Tuesday, February 10, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
十章 天上、地上、地下のものすべて(ピリピ2・10、黙次録5・13)



2 宇宙的(コズミック)サイコメトリ
一九一九年四月二日  水曜日

 それ故そうしたサイコメトリ的バイブレーションは──吾々が物質を研究した上での結論ですが──物質に瀰漫(びまん)するエーテルに書き込まれている、ないしは刻み込まれているのです。それだけではありません。

エーテルが物質の成分に作用し、それによって活性化される度合によって、その物質の昇華の度合が決まっていきます。

つまり活性化された成分が外部からエーテルに働きかけ、浸透し、それを物質との媒介物として活用するのです。物質の成分は地上の化学者も指摘するとおりエーテルの中に溶解した状態で存在するわけです。

その点は地上の化学者の指摘は正しいのですが、その辺は大自然の秘奥の門口であって、その奥には神殿があり、さらにその先には奥の院が存在する。

物質科学の範疇を超えてエーテル界の神殿に到着した時、その時はじめて大自然のエネルギーの根源がその奥の院にあることを知ることになります。その奥の院にこそ普遍的〝霊〟が存在するのです。

 これで大自然のカラクリがお分かりになると思います。普遍的な〝霊〟が外部から、つまり基本的成分がエネルギーの量においても崇高性の度合においてもすべてをしのぐ界層から活発にエーテルに働きかけます。その作用でエーテルが活性化され、活性化されたエーテルがさらに物質の基本分子に作用し、そこに物質という成分が生まれます。

 ただし、この作用は機械的なものではありません。その背後に意志が働いているのです。意志のあるところには個性があります。

つまるところエーテルに性格を賦与するのは個性をもつ存在であり、その影響がそのまま物質に反映されていきます。それ故こういうことになります───エーテルを通して物質に働きかける霊的存在の崇高さの程度に応じて、物質の成分の洗練の度合が高くもなり低くもなる、ということです。(第一巻P217参照)

 ということは地球そのもの、および地球上の全存在物を構成している物質の性質は、それに向けて意識的に働きかけている霊的存在の性格と共鳴関係にあるということです。両者は物質に宿っているかいないかの違いがあるだけで、ともに霊(スピリット)なのです。

 したがって地球人類が霊的に向上するにつれて(未来の)地球もそれを構成する成分に働きかける影響力に対して、徐々にではあっても着実に反応していきました。

物質がより洗練され、より精妙化されていきました。内部からの輝きを増していったのはそのためです。これは宇宙規模のサイコメトリにほかなりませんが、本質的にはいま地上に顕現されているものと同一です。

 地球ならびに地球人類の精妙化が進むにつれて霊界からの働きかけもいっそう容易になっていき、顕幽間の交信も今日よりひんぱんになると同時に、より開放的なものとなっていきました(※)。

そして、途中の階段を省いて結論を急げば、顕幽間の交信がごく当たり前のものとなり、且つ間断なく行われる時代にまで到達しました。そしてついにこれからお話する一大顕現が実現することになります。(※シルバーバーチは霊格が向上するほど自由意志の行使範囲が広くなると述べている──訳者)

 が、それをお話する前に述べておきたいことがあります。私の話は太陽およびその惑星系にしぼり、遠い銀河の世界のことは省きます。

 地上の天文学者は自分たちが確認した惑星をすべて〝物的天体〟としております。さらに、それらの惑星を構成する物質がその成分の割合において地球を構成する物質と同一でないことも発見しております。


しかしもう一歩進んで、物質の密度の差を生じさせる原因の一つとして、もう一つ別の要素が存在するところまでは気づいておりません。

それが私がこれまで述べてきた霊的要素で、それが惑星系の進化の長旅において地球より先を歩んでいる天体の進化を促しているのです。

 実はそれ以外に地上の人間の視力では捉えることの出来ない別の種類の惑星が存在するのです。精妙化がすでに物質的段階を超えてエーテル的段階に至っているのです。霊的までは至っていません。物質的状態と霊的状態の中間です。


その種の天体の住民には地球を含む惑星系のすべてが見えます。そして強力な影響力を行使することができます。それは、地球人類より進化はしていても、霊格において霊界の住民よりはまだ地球人類に近いからです。

 それはそれなりに、れっきとした惑星なのです。ところが、それとはまた別の意味でのエーテル的天体がいくつか存在します。その一つが地球を包みこむように重なっております。その天体の構成するエーテルの粗製状態のものが地球に瀰漫しているのです。

と言って、地球のためだけの存在ではありません。また、のっぺらとしたベルト状のものではなく、表面には大陸もあれば海もあり、住民もいます。

その大半はかつて地球上で生活したことのある者ですが、中には一度も地上生活の体験のない者もいます。血と肉とから成る身体としての顕現の段階まで達していないのです。


──いわゆる幽界のことでしょうか。

 その名称は使用する人によって必ずしも同じように理解されておりませんが、貴殿の理解しているものに従って言えば、私のいうエーテル的天体は幽界とは違います。

今お話したとおりのものです。聞くところによれば、そこに安住している人間に似た住民はみな、ずいぶん古くからの生活者で、これから先いつまでそこに住んでいられるか確かなことは不明であるとのことです。彼らは太古の地球人類の一種の副産物なのです。


──あなたがこの地球へ降りてこられる時はそのエーテル的天体を通過してくるわけですか。

 場所的に言えばそういうことになります。が、通過する際にその環境に対して何の反応も感じません。感覚的にはその存在を感じていないということです。私がこれまで第一界、第二界、第三界と呼んできた界層とは何の関係もありません。

造化の系列が別で、実に不可思議な存在です。吾々の行動の場から離れており、したがって詳しいことはほとんど知りません。

さきほど申し上げたことは──あれ以外にもう少し多くのことが判っておりますが──これまでそうした別の要素の存在を知らなかったがために理解に苦しんでいたことを説明するために教えていただいたことです。それでやっと得心がいったことでした。
アーネル ±

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen 
 十章 天上、地上、地下のものすべて (ピリピ2・10、黙次録5・13)





 1 地球進化の未来
一九一九年四月一日  火曜日

 やがて吾々が取り囲む虚空全体にふたたび静寂が行きわたりました。見るとお二人は揃って玉座の中に坐しておられます。女性の方から招き入れたのです。
 すると第十界まで軍団を率いてこられた方で吾々の地球への旅の身支度を指導してくださった大天使のお一人の声が聞こえてきました。玉座より高く、その後方に位置しておられました。こうお述べになりました。

 「余の軍団の者、ならびに、この度の地球への降下に参加を命じられた者に告ぐ。ただ今の顕現はこれよりのちの仕事に理解をもって取り組んでもらうために催されたものである。

その主旨については、指揮を与える余らもあらかじめ知らされてはいたが、今あらためて諸君にお知らせした次第である。よく銘記せられ、前途に横たわる道をたじろぐことなく前進されたい。

父なる神は吾らの最高指揮官たるキリストに託された仕事のための力をお授けくださる。

キリストを通じてその霊力の流れがふんだんに注がれ、使命の達成を可能にしてくださるであろう。吾らが創造主への崇敬の念を片時も忘れまいぞ」

 言い終るのと時を同じくして燦然と輝く霧が玉座に漂い、やがて地球全体をおおいはじめ、もはや吾々の目に地球の姿は見えなくなりました。おおい尽くすと全体がゆっくりと膨張をはじめ、虚空の四分の一ほどにもなったところで膨張を止めました。

すると今度はそれが回転しはじめ、次第に固体性を帯びていくように見えてきました。固いといっても物質が固いというのとは異なります。物的地球が半透明になるまで精妙(エーテル)化した状態を想像されれば、大体のイメージはつかめるでしょう。

 地軸を中心にして回転していくうちに、こんどはその表面に陸と海の形が現れました。今日の地形とは異なります。吾々はいま未来の仕事の場を見せられているのです。現在の地形が変化しているごとく、それも次第に変化していたのですが、変化のスピードは速められていました。

つまり来るべき時代が短縮されて眼前に展開し、吾々はそれを動くモデルとして読み取っていたわけです。

 さらにその上に都市、民族、動物、それにさまざまな用途の機械類が出現しました。かくして全表面を吾々の方角へ向けながら回転し続けているのを見ていると、その進化の様子が手にとるように分かりました。

 たとえば貴殿の国を見てみましょう。最初は二、三年後の姿が目に入りました。やがてそれが視界から消え、そして次に見えた時は沿岸の形状や都市と住民の様子が少し変化しておりました。


こうして地球が回転するごとに陸地をはじめとして人類全体、建築物、交通機関、そのほか何万年、何十万年もの先までの人工の発達の様子が千年を数時間の単位に短縮されて出現しました。私の説明はこうして用語を貴殿の感覚に置きかえなくてはなりません。


吾々にとって年数というのは、地上の人間とは感覚的に同じものではありません。

 もっとも、こうした形で私が人類に代わって遠い未来という深海で漁をしてあげるのは許されないことでしょう。人類は自分の夕食の魚は自分の網で取らなくてはいけません。

それが筋というものです。もっとも、よい漁場を教えてあげることくらいのことは私にも許されています。この私を信頼のおける漁船団長と思ってくださる方は、どうぞ私の海図にしたがって探求の旅へ船出してください。

 さて地球は永い永い年月にわたる航海を続けるうちに、ますます美しさを増してきました。表面の光が増し、大地そのものも内部からの輝きを増しておりました。

また人間は地球上でさほどせわしく東奔西走している様子は見えません。それというのも大自然の摂理との調和が一段と進み、その恩寵にますます敬服し、激情に振り回されることも少なくなり、内省的生活の占める割合が増えているからです。

かくして地球のすべての民族が協調性を増し、同時に霊力と安らかさとを送りやすくなった吾々との一体性も増しております。

 吾々はその一体性が進むのを見ていて、吾々がかつて数々の戦乱の末に獲得した豊かな幸福をこの人類の若き同胞たちが享受してくれていることを知り、興奮さえ覚えるのでした。
 やがて地球そのものも変化しておりました。それを述べてみましょう。

 貴殿をはじめ、最近の人間の精神の中に新しい用語が見られます。サイコメトリという言葉です。これは物体に刻み込まれた歴史を読み取る能力と私は理解しております。

実はそれには人間がエーテルと呼んでいる成分の本性と、その原子に内在するエネルギーを知り尽くすまでは十分に理解できない真相が隠されております。

いずれ人間がこのエーテルという宇宙的安定基剤(コズミックバラスト)を分析的かつ統合的に扱うことができる時代が来ます──地球が回転するのを見ていてそれを明瞭に観察したのです。

その時になれば今人間が液体やガス体を扱うようにエーテル成分を扱うようになるでしょう。しかしそれはまだまだ先の話です。現段階の人間の身体はまだまだ洗練が十分でなく、この強力なエネルギーを秘めた成分を扱うには余ほどの用心がいります。

当分は科学者もそこに至るまでの下準備を続けることになるでしょう。
アーネル ± 
 

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味


四章 読者からの質問に答える

 シルバーバーチ交霊会は正式には〝ハンネン・スワッファー・ホームサークル〟と呼ばれていた。スワッファーという名司会者(日本でいう神審者(サニワ))が出現するまでは不定期に、ごく親しい知人四、五人を相手に開かれていて、記録も残されていなかった。

 が、その霊言の内容の質の高さに感動したスワッファーの提言でスワッファーの自宅で毎週金曜日の夜に定期的に開かれることになり、出席者も、招待客を含めて十人前後となった。

そして名称をハンネン・スワッファー・ホームサークルとして、専門の速記者も用意し、その記録を翌週の〝サイキック・ニューズ〟に掲載し、さらには月刊紙〝Two Worlds〟にも掲載されるようになった。

 こうして公表されるようになると、当然、読者からの質問も多く寄せられるようになる。それが交霊会で読み上げられて、それについてシルバーバーチが回答を述べ、さらにその回答に関連して出席者が細かく質問をして話題が次第に発展していくことがよくあった。

 本章で紹介するのもその一例で〝Two Worlds〟の読者から次の質問がきっかけとなった。


     
 双子霊とは?

投書(一)───双子霊 twin-souls というのは何なのでしょうか。

「一個の魂を構成する二つの類魂が地上で結ばれた場合のことです。この宇宙に類魂のいない霊はいません。が、それが同じ地球上で出会うということは滅多にあることではありません。

 互いに補足し合う関係にある二つの魂が同じ時期に同じこの地上世界で出会うことを許された時は、そこに、文字通りの地上天国が成就されます。双子霊はその用語の通り双子のような同質の二つの魂ということです。

同じ成長と進化の段階にあるので、進歩もいっしょに仲良く、ということになります。私が時おり、〝あなた方お二人はアフィニティですね〟と申し上げることがあるのをご存知と思います」


 サークルのメンバー────でも、せっかく出会っても二、三年でどちらかが先に死んで別れ別れになるということもあると思うのですが・・・・・・

「それは身体上の話にすぎません。でも、少なくともその短い期間は〝一体化〟 がもたらす燦然とした生命の喜悦にひたることができます。それは、生命進化のどの階梯においても有りうることです」

同じメンバーがひとりごとのように「霊的知識があれば、その喜悦はさらに大きくなるだろうなあ」とつぶやくと───

別のメンバー───同じ進化の階梯にある双子霊がこの地上で別れ別れになるということにはどういう意味があるのでしょうか。誰しも二人はずっといっしょであるべきだと考えるのですが・・・・・・

「せっかく地上で出会いながら、どちらかが先に他界した場合のことをおっしゃっているのだと思いますが、それは、あくまでも身体上のことであって、ほんのいっときの話です。類魂どうしであれば、魂の内奥から湧き出る衝動が互いを強烈に引き寄せます。身体は二つでも霊的には一つだからです」


───別れ別れの生活を体験することが、その双子霊の進化にとって有益だからという見方もできると思います。

「そういう見方もできないことはありませんが、大ゲサに考えることはありません。一緒のままでいようと、別れ別れになろうと、お互いが一個の魂の半分なのですから、その絶対的なつながりは、死という地上的な現象によっていささかの影響も受けません。

霊的実在と地上的現象とを同等に考えてはいけません。最後に残るのは霊にかかわるものだけです」



        
 物質界の体験をもたない高級霊の存在

投書(二)───私たちのように地球という物質界に誕生してくる霊とは別に、まったく物的体験を持たない霊がいるのはなぜでしょうか。

「この宇宙には、物的身体による体験を持たない高級霊の界層が存在します。そういう種類の霊にしかできない宇宙経綸の仕事があるのです。一度も地上の人間のような形態をもったことのない高級霊です。その界層での成長にとって地上的顕現は不必要なのです。

居ながらにして高級霊で、宇宙の上層部に所属しています。〝光り輝く存在〟(※)というのがそれです。現実にそういう存在がいます」

(※)───ある形体があって、それが光輝を発しているのではなく、光り輝いている存在で、一定の形体を有しない───訳者。

投書(三)─── 霊界との交信に器機装置を使用する計画は無いのでしょうか。
 
「霊界と地上界との交信を促進するための計画はこちらでもいろいろとなされておりますが、霊媒に取って代るもの、たとえば電子工学(エレクトロニクス)を応用したものを考案中という話は聞いておりません。

高周波───〝高い〟といっても程度は知れてますが───を記録する装置を使ってはいけないとという理由はありません。それなりに交信を容易にし、判読しやすい形で受け取る上で役立つかも知れません。

 しかし、顕と幽の二つの世界の交信にとって不可欠の要素である霊媒に取って代わる器具(モノ)を考案中という話は聞いたことがありません。それは絶対にできないでしょう。なぜと言えば、二つの世界は霊と霊との関係、つまり霊性で結ばれているからです」

そう述べてから、その日の出席者で霊媒を仕事としている人の方へ顔を向けて

「あなたもそう思われるでしょう?」
 と言うと、その霊媒が

「分かりやすい説明だと思います。霊媒がお役ご免になって器械が使用される時代が来るとは考えられません。私は実はエレクトロニクスの分野での仕事の体験があるのです」

「突き詰めて言えば」 とシルバーバーチが付け加える。「顕幽の交信を可能にしているのは〝愛〟です。愛は霊的属性の一つです」


 メンバーの一人───バイブルにも〝霊的なものは霊的に見きわめないといけません〟とあります。

 「霊媒は無くてはならない存在です。交信に必要なエネルギーは物的なものではありません。霊そのものから出ています。霊的身体から出ることもあります。いずれにせよ、必須の要素である愛がなくては、霊的なものを物的なものに転換することはできません」

 ここで別のメンバーが、優れた霊媒能力をもつ、ある女性の例を引き合いに出して、
「その人が霊媒としての仕事を嫌がって拒否しているけど、これはその女性にとって大きな罰点にならないでしょうか」と尋ねた。


「私なりの考えを申し上げましょう」と言って、シルバーバーチが次のように答えた。

 「大霊からの授かりものである霊的能力を持っている人は、男性・女性の区別なく、それをどう活用するかについての責任が付いてまわります。大霊は無償でその能力を授けているのではない、ということです。

 しかし、その責任を果たすかどうかは、その人の自由意志による選択にまかされています。これは、罰点かどうかの問題ではなく、原因と結果の法則───因果律の問題です」

同じ質問者───実は私は心霊治療家なのですが、ある交霊会で、私が物理的霊媒能力の養成を怠ったのが進歩の妨げになっていると言われたのです。

「それは〝用語〟の問題に過ぎません。心霊治療も見方によっては物理的現象といえるのではありませんか? だって、肉体という物質に変化をもたらすわけでしょう? 治療を通して届けられた霊力が肉体の改善という物理的結果を生むわけです。心霊治療というのはそういうメカニズムになっているのでしょう?」


───では、その交霊会で言われたことは気にしなくてもよいのですね?

 「霊が言うことも霊媒を通して届けられるわけですから、必ずしも正しく伝えられているとはかぎりません。こちらから見ていると、誤り伝えられているのに、それがわれわれのせいにされていることがよくあります。

 一方、われわれも絶対に誤りを犯さない存在ではありませんから、間違ったことを言う可能性もあるわけです。私の言うことが絶対に間違っていないとは申しません、と何度も申し上げてきたことはご存知と思います。

 いかなる霊媒を通して届けられたものでも、必ず理性による判断を通さないといけません。最高の判事は理性です。これも大霊からの授かりものです。道義心とあわせて使用すれば、進むべき正しい方角が示されます」



 
 世俗的よろこびと霊的よろこび

投書(四)───霊の進化は生命の旅における苦難と葛藤を通して得られるとおっしゃっていますが、同時に、その進化に終わりはないともおっしゃっています。そうなると、魂の安らぎと平安が永遠に得られないということになりませんか。

 この質問を聞いてシルバーバーチが
 「質問者がおっしゃっているのは地上の人生のことでしょうか」

 と尋ねると、司会者が
 「その点は明確ではありませんが・・・・・・」

 と答える。するとシルバーバーチが続けてこう述べた。
 「そういう疑問は、世俗的な表面と霊的な内面との違いが理解できていないことから生じます。日常生活では葛藤と困難と闘争に明け暮れていながら、内面的には平安と安らぎの中に安住することができます。俗世では疾風怒濤の中にあっても、霊的な悟りは平静そのものであり得るのです。

 安らぎは内面から出てくるものです。外部からやってくるものではありません。地上の人間が物的身体の奥に秘められた霊的な自我を開発しさえすれば、泉のごとく霊力が湧いて出て、静寂、沈着、平穏、安らぎといったものがもたらされます。

 これまでに多くの偉大なる霊が地上へ降誕し、さまざまな分野で先駆的な仕事と改革をもたらしましたが、みな、過酷な現実の中で悪戦苦闘しながらも、霊的な自我は静かな悟りの世界にありました。

物的な有為転変と霊的原理とを同等に見てはいけません。霊が主人であり、物質は従者です。つねに霊が主導権を握るようでなくてはいけません」


投書(五)───霊媒や治療家が過労におちいるのは本人の責任でしょうか、それとも背後霊の責任でしょうか。

「それは本人の責任です。霊媒や治療家は霊の道具です。が、その道具にも自由意志が許されています。背後霊は独裁者ではありません。霊媒を操り人形を扱うようなわけにはまいりません。協力しあうのです。無理やり強いるようなことはしません。その時の環境条件のもとで最善を尽くします。

 もしも霊媒や治療家が過労でダウンしたとすれば、それは本人の責任です。われわれ霊側は霊媒を鼓舞して仕事に従事させることはありますが、体力の限界を無視してまでやらせるようなことはしません。

霊的能力の開発を蔭から指導すると同時に、その能力を使い過ぎないように管理する必要もあります。せっかくの能力であり、大切にしなければならないからです。

 いつも申し上げているように、霊と精神と身体の三つが一体となって機能することが大切です。その調和の中でこそ各自の使命が果たせるのです」

 
 
 不幸とカルマ


投書(六)───戦争や大惨事、疫病や飢餓で多くの魂が一度に死ぬのは、やはりカルマのせいでしょうか。その中には死すべき時よりも早目に死ぬ者もいるのでしょうか。戦争は地上世界では避けられないものなのでしょうか。もしも避けられないものであれば、それは国家や民族としてのカルマのせいでしょうか。

「この質問者は〝魂が死ぬ〟という言い方をしておられますが、これは不適切です。魂は死にません。また、カルマという用語を用いておられますが、これはつまるところ摂理の働きのことです。タネ蒔きと刈り取りのことであり、因果律の一部を構成するものです。

 摂理の働きだけは何人も逃れる事はできません。究極において公正が成就されるようにとの大霊の意図によって案出されているのですから、万が一その摂理が廃止されたり原因と結果の連鎖関係が妨げられたりすることが有り得るとすれば、それは大霊の意図が無視されることが有り得ることになり、言語道断の話です。

