にして不変の摂理を説いているのです。最初の段階で摂理に適った手段を用いていれば、今日のような苦境を招くことはなかったはずです。あなた方は難問が生じてから、取り敢えず対策を講じて切り抜けようとしますが、それでは根本的な解決はできません。永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。


――私たちは国際連盟(現在の「国際連合」の前身)を支持すべきでしょうか。


加盟国の代表は本当に平和を希求しているでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるでしょうか。大霊の摂理に素直に従うだけの覚悟ができているでしょうか。もしかして、自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。大霊と人類全体の観点からではなく、自分たちの国、自分たちの民族、自分たちの富という観点からのみ考えているのではないでしょうか。

私たちは、親なる大霊と、その摂理について説いています。それ以外に平和をもたらす方法はないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかもしれませんが、それでは邪悪なものしか生まれません。

そのうち地上人類も“愛”こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするなら、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌(こんとん)と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。


――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。


ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。
一九三七年の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ


訳注――かつては「休戦記念日」と呼ばれていたが、第二次世界大戦後は、英国では「英霊記念日」、米国では「復員軍人の日」と呼ばれている。


毎年この日がめぐってくるごとに、戦死者の犠牲が虚しいものであることを痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろしてホコリをはたくように敬意を払います。

彼らの犠牲的行為はすべて無駄に終わっています。一九三七年の時点で、十九年間も十字架にかけられ続けてきたようなものです。あなた方は「偉大なる戦争」と呼びますが、その偉大さとは大量殺戮(さつりく)、無益な殺戮のことです。それは、すべての戦争をやめさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と虚しいことでしょう。何という欺瞞(ぎまん)に満ちた言葉でしょう。

自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、霊界で辛い落胆の歳月を送っていることをご存じでしょうか。彼らは、青春の真っ只中で生命を奪われました。何の準備もなしに、霊界へ送られたのです。彼らは“国を守る”という理想のために喜んで死んでいきました。それ以来、彼らは裏切られ続けています。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者に二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いています。

真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。

奉仕精神が利己主義に取って代わることによってのみ、平和が訪れることを知らなければなりません。自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物的思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとすることによってのみ、平和が訪れるようになることを学ばなければなりません。

霊界へ送り込まれた人々を、心にもない口先だけの敬意で、侮辱(ぶじょく)してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。






シアトルの夏 霊界でも祝うクリスマスとイースター

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)




〔シルバーバーチは、一年に二度、クリスマスとイースターの時期に他の大勢の指導霊とともに霊界の内奥(ないおう)で催される大審議会に出席する。この審議会では、それまでの計画の進捗(しんちょく)状況が報告され、それに基づいて次の計画が立てられる。そして新たな霊的エネルギーとインスピレーションを得て、これからの仕事のための準備をすることになる。その審議会の最高責任者が、地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた人物である。シルバーバーチは次のように語る。〕


その大審議会でのイエスのお姿をあなた方に見せ、お言葉を聞かせてあげたいと思います。私たちを励ましてくださるイエスの深い愛情を、あなた方に感じていただきたいのです。イエスは、それまでに私たちが成し遂げた仕事についての評価を披露(ひろう)され、新たなる力、新たなる希望、新たなるビジョンのもとでさらなる目標に向かって邁進するようにと励ましてくださるのです。教会が説く神格化されたイエス・キリストではありません。多くの道具(同志)を通して人類に奉仕しようと勤(いそ)しんでおられる、一人の偉大なる霊です。

私は、長年生活してきた本来の界層に少しのあいだ留まり、そこで久しぶりに活気あふれる霊力に触れ、エネルギーを充電し、美を満喫し、高級霊界においてのみ可能となる生命の実感を味わいます。こんなことを申し上げる私に、自惚(うぬぼ)れの気持ちなど微塵(みじん)もありません。

たとえ世界中の名画や素晴らしい景色、物質界のありとあらゆる芸術品、さらには深遠な自然美を一つに集めても、高級霊界の美しさに比べれば、お粗末な模作程度のものでしかありません。

例えば地上の画家が、高級霊界からのインスピレーションに触れたとしましょう。彼はすぐに、手持ちの絵の具ではそれを表現できないことに気づきます。絵の具を混ぜ合わせて、魂でとらえた色彩を何とかつくり出そうとしますが、不可能であることを悟ります。霊的な存在物や霊界の美しさは、物的な手段では表現できないものだからです。

霊的な喜悦を、地上の言語で説明することができるでしょうか。大霊の光を放ち、叡智と理解力にあふれ、慈悲心と優しさに満ちた霊たちと会ったときの喜びを言い表すことができるでしょうか。語らずともすべてを理解し、互いの心の奥底まで見抜き、その思いを共有することができる霊たち、成功も失敗も知り尽くしている霊たちと一堂に会したときの喜びを、どのようにしたら説明できるでしょうか。地上には、そうした魂の体験を表現する言葉はありません。

大審議会では数ヵ月間の仕事を見直し、新たな計画を作成し、指導霊の一人ひとりに役割が与えられます。私たちは大きな励ましを得て心を鼓舞され、再び各自の使命を果たすために地上近くへ降りていきます。私は皆さん方の援助によって力を与えられ、地上人類が少しでも大霊に近づくことができるように努力しているのです。
質疑応答


――あなたは、その集会に出席するとき、地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか。それともバイブレーションを別の次元に切り換えるのでしょうか。


私が地球(地上圏霊界)を離れるときは、地球の引力やバイブレーションの影響は受けません。こうしてあなた方と話をしているときの私はアストラルボディー(幽体)を用いていますが、地球を離れるときはそれを脱いで霊体だけになります。その霊体が私自身なのです。

脱ぎ捨てたアストラルボディーが分解しないように、(次に使用するまで)私の意識の一部をそこに残しておきます。そして私は、より内奥にある高次の意識を高め、本来の霊的意識を取り戻していきます。それには時間がかかります。地球のバイブレーションから脱するのに時間をかければかけるほど、本来の界層でより高次の霊的意識を取り戻すことができるようになるのです。

しかし、この仕事のために地球へ降りてくる前の意識レベルまで到達することはできません。何年もかかったものを、数日で取り戻すことはできません。


――本来の意識レベルを意図的に下げるのは、たいへんな犠牲を強いられることではありませんか。


おっしゃる通りです。しかしそれは、物質界にいるあなた方のために喜んで払っている代償です。


――犠牲の中でも最大のものと言えるのではないでしょうか。


確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与えています。

地上の太陽が色あせて見えるほど眩(まぶ)しいばかりに光り輝く霊界の太陽、あらゆる絵画・建造物・詩・音楽で表現されている美の極致、最大限の調和状態の中で自然界が生み出す心を奪われるような美しい光景、しかも趣味も性分も相通じる気の合った仲間と交わる喜び――そうしたものに満たされている世界から、暗くて陰鬱(いんうつ)なこの地上界へと降りてくるのです。そのためにどれほどのものを私が犠牲にしているのか、およそお分かりいただけるでしょう。

私は自惚れてこんなことを言っているのではありません。わずかな人々であっても、安らぎと慰めと希望を与えてあげることができるなら、私は喜んで自分の持っているものをお分けしたいと思っています。


――地上のクリスマスとイースターの時期に、なぜ指導霊の集会を催すのでしょうか。ナザレのイエスと何か関係があるのでしょうか。


霊界では、イエスが地上へ降誕する以前からクリスマスとイースターを祝っていました。それらは、聖書に出てくる物語とは何の関係もありません。いずれお分かりになる日もくると思いますが、地球は「リズム」、つまり進化の法則の一環である「サイクル」によって支配されています。そのサイクルは機械的に運行しており、地上のあらゆる民族がそれを認識していました。

私が地上にいた頃、大切にされていた二つの祭日がありました。それをクリスチャンが取り入れ、クリスマスとイースターと呼んで祝っているのです。

この二つの祭日は、私たちインディアンにとって重要な意味を持っていました。インディアンはそれらの時期に、大霊との最高の交わりが得られることを知っていました。あなた方(西洋人)には理解できないことですが、私たちはその時期に太陽の影響力が最も盛んになると考えていました。そして何日にもわたってあなた方の言う「交霊会」を催し、大霊からのインスピレーションをふんだんに受けていました。

そのため私たちインディアンは、地上時代に大切にしていた時期がめぐってくると、霊界において仲間たちが集って祝うのです。もとは“太陽崇拝”から始まったものですが、太陽はシンボルにすぎません。生命あるものはすべて、互いに影響を及ぼし合っています。あらゆる物質も、あらゆる天体も、互いに影響を及ぼし合っています。

すべては自然法則に基づいており、クリスマスは「太陽の誕生」を意味しています。クリスマスは、自然法則を基にして築かれた宗教を持つすべての民族が一つにまとまる時であるため、それが霊界での大審議会の時期として選ばれたのです。私たちにとって太陽の誕生を祝うクリスマスは、すべての祭日の中で最大のものです。なぜならそれは新しい時代の始まりを象徴しているからです。それはサイクルの終わりであり、新しいサイクルの始まりでもあるのです。クリスマスの時期に霊界で集会が催されるのは、指導霊のすべてが、かつて地上で自然法則を基にした宗教を持つ民族に属していたからなのです。

地上でクリスマスとイースターを祝っていたことから、霊界でもこの時期に集会を開いていますが、新しい生命の誕生を祝うという目的は薄らぎ、今では物質界から一時的に引き揚げて次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために開かれています。


――集会には、どのような霊たちが参加するのでしょうか。


主として、インディアンと古い民族に属していた(スピリチュアリズムの)指導霊たちです。今日の西洋人はすべて、指導霊たちに比べて新しい民族であり、彼らにとっては私たちの祝いは無意味です。

イースターは「全生命の復活」を祝う時です。地上の人間が悲嘆と苦悩、苦痛と困窮(こんきゅう)から脱して、より豊かな人生・本当の人生を歩めるようにと祈るすべての人々が一つに結ばれ、全世界が夜明けを迎えることの象徴なのです。それによって悲しみと涙が追放され、悲劇と飢えが消滅していくことになります。

地上世界は今こそ「復活」を必要としています。ゆっくりとではあっても、大霊の摂理が適用されるようになり、より多くの大霊の子らが自らを大霊の道具として提供するようになります。そして物質第一主義の勢力が撤退することになるのです。

私が本来の所属界へ戻るときは、他の多くの指導霊と一緒にまいります。そして短い期間ではありますが、あなた方地上人には想像もつかないような霊的生活の喜びを味わいます。愛の絆で結ばれた指導霊たち、私たちが師と仰ぐ霊たちと会い、その優れた叡智を学び取り、その霊力を取り入れ、深遠なる洞察力による助言を授かります。そしてこの仕事の進展状況を確認し、これからも果てしなく続く善と悪との戦いのために用意された計画を示されます。

こうして私たちは、上層界の指導霊から激励を賜り、奉仕の喜びに満たされて再びこの地上界へと戻ってきます。そしてまた、皆さん方と協力し合って、少しでも多くの霊力を地上界へもたらすために働くのです。

