Sunday, February 1, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen

六章 創造界の深奥


5 物質科学から霊的科学へ

  一九一九年二月二十八日  金曜日 

 人類が目覚めのおそい永い惰眠を貪(むさぼ)る広大な寝室から出て活発な活動の夜明けへと進み、未来において到達すべき遠い界層をはじめて見つめた時にも、やはり神々による廟議は開かれていたのでした。

その会議の出席者は多分、例のアトランティス大陸の消滅とそれよりずっと後の奮闘の時代──人類の潜在的偉大さの中から新たな要素がこれより先の進化の機構の中で発現していく産みの苦しみを見ていたことでしょう。

後者は同じ高き界層からの働きかけによって物質科学が発達したことです。人間はそれをもって人類が蓄積してきた叡智の最後を飾るものと考えました。

しかし、その程度の物的知識を掻き集めたくらいでおしまいになるものではありません。

大いなる進化は今なお続いているのです。目的成就の都市は地上にあるのではありません。はるか高遠の彼方にあるのです。

人間は今やっと谷を越え、その途中の小川で石ころを拾い集めてきたばかりです。こんどはそれを宝石細工人のもとへ持っていかねばなりません。そういう時期もいずれは到来します。細工人はそれを堂々たる王冠を飾るにふさわしい輝きと美しさにあふれたものに磨き上げてくれることでしょう。しかし細工人はその低き谷間にはいません。

いま人類が登りかけている坂道にもいません。光をいっぱいに受けた温い高地にいるのです。そこには王とその廷臣の住む宮殿があります。しかし王自身は無数の廷臣を引きつれて遥か下界へ降りられ、再び地上をお歩きになっている。ただし、この度はそのお姿は(地上の人間には)見えません。

吾々はそのあとについて歩み、こうした形で貴殿にメッセージを送り、王より命じられた仕事の成就に勤しんでいるところです。


──では、アーネルさん、キリストは今も地上にいらっしゃり、あなたをはじめ大勢の方たちはそのキリストの命令を受けていると理解してよろしいでしょうか。

 キリストからではないとしたら、ほかに誰から受けるのでしょう。今まさに進行中の大変な霊的勢力に目を向けて、判断を誤らぬようにしてください。

地上の科学は勝利に酔い痴れたものの、その後さらに飛躍してみれば、五感の世界だけの科学は根底より崩れ、物的尺度を超えた世界の科学へと突入してしまいました。皮肉にも物的科学万能主義がそこまで駆り立てたのです。

今やしるしと不思議(霊的現象のこと。ヨハネ4・48―訳者)がさまざまな形で語られ、かつてはひそひそ話の中で語られたものが熱弁をもって語られるようになりました。

周囲に目をやってごらんなさい。地上という大海の表面に吾々無数の霊が活発に活動しているその笑顔が映って見えることであろう。声こそ発しなくても確かに聞こえるであろう。姿こそ見えなくても、吾々の指先が水面にさざ波を立てているのが見えるであろう。

人間は吾々の存在が感じ取れないと言う。しかし吾々の存在は常に人間世界をおおい、人間のこしらえるパイ一つ一つに指を突っ込んでは悦に入っております。中のプラムをつまみ取るようなことはしません。

絶対にいたしません。むしろ吾々の味つけによって一段とおいしさを増しているはずです。

 あるとき鋳掛屋(いかけや)がポーチで食事をしたあと、しろめ製の皿をテーブルに置き忘れたまま家に入って寝た。暗くなって一匹の年取ったネコが現われてその皿に残っていた肉を食べた。それからネコはおいしい肉の臭いの残る皿にのって、そこを寝ぐらにしようとした。

しろめの硬さのために寝心地が悪く、皿の中でぐるぐると向きを変えているうちに、その毛で皿はそれまでになくピカピカに光り輝いた。

 翌朝、しろめの皿のことを思い出した鋳掛屋が飛び出してみると、朝日を受けてその皿が黄金のように輝いている。

 「はて、不思議なことがあるもの・・・・・・」彼はつぶやいた。「肉は消えているのに皿は残っている。肉が消えたということは〝盗っ人〟のしわざということになるが、皿が残っていて、その上ピカピカに光っているところをみると、そいつは〝良き友〟に違いない。

しかし待てよ。そうだ。たぶんこういうことだろう──肉は自分が食べてしまっていたんだ。そして星のことかなんか、高尚なことを考えながら一ぱいやっているうちに、自分のジャーキン(皮製の短い上着)で磨いていたんだ」


──この寓話の中のネコがあなたというわけですね?

