Sunday, May 3, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




12章 霊能者のモラルの問題

訳注――ここで“霊能者”と訳したのは英文版では前章までと同じmedium(ミーディアム)である。これを“霊媒”と訳さなかったのは、日本では霊媒という用語は、物理現象や自動書記ならびに霊言現象における“入神(トランス)霊媒”というニュアンスが定着していて、本章のように同じくミーディアムでも霊視・霊聴・霊感といった主観的霊能を使用する人にも当てはまる内容には“霊媒”では不適切と判断し、限定的に用いるにとどめた。また、人格・識見を兼ね備えた優れた霊能者を“霊覚者”と呼ぶことにしていることも理解していただきたい。


――霊的能力の発達は霊能者自身のモラルに掛かっているのでしょうか。


「そうとは言えません。厳密に言うと、元来、霊的能力は体質に係わる問題であって、モラル的要素とは無縁です。しかしその霊能をいかに使用するかの問題になるとモラルの面が出て来ます。最終的にはモラルの高い低いが霊媒現象の質を決定づけます。」


――霊能は“大霊からの贈り物”と言われますが、そうであれば立派な人だけが授かればよいのに、中にはどうみても不似合いと思える人、つまり霊能の使い道を間違っている人がいるのはなぜでしょうか。


「才能はすべて神の恩寵として感謝すべきものです。あなたの言い分は、神はなぜ悪人に良い視力を与えるのか、なぜペテン師に鋭い勘を与えるのか、人を口車に乗せるのがうまい者になぜ流暢な弁舌を与えるのかとおっしゃっているようなものです。

霊能についても同じことが言えます。相応しくないと思える人が霊的能力に恵まれていることがよくありますが、それはその人にとって必要だからであって、それを使用することによって人間的に向上することを目的として授けられているのです。大霊が邪悪な人間には更生の手段を与えないということが有り得るでしょうか。その逆です。少しでも進歩すると、さらに多くの手段を用意なさいます。その手にしっかりと持たせるのです。

ですから、才能というのは、まずは当人がその恩恵に浴するためのものなのです。」


――その霊能の使用を誤った時は、それ相当の報いがあるのでしょうか。


「倍の報いを受けます。普通の人より多くの啓発の手段を授かっているからです。目が見えるのに道を間違える人は、目の見えない人が溝に落ちるのとは別の次元の裁きを受けます。」


――自動書記霊媒の中には同じテーマ、たとえばモラルの問題やその霊媒の短所に関連した通信が繰り返し綴られる者がいますが、何か特別な意図をもって行われているのでしょうか。


「そうです。繰り返し言及されているテーマについて当の霊能者を啓発し、短所を改めさせようという意図があります。霊団側はその目的のもとに、ある霊能者には自尊心について、別の霊能者には慈悲心について説きます。おのれの欠点に目覚めさせるために警告と忠告を繰り返しておく必要がある、そういう性癖をもった霊能者がいるものです。

野心や我欲のために才能を悪用する者、あるいは自惚れ、独善、軽率さといった欠点によって、せっかくの霊能を台なしにしかねない者には、霊団から折あるごとに警告が発せられます。が、残念なことに、そうした霊能者ほど自分には関係ないと思うものです。」


――しかし、霊能者自身のためという意図はなしに、一般的な戒めとして、その霊能者を通して授けている場合もあるのではないでしょうか。つまり一般人への教訓の道具として霊能者を使っているという場合です。


「もちろんです。我々霊界側としては、霊能者を媒介として届ける以外に方法のない人々のためを意図して忠告することがよくあります。もちろん取り次ぐ者がそれを自分への警告として受け止めることもあるでしょう。原則として霊的能力はその霊能者本人の霊性の向上だけでなく、人類一般の啓発のために授けられるのですから、ただ今のご意見はまさにその通りです。

我々は霊能者をあくまでも“道具”と見なし、道具として大切にしますが、決して他の一般の人々より特別に扱うわけではありません。従って体質的に霊的教訓の通路として役立つと見た時は、どの霊能者でも利用します。が、それも現段階での話です。いずれ人類が進化して優れた霊能者が続々と輩出するようになれば、体質だけで選ぶことはなくなり、精神的・道徳的に霊性の発達した霊能者を選ぶようになるでしょう。」


――霊能者の徳性の高さが低級霊を近づけなくしているとすれば、間違いなく徳性が高いと思える霊媒を通して信の置けない愚劣なメッセージが届けられたりするのはなぜでしょうか。


「間違いなく徳性が高い、とおっしゃいますが、あなたは霊能者の魂のすみずみまでお見通しなのでしょうか。邪悪性はないとしても、まだまだ軽薄さのような欠点が残っていることがあるものです。その意味でも常に反省を怠らぬように、こちらから時おり警告を発する必要があります。」


――優れた霊能を有し、従って大きな貢献をする可能性のある人が誤った道へ外れて行くのを、高級霊はなぜ許すのでしょうか。


「霊団側としては、あらゆる種類の霊能者に正しい道を歩ませるべく指導します。が、それに耳を傾けず、堕落の道を歩み続ける者には見切りをつけます。そして、霊能そのものは劣っても、少しでも徳性の高くある者を、渋々ですが、使用します。それ以上の人材が見当たらないのですから、やむを得ません。偽善者を通して真理が正しく伝えられることは有りません。」


――モラルの感覚に欠ける霊媒を通して高等な通信が得られることは、絶対にありませんか。


「そういう霊媒でも、能力的に良いものを持っていれば、今も述べた通り、他にこれといった人材がいないという特殊事情にかんがみて、取りあえずその者で間に合わせます。が、そのうち他に適切な霊媒が見つかれば、すぐに見捨てます。」


編者注――注目すべき事実として、高級霊団は霊能者が道徳的に堕落して低級霊の餌食になり始めたら、必ずといってよいほど、大きな事件を持ち上がらせてその過ちを暴くことをする。真面目な求道者がその霊能者に騙されないようにとの配慮からである。高級霊になると、いかに霊能が優れていようと、それには代えられないという見方をするようである。


――では完全な霊覚者とはどういう資質を有するのでしょうか。


「完全? ああ、残念ながらこの地上には完全なものは存在しません。もし完全だったら、この世には存在しないでしょう。“まっとうな”霊能者とでも呼びましょうか。いや、それでもまだ言い過ぎでしょう。まっとうな霊能者にも滅多にお目にかかれません。“完全な”霊覚者だったら邪霊集団も騙そうという考えすら抱かないでしょう。地上で求められる最高の霊覚者としては、常に高級な善霊との親和関係を保ち、せめて邪霊に騙されることが滅多にない者といったところでしょう。」


――善霊との親和関係を保っていてもなお騙されることがあるということでしょうか。なぜでしょうか。


「いかに優れた霊能者であっても、高級霊があえて騙されるに任せることがあるのです。洞察力を試すためであり、また、真実と虚偽との見分け方を教えるためでもあります。さらには、いかに優れているといってもどこかに欠点があるわけですから、邪霊のつけ入るスキは必ずあるものです。そこで時おり痛い目に遭わせるのです。

時おり他愛もない通信を受け取るのは、決して油断はならぬとの警告であり、自惚れさせないためです。手回しオルガンの奏者がいくら良い曲を聞かせても自慢にはならないのと同じで、いくら高等な通信を受け取っても自分が偉いわけではないのですから。」


――高等な霊界通信を受け取るための最適の条件とはどんなことでしょう?


「動機にやましい点がないこと、我欲と高慢がないこと。この二つが必須の条件です。」


――高級霊からの通信がそんなに厳しい条件のもとでしか入手できないとなると、霊的真理の普及の障害となるのではありませんか。


「そんなことはありません。求める者には必ず光が与えられます。取り払うべき地上の闇は不純な心から生まれたものです。高慢と貪欲と無慈悲をなくすことです。そうすれば、格好つけた交霊会など開かなくても、善霊は光明へ導いてくれます。

霊能者に恵まれないまま真理の光を求めている人々には、自分自身の理性を頼りとして大霊の無限の霊力と叡智を学ぶように告げてあげてください。その真摯な求道心はいつかは最高の証しを生み出し、必ずや高遠の世界からの援助にあずかることでしょう。」

シルバーバーチの霊訓(五)

More Teachings of Silver Birch 
 Edited by A.W. Austen


巻頭言

 あなたがもしも古き神話や伝来の信仰をもって足れりとし、あるいはすでに真理の頂上を極めたと自負されるならば、本書は用はない。が、もしも人生とは一つの冒険であること、魂は常に新しき視野、新しき道を求めてやまぬものであることをご存知ならば、ぜひお読みいただいて、世界のすべての宗教の背後に埋もれてしまった必須の霊的真理を本書の中に見出して頂きたい。

 そこにはすべての宗教の創始者によって説かれた教えと矛盾するものは何一つない。地上生活と、死後にもなお続く魂の旅路に必要不可欠の霊的知識が語られている。もしもあなたに受け入れる用意があれば、それはきっとあなたの心に明りを灯し、魂を豊かにしてくれることであろう。

その中にはあなたの理性を反発させ、あなたの知性を侮辱するものは何一つない。なぜなら、すべては愛の心と奉仕の精神から生まれたものだからである。
シルバーバーチ


 
まえがき  (編者)

 本書はほぼ一世紀前に(※)霊界において開始された大々的布教活動───すべての宗教の教義の下に埋もれてしまった必須の霊的真理を掘り起こし、その本来の単純素朴な形で地上に蘇らせる活動の一環として出版されるものである。

世界各地で催されている交霊会(ホームサークル)において、民族を異にする霊媒を通じて働きかけている支配霊たちが目的としているのは、人間に霊的実在を教え霊的叡智を授けることによってお互いがお互いのための生活を送り、そうすることによって同胞精神に満ちた新しい世界を招来する一助となるように導くことにある。
  (※一八四八年のスピリチュアリズムの勃興をさす───訳者)

 本書に収められているのは世界的に敬愛されている古代霊からの教訓である。その名をシルバーバーチというが、これは本名ではない。いま彼が所属している世界では名前はどうでもよいのだといって明かそうとしないのである。が、いつかは明かす日が来ることを約束している。


(※)それまでは私も語られた言葉だけで彼がいかなる人物であるかを判断することで満足するとしよう───誰が語っているのかは分からないままそのメッセージを受け入れていくことにしよう。

(※一九八一年バーバネルの死によってそれも果たされないまま終わった。いつかは明かすと言ったは、明かしてもよい時期が来たら明かすという意味で言ったのであろう。が現実にはシルバーバーチという人物像が強烈となるにつれて地上では誰だったのかという興味が次第に薄れ、そのせんさくが無意味に思われるようになっていったというのが実情である───訳者)


 過去九年間ほぼ週に一回の割でこの霊のメッセンジャー(使い)の入神談話を速記してきて───彼は自分のことを上層界の神霊によって派遣されたメッセンジャーに過ぎないと言い、功績を自分のように言われるのを嫌うが───私はシルバーバーチを高貴な個性と明確な視野と表現の流暢さとを兼ね具えた高級神霊の一人として尊敬するようになった。

 冷やかな活字では彼の言葉の温かさ、サークルに出席して個人的に接した者が肌で感じ取る情愛を伝えることはできない。一度も交霊会に出席したことがなく活字によってのみシルバーバーチを知る者には、直接(じか)にその声を耳にしているメンバーほどには彼の人類を思いやる心は感じ取れない。

 われわれメンバーにとってはシルバーバーチは同席しているメンバーとまったく変わらない実在の人物である。

彼が常に訴えるのは理性であり、行いの試金石は動機であり、望みとしているのは自分を役立てることのみである。慈悲の心と思いやりと理解力に溢れるシルバーバーチは決して人を諌めることはしない、しばしば非難の矛先を組織へ向けることはあっても、決して個人へは向けない。
 
