『霊界通信 ベールの彼方の生活』の第1巻は、英国の牧師G・V・オーエンを通じて伝えられたスピリチュアリズムの代表的古典です。死後の世界(天界の低地)の具体的な様子を詳細に描写しており、現代でも高い評価を受けている著作です。
四章 霊界の大都市
① カストレル宮殿 ② 死産児との ③童子が手引きせん
④ 炎の馬車 ⑤〝縁〟は異なもの
1 カストレル宮殿
一九一三年十月十七日 金曜日
前回のあのお気の毒な女性──今は十分祝福を受けておられますが──をお預けするホームへまだ到着しないうちから私はもう一つの使命を思い出しました。
そこから遥か東方にある都市まで行くことになっていたのです。あなたはまた〝東〟という文字を書き渋っているけど、私たちはその方角を東と呼んでいるのです。
と言いますのは、こちらへ来て初めてイエス様のお姿と十字架の像を拝見したのがその方角だったのです。その方角にある山の上空は今も明るく輝いております。私にはそれが地上の日の出を象徴しているように思えてなりません。
さて私たち五人はその山の向こう側にある都市を目指して出発いたしました。出発に先立ってよく道順をお聞きしておきました。上の方のお話ではその都市の中央には黄金色のドームを頂いた大きい建物があり、その都市の中心街はコロネード(列柱)で囲まれているとのことでした。
初めは徒歩で行きましたが、あとは空を飛んで行きました。歩くより飛ぶ方が難しいのですが、飛んだ方が速いし、それに場所を探すのには空から見た方が判りやすいということになりました。
やがてその都市の上空に来て目標のドームを見届けてから正面入り口めがけて着陸し、そこから本通りへ入りました。本通りはその都市のド真ん中を一直線に横切っており、その反対の端の裏門から出るようになっています。
その幅広い通りを境にして両側にはとても敷地の広い、宮殿のような建物がズラリと並んでおります。そこはその地域一帯を治められる高官の方が住んでおられ、そこが主都になります。
畑仕事に精を出している光景も見られます。また建物が沢山見えます。一見して住居ではなくて別の目的を持っていることが判ります。やがてコロネードで囲まれた中心街に出ました。さすがに建物も庭園もそれはそれは見事なものでした。
どの建物にも必ずその建物に相応しい色彩とデザインの庭園がついております。それらを見て歩きながら、この辺で待ち合わせて下さると聞いていた方からの合図を気にしておりました。こうした場合には連絡が先に届いて待ち受けて下さっているのです。
歩いて行くうちに、いつの間にか公園のような所に入りました。とても広い公園で、美しい樹木がほどよく繁り、ところどころに噴水池が設けてあります。それ以外は一面みどりの芝生です。
その噴水が水面に散る時の音はメロディと言えるほど快く、またそれぞれの噴水が異なったメロディを奏でており、それらが調和して公園全体を快い音楽で包んでおります。その噴水にある細工を施すと、えも言われぬ霊妙な音楽が聞けるとのことです。
その細工を施すのは度々ではないのですが、時おり行われますと、その都市に住む人はむろんのこと、ずっと郊外の丘や牧草地帯に住んでいる人までが大勢集まって来るそうです。
私達が行った時は素朴な音楽でしたが、それでもそのハーモニー、その快さは見事でした。
暫くその公園の中を散歩しました。とても心の安まる美しいところです。芝生に腰を下ろして休んでいますと、そこへ一人の男性が優しい笑みを浮かべて近づいてきました。私たちを迎えにこらえたのだということはすぐに判ったのですが、お姿を拝見して、私たちとは比較にならぬほど霊格の高い方であることが知れましたので、しばらくは言葉が出ませんでした。
──どんな方ですか。出来れば名前も教えて下さい。
そのうちお教えしましょう。焦ることが一番いけません。こちらの世界では焦らぬようにということが一ばん大切な戒めとされているほどです。焦ると、判りかけていたものまで判らなくなります。
その天使様はとても背の高い方で、地上で言えば七フィート半は十分あったでしょう。私は地上にいた時より背が高くなっていますが、その私よりはるかに高い方でした。
その時の服装は膝まで垂れ下がったクリーム色のシャツを無雑作に着ておられるだけで、腕も脚も丸出しで、足には何も履いておられませんでした。私は今、あなたの心に浮かぶ疑問にお答えしているのですよ。
帽子? いえ、無帽です。髪型ですか。ただ柔らかそうな茶色の巻き毛を真ん中で左右に分けておられるだけで、それが首の辺りまで垂れ下がっておりました。
頭には幅の広い鉢巻のような帯を締めておられましたが、その帯は金で出来ており、真ん中と両側に一つずつ宝石が付いておりました。
また胴にはピンクの金属で出来た帯(シンクチャー)を締めておられましたが、何も飾っていないまる出しの手足からも柔らかい光輝が発しておりました。これらは全部その方の霊格の高さを示しておりました。
お顔は威厳に満ちていましたが、その固い表情の中にも言うに言われぬ優しい慈悲がにじみ出ており、それを見て私たちの心に安心感と信頼心が湧いてきました。
また尊敬の念も自然に湧いてきました。やがて天使さまは私たちの波長に合わせていることがすぐに判るような、ゆるやかな口調でこう言われました。ゆるやかでも、その響きの中に心に沁みわたるものを感じ取ることが出来ました。「私の名前はカス・・・・・・」いけません。
名前は私の弱点のようでして、地上へ降りてくるとどうも名前を思い出すのが苦手です。そのうち思い出すでしょう。とにかくご自分のお名前をおっしゃってから、こんなことを言われました。
「私のことはすでにお聞きになっておられると思います。やっとお会いできましたね。では私の後に付いてきて下さい。さっそくあなた方をお呼びした目的をお話しいたしましょう。」私たちは言われるまま天使さまのあとから付いて行きましたが、その道すがら気軽に話しかけられるので、いつの間にかすっかり気安さを覚えるようになりました。
天使さまと一緒に通った道は公園を出てすぐ左手にある並木道でしたが、やがて別の公園に入りました。入ってすぐに気づいたのですが、そこは私有の公園つまり公園と言ってもよいほど広い庭園ということです。真ん中にはそれはそれは見事な御殿が建っていました。
一見ギリシャ風の寺院のような格好をしており、四方に階段が付いております。よほど偉い方が住んでおられるのだろうと想像しながら天使さまの後についてその建物のすぐそばまで近づきました。