 そのネコの毛一本ということです。ほんの一本にすぎず、それ以上のものではありません。
アーネル  ±

 訳者注──この寓話の部分はなぜか文法上にも構文上にも乱れが見られ細かい部分が読み取れないので、大体のあらすじの訳に留めておいた。要するに人類は各分野での進歩・発展を誇るが、肝心なことは霊の世界からのインスピレーションによって知らないうちに指導され援助されているということであろう。

シルバーバーチの教え(新版・下)

Treasury of Spiritual 
WisdomTeachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)



18章 霊界側から見た戦争

〔シルバーバーチが戦争を非難する姿勢は一貫しており、常に霊的真理を普及することの必要性を強調している。ここでは、戦争に関するシルバーバーチの言葉を見ることにする。〕


私たちは霊界が、地上の戦争によって傷ついた魂のための野戦病院のようになっては困るのです。私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。

霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊されたことで傷ついた魂を、なぜ霊界で癒さなければならないのでしょうか。地上人がなすべきことを疎(おろそ)かにしたことで生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。

もし私たちに、あなた方への愛、大霊の愛がなかったなら、こうして地上界のために働いてはいないでしょう。皆さんは、私たちが伝えようとしている霊的真理によって私たちを判断してください。もし皆さんが「あなたの教えは間違っている。これまでの地上の常識に反している」と言われるなら、私たちとしてはもはや為す術(すべ)がありません。

地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。

実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。

地上世界には建設しなければならない仕事がいくらでもあるというのに、指導的立場にいる人たちは、なぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。

皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。皆さんは、大霊が流血を望まれると思いますか。戦争によって悲劇や苦難、失業や飢餓や貧困が生み出されるのを望まれると思いますか。せっかくの賜物(たまもの)を無駄にし、小さな子供たちが両親から引き離されて無理やり霊界に追いやられてしまうのを見て、大霊が喜ばれると思いますか。

私たちがお届けしている教えに忠実でありさえすれば、大霊のために奉仕している私たちと同じように、あなた方もこの大事業において役に立つことができるのです。

他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。

国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子供であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。

よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らなければなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。

愛が欲しければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。
質疑応答


――大戦で戦死した人々の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。


少なくとも私の目には何の意義も見いだせません。あなた方が言う「偉大なる戦い」が始まったときよりも今の方が混乱し、一段と破壊が進んでいます。


訳注――「偉大なる戦い」とは「戦争をやめさせるための戦争」を大義名分とした第一次世界大戦の別称であるが、シルバーバーチが敢えてこの呼び方をしたことには、「偉大」と呼べる戦争などあり得ないという皮肉が込められている。


――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあってよいものでしょうか。霊的な影響はまったくないのでしょうか。


犠牲となった一人ひとりには報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてはならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相変わらず物質中心の考え方をしているために、彼らの犠牲は無意味に終わっているのです。


――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。


たとえ二分間でも死者のことを思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示して祝ったところで、何の意義も見いだせません。なぜ、霊的な行事で祝えないのでしょうか。


――戦没者の記念をスピリチュアリズム的な催しとして行うことには賛成ですか。


真実が語られるところには、必ず善なるものが生まれます。もちろんその演説が奉仕的精神を鼓舞するものであれば、なおさらです。無意味な演説からは何も生まれません。演説をするだけでは十分ではありません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかのような気分に浸るだけではいけません。

私は「行為」を要求しているのです。人のために役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけるようなことをしてほしいのです。病気に苦しむ人々を癒し、喪の悲しみの中にいる人を慰め、住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の汚点とも言うべきすべての害悪に、終止符を打ってほしいのです。

平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕の精神を抱き、それを実行に移すようになるまでは地上に平和は訪れません。


――参戦を拒否する平和主義者の運動についてどう思われますか。


私はいかなる“派”にも属しません。私にはラベルというものがないのです。私は、人のために役立つ行為と動機にしか関心がありません。肩書きや名称に惑わされてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意と善意を持った人がいるものだからです。私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります。

霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。

それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。

私たちは、これこそ真実であると確信した霊的真理を説いています。そしてそれを実行に移せば、きっと良い結果がもたらされるということを教えています。あなた方は物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さん自身が責任を負うことになります。私たちはただ、愛と誠意を持って導き、あなた方が正道から外れないように力を貸してあげることしかできません。


――ヨーロッパの大国のすべてが完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが武装化を抑制しているのは間違いではないでしょうか。


あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくらつくっても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――