援助の要請も絶対に断らない。自分が役に立つ可能性があればいかなる労苦もいとわず、いかに難しい説明も試みてくれる。

 初めて出席した招待者が礼を述べると、シルバーバーチはきまって、礼は神に述べなさいと言う。そして〝私は一介の僕に過ぎず、礼を述べていただくわけにはまいりません。

すべては神へ捧げるべきです〟と述べる。と言うのも、シルバーバーチの主張するところによれば、かつての使者によってもたらされたメッセージがその使者を崇める者たちによって影が薄くなってしまっている。

したがって我々がシルバーバーチに感謝するようになれば、それは何時かはシルバーバーチという使者を崇めてメッセージは二の次となり、ついには本来の使者を台無しにしてしまいかねないというのである。

その本来の使命は各自が自分の力で神との直接の繋がりを待つべきであり神保者(※)は無用であることを教えることにある。 (※キリスト教で説くイエスのように神との仲立ちをする者───訳者)



シルバーバーチの祈り

 これまでシルバーバーチが述べた祈りの言葉は数知れないが、表現はさまざまでもその趣旨に本質的な違いはない。大別すると、開会に際して成功を祈るもの Invocation と閉会に際しての感謝の祈り Benediction とがある。それぞれの典型的なものを紹介する。


○ Invocation

 神よ、私どもはあなたの測り知れぬ愛、限りなき叡智、尽きることなき知識、果てしなき顕現の相をどう説き明かせばよいのでしょうか。永きにわたってあなたを誤解し間違った信仰を抱いてきたあなたの子等にどう説けば、あなたを正しく認識できるのでしょうか。

あなたは決して無知な人間が想像する如き嫉妬深い、横暴な方ではございません。又残忍にして復讐心を抱き、血に飢え、えこひいきをし、選ばれし者のみを愛する方でもございません。

 あなたは全生命の大霊におわします。その息吹が創造を生み、そのリズムが永遠なる宇宙のあらゆる相、あらゆる動き、あらゆる鼓動に表われております。私どもはあなたを完璧なる摂理───絶対に誤らず、絶対に連続性を失うことのない法則として啓示せんものと努めております。

物的世界のみならず霊的世界の最奥をも含む全生命活動を支えるあなたの法則に断絶はあり得ないのでございます。宇宙間の何一つとしてあなたを超えて存在するものは有り得ないのでございます。

なぜならあなたは全存在の中に存在しておられるからです。しかしあなたの霊は、あなたがあなたに似せて創造された人間的存在において最高の形で表現されております。なぜならば、あなたは人間にあなたの霊、あなたの神性を賦与され、あなたの属性の全てを授けておられるからでございます。最下等の動物的存在の位より彼らを引き上げ、いずれはあなたの創造の大業に参加する権利を与えられたのでございます。

 かくして生まれたあなたとのつながりは、切ろうにも切れない宿命となります。なぜならば人間はあなたの一部であり、それは、あなたも人間を離れて存在し得ないことを意味するからでございます。

すなわち、あなたの霊は彼らの全てをお抱きになると同時に彼らの内部にも存在し、自己犠牲と愛他の生活、慈悲と思いやりの行為、老若男女、そしてまた鳥獣に対しても己れを役立てんとする行為において最高の形で顕現なさっておられます。

理想主義に燃え、迷える者に希望を、疲れし者には力を、暗闇にいる者に光を与えんと努力する者の生活にあなたが顕現しておられると理解しております。

 私どもは幾世紀にもわたって忘れ去られてきた摂理───霊眼を開き霊耳を持って聞き霊力の働きかけに素直に従って霊的感受性を鼓舞された少数の者のみが知ることを得た霊的法則を明かすべく努めております。

それを実践することがあなたへの理解を、宇宙についての理解を、そして全人類についての理解を深めることになる、そうした理法を教え、そこに自己の霊性を高めひいてはそれが同胞の霊性を高めることになり、かくして共にあなたのもとへ少しでも近づかしめる手掛かりを見出すことになるよう願っております。
 
 その仕事のために私どもは、同じく霊界にあって一日も早く地上へ新しい秩序をもたらし、新しい世紀を招来せんとして、あらゆる民族、あらゆる教義、あらゆる国家の人間とも協力する上で吾々と同じ立場を取る無数の霊に呼びかけております。

これこそが私どもの祈り───心から、魂の奥底から湧き出る願いであるとともに、可能なかぎり人のために己を役立てることによってそれを実現せんとする祈りでもございます。

その目標へ向けて私どもは真摯なる気持ちでもって自信を持って邁進いたします。あなたを味方とするかぎり決して挫折はないと信じるが故にほかなりません。なぜならば、あなたの力は、私どもの努力を必要とする場において、常に支え、守り、導き、援助し、指示してくださるからでございます。


 ○ Benediction

 いつもながら私は、ささやかなる勤めを可能ならしめる温かき愛を得て、宇宙の大霊に深い感謝の念を覚えつつ、この場を後に致します。この仕事を開始した当初、私どもは多難な条件のもとで何とか推進するために強烈なる祈念と真剣なる誓願をもって臨みました。今その努力が実りつつあることを私どもはこの上なくうれしく存じます。

 私たちすべての者に存在をお与えくださり、神性とその属性のすべてを宿らせ給いし神よ、どうかこののちも、私どものためにでなく真理のために、そしてその真理をぜひとも必要としている人々のために、より一層の成功を得させ給わんことを。

世界各地で行われておりますこの会と同じ交霊会において、そこがあなたの愛を知る機縁(よすが)となるべく、どうかあなたの霊の御力をこの幾層倍にも顕現なされたく、お祈り申しあげます。

あなたの子等が自分自身の中にあなたを見出し、それを生活の中にて発現せんとの決意に燃え、怖れも悲劇も争いもなく、あなたの豊かな恵みを享受できる世の中において、お互いがお互いのために努力し助け合い、平和と調和と一致協力のもとに生きつつ、あなたの御心を体現していくことになるよう、切にお祈り申し上げます。



     
  一章 シルバーバーチとは何者か

 「私は荒野に呼ばわる声です(※)。神の使徒以外の何者でもありません。私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。私がどの程度の霊であるかは私のやっていることで判断していただきたい。

私の言葉が、私の誠意が、私の判断が、要するにあなた方人間世界における私の仕事が暗闇に迷える人々の心の灯となり慰めとなったら、それだけで私はしあわせなのです」(※マタイ3・3。世に容れられない警世家、革命家などのこと───訳者)

 これはある日の交霊会でメンバーの一人がシルバーバーチの地上での身元について尋ねた時の答えである。シルバーバーチがインディアンではないこと、本来の高遠の世界と地上との間の橋わたしとして一人のインディアンの幽体を使用しているところの、高級霊団の最高指揮者であるということまでは、われわれにも知れている。が、これまで好奇心から幾度地上時代の実名を尋ねても、まだ一度も明かしてくれていない。

ラベルよりも仕事の成果の方を重んじるのである。自分個人に対する賞賛を極度に嫌い、次のように述べる。

 「私は一介の神の僕に過ぎません。今まさに黎明を迎えんとしている新しい世界の一役を担う者として、これまで忘れ去られてきた霊的法則を蘇らせるために私を地上へ遣わした一団の通訳にすぎません。

私のことをいつもマウスピース(代弁者)としてお考えください。地上に根付こうとしている霊力、刻一刻と力を増しつつある霊の声を代弁しているに過ぎません。私の背後には遠々と幾重にも連なる霊団が控え、完全なる意志の統一のもとに、一丸となって協調体制で臨んでおります。

私がこの霊媒(バーバネル)を使用するごとくに彼らも私を使用し、永い間埋もれてきた霊的真理───それが今まさに掘りおこされ無数の男女の生活の中で、本来の場を得つつあるところですが───それを地上の全土に広げんとしているのです」

───でも私達にとって、あなたは単なる代弁者の声では無く実在の人物です。

 「私は別に私には個性がないと言っているわけではありません。私にもちゃんと個性はあります。ただ、こちらの世界では〝協調〟ということが大原則なのです。一つの大きなプランがあり、それに従って共通の利益のために各自が持てるものを貢献し合うということです。

身分の高いも低いもありません。あるのはそれまでに各自が積み上げてきた霊的成就の差だけです。開発した霊的資質と能力を自分より恵まれない人のために惜しみなく活用し、代わってその人たちも自分より恵まれない人のために持てるものを提供する。かくして地上の最低界(※)から天界の最高界に至るまで連綿として強力な霊的影響力の輪がつながっているのです」

(※地獄のこと。地上の人間から見れば他界した者はすべて〝あの世〟の人間、つまり霊界の所属のように考えがちであるが、それは目に見えない存在となったからそう思えるまでのことで、霊的な程度の点ではその大半が地上圏に属しており、霊界側からみれば肉体のあるなしに関係なく〝地上の人間〟であることに変わりはない。

モーゼスの『霊訓』のイムペレーター霊は宇宙を大きく三層に分類し、最下層の煉獄の七つの界の最高界が地上で、次に試練の中間層がやはり七界つづき、その後に真の実在界が存在するという。その究極の到達点はいかなる霊にも知り得ないと述べている──訳者)


───地上もそういうことになれば素晴らしいことですね。

 「いずれはそうなるでしょう。神の意志は必ずや成就されていくものだからです。その進行を邪魔し遅らせることはできます。しかし、その完成・成就を阻止することはできません」

 この件に関して別の交霊界で次のように述べている。

 「私はこれまであなた方の友として、守護者として、指導者として接してまいりました。いつもすぐ側に待機していること、私がいかなる霊格を具えた存在であろうとそれはあなた方人間との親密な接触を妨げることにならないこと、あなた方の悩みや困難に関心を抱き、できうる限りの援助の手を差しのべる用意があることを知っていただきたいと思ってまいりました。

 よろしいですか。私は確かに一方では永遠の真理を説き霊力の存在を明かさんとする教師的存在ですが、他方、あなた方お一人お一人の親しい友人でもあるのです。あなた方に対して親密な情愛を抱いており、持てる力で精一杯お役に立ちたいと努力いたしております。

どうか、困ったことがあれば、どんなことでもよろしい、いつでもよろしい、この私をお呼びください。もし私にできることであればご援助しましょう。もし私に手出しできないことであれば、あなた方みずからが背負わねばならない試練として、それに耐えていくための力をお貸しいたしましょう」


 さらに別の機会にこう語っている。

 「これまでの永い霊界での生活、向上・進化を目指して励んできた魂の修行の旅において私がみずから学んできたこと、あるいは教わったことはすべて、愛の心を持って快く皆さんにお教えしております。

そうすることを神がお許しになると信じるからです。ではその動機とは何か───それは、私のこうした行為を通じて私があなた方に対していかに情愛を感じているか、いかにあなた方のためを思っているかを分かっていただき、そうすることによって、あなた方の背後に控えている力には神の意図が託されていること、霊の豊かさと実りを何とかしてもたらしてあげようとしている力であることを認識していただくことにあります。

要するにあなた方への愛がすべてを動かし、神から発せられるその愛をあなた方のために表現していくことを唯一の目的といたしております。

 私たち霊団の者は功績も礼も感謝も一切求めません。お役に立ちさえすれば良いのです。争いに代わって平和を見ることが出来れば、涙にぬれた顔に代わって幸せな笑顔を見ることができれば、病と痛みに苦しむ身体に代わって健康な身体を見ることができれば、悲劇を無くすことができれば、意気消沈した魂に巣くう絶望感を拭い去ってあげることができれば、それだけで私たちは託された使命が達成されつつあることを知って喜びを覚えるのです。

 顧わくは神の祝福のあらんことを。顧わくは神の御光があなた方の行く手を照らし給い、神の愛があなた方の心を満たし給い、その力を得て代わってあなた方がこれまで以上に同胞のために献身されんことを切に祈ります」

 このようにシルバーバーチは自分自身ならびに自分を補佐する霊団の並々ならぬ情愛をよく披瀝する。盛夏を迎え、これでしばし閉会となる最後の交霊会で次のような感動的な別れの挨拶を述べた。

 「この会もこれよりしばらくお休みとなりますが、私たちは無言とはいえすぐ側で引き続きあなた方とともにあって、可能なかぎりインスピレーションと力と導きをお授けいたします。

