Friday, January 9, 2026

シルバーバーチの霊訓(十一)

More Philosophy of Silver Birch Edited by Tony Ortzen


まえがき

 明日から週末となる寛いだ金曜日の夜のことだった。家の電話がけたたましく鳴った。テスター氏からだった。

 「彼が行っちゃったよ」テスター氏があっさりとそう言った。
 「行った?病院ですか?」
 「違う!連れて行かれたんだよ」
 「連れて行かれた?どこへですか?」

 そう聞き返しているうちにテスター氏の言葉の衝撃がやっと伝わってきた。動転したのか、気が付いたら私は数週間前から止めていた煙草に火をつけていた。そして、もうタイプライターに向かっていた。パチパチという音と、時折通り過ぎる車の音以外は何も聞こえない、静かな永い永い夜がこうして始まった。

 一九八一年七月十七日のことだった。
 他のスタッフに次々と衝撃のニュースを伝えてから、私はサイキックニューズ社の事務所へ向かった。気が重かった。そして顔は幾分ほてっていた。

 しかし今は瞑想したり思い出に耽っている場合ではなかった。電話をしなければならない。電報を打たねばならない。明日のサイキックニューズ紙を組み替えないといけない。
 そうした用事をひと通り済ませた後、また重い足を引きずりながら家に帰った。

もう夜明けも近い。私は孤独感を噛みしめながらモーリス・バーバネルの死亡記事を書いた。本人の承諾も得ずに、また求められもしないのに、若輩の私がその大切な仕事を引き受けて、恐縮の気持ちを禁じ得なかった。

 その日が明けて再びサイキックニューズ社へ出向いてから私は、書庫の中からバーバネルが〝最後に出すべき記事〟として用意しておいた原稿(日本語版(十)「シルバーバーチと私」)を取り出して読んだ。

 六十年余りにわたって氏は数え切れないほどの交霊会や心霊的な行事で常に最前列席(リングサイド)に座り続け、〝ミスター・スピリチュアリズム〟のニックネームをもらっていた。その彼が今、その存在を自ら必死に擁護し賛美し訴えてきた霊界へと旅立ってしまった。

 その現実を目の前にして私は、ふと、数年前にその原稿を預かった時のことを思い出した。それを一読した時、〝今度これを読む時はもうこのご老体はあの世へ行ってしまっているんだな〟という感慨がよぎったものである。それが今まさに現実となってしまった。霊は肉体の束縛から離れ、その肉体も今は静かに横たわっている。

 不思議なことに、数週間前にボス(と我々スタッフは情愛をこめて呼んだものである)が私に若かりし頃のことをしみじみと語ってくれた。私には大きな明かりが消えたような思いがした。どうしようもない孤独感と心もとなさが襲ってきた。目の前でドアが閉じられた感じで、これから先、サイキックニューズ社はどうなるのか、誰も知る由もなかった。

 私がはじめてボスと会ったのは私がまだ二十歳の、ジャーナリストとしての駆け出し時代だった。以来私は彼から多くのことを学んだ。ジャーナリズムのことだけでなく人生そのものについて教えてもらった。

四十歳ほどの差があったので、お互いの関係には祖父と孫のようなものがあった。私が見当違いのことを口にすると、度の強いメガネ越しにじっと見つめ、ほんの一言二言注意するだけで、すべてを若気の至りにしてくれていたようである。

 またサイキックニューズ社は五時半が終了時刻で、スタッフは必ずバーバネルの部屋まで来て〝帰っても宜しいでしょうか〟と言うしきたりになっていたが、私だけはただドアをほんの少し開けて頭を首まで突っ込むだけで、何も言わなくてもよかった。ボスの方もちらっと私の方へ目をやってニッコリと笑って頭をコクンとするだけだった。

 バーバネルほど精力的に仕事をした人間を私は知らない。いつも誰よりも早く来て、帰るのはいつも最後だった。そうした中にあっても部下の誕生日をちゃんと覚えていて、上等のタバコをプレゼントする心遣いを忘れない人だった。

 私の人生を運命づけた二十歳の誕生日のことを今も鮮明に思い出すことができる。ボスが昼食をご馳走してくれると言うので一諸に出かけると、珍しくパブ(ビールと軽食の出る社交場)へ行った。

アルコールは滅多に口にせず、こういう場所へは一度も来たことのない人なので私は驚いたが、さすがに自分はトマトジュースと〝ピクルス抜き〟のサンドイッチを注文した。そして私への誕生日のプレゼントとして、今夜シルバーバーチの交霊会へ招待しよう、と言った。それが私にとって最初のシルバーバーチとの出会いだった。

 シルバーバーチがこの病める、お先真っ暗の、混乱した地上世界にもたらした慰安と高揚の大きさは到底言葉で尽くせるものではない。あらゆる民族、あらゆる時代、あらゆる文化に通用する永遠、不変の真理である。

 しかしそれは同時に霊媒モーリス・バーバネルとその献身的な伴侶だったシルビア・バーバネルの功績でもあった。この二人の〝神の僕〟は真に勇気ある魂だった。今もそうであろう。そしてこれからもずっとそうであろう。二人は任されたブドウ園でコツコツと酷しい仕事に精励して、次の仕事場へ旅立っていった。

 バーバネルにもいろいろと欠点があった。われわれもみな同じである。彼みずからよく言ったものである。

 「ラクダに自分のコブは見えないものだよ」
 が、彼は何ものも恐れず、何ものにも媚びることなく、神の計画の推進のためにシルバーバーチと共に大きな役割を果たした。

このコンビは文字通り地球の隅々の無数の人々に声をかけ、人生に疲れ悩める人々に希望を、暗く沈んだ心に一条の光明を、そして混乱と疑念の渦巻くところに平穏と確信をもたらした。

 今二人は霊界にいる、差し当たっての地上での使命を全うしたばかりである。図太い神経と決意と確信を持って説いた霊界の美しさと恵みと叡智をゆっくりと味わっていることであろう。

 引き続いて二人の旅の無事を祈る。そして、ささやかながら、われわれからの愛と敬意と賞賛の気持ちを手向けよう。                              トニー・オーツセン




 訳者注ーこれは全十巻のシリーズが完了したあとすぐに始まった、オーツセン編集による新シリーズの第一巻 Silver Birch Companion<シルバーバーチの友>の〝まえがき〟(要約)である。

 その後さらに二冊出版されているが、この第一巻はなぜか前シリーズのうちの Wisdom of Silver Birch (日本語版「三」巻)と More Teachings of Silver Birch (同「五」)からの抜粋ばかりで構成されており(〝まえがき〟の中でもそう断っている)、したがって改めて訳出する意味がない。が、

今お読みになられてお分かりの通り、その〝まえがき〟はバーバネルの人柄を偲ばせる内容になっており、同じオーツセン編の本書の〝まえがき〟として代用させていただいた次第である。  
                             近 藤 千 雄
 


 一章 シルバーバーチの自己紹介       

 私の名はシルバーバーチではありません。これは私がバイブレーションを下げて地上世界とコンタクトすることを可能にしてくれる一種の変圧器の役目をしている、かつて地上でインディアンだった霊の名前です。

 いずれにしても名前はどうでもよいことです。私に関するかぎり名前は何の価値もありません。これまで一度も地上時代の名を明かしたことはありません。

 地上時代の私はレッド(アメリカン)インディアンではありません。このインディアンよりはるかに古い時代の別の民族の者です。霊的進化の末に二度と地上へ生身に宿って戻ってくる必要のない段階まで到達いたしました。

 霊界の上層部には〝神庁〟とでも呼ぶべきものが存在します。それに所属するのは格別に進化をとげた霊、高級神霊です。その仕事は立案された創造進化の計画を円満に進展させることです。

 その神庁から私にお呼びが掛かり、これまでの進化で私が得たものを一時お預けにして可能な限り地上圏に近づき、その高級指導霊たちのメッセンジャーとして働いてくれないかとの要請を受けたのです。

 私の役目はその指導霊たちの教えを取り次ぎ、一人でも多く、受け入れる用意のできた人間にお届けすることです。私は喜んでその要請をお引き受けしました。それが半世紀近くにもわたってたずさわってきた私の使命なのです。

 その仕事のために私はこの国の言語である英語を学ばねばなりませんでした。私が地上でしゃべっていた言語は英語ではありませんでした。そこで、出発に際して指導霊から、地上で仕事をするには英語をしっかりマスターすること、その文法と構文をよく勉強しておかないといけないと言われました。

 私にとって困ったことが一つありました。地上との接触(コンタクト)には霊界の霊媒が必要だということです。私自身が直接地上の霊媒と接触することは不可能だったのです。それは、私が到達した進化の階梯と霊媒のそれとが違いすぎて波長が合わないからです。そこで私はもう一人、変圧器(トランス)に相当する者を必要としたのです。

 指導霊たちが用意してくれたトランスは地上でレッドインディアンに属していた霊の霊体でした。私に授けられる教えを地上へ伝達するための中間の媒体として、それが一番適切だったのです。

 私はインディアンの文明の方が白人の文明よりも勝れていると思っておりますが、決して欠点や残忍な要素がまったく無いとは申しません。しかし極悪非道の文明を移入したその責任は大体において白人に帰さねばならないと考えます。

 もとより完全な人種というものは存在しません。完全であったら地上には存在しないでしょう。インディアンにも欠点はありましたが、その人種ならではの貢献をしました。倫理・道徳は高度なものを持っておりました。自然の大切さをよく知り、霊的摂理をよく理解し、人種間の同胞意識には非常に強いものがありました。

 インディアンは心霊的法則(サイキック)をよく知っており、その作用についてよく理解しておりました。また霊的法則(スピリチュアル)については更に深い認識がありました。霊界入りする人間すべてについて言えることですが、インディアンも因果律に直面させられ、地上生活での出来事のすべてについて償いと罰とを受けました。

 自然の摂理から逃れられる人はいません。あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる文化が、地上世界を良くする上でそれなりの貢献をしております。言ってみれば大オーケストラの様なものです。一つ一つの楽器がそれぞれの演奏をして全体として美事なハーモニーを出しているのです。

 いかに未開あるいは野蛮に思える民族も、開けゆく大機構の中でそれなりの役割を持っているのです。地上のどこにいようと、いかなる人間であろうと、霊的存在であることには変わりありません。

一人の例外もなく霊的本性を宿しており、それが全人類を大霊の家族として一つにまとめているのです。肌の色の違い、言語の違い、民族の違い、国家の違いなどは、霊性という基盤における一体性に比べれば物の数ではありません。

 私は絶対に過ちを犯さない、進化の頂上を極めた霊ではありません。そういうことは有り得ないことです。進化というのは永遠に続く過程だからです。これで完全です、というピリオドはないのです。向上すればするほど、まだその先に向上すべき余地があることを知るのです。

 私たちがお届けするのは神の叡智とインスピレーションの宝庫から取り出した崇高な真理です。といって私たちはそれを無理にも信じていただこうとは思っておりません。私たちの言う通りにしなさいとは申しません。宇宙の大霊との調和にとってこれ以上のよい方法はないと断言しているのでもありません。

 私たちが断言すること、私達の精一杯の思いを込めて断言するのは、霊の真理はいかに厳しい理性と知性と体験によって試されても、それに耐え得るものであるということです。私の述べることに対して皆さんが何と反論なさろうと、それによって罰が当たる心配はご無用です。

 神は人間に一定限度内の自由意志を与えて下さっています。操り人形ではないのです。知性をお持ちです。理性をお持ちです。自分で判断し、決断し、反省し、自分の意見を形成し、体験から知恵を学んでいく能力をお持ちです。

 私たちはその能力を通して皆さんの賛同と協力を得たいのです。反発を覚えながらでは困るのです。理性は神から授かった大切な能力の一つだからです。

 人生には何ごとにも二面性があります。光があれば闇があります。安らぎがあれば苦労があります。もしも晴天の日ばかりだったら、晴天の有難さは分からないでしょう。時にはイヤな思いをさせられる体験を通して、ある事を学ばされることがあります。

