Saturday, October 24, 2026

アラン・カルデック(編)

The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」

近藤千雄(訳)





3章 霊界への帰還

このページの目次
〈死後の魂〉


――死の瞬間、魂はどうなるのでしょうか。


「再び霊に戻ります。つまり霊の世界へ帰るわけです。ホンの少しの間だけ留守にしていたのです」


――その魂は死後も個性をそなえているのでしょうか。


「もちろんです。個性は決して失われません。もし個性を失ったら魂はどうなりますか」


――物的身体がないのに、なぜ個的存在としての意識が残っているのでしょうか。


「その霊特有の流動体(※霊体)が残っています。その天体の大気中から摂取したものです。それに、それまでの物的生活での魂の特徴が全て刻み込まれています。あなたのおっしゃるペリスピリットです」


――魂はそれ以外には地上生活から何も持っていかないのですか。


「地上生活の記憶と、より良い世界への憧れのみです。その記憶には地上生活をどう生きたかによって、楽しさか辛さのどちらかがいっぱい詰まっています」


――魂は、死後、普遍的な魂の集合体の中に戻っていくという説はどう理解すればよいでしょうか。


「個々の霊が集まって全体を構成するわけですから、集合体に戻ると表現してもよいのではないでしょうか。あなたも集合体に戻ればその不可欠の一部となるわけです。ただ、個性は維持しています」


――死後の個性存続の証拠はどうすれば得られるのでしょうか。


「今こうして交信している事実が何よりの証拠ではないでしょうか。あなたにもし霊視力があれば霊の姿が見えるはずです。霊聴力があれば霊の声が聞こえるはずです。一日のうち何度もあなたと別個の人格があなたに話しかけているのですよ」


――永遠の生命というものをどう理解すべきでしょうか。


「永遠なるものは霊の生命だけです。肉体は束の間の儚(はかない)い存在です。肉体が死滅することによって魂は再び永遠の生命に戻るわけです」


――私が思うに、永遠の生命という用語は浄化しきった霊、つまり相対的な意味での完全の段階にまで到達して、もはや苦難による試練を必要としなくなった霊に当てはめるべきではないでしょうか。


「その段階の生命はむしろ“永遠の至福”の境涯と呼ぶ方が良いでしょう。ですがそれはあくまでも用語の問題です。あなた方の間で意味の解釈で合意ができていれば、何と呼ばれても結構です」
〈魂と肉体の分離〉


――魂が肉体から分離する時は苦痛を伴いますか。


「苦痛はありません。死の瞬間よりも、むしろ死に至るまでの人生の方が遥かに苦痛を伴います。死に際して魂自身は肉体に生じている変化を意識しないものです。それどころか、言うなれば“国外追放の刑期”を終える時がいよいよ近づいたことを自覚して、魂自身は嬉しさでわくわくしていることがよくあります」


――分離の現象はどのようにして行われるのでしょうか。


「魂をつなぎ止めていた絆(玉の緒(シルバーコード))が切れ、肉体から離れて行きます」


訳注――ここに掲げた写真はカルデックが一八五〇年に創刊した『心霊評論』La Review Spirite紙上で紹介されたもので、それが訳者が購読中だった米国の心霊月刊誌CHIMES(チャイムズ)に掲載された(現在は廃刊)。解説文によるとフランス北東部のアルザスに住む老婦人が他界して納棺される直前に、娘が写真を撮りたいと言うので、弔問に訪れていた高等学校の校長が代わりに撮ってあげた。十二枚のフィルムのうち四枚だけ残っていたので四枚撮った。最初の一枚は露光は一秒だったが、部屋の明かりが弱すぎるので、二枚目は十二秒、三枚目は十五秒、四枚目は二十秒にした。焼き付けてみると一枚目は老婦人の普通の写真が写っていたが、残り三枚には見事なシルバーコードの映像が写っていた。玉の緒(通夜における写真)
(露光12秒)(露光15秒)(露光20秒)


――それは突然、そして一瞬の間に行われるのでしょうか。生と死とを分ける明確な線があるのでしょうか。


「いえ、魂は少しずつ分離します。カゴが開けられて小鳥がぱっと飛んで出て行くような調子で、霊が肉体から急に去って行くのではありません。生と死との境を行ったり来たりしながら、霊は少しずつ肉体との絆を緩めていきます。一気に切断するのではありません」


――有機体としての生命が停止するより先に霊と肉体とが完全に分離することも有り得ますか。


「肉体の断末魔が始まる前に霊が去っているということが時おりあります。断末魔は有機体としての生命の終末の反応にすぎません。本人にはもはや意識はないのですが、わずかながら生命力が残っています。しょせん肉体は心臓の働きによって動く機械です。血液が巡っているから生き続けているだけで、魂はもう存在する必要はありません」


――死の現象の最中に霊がこれから帰って行く霊の世界を垣間見ることはありますか。


「霊は、肉体につなぎ止められてきた絆が緩んでいくのを感じると、その分離現象を促進して一刻も早く完了させようとするものです。その際、すでに物的束縛から幾分か脱していますから、これから入って行く霊的世界が眼前に広がり、それを楽しく眺めていることがあります」


――いよいよ分離して霊界での意識を取り戻した時の感じはどんなものでしょうか。


「各自の事情によって異なります。悪いことばかりしてきた者は、その悪事の場面を見せつけられて恥じ入るでしょうし、善行に励んできた者は肩の荷を下ろしたような、晴れやかな気分がすることでしょう。どんなに厳しい目で見られても恥じ入るところは何一つ無いのですから」


――地上時代の知り合いで先に他界した人たちと再会できるでしょうか。


「できます。ただ、愛情関係の度合いによって直ぐに会える人と、なかなか会えない人とがいます。霊界への帰還を察知して出迎えてくれ、物質との絆を解くのを手伝ってくれる人もいます。前世で知り合いだったのに、あなたが地上へ行ってしまったのでその間会えなかった人が出迎えてくれることもあります。霊界に帰りながら今なお迷っている者にも会えますし、地上に残した者のところへ行ってみることもあります」
〈死後の意識の混乱〉


――事故死のように、老齢や病気による衰弱が伴わない死の場合、魂の分離は肉体的生命の死と同時に発生するのでしょうか。


「大体においてそうです。そうでないケースも無きにしもあらずですが、いずれにしても肉体の死から魂の分離までの時間はそう長くはありません」


――例えば斬首された場合、意識はそのまま残っているのでしょうか。


「少しの間残っているケースがしばしばあります。が、それよりも、死の恐怖のために刑の執行直前に意識を失っているケースがよくあります」


編者注――ここでいう“意識”は肉体器官を通じての意識のことである。その意識の途絶えは必ずしも肉体からの魂の分離を意味しない。肉体が元気なうちの突然の死においてはペリスピリットがしっかりしているために、魂の分離に時間が掛かるようである。


――肉体から分離した魂は直ちに霊としての自我意識を持つのでしょうか。


「直ちにではありません。しばらくの間意識が混乱し、感覚が鈍い状態が続きます」


――それはどんな霊でも同じですか。


「いえ、霊性の発達程度によって違います。霊的浄化がある一定レベルまで達している霊は、すでに地上生活中に物的束縛から脱していますから、直ちに意識を取り戻します。一方、物的波動にどっぷりと浸っていた者や道義心が鈍い者は、いつまでも物的波動から抜け出られません」


――霊的真理を知っているということは死後の目覚めに影響がありますか。


「大いにあります。これから置かれる自分の新しい環境についてあらかじめ理解ができていることになるからです。しかし、やはり何よりも大切なのは実直な日常生活と道義への忠実さです」

アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)


 

第2部 霊の世界

2章 霊の物質界への降誕

このページの目次
〈降誕の目的〉


――霊が物質界へ誕生してくる目的は何でしょうか。


「それは、完全性を成就するための手段として神が課した必要性の一つです。ある者にとっては罪の償いであり、ある者にとっては使命である場合もあります。完全性を成就するためには物的身体に宿ってのありとあらゆる体験を重ねる必要があります。個霊としての存在価値を発揮させるのは、浄化のための辛苦の体験です。

降誕にはもう一つの目的があります。すなわち造化の仕事に携わるに相応しい力を付けることです。その目的をもって、派遣された天体の物的環境に調和した物的身体を授かります。それを手段として、神によって割り当てられた各自の仕事を成就することができます。かくして一方で各自の霊性を磨きつつ、その世界の福祉のための役割をも果たすようになっているのです」


――個霊としての存在を得た当初から摂理にかなった道を歩んできた者にとっても必須なのでしょうか。


「全ての霊は無垢と無知の状態で創造されています。そして物的生活における苦闘と辛苦から教訓を得るために物質界へ降誕するのです。公正なる神は、ある者だけに苦難も努力も必要としないラクな人生を与えるようなことはしません。そんな人生では結局は何の価値もありません」


――もしそうだとすると、摂理にかなった道を歩んでも物的生活の困苦から免れないことになり、一体何のために正しい道を歩むのかという疑問が生じます。


「そういう霊は他の霊よりも速やかにゴールに到達するということです。そして、それとは別に、人生の苦労は、得てして霊としての不完全さの結果である場合が多いのです。ですから、そういう欠陥が少ないほど苦労も少ないことになります。妬むことも羨むことも知らず、貪欲も野心もない人は、そういう欠点をもつ者が遭遇する苦悶を味わう必要はありません」
〈魂〉


――魂(ソウル)とは何でしょうか。


「物的身体に宿っている霊(スピリット)のことです」


――物的身体に宿る前の魂は何だったのでしょうか。


「霊(スピリット)です」


――すると魂も霊も同一物ということでしょうか。


「そうです。魂も霊です。物的身体と結合する前の魂は見えざる世界で生活する知的存在で、それが浄化と啓発を得るために一時的に肉体に宿るということです」


――人間にはその魂と肉体のほかにまだ何かあるのでしょうか。


「その魂と肉体とを結びつけるものがあります」


――その結びつけるものというのはどういう性質をしているのでしょうか。


「半物質体、つまり魂と肉体との中間的性質をしたものです。異質の両者を結びつけるために必要なものです。霊が物質に働きかけ、物質が霊に働きかけるのは、この半物質体を通してです」


――魂は生命体(肉体)とは別個の存在なのでしょうか。


「繰り返し申し上げている通り、肉体は魂の媒体です」


――肉体は魂がいなくても(離脱しても)存在できますか。


「できます。ただし、魂が去ってしまえば生きていられません。誕生前の(母胎内での)魂と肉体との関係は完全ではありません。が、無事に誕生して両者の結合が確定的となれば、両者のつながりを断ち切ることができるのは肉体の“死”のみです。それを限りに魂は肉体から引き上げます。有機的生命は魂が抜けた身体を生かしめることはできますが、魂は有機的生命のない身体には宿れません」


――もし魂がなかったら肉体はどうなりますか。


「知性のない、ただの肉の塊です。何と呼んでもかまいません。人間でないことだけは確かです」


――同じ霊が同時に二つの肉体に宿って生まれることはできますか。


「できません。霊は分割できません。それゆえ二つの肉体を同時に生かしめることはできません」(『霊媒の書』第七章参照)


――魂は筋肉の数だけ細分化されて、それが肉体の機能を支配しているという説がありますが、いかがでしょうか。


「魂という用語の意味が問題です。生命の流動体のことであれば、その説は正しいと言えます。宿っている霊のことであれば、それは間違いです。霊が分割できないことはすでに述べました。流動体を通して肉体器官を動かしているのであって、各器官に分散しているのではありません」


――でも、そういう説を唱える霊がいます。


「無知な霊はよく原因と結果とを取り違えます」


――魂は肉体の外部にあって肉体をくるんでいるという説は正しいでしょうか。


「魂が肉体に宿ると言う時、小鳥がカゴの中に閉じ込められているような図を想像してはいけません。魂のもつ霊的影響力がちょうど電球の光があたり一面を照らすように、あるいは音が四方へ鳴り響くように肉体全体に行きわたり、さらに肉体の外部にまで及んでいます。その意味では肉体の外部にあると言えますが、だからと言って魂は肉体をくるんでいるということにはなりません。

魂には二種類の媒体があります。第一の、ないしは、いちばん奥にあるのが、あなたのおっしゃるペリスピリット(※霊体)で、軽妙で繊細です。もう一つが肉体で、粗野で鈍重です。魂はこの二種類の媒体の中心で、ちょうど果実のタネの胚のようなものと思えばよろしい」


――魂は子供から大人になるまでの一生をかけて成長して完成されるという説はいかがでしょうか。


「霊というのは個霊として一単位であり、子供の時でも大人と同じく全ての属性をそなえた統一体です。一生をかけて成長するのは魂の表現機能としての肉体器官です。その説もまた原因と結果を取り違えています」


――なぜ全ての霊が魂について同じ定義が述べられないのでしょうか。


「この種の問題に関して全ての霊が同じ程度に啓発されているとは限らないからです。知的な発達が遅れていて、抽象的な概念が理解できない者がいます。地上の子供といっしょと思ってください。また、間違った知識ばかりを詰め込まれている者もいます。そういう霊は聞く者に権威をふりかざそうとして、やたらに難しい用語を並べ立てます。これ又、地上によく見かける例です。

それとは別に、正しく啓発されていながら、一見すると全く異なった用語を用いる霊がいます。基本的には同じことを言っているのですが、特に地上の言語では明確に表現できない問題についてはそうなりがちです。それを比喩や象徴的表現を用いて説明するのですが、それが文字通りに受け取られてしまうということもあります。魂という用語はとても曖昧で、各自が勝手な想像を加えて解釈しています」


――魂は身体のどこかに、周りを取り囲まれた存在場所をもっているのでしょうか。


「そういうものはありません。ただ、天才や思考を仕事とする人は主として頭部に、情緒に富んだ人や人道主義的な仕事に携わっている人は主として心臓部にあるということは言えるかも知れません」


――身体の中央部にあるという説もありますが……


「さまざまな思いはどうしても中心部に集中する傾向がありますから、そこに霊が位置していると言えるかも知れませんが、そういう説を立てる人は、霊の働きを生命力の流れと混同しているようです。それはそれとして、魂は知的ならびに道徳的な性格の表現を受け持つ器官に存在することが多いということは言えるかも知れません」
〈唯物思想〉


――解剖学者や生理学者、その他、一般的に自然科学に携わる人は唯物思想に陥りがちなのはなぜでしょうか。


「生理学者は、当然、何もかも五感を基準にしてものを考えます。科学者は全てを知り尽くしたと自惚れ、それまでの知識で理解できないものは、その存在自体を認めようとしません。科学そのものが人間を生意気にしてしまい、大自然で人間に知られていないものはないかに思い込んでいます」


――本来なら大自然を支配する大いなる知性の優位性を証明すべき科学的研究の結果が唯物思想を生むというのは嘆かわしいことではないでしょうか。


「唯物思想が科学的研究の結果、というのは正しくありません。科学的研究の成果から誤った結論を出す、人間の不完全性の結果です。人間はとかくそのようにして最高の宝を台なしにしてしまいます。さらに言えば、死は全ての終わりという概念は、実は、それを口にしている当人の方がジレンマを感じているのです。彼らは自信をもってそれを公言しているのではありません。偉そうな態度を取っているだけなのです。

いわゆる唯物主義者の大半はそう確信しているのではなく、死後の生命に合理的証明が得られないから取りあえず唯物論をぶっているだけです。こうして生きている生命が死とともに無に帰するという、あくびの出るような面白くない人生観しか抱けない学者が、ふとしたことで死後の生命に確かな拠り所を見つけてごらんなさい。とたんに、まるで溺れかかった人間のようにその証拠にしがみつくでしょう」

Thursday, October 22, 2026

霊の書 アラン・カルデック(編)

 The Spirits' Book

スピリチュアリズムの真髄「思想編」
近藤千雄(訳)




第2部 霊の世界

1章 霊とは

このページの目次
〈霊の起源と本性〉


――霊とは何でしょうか。


「霊とは“創造物の中の知的存在”と定義できます。宇宙の顕幽両界に生息する知的存在で、物質界の物的諸形態と対照をなしています」


編者注――ここに言う霊とは個性をそなえた個的存在としての霊のことで、普遍的要素としての霊ではない。


――霊は神とは別個の存在でしょうか、それとも神の一部ないしは放射物で、その意味で“神の子”なのでしょうか。


「霊は神の作品です。機械が製作者の作品であるのと同じです。その機械は製作者のものですが、製作者そのものではありません。あなた方が素敵な物をこしらえた時、“これは我が子のようなものです”という表現をします。神との関係も同じです。その意味において我々は全て神の子です。神の造り給うたものだからです」


――霊には始まりがあるのでしょうか、それとも神と同じく永遠の過去から存在し続けているのでしょうか。


「もしも始まりが無いとしたら、霊は神と同等ということになります。が、霊は今も述べた通り神の創造物であり、神の意思(摂理)の支配下にあります。神が無始無終の存在であることに議論の余地はありません。が、その神がいつ我々を造り給うたかについては、我々も知りません。

神は無始無終の存在であるがゆえに絶え間なく創造し続けているに相違ないという意味においては、我々にも始まりはないと言えるかも知れません。しかし、繰り返しますが、我々一人一人がいつ創造されたかは誰にも分かりません。大いなる謎です」


――宇宙には知的要素と物的要素の二種がある以上、霊は物体が物的要素からこしらえられたように、知的要素からこしらえられたと考えてよろしいでしょうか。


「そういう理屈になることは明らかです。物体が物的要素の個別化によって生じたように、霊は霊的要素の個別化によって生じています。ただ、それがいつどのようにして為されたかは、我々にも不明だと申し上げているのです」


――霊の創造は常に行われているのでしょうか、それとも時間の始まりと同時に行われ、それきり行われていないのでしょうか。


「常に行われています。言い変えれば、神は創造活動をお止めになったことはありません」


――霊は非物質的存在であるという表現は正しいでしょうか。


「地上に比較すべきものもなく、言語で表現することもできないものを、どうして定義づけられましょう? 見たこともないものが定義できますか。“非物質的”というのは適切ではありません。“固定的形態がない”という表現の方がまだ少しは真実に近いでしょう。霊も創造されたものである以上は実体のある何ものかであるはずです。言わば生命のエキスです。が、それは人間の理解力の範囲内では表現できない状態で存在しており、あまりの霊妙さゆえに、人間の五感では感得できません」


――霊の存在にも終わりがあるのでしょうか。その始源である普遍的要素は永遠であっても、そこから出た個々の霊は、肉体が大自然に還るように、遅かれ早かれ、いつかは普遍的要素へ還っていくのではないでしょうか。始まりがあるものに終わりがないというのは理解し難いのです。