 各自がその霊性に相応しいものを、少なすぎも多すぎもしないだけ授かるようになっているのです。これは個人についてのみならず国家や民族の単位でも当てはまります。国家や民族といっても、つまるところ個人の集まりですから・・・・・・

 地上生活の寿命の件ですが、一応、魂が誕生する時にあらかじめ決まっております。が、人間には、ある範囲内での自由意志が許されており、その他のもろもろの事情も絡んで、その寿命、つまり死すべき時が変わることも有り得ることです。

 戦争が避けられるか否かの問題ですが、これは地上の人間自身の自覚に関わる問題です。今も述べましたように、人間には自由意志が許されております。が、それには代償も伴います。戦争をするかしないかは自由です。が、戦争という手段を選んだからには、それが生み出す結果に対しても人間が責任を負わねばなりません」


メンバーの一人───寿命は魂の誕生に際してあらかじめ決まっているとおっしゃいましたが、それはすべての魂に当てはまることでしょうか。たとえば未熟な魂にも自分がこれからたどる人生についての正しい判断や知識、叡知などが備わっているでしょうか。〝魂〟の次元ではすべてが平等なのでしょうか。

「魂が物的身体に宿る前と後とでは、発揮する叡智の量には格段の差があります。誕生後の自我は物的身体の機能によって大幅に制約されます。が、誕生前は、すべての魂とは申しませんが、大体において自分が地上でたどるべき人生について承知しております」


───誕生前から自分のたどるべき人生が分かっているということは、その結果まで分かっていることになりませんか。

 「分かっていますよ」

───こういう体験をしてこうなるということが分っているものを、なぜわざわざ体験しに行く必要があるのでしょうか。

「その地上体験のあと霊界へ戻ってから為すべき仕事があるのです。それに備えて霊力を磨くのです。体験すべきものが前もって分かっているということは、その体験によって初めて身につく霊的成長の代用になりません。

 世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生を受けた、そもそもの意義があるのです」



  
 寿命は決まっているか

───寿命は前もって決まっているのでしょうか、それとも体力その他の要素の問題なのでしょうか。

「ありとあらゆる要素が絡んでおります。物的身体は魂が体験を得るために欠かすことのできない大切な道具です。魂と身体は二人三脚です。が、そのことは別として、地上の寿命は、大ていの場合、前もって分かっております。 

 物的身体と霊的自我とを完全に切り離して考えてはいけません。両者はがっちりと組み合わさり、前者は後者を制約し、後者は前者に生気を与えております。一個の人間の存在をバラバラに分解して考えてはいけません。いくつもの要素が組み合わさって一個の存在を形成しており、

しかも、その一つ一つの要素が互いに反応し合っております。それぞれの要素が組み合わさり、融合し合って、あなたという一個の存在を形成しているのです」


───たとえば船の事故で千人の溺死者が出たとします。その千人は、ちょうどその時期に地上との縁が切れることになっていたのでしょうか。魂の成長の為に与えられた地上での寿命が、ちょうど同じ時期に終えるように運命づけられていたのでしょうか。

 「霊的なことを地上の言語で表現するのはとても難しいことです。あなたのおっしゃる〝運命づけられた〟という表現を用いますと、では誰によって、何を基準に? という疑問が生じます。

たぶん皆さんの頭の中には、大霊が死ぬべき人間を船に乗せておいて事故を起こさせたような図を想像しておられるのでしょうけど、そういうものではありません。人生の千変万化の人間模様の背後に大自然の摂理が働いていて、その結果として事故が発生しているのです。

 肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。

霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい地上の悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。

ですから、死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」


投書(七)───今地上にはさまざまな病気で無数の人が苦しんでいますが、その人たちはみな過去世の過ちの償いをしているのでしょうか。そうやって苦しむために地上へ戻ってきているのでしょうか。

「苦難は生命進化の大道における不可欠の要素です。では苦難の法則がどのように働いているかとなると、簡単には説明できません。霊的な因果律の働きを考慮せずに、ただ表面の物的現象だけで推断するのは禁物です。

といって因果律は目に見えませんから、そういうものの存在を信じるほかありません。つまり大霊は愛と叡知の極致ともいうべき存在ですから、究極においては必ず公正が行きわたるようになっていると信じることです。

 地上人生は全存在のホンの一側面にすぎません。地上生活がすべてではないのです。その間の出来事についてもきちんとした埋め合わせと償いの法則が働いています。カケラほどの短い人生の表面だけを見て大霊のなさることを批判すると間違いを犯します。それは他の大きな側面を無視することであり、それすら全体の一部に過ぎないからです。

 何一つ忘れ去られることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることもありません。摂理がすべてを支配しているのです。あらゆる存在が、あらゆる側面が、大きい・小さい、単純・複雑の違いの別なく、永遠に不変の摂理によって支配されているのです。

 どうしても理解に苦しむことがあれば、それはまだ自分には理解力の及ばないことがあると観念すべきです。人間は、物的身体を媒体として生活するという宿命的な制約を課せられています。

しかし、そうしたものにおかまいなく、〝愛〟はすべてのものに作用しているのです。大霊とは愛にほかならないのです。愛は必ずいつかは目的を成就します。

 私たちがこうして皆さんのもとに帰ってくるのも、あなた方への愛があればこそです。必要とあればどんなことでも致します。が、余計なこと、無益なことはいたしません。

あなた方にその価値が分かるものしかお教えしません。理解力というものは魂の成長から生まれるものです。梯子を一段高く上がってはじめて、その次の一段が見えるようになります。その梯子が無限の彼方へと続いているのです。

 その梯子の低い段階にいるあなた方に代わって、私たちがすべての問題を解決してあげるわけにはまいりません。冷たい心でそう申し上げるのではありません。物的身体に包まれたあなた方には理解できない要素があり、私たちが代って解答を教えてあげることは余計なことであり、無駄なことだからです。

 どうしても理解できないことは、これまでに授かった霊的真理を頼りとして〝信念〟を持つことです。根拠のない手前勝手な信念ではありません。スピリチュアリズムによって明らかになった霊的実在に得心がいき、その理解をもとに、人生のすべてが大霊の愛と叡知によって支配されていて、自分もその中にあるのだということを確信する、そういう信念です。

その信念をもつに至れば、自分および自分のまわりに何事が起きようと、それは大霊の思し召しなのだという理解が生まれるはずです。
  
 私は断言します、地上生活で生じるいかなる苦難も、自分の内部および外部の力を総動員しても解決できないほど大きなものはありません。

その解決のための必死の努力が、霊性を磨き一段と大きく成長をさせるのです。地上生活の究極の目的はそこにあるのです。難問に遭遇し、それと格闘し、その結果として霊的成長を得るということです。

 もしもその信念に迷いが生じた時は、その迷いをいったん鎮め、冷静な精神状態のもとで、それまでにあなたが辿ってきた道を振り返り、大切な節目節目に必ず不思議な力が働いてそこまで導かれてきたことを、改めて確認することです。

 あなた方は、この地上にあってこうした素晴らしい霊的知識との出会いがあり、それが生涯を通じて導きの光となったということは、大変しあわせなことです。

 霊的に見れば、かつて地上で愛のつながりのあった人々や、地上的な縁は無くても霊的な親和力によって結ばれている、いわゆる類魂との関係が強化されるということです。

 そうした背後霊団が望んでいることは、その協力関係によって他の多くの、無知の闇の中にいる人々を救ってあげることです。私たちがこうして地上へ帰って来た目的もそこにあります」


メンバーの一人───こうした素晴らしい知識を聞かせていただく私たちは。本当にしあわせだと感謝しております。

「私こそあなた方に感謝しておりますよ。あなた方の協力があればこそ、ささやかとはいえ、暗闇に光明をもたらすことができているのです。その光明を一段と強力なものとして伝導の道を歩んでいただきたいのです」




祈願
投書(八)───祈りの中で俗生活に関わることをお願いしてもよろしいでしょうか。

「いかなる状況のもとでも、あるいはいかなる条件下においても、最善を尽くすということが人間としての大切な務めです。最善を尽くし、もうこれ以上の努力の余地はないと確信できるだけのことをした暁には、大霊に向かって援助を求める資格ができたことになります。

 ここで序(ツイデ)に申し添えさせてください。

 私は皆さんから送られてくる大いなる愛念をいつも感じ取っております。それほどまでに私が皆さんのために役に立っていることを知って感謝しております。こうしてこの場で皆さんと会し、大霊の計画の中で責務の一端を果たし、それをもって大霊からの恵みへの感謝とすることを、今後とも続けてまいりましょう。

 人生の永遠の基盤である霊的法則を忘れることなく、それに調和する生き方を心掛けましょう。魂の奥の静寂とのどかさ、平安、落着きといったものを忘れないようにする方法は、それしかないのです。自分という存在の奥に潜む、より大きな側面と一体となるということです。
 大霊の恵みの多からんことを」

Monday, February 9, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
九章 男性原理と女性原理


4 地球の未来像の顕現
 一九一九年三月二十八日  金曜日

 この段階で吾々はすでに、それぞれの天界の住処(スミカ)にふさわしい本来の身体的条件を回復しておりました。それ故、吾々は実際は地球を中心としてそれを取り囲むように位置しているのですが、地球の姿はすでに吾々の目には映じませんでした。

もちろんこのことは私自身の境涯に視点をおいて述べたまでで、私より地球に接近した界層の者のことは知りません。多分彼らにはそれらしきものは見えたことでしょう。これから述べることは私自身の視力で見たかぎりのことです。

 私はその巨大な虚空の内部を凝視しました。すべてが空(クウ)です。その虚空が、それを取り巻くように存在する光輝によって明るく照らし出されているにもかかわらず、その内部の奥底に近づくにつれて次第に暗さが増していきます。

そしてその中心部になるとまさに暗黒です。そう見ているうちに、その暗黒の虚空の中心部から嘆き悲しむ声に似た音が聞こえて来ました。

それが空間的な〝場〟を形成している吾々の方角へ近づくにつれてうねりを増し四方へ広がっていきます。が、その音が大きくなってくるといつしか新しい要素が加わり、さらにまた別の要素が加わり、次々と要素を増していって、ついに数々の音階からなる和音(コード)となりました。

初めのうちは不協和音でしたが吾々に近づくにつれて次第に整い、ついには虚空の全域に一つに調和した太く低い音が響きわたりました。そうなった時はもはや嘆き悲しむ響きではなく、雄々しいダイヤペーソンとなっておりました。

 それがしばらく続きました。するとこんどはそれに軽い音色が加わって全体がそれまでのバス(男声の最低音)からテノール(男性の最高音)へと変わりました。変化はなおも続き、ついに吾々が囲む空間全体に女性の声による明るい合唱が響きわたりました。

 そのハーモニーが盛り上がるにつれて光もまた輝きを増し、いよいよ最高潮に達したとき吾々が取り囲む内部の空間が得も言われぬ色合いを見せる光輝に照らし出されました。

そしてその中央部、すなわち吾々の誰からも遠く離れた位置で顕現が始まっていることが分かりました。それは次のようなものでした。

 まず地球が水晶球となって出現し、その上に一人の少年が立っています。やがてその横に少女が現れ、互いに手を取り合いました。


そしてその優しいあどけない顔を上方へ向け、じっと見つめているうちに二人ともいつしか青年に変身し、一方、立っている地球が膨(フク)れだして、かなりの大きさになりました。

するとその一ばん上部に曲線上に天蓋のついた玉座が出現し、女性の方が男性の手を引いて上がり段のところへ案内し、そこで女性が跪(ひざまず)くと男性だけが上がり段をのぼって玉座の中へ入りました。

 そこへ大ぜいの従臣が近づいて玉座のまわりに立ち、青年に王冠と剣(ツルギ)を進呈し、豊かな刺しゅうを施した深紅のマントを両肩にお掛けしました。それを合図に合唱隊が次のような主旨の祝福の歌をうたい上げました。

 「あなたは地球の全生命の主宰者として、霊の世界よりお出ましになられました。あなたは形態の世界である外的宇宙の中へ踏み込まれ、あたりを見まわされました。

そして両足でしっかりと踏みしめられて、地球がどこかしら不安定なところを有しながらも、よき天体であるとお感じになられました。それから勇を鼓して一方の足を踏み出し、さらにもう一方の足を踏み出され、かくして地上を征服なさいました。

 そこで再び周囲を見渡されて、あなたのものとなったものを点検なさいました。それに機嫌をよくされたあなたは、その中で最も麗しいものに愛をささやかれました。そのとき万物の父があなたのために宝庫よりお出しになられた全至宝の中でも、あなたにとっては女性が最愛の宝物となりました。

 征服者としての権限により主宰者となられたあなたへの祝福として詠唱した以上のことは、その通りでございましょうか」
 青年は剣を膝の上に斜めに置いてこう答えました。

 地上での数々の闘いに明け暮れた私をご覧になってきたそなたたちが歌われた通りである。正しくご覧になり、それを正しく語られた。さすがにわれらの共通の主の家臣である。

 さて私は所期の目的を果たし、それが正当であったことを宣言した。武勇において地上で私の右に出る者はおりませぬ。地球は私が譲りうける。私みずからその正当性を主張し、今それを立証したところである。

 しかし私にはまだ心にひっかかるものがある。これまでの荒々しい征服が終了した今、私は次の目標をいずこへ求めればよいのであろう。永きにわたって不穏であった地球もどうにか平穏を取り戻した。が、まだ真の平和とは言えぬ。


地球は平穏な状態にうんざりとし、明日の平和を求める今日の争いにこれきり永遠に別れを告げて、真の平和を求めている。

 そこで、これまで私を補佐してこられたそなたたち天使の諸君にお願いしたい。幾度も耳うちしてくれた助言を無視して私がこれまでとかく闘いへの道を選んできて、さぞ不快に思われたことであろう。それは私も心を痛めたことであった。

しかし今や私も高価な犠牲を払って叡智を獲得した。代償が大きかっただけ、それだけ身に泌みている。そこで、これより私はいかなる道を選ぶべきか、そなたたちの助言をいただきたい。

私もこれまでの私とは違う。助言を聞き入れる耳ができている。今や闘いも終わり、この玉座へ向けて昇り続けたその荒々しさに、われながら嫌気がさしているところである」

 そう言い終わると従臣たちが玉座の上がり段を境にして両わきに分かれて立ち並び、その中間に通路ができました。するとその中央にさきの女性が青のふちどりのある銀のロープで身を包んで現れました。

清楚に両手を前で組み、柔和さをたたえた姿で立っておられます。が、その眼差しは玉座より見下ろしている若き王の顔へ一直線に向けられています。

 やがて彼はおもむろに膝の上の剣を取り上げ、王冠を自分の頭から下ろして階段をおり、その女性のそばに立たれました。そして女性が差し出した両腕にその剣を置き、冠を頭上に置きました。それから一礼して女性の眉に口づけをしてから、こう告げました。

 「そなたと私とで手を取り合って歩んで来た長い旅において私は、数々の危機に際してそなたの保護者となり力となって来ました。嵐に際しては私のマントでそなたを包んであげました。


急流を渡るに際しては身を挺して流れをさえぎってあげました。が、行く手を阻(ハバ)む危険もなくなり、嵐も洪水も鎮まり、夏のそよ風のごとき音楽と化しました。そして今、そなたは無事ここに私とともにあります。

 しかし、この機をもって私は剣をそなたに譲ります。その剣をもってその王冠を守ってきました。ここにおいてその両者を揃えてそなたに譲ります。

もはや私が所有しておくべき時代ではなくなりました。どうかお受け取りいただきたい。これは私のこれまでの業績を記念する卑しからぬ品であり、あくまで私のものではありますが、それが象徴するすべてのものとともに、そなたにお預けいたします。

どうかこれ以後もそなたの優しさを失うことなく、私が愛をもって授けるこの二つの品を愛をもって受け取っていただきたい。それが私より贈ることのできる唯一のもの───地球とその二つの品のみです」

 青年がそう言い終わると女性は剣を胸に抱きかかえ、右手を差しのべて彼の手を取り、玉座へ向かって階段を上がり玉座の前に並んでお立ちになりました。

そこでわずかな間を置いたあと彼は気を利かして一歩わきへ寄り、女性に向かって一礼しました。すると女性はためらいもなく玉座に腰を下ろされました。彼の方はわきに立ったまま、これでよしといった表情で女性の方を見つめておりました。

 ところが不思議なことに、私が改めて女性の方へ目をやると、左胸に抱えていた剣はもはや剣ではなく、虹の色をした宝石で飾られたヤシの葉と化しておりました。

王冠も変化しており、黄金と鉄の重い輪が今はヒナギクの花輪となって、星のごとく輝く青と緑と白と濃い黄色の宝石で飾られた美しい茶色の髪の上に置かれていました。その種の黄色は地上には見当たりません。

 若き王も変っておりました。お顔には穏やかさが加わり、お姿全体に落着きが加わっておりました。そして身につけておられるロープは旅行用でもなく戦争用でもなく、ゆったりとして長く垂れ下がり、うっすらとした黄金色に輝き、そのひだに赤色が隠れておりました。
 そこで青年が女性に向かってこう言いました。

 「私からの贈りものを受け取ってくれたことに礼を申します。では、これより先、私とそなたではなく、そなたと私となるべき時代のたどるべき道をお示し願いたい」

 これに答えて女性が言いました。

 「それはなりませぬ。私とあなたさまの間柄は、あなたさまと私との間柄と同じだからでございます。これより先も幾久しく二人ともども歩みましょう。ただ、たどるべき道は私が決めましょう。しかるべき道を私が用意いたします。

しかし、その道を先頭きって歩まれるのは、これからもあなたさまでございます」
   アーネル ± 

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen



3 崇高なる法悦の境地

一九一九年三年二十五日  火曜日

 さて、未来へ向けて矢が放たれたところで一たん出発点へ戻り、これまでお伝えしたメッセージを少しばかり手直しをしておきましょう。私が述べたのは人類の発達途上における目立った特徴を拾いながら大ざっぱな線について語ったまでです。

しかし人類が今入りかけた機構は単純ではなく複雑をきわめております。次元の異なる界がいくつも浸透し合っているように、いくつもの発展の流れが合流して人類進化の大河をなしているのです。

 私がこれからは男性支配が女性の柔和さにその場をゆずると言っても、男性支配という要素が完全に消滅するという意味ではありません。そういうことは有り得ません。

人類の物的形態へ向けての進化には創造主が意図した目的があるのであり、その目的は、成就されればすぐに廃棄されてしまう程度のものではありません。ようやく最終段階を迎えつつある進化の現段階は、男性の霊的資質を高める上で不可欠だったのです。

ですから、その段階で身につけた支配性は、未来の高揚のために今形成しつつある新しい資質の中に融合されていくことでしょう。

 ダイヤからルビーの光が除去されることはありません。もしそうなればダイヤの燦然たる美しさが失われます。そうではなく、将来そのダイヤが新たな角度から光を当てられた時に、その輝きがこれまでよりは抑えられたものになるということです。

かくしてこれからのある一定期間は、そのまたたきが最も顕著となるのはこれまでのルビーではなくエメラルドとなることでしょう。(訳者注──前回の通信の最後の寓話になぞらえて、ルビーが男性的性格、エメラルドが女性的性格を象徴している)

 また遠い過去においてそのルビーに先立って他の色彩が顕著であった時期があるごとく、ダイヤの内奥には、このエメラルドの時代の終ったあと、永遠の時の中で然るべき環境を得て顕現するさらに別の色彩があるのです。

 さらに言えば、私のいう女性の新時代は激流のごとく押し寄せるのではなく、地上の人間が進歩というものを表現する時によく使う言い方に従えば、ゆっくりとした足取りで訪れます。言っておきますが、その時代はまだ誕生しておりません。が、

いずれ時が熟せば誕生します。その時期が近づいた時は──イヤ、(ここで寓話に変わる──訳者)救世主は夜のうちに誕生し、ほとんど誰にも気づかれなかった。

しかも新しい時代の泉となり源となった。それから世の中は平凡なコースをたどり、AUC(ローマ紀元。紀元前七五三年を元年とする)を使用している間は何の途切れもなく続いた。

が今日、かの素性の知れぬ赤子(イエス)の誕生がもとでキリスト教国のすべてがDU(西暦紀元)を採用することになり、AUCは地上から消えた。貴殿は私の寓話を気に入ってくださるので、どうか以上の話から何かの意味を読み取ってください。

 また例の天使の塔におけるキリストの顕現の話を思い出していただきたい。あれはこの地上への吾々の使命に備えるための学習の一環だったのです。

私の叙述から、その学習がいかに徹底したものであったかを読み取っていただけるものと思います。物的宇宙の創造を基盤とし、宇宙を構成する原子の構造を教えてくださったのです。

それが鉱物、植物、動物、そして人間となっていく永くかつ荘厳な生命の進化の過程が啓示されたのです。さらに学習は続き、地球に限定して、その生命を構成する要素を分析して、種類別に十分な検討を加えました。

それから地球の未来をのぞかせていただき、それが終わって今こうして貴殿にメッセージを送っているわけです。


 その人類の未来をのぞかせていただいた時の顕現のすべてを叙述することはとても出来ません。ダイヤモンド(※)の内奥には分光器にかからない性質の光線が秘められているからです。

ですが、その得も言われぬ美と秘密と吾々にとっての励ましに満ちた荘厳なるスペクタクルについて、貴殿にも理解しうる範囲のことを語ってみましょう。(※これも前回の通信の寓話になぞらえて、すべての色彩が完全に融合したときの無色透明な状態を象徴している──訳者)

