Friday, October 30, 2026

シルバーバーチの霊訓(九)

 Philosophy of Silver Birch

by Stella Storm
近藤千雄訳



八章 宗教とは

《いま霊の力がいちばん見られなくなっている場所は、皮肉にも、本来そこにこそ存在しなければならないはずの宗教界です。最高の位階に到達した者ですら、宗教の本来の起源であり基盤であるべき霊力に背を向け、われわれには不可解きわまる理由から、生きた霊的真理よりもただの形骸の方を後生大事にしています》 
                        シルバーバーチ


 「この地上世界の危急存亡の時代(とき)に、真理の守衛であるべき者たちが霊の威信をもって語ることが出来ないというのは悲しむべきことです。それは、霊力というものが(イエスの時代だけでなく)今の時代にも顕現できるという事実にまったく気づかないからです。

彼らは霊的真理と完全に疎遠になっているばかりでなく、愚かしい信仰がこびりついているために、それが頑固な壁となって霊的な真理、霊的な叡智、霊的な力を受けつけなくなっているのです。

 そうした偏狭で不毛の儀式とドグマと信条で固まった世界に霊力の入る余地があるわけがありません。現代の教会には霊の力は一かけらもありません。あるのは、またしても白塗りの墓(口に説くことと腹の中とが違う偽善的宗教家)、干からびた骨(真理の豊かさを身につけていない、精神のやせこけた宗教家)、豪華な建造物です。

見た目には華麗でも霊の照明がないために死のごとく冷ややかで不毛で荒涼としております。さらにいけないのは、そうした本来の宗教とは無縁の、干からびた神学的教義の収納所となってしまった教会内に霊が働きかけようとしても、それをまったく受けつけようとしなくなっていることです。

 いささか辛らつすぎたかも知れませんが、しかし何が悲しいといって、本来は先頭に立って指導すべき立場にある者が、こうした大切な霊的真理のこととなると、しんがりに回っているということほど情けない話はありません。みんな善人ばかりです。

罪なき人生を送ろうと心掛けている真面目な人たちです。が、宗教のすべてが基盤とすべき霊的なものに完全に無感覚になっているのです。霊性のないところに宗教はありません。〝文字は殺し霊は生かす〟(コリント)のです。霊のないところに生命は存在しないのです。

 もしも教会がそれ本来の目的を果たしていれば、言いかえれば、もしも神学的教義・儀式・慣習というわき道へそれることがなかったならば、こうして私のような者がわざわざ戻ってきて、神の計画の中での地球の本来の位置を維持する上で不可欠の霊的連絡関係を回復するための努力をする必要もなかったことでしょう。

 神に仕える者と自認する聖職者たちも、今では神について、神の働きについて、あるいはこの巨大な宇宙を支配している大自然の摂理について何も知りません。しかも、霊界からの働きかけに抵抗しようとするのですから、愚かしいとしか言いようがないのです。

 こうした聖職者たちは何世紀も昔の霊の働きかけの物語は信じながら、同じ霊が今日でも顕現できるということを信じようとしないのは、いったいなぜなのでしょう。彼らが説いていることは実はイエスとは何の関係もないことばかりです。

 その点あなた方は他の世界各地の方と同様、イエスみずから言った通りにイエス以上の仕事をすることができる、恵まれた方たちなのですが、そういうあなた方は、彼らからすれば邪教の徒なのです。

キリストの名にちなんで出来たキリスト教会が相も変らずキリストそのものを裏切り続けている事態を見て、キリストご自身がどれほど悲しい思いをされているか、一度その人たちに見ていただきたい気持ちです。

 霊力は一つの計画のもとに働きます。幾世紀にもわたってその時代の宗教を通して顕現しようとして来ました。それを受け入れる霊能者や霊媒は必ずどこかにおりました。その人たちが行ったことを無知な人は〝奇跡〟だと思いましたが、それこそが霊的法則の生々しい顕現のしるしだったのです。

それは今日有能な霊媒による交霊界で見る現象や治療家による奇跡的な治療と同じで、人間を通して霊力が働いたその結果なのです。不変・不滅の大霊から出る同じ霊力なのです。簡単なことなのです。

そうした霊力の激発のたびに、既得権力の座にある教会関係者すなわち教義作成者、神学者、学識者が集まって詭弁を弄しました。そして神からのインスピレーションを自分たちがこしらえた決まり文句と置きかえました。

しかし、いかに頭のいい人がこしらえたものでも、所詮は人間の頭脳から出たものにすぎませんから、それはいつかは力を失う運命にありました。霊が生命を与えるのです。神学は本質そのものが不毛なのです。

 測り知れない努力の繰り返しの末に、霊界の上層部において、もはや地上への流入は既成の宗教界を通じては無理との判断のもとに、宗教界とは無縁の者を通じて行うとの決断が下されました。

そして、ここにお出での皆さんのように何の宗教的肩書も持ち合わせない普通の人々が霊力の受け皿として養成され、各自がイエスと同じように霊の威力を実際に見せ、また同じような現象を演出してみせることになったのです。

 教会、寺院、チャペル(キリスト教の礼拝堂)、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)を通して支配力を行使している者たちが何とわめこうと、霊力はすでに根づいております。もはや、いかなる力をもってしてもこれを消すことはできません。

挫折させることもできません。ますます勢いを増しながら地上世界を元気づけていくことでしょう。ぜひともそうあらねばなりません。何ものによっても阻止されることはありません。

 このように、私は霊的真理と霊的実在についての知識の普及に全面的に賛成ですが、施設や建造物にはまったく関心がありません。私の関心の対象は大霊の子としての人間そのものです。私はその大霊の子等が真の自我を見出し、霊的遺産を理解し、天命を全うするところに、物的宇宙創造の目的があると理解しております。

われわれの仕事は、可能なかぎりの手段を尽くして人間をいちばん望ましい方法で指導し、一刻も早く霊的な受け入れ態勢を整えさせてあげることです。その段階から種子が芽を出しはじめるのです。

 一方には宗教界の指導者の感化を仕事としている霊団もいます。個人的に指導しているのです。何とかして本当の自分自身と、自分に存在を与えている力、存在の意味、そして聖職者として為すべきことについて、地上生活が終わらないうちに理解させる必要があるのです。

 これまで地上には数々の帝国が生まれましたが、いつしか滅んでいきました。独裁者が出現しましたが、やがて消えていきました。宗教が権力をふるったことがありましたが、必ず没落していきました。大霊は歩みを止めることがありません。この霊力はこれからも顕現し続けます。悲観する余地はどこにもありません。

 既成宗教がこのまま真理の光を見出せないままでいると、精彩を失い暗闇に包まれて行きます。ですから、霊的真理を広めることが大切なのです。

ですが、私に啓示された知識のかぎりで言えば───そのかぎりでしか言いようがないのですが─── 一ばん大切なことは(そうした組織ではなく)個人に目を向け、霊力の顕現の窓口となる霊的資質の開発を通じて、一人一人を霊的に甦らせることです。いささかなりとも神の使節としての仕事ができるわれわれは、実に光栄この上ないことです。

この光栄はもはや既成の宗教団体では浴せません。心の奥では自分でも信じられなくなっている古びた決まり文句を平気で口にします。とっくの昔に意義を失っている型どおりの文句と使い古した儀式と慣例を繰り返すのみです。

 そうした教会や大聖堂や寺院は、そこに霊力が機能しなくなったために不毛で荒涼とし死物と化しております。生命を与えるのは霊なのです。彼らはその霊、彼らのいうその聖霊を否定するようなことばかり繰り返しているのです。

そこでその聖霊の方が彼らに見切りをつけ、われわれのように別に風変りな式服をまとわず、説教壇に立つこともせず、ただ霊力の通路として一身を提供する者を活用して、神の計画の中においては誰一人として無視されたり見落とされたりすることがないことを証明せんとしているのです。

 《真実の祈りは心の奥底から油然として湧き出るものです。神に挨拶するための機械的な口上手段ではありません。スピチリチュアリストをもって任じている人も、もし日常生活においてその霊的真理の意味を生かすような生き方をしていなければ、何の徳にもなりません。私たちはラベルは崇めません。

大切なのは、自分はこういう者ですとみずから称していることではなくて、ふだん行っている行為です》 
    シルバーバーチ

シルバーバーチの霊訓(九)

 Philosophy of Silver Birch

by Stella Storm
近藤千雄訳




七章 魂を癒す───心霊治療の本質


 《心霊治療の本質は〝魂〟に関わることであり、身体に関わるものではありません。魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏効します。摂理としては当然そうなるようになっているのであり、それ以外にはありようがないのです。

霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です》         シルバーバーチ


 中央アフリカおよびインドを中心に治療活動を続けている二人の治療家が招かれた。二人は Ulyndu(ウーリンドウ)とAmenra(アメンラ)と言う名で知られているが、いずれも仮名である。商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。奉仕的精神から治療費をいっさい取らないのであるが、その日常生活は〝絶対に裏切らない神の供給源〟の存在を見事に実証している。

 来る日も来る日も治療のための旅を続けていると、時には生活費が底をつき、空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなることもある。にもかかわらず必要なものだけは、お願いしなくても、必ず届けられる。その届けられる経路は驚異としか言いようのないほど思いがけないことがしばしばであるという。

 南アフリカから英国に立ち寄った時に永年の夢が叶ってシルバーバーチの交霊会に出席することができた。二人はシルバーバーチの霊言を生活の指針としてきている。そのシルバーバーチが二人にこう語った。

 「私たちにとって霊の道具として活躍しておられる方のお役に立つことほど大きな喜びはありません。他人のために倦まず弛まず尽力しておられる方が私の述べる言葉を少しでも役に立つと思ってくだされば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースであることを光栄に存じます。

 われわれはお互い同じ使命にたずさわっております。病める地上世界がみずからを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止め、無数の人間の悲劇の根源となっている自己中心主義と貪欲の行為を止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っております。

 この道がラクではないことは今さら私から申し上げる必要はありません。バラの花に飾られた優雅な道でないことは申し上げるまでもありません。苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。

人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。

 言いかえれば、物質が行き詰まった時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく、嵐なくしては青天もありません。このことはお二人はすでによく理解しておいでです。

 あなた方は豊かな恩寵に浴していらっしゃいます。奉仕活動に手を染め、すべてを天命にまかせる覚悟をされて以来、お二人は一度たりとも見落とされたり忘れられたり無視されたり、あるいはやりたいように放ったらかされたことはありません。

 この道は、他にその恩恵を知る縁(よすが)のない人々に霊力と光明と癒やしをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働くことは大へん光栄なことです。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。

その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。

 私から申し上げるまでもないことかも知れませんが、お二人は地上に生を受けるずっと以前からこの仕事を志願していらっしゃいました。またこれも改めて申し上げる必要はないと思いますが、実はそれもこれもまだまだ序の口にすぎません。地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。

 挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるようなことはいたしません。

絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。

 お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それを、ある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変らぬインスピレーションの泉となさることです。道を過らせるようなことは絶対にしません。縁あってあなたのもとを訪れる人に最大限の援助をしてあげられるよう導くことに専念してくれることでしょう。

 物的な必需品はかならず授かるものだということをお二人は体験によってご存知です。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにもなりません。身を包み保護するだけの衣類はかならず手に入ります。ぜいたくなほどにはならないでしょう。が、進化せる霊はぜいたくへの願望は持ち合わせないものです。

 物的身体にはそれなりに最低限の必需品があります。神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。迷わずに前進なさることです。

今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。

 これまで通りに仕事をお続けになることです。病の人を癒やしてあげるその力が、ほかならぬ霊の力であることを理解させてあげるのです。その結果その人が魂に感動を覚えることになれば、それはあなたが霊的な勝利を収めたことになるのです。

 霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使いで霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は〝支配する〟という本来の立場を知ることがありません。

 勇気をもって前進なさい。もしも私の申し上げることが勇気づけとなれば、その勇気づけの道具となったことを私は光栄に思います。お二人の背後には私たちの世界でもきわめて霊格の高い霊が控えています。

大へんな霊力と叡智を身につけられたお方で、その悟りの深さがまた深遠です。その方との協調関係を出来うるかぎり緊密にするよう、修養を怠らないでください。

 背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。
 見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。何ごともきっと克服できます。

そして心が明るく弾むことでしょう。万事が落着くべきところに落ち着きます。時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです」

《本当の霊的治療が功を奏した時はけっしてぶり返しません。法則は不変です。摂理は完全です。もとより私は霊の美質である慈悲心や哀れみの情、親切心、寛容の心を一瞬たりとも失いたくないと思っております。が、摂理は公平無私であり、自動的であり、不可変であり、神によって定められているのです》 
                       シルバーバーチ
           
