Monday, April 6, 2026

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


九章 この世、そしてあの世


 「死んであの世へ行った人はどうやって時を過ごすのですか」───ある日の交霊会でこんな質問が出た。

「この世と同じように明るさと暗さを伴った時間があるのでしょうか。それとも、まったく別の時の流れがあるのでしょうか。何をして過ごすのでしょうか。やはり働くのですか。勉強もするのですか。楽しみがあるのでしょうか」

 こうした質問にシルバーバーチが次のように答えた。

 「それについては何度も何度もお答えしてまいりました。時間の問題は地上の時間とは関係がありませんので、むしろその意味で興味ある課題です。

 地上の時間は便利さを目的として刻んであります。つまり地球の自転と太陽との関係に基づいて、秒、分、時間、日を刻んであるわけです。私どもの世界には夜と昼の区別がありません。光の源が地上とは違うのです。

従って地上と同じ意味での時間はないことになります。こちらでは霊的状態で時間の流れを計ります。言いかえれば、経験していく過程の中で時の流れを感じ取ります。一種の精神的体験です。


 霊界の下層界では生活に面白味が乏しいですから、時間が永く感じられます。上層界では───むろん比較上の問題ですが───快い活動が多くなりますから短く感じられます。次々と新しい体験があるという意味です。別に時間とか月とか年とかの分け方はありません。仕事への携わり方はその人次第です。精神と霊に関連した活動はいくらでもあります。
 
 ご質問者は霊的な体験を物的尺度で理解しようとなさっている点に問題があります。霊界へ来てからの精神と霊のすることは範囲が広く際限がありません。教養(文化)的なものもあれば教育的なこともあり、一つ一つにれっきとした目的があり、物質界への働きかけもあり、やりたいだけ存分にそれに携わることができます」

 「でも、こういう問題が生じませんか───もしも地上のような時間がないとすると、これから先の予定はどうやって立てるかということです」

 「私が誰れかと会う約束をしたい時などのことでしょうか。そんな時は思念を送って都合が良ければ会うということになります。手紙での連絡はありません」

 「誰れかと特定の時刻に会いたい時はどうされますか」


 「そういうことにはならないのです。唯一それに似たものとしては、地上の祝祭日にこちらが合わせる場合です。たとえばイースターとかクリスマスには私は自分の界へ戻ります。地球圏から脱け出るのですが、それは習慣に合わせているだけの話です。

必要とあれば、本日の予定が終わり次第引き上げることも出来ます。どこかの霊の集まりに参加するようにとの私への要請があるとすれば、その要請は思念で届けられます。それを私が受信して、そして参加するということになります。もっとも、今すぐそんな要請は来ないでしょう。

私がこうして地上の方々と話をしていることが判っておりますから。日ごよみなどはありません。あくまで精神と霊の世界なのです」
 

 「霊界にも電車はありますか」

 「ありません。但し電車に乗りたいと思えば電車が目の前に現われます。理解できないでしょうね。でも夢と同じようなものです。電車で行きたいと思えば電車が現われるのです。

 皆さんだって、夢の中で船に乗ろうと思うことがあるでしょう。すると船が現われます。自分がこしらえるのです。そして少なくとも自分にとっては本物の船です。それに乗ると動き出します。必要な船員もちゃんと揃ってるでしょ?その時の意識の場においては現実なのです。現実というのは相対語であることを忘れないでください」
 「そのことは何度も聞かされ書物でも読んでおりますが、正直言って私には理解できません」

 「そうでしょうとも。ですが、あなた方の世界でも時間の錯覚があります。一時間はいつも一時間とは限りません。たった五分が一時間のように感じられることもあります。それが時間の精神的要素です。

地上においてもその精神的要素が現実に存在することを理解して下されば、私ども霊界の者が地上の時間の純粋に機械的要素とは無縁であることがお判りいただけるでしょう。こういう説明よりほかに良い説明方法がないように思います」

 「みんな自分の家を持っているのでしょうか」

 「はい、持ちたいと思っている者は持っております。そう望んでそれなりの努力を致します。が、持とうと思わない者もいます。同じく家を持つにしても自分の建築の好みに合わせて工夫する者もあります。例えばあなた方のご存知ない照明方法を組み込んだりします。こうしたことはその霊の創造的才能に関わる個人的な好みの問題です」

