Sunday, April 5, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

  The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


6章 物質界への再誕

このページの目次〈再生の前兆〉
〈魂と肉体の合体〉
〈霊的属性の発達〉
〈白痴と錯乱〉
〈幼児期〉
〈親しみを感じる人・虫の好かぬ人〉
〈過去世の記憶〉



〈再生の前兆〉

――物質界へ再生する時期は予知されるのでしょうか。


「目をつぶっていても火に近づくと体で熱を感じるように、再生する時期が近づくと自然に直感するものです。死を予期するのと同じ調子で、また生まれ変わることを予知します。が、それが正確にいつであるかは知ることはできません」


――近づく再生にそなえての準備もあるのでしょうか。


「一向に気に掛けない者もいますし、何も知らずにいる者もいます。それはその霊の霊性の発達程度による問題です。将来のことが何も分からないという不安な状態に置かれることが罰であることもあります」


――再生の時期を早めたり遅らせたりすることは出来るのでしょうか。


「強烈な意念でもって望めば早めてもらうことは出来るでしょう。待ち受ける試練にしり込みして拒否の態度を続ければ延期してもらうことも出来るでしょう。人間界と同じで、霊界にも臆病者や横着者がいるものです。ですが、延期が叶えられても、それだけの代償は必ず払わされます。病気の治療と同じです。こういう療法で必ず治ると分かっているのにそれを拒否すれば、治るのが遅れるのは当たり前です」


――さすらいの状態にありながらも今の状態が結構楽しくて幸せであると感じている場合は、その状態を無期限に延ばすことは許されるでしょうか。


「無期限にというわけには行きません。向上の必要性は遅かれ早かれどの霊もが感じるものです。霊は例外なく向上しなくてはなりません。それが宿命なのです」


――宿る身体はあらかじめ決まっているのでしょうか。それとも最初の段階で選択するのでしょうか。


「生まれ出る新生児にどの霊が宿るかは決まっています。霊が次の人生で体験することに意を決すると、再生の手続きに入ります。神はその霊について裏も表も全てを知り尽くしていますから、新しい人生も予見して、かくかくしかじかの霊はかくかくしかじかの身体がよいということを判断なさるのです」


――霊には宿る身体を選択する自由はないのでしょうか。


「身体を選ばせてもらえることもあります。なぜなら、障害の多い身体に宿れば大変な試練の人生となりますから、それを選ぶことによって遭遇する苦難を首尾よく克服すれば、それは大いに進歩の多い人生となるからです。ただし、それだけにまた挫折も多いわけですから、一人で勝手に選ぶことは許されません。そういう願いを出して許しを乞うということになります」


――選んだ身体に宿る直前になってそれを拒絶することもできますか。


「もし拒絶した場合は、新たな試練を求めなかった場合よりも多くの苦難をこうむります」


――生まれ出る胎児に宿る霊がいないという事態は起こり得ますか。


「神はあらゆる不慮の事態に備えています。生まれ出る胎児には必ずそれに宿るべき霊も決められています。計画なしに創造されるものは何一つありません」


――肉体に宿りきった瞬間は死後の意識の混乱と同じものを伴うのでしょうか。


「伴います。死後の混乱よりも大きく、とくに期間がずっと長く続きます。死後は肉体への隷属状態からの解放ですが、誕生は再びその状態に入り込むのですから」


――再生する瞬間は霊自身にとって厳粛な気持ちになるものでしょうか。


「譬えてみれば危険な航海に出て行く時の心境です。果たして無事荒海を乗り切ることができるかどうか、大いなる不安の中での船出です」


――その不安というのは新しい人生での試練を無事克服できるかどうかということから生じるのでしょうか。


「そうです。とても不安です。それにどう対処するかによって霊的進化を遅らせることになるか速めることになるかが決まるからです」


――再生する時、見送ってくれる仲間がいるのでしょうか。


「それはどの界層に属するかによって違ってきます。情愛の強い界層であれば、愛する者たちが最後の別れの間際まで付き添い、勇気づけ、再生後もずっと付き添うこともよくあります」


――夢などによく姿を見せながらその容貌に記憶がないということがよくあるのですが、それはその類いの霊でしょうか。


「そうです、そういうことが非常に多いです。牢に入れられた者を見舞うのと同じように、あなたのもとを訪れてくれているのです」
〈魂と肉体の合体〉


――魂が肉体と合体するのはいつでしょうか。


「受胎の瞬間から結合作用が開始されますが、完了するのは誕生の瞬間です。受胎の瞬間に、その肉体に宿ることになっている霊と受胎した細胞とが流動質の紐でつながります。そのつながりは日を追って緊密になり、出産後の産声(うぶごえ)によって地上の人間の一人となったことを告げることになります」


――霊と胎児との結合は受胎の瞬間において確定的なものになるのでしょうか。つまり、結合して間もない頃に霊がその肉体に宿ることを拒否することが出来るのでしょうか。


「両者の結合は、他の霊には絶対に侵入を許されないという意味において確定的と言えます。しかし、物質的なつながりは脆弱(ぜいじゃく)ですから、自ら選択した試練にしり込みして霊が強烈に拒否すれば、そのつながりは切断されます。その場合は胎児は死亡します」


――宿った胎児が何らかの原因で死亡した場合、霊はどうなりますか。


「別の肉体を選びます」


――生後二、三日で死亡するような嬰児に宿って再生することにどんな意味があるのでしょうか。


「その場合、新しい存在としての意義はまだ芽生えていませんから、死そのものの影響はほとんどありません。前にも述べましたが、こうした死は主として両親にとっての試練である場合が大半です」


――霊自身はあらかじめその身体が生き永らえる可能性がないことを知っているのでしょうか。


「知っていることもあります。もし知っていたとすれば、それは新しい人生での試練にしり込みして、そういう身体を選んでいます」


――そうやって、原因は何であれ、せっかくの再生に失敗した場合、すぐに次の再生が準備されるのでしょうか。


「すぐにとは限りません。失敗にそなえて次の再生の準備が整えられていた場合は別として、一般的には新たな選択をするのに時間を要します」


――胎児との結合が確定的となり、もはや拒否することができなくなった時点で霊が後悔することがありますか。


「ご質問の意味が、人間となってからその人生に不平を言ったり、生まれてくるんじゃなかったと思うことがあるかということであれば、そういうことはあるでしょう。が、再生する際の人生の選択を間違えたと後悔することがあるかという意味であれば、そういうことはありません。なぜなら、その時点ではすでに霊としてそういう選択をした記憶は消えているからです。いったん再生してしまうと、霊の時代に意識して選択したことは思い出せません。しかし人生の重荷に耐えかねて絶望することはあります。その場合、自殺ということも起こり得ます」


――受胎から誕生までの期間中に、霊は霊的能力を使用しているのでしょうか。


「妊娠期間中のさまざまな時点で大なり小なり使用しています。新しい物的身体と結合したといっても、まだ合体するまでには至っていないからです。一般的には受胎の瞬間から意識の混濁が始まり、その時点で自分がいよいよ再生の過程に入ったことを直感します。その混濁は日を追って強まり、分娩に至ります。その期間中の霊の意識状態は睡眠状態に近いと思ってよろしい。分娩時が近づくにつれて意識は消え、過去の記憶も消え、それは誕生後もずっと思い出せません。死後霊界に戻ると徐々に記憶が蘇ります」


――いわゆる死産の場合、当初から再生が意図されていなかったケースもあるのでしょうか。


「あります。当初から霊が宿る予定はなく、霊的には何も為されないことがあります。そういうケースは両親にとっての試練としての意義しかありません」


――そういう胎児でも一通りの妊娠期間があるわけですか。


「全てではありませんが、あります。ですが、生きて産まれ出ることはありません」


――堕胎は霊にどういう影響を及ぼすでしょうか。


「無駄に終わったことになり、一からやり直さなければなりません」


――人工中絶はどの段階であっても罪悪でしょうか。


「神の摂理を犯す行為はすべて罪悪です。母親であろうと誰であろうと、生まれ出るべき胎児の生命を奪う者は必然的に罪を犯したことになります。生まれ出る身体に宿って再生し試練の一生を送るはずだった霊から、そのせっかくの機会を奪ったことになるからです」


――かりにその母親の生命が出産によって危機にさらされると診断された場合でも、中絶することは罪になるのでしょうか。


「すでに完成されている人体(母親)を犠牲にするよりも、まだ完成されていない人体(胎児)を犠牲にすべきでしょう」
〈霊的属性の発達〉


――人間の道徳性はどこから生まれるのでしょうか。


「その身体に宿っている霊の属性です。霊が純粋であるほど、その人からにじみ出る善性が際立ってきます」


――そうすると善人は善霊の生まれ変わりで、悪人は悪霊の生まれ変わりということでしょうか。


「それはそうなのですが、悪霊と言わずに“未熟霊”と言い変えた方がいいでしょう。そうしないと常に悪であり続ける霊、いわゆる悪魔が存在するかに想像される恐れがあります」


――非常に知的な人で、明らかに高級霊の生まれ変わりであると思われる人が、一方において極端に非道徳的なことをやっていることがあるのは、どう理解したらよいのでしょうか。


「それはその身体に宿っている霊が道徳的に本当に純化されていないからです。そのためにその人よりも波動的に低い霊の誘惑に負けて悪の道に陥るのです。霊の進化は一本道を上昇していくのではありません。霊のもつ多くの属性が少しずつ進化して行きます。進化の長い旅路において、ある時は知性が発達し、またある時は道徳性が発達するといった具合です」


――霊的属性は物的身体の器官によって制約を受けるのでしょうか。


「肉体器官は霊的属性を発現させるための魂の道具です。ですから、その発現の程度は肉体器官の発達程度によって制約を受けます。名人の腕も道具次第であるのと同じです」


――すると、頭脳の発達程度から道徳的ならびに知的属性の発達程度を推しはかることが出来るのですね?


「原因と結果を混同してはいけません。能力や資質は霊に所属しているのです。肉体器官がそれを生み出すのではなく、それが肉体器官の発達を促すのです」


――その視点から言えば、各自の素質はひとえに霊の発達程度によるのでしょうか。


「“ひとえに”と極言するのは正確ではありません。物質界に再生した霊の資質が持って生まれたものであることに疑いの余地はありません。が、宿った物的身体の影響も考慮に入れなくてはなりません。大なり小なり、内在する資質の発現を阻害するものです」
〈白痴と錯乱〉


――一般に白痴は普通の人間よりも下等と信じられていますが、そう信じてよい根拠があるのでしょうか。


「ありません。人間の魂であることに変わりはなく、実際には外見から想像するより遥かに高い知性を秘めていることがあります。ただ、それを発現させる機能が大きく阻害されているだけです。耳が聞こえない人、物が見えない人がいるのと同じです」


――そういう不幸な扱いを受けている人がいることにも神意があると思うのですが、一体どういう目的があるのでしょうか。


「白痴は大きな懲罰を受けている霊の再生です。そうした発育不全ないしは障害のある器官に拘束され、発現できない状態での苦痛を体験させられているのです」


――白痴のような、善も悪も行えず従って進歩が得られない状態での人生に何のメリットがあるのでしょうか。


「そういう人生は何らかの才能を悪用したその罪の代償として科せられているのです。その霊の進化の旅程の一時的中断です」


――と言うことは、その白痴の人物の身体に宿っている霊は、かつては天才だったということも有り得るのでしょうか。


「大いに有り得ます。天才も、その才能を悪用した時は天罰を受けます」


――その身体に宿っている霊は、霊的にはそれを自覚しているのでしょうか。


「自覚していることがよくあります。自分の行動を阻止しているクサリが試練であり罪滅ぼしであることを理解しているものです」


――精神的錯乱状態の人間の場合、霊はどういう状態になっているのでしょうか。


「霊は、完全に自由な状態(霊界に所属している間)では、全ての機能が自在に働き、物質へも直接的に働きかけることができます(心霊現象を生じさせる場合)が、いったん物質界に再生してしまうと条件が一変し、肉体器官という特殊な媒体を通して能力を発揮することになります。ですから、もしもその器官のどれか一つ、あるいは器官の全てが損傷を受けると、その人間の行為ないしは受信機能が阻害されます。眼球を失えば見えなくなり、聴覚を損なえば聞こえなくなるといった具合です。

そういう次第で、かりに知性や意思の表現を司る機能が部分的に、あるいは完全に阻害されれば、器官はそなわっていても、まったく機能しないか、異常な反応をするために、表向きは錯乱した行動を取ります。霊的には異常であることに気づいていても、どうしようもないのです」


――それが自殺という行為を生むことがあるのはなぜでしょうか。


「今も述べたように霊的次元では本当の自我は異状に気づいていて、その機能不全による拘束状態に苦しんでいます。その拘束を断ち切る手段として自ら死を選ぶのです」


――死後も地上時代の錯乱状態が続くのでしょうか。


「しばらく続くかも知れませんが、そのうち物的波動から抜け出ます。それはちょうど、あなた方が朝目を覚ましてしばらくは意識がぼんやりとしているのと同じです」


――脳の病気がどうして死後の霊にまで影響を及ぼすのでしょうか。


「一種の記憶の残影の影響で、重荷のように霊にのしかかっています。本人には自分の錯乱状態での行為の記憶はありませんので、本来の自分を取り戻すのに普通より時間が掛かります。死後の不安定な状態が地上時代の病的状態の長さによって長かったり短かったりするのはそのためです。霊は肉体から解放されたあとも、多かれ少なかれ、肉体とのつながりによる影響を引きずっているものです」
〈幼児期〉


――霊はなぜ再生の度毎に幼児の段階を経なくてはならないのでしょうか。


「地上へ降誕する目的は霊性の進化です。物的身体に宿った霊は(生長するにつれて物的器官による束縛が大きくなって行くけれども)幼児期は霊的感覚がまだ強く残っているので、指導を任された背後霊団からの印象を受け易く、それが発達を促します」


――最初の意志表示がただ泣くだけということには何か意味があるのでしょうか。


「母親の関心を引きつけて看護に落ち度がないようにするためです。考えてもごらんなさい。もしも赤ん坊がいつも機嫌よく笑い声ばかり立てていたらどうなります? 母親だけでなく周りの者も、その時に必要としているものに気づかずに放っておくはずです。そうした配慮の中にも大霊の叡知を読み取ってください」


――そうした幼児期から成人へ向けて変化して行くのは、内部の霊そのものが変化するからでしょうか。


「霊が、内在する本来の資質を発揮しはじめるのです。

あなた方は表面上の無邪気さの裏に隠された秘密をご存じないようですね。我が子が一体いかなる人間になるのか、生まれる前は何者だったのか、これからどんな人間に成長するかも知らないまま、あたかも自分の分身であるかのごとくに愛撫し、全てを忘れて育て、その愛は海よりも深いと称(たた)えられていますが、他人でさえ感じる幼な子のあの愛らしさ・優しさはどこから来ると思いますか。その始源は何だと思いますか。ご存じないでしょう。では、それをじっくりお聞かせしましょう。

子供は神の許しを得て新しい物的生活の場へ送られてきます。その際、神は、その人生の酷しさが不当であるとの不満を抱くことのないよう、どの霊も表向きは無邪気そのものの赤子として誕生させます。たとえ宿っている霊が極悪非道の過去を持っていても、その悪行に関する記憶はまったく意識されないようにしてあります。無邪気さによって悪行が払拭(ふっしょく)されているわけではありません。一時的に意識されないようにしてあるだけです。その純真無垢の状態こそ霊の本来の姿なのです。だからこそ、それが汚れて行くことについては、その霊が全責任を負わねばならないことが明らかとなるのです。

赤子が純真無垢の状態で生まれてくるのは、それに宿る霊のためだけではありません。その赤子に愛を注ぐ両親のためにも――むしろ両親のためにこそ――神の配慮があるのです。もしも過去の残虐な行為がそのまま容貌に現れたらどうしますか。愛は大きく殺(そ)がれることでしょう。邪気もなく、従って従順だからこそ愛の全てを注ぎ、細心の看護を施すことが出来るのです。

しかし、親による扶養も必要でなくなる十五才あるいは二十才頃になると、本来の性癖と個性が赤裸々に表に出て来ます。もともと善性の強い霊であれば、いわゆる“良い子”に育つでしょう。が、それでも幼少時は見られなかった性癖や性格の陰影が見られるようになります。

生まれてくる子の霊は、親とは全く異なる世界からやってくることを忘れてはいけません。親とは全く異なる感情、性癖、嗜好をもってやって来た者が、いきなり地上世界に馴染めるでしょうか。やはり神の配剤、すなわち純真無垢の幼児期という篩(ふるい)を通過することによって、その準備をするのです。生成発展の過程にある無数の天体が生み出す全想念、全性格、全生命が最終的に入り交じることが出来るのは、この幼児期の篩の過程があるからこそなのです。

無邪気な幼少時代にはもう一つの効用があります。霊が地上生活に入るのは霊性の発達、言わば自己改革のためです。その観点からすれば、幼少時代の物質性の弱さが背後霊による指導に反応しやすくします。その結果、邪悪な性向が抑えられ、問題のある性格がある程度まで改善されます。この抑制と改善は親たるべく神から運命づけられている者にとって、厳粛な使命でもあるのです。

このように、幼児期というのは有用であり必要不可欠であるばかりでなく、それ以上に、宇宙を支配する神の摂理の自然な配剤でもあるのです」
〈親しみを感じる人・虫の好かぬ人〉


――前世で知り合ったり愛し合ったりした二人が次の地上生活で出会った時、それと分かるものでしょうか。


「互いに認識し合うことはできません。しかし互いに親しみを感じるかも知れません。そうした前世での縁が親和力となって次の地上生活で愛情関係へと発展することはよくあることです。偶然としか思えない事情の重なりで一緒になることはよくあることで、それは実は偶然ではなく、このごった返した人間の集まりの中にあって無意識のうちに二人の霊が求め合っていた、その結果です」


――認識し合えればもっと良いのではないでしょうか。


「必ずしもそうとは言えません。過去世の記憶には、あなた方が単純に想像するのと違って、大きな不都合が伴うものです。死後には互いに認識し合い、それまでの過去世を思い出すことになります」


――親しみを感じる場合は決まって前世での縁があるからでしょうか。


「そうとは限りません。人間としての前世での縁がなくても、霊的に親和性がある場合は自然に打ち解けます」


――反対になぜか初対面の時から虫が好かない間柄というのがありますが、何が原因でしょうか。


「霊的な斥力(せきりょく)が働いて、互いに言葉を交わさなくても互いの本性を直感して反発し合うのです」


――その場合、どちらか一方または双方に邪悪な性質があることの表れでしょうか。


「反発を感じるからといって必ずしも邪悪であるとは限りません。反発を感じるのは類似性が欠けているからに過ぎないこともあります。その場合でも互いに霊性が向上すれば相違の陰影が薄れていき、反発心も消えていきます」
〈過去世の記憶〉


――再生した霊はなぜ過去の記憶が消えるのでしょうか。


「神がその無限の叡知によって人間に全てを知ることができないように、また知らしめないようにしているのです。遮ってくれている忘却という名のベールがもし無かったら、暗闇からいきなり直射日光にさらされたように、人間は目が眩んでしまいます。過去世のことを忘れているからこそ自分を確保できているのです」


――地上生活の艱難辛苦は、それもやむを得ないほどの過去の悪事を思い出すことができて初めて納得がいくと思うのです。ところが再生の度に前世を忘れていけば、どの地上人生も初体験と同じであることになります。神の公正はどうなるのでしょうか。