「人間に理解できないことは沢山あります。知性に限りがあるからです。しかし、だからといって“おかしい”と決めつける理由にはなりません。父親が知っていることの全てが子供に理解できるでしょうか。霊の存在に終わりはない――その問題について申し上げられるのは、現段階ではそれだけです」

〈根源界〉


――霊の世界は我々人間の目に映じている世界とは別個の存在なのでしょうか。


「そうです。霊の世界、ないしは固定的形態のない世界を構成しています」


――宇宙の秩序の点からみて、そちらとこちらの、どっちが主要なのでしょうか。


「霊の世界です。他の何よりも先に存在しており、物的なものが全て消滅した後にも存在し続けます」


――霊の世界は、物的世界が存在しようが消滅しようが、その本質には変わりないのでしょうか。


「変わりません。二つの世界はそれぞれに独立した存在です。それでいて、なおかつ、互いに絶え間なく関係し合っております。反応し合うのです」


――霊は宇宙空間にあって一定の枠に囲まれた範囲を占めているのでしょうか。


「霊はどこにでも存在します。無辺の宇宙に無数の霊が充満しております。気がつかないでしょうが、あなた方の周りに絶え間なく存在して、あなた方の行動を観察し、また働きかけております。霊は大自然のエネルギーの一種であり、神が定めた計画の推進のための道具なのです。しかし、霊だからといってどこへでも行けるわけではありません。霊性の低い者には“禁制”となっている地域があります」

〈霊の形態と動きと遍在〉


――霊にははっきりとした、縁(ふち)のある、一定の形があるのでしょうか。


「人間の肉眼で見るかぎり、そういうものはありません。が、我々にとってはちゃんとした形態があります。もっとも、人間の目には炎とか輝きとか微妙な火花にしか見えないでしょう」


――それには色彩がありますか。


「もし霊視力があれば、ぼんやりとしたグレーからきらびやかなルビー色まで、いろいろに見えるでしょう。その人の霊性の程度によって違います」


――霊が移動するのに時間を要しますか。


「時間を要するかと言われれば要しますが、その速さは思念と同じです」


――思念は霊そのものの動きでしょうか。つまり霊がその場所まで運ばれるのでしょうか、それとも霊によって思考された想念体でしょうか。


「思念のあるところには霊が存在します。思念を発するのは霊だからです。思念は霊の属性です」


――霊が一つの場所から別の場所へ移動する時、通過する途中の距離と空間を意識しますか、それとも行きたいと思った瞬間に着いているのでしょうか。


「どちらのケースもあります。じっくりと途中の距離を意識したいと思えば意識できますし、距離の意識を完全に消すこともできます。霊の意志と霊格の程度によります」


――物質は霊の動きの障害になりませんか。


「なりません。霊はあらゆるものを貫通します。空気・地面・水・火、何でも貫きます」


――霊は遍在することが可能でしょうか。つまり、自分自身を分割したり、一度に複数の場所に姿を見せることができるでしょうか。


「霊そのものを分割することはできません。が、霊は思念を発する中枢で、全方位に自我を放射することができますから、同時に数か所に姿を見せることはできます。太陽は一つですが、全方位に光を放射し、大変な距離にまで及びます。が、太陽そのものが分割されるわけではありません」


――その放射の能力はどの霊も同じですか。


「大変な違いがあります。霊性の発達程度によって違います」

〈ペリスピリット〉


――霊には外部を被うものはないのでしょうか。何らかの“もの”で包まれているのでしょうか。


「強いて地上の譬えで言えば水蒸気のようなもので包まれていますが、我々自身にとってはしっかりとした外被です。しっかりとしていても大気中を何の抵抗もなく動けますし、宇宙空間を神速自在に移動できます」


訳注――植物の胚を包む外胚乳をペリスパームperispermということからカルデックは、スピリットを包むものという意味でperispirit(periは周囲を意味する接頭語)という用語をこしらえている。

この後の通信内容から察するに、霊界の各界層ごとにその波動に似合ったペリスピリットがあって、界層が高くなるほどその質が精妙化していくという。


――そのペリスピリットはどこから摂取するのでしょうか。


「所属する天体の普遍的流動体から取り寄せます。各天体によってペリスピリットの質が異なります。それゆえ天体を移動する時は、衣服を着更えるようにペリスピリットを取り替えます」


――すると地球圏より波動の高い世界から下降して地球圏内で仕事をする場合は、鈍重なペリスピリットをまとうわけですか。


「その通りです。地球圏へ入るには地上的波動の物質で身をくるむ必要があります」


――それは形を装うことができるのでしょうか。また人間の五感に感応するようにもなりますか。


「それは可能です。霊の思いどおりに形を装うことができます。夢の中、あるいは覚醒中でも、霊姿を見せることができるのはそのためです。手で触れることができるほどにもなります」

〈霊の格付け〉


――霊は全て平等なのでしょうか、それとも霊格の差による階級があるのでしょうか。


「その時までに到達した霊性の進化の程度に従って階級ができています」


――その階級には決まった数があるのでしょうか。


「数は無限です。霊性の進化の程度に境界や区分けは存在しません。ということは霊には一定の、あるいは恣意的な区分け法は通用しないということですから、どこに視点を置くかによって、さまざまな分け方もできる理屈になります。しかしながら、霊の性格を総合的に観察すると、大きく三つの基本的な階級ないし段階に集約できるようです。

まず最高級界が“純粋霊”とでも呼ぶべき、完成の域――といっても相対的な意味においてのことですが――に到達した霊です。

二番目の階級が進化の階梯の中間に位置する霊で、霊性の浄化が唯一の願望となり、一途に進化向上を目標としている霊です。

そして三番目つまり最低界層には向上の観念の乏しい霊、および完全からは程遠い霊がいます。その特徴を挙げれば、無知で、邪悪性を好み、向上を妨げる低級感情の全てを秘めております」


――二番目のランクの霊は完全への願望を抱いているだけで、それを達成する力量はそなわっていないのでしょうか。


「それぞれに達成した純粋性の度合いに応じてその力量をそなえております。ある者は科学的知識に優れ、ある者は叡知に優れ、またある者は憐憫(れんびん)の情に長けています。しかし、一様に言えることは、まだまだ誘惑と苦難による試練を必要とするということです」


――最下層の霊は全て邪悪なのでしょうか。


「そういうわけではありません。善いこともしなければ悪いこともしない、無気力で、どっちつかずの生き方をしている者もいれば、邪悪性を好み、悪事を働く機会を見つけると喜ぶという者もいます。さらには軽薄で、愚かで、気まぐれで、邪悪というよりはイタズラ好きで、積極的な敵意に満ちているわけではないが、狡猾で油断がならないといった者、働きかけやすい人間に付きまとって誇大妄想を抱かせては愉快がっている者、気晴らしに下らぬ取り越し苦労のタネを蒔いて喜んでいる者など、いろいろです」

〈霊の進化〉


――霊にはもともと善なる者と悪なる者とがいるのでしょうか、それとも本来はまったく同じもので、それが各自の努力で善性を増して行くのでしょうか。


「本来は同じであるものが努力によって善性を増して行きます。その善性の成長の過程が低い界層から高い界層への向上となって表れるのです」


――善性の高い霊として創造される者と邪悪性の強い霊として創造される者とがいるのでしょうか。


「神は全ての霊を無垢と無知の状態で創造されています。言い変えれば、何も知らないということです。その一人一人に神は使命を持たせてあります。その達成のための努力の中で啓発され、真理を知ることによって徐々に完全に近づき、つまりは神ご自身に近づくように配剤されています。

霊にとって完全とは永遠不変の無垢の喜悦の状態です。神によって課せられた試練をくぐり抜けることによって叡知を身につけていくのですが、問題はその試練への対処の仕方です。素直に受け入れ、そこに目論(もくろ)まれたものを速やかに理解していく者がいる一方、不平だらだらで対処し、その意義を悟らず、いつまでも完全と至福の境涯から遠く離れたままの者もいます。自業自得です」


――今のお説ですと、霊はその起源においては幼い童子のごとく無知で経験に欠けるが、さまざまな人生体験を経て少しずつ叡知を身につけていくということのようですが……


「おっしゃる通りです。その譬えで結構です。子供は反抗ばかりしているといつになっても無知で欠点だらけです。従順さに応じてその成長度も決まってきます。ただ、地上の人生には限りがあります。一方、霊の旅は永遠の彼方へと延びているのです」


――永遠に低界層に留まる霊もいるのでしょうか。


「いません。全てが完成へと向かいます。懲罰の期間がいくら長かろうと、いつかは変化するものです。人間の親でも、出来の悪い我が子を生涯勘当するでしょうか」


――進化向上を速めるのも遅らせるのも本人の自覚しだいということでしょうか。


「その通りです。向上心の強さと神の摂理に従順たらんとする願望の程度によって、ゴールに速く着く者もいれば遅い者もいるということになります。ひねくれ者で怠け者よりも素直な子の方が学ぶのは速いのではありませんか」


――霊が退化することは有り得ますか。


「有り得ません。進化するにつれて、それまで進化を阻害していたものを理解します。そうやって一つの試練を克服するごとに霊はその試練のもつ教訓を学び取り、二度と忘れることはありません。静止することはあっても退化することは決してありません」


――ある霊を最高の界層へ到達させるために、神が、その霊が受けるべきだった試練を免除してやるということは有り得ますか。


「もしも全ての霊が初めから完全無欠なものとして創造されていたら、完全性を成就することから生じる喜悦を味わう資格があるでしょうか。奮闘努力をしないところに一体いかなる価値が生まれるのでしょうか。申し上げますが、そもそも霊が上下善悪さまざまで、言わば“不平等”であるという事実は、互いの霊性の進化にとって有意義なことなのです。さらに言えば、各霊が進化の途上において一つ一つ成就していく使命は、宇宙全体の調和を確信する上において、それなりの意義を持つように配剤されているのです」


――全ての霊は悪の道を通って善へ到達するのでしょうか。


「悪の道ではありません、無知の道です」


――ある者は善の道をたどり、ある者は悪の道をたどるのはなぜでしょうか。


「自由意志というものがあるのをお忘れですか。初めから邪悪な霊として創造された者はいません。みな無垢と無知の状態で創造されているのです。ということは善にも悪にも向かう可能性があるということです。邪悪になったのは、自らの自由意志でそうなったまでのことです」


――まだ自我意識が芽生えていない原初において、どうやって善と悪とを選択する自由が得られるのでしょうか。


「自由意志というのは自我意識の発達にともなって獲得されていくものです。もしも自分の意志とは別個の原因にそそのかされて善悪の選択が為されるとしたら、その霊には自由意志はないことになります。その選択を決定づける要因はその霊の内部にあるのではなくて外部にある――つまり自由意志で選んで従った外部の影響力にあります。人類の堕落と原罪という有名な比喩に秘められているのは、この自由意志のことです。誘惑に負ける者もいれば、屈せずに耐え抜く者もいます」


――外部の影響というのはどこから来るのでしょうか。


「未浄化霊です。とりこにして支配しようとする者たちで、自分たちの誘惑に負けていくのを見るのが愉快なのです。比喩で“サタン”として描かれているのは、その誘惑のことです」


――そういう誘惑は創造された当初からあるのでしょうか。


「霊としての存在のあらゆる側面において付きまとい、自制心がついて完全に抵抗できるようになり、邪霊があきらめるまで続きます」


――神はなぜ霊が間違った道へ迷い込むのを許すのでしょうか。


「各自に選択の自由を与えているところにこそ神の叡知があるのです。成就した時の功績もその霊自身のものとなるからです」


――当初から迷うことなく正しい道を歩む者と、悪の道のドン底まで迷い込む者とがいるからには、その中間には大なり小なりの無数の逸脱があるわけですね?


「まさにおっしゃる通りです。その段階の数だけ、霊の歩んでいる道があるということです」


――極悪非道の道を歩んでいる霊でも、いつかは正しい道を歩むようになるものでしょうか。


「なります。ただし“永遠の苦悶”の期間は他の霊よりも長いでしょう」


編者注――ここでいう“永遠の苦悶”というのは、低界層の霊が先が予見できないために現在の苦悶が永遠に続くと信じている状態のことと解釈すべきであろう。新たな誘惑が次から次へと訪れ、なかなか自制心がつかないのである。


――そういう長い迷いの末にようやく最高界へたどりついた霊は、神の目から見て、順調にたどりついた霊よりも功績の点で劣るのでしょうか。


「神は両者を同じ目、同じ愛で受け入れます。一時は邪霊の部類に入れられたことがあったとは言え、そうなる前は他の全ての霊と同じく、善と悪に対しては完全に無色だったのですから」


――知的能力においても霊は平等に創造されているのでしょうか。


「全ての霊が知的にも平等に創造されています。ただし、自分がいずこより来たのかということだけは誰も知りません。その謎の解明に向かって各自が自由意志で存分に知性を働かせないといけません。その度合いによって、霊性の面と同じく知性の面においても、進歩の速い者と遅い者とが出てくるわけです」


――天使とか大天使とか呼ばれている存在は普通の霊とは別の、特殊な存在の範疇に属するのでしょうか。


「特殊なものではありません。あらゆる不完全性から浄化されつくした霊は進化の最高の段階に到達し、あらゆる側面での完全性を具現しております」


――その天使たちもやはりあらゆる進化の段階をへて向上して行ったのでしょうか。


「あらゆる段階を一歩一歩向上して行ったのです。ただし、前にも述べたとおり、与えられた使命を不平も言わずに受け入れた者は速やかにゴールに到達し、道草を食った者は同じゴールへの到達が遅くなります」


――創造された時から特別に完全性を身につけている霊はいないとおっしゃいましたが、そういう特殊な霊がいることを物語る伝承説話がほとんどの国に見られるのはなぜでしょうか。


「地球という天体は永遠の過去から存在しているのではありません。地球が存在するようになる遥か以前から、無数の霊がすでに最高界にまで到達していました。地上の人間がそういう霊は永遠の過去からずっと完全な状態でいるのだと想像したのも無理はありません」


訳注――信頼のおける霊界通信では、当初から高級界に所属しているいわゆる“神霊(※天使)”の存在を指摘するもの、あるいはそれを暗示するものが少なくない。多分カルデックの時代にはあまり深入りしないことになっていたのであろう。半世紀後のシルバーバーチの霊言に次のような問答がある。

――物質界に誕生する霊としない霊とがいるのはなぜですか。

「霊界の上層部つまり神庁には、一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物的器官を通しての表現を体験しなくても進化を遂げることができるのです。当初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を 帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中にはそうした高級神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります。」


――いわゆる“悪魔”というのは存在するのでしょうか。


「もしも悪魔が存在するとすれば、それも神が創造したものということになります。ですが、邪悪と残忍の中に永遠に生きるものを神が創造するなどということが考えられますか。もしも悪魔と呼ぶに相応しいものが存在するとすれば、それは地球および地球程度の低級界にのみ存在する偽善者のことです。正義の神の代理人のごとき口を利きつつ、その本性は残忍で執念深く、神の名において忌まわしい行為を犯しつつ、それが神へのお追従のつもりでいるのです」

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



十一章 なぜ神に祈るのか

 〝あなたはなぜ神に祈るのですか〟と問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次のように述べた。

 「それは、私に可能なかぎり最高の〝神の概念〟に波長を合わせたいという願いの表れなのです。

 私は祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。

われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前にすでに知れているのです。

 なのになぜ祈るのか。それは、祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるのです。

僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受け入れることが出来、かくしてわれわれに本当に必要なものが授けられる通路を用意したことになります。

 利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーのムダ使いをしているに過ぎません。それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。が、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮したことになります。

 では誰に、あるいは何に祈るべきか──この問題になると少し厄介です。なぜなら人間一人ひとりに個人差があるからです。人間は必然的に自己の精神的限界によって支配されます。その時点までに理解したものより大きいものは心象として描きえないのです。

ですから私もこれまでに地上にもたらされた知識に、ある程度まで順応せざるを得ないことになります。たとえば私は言語という媒体を使用しなければなりませんが、これは観念の代用記号にすぎず、それ自体が、伝えるべき観念に制約を加える結果となっています。

 このように地上のための仕事をしようとすれば、どうしても地上の慣例や習慣、しきたりといったものに従わざるを得ません。ですから私は、神は人間的存在でないと言いながら男性代名詞を使用せざるを得ないことになります (たとえば〝神の法則〟というのを His Iaws というぐあいに──訳者)。私の説く神は宇宙の第一原因、始源、完全な摂理です。

 私が地上にいた頃はインディアンはみな別の世界の存在によって導かれていることを信じておりました。それが今日の実験会とほぼ同じ形式で姿を見せることがありました。その際、霊格の高い霊ほどその姿から発せられる光輝が目も眩まんばかりの純白の光を帯びていました。

そこで我々は最高の霊すなわち神は最高の白さに輝いているものと想像したわけです。いつの時代にも〝白〟という のは 〝完全〟〝無垢〟〝混ぜもののない純粋性〟 の象徴です。そこで最高の霊は 〝白光の大霊〟 であると考えました。当時としてはそれが我々にとって最高の概念だったわけです。

 それは、しかし、今の私にとっても馴染みぶかい言い方であり、どのみち地上の言語に移しかえなければならないのであれば、永年使い慣れた古い型を使いたくなるわけです。

ただし、それは人間ではありません。人間的な神ではありません。神格化された人間ではありません。何かしらでかい存在ではありません。激情や怒りといった人間的煩悩によって左右されるような存在ではありません。

永遠不変の大霊、全生命の根源、宇宙の全存在の究極の実在であるところの霊的な宇宙エネルギーであり、それが個別的意識形体をとっているのが人間です。

 しかしこうして述べてみますと、やはり今の私にも全生命の背後の無限の知性的存在である神を包括的に叙述することは不可能であることを痛感いたします。が少なくとも、これまで余りに永いあいだ地上世界にはびこっていた多くの幼稚な表現よりは、私が理解している神の概念に近いものを表現していると信じます。

 忘れてならないのは、人類は常に進化しているということ、そしてその進化に伴って神の概念も深くなっているということです。知的地平線の境界がかつてほど狭くなくなり、神ないしは大霊、つまり宇宙の第一原理の概念もそれにともなって進化しております。しかし神自体は少しも変わっておりません。

 これから千年後には地上の人類は今日の人類よりはるかに進化した神の概念を持つことになるでしょう。だからこそ私は、宗教は過去の出来ごとに依存してはいけないと主張するのです。過去の出来ごとを、ただ古い時代のことだから、ということで神聖であるかに思うのは間違いです。

