Friday, September 11, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

 Silver Birch Companion

スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳




八章  新しい世界秩序の構築

 特定の日を決めて合同で祈ること、たとえばスピリチュアリストがそういう催しを行うことに意義があるのだろうか。そういう質問が発展して、スピリチュアリズムのそもそもの目的、すなわち魂の自由と解放による新しい世界の誕生が話題となった。まずシルバーバーチがこう語る。

 「私たちは時には冗談を言っては笑い、楽しい雰囲気の中で会を進めておりますが、こうしたささやかな集まりの背後に、大きな、そして深刻な目的が託されております。出席なさっている皆さんも、自分たちの力でどれほど多くの人々が光明を得ているかをご存じないでしょう。

 この霊媒の口から出る言葉は、高い界から送られてくるメッセージの一部を私が取り次いでいるのですが、これも皆さんにはすっかりお馴染となりました。

皆さんの生活の背景として、ごく当たり前の位置を占めるに至っております。もはや皆さんにとって、私の述べることに取り立てて耳新しいことや革命的なものはなくなりました。

 十数年前、あなた方は精神的ならびに霊的な自由を手にされました。永いあいだ尋ね求め、あれを取り、これを拒否し、神から授かった理性で試し、検討した末に、ついに私の述べるメッセージを真実のものと認められたわけです。

今では、私の説く単純で素朴な教えこそ永遠の真理であることを得心しておられます。

 しかし一方には、永いあいだ暗闇と懐疑と苦悩の中でさ迷っている人、こうした真理が魂の解放のメッセージとなるべき人が大勢いることを忘れてはなりません。

気の毒な状態から救い出してあげなければなりません。霊的真理には一人ひとりの人間を束縛から解放する意図が託されているのです。私たちの仕事は必ず一個の人間から始めます。人類全体も、個が集まって構成されているからです。

 一人、そして又一人と、非常にゆっくりとした根気のいる仕事ではありますが、それ以外に方法がないのです。大勢の人を一度に変えようとしても、必ず失敗します。

暗示が解け、普通の感覚に戻った時、すべてが忘れ去られます。そうした一時の興奮から目覚めたものは、気恥ずかしささえ味わうものです。

 ですから私たちは、あらゆる反抗と敵意と妨害の中にあっても〝点滴、岩をも穿つ〟の譬えで、一人また一人と、光明が射し真理を悟ってくれることを信じて、素朴ながらも繰り返し繰り返し説いてまいります。

その訓えの意味を十分に理解して価値を正しく評価して下さる方は、それ以後は後ろ髪を引かれる思いをすることなく、それまで永いあいだ魂を束縛してきた古い因襲的信仰に、きれいさっぱりと決別することでしょう。

 暗闇からはい出て、光明の世界へ辿り着いたのです。真実の光を見出したのです。それを〝理性〟で確認したのです。私たちが説く教えには、人間の理性が納得する筋が通っていること、人間の常識を怒らせる要素がないこと、人間の知性を反発させるものではないことを、皆さんはご存知です。

むしろ皆さんは、これほど明白な真実がなぜ受け入れられないのだろうかと、悩みにさえ思っておられるくらいです。

 私たちに反抗する大きな勢力がまだまだ存在することを忘れてはなりません。その中でも特に警戒を要するのが、キリスト教会という宗教のプロが有する既得の権力です。

彼らはそれを振りかざして、私たちの使命を阻止せんとすることでしょう。彼らはもはや何ら新しい恩恵は持ち合わせません。持ち出すものと言えば、カビの生えた古い教説ばかりです。
℘120
 彼らは、身は今の世にあっても精神は古い時代に生きていて、その過去の栄光を現代に蘇らせようとします。今の彼らには、それしか持ち合わせがないからです。教会は倒れかけた墓のごとく陰うつな空虚さに満ち、およそ神の霊の宿るところではなくなっております。

そういう宗教家が私たちを非難し、悪魔の手先である───信心深いお人好しや妄想に取りつかれ易い人間をだまそうと企てているのだ、と宣伝します。

 私たちはそういう宗教家を見て情けなく思わずにはいられません。彼らは、往々にして自分でもそうとは気付かずに、宗教家としての職責を裏切り、民衆を神へ導くことをしないどころか、神との間に垣根をこしらえ、

ただの書物に過ぎないもの、ただの教義に過ぎないもの、ただの建造物に過ぎないものに自らの魂を縛られ、それを真理より大切なものであると信じ切っております。

 私たちが酷しい言葉で非難のつぶてを投げるのは、そう言う宗教家に対してです。彼らは宗教家としては落第しているのです。苦しみと悲しみの海にさまよう無数の人々を導く資格を失っているのです。

神学と言う粗悪品を混入して、イエスがせっかくこの世にもたらした素朴な啓示の言葉を忘れてしまっております。

℘121
 私たちが説く宗教とはお互いがお互いのために尽くし合う宗教です。人のために役立つことが霊の通貨なのです。大霊の子である同胞のために自分を役たてるということは、とりもなおさず大霊のために役たてることであり、それを実行した人は。立派に宗教的人間といえます」


───伝統的宗教に対するわれわれの態度は寛容的であるべきでしょうか。厳しい態度で臨むべきでしょうか。

 「相手が誰であろうと、臆せず真実を述べることです。あなたも神の僕の一人です。間違いは排除し、虚偽は論破すべきです。恐れてはいけませ。怖じける必要は少しもありません。

大堂伽藍を建て、妙なる音楽を流し、ステンドグラスを飾り、厳かな儀式を催したからといって、そんなことで宇宙を創造した大霊が心を動かされるものではありません。宇宙の大霊すなわち神を一個の建物の中に閉じ込めることはできないのです」


 これに関連した質問を受けて、さらにこう述べた。
℘122 
 「大衆に目隠しをして暗闇に閉じ込めようと思えば、出来ないことはありません。かなりの年月にわたってそうすることも可能です。しかし、いつかは大衆も、自分たちが本来は光の子であることを思い出して、真理の光明を求めはじめます。

その時期を権力によって遅らせることはできます。妨害もできます。しかし、最後は真理は真理としてあるべき位置に落着きます。

 あなた方人間も霊的存在です。肉体だけの存在ではないのです。無限の可能性を秘め、神性を宿しているがゆえに、その霊的可能性が発現を求め始めます。一時的に無視することはできます。が、永遠に抹殺してしまうことはできません。

だからこそ真理の普及が急務なのです。人間が霊的存在であるということは内部に宿る霊がこの驚異に満ちた大宇宙を創造した力の一部であるということです。いかなる宗教的権力を持ってしても、霊の声を永遠に封じ込めることはできません」


 伝統的宗教の失敗と新しい世界の誕生のテーマにもう一度言及してこう述べている。

 「地上世界では今、古い体制の崩壊と衰亡が進行し、かつて我がもの顔だった説教者たちも、もはやこれでは民衆の心を捉えることができないことを認め始めております。

永いあいだ盲目の民を好きに操って来た盲目の指導者達───真理の行進に抵抗し、現代に生きる聖霊の存在を否定せん(霊界からの働きかけを認めないこと)としてきた者たち、そうした者たちが今、その代償、つまり霊的法則の存在を認めようとしなかったことへの代償を払わされつつあります。

 そこに、あなた方が肝に命じていただきたい教訓があります。真理のために闘う者は、最後は必ず勝利を収めるということです。善の勢力を完全に封じ込めることはできないからです。一時的には抑えることはできます。邪魔することもできます。進行を送らせることもできます。

しかし、真理を永遠に破壊したり、あるべき位置に落ち着くことを阻止し続けることは誰にもできません。

 これは宗教にかぎったことではありません。人生のあらゆる面についていえることです。何事につけても、誤った説に抵抗し、偽りの言説を論破し、迷信に反抗していく者は、決してうろたえてはなりません。

全生命を支え、最後の勝利を約束してくれる、永遠にして無限の霊力に全幅の信頼を置かなければいけません。

 死によって隔てられた二つの世界の交信を可能にしてくれる霊的法則の存在を知った者にとって、こうした戦争(第二次大戦)によって惹き起される不利な条件の中で真理を普及していくことがいかに困難であるかは、私もよく承知しております。

しかし、何が何でも、この霊的真理にしがみついていかねばなりません。やがては、真理に飢え魂の潤いを渇望する者が次第に増え、いつかは知識の水門が大きく開かれる時機が熟します。

その時に備えておかねばなりません。対立紛争が終わった時、戦火が消えた時、無数の人が今度は知識を土台とした生き方の再構築を望むことでしょう。

 彼らは、宗教の名のもとに押しつけられた古い神話には、うんざりしております。戦争という過酷な体験をし、人生の意義を根本から問い直し、なぜ生まれてきたのか、いかに生きるべきなのか、いつになったら・・・・・・といった疑問に直面させられた者は、その真実の答えを何とか知りたいと思い始めます。真理を渇望し始めます。

その時あなた方は、そうした魂の理性と確信と論理性と叡智でもって対応し、新しい世界の住民としての生き方を教えてあげられる用意が出来ていなければなりません。

 過ぎ去ったことは、そこから教訓を学ぶためでなければ、つまり、失敗をどう正すか、二度と過ちを犯さないためにはどうすべきかを反省するためでなければ、むやみの振り返るべきでものではありません。未来へ目をやり、今日行うことをこれから訪れる、より立派な日の素地としてなければなりません。

世界中があなた方を必要とする時代が来ます。無数の人が、希望と慰めとインスピレーションと指導を求めて、あなた方に目を向ける日がきっときます。

 もう教会へは足を運びません。聖職者のもとへは訪れません。教師のもとへは参りません。あなた方の方へ足を向けます。なぜなら、死と隣り合わせの体験をし、その厳しい現実の中で、ある種の霊的体験をした者は、心の目が開いているからです。

目の前を遮っていたモヤが晴れたのです。真理が受け入れる用意ができたのです。ならば、それを授けてあげる用意ができていなければなりません」


───新しい世界が生まれつつあるということは何を根拠におっしゃるのでしょうか。

 「私は厳とした計画、神の計画が見て取れるのです。私は、霊の力こそ宇宙最大の力であると信じています。人間がその働きを歪め、遅らせることはできます。妨害を押し止めることはできるかもしれません。しかし、永遠にその地上への権限を阻止することはできません。

 あなた方が霊的真理を手にしたということは、人類が抱える全ての問題を解くカギを手にしたことを意味します。

私は決して、世にいう社会改革者たち───義憤に駆られ、抑圧された者や弱き者への止むにやまれぬ同情心から悪と対抗し、不正と闘い、神の物的な恵みがすべての人間に平等に分け与えられるようにと努力している人々を、ないがしろにするつもりは毛頭ありません。
℘126
 ただ、その人たちは問題の一部しか見ていない───物的な面での平等のために闘っていることに過ぎないということです。もちろん精神的に平等であるべきことも理解しておられることでしょう。が、人間はまず何より〝霊〟なのです。大霊の一部なのです。宇宙を創造した力の一部なのです。

決して、宇宙の広大な空間の中に忘れ去られた、取るに足らぬ存在ではないのです。宇宙の大霊の一部として、常に無限の霊性に寄与しているのです。

 その霊力の息の根を止めることは誰にもできません。いつかは必ず表に出てきます。残酷な仕打ちにも、憎しみの行為にも負けません。こん棒で叩かれても、強制収容所へ入れられても、独裁政治で抑えられても、決して窒息死することはありません。

なぜならば、人間の霊は、人間が呼吸している空気と同じように自由であるのが、本来のあるべき姿なのです。それが生来の、神から授かった、霊的遺産なのです。

℘127   
 その理想像の素晴らしさを理解した人々、新しい世界のあるべき姿を心に描いた人々は、当然そうあらねばならないことを十分に得心しています。なぜなら、それが人間に息吹を与える動物から人類へと進化させた、その背後の目的の一部だからであり、それはさらに人間を神的存在へと向上させていくものです。

あなた方の使命はその松明を引き継ぎ、新しい炎を燃え立たせ、次の世代にはより大きな光明が道を照らしてあげることです。

 基盤はすでに出来上がっているのです。何年も前から、その基盤作りはこちらの世界で終わっているのです。苦痛は伴いながらも、ゆっくりと各界の名士あるいは名もなき男女が、永遠の霊の実在の証言に立ちあがり、神の計画の一刻も早い実現のために刻苦したのです。新しい世界は必ず実現します」


───その新しい世界は、われわれ人間自らの努力によって実現しなければならないはずなのに、なぜその基盤作りがそちらの世界で行われたのでしょうか。

 「あなた方の世界は影です。光はこちらから出ているのです。あなた方は、こちらで建てられてプランを地上で実行し実現させていきつつあるところです。オリジナルの仕事───と呼ぶのが適切か否かは別として───は全てこちらで行われます。

なぜなら全てのエネルギー、全ての原動力は物質から出るのではなくて、霊から出るのです。みなさんは、意識するしないに関係なく、霊力の道具なのです。受信と送信をする道具なのです。霊的影響力をどこまで受けとめられるかによって、成功するしないが決まるのです」

℘128
───ということは、結局、そちらからの援助をえて私たちが努力することから新しい世界が生まれるということでしょうか。

 「その通りです。何ごとも人間の力だけでは成就し得ません。人間が何かを始める時、そこには必ずこちらからの援助が加味されます。私たちは常に道具を探し求めております。

人間の方から霊力の波長に合わせる努力をしていただかねばなりません。完ぺきは決して望めません。常に困難を克服し邪魔を排除する仕事は永遠に続きます」


───私たち自身の努力で地上に新しい世界を招来しなければならないわけですね?

 「努力してはじめて得られるのです。私から申し上げられることは、神の計画の一部として成就しなければならないことは、すでに決まっている───が、それがいつ実現されるかは、あなた方人間の努力次第ということです。計画はできているのです。

しかし、その計画は自動的に実現されるわけではありません。それはあなた方人間の自由意思に任されております。人間は自由意思を持った協力者です。ロボットでも操り人形でもありません。宇宙の大霊の一部なのです」


───新しい世界が来るとおっしゃっても、私たちにはそれらしい兆候は見当たらいのですが・・・・・・

 「古い秩序が崩壊していくのと同じ速さで、新しい秩序が生まれます。現にその目でご覧になったばかりではありませんか。大帝国がくずれさりました。お金の力が絶対ではなくなりました。

利己主義では割に合わないことが証明されました.戦争体験によって、普通の一般男女の力の本当の価値が証明されました。

 どうか、この私に〝進歩が見られない〟などとおっしゃらないでいただきたい。
℘130
教訓ならあなた方の目の前にいくらでもあります。別に、霊眼は必要ではありません。肉眼で見えるところにあります。これほど切実な体験をした現代の人々に、新しい世界が訪れて当然です。

もしもその恩恵に浴せないとしたら、その人はまだまだ内部の霊的な力を使用するまでに至っていないことを意味します。それだけの努力をした人々は、その犠牲と引き換えに恩恵を受けておられます。

 私はそれが機械的なプロセスで与えられると申しているのではありません。皆さんにやっていただかねばならない仕事があります。それは、一方では霊的知識を広め、他方では古い権力構造の面影に貪欲にしがみついている、因襲的既得権に対して、あくなき闘いを挑む事です」


 シルバーバーチのもとには、数えきれない程の質問が寄せられている。その一つ一つが読み上げられるのをシルバーバーチは熱心に聞き入るが、余りプライベートな内容のものには答えたがらない。

その理由を、プライベートな悩みに答えるには、その悩みを抱えている本人がすぐ目の前にいる必要がある───が、それは、私が委ねられた使命ではないから、と説明する。自分の本来の使命は、すべての人に共通した真理を説くことにあるという。その一つが次の質問である。

℘131
───あなただけがご存じの、何か新しい真理がありますか。

 「新しい真理というものは一つもありません。真理は真理です。単なる知識は、それを受け取る人次第で内容が異なります。子供時代には、その知能程度に似合ったものを教わります。まずアファベットから始まり、知能の発達と共に単語を覚え、文章が読めるようになります。

どの程度のものが読めるかは、その段階の理解力一つに掛っております。知識は無限に存在します。際限がありません。が、そのうちのどこまでを自分のものにできるかは、精神的ならびに霊的受容力の問題です。

 しかし、いくら知識を蓄えても、それによって真理を変えることはできません。いくら知恵を絞っても、真理の中身を変えることはできません。過去において真理であったものは今日でも真理であり、明日の時代でも真理です。真理は不変であり不滅です。

新しい叡智を身につけることはできます。新しい知識を増やすことも出来ます。が、あたらしい真理を生み出すことはできません。

 地上人類はすでに地上生活にとって必須の真理───親切と助け合いと愛についての基本的真理のすべてを授かっております。世界をより良くするには如何にすべきかは、すでに分かっております。

成長と発展と向上と進化にとって必要なものは、過去幾世紀にもわたって啓示されてきております。それに素直に従いさえすれば、今この地上において、内部に宿された神性をより多く発揮することができるのです。

 偉大な指導者、地上に光をもたらした〝霊力の道具〟は、根本においてはみな同じことを説いております。人間の霊性───各自に宿る不滅の資質に目を向けさせるべく、地上を訪れたのです。

言語こそ違え、みな人間のすべてが無限の魂、神の火花、宇宙の大霊の一部を宿していることを説きました。そして素直に従い実行しさえすれば、それより多くを発揮させてくれる指導原理も説いております。

霊的理念に従って生きれば、この世から悪夢のような悲劇、永いあいだ無益な苦しみを与えてきた、恐怖と悲惨と苦悩を一掃できることを説いてきております。

 自分を愛するごとく他人を愛せよ。苦しむ者に手を差し伸べよ。人生に疲れた人、心に潤いを求める者に真理を語って聞かせよ。病の人を癒し、悲しむ人を慰め、不幸な人を訪ねてあげよ・・・・・・こうした教えは、遠い昔から説かれてきた真実です。こうしたことを実践しさえすれば、地上は一変し、二度と恐ろしい悲劇をもたらす戦争も生じなくなるでしょう。
℘133
 そこで、私たち霊団の取るべき態度はどうあるべきか。人間は自分の成長と死後への霊的準備に必要なものは、すでに掌中に収められております。聖なる者も数多くあります。〝師〟と呼ばれる者も数多く輩出しております。

内的世界を垣間見て、その人なりに解釈した霊覚者が大勢います。しかし不幸にして、そうした形で地上に啓示された素朴な真理が埋もれてしまいした。

 人間はその上に教義だの、ドグマだの、信条だの、儀式だのという、余計なものを築き上げてしまいした。単純で素朴な真理の上に、神学という名の巨大な砦を築いてしまい、肝心の基盤がすっかり忘れさられております。

そこで私達は、その埋もれた真理を本来の純粋な姿───何の飾り気も無い素朴なままの姿をお見せするための道具、つまり霊界からのメッセージをお届けするための霊媒を探し求めてきたのです。