 
       ※          ※         ※

 Rose Baston(ローズバストン)女史も人生半ばにして霊的治病能力を発揮しはじめた庶民的な家庭婦人である。三十年以上にわたってハンネン・スワッハワー氏とのお付き合いがあり、その縁で、かつてスワッハー氏が住んでいたロンドンの邸宅に治療所を開設した。

つい二、三年前のことで(本書の出版は一九六九年)、その開所式にはシルバーバーチも招かれてお祝の言葉を述べた。久しぶりで面会したバストン女史にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた。


 「あなたの治療所の開所式へお招きを受けて祝辞を述べて以来この方、あなたと霊団とのつながりが緊密の度を増しております。治療所は不幸な人々、苦しむ人々を救う目的のために存在しているのです。あなたの人生が常に霊団の導きを受けていることは私から改めて申しあげる必要はないと思います。

 あなたはこの仕事のために生まれて来られたのです。その目的地にたどり着くためにあなたは数々の困難と苦難によって鍛えられ、いばらの道を歩まされました。この仕事にふさわしい人間となるための試練と鍛錬を積まねばなりませんでした。

 さて、これまでを振り返ってごらんになれば、いろいろとあった出来ごとも、みなモザイクの一部であることがお分かりになります。人生には基本的なパターンがあるのです。最初のうちはそれが見分けられませんが、次第に何もかもがそのパターンにそって落着くべきところに落着いていることが分かってきます。

 あなたも今や霊の道具として身体だけでなく、もっと大切なこととして、精神と霊とに慰安と軽減をもたらす仕事にたずさわって、地上生活の目的を成就しつつあることをこの上なく幸せなことと思うべきです。

 これまでと同じく、これからの人生も計画どおりに進展するにまかせることです。決してラクではありません。私が思うに、これまでの人生がもっとラクだったら、あなたはそれを不満に思っていたはずです。試練の末に勝ち取るほうが、何の苦労もなしに手に入れ、したがって潜在する力に気づかないままで終わるよりもいいのです。

 なのに人間は努力もしないでいて自分にない才能を欲しがり、そのために、せっかく手にしてもそれを有難く思わないのです。その点あなたは永い間ご自分の治病能力に気づかれませんでした。はじめてそのことを聞かされた時はびっくりなさいました。

 病状を診察する能力はさして大切なものではありません。診察は往々にして身体的なことだけになりがちです。が、根本的な原因は身体よりも精神と霊とにあります。早く治そうと思ってはいけません。忍耐が大切です。あなたのほうから霊力を強要しても無駄です。

霊力というものはその通路に受け入れる用意ができた時にはじめて流入するのです。しかも病状に応じて調節しなければなりません。それはそれは微妙なプロセスなのです。強制的に扱おうとしても無駄です。

 万が一やる気を無くするようなことがあったら───人間なら時には意気消沈することがあるものです───その時はいったん歩みを止めることです。そしてそれまで奇跡ともいえる形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。

あなたに要求されることは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。

 あなたなりのベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内で出来るかぎりの努力をなさることです。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。

 これはとても大切なことです。そういう覚悟で仕事に当たっておれば、邪魔が入ることは決してありません。容易でないことは私もよく承知しております。が、忠実な僕がたどる道がラクであることは有り得ないことです。

お名前はローズ(バラ)でもバラの花壇(※)とはまいりません。魂というものは何かの挑戦を受けてはじめて自我に目覚めるものなのです。その時、居眠りをしていた潜在的な力が表面に出て来て発揮されはじめるのです。(※ a bed of roses 安楽な身分、贅沢な生活のこと───訳者)

 が、あなたはこれまで啓示された光に忠実に従ってこられました。ただの一度もあなたに託された信頼を裏切ることがありませんでした。私をはじめ、あなたの霊団の者はみんな、あなたのことを誇りに思っておられます」


《霊の褒賞は奮闘努力の末に手に入るものです。宝くじのような具合に手に入れることはできません。霊の富はそれを手にするにふさわしくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ多くのものを身につけていくのです》

                        シルバーバーチ 



         ※       ※        ※   

 心霊治療家の Gordon Turner (ゴードンターナー)氏は病気治療だけでなく、英国心霊治療家連盟の推進者としても有名である。助手の Jo Prince (ジョープリンス)を伴ってはじめてシルバーバーチを訪れた時の感動はひと通りでなかった。シルバーバーチが二人にこう語りかけた。

 「私が永いあいだ地上世界の仕事にたずさわってきて何よりもうれしいのは、霊の僕として働いている同志をここへお招きすることです。あなた方がどうしてもたどらねばならない地上生活のパターンというものがあることは私はよく承知しております。

外部の世界とは無縁の心の痛み、苦難、苦痛、その他もろもろの複雑な感情があることもよく存じております。支払わねばならない代償があることも存じております。それが時には精神的ならびに霊的に十字架を背負わされることになることがあります。

  しかし、それが霊的進化の道なのです。その道での褒章を得るには奮闘努力しかなく、近道はなく、真の向上の一歩一歩が絶対に後戻りを許されない確固たるものでなければならないのです。もしも気楽な人生を望まれるなら、もはやその人生では他人のために自分を役立てることはできません。

魂が自我に目覚め、意図された通りに霊的資質を開発し、縁あってあなたのもとを訪れる人々がその天賦の才能によって恩恵を受けるようになるには、刻苦と苦難と修養と節制の生活しかないのです。

 しかし人生には必ず両面があります。陰気で重苦しい、救い難い闇ばかりではありません。光があれば影があり、寒さがあれば温かさがあり、嵐があれば日和があります。そうでないと進歩は得られません。魂が目覚め、霊の隠れた能力と内的な美質が発揮されればされるほど、それだけ神との調和が緊密となってまいります。

  因果律による当然の結果としての報酬があるということです。それは、いかに石ころだらけで障害が大きく思えても、その道は間違いなく自分に約束された道であり必ずや成就されるという、内的な確信です。


  あなた方は自分が成就しつつあることを測定することが出来ません。地上には魂の成長と霊的成就の結果を測定する器具も装置もありません。しかし、あなた方は暗闇にいる魂に光をもたらしておられます。飢えと渇きに苦しむ魂に霊的な食べものと飲みものを用意してあげておられます。

真の健康を見出す好機を用意された身体と精神と霊に神の力、すなわち生命力そのものを授けておられます。すばらしい仕事です。しかし同時に大へん責任のある仕事でもあります。霊的才能はそう簡単に人間に授けられているのではありません。神からの才能の保管者であるということは、それだけ責任が重いということでもあるのです。

 悲しいかな、あなたが関わっておられるのは人間という気まぐれな存在の集まりです。時には最も緊密な味方であるべき人が最大の敵にまわったりすることがあります。

同じ目的、同じ大義によって団結すべき人たちの中にあってすら、摩擦と誤解の犠牲となることがあります。が、たとえすべての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から眺めるということは、所詮、無理なのです。

 他人がどう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているのか、それはあなたには関係ないことです。大切なのはあなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。神はあなたに他人の行為や言葉や思想にまで責任は取らせません。あなたの責任は、あなたに啓示されたものに照らして生きることです。

光が大きければ、それだけ責任も大きくなります。この神の規約には免除条項というものはありません。

 病気の人があなたのもとを訪れた時、その人は霊的に重大局面を迎えていると考えてください。その人はぎりぎりの決断を迫られているのです。転換期に来ているのです。霊的存在としての本来の生き方を開始するチャンスを目の前にしているのです。病気というのは霊的理解力をもたらすための手段の一つなのです。

そこでもしもあなたが身体の病気は治せても霊的自覚を促すことができなかったら、あなたの責任ではないにしても、その治療は失敗だったことになります。が、もしも魂に感動を覚えさせることができたら、もしも霊的意識に目覚めさせることに成功したら、あなたは医師にも牧師にも科学者にも哲学者にもできないことをなさったことになります。

 内部の神性のタネが芽を出す、そのきっかけを与えたことになります。神性が芽を出せば、魂が霊力の援助を得て顕現を開始し、真の自我を成就してまいります。訪れる人のすべてを救ってあげられないからといって落胆なさってはいけません。あなたのもとを訪れたということは、その人にとっての好機が訪れたということです。

あなたはあなたなりにご自分を役立てることに専念なさっておればよろしい」


 《治療家と患者とがそうした方がよいと思うのであれば、時間を定めて遠隔治療を行うことは可能です。しかし、治療能力が発達して一段と高い次元に到達すれば、それも不要となります。治療霊団との連絡がしっかりと出来上がります。そうなると、いつでも精神を統一して自我を引っ込め、代って治療エネルギーを流入させることが出来ます。

その考えに反対するわけではありませんが、たとえば十時なら十時にしか治療エネルギーが届けられないとすると、一つの制約を設けることになるのです》       
                        シルバーバーチ


      ※       ※        ※

 Kenneth Bannister(ケネス・バニスター)氏はメキシコで心霊治療とスピリチュアリズムの普及活動に献身している有能なスピリチュアリストである。そのバニスター氏がブラジルとフィリッピンで盛んに行われている〝心霊手術〟について一連の質問をした。その問答の様子を紹介する。


───心霊治療がどこまで功を奏するかは患者の霊的発達程度、カルマ、その他もろもろの要素がからんでおりますが、ブラジルとフィリッピンで行われている外科的な〝手術〟の場合はどうなのでしょうか。

 「それもすべて自然の摂理としての因果律の規制を受けます。魂に受け入れ準備が整えばその人は治療してくれる人との縁ができるように導かれていきます。そこでもしも治るべき段階に来ていれば治療は速効的に成功します。

しかし、どういう形での治療であろうと、たとえば腫瘍が取れてラクになったとしても、それだけで自動的に霊性が目覚めることになるわけではありません。霊的にその治療を受け入れる段階にまで到達したというまでのことです。それは同時に内部の神性の火花が大きな炎と燃えあがる、その点火の絶好機でもあるということです。

 ですから、心霊治療には二つの大切な要素が働いております。一つは、患者が霊的治療を受け入れる準備が整ったということ。それで治療を施す人のところへ導かれて来たわけです。もう一つは、奇跡的な治癒体験によって霊的自我が目を覚まし、霊的意識の光の中で生きるようになる、その絶好機が訪れているということです。

もしも霊的自我が目を覚まさなかったら、身体的な治癒は成功しても霊的には失敗だったことになります」


───その治療がいわゆる心霊手術によって行なわれるのは好ましいことでしょうか。

 「〝その果により樹を知るべし〟(マタイ)です。霊力の発現は〝時〟と〝場所〟による制約を受けます。霊媒現象の演出と霊力の顕現はすべて一つの計画に基づく協力態勢での働きかけの一環なのです。

 それは基本的にはそれが適用される民族の身体的、精神的ならびに霊的必要性に合わせて行われます。気候、教育程度、社会環境、理解力を考慮して、最も適切な形を取らねばなりません」


───心霊手術がブラジルとフィリッピンだけで行われて、イギリスで行われないのはなぜでしょうか。

 「霊的風土が異なるからです。精神的環境が異なるからです。繊細な霊的影響力に反応しない精神構造には、見た目にハデにつくやり方が要求されるのです。そのことはこのイギリスで百年ばかり前は霊的なことの理解に物理的心霊現象を必要としたのと似ています。

 今のイギリスにはもう必要ではありません。が、教育水準、文化の程度、価値基準が大きく異なる国においては今でも必要です。そこに住む人間の程度に合わさなくてはならないのです」


───でも、イギリスにもこのタイプの手術をしてもらいたがっていながらそれが叶えられずにいる人が非常にたくさんおります。気候というのはそんなに大切な要素なのでしょうか。

 「イギリスの大気よりも伝導性が高いという点において、気候が関係していると言えます。が、それが全てではありません。イギリス人には根本的に合わないという点から言えば、霊的なものも関係しております。問題はその人がどうしてもらいたいかではなく、その人にとって何が最も適切かということです。

せっかく高い霊的要素を備えていながら、低俗な物的レベルのものばかり求める人が多すぎます。これは進歩、あるいは進化の道ではありません」


───霊媒の純粋性が高ければ高いほど、その霊媒を通してより多くの治癒エネルギーが流れます。このことは心霊手術についても言えることでしょうか。

 「今の表現は正確でありません。純粋性が高いほど多くの治癒エネルギーが流れるわけではありません。純粋でない霊媒でも治癒エネルギーは流入します。純粋性が影響するのはそのエネルギーの〝質〟です。霊力は宇宙の創造主である大霊と同じく無限です。無限であるが故に無数の等級・変異・組み合わせがあります。