 地球を取り巻く例の霧状の暗雲が天界の化学によって本来の要素に分析されました。それを個々に分離し、それぞれの専門家の手による作業にまかされました。


その作業によって質を転換され、一段と健康な要素に再調合する過程がほぼ完了の段階に近づいた時に、吾々は各自しばし休息せよとの伝達をうけ、その間は他の霊団が引き受けてくれました。

 そこで吾々は所定の場所へ集合しました。見ると天界のはるか上層へ向けて一段また一段と、無数の軍勢が幾重にも連なっておりました。

得も言われぬ壮麗なる光景で、事業達成への一糸乱れぬ態勢に吾々は勇気百倍の思いがいたしました。その数知れぬ軍勢の一人一人が地球上の同胞の救済のために何らかの役割分担を持ち、その目的意識が総監督たるキリストにおいて具現されているのでした。

 それを内側から見上げれば、位階と霊格にしたがって弧を描いて整列している色彩が、あたかも無数の虹を見るごとくに遙か遠くへと連なっておりました。

 そしてその中間に広がる、一個の宇宙にも相当する大きさの空間の中へ、すでにお話したことのある静寂という実体(一章2)が流れ込んできました。それはすなわち、そこに吾らが王が実在されるということです。

静寂の訪れを感じて吾々はいつものごとく讃仰のために頭(コウベ)を垂れました。崇高なる畏敬の念の中に法悦を味わい、目に見えざる来賓であるキリストを焦点とした愛の和合の中にあって、吾々はただただ頭を垂れたまま待機しておりました。 アーネル ±

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味


三章 強健なる魂が選ぶ道

 勃興以来すでに百五十年になんなんとする今日でさえ、スピリチュアルリズムが世界中にセンターをもって活発な活動をしている事実を知らない人が多いのに驚かされる。 活動といっても交霊会ばかりではない。心霊治療を施したり、霊能開発のための指導教室も開いている。

英国バークシャー州にあるウィンザー・スピリチュアリスト・チャーチの代表であるシンプソン夫妻も、永年にわたってスピリチュアリズムの理念に基づいて活動している人である。その日の交霊会に招かれた夫妻を、例によってシルバーバーチは温かい歓迎の言葉で迎えた。


 「このスピリチュアリズムの真理、この叡知、この光明、この知識を広めるために霊力の通路となって、縁あって近づいてくる人々に援助の手を差しのべることのできる人をこのサークルにお招きするのは、私にとって大いなる喜びです。今日も、お二人に何か力になってあげることができれば、と願っております。

 お二人がどういうお仕事をなさり、それがどういう形で多くの人々のために役立っているかは、私にはよく分かっております。私から申し上げる必要はないと思いますが、お二人がこの自己犠牲の奉仕の道に身を投じ、神より授かった霊的能力によって使命に邁進され、霊力というものがその通路さえあればいかに大きな仕事を為すことができるかを身をもって示してこられたのも、全ては霊の導きによるものでした。

〝チャーチ〟と呼ばれている灯台においてこれまでにどれほどの貢献をなさったか、また、今そこから放たれる光によって道に迷っている人々をどれだけ導いておられるか、それはお二人には測り知ることは出来ないでしょう。

お二人が結び合われたのも、今のお仕事を成就するためだったのです。振り返ってご覧になれば、窮地に陥った時に、そしてまた、道がついに開けた時に、泰然自若としてこの道に勤しむことができるように霊が援助し取るべき手段を指示してくれたかがお分かりになると思います。私の申していることがお分かりでしょうか」


───よく分かります。有り難うございます。

「いえ、私への感謝は無用です。感謝の気持ちはすべからく大霊に捧げるきです」


───勇気づけのお言葉を頂いて、とてもうれしいです。

「私の言葉によって、霊の道具として働いている方々が勇気付けられることになれば、つまり熱意を倍加して仕事に精励することになれば、私の努力も大いに報われることになります。霊の道具を見出すのは容易ではないのです。

たとえ見出しても、その能力を開発して正しく活用するように指導するのが、また容易なことではないのです。さらに、せっかく使いものになる段階にまで育て上げたころには、煩悩が頭をもたげて、道に外れたことをやり始めます。

 お二人は、啓示された光に忠実に従ってこられました。託された仕事に能力の限りを尽くされました。お二人との出会いを心から感謝している人が大勢います。

霊の道具として為し遂げる仕事は極めて特殊なものなのですから、そのチャンスが少ないからといって、ご自分の存在価値を低く見積もってはいけません。

 あなた方は今、キリスト教という硬直した教えに背を向けてしまった人々、〝伝統的〟とか〝正統派〟とかだけで体面を保っている教義に不満を抱く人々が大勢出はじめた時代、そういう国に生きておられます。中には教会は一体何をしているのかと、内部反乱を起こす者も出はじめております。

 そうした不満、特に若者の欲求に応えることができるのは、もはや牧師の声ではありません。科学者でもありません。哲学者でも経済学者でもありません。病人を癒すことでもよろしい。

迷信を永遠の真理と置き換える仕事によってでもよろしい、とにかく霊的原理に則って生きようとする人々に希望と将来性を見せつけることです。宇宙の生命活動の全てが、その霊的原理に基づいているのですから。

 たった一つの魂でも救ってあげることができたら、たった一つの魂に正しい道を教えてあげることができたら、たった一つの魂に真実の自我に目覚めさせ、存在の意義を自覚させてあげることができたら、それは人間としての大いなる徳積み───霊力と無縁となってしまった聖職者に為し得ない、貴重なサービスを施したことになるのです。

 もとより、それは容易なことではありません。この仕事は歓楽に満ちたバラ色の道とは縁遠い道です。強健なる魂は、困難を覚悟しないといけません。しごかれ、鍛えられ、さまざまな挑戦を受けることを覚悟しないといけません。

そうした試練を受けて初めて、内部の霊性がその本来の力、本来の美しさ、本来の気高さを見せるのです。その試練の中にあって絶え間なく霊力が発揮されているのです。

 お二人がこれまでに為し遂げられた仕事と進歩、そして今まさに為し遂げつつあることに喜びを感じてください。それが、大霊の叡知によって創案された包括的な大計画への、あなた方の分野での貢献なのです。

こうした素晴らしい霊的真理を手にし、人生の目的を理解し、自己実現と同胞への貢献の意義を悟ることができた私たちは何と幸せでしょう」


 ここで一息入れてから、改めてシルバーバーチが尋ねた。
 「何か私にお聞きになりたいことがありますか?」
 これに夫人が答えて言う。
 
───私が驚いていることが一つあるのです。講演を要請されて会場へ行き、壇上に上がった時は、ヤジが飛んでくるのではないかと一瞬怯えることがあります。そんな時、ただ真理を有るがままに述べればいいのだと悟ると、怯えも消え、しかも、全くヤジられることがないのです。


  
 永遠の生命の次のページに備える

 「真理に対する反感や敵意は、無知が生み出す産物です。分別心が無いのです。恐怖心から出ていることもあります。いわゆる洗脳の結果である場合もあります。

精神が汚染されていて、何の抵抗力も無かった幼い時期に植え付けられた型にはまった教えから離れて理性を働かせることが出来なくなっているのです。

 そういう人たちのことを気の毒に思ってあげないといけません。光の中で生きられるものを、暗闇の中で生き続けている人がこの地上に無数にいるという現実は、実に悲しむべきことです。なぜ人間は知識よりも無知を好み、真理よりも迷信を好むのでしょうか。

 それは、その人自身にとって気の毒なことなのです。地上に存在を得たそもそもの目的が、霊的覚醒を得ることであり、その結果として、折角の人生を無駄に終わらせることなく、いずれは必ず訪れる死の後に控える、永遠の生命の次のページに備えないといけないのです。

 もし反抗に遭った時は、あなたが手にされた珠玉の真理をその人はまだ知らずにいることを気の毒に思ってあげて、その人の力になる言葉を投げかけてあげられるように、大霊に祈ることです。

少しでも真理に近づかせてあげることができれば、それだけで、その人との出会いが無駄でなかったことになるのです。不幸にして何の役にも立たなかった時は、その人がまだ霊的真理を受け入れる用意ができていなかったことを意味します。受け入れる用意が出来ていない魂には、為すすべがありません。

 私が同志の方々にいつも申し上げていることは、自分に可能な範囲で最善を尽くすということ、これ以上のことは人間には求められていないということです。

あなた方地上の人間は、不完全さを沢山携えた存在であり、その欠点を少しずつ改めていかねばなりません。が、それは長い時間を必要とする仕事であり、たった一回の地上生活で成就できるものではありません。

 その点あなたは大変恵まれた方です。血縁によってつながったスピリットだけでなく、地上的な縁は全くないスピリットの愛によっても守られております。

血縁よりもっと永続性のある縁によって結ばれているスピリットです。そうした広範囲のスピリットによる援助があるからこそ、必要に応じたサービスを施すことが出来るのです。

 そして、もう一つ大切なことをお教えしましょうか。そうした霊界の援助者は、インディアンであろうと、中国人であろうと、ニグロであろうと、本当の自我の全てではなく、進化せる存在のごく一部を顕現させているだけだということです」


「確かに、そうだろうと思っておりました」。と夫妻が相づちを打った。

「すべてに犠牲が伴っているのです。背後霊にも割り当てられた仕事があり、それを成就するためにはあなた方の協力が必要なのです。本日このサークルに来られて、今後の仕事への意欲を刺激されたとしたら、これも無駄でなかったことになります」

───無駄だなんて、とんでもありません。私たちも今年で揃って七十歳になりました。が、もう年だといった気持から生き方を変えることは、とても考えられません。

「これまで全てのことがうまくいったのは、お二人の生き方が霊の力の導きを最優先して来られたからです。霊の力は決して見捨てません。決しておろそかにはしません。常に導き、守り、支援し、お二人の霊的能力を最高度に発散させてくれるでしょう。

 ですから、うんざりなさってはいけません。お二人のチャーチを訪れるのは、肉体を携えた霊的存在です。その霊的身体は目に見えないかも知れません。ましてや魂(自我の本体)は見えません。大切なのは肉体ではありません。それはそれなりに役目があります。が、魂と霊的身体の成長こそ大切なのです。

その成長にあなたが何らかの寄与をすることができれば、それは他の誰にもできないことをなさったことにほかなりません。ですから、堂々と胸を張って、大いなる愛と力に守られていることを常に自覚して仕事に励んでください。よろしいでしょうか?」


───大変勉強になりました。お礼を申し上げたいところですが、あなたは謝辞をお受けにならないことを存じておりますので、本日のことは大霊に感謝申し上げることに致しましょう。

「私が語った教えをお二人が有意義に活用して下さっていることは、よく存じております。が、私自身の教えではありません。私はただのマウスピースに過ぎません。英語をマスターして、上層界から授かった教えをあなた方のお役に立つ形で表現することができることを光栄に思っているところです。

 私のお蔭でよい仕事が出来ているとおっしゃって下さる方にお会いすると、私の心は喜びにあふれます。ですが、そのことで感謝の言葉をお述べになりたいのであれば、むしろ私の言葉を記録してくれている速記者(ムーア夫人)に向かって述べるべきでしょう。大変な仕事です。ですが、彼女は喜んで召使いであることに甘んじております」


 「ほんとうに有り難い事です」とシンプソン夫人。

「彼女と旦那さんについての秘密をお教えしましょうか。実は二人はこの私が引き合わせたのです。この仕事のためにです。その意味では私に全責任があるのです。

ですが、これまでのところ、二人はうまく行っているようです。私たち霊団の者はこうしたカップルがいることを誇りに思っております。特殊な指導を受けており、それはこれからもまだ続きます。

 ということは、この交霊会もまだまだ続くということです。そういう計画になっているのです。どの政党が政権を握ろうと、明日のことを思い煩ってはなりません。将来を決めるのは霊的真理の意義をどこまで実生活に生かすかということです。

霊的真理に従って生きるようにならないかぎり、本当の平和も調和も善意も、そして霊的・精神的・物的な恩恵も、手にすることはできません。そこに、われわれ」が携わっているこの仕事の重大性があるのです」


これを聞いて速記者の〝旦那さん〟である元牧師が質問する。

───今こうしている間にも、社会問題で悩み苦しんでいる人が大勢いるわけですが、スピリチュアリストとしてはどういう態度で臨むべきでしょうか。




 霊的原理の上に社会秩序を

 「霊的真理を手にした者が恐れや不安を抱くようなことがあってはなりません。この世には問題がいっぱいあります。今も言いましたように、社会秩序が霊的原理を土台としないかぎり、問題の絶えることはありません。それを唯物的原理の上に築こうとするのは、砂上に楼閣を築こうとするようなものです。

 お互いが心の中に敵意を宿しているうちは、外にも平和は有り得ません。憎悪、激情、敵意、貪欲などに燃えている人がひしめき合っている時に、協力体制などというものが出来るでしょうか。

 愛とは摂理の成就であるといいます。地球上の人間の一人ひとりが兄弟であり姉妹であり、全人類が親戚縁者であることを理解すれば、互いに慈しみ合うに違いありません。そういう意図のもとに大霊は、各自に神性の一部を賦与し、その連鎖の輪が全世界を取り巻くようにしてくださっているのです。

 現段階の人類はまだ、自分が基本的には霊的存在であるという永遠の真理を、実感を持って認識するまでには至っておりません。同じ神性を宿しているがゆえに、お互いが切ろうにも切れない霊的な縁で結ばれており、進歩するも退歩するも、一蓮托生ということです。

 そこにあなた自身の責任が生じます。真理を手にしたら、その時から、それをいかに使用するかについての責任を問われるということです。霊的真理に目覚め、霊力の働きに得心がいったら、その時から、今日の悩み、明日への不安を抱くことがあってはなりません。

 あなたの霊性が傷つくようなことはありません。あなたが手にした霊的知識、あなたに啓示された真理に忠実に生きていれば、いかなる試練の炎の中を通り抜けても、霊性が火傷を負うことはありません。

地上界で生じるいかなる苦難にも、霊的に傷ついたり、打ちひしがれたりすることは絶対にありません。動機と目的さえ正しければ、霊の力が何とかしてくださることは、これまでの体験でも十分に証拠を手にしておられるはずです。

 残念ながら今のところ、霊的真理を理解している人は極めて少数であり、決して多くはありません。大半の人間は、物量・権力・圧政・隷属的体制こそ〝力〟であるかに考えております。が、大霊の子は身体的・精神的・霊的に〝自由〟であるべく、地上に生を受けているのです。

 いずれは霊的真理が世界各地に浸透するにつれて、地上の人間も日常生活をより自由に、より明るく生きることが出来るようになるでしょう。この英国においても、また他のいかなる国においても、もう〝話が終わった〟わけではありません。

進化しようとする霊性がゆっくり着実に発現してまいります。その歩みを地上的勢力が邪魔をし進歩を遅らせることはできても、大霊の意図を変えさせることはできません。

 もしもそれくらいのことで大霊の意図が変更の止むなきに至るものであれば、この地球はとっくの昔に崩壊していたことでしょう。

霊は物質に優るのです。霊力こそ宇宙の支配力なのです。だからこそ、いつも申し上げるのです───心を奮い立たせなさい、胸を張って生きなさい、地上世界に怖がるものは何一つありません、と。何事も必ず克服できます」



  
 霊団は決して見捨てない

 サークルのメンバーの一人で、動物愛護運動に献身している女性が反抗の大きさを訴え、もはや刃折れ矢つきた感じですと述べた。するとシルバーバーチが───

 「あなたが取るべき態度は、あなた個人としての最善を尽くして、そこでストップすることです。身体的に疲労の極に達し、精神的にも限界と思える段階に至ったら、それをあなたの限界として、それから先へは進まないことです。持てる力を一気にぶちまけても、あなた一人の力で世の中を変えることはできません。

あなたがこちらへこられた後も、事情はそのままです。あなたには、この地上へ出てくる時に約束した仕事があり、今それをおやりになっているところです。

 その仕事のために、これまで霊の世界からいろいろと援助の手が差しのべられてきました。現在も援助の手が差しのべられております。そして、これからもその手が引っ込められることはありません。

しかし、大切なのは、あなたの精神を穏やかに、冷静に、そして確信に満ちた状態に保つことです。そうすれば、霊の力が必ずやその力を発揮します。正義・善・節度、これを守れば必ずや目的は成就されます。

 もしも辛い思いをするのがもうご免だと思うようになったら───それも人間として私は決して咎めるつもりはありませんが───少なくともあなたの霊的成長はそこで止まります。成長は困難に立ち向かうこと、挑戦を受け止め、そして克服していくことによってのみ得られるのです。

 あなたの場合は、自分で自分を守るすべを知らない動物のための仕事をなさっているわけですが、いかなる仕事であれ、自分を役立てる仕事をしている時は、必ず大勢の高級霊が援助の手を差しのべております。その霊団が途中で仕事を投げ出してしまうようなことは絶対にありません。

耐え忍んでいれば、必ずや目的は成就されます。もとより簡単にはまいりません。苦しいことも辛いこともなしに成就されるとは申しません。が、必ずや成就されます。霊団の方は決して降参しません。成就するまで援助します」

別のメンバーが「霊の力は強烈かも知れませんが、肉体の力は弱いのです」と言うと

「肉体の力はどこから湧いて出るとお考えですか」

───霊からです。

「ならば、必要に応じてその霊力を引き出せばいいでのではありませんか」

───そのつもりでやっております。が、一日も終りに近づくと、いささか疲れます。

「だったら、そこで止めて、睡眠をとり、体力を回復して、次の日の仕事に精を出せばよろしい。私も永いこと地上界の仕事にたずさわってきて、皆さんのご苦労はよく理解しているつもりです。が、条件さえ整えば、 イザという時には霊力が湧き出るものであることを確信しております。

 ただし〝条件が整えば〟ということを忘れないでください。何度も申し上げてきましたように、その条件は霊界側の条件のことです。霊界側のタイミングで、霊界側の方法で働きかけます。人間側の都合にわせて行うのではありません。

 私たちはあなた方より広い視野で見ております。人間の視野はきわめて限られております。ですから、背後霊に任せることです。万事うまく行きます。一時的には不遇を忍ばねばならないことがあるかも知れません。しかし最終的には必ずうまく収まります」


続いてお金の問題が持ち上がったが、シルバーバーチは
「お金はとかくトラブルのもとになります。余るほど入っても厄介ですし、残してもトラブルのもとになります」と述べて、金銭への執着を戒め、いくつかの個人的な問題についてコメントしたあと、こう述べた。

「どうやら私の時計の電池が切れかかってきたようです(※)。そろそろ引き上げなくてはなりません。
 お別れする前に、ともに心を静かにして、お互いがそれぞれの道に進むに当たって、こうしてしばしの間いっしょに過ごしたこの部屋は、霊の力が降りたがゆえに聖められていることを知って下さい。

 その聖なる霊力にこうして浸ることができたことを、私たちは光栄に思わないといけません。それはまさに全生命の根源である創造主から発せられた力です。日頃の生活においても、その崇高なる力を少しでも多く受け入れることが出来るように心掛けようではありませんか。

 誰にでも分け隔てなく授けられるこの大霊からの愛に浴し続け、任せられた仕事に明るく精を出し、いついかなる時も、高き界層からの使者に見守られていることを忘れないようにしましょう。
 内も外も平和がみなぎるようになる道は、各自がそう自覚するしかありません。神の祝福の多からんことを」

※───われわれ地上の人間は、肉体という潜水服を着て大気という海の中に潜っているようなもので、いつまでももぐり続けるわけにはいかない。時おり上がって一服する必要がある。それと同じで、肉体に宿っての活動にも限界があり、ある一定時間以上は続けられなくて、いったん肉体から脱け出て、霊気を補充しなくてはならなくなる。それが睡眠である。

 ここででシルバーバーチが言っているのは、たぶん霊界の霊媒であるインディアンが、バーバネルの身体に宿ってその肉体機能を操るためのエネルギーが切れかかっていることを意味していると察せられる。

もちろんシルバーバーチと名のる高級霊も、地上圏との接触のためにかなり波動を下げていることは事実であるが、本人が語っているところによると、本来の所属界に戻って英気を養うのはイースターとクリスマスの二度だという。その間は、われわれ人間が地上界に束縛されているように、シルバーバーチの霊的な意識はかなり制約されているらしい。高級霊にとっては〝苦行〟にも等しい大へんな犠牲的行為で、『霊訓』のインペレーター霊などは、これを〝国籍離脱〟にも似た行為と呼んでいる───訳者。




 
 嘆かわしいほどの無知

 別の日の交霊会で、死者の葬儀を霊界ではどうみているかと質問されて、シルバーバーチが例によってそのテーマをきっかけとして話題を広げていった。

「死者にまつわる過剰な悲しみや嘆き、動転は感情的な障壁をこしらえて、こちらから何をしてあげようにも、まずそれを取り除かねばならなくなります。

 ですが、現代人の嘆かわしいほどの無知を考えれば、それも止むを得ないことです。すでに役目を終えた肉体の死を大げさに嘆き悲しみ、その肉体から脱け出て元気はつらつとした霊の存在については、毛の先ほどの知識も持ち合わせない───残念ながらそれが地上界の現実です。 

 それは、しかし、皆さんの努力によって成就しなければならない仕事がたくさんあるということでもあります。ところが、本来ならその職責上みんなの先頭に立って霊的知識を擁護しなければならない聖職者たちが、まるきり霊的知識を持ち合わせないというのですから、情けない話です。   

 しかし、そんなことにはお構いなく、霊的真理は必ずや広がります。それを完全に阻止できる力は地上には存在しないのです。が、そうした事実を知ることによって、これから啓発していかねばならない分野についての理解が得られるのではないでしょうか」

