Tuesday, July 21, 2026

シルバーバーチの教え(下)

 Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)
近藤千雄(訳)



18章 霊界側から見た戦争

〔シルバーバーチが戦争を非難する姿勢は一貫しており、常に霊的真理を普及することの必要性を強調している。ここでは、戦争に関するシルバーバーチの言葉を見ることにする。〕


私たちは霊界が、地上の戦争によって傷ついた魂のための野戦病院のようになっては困るのです。私たちのように地上圏に降りて仕事をしている者は、地上人が救われるためには、私たちがお届けしている霊的真理を受け入れる以外にはないことを痛感しています。それは地上人みずからがすべきことであって、私たちが代わってしてあげるわけにはいきません。摂理に反した行為がどのような結果を招くかを示し、地上で間違ったことをすると霊界でこういう事態になるということを、教えてあげるしかないのです。

霊的に何の準備もできていない魂が、霊界へ続々と送り込まれてきます。戦死者たちは、まるで熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊されたことで傷ついた魂を、なぜ霊界で癒さなければならないのでしょうか。地上人がなすべきことを疎(おろそ)かにしたことで生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。

もし私たちに、あなた方への愛、大霊の愛がなかったなら、こうして地上界のために働いてはいないでしょう。皆さんは、私たちが伝えようとしている霊的真理によって私たちを判断してください。もし皆さんが「あなたの教えは間違っている。これまでの地上の常識に反している」と言われるなら、私たちとしてはもはや為す術(すべ)がありません。

地上界に限って考えてみても、戦争を正当化することはできません。物質的にも、ただ破壊を引き起こすだけです。霊界側から見たとき戦争は、決して正当化することはできません。戦争は、人間は地上界を離れる時期がきたときに肉体から去るべきである、という摂理に反することになるからです。大霊の子が、よくぞ平気で神聖なる摂理を犯すものだと、私たちは呆れるばかりです。

実は地上界のそうした愚かな行為が、低級霊たちの働きかけを許すことになっているのです。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しています。そのことを、あなた方はご存じありません。これを阻止するためには民族や国家間の対立をなくし、地上人類のすべてが大霊の子供であるとの認識を持つことです。対立を生んでいるのは地上の人間であって、大霊ではありません。すべての人間に大霊の分霊が宿っており、それゆえに全人類は等しく大霊の子供なのです。

地上世界には建設しなければならない仕事がいくらでもあるというのに、指導的立場にいる人たちは、なぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊は、すべてを支配する自然法則(摂理)を設けられました。地上の子供たちは、その法則に背くようなことをしてはなりません。もし摂理にそった生き方をしないなら、破壊と混乱を生むだけです。人類は、もう十分にその結果を見てきたのではないでしょうか。

皆さん方には、大霊の計画を地上界で実現するために全力を尽くしていただきたいのです。皆さんは、大霊が流血を望まれると思いますか。戦争によって悲劇や苦難、失業や飢餓や貧困が生み出されるのを望まれると思いますか。せっかくの賜物(たまもの)を無駄にし、小さな子供たちが両親から引き離されて無理やり霊界に追いやられてしまうのを見て、大霊が喜ばれると思いますか。

私たちがお届けしている教えに忠実でありさえすれば、大霊のために奉仕している私たちと同じように、あなた方もこの大事業において役に立つことができるのです。

他人の肉体生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に背きます。殺意を抱くと、理性が去ります。人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです。動物性をむき出しにすると、戦争や紛争や殺し合いなどが起こります。反対に内面の神性を輝かせ互いに助け合うようになれば、平和と調和と豊かさがもたらされます。

国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も、大霊の一部なのです。大霊の目から見れば皆、大霊の子供であり、兄弟姉妹なのです。私たちの教えは単純ですが、真実です。それは大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱や騒動が起きるだけで、最後はすべてが破綻します。

よほどの犠牲的な努力が為されないかぎり、地上ではこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなる種を蒔いてきており、蒔いた種は人類みずからの手で刈り取らなければなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。流血の種を蒔いておいて、平和を刈り取ることはできません。物的欲望の種を蒔いておいて、その結果を免れることはできません。

愛が欲しければ愛の種を蒔くことです。平和が欲しければ平和の種を蒔くことです。至るところに奉仕の種を蒔けば、地上世界は奉仕の精神にあふれることでしょう。このように大霊の真理はきわめて単純なのです。あまりに単純すぎるために、地上で指導的立場にある人々には、その重大性が分からないのです。
質疑応答


――大戦で戦死した人々の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。


少なくとも私の目には何の意義も見いだせません。あなた方が言う「偉大なる戦い」が始まったときよりも今の方が混乱し、一段と破壊が進んでいます。


訳注――「偉大なる戦い」とは「戦争をやめさせるための戦争」を大義名分とした第一次世界大戦の別称であるが、シルバーバーチが敢えてこの呼び方をしたことには、「偉大」と呼べる戦争などあり得ないという皮肉が込められている。


――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあってよいものでしょうか。霊的な影響はまったくないのでしょうか。


犠牲となった一人ひとりには報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてはならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相変わらず物質中心の考え方をしているために、彼らの犠牲は無意味に終わっているのです。


――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。


たとえ二分間でも死者のことを思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示して祝ったところで、何の意義も見いだせません。なぜ、霊的な行事で祝えないのでしょうか。


――戦没者の記念をスピリチュアリズム的な催しとして行うことには賛成ですか。


真実が語られるところには、必ず善なるものが生まれます。もちろんその演説が奉仕的精神を鼓舞するものであれば、なおさらです。無意味な演説からは何も生まれません。演説をするだけでは十分ではありません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかのような気分に浸るだけではいけません。

私は「行為」を要求しているのです。人のために役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけるようなことをしてほしいのです。病気に苦しむ人々を癒し、喪の悲しみの中にいる人を慰め、住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の汚点とも言うべきすべての害悪に、終止符を打ってほしいのです。

平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕の精神を抱き、それを実行に移すようになるまでは地上に平和は訪れません。


――参戦を拒否する平和主義者の運動についてどう思われますか。


私はいかなる“派”にも属しません。私にはラベルというものがないのです。私は、人のために役立つ行為と動機にしか関心がありません。肩書きや名称に惑わされてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意と善意を持った人がいるものだからです。私たちが説いている教えは至ってシンプルなものですが、それを実行に移すには勇気が要ります。

霊的真理を知り、それを実行しようと決意したとき、そして日常生活においてあらゆる問題に奉仕と無私の精神で臨むようになったとき、地上界に平和と調和が訪れます。

それはいかなる党派の主義・主張からも生まれるものではありません。大霊の子供たちが霊的真理を理解し、それを日常生活に、そして政治や経済や国際問題に適用していくことから生まれるのです。

私たちは、これこそ真実であると確信した霊的真理を説いています。そしてそれを実行に移せば、きっと良い結果がもたらされるということを教えています。あなた方は物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さん自身が責任を負うことになります。私たちはただ、愛と誠意を持って導き、あなた方が正道から外れないように力を貸してあげることしかできません。


――ヨーロッパの大国のすべてが完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが武装化を抑制しているのは間違いではないでしょうか。


あなた方は国や民族の概念で考えますが、私は大霊とその子供という概念で考えていることを、これまで何度も申し上げてきました。破壊のための兵器をいくらつくっても、平和はもたらされません。平和を希求する声が高まり、人々が愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになったとき、平和が訪れるのです。私は、一つの国、一つの民族という概念はとりません。全人類が大霊の一部であり、大霊の子供であると考えているのです。大霊の摂理を適用するようになるまでは、地上界から戦争と破壊、混乱と破綻が尽きることはないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――


――「制裁」という手段をどう思われますか。


私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を払わなければなりません。


――しかしこの場合は、動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争をやめさせるためという大義があるのですから……。


武力という種を蒔けば、その種はさらなる武力を生むことになります。「戦争をやめさせるための戦争」だと、当事者が言っているではありませんか。


――では、残虐な連中が無抵抗の人々を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。


あなた方はよく、そういう論理で私たちの意見を求めますが、私たちは永遠にして不変の摂理を説いているのです。最初の段階で摂理に適った手段を用いていれば、今日のような苦境を招くことはなかったはずです。あなた方は難問が生じてから、取り敢えず対策を講じて切り抜けようとしますが、それでは根本的な解決はできません。永遠の摂理に基づく手段だけが、永遠の平和・真の平和をもたらすことになるのです。


――私たちは国際連盟(現在の「国際連合」の前身)を支持すべきでしょうか。


加盟国の代表は本当に平和を希求しているでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるでしょうか。大霊の摂理に素直に従うだけの覚悟ができているでしょうか。もしかして、自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。大霊と人類全体の観点からではなく、自分たちの国、自分たちの民族、自分たちの富という観点からのみ考えているのではないでしょうか。

私たちは、親なる大霊と、その摂理について説いています。それ以外に平和をもたらす方法はないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかもしれませんが、それでは邪悪なものしか生まれません。