霊力を過去の一時代だけに限定しようとすることは、霊力が永遠不変の実在であるという崇高な事実を無視することで、所詮は無駄に終わります。地上のいずこであろうと、通路のあるところには霊力は注がれるのです。

(訳者注──聖霊は紀元六六年まで聖地パレスチナにのみ降り、それきり神は霊力の泉に蓋をされた、というキリスト教の教えを踏まえて語っている)

 過去は記録としての価値はありますが、その過去に啓示の全てが隠されてるかに思うのは間違いです。神は子等に受容能力が増すのに応じて啓示を増してまいります。生命は常に成長しております。決して静止していません。〝自然は真空を嫌う〟という言葉もあるではありませんか。

 あなた方は人々に次のように説いてあげないといけません。すなわち、どの人間にも神性というものが潜在し、それを毎日、いえ、時々刻々、より多く発揮するために活用すべき才能が具わっていること、それさえ開発すれば、周囲に存在する莫大な霊的な富が誰にでも自由に利用できること、言語に絶する美事な叡知が無尽蔵に存在し、活用されるのを待っているということです。

人類はまだまだその宝庫の奥深くまで踏み込んでいません。ほんの表面しか知りません」


──あなたは霊的生活に関連した法則をよくテーマにされますが、肉体の管理に関連した法則のことはあまりおっしゃってないようにお見受けします。

 「おっしゃる通り、あまり申し上げておりません。それは、肉体に関して必要なことはすでに十分な注意が払われているからです。私が見るかぎり地上の大多数の人間は自分自身の永遠なる部分すなわち霊的自我について事実上何も知らずにおります。

生活の全てを肉体に関連したことばかりに費しております。霊的能力の開発に費している人は殆ど──もちろんおしなべての話ですが──いません。

第一、人間に霊的能力が潜在していることを知っている人がきわめて少ないのです。そこで私は、正しい人生観を持っていただくためには、そうした霊的原理について教えてあげることが大切であると考えるわけです。

 私はけっして現実の生活の場である地上社会への義務を無視して良いとは説いておりません。霊的真理の重大性を認識すれば、自分が広い宇宙の中のこの小さな地球上に置かれていることの意味を理解して、いちだんと義務を自覚するはずです。

自国だけでなく広い世界にとってのより良き住民となるはずです。人生の裏側に大きな計画があることを理解し始め、その大機構の中での自分の役割を自覚しはじめ、そして、もしその人が賢明であれば、その自覚に忠実に生きようとしはじめます。

 肉体は霊の宿である以上、それなりに果たすべき義務があります。地上にいるかぎり霊はその肉体によって機能するのですから、大切にしないといけません。が、そうした地上の人間としての義務をおろそかにするのが間違っているのと同じく、霊的実在を無視しているのも間違いであると申し上げているのです。

 また世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。何ごとも偏りがあってはなりません。

いろんな法則があります。それを巾広く知らなくてはいけません。自分が授かっている神からの遺産と天命とを知らなくてはいけません。そこではじめて、この世に生まれてきた目的を成就することになるのです。

 霊的事実を受け入れることのできる人は、その結果として人生について新しい理解が芽生え、あらゆる可能性に目覚めます。霊的機構の中における宗教の持つ意義を理解します。科学の意義が分かるようになります。

芸術の価値が分るようになります。教育の理想が分るようになります。こうして人間的活動の全分野が理解できるようになります。一つ一つが霊の光で啓蒙されていきます。所詮、無知のままでいるより知識を持って生きる方がいいに決まっています」

 続いて二人の読者からの質問が読み上げられた。

 一つは「〝神は宇宙の全生命に宿り、その一つを欠いても神の存在はありません〟とおっしゃっている箇所がありますが、もしそうだとすると神に祈る必要ないことになりませんか」というものだった。これに対してシルバーバーチはこう答えた。

 「その方が祈りたくないと思われるのなら、別に祈る必要はないのです。私は無理にも祈れとは誰にも申しておりません。祈る気になれないものを無理して祈っても、それは意味のない言葉の羅列に過ぎないものを機械的に反復するだけですから、むしろ祈らない方がいいのです。祈りには目的があります。

魂の開発を促進するという霊的な目的です。ただし、だからといって祈りが人間的努力の代用、もしくは俗世からの逃避の手段となるかに解釈してもらっては困ります。

 祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にするための刺戟──これから訪れるさまざまな闘いに打ち克つために守りを固める手段です。何に向かって祈るか、いかに祈るかは、本人の魂の成長度と全生命の背後の力についての理解の仕方にかかわってくる問題です。

 言い変えれば、祈りとは神性の一かけらである自分がその始源とのいっそう緊密なつながりを求めるための手段です。その全生命の背後の力との関係に目覚めたとき、その時こそ真の自我を見出したことになります」


 もう一つの質問は女性からのもので、「イエスは〝汝が祈りを求めるものはすでに授かりたるも同然と信ぜよ。しからば汝に与えられん〟と言っていますが、これは愛する者への祈りには当てはまらないように思いますが、いかがでしょうか」というものだった。これに対してシルバーバーチは答えた。

 「この方も、ご自分の理性にそぐわないことはなさらないことです。祈りたい気持ちがあれば祈ればよろしい。祈る気になれないのでしたら無理して祈ることはありません。イエスが述べたとされている言葉が真実だと思われれば、その言葉に従われることです。真実とは思えなかったら打っちゃればよろしい。

神からの大切な贈りものであるご自分の理性を使って日常生活における考え、言葉、行為を規制し、ご自分が気に食わないもの、ご自分の知性が侮蔑されるように思えるものを宗教観、哲学観から取り除いていけばよいのです。私にはそれ以上のことは申し上げられません」


──〝求めよ、さらば与えられん〟という言葉も真実ではなさそうですね。

 「その〝与えられるもの〟が何であるかが問題です。祈ったら何でもその通りになるとしたら、世の中は混乱します。最高の回答が何もせずにいることである場合だってあるのです」


──今の二つの格言はそれぞれに矛盾しているようで真実も含まれているということですね。

 「私はいかなる書物の言葉にも興味はありません。私はこう申し上げたことがあるはずです──われわれが忠誠を捧げるのは教義でもなく、書物でもなく、教会でもない、宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理である。と」



 シルバーバーチの祈り

 ああ神よ。私たちはあなたの尊厳、あなたの神性、無限なる宇宙にくまなく行きわたるあなたの絶対的摂理を説き明かさんと欲し、もどかしくも、それに相応しき言葉を求めております。

 私たちは、心を恐怖によって満たされ精神を不安によって曇らされている善男善女が何とかあなたへ顔を向け、あなたを見出し、万事が佳きに計らわれていること、あなたの御心のままにて全てが佳しとの確信を得てくれることを期待して、霊力の豊かな宝の幾つかを明かさんとしているところでございます。

 その目的の一環として私どもは、これまで永きにわたってあなたの子等にあなたの有るがままの姿───完璧に機能している摂理、しくじることも弱まることもない摂理、過ちを犯すことのない摂理としてのあなたを拝することを妨げてきた虚偽と誤謬と無知と誤解の全てを取り払わんとしております。

 私たちは宇宙には生物と無生物とを問わず全ての存在に対して、また全ての事態に対して備えができているものと観ております。あなた方から隠しおおせるものは何一つございません。神秘も謎もございません。あなたは全てを知ろしめし、全てがあなたの摂理の支配下にございます。

 それゆえ私どもは、その摂理───これまで無窮の過去より存在し、これより未来永劫に存在し続ける摂理を指向するのでございます。子等が生活をその摂理に調和させ、すべての暗黒、すべての邪悪、すべての混沌と悲劇とが消滅し、代わって光明が永遠に輝き渡ることでございましょう。

 さらに又、愛に死はないこと、生命は永遠であること、墓場は愛の絆にて結ばれし者を分け隔てることはできぬこと、霊力がその本来の威力を発揮したときは、いかなる障害も乗り切り、あらゆる障壁を突き破って、愛が再び結ばれるものであることを証明してみせることも私どもの仕事でございます。

 私たちは、人間が進化を遂げ、果たすべく運命づけられている己れの役割に耐えうる素質を身に付けた暁に活用されることを待っているその霊力の豊かさ、無尽蔵の本性を持つ無限なる霊の存在を明かさんと欲しているものでございます。
 ここに、己れを役立てることをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。

             

      
   解説 悲劇の霊媒ヘレン・ダンカン

 七章に出ている霊媒ヘレン・ダンカンの投獄事件は〝世紀の裁判〟として当時の新聞をにぎわし〝暗黒時代〟の再来かという不安をスピリチュアリストに抱かせたものである。シルバーバーチが〝あなた方は暗黒時代へ引き戻されたわけではありません〟と言い、〝私は少しも心配していません〟と述べているのはそのためであるが、さらに、

〝もっともっと不自由な思いをさせられる方が身のためです〟と言うに至ってはいかにもシルバーバーチらしくて、私は訳していて苦笑を禁じ得なかった。

これほどの事件にそれなりの意味がないわけがなく、それが見えているからそういうセリフも出てくるのであろう。そして、確かにシルバーバーチの言うとおり犠牲者らしい犠牲者はダンカン夫人一人だけで終わり (とばっちりを受けた者もいたことはいたが) 大方の心配は杞憂に終わったのだった。

 ではその世紀の裁判とはいかなるものだったのか。これまで断片的な資料は入手していたが、このたび折よく、ブリーリー女史の 『ヘレン・ダンカンの二つの世界』 The Two Worlds of Helen Duncan by Grna Brealey というのが出版され、その中に裁判に関する詳細な記録が紹介されている。

これからそれを必要なかぎり紹介しようと思うが、その前にヘレン・ダンカンという霊媒の霊媒能力について述べておきたい。

 ダンカン女史の得意とするところは物質化現象で、その印象があまりに強いために他の能力の影が薄く感じられるが、実際は霊視、霊聴をはじめとしてオールラウンドな霊能を具えていた。

しかし、やはりヘンレン・ダンカンといえば物質化現象専門の霊媒と言ってよく、それがまた女史をスピリチュアリズム史上最初で最后の〝殉死者〟にしてしまったのだった。バーバネルはダンカン女史によるある日の交霊会の様子を次のように綴っている。


  「ヘレン・ダンカン女史の交霊会で私は、キャビネットの中で物質化象ができあがるところを特別に見せていただいたことがある。かつてキャビネットの外で、エクトプラズムの像が次第に縮んでいって、しまいには小さな光の玉のようになり、最後は床を突き抜けて沈むように消えて無くなるところを見たことがある。

 そのキャビネットの中で見た現象であるが、女史の鼻と口と耳から発光性のエクトプラズムが大量に波のように出てきて、やがて六フィートの背丈の女史の支配霊アルバートの姿となった。

同じ現象を見た(霊魂説否定派の最右翼である)心霊研究家のハリー・プライスは、ダンカンは前もってチーズクロス(ガーゼ状の布)を呑み込んでおいてそれを吐き出すのだと言う、途方もない説を出した。

これが荒唐無稽の説であることを証明するためにダンカン女史は自らX線検査を求めた。プライスの〝説〟ではダンカン女史の腹には牛と同じ反芻用の第二の胃袋があることになっていたが、検査結果はまったく〝正常〟だった。

 私は一度ならず女史の交霊会でエクトプラズムが出てきたところを直接触らせていただいたことがあるが、その時すでにカラカラに乾いていて一種独特の固体性を具えていた。これは反芻されて出てきたものではあり得ないことを証明している。

私は決定的ともいえる実験をしたことがある。ダンカン女史をはじめ出席者全員にメチレンブルー(青色塩基性染料の一種)の錠剤を飲んでいただいたのである。胃袋の中のものが青みを帯びる効果をねらったものであるが、そのあと出現した物質化像はいつものとおり真っ白だった。

 次に、それらとはまったく対照的な現象───非物質化現象を紹介したい。ダンカン女史には封書読み(リーデング)の能力もある。ある時エステル・ロバーツ女史(バーバネルが英国一の折紙を付けた霊媒──訳者)がそのことに興味を抱き、一度試してみたいと言うので私が取り計らってあげた。

席上私はロバーツ女史に一枚の紙切れを渡して、誰にも見られないように一つの質問を書かせた。それを折りたたんで封書に入れ、封をしてダンカン女史に渡した。

 それを早速ダンカン女史が読みはじめた。ところが、八つの単語から成るその質問文の六つまで読んだところで〝なくなりました〟と言う。(ダンカン女史は文字通りその用紙が消えて無くなったと言っているのであるが、ロバーツ女史は読み取ったつもりの記憶が消えたという意味に受け取って)〝上出来です。

お判りにならないのは最後の二語だけで、あとは正確に読んでおられます〟と言うと、またダンカン女史が〝なくなりました!〟と言う。

するとロバーツ女史がふたたび〝お読みになられたところまでは全部正確でしたよ〟と言いながら、念のためにその封筒を開けてみた。すると驚いたことに質問を書いた用紙が消えて無くなっているのである。封書の中が空っぽだったのである。そしてそれきりその用紙はどこからも出てこなかった。

 あとでロバーツ女史はこの不可思議な現象の意味が分かったと言って私に話してくれた。実はあの質問は他界したばかりのある人について何か情報を得られないかどうかを尋ねたものであるが、気が付いてみると、その人については支配霊のレッド・クラウドからある時期が来るまで情報を求めてはならぬと言いつけられていたのだそうで、まだその時期が来ていなかったというわけである」


 さて、ではダンカン女史は一体いかなる罪状で訴えられたのだろうか。起訴状によると大要次のようなことになっている。

 「被告人ヘレン・ダンカンは一九三三年一月四日及び五日の両日、(場所省略) 男女八名の者に対して自分は霊媒であると偽り、自分を通じて死者の霊を出席者の目に見え語りかけ会話を交わすことができる状態で物質化させうること、もし一人十シリングを支払えばそうした催しを行う用意があると偽り、

同日同場所において右の八名の者が出席して費用を支払うと、その場所で偽りの交霊会を催し、ペギーと名乗る幼児を含む幾名かの死者の霊を物質化させると偽り、そこで出席者の目に見え耳に聞こえたものが死者たちの姿であり声であるかのごとく見せかけた。

しかし実は本人も承知しているごとくペギーの物質化と称したのはメリヤス地のベスト(チョッキ)であり、それを被告人が手にして操作してそれらしく見せかけたものであり、その声は被告人本人の声であった。

被告人は総額四ポンドにのぼる費用を着服し、八人の出席者一人につき十シリングを詐取せしものである」(傍点は訳者。なおポンドもシリングも現在の十進法以前のもの)


 では問題の交霊会はどういう経緯で告発されたのだろうか。そのあらましを紹介すると、ある日ダンカン女史のもとに届けられた手紙の中にミス・ソールズという女性からの交霊会開催の依頼状があり、悲しみのどん底にある友人のために是非ともお願いしたいとあった。実はこの女性は後で出てくるミス・モールと共に警察の巧妙な、

というよりは強引な仕掛けの手先となっていた。指定された場所はロンドンの心霊研究センターで、ダンカン女史もよく知っていたので、早速予約受付け係の様な役をしていた夫のヘンリーに伝え、ヘンリーもすぐに〝受諾〟の返事を出した。が、

後になって同じ日に別の交霊会の予約があったことに気づいたヘンリーが取消しの通知を出そうかと言ったところダンカン夫人は、苦しい思いをしている人のためなのだからと、同じ日に二つの交霊会を催すことにし、その代わり少し予定より時刻が遅れることだけを伝えておいてほしいと頼んだ。二つの場所がかなり離れていたからである。

 さて当日であるが、グラスゴーでの交霊会を無事終えたダンカン女史は娘のリリアンと共に次の開催地であるエジンバラへ向かったのであるが、実はグラスゴーでの交霊会で支配霊のアルバートが、常連の一人であるドリスデール夫人に(ダンカン女史は入神状態なので何も分からない) 次の交霊会は用心するようにと警告している。

事件が迫っていることは背後霊団には分かっていたのである。交霊会の終りぎわにもう一度アルバートはドリスデール夫人に〝忘れずにヘレンに伝えて下さいよ〟と念を押した。入神から目覚めてアルバートの警告を聞かされたダンカン夫人は、次の交霊会へ行く途中を用心しろ───つまり交通事故に気をつけろという意味に受け取ったという。
℘218
 グラスゴーからエジンバラまではかなりの距離があるので、一つでも早い列車に乗ろうと、ダンカン夫人は旅行用の衣服に着更える暇もなく、上にコートをはおっただけで列車に飛び乗った。そこに又一つ悲劇のタネが隠されていた。訴状にある〝メリヤス地のベスト〟に着更えなかったことである。

 駅からタクシーに乗ってセンターの前で降りると、一人の女性(ミス・モール)が待っていて、〝実は会場が急に変更になりましたので〟と言い、理由も言わずに二人を隣接するホールへ案内した。

その間その女性は一言もしゃべらなかった。そして階段を二段上がったところでいきなり〝コートをお預りしましょう〟と言うので、〝いえ、結構です。それより娘を待たせておく部屋へ案内してやってください〟と言うと、〝かしこまりました。すぐに戻ってまいりますので〟と言ってリリアンを連れてその場を去った。

 待っている間にダンカン夫人はコートを脱ぎ、壁のコート掛けに掛け、その下に旅行用のカバンを置いた。そこへその女性が戻って来て交霊会の催される部屋へ案内した。入ってみると中央に四つの椅子が用意してあり、片隅のキャビネットへ向けて半円状に並べてある。

〝何かほかにお入り用のものがございますかしら?〟と出席者の一人が尋ねた。

〝お水を一杯お願いします。終わってから頂きますので。どうもご親切に〟とダンカン夫人が言った。

 それから間もなく交霊会が始められた。ダンカン夫人が入神した。後で夫人が述懐して言うには、朦朧とした意識の中で誰かが自分を引っ張って〝さあ、つかまえた! これがあんたの言うペギーでしょう!〟と叫ぶ声がやっと聞こえたと言う。

 ペギーというのはアルバートと共によく物質化して出てくる子供の背後霊の名前である。少し意識が戻ってきたダンカン夫人が〝一体何事ですか〟と聞くと、〝今警察を呼んでいます。詐欺の現行犯で逮捕します〟と言う。これがミス・モールである。

 〝これを見なさい〟と言ってミス・モールが女性用のベストを差し上げて見せた。

 〝それはどこにありました?〟と、すっかり意識が戻ったダンカン夫人が聞いた。

 〝これがあなたの言うペギーなのですね?これを衣服の下から突き出そうとしているところを捕まえたのです〟と言った。これは明らかにでっち上げである。その時ダンカン夫人はそのベストを身に着けておらず、かばんの中に入れたままである。それをミス・モールが盗み出して持ち込んだのである。

