Thursday, July 10, 2025

シアトルの夏 神はときには荒れ狂う嵐のごとく

 The teachings of Silver Birch 

A guide to spiritual evolution through spiritualism

シルバーバーチの霊訓
スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ


夏・白樺の林のイラスト素材 [123323875] - PIXTA


数年前に愛する妻に先立たれ、その妻が死後も生き続けている証拠を求めてきた英国の下院議員が、ある日の交霊会に招かれてシルバーバーチと長時間にわたる意義ある対話をもつことができた。

その議員は動物への虐待行為を中止させる運動に大きな貢献をしている人で、シルバーバーチから引き続き頑張るようにとの励ましを受けて、魂の高まりを覚えながら会場をあとにしたのだった。

まずシルバーバーチから語りかけた。


「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいませんね」

「でも、その洞察力はどうすれば得られるのでしょうか」


「もとより容易なことではありません。たとえば、こうした霊言や自動書記などの手段によって通信霊が自分はかくかくしかじかの霊であると述べた場合、それだけで直観的にその通りか否かを得心できるようでなければいけません。あなたもそう努力なさって来られました。もちろん、わたしたちとしては物質界の人間が要求する証拠性の基準に合わせる必要があることは認めます。が、それにも限界がありますから、これまであなたがなさってきたように、与えられたものを真剣な批判的態度で判断し検討しなければいけません。偏見を混じえずに心の扉を開き、理不尽な懐疑的態度さえ取らなければ、わたしたちとの連絡はラクになります」

「私が欲しくてならないのは、この地上を去った人たちが今も間違いなく生き続けていて、地上の人間とつながりをもち、現実に影響を及ぼしていることを立証してくれるものです。それを得るにはどうしたらいいのでしょうか」


「そのためには、わたしが使用しているこの霊媒よりも立派で、あなたの求めているような万全の証拠が提供できる波長に感応する霊媒を見出すしかないでしょう。ただし、そういう証拠を求めているのはあなたの魂ではありません。頭の中でそう思ってあがいていらっしゃるだけです」(※)


※――この一節には大切なことが含まれている。人間側からすれば、その霊が地上で誰であったかを立証する具体的な証拠くらい簡単に出せそうに思えるが、実際には具体的なことになるほど地上臭が強くなり、それだけ波長が低くなるので、それが受けられる霊媒は程度が低いことになる。ということは低級霊が感応しやすいという危険性があり、うまくハメられやすいことにもなる。“感激の対面”をして親子が抱き合って涙を流すその裏側では、イタズラ霊がしてやったりと、ほくそえんでいることが多い。シルバーバーチはそのことを露骨に言わず、いかにもシルバーバーチらしく、ちょっぴり皮肉も込めて述べている。

最後の一文はさらに大切なことを教えている。人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――わかるのである。霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思いうかべる人が多いが、最高の霊的能力はその直観力である。

「では、その魂がもっと意識できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか」


「それは霊的開発の問題です。より精妙な波長が意識できるように、霊的次元にチャンネルを合わせる方法を会得することです」

「チャンネルを合わせるにはどうしたらよろしいのでしょうか」


「地上世界が活気にあふれている時にこちらの世界は静まり返っていることがあり、そちらが静まり返っている時にこちらでは活気にあふれていることがあるものです。ですから、精神活動を止めて静寂の世界へ入り、受身になってみられることです。じっと待っていると魂が活動を開始するのがわかるようになります」

「特殊な考えが浮かんだ時、それが自分の考えなのか霊界から送られてきたものかを見分けるにはどうしたらよいでしょうか」


「そうしたことはすべて、精神をいかにコントロールするかに係わる問題です。精神があてどもなくフラフラしている状態から、意識的にきちんと支配下において、完全な静寂の中で高度な波長がキャッチできるようになることです。直観がひらめくのはそういう時です。波長が高く、速く、そして微妙だからです。地上的な思念はのろくて、不活発で、重々しく感じられます」

「地上で最高といえるほどの魂にも同じことが言えるのでしょうか」


「言えます。すべての魂に当てはまります。よくお考えください。人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。

神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり、神がすべてなのです。ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、またある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。すべては各自の発達程度の問題です。

あなたの場合も魂の内奥の神性がうごめき、奥さんの死という悲しみの体験が触媒となって一段とその顕現の度合を増しつつあります。他界後の奥さんのことを求め続けられているのもそのためです。今夜こうしてこの交霊会に出席されたのもそのためです。これからのちも真理を求め続けられることでしょう。なぜなら、今やあなたは霊的真理への正道を歩んでいらっしゃるからです」

「ということは、発達の第一歩は願望を抱くことから始まるとおっしゃるのでしょうか」


「そうです。まず謙虚に、真摯に、そして敬虔な気持ちで知ろうとすることから始まり、今度は、そうして得た知識を自分の信念の確立のためだけでなく、他人のために役立てようという決意が出てこないといけません。

あなたはその願望をお持ちであり、これまでそう努力なさってこられました。そして、あなたが気力を無くしかけ、闘う意欲を失いかけ、いっそのこと第一線から引退して美術でも楽しむ生活を始めようかと思われた時などに、背後霊が懸命にあなたを鼓舞してまいりました。が、結局はあなたの魂の奥の神性がじっとしておれず、霊界からのインスピレーションにも鼓舞されて、恵まれない人たちのための闘いを続ける決意を新たにしてこられたのです」

このあとシルバーバーチはその下院議員の背後霊団について述べてから、さらに言葉を継いで――


「背後霊団のことを申し上げたのは、あなたもこちらの世界からの愛の保護下にあることを知っていただきたかったからです。人のためと思って努力している人々はみな霊界からの愛とエネルギーに取り囲まれていることを自覚し、仕事においてどれほど励まされ、勇気づけられ、感動させられ、そして支援されているかを知れば、いっそうの熱誠と情熱と集中力とをもって闘いに挑んでくださることと思うのです。人のために為された努力が無駄に終わったことは一度もありません。たとえ本来味方であるべきだった者から誤解され曲解され嘲笑され、あるいはこの人だけはと思って信頼していた人から裏切られることがあっても、あなたの奉仕の仕事は生き続けます」

「そのためのアドバイスをいただけたらと思うのですが……」


「あなたには細かいアドバイスはいりません。あなたはご自分で自覚しておられる以上に大きな仕事をなさっておられます。すでに立派に人のために役立つことをなさっている方から“私に何かお役に立つことがあるでしょうか”と聞かれると、わたしの心はうれしさでいっぱいになります。なぜなら、それは立派に人のためになることをしていながら、さらに大きな貢献をしたいと思っておられることの証拠だからです。

これまで同様に弱き者、無力なものを助け、力が不足している人に力を貸し、暗闇にいる人に光明をもたらし、足の不自由な人、あるいは何かの苦しみを抱えている人に救いの手を差しのべてあげてください。残虐行為――とくに魂が怯(おび)えるような残酷な行為、つまり人類の最大の友であるべき動物への虐待行為を止めさせるために闘ってください」

そう述べたあとシルバーバーチは、指導霊として霊界から地上での人間活動に影響力を行使することの難しさを次のように説明した。


「指導霊は自分の意図するところを物質界に感応させねばなりません。それが容易なことではないのです。なぜかと言いますと、ご存知のとおり物質界から放散されている波長は、およそ感心できる性質のものではないからです。現在の地上界は、光のあるべきところに闇があり、知識のあるべきところに無知があり、叡智のあるべきところに無分別があり、豊かさのあるべきところに欠乏があり、幸福のあるべきところに悲劇があり、優しさのあるべきところに残酷があり、愛があるべきところに憎しみがあります。霊がその威力を届けるための通路である霊的能力者はいたって少数です。しかし、その数は着実に増えつつあり、潮流はわれわれに有利な方向へ進みつつあります。

ところで、あなたの魂が目を覚ましたのは悲しい体験のお蔭だったのですよ」

「あの悲劇もある目的のためにもたらされたとおっしゃるのでしょうか」


「大きな悟りは大きな悲しみから生まれるものです。人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。大霊は生命活動の全側面に宿っております。闇があるから光の有り難さがわかるのです。争いがあるから平和の有り難さがわかるのです。人生は比較対照の中で営まれています。魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです」

「では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか」


「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。魂は永遠の存在であり、それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたはあなた自身がこしらえた――一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一カ月ごとに、一年ごとに築いてきたことになるのです。自我の成長は自分で達成するのです。そして、行う行為の総決算があなたの現在の進化の程度を決めるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです」

「意図的行為と無意識の反射的行為とは別のものでしょうか」


「反射的に行われたからといって、そこに因果律が働く余裕がなかったということはありません。その行為そのものが、因果律の存在を厳然と示しています。あなたの行為は現在のあなたという人格全体から生み出されるのです」

「その現在の人格は各自がこの地上で行ってきた行為の総決算だとおっしゃるのでしょうか」


「その通りです。これまでに行ってきたことの結果が今のあなたであり、今のあなたが行うことが未来のあなたをこしらえるのです。因果律は一瞬の途切れもなく、しかも完璧に働いています。完全にでき上がっていますから誤るということがありません。人間界では国家が定めた法律をごまかすことができますが、大自然の摂理をごまかすことはできません。なぜなら、魂にはそれまでの行為の結果が永久的に刻み込まれており、その有りのままの姿があなたであり、それと違うものに見せかけようとしても通用しません」

「間違ったことをした時は必ずそれに気づくものでしょうか」


「そうとは限りません。良心の声が聞こえない人がいますし、心が頑(かたくな)になっている人がいますし、魂が悪想念に取り巻かれて大霊の生命力の通路が塞がれている人がいます。人間は必ずしも自分の間違いに気づいているとはかぎりません。もし気づいているのなら、地上に戦争は起きないでしょうし、残酷な行為も見られないでしょうし、飢餓に苦しむ人もいないはずです。これほど多くの病気はないでしょうし、一方に飢えている人がいるというのに食べ放題のぜいたくをするということもしないはずです」

「それを改めるにはどうすればよいのでしょうか」


「あなたやわたし、ここに集える者と霊団の者全員が利己的な物質中心思想が生み出す不平等を撃破して、代わって大霊の恩寵をすべての子等に行きわたらせ、病気やスラム街、不健全なものや貧困、そのほか人間の魂と身体とを拘束するものすべてを何としてもこの地上から駆逐しようと固く決意することです。それらはみな間違ったことだからです。各自に内在する神性を自覚させ、人間として為すべきことは何であるかを、この地上を去る前に自覚させてあげないといけないのです」