そのうち地上人類も“愛”こそが邪悪に打ち勝つことを悟る日がまいります。なぜなら、愛は大霊の顕現だからです。すべての問題を愛の精神で解決しようとするなら、地上界に平和が訪れます。愛の摂理に反する欲望は、常に分裂と混沌(こんとん)と破綻を生み出します。根本から正す努力をしないかぎり、他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。


――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。


ありません。戦争は地上世界に存在するだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱くと、同じような欲望を持った地縛霊を惹きつけることになります。
一九三七年の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ


訳注――かつては「休戦記念日」と呼ばれていたが、第二次世界大戦後は、英国では「英霊記念日」、米国では「復員軍人の日」と呼ばれている。


毎年この日がめぐってくるごとに、戦死者の犠牲が虚しいものであることを痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろしてホコリをはたくように敬意を払います。

彼らの犠牲的行為はすべて無駄に終わっています。一九三七年の時点で、十九年間も十字架にかけられ続けてきたようなものです。あなた方は「偉大なる戦争」と呼びますが、その偉大さとは大量殺戮(さつりく)、無益な殺戮のことです。それは、すべての戦争をやめさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と虚しいことでしょう。何という欺瞞(ぎまん)に満ちた言葉でしょう。

自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、霊界で辛い落胆の歳月を送っていることをご存じでしょうか。彼らは、青春の真っ只中で生命を奪われました。何の準備もなしに、霊界へ送られたのです。彼らは“国を守る”という理想のために喜んで死んでいきました。それ以来、彼らは裏切られ続けています。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者に二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いています。

真の平和は霊的摂理を適用することによってしかもたらされないということを、地上人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。

奉仕精神が利己主義に取って代わることによってのみ、平和が訪れることを知らなければなりません。自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物的思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとすることによってのみ、平和が訪れるようになることを学ばなければなりません。

霊界へ送り込まれた人々を、心にもない口先だけの敬意で、侮辱(ぶじょく)してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しています。が、唯一試みられていないのは「霊的真理」の適用という方法です。それが為されないかぎり戦争と流血が終わることはなく、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことになるでしょう。

シルバーバーチの教え(下)

 Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)
近藤千雄(訳)



17章 霊界でも祝うクリスマスとイースター

〔シルバーバーチは、一年に二度、クリスマスとイースターの時期に他の大勢の指導霊とともに霊界の内奥(ないおう)で催される大審議会に出席する。この審議会では、それまでの計画の進捗(しんちょく)状況が報告され、それに基づいて次の計画が立てられる。そして新たな霊的エネルギーとインスピレーションを得て、これからの仕事のための準備をすることになる。その審議会の最高責任者が、地上で「ナザレのイエス」と呼ばれた人物である。シルバーバーチは次のように語る。〕


その大審議会でのイエスのお姿をあなた方に見せ、お言葉を聞かせてあげたいと思います。私たちを励ましてくださるイエスの深い愛情を、あなた方に感じていただきたいのです。イエスは、それまでに私たちが成し遂げた仕事についての評価を披露(ひろう)され、新たなる力、新たなる希望、新たなるビジョンのもとでさらなる目標に向かって邁進するようにと励ましてくださるのです。教会が説く神格化されたイエス・キリストではありません。多くの道具(同志)を通して人類に奉仕しようと勤(いそ)しんでおられる、一人の偉大なる霊です。

私は、長年生活してきた本来の界層に少しのあいだ留まり、そこで久しぶりに活気あふれる霊力に触れ、エネルギーを充電し、美を満喫し、高級霊界においてのみ可能となる生命の実感を味わいます。こんなことを申し上げる私に、自惚(うぬぼ)れの気持ちなど微塵(みじん)もありません。

たとえ世界中の名画や素晴らしい景色、物質界のありとあらゆる芸術品、さらには深遠な自然美を一つに集めても、高級霊界の美しさに比べれば、お粗末な模作程度のものでしかありません。

例えば地上の画家が、高級霊界からのインスピレーションに触れたとしましょう。彼はすぐに、手持ちの絵の具ではそれを表現できないことに気づきます。絵の具を混ぜ合わせて、魂でとらえた色彩を何とかつくり出そうとしますが、不可能であることを悟ります。霊的な存在物や霊界の美しさは、物的な手段では表現できないものだからです。

霊的な喜悦を、地上の言語で説明することができるでしょうか。大霊の光を放ち、叡智と理解力にあふれ、慈悲心と優しさに満ちた霊たちと会ったときの喜びを言い表すことができるでしょうか。語らずともすべてを理解し、互いの心の奥底まで見抜き、その思いを共有することができる霊たち、成功も失敗も知り尽くしている霊たちと一堂に会したときの喜びを、どのようにしたら説明できるでしょうか。地上には、そうした魂の体験を表現する言葉はありません。

大審議会では数ヵ月間の仕事を見直し、新たな計画を作成し、指導霊の一人ひとりに役割が与えられます。私たちは大きな励ましを得て心を鼓舞され、再び各自の使命を果たすために地上近くへ降りていきます。私は皆さん方の援助によって力を与えられ、地上人類が少しでも大霊に近づくことができるように努力しているのです。
質疑応答


――あなたは、その集会に出席するとき、地理的な意味で地球を「離れる」のでしょうか。それともバイブレーションを別の次元に切り換えるのでしょうか。


私が地球(地上圏霊界)を離れるときは、地球の引力やバイブレーションの影響は受けません。こうしてあなた方と話をしているときの私はアストラルボディー(幽体)を用いていますが、地球を離れるときはそれを脱いで霊体だけになります。その霊体が私自身なのです。

脱ぎ捨てたアストラルボディーが分解しないように、(次に使用するまで)私の意識の一部をそこに残しておきます。そして私は、より内奥にある高次の意識を高め、本来の霊的意識を取り戻していきます。それには時間がかかります。地球のバイブレーションから脱するのに時間をかければかけるほど、本来の界層でより高次の霊的意識を取り戻すことができるようになるのです。

しかし、この仕事のために地球へ降りてくる前の意識レベルまで到達することはできません。何年もかかったものを、数日で取り戻すことはできません。


――本来の意識レベルを意図的に下げるのは、たいへんな犠牲を強いられることではありませんか。


おっしゃる通りです。しかしそれは、物質界にいるあなた方のために喜んで払っている代償です。


――犠牲の中でも最大のものと言えるのではないでしょうか。


確かにそうですが、真理に飢えている人がこれほど多いのですから、私は喜んで持てるものを分け与えています。

地上の太陽が色あせて見えるほど眩(まぶ)しいばかりに光り輝く霊界の太陽、あらゆる絵画・建造物・詩・音楽で表現されている美の極致、最大限の調和状態の中で自然界が生み出す心を奪われるような美しい光景、しかも趣味も性分も相通じる気の合った仲間と交わる喜び――そうしたものに満たされている世界から、暗くて陰鬱(いんうつ)なこの地上界へと降りてくるのです。そのためにどれほどのものを私が犠牲にしているのか、およそお分かりいただけるでしょう。

私は自惚れてこんなことを言っているのではありません。わずかな人々であっても、安らぎと慰めと希望を与えてあげることができるなら、私は喜んで自分の持っているものをお分けしたいと思っています。


――地上のクリスマスとイースターの時期に、なぜ指導霊の集会を催すのでしょうか。ナザレのイエスと何か関係があるのでしょうか。


霊界では、イエスが地上へ降誕する以前からクリスマスとイースターを祝っていました。それらは、聖書に出てくる物語とは何の関係もありません。いずれお分かりになる日もくると思いますが、地球は「リズム」、つまり進化の法則の一環である「サイクル」によって支配されています。そのサイクルは機械的に運行しており、地上のあらゆる民族がそれを認識していました。

私が地上にいた頃、大切にされていた二つの祭日がありました。それをクリスチャンが取り入れ、クリスマスとイースターと呼んで祝っているのです。

この二つの祭日は、私たちインディアンにとって重要な意味を持っていました。インディアンはそれらの時期に、大霊との最高の交わりが得られることを知っていました。あなた方(西洋人)には理解できないことですが、私たちはその時期に太陽の影響力が最も盛んになると考えていました。そして何日にもわたってあなた方の言う「交霊会」を催し、大霊からのインスピレーションをふんだんに受けていました。

そのため私たちインディアンは、地上時代に大切にしていた時期がめぐってくると、霊界において仲間たちが集って祝うのです。もとは“太陽崇拝”から始まったものですが、太陽はシンボルにすぎません。生命あるものはすべて、互いに影響を及ぼし合っています。あらゆる物質も、あらゆる天体も、互いに影響を及ぼし合っています。

すべては自然法則に基づいており、クリスマスは「太陽の誕生」を意味しています。クリスマスは、自然法則を基にして築かれた宗教を持つすべての民族が一つにまとまる時であるため、それが霊界での大審議会の時期として選ばれたのです。私たちにとって太陽の誕生を祝うクリスマスは、すべての祭日の中で最大のものです。なぜならそれは新しい時代の始まりを象徴しているからです。それはサイクルの終わりであり、新しいサイクルの始まりでもあるのです。クリスマスの時期に霊界で集会が催されるのは、指導霊のすべてが、かつて地上で自然法則を基にした宗教を持つ民族に属していたからなのです。