 「霊界の家はそれまでの生活の中身によって左右されるとおっしゃったことがありますが・・・・・・」  
   
 「持ちたいと望み、それなりの努力をしたら、と言ったつもりです。が、いったん家をこしらえたら、その建築様式は純粋にその人の好みの問題となります。青空天井にしたければそうなります。好みというものは長い間の習慣によって形作られていることを忘れてはいけません。習慣は精神的な属性であり、死後も存続します。

 生涯を英国だけで送った人は当然英国風の住居の様式に慣れ親しんでおり、したがって同じような様式の家に住むことになります。そういう習性が残っているからです。

やがてその習性から脱け出せば、また別の種類の住居を持つことになります。こうしたことも生活の連続性を維持するための神の賢明なる配慮なのです。ショックを防ぎ、生活をスムーズに、そして調和のあるものにしてくれています」

(訳者注──この質問と回答には少しズレが見られる。質問者は霊格の低い霊の家はみすぼらしく、高い霊は見るも麗しい、神々しい家に住むという事実を踏まえて質問している。確かにシルバーバーチも別のところでそう言っており、他の霊界通信でも同じことを言っている。もっとも、みすぼらしいと言っても相対上の問題で、住まってる本人は少しもみすぼらしいとは思っていない)

 別の日の交霊界ではこう述べている。

 「霊界には〝国会〟はありません。住民の生活を規制するための法律をこしらえる必要がないからです。霊界では自然法則が全てを律するのです。逃れようにも逃れられない形でその法則が付いてまわります。物的身体はもうありません。

物的生活にかかわる諸問題も関係がなくなります。今や霊的な形態で自分を表現しており、霊的自然法則が直接に作用することになります。その仲立ちをするものは何も要りません」


 「コンサートとか演劇とか博物館のようなものもありますか」

 「博物館は大きな建物───学問の殿堂(ホール) の中に設けてあり、そこにありとあらゆる種類のコレクション───地上の全歴史にわたる資料から霊界の興味深い生活形態を示すものまでが展示されております。例えば地上に存在しない花の種類があります。そのほか人間の知らない自然の様相(すがた) が沢山あります。そのサンプルがホールに陳列してあるのです。

 コンサートはしょっちゅう開かれております。音楽家には事欠きません。大音楽家と言われる人も大勢いて、自分の才能を出来るだけ多くの人を楽しませるために役立てたいと願っております」劇場───これも数多くの種類があります。純粋に芸術としてのドラマを目的としたものもあれば、教養を目的としたものもあり、教育を目的としたものもあります。


 地上で持っていた天賦の才、素質、能力は死と共に消えてしまうのではありません。逆に、死がより大きな自由をもたらし、それを発揮する機会を広げてくれます。

 「新聞やラジオもあるのでしょうか」

 「ラジオはありません。通信様式が違うからです。いちばん一般的な方法はテレパシーですが、要領さえ呑み込めば、目の前にいなくても莫大な数の人に向けて呼びかけることができます。それは地上のラジオとは原理が異なります。

また、いわゆる新聞はありません。地上のようにその日その日の出来ごとを書いて知らせる必要がないからです。必要な情報はそれを専門としている者が然るべき方面へちゃんと送り届けてくれます。その要領はあなた方には理解しがたいものです。

 例えば私が知らずにいることでぜひ知る必要のある事柄があるとしましょう。そんな時、知らせるべきだと思った人が思念で私に知らせてくれます。そういう仕事を担当している霊団があるのです。そしてそのための特殊な訓練をしております」

 「私たちがインスピレーションを受ける時も同じ過程によるのでしょうか」

 「それはまた次元が異なります。人間がインスピレーションを受け取る時は、意識的にせよ無意識的にせよ、霊界のある知的存在(霊)と交信状態にあります。そして、その状態にある間はその霊の力なりインスピレーションなりメッセージなりを受け取ることができます。

意識できる場合もあれば無意識の内に受けている場合もあります。それはその時の環境条件によります。

 その点、私どもの世界では絶え間なく思念を出したり受けたりしております。霊的波長が同じ者どうし、つまり霊的知性が同質である者どうしで送信と受信を行っております。その波長は霊的発達程度によって定まります」
 「名前は霊界へ行っても地上時代のままでしょうか。例えばリンカーンは今でも Abraham Lincoln という氏名で知られているのでしょうか」

 「そうです。身元の確認の上でそうしておく必要がある人は地上時代の氏名のままです。ただ、氏名がすなわちその人物では無いことを忘れてはなりません。その人を認知するための手段の一つに過ぎません」