近づいてみてその大きさに改めて驚きました。左右の幅の広さもさることながら、アーチ形の高い門、巨大な柱廊玄関、そして全体を被う大ドーム。私たち五人はただただその豪華さに見とれてしまいました。
黄金のドームを頂いた大きな建物と聞いていたのはその建物のことでした。近づいて見るとドームの色は純粋の黄金色でなく少し青味がかかっておりました。私はさっそくどんな方がお住みになっておられるのかお聞きしてみました。すると天使さまはあっさりとこう言われました。
「いや何、これが私の住居ですよ。地方にも二つ私宅を持っております。よく地方にいる友を訪ねる事があるものですから。それではどうぞお入り下さい。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。」
天使さまの言葉には少しも気取りというものがありません。〝気取らない〟ということが霊格の偉大さを示す一つの特徴であることを学びました。地上でしたらこんな時には前もって使いの者が案内して恭々(うやうや)しく勿体ぶって拝謁するところでしょうが、この度はその必要もないので全部省略です。
もっとも必要な時はちゃんとした儀式も致します。行うとなれば盛大かつ厳粛なものとなりますが、行う意味のない時は行われません。
さて、カストレル様──やっと名前が出ましたね。詳しいことは明晩にでもお話いたしましょう。あなたもそろそろ寝(やす)まなくてはならないでしょう。ではおやすみ。
2 死産児との面会
一九一三年十月十八日 土曜日
カストレル様のご案内で建物の中に入ってみますと、その優雅さはまた格別でした。入口のところは円形になっていて、そこからすぐに例のドームを見上げるようになっています。そこはまだ建物の中ではなく、ポーチの少し奥まったところになります。
大広間の敷石からは色とりどりの光輝が発し、絹に似た掛けものなどは深紅色に輝いておりました。前方と両側に一つずつ出入口があります。見上げると鳩が飛び回っております。ドームのどこかに出入口があるのでしょう。そのドームは半透明の石で出来ており、それを通して柔らかい光が射し込みます。
それらを珍しげに眺めてから、ふと辺りを見回すと、いつの間にかカストレル様が居なくなっております。
やがて右側の出入口の方から楽しそうな談笑の声が聞こえて来ました。何事だろうとその方向へ目をやると、その出入口から子供を混じえた女性ばかりの一団がゾロゾロと入って来ました。総勢二十人もおりましたでしょうか。
やがて私たちのところまで来ると、めいめいに手を差し出してにこやかに握手を求め、頬に接吻までして歓迎してくれました。挨拶を済ませると中の一人だけが残って、あとの方はそのまま引き返して行きました。大勢で来られたのは私たちに和やかな雰囲気を与えようという心遣いからではなかったろうかと思います。
さて、あとに残られた婦人が、こちらへお出でになりませんか、と言って私たちを壁の奥まったところへ案内しました。五人が腰かけると、婦人は一人一人の名前を言い当て、丁寧に挨拶し、やがてこんな風に話されました。
「さぞかし皆さんは、一体何のためにここへ遣わされたのかとお思いのことでしょう。また、ここがどんな土地で何という都市なのかといったこともお知りになりたいでしょう。この建物はカストレル宮殿と申します。そのことは多分カストレル様から直々にお聞きになられたことでしょう。
カストレル様はこの地方一帯の統治者にあらせられ、仕事も研究もみなカストレル様のお指図に従って行われます。話によりますと皆様はすでに〝音楽の街〟も〝科学の街〟もご覧になったそうですが、そこでの日々の成果もちゃんと私どもの手許へ届くようになっているのです。
届けられた情報はカストレル様と配下のお方がいちいち検討され、しかるべく処理されます。この地方全体の調和という点から検討され処理されるのです。単に調和と申しますよりは協調的進化と言った方がよいかも知れません。
「たとえば音楽の街には音楽学校があり、そこでは音楽的創造力の養成につとめているのですが、そういった養成所があらゆる部門に設置されており、その成果がひっきりなしに私たちの手許に届けられます。届きますとすぐさま検討と分析を経て記録されます。必要のある場合はこの都市の付属実験所で綿密なテストを行います。実験所は沢山あります。
ここへお出でになるまでに幾つかご覧になられたはずです。かなりの範囲にわたって設置されております。しかし実はその実験所の道具や装置は必ずしも完全なものとは申せませんので、どこかの界で新しい装置が発明されたり改良されたりすると、すぐに使いを出してその製造方法を学んで来させ、新しいのを製造したり古いものに改良を加えたりします。
そんな次第ですから、その管理に当たる方は叡智に長けた方でなければなりませんし、また次から次へと送られてくる仕事を素早く且つ忍耐強く処理していく能力が無くてはなりません。実はあなた方をここにお呼びしたのはその仕事ぶりをお見せするためなのです。ここに御滞在中にどうか存分にご見学なさってください。
もちろん全部を理解していただくのは無理でしょうし、とくに科学的な面はなかなか難しい所が多かろうかと思いますが、たとえ判らなくても、あなた方の将来のお仕事に役立つことが多かろうと思います。さ、それでは話はこれ位にして、これからこの建物をひと通り案内してさしあげましょう。」
婦人の話が終わると私たちはていねいにお礼を述べて、さっそく建物の中の案内をお願いしました。すべてが荘厳としか言いようがありません。どこを見てもたった一色というものがなく、必ず何色かが混ざっています。ただ何色混ざっていても実に美しく調和しているので、ギラギラ輝くものでも、どこかしら慰められるような柔らかさを感じます。
宝石、貴金属、装飾品、花瓶、台石、石柱、何でもがそうでした。石柱には飾りとして一本だけ立っているものと束になったものとがありました。それから、通路には宝石類で飾られた美事な掛け物が掛けてあります。通りがけにそれが肩などに触れると、何とも言えない美しいメロディを奏でるのです。
庭に出ると噴水池がありました。魚も泳いでおりました。中庭には芝生と樹木と灌木とが地上と同じような具合に繁っておりましたが、その色彩は地上のどこにも見られないものでした。