「新しい物的生活を体験するごとに霊は叡知を身につけ、善悪を見分ける感覚が鋭敏になって行きます。そして死の現象を経て本来の生活(霊界での生活)に戻ると、地上での全生活が披露されます。犯した罪、苦しみを生み出した悪行を見せつけられ、同時に、その時どうすればそれが避けられたかも見せられます。その結果各自は、自分に割り当てられた善悪両面の摂理による裁きについて得心がいきます。

そこまで来ると今度は、地上に残してきた罪科の後始末のために、もう一度再生したいという願望が生じます。前回しくじったのと同じ環境条件のもとでの新たな挑戦を求め、先輩霊たちにも援助を要請します。その中には守護霊となるべき霊もいます。守護霊は前回の地上生活での失敗原因を熟知していますから、同じ条件下で遠慮のない試練を与えます。悪想念、罪悪への誘惑によって彼を試します。それに対して、親の躾のお蔭で誘惑に打ち勝ったと思えるケースもあることでしょう。が、実際は彼自身にそなわった善悪判断のモニター、いわゆる良心の声に従ったからなのです。

しかし、その良心の声にこんどこそ従うことが出来たのは、二度と同じ過ちを犯すまいと誓った過去の体験があるからなのです。新たな物的生活に入った霊は、このように堅忍不抜の覚悟で臨み、悪行への誘惑に抵抗し、かくして少しずつ霊性を高めて、霊の世界へ戻った時には一段と向上しているのです」


――そうした過去世についての啓示は地上生活中には得られないのでしょうか。


「誰でもというわけには行きません。どういう人物だったとか、どういうことをしたといった程度のことなら、垣間見ている人は少なくないでしょう。が、それについて語らせたら、奇妙な啓示になってしまうでしょう」


訳注――霊感者とかチャネラーとかが人の前世を語るのを私は、かねがね、霊的原理から言って有り得べくもないことなので奇妙なことだと思っていたが、この回答はそれを見事に指摘してくれていて、すっきりした気分になった。前世についてはシルバーバーチも「一瞬のひらめきの中で垣間見るだけ」と言っているように、人間がとかく想像しがちな、まるでビデオを見ているようなものとは違うのである。

それを、まるで小説でも書くような調子で、さる女優の前世を長編の物語にした米国人チャネラーがいて、それが翻訳されて日本でもベストセラーになったことがあるが、私にとっては一般の人々のいい加減さに幻滅を覚えるだけだった。案の定その後それがチャネラーの作り話にすぎないことが判明して、当の女優も「人を惑わすようなことは二度としたくない」とサイキックニューズ紙で語っていた。確かに“人を惑わすもの”で、これに係わった者は全員、霊的に罪を犯したことになる。


――自分の過去世について漠然とした記憶があって、それが目の前をさっと通り過ぎ、もう一度思い出そうとしても思い出せないという人がよくいるのですが、そういう場合は幻影でしょうか。


「真実の場合もありますが、大体において幻影であり、用心が肝要です。想像力が興奮状態になった時の反映に過ぎないことが多いからです」


訳注――『霊媒の書』に“憑依に至る三つの段階”というのがあるが、これはその第二段階で、低級霊が当人の思考過程の中に入り込もうとしているケースである。だから“用心が肝要”と言っているのである。


――地球より発達した天体上では前世をもっと正確に思い出せるのでしょうか。


「その通りです。まとう身体の物質性が薄らぐにつれて、宿る霊の回想力が鮮明になります。波動の高い天体で生活している者にとっては、過去の記憶は地球の人類より遥かに鮮明です」


――人生の有為転変は過去世の罪滅ぼしであるとなると、その有為転変を見て、その人の前世についておよその推察は可能でしょうか。


「可能なことはよくあるでしょう。受ける罰は犯した悪行に対応するのが鉄則ですから。しかし、それを全てに当てはまる尺度とするのは関心しません。直観的判断の方が確実です。霊にとっての試練は過去の行いに対応すると同時に未来のためを考慮に入れたものなのですから」

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell



八章 背後霊の仕事

 ある日の交霊会で、霊媒の背後霊の中にはわれわれ人間でも知っているようなことを知らない霊がいるのはなぜか、と言う質問が出された。これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「背後霊にもいろんな種類があります。目的がいろいろとあるからですが、その霊がすべて同じレベルにあるわけではありません。交霊会において各々に割り当てられる仕事は成長と発達の度合いによって異なります。

宇宙の機構について詳しい霊がいても、あくまでその時点までのその霊の経験の結果としての知識を述べるのであって、まるで知らないことについては答えられません。知らないことは何一つないような霊は決していません。

 たとえば物理実験会で門番のような役をしている霊は高等な思想上の問題はよく知りませんし、高等な思想・哲学を説くことを使命としている霊は物質化現象をどうやって起こすかといったことは、まるで知りません。霊をぜんぶ同一水準に置いて考えることは禁物です」

 「どんな霊が背後霊となるのでしょうか」

 「血縁関係のある霊もいれば、地上的な縁故関係はまったくなくて、果たさんとする目的において志を同じくする者、言ってみれば霊的親近感によって結ばれる場合もあります。そこには民族や国家の違いはありません。地上を去り、地上的習性が消えていくと、民族性や国民性も消えていきます。魂には民族も国家もありません。あるのは肉体上の差異だけです」

 「背後霊として選ばれる基準は何でしょうか」

 「地上世界の為に為すべき仕事があることを自覚して、みずから買って出る霊もいますし、ある霊的な発達段階まで来ている霊が、人類啓発の使命を帯びた霊団から誘いをかけられる場合もあります。

 私はその誘いを受けた一人です。自分から買って出たのではありません。が、やってみる気はないかと言われた時、私はすぐに引き受けました。正直言ってその仕事の前途は、克服しなければならない困難によって〝お先まっ暗〟の状態でした。しかし、その困難は大体において克服され、まだ残されている困難も、取り除かれたものに比べれば、きわめて小さいものばかりです」

 「誘われた場合は別として、自分から申し出た場合、その適性をテストする試験官のような人がいて合否を決めるのでしょうか」

 「ズバリそうだとは言えませんが、それに似たことは行われます。こちらの世界は実にうまく組織された世界です。人間には想像できないほど高度に組織化されております。それでいて、その仕事を運用するには、こうした小さな組織が必要なのです。私たちの霊団の中にはあなた方も名前をよくご存知の方が何人かいます。

ところが、どういうわけか、揃って遠慮がちな性格の人ばかりで、私が出なさいとけしかけても、何時も〝あなたからお先に〟と言って後ろへ引っ込むのです。

 さて、たとえばあなたが自分の霊団を組織したいと思われても、霊の方があなたの仕事に共鳴して集まってくれなくてはだめですし、また呼び寄せるだけの霊力を発揮できる段階まであなたが進化していなくてはなりません。こちらの世界ではその人の人間性が全てを決します。絶対的実在は霊なのです。

それには仮面も変装も口実もごまかしもききません。何一つ隠せないのです。全てが知れてしまうのです」


 「その人の適性が霊性にはっきり出ているということでしょうか」
 「そのとおりです。なぜかと言えば、その人のオーラ、色彩、光輝がその人の本性を示しているからです。教える資格もない者が先生ヅラをしてもすぐにバレます。

その人には教えられないことが明らかなのですから。ですから、あなたが人類のための仕事に志を抱く霊を呼び寄せようとしても、あなたご自身が霊的成長によって霊を引きつける力を具えていなければ、それは叶えられないということです。お判りになりますか」

 「私が知りたいのは、そういった十分に成長していない霊が霊団の一員として働かせてもらえないのは、どういう経緯でそうなるのかということです」

 「働けないから、というに過ぎません。資格のない者にはやりたくても出来ないのが道理でしょう。その霊には霊力もエネルギーも放射線も人間も引き寄せることは出来ません。それを手にするに値するだけの鍛錬がまだ足らないということです。霊媒をコントロールするには人間側の協力も必要なのです。

実に入り組んだ過程を経なければなりません。うまく行っている時は簡単そうに見えますが、うまく行かなくなった時に、その一見単純そうな過程のウラ側の複雑な組織がちょっぴり分かります」

 質問者はさらに突っ込んで、通信霊が他人の名を騙ることがある事実を上げて、なぜそれが霊団の方で阻止できなかったのか、本物かどうかを見分ける方法はないかと尋ねた。すると───
 「実によりて木を知るべし(マタイ7・20)と言います。もし仮にこの家のドアを開けっ放しにして門番も置かなかったらどうなります?誰彼なしに入り込んできて好き勝手な文句を言うことでしょう。そこで時刻を決めてドアを開け、門番を置いて一人一人チェックすることにしたらどうなります?まったく話は違ってくるでしょう」

 「おっしゃる通りです。ということはレギラーメンバーで定期的に開くのが安全ということでしょうか」

 「そうです。むろんです。ぜひそうあらねばなりませんし、それに、身元のはっきりした専属の支配霊がいて、その霊の存在を確認しない限り通信は許さないということにすることです。私どもの世界も至って人間的な世界です。最低から最高までのありとあらゆる程度の人間がいて、その中にはしきりに地上に戻りたがっている者が大勢います。

その全てが指導する資格を持っているわけではなく、教える立場にあるわけでもなく、聖人君子でもありません。至って人間くさい者がいて、人間界への働きかけの動機にも霊的なところがない場合があります」


 「きちんとした組織をもった交霊会では通信霊のチェックが行われるのでしょうか。他人の名を騙ってしゃべることは不可能でしょうか」

 「きちんとした交霊会では不可能です。この交霊会は始まってずいぶん長くなりますが、その間ただの一度もそういうことは起きておりません」

 「霊界に組織があって、通信霊本人が述べる証拠とは別に、その組織が身元を保証してくれるようなことがあるのだろうかと思っておりましたが・・・」
 「保証には二つあります。一つは通信霊が出す証拠に自然に具わっているものです。いつかは必ず正体を見せます。もう一つは、これはとくに初めてしゃべる霊あるいは、せいぜい二度目の霊に言えることですが、その会を指揮している支配霊による身元の保証です。

私のみる限り、何年も続いている有名な交霊会の支配霊は信頼できます。もっとも、だからと言って───私の話しはいつもこのことに帰着するのですが───そうした交霊会に出席している人が一瞬たりとも理性的判断をおろそかにしてよいと言っているのではありません。これは神からの贈物です。

支配霊が誰であろうと、通信霊が誰であろうと、もし言っていることが自分の理性に反発を感じさせたら、それはきっぱりと拒絶するのが絶対的義務です。

 私たちの仕事の基本は〝協調性〟にあります。あくまでも人間側の自由意志と腹蔵の無い同意のもとに手をつなぎ合って進まないと成功は得られません。しばしば言ってきたことですが、私の言うことがどうも変だと思われたら、どうぞ受け入れないでください。拒絶してください。

私は絶対に誤りを犯さないとか叡知の全てを所有しているなどとは思っておりませんから、同意が得られない時はいっしょに考え合って、お互いに勉強していきましょう。

 そういう方法で行けばきっと成功します。威圧したり強制したりして仕事を進めるやり方は私たちは取りません。神から授かった理性の光で導き、一歩一歩みずからの意志で踏み出すように仕向けます。

 私たちが絶対に誤りを犯さないとは申しません。もっとも、故意の偽りを述べることとは全く別問題です。実によりて木を知るべし───これは実に良い判断方法です。

もし利己主義や欲得を煽るような、あるいは世間への義務を疎かにさせたり、汚ない考えや隣人への思いやりに欠ける言葉を吐くようなことがあったら───もしも慈悲の心を忘れさせ自己本位の生き方を勧めるようなことがあったら、それが立派な罪悪性の証拠と言えます。

 が、私たちの訓え、私たちの説く思想は、こちらの世界から発せられる全てのものの底流にある唯一の動機、すなわち〝人のために自分を役立てる〟ということを第一に強調するものです。皆さんも互いに扶け合い、自分が得たものを他人に分け与え、かくして神の恩寵が世界中に広がるように努力していただきたいのです。

実によりて人を知るべし───これが最後に勝利を収める方法です。なぜなら、それが神の御心であり、その神は愛と叡知によって動かされて、大自然の法則を通じて働いているからです」


 実はその日の交霊会の初めに、交霊会で使用されるエネルギーについての質疑応答があった。その中でシルバーバーチは、前回の交霊会はあまりうまく行ったとは言えませんと述べ、その理由をこう説明した。

 「私がエネルギーを使い果たし、保存してあるものの一部まで使ってしまったからです。でも今夜はその心配はありません。私は全身に力が漲り、いただいた分量を全部たくわえております」

 「貯蔵庫が満タンということですね」

 「はい、満タンです。溢れ出ているほどです。私どもにそのエネルギーに浸らせて下さい。そしてその一部を頂戴させて下さい」

 「どこから摂取するのですか」

 「あなた方からです」

 「私たちだけではないでしょう」

 「いえ、皆さん全員からです。皆さんが仕入れ先です。私と貯蔵庫とをつなぐエネルギーを提供してくれるのが皆さん方ということです」

 「むろん霊媒からも得ているわけですね」

 「もちろん。霊媒の持つ力によって私があなた方と話し、いろいろと無理難題を申し上げているわけです」

 「摂取するのは私たちがここに集まってからですか、それともそれぞれ別のところにいる時ですか」
  
 「ここに居られる間に摂取いたします。ここが一ばんやり易いのです。お一人から少しずつ摂取するのですが、少しずつを沢山集めれば分量も多くなります。それを混ぜ合わせ、それに別の要素を加えることによって必要とするものが出来上がります。簡単です。もう皆さんはお分かりでしょう」

 「エクトプラズムと同じものですか」

 「同じです。ただし、質をずっと精妙化して使用します」

 「でも本質的には同じものでしょう」

 「皆さんから摂取するのは同じ物質です。エネルギーという謎めいた用語がよく使用されますが、これは要するに宇宙の生命力の一部であり、あなた方の言うエクトプラズムもその一つの変形にすぎません」

 「でもエクトプラズムは後で全部本人に戻されると思っていましたが・・・」

 「そうなのですが、必ずそのごく一部分だけが戻されずに残ります」

 「貯蔵庫が空になった時は戻さずに取っておくわけですか」

 「そうです。それに霊界で調合したもの───その調合にも同質の物質、全く同じものではありませんが、ほぼ同質のものを列席者から抽出しますが───を混ぜ合わせて、一回の交霊会に必要な分量をこしらえて、いざという時のためにその一部を取っておきます。生命力の一部です。大体こんな説明しかできませんが・・・」

 「余分を取っておかないと仕事ができないのでしょうか」

 「できないことはありませんが、霊媒に大きな負担を掛けることになります。もしかしたら話す力まで奪われてしまうかも知れません。そうなると何もできないことになります」

 「別に私は余分に取っておくのがけしからんと言っているのではありません。なぜかを知りたかっただけです」

 「私の方には、お答えする場合に余り多くを語りすぎないようにとの配慮があるのです」

 「なぜでしょう。なぜ全てを教えてくれないのですか」

 「一つには、お教えしたくても出来ないということ、もう一つは、語ることを許されていないこともあるということです。それを知ることを許されるには、ある一定の霊的成長が指標となります。そこまで進化しないと、その知識をもつことを許されないのです」

 「たとえ理解できても、身体に宿っているとその知識を間違ったことに使用する可能性があるということでしょうか」

 「そういうことです。もっとも、私どもの世界からのちゃんとした協力が得られれば別です。が実際にはいったん高度な知識を手にすれば、それを間違って使用することはないでしょう。と言うのは、その知識を得たということは、その正しい使用法を心得る段階まで向上していることを意味するからです。

 全ては摂理によって規制されているのです。入れ替わり立ち替わりしゃべりたがる低級霊の場合は別として、名の知れた支配霊が道徳的に首をかしげたくなるようなことを言った例は決してないはずです。非難したり中傷したり陰口を言ったり、つまり低俗な人間のするようなことを支配霊がしたためしはないはずです。

人類を導く者としての資格があるか否かを見極める仕事をしている霊を得心させるだけの器量が無くてはならないからです。自分がコントロールできない者がどうして他人を正しい道へ導くことができましょう。でも、最後はあなた方自身が判断なさることです。

 私たちに設けられた基準は実に高度なものです。何しろ混迷する人類を導くという使命に携わっているのです。指導者として十分な器量を具えていなければなりません。そこでこの仕事に携わる者は厳重な監視下に置かれます。また成果を報告し、細かい吟味を受け、仕事を更に進展させるための再調整が為されます。

私がいつもあなた方に、全てを安心して霊の世界の者にお任せしなさい、と申し上げるのはそのためです。あなた方に敬愛をもち、あなた方のために働き、さらにあなた方を通じて他の人々へ援助の手を差しのべたいと願っているスピリット、それだけを唯一の願いとしているスピリットであることは十分に証明済みのはずです」


 さて、支配霊は優れた霊媒をもつ交霊会を何年催していても、常に新しい体験をさせられるものである。その一端を見せたのが、霊媒に憑っている間は物が見えてないのか、耳は聞こえてないのかという質問が出された時だった。

そんな質問が出たのは、ある日の交霊会の進行中にスワッハーが遅れて入って来て、列席者の一人がスワッハーのために席を移動したことにシルバーバーチが気がつかなかったからである。その質問に対してシルバーバーチはこう答えた。

 「幾分そういう傾向があります。それは私が霊媒の器官をどの程度までコントロールし、一方、霊界との連絡網が何本使用できるかに掛かっています。全部が使える時、つまり一、二本で四苦八苦するような状態でなければ、コントロールが完全ですから、その間は私は霊媒になり切っており、霊媒の体験することはみな私も体験します。

 ですが連絡網が制限され、わずかに残ったもので何とか交霊を維持しなければならない時は、必然的に霊媒との接触の仕方が弱くなり、必要最少限の中枢網しか使っていませんから、その分だけふだんよりはコントロールできていないことになります」

 「となりますと、交霊会の始まる前に霊媒がどこの席に誰が座っているということを知っていても、入神した霊媒を完全にコントロール出来ない時は、あなたには誰がどこにいるということは判らないということになりませんか」

 「細かく説明しましょう。何であれ物事の事情というものは、うまく説明できると面白いものです。私があなた方に話をしていると〝回線良好〟との信号が出ます。そこでこの回線に繋ぐと情報が入ります。その情報を私が皆さんに伝えるわけです。その操作にはかなりの集中力を要しますが、それは、重大なことほど余分に注意力が要ることを意味しています。

 さて、あの時スワッハーが入ってきたので私は〝ああ、スワッハーですね〟と言いましたが、どこに座るかは注意していませんでした。それで、誰かが私のすぐ近くに来る音がした時てっきりスワッハーだと思い、その方向を向いて〝ようこそ〟と言ったわけです」

 ここでその席に移った本人が〝そうでしたね〟と相づちを打つと、シルバーバーチはさらにこう続けた。

 「するとあなた(相づちを打った人)が挨拶をされたその声で、あなたがスワッハーに席を譲られたことを知ったわけです。聞く能力は完全でしたが、見る能力はあの時は十分ではありませんでした。それで私は音のする方向を向いて〝ようこそ〟とは言いましたが、せっかくの良好な回線を乱したくないので、それ以上は言葉を交わさなかったわけです。これで謎は解けたと思いますが・・・・」

 「もし誰かがこっそりと部屋を出て行ったら分かりますか」

 「それはいつ出るかによります。今でしたら分かります。集中力を要する回線に合わせている時、中枢網だけでやっと霊媒との関係を維持している時は、他のことには構っておれません。私はその時その時の大事なこと、基本的なことに目を向けておりますので・・・」