 そう述べてから、霊媒を仕事としているその日のゲストに向かってこう続けた。

「あなたが携わっておられる仕事がまさにそれですよ。あなたの内的自我の欲求が今のお仕事へあなたを導いたのです。大霊から授かった能力を活用して人のために役立つ仕事をなさっている方に対して、私は同志としての親愛感を覚えます」


ゲスト───大変な道を選んだものだと思っておりますが、でも頑張ります。

「一歩でも大霊に近づくための霊的成長を求めている者が、安楽な道を求めてどうしますか ?」


ゲスト───おっしゃることはよく分かります。でも、時には耐え難くて堪らない心境になることがあります。そして、天に助けを求めます。すると、もうダメかと思った段階で救いの手が差しのべられることがあります。

「絶体絶命の最後の一瞬まで我慢させられることがあります。霊的進化のある段階まで来ると、それ相応の配慮がなされるのです。代償と埋め合わせの法則は寸分の狂いもなく働きます」

ゲスト───霊媒としての仕事に携わっている時は霊界が身近に感じられて、最高の生き甲斐を覚えることは事実です。俗世の苦労を忘れて、精神の高揚が得られます。

「そうでしょうとも。たとえわずかではあってもその光栄に浴し、その響きを耳にされた時、あなたは地上にあって霊の高揚を体験されたことになります。それを他の人々に伝える努力をしないといけません。それこそが全生命が基盤としている永遠の霊的実在だからです」

ゲスト───ですけど、最近では物理的なもの、現象的なものに関心が偏り、精神的なもの、霊的なものへの関心」が薄らいでいるようです。わきへ押しやられている感じです。


  
 〝おもちゃ〟 が必要な人もいる

「いえ、それは一部の人々に言えることであって、全体としては、そんなことはありません。いつの時代にも〝おもちゃ〟を必要とする人がいるものです。見かけは立派な大人でも、霊的には子供なのです。もっと素晴らしいものがあることに気づくまでは、おもちゃのような幼稚なもので満足なのです。

とはいえ、何の関心も持たないよりは、たとえ低次元のもの(現象的なもの)であっても〝霊〟に関わるものに関心を持つ方が上でしょう。

 霊は無限であり、従ってその顕現の形態も無限であることを忘れてはなりません。要は地上の人間が霊の世界との正常な関わり合いを持つことが大切なのです。とくに現代のような物質偏重の時代にはそれが必要です。

なぜなら、何らかの形で霊の世界と結びつくことによって、援助・導き・霊感・叡知・愛といったものが届けられることになるからです。いったんその霊的関係ができ上がると(人間の側が拒絶しないかぎり)二度と断絶することはありません」


ゲスト───どういう形を取ろうと、それは一粒のタネを蒔くことになるのだと思うのです。そのタネが芽を出し、生長し、実るように、忍耐づよく見守る必要があります。問題は、とかく人間は煩悩によって迷いが生じるということです。

 それは無理もないことです。そもそもこうして地上に生まれてきたということが、あなたがまだまだ完全でないことの証拠です。欠点に気づいてそれを直し、過ちを犯してそこから教訓を学び、そうやって少しずつ内部の神性を開発していく、それが地上生活のそもそもの目的です。が、それは長い長い時間を要するとことです。

 その過程において、一人の人間の魂に本当の自我を見出させてあげることが出来たら、それであなたの存在意義があったことになります。たった一つの魂で十分です。魔法の杖の一振りで何千人、何万人もの人を一度に改心させて霊的な価値を悟らせるなどということは、絶対にできません」


ゲスト───でも、真理を知った者は誰しも、できるだけ多くの人に物的価値と霊的価値とを調和させた生き方をしてもらいたいと願うものです。




   
 霊能者の役目

「あなたの役目は、霊にかかわる真理を事実に即して披露することです。地上で生活している人に、今そうして生きているそのすぐ身のまわりに、より大きな生命の世界がひしめくように存在していて、それこそが永遠の住処であり、いずれはみんなそこへ行くことになっているということを教えてあげることです。

 言いかえれば、人間は本来が霊的存在であり、それが肉体をたずさえているのであって、霊を従えた肉体ではないということ、そしてその霊も、肉体と同じように、成長の為の養分を必要としているということを、なるほどと納得させてあげるのが、霊能者としてのあなたの仕事です。

 そう納得させてあげたら、それから後のことは、あなたの関与することではありません。その人は本当の自分を見出したのですから、それからあと、その本当の自分の存在の意義をどういう形で生かすかは、その人自身が決めることです。

たとえ試行錯誤をくり返しながらであっても、何とかして自分を人のために役立たせようと努力していれば、そういう人への援助を仕事と心得ている高級霊がしかるべき指導してくれます。

 ですから、迷ってはいけません。もとより生やさしい仕事ではありません。が、努力のし甲斐のある仕事です。霊能者のみができる仕事です。まさしく神が地上に派遣した使者です。

 あなたもその一人であることを誇りに思ってください。大霊の仕事のお手伝いをしているのです。迷って首をうなだれるようではいけません。地上で最高の仕事にたずさわっているのですから、堂々と胸を張って歩みなさい。

 霊界からの援助者は、地上の使者が無私の協力の姿勢を崩さないかぎり、決して見捨てるようなことは致しません。地上の啓蒙のために、今もっとも必要としている霊的な恩恵をもたらすべく、辛抱強く援助し続けてくれます」


ゲスト───謙虚に、愛の心をもって、誠実に───これをモットーとして仕事をしております。

「霊能者の仕事がラクであるかに想像する人がもしいたら、それはとんでもない見当違いであると言わざるを得ません。ラクを求めるようでは、それは魂が進化していない証拠です。困難な道であることを承知の上で、内在する霊力の威力を信じて挑戦するようでないといけません。

 これまであなたがたどられた道は長く、困難で、涙をにじませたこともありました。が、何とか切り抜けてこられましたし、これからも切り抜けることができます。

 忘れないでいただきたいのは、あなたのもとを訪れる人、あるいは、あなた方から出向いてあげる人はみな、肉体の奥に埋もれている魂が自由を求め、無知と迷信から脱け出ようとしている人々であるということです。その牢獄の扉を押し開けて魂を解放してあげるのが、あなたの仕事です。

臆することなく突き進みなさい。一人でも多くの魂を解放してあげなさい。神の計画は積極果敢な行動を求めているのです」


 ゲスト───ここまで来て撤退するわけにはまいりません。

「そうですとも。いったん霊的な眼が開いた者は、臆することがあってはなりません。あなたには霊的能力という、大霊からの授かりものがあります。それを最大限に活用しなくてはいけません。

あなたを通して届けられるものが、霊の始源と同様に純粋で無垢であるように、最大限の努力をしなくてはなりません。

 要は、完全を目指すしかないのです。これは大変なことです。霊的な褒賞はそう簡単には得られません。が、いったん身につけたら、二度と失われることはありません」




  
 人間はみな潜在的霊能者

 ここでゲストが興味ぶかい質問をした。仮りに霊的な潜在能力を持って生まれた者が地上でそれを発揮できずに終わった場合、死後その能力を親和力の強い地上の類魂にゆずって発揮させるということが出来るものかということだった。シルバーバーチはこう答えた。

「霊的能力は天賦の才能です。その人の生得の資質であり、自然に備わったものですから、それを他の者にゆずることは出来ません。各自が各自にそなわった資質を発達させるのです。それを地上生活にそなえて用意してきたのです。

 霊界へ戻ってみて、地上でそれを十分に発揮できなかったことに気づいたとしても、愛情や親和力、あるいは興味の共通性によって(背後霊となって)世話することになった人間に、その分をゆずって発揮させるというわけにはいきません。その人間にそなわっている能力を発揮させるように指導するしかありません」


サークルのメンバー ───地上で発揮できなかった霊力をそちらで発揮することはできるのでしょうね?

「もちろんできます」


───ということは、霊的能力は物的身体とは関係ないというわけですね?

「能力そのものは霊にそなわったものです。霊の機能といってもよろしい。物的身体にいろいろと機能があるように、霊にも機能があります。

 霊視能力というのは、あなた方が肉体の眼で見るように、霊の眼で見ることです。霊聴能力というのは、肉体の耳で聞くのと同じように、霊の耳で聞くことです。人間は本質的には霊的存在ですから、その意味では人間はみんな潜在的な霊能者であるわけです。

 もっとも、その能力の顕現の仕方には無限といってもよいほどの形態があります。純粋にスピリチュアル(霊的)といえるものに到達するまでには物的(フィジカル)なもの・心霊的(サイキック)なもの、幽的(アストラル)なもの、その他いくつもの段階を経ることになります」


───霊能者になるかならないかを決めるものは何でしょうか?

「地上へ誕生する前の本人の自由意志で決めています」


───ということは、私は今の霊媒としての仕事を誕生前に選択したのでしょうか?

「もちろんですよ。あなたは母親の胎内に宿る前から存在していたのです。たまたまこうなったというものではありません」


───それにしても、この種の仕事を選ぶ人が少ないことには何か理由があるのでしょうか?

「地上世界の大切な仕事は、必ず少数派によって為されるものなのです」


───自分で選択するのでしょうか?

「そうです。あなたも、出発点で決断したのです。その時点では、この道を選べばこういうことになるということを承知していたのです。それから地上へ誕生したのですが、誕生した時はそうした記憶は潜在意識に埋もれてしまいます。そして、人生体験の中で少しずつ取り戻していきます。

 あなたがこうした人生を選ばれたことには偶然も、奇跡もありません。すべては法則と秩序と意図のもとに行われています。すべてが計画されているのです」

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味


二章  聖職者の使命

シルバーバーチが伝来の組織的宗教に批判的であることはよく知られている。したがって、キリスト教の位階の中でも高位の〝キャノン〟でありながらスピリチュアリズムにも理解のあるジョン・ピアスヒギンズ氏がゲストとして出席した時は、さぞかし見ものだったことであろう。その様子を次の対話から窺い知ることができそうである。

 まずシルバーバーチから述べる。
 「あなたほどの霊的真理を手にされ、新しい理解への道を歩んでおられる方が、今さらこの私に何のご用があるというのでしょうか」

キャノン───レンガ塀を取り壊す方法をお教え願えまいかと思いまして・・・。実は今、私は大きな壁に突き当たっているのです。

「旧約聖書にあるのではありませんか───ヨシュアという男が大声で怒鳴ったら、城壁が崩れ落ちたという話が・・・・・・。あなたも、一つ、大声で怒鳴って見られてはいかがですか」

キャノン───これはまた恐れ入った話で・・・・・・。崩れ落ちる破片で私自身がケガをしなければいいですが・・・・・・

「それは大丈夫です。あなたはこれまでずっと守られてきております。イザという時は援助の手が差しのべられております」

キャノン───あなたの助言を頂くのが一番だと聞かされてやってまいりました。

「私も、あなたと同じく一個の人間的存在に過ぎません。あなたより少しばかり長く生きてきたというだけです。ただ私には、あなたとは別の次元での生活体験があります。

その生活によって宇宙の摂理がどういう具合に働いているか、それを背後から霊的にどう操っているかについて、いくばくかの知識を得ることが出来ました。

そこで私は、これまで辿ってきた道を後戻りしてこの地球圏に舞い戻り、受け入れる用意の出来た人にその知識を分けて差し上げているところです。

〝馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることまではできない〟という諺があります。ナザレのイエスも豚に真珠を投げ与えるような愚かなことをしてはいけないと戒めております。霊的真理というものは、それを理解する能力が具わっていない人には、どう押し付けても無駄であることを教えているのです」

キャノン───それはよく分かります。

「正直に言わせて頂きますが、不幸にしてそういう人がキリスト教の牧師の中に多く見受けられます。そういう人は霊的なものを見ることも、聞くことも、語ることもできないのです。知識だけは大変なものをお持ちです。

神学・ドグマ・教義・儀式典礼・・・それはそれはよく勉強していらっしゃいます。が、所詮は物質界に関わったことばかりです。霊の世界に関わったものは何一つご存知ありません。

 さて、地上に生を受ける全ての人間がそうであるように、あなたも、この物質界に誕生するに当たって、今歩んでおられるようなコースを自ら選択なさっておられます。信じていただけないかも知れませんが、それは構いません。

人間にとって理解し難い問題であることは確かです。でも、たとえ信じていただけなくても、私としては事実は事実として述べるほかはありません」

キャノン───私は信じます。

「勇猛な闘士はロートス(※)を食べたいとは思いませんし、バラ色の人生を送りたいとも思わないものです。すすんで困難に満ちた人生コースを選んで生まれ、精神力をよりタフに、より厳しく鍛え上げます。だからこそ、あらゆる困難を克服できるのです」

 ※───ギリシャ神話で、その実を食べると現世の苦悩を忘れさせたと言う想像上の植物───訳者

 困難に打ち克つ方法はいろいろとあるでしょう。勇猛果敢にぶち当たるのも一つの方法でしょう。じっくりと耐えて、徐々に克服していくのも一つの方法でしょう。

もっと穏やかに、祈りと瞑想の中で解決法を見出すという方法もあります。あなたほどのお方になれば、どんなことがあっても、この道から外れるようなことはないでしょう。あなたには大事な仕事があります。

それは、霊的知識による啓発を受けるべき人々(聖職者)にそのチャンスを与えることです。使命を自覚するということの本当の意味を悟ってもらわねばなりません。

 聖職者の使命は、宇宙で最も崇高な力の中継役となることです。教会や礼拝堂を〝白塗りの墓〟とせず、彼ら自らが霊力の流れる生きた殿堂となることです。

霊的真理に飢えた人が彼らの言葉によって魂の渇きを癒やされ、魂の空腹を満たされ、身体の病を、イエスの時代と同じように、霊的治癒力によって癒やされるべきなのです。この原理は今も昔も同じです。奇跡というものはありません。自然法則の顕現に過ぎません。

 じっくりと時を待つことです。人間のいちばんいけない点は、何でも性急に求めすぎるということです。その態度を見ていると、まるで大霊に代わって自分が早く片付けてしまいたいと思っているかのようです。

何年もの間モグラのように暗闇の中にいたのが、ある日ふと見上げて〝光〟というものがあることを知ります。すると、もう、それに夢中になって、今すぐにでも世の中を変えてしまわないと気が済まないような態度を取り始めます。

 そう簡単にいくものではありません。霊に関わることは、ゆっくりと、霊妙に、しかし確実に進化するものです。霊的成長、霊的感性、霊的理解力というものは、アクセルを踏んで一気に進めるわけには行かないものです。霊力を強制的に操ることはできません。

無理やりに注入するわけには行きません。それに適した通路が要ります。地上に顕現されるための手段です。

キャノン───そうだと思います。

「霊的成長がもしも努力なしに得られるものだったら、それは神の公正が愚弄されることになります。罪深き人間が簡単に聖人になれることになります。それでは公正の原理が存在の意義を失います。霊的成長はゆっくりと、しかし確実に進行するしかありません。

次の一歩を踏み出すに先立って、今の足場をしっかりと踏み固めないといけません。成長と発達は無限に続くのですから、焦ることはありません」

キャノン───我慢しろとおっしゃるわけですね?

「何度も申し上げておりますように、ドアをそっと押してみて、もし開かなかったら、無理して開けようとなさらないことです。カギのかかったドアをこじ開けようとしてはいけません。が、もしもドアが気持ちよく開いたら、その方向へ行かれることです。機が熟せば、霊の力がひとりでに顕現するものです。

 高級霊に秘められた創案と実現の能力は、たぶんあなた方人間の想像力を絶しております。機が熟し、用意万端が整えば、すべてが納まるところに納まります。盲目的な信仰は愚かですが、霊的知識に基づいて築かれた信仰は、人生哲学と将来への展望を構築する上での確固たる基盤となります。

 人間は、今置かれている環境条件からいって、全知識と全叡知の所有者となることは不可能です。ですから、これまで導かれてきたように、これからもきっと導かれていくとの信念を持つことです。霊の力が挫折してしまうことはありません。

大霊は絶対に挫折しません。すべては定められた摂理に従って顕現し続けます。これまでに啓示していただいたものに感謝し、そして、後のことは辛抱強く待つことです」

キャノン───私の背後霊として集まるのは霊的真理をよく理解した霊ばかりでしょうか。

「もちろんです。ただし、援助を必要とする霊があなたのもとに連れて来られることはありますよ」

キャノン───その種の霊には手を焼かされますね。

まったくです。でも、そういう迷える霊を暗闇から光明へと導いてあげる上で手助けとなることは、とても光栄なことです。気の毒な霊たちでして、すでに死んでいるのに、波動的には霊界よりも地上世界の方に近いのです。

苦境に陥って不安になった時は、気持ちが未来へ向かうのを制して過去を振り返り、これまでに遭遇した、人生の節目となった体験のことを思い起こしてみられることです。万事休すと思えた時───とても解決は無理と思え、どちらを向いても頼るものがなくて途方に暮れた時のことを思い出してみられることです。

不思議にも道が開け、絶体絶命と思えたものが克服されていったように、霊の力はこれからも導き続けます。

 
 キャノンという要職にあるあなたは、他の人にはない、真理普及の絶好のチャンスに恵まれています。大霊の道具であること───その恩寵と愛と叡知と霊力を届ける通路となるチャンスに恵まれていることに感謝しなくてはいけません。

ミニチュアの形で内部に神性を宿していながらこの事実にまったく無知でいる人が、実に多いのは悲しいことです。その意味でもあなたは感謝しなければなりません。収支勘定をすれば、きっとあなたは貸しよりも借りの方が多いと思いますよ。

キャノン───間違いなくそうでしょう。

「もっとも、私が見ているのは霊的なバランスシートですけどね・・・・・・」

キャノン───さぞかし、ひどい状態でしょうね?

「そんなことはありません。人間としてはきわめて健全です。要するにあなたは、まだまだ果たさねばならない仕事が残っているということです」

キャノン───施す以上に施しを受けているようです。

「そういうものです。サービスを施せば、必ず霊界からそれ以上の施しを受け、時にはあふれるほどにもなることがあります」

牧師として、キャノンも数え切れないほどの祈りを捧げてきたことであろうが、シルバーバーチも、ハンネン・スワッファー・ホームサークルによる交霊会において、開会の祈りと閉会の祈りを捧げるのが慣例となっていた。次の祈りは開会の祈りの典型的な例である。

≪日ごろの重荷・心配・不安・悩みごとや取り越し苦労のすべてを、しばし、わきへ置いていただきましょう。可能なかぎり高度な調和状態を成就するように努めましょう。知識と霊的成長を少しでも促進する目的をもとに、向上心をいやが上にも高めましょう。

 至尊至高の創造主たる大霊を超えるものは、この宇宙には存在しません。私たちはその大霊に似せて創造されております。生命そのものを賦与し、聖なる息吹を吹き込み、無限の神的属性を授けて下さった、その大霊とのより緊密なる調和を求めて祈りましょう。

 これまでに啓示していただいた霊的知識によって私たちは、全生命の裁定者、宇宙の全機構の創造者、そしてその完全なる叡知によって全存在を治め、調整し、規制するための摂理を考案なされた絶対的霊力について、より明確なる心像を抱くことができるようになりました。

 その崇高なる霊力の大きさは、到底、私たちには測り知ることはできませんが、その影響力は心臓の鼓動ほどに身近に存在し、永遠なる生命のいかなる側面においても、切っても切れぬ絆によって結ばれているのでございます。

 その大霊の力は、ある時はインスピレーションとなり、ある時は啓示となり、ある時は叡智となり、ある時は真理となって届けられ、またある時は支援の力となり治癒力となって届けられます。それが神性を帯びたものであることは、各種の媒体を通して顕現された時に、それを受け入れた者へ及ぼす絶大なる影響そのものが物語っております。


 私たちはその媒体として、喪の悲しみの中にある人には慰めを与え、病に苦しむ人を癒やし、弱き者に力を与え、悩める人に導きを与え、かくして、手の届くかぎりの範囲において、不幸な人々を助けることができるという測り知れない名誉に浴することができるのでございます。この名誉を大霊に感謝し、更に大きな貢献の道具となることを祈るものです。

 ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます≫

Sunday, February 8, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen



2 男性支配型から女性主導型へ

 一九一九年三月二十四日  月曜日

 吾々から送られるものをそのまま書き記し、疑問に思えることがあってもいちいち質問しないでいただきたい。全部を書き終わってから読み直し、全体として判断し、部分的な詮索はしないでいただきたい。

このようなことを今になって改めて申し上げるのも、吾々が用意している通信は多くの人々にとって承服しかねるものであろうと思われるからです。ですが、とにかく書き留めていただきたい。

吾々も語るべきことは語らねばなりません。それをこれより簡略に述べてみましょう。

 キリストがガリラヤのイエスとして地上に降誕するまでの人類の進化は、知性においても力においても、男性の〝右腕〟による支配の線をたどっておりました。

それが人類進化における男性的要素でした。他にもさまざまな要素があったにしても、それは本流に対する支流のようなもので、進化の一般的潮流にとっては大して意味はありません。私はこれよりそうした細かいことは脇へ置いて、本流について語ります。

 イエスは地上に降り、人間社会の大混乱を鎮静させるためのオイルを注がれました。聞く耳をもつ者に、最後の勝利は腕力にせよ知力にせよ強き者の頭上に輝くのではなく、〝柔和(ニュウワ)なる者が大地を受け継ぐ〟(詩篇37・11)と説きました。

受け継ぐのです。奪うのではありません。お分かりでしょう。イエスは人類の未来のことを語っていたのです。

 この言葉を耳にした者は実際的であると同時に美しくかく真実であることを認めました。そして以来二千年近くにわたって両者を融合させようと努力してまいりました。


すなわち支配力に柔和さを継ぎ木しようとし、国内問題、国際問題、社会問題その他あらゆる面で両者をミックスさせようとしたのです。が両者は今なお融合するに至っておりません。そこである者はキリスト教は公共問題においては無能であると言います。