一日の活動が終わり、夜の静寂を迎えると、あなた方の魂は本来の自分を取り戻し、物質界の乱れたバイブレーションを後にして───ほんの束の間ですが───本当の我が家へ帰られます。その時あなた方は私たちとともに、いつの日か恒久的にあなた方のものとなる喜びのいくつかを体験されます。

 しかし、これまでの努力のお陰でこうして数々の障壁をのり越えて語り合えるとはいえ、私たちはふだんは物質というベールによって隔てられておりますが、いついかなる時も身近にいて、情愛を持って力になってあげていることを知ってください。

私たちがお持ちする力は、宇宙最高の霊力であることを心強く思ってください。私たちはもっとも身近にして、もっとも親密な存在である、あなた方のために尽くすことによって、神に仕えんとする僕に過ぎません。

 私のことを、ほんの一、二時間のあいだ薄明かりの中でしゃべる声ではなく(交霊会では照明を弱くする───訳者)、いつもあなた方の身のまわりにいて、あなた方の能力の開発と霊的進化のために役立つものなら何でもお持ちしようとしている、躍動する生命に溢れた生きた存在とお考えください。

語る時はこうして物的感覚(聴覚)に訴える方法しかないのは間どろこしいかぎりですが、私はいつも身近に存在しております。必要な時はいつでも私をお呼びください。私にできることであれば喜んで援助いたしましょう。私が手を差しのべることを渋るような人間でないことは、皆さんはもうよくご存知でしょう。

 樹木も花も、山も海も、小鳥も動物も、野原も小川も、その美しさを謳歌するこれからの夏を満喫なさってください。神を讃えましょう。神がその大自然の無限の変化に富む美しさをもたらしてくださっているのです。その内側で働いている神の力との交わりを求めましょう。

森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せては返す潮の流れに、花の香に、虫の音に神の存在を見出しましょう。

 どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるようにつとめ、それを少しでも我がものとなさってください。神はさまざまな形で人間に語りかけております。教会や礼拝堂の中だけではありません。予言者や霊媒を通してだけではありません。数多くの啓示が盛り込まれている聖典だけではありません。

大自然の営みの中にも神の声が秘められているのです。大自然も神の僕です。私はそうしたさまざまな形───語りかける声と声なき声となって顕現している神の愛を皆さんにお伝えしたいのです」

 こう述べたあと最後に、これまでサークルとともに、そしてサークルを通して世界中の人々のために推進してきた仕事における基本的な理念を改めて説いて会を閉じた。

 「私はあなた方が愛の絆によって一丸となるように、これまでさまざまな努力をしてまいりました。より高い境涯、より大きな生命の世界を支配する法則をお教えしようと努力してまいりました。
 
また、あなた方に自分という存在についてもっと知っていただく───つまり(霊的に)いかに素晴らしくできあがっているかを知っていただくべく努力してまいりました。さらに私はあなた方に課せられた責任を説き、真理を知るということは、それを人のために使用する責任を伴うことをお教えしてまいりました。

宗教的儀式のうわべの形式に捉われずに、その奥にある宗教の核心、即ち援助を必要とする人々のために手を差しのべるということを忘れてはならないことを説いてまいりました。

絶望と無気力と疑問と困難に満ちあふれた世界にあって私はあなた方に霊的真理を説き、それをあなた方がまずみずから体現することによって同胞にもその宝を見出させ、ひいては人類全体に幸福をもたらすことになる───そうあってほしいと願って努力してまいりました。

 私はかつて一度たりとも卑劣な考えを起こさせるような教えを説いたことはありません。一人たりとも個人攻撃をしたことはありません。私は終始〝愛〟をその最高の形で説くべく努力してまいりました。

私は常に人間の理性と知性に訴えるように心掛け、私たちの説く真理がいかに厳しい調査・探求にも耐えうるものであることを主張してまいりました。

そうした私に世界各地から寄せられる温かい愛念を有難く思い、私の手足となって仕事の推進に献身して下さるあなた方サークルの方々の厚意に、これからも応えることができるよう神に祈りたいと思います。

 間もなく私は会を閉じ、通信網を引っ込めます。ふたたび皆さんとお会いできる時を大いなる期待をもって心待ちに致しましょう。もっとも、この霊媒の身体を通して語ることを中止するというまでです。決して私という霊が去ってしまうわけではありません。

もしもあなた方の進む道を影が過(よぎ)るようなことがあれば、もしも何か大きな問題が生じた時は、もしも心に疑念が生じ、迷われるようなことがあれば、どうかそれらは実在ではなく影にすぎないことをご自分に言い聞かせることです。羽をつけて一刻も早く追い出してしまうことです。

 忘れないでください、あなた方お一人お一人が神であり、神はあなた方お一人お一人なのです。この物的宇宙を顕現せしめ、有機物・無機物の区別なく、あらゆる生命現象を創造した巨大な力、恒星も惑星も、太陽も月も生み出した力、物質の世界に生命をもたらした力、人類の意識に霊の一部を宿らせた力、完璧な法則として顕現し、すべての現象を細大漏らさず経綸しているところの巨大な力、その力はあなた方が見放さないかぎりあなた方を見放すことはありえません。

その力を我が力とし、苦しい時の隠れ場とし、憩いの場となさることです。そして、いついかなる時も神の衣があなた方の身を包み、その無限の抱擁の中にあることを知ってください。

 シルバーバーチとお呼びいただいている私からお別れを申し上げます───ごきげんよう」
      

Saturday, May 2, 2026

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor


十章 シルバーバーチの祈り
 
  〇人間の神性を讃える祈り

 「神よ、私たちはあなたの永遠の真理、あなたの無限の力、あなたの不変の摂理の生き証人でございます。あなたの聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。

 私どもは昇りゆく太陽の中に、沈みゆく太陽の中に、夜空のきらめく星の中に、大海の寄せては返す潮(うしお)の中に、そよ風とその風に揺れる松のそよぎに、やさしい虫の音に、澄み切った青空の中に、そのほか移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見出すことが出来ます。

 また、あなたは生きとし生けるもののすべてに宿る霊の中に見出すことができます。人間においてそれは意識を有する個的存在として顕現しております。あなたとともに宇宙の限りなき創造の大業に携わらしめるために人間をその高き段階へとお引上げくださったのでございます。

 あなたは人間にあなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。人間はその霊的資質を有するが故の当然の成り行きとして、物的生命を超えたより精妙なる力、すなわち霊力を知覚せしめるところの霊的能力を有しております。

 人生を営むことを可能ならしめているものは、その霊力にほかなりません。人間を全創造物から超脱せしめているものもその霊力にほかなりません。思考をめぐらし、判断を下し、反省し、決断し、美に感嘆し、美を賞美し、叡智を授かり、その真価を悟り、知識を獲得し、それを大切にする能力も、霊力あればこそでございます。

 より高き世界からのインスピレーションを感受せしめるのも霊力でございます。人生の重荷に耐えかねている者のもとへ赴くことができるのも霊力あればこそでございます。

霊の世界の存在を知覚し、その世界の居住者が人間をより広き奉仕的行為のために使用せんとしている事実を認識することが出来るのも、霊の力ゆえでございます。果てしなき宇宙の大機構の中に置かれた己れの位置を理解せしめるのも霊の力でございます。

私たちは人間にそうした本来の役割を成就せしめるものについての知識、死後に赴く世界にふさわしきものを身につけさせるものについての知識を広めんと希望している者でございます。

 そうなって初めて人間は、いま目を曇らせている暗闇をみずから払いのけることを得ることでございましょう。そうなって初めて叡智と真理と悟りと調和と平和の中に暮らせるようになることでございましょう。

そうなって初めて同胞があなたとの真の繋がりと生きる目的、そして人間が死と呼ぶ扉の向こうに待ち受けている、より大きな生命の世界の存在を理解する上で力となることができることでございましょう」


 〇相互扶助の尊さを讃える祈り 

 「神よ、私たちはあなたの真理、あなたの叡智、あなたの愛、そしてあなたの永遠なる自然法則の理解を広めるために、力の限りあなたの忠実な子供たらんと願っている者でございます。

地上のあなたの子等にあなたの無限の機構の中における存在価値を理解させること───真の霊的自我を見出し、暗黒と冷酷と怒りと憎しみに満ちた世界にあって、あなたから授かった力を発揮するように導いてあげることを願いと致しております。

私たちは霊的実在についての単純素朴な真理───正義と権利と善と美の永遠の基盤であるところの真理を説かんと致しております。

道を見失える者、いずこにあなたを見出すべきかを知らずに迷える者に対しては、あなたが彼ら自身の中に存在すること、あなたの無限なる霊がみずからの存在の内部にあること、まさしく天国は彼らの心の中にある───よろこびと幸せの国、叡智と悟りの国、寛容と正義の国は自分の心の中にあるという事実を教えることを目的と致しております。

 私たちは悲しみにくれる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきかを知らずにいる人々に近づき、あなたがその人々を決してお見捨てになったのではないことを教えてあげたいと願っている者でございます。

 私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔てなく行きわたっております。あなたの霊は人間界のすみずみまで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現われ、意識的存在の全てに顕現されていると認識するゆえにございます。

 その事実を認識することによって新たな安らぎが得られ、それは、ひいては人間の心と魂と精神を鼓舞してお互いがお互いのために生きる意欲を誘い、あなたの子のすべてに分け隔てなく奉仕することによってあなたに奉仕することになることでございましょう」
 こう祈った後、最後にサークルのメンバーに向かってこう説いた。


 「私たちの訓えの根本は Service(後注)の一語に尽きます。地上の悪弊(ガン)の一つである利己主義に対して、私たちは永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。

 私たちの説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになっていただきたい。そうすることによって持てる者が持たざる者に幾らかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の中にいる者を啓発してあげることになるからです。

 地上世界は今、もっともっとService を必要としております。人間の一人ひとりが同じ全体の一部であり、人類のすべてに神の霊が流れている───その意味において万人が神のもとにおいて平等である───その本性に関するかぎり平等である、という認識を広める必要があります。

性格において、霊格において、進化において、そして悟りにおいて一歩先んじている者が、その持てるものを持たざる者に分け与えんと努力するところに偉大なる行為が生まれます。

 霊の世界の働きかけに応じて働く人々、持てる才能を霊団に委ねる人々は、自分を捨てることによっていつも自分が得をしていることに気づくはずです。何となれば、その行為そのものが一つの摂理に適っているからです。収賄行為ではありません。

ご利益目当ての行為でもありません。因果律の作用にほかなりません。すなわち、最も多く施す者が最も多く授かるということです」



 訳者注ーService の訳語について
 英語には、民族の文化的背景の違いから、ぴったりと当てはまる日本語が見当たらない単語が幾つかありますが、その最たるものがこの Serviceです。これをサービスというカタカナにすると〝おまけ〟の意味合いが出てくるので、あえて横文字のまま用いたのですが、

本来の意味は他人のために何かをしてあげることで、テニスの〝サーブする〟と言い方に単的にそれが表われております。すなわち相手に働きかけて何らかの相互関係を持つことです。そこに報酬のあるなしは関係ありません。つまり手数料を取っても Serviceです。

日本人がこれを〝ただで差し上げる〟という意味で使用したことから非常にややこしくなりました。というのは〝奉仕する〟と訳すと日本人は〝無料奉仕〟の観念を思い浮かべますが、本当は有料であってもService であり、同時に〝無料奉仕〟の意味でも Serviceを用いるのです。

 日本人はお金を取ると奉仕でなくなる、つまり功徳が消えるかのように考え、お金を取らなかったら大変な功徳積みをしたかのように思う傾向がありますが、その行為によって相手が何らかの益を得ればそれだけで立派な Serviceであり、功徳積みであり、シルバーバーチもその意味で用いております。金銭的感覚を超越しております。

お金をいただくことがいけないことであるかのように考えること自体がすでにお金に拘っていることを意味し、これは多分に中国から来た儒教思想の影響ではないかと考えております。