できることならその集会にあなた方をお連れして、地上界のために働いている指導霊たちに会わせてあげたいと思います。私は他の誰よりもこのサークルの皆さんを、イエスを中心として開かれるその集会にお連れしたいと思っています。光輝あふれるその姿を見せてあげたいのです。大霊によって選ばれた指導霊がどのような方々であるかを知ったなら、あなた方は、あまりの威厳にただ畏(おそ)れおののくばかりかもしれません。指導霊たちの地上時代の名前は、知らずにいた方がいいかもしれません。

あなた方には、こうして地上世界のために尽力している仕事の中身によって私たちを判断していただきたいのです。


――霊界での祭日として、なぜ地上のイースターを選んだのでしょうか。


私たちが地上のイースターを選んだのではありません。あなた方が私たちのイースターを選んだのです。


――イースターは昔、地上全体で同じ時期に祝われていたのでしょうか。


私たちインディアンは皆、同時に祝っていました。その後、あなた方の世界でキリスト教という宗教がつくられたとき、太古の自然宗教が用いていたシンボルを採り入れていったのです。すべての宗教の根幹に“太陽信仰”があることを知ったからです。


――現在でも霊界では、インディアン社会だけでなく他の宗教においてもイースターを祝うのでしょうか。


霊界の全界層においてイースターが催されています。地上でクリスチャンだった者は、イエスの蘇りを祝います。イエスよりもずっと前の時代に地上生活を送った者たちは、その時代の自分たちの宗教のシンボルとしてのイースターを大々的に祝います。私たちはそのとき、まだ明らかにされていない叡智を授かります。私たちよりも霊格の高い指導霊から教えを受けると同時に、その知識を他の仲間の霊たちと分け合います。

Thursday, June 26, 2025

シアトルの夏 十章 天上、地上、地下のものすべて (ピリピ2・10、黙次録5・13

べールの彼方の生活(四) G・V オーエン著 

The Life Beyond the Veil
Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen




1 地球進化の未来
一九一九年四月一日  火曜日

 やがて吾々が取り囲む虚空全体にふたたび静寂が行きわたりました。見るとお二人は揃って玉座の中に坐しておられます。女性の方から招き入れたのです。
 すると第十界まで軍団を率いてこられた方で吾々の地球への旅の身支度を指導してくださった大天使のお一人の声が聞こえてきました。玉座より高く、その後方に位置しておられました。こうお述べになりました。

 「余の軍団の者、ならびに、この度の地球への降下に参加を命じられた者に告ぐ。ただ今の顕現はこれよりのちの仕事に理解をもって取り組んでもらうために催されたものである。

その主旨については、指揮を与える余らもあらかじめ知らされてはいたが、今あらためて諸君にお知らせした次第である。よく銘記せられ、前途に横たわる道をたじろぐことなく前進されたい。

父なる神は吾らの最高指揮官たるキリストに託された仕事のための力をお授けくださる。

キリストを通じてその霊力の流れがふんだんに注がれ、使命の達成を可能にしてくださるであろう。吾らが創造主への崇敬の念を片時も忘れまいぞ」

 言い終るのと時を同じくして燦然と輝く霧が玉座に漂い、やがて地球全体をおおいはじめ、もはや吾々の目に地球の姿は見えなくなりました。おおい尽くすと全体がゆっくりと膨張をはじめ、虚空の四分の一ほどにもなったところで膨張を止めました。

すると今度はそれが回転しはじめ、次第に固体性を帯びていくように見えてきました。固いといっても物質が固いというのとは異なります。物的地球が半透明になるまで精妙(エーテル)化した状態を想像されれば、大体のイメージはつかめるでしょう。

 地軸を中心にして回転していくうちに、こんどはその表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります。吾々はいま未来の仕事の場を見せられているのです。現在の地形が変化しているごとく、それも次第に変化していたのですが、変化のスピードは速められていました。

つまり来るべき時代が短縮されて眼前に展開し、吾々はそれを動くモデルとして読み取っていたわけです。

 さらにその上に都市、民族、動物、それにさまざまな用途の機械類が出現しました。かくして全表面を吾々の方角へ向けながら回転し続けているのを見ていると、その進化の様子が手にとるように分かりました。

 たとえば貴殿の国を見てみましょう。最初は二、三年後の姿が目に入りました。やがてそれが視界から消え、そして次に見えた時は沿岸の形状や都市と住民の様子が少し変化しておりました。


こうして地球が回転するごとに陸地をはじめとして人類全体、建築物、交通機関、そのほか何万年、何十万年もの先までの人工の発達の様子が千年を数時間の単位に短縮されて出現しました。私の説明はこうして用語を貴殿の感覚に置きかえなくてはなりません。


吾々にとって年数というのは、地上の人間とは感覚的に同じものではありません。

 もっとも、こうした形で私が人類に代わって遠い未来という深海で漁をしてあげるのは許されないことでしょう。人類は自分の夕食の魚は自分の網で取らなくてはいけません。

それが筋というものです。もっとも、よい漁場を教えてあげることくらいのことは私にも許されています。この私を信頼のおける漁船団長と思ってくださる方は、どうぞ私の海図にしたがって探求の旅へ船出してください。

 さて地球は永い永い年月にわたる航海を続けるうちに、ますます美しさを増してきました。表面の光が増し、大地そのものも内部からの輝きを増しておりました。

また人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見えません。それというのも大自然の摂理との調和が一段と進み、その恩寵にますます敬服し、激情に振り回されることも少なくなり、内省的生活の占める割合が増えているからです。

かくして地球のすべての民族が協調性を増し、同時に霊力と安らかさとを送りやすくなった吾々との一体性も増しております。

 吾々はその一体性が進むのを見ていて、吾々がかつて数々の戦乱の末に獲得した豊かな幸福をこの人類の若き同胞たちが享受してくれていることを知り、興奮さえ覚えるのでした。
 やがて地球そのものも変化しておりました。それを述べてみましょう。

 貴殿をはじめ、最近の人間の精神の中に新しい用語が見られます。サイコメトリという言葉です。これは物体に刻み込まれた歴史を読み取る能力と私は理解しております。

実はそれには人間がエーテルと呼んでいる成分の本性と、その原子に内在するエネルギーを知り尽くすまでは十分に理解できない真相が隠されております。

いずれ人間がこのエーテルという宇宙的安定基剤(コズミックバラスト)を分析的かつ統合的に扱うことができる時代が来ます──地球が回転するのを見ていてそれを明瞭に観察したのです。

その時になれば今人間が液体やガス体を扱うようにエーテル成分を扱うようになるでしょう。しかしそれはまだまだ先の話です。現段階の人間の身体はまだまだ洗練が十分でなく、この強力なエネルギーを秘めた成分を扱うには余ほどの用心がいります。

当分は科学者もそこに至るまでの下準備を続けることになるでしょう。
アーネル ± 


2 宇宙的(コズミック)サイコメトリ
一九一九年四月二日  水曜日

 それ故そうしたサイコメトリ的バイブレーションは──吾々が物質を研究した上での結論ですが──物質に瀰漫(びまん)するエーテルに書き込まれている、ないしは刻み込まれているのです。それだけではありません。

エーテルが物質の成分に作用し、それによって活性化される度合によって、その物質の昇華の度合が決まっていきます。

つまり活性化された成分が外部からエーテルに働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として活用するのです。物質の成分は地上の化学者も指摘するとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するわけです。

その点は地上の化学者の指摘は正しいのですが、その辺は大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその先には奥の院が存在する。

物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到着した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源がその奥の院にあることを知ることになります。その奥の院にこそ普遍的〝霊〟が存在するのです。

 これで大自然のカラクリがお分かりになると思います。普遍的な〝霊〟が外部から、つまり基本的成分がエネルギーの量においても崇高性の度合においてもすべてをしのぐ界層から活発にエーテルに働きかけます。その作用でエーテルが活性化され、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用し、そこに物質という成分が生まれます。

 ただし、この作用は機械的なものではありません。その背後に意志が働いているのです。意志のあるところには個性があります。

つまるところエーテルに性格を賦与するのは個性をもつ存在であり、その影響がそのまま物質に反映されていきます。それ故こういうことになります───エーテルを通して物質に働きかける霊的存在の崇高さの程度に応じて、物質の成分の洗練の度合が高くもなり低くもなる、ということです。(第一巻P217参照)

 ということは地球そのもの、および地球上の全存在物を構成している物質の性質は、それに向けて意識的に働きかけている霊的存在の性格と共鳴関係にあるということです。両者は物質に宿っているかいないかの違いがあるだけで、ともに霊(スピリット)なのです。

 したがって地球人類が霊的に向上するにつれて(未来の)地球もそれを構成する成分に働きかける影響力に対して、徐々にではあっても着実に反応していきました。

物質がより洗練され、より精妙化されていきました。内部からの輝きを増していったのはそのためです。これは宇宙規模のサイコメトリにほかなりませんが、本質的にはいま地上に顕現されているものと同一です。

 地球ならびに地球人類の精妙化が進むにつれて霊界からの働きかけもいっそう容易になっていき、顕幽間の交信も今日よりひんぱんになると同時に、より開放的なものとなっていきました(※)。

そして、途中の階段を省いて結論を急げば、顕幽間の交信がごく当たり前のものとなり、且つ間断なく行われる時代にまで到達しました。そしてついにこれからお話する一大顕現が実現することになります。(※シルバーバーチは霊格が向上するほど自由意志の行使範囲が広くなると述べている──訳者)

 が、それをお話する前に述べておきたいことがあります。私の話は太陽およびその惑星系にしぼり、遠い銀河の世界のことは省きます。

 地上の天文学者は自分たちが確認した惑星をすべて〝物的天体〟としております。さらに、それらの惑星を構成する物質がその成分の割合において地球を構成する物質と同一でないことも発見しております。


しかしもう一歩進んで、物質の密度の差を生じさせる原因の一つとして、もう一つ別の要素が存在するところまでは気づいておりません。

それが私がこれまで述べてきた霊的要素で、それが惑星系の進化の長旅において地球より先を歩んでいる天体の進化を促しているのです。

 実はそれ以外に地上の人間の視力では捉えることの出来ない別の種類の惑星が存在するのです。精妙化がすでに物質的段階を超えてエーテル的段階に至っているのです。霊的までは至っていません。物質的状態と霊的状態の中間です。


その種の天体の住民には地球を含む惑星系のすべてが見えます。そして強力な影響力を行使することができます。それは、地球人類より進化はしていても、霊格において霊界の住民よりはまだ地球人類に近いからです。

 それはそれなりに、れっきとした惑星なのです。ところが、それとはまた別の意味でのエーテル的天体がいくつか存在します。その一つが地球を包みこむように重なっております。その天体の構成するエーテルの粗製状態のものが地球に瀰漫しているのです。

と言って、地球のためだけの存在ではありません。また、のっぺらとしたベルト状のものではなく、表面には大陸もあれば海もあり、住民もいます。

その大半はかつて地球上で生活したことのある者ですが、中には一度も地上生活の体験のない者もいます。血と肉とから成る身体としての顕現の段階まで達していないのです。


──いわゆる幽界のことでしょうか。

 その名称は使用する人によって必ずしも同じように理解されておりませんが、貴殿の理解しているものに従って言えば、私のいうエーテル的天体は幽界とは違います。

今お話したとおりのものです。聞くところによれば、そこに安住している人間に似た住民はみな、ずいぶん古くからの生活者で、これから先いつまでそこに住んでいられるか確かなことは不明であるとのことです。彼らは太古の地球人類の一種の副産物なのです。