地上でクリスマスとイースターを祝っていたことから、霊界でもこの時期に集会を開いていますが、新しい生命の誕生を祝うという目的は薄らぎ、今では物質界から一時的に引き揚げて次の仕事のための新たな霊力を授かるという目的のために開かれています。


――集会には、どのような霊たちが参加するのでしょうか。


主として、インディアンと古い民族に属していた(スピリチュアリズムの)指導霊たちです。今日の西洋人はすべて、指導霊たちに比べて新しい民族であり、彼らにとっては私たちの祝いは無意味です。

イースターは「全生命の復活」を祝う時です。地上の人間が悲嘆と苦悩、苦痛と困窮(こんきゅう)から脱して、より豊かな人生・本当の人生を歩めるようにと祈るすべての人々が一つに結ばれ、全世界が夜明けを迎えることの象徴なのです。それによって悲しみと涙が追放され、悲劇と飢えが消滅していくことになります。

地上世界は今こそ「復活」を必要としています。ゆっくりとではあっても、大霊の摂理が適用されるようになり、より多くの大霊の子らが自らを大霊の道具として提供するようになります。そして物質第一主義の勢力が撤退することになるのです。

私が本来の所属界へ戻るときは、他の多くの指導霊と一緒にまいります。そして短い期間ではありますが、あなた方地上人には想像もつかないような霊的生活の喜びを味わいます。愛の絆で結ばれた指導霊たち、私たちが師と仰ぐ霊たちと会い、その優れた叡智を学び取り、その霊力を取り入れ、深遠なる洞察力による助言を授かります。そしてこの仕事の進展状況を確認し、これからも果てしなく続く善と悪との戦いのために用意された計画を示されます。

こうして私たちは、上層界の指導霊から激励を賜り、奉仕の喜びに満たされて再びこの地上界へと戻ってきます。そしてまた、皆さん方と協力し合って、少しでも多くの霊力を地上界へもたらすために働くのです。

できることならその集会にあなた方をお連れして、地上界のために働いている指導霊たちに会わせてあげたいと思います。私は他の誰よりもこのサークルの皆さんを、イエスを中心として開かれるその集会にお連れしたいと思っています。光輝あふれるその姿を見せてあげたいのです。大霊によって選ばれた指導霊がどのような方々であるかを知ったなら、あなた方は、あまりの威厳にただ畏(おそ)れおののくばかりかもしれません。指導霊たちの地上時代の名前は、知らずにいた方がいいかもしれません。

あなた方には、こうして地上世界のために尽力している仕事の中身によって私たちを判断していただきたいのです。


――霊界での祭日として、なぜ地上のイースターを選んだのでしょうか。


私たちが地上のイースターを選んだのではありません。あなた方が私たちのイースターを選んだのです。


――イースターは昔、地上全体で同じ時期に祝われていたのでしょうか。


私たちインディアンは皆、同時に祝っていました。その後、あなた方の世界でキリスト教という宗教がつくられたとき、太古の自然宗教が用いていたシンボルを採り入れていったのです。すべての宗教の根幹に“太陽信仰”があることを知ったからです。


――現在でも霊界では、インディアン社会だけでなく他の宗教においてもイースターを祝うのでしょうか。


霊界の全界層においてイースターが催されています。地上でクリスチャンだった者は、イエスの蘇りを祝います。イエスよりもずっと前の時代に地上生活を送った者たちは、その時代の自分たちの宗教のシンボルとしてのイースターを大々的に祝います。私たちはそのとき、まだ明らかにされていない叡智を授かります。私たちよりも霊格の高い指導霊から教えを受けると同時に、その知識を他の仲間の霊たちと分け合います。

Monday, July 20, 2026

ベールの彼方の生活(二)



第二巻は、著者オーエンの守護霊であるザブディエルからの通信です。彼がいる十界、その先の十一界や下層界である五界や六界の情景について書かれています。


一章 序 説
守護霊ザブディエル   2善と悪   3神への反逆     
統一性と多様性



一章 序 説

1 守護霊ザブディエル 

  一九一三年十一月三日  月曜日

 守護霊のザブディエルと申す者です。語りたいことがあって参りました。


──御厚意ありがたく思います。

 ご母堂とその霊団によって綴られてきた通信(第一巻)にようやく私が参加する段取りとなりました。これまでに授けられた教訓を更に発展させるべき時期が到来したということです。貴殿にその意志があれば、ぜひともそのための協力を得たいと思います。


──恐縮に存じます。私にいかなる協力をお望みでしょうか。

 ここ数週間にわたってご母堂とその霊団のために行ってこられた如くに、私のメッセージを今この時点より綴ってほしく思います。


──ということは、母の通信が終わり、あなたがそれを引き継ぐということでしょうか。

 その通りです。ご母堂もそうお望みである。もっとも、時にはその後の消息をお伝えすることもあろうし、直接メッセージを届けさせようとは思っています。


──で、あなたが意図されている教訓はいかなる内容のものとなりましょうか。

 善と悪の問題、ならびにキリスト教界および人類全体の現在並びに将来に係わる神のご計画について述べたいと思う。もっとも、それを貴殿が引き受けるか、これにて終わりとするかは、貴殿の望むとおりにすればよい。

と申すのも、もとより私は、急激な啓示によっていたずらに動揺を来すことは避け徐々に啓発していくようにとの基本方針に沿うつもりではあるが、その内容の多くは、貴殿がそれを理解し、私の説かんとする教訓の論理的帰結を得心するに至れば、貴殿にとってはいささか不愉快な内容のものとなることが予想されるからです。



──私の母とその霊団からの通信はどうなるのでしょうか。あのままで終わりとなるのでしょうか。あれでは不完全です。つまり結末らしい結末がありません。


 さよう、終わりである。あれはあれなりに結構である。もともと一つのまとまった物語、あるいは小説のごときものを意図したものでなかったことを承知されたい。断片的かも知れないが、正しい眼識を持って読む者には決して無益ではあるまいと思う。


──正直言って私はあの終わり方に失望しております。あまりに呆気(あっけ)なさすぎます。また最近になってあの通信を(新聞に)公表する話が述べられておりますが、そちらのご希望はありのままを公表するということでしょうか。

 それは貴殿の判断にお任せしよう。個人的に言わせてもらえば、そのまま公表して何ら不都合は無いと思うが・・・ただ一言申し添えるが、これまで貴殿が受け取ってきた通信と同様に、今回新たに開始された通信も、これより届けられる一段と高度な通信のための下準備である。それをこの私が行いたく思います。


──いつからお始めになられますか。

 今、ただちにである。これまでどおり、その日その日、可能なかぎり進めればよい。貴殿には貴殿の仕事があり職務があることは承知している。私を相手とする仕事はそれに順じて行うことにしよう。


──承知しました。出来るかぎりやってみます。しかし正直に申し上げて私はこの仕事に怖れを感じております。その意味は、それに耐えて行くだけの力量が私には不足しているのではないかということです。

と言いますのも、今のあなたの言い分から推察するに、これから授かるメッセージにはかなり厳しい精神的試練を要求されそうに思えるからです。


 これまで同様に吾らが主イエス・キリストのご加護を得て、私が貴殿の足らざるところを補うであろう。

──では、どうぞ、まずあなたご自身の紹介から始めていただけますか。

 私自身のことに貴殿の意を向けさせることは本意ではない。それよりも、私を通じて貴殿へ、そして貴殿を通じて今なお論争と疑念の渦中にあり、或いは誤れる熱意を持ってあたら無益な奮闘を続けているキリスト教徒へ向けた啓示に着目してもらいたい。

彼らに、そして貴殿に正しい真理を授けたい。それを更に他の者へと授けてもらいたいと思う。その仕事を引き受けるか否か、貴殿にはまだ選択の余地が残されております。


──私はすでにお受けしています。そう申し上げたはずです。私ごとき人間を使っていただくのは誠に忝(かたじけな)いことで、これは私の方の選択よりそちらの選択の問題です。私は最善を尽くします。誓って言えるのは、それだけです。では、あなたご自身について何か・・・


 重要なのは私の使命であり、私自身のことではない。それはこれより伝えていく思想の中に正直に表れることであろう。世間と言うものは自分に理解できないことを口にする者を疑いの目を持って見るものである。

かりに私が「大天使ガブリエルの顕現せる者なり」と言えばみな信ずるであろう。聖書にそう述べられているからである。が、もし「〝天界〟にて〝光と愛の聖霊〟と呼ばれる高き神霊からのメッセージを携えて参ったザブディエルと申す者なり」と申せば、彼らは果たして何と言うであろうか。