 「たとえば地上で有名だった人は死後もその名前を使うのが便利ですね」

 「そういうことです。身元の確認の上でそうしておく必要がある場合です。その状態が人によって何百年も何千年も続くことがあります。しかし、いつかは地球の磁場から超脱します。そうなると、もうその名前は意味がなくなります。その人の本来の霊格によって存在が確認されるようになります」


 「ひと目見てそれが確認できるのでしょうか」

 「できます。地球の引力圏から脱すると、つまり地球とのつながりで暮らしている段階を超えて純粋に霊的といえる段階まで到達すると、ある種の光輝を発するようになり、それを見ればそれが誰それで、どの程度の霊格を具えているかが一目瞭然となります。理解しにくいですか」

 「いえ、そんなことはありません。地上でも、人に会った時などにその人がどんな人物であるかが、話を交わす前から分かることがあります」

 「そうでしょう。オーラに刻まれているのです。こちらでも同じです。ただ、はるかに強烈になるということです」

 「地上で有名人だった人とは別に、そちらへ行ってから有名になった人がいるものでしょうか」

 「もちろんですとも。地上での名声は単なる〝生まれ〟に由来し、他に何の原因も無い場合が多いものです。生きざま、努力、苦労によって克ち得たものでない場合が多いのです。そうした中で全く名を知られず偉大さを認められなかった人物が、こちらへ来てそれに相応しい評価を受けている人が大勢、実に大勢いるものです。魂こそ消そうにも消せないパスポートなのです」


 「書物あるいはそれに類するものがありますか」

 「あります。書物なら実にたくさんあります。地上にある本の全ての複製もあります。地上にない本もたくさんあります。こちらには芸術の全分野の資料を集めてある巨大な建造物(ホール)がいくつもあり、その中に印刷物も含まれております。あなた方が興味を抱くものならどんなものでも用意してあります」

 「誰れが用意するのですか」
 「著述の専門家、書物を用意することを専門にしている人たちです」
 「霊が手に取って読めるようにエーテル質で出来ているのですか」
 「もちろんですとも!」


 シルバーバーチは質問者が相変わらず死後の世界を夢まぼろしのように想像していることにいささか呆れ気味であるが、このあとさらに「同じ本が他の人には違ったものになったりすることはありませんか」と聞かれて、その〝夢まぼろし観〟の誤りを次のように直していく。

 「そんなことはありません。ところであなたは夢の中で本を読んだことはありませんか」
 「ありませんけど、どんなものであるかは想像できます」
 「その場合それは本物の書物でしょうか」
 「いいえ」

 「ではもしあなたが永遠に目覚めないと仮定したら、その夢はあなたにとっていつまでも現実であり、その夢の中の生活と比較すべき覚醒時の生活がない以上は夢の中で起きたことはことごとく現実であり、逆にそれまでの覚醒時に起きたことは全て夢まぼろしであったことになりませんか。

 死後の世界ではそうした夢の中での精神的過程が何倍もの強烈さをもって働くと思っていただけば良いのです。そうした精神状態はこちらの世界の者にとっては実在であり、あなた方が物質に実感を覚えると同じように、霊にとっては実感があるのです」


 「何だか怖いような気がします」
 「なぜですか」
 「どうも私にはその生活が現在の地上の生活のような実在感を伴った、しっくりとしたものではないように思えるのです」

 「それは全く相対上の問題にすぎません。実際は地上生活は霊界という名の太陽によって出来た影にすぎません。地上生活は殻であり実質がないのです。物質が霊によって存在が与えられている以上、物質界には真に実在と言えるものは何一つ存在しません。物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた表現の一つに過ぎません」

 「私があのように申し上げたのは、私には、同じく美しいものでも主観的なものは客観的なものほど楽しくないからです」

 「いま主観的と思っておられることが客観的となり、客観的と思っておられことが主観的となります」

 「そう理解するには個人的な実体験が無くてはならないでしょう」
 「そのとおりです。でも今あなたはその実体験が無いわけではないと思いますが・・・・」
 「夢の中でのことでしょうか」

 「いえ、あなたご自身の精神の中でのことです。たとえば、あなたは奥さんをとても愛しておられる。その愛は主観的でしょうか客観的でしょうか」
 「両方が一緒になってると思います」