──あなたがこの地球へ降りてこられる時はそのエーテル的天体を通過してくるわけですか。

 場所的に言えばそういうことになります。が、通過する際にその環境に対して何の反応も感じません。感覚的にはその存在を感じていないということです。私がこれまで第一界、第二界、第三界と呼んできた界層とは何の関係もありません。

造化の系列が別で、実に不可思議な存在です。吾々の行動の場から離れており、したがって詳しいことはほとんど知りません。

さきほど申し上げたことは──あれ以外にもう少し多くのことが判っておりますが──これまでそうした別の要素の存在を知らなかったがために理解に苦しんでいたことを説明するために教えていただいたことです。それでやっと得心がいったことでした。
アーネル ±



3 精霊とその守護天使の群れ

一九一九年四月六日 木曜日

 さて、地ならしができたところで、お約束の顕現の話に入りましょう。その主旨は吾々にこれから先のコースをいっそう自信を持って進ませるために、現在の地上人類の進化がいかなる目標に向かって進行しつつあるかを示すことにありました。

 吾々の目の前に展開する地球はすでにエーテル的なものと物的なものとが実質的にほとんど同等の位置を占める段階に至っております。

身体はあくまで物質なのですが、精妙化が一段と進んでかつての時代──貴殿の生きておられるこの現代のことです──よりも霊界との関係が活発となっております。

 地球そのものが吾々の働きかけに反応して高揚性を発揮し、地上の植物が母親の胸に抱かれた赤子にも似た感性をもつに至っております。

 その地上にはもはや君主国は存在せず、肌の色が今日ほど違わない各種の民族が一つの連合体を組織しております。

 科学も現在の西欧の科学とは異なり、エーテル力学が進んで人間生活が一変しております。もっとも、この分野のことはこれ以上のことは述べないでおきましょう。私の分野ではないからです。


以上のことはこれから顕現される吾々への教訓を貴殿にできるだけ明確に理解していただくために申し上げているまでです。

 さて地球は地軸上でゆっくりと回転を続けながら内部からの光輝をますます強め、それがついに吾々までも届くようになり、それだけ吾々も明るく照らし出されました。

するとその地球の光の中から、地球の構成要素の中に宿る半理知的原始霊(いわゆる精霊のことで以下そう呼ぶ──訳者)が雲霞のごとく出てきました。奇妙な形態をし、その動きもまた奇妙です。その種のものを私はそれまで一度も見かけたことがなく、じっとその動きに見入っておりました。

個性を持たない自然界の精霊で、鉱物の凝縮力として働くもの、植物の新陳代謝を促進するもの、動物の種族ごとの類魂として働いているものとがあります。

鉱物の精霊はこの分野を担当する造化の天使によって磁力を与えられて活動する以外には、それ本来の知覚らしい知覚はもっておりません。

が、植物の精霊になるとその分野の造化の天使から注がれるエネルギーに反応するだけの、それ本来の確立された能力を具えております。鉱物にくらべて新陳代謝が早く、目に見えて生育していくのはそのためです。

 同じ理由で、人間の働きかけによる影響が通常の発育状態にすぐ表れます。たとえば性質の相反する二つの鉱物、あるいは共通した性質をもつ二つの鉱物を、化学実験のように溶解状態で混ぜ合わせると、融和反応も拒否反応もともに即座にそして明瞭な形で出ます。感覚性が皆無に近いからです。

 ところが植物の世界に人間という栽培者が入ると、いかにも渋々とした故意的な反応を示します。ふだんの発育状態を乱されることに対して潜在的な知覚が不満をもつからです。

しかしこれが動物界になると、その精霊も十分な知覚を有し、かつ又、少量ながら個性も具えています。また造化の天使も整然とした態勢で臨んでおります。

 その精霊たちが地中から湧き出て上昇し、地球と吾々との中間に位置しました。すると今度はその精霊と吾々との間の空間から造化の天使たちが姿を現しました。現実には常に人間界で活動しているのですが、地上にそれに似た者が存在しませんので、その形態を説明することは出来ません。

一見しただけで自然界のどの分野を担当しているかが判る、と言うに留めておきましょう。大気層を担当しているか、黄金を扱っているか、カシの木か、それとも虎か───そうした区別が外観から明瞭に、しかも美事に窺えるのです。

形、実質、表情、衣──そのすべてに担当する世界が表現されております。もっとも衣は着けているのといないのとがあります。

いずれにせよ、その造化の天使たちの壮観には力量の点でも器量の点でも言語を絶した威厳が具わっております。それぞれに幾段階にもわたる霊格を具えた従者をしたがえております。

その従者が細分化された分野を受けもち、最高位の大天使と、動物なり植物なり鉱物なりとの間をつないでおります。

 さて、その天使群が地球の光輝の中から湧き出てきた精霊たちと合流した時の様子は、いったいどう叙述したらよいでしょうか。こう述べておきましょう。

まず従者たちが精霊へ向けて近づきながら最高位の大天使を取り囲みました。かくまうためではありません。ともかく包み込みました。すると精霊たちもそのいちばん外側の従者たちと融合し、その結果、地球のまわりに美しい飾りのようなものが出来あがりました。

 かくして地球はかつてない光輝を発しながら、あたかも玉座を納めたパピリオンのカーテンのごとく、上下四方を包むように飾る、生き生きとした精霊群の真っ只中にありました。今や地球は一個の巨大な美しい真珠のごとく輝き、その表面に緑と金色と深紅と琥珀色と青の縞模様が見えていました。

そしてその内部の心臓部のあたりが崇敬の炎によって赤々と輝いて見え、造化の天使とその配下の無数の精霊に鼓舞されて生命力と幸福感に躍動し、その共鳴性に富む魅力を発散しておりました。  

 その時です。生き生きとしたその飾りの下からキリストの姿が出現しました。完成せるキリストです。かつてのキリストの叙述にも私は難儀しましたが、いま出現したキリストを一体どう叙述したらよいでしょうか。途方に暮れる思いです。

 おからだは半透明の成分でできており、地球ならびにそれを取り巻く無数の精霊のもつ金色彩をみずからの体内で融合させ完全な調和を保っておりました。そのお姿で、煌々たる巨大な真珠の上に立っておられます。

その真珠は足もとでなおも回転し続けているのですが、キリストは不動の姿勢で立っておられます。地球の回転は何の影響も及ぼしませんでした。

 衣服は何も着けておられませんでした。が、その身辺に漂う生命の全部門の栄光が、その造化にたずさわる大天使を通して澎湃(ホウハイ)として押し寄せ、崇敬の念の流れとなって届けられ、それが衣服の代わりとしておからだを包み、お立ちになっている神殿に満ちわたるのでした。

 お顔はおだやかさと安らかさに満ちておりました。が、その眉にはお力の威厳が漂っておりました。神威がマントのごとく両肩を包み、紫がかった光に輝く豊かな起伏を見せながら背後に垂れておりました。

 かくして吾々は地球を囲みつつキリストの上下四方に位置していたことになります。もっとも、キリストにとっては前も後ろも上も下もありません。


吾々のすべてが、吾々の一人一人が、キリストのすべて──前も後もなく、そっくりそのままを見ていたのです。貴殿にはこのことが理解できないことでしょう。でもそう述べるほかに述べようがないのです。その時の吾々はキリストをそのように拝見したのです。

 そう見ているうちに、無数の種類の創造物が各種族ごとに一大合唱団となってキリストへの讃仰の聖歌を斉唱する歌声が響いてきました。それが創造的ハーモニーの一大和音(コード)となって全天界ならびに惑星間の虚空に響きわたり、各天体をあずかる守護の天使たちもそれに応唱するのでした。

 それほどの大讃歌を地上のたった一つの民族の言葉で表現できるはずがないのは判り切ったことです。でも、宇宙の一大コンサートの雄大なハーモニーの流れに吾々の讃仰の祈りを融合させて、その聖歌の主旨だけでも、私にできるかぎりの範囲で表現してみましょう。

「蒼穹の彼方にははたして何が存在するのか、私どもは存じませぬ。地球はあなたの天界の太陽が放つ光の中のチリほどの存在にすぎぬからでございます。

しかし父なる大神のキリストにあらせられるあなたの王国の中のこの領域を見てまいりました私どもは、このことだけは確信をもって信じます──すべては佳きに計らわれている、と。

 私たちの進む道において、この先、いかなることが永却の彼方より私たちを出迎えてくれるや、いかなる人種が住むことになるや、いかなる天使の支配にあずかることになるや──こうしたことも私たちは今は存じませぬ。

それでもなお私たちは恐れることなく進み続けます。ああ、主よ、私たちはあくまでもあなたのあとに付いて参るからでございます。力と愛とが尊厳の絶頂の中で手に手を取ってあなたの両の肩に窺えます。

 父なる神がいかなるお方であるか──それは最愛の御子たるあなたを拝しお慕いしてきて、私どもはよく理解できております。あなたを逢瀬の場として私どもの愛が父の愛と交わります。私どもは父をあなたの中において知り、それにて安んじております。

 主よ、私どもの目に映じるあなたは驚異に満ち、かつ、この上なくお美しい方であらせられます。しかし、それでもなお、あなたの美のすべては顕現されておりませぬ。それほど偉大なお方であらせられます。

 本来の大事業において私どもは心強く、楽天的に、そして恐れることなくこの身を危険にさらす覚悟でございます。叡智と力と創造的愛の完成せるキリスト、私たちはあなたの導かれるところへ迷わずあとに続いてまいります。

 私たちは霊格の序列と規律の中で、あなたへの崇敬の祈りを捧げます。何とぞあなたの安らぎの祝福を給わらんことを」
      アーネル ±                           (完)


  訳者あとがき

 前巻の〝あとがき〟の最後のところで私は〝いよいよ翻訳に取りかかる時は、はたして自分の力で訳せるだろうかという不安が過(よぎ)り、恐れさえ覚えるものである〟と述べた。

結局四度この不安と恐れを味わい、いまやっと全四巻を訳し終えた。長い長いトンネルをやっと抜けたといもう事実は事実であるが、そこにホッとした安堵感も満足感もない。


はたしてこんな訳でよかっただろうかという不安とも不満ともつかぬ複雑な感慨が過(よぎ)る。

 とくにこの第四巻は訳が進むにつれて私の置かれている立場の厳粛さと責任を痛感させられることになった。単に英語を日本語に直す訳者としての責任を超えて、天界の大軍が一千有余年の歳月をかけた地球浄化の大事業に末端的ながらも自分も係わっているという自覚から遁れるわけにいかなくなった。

これは自惚れとか尊大とかの次元を超えた、いわく言い難い心境である。本通信の重大性を理解してくださった方ならば、そういう自覚と責任感なしに訳せるものではないことはご理解いただけるであろう。

 この道の恩師である間部詮敦氏(以下先生と言わせていただく)との出会いは私が十八歳の高校生の時で、そのとき先生はすでに六十の坂を越えておられた。

その先生がしみじみと私に語られたのが〝この年になってやっと自分の使命が何であるかが判ってきました〟という言葉であった。私は〝先生ほどの霊格をおもちの方でもそうなのか〟といった意外な気持ちでそれを受けとめていたように思う。