いずれ皆さんもこちらへお出になって地上生活を振り返った時は、きっとこう思われることでしょう。〝いちばん大切な教訓を学んだのは生活がラクだった時ではなく、嵐が吹きまくり雷鳴が轟き稲妻が走り太陽が雲にさえぎられて、すべてが暗く絶望的に思えた時だった〟と。


 魂が内在する可能性を発揮するのは逆境の中にある時こそです。のんきな生活の中では霊性は磨かれません。苦しい道こそ有難いのです。その道を歩み続けるうちに、見慣れた道路標識や目印(伝統的な宗教儀式、迷信的概念、生活慣習等)が後へ後へと残されていきます。が、

心の奥では自ら見出して真理を土台とした信念がますます深まりゆくものです。(別のところでは〝霊的進化の旅は孤独なものです。が、行くほどに内なる喜びで心が満たされてまいります〟と述べている───訳者)

 過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。良いタネを蒔くように努力なさることです。

月並みなことを申すようですが、やはり真実です。取り越し苦労はいけません。心配は無知から生じます。真理の光の中で生きることです。

  地上というところは、あなたがこれまで大勢の人にいろいろとお世話になったように、他人のために自分を役立てるためのチャンスを与えてくれるようになっております。道は必ず開かれます。あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。

長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです。
 
 その地上において完全を成就するということは不可能です。しかし、いずれは生活することになる次の世界に備えて、その地上にいるうちに教訓を身につけていくのです。

(ここでその日のゲストの二人がお礼の言葉を述べかけると、それを制して〝私への感謝は無用です〟と言い、その理由をこう説明する───)

 私が感謝をお断りするのは、私が非常にいけないと思っている傾向をたびたび見てきているからです。いわゆる指導霊信仰というのがそれです。指導霊というのは崇拝の対象とされることを望まないものなのです。唯一崇拝の対象とすべきものは宇宙の大霊すなわち神です。

無限なる霊であり、至高の創造主であり、光と愛と叡智と真理とインスピレーションの極致です。本来はそれに向けられるべき崇拝の念を私の様なお門違いのところへ向けられては困るというに過ぎません。

 私は全知識の所有者ではありません。霊的進化の終点まで到達したわけではありません。まだまだ辿らねばならない道が延々と続いております。ただ、あなた方地上の人間に比べれば幾らかは年季が入っておりますので、私を豊かにしてくれることになった霊的真理を幾つか知っております。

 その知識を受け入れる用意のできている地上の人たちと分かち合うために、私はこれまで辿ってきた道を後戻りしてまいりました。私はまだまだ完全ではありません。

相変わらず人間味を残しておりますし、間違いも犯します。しくじることもあります。しかし私は、授かった真理をなるべく多くの人たちにお届けするために、私なりの最善を尽くす所存です。

 こうして人のために役立つ仕事にたずさわれるのは光栄なことです。幸いなことに私は、地球浄化の大事業の推進に当たっている霊団からの指示を仰ぎつつ真理を語ることを許されています。

その霊団がいわば大本営なのです。霊界の政庁に属する高級神霊たちであり、造化の大霊の意志の推進という重責を担っているのです。その手先である私を通じて、たった一人でも真理の光を見出すことができれば、私にとって大きな喜びです。


──あなたがもう一度肉体をまとって誕生なさる可能性はありますか。

 ありません、私はもう二度と再生はしません。私にとって地上の年季奉公はもう終わっています。こうして戻ってきたのは皆さんを始め地上の人々の力となり、絶対に裏切ることのない霊的摂理と真理とをお教えするためです。

人間が地上を仮の宿とした霊的存在であることをお教えして元気づけてあげたいと思っているのです。その真理の啓示を受けられた皆さんは幸せ者です。その啓示によって人生の視野が一変したことを感謝しなくてはいけません。

 私も幸せ者です。お届けする高級界からの教えを受け入れて下さる方をこれほど多く見出すことができたのですから。その教えの中には貴重な真理がぎっしりと詰まっているのですが、問題はその価値を知るにはそれだけの受け入れ準備ができていなければならないということです。

           ※          ※

 霊媒をしている人が孤独感を口にすると次の様な意外な返事が返ってきた───


 私の方があなたよりはるかに孤独を味わっております。

 私は本来は今この仕事のために滞在している地上界の者ではありません。私の住処は別の次元にあります。あらゆる面での生活条件が地上よりはるかに恵まれ、交わる相手や仲間はみな 〝光り輝く存在〟 です。が、その高級霊達と会えるのは、指導を仰ぎにこの地上圏を後にした時だけなのです。地上というところは私たちにとって何一つ魅力のない世界です。

 その指導霊達との相談を終えると、私は再びこの憎しみと強欲と愚かさに満ちた世界へやってまいります。その時に味わう何ともいえない冷ややかさを温めてくれるのは、私へ理解と愛の心を向けて下さる同志の皆さんです。それが何とかこの仕事をやり甲斐あるものにしてくれるのです。

 そうした同志をこれほど多く獲得できた私はほんとに幸せ者だと思っております。私がお届けしているのは、私がこれこそ基本的真理であると見ているものばかりでして、それを地上の受け入れる用意のできた方が理解しやすいように、英語で表現しているだけです。

 その中には人間の知性を侮辱したり理性に反発を覚えさせたりするものは何一つありません。すべては愛に発しているからです。愛こそが霊の正貨なのです。愛に発した奉仕が一番尊いのです。これに勝る宗教はありません。


───(心霊ジャーナリスト)いつの日かあなたが地上時代の身元を明かされる時が来るのでしょうか。

 今のあるがままの私が私です。名前は大切ではありません。大切なのは人の力になってあげられるということです。私は自分が役に立っていること、そしてお陰で大勢の同志ができたということを大変光栄に思っております。

 私にもこれまで数多くの挑戦すべき課題と困難とがありました。しかし、私はそれを堂々と受け止めてまいりました。なぜなら、背後に控えてくださっている霊の力をもってすれば何事も必ず克服できると信じたからです。

 あなたも人の力になってあげられる得異な立場にいらっしゃいます。教会や礼拝堂といった施設よりも、あるいは科学者や経済学者などよりも大きな貢献ができるお仕事です。宇宙の崇高なエネルギーである霊力の通路となる、掛け替えのない贈物を手にしていらっしゃいます。

霊力は生命の大霊から届けられるのです。霊なくして宇宙には何も存在できません。無限の生命現象を生んでいるのは霊なのです。その霊の力のもとで人に役立つ仕事にたずさわれる身の上を幸せに思ってください。

        ※         ※                

 クリスマス休暇を前にした最後の交霊会のしめくくりの言葉としてシルバーバーチが次のようなお別れの挨拶をした───

 ご存知のように、この時期は私が一時的に地上にお別れを告げて、私の本来の住処である霊界へ帰る季節です。私にとって皆さんとお別れするのは辛いことです。しかし、これ以後まだまだ続く仕事に備えて霊的バッテリーを充電するために、この地上で得られないものを摂取しに帰ることがどうしても必要となるのです。

 霊界へ戻ると、これまでの私の仕事の成果、予定していた計画をどこまで成し遂げたかが分かります。今の私に断言できるのは、その後同志の数がさらに多くなっているということです。これが私にとって一つの大きな慰めであることは申すまでもありません。

 しっかりと背筋を伸ばすのです。うなだれてはいけません。霊力は決して見棄てません。私の声はしばしのあいだ消えることになりますが、私の愛は皆さんとともに留まっております。

 次にお会いした時───地上の区切りで言えば新年になりますが───またこれまで通りの厳粛な仕事を再開することになります。

 可能なかぎり高い波長に合わせるように努力いたしましょう。大霊が子等にお授け下さるもの───限りなき愛と力と内的安らぎを少しでも多く感得できるように努力いたしましょう。

 皆々さまに大霊の祝福のあらんことを。
                                            
                                         

Thursday, January 8, 2026

シアトルの冬 シルバーバーチの霊訓 (十)

  Light from Silver Birch Edited by Pam Riva 





十二章 シルバーバーチと私  
    モーリス バーバネル 

私と心霊との係わりあいは前世にまで遡ると聞いている。もちろん私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において 『サイキック・ニューズ』 紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束したそうである。

 私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを始めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えないことがきっかけとなった。

 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと、私のことを褒めてくれていた。

 実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん始めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって始めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴してほしいと懇願しても、頑として聞かなかった。

二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った。

 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく上で、その背景として必要だと考えたからである。

 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれをまったく持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。

これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、〝調査研究の体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしも本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟 と尋ねた。

 〝ええ〟 私はついそう返事をしてしまった。しかし〝結論を出すまで六ヶ月の期間がいると思います〟 と付け加えた。日記をめくって見ると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今もなお研究中だが・・・・・・。

 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。余り好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。

 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが〝死者〟である、ということを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。

 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり 〝居眠り〟 をしてしまった。目を覚ますと私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに 〝居眠り〟 をしている間、私がレッドインディアンになっていたことを聞かされた。

 それが私の最初の霊媒的入神だった。何をしゃべったかは自分には全く分からない。が、聞いたところでは、シルバーバーチと名告る霊が、ハスキーでノドの奥から出るような声で、少しだけしゃべったという。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いていただいている。地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言って下さる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。

 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、会を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまく行くようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

 始めのうち私は入神状態に余り好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身には分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいであったろう。

 ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベットに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。

一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。

 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も一九三二年に心霊新聞 『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別な形をとり始めた。

 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓をひとにぎりの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』 紙に連載するのが一番得策だという考えを示した。

 初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、随分議論した挙句に、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニック・ネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが 「シルバーバーチ」 Silver Birch だった。

不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色(シルバー)の樺の木(バーチ)の絵はがきが入っていた。

 その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、スワッハー亡き後今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が 『サイキック・ニューズ』 紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。

 シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女の事をいつも the scribe (書記)と呼んでいた。

 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ会のすべてが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。

 私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れ出たらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

 心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格に過ぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話器のようなものかもしれないが、電話器と違ってこちらは生き物なのである。

従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。

 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で読んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書きこむ他は、一点の非のうちどころもないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混ざっていることである。

シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私とまったくの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

 ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、〝あなた方が解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう〟 と約束したことがあった。当時私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。

 むろんロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私たちはその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭のあいさつの中で、私たち夫婦しか知らないはずの事柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。

 交霊会の演出に天才的うまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らさせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた、そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。

 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二―ナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

私の身体を使ってしゃべったシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

 ほかにも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげてほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですが、レッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現われて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだというのである。

 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会へ招待した。戦死した息子さんが両親と 〝声の対面〟 をしたことは言うまでもない。

訳者付記

 ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界直後に、週刊誌『サイキック・ニューズ』の一九八一年七月下旬号、及び月刊誌『ツー・ワールズ』の八月号に掲載された。



   
 訳者あとがき

 本書は原題を Light from Silver Birch といい、 そのまま訳せば、シルバーバーチからの光、ないしは光明ということになる。これまでの霊言集の表題は〝シルバーバーチの教え〟〝シルバーバーチの導き〟〝シルバーバーチの叡智〟〝シルバーバーチの哲学〟といったパターンになっているが、意味するところは皆同じである。

 編者パム・リーバ女史とは二度会っている。最初はバーバネルの秘書をしていた時で、社長室のある三階から下りてきて私を迎え、折り返し三階まで案内してくれた。その時の東洋人的な、いかにも貞淑な物腰が印象に残っただけで、顔は後で思い出せるほどはっきりは覚えていなかった。

 二度目に会った時はバーバネル亡き後で、サイキックニューズ社のスタッフの一人として働いていた。私のことを覚えていてくれて、私が来ていることを知ってわざわざ二階の編集室から下りてきてくれた。その時初めてとても美しい方であることを知った。ハデな美しさではなく、奥に何かを秘めて清楚な美しさで、才色兼備とはこういう人に使う言葉であろうと思ったりした。