ゲストの下院議員は多くのスピリチュアリストと同じように、動物愛護運動に深く係わっていた人である。そこで本章の締めくくりとして、かつてシルバーバーチが改革運動に係わった人々への霊界からの働きかけについて語ったものを紹介しておこう。


「わたしが説いていることは、過去のあらゆる時代に人類のために精励したすべての改革者、すべての聖人、すべての予言者、理想主義に燃えたすべての人々の先見の明がとらえた気高い崇高な考えと、まったく同じものです。

彼らはその霊格の高さゆえに霊眼をもって地上生活のあるべき本来の姿を垣間みることができ、その美しい未来像が、逆境と闘争の中にあって心の支えとなってきたのでした。彼らには、いつの日かきっと実現される霊的計画がわかっていたのです。そこで同胞である物質界の子等にとって、今のうちに少しでも霊性を高めることになる仕事に貢献したのです。奉仕です。

彼らは、皮肉にも、その奉仕的精神から正しい人の道を説いてあげた当の相手から貶(けな)され、抵抗にあい、嘲笑の的とされましたが、彼らの仕事は立派に生き続けました。それは今日世界中の無数の国において、この交霊会のようなささやかな集いの場において行われていることが引き継がれていくのと同じです。それにたずさわった人々は次々と忘れ去られていくでしょうけど……。

大霊の強大な勢力が今ふたたび地球という物質の世界へ向けられているのです。地上のいかなる勢力をもってしても、その強大な潮流を遮ることはできません。

地上の人間は流血によって問題が解決するかに考えるようですが、かつて流血によって問題が解決された例(ためし)はありません。無益であり、何の解決にもなっていません。

人間はなぜ神から授かった理性が使えないのでしょうか。なぜ唯一の解決法が一人でも多くの敵を殺すことだと考えるのでしょうか。いちばん多くの敵を殺した者が英雄とされる――地上というところは不思議な世界です」

祈り


ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたを永遠の生命のあらゆる現象の背後に働く無限の法則として説き明かさんとしております。古き時代にはあなたは歪められた眼鏡を通して見られておりました。嫉妬に狂う神、腹を立てる神、好戦的な神と思われたこともございました。

しかし、わたしたちは無限なる霊、あらゆる生命現象を通じて息づき、あらゆる自然法則の働きとしてご自身をお示しになっている存在として説き明かさんとしております。無限の叡智と理解力、愛と真理の大霊――弱き者、悩める者、挫折せる者を鼓舞することに精励する人々の生きざまを通じて顕現している大いなる霊として説くのでございます。

ああ、大霊よ。

あなたはたった一冊の書物の中にいらっしゃるのではありません。たった一つの教会(チャーチ)、たった一つの寺院(モスク)、たった一つの神殿(テンプル)、たった一つの礼拝堂(シナゴーグ)の中にいらっしゃるのでもありません。物質界の子等の有限なる理解力によって規定することも制約することも圧縮することもできない、広大無辺の霊でいらっしゃいます。

とは申せ、あなたは断じて子等とは無縁の遠き存在ではございません。まさに子等の内奥にましますのです。あなたの分霊(わけみたま)としてでございます。その分霊を通じてあなたはご自身を顕現なさらんとしておられるのでございます。子等の奉仕的生活を通じてあなたのご意志が発揮され、あなたの摂理が理解され、かくしてあなたの造化の大業の目的と同胞とのつながり、そしてあなたとのつながりについて子等が理解を深めるのでございます。

その理解の深まりとともに地上世界に新たなる光明、新たなる希望がもたらされます。平和が行きわたり、闘争がなくなります。利己主義が消え、悲しみが喜びに置き換えられ、生きるための必需品に事欠いていた人たちが真実の地上天国に生きることになるのでございます。

それがわたしたちが説き明かさんとしている大霊でございます。そのあなたの摂理を子等に教えんとしているのでございます。それを理解することによってこそ子等は俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない生き方ができるのでございます。自らの力で束縛を解き放すことができるのでこざいます。奴隷のごとき卑屈な生き方を止め、膝を折ってあなたに媚びへつらうことなく、あなたからの生得の遺産を主張する――すなわちあなたのご意志を日常生活の中で発揮していく権利を堂々と主張できるのでございます。

Wednesday, July 9, 2025

シアトルの夏 死ぬことは悲劇ではありません

 The teachings of Silver Birch 

A guide to spiritual evolution through spiritualism

シルバーバーチの霊訓
スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ


夏・白樺の林のイラスト素材 [123338996] - PIXTA


 人間は、この世にあっていつかは“死”の現実に直面せざるを得ない。それは、愛する人であるかも知れないし、親友であるかも知れない。近所の人であるかも知れないし、同僚や知人であるかも知れない。


中には、気の毒にもそれが身も心も打ち砕くほどの悲劇的体験となる人もいる。そしてその悲しみの淵から抜け出るのに何カ月も、時には何年もかかることがある。

その観点からすると、人間が例外なく“死”を超えて生き続けるという事実について確固たる証拠に基づく信仰と内的確信をもつスピリチュアリストは、何と恵まれていることであろう。

シルバーバーチは語る――



「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。

“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。

地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」

ある日の交霊会でシルバーバーチは、その日の出席者に睡眠中のことに言及して、人間は地上にいる時からしばしば霊界を訪れている話をして――


「そうでないと、いよいよこちらへ来て本当の意味での“生きる活動”を開始すべき霊にとって、霊界の環境がショックを与えることになりかねないのです」

「では、私たちが死んでそちらへ行くと、地上で睡眠中に訪れた時の体験をみな思い出すのでしょうか」


「もちろんです。なぜかと言えば、その時点であなたは肉体の制約から解放されて、睡眠中にほぐされていた霊的意識を発揮できるようになっているからです。その新たな自我の表現活動の中で睡眠中の全記憶、睡眠中の全体験の記憶が甦ってきます」

では、死後下層界へ赴かざるを得なくなった霊の場合はどうなるか、という質問が出された。つまり、そういう人もやはり地上時代の睡眠中の体験――たぶんやはり下層界での体験――を思い出し、それが下層界へ行ってからの反省にプラスになるのかという問いである。シルバーバーチが答える。


「死後下層界へ引かれていく人は睡眠中の訪問先もやはり下層界ですが、そこでの体験は死後の身の上の反省材料とはなりません。なぜなら、死後に置かれる環境はあい変わらず物質界とよく似ているからです。死後の世界は下層界ほど地上とよく似ております。波長が同じように物的だからです。高い界層になるほど波長が精妙になってまいります」

「地上にいる間でも睡眠中の体験を思い出すものでしょうか」――時おりおぼろげながらそれらしきものを思い出すという列席者が尋ねた。


「あなたの霊がその身体から離れると、脳という地上生活のための意識の中枢から解放されます。するとあなたの意識はこちらの世界の波長――といっても進化の程度による個人差がありますが――での体験をするようになり、体験している間はそれを意識しております。

が、朝その身体にもどり、その霊的体験を思い出そうとしても、思い出せません。なぜかと言えば、霊による意識の方が脳による意識より大きいからです。小は大を収容することができず、そこに歪みが生じるのです。それは例えば小さな袋にたくさんの物をぎゅうぎゅう詰めにするようなものです。ある程度までは入っても、それ以上のものを無理して入れようとすると形が歪んでしまいます。それと同じことが肉体にもどった時に生じているのです。

しかし、魂が進化してある一定以上のレベルの霊的意識が芽生えた人は、霊界での体験を意識できます。そうなると脳にもそれを意識するように訓練することができます。

実はわたしはここにおいでの皆さん全員に霊界でお会いしており、地上にもどったらこのことを思い出してくださいよ、とお願いしているのですが、どうも思い出していただけないようですね。お一人お一人と語り合い、またいろんな場所へご案内してあげているのですよ。ですが、たとえ今は思い出せなくても、何一つ無駄にはなりません」

「その体験の記憶が死後に役立つということでしょうか」


「その通りです。何一つ無駄にはなりません。摂理はうまくできているものです。霊界へ来て永い永い体験を積んだわたしたちは、摂理の完璧さにただただ感嘆するばかりなのです。地上でのホンのわずかな体験で宇宙の大霊にケチをつける人間を見ていると、情けなくなります。知らない人間ほど自分を顕示したがるものです」

続いて出された質問は、そうした睡眠中の体験はただ単に死後への準備なのか、それとも為すべき仕事があってそれに従事しに行く人もいるのか、というものだった。

シルバーバーチが答える――


「仕事をしに来る人もいます。睡眠状態において背後霊団の仕事にとって役立つ人がいるのです。(たとえば暗黒界へ降りて幽体で霊媒の役をすることがある)しかし、ふつうは死後への準備です。物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちらへ連れて行かれているのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。

そういうわけで、あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。

霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。ハイハイしながらの行動しかできません。睡眠中に訪れた時の記憶は一応思い出すのですが、それがちょうど夢を思い出すのと同じように、おぼろげなのです。

良い心がけが無駄に終わることは、地上においてもこちらの世界においても、絶対にありません。そのことを常に念頭に置いておいてください。真心から出た思念、行為、人のためという願いは、いつか、どこかで、だれかの役に立ちます。そうした願いのあるところには必ず霊界から援助の手が差し向けられるからです。

地上は今やまったくの暗闇におおわれています。迷信と間違いと無知のモヤが立ちこめております。大霊の意志が届けられる道具はごくわずかしかいません。予言者の声は荒野に呼ばわる声のごとく、だれも聞いてくれる人がいません。洞察力に富む彼らの開かれた未来像はかき消され、聖なる道具(霊媒)は追い出され、聖職者の悪知恵と既得の権力が生ける神の声と取って代わってしまいました。

物質万能主義がその高慢な頭をもたげ、霊的真理をことごとく否定しました。その説くところは実に意気軒昂でしたが、それがもたらした結果は無益な流血・悲劇・怨恨・倦怠・心の病・絶望・惨めさ・混沌・混乱を伴った世界規模の大惨事でしかありませんでした。

しかし、大霊の声をいつまでも押し黙らせておくことはできません。霊的真理が今ふたたび宣戦を布告しました。その目的とするところは狂える世界に正気を取りもどさせることです」

その目的をさらに説明して――


「わたしたちは惨めさと取り越し苦労と自暴自棄の念を地上から追い払おうと努めているのです。それに代わって素朴な真理と理性の光、神からのインスピレーションと啓示、あまりにも永いあいだ押しつぶされ、もみ消され、抑え込まれてきた霊の叡智をもたらすべく努力しているのです。