 「誰かが途中で入って来たら交霊の状態が乱れますか」

 「常連(レギュラー)であればそういうことはありません。ふだんからその人のオーラを通じて霊力を供給してきており、その融合が交霊に必要なエネルギーとなっているからです。初めての人がいきなり入って来ると話は別です。まったく新しい要素ですから。

 出席者が常連であれば、入神状態に関するかぎり、明りがついていようが消えていようが、皆さんが脚を組まれてようが開かれようが、関係ありません。霊的エネルギーがコントロールされ安定しているからです。が、初めての人ばかりの集まりだとすると、入神談話のための条件を改めて整える必要が生じるでしょう」


Saturday, April 4, 2026

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


5章 霊としての生活

このページの目次〈さすらう霊〉
〈一時休憩所〉
〈霊の感覚と知覚と苦痛〉
〈試練の選択〉
〈生前と死後の人間関係〉
〈親和力と反発力〉
〈前世の回想〉
〈葬儀にまつわる問題〉


〈さすらう霊〉

訳注――wandering spiritsをそのまま訳したのであるが、原語も日本語もともに適切とは思えない。要するに実在に目覚めずに仮相の世界にあって時には地球に、時には他の天体に再生する霊が、その再生するまでの期間を言わば〝放浪〟するわけである。別のところではerraticityという用語を用いているが、これは“住所不定”とか“無軌道”といった意味をもつもので、やはり放浪の状態を指している。要するに仮相の現象界を旅している霊のことで、“旅する霊”という方が言葉としては適切のように思えるが、取りあえず原語のままにしておいた。


――魂は身体から離れた(死亡した)あと直ぐに再生するのでしょうか。


「直ぐに再生するケースも時たまありますが、大多数は長い短いの差はあっても合間の期間があります。それが地球に比して遥かに進化している天体の場合ですと、再生は、ほとんど例外なく、直ぐさま行われます。そういう天体では同じく物的身体といっても精練の度合いが違いますから、再生後も霊的能力のほとんどを使用することができます。強いて譬えればセミトランスの状態が通常の状態です」


――直ぐに再生しない霊は次の再生までの合間はどうなっているのでしょうか。


「新しい運命(さだめ)を求めてさすらいます。その時の状態は“待ち”と“期待”の状態と言えます」


――合間の長さはどれくらいでしょうか。


「短いのでは二、三時間、長いのになると数千年にもなります。厳密に言うと一定のきまりというものはありません。大変な期間に及ぶ場合がありますが、永遠にさすらうということはありません。前回の物的生活の清算をするために、遅かれ早かれ、いつかは再生する機会が与えられます」


――さすらいの期間は霊の意志で決まるのでしょうか、それとも罪の償いの意味もあるのでしょうか。


「結果的には霊自身の自由意志に帰着します。霊が自由意志で行為の選択をする時は、明確な認識をもっております。ところが神の摂理の働きで、ある者は罰として次の再生が延期されることがあり、またある者は、物質身体に宿らない方がより効果的に遂行できる勉強が許されて、霊界に留まれるように配慮してもらえることもあります」


――さすらうということは、その霊が低級であることの証拠でしょうか。


「それは違います。さすらう霊にも低級から高級まであらゆる等級があります。むしろ再生している状態の方が過渡的期間と言えます。霊の本来の状態は物質から離れている時です」


――物質界へ誕生していない霊は全てさすらいの状態にあるという言い方は正しいでしょうか。


「まだ再生すべき段階にある霊についてはその言い方で正しいと言えます。しかし霊性がある一定のレベルまで浄化されつくした霊はさすらってはいません。その状態で完成されているのです」


――さすらう霊はどのような形で学んでいくのでしょうか。


「それまでの全生活を細かく観察し、さらに向上するための手段を求めます。霊的観察力が働きますから、さすらって通過する境涯の現場の状況を観察したり、聡明な霊による講話に耳を傾けたり、高級霊によるカウンセリングを受けたり、といったことを通じて、どんどん新しい教育を身につけていきます」


――霊にも人間的な感情が残っているものでしょうか。


「洗練された霊になると肉体とともに人間的感情も捨ててしまい、善性を求める欲求だけが残ります。が、低級霊は地上的不完全性を留めています。それさえ無ければ、どの霊もみな最高のものを秘めているのですが……」


――ではなぜその低級な感情を死とともに捨ててしまわないのでしょうか。


「いいですか、あなたの知っている人の中にも、例えば極端に嫉妬心の深い人がいると思いますが、その人がこの地上を去ったら、とたんにその悪感情をあっさりと捨ててしまうということが想像できますか。地上を去ったあと、特に強烈な邪悪な感情をもった人には、その感情に汚染されたオーラが付着したまま残っています。霊は死とともに物的生活の影響から抜け出るのではありません。相変わらず地上時代の想念の中にあり、本当はこうでなくてはいけないという正しい心の持ち方を垣間見るのは、ホンの時おりでしかありません」


――霊はさすらいの状態の間にも進化するのでしょうか。


「努力と向上心の強さしだいでは大いに進歩します。ですが、その状態で獲得した新しい概念を本格的に実行して身に沁ませるのは物的生活の中においてです」


――さすらいの状態にあることを霊自身は幸せに感じるでしょうか、不快に思うでしょうか。


「それはその時点での功罪によりけりです。低級感情に負けるその根本的性格がそのままだと幸せとは感じないでしょうし、物的波動から脱すればその分だけ幸せを感じるでしょう。さすらいの状態にある間に霊は、より幸せになるためには何が必要であるかに気づき、それに刺激されて自分に欠けているものを獲得するための手段を求めようとします。その結果それが再生であると悟っても、必ずしもすぐに許されるとは限りません。それがすぐに叶えられずに延期されることが罰であることがあります」


――さすらいの状態にある霊でも他の天体を訪れることが出来るのでしょうか。


「それは霊性の発達の程度しだいです。霊が物的身体から離れたといっても、必ずしも物的波動から脱したわけではありません。相変わらず今まで生活していた天体、あるいはそれと同等の発達程度の天体の波動の中で生活しております。ただし、地上生活中の試練の甲斐あって霊性が飛躍的に発達していれば別です。そうやって物的生活の体験をするごとに霊性が発達するのが本来の目的です。発達がないようではいつまでたっても完成の域には達しません。

それはともかくとして、さすらいの状態にある霊でも地球より程度の高い別の天体を訪れることはできます。しかし、どうも勝手が違うという印象を受けるはずです。結局はその世界の生活風景を垣間見る程度にしか見ることができません。しかし、その体験が刺激となって改善と向上への意欲が促進され、やがてはそこに定住できることにもなるでしょう」


――浄化の程度の高い高級霊が波動の低い天体を訪れることはあるのでしょうか。


「よくあることです。住人の向上を促進するためです。そういうことがなかったら、波動の低い天体は指導する者もいないまま放置されることになります」
〈一時休憩所〉


――さすらう霊が休息をとる場所のようなものがあるのでしょうか。


「あります。当(あ)て所(ど)もなく放浪の旅を続けている霊を迎え入れるための世界があり、みんなそこで一時的に生活を営みます。言うなればキャンパーが一時的にビバークするキャンプ地のようなもので、とかく退屈しがちな放浪の生活の途中で一服して英気を養うわけです。

そうした世界は秩序を異にする世界との中継所的な役割を果たしており、そこへ訪れる霊の程度に応じて幾つかの段階が設けてあります。それぞれに居心地がいいような状態になっています」


――そこを離れたければいつでも離れていいのでしょうか。


「結構です。赴くべき場所が定まれば、いつそこを出ても構いません。そこは譬えで言えば、渡り鳥が途中で翼を休めて次の目的地へ向けて飛び立つためのエネルギーを蓄える島のようなものです」


――そこでの滞在中にも進歩はあるのでしょうか。


「もちろんあります。そもそもそういう世界へやってくる霊は何らかの指示を得たい、より高い界層を訪れる許しが得たい、そして速やかに向上したい、という願望を持っているのです」


――そこは特殊な世界で、永遠にさすらう霊の逗留地として運命づけられているのでしょうか。


「そうではありません。天界の組織の中での位置は一時的なものです」


――その世界の物質界には物的身体をもった者が生活しているのでしょうか。


「いえ、その天体の物的表面は不毛の土地です。その世界に住む者は物的欲望は持ち合わせません」


――不毛とおっしゃいましたが、永遠に不毛なのでしょうか、それとも何らかの原因でそうなったのでしょうか。


「いえ、不毛性は一時的なものです」


――すると、そういう天体は大自然の美などは何もないわけですね?


「“大自然の美”とおっしゃるのは“地上の生命活動の調和の妙”のことでしょう。それに劣らず見事な美によって創造の尽きせぬ豊かさが演出されております」


――そうした天体が一時的なものであるとすると、この地球もいつかはそういう天体となることも有り得るのでしょうか。


「すでにそういう状態の時期がありました」


――いつのことでしょうか。


「生成期のことです」
〈霊の感覚と知覚と苦痛〉


――魂は、肉体から離れて霊の世界へ戻っても、地上時代に使用した感覚をそのまま所有しているのでしょうか。


「所有していますし、地上時代に肉体に遮られて使用しなかったものまで使えるようになります。知性も霊の属性の一つで、肉体の束縛を受けなくなったため自由に顕現します」


――霊の知覚や知識に際限はない――つまり霊は何でも知ることができるのでしょうか。


「完全に近づくにつれて知識も増えていきます。高級界層の霊になるとその知識の範囲は広大となります。低界層の霊は何につけても相対的に無知です」


――時の推移を感知しますか。


「しません。あなた方から日時や時代を特定するように要求された時、我々の返答が今一つ明確でないことがあるのはそのためです」


――霊になれば地上にいた時よりも物事の真相が正確に把握できるようになるのでしょうか。


「地上時代に比べれば昼と夜の差ほどの違いがあります。人間には見えないところまで見透せますから、物事の判断の仕方も違ってきます。ですが、何度も言っているようにそれも霊性の開発の程度によって違ってくる問題です」


――霊は過去に関する知識をどこから仕入れるのでしょうか。無制限に入手できるのでしょうか。


「我々にとって過去のことは、そのことに意念を集中しさえすれば、あたかも現在の出来事のように感得されます。それは地上でも、強烈な出来事に関しては同じではないでしょうか。ただ異なるのは我々は人間の知性を鈍らせる物的なベールに閉ざされていませんので、人間の記憶から完全に消えていることでも鮮明に思い出せることです。ただし霊といえども全てが知れるわけではありません。たとえば我々がいつどうやって創造されたかは、今もって謎です」


――未来が予見できますか。


「これも霊性の発達程度によって違ってきます。大体において部分的にしか見えませんし、かりに明確に見えても、それをみだりに人間に明かすことは許されません。見える時はまさに現在の出来事のように見えます。霊格が高いほど明確に見えます。死後、霊は過去の転生の全てを一望のもとに見せてもらいますが、未来については見せてもらえません。未来を一望できるようになるのは、いくつもの転生を重ねた末に神と一体となった霊のみです」


――完成された霊には宇宙の未来の全てが完全に読み取れるのでしょうか。


「“完全に”という用語は適切ではありません。神のみが絶対的支配者であり、他のいかなる者も神と同等の“完全性”を身につけることはできません」


――その神の姿を拝することは可能でしょうか。


「最高界の霊のみが神のお姿を拝し理解することができます。それより以下の霊はその存在を霊感で感知するのみです」


――神の姿を直(じか)に拝せない程度の霊が、かくかくしかじかのことは神から禁じられているとか許されているとか述べる時、その許可や禁止の命令をどうやって知るのでしょうか。


「神を直接拝することはできなくても、その神威は感じ取れます。何かが為される、あるいは語られる時は、一種の直覚によってその見えざる警告、つまり公表を控えるようにとの命令を感じ取ります。あなたご自身もその種の密かな印象、つまりやってよいとかいけないとかを感じ取ることがあるのではありませんか。我々とて同じです。ただ程度が高いというだけの違いです。お分かりと思いますが、霊としての実体が人間より遥かに精妙になっていますから、神からの訓戒をより純粋に受け取ることができるのです」


――そうした神からの訓戒は神から直接伝達されるのでしょうか、それとも高級霊によって中継されるのでしょうか。


「神から直接ということはありません。神と直接の交信にあずかるには、それなりの資格が要ります。命令は全て叡知と純粋性において高級な霊を中継して届けられます」


――霊の視力も人間のような限られた視界というものがあるのでしょうか。


「ありません。視力は霊の内部から出ていますから」


――光は必要ないのでしょうか。


「霊の内部から発する視力で見るのであって、外部からの光は必要としません。暗闇というものがないのです。あるとすれば、それは犯した罪への罰として閉じ込められる魂の暗闇です」


――霊が二つの箇所を見る時、一箇所を見て、それからもう一つの箇所まで移動するのでしょうか。例えば地球の北半球と南半球とを同時に見ることができますか。


「霊は思念の速さで移動できますから、結果的には幾つの箇所でも同時に見ることができます。また霊は、同時に幾つの箇所へでも思念を発することができます。ただし、その威力は霊的純粋性によって違ってきます。不純であるほど視野が狭くなります。一度に全体を見通せるのは高級霊のみです」


――我々人間と同じように鮮明に見えるのでしょうか。


「人間の視力より鮮明です。霊の視力は全てのものを貫通します。遮るものは何もありません」


――聴力もありますか。


「あります。人間のお粗末な聴力では聞き取れないものまで聞こえます」


――その聴力も視力と同じく霊そのものの内部にそなわっているのでしょうか。


「霊の感覚は本性として霊そのものにそなわっており、その存在の一部を構成しています。その霊が物的身体に宿ると、その身体のそれぞれの器官を通してしか感識できなくなります。死によってその肉体器官の束縛から離れて自由の身になると、視力とか聴力とかの区別なしに、霊の本質的なものとして働きます」


――感覚能力が霊の本質的なものであるとしたら、その能力を出したり引っ込めたりできるのでしょうか。


「見たいと思ったものを見、聞きたいと思ったものを聞きます。ただしこれは正常な状態、とくに高級界での一般的な話として受け止めてください。と言うのは、贖罪界の低級霊は霊的矯正のために効果のあるものを否応なしに見せられ聞かされます」


――霊も音楽に感動しますか。


「地上の音楽のことですか? 天上の音楽に比べて、一体あれが音楽と言えますか? 天上の音楽のハーモニーを譬えるものは地上にはありません。未開人のわめき声と素敵なメロディほどの差があります。もっとも低級霊の中には地上の音楽を好む者がいます。それ以上の崇高なものが理解できないのです。

高級霊にとって音楽は汲めども尽きぬ魅力の泉です。審美的感覚が発達しているからです。私が言っているのは天上の音楽のことです。これほど甘美で麗しいものは、霊的想像力をもってしても、まず考えられません」


――大自然の美しさについてはどうでしょうか。


「自然の美しさといっても各天体によってその美しさの形態が異なりますから、霊もその全てを知っているわけではありません。美しさを味わいそして理解する才能に応じて、それぞれにその自然界の美を感識しておりますが、高級霊になると細部の美しさは視界から消えて、全体としてのハーモニーの美しさを感得します」


――物的な必要性や苦痛を体験することがありますか。


「そういうものがあることを知ってはおります。地上時代に体験しているからです。しかし、人間と同じようには体験しません。霊なのですから」


――霊も疲労を覚えて休息を必要とすることがありますか。


「あなたがおっしゃる意味での疲労は覚えませんし、従って体を休める必要もありません。体力の補給を必要とする器官は持ち合わせないからです。ですが、霊も絶え間なく動き回っているわけではないという意味においては、休息を取ることがあると言えましょう。動くといっても身体を動かすという意味とは違います。霊にとって行動とは百パーセント知的な働きをいい、休息とは心の静寂をいいます。言い変えれば思念活動が静止して特定の目的に向けられていないことがあるということで、これが言うなれば霊の休息です。身体を休めるという意味での休息とは違います。もし疲れを覚えるとすれば、それは霊性の低さの指標であるとも言えます。霊性が高まるほど休息の必要性が無くなるものだからです」


――霊が苦痛を訴えることがありますか。どういう性質の苦痛でしょうか。


「精神的苦悶です。いかなる身体的苦痛にもまして、魂に激痛を与えます」


――霊が寒さや暑さを訴えることがありますが、なぜでしょうか。


「地上時代の体験の記憶によってそう感じ取っているまでですが、本人としては実際に寒さや暑さを感じていることがあります。しかし、よくある例として、自分の魂の苦悶を表現する手段が思いつかなくて、比喩的に寒さや暑さに擬(なぞら)えていることがあります。霊は、地上時代の身体のことを思い浮かべると、あたかも脱ぎ捨てた衣服をもう一度着るように、実際に身体があるかのように感じるものです」
〈試練の選択〉


――霊界でのさすらいの状態にある霊は、新たな物的生活に入る(再生する)前に、それがどのような人生になるかを予見できるのでしょうか。


「遭遇する試練については自分で選択します。そこに霊としての自由意志の行使が認められます」


――すると罰として苦難を科するのは神ではないのですね?


「神の裁可なくして何事も発生しません。宇宙を経綸するための全法則・全摂理をこしらえたのは神なのですから。

あなた方人間の立場から見ると、神はなぜこんな摂理をこしらえたのか――他に方法がありそうなものだが……と疑問に思うこともあることでしょう。実は各霊に選択の自由を与えるに際しては神は、同時に、その行為とその行為が生み出す結果についての一切の責任も担わせているのです。

霊が自ら選んで進もうとするのを遮るものは何もありません。悪の道を歩むのもよし、善の道を歩むのもよし。かりに悪徳の誘惑に負けて悪の道に入っても、もはや取り返しがつかないというようなことにはなっておりません。しくじった人生をもう一度始めからやり直す機会が与えられます。

もう一つ申し上げておきたいのは、神の意志による業(わざ)と、人間の意志による業とを截然と区別しなければならないということです。例えばあなたが危機にさらされたとします。その危機そのものはあなたがこしらえたのではありません。神が用意したのです。しかし、その危機にさらされることを選択したのはあなた自身です。その危機に遭遇することの中に霊的成長の手段を見出して自ら志願し、そして神がそれを裁可したということです」


――霊が地上生活で体験する苦難を自ら選択するということは、あらかじめ自分の一生を予知し選んでいるということになるのですね?