――「制裁」という手段をどう思われますか。


私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。


――しかしこの場合は、動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争をやめさせるためという大義があるのですから……。


武力という種を蒔けば、その種はさらなる武力を生むことになります。「戦争をやめさせるための戦争」だと、当事者が言っているではありませんか。


――では、残虐な連中が無抵抗の人々を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。


あなた方はよく、そういう論理で私たちの意見を求めますが、私たちは永遠にして不変の摂理を説いているのです。最初の段階で摂理に適った手段を用いていれば、今日のような苦境を招くことはなかったはずです。あなた方は難問が生じてから、取り敢えず対策を講じて切り抜けようとしますが、それでは根本的な解決はできません。永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。


――私たちは国際連盟(現在の「国際連合」の前身)を支持すべきでしょうか。


加盟国の代表は本当に平和を希求しているでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるでしょうか。大霊の摂理に素直に従うだけの覚悟ができているでしょうか。もしかして、自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。大霊と人類全体の観点からではなく、自分たちの国、自分たちの民族、自分たちの富という観点からのみ考えているのではないでしょうか。

私たちは、親なる大霊と、その摂理について説いています。それ以外に平和をもたらす方法はないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかもしれませんが、それでは邪悪なものしか生まれません。

そのうち地上人類も“愛”こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするなら、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌(こんとん)と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。


――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。


ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。
一九三七年の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ


訳注――かつては「休戦記念日」と呼ばれていたが、第二次世界大戦後は、英国では「英霊記念日」、米国では「復員軍人の日」と呼ばれている。


毎年この日がめぐってくるごとに、戦死者の犠牲が虚しいものであることを痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろしてホコリをはたくように敬意を払います。

彼らの犠牲的行為はすべて無駄に終わっています。一九三七年の時点で、十九年間も十字架にかけられ続けてきたようなものです。あなた方は「偉大なる戦争」と呼びますが、その偉大さとは大量殺戮(さつりく)、無益な殺戮のことです。それは、すべての戦争をやめさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と虚しいことでしょう。何という欺瞞(ぎまん)に満ちた言葉でしょう。

自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、霊界で辛い落胆の歳月を送っていることをご存じでしょうか。彼らは、青春の真っ只中で生命を奪われました。何の準備もなしに、霊界へ送られたのです。彼らは“国を守る”という理想のために喜んで死んでいきました。それ以来、彼らは裏切られ続けています。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者に二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いています。

真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。

奉仕精神が利己主義に取って代わることによってのみ、平和が訪れることを知らなければなりません。自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物的思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとすることによってのみ、平和が訪れるようになることを学ばなければなりません。

霊界へ送り込まれた人々を、心にもない口先だけの敬意で、侮辱(ぶじょく)してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。

シルバーバーチの教え(新版・下)

Treasury of Spiritual 
WisdomTeachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編) 近藤千雄(訳)


17章 霊界でも祝うクリスマスとイースター

〔シルバーバーチは、一年に二度、クリスマスとイースターの時期に他の大勢の指導霊とともに霊界の内奥(ないおう)で催される大審議会に出席する。この審議会では、それまでの計画の進捗(しんちょく)状況が報告され、それに基づいて次の計画が立てられる。そして新たな霊的エネルギーとインスピレーションを得て、これからの仕事のための準備をすることになる。その審議会の最高責任者が、地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた人物である。シルバーバーチは次のように語る。〕


その大審議会でのイエスのお姿をあなた方に見せ、お言葉を聞かせてあげたいと思います。私たちを励ましてくださるイエスの深い愛情を、あなた方に感じていただきたいのです。イエスは、それまでに私たちが成し遂げた仕事についての評価を披露(ひろう)され、新たなる力、新たなる希望、新たなるビジョンのもとでさらなる目標に向かって邁進するようにと励ましてくださるのです。教会が説く神格化されたイエス・キリストではありません。多くの道具(同志)を通して人類に奉仕しようと勤(いそ)しんでおられる、一人の偉大なる霊です。

私は、長年生活してきた本来の界層に少しのあいだ留まり、そこで久しぶりに活気あふれる霊力に触れ、エネルギーを充電し、美を満喫し、高級霊界においてのみ可能となる生命の実感を味わいます。こんなことを申し上げる私に、自惚(うぬぼ)れの気持ちなど微塵(みじん)もありません。

たとえ世界中の名画や素晴らしい景色、物質界のありとあらゆる芸術品、さらには深遠な自然美を一つに集めても、高級霊界の美しさに比べれば、お粗末な模作程度のものでしかありません。