わたしたちは人間の霊性を正しい視野のもとに置いて、霊的能力を引き出させ、幼稚な物質中心思想の間違いを暴いて、それに永遠の別れを告げさせたいと願っているのです。

わたしたちは既得の権力というものは国家であろうと教会であろうと、民族であろうと階級であろうと一宗一派であろうと、そのすべてに反抗してまいります。すべての人間に自由を――崇高にして深淵、そして純粋な意味における自由をもたらしてあげたいのです。

わたしたちはまた、死にまつわる取り越し苦労と恐怖心をなくし、それが永遠の生命の機構の中でそれなりの役割を果たしていることを理解させてあげたいのです。

さらには物質界と霊界との自然なつながりの障害となるものを排除して、人間は本来が霊であることを理解させ、その理解のもとに真の自我を自覚してくれることを望んでいるのです。そうなることによって内部に宿る神性が目を覚まし、神の意志が子等のすべてを通して発現することになってほしいのです」

そう述べてから、今度はその目的のために地上で協力してくれている世界中のスピリチュアリストに向けて――


「皆さん方は新時代の先駆者です。先駆者ゆえの苦難は覚悟しなければなりません。が、掛けがえのない遺産を後世に残すことになります。

いつどこにいても人のため、世の中のため、人類のためを心がけるのです。自分を忘れるのです。ケチくさい打算の世界に超然としておれるようでないといけません。授かった能力を最大限に発揮して人のために役立てるのです。

わたしたちが公言している目的、わたしたち霊団の使命については、そのうちなるほどと得心していただけるものをお届けします。皆さんと血縁のあった人たち、他界した愛する人々が今こちらの世界で勢揃いして、わたしたちとともに真理の普及に心を砕いている事実を立証してさしあげます。

その方たちの背後にわたしたちが控え、そのわたしたちの背後には全人類・全民族が一丸となった高級霊団の一大組織が控え、魂の自由のために皆さんを援助し、惜しみなく尽力してくださっているのです。

そして、その全組織の背後には宇宙最大の力、全生命の大源、創造主、王の中の王、あなた方が神と呼んでおられる()大霊(グレイトスピリット)が控えているのです」

イエス・キリストの降誕と復活を祝うクリスマスとイースターの季節には霊界でも最高級霊(地球神界の八百万(やおよろず)の神々)による大集会が開かれるという。それに欠かさず出席しているシルバーバーチは、ある年のイースターにその話を持ち出したあと、こう語った――


「その集会で積み重ねられる審議と討議、すっかり狂ってしまった病める地上世界を破滅から救うための努力を通して、わたしたちは地上の人間が真の自我を見出し、自らこしらえた問題を自らの力で解決していくための真理と自由と素朴さと叡智の道をお教えしようと腐心しているのです。一つの共通の目的のために善意の同志が一致協力することによって、今からでも得られる平和を手にしていただきたいのです。

いかなる困難の中にあっても、わたしたちは決してたじろぎません。わたしたちは常に楽観主義を強調し、大霊に守られている事実を申し上げています。目的は大霊の道具としてお役に立つことです。その大霊は絶対的存在なのですから、わたしたちの仕事が挫折することは有りえないのです。

人類がこの地上に誕生するはるかはるか以前から“摂理”というものが働いております。その摂理のもとに、宇宙の大霊が一つの目的をもって行動を開始し、地球上にその大霊の神性を帯びた無数の生命体を用意しました。それぞれが大霊の造化の目的へ向けての役割を担っていたのです。

同時に大霊は、すべてに自由意志を与えました。自由意志のもとに霊的・精神的に進化しながら、その大霊の大目的に貢献するためです。

この大宇宙を顕現させ、無生物にも生命力を、人類には意識を賦与された完全無欠の知性は、たとえご自身の創造物がその目的からそれたことをしようと、それで挫折するようなことはありません。

人間には大霊の御心のすべてを窺い知ることはできません。しかし大霊には人間の心の奥底までのぞき見ることができます。けっして騙されることはありません。大霊の前ではすべての人間の秘密が素っぱだかにされ、むき出しにされます。自分をごまかしていた人間も大霊だけはごまかせません。摂理というものがあり、これだけは裏をかくことも無視することもできないからです。

人間が大霊の計画の推進をおくらせ少しのあいだ障害となることはあっても、そのまま計画を押し留めつづけることはできません。

そういう次第でわたしは霊界での大集会に参列したあと、他の多くの同僚と同じように、この地上にあって人類のために刻苦している同志を新たな希望と熱意と情熱とで鼓舞するための努力を一段と強める覚悟で、地上へもどってまいります。

地上の同志の中には、真理普及の闘いで髪に白いものが目立っている人が大勢います。背負った重荷に腰が曲りかけている人もいます。時には、結局は大したことはできなかったと、残念がる人もいます。しかし、仕事の成果の判定者は自分ではありません。判定者はただ一人、寸分の不公平もなくすべてを判定なさる大霊のみです。

わたしたちがこの暗黒の地上へ舞いもどってくるのは、地上人類への愛があるからこそです。無明から光明へと目覚めていただく、そのお手伝いをしたい――それ以外に理由はありません。住みなれた光明界の楽しみや美しさはそうたやすく手離したくはありません。が、それをあえて振り切って地上へ降りてくるのは、わたしたち指導霊の一人ひとりにとっては、それが光明界の楽しみや美しさにも勝る、偉大な仕事であるとの認識があるからです」

いわゆる“死者”が地上へもどってくることができること、そして現にもどってきている事実を認めた上で、ある若い新聞記者がなぜ霊はあのような奇っ怪な手段でしか通信できないのかと尋ねた。つまり暗い部屋でメガホンのような道具を使って代わるがわる語りかける実験会(セイアンス)のことを念頭においての質問だった。するとシルバーバーチがこう答えた。


「部屋を暗くすることがなぜ奇っ怪なのでしょうか。夜と昼とをこしらえたのは大霊です。暗い部屋で行うのがなぜ明るい部屋で行うより奇っ怪に思えるのでしょうか。暗闇も光も同じく大霊のものです。暗闇とは光が存在しないというだけの状態ではないでしょうか」

「それはそうなのですが、暗くすると五感の一つが使えなくなります」


「おっしゃる通りですが、霊的感覚を鋭敏にする効果があります。不幸にしてそれがふだんの地上生活で使用されることが滅多にないのです。なぜ霊的なものまで物的な手段で表現しなくてはならないのでしょうか。霊的高揚や霊的真理、そして霊的叡智までも、本来は物的存在であると同時に霊的存在である人間にその醍醐味を味わってもらうために、なぜ物的なものに還元しなくてはならないのでしょうか。

人間が最高にして至純のバイブレーションに感応しないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。霊の声が聞こえないあなた方のために、わたしたちがメガホンを使って(その中に発声器官と同じものをこしらえて)人間と同じ音声を発しなければならないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。非難の声はわたしたち霊側に向けられるべきなのでしょうか、それともあなた方人間の側に向けられるべきなのでしょうか。

わたしたちは今こうして実在の霊として存在し、皆さんもわたしたちと同じ霊的本質をそなえた霊的実在としてここにいらっしゃる。なのに、皆さんはわたしたちが半物質的次元にまでバイブレーションを下げてあげないと、見ることも聞くこともできないのです。

ところが、そういう工夫をしてまで霊の存在を示してあげようとすると、なぜそんな他愛もないマネをしなければならないのですかとおっしゃいます。それは、あなた方の世界が物質的なことにばかり浸り切って、物的感覚から抜け切れないからに過ぎません。そこから抜け切ることができたら、霊的世界の醍醐味をほしいままにできるのです。

わたしたちが悪いのではありません。わたしたちとしては皆さんの内部に宿る最高のものに訴えたいと努力しているのです。しかし、それが反応を見せてくれることは滅多にありません。子等の魂に内在する大霊の神性が発揮されることが一日のうち何度あるでしょうか。洗練された霊的資質がどれほど発揮されているでしょうか。

愛他主義と理想主義の精神がどれほど発揮されているでしょうか。それよりも利己主義の方が大手を振り物質中心の物の考え方が好き勝手に振る舞ってはいないでしょうか。そうしたことは地上世界の問題であり、わたしたちの問題ではありません。

わたしたちは物的外皮の下に埋もれている永遠の実在を見出させてあげようと努力しているのです。それを、できることなら霊的な方法で行いたいのです。すなわち強烈なインスピレーションに触れさせるとか魂の琴線に触れさせるという形の方が望ましいのです。また、そう努力してみました。が、その方法では、反応をみせる人間は情けないほど少ないのです。

それに引きかえ、テーブルを動かすとか叩音を出すとか、メガホンを部屋中を飛び回らせるとかの現象をお見せすると、皆さんは“すごい!”とおっしゃいます。その時わたしたちは内心“何をくだらないことを!”と思っているのです。音を出してみせることの方が魂を感動させることより大切なのでしょうか」

同じジャーナリストが尋ねる。

「私は時おり今の世界の実情、とくにその不公平に我慢ならないことがあります。飛び出していって闘いたい衝動に駆られるのですが、現実はどうしようもないように思えます。どうすればよいのでしょうか」


「わたしなりの考えをご披露しましょう。地上で生活している人間のすべて――富める者も貧しい者も、身分の高い人も低い人も、地位も肩書きも階級も職業もいっさい関係なくすべての人に、自分を人のために役立てるチャンスが必ず訪れることになっております。それは、小さな間違いを正してあげる仕事かも知れませんし、小さな不公平を公平にしてあげる仕事かも知れません。暗い片隅にささやかな光明をもたらしてあげる仕事かも知れません。

世間の目にハデに映る闘いばかりが意義ある闘いではありません。わたしたちは人間の行為の価値基準を、それが他人のために役立つことであるか否かに置いております。それなら誰にだってできるはずです。いつどこにいても、人のために自分を役立てるチャンスならいくらでもあるはずです。

どうか、ご自分を少しでも役立てることに努力してください。自分を役立てたいという願望で心を、精神を、そして魂を満たしてください。そうすれば、こちらであなたのような人材を求めているスピリットを自動的に引き寄せます。その時点であなたは、霊力が地上へ働きかける手段となることに成功したことになります。そして思いもかけなかったほどの力量を発揮する仕事が授けられることになるかも知れません。が、いずれにせよ、ラクな人生でないことだけは覚悟しておいてください」