つまり幼児期から教え込まれた中国の倫理・道徳思想(四書五経)の文面にこだわって本来の意味を取り損ねているのだと思います。

 シルバーバーチはサークルのメンバーも招待客もみなキリスト教国の人間だからキリスト教を引き合いに出し、その教義の誤りを指摘して本来の宗教のあり方を説いているまでで、私は、日本人にとっては儒教思想が西洋人にとってのキリスト教と同じ悪影響を及ぼしている面が多分にあると観ております。いずれそれを神ながらの道との関連においてまとめてみたいと考えております。

 それはともかくとして、私はこれまで Service をその場に応じて幾通りにも訳し分けてきました。他人のために自分を役立てる、人のために尽くす、奉仕する、献身する、援助する、手を差しのべる等々で、文章の前後関係から判断してそう訳し分けたわけです。

英文でお読みになる方は常に前後関係、脈絡───英語でいう Context ───を見究めた上で意味を読み取ることが大切であることを老婆心ながら申し添えておきます。

これも三十年近く大学受験生を教えてきた教師としての習性が言わしめるのでしょうが、そのついでにもう一言付け加えさせていただけば、柔軟な脳細胞をしているはずの若い学生が文法や構文や語句に拘って本来の意味を取り損ね(それだけならまだしも)オバケのような日本語に訳してしかもそれを変だと思わないのは、

教説に拘ってその本来の意味を忘れていながら、形式だけで済ませてそれで良しとする思考パターンと同じで、その辺に私は学制改革だけでは済まされない、もっと奥の深い問題点を見る思いがしております。

 シルバーバーチが教説はどうでもよろしい、人のためになることをすれば、それで立派な宗教ですと言うのは、人生百般に通じる単純にして明快な訓えであると思っております。


    
 解説 霊的教訓と心霊現象 

 本書は Silver Birch Anthology (シルバーバーチ名言集──一九五五年初版──)の全訳である。全訳と言っても、編者のネーラー氏がそれまでの霊言の中から〝珠玉の訓え〟と言えるものを集めたもので、その三分の一以上に相当する部分が邦訳シリーズの前三巻に出ているので、当然それは削除せざるを得ず、その穴埋め(と言っては語弊があるが)のために前三巻の原書でカットしておいたもの、及びオースチン編 Teachings of Silver Birch から関連した部分を抜粋してある。

 このことに関しては本文の「まえがき」の末尾でも「訳者注」として述べておいた。原書を読まれる方が不審に思われるのではないかと思ったからであるが、ついでにもう一つ念のために付け加えさせていただけば、編者が霊言のオリジナル原稿(速記録とテープ)から収録するとき、編者自身の判断で部分的に削除したり段落を適当につけている(週刊の「サイキックニューズ」月刊の「ツーワールズ」に転載されているものと照合するとそれが判る)ので、私が訳す際にもところどころ私の判断によって段落を変えたり削除されているものを付け加えたりしている個所があることである。

 とにかく私は公表された限りのシルバーバーチの霊言を三十年間近く書物と雑誌とテープを通じて徹底的に親しみ、一九八一年には霊媒のバーバネルに直接面会してその肉声にも接して、それが私の脳裏に焼き付いている。

今も折をみてカセットテープを聞いてその感じを忘れないようにしながら訳している。大ゲサに、そして、いささか僭越の謗(そし)りを覚悟の上で言えば、翻訳に携わっている時の私はシルバーバーチに成り切っていると理解していただきたい。(なぜか正座して威儀を正さないと訳せない)

 さて、本文の中で〝巻末「解説」参照〟と記した部分が二個所ある。両者は表面的には関係ないようで実は重大な関連性があるので、ここで解説しておきたい。

 一つは四章の次の一文である。「私が残念に思うのは本来霊的存在であるところの人間があまりに霊的なことから遠ざかり、霊的法則の存在を得心させるために私たちがテーブルを上げてみせたりコツコツと叩いてやらねばならなくなったことです」

  これはいわゆる物理的心霊現象のことで、事実シルバーバーチの交霊会でも物理霊媒を呼んで種々の心霊現象を行っていた。心霊治療も行っていた。その最高責任者、総監督の立場にあったのがシルバーバーチであるが、物理現象の演出に直接携わるのはそれを専門とする霊団であり、心霊治療にも治療霊団が組織されていた。

 太古より霊的啓示には物理現象と病気治療はつきもので、イエスも盛んに活用している。それを聖書では〝しるしと奇跡〟Signs and Wonders と表現しているが、実際は聖書に記されているよりはるかに多く起きていたはずである。

ところが霊界通信の真実性を確信し始めた人はとかく現象的なものを軽蔑し始める傾向があり、奇妙なことにキリスト教徒が最もその傾向が強いが、これは間違いであると同時に極めて危険なことでもある。

 確かに物理的現象に直接携わるのは低級霊であり、モーゼスの『霊訓』の中でイムペレーターが述べているところによれば、いわゆる地縛霊がようやく目を覚まして修養と償いのために高級霊の指揮下で働いていることが多いようである。

言うなれば、〝更生の場〟を与えられているわけである。こうした場合は監督に当たる霊、いわゆる支配霊が高級であるから危険性はまず無い。

 それよりも意外に陥りやすい危険は、むしろそういうものを軽蔑して自分自身の、あるいは自分が所属するサークルないし宗教団体の霊言や自動書記のみを絶対のものとし、その霊媒の口ないし手を通して得られたものは何も彼も真実のもの絶対のもの高級なものと決めてかかってしまうことである。

 そういう間違った考えが定着する原因はどこにあるかと言えば、心霊現象の基本、つまり精神的現象と物理的現象の原理(心霊学)についての認識が十分でないことにある。このことが同じく四章の一文の裏面の事情とつながってくる。 「私たちは人類を破滅の道へ追いやろうと画策している悪霊の集団ではありません」

 これはキリスト教界がスピリチュアリズムのことをそう決めつけるので、それを念頭において述べているのであるが、キリスト教と切り離して考えても、心霊問題に関わる者が忘れてならない大切なことを暗々裏に述べている。つまり現実にそういう意図をもって画策している悪霊・邪霊の集団がうようよしているということである。

 先のイムペレーターもその点を再三にわたって指摘しているし、オーエンの『ベールの彼方の生活』の中でも、通信を横取りしようとしてスキを狙っている連中がいるので油断がならないと述べている。 

 そういう霊はうまく横取りした通信内容をさも自分のものであるかのように巧みに使用して、いかにも立派な高級霊であるかの如く振る舞い、そのうち通信の中にそれとなく偽りの事実を混入して問題を生じさせ、〝それみろ。霊界通信なんて全部ごまかしなんだ〟という風潮を立てさせ、そしてほくそ笑む。なぜそんなことをするかと言えば、高級神霊による計画推進を挫折させんとしているまでで、別に深い意図はない。

 では霊界通信の真偽をどうやって見分けるかということが問題となるが、シルバーバーチは常に批判的精神をもって理性的に判断するように───くだけた言い方をすれば、とことん疑ってかかれと説く。

確かにこうした活字になってしまえばそれしかないが、実際にその場に立ち会った時は、一種の直観力が何よりの武器となる。その雰囲気から読み取るのである。

 実は霊媒のバーバネル亡きあと、サイキックニューズ社はさっそく別の霊言霊媒を探し出して、その霊言を心霊誌に連載し始めた。私もそれを読んで、正直のところ最初はなかなかの内容だと思った。

そしてその後に発売されたカセットをすぐに取り寄せて、大きな期待をもって聞いたが、ものの一分も聞き続けることができなかった。

 直感的にこれはニセモノという気がしたのである。念のためにカセットを裏返して後半の部分を聞いていたが、やはり一分と聞く気になれなかった。それから一週間ほどしてもう一度気を取り直して三分間ほど聞いてみたが、やはりその雰囲気からは本物という判断はできなかった。

 果たせるかな、その後間もなくしてその霊媒のトリックが暴かれて、それきり連載も中止された。そして代わって連載されたのは又もやシルバーバーチであった。古い霊言集からの抜粋である。

 本物にはどうしようもない強みがある。英国新聞界の法王とまで呼ばれ、ヘソ曲がりの毒舌家として世界的に知られたハンネン・スワッハー(シルバーバーチの交霊会は当初はこの人の家で催され司会もこの人が勤めた)すら手も足も出なかったほどである。そのスワッハーがこう述べている。

 「が、いったん活字になってしまうとシルバーバーチの言葉もその崇高さ、温かさ、威厳に満ちた雰囲気の片鱗しか伝えることができない。出席者は思わず感涙にむせぶことすらあるのである。シルバーバーチがいかに謙虚にしゃべっても、高貴にして偉大なる霊の前にいることを我々はひしひしと感じる。決して人を諌(いさ)めない。そして絶対に人の悪口を言わない」

 内容的にいいことを言っているというだけでは霊言としての真価は分からない。ということが以上のことから理解していただけると思う。問題は雰囲気であり風格である。私の翻訳もシルバーバーチという古代霊の風格を出すことに一番苦心している。

 原書を読まれる方もそれが読み取れるまで読み込んでいただきたい。文法や構文に振り回されていては本当の意味は読み取れない。これはシルバーバーチに限ったことではないが・・・。

 知識は力なりという。これから幽明交通がいっそう盛んになっていくにつれて次々と霊界通信なるものが輩出されることであろうが、その真偽性、純粋性、優秀性を適確に判断できるようになるには、スピリチュアリズムの全体像を理解すると同時に、その基本であるところの心霊学を勉強することが、直感的判断力を自然に養ってくれると信じる。

といって心霊学を好奇心からいじくり回していては何にもならない。こうした言わば落とし穴と誘惑に満ちた世界に踏み入って宝を探すための学問的基盤として、心霊現象の原理つまり霊界側がどういう形で物的世界に働きかけているのかを知ることが不可欠であることを指摘しておきたい。                              近藤 千雄

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論


 

11章 霊媒能力の特殊性と危険性

本章では霊媒としての能力が十二分に発揮される段階に至ってからの問題点や危険性について述べておきたい。

自動書記を例に取れば、用紙にきちんとした書体で通信文が書かれるようになったとする。が、ここでいい気になって油断すると危険である。鳥が一人前に飛べるようになって巣立った後、場所もわきまえずに飛び回っていると、ワナにかかったり鳥モチで捕らえられたりするのと同じで、邪霊が鵜の目鷹の目で見張っていることを忘れてはならない。

ラクに書けるようになったということは霊が身体機能をうまく操れるようになったという、言わば物的ハードルを乗り越えたという段階に過ぎず、霊的ならびに精神的修養はこれからなのである。

霊媒としての能力は、自由に発揮できるようになったからといって、無計画に、無節操に使用してはならない。本来は謹厳な使用目的を義務づけられて授かっているのであって、安直な好奇心の満足で終わることは許されてはいない。

本来は最良のコンディションのもとに行うべき実験会を、霊現象の面白さだけを求めて一日中行うような無分別なことをすると、高級霊は四六時中面倒を見てくれているわけではないので、下らぬ低級霊の餌食にされてしまう危険性がある。細かい点については次の一問一答から学んでいただきたい。


――そもそも霊媒的能力というのは病的なものでしょうか。それとも単に異常なものでしょうか。


「異常な状態のこともありますが、病的なものではありません。霊媒にも頑健そのものの人がいます。虚弱な霊媒は別の原因から来ています。」


――霊媒能力の使用によって疲労を来すことがありますか。


「いかなる能力でも長時間にわたって使用すれば疲労を来します。霊媒能力も、とくに物理現象の場合は流動エネルギーを多量に使用しますから、当然疲労します。が、休息すれば回復します。」


――悪用した場合は論外として、善用した場合でも霊媒能力が健康に害を及ぼすことがありますか。


「肉体的ないしは精神的な反応によって、慎重を期する必要がある場合、もしくは控えた方が好ましい場合、少なくともよほどの節制を要する場合などがあります。それは直感的に自分で判断できるものです。疲労が蓄積していると感じた時は控えるべきです。」