「そういう言い方は正確ではありません。全部が全部あなたが選んだものとは言えないからです。あなたが選ぶのはどういう種類の試練にするかということで、実際に誕生してからの細かい出来事は、置かれた境遇でそれに対処するあなたの態度が生み出します。

具体例で説明しましょう。かりに一人の霊が悪党ばかりがいる境遇に生まれたとしましょう。当然その霊は、そういう境遇でさらされるであろう良からぬ人間関係は覚悟しているはずです。しかし、それが具体的にどういうものであるかは、いちいち予知しているわけではありません。その時その時の対処の仕方、自由意志の行使の結果によって決まります。

このように、霊は再生に際してはあらかじめ一つの人生航路を選び、その人生では大体かくかくしかじかの苦難を体験するであろうと予測します。つまり人生の大まかなパターンを承知の上で再生してきますが、それがどういう形の人間関係や事件・事故となって具体化するかは、置かれた境遇や時の流れの勢いによって決まる性質のものなのです。もっとも、その中には人生の方向を決定づける大きな要素がいくつかあり、それはあらかじめ承知しております。

別の譬えで言えば、目の前にでこぼこ道が横たわっているとします。用心しながら歩かないと転びます。しかし、その道のどのくぼみで転ぶかが決まっているわけではありません。細心の注意をもって歩めば転ばなくても済むかも知れません。ところが一方、足もとにばかり気をつけていると、どこかの屋根の瓦が頭上に落下してくるかも知れません。そうなるように宿命づけられていたのだと考えるのは間違いです」


――悪党ばかりがいる境遇になぜ誕生しなければならないのでしょうか。


「試練には教訓が込められています。ある霊にとってどうしても必要な教訓を学ばせるために、そういう条件をそなえた境遇に生をうける必要が生じるのです。その際、正さなくてはならない欠点と、その霊が置かれる境遇との間に連携的調和がなくてはなりません。例えば略奪強盗の衝動が沁みついている魂は、そういう境遇に再び放り込まれて、とことんその無情を味わう必要が生じる場合があるのです」


――では地上に邪悪な人間がいなくなったら霊は自分の試練のための条件が無くなることになりませんか。


「結構なことではありませんか。なぜそれが不服なのでしょう? あなたのおっしゃるような世界はまさに高級霊の世界です。悪の要素は一切近づけず、従ってそこに住まうのは善霊ばかりです。地上界も一日も早くそういう世界になるように努力なさるがよろしい」


――完全を目指して試練の道を歩んでいる霊は、ありとあらゆる誘惑にさらされなくてはならないのでしょうか。自惚れ、嫉妬、貪欲、色欲、その他もろもろの人間的煩悩を試される環境に身を置かなくてはならないのでしょうか。


「そのようなことはありません。すでに述べた通り、霊の中には当初から順調なコースを歩み、そういう酷しい試練を必要としない霊もいます。しかし、いったんコースを間違えると次から次へと誘惑にさらされることになります。例えば金銭欲に目が眩(くら)んだとします。そして思い通りの大金が入ったとします。その際、その人の性格によってはますます欲の皮がつっぱり、放蕩の生活に入ってしまうことはあるでしょうし、困っている人々に気前よく施しをして有意義に使用することも可能です。ですから、その人が大金を所有したからといって、それゆえに生じる邪悪性の全ての試練にさらされるということにはなりません」


――霊はその原初においては単純で無知で、体験も皆無のはずです。その状態でどうして知的な選択ができるのでしょうか。またその選択に対してどうやって責任を取るのでしょうか。


「神は、霊の原初における未経験さを、ちょうど人間が赤ん坊を揺りかごの中で保護して育てるように、安全無事であるように叡知でもって保護してくださっています。そして、そうした中で芽生えていく自由意志との釣り合いを取りながら、少しずつ“選択の主”となることを許していきます。が、それは同時に選択を誤り、悪の道に入っていく可能性も出てくることを意味します。先輩の霊のせっかくの忠言も無視するようになるのもこの頃です。聖書に言う“アダムとイブの原罪”(人類の堕落)というのはことのことを言っていると考えてもいいでしょう」


――霊が自由意志を所有するに至れば、その後に選ぶ物的生活は百パーセント本人の意思によるのでしょうか、それとも罪滅ぼしとして神が科することもあるのでしょうか。


「時を超越している神は何事にも決して急ぎません。罪滅ぼしも急ぎません。しかしながら、無知にせよ強情からにせよ、本人がそれから先どうすればよいかに気づかないと見た時、そして霊性の浄化と発達にとって物的生活が適し、それが罪滅ぼしのための環境条件を提供すると見た時は、強制的に物質界へ送り込みます」


――霊みずから試練として選択する時の規準はどのようなものでしょうか。


「過去の過ちを償い、同時に霊性の進化を促進するものです。その目的のためにある者はみずから窮乏生活を選び、酷しい環境の中で力強く生き抜く修行をします。またある者は、財力と権力の誘惑の多い環境に生まれて、その誘惑への抵抗力を試す者もいます。貧乏よりもこの方が危険です。とかくそれを悪用しがちですし、それにまつわる邪悪な感情もどぎついものがあるからです。さらには悪徳の栄える巷に身を投じ、その中にありながらも、あくまでも善を志向する決意を強化せんとする者もいます」


――自分の徳性を試すために悪徳の環境に自らをさらす者がいるとなると、同じ口実のもとにそういう環境に生まれて放蕩ざんまいをする者もいるのではないでしょうか。


「確かにそういう者がいます。しかし、それは当然のことながらよほど霊性の低い霊にきまっています。しかも、そういう場合はそれに対する試練が自動的に生じ、しかも長期間にわたって続きます。遅かれ早かれ彼は動物的本能に浸ることが悲惨な結果を招くことに気づきますが、気づいてもすぐにはその悲惨さから抜け切れず、そのまま永遠に続くかに思われます。神は時としてそういう再生の仕方の罪の深さを思い知らせるために、その状態に放置するのです。そのうち自ら志願して本当の試練によってその償いをする決意をするようになります」


――試練の選択に当たってはなるべく苦痛の少ない人生を選ぶのが人情ではないでしょうか。


「人情としてはそうでしょう。しかし霊の観点からは違います。物的束縛から解放されると錯覚から目覚め、まったく違った感覚で考えるようになるものです」


――完全な純粋性に到達するまでは、霊は何度でも試練に遭わなくてはならないのでしょうか。


「理屈の上ではその通りですが、“試練”の意味が違ってきます。地上の人間にとっての試練は物的な辛苦です。が、霊がある一定の純粋性の段階まで到達すると、まだ完全ではなくても、その種の試練は受けなくなります。代わって今度は進化向上のための仕事が課せられ、その責務の遂行が試練となりますが、それには苦痛は伴いません。たとえば他の霊たちの進歩を手助けする仕事などです」


――試練の選択を間違えるということは有り得ますか。


「自分の力量に余るものを選んでしまうことはあります。その場合は挫折に終わります。反対に何の益にもならない人生を選ぶこともあります。怠惰で無意味な人生を送る場合です。こうしたケースでは霊界に戻ってからそのことに気づいて、その埋め合わせをしたいという欲求を覚えます」


――地球より程度の低い天体ないしは地上の最低の人種、たとえば人食い人種などから文明国に生まれ出ることがありますか。


「あります。思い切って霊性の高い環境に挑戦してみようという考えから地球に誕生してくる霊はいます。ですが、どうも場違いという感じを抱きます。前世での本能や習性を携えてきているために、それが新しい社会の通念や慣習と衝突するのです」


――反対に文明国で前世を送った人間が罪滅ぼしとして未開人種の中に再生することがありますか。


「あります。ただし、その罪滅ぼしの中身が問題です。奴隷に対して残酷だった主人は今度は自分が奴隷の身の上に生まれて、同じ残酷な仕打ちをされるかも知れません。理不尽な権力をふるった支配者は今度は自分が権力者の前に跪(ひざまず)く立場に生まれ変わるかも知れません。そうした罪滅ぼしは権力を悪用したことから生じていますが、善霊が程度の低い民族に影響力のある存在として生まれ出ることもあります。その場合は使命となります」
〈生前と死後の人間関係〉


――霊性の発達の違いは上下関係をこしらえるのでしょうか。つまり霊界にも権威による主従関係というものがあるのでしょうか。


「大いにあります。霊格の差による上下関係は厳然としており、霊性の高い者が低い者に対して持つ優位性は絶対的な不可抗力と言えるほどです」


――地上時代の権力や地位は霊界でも通用しますか。


「しません。霊の世界では謙虚な者が高められ、尊大な者は卑められます。聖書を読みなさい」


――高められるとか卑められるとかいうのはどのように理解したらよいのでしょうか。


「霊には、身につけた霊性の差による秩序があるのはご存じのはずです。ですから地上で最高の地位についても、霊性が低ければ霊の世界では低い界層に位置し、その人の従者だった者が高い界層に位置することがあるのです。

まだ納得がいきませんか。イエスも言っているではありませんか――“およそ尊大な者は卑められ、謙虚な者は高められるであろう”と」(ルカ14・マルコ23)


――地上で偉大な人物とされていた者が霊界では低い界層にいた場合、その違いに屈辱感を覚えるでしょうか。


「そういうケースが実に多いのです。高慢で嫉妬心が強かった場合はなおさらです」


――一兵卒だった者が霊界で上官と出会った時、やはり敬意を表するでしょうか。


「肩書は何の意味もありません。本質的な霊的優位性が全てです」


――霊の世界も霊格の異なるさまざまな霊が入り交じっているのでしょうか。


「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。つまり互いの目には姿が見えていても、霊格の違いによる隔たりを直感しています。人間社会と同じで、親密感と違和感とによって近づいたり離れたり避けたりしています。霊の世界はさまざまな状況と霊的関係が混然一体となった世界で、地上界はそのおぼろげな反映にすぎません。同じ霊格の者が親和力の作用で引かれ合い、グループをこしらえ、共通の目的で協力し合っております。

それにも善と悪とがあります。善の集団はあくまでも善を志向し、悪の集団はあくまでも悪を志向します。過去の悪行の不面目(ふめんぼく)を意地で打ち消してさらなる悪行を重ね、また自分と同類の集団の中に身を置くことによって気を紛らすのです」


――霊は誰とでも接触できるのでしょうか。


「善霊あるいは高級霊は悪霊あるいは低級霊へ近づくことができます。善性の影響力を行使するためにはそうする必要があるからです。しかし低級霊が高級霊の界層へ近づくことはできません。ですから邪悪な感情で聖域が汚されることはありません」


――善霊と悪霊の関係の本質は何なのでしょうか。


「善霊が悪霊の邪悪な性向を正すべく闘い、少しでも霊性を高めるように援助してやる――つまり善霊にとっては使命となるような関係になっています」


――低級霊はなぜ人間を悪の道に誘って喜ぶのでしょうか。


「嫉妬心が強いからです。しょせん善霊の仲間には入れないと知ると、未熟な霊が順調に幸せになっていくことに嫉妬心を覚え、それを阻止しようとするのです。自分が味わっている辛い状態を彼らにも味わわせてやろうと考えます。同じような人間が地上にもいるのではありませんか」


――霊どうしの交信はどのようにして行われるのでしょうか。


「見ただけで理解し合います。言語は物質界のものです。言語能力は霊の属性の一形態です。普遍的流動体(エーテル)によって霊どうしは常に交信状態にあると言ってよろしい。地上界の空気が音の伝達手段であるように、流動体が思念の伝達手段です。言うなれば宇宙的霊信装置で全天体を結んでおり、霊はどの天体とでも交信ができます」


訳注――“言語能力は霊の属性の一形態”という意味は、見たり聞いたりする能力と同じく意思表示の能力も霊の本性として直接的に働くものであるが、地上という環境条件の中で生活するためには発声器官を媒体としなくてはならない。が、意思表示しているのは霊そのものの本性だということである。現在の生理学でも、なぜ見えるのか、なぜ聞こえるのかは、脳の働きと同じく、その構造を見ただけでは分からないという。シルバーバーチも、目があるから見えるわけではない、耳があるから聞こえるのではない、見るのも聞くのも“霊”です、と言っている。


――心に思っていることを隠すことができますか。また自分の姿を隠すことができますか。


「できません。何一つ隠すことはできません。霊格が完成の域に達した霊の間ではとくにそうです。たとえ面前から退いても、互いに常に見えております。ただし、これを絶対的にそうとばかりも言えません。と言うのは、高級霊になると、自分が身を隠した方がいいと思った時は、低級霊には見えないようにすることができるからです」


――地上時代にいっしょに生活したことのある人であることが認識できますか。たとえば息子は父親を、友だちはその友だちを。


「できます。何代にもわたって認識できます」


――それはどうやって知るのでしょうか。


「霊は自分の過去世を見ることができるのです。自分の友や敵(かたき)の人生を誕生から死に至るまで見ることができます」


――死んで肉体から離れて直ちに親戚や友人の霊と会えるのでしょうか。


「直ちにというのは正確ではありません。前にも述べたと思いますが、魂が霊界に戻って霊的意識を取り戻し物質性を払い落とすには、しばらく時間を要します」


――どのような迎え方をされるのでしょうか。


「まっとうな人生を送った者は待ちに待った愛する友のように迎えられ、邪悪な人生を送った者は侮蔑の目をもって迎えられます」


――同類の邪悪な霊はどういう態度で迎えるのでしょうか。


「自分たちと似て幸福感というものを奪われた仲間が増えたことに満足を覚えます。地上でもヤクザな人間は仲間が増えると満足するのと同じです」


――地上時代の親族や友人とは必ずいっしょに暮らせるのでしょうか。


「それは霊格の要素が絡んだ問題で、時には向上の道を追いかけなければならないことがあります。つまり一方が遥かに向上していて、しかもそのスピードが速い時は、付いて行けません。もちろんホンの一時だけ会うことはできます。が、いっしょに暮らすことができるのは、遅れている方が追い付くか、または両者が完成の域に達してからです。もう一つの見方として、親族も友人も姿を見せてくれないのは、何らかの罪に対する罰であることがあります」
〈親和力と反発力〉


――霊には大ざっぱな意味での類似性のほかに、特殊な情愛の関係もあるのでしょうか。


「あります。人間と同じです。人間のような身体がないだけ、それだけ感情の起伏がありませんから、霊どうしのつながりは強くなります」


――霊どうしでも憎しみの念を抱くことがありますか。


「憎しみは不浄な霊の間にのみ存在するものです。人間どうしの憎み合いや不和のタネを蒔くのは霊界の不浄霊です」


――地上で仇(かたき)どうしだった者は霊界でもずっと憎み合っているのでしょうか。


「そうとは限りません。憎み合うことの愚かさを悟り、憎しみのタネとなったことの他愛なさに気がつく者が大勢います。いつまでも地上時代の怨恨を持ち続けているのはよほど幼稚な霊です。が、そうした者でも霊性が浄化されるにつれて少しずつその迷いから覚めて行きます。人間として物的生活を送っていた時に些細なことから生じた怒りは、その物的波動から抜けるとすぐに忘れていくものです。諍(いさか)いのタネが無くなってしまうと、本質的に霊性が合わない場合は別として、再び仲良くなるものです」


――地上時代にいっしょに悪事を働いた二人が霊界へ行った場合、その悪事の記憶が二人の関係を損いますか。


「損います。疎遠になりがちです」


――悪事の被害者はどんな気持ちでしょうか。


「霊性の高い人であれば、当人が反省すれば赦すでしょう。霊性が低い場合は怨みを持ち続け、時には再生してでも仕返しに出ることがあります。懲罰として神がそれを許す場合があります」


――情愛は死を境に変化するものでしょうか。


「しません。愛は決して相手を違(たが)えません。地上のように偽善者がかぶるマスクはこちらにはありません。ですから、純粋な愛はこちらへ来てもいささかも変化しません。互いをつなぎ合う愛は崇高なる至福の泉です」


――地上で愛し合った二人は霊界でもそのまま続くのでしょうか。


「霊的親和性の上に成り立っている愛であれば永続性があります。物的な要素の方が親和性よりも多い場合は、その物的要素が無くなると同時に終わりとなります。愛は人間どうしの場合よりも霊どうしの間の方が実感があり、かつ永続性があります。物的打算や自己愛による気まぐれの要素に影響されることがないからです」


――宇宙のどこかに自分の片割れがいて、いつかは一体となるように初めから宿命づけられているという説は本当でしょうか。


「二つの魂が宿命的に特別な合体をするというようなことは有り得ません。一体となるのであれば、全ての霊が一体化へ向かって進化しており、それぞれの霊格の段階で融合し合っています。言い変えれば、到達した霊性の完成度に応じた段階で融合が生じます。完成度が高いほど融和性も深まります。人間社会に悪がはびこるのは融和性が欠けているからです。全ての霊が究極において到達する完全な至福の境涯は融和が生み出すのです」


――完全な親和性をもつ二人が霊界で再会した場合、もうそれで二人は永遠に一体なのでしょうか、それとも、いつかは別れて、また別の霊と一体となるのでしょうか。


「霊はそれぞれの霊性の発達段階で誰かと一体となっていると言えます。私が完全な至福の境涯と言ったのは、完全の域に到達した霊のことです。それ以下の段階、つまり低い界層から高い界層へと向上して行く途中の段階においては、霊格の差によって離れてしまった者に対しては、かつてのような親和性は感じません」


――完ぺきな親和性で結ばれた二人は互いに補完し合うのでしょうか、それともその一体化は本質的な霊性の一致の結果なのでしょうか。


「霊と霊とを結びつける親和力は両者の性向と本能とが完全に一致した時に生じる結果です。もし一方が存在しなければ他方が完全になれないというのでは、両者とも個的存在を失うことになります」


――現段階では親和関係のない霊の間にもいずれは親和関係が生ずるのでしょうか。


「そうです。全ての霊がいつかは親和関係で一体となります。かりに二人の霊がいて、かつては一体だったのが、一方の進化が速すぎて、今のところは別れ別れになっているとします。しかし、これから先、進化の遅れている方が急速に進歩して他方に追いつくことも考えられますし、先を歩んでいた者が試練に負けてある界層で停滞を余儀なくさせられている場合には、後から進化してきた者がそれだけ速く追いつくことも考えられます」


――ということは、今は親和関係にあっても、その関係が切れてしまうことも有り得るわけですか。


「当然です。一方の生命力が弱くて、他方がどんどん向上して行くというケースがあります」
〈前世の回想〉


――終えたばかりの地上生活は死の直後にそっくりそのまま再現されるのでしょうか。


「そうではありません。霊的意識が強まるにつれて少しずつ見えるようになります。ちょうど霧が晴れて少しずつ実体が見えてくるような調子と思えばよろしい」


――その気になれば何でも思い出せますか。


「霊には、前世のありとあらゆる出来事の一部始終を、さらには心に抱いた思念までも、思い出す力がそなわっています。ただ、必要でもないものまで思い出すことはしません」


――過去世はどのような形で再現されるのでしょうか。その霊の想像力によるのでしょうか、それとも絵画のように眼前に映るのでしょうか。


「その両方のケースがあります。興味があって思い出したいと思ったことは、まるで現実の出来事のように再現されます。それ以外のことは多かれ少なかれおぼろげか、まったく忘れ去っております。物的波動が薄れるほど物質界での出来事に重要性を置かなくなるからです。あなたにも体験があると思いますが、地上を去ったばかりの霊を招霊してみると、好きだったはずの人の名前や、あなたから見て大切な出来事と思えるものが思い出せないことがあるはずです。それは彼自身は重要視していないために記憶が薄れているからです。反対に、現在の彼の知的ならびに道徳的向上に影響を及ぼした、人生の重要なポイントとなっている出来事は、完全に思い出します」


――今捨て去ったばかりの肉体をどんな気持ちで眺めますか。


「何かにつけて厄介だった不愉快な衣服を見つめるような気持ちです。脱ぎ去ってさっぱりしています」


――腐敗していくのを見てどんな気持ちですか。


「ほとんどの場合、無関心です。どうでもいいものという感じです」


――死後少したってから、埋葬されている遺骸とか、かつての自分の持ち物とかを確認することがありますか。


「時たまそういうことをすることがあります。が、その時はすでに地上的な物を見る目が大なり小なり高度になっています」


――後に残った者たちによって自分の遺品が飾られて遺徳を偲ばれるのは嬉しいものでしょうか。


「いかなる霊でも地上の縁ある人々によって記念の行事が催されるのは嬉しいものです。そうした時に用意される記念物は、それに参加した人々を思い出す縁(よすが)となります。もちろんその記念物そのものではなく、それを発起した人々の思念がそうさせるのです」


――ある人が一連の重要な仕事に関わっていて、その完成を見ずして他界したとします。その場合、霊界で悔やむでしょうか。


「そんなことはありません。そういう重要な仕事は他の有志によって完成されるように計画されていることを知るからです。悔やまないどころか、その完成のために霊界から現界の後継者に働きかけます。そういう人の地上人生は同胞のためという目的に向けられていたのであり、霊界へ来ても少しも変わりません」