 個々の治療家は霊的に受け入れられる段階のものと波長が合います。それよりも高いものとは合いません。受け入れられないからです。ということは、本来ならばそれより低いものも求めようとしないものなのです。


 治療家が到達した発達段階、霊格によって規制されるのはエネルギーの〝質〟であって〝量〟ではありません」


───もし可能ならば全ての治療家が手術を施せるようになることは望ましいことでしょうか。

 「いえ、霊の道具のすべてにたった一つの道が用意されているわけではありません。望ましいのは画一性ではなく、逆に、万能性であり多様性です。霊は無限です。したがって顕現の仕方も無限の可能性を秘めています。その決定的要素となるのは治療家の受容性です。その意味では治療家の気質、育ち、教育、遺伝、環境、さらには前世までも関わっていることになります。

 そうした要素のすべてがからみ合って、治療家を通して注がれる霊力の種類と量とを規制するのです。治療家ぜんぶが同じ道を行くようにはなっていません。バイブルにもこういう言葉があります。〝霊の賜物は種々あるが、霊そのものは一つである〟(コリント)」


───心霊手術を要求されてそれが施してあげられない時はどうしてあげたらいいのでしょうか。

 「心霊治療というものを身体上の結果を見せるという点からばかり考えてはなりません。心霊治療は根本的には霊(魂)に関わることです。目的は患者の魂の琴線に触れることです。その魂の受け入れる機が熟していれば、精神も正常となり身体も正常となります。

本当の心霊治療は霊と精神と身体とが調和して機能するように正しい連繋関係にもっていってあげることです。それが健康であるということの本来の意味であり、健全な状態、融和した状態ということです」

《腫瘍を取り除くことが目的ではありません。本来の目的は魂の琴線に触れることです。その意味で霊のガン患者もいるわけです。そういう人は利己性その他の悪性の腫瘍がしつこく残っていて、それが取り除かれるまでは真の霊的進歩は望めません。地上生活で最も大切なのは霊に関わることです。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません》        
シルバーバーチ


訳者注───本章を翻訳している最中に届いたサイキックニューズ紙(一九八七・六・十三)の一面トップに〝医学校、心霊治療に門戸を開く〟という見出しがあった。イギリスのある医学専門学校が心霊治療家グループに学校内での治療活動を認めたという画期的なニュースである。参考までに大要を紹介しておく。

 「意外な展開の中でミドルセックス医学専門学校が心霊治療家グループに一室を開放して治療活動を許す決定をした。

 またクリーブランドの心霊治療家グループは週一回だけロンドン西部のクリーブランド通りの一室を無料で使用してよいことになった。

 こうした展開の決定的要因となったのは一般開業医連盟と、当医学専門学校講師のコーエン博士の支持があったことである。そのコーエン博士がこう語っている。

 〝私がはじめて心霊治療家グループと接触したのはそのメンバーの一人であるルース・グリーン女史を通してのことでした。私は条件として医学的治療と抵触する行為はいかなるものも行わないことを確認しました〟  

 博士はまた心霊治療家が魔術や空中浮遊のような手品、要するに〝治す〟という信念以外のものは絶対に持ち込まないことを確約させているという。

 〝私が理解したかぎりでは、心霊治療家に私の学校を使用していただくのは理に適っているように思えました。心霊治療はとても大切です。分別と知性を具えた医師の一人として私は、医師は最大限の広い意味での治療を提供すべきだと考えるわけです。多くの患者が心霊治療で助かっているのですから〟

 コーエン博士は心霊治療の本質を理解するために治療家グループのミーティングに出席させてもらっている。


〝そのミーテングに出席して私は非常な感動を覚えました。孤独感に沈んだ人や世の中から見捨てられた思いをしている人たちに何かしら特殊なものを提供していたからです。また身体的に不自由な人たちも確かに治していると確信します〟

 博士もはじめのうちは金儲けが目的ではないかと思っていたという。ところがそこでは治療代を請求していないことが分かり、それがかえって治療を誠心誠意にさせていることを知ったという。

 〝治療家グループの感性の良さと看護ぶりに深い感銘を受けました。ほんとうに人のために尽くしておられ、それで我々も負けずに人のために尽くさねばと決心したわけです。

 正直言って医学校の関係者は当初どうしたものかと迷っておりましたが、心霊治療家にひさしを貸して母屋を取られることがないことを確認した上で、この私が全責任を負うということで踏み切ったわけです〟


 現在までのところ毎週一回水曜日の夕方に治療が行われている。コーエン博士によれば、これまで医師の間から何ら不平不満の声は聞かされていないという。博士は言う。

〝心霊治療を勉強することは医学者にもプラスになるのです。うちの学校がこうした大らかな態度を取ったのは良かったと思っています。いずれ将来は治療の成果について検証がなされるかも知れません。患者を治療前と治療後に診断をすればよいわけです〟

 それについてクリーブランド治療家グループのチーフであるグリーン女史は〝私たちはいかなるテストにもよろこんで応じる用意があります〟と述べ、さらに言う。

 〝ただ私たちは過激なまでに反対している学生には抗議したい気持ちです。彼らの感情的態度が良からぬ雰囲気を生み、治療に悪影響を及ぼすことが考えられるからです。

 別に心霊治療を信じてくれなくてもいいのです。開かれた心をもってくださればいいのです。医学生がテストに参加してくれれば、こんな素晴らしいアイディアはありません。学生に心霊治療の実際を理解していただくチャンスになると思うのです。コーエン博士も学生が見学することを希望していらっしゃいます〟

 現在のところ治療家グループは四人のレギラーで構成されており、すべて英国心霊治療家連盟の会員で、これに時おり他の治療家が参加する程度ということである。

霊の書 アラン・カルデック(編)第3部 摂理と法則

 The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)




1章 自然法則

このページの目次
〈自然法則の特性〉 〈自然法則の理解〉 〈善と悪〉

〈自然法則の特性〉


――自然法則とは何でしょうか。


「神の摂理です。人間の幸せを保証する絶対的な摂理です。それが人間の為すべき事と為すべきでない事を示しており、それに逆らう者は苦しむのみです」


――神の摂理は永遠ですか。


「神ご自身と同じく永遠にして不変です」


――神の摂理は人間の倫理・道徳面だけに係わるものでしょうか。


「自然界の法則も全て神の摂理です。神が全存在の創造主だからです。科学の探求者は自然界の理法を研究し、善性の探求者はそれを魂の中に求め、そして実践します」


――人間はその全摂理に通暁できるのでしょうか。


「できます。ただし、たった一度や二度の地上生活では無理です」


――摂理は宇宙の全天体にわたって同一なのでしょうか。


「理性的に考えれば、当然、各天体の特殊性とそこに住む存在の発達程度に応じたものであるに決まっています」
〈自然法則の理解〉


――物的身体に宿る前の霊は、宿った後よりも神の摂理を明確に理解しているのでしょうか。


「到達した霊性の発達レベルに応じた理解をしており、身体に宿った後も直覚的な回想力を保持していますが、低劣な人間的本能がそれを忘れさせます」


――その摂理の理解は霊のどこに刻み込まれているのでしょうか。


「良心(善悪の分別力)です」


――良心に刻み込まれたものを、なぜ改めて啓発する必要があるのでしょうか。


「低劣な本能のせいで忘却したり誤解したりしているからです。人間がそれを思い出してくれるようにというのが神の御意志です」


――神はそうした摂理を外部から啓示する使者を派遣しておられるのでしょうか。


「もちろんです。あらゆる時代にその使命を授かった者がいます。霊性の高い霊で、人類の発達を促進する目的で地上へ降誕しています」


――そうした使者の中で模範とすべき最も完全に近い人物は誰でしょうか。


「ナザレのイエス」


訳注――カルデックの背後霊団がスピリチュアリズム、すなわち地球浄化の大事業の一翼を担っていたことは改めて指摘するまでもないであろう。巻頭の《カルデックへの霊団からのメッセージ》に「イエスの偉大なる愛の原理のもとに集える我々は」云々……とあるのを見ても明らかである。スピリチュアリズム運動の最高責任者がほかならぬあのナザレのイエスであることはシルバーバーチもインペレーターも明言している。

そのイエスは一体どういう風貌をしていたのだろうか。数多いインディアンの指導霊の一人であるホワイト・ホークが叙述しているところを紹介しておくと「体格はすらりとして品があり、髪はコーン色(浅黄)、顔は色白で卵形、わずかに頬が張り、髪よりも黒みがかったクリ色のアゴひげをたくわえていた。腕はほっそりとしていたが強靭で、容貌は優しさの中に憂いをたたえ、いつも紫色のマントをまとっていた。」
〈善と悪〉


――道徳的摂理とはどう定義づけたらよいでしょうか。


「道徳的摂理とは正しい行為を判断するための規準です。言い変えれば、実践において善と悪とを分別するための規準です。神の摂理の遵守が基本です。行為の動機と規準が善を志向するものであれば、その行為は正しいと言えます。神の摂理を遵守したことになるからです」


――善と悪との分別は何を規準にしたらよいのでしょうか。


「善とは神の摂理に適ったものであり、悪とは神の摂理から逸脱したものです。正しい行為とは神の摂理に適ったことをすることであり、過った行為とは神の摂理を侵害することです」


――人間には自ら善悪を弁(わきま)える能力がそなわっているのでしょうか。


「その両者を弁別するための直観的判断力(良心)が授けられています」


――自分では正しいと思っても間違っていることがあります。


「イエスが言っております――“自分がしてもらいたいと思うように他人にもしてあげなさい”と。道徳的摂理の要諦はこの言葉に尽くされております。これを行動の規準にすることです。決して間違えることはありません」


――それは言わば相互依存の関係であり、自分自身に対する個人的な行為には当てはまらないと思うのです。自分自身への行為の善悪にも判断の規準があるのでしょうか。


「食べ過ぎると胃腸の調子がおかしくなります。神はその不快感をもって各自の限度の規準としています。その限界を超えると神が罰するということです。同じことが他の全てのことについて言えます。何事にも摂理によって必要限度というものが設定されており、それを超えると自動的に苦しみが生じて罰せられます。“それで十分”という神の声に人間が耳を傾けるようになれば、天災と思い込んでいる地上の災害の大半が未然に防げるはずです」


――善と悪は全ての人間にとって絶対的なものでしょうか。


「神の摂理は全ての人間に分け隔てなく働きます。が、罪悪はその実行に当たっての魂の欲望の中に潜んでいます。善はあくまでも善であり、悪はあくまでも悪であり、地位や職権には関係ありません。異なるのは責任の度合いです」


訳注――シルバーバーチは「罪は動機によって決まる」と一貫して述べている。ここでは「その実行に当たっての欲望」という難しい表現をしているが、煎じつめれば“動機”という用語に含まれているのではなかろうか。誉れ高き地位や名声を手にすると、善悪の判断に際してそれを失うまいとする欲望が先走り、良心との葛藤が渦巻く。しかし、シルバーバーチ曰く――「良心が命じることは、たとえその方向へ進むと物的には不遇になることが分かっていても、迷わず従いなさい。最後はきっと良いようになります。難しく考えることはないのです。これほど簡単な話はありません。」

とは言え、肉体をまとって地上の人間になってしまうと、それがそう簡単に行かない。“低劣な人間的本能”が邪魔をするのであるが、逆に考えると、だからこそ地上の物的生活の意義もあるのではなかろうか。


――すでに罪悪のタネが蒔かれていて、たまたま置かれた地位や立場上その責任を負わざるを得ないことがあります。この場合、最大の咎めを受けるのは誰でしょうか。


「最初にタネを蒔いた者です。罪悪そのものに対して責任を取らされるだけでなく、図らずもそのトラブルに巻き込まれた者がこうむった苦しみに対しても責任を問われます」


――反対に、自分は直接手を染めなかったけれどもその罪悪によって利益を得た者は、直接参加した場合と同じ罪に問われるのでしょうか。


「その通りです。罪による利益を手にした者は、罪を犯したのと同じです。仮に気が咎めて直接犯罪行為に加わらなかったとしても、実際に犯罪が実行され、その結果として得られた分け前を懐にすれば、直接参加したのと同じです」


――心に罪悪の思念を宿すということは、それを実行した場合と同じ罪に値するのでしょうか。


「それはそのケースによりけりです。犯意を抱きながらも、やはりいけないと必死に抑制した場合、これは立派です。しかし、同じく実行しなかった場合でも、実行するチャンスが無かったというのでは、これは罪を犯したのと同じです」