 私が「今シルバーバーチを訳しているけど、そのうちあなたの編集したものも訳しますよ」と言ったら Oh, lovely !(まあ、素敵!)と言って、まるで童女のようなあどけない仕ぐさで、嬉しそうにしたのが印象的だった。

 本文の一三六頁でシルバーバーチが「この霊媒と奥さんと私とは一個のインディビジュアリティに所属しております」と述べている。つまり霊的な親族(アフィニティ)、いわゆる類魂同士であるという意味であるが、私は永年バーバネルの秘書を務めたこのリーバ女史もアフィニティの一人として計画の推進のために生まれてきていると思う。スワッハーもしかり、速記係のムーア女史も然りである。

 話を戻して、続いて私が「その後バーバネルから何か通信がありますか」と尋ねたところ、自動書記とか霊聴という形ではないけど、霊感的に近くにバーバネルの存在を感じることはよくあるといった主旨のことを語ってくれた。バーバネルは今でもサイキックニューズをはじめとしてスピリチュアリズム関係の仕事を霊界から援助してくれていることは、当然想像できるところである。

 さて本書にはバーバネルが他界する直前の霊言も収められており、一九三八年に始まった原典シリーズも本書が最後となる。日本語シリーズとしてはオーツセンの More Philosophy の残り半分を主体として構成したものを次の第十一巻とし、最終巻は全霊言集のほかにサイキックニューズ紙やツーワールズ誌に引用されている珠玉の言葉や祈りをもれなく集めて〝総集編〟としたいと考えている。

 もちろんそれでシルバーバーチの霊言がすべて出つくすわけではない。分量としてはむしろ残されているものの方が多いのではないかと推測している。現に最近の情報では、すでに次のシリーズを企画中のようである。シルバーバーチファンにとっては嬉しい限りであるが、それはそれとして、本シリーズは全十二巻をもって完結としたい。

 実は二年ほど前に別々の機会に二度〝この後シルバーバーチを新たに出す予定はあるのか〟と尋ねたことがあるが、二度ともその予定はないと言っていた。それが今になって新しい企画がされたということは、シルバーバーチの霊言がその後も世界的にますます注目されていることの表われであり、それは言い変えれば、現代人がこうした霊的な叡智を要求し始めているということであろう。

 『古代霊は語る』がきっかけとなってついに十二巻もの霊言集が出せることになった。振り返ってみると、これまでの展開ぶりは私自身にとっても〝まさか〟の一語につきるもので、これも潮文社の理解なくしては不可能なことだったことは言うまでもないが、その背後に大規模な霊界からの働きかけがあることを痛切に感じている。私も一個の道具としてその計画の中に組み込まれているのであろう。

 今後の計画がどう進展するかは知る由もないが、〝すべては良きに計られる〟とのシルバーバーチの言葉を信じて地道に歩んで行きたいと思っている。 

     一九八七年十一月           近藤 千雄

シアトルの冬 シルバーバーチの霊訓 (十)

  Light from Silver Birch Edited by Pam Riva 

 
十一章 シルバーバーチの祈り 

(シルバーバーチの祈りを載せずに霊言集を閉じるわけにはいかない。いつの交霊会も必ず開会の祈り Invocation インボケーションで始まり感謝の祈り Benediction ベネデクションで閉会となる。その内容はいつも同じ霊的真理を述べるだけであるが、その表現に一つ一つ味わいがある。これから紹介するのはその中でも特に平凡に真理を語るだけの祈りの典型である )


 〇インボケーション

 これより霊的世界に属する摂理の一端を啓示させていただくに当たり、その成功を宇宙の大霊にお祈りいたします。

 大霊について、また大霊と宇宙間の全生命現象及びそこに住まう大霊の子等とのつながりについて、より明確な理解を得さしめることができますよう、お祈りいたします。

 幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見くびられ、制約されてまいりました。そこで私どもは完全なる法則の働きとしての大霊の真の姿を啓示せんとしているところでございます。

 大霊はすべての生命現象の背後に存在するものでございます。宇宙間に存在するものはすべて大霊の活力と栄養を得ているからこそ存在できているのでございます。

 進化のあらゆる段階にある創造物がその摂理に絶対的に従っております。雄大なるものも慎ましきものも、強きものも弱きものも、小鳥も花も、木も風も、海も山も、丘も谷も、晴天の日も雨の日も、嵐も稲妻も、およそ大霊の表現でないものは無いのでございます。

 私どもはすべてが大霊の霊的イメージに似せて創造されていること、その存在を通して大霊の神性が表現されていること、動き呼吸し生きていられるのは大霊が内部に宿っているからであり、また大霊の内部に存在しているからであることを啓示せんといたしております。

 その親と子の関係に割って入れる者は誰一人いません。なぜなら、無限なるその貯蔵庫に納められている全インスピレーション、全真理、全叡智、全摂理、全知識は、子等が向上心と謙虚さと奉仕的精神を持ってその道具となることを望みさえすれば、誰にでも手にすることができるものだからです。

 また私どもは人間の魂の中に例外なく潜在している偉大さ、誤解によって閉じ込められ、使用されることを待ち望んでいる強大な力、日常生活の中で身体を通して勢いよく顕現して霊的高揚を覚えさせる力をお見せしたく思っております。

すべての子等が充実した生活、美にあふれた生活、地上に生を受けた目的を得心した生活を送り、望みさえすれば得られる地上ならではの豊かさと愉しさと利点を手にして欲しく思うのでございます。

 要するに私どもは大霊を子等に近づけ、また子等を大霊に近づけ、立ちはだかる障害を克服し制約と限界を無くして、子等が大霊の存在を知り仕事の中でその御心を顕現して行けるようにしてあげることを目的としているのでございます。
 ここに、ひたすらに人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


 〇ベネディクション

 私は、たとえ声は聞こえなくても、たとえ姿は見えず手に触れることはできなくても、私たちが常にお側にいることを皆さんに知っていただきたいと思います。

 愛するが故に私どもは皆さんの周りに、またすぐお側に待機しており、その愛が、皆さんにそして皆さんを通して愛を必要とする人々に手を差し伸べることを可能にしてくれるのです。

 か弱い人たち、元気を失くした人たち、路傍に倒れている人たち、社会の落伍者たち、いずこへ向かうべきかを知らぬまま人生に疲れ果てている人たち、もはや俗世の宗教に安らぎを見出すことができず、しかもなお真実を求めている人たち、魂は自由を求めつつも教義とドグマと、対立する宗派の教えによってがんじがらめにされている人たち──こうした人たちに愛の手を差しのべることができるのでございます。

 私どもの教える真理は永遠にして無限なる大霊の真理です。一人のものではなく、すべての人に分け与えられるべきものです。全人類をその温かき抱擁の中に収めてしまうのです。

 願わくば皆さん方の直ぐ身のまわりに存在する強大な力、休みなく地上へ注がれている大いなる愛、皆さんを通して顕現することを求めているインスピレーション、啓示されることを待ちわびている真理、地上を啓発せんとしている叡智の存在に気づかれんことを。

 また願わくば人のために役立つ仕事を通してみずからを強大なる霊力に近づけ、その莫大なエネルギー、万物の背後に控える大霊と一体となり、その摂理に順応し、その知識を豊かに体得することによって、大霊の道具として、子等のために役立たれんことを。

  神の祝福のあらんことを。

ベールの彼方の生活(三)

 The Life Beyond the Veil Vol.Ⅲ The Ministry of Heaven By G. V. Owen

三章 天界の経綸



5 宇宙の全てが知れる仕組み  
一九一七年十二月三日 月曜日

 こうして地上へ降りてくる時、吾々は道中でこんなことを語り合ったりします──これから向かう国は霧と黄昏(たそがれ)の世界だ。その奥地に入り込んだら吾々自身の光と熱をかなり放出することになるかもしれない、と。

高き界層にいる時からそれが判ります。貴殿はそれにはいかなる化学、もしくは理法が働いているのかと不思議に思うでしょうが、その詳しい原理は到底地上の言語では説明できません。

が、もし貴殿に興味がおありならば、これを後で読まれる方々のためにも、その概略だけでも何とか説明してみましょう。

──どうも。ぜひ説明していただきたいです。

 では、できるだけ簡略に説明してみます。そもそもこうした霊的交信の必要性の中でも第一に大切なものは貴殿にはもう容易に知れるでしょう。地上の人間と天界の吾々とを一つの海、同じ大海の中に浸(ひた)らせる普遍的原理としての効用です。

私が言っているのは霊的生命、霊力、霊的エネルギーのことです。霊的生命は貴殿に取っても吾々にとっても、そして少なくとも吾々の推理と想像の翼の及ぶかぎりにおいて、吾々よりさらに上層界の神霊にとっても同じものを意味します。

霊的生命こそ地上の生命現象の拠って来たる根源であることは貴殿も容易に納得してくれるであろう。この原因と結果の相関関係は界が上がるにつれて緊密の度を増して行く。

それは当然、延々と最高界までも続くという理屈になります。その最高界は完全なる調和の世界であろう。が、その完全なる世界においてこそ、吾々が洞察するかぎり、その因果律が最も顕著に働いているであろうことが予想される。

 こういう次第であるから、吾々が一個の霊的エネルギーの大海という時、それは単なる空想的観念を述べているのではなく、現実に吾々自身の手によって操作できる具体的な事実について述べている。このことをまず第一に認識していただきたい。

 次に認識すべきことは、地上から上層界へ向けて進むときに界と界との間に完全な断絶は無いということです。聖書には深い裂け目の話があることは承知しています。が、そこに何も無いのではない。その淵にも底がある。それも地上と次の界との間にあるのではない。遠く脇へそれた位置にあり、向上して行く道には存在しません。

 各界の中間には一種の境界域があり、そこで融合し合ってひと続きになっている。従ってそこを通過する者は何の不安もない。しかし、互いに接する二つの界にはそれぞれ明確な特徴がある。そしてその境界域はどっちつかずの中間地帯というわけではなく、両界の特質が渾然と融合し合っている。

従って何も無いというところはどこにもなく、下から上へ段階的に実質的つながりが出来ているのである。以上の二つの事実を前提として推論すれば、吾々と地上の人間は潜在的に直接の交信関係があるという結論が極めて自然に出て来るであろう。

次に、ではこうした条件を吾々がどのように活用しているかを説明せねばなりますまい。

 これには数多くの方法がありますが、そのうちでもよく使用されるものを三つだけ紹介しておきましょう。この家(*)には窓が数多くあっても、よく使用する窓は幾つかに限られているのと同じことです。(*オーエン氏の自宅──訳者)

 第一の方法は、地上に関する情報や報告が地上と接した界層の者によって、ひっきりなしに上層界へ送られ、その情報処理に最も適した界まで来る。

これが極めて迅速に行われる。が、その素早い動きの中にあっても、通過する界ごとにふるいにかけられ、目ざす界に届けられた時はエキスだけとなっている。

地上の人間の願望も祈りも同じようにふるいにかけられた上で高級界へ届けられる。そうしないと地上特有のアクのためにその奥にある崇高な要素が、届けられるべき界層まで届かないのである。この方法についてはこれ位にしておきます。まったくの概略であるが、先を急がねばならないので已むを得ません。

 次は〝直接法〟とでも呼ぶべきものです。地上には特殊な使命を帯びて高級界からの直接の指導を受けている者がいます。中には非常に高級な光り輝く天使もいて、地上よりはるかに掛け離れた界層に所属している。そういう霊になると直接地上界まで降りて来られないことがある。

というのは、霊格は高級であっても必ずしも万能というわけではない。地上界まで降りるためには途中の界層の一つ一つにおいて、それぞれの環境条件に順応させる必要があり、それには莫大なエネルギーがいる。

安全が十分に保障されている時は敢えてそれを行うことがあるし、それも決して珍しいことでもありませんが、無駄な浪費は避けたい。霊的エネルギーがいくら無限だといっても無益なことには使いたくない。そういう時には原則としてこの直接法を使用するわけです。