――人によっては霊媒能力が害を及ぼすことがあるわけですか。


「今も述べた通り、それは霊媒自身の肉体的および精神的状態に係わる問題です。体質的・気質的に過度の刺激を与えるものは避けるべき人がいます。霊媒現象もその部類に入ります。」


――霊媒能力が精神異常を来すことがありますか。


「脳障害の素因がある場合を除いては、その可能性はありません。先天的に素因がある場合は、常識的に考えて、いかなる精神的興奮も避けるべきです。」


――子供が霊能開発をするのはいかがでしょうか。


「感心しないだけでなく、危険ですらあります。子供のデリケートでひ弱な体質が過度の影響を受け、精神的にも幼い想像力が異常な刺激を受けます。子供にはスピリチュアリズムの道徳的な側面を教えるにとどめ、霊媒現象の話はしない方が賢明です。」


――しかし、生まれつき霊媒能力をもった子供がいます。物理現象だけでなく、自動書記能力や霊視能力をもった子供もいます。そういう子供は危険なのでしょうか。


「いえ、危険ではありません。そのように自然発生的であれば、そういう素質をもって生まれてきているのであり、体質的にそれに耐えられるようにでき上がっております。人為的に開発する場合とは根本的に異なり、神経組織が異常に興奮することはありません。

また、霊視能力でさまざまなものが見えても、そのような子供はそれをごく自然に受け止め、ほとんど意に介さないので、すぐに忘れてしまいます。成人してから思い出しても、それによって心を痛めることはありません。」


――では霊能開発は何歳から始めれば危険性がないでしょうか。


「何歳という定まった年齢というのはありません。身体上の発育によって違いますし、それよりもっと大切なものとして、精神的発達によっても違ってきます。十二歳でも大人より悪い影響を受けない子供がいます。もっとも、これは霊媒能力一般についての話です。物理現象になると身体そのものの消耗が大きくなります。では自動書記なら問題ないかというと、これにも無知から来る別の危険性があります。面白くて、一人でやりすぎて、それが健康に害を及ぼします。」


編者注――このあとの通信でますます明確になってくることだが、スピリチュアリズムの現象面に係わるに当たっては邪悪な低級霊に騙されないための才覚と用心を怠らないようにしなければならない。大人にしてそうなのであるから、若者や子供はなおのこと用心が肝要である。

それには精神統一と感情の冷静さによって善良で高級な霊の協力を得ることが必要となる。同じく霊の援助を祈り求めるにしても、ふざけ半分の態度で軽々しくやるのは一種の冒涜的行為であり、むしろ低級霊のつけ入るスキを与えることになる。

こうしたことを子供に忠告しても意味がないから、霊媒的素質のある子供を指導するに際しては、絶対に一人で行わないように厳重に警告しておく必要があろう。

続いて、霊媒現象の実際に関する一問一答。


――霊媒がその能力を使用している時は完全に正常な状態にあると言えますか。


「多かれ少なかれ危険な状態にある場合があります。疲労するのはそのためです。だから休息が必要となるわけです。しかし大体において正常な状態にあるとみてよろしい。とくに自動書記の場合は完全に正常です。」


――自動書記にせよ霊言にせよ、伝達される通信は霊媒自身の霊を通して届けられるのでしょうか。


「霊媒の霊にも、他の霊と同じように伝達能力があります。肉体から解放されると霊としての能力を回復するのです。このことは生者が幽体離脱して、書くなり話すなりして意志を伝達することがある事実が証明しています。

出現する霊の中にはすでにこの地上か、どこか他の天体に再生している者もいます。そういう場合でも霊として語っているのであって、人間としてではありません。霊媒の場合も同じではないでしょうか。」


――その説明ですと、霊界通信というのは全て霊媒の潜在意識が語っているにすぎないという意見を認めることになりませんか。


「その意見が全てであると断定するところに誤りがあるだけです。霊媒の霊がみずから行動することができるのは間違いない事実です。しかしそのことは他の霊が他の手段で働きかけることがある事実を否定することにはなりません。」


――では通信が霊媒自身のものか他の霊からのものかの判断はどうすればよいのでしょうか。


「通信の内容です。通信が得られた時の状況、述べられた、ないしは書かれた言葉や用語などをよく検討することです。霊媒自身が表面に出やすいのは、主にトランス状態の時です。肉体による束縛が少ないからです。通常意識の時には、通常の人間的性格とは別の、本来の自我は出にくいものです。

また、質問に対する答えが霊媒自身のものであり得るかどうかも判断の材料になります。私が、よく観察し疑ってかかるように、と申し上げるのはそのためです。」


訳注――ここで言う“疑ってかかる”というのは“批判的態度で臨む”ということであって“疑(うたぐ)る”のとは違う。

スピリチュアリズムの思想面の発達に大きく寄与した人々の中には、気の進まないまま、あるいはトリックを発(あば)いてやろうといった気持ちで交霊会に出席して、霊言で自分しか知るはずのない事実、つまり霊媒を始めその場にいる人々が絶対に知るはずのないプライベートなことを聞かされて「何かある」と直観して、その日を境に人生観が百八十度転換した人が多い。

米国の次期大統領候補とまで目されていたニューヨーク州最高裁判事のジョン・ワース・エドマンズ、英国ジャーナリズム界の大御所的存在だったハンネン・スワッファーなどがその代表的人物で、エドマンズ判事が米国の知識人に、スワッファーが英国の知識人に与えた衝撃は大きかった。とくにスワッファーの場合はシルバーバーチ霊の霊言霊媒だったモーリス・バーバネルを説得して「霊言集」として一般に公表させた功績は百万言を費やしてもなお足りないほど大きい。

いずれの人物も“煮ても焼いても食えぬ”偏屈者で知られていたが、真実を真実として直観し、確信したら真一文字に突き進んだところに霊格の高さがあった。


――現在の肉体に宿っての生活のあいだ消えている前世での知識が霊的自我によって思い起こされ、それが霊媒の通常の理解力を超えている場合も考えられるのではないでしょうか。


「トランス状態においてしばしばそういうことが起きることがあります。が、改めて断言しますが、そういう場合と、我々霊団の者が出た場合とでは、よくよく検討すれば疑う余地のない違いというものが見つかります。時間を掛けて検討し、じっくり熟考なさることです。確信に至ります。」


――霊媒自身の霊的自我から出たものは他の霊からのものに比べて見劣りがするということでしょうか。


「必ずしもそうではありません。他の霊の方が霊媒より霊格が低い場合だってあるわけですから、その場合は他の霊からの通信の方が劣るでしょう。そうした現象はセミ・トランス状態でよく見られます。なかなか立派なことを述べていることもあります。」


訳注――ここで“セミ・トランス”と訳したのは英文ではsomnambulism(ソムナンビュリズム)となっている。これはもともと心理学の用語で、日本語では“夢遊病”などと訳されている。心理学がこれを病気として扱うのはやむを得ないが、スピリチュアリズムの観点からすれば病的なものではなく、トランス状態の初期の段階なので“半入神”という意味でセミ・トランスとした。

この訳に落ち着くまでに私は同じカルデックのもう一冊の『霊の書』『The Spirits' Book』、マイヤ-スの『Human Personality』、それにナンドー・フォドーの『Encyclopedia of Psychic Science』の該当項目を丹念に読んだ。いずれも多くの紙面を割いていることからも、複雑なものであることが窺えた。

カルデックの通信霊はトランスとソムナンビュリズムの相違点を質されて「トランスとはソムナンビュリズムの状態が一段と垢抜けて、魂がより多くの自由を得た状態」と述べ、マイヤースはトランスを次の三段階に分けている。

第一段階では潜在意識(自我)が肉体をコントロールするようになる。第二段階ではそのコントロールを維持しながら自我は霊界へ赴くかテレパシー的に交信状態を得る。そして第三段階で身体が別の霊にコントロールされる。心理学がソムナンビュリズムと呼んでいるのは第一段階に相当する。

フォドーも多くのページを割いてトランス状態とソムナンビュリズムの例を挙げているが、結論としては上のマイヤースの分類法を引用している。

どうやら仰々しい人物を名乗った霊言や自動書記通信はその第一段階、つまり浅いトランス状態で霊媒自身が述べているようである。


――霊が霊媒を通して通信を送ったという場合、それは霊が直接的に思想を伝達したということでしょうか、それとも霊媒の霊が媒介して伝達したということでしょうか。


「霊媒の霊は通信霊の通訳のような役目をしています。(“通訳”の語意についてはこの後の問答であきらかとなる――訳注)霊媒の霊は肉体とつながっており、言わばスピーカーのような役もしています。また、今のあなたと私のような送信する側と受け取る側との間の伝導体の役もしています。皆さんが電信でメッセージを送る場合を想像してみてください。まず電波を伝える電線が必要ですが、それと同時にメッセージを送る者と受け取る者とがいなければなりません。つまり送信する知的存在と受信する知的存在、そして電気という流動体によって伝達されるメッセージ、それだけ揃わないと電信は届かないわけです。」


――霊から送られてきたメッセージに対して霊媒の霊が何らかの影響を及ぼすことがありますか。


「あります。親和性がない場合にそのメッセージの内容を変えて、自分の考えや好みに合わせて脚色します。ただし通信霊その者に影響を行使することはありません。つまりは“正確さを欠く通訳”ということです。」


――通信霊が霊媒を選り好みすることがあるのはそのためですか。


「そうです。親和性があって正確に伝えてくれる通訳を求めます。親和性が全く欠如している場合は、霊媒の霊が敵対者となって抵抗を示すことさえあります。こうなったら文句ばかり言う通訳のようなもので、“不誠実な通訳”ということになります。

人間どうしでもそんなことがありませんか。連絡を頼んだのにその者が不注意だったり敵対心を抱いたりして、正しく伝えてくれないことがあるではありませんか。」


訳注――この部分を訳していて、シルバーバーチがバーバネルを霊媒として使用するために、母胎に宿った瞬間から霊言通信のための準備をしたわけがよく理解できた。

ご承知の方も多いと思うが、シルバーバーチというのは肖像画として描かれているインディアンではなく、“光り輝く存在”の域にまで達した高級霊の一柱で、三千年前に地上で生活したことがあるということ以外、地上時代の名前も国籍も地位も最後まで明かさなかった。すでに意義を失っているからだという。

そのシルバーバーチから発せられたメッセージが、トランス状態のバーバネルに憑依しているインディアンに届けられ、そのインディアンがバーバネルの言語中枢を通して英語で語った。この言語の問題についてはこの後の問答でも出てくるが、シルバーバーチが「英語の勉強に十数年を費やした」と言っているのは、霊界の霊媒であるインディアンのことである。本源のシルバーバーチは思想をそのまま伝達していたはずである。

この三者と司会のハンネン・スワッファー、それに速記録を取り続けたフランシス・ムーア女史などは同じ類魂に属していたはずで、出生前から綿密な打ち合わせができていて、親和性は完璧だったことであろう。シルバーバーチが「私の言いたいことが百パーセント伝えることができます」と言っているのもうなずける。


――霊には“思念の言語”しかない――言葉で述べる言語はない――と言うことは、伝達手段は一つ、思念しかないということを前提としてお尋ねしますが、霊は地上時代にしゃべったことのない言語で霊媒を通してしゃべることができるのでしょうか。もしできるとした場合、その単語をどこから仕入れるのでしょうか。


「今“一つの言語しかない、つまり思念の言語しかない”とおっしゃいました。それがその質問に対する回答になっているではありませんか。思念の言語はあらゆる知的存在――霊だけでなく人間にも理解できるのですから。出現した霊がトランス状態の霊媒の霊に語りかける時、それはフランス語でもなく、英語でもなく、普遍的言語すなわち思念で語りかけます。が、それを特定の言語に翻訳し、その言語であなた方に語りかける時は、霊媒の記憶の層から必要な単語を取り出します。」


――そうなると霊は霊媒の言語でしか表現できないことになります。ですが、我々が入手した通信には霊媒自身の知らない言語で書かれたもの、ないしは語られたものがあります。矛盾しませんか。