 事の次第が分かったダンカン夫人は怒りを爆発させ、〝このウソツキ女!〟と叫んで摑みかかろうとしたが、二人の女性に止められ、その場にしゃがみ込んで泣いた。そこへ警察が入って来て取り押さえ警察署へ連行した。そして治安を乱したかどで正式に起訴された。反訴する権利もあることを知らされたが、ダンカン夫人はそれを拒否した。

気が動転していたせいもあるかも知れないが、私の想像では夫人は多分、裁判官を相手に交霊実験をやって見せれば簡単に疑いは晴れると考えていたのであろう。いずれにせよ、その時適用されたのが〝魔法行為取締法〟だった。

 ついでであるが、この取締法の成立過程は極めて興味深い経緯があるので紹介しておきたい。

 そもそもの発端は時の王ジェームズ一世(一五六七~一六二五)が花嫁をデンマークから呼び寄せようとして、それが北海の悪天候のために阻止されたことにあった。当時は魔法が法律でも〝事実〟として認められ、ジェームズ一世自身も、〝鬼神学〟に関する書物を著わしていたほどである。

そこで北海の荒波は何者かの魔法の為せるわざであるという見解が公式に採択され、早速魔法行為を取り締まるための法律が一六〇三年に議会を通過した。

 当時は魔法が〝事実〟であったから、その法律は〝まじない、魔法、及び悪霊・邪霊の類いを扱う行為を取り締まる〟という趣旨になっていた。それが一七三五年になって〝魔法を事実として認めない〟という見解に変化したために法律の表現が改められ、魔法を行うがごとく偽った行為をした時、ということになった。ダンカン夫人に適用されたのはそれだった。

 しかし、それをスピリチュアリズムに適用するのは筋違いである。なぜなら当時はまだスピリチュアリズムは誕生していなかったからである。交霊会等によって霊媒や霊能者が心霊現象を演出したり超能力を披露するようになったのは一八四八年以降のことで、二百年以上ものちのことである。

本章の編者が七章の冒頭で〝埃をかぶった公文書保管所から持ち出されて・・・・・〟云々、と表現したのはそのためである。

 しかし警察がこうした囮(おとり)を使った方法で詐欺行為をでっち上げてすぐスピリチュアリズムを弾圧しようとした背後には、シルバーバチが七章の最後のところで暗示しているように、国教会が警察権力と裁判官を利用してまで弾圧しようとする陰湿な企みがあったのであろう。

そのことはダンカン夫人が潔白の唯一の証明手段として出した〝ぜひ一度交霊会を催させてほしい。見ていただけばすべて分かります〟という訴えが却下されたことに如実に表れている。

 その間には証人としてモーリス・バーバネルやハンネン・スワッハーを筆頭に二十六名が証言台に立ったが、そもそもの目的が大物霊媒であるヘレン・ダンカンを見せしめにすることによってスピリチュアリズムの信頼を失墜させようということにあったからであるから、すべてが虚しい努力に終わるしかなかった。

結局ダンカン夫人は九か月の刑に処せられた。スワッハーは心霊誌 「リーダー」の中でこう述べている。

 「もしも同じ〝魔法行為取締法〟が行使されていたらウィリアム・クルックス卿はフロレンス・クックを研究したかどで、ビクトリア女王はジョン・ブラウンを呼んで交霊会を催させたかどで、オリバー・ロッジ卿はオズボーン・レナードの交霊会に出席したかどで、ダウディング卿はエステル・ロバーツの交霊会に出席したかどで、

それぞれ罪人とされていたことであろう。私などはこの度の判決文に従えば何百回も罪を犯したことになる。

  かの〝イギリスの戦い〟(一九四〇年の英国軍とドイツ軍との大空中戦)において総指揮を取ったダウディング卿は今英国中を回って、その空中戦での戦死者の遺族に卿自身が交霊会で受け取った戦死者からのメッセージを伝えて歩いている。卿のおかげで悲しみの涙を止めることが出来た人が沢山いる。

数々の交霊会に出席することによってそれが叶えられた以上は、ヘレン・ダンカンと〝共謀〟したかどで有罪とされたポーツマスの人たちと同じく卿も明らか有罪ということになる。

 なぜ二百年以上も前の〝魔法行為取締法〟がこの一九四四年という年になって国権によって掘り起こされたのだろうか。恐らくどこかで〝隠れた手〟が動いているのでは・・・・・?」

 実はダンカン女史への迫害はこれ一回で終わったのではなかった。

 一九五六年のことであるが、ある著名な足病専門医の自宅で催されたダンカン女史による交霊会が二人の警官の急襲を受けた。二人は宙を飛ばんばかりの勢いでキャビネットへ突進し、カーテンを開けるなり写真を撮った。そのフラッシュで部屋中が光の海となった。入神中のダンカン夫人はそのショックでその場に倒れた。

 知人のハミルトン夫人がかばおうとすると、〝公務執行妨害でお前も逮捕するぞ〟と怒鳴りつけられた。

 〝でも、この人は死にかかっているのですよ!〟 と絶叫するハミルトン婦人の言葉に警官は何の返事もしない。

 〝せめて医者を呼んでください!〟とさらに夫人が言った。
 が、警官は黙ったままこん睡状態のダンカン夫人を部屋から連れ出して寝室へと運んだ。
 そうしているうちにも続々と警官が裏口から屋敷内へ入ってきた。まるで暴動騒ぎでも起きたかの様になった。

 主任の刑事がハミルトン夫人を尋問した。

 〝ダンカン夫人との関係は?〟

 〝友人です〟

 〝共犯者ですね?〟

 〝何の共犯者ですか?〟

 〝今日の詐欺行為です。さあ、マスクと布はどこに隠したか言いなさい〟

 〝何のことをおっしゃっているのか、さっぱり分かりません。私は何も隠してなんかいません。これまでずっと女性の警官に見張られていたのです。医者を呼んでください。今すぐにです。あの方は重態なのです〟

 そこで医者を呼ぶことを許され、電話を入れた。

 医者が来るまでハミルトン夫人はその家に滞在中ずっとダンカン夫人とともに過ごしていた部屋へ行ってみると、スーツケースが全部開けられ、衣服が放り出されたままになっていた。

 やがてドアのベルが鳴った。階下へ降りてみると医者だった。主任刑事も来て、何やら勝手な説明をしながらダンカン夫人が横になっている部屋へ案内した。

 夫人が重態であることは医者でなくても分かるほどだった。脈を取り聴診器を当てたあと、その医者は深刻そうな顔で刑事に

〝で、私にどうしろとおっしゃるのです?〟と聞いた。

 〝腔と肛門を調べてほしい。 幽霊に見せかけるためのマスクと布が隠されているはずだから〟

 〝何ということを! あなたはこの患者が今大変なショック状態にあることがお分かりにならないのですか。ちょっと動かすだけでも死ぬかも知れないほどです。そんなことは私はお断りします〟

 そう言ってからインシュリンの注射を打った。そこでハミルトン夫人が部屋へ入ることを許された。夫人は駆け寄るとすぐさま医者にどんな状態かを尋ねた。

 〝重態です。とても重態です〟と静かに答え、さらに、

 〝私にはこれ以上の手当ては出来ません。申し訳ありませんが・・・〟と言って部屋を出て行った。

 二人きりになるとハミルトン夫人はイスをベットの近くへ引き寄せて座り、ダンカン夫人の手を取り、どうか持ち直しますようにと祈った。

 ブリーリー女史の書物はこのノッチンガム事件で始まっている。その巻頭には次のような、短いが感動的な〝まえがき〟が付いている。

 「一九五六年十月二十六日、ノッチンガムでの交霊会が警察の急襲を受けた。

 その時の霊媒について、これまでいろいろと書かれている。とりわけ最も話題の多かった物理霊媒───言うなればスピリチュアリズムの殉死者とされている。

 その伝記の中で私はその非凡な女性の真実の姿を語ったつもりである。霊視能力、霊聴能力、予知能力、その他数多くの霊的能力を具えていながら、それが物理的霊媒現象つまり物質化現象による評判のために影が薄くなっている。

 また彼女の無私の人類愛、夫と家族への情愛、プライベートな喜びと悲しみ、身体的ならびに精神的苦悩についてはまったくと言ってよいほど書かれていない。その真相は一度も語られていないのである。

 その彼女がノッチンガムでの交霊会で警察の急襲を受けてから三十六日後に他界した。彼女の名はヘレン・ダンカン───私の母だった」

 なおブリーリー女史の著書の巻末に参考資料として何人かの証人尋問の記録が載っている。その中でも五日目の弁護側証人として出廷したハンネン・スワッハーの証言がさすがに出色で、毒舌を利かした面白いものとなっている。参考になる部分が多いので次に紹介しておく。

 証人としての身分は〝著名なジャーナリスト〟となっている。

 弁護人「あなたは確か演劇評論家でもいらっしゃいますね」

 スワッハー「そうです。困ったことですが」

 弁護人「誰が困るのですか」


 スワッハー「私です。いつも最後まで見なくてはいけませんので」

 続けてスワッハーは過去二十年にわたって世界各地でのあらゆる心霊現象を研究し、とくに物質化現象は英国と米国で研究したと述べた。

 弁護人「その研究の目的は?」

 スワッハー「他界した愛する者が今なお生きていることにつて、真実を世間の人に知らせるのが自分の義務であると信じるからです」

 続けてヘレン・ダンカンの交霊会ついて説明した。厳しい条件下で五回ないし六回の実験に立ち合い、いずれも巾広い種類の現象が見られたと述べた。また物質化現象ではエクトプラズムが霊媒の身体の粘膜、太陽神経叢(みぞおち)、その他の箇所から滲出すること、そのときの様子はまるで生き物のように見えると述べ、

ダンカン夫人の場合は〝生きている雪〟に似ていると言う以外に適切な形容ができないと述べた。そしてエクトプラズムを見た回数は五十回ほどに及ぶと付け加えた。

 判事「最後に見たのはいつですか」

 スワッハー「このたび裁判にかけられるようになってからです」


 ここで弁護人が被告人が逮捕されてから今回の裁判が開かれるまでの期間に実証性に富む交霊会が開かれている事実を指摘し、そのことを被告人が本物の霊媒であることの証拠として認めるように申請したが、証拠不十分として却下された。

 弁護人「物理現象において列席者はどんな役割を果たすのですか」

 スワッハー「列席者が和気あいあいとしているほど、つまり気持ちが打ち解け合っているほど、現象も起きやすくなります。それはパーティでもみんなが打ち解け合っていれば話もはずむのと同じです」

 弁護人「ダンカン夫人の交霊会でエクトプラズムから匂いがしたことがありますか」

 スワッハー「話には聞いておりますが、私には経験がありません。私が出席した時はいつも十分な赤色光の中で行われ、部屋の隅から隅まで見えました。ダンカン夫人から六フィートないし七フィート(二メートル前後)のところまで接近して見たことがありますが、そのときはエクトプラズムが鼻の穴から出ておりました」

 判事「それはいつのことですか」

 スワッハー「このたびの裁判沙汰になってからのことです。ですが、エクトプラズムはダンカン夫人の交霊会に出席するたびに見ております」

 弁護人「エクトプラズムについてもう少し詳しく話していただけませんか。それがチーズクロスと間違えられるようなことが有り得ますか」

 スワッハー「子供でもない限りエクトプラズムをチーズクロスと間違えることは有り得ません。チーズクロスなら赤色光を当てると黄色またはピンクに見えます。赤色光を当ててもなお生き生きとした白さを見せるものはチーズクロスなんかでは有り得ません」

 判事「光に過敏なのはなぜですか」

 スワッハー「光線の化学的成分が写真の現像に影響するのと同じです。赤色光を当ててもエクトプラズムは白色または青みがかった白色を呈します。

赤色はまったく反射しません。ダンカン夫人のエクトプラズムは私が見た中では一ばん白い色をしています。霊媒が前もって何かを隠し持っているという説はナンセンスです。前もって身体検査を行っていますから、持っていればすぐにバレます」

 それからスワッハーは物質化霊媒が急激な光線を当てられると危害をこうむる話を次の例を挙げて説明した。あるときダンカン夫人を友人の家に連れて行った。集まった人はみなダンカン夫人を知らない人たちばかりだった。

交霊会はその日が初めてという人も数人いたので、スワッハーが開会に先立って細かい注意事項を述べ、特に予告なしに照明を霊媒に当てることは危険であることを注意しておいた。

 ところが不幸なことに、出席が予定されていたアーネスト・オーテン(当時英国スピリチュアリスト連盟の会長)がクィーンズホールでの演説が長びいて、交霊会場への到着がおくれ、着いた時はすでに始まっていた。

オーテンが部屋のドアをノックした。それを聞いて、スワッハーの注意を聞いていなかった初心者の一人が、足もとを明るくしてあげるつもりでライターをつけた。途端に現象が止まり、同時にダンカン夫人の鼻からどっと血が流れ出た。

その時はそれだけで済んだが、ある霊媒は同じような不注意からその後ずっと目が見えなくなった例をあげ、このように、入神中の霊媒が特殊な状態にあることを説明した。

 そこで弁護人がダンカン夫人にどのような条件テストを行ったかを尋ねると、スワッハーは各ページに署名入りの資料を提出し、一例として次のようなテストを紹介した。

 スワッハー「一九三二年のことですが、私は四人の奇術師(うち二人はプロで後二人は医師)を招待しました。その中のプロの一人が四十ヤードの網でダンカン夫人を縛り上げ、両手に警察の本物の手錠をかけ、そのうえ左右の親指を紐が食い込むほど強く縛りつけました。その状態で交霊会が催されましたが、いつもと同じ現象が起きました。

終わった後ダンカン夫人はその縛られた状態から三分で脱け出たました。縛りあげるのに八分もかかったのです。これは(米国の奇術の天才)フージニーでもマネできなかったでしょう」

 判事「その四人の中にフージニーもいたのですか」

 スワッハー「いいえ」

 判事「彼女はそれをどうやって脱出したのですか」

 スワッハー「支配霊のアルバートが解いたのです。ほかに誰一人彼女に触れた者はいないのですから」

 弁護人「あなたは役者を大勢ご存知ですね」

 スワッハー「ロンドンのステージに立つ役者はほとんど知っております。もっとも役者の方は私を知っているとは認めたがらないかも知れませんが」

 弁護人「問題はダンカン夫人とアルバートが同一人物なのかどうか、又、すぐれた役者ならその種の演技ができるかどうかという点ですが、あなたはどう思いますか」

 スワッハー「違います。アルバートはれっきとした個性をもっており、ダンカン夫人とはいろんな点でまったく違っておりました。役者はいろんな人物に扮することができますが、霊媒の役はできません」

 検事「アルバートの声についてもっと詳しく説明してください」

 スワッハー「ロンドンなまりがあると聞いています。オーストラリア人のような声をしていたという人もいますが、演劇評論家である私には声の説明は難しいです」

 検事「オーストラリア人のような声でしたか。あなたも聞いたことがおありでしょうか」

 スワッハー「あります。メルバの声も聞いたことがありますが、それとも似ておりません」

 検事「で、そのアルバートの声はどんな感じでしたか。アクセントはオックスフォードアクセントでしたか」

 スワッハー「オックスフォードアクセントなどというものはありません。BBC(英国放送協会)が勝手にそう言っているだけです。ごく普通の声でした」

 検事「最後に聞いたのはいつですか」

 スワッハー「二週間前です」

 検事「あなたは心霊の専門家ですか」

 スワッハー「交霊会に出席するようになって二十年になります。今は私自身のホームサークルを持っております」


 検事「あなたも霊媒ですか」

 スワッハー「違います」

 検事「あなたにも守護霊がいますか」

 スワッハー「私の守護霊はエジプト人です」


 検事「それをどうやって知るのですか」

 スワッハー「私のホームサークルの支配霊が教えてくれました。インディアンです」

 このあとダンカン夫人の無罪を立証する証拠の提出をめぐって検事とスワッハーの間で激しいやり取りがあった。その中でスワッハーは詐欺についての質問にこう答えている。

 スワッハー「詐欺ではないかという言いがかりはスピリチュアリズムの発端頭初からあり、現に詐欺があばかれたケースもたくさんあります。この九十年間、私たち関係者はその非難に耐え続けてまいりました。ですから、ダンカン夫人についても考えられるかぎりの、あらゆる手段で真実性をテストしてきました。私はこの目でそれを確認しております」

 検事「〝考えられるかぎりのあらゆる手段〟とおっしゃいましたが、電気装置も使用しましたか。聞くところによればオーストラリアの霊媒ルディ・シュナイダーはハリー・プライス氏による実験のためにわざわざロンドンまで連れてこられたそうですが、シュナイダー氏の交霊会には出席されたことがありますか」

 スワッハー「いわゆる〝電気テスト〟が行われたプライス氏の実験室におけるジェームズ・ダン卿とチャールズ・ホープ卿の交霊会には出席しております」

 検事「その種の実験のことです」

 スワッハー「あれは実験と言うシロモノではありません。私はそのいい加減さを指摘せざるを得ませんでした。たとえばプライスの秘書が実験室をウロチョロしていました。もっと厳しいテストを期待していたのですが」

 検事「ダンカン夫人をX線写真で撮ったことがありますか。それから着色剤を服用したことがありますか」


 スワッハー「胃の中身を着色するための青色の錠剤を服用してもらったことがあります」

 検事「お祈りをすることが赤色光の部屋の中で死者の出現を待っている列席者にどんな影響を与えるのですか。素直に受け容れさせる上で効果があるということですか」

 スワッハー「違います。この法廷もお祈りで始まることがあります」

 検事「祈ることは人間を素直にするものですか」

 スワッハー「祈ることによってバスが素直に見えるようになりますか。それに、いいですか、人間は元々懐疑的な人が多いのです」

 検事「交霊会の時いつも同じ席に座るのは何か意味があるのですか。席はちゃんと決められているのですか」

 スワッハー「どこでも構わない交霊会もありますが、定期的に開かれている場合は席を決めた方がいいようです。食事でも同じ席がいいでしょう。それだけのことです」

 当日は例のチーズクロスが法廷へ持ち込まれていた。弁護人が、ダンカン夫人はそのチーズクロスを前もって呑み込んでおいて吐き出しているということは考えられないかと尋ねると、スワッハーは、それは絶対に有り得ないことで、