その私が五十の坂を越えて同じ自覚をもつに至った。この心境に至るのに実に三十年の歳月を要したことになる。

 ここで改めて打ち明けておきたいことがある。実はその出会いから間もないころ先生が私の母に、私が将来どういう方面に進む考えであるかを非常に改まった態度でお聞きになられた。(そのとき先生は私の将来についての啓示を得ておられたらしい)

 母が「なんでも英語の方に進みたいと言っておりますけど・・・・・・」と答えたところ、ふだん物静な先生が飛びあがらんばかりに喜ばれ、びっくりするような大きな声で、

 「それはいい! ぜひその道に進ませてあげて下さい」とおっしゃって、私に課せられた使命を暗示することを母に語られた。何とおっしゃたったかは控えさせていただく。ともかくそれが三十年余りのちの今たしかに実現しつつあるとだけ述べるに留めたい。

 母はそのことをすぐには私に聞かせなかった。教育的配慮の実によく行き届いた母で、その時の段階でそんなことを私の耳に入れるのは毒にこそなれ薬にはならないと判断したのであろう。私が大学を終えて先生の助手として本格的に翻訳の仕事を始めるようになってから「実は・・・・・・」といって打ち開けてくれた。

 母は生来霊感の鋭い人間であると同時に求道心の旺盛な人間でもあった。当市(福山)に先生が月一回(二日ないし三日間)訪れるようになって母が初めてお訪ねしたとき、座敷で先生のお姿を一目見た瞬間〝ああ、自分が求めてきた人はこの方だ〟と感じ、〝やっと川の向う岸にたどり着いた〟という心境になったと語ったことがある。

 それに引きかえ父は人間的には何もかも母と正反対だった。〝この世的人間〟という言葉がそのまま当てはまるタイプで、当然のことながら心霊的なことは大きらいであった。

それを承知の母はこっそり父の目を盗んで私たち子供五人(私は二男)を毎月先生のところへ連れていき、少しでも近藤家を霊的に浄化したいと一生けんめいだった。

やがてそのことが父に知れた時の父の不機嫌な態度と、口をついて出た悪口雑言は並大抵のものではなかったが、それでも母は自分の考えの正しいことを信じて連れて行くことを止めなかった。

 そのころ運よく当市で催された津田江山霊媒による物理実験会に、それがいかなる意義があるかも知らないはずの母が兄と私の二人を当時としては安くない料金を払って出席させたのも、今にして思えば私の今日の使命を洞察した母の直感が働いたものと思う。

当時は津田霊媒も脂の乗り切った時期で、『ジャック・ウェーバーの霊現象』に優るとも劣らぬ現象を見せつけられ、その衝撃は今もって消えていない。

 当時のエピソートは数多いが、その中から心霊的にも興味あるものを一つだけ紹介しておきたい。

 当時の母は一方では近藤家のためだと自分に言い聞かせつつも、他方、そのために必要な費用はそのことを一ばん嫌っている主人が稼いでくれているものであり、しかもそれを内しょで使っているということに心の痛みを覚えていた。

そこである夜、先に寝入って横向きになっていびきをかいている父に向かって手を合わせ〝いつも内しょで間部先生のところへ行って済みません。

きっと近藤家のためになると思ってしていることですから、どうかお父さん許してくださいね〟と心の中で言った。すると不思議なことに、熟睡しているはずの父が寝返りをうちながら〝ああ、いいよ〟と言った。それを見て母は〝ああ、今のは守護霊さんだ。

守護霊さんは分かってくださってるんだ〟と思って、それまでの胸のつかえがきれいに消えたという。けだし母の判断は正解であった。私はこの話を母から二度も聞かされたが、この話には母の人間性のすべてが凝縮されているように思う。

〝苦〟と〝忍〟の中にあってなお思いやりの心を忘れないというのは、宗教的な〝行〟の中よりもむしろこうした平凡な日常生活での実践の方がはるかに難しいものである。

シルバーバーチが〝何を信じるかよりも日常生活において何を為すか──それが一ばん大切です〟と述べているのはそこを言っているのである。

 母はこうした心霊的なエピソートがいろいろとあるが、今そのすべてを語っている余裕はない。ともかくそれらのすべてが今私がたずさわっている英国の三大霊訓およびこれから発掘されていくであろう人類の霊的遺産の日本への紹介という仕事につながっていることを、今になってやっと痛感させられているところである。

 私は最近その母のことを生身の背後霊だったとさえ思うようになった。母にも母なりの人生があったことであろうが、その中での最大の使命は私を間部先生と縁づけ、そして以後ずっと勇気づけ父から庇ってくれたことにあったように思う。

あるとき母が少しはにかみながら私に一通の封書を見せてくれた。間部先生からの達筆の手紙だった。読んでいくうちに次の一文があった──〝あなたのような方を真の意味での人生の勝利者というのです・・・・・・〟母にとってこれ以上の慰めとなる言葉はなかったであろう。

 では父はどうかと言えば、最近になって私は、そういう父なかりせば果たして今日の私にこれだけの仕事ができたかどうか疑問に思うことがある。

もしも父が俗に言う人格者(これは大巾に修正を必要とする言葉となってきたが)で聞き分けのいい人間だったら、こうまでこの道に私が情熱を燃やすことにはならなかったのではないかと思われるのである。

 母は真の人生の指導者を求め続けてそれを間部先生に見出した。そしてそれを千載一遇の好機とみて、父から何と言われようと、何とかして子供を先生に近づけようとした。

そして私が大学を終えたのち父の期待を裏切って何の定職にもつかずに先生のもとへ走ったことで父が激高し、その責任を母になすりつけても、母は口応えすることなくじっと我慢して耐えてくれた。

こうしたことの一つ一つが節目となって私はこの道にますます深入りしていった。そうした観点から見るとき、その父の存在もまた神の計画の中に組み込まれていたと考えることができる。今ではそう信じている。

 その父がこの〝あとがき〟を書いている日からちょうど一か月前に八三歳で他界した。

母がいかにも母らしくあっさりと十年前に他界したのとは対照的に、父は二年間の辛い療養生活ののちに息を引き取った。二年前、私の『古代霊は語る』が出て間もないころに脳こうそくで倒れたのであるが、その時はすでに私のその本をひと通り読み通していて、〝すらすらと読めるからつい最後まで読んじゃった。

もう一度読み直そうと思っているよ〟と語っていた。それから一週間もしないうちに倒れて長男の家で療養を続けていたのであった。

 その父が一週間前にやっと私の夢に姿を見せてくれた。白装束に身を包み、元気だった頃とは見違えるほどアクの抜けた顔で立っていたが、私が顔を向けるとうつむき終始無言のままだった。

これから修行の旅にでも出かけるような出で立ちで、ひとこと私に言いたいことがあるような感じがした。

それは口にこそ出さなかったが、かつての父に似合わず小さくなっている態度が私に言葉以上のものを物語っていた。私が他界した時はぜひ母とともに笑顔で迎えてくれることを祈っている。

 父と母と私、それに間部先生の四人によるドラマはすでに終り、私は曲がりなりにも与えられた使命を果たしつつある。その間の数えきれないほどの不愉快な出来ごとも、終ってしまえばすべてが懐かしく、そして何一つ無駄ではなかったことを知らされる。

 あとは、最初に述べたように、果たしてこんな訳でよかったのだろうかという責任感が残るばかりである。その重大性を知るからこそ責任感も痛切なものとなる。

 が、シルバーバーチがよく言うように、人生は、この世にあろうとあの世にあろうと、すべてが途中の階梯である。この霊界通信は通信霊の古さのせいで原典そのものが古風な英語で書かれており、私はこれを原典のそれなりの味を損なわない程度に現代風にアレンジして訳したつもりであるが、それもいつかは古すぎる時代がくるであろう。

それは人間界の常としてやむを得ないことである。その時代にはその時代で有能な人材が用意されていることであろう。そう期待することで一応、訳者としての肩の荷を下ろさせていただきたい。

 訳の是非は別として、この通信そのものは私が改めて解悦するまでもなく、これまでの〝死後の世界〟についての概念に大巾な修正を迫る重大な事実を数多く含んでいると信じる。

日本の神ながらの思想をはじめとして世界各地の古代思想において神話風に語られてきている天地創造の真相を〝霊〟の〝物質〟への顕現としてとらえ、さらに宇宙のチリほどの存在にすぎない地球の過去一千有余年にわたる特殊事情を説き、それが現在のスピリチュアリズムの潮流につながっている事実を示唆している。

 いずれ日本にも日本人に親しみやすい形での〝新しい啓示〟が与えられる日が到来することであろうが、私見によればそれは、こうした西洋的啓示によって日本人特有の〝霊〟についての曖昧かつ摩訶不思議的概念を改められ、霊こそ実在とした合理的かつ論理的概念を十分に摂取してからのちのことになるであろう。その辺に本通信の日本人にとっての意義があると私は観ている。

 最後に、こうした特異な通信を快く出版してくださった潮文社に対して深い感謝の意を表したい。                    (一九八六年)



 新装版発行にあたって

「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。

    平成十六年二月     
                                 近藤 千雄
 

シアトルの夏 15章 交霊会の舞台裏

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)




〔シルバーバーチは、物理的心霊現象を引き起こすには霊界サイドの組織体制が不可欠であると述べている。シルバーバーチの交霊会(ホームサークル)の最初の頃には直接談話現象や物質化現象が演出されたが、やがてサークルのメンバーが一新し、それにともないこうした物理的心霊現象は姿を消すことになった。〕


この交霊会には一団の霊が携わっています。それはあらゆる界層の霊たちで、地上近く(幽界下層)からやってきた霊もいます。彼らは物質的反応を演出したり、心霊現象の演出に必要となるもの(エクトプラズム)を供給したりします。

また一方には、光り輝く高級霊たちもいます。彼らは大霊のメッセンジャーです。彼らが活動しているのは、こうして交霊会を催しているときだけではありません。皆さんの睡眠中も活動しています。霊的真理を少しでも多く地上にもたらすために、いろいろと心を砕いているのですが、それでもまだ闇夜に輝くほのかな明かり程度でしかありません。

そうした大霊の使徒が足繁くこの小さな一室に通うのは、ここが荘厳な神殿だからです。それは建物が大きいとか、高くそびえているとか、広いということではありません。ここから地上界に光を注ぐことができるということです。そうして暗闇は真理の炎によって駆逐されるのです。こうしたサークルから、地上世界は新しいエネルギーを得ることになります。そして利己主義や不正・不寛容といった邪悪が一掃されていきます。なぜならそれらは、大霊の摂理に反するものだからです。

この仕事は、これからもずっと続きます。それは大霊の大事業の一環だからです。皆さんがこのサークルの一員として選ばれたのは、一人ひとりが特異な体験を持っており、その特質をうまく融和させると、愛と調和と善意による完全なサークルが形成されることになるからです。それが光の神殿を築くことを可能にするのです。

皆さんは、途方もなく大きな仕事をしています。大霊の神殿を建設しているのです。時として霊界で起きていることを垣間見ることがあるでしょう。そうかと思うと暗闇の中に取り残されて当惑し、疑問を抱くかもしれません。それは霊界からの働きかけに対して、皆さんの理解が及ばないからです。忘れないでいただきたいのは、私たち霊団の者は、暗闇に閉ざされた地上界へ光明をもたらすために片時も休むことなく全力を尽くしているということです。