それから屋上へ案内されました。驚いたことに、そこにもちゃんとした庭があり、芝生も果樹園も灌木も揃っておりました。噴水池もありました。この屋上は遠方の地域と連絡を交わすところです。時には見張り所のような役目も果たします。通信方法は強いて言えば無線電信に似たようなものですが、通信されたものが言語でなしに映像(※)となって現れますから(*)、実際には地上の無線とも異なりましょう。
(※この通信が書かれた頃はまだテレビジョンが発明されていなかったこと、そして、地上の発明品はことごとく霊界にあるものの模造品であることを考え合わせると興味深い。──訳者)
私たち女性グループはずいぶん永い間その宮殿にごやっかいになりながら、近くの都市や郊外まで出ていろんなものを見学しました。その地域全体の直径は地上の尺度で何千マイルもありましょう。それほど広い地域でありながら全体と中心との関係が驚くほど緊密でした。その中心に当たるのが今お話した大ドームの建物すなわちカストレル宮殿というわけです。その全部をお話していると幾ら時間があっても足りません。
そこでそのうち幾つかをお伝えして、それによって他を推察していただきましょう。もっとも、それもあなた方の想像の及ばないものばかりですけど。
第一に不思議に思ったことはその都市に子供がいることでした。なぜ不思議に思ったかと言いますと、それまで私は子供には子供だけの世界があって、皆そこへ連れて行かれるものと思い込んでいたからです。最後に居残ってお話をしてくれた婦人はそこの母親のような地位にあられる方で、その他の方々はその婦人の手助けをされてるらしいのです。
私はその中の一人に、そこの子供たちがみんな幸福そうで愛らしく、こんな厳かな宮殿でいかにも寛いでいることには何か特別な理由(わけ)があるのですかと尋ねてみたところ、大よそ次のような説明をしてくれました。
〝ここで生活している子はみな死産児で、地球の空気を吸ったことのある子供とは性格上に非常な違いがある。僅か二、三分しか呼吸したことのない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違う。それ故死産児には死産児なりの特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の点では地上生活を少しでも体験した子より速い。
まだ子供でありながらこうした高い世界で生活できるのはそのためである。が、ただ美しく純粋であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身につけたら、こんどは地球と関係した仕事に従事している方の手にあずけられ、その方の指導のもとに間接的ながら地上生活の体験を摂取することになる・・・・・・〟
私は初めこの話を興味本位で聞いておりました。ところがその呑気な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実はそのことを知るためだったのだという自覚が油然として湧いてきました。
私にも実は一度死産児を生んだ経験があるのです。それに気がつくと同時に私の胸にその子に会いたいという気持ちが止めどもなく湧いて来ました。〝あの子もきっとここに来ているに違いない〟そう思うや否や私に心の中に感激の渦が巻き起こり、しばし感涙にむせびました。その時の気持ちはとても筆には尽くせません。
そばに仲間がいることも忘れて木蔭の芝生にうずくまり、膝に顔を押し当てたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持ちを察して黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から脱け出るのを待っておりました。
やがて少し落着くと、仲間の一人が優しくこう語ってくれました。「私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです。」
それを聞いて私はゆっくりと顔を上げ、涙にうるんだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私に願いを察してくれたのでしょう。すぐに腕を取っていっしょに立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。ふと我に帰ってみると、その木立の繁みを通して子供たちの楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくるではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。
まだ実際に子供には会ってもいないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるだろうか──私はそんな事を心配しながら木立に近づきました。
表現がまずいなどと言わないでおくれ。そう遠い昔のことではありません。その時の光景と感激とが生き生きと甦ってきて、上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどとは考えてもみませんでした。ですから、突如としてその事実を知らされた時は、私はもう・・・・・・ああ、私にはこれ以上書けません。どうかあとは適当に想像しておくれ。
とにかくこの愚かな母親にも神はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせて下さったのです。私がもっとしっかりしておれば、もっと早く会わせていただけたでしょうにね。
最後に一つだけ大切なことを付け加えておきましょう。本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい感激にかまけてしまって・・・・・・。その大切なことというのは、子供がこちらへ来るとまずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上のことを勉強させます。
地上生活が長ければ長いほど、こちらでの地上の勉強は少なくて済みます。死産児には全然地上の体験が無いわけですが、地球の子供であることに変わりはありませんから、やはり地球の子としての教育が必要です。