 そのためには、地上的な言い方をすれば電話または電信に似た装置を架設する。振動または波動による一本の線で地上界とつなぐのです。その敷設には指導に当たる霊と指導される人間の生命力の融合したものが使用される。

〝敷設〟だの〝生命力〟だのと、あまり感心しない用語を使っていますが、貴殿の脳の中に他に良い言葉が見当たらないので、已むを得ません。ともかく、こうした方法によって交感度の高い通信が維持されるのです。(守護霊と人間との関係が原則的にこれに当てはまる──訳者)

 これは言ってみれば脳と身体との関係を結ぶ神経組織のようなものです。意識しない時でも常に連絡が取られており、必要に応じて機能する。地上の人間の思念や願望が発せられると瞬間的に届けられて、最も適切な処置が為される。

 以上の二つの方法によりさらに入り組んだ三つ目の方法があります。〝普遍的方法〟とでも言えるかもしれません。どうもしっくりしませんが、已むをえません。

第一の方法では地上から上層界へと流れる思念が各界で必要な処置を施される。それはちょうど大陸を横断して郵便馬車が配達していくようなもので、途中で馬を交代させたり休憩したりしないだけと思っていただければよろしい。

第二の方法では通信網はいつでも使えるように入力されている。電話にいつも電気が通っているようなものです。それが地上の人間と指導霊とを直接結びつけています。

 この第三の方法では過程(プロセス)がそれとは全く異なる。地上界の人間のあらゆる思念、あらゆる行為が、天界へ向けて放送され録音され記録されている。能力を有する者なら誰でもそれを読み、聞くことが出来ます。生(なま)のままであり、しかも消えてしまうことがない。が、その装置は言語では説明できません。

前の二つの方法の説明でも不便な思いをさせられたが、この方法の説明では全くお手上げです。が、せいぜい言えることは、一人ひとりの人間の一つ一つの思念が宇宙全体に知れ渡り響き渡っているというだけである。

宇宙に瀰漫(びまん)する流動体──何と呼ばれようと結構である(オリバー・ロッジの言うエーテル質のことであろう──訳者)──の性質は極めて鋭敏であり緻密(ちみつ)であり連続性に富んでいるので、かりに貴殿が宇宙の一方の端をそっと触れただけでも他の端まで響くであろう。

いや、その〝端〟と言う言葉がまたいけません。地上での意味で想像していただいては、こちらの事情に合わなくなります。

貴殿にその驚異を少しでも判っていただくために私が伝えようとしているのは、救世主イエスがとくに名称を用いずに次のようにただその機能(はたらき)だけを表現したものと同じである。

曰く〝汝の髪の毛一本が傷つくも、一羽のひなが巣から落ちるのも、父なる神は決してお見逃がしにはならない〟と。

(イエスがこういう譬えをよく用いたことは事実だが、この通りの文句は私が調べたかぎりでは見当たらない。オックスフォード引用句辞典にも載っていない。たぶん霊界の記録からの引用であろう。そのことは次章の最初の通信からも窺(うかが)える。訳者)

ベールの彼方の生活(三)

 The Life Beyond the Veil Vol.Ⅲ The Ministry of Heaven By G. V. Owen

三章 天界の経綸



4 美なるものは真なり        
 一九一七年十一月三十日 金曜日

 〝美〟なるものは〝真〟である──これが天界において最も目立つ原則の一つです。逆の言い方をすれば、見た目に醜(みにく)く歪(いびつ)なものは、細かく観察すると必ずどこか真実の持つ特質に欠けていることが判ります。

吾々が〝真実〟というときは貴殿らが神または父と呼ぶところの究極の精神(こころ)と調和したものを意味する。

父より湧き出ずるものには必ず秩序があり、その子孫たる吾々の至高にして至純なる憧憬と相通ずるものがある。その特質に相応しいものは〝美〟を惜いて他にありません。

何となれば美なるものは見た目にも心地よいものだからです。愛の本質を知る者にとって、その愛を心地よく包むものは〝調和〟です。

その愛のみが上(のぼ)せうる馳走に何の食欲もそそられない者は、どこか愛に逆らうものを宿している者にかぎられます。そして、ここで銘記すべきことは、愛は神より出ずるものであると同時に神そのものでもあるということです。

 そこで吾々は陸の風景にせよ海の風景にせよ、あるいは人間の顔にせよ身体にせよ、その美しさ、その均整美は神の倉庫より取り出せる美の表現であり、真なるものも神の意思と調和したもの以外は有り得ないことを理解しているので、美なるものはすべて真であり、真なるものはすべからく美を具えていなければならないと言うのです。

 神の生命の流れが汚されるのはその本流に逆らう何らかのエネルギーが流入するからであり、この譬えはそのまま人類に当てはまる。

すなわち一家庭ないしは一国家内の不和はそれ自身の中にあるのではなく、その源ははるか天界において神の目的と意志に逆らうものが混入した時点にまで遡ることができる。

 しかし、神の御力はあくまでも〝奇しきもの〟である。究極的には神がそうした不純な要素をも有用なるものに変え、活用を誤った神的生命力の対立的表現の一つ一つから、人間も天使も含めた全存在の向上進化のために役立つものを抽出していく。


──おっしゃることが(私の筆で)正しく表現できているかどうか私には判りませんが、いずれにしてももう少し判り易い話題、そして単純に表現できるものにしていただけないでしょうか。

 では、すでに話題にした例の大聖堂について今少し述べるとしましょう。この話題なら貴殿の霊聴力と同時に霊視力も使用できるので、吾々にとっても表現しやすく、貴殿にとっても受けやすいでしょう。貴殿は今夜は吾々の期待するほどの心の平静さが見られません。   
(創造物) 
 その大聖堂に大きな塔が付いている。が、その塔に吾々が解(げ)しかねる一角があった。その大塔は建物の角に立っており、正方形をしている。その四つの角の一つが他の三つと様子が異なるのだった。

が、妙なことに吾々の中の誰一人として、他の角と比較して何が欠けているとかどこがどう違っているとかが判らなかった。

四つの角を同時に見た時は、私の目には形も均整も他と全く同じに見える。ところが他の三つを見てからその角に目をやり、さらに近づいてその台座を見て回ると、明らかに調和に欠けるものを感じる。何度やっても同じものを感じるのです。

余計な話は省略して結論を急ぎましょう。結局その欠陥を見出したのは、その建築に携わった吾々のうちの誰でもなく、たまたまその第五界を通りかかった、もう一つ上の界の方で、その方があとで詳しく原因を教えて下さったのであった。

 その方は暗黒の下層界で大きな対立や反乱が起き、その悪影響が境界を接したすぐ上の界へ及んでいる時に、その鎮圧に赴く霊団のお一人である。

そうした騒乱による悪影響は強烈で、上の界まで及んで進歩を阻害し、ようやく光明界へ向けて向上せんと必死に努力している霊を挫けさせ、一時的に努力を怠らせる結果となる。もっとも、よほどの騒乱でないかぎり完全に絶望的なものには至らない。

その方はそうした騒乱が発生した時に霊団の一人として暗黒界へ降りてその鎮圧に当たり、せっかく光明に目覚めて向上しかけた霊が足を引っぱられぬように配慮する仕事に携わっておられる。

 吾々を困惑させていた塔の異常の原因をすぐに突き止めることができたのも、そうした烈しい仕事に永く携わってこられたからである。その方はまず四つの壁を入念に点検されてから、その建物を離れて遠くの丘に上がり、そこからしばらく塔を見つめておられた。

やがて戻って来られ、吾々を平地に呼び集めて、およそ次のような言葉で欠陥を説明してくださった。

 「皆さんがこの聖堂の建築に携わっておられた時、この塔の部分だけを残してまず他のホールの仕上げを急がれた。それが終わってから持てるエネルギーの全てをこの塔を強固にする作業に集中された。そのとき仕事に夢中になって一つだけ見落されたことがあります。

四つの側面の手入れに同じ頭数(あたまかず)で当たるべきだったことです。その上、高く聳えた塔の上の部分に遠くからの光が当たった時に下の部分で働いていた人たちの意思がその方へ奪われ、その時そこを流れていた霊力に十分に曝(さら)されなかった。

ちょうどその時です。たまたま私たちの一団が暗黒界での仕事からの帰りにここを通りかかりました。私たちは悪戦苦闘したあとで、すっかり体力を消耗していましたので、そこを流れていた霊力を吸収してしまったのです。

そのとき四つの側面に同じ人数が携わっていれば良かったのですが、私たちもそうとは知らずに、その数の少ない問題の部分から吸収してしまったということです。

ですから問題の角は形と均整がいびつなのではなくて、素材のキメが粗いのです。この私の話を念頭に置かれてもう一度よくご覧になれば、他の三つの角に較べてその角だけが色調が暗いことに気づかれるでしょう。

それは今も言ったとおり私たちによって生命力を奪われ光沢を失ったからで、形態は他と少しも変わらないのに、見た感じが見劣りがするわけです」

 そのあと吾々もその通りであることを確認し、その修復を行ったが、それは簡単に済みました。最初に建築に携わった同じメンバーを集めて仕事に取り掛かりました。

全員から湧き出る意念の流れをその問題の箇所に向けて放射すると、次第に色調が明るさを増して他の部分と同じ光輝を放つようになりました。そして完全に同じとなった段階で意念の放射を止めました。仕上がりは上々で、完璧な調和を見せておりました。

 これでお判りの通り、そもそもの原因はまだ建築が完全に仕上がっていない段階で暗黒界でエネルギーを使い果たした一団がそうとは知らずに近くを通りかかったことにあった。悪というものは本質的には侵略的なものではなく消極的なものです。

善性の欠如にすぎません。善なるものには力があります。暗黒界での仕事でエネルギーを使い果たした一団が吸い取った力も善なる天使の力です。

吾々の側を通りかかった時に無意識のうちに生命力を再摂取したのも、元はといえば暗黒界の悪影響に原因があり、それが不調和を生んだ。それは美の欠如を意味する。かくして吾々は廻りめぐって〝美なるものは真である〟という最初の言葉に戻って来た。

では失礼します。祝福を。

ベールの彼方の生活(三)

 The Life Beyond the Veil Vol.Ⅲ The Ministry of Heaven By G. V. Owen

三章 天界の経綸



3 勇気をもって信ずる   
 一九一七年十一月二十九日 木曜日


 約束どおり例の建物についての問題点を説明しましょう。実は問題というほどのものは何もないのです。憶えておられるでしょうが、あの建物は第五界およびそれより下の界の住民を対象としていると述べました。その中には当然地球も含まれます。

地球は外観こそ違え、本質的には貴殿らが霊界と呼んでいる世界と少しも変わらない。その建物から出た影響力は中間層を通過して、最後は地上界にも至ります。表現が明確さを欠いていたようです。別に吾々が先を急いだからではありません。

貴殿の限界のせいです。すなわち精神的ゆとりと受容力とを欠いておられた。

 この二つは密接に関連しています。静けさと安らかさのゆとりをもたぬ者は、環境条件の異なる界層からやって来た吾々の思念及び出発の際に携えて地上界との境界のぎりぎりのところまで運んできている穏やかな霊力には感応しません。

その霊力は地上界に至るまでにある程度は散逸しますが、全部を失うわけではない。ぶじ持ち来ったものを、それに反応を示す者とそれを必要としている者に分け与えんとします。が、吾々とてそのうち善意とエネルギーが枯渇する。

そこで補給のために澄み切った天界へと舞い戻る。そこが全ての霊力と安らぎの源泉だからです。

 ここで例の聖堂が関わってきます。それが用途の一つなのです。すなわち高き天界から送られてきた霊力と数々の恵みを蓄えておき、必要に応じて地球を包む下層界の為に使用するというわけです。