故に、ともかく私にそのメッセージを述べさせてもらいたい。私および私の率いる霊団についてはそのメッセージの中身、つまりは真実か否か、高尚か否かによって判断してもらいたい。貴殿にとっても私にとってもそれで十分であろう。

そのうち貴殿も私の有るがままの姿を見る日が来よう。その時は私についてより多くを知り、そしてきっと喜んでくれるものと信じる。


──結構です。お任せいたします。私の限界はあなたもご存知と思います。霊視力も無ければ霊聴力もなく、いかなる種類の霊能も持ち合わせていないと自分では思っております。しかし、少なくともこれまで綴られたものについては、それが私自身とは別個のものであることは認めます。

そこまでは確信しております。ですから、あなたにその意志がおありであれば私は従います。それ以上は何も言えません。私の方から提供するものは何も無いように思います。


 それでよい。貴殿の足らざるところはこちらで補うべく努力するであろう。
 今回はこれ以上は述べないことにしよう。そろそろ行かねばなるまい。用事があるであろう。
 主イエス・キリストのご加護のあらんことを。アーメン ♰ 

シルバーバーチの教え(下)

Teachings of Silver Birch
A.W.オースチン(編)
近藤千雄(訳)




16章 交霊会についての誤解

〔交霊会を催しても何ひとつ現象が起きないことがある。すると出席者は時間を無駄に費やしたと、不満に思うものである。ここでのシルバーバーチの言葉は、心霊現象を待ち望む人々に励ましをもたらすことになるであろう。〕


交霊会のような場で、霊的な一体化を求めて過ごす時間が無駄に終わることは決してありません。あなた方が、何か現象が起きないかと辛抱強く待っていることは知っていますが、交霊会としては着々と進展していることを理解していただきたいのです。その間に私たち霊界の者との絆が強化され、出席者の霊的感受性は鋭くなっています。

高次の心霊現象は、出席者の内的な反応、つまり霊性の開発とそれを活用しようとしている力(霊団)によって発現するようになります。

ですから、どういう現象が見られたとか、どんな音が聞こえたのかということは大して重要ではありません。もっと大切なことは、サークルのメンバーの霊性の開発です。あなた方は毎週一回この交霊会に参加していますが、それによってより高度なバイブレーションに波長を合わせ、太古からの霊的叡智にいっそうなじむようになっています。霊的叡智は、地上という物質界に届けられることを待ち続けています。それが実際に地上に届けられるためには、そのバイブレーションに同調できる通路(チャンネル)が必要となります。

あなた方の魂が開発されてより高度なバイブレーションに反応するようになれば、それだけ高度で強力な霊的エネルギーと接触できるようになります。そのエネルギーは目にも見えず耳にも聞こえませんが、永遠の霊的実在の一部です。実はそれこそがあなた方の生命の真実在なのです。ところが、大半の人間は多くの時間を影を追い求めて過ごし、幻影を捕らえようとし、その場かぎりの満足を得ようとしています。

静寂と調和と愛の中で、皆さんの魂は一時(いっとき)も休むことなく開発されています。その速度は遅々としていますが、着実です。各自の内部に宿る大霊(神の分霊)が開発され、進化し、その分だけ神性を発現することが可能になっています。ナザレのイエスがその昔こう言いました――「二人ないし三人の者が集う所には大霊が祝福を授けてくださる」と。私たちも同じことを述べているのですが、誰も耳を貸そうとしません。


訳注――「耳を貸さない」とは、ここではキリスト教会のことを言っている。「大霊が祝福を授けてくださる」というのは霊媒能力によって霊界と地上界との交信が可能になるという意味で、それを実際にやって見せているのに認めようとしない教会を批判している。

真理が変わることはありません。変わるのは人間の心です。真理は不変です。なぜなら真理は正しい知識に基づくものだからです。その正しい知識は大霊から出ています。大霊こそ、すべてのインスピレーションの中心であり始原です。真理はとてもシンプルで、容易に理解できるものなのですが、地上人はそれをきわめて難しいものにしてしまっています。

このサークルの方たちとはすでに何度もお会いしていますので、私たち霊団との絆は強化されています。霊団の中には皆さんの知らない霊、名前を聞かされても分からない霊が大勢いますが、いずれもお役に立ちたいという一心で来ており、彼らは評価も報酬も一切求めてはいません。

そうした霊たちがこの場を訪れるのは、地上界へ霊的知識を届け、真理の普及を促進し、間違ったことを改め、悲しみと迷信を駆逐し、光明を広げ、痛みと苦しみの代わりに幸せと平和と繁栄をもたらす手段(霊媒と出席者)があるからです。

その仕事を推進するうえで、皆さんは大いに役に立っているのです。万一、何の役にも立っていないように思えたときには、どうか次のことを思い出してください。皆さんが人類に対する奉仕への熱い思いを抱いてこの部屋に来て、私たちと一時間ほど共に過ごすということが、ここに霊的神殿を築くための大きな力になっているということです。

この交霊会に出席して大霊と心を一つにしておられる時間は、一時として無駄に終わることはありません。調和と愛の心で集うときに蓄積されるエネルギーが、大いなる架け橋を築くうえで役に立っているのです。その架け橋を通って、新しい光、新しい力、新しい希望を地上界へ届けようとする霊が大挙して降りてきます。どうかそのことを忘れないでください。時には冗談を言って笑いの渦が巻き起こることがあっても、その背後には常に大きな目的が控えているのです。

その目的とは、大霊の摂理が皆さん方一人ひとりを通して地上界で十分に機能するようになることです。皆さんは、その目的のために今日まで献身してこられたのです。その目的を共有し、大霊を受け入れたいとの思いが強くなるほど、それだけ多くの大霊のエネルギーが地上界へもたらされるようになるのです。
質疑応答


――交霊会で笑い声があがるのは、良い影響をもたらすことになるのでしょうか。


心が楽しければ楽しいほど、それだけ大霊の心に近いということを意味します。忘れないでください。あなた方は大霊であり、地上のいかなるものも、あなた方を傷つけることはできません。それは、私がこれまでずっと言い続けてきたことです。この世的なことに煩(わずら)わされているかぎり、その真意は分かっていただけないかもしれません。

この世的なことを無視しなさいと言っているのではありません。なぜなら、あなた方は地上で生活しており、社会の一員としての責任もあります。しかし、次のことだけは決して忘れないでください。あなた方は大霊であり、大霊はあなた方であるということです。あなた方の内にある大霊の霊力は、あなた方があらゆる物的なものに勝利するように導きます。

こうしたことを正しく理解するなら、それはあらゆる邪悪に抵抗し、あらゆる病気を克服し、あらゆる障害に立ち向かう力となるのです。しかしその力を活用している人間は、ほとんどいません。イエスは二千年も前に「神の王国はあなた方の中にある」と教えているのですが……。


――自動書記は心霊現象の中でいちばん信頼性が乏しいようですが、なぜでしょうか。


それはその霊媒の能力の問題です。霊媒が未熟であれば、地上の人間の想念と霊界から送られてくるメッセージとの区別がつきません。能力の発達程度の問題で、ある一定のレベル以上に到達すれば地上界の想念を払いのけ、霊界からのメッセージを受け取りやすくなります。霊媒が未熟なのに、それを霊側の責任にしてはいけません。私たちとしては、そちらから提供してくれる道具で仕事をするしかないのです。


――幽界から霊界へと向上していった霊が地上と交信するときは、幽界まで降りてこなければならないのでしょうか。


いいえ、そんなことはありません。彼らは、メッセージを届けてくれる霊を見つけることができます。地上へ通信を送るための道具(霊界の霊媒)を、いつでも霊界サイドで調達できるのです。ただし、霊界の霊媒となる霊は、幽界を卒業しているだけでなく、そのレベルをはるかに超えていなければなりません。地上界の次の段階である幽界にいる者だけが地上界と交信できるというわけではありません。それより上の界層からでも、地上の霊媒がそのバイブレーションを受け取るだけの能力があれば、直接交信することができるのです。


――霊的な問題についての知識の限度は地上人の受容能力によって決まるそうですが、そうなると霊的知識の理解力に欠ける人間は、霊媒を通して証拠を求めるのが賢明ということになるのでしょうか。


証拠と魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、霊界のどの界層まで至ることが可能か、ということで決まります。魂が真理を理解できる段階まで進化しているかどうかということです。それを証拠の追求と混同してはいけません。証拠の追求と魂の成長は、必ずしも足並を揃えて進んでいくものではありません。生命が死後にも存続する証拠を手にしていながら、霊性に目覚めていない人がいるものです。

Sunday, July 19, 2026

シルバーバーチの教え(下)

 Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)

近藤千雄(訳)



 15章 交霊会の舞台裏


〔シルバーバーチは、物理的心霊現象を引き起こすには霊界サイドの組織体制が不可欠であると述べている。シルバーバーチの交霊会(ホームサークル)の最初の頃には直接談話現象や物質化現象が演出されたが、やがてサークルのメンバーが一新し、それにともないこうした物理的心霊現象は姿を消すことになった。〕


