The Spirits' Book
アラン・カルデック(編)
近藤千雄(訳)
「その質問は牢に入れられている囚人に向かって居心地はどうかと尋ねるようなものです。霊は、本性的には、一瞬の間もおかずに常に物的束縛からの解放を望んでいるものです。身体が鈍重であるほど一層それを望みます」
――肉体の睡眠中は霊も休息を取るのでしょうか。
「いいえ、霊が活動を停止することはありません。睡眠中は肉体につなぎ止めている絆(魂の緒(シルバーコード))が緩み、肉体も霊の存在を必要としなくなっているので、空間を自在に行き来し、他の霊と遥かに直接的なコミュニケーションを取っています」
――その睡眠中のことをなぜ思い出さないのでしょうか。
「あなた方が睡眠と呼んでいるものは肉体の休息のことです。霊は常に活動しています。その肉体の休息中に霊はかなりの程度の自由を回復し、この地上ないしは他の天体の親しい人とコミュニケーションを持ちます。その間の記憶が覚醒時に回想できないのは、肉体器官の物質性があまりに鈍重で粗野であるために、霊的波動の中での体験は感知できないからです」
――夢そのものに意味があるかに説く人がいますが、いかがでしょうか。
「夢には、占い師がもっともらしくこじつけるような意味はありません。つまり、夢がある種の出来事の予兆であるなどというのは滑稽きわまる話です。しかし、地上生活での出来事には何の関係もなくても、霊そのものにとって真実味のあるイメージであることは有り得ます。
さらに夢は、すでに述べたように(肉体の)睡眠中の霊の体験の回想である場合があり、時にはその中に虫の知らせが入っていたり、どこかへ連れて行かれて見せられた自分の将来の光景であったりすることもあります。むろん神の許しがあってのことです」
――虫の知らせのようなものが現実には発生しないことがあるのはなぜでしょうか。
「その種のものは霊としての体験の中で生じているもので、肉体の体験とのつながりはありません。つまり霊の願望がそういうものを感じさせているのです。
これに関連して忘れてならないのは、睡眠中といえども霊は大なり小なり物的波動の影響を受けていることです。と言うことは、日常生活における思念や願望から完全に抜け切っていないわけですから、昼間の願望や恐怖が夢に反映し、事実上は想像の産物に過ぎないものを生み出すのです。覚醒中の精神が強く意識したものは、どんなものとでもつながりがちなものです」
――霊が自由になるためには熟睡していないといけませんか。
「そんなことはありません。霊というのは、肉体の感覚が鈍りはじめるとすぐに活発になり始めます。本性的に常に自由になりたくて、肉体が与えてくれるちょっとした緩みに乗じて自由を得ようとします。例えば生命力が衰え始めると霊は肉体から離れます。肉体が弱るほど霊は自由になります」
――睡眠中ないしはウトウトとした時などに素晴らしいアイディアが浮かびながら、覚醒してから思い出そうとしても記憶から消えていることがありますが、そういう時のアイディアはどこから来るのでしょうか。
「霊が自由になった時の産物です。つまり肉体から離れ、物的波動から抜け出た時に霊的感覚が働くのです。背後霊からの助言である場合が多いです」
――どうせ思い出せない、あるいは記憶に残らないものを貰って何の益があるのでしょうか。
「そうしたアイディアは霊界に通用する性質のもので、地上界では役に立たないことがよくあります。しかし、一般的に言って脳の記憶の層には反応しなくても霊そのものは記憶していて、それが日常生活の中でインスピレーションのように顕現することがあります」
――そうした肉体の睡眠中の霊の活動が肉体を疲労させることがありますか。
「あります。その時の霊は肉体という柱にくくりつけられたアドバルーンのようなもので、バルーンの動きによって柱が左右に揺れるように、霊の活動がシルバーコードを通して肉体に反映し、疲労させることがあります」
――睡眠中のそうした肉体と霊との関係をお聞きしていると、結局人間は同時に二つの生活を送っている――一つは肉体に宿っての物的生活、もう一つは魂の霊的生活――ということになりそうですが、そう理解してよろしいでしょうか。
「魂が肉体から離れている間は魂の霊的生活の方が肉体の物的生活よりも優位に立っていることは事実です。ですが、厳密に言えばその両者の生活を二つに分けて考えるのは正しくありません。一つの生命の二つの側面と見るべきです」
――顔見知りどうしが睡眠中に訪問し合うことがありますか。
「ありますとも。顔見知りでない人とも大勢の人と会って話を交わしております。別世界に知人がいて、少しも怪しむことなくお付き合いをしています。寝入ると肉体から離れて友人・知人・親戚等々、会って為になる人のもとへ頻繁に通っております。ほとんど毎晩です」
――同じ地上の親しい者どうしが霊界で会合をもつことができますか。
「できますとも。友情の絆は、古いものでも新しいものでも、霊界で互いに呼び合って楽しい時を過ごしております」
編者注――ここでいう“古いもの”というのは前世・前々世のものという意味にとるべきであろう。
〈共時性(シンクロニシティー)の原理〉
――同じアイディア、例えば発明・発見などを遠く離れた数人の人間が同時に思いつくというのはなぜでしょうか。
「前にも述べたように霊は睡眠中にもコミュニケーションを行っています。それが目が覚めてから頭に浮かび、本人はそれを自分で発明したと思い込みます。それと同じことが何人かの人間に同時に起きるのです」
――昼間の覚醒時でも霊的なコミュニケーションがもてますか。
「霊というのは箱の中に納められたように肉体の中に閉じ込められているのではなく、全方向へ向けて思念を発散しています。ですから、覚醒時でも他の人間と交信が可能です。もちろん睡眠中よりは難しいですけど……」
――完全な覚醒時に二人の人間が同時に同じ考えを抱くのは?