「基本的な認識として理解していただきたいことが二つあります。一つは、霊の全てが等しくこの種の現象に向いているとは限らないこと。もう一つは、霊側としても、よほど望ましいとみた時にのみこの手段を選んでいるに過ぎないことです。普通の通信では霊は霊媒の言語を用いたがります。肉体機能を利用する上で面倒が少ないからです。」


――こういうことは考えられませんか。書くにせよ語るにせよ、その言語は前世で使っていたもので、その直覚が保存されていたと……。


「そういう例もたまにはありますが、通例というわけではありません。と言うのは、霊には遭遇する物的抵抗を克服する力が備わっていますし、必要とあれば取っておきの能力を駆使することもできるからです。例えば霊媒自身の言語で書いていても、霊媒の知らない単語もあるわけですから、それを書かせるには取っておきの能力が通信霊に要求されます。」


――通常の状態では文字の書き方すら知らない者でも自動書記霊媒が務まりますか。


「務まります。ただし、その場合には通信霊に技術的な面で普段より大きな負担が掛かることは明らかです。霊媒の手そのものが文字を綴るのに必要な動きに慣れていないからです。絵の描き方を知らない霊媒に絵を描かせる場合にも同じことが言えます。」


――教養のない霊媒を高等な通信を受け取るのに使うことは可能ですか。


「可能です。教養のある霊媒でも時には理解できない単語を書いたり語ったりさせられるのと同じです。厳密な意味から言うと、霊媒という機能は、本来、知性とも徳性とも関係ないものです。ですから、差し当たって有能な霊媒が見つからない時は、取りあえず使える霊媒で我慢して、それを最高度に活用します。が、重大な内容の通信を送る時は、なるべく物理的な手間が少なくて済む霊媒を選ぶのは当然でしょう。

さらに、白痴と呼ばれている人の中には脳の機能障害が原因でそういう症状になっているだけで、内在する霊は見た目には想像もつかないほど霊性が発達している場合があります。その事実はこれまでにおやりになった生者と死者の招霊実験で確認ずみのはずです。」


編者注――我々のサークルで数回にわたって白痴の生者の霊を招霊したことがある。霊媒に乗り移った霊は自分の身元つまり白痴の身の上を明確に証言し、その上で我々の質問に対して極めて知的で高等な内容の返答をしている。

白痴というのは、そういう欠陥のある肉体に宿って再生しなければならないような罪に対する罰であることが多い。が、脳に欠陥があることが結果的には霊に脳の束縛を受けさせなくしていることになり、それだけに、物的生活によって間違った人生観を抱いている霊媒よりも純粋な霊的通信が得られることがある。


――作詩法を知らないはずの霊媒によってよく詩文が書かれることがありますが、これはどうしてでしょうか。


「詩も一種の言語です。霊媒の知らない言語で通信が書かれるのと同じ要領で詩が書かれるだけです。ただ、それ以外の可能性として、その霊媒が前世で詩人だったというケースも考えられます。霊は一度記憶したことは絶対に忘れません。ですから、我々が働きかけることによって、その霊媒の霊がそれまでに身につけたもので通常意識では表面に出ないものが、いろいろと便宜を与えてくれることがあります。」


――絵画や音楽の才能を見せる霊媒についても同じことが言えますか。


「言えます。絵画も音楽もつまるところは思想の表現形式ですから、やはり言語であると言えます。霊は、霊媒が有する才能の中から最も便利なものを利用します。」


――詩文であれ絵画であれ音楽であれ、そうした形式での思想の表現は、霊媒の才能によって決まるのでしょうか、それとも通信霊でしょうか。


「霊媒の場合もあれば通信霊の場合もあります。高級霊になるほど才能は豊かです。霊格が下がるほど知識と能力の範囲が狭くなります。」


――前世では驚異的な才能を見せた霊が、次の再生ではその才能を持ち合わせないというケースがあるのはどうしてでしょうか。


「その見方は間違いです。反対に、前世で芽生えた才能を次の再生時に完成させるケースの方が多いです。ただ、よくあるケースとして、前世での驚異的な才能を一時的に休眠状態にしておいて、別の才能を発揮させることがあります。休眠状態の才能は消滅したわけではなく、胚芽の状態で潜在していて、またいつか発現するチャンスが与えられます。もっとも、何かの拍子にそうした才能が直覚によっておぼろげに自覚されることはあります。」

シルバーバーチの霊訓(四)

 Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor



九章 宗教の本質と子供の宗教教育のあり方

 ある日の交霊会で〝宗教〟の定義を求められてシルバーバーチはこう述べた。

 「宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することです。本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません。人間の魂に内在する神性を地上生活において発揮させるものでなければなりません。

自分と神とのつながり、そして自分と同胞とのつながりを大きくするものでなければなりません。自分一人の世界に閉じ込もらずに広く同胞のために自分を役立てるように導くものでなければなりません。宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教です。

 そのほかのこととは何の関わりもありません。肉体が朽ちてしまえば、それまで永いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。

魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。

 地上にはこれまであまりに永いあいだ、あまりに多くの世俗的宗教が存在し、それぞれに異なった教えを説いております。しかしその宗教がもっとも大事にしてきたものは実質的には何の価値もありません。

過去において流血、虐待、手足の切断、火刑といった狂気の沙汰まで生んだ教義・信条への忠誠心は、人間の霊性を一インチたりとも増しておりません。逆に、いたずらに人類を分裂させ、障壁をこしらえ、国家間、果ては家族間にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。

分裂と不和を助長することばかりを行ってきました。神の子等を一つに結びつけることに失敗しております。私が宗教的建造物や俗にいう宗教に価値を認めない理由はそこにあります。主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは何を為すかです。


 続いて子供の宗教教育のあり方について聞かれて───

 「今日の子供は明日の大人であるという、ごく当たり前の考え方でその問題と取り組んでみましょう。当然それは学校教育を終えたあとの社会生活において、その社会の重要な責務を担う上での備えとなるべきものでなければなりません。

 意識ある社会の一員として、いかなる事態においても、社会のため人類のために貢献できる人物に育てるための知識を授けることが教育の根本義なのです。

それには何よりもまず宇宙の摂理がいかなるものであるかを説いてやらねばなりません。人間が有する偉大な可能性を教え、それを自分自身の生活と、自分の住む地域社会に役立てるために開発するよう指導してやらねばなりません。

 子供は感受性が強いものです。知能的にも、教えられたことが果たして真理であるかどうかを自分で判断することが出来ません。とても従順ですから、教えられたことは何もかも本当のことと信じて、そのまま呑み込んでしまうのです。

 このように、子供を教育することは、実に貴重でしかもデリケートな原料を扱っていることになります。教え込んだことがそのまま子供の性格のタテ糸となりヨコ糸となって織り込まれていくのですから、教育者はまず教育というものの責任の重大さを自覚しなくてはなりません。

子供の潜在意識に関わることであり、教わったことはそのまま潜在意識に印象づけられ、それが子供のその後の思想を築いてゆく土台となるのです。

その意味で、筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明の将来に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。

 子供に種々さまざまな可能性が宿されていることを知らない人、霊的真理に通じていない人、子供が霊的存在であり神の子であることを知らない人、宇宙における人間の位置を理解していない人───こうした人に育てられた子供は健全な精神的発育を阻害されます。

 ここで子供の物的生活における必須の要素について語るのは私の領分ではありません。それについてはすでに十分な知識が普及しております。あらゆる分野の科学とあらゆる生命現象についての教育、地上なりの豊かな文学と芸術と教養の真価を味わえる精神を培う上で役に立つもの全てを教えてやるべきであることは明白です。

 そこで宗教の問題に絞って申せば、宗教とは個々の魂が人生のあらゆる闘いに堂々と対処し、そして克服していく上での指導原理である以上、教育上極めて重大な意義を有することは明らかです。

子供の一人ひとりが神の一部であり、本質的に霊的存在であるからには〝自由〟がもたらすところのあらゆる恵みを受けて生きるように意図されております。その魂を幼い時期に拘束し自由を奪うようなことをすれば、それは魂の基本的権利を無視することになります。奴隷状態に陥(おちい)らせることです。霊的奴隷としてしまうことです。

 〝自由〟こそが教育の核心です。私の考えでは、宗教についての正しい真理を教わった子供は自由闊達に成長します。

教育に携わる人が子供に自由を与えてやりたいという意図からでなく、古い神話や寓話への忠誠心を植えつけたいという願望から物ごとを教えていけば、それは子供の精神の泉を汚染することになります。

もしも知性があれば拒絶するはずの間違った教義を教え込むことは、宗教的観点からみても教育的観点からみても、その子にとって何の益にもなりません。

 それだけでは済みません。いつかきっと反撥を覚える時期がまいります。無抵抗の幼い時期に間違ったことを教え込んだ人たちみんなに背を向けるようになります。幼い魂は若木のように逞しく真っすぐに生長するように意図されております。それが間違った育て方をされるということは存在の根をいじくり回されることであり、生長が阻害されます。

 霊について、神とのつながりについて正しい真理を教えるのでなく、倒れかかった教会を建て直し、空席を満たそうとする魂胆から誤った教義を押し付けんとする者すべてに対して私は断固として異議を唱えます。

宗教についての真実を申せば、真理の全てを説いている宗教など有りえないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条しか見ておりません。しかも悲しい哉、その一条の光すら永い年月のうちに歪められ、狂信者によって捏造されております。

 子供には宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に捉われることなく、真面目で無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して真に忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません」
                                            

Friday, May 1, 2026

霊媒の書  アラン・カルデック編

 The Mediums' Book    Allan Kardec

スピリチュアリズムの真髄

第2部 本論




10章 自動書記現象の種々相

数ある霊とのコミュニケーションの手段の中でも“書く”ということが最も単純で、最も手軽で、何かと都合がいい。

と言うのは、きちんと時刻を定めて連続して交信することができ、その間の通信の内容や筆跡や態度を見て、通信霊の性格や霊格の程度や思想をじっくりと分析し、その価値判断を下すことができるからである。

体験を重ねるごとに霊的通信の純度が高まるという点でも、自動書記は好ましい手段である。

ここでいう自動書記というのは、その霊能つまり通信霊からのメッセージを受け止めて用紙に書き記すという能力を持った霊媒を中継して得られるものを言うのであって、霊媒を仲介せず、書くための道具もなしに記される直接書記とはメカニズムが異なる。(第八章参照)

自動書記には大別して三つのタイプがあり、霊媒によっては二つのタイプが交じり合っている場合もある。
①受動書記(器械書記)

本書の初めに紹介したテーブルラップやプランセットによる通信、および霊媒が筆記用具を握って書く通信は、このあと紹介する直覚書記や霊感書記と違って、テーブルやプランセットや霊媒の腕または手に霊が直接働きかけて通信を送るもので、例えば霊媒が手で書く場合でも霊媒自身は何が書かれるのか全く関知しないという点で受動的であり、その意味からこれを受動書記または器械書記と呼んでいる。霊媒の手もただの器械にすぎないと見なすわけである。(テーブルラップは物理現象の部類に入れられるのが普通であるが、符丁による通信が文字に置き替えられて綴られるという点では、確かに自動書記現象でもある――訳注)

この受動書記では手が激しく動いて、握っている鉛筆が手から離れて飛んでいったり、鉛筆を握ったまま苛立(いらだ)ったようにテーブルを叩き、鉛筆の芯が折れたりすることがある。霊媒はいっさい関係なく、そうした動きを呆れ顔で見つめている。

こうした現象が生じる時は決まって低級霊の仕業とみてよい。高級霊はあくまでも冷静で威厳が漂い、態度が穏やかである。会場の雰囲気が乱れていると高級霊は直ぐに引き上げる。そして代わって低級霊が出てくる。
②直覚書記(直感書記)