この交霊会には一団の霊が携わっています。それはあらゆる界層の霊たちで、地上近く(幽界下層)からやってきた霊もいます。彼らは物質的反応を演出したり、心霊現象の演出に必要となるもの(エクトプラズム)を供給したりします。

また一方には、光り輝く高級霊たちもいます。彼らは大霊のメッセンジャーです。彼らが活動しているのは、こうして交霊会を催しているときだけではありません。皆さんの睡眠中も活動しています。霊的真理を少しでも多く地上にもたらすために、いろいろと心を砕いているのですが、それでもまだ闇夜に輝くほのかな明かり程度でしかありません。

そうした大霊の使徒が足繁くこの小さな一室に通うのは、ここが荘厳な神殿だからです。それは建物が大きいとか、高くそびえているとか、広いということではありません。ここから地上界に光を注ぐことができるということです。そうして暗闇は真理の炎によって駆逐されるのです。こうしたサークルから、地上世界は新しいエネルギーを得ることになります。そして利己主義や不正・不寛容といった邪悪が一掃されていきます。なぜならそれらは、大霊の摂理に反するものだからです。

この仕事は、これからもずっと続きます。それは大霊の大事業の一環だからです。皆さんがこのサークルの一員として選ばれたのは、一人ひとりが特異な体験を持っており、その特質をうまく融和させると、愛と調和と善意による完全なサークルが形成されることになるからです。それが光の神殿を築くことを可能にするのです。

皆さんは、途方もなく大きな仕事をしています。大霊の神殿を建設しているのです。時として霊界で起きていることを垣間見ることがあるでしょう。そうかと思うと暗闇の中に取り残されて当惑し、疑問を抱くかもしれません。それは霊界からの働きかけに対して、皆さんの理解が及ばないからです。忘れないでいただきたいのは、私たち霊団の者は、暗闇に閉ざされた地上界へ光明をもたらすために片時も休むことなく全力を尽くしているということです。

直接談話現象(メガホンの中に発声器官をこしらえてスピリットがしゃべる現象で、霊言現象とは別。シルバーバーチの交霊会でも初期の頃はよく行われ、いろいろな霊がしゃべった――訳注)を上達させる(鮮明な声で長時間持続させる)には、繰り返し練習するしかありません。言いたいことをどれだけ伝えられるかは、実際にやってみないと分からないものです。ともあれ皆さんは当初からその上達ぶりを目の当たりにしてきた、本当に恵まれた方たちです。

交霊会ではバイブレーションが問題となります。交霊会の成否は、その問題をどの程度まで克服できるかにかかっています。皆さんの側としては語られたものしか聞こえないわけで、語られずに終わったものは、当然のことながらお分かりになりません。

霊界側にとって最も厄介なのは、話したがる者が多すぎるということです。彼らは「ほんの少しだけでいいからしゃべらせてください。一言だけでいいですから」と言って嘆願するのです。そこでやむをえず、彼らに話をさせることになります。

ここに神殿を築く仕事は休むことなく続けられています。エネルギーを蓄えること、いろいろと実験を試みること等々、くる日もくる日も、昼夜の別なく、この部屋での交霊会の準備のために大勢の霊が出入りしています。

あなた方が電話で話をしようとするとき、電話機を製造するために働いている人たちのことは念頭にありません。あなた方は電話口に向かってしゃべるだけで、先方もそれを聞いて受け答えをするだけです。が、実際は大勢の人たちの働きがあるからこそ両者は話が通じるわけです。私たちがやっている通信も、それと同じです。あなた方はこちらがしゃべったことを聞くだけですが、実際には両者の間で多くの仕事がなされているのです。

例えばこちらの化学者は一種の光線を使用します。それを用いて現象を発生させるのですが、その化学的成分は地上のいかなる分析器でも調べることはできません。こちらの化学者は常に忙しく動き回っています。その光線はとても強力なパワーを秘めていますが、このサークルの出席者に危害が及ぶようなことはありません。それは皆さん方の霊的身体がその光線に順応するようになっているからです。そのようにこちらで工夫しているのです。その光線を皆さんは見ることも感じることもできませんが、私たちにははっきりと見えています。

今夜、この部屋には五千人もの霊たちが集まっています。皆さんがよく知っている人で交霊会というものに関心のある霊もいれば、こんなことが本当にできるのだということを今まで知らなかったために、初めて見学に来たという霊もいます。

また、どのようにして霊界から地上界へ接触すべきかを学んだり、霊媒を他の分野でも使用できるかどうかを勉強するために、ここに集まってきている霊もいます。こうしたことは地上界ばかりでなく、霊界にとっても非常に重大な真理普及のための仕事なのです。私たちは、時間とエネルギーを無駄に用いることはしません。私たち霊界の者が学ばなければならない大切なことは、地上人の心に私たちからのメッセージを印象づけるためにはどのように霊力を使用したらよいのか、ということです。霊界サイドの者が霊力を用いるための法則を十分に理解するなら、あなた方の心に影響を及ぼしやすくなります。地上人は知らないうちに、霊界からのインスピレーションの受信者になっているのです。

あなた方の世界には、偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育者と言われる人たちが数多くいます。実は彼らは、霊界からの知識を伝える道具にすぎません。私たち霊界の者にとって、真理や発見が地上にもたらされるかどうかだけが問題なのであって、地上の誰がインスピレーションを受けるかは、どうでもいいことなのです。

霊界では、一人で仕事をするということはありません。なぜなら、協調こそが大霊の摂理だからです。そのため霊界ではグループを組織します。そして可能なかぎり、全体としての完璧性を目指します。グループの仕事にとって最も必要とされるのは、メンバーのあらゆる特性・長所を一つにまとめ上げることです。それができると、その中の一人がグループ全体のマウスピースになって地上に働きかけます。私も、私が所属する霊団のマウスピースです。霊団の一人として働く方が、自分一人で仕事をするよりもはるかに楽に進みます。達成された仕事の成果は、グループ全体の知力・精神力を総合したものなのです。

仕事の成果が素晴らしければ素晴らしいほど、霊団のメンバーは完璧に一体化しているということです。同様に、霊媒が首尾よく役目を果たしていればいるほど、霊媒と支配霊との調和がとれているということです。そうでないなら、必ずどこかできしみが生じます。

これと同じようなことが、地上界のチームづくりにも言えます。組織者(リーダー)が優れていれば、メンバーの一人ひとりにふさわしい仕事を与え、最高の結果を生み出すことになります。オーケストラでは、楽団員が演奏する楽器は一人ひとり違っていても、ハーモニーがとれるならば一つの立派なシンフォニーができ上がります。しかし、もしそのうちの一人でも音程を間違えるなら、全体は台なしになってしまいます。まさに調和こそが「神の摂理」なのです。
質疑応答


――心霊現象を起こすためには出席者の霊的エネルギーを使うそうですが、部屋にある物体を利用することもあるのでしょうか。


はい、あります。状況によっては、カーペットやカーテン、書物や家具なども利用します。物質に宿っていない私たちは、身近にある物体からエネルギーを引き出して使わざるをえません。と言っても、少しずつです。一度にあまり多く取り過ぎると、物体はバラバラに分解してしまいます。


――物質化現象が起きる部屋のもの、例えばカーテンなどが異常に早く朽ちるのはそのためですか。


そうです、それが原因です。ですが、私たちはその点にずいぶん気を使っています。物質化現象では色彩を必要とするときがありますが、これもその場の物体から抜き取ります。あなた方が私たちの仕事についてもっと知ってくださるなら、私たちが何ひとつ無駄にしていないことが分かっていただけると思います。しかし何よりも大きな力となるのは、あなた方列席者の内部からのエネルギーです。これが最も大切な要素なのです。

霊媒は、霊媒としての能力を向上させるだけでなく、自分の霊力を強化することも心がけないといけません。霊媒自身の霊力が強化されると、その霊媒から出るエクトプラズムの質も向上するのです。私たちが扱っているのは、材木や粘土ではありません。霊媒の体内にある生命のエッセンスを扱っているのです。思想や人間性や精神など、その霊媒のすべてがエクトプラズムに反映します。


――物質化現象は霊媒現象の中で質的に高いものでしょうか、低いものでしょうか。あなたとしては奨励なさいますか。


何事であれ、一人の人間に幸せをもたらし霊的摂理についての知識を与えることになるならば、それはそれなりに目的を達成したことになります。高いとか低いとかの概念で考えてはいけません。それを必要としている人にとって役に立つか否かの観点から考えるべきです。

シルバーバーチの教え(下)

 Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)

近藤千雄(訳)




14章 霊界通信の難しさ


〔シルバーバーチの交霊会にたびたび出席しているメンバーは、霊界通信の問題点を知っているが、彼らは霊界側があらゆる障壁を打ち破って地上にメッセージを送ってきたという事実にしばしば驚かされる。シルバーバーチは霊媒をコントロールするシステムを見事に進化させてきたために、霊媒を通して彼の思想のすべてを地上に伝えることができると述べている。とは言うもののシルバーバーチは、時に霊媒の潜在意識が通信の妨げになることも認めている。この章では、霊界通信に関するさまざまな問題を取り上げている。〕