――置かれた立場上、善行のチャンスがないという人はいないでしょうか。


「善行のチャンスがない人間は一人もいません。もしいるとすれば、それは利己主義者のみです。人間関係が全く無いというのならともかく、毎日のように他人と接するチャンスがある生活環境においては、よほどの利己主義者を除いて、何らかの善行のチャンスはあります。善行というのは人に物を上げることを言っているのではありません。どんな形でもよろしい、他人の役に立つことをすることです」


――試練として悪徳の巷に生をうけた場合、悪への誘惑が抗し切れないものとはならないでしょうか。


「強烈ではあっても抗し切れないことはありません。悪徳の環境の中で徳性の高い行いを実践してみせる人はいます。そういう人は霊格の高い霊の生まれ変わりで、その程度の誘惑に負けないだけの霊力を身につけていますから、試練に打ち克つと同時に、周囲の人々に気高い影響力を行使する使命も果たします」


――徳行の価値の高さは、それを実行する環境の厳しさによって計られるものなのでしょうか。


「有徳の行為の価値は、実行の困難さによって決まります。克己も奮闘努力もなしに簡単に成就できるものは何の価値もありません。神は金持ちによる山ほどの供物よりも貧者による一切れのパンの方を嘉納されます。それをイエスは“寡婦の賽銭”の寓話で語っております」(新約聖書マルコ伝12)

シルバーバーチの霊訓(九)

 Philosophy of Silver Birch

by Stella Storm
近藤千雄訳



七章 魂を癒す───心霊治療の本質


 《心霊治療の本質は〝魂〟に関わることであり、身体に関わるものではありません。魂に受け入れ準備ができていれば、治療は難なく奏効します。摂理としては当然そうなるようになっているのであり、それ以外にはありようがないのです。

霊的治療は物的身体に宿る魂という容器に霊的生命力を注入する作業です。その生命力は肉体の中の生命の中枢へ向けて仕掛けられる霊的刺激剤であり、回復力であり、再活性力です》         シルバーバーチ


 中央アフリカおよびインドを中心に治療活動を続けている二人の治療家が招かれた。二人は Ulyndu(ウーリンドウ)とAmenra(アメンラ)と言う名で知られているが、いずれも仮名である。商業関係の仕事を止めて本格的に治療活動に専念しておられる。奉仕的精神から治療費をいっさい取らないのであるが、その日常生活は〝絶対に裏切らない神の供給源〟の存在を見事に実証している。

 来る日も来る日も治療のための旅を続けていると、時には生活費が底をつき、空腹のためにベルトをさらに締めなければならなくなることもある。にもかかわらず必要なものだけは、お願いしなくても、必ず届けられる。その届けられる経路は驚異としか言いようのないほど思いがけないことがしばしばであるという。

 南アフリカから英国に立ち寄った時に永年の夢が叶ってシルバーバーチの交霊会に出席することができた。二人はシルバーバーチの霊言を生活の指針としてきている。そのシルバーバーチが二人にこう語った。

 「私たちにとって霊の道具として活躍しておられる方のお役に立つことほど大きな喜びはありません。他人のために倦まず弛まず尽力しておられる方が私の述べる言葉を少しでも役に立つと思ってくだされば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースであることを光栄に存じます。

 われわれはお互い同じ使命にたずさわっております。病める地上世界がみずからを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止め、無数の人間の悲劇の根源となっている自己中心主義と貪欲の行為を止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っております。

 この道がラクではないことは今さら私から申し上げる必要はありません。バラの花に飾られた優雅な道でないことは申し上げるまでもありません。苦難は進化を促し、魂を調整するための不可欠の要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。

人生のうわべだけを生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。地上的方策が尽き果て、八方塞がりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。

 言いかえれば、物質が行き詰まった時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質を徐々に発揮しはじめるのです。苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく、嵐なくしては青天もありません。このことはお二人はすでによく理解しておいでです。

 あなた方は豊かな恩寵に浴していらっしゃいます。奉仕活動に手を染め、すべてを天命にまかせる覚悟をされて以来、お二人は一度たりとも見落とされたり忘れられたり無視されたり、あるいはやりたいように放ったらかされたことはありません。

 この道は、他にその恩恵を知る縁(よすが)のない人々に霊力と光明と癒やしをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働くことは大へん光栄なことです。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません。

その大霊がお二人に要求しているものは忠誠心であり、協調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。

 私から申し上げるまでもないことかも知れませんが、お二人は地上に生を受けるずっと以前からこの仕事を志願していらっしゃいました。またこれも改めて申し上げる必要はないと思いますが、実はそれもこれもまだまだ序の口にすぎません。地上生活は霊としての存在意識を全うするという大目的のために学び鍛える、そのトレーニングの場にほかなりません。

 挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。今日まで支えてきた力は、これからも決して見棄てるようなことはいたしません。

絶対に裏切ることはありません。もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。その根源的なエネルギー、存在の支えそのものが不在となることがあることになるからです。

 お二人は霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。それを、ある時は支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は至聖所とし、そしていつも変らぬインスピレーションの泉となさることです。道を過らせるようなことは絶対にしません。縁あってあなたのもとを訪れる人に最大限の援助をしてあげられるよう導くことに専念してくれることでしょう。

 物的な必需品はかならず授かるものだということをお二人は体験によってご存知です。飢えに苦しむようなことにはなりません。渇きに苦しむようなことにもなりません。身を包み保護するだけの衣類はかならず手に入ります。ぜいたくなほどにはならないでしょう。が、進化せる霊はぜいたくへの願望は持ち合わせないものです。

 物的身体にはそれなりに最低限の必需品があります。神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。迷わずに前進なさることです。

今日は今日一日のために生きるのです。そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるものと信じることです。

 これまで通りに仕事をお続けになることです。病の人を癒やしてあげるその力が、ほかならぬ霊の力であることを理解させてあげるのです。その結果その人が魂に感動を覚えることになれば、それはあなたが霊的な勝利を収めたことになるのです。

 霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常です。摂理として当然そうなるのです。身体は召使いで霊が主人です。身体が従臣で霊が王様です。愚かな人間は身体を主人と思い王様と勘違いしております。そういう人の霊は〝支配する〟という本来の立場を知ることがありません。

 勇気をもって前進なさい。もしも私の申し上げることが勇気づけとなれば、その勇気づけの道具となったことを私は光栄に思います。お二人の背後には私たちの世界でもきわめて霊格の高い霊が控えています。

大へんな霊力と叡智を身につけられたお方で、その悟りの深さがまた深遠です。その方との協調関係を出来うるかぎり緊密にするよう、修養を怠らないでください。

 背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、重さが消えてしまうものです。行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。きっと克服し、万事がうまく運ぶはずです。
 見た目にいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。この物質の世界には、その生みの親である霊の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。何ごともきっと克服できます。

そして心が明るく弾むことでしょう。万事が落着くべきところに落ち着きます。時間は永遠なのです。人間はその永遠の時の流れの中にあって、今という時間、その一瞬を大切に生きていけばよいのです」

《本当の霊的治療が功を奏した時はけっしてぶり返しません。法則は不変です。摂理は完全です。もとより私は霊の美質である慈悲心や哀れみの情、親切心、寛容の心を一瞬たりとも失いたくないと思っております。が、摂理は公平無私であり、自動的であり、不可変であり、神によって定められているのです》 
                       シルバーバーチ
           
 
       ※          ※         ※

 Rose Baston(ローズバストン)女史も人生半ばにして霊的治病能力を発揮しはじめた庶民的な家庭婦人である。三十年以上にわたってハンネン・スワッハワー氏とのお付き合いがあり、その縁で、かつてスワッハー氏が住んでいたロンドンの邸宅に治療所を開設した。

つい二、三年前のことで(本書の出版は一九六九年)、その開所式にはシルバーバーチも招かれてお祝の言葉を述べた。久しぶりで面会したバストン女史にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた。


 「あなたの治療所の開所式へお招きを受けて祝辞を述べて以来この方、あなたと霊団とのつながりが緊密の度を増しております。治療所は不幸な人々、苦しむ人々を救う目的のために存在しているのです。あなたの人生が常に霊団の導きを受けていることは私から改めて申しあげる必要はないと思います。

 あなたはこの仕事のために生まれて来られたのです。その目的地にたどり着くためにあなたは数々の困難と苦難によって鍛えられ、いばらの道を歩まされました。この仕事にふさわしい人間となるための試練と鍛錬を積まねばなりませんでした。

 さて、これまでを振り返ってごらんになれば、いろいろとあった出来ごとも、みなモザイクの一部であることがお分かりになります。人生には基本的なパターンがあるのです。最初のうちはそれが見分けられませんが、次第に何もかもがそのパターンにそって落着くべきところに落着いていることが分かってきます。

 あなたも今や霊の道具として身体だけでなく、もっと大切なこととして、精神と霊とに慰安と軽減をもたらす仕事にたずさわって、地上生活の目的を成就しつつあることをこの上なく幸せなことと思うべきです。

 これまでと同じく、これからの人生も計画どおりに進展するにまかせることです。決してラクではありません。私が思うに、これまでの人生がもっとラクだったら、あなたはそれを不満に思っていたはずです。試練の末に勝ち取るほうが、何の苦労もなしに手に入れ、したがって潜在する力に気づかないままで終わるよりもいいのです。

 なのに人間は努力もしないでいて自分にない才能を欲しがり、そのために、せっかく手にしてもそれを有難く思わないのです。その点あなたは永い間ご自分の治病能力に気づかれませんでした。はじめてそのことを聞かされた時はびっくりなさいました。

 病状を診察する能力はさして大切なものではありません。診察は往々にして身体的なことだけになりがちです。が、根本的な原因は身体よりも精神と霊とにあります。早く治そうと思ってはいけません。忍耐が大切です。あなたのほうから霊力を強要しても無駄です。

霊力というものはその通路に受け入れる用意ができた時にはじめて流入するのです。しかも病状に応じて調節しなければなりません。それはそれは微妙なプロセスなのです。強制的に扱おうとしても無駄です。

 万が一やる気を無くするようなことがあったら───人間なら時には意気消沈することがあるものです───その時はいったん歩みを止めることです。そしてそれまで奇跡ともいえる形で成し遂げられてきたことを振り返って、これだけのことが成就されてきたのなら、これから先もきっとうまく行くはずだという認識をもつことです。

あなたに要求されることは、そこまであなたを導いてきた霊力に対する絶対的な忠誠心と自信とをもってあなたの責務を全うすること、それだけです。

 あなたなりのベストを尽くすことです。あなたの力の範囲内で出来るかぎりの努力をなさることです。恐れるものは何一つありません。困難はあります。が、それもきっと克服されます。毎朝が新しい霊的冒険の好機なのです。

 これはとても大切なことです。そういう覚悟で仕事に当たっておれば、邪魔が入ることは決してありません。容易でないことは私もよく承知しております。が、忠実な僕がたどる道がラクであることは有り得ないことです。

お名前はローズ(バラ)でもバラの花壇(※)とはまいりません。魂というものは何かの挑戦を受けてはじめて自我に目覚めるものなのです。その時、居眠りをしていた潜在的な力が表面に出て来て発揮されはじめるのです。(※ a bed of roses 安楽な身分、贅沢な生活のこと───訳者)

 が、あなたはこれまで啓示された光に忠実に従ってこられました。ただの一度もあなたに託された信頼を裏切ることがありませんでした。私をはじめ、あなたの霊団の者はみんな、あなたのことを誇りに思っておられます」


《霊の褒賞は奮闘努力の末に手に入るものです。宝くじのような具合に手に入れることはできません。霊の富はそれを手にするにふさわしくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ多くのものを身につけていくのです》

                        シルバーバーチ 



         ※       ※        ※   

 心霊治療家の Gordon Turner (ゴードンターナー)氏は病気治療だけでなく、英国心霊治療家連盟の推進者としても有名である。助手の Jo Prince (ジョープリンス)を伴ってはじめてシルバーバーチを訪れた時の感動はひと通りでなかった。シルバーバーチが二人にこう語りかけた。

 「私が永いあいだ地上世界の仕事にたずさわってきて何よりもうれしいのは、霊の僕として働いている同志をここへお招きすることです。あなた方がどうしてもたどらねばならない地上生活のパターンというものがあることは私はよく承知しております。

外部の世界とは無縁の心の痛み、苦難、苦痛、その他もろもろの複雑な感情があることもよく存じております。支払わねばならない代償があることも存じております。それが時には精神的ならびに霊的に十字架を背負わされることになることがあります。