 私たちは人間の精神的産物によって色づけされた信仰体制には関心はありません。大切なのは、地上界のように錯覚によって惑わされることのない、霊の世界からの真理です。

なぜかと言えば、余りに多くの落後者、精神的浮浪者のような人間が霊界へ送り込まれる一方で、一見立派そうな人間が、霊的事実について誤った概念と偏見のために、

死後に直面する生活に何一つ備えが出来ていないと言うケースが余りに多過ぎると言う現実をみて、私たちは、いずれ誰もが訪れる永続的な実在の世界、すなわち死後の生活に備えるために、単純な真理を地上にいる間に知ってもらえば、私達の手間も大いに省けるだろうと考えたのです。
℘134
 そこで、あらゆる宗教的体系と組織、進歩を妨げる信仰、不必要な障害、人間の精神を曇らせ、心を惑わせる迷信に対して敢然と宣戦布告し、神の子が神の意図されたとおりに生きられるように、不変の真理を授けようと努力しているわけです。

 他人がどう言おうと気にしてはいけません。非難、中傷など、すべて忘れることです。霊的真理こそが、永遠に変わらぬ真理なのです。理性が要求するテストのすべてに応えうる真理です。決して知性を欺きません。単純。明快で、誰にでも理解できます。

聖職者によるあらゆる方策が失敗したのちも止まることなく普及発展していく真理です。不変の自然法則に基づいた単純素朴な永遠の真理だからです。

 これには、法王も大主教も、司祭も牧師も教会も聖堂も礼拝堂もいりません。私たちも、これを捏ねまわして神学体系を造ろうなどとは思いません。

こうして説くだけです。が、理解ある伝道者さえいれば、それが社会のあらゆる階層に浸透し、すべての人間が身体的にも霊的にも自由を享受し、二度と束縛の中で生きていいくことはなくなるでしょう。無知の暗闇が消滅し、代わって真理の光がふんだんに注がれることでしょう」

℘135
 別の日の交霊会でも、人間の真の自由獲得のための闘争についてこう語っている。

 「私たちは、本当はあってはならない無知に対して闘いを挑まなくてはなりません。神は、内部にその神性の一部を宿らせたはずの我が子が、無知の暗闇の中で暮らし、影とモヤの中を歩み、生きる方角も分からず、得心いく答えはないと思いつつも問い続けるようには意図されておりません。

真に欲するものには存分に分け与えられるように、無限の知識の宝庫を用意してくださっております。

 しかしそれは、当人の魂と成長と努力と進化と発展を条件として与えられるものです。魂がそれにふさわしくならなければなりません。精神が熟さなければなりません。心が受け入れ体制を整えなくてはなりません。その段階で初めて、知識がその場を見出すのです。

 それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。目の見えなかった人が見えるようになる場合でも、その視力に応じてすこしずつ見せてあげなくてはなりません。一気に全て見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。

はしごを一段一段とのぼるように、一歩一歩と真理の源へと近づき、そこからわずかずつ我がものとしていくのです。

℘136  
 いったん糸口を見出せば、つまり行為なり思念なりによって受け入れ態勢ができていることを示せば、その時からあなたは、そのたどり着いた段階にふさわしい知識と教訓を受け入れる仕組みとつながります。そのあとはもう、際限がありません。

これ以上は無理という限界がなくなります。なぜならば、あなたの魂は無限であり、知識もまた無限だからです。

 しかし、闘わねばならない相手は無知だけではありません。永いあいだ意図的に神の子を暗闇に閉じ込め、あらゆる手段を弄して自分たちででっち上げた教義を教え込み、真の霊的知識を封じ込めてきた既成宗教家とその組織に対しても、闘いを挑まなくてはなりません。

 過去を振り返ってみますと、人間の自由と解放への闘争のために、私たちが霊界からあらゆる援助を続けてきたにもかかわらず、自由を求める魂の自然な欲求を満足させるどころか、逆に牢獄の扉を開こうとする企てを、宗教の名にもとに阻止しようとする勢力と闘わねばなりませんでした。

 今なお、その抵抗が続いております。意図的に、あるいは、そうとは知らずに、光明の勢力に対抗し、私たちに対して悪口雑言の限りを浴びせ、彼ら自身も信じなくなっている教義の誤りを指摘せんとする行為を阻止し、

勝手にこしらえた神聖不可侵思想にしがみつき、自分で特権と思い込んでいるものがどうしても捨てきれずに、擦り切れた古い神学的慣習を後生大事にしている者が、まだまだ存在します。

 そこで私たちは、人間のすぐ身のまわりに片時も休むことなく打ち寄せる、より大きな、素晴らしい霊の世界のエネルギーがあることを教えに来るのです。そうした数々の障害を破壊し、莫大な霊力───すべての存在に活力を与えるダイナミックな生命力をすべての人間が自由に享受できるようにするためです。

その生命力が、これまでの人類の歴史を通じて多くの人々を鼓舞してまいりました。今でも多くの人々に啓示を与えております。そして、これから後も与え続けることでしょう。

 荒廃しきった世界には為さねばならないことが数多くあります。悲哀に満ち、涙に、むせび苦痛にあえぐ人にあふれ、何のために生きているかを知らぬまま、首をうなだれ、行き先が分からずに、さ迷っている人が大勢います。

そうした人たちにとって、目にこそ見えませんが、霊の力こそ本当の慰めを与え、魂を鼓舞し、元気づけ、導きを必要とする人々に方向を指し示してあげる不変の実在があることを、その霊力が立証してくれます。

 そこにこそ、霊的知識を授かった人々のすべてが参加し、自由の福音、解放の指導原理を広め、人生に疲れ果て、意気消沈した人々の心を鼓舞し、魂の栄光を知らしむべく、この古くて新しい真理の普及の道具として、一身を捧げる分野が存在します。

私たちが提供するのは、霊の力です。あらゆる困難を克服し、障害を乗り越えて、真理の光と叡智と理解力を顕現せしめ、神の子等に恒久的平和を築かせることができるのは、霊の力を措いて他にはないのです」
℘138

───戦死の場合でも、誰がいつ死ぬかということは、霊界では前もって分かっているのでしょうか。

 「そういうことを察知することのできる霊がいるものです。が、どれくらい先のことを察知できるかは、その時の事情によって異なります。

愛の絆によって結ばれている間柄ですと、いよいよ肉体との分離が始まると必ず察知します。そして、その分離がスムースに行われるのを手助けするために、その場に赴きます。

 霊界のすべての霊に知られるわけではありません。いずれにせよ、死んだ時一人ぼっちの人は一人もいません。必ず、例外なく、周りに幾人かの縁故のある人がいて、暗い谷間を通ってくる者を温かく迎え、新しい、そして素晴らしい第二の人生を始めるための指導に当たります」


 総じてシルバーバーチは誰が聞いても分かるようなことを説き、理屈っぽい、難解な質問には答えたがらない傾向がある。その理由をこう弁明する───

 「難解な質問を回避したいからではありません。私は、今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです。基本の基本すら知らずにいる大勢の人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、もっと後になってからでもよさそうな難解な理屈を捏ねまわすのは、賢明とは思えません。

 今の時代に最も必要なのは、簡単な基本的真理───墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみまで大霊に愛の温もりをもつ慈悲深い力がいきわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです。

 これは人間のすべてが知っておくべきことです。また誰にでも手に入れることのできる、掛けがいのない財産なのです。そうした基本的真理すら知らない人間が何百万、いや何千万、いや、何億といる以上は、私たちはまず第一に、そういう人たちから考えようではありませんか。それが私たちにとって最も大切な義務だと思うのです」

℘140
 別の日の交霊会でも同じ話題について───

 「わたしたち霊界の者がこうして地上へ戻ってくる目的の真意が、ほかならぬ宗教の指導者であるべき人から曲解されております。いつの時代にあっても、宗教とは基本的には霊力との関わり合いでした。

それはまず、地上の人間の霊的向上を指向し規制する摂理を教える使命を帯びた者が、地上へ舞い戻ってくるということから始まります。つまり宗教の本来の目的は、人間の霊性に関わっているからです。

 そこから出発し、ではその霊性を正しく発達させる上で、霊界からの指導を受けるにはどうすべきかを説くのが、宗教の次の仕事です。霊的摂理は広範囲にわたっております。

ところが、それが不幸して誤って解釈され、その上、それとは別の意図を持った聖職者が割り込んできたために、そこに混乱が生じたのです。

 人間も根本的には霊であり、それが肉体を使用しているのであって付属品として霊を宿した肉体的存在ではないわけです。肉体は霊に従属しているのです。地上生活の全目的は、その内在する霊に修業の場を与え、さまざまな体験を通じてそれを育み、死によってもたらされる肉体からの解放の時に備えて、身支度をさせることにあります。

そこから本当の意味での〝生活〟が始まるのです。宗教とは、霊が霊として本来の生活ができるように指導するための処世訓であり、道徳律であると言えます。

 ところが不幸にして、古い時代 (イエスの時代の少し後) に、霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。聖職者の本来の仕事は、聖堂や教会といった宗教的行事の執り行われる建造物の管理でした。

原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。が、ある時代から聖職者の方が、紳示(霊界通信)を受ける霊媒にばかり関心をむけられることに不快感を抱くようになりました。

そしてそれまでに入手した神示を資料として、信条・儀式・祭礼・ドグマ・教説等を分類して綱領をこしらえる、いわゆる神学的操作を始めたのです。今日まで引き継がれているもののうち、どれ一つとして霊の資質と実質的に関わりのあるものはありません。

 かくして、真の宗教の概念が、今日では曖昧となってしまいした。宗教というと何かお決まりの儀式のことを思い浮かべ〝聖典〟と呼ばれるものを読み上げることと考え、賛美歌を歌い、特別の衣装を着ることだと思うようになりました。何やら難しい言説を有り難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと思いつつも、なおそれにしがみつきます。
℘142  
 私たちはいかなる神学、いかなる教義、いかなる信仰告白文にも関心はありません。私たちが関心を持つのは人間の霊性であり、私たちの説くこともすべて、絶対的に従わねばならないところの霊的自然法則に向けられています。人間がこしらえたものを崇めるわけにはいきません。

宇宙の大霊によって作られたもののみを実在として信じます。そこに、宗教の捉え方の違いの核心があります。

 人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差し伸べること、弱き者へ力を貸してあげること、多くの重荷に喘ぐ人の荷を一つでも持ってあげること、こうした行為こそが私たちの説く宗教です。

 〝神とイエスと聖霊は三にして一、一にして三である〟などと説くことが宗教ではありません。宗教的であるとも言えません。それを口にしたからといって、霊性はみじんも成長しません。朝から晩まで賛美歌を歌ったからといって霊性が増えるわけではありません。

 バイブルを読んでも(キリスト教)、タルムードを読んでも(ユダヤ教)、コーランを読んでも(イスラム教)、バカバット・ギ―タ―を読んでも(ヒンズー教)、その他、いかなる聖なる書と呼ばれているものを、目が疲れるほど読んでも、それだけで霊性が成長するわけではありません。

 〝宗教的〟とみなされている行事のすべてを行っても、それによって一段と価値ある人生へ魂を鼓舞することにならなければ、私たちが考えている意味での宗教的人間になるわけではありません。

 肩書(ラベル)はどうでもいいのです。形式はどうでもいいのです。口先だけの文句はどうでもいいのです。大切なのは〝行為〟です。どういうことをしているかです。つまり各自の日常の生活そのものです。

 私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。

 また、神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。すなわち、親切・寛容・同情・奉仕の行為が自動的に、それ相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に利己主義・罪悪・不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。この法則は変えようにも変えられないのです。みっともない執行猶予も、安価な赦免もありません。
℘144
神の公正が全宇宙に行きわたっております。霊的な小人が巨人のふりをしてもごまかせません。死後の床での悔い改めも通用しません。

 巨大なる宇宙の中で生じるもの全てに責任を持つ大霊の、不変にして絶対的威力を有する摂理に目を向けましょう。私は常にその摂理を念頭に置いています。

なぜなら私たちの説く神は、人間的弱点───激情や憤怒に動かされたり、好きな人間と嫌いな人間とを選り分けたりするような、そんな人間的存在ではないからです。

 私が見る宇宙は法則によって支配されています。すみずみまで行きわたり、これからも常に永遠に存在しつづける法則です。

地上の人間に永い間振り回され、隷属させられてきた誤った概念と虚偽、偏見と無知を無くしていくには、地上の生命現象と生活現象のすべてが、その絶対的法則によって支配されていることを教える以外に方法はありません。

 その知識が少しでも増えれば、それだけ理解力も豊かになるでしょう。本来の美しさを遮っていたベールが取り除かれ、有限の地上的存在の視野を超えた所に存在する、より大きな生活を少しでも垣間見ることになるでしょう。

 かくして私たちは、常に神の永遠の自然法則、絶対に狂うことも過つこともない法則、地位の高い低いに関わりなく、すべての存在に等しく働く法則に、忠誠と感謝の念を捧げるものです。

誰一人として等閑(なおざり) にされることはありません。誰一人として独りぼっちの者はいません。法則の働きの及ばない者。範囲からはみ出る者など、一人もいません。あなたがこの世に存在するという事実そのものが、神の摂理の証しです。

 人間の法則は機能しないことがあります。改められることがあります。人間の成長と発達に伴って視野が広がり、知識が無知をなくし、環境が変化するに伴って新たな法令が要請されると、従来の法律が廃止されたり、別の法律と置き換えられたりすることもあります。

 しかし、神の法則に新しい法則が付け加えられことは絶対にありません。改正もありません。解釈上の変化も生じません。いま機能している法則は、これまでずっと機能してきた法則であり、これからも変わることなく機能してまいります。一瞬の休みもなく機能し、そして不変です」

ベールの彼方の生活(四)

著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)

近藤千雄 訳



七章 天界の大群、地球へ 
1 キリストの軍勢         2 先発隊の到着  
お迎えのための最後の準備    4 第十界へのご到着




1 キリストの軍勢
   一九一九年三月六日  木曜日 

 天界の大草原のはるか上空へ向けてキリストの軍勢が勢揃いしておりました。上方へ向けて位階と霊格の順に一段また一段と階段状に台地(テラス)が連なり、私も仲間の隊員とともに、その上方でもなく下方でもなく、ほぼ中間に位置するあたりの台地に立っておりました。雲なす軍勢の一人一人がそれぞれの任務を帯びていたのです。

 このたびの戦いに赴くための準備が進行するうちに吾々にさまざまな変化が生じておりました。

その一つは地球圏の上層界と前回の話に出た他の複数の惑星の経綸者の双方から霊力の援助をうけて吾々の磁気力が一段と増し、それにつれて視力も通常の限界を超えて広がり、それまで見ることを得なかった界層まで見通せるようになったことです。

その目的はエネルギーの調整──吾々より上の界と下の界の動きが等しく見えるようになることで、言いかえれば視力の焦点を自在に切り換えることができるようになったということです。

これで一層大きな貢献をするためにより完璧な協調態勢で臨むことになります。下の者は上の者の光輝と威力を見届けることができて勇気を鼓舞されることにもなり、さらに、戦いにおいて指揮と命令を受けやすくもなります。

 私はその視力でもって上方の光景と下方の光景、そしてあたり一面を見渡して、そこに見た驚異に畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。それまで数々の美と驚異を見ておりましたが、その時に見た光景ほど驚異に満ちたものはありませんでした。

 地球の方角へ目をやると、さまざまな色彩が幾つもの層を成して連なっています。それは私の界と地上界との間の十の界層を象徴する色彩で、これより下降すべく整列している軍勢の装束から放たれているのでした。

その下方、ちょうどその軍勢の背景となる位置に、霧状のものが地球を取り巻いているのが見えました。

そのどんよりとして部厚く、あたかも濃いゼリー状の物質を思わせるものがところどころで渦を巻いている中を、赤色と暗緑色の筋や舌状のものがまとわりついているさまは、邪悪の化身である身の毛もよだつ地獄の悪行に奔走しているさまを彷彿とさせ、見るからに無気味なものでした。

 その光景に吾々は別にしりごみはしませんでした。恐怖心はいささかも抱きませんでした。それどころか、愛と僚友意識の中で互いに手を取り合い、しばし厳粛な思いに浸りました。

これからの吾々の旅はあの無気味な固まりと立ち向かい、しかもそれを通過しなければならないのです。目指す地球はその中にあるのです。

何としてでも突き抜けて地球まで至らねばなりません。陰うつ極まる地球は今こそ吾々の援助を必要としているのです。その無気味な光景を見つめている私の脳裏に次のような考えが浮かびました──〝人間はよくもあの恐ろしい濃霧の中にあって呼吸し生きていられるものだ〟と。

 吾々自身について言えば、吾々の仕事は、すでに述べた通り、質の転換作用によって少しでも多く吾々の組織体の中にそれを取り入れていくことでした。

どうしても消化不可能なものはさらに地獄の奥へと追いやり、言うなれば自然崩壊をまつほかはありません。大変な〝食事〟だと思われるでしょう。しかも大して〝美味〟ではありません。

それは確かですが、それほどの軍勢で、しかもキリストをリーダーとして、吾々はきっと成就できるとの確信がありました。

 続いて吾々は向きを変えて、こんどは上方へ目をやりました。すると幾重にも連なる台地に光り輝く存在が、ある者は立ち並び、ある者は悠然と動きまわっているのが見えました。

その台地の一つ一つが天界の一界であり、それがパノラマ式に巨大な階段状に連なって延々と目も眩まんばかりに上方へと伸び、ついに吾々の視力では突き通せない光輝の中へと突入し、その頂上が視界から消えました。

その光輝を突き抜けて見届けうるのは吾々よりはるか上方の、光輝あふれる界層の存在のみでした。吾々にとってはただの光の空間であり、それ以外の何ものにも見えませんでした。

 それでも、可能なかぎりの無数の輝く存在を目にすることだけでも吾々に大いなる力を与えてくれました。最も近くの界層の存在でさえ何とすばらしかったことでしょう。

吾々より下層の者は見たこともない色調をした光輝を放つ素材でできた長衣(ロープ)に身を包んでおられました。

さらに上層界の存在はゴースのごときオーラに包まれ、身体はその形も実体も麗しさにあふれ、その一体一体が荘厳な一篇の詩であり、あるいは愛と憧憬の優しい歌であり、優雅にして均整の取れた神であり、同格の神々とともに整然たる容姿を完全に披露してくださっておりました。

その位置を貴殿なら多分はるか彼方と表現するところでしょう。確かにはるか彼方ではありました。が吾々の目にはその形状と衣装が──その形体を包む光輝を衣装と呼ぶならば──全体と同時に細部まで見ることができました。

 しかし、それとてまだ中間の界層の話です。そのまた先には吾々の視力の及ばない存在が無数に実在していたのです。そのことは知っておりました。

が、知ってはいても見ることはできません。吾々の霊格にとってはあまりにも崇高すぎたのです。そしてその頂上には吾らがキリストが君臨していることも分かっておりました。

 その光景を見つめながら吾々仲間はこう語り合ったものです──〝目(ま)のあたりにできる光景にしてこの美しさであれば、吾らがキリストの本来の栄光はいかばかりであろうか〟と。

しかし吾々の感嘆もそこまでで、それから先へ進むことはできず、一応そこで打ち切りました。と言うのも、間もなくそのキリストみずから吾々の指揮のために降りて来られることが判っていたからです。