あなた方の住む物質界は活気がなく、どんよりとしています。あまりに重苦しくてうっとうしいために、私たちがそれに合わせようとバイブレーションを下げていくうちに高級界との連絡が途切れてしまうことがあります。私の住む光の世界とは対照的に、あなた方の世界は暗くて、冷たくて、じとじとした世界です。

あなた方は、目も眩(くら)まんばかりに神々しく光り輝く霊界の太陽を、まだご覧になったことがありません。あなた方はその色あせた模造を見ているにすぎません。ちょうど月が太陽の光を反射して輝いているように、あなた方の目に映っている太陽は、私たちの太陽のかすかな反射程度にすぎないのです。

こうして地上に降りてきた私は、カゴに入れられた小鳥のようなものです。用事を済ませて地上から去っていくときの私は、鳥カゴから放たれた小鳥のように、果てしない宇宙の彼方(かなた)へ喜び勇んで飛び去っていきます。あなた方の言う“死”とは、鳥カゴという牢獄から解放されることなのです。

あなた方から「知り合いの霊からのメッセージを教えてほしい」と頼まれたときには、私はその霊のレベルに合わせたバイブレーションに切り換えます。そのときの私は、単なるマウスピースにすぎません。状態がよいときは簡単に霊からのメッセージをキャッチできます。しかし、この交霊会が開かれている部屋の近所で何か事が起きると混乱が生じます。突然、通信ルートが途絶えてしまうことがあります。そうしたとき私は、急いで別の通信ルートに切り換えなければなりません。バイブレーションを新しいものに切り換えるということです。

個人的なメッセージを伝えるとき、相手の霊が言っていることが手に取るように聞こえることがあります。それはこうして私が今この霊媒を使って語っているときのように、同じレベルのバイブレーションで通じ合っていることを意味します。

しかし、これが高級界からの啓示を受け取るとなると、そう簡単にはいきません。私は別の意識に切り換えなくてはならないため、同じバイブレーションを使うわけにはいきません。シンボルとか映像、ビジョン、直観といった形で印象を受け取り、それを言語で表現することになります。それは地上の霊能者が啓示に接するのと非常によく似ています。そのときの私は、普段シルバーバーチとして親しんでくださっている意識よりも、一段と高い次元の意識を表現しています。

画家がインスピレーションを受けるときは、いつも使用しているものとは異なるバイブレーションに反応しています。その状態の中で画家は霊力の受け手となり、それを映像に転換してキャンバスの上に描きます。インスピレーションが去ると、それができなくなります。

これと同じで、私が皆さんに霊的真理を伝えようとするときは、高度なバイブレーションに反応できる意識の回路を開き、霊界からのメッセージを表現しなければなりません。そうすることで高級霊は、私を道具として用いることができるのです。

その際、私はこの霊媒の語彙(ごい)(記憶している言葉)の制約を受けるだけでなく、霊媒の魂の進化の程度による制約も受けます。霊媒が霊的に成長すればその分だけ、それまで表現できなかったことが表現できるようになるのです。

今ではこの霊媒の脳のどこにどんな単語があるのかが分かっていますから、それらを何とか駆使して、私の思ったことやここへ来るまでに用意した思想を百パーセント表現することができます。

この霊媒を通じて語り始めた頃は、霊媒の脳の中にある一つの単語を使おうとすると、それとつながった不要な単語まで出てきて困りました。神経、特に脳の中枢全体をコントロールする術(すべ)を身につけなければなりませんでした。それによって必要な単語だけを用いることができるようになりました。現在でも霊媒の影響をまったく受けていないとは言えません。時々、霊媒の言葉が私のメッセージをわずかに着色することがあります。しかし、私の言おうとする内容が変えられることはありません。

あなた方西洋人の精神構造は、私たちとはかなり違います。私たちインディアンの霊が(西洋人の)霊媒をうまく使いこなせるようになるには、相当の年数を要します。霊媒的素質を持った者の睡眠中に、その霊的身体を使って実験を繰り返します。そうした訓練の末に、ようやくこうして霊媒を入神させてその口を使って語ることができるようになるのです。

他人の身体を使ってみると、人間の身体がいかに複雑にできているかがよく分かります。霊媒の心臓をいつものように鼓動させ、血液を循環させ、肺を伸縮させ、適度な刺激によって脳の機能を正常に保つ一方で、彼の潜在意識の流れを止めて、その間に私たちの考えを送り込みます。それは容易なことではありません。

初めのうちは、そうした操作を意識的にやらなければなりません。それが上達の常道というものです。赤ん坊が歩けるようになるには、最初は一歩一歩、足を運ぶことをマスターしなければなりません。そのうち意識しなくても自然に足が出るようになります。私がこの霊媒をコントロールできるようになるまでには、やはり同じような経過をたどりました。しかし、今では自動的にできるようになっています。

他界したばかりの霊が霊媒を通してしゃべるときは、そこまでする必要はありません。霊媒の潜在意識に霊の思念を印象づけるだけでよいのです。それでもかなりの練習が要ります。その練習をこちらの世界の者同士で行いますが、それほど簡単なものではありません。こうして霊媒の口を使って語るよりは、メガホンを使ってしゃべる方がずっと楽です。


訳注――物理的心霊実験で、霊界の技術者がメガホンの中にエクトプラズムで発声器官をつくり、通信霊がそれを口にあててしゃべる。この種の心霊現象は、初期のスピリチュアリズムにおいて盛んに演出された。

人間の潜在意識には、それまでの長年の生活によって決まったパターンが形成されています。考え方や表現方法や用いる概念に、一定の傾向ができ上がっています。その潜在意識を使ってこちらの思想やアイデアや単語を伝えるためには、潜在意識の流れ(回路)をいったん止めて、新しい回路をつくらなくてはなりません。もしも同じような考えが潜在意識にあれば、その回路に切り換えます。それはレコードプレーヤーのようなものです。レコード板のトラック(溝)の上に針を置けば、自動的に曲が出てくるのと同じです。

私がこの部屋に入ってくるのに壁は障害にはなりません。私のバイブレーションにとって壁は硬い物質ではないのです。むしろ霊媒のオーラの方が硬い壁のように感じられます。霊媒のオーラが私のバイブレーションに影響を及ぼすからです。霊媒のオーラは私にとっては牢獄のようなもので、私は霊媒の肉体によって制約を受けます。そのため私はバイブレーションを下げ、霊媒の方はバイブレーションを高めなければなりません。それがうまくいくようになるのに十五年もかかりました。

霊媒のオーラの中にいる間は暗くて何も見えません。霊媒の肉体によって私の能力は制約を受けます。この霊媒は、子供のときから霊媒として必要なすべてのことを身につけなければなりませんでした。そして私は、この霊媒をどのように使用するかを学ばなければなりませんでした。もっとも、足の使い方は知る必要がありませんでした。私には足は用がないからです。必要なのは脳と手だけです。

この霊媒を支配しているときに別の霊からのメッセージが届き、それをそのまま伝えることがありますが、その際は霊媒の耳を使うのではなく私自身の霊耳(れいじ)を使います。これも霊媒のオーラと私のオーラの問題です。私のオーラは霊媒のオーラほど鈍重ではなく、霊媒のオーラの中にいるときでも、他の霊が私のオーラに思念を印象づけることができるのです。

それは譬えてみるなら、皆さんが誰かと電話で話をしながら、同じ部屋にいる別の人の話を聞くのと同じことです。それは二つの異なるバイブレーションを利用しているわけです。二つの行為を同時にすることはできませんが、バイブレーションを切り換えることはできます。
質疑応答


――霊言現象は、霊が霊媒の身体の中に入ってしゃべるのですか。


必ずしもそうではありません。大抵の場合、霊媒のオーラを通じて操作します。


――霊は、霊媒の発声器官を使いますか。


使うこともあります。現に私は今、この霊媒の発声器官を使っています。もし私がそうしようと思えば(エクトプラズムで)私自身の発声器官をつくることも可能ですが、エネルギーの無駄づかいになります。私の場合はこの霊媒の潜在意識を完全に支配していますから、霊媒のすべての肉体器官をコントロールすることができます。言わば霊媒の意志まで私が代行し――本人の同意を得ての話ですが――その間だけ身体を預かるわけです。通信が終わると私はオーラから退き、霊媒は意識が戻って、いつもの状態になります。


――霊媒の霊的身体を使うこともありますか。


ありますが、その霊的身体は常に肉体とつながっています。


――交霊会を邪魔しようとする低級霊集団を排除するためには、参加者にも心の準備が要りますか。


当然、要ります。何よりも大切なことは、あなた方の心と魂を「愛」で満たすことです。そうすれば同じように愛にあふれた霊以外は近づきません。


――交霊会を開くときには、霊界側でもそのための配慮をするのですか。


もちろんです。常に妨げるものがない状態にしておかなければなりません。あなた方との調和もはからなければなりません。最高の成果をあげるためには、あらゆる要素を考慮しなければならないのです。その目的のために私たちは、高度に組織された体制で臨んでいます。