――芸術作品や文学作品の遺作は地上時代と同じ感覚で見るものでしょうか。


「霊格によって違いの大きさは異なりますが、地上時代とは別の視点で鑑賞し、往々にしてそのお粗末さに嫌気がさすものです」


――芸術や科学の進歩のために今地上で為されている努力に霊は関心を持つでしょうか。


「霊格の程度によりますし、授かった使命によっても違ってきます。地上の人間には壮大なものに思えるものでも、霊から見るとどうでもよいものがあります。かりに関心を持つとしても、それは高等教育を受けた人が小学校の教育に関心を持つのと同じ程度にすぎないことがあります。地上に再生した者の霊格の程度を細かく調べ、その進歩に注目しています」


――霊は死後も母国への愛着がありますか。


「霊格の高い霊にとっては宇宙全体が母国です。地球にかぎって言えば、いちばん愛着を感じる場所は親和関係の強い人間がいちばん多い所です」


――この地上へ生まれる以前は霊界に住んでいたのに、なぜ死後も生きていることを知って驚くのでしょうか。


「驚くのは一時期だけのことで、それも死後の目覚めに伴う意識の混乱の結果です。意識が落ち着くとともに過去世の記憶が甦ります」
〈葬儀にまつわる問題〉


――地上に残した愛する人々に関する記憶が甦ることで霊は影響を受けますか。


「あなた方が想像する以上に影響を受けます。現在自分が置かれている状態が幸せであれば、その幸福感が増幅されます。もし不幸であれば、その思い出によって慰められます」


――国によっては命日というものを設けて法要が営まれるのですが、その日は特にその場に引き寄せられるものでしょうか。


「法要の日に限らず、情愛を込めて祈念された時は、いつでも引き寄せられます」


――法要の日は埋葬されている場所に赴くのでしょうか。


「大勢の人が集まってくれている時はその想念に引きつけられてそこへ赴きますが、義理で出席しているだけの人には無関心です。心から祈念してくれている人の一人一人のもとを訪れます」


――自宅で祈るよりも墓に詣でる方が喜ぶでしょうか。


「墓まで足を運ぶということは、その霊のことを忘れていないことを示す一つの方法でしょう。しかし、すでに述べたように大切なのは心です。心からの祈りであれば、どこで祈るかは大切ではありません」


――故人を記念した像や石碑が建立されることがありますが、当の霊はその除幕式に出席するものでしょうか。その様子を喜んで見つめるものでしょうか。


「出席できる状態であれば出席します。ですが、そのようにして記念してくれることを名誉と思うよりも、出席者の思いそのものを有り難く思うものです」


――自分の葬儀に出席しますか。


「出席するケースはよくありますが、多くの場合、死に伴う意識の混乱状態の中にあるために、出席していても何のことか分からないものです」


――葬儀で長蛇の列をなしているのを見て、やはり得意な気分になるものでしょうか。


「どういう心情で集まっているかにもよるでしょうけど、大勢の参列者を見て悪い気はしないでしょう」


――遺産相続人の会合には立ち合うものでしょうか。


「必ずといってよいほど立ち合います。当人の教育として、また強欲が受ける懲罰がいかなるものであるかを見せるために、神がそのように計らいます。つまり、彼が生前受けた愛想の良さやお追従(ついしょう)が本当は何が目的であったかを思い知らされ、さらに遺産をめぐる強欲の張り合いを目(ま)のあたりにして、愕然とします。その相続人たちへの懲罰も、そのうち巡ってきます」

シルバーバーチの霊訓(二)

Silver Birch Speaks
Edited by Sylvia Barbanell




七章 霊媒が入神している時

 入神中の霊媒をコントロールしているとき支配霊はどんな苦労をしているのだろうか。これから紹介するのは時おり催される〝質疑応答だけの交霊会〟の席でシルバーバーチが語ったことである。

 最初の質問は、出席者からの質問を聞いてそれに答えるときは霊媒の耳と口を使用しているのかということだった。


 「そうです。この霊媒に憑っているときは全ての点でこの霊媒自身になり切っております。潜在意識を活用して必要な部分を全部コントロールしております」


 「ということは、この霊媒に憑っている間は霊界との連絡は絶たれているということでしょうか」

 「そうではありません。うまくコントロールするコツ───やはりコツがあるのです───は霊媒を操りながら同時に霊界との連絡をいかにして維持するかという点にあります。一方で通信網を保ちながら、他方で情報の供給源との接触を維持しなければなりません。

 戦時中はその通信線が一、二本に制限されてしまったという話をしたことがあります。その意味は、この霊媒のコントロールに関する限り状態が非常に良くなかったので、通信網を一本また一本と断念しなければならなかったのです」

 「時おり〝また一本切れました〟とおっしゃってましたね」 

 「そうなのです。コントロールしている最中に邪魔が入ったのです。故意にやられる場合もあれば意図的でない場合もありますが、とにかく私は生命線の一本を失ったようなもので、修理班を派遣しておいてコントロールだけは維持しなければなりませんでした。

実に入り組んだ原理で行われており、電話で話をするのとは比べものにならないほど複雑です。電話の場合は少なくとも対話する人は同じ次元におります。私たちはまったく異なる次元で通信しなければならないのです。

 そういうわけで霊格の高い支配霊はある程度その本来の個性を犠牲にすることになります。と言いますのは、その本来の質の高い個性のままでは鈍重な地上界とは感応しませんので、調整のために波長を下げなければならないのです」


 次の質問は「入神中の霊媒は何か特殊な感じを覚えているのでしょうか」ということだった。
 「入神中は何の感覚もありません。入神の前と後にはありますが、入神中はありません。そのわけは、そもそも入神するということは周囲の出来ごとに無感覚になることを意味するからです。もちろん入神にも浅いもの、意識がぼんやりとする程度のものから完全に無意識になってしまうものまであります。

その完全な状態まで入神したら、まったく感覚が無くなります。そこまで至る初期の段階では住々にして何らかの感覚を覚えます。それは霊媒の意識が身体と連動して機能していないことによります。

 その時の感覚もさまざまです。外界の明るさを感じる人がいます。遠くまで行く、というよりは、行ったような気がする人もいます。自分の口で語られていることを遠くで聞いているような感じがする人もいます。実にいろいろです」


 別の交霊会ではこうも語っている。

 「私たちの仕事には二つの段階があります。第一は、これは非常に難しいことですが、私たちの仕事を地上に根づかせることです。これがいかに難しいか、皆さんにはお判りいただけないと思います。

物質の世界との直接の接触なしに影響力を行使する───純粋に精神のみの働きかけ、意念の集中、思念の投射を地上の一人の人間に向けて行います。本人はそれを無意識で受け、自分の考えのつもりで交霊会の行われている場所へ足を運びます。

 これは実に難しく、何年も何年も要します。私の場合はこの霊媒が生まれる前から準備を開始したほどです。その段階が終わると、第二の段階はさほど困難は伴いません。

すでに道具、霊媒、チャンネルが出来ているのですから、あとはそれを通じて言いたいことを述べるだけです。伝わり具合の問題がありますが、少なくとも磁気的なつながりができたわけで、それは容易に切れるものではありません。

 それをきっかけに霊的影響力をいくらでも増すことができます。言わば霊力の通風孔をどんどん大きくしていくことが出来るわけですが、唯一の限界は霊媒の受容力にあります。それが私たちの協力関係における制約となっております。とかく問題が生じても、全てその要因は私たちの方にあるのでなく、私たちが使用する道具にあります。

なぜ霊はこうしてくれないのか、ああしてくれないのか、とよく言われますが、それに対する答えは、霊媒という道具がそれを可能にしたり不可能にしたりしているということです。

 それはともかくとして、磁気的なつながりが出来あがってしまってからは、事がずっと簡単になります。私たちの世界を通して高い界からの霊力が地上へ届くようになるからです。人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば、死の関門を通過するまで待たなくても、今すぐからその真の自我を発揮することになります。

 そうなると、時の経過とともに霊的な交わりがいっそう緊密に、豊かに、そして効果的になってまいります。そうなってからは、前もって計画されているさまざまな人たちを一堂に呼び集めることは、さほど難しくはありません。

こう申し上げるのは、今日ここにお集まりの方々が、一人の例外もなく、霊力を受けやすいこの場に導かれて来ていることを知っていただきたいからです。それを受けられたあなた方は、自分がそうしてもらったように他の人々へそれを伝達する手段となることができます。

 こうして、結局は最初に申し上げた話に戻ってきました───私に礼を述べないで下さいということです。皆さんが明日を思い煩うことなく人生を歩めるのは、皆さん自身がみずからの自由意志で、霊力の働きの範囲内に連れて来られる段階を踏んできたからこそなのです。

 皆さんの生活の中に霊的知識がもたらされたことを常によろこばなくてはいけません。それがさらに、地上世界の恩恵だけでなく、その背後にある、より大きな恩恵まで思いのままに受けさせてくれる霊的知覚の存在を認識させてくれます。

 あなた方は地上だけでなく私たちの世界からも愛を受けていること、血縁とは別の縁で結ばれている霊がいて、血縁同様にあなた方を愛し、能力の限り指導に当たってくれていることを喜ばなくてはいけません」

 そう述べてもなお古くからのメンバーが繰り返し感謝の言葉をシルバーバーチに向けると───

 「いえ、私への礼は無用です。このことは極力みなさまに判っていただきたいと願っていることです。私がそう申し上げるとき、決して口先だけの挨拶として言っているのではありません。皆さんは私を実際に見たことがありません。

この霊媒の身体を通して語る声としてしかご存知ないわけです。ですが私も実在の人間です。感じる能力、知る能力、愛する能力をもった実在の人間です。

 この仕事に携わる者の特権として私には幾つもの段階をへて送られてくる莫大な霊力を使用する手段が授けられております。必要とする人々へ分け与えるために使用することが私に許されているのです。私たちの世界こそ実在であり、あなた方の世界は実在ではありません。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことでしょう。

 あなた方は幻影の中で生きておられます。全て〝影〟なのです。光源はこちらの世界にあります。実質の世界です。こちらへ来て始めて生命とは何かということがお分かりになります。その真実味があまりに強烈であるために、かえってお伝えすることができないのです。

どうか、私のことをあなた方の兄貴だと思ってください。あなたを愛し、いつも側にいて、精一杯あなたを守り導きたいという願望をもって腐心している兄貴と思ってください。

 私はあなた方が気づいておられる以上にしばしばそれぞれのお家を訪れております。私に敬愛を覚えてくださっている家庭を私の地上での家庭であると思っているのです。状態がどうも良くないとき───地上での仕事にはよくそういう時があるのです───そんな時に敬愛に満ちたあなた方の光輝で温めてもらいに来ることができるということは大いなる慰安の源泉です。

 私たちは、やっていただいたことに対しては必ずそれなりの支払いを致します。いつもこう申し上げているのです───施しをする人は必ずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定をすればいつも戴いたものの方が多くなっていると。施す者が施しを受けるというのが摂理なのです。

なぜなら、施しをしようとすることは魂の窓を開き、精神を広げ、心を大きくすることであり、その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです。ですから、私に礼をおっしゃることはないのです。私がしていることは実に些細なことに過ぎないのですから」


 ここでメンバーの一人が第二次世界大戦中にシルバーバーチへの信頼心が大きな支えになったことを告げると、シルバーバーチは、

 「私のことを私の背後に控える大きな存在の表象、代弁者、代理人と思って下さい。その大きな力があなた方を包み、支え、その力があなた方を導いているのです。どこにいてもその知識を携え霊の世界との協力関係を確立した人は、イザという時にその豊かな力を呼び寄せることができます。

 皆さんのような方が怖れたり、取越苦労をしたり心配したり狼狽したりする必要はまったくありません。完璧な信仰は完璧な愛と同じく全ての恐怖心を追い払うものだからです。人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします。

霊的な力が地上において本来の働きをするためには、静かで穏やかな確信───全ての恐怖心が消え、より大きな生命力と調和した光輝が漂い、何が起きようと必ず切り抜けられることを信じ切った、そういう確信が無ければなりません」

 「ですから、これまで成就出来たことは全てあなたのお蔭だと申し上げているのです」とメンバーの一人が言うと、心霊治療で救われた別の一人が、

 「ほんとに大きなお蔭をいただいたと感謝しております」と述べた。するとシルバーバーチが述べた。

 「確かにあなたの場合は格別に霊力の見事さを見せつけられた生き証人ということが出来るでしょう。といって私たちは盲目的な信仰、理性が同意できない信仰、不可能なことを要求し奇跡を期待するような信仰をお持ちなさいと言うつもりはありません。

現段階での人類は全ての知識を手に入れることは期待できません。一人一人の受容力と、能力と、霊的発達程度に応じただけの知識が授けられております。

 さて、その知識を人生哲学の基礎とすれば、これまでに受けた恩恵の大きさに艦みて、これからも背後に控える力があなた方を見離すはずはないとの〝信仰〟をもつことができます。

 ある程度は〝信じる〟ということがどうしても必要です。なぜなら全てを物的な言葉や尺度で表現することは出来ないからです。霊の世界の真相の全てを次元の異なる物質界に還元することは出来ないのです。

しかし、ある程度は出来ます。それを表現する能力を具えた道具(霊媒・霊覚者)が揃った分だけは出来ます。それを基礎として、他の部分は自分で合理的と判断したものを受け入れて行けばよいわけです。

 いつも申し上げているように、もしも私の言っていることが変だと思われたら、もしもそれがあなたの常識に反発を覚えさせたり、あなたの知性を侮辱するものであれば、どうか信じないでいただきたい。私がいかなる存在であるかについては、これまでにも必要なときに、そしてそれを可能にする条件が許す範囲で、明らかにしてきたつもりです。

それ以上のことは、あなたの得心がいくかぎりにおいて、あなたの私への信任にお任せします。ですが、これだけはぜひ申し上げておかなければなりません。

これまでを振り返ってご覧になれば、あなた方の生活の中に単なる偶然では説明のつかないものが数々あること、私ども霊団とのつながりができてからというものは、援助の確証が次々と得られていることを示す具体的例証を発見されるはずだということです。

 私は本日ここに集まっておられる方々の背後で活躍しているスピリットのあなた方への心遣いについて、いちいち申し上げようとは思いません。とても短い時間ではお話しできないでしょう。ですから、せめて次のことを素直に受け入れていただきたい。

すなわち背後霊はみなこうした機会を通じて皆さん方が愛の不滅性───こうして志を同じくする者が集まった時に心に湧き出る大いなる愛の情感は、墓場を最後に消えてしまうものではないということを改めて認識してほしいということです」

 そして最後に出席者全員にこう挨拶を述べた───「本日こうして皆さんとの交わりを通じて、私がいつも皆さんの身近にいることを改めて認識していただくことができたことを深く感謝いたします」

 すると一番古くからのメンバーが「私たち一同、とても大きな慰めをいただきました」と言うと、すかさずシルバーバーチは次のように述べて会を閉じた。

 「あなた方こそ私たち霊団にとって大いなる慰めです。どうかこれまでと変わらぬ堅固な意志をもって歩んでください。皆さんはすでに数々の困難を切り抜けて来られました。試練の炎が猛り狂ったこともありました。しかし一つの傷を負うこともなく、その中をくぐり抜けて来られました。

恐怖心を抱いてはいけません。これは私が繰り返し繰り返し述べているメッセージです。あなた方を支援する力はこれから先も決して見棄てることはありません。

無限の力が何時もご自分の身のまわりにあり、愛によって導かれ、必要な時はいつでも無限の叡知に与(あずか)ることができるとの認識をもって、恐れることなく、不安に思うことなく、まっすぐに突き進んでください。

皆さんも私たちも、世界を愛と美と寛容心と同情心と正義と慈悲の心で満たしたいとの願いの元に手をつなぎ合っている神の僕です。その神の御力を少しでも遠く広く及ぼすことができるよう、心を大きく開こうではありませんか。その御力の感動、その確証、その温かさを自覚できる人は大勢いるのです。

 こうして神の使者として、みずからの生きざまを通して、私たちこそ神の御心に適った存在であり、その御心が私たちの行為の全てに反映していることを示す機会を与えていただいたことを素直によろこぼうではありませんか」

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


六章 霊媒現象の原理

 ある日シルバーバーチのファンから寄せられた手紙に幾つかの質問が列記してあった。その質問とシルバーバーチの回答を紹介する。


質問 ㈠ ──霊媒というのは心霊能力のバッテリーを所有している人で、それが現象を起こさせるのでしょうか。

 「バッテリーと呼ぶのはどうかと思います。霊媒とは霊の世界を感識する能力を具えた人で、地上にあって霊的身体の能力を使用し、その結果として霊界のバイブレーションに合わせることが出来る人です。

 文字からも分かるように霊媒は一つの媒体であり道具であり中継者です。その機能が果たせるのは心霊的能力が発達しているからです。すぐ表面近くに存在するために作用するのが容易なのです。

 そこで当然、では心霊能力とは何か、霊の力とは何かという問題が出てきます。しかしこれはとても説明が困難です。霊的実在を表現する用語を見つけるのが容易でないからです。

 大ざっぱに言えば霊力とは生命力であると言えます。本質的にはありとあらゆる意識的活動を生み出すところのものと同じです。宇宙を支えている創造的エネルギーと同じものです。程度こそ違え、質においては同類に属します」


質問㈡ ──心霊能力はどうすれば身につけることができるのでしょうか。

 「心霊能力は何か持ち物を手に入れるような具合に自分の所有物とするのではありません。心霊能力が働くその通路となるということです。心霊能力は例外なく(潜在的に)全ての人間に宿されております。それは肉体を去ったのちの生活で自我を表現するための手段です。それを未発達の状態で所有しているのです。ふだん一般の人は使用していませんが、霊媒が使用して見せているわけです。

 と言っても、各自の能力がみな一様に同じ発達段階にあるわけではありません。潜在意識の表面まで来ている人は霊媒になろうと思えばなれます。霊視能力というのは霊体の目で見ることであり、霊聴能力というのは霊体の耳で聞くことです」


質問㈢ ──治病能力は心霊的エネルギーとは別のものでしょうか。

 「使用されるものは全て心霊的エネルギーですから、治病能力だけ別のものということはありませんが、数ある特質の一つであることは確かです。生命の根源はいかなる物的探求によっても捉えることは出来ません。地上の科学者の誰一人として、その根源、意識の起源を突き止めた人はいません。最高の頭脳をもってしても尚突き止められない神秘なのです。

 実を言えば霊こそ生命であり、又生命こそ霊なのです。地上界、霊界、宇宙のあらゆる世界におけるエネルギー、原動力、駆動力はその〝霊〟なのです。生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。

 皆さんが地上生活を営めるのは霊的存在だからです。もし肉体から霊的本質が撤退してしまったら、物質界はまったく感識できなくなります。人間は毎晩死んでいるようなものだと言われますが、再びその身体に戻って来れるのは〝生命の糸〟(※)によって繋がっているからです。

睡眠中に万一切れるようなことがあったら、生命力は二度とその身体に活力を与えることができなくなります。(※日本では古くから〝霊の緒(たまのお)〟〝魂の緒〟〝玉の緒〟という字を当てて生命そのものの代名詞としても用いている。霊視すると銀色に輝いてみえるところから西洋では〝銀色の紐〟(シルバーコード)と呼ぶこともあるー訳者)

 肉体は霊の力によって動かされている機械です。あなたは肉体ではありません。地上にいる間だけその肉体に宿って自我を表現している〝霊〟なのです。肉体の用事が終われば霊は去っていきます。