「親和性の強い二人が互いに思念を交換し合っている場合が考えられます」
〈昏睡状態・仮死状態〉
――昏睡状態や仮死状態では本人は周りの状況をちゃんと見聞きしていながら、それが表現できないようですが、その時に見聞きしているのは肉体の目と耳の機能によるのでしょうか。
「そうではありません。いずれも霊の能力によります。霊そのものは意識しているのですが、それが表現できないのです」
――なぜ表現できないのでしょうか。
「肉体器官が使用できない状態にあるからです。この特殊な状態を見ても、人間が肉体だけの存在ではないことが分かるはずです。肉体はそこにありながら機能せず、一方、霊の方は全てを見聞きしているのです」
――昏睡状態において霊は、いったんその肉体から離れて見かけ上どこから見ても死亡した状態にしておいて、再び戻ってその肉体を使用することはできますか。
「昏睡状態は死とは違います。肉体としての生理機能は続いているからです。生命力はさなぎのように潜伏状態にあり、消滅してしまったわけではありません。その状態にあるかぎり霊は肉体とつながっております。が、つないでいるコードが切れてしまえば両者は完全に分離し、霊は二度と肉体に戻れません。完全に死亡したと思われていた人が生き返った場合は、肉体と霊との分離が完全でなかったことを意味します」
〈夢遊状態〉
訳注――英語でsomnambulismと呼んでいるものを便宜上こう訳した。その状態下にある人をソムナンビュリストと言い、心理学ではそれぞれ「夢遊病」「夢遊病者」と訳されているが、実際は病的なものではないので、これは使用できない。また英語の原義は「夢遊歩行」であるが、〝歩行〟はその現象の一つにすぎないので、これも使えない。このあとに出てくる(トランス(入神状態))の項目の冒頭で「トランスとは無遊状態の一段と垢抜けのしたもの」という説明があることからも察せられるように、セミ・トランス(半入神状態)のことで、原理的には前項の昏睡状態や仮死状態とも共通したものと見てよいと考える。
――自然な夢遊状態と夢を見ている時の状態との間に何か関係があるのでしょうか。
「夢遊状態においては魂は夢を見ている時よりも肉体による束縛が少なく、それだけ霊的機能が多く発揮されています。夢を見ている時に働いていない霊的感覚が働いているということです。言い変えれば、夢は不完全な夢遊状態の産物と言えます。
夢遊状態では肉体は硬直状態になっていて、外部からの刺激には何の反応も示しません。この状態が睡眠中にいちばん起きやすいのは、肉体に不可欠の休息を与えるために霊が肉体から離れているからです。セミ・トランス状態になるのは、霊が物理現象や自動書記のように人体を使用しなければならない現象のことを強く意識するからです。
夢を思い出すのは、記憶機能を含む肉体機能が覚醒しかけた時に見たものだからで、その印象がおぼろげなまま霊に伝わるために、肉体に戻って間もない霊は脈絡のない支離滅裂な状態で受け止め、それに日常生活や前世での記憶などが入り交じって、一段と混乱するわけです。
これで、夢遊状態での体験が本人には記憶がないこと、そして大半の夢が合理的な意味をもたないことがお分かりでしょう。“大半の”と言ったのは、夢の中には前世での体験や未来の出来事の正確な知識も入っているからです」
――セミ・トランス状態にある者でも霊視力が働くのであれば、見えないものがあったり観察したものに間違いがあったりするのはなぜでしょうか。
「第一に言えることは、霊性が低い場合は全てを見通し理解することはできないということで、人間と同じように間違いや偏見があります。次に言えることは、大なり小なり物的波動の中にあるかぎりは、霊的能力の全てを使うことは不可能ということです。神は厳粛で意義のある目的のためにのみ霊視力を授けてあり、ただ見てみたいと思う程度の興味本意の人には授けません。トランス状態でも見えるものに限りがあるのはそのためです」
――セミ・トランス状態でも不透明な物体が突き抜けて見えるのはなぜでしょうか。
「不透明なのは人間の肉眼にとっての話です。何度も申しているように、霊にとっては物質は何の障害でもありません。自由自在に突き抜けます。トランス状態の者が額で見たとか膝で見たとか言うのを奇異に思うのは、肉体に閉じ込められている人間が物を見るためには肉眼が必要という先入観があるからです。霊視力をもっている人間でも目で見ているつもりでいる人がいますが、実際に霊視力を働かせている状態では肉体のどこからでも見える――つまり肉体とは無関係に見えるのです」