その結論は間違っております。キリストの教えは地上の人生において唯一永続性のある不変の真理です。

 人間は暴力と威圧による支配が誤りであったことを認識しました。が、それを改めるためにこれまでに行ってきたことは、その誤った要素はそのまま留めておいて、それを柔和さという穏やかな要素によって柔らげることでした。

つまり一方では男性が相変わらずその支配的立場を維持しつつ、他方では女性的要素である柔和さによってその支配に柔らかさを加味しようと努力したのです。

結果は失敗でした。あとは貴殿にも推察がつくでしょう。唯一残されたコースはその誤った要素を棄て、女性的要素である柔和さを地上生活における第一位の要素としていくことです。
 地球の過去は男性の過去でした。地球の未来は女性の未来です。

 女性は今、自分たちの性の保護のための何か新しいものの出現を期待する概念が体内から突き上げてくるのを感じております。それは感心しません。

ひとりよがりの考えであり、従ってそうあってはならないことだからです。かの昔、一人の女性が救世主を生みましたが、それは女性の救世主としてではなく全人類の救世主として誕生しました。現在の女性の陣痛から生まれるものも同じものとなるでしょう。

 何か新しいものを求める気持の突き上げを感じて女性は子孫への準備に取りかかりました。男児のための衣服を作りはじめております。私は今〝男児〟と言いました。

女性が作りつつある衣服はやはり男性のためのものなのです。そのための布を求めに女性は、男性だけが売買をしている市場へ行って物々交換を申し出ました。

〝私たち女性にだって男性の仕事はできます〟と言います。そのとき女性は自分が新しいブドウ酒を古い皮袋に入れているにすぎないことに気づいていません。いけません。女性が男性の立場に立つことをしては両者とも滅びます。

女性は男性がこれまでに学ばされてきた苦い体験から女性としての教訓を学び取らなくてはいけません。男性はどこに挫折の原因があったかを学びました。

ではどうすべきかが分からぬまま迷っております。片方の手で過去をしっかりと握り、もう一方の手を未来に向けて差し出しています。が、その手にはいまだに何も握られていません。過去を握りしめている手を放さないかぎり空をつかむばかりでしょう。

  女性は今、かつての男性がたどったのと同じ道をたどろうとしています。男性と対等に事を牛耳ろうとしています。しかし女性の未来はその方向にあるのではありません。

女性が人類を支配することにはなりません。単独ではもとより、男性と対等の立場でも支配することにもなりません。これからは女性が主導(リード)する時代です。支配するのではありません。

 前にも述べた通り、これまでの地球の進化は物的なものへ向けての下降線をたどって来ました。そこでは男性が先頭に立ち、荒々しい闘争のために必要な甲冑がよく似合いました。が、


その下降線も折り返し点に到達し、今まさにそこを後にして霊的発達へ向けて上昇を開始したところです。霊の世界には人間が考え出した(神学の)ような、ややこしい戒律(キマリ)による規制はありません。あるのはただ愛による導きのみです。

地上にも、優位の立場からの支配は女性の性(さが)に不向きであることを悟った暁に女性が誘導(ガイダンス)によってリードしていく場があります。

 しかし、その女性主導の未来がどういうものであるかは、いかなる形にせよ説明するのはとても困難です。と言うのも、これまでのそうした主導権の概念は支配する者と支配される者、抑える者と従わされる者、といった二者の対立関係を含んでおりますが、これからの主導権にはそうした対立関係は含まれていないからです。

この〝主導〟という用語からしてすでに一方が先を行き他方がその後に付いていくという感じ、一種の強制観念をもっています。これからの人類を待ちうけていると私が言っている主導はそれとは異なるものです。

 次のように説明すればどうでしょうか。それはイエス・キリストにおいて明白に体現されております。男性としての美質が一かけらの不快さも醜さも伴わずに体現されていると同時に、女性としての優しさが一かけらの弱々しさも伴わずに融合されております。

未来は両者が、すなわち男性と女性とが、いかに完璧に一方が他方を吸収した形であっても、二つの性としてではなく、一つの性の二つの側面という形をとることになります。

 力の支配するところでは〝オレが先だ。お前はあとに付いてこい〟ということになります。愛の支配するところでは言葉は不要です。以心伝心で〝最愛なる者よ、ともに歩もう〟ということになります。


 私の言わんとすることがこれでお分かりと思います。


──分かります。ただ、今日までの慣習に親しんできている者にとっては、一方が(優しく)手引きし他方が(素直に)付いて行くようでなければ進歩が得られないというのは、いささか理解が困難です。

 おっしゃる通りです。今の言いまわしにも苦心のあとがうかがえます。いま貴殿は地上でいう組織や整然とした規制、軍隊や大企業における上下の関係を思わせる語句を使用しておられます。

 もちろん天界においても整然たる序列が存在します。しかしそれは権力の大小ではなく、あらゆる力の背後に控えるもの──愛がそうあらしめるのです。

 実際においてそれが何を意味するかを次の事実から微(カス)かにでも心に描いてみてください。比喩的な意味ではなく実際の事実として、地上でいうところの高い者と低い者、偉大な者と劣等なる者は存在しません。

地上から来たばかりの霊と天使との間にもかならず共通した潜在的要素が存在します。

その意味で、若い霊も潜在的には天使と同じであるのみならず、さらに上の大天使、力天使、能天使とも同じであると言えるのです。

(訳者注──ここではオーエンがキリスト教の牧師であることから神学における天使の分類用語を使用しているまでのことで、実際にそういう名称で呼ばれているわけではない。要するに造化の仕事に直接たずさわっている高級霊と考えればよい)

 さらに、たとえば天使と父との関係について言えば、地上的な観点からすれば当然天使の方が小さい存在ですが、天界全体として考えた時、両者の関係は一つの荘厳なる実在すなわち絶対神の中に吸収されてしまいます。

そこにおいては天使も絶対神と一体となります。〝より大きい〟も〝より小さい〟もありません。それは外部にまとう衣服については言えましょう。

宝石のわく飾りのようなものです。が、内奥の至聖所ではその差別はありません。

 そのことはキリストの顕現の度に思い知らされることです。すなわちキリストはたしかに王であり吾々はその従臣です。しかしキリストはその王国全体と一体であり、その意味において従臣もその王の座を共有していることになるのです。

キリストが命を下し、指揮し、吾々はその命に服し、指揮に従います。が、命じられたからそうするのではなく、キリストを敬慕するからであり、キリストもまた吾々を敬愛なさるからです。お分かりでしょうか。

ともかく、こうした天上的な洞察力の光をいくばくかでも人類の未来へ向けて照射していただきたい。きっとそこに、こうして貴殿に語りかけている吾々に啓示されているものを垣間みることができるでしょう。

 また次のことも銘記してください。理性というものは男性的資質に属し、したがって私のいう未来を垣間みる手段としては不適当であることです。

直感は女性的資質に属し、人間の携帯用望遠鏡のレンズとしては理性より上質です。

思うに女性がその直感力をもって未来をどう読まれるにしても、理性的に得心がいかないと満足しない男性よりは、私が言わんとすることを素直に理解してくださるでしょう。女性は知的理解をしつこく求めようとしません。理屈にこだわらないのです。

あまりその必要性がないとも言えます。直感力が具わっているからです。それで十分間に合いますし、これより先は女性と男性の双方にとってそれがさらに有益となっていくことでしょう。


──例によって寓話をお願いしたいですね。

 ある金細工人が王妃の腕輪(ブレスレット)に付ける宝石としてルビーとエメラルドのどちらにしようかと思案しました。彼は迷いました。ルビーは王様がお好みであり、エメラルドは王妃がお好みだったからです。

思案にあまった彼は妻を呼んで、どう思うかと聞いてみました。すると妻は〝あたしだったらダイヤにする〟と答えました。

〝なぜだ。ダイヤはどっちの色でもないぞ〟と聞くと、〝お持ちになってみられてはいかが?〟と答えます。彼は言われた通りに持参してみることにしました。

 恐るおそる宮殿を訪れてまず王様にお見せしたところ、〝でかしたぞ。このダイヤはなかなかの透明度をしている。ルビーの輝きがあふれんばかりじゃ。さっそく妃(キサキ)のところへ持っていって見せてやってくれ〟と言います。

そこで王妃のところへ持っていくと王妃もことのほか喜ばれ、〝なかなか宝石に目が高いのお。このダイヤはエメラルドの輝きをしている。さっそくそれでブレスレットを仕上げておくれでないか〟とおっしゃいます。

 わけが分からないまま帰ってきた金細工人は妻になぜ王妃はこのダイヤが気に入られたのだろうかと聞いてみました。

すると妻は〝お二人はどんなご様子だったのですか〟と尋ねます。〝お二人とも大そうお気に召されたんだ。王様はなかなか上質でルビー色をしているとおっしゃり、王妃もなかなか上質でエメラルド色をしているとおっしゃった〟と彼は言いました。

 すると妻は答えました。〝でもお二人のおっしゃる通りですよ。ルビー色もエメラルド色も、砕いてみれば何もない無色の中から出ているのであり、ほかにも数多くの色が混ざり合っているのです。

愛はその底にすべての徳を融合させて含んでおり、一つ一つの徳が愛の光線の一条(ヒトスジ)なのです。王様も王妃もその透明な輝きの中にお好みの色をごらんになられたのです。


お二人が違う色をごらんになったからといって別に不思議に思われることはありません。お互いの好みの色はその結晶体の中で融合し、自他の区別をなくして本来の輝きの中に埋没してしまっているのです。それはお二人が深く愛し合う仲だからですよ〟
         

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen


 1 キリストはなぜ男性として誕生したか
 一九一九年三月二十一日  金曜日

 貴殿に興味のありそうな話題は多々あるのですが、話が冗漫(じょうまん)になるといけませんので割愛させていただき、兄弟(けいてい)かきにせめぐ今日の危機(第一次大戦一九一四~一八──訳者)に至らしめた大きな原因について述べようと思います。

 それはつまるところ、霊的なそしてよりダイナミックな活動をさしおいて、外面的な物的側面を高揚する傾向であったと言えます。

その傾向が西洋人の生活のあらゆる側面に浸透し、それがいつしか東洋人の思想や行動意志まで色濃く染めはじめました。それは実際面にも表れるようになり、一般社会はもとより政治社会、さらには宗教界にも表れ、ついには芸術界すらその影響から逃れられなくなりました。

すでにお話した物質と形態へ向けて〝外部へ、下方へ〟と進んできた宇宙(コスモス)の進化のコースを考えあわせていただければ、そのことは別段不思議とは思えないでしょう。

 顕現としてのキリストについてもすでに述べました。私はこう述べました──いかなる惑星に誕生しようと、言いかえれば、地上への降誕と同じ意味でいかなる形態に宿ろうと、キリストはその使命を託された惑星の住民固有の形態を具えた、と。

そのことは降誕する土地についても言えますが、同時に降誕する時代についても言えます。

 ではこれより私は、ガリラヤのイエスとしての前回の地上への降誕について述べてみます。

人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知るかぎり、神性において性の区別はないこと、男性も女性もないこと、なのにイエスは、いつの時代においても、かのガリラヤにおいても、男性として降誕したという事実のもつ重要性を見落としております。私はこれよりその謎について説明してみます。

 これまでの全宇宙の進化は〝自己主張〟すなわち形体をもって自己を顕現する方向へ向かってまいりました。絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、女性ではありませんでした。

それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の選んだ女性を組み入れて行こうとします。

その女性を他の女性から隔絶して保護し、育(はぐく)み、我がものとしていきます。我が意志が彼女の意志──つまり女性は自分の意志のすべてを男性の意志に従わせます。

その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。しかし、その洗練というものは男性的理想ではなく女性的理想へ向かうものです。この点をよく注意してください。大切な意味があるのです。

 そこで地球について言えば──このたびは他の天体のことには言及しません──悠久の進化の過程において、身体的にも知性的にも力による支配の原理が表現されてきました。

この二元的な力の表現が政治、科学、社会その他あらゆる分野での進歩の推進的要素となってきました。

それが現代に至るまでの地上生活の主導的原理でした。人類の旗には〝男性こそリーダー〟の紋章が描かれておりました。キリストが女性としてでなく男性として地上へ誕生したのはそのためでした。

 しかし、男性支配の時代はやっとそのクライマックスを過ぎたばかりです。と言うよりは、今まさにそれを越えつつあります。そのクライマックスが外部へ向けて表現されたのが前回の大戦でした。


──その大戦のことはすでに多くを語っていただいております。これからまたその話をなさるのではないでしょうね。

 多くは語るつもりはありません。しかし私がその惨事について黙することは、その大戦で頂点を迎えた、人類の進化に集約される数々の重大な軌跡を語らずに終わることになります。その軌跡が大戦という形で発現したのは当然の成り行きであり不可避のことだったのです。


冷静に見つめれば、自己主張の原理の良い面は男性的生活態度が創造主の面影をほうふつとさせることですが、それは反面において自分一人の独占・吸収という野蛮な側面ともなりかねないことが分かるでしょう。

洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的男性は女性に対して優位のみを主張します。同じ意味で、洗練された国家は他の国家に対して有益な存在であることを志向し、相手が弱小国家であれば力を貸そうとするものです。が、

野蛮な国家はそうは考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収してしまおうとする態度に出ます。

 しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的であり、その違いは性質一つにかかっております。善性が強ければ与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。が、与えることも奪うことも男性的性向のしからしむるところであり、女性的性向ではありません。


与えることは男性においては美徳とされますが、女性においては至極(しごく)あたりまえのことです。男性は功徳を積むことになりますが、女性はもともとその性向を女性本能の構成要素の中に含んでおります。

 キリストはこの自己主張の原理をみずから体現してみせました。それが人類救済の主導的原理だったのです。男性としてキリストも要求すべきものは要求し、我がものとすべきものは我がものとしました。これは女性のすることではありません。が、

徹底的にその原理を主張してしまうと、こんどは男性の義務として、すべてを放棄しすべてを与えました。が、

その時のキリストは男性としての理想に従っているのではなく女性としての理想に従っているのです。しかも女性としての理想に従っていながら、いっそう完全なる男性でもあるのです。

このパラドックスはいずれ根拠を明らかにしますが、まずはイエス・キリストの言葉を二、三引用し、キリストが身体的には男性でありながら、男性と女性の双方の要素が連帯して発揮されている、完全なる神性の顕現であることをお示ししましょう。

 「人、その友のために己れを棄つる、これに優る愛はなし」(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。それよりさらに大なる愛が存在します。

それは敵のために己れの生命を棄てることです。自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き相手に捧げる愛を見るのです。

イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命(イノチ)を棄てました。私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素でなく女性的要素が誘発したように思えるのです。

 また、なぜ「奪うよりは与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、女性にとっては容易にそして自然に理解がいきます。

男性はそれが真実であることに同意はしても、なお奪い続けようとするものです。女性は与えるという行為の中によろこびを求めます。

受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。このことを考え合わせれば、今だに論争が続いている例の奇蹟に敬虔の念を覚えられることでしょう。つまり、わずかなパンを何十倍にも増やして飢えをしのがせた行為も同じ女性的愛から発していたのです。
 しかしこの問題はこれ以上深入りしないでおきましょう。

 私が言いたかったことをまとめると次のようなことになります。つまりこれまでの地上世界はすべての面において英雄的行為が求められる段階にあったということ。

従って〝雄々しい力〟という言葉が誰の耳にも自然な響きをもって聞こえ、〝女々(めめ)しい力〟という言い方から受ける妙な響きはありません。

 しかし男性は神威の一つの側面──片面にすぎないのです。その側面がこれまでの永い地上の歴史の中で存分に発揮されてきました。が、

これより人類が十全な体験を積むためには、もう一方の側面を発揮しなければなりません。これまでは男性が先頭に立って引っぱってきました。そしてそれなりの所産を手にしました。これからの未来にはそれとは異質の、もっと愉しい資質が用意されております。 アーネル ±

シルバーバーチの新たなる啓示

Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen
スピリチュアルな言葉が教える ”生きる” ことの意味



まえがき 
一章  組織と綱領


 本書の編纂を終えた頃の英国は、五月というのに数十年ぶりの猛暑が続いていた。朝起きてみると、いつも空は抜けるように澄み渡っていて、うっすらとモヤが掛かっていることはあっても、今日もまた暑い一日になることを予告していた。

 気の短い人間にとって、ロンドンのような大都会でのそうした季節はずれの暑さは、置かれている状況によっては、たとえば地下鉄に乗っているとか長い行列の中にいると、それはそれは耐え切れない苦痛である。

 反対に天候も気候もいい時は人間の心まで良くなることは、誰しも知るところである。晴れ渡った空はわれわれ人間の心まで晴ればれとさせてくれる。花は咲き、小鳥はさえずり、蝶が花に舞い、木々がそよ風に揺れて、すべて世は事もなしとにいった気分になる。

 しかし、シルバーバーチがよく強調するように、何事にも表と裏がある。夜があれば昼があり、愛には憎しみがあり、光には影がつきまとう。人生も同じである。何をやってもうまく行かない時期があるものだ。

 大所高所から見ればどうということはないことばかりかも知れないが、凡人の悲しさで、その一つ一つが不幸に思える。そして、とてつもない大きな災厄に見舞われてはじめて、それまでの自分が本当は幸せだったのだと気づく。

 先日も、のんびりとショッピングを楽しんでいると、中年の婦人がいきなりこの私に話しかけてきた。十二年前に十八歳の息子を交通事故で亡くしたというのである。様子から見て、その婦人にとっては、その息子の死とともに何もかもが終ってしまったようなものだったことは明らかだった。十二年後の今もその悲しみが消えやらないのだ。

 肉身との死別───それも母と子の間であれば、無理もない話で、私には一言も咎める気持ちはない。親と子のつながりは愛情と尊敬の念の上に成り立っているからだ。

《サイキック・ニューズ》の編集者として私は、そうした悲しい体験の便りをよくいただく。先週も、十三年間も飼っていた犬の死による心の痛みを切々と訴える手紙が寄せられた。私にとっては、動物とはいえ、生命はあくまでも神聖である。悲しむのを少しも不自然だとは思わない。子供が殺されたり事故で死んだという人からの手紙もよく受け取る。つい昨日も、十代でこの地上生活を終えた人の話を聞かされたばかりだ。

 そうやって悲しみの心情を私に吐露するのは、私が第三者だからであることは言うまでもない。私はそのことを光栄に思い、細やかな同情の気持を込めた返事を書くようにつとめている。

 そんな時、シルバーバーチの本を奨めることもある。それは、シルバーバーチがこの地上に戻ってきた高級指導霊の中でも、文句なしに最も説得力のある教えを説いているからである。初めて出現したのは今から半世紀以上も前であるが、英語による表現の巧みさは右に出る者はいないし、霊的思想の説明の明快さも類を見ない。掛け値なしに〝偉大なる霊〟であったし、今なおそうなのであるが、それらしく気取ったところはみじんも見られない。

 本書は、シルバーバーチ選集としてはいちばん新しいもので、ほぼ二十年間にわたる期間の霊言から抜粋してある。なるべく重複しないように気をつけたが、前に出た霊言集と重複するところがあるかも知れない。が、そのことは、このシルバーバーチの霊言に関するかぎり決して〝まずい〟こととは考えていない。何回でも繰り返すだけの価値があるし、むしろその必要性すらあると考えている。

 どういう仕事に携わっていようと、どこのどなたであろうと───シルバーバーチのファンは文字どおり世界中に広がっている───本書によって人生の難問が解け、人生観の地平線がさらに広がることを希望し、かつ祈るものである。

 願わくばシルバーバーチの言葉が、あなたにとっての慰めと親密感と充実感と生きる喜びの源泉となりますように。
                           トニー・オーツセン





 一章  組織と綱領 
 
 スピリチュアリズム思想の真実性を信じている人のことを、便宜上、スピリチュアリストと呼ぶ。そのスピリチュアリストの英国最大の統一組織 SNU (Spiritualists National Union) が掲げる七つの綱領は、大部分の会員がそれを受け入れ、座右の信条としていることであろう。

 これは心霊誌 Two Worlds を創刊したビクトリア時代の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて、霊界から霊言で届けられたものとされている。ある日の交霊会でその綱領についての評釈を求められたシルバーバーチは、建設的ではあるが非常に手厳しい評価を下している。


 訳者付記──折にふれて〝組織〟の弊害を戒めるシルバーバーチは、組織の代表を自分の交霊会に招くことは度々あったが、組織から招かれて講演したことは、私の知るかぎりでは皆無である。その最初となるべき一九八一年の世界スピリチュアリスト連盟の総会での特別講演が、その直前のバーバネルの急死によって実現しなかったのは皮肉だった。なお《サイキック・ニューズ》紙はいかなる組織からも独立した立場を取っている。


 1、神は全人類の父である。
「これは、用語が適切さを欠いております。神(ゴット)、私のいう大霊は、みなさんがお考えになるような意味での〝父〟ではありません。これでは、愛と叡智の無限の力、全生命の造化の大霊を、人間の父親、つまり男性とすることになります。かくしてそこに、偉大なる男性であるところの人間神というイメージができ上がります。

 大霊には男性と女性のすべての属性が含まれます。すべてを支配する霊である以上は、必然的に生命の全表現───父性的なもの・母性的なもの・同胞的なもの───を含むことになります。ありとあらゆる側面が大霊の支配下にあるのです」