 仕事が進展していけばまた新たな用途も見出され、今行われている仕事と組み合わされていくことになります。

 さて、貴殿は今夜はこの仕事にかかるまでに何かと用事が続き、またこのあとも貴殿を待っておられる人々がいるようなので、あまり長く引き留めることが出来ない。そこで今夜は早く切り上げようと思うので、通信はあと少しだけ──それも貴殿がまだ明確に理解していない点を指摘するだけに止めておきましょう。

 吾々がこうして地上界へ下りてきても、吾々の到来を心待ちにし通信を期待している人でさえ必ずしもすんなりと交信状態に入れないことがあります。

貴殿でもそういう場合があります。例えば吾々が身近にいることをどうにか気付いてくれたことが吾々には判る。ところが交信が終わると貴殿の心に疑念が生じ、単なる自分の想念に過ぎなかったように結論し、霊的なものであったと思ってくれない。

このように吾々の側から送信しにくく貴殿の側がそれを受信しにくくさせる原因は、主として信ずる勇気の欠如にある。貴殿は自分ではその勇気なら人後に落ちないつもりでおられる。

吾々もそれをまったく認めぬわけでもありませんが、こと霊的交信の問題となると、真理探究の仕事における過ちを恐れすぎる傾向がしばしば見受けられます。

 次のように言い切っても決して言い過ぎではないでしょう。つまり貴殿が何か身近に存在を感じた時は必ず何かがそこに存在する。それは貴殿にとって望ましいもの、あるいは見分けの付くものであるかも知れないし、そうでないかも知れない。

が、何であれ、そこに何かの原因があってのことであるから、冷静に通信を受け続ければ次第にその本性がはっきりしてきましょう。

貴殿は最初それを知人の誰それであると判断する。が、実際はそうではなくて全く別人であったとする。が、それは落ち着いて通信を受けていくうちに必ず判ってくるはずのものです。

ですから、誰かの存在を感じたら、余計な憶測を排除し、同時に判断の誤りについての恐怖心を拭い去っていただきたい。そして、送られて来るものを素直に受けるだけ受けた上で、その通信内容から判断を下しても決して遅くはありません。

 この度はこれで終わりにしておきましょう。貴殿は他の用事で行かねばなりますまい。その仕事に限らず、日々のすべてのお仕事に神の御力のあらんことを。

10シアトルの冬 シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch Edited by Pam Riva 



十章 質問に答える

 ──私がこれまでに会った人の中には、自分はスピリチュアリストであると言いながら相変わらず何かの既成宗教に属している人がいます。スピリチュアリズムを信じるようになったら、それまでの宗教は捨てるべきではないでしょうか。

 私はそうした名称(ラベル)には煩わされません。実はこの私自身が果たしてスピリチュアリストなのかどうか定かでないのです。スピリチュアリストであるとの認証を頂いたわけではないからです。ご自分のことをどうお呼びになるかは問題ではありません。大切なのは毎日をどう生きるかです。
℘174
 いったい宗教とは何なのでしょう。教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。人間のこしらえた教義を受け入れることでしょうか。私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教徒ですと名乗ることでしょうか。

 宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人のためになる行いをすることです。

 もしも霊界との交信の事実を信じてその恩恵を受けている人が相変わらず従来の神学的教義にこだわり続けている時は、その人のことを気の毒に思ってあげることです。密かに祈りの気持ちを送ってあげることです。その人はまだ梯子段の下の方、せいぜい中途までしか上がっていないからです。

 精神が従順で感化されやすく、与えられたものは何でも吸収していく幼少時に教え込まれた教義を棄てることは容易ではありません。それがいつしか潜在意識のタテ糸となりヨコ糸となって、その深層を形成します。そうなると、みずからその誤りに気付いて取り除くということは、殆ど不可能に近いと思わないといけません。
 
 ですから、我慢してあげることです。われわれだって、かつては間違った考えを抱いていたのを、その後の叡智の発達のお陰で棄て去ったことがあるではありませんか。所詮人間の誰一人として完全の極致まで到達した人はいないのです。それには永遠の時を必要とするのです。

 我慢してあげるのです。手助けをしてあげるのです。議論しあってはいけません。議論からは何も生まれません。詩人(※)が言っております──〝議論しても、入って来たのと同じドアから出て行くだけである〟と。(※英国の詩人フィッツジェラルド
                              Edward Fitzgerald)
 自分の宗教の教義より先が見えない人のことは辛抱強く見守ってあげなさい。時が立てばあなたの場合もそうであったように、きっと機が熟します。


──わけもなく塞ぎ込んでいる人間が多いのですが、若者にいったい何が起きているのでしょうか。霊的に飢えているのでしょうか。

 道を見失っているのです。彼ら若者は暴力の支配するこの時代に生を受けました。彼らの気持ちの中には大人は自分たちを裏切ったという考えがあります。また、従来の宗教では救いは得られないとも考えております。


──その考えは大人に責任を負わせ過ぎだとは思われませんか。誰しも自分なりの道があるはずです。

 私はそうした若者の考えに賛成であると言っているのではありません。私は現代の若者の心理を説明しているだけです。いずれは彼らも先輩になるのです。


──体験と言うものは掛けがいのないものです。

 苦々しい体験ほど薬になるのです。楽な体験は往々にして毒になるものです。サークルのメンバーの方なら私が何度も申し上げているのでよくご存知でしょうが、しくじるということの効用は、やり直しがきくということです。


──(旧約聖書の天地創造の話を持ち出して)ある人たちはその創造活動に宇宙人が参加したと言っておりますが、いかがでしょうか。

 申すまでもないことでしょうが、あなたは今、大気圏外から来た生物へ質問していらっしゃるのですよ! 創世紀その他の話に惑わされてはいけません。あなたの理性に照らして受け入れ難いものは拒絶なさることです。要するにあなたがお知りになりたいのは、地球はどうやって誕生したかという、その事実なのですから。


──その説が沢山あるのです。どれが事実なのかが分からないのです。

  生意気を言うようですが、私はそうした〝説〟を超えたものを手にしております。この問題に関しては少しばかり知識があるのです。地球は無窮の過去から存在し続けております。始まりも終わりもありません(※)。バイブルにもイエスが言ったとされる名文句があります──〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟と。 

(※これは最後に引用されているバイブルの文句から察せられるように、地球という惑星を物的天体としてではなく霊的存在として考えた上でのことである。地上の万物に霊が宿っているように、地球そのものにも霊が宿っている───と言うよりは地球の霊が顕現したのが生きとし生けるものであると考える方が順序であろう。日本の古神道ではその生成過程を寓話風に物語っている──訳者)

 霊は無窮の過去から存在しております。ある時ひょんなことから創造されたのではありません。それが地球に宿り、数えきれないほどの年数をけみして、やっと生命として顕現し始めたのです。生命は霊であり、霊は生命です。永遠の過去から無限の可能性を秘めているのです。

 その生命の誕生に大気圏外からの存在(※)が参加した事実はありません。内在していた生命力が無限の知性によって考案された進化の法則に従って顕現し、発達し、進化してきたのです。

(※天地創造についての質問に対する冒頭でシルバーバーチは自分のことを〝大気圏外から来た生物〟という冗談めいた表現をしているが、これはもちろん〝霊界からやってきた霊〟の意味で言っている。

ここで言っているのは他の惑星からのいわゆる宇宙人の参加はなかったという意味であって、霊界からの働きかけは大々的に行われたものと想像される。生命の誕生はそれなくしては考えられないことで、今後の研究にまたれる面白くかつ重大なテーマであろう──訳者)


──最近ではダーウィンの進化論がいろいろと批判を浴びております。ダーウィンはいろんな事実を見落としているようです。

 いかなる発達段階にあっても全知識を手にすることが出来ない以上、見落とされる事実があるのは仕方のないことです。完全のみが全知識を含むことになるのですが、その完全性は地上はおろか霊界においても誰一人として達成した者はいないのです。

進化について明言できることは、物的進化も精神的進化も霊的進化も、すべて大自然の摂理によって営まれているということです。


──私は人間がサルから進化したという説はあまり嬉しくないのですが・・・・・・

 もしかしたらサルの方もうれしく思っていないかも知れませんよ! 神の目から見ればサルは、大切な存在である点では人間とまったく同等なのですから。

(シルバーバーチがイエスの偉大さを述べ、地上において開始した地球浄化の大事業を死後もずっと続けており、シルバーバーチ自身もイエスの指揮のもとで働いていることを述べると)

── イエスの名のもとに行われた数々の歴史上の行為を見るのは、イエスにとって心の痛む思いだったに相違ありません。

 おっしゃる通りです。何度涙を流されたか知りません。もとよりそれはイエスの責任ではありません。スピリチュアリズムの七つの綱領の中には、各自が各自の行為に責任を持つとうたった条文があるのをご存知でしょう。


──イエスはどういうお顔の方だったのでしょうか。

 地上の画家が描いている肖像画とは似ていません。伝導時代に行動を共にした人たちとよく似ておりました。もし似ていなかったら使命は果たせなかったでしょう。

(訳者注──
原文から受けるニュアンスとしてはズバリ容貌を述べるのを避けているふしが窺える。それは多分、とかくイエスが神格化され、神々しくて近づき難い存在だったように想像されがちなので、実際はいたって人間味を具えた、その意味で平凡なユダヤ人だったと言いたいのであろう)


──霊界通信によっては、宇宙的キリストと人間としてのキリストの二つの言い方をしているのがあります。同じ存在の二つの側面を言っているのでしょうか。

 あなたは名称に惑わされています。まずイエスという人物がいました。その人物の姓はキリストではありません。一方、キリスト的生命力、つまり霊力が存在します。人間イエスと、そのイエスを動かした霊力とを区別してお考えになればすべてがすっきりします。


── イエスが述べた正確な言葉を自動書記か何かで入手することは可能でしょうか。

 何とも申せません。問題は当時イエスの言葉を記録した人物が一人もいなかったことです。ですから、それを伝えるには記憶に頼らねばならないわけです。がしかし、イエスの教えの肝心かなめは〝愛〟です。〝己を愛する如く隣人を愛せよ。汝に敵対する者にも優しくすべし〟です。

愛とは摂理(神の心)の通りに行うことです。人類の救済にとってこれ以上に必要なものがあるでしょうか。愛は霊性の最高の表現です。大霊から下さるのです。それを私たちがあなた方のお届けしているのです。

 イエスの使命は霊的実在を証明してみせることでした。もしも今の時代にイエスが出現して二千年前と同じことを説いたら、果たして耳を傾ける人がいるかどうか、私はきわめて疑問に思います。


──間違った教えをたずさえて霊界入りする者が多すぎるとおっしゃいましたが、ヨハネの福音書にはイエスを信じることによって永遠の生命を授かると述べられています。

 それは間違いです。人間は一人の例外もなく死後も生き続けるのです。何かの教義や信条、あるいはドグマを信じることによって永遠の生命を授かるのではなく、不変の自然法則によって生き続けるのです。それ自体は宗教とは何の関係もありません。因果律と同じ一つの法則なのです。

 いま引用なさった文句は地上に大きな混乱のタネを蒔き人類を分裂させてきた言葉の一つです。一冊の書物、それも宗教の書、聖なる書が、普通の書が起こそうにも起こせないほどの流血の原因となってきたということは、何という酷い矛盾でしょうか。

宗教の目的は人類を不変の霊的関係による同胞性において一体ならしめることにあるはずです。


──イエスは本当にはり付けにされたのでしょうか。

 そんなことについて私の意見をご所望ですか。どうでもいいことではないでしょうか。大切なのはイエスが何を説いたかです。はりつけにされた時にどういうことが起きたかは、いくら議論してもラチが明かないでしょう。私にもその立証はできません。

ですから、そのことについてはお答えしません。無意味に人を断罪するのは私の趣味ではないからです。それは私の使命ではありません。

(訳者注──イエスの処刑についてはいろんな説がある。一般には聖書の通りにその場で死亡して何日か後に蘇ったことになっているが、実は処刑されたのはイスキリという名の弟だったとか、完全に死んだと思って埋葬したが本当は死んでいなくて、生き返って国外へ逃げたとかの説があり、それぞれにもっともらしい論拠を揃えている。