  しかし、それが霊的進化の道なのです。その道での褒章を得るには奮闘努力しかなく、近道はなく、真の向上の一歩一歩が絶対に後戻りを許されない確固たるものでなければならないのです。もしも気楽な人生を望まれるなら、もはやその人生では他人のために自分を役立てることはできません。

魂が自我に目覚め、意図された通りに霊的資質を開発し、縁あってあなたのもとを訪れる人々がその天賦の才能によって恩恵を受けるようになるには、刻苦と苦難と修養と節制の生活しかないのです。

 しかし人生には必ず両面があります。陰気で重苦しい、救い難い闇ばかりではありません。光があれば影があり、寒さがあれば温かさがあり、嵐があれば日和があります。そうでないと進歩は得られません。魂が目覚め、霊の隠れた能力と内的な美質が発揮されればされるほど、それだけ神との調和が緊密となってまいります。

  因果律による当然の結果としての報酬があるということです。それは、いかに石ころだらけで障害が大きく思えても、その道は間違いなく自分に約束された道であり必ずや成就されるという、内的な確信です。


  あなた方は自分が成就しつつあることを測定することが出来ません。地上には魂の成長と霊的成就の結果を測定する器具も装置もありません。しかし、あなた方は暗闇にいる魂に光をもたらしておられます。飢えと渇きに苦しむ魂に霊的な食べものと飲みものを用意してあげておられます。

真の健康を見出す好機を用意された身体と精神と霊に神の力、すなわち生命力そのものを授けておられます。すばらしい仕事です。しかし同時に大へん責任のある仕事でもあります。霊的才能はそう簡単に人間に授けられているのではありません。神からの才能の保管者であるということは、それだけ責任が重いということでもあるのです。

 悲しいかな、あなたが関わっておられるのは人間という気まぐれな存在の集まりです。時には最も緊密な味方であるべき人が最大の敵にまわったりすることがあります。

同じ目的、同じ大義によって団結すべき人たちの中にあってすら、摩擦と誤解の犠牲となることがあります。が、たとえすべての人間が同じ仕事に従事していても、たった一つの視点から眺めるということは、所詮、無理なのです。

 他人がどう言っているか、どう考えているか、どうしようとしているのか、それはあなたには関係ないことです。大切なのはあなた自身が何を述べ、何を考え、何をするかです。神はあなたに他人の行為や言葉や思想にまで責任は取らせません。あなたの責任は、あなたに啓示されたものに照らして生きることです。

光が大きければ、それだけ責任も大きくなります。この神の規約には免除条項というものはありません。

 病気の人があなたのもとを訪れた時、その人は霊的に重大局面を迎えていると考えてください。その人はぎりぎりの決断を迫られているのです。転換期に来ているのです。霊的存在としての本来の生き方を開始するチャンスを目の前にしているのです。病気というのは霊的理解力をもたらすための手段の一つなのです。

そこでもしもあなたが身体の病気は治せても霊的自覚を促すことができなかったら、あなたの責任ではないにしても、その治療は失敗だったことになります。が、もしも魂に感動を覚えさせることができたら、もしも霊的意識に目覚めさせることに成功したら、あなたは医師にも牧師にも科学者にも哲学者にもできないことをなさったことになります。

 内部の神性のタネが芽を出す、そのきっかけを与えたことになります。神性が芽を出せば、魂が霊力の援助を得て顕現を開始し、真の自我を成就してまいります。訪れる人のすべてを救ってあげられないからといって落胆なさってはいけません。あなたのもとを訪れたということは、その人にとっての好機が訪れたということです。

あなたはあなたなりにご自分を役立てることに専念なさっておればよろしい」


 《治療家と患者とがそうした方がよいと思うのであれば、時間を定めて遠隔治療を行うことは可能です。しかし、治療能力が発達して一段と高い次元に到達すれば、それも不要となります。治療霊団との連絡がしっかりと出来上がります。そうなると、いつでも精神を統一して自我を引っ込め、代って治療エネルギーを流入させることが出来ます。

その考えに反対するわけではありませんが、たとえば十時なら十時にしか治療エネルギーが届けられないとすると、一つの制約を設けることになるのです》       
                        シルバーバーチ


      ※       ※        ※

 Kenneth Bannister(ケネス・バニスター)氏はメキシコで心霊治療とスピリチュアリズムの普及活動に献身している有能なスピリチュアリストである。そのバニスター氏がブラジルとフィリッピンで盛んに行われている〝心霊手術〟について一連の質問をした。その問答の様子を紹介する。


───心霊治療がどこまで功を奏するかは患者の霊的発達程度、カルマ、その他もろもろの要素がからんでおりますが、ブラジルとフィリッピンで行われている外科的な〝手術〟の場合はどうなのでしょうか。

 「それもすべて自然の摂理としての因果律の規制を受けます。魂に受け入れ準備が整えばその人は治療してくれる人との縁ができるように導かれていきます。そこでもしも治るべき段階に来ていれば治療は速効的に成功します。

しかし、どういう形での治療であろうと、たとえば腫瘍が取れてラクになったとしても、それだけで自動的に霊性が目覚めることになるわけではありません。霊的にその治療を受け入れる段階にまで到達したというまでのことです。それは同時に内部の神性の火花が大きな炎と燃えあがる、その点火の絶好機でもあるということです。

 ですから、心霊治療には二つの大切な要素が働いております。一つは、患者が霊的治療を受け入れる準備が整ったということ。それで治療を施す人のところへ導かれて来たわけです。もう一つは、奇跡的な治癒体験によって霊的自我が目を覚まし、霊的意識の光の中で生きるようになる、その絶好機が訪れているということです。

もしも霊的自我が目を覚まさなかったら、身体的な治癒は成功しても霊的には失敗だったことになります」


───その治療がいわゆる心霊手術によって行なわれるのは好ましいことでしょうか。

 「〝その果により樹を知るべし〟(マタイ)です。霊力の発現は〝時〟と〝場所〟による制約を受けます。霊媒現象の演出と霊力の顕現はすべて一つの計画に基づく協力態勢での働きかけの一環なのです。

 それは基本的にはそれが適用される民族の身体的、精神的ならびに霊的必要性に合わせて行われます。気候、教育程度、社会環境、理解力を考慮して、最も適切な形を取らねばなりません」


───心霊手術がブラジルとフィリッピンだけで行われて、イギリスで行われないのはなぜでしょうか。

 「霊的風土が異なるからです。精神的環境が異なるからです。繊細な霊的影響力に反応しない精神構造には、見た目にハデにつくやり方が要求されるのです。そのことはこのイギリスで百年ばかり前は霊的なことの理解に物理的心霊現象を必要としたのと似ています。

 今のイギリスにはもう必要ではありません。が、教育水準、文化の程度、価値基準が大きく異なる国においては今でも必要です。そこに住む人間の程度に合わさなくてはならないのです」


───でも、イギリスにもこのタイプの手術をしてもらいたがっていながらそれが叶えられずにいる人が非常にたくさんおります。気候というのはそんなに大切な要素なのでしょうか。

 「イギリスの大気よりも伝導性が高いという点において、気候が関係していると言えます。が、それが全てではありません。イギリス人には根本的に合わないという点から言えば、霊的なものも関係しております。問題はその人がどうしてもらいたいかではなく、その人にとって何が最も適切かということです。

せっかく高い霊的要素を備えていながら、低俗な物的レベルのものばかり求める人が多すぎます。これは進歩、あるいは進化の道ではありません」


───霊媒の純粋性が高ければ高いほど、その霊媒を通してより多くの治癒エネルギーが流れます。このことは心霊手術についても言えることでしょうか。

 「今の表現は正確でありません。純粋性が高いほど多くの治癒エネルギーが流れるわけではありません。純粋でない霊媒でも治癒エネルギーは流入します。純粋性が影響するのはそのエネルギーの〝質〟です。霊力は宇宙の創造主である大霊と同じく無限です。無限であるが故に無数の等級・変異・組み合わせがあります。


 個々の治療家は霊的に受け入れられる段階のものと波長が合います。それよりも高いものとは合いません。受け入れられないからです。ということは、本来ならばそれより低いものも求めようとしないものなのです。


 治療家が到達した発達段階、霊格によって規制されるのはエネルギーの〝質〟であって〝量〟ではありません」


───もし可能ならば全ての治療家が手術を施せるようになることは望ましいことでしょうか。

 「いえ、霊の道具のすべてにたった一つの道が用意されているわけではありません。望ましいのは画一性ではなく、逆に、万能性であり多様性です。霊は無限です。したがって顕現の仕方も無限の可能性を秘めています。その決定的要素となるのは治療家の受容性です。その意味では治療家の気質、育ち、教育、遺伝、環境、さらには前世までも関わっていることになります。

 そうした要素のすべてがからみ合って、治療家を通して注がれる霊力の種類と量とを規制するのです。治療家ぜんぶが同じ道を行くようにはなっていません。バイブルにもこういう言葉があります。〝霊の賜物は種々あるが、霊そのものは一つである〟(コリント)」


───心霊手術を要求されてそれが施してあげられない時はどうしてあげたらいいのでしょうか。

 「心霊治療というものを身体上の結果を見せるという点からばかり考えてはなりません。心霊治療は根本的には霊(魂)に関わることです。目的は患者の魂の琴線に触れることです。その魂の受け入れる機が熟していれば、精神も正常となり身体も正常となります。

本当の心霊治療は霊と精神と身体とが調和して機能するように正しい連繋関係にもっていってあげることです。それが健康であるということの本来の意味であり、健全な状態、融和した状態ということです」

《腫瘍を取り除くことが目的ではありません。本来の目的は魂の琴線に触れることです。その意味で霊のガン患者もいるわけです。そういう人は利己性その他の悪性の腫瘍がしつこく残っていて、それが取り除かれるまでは真の霊的進歩は望めません。地上生活で最も大切なのは霊に関わることです。霊が主導権を握るようになるまでは調和も健康も幸福も生き甲斐も得られません》        
シルバーバーチ


訳者注───本章を翻訳している最中に届いたサイキックニューズ紙(一九八七・六・十三)の一面トップに〝医学校、心霊治療に門戸を開く〟という見出しがあった。イギリスのある医学専門学校が心霊治療家グループに学校内での治療活動を認めたという画期的なニュースである。参考までに大要を紹介しておく。

 「意外な展開の中でミドルセックス医学専門学校が心霊治療家グループに一室を開放して治療活動を許す決定をした。

 またクリーブランドの心霊治療家グループは週一回だけロンドン西部のクリーブランド通りの一室を無料で使用してよいことになった。

 こうした展開の決定的要因となったのは一般開業医連盟と、当医学専門学校講師のコーエン博士の支持があったことである。そのコーエン博士がこう語っている。

 〝私がはじめて心霊治療家グループと接触したのはそのメンバーの一人であるルース・グリーン女史を通してのことでした。私は条件として医学的治療と抵触する行為はいかなるものも行わないことを確認しました〟  

 博士はまた心霊治療家が魔術や空中浮遊のような手品、要するに〝治す〟という信念以外のものは絶対に持ち込まないことを確約させているという。

 〝私が理解したかぎりでは、心霊治療家に私の学校を使用していただくのは理に適っているように思えました。心霊治療はとても大切です。分別と知性を具えた医師の一人として私は、医師は最大限の広い意味での治療を提供すべきだと考えるわけです。多くの患者が心霊治療で助かっているのですから〟

 コーエン博士は心霊治療の本質を理解するために治療家グループのミーティングに出席させてもらっている。


〝そのミーテングに出席して私は非常な感動を覚えました。孤独感に沈んだ人や世の中から見捨てられた思いをしている人たちに何かしら特殊なものを提供していたからです。また身体的に不自由な人たちも確かに治していると確信します〟

 博士もはじめのうちは金儲けが目的ではないかと思っていたという。ところがそこでは治療代を請求していないことが分かり、それがかえって治療を誠心誠意にさせていることを知ったという。

 〝治療家グループの感性の良さと看護ぶりに深い感銘を受けました。ほんとうに人のために尽くしておられ、それで我々も負けずに人のために尽くさねばと決心したわけです。

 正直言って医学校の関係者は当初どうしたものかと迷っておりましたが、心霊治療家にひさしを貸して母屋を取られることがないことを確認した上で、この私が全責任を負うということで踏み切ったわけです〟


 現在までのところ毎週一回水曜日の夕方に治療が行われている。コーエン博士によれば、これまで医師の間から何ら不平不満の声は聞かされていないという。博士は言う。

〝心霊治療を勉強することは医学者にもプラスになるのです。うちの学校がこうした大らかな態度を取ったのは良かったと思っています。いずれ将来は治療の成果について検証がなされるかも知れません。患者を治療前と治療後に診断をすればよいわけです〟