例えば地上の画家が、高級霊界からのインスピレーションに触れたとしましょう。彼はすぐに、手持ちの絵の具ではそれを表現できないことに気づきます。絵の具を混ぜ合わせて、魂でとらえた色彩を何とかつくり出そうとしますが、不可能であることを悟ります。霊的な存在物や霊界の美しさは、物的な手段では表現できないものだからです。

霊的な喜悦を、地上の言語で説明することができるでしょうか。大霊の光を放ち、叡智と理解力にあふれ、慈悲心と優しさに満ちた霊たちと会ったときの喜びを言い表すことができるでしょうか。語らずともすべてを理解し、互いの心の奥底まで見抜き、その思いを共有することができる霊たち、成功も失敗も知り尽くしている霊たちと一堂に会したときの喜びを、どのようにしたら説明できるでしょうか。地上には、そうした魂の体験を表現する言葉はありません。

大審議会では数ヵ月間の仕事を見直し、新たな計画を作成し、指導霊の一人ひとりに役割が与えられます。私たちは大きな励ましを得て心を鼓舞され、再び各自の使命を果たすために地上近くへ降りていきます。私は皆さん方の援助によって力を与えられ、地上人類が少しでも大霊に近づくことができるように努力しているのです。
質疑応答


――あなたは、その集会に出席するとき、地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか。それともバイブレーションを別の次元に切り換えるのでしょうか。


私が地球(地上圏霊界)を離れるときは、地球の引力やバイブレーションの影響は受けません。こうしてあなた方と話をしているときの私はアストラルボディー(幽体)を用いていますが、地球を離れるときはそれを脱いで霊体だけになります。その霊体が私自身なのです。

脱ぎ捨てたアストラルボディーが分解しないように、(次に使用するまで)私の意識の一部をそこに残しておきます。そして私は、より内奥にある高次の意識を高め、本来の霊的意識を取り戻していきます。それには時間がかかります。地球のバイブレーションから脱するのに時間をかければかけるほど、本来の界層でより高次の霊的意識を取り戻すことができるようになるのです。

しかし、この仕事のために地球へ降りてくる前の意識レベルまで到達することはできません。何年もかかったものを、数日で取り戻すことはできません。


――本来の意識レベルを意図的に下げるのは、たいへんな犠牲を強いられることではありませんか。


おっしゃる通りです。しかしそれは、物質界にいるあなた方のために喜んで払っている代償です。


――犠牲の中でも最大のものと言えるのではないでしょうか。


確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与えています。

地上の太陽が色あせて見えるほど眩(まぶ)しいばかりに光り輝く霊界の太陽、あらゆる絵画・建造物・詩・音楽で表現されている美の極致、最大限の調和状態の中で自然界が生み出す心を奪われるような美しい光景、しかも趣味も性分も相通じる気の合った仲間と交わる喜び――そうしたものに満たされている世界から、暗くて陰鬱(いんうつ)なこの地上界へと降りてくるのです。そのためにどれほどのものを私が犠牲にしているのか、およそお分かりいただけるでしょう。

私は自惚れてこんなことを言っているのではありません。わずかな人々であっても、安らぎと慰めと希望を与えてあげることができるなら、私は喜んで自分の持っているものをお分けしたいと思っています。


――地上のクリスマスとイースターの時期に、なぜ指導霊の集会を催すのでしょうか。ナザレのイエスと何か関係があるのでしょうか。


霊界では、イエスが地上へ降誕する以前からクリスマスとイースターを祝っていました。それらは、聖書に出てくる物語とは何の関係もありません。いずれお分かりになる日もくると思いますが、地球は「リズム」、つまり進化の法則の一環である「サイクル」によって支配されています。そのサイクルは機械的に運行しており、地上のあらゆる民族がそれを認識していました。

私が地上にいた頃、大切にされていた二つの祭日がありました。それをクリスチャンが取り入れ、クリスマスとイースターと呼んで祝っているのです。

この二つの祭日は、私たちインディアンにとって重要な意味を持っていました。インディアンはそれらの時期に、大霊との最高の交わりが得られることを知っていました。あなた方(西洋人)には理解できないことですが、私たちはその時期に太陽の影響力が最も盛んになると考えていました。そして何日にもわたってあなた方の言う「交霊会」を催し、大霊からのインスピレーションをふんだんに受けていました。