国外へ逃亡したとする説にも、ローマへ行ったという説と日本へ来たという説、そして最近ではインドへ行ったという説があり、いずれの場合もかなりの高齢で他界したことになっている。

 無論シルバーバーチはそのことについての真実を知っているはずであるが、人間がとかくこだわる〝証拠〟となると何も提示できないからと言って返答を断っている。無論これは言い訳であって、本心はやはり最後で述べている通り、自分が述べることによって右の諸説のどれかを、あるいは全部を否定することになるのを避けたのであろう。

どうでもよいことだからである。シルバーバーチはイエスの出生についても死についても途中の事蹟についても、あまり深入りしたことを言っていない。使命ではないからであろう)

 私の使命は人生の基本である霊的原理に関心を向けさせることです。人間はどうでもよいことに拘り過ぎるように思います。イエスが本当に処刑されたかどうかは、あなたの魂の進化にとって何の関係もありません。

 肝心なことに関心を向けなさい。あなたは今あなたなりの役割───人を助け霊性を開発し悟りを深めるためのチャンスを提供してくれる、この地上という生活の場に来ていらっしゃるのです。火星にも人間のような存在がいるのだろうかとか、一千年後に間違いなく復活するだろうかとか、そんなことを心配してはいけません。

 大切なのは日常生活での身の処し方です。あなたなりの最善を尽くせばよいのです。それによって大霊とのより大きい調和が得られます。それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信という形をとります。神の心をわが心としようと心掛ける者すべてに必ず訪れるものです。


──人類はいつかは戦争のない平和な暮らしができるようになるのでしょうか。

 これは難しい問題です。まず理解していただかねばならないのは、神は人間に自由意志というものを授けられているということです。自由意志のない操り人形にしてもよかったのです。が、自由意志による選択の余地を与えられることによって、人間も永遠の創造的進化の過程に参加する機会が持てることになったのです。

人間は地上をエデンの園、楽園、天国にすることもできれば、暗く荒涼とした、恐ろしい悪の園にすることもできます。そこに選択の余地が残されているのです。

 戦争、暴力、貪欲、情欲、利己主義がはびこるのは物質中心の考え方をするからです。そういう考え方をするのは、これほど多くの宗教が存在しながら大半の人間が肉体が死ねばすべておしまいと思っているからです。

死後にも実感を伴った生活───地上生活の賞罰が清算される世界が存在するという事実が信じられず、地上生活が唯一の生活の場であると考えます。すると当然、物質がすべてなら今の内に思い切り欲望を満足させておこう、ということになります。それが戦争を生み、憎み合い、征服し合い、殺し合うことになります。

 もっともこれは真相の一面を述べたままです。有難いことに、他方では、人間のわがままによる混乱を抑制するための摂理も間違いなく働いております。その一環として私たちは、地上に霊的実在についての知識をもたらすための大事業にたずさわっているのです。

 霊媒の活用によって人間が霊的天命を背負った霊的実在であることを証明することができます。その天命を全うするも損なうも、日常生活における身の処し方一つに掛かっております。因果律、すなわちタネ蒔きと刈り取りの摂理は絶対に狂いません。

 良い行いをすればそれだけ幸せを味わいます。利己的な行いをすればそれだけ苦い思いをさせられます。摂理はごまかせません。死の床でいくら懺悔の言葉を述べても、すでに始動している因果律の働きを止められるものではありません。

 こうした真理を理解する人が増すにつれて戦争が減り、平和な地域が広がっていきます。これは一朝一夕(いっちょういっせき)にできることではありません。

 私には以上のようなお答しかできません。自分の役目を果たすのです。自分なりの最善を尽くすのです。縁あって近づく人の力になってあげることです。親切に、寛容に、そして慈悲の心をもって接するのです。機会さえあれば、どこででも人のために役立つことを心掛けることです。それが世の中に貢献するゆえんとなります。


──時おり味わう精神的な苦悩は外部から来るのではなく内部から湧いてくるのでしょうか。

 どちらからでもあります。よく理解していただきたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)から成っていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活しております。

ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。

 言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活に必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるということです。

 たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼(はがね)を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨き出す工程と同じです。


──多くの人間の間で精神的革命ともいうべきものが進行しているのを感じます。これは霊界からの働きかけの当然の結果で、今それが実現されつつあるのだと思います。

 地上世界は今るつぼの中にあります。バイブルの中の説話のような善と悪との戦いがあります。富の神マモンの崇拝、あくなき貪欲と強欲と権力欲、高尚なものや霊的なものの抑圧──要するに私が地上のガンと呼んでいる利己主義が生み出す不幸があります。

 それと同時に、世俗的な意味での宗教はその威力、影響力、指導力を失っております。いやしくも知性を具えた者には到底信じ難い教義に今なお忠誠を尽くしているようでは、既成の宗教に背を向ける者がますます増えていくのは当然の成り行きです。

 それに加えて、科学が間違った方向へ進みつつあります。果たして人類に益をもたらすのか、地球を破滅へ陥れるのではないかと思える、恐ろしいものを次々とこしらえております。人類は今まさに危機の十字路に立たされております。私たちが総力を挙げて救済活動に乗り出したのもそのためです。

 それは平和と調和と親善と和合と協調を達成する唯一の方向を示して指導しているところです。その唯一の方向とは、地上の一人一人が霊的な一大家族の一員であり、その親にあたるのがあなた方のいう神、私のいう大霊であるという認識です。

 私たちは何としてもこの仕事を成し遂げる覚悟です。ここにお集りの皆さんをはじめとして、スピリチュアリズムの仕事にたずさわっておられる方はみな、霊的大軍勢の一翼を担っておられるのです。だからこそ試され鍛えられて、割り当てられたこの重大な仕事で万が一にも挫折のないようにしなければならないのです。

 霊は物質に勝ります。物質の世界には霊力よりも強力な力は存在しません。たとえ時間は掛かっても必ず勝利を収めます。真理を手にした者には悲観主義も絶望も入る余地はありません。

神が人間の頭を身体の一ばん高いところに置かれたのは、見上げることができるようにということからです。見下ろすようにということであったら足もとに頭が付いていることでしょう。

 人間の霊的解放の仕事にたずさわる者は試練と挑戦を受けなくてはなりません。それが霊的発達の不可欠の要素なのです。それ以外に方法がないのです。いずれ霊界へ来られて地上時代を振り返ってごらんになれば、苦しい体験ほど大切な意義を持っていたことを知って神に感謝なさることでしょう。

 遠い昔から人間は地球の悲劇の予言をいくつもして来ました。地球の終末の日時まで告げているものもあります。そこへキリストが再臨して人類を救うというのがキリスト教の信仰のようですが、そういうことにはなりません。キリストは二千年前に地上での使命をきちんと終えています。

今は私の住んでいる同じ霊界においての使命に精励しておられます。それが今われわれのたずさわっている霊的真理普及の活動の指揮・命令です。

 地球が一夜のうちに破滅することはありません。宇宙の大霊が無限の愛と叡智とを持って摂理を案出し、それによって巨大なもの、微細なもの、複雑なもの、単純なものの区別なく、存在のあらゆる側面を経綸しているのです。

それは一歩一歩の進化という形で働くのであって、大変革によって一挙に行われるのではありません。人間の力にも制限が加えられています。人間にできないことがあるということです。自由意志が与えられていますが、それにも限界があります。


──地球の将来はどうなるのか教えていただけませんか。

 たった一人の人間によっては無論のこと、何人の人がいっしょになっても、地球を破壊する力は持てませんから、地球はこれからも永遠に存在し続けます。地球にもたらす害にも、それを引き起こす手段にも、地球の存在自体に終止符を打たせるほどの規模にはならないように一定の限界というものが設けられています。

 怖がってはいけません。神の意志は必ず成就されるのです。将来への展望には自信と楽観と積極性をもって、ご自分の役目を果たすことに専念なさることです。恐怖心、心配、不安、こうした霊力の働きかけを止め無気力にさせるようものは、いっさい棄て去ってください。

私たちから要求するのはそれだけです。出来る限りのことをなさっていればよいのです。それ以上のことは出来るわけがないのですから。

 明日はどうなるかを案じてはいけません。明日は、潜在する神性を開発し、人生を物質的・精神的・霊的に存分に楽しみ、まわりに存在する素晴らしい霊的光輝をますます意識するようになる、その絶好の機会の到来を告げてくれるものなのです。


──凶暴な犯罪は死刑制度によって解決できると思われますか。

 そうした報復的手段では何一つ解決できないでしょう。愛は摂理を成就することであると言います。いかなる手段にせよ、それによってその魂が救われることになるように工夫すべきであって、復讐心を抱かせてはなりません。

人を殺した奴だから殺してよいという理屈は許されません。国家による法的殺人では問題の解決にはなりません。暴力に暴力で対処することは善性・慈愛・優しい心を生み出すことになりません

 処罰は矯正と救済を目的としたものであらねばなりません。魂に本当の自分を悟らせてあげることを目的としなければなりません。何の用意もできていない魂を霊界へ送り込むことは問題を大きくするばかりです。地上においても霊界においても犯罪を減らすことにはなりません。それに、人間はとかく過ちを犯しがちなものであることも考慮してやらないといけません。


──そうした魂の病める霊をなぜそちらの方で看視して、地上の人間を同じ道へ誘わないようにしていただけないのでしょうか。

 そう簡単にはいかないのです。未熟な霊が次から次へと地上から送り込まれてまいります。それは霊界にとって迷惑なことです。そこで地上の人間が地上にいる間に霊界の生活に備えてもらおうと、今、霊的真理の普及に全力をあげているわけです。

 ひとことで言えば、私たちが地上へ戻って来た目的はイエスが説いた〝愛〟の福音を説くことにあります。人間は互いに愛し合うべきであり、憎み合ったり報復し合ったりしてはいけません。


 (刑事をしている人が初めてサークルに出席して質問した)

──職業柄、私は多くの人間が恐ろしい行為によってあたら生命を失っていくのを見てきました。そして、しばしば思ったことですが、そうした犯罪が二度と起きなくするために、そちらで復讐心に燃えている霊たちを説得していただけないものでしょうか。

 残念ながらそういう人たちはみな地縛霊となっており、自らこしらえた牢獄に光が射し込むまでには大変な時間を要します。

これは大へん難しい問題でして、時間さえあればいろいろと敷衍(ふえん)してお話できるのですが、結論だけ申し上げれば、彼らへの対処の仕方は報復ではなく矯正を目的としたもの、つまり、精神的リハビリテーションでなくてはならないということです。やられたらやり返すのが公正ではありません。


──私は阻止することこそ公正であると考えておりました。

 しかし現実には報復が優先されているのがほとんどです。旧約聖書では〝目には目を、歯には歯を〟でしたが、新約聖書ではイエスが隣人への愛を説いただけでなく、自分を憎む者をも愛せよ、と述べています。 何ごとも最後は動機が問題となります。動機さえ正しければ、すべてがうまく収まります。


 (代わってジャーナリストが質問する)

──霊界及び他の世界から人類へ向けてさまざまな警告が届けられております。あるものは原子力は悪であるから阻止せよと言い、またあるものは人類の独善主義について警告しています。そうした警告めいた予言を総合的に検討して記事を書くようにとの依頼を受けているのですが、ご意見を承りたいのです。

もし何か特別に警告すべきことがありましたら明確に述べて頂きたいのですが・・・・・・


  私は原子力が悪だとは思いません。その使用法が邪悪になることは有りえます。しかし反対に測り知れない恩恵をもたらすこともできます。そのカギを握るのは、その途方もないエネルギーを管理する、あるいは管理を誤るかも知れない立場にある人たちです。

 警告めいた予言のことですが、霊界にカッサンドラ(ギリシア伝説の凶事の予言者)のような霊がいて、何か大変なことが地球に迫りつつあるということで大ゲサに嘆いているような図を想像してはなりません。