「そういう期待はしておりません」


「そうでしょうとも。ですが、魂の奥底から湧き出る満足感を覚えるようになります。そして、見せかけだけで何の益もないものに捉われないようになります。無駄に使用されているエネルギー、目の前にありながらみすみす失われているチャンスをもったいなく思うようになります。そして自分は今どうすべきかが分かるようになります。

この交霊会もあなたにとっては初めての体験ですから不思議に思えることでしょう。ですが、これも宇宙の自然法則の一つを利用して行われているのです。地上の科学者は大自然の法則のすべてを発見したわけではありません。これまでに得た知識は全体のホンのひとかけらほどにすぎません。今後の開発を待ちうけている法則と知識の分野がまだまだ広がっております。

それは必ずしも実験室内で発見されるとはかぎりません。解剖して見つかるとはかぎりません。計器で測れるとはかぎりません。進化した魂のみが理解できるもの、さらに高度な叡智を受け入れる霊的準備が整った者でないと理解できないものもあります。

知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。

わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上にもたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。

わたしたち霊団の者は、自分自身のことは何一つ求めません。求めているのは、皆さんが物的な面だけでなく、精神と霊にかかわる面においても、心がけ一つで我がものとすることができる無限の恩沢に少しでも気づいてくれること、それのみです。計り知れない価値をもつ真理が皆さんを待ちうけているのです。

利己主義・無知・既得権力――これがわたしたちの前途に立ちはだかる勢力です。そして、わたしたちはこれに真っ向から闘いを挑んでいるのです。徹底的に粉砕したいのです。魂を飢えさせ、精神を飢えさせ、そして身体を飢えさせる元凶であるこうした地上の悪の要素を取り除いて、その飢えを満たしてあげたいのです。

弱き者、堕落せる者の心を高揚し、寄るべなき人々に力を与えてあげたいのです。地上世界から飢餓と病気と不健康状態を取り除いてあげたいのです。地上の疫病であり人類の汚点である不潔なスラム街と汚れた住居を廃絶したいのです。

暗闇に閉ざされた人々に光を、何も知らずに生きている人々に霊的知識を授けてあげたいのです。人類の意識を高め、魂と精神と身体の足枷を解いてあげたいのです。あらゆる形での利己主義――文明を蝕(むしば)み、代わって混乱と破滅と戦争と破壊をもたらす地上の毒を取り除きたいのです。

言いかえれば、地上世界に霊力を甦らせ、お互いがお互いのために生き、お互いの幸せのために協力しあい、憎しみと貪欲と強欲と私利私欲が生み出す垣根を取り払い、大霊の意図された通りに平和と豊かさを満喫できるようにしてあげたいのです。

それがわたしたちの使命であり、今まさに前進を続けているところです。わたしたちが何者であるかはどうでもよろしい。通信の手段は大切ではありません。大切なのはメッセージそのものです。それは淵源を神に、わたしのいう大霊に発しております。だからこそ永続性があるのです。

俗世的なものはいずれ消滅するのです。束の間のものは、しょせん束の間の存在でしかありません。しかし、霊的実在は永遠です。移ろいやすい物的所有物を絶対と思い込んでいる人は、影を追い求めているようなものです。霊的真理を求めている人は、真に自分の所有物となるものを授かりつつある人です。自信をもって前進しなさい。霊的知識――大霊の宝石を探し求めなさい。

わたしのことを暗黒の勢力の声と思ってはなりません(※1)。永遠の霊的実在のシンボルとお考えください。もっとも、わたし個人は取るに足らぬ存在です。また、わたし個人として求めるものは何一つありません。わたしはただ霊的メッセージをお届けに来ているだけです。そのメッセージが実に重大なのです。今日の地上世界にとって最も大切なもの、とあえて申し上げます。

これまでの試みはすべて失敗に終わりました。キリスト教、政治家、科学者、思想家――どれ一つとして地上世界を救うことができませんでした。むしろ無明ゆえに崩壊へ一歩一歩近づき、今まさに破滅寸前のところまで至っております(※2)。霊的真理と霊的実在についての知識こそが、まず自らを救う道を教えることによって、地上世界を救うことになるのです。

生命の実体は物質の世界には見出せません。実在は霊的なのです。霊的真理を否定する者は生命力そのものを否定していることになり、自分を生かしてくれているその生命力の恩恵にあずかることを拒否する者は、受難の人生を送ることになります。なぜなら大霊との連絡路を断つことばかりしているからです」


※1――シルバーバーチの霊言が公表されはじめた頃はキリスト教界から激しい語調でそう決めつけられていた。

※2――本書に収められている霊言は一九三九年の第二次大戦の勃発以前のものとして読まれたい。

祈り


人間の記憶を絶する遠き太古の昔より、子等はあなたを、そしてあなたの意図を理解せんと努めてまいりました。嵐の中に、雷鳴の中に、稲光の中にあなたの働きを想像したこともございました。

嫉妬ぶかき怒れる神、報復の機を窺い流血をよろこぶ神を想像したこともございました。ある者には力を授け、ある者には弱みを与え、ある者には勝利を与え、ある者には敗北を与える、えこひいき剥(む)き出しの神を想像したこともございました。自分の宗教のみの神を想像し、人間の有限性の範囲の中であなたを定義づけんとしたこともございました。

しかし、あなたの御名のもとに地上へ戻ってきたわたしどもは、あなたを全生命に宿る無限の霊――摂理として働き、摂理にのっとって顕現せる普遍的大霊として説いております。全生命に宿りたまい、全生命を通して働き、その霊力なくしては何ものも存在しえぬ、無限絶対の霊として説き明かさんとしているところでございます。

あなたは生命現象のあらゆる相――いま物質の世界において知られている相のみならず、死後、霊の無数の界層において知ることになる、より次元の高い生命の相においても、あなたが顕現しておられることを説いております。

あなたは全生命の大霊におわします。あなたの知ろしめされる全大宇宙においては、物質と霊との間に境界はございません。すべてを等しく支配しておられるのでございます。そして子等にあなたとの密接不離の絆、すなわち各自の内部に宿るあなたの分霊(わけみたま)の存在に気づかせ、その神性を認識することによってそれを生活の中で顕現させ、可能なかぎり崇高な体験を得さしめ、かくしてあなたの造化の大事業の道具となさしめんと意図しておられることを、わたしどもは説き明かさんとしているのでございます。

その目的のためにわたしどもは祈り、そして刻苦いたします。何とぞあなたの僕(しもべ)たるインディアンの祈りを聞き届けたまわんことを。

シアトルの夏 シルバーバーチの霊訓―スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ

The teachings of Silver Birch
A guide to spiritual evolution through spiritualism
Description
This book picks out important words from Silver Birch that have not appeared in previous books on the teachings of Silver Birch, making it a must-read for anyone wanting to gain a deeper understanding of Silver Birch's philosophy.
*本書について    *編者まえがき *巻頭のメッセージ

本書について

これまでの『シルバーバーチの霊訓』の中には出てこなかった重要なシルバーバーチの言葉をピックアップしてあり、シルバーバーチの思想をより深く理解するために必読の書。

本書は1989年に他社から出版され、長年絶版になっていた『シルバーバーチ――愛の摂理』の復刻本です。


編者まえがき

「人間が食べるものや着るものを得るために動物を殺すのは間違いでしょうか」

「霊媒は菜食にすべきなのでしょうか」

「今の世界にとって必要な最も緊急な改革は何でしょうか」

「新しい魂はひっきりなしに生まれてきているのでしょうか」

「微生物にも意識があるのでしょうか」

「指導霊(ガイド)というのは特別に付けられるものなのでしょうか」

次から次へと出されるこうした質問に、ハンネン・スワッファー・ホームサークルの指導霊であるシルバーバーチは喜んで耳を傾け、それをもとにして大きく話題をふくらませていく。そこには他に類を見ない絶妙のうまみがある。

そのシルバーバーチが入神霊媒モーリス・バーバネルの口を借りて語る叡智の言葉を聞くために、ここ半世紀の間には実に大勢の人が訪れている。各界の著名人も少なくなかったが、大半は真理を求めて霊的巡礼の旅をつづける、ごく平凡な人たちだった。

シルバーバーチがいらだちを見せたり、不満を口にしたり、面倒がったり、怒りを見せたりしたことは、ただの一度もない。その叡智にあふれた言葉、世界中から尊敬と崇拝の念すら受けた流麗な言葉を聞くために週一回――晩年は月一回――その交霊会に出席した人の人間性を個人的に品定めする言葉も一切もらしたことはなかった。

本書に収めた資料の大半は、ここしばらく入手が困難だったものである。断片的にはこれまでの霊言集に出ているものも無きにしもあらずであるが、大半は交霊会が始まった初期の頃にサイキックニューズ紙に掲載されたものを切り抜いて大切に保存してくださっていた当時のメンバーの方たち(の家族)から提供していただいたもので、それに私が念入りに目を通して構成した。

こうした珠玉の教えを読み、咀しゃくして、中身の濃いものに仕上げるという作業は、実に愛と忠誠心なくしてはできない仕事である。永いあいだ忘れられ、そろそろ黄ばみかけてきた切り抜きに新しい生命を吹き込むことができるとは、何と素晴らしいことであろう。それも詰まるところは、シルバーバーチの哲学は決して古びることも、色あせることも、また、その言葉が光沢を失うことも有りえないとの確信があればこそなのである。

かつての交霊会のメンバーの大半はすでにこの地上を去り、実りの彼岸に到達しておられる。それゆえ本書は、そうした先輩たち、見えざる彼岸とこの世との掛け橋を、苦労しつつも喜んで築いてくださった人たちに捧げるものである。

「古くさいおとぎ話はぜんぶ捨て去りなさい。愚かしい迷信を破棄しなさい。偏見のくさりを解き放しなさい。そうしたものがあなたの視野をぼかし、精神を束縛するのです。心にゆとりを持ちなさい。謙虚になりなさい。そして叡智の泉から送られる神の啓示をいつでも受け入れられる用意をしておきなさい。わたしの言葉をお読みくださる方に申し上げます――“行きて汝もそのごとくせよ”と」(ルカ伝)。

かく述べるシルバーバーチのメッセージは、かつてと同様、今の時代にも通用する。いや、今この世にいるわれわれが人生の旅を終えて本来の住処(すみか)である輝かしき霊の世界へ戻ったあとも、末永く愛読されつづけることであろう。