つまり地上へ近づいて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。もちろん地上へ近づくにはそれなりの準備が必要です。また、いよいよ近づく時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるで無いので、地上生活を体験した子に比べて準備期間が長いようです。
やはり地上生活が長いほど、またその生活に苦難が多ければ多いほど、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが速いようです。
もちろんこれは大体の原則を述べたまでで、ここに適用される時はその子の性格を考慮し、その特殊性に応じて変更され、順応されます。
ともかく全てがうまく出来あがっております。では神の祝福を。お休みなさい。
3 童子が手引きせん
一九一三年十月二十日 月曜日
ひき続きカストレル様の都市の見学旅行中の話です。中央通りを歩きながら私はなぜこの都市には方形の広場が多いのか、そしてその広い中央通りの両側にある塔のように聳える建物が何のために建てられているのかを知りたいと思っていました。
そのうち中央通りの反対側の入口に到着してやっと判ったのは、その都市全体が平地に囲まれた非常に高い台地にあるということでした。
案内の方のお話によりますと、そこに設けられている塔からなるべく遠くが見渡せるようにということと、まわりの平地の遠い住民からもその塔が見えるようにという配慮があるとのことでした。そこがその界の首都で、全てがそこを焦点として治められているのでした。
帰途も幾つかの建物を訪れ、どこでも親切なおもてなしを受けました。その都市ではカストレル様のお住まいで見かけた以外に子供の姿はあまり見かけませんでした。ですが時折そこここの広場で子供の群れを見かけます。
そこには噴水があり、まわりの池に流れ落ちて行きます。池の水はその都市を流れる大きな川につながり、無数の色彩と明るい輝きを放散しながら、下の平地へ滝となって落ちて行きます。その滝の流れはかなり大きな川となって平地をゆったりと流れて行きますが、その川のあちこちで子供たちが水浴びをして遊んでいるのを見かけたのです。
しきりに自分のからだに水をかけております。私はその時はあまり深く考えなかったのですが、そのうち案内の方から、あの子供たちはあのような遊びをするよう奨励されているとの話を聞かされました。と言うのは、そこの子供たちは死産児として来たので体力が乏しく、あのような遊びによって生体電気を補充し体力を増強する必要があるというのです。
それを聞いて私が思わず驚きの声を上げると、その方は「でも別に何の不思議もないでしょう。ご存知のように、私たちの身体は肉も血もないのにこうして肉体と同じように固くて実体があります。また現在の私たちの身体が地上時代よりはるかに正確に内部の魂の程度を反映していることもご存知の筈です。
その点あの子供たちの大半がやっと成長し始めたばかりで、それを促進するための身体的栄養が要るのです。別に不思議ではないと思いますが・・・・・・」とおっしゃいました。
別に不思議ではない──言われてみれば確かにその通りです。私はさきに天界を〝完成された地上のようなところ〟と表現しましたが、その本当の意味が今になってようやく判ってきました。多くの人間がこちらへ来てみて地上とあまりによく似ていることに驚くはずです。
もっとも、ずっと美しいですけど。大ていの人間は地上とは全く異なる薄ぼんやりとした影のような世界を想像しがちです。
が、よく考えてごらんなさい。常識で考えてごらんなさい。そんな世界が一体何の意味がありますか。それは段階的進歩ではなく一足跳びの変化であって、それは自然の理に反します。
確かにこちらへ来てすぐから地上と少しは勝手が違いますが、不思議さに呆然(ぼうぜん)するほどは違わないということです。特に地上生活でこれといって進歩のない生活を送った人間が落着く環境も地上と見分けがつかない程物質性に富んでおります。
そういう人間が死んだことに気づかない理由はそこにあります。低い界から高い界へと向上するにつれて物質性が薄れて行き、環境が崇高さを増して行きます。しかし、地上性を完全に払拭した界、地上生活とまったく類似性を持たない界まで到達する霊は稀です。特殊な例を除いてまず居ないのではないかと思っております。が、
この問題については私に断定的なことを言う資格はありません。何しろ地上生活と全く異なる界に到達していないどころか、訪れてみたこともないからです。
今いる所はとても美しく、私はこの界の美と驚異を学ばねばなりません。学んでみると、実は地球はこの内的世界が外へ向けて顕現したものにほかならず、従って多くの細かい面において私たち及び私たちの環境と調和していることが判ります。もしそうでなかったら、今こうして通信していることも有り得ないはずです。
そして又──私みたいな頭の良くない人間にはそう思えるというまでのことですが──もしもあなた方の世界と私たちの世界に大きな隔たり、巨大な真空地帯のようなものがあるとしたら、地上生活を終えた後、どうやってこちらへやって来れるのでしょう。
その真空地帯をどうやって横切るのでしょうか。でも、これはあくまで私自身の考えです。そんなことはどうということは無いのかも知れません。ただ確実に言えることは、神と神の王国は一つしか無いこと、その神の叡智によって宇宙は段階的に向上進化して行くように出来ているということさえ銘記すれば、死とは何か、その先はどうなっているのかについての理解が遥かに深くなるであろうということです。
死後の世界にも固い家屋があり、歩くための道があり、山あり谷あり樹木あり、動物や小鳥までいるということが全くバカバカしく思える人が多いことでしょう。その動物が単なる飾りものとして存在するのではなく、実際の用途を持っております。
馬は馬、牛は牛の仕事があり、その他の動物も然りです。が動物達は見た目に微笑ましいほど楽しく働いております。私は一度ある通りで馬に乗ってやって来る人を見かけたことがありますが、何となく人間よりも馬の方が楽しんでいるように見えたものです。でも、こうした話は信じて頂けそうにありませんから話題を変えましょう。