直接談話現象(メガホンの中に発声器官をこしらえてスピリットがしゃべる現象で、霊言現象とは別。シルバーバーチの交霊会でも初期の頃はよく行われ、いろいろな霊がしゃべった――訳注)を上達させる(鮮明な声で長時間持続させる)には、繰り返し練習するしかありません。言いたいことをどれだけ伝えられるかは、実際にやってみないと分からないものです。ともあれ皆さんは当初からその上達ぶりを目の当たりにしてきた、本当に恵まれた方たちです。

交霊会ではバイブレーションが問題となります。交霊会の成否は、その問題をどの程度まで克服できるかにかかっています。皆さんの側としては語られたものしか聞こえないわけで、語られずに終わったものは、当然のことながらお分かりになりません。

霊界側にとって最も厄介なのは、話したがる者が多すぎるということです。彼らは「ほんの少しだけでいいからしゃべらせてください。一言だけでいいですから」と言って嘆願するのです。そこでやむをえず、彼らに話をさせることになります。

ここに神殿を築く仕事は休むことなく続けられています。エネルギーを蓄えること、いろいろと実験を試みること等々、くる日もくる日も、昼夜の別なく、この部屋での交霊会の準備のために大勢の霊が出入りしています。

あなた方が電話で話をしようとするとき、電話機を製造するために働いている人たちのことは念頭にありません。あなた方は電話口に向かってしゃべるだけで、先方もそれを聞いて受け答えをするだけです。が、実際は大勢の人たちの働きがあるからこそ両者は話が通じるわけです。私たちがやっている通信も、それと同じです。あなた方はこちらがしゃべったことを聞くだけですが、実際には両者の間で多くの仕事がなされているのです。

例えばこちらの化学者は一種の光線を使用します。それを用いて現象を発生させるのですが、その化学的成分は地上のいかなる分析器でも調べることはできません。こちらの化学者は常に忙しく動き回っています。その光線はとても強力なパワーを秘めていますが、このサークルの出席者に危害が及ぶようなことはありません。それは皆さん方の霊的身体がその光線に順応するようになっているからです。そのようにこちらで工夫しているのです。その光線を皆さんは見ることも感じることもできませんが、私たちにははっきりと見えています。

今夜、この部屋には五千人もの霊たちが集まっています。皆さんがよく知っている人で交霊会というものに関心のある霊もいれば、こんなことが本当にできるのだということを今まで知らなかったために、初めて見学に来たという霊もいます。

また、どのようにして霊界から地上界へ接触すべきかを学んだり、霊媒を他の分野でも使用できるかどうかを勉強するために、ここに集まってきている霊もいます。こうしたことは地上界ばかりでなく、霊界にとっても非常に重大な真理普及のための仕事なのです。私たちは、時間とエネルギーを無駄に用いることはしません。私たち霊界の者が学ばなければならない大切なことは、地上人の心に私たちからのメッセージを印象づけるためにはどのように霊力を使用したらよいのか、ということです。霊界サイドの者が霊力を用いるための法則を十分に理解するなら、あなた方の心に影響を及ぼしやすくなります。地上人は知らないうちに、霊界からのインスピレーションの受信者になっているのです。

あなた方の世界には、偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育者と言われる人たちが数多くいます。実は彼らは、霊界からの知識を伝える道具にすぎません。私たち霊界の者にとって、真理や発見が地上にもたらされるかどうかだけが問題なのであって、地上の誰がインスピレーションを受けるかは、どうでもいいことなのです。

霊界では、一人で仕事をするということはありません。なぜなら、協調こそが大霊の摂理だからです。そのため霊界ではグループを組織します。そして可能なかぎり、全体としての完璧性を目指します。グループの仕事にとって最も必要とされるのは、メンバーのあらゆる特性・長所を一つにまとめ上げることです。それができると、その中の一人がグループ全体のマウスピースになって地上に働きかけます。私も、私が所属する霊団のマウスピースです。霊団の一人として働く方が、自分一人で仕事をするよりもはるかに楽に進みます。達成された仕事の成果は、グループ全体の知力・精神力を総合したものなのです。

仕事の成果が素晴らしければ素晴らしいほど、霊団のメンバーは完璧に一体化しているということです。同様に、霊媒が首尾よく役目を果たしていればいるほど、霊媒と支配霊との調和がとれているということです。そうでないなら、必ずどこかできしみが生じます。

これと同じようなことが、地上界のチームづくりにも言えます。組織者(リーダー)が優れていれば、メンバーの一人ひとりにふさわしい仕事を与え、最高の結果を生み出すことになります。オーケストラでは、楽団員が演奏する楽器は一人ひとり違っていても、ハーモニーがとれるならば一つの立派なシンフォニーができ上がります。しかし、もしそのうちの一人でも音程を間違えるなら、全体は台なしになってしまいます。まさに調和こそが「神の摂理」なのです。
質疑応答


――心霊現象を起こすためには出席者の霊的エネルギーを使うそうですが、部屋にある物体を利用することもあるのでしょうか。


はい、あります。状況によっては、カーペットやカーテン、書物や家具なども利用します。物質に宿っていない私たちは、身近にある物体からエネルギーを引き出して使わざるをえません。と言っても、少しずつです。一度にあまり多く取り過ぎると、物体はバラバラに分解してしまいます。


――物質化現象が起きる部屋のもの、例えばカーテンなどが異常に早く朽ちるのはそのためですか。


そうです、それが原因です。ですが、私たちはその点にずいぶん気を使っています。物質化現象では色彩を必要とするときがありますが、これもその場の物体から抜き取ります。あなた方が私たちの仕事についてもっと知ってくださるなら、私たちが何ひとつ無駄にしていないことが分かっていただけると思います。しかし何よりも大きな力となるのは、あなた方列席者の内部からのエネルギーです。これが最も大切な要素なのです。

霊媒は、霊媒としての能力を向上させるだけでなく、自分の霊力を強化することも心がけないといけません。霊媒自身の霊力が強化されると、その霊媒から出るエクトプラズムの質も向上するのです。私たちが扱っているのは、材木や粘土ではありません。霊媒の体内にある生命のエッセンスを扱っているのです。思想や人間性や精神など、その霊媒のすべてがエクトプラズムに反映します。


――物質化現象は霊媒現象の中で質的に高いものでしょうか、低いものでしょうか。あなたとしては奨励なさいますか。


何事であれ、一人の人間に幸せをもたらし霊的摂理についての知識を与えることになるならば、それはそれなりに目的を達成したことになります。高いとか低いとかの概念で考えてはいけません。それを必要としている人にとって役に立つか否かの観点から考えるべきです。



シアトルの夏  16章 交霊会についての誤解

 Teachings of Silver BirchA.

W.オースチン(編)近藤千雄(訳)



〔交霊会を催しても何ひとつ現象が起きないことがある。すると出席者は時間を無駄に費やしたと、不満に思うものである。ここでのシルバーバーチの言葉は、心霊現象を待ち望む人々に励ましをもたらすことになるであろう。〕



交霊会のような場で、霊的な一体化を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。あなた方が、何か現象が起きないかと辛抱強く待っていることは知っていますが、交霊会としては着々と進展していることを理解していただきたいのです。その間に私たち霊界の者との絆が強化され、出席者の霊的感受性は鋭くなっています。

高次の心霊現象は、出席者の内的な反応、つまり霊性の開発とそれを活用しようとしている力(霊団)によって発現するようになります。

ですから、どういう現象が見られたとか、どんな音が聞こえたのかということは大して重要ではありません。もっと大切なことは、サークルのメンバーの霊性の開発です。あなた方は毎週一回この交霊会に参加していますが、それによってより高度なバイブレーションに波長を合わせ、太古からの霊的叡智にいっそうなじむようになっています。霊的叡智は、地上という物質界に届けられることを待ち続けています。それが実際に地上に届けられるためには、そのバイブレーションに同調できる通路(チャンネル)が必要となります。

あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力な霊的エネルギーと接触できるようになります。そのエネルギーは目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそがあなた方の生命の真実在なのです。ところが、大半の人間は多くの時間を影を追い求めて過ごし、幻影を捕らえようとし、その場かぎりの満足を得ようとしています。

静寂と調和と愛の中で、皆さんの魂は一時(いっとき)も休むことなく開発されています。その速度は遅々としていますが、着実です。各自の内部に宿る大霊(神の分霊)が開発され、進化し、その分だけ神性を発現することが可能になっています。ナザレのイエスがその昔こう言いました――「二人ないし三人の者が集う所には大霊が祝福を授けてくださる」と。私たちも同じことを述べているのですが、誰も耳を貸そうとしません。


訳注――「耳を貸さない」とは、ここではキリスト教会のことを言っている。「大霊が祝福を授けてくださる」というのは霊媒能力によって霊界と地上界との交信が可能になるという意味で、それを実際にやって見せているのに認めようとしない教会を批判している。

真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。真理は不変です。なぜなら真理は正しい知識に基づくものだからです。その正しい知識は大霊から出ています。大霊こそ、すべてのインスピレーションの中心であり始原です。真理はとてもシンプルで、容易に理解できるものなのですが、地上人はそれをきわめて難しいものにしてしまっています。

このサークルの方たちとはすでに何度もお会いしていますので、私たち霊団との絆は強化されています。霊団の中には皆さんの知らない霊、名前を聞かされても分からない霊が大勢いますが、いずれもお役に立ちたいという一心で来ており、彼らは評価も報酬も一切求めてはいません。

そうした霊たちがこの場を訪れるのは、地上界へ霊的知識を届け、真理の普及を促進し、間違ったことを改め、悲しみと迷信を駆逐し、光明を広げ、痛みと苦しみの代わりに幸せと平和と繁栄をもたらす手段(霊媒と出席者)があるからです。

その仕事を推進するうえで、皆さんは大いに役に立っているのです。万一、何の役にも立っていないように思えたときには、どうか次のことを思い出してください。皆さんが人類に対する奉仕への熱い思いを抱いてこの部屋に来て、私たちと一時間ほど共に過ごすということが、ここに霊的神殿を築くための大きな力になっているということです。

この交霊会に出席して大霊と心を一つにしておられる時間は、一時として無駄に終わることはありません。調和と愛の心で集うときに蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築くうえで役に立っているのです。その架け橋を通って、新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けようとする霊が大挙して降りてきます。どうかそのことを忘れないでください。時には冗談を言って笑いの渦が巻き起こることがあっても、その背後には常に大きな目的が控えているのです。

その目的とは、大霊の摂理が皆さん方一人ひとりを通して地上界で十分に機能するようになることです。皆さんは、その目的のために今日まで献身してこられたのです。その目的を共有し、大霊を受け入れたいとの思いが強くなるほど、それだけ多くの大霊のエネルギーが地上界へもたらされるようになるのです。
質疑応答


――交霊会で笑い声があがるのは、良い影響をもたらすことになるのでしょうか。


心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。忘れないでください。あなた方は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた方を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことに煩(わずら)わされているかぎり、その真意は分かっていただけないかもしれません。