 霊は無限の可能性を秘めていますから、その表現形態もまた無限です。これでおしまいという限界が無いのです。霊そのものに限界が無いからです。肉体器官を通して表現しているものの中で人間が馴染んでいるものとしては、考える、推理する、判断する、決断する、反省する、考察する、調査する、熟考するといった知的能力と、見たり聞いたり感じたり動いたり触れたりする感覚的能力があげられます。これらは肉体を通して自我を表現している霊の属性の一部です。

 肉体という制約から解き放たれると、霊はさらに広範囲の表現形態を通じて自我を表現することが可能になります。霊媒、すなわち霊界からの影響力を感識してそれを地上で再現することの出来る人をみれば、それがどの程度のものであるかが、ある程度まで判るでしょう。 

 どれほど多くのものを再現できるか、その質、その高さがどの程度のものになるかは、その霊媒の感受性一つに掛かっており、その感受性は他の要素すなわち心霊能力のその時の状態、霊的進化の程度、健康状態、天候、それに列席者の協力いかんに掛かっています。

 霊媒を通して霊的威力をさまざまな形で地上にもたらすことが出来ます。その時、物理法則とは別個の法則に従います。一見すると物理法則と矛盾しているかに思えますが、本質的には矛盾していません。

 治病能力というのはその霊的エネルギーの一つなのです。生命力の一部であるそのエネルギーを地上に作用させるのです。これにもいくつかの種類があります。そういうわけで、ご質問に対する答えは、簡単に言えば、治病力も霊の一部、一つの側面ということになります」

質問㈣ ──心霊能力は進化のある一定の段階まで到達すると自然に発揮されるのでしょうか。言いかえれば、人間はみな進化のある段階まで来ると超能力者になっていくのでしょうか。

 「答は〝イエス〟です。なぜならば人類の進化は潜在している資質を高めることに他ならないからです。ヒトは身体的進化はすでに頂点にまで達しております。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が自己の心霊能力にますます目覚めていくことでしょう。

 しかし、ここで〝ただし書き〟が必要です。心霊能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならないということです。霊的身体の持つ能力を全部発揮しても、魂そのものは少しも進化していないということも有り得ます。

本当の意味で霊的に進化し始めるのは、人のために役立つ仕事を目的として、霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した時です」

    ※         ※         ※

 別の日の交霊会にある有能な女性霊媒がご主人とともに出席した。この人は病気のために霊媒としての仕事をしばらく休んでおり、一日も早く再開したいと望んでいる。この方へのシルバーバーチのアドバイスには霊能者はもとより、これから霊能を開発したいと望んでいる人にとっても為になることが多いので紹介しておこう。まずシルバーバーチがこう挨拶した。

 「何年たっても霊的真理への忠誠心が少しも曇ることのない古い同志をお迎えすることは嬉しい限りです」

 「病気をしてからというもの、私は何だか背後霊との連絡が〝遮断〟されたみたいなのです。私の唯一の望みは人のお役に立つことなのですが・・・」

 「そのうち道が開けます。あなたにとって霊界の存在は他の多くの人々よりはるかに実感があります。霊界の驚異、よろこび、美しさ、光輝を数多く見てこられているので、もはやその実在は人には説明できないほどのものとなっております」


 「確かに実感をもって認識しているのですが、何かひとこと、背後霊からの導きの言葉が欲しくて仕方がないのです」

 「どの霊媒の場合も同じですが、霊能の行使が身体に害を及ぼすとみた場合は遮断せざるを得ないのです。それはあなたも理解出来るでしょう。本来の健康状態でない時は霊力が一時的に引っ込められることがあることを予期しなければなりません。でも、あなたはすでに苦難の時期を脱しておられます。

 これまで永い間あなたは霊界と交わって来られましたが、その間一度たりとも霊の影響範囲から迷い出られたことはありません。実はこれには非常に難しい問題が含まれております──例の自由意志の問題です。霊によるインスピレーションと指導とが、常にあなたの自由を犯しているのです。と言っても、すべては相対的な問題にすぎませんが・・・・・・

 あなたが今日あるのはその霊界との交わりの結果です。あなたはまさに協調の人生を送っておられます。あなたには自分一人の生活というものが無い。それは霊の方も同じです。その協調の仕事が始まった時から、厳密な意味での自由意志というものは存在していません。

なぜならば二つの世界の影響力が混じり合い、融合し、協調し合って、言わば互いに侵し合っているのです。そういう次第ですから、あなた一人が心配なさることはないのです。たとえ直接のメッセージは届かなくても、これまでに身につけられた知識を逸脱するようなことは決して生じないとの信念で、着実に歩まれることです」

 「よく判ります。冷静さを保ち、メッセージがないことを気にせず、ひたすら前向きに進めとおっしゃるのでしょうけど、私はいつも何か確証を求めるのです。いけないことかも知れませんが、用心の上にも用心をするに越したことはないと思うのです」

 「でも、今のあなたには心配なさることは何一つありませんよ。結婚なさってからというもの、お二人はずっと霊の世界から導かれています。これまでたどってきた道を振り返ってご覧になれば、常に導きを受けておられることがお判りになるでしょう。

 霊界からの導きによって全ての悩みが消えてしまうとか、足元の石ころがぜんぶ取り除かれると言っているのではありません。霊界の援助を得て事にのぞめば、あなた方お二人にとって大きすぎて解決できないような問題は決して生じないと言っているのです。

 振り返ってごらんになれば、霊の指先が道を指示してくれていることがお判りになるはずです。それが歴然としているものもあれば、あまりはっきりと認識できないものもありますが、常に進むべき道を指し示しております。難問で四方を取り囲まれていた時でも、結局は無キズのまま平然と切り抜けて来られ、一度も挫折したことはありません。

 これまでの長い年月を霊界で過ごして来た私は、地上の同胞を導く仕事に携わるスピリットが採用するさまざまな手段を知るところとなりました。それで判ったことは、それには一つの型(パターン)があり、私どもに協力してくださるスピリットの全てがそれに当てはめられているということです。そのパターンは仕事を開始するに先立って、きちんと取り決められます。

 手を差しのべてよい範囲があり、出しゃばってはならない限界があり、しゃべってはならない時があり、今こそしゃべる時があり、それに加えて必ず、その時どきの環境条件による制約があります。しかしそのパターンは厳然としており、指導に当たるスピリットはすべからくそのパターンに従わなくてはなりません。

前もってそういう取り決めがしてあるからです。私も、私よりはるかに霊格の高い霊団によって計画されたワクの外に出ることは許されません。そもそも地上で成就すべきものと判断を下した、もしくは計画したのは、その高級霊団だからです」

 「それはどういう霊ですか」とご主人が尋ねた。

 「光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団───どう呼ばれても結構です。要するに私どものする全仕事に対して責任をもつ、進化せる高級霊の集団です。私にはもうすぐその方たちとお会いする喜びが待ちうけております。

その時まず私の方からそれまでの成果をご報告申し上げ、同時に、私がどの程度まで成功しどの点において失敗しているかについて言い渡され、それによってこれから先の私の為すべきことを判断することになるのです。

 その霊団の上にはさらに高級な霊団が控え、その上にも又さらに高級な霊団が控えており、連綿として事実上無限に繋がっているのです。

 さて、(先ほどの説明に戻って)こうした指導体制は私たちに協力して下さる人々すべてに当てはまります。断言しますが、この仕事に携わるに至るまでの厳しい試練を潜り抜けた人が生活に困ったり、見捨てられたり裏切られたり、スピリットに対して抱いていた信頼心が挫けたり確信を失ったりすることは決してありません。

 それは絶対に有り得ないことです。そうした地上の協力者を通じて働いているスピリットを背後から指揮している力は、人間を悩ませる程度の試練や困難を乗り越えさせるくらいのことは何でもないことだからです。

ただし、そうした際に最も大切なのは〝確信〟です。背後の力に対する不動の確信───日常生活にとって必要なものは必ず授けてくださるという静かな確信です」

 ここでその女性霊媒から出た最初の質問に戻ってシルバーバーチが「あなたは、霊界からのインスピレーションではなくて自分の考えを述べているに過ぎないかも知れないと心配なさっておられるわけですか」と聞くと

 「それに、もっとお役に立てないものかと思って・・・」

 「あなたの使命はまだまだ終わってませんよ。授かっている能力がこれからも人のために、援助と指導と勇気を与えるために使用され続けることでしょう。まだまだお仕事は残っております。終わってはいません。

 許されるものなら、あなたの支配霊について、その方が霊界でいかに大きな存在であるか、これまでの体験でいかに崇高な資質を身につけておられるかをお伝えしたいと思うのですが、残念ながら許されておりません。

ただし、これだけは言えます。地上へ戻ってくる霊の中であなたの支配霊ほどの高級な霊はそう多くはいないということです。その霊格、その功績に対して私たちは崇高の念を禁じ得ません。

 実に偉大なる霊です。それほどの霊の愛と信頼を得たことをあなたは誇りに思わなくてはいけません。もうしばらく待たれれば再び霊媒能力を使用することができるでしょう。その時、前よりも一段と強力なものとなっていることを知られるはずです」

 この日の交霊界はクリスマスシーズンに入る直前のもので、毎年このあとしばらく交霊会は休会となる。シルバーバーチは最後にメンバー全員にこう挨拶した。


 「大きな困難の時に当たって私に示された敬愛の念に対して深く感謝いたします。あなた方の不断の忠誠心が常に私に誇りを持たせ、それに応えるべく私に為し得るかぎりのことをさせていただいたつもりです。

 これまでの協調の仕事ぶりは実に見事でありました。お互いがお互いに対して抱いている信頼感を損なうようなことは誰一人として行わなかったことが、その何よりの証です。

私は、私に向けて下さる敬愛の念をいつも嬉しく思っております。それが仕事をやり易くしてくれました。自分の携わっている仕事によって心の支えを得られた人たちが情愛を向けてくださっているのだと思えば自然とそうなるのです

 どうか私たちが誇りに思っている霊的知識は、それを知らずにいる人々にも分け与えてあげなければならないものであることを忘れないように致しましょう。私たちが手を伸ばすべき分野がまだまだあること、人生に疲れ果て、生きる希望も頼りとすべきものもなく、慰めと光を求めている人が無数にいることを忘れないように致しましょう。

 そういう人々のうちの幾人かは私たちが心の支えとなってあげ、日々の生活の中に確信を───人生を生き甲斐あるものにする確信をもたらしてあげることができます。

 人生を嘆き、慰めとなるものを未だに見出し得ず、心は悲しみに溢れ、目に涙を溜めている無数の人々のことを忘れないように致しましょう。

 病を得ている人がいること、その多くは霊の力によって治してあげることができることを忘れず、神の子が一人でも多く父なる神の愛と叡知に目覚めるように、こうした霊的知識の普及に努力いたしましょう。

 では、またお会いする日まで。私はいつも愛の心を携えて訪れ、愛の心を携えて帰ってまいります」
                    
 
        
   七章 霊媒が入神している時

 入神中の霊媒をコントロールしているとき支配霊はどんな苦労をしているのだろうか。これから紹介するのは時おり催される〝質疑応答だけの交霊会〟の席でシルバーバーチが語ったことである。

 最初の質問は、出席者からの質問を聞いてそれに答えるときは霊媒の耳と口を使用しているのかということだった。


 「そうです。この霊媒に憑っているときは全ての点でこの霊媒自身になり切っております。潜在意識を活用して必要な部分を全部コントロールしております」


 「ということは、この霊媒に憑っている間は霊界との連絡は絶たれているということでしょうか」

 「そうではありません。うまくコントロールするコツ───やはりコツがあるのです───は霊媒を操りながら同時に霊界との連絡をいかにして維持するかという点にあります。一方で通信網を保ちながら、他方で情報の供給源との接触を維持しなければなりません。

 戦時中はその通信線が一、二本に制限されてしまったという話をしたことがあります。その意味は、この霊媒のコントロールに関する限り状態が非常に良くなかったので、通信網を一本また一本と断念しなければならなかったのです」

 「時おり〝また一本切れました〟とおっしゃってましたね」 

 「そうなのです。コントロールしている最中に邪魔が入ったのです。故意にやられる場合もあれば意図的でない場合もありますが、とにかく私は生命線の一本を失ったようなもので、修理班を派遣しておいてコントロールだけは維持しなければなりませんでした。

実に入り組んだ原理で行われており、電話で話をするのとは比べものにならないほど複雑です。電話の場合は少なくとも対話する人は同じ次元におります。私たちはまったく異なる次元で通信しなければならないのです。

 そういうわけで霊格の高い支配霊はある程度その本来の個性を犠牲にすることになります。と言いますのは、その本来の質の高い個性のままでは鈍重な地上界とは感応しませんので、調整のために波長を下げなければならないのです」


 次の質問は「入神中の霊媒は何か特殊な感じを覚えているのでしょうか」ということだった。
 「入神中は何の感覚もありません。入神の前と後にはありますが、入神中はありません。そのわけは、そもそも入神するということは周囲の出来ごとに無感覚になることを意味するからです。もちろん入神にも浅いもの、意識がぼんやりとする程度のものから完全に無意識になってしまうものまであります。

その完全な状態まで入神したら、まったく感覚が無くなります。そこまで至る初期の段階では住々にして何らかの感覚を覚えます。それは霊媒の意識が身体と連動して機能していないことによります。

 その時の感覚もさまざまです。外界の明るさを感じる人がいます。遠くまで行く、というよりは、行ったような気がする人もいます。自分の口で語られていることを遠くで聞いているような感じがする人もいます。実にいろいろです」


 別の交霊会ではこうも語っている。

 「私たちの仕事には二つの段階があります。第一は、これは非常に難しいことですが、私たちの仕事を地上に根づかせることです。これがいかに難しいか、皆さんにはお判りいただけないと思います。

物質の世界との直接の接触なしに影響力を行使する───純粋に精神のみの働きかけ、意念の集中、思念の投射を地上の一人の人間に向けて行います。本人はそれを無意識で受け、自分の考えのつもりで交霊会の行われている場所へ足を運びます。

 これは実に難しく、何年も何年も要します。私の場合はこの霊媒が生まれる前から準備を開始したほどです。その段階が終わると、第二の段階はさほど困難は伴いません。

すでに道具、霊媒、チャンネルが出来ているのですから、あとはそれを通じて言いたいことを述べるだけです。伝わり具合の問題がありますが、少なくとも磁気的なつながりができたわけで、それは容易に切れるものではありません。

 それをきっかけに霊的影響力をいくらでも増すことができます。言わば霊力の通風孔をどんどん大きくしていくことが出来るわけですが、唯一の限界は霊媒の受容力にあります。それが私たちの協力関係における制約となっております。とかく問題が生じても、全てその要因は私たちの方にあるのでなく、私たちが使用する道具にあります。

なぜ霊はこうしてくれないのか、ああしてくれないのか、とよく言われますが、それに対する答えは、霊媒という道具がそれを可能にしたり不可能にしたりしているということです。

 それはともかくとして、磁気的なつながりが出来あがってしまってからは、事がずっと簡単になります。私たちの世界を通して高い界からの霊力が地上へ届くようになるからです。人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば、死の関門を通過するまで待たなくても、今すぐからその真の自我を発揮することになります。

 そうなると、時の経過とともに霊的な交わりがいっそう緊密に、豊かに、そして効果的になってまいります。そうなってからは、前もって計画されているさまざまな人たちを一堂に呼び集めることは、さほど難しくはありません。

こう申し上げるのは、今日ここにお集まりの方々が、一人の例外もなく、霊力を受けやすいこの場に導かれて来ていることを知っていただきたいからです。それを受けられたあなた方は、自分がそうしてもらったように他の人々へそれを伝達する手段となることができます。

 こうして、結局は最初に申し上げた話に戻ってきました───私に礼を述べないで下さいということです。皆さんが明日を思い煩うことなく人生を歩めるのは、皆さん自身がみずからの自由意志で、霊力の働きの範囲内に連れて来られる段階を踏んできたからこそなのです。

 皆さんの生活の中に霊的知識がもたらされたことを常によろこばなくてはいけません。それがさらに、地上世界の恩恵だけでなく、その背後にある、より大きな恩恵まで思いのままに受けさせてくれる霊的知覚の存在を認識させてくれます。

 あなた方は地上だけでなく私たちの世界からも愛を受けていること、血縁とは別の縁で結ばれている霊がいて、血縁同様にあなた方を愛し、能力の限り指導に当たってくれていることを喜ばなくてはいけません」

 そう述べてもなお古くからのメンバーが繰り返し感謝の言葉をシルバーバーチに向けると───

 「いえ、私への礼は無用です。このことは極力みなさまに判っていただきたいと願っていることです。私がそう申し上げるとき、決して口先だけの挨拶として言っているのではありません。皆さんは私を実際に見たことがありません。

この霊媒の身体を通して語る声としてしかご存知ないわけです。ですが私も実在の人間です。感じる能力、知る能力、愛する能力をもった実在の人間です。

 この仕事に携わる者の特権として私には幾つもの段階をへて送られてくる莫大な霊力を使用する手段が授けられております。必要とする人々へ分け与えるために使用することが私に許されているのです。私たちの世界こそ実在であり、あなた方の世界は実在ではありません。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことでしょう。

 あなた方は幻影の中で生きておられます。全て〝影〟なのです。光源はこちらの世界にあります。実質の世界です。こちらへ来て始めて生命とは何かということがお分かりになります。その真実味があまりに強烈であるために、かえってお伝えすることができないのです。

どうか、私のことをあなた方の兄貴だと思ってください。あなたを愛し、いつも側にいて、精一杯あなたを守り導きたいという願望をもって腐心している兄貴と思ってください。

 私はあなた方が気づいておられる以上にしばしばそれぞれのお家を訪れております。私に敬愛を覚えてくださっている家庭を私の地上での家庭であると思っているのです。状態がどうも良くないとき───地上での仕事にはよくそういう時があるのです───そんな時に敬愛に満ちたあなた方の光輝で温めてもらいに来ることができるということは大いなる慰安の源泉です。

 私たちは、やっていただいたことに対しては必ずそれなりの支払いを致します。いつもこう申し上げているのです───施しをする人は必ずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定をすればいつも戴いたものの方が多くなっていると。施す者が施しを受けるというのが摂理なのです。

なぜなら、施しをしようとすることは魂の窓を開き、精神を広げ、心を大きくすることであり、その広くなったチャンネルを通して愛と導きと保護の力が流れ込むことになるからです。ですから、私に礼をおっしゃることはないのです。私がしていることは実に些細なことに過ぎないのですから」


 ここでメンバーの一人が第二次世界大戦中にシルバーバーチへの信頼心が大きな支えになったことを告げると、シルバーバーチは、

 「私のことを私の背後に控える大きな存在の表象、代弁者、代理人と思って下さい。その大きな力があなた方を包み、支え、その力があなた方を導いているのです。どこにいてもその知識を携え霊の世界との協力関係を確立した人は、イザという時にその豊かな力を呼び寄せることができます。

 皆さんのような方が怖れたり、取越苦労をしたり心配したり狼狽したりする必要はまったくありません。完璧な信仰は完璧な愛と同じく全ての恐怖心を追い払うものだからです。人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします。

霊的な力が地上において本来の働きをするためには、静かで穏やかな確信───全ての恐怖心が消え、より大きな生命力と調和した光輝が漂い、何が起きようと必ず切り抜けられることを信じ切った、そういう確信が無ければなりません」

 「ですから、これまで成就出来たことは全てあなたのお蔭だと申し上げているのです」とメンバーの一人が言うと、心霊治療で救われた別の一人が、

 「ほんとに大きなお蔭をいただいたと感謝しております」と述べた。するとシルバーバーチが述べた。

 「確かにあなたの場合は格別に霊力の見事さを見せつけられた生き証人ということが出来るでしょう。といって私たちは盲目的な信仰、理性が同意できない信仰、不可能なことを要求し奇跡を期待するような信仰をお持ちなさいと言うつもりはありません。