その折には地球へ向けて下降しつつ、各界の住民の能力に応じた波長の身体をまとわれるので、吾々の視力にも映じる可視性を身につけておられることも知っておりました。

天界の大軍の最高位にあらせられるキリストみずからその大軍の中を通り抜けて、一気に地球の大気圏の中に身を置かれるということだったのです。

 然り、然り。キリストほどのリーダーはいません。天使ならびに人類を導く者としてキリストに匹敵する霊は、神格を具えた無数の存在の中にさえ見出すことはできません。

私は厳粛なる気持でそう断言します。と申しますのも、天界の経綸に当たる神々といえども、その力量は一列平等ではなく、地上の人間と同じくその一柱一柱が独自の個性を表現しているのです。

平凡な天使の部類に属する吾々もそうであり、さらに神聖さを加えた階級の天使もそうであり、さらにその上の階級の天使もそうであり、かくして最高級の大天使ともなれば父なる神の最高の美質を表現しておりますが、それにも各々の個性があるのです。

 そうした多種多様な神々の中にあっても、指導者としての資質においてキリストに匹敵する者はいないと申し上げるのです。私がさきほど語り合ったと述べた仲間たちも同じことを申しておりました。そのことについては改めて述べるつもりでおります。その時は以上の私の断言が正しいか否かがはっきりすることでしょう。  
 アーネル ±

 
2 先発隊の到着
  一九一九年三月七日  金曜日

 十重二十重(とえはたえ)と上方へ延びている天界の界層を見上げつつ、吾々は今や遅しと(キリストの降臨を)お待ちしておりました。

その天界の連なる様子はあたかも巨大なシルクのカーペットが垂れ広がっているごとくで、全体にプリーツ(ひだ)とフラウンス(ひだべり飾り)が施された様子は天界の陽光を浴びてプリズムのごとく輝くカスケード(階段状の滝)を思わせます。

プリーツの一つ一つが界層であり、フラウンスの一つ一つが境界域であり、それが上下の二つの界をつなぎ、それぞれの特色ある色彩を一つに融合させておりました。その上方からきらめく波がその巨大なマントを洗うように落ちて来ます。

色彩が天上的光輝を受けて、あたかも宝石のごとくきらめきます。その宝石の一つ一つが天使であり、それぞれに天上的光輝の美しさを一身に受け、そして反射しているのです。

 そう見ているうちに、吾々の視力の届くかぎりの一ばん高い位置の色彩がゆっくりと変化しはじめました。本来の色彩をとどめつつも別の要素、新たなきらめきが溢れております。

それを見て吾々はキリストならびに従者の一行がようやく吾々の視界の範囲まで降下してこられたことを知りました。


シルクのプリーツの一つがすぐ下のプリーツへ重なり、あたかも次のプリーツに口づけし、そのプリーツが同じように頭を垂れて頬を次のプリーツの肩にそっと触れていくのにも似た光景は、何とも言えない美しさでした。

 以上が吾々が見たキリストの降臨の最初の様子です。吾々には突き透せない光輝の中から今やっとお出ましになり、一歩一歩地球へ近づきつつもなおその間に広大な距離を控え、各界にその霊力を放散しつつ降りて来られるようでした。

流れ落ちる光の波はついに吾々の界より二、三手前の界層の境界域に打ち寄せてまいりました。そこまで来てさらに一段と理解がいきました。

吾々が見ているのはキリストの近衛兵の大連隊が光輝を発しつつ前進してくる様子だったのです。しかしキリストのお姿はまだ見えませんでした。

 その途方もない霊力と栄光の顕現にただただ感嘆と高揚にしばし浸っているうちに、こんどは吾々自身の内部から、愛と慈悲の念と今まさに始まらんとしている大事業に全力を投入しようとの決意の激発による魂の興奮を覚えはじめました。



それは同時に、いよいよキリストが近くまでお出でになられたことを告げるものでした。

 いよいよお出でになられた時の様子、さらには吾々の界を通過して下界へ降りて行かれた時の様子、それはとても言葉では尽くせません。あまりにも荘厳すぎるのです。が、私にできるかぎり何とか表現してみましょう。

 魂の興奮は次第に度合いを増し、吾々はお出ましの瞬間を見届けんものと、身を乗り出し首を伸ばして見つめました。まず目に入ったのは側近の随行者の先遺隊でした。

その一行は吾々にお迎えの準備を促す意味がありました。と言うのは、この度のお出ましはこれまでに私がたびたび叙述した顕現とは異なるのです。大事業の完遂のために幾千万とも知れぬ大軍を率いて、その本来の威力と栄光のままにお出ましになられるのです。

吾々もそのご威光を少しでも多く摂取する必要があり、それにはゆっくりとした過程で順応しなければなりません。そこでまず先発隊が派遣され、道中、必要とみた者には叡智を授け、ある者には祝福を与え、またある者には安らぎの口づけをするのです。

いよいよその一行が悠揚迫らぬ態度で吾々のところまで来られました。いずれ劣らぬ尊い霊格を具えられた方ばかりです。

上空を飛翔される方々と吾々の間を通り抜けて行かれる方々とがありました。そして吾々の誰かに目が行き、一瞬のうちにその足らざるところを察知して、必要なものを授け、そして先を急がれました。

上空を行かれる方から指示が出されることもありました。全体が強調的態勢で行動し、それが吾々にとって大きな教訓となりました。



──あなたご自身には何かありましたか。
 その一行の中には女性が混じっておりました。それは吾々の霊団も同じです。地上の戦争にも女性が派遣されるでしょう。吾々も女性ならではの援助の仕事のために女性を引き連れておりました。

 そのとき私は仲間から離れて後方にいました。というのは、従者の一行に話しかけたい者が大ぜいの仲間とともに前の方へ出て来たからです。

するとその私のところへ一対の男女が近づいて来られ、にっこりと微笑まれて双方が私の手を片方ずつ握られました。男性の方は私よりはるかに体格があり、女性の方は男性より少し小柄でした。いずれ劣らぬ端整な容姿と威厳を具えておられますが、そうした従者のいずれもがそうであるように、素朴な謙虚さと愛を感じさせました。

男性の方はもう一方の手を私の肩に置いてこう言われるのです──〝アーネル殿、貴殿のことを吾々二人はよく存じ上げております。吾々は間断なく生じる仕事においていつも互いの資質を出し合って協力し合っている間柄です。

実はこのたびこの界を通り過ぎることになって二人して貴殿をお探ししておりました。このご婦人から貴殿に申し上げたいことがあるようです。かねてよりそのことを胸に秘めて機会をうかがっておられました〟

 さてその婦人は実にお美しい方で、男性の光輝と相まった眩しさに私はただただ狼狽するばかりで、黙って見まわすしか為すすべがありません。

すると婦人はその握りしめていた手をさらに強く握られながら幾分高く持ち上げられました。続いて婦人の美しい頭にのっていた冠が私の目の前に下りて来ました。

私の手に口づけをされたのです。そしてしばしその姿勢を保たれ、私は婦人のしなやかな茶色がかった髪に目を落としました。まん中で分けられた髪が左右に垂れ、黄金のヘアバンドを付けておられました。私はひとことも口が利けませんでした。

高揚性と至純な聖(キヨ)さに溢れたよろこびが私を圧倒してしまったのです。それはとても筆舌に尽くせるものではありません。

 それから私はおもむろに男性の方へ目をやって私の戸惑いの気持ちを訴えました。すると婦人がゆっくりと頭を上げ私の顔を見つめられ、それと時を同じくして男性の方がこう言われたのです──〝アーネル殿、このご婦人は例の少女ミランヌの祖母に当たられる方です〟

 そう言われて婦人の方へ目を向けると、婦人はにっこりとされてこう言われたのです。

 「お礼申し上げます、アーネル様。あなた様は私が遠く離れ過ぎているために出来なかったことをしてくださいました。実はその子が窮地におかれているのを見て私はあなたへ向けて送念いたしました。あなたは私の願いに鋭敏に反応してくださいました。

間もなくその子も自分からお礼を申し上げるに参ることでしょうが、私からひとことお礼をと思いまして・・・・・・」

 そう言って私の額に口づけをされ、やさしく私のからだをご自分のおからだの方に引き寄せられました。それからお二人そろって笑顔でその場を立ち去られました。

その時の強烈な印象はその後いささかも消えやらず、霊的には常に接触が取れているように思います。今もそれを感じます。

 貴殿はミランヌなる少女が何者であろうかと思っておられる。実は私もその時そう思ったのです。もっともその少女との係わり合いについてはよく覚えております。

 古い話ではありません。あるとき仕事をしていると、貴殿も体験があると思いますが、誰かが自分に注意を向けているような感じがして、ふと仕事の手を休めました。そしてじっと受身の気持でいると、声ではなくて、ある種の衝動を覚え、すぐさまそれに従いました。


私は急いで地上へ向かいました。たどり着くとまた外部からの力で、今まさに地上を去って霊の世界へ入ろうとしている若い女性のところへ一直線に導かれていきました。最初は何のためなのかよく分かりませんでした。

ただそこに臨終を迎えた人体が横たわっているというだけです。が、間もなく分かりました。そのすぐ脇に男の霊が立っていて、その女性の霊が肉体から離れるのを待ちかまえております。

その男こそ地上でずっと彼女に災いをもたらしてきた霊で、彼女が肉体から離れるとすぐに邪悪の道へ引きずり込もうと待ちかまえていたのでした。

 その後のことをかいつまんで言えば、彼女が肉体から出ると私は身を挺してその男が近づくのをさえぎり、男の近づけない第三界の安全な場所へ運んだということです。今ではさらに二界層向上しております。その間ずっと私が保護し介抱してきました。

今でも私が保護者となってあげている霊の一人です。これでお分かりでしょう。お二人にお会いして、あの時の要請の出どころが分かり、同時に、その要請に応えて私が期待どおりにお役に立っていたことを知って、とてもうれしく思った次第です。

 そうした喜びは地上にいる間は理解できないでしょう。しかしイエスは施物分配の話と、首尾よく使命を全うした者を待ちうける歓迎の言葉の中に、そのことをすでに暗示しておられます。こう言っておられます──〝よくぞ果たされた。

そなたたちの忠誠心をうれしく思う。さ、私とともに喜びを分かち合おう〟(※)

 私もイエスとともに喜びを分かち合う光栄に浴したのです。ささやかながら私が首尾よくそれを全うして、今こうして一層大きな喜びの中に新たな大事業に参加することを許されたのです。多分ご婦人の言葉はキリストがお述べになる言葉そのものだったのだと確信しました。キリストの喜びとは常に献身の喜びなのです。
アーネル ±


(※マタイ25・21。この部分は聖書によって用語や若干の違いが見られるが、そのいずれもこの通信の文章とはかなり異なっている。アーネル霊は霊界の記録を見ているのであるから、この方が実際のイエスの言葉に近いのであろう──訳者)






3 お迎えのための最後の準備

  一九一九年三月十日  月曜日

 以上のような経緯(いきさつ)は地上的に表現すれば永い歳月に及んでいることを知っておいていただきたい。その間、吾々には吾々なりの為すべきことがありました。地上でも、一つの改革が進行している間も一般大衆にはそれぞれの日常生活があります。

吾々もそれと同じでした。しかし吾々の生活全体を支配している〝思い〟──何にたずさわっていても片時も心から離れなかったのは、キリストの降臨と、そのための上層界の態勢づくりのことでした。いずこへ赴いてもそれが窺えました。

時には仲間が集まってキリストの接近による光輝の変化のことを細かく語り合うこともありました。

とくに上層界から使者が訪れ、吾々の界層の環境に合わせた身体をまとい、山の頂上とか中空に立って集合を命じた時はほとんど全員が集まりました。指定の場所に集まった者は何ごとであろうと期待に胸をふくらませるのでした。

 前回に述べたのもその一つでした。

 しかしそうした時以外はいつもの生活に勤しみ、時には領主からお呼びが掛かって将来の仕事のための特別の鍛錬を受け、また時には特別の使命をさずかって他の界層へ赴いたりしていました。

他の界層へ赴いている間は連絡関係がふだんより緻密さを増します。急な用事で帰還命令が出された時に素ばやくそれをキャッチするためです。

 そうしたふだんの体験にも貴殿に興味のありそうなもの、ためになるものがいろいろとあるのですが、それは今は措いておき、将来その機会がめぐってくれば語ることにしましょう。さし当たっての私の目的はキリストその人の降臨について語ることです。

 吾々キリストの軍勢の一員として選ばれた者は、例の天使の塔の聳える風致地区内に集合しました。待機しながらその塔の頂上にのっているヤシの葉状の王冠を見上げると、一人また一人と天使の姿が現れ、全部で大変な数になりました。

ひざまずいている者、座している者、立っている者、例のレース細工によりかかっている者など、さまざまでした。他の場所からその位置へ移動してきたのではありません。

吾々の見ている前で、吾々の視力に映じる姿をまとったのです。最初は見えなかったのが見える形をまとったのです。見えるようになると、どの天使も同じ位置に留まっていないであちらこちらへと動きまわり、対話を交えておりました。

霊格の高い、かつ美しい方ばかりです。同じ光景を前にも叙述したことがあります。顔ぶれはかなり変わっておりましたが、同じ天使も多く見かけました。

 さて全天使が揃うと新たな現象が見えはじめました。それはこうです。

 王冠の中に初めて見るものが現れました。十字架の形をしており、中央から現れて上昇しました。そのヨコ棒の片側に最後に到着した天使が立ち、その左手をタテ棒の上部にあてています。他の天使にくらべて一まわり光輝が広がっています。

身体も十分に吾々の界の環境条件に合わせ終わると左手をお上げになり、吾々を見下ろされながら祝福を与えてくださいました。

それから鈴の音のような鮮明な声で話しかけられました。大きな声ではありませんが、はるか下方に位置する吾々ならびにその地区一帯に立ち並ぶ者全員にまで届きました。

遠くの丘や広い草原にいる者もあれば、屋上にいる者、湖のボートに乗っている者もいました。さてその天使はこう語られました。

 「このたび貴殿たちを召集したのは、いよいよこの界へお近づきになられた吾らが主キリストについてのメッセージを伝え、ご到着とご通過に際してその意義を理解し、祝福を受け損なうことのないよう準備をしていただくためである。

 貴殿たちはこれまで幾度か主をご覧になっておられるが、このたびのお出ましはそれとはまったく異なるものであることをまず知られたい。

これまでは限られた目的のために限られた必要性にしたがって限られた側面を顕現してこられた。が、このたびは、そのすべてではないが、これまでをはるかに凌ぐ王威をまとわれてお出ましになられる。これまでは限られた所用のために降りてこられた。このたびは大事業への父なる大神の勅令を体して来られるのである。

 これはただならぬ大事業である。地球は今や貴殿らによる援助の必要性が切迫している。それ故、主が通過されるに際し貴殿ら一人一人が今の自分にもっとも欠けているものをお授けくださるようお願いするがよい。

それによってこれより始まる仕事に向けて体調を整え、完遂のための体力を増強することができるであろう。

 万遺漏(ばんいろう)なきを期さねばならないことは言うまでもないが、さりとて主のご威光を過度に畏れることも控えねばならない。主は貴殿らの必要なるものを携えて来られる。

主ご自身にはさような必要性はない。貴殿らのために燦爛たる光輝をまとわれてお出ましになるのである。その光輝のすべてが貴殿らのためである。それ故、遠慮なくそれに身を浸し、その磁気的エネルギーに秘められている力と高潔さとを己れのものとなさるがよい。

 では、これより貴殿らの思うがままに少人数でグループを作り、私が今述べたことについて語り合ってもらいたい。私が述べた言葉はわずかであるが、それを貴殿らが膨らませてほしい。行き詰まった時は私の仲間がその解釈の手助けに参るであろう。

そうすることによって主が間もなくお出ましになられた時に慌てずに済むであろうし、この界を通過される間にその目で見、その耳で聞き、その肌で感じて、さらに理解を深めることになるであろう」

 話が終わるとすぐ吾々は言われた通りにしました。例のヤシの葉状の王冠の中にいた天使たちはその間も姿をずっと消されることはありませんでした。それどころか、吾々の中に降りてこられて必要な援助を与えてくださいました。

その時の魂の安らぎの大きかったこと。おかげでキリストがいつ通過されてもよいまでに全員がそれなりの準備を整えることができました。

キリストの生命力の尊い流れから汲み取って吾々のものとすることができるのです。それはキリストの内的叡智と決意の洗礼を受けることに他なりません。

 以上がキリストの降臨までに開かれた数々の集会の最後となりました。終わるとキリストの霊との一体感をしみじみと味わい、静寂と充足感の中にそのご到着をお待ちしました。
  アーネル ±


  
  4 第十界へのご到着
 一九一九年三月十一日  火曜日

 吾々は第十界の高台に集合しました。人里離れた場所で、住居もまばらでした。建物はそのほとんどが中央の大塔との連絡のために使用されるものです。大塔は常時広大な地域にわたって眺望をきかせております。

──それは、もちろん、あなたが前にお話になった大聖堂の住民になられる以前の話ですね?