――覚醒時には知らないことを正確に述べたり当人の通常の知性を超えた能力を見せることがありますが、その原因は何なのでしょうか。
「夢遊状態にある時は覚醒時よりも多くの知識を使用することができます。ただしその知識は覚醒時は潜在状態にあり、霊としては知っていても、肉体器官があまりに鈍感であるために回想できません。
しかし一体人間とは何なのかを、今一度おさらいしてみてください。人間も我々と同じく霊であって、何らかの目的をもって物質界に生まれてきているのです。昏睡状態に陥るということは、そのマンネリ化した物的生活にカツを入れることが目的であることがあるのです。誰しもすでに幾つかの人生を体験していることは、これまで何度も述べてきた通りです。その人生の変転が、新しい肉体との結合によって、前世で知っていたことを分からなくさせます。昏睡状態に陥るようないわゆる危機的体験は、そうした潜在している知識を思い出させます。と言っても、全てではありません。なぜかは分からないまま、思い出すのです。が、危機が去るとともにその記憶も次第に薄れ、またもや物的生活の闇の中に入って行きます」
――夢遊状態で遠距離のものを見る力はどこから出るのでしょうか。
「睡眠中でも魂は遠距離まで行けるのですよ。夢遊状態でも同じことです」
――その霊視力の強弱は肉体組織から来るのでしょうか、それとも宿っている霊の本性によるのでしょうか。
「両方です。が、それ以外にもう一つ、肉体の性質には霊が離れやすいものと離れにくいものとがあります」
――夢遊状態で使用する霊的能力は死後霊界で使用するのと同じものですか。
「同じものです。ただし、限界があります。肉体につながれている間は物的波動による制約があります」
――霊界の霊の姿が見えますか。
「その人の霊能の質と発達程度によります。大半の人には見えますが、必ずしもそれが霊界の霊であることには気づかず、普段の人間を見ているつもりでいます。夢遊状態を体験した人の大半がそのように錯覚するようで、スピリチュアリズムの知識のない人は特にそうです」
編者注――これは死の直後の一般人の感覚と同じである。自分はいつもの通りに生きているつもりでいて、従って周りに見える人をみな肉体をもった人間と錯覚するらしい。
――夢遊状態で遠距離まで行っているのに、その土地の暑さや寒さが肉体にまで伝わるのはなぜでしょうか。
「肉体から離れているといっても絶縁したわけではなく、シルバーコードで結ばれています。そのコードが物的感覚を伝えるのです。地上でも遠く離れた二つの都会で電話をすれば、電線が伝導体となって、すぐ近くにいる人と語り合うように通じ合えるのと同じです」
――夢遊状態で体験したことも死後の生活にプラスになるでしょうか。
「大いにプラスになります。神から授かった能力を日常生活でいかに活用するかが死後に大きく影響するのと同じです」
〈トランス〉
――トランス(入神)状態と夢遊状態との違いは何でしょうか。
「トランス状態は夢遊状態が一段と垢抜けのしたものです。トランス状態での魂は夢遊状態の時よりさらに自由を得ます」
――その状態での魂は実際に高級界へ入ることができますか。
「できます。その世界を見物し、そこに住まう霊たちの幸せな波動を感じ取ることができます。しかし、霊性がある一定の水準以上まで純化していない者は近づけない世界もあります」
――仮にトランス状態の人間を放置しておいたら、そのまま他界してしまうことが有り得ますか。
「有り得ます。ですから、地上界との絆を切らせないようにあるゆる手段を尽くして呼び戻す必要があります。特に大切なのは、トランス中に訪れて味わった幸福感に魅せられてその界層に居つづけたいと思わせないようにすることで、シルバーコードを意図的に切断するようなことは間違いであることを理解させないといけません」
――トランス状態にある者が、時おり地上的な信仰や偏見の混じった想像力の産物に過ぎないものを見て、それを口にすることがあります。その場合は必ずしも実在物を見ていないことになるわけですね?