 それについてクリーブランド治療家グループのチーフであるグリーン女史は〝私たちはいかなるテストにもよろこんで応じる用意があります〟と述べ、さらに言う。

 〝ただ私たちは過激なまでに反対している学生には抗議したい気持ちです。彼らの感情的態度が良からぬ雰囲気を生み、治療に悪影響を及ぼすことが考えられるからです。

 別に心霊治療を信じてくれなくてもいいのです。開かれた心をもってくださればいいのです。医学生がテストに参加してくれれば、こんな素晴らしいアイディアはありません。学生に心霊治療の実際を理解していただくチャンスになると思うのです。コーエン博士も学生が見学することを希望していらっしゃいます〟

 現在のところ治療家グループは四人のレギラーで構成されており、すべて英国心霊治療家連盟の会員で、これに時おり他の治療家が参加する程度ということである。

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳



六章 霊能者の責任

《他人(ひと)のためになることをする人は、いつかはきっと他人から有難いと思うことをしてもらうものです。収支決算をしてみると必ず黒字になっております。一身を捧げている霊媒を私たちは決して見捨てるようなことはいたしません。授けられている霊的能力を最大限に発揮できるよう、常に鼓舞し勇気づけております》
                               シルバーバーチ


 英国が生んだ大霊媒の一人で、シルバーバーチの古くからの馴染でもある ヘレン・ヒューズ女史が他界するわずか二、三か月前のことだった。永いあいだ女史と人生を共にし、そして今、他界を目前にしている女史を懸命に介護している女性が、その日の交霊会に招かれていた。その女性に向かってシルバーバーチがこう語りかけた。

 「ヒューズ女史は今ゆっくりと終焉に近づきつつある弱り切った肉体に閉じ込められた偉大なる霊です。もはや施す手だてはほとんどありません。肉体というのは、生長して本来の機能を発揮しはじめた時点から霊への拘束力を強めていくものです。が、女史はその生涯で見事に霊的自我を発揮されました。

 地上に生を受けた目的を立派に果たされました。数え切れないほどの人々の沈んだ心を奪いたたせ、親族を失った人々の涙を拭い、涙と悲しみと苦悩しか見られなかった顔に確信の笑みをもたらしてあげました。

女史はいついかなる時も霊の力を裏切るようなことはしなかったという自信がありますから、これまで歩んできた永い奉仕の道を満足して見つめることがお出来になります。

 女史こそ霊の道具はかくあるべきという最高の規範です。言葉によっても、行為によっても、あるいは心に宿す思念によっても、託された聖なる信頼を裏切るようなことは何一つなさっておりません。

人々に歩むべき道を教え、やれば到達できる水準を示されました。霊の力は、その地上への顕現に協力してくれる献身的で無欲な道具さえあれば、こういうことまで出来るのだということを見事に示されたのです。

 確かに女史は世俗的な意味では裕福ではないかも知れませんが、霊的な意味では裕福そのものであり、倦むことなく続けられた永い奉仕の人生で身につけられた輝かしい宝石類を沢山お持ちです。

それは永遠に輝きを失うことはありません。どうか私をはじめとして、女史の業績を尊敬し感謝している、本日ここにお集まりの皆さんの気持ちをよろしくお伝えください。

 これまでに女史が美事に発揮し実証してきた霊の力は、これからも女史のもとを離れることはありません。休みなく輝き続けることでしょう。女史ご自身もそれを辺りに感じて、いつもその真っ只中にいることを自覚されることでしょう。

女史のような方がもっともっと大勢いてくれれば、私たちの仕事もどんなにかラクになるのですが、残念ながらイエスが言った通り〝招かれる者は多し、されど選ばれる者は少なし〟(マタイ)です」

 同じ日、ともに霊能者である夫妻が招かれていた。英国人と米国人で、今は米国に住んでおられる。その二人にシルバーバーチはこう語った。

 「霊的資質は永いあいだ潜在的状態を続け、魂が十分に培われた時点でようやく発現しはじめるものです。それが基本のパターンなのです。すなわち悲しみや病気、あるいは危機に遭遇し、この物質の世界には何一つ頼れるものはないと悟った時に、はじめて魂が目を覚ますのです。

 何一つ煩わしいことがなく、空は明るく静かに晴れ上がり、すべてがスムーズにそして穏やかに運んでいるような生活の中では、真の自我は見出せません。すばらしい霊的覚醒が訪れるのは、嵐が吹きまくり、雷鳴が轟き、稲妻が光り、雨が容赦なく叩きつけている時です。

 お二人が歩まれた道もラクではありませんでした。しかし、だからこそ良かったのです。困難にグチをこぼしてはいけません。困難は霊の拍車です。霊的知識をたずさえてそれに立ち向かうことです。霊の力は物質の力に勝ります。

問題に遭遇した時はいったん足を止め、霊的知識に照らして判断し、どんなことがあってもお二人が担って生まれてこられた目的から目をそらさないでください。

 お二人はこれまでずいぶん多くの人々のお役に立ってこられましたが、これからもまだまだお役に立たれます。まさに奉仕の道一筋に生きておられます。教会の高位高僧が───まじめな気持からではあっても───行っていることよりはるかに多くの仕事をなさっておられます。

何も知らずに生きている人たちに霊の真理をもたらしておられます。地上に存在している目的を成就する上で力になってあげておられます。霊的本領を発揮する上で力になってあげておられます。霊的知識を普及しておられます。こうしたことはみな神聖な仕事です。そういう仕事を仰せつかったことを誇りに思うべきです。

 人生は難問だらけです。バラの花は少なく、トゲだらけです。しかし、あなた方を導いている力は宇宙を創造したのと同じ力です。無限の威力を秘めております。物わかりの悪い人を相手にしてはいけません。心ない中傷や嫉妬は無視なさることです。まったく下らぬことです。

 本来の責務を全うしていない霊能者のことは気の毒に思ってあげればよろしい。所詮それは当人の責任なのです。あなた方はあなた方なりに精いっぱい責任を果たしておればよろしい。力量以上のものは要求されません。

力のかぎり大霊の道具としての自分を有効に役立てることです。少しでも多くの霊力があなたを通して地上に顕現し、それを必要としている人たちのために力と導きと愛をもたらしてあげられるように努力してください。

 地上には為さねばならないことが沢山あります。今の時代はとくにそうです。邪悪な勢力がのさばっています。利己主義が支配しています。既得権力が崩れ行くわが城を守ることに懸命です。

こうした中であなた方がたった一つの魂でも真の自我に目覚める上で力になってあげれば、それは大へん価値のあることです。ひたすら前向きに進まれることです。

 われわれが手を取り合うことによって、援助を必要とする人々の力になってあげることができます。受け入れる用意のない人に押しつけてはなりません。みずから求めてわれわれの手の届く範囲にまで訪れた人々に気持ちよく手を差しのべましょう。

その人たちなりの自我の覚醒を促す理解力を身につけてくれるように、われわれが力になってあげましょう。かくして霊の力が広がり続けることになります。

 本日お二人が揃ってお出でくださったことを私の方こそ光栄に思っております。と申しますのは、お二人には大へん高級な背後霊団が控え、お二人を道具として使用しているからです。その威力はこれまでの成果で十分に証明されております。

あなた方は霊力の働きの生きた手本です。お選びになられた道を着実に歩んでおられ、その結果として、縁あって訪れる大勢の人たちの力になってあげていらっしゃいます。

 私から改めて申し上げることは何もありません。お手にされた知識に私から付け加えるものはございません。私の世界でも極めて霊格の高い、そして数々の霊的業積を積んで尊敬されている霊団から授かっておられます。が、こうして別の人間の口からお聞きになるのも、それなりの得心を与えてくれるものです。

 同志として、また協力者として、私がお二人に申し上げておきたいことは、お二人ほどの霊的才能をもってしてもなお、お二人を取り巻いている莫大な霊力の実在を感じ取ることはできないということです。その実体のすべてを把握することは不可能なのです。

 あなた方が実証しておられるのは全生命が基盤としている基本的実在です。人間がみずからを、そしてこの世を救うことのできる唯一の道を公開していらっしゃるのです。霊的実在───生命の世界にあって唯一の不変の要素───を実証することができるということです。

 うっかりすると方角を見失いがちな世界にあって、あなた方は物質中心思想という悪性のガンと闘っている霊の大群に所属しておられます。唯物思想は何としても撲滅しなければならない悪性の腫瘍です。これが人類を肉体的にも精神的にも霊的にも病的にしているのです。

 既成宗教にはそれを撲滅する力はありません。なぜなら、そこには霊力というものが存在しないからです。一時的には勢力を伸ばすことはあっても、霊力というものを持ち合わせません。大霊からの遺産としての霊的資質がもつ影響力に欠けております。

 その点あなた方は喪の悲しみの中にある人には死が有難い解放者であること、魂に自由をもたらすものであり、いずれはその人と再会できるという事実を立証してあげることができます。愛さえあればその真実性を実証してみせることが出来ます。それは今の教会にはできません。

 また医者のすべてが〝不治〟 の宣告を下した患者にも、あなた方はなお希望をもたらすことができます。心霊治療によって、全てではないにしても、健康を回復してあげることができます。たとえ全治はできなくても、痛みを和らげ、快方へ向かわせ、活力を与えることが出来ます。

万一それも不可能となり死を待つばかりという場合でも、その死に際して魂を肉体から安らかに離れるようにしてあげることが出来ます。それも心霊治療家の大切な仕事です。

 幻影ばかりを追いかけている世界において、あなた方は真理の存在場所を教えてあげることが出来ます。口で説かれることを実地に証明してみせることが出来ます。それは誰にでもは出来ないことです。偉大な仕事です。神聖な仕事です。霊による仕事です。大変な奉仕の仕事です。

 時にはうんざりさせられることもあるに違いありません。この物質界にあって霊の僕として働くことは容易なことではありません。強い味方と思っていた人が、愚かで強情な見栄から、敵にまわってしまうこともあります。

そういう人は気の毒に思ってやらねばなりません。せっかく光を見ていながら暗闇の道を選べば、その人はそれ相当の責任を取らされることになるのですから。

 お二人は霊の使節なのです。神の特使なのです。地上のいかなるものにも勝る力の代理人です。そして、それ故に又、お二人の責任も大きいということになります。

 私から申し上げることは、これまで通り突き進みなさい、ということだけです。ラクではないでしょう。が、進化しつつある魂はラクを求めないものです。挑戦を求めるものです。それが内在する力を表面に引き出し、それだけ霊的に強力となっていきます。苦難は必ずそれだけの甲斐があるものです。なさねばならないことが沢山あります。

手を差しのべてあげなければならない魂が大勢います。道を見失っている人が沢山います。そしてそういう人たちはお二人のような霊的真理に目覚めた方にしか救えないのです。

 これからも失敗はあるでしょう。何度もしくじることでしょう。だからこそ地上に生まれてきたのです。もしも学ぶことがなければ、この地上にはいらっしゃらないでしょう。地上は子供が勉強に来る学校なのです。完全な霊だったら物質に宿る必要はないでしょう。

 お二人が住んでおられる巨大な大陸(米国)では、宇宙の大霊である神よりも富の神であるマモンの方が崇拝の対象として大いにもてはやされています。だからこそお二人にはいろいろとしなければならないことがあるわけです。

どこで仕事をなさっても、必ずそこに霊の勢力が待機し、霊の光が輝いています。縁あってお二人のもとに連れてこられる魂の力となってあげることになります」


 会の終了後その感激をご主人が次のような文章に託された。

《予想していた通り、シルバーバーチ霊は深遠な叡智と大へんな謙虚さを感じさせた。語られたことは私たち夫婦にとって、いちいち身にしみて理解できることばかりだったが、私にはその裏側にもっと多くを語る実在感が感じられた。

見ていると、霊媒のバーバネル氏の存在は完全に消えてしまって、シルバーバーチ霊が支配しきっているという感じがした。この道の仕事は確かにうんざりさせられることがありがちである。シルバーバーチ霊は目的への信念を回復させる手段を提供してくれた》

 その日はもう一人、有名な霊媒で心霊治療家としても活躍している人(名前は公表されていない───訳者)のお嬢さんが招待されていた。親の仕事ぶりを見て自分も独自のスピリチュアリストチャーチを設立したいという願望を抱いている。そのことを念頭においてシルバーバーチがこう語った。