 そうです。(これから語る)ご降臨に際してキリストを拝したのは、ご降臨全体としてはずっと後半のことです。

当時の私はすでに第十界まで向上しており、その界の住民としての期間はかなり長期間に及んでいました。キリストがようやく十界の境界域に到達されたのは私が十界にいた時のことです。

 そのとき吾々は遠くの山脈に目をやっておりました。透き通るような光輝に映え、緑と黄金の色合いをしておりましたが、それに変化が生じはじめました。

まず緑が琥珀色を通して見た赤いバラのように、赤味がかったピンクになりました。それが次第に光沢を深めていき、ついに山並み全体が純金の炎のごとく輝きました。その中で従者が先頭をきって右へ左へと動き、それが光の波となってうねるのが見えます。

そのうちその従者の姿が吾々の方へ向けて進んでくるのが見えはじめました。キリストから放たれる光の雲を背景として、その輪郭をえどるように位置しております。

それぞれに憐憫たる光輝を放ち、雄大な容姿とそれに似合った霊力を具えておられます。

男性と女性です。それに、そこここに、男女が一体となった天使がいます。二つにして一つ、一つにして二つ──この話はこれ以上は述べません。

その神秘は貴殿には理解できないと思うからです。私も言語では表現しかねます。両性でもなければ中性(無性)でもありません。この辺で止めておきましょう。見るからに美しい存在です。男性というには柔和さが強すぎ、女性というには威厳が強すぎる感じがいたします。

 その一団が吾々の界の環境条件に波長を合わせつつ進入し、全天空を光輝と壮観で満たしたのです。吾々の足もとまで降りて来られたのではありません。

上空を漂いつつ、あたかも愛のそよ風のごとく、それでいて力に溢れ、深遠にして神聖なる神秘への理解力を秘めた優しさと安らぎの雫(しずく)を落としてくださるのでした。

その愛のしるしが降りそそがれる毎に吾々は、それまで理解の及ばなかった問題について啓発され、これから始まる仕事への力量を増すことになりました。

 天使の中には、大気が稀薄で吾々住民のほんの少数の者にしか永住困難な(そのときは一人の姿も見当たらなかった)高い峰に位置を取っておられる方がいました。

あるグループは一つの峰に、もう一つのグループはそれより遠く離れた峰に、という具合に位置して、全域を円形に囲み、その区域内の山と山との間にさらに幾つかのグループが位置しておりました。

 そのように位置を構えてからお互いに器楽と声楽による音楽で呼びかけ合い、それが一大ハーモニーとなって全天空に響きわたりました。

その音楽がまた新たな影響を吾々に及ぼしました。さきの愛の雫とは別に、あたかも安らかに憩う吾が子をさらに深き憩いへと誘う母の甘いささやきのごとき優しさを加えたのでした。

 やがて地平線の色調が深まって深紅色と黄金色とになりました。まだ黄金が主体でそれに深紅が混じっている程度でしたが、これでいよいよキリストが吾々の界のすぐそこまで来られたことを察知いたしました。

 そして、ついにお出ましになられました。そのお姿を現された時の様子、あるいはその顕現全体の壮観を私はいったいどう表現すればよいでしょうか。それを試みようとするだけで私は恐怖のあまり躊躇してしまうのです。

それはあたかも宮廷の道化師に君主が載冠に至る様子を演じさせ、その粗末な帽子でもって王冠を戴く様子を演じさせ、粗末な一本の棒切れでもって王笏(しゃく)を手にした様子を演じさせ、粗末な鈴でもって聖歌隊の音楽に似させることを命じるようなもので、

それは君主への不敬をはたらくこと以外の何ものでもありません。いま私が試みようとして躊躇するのはそれを恐れるからです。

 しかしもしその道化師が君主をこよなく尊敬しておれば、持てる力を総動員して人民に対する君主の振舞を演じ、同時にそのパロディ(粗末な模倣)が演技力と道具の不足のためにいかに実際とは似ても似つかぬものであるかを正直に述べるであろう。

私もそれに倣(ナラ)って、謙虚さと真摯な意図を唯一の弁明として語ってみましょう。

 キリストを取り巻く光輝はますますその強さと広がりとを増し、ついに吾々のすべてがその中に包み込まれてしまいました。

私からもっとも遠く離れた位置にいる仲間の姿が明確に識別できるほどになりました。それでも全体の大気はバラ色がかった黄金色を帯びていました。吾々の身体もその清澄な霊力の奔流に洗われていました。

つまりキリストは吾々全体を包むと同時に一人一人をも包んでおられたのです。吾々はまさにキリストその人とその個性の中に立ちつくし、吾々の中にもまわりにもキリストの存在を感じていたのです。

その時の吾々はキリストの中に存在を保ちつつ、しかもキリストの一部となり切っておりました。しかし、それほどまで吾々にとって遍在的存在となっても、キリストは外形をまとって顕現なさろうとはしませんでした。

 私にはキリストが吾々の周辺や頭上にいらっしゃるのが分かるのです。それは言葉ではとても表現が困難です。身体を具えた局所的存在として一度にあらゆる場所におられるようであり、それでいて一つの存在なのです。

そう表現するほかに良い表現が思い当たりません。それも、およそうまい表現とは言えません。

私が思うに、キリストの全人格からまったく同じものを感じ取った者は、吾々の中にはいなかったのではないでしょうか。私にとっては次に述べるようなお方でした。

 体軀はとても大きな方で、人間二人ほどの高さがありましたが、でっかいものという印象は与えません。〝巨人〟のイメージとは違います。吾々と変わるところのない〝人間〟なのですが、体軀だけでなく内面性において限りない高貴さを具えておられます。

頭部に冠帯を付けておられましたが、紅玉(ルビー)と黄金(ゴールド)が交互に混ざり合った幅の広い、ただのバンドです。

両者が放つ光は融合することなく、ルビーは赤を、ゴールドは黄金色を、それぞれに放っております。それが上空へ向けて上昇して天空いっぱいに広がり、虚空に舞う天使のロープに当たって一だんとそのロープの美しさを増すのでした。

 おからだは全身の素肌が輝いてみえましたが、といって一糸もまとっていないのでもありません。矛盾しているようですが、私が言わんとしているのは、まずその全身から放たれた光彩がその地域のすみずみにまで至り、すべてをその輝きの中に包みます。

するとその一部が吾々が抱いている畏敬の念というスクリーンに反射し、それが愛の返礼となってキリストのもとに返り、黄金の鎧のごとくおからだを包みます。その呼応関係は吾々にとってもキリストにとってもこの上なく快いものでした。

キリストは惜しげもなくその本来の美しさの奥の院の扉を開いてくださる。そこで吾々はその儀式にふさわしい唯一の衣服(畏敬の愛念)を脱ぎ、頭を垂れたままそれをキリストのおからだにお掛けする。そして優しさと崇敬の念に満ちた霊妙なる愛をこめてキリストへの絶対的信頼感を表明したのでした。

 しかしそれ以前にもすでにキリストの栄光を垣間見ておりましたから(六章Ⅰその他)、キリストの本来の力はそれでもなお控え目に抑えられ、いつでも出せる態勢にあることを知っておりました。

キリストは何一つ身にまとわれなくても、吾々配下の軍勢からの(畏敬の念という)贈りものを金色(こんじき)の鎖帷子(くさりかたびら)としてまとっておられたのです。

贈りものとはいえ所詮はすべてキリストのものである以上、キリストからいただいたものをお返ししたにすぎません。(ロープで隠されているはずの)おみ足がはだけておりました。

と言うのは、吾々からの贈りものは吾々がいただいたものには及ばず、その足りない分だけロープの長さが短かくなり、足くびのところで終っていたのです。

 そのキリストがここの一団、そこの一団と次々と各軍団のもとをまわられる時のお顔はいやが上にも厳粛にして哀れみに満ちておりました。

それでいて最初に姿を現された中心的位置を離れるようにも見えないのです。そのお顔の表情を私は、広げられた巻きものを見るように、明瞭に読み取ることができました。

その厳粛さは、口にするのも畏れ多き天上界──罪と無縁ではないまでも知識として知るのみで体験として知ることのないキリスト界からたずさえて来られたものであり、一方哀れみはほかのカルバリの丘での体験から来ておりました。

その二つが神にして人の子たるキリストの手によって天と地の中間において結ばれているのです。キリストは手をかざして遠く高き界層の天使へと目を向け、罪多き人間のために何を為さんとしているかを見届けながら、地球よりその罪の雫をみずからの額に落とされ、その陰影によってお顔を一だんと美しくされます。

かくして崇高なる厳粛さと悲しみとが一つに融合し、そこから哀れみが生じ、以来、神的属性の一つとなったのです。

 さらには愛がありました。与えたり与えられたりする愛ではありません。すべてを己れの胸の中に収め、すべてのものと一体となる愛。その時のキリストは吾々を包み込み、みずからの中に収められたのでした。

 また頭上には威厳が漂っておりました。それはあたかも全天の星を腕輪(ブレスレット)に、惑星をしたがえた太陽を指輪(シグネット)にしてしまうほどの、大いなる威厳でした。

 このようにしてキリストはお出ましになり、このような姿をお見せになったのです。それは今では過去のものとなりました。が、今なおその存在感は残り続けております。

吾々がいま拝するキリストはその時のキリストとは異なりますが、見ようと思えばいつでもそのシーンを再現し臨場感を味わうことができます。これも神秘の一つです。私は次のように考えております──主は地上へと去って行かれた。

が、そのマントのすそが伸びて、通過していった界層のすべてを光で包まれた。さらに下へ下へと進まれ、ついにかの地球を取り囲む毒気に満ちた濃霧のごとき大気の中へと入って行かれた・・・・・

 その威厳に満ちたご尊顔に哀れみの陰を見ている吾々の心に主を哀れむ情が湧くのを禁じ得ませんが、同時に敬愛と崇拝の念も禁じ得ません。

なぜなら、汚れなき至純のキリストにとって、その恐怖の淵は見下ろすだに戦慄を覚えさせずにおかないことですが、みずから担われた使命にしりごみされることはありませんでした。平静に、そして不敬の心をもって、浄化活動のための闘いに向かわれました。

そのお姿を拝して吾々はキリストとともにあるかぎり必ず勝利を収めるものと確信いたしました。キリストはまさしく空前絶後のリーダーです。

真の意味でのキャプテンであり、その御心に母性的要素すらうかがえるほどの優しさを秘めながらも、なお威厳あふれるキャプテンであられます。      アーネル ±

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion
スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳



七章  国家の指導者と自由意志

 シルバーバーチの交霊会には、シルバーバーチが一方的に語る日もあれば、霊言集の読者から寄せられた質問に答えるだけの日もある。時にはシルバーバーチの方から〝難しい質問〟を所望することもある。

 本章に集めた質疑応答は霊言集の読者から寄せられた投書を中心にしたもので、霊媒のバーバネルには前もって見せないことになっているが、シルバーバーチの答えは、それが読み上げられた次の瞬間に出る。


───霊界の指導者は、地上の政治的組織にどの程度まで関与するのでしょうか。〝人類はみな兄弟〟の理念にそって指導するのでしょうか、それとも各国独自の計画にそって指導するのでしょうか。

 「ご承知のとおり私たちは、人間がとかく付けたがる肩書(ラベル)きにはこだわりません。政党というものにも関与しません。私たちが関心を向けるのはどうすれば人類にとってためになるかということです。

 私たちの目に映る地上世界は、悪習と不正と既成の権力とが氾濫し、それが神の豊かな恩恵が自由に行きわたるのを妨げております。そこで私たちは、その元凶である利己主義の勢力に立ち向かっているのです。永遠の宣戦を布告しているのです。

 そのための道具となる人であれば、いかなる党派の人であっても、いかなる宗派の人であっても、いかなる信仰をもった人であっても、時と場所を選ばずに働きかけて、改革なり、改善なり、改良なり、一語にして言えば〝奉仕〟のために活用します」


───それには本人の自由意思はどの程度まで関わっているのでしょうか。

 「自由意思の占める要素はきわめて重大です。ただ、忘れてならないのは、自由意思という用語には、一つの矛盾が含まれていることです。いかなる意志でも、自らの力ではいかんともし難い環境条件、どうしても従いざるを得ないものによって支配されています。

物的要素があり、国の法律があり、宇宙の法則があり、それが各自の霊的進化の程度の問題があります。

℘114
 そうした条件を考慮しつつ私たちは、人類の進歩に役立つことなら何でも影響力を行使します。あなた方の自由意識に干渉することは許されませんが、人間生活において、より良い、そして理にかなった判断をするよう指導することはできます。

 前にもお話したことがありますが、私たちにとって最も辛い思いをさせられるのは、時として苦境にある人を目の前にしながら、その苦境を乗り切ることがその人の魂の成長にとって、個性の開発にとって、また霊的強化にとって薬になるとの判断から、何の手出しもせずに傍観せざるを得ないことがあることです。

 各自に自由意思があります。が、それをいかに行使するかは、各自の精神的視野、霊的進化の程度、成長の度合いが関わってきます。それを、私たちが許される範囲内でお手伝いをするということです」


───各国の指導的立場にある人々の背後でも指導霊が働いているのでしょうか。

 「すべての国にそれなりの計画が用意されております。すべての生命に計画があるからです。地上で国家的な仕事に邁進してきた人は、死の過程をへたあとも、それをやめてしまうわけではありません。

そんなことで愛国心が消えるものではありません。愛国心は純粋な愛の表現ですから、その人の力は、引き続きかつての母国のために使用されます。

 さらに向上すれば、国家的意識ないし国境的概念が消えて、すべては神の子という共通の霊的認識が芽生えてきます。しかし私どもは、あらゆる形での愛を有効に活用します。

少なくても一個の国家を愛し、それに身を捧げんとする人間の方が、愛の意識が芽生えず、役に立つことを何一つしない人間よりはましです」


───人類の福祉の促進のために、霊界の科学者が地上の科学者にインスピレーションを送ることはあるのでしょうか。

 「あえて断言しますが、地上世界にとっても恵み、発明・発見の類のほとんど全部が霊界から発しております。人間の精神は、霊界のより大きな精神が新たな恵みをもたらすために使用する受け皿のようなものです。

 しかし、その分量にも限度があるということを忘れないでください。残念ながら人間の霊的成長と理解力の不足のために、せっかくのインスピレーションが悪用されているケースが多いのです。科学的技術が建設のためでなく破壊のために使用され、人類にとっての恩恵でなくなっているのです」


───そちらからのインスピレーションの中には悪魔的発明もあるのでしょう?

 「あります。霊界は善人ばかりの世界ではありません。きわめて地上とよく似た自然な世界です。地上世界から性質(タチ)の悪い人間を送り込むことを止めてくれない限り、私たちはどうしようもありません。

 私たちが地上の諸悪を無くそうとするのはそのためです。こちらへ来た時にちゃんと備えができているように、待ち受ける仕事にすぐ対処できるように、地上生活で個性をしっかりと築いておく必要性を説くのはそのためです」

Thursday, September 10, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion
スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳


六章  霊界の審議会
 
 今からほぼ二千年前、一人の男が十字架上で死に、その男の影響力がその後の世界の歴史と多くの人々の心を動かし、それは今なお続いている。が、そのイエス自身は、その後どこで何をしているのであろうか。

 ある日の交霊会でシルバーバーチは、イエスは今すっかり教義とドグマと権力という雑草におおわれてしまった霊的真理の本来の姿を今一度明らかにするための、霊界からの地球的規模の働きかけの最高責任者であると述べた。

 「ほぼ二千年前にイエスは磔刑にされました。それはただ、当時の司祭たちがイエスを憎んだからにすぎません。イエスを通して、霊力のほとばしりを見せつけられたからでした。

まさに神の子に相応しい人物だったからにほかなりません。このままでは自分たちの立場が危ないと思ったのです。

 私たちが今、それと全く同じ反抗に遭っております。宗教界がこぞって〝真理〟を磔刑にしようとしております。しかし、それは不可能なことです。真理は真理であるがゆえに、あらゆる反抗、あらゆる敵対行為の中にあっても、厳然と存在し続けます。

キリスト教界の外部では次々と霊力が顕現しているのにもかかわらず、空虚で侘しい限りの巨大な建造物の中には、その陰気な暗闇を照らす霊力の光は一条も見られません」


───そんなキリスト教は、むしろ死滅してしまった方が増しだとおっしゃるのでしょうか。

 「私は、レンガとモルタル、祭壇と尖塔でできた教会には何の興味もありません。何の魅力も感じません。建造物にはまるで関心がないのです。

私が関心を向けるのは〝魂〟です。それで私は、神とその子の間に横たわる障壁を取り除くことに奮闘しているのですが、不幸にして今日では、教会そのものが障壁となっているのです。

 これほど大きな罪悪があるでしょうか。宇宙の大霊である神は、一個の教会に極限されるものではありません。一個の建造物の中に閉じ込められるものではないのです。

神の力は、人間各自がその霊性を発揮する行為の中に、すなわち自我を滅却した奉仕的行為、困窮している無力な同胞の為に一身を捧げんとする献身的行為の中に顕現されるのです。そこに宇宙の大霊の働きがあるのです。

 確かにキリスト教にも奇特な行いをしている真摯な人材が、そこここにいます。が、私が非難しているのは、その組織です。それが障害となっており、是非とも取り除かねばならないからです。

 真の宗教には儀式も際礼も、美しい歌唱も詠唱も、きらびやかな装飾も、豪華な衣装も式服も不要です。宗教とは自分を役たてることです。同胞のために自分を役たてることによって神に奉仕することです。


 私はそのことを、何度申し上げてきたことでしょう。然るに教会は人類を分裂させ、国家と階級を差別し、戦争と残虐行為、怨念と流血、拷問と糾弾の悲劇を生み続けてまいりました。人類の知識と発明と科学の発見の前進に抵抗してきました。

新しい波に飲み込まれるのを恐れて、危篤の権力の確保に汲々としてきました。しかし、新しい霊的真理はすでに地上に根付いております。最早その流れをせき止めることはできません」

℘104   
───イエスの意気込みは大変なものがあろうと察せられます。

 「誤解され、崇められ、今や神の坐に祭り上げられてしまったイエス、そのイエスは今どこにおられると思いますか。カンタベリ大聖堂ではありません。セントポール寺院でもありません。ウェストミンスター寺院でもありません。

実はそうした建造物がイエスを追い出してしまったのです。イエスを近づき難い存在として、人類の手の届かぬところにおいてしまったのです。

 今なおイエスは、人類のために働いておられます。それだけのことです。それを人間が、神学や儀式によって難しく複雑にしてしまったのです。しかも、こうして同じ真理を説く私たちのことを、天使を装った悪魔の勢力であり、サタンの声であり、魔王のそそのかしであると決めつけております。

 しかし、キリスト教の時代はもう過ぎ去りました。人類を完全に失望させました。人生に疲れ、絶望の淵にいる地上世界に役立つものは、何一つ持ち合わせていません」

℘105
 シルバーバーチによると、イエスは、イースターとクリスマスとほぼ同じ時期に霊界で開かれる指導霊ばかりの会議を主宰しているという。それにはシルバーバーチも出席するために、交霊会も二、三週間にわたって休暇となる。

時おり、その前後の交霊会で、その会議の様子を説明しくれることがある。次に紹介するのは、休暇に入る前の最後の交霊会での霊言である。

 「この機会は私にとって何よりの楽しみであり、心待ちにしているものです。その時の私は、わずかな期間ですが本来の自分に立ち帰り、本来の霊的遺産の味を噛みしめ、霊界の古き知己と交わり、永年の向上と進化の末に獲得した霊的洞察力によって実在を認識することのできる界層で、生命の実感を味わいます。

 自分だけ味わって、あなた方に味わわせてあげないというのではありません。味わわせてあげたくても、物質界に生きておられるあなた方、感覚が五つに制限され、肉体という牢獄に閉じ込められて、そこから解放された時の無上のよろこびをご存じないあなた方、

たった五本の鉄格子の間から人生をのぞいているあなた方には、本当の生命の何たるかを理解することはできないのです。

霊が肉体から解放されて本来の自分に返った時、より大きな自分、より深い自我意識に宿る神の恩寵をどれほど味わうものであるか、それはあなた方には想像できません。

 これより私はその本来の自分に帰り、幾世紀にもわたる知己と交わり、私が永い間その存在を知りながら地上人類へ奉仕のためによろこんで犠牲にしてきた〝生命の実感〟を味わいます。これまでに大切に仕舞ってきたものがこの機会に味わえることを、私がうれしくないと言ったらウソになりましょう。

 お分かりと思いますが、この機会は私にとって、数あるフェステバル(うれしい催し)の中でも最大のものであり、あらゆる民族、あらゆる国家、あらゆる分野の者が大河をなして集結し、一堂に会し、それまでの仕事の進捗のようすを報告し合います。

その雄大にして崇高な雰囲気は、とても地上の言語では表現できません。人間がインスピレーションに触れて味わう最大級の感謝も、そのフェステバルで味わう私たちの実感に比べれば、まるで無意味な、ささいな出来事でしかありません。

 その中でも最大の感激は、再びあのナザレのイエスにお会いできることです。キリスト教の説くイエス・キリストではありません。偽り伝えられ、不当に崇められ、そして手の届かぬ神の座に祭り上げられたキリストではありません。

人類のためのみ思う、偉大な人間としてのイエスであり、その父、そして我々の父でもある大霊のために献身する者すべてに、その偉大さを分かち合うことを願っておられるイエスです」