その広い市街地の建物の一つに地方の各支部から送られて来る情報を保管する図書館がありました。また、新しいアイディアを実地にテストするための研究所もありました。さらには教授格の人が自分の研究成果を専門分野だけでなく他の分野の人を集めて発表するための講堂もありました。そしてもう一つ、風変わりな歴史を持つ建物がありました。
それは少し奥まったところに立っていて、木材で出来ておりました。マホガニー材をよく磨いたような感じで、木目には黄金の筋が入っております。随分古い建物で、カストレル様がその領地の管理を引き継がれるずっと前に、当時の領主の為の会議室として建てられたものです。
かつては領主がそこに研究生たちを召集され、それぞれに実際的知識を発表することに使用されておりました。
こんな話を聞きました。その発表会でのことです。青年が立ち上がって講堂の中央へ進み出て学長すなわち領主に向かって両手を広げて立ちました。
立っているうちにその青年の姿が変化し始め、光輝が増し、半透明の状態になり、ついに大きな光の輪に囲まれました。そしてその光の輪の中に高級界からの天使の姿が無数に見えます。学長が意味ありげな頬笑みを浮かべておられますが、青年にはそれが読み取れません。
彼──首席代表であり領主の後を継ぐべき王子の様な存在でもあります──が何か言おうと口を開きかけた時です。入口から一人の童子が入って、大勢の会衆に驚いた様子できょろきょろ見回しました。
その子は光の輪のそばまで来て、層を成して座っている天使の無数の顔を見つめて気恥ずかしそうにしました。そしてその場から逃げ帰ろうとした時に、中央におられる学長の姿が目にとまりました。光と荘厳さに輝いておられます。瞬間、子供は一切を忘れて、両手を広げ満面の笑みを浮かべて学長めがけて走り寄りました。
すると先生は両手を下げ腰を屈めてその子を抱き上げ、ご自分の肩に乗せ、青年のところへ歩み寄ってその子を青年の膝の上に置き、元の位置に戻られました。が、戻りかけた時から姿が薄れ始め、元の位置に来られた時は完全に姿が見えなくなり、その場には何もありませんでした。子供は青年の膝の上にいて青年の顔──実に美しいお顔立ちでした──を見上げてニッコリと致しました。
やがて青年が立ち上がり、その子を左手で抱き、右手をその頭部に当てて、こう言われました。
「皆さん、聖書に〝彼らを童子が手引きせん〟と言う件(くだり)があります(イザヤ書11・6)。それをやっと今思い出しました。今我々が見たのは主イエス・キリストの〝顕現〟(※)であり、聖書の言葉どおり、この童子は主の御国から贈られた方です。」そう述べてから童子に向かい、「坊や、さっき先生に抱かれて私のところまで連れて来られた時、先生は坊やに何とおっしゃいましたか」と尋ねました。
(※これまでの〝顕現〟と種類が異なり、これは霊界に〝変容現象〟と見るべきであろう。イエス自身、地上時代に丘の頂上で変容した話がマタイ17・マルコ9に出ている。──訳者)
すると子供は初めて口を開き、子供らしい言い方で、大勢の人を前に気恥ずかしそうにしながらこう言いました。
「ボクが良い子をしてお兄さんの言いつけを守っていたら、時々あの先生がこの都市(まち)と領土(くに)のためになる新しいことを教えて下さるそうです。でもボクには何のことだかよく判りません。」
それは青年も他の生徒たちも最初のうちは判りませんでした。が青年が閉会を宣し、その子を自宅へ連れて帰ってその意味を吟味しました。その結果彼が辿り着いた結論は、あれはエリとサムエルの物語(サムエル書1・3)と同じだということでした。そして、事実その結論は正しかったのです。
その後その子は研究所やカレッジの中を自由に遊び回ることを許されました。少しも邪魔にならず、面倒な質問もせず、反対に時おり厄介な問題が生じた時などにその子が何気なく口にした言葉が問題解決のカギになっていることがあるのでした。
時がたつにつれて、このことがあの顕現のそもそもの目的だったことが理解できました。つまり子供のような無邪気な単純さの大切さを研究生たちは学んだのです。特殊な問題の解決策が単純であるほど全体としての解決策にも通じるものがあるということです。
他にも学生たちがその〝顕現〟から学んだものはいろいろとありました。例えばキリスト神は常に彼らと共に存在すること、そして必要な時は何時でも姿をお見せになること。これは、あの時、学生の中から姿を現わされたことに象徴されておりました。また広げた両手は自己犠牲を意味しておりました。
あの後光が象徴したように、荘厳さに満ちたあのコロニーにおいてさえも自己犠牲が必要なのです。その後あの童子はどうなったか──彼は例の青年の叡智と霊格が成長するにつれて成育し、青年が一段高い界へ赴いたあと、青年の地位を引き継いだということです。
さて以上の話は随分昔のことです。今でもそのホールは存在します。内側も外側も花で飾られて、常によく手入れされております。しかし講演や討論には使用されず、礼拝場として使用されております。その都市の画家の一人が例の〝顕現〟のシーンを絵画にして、地上でも見られるように祭壇の後ろに置いてありました。
そこにおいて主イエスを通しての父なる神への礼拝がよく行われます。それ以上に盛大に行われるのはあの顕現の時の青年が大天使として、今では指導者格となっている例の童子を従え、あの時以降青年の地位を引き継いだ多くの霊と共に、そこに降臨することがあります。そこに召集された者は何か大きな祝福と顕現があることを察知します。
しかしそういう機会に出席できるのはそれに相応しい霊格を備えた者にかぎられます。一定の段階まで進化していない者にはその顕現が見えないのです。
神の王国はどこも光明と荘厳さに満ち溢れ、素晴らしいの一語に尽きますが、その中でも驚異中の驚異と言うべきものは、そうやって無限の時と距離を超えて宇宙の大霊の存在が顕現されるという事実です。神の愛は万物に至ります。
あなたと私の二人にとっては、こうして神の御国の中の地上界と霊界という二つの世界の間のベールを通して語り会えるようにして下さった神の配慮にその愛を見る事が出来るのです。
4 炎の馬車
一九一三年十月二一日 火曜日
カストレル様の都市についてはまだまだお話しようと思えば幾らでもあるのですが、他のも取り挙げたい問題がありますので、あと一つだけ述べて、それから別の話題へ移りたいと思います。