 「本日はあなたが最後になってしまったことをまず赦していただかねばなりません。でも〝後なる者が先になるべし〟(マタイ)という名言を述べた先人もいます。あなたを後まわしにしたのは決して礼を失したわけではありません。このほうが私の仕事ぶり、通信の仕方をよく見ていただくことになって勉強になると考えたのです。

 それはそれとして、本日こうして初めてお会いしてみて、あなたが少しも〝場違い〟の感じがしないのは、あなたが幸いにしてすでにこの道の初歩的教育を受けておられるからです。他の人たちにとって不思議で信じられないことが、あなたにとっては至って自然に思われるのです。

と言って、あなたもそれをそう簡単に信じたわけではありません。独立心に富むしっかりした魂はラクを求めないものです。あなたはあなたなりの道を切り開かねばなりませんでした。独自の道をたどり、自分の理性の命ずるところに従うには、それなりの独立心というものを発揮しなければなりませんでした。

 あなたも非常に恵まれたお方です。背後には私と親しい間柄にある偉大な霊が控えていて、あなたはその霊から多くの叡智をさずかっておられます。自覚なさっておられる以上に援助を受けておられます。

なのに尚あなたは現状にいらだちを覚え、ご自分の活動の場を設立したいという願望に燃えていらっしゃる。しかし今はまだその時期ではありません。あなたにはまだドアは開れておりません。が、いずれ開かれる時が来ます。

 ここにお出の皆さんはすでにご存じのことですが、あなたにも、ひとつ、人生の秘訣をお教えしましょう。

 ドアをノックしても開けてくれない時は無理してこじ開けようとしてはいけません。軽く押してみるのです。それでもし開いたら、あなたの進むべき道がそこにあるということです。閉め切られた道は通れません。絶対に開かないドアを叩き続けて無駄な時間と労力を浪費している人間が多すぎます。

 あなたは霊の力がどういう具合に働くかをすでにご存知です。あなたに必要なものが十分に用意されれば、あとはドアをそっと押してみるだけでよくなります。それまではどこにいても人のためになることを心掛けることです。手を差しのべるべき人はどこにでもいます。

けっして大げさな催しをする必要はないのです。悲しみの中にある人にやさしい言葉を掛けてあげるだけでもよろしい。沈んだ人に肩にそっと手を掛けて力づけてあげるだけでもよろしい。病の人に早く治りますようにと祈りの気持ちを送ってあげるだけでもよろしい。むろん実際に治療してあげるに越したことはありません。

 そうしたことがそれまで近づけずにいた霊の力とのつながりをもたせることになるのです。あなたがその触媒となるのです。その結果、あなたの行為が影響力の行使範囲をわずかでも広げたことになります。

 あなたの前途にはいろいろなことが用意されております。ですから、一日一日をすばらしい霊的冒険へのプレリュード(序曲・前ぶれ)として迎えることです。将来、きっとあなたは、与えられていく絶好期に欣喜雀躍なさることでしょう」


 S・A・G・B (the Spiritualist Association of Great Britain スピリチュアリストの総合施設で、十数名の霊能者が常駐し、各種の催しや人生相談にのっている。図書館や食堂も完備している───訳者) の事務長のロシター氏 Ralph Rossiter が奥さん同伴で招待された時のシルバーバーチの霊言も、ここで紹介しておくのが適切のようである。ロシター氏は度重なる病気と闘いながら霊的真理の普及に献身しておられる。

 「あなたや奥さんのような方が私との対話を希望してくださることは私にとって大きな喜びの源泉です。お二人は知識も経験も豊富でいらっしゃるので、私から改めて申し上げることはほとんどありません。

ただ、時には別の通路をへて届けられる言葉に耳を傾けるのも、お二人がご自分で思っていらっしゃるよりはるかに霊の力が身近かな存在であることを確認し自覚なさる上で助けになりましょう。

 日夜スピリチュアリズムの普及のために働いておられる方は、霊的真理があまりに身近かな存在であるために〝木を見て森を見ず〟の弊害に陥ることがあります。時には一服して、自分がどういう位置にあるかを確かめるのも良いことです。残念ながら地上には成果を記録する装置がありませんから、自分たちの努力によってどういうことが成就されつつあるかを正確に推し測ることが出来ないのです。

 あなたの協会には大勢の人が訪れ、そして帰って行きます。ある者は病気が癒えて、ある者は元気づけられて、ある者は啓発されて、逆にある者はがっかりして、ある者は何の反応もなしに帰って行きます。魂にその準備ができていなかったのですから止むを得ません。が、

そうしたことが絶え間なく繰り返されると、つい肝心な基本、すなわち魂に訴えるという目的を忘れてしまいがちです。大切なのは魂の内部に宿る神の火花を燃え立たせ、真の自我に目覚めさせることです。

 地上の悲劇は、霊的真理にまったく無知な人間が無数にいるというところにあります。みずから信心深いと思い込み、せっせと礼拝の場へ通っている人でも、霊的実在と何の関わりも持っていない人が大勢います。

と言うことは、真の豊かさと美しさ、物質という次元を超えた生き方がもたらしてくれる歓喜というものに、まったく無縁ということになります。

 そういう人たちは地上生活の目的が分かっておりません。地上を去るまでにしておかねばならないことについて何の予備知識も持ち合わせません。人生の価値観が間違っておりますから、優先させるものが間違っております。

視野のピントがずれております。物事の判断基準が狂っております。生活は不毛で味気なく、自我の開発などとうてい覚束なく、生きる目的というものがありません。いつも迷路の中に生きており、出口が見出せずにいます。

 あなた方の仕事はそうした地上界にあって一つの灯台となることです。ぐるぐると絶え間なく光線を放射し、それが闇を貫き、受け入れる用意のできた人に真理の在りかを教えてあげるのです。

いつも申し上げていることですが、地上生活の終点に来た時に、たった一人の魂にでも真の自我を見出させてあげることができていたら、それでその人生は十分に生き甲斐があったことになります。

 これまで、たった一人どころでなく数え切れない人々が、あなた方のおかげで生命の秘密を発見し、人生を十分に楽しみ、恐れることなく死後の生活に備えることが出来ていることを思えば、本当にしあわせな方であると言えます。

 叶えられることなら、あなたや同僚の方、それに、さんざん悪しざまに言われている霊媒が行っている仕事の偉大さが実感としてお解りいただければいいのですが・・・・・。あらゆる困難、さまざまな問題、幾多の辛苦、それに費用の問題を抱えながらも、あなたはよくぞそれらを切り抜けてこられました。これからもきっとやり抜かれることでしょう。 

 莫大な霊力と、それを使用して活動している大勢の進化せる霊の存在を知りさえすれば、それが得心していただけます。地上で為し得る最も偉大な仕事なのです。容易でないことは私もよく承知しております。しかし、何事も価値あるものは困難がつきものなのです。

 悲しいかな、数だけは沢山ある現代の教会にも、それはなし得ません。魂に感動を与えることはできません。内部の神性にカツを入れることはできません。が、神の使者には、たった一人でもそれができます。

生まれつき霊的能力を授かっているからです。霊覚を持ち合わせない宗教家は、ありきたりの説教と信条の繰り返しに頼るしかなく、便宜主義へと堕落します。霊的淵源からのインスピレーションとも啓示とも無縁なのです。

 肝心なことは、魂が真の自我を見出し全存在の源に触れることです。神が遠く離れた近づき難い存在ではなく自分の内部にあること、したがって困難や危機に遭遇した時に使用できる霊的な武器、力、貯え、潜在力がちゃんと備わっていることを知るべきです。

 それだけではありません。内部の莫大な潜在力とは別に、外部の無限の霊力の恩恵を受けることもできるのです。進化の階段を一つ一つ昇りながら、その一段ごとにその霊格に似合った霊が待機して援助の手を差しのべてくれるのです。これは大切な事実です。

 これまであなたがたがたどって来られた人生はラクではありませんでした。これからも決してラクではないでしょう。もしも私がラクな人生をお約束したら、それはウソを言うことになります。が、あなたはこの仕事をするために生まれて来られたのです。

支払わねばならない負債を背負って来られたのです。その栄光ある仕事の松明が今あなたに手渡されています。何としてもその明かりを灯し続けて、後を引き継ぐ人に手渡す時には一段と輝きを増しているようにして下さい」


 シルバーバーチの祈りから。

《内部に宿るあなたの霊こそ、私たちが何とかして発揮させてあげたいと願っているものでございます。それを発揮することによって初めて人間は神性をもつ存在としての限りない美質、豊かさ、光輝、威厳、壮大さ、気高さを真にわがものとすることが出来るのでございます。

 そうした資質を自覚することによって人間は自我意識を高め、自分を物的なものに縛りつけている拘束物の幾つかを切断し、未開発の精神と霊の豊かな遺産を手にすることが出来るのでございます。

かくしてインスピレーションと叡智と啓示と真理への窓を開くことになります。それらは高き世界からの恩寵としてこれまでも脈々と流れているのであり、人間の受容力に応じて受け入れられているものでございます。

 その流れは常に壮大にして崇高なる霊力を伴っております。霊力こそ生命の源泉であり、強力にして生命力にあふれ、病の人には健康を、衰弱せる人には元気を、迷える人には導きを、そして今なお暗闇の中にいる人には光明をもたらすのでございます》
 

シルバーバーチの霊訓(九)

Philosophy of Silver Birch
by Stella Storm
近藤千雄訳


五章 死別の教訓

《肉親の死に遭遇した時、あの顔、あの姿がもう二度と見られなくなったことを悲しむのならまだしも、死んでいった当人の身の上を悲しむのであれば、それは止めなくてはいけません。

 人生は霊的価値を基盤として考えないといけません。その価値があなたの行為の一つ一つの輝ける指標として、日々の生活の中で発揮されなくてはいけません。スピリチュアリストを自任している方々は、スピリチュアリズムを死という不幸に遭遇した時だけ持ち出して、それ以外の時はどこかに仕舞い込んでおくようなことでは困ります》
                シルバーバーチ  


 その日の交霊会には奥さんを失った男性、二人の子供を失った両親、それにジャーナリストとして有名だったロレンス・イースターブルック氏の奥さんが息子さんといっしょに出席していた。死別の不幸を味わったこの三組の招待客に対してシルバーバーチが次のように語りかけた。

 まず奥さんを失った男性に対して───

 「これまでずいぶん過酷な道を歩んで来られましたが、あなたはこれ以上為すべきことはないというところまで、よく頑張られました。考えうるかぎりのことをおやりになりました。いかに愛しているとはいえ、その人の身体がもはや霊を引き止めておけない状態になってしまえば、それ以上生き永らえてくれることを望むのは酷というものです。

地上の人生にはいつかは別れる時がまいります。頑健な方が居残り、弱った者は先に行った方がよいのです。

 あなたには有難く思うべきことが山ほどあります。大きな危機に、無知のままではなく正しい知識をたずさえて臨むことができました。もしも霊についての知識がなかったら、あなたの人生は今よりどれほど大変なものとなっていたことでしょう。

その意味であなたは貴重な人生のおまけを体験なさったと言えます。そのことをあなたは感謝しなくてはいけません。が、霊を引き止めておけなくなった身体から奥さんが去って行くのは、もはやどうしようもありませんでした。

 あの時の奥さんの心境は複雑でした。もう死んでしまいたいと思ったこともあれば、何とかして生き延びたいと思ったこともありました。が、生き延びたいと思ったのはあなたの立場を思ってのことでして、ご自分の立場からではありませんでした。奥さんにはもう何の苦痛もありません。

老いも病気も衰弱も、そのほか人生の盛りを過ぎた者にかならず訪れる肉体の宿命に苦しむことはなくなりました。肉体が衰弱するほど霊は強くなるものです。

 あなたが楽しくしていれば奥さんも楽しい気分になります。あなたが塞ぎ込めば奥さんも塞ぎ込みます。一人ぼっちになられたのは身体上だけの話であり、霊的には少しも一人ぼっちではありません。奥さんは決して遠くへ離れてはいません。今でもあなたを夫と思い、あなたの住む家を我が家と思っていらっしゃいます。

 あなたは信仰心をお持ちです。ただの信仰心ではなく、あなたに証された〝事実〟を根拠とした現実味のある信仰心です。それが、間違いなく訪れる不幸に備えるために、受け入れ態勢の整った時点でもたらされました。それをあなたの人生の全ての基盤となさってください。

あなたはこれからまだまだこの地上で得るものが沢山あります。あなたの人生はまだ終末に来てはいません。他人のために為すべきことがあり、開発すべき資質があり、成就すべき目的があります。