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。

こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた方の中にある」と教えているのですが……。


――自動書記は心霊現象の中でいちばん信頼性が乏しいようですが、なぜでしょうか。


それはその霊媒の能力の問題です。霊媒が未熟であれば、地上の人間の想念と霊界から送られてくるメッセージとの区別がつきません。能力の発達程度の問題で、ある一定のレベル以上に到達すれば地上界の想念を払いのけ、霊界からのメッセージを受け取りやすくなります。霊媒が未熟なのに、それを霊側の責任にしてはいけません。私たちとしては、そちらから提供してくれる道具で仕事をするしかないのです。


――幽界から霊界へと向上していった霊が地上と交信するときは、幽界まで降りてこなければならないのでしょうか。


いいえ、そんなことはありません。彼らは、メッセージを届けてくれる霊を見つけることができます。地上へ通信を送るための道具(霊界の霊媒)を、いつでも霊界サイドで調達できるのです。ただし、霊界の霊媒となる霊は、幽界を卒業しているだけでなく、そのレベルをはるかに超えていなければなりません。地上界の次の段階である幽界にいる者だけが地上界と交信できるというわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの能力があれば、直接交信することができるのです。


――霊的な問題についての知識の限度は地上人の受容能力によって決まるそうですが、そうなると霊的知識の理解力に欠ける人間は、霊媒を通して証拠を求めるのが賢明ということになるのでしょうか。


証拠と魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、霊界のどの界層まで至ることが可能か、ということで決まります。魂が真理を理解できる段階まで進化しているかどうかということです。それを証拠の追求と混同してはいけません。証拠の追求と魂の成長は、必ずしも足並を揃えて進んでいくものではありません。生命が死後にも存続する証拠を手にしていながら、霊性に目覚めていない人がいるものです。














Wednesday, June 25, 2025

シアトルの初夏 9章 男性原理と女性原理

ベールの彼方の生活(四) G・V オーエン著




 1 キリストはなぜ男性として誕生したか
 一九一九年三月二十一日  金曜日

 貴殿に興味のありそうな話題は多々あるのですが、話が冗漫(じょうまん)になるといけませんので割愛させていただき、兄弟(けいてい)かきにせめぐ今日の危機(第一次大戦一九一四~一八──訳者)に至らしめた大きな原因について述べようと思います。

 それはつまるところ、霊的なそしてよりダイナミックな活動をさしおいて、外面的な物的側面を高揚する傾向であったと言えます。

その傾向が西洋人の生活のあらゆる側面に浸透し、それがいつしか東洋人の思想や行動意志まで色濃く染めはじめました。それは実際面にも表れるようになり、一般社会はもとより政治社会、さらには宗教界にも表れ、ついには芸術界すらその影響から逃れられなくなりました。

すでにお話した物質と形態へ向けて〝外部へ、下方へ〟と進んできた宇宙(コスモス)の進化のコースを考えあわせていただければ、そのことは別段不思議とは思えないでしょう。

 顕現としてのキリストについてもすでに述べました。私はこう述べました──いかなる惑星に誕生しようと、言いかえれば、地上への降誕と同じ意味でいかなる形態に宿ろうと、キリストはその使命を託された惑星の住民固有の形態を具えた、と。

そのことは降誕する土地についても言えますが、同時に降誕する時代についても言えます。

 ではこれより私は、ガリラヤのイエスとしての前回の地上への降誕について述べてみます。

人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知るかぎり、神性において性の区別はないこと、男性も女性もないこと、なのにイエスは、いつの時代においても、かのガリラヤにおいても、男性として降誕したという事実のもつ重要性を見落としております。私はこれよりその謎について説明してみます。

 これまでの全宇宙の進化は〝自己主張〟すなわち形体をもって自己を顕現する方向へ向かってまいりました。絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、女性ではありませんでした。

それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の選んだ女性を組み入れて行こうとします。

その女性を他の女性から隔絶して保護し、育(はぐく)み、我がものとしていきます。我が意志が彼女の意志──つまり女性は自分の意志のすべてを男性の意志に従わせます。

その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。しかし、その洗練というものは男性的理想ではなく女性的理想へ向かうものです。この点をよく注意してください。大切な意味があるのです。

 そこで地球について言えば──このたびは他の天体のことには言及しません──悠久の進化の過程において、身体的にも知性的にも力による支配の原理が表現されてきました。

この二元的な力の表現が政治、科学、社会その他あらゆる分野での進歩の推進的要素となってきました。

それが現代に至るまでの地上生活の主導的原理でした。人類の旗には〝男性こそリーダー〟の紋章が描かれておりました。キリストが女性としてでなく男性として地上へ誕生したのはそのためでした。

 しかし、男性支配の時代はやっとそのクライマックスを過ぎたばかりです。と言うよりは、今まさにそれを越えつつあります。そのクライマックスが外部へ向けて表現されたのが前回の大戦でした。


──その大戦のことはすでに多くを語っていただいております。これからまたその話をなさるのではないでしょうね。

 多くは語るつもりはありません。しかし私がその惨事について黙することは、その大戦で頂点を迎えた、人類の進化に集約される数々の重大な軌跡を語らずに終わることになります。その軌跡が大戦という形で発現したのは当然の成り行きであり不可避のことだったのです。


冷静に見つめれば、自己主張の原理の良い面は男性的生活態度が創造主の面影をほうふつとさせることですが、それは反面において自分一人の独占・吸収という野蛮な側面ともなりかねないことが分かるでしょう。

洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的男性は女性に対して優位のみを主張します。同じ意味で、洗練された国家は他の国家に対して有益な存在であることを志向し、相手が弱小国家であれば力を貸そうとするものです。が、

野蛮な国家はそうは考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収してしまおうとする態度に出ます。

 しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的であり、その違いは性質一つにかかっております。善性が強ければ与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。が、与えることも奪うことも男性的性向のしからしむるところであり、女性的性向ではありません。


与えることは男性においては美徳とされますが、女性においては至極(しごく)あたりまえのことです。男性は功徳を積むことになりますが、女性はもともとその性向を女性本能の構成要素の中に含んでおります。

 キリストはこの自己主張の原理をみずから体現してみせました。それが人類救済の主導的原理だったのです。男性としてキリストも要求すべきものは要求し、我がものとすべきものは我がものとしました。これは女性のすることではありません。が、

徹底的にその原理を主張してしまうと、こんどは男性の義務として、すべてを放棄しすべてを与えました。が、

その時のキリストは男性としての理想に従っているのではなく女性としての理想に従っているのです。しかも女性としての理想に従っていながら、いっそう完全なる男性でもあるのです。

このパラドックスはいずれ根拠を明らかにしますが、まずはイエス・キリストの言葉を二、三引用し、キリストが身体的には男性でありながら、男性と女性の双方の要素が連帯して発揮されている、完全なる神性の顕現であることをお示ししましょう。

 「人、その友のために己れを棄つる、これに優る愛はなし」(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。それよりさらに大なる愛が存在します。

それは敵のために己れの生命を棄てることです。自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き相手に捧げる愛を見るのです。

イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命(イノチ)を棄てました。私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素でなく女性的要素が誘発したように思えるのです。

 また、なぜ「奪うよりは与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、女性にとっては容易にそして自然に理解がいきます。

男性はそれが真実であることに同意はしても、なお奪い続けようとするものです。女性は与えるという行為の中によろこびを求めます。

受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。このことを考え合わせれば、今だに論争が続いている例の奇蹟に敬虔の念を覚えられることでしょう。つまり、わずかなパンを何十倍にも増やして飢えをしのがせた行為も同じ女性的愛から発していたのです。
 しかしこの問題はこれ以上深入りしないでおきましょう。

 私が言いたかったことをまとめると次のようなことになります。つまりこれまでの地上世界はすべての面において英雄的行為が求められる段階にあったということ。

従って〝雄々しい力〟という言葉が誰の耳にも自然な響きをもって聞こえ、〝女々(めめ)しい力〟という言い方から受ける妙な響きはありません。

 しかし男性は神威の一つの側面──片面にすぎないのです。その側面がこれまでの永い地上の歴史の中で存分に発揮されてきました。が、

これより人類が十全な体験を積むためには、もう一方の側面を発揮しなければなりません。これまでは男性が先頭に立って引っぱってきました。そしてそれなりの所産を手にしました。これからの未来にはそれとは異質の、もっと愉しい資質が用意されております。 アーネル ±

      

2 男性支配型から女性主導型へ

 一九一九年三月二十四日  月曜日

 吾々から送られるものをそのまま書き記し、疑問に思えることがあってもいちいち質問しないでいただきたい。全部を書き終わってから読み直し、全体として判断し、部分的な詮索はしないでいただきたい。

このようなことを今になって改めて申し上げるのも、吾々が用意している通信は多くの人々にとって承服しかねるものであろうと思われるからです。ですが、とにかく書き留めていただきたい。

吾々も語るべきことは語らねばなりません。それをこれより簡略に述べてみましょう。

 キリストがガリラヤのイエスとして地上に降誕するまでの人類の進化は、知性においても力においても、男性の〝右腕〟による支配の線をたどっておりました。

それが人類進化における男性的要素でした。他にもさまざまな要素があったにしても、それは本流に対する支流のようなもので、進化の一般的潮流にとっては大して意味はありません。私はこれよりそうした細かいことは脇へ置いて、本流について語ります。

 イエスは地上に降り、人間社会の大混乱を鎮静させるためのオイルを注がれました。聞く耳をもつ者に、最後の勝利は腕力にせよ知力にせよ強き者の頭上に輝くのではなく、〝柔和(ニュウワ)なる者が大地を受け継ぐ〟(詩篇37・11)と説きました。

受け継ぐのです。奪うのではありません。お分かりでしょう。イエスは人類の未来のことを語っていたのです。

 この言葉を耳にした者は実際的であると同時に美しくかく真実であることを認めました。そして以来二千年近くにわたって両者を融合させようと努力してまいりました。


すなわち支配力に柔和さを継ぎ木しようとし、国内問題、国際問題、社会問題その他あらゆる面で両者をミックスさせようとしたのです。が両者は今なお融合するに至っておりません。そこである者はキリスト教は公共問題においては無能であると言います。


その結論は間違っております。キリストの教えは地上の人生において唯一永続性のある不変の真理です。

 人間は暴力と威圧による支配が誤りであったことを認識しました。が、それを改めるためにこれまでに行ってきたことは、その誤った要素はそのまま留めておいて、それを柔和さという穏やかな要素によって柔らげることでした。

つまり一方では男性が相変わらずその支配的立場を維持しつつ、他方では女性的要素である柔和さによってその支配に柔らかさを加味しようと努力したのです。

結果は失敗でした。あとは貴殿にも推察がつくでしょう。唯一残されたコースはその誤った要素を棄て、女性的要素である柔和さを地上生活における第一位の要素としていくことです。
 地球の過去は男性の過去でした。地球の未来は女性の未来です。

 女性は今、自分たちの性の保護のための何か新しいものの出現を期待する概念が体内から突き上げてくるのを感じております。それは感心しません。

ひとりよがりの考えであり、従ってそうあってはならないことだからです。かの昔、一人の女性が救世主を生みましたが、それは女性の救世主としてではなく全人類の救世主として誕生しました。現在の女性の陣痛から生まれるものも同じものとなるでしょう。