現段階での人類は全ての知識を手に入れることは期待できません。一人一人の受容力と、能力と、霊的発達程度に応じただけの知識が授けられております。

 さて、その知識を人生哲学の基礎とすれば、これまでに受けた恩恵の大きさに艦みて、これからも背後に控える力があなた方を見離すはずはないとの〝信仰〟をもつことができます。

 ある程度は〝信じる〟ということがどうしても必要です。なぜなら全てを物的な言葉や尺度で表現することは出来ないからです。霊の世界の真相の全てを次元の異なる物質界に還元することは出来ないのです。

しかし、ある程度は出来ます。それを表現する能力を具えた道具(霊媒・霊覚者)が揃った分だけは出来ます。それを基礎として、他の部分は自分で合理的と判断したものを受け入れて行けばよいわけです。

 いつも申し上げているように、もしも私の言っていることが変だと思われたら、もしもそれがあなたの常識に反発を覚えさせたり、あなたの知性を侮辱するものであれば、どうか信じないでいただきたい。私がいかなる存在であるかについては、これまでにも必要なときに、そしてそれを可能にする条件が許す範囲で、明らかにしてきたつもりです。

それ以上のことは、あなたの得心がいくかぎりにおいて、あなたの私への信任にお任せします。ですが、これだけはぜひ申し上げておかなければなりません。

これまでを振り返ってご覧になれば、あなた方の生活の中に単なる偶然では説明のつかないものが数々あること、私ども霊団とのつながりができてからというものは、援助の確証が次々と得られていることを示す具体的例証を発見されるはずだということです。

 私は本日ここに集まっておられる方々の背後で活躍しているスピリットのあなた方への心遣いについて、いちいち申し上げようとは思いません。とても短い時間ではお話しできないでしょう。ですから、せめて次のことを素直に受け入れていただきたい。

すなわち背後霊はみなこうした機会を通じて皆さん方が愛の不滅性───こうして志を同じくする者が集まった時に心に湧き出る大いなる愛の情感は、墓場を最後に消えてしまうものではないということを改めて認識してほしいということです」

 そして最後に出席者全員にこう挨拶を述べた───「本日こうして皆さんとの交わりを通じて、私がいつも皆さんの身近にいることを改めて認識していただくことができたことを深く感謝いたします」

 すると一番古くからのメンバーが「私たち一同、とても大きな慰めをいただきました」と言うと、すかさずシルバーバーチは次のように述べて会を閉じた。

 「あなた方こそ私たち霊団にとって大いなる慰めです。どうかこれまでと変わらぬ堅固な意志をもって歩んでください。皆さんはすでに数々の困難を切り抜けて来られました。試練の炎が猛り狂ったこともありました。しかし一つの傷を負うこともなく、その中をくぐり抜けて来られました。

恐怖心を抱いてはいけません。これは私が繰り返し繰り返し述べているメッセージです。あなた方を支援する力はこれから先も決して見棄てることはありません。

無限の力が何時もご自分の身のまわりにあり、愛によって導かれ、必要な時はいつでも無限の叡知に与(あずか)ることができるとの認識をもって、恐れることなく、不安に思うことなく、まっすぐに突き進んでください。

皆さんも私たちも、世界を愛と美と寛容心と同情心と正義と慈悲の心で満たしたいとの願いの元に手をつなぎ合っている神の僕です。その神の御力を少しでも遠く広く及ぼすことができるよう、心を大きく開こうではありませんか。その御力の感動、その確証、その温かさを自覚できる人は大勢いるのです。

 こうして神の使者として、みずからの生きざまを通して、私たちこそ神の御心に適った存在であり、その御心が私たちの行為の全てに反映していることを示す機会を与えていただいたことを素直によろこぼうではありませんか」

Friday, April 3, 2026

シルバーバーチの霊訓(二)

 Silver Birch Speaks

Edited by Sylvia Barbanell


五章 映画女優と語る

 シルバーバーチの交霊会を訪れる著名人の顔ぶれは実に多彩であるが、本章で紹介するのはその中でも特異な人物の部類に入るであろう。招待されたのは無声映画時代に〝世界の恋人〟と呼ばれて人気を博した米国の女優メアリ・ピックフォードで、司会のハンネン・スワッハー氏もそれを記事に書いて心霊紙に発表した。それをそのまま転載する。

 ※         ※        ※

 映画でも演劇でも芸術作品でも、それが真実を表現し、大勢の人々の心に触れるものをもっておれば、霊界からみれば実に大きな存在価値を持つものであることは、これまでシルバーバーチが各界で活躍している人々を招待した時にたびたび強調していることであるが、このたびも又、そのことを改めて確認することになった。
 以下は先日の交霊会の速記録からの興味深い箇所の抜粋である。


シルバーバーチ「さて、海を渡って(米国から)お出でくださったお客さんに申し上げましょう。今日ここに出席しておられる方々があなたの大ファンであること、またいわゆる死の彼方にいる人たちからも守られていることを、あなたはずっと感じとってこられたことはご存知と思いますが、いかがですか」

 ピッグフォード「よく存じております」

 シ「その愛、その導きがあなたの人生において厳然たる事実であったことを、あなたは何度も何度も体験しておられます。窮地におちいり、どちらへ向かうべきかが判らずに迷っていた時、はっきりとした形で霊の導きがあり、あなたは迷うことなくそれに従われました。お判りでしょうか」

 ピ「おっしゃる通りです」

 シ「ですが、実際には情愛によって結ばれた大勢の人々の愛を、これまで意識された以上に、もっともっと受けておられるのです。もしその全てが認識が出来たら、あなたのこれまでの生涯が勿体ないほどの導きを受けていることが判るでしょう。

もしもこの地上生活であなたに託された使命の全てを一度に見せられていたら、とても成就出来ないと思われたことでしょう。それほどのものが、右足を一歩、左足を一歩と、着実に歩んで来られたからこそ今日まで維持できたのです。

 ある程度はご存知でもまだ全てはご存知ないと思いますが、私たちの世界───あなた方の世界から移住してくる霊の住む世界から見ると、真実の宗教は人のために役立つこと、これしかないことが判ります。無私の善行は霊の通貨なのです。

 すなわち人のために精一杯の努力をする人は、その誠意によって引きつけられる別の人によってそのお返しを受けるのです。これまでの人生であなたは大勢の人々の生活に幸せと理解力と知識とをもたらしましたが、その分だけあなたは地上の人だけでなく、はるか昔に地上を去り、その後の生活で身につけた叡智をあなたを通じて地上にもたらさんと願う光り輝く霊も引き寄せております。私の言っていることがお判りでしょうか」

 ピ「はい、よく判ります」

 シ「こちらの世界ではあなたの存在を大使(アンバサダー)の一人と考えております。つまり一個の仲介者、大勢の人間との間を取り持つ手段というわけです。目に見えない世界の実在という素朴な福音をあなたは熱心に説いてこられました。これまで物的障害が再三にわたって取り除かれ首尾よく前進できたのも、あなたのそうした心掛けがあったからです。

 そこで、私から良いことをお教えしましょう。あなたは遠からず、これまでのそうしたご苦労に有終の美を飾られる───栄誉を給わり、人生の絶頂期を迎えられるということです。あなたの望まれたことが、これからいよいよその結実をみることになります」

ここで、私(スワッハー)が出席する会には必ず出現するノースクリッフ卿(※)がシルバーバーチと入れ替わってピックフォードに挨拶を述べた。

私は直接は知らないが、ピックフォードが夫君のフェアバンクスと連れだって初めてロンドンを訪れた時、フアンの群れでどこへ行ってももみくちゃにされるので、ノースクリッフがひそかに二人を私邸に泊めたという経緯があるのである。

(※英国の有名な新聞経営者で、デイリーメール紙の創刊者、死後スワッハーがよく出席したデニス・ブラッドレーの交霊会に出現し、スワッハーがその記録を『ノースクリッフの帰還』と題して出版、大反響を呼んだ──訳者)

 そのあと、かつての夫君フェアバンクスが出現して二人の結婚生活の不幸な結末を残念に思っていることを述べた。が、その件についてはそれ以上深入りしないでおこう。とにかくそれを聞いてピックフオードがシルバーバーチにこう述べた。

 ピ「私はかつて地上の人間にも他界した方にも恨みを抱いたことは一度もありません。恨みに思ったのは過ちを犯した時の自分に対してだけです」
 シ「ご自分のことをそうダメな人間のようにお考えになってはいけません。今もしあなたの人生の〝元帳〟を整理することが出来たら、いわゆる〝過ち〟といえるほどのものは、無私の行いや善行に比べて至って少ないことがお分かりになるはずです。多くの人々のどれほど良いことをしてこられたかは、こちらへお出になるまではお判りにならないでしょう。

 あなたは数え切れないほどの人々に愉しみを与えて来られました。しばしの間でも悲しみを忘れさせ、心の悩みや痛みを忘れさせ、トラブルやストレスを忘れさせ、人生のあらしを忘れさせてあげました。あなた自身の願望から、あなたなりの方法で人のために役立ってこられました。人のために役立つことが一番大事なのです。

 他の全てのものが忘れ去られ、あるいは剥ぎ取られ、財産が失われ権力が朽ち、地位も生まれも効力を失い、宗教的教義が灰燼に帰したあとも、無私の人生によって培われた性格だけはいつまでも残り続けます。私の目に映るのは身体を通して光り輝くその性格です。

私は幾許かの善行を重ねた魂にお会いできることを大きな喜びとしております。以上があなたがみずから〝過ち〟とおっしゃったのを聞いて私が思ったことです。あなたは何一つ恐れるには及びません。真一文字に進まれればよろしい。あなたも素直なところをお聞きになりたいでしょう?」


 ピ「ええ」

 シ「あなたは大金を稼ぐのは趣味ではなさそうですね。あなたの願望は出来る限りの善行を施すことのようです。違いますか」

 ピ「おっしゃる通りです」

 シ「その奇特な心がけがそれなりの報酬をもたらすのです。自動的にです。その目的はとどのつまりはあなたに確信を与えるということにあります。何一つ恐れるものはないということです。心に恐怖心を宿してはいけません。恐怖心はバイブレーションを乱します。バイブレーションのことはご存知でしょう?」

 ピ「ええ、少しは存じております」

 シ「恐怖心は霊気を乱します。あなたの心が限りない、そして弛むことのない確信に満ちていれば、霊的真理を手にしたがゆえの不屈の決意に燃えていれば、この無常の地上においてその心だけは決して失意を味わう事はありません。

 物質界に起きるいかなる出来ごとも真のあなた、不滅で無限で永遠のあなたに致命的な影響を及ぼすことはできません。あなたは、背後にあってあなたを導き支えている力が宇宙最大の力であること、あなたを神の計画の推進のための道具として使用し、その愛と叡智と真理と知識を何も知らずにいる人々に教えてあげようとしている愛の力であるとの、万全の知識を携えて前進することが出来ます。

 あなたはこれまで幾度か自分が間違ったことをしたと思ってひそかに涙を流されたことがあります。しかし、あなたは間違ってはおりません。あなたの前途には栄光への道がまっすぐに伸びております。目的はきっと成就されます。私の申し上げたことがお役に立てば幸いです」

 ピ「本当にありがとうございました」

 シ「いえ、私への礼は無用です。礼は神に捧げるべきものです。私どもはその僕に過ぎないのですから。私はこの仕事の完遂に努力しておりますが、いつも喜びと快さを抱きながら携わっております。もしも私の申し上げたことが少しでもお役に立ったとすれば、それは私が神の御心に副(そ)った仕事をしているからにほかなりません。あなたとはまたいつかお会いするかも知れませんが、その時はもっとお役に立てることでしょう。 

 その時までどうか上を向いて歩んでください。下を向いてはいけません。無限の宝庫のある無限の源泉から光と愛がふんだんに流れこんでいることを忘れてはいけません。その豊かな宝庫から存分に吸収なさることです。求めさえすれば与えられるのです。著述の方もお続け下さい」


 最後にサークル全員に向かって次のような祈りのメッセージを述べた。

 「どうか皆さんを鼓舞するものとして霊の力が常に皆さんとともにあり、先天的に賦与されている霊的能力をますます意識され、それに磨きをかけることによって幸せの乏しい人々のために役立て、そうすることによって皆さんの人生が真に生き甲斐あるものとなることを切に祈ります」

 そう述べて、いよいよ霊媒(バーバネル)の身体から離れる直前にピックフォードにこう述べた。

 シ「ご母堂が、あなたに対する愛情が不滅であることをあなたが得心してくれるまで私を行かせないと言っておられます。ご母堂はあなたから受けた恩は決して忘れていらっしゃいません。今その恩返しのつもりであなたのために働いておられます。どうしても行かせてくれないのですが・・・・」

 ピ「でも私こそ母に感謝しております。十回生まれ変わってもお返しできないほどです」

 シ「あなたはすでに十回以上生まれ変わっておられますよ」
 ピ「猫より多いのでしょうか。十八回でも生まれ変わるのでしょうね。今度こそこの英国に生まれることでしょうよ」

 シ「いえ、いえ、あなたはすでに英国での前生がおありです。が、これは別の話ですね」

 ピ「あと一つだけ・・・・・・私のその英国での前生について何かひとことだけでも・・・」
 シ「二世紀以上も前にさかのぼります。それ以上のことは又の機会にしなくてはなりません。私はもう行かなければなりません。これ以上霊媒を維持できません」

 どうやらピックフォードはその二世紀あまり前に少女として英国で生活した前生のことをずっと前から信じていたらしいふしがある。その理由(わけ)については私の記憶にない。とにかくグラディス・スミスという名でトロントに生を受けた彼女は、血統が英国人であることを誇りに思っていることは確かである。
                ハンネン・スワッハー

霊の書(2部) アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

第2部 霊の世界
アラン・カルデック(編) 近藤千雄(訳)


4章 再生

このページの目次〈再生の必要性〉
〈地球外天体への生まれ変わり〉
〈創造的輪廻転生〉
〈幼児の死後の運命〉
〈霊の性別〉
〈家族関係〉
〈容貌と性格の類似〉
〈生得観念〉


〈再生の必要性〉

――物質界での生活で完全性を達成できなかった魂は、その後、浄化のための試練をどのような方法で行うのでしょうか。


「新たな生活での試練を体験することによって行います」


――その新たな生活をどう生かすのでしょうか。霊として何らかの変身を遂げるのでしょうか。


「浄化するにはもちろん変身が伴います。しかしそれには物的生活での試練が必要です」


――となると魂は多くの物的生活を体験するということでしょうか。


「その通りです。あなた方も私も皆、それぞれに何回かの物的生活の経験があります」


――その説から推理しますと、魂は一つの身体を離れたあと別の身体をまとう――つまり新しい身体で再生するということになりますが、そう理解してよろしいでしょうか。


「まさにその通りです」


――再生の目的は何でしょうか。


「罪障消滅、人類の進歩・向上です。これなくしてどこに神の公正がありましょう」


――再生の回数には限りがあるのでしょうか、それとも永遠に再生を繰り返すのでしょうか。


「一回の再生ごとに霊は一歩向上します。それを重ねて不純なものを浄化しきれば、もう物的生活による試練は必要でなくなります」


――再生の回数はどの霊も同じなのでしょうか。


「一人一人違います。進歩の速い者は試練は少なくて済みます。とは言え、再生の回数は多いのが常です。進化の道は無限といっても良いほどですから」


――最後の物的生活を終えたあと、霊はどうなるのでしょうか。


「浄化され尽くした霊として、至福の境涯へと入ります」


――再生説の哲学的根拠は何でしょうか。


「神の公正、そして新たな真理の啓示です。前にも述べたことですが、我が子がいかなる過ちを犯そうと、愛情ある父親は、いつでも帰ってくるのを扉を開けて待つものです。そういう我が子に過ちの償いをする機会を与えずに、永遠に悦びを奪い続けることが公正でないことくらい、少し理性を働かせれば分かることではないでしょうか。人間は全て神の子ではなかったでしょうか。不公正、容赦ない憎悪、無慈悲な刑罰が横行しているのは、利己主義のはびこる人間界だけです」
〈地球外天体への生まれ変わり〉


――物的生活の体験は全てこの地球上で行うのでしょうか。


「全てというわけではありません。他の天体で行うことも少なくありません。今のあなたの地上生活は最初でもなく最後でもなく、最も物質的で、完全性から最も遠くかけ離れた世界での体験の一つです」


――魂は物的生活を、毎回、新しい天体で行うのでしょうか、それとも同じ天体で何回か体験するのでしょうか。


「十分な進歩が得られない場合は何度でも同じ天体で生活することになります」


――では、私たちは何度かこの地上へ生まれてくるかも知れないわけですか。


「もちろんです」


――その前に他の天体で生活して、それから再びこの地球へやってくることもできるのでしょうか。


「もちろんできます。あなたはすでに地球以外の天体で生活していらっしゃいます」


――再びこの地上へ戻ってくる必要があるでしょうか。


「ありません。ですが、もしも進歩がなければ、この地球と同等か、もっと低い天体へ行くことになるかも知れません」


――地上生活は(私にとって)もう一度戻ってくるほどのメリットがあるでしょうか。


「とくにメリットというほどのものはありません。もっとも、使命が十分に果たせていない場合に、その仕上げに戻ってくることはあるかも知れません。その場合は霊的な向上も得られます。それは地球だけに限りません。他のどの天体でも同じことです」


――いっそのこと再生せずに霊のままでいた方が良いのではないでしょうか。


「とんでもない! そんなことでは進歩が止まってしまいます。霊はひたすら進化向上を求めるのです」


――他の天体をいくつか体験したあと初めてこの地球へやってくることもあるのでしょうか。


「あります。今地上で生活している人でも次は別の天体へ行くかも知れません。宇宙の全ての天体は連帯関係によって結ばれています。一つの天体で成就できなかったことを他の天体で成就することができるようになっています」


――では今地上にいる人間の中には今回初めて地球へやってきた人もいるわけですね?