トニー・オーツセン



巻頭のメッセージ

わたしは荒野に呼ばわる声です。

大霊の使者の一人として地上へ参っている者です。

わたしがどの程度の霊であるかは、

わたしの説いていることが志向しているものから判断してください。

わたしの述べるささやかな言葉、わたしの誠意、わたしの判断、

皆さんとともに励んでいる真理普及の仕事が、

たった一つの魂の支えとなり、たった一つの魂に安らぎを与え、

暗闇の中でもがいているたった一つの魂に

光明をもたらしてあげることが出来たら、

それだけでわたしはうれしいのです。

シルバーバーチ




Tuesday, July 8, 2025

シアトルの夏 心霊治療家四〇名との質疑応答

 Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen

シルバー・バーチ最後の啓示  
スピリチュアルな言葉が教える”生きることの喜び”


 英国の心霊治療家連盟の会員は今や六千名を数えるに至っている(平成六年現在)。これから紹介するのは、その連盟の代表四〇名がシルバーバーチと交わした徹底した質疑応答の録音からの抜粋である。

 その規模の大きさもさることながら、心霊治療について出された事細かな質問に対して、例によってシルバーバーチが懇切ていねいに答えていて、しかもそれが地上の人間の生き方についての忠言ともなっていて、シルバーバーチの霊言集を締めくくるのに相応しい内容になっている。

 まず質疑応答に入るに先立ってシルバーバーチが心霊治療の原理について一般的な講話を行なっている。 (一部割愛。これまで繰り返し述べられていることであると同時に、そのあとの質疑応答の中で何度も出てくることだからである)

 「心霊治療の目的はきわめて単純です。魂を目覚めさせること、これに尽きます。身体の症状が消えても魂が霊的なものに目覚めなかったら、その治療は失敗したことになります。反対に病気そのものは治っていなくとも、魂が目覚めて霊的なものに関心を抱くようになれば、その治療は成功したことになります。

 私たちの側からすれば、霊の資質と霊力は、大霊の子が例外なく宿している神性を自覚させるために使用すべきものであり、その結果として地上降誕の目的の認識が芽生えるのです。それこそが霊媒現象と呼ばれているさまざまな現象の背後に託された目的なのです。

 ですから、病人が良くならなかったからといって残念がることはありません。残念に思うべきなのは、その病人があなた方との出会いによって霊的実在に目覚めるまでに至らなかった場合です。それが心霊治療の究極の目的なのですから。

 私たち霊団も、各国に築かれた橋頭堡を強化して、霊力が受け入れる用意のできた人々に順当に届けられるようにと、結束を固めております。

その目的は、今のべた究極の目的、すなわち地上の人間が自分とは本質的には何なのか、何をしにこの地上にいるかについての理解を植えつけ、それを地上で実践するにはどうあらねばならないかを自覚させることです。

 一言でいえば、物質界の人間も霊的宿命を背負った霊的存在だということを悟らせることです。

 心霊治療の能力も、霊体に潜在する無限の資質の一つです。霊眼で見るクレアボイアンス、霊耳で聞くクレアオーディエンスと同じです。心霊治療家になるためにはその霊力の始源とコンタクトしなくてはなりません」


───その霊力がそちら側で創造される過程を教えていただけませんか。つまり病人の特殊な条件に合わせて操作する、その方法です。

 「これは説明の難しい問題です。非物質的なエネルギーを表現する用語が見当たらないのです。霊力とは生命力であり、生命の素材そのものであることを理解して下さい。活力そのものです。無限に存在します。柔軟な性質をしており、どんな形態にも変化します。変換も組み替えも自由自在です。

 それを扱う、知識と経験と理解の豊富な者が、こちらで待機しております。そちらの化学者や科学者に相当します。その者たちが、この霊力を各種の病気に合わせて特性をもたせる技術の開発に、いつも取り組んでおります。

そのチャンネルとなる治療家を通して、病気のタイプに合わせて〝調剤〟する実験も行なっております。以上のような説明しか私にはできません。最終的には治療家のもとを訪れる患者によって一つひとつ異なるプロセスがあると思ってください。

その際、患者のオーラが診断の大きな参考になります。それが精神的状態と霊的状態を物語ってくれるので、それをもとにして、今のべた治癒エネルギーの調剤が行なわれます」


─── それには知的な努力が要求されるわけですね?

「〝知的〟と言う用語は適当でないでしょう。実体感を伴うものだからです。実際に〝調合〟が行なわれるのです。みなさんが化学物質と呼んでいるものに相当するものが用いられます。精神力は必要です。なぜなら、こちらでは、何をこしらえるにも精神が実体を伴った素材となるからです」


─── 遠隔治療のことはこちらへ置いといて、直接治療においては治療家の身体や霊体は、霊力の通路としてどの程度使用されるのでしょうか。

 「遠隔治療においても使用されるのですよ」


─── 私たちの身体や霊体が実際に使用されるとおっしゃるのですか、それとも霊波の調整のために患者との懸け橋として使用されるという意味ですか。

 「実際にあなた方の霊体を使用するのです」


─── そのプロセスをご説明ねがえますか。

 「治療家はテレビの受像機のようなものと想像してください。送られてくる霊波をあなた方の霊体で半物質的な治癒エネルギーに転換します。変圧器のようなものと思ってください」


─── 遠隔治療でも同じ役目をするわけですか。

 「そうです」


─── でも、転換されたものがどうやって患者に届けられるのでしょうか。

 「患者の側からそういう要請が出ているからです。患者の思念がバイブレーションをこしらえ、あなた方治療家のもとに届けられます。すでに懸け橋ができていますから、その波動にのっかって治癒エネルギーが送り届けられます」


─── 自分のために遠隔治療の依頼が出されていることを患者自身が知らない場合はどうなりますか。

 「誰かが知っているはずです。そうでなければ治療を施すことはないわけでしょ?」


─── 仮に私が一方的にその患者の様態を知って治療してあげようと思った場合はどうなりますか。

 「それで立派にリンクができているではありませんか」


─── でも、患者からの要請の思念は出されていません。

 「いえ、リンクはできています。あなたがこしらえています。いいですか、思念というのはこちらでは実体があるのです。私は今あなたという人物を見ておりますが、あなたの肉体は見えておりません。霊媒(バーバネル)の目で見れば見えるのでしょうけど(※)。

私たちにとっては思念こそ実体があるのです。あなたの肉体は薄ぼんやりとしか見えません。あなたから思念が発せられると、それが実体をもって見えます。それがバイブレーションをこしらえ、それが遠隔治療で使用されるのです」


 ※─── シルバーバーチはバーバネルの言語中枢しか使用していない。したがって入神中は目を閉じ、そして座ったままでしゃべり、立ち上がったり歩いたりすることはなかった。


─── 今ローマ法王がファティマの神殿を訪れています。うわさによると、その神殿で多くの病人が癒やされていて、それがマリヤの仲介によると言われているのですが、マリヤが直接治療に当たっているとは思えません。この神殿での癒やしの力は何なのでしょうか。

 「癒やされると信じる、その信心です」


─── でも、それはただの信仰ではないでしょうか。

 「そうです、信仰です。信仰ではいけないのですか。癒やしてもらえるという信心は、実際に癒やされるに至る第一歩です」


─── 私は、患者が治るための条件として信仰は無用であると理解しております。むしろ患者の心が邪念に満ちていると、それが治療の妨げになると考えておりますが、それは正しいでしょうか。

 「信仰心は、それが理性に根ざし、いわゆる盲目的信仰でないかぎりは、むしろ結構であると私は考えます。皆さんは霊的知識を手にしておられるとはいえ、それは全体からみればささやかなものでしかないことを知らないといけません。

物質に包まれて生きているこの地上では、全知識を得ることは絶対に不可能です。こちらへ来てからでもなお不可能です。

 そこで私は、知識の上に信仰を加えなさいと申し上げるのです。理性に裏うちされた信仰、知識を基盤とした信仰は立派です。それにケチをつけるつもりは毛頭ありません。むしろそれが、余裕ある雰囲気をこしらえ、治癒力の流入を容易にすることがあります。

 霊力は明るく楽しい、そして快活で受容性に富んだ性格の人ほど効果を発揮し、陰うつで猜疑心の強い、そして動揺の激しい性格の人には、よい効果は出ません」


─── オーラを霊視できない治療家の場合、治癒力がうまく働いていることを知るにはどうすればよいでしょうか。

 「オーラが見える見えないは治療そのものとは何の関係もありません。病気の原因の診断ができるか否かも関係ありません。治療家は施療すればそれでよいのです。そういった余計なことを気遣う必要はありません。霊医が扱いやすい状態になることが大事です。 

 要するに霊の道具として少しでも完ぺきに近づくことを心掛けることです。ご自分の人間性から人間的煩悩をすべてご法度にするくらいでないといけません。そう心掛けただけ、その治療家を通して、より多くの霊力が流入します。治療力の質や量を決定づけるのは、その治療家の生活そのものです」


─── 治療家の中でも優秀な人とそうでない人とがいるのはなぜですか。

 「演奏家にせよ、作家にせよ、上手な人とあまり上手でない人がいるのと同じです。他の治療家にくらべて能力がより多く顕現しているということです」


─── 治療家自身が病気になった場合、他の治療家に依頼しなければならないでしょうか、それとも自分で治せるものでしょうか。

 「他の治療家に依頼しなくても、自分で治癒エネルギーを引き寄せて治すことができるようでないといけません。大霊に祈るのに教会へ行く必要はないように、治療家が他の治療家のところへ行く必要はありません。直接エネルギーを引き寄せることができればの話ですが」


─── 医師の述べるところによりますと、最近の病気の主なものはプレッシャーと仕事上の悩みだそうです。これにはあなたのおっしゃる(三位一体の)不調和がどの程度まで介入しておりますでしょうか。

 「あなたが今おっしゃったことは、私が言っていることを別の言葉で表現したまでです。仕事上の悩みをおっしゃいますが、つまりは不調和のことです。霊と精神と肉体の三者が調和していれば、仕事にせよ何にせよ、悩みは生じません。悩むということは調和を欠いているということの証拠です。

 霊的知識を手にした者が悩むようではいけません。悩みや心配はマイナスのエネルギーです。霊的に啓発された魂は取り越し苦労とは無縁です。

私はそれを不調和と呼び、あなたは仕事上の悩みと呼んでいるまでのことで、自分が永遠の存在であることを知り、従って地上のいかなるものにも傷つけられることはないとの信念に燃える者に、悩みの入る余地はありません」


─── 治らない人がいるのはなぜでしょうか。

 「霊的にみて治るべき権利を得るにいたっていないということです」


─── 遠隔治療で一度リンクができたら、改めてこしらえる操作は不要でしょうか。

 「一度できたら不要です。霊界とのつながりはすべて磁性的(※)なものです。ですから、一度できたらリンクは切れることはありません」

  ※─── 磁気治療でいう磁気とは別。強烈に引き合う霊的性質を言っている。


─── すると、どこにいようと、たとえば教会にいようが駅にいようが、関係ないわけですね?