 何か新しいものを求める気持の突き上げを感じて女性は子孫への準備に取りかかりました。男児のための衣服を作りはじめております。私は今〝男児〟と言いました。

女性が作りつつある衣服はやはり男性のためのものなのです。そのための布を求めに女性は、男性だけが売買をしている市場へ行って物々交換を申し出ました。

〝私たち女性にだって男性の仕事はできます〟と言います。そのとき女性は自分が新しいブドウ酒を古い皮袋に入れているにすぎないことに気づいていません。いけません。女性が男性の立場に立つことをしては両者とも滅びます。

女性は男性がこれまでに学ばされてきた苦い体験から女性としての教訓を学び取らなくてはいけません。男性はどこに挫折の原因があったかを学びました。

ではどうすべきかが分からぬまま迷っております。片方の手で過去をしっかりと握り、もう一方の手を未来に向けて差し出しています。が、その手にはいまだに何も握られていません。過去を握りしめている手を放さないかぎり空をつかむばかりでしょう。

  女性は今、かつての男性がたどったのと同じ道をたどろうとしています。男性と対等に事を牛耳ろうとしています。しかし女性の未来はその方向にあるのではありません。

女性が人類を支配することにはなりません。単独ではもとより、男性と対等の立場でも支配することにもなりません。これからは女性が主導(リード)する時代です。支配するのではありません。

 前にも述べた通り、これまでの地球の進化は物的なものへ向けての下降線をたどって来ました。そこでは男性が先頭に立ち、荒々しい闘争のために必要な甲冑がよく似合いました。が、


その下降線も折り返し点に到達し、今まさにそこを後にして霊的発達へ向けて上昇を開始したところです。霊の世界には人間が考え出した(神学の)ような、ややこしい戒律(キマリ)による規制はありません。あるのはただ愛による導きのみです。

地上にも、優位の立場からの支配は女性の性(さが)に不向きであることを悟った暁に女性が誘導(ガイダンス)によってリードしていく場があります。

 しかし、その女性主導の未来がどういうものであるかは、いかなる形にせよ説明するのはとても困難です。と言うのも、これまでのそうした主導権の概念は支配する者と支配される者、抑える者と従わされる者、といった二者の対立関係を含んでおりますが、これからの主導権にはそうした対立関係は含まれていないからです。

この〝主導〟という用語からしてすでに一方が先を行き他方がその後に付いていくという感じ、一種の強制観念をもっています。これからの人類を待ちうけていると私が言っている主導はそれとは異なるものです。

 次のように説明すればどうでしょうか。それはイエス・キリストにおいて明白に体現されております。男性としての美質が一かけらの不快さも醜さも伴わずに体現されていると同時に、女性としての優しさが一かけらの弱々しさも伴わずに融合されております。

未来は両者が、すなわち男性と女性とが、いかに完璧に一方が他方を吸収した形であっても、二つの性としてではなく、一つの性の二つの側面という形をとることになります。

 力の支配するところでは〝オレが先だ。お前はあとに付いてこい〟ということになります。愛の支配するところでは言葉は不要です。以心伝心で〝最愛なる者よ、ともに歩もう〟ということになります。


 私の言わんとすることがこれでお分かりと思います。


──分かります。ただ、今日までの慣習に親しんできている者にとっては、一方が(優しく)手引きし他方が(素直に)付いて行くようでなければ進歩が得られないというのは、いささか理解が困難です。

 おっしゃる通りです。今の言いまわしにも苦心のあとがうかがえます。いま貴殿は地上でいう組織や整然とした規制、軍隊や大企業における上下の関係を思わせる語句を使用しておられます。

 もちろん天界においても整然たる序列が存在します。しかしそれは権力の大小ではなく、あらゆる力の背後に控えるもの──愛がそうあらしめるのです。

 実際においてそれが何を意味するかを次の事実から微(カス)かにでも心に描いてみてください。比喩的な意味ではなく実際の事実として、地上でいうところの高い者と低い者、偉大な者と劣等なる者は存在しません。

地上から来たばかりの霊と天使との間にもかならず共通した潜在的要素が存在します。

その意味で、若い霊も潜在的には天使と同じであるのみならず、さらに上の大天使、力天使、能天使とも同じであると言えるのです。

(訳者注──ここではオーエンがキリスト教の牧師であることから神学における天使の分類用語を使用しているまでのことで、実際にそういう名称で呼ばれているわけではない。要するに造化の仕事に直接たずさわっている高級霊と考えればよい)

 さらに、たとえば天使と父との関係について言えば、地上的な観点からすれば当然天使の方が小さい存在ですが、天界全体として考えた時、両者の関係は一つの荘厳なる実在すなわち絶対神の中に吸収されてしまいます。

そこにおいては天使も絶対神と一体となります。〝より大きい〟も〝より小さい〟もありません。それは外部にまとう衣服については言えましょう。

宝石のわく飾りのようなものです。が、内奥の至聖所ではその差別はありません。

 そのことはキリストの顕現の度に思い知らされることです。すなわちキリストはたしかに王であり吾々はその従臣です。しかしキリストはその王国全体と一体であり、その意味において従臣もその王の座を共有していることになるのです。

キリストが命を下し、指揮し、吾々はその命に服し、指揮に従います。が、命じられたからそうするのではなく、キリストを敬慕するからであり、キリストもまた吾々を敬愛なさるからです。お分かりでしょうか。

ともかく、こうした天上的な洞察力の光をいくばくかでも人類の未来へ向けて照射していただきたい。きっとそこに、こうして貴殿に語りかけている吾々に啓示されているものを垣間みることができるでしょう。

 また次のことも銘記してください。理性というものは男性的資質に属し、したがって私のいう未来を垣間みる手段としては不適当であることです。

直感は女性的資質に属し、人間の携帯用望遠鏡のレンズとしては理性より上質です。

思うに女性がその直感力をもって未来をどう読まれるにしても、理性的に得心がいかないと満足しない男性よりは、私が言わんとすることを素直に理解してくださるでしょう。女性は知的理解をしつこく求めようとしません。理屈にこだわらないのです。

あまりその必要性がないとも言えます。直感力が具わっているからです。それで十分間に合いますし、これより先は女性と男性の双方にとってそれがさらに有益となっていくことでしょう。


──例によって寓話をお願いしたいですね。

 ある金細工人が王妃の腕輪(ブレスレット)に付ける宝石としてルビーとエメラルドのどちらにしようかと思案しました。彼は迷いました。ルビーは王様がお好みであり、エメラルドは王妃がお好みだったからです。

思案にあまった彼は妻を呼んで、どう思うかと聞いてみました。すると妻は〝あたしだったらダイヤにする〟と答えました。

〝なぜだ。ダイヤはどっちの色でもないぞ〟と聞くと、〝お持ちになってみられてはいかが?〟と答えます。彼は言われた通りに持参してみることにしました。

 恐るおそる宮殿を訪れてまず王様にお見せしたところ、〝でかしたぞ。このダイヤはなかなかの透明度をしている。ルビーの輝きがあふれんばかりじゃ。さっそく妃(キサキ)のところへ持っていって見せてやってくれ〟と言います。

そこで王妃のところへ持っていくと王妃もことのほか喜ばれ、〝なかなか宝石に目が高いのお。このダイヤはエメラルドの輝きをしている。さっそくそれでブレスレットを仕上げておくれでないか〟とおっしゃいます。

 わけが分からないまま帰ってきた金細工人は妻になぜ王妃はこのダイヤが気に入られたのだろうかと聞いてみました。

すると妻は〝お二人はどんなご様子だったのですか〟と尋ねます。〝お二人とも大そうお気に召されたんだ。王様はなかなか上質でルビー色をしているとおっしゃり、王妃もなかなか上質でエメラルド色をしているとおっしゃった〟と彼は言いました。

 すると妻は答えました。〝でもお二人のおっしゃる通りですよ。ルビー色もエメラルド色も、砕いてみれば何もない無色の中から出ているのであり、ほかにも数多くの色が混ざり合っているのです。

愛はその底にすべての徳を融合させて含んでおり、一つ一つの徳が愛の光線の一条(ヒトスジ)なのです。王様も王妃もその透明な輝きの中にお好みの色をごらんになられたのです。


お二人が違う色をごらんになったからといって別に不思議に思われることはありません。お互いの好みの色はその結晶体の中で融合し、自他の区別をなくして本来の輝きの中に埋没してしまっているのです。それはお二人が深く愛し合う仲だからですよ〟
                            アーネル ± 


3 崇高なる法悦の境地

一九一九年三年二十五日  火曜日

 さて、未来へ向けて矢が放たれたところで一たん出発点へ戻り、これまでお伝えしたメッセージを少しばかり手直しをしておきましょう。私が述べたのは人類の発達途上における目立った特徴を拾いながら大ざっぱな線について語ったまでです。

しかし人類が今入りかけた機構は単純ではなく複雑をきわめております。次元の異なる界がいくつも浸透し合っているように、いくつもの発展の流れが合流して人類進化の大河をなしているのです。

 私がこれからは男性支配が女性の柔和さにその場をゆずると言っても、男性支配という要素が完全に消滅するという意味ではありません。そういうことは有り得ません。

人類の物的形態へ向けての進化には創造主が意図した目的があるのであり、その目的は、成就されればすぐに廃棄されてしまう程度のものではありません。ようやく最終段階を迎えつつある進化の現段階は、男性の霊的資質を高める上で不可欠だったのです。

ですから、その段階で身につけた支配性は、未来の高揚のために今形成しつつある新しい資質の中に融合されていくことでしょう。

 ダイヤからルビーの光が除去されることはありません。もしそうなればダイヤの燦然たる美しさが失われます。そうではなく、将来そのダイヤが新たな角度から光を当てられた時に、その輝きがこれまでよりは抑えられたものになるということです。

かくしてこれからのある一定期間は、そのまたたきが最も顕著となるのはこれまでのルビーではなくエメラルドとなることでしょう。(訳者注──前回の通信の最後の寓話になぞらえて、ルビーが男性的性格、エメラルドが女性的性格を象徴している)

 また遠い過去においてそのルビーに先立って他の色彩が顕著であった時期があるごとく、ダイヤの内奥には、このエメラルドの時代の終ったあと、永遠の時の中で然るべき環境を得て顕現するさらに別の色彩があるのです。

 さらに言えば、私のいう女性の新時代は激流のごとく押し寄せるのではなく、地上の人間が進歩というものを表現する時によく使う言い方に従えば、ゆっくりとした足取りで訪れます。言っておきますが、その時代はまだ誕生しておりません。が、

いずれ時が熟せば誕生します。その時期が近づいた時は──イヤ、(ここで寓話に変わる──訳者)救世主は夜のうちに誕生し、ほとんど誰にも気づかれなかった。

しかも新しい時代の泉となり源となった。それから世の中は平凡なコースをたどり、AUC(ローマ紀元。紀元前七五三年を元年とする)を使用している間は何の途切れもなく続いた。

が今日、かの素性の知れぬ赤子(イエス)の誕生がもとでキリスト教国のすべてがDU(西暦紀元)を採用することになり、AUCは地上から消えた。貴殿は私の寓話を気に入ってくださるので、どうか以上の話から何かの意味を読み取ってください。

 また例の天使の塔におけるキリストの顕現の話を思い出していただきたい。あれはこの地上への吾々の使命に備えるための学習の一環だったのです。

私の叙述から、その学習がいかに徹底したものであったかを読み取っていただけるものと思います。物的宇宙の創造を基盤とし、宇宙を構成する原子の構造を教えてくださったのです。