もしそんなことをしたらチーズクロスが胃液でビショビショになり、その上汚い色が付いてしまうはずだと述べ、ダンカン夫人の胃袋が牛と同じ反芻胃をしているとしたプライス説を否定する証拠として、夫人の胃袋がごく普通の胃袋をしていることを示すX線写真を持ち出して、これを見れば明らかだからこれを証拠写真として申請したいと申し出たが却下され、医師の診断書の提出も拒否された。続けてこう述べた。

 スワッハー「私はためしにチーズクロスを呑んでみようとしたことがあります。今ここでご覧に入れましょうか」

 判事「いや結構、法廷をショーのレベルに下げるような行為を許すわけにはいきません」

 スワッハー「チーズクロスを問題にしているのはあなた方の方で、われわれは少しも問題にしてないんですよ。いったいなぜ、こんなものを法廷に持ち込んだのです! ハリー・プライス自身に一度呑んでみてくれるように頼んでも、嫌がって呑もうとしなかった。

そのプライスがチーズクロス説などという気違いじみた説を言い出すまで、私はこの世にこんなふざけた説を言い出す人間がいるとは思ってもみなかった。まったくバカげた話です!」

  ここで検事が先程のスワッハーの話に出た鼻から血を出した霊媒の話に戻して尋ねた。

 検事「あなたはその鼻をよく観察されたのですね?」

 スワッハー「しました。ごく普通の鼻をしておられました。その鼻から出血しておりました」

 検事「見て確かめたのですね?」

 スワッハー「見て確かめる以外にいったい何かすることがあるのですか。申し上げますが、これでも私は観察眼というものを具えているつもりです。私が書くことは全部そのまま信じてくれます」

 検事「あなたは確固とした信念をお持ちのスピリチュアリストですか」

 スワッハー「私は確固とした信念を持っております。異論の余地のない証拠に基づいているからです」

 検事「演劇評論家として他の評論家と意見が食い違うことはありませんか」

 スワッハー「それは〝事実〟の問題ではなく〝見解〟の相違の問題です」

 検事「もう一度お聞きします。ダンカン夫人はチーズクロス説では十分なテストをされたとお考えですか」

 スワッハー「X写真線まで撮ってあります。何ら異常なしと医師の診断書も用意してあります」

               完  

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



 十章 質問に答える

(一)──スピリチュアリズムが現代の世界に貢献できるものの中で最大のものは何でしょうか。

 「最大の貢献は神の子等にいろんな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日蔭でなく日向で生きることを可能にします。

 あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放します。真理を求める戦いにおいて勇猛果敢であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上の他のいかなる人間にも霊の絆が宿ることを認識せしめます。

 憎み合いもなく、肌の色や民族の差別もない世界、自分をより多く役立てた人だけが偉い人と呼ばれる新しい世界を築くにはいかにしたらよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうしたことがスピリチュアリズムにできる大きな貢献です。

 人間は自由であるべく生れてくるのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷の如く他のものによって縛られ足枷をされて生きるべきものではありません。その人生は豊かでなければなりません。

精神的にも身体的にも霊的にも豊かでなければいけません。あらゆる知識──真理も叡知も霊的啓示も、すべてが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の荘厳さの中で生きるべきです」


(二)──スピリチュアリズムはこれまでどおり一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか、それとも一つの信仰形体として正式に組織を持つべきでしょうか。

 「私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹は止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。みずからの力で発展してまいります。外部の力で規制できるものではありません。

あなた方が寄与できるのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。それがどれだけの影響をもたらすかは前もって推し量ることは出来ません。そのためのルールをこしらえたり、細かく方針を立てたりすることはできません。

(そういうことを人間の浅知恵でやろうとすると組織を整え、広報担当、営業担当といったものをこしらえ、次第に世俗的宗教となり下がるということであろう──訳者)

 あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する──人のために役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える──かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。

じっくりと人間生活の全分野に浸透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」


(三)──支配霊になるのは霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか。

 「いえ、そうとはかぎりません。その霊媒の仕事の種類によって違いますし、また、〝支配霊〟という用語をどういう意味で使っているかも問題です。地上の霊媒を使用する仕事に携る霊は〝協力態勢〟で臨みます。

一人の霊媒には複数の霊からなる霊団が組織されており、その全体の指揮に当たる霊が一人います。これを〝支配霊〟と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じでしゃべります。

ときおり他の霊がしゃべることもありますが、その場合も支配霊の指示と許可を得たうえでのことです。しかし役割は一人ひとり違います。〝指導霊〟という言い方をすることがあるのもそのためです。

 入神霊言霊媒にかぎって言えば、支配霊は必ず霊媒より霊格が上です。が、物理現象の演出にたずさわるのは必ずしも霊格が高い霊ばかりとはかぎりません。中にはまだまだ地上的要素が強く残っているからこそその種の仕事にたずさわれるという霊もいます。

そういう霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とはかぎりません。しかし一般的には監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」

(訳者注──〝霊〟と〝魂〟の違いと同じく、この〝支配霊〟と〝指導霊〟の使い方は英語でも混乱している。と言うよりは勝手な解釈のもとに使用されていると言った方がよいであろう。これは各自の理解力に差がある以上やむを得ないことであり、こうしたことは心霊の分野だけでなく学問の世界ですら一般的である。だからこそ辞引や用字用語辞典が生まれてくるのである。

心霊用語を一定の規範にまとめるべきだという意見も聞かれるが、私は使用する人間にその心得がない以上それは無駄であると同時に、その必要性もないと考えている。要は自分はこういう意味で使用するということを明確にすれば、あるいは文脈上それがはっきりすれば、それでいいと思う。

特に霊界通信になると根本的に人間の用語では表現できないことが多く、通信霊は人間以上にその点で苦労しているのである。

それは私のように英語を日本語に直す仕事以上に大変なことであろう。霊言でも自動書記でも同じである。それが人間の言語の宿命なのである。シルバーバーチが折あるごとに、用語に拘らずその意味をくみ取って欲しいと言っているのもそのためである)


(四)───入神状態(トランス)は霊媒の健康に害はないのでしょうか。
  「益こそあれ何ら害はありません。ただし、それは今までに明らかにされた霊媒現象の原理・法則を忠実に守っていればのことです。あまりひんぱんにしすぎると、たとえば一日に三回も四回も行えば、これは当然健康に悪影響を及ぼします。が、

常識的な線を守って、きちんと期間を置いて行い、霊媒としての日ごろの修行を怠らなければ、必ず健康にプラスします。なぜかというと、霊媒を通して流れるエネルギーは活性に富んでいますから、それが健康増進の効果をもたらすのです。正しく使えば霊媒能力はすべて健康にプラスします。が使い方を誤るとマイナスとなります」


(五)──思念に実体があるというのは本当でしょうか。

 「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある───このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。

 いま地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現できる段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信しあえる段階までは進化していないということです。

まだまだ開発しなければならないものがあります。地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在ということです。その条件がおのずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形体をとるまでは存在に気付かないからです。

 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。

 勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にあるかぎりは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野でとらえなければいけません」


──物的活動の動機づけとして活用するのは許されますね?

 「それは許されます。また事実、無意識のうちに使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することができないだけです」


──でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

 「できます。なぜなら私たちは人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、私がぜひ申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。

またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観るかぎり、それが真実なのですから仕方がありません」


──大戦前にあれほど多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止できませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土───敵国のドイツでもそう祈ったのです。

 「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きにおのずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」


──善意の人々にとっては思念の力が頼りです。

──米国民への友好心はわれわれ英国人への友好心となって返ってきます。

 「それから、遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。ただしその時は霊がその仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方をほとんど知らずにいます。

ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。その意味でこの地上生活において思念を行為の有効なさきがけとする訓練をすべきです。

きちんと考えたうえで行為に出るように心掛けるべきです。ですが、思念の使い方を知らない方が何と多いことでしょう。わずか五分間でも、じっと一つのことに思念を集中できる人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」


(六)──遠隔治療において患者が(精神を統一するなどして)治療に協力することは治療効果を増すものでしょうか。

 「私の考えでは、それは波長の調整にプラスしますから、大体において効果を増すと思います。異論もあることでしょうが、私はそうみています。知らずにいるよりは知っている方が原則としては治療が容易になります。治療エネルギーを送る側と受ける側とが波長が合えば、治療が一段と容易になります。

 治療を受けていることを知らないでも顕著な治療効果が表れたケースがあることは私もよく知っておりますが、大抵の場合それは患者の睡眠中に行われているのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです」

(昼間に送られた治療エネルギーが睡眠中に効き始めるというケースもある───訳者)


(七)──心霊研究をどう思われますか。

 「その種の質問にお答えする時に困るのは、お使いになる用語の意味について同意を得なければならないことです。〝心霊研究〟という用語には、いわゆるスピリチュアリストが毛嫌いする意味が含まれています。(S・P・Rのように資料をいじくりまわすだけに終始して一歩も進歩しない心霊研究をさす───訳者)

こうした交霊会や実験会や養成会も真の意味における〝研究〟であると言えます。というのは、私たちはそうした会を通して霊力がよりいっそう地上へもたらされるための通路を吟味・調査しているからです。

 みなさんは私たちから学び、私たちはみなさんから学びます。動機が純粋の探求心に発し、得られた知識を人類の福祉のために使うのであれば、私は研究は何であっても結構であると思います。が、霊媒を通して得られる現象を頭から猜疑心を持って臨み、にっちもさっちも行かなくなっている研究は感心しません。

動機が真摯であればそれは純粋に〝研究〟であると言えます。真摯でなければ〝研究〟とは言えません。純心な研究は大いに結構です」


(八)──国教会は、スピリチュリズムには何ら世の中に貢献する新しいものがないと言って愚弄しておりますが、それにどう反論されますか。

 「私は少しも愚弄されているとは思いません。私たちがお届けした〝新しいものが〟一つあります。それは、人類史上初めて宗教というものを証明可能な基盤の上に置いたことです。つまり信仰と希望とスペキュレーションの領域から引き出して〝ごらんなさい。このようにちゃんと証拠があるのですよ〟と言えるようになったことです。

しかし、新しいものが無いとおっしゃいますが、ではイエスは何か新しいものを説いたでしょうか。大切なのは新しさとか物珍しさではありません。真実か否かです」


 ここでメンバーたちがシルバーバーチの当意即妙の応答ぶりに感心して口々にそのことを述べると、こう述べた。

 「地上のみなさんは細切れの知識を寄せ集めなければなりませんが、私たちは地上にない形で組織された知識の貯蔵庫があるのです。どんな情報でも手に入ります───即座に手に入れるコツがあるのです(※)。私たちの世界の数ある驚異の一つは、すべてが見事に、絶妙に組織されていることです。

知識の分野だけでなく、霊にとってのあらゆる資源───文学、芸術、音楽等の分野においてもそうです。すべてが即座に知れ、即座に手に入ります。まだ地上の人間に知られていないことでも思いどうりになります」

(※霊格の高い低いに関係なく、そのコツさえ会得すれば誰にでも知れる。だからこそ歴史上の人物を名のって出る霊は警戒を要するのである。つまり、その人物の思想や地上時代の情報はいとも簡単に───あたかもコンピューターの情報のように、あるいはそれ以上に簡単に、しかも詳細に知れるので、〝それらしいこと〟を言っているからといってすぐに信じるのは浅はかである。

他界したばかりの霊を呼び出す場合も同じで、それらしく見せかけるのは霊にとっては造作もないことである。そんなことを専門にやって人間を感動させたり感激させたりしている低級霊団がいて、うまく行くとしてやったりと拍手喝さいして喜んでいる。別に危険性はないが、私には哀れに思えてならないのである───訳者)


(九)──大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか。

 「何ら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙及びそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。宇宙は誤ることのない叡知と慈悲深き目的を持った法則によって統括されています。

その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは間違いない事実です。

 このことは慈悲の要素が神の摂理の中に目論まれていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力を持ってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

 いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さを持って結果を生んでいく過程を阻止することは出来ません。そこに摂理の機械性があります。機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識を持ったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。

 私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲にあふれ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな〝人間神〟的な要素のない神です。しかし神は無限なる大霊である以上その顕現の仕方も無限です。あなた方お一人お一人がミニチュアの神なのです。

お一人お一人の中に神という完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿しているということです。その火花を宿していればこそ存在出来るのです。しかしそれが地上的人間性という形で顕現している現段階においては、みなさんは不完全な状態にあるということです。

 神の火花は完全です。一方それがあなた方の肉体を通して顕現している側面は極めて不完全です。死後あなた方はエーテル体、幽体、又は霊的身体───どう呼ばれても結構です。要するに死後に使用する身体であると理解すればよろしい───で自我を表現することになりますが、そのときは現在よりは不完全さが減ります。

霊界の界層を一段また一段と上がっていくごとに不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出るようになります。ですから完全といい不完全といい、程度の問題です」


──バラもつぼみのうちは完全とは言えませんが満開となった時に完全となるのと同じですね。

 「全くその通りとも言いかねるのです。厄介なことに、人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達することができないのです。知識にも叡知にも理解力にも真理にも、究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。いま成就出来ないのも、そのうち成就出来るようになります。

はしご段を昇っていき、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くというのです。それで完全という段階が来ないのです。もしそういうことが有りうるとしたら、進化ということが無意味となります」


 これは当然のことながら議論を呼び、幾つかの質問が出たが、それにひと通り応答した後、シルバーバーチはこう述べた。

 「あなた方は限りある言語を超えたものを理解しようとなさっているのであり、それはぜひこれからも続けていくべきですが、たとえ口では表現できなくても、心のどこかでちらっと捉らえ、理解出来るものがあるはずです。

たとえば言葉では尽くせない美しい光景、画家にも描けないほど美しい場面をちらっと見たことがおありのはずですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わうことは出来ます。それと同じです。あなた方は今、言葉では表現できないものを表現しようとなさっているのです」


──大ざっぱな言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言ってよいかと思うのですが・・・

 「結構です。ただその意識にも次元の異なる側面が無限にあるということを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理──大自然の法則──は、自動的に宇宙間のすべての存在を包含するからです。

たった一つの働き、たった一つのバイブレーション、動物の世界であろうと、鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと、昆虫の世界であろうと、根菜の世界だろうと、花の世界であろうと、海の世界であろうと、人間の世界であろうと、霊の世界であろうと、その法則によって規制されていないものは何一つ存在しないのです。

宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールを持った一つの調和体なのです。

 それを解くカギさえつかめば、悟りへのカギさえ手にすれば、いたって簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は神の意志が顕現したものだということです。法則が神であり、神は法則であるということです。

 その神は、人間を大きくしたようなものではないという意味では非人格的存在ですが、その法則が霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では人間的であると言えます。要するにあなた方は人類として宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」



──ということは神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則が作られつつあるのでしょうか。

 「法則は無窮の過去からずっと存在しています。完全である以上、その法則の枠外で起きるものは何一つ有り得ないのです。すべての事態に備えられております。あらゆる可能性を認知しているからです。もしも新たに法則を作る必要性が生じたとしたら、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」


──こう考えてよろしいでしょうか。神の法則は完全性のブループリント(青写真・設計図)のようなもので、われわれはそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と。

 「なかなか好い譬えです。みなさんは地上という進化の過程にある世界における進化しつつある存在です。その地球は途方もなく大きな宇宙のほんの小さな一部に過ぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態に備えた法則によって支配されております。

 その法則の枠外に出ることは出来ないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動のすべてがその法則によって規制されているのです。

あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまりあなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかは、あなた自ら工夫しなければなりません。それさえできれば、病気も貧乏も、そのほか無知の暗闇から生まれる不調和の状態が無くなります。

自由意志の問題について問われると必ず私が、自由といっても無制限の自由ではなく自然法則によって規制された範囲での自由です。と申し上げざるを得ないのはそのためです」


(10)──この機械化時代は人類の進化に役立っているのでしょうか。私にはそうは思えないのですが。

 「最終的には役に立ちます。進化というものを一直線に進むもののように想像してはいけません。前進と後退の繰り返しです。立ち上がっては倒れるの繰り返しです。少し登っては滑り落ち、次に登った時は前より高いところまで上がっており、そうやって少しずつ進化して行きます。

ある一時期だけを見れば〝ごらん!この時期は人類進化の黒い汚点です〟と言えるような時期もありますが、それは物語の全体ではありません。ほんの一部です。

 人間の霊性は徐々に進化しております。進化に伴って自我の本性の理解が深まり、自我の可能性に目覚め、存在の意図を知り、それに適応しようと努力するようになります。

 数世紀前までは夢の中で天界の美を見、あるいは恍惚たる入神の境地においてそれを霊視できたのは、ほんのひとにぎりの者にかぎられていました。が今や、無数の人々がそれを見て、ある者は改革者となり、ある者は先駆者となり、ある者は師となり、死して後もその成就の為に立ち働いております。そこに進歩が得られるのです」


──その点に関しては全く同感です。進歩はあると思うのです。が、全体として見た時、地球上が(機械化によって)余り住み良くなると進化にとってマイナスとなるのではないかと思うのです。

 「しかし霊的に向上すると──あなた個人のことではなく人類全体としての話ですが──住んでいる世界そのものにも発展性があることに気づき、かつては夢にも思わなかった豊かさが人生から得られることを知ります。

機械化を心配しておられますが、それが問題となるのは人間が機械に振り回されて、それを使いこなしていないからに過ぎません。使いこなしさえすれば何を手に入れても宜しい──文化、レジャー、芸術、精神と霊の探究、何でもよろしい。かくして内的生命の豊かさが広く一般の人々にも行きわたります。

 その力は全ての人間に宿っています。すべての人間が神の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山をこしらえ恒星をこしらえ惑星をこしらえた力と同じ力、太陽に光を与え花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、生活の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば存分に活用することが出来るのです」


──花に芳香を与えた力が蛇に毒を与えているという問題もあります。

 「それは私から見れば少しも問題ではありません。よろしいですか。私は神があなた方のいう〝善〟だけを受け持ち、悪魔があなた方のいう〝悪〟を受けもっているとは申しあげておりません」


──潜在的には善も悪もすべてわれわれの中に存在しているということですね。

 「人間一人一人が小宇宙(ミクロコズム)なのです。あなたもミニチュアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです」


(十一)──あなたは地球という惑星がかつてより進化しているとおっしゃいましたが、ではなぜ霊の浄化のためになお苦難と奮闘が必要なのでしょうか。

 「なぜなら人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化というものはありません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。が、そのたびに少しずつ進化してまいります。

 霊の世界では、次の段階への準備が整うと新しい身体への脱皮のようなものが生じます。しかしその界層を境界線で仕切られた固定した平地のように想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的に幾つかあって、お互いに重なり合い融合し合っております。