 「霊の世界には地理的な位置はありません。どこへ行こうと、皆さんの身のまわりに常に存在しております。教会の中にいるから、あるいは飛行機で高く上がったからといって、それだけ大霊に近づくわけではありません


─── 地上界で物的存在が顕現するに先立って必ず思念が存在すると言われます。言いかえると、人間はまず思念の母体をこしらえていることになります。それが事実だとすると、治療家が患者に接するに先立って心の中で完全に治った状態を描き、完全な健康体のイメージをこしらえることは、治癒を促進することになるのでしょうか。

 「大いに促進します。思念には実体があるからです。完全な健康体を強く念ずるほど、それを達成する可能性に近づくことになります。何事につけ、理想に向かって最善を尽くさないといけません。

常に最高のものを念ずることです。希望を失ってはなりません。いつも明るく楽天的な雰囲気をかもしなさい。そうした状態の中で霊力は最高の威力を発揮します」


─── さきほど、治らない人は霊的に治る権利を得るにいたっていないからだとおっしゃいましたが、私には少し割り切りすぎているように思えます。その論理でいくと善人は必ず治り、悪人は絶対に治らないということになりませんか。

 「事はそんな単純なものではないのです。霊的な目をもってこの問題をご覧になれば、そういう安直な考えは出ないはずです。たとえばあなた方人間にとって苦難はご免こうむりたいところでしょうけど、私たちから見ると、こんなに有り難いものはないのです。

大失敗をしでかすと皆さんは万事休すと思われるでしょうが、私たちから見ると、新しい人生の出発点とみて喜ぶことがあるのです。

 善とか悪とかを物的尺度で計るような調子で簡単に口にしてはいけません。善悪の判断基準は私たちとあなた方とでは必ずしも一致しません。

私は霊的にみて治るべき権利を得ていなければならないと申し上げているのであって、善人とか悪人とは言っておりません。自我がその霊性に目覚めた時にはじめて治る権利を得たことになるのです」


─── 純粋に物理的な理由で治らないということもあるのではないでしょうか。たとえば神経が完全に破壊されて視力を失った場合、新しく神経をこしらえるということは法則上不可能だと思うのです。

 「私たちは今、奇跡の話をしているのではありません」


─── おっしゃる通りですが、治らないケースについての一般論を語っておられると思ったものですから・・・・・・

 「私が申し上げているのは、治るはずの病気がどうしても治らず何の変化も見られない時は、その患者はまだ治るための霊的権利を得るにいたっていないことがあるということです」


─── 両脚が奇形の赤ちゃんがいます。片方の脚は変化が見られるのですが、もう一方は何の反応もありません。なぜでしょうか。

 「両脚が奇形というのを一つの病気としてではなく、右脚と左脚の二つの病気とみるべきで、同じ治療エネルギーでは両方は治せないということです。何もかも同じエネルギーで治っているのではありません。一つ一つ条件が異なり、一つ一つ特性があるのです。

地上の人間に分かりやすくということになると、そういう表現しかできません。ほかにもいろいろと事情があるのです。病気の原因にはいくつもの次元があり、それが入り組んでいて複雑なのです。

 治療というのは見かけはあっさりと治っているようで、実際はそう簡単なものではないのです。身体に表れた症状を取り除けばそれで済むというのではありません。

魂に関わる要素も考慮に入れなくてはいけません。こうすれば魂にどういう反応が出るか、病気の背後にひそむ意図は何なのか、なぜその患者が心霊治療家のところへ来たのか、その患者の魂が霊性に目覚める段階にまで進化しているかどうか、等々。

 こうしたことはあなた方には測りようがないでしょう? が、心霊治療はそういう要素まで考慮しなくてはならないのです。なぜかと言えば、少なくとも治療に当たっている間は宇宙の生命力そのものを扱っているからです。

ということは、あなた方も無限の創造活動に参加していることになるのです。だからこそ責任の重大性を声高に説くのです」


─── てんかんの原因は何でしょうか。

 「脳に障害があって、それが脳への印象を妨げ、精神からの正しい連絡を受けられなくしているということです」


─── でも、治るのでしょうね?

 「もちろんです。病気はすべて治ります。〝不治の病〟というものは存在しません。治してもらえない人が存在するだけです」


─── 遠隔治療を依頼されたことが三度ないし四度あるのですが、私の感じでは成功しなかったと思います。いずれの患者も死亡したのです。

 「もしかしたらそれは、あなたにとって最上の成功だったかも知れませんよ。魂が首尾よく肉体から離れるのを助けているのです。それも心霊治療の役目の一つなのです。治療するということは寿命を長びかせることではありません。

霊を目覚ませることです。それがいちばん大切なのです。優先させるべきものを優先させることです。霊に関わることこそ第一順位です。霊が正常であれば身体も正常です」


─── 治療家によっては二、三分で治す人もいれば、二時間も掛ける人、また何週間も何か月も、時には何年も掛けながら治らない人もいます。なぜでしょうか。

 「〝その実によって彼らを見分けよ〟とバイブルにあります。大切なのは結果です。治療家は霊団との最高の協調関係を作り出すように日常生活を規制すべきです。結果はおのずと出ます。まず家の中を整えて下さい。あとのことは霊団が面倒を見ます。

 必要な時は援助を求めて祈りなさい。決して放っておくようなことはいたしません。諦めて手を引くようなことも絶対にいたしません。いつも自分を役立てる用意をしてください。どんな患者でも拒みません。どんな患者でも歓迎します。

霊の力は万人が受ける権利をもっているのです。霊界側が欲しいのは、喜んで治癒力の流入の通路となってくれる人です」


─── ある人を治療したところ、良くはなったのですが、その後他界してしまいました。どう理解すべきでしょうか。

 「霊の世界へ戻っていくのがなぜ悲劇なのでしょうか。赤ちゃんが地上へ誕生した時、私たちの世界では泣いている者がいるのです。反対に、死んでこちらの世界へ戻ってくるのを大喜びして出迎えている者がいるのです。地上を去ることをなぜそんなにいけないことのように考えるのでしょうか」


─── サイキックとスピリチュアルを区別しておられるようですが、なぜでしょうか。

 「同じく治療といっても、物質次元の磁気的なものがあり、幽体を使用した心霊的なものがあるのです。さらにその上に、霊界の高い界層からのエネルギーによる治療があります。これをスピリチュアルと呼びます」


─── サイキックと呼ぶものの範囲は?

 「地球に近いレベルのものと思って下さい」


─── それは身体上の効果だけで、魂の琴線にふれるレベルのものでないことを意味するのでしょうか。

 「いえ、魂への影響もまったく無いわけではありません。が、きわめて限られており、受容性に乏しいと言えます。霊的意識としては低いレベルでの働きしかありません」


─── その背後にエネルギーの作用はないのでしょうか。

 「あることはありますが、質的には落ちます。エネルギーには無限の段階があります。その頂点には大霊がおわします。そして物質はその最下層に位置します。治療はその階梯のどの段階においても行えます。どの段階になるかは治療家の霊性の高さによって決まります」


─── 精神的な病に冒されている人には同情を禁じ得ないのですが、正直言って私たちの無力さを痛感させられております。

 「精神病も心霊治療で治せます。霊団にすべてをあずけて祈るのです。それだけでいいのです。そうすることで治癒エネルギーがあなた方を通して流れます。直接治療ができない場合は遠隔治療でエネルギーを送ってあげればよろしい。

 心霊治療の態勢は今や立派に確立されております。もう排斥されることはありません。あなた方一人ひとりに果たすべき役割があります。重大な役目です。皆さんは霊力のチャンネルとして大霊の無限の進化の計画の中に組み込まれていることを忘れてはなりません。素晴らしい仕事です。が、同時に、責任ある仕事でもあります。

 本日はこの私をご招待くださり、語り合いの時をもたせていただいたことを光栄に存じております。少しでもお役に立っていれば幸いです。少なくとも互いに勉強になったことは確かでしょう。

 お終いに大霊の祝福を祈念いたしましょう。初めも終わりもない大霊の援助を求めましょう。そしてその御心をわが心とすべく、日常の生活を規律正しいものにいたしましょう。

 大霊の道具として常に最善を尽くしましょう。その努力の中で、私たちの働きの場が常に大霊の愛のマントに包まれていること、そして私たち一人ひとりが温かき大霊の御胸に抱かれていることを実感いたしましょう。

 皆さまに大霊の祝福のあらんことを」   



   あとがきに代えて


                                                近藤千雄
 近代の歴史を振り返ってみると、二十世紀は近代的戦争の世紀だったと言っても過言ではないであろう。第一次および第二次世界大戦をはじめ、日清・日露・ベトナム戦争、最近では超近代兵器による中東の湾岸戦争が記憶に新しい。

 シルバーバーチの霊媒モーリス・バーバネルは一九〇二年の生まれで、第一次・第二次の世界大戦の中を生き抜いて、一九八一年に七十九歳で他界している。まさに戦乱の二十世紀を生き抜いてきたわけであるが、その大半の六十年間をシルバーバーチの霊媒として仕えたのみならず、〝ツーワールズ〟(※)と〝サイキック・ニューズ〟の二紙の主筆として健筆を揮った。

バーバネルがよく自慢したことの一つは、第二次世界大戦の最中も一週としてその二紙を休刊しなかったことであるが、それ以上に私が頭が下がる思いがするのは、シルバーバーチの交霊会(正式の名をハンネン・スワッファー・ホームサークルといった) も週一回のペースを崩さなかったことである。

 ※───当初は週刊紙として発刊し、のちに月刊誌になり、さらに数年前にヘッドクォーター出版社に買い取られた。が、最近その編集長にバーバネルの子分のトニー・オーツセンがおさまったのも奇縁である。

 これは、バーバネルの執念に頭が下がるという意味ばかりではない。支配霊のシルバーバーチが戦乱による波動の乱れで通信不能の寸前まで至りながら、ついに諦めなかったこともその背景にある。われわれ人間には想像できないことであるが、霊的通信網が一本また一本と切断され、霊団の者が 「もうダメです、引き上げましょう」 と進言しても、 「こういう時こそわれわれの援助が必要なのだから」 と、シルバーバーチは叱咤激励したと言う。