 「でも愛というのは霊と精神の属性です。そうでなかったら永続性はありません。実在はかならず内部から発するものです。あなた方は物的身体を持った霊的実在です。永遠の実在は霊であり、肉体ではありません。肉体が朽ちて元の原素に戻っても霊は存在し続けます」


 ある時シルバーバーチは、今霊界の奥から帰ってきたばかりだと述べ、その目的はこれまでの仕事の進展ぶりを総点検し、これから先の仕事のための新たなエネルギーを摂取するためであると説明してから、さらにこう述べた。
 
 「こうして再び地上へ戻って来る時の私の気持ちは何時も〝味気なさ〟です。この表現でもまだ十分に意を尽くしていません。地上には光と生命が欠けています。うっとうしくて単調で、活力に欠けております。まるで弾力性を失ったクッションのようで、何もかもがだらしなく感じられます。いきいきとした魂、愉快な精神の持ち主はきわめて稀れです。

全体を無気力の雰囲気が支配しています。生命のよろこびに満ち溢れた人は少なく、絶望と無関心がはびこっております。多分あなた方自身はそれに慣れっこになっているためにお気づきにならないのでしょう」
 
 「私たちにもそれは感じられるように思います。世を拗ねた心がはびこっているようです」

 「それは取りもなおさず戦争に対して払わされている代償です。あれだけの激しさをもって一気にエネルギーを使い果たせば、その結果として衰弱を来すのは当然のことではないでしょうか。かくて熱気、情熱、熱心さが見られないわけです。

私は全てが光り輝く色彩豊かな境涯からやってまいります。そこでは心は真の生きるよろこびにあふれ、各自が自分に合った仕事に忙しく携わり、芸術の花が咲き乱れ、全ての者が奉仕の精神にみなぎり、自分が持っているものを持たざる人に分け与え、知らざる人を教え導くことを喜びとし、情熱と迫力とよろこびをもって善行に励んでおります。

 その点この地上は全てが今述べたような陰気さに包まれております。しかし、ここが私どもの奮闘しなければならない土地なのです。ここが私たちが奉仕しなければならない領域なのです。ここが全力を投入すべき場なのです。

一人一人が神の無限の可能性を秘めた統一体としての一部なのです。自分という存在の内部に日常生活のあらゆる問題を克服していくためのインスピレーションとエネルギーを摂取する手段を宿しているのです。その永遠の実在に気づいている人、あるいは奥に秘められた能力を引き出す方法を心得ている人は極めて稀れのようです。

そうなると当然、物質的生活と同じく実感のある霊的生活───本当はより実感があるのですが───の豊かさとよろこびを味わえるはずなのに、物的生活の味気ない単調さの方を好む者が多いことになります。私がなぜこんなことを言うのかお判りですか」


 「判ります。でも、死後の世界にも地上よりはるかに面白くない境涯があるのではありませんか」

 「それは事実です。測り知れない程の絶望の淵から天上的喜悦の境涯まであります」

 「そうした奈落の底にいる者にとっては地上は天国のように思えることでしょう」
 「何ごとにつけ、比較の仕方によって良くも悪くもなることは事実ですが、私が較べたのは、これまで地上で見てきたものと、先ほど行ってきた天上の境涯です。

ですが、地上の人々もここに集える私どもと同じ知識を身につければ、少しもみじめに思う必要はなく首をうなだれることもないでしょう。元気づけてあげることが出来るということです。全ての力の根源は霊にあり、永遠の富を獲得することは人生の悩みのタネとなる物的なものよりも大切であることを悟ることでしょう。

 私の目には、あまりに多くの人間がその貴重なエネルギーを浪費させることにしかならない事で悩み、怖れ、取越苦労している姿が見えるのです。重点の置きどころが間違っているのです。視点を間違えているのです」


 さらに質問者が霊界での睡眠や休息について尋ねると、シルバーバーチは少し調子を変えてその質問者にこう述べた。

 「どうやらあなたは死後の世界についての疑問でいつも頭が一杯のようですね」
 「正直言ってそうなんです。もちろん聞かされた通りを盲目的にそうなのだと思い込めばよいのでしょうけど、どうも私の本性がこうして問い質させるようです」
 
 「私が盲目的な受け入れをよろこばないことはご存知でしょう。霊界ではベッドが欲しいと思う人は用意していますが、寝る必要はありません。夜が無いのですから」

 「寝る人もいることはいるのでしょう?」 
 「もちろんいます。寝なくては、と思うからです。実相に目覚めた霊は寝ません。土手に腰を下ろして休みたいと思えば休みます。が、疲れたからではありません」