地上世界においても、一応皆さんは地表と言う同じ物質的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別の世界に住んでいると言えるのです」


──これまでの地上社会の進歩はこれから先に為されるべき進歩に較べれば微々たるものに過ぎないのでしょうか。

 「いえ、私はそういう観方はしたくないのです。比較すれば確かに小さいかも知れませんが、進歩は進歩です。次のことを銘記してください。人間は法律や規則をこしらえ、道徳律をうち立てました。文学を豊かにしてきました。芸術の奥義を極めました。精神の隠された宝を突き止めました。霊の宝も、ある程度まで掘り起こしました。

 こうしたことは全て先輩達のお陰です。苦しみつつコツコツと励み、試行錯誤を繰り返しつつ、人生の大渦巻きの中を生き抜いた人たちのお陰です。総合的に見れば進歩しており、人間は初期の時代にくらべて豊かになりました。物質的な意味ではなく霊的・精神的に豊かになっております。そうあって当然でしょう」

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳




九章 悩み多きインド

 インドのボンベイの新聞〝フリープレス・ジャーナル〟のロンドン特派員シュリダール・テルカール氏がハンネン・スワッハー氏との不思議な出会いからシルバーバーチの交霊会に招かれた。以下はテルカール氏の記事である。

             ※ ※ ※

 われわれの日常生活には不思議なことが起きるものである。なぜそうなったかは必ずしも説明できない。〝ああ、それはそうなるようになってたんだよ〟と言う人がいるであろう。〝それが神の意志だったのさ〟と言って片づけてしまう人もいるであろう。

かくして凡人はそうした〝予期せぬこと〟の背後の重大な意味に気づかないまま毎日を生きている。

 いま私の脳裏に、なぜあの時あんなことになってしまったのだろうかという、ある不思議な体験のことが残っている。今の私には不思議なナゾに包まれたミステリーに思える。私の職業はジャーナリストである。母国インドの新聞に何か新鮮なものを送りたいと思っていつも目を皿のようにしている人間である。

 さて、つい先ごろのことである。インド人の友だちが情報局のプレスルームにひょっこり姿を見せた。思いがけないことだった。〝サボイ・ホテルまで来てくれないか。いい話があるんだ〟と言う。

誘われるまま行ってみると、ストラボルギー卿の記者会見が行われていた。友たちは会見室に入っていきジャーナリストが並んでいる一ばん端に席を取った。が、私は何となく入る気がしなくて外で待っていた。

 ところが突然ストラボルギー卿が席を立って私のところへ歩み寄り、握手を求め〝ま、お入りください〟と言って中へ案内した。そして座らされたテーブルには、なんと、卿夫妻とイスラエル人の他にハンネン・スワッハー氏がいた。

私はスワッハー氏は取材旅行中に何度も見かけたことはあるが、それほど身近に見るのは初めてだった。氏には何かしら私を惹きつけるものを感じていた。

 その瞬間私の脳裏には学生時代のことが浮かんだ。当時はハンネン・スワッハーといえば毒舌をもって鳴らす怖い存在に思えた。が今はじめて言葉を交わして見て、本当は心根の優しい、温かい、真の庶民の味方で、深い人間的理解力を秘めた方であることを知った。

記者会見が終わると私はスワッハー氏に〝かねがねお会いできればと願っておりました〟と挨拶した。すると〝正午に私の家にいらっしゃい〟と言われた。

 訪ねてみるとスワッハー氏は書物と書類に埋もれた〝仕事場〟にいた。氏はそこであの超人的才能で文章を書き上げているのだ。あの辛らつな、容赦ない風刺をきかした文章、スワッハー一流の簡潔な文章──千語が百語に凝縮してしまうのだ。その日私はそのスワッハー氏がその魔術的仕事に携わっているところを見ていて〝ペンは剣より強し〟という古い諺を思い出した。

実はその時の私にはある不満のタネがあった。それを遠慮なく述べると、それをまともに取り上げてくれて、その場であっという間に記事を書き上げてしまった。奇跡としか思えなかった。スワッハーという人はただの毒舌家ではないのだ。

 さて私がそろそろ失礼しようとすると、氏が司会をしているホームサークルに出席してみなさいと言われた。私は英国へ来て十五年余りになるが、スピリチュアリストの集会にも交霊会にも行ってみたことがない。

ジャーナリストである以上──ジャーナリストというのは常に抜け目のない批判的精神の持ち主であると相場がきまっているので──このチャンスを逃すのは勿体ないと考えて、招待に応じた。

 交霊会が催されるこじんまりとした住居(バーバネルの私邸)に到着した時私はいささか興奮していた。とても雰囲気のいい家だった。バーバネル夫妻が温かく迎えてくれた。至って英国らしい家庭である。

が、雰囲気はどこかよそと違うところがある。何となく母国インド人の手厚い歓迎を受けているような錯覚を覚えた。数こそ少ないが、その日そこに集まった人たちとすぐに打ちとけてしまったのである。

初めて会う人たちばかりなのに、あたかも親しい旧友と再会したみたいに愉快に語り合い、冗談を言い合っては笑いが巻き起るのだった。

 壁の肖像画がすぐ目に入った。このハンネン・スワッハー・ホームサークルの支配霊シルバーバーチである。深い洞察力に富んだ眼と顔の輝きがインディアンの聖人を思わせる。私はしばしその画に見入っていた。今にも私に語りかけそうな感じがした。

 談笑はしばらく続いた。私はスワッハー氏の隣に腰かけた。有名な心霊治療家であるパリッシュ氏と向かい合う形となった。やがて急に部屋が静寂に包まれた。時おりヒソヒソと語り合う声がする。私は列席者の顔ぶれに興味のまなこを向けた。スワッハーの横にはもう一人、純情そうな若いジャーナリストがいた。こうして油断を怠らなくさせるのは新聞記者としての私の本能である。

 列席している男女は至って普通の人間ばかりである。奇人・変人の様子はひとかけらも見られない。語り合った印象でも、みな教養豊かな知識人ばかりである。政治問題、社会主義、ガンジーなどが話題に上ったが、どう見ても〝へソ曲がり〟でもなく〝ネコかぶり〟でもなく、〝一風変わった精神病者〟ではあり得なかった。(当時のスピリチュアリストはそういう言葉で形容されていたのであろう───訳者)

 そのうち霊媒のバーバネルが落ち着かない様子を見せはじめた。〝落ち着かない〟という表現は適切ではないのであろうが、私の目にはそう映ったのである。両手でしきりに頬をさすっている。眼はすでに閉じている。氏の身も心も何か目に見えないものによって占領されているように私には思えた。

続いて〝シュー〟という声とともにドラマチックな一瞬が訪れた。全員の目が霊媒の方へ注がれている。ついにシルバーバーチが語り始めたのである。

(訳者注───必ずいびきを伴った息づかいから始まり、それが次第に大きくなっていき、最後に〝フーッ〟と大きく吐き出す。それがそのときの唇の形によって〝シューッ〟となったり〝スーッ〟となったりする。霊媒から離れる時もなぜかいびきを伴った息づかいで終わる)

 最初に祈りの言葉があった。その簡潔でいてしかも深い意味を持つ言葉に私は感銘を受けた。それが淀みなく流れ出るのに深い感動を覚えた。祈りが終わってスワッハー氏が私を(インドの霊覚者)リシーと親交のある人物として紹介すると、シルバーバーチはこう語ってくれた。

 「本日は私たちの会にご出席いただいてうれしく思います。リシーご夫妻には私も深い敬意を抱いております。大きな仕事をなさっておられるからです。暗黒の大陸においては小さな灯でしかないかも知れませんが・・・

 ご夫妻は右に偏ることも左に偏ることもなく、双肩に担わされた神聖な信任に応えるべく真っすぐに歩んでおられます。大陸を相手にたった一人です。自らも遅々として進歩の少ないことを自覚しておられますが、そのたった一人の力で多くの魂が感動し、太古からの誤った教えと古臭い迷信による束縛から脱し、霊的真理の光明へ向かっております。

 どんどん広がってまいります。小さなうねりが次第に大きくなって大河となり、やがて巨大な大洋となることでしょう。きっとなります。宗教についてあれほど多くが語られながら霊についての真実がほとんど理解されていないあなたの大陸においてきっと広がることでしょう。

 私から見るとインドには霊の道具となれる人があふれるほどいます。一人ひとりが福音を広める道具です──道具となれる可能性をもっております。一人の人間が一人の人間に真理をもたらすことができれば、少なくとも倍の真理がもたらされたことになりましょう。

 所詮は短い人生です。その短い人生においてたった一人の人間でもいいから重荷を軽くしてあげることに成功したら、たった一人の人間の涙を拭ってあげることが出来たら、たった一人の人間の悩みを取り除いてあげることが出来たら、それだけでもあなたの生涯は無駄でなかったことになります。

ところが悲しいことに、地上生活の終わりを迎えたときに何一つ他人のためになることをしていない人が実に多いのです。そう思われませんか」

 「まったくです」と私は答えた。

 社会主義者として、また普遍的同胞精神の大切さを信じる者の一人として、そのシルバーバーチの最後の言葉は、苦しむ人類の全てに対するメッセージと言ってよい。その言葉を胆に銘ずべき人がいる筈である。今地上には同胞に対する非人間性がはびこりつつあり、われわれの想像力を悩ませている。


神と真理の名において多くの罪悪が横行している。〝力は善なり〟の風潮がはびこり、宇宙の永遠の摂理が風に吹き飛ばされている。確かにシルバーバーチの言うとおり、もしも〝一人ひとりが福音を広める道具〟となれば、少なくともわれわれの人生は無駄でなかったことになろう。私はシルバーバーチにこう尋ねた。

 「私は人間はすべて自由であるべきだと思います。私の国民は今大きな苦しみを味わっております。インドの魂は悶え苦しんでいると私はみています。今日インドには立派な人がいることはいます。

インド国民の霊的意識を高揚させ、霊力の貯蔵庫の恩恵にあずからせるべく献身的生活をしている霊覚者がいて、インドをイギリスの支配から独立させ、平和と幸福と自由を得るために闘っております。私たちの国民がそこまで到達する方法、あるいは道があるのでしょうか」

 「今ここに素晴らしい方がお見えになってます。その方の詩をあなたも愛読していらっしゃると言えば、もう誰だかお分かりでしょう」

 タゴールである。インド最高の詩人であり、その詩によって無数の国民の魂を鼓舞した人物である。シルバーバーチは続けた。

 「いいですか。インドは今、過去に蒔いたタネを刈り取っているところだということを知ってください。宇宙は法則によって支配されております。原因と結果の法則です。私の声は──そして地上の物的束縛から解放された者たちの声もみなそうですが──自由と解放と寛容の大切さを強調します。が、

血なまぐさい戦争の結果として生じた複雑な問題が一気に解決できるわけがありません。

国民が勝手にこれが自由だと思いこみ、それ以外の自由を望まない国民を安易に解放するわけには行かないでしょう。自由には必ず条件が付きものだからです。何の拘束も無い自由と言うものは無いのです。

〝自由な自由〟というものは無いのです。自由というのは、その自由がもし無条件なものとなったらかえって侵害されかねない〝自由の恩恵〟を味わうために、ある程度の制約が必要なのです。

 インドはこれまで幾世紀にもわたって、勝手にこしらえた信仰に縛られてきたがために生じた暗黒が支配しています。無数の国民が間違った偶像を崇拝し、それに神性と絶対力があるかに思い、それ以外の神々を認めることを拒否します。

それによって人間の霊性が束縛され、隷属させられ、抑圧されております。わけの分らない概念で戸惑わせるばかりの複雑な教義でがんじがらめにされております。

 さて、そうした彼らを救出してあげなければならないのですが、何世紀にもわたって積み重ねられてきたものをたった一日で元に戻す方法はありません。インド民族はまだ寛容の精神が身に付いておりません。

神の前において人類はすべて平等であること、誰一人として神の特別の寵愛を受ける者はいないこと、無私の奉仕に献身した者だけが神の恩寵にあずかるという教えが理解できておりません。

 改めなければならないことが沢山あります。永い間暗闇の中で暮らしてきた者は一度に真理の光を見ることができません。そんなことをしたら目が眩んでしまいます。仕事は一人ひとりが自分の力で、牢獄となってしまった宗教的束縛から脱け出ることから始まります。

その束縛を打ち破ってしまえば、より大きな自由を手にすることが出来ます。すなわち他人の権利を認めてあげられる心のゆとりです。

 人間の霊には教義やカースト(世襲的階級制度)を超えてすべてを結びつける要素があるとこと、民族全体が一つの兄弟関係にあることを理解出来る人が大多数を占めるようになれば、もはやその民族を隷属させる権力者も支配者もいなくなります。

なぜなら、すでにその民族は自らの努力によって獲得した魂の自由を駆使できる段階まで到達している筈だからです。

 まずは献身的奉仕精神に目覚めた、ひとにぎりの誠心誠意の人物が出現すればいいのです。その人たちによって多くの難問解決への道が切り開かれ、暗闇に光明を灯す糸口がつかめるでしょうが、そのためには、その人たちは〝我〟を超越し〝宗派〟を超越し、〝教義〟と〝カースト〟を超越して、インド民族のすべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味があることを率直にそして謙虚に認められるようにならなければいけません。

あれほどの宗教国家においてあれほどの暗黒が存在するとは、何という矛盾でしょう!。あれだけの裕福な階級がある一方で、あれほどの貧民階級が存在するとは、何という矛盾でしょう!」


 私は主張した──「でもインドにも偉大な人物が数多く存在します。政治犯として今なお獄中にあるネールを初め、ガンジー、そのほか偉大な人物がいます。インドの国民は、問題は要するに一国家による他国家の占領支配にあると考えています」

 「それは違いますよ」 と優しく諭すようにシルバーバーチは語ってくれた。「いいですか、問題はあなたのおっしゃる一国による占領支配にあるのではありません。何となれば、かりにその占領支配が一気に取り除かれても、それで民族に自由がもたらされるかというと、そうは行かないでしょう。

自由というのは苦労した末に手にすべきものなのです。自分の力で勝ち取らねばならないものなのです。そのための大きな革命がナザレのイエス以来ずっとこの方、個人の力で成就されてきているではありませんか」

(訳者注──イエス時代のイスラエル民族はローマの占領支配下にあり、それと結託したユダヤ政治家や宗教家の腐敗と堕落によって民衆は息も絶えだえの状態にあった。そこに出現したのがイエスであり、腐敗と堕落を極めた宗教家と政治家を相手に敢然として立ち向かった。

イエスは一般にはキリスト教の教祖のように思われているが、世襲的にはユダヤ教徒だった。が、ユダヤ教の誤った教義によって束縛された生活習慣や物の考え方を改めるために新しい霊的真理を説き、その証拠として持ち前の霊的能力を駆使したまでのことで、本質的には社会革命家だった。シルバーバーチの念頭にはインドが当時のイスラエルに似ているという認識がある)

 シルバーバーチの霊言を聞いていて私は、その言葉に深い真理があることに気づいた。その訓え──インド民族への霊的メッセージに秘められた叡知に大きな感動を覚えた。最も、末節的には賛成しかねる部分もあった。

現在のインド民族の大半がヒンズー教徒の信者であるが、今日のヒンズー教徒はべーダとウパニシャッド(ともにバラモン教の根本教典で最高の宗教哲学書とされている──訳者)をもとにした純粋のヒンズー教徒ではなくなっている。べーダとウパ二シャッドの教えはまさにシルバーバーチの訓えそのものなのである。

 ヒンズー教もその内きっと本来のあるべき姿を取り戻す日が来るであろう。それは時間の問題に過ぎない。ガンジーその他の大人物がすでにエネルギーを再生させ、それによって無数のインド人が勇気づけられている。今やインドは蘇ったのである。多くの者が既に邪神と似非(えせ)予言者との縁を断っている。

 この度の英国による政治支配はむろんインド自身の側にもその責任の一端がある。が、こうした事態に至らしめた最大の責任は、片手に銃を、もう一方の手にバイブルを持って攻め込んだ征服者の側にある。それが自分たちの邪神と似非予言者をインドに植え付けたのである。

それが積み重ねられた影響力がインド人の心にますます混乱を引き起こした。打ちひしがれた心が一段と虐げられ、インドの自由精神はほぼ外敵の戦車の車輪につながれてしまっていた。

 今日のインドには世界の他のいかなる国にも劣らない霊的同胞精神がある。人間の霊性が武力の前に恐れおののいているように思えてならない。カーストと教義を超えてインド人は、シルバーバーチの言うように〝すべてが広大な宇宙の一員であること、その一人ひとりに存在の意味がある〟ことを認識している。

 〝大きな革命は個人の力で成就されてきた〟──このシルバーバーチの言葉は至言である。ガンジーもネールも偉大な革命家だった。彼らの政策に批判的な人がいるかも知れない。その経済政策に疑問を持つ人がいるかも知れない。彼らの禁欲主義は度を過ごしていると思う人がいるかも知れない。が、彼らは現実にインドの大衆の心を捉えたのだ。

 彼らこそ宗教的教義のジャングルを切り開き、不幸な私の母国に自由をもたらしてくれることであろう。が、同時に、他の多くの国の偉大な霊もまた、その霊的統一をもたらす上で力となってくれるに違いない。頑丈な体格をしながらも傷ついた人間に小柄な人間が力を貸すことが出来ることもあるのだ。 

 では最後にこう付け加えて本稿を終わろう。私は厳密な意味でのスピリチュアリストではない。が、この度の交霊会への出席は素晴らしい体験だった。今なお私は勉強中であり、研究中であり、指導を求めている。道は遠く、困難をきわめることであろう。が、どうやらその旅の終わりには、それだけの価値のあるものが待ち受けている様な気がする。
シュリダール・テルカール
 

Wednesday, October 21, 2026

シルバーバーチの霊訓(七)

More Wisdom of Silver Birch
Edited by Sylvia Barbanell
近藤千雄訳



八章 大きくなったルースとポール

 ジャーナリストであり作家でもあるP・ミラー氏の二人のお子さん、ルースとポールは、ごく自然な環境の中で、両親から死後の存続を事実として教わっている。

今はもう少年期に入っているが、姉のルースが八歳、弟のポールが六歳の幼児期から(六年間)毎年のようにクリスマスが近づくと交霊会に招かれて、シルバーバーチとお話をしている。従ってシルバーバーチとはまるで家族のような親しい間柄となっている。