――霊媒は本をよく読んで勉強し、少しでも多くの知識を得た方がよいでしょうか。それとも自分の霊媒能力に自信を持って、それ一つで勝負した方がよいでしょうか。


心霊能力の種類にもよるでしょうが、霊媒は何も知らない方がいいという意見には賛成できません。知識は、ないよりはあった方がいいと思います。知識というのは先人たちの経験の蓄積ですから、勉強してそれを身につけるように努力するのが賢明でしょう。私はそう考えます。


――立派な霊能者になるためには、霊的な生活を送る必要がありますか。


あなたがより良い生活を送れば、それだけ大霊の道具として立派になります。生活態度が高尚であればあるほど、それだけ内部に宿された神性が多く発揮されることになります。日常生活で発揮されているあなた自身の霊性が、あなたをより優れた道具にしていくのです。


――ということは、霊的に向上すればするほど霊能者としても向上すると言ってよいでしょうか。


その通りです。生活面が立派であればあるほど、霊能力も立派になります。自分を犠牲にする覚悟のできていない人間は、価値ある仕事を達成することはできません。これは、こうして霊界での生活を犠牲にして地上へ戻ってきた私たちが身をもって学んできた教訓そのものなのです。


――他界した霊からの援助を受けるにはどうすればよいでしょうか。


かつてあなたが愛し、またあなたを愛してくれた人々は、決してあなたを見捨てるようなことはありません。あなたは常に彼らの愛に包まれています。彼らにはあなたに対する愛があるため、あなたの傍(そば)を離れることはありません。

時に彼らは、誰よりも身近にいることがあります。彼らは、あなたに対して、自分たちの影響力を及ぼすこともできるのです。あなたは、そうした霊界からの働きかけを受け入れやすいときもあれば、恐怖感・悩み・心配等の念に心がとらわれて壁をつくり、彼らが近づくことを困難にするときもあります。悲しみの涙に暮れていると、その涙であなたを愛する霊たちを遠くへ押しやってしまいます。穏やかな心・安らかな気持ち・希望と信念と自信に満ちた明るい雰囲気に包まれているときには、大勢の霊が寄ってくることを実感するようになります。

私たち霊界の者は、地上の人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どの程度まで接近できるかは、その人の雰囲気、人間的成長の度合、霊的進化の程度によります。霊的なものに一切反応しない人間とは、接触できません。霊的自覚・悟り、ないしは霊的活気のある人間とはすぐに接触が可能となり、一体関係をつくることができます。

それは必ずしもスピリチュアリストとは限りません。知識としてスピリチュアリズムのことは知らなくても、霊的なことが理解できればそれでよいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。そうすれば私たち霊界の者は、あなた方に近づくことができるのです。恐れや悩みや心配の念を心に宿してはいけません。それらは心にモヤを生み出し、私たちが近づくことを困難にしてしまいます。


――愛していた人間が他界した場合、こちらから送った愛念はその霊に通じますか。


一概に「イエス」とも「ノー」とも言いかねます。魂の進化のレベルが問題となるからです。双方が精神的ならびに霊的に同じレベルであるならば通じるでしょう。が、あまりにも離れ過ぎていれば、地上からの思いは通じないことになります。


――他界した人のことをあまり心配すると、彼らの向上の妨げになるのでしょうか。


地上の人間に霊界の人間の進歩を妨げる力はありません。霊界の人間は霊界での行為によって進歩するのであって、地上の人間の行為とは関係ありません。


訳注――例によってシルバーバーチは大所高所から、つまり永遠の生命の観点から述べている。が、実際には病的なほど死者を嘆き悲しむ人間がいるのも事実で、その念が死者をいつまでも地上圏に引き留めている例は少なくない。


――どうすれば霊媒や霊視能力者になれるのでしょうか。


大霊のために自分を役立てようとする人間は皆、大霊の霊媒です。いかにして魂を向上させるか――これはもう改めて説くまでもないでしょう。これまで何回となく繰り返し説いてきたことではないでしょうか。

自分を愛するように隣人を愛することです。人のために役立つことをすることです。自我を高めるように努力することです。何でもよろしい、内部に宿る神性を発揮させることです。それが最高の霊媒現象なのです。こうすれば霊視能力者になれるという方法はありません。が、大霊の光が見えるように魂の目を開く方法なら教えられます。それは今述べた通りです。


――世俗から隔絶した場所で瞑想の生活を送っている人がいますが、あれでよいのでしょうか。


「よい」という言葉の意味しだいです。世俗から離れた生活は心霊能力の開発には好都合で、その意味ではよいことと言えるでしょう。が、私の考えでは、世俗の中で生活しつつしかも世俗から超然とした生き方をする方がはるかに上です。つまり努力と忍耐と向上を通して自己を確立したのちに、大霊から授かった霊力を同胞のために役立てるのが、より良い生き方なのです。


――世俗から離れた生活は自分のためでしかないということでしょうか。


いちばん大切なことは、他人のために己(おのれ)を捨てるということです。自分の能力を発達させようとすること自体は間違ってはいませんが、開発した才能を他人のために活用するのは、はるかに大切なことです。


――これからホームサークルをつくりたいと思っている人たちへのアドバイスをいただけますか。


ホームサークルをつくってそこに霊力を顕現させるためには、たいへんな忍耐と交霊会を継続していくための準備が必要となります。

イヤな思いをすることのない、本当に心が通い合う人々が同じ目的を持って一つのグループをつくります。そして週に一回、同じ時刻に集まり、一時間ばかり、あるいはもう少し長くてもよいのですが、祈りから始めて受動的な状態をつくります。各自が前もって、本当に自分たちは目的を達成したいと願っているか、心の内を厳しく見つめ、動機や意欲を問いたださなければなりません。

人のために役立ちたいとの動機から出発しているなら、粘り強くホームサークルを続けていくことです。もし動機が面白半分から出ているとすれば、良い結果は得られません。サークルのメンバーが一つの場所に集い、心を一つにし、霊力を顕現させようと願っているなら、そのとき霊力との触れ合いが始まり、徐々にそれが顕現するようになっていきます。

私たちの目的は、人目を引くことばかりしたがる見栄っ張りを喜ばせることではありません。人類の霊性を引き上げ、使わずに忘れ去られてきた大霊から授かった霊力をもう一度、見いださせてあげることなのです。

Saturday, July 18, 2026

シルバーバーチの教え(上)

Teachings of Silver Birch

A.W.オースチン(編)

近藤千雄(訳)


 


13章 再生(生まれ変わり)


〔再生は、スピリチュアリズムにおいても異論の多いテーマで、通信を送ってくる霊の間でも意見の食い違いがある。シルバーバーチは再生を全面的に肯定する一人であるが、従来の輪廻転生説のような機械的な生の繰り返しではなく、大きな意識体の別の部分が異なる時に肉体を持って誕生することであると言う。ここでは再生に関する質問にシルバーバーチが答える。〕


――一つの意識が部分に分かれて機能することが可能なのでしょうか。


今の“あなた”という意識とは別に、同じく“あなた”と言える大きな意識体(類魂)があります。そのほんの小さな一部が地球という物質界で発現しているのが、今のあなたなのです。そして、今のあなたの他にも同じ意識体を構成する他の部分が、それぞれの意識層で発現しています。


――個々の部分(霊)は独立しているのでしょうか。


独立はしていません。あなたも他の霊も、一個の「内奥(ないおう)の霊的実在(類魂)」の側面なのです。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな表現媒体を通して自我を発現しており、時にその霊同士が一体化することもあります。彼らは自我を発現し始めて間もない頃にはお互いの存在に気がつきませんが、そのうちすべての霊が共通の合流点を見いだして、再び統一されます。


訳注――フレデリック・マイヤースはこの時から十数年前に送ってきた最初の通信『永遠の大道』の中で同じ説を「グループ・ソウル」という呼び方で紹介し、スピリチュアリズム思想に飛躍的発展をもたらした。それからさらに十年後、ちょうど本書(原書)が出た頃に二つ目の通信『個人的存在の彼方』でさらに詳しい解説を施してくれた。シルバーバーチは、別のところで「それはマイヤースの言うグループ・ソウルと同じですか」と問われて、「まったく同じものです」と答えている。なお、このグループ・ソウルを浅野氏は「類魂」と訳した。本書も、この訳語に倣っている。


――こうした霊同士が出会っていながら、それに気づかないことがあるでしょうか。


大きな意識体(類魂)を、一つの大きな円として想像してください。大きな円(類魂)を構成する個々の霊は、その円に対して同心円を描いて回転しています。時おりその霊同士が出会い、お互いが共通の大きな円の中にいることを認識します。最後には個々の霊は回転することをやめ、それぞれの場を得て一体化し、元の円(類魂)が完成します。


――二つの霊が連絡し合うことはできますか。


その必要があればできます。


――二つの霊が同時に地上に誕生することがありますか。


ありません。それは全体の目的に反することだからです。個々の霊の再生の目的は、あらゆる界層での体験を得るということです。同じ界層へもう一度戻るのは、それなりの成就すべき(埋め合わせをすべき)ことが残っている場合に限られます。


――類魂では、個々の霊はその進化に自らが責任を負い、他の霊が学んだ教訓による恩恵は受けないというのは本当でしょうか。


その通りです。個々の霊は一つの大きな意識体(類魂)の構成分子であり、さまざまな形態で自我を発現しているわけです。進化するにつれて個々の霊は大きな意識体を自覚するようになります。


訳注――マイヤースは「類魂」の説明の中で他の仲間の体験を自分のものにすることができると述べている。ここでシルバーバーチはそれを否定するかのようなことを述べているが、マイヤースが言及しているのは、地上体験の共有化による霊的成長についてである。それに対し、シルバーバーチがここで述べているのは、個人が犯した罪の償いと霊的成長についての関係である。たとえ同じ類魂の仲間とはいえ、他の霊が地上で犯した罪を代わって償い、霊的成長を促すことはできないという意味に解釈すべきである。


――そして、進化のある一点において、それらの霊が一体となるわけですね?