宮殿のある地域に滞在していた時のことです。そこへよく子供たちが遊びに来ました。その中には私の例の死産児も含まれておりました。他の子供たちはその子の母親つまり私と仲間の四人と会うのが楽しみだったようです。そして私たちがそれまで訪れた土地の話、特に子供の園 や学校の話をすると、飽きることなく一心に聞き入るのでした。
来る時はよく花輪を編んでお土産に持って来てくれたのですが、実はそのウラにはゲームで一緒に遊んでもらおうという下心があったのです。もちろんよく一緒に遊んであげました。その静かで平和な土地で可愛い幼児とはしゃぎまわっている楽しい姿は容易に想像していただけると思います。
ある時、あなたも子供のころ遊んだことのあるジョリーフーパーゲームに似た遊びで、子供たちが考え出したゲームに興じておりました。大てい私たち五人が勝つのですが、そのうち私たちと向かい合っている子供たちが突然歌うのを止めて立ちつくし、私たちの頭越しに遠くを見つめているのです。振り向くと、その空地の端の並木道の入口のところに、他でもない、カストレル様のお姿がありました。
笑みを浮かべておられます。風采からは王者の威厳が感じられますが、その雰囲気には力と叡智が渾然となった優しさと謙虚さがあるために、見た目には実に魅力があり、つい近づいてみたくなるものがあります。こちらへゆっくりと歩を進められ、それを見た子供たちが走り寄りました。するとその一人一人の頭を優しく撫でてあげておられます。
やがて私たちのところまで来られると「ご覧の通りガイドなしで一人でやってまいりましたよ。どこにおられるのかはすぐに判りますから。ところで、悪いのですが、遊びを中断していただかねばならない用事が出来たのです。あなた方もぜひ出席していただきたい儀式がもうじき催されます。こちらにおられる〝小さい子供さん〟はそのままゲームを続けなさい。
あなた方〝大きい子供さん〟は私といっしょに来て下さい」とユーモラスにおっしゃるのです。
すると子供たちは私たちの方へ駆け寄ってきて、うれしそうに頬にキスをして、用事が終わったらまたゲームをしに来てね、と言うのでした。
それからカストレル様の後について、頭が届きそうなほど枝の垂れ下がったトンネル状の並木道を進み、やがてそこを通り抜けると広い田園地帯が広がっていました。そこでカストレル様は足を止めてこうおっしゃいました。「さて、ずっと向こうを見て御覧なさい。何が見えますか。」
私たち五人は口を揃えて、広いうねった平野と数々の建物、そしてさらにその向こうには長い山脈のようなものが幽かに見えます、と答えました。
「それだけですか」とカストレル様が聞かれます。
私たちが目立ったものとしてはそれだけですと答えると、「そうでしょうね。それがあなた方の現在の視力の限界なのでしょうね。いいですか。私に視力はあなた方よりは発達していますから、その山脈のさらに遠くまで見えます。よく聞いて下さいよ。これから私に視力に映っているものを述べていきますから。
その山脈の向こうに一段と高い山脈が見え、さらにその向こうにそれより高い山頂が見えます。建物が立っているものもあれば何もないものもあります。私はあの地方に居たことがあります。ですから、あそこにも、ここから見ると小さく見えますが、実はこの都市を中心とした私の領土全体と同じくらいの広さの平野と田園地帯があることを知っております。
「私は今その中の一つの山の頂上近くのスロープを見つめております。地平線ではありません。あなた方の視力の範囲を超えたところに位置しており、そこにこの都市よりも遥かに広くて豊かで壮大な都市が見えます。
その中央へ通じる道の入口がちょうど吾々の方を向いており、その前は広い平坦地になっております。今の通路を騎馬隊と四輪馬車の列が出て来るところです。集合し終わりました。いよいよ出発です。今その中からリーダーの乗った馬車が進み出て先頭に位置しました。命令を下しております。群集が手を振って無事を祈っております。
リーダーの馬車が崖の縁まで来ました。そして今その縁を離れて宙を前進しております。それを先頭に残りの隊がついて来ます。さあ、こちらへ向かっていますよ。私たちも別の場所へ行って到着の様子を見ましょう。」
何のためにやって来るのか、誰れ一人尋ねる者はいませんでした。畏れ多くて聞かなかったのではありません。お聞きしようと思えばどんなことでもお聞きできたのですが、なぜか以心伝心で納得していたようです。
ですがカストレル様は一応私たちの心中を察して「皆さんはあの一隊が何のためにやって来るのを知りたがっておられるようですが、そのうち判ります」とおっしゃって歩を進められ、私たちも後についてその都市を囲む外壁のところまで至り、そこから平地の向こうの丘の方へ目をやりました。が、さっき述べたもの以外は相変わらず何も見えません。
「隊の姿を誰が一ばんに見つけますかな」とカストレル様がおっしゃいます。そこで私たちは目を凝らして一心に見つめるのですが、一向に見えません。そのうち私の目に遥か山脈の上空に星が一つ輝いて見えたような気がしました。それと時を同じくして仲間の一人が「先生、あそこに見える星はここに来た時は無かったように思います」と大きい声で言いました。
「いえ、最初からあったのですが、あなたに見えなかっただけです。では、あなたが最初ですか、見えたのは」と聞かれます。
私はどうも〝私にも見えておりました〟とは言いたくありませんでした。先に言えば良かったのでしょうけど。するとカストレル様は「私にはもう一人見える方がいるような気がするのですがね。違いますか」と言って私の方を向いてにっこりされました。私は赤くなって何だか訳の分からぬことを口ごもりました。するとカストレル様が、
「よろしい。よく見つめていて下さい。他の方もそのうち見えはじめるでしょう。あの星が現時点では数界を隔てた位置にあります。まさかあの界まで見える方がこの中に居られるとは予想しませんでした」とおっしゃって、私たち二人の方を向かれ、「ご成長を祝福申し上げます。
お二人は急速に進歩を遂げておられますね。この調子で行けばきっと間もなく仕事の範囲も拡大されます」と言って下さいました。二人はそのお言葉を有難く拝聴しました。
さて気がついてみますと、その星がさっきよりずっと明るく輝いて見え、みるみる大きく広くなって行きます。その様子を暫く見続けているうちに次第にそれが円盤状のものでなくて別の形のものであることが判り、やがてその形が明瞭になってきました。