 休暇に入る前の交霊会では、シルバーバーチがサークルのメンバーに、それまでの成果を語って協力に感謝するのが常である。

 「あなた方と私たち霊団との愛の親密度が年と共に深まるにつれて、私は、ぞれがほかならぬ大霊の愛のたまものであると感謝していることを知っていただきたいと思います。

つまり大霊のお許しがあったればこそ、私はこうして地上の方々のために献身できるのであり、週にたった一度あなた方とお会いし、それも私の姿をお見せすることなく、ただこうして語る声としての存在を認識していただいているにすぎないにもかかわらず、

私を信じ、人生のすべてを委ねるまでに私を敬愛してくださる方々の愛を一身に受けることが出来るのも、大霊のお力があればこそだからです。

 そのあなた方からの愛と信頼を私はこの上なく誇りに思います。あなた方の心の中に湧き出る私への熱烈な情愛───私にはそれがひしひしと感じ取れます───を傷つけるようなことだけは絶対に口にすまい、絶対にするまい、といつも誓っております。
℘108
 私たちのそうした努力が大きな実りを生んでいることが私にはうれしいのです。私たちのささやかな仕事によって多くの同胞が真理の光を見出していることを知って、私はうれしいのです。真理が前進していること、そしてその先頭に立っているのが、ほかならぬ私たちであることがうれしいのです。

 絶え間なく仕掛けてきた大きな闘いにおいて、あなた方が堪忍不抜の心を失わず、挫折することがなかったことを、うれしくおもいます。

役割を忠実に果たされ、あなた方に託された大きな信頼を裏切ることがなかったことを、うれしく思います。私の使命があなた方の努力の中に反映して成就されていくのを、謙虚な眼で確かめているからこそ、私はあなた方のその献身をうれしく思うのです」


 このあと、いつもの慣例にしたがって、メンバーの一人ひとりに個人的なメッセージを送り、そのあとこう述べて別れを告げた。

 「さて、分かれを告げる重苦しい気持ちの中にも、再びお会いできる日を心待ちにしつつ、私は皆さんのもとを去ります。これより私は、気分一新のために霊的エネルギーの泉へと赴きます。

高遠の世界からのインスピレーションを求めにおもむきます。そこで生命力を充満させてから、再び、いっそうの献身と、神の無限の恩寵のいっそうの顕現のために、この地上へ戻ってまいります。

 あなた方の情愛、今ひしひしと感ずる私への餞別(ハナムケ)の気持ちを抱いて、私はこれより旅立ちます。そうして再び戻ってくるその日を楽しみにいたしております。どうか、常に希望と勇気を失わないでいただきたい。冬の雪は絶望をもたらしますが、再び春が巡ってくれば、大自然は装いを新たにしてほほえみみかけてくれます。

希望に夢をふくらませ、勇気を持って下さい。いかに暗い夜にも、必ず登りゆく太陽の到来を告げる夜明けが訪れるのです。

 では、これにてお別れします。神は常にあなた方を祝福し、その無限の愛をふんだんにもたらしてくださっております。神の愛があなた方すべての人の霊に行きわたり、日々の生活の中に誇らしく輝いております。

 これより地上の暗闇を後にして、高き世界の光明を迎えに参ります。そしてお別れに際しての私の言葉は、再び訪れる時の挨拶の言葉と同じです───大霊の祝福の多からんことを」
℘110
 こうして地上を去り、霊界での大集会に列席したあと、再び地上へ戻って来たシルバーバーチはこう述べた。


 「その会合において私は、かつての私の栄光の幾つかを再び味わってまいりました。地上世界の改善と進歩のために奮闘している同志たちによる会議に、私も参加を許されました。これまでの成果が細かく検討され、どこまで成功し、どの点において失敗しているかが明らかにされました。

そこで新たな計画が立て直され、これから先の仕事───地上人類の進化の現段階において必要な真理を普及させる上で、ぜひとも為さねばならない仕事のプログラムが組まれました。

 地上世界のために献身している大勢の人々───死によって博愛心を失うことのなかった人々ともお会いしました。そして、ちょっぴり私ごとを言わせていただけば───こんなことは滅多にないのですが───過去数カ月間において私が為し遂げたことに対して、お褒めの言葉を頂戴しました。

 もちろん私はお褒めにあずかる資格はないと思っております。私は単なる代弁者にすぎないからです。私を派遣した高級霊団のメッセージを代弁したにすぎず、それをあなた方が広めて下さったのです。

 ともあれ、こうして私たちの説く真理が、人生に迷っている人々、心は重く悲しみに満ち、目に涙を溜めた大勢の人々に、知識と慰めと励ましをもたらしていることはたしかです」

ベールの彼方の生活(四)

著者: G・V・オーエン(George Vale Owen)

近藤千雄 訳


六章 創造界の深奥 

1 人類の未来をのぞく    2 光沢のない王冠
神々による廟議 火星人  4 キリスト界
物質科学から霊的科学へ  6 下層界の浄化活動
人類の数をしのぐ天界の大軍
  地球浄化大作戦の理由  




1 人類の未来をのぞく 


   一九一九年二月十九日 水曜日

 今夜貴殿とともにいるのは、一年前に王冠状の大ホールにおける儀式についての通信を送っていた霊団の者です。ご記憶と思いますが、あの時は貴殿のエネルギーの消耗が激しかったために中止のやむなきに至りました。

このたび再度あの時のテーマを取り上げて、今ここでその続きを述べたいと思います。

キリストと神への讃仰のために最初に玉座に近づいたのは人類を担当する天使群でした。
すると玉座の背後から使者が進み出て、幾つもの部門に大別されたその大群へ向けて言葉をかけられた。


天使とはいえその部門ごとに霊的発達程度はさまざまで、おのずから上下の差がありました。その部門の一つひとつに順々に声をかけて、これから先の進化へ向けて指導と激励の言葉をお与えになられたのでした。

 以上が前回までの要約です。では儀式の次の段階に進みましょう。
 創造の主宰霊たるキリストが坐す玉座のまわりに一群の霧状の雲が出現しました。その中で無数の色彩がヨコ糸とタテ糸のように交錯している様子は見るからに美しい光景でした。

やがてその雲の、玉座のまうしろになる辺りから光輝が扇状に放射され、高くそして幅広く伸びていきます。主はその中央の下方に位置しておられます。

 その光は青と緑と琥珀色をしており、キリスト界の物的部門──地球や惑星や恒星をこれから構成していく基本成分から成る(天界の)現象界──から生産されるエネルギーが放散されているのでした。

 やがてその雲状のものが活発な動きを見せながら凝縮してマントの形態を整えたのを見ると、色彩の配置も美事な調和関係をみせたものになっておりました。

それが恍惚たる風情(ふぜい)の中に座する主宰霊キリストに掛けられ身体にまとわれると、それがまた一段と美しく映えるのでした。全体の色調は青です。

深く濃い青ですが、それでいて明るいのです。縁どりは黄金色、その内側がボーダー(内ベリ)となっていて、それが舗道に広がり、上がり段にまで垂れております。

ボーダーの部分がとくに幅が広く、金と銀と緑の色調をしており、さらに内側へ向けて深紅と琥珀の二本の太い筋が走っております。時おり永い間隔を置いてその青のマントの上に逆さまになった王冠(そのわけをあとでオーエン氏自身が尋ねる──訳者)に似たものが現れます。

冠の緑にパールの襟飾りが付いており、それが幾種類もの色彩を放っております。パールグレー(淡灰色)ではなくて──何と言えばよいのでしょうか。

内部からの輝きがキリストの頭部のあたりに漂っております。といって、それによってお顔が霞むことなく、後光となってお顔を浮き出させておりました。

その後光に照らされた全体像を遠くより眺めると、お顔そのものがその光の出る〝核〟のように見えるのでした。しかし実際はそうではありません。

そう見えたというまでのことです。頭部には王冠はなく、ただ白と赤の冠帯が付けられており、それが頭髪を両耳のうしろで留めております。前にお話した〝祈りの冠帯(ダイアデム)〟にどこか似ておりました。


──このたびは色彩を細かく説明なさっておられますが、それぞれにどんな意味があるのでしょうか。

 吾々の目に映った色彩はグループごとに実に美しく且つそれなりの意図のもとに配置されていたのですが、その意図を細かく説明することは不可能です。が、大体の意味を、それも貴殿に理解できる範囲で述べてみましょう。

 後光のように広がっていた光輝は物質界を象徴し、それを背景としてキリストの姿を明確に映し出し、その慈悲深い側面を浮き上がらせる意図がありました。頭部の冠帯は地上の人類ならびにすでに地上を去って霊界入りした人類の洗練浄化された精髄の象徴でした。


──赤色と白色をしていたとおっしゃいましたが、それにも意味があったのでしょうか。

 ありました。人類が強圧性と貪欲性と身勝手さの境涯から脱して、すべてが一体となって調和し融合して一つの無色の光としての存在となっていくことを赤から白への転換として象徴していたのです。

その光は完璧な白さをしていると同時に強烈な威力も秘めております。外部から見る者には冷ややかさと静けさをもった雪のような白さの帯として映じますが、

内部から見る者にはそれを構成している色調の一つひとつが識別され、その融和が生み出す輝きの中に温か味を感じ取ります。外側から見ると白い光は冷たく見えます。内側から見る者には愛と安らぎの輝きとして見えます。


──あなたもその内側へ入られたわけですか。

 いいえ、完全に内側まで入ったことはありません。その神殿のほんの入口のところまでです。それも、勇気を奮いおこし、意念を総結集して、ようやくそこまで近づけたのでした。しかもその時一回きりで、それもお許しを得た上でのことでした。

自分で神殿の扉を開けたのではありません。創造界のキリストに仕える大天使のお一人が開けてくださったのでした。

私の背後へまわって、私があまりの美しさに失神しないように配慮してくださったのです。すなわち私の片方の肩の上から手を伸ばしてその方のマントで私の身体をおおい、扉をほんの少しだけ押し開けて、少しの間その状態を保ってくださいました。

かくして私は、目をかざされ身体を包みかくされた状態の中でその内側の光輝を見、そして感じ取ったのでした。それだけでも私は、キリストがその創造エネルギーを行使しつくし計画の全てを完了なされた暁に人類がどうなるかを十分に悟り知ることができました。

すなわち今はそのお顔を吾々低級なる霊の方へお向けになっておられる。吾々の背後には地上人類が控えている。吾々はその地上人類の前衛です。が、

計画完了の暁にはお顔を反対の方向へ向けられ、無数の霊を従えて父の玉座へと向かわれ、そこで真の意味で全存在と一体となられる。その時には冠帯の赤は白と融合し、白も少しは温みを増していることでしょう。

 さて、貴殿の質問で私は話をそらせて冠帯について語ることになってしまいましたが、例の青のマントについては次のように述べておきましょう。

すなわち物質の精髄を背景としてキリストおよびマント、そして王座の姿かたちを浮き上がらせたこと。冠帯は現時点の地上人類とこれ以後の天界への向上の可能性とを融合せしめ、一方マントは全創造物が父より出でて外部へと進化する時に通過したキリストの身体をおおっていること。

そのマントの中に物質と有機体を動かし機能させ活力を賦与しているところの全エネルギーが融合している、といったところです。

その中には貴殿のご存知のものも幾つかあります。電気にエーテル。これは自動性はなくてもそれ自身のエネルギーを有しております。それから磁気。そして推進力に富んだ光線のエネルギー。

もっと高級なものもあります。それらすべてがキリストのマントの中で融合してお姿をおおいつつ、しかもお姿と玉座の輪郭を際立たせているのです。


──さかさまの王冠は何を意味しているのでしょうか。なぜさかさまになっているのでしょうか。

 キリストは王冠の代りに例の赤と白の冠帯を付けておられました。そのうち冠帯が白一色となりキリストの純粋無垢の白さの中に融合してしまった時には王冠をお付けになられることでしょう。

その時マントが上げられ広げられ天界へ向けて浮上し、こんどはそのマントが反転してキリストとその王座の背景として広がり、それまでの光輝による模様はもはや見られなくなることでしょう。

又その時すなわち最終的な完成の暁に今一度お立ちになって総点検された時には、頭上と周囲に無数の王冠が、さかさまではなく正しい形で見られることでしょう。

デザインはさまざまでしょう。が、それぞれの在るべき位置にあって、以後キリストがその救える勇敢なる大軍の先頭に立って率いて行く、その栄光への方向を指し示すことでしょう。                             アーネル  ±

                                        
訳者注──王冠がなぜさかさまについては答えられていないが、それがどうであれ、霊界の情景描写は次元が異なるので本来はまったく説明不可能のはずである。

アーネル霊も〝とても出来ない〟と再三ことわりつつも何とか描写しようとする。すると当然、地上的なものに擬(なぞら)えて地上的な言語で表現しなければならない。しかもオーエンがキリスト教の概念しか持ち合わせていないために、その擬えるものも用語も従来のキリスト教の色彩を帯びることになる。

 たとえば最後の部分で私が〝最終的な完成の暁〟とした部分は in that far Great Day となっていて、これを慣用的な訳語で表現すれば〝かの遠い未来の最後の審判日〟となるところである。が〝最後の審判日〟の真意が直訳的に誤解されている今日では、それをそのまま用いたのでは読者の混乱を招くので私なりの配慮をした。

マント、玉座等々についても地上のものと同じものを想像してはならないことは言うまでもないが、さりとて他に言い表しようがないので、そのまま用いた。


  
2 光沢のない王冠  

  一九一九年二月二十日  木曜日

 やがて青色のマトンが気化するごとくに大気の中へ融け入ってしまいました。見ると主は相変わらず玉座の中に座しておられましたが、装束が変わっていました。

両肩には同じ青色をしたケープ(外衣)を掛けておられ、それが両わきまで下り、その内側には黄金の長下着を付けておられるのが見えました。

座しておられるためにそれが膝の下まで垂れていました。それが黄金色の混った緑色の幅の広いベルトで締められており、縁どりはルビー色でした。

冠帯は相変わらず頭部に付いていましたが、その内側には一群の星がきらめいて、それが主のまわりにさまざまな色彩を漂わせておりました。

主は右手に光沢のない白い王冠を持っておられます。主のまわりにあるもので光沢のないものとしては、それが唯一のものでした。それだけに一層吾々の目につくのでした。

 やがて主が腰をお上げになり、その王冠をすぐ前のあがり段に置かれ、吾々の方へ向いてお立ちになりました。それから次のようなお言葉を述べられました。

 「そなたたちはたった今、私の王国の中をのぞかれ、これより先のことをご覧になられた。が、そなたたちのごとくその内部の美しさを見ることを得ぬ者もいることを忘れてはならぬ。かの飛地にいる者たちは私のことを朧(おぼ)ろげにしか思うことができぬ。

まだ十分に意識が目覚めていないからである。ラメルよ、この者たちにこの遠く離れた者たちの現在の身の上と来るべき宿命について聞かせてあげよ」


 すると、あがり段の両わきで静かに待機していた天使群の中のお一人が玉座のあがり段の一ばん下に立たれた。白装束をまとい、左肩から腰部へかけて銀のたすきを掛けておられました。

その方が主にうながされて語られたのですが、そのお声は一つの音声ではなく無数の和音(コード)でできているような響きがありました。

共鳴度が高く、まわりの空中に鳴り響き、上空高くあがって一つひとつの音がゴースの弦に触れて反響しているみたいでした。一つ又一つと空中の弦が音を響かせていき、やがて、あたかも無数のハーブがハーモニーを奏でるかの如くに、虚空全体が妙(たえ)なる震動に満ちるのでした。

 その震動の中にあって、この方のお言葉は少しも鮮明度が失われず、ますます調子を上げ、描写性が増し、その意味する事柄の本性との一体性を増し、ますます具体性と実質性に富み、あたかも無地のキャンパスに黒の絵の具で描きそれに色彩を加えるような感じでした。

したがってその言葉に生命がこもっており、ただの音声だけではありませんでした。

 こう語られたのです──

 「主の顕現がはるか彼方の栄光の境涯にのみ行われているかに思えたとて、それは一向にかまわぬこと。主は同時にここにも坐(ま)します。われらは主の子孫。主の生命の中に生きるものなればなり。

 われらがその光乏しき土地の者にとりて主がわれらに対するが如く懸け離れて見えたとて、それもかまわぬこと。彼らはわれらの同胞であり、われらも彼らの同胞なればなり。

 彼らが生命の在(あ)り処(か)を知らぬとて──それにより生きて、しかも道を見失ったとて、いささかもかまわぬこと。手探りでそれを求め、やっとその一かけらを手にする。しかし少なくともそのことにおいて彼らの努力は正しく、分からぬながらもわれらの方へ向けて両手を差しのべる。

 それでも暗闇の中で彼らは転び、あるいは脇道へと迷い込む。向上の道が妨げられる。その中にあって少しでも先の見える者は何も見えずに迷える者が再び戻ってくるのを待ち、ゆっくりとした足取りで、しかし一団となりて、共に進む。

 その道程がいかに長かろうと、それは一向にかまわぬこと。われらも彼らの到着を待ち、相互愛の中に大いなる祝福を得、互いに与え与えられつつ、手を取り合って向上しようぞ。

 途中にて躓(つまず)こうと、われらへ向けて歩を進める彼らを待たん。あくまでも待ち続けん。あるいはわれらがキリストがかの昔、栄光の装束を脱ぎ棄てられ、みすぼらしく粗末な衣服をまとわれて、迷える子羊を求めて降りられ、地上に慰めの真理をもたらされたごとくに、われらも下界へ赴きて彼らを手引きしようぞ。

 主をしてそうなさしめた力が最高界の力であったことは驚異なり。われらのこの宇宙よりさらに大なる規模の宇宙に舞う存在とて、謙虚なるその神の子に敬意を表し深く頭を垂れ給うた。

なんとなれば、すでに叡智に富める彼らですら、宇宙を創造させる力が愛に他ならぬこと──全宇宙が愛に満ち愛によりて構成されていることを改めて、また一だんと深く、思い知らされることになったゆえである。

 ゆえに、神がすべてを超越した存在であっても一向にかまわぬこと。われらにはその子キリストが坐(ま)しませばなり。

 われらよりはるかに下界に神の子羊がいても一向にかまわぬこと。キリストはその子羊のもとにも赴かれたるなり。

 彼らがたとえ手足は弱く視力はおぼろげであろうと一向にかまわぬ。キリストが彼らの力であり、道を大きく誤ることなく、あるいはまた完全に道を見失うことのなきよう、キリストが彼らの灯火(ランプ)となることであろう。

 また、たとえ今はわれらが有難くも知ることを得たより高き光明界の存在を彼らが知らずとも、いつの日かわれらと共によろこびを分かち、われらも彼らとよろこびを分かつ日が到来しよう──いつの日かきっと。

 が、はたしてわれらのうちの誰が、このたびの戦いのために差し向けられる力を背に、かの冠を引き受けるのであろう。自らの頭に置くことを申し出る者はどなたであろうか。それは光沢を欠き肩に重くのしかかることを覚悟せねばならぬが。

 信念強固にして一途なる者はここに立ち、その冠を受け取るがよい。
 今こそ光沢を欠くが、それは一向にかまわぬこと。いずれ大事業の完遂の暁には、内に秘められた光により燦然と輝くことであろう」