霊は霊媒の精神機能に働きかけることによって思想を伝達する。手や腕に直接働きかけるのではない。その身体に宿っている魂――霊媒が“自分”として活動するための顕在意識と潜在意識の総体――に働きかけ、その間は霊媒と一体となっている。ただし、霊媒と入れ替わっているのではないことに注意しなければならない。

霊の働きかけを受けて霊媒の精神が反応し手を動かして書く。あくまでも霊媒が書いているのであるが、伝達される思想は霊からのもので、霊媒はそれを意識的に綴っている。これを直覚書記または直感書記と呼ぶ。
③半受動書記

①の受動書記と②の直覚書記とが並行して行われる場合があり、頻度としてはこのケースがいちばん多い。

受動書記では“書く”という動作が先行し、その後から思想が付いてくる。直覚書記では思想が先行し、その後書くという動作が伴う。その両者が同時に起こる、あるいは前になったり後になったりするのを半受動書記と呼ぶ。
④霊感書記

通常意識の状態ないしはトランス状態で自分の精神の作用以外の始源から思想の流入を受け取ってそれを書き記すもので、②の直覚書記ときわめてよく似ている。唯一異なる点は、その思想が霊的始源からのものであるとの判断が明確にできないことで、霊感書記の最大の特徴はその自然発生性、つまり霊媒自身はそれをインスピレーションであるとの認識が定かでない点にある。

そもそもインスピレーションというのは、良きにつけ悪しきにつけ、霊界から我々人間に影響を及ぼす霊から送られてくるもので、日常生活のあらゆる側面、あらゆる事態における決断において関与していると思ってよい。

その意味においては我々は一人の例外もなく霊感者であると言える。事実、我々の周りには常に幾人かの霊がいて、良きにつけ悪しきにつけ、リモート・コントロール式に我々を操っている。

その事実から、守護霊を中心とする背後霊団の存在意義を理解しなければならない。人生には右か左かの選択を迫られる時機、何を言うべきかで迷う時があるものだが、そのような時に守護霊からのインスピレーションを求めることができる。自分と最も親和性の強い類魂であるとの知識に基づいた信念をもって祈り、あるいは瞑想によって指示を仰ぐ。

それに対する霊団側の反応は、最高責任者である守護霊の叡智によって一人一人異なる。まるで魔法のごとく名案を授かるかと思えば、何の反応も得られないこともある。そのような時は「待て」の指示であると受け止めるべきである。

よく耳にする話として、格別の霊的能力があるわけでもなく、また通常意識に何の変化があるわけでもないのに、一瞬の間に思想の奔流を受け、時には未来の出来事の予言まで見せられ、本人はただ唖然としてそれを受け止めるといった現象がある。そして終わってみると、それまでの悩みも苦しみも、跡形もなく消えている。

さらに天才と言われる人たち――芸術家、発明家、科学的発明者、大文学者等々――も高級霊の道具として偉大なるインスピレーションを授かるだけの器であったということであり、その意味では霊媒と同じだったわけである。


訳注――私の母は若い頃から火の玉を見たり神棚の御鏡に神々しい姿が映っているのが見えたりしたというから霊能がかなりあったようであるが、その人生は戦前と戦後とで天国と地獄を味わった、波乱に富んだ人生だった。のちに私の師となる間部詮敦氏と初めてお会いして挨拶をした時は「荒れ狂う激流を必死に泳いで、やっと向こう岸にたどり着いた感じがした」と言っていた。

その母が私にぽっつり語ったところによると、苦悶の極みに達すると必ず白い光の玉がぽっかりと浮かんで見え、それが消えると同時に一切の悩みも苦しみも消えていたという。ところが晩年にある人からしつこく意地悪をされたことがあり、私もそれを知っていたが、母が平然としているので、さすがに母だと思っていた。

ところがある日ついに堪忍袋の緒が切れて激怒に及んだ。それきり意地悪もされなくなったが、同時に「あの白い光の玉が見えなくなった」と寂しそうに言っていた。その後また見えるようになって喜んでいたが、この話から私は、いくら正義の憤怒とはいえ波動が乱れては高級な背後霊との連絡も途絶えることを教えられた。

以下は、自動書記の原理に関する霊団との一問一答である。


――インスピレーションとは何でしょうか。


「霊による思念の伝達です。」


――インスピレーションは重大なことに限られているのでしょうか。


「そんなことはありません。日常生活のいたって些細なことについてもあります。例えば、どこかへ行こうと思った時、その方角に危険が予想される場合には行かないようにさせます。あるいは思ってもみなかったことを、ひょっこり思いついてやり始める場合もそうです。一日のうちのどこかで大なり小なりそうした指示を霊感によって受けていない人はほとんどいないと考えてよろしい。」


――作家とか画家、音楽家などがインスピレーションを受ける時は、一種の霊媒と同じ状態にあると考えてよろしいでしょうか。


「その通りです。肉体による束縛が弱まって魂の活動が自由になり、霊的資質の一部が発現します。そんな時に霊団からの思念や着想がふんだんに流入します。」

次の問題として、霊媒の能力が一時的に中断したり急に失われたりすることがある。自動書記現象だけでなく物理現象その他の霊媒でも同じことがある。その問題について一問一答は次の通りである。


――霊媒能力が失われることがあり得ますか。


「よくあります。どんな能力でもあります。が、割合としては、完全に失われてしまうよりも、一時的な中断の方が多く、それも短期間です。再開されるのは中断された時の原因と同じことから発します。」


――それは霊媒の流動体の問題ですか。


「霊的現象というのは、いかなる種類のものであれ、親和性のある霊団の働きなしには生じません。現象が生じなくなった時は、霊媒自身に問題があるのではなく、霊団側が働きを止めたか、あるいは働きかけができなくなった事情がある場合がほとんどです。」


――どんな事情でしょうか。


「高級霊になると、霊媒に関して言えば、その能力の使用法によって大きな影響を受けるものです。具体的に言えば、ふざけ半分にやり始めたり野心が度を超しはじめたら、すぐに見放します。また、その能力を霊的真理の普及のために使用するという奉仕の精神を忘れ、指導を求めて来る人や研究・調査という学術的な目的で現象を求めに来る人を拒絶するようになった時も、高級霊は手を引きます。

大霊は霊媒自身の娯楽的趣味のために能力を授けるのではありません。ましてや低俗な野心を満足させるためではさらさらありません。あくまでも本人および同胞の霊性の発達を促進するために授けているのです。その意図に反した方向へ進みはじめ、教訓も忠告も聞き入れなくなった時に、霊団側はその霊媒に見切りをつけ、別の霊媒を求めます。」


――霊が去った後は別の霊が付くのではありませんか。もしそうであれば、霊媒の能力そのものが一時的に休止してしまうという現象はどう理解すべきでしょうか。


「面白半分に通信を送るだけの霊ならいくらでもいますから、高級霊が去ってしまった後に付く霊には事欠きません。が、優れた霊が霊媒への戒めのために、つまりその霊的能力の行使は霊媒とは別の次元の者(霊)によるものであって霊媒自身が自慢すべきものではないことを悟らせるために、一時的に休止状態にすることはあります。一時的に何もできなくなることによって霊媒は、自分が書いているのではないことを身に沁みて悟ります。もしそうでなかったら書けなくなるはずはないからです。

もっとも、必ずしも戒めのためばかりとも言えません。霊媒の健康への配慮から休息させる目的で中断することもあります。そういう場合には他の霊による侵入の懸念はありません。」


――しかし、徳性の高い人物で健康面でも別に休息の必要もないはずの霊媒が、通信がぷっつりと切れてしまって、その原因が分からずに悩んでいるケースはどう理解すればよいのでしょうか。


「そういうケースは忍耐力と意志の堅固さを試す試練です。その期間がいつまで続くかを知らされないのも同じく試練のためです。

一方、その期間はそれまでに届けられた通信を反芻(はんすう)させるためでもあります。それをどう理解しどう役立てるかによって、その霊媒が我々の道具として本当の価値があるかどうかの判断を下します。興味本位で立ち会う出席者についても同じような判断を下します。」


――何も出ない場合でも霊媒は机に向かうべきでしょうか。


「そうです、そういう指示があるかぎりは何も書かれなくても机に向かうべきです。が、机に向かうのも控えるようにとの指示があれば、止めるべきです。そのうち再開を告げる何らかの兆候が出ます。」


――試練の期間を短縮してもらう方法があるのでしょうか。


「忍従と祈り――そういう事態での取るべき態度はこれしかありません。毎日机に向かってみることです。が、ホンの数分でよろしい。余計な時間とエネルギーの消耗は賢明ではありません。能力が戻ったかどうかを確認することだけが目的です。」


――ということは、能力が中断したからといって必ずしもそれまでに通信を送ってくれた霊団が手を引いたとは限らないということですね?


「もちろんです。そういう時の霊媒は言わば“盲目という名の発作”で倒れているようなものです。が、たとえ見えなくても、実際は多くの霊によって取り囲まれております。ですから、そういう霊との間で思念による交信はできますし、また、それを求めるべきです。思念が通じていることを確認できることがあるでしょう。自動書記という現象は途絶えても、思念による交信まで奪われることはありません。」


――そうすると、霊媒現象の中断は必ずしも霊団側の不快を意味するものではないということでしょうか。


「まさにその通りです。それどころか、霊媒に対する優しい思いやりの証拠ですらあります。」


――霊団側の不快の結果である場合はどうやって知れますか。


「霊媒自身がおのれの良心に聞いてみるがよろしい。その能力をいかなる目的に使用しているか、どれだけ他人に役立てたか、霊団の助言・忠告によってどれだけ学んだか――そう自分に問いかけてみることです。その辺の回答を見出すのはそう難しくはないでしょう。」


――霊媒が自分が書けなくなったので他の霊媒に依頼するということは許されるでしょうか。


「それは、書けなくなったその原因によりけりです。通信霊はひと通りの通信を届けた後は、あまりしつこく質問するクセ、とくに日常生活のこまごまとしたことで相談する傾向を反省させる目的で、しばらく通信を休止することがあります。そういう場合は他の霊媒に代わってもらっても、満足のいくものは得られません。

通信の中断にはもう一つ別の目的があります。霊にも自由意志がありますから、呼べば必ず出てくれるとは限らないことを知らしめるためです。同じく交霊会に出席する人たちにも、知りたいことは何でも教えてもらえるとは限らないことを知らしめるためでもあります。」


――神はなぜ特殊な人だけに特殊な能力を授けるのでしょうか。


「霊媒能力には特殊な使命があり、そういう認識のもとに使用しなくてはなりません。霊媒は人間と霊との仲介役です。」


――霊媒の中には霊媒の仕事にあまり乗り気でない人がいますが……。


「それは、その人間が未熟な霊媒であることの証拠です。授かった恩恵の価値が理解できていないのです。」


――霊媒能力に使命があるのであれば、立派な人間にのみ特権として与えればよさそうに思えますが、現実にはおよそ感心できない人間が持っていて、それを悪用しているのはなぜでしょうか。


「もともとその人間自身にとって必要な修行として、その通信の教訓によって目を開かされることを目的として与えられています。もしもくろみ通りにいかなかった場合には、その不誠実さの結果について責任を問われることになります。イエスがとくに罪深き者を相手に教えを説いたことを思い起こすがよろしい。」


――自動書記霊媒になりたいという誠実な願望を抱いている者がどうしても叶えられない時は、霊団側がその者に対して親愛感が抱けないからと結論づけてよろしいでしょうか。


「そうとは限りません。体質的に自動書記霊媒として欠けたものがあることも考えられます。詩人や音楽家に誰でもなれるとは限らないのと同じです。が、その欠けた能力は、他の、同じ程度の価値のある能力で埋め合わせられていることでしょう。」


――霊の教えを直接耳にする機会のない人は、どうやってその恩恵に浴することができるのでしょうか。


「書物があるではありませんか。クリスチャンには福音書があるのと同じです。イエスの教えを実践するのにイエスが実際に説くのを聞く必要があるでしょうか。」

シルバーバーチの霊訓(四)