   大きかったスワッファーの存在

 さて、そのシルバーバーチとバーバネルのコンビによる仕事が一九二〇年のある日突如として始まったことは、大方のシルバーバーチファンはすでにご存知と思う。

最初のころはバーバネル自身もそれがどういうメカニズムになっていて何の目的で行なわれるかも分からず、嫌々ながら入神させられるまま行ない、聞く者も、奥さんのシルビアをはじめ三、四人の知人だけだった。もちろん記録など残してはいない。そこへ決定的な意味をもつハンネン・スワッファーの登場となる。

 スワッファーは当時すでに英国ジャーナリズム界に君臨する大物で、しかもバリアンティンと言う直接談話霊媒による交霊会(〝デニス・ブラッドレー・ホームサークル〟といった)に出席した時に大先輩のノースクリッフ卿の出現によって決定的な死後存続の証拠を手にし、 『ノースクリッフの帰還』 という著書でそれを公表して大センセーションを巻き起こしていた(一九二四年)。

 そのスワッファーがうわさを聞いてバーバネルの交霊会に出席し、シルバーバーチの霊言の質の高さに感嘆した。そして、それを是非とも〝サイキック・ニューズ〟か〝ツ―ワールズ〟に掲載するよう進言した。が、バーバネルは自分がその二紙の主筆であり社長でもあることを理由に、それを断った。

 が、出席するたびにシルバーバーチという霊の霊格の高さを感じ取る一方のスワッファーは、バーバネルにしつこく公表を迫った。二人は親しい友人でもあったので時には口論となることもあったらしいが、ついに (推定で一九三五年頃から) 霊媒がバーバネルであることを伏せるという条件のもとに連載がはじまり、それを、まとめた最初の霊言集が『シルバーバーチの教え』 のタイトルで一九三八年に出版された。

 が、その時点でも、序文を書いたスワッファーも〝霊媒がひやかし半分のつもりで交霊会に初めて出席した時は十八歳の無神論者だった〟と述べるにとどめ、バーバネルの名は公表されなかった。が、それがいつまでも隠し通せるわけはない。

 「いったい霊媒は誰なのか」 という問い合わせの多さに圧倒されて、ついに一九五九年になって〝シルバーバーチの霊媒は誰か───実はこの私である〟という見出しでバーバネル自身が公表したのだった。



  恩師・間部詮敦氏の先見の明

 以上がバーバネルとシルバーバーチおよびスワッファーの関係のあらましであるが、計らずも全十六冊の霊言集の訳者となってしまった私の人生も、今振り返ってみると、それと節目を合わせたような足跡をたどっていることが分かる。

 シルバーバーチの教説の中で特徴的なものの一つは、われわれは生まれる前から人生の設計を承知している、ということである。脳の意識層にのぼってこないだけで、霊的自我は知っているという。

確かに私の場合も、筆ではうまく表現できない、あるいは、うっかり口にすると誤解を招きかねない不思議な巡り合わせの中で、このシルバーバーチの霊言を中心としたスピリチュアリズム一般に関わる仕事をやらされている。まさに<強引にやらされた>としか思えない人生体験を経てきている。

 その中から一つだけ公表すれば、高校三年に上がった頃、師の間部先生が「これからは地上で哲学を勉強した人が勉強の面倒をみるそうですョ」とおっしゃった。確かに、その頃すでに「哲学入門」とか、「三太郎の日記」などを買って読んでいた。

先生からそう言われて、私は心の中で 「へえ、なるほど」 と思っただけだったが、今になって思うと、その指導霊はかつて地上時代にスピリチュアリズムに関わった複数の英国人の霊ではなかったろうか。

 というのは、その頃から英語の勉強に異常なほど熱が入ると同時に、月に一回の割で行なわれた精神統一の修行で、一時間近く対座してくださったあとで先生が 「相変らずあなたの背後霊は外国とよく連絡が取れてるなあ」 と独りごとのようにおっしゃったのである。

 その統一修行は私が大学へ進学して上京してからも続いた。それまで東京に縁のなかった先生が不思議に私が在京中の四年間だけ毎月一回上京して、そのつど私を呼び寄せられて、同じように一時間ばかり対座して下さった。そして終ると例のセリフである。

 間部先生という方は極端に口数の少ない方で、必要最小限のことしかおっしゃらなかった。物静かな方で、元子爵らしい侵し難い上品な雰囲気をお持ちだったので、孫ほどの年の差のある青二才の私からアレコレと尋ねる気になれなかった。先生からも、私の守護霊や指導霊についてそれ以上のことは何もおっしゃっていない。

 ただ、その後私が大学を出るのを待ちわびたように 『心霊時報』 という、英米の心霊紙からの記事ばかりで構成した月刊誌を出す話を持ち出され、私も喜んでお引き受けした。そうでなくても懐が不如意だった先生がご自分のポケットマネーで賄われたので、

ガリ版刷りの粗末な体裁だったが、そのための翻訳に仕事に必死になったことが、私の翻訳力を大幅に成長させてくれたことは間違いない事実で、しかも、その巻頭言にシルバーバーチの霊言を掲げたことが何度もあったことと考え合わせると、

本書をもって終りとなるシルバーバーチの霊言集全十六巻を訳す仕事は、背後霊団としては当初からの計画で、たぶん間部先生もご存知だったのではないかと思う。私の背後霊がいつも外国とよく連絡が取れていたというのは、その打ち合わせのためだったのであろう。

 その後のことは何度か書いたり講演で話したりしたのでご存知の方も多いであろう。一九七九年の夏に日本心霊科学協会から連載記事の依頼を受けた時、まっ先に脳裏に飛び込んだのが〝シルバーバーチ〟だった。

 これは間違いなく霊団からのインスピレーションだったのであろう。 『シルバーバーチは語る』 と題して書き始めた記事はとても好評で、翌年正月四日には念願のモ―リス・バーバネルとの面会も果たし、私の筆にいっそうの拍車がかかった。

 これはその後『古代霊は語る』 と改題して潮文社から出版されて大きな反響を呼び、それがきっかけで霊言集全巻の翻訳の要望が数多く寄せられるようになり、多少の紆余曲折はあったが、ついに最後の本書にまでたどり着いた。感慨もひとしおといったところである。

             

          平成十七年三月十九日  新装版第一刷発行  ハート出版


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シアトルの夏 四つの団体の代表を迎えて

  Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen

シルバー・バーチ最後の啓示  
スピリチュアルな言葉が教える”生きることの喜び”




 シルバーバーチの交霊会は大半が霊媒のバーバネルの自宅の応接室で行われているが、前章の交霊会のように、出張先で行なうこともたまにあった。

 これから紹介するのは、現在は解散している「スピリチュアリスト評議会」の代表を集めて行なわれたもので、「グレーター・ワールド・アソシエーション」(『ベールの彼方の生活』の版元)、「スピリチュアリスト・アソシエーション・オブ・グレート・ブリテン」 (SAGBの略称で知られるスピリチュアリズムの中心的施設)、

「スピリチュアリスト・ナショナル・ユニオン」(SNUの略称で知られる英国最大のスピリチュアリストの集団)、それに「スピリチュアリスト霊媒同盟」の四つの団体から構成されていた。

(訳者注─── スピリチュアリズムの組織または団体にはこのほかに、英国では次章で紹介する「心霊治療家連盟」があり、米国には「米国スピリチュアリスト連盟」があり、世界的規模のものとしては「国際スピリチュアリスト連盟」(ISF)がある。私もその会員の一人である。

 シルバーバーチフアンの中には「宗教は組織をもつと堕落する」という言葉の意味を取り違えて、独立独歩を決めこみ、それが一種の利己主義ないし独善主義となっていることに気づかない人がいる。営利を目的とした組織と、真理普及およびサービス実践のための協力態勢とは別であることだけを、ここで述べておきたい)


 さて四団体の代表を前にしてシルバーバーチが挨拶をする ───

 「このたび皆様のご招待にあずかり、こうして語り合う機会を得ましたことを大きな栄誉と思っております。たずさわっておられる大きなお仕事の推進に当たって、私の申し上げることが幾らかでも力になればと願っております。

 申すまでもなく私は全知全能ではありません。が、ここにお集まりの皆さんよりは長い人生体験があります。その人生で私は大宇宙の仕組みとそれを統御している摂理について、皆さんよりは多くの知識を身につけたつもりです。

と言って、私が述べることは格別に耳新しいものではありません。真理には新しいも古いもありません。その表現の仕方がいろいろとあるというまでのことです。

 さて、皆さんは霊的真理とその証を手にされている点において、特別に恵まれた方たちです。より大きな生命の実在を身近かに自覚しておられます。

また皆さんと同じように崇高なる地球浄化の大事業に参画している霊団の存在を、ある人は霊視力で確かめ、ある人は霊聴力で確かめ、そういう能力をお持ちでない方でも、直観的に確信しておられます。霊団の役目は皆さんが迷うことなくこの大事業を計画どおりに推進するように導くことです。

 改めて申し上げるまでもないことと思いますが、皆さんが標榜しておられる霊的真理は、はるか高遠の界層の進化せる霊団によって立案された総合的な計画の一部として届けられているものです。その高級霊団を〝マスターズ〟と呼ぶ人もいれば〝ヒエラルキー〟と呼ぶ人もいます。

いずれにしても霊力が地上界へ絶え間なく、そしてより多く流入するように、またそのためのチャンネルとなるべき使者がますます多く地上へ派遣され、さらには、本日ここにお集まりの方々のように霊的真理に目覚めた方々が一致団結して普及活動に勤しめるように指導することを使命としているのです。

 愛する人を失って悲しみに暮れている人々、病床に伏せている人々、悩める人々、人生に疲れた人々等々・・・・・・こういう人たちは皆、人生の目的を見失っております。教会も科学者も思想家も何の力にもなってあげられないのが現実なのです。

 〝人間の窮地は神の好機〟という格言があります。肉体に包まれた霊(本来の自我)がその霊性に目覚め、活発に活動を開始するのは、そうした窮地にあって、もう物質の世界には何一つ頼りになるものがない ── 万事休すだ、と観念した時からです。