 2、人間はみな兄弟である。

「ここでもまた用語が問題となります。〝人間〟を表わす英語の man は女性にも使えないことはありませんが、本来は男性中心の観念の強い用語です(女性は woman という)。 また、〝兄弟〟というのは〝姉妹〟に対する男性用語です。ですから、性別の観念を取り除いて、世界中の民族を一つの霊的家族とする観念を打ち出さないといけません」


 3、霊界と地上界との間に霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける。

「またしても表現に問題があり、定義が必要となります。〝霊的交わり〟よりは〝霊的感応と通信〟とした方がよろしい。
 次の〝天使の支配〟も問題があります。〝天使〟とは一体何なのでしょう? 人間の形体をまとったことのない、翼のある存在のことでしょうか。地上の人間とは何の関係もない、まったく別個の存在なのでしょうか。この項目は表現がとても不適切です。

 霊的な支配は確かにあります。が、それは地上的な縁によってあなたと繋がっているスピリット、または特別な縁はなくても、あなたを通路として、地上に指導と支援と手助けと愛情を授けたいと願っているスピリットが行なっているのです」


 4、人間の魂は死後も存続する。

「この事実に例外はありません。人間の魂(個性)は大霊の一部であるがゆえに、地上で自我を表現するための道具だった物的身体がその役割を終えると同時に、そのままいっしょに滅んでしまうものではありません。魂は本質的に永遠不滅の存在なのです。だからこそ生き続けるのです」


 5、自分の行為には自分が責任を取らねばならない。

「これも、その通りです。議論の余地はありません。私たちが地上のみなさんに説き聞かせているあらゆる教えの中核に、この〝自己責任〟の概念があります。

原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果をだれかに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。

 スピリチュアリズムの教えの核心に、この〝各人各個の責任〟の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。

それは、自分の人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受け取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません」


 6、地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる。

「これまた用語の意味が問題です。人間の容姿をした神様が立派な玉座に腰かけていて、こいつには賞を、こいつには罰を、といった調子で裁いていくかに想像してはなりません。そんな子供騙しのものではありません。

 原因と結果の法則、タネ蒔きと刈り取りの原理が働くまでのことです。自動的であり機械的です。かならず法則どおりになっていくのです。あなたが行なったことが必然的にそれ相当の結果を生み出していくのです。報賞も罰も、あなたの行為が生み出す結果にほかなりません」



 7、いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている。

「生命は、霊的であるがゆえに永遠なのです。誰であろうと、何であろうと、どこにいようと、あるいは、現在すでに到達した進化の段階がどの程度であろうと、これから先にも、永遠へ向けての無限の階段が続いているのです。不完全さを無くするためには永遠の時が必要です。

完全というのは、どこまで行っても達成されません。どこまで行っても、その先にもまだ達成すべき進化の段階があることを認識することの連続です。無限に続くのです」

 続いて質疑応答に入る。

───あなたから見て、われわれ人間が心掛けるべき信条として一つだけ選ぶとしたら、どういうことを説かれますか。無理な注文かも知れませんが・・・・・・

「いえ、無理ではありません。実に簡単なことです。すでに何度も説いていることです。〝自分に為しうることを精いっぱい行なう〟───これです。転んでも、また起きればよろしい。最善を尽くすということ───これがあなた方人間に求められていることです。

 霊的真理の自覚が深まるほど、それだけあなたの責任も重くなります。自覚していながら、知らなかったとシラを切ってみても、無駄です」


───スピリチュアリズムの綱領の中には動物についての教えもあってよいはずだと思うのですが・・・・・・

「その通りです。私もそう思います。私だったらこう表現します───〝全人類は、地上で生活を共にしているあらゆる生物と隣人に対して責任がある〟と」


───ジャーナリストが霊媒やスピリチュアリズムを軽蔑する記事を書いたりした場合、そのジャーナリストはこの地上生活中に何らかの罰が当たるのでしょうか。

「罰が当たるというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。すべては 原因に対する結果という形で進行するだけです。罰は間違った行為の結果であり、タネ蒔きと刈り取りの関係です。

 問題は〝動機〟に帰着します。つまり、そのジャーナリストは自分の記事の内容を本当にそう信じて書いたのか、それとも正直とか公正とか真理探求といった高尚な問題の範疇に属さない、何か別の単純な動機から書いただけなのかといった要素が結果に影響します。蒔いたタネが実を結ぶのです。

 その結果がそちらの世界で出るかどうかの問題は、また別の問題です。出る場合もあれば出ない場合もあります。それに関わる霊的原理によって決められることです」

───台風のような自然災害によって死亡した場合、それは偶発事故による死ということになるのでしょうか。それともやはりそれがその人の運命だったのでしょうか。

「もしもその〝偶発事故〟という用語が、因果律のリズムの範囲外でたまたま発生したという意味でしたら、私はそういう用語は使いたくありません。事故にも、それに先立つ何らかの原因があって生じているのです。原因と結果とを切り離して考えてはなりません。

 圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、あらかじめ分かっております。ということは、予定されている、ないしは運命づけられている、ということです。同時に、自由意志によってその〝死期〟を延ばすことができるケースも沢山あります。

そうした複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、基本的には自然の摂理によって規制されております」


───人間が動物の肉を食することは霊的に見て間違っているというのであれば、なぜ動物が動物を食い殺すことは許されているのでしょうか。なぜ神は肉を食べなくても済むようにしてくださらなかったのでしょうか。

「そういうご質問は私にでなく大霊にお尋ねになっていただけませんか。大霊の無限の叡知が全大宇宙のあらゆる側面に責任をもっております。人間は、身体的進化の点では、この地上における全創造物の頂点に立っています。他の創造物よりも進化しているということは、それらの創造物に対して先輩としての責任があるということです。

 進化の階梯において高い位置にあるということは、その事実に付随して生じるもろもろの意味あいを知的に、そして霊的に理解できるところまで進化しているということを意味します。

より高い者がより低い者を援助し、より高い者はさらにその上の者から援助を受ける───かくして、霊的発達というものは自己滅却(サービス)の精神と、思いやりと、慈しみを増すことであり、それが霊の属性なのです。

 人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。身体的構造をみてもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。

 動物界にも進化の法則があります。歴史を遡ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものではないことがお分かりになるはずです。

 ですから、これは人間の責任に関わる問題です。人間が進化して、その当然の結果として霊性が発揮されるようになれば、イザヤの言葉(旧約聖書・イザヤ書第十一章)が現実となります。すなわちオオカミが小ヒツジとともに寝そべり、仲良く安らかに暮らします。人間も、その霊的原理を実行に移せば、みんな仲良く平和に暮らせるようになるのです」


───核エネルギーも、それが善用されるか悪用されるかは、地上界の人間の責任ということになるのでしょうか。

「核エネルギーをどう利用するか───善用するか悪用するかは、もちろん深刻な問題です。戦争のための必要性に駆られて発明されたものが、実は霊的にはまだ正しく使いこなせない巨大なエネルギーだったことに、その深刻さの根があります。

 知的な発明品が霊的成長を追い越したということです。科学も、本当は霊的に、倫理的に、あるいは宗教的にチェックを受けるべきなのに、それが為されなかったところに、こうした途方もない問題が生じる原因があります。

人類は今まさに、莫大な恩恵をもたらすか、取り返しのつかない破壊行為に出るかの選択を迫られているのです。

 これはまた、自由意志の問題に戻ってまいります。これには逃れようにも逃れられない責任が伴います。大霊はその無限の叡知によって、地上の人間のすべてに、精神と霊と、モニターとしての道義心を賦与しておられます。もしも自由意志がなければ、人間はただのロボットであり、操り人形に過ぎないことになります。

 自分の行為への責任の履行なしには、神の恩恵は受けられません。その責任が課せられている人にしか解決できない問題というものがあるということです。

 核への恐怖が一種の戦争抑止力としての役割を果たしているという意見も出されるに相違ありません。たしかに物的観点からすればそうかも知れません。が、いずれにせよ、人間の為し得る破壊にも、限界というものがあります」


───責任の問題ですが、生まれつき知性が正常でない者の場合はどうなるのでしょうか。自分で物事が判断できない人の場合です。

 「道義心による警告に反応できない場合は、それだけ責任の程度が小さくなることは勿論です。脳の機能の異常による制約を受けているからです。神の公正は完璧です。そういう人にも向上進化の手段が用意されております。地上生活は、永遠の生命の旅路のホンの短いエピソード(語り草)にすぎないことを忘れてはなりません」


───自分の遺体を医学のために提供した場合に、何か霊的な影響がありますか。

「動機さえ正しければ、その提供者の霊には何ら影響は及びません」


───あなたはイエスのことを〝ナザレ人(ビト)〟とお呼びになります。別のサークルの指導霊のホワイトイーグル(※)はふつうに〝イエス〟と呼んでいるのですが、何か特別の理由があるのでしょうか。

※───シルバーバーチがバーバネルを霊媒として語り始める少し前から、女性霊媒グレイス・クックを使って語っていたインディアンで、クックが一九七九年に他界したあと、娘のジョーン・ホジソンを通して今なお語り続けている───訳者。

「同志の一人であるホワイトイーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう。私はただ混乱を避けるために〝ナザレ人〟と呼んでいるまでのことです。

地上の人々は忘れてしまったか、あるいはご存知ないようですが、 Jesus (イエス)という名前は当時ではごく一般的な男性名で、たくさんのイエスがいたのです。そこで The Nazarene (ザ ナザレン) といえば〝あのナザレのイエス〟ということで、はっきりします。それでそう呼んでいるまでのことです」


───瞑想によって意識を高め、霊界の高い界層とコンタクトを取る方法があるのでしょうか。

「通常の意識では届かない界層と一時的に波動を合わせる瞑想法はいろいろとありますが、ご質問の意味が、通常の霊的意識の発達の過程を飛び越えて一気に最高級の程度まで霊格を高めることができるかというのであれば、それは不可能です。

 霊的進化はゆっくりとしたものです。それを加速する特別の方法というものはありません。段階を一つずつ上がっていくしかありません。途中の階段をいくつも飛び越えて近道をするというわけにはまいりません。成長というものはなだらかな段階を踏んでいくものです。そうでないと本来の進化の意味をなしません」


───三位一体説をどう思われますか。

「私は〝霊〟(スピリット)と〝精神〟(マインド)と〝身体〟(ボディ)による三位一体しか知りません。キリスト教神学でいうところの三位一体説───創造主が男性神つまり〝父〟で、その息子が贖い主としての特別の〝子〟で、それが、〝聖霊〟によって身ごもったとする説には根拠はありません」

───Witchcraft (ウィッチクラフト)(魔法・魔術・妖術)をどうお考えでしょうか。

「まず用語の定義をはっきりさせないといけません。一般の通念としては、相手の心身に危害を及ぼす目的をもって、不気味な手段によって邪悪なエネルギーを行使するということのようです。

 しかし語源をたどってみますと(witch は wise 〈賢い・知恵のある〉の女性形で、それが craft 〈術〉と結びついたもの)、けっきょくは、〝賢い術、およびそれを使う人〟という意味です。

それが〝魔法使い〟と呼ばれるようになったのですが、もともとは霊能者のことでした。形式はよほど原始的だったことでしょうが、その術には一種類ないしは複数の霊的能力が伴っておりました。

 当時は無知と迷信がはびこっておりましたから、次第に誤解されるようになりました。時には国家権力や宗教を覆す策謀があるのではないかとの嫌疑で罰せられたり、拷問にあったり、処刑されたりしました。しかし本来は霊的能力を使って病気治療や人生相談の相手をする人でした」


───死刑廃止論が多いようですが、何の罪もない人間を巻き添えにしたテロ行為が多発している現状を考えると、尋常な防止手段では効果がないように思えます。そうした罪もない犠牲者を出さないためにも、死刑という厳しい処罰も考慮すべきではないでしょうか。

「死刑制度のお蔭で一般の人々の生命が守られたという明確な証拠でもあれば、あなたのご意見も一理あることになるでしょうが、そういう事実があるとは私には思えません。原則として人間が人間の生命を奪うのは間違いです。なぜなら、人間には生命を創造する力はないからです。

 私は、死刑制度によって事態は少しも改善されないと信じます。殺人行為を平気で行なう者が、絞首刑その他の処刑手段に怯えて行為を思い止まるようなことは、まず有り得ないと考えます。いずれにせよ、死刑に処することは正義からではなく報復心に駆られているという意味において、間違いです。

 いかなる場合においても、生命の基本である霊的原理から外れないようにしなくてはなりません。殺人者を殺すことによって、殺された人は少しも救われません」


───これから犠牲者となるかも知れない罪なき人々を救うことにならないでしょうか。

「ならないと思います。これまでの永いあいだ同僚たちと話し合ってきた挙句の結論として私は、地上社会の司法と行政が、霊的存在としての最高の知識に基づいたものとなるべきであることを、ここで強く訴えるものです。国家による殺人では問題の解決にならないということです。

 生命は神聖なるものです。そのことをあらゆる機会に訴えないといけません。地上の人間としてはこれしかないと思えることも、全体像のごく一部としてしか見ていないものです。霊的にはちゃんとした埋め合わせと懲罰とがなされているのです。

大霊をごまかすことはできません。すなわち、無限の知性と無限の叡知から編み出された摂理が、無比の正確さをもって働くのです。

 そのことに十二分に得心がいくようになってはじめて、地上の社会組織が改められていきます。テロ活動を行なう者には、その間違いを思い知らせるような体験をさせられる仕組みになっているのです。それを野蛮な手段で片づけてはいけません。

地上的生命を奪うような手段は絶対に許されません。生命の絶対的原理に照らした手段に訴えないといけません」


 ───今の時代になぜ暴力沙汰が絶えないのでしょうか。

「振子と同じです。因襲的なものや伝統的なものに対する不満が、今の時代に至って爆発しているのです。それに加えて、物量第一主義の台頭が貪欲と強欲と自分中心主義を生み出しております。

 しかし、振子は大きく振れたあと、かならず元に戻ります。そして、前よりは進歩した形で調和をもたらします。物質中心の思考が人類の意識を支配しているかぎり、それが生み出す不快な結果が自動的に生じます」



 霊媒としての厳しい試練

 SNU(英国スピリチュアリスト同盟)のゴードン・ヒギンソン氏は、これまでも何度かこのサークルに招待されているが、一九七一年にベテランの霊言霊媒レスリー・フリント氏(※)を伴って出席した。

 ※───フリント氏は直接談話を得意とした霊媒で、入神もせず、ただ腰掛けているだけで、その部屋のあちこちからスピリットの声がする。学者による厳しいテスト、たとえば口にガムテープをはられるなどされたが、それにお構いなく、入れ替り立ち替わりスピリットの声がした。著書には自伝的内容の Voices in the Dark がある。現在は老齢のため霊媒活動はしていない───訳者。


 まずシルバーバーチはフリント氏に声を掛け、ヒギンソン氏には「あなたにも関係のある話なので、よく聞いてほしい」と言ってから次のように述べた。
「霊媒という仕事が、列席者の目に映っている外見からはおよそ想像のつかない厳しい道を歩まされ、大きな犠牲を強いられるものであることは、私が他の誰よりもよく知っております。

 あなたの背後に素晴らしい霊団が控えていることは、ご存知と思います。叡知に富む高級なスピリットばかりです。ロンドン訛りのある若者(※)がいますが、それをもって教養が低いと思ってはなりません。あの若者は霊界側の霊媒でして、高級なスピリットの意志を取り次いでいるのです。

最初に聞こえる独特の言い回しは、会場の雰囲気を和らげて、最高のコミュ二ケーションを得る上で必要なバイブレーションを生み出すために、わざと行なっているのです。たぶんあなたはご存知と思いますが・・・・・・」

 ※───ミッキーという呼び名の進行役のことで、〝最初に聞こえる独特の言い回し〟がどういうものかは著書 Voices in the Dark にも出ていない───訳者。

フリント───もちろん知っております。

「あのシーンに出てくるスピリットは、言ってみれば梯子の下の段に相当します。いちばん下の段に位置する地上の霊媒、つまりあなたと、いちばん上の段に位置する中心的指導霊とのつなぎ役、いわば霊界の霊媒役(※)をつとめているのです」

 ※───シルバーバーチを霊視したマルセル・ポンサンによる肖像画は北米インディアンに描かれていて、表向きはそれがシルバーバーチということになっている。が、これは霊界の霊媒であって、シルバーバーチその人でない。

 シルバーバーチと名のる中心的指導霊については、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外は、姿はおろか、地上時代の姓名も国籍もわかっていない。六十年に及んだ交霊会で何度となくそれを訊ねられたが〝そんなことはどうでもいいことです。大切なのは私が述べている教えです〟と言って、ついに明かさずに終わった。

 この事実、つまり高級霊ほど地上時代のことを明かそうとしないということの重大性がどこまで理解できるかが、その人の霊的理解力の尺度であると私は見ている───訳者。

 引き続きシルバーバーチが「こんなことを申し上げるのは、これまでにあなたが辿られた道がどんなに辛く、石ころだらけで、およそラクな暮らしとはいえないものだったとしても───」と言いかけると、

フリント氏が「火打石(フリント)のようでした───ただの石ころよりも酷しかったです」と、シャレを引っかけて言う。


「でも、どうしようもない窮地に陥ったことはないはずです。生きるために必要な最低限のものは、最後の最後まで忍んでいれば必ず用意されてきております。他人のために尽くす行為をする人は他人から尽くされる、というのが霊的摂理の一環なのです。そして、他人のためになる行為が大霊の目に止まらないことは絶対にありません。

 しかし同時に、アクセルとブレーキの操作も絶え間なく行なわれていることも知らないといけません。促進と抑制とでうまく調整しながら、あなたが使命と心得てこの世に生まれてきた道から外れることのないようにするのです。

振り返ってごらんになれば、なんだかんだと言いながらも、何とか切り抜けてきておられることがお分かりでしょう。あなたの生活レベルは、地上の尺度で見れば決して裕福とはいえないかも知れませんが、霊的視野から見れば、大変恵まれていらっしゃいます。

 悲哀の極にある人に慰めを与えてあげる仕事は、誰にでも出来るというものではありません。キリスト教会にも為し得ない、何ものかが必要なのです。

キリスト教信者は〝信仰〟を自負しますが、ただの信仰というものは頼りないものでして、何事もない時は間に合うかも知れませんが、愛する者を奪い去られる体験をした人には、何の役にも立ちません。

 霊の力があなたを通して働くのです。その結果として悲哀の涙が、霊的知識がもたらす穏やかな確信と置き換えられます。かくして、この地上世界に、霊的悟りを手にした人が一人増えることになります。暗黒と悲哀の中にいるかに思える体験も、実は神の意図があるからこそであることを悟った人が一人増えるのです。

 あなたも困難のさ中にあって、よく〝なぜこんな体験をさせられるのだろうか。これにも意味があるのだろうか〟と自問されることと思いますが、ちゃんと意味があるのです。そして、その困難に耐えて行く上で支えになるのが、確固とした知識が生み出す霊力なのです」


 フリント───はい、よく分かります。

「千々に乱れた心を癒してあげることができたら、愛する者を失って片腕をもぎ取られたような思いをしている人に慰めを与えてあげることができたら、病身の人に健康を取り戻させてあげることができたら、それがたった一人であっても、その行為の価値は絶大です。

そういう行為こそ、こちらの最高級界に淵源を発する地球浄化の大事業計画にもくろまれている目的の一環なのです。

 その界層においては、進化せる高級霊たちが、一人でも多くの地上の人間に霊的存在としての本来の生き方を悟らせ、美しさと荘厳さと崇高さを身につけさせる上での不可欠の知識を授ける計画の推進に当たっているのです。

 あなたは、授けられた使命を立派に果たしておられます。このことを感謝しないといけません」



 
 SNU会長としての苦労

ここでヒギンソン氏に向かって───

「お聞きになられましたね? あなたにとってもこれまでの道は平担ではありませんでした。しかし、価値の高い仕事を託された人は、その仕事を担うに足る霊力を試すための、さまざまな試練と試金石とが与えられるものです。

あなたも、ご自分で自覚しておられる以上に、人のために役立つ仕事をなさっておられます。そして、まだまだこれからも、貢献すべきあなたならではの分野が残されております」

 何か質問がありますかと問われて、まずフリント氏が尋ねた。

───最近は物理霊媒がとみに少なくなったようです。聞くところによれば、物理的心霊現象の時代は終わって、これからは精神的心霊現象の時代だそうですが、スピリチュアリズムが今日のような基盤を築くことができたのは(十九世紀末から二十世紀初頭にかけての)著名な科学者による物理現象の研究のお蔭であることは間違いない事実です。

 その意味で、物理霊媒を養成する努力が十分になされていないことを残念に思います。そのための時間を割くのが容易でなくなったという一面もあるようです。私たちは何年も掛けたものです。スピリチュアリズムが本格的な市民権を得るためには、もっと多くの物理現象を見せる必要があると私は考えます。

それによって地上の全人類に霊界とのつながりの真実性を得心させることができるのではないでしょうか。


「この私に何を言ってほしいのでしょうか」

フリント───霊界側にとっても物理霊媒が欲しいに違いないと思うのですが・・・・・・

 これにはすぐ答えずに、シルバーバーチはヒギンソン氏に意見を求めた。ヒギンソン氏は霊視能力を得意とする霊能者でもあるが、物理実験会を催したこともある。


 ヒギンソン───私が思うに、問題は現代生活のスピード化にあるようです。小人数による交霊会を催しても、最も大切な要素である〝和気あいあい〟の雰囲気が出にくくなってきたようです。霊界側がわれわれ人間に何を望んでいるかが知りたいのです。