Silver Birch Anthology 

 Edited by William Naylor




八章  質問に答える

 再生の問題、動物実験の是非、犯罪、自殺等々についての質問がシルバーバーチのもとに数多く寄せられる。その中から幾つかを紹介しよう。
質問(一)─── 動物実験は正しいことでしょうか間違ったことでしょうか。
 これによって人類の益になるものが得られるのでしょうか。

「私はかねがね動物を使っての実験のすべてに反対しております。そこに何一つ正当化すべきものは見出せません。動物はあなた方人間が保護し世話すべきものとして地上に存在しているのです。

その成長と進化を促進する責任が、全面的とは言えませんが、人間に託されております。その無力な動物に苦痛を与えることは、動物が人間に示す情愛と献身と忠誠に対するあまりに酷い報復です。

 治癒力は自然界にさまざまな形で存在し、使用されるのを待っております。動物界の創造と進化をそんな形で邪魔しなくてもよいように、必要なものは創造主がちゃんと用意してくださっております。私たちの世界から援助するスピリットは苦痛を軽減したり不治と宣告された病すら治してしまう技術を身につけておりますが、決して生体実験は致しません。

 薬草を使うことがあります。霊波を使うことがあります。いずれも動物に対する残酷な行為は伴いません。宇宙には道義的な意図が行きわたっております。非道義的なものは摂理に反します」

質問(二)───スピリチュアリストの中にはスピリチュアリズムを占星術と同類とみている人がいます。そういう人たちは地上の出来ごとは星によって宿命づけられ操られていると考えています。

 「生命現象は一連のバイブレーション、放射性物質、放散物から成っており、したがって人間も自然界のあらゆる存在ないしは生命体によって影響されていることは確かです。そういったものが影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして、どうしようもない宿命的な力を持ってはおりません。

あなたの誕生日にある星が地平線上にあったからといって、その星によってあなたの生涯が運命づけられていると考えるのは間違いです。

すべての惑星、すべての自然、宇宙間のあらゆる存在、あらゆる生命体が何らかの影響を及ぼします。しかしあなたはあなたの魂の支配者です。あなたには自分で背負わねばならない責任があり、あなたの霊的進歩に応じて自分が運命を定めていくのです。

 占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、人体に影響を及ぼせば霊も影響を及ぼすことになります。しかし霊は絶対です。全てに優るものです。ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。

 私が言いたいのは、要するにあなた方は神の一部であること、そして神性を宿すがゆえに、創造力を宿すがゆえに、この宇宙を創造した力の一部であるがゆえに、あなた方はその身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことができるということです。

 分かりやすく言えば私も影響力の一つです。あなた方が付き合う人たちも何らかの影響を与えます。お読みになる本も影響力を持っております。しかしあくまで影響力にすぎません。それによってあなたが圧倒されることもないし、絶対的に支配されることもないでしょう」


質問(三)───再生は本当にあるのでしょうか。

 「再生は事実です。私はかつて地上へ再生したことのある霊に何人か会っております。 特殊な使命を託された人、預けた質を取り戻したい人がみずからの意志で行うものです。

 ただし再生するのは個的存在の別の側面です。同じ人格がそっくり再生するのではありません。ここに一個の意識的存在があって、そのごく小さな一部がちょうど氷山のように地上に顔を出します。それが誕生です。残りの大きい部分は顕現しておりません。

 次の誕生つまり再生の時にはその水面下の別の一部分が顔を出します。二つの部分に分かれても個的存在全体としては一つです。これが霊界において進化を重ねて行くと、その潜在している部分全体が顕現した状態となります」(表現する身体が精妙となっていき、それだけ神性が発揮しやすくなっていくー訳者)


質問(四)───私は最近、一方において若者による犯罪が激増し、他方においては体罰が禁じられていることについて大いに考えさせられております。暴力以外に青春のはけ口を知らず、けだもの同然となってしまっている若者をどう扱ったらよいのでしょうか。何かよい処罰の方法はないものでしょうか。(第二次大戦後のこと。本書は一九五五年の出版──訳者)

 「戦争が起きると気高い人間的精神(愛国心)が昂揚される半面、敵を殺そうとする、人類の最も残忍な性質が発揮されます。人間精神の極致ともいうべき英雄的行為を生むと同時に、むごたらしい野蛮性も生みます」


───両極端が発揮されるわけですね。

 「そういうことです。しかも、暴力の方は戦争の必然性として大いに奨励されることになります。では戦争が終われば暴力と残忍性がすぐに引っ込むかといえば、そう簡単にはまいりません。

すでに無数の人間が獣性をむき出しにした状態になっております。そうした事態にどう対処すべきかをお尋ねですが、それには二つの方法があります。

 いずれも地上で敬々しく読まれている本(新旧聖書)にはっきりと述べられているものです。古い方は〝目には目を、歯には歯を〟(出エジプト記)と説き、新しい方は〝己を愛するごとく隣人を愛せよ〟(マタイ)と説きます。どちらが良いかは分かり切ったことです。

 前者の方法を取れば解決は得られません。緩和剤、一時しのぎの荒治療にはなっても、罪悪ないし蛮行を根本から無くしたことにはなりません。

後者の方法を取り、そうした邪悪が精神と肉体と霊との不調和から生まれていることを認識し、それを矯正するための適切な手段を講ずれば、彼らもまともな市民となっていくでしょう。私はこの方法をお勧めします」


───それは解るのですが、問題はそうした暴徒にどう近づくか、つまり彼らの従順な側面をどう捉えるかです。

 「従順な側面をとらえるかどうかの問題ではありません。彼らの野獣性を鎮め、本来の姿である霊性を発揮させるような精神的治療を、さらに必要であれば霊的治療をいかに施すかの問題です。言ってみれば彼らは一種の病人であり、肉体と魂とが本来のつながりを失っているのです。

病気を治すにはいろんな方法がありますが、いちばん望ましい方法は身体と精神と霊の狂った関係に終止符を打ち、協調関係を取り戻させることです。すると自動的に健康状態になります。

それと同じで、秀れた心理学の専門家の協力、さらには心霊治療家の参加を得ることが出来れば、きっとうまく行くでしょう。しかし、残念ながら、地上はまだその段階まで来ておりません」


───(別のメンバーが)これは非常に考えさせられる問題です。そういう若者はしっかりと体罰を課せば一応おとなしくなると思うのですが・・・。

 「恐怖心を吹き込むばかりで、病弊の治療にはなりません」

───でも、おとなしくさせることは出来るでしょう。

 「できます。ですが、一個の人間としての問題の解決にはなりません。あなた方は極めて限られた視野で見ておられます。それはちょうど死刑にするのと同じです。

その人間をこの世から抹殺すれば問題は片づくじゃないかとおっしゃるようなものです。たしかに一面から見れば片づいたと言えるでしょう。しかし本人はちゃんと(死後の世界で)生き続けているのです」

(モーゼスの『霊訓』でイムペレーターが死刑にされた人間の霊や戦死者の霊の怨念と激情が地上の犯罪や暴力沙汰に拍車を掛けている事実を生々しく伝えているー訳者)

───一人の堕落者の更生の方が社会全体より大切なのでしょうか。

 「社会は個人が集まって出来あがっているのです。すべての者に注意を向けてやらねばなりません。私が指摘しているのはより良い方法です。つまり暴力に暴力を持って対処するのでなく、理解を持って臨み、凶暴性を鎮めて市民的意識を芽生えさせるということです」

───(さらに別のメンバーが)若者が暴徒と化してしまったことには我々にも責任があります。我々みんなの責任です。

 「私たちみんなに責任があります。なぜなら人類は一つであり、同胞へ及ぼす影響はこの私にも及びます。私たちが生活している宇宙は全生命があらゆる面において互いに依存し合っており、いかなる側面も他と隔絶することは出来ません」


───(最初の質問者)ムチを使うことは一時しのぎであり、単に恐怖心で持っておとなしくさせるに過ぎません。

 「現段階での地上人類はまだ社会悪に対する適切な矯正措置を生み出すところまで至っておりません。これは進化の問題です。かつては羊を一頭盗んだ者でも絞死刑にした時代がありました。死刑にしなかったら残りの羊はどうなるんだという理屈が大真面目でまかり通ったものです」


───未熟な社会では未熟な処罰が許されるのだと思います。

 「より良い方法に目覚めた人が一人でもいる限りは許されません。たとえば恐怖の監獄に放り込むのと、真面目な市民に更生させる目的をもった監獄の改善のために働かせるのと、どちらがより良いでしょうか。たった一人だけ更生に成功して九九人が失敗に終わったとしても、何の更生手段も講じないでいるよりはましです」

───死刑制度は正しいとお考えですか。

 「いえ、私は正しいと思いません。これは〝二つの悪のうちの酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることにしかなりません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を殺すのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」


───反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか。それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それはその人にとって気の毒なことだからでしょうか。

 「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調したいのは、いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。

なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に、別の世界へ突き落しただけです」


質問(五)───余暇の正しい使い方について教えてください。

 「余暇は精神と霊の開発・陶冶(とうや) に当てるべきです。これはぜひとも必要なことです。なぜかと言えば、身体に関係したことはすでに十分な時間が費やされているからです。

人間は誰しも健康を維持し増進するための食生活には大変な関心を示します。もっとも必ずしも健康の法則に適っておりませんが・・・・・・しかし、精神と霊も発育が必要であることをご存じの方はほとんどいません。

そういう人たちは霊的にみると一生を耳を塞ぎ口をつぐみ目を閉じたまま生きているようなものです。自分の奥に汲めども尽きぬ霊的な宝の泉があることを知りません。

精神と霊が満喫できるはずの美しさを垣間見たことすらありません。誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにおります。それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面の素晴らしさを知らしめます。

 となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。

その静寂の中で、周りに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することが出来ます。その宝は使われるのを待ち受けているのです」


質問(六)───直感について説明してください。

 「よろしい。ひとことで説明できます。〝霊の即発〟です。直感とは霊が自己を認識する手段です。ふだんの地上的推理の過程を飛躍します。考えに考えた末に到達するような結論でも、電光石火の速さで到達します。

同じ問題について多くの時間と思索ののちにやっと到達することを〝霊の即発〟によって一気に我がものとしてしまう、一種の 〝一体化〟の過程です」


質問(七)───有色人種と白人が結婚して子孫をこしらえることは好ましくないことでしょうか。

 「私も有色人種です。これ以上申し上げる必要があるでしょうか。地上では〝色素〟つまり肌の色で優劣が決まるかのように考えがちですが、これは断じて間違いです。優劣の差はどれだけ自分を役立てるかによって決まることです。ほかに基準はありません。

肌の色が白いから、黄色いから、赤いから、あるいは黒いからといって、霊的に上でもなければ下でもありません。肌の色は魂の程度を反映するものではありません。地上世界ではとかく永遠なるものを物的基準で判断しようとしがちですが、永遠不変の基準は一つしかありません。すなわち〝霊〟です。

 すべての民族、あらゆる肌色の人間が神の子であり、全体として完全な調和を構成するようになっております。大自然の見事なわざをご覧なさい。広大な花園で無数の色彩をした花が咲き乱れていても、そこには、ひとかけらの不調和も不自然さも見られません。すべての肌色の人間が融合し合った時、そこに完璧な人種が生まれます」


質問(八)───現段階の人間社会において、いわゆるハーフカースト(※)の子孫も社会に受け入れられるべきでしょうか。(※宗教または階級を異にする者同士の間の子孫、とくにヨーロッパのキリスト教徒とヒンズー教徒またはイスラム教徒との間の混血児のことー訳者)    

 「偏見を打ち崩し、誤った考えと闘わなければなりません。真理は、いかにその歩みはのろく苦痛を伴っても、真理であるがゆえに、必ず前進するものです。価値あるものほど手に入れるのに困難が伴うものです。成就は奮闘努力の末に得られるものです。

勇気を持って挑戦してそして征服した者こそ称賛に値します。恐怖心から尻込みし困難を避けようとする者に用はありません。人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中をくぐってこそ魂は真の自我に目覚めるのです」