それが鉱物、植物、動物、そして人間となっていく永くかつ荘厳な生命の進化の過程が啓示されたのです。さらに学習は続き、地球に限定して、その生命を構成する要素を分析して、種類別に十分な検討を加えました。

それから地球の未来をのぞかせていただき、それが終わって今こうして貴殿にメッセージを送っているわけです。


 その人類の未来をのぞかせていただいた時の顕現のすべてを叙述することはとても出来ません。ダイヤモンド(※)の内奥には分光器にかからない性質の光線が秘められているからです。

ですが、その得も言われぬ美と秘密と吾々にとっての励ましに満ちた荘厳なるスペクタクルについて、貴殿にも理解しうる範囲のことを語ってみましょう。(※これも前回の通信の寓話になぞらえて、すべての色彩が完全に融合したときの無色透明な状態を象徴している──訳者)

 地球を取り巻く例の霧状の暗雲が天界の化学によって本来の要素に分析されました。それを個々に分離し、それぞれの専門家の手による作業にまかされました。


その作業によって質を転換され、一段と健康な要素に再調合する過程がほぼ完了の段階に近づいた時に、吾々は各自しばし休息せよとの伝達をうけ、その間は他の霊団が引き受けてくれました。

 そこで吾々は所定の場所へ集合しました。見ると天界のはるか上層へ向けて一段また一段と、無数の軍勢が幾重にも連なっておりました。

得も言われぬ壮麗なる光景で、事業達成への一糸乱れぬ態勢に吾々は勇気百倍の思いがいたしました。その数知れぬ軍勢の一人一人が地球上の同胞の救済のために何らかの役割分担を持ち、その目的意識が総監督たるキリストにおいて具現されているのでした。

 それを内側から見上げれば、位階と霊格にしたがって弧を描いて整列している色彩が、あたかも無数の虹を見るごとくに遙か遠くへと連なっておりました。

 そしてその中間に広がる、一個の宇宙にも相当する大きさの空間の中へ、すでにお話したことのある静寂という実体(一章2)が流れ込んできました。それはすなわち、そこに吾らが王が実在されるということです。

静寂の訪れを感じて吾々はいつものごとく讃仰のために頭(コウベ)を垂れました。崇高なる畏敬の念の中に法悦を味わい、目に見えざる来賓であるキリストを焦点とした愛の和合の中にあって、吾々はただただ頭を垂れたまま待機しておりました。 アーネル ±

 
4 地球の未来像の顕現
 一九一九年三月二十八日  金曜日

 この段階で吾々はすでに、それぞれの天界の住処(スミカ)にふさわしい本来の身体的条件を回復しておりました。それ故、吾々は実際は地球を中心としてそれを取り囲むように位置しているのですが、地球の姿はすでに吾々の目には映じませんでした。

もちろんこのことは私自身の境涯に視点をおいて述べたまでで、私より地球に接近した界層の者のことは知りません。多分彼らにはそれらしきものは見えたことでしょう。これから述べることは私自身の視力で見たかぎりのことです。

 私はその巨大な虚空の内部を凝視しました。すべてが空(クウ)です。その虚空が、それを取り巻くように存在する光輝によって明るく照らし出されているにもかかわらず、その内部の奥底に近づくにつれて次第に暗さが増していきます。

そしてその中心部になるとまさに暗黒です。そう見ているうちに、その暗黒の虚空の中心部から嘆き悲しむ声に似た音が聞こえて来ました。

それが空間的な〝場〟を形成している吾々の方角へ近づくにつれてうねりを増し四方へ広がっていきます。が、その音が大きくなってくるといつしか新しい要素が加わり、さらにまた別の要素が加わり、次々と要素を増していって、ついに数々の音階からなる和音(コード)となりました。

初めのうちは不協和音でしたが吾々に近づくにつれて次第に整い、ついには虚空の全域に一つに調和した太く低い音が響きわたりました。そうなった時はもはや嘆き悲しむ響きではなく、雄々しいダイヤペーソンとなっておりました。

 それがしばらく続きました。するとこんどはそれに軽い音色が加わって全体がそれまでのバス(男声の最低音)からテノール(男性の最高音)へと変わりました。変化はなおも続き、ついに吾々が囲む空間全体に女性の声による明るい合唱が響きわたりました。

 そのハーモニーが盛り上がるにつれて光もまた輝きを増し、いよいよ最高潮に達したとき吾々が取り囲む内部の空間が得も言われぬ色合いを見せる光輝に照らし出されました。

そしてその中央部、すなわち吾々の誰からも遠く離れた位置で顕現が始まっていることが分かりました。それは次のようなものでした。

 まず地球が水晶球となって出現し、その上に一人の少年が立っています。やがてその横に少女が現れ、互いに手を取り合いました。


そしてその優しいあどけない顔を上方へ向け、じっと見つめているうちに二人ともいつしか青年に変身し、一方、立っている地球が膨(フク)れだして、かなりの大きさになりました。

するとその一ばん上部に曲線上に天蓋のついた玉座が出現し、女性の方が男性の手を引いて上がり段のところへ案内し、そこで女性が跪(ひざまず)くと男性だけが上がり段をのぼって玉座の中へ入りました。

 そこへ大ぜいの従臣が近づいて玉座のまわりに立ち、青年に王冠と剣(ツルギ)を進呈し、豊かな刺しゅうを施した深紅のマントを両肩にお掛けしました。それを合図に合唱隊が次のような主旨の祝福の歌をうたい上げました。

 「あなたは地球の全生命の主宰者として、霊の世界よりお出ましになられました。あなたは形態の世界である外的宇宙の中へ踏み込まれ、あたりを見まわされました。

そして両足でしっかりと踏みしめられて、地球がどこかしら不安定なところを有しながらも、よき天体であるとお感じになられました。それから勇を鼓して一方の足を踏み出し、さらにもう一方の足を踏み出され、かくして地上を征服なさいました。

 そこで再び周囲を見渡されて、あなたのものとなったものを点検なさいました。それに機嫌をよくされたあなたは、その中で最も麗しいものに愛をささやかれました。そのとき万物の父があなたのために宝庫よりお出しになられた全至宝の中でも、あなたにとっては女性が最愛の宝物となりました。

 征服者としての権限により主宰者となられたあなたへの祝福として詠唱した以上のことは、その通りでございましょうか」
 青年は剣を膝の上に斜めに置いてこう答えました。

 地上での数々の闘いに明け暮れた私をご覧になってきたそなたたちが歌われた通りである。正しくご覧になり、それを正しく語られた。さすがにわれらの共通の主の家臣である。

 さて私は所期の目的を果たし、それが正当であったことを宣言した。武勇において地上で私の右に出る者はおりませぬ。地球は私が譲りうける。私みずからその正当性を主張し、今それを立証したところである。

 しかし私にはまだ心にひっかかるものがある。これまでの荒々しい征服が終了した今、私は次の目標をいずこへ求めればよいのであろう。永きにわたって不穏であった地球もどうにか平穏を取り戻した。が、まだ真の平和とは言えぬ。


地球は平穏な状態にうんざりとし、明日の平和を求める今日の争いにこれきり永遠に別れを告げて、真の平和を求めている。

 そこで、これまで私を補佐してこられたそなたたち天使の諸君にお願いしたい。幾度も耳うちしてくれた助言を無視して私がこれまでとかく闘いへの道を選んできて、さぞ不快に思われたことであろう。それは私も心を痛めたことであった。

しかし今や私も高価な犠牲を払って叡智を獲得した。代償が大きかっただけ、それだけ身に泌みている。そこで、これより私はいかなる道を選ぶべきか、そなたたちの助言をいただきたい。

私もこれまでの私とは違う。助言を聞き入れる耳ができている。今や闘いも終わり、この玉座へ向けて昇り続けたその荒々しさに、われながら嫌気がさしているところである」

 そう言い終わると従臣たちが玉座の上がり段を境にして両わきに分かれて立ち並び、その中間に通路ができました。するとその中央にさきの女性が青のふちどりのある銀のロープで身を包んで現れました。

清楚に両手を前で組み、柔和さをたたえた姿で立っておられます。が、その眼差しは玉座より見下ろしている若き王の顔へ一直線に向けられています。

 やがて彼はおもむろに膝の上の剣を取り上げ、王冠を自分の頭から下ろして階段をおり、その女性のそばに立たれました。そして女性が差し出した両腕にその剣を置き、冠を頭上に置きました。それから一礼して女性の眉に口づけをしてから、こう告げました。

 「そなたと私とで手を取り合って歩んで来た長い旅において私は、数々の危機に際してそなたの保護者となり力となって来ました。嵐に際しては私のマントでそなたを包んであげました。


急流を渡るに際しては身を挺して流れをさえぎってあげました。が、行く手を阻(ハバ)む危険もなくなり、嵐も洪水も鎮まり、夏のそよ風のごとき音楽と化しました。そして今、そなたは無事ここに私とともにあります。

 しかし、この機をもって私は剣をそなたに譲ります。その剣をもってその王冠を守ってきました。ここにおいてその両者を揃えてそなたに譲ります。

もはや私が所有しておくべき時代ではなくなりました。どうかお受け取りいただきたい。これは私のこれまでの業績を記念する卑しからぬ品であり、あくまで私のものではありますが、それが象徴するすべてのものとともに、そなたにお預けいたします。

どうかこれ以後もそなたの優しさを失うことなく、私が愛をもって授けるこの二つの品を愛をもって受け取っていただきたい。それが私より贈ることのできる唯一のもの───地球とその二つの品のみです」

 青年がそう言い終わると女性は剣を胸に抱きかかえ、右手を差しのべて彼の手を取り、玉座へ向かって階段を上がり玉座の前に並んでお立ちになりました。

そこでわずかな間を置いたあと彼は気を利かして一歩わきへ寄り、女性に向かって一礼しました。すると女性はためらいもなく玉座に腰を下ろされました。彼の方はわきに立ったまま、これでよしといった表情で女性の方を見つめておりました。

 ところが不思議なことに、私が改めて女性の方へ目をやると、左胸に抱えていた剣はもはや剣ではなく、虹の色をした宝石で飾られたヤシの葉と化しておりました。

王冠も変化しており、黄金と鉄の重い輪が今はヒナギクの花輪となって、星のごとく輝く青と緑と白と濃い黄色の宝石で飾られた美しい茶色の髪の上に置かれていました。その種の黄色は地上には見当たりません。

 若き王も変っておりました。お顔には穏やかさが加わり、お姿全体に落着きが加わっておりました。そして身につけておられるロープは旅行用でもなく戦争用でもなく、ゆったりとして長く垂れ下がり、うっすらとした黄金色に輝き、そのひだに赤色が隠れておりました。
 そこで青年が女性に向かってこう言いました。

 「私からの贈りものを受け取ってくれたことに礼を申します。では、これより先、私とそなたではなく、そなたと私となるべき時代のたどるべき道をお示し願いたい」

 これに答えて女性が言いました。

 「それはなりませぬ。私とあなたさまの間柄は、あなたさまと私との間柄と同じだからでございます。これより先も幾久しく二人ともども歩みましょう。ただ、たどるべき道は私が決めましょう。しかるべき道を私が用意いたします。

しかし、その道を先頭きって歩まれるのは、これからもあなたさまでございます」
   アーネル ±