 そんな単純なものではないのです。大霊は子等に一定限度内の自由意志を与えておられます。その自由意志による選択によって地上を光輝と美と豊かさに満ちた所にすることもできれば〝生き地獄〟とすることもできます。その選択をするのはあなた方人間なのです。

 科学技術の発達とともに途方もないエネルギーの存在が明らかにされて、それをいかなる目的に使用するかの責任が大きくなって参ります。正しい進化の方向を選ぶことになる唯一の道は、私の理解している限りでは、無限の神性を宿している子等がそれをできるだけ多く発揮して地上世界を美しく飾り、大自然がその豊かな恩恵を実らせるようにする以外にありません。

 それが人間が選択すべき唯一の道です。それを無視して富の神マモンを崇拝し、欲望に走り、利己的になり、他人のことはどうでもよいと考えるようになったら最後、自分の国だけでなく地球全体が暗黒と困難と悪と疫病という、自由意志の選択の誤りが生み出す結果で埋め尽くされることになります。

 しかし、そう申し上げながらも尚かつ私は、人間がいかに驚異的なエネルギーを手にしようと、それによって起こす破壊や荒廃を一定程度で食い止める無限の力には到底太刀打ちできないことを断言しておきます。地球全体を、あるいは宇宙そのものを完全に破壊する力は持てません。


 ──やはりあくまでも神の持ち物というわけですね。

 そうです、あくまでも大霊の持ち物であり、大霊が支配しなければならないのです。大霊は無限です。無限なる愛であり、無限なる叡智であり、すべての子等に、地上を天国となしてそこに共存するための手段を提供してくださるのです。それを受け取るか否かの選択は自由ですが・・・・・・

 自由だからいいのです。もしも人間が操り人形かロボットのようなものだったら人生は何の意味もないことになるでしょう。完成へ向けての進化も成長もありません。永遠の虚無の世界となってしまいます。それは神の意図するところではありません。

 皆さん方のどなたよりも永く宇宙人生を送ってきた私は、神の完全性が生み出した宇宙の美事な機構を畏れと驚嘆と敬意と感嘆をもって眺めるようになりました。無限の知性が考案した摂理の働きを阻止できるものは何一つ存在しません。

 人生のすべての相を支配している永遠の霊的原理をかい間見るという光栄に浴した者は、明日はどうなるのかという不安を抱く必要はみじんもありません。驚異的な科学技術の発達、科学的業績は善にも悪にも使用できますが、いくら悪いことに使っても、それがもたらす破壊にも限界があります。

地球全体、及びそこに住む人類をもろとも破滅させてしまうほどの無制限・無束縛の自由が許されるわけではありません。

 愛は憎しみに勝ります。霊は物質に勝ります。その宇宙最大の力は生命の大霊から出ているのです。無限の知性によって考案され、無限の叡智によって支配されている宇宙の摂理は、今住んでおられる世界が少しでも良い世界へ向けてゆっくりと着実に進歩するように配慮してあるのです。


  (話題が動物愛護の問題へと発展するとシルバーバーチがこう述べた)

 悲しいかな、霊的発達の未熟さゆえに人間は、自分を生かしめている霊力が地球を共有している他のすべての生命体を生かしめている霊力と同じであることに理解がいかないのです。動物も人間と同じく物的身体を具えた霊であることが理解できないのです。

 われこそは万物の霊長であると信じているのであれば、それゆえにこそ動物に対する責務があるはずなのに、人間はそこが理解できないのです。上の者は下の者を手助けするのが当たり前です。しかるに現実は、罪もない動物に無用の残虐行為を情け容赦なく行っております。

しかもそれは人間の健康増進の為と信じてのことなのですが、それは間違いであり、そういう手段から健康は得られません。

 そうした邪悪で悪魔的でさえある実験を完全に阻止するためにも霊的真理の普及が急務なのですが、これは永い時間の掛かる問題です。今自分たちが行っていることが間違いであることに気づいて良心の苛責を覚えるようになるまで、霊性が発達するのを待たねばならないのです。


──なぜ動物は人間の手によって苦しめられねばならないのでしょうか。人間の霊的成長の試金石となるために地上に置かれているのでしょうか。もっと高い進化の段階に達している別の天体へ置かれていれば、そこの住民に可愛がられて霊的進化も促進されるはずですが・・・・・・

 それと同じ疑問が人間についても言えませんか。つまり、なぜ人間は地上で同じ人間の手で苦しめられねばならないのかということです。なぜ苦しむことのない、どこか別の世界へ置いてもらえないのでしょうか。

 理解しなければならないのは、地上というところは予備校ないしはトレーニングセンターであって、その目的は内部の神性を可能なかぎり発揮する機会を提供することである、ということです。

 人間には、ある一定限度内での話ですが、自分の行為を決定する自由意志が与えられております。その自由選択の結果として地上あるいは霊界における進歩を促進もすれば阻止もするという、そういう体験の繰り返しの中で霊性が発達し、少しずつ不完全な部分を棄てて行くことになるのです。

 自由意志があるということは、その当然の可能性として、それを間違ったこと、愚かしいこと、報復的なことに使用する者もいることになり、その結果として苦しむ人も出てくることになります。

もしも神が動物も人間も申し分のない状態であることを望まれたならば、地上にもあるいは霊界にも存在していないでしょう。とっくに完全の頂上を極めていることでしょう。しかしそれは有り得ないことなのです。なぜなら、完全とは永遠に続く過程のことだからです。

 動物への虐待を阻止するには、いろいろとしなければならないことがあります。善の勢力と悪の勢力との戦い、真理を知った者と無知な者との戦いが延々と続いております。

また、動物にも地上で果たしている役割があること、人間が住む権利があるのと同じ意味において動物も地上に住む権利があることが、どうしても理解できない近視眼的な人種もいます。これからも戦いは続きます。が、真理は必ず勝利を収めます。


──人間とともに進化を続けている鳥類や魚類は次は何になるのか教えていただけないでしょうか。それは、いわゆる〝精霊進化〟に属するのでしょうか。昆虫は次は何に進化していくのでしょうか。昆虫の中にはとても進化していて独自な複雑な〝文明〟すら持っているように思えるのが多くいますが・・・・・・

 まず〝文明〟という用語はここでは適切でないと思います。いかなる生活にせよ、文明とは社会及び生活様式に適応していくための手段のことです。

 さてご質問の意味ですが、一羽の鳥がやがて一人の人間になっていくのかということであれば、答えはノーです。精霊進化というのは妖精およびそれに類する存在に関わる自然的生命の進化のことです。自然界の成長の中で果たす役割があるのです。

進化とは全生命に関わる自然法則の一環であって、それは神の愛の証しでもあります。低い次元から高い次元へ向けての不断の向上のことです。

 進化の法則はすべての生命、すなわち昆虫類、鳥類、動物、そして人類のすべてを包摂しています。それぞれに果たすべき役割があり、しかもお互いに関連し合っております。

孤立しているものは一つもありません。全体として完全な複合体を形成しているのです。あなた方人間も動物の進化に関連した法則と同じ法則によって支配されているのです。

 その自然法則に従って生活していれば、言いかえれば自然法則と調和していれば、あなたは天命を全うできると同時に他の生命の進化を助けることにもなります。各自が協調的要素としての役割を果たすように宇宙の全機構ができあがっているのです。

協調とは反対に自然に逆らった行為に出る者は、その逆らった対象だけでなく自分自身に対しても酷い仕打ちをすることになります。自然と協調する者は自然の発達を助けると同時に、自分自身の霊性の開発をも助長することになるのです。


──ということは、われわれは人類として特別の存在ではなく、大自然の進化の過程の一部にすぎないということになるのでしょうか。

 人類も生命の永遠の営みの一部に過ぎません。その中にあってもし人間がオレたちは他の生命よりも特別に高等なのだと自負するのであれば、ちょうどあなた方が霊界の高級霊からの援助を求めるように、他の下等な生命を援助してやる義務があるはずです。


──動物の世界には〝高等な生命〟というものがあるのでしょうか。

 ありません。それぞれの種にそれぞれの進化のコースが割り当てられているのです。生命として存在しているものは、霊であるからこそ存在できているのです。霊は生命であり、生命は霊です。それゆえ、生きとし生けるものすべてが───小鳥も魚も花も木も果実も、みな霊なのです。

高等とか下等とかいうのは、その無数の生命現象の中にあって、他の生命に比べた場合の進化の到達度を言っているにすぎません。人類は魚類に比べれば高い発達段階にあるかも知れませんが、私達の世界の神庁に所属する神霊に比べれば低いことになります。


──動物保護運動がなかなか思うに任せません。むしろ悪化の一途をたどっているように思えます。

 それは人間に自由意志が与えられていることから生じる当然の結果です。もしも何一つ問題がなく闘争もなく犠牲が強いられることもなく困難も生じなかったら、人間は進歩しません。

進歩は困難に遭遇した時に得られるのであって、気楽な生活の中では得られません。それぞれの魂が内在する力を引き出すための努力をするように何らかの試練の時に遭遇するというのが、進化における不可欠の過程の一つなのです。

 進歩の速い面もあれば遅い面もあります。とにかく同じ地球を共有する他のすべての存在と仲良くするということが人間の責務です。が、どっちへ転んだところで自然の摂理による埋め合わせがあります。動物が動物なりの進化のコースをたどるように配慮するのは人間の責務です。

それを怠れば、人間はそれなりの代償を払わねばなりません。動物に残酷な仕打ちをしている者は、いずれその行為の一つ一つに霊的代償を払わねばなりません。

 悲しいかな、苦しめられるのはいつも罪のない側です。が、自然の摂理は曲げられません。殺人を犯せば殺した方はその償いをしなければなりませんし、殺された方にはその犠牲の埋め合わせがあります。埋め合わせの原理は間違いなく働きます。神は一人一人の人間にきちんと賞罰が計算されるように公正の原理を定めておられます。


──自然界では〝強い者〟が生き残っているように思えるのですが、そうなるとその原則は人間界や霊的なことにはどう適用されるのでしょうか。

 相利共生(二種類の生物が相互に利益を得ながら生活すること)という言葉をお聞きになったことはありませんか。これが自然界の原則ではないでしょうか。互いに協力し合うことによって自然界がその目的を果たしていく、というのが基本原理ではないでしょうか。

 樹木が大気中の炭酸ガスを吸収しそれを酸素にして排気する。それを人間が呼吸して生命を維持する。これが調和、協調、つまりは自然の力の働きではないでしょうか。


──私はとくに動物のことを念頭において質問したのですが・・・

 有史以前の動物の中で現在まで生き残っているのはどの種類でしょうか。たとえば象がいます。象は獰猛な動物だったでしょうか。そうではありません。草食動物であり、他の動物を襲ったりしませんでした。なのに生き残っており、他の肉食動物は滅びています。どっちが〝強い者〟でしょうか。

あなたも庭をお持ちなのでご存知でしょうが、自然の摂理を大切にすれば立派な庭になり、摂理を無視すれば台無しになります。人間同士だけでなく動物に対しても情愛を向けないといけません。他の人間を搾取してはいけません。動物を搾取してはいけません。大自然を搾取してはいけません。

 そういう心掛けで生きれば、人間だけでなく地上に生きているすべての存在が、宇宙最大の力すなわち神によって考案された進化の法則の究極の目的である平和と秩序と調和を手にする上であなたも貢献していることになるのです。



 十一章 シルバーバーチの祈り 


(シルバーバーチの祈りを載せずに霊言集を閉じるわけにはいかない。いつの交霊会も必ず開会の祈り Invocation インボケーションで始まり感謝の祈り Benediction ベネデクションで閉会となる。その内容はいつも同じ霊的真理を述べるだけであるが、その表現に一つ一つ味わいがある。これから紹介するのはその中でも特に平凡に真理を語るだけの祈りの典型である )