それは竪琴(リラ)の形をした光のハーブとも言うべきもので、まるでダイヤモンドを散りばめた飾りのようでした。が、段々接近すると、それは騎馬と馬車と従者の一団で、その順序で私たちの方角へ向けて虚空(こくう)を疾走しているのでした。
やがて都市の別のところからも喚声が聞こえて来ました。同じものを発見したのです。
「あの一隊がこの都市へやって来る目的がそろそろお判りでしょう」とカストレル様がおっしゃるので、
「音楽です」と私が申し上げると、
「その通り。音楽と関係があります。とにかく音楽が主な目的です」とおっしゃいました。さらに近づいたのを見ると、その数は総勢数百名の大集団でした。見るも美しい光景でした。騎馬と炎の馬車──古い伝説に出てくるあの炎の馬車は本当にあるのです。
──それが全身から光を放つ輝かしい騎手に操られて天界の道を疾走して来たのです。ああ、その美しさ。数界も高い天界からの霊の美しさはとても私たちには叙述出来ません。その中の一ばん霊格の低い方でもカストレル様と並ぶほどの方でした。が実はカストレル様はその本来の光輝を抑え、霊格をお隠しになっておられました。
それはこの都市の最高霊であると同時に一人の住民でもあるとのご自覚をお持ちだからです。ですが、高級界からの一隊がいよいよ接近するにつれてカストレル様のお姿にも変化が生じ始めました。お顔と身体が輝きを増し、訪問者の中で一ばん光輝の弱い方と同じ程度にまで輝き始めました。
なぜカストレル様が普段この天界の低地の環境に合わせる必要があるのか。私は後で考えて理解がいきました。それは、こうして普段より光輝を増されたお姿を目の前にしますと、まだまだ本来の全てをお出しになっておられないのに、私たちにはとても近づき難く、思わず後ずさりさせられるほどだったのです。おっかないというのとは違います。意外さに思わず・・・・・・というよりほかに表現のしようがありません。
一隊はついに私たちの領土の上空まで来ました。最初の丘陵地帯と私たちの居る位置との中ほどまで来た時、速度を緩めて徐々に編隊を変えました。今度は・・・・・・の形(※)を取りました。そして遂に都市の正面入口の前の広場に着陸しました。(※末尾のところで説明が出る──訳者)
カストレル様はその時にはすでに私たちから離れておられ、一隊が着陸すると同時に正面入口からお付きの者を従えて歩み出られました。光に身を包まれて・・・・・・と表現するのがその時の印象に一ばん近いでしょう。王冠は曾て見たこともないほど鮮やかに光輝を増しております。
腰に付けられたシンクチャー(帯の一種)も同じです。隊長(リーダー)の近くまで来るとそこで跪ずかれました。カストレル様より遥かに明るい光輝を発しておられます。馬車から降りられるとカストレル様に急ぎ足で歩み寄られ、手を取って立ち上がらせ、抱き寄せられました。
その優雅さと愛に満ちた厳かな所作に、一瞬、全体がシーンと静まり返りました。その抱擁が解かれ、私たちに理解できない言語での挨拶が交わされてから、カストレル様が残りの隊へ向かってお辞儀をし、直立の姿勢で都市の外壁の方へ向かれ片手を挙げられました。
すると突如として音楽が鳴り渡り、全市民による荘厳なる讃美歌が聞こえて来ました。前に一度同じような大合唱のお話をしたことがありますが、それとは比較にならない厳かさがありました。この界があの時より一界上だからです。その大合唱と鐘の音と器楽の演奏の中を二人を先頭に一隊から都市の中へ入って行きました。
こうして一隊はカストレル宮殿へ向かう通りを行進し、いよいよ例の並木道へと入る曲がり角で隊長が馬車を止め、立ち上がって四方を見回し、手を挙げて沿道の市民にその都市の言葉で祝福を述べ、それから並木道へと入り、やがて一隊と共に姿が見えなくなりました。
でも、ダメですね、私は。今回の出来ごとの荘厳さを万分の一でもお伝えしようと努力してみましたが、惨めな失敗に終わりました。実際に見たものは私が叙述したものより遥かに遥かに荘厳だったのです。私が主として到着の模様の叙述に時間を費やしたのは、今回の一隊の訪問の使命についてはよく理解していなかったからです。
それは私ごとき低地の住民には理解の及ばないことで、その都市の指導的地位にある方や偉大な天使が関わる問題です。
せいぜい私が感じ取ったのは、あのコロニーの中で音楽の創造に関わっている人の中でも最高に進化した人々による研究に主に関連している、ということだけです。それ以上のことは判りません。もちろん私以上に語れる人が他にいるのでしょうけど。
さっき出なかった言葉(一六二頁)は〝惑星〟です。編隊を変えたあとの形のことです。いえ〝惑星〟ではありません。〝惑星系組織〟です。地球の属する太陽系なのかどうか──たぶん他の太陽系でしょうが、私にはよく判りません。
今夜はこれでおしまいです。祝福の言葉をお待ちのようですね。では神の祝福を。目をまっすぐに見据えて理想を高く掲げることです。そして私どもの世界の本当の栄光に比べれば、地上で想像し得るかぎりの最高の栄光も、太陽に対するローソクのようなものでしかないこと、それほど霊の世界の栄光は素晴らしいことをお忘れにならぬように。
5〝縁〟は異なもの
一九一三年十月二二日 水曜日
もしも地球全体が一個のダイヤモンドか真珠のようなものであったら、太陽や星の光を反射して地球のまわりがどんなにか明るく輝くことでしょう。もちろん地球に輝きが無い訳ではありません。少しは輝いております。ただ表面にツヤが無いために至ってお粗末なものに見えます。
その輝きと真珠の輝きとを比較していただけば、地上生活と私たちが今いる光と美の境涯、いわゆる〝常夏の国〟(※)との違いが想像していただけると思います。
(※曽ては〝常夏の国〟 が天国とされていたが、近代の霊界通信によってそれがまだまだ霊界の入口あたりに過ぎないことが明らかとなってきた。本通信でも〝天界の低地〟に属し、善と悪、暗黒界と光明界の二面性があることが窺える。──訳者)
この常夏の国の平野や渓谷に遠く目をやっておりますと、地上の大気による視覚への影響を殆んど忘れております。もっとも、地上独特のものでこちらに存在しないものを幾つか思い出すことは出来ます。例えば距離です。
距離感覚はぼやけて行くのではなく、少しずつ消失して行くのです。樹木や植物は地上のようにシーズンが来ると咲きシーズンが終わると枯れて行くというのではありません。いつも咲いております。