 「座って冥想するのが気持ちが良いからでしょう」
 「それもありますが、自然の美しい景観を眺めながら誰かと交信するということもあります。ただし〝済みません、少し疲れましたので、一服しようと思います〟とか、〝急いで食事をとってきますので・・・〟といったようなことにはなりません。食事を取る必要はないのです。

もっとも、食べたいという気持ちが残っていれば別ですが・・・肉体のように栄養を補給しなくてはならない器官がないのです。バイブレーションが物的ではありませんから・・・・・・」 



       
   十章 霊訓を必要とする時代
 
 「大きな変動期にあっては霊媒を通じそのメッセージ、霊的知識を広めることを目的とした霊力の演出がよりいっそう要請されます。

 地上の至るところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(がかい)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。

 人間は本来が霊的な魂を宿した存在です。そして魂はその存在を支えてくれるところのものを求めて、じっとしておれないものです。魂も養育してやらねばなりません。

扶助してやる必要があります。活動の場を与えてやらねばなりません。魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的部分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。

 教会による月並みなお説教では、特殊な一部の人を除いて、満足を与えることはできなくなりました。絶え間なく進歩する世界、常に変化し生長していく世界にあっては、何世紀もの昔のおきまりの宗教的教説を今日に当てはめることは不可能なのです。

となれば当然、人間が勝手にこしらえた神学をもとに同じことを繰り返し訴えても、耳を傾ける人が次第に少なくなっていくに決まっています。
  
 この点に関する限り、歴史は繰り返しません。なぜなら、キリスト教の信条と教義に背を向ける者が次第に増えていっても、ではその人たちの考えが唯物的になっていくかというと、そうではないのです。というのは、確かに無味乾燥な福音が魅力を失いつつありますが、この度はその原因に別の要素があるのです。

それは、宇宙の謎と取り組んでいる科学者によって、唯物主義の思想が不毛で無意味で到底受け入れられないものであることが明らかにされてしまったことです。

(訳者注──物理学の進歩によって物質の究極の姿が従来の〝もの〟の観念を超えてバイブレーションの状態であるということが明らかになったが、それでもなおそのバイブレーションを構成する究極の要素は突きとめられていない。

かつては〝これが一ばんの素〟という意味で素粒子論が行われたが、今ではそれも途中の段階であって、その奥にまだ何かがあるらしいことが理論物理学で言われており、その確認が実験物理学で行われつつある。ともかくも物質の本性は人間が五感で感じ取っているものとは全く異なることが明らかとなった。シルバーバーチはその点を指摘している)

 こうした時期、すなわち多くの者が視野の変化に気づき、何もかもが改造のためにるつぼの中へ放り込まれている時こそ、霊的真理を普及すべき絶好機なのです。

 かつて私は、人間が絶体絶命の窮地にある時こそ神を知る絶好機であると述べたことがあります。
 
今、再びその必要性が大なる時となり、霊力が奔流となって流れ込んでおります。愛は死の淵を超えて届けられます。愛するものを導き、悲しみに暮れる心に慰めの芳香をもたらし、病に苦しむ人には治癒力を注ぎ、道に迷える人には手引きを与え、霊力の実在の証の全てを提供せんとして心を砕いております。

 そうした証を伴った真理こそ永遠なるものです。不変なのです。地上で何が起きようと霊界でどういう異変があろうと、そのために取り消されたり書き変えられたりすることは決してありません。永遠の実在なのです。

一度それを把握したら、一度自分のものにしたら、一度理解してその有難さを知ったら、その時からその人の生活に光沢と美しさと豊かさと輝きと自信と確信が具わり、二度と寂しい心を抱いて歩むようなことはなくなります。

 かくして真理を広めるということは大切な仕事であり、大勢の人に与えられる絶好機、人のために自分を役立てる貴重な手段であることが分かります。

煩悶の叫び声をあげている数知れぬ人々は、私たちが奮闘すべき場を提供してくれているのであり、一人が光を見出すごとに、一人が無知の闇から抜け出て知識を手にするごとに、一人が悲しみの涙をよろこびの笑みに変えるごとに、魂の勝利、永遠の闘いの中における勝利を克ち得たことになります。