そのため私たちインディアンは、地上時代に大切にしていた時期がめぐってくると、霊界において仲間たちが集って祝うのです。もとは“太陽崇拝”から始まったものですが、太陽はシンボルにすぎません。生命あるものはすべて、互いに影響を及ぼし合っています。あらゆる物質も、あらゆる天体も、互いに影響を及ぼし合っています。

すべては自然法則に基づいており、クリスマスは「太陽の誕生」を意味しています。クリスマスは、自然法則を基にして築かれた宗教を持つすべての民族が一つにまとまる時であるため、それが霊界での大審議会の時期として選ばれたのです。私たちにとって太陽の誕生を祝うクリスマスは、すべての祭日の中で最大のものです。なぜならそれは新しい時代の始まりを象徴しているからです。それはサイクルの終わりであり、新しいサイクルの始まりでもあるのです。クリスマスの時期に霊界で集会が催されるのは、指導霊のすべてが、かつて地上で自然法則を基にした宗教を持つ民族に属していたからなのです。

地上でクリスマスとイースターを祝っていたことから、霊界でもこの時期に集会を開いていますが、新しい生命の誕生を祝うという目的は薄らぎ、今では物質界から一時的に引き揚げて次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために開かれています。


――集会には、どのような霊たちが参加するのでしょうか。


主として、インディアンと古い民族に属していた(スピリチュアリズムの)指導霊たちです。今日の西洋人はすべて、指導霊たちに比べて新しい民族であり、彼らにとっては私たちの祝いは無意味です。

イースターは「全生命の復活」を祝う時です。地上の人間が悲嘆と苦悩、苦痛と困窮(こんきゅう)から脱して、より豊かな人生・本当の人生を歩めるようにと祈るすべての人々が一つに結ばれ、全世界が夜明けを迎えることの象徴なのです。それによって悲しみと涙が追放され、悲劇と飢えが消滅していくことになります。

地上世界は今こそ「復活」を必要としています。ゆっくりとではあっても、大霊の摂理が適用されるようになり、より多くの大霊の子らが自らを大霊の道具として提供するようになります。そして物質第一主義の勢力が撤退することになるのです。

私が本来の所属界へ戻るときは、他の多くの指導霊と一緒にまいります。そして短い期間ではありますが、あなた方地上人には想像もつかないような霊的生活の喜びを味わいます。愛の絆で結ばれた指導霊たち、私たちが師と仰ぐ霊たちと会い、その優れた叡智を学び取り、その霊力を取り入れ、深遠なる洞察力による助言を授かります。そしてこの仕事の進展状況を確認し、これからも果てしなく続く善と悪との戦いのために用意された計画を示されます。

こうして私たちは、上層界の指導霊から激励を賜り、奉仕の喜びに満たされて再びこの地上界へと戻ってきます。そしてまた、皆さん方と協力し合って、少しでも多くの霊力を地上界へもたらすために働くのです。

できることならその集会にあなた方をお連れして、地上界のために働いている指導霊たちに会わせてあげたいと思います。私は他の誰よりもこのサークルの皆さんを、イエスを中心として開かれるその集会にお連れしたいと思っています。光輝あふれるその姿を見せてあげたいのです。大霊によって選ばれた指導霊がどのような方々であるかを知ったなら、あなた方は、あまりの威厳にただ畏(おそ)れおののくばかりかもしれません。指導霊たちの地上時代の名前は、知らずにいた方がいいかもしれません。

あなた方には、こうして地上世界のために尽力している仕事の中身によって私たちを判断していただきたいのです。


――霊界での祭日として、なぜ地上のイースターを選んだのでしょうか。


私たちが地上のイースターを選んだのではありません。あなた方が私たちのイースターを選んだのです。


――イースターは昔、地上全体で同じ時期に祝われていたのでしょうか。


私たちインディアンは皆、同時に祝っていました。その後、あなた方の世界でキリスト教という宗教がつくられたとき、太古の自然宗教が用いていたシンボルを採り入れていったのです。すべての宗教の根幹に“太陽信仰”があることを知ったからです。


――現在でも霊界では、インディアン社会だけでなく他の宗教においてもイースターを祝うのでしょうか。


霊界の全界層においてイースターが催されています。地上でクリスチャンだった者は、イエスの蘇りを祝います。イエスよりもずっと前の時代に地上生活を送った者たちは、その時代の自分たちの宗教のシンボルとしてのイースターを大々的に祝います。私たちはそのとき、まだ明らかにされていない叡智を授かります。私たちよりも霊格の高い指導霊から教えを受けると同時に、その知識を他の仲間の霊たちと分け合います。