「見ているものは本人には実在感があります。しかし普段は常に地上的観念の影響にさらされていますから、その観点から霊界の事物を見ます。もっと正確に言えば地上的に偏向した観念、あるいは生まれ育った因習的概念に合わせた表現をするかも知れません。その方が正確に理解してもらえると思ってしまうのです。そこに霊能者が犯す間違いがあります」
――ではトランス状態で述べられたことにはどこまで信頼が置けるのでしょうか。
「ずいぶん誤りがあります。特に人間界に漏らしてはならないことにまで入り込むと、それを表現する言葉がないために自分勝手な解釈を施して表現したり、例によって邪霊集団の餌食となり、その熱心さをうまく利用されて大変な高級霊であるかに思い込まされ、いいようにあしらわれます」
――夢遊現象やトランス現象は何を教えているのでしょうか。
「過去世および来世のごく一部を垣間見せてくれるもの、といった程度に理解しておけば良いでしょう。が、現象そのものには、それを深く究めれば、ただの理性では入り込めない謎の解明のカギが秘められております」
訳注――同じくトランス状態に入る霊能者でも、バーバネルのようにシルバーバーチと名のる高級霊が乗り移って語る場合と、エドガー・ケーシーやスウェーデンボルグのように、本人が霊界入りして霊的知識を持ち帰る場合とがある。ここでいうトランスは後者の場合を言っている。自らチャネラーと称している人たちもみなこの部類に入るとみてよい。要するに自分の霊能だけでやっている人で、それをもって大変な霊能者であるかに錯覚しているのであるが、ここで通信霊がいみじくも言っているように、肉体につながれたままですることなど多寡が知れていて、しかも「ずいぶん誤りがある」ので用心が肝要である。
〈透視・千里眼〉
訳注――英語のsecond sight、直訳すれば“第二の視力”で、“第三の眼”と同じである。これはシルバーバーチのいう“サイキック”の次元の霊視力で日本語の透視に相当する。地球的波動を超えた高次元の世界で使用する霊視力をシルバーバーチは“スピリチュアル”と呼んでいるが、同じことを本章の最後の回答の中で暗示している。
――俗に透視とか千里眼と呼ばれている現象は夢を見る現象や夢遊現象と何か関係がありますか。
「全て同じものです。透視現象と呼ばれているのは、肉体は睡眠状態ではなくても霊が肉体の束縛から離れている状態での現象です。透視力は魂の眼です」
――これは永久的な能力ですか。
「能力は永久的に存在します。が、永続的に働かせられるわけではありません。地上界より物質性の薄い世界では肉体から簡単に離れ、ある程度の言語の使用は欠かせませんが、大体、以心伝心で交信できます。そこの住民の視力は大半が透視力です。人間界での健全な夢遊状態が彼らにとっては普通の状態です」
――透視力は突発的に出るものでしょうか、それとも見ようという意志を働かせないと出ないものでしょうか。
「一般的には自然発生的に働きますが、意志の働きも大きな役割をすることがよくあります。たとえば占い師――そういう能力を持っている人なら誰でもよろしい――が未来を意識的に見ようとすれば透視力を働かせることになり、いわゆる“ビジョン”(未来の映像)を見ることになります」
――訓練によって発達させることも可能でしょうか。
「可能です。何事につけ、努力は進歩を生み、包み隠しているベールを取り払って行きます」
――この能力は肉体組織から出ているのでしょうか。
「もちろん体質が大いに関係しています。この能力が馴染まない体質の人もいます」
――遺伝的と思われる家族があるようですが……
「それは体質の類似性から生じるもので、他の体質と同じく、その体質が透視力の伝導体の役をしているのです。また、ある種の教育によって能力が開発され、それが世代から世代へと伝達されることもあります」
――環境によって発現することがあるというのは本当でしょうか。
「大病、危機一髪、動乱などがきっかけで突如として発現することがあります。そうした体験で身体が、普段の肉眼で見えないものが魂の眼に見えるような状態になることがあるのです」
――特に目立った才能も教養もない人が日常生活で際立った明晰な判断力を見せることがあるのですが、これは透視力のせいでしょうか。
「そうした判断力の鋭さは(透視力とは関係なく)魂の働きが物的波動に埋もれている人よりも活発で、物事の直観力が正確であることから生まれます」
――その判断力の鋭さは未来の出来事の予知能力も生むのでしょうか。
「そうです。予感が鋭くなります。この透視力、つまり魂の視力には幾つもの段階があり、どの段階でも使える人もいれば、ほんの一部しか使えない人もいます」
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