 語り終ると一場を沈黙が支配しました。ただ音楽のみが、いかにも自ら志願する者が出るまで終わるのを渋るが如くに、物欲しげに優しく吾々のまわりに漂い続けるのでした。

 その時です。誰一人として進み出てその大事業を買って出る者がいないとみて、キリスト自らが階段を下りてその冠を取り上げ、自らの頭に置かれたのです。

それは深く眉のすぐ上まで被さりました。それほど重いということを示しておりました。そうです、今もその冠はキリストの頭上にあります。しかし、かつて見られなかった光沢が少し見えはじめております。

 そこで主が吾々にこう述べられました──
 「さて友よ、そなたたちの中で私について来てくれる者はいるであろうか」
 その御声に吾々全員が跪(ひざまず)き、主の祝祷を受けたのでした。
     アーネル  ±  




3 神々による廟議(びょうぎ)      ♰

 一九一九年二月二十六日 水曜日

──その〝尊き大事業〟というのは何でしょうか。 (訳者注──前回の通信との間に一週間の空白があるのに、いかにもすぐ続いているような言い方をしているのは多分その前に前回の通信についての簡単なやり取りがあったか、それともオーエンがそのように書き改めたかのいずれかであろう)

 それについてこれから述べようと思っていたところです。貴殿も今夜は書き留めることができます。この話題はここ何世紀かの出来ごとを理解していただく上で大切な意味をもっております。

 まず注目していただきたいのは、その大事業は例の天使の塔で計画されたものではないということです。これまでお話した界層よりさらに高い境涯において幾世紀も前からもくろまれていたことでした。

いつの世紀においても、その頭初に神界において審議会が催されると聞いております。
まず過去が生み出す結果が計算されて披露されます。遠い過去のことは簡潔な図表の形で改めて披露され、比較的新しい世紀のことは詳しく披露されます。

前世紀までの二、三年のことは全項目が披露されます。それらがその時点で地上で進行中の出来事との関連性において検討されます。それから同族惑星の聴聞会を催し、さらに地球と同族惑星とをいっしょにした聴聞会を催します。

それから審議会が開かれ、来るべき世紀に適用された場合に他の天体の経綸に当たっている天使群の行動と調和するような行動計画に関する結論が下されます。悠揚せまらぬ雰囲気の中に行われるとのことです。


──〝同族惑星〟という用語について説明してください。

 これは発達の程度においても進化の方向においても地球によく似通った惑星のことです。つまり地球によく似た自由意志に基づく経路をたどり、知性と霊性において現段階の地球にきわめて近い段階に達している天体のことです。

空間距離において地球にひじょうに近接していると同時に、知的ならびに霊的性向においても近いということです。


──その天体の名前をいくつか挙げていただけますか。

 挙げようと思えば挙げられますが、やめておきます。誰でも知っていることを知ったかぶりをして・・・・・・などと言われるのはいやですから。

貴殿の精神の中にそれにピッタリの成句(フレーズ)が見えます──to play to the gallery (大向うを喜ばせる、俗受けをねらう)。もっともそれだけが理由ではありません。同じ太陽域の中にありながら人間の肉眼に映じない天体もあるからです。

それもその中に数えないといけません。さらには太陽域の一ばん端にあって事実上は他の恒星の引力作用を受けていながら、程度においては地球と同族になるものも、少ないながら、あります。それから、太陽域の中──


──太陽系のことですか。

 太陽系、そうです──その中にあってしかも成分が(肉眼に映じなくても)物質の範疇(はんちゅう)に入るものが二つあります。現在の地上の天文学ではまだ問題とされておりませんが、いずれ話題になるでしょう。しかしこんな予言はここでは関係ありません。

 そうした審査結果がふるいに掛けられてから、言わば地球号の次の航海のための海図が用意され、ともづなが解かれて外洋へと船出します。


──それらの審議会においてキリストはいかなる位置を占めておられるのでしょうか。

 それらではなくそのと単数形で書いてください。審議会はたった一つだけです。が会合は世紀ごとに催されます。出席者は絶対不同というわけではありませんが、変わるとしても二、三エオン(※)の間にわずかな変動があるだけです。

創造界の神格の高い天使ばかりです。その主宰霊がキリストというわけです。(※ EON 地質学的時代区分の最大の期間で、億単位で数える──訳者)


──王(キング)ですか。

 そう書いてはなりますまい。違います。その審議会が開かれる界層より下の界層においては王ですが、その審議会においては主宰霊です。これは私が得た知識から述べているにすぎません。実際に見たわけではなく、私および同じ界の仲間が上層界を通して得たものです。これでお分かりでしょうか。もっと話を進めましょうか。


──どうも有難うございました。私なりに分かったように思います。

 それは結構なことです。そう聞いてうれしく思います。それというのも、私はもとより、私より幾らか上の界層の者でも、その審議会の実際の様子は象徴的にしか理解されていないのです。私も同じ手法でそれを貴殿に伝え、貴殿はそれに満足しておられる。結構に思います。

 では先を続けさせていただきます。以上でお分かりのとおり、審議会の主宰霊たるキリストみずからが進んでその大事業を引き受けられたのです。

それは私と共にこの仕事に携わっている者たちの目から見れば、そうあってしかるべきことでした。すなわち、いかなる決断になるにせよ最後の責任を負うべき立場の者がみずから実践し目的を成就すべきであり、それをキリストがおやりになられたということです。

今日キリストはその任務を帯びて地上人類の真只中におられ、地球へ降下されたあと、すでにその半ばを成就されて、方向を上へ転じて父の古里へと向かわれています。

この程度のことで驚かれてはなりません。もっと細かいことをお話する予定でおります。
以上のことは雄牛に突きさした矢印と思ってください。抜き取らずにおきましょう。途中の多くの脇道にまぎれ込まずに無事ゴールへ導くための目印となるでしょう。

脇道にもいろいろと興味ぶかいことがあり、勉強にもなり美しくもあるのですが、今の吾々にはそれは関係ありません。私がお伝えしたいのは地球に関わる大事業のことです。他の天体への影響のことは脇へ置いて、地球のことに話題をしぼりましょう。

少なくとも地球を主体に話を進めましょう。ただ一つだけ例外があります。
  火星人 
貴殿は地球以外の天体について知りたがっておられる様子なので、そのうちの火星について述べておきましょう。最近この孤独な天体に多くの関心が寄せられて、科学者よりも一般市民の間で大変な関心の的となっております。そうですね?


──そうです。ま、そう言っても構わないでしょう。

 その原因は反射作用にあります。まず火星の住民の方から働きかけがあったのです。地球へ向けて厖大な思念を送り、地球人類がそれに反応を示した──という程度を超えて、もっと深い関係にあります。

そうした相互関係が生じる原因は地球人類と火星人類との近親関係にあります。天文学者の中には火星の住民のことを親しみを込めて火星人(マーシャン)と呼んでいる人がいますが、火星人がそれを聞いたら可笑しく思うかも知れません。

吾々もちょっぴり苦笑をさそわれそうな愉快さを覚えます。火星人を研究している者は知性の点で地球人よりはるかに進んでいるように言います。そうでしょう?


──そうです。おっしゃる通りです。そう言ってます。

 それは間違いです。火星人の方が地球人より進んでいる面もあります。しかし少なからぬ面において地球人より後れています。私も訪れてみたことがあるのです。

間違いありません。いずれ地上の科学もその点について正確に捉えることになるでしょう。その時はより誇りに思って然るべきでしょう。吾々がしばしば明言を控え余計なおしゃべりを慎むのはそのためです。同じ理由でここでも控えましょう。


──火星を訪れたことがあるとおっしゃいましたが・・・・・・

 火星圏の者も吾々のところへ来たり地球を訪れたりしております。こうしたことを吾々は効率よく行っております。私は例の塔においてキリストの霊団に志願した一人です。

他にもいくつかの霊団が編成され、その後もさらに追加されました。幾百万とも知れぬ大軍のすべてが各自の役目について特訓を受けた者ばかりです。

 その訓練に倣(なら)ってこんどはみずから組織した霊団を特訓します。各自に任務を与えます。

私にとっては地球以外の天体上の住民について、その現状と進歩の様子を知っておくことが任務の遂行上不可欠だったのです。大学を言うなれば次々と転校したのもそのためでした。とても勉強になりました。その一つが〝聖なる山〟の大聖堂であり、もう一つは〝五つの塔の大学〟であり、火星もその一つでした。


──あなたの任務は何だったのか、よろしかったら教えてください。

 〝何だったのか〟と過去形をお使いになられました。私の任務は現在までつながっております。今夜、ここで、こうして貴殿と共にそれに携わっております。その進展のためのご援助に対してお礼申し上げます。
                                    アーネル ±



 
4 キリスト界       

 一九一九年二月二十七日  木曜日

──これまでお述べになったことは全て第十一界で起きたことと理解しております。そうですね、アーネルさん?

 ザブディエル殿がお示しになった界層の数え方に従えばそうです。私には貴殿の質問なさりたいことの主旨が目に見えます。精神の中で半ば形を整えつつあります。取りあえずそれを処理してから私の用意した話に移ります。

 すでにお話したとおり、この大事業の構想は第十一界で生まれたのではなく、はるかに上層の高級界です。キリスト界についてはすでに読まれたでしょう。

そこが実在界なのですが、語る人によってさまざまに理解されております。そもそも界層というのは内情も境界も、地上の思想的慣習によって厳密に区分けすることは不可能なのです。しかし語るとなるとどうしても区分けし分類せざるを得ません。

吾々も貴殿の理解を助ける意味でそうしているわけですが、普遍的なものでないことだけは承知しておいてください。吾々も絶対的と思っているわけではありません。

表面的な言いまわしの裏にあるものに注目してくだされば、数々の通信にもある種の共通したものがあることを発見されることでしょう。

界は七つあって七番目がキリスト界だと言う人がいます。それはそれで結構です。ザブディエル殿と私は第十一界までの話をしました。これまでの吾々の区切り方でいけばキリスト界は七の倍に一を加えた数となるでしょう。つまりこういうことです。

吾々の二つの界が七界説の一界に相当するわけです。七界説の人も第七界をキリストのいる界とせずに、キリストが支配する界層の最高界をキリスト界とすべきであると考えます。

 吾々の数え方でいけば第十四界つまり七の倍の界が吾々第十一界の居住者にとって実感をもって感識できる最高の界です。

その界より上の界がどうなっているかについての情報を理解することができないのです。

そこで吾々は、キリストがその界における絶対的支配者である以上は、キリスト自身はそれよりもう一つ上の界の存在であらねばならないと考えるのです。その界のいずこにもキリストの存在しない場所は一かけらも無いのです。

ということは、もしもその界全体がキリストの霊の中に包まれているとするならば、キリストご自身はさらにその上にいらっしゃらねばならないことになります。

それで七界の倍に一界を加えるわけです。以上がこれまでに吾々が入手した情報に基づいて推理しうる限界です。そこで吾々はこう申し上げます。数字で言えばキリスト界は第十五界で、その中に下の十四界のすべてが包含される、と。

吾々に言えるのはそこまでで、その十五界がどうなっているのか、境界がどこにあるのかについても断言は控えます。よく分からないのです。

しかし限界がどこにあろうと──限界があるとした上での話ですが──それより下の界層を支配する者に霊力と権能とが授けられるのはその界からであることは間違いありません。そこが吾々の想像の限界です。そこから先は〝偉大なる未知〟の世界です。

ただ、あと一つだけ付け加えておきましょう。ここまで述べてもまだ用心を忘れていないと確信した上で申しましょう──私は知ったかぶりをしていい加減な憶測で申し上げないように常に用心しております。

 それはこういうことです。私がお話した神々による廟議と同じものが各世紀ごとに召集されているということです。その際、受け入れる用意のある者のために啓示がなされる時期についての神々の議決は、地球の記録簿の中に記されております。

かくして物的宇宙(コスモス)の創造計画もその廟議において作成されていたわけです。

                             アーネル±



 5 物質科学から霊的科学へ

  一九一九年二月二十八日  金曜日 

 人類が目覚めのおそい永い惰眠を貪(むさぼ)る広大な寝室から出て活発な活動の夜明けへと進み、未来において到達すべき遠い界層をはじめて見つめた時にも、やはり神々による廟議は開かれていたのでした。

その会議の出席者は多分、例のアトランティス大陸の消滅とそれよりずっと後の奮闘の時代──人類の潜在的偉大さの中から新たな要素がこれより先の進化の機構の中で発現していく産みの苦しみを見ていたことでしょう。

後者は同じ高き界層からの働きかけによって物質科学が発達したことです。人間はそれをもって人類が蓄積してきた叡智の最後を飾るものと考えました。

しかし、その程度の物的知識を掻き集めたくらいでおしまいになるものではありません。

大いなる進化は今なお続いているのです。目的成就の都市は地上にあるのではありません。はるか高遠の彼方にあるのです。

人間は今やっと谷を越え、その途中の小川で石ころを拾い集めてきたばかりです。こんどはそれを宝石細工人のもとへ持っていかねばなりません。そういう時期もいずれは到来します。細工人はそれを堂々たる王冠を飾るにふさわしい輝きと美しさにあふれたものに磨き上げてくれることでしょう。しかし細工人はその低き谷間にはいません。

いま人類が登りかけている坂道にもいません。光をいっぱいに受けた温い高地にいるのです。そこには王とその廷臣の住む宮殿があります。しかし王自身は無数の廷臣を引きつれて遥か下界へ降りられ、再び地上をお歩きになっている。ただし、この度はそのお姿は(地上の人間には)見えません。

吾々はそのあとについて歩み、こうした形で貴殿にメッセージを送り、王より命じられた仕事の成就に勤しんでいるところです。


──では、アーネルさん、キリストは今も地上にいらっしゃり、あなたをはじめ大勢の方たちはそのキリストの命令を受けていると理解してよろしいでしょうか。

 キリストからではないとしたら、ほかに誰から受けるのでしょう。今まさに進行中の大変な霊的勢力に目を向けて、判断を誤らぬようにしてください。

地上の科学は勝利に酔い痴れたものの、その後さらに飛躍してみれば、五感の世界だけの科学は根底より崩れ、物的尺度を超えた世界の科学へと突入してしまいました。皮肉にも物的科学万能主義がそこまで駆り立てたのです。

今やしるしと不思議(霊的現象のこと。ヨハネ4・48―訳者)がさまざまな形で語られ、かつてはひそひそ話の中で語られたものが熱弁をもって語られるようになりました。

周囲に目をやってごらんなさい。地上という大海の表面に吾々無数の霊が活発に活動しているその笑顔が映って見えることであろう。声こそ発しなくても確かに聞こえるであろう。姿こそ見えなくても、吾々の指先が水面にさざ波を立てているのが見えるであろう。

人間は吾々の存在が感じ取れないと言う。しかし吾々の存在は常に人間世界をおおい、人間のこしらえるパイ一つ一つに指を突っ込んでは悦に入っております。中のプラムをつまみ取るようなことはしません。

絶対にいたしません。むしろ吾々の味つけによって一段とおいしさを増しているはずです。

 あるとき鋳掛屋(いかけや)がポーチで食事をしたあと、しろめ製の皿をテーブルに置き忘れたまま家に入って寝た。暗くなって一匹の年取ったネコが現われてその皿に残っていた肉を食べた。それからネコはおいしい肉の臭いの残る皿にのって、そこを寝ぐらにしようとした。

しろめの硬さのために寝心地が悪く、皿の中でぐるぐると向きを変えているうちに、その毛で皿はそれまでになくピカピカに光り輝いた。

 翌朝、しろめの皿のことを思い出した鋳掛屋が飛び出してみると、朝日を受けてその皿が黄金のように輝いている。

 「はて、不思議なことがあるもの・・・・・・」彼はつぶやいた。「肉は消えているのに皿は残っている。肉が消えたということは〝盗っ人〟のしわざということになるが、皿が残っていて、その上ピカピカに光っているところをみると、そいつは〝良き友〟に違いない。

しかし待てよ。そうだ。たぶんこういうことだろう──肉は自分が食べてしまっていたんだ。そして星のことかなんか、高尚なことを考えながら一ぱいやっているうちに、自分のジャーキン(皮製の短い上着)で磨いていたんだ」


──この寓話の中のネコがあなたというわけですね?

 そのネコの毛一本ということです。ほんの一本にすぎず、それ以上のものではありません。
アーネル  ±

 訳者注──この寓話の部分はなぜか文法上にも構文上にも乱れが見られ細かい部分が読み取れないので、大体のあらすじの訳に留めておいた。要するに人類は各分野での進歩・発展を誇るが、肝心なことは霊の世界からのインスピレーションによって知らないうちに指導され援助されているということであろう。






6 下層界の浄化活動    

 一九一九年三月三日  月曜日

 大事業への参加を求められたあと私が最初に手がけたのは下層界の浄化活動でした。太古においては下層の三界(※)が地球と密接に関係しており、また指導もしておりました。その逆も言えます。すなわち地球のもつ影響力を下層界が摂り入れていったことも事実です。

これは当然のことです。なぜなら、そこの住民は地球からの渡来者であり、地球に近い界ほど直接的な影響力を受けていたわけです。(※いわゆる〝四界説〟に従えば、〝幽界〟に相当すると考えてよいであろう──訳者)


 死の港から上陸すると、ご承知のとおり、指導霊に手引きされて人生についてより明確な視野をもつように指導されます。そうすることによって地上時代の誤った考えが正され、新しい光が受け入れられ吸収されていきます。

しかしこの問題で貴殿にぜひ心に留めておいていただきたいのは、地上生活にせよ天界の生活にせよ、強圧的な規制によって縛ることは決してないということです。

自由意志の原則は神聖にして犯すべからざるものであり、間断なく、そして普遍的に作用しております。実はこの要素、この絶対的な要素が存在していることによる一つの結果として、霊界入りした者の浄化の過程において、それに携わる者にもいつしかある程度の誤った認識が蔓延するようになったのです。

霊界へ持ち込まれる誤った考えの大半は変質の過程をへて有益で価値ある要素に転換されていましたが、全部とはいきませんでした。

論理を寄せ付けず、あらゆる束縛を拒否するその自由意志の原理が、地上的な気まぐれな粒子の下層界への侵入を許し、それが大気中に漂うようになったのです。永い年月のうちにそれが蓄積しました。

それは深刻な割合にまでは増えませんでした。そしてそのまま自然の成り行きにまかせてもよい程度のものでした。が、その当時においては、それはまずいことだったのです。その理由はこうです。

 当時の人類の発達の流れは下流へ、外部へ、物質へ、と向かっていました。それが神の意志でした。

すなわち神はご自身を物的形態の中に細かく顕現していくことを意図されたのです。ところがその方向が下へ向かっていたために勢いが加速され、地上から侵入してくる誤謬の要素が、それを受け入れ変質させていく霊的要素をしのぐほどになったのです。

そこで吾々が地上へ下降していくためには下層界を浄化する必要が生じました。地上への働きかけをさらに強化するための準備としてそれを行ったのです。


──なぜ〝さらに強化する〟のですか。

 地球はそれらの界層からの働きかけを常に受けているのですが、それはその働きかけを強めるために行なった───つまり、輪をうまく転がして谷をぶじに下りきり、こんどは峰へ向けて勢いよく上昇させるに足るだけの弾みをつけることが目的でした。それはうまく行き、今その上昇過程が勢いよく始まっております。