それを摘み取ってもずいぶん永い間いきいきとしております。やがて萎れるのかと思うとそうではなく、これもいつの間にか大気の中へ消滅して行くのです。大気は地上と同じような感じがしますが、必ずしも無色透明ではありません。カストレル様の都市はどこか黄金の太陽の光のようなものに包まれております。モヤではありません。
それが視力を妨げることもありません。それどころか、他のさまざまな色彩を邪魔することなく一切を黄金の光輝の中に包み込んでいるのです。うっすらとしたピンク、あるいは青色をしている地方もあります。各地方に独特の色調又は感じがあって、それがそこの住民の本性と性向と仕事の特徴を表わしているのです。
大気の色調はこの原理に基づいているようです。が同時に、その色調が住民の言動に反映しています。他の地域を訪れるとそれがよく判ります。霊格が高くなると、その土地へ足を踏み入れるとすぐに、そこの住民の一般的性向と仕事の内容が判るようになります。
と同時にその人もすぐにその影響を受けることになります。もちろん根本的性格は変わりません。感覚的な面で影響を受け、それがすぐに衣服の変化となって表われます。
ですから、見知らぬ土地へ行っても、内面的にも外面的にもすぐに同胞意識を覚えるようになります。これは私が知った最大のよろこびの一つです。どこへ行っても兄弟姉妹が居るようなものです。
もし地上がそういうところだったらどうなるか、想像してご覧なさい。居ながらにして天使の平和と善意のメッセージが現実となり、地上が言わば〝天界の控えの間〟となることでしょう。
さて私たちはカストレル様の都市の訪門を終えての帰路、今回の体験で私たちがどう変わったか、いかなる教訓を学んだかを反省いたしました。私自身について言えば、それはもう、あの死産児に会えたということだけで十分であったという気持ちです。
思いも寄らなかった神からの贈り物です。が、平野をのんびりと歩きながら、私だけでなく仲間の一人一人がその人なりの祝福を得ていたことを確かめ合ったことでした。
都市を訪れる時は天空を飛行しました。そこで帰りは山脈のところまでは歩いて行きましょうということになったわけで、その道すがらずいぶん色んなことを語り合いました。それを全部綴れば大変なページ数になります。そして内容も興味ぶかいものばかりですが、私たちと違い、あなたにとって、また新聞社にとっては、時間と紙面が大切な要素ですから(※)それは割愛して、どうしても語っておかねばならないことだけを述べることにしましょう。
(※この霊界通信は一九二〇年から二一年にかけて新聞に掲載されている。霊界側は当初よりこういう形での公表を念頭において通信を送って来たことが窺える。──訳者)
私たち五人が本来の界へ帰り着いた時、私たちの属する霊団の最高指導霊であらせられる女性天使も例の〝かけ橋〟での用事を終えてすでに帰っておられました。この度はあなたもよくご存知の婦人を連れて帰られました。
──どうぞその方のお名前を!
S婦人です。あの方は、死後、不如意な体験が重なりました。こちらへ来られた頭初は急速な進歩が得られる境涯へ案内されたのですが、あの方の場合は複雑でした。性格が複雑な方だったために、どこに置かれてもしっくり来なかったのです。
いろいろと工夫して援助してあげたのですが、しかし──これはあなたも是非知っておくべきことですが──こちらでは自由意志と個性が非常に重要視され、いくらその人のためになることでも押し付けることは許されないのです。
S婦人は間もなく気持ちが落着かなくなり、私たちも本人の好きにさせるほかはないと判断しました。そこで警告と忠告を十分に与えた上で二つの道の岐路に案内して、好きな方角を選ぶにまかせたのです。但し指導霊を付けて蔭から監視させ、必要とあらばいつでも援助の手を差しのべる用意をした上でのことです。
さて婦人は自分の求めるもの、つまり〝心の落着き〟を得るためにはどこへ行けばよいか、何をすればよいか迷っておりました。それで相当永い間、例の〝かけ橋〟の近くをウロウロしておりました。
そのS婦人がようやく自分の誤りに気づいて光明の方へ足を向け、女性天使に連れられて最初の境涯へ戻って来ることになったのは、我が侭を通せば通すほど暗闇が増し、会う人も見る光景も聞く音も心地良さが薄れ、時には恐怖さえ覚えさせるものになって行きつつあることに気づいてからでした。
今もまだまだ進歩は遅いようです。ですが、頑なな心が次第に和らかさを増し、謙虚さと信頼心が強まりつつあります。そのうち立派になられるでしょう。これまで私がS婦人の消息が判らずお役に立てなかったのも、こうした経緯があったからです。これからは時の経過と共に少しずつ力になってあげられることと思います。
私がこれから当分の間仕事に従事することになっているこの土地へ連れて来られたのも、多分そのためでしょう。あの方のことは私は地上ではあなたを通じて存じ上げていただけで、あまりよく知りませんでした。私とのこの度のご縁は多分あの方のお子さんたちとあなたとの情愛がかけ橋となっているのでしょう。 こちらでは地上でのご縁が全て生かされております。ふとした縁、行きずりの縁も意味があるものです。人生におけるあらゆる出会いが何らかの影響を及ぼしております。たまたま隣り合わせに腰掛けた人と交わした会話、偶然の出会い、ふと買い求めた一冊の本、友人の紹介で握手を交わし、それきり生涯会うことのなかった人等々、すべてが記録され、考慮され、整合されて、必要に応じて利用されます。今回の私とS婦人との関係もその一つの例と言えましょう。
ですから、日常の行為の一つ、言葉の一にも気をつけなくてはいけません。神経質になるのではなく、常に人の為を思いやる習慣を身につけることです。いつでも、どこでも親切の念を出し続ける習慣です。これは天界では大変重要なことで、それが衣服に明るさを、そして身体に光輝を与えるのです。
ではお寝みなさい。この挨拶は〝良い夜〟お過ごし下さいという意味ですから地上の方には意味がありますが、私達には意味がありません。こちらでは〝善〟を愛する者にとっては全てが〝良い〟ことばかりであり、絶対的な光に満ちておりますから〝夜〟が無いのです。
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