大切なものは、そちらの方がこちらより、よくお分かりのはずです。やはり現代は物理的なものより精神的なものの方が要求される時代なのでしょうか。


「私も、私より上の界層の方たちから教わったことしか申し上げられません。地球浄化の計画の一環として、毛を刈り取られた小羊への風当たりを和らげてあげる仕事が与えられております。それを地上の、その時どきの現実の条件のもとで可能なかぎり行わねばなりません。

 おっしゃる通り、一昔前に物理現象が科学者の関心を呼んだ時期がありました。もちろん、それも計画の一環でした。従来の物理的法則では解釈のつかない現象を、あくまでも科学的手段によって、その実在性を立証するという目的がありました。

 歴史を振り返ってごらんになれば、物理現象が盛んに見られた時代というのは、きまって物質科学が優勢となって、伝統的宗教が基盤を失いかけていたことがお分かりと思います。

宗教と科学とは常に対立してきました。物的証拠のない分野のことは宗教が独自の教義を説き、物理的に証明できるものしか扱わない科学は、そうした教義を拒否しました。


 科学の発達によって宗教的思想が完全に消滅してしまうような事態になっては危険です。そこで、物質科学が万能視されはじめたあの時代に、物理現象による盛んな挑戦を受けることになったのです。

 しかしその後、科学の世界にも大きな変化が生じております。今や科学みずからが不可視の世界へと入り込み、エネルギーも生命もその根源は見かけの表面にはなく、目に見えている物質のその奥に、五感では感知できない実在があることを発見しました。

 原子という、物質の最も小さい粒子は、途方もない破壊力を発揮することができると同時に、全人類に恩恵をもたらすほどのエネルギーを生み出すこともできます。科学はすっかり展望を変えました。

なぜなら、かつてはもうこれ以上は分解できないと思われていた原子を、さらに細かく分裂させることができることを知り、それが最後の粒子ではないとの認識をもつようになったからです。

 そうなると、地上界へのこちら側からのアプローチの仕方も必然的に変ってきます。心霊治療が盛んになってきたのは、その一つの表われです。身体の病気を治すという意味では物質的ですが、それを治すエネルギーは霊的なものです。

現代という時代の風潮は、そういう二重の要素を必要としているのです。現代の人類は、そういうものでないと治せないほど病的になっているということでもあります。

 それは、物理霊媒はもう出なくなるという意味ではありません。まだまだ生命を物質的な目でしか見つめられない人がいる以上、そういう人に対処したレベルでのデモンストレーションも必要です。

 しかし同時に、さきほどご指摘なさった通り、生活のテンポが速くなったことも見逃せない要素です。それが精神を散漫にさせ、かつての家族だんらんというものを、ほとんど破壊しつつあります。

 さらに、ラジオ・テレビ・その他の娯楽が簡単に手に入るようになり、才能を発達させようという意欲を誘う刺激が、霊媒能力に対してはもとより、一般的な分野でも減ってきております。ピアノやバイオリンなどの器楽能力の鍛錬でも、かつてほどの根気がありません。

 何につけても、スピードと興奮を求めようとする傾向があります。こんな時代に、霊媒のような犠牲を強いられるものを目指して努力する人など、多く出るはずがありません。まして、霊媒現象の歴史が〝詐術〟の嫌疑との闘いの連続だったことを知ると、なおさらのことです」


ヒギンソン───私自身はそんな観方はしていませんでした。世の中の風潮に合わせて、できるだけ要求に合わせることに努力してきました。

「時代が変わったのです。今日の宇宙観は一世紀前とは、まるきり違います」


ヒギンソン───ということは、科学者も、その調子で物質的なアプローチの仕方から高次元のアプローチの仕方へと進歩する、ということでしょうか。

「みずからの論理でそうせざるを得なくなるでしょう。どうしても目に見えない世界へと入り込み、その莫大な未知の潜在力の研究へと進むでしょう。霊的に成長すれば、その莫大なエネルギーを善用する方法も分かるようになります。そうなれば、自我に秘められた霊的能力の発達にも大いに関心を向けるようになります。

 目に見えている外面は、内面にあるものが形態をもって顕現したにすぎません。生命力というものは切り刻むことはできません。根元は一つであり、それが無限の形態で顕現しているのです。原子に秘められた生命も、人間・動物・花・樹木などの生命と本質的には同じものです」


ヒギンソン───現代の科学者はそういうことが理解できるレベルにまで到達しているのでしょうか。

「全体としてはまだです。が、到達している人もいます。オリバー・ロッジなどはその典型といえるでしょう。現象界の奥にある実在を認識した科学者の模範です」


ヒギンソン───その事実は、現代という時代において、スピリチュアリズム思想へ向かっての曲がり角におけるパイオニアが用意されているということを意味しているのでしょうか。

「その通りです。ちゃんとしたプランがあり、それぞれに果たすべき役割があるということです。大霊は無限の存在であり、全知・全能です。何一つ忘れ去られることがありませんし、誰一人として見落とされることがありません。神の計画は完ぺきに実行に移されます。

完全性の中で編み出されたものだからです。今も完全性によって支配されております。そこに過ちというものは有り得ないのです。
 
 しかし、その計画の中にあって、あなた方にはその一部を構成している存在としての自由意志が与えられております。神の計画を促進させる方向を選択し、無限の創造活動に参加する好機をものにするか、拒否するか、それはあなたの自由ということです。

 霊的存在としての人間は、どこにいても、それぞれに果たすべき役割というものがあります。その一人ひとりの生涯において、いわば曲がり角、危機、発火点といったものに立ち至ります。

その体験が触媒となって魂が目覚め、自分が物的身体を通して機能している霊的存在であることを悟ります。

 自我とは、霊をたずさえた身体ではなく、身体をたずさえた霊なのです。実在は霊なのです。身体は外形です。殻です。機械です。表面です」


ヒギンソン───現在のスピリチュアリズムは正しい方向へ向かっていると思われますか。私には非常に混乱したイメージしかありません。どこへ足を運んでも、そこにはまた違った考えをもった人たちがいます。

正しい理解が行きわたるまでには、どれくらいの年月が掛かるのでしょうか。進むべき道はどちらにあるのでしょうか。


「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる───つまり、生半可な知識で全てを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。

 悲しいことに、見栄と高慢と煩悩が害毒を及ぼしているのです。初めて真理の光に接した時の、あの純粋なビジョンが時の経過とともに色あせ、そして薄汚くなっていくのを見て、何時も残念に思えてなりません。一人ひとりに果たすべき役目があるのですが・・・

 私たちはラベルやタイトル、名称や組織・団体といったものには、あまりこだわりません。私自身、スピリチュアリストなどと自称する気にはなれません。

大切なのは暗闇と難問と混乱に満ちた地上世界にあって、霊的知識を正しく理解した人が一人でも多く輩出して、霊的な灯台となり、暗闇の中にある人の道案内として、真理の光を輝かせてくださることです。

 霊的真理を手にした時点で、二つのことが生じます。一つは、霊界との磁気的な連結ができ、それを通路としてさらに多くの知識とインスピレーションを手にすることができるようになるということです。

もう一つは、そうした全生命の根元である霊的実在に目覚めたからには、こんどはその恩恵を他の人々に分け与えるために、自分がその為の純粋な通路となるように心がけるべき義務が生じることです。

 人のために役立つことをする───これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。大切なのは〝自分〟ではなく〝他人〟です。魂の奥底から他人のために良いことをしてあげたいという願望を抱いている人は、襲いくる困難がいかに大きく酷しいものであっても、必ずや救いの手が差しのべられます。道は必ず開けます。

 自信を持って断言しますが、われわれ霊界の者が人間を見放すようなことは絶対にありません。残念なことに、人間側がわれわれを見放していることが多いのです。われわれは霊的条件のもとで最善を尽くします。が、人間の側にも最善を尽くすように要求します。

こちらもそちらも、まだまだ長所と欠点を兼ねそなえた存在であり、決して完全ではありません。完全性の達成には永遠の時を必要とします。

 ですから、その時その時の条件下で最善を尽くせばよいのです。転んだらまた起きればよろしい。転ぶということは起き上がる力を試されているのです。

自分がしようとしていることが正しいと確信しているなら、思い切って実行すればよろしい。袂を分かつべき人とは潔く手を切り、その人の望む道を進ませてあげればよろしい。そのうち、あなたの目に霊の力が発揮される場合がいろいろと見えてまいります。

そうなっていくことが肝心なのです。組織とか教会、協会、寺院、その他の建造物は、霊力の顕現の場としてのみ存在意義を持つのです。

教会はスピリットが働きかける聖なる場所として以外には、何の価値もありません。莫大な費用をかけて豪華にしてみても、そこに霊力というものが通わなければ、ただの〝巨大な墓〟にすぎません。霊力の働きかけが何よりも大切なのです。

 あなたが会長をしておられるSNU(英国スピリチュアリスト同盟)という組織の中に〝人のために役立ちたい〟という真情に燃えた人が集まれば、その人達の周りには自動的に、霊界において同じ願望に溢れる自由闊達なスピリットが引き寄せられます。

その両者が一致協力して、他の手段では救えない人の救済に努力します。悲しいかな、地上にはそういう気の毒な人が多いのです。

 人間は(組織・団体に属さなくても)人のために役立つ仕事(サービス)ができるという特典があります。サービスこそ霊の通貨なのです。何度も申し上げておりますように、人のために役に立つということは崇高なことです。

 私たちが忠誠を捧げねればならないのは、宇宙の大霊と、その大霊の意志の働きとしての永遠不変の摂理です。
 以上のお答でよろしいでしょうか」


ヒギンソン───結構です、有り難うございました。

「私に対する礼は無用です。感謝はすべからく大霊に捧げましょう。私達は互いにその大霊の忠実な使者たらんと努力しているのですから」


ヒギンソン───(SNU に所属している)スピリチュアリスト・チャーチを訪ねて回ることがあるのですが、こんな程度のものなら閉鎖してしまった方がいいのではないかと思うことがあります。要は霊力を顕現させるための場であることが本来の目的だと思うのです。

「霊界側が何時も待ち望んでいるのは、霊力が働きかける為の通路(チャンネル)です。霊力とは神性の顕現そのものなのです。それをあなた方は神(ゴッド)と呼び、私は大霊(グレイト・スピリット)と呼んでいるわけです。

宇宙にはこれに優る力はなく、絶対的な愛に裏打ちされた無限の力なのですから、それに顕現の場を与えずにおくのは勿体ない話です。

 霊とは摂理であり、生命であり、愛です。愛はバイブルにもありますように、摂理の実行にほかなりません。あなたの心が愛と慈悲に満ちていれば、あなたのもとを訪れる人の力になってあげることができます。

反対に不快・不信・怨みなどを抱いているようでは、霊力のチャンネルとはなり得ません。そうした低級感情は霊力の流れの妨げとなるからです」



    
 物理現象も霊的教訓も大切

ヒギンソン───SNUは一個の組織ですが、かつてのキリスト教と同じパターンにはまっていると思われますか。礼拝の進め方などが似ているので戸惑う人がいるようです。改めるべきでしょうか。

「改めるべきところは改めないといけません。優秀なチャンネル(霊媒・霊能者)さえ用意されれば、進むべき方向が示されます」

ヒギンソン───優秀なチャンネルであれば、あなたご自身も働きかけるのですね?

「当然です。大霊の力は、それを顕現させる能力をそなえた人を通してしか発現できません。それが霊媒現象の鉄則です。霊媒能力は神からの授かりものであり、努力して発揮させねばなりません。発揮するほどにますます発達し、実り多いものとなってまいります。豊かさと成熟度を増せば、それだけ受容度が増します。

 霊力は無限です。地上の霊媒を通して届けられる霊力は、使用されるのを待っている霊力の、ごくごく一部に過ぎません。その意味でも、われわれの働きかけに制限を加えるようなことがあってはなりません。

 あなたの率いる SNU は今後も生き残るでしょう。しかし、いろいろと改革が必要です。あなたが正しいと思うことを実行なさることです。あなたの良心、つまり神の監視装置が命じているのはこれだ、と確信するところに従って行動し、他の者が何と言おうと気になさらぬことです」

 ここでヒギンソン氏が各地のスピリチュアリスト・チャーチが取っている方法に高度な霊性が欠けていることに不満を表明してから

「物理現象の方に関心が偏り過ぎて、霊的教訓がおろそかにされております。これでよろしいものでしょうか」と付け加えた。するとシルバーバーチが───

「どちらも間違っておりません。高度なものであれば、現象を求めること自体は少しも悪いことではありません。いけないのは、霊媒が未熟で、いい加減で、品性が劣る場合です。

 現象は物理的であろうと精神的であろうと構いません。霊媒が能力的に優秀で質の高いものが披露できるのであれば、それはそれなりに有用です。要は交霊会で霊的能力が最高に発揮されれば、後はその能力の顕現が何を意味するかをしっかりと検討することです。

 霊的真理は、霊的意識の芽生えていない人にはなかなか理解してもらえません。そこで現象的なものが必要となるのです。しかし、いったん現象に得心がいったら、それをオモチャのようにいつまでも玩(モテアソ)んではいけません。

霊的な意義を考える生活へと切り換えないといけません。その人なりの悟りがきっと芽生えてまいります。魂の琴線に触れる体験がないといけません。これは、あなたの組織内の全ての指導者について言えることです」


ヒギンソン───失敗したスピリチュアリスト・チャーチの多くは、現象面に偏り過ぎたためということは考えられないでしょうか。霊界からのメッセージをもっと多く摂り入れれば生き残れるはずだが、と思えるところがあります。私が大きな関心を寄せているのはそこです。〝指導者会議〟の開催を提唱している理由の一つにそれがあるのです。

 「霊力が地上に届けられる目的は、明日はどうなるかを教えてあげるためではありません。日常生活において警告すべきことや援助すべきことがあれば、それは各自の背後霊が面倒を見てくれます。教会というものをこしらえて、そこを霊力の顕現する聖殿としたいのであれば、低俗なものを拒否し、高級なものを志向すべきです。

霊媒現象がただのサイキック(※)なものに止まるのであれば、せっかく教会を設立した意味がなくなります。
 
 ぜひともスピリチュアル(※)なレベルにまで上げないといけません。みなさんに知っていただきたいのは、霊の資質は、下等なものから高等なものへと、段階的に顕現させることができるということです。
それを、最下等のサイキックなレベルで満足しているということは、進歩していないということになります。停滞しているということです。自然は真空を嫌うものです」

※───サイキックとスピリチュアルの違いは、今はやりの超能力を例に取れば、スプーンを曲げたり硬貨をいったん気化して再び物質化して見せる───右の手に握っていた硬貨を左手に移したり、テーブルを貫通させて下に落とすなど───といったレベルがサイキックで、人体の腫瘍を溶解したり骨髄を再生したりする、いわゆる心霊治療になると、スピリチュアルのレベルとなる。高級なスピリットの働きが加わって人類のためになることをするものがスピリチュアルと考えればよい───訳者。



ヒギンソン───どうすればそれが理解してもらえるでしょうか。

「そういう方向へ鼓舞する、何か動機づけとなるものを与え、進むべき道を明示する必要があります。一つの基準を設ければ、みんなそれに従うようになるでしょう。従わないものは脱落していくでしょう。霊力というものは、ただの面白半分では顕現しなくなります。

 思い切って突き進みなさい。問題はおのずから解決されていきます。あなたは決して一人ぽっちにはされません。進むべき道が見えてきて、援助の手が差しのべられます」

そう述べて、その先駆者の名前をいくつか挙げてから、さらに言葉を継いで───
「こうしたスピリットたちが霊力をたずさえて、あなたのまわりに控えているのです。あなたが一人ぽっちでいることは決してありません」


シルバーバーチの交霊界は、インボケーションという神の加護を求める祈りで始まって、感謝の祈りのベネディクションで終る。その日のベネディクションは次のようなものだった。


 《無限にして初めも終りもなき存在である大霊への祈りに始まった本日の会も、同じ大霊への祈りで終ることに致しましょう。

  大霊からの愛の恵みを授かるべく、心を高く鼓舞いたしましょう。ふんだんに授かっている叡智と真理と知識に感謝いたしましょう。

 大霊の意志をわが意志とし、わが心が宇宙の心と調和して鼓舞するように、生活を規律づけましょう。
すべてを支配する力との調和と親交を求め、大霊の愛のマントに包まれていることを実感できるようになりましょう。

 皆さんに大霊の恵みの多からんことを》


訳者付記───SNUの会長、ゴードン・ヒギンソン氏は一九九三年一月に他界し(享年七十四歳)、エリック・八ットン氏(写真)が後任に選出されている。
 なおSNUよりさらに大きな団体であるISF(世界スピリチュアリスト連盟)の会長だったロビン・スティーブンス氏も同年六月に、わずか五十一歳で急死している。後任にはライオネル・オーエン氏(写真)が選ばれている。


   
クリスチャン・スピリチュアリスト協会の会長を招いて

 ヒギンソン氏が率いるSNUは英国の数あるスピリチュアリズムの組織の中心的存在であるが、同じくスピリチュアリズムを標榜していても、ちょっぴり毛色の違う団体もある。

 〝クリスチャン・スピリチュアリスト協会 〟The Greater World Christian Spiritualist Association(※)もその一つで、一九七七年に当時の会長ノラ・ムーア女史が招待されて、シルバーバーチと語っている。

(※)───〝クリスチャン〟を冠していることからも窺われるように、〝スピリチュアリズムを摂り入れたキリスト教〟といった色彩が強く、ヒギンソン氏などは〝都合のいい折衷思想〟として、事あるごとに批難している。が、シルバーバーチは〝組織〟とか〝名称〟にはこだわらず招待して、真理を語り合っている───訳者。

 
 当日、ムーア女史とともに招待されていたベテラン霊媒のネラ・テーラー女史が、霊媒としての仕事を通じて人のためにお役に立つことができてうれしく思っていることを述べると、シルバーバーチが───

「縁あって自分のもとを訪れる人たちに、生き甲斐を見出させてあげ、地上生活の目的を理解し、日常の体験の中から意義を悟るように、物の見方を変えるお手伝いができることほど大きな喜びはありません。

 私にとっては、そういう仕事をなさっている〝霊の道具〟をお招きすることができることを光栄に思います。お招きする理由は、霊媒が遭遇するさまざまな困難や難題がよく分かっておりますので、時には霊界側から直接励ましの言葉を述べて、今たずさわっておられる仕事がいかに大切であるかを再認識して頂く必要があるからです。霊媒も人間である以上は、やはり迷いがあります。

 一人間として生きて行くからには、世俗的な苦難に耐え切れなくなる時もあります。そんな時には、あなたが手にしておられる崇高な霊的真理にしがみつくことです。きっと世間の荒波を耐え忍ぶための堅固な心の支えになってくれるはずです」


テーラー ───分かりました。さよう心得てまいります。

「ご自分がこの地上で為し遂げるべきものが何であるかを自覚しているかぎり、本来の霊的自我に危害が及ぶような事態は、この地上には何一つ生じません。
 ですから、大胆不敵な魂を失ってはなりません。毅然たる姿勢を保ち、まぎれもなく大霊の使者であることを人に示すことです」

続いてムーア女史に向かって───
「前回お会いした時に比べて、ずっと明るくなられましたね。ご自分の身の処し方を会得なさったようですね?」

ムーア───そう思います。これも(夫君で前会長の)フレッドを始めとする霊団側のお力添えがあってのことと存じます。


「ご主人はあなたのもとを去ってはいないことが、これでお分かりでしょう?」

ムーア───よく分かりました。


「真実の愛によって結ばれた者どうしは決して離ればなれにはなりません。死は愛と生命に対して何も為し得ません。生命と愛は死よりも強いのです。人間的な愛も、無限なる愛の一つの表現です。あなたはこの宇宙の中の誰よりも身近かな存在である方からの愛をずっと受け続けておられる、大変お幸せな方です。

 ご主人は今なお、地上でたずさわっておられた仕事を続けておられ、彼なりの貢献をなさっておられます。その必要性をよく認識しておられます」

ムーア───はい、私もそう信じております。ただ、わたしたちは今、世俗的な面で多くの難題に直面しております。

「これはまた捨ておけない課題を提供してくださいましたね。あなたは真理と霊力とがもたらす威力を知らずにいる人たちにそれを知らしめる仕事をなさっている、大変恵まれた方です。生き甲斐のある生き方を教えてあげることほど偉大な仕事は、ほかにありません。

 あなたにとっての悩みは、永遠不変の霊的真理を理解する人がこの地上においては極めて少数派であることから生じております。

 でも、やはり霊的真理こそが、今日の地上世界でいちばん求められている〝霊的意識の回復〟という大仕事にとって、その手段を提供してくれる生命線なのです。

 そこで私は、常づね、同志の方に申し上げております───愛する者を奪われた人をたった一人でも慰めてあげることができたら、病をかかえた人をたった一人でも治してあげることができたら、苦悩のさ中にある人に解決策を見出させてあげることができたら、それだけであなたの全人生が無駄でなかったことになるということです。

 地上世界には暗闇が多すぎます。無知が多すぎます。利己主義が多すぎます。物質偏重の度が過ぎます。そうした中にあって、こうした崇高な仕事に携わっていることを光栄に思わないといけません。

 さて、あなたのおっしゃる物的側面での問題ですが、霊的な側面をきちんと整えておけば、物的な面もきちんと整います。なぜならば、物質は霊の反映に過ぎないからです。物質には独自の存在はないのです。霊なくしては物質の存在は有り得ないのです。全存在を動かし、生命を賦与しているのは、霊なのです。あなたはその霊の力を使ってお仕事をなさっているのです」



ムーア───ですばらしいことだと思います。

「これは大変なことなのです。ところが、あなたも人間として生きて行く上での必需品のことにかまけて、つい、その事実を忘れてしまいがちです。現代の生活はとくに、経済的要素が厳しくなっております。