そうです。無限の時を経てのことですが……。


――個々の霊の地上への誕生は一回きり、つまり大きな意識体(類魂)としては再生の概念が当てはまっても、個々の霊には再生はないという考えは正しいでしょうか。


再生は個々の霊の成就すべき目的に関わる問題です。特殊な使命がある場合など、同じ霊が二度も三度も再生することがあります。


――一つの意識体の異なる部分とは、どういうものでしょうか。


これは説明の難しい問題です。あなた方には「生きている」ということの本当の意味が理解できないからです。あなた方にとっての生命とは、実は最も進化の低い形態で顕現しているものなのです。あなた方の考えが及ぶすべてのものを超越している生命の実相を思い描くことはできません。

宗教家が高次の神秘体験をしたと言い、芸術家が最高のインスピレーションに触れたと言い、詩人が恍惚(こうこつ)たる喜悦に浸ったと言っても、私たち霊界の者からすれば、それは実在のかすかな影を見たにすぎません。あなた方は、物質世界の鈍重さによって自己を表現することを制限されているため、生命の実相を理解することができません。それなのにどうして、「意識とは何か、どのようにしたら自分を意識できるようになるのか」といった問いに答えられるでしょうか。

私の苦労を察してください。譬えるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれがなく、あなた方にはせいぜい、光と影、日向(ひなた)と日陰の比較くらいしかできません。地上界の虹の色は確かに美しいですが、それとて地上人の理解を超えている霊界の色彩と比べることはできません。


――個々の霊の一つひとつを、大きな意識体のさまざまな特性・人間性の側面と考えてもよいでしょうか。


いいえ、それはまったく違います。大きな意識体の別々の側面ではありません。どうもこうした問いにお答えするのは、まるで生まれつき目の不自由な方に晴天の青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えることができません。


――あなたの言う大きな意識体は、マイヤースの言う「類魂(グループ・ソウル)」と同じものですか。


まったく同じものです。ただし、単なる個々の霊の集まりとは違い、異なる意識から形成された統一体(大きな意識体)で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやって来るのです。


――それぞれの霊は類魂に戻って一体化すると、個性を失ってしまうのでしょうか。


川の水が大海へ流れ込んだとき、その水の存在は失われてしまうでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏しているとき、バイオリンの音は消えてしまうでしょうか。


――なぜ、霊界サイドから再生の証拠を提供してくれないのでしょうか。


こうした「霊言」という手段では説明のしようがない「再生の問題」についての証拠など、示すことができるでしょうか。あなた方の意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になって初めて、それを認めることができるのです。こちらの世界にも“再生はない”と言う者が大勢いますが、それは彼らが、まだ再生の事実を受け入れることができる意識段階に達していないからです。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに説明することができるでしょうか。芸術家がそのインスピレーションの体験をまったく芸術的センスのない人に説明できるでしょうか。意識の段階が違うのです。


――再生するときは、魂(霊)はそれを知っているのでしょうか。


魂自身は直感的に知っていますが、知的にそれを知っているわけではありません。魂(大霊の分霊)は、永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に自らを発現させていきます。しかしどの段階であっても、発現されていない部分が大半を占めています。


――では、魂は無意識のまま再生するのでしょうか。


それは、魂の進化の程度によります。多くの魂は再生する前にそれを知っていますが、知らない魂もあります。魂は知っていても知的には意識しないまま再生することもあります。これは生命の神秘中の神秘に触れる問題であり、とうてい地上の言語で説明できるものではありません。


――生命がそのように絶え間なく変化し進歩するものであるなら、生まれ変わりが事実だとしても、どのようにしたら霊界へ行ったとき地上で愛し合っていた人々と会い、地上で約束した再会の喜びを味わうことができるのでしょうか。


愛は必ず成就します。なぜなら愛こそが宇宙最大の力だからです。愛する者同士は常に、愛の絆によって引き寄せられます。愛で結ばれた者たちを引き裂くことは、絶対にできません。


――でも、再生を繰り返せば、互いに別れ別れの連続ということになりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが……。


一致しないのは、あなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念でしょう。宇宙とその法則は大霊によって造られたものであり、大霊の子供であるあなた方がつくったものではありません。賢明な人間は新しい事実を前にすると自分の考えを改めます。自分の思い通りにしようとしても、その事実を変えることはできないことを知っているからです。


――これまで何度も地上生活を体験していることが事実だとすると、もっと進化し、理想的な人間になっているはずだと思うのですが……。


物質界にあっても聖人は聖人であり、最下等の人間は最下等の人間なのです。地上だから、霊界だからということで違いが生じるのではありません。要は魂の進化の問題です。


――これからも、これまでのように苦難の道が無限に続くのでしょうか。


そうです。無限に続きます。苦しみや困難という試練を通して内部の大霊(神性)が開発されます。苦難によって神性は試されるのです。金塊がハンマーで砕かれ精錬されて初めてあの輝きを見せるように、内なる神性も苦難の試練を受けて純化され、強化され、洗練されることになります。


――そうなると、死後に天国があるという考えは意味がないのでしょうか。


今日のあなたには天国のように思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。というのは、真の幸福は今より少しでも高いものを目指して不断の努力をするところにあるからです。


――再生するときは前世と同じ国(民族)に生まれるのでしょうか。例えばインディアンはインディアンに、イギリス人はイギリス人に、という具合に……。


そうとは限りません。さらなる進化のために最適と思われる国や民族を選びます。


――男性か女性かの選択も同じですか。


はい、同じです。必ずしも前世と同じ性に生まれるとは限りません。


――死後、霊界で地上生活の償いをさせられるだけでなく、地上に再生してからも同じ罪を償わなければならないというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのでしょうか。


それは償うとか罰するとかの問題ではなくて、進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているかどうか、魂の教育と向上という一連の鎖を強化する必要があるかどうかということです。必ずしも罪の償いのためではなく、欠けている部分を埋める目的で再生する場合がよくあります。魂を鍛えるためであったり、前世で学べなかった教訓を学ぶために再生する場合もあります。再生は罪の償いのためだけとは限りません。二度も三度も罰せられるというようなことは決してありません。大霊の摂理を知れば、その完璧さに驚かれるはずです。なぜなら摂理を造られた大霊そのものが、完全な存在だからです。


――自分はこれまでに地上生活を何回経験しているかということが、明確に分かる霊がいますか。


います。それを知ることが必要な段階にまで成長すれば、分かるようになります。光に耐えられるようになるまでは光を見ることができないのと同じです。名前をいくつか挙げてもけっこうですが、それでは何の証拠にもなりません。何度も言ってきましたが、再生の事実は「説く」だけで十分です。

私は大霊の摂理について私なりに理解したことを述べているのです。知り得たかぎりの真理を述べているにすぎません。私の語ることに得心がいかない人がいても、それはいっこうにかまいません。ありのままの事実を述べているだけですから、受け入れてもらえなくてもかまいません。私と同じだけの年数を生きたなら、その人もきっと考えが変わることでしょう。


――異論の多い再生の問題を避けて、死後の存続ということだけに関心の的をしぼることはいかがでしょうか。


闇の中にいるよりは、光の中にいる方がよいでしょう。無知のままでいるよりは、知識を得た方がよいでしょう。大霊の摂理について知らないよりは、知った方がよいでしょう。何もしないでじっとしているよりは、真実を求めて忍耐強く努力する方がよいでしょう。進歩のために努力し続けることが大切なのです。死後にも生命が存続することを知ったからといって、真理探求の道が終わったわけではありません。自分が大霊の分霊であり、それゆえに何の支障もなく死の関門を通過し、すべてが続いていくことを理解したとき、さらなる探求の歩みが始まります。それが本当の意味での出発なのです。