 ですから、どこでもよろしい、誰でもよろしい、力を引き締め、鎧でしっかりと身を固め、神の大軍が背後に控えてくれているとの信念のもとに、この人類にとって掛けがいのない重大な闘いを引き続き闘い抜こうではありませんか」

 
 このあと質疑応答となった。最初は読者からの手紙による質問で〝百人の霊媒のうち九十九人まではデタラメをしゃべっている〟というショー・デスモンド(※) の言い分を引用してシルバーバーチの意見を求めた。

(※Shaw Desmond 英国の著名な作家でスピリチュアリズムに理解があり、その作品に心霊的要素が多く取り入れられている── 訳者)

 「本物の支配霊───支配霊としての仕事を完う出来る才能を具えた霊にはその批判は当てはまりません。霊媒の背後霊は慎重な検討をへて選ばれ、またその適性は実際に霊媒との仕事を始める前に実証済みだからです。

 そうした本物の支配霊に関する限り今の批判は当たりませんが、残念なことに、本物の霊力を発揮するには今一つの修行を要する未熟な霊媒が多いことは事実です。

 そういう霊媒つまり開発途上にある霊媒による交霊会では、何とか良からぬ評判がささやかれ、それがみな支配霊のせいにされてしまいます。

実際には支配霊がいけないのではなく、その支配霊を補佐する指導霊や通信霊が未熟なためであることがあり、時には霊媒そのものが未熟であるために、その霊媒自身の潜在意識の中の考えだけが出ているにすぎないことがあります。

 ですから支配霊はデタラメばかりと言うというのは言い過ぎです。少なくとも私が連絡を取り合っている幾つかの霊団の支配霊に関する限り、そういう言いがかりは不当であると思います。最も、デスモンドは一般論として言っているのでしょう。どこのどの霊媒というふうに特定しているわけではありませんから」


 次に読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。

 「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、及び物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思う時、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るべきでしょうか」


 「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表われです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるべきです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。

 たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意志と調和させることであり、神との繋がりをより緊密にすることです。

そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。

 何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立て下さいという祈りの気持ちで包んであげることです。

 ですが、それを自分が愛着を覚える人のみに限ることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色あいを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」


 この後シルバーバーチは霊的真理の普及という一般的な問題に移り、こう述べた。

 「皆さんに自覚していただきたいことは、前途にはまだまだ問題が山積していること、取り除かねばならない問題があるということです。それを取り除くには図太い神経、断固とした精神、堅固さ、不動の忠誠心、証を見せつけられた霊的真実への節操が要請されます。

 さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。

 自慢することはおよそ私には縁のないことです。宇宙を知れば知るほど謙虚な気持ちで満たされるものです。ですが、それでもなお私はあなた方を導く霊の力の偉大さを公言して憚りません。それが私のような者にも与えられているのです。

私が偉いからではありません。私が為さんとするその意欲に免じて授けられているのです。これまでの私と皆さんとの交わりの長い年月を通じて、その霊力は存分に与えられ、それ以後も皆さんが望まれる限り続くことでしょう。

 私はもし皆さんが日常生活の自然な成り行きの中において霊的にそして身体的にみずからを御して行くことができるのであれば、敢えてこうした交霊会の継続を望むものではありません。

霊的な知識を獲得しながら身体に関わる面をおろそかにするのは感心しません。それは、身体ばかりを構って霊的側面をおろそかにするのと同じように愚かしいことです。

 神の顕現であるところの大自然が与えてくれる活力と能力を存分に活用して人生を謳歌なさるがよろしい。ふんだんに与えられる大自然の恵みを遠慮なく享受し、完成へ向けて進化し続ける永遠の壮観(ページェント)の中にその造化の神が顕し給う美を満喫なさるがよろしい。

 と同時に、その背後にあって私たちを道具として使用せんとする崇高なる霊の働きに常に思いを馳せましょう。その神の恩寵を存分に享受するために心を広く持ちましょう。なるほど私たちが神のメッセンジャーであることを認めてもらえるように、日々の生活における言動に愛と善意を反映させるように心がけましょう」


 別の日の交霊界で現在のスピリチュアリズムの進展ぶりを尋ねられてこう答えた。

 「地上はまだまだ混乱が続いております。喧騒と怒号の鳴りやむ時がありません。霊的真理の普及はまだまだ必要です。

それに対する手段が十分に整ったことは一度もありませんが、常に何らかの試みが為され、幾ばくかの成功が収められていることは事実です。地球全土に手を伸ばすことは出来ません。届く範囲で努力いたしましょう。