 しかしバイブルには〝まず神の王国とその義を求めよ。さらば、それらのものはおのずから整うべし〟とあります。また、〝地球とそれに満つるものとは、みな主のものなり〟とも言っております。こうした言葉は、優先させるべきものを優先させ、霊的摂理と物的法則にかなった生き方をしていれば、すべてがきちんと整うことを教えているのです。

 次の言葉もご存知でしょう。

 〝野のユリはいかに育つかを思え。労することもせず、紡(ツム)ぐこともせざるなり。されど、われ汝らに告ぐ。栄華を極めたるソロモンの服装(ヨソオイ)も、そのユリの花一つにも及ばざりき〟

 これは、自然の摂理に調和した生き方をしていれば、必要なものはその摂理が用意してくれるという意味です。病気も、見た目には肉体が病んでいるように思えても、精神と霊と肉体とが調和していないことから生じているのです。その意味では、何も思い煩うことはないのです。

 こう言うと、〝あなたは地上の人間でないから、そんなきれいごとが言えるのですよ〟と言われそうですね」


ムーア───私たちとは異なる視点からご覧になるからでしょう。

「でも、こうして地上界へやってきて、全生命の基本的原理を説くことをしなかったら、私たちは使命を果たしていないことになります。私たちは決して、物的側面での義務までもおろそかにしなさいとは申しておりません。物質面にはそれなりの存在意義があります。それを無視してはなりません。

しかし、何よりも大切である霊的原理を無視するのも同じく間違いです。根元的には全てがそれによって生じているのですから。
 ほかに何かお聞きになりたいことがありますか?」


ムーア───いっぱいあるのですが、これまでのお話で自然に解決してしまったものが幾つかあります。とにかく私は、私自身を役立てるチャンスが与えられることを、何よりも有り難く思っております。言葉で言い表せないほど感謝しております。私には使命があると言い聞かされております。

 「それを果たすまでは地上を去ることは許されませんよ。人のために役立つことをすること(サービス)が最高の宗教です。サービスは霊の通貨です。崇高な通貨です。すでに何度も申し上げてきたことですが、何度でも繰り返すだけの価値があるのです。

 あなたは霊的真理の生ける証人です。これまでに啓示された知識に忠実に生きていれば、全てのことが収まるべきところに収まります。そのことに関連して私がいつも同志の方たちに申し上げているのは、スピリチュアリズムのお蔭で信仰に知識を加えることができたとはいえ、時には、知識に信仰を加えないといけないことがあるということです。地上にあるかぎり全てのことを知ることはできないからです。

 これまでに手にしたものに感謝し、毎日を不安の念ではなく素晴らしい霊的可能性を秘めたものとして、大いなる期待の念をもって迎えてください。

 同志の方たちにもよろしくお伝えください。今たずさわっている霊的真理普及の仕事に献身しておられる方たちに対して、私たちはいつも尊敬の念を抱いていると伝えてください。

素直な心の持ち主ばかりで、霊界からの援助に浴していらっしゃいます。あなたと同じように、まだまだ果たすべき仕事がたくさん残っております」

 今は亡き夫君のフレッド・ムーア氏のことに言及してムーア女史が「あの人は生涯をこの仕事とともに生きた人でした」と言うと

 「今でもそうですよ。彼にとってはあなたがこの仕事そのものなのですから・・・この仕事は何ものにも代え難い大切なものだと、今おっしゃっていますよ」

ムーア───私と彼とは互いに一つの魂の片割れだと、彼が言ったことがあります。

 「そうです、アフィニティ(※)どうしがいっしょになったのです。類魂が地上生活で出会って結ばれるということは、そう滅多にあることではありません」

※───affinity 同系統の魂の集まりを類魂 group souls と呼ぶが、その中でも最も親しい関係にある魂どうしのこと。語原的には〝親和性の強い関係〟といった意味であるが、そのことと、人間的に好きになったり愛を感じたりすることとは必ずしも一致しない。

前世の問題と同じで、事実としては存在しても、脳という物質を通しての知性であげつらうべきものではないと私は考えている───訳者。

メキシコのスピリチュアリストと語る

 その日のもう一人の招待客は、今は亡きメキシコのスピリチュアリズムの指導者、ケネス・バ二スター氏の娘ミリアム・リアリー女史だった。バニスター氏がスピリチュアリスト・センターを設立した時に、シルバーバーチがその開所式でお祝いの言葉(霊言)を贈ったいきさつがある。

リアリー ───私たちセンターの者はあなたのことを親愛の情をもって思い出しております。その後もずっとあなたの霊訓を心の支えにしております。あなたに対して一種の愛情を抱いております。

 「私の方こそセンターのみなさんに愛情を抱いております。ゆっくりではありますが、着実に仕事が進行し、障害が取り除かれていきつつあることを大変うれしく思っております。お父さんが計画なさった通りに進行しております」

 リアリー ───素晴らしいことです。きっと父も援助してくれているものと確信しております。それを実感しております。

 「当然のことです。あなたはその若さでこうして霊的知識を手にされて、大変お幸せな方です。だからこそ目に見えない霊力によって導かれていることが自覚できるのです。

 メキシコはまだまだ課題が山積しております。私が連絡を取り合っている地上の多くの国の中でも、暗黒部分の多い国に入ります。しかし、霊の世界からの働きかけの存在を自覚する人が増えるにつれて、事態は少しずつ改善へ向かっております」


リアリー ───あなたは、霊的に正しければ物的な側面も自然に収まるとおっしゃっていますが、動物の世界のことはどう理解したらいいのでしょうか。霊的には少しも悪いことはしていないのに、人間によって虐待され、屠殺され、悪用されております。

 「動物と人間とは、その属する範疇が違うのです。人間には正しい選択をする責任が与えられているという点において〝自由意志〟 の行使が許されているということです。その使い方次第で進化の計画を促進する力にもなれば妨害することも有り得ます。

そこに、この地球という天体を共有する他の生物をどう扱うかを選択する自由意志の行動範囲があります。もちろん限界はありますが・・・・・・。


 現在の地上世界はその自由意志の乱用が多すぎます。その中でも無視できないのが、動物の虐待行為と、食用のための乱獲です。しかし、そういう事態になるのも、人間に自由意志が授けられている以上やむを得ない、進化の諸相の一面として捉えないといけません。自由意志を奪ってしまえば、個性の発達と進化のチャンスが無くなり。そこが難しいところです」


リアリー ───どうしてそういう事態の発生が許されるのかが私たちには理解できないのです。

「〝どうして許されるのか〟という言い方をなさるということは、人類から自由意志を奪ってしまった方がいいとおっしゃっていることになります。

繰り返し申し上げますが、自由意志を奪ってしまえば、人類はただの操り人形になってしまうことになり、内部の神性を発揮することができなくなってしまいます。霊的な属性が進化しないとなると、地上に生まれてきた意味がすべて失われます。

 地上世界はある人にとっては託児所であり、ある人にとっては学校であり、ある人にとってはトレーニング・センターです。いろいろな事態に直面し、それを克服しようと四苦八苦するところに意義があるのです」


サークルのメンバー───われわれ人間の目に不公平に思えるのは、人間がそうやって自由意志で行っていることが間違っている場合に、その犠牲になっているのが無抵抗の動物たちであることです。人間が過ちを犯し、そのツケを動物が払うという関係は、どこか間違っているように思えるのです。

「では、あなたはどうあればよいとおっしゃるのでしょうか」


───人間が間違いを犯した以上は、動物ではなくて人間みずからがツケを払うということでないとおかしいと思うのです。

「埋め合わせと償いの法則というのがあります。人間はその行為によって、善悪それぞれに、霊的にそして自動的に影響を受けます。因果律というのは逃れようにも逃れられません。不当な行為を受ければ埋め合わせがあり、その行為者は償いをさせられます。それが自然界の摂理なのです。

 身に覚えのないことで不当な苦しみを受けた人には、それなりの埋め合わせがあるように、人間の身勝手な行為の犠牲になっている動物にも、ちゃんとした埋め合わせがあります」


別のメンバー───この調子では動物への虐待行為を人類が思い止まる日は来そうにないように思えるのですが・・・・・・

「いえ、そうとも言えませんよ。人類は、徐々にではありますが、他の創造物への義務を自覚していくでしょう。一夜にして残虐行為を止めるようになるとは申しておりません。みなさんは進化の途上にある世界において進化しつつあるところです。

一見すると同じことの繰り返しのようで、全体としては少しずつ進化しております。進化とはそういうものなのです。無限の叡知と愛によって、地上のあらゆる存在に対してきちんとした配慮がなされていることを理解なさらないといけません」

別のメンバー───現在の動物の残酷な扱われ方は、どうみても間違っております。が、徐々にではありますが、動物の肉を食べ過ぎているのではないかという反省が生まれつつあるようです。


リアリー───そういう行為が残酷であることを立ちどころに思い知らせるようであって欲しいのです。人間はその辺をうまく擦りぬけているように思います。

「罰を擦り抜けられる者は一人もいません。法則は必ず法則どおりに働くのです。地上生活中にその結果が出なくても、こちらへ来て償いをさせられます。いかなる手段をもってしても、因果律を変えることはできないのです。不変であり、不可避であり、数学的正確さをもって働きます。原因があれば必ず結果が生じるのです。

 誰ひとり、悪行の結果を擦り抜けられる者はいません。もしそれが可能だとしたら、大霊が大霊であるゆえんである〝公正〟というものが崩れてしまいます。

 こうした問題においていつも私が強調しているもう一つの側面があります。それは、残念ながら人間には長期間の展望がもてないということ、いつも目先のものしか目に入らないということです。みなさんには地上での結果しか見えないのですが、こちらの世界へ来れば、すべてがきちんと清算されていることが分かります」

リアリー ───人間はせっかちなのです。

「その点は先刻承知しております。一人でも多くの人が人類としての義務を自覚できるように、みなさんに可能な限りの努力をなさることです。オオカミが小ヒツジといっしょに寝そべる日が一日も早く到来するように祈ることです。進化は必ずやその目的を成就することになっているのです」 

ムーア───人間がもっと自然で神の意志に適った生き方ができるようになれば、あれほどまで多くの動物を実験材料に使わなくなると思うのです。

「おっしゃる通りです。ですから、われわれ真理を知った者は、いつどこにいてもその真理の普及と啓発のための努力を怠らないようにしなくてはなりません。

障害を一つ取り除くごとに祝盃を上げるべきです。霊力はゆっくりとした進化によって地上に根づいていくものでして、急激な革命によって一気に行なわれるものではありません。

 大自然の摂理から外れて、奥に秘められた莫大なエネルギーから遠ざかるようなことをしていては、いつかはその代償を支払わなければならなくなります。人間は霊的属性、霊的潜在力、霊的可能性を秘めた霊的存在なのです。自分以外の地上の生命、特に動物がそれ本来の生き方ができるように指導する力量をそなえているのです。

 神の計画は必ずや成就されることになっています。それを人間の愚行によって遅らせたり邪魔だてしたりすることはできても、完全に挫折させてしまうことは絶対にできないのです」


 シルバーバーチの交霊会の恒例として、最後にサークルのメンバーの一人ひとりから個人的な悩みごとの相談を受けることになっていた。それが終わったあと、出席者全員に向かって次のようなメッセージを述べた。

「 みなさんが遭遇する問題について、私はそのすべてを知っております。とくに何人かの方とは、地上的表現でいう〝ずいぶん永いお付き合い〟を続けております。生活上でもいろいろと変化があり、悩みごとや困難、避けられない事態に対処していかれる様子をこの目で拝見してまいりました。

ですが、今こうしてお会いしてみて、魂に何一つ傷を負うことなく、そのいずれをも見事に克服してこられたことが分かります。

 遭遇する問題の一つひとつを、あなたへの挑戦と受け止めないといけません。障害の一つひとつが挑戦なのです。ハンディキャップの一つひとつが挑戦なのです。

地上生活では挑戦すべき課題が次から次へと絶え間なく生じます。しかし、いかに強烈でも、いかに強大でも、あなたの進化を妨げるほどのものは絶対に生じません。大切なのは、それにどう対処するか───その心の姿勢です。

 自分の霊性の発達にとって、どういう体験が大切であるかの判断は、あなた方自身にはできません。大きな全体像の中のごく限られた一部しか目に入らないために、あなた方自身が下す判断はどうしても歪められたものとなります。

 ですから、体験の価値をうんぬんしていないで、とにかくそれを克服していくのです。きっと克服できます。克服するごとに霊性が強化されていきます。身体は不完全であり、弱さを持っております。あまりのストレスに負けて、体調を崩すことがあるかも知れません。

 しかし、あなた方の宿る霊性は大霊の一部なのです。霊は、潜在的には完ぺきです。すべてを克服していく資質を秘めております。その認識のもとに対処すれば、きっと克服できます。このことを語気を強めて申し上げるのは、それが私たちの教えの中枢だからです。

 私の教えによって救われたという感謝の言葉をよく聞かされます。が、私の教えではないのです。私よりはるかに叡知に富んだ高級界の存在から私が預かったものなのです。しかし、地上界にそういう教えを受け入れてくださる方がいることを知ることは、大変うれしいことです。

そういう方は霊的な受け入れ態勢が整っていたことを意味し、これから後も大霊の無限の恵みに浴していかれることでしょう。

 私も含めて、ここに集まっておられる人たちは大変な光栄に浴していることを知らねばなりません。これまでに啓示していただいた叡知を、大霊に感謝いたしましょう。しかし同時に、それだけの啓示に浴することができたのなら、もっともっと多くの啓示に浴せる可能性が待ち受けていることも知ってください」

Saturday, February 7, 2026

ベールの彼方の生活(四)

The Life Beyond the Veil Vol. IV The Battalions of Heaven by G. V. Owen
八章 地球浄化の大事業



4 イエス・キリストとブッタ・キリスト
 一九一九年三月十九日  水曜日

 キリストについての地上的概念の解体作業はこうして進行していきましたが、これはすでに述べた物質科学の進歩ともある種の関連性があります。とは言え、それとこれとはその過程が異なりました。しかし行き着くところ、吾々の目標とするところは同じです。

関連性があると言ったのは一般的に物的側面を高揚し、純粋な霊的側面を排除しようとする傾向です。この傾向は物質科学においては内部から出て今では物的領域を押し破り、霊的領域へと進入しつつあります。

一方キリスト観においては外部から働きかけ、樹皮をはぎ取り、果肉をえぐり取り、わずかながら種子のみが残されておりました。しかしその種子にこそ生命が宿っており、いつかは芽を出して美事な果実を豊富に生み出すことでしょう。

 しかし人間の心はいつの時代にあっても一つの尺度をもって一概に全世界の人間に当てはめて評価すべきものではありません。

そこには自由意志を考慮に入れる必要があります。ですからキリストの神性についての誤った概念を一挙にはぎ取ることは普遍的必要性とは言えません。イエスはただの人間にすぎなかったということを教えたがために、宇宙を経綸するキリストそのものへの信仰までも全部失ってしまいかねない人種もいると吾々は考えました。

そこで、信仰そのものは残しつつも信仰の中身を改めることにしました。でも、いずれそのうちイエスがただの人間だったとの説を耳にします。そして心を動揺させます。

しかし事の真相を究明するだけの勇気に欠けるために、その問題を脇へ置いてあたかも難破船から放り出された人間が破片にしがみついて救助を求めるごとくに、教会の権威にしがみつきます。

 一方、大胆さが過ぎて、これでキリストの謎がすべて解けたと豪語する者もいます。彼らは〝キリストは人間だった。ただの人間にすぎなかった〟というのが解答であると言います。しかし貴殿もよく注意されたい。

かく述べる吾々も、この深刻な問題について究明してきたのです。教えを乞うた天使も霊格高きお方ばかりであり、叡智に長(た)けておられます。なのになお吾々は、その問題について最終的解決を見出しておらず、高級界の天使でさえ、吾々にくらべれば遥かに多くのことを知っておられながら、まだすべては知り尽くされていないとおっしゃるほどです。

 地上の神学の大家たちは絶対神についてまでもその本性と属性とを事細かにあげつらい、しかも断定的に述べていますが、吾々よりさらに高き界層の天使ですら、絶対神はおろかキリストについても、そういう畏れ多いことはいたしません。それはそうでしょう。

親羊は陽気にたわむれる子羊のように威勢よく突っ走ることはいたしません。が、子羊よりは威厳と同時に叡智を具えております。

 さて信仰だけは剥奪せずにおく方がいい人種がいるとはいえ、その種の人間からはキリストの名誉回復は望めません。それは大胆不敵な人たち、思い切って真実を直視し驚きの体験をした人たちから生まれるのです。

前者からもある程度は望めますが、大部分は少なくとも偏見を混じえずに〝キリスト人間説〟を読んだ人から生まれるのです。むろんそれぞれに例外はあります。私は今一般論として述べているまでです。

 実は私はこの問題を出すのに躊躇しておりました。キリスト教徒にとっては根幹にかかわる重大性をもっていると見られるからです。ほかならぬ〝救世主〟が表面的には不敬とも思える扱われ方をするのを聞いて心を痛める人が多いことでしょう。

それはキリストに対する愛があればこそです。それだけに私は躊躇するのですが、しかしそれを敢えて申し上げるのも、やむにやまれぬ気持からです。

願わくはキリストについての知識がその愛ほどに大きくあってくれれば有難いのですが・・・・・・。と言うのも、彼らのキリストに対する帰依の気持は、キリスト本来のものではない単なる想像的産物にすぎないモヤの中から生まれているからです。

いかに真摯であろうと、あくまでも想像的産物であることに変りはなく、それを作り上げたキリスト教界への帰依の心はそれだけ価値が薄められ容積が大いに減らされることになります。その信仰の念もキリストに届くことは届きます。しかしその信仰心には恐怖心が混じっており、それが効果を弱めます。

それだけに、願わくはキリストへの愛をもってその恐怖心を棄て去り、たとえ些細な点において誤っていようと、勇気をもってキリストの真実について考えようとする者を、キリストはいささかも不快に思われることはないとの確信が持てるまでに、

キリストへの愛に燃えていただきたいのです。吾々もキリストへの愛に燃えております。しかも恐れることはありません。

なぜなら吾々は所詮キリストのすべてを理解する力はないこと、謙虚さと誠意をもって臨めば、キリストについての真実をいくら求めようと、それによる災いも微罰もあり得ぬことを知っているからです。

 同じことを貴殿にも望みたいのです。そしてキリストはキリスト教徒が想像するより遥かに大いなる威厳を具えた方であると同時に、その完全なる愛は人間の想像をはるかに超えたものであることを確信なさるがよろしい。


──キリストは地上に数回にわたって降誕しておられるという説があります。たとえば(ヒンズー教の)クリシュナや(仏教の)ブッタなどがそれだというのですが、本当でしょうか。

 事実ではありません。そんなに、あれやこれやに生まれ変ってはおりません。そのことを詮索する前に、キリストと呼ばれている存在の本性と真実について理解すべきです。

とは言え、それは吾々にとっても、吾々より上の界の者にとってもいまだに謎であると、さきほど述べました。そういう次第ですから、せめて私の知るかぎりのことをお伝えしようとするとどうしても自家撞着(パラドックス)に陥ってしまうのです。

 ガリラヤのイエスとして顕現しそのイエスを通して父を顕現したキリストがブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの説は真実ではありません。

またキリストという存在が唯一でなく数多く存在するというのも真実ではありません。イエス・キリストは父の一つの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。

 人間も一人一人が造物主の異なれる側面の顕現です。しかしすべての人間が共通したものを有しております。同じようにイエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有しております。

しかし顕現の大きさからいうとイエス・キリストの方がブッダ・キリストに優ります。

が、真のキリストの顕現である点においては同じです。この二つの名前つまりイエス・キリストとブッダ・キリストを持ち出したのはたまたまそうしたまでのことで、他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、そのすべてに右に述べたことが当てはまります。

 貴殿が神の心を見出さんとして天界へ目を向けるのは結構です。しかしたとえばこのキリストの真相の問題などで思案に余った時は、バイブルを開いてその素朴な記録の中に兄貴としてまた友人としての主イエスを見出されるがよろしい。

その孤独な男らしさの中に崇拝の対象とするに足る神性を見出すことでしょう。差し当たってそれを地上生活の目標としてイエスと同等の完璧さを成就することができれば、こちらへ来られた時に主はさらにその先を歩んでおられることを知ることになります。

天界へ目を馳せ憧憬を抱くのは結構ですが、その時にも、すぐ身のまわりも驚異に満ち慰めとなるべき優しさにあふれていることを忘れてはなりません。

 ある夏の宵のことです。二人の女の子が家の前で遊んでおりました。家の中には祖母(バア)ちゃんがローソクの光で二人の長靴下を繕っておりました。そのうち片方の子が夜空を指さして言いました。

 「あの星はあたしのものよ。ほかのよりも大きくて明るいわ。メアリ、あなたはどれにする?」
 するとメアリが言いました。

 「あたしはあの赤いのにするわ。あれも大きいし、色も素敵よ。ほかの星のように冷たい感じがしないもの」

 こうして二人は言い合いを始めました。どっちも譲ろうとしません。それでついに二人はばあちゃんを外に呼び出して、どれが一ばん素敵だと思うかと尋ねました。ばあちゃんならきっとどれかに決めてくれると思ったのです。ところがばあちゃんは夜空を見上げようともせず、相変わらず繕いを続けながらこう言いました。

 「そんな暇はありませんよ。お前たちの長鞄下の繕いで忙しいんだよ。それに、そんな必要もありませんよ。あたしはあたしの一ばん好きな星に腰かけてるんだもの。これがあたしには一ばん重宝(ちょうほう) しているよ」 
 アーネル ±