 二人が出席するときは大てい幾つかの質問を用意しているが、その質問内容は〝子供らしさ〟あるいは〝少年らしさ〟を尊重して両親をはじめとしてサークルの大人のメンバーの誰からも干渉されていない。交霊会そのものも、大人のメンバーは出席することは許されても口出しは許されない。言わば〝子供のための交霊会〟なのである。

(訳者注───口出しは許されないと言っても、大人にとっても大切な問題になると補足的な質問をしている。なおこのルースとポールの幼少時代の交霊会の様子は日本語版シリーズ第五巻で「二人の幼児と語る」と題して紹介されている。

それから六年たっている。原書では本章は冒頭に子供時代の宗教教育の大切さについてのシルバーバーチの講話が載っているが、これは第四巻で「宗教の本質と子供の宗教教育のあり方」と題して紹介されているので本章ではカットした)

 当日の交霊会の様子については父親のミラー氏の記事があるので、それをそのまま紹介するのが一ばん良いように思われる。次がその全文である。

       ※         ※     ※            

 ハンネン・スワッハー交霊会の支配霊であるシルバーバーチのそばに二人の子供が立っていた。そして二人が代わるがわるクリスマスタイム(十二月二十四日~ 一月六日)のしばしの別れの挨拶をすると、シルバーバーチはまず姉のルースに

 「上品さとたくましさ、愛と叡智を身につけるようにね」と言い、続いてポールに
 「たくましくなりなさい。そして自分の背後には霊の力が控えているのだという確信を忘れないようにね」と言い、 最後に二人に

 「私はいつでも私の存在のすべてをかけ、愛の心と霊の力を傾けてお二人のために尽くしますよ」と述べた。

 確かにそう述べたのであるが、こうして活字にしてしまうと、二人の子供が質問しシルバーバーチが答えるという形で、年一回、六年間も続けられてきた三人の間の情愛の温かさは、その片鱗すら伝えられない。

一時間と二十分、二人は真剣そのもので質問し自分の意見を述べた。若いとはいえ、はやスピリチュアリズムの真理が二人の生活の一部となり切っているようだ。

 二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人のサゼスチョン(提言・助言)を一切ことわった。その問答が始まった。


 〇〝死に方〟は死後にどう影響するか

ルース 「人間が死ぬときの死に方というのが霊界へ行ってから影響するのかどうかが知りたいのです。つまり自然な死に方の方が霊界へ行きやすいのかということです」

シルバーバーチ 「もちろんです。大きな違いがあります。もしも地上のみんなが正しい知識を持ち自然な生き方をすれば──もしもですよ──そうすれば死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして又、死後の霊の身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念なことに、実際はそんなにうまい具合に行っておりません。

 地上を去って霊界へ来る人のほとんどが自分がこれからどうなるのか、自分というのはいったいどのように出来上がっているのか、霊的な実在とはどんなものなのかについて恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人がそれはそれは多いのです。

そういう人は、私がたびたび言っておりますように、熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。ルースちゃんも知っているように、そんな果物はおいしくありませんね。

 果実は熟せば自然に落ちるものなのです。霊が十分に成長すると自然に肉体から離れるのです。いま私の世界へ、渋いくだものや酸っぱいくだものがぞくぞくとやってきております。

そのため、そういう人たちをこちらで面倒を見たり、監視したり、手当てをしたり、看護をしたりして、霊界に適応させてあげないといけないのです。みんながちゃんとした知識を持ってくれれば、私のように地上の人間の面倒を見ている者はとても手間がはぶけて有難いのですけどね。

ルースちゃんの言う通り、死に方によって大変な違いが生じます。以上のような答えでいいですか」

ルース「ええ、とてもよく分かりました」

(訳者注── ルースが〝死に方〟と言ったときたぶん自然死でない死に方、すなわち事故死、病死、戦死、自殺といったものが念頭にあったはずで、シルバーバーチも一応そのことを念頭に置いていたことは〝霊の身体を調節する必要もないでしょう〟という言葉から窺われるが、もう少し具体的なことを述べてほしいところである。

そこで、最近入手したスカルソープという人のいわゆる〝体外遊離体験〟の書物から霊界の病院を訪れた時の模様を紹介しておく。

 ≪霊界の妻との関係と思われるが、私は妻の勤める霊界の病院へたびたび連れて行かれる。病院といっても地上から霊界入りしたばかりの人を介抱する施設である。

 あるときその施設を妻の案内で見学したのであるが、そこは若い女性ばかりの患者を介抱する施設だった。そこの食堂へ行ってみるとちょうど食事中で、私も妙な食欲を覚えた。テーブルの間を通り抜けながら患者のオーラとコンタクトしてみたが、死因となった事故のショックや恐怖、病床での苦しみや不安の念が根強く残っていた。

 中には地上の病院での消毒液の臭いが漂っている者もいた。事故死した者の腕や首や顔に傷当ての絆創膏の跡がうっすらと残っている人もいた。精神に焼きついた映像がまだ消えていないのである。

 しかしホール全体に穏やかな雰囲気が漂っていて、一人として病人臭さは見せていない。これは高級界から間断なく送られてくる生命力のせいで、こうした特殊な患者にはそれが必要なのである≫

   
 〇〝霊的(スピリチュアル)〟と〝心霊的(サイキック)〟の違い

ポール「インディアンには儀式のようなものをして、雨を降らせることが出来る人がいましたが、それには霊界の人がどのように関係しているのですか。何か関係があるのですか」

 SB「関係ありません。心霊的法則と霊的法則とは少し違うのです。まったく同じではないのです。どちらにでも言いかえることが出来ると思っている人がいますが、同じものではありません。

 さて、かつてインディアンという民族は地上の物的現象に関係した心霊的法則について良く知っておりました。純粋に物的な現象です。そして、腕のいい熟練したまじない師は、儀式によってその心霊的要素を引き寄せる能力を具えていたのです。

 実はこれは簡単に説明するのが難しい質問なのです。とにかく霊界とは何のつながりもないのです。地上の物的な現象と関係した心霊的法則とのつながり方が大きいのです。こんな説明ではポール君にはよく分からないでしょうね?」

ポール「いえ。分かります。ただ、心霊的法則というのはどんなものですか」

 SB「やっぱりそこまで話さないといけませんかね」

 ここで、交霊会の終わりが近づくまでは大人は口出しをしてはいけないというルールを破ってメンバーの一人が「それはサイコメトリのようなものでしょうか。あれは必ずしも霊的法則とは関係ないと思うのですが・・・」

 SB「例ならばいくらでもあげられるのですが、この二人の子供にいちばんよく理解してもらえるものを考えているところです。たとえば霊視能力者の場合を例に挙げてみましょう。霊視がきくと言われている人でも、霊界のものは何も見えない人がたくさんいます。

(日本語ではこれを透視能力という──訳者)この場合は心霊的な能力の一部にすぎません。ですから心霊的法則の支配を受け心霊的な能力で見るだけで、その背後に霊界の人間とのつながりはありません。他界した人の姿も見えません。肉眼に見えない遠くの情景を見ることは出来ます。

予知もできます。未来を覗いたり過去の出来事を当てることもできます。ですが、そうしたことが霊界と全くつながっていないのです。生まれながらに具わっている純粋に心霊的な能力なのです。これでわかりますか」


 二人の子供に変わって母親が「私はそういうことがあるとは思ってもみませんでした。霊界とのかかわりなしに証拠を言い当てたり物事を見抜いたりすることが出来るとは知りませんでした」


 SB「でも、事実、そうなのです。この地上界の範囲だけの心霊的能力というのがあるのです。現に多くの人がそれを使用しております。五感の延長なのです。霊の世界とは何の関係もありません。物的法則とつながった心霊的法則ないし心霊的要素の範囲内の現象です。

易占い──本ものの場合ですが──あるいは本物の水晶占いで霊的な働きかけなしに見たり聞いたりすることが出来るように、心霊的能力を駆使できるまじない師は、ある種の儀式によって物的法則の背後にある力をその心霊能力と調和させて雨を降らせることができたのです。私にできる説明はこんなところですが・・・」

 別のメンバー「実によく分かりました。面白いテーマだと思います。私も、そうした能力がどの程度まで延ばせるのだろうかということに関心がありましたので・・・・・・」

 SB「その可能性は大変なものです。インドにはヨガの修行者ですごいのがいます。それでも霊界とは何のつながりもありません。彼らが霊の姿を見たら、たまげることでしょう」

 別のメンバー「霊を見たらその容姿を述べるのではないかと思いますが・・・・・・」

 SB「その時はすでに波長の次元が違います。霊媒現象というのは霊的なものと心霊的なものとの組み合わせです。その融合作用で霊的通信が行われるのです。霊界と交信する能力は霊媒の持つ心霊能力だけで行われるのではありません。支配霊ないしは指導霊との協力によって行われるのです」

 ポール「すみません。僕は頭が悪いものですからサイキックとスピリチュアルとはどこが違うのか、まだよく分かりません。今までは一緒だと思っていました」

 シ「似てはいますが、まったくいっしょではないのです。心霊的能力のすべてが開発されても、それが高級霊の指導を受けてスピリチュアルな目的のために使用されるようになるまでは、それは霊的能力とは言えないのです。

ポール君は物的身体のほかに霊的身体も具えています。その身体には生まれつきあらゆる心霊能力が潜在していますが、それが開発され、しかも霊界の力と融合した時始めてスピリチュアルと言えるものになるのです」


 〇死後の界層の違いは何で決まるか

 ポール「死後の世界のレベルについて教えてください。シルバーバーチさんはよくその違いについて話しておられますが、どういう違いがあるのですか」

 SB「成長の度合が違うのです。しかしその違いは地上のようにものさしで計れるものとは違います。もし私がポール君に愚かな人と賢い人、あるいは欲張りと聖人との違いを寸法で計りなさいと言っても、そんなことはできませんね?

 しかし、それぞれの界に住む霊の成長には大きな差があるのです。こちらでは魂の成長に応じた界、つまりその人の知性と道徳性と霊性の程度にちょうどよく調和する界に住むようになります。

界の違いはそこに住む人の魂の程度の違いだけで、霊性が高ければ高いほど、善性が強ければ強いほど、親切心が多ければ多いほど、慈愛が深ければ深いほど、利己心が少なければ少ないほど、それだけ高いレベルの界に住むことになります。

 地上はその点が違います。物質界という同じレベルで生活しているからといって、みんな精神的に、あるいは霊的に、同じレベルの人たちばかりとはかぎりません。身体は同じレベルのもので出来ていますが、その身体つまり物質でできた肉体が無くなれば、魂のレベルに似合ったレベルの界へ行くことになります」


 ポール「はい、よく分かりました。もう少し聞きたいことがあります。この地球はそういう界の一つですか。それとも特別なものですか」
℘131
 SB「いいえ、地上世界も霊的な世界の一部です。なぜかというと、霊の住む世界は全部が重なり合っているからです。宇宙に存在する生活の場のすべてが互いに重なり合い融合し合っており、霊界とか幽界とか物質界というのは一つの宇宙生活の違った側面をそう呼んでいるだけです。ポール君は今物質界にいますが、同時に幽界にもつながっているのです」


 〇知識には責任が伴う
 
ルース 「あたしは (この交霊会での質問の準備をしている時に) シルバーバーチさんはあたしたちよりはるかに多くのことを──あたしたちが夢にも思わないようなことを知っているのだから、あたしたちの方から質問しなくてもちゃんとお話してくださるだろうと思ったりしました」

 SB 「ええ、お話しますよ。でも、だから何の質問もしなくていいということになるのですか」

 ルース 「なりません。あたしが知りたいのは、子供のころからスピリチュアリストとして育てられて、あたしたち二人は得(とく)をしているかどうかということです」

 SB「自分ではどう思っていますか」

 ルース 「わかりません。だってあたしは霊の世界に住んでないでしょ?だから、どんな得をするか、自分ではわかりません」

 母親 「この子はスピリチュアリズムを知らない生活というのを体験していないものですから、比較が出来ないのです。その点シルバーバーチさんは両方ご覧になれます」

 SB 「私は目を閉じていても見ることができます。私が〝自分ではどう思ってますか〟と聞いたのは、ルースちゃんのお友だちには死んでからのことを知らない人がたくさんいるからです。そういうお友だちはルースちゃんと比べて得だと思いますか損だと思いますか」

 ルース 「霊の世界へ行く時に何の準備も出来ていないという点では損だと思います。その知識も体験もないからです。でも、それ以外のことはよく分かりません。すみません」

 ポール「今ルースが最初に言ったことはその通りだと思います。でも、それ以外のことでは損も得もないと思います、死ねばどうなるのかが分っているのは得だけど、それ以外では別に変わりはないと思います」

 SB「答えは簡単なのですよ。知識はすべて得になるということです。ところが、残念なことに、そうとばかりも言えない事態が生じるのです。知識は確かに喜びと幸せと落着きをもたらしてくれますが、今度はそれをどう生かすかという責任ももたらすのです。知識は、無知から生じる愚かな心配を取り除いてくれます。

知識は自分とは何かを自覚させ、これからどうすべきかを教えてくれます。そして、真理を知らずにいる人を見て気の毒だと思うようになります。真理を知らなかったために罪を犯す人は勿論それなりの償いをさせられますが、真理を知っていながら罪を犯す人は、もっと大きな償いをさせられます。

より多くを知っているということが罪を大きくするのです。ポール君は真理を知っているだけ得です。しかし、これからどういう行いをするかが問題です」


 〇魂の成長には試練と経験が大切
 
 メンバーの一人「それだけはあなたもどうしようもないことなのですね?」

 SB「私がその摂理を変えるわけにはいかないのです。私はただ摂理はこうなってますよとお教えするだけです。これまで私は何度か皆さんが困った事態に陥っているのを見て、その運命を何とか肩代りしてあげたい、降りかかる人生の雪と雨と寒さから守ってあげたいと思ったことがあります。しかし、それは許されないことなのです。

なぜなら、そうした人生の酷しい体験をさせている同じ力が、人生に光と温もりをもたらしてくれるからです。一方なくして他方は存在しないのです。試練と体験を通してこそ霊は成長するのです」


 ルース「シルバーバーチさんにもそれが許されないのはいいことだと思います。困ったことがあるたびにシルバーバーチさんが助けてくれたら、いつも誰かに頼らないといけない人間になってしまうからです」

 ポール「人生の目的がなくなってしまいます」

 SB「そうです。でもね、私にとって、それは辛いことなのですよ。そのうちお二人も、本当の意味で〝愛する〟ということがどういうことなのか、愛する人が苦しんでいるのに何もしてあげられないということがどんなに辛いことかが分かる日が来ます。

 そこで、先ほど述べたことにもう一つ付け加えたいことがあります。これはルースちゃん、あなたにお聞かせしたいことです。(スピリチュアリズムを知ったことによって生じる)一ばん大きな違いは、自分が一人ぼっちでいることが絶対にないということを知ったことです。

いつどこにいても霊の世界からの愛と友情と親愛の念を受けているということです。最善を尽くしているときには必ず霊界から導きの力が加わっていること、あなたの持っているものから最善のものを引き出し、あなたの人生から最善のものを学び取ってくれるようにと願っている、友愛と親切心と協力精神に満ちた霊の存在がまわりにいてくれているということです。

このことがスピリチュアリズムがもたらしてくれる一ばん有難いことです。このことを知っただけルースちゃんは、それを知らない人より幸せだということになります」


  〇男性の役割と女性の役割

 ポール「これまでの人類はずっと男性が女性を支配してきたように思えるのですが、なぜですか。原因は何ですか」

 SB「原因は女性があまりに物ごとを知らなすぎたからです」

 ポール「それを改めることができるでしょうか」

 SB「改める必要はありません。これまでも実際は女性の方が男性をリードしてきているからです」

 メンバーの一人「あなたはこれまでそういう捉え方はなさらなかったように思いますが・・・・・・」

 SB「ええ。でも、これにはそれなりの根拠があるのです。男性が狩りに出ていた時代の名残りです。つまり男性が家屋を建て、食料を取りに出かけねばならない時代においては男性が絶対的な支配力を持ち、お腹を空かして疲れたからだで帰ってきた時に女性が優しく迎えて介抱し、食事を用意してあげていました。

男性が行動的で女性が受動的だったために、何かにつけて男性に有利な習慣が出来ていきました。しかし、今それが変化し始め、どちらが上でもどちらが下でもない、お互いが補い合うようになっているという認識が行き亘りつつあります」

 ポール「良く分かりました。有難うございました」


 〇愛は霊にとって酸素のようなもの

 SB「お二人とはずいぶん永いお付き合いですね。二本の小さな苗木がまっすぐに育っていく様子を見てまいりました。そして、お二人が絶え間なく増えていく知識と理解力の中で生きておられるのを見てうれしく思っております。
   
 まだまだ知らねばならないことがたくさんあります。でも、少なくともお二人は霊的な真理に守られて地上生活に立ち向かっており、その目的を理解し、何をしていても誠意さえあれば決して挫けることはないことを知っておられます。私はいつも身近にいて、私にできるかぎりの援助をいたしましょう。

 今日はルースちゃんとポール君の二人が来てくれて、私はほんとにうれしく思っております。私がいつも身近にいることを知っていただくいい機会になるからです。私は決して遠くにいるのではありません。

お二人がお家にいる時も、学校にいる時も、遊んでいるときも、すぐそばにいることがあります。おかしくて笑い出すような光景を見ることもあります。

ですが、地上生活から学び取ることもたくさんあります。私はまだまだ学ぶことが終わったわけではありません。西洋人の生き方や習慣には興味をひかれることがいろいろとあるからです」


 母親「私たちは暖炉に火をくべながら、よくシルバーバーチさんのことを思い出すことがあるのですよ。暖炉を囲んで、シルバーバーチさんは暖炉や炉火はお好きだろうかね、などと語り合うんですよ」

 SB「私はいつも私へ愛情を覚えてくださる方々の愛念によって心を温めております。私にとっては地上で窒息しないために吸入できる唯一の酸素は〝愛〟なのです。地上へ降りて来るために、お預けにされる喜びを補ってくれる最大の慰めは皆さんからの愛なのです。

(私の本来の住処である)高級界の霊的生活の荘厳をきわめた美しさを一度体験されたら──一度でもその世界の恩恵をほしいままにできる生活を体験されたら、悪意と敵意、憎しみと闘争、流血と悲劇に満ちたこの冷たく陰うつな地上生活はもう二度とご免こうむりたいと思われるはずです。

 そんな世界に身を置いている私にとって、皆さん方の真理普及の行為によって魂が目覚めた人々の心に灯された愛念が何よりの慰めとなっております。地上世界での仕事は困難をきわめます。冷え切った心、歪んだ心の持ち主、私たちからの叡智や指導はおろか、自らの愛すら感じなくなっている人々が大勢います。