 今なお世界大戦の余波が残っております。(※)全ての価値観がひっくり返され、混乱が支配し、無秩序がはびこり、道徳的価値観が定まらず、未来像と洞察力の透徹度が消え失せ、かつての美徳が後退し、基本的には正しいものまでが混乱の渦中で完全に姿を失ってしまいました。

その変転きわまりない地上世界にあって常に変わることのない霊的真理を私たちの手で広げようではありませんか。決して色あせることも曇ることも朽ちることもない、永遠の霊的実在 ─── 一度理解したら人生の全図式を一望のもとに見渡すことを可能にしてくれる真理に目を向けましょう。

(※この日の交霊会が何年何月に開かれたかは不明であるが、この原書が発行されたのが一九四九年、つまり終戦から五年後のことであることを思えば、戦後間もない頃であったことは察しがつく──訳者)

 皆さんがスピリチュアリズムと呼んでおられるものは自然法則の一部にすぎません。宇宙の大霊すなわち神は宇宙を法則によって経綸し法則に則って顕現していくように定めたのです。その法則が宇宙の全活動を統御しております。

宇宙のいずこにも ───人間の知り得た範囲に留まらず人間の能力をはるかに超えた範囲においても───法則の行き届かないところはありません。

 その法則の中に神の意志が託されているのです。およそ人間のこしらえる法律というものには変化と改訂が付きものです。完全でなく、すべての条件を満たすものではないからです。

 が、神の摂理は考え得るかぎりのあらゆる事態に備えてあります。宇宙間に発生するもので不測の事態、偶然の出来ごとというものは一つもありません。全てが規制され、全てが統御され、全てに神の配慮が行き届いているのです。

 科学者の手によって物質界の原理の多くが発見されました。が、その探究の手はまだまだ霊的な分野にまでは及んでおりません。人生を物的尺度でもって判断し理解し考察しようとするのは愚かです。小さな一部分にのみ関心を集中し、肝心な大きなものを見落しているからです。

 私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。

それとても実は私の望んでいるところの一部に過ぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確かにこれも私たちの使命の一部ではあります。

しかしもっと大切なことは、そうした体験を通じて自分とは何か、本当の自分とは何なのか、何のためにこの地球という惑星に生を享けたのか、より一層の向上のためには何を為すべきか───こうしたことについての正しい認識を得させてあげることです。それが一番大切なことです。

 これから先にも大きな仕事が私たちを待ちうけております。再構築の仕事です。心に傷を負い、精神的に打ちのめされた人、人生に疲れ果てた人、生きる意欲を失った人、不幸のために心を取り乱している人、暗闇の中に光を求めている人─── 私たちはこうした人々を快く歓迎してあげなくてはいけません。

 今や大勢の人が、これが本当に人類にとっての鎮痛剤なのかと、期待の目をもってわれわれの方へ関心を向けつつあります。この真理、そしてそれに伴って得られる霊的な力は、たとえその数が何千何万となろうと援助し、導き、慰めてあげることができます。霊力の貯蔵庫は無限です。いかなる問題、いかなる必要性、いかなる悩み、いかなる心配事にも対処できます。

 世界は今まさに全面的な再構築を迫られています。全ての価値観が再検討を迫られております。その大渦巻きの中にあって〝これこそ基盤とすべき原理である〟と自信を持って断言できる人はきわめて稀れです。

 再構築にはそれに先だっての破壊が必要です。基盤は何度も言ってきたとおりすでに敷かれております。計画(プラン)はできあがっているのです。今ゆっくりと、そして苦痛を伴いながらそれが姿を現わし、やがて、人間の運命がいかにして改善され神から授かった能力がいかにしてその発達のチャンスを与えられていくかが、徐々に明確になることでしょう。

そこには不安や失望のタネは何一つありません。為すべき仕事があります。手を取り合えばきっと成就し、他の人にも参加させてあげることができます。
 
 私たちに与えられた光栄あるその奉仕の仕事のチャンスを楽しみに待ちましょう。そしてあなた方自身に精神的改革をもたらした同じ知識を同胞に授けてあげることができることの特権に感謝し、それがその人たちにも革命をもたらし、自分が愛と叡知にあふれた神の一部であること、その神は人間が人生から美とよろこびと輝きとを引き出すことをひたすらに望んでおられることを悟ってくれるよう祈ろうではありませんか」  
     

 

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