 神は完全なる公正です。自然の摂理を通して因果応報がきちんと行われております。収支は常に完全なバランスを保っております。あなたは忘れ去られることも見落とされることも無視されることもありません。

あなたを導き、援助し、慈しんでくれる愛があります。それを頼みの綱となさることです。それが、いついかなる事態にあっても不動の信念を維持させてくれることでしょう」


 次に子供を失った夫婦に対して───

 「あなた方お二人が、縁あって訪れてくる人たちにいろいろとお役に立っておられる様子を見て、お子さんはとても誇りに思っておられますよ。大切なのは受け入れる用意のできた土壌に蒔かれるタネです。

あなた方が受け入れられたタネはいま見事な花を咲かせております。お子さんは、お二人の人生に衝撃的な影響を及ぼした霊的真理を自然に受け入れて行かれるのをご覧になって、とてもよろこんでいらっしゃいます。

お二人はその大きな真理を我が子の死という大きな悲しみを通して見出さねばなりませんでした。それはまさしく試金石でした。途方に暮れて、力になってくれるものが誰一人、何一つないかに思えた時に、真の自分を見出させてくれることになった触媒でした。

 魂というものは、その奥底まで揺さぶられ、しかも物的なものでは一縷の望みさえつなげない状態下においてのみ目覚めるものであるというのが、基本的な霊的真理なのです。つまり物質界には頼れるものは何一つないとの悟りで芽生えた時に魂が甦り、顕現しはじめるのです。

 現在のお二人の生活も決して楽ではありません。これまでも楽だったことは一度もありません。が、日常の問題にもちゃんとした摂理があります。それは、人のために自分を役立てる者は決して生活に不自由はしないということです。

基本的に必要とするものは必ず与えられるということです。その際に大切なことは、それまでの体験によって得たものを、日常の生活の中で精いっぱい生かしていくことです。そうすることの中で、神とのつながりを強化して行くことになるからです。そのつながりが強くなればなるほど、援助と力とが流れ込む通路が内面的に奥深くなって行くのです。

真理を理解した人間は沈着、冷静、覚悟が身についております。恐れるということがありません。不安の念の侵入を受けつけず、無知と迷信と悩みが生み出す暗黒を打ち消します。自分に生命を与えてくれた力、宇宙を支配している力、呼吸し活動するところのものに必需品を供給する力は絶対に裏切らないとの信念があるからです。

 大切なのは、ご自分の方から神を裏切らないことです。これまでに得たもの、いま受けつつあるもの、そしてそれから生まれる叡智のおかげでせっかく宿すようになった信頼を裏切るような行為をなさらないように心掛けることです。

 霊的真理にしがみつくことです。これまでに自分たちに啓示されたものを信じて物事に動じないことです。一つ一つの問題に正面から取り組み、精いっぱい努力し、済んだことは忘れることです。援助は必ず与えられます。

なぜなら、お二人を愛する人たち、地上にいた時より一段と親密度を増している人たちが、お二人が難題を切り抜けるように取り計らってくれるからです」


 続いてイースターブルック氏の奥さんに対して───

 「今ここにご主人が来ておられますよ。あなたと息子さんのことをとても誇りに思っていらっしゃいます。試練の時を立派に乗り切られたからです。こうして陰から守り導くことができることをご主人が証明してみせたからには、これからもずっと見守っているものと確信してほしいと希望しておられます。

明日のことを思い煩ってはいけません。心配の念を心に宿してはいけません。地上世界には何一つ怖いものはありません。

 ご主人はいつもあなたのお側にいます(〝解説〟参照)。愛のあるところには必ずご主人がいると思ってよろしい。あなたの心、あなたの家庭からいっときも離れることはありません。物質的には離れてしまいましたが、霊的にはいつもいっしょです。霊的につながっている者はけっして別れることはありません。

そうした霊的次元の愛を知り、理解力を身につけ、そしてお互いに足らざるところを補い合う関係───半分ずつが合わさって統一体を構成する関係、魂の結婚という、地上で滅多に見かけられない真実の霊的関係を成就されたあなた方は、本当におしあわせです。

 あなたはご主人のことを誇りに思うべきです。その啓蒙の光は在世中にもしばしば異彩を放っていた偉大なる霊です。彼ほどに人の心の琴線にふれ、高邁(こうまい)なものに手の届く人はそう多くはいません。

 お二人に対する愛は少しも変わっておりません。その愛が鋼鉄の帯のようにお二人を取り囲んでおります。これからも常にお側におられます。お二人を守り、導き、支えとなり、慈しんでくれることでしょう。あなた方が手にされたこうした知識が他の無数の人々も手にできるようになれば、地上はどんなにか変わることでしょう。

 ですから、毎朝を無限の可能性に満ちた新しい霊的冒険の始まりとして、又、あなたの霊的な輝きと資質を増す機会の到来として、歓喜をもって迎えるのです。毎朝が、霊的成長を促し内部の神性を発達させ全生命の始源へ近づけてくれる好機(チャンス)をもたらしてくれるのです」

(訳者注───次に掲げる霊言は誰に向って述べられたものかが明記されておらず、内容からもその手掛かりが得られないので、一般的なものとして訳出しておく)

 「一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。それを因果律というのです。過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする───霊的法則がそうなっているのです。

 地上世界には不正、不公平、不平等がよく見られます。不完全な世界である以上、それはやむを得ないことです。しかし霊的法則は完全です。絶対に片手落ちということがありません。

一つの原因があれば、数学的正確さをもってそれ相応の結果が生じます。原因と結果とを切り離すことはできません。結果は原因が生み出すものであり、その結果がまた原因となって次の結果を生み出していきます。

 その関係が終わりもなく続くのです。もしもその因果関係が人為的に変えられ、利己主義者が博愛主義者と同じように霊的に成長することが可能であるとしたら、それは神の公正を根底から愚弄することになります。自分が蒔いたタネは自分で刈り取る───そうあらねばならないのです。

 あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。その行為の結果を自分が引き受けるのです。これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。

そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです。

 過ちも失敗もあなたが不完全であることから生じます。しかし、転んでも起き上がることができます。取り返しのつかない過ちというものはありません。新しい希望と新しい可能性を秘めた新しい一日、新しい夜明けが必ず訪れます。

 うちの宗教の教えを信ずれば罪も赦されるかに説いている宗教がいくつかあるようですが、そういうことは有り得ません。罪をあがなうのはその罪を犯した当人のみです。〝神聖〟とされる文句や言葉をいくら繰り返しとなえても、原因から生じる結果を赦免したり消去したりすることはできません。

 ですから、いくら愛しい人であっても、その人の行為にあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人みずから学び、学ぶことによって成長し進化していくのです。それが生命の法則なのです。生命は静止することがありません。絶えず向上を目指して動いております。動くということが永遠の進化のための一つの要素なのです。

完全へ向けての向上に終止符(ピリオド)を打つことはできません。無限の時をかけて完全へ近づくことの連続であり、これでおしまいということがないのです。完全性の達成は無限の過程です。完全なのは大霊のみです。

 思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生み出し、それがあなたを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態になると霊の力も突き通せなくなります」

《われわれは、顕と幽の区別なくいずこに存在しようと、神を父とし、一人ひとりがその子供という関係において一つの広大な霊的家族を構成しております。神性の絆がわれわれのすべてをつなぎ、一体としております。

その意味で私たちは、こうして顕と幽の二つの世界の間に横たわる障害の多くを克服してきたことを、この上ない恩恵として感謝しております。そのおかげで地上世界へ影響力を行使できる聖なる霊が次々と輩出しております》
                             シルバーバーチ
                                                                               

Thursday, October 29, 2026

アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)



10章 生命の四つの形態

このページの目次
〈鉱物と植物〉


――自然界の生命を鉱物と植物と動物、それに人類の四つに分ける説と、有機的生命と無機的生命の二つに分類する説とがありますが、どちらがよろしいでしょうか。


「どちらでも結構です。どちらにするかは観点の違いでしょう。物質に観点を置けば有機物と無機物の二つだけになります。生命に観点を置けば四つになることは明らかです」


――植物にも存在の意識があるのでしょうか。


「ありません。思考作用はありません。有機的生命活動のみです」


――感覚はあるのでしょうか。むしり取られたら痛みを感じるのでしょうか。


「植物は物的に反応する感覚はありますが、知覚はありません。従って痛みは感じません」


――オジギソウのように素早く反応する草や食虫植物のようにワナを仕掛ける植物には思考力があるのではないでしょうか。この種のものは植物と動物の中間に位置していて、次の段階へ変移しかかっているのではないでしょうか。


「自然界の全てのものが変移しています。種(しゅ)が全て異なり、それでいて全てがつながっているという事実がそれを物語っています。植物には思考力はありません。従って意志もありません。カキやイソギンチャクのような海中動物も意志があるかのような反応を示しますが、思考力はありません。自然の本能だけです」


――植物には自分に役立つものを摂取し害になるものは避けるという本能があるのではないでしょうか。


「それを本能と呼びたければそう呼ばれて結構です。本能という用語をどこまで拡大解釈するかによって違ってきますが、あれは純粋に機械的なものです。ご存じのように化学物質の中には簡単に結合するものがあります。親和性があるからですが、それを本能とお呼びになりますか」


――上層界へ行けば植物も完全に近づくのでしょうか。


「上層界では何もかもが完全に近づくことは事実です。が、動物があくまでも動物であり、人間があくまでも人間であるように、植物はあくまでも植物です」
〈動物と人間〉


――動物は本能だけで行動していると言えるでしょうか。


「大半の動物において本能が圧倒的に支配していることは事実です。ですが、動物が頑とした意志で行動するのを見かけませんか。あれは知性が働いている証拠です。しかし極めて限られています」


――動物にも言語があるのでしょうか。


「“言語”の意味が単語や音節でできたものということでしたら、そういうものはありません。が、仲間どうしでのコミュニケーションという意味でしたら、それはあります。あなた方が想像する以上に言語を発しています。が、その内容は身体上の欲求に限られています」


――動物にはその行為に関して自由意志がありますか。


「あなた方が想像するほど機械的ではなく自由意志の要素もありますが、それは身体的な欲求に限られており、人間の自由意志と比較することはできません」


――ある程度の行動の自由があるということは知性があるということになりますが、そうなると物質から独立した生命素があるのでしょうか。


「その通りです。それが死後に残るわけです」


――その生命素は人間の魂と同じものですか。


「“魂”をどう定義づけるかによって違ってきますが、そう呼ばれても結構です。ただし人間の魂よりは下等です。人間の魂と動物の魂の違いは、人間の魂と神との差ほどの大きな違いがあります」


――動物の魂は死後にも個性と自我意識を維持していますか。


「個性は維持していますが、自我意識はありません。知的生命は潜在の状態にあります」


――動物の魂が死後にも存在するとなると、人間の魂と同じようにさすらいの状態があるのでしょうか。


「身体につながっていないために一種のさすらいの状態にあると言えますが、“さすらいの霊”とは意味が違います。さすらいの霊は自由意志で考え行動します。動物にはその能力はありません。霊の基本的属性は“自我意識”だからです。動物には自我意識はなく、死後その魂はその道の担当の霊によって種ごとに分類され、すぐさま活用されます」


訳注――最後の“活用され”るのは何の目的に活用されるのかが言及されていない。そこが知りたいところであるが、他の霊界通信によると、種ごとの類魂に吸収され、類魂全体としての進化に寄与するという。


――動物にもある程度の知性があるとおっしゃいましたが、それはどこから摂り入れるのでしょうか。


「宇宙の普遍的要素からです」


――すると、人間の知性も動物の知性も同じ始源から発しているのでしょうか。


「もちろんです。ただ違うのは、人間の知性はそれに磨きがかけられて進化しているということです」


――そうなると魂は下等な段階の創造物の知的要素だった時期もあることになりそうですが……。


「自然界は全てがつながっていて一体化へ向かっていると申し上げたことがあったはずですが……あなた方には全てを知ることは不可能ですが、その下等な段階の創造物の知的要素に磨きがかけられ、少しずつ個別化され、発芽現象に似た一種の準備段階をへて形質変換が行われ、ようやく“霊”となったのです。各霊が未来時制の感覚と善悪の判断力、そして自己の行為に対する責任意識をもって生きることを始めたのはその時からです。人間が、誕生後、幼児期から青年期、成人期、そして老成期へと変化するのと同じです」


――人間の身体に宿ったことのある霊が動物の身体に宿ることがありますか。


「ありません。そのような再生は退化を意味します。霊は決して退化しません。川の水が水源に逆戻りすることはありません」(第二部・一章〈霊の進化〉の項参照)