 〇インボケーション

 これより霊的世界に属する摂理の一端を啓示させていただくに当たり、その成功を宇宙の大霊にお祈りいたします。

 大霊について、また大霊と宇宙間の全生命現象及びそこに住まう大霊の子等とのつながりについて、より明確な理解を得さしめることができますよう、お祈りいたします。

 幾世紀もの永きにわたって大霊はあまりにも誤解され、小さく見くびられ、制約されてまいりました。そこで私どもは完全なる法則の働きとしての大霊の真の姿を啓示せんとしているところでございます。

 大霊はすべての生命現象の背後に存在するものでございます。宇宙間に存在するものはすべて大霊の活力と栄養を得ているからこそ存在できているのでございます。

 進化のあらゆる段階にある創造物がその摂理に絶対的に従っております。雄大なるものも慎ましきものも、強きものも弱きものも、小鳥も花も、木も風も、海も山も、丘も谷も、晴天の日も雨の日も、嵐も稲妻も、およそ大霊の表現でないものは無いのでございます。

 私どもはすべてが大霊の霊的イメージに似せて創造されていること、その存在を通して大霊の神性が表現されていること、動き呼吸し生きていられるのは大霊が内部に宿っているからであり、また大霊の内部に存在しているからであることを啓示せんといたしております。

 その親と子の関係に割って入れる者は誰一人いません。なぜなら、無限なるその貯蔵庫に納められている全インスピレーション、全真理、全叡智、全摂理、全知識は、子等が向上心と謙虚さと奉仕的精神を持ってその道具となることを望みさえすれば、誰にでも手にすることができるものだからです。

 また私どもは人間の魂の中に例外なく潜在している偉大さ、誤解によって閉じ込められ、使用されることを待ち望んでいる強大な力、日常生活の中で身体を通して勢いよく顕現して霊的高揚を覚えさせる力をお見せしたく思っております。

すべての子等が充実した生活、美にあふれた生活、地上に生を受けた目的を得心した生活を送り、望みさえすれば得られる地上ならではの豊かさと愉しさと利点を手にして欲しく思うのでございます。

 要するに私どもは大霊を子等に近づけ、また子等を大霊に近づけ、立ちはだかる障害を克服し制約と限界を無くして、子等が大霊の存在を知り仕事の中でその御心を顕現して行けるようにしてあげることを目的としているのでございます。
 ここに、ひたすらに人のために役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。


 〇ベネディクション

 私は、たとえ声は聞こえなくても、たとえ姿は見えず手に触れることはできなくても、私たちが常にお側にいることを皆さんに知っていただきたいと思います。

 愛するが故に私どもは皆さんの周りに、またすぐお側に待機しており、その愛が、皆さんにそして皆さんを通して愛を必要とする人々に手を差し伸べることを可能にしてくれるのです。

 か弱い人たち、元気を失くした人たち、路傍に倒れている人たち、社会の落伍者たち、いずこへ向かうべきかを知らぬまま人生に疲れ果てている人たち、もはや俗世の宗教に安らぎを見出すことができず、しかもなお真実を求めている人たち、魂は自由を求めつつも教義とドグマと、対立する宗派の教えによってがんじがらめにされている人たち──こうした人たちに愛の手を差しのべることができるのでございます。

 私どもの教える真理は永遠にして無限なる大霊の真理です。一人のものではなく、すべての人に分け与えられるべきものです。全人類をその温かき抱擁の中に収めてしまうのです。

 願わくば皆さん方の直ぐ身のまわりに存在する強大な力、休みなく地上へ注がれている大いなる愛、皆さんを通して顕現することを求めているインスピレーション、啓示されることを待ちわびている真理、地上を啓発せんとしている叡智の存在に気づかれんことを。

 また願わくば人のために役立つ仕事を通してみずからを強大なる霊力に近づけ、その莫大なエネルギー、万物の背後に控える大霊と一体となり、その摂理に順応し、その知識を豊かに体得することによって、大霊の道具として、子等のために役立たれんことを。

  神の祝福のあらんことを。




 十二章 シルバーバーチと私  モーリス・バーバネル


 私と心霊との係わりあいは前世にまで遡ると聞いている。もちろん私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において 『サイキック・ニューズ』 紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、今度生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束したそうである。

 私の記憶によればスピリチュアリズムなるものを始めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八歳の時のことで、およそドラマチックとは言えないことがきっかけとなった。

 クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。

 私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させていくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと、私のことを褒めてくれていた。

 実はその頃、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん始めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって始めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とは言え、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。

 同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないから是非同伴してほしいと懇願しても、頑として聞かなかった。

二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それから更に不可知論へと変わって行った。

 こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく上で、その背景として必要だと考えたからである。

 ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。

 ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれをまったく持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。

これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。

 終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、〝調査研究の体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしも本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか〟 と尋ねた。

 〝ええ〟 私はついそう返事をしてしまった。しかし〝結論を出すまで六ヶ月の期間がいると思います〟 と付け加えた。日記をめくって見ると、その六ヶ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今もなお研究中だが・・・・・・。

 そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、ひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。余り好感は持てなかったが、真面目な集会であることは確かだった。

 霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが〝死者〟である、ということを得心させる証拠は何一つ見当たらなかった。

 しかし私には六ヶ月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり 〝居眠り〟 をしてしまった。目を覚ますと私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに 〝居眠り〟 をしている間、私がレッドインディアンになっていたことを聞かされた。

 それが私の最初の霊媒的入神だった。何をしゃべったかは自分には全く分からない。が、聞いたところでは、シルバーバーチと名告る霊が、ハスキーでノドの奥から出るような声で、少しだけしゃべったという。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いていただいている。地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言って下さる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。

 しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルが出来た。シルバーバーチも、会を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまく行くようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。

 始めのうち私は入神状態に余り好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身には分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいであったろう。

 ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベットに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言と共に、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。

 が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演して回ったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。

一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。

 二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も一九三二年に心霊新聞 『サイキック・ニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別な形をとり始めた。

 彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓をひとにぎりの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝好きの男なので、それを出来るだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキック・ニューズ』 紙に連載するのが一番得策だという考えを示した。

 初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、随分議論した挙句に、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。

 が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニック・ネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが 「シルバーバーチ」 Silver Birch だった。

不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色(シルバー)の樺の木(バーチ)の絵はがきが入っていた。

 その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれるようになり、スワッハー亡き後今なおそう呼ばれているが、同時にその会での霊言が 『サイキック・ニューズ』 紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。

しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。

 ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長い間編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いている程の魅力は感じなくなるものである。

 シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースチンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女の事をいつも the scribe (書記)と呼んでいた。

 テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ会のすべてが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。

 私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突き刺してみるように言ったことがある。血が流れ出たらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。

 心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格に過ぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。

 問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことにある。霊媒は機能的には電話器のようなものかもしれないが、電話器と違ってこちらは生き物なのである。

従ってある程度はその潜在意識によって通信内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。

 仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものを後で読んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。

コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書きこむ他は、一点の非のうちどころもないのである。それに加えてもう一つ興味深いのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時折混ざっていることである。

シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私とまったくの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一番歴然としたものが初期のころにあった。

 ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、〝あなた方が解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう〟 と約束したことがあった。当時私達夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。

 むろんロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私たちはその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭のあいさつの中で、私たち夫婦しか知らないはずの事柄に言及したことから、レッドクラウドは既に事情を知っているとの察しがついた。

 交霊会の演出に天才的うまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざとわれわれ夫婦を焦らさせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた、そしてその奥から、紛れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束した通りの言葉だった。

 もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とする二―ナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。

私の身体を使ってしゃべったシルバーバーチが、今度はメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何とも曰く言い難い、興味ある体験だった。

 ほかにも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげてほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですが、レッドクラウドの許可を得てほしいと言う。

そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現われて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだというのである。

 ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会へ招待した。戦死した息子さんが両親と 〝声の対面〟 をしたことは言うまでもない。

訳者付記

 ここに訳出したのは、モーリス・バーバネル氏の最後の記事となったもので、他界直後に、週刊誌『サイキック・ニューズ』の一九八一年七月下旬号、及び月刊誌『ツー・ワールズ』の八月号に掲載された。



   
 訳者あとがき

 本書は原題を Light from Silver Birch といい、 そのまま訳せば、シルバーバーチからの光、ないしは光明ということになる。これまでの霊言集の表題は〝シルバーバーチの教え〟〝シルバーバーチの導き〟〝シルバーバーチの叡智〟〝シルバーバーチの哲学〟といったパターンになっているが、意味するところは皆同じである。

 編者パム・リーバ女史とは二度会っている。最初はバーバネルの秘書をしていた時で、社長室のある三階から下りてきて私を迎え、折り返し三階まで案内してくれた。その時の東洋人的な、いかにも貞淑な物腰が印象に残っただけで、顔は後で思い出せるほどはっきりは覚えていなかった。

 二度目に会った時はバーバネル亡き後で、サイキックニューズ社のスタッフの一人として働いていた。私のことを覚えていてくれて、私が来ていることを知ってわざわざ二階の編集室から下りてきてくれた。その時初めてとても美しい方であることを知った。ハデな美しさではなく、奥に何かを秘めて清楚な美しさで、才色兼備とはこういう人に使う言葉であろうと思ったりした。

 私が「今シルバーバーチを訳しているけど、そのうちあなたの編集したものも訳しますよ」と言ったら Oh, lovely !(まあ、素敵!)と言って、まるで童女のようなあどけない仕ぐさで、嬉しそうにしたのが印象的だった。

 本文の一三六頁でシルバーバーチが「この霊媒と奥さんと私とは一個のインディビジュアリティに所属しております」と述べている。つまり霊的な親族(アフィニティ)、いわゆる類魂同士であるという意味であるが、私は永年バーバネルの秘書を務めたこのリーバ女史もアフィニティの一人として計画の推進のために生まれてきていると思う。スワッハーもしかり、速記係のムーア女史も然りである。

 話を戻して、続いて私が「その後バーバネルから何か通信がありますか」と尋ねたところ、自動書記とか霊聴という形ではないけど、霊感的に近くにバーバネルの存在を感じることはよくあるといった主旨のことを語ってくれた。バーバネルは今でもサイキックニューズをはじめとしてスピリチュアリズム関係の仕事を霊界から援助してくれていることは、当然想像できるところである。

 さて本書にはバーバネルが他界する直前の霊言も収められており、一九三八年に始まった原典シリーズも本書が最後となる。日本語シリーズとしてはオーツセンの More Philosophy の残り半分を主体として構成したものを次の第十一巻とし、最終巻は全霊言集のほかにサイキックニューズ紙やツーワールズ誌に引用されている珠玉の言葉や祈りをもれなく集めて〝総集編〟としたいと考えている。

 もちろんそれでシルバーバーチの霊言がすべて出つくすわけではない。分量としてはむしろ残されているものの方が多いのではないかと推測している。現に最近の情報では、すでに次のシリーズを企画中のようである。シルバーバーチファンにとっては嬉しい限りであるが、それはそれとして、本シリーズは全十二巻をもって完結としたい。

 実は二年ほど前に別々の機会に二度〝この後シルバーバーチを新たに出す予定はあるのか〟と尋ねたことがあるが、二度ともその予定はないと言っていた。それが今になって新しい企画がされたということは、シルバーバーチの霊言がその後も世界的にますます注目されていることの表われであり、それは言い変えれば、現代人がこうした霊的な叡智を要求し始めているということであろう。

 『古代霊は語る』がきっかけとなってついに十二巻もの霊言集が出せることになった。振り返ってみると、これまでの展開ぶりは私自身にとっても〝まさか〟の一語につきるもので、これも潮文社の理解なくしては不可能なことだったことは言うまでもないが、その背後に大規模な霊界からの働きかけがあることを痛切に感じている。私も一個の道具としてその計画の中に組み込まれているのであろう。

 今後の計画がどう進展するかは知る由もないが、〝すべては良きに計られる〟とのシルバーバーチの言葉を信じて地道に歩んで行きたいと思っている。 

     一九八七年十一月