「大勢います。しかも、霊性の進化の程度もまちまちです」


――この人は今回が初めてだと分かる特徴がありますか。


「そんなことを知っても何の役にも立ちません」


――人類の究極の目的である完全性と至福の境涯に到達するためには宇宙に存在する天体の全ての生活を体験しなくてはならないのでしょうか。


「そんなことはありません。その天体の中には発達程度の同じものが沢山あって、そこでは新しい体験が得られないからです」


――ではなぜ同じ天体に何度も再生しなくてはならないのでしょうか。


「訪れる度に新たな環境に置かれ、新しい経験を見出すことになります」


――前回よりも発達程度の低い天体へ再生することもありますか。


「あります。進化を促進する意味も含めて一つの使命を持たされる場合があります。そういう場合は使命に伴う酷しい苦難を喜んで受け止めるものです。霊性の進化を促進してくれることを理解しているからです」


――それが罪滅ぼしの場合もあるのではないのでしょうか。また、言うことを聞かない霊が程度の低い天体へ送られることもあるのではないのでしょうか。


「霊は進化が止まることはあっても決して退化することはありません。言うことを聞かない霊は進化を止められるという形で罰を受けることがあり、また無駄に終わらせた物的生活を、その本性に合った条件のもとで、もう一度やり直しをさせられることがあります」


――もう一度やり直しをさせられるのはどういう霊の場合ですか。


「与えられた使命を怠った者、あるいは用意された試練に耐え切れずに安易な道を選んだ者などです」


訳注――ここでカルデックは何のコメントもしていないが、世間を見ても自分の心の中をのぞいてみても、こういうことは思い当たることが多いのではなかろうか。単純な例では自殺や一家心中が挙げられるが、宗教家や霊能者の中には功名心や金銭欲から良心がマヒし、取り巻き連中に担がれてとんでもない方向へ歩んでいる者が多いことは、ご存じであろう。要するに霊的真理、峻厳な摂理の理解が本物でないことに帰するようである。


――この地球から別の天体へ再生する場合、地上時代と同じ知性を携えて行くのでしょうか。


「当然です。知性は決して失われません。ただ問題は、別の天体へ再生した時のその知性の表現手段が同じでないかも知れないことです。それはその霊の進歩の程度と身にまとう身体の性質によって違ってきます」


――地球外の天体に住む者も我々と同じ身体を持っているのでしょうか。


「身体はあります。物質に働きかけるためには物質で身をくるまないといけないからです。しかし、その外衣は霊が成就した純粋さに応じて物質性の度合いが異なります。その度合いが再生していく天体の程度を決定づける要素となるのです。“我が父の家には住処(すみか)多し”とイエスが述べておりますが、それだけ霊格の差があるということでもあります。そのことを地上生活中から直観している人がいますが、まったく感じていない人もいます」


――地球外の天体の地質的および精神状態(霊性の程度)について細かい知識を得ることは許されるでしょうか。


「我々霊団としては人類の到達したレベルに応じた対応をするしかありません。言い変えれば、そうした知識をむやみに啓示することは許されていないということです。それが理解できるレベルに達していない者がいて、そういう者にとってはただ混乱させるだけだからです」


――一つの天体から別の天体へ再生するに際しては、霊はやはり幼児期を通過しなくてはならないのでしょうか。


「いかなる天体にあっても、幼児期は必然の通過過程です。ただし、同じ幼児期でも分別の程度にそれぞれの差があります。地球での幼児期ほど分別心の芽生えの遅い天体はそう多くはありません」


――再生する新しい天体は自分で選べるのでしょうか。


「必ずしも選べるとは限りません。要望を出すことはできますし、それが叶えられることもありますが、それはその霊にとって相応しい場合に限られます。その霊の霊性の発達の程度によっては相応しくない天体がいろいろとあるからです」


――本人から要望を出さない場合は、どの天体にするかを決める基準は何なのでしょうか。


「霊性の発達程度です」


――各天体上の生活者はいつの時代にも、身体的にも霊的にも一定のレベルの者ばかりなのでしょうか。


「そうではありません。そこに居住する者と同じく天体そのものも進化の法則に従っております。どの天体も最初は地球と同じ粗悪な状態から始まりました。地球もこれから先輩の天体と同じ変質を遂げることになっています。そしていつの日か居住者の全てが善性の強い霊性を身につけるようになれば、いわゆる地上天国が出現します」


――物的身体が浄化しきってペリスピリットだけになっている天体があるのでしょうか。


「あります。しかもそのペリスピリットもさらに精妙となって、人間の目には映じない、つまり存在しないかに思えるほどになります。完全に浄化しきった霊の状態です」


――今のお説から判断しますと、その程度の霊になると物的天体に降誕している霊と霊界の純粋霊との間に明確な境界線はないように思えますが……


「そういう境界線は存在しません。その差異は徐々に無くなっていき、ちょうど夜が次第に明けて昼になるように、一つにつながってしまいます」


――ペリスピリットの成分は全ての天体において同じでしょうか。


「同じではありません。精妙化の度合いが異なります。一つの天体から別の天体へと移動する時、霊は電光の速さで外衣(ペリスピリット)を更え、その天体に相応しい成分で身をくるみます」


――純粋霊は特別の天体に集まっているのでしょうか、それとも、どの天体ということなく、普遍的宇宙空間に存在するのでしょうか。


「純粋霊にも所属する天体はありますが、人間が地球にしばりつけられているような意味でその天体に所属しているのではありません。神速自在の動きを身につけていますから、事実上は遍在と同じです」
〈創造的輪廻転生〉


――霊は個的存在として創造された当初から霊的属性を存分に発揮できるのでしょうか。


「そういうものではありません。霊も人間と同じく幼児期というものがあります。その期間は本能による存在だけで、ほとんど自我意識も意識的行為もありません。知性の発達は実にわずかずつです」


――初めて物質界へ誕生した時の魂はどんな状態でしょうか。


「人間の人生でいう幼児期と同じです。知性はやっと目覚めはじめたばかりで、言うなれば“生活しようとし始めた”ばかりです」


――地上の未開人の魂はその幼児期の状態にあるのでしょうか。


「相対的な意味で幼児期にあると言えるでしょう。が、彼らはすでにある程度の発達を遂げております。その証拠に、彼らには感情があります」


――すると感情は発達のしるしなのでしょうか。


「発達のしるしです。ただし完成のしるしではありません。活動をしていることのしるしであり、“自分”というものを意識しているしるしです。ただ、他面においては原始的な魂です。知性と霊力は萌芽の状態で存在しているのみです」


――現在の地上生活を完ぺきに送ることによって途中の階梯を飛び越えて純粋霊の境涯に到達することは可能でしょうか。


「それはとても不可能なことです。あなた方が“完ぺき”という用語から想像しておられる概念は、真実の完ぺき性からは程遠いものだからです。人間には全く知られていない要素があるのです」


――少なくとも来世(次の地上生活)を現世よりは苦難の少ないものにすることは可能でしょうか。


「それは可能です。苦難の道を短くそして軽くすることはできます。いつまでも苦難から逃れられないのは向上の意志のない者に限られます」


――現世で到達した位置から低い位置に下がるということはありますか。


「社会的地位ならあるでしょう。霊としての進化の程度のことであれば、そういうことはありません」


――善性の高かった魂が悪党になって再生するということはありますか。


「ありません。善性は決して退化しません」


――逆に悪人が善人に生まれ変わることはありますか。


「それはあります。ただし、死後によほど改心した場合のことです。その悔恨の報いとして新しい再生生活が与えられます」


――いけないことと知りつつ悪の道を歩んでいる者が再生の事実を知って、どうせいつかは真っ当な人間になってみせるさと自己弁解することも有り得るのではないでしょうか。


「そんな狡(ずる)い計算のできるほどの人間になると、もはや何事も信じるということができなくなっています。かりに永遠の刑罰の話を聞かされても悪事は止めないでしょう。

確かに地上にはその種の人間がいます。が、そういう人間もイザ死んでみると考えが変わるものです。自分の計算の狡さに気づき、その反省が次の再生生活に反映して真っ当な人生を送ろうと心掛けるものです。こうして進歩が得られるのです。またこうして地上には進歩的な人とそうでない人とが出てくるのです。その原因は前世での体験にあります。が、誰しもいつかは体験します。進歩を促進するのも阻害するのも、みな“自分”です」


――物的生活の苦難を体験することによってのみ進化向上が得られるとなると、物的生活というのは一種の篩(ふるい)ないしは濾過器のようなもので、霊界の存在が完全の域に到達するためには必ず通過しなければならないものということになりますが……


「その通りです。物的生活の試練の中にありながら悪を忌(い)み善を志向することによって向上して行きます。しかし、それも一度や二度ではなく、幾回もの再生を繰り返すことによって可能なことであり、それに要する時の長さは、完全のゴールへ向けての努力の量によって長くもなれば短くもなります」
〈幼児の死後の運命〉


――幼くして他界した子供の霊でも大人の霊と同じくらい進化していることがあるのでしょうか。


「時には大人よりずっと進化していることがあります。前世が多く、それだけ経験も豊富な場合で、その間の進歩が著しい場合は特にそうです」


――すると父親よりも霊性の高い子供もいるわけですね?


「しばしばそういうケースがあります。世間を見ていてそういうケースをよく見かけませんか」


――幼くして他界して悪事を働くこともなかった霊は霊界の高い界層に所属するのでしょうか。


「悪事を働かなかったということは善行もしていないということです。神が、経験すべき試練を免除することは決してありません。霊が高い界層に所属するのは純真無垢な子供のまま霊界へ来たからではありません。幾つもの前世の体験でそれ相当の進化を遂げたからです」


――なぜ幼児の段階で人生に終止符を打たれることが多いのでしょうか。


「子供の観点からすれば、前世で中途で終わった人生をその短い期間で補完をするためである場合があります。親の観点からすれば我が子を失うことによる試練または罪滅ぼしである場合がよくあります」


――幼児期に他界した霊はどうなるのでしょうか。


「新しい生活を始めます」
〈霊の性別〉


――霊にも性別があるのでしょうか。


「人間の概念でいう性別はありません。人間の場合は肉体器官の違いを言います。霊の場合は愛と親和性で引かれ合いますが、その基盤として高尚な情緒が存在します」


――今生(こんじょう)では男性の身体に宿っていた霊が来世は女性として再生するということはありますか。


「あります。同じ霊が男性にもなり女性にもなります」


――これから再生していく霊としては男性と女性のどちらに生まれたいと思うのでしょうか。


「そういう選り好みは霊は無関心です。どちらになるかは、これから始まる新しい物的生活での試練に視点を置いて決められることです」
〈家族関係〉


――親は子に魂の一部を分け与えるのでしょうか、それとも動物的生命を与えるのみで、それに別の霊が宿るのでしょうか。


「両親から貰うのは動物的生命だけです。魂は分割できません。愚かな父親に賢い子が生まれ、その逆もあるのではありませんか」


――お互いに幾つかの前世があるとなると、家族関係は今生を超えたものも存在するわけですね?


「当然そうなります。物的生活が繰り返されていくうちに霊と霊との関係が複雑になり、初めて会った間柄のはずなのに、それが仲の良い関係や仲の悪い関係を生むことにもなります」


――再生説は霊どうしの関係を今生以前にまでさかのぼらせるから、折角の家族の絆をぶち壊すことになると受け取る人がいますが……。


「家族の絆をさかのぼらせることはあっても、ぶち壊すことにはなりません。むしろ今生の家族の家族関係は前世での縁の上に成り立っているのだという自覚が危機を救うことにすらなるのではないでしょうか。互いに愛し合うべきとの義務感を強くさせるはずです。なぜかと言えば、前世で愛し合った間柄、あるいは親子の間柄だった者が、今生では隣の家族の一人になっているかも知れない、あるいは自分の家のお手伝いさんとして働いているかも知れないからです」


――そうはおっしゃっても、やはり多くの人間が抱いている自分の先祖への誇りを減じることは否めないのではないでしょうか。純粋と思っていた血統の中に、かつては全く別の人種に属していた者や、あまり誇れない社会的地位にあった者がいたことになるからです。


「おっしゃることはよく分かります。ですが、今“誇り”とおっしゃったものは大体において“高慢”に根ざしているものです。その証拠に、誇りに思っているのは爵位であったり、身分階級であったり、財産であったりします。父親が謹厳篤実な靴職人であることを口にするのを憚る人が、得てして、放蕩者の貴族の末裔(まつえい)であることを自慢にするものです。しかし人間が何と言おうと、また何をしようと、全ては神の摂理にのっとって進行しているのです。人間の見栄から出た欲求に従って神が摂理を変えるわけにはいかないのです」


――同じ家系の子孫に次々と生まれてくる霊どうしの間に必ずしも家族関係はないとなると、立派な先祖がいたことを誇りに思うのは愚かということになるのでしょうか。


「とんでもない。高級霊が降誕したことのある家系に属することになったことを誇りに思うべきです。もちろん霊は順序よく再生してくるわけではありませんが、家族の絆で結ばれた霊どうしの愛は、離れていても同じです。そしてそうした愛の親和力によって、あるいは幾つかの前世で培われた人間関係による親和力によって、どこそこの家族に、と申し合わせて再生してくることもあります。

念のために申し添えますが、先祖の霊たちは、自分たちのことを自慢のタネにして誇ってくれても少しも嬉しくは思いません。かつて彼らがいかに立派な功績を残したとしても、その功績自体は子孫にとっては徳行への励みとなる以上の意義はないのです。と言うよりは、それを見習うことによってこそ先祖の霊を喜ばせ、徳行に意義を持たせることになるのです」
〈容貌と性格の類似〉


――子供が親にそっくりということがよくありますが、性格上でも似るということがあるのでしょうか。


「そういうことはありません。それぞれに魂ないし霊が異なるからです。身体は親の身体から受けますが、霊は他のいかなる霊からも受けません。一つの人種の子孫のつながりは血縁関係しかありません」


――性格的にもそっくりという親子を時おり見かけますが、その原因は何でしょうか。


「霊的親和力の影響で似たような情緒や性向をもった者が同じ家族として一緒になることがあります」


――では、誕生後の親の霊的影響はないということでしょうか。


「大いにあります。すでに申し上げた通り霊は互いの進化向上のために影響し合うようになっています。その目的で親の霊に子の霊の成長を委託することがあります。この場合はそれが親としての使命であり、それが達成されないと罪悪となることさえあります」


――善良で徳の高い親に歪んだ性格の子供ができることがありますが、さきほどおっしゃったように親和力で善良な霊が引き寄せられそうなものですが、なぜそうならないのでしょうか。


「邪悪な霊が、徳の高い親のもとで更生したいという希望が受け入れられて誕生してくることがあります。その親の愛と心遣いによって良い影響を受けさせるために、神が徳の高い親にあずけることがよくあります」


――親は、心掛けと祈願によって、善良な子を授かることができるでしょうか。


「それはできません。しかし、授かった子の霊性を高めることはできます。それが親としての義務なのです。が、同時に親自身の試練のために霊性の低い子を授かることもあります」


――子供どうし、とくに双子の性格がそっくりの場合があるのは何が原因でしょうか。


「性格の類似性から生まれる親和力によって同じ家に生まれ合わせたのです。そういう場合はいっしょに再生できてうれしいはずです」


――身体の一部がつながっている双子、しかも器官のどれかを共有し合っている双子の場合でも二人の霊なのでしょうか。


「そうです。あまりによく似ているので一人の霊しか宿っていないように思えるでしょうけど……」


――親和力で引かれ合って生まれてくるのであれば、双子の中には憎み合いをするほどのものがあるのはなぜでしょうか。


「双子として生まれてくるのは親和力の強い者だけという法則があるわけではありません。邪悪な霊どうしが物質界を舞台として争いをしたいという欲求から生まれてくる者もいます」


――母胎の子宮の中にいる時からケンカをしているという話は本当でしょうか。


「憎しみの深さ、しつこさを象徴的に表現しているまでです。あなた方は象徴的ないし詩的な表現の理解が少し足りませんね」


――一つの民族に見られる明確な特徴はどこから出るのでしょうか。


「霊には、性向の類似性によって形成された霊的家族(類魂)があります。それにも霊性の浄化の程度によって上下の差がありますが、民族というのはそうした親和力で結ばれた家族の集合体であると思えばよろしい。それらの家族が一体となろうとする傾向が、各民族の明確な特徴を生み出すのです。善良で慈悲に富んだ霊が粗野で野蛮な民族に再生したいと思うでしょうか。思わないはずです。個人どうしで働く親和力は民族という集合体でも働きます。霊も、地上の人類の中でも最も霊的に調和する地域へ赴くものです」


――再生してくる霊は前世での性格の面影を残しているものでしょうか。


「残していることがあるかも知れませんが、成長するにつれて変化します。幾つも再生すれば社会的地位もいろいろと体験していることでしょう。たとえば大邸宅の主人だったこともあれば召し使いだったこともあるでしょう。するとその好みも大いに異なっていて、かりに両者を一度に見たら同一人物とは思えないほどでしょう。もちろん霊そのものは同一人物ですから、何度再生してもどこかに類似点は残っているかも知れません。しかしそれも、再生した国や家柄その他の諸条件の影響を受けてどんどん変わっていきます。そして遂には性格的にすっかり別人になっていきます。たとえば高慢で残忍だった者が悔恨と努力によって謙虚で人間味のある性格の持ち主になっていきます」


――前世での身体上の特徴の痕跡はどうでしょうか。


「身体は滅びます。従って新しい身体は前世での身体とは何の関係もないはずです。ところが霊性がその身体に反映します。そして身体は物質にすぎないとはいえ、霊性の特徴が身体に反映し、それが顔、とくに目に出ます。目は心の窓とは至言です。つまり目を中心とした人相が、身体の他のどの部分よりも霊性を強烈に反映します。形の上のハンサムとか美形とかの意味ではありません。かりに形は悪くても、それに善良で賢明で人間味のある霊が宿れば、見る人に好感を与えます。逆にいくら美形でも宿っている霊しだいでは不快感、時には反発心すら起こさせる人もいます。

一見すると五体満足の身体には円満な霊が宿っているかに思われがちですが、障害のある身体をした人で高潔で徳の高い人なら毎日のように見かけるはずです。そんなわけですから、かりに形の上では前世と今生とでは少しも似たところはなくても、同じ霊が何回も再生するうちに俗に言う“親族間の似寄り”を身体に与えるものです」
〈生得観念〉


――再生した霊は前世で知覚したことや入手した知識の記憶を留めているものでしょうか。


「うっすらとした記憶の形で残っています。それが俗にいう“生得観念”です」


――すると生得観念と呼ばれているものは実際にあるもので、幻想ではないのですね?


「幻想ではありません。物的生活で獲得した知識は決して失われません。物的生活を終えて物質から解放されると、それまでの何回かの生活の記憶が蘇ります。物的身体に宿っている間は具体的には回想されませんが、潜在的な直観力がそのエキスを感識して、霊的進歩を促進します。もしその直観力が無ければ、物質界へ誕生するたびに一から教育をやり直さなくてはなりません。その直観力のお蔭で霊は、次の物的生活を、前世が終わった時点で到達していた発達段階から開始するのです」


――そうなると、前世と現世との間には密接な関係があることになりますね?


「あなたが想像しているような意味での密接な関係はありません。というのは、二つの物的生活の間には生活環境の条件に大きな違いがあり、さらに忘れてならないのは、再生するまでの霊界での期間で大きく進歩することがあるからでもあります」


――予備的な学習もしないのに、たとえば言語とか数学、音楽などで驚異的な才能を見せる人がいますが、何が原因でしょうか。


「今言った過去世の記憶です。かつてそういう才能を磨いていたもので、現在は意識的な記憶がないだけです。もしそうでなかったら一体どこからそういう才覚が出ますか。身体は代わっても霊は同一人物ということです。衣服を着更えただけです」


――その衣替えの時に知的才能、たとえば芸術的センスなどを失うことがありますか。


「あります。その才能に泥を塗るようなことをする――つまり邪(よこしま)なことに使ってしまったりした場合です。これは罰ですが、それとは別に、才能を失うのではなく、今生では別の才能を伸ばすためにそれをしばらく潜在的に眠らせておく場合があります。この場合はまたいつか使用することができます」


――人類に共通して見られるもので原始的生活を送っている者にも見られる、神への信仰心と死後の存続の直観も、やはり遡及的回想の反応でしょうか。


「そうです。再生する前の霊としての知識の回想です。ですが、人間は往々にして自惚れによってその直観をもみ消しております」


――スピリチュアリズムで説かれている霊的真理と同じものが、いずこの民族にも見られますが、これも前世の回想でしょうか。


「こうした霊的真理は地球の歴史と同じくらい古くからあったもので、それが世界中のいたるところで発見されるのは当然のことです。いわゆる遍在で、真理であることの証拠です。再生してきた霊は、霊としての存在の時の直観力を保持していて、見えざる世界の存在を直観的に意識しているのです。ただその直観力が往々にして偏見によって歪められ、無知から生じた迷信とごっちゃになって質を落として行くのです」