 結局吾々には樽の中のワインにゼラチン状の化合物の膜が果たすような役割を果たしたのです。知識欲にあふれ、一瞬の油断もなくがっちりと手を取り合った雲なす大軍がゆっくりと下降していくと、そうした不純な要素をことごとく圧倒して、地球へ向けて追い返しました。

それが過去幾代にもわたって続けられたのです(この場合の〝代〟は三分の一世紀──訳者)。間断なくそして刃向かう者なしの吾々の働きによって遠き天界と地上との間隔が縮まるにつれて、その不純要素が濃縮されていきました。

そしてそれが次第に地球を濃霧のごとく包みました。圧縮されていくその成分は場所を求めて狂乱状態となって押し合うのでした。

 騒乱状態は吾々の軍勢がさらに地球圏へ接近するにつれて一段と激しくそして大きく広がり、次第に地上生活の中に混入し、ついにはエーテルの壁を突き破って激流のごとく侵入し、人間世界の組織の一部となっていきました。

 見上げれば、その長期にわたって上昇し続けていた霧状の不純要素をきれいに取り除かれた天界が、その分だけ一段と明るさを増し美しくなっているのが分かりました。

 下へ目をやればその取り除かれた不純なる霧が──いかがでしょう、この問題をまだ続ける必要がありましょうか。地上の人間でも見る目をもつ者ならば、吾々の働きかけが過去二、三世紀の間にとくに顕著になっているのを見て取ることができるでしょう。

今日もし当時の変動の中に吾々の働きを見抜けないという人がいれば、それはよほど血のめぐりの悪い人でしょう。

 実はその恐ろしい勢力が大気層──地上の科学用語を拝借します──を突き破って侵入した時、吾々もまたすぐそのあとについてなだれ込んだのでした。そして今こうして地上という最前線にいたり、ついに占領したという次第です。

 しかし、ああ、その戦いの長くかつ凄まじかったことといったらありませんでした。そうです。長く、そして凄まじく、時として恐ろしくさえありました。しかし人類の男性をよき戦友として、吾々は首尾よく勝利を得ました──女性もよき戦友であり、吾々はその気概を見て、よろこびの中にも驚嘆の念を禁じ得ませんでした。

そうでした。そうでした。地上の人類も大いに苦しい思いをされました。それだけにいっそう人類のことを愛(いとお)しく思うのです。しかし忘れないでいただきたい。

その戦いにおいて吾々が敵に深い痛手を負わせたからには、味方の方も少なからず、そして決して軽くない痛手を受けたのです。人類とともに吾々も大いなる苦しみを味わったということです。

そして人類の苦しむ姿を近くで目のあたりにするにつけ、吾々がともに苦しんだことをむしろ嬉しく思ったのです。吾々が地上の人々を助けたということが吾々のためにもなったということです。人類の窮状を見たことが吾々のために大いに役立ったのです。


──(第一次)世界大戦のことを言っておられるのですか。

 そのクライマックスとしての大戦についてです。すでに述べた通り、吾々の戦いは過去何代にもわたって続けられ、次第にその勢いを募らせておりました。そのために多くの人が尊い犠牲となり、さまざまな局面が展開しました。

今そのすべてを細かく述べれば恐らく貴殿はそんなことまで・・・・・・と意外に思われることでしょう。少しだけ挙げれば、宗教的ならびに神学的分野、芸術分野、政治的ならびに民主主義の分野、科学の分野──戦争は過去一千年の間に大変な勢いで蔓延し、ほとんど全てのエネルギーを奪い取ってしまいました。

 しかし吾々は勝利を収めました。そして今や太陽をいっぱいに受けた峰へ向けて天界の道を揃って歩んでおります。かの谷間は眼下に暗く横たわっております。

そこで吾々は杖をしっかりと手にして、顔を峰へ向けます。するとその遠い峰から微(かす)かな光が射し、それが戦争の傷跡も生々しい手足に当たると、その傷が花輪となって吾々の胸を飾り、腕輪となって手首を飾り、破れ汚れた衣服が美しい透かし細工のレースとなります。

何となれば吾々の傷は名誉の負傷であり、衣服がその武勲を物語っているからです。そして吾々の共通の偉大なるキャプテンが、その戦いの何たるかを理解し傷の何たるかもむろん理解しておられる、キリストにほかならないのです。

 では私より祝福を。今夜の私はいささかの悲しみの情も感じませんが、私にとってその戦いはまだ沈黙の記憶とはなっておりません。

私の内部には今なお天界の鬨(かちどき)の声が上がることがあり、また当時の戦いを思い出して吾々の為にしたこと、またそれ以上に、吾々が目にしたこと、そして地上の人々のために流した涙のことを思い起こすと、思わず手を握りしめることすらあるのです。

もちろん吾々とて涙を流したのです。一度ならず流しました。何度も流しました。と言うのも、吾々には陣頭に立って指揮されるキリストのお姿が鮮明に見えても、人間の粗末な視力は霧が重くかかり、たとえ見えても、ほんの薄ぼんやりとしか見えませんでした。それがかえって吾々の哀れみの情を誘ったのでした。

 しかしながら、自然にあふれ出る涙を通して、貴殿らの天晴れな戦いぶりを驚きと少なからぬ畏敬の念をもって眺めたものでした。よくぞ戦われました。

美事な戦いぶりでした。吾々は驚きのあまり立ちつくし、互いにこう言い合ったものでした──吾々と同じく地上の人たちも同じ王、同じキャプテンの兵士だったのだと。

そこですべての得心がいき、なおも涙を流しつつ喜び、それからキリストの方へ目をやりました。キリストは雄々しく指揮しておられました。そのお姿に吾々は貴殿らに代って讃仰の祈りを捧げたのでした。 
                               アーネル ±

                                            地上浄化大作戦の理由

7 人類の数をしのぐ天界の大軍  

  一九一九年三月五日 水曜日

 これまでお話したことは天界の大事業について私が知り得たかぎり、そして私自身が体験したかぎりを叙述したものです。それを大ざっぱに申し上げたまでで、細かい点は申し上げておりません。

そこで私はこれより、吾々が地上へ向かって前進しそして到着するまでの途中でこの目で見た事柄をいくつかお伝えしようと思います。が、その前に申し上げておきたいことがあります。それは──

 作戦活動としての吾々の下降は休みなく続けられ、またそれには抗し難い勢いがありました。一度も休まず、また前進への抵抗が止んだことも一度もありませんでした。

吾々霊団の団結が崩されたことも一度もありませんでした。下層界からのいかなる勢力も吾々の布陣を突破することはできませんでした。しかし個々の団員においては必ずしも確固不動とはいえませんでした。

地上の概念に従って地上の言語で表現すれば、隊員の中には救助の必要のある者も時おり出ました。救出されるとしばし本来の住処で休息すべく上層界へと運ぶか、それとも天界の自由な境涯においてもっと気楽で激しさの少ない探検に従事することになります。

 それというのも、この度の大事業は地球だけに向けられたものではなく、地上に関係したことが占める度合は全体としてはきわめて小さいものでした。

吾々が参加した作戦計画の全体ですら、物的宇宙の遠い片隅の小さな一点にすぎませんでした。大切なのは(そうした物的規模ではなく)霊的意義だったのです。

すでに申し上げたとおり地上の情勢は地球よりかなり遠く離れた界層にも影響を及ぼしておりましたが、その勢いも次第に衰えはじめており、たとえその影響を感じても、一体それは何なのか、どこから来るのか分からずに困惑する者もいたほどです。

しかし他の惑星の住民はその原因を察知し、地球を困った存在と考えておりました。たしかに彼らは地球人類より霊的には進化しています。

ですから、この度の問題をもしも吾々のようにかって地上に生活して地上の事情に通じている者が処理せずにいたら、恐らくそれらの惑星の者が手がけていたことでしょう。

霊的交信の技術を自在に使いこなすまでに進化している彼らはすでに審議会においてその問題を議題にしておりました。彼らの動機はきわめて純粋であり霊的に高度なものです。

しかし、手段は彼らが独自に考え出すものであり、それは多分、地球人類が理解できる性質のものではなかったでしょう。そのまま適用したら恐らく手荒らにすぎて、神も仏もあるものかといった観念を地球人に抱かせ、今こそ飛躍を必要とする時期に二世紀ばかり後戻りさせることになっていたでしょう。

過去二千年ばかりの間に地上人類を導き、今日なお導いている人々の苦難に心を痛められる時は、ぜひそのこともお考えになってください。

 しかし、彼らもやがて、その問題をキリストみずからが引き受けられたとの情報がもたらされました。すると即座に彼らから、及ばずながらご援助いたしましょうとの申し出がありました。

キリストはそれを受け入れられ、言うなれば予備軍として使用することになりました。彼ら固有のエネルギーが霊力の流れにのって送られてきて吾々のエネルギーが補強されました。それで吾々は大いに威力を増し、その分だけ戦いが短くて済んだのでした。

 これより細かいお話をしていく上においては、ぜひそうした事情を念頭においてください。これからの話は、過去の出来ごとの原因の観点から歴史を理解する上で参考になることでしょう。

将来人間はもっと裏側から歴史を研究するようになり、地上の進歩の途上におけるさまざまな表面上の出来ごとを、これまでとはもっと分かり易い形でつなぎ合わせることができるようになるでしょう。

 人間が吾々霊的存在とその働きかけを軽く見くびっているのが不思議でなりません。と言うのは、人類は地球上に広く分布して生活しており、その大半はまだ無人のままです。全体からいうとまだまだきわめて少数です。それに引きかえ吾々は地球の全域を取り囲み、さらに吾々の背後には天界の上層界にまで幾重にも大軍が控えております。

それは大変な数であり、またその一人ひとりが地上のいかなる威力の持ち主よりも強烈な威力を秘めているのです。

 ああ、いずれ黎明の光が訪れれば人類も吾々の存在に気づき、天界の光明と光輝を見出すことでしょう。そうなれば地球も虚空という名の草原をひとり運行(たび)する佗しさを味わわなくてすむでしょう。

あたりを見渡せば妖精が楽しげに戯れていることを知り、もはや孤独なる存在ではなく、甦れる無数の他界者と一体であり、彼らは遥か彼方の天体上──夜空に見えるものもあれば地上からは見えないものもありますが──の生活者と結びつけてくれていることを知るでしょう。

しかしそれは低き岸辺の船を外洋へと押し出し、天界へ向けて大いなる飛躍をするまでは望めないことでしょう。
  アーネル ±

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion
スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳




五章  霊力の働き

 スピリチュアリズム的な霊的原理を理解した者は、健全な意味で楽天的人生をもつようになるのであるが、どんなに悟ったつもりでいる人でも、人生の荒波に疲れ果てる時期が必ず訪れるものだ。思わぬ災難が重なる・・・・・・腹の煮えかえるかのような不快な思いをさせられる・・・・・・

 が、そうした耐えがたい苦難の体験もそれぞれに意義を持っており、長い視野で眺めれば、ごく些細な出来事にすぎないものらしい。

 シルバーバーチの教えも楽天主義を基調としており、またその必要性を強調する。ある日の交霊会でも、スピリチュアリズムがキリスト教を始めとする数々の既得権力による反抗にもかかわらず、振り返って見ると大きな前進を勝ち得ていることを強調してこう述べた。

 「私たちの仕事が始まった当初、世間の人は、何とたわいもないことをして・・・・・・と軽蔑の眼差しを向けたものでした。〝テーブルラッパー〟(※)そう呼んで軽蔑し嘲笑しました」
℘90
 ※───初期の頃はテーブルの叩音(ラップ)による通信が盛んにおこなわれた。出席者がテーブルを囲んで両手をテーブルの上において瞑目していると、蓄積したエネルギーを利用して霊団側がそのテーブルを浮上させ、少し傾斜させて脚の一本で床を叩いて、一定の符牒で通信を送ってくる。極めて幼稚な通信法で、したがって高等な内容のものは送ってこないが、心霊実験の中では簡単に行えてしかも危険性の少ない現象である───訳者


 しかし実はそうした現象も大きな目的を持った一大計画に組み込まれていたのです。私たちの意図した影響力は次第に強くなり、世界中に広がっていきました。各分野で名声を得ている名士を次々とその影響下に誘っていきました。

偏見によって目隠しをされ、理性が迷信によって曇らされている者は別として、やはり著名人の証言は一般の人から尊重されるという考えから、そういう手段を選んだのです。

 その後もますます多くの人材が、同じ影響下に置かれていきました。霊媒も増えました。サークル活動が広まり盛んになりました。科学・医学・思想・宗教その他、ありとあらゆる分野の人をこれに参加させ、当時すでに猛威をふるっていた誤った物質万能主義を否定する現象、新しい高度な生命観を思考する霊的事実、

唯物思想の終焉を予告する眼に見えない力の存在へ目を向けさせました。ほどなくして───実に短期間のうちに───そのテーブルラッパーたちは、宗教を腐敗から守る運動の旗手となっていったのです。

 わずか百年足らずの間にどれだけ多くのことが成就されたか───それをこうした経過の中から読み取って、それを教訓として、それ以後どれだけのことが成就できるか、そこに皆さんの先見の明を働かせて下さい。

 私たちが今まさに欲しているのは、もっと多くの道具───背後から導き鼓舞している霊の力に満腔の信頼を置いてくれる人材です。霊的実在を悟り、それは他の同胞のために使用してくれる人、真理を生活の灯として持ち歩いてくれる人です。

 私たちが望んでいるのは、まずそうした霊的真理のメッセンジャー自らが日常生活においてそれを実践し、その誠実さと公明正大さに貫かれた生活を通して、見る人の目に、なるほど神のメッセンジャーであることを認識させることです。

それから今度は積極的に世に出て、社会生活のすべての面にそれを応用していってほしいのです。
℘92
 つまり、まずみずからが身を修め、それから他人のために自分を役たてる仕事に着手するということです。これまでも、あなた方が想像なさる以上に多くの仕事が成就されてまいりましたが、これから先さらに成就されていく可能性に較べればそれは物の数ではありません。

 世の中を見回して、あなた方の努力のしるしを読み取ってごらんなさい。古くて使い物にならない教義やドグマの崩壊が見て取れるはずです。誤った信仰の上に築かれた構築物が、いたるところで崩壊しつつあります。

 私たちの説く霊的真理(スピリチュアリズム)は、心霊学という知識を土台として築かれております。その土台はいかなる嵐にもビクともしません。なぜなら、それは事実を───霊的事実を───土台としているからです。

 あなた方が建造の一役を担ったその殿堂は、あなたがたが地上を去って物質界に感応しなくなったのちも、あなた方の奮闘努力の記念碑として、末永くその勇姿をとどめることでしょう」

 同じテーマについて別の交霊会で───

 「真理は前進し、暗黒と無知と迷信と混迷を生み出す勢力は後退します。霊力はますます勢いをつけ、これまで難攻不落と思われていた分野にまで浸透しながら凱旋し続けます。それが、私たちが繰り返し宣言しているメッセージです。

 皆さんは今まさに、地上に新しい存在の秩序を招来するために貢献しておられるのです。ゆっくりとではありますが、変革が生じつつあります。新しいものが旧いものととって代る時、数々の変動が生じるのは避けられません。それも神の計画のうちに組み込まれているのです。

 常に基本的な霊的真理を忘れぬように、と私は申し上げております。常にそれを念頭に置き、その上に宗教感・科学感・哲学感・倫理感・道徳観を打ち立てて下さい。口を開くと大言壮語をする御仁に惑わされてはなりません。

 私たちの説く真理は至って単純であるがゆえに、誰にでも分かり、誰にでも価値を見出すことができます。神の子としての人間のあるがままの姿を何の虚飾もなしに説いているからです。

 すなわち神の分霊を宿し、その意味において真実〝神の子〟であり、永遠にして不変の霊的な絆によって結ばれているという意味において真実〝同胞〟であり、人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であるということです。

℘94
 霊の目を持って見る者は、民族・国家・気候・肌の色・宗教の別を超えて見つめ、全人類を一つにつなぐ霊の絆を見て取ります。地上世界は今こそ、そうした単純な真理を見直す必要があります。余りに永い間教義とドグマ、祭礼と儀式といった宗教の本質、ないしは生命の大霊とは何の関係もないのに躓(つまず)いてきました。

 私は、魂をより意義ある生活へ誘ってくれるものでないかぎり、教義とか信条、ドグマといったものには関心がありません。日常の行い以外のものには関心を向けません。根本的に重要なのは、日常生活の生き方だからです。

いかなる教義も、いかなるドグマも、いかなる儀式も、原因と結果の法則を一寸たりとも変えることはできません。霊性を一分たりとも増すことも減らすことも出来ません。それは日常生活によってのみ決定づけられるものだからです。

私たちが忠誠を捧げるのは、宇宙の大霊すなわち神と、永遠不変の摂理であって教義でもなく、書物でもなく、教会でもありません。

  霊の力がこうした形で地上に顕現するようになったことを喜んでください。真理を普及するための新しい人材が次々と霊力の支配下に導かれて行きつつあることに着目して下さい。新しい通信網ができたことに着目してください。

人類の進歩を妨げてきた既得権力が崩され、障害が取り除かれていきつつあることに目を向けてください。

私たちは刀剣や銃を手にせずに愛と寛容心と慈悲と奉仕の精神を持って闘っている大軍の一翼を担っております。私たちの武器は真理と理性です。そして目指すのは、人間として当然受け取るべきものを手に出来ずにいる人々の生活に、豊かさと美しさをもたらしてあげることです。

神とその子等の間に立ちはだかろうとする者には、いかなる地位にあろうと、いかなる人物であろうと、容赦は致しません。地上に神の王国を築くためには、地上のいずこであろうと赴く決意はけっして揺らぎません。

これまでも数々の虚言・中傷・敵意・迫害にあってまいりました。しかし勇気ある心の持ち主、断固たる決意を秘めた魂が闘ってくれたお陰で、こうして霊の力が地上に顕現することができたのです。

今も、新しい世界の前哨地に、多くの勇士が歩哨に立ってくれております。ですから私は、みなさんに、元気をお出しなさい、と申し上げるのです。心に迷いを生じてはなりません。

変転極まりない世の中の背後にある神の計画を読み取り、あなた方もその新しい世界の建設の一翼を担っていることを自覚して下さい。真理は絶え間なく前進しているのです。
℘96
意気消沈した人、悲しげにしている人たちに、元気を出すように言ってあげてください。先駆者たちの努力のたまものを、これから獲り入れるのです。そしてそれが、明日を担う子供たちにより大きな自由、より大きな解放をもたらすための地ならしでもあるのです。

不安は無知という暗闇から生まれます。勇気は自信から生まれます。すなわち、自分は神であるとの真理に目覚めた魂は、いかなる人生の嵐を持ってしても挫かせることはできないという自信です。

私がお教えしているのは、ごく単純な真理です。しかし単純ではあっても、大切この上ない真理です。地上人類が自らの力で自らを救い、内在する神性を発揮するようになるためには、そうした単純な霊的真理を日常生活において実践する以外にはないからです。

皆さんはその貴重な霊的な宝を手にされていること、それが全ての霧とモヤを払い、悟りの光によって暗闇を突き破ることを可能にしてくれることを知ったからには、自信を持って生きて下さい。