そうした中にあって親近感や同情心、僚友精神や同志的友情がいかに大きな元気づけとなるものであるか、ご存知でしょうか。みなさんが想像される以上に私にとって力となっております。さらに多くの人々へ手を差しのべていくための糧を供給してくださっていることになるのです。

 ならば、道を見失い、同情の言葉に飢え、導きと慰めと希望の言葉を求めてその日暮らしの生活に明け暮れている気の毒な人たちのことに常に思いを馳せようではありませんか。そういう方たちはみな、この世に自分一人だけ取り残されたような悲哀の中で生きているのです。

そういう人たちこそ私たちが霊力の行使範囲に導くために何とかしてあげなくてはならないのです。物憂い悲嘆の生活を一変させ、希望の光と真理の感触とを生活の中にもたらしてあげることができるのです。

 ご承知の通り私はこれからしばしの間地上を去ります。うしろ髪を引かれる思いがいたしますが、しかし時には高き世界からのエネルギーを再充電し、同じ使命に携わる同輩と協議し、失敗箇所と成功、予定どうりに進行しているところとそうでないところについて指示を仰ぐことがどうしても必要なのです。

そのとき私は皆さんからの愛をたずさえて行き、私からの愛をみなさんにお預けしてまいります。再び戻ってくる日を心待ちにいたしております。

 それでは最後にみなさんとともに宇宙の最高のエネルギー、私たちがその一部を構成しているところの神のエネルギーに波長を合わせましょう。そのエネルギー、神の御力、大霊の息吹の恩恵を改めて意識いたしましょう。

その最高の力を受けるに相応しい存在であるように努力いたしましょう。託された信頼を裏切ることのないように努力いたしましょう。高貴な目的のための道具として恥ずかしくない生き方、考え方、物の言い方を心がけましょう。そして、いかなる事態に遭っても、その神聖なる使命を傷つけることのないように致しましょう。

 双肩に担わされた使命を堂々と遂行いたしましょう。これから降りかかる如何なる受難にも、人のために己を役立てたいと望む者は常に限りない愛を秘めた大霊と一体であるとの信念を燃やして、不撓(ふとう)不屈の決意を持って立ち向かいましょう」

       ※      ※       ※                 

 続いて翌年のクリスマスにもルースとポールの二人が招かれている。シルバーバーチによれば、二人の存在も計画の中に組み込まれており、二人を通して、それなくしては得られない掛けがえのない力を得ているということである。

 このたびの交霊会はクリスマスとはどういう意味があるのかという話題から始まった。というのは、その頃ポールの学校でクリスマスについてのお話があり、ポールはその意味がよく分からなくて、家に帰ってから両親に説明を求めたばかりだったのである。
 
 そのいきさつを聞いたシルバーバーチがこう述べた。


 「その問題に入るに先立って知っておいていただかねばならないことがあります。というのは、永いあいだ地上人類を悩ませてきたつまらない問題からさきに片づけておく必要があるからです。ポール君は神についてどういう点が良く分からないのでしょうか」


 ポール「これまでいろんな人が神についていろんな説き方をしているみたいです。それぞれみんな違っており、これだと得心いくものが一つもないのです」



 〇〝神〟の思想の進歩

 SB「その通りなのです。忘れてならないのは、人間はつねに成長しており、精神の地平線が絶え間なく広がっているということです。言いかえれば、境界線が取り除かれていきつつあるということです。知識が進歩すれば宇宙そのものと、その宇宙に存在するものについて、より大きな理解力がもたらされます。

 太古においては人間は環境についてほとんど知識がなく、自然現象についてはまったく理解していなかったために、何もかも神様の仕業(しわざ)にしておりました。その神様についても人間を大きくしたような存在としてしか想像できませんでした。

そこに犠牲(いけにえ)の思想の原点があります。雷が鳴り稲光がすると神様が怒っておられるのだと思い、その怒りを鎮めるためにいろんなお供えをするようになったのです。

 そうした野蛮な小さい考えも次第に大きく成長し、人間は無知の暗闇から脱し、迷信の霧を突き抜け、知識の夜明けを迎えて、宇宙の根源はどうやら人間の想像を超えたものらしいということに気づきはじめました。

しかし、だからといって古い概念がそう簡単に消えたわけではありません。何かすごく大きな人間の男性のような姿をした神様が宇宙をこしらえたのだという概念が、何十世紀もたった今もなお存在しています。

 さて私たちはさらに一歩進めて、宇宙を創造しそして支配しているものは、男性神でもなく、女性神でもなく、とにかく形ある存在では無いと説いているのです。人間的な存在ではないのです。

宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適用性においても無限なのです。それは無限の愛と叡智から生まれたものであり、したがって完璧であり、誤ったり失敗したりすることが絶対にないのです。

 私は生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めもなく終わりもないと説いております。霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物質というのは霊の至ってお粗末な表現でしかありません。

物質界に生きる人間は視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の五つの感覚でしか物事を判断することが出来ませんから、その五感を超えた生命の本質を理解することはまず無理なのです。

 そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向う側にあるものが理解できるわけがありません。そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができないということです。

人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限の存在を理解することは出来ないのです。これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の手助けになればと思って申し上げてみました。

 人類の全てが──地球という一個の天体上だけではありません。数え切れないほどの天体上の人間的存在のすべてがそうなのですが──私のいう大霊、皆さんのいう神の一部を構成しているのです。大霊とは全宇宙の霊の総合体だからです。これなら分かるでしょう ?」


 ルース「人間は進歩するほど神について複雑な考え方をするようになり、複雑になるほど真実から遠ざかっていくのではないでしょうか」



 〇ほんとうの進歩とは

 SB「本当の意味での進歩であればそういうことにはなりません。実は〝脳〟ばかり発達して〝精神〟や〝霊〟の発達が伴っていないことがあるのです。すると頭のいい人が多くなりますが、頭がいいということは必ずしも偉大な魂、あるいは偉大な精神の持ち主ということにはならないのです。

 それは脳という物質のみに限られた発達なのです。そういう発達をした人の中には複雑なものほど立派であるかに思っている人がいることは確かですが、本当の発達、精神と魂の発達を伴ったものであれば、霊的なことについてもより深く理解するようになります。

正しい発達とは精神的ならびに霊的な発達のことを言うのです。そういう発達をしている人は古い間違った概念を捨てて、ますます真理に近づいてまいります。

 いつも忘れずにいてほしいのは、無限の存在である大霊のすべてを、限りある言語で説明することは不可能だということです。大きいものを小さいものの中に入れることはできません。これは当たり前のことです。分かってもらえたかな? さてほかに、どんな質問がありますか」



  〇人類最大の発見は?

 ルース「人類による最大の発見は何だと思われますか」

SB「これは難しい問題ですよ。〝最大〟という言葉の意味がいろいろあるからです。どういう意味での〝最大〟なのか──物的にか、精神的にか、霊的にか、それを前もって考えてから質問すべきですね。

 私の考えでは、人類による最大の発見は人間は動物とは違うこと(霊長類であること)を知ったこと、自我意識というものがあることを知ったこと、霊性を自覚したこと、お粗末とはいえ身の回りの現象について知る能力があることを知ったことです。それが他の全ての発見へとつながったからです。

 今〝霊性を自覚したこと〟と言いましたが、その意味は、人間が肉体以上の存在であること、物資を超えた存在であること、やがて朽ち果てて、土に帰っていく物質的容器とは違う存在であることを知ったということです。私はこれが何よりも大きな発見であると思います。

 が、ルースちゃんの質問が私にとっての最大の発見は何かという意味であれば、話はまた違ってきます」



  〇シルバーバーチの最大の発見

 ポール「それを聞きたいです。ぜひ話してください」

SB「私にとっての最大の発見は地上の多くの人たちが善意と情愛と僚友意識と、そして愛までもこんなにたくさん持っておられることを知ったことです。

また、訴え方が正しければ、その愛を本性から呼び覚ますことができるということ、最高の波長にさえ反応してくれるということ、気高い品行を志し、気高い思念を持つことができるということ、自己の利益や打算を超えた、より大きなものに心を動かされうるということ、理想主義、愛他精神、奉仕的精神にも共鳴してくれるものであることを知ったことです。

 この冷たくてうっ陶しい、およそ魅力のない陰うつな地上での仕事に打ち込んできたこれまでの永い年月を振り返ってみて、私は一度もお目にかかったことのない人でありながら、私の訓えで救われたという気持ちから、感謝の愛念を送ってくださる方々が増えることによって、地上にこうまで温かみがもたらされるものかと、驚きの念を禁じ得ません。

それほど多くの愛を頂戴することになろうとは予想もしませんでした。私にとってはそれこそが感謝の源泉であり、それが私を更に鼓舞し、同時に、勿体ないことだという気持ちにもさせられます。なぜなら私はそれに値するほどのことはしていないという自覚があるからです」

 ルースとポールにとって、この答えはさすがに意外だったようである。子供心に、もっと楽しい話を予想していたのであろう。が、二人はかえって興味をそそられ、さらに質問する。

 
  〇物質文化の発達が利己主義を生んだ

 ポール「シルバーバーチさんが地上へ降りてこられてから地上にはどんな変化があり、霊界ではどんな変化がありましたか」

 SB「大ざっぱに言えば、地上における変化は〝文明化〟といわれる過程でしょう。人類は物質的な面で大きく飛躍しました。大自然の仕組みについて多くの発見をしました。山頂を征服し海底を探査するようになりました。大陸と大洋を横断するようになりました。物質的な面では非常に高度なものを成就しました。驚異的な発達ぶりであったと言えましょう。

しかし、同じ発達が精神面と霊的な面に見られないのです。人類は物質と精神と魂のうちの物質面だけが異常に成長してしまいました。他の二つの側面がそれについて行っていないのです。それが利己主義と言う、地上でもっとも厄介な罪を生むことになったのです。

 さて、こうした事実から学ばねばならない教訓があります。それは、物質面での発達を、全面的ではなくてもいいから、霊的ならびに精神的側面にもある程度反映するようにならないかぎり、人類は自らの存在の産物、自らの創造の成果を平和的生活の中で味わえるようにはならないということです。

そうならない限り地上には混沌と無秩序と不協和音が絶えないということです。良いことをしようという意欲を起こさせ、協調と奉仕の仕事へ鼓舞するのは精神と霊の発達なのです。

 精神と霊の発達は利己主義を滅ぼし、代わって霊的教訓をもたらします。精神と霊に宿された才能を開発し、その上で物質的文明の産物を自分一人のためでなく他のすべての人たちのために活用するようになれば、いわゆる地上天国が実現されます。地上世界のすべての人間が自分より不幸な人のために役立てる何らかの才能を具えてるのです。

 さて、その間に霊界ではどんな変化があったかというご質問ですが、これは地上世界のことより、はるかにお答えしにくい問題です。簡単に言ってしまえば、地上とのコミュニケーションの橋を架ける仕事がかつてなく組織的となり、二度と地上世界がチャンネル(霊媒・霊能者)の不足から霊界と絶縁状態となることのないよう、入念な計画が工夫されそして実行に移されているということです。これ以上の説明は難しいです」

(訳者注───シルバーバーチの念頭には多分、オーエンの 『ベールの彼方の生活』第四巻で叙述されているように、天界の大軍がキリストを中心として組織されてゆっくりと降下し、それが今日スピリチュアリズムという名のもとでの霊的浄化運動となっていることがあったのであろう)


 メンバーの一人「霊界においてそうした大きな仕事が成就され、コミュニケーションのための回線が敷設され、計画が順調に推進されていることを知って私たちもうれしく思います。これには秀れた霊媒が要請されることになりますが、今それが非常に不足しております」

SB「道具はそのうち揃います。霊力が多くのチャンネルを通じて恩恵をもたらすようになります。どんどん増えていきます。これまでの成果を見てこの程度のものと思ってはなりません。決してこの程度で終わるものではありません。昨日よりは今日、今日よりは明日と、ますます大きなことが成就されていきます。

それが進歩というものです。我々も進歩していくのです。〝われわれの後は誰が引き継いでくれるのだろう〟──そう心配なさる方が必ずいるものですが、あなた方の仕事が終われば代わって別の人が用意されます。かくして霊力が今日以上に地上へ流れ込みつづけます。それは誰にも阻止できません」


 ルース「今はスピリチュアリズムという形で霊界と地上界との間にコミュニケーションが開かれておりますが、それ以前にも大きなコミュニケーションの時代があったのでしょうか」

 SB「一時的にインスピレーションがあふれ出たことはありますが、長続きしていません。この度のコミュニケーションは組織的であり、協調的であり、管理・管督が行き届いており、規律があります。一大計画の一部として行われており、その計画の推進は皆さんの想像も及ばないほどの協調体制で行われております。

背後の組織は途方もなく巨大であり、細かいところまで見事な配慮がなされております。すべてに計画性があります。

 そうした計画のもとに(一九世紀半ばに)霊界の扉が開かれたのです。このたび開かれた扉は二度と閉じられることはありません」 (訳者注───一八四八年の米国でのフオックス家での心霊現象を皮切りに、地球の一大浄化活動が始まったということ)



  〇睡眠中は何をしているか

 ルース 「あたしたちは眠っている間はどんなことをしているのでしょうか」

SB「みなさんは毎晩その肉体を後にして別の世界へ行きます。訪れた世界での体験は二種類に分けることが出来ます。一つは教育を目的としたもので、もう一つは純粋に娯楽を目的としたものです。教育的体験では、いずれ訪れる霊界生活で使用する霊的身体について教わります。娯楽を目的とした体験の場合は、たとえば霊界で催されているいろいろな会場を訪れます。

 いいですか、ルースちゃん、あなたは昨晩私の世界の庭園へ連れて行ってもらったのですよ。それからポール君は音楽を聞きに行ったのですよ」

 ポール「二人ともそのことを覚えていないなんて、つまんないですね」

 SB「確かに、そう思うのも無理ないかもしれませんね。でも、それは肉体から離れている間の(異次元の)体験を肉体の脳で理解しようとするからなのです。ポットの水ぜんぶをグラスに入れようとしても入りませんね。それと同じです。でも、夢を注意して見ていると好いヒントになるものが見つかるはずですよ」

 ルース「わけの分からない夢はどう理解したらいいのですか」

 SB「変てこな夢のことですか?。あれは(異次元の)体験を脳で思い出そうとするからそうなるのです。脳は小さな袋のようなものです。霊体が肉体に戻ってきて、その間の体験を脳に詰め込もうとするのですが、小さな袋には全部が入り切れないのです。それをムリして押し込もうとするためにあのような変てこな形になるのです。

夢というのは別世界での体験がそのまま現れるのではなく、その断片的な思い出にすぎません」

 ポール「シルバーバーチさんのお仕事でぼくたちにもお手伝いできることがあれば教えてくだい」

 SB「私にあなたたちの愛の念を送ってください。私を信頼し、善意の思念を送ってください。それが私の何よりの食べものであり飲み物なのです。ただただ愛が欲しいのです。善意をいただきたいのです。それさえいただければ私は幸せなのです。しかし、どうぞ私の仕事のことで心配しないでください。自分でちゃんとやりますから」


 ここでいったん話題が外れてメンバーの人たちと話した後再びルースとポールに向かって次のような感動的な教訓を述べた。

 SB「お二人のこれからの人生が日向ばかりだとは申しあげられません。曇りの日もあることでしょう。時には雨に打たれることもあるでしょう。困難なことがあるでしょう。試練に出会うこともあるでしょう。人生は一本調子のものではありません。

色彩もあり変化もあります。障害にも出会うことでしょう。何もかもうまく行く楽しい日々もあれば、すべてが絶望的に思える暗い日々もあることでしょう。そうしたさまざまな体験の中でこそ性格が培(つちか)われるのです。人生を形づくっているさまざまな体験の中で培われるのです。

 もしも人生が初めから終わりまでラクに行ったら、もしも乗り切るべき困難もなく耐え忍ぶべき試練もなく、克服すべき障害もないとしたら、そこには何の進歩も得られないことになります。レースは競い合うからこそ価値があるのです。賞はラクには貰えず一生懸命頑張ったあとにいただくから価値があるのです。

そういう価値ある人間になるように努力なさい。この世に克服できない悩みはありません。ですから、悩んではいけないのです。征服できない困難はないのです。力の及ばないほど大きな出来ごとは何一つ起きないのです。

 一つ一つの経験から教訓を学ぶことです。難しいと思った時は、怯(ひる)まず自分にムチ打つのです。そうすればそれだけ前より強い人間となります。自分が霊であること、それが肉体を通して表現しているのだということ、そして自分という永遠の霊に傷を負わせたり害を及ぼしたりするものは決して生じないということを忘れないことです。

 世間でいう〝成功者〟になるかならないかはどうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、ほんとうの自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。

それさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分として最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来たとき、死後に待ち受ける生活への備えが十分にできているという自信を持って、平然として死を迎えることができます。これが私からのアドバイスです」


 ルース「今のお話で私たちの最後の質問をしなくてもよくなりました」

 SB「さて私はそろそろ行かねばならなくなりました。私の去り難い気持ちはお分かりいただけると思います。せっかくの親しいつながりをしばらくのあいだ絶たねばならないからです。私はもうすっかり地上のお付き合いが好きになってしまいました。

しかし同時に、しばらくこのつながりを絶たないことには、かえって私の存在価値が小さくなることも事実なのです。何となれば、これから先の仕事に必要なエネルギーが摂取できるのは内奥の世界においてのみだからです。

 その世界に戻ると私は地上へ帰りたい気持ちが薄らぎます。そこが私の本来の住処だからです。何しろそこは天上的なよろこびに満ちた光輝あふれる世界なのです。しかし私にはまだまだ為さねばならない仕事があります。

これまで成した仕事がはたしてこれで良かったのかどうかを確かめたいのです。そこでこれから霊のきずなにおいて親密な間柄にある同志たちと会ってきたいのです。

 私が居ない間も私のことを忘れないでくださいね。私の影響力だけはずっと残っていることを知ってください。そのうちまた私がみずから引き受けた仕事の推進のために戻ってまいります。

日常生活において皆さんを絶え間なく見守り付き添ってあげるために戻ってまいります。皆さんと生活をともにすることは私にとって一つの楽しみなのです。お役に立つことが出来ることを光栄に思っているのです。

 では、また会う日までお別れすることにいたしましょう。私はいつも愛を持って訪れ、愛を持って去ります。皆さんに神の御恵みの多からんことを」