しかし同時に、知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊的真理を無視した生き方をする人は、知らないために霊的摂理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります。

℘97    
その知識を賢明に、そして有効に生かして下さい。一人でも多くの人がその知識を手にすることができるように、そしてそれによって魂が鼓舞され、心が開かれる機縁となるように配慮してあげてください。

私たちの方でも、一人でも多くの人の涙を拭い、心の痛みを癒し、燦然たる霊的真意を見えなくしている目隠しを取り除いてあげる為の態勢を整えているのです。

言いかえれば、親である神を子等に近づかせ、子等を神に近づかせ、人生の奥義に関わる摂理を実践に移させようと、心を砕いているのです。そうすることによって利己主義が影をひそめ、生命の充足感を地上に生きる人の全てが味わえることになるでしょう」


 ここでメンバーの一人が、こうした霊的真理の普及を既成宗教の発端と同列に並べようとする意見を述べたのに対して、シルバーバーチはこう説いた。

 「私たちはこれまで、確かに成功を収めてまいりました。しかし、そうしたスピリチュアリズムの発展を他の宗教と同列に並べて考えてはいけないことを銘記してください。

私たちにとってスピリチュアリズムは、宇宙の自然法則そのものなのです。これを体系化して幾つかの信条とすべきものではありません。」


キリスト教の発生とて、当初は自然法則の一つの顕現でした。ユダヤ教もそうですし、仏教もそうです。そのほか地上に誕生した宗教のすべてが最初はそうでした。

それぞれの創始者が霊覚によって、その時代の民衆の成長・発展・進化・慣習・鍛錬・理解力などの程度にふさわしいビジョン、インスピレーション、悟りを手にしました。

それがさらに、受けいれる用意のある者に受け継がれていきました。それは全体の一部であったとはいえ、真理であることには間違いありませんでした。ところが残念なことに、そのささやかな真理が人間的不純物の下に埋もれてしまいした。

真理の持つ純粋な美しさを留めておくことができなかったのです。周りに世俗的な信仰や神学的なドグマ、宗教的慣習、伝承的習俗などが付加されて、玉石混交の状態となってしまいました。やがて神性が完全に息の根を止められてしまいした。そして新たにそれを蘇生させる必要性が生じたのです。


 過去の宗教はすべて───例外なしに───今日こうして届けられつつあるものと同じ啓示の一部であり、ひとかけらなのです。一つの真理の側面に過ぎないのです。それらを比較して、どちらがどうということは言えません。届けられた時の事情がそれぞれに異なるのです。

 たとえば今日の世の中ですと、昔では考えられなかった通信手段が発達しております。伝達し合うことに、あなた方は何の不自由も感じません。何秒とかからずに、お互いがつながり、メッセージを送り、地球を一周することができます。

 唯一これまでの啓示と異なるところは、入念な計画にしたがって組織的な努力が始められたということです。それが地上の年代でいえば、十九世紀半ばのことでした。

今度こそは何としてでも霊的知識を地上に根づかせ、いかなる勢力を持ってしても妨げることのできない態勢にしようということになったのです。

 その計画は予定通りに進行中です。その事は霊的知識が世界各地で盛んに口にされるようになってきていることでもお分かりでしょう。霊力は霊媒さえいれば、そこがどこであろうとお構いなく流入し、新しい前哨地が設立されます。


 ご承知のように、私は常づね、一人でも多くの霊能者が排出することの必要性を強調しております。霊界からの知識・教訓・愛・慰め・導きが地上に届けられるためには、ぜひとも霊的中継者が必要なのです。

一人の霊媒の排出は物質万能思想を葬る棺に打ち込まれるクギの一本を意味します。神とその霊的真理の勝利を意味するのです。

 霊媒の存在が重要である理由はそこにあります。両界をつなぐ媒体だからです。

 知識の光と叡智の世界から私に届けられるものを、こうした形で皆さんにお伝えすることを可能にしてくれる、このバーバネルという霊媒を見出したことを嬉しく思うのも、そこに理由があります」

Wednesday, September 9, 2026

古代霊 シルバーバーチ不滅の真理

Silver Birch Companion
スピリチュアリズム珠玉の名編
Edited by Tony Ortzen  近藤千雄訳



四章  霊媒とは何か


 バイブルには霊的能力に関する言葉がいろいろと出ている。特にコリント前書のパウロの言葉は有名である。十二章の冒頭から抜粋すると───

 ≪霊的能力についてよく知ってほしい。
 能力はいろいろあっても、すべては同じ霊力の顕現したものである。
 それは森羅万象が一つの神の御業であると同じである。
 一人ひとりが他の人を益するために、霊力を賜っている。
 ある者は叡智を賜り、ある者は知識を賜っている。
 ある者には信仰の力が与えられ、ある者には病気治療の力が与えられている。
 ある者には奇跡を起こす力が、ある者には予知能力が、そして又、ある者には霊を見分ける眼力が与えられている。
 言語能力に優れている者もいるし、翻訳する能力に長けている者もいる。
 が、いずれも霊力の働きなのである≫

℘74
 ある日の交霊会で霊媒が果たしている役割が話題となった。そのきっかけは、シルバーバーチが霊媒のバーバネルがトランス状態から昏睡状態へ移りそうなので、コントロールがしにくくなったと述べたことにある。

そして「そうなると私にとってはまずいのです」と言ったので、サークルのメンバーの一人が「なぜですか」と尋ねた。すると───

 「私はこの霊媒の身体を調節している機能の全体をコントロールしなければならないのです」


───霊媒が眠ってしまうとコントロールできないのですか。

 「できません。身体を操るには潜在意識を使用しなければならないのですが、眠ってしまうと潜在意識が活動を停止します」


───でも、どっちにせよ、霊媒はその身体から出るのではないでしょうか。

 「いえ、霊媒自身が身体の中にいるか外にいるかの問題ではありません。潜在意識とその機能の問題であり、それは、中でもなく外でもありません」


───私は、霊媒はわきへ押しやられていると思っていました・・・・・・

 「それはそうなのですが、一時的に身体から離れているというだけのことです。それは霊媒みずから進んで身を任せている状態で、潜在意識まで引っ込めてしまうものではありません。そうなると睡眠状態になってしまいます。

 霊媒現象はすべて霊界と地上界との意識的な協力関係で行われます。無意識のうちに潜在能力が一時的に使用されるケースがないわけではありませんが、支配霊と霊媒という関係で本格的な霊的交信の仕事をするとなると、

その関係は意識的なものでなければなりません。つまり霊媒現象に関係するあらゆる機構に、霊媒が進んで参加することが必要となります」


───睡眠中の霊媒が使用されて通信が届けられたケースがあったように思いますが・・・・・・


℘76
 「そういうことがあったかも知れませんが、それは通常のプロセスが逆転した状態です」

───その場合、睡眠中のそういう形で使用されることを、霊媒自身も同意していたということが考えられますか。

 「それは考えられます。ただ、ご承知のように、私たちは霊媒の望みはよほどつまらないものでないかぎりは敬意を払い、しかるべき処置をとります。しかし、言うまでもなくこの身体は私たちの所有物ではありません。モーリス・バーバネルのものです。

こうして私たちが少しの間お借りすることを許してくれれば結構なことであり、有難いことですが、その許可もなしに勝手に使用することは道義に反します。

その身体を通して働くさまざまな霊的エネルギーに対して霊媒と私たちの双方が敬意を払った上で、気持ちよく明け渡すというのが正しい在り方です」

℘77
───その潜在意識がどのように使用されるかについて聞かれて───

 「そのことに関して、ずいぶん誤解があるようです。精神にはさまざまな機能があります。人間というのは、自我意識を表現している存在といってよろしい。意識がすべてです。

意識そのものが〝個〟としての存在であり〝個〟としての存在とは意識のことです。意識のあるところには必ず〝個としての霊〟が存在し、〝個としての霊〟が存在するところには必ず意識が存在します。

 しかし、この物質界においては、自我のすべてを意識することはできません。なぜなら───あなた方に分かり易い言い方をすれば───自我を表現しようとしている肉体(脳)よりも、本来の自我の方がはるかに大きいからです。小は大を兼ねることができません。弱小なるものは強大なるものを収容することができないのが道理です(※)。

 ※───物質という形あるものに包まれた生活に慣れ切っている人間には、意識とか自我といった、形のないものを想像することはできない。したがって〝大きい〟とか〝小さい〟とかの形容で説明ずるのは適当ではないのであるが、地上の人間にはそれ以外に説明のしようがない。

それは、太陽は昇ったり沈んだりしているわけではないのに、やはり〝東から昇り西に沈む〟という表現しかできないのと同じであろう。それでシルバーバーチは〝あなた方に分り易い言い方をすれば〟と断ったわけで、実際は、自我とか意識は、脳を通じての思考では絶対に理解できない存在である───訳者。

 ℘78   
 人間は地上生活を通じて、その大きな自我のホンの一部しか表現していません。大きい自我は、死んでこちらへ来てから自覚するようになります。

といって死後ただちに全部を意識するようになるのではありません。やはりこちらでの生活で、それなりの身体を通して、霊的進化とともに少しずつ意識を広げていくことになります。

 意識的生活のディレクターであり、個的生活の管理人である精神は、肉体的機能のすべてを意識的に操作しているわけではありません。

日常生活において必要な機能の多くは、自動的であり機械的です。筋肉・紳径・細胞・繊維等がいったん意識的指令を受け、更に連係的に働くことを覚えたら、その後の繰り返し作業は潜在意識に委託されます。

 たとえば物を食べる時、皆さんは無意識のうちに口を開けています。それは、アゴが動く前に、それに関連した神経やエネルギーの相互作用があったことを意味します。

すなわち、精神の媒体である脳から神経的刺激が送られ、それから口を開け、物を入れ、そして噛むという一連の操作が行われています。すべてが自動的に行われます。一口ごとに意識的にやっているわけではありません。無意識のうちにやっております。

潜在意識がやってくれているのです。赤ん坊の時は、その一つ一つを意識的にやりながら記憶して行かねばなりませんでした。しかし、今は、いちいち考えずに、純粋に機械的にやっております。

 このように、皆さんの身体機能、そして、かなりの程度まで精神的機能も、大部分が潜在意識に委託されている事がお分かりになるでしょう。潜在意識というのは言わば顕在意識の地下領域に相当します。たとえば皆さんが本を読んでいる途中で、これはどういうことだろうと自問すると、即座に答えがひらめくことがあります。

それは潜在意識がふだんから顕在意識の思考パターンを知っているので、それに沿って答えを出すからです。誰かの話を聞いている時でも同じです。〝あなたはどう思われますか〟と不意に聞かれても、即座に潜在意識が返事を用意してくれます。

 ところが、日常的体験の枠から外れた問題に直面すると、潜在意識が体験したことも解決したこともないことですので、そこに新たな意識的操作が必要となります。新しい回線が必要となるわけです。

 しかし、そうした例外ともいうべきオリジナルな思考───という言い方が適当かどうかは別として───を必要とする場合を除いて、人間の日常生活の大部分は、潜在意識によって営まれております。

潜在意識は倉庫の管理人のようなものです。あらゆる記憶を管理し、生きるための操作の大半をコントロールしています。その意味で人間の最も大切な部分ということができます。

 その原理から霊媒現象を考えれば、これは、それまで身体機能を通して表現してきた自分とは別の知的存在が代って操作する現象ですから、顕在意識の命令に従って機能することに慣れている潜在意識を操作する方がラクであるにきまっています。

命令を受けることに慣れているわけです。仕事を割り当てられ、それを、よほどのことがない限り中断することなく実行することに慣れております。

 霊媒現象のほとんど全部に霊媒の潜在意識が使用されております。その中に霊媒の人物の本当の姿があるからです。倉庫ともいうべき潜在意識の中に、その人物のあらゆる側面がしまい込まれているのです。

こうした現象において支配霊が絶対に避けなければならないことは、支配霊の仕方が一方的すぎて、霊媒がふだんの生活で行っている顕在意識と潜在意識の自動的連係操作が、いつものパターンどおりにいかなくなってしまうことです。その連係パターンこそが、この種の現象のいちばん大切な基盤となっているからです」

℘81
───霊媒自身が潜在意識をおとなしくさせる必要があるということでしょうか。

 「そうではありません。支配霊の個性と霊媒の個性とが完全に調和し、その調和状態の中で支配霊自身の思念を働かさなければなりません。他方、支配霊は、ちょうどタイプライターのキーを押すと文字が打たれるような具合に、

霊媒の潜在意識の連係パターンをマスターして、他の知的存在の指令にもすぐさま反応するように仕向けなければなりません。それが支配霊として要求される訓練です。先ほど述べたことを絶対に避けるための訓練といってもよろしい。

 これで皆さんも得心していただけることと思いますが、霊媒現象は霊媒という生きた人間を扱う仕事であり、霊媒には霊媒として考えがあり、偏見があり、好き嫌いがありますから、今も述べたように〝支配する〟といっても、ある程度はそうした特徴によって影響されることは免れません。

 霊媒を完全に抹殺することはできません。どの程度までそうした影響が除去できるかは、支配霊がどの程度まで霊媒との融合に成功するかに掛っています。もし仮に百%融合できたとしたら、霊媒の潜在意識による影響はゼロということになるでしょう。

 霊媒を抹殺するのではありません。それはできません。融合するのです。霊媒現象の発達とは、それを言うのです。円座(サークル)の形をとっていただくのはそのためです。

列席者から出るエネルギーが、その融合を促進する上で利用されるのです。調和が何より大切ですと申し上げるのはそのためです。

 出席者の中に不協和音があると、それが霊媒と支配霊との融和を妨げるのです。交霊会の進行中は、絶え間なく精神的エネルギーが作用しています。お見せすることはできませんが、出席者の想念、思念、意思、欲求、願望のすべてが、通信に何らかの影響を及ぼしています。

支配霊が熟練しているほど、経験が豊富であるほど、それだけ霊媒との調和の程度が高く、それだけ潜在意識による着色が少なくなります」


───そうすると、霊媒はなるべく支配霊と似通った願望や性格の持ち主がよいということになりませんか。
℘83
 「一概にそうとも言い切れません。これは異論の多い問題の一つでして私たちの世界でも意見の相違があります。忘れないでいただきたいのは、私たちスピリットも人間的存在であり、地上との霊的交信の方法について、必ずしもすべての点で意見が一致しているわけではないということです。

 たとえば、無学文盲の霊媒の方が潜在意識による邪魔が少ないから、成功率が高いと主張する者がいます。それに対して、いや、その無知であること自体が障害となる───それが一種の壁をこしらえるので、それを突き崩さねばならなくなるのだ、と反論する者がいます。

安もの楽器よりも名匠の作になる楽器の方が良い音楽を生むのと同じで、霊媒も教養が高いほどよい───良い道具ほど良い通信を受けやすいのだと主張するわけです。私はこの意見の方が正しいと思います」


───なぜ、教養の有る無しが問題とされるのでしょうか。人格の問題もあるのではないでしょうか。

 「私は今、トランス状態での通信の話をしているのです。人間性の問題は又別の要素の絡んだ問題です。今は、霊言が送られる過程を述べているのです。通信のメカニズムといってもよいでしょう。
℘84 
 分かりやすい譬えで言いますと、バイオリ二ストにとっては名器のストラディバリウスの方が、安ものよりも弾きやすいでしょう。楽器の質の良さが、良い演奏を生むからです。安ものでは、折角の腕が発揮できません。

 霊媒の人間性の問題ですが、これは霊言の場合ですとその通信内容に、物的現象の場合ですと現象そのものに、その影響が出ます。物理霊媒の場合、霊格が低いほど───程度の問題として述べているだけです───たとえばエクトプラズムの質が落ちます。物質的にでなく霊的観点から見てです。

 霊側と霊媒とをつなぐ霊力の質は、霊媒の人間性が決定づけるのです。たとえば地上ならさしずめ〝聖者〟とでもいえる高級霊が、人間性の低い霊媒を通して出ようとしても、その霊格の差のために出られません。接点が得られないからです」


───物理現象においても霊媒の潜在意識が影響を及ぼすように思えるのですが、その点についてご説明願えませんか。

 「交霊会のカギを握っているのは霊媒です。霊媒は電話機のようなものではありません。電信柱ではありません。モールス信号のキーではありません。生きた機械です。その生命体のもつ資質のすべてが通信に影響を及ぼします。

 だから良いのです。もしも霊界と地上との交信のための純粋の通信機が出来たら───そう言うものは作れませんが───それによって得られる通信は、美しさと荘厳さが失われるでしょう。

 いかなる交霊会においても、カギを握るのは霊媒です。霊媒なしでは交霊会はできません。霊媒の全資質が使用されるのです。たとえばメガホン一本が浮遊するのも、物質化像が出現するのも、その源は霊媒にあります。そして霊媒の持つ資質が何らかの形でその成果に現れます」


───霊が憑ってくると霊媒の脈拍が変化するにはなぜでしょうか。その脈拍は霊の脈拍なのでしょうか。

 「霊が霊媒を支配している時は、霊媒の潜在意識を使用しています。すると当然、霊媒の本質的な機能、つまり心臓、脈拍、体温、血液の循環などを支配することになります。トランス状態に入ると呼吸が変化するのはそのためです。
℘86
 一時的なことです。ですが、一時的にせよ、その間は支配霊は物質界と接触して、自分の個性を物質的身体を通して再現しているわけです。

たとえば私は今、元アメリカ・インディアンの霊的身体を使用しております(※)。そのインディアンが霊媒の潜在意識を支配していますから、その間の脈拍は、そのインディアンの身体の脈拍です。このような形で行う方が一から始めるよりも手間が省けます」

※───通信の始原であるシルバーバーチと名のる霊は、ほぼ三千年前に地上生活を送ったことがあるということ以外は、民族も国家も地位も明かしていないが、その三千年前の体験の知識と霊的進化によって、その霊格から出る波動は、すでに地上的波動と直接の接触ができなくなっている。そこで地上でインディアンだった霊の身体を変圧器として通信を送っている。インディアンは霊界の霊媒である───訳者


───では、バーバネルの今の脈拍は三十分前とは違うわけですか?

 「違います」

 別のメンバーが、ある霊媒に少年の霊が憑って来た時に、ガラッと様子が一変した話をして、そういう場合は誰かが操作するのか、それとも自動的にそうなるものかを訊ねると───

 「自然にそうなるのです」


───支配霊が操作をするわけではないのですね?

 「その必要はありません。霊媒の潜在意識はそうした事態にすぐに対応できるのです。子供が乗り移ると、自動的にその子供のバイブレーションをキャッチして、脈拍と心臓がそれに応じた打ち方をするのです」


─── いう対応ができるようになるのは支配霊の力量ですか、それとも霊媒自身の能力ですか。

 「両者の連帯関係の進歩です。私の場合、バーバネルの脈拍を正常、異常のどちらにも変えることができます」


 これを聞いてもう一人のメンバーが、ある実験会で支配霊が、霊媒の左右の腕の一方の脈拍を止め、他方を打たせ続けたことがある話をした。するとシルバーバーチが───

 「それは可能です。あなたもできるのです。ヨガの修行僧は全身の神経中枢を自在にコントロールすることができます。すべては精神統一(集中力)と鍛錬に掛っております」