 皆さんが果たすべき役目は、そうした窮地にいる人々が真の自我に目覚め、地上に生を享けた目的を理解し、他人のために役立てるべき才能に気づかせてあげることです。

一口に言えば、肉体の死後から始まる永遠の旅路の次の段階にそなえて、この地上にあって自己実現を成就させてあげることです。

 それが地球浄化の大事業の一環なのです。その計画を立案し、その実現のために尽力している霊団が、今、あなた方の仕事を背後から援助しているのです。大切なのは、この評議会を結成している各グループ、団体、協会によって築かれた橋頭堡が十二分に強化されることです。

そうなれば、灯台と同じように辺りを明るく照らして、人生に疲れた人や道を見失ってしまった人々があなた方のもとを訪れ、悩みを解決するための英知を手にすることができます。

 それこそが、今あなた方がたずさわっておられる仕事なのです。大切なのはそこです。それは責任を伴うことでもあります。〝召される者は多く、選ばれる者は少ない〟と言ったイエスの言葉を思い出して下さい。あなた方は〝選ばれた者〟なのです。

みずから志願した人もいるでしょうし、依頼を受けた人もいるでしょう。どなたがどちらであるかは私にも分かりません。

 大切なのは霊的真理を広めるという責任です。これは人類全体にとって測り知れない恩恵をもたらすことになるからです。物質的な泥沼にはまり込んだ、この混乱せる地球にとって、生死に関わる大事業です」


─── それを国家的規模で行なうのがわれわれの仕事だと思うのですが、この評議会にとどまらず、スピリチュアリストの全組織を集合して大集会を開いてはどうかという案があります。それで効果が上がるでしょうか。

 「上がると思えばおやりになってみてはいかがですか。一致団結するにこしたことはありません。あなた方の第一の目標は一人でも多くの人々に真理を届けることです。

それに劣らず大切な目標は、霊的能力を授かっている人たちがその能力を正しく開発し、仕事の神聖さを自覚し、日常生活においても、最大限の霊力が自分を通して流入するように、身持ちをきちんとすることです。

 大切なのは組織そのものではありません。その組織として何をするかです。組織の名称はどうでもよろしい。大切なのは、どれだけのサービスをするかです。

大霊にとって団体や組織の名称は何の意味もありません。いかなる手段で霊的真理を表現し、霊力を地上に流入させるかです」


─── 一人でも多くの人に真理を届けるべきであるとおっしゃいました。そのこと自体に反論する者はいないと思うのですが、数が多くなりすぎると腐敗ないし堕落する傾向も懸念されます。手を差しのべる相手を選択するということも必要ではないでしょうか。

 「霊界側の観点から申し上げれば、皆さんは一人でも多くの人々に基本的なメッセージとその真実性の証を提供してあげるべきです。大霊の子には分け隔てなく霊的真理を手にする機会を用意してあげるべきです。

これは掛けがえのない神の恩寵であり、全人生の指導原理となるべき貴重な宝です。その好機に遭遇して、それを受け入れるか拒否するか、それはその人の責任において判断すべきことであって、あなたの気遣いは無用です。

 あなたのおっしゃる〝相手を選ぶ〟ということの趣旨はよく分かりますが、それはむしろ、すでに基本的真理を手にした人々、霊性開発へ向けての準備が整った人々を対象とした時に、さらに高度な霊的レベルとの交流を目指す上で、

果たしてそれだけの力量があるか否かを判定する時に問題とすべきことです。私が申し上げているのは、霊的な真理について何も知らずにいる人を対象とした時のことで、これは相手を選ぶべきではありません」


─── 私の考えでは、大切なのは霊能者の〝質〟であって〝量〟ではない───つまり霊媒現象の水準を高めるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

 「何ごとにつけ霊的なことを扱う際には量より質を優先すべきであるというご意見には私も賛成です。信頼のおけない霊能者一〇〇人よりも、真摯で有能な霊能者一人の方がましです」


─── 霊媒現象の質を高めるための方法をお教え願えませんか。

 「いくらでもあります。たびたび引用句を用いて恐縮ですが、ぴったりの言葉があるので引用させて下さい。聖書に〝まず神の国と義を求めよ。さればこれらの(世俗的な)こともすべて叶えられるであろう〟とあります。優先すべきものを間違わないようにとの戒めです。

 霊の道具である霊能者が自分の才能を神聖なものであるとの自覚を得た時から、重大な責任を背負うことになります。まず日常生活において、その才能を傷つけたり汚したりすることのないように心掛けないといけません。

 次に、その才能を最高の水準にまで高める努力を真剣に行わないといけません。そのためには手にした知識を日常生活の中で実践しないといけません。また瞑想と精神統一を実修しないといけません。同じ道を歩んでいる人たちに教えを請う必要もあるでしょう。

 あなたにはその指導がお出来になります。これまでの体験から、とかくはまりがちな落とし穴、困難、誘惑を指摘してあげることができます。そうした中でも一ばん大切なのは、自分の責任の自覚です。神の使者としての、途方もなく大きい責任です。

 そうした優先すべき事柄をきちんと優先させた生き方をしていれば、あとはおのずと収まります。霊的に正しければ、精神的にも物的にもきちんと整います。その優先順位を間違えたら最期、すべてが狂ってきます」


─── 霊媒は自然法則や霊媒現象の原理についてより多く知るほうが好ましいのでしょうか。

 「これはよく問題にされることで、私がどう言ったところで誰かが反論するでしょう。が、私がこれまで長年にわたってこの霊媒(バーバネル)を使用して、この種の霊媒現象(入神談話)の複雑なメカニズムについては十二分に理解しているつもりです。

その体験を踏まえて、あらゆる角度から検討してみて、何につけ、知っているということの方が知らずにいるよりもよいと考えます。知識をもつということは武装することです。知らずにいることは無防備ということを意味します」


─── あなたご自身およびあなたのような指導霊が地上のわれわれを援助するという場合に、それは、われわれ人間が為すべきことを実行するための能力の開発を指導するということと理解してよろしいでしょうか。つまりあなた方のなさることはアドバイスを与えるだけ、と。

 「とんでもない、それだけではありませんよ」

─── 必要な状態を生じさせることもなさるのでしょうか。

 「もちろんです。強いて例えれば、何本もの糸を操って必要な条件を整えなくてはならないこともあります。背後霊と緊密な関係を常日ごろから体験している方なら、必要とあれば霊側はどんな事態でも生じさせることができることを、身にしみてご存知のはずです。

 それには、困難というよりは、微妙な操作を必要とします。完ぺきな協調体勢を築くために、微妙なバイブレーションを扱うからです。 

 問題は、人間はとかく自分たちにとって都合のよい時機に都合のよい結果を要求することです。それはできません。こちらの条件に合わせて行なうしかありません。

本当はその方があなた方にとってもベストなのです。私たちはあなた方よりも広い視野で眺めていますから、どういう事態があなた方自身にとって一ばんよいかの判断ができます。人間の頼みごとを全部その通りに叶えてあげたら、とんでもない事態になりかねません」



─── 現在の霊界と地上界の霊的交信の状態にあなたは満足しておられますか。もしご不満であるならば、ここであなたおよびあなたの霊団の皆さんにぜひともお聞きしたいのですが、今後の交霊に関して何か特別の計画を用意されているのでしょうか。その計画に私たちはどういう態度で臨めばよいでしょうか。

 「よい質問をしてくださいました。まず申し上げたいのは、もし私たちが満足しているとしたら、それは使命を十分に果たしていないことを意味します。満足できないということは、神性の発露であると言ってもよいのです。

そうです、私たちは決して、この程度でよいと思うことはありません。もっとも、大変な困難に遭遇しながらも、よくぞここまで来れたものだという自己評価はしております。

 しょせん私たちは、今置かれた事情のもとで最善を尽くすほかはありません。それも人間という不完全な存在との協力のもとにやらねばならず、私たちもやはり人間的存在なのです。誰一人として完全の域に達した者はいないのです。

 ですから、結局のところ、完全へ向けての試行錯誤の中で努力しなければならないわけです。霊界通信において、霊媒現象において、あるいは心霊治療において、これからも可能なかぎり最高の結果を目指して最善を尽くしてまいります。皆さんが最善を尽くし、私たちが最善を尽くし、一致協力して最大限の影響力を行使するように致しましょう」


─── 私たちは困り果てると神に祈りますが、そちら側の態度として、私たちが祈るようになるまで放っておくのでしょうか。それとも祈ろうが祈るまいが、事の成り行きに任せる時もあれば、援助する時もあるのでしょうか。

 「この大霊のしろしめす宇宙という大機構の中においては、誰一人として、またいかなる存在といえども、放っておかれるということは、摂理上ありえないことです。大自然の摂理は完ぺきですから、全てを包摂しております。

何一つ、誰一人として、その支配から免れることはできません。大霊が見落とすということは有り得ないのです。どこにいようと、あなた方は大自然の摂理の支配下にあり、天の配剤を受けております。

 あなたにとって今何が必要かは神は先刻ご承知です。それを祈りによって表現することは結構なことです。なぜなら、その時点におけるその人の霊的ならびに精神的発達程度に応じて、可能なかぎりの援助が得やすくなるからです。

なるべくなら言葉に出して祈った方がよろしい。その波動によってあなたが何を動機に祈っているのか、その意図が鮮明になるからです」


─── 祈るということをしない人、あるいは絶望のどん底にあって神なんかいるものかと思っている人はどうなりますか。救いようがないのでしょうか。

「大霊の存在を信じる信じないは関係ありません。信じてくれないからといって大霊がお困りになることはありません」


─── いろいろな理由で神に祈れない、あるいは神の存在が信じられない人がいるとします。が、今とても困っていて手助けを必要としています。どういうことになるのでしょうか。

 「援助を受けるか受けないかは、大霊の存在を信じるか信じないかによって決まるのではありません。それまでに到達した精神的ならびに霊的進化の程度によって決まるのです。援助を手にするに値するだけのものを受けるのです。原因と結果の法則です。それが大自然の摂理なのです」


─── 生まれ変わりを信じておられますか。

 「もちろん信じております」


─── あなたの霊媒も信じていますか。

 「霊媒が何を信じようと私には関係ありません。同じく、彼も私のことに責任はありません」


─── 一個の霊が地上へ生まれ出る際には、あらかじめ一生の計画、つまり決められた寿命や体験すべき出来ごと、為すべき仕事があるということは信じていますが、もしも思わぬ事情から当人がその予定された道から外れて、取り返しのつかない事態に立ち至った時には、その人生を途中で切り上げてしまうこともあるというのは本当でしょうか。

 「まず初めに申し上げておきたいのは、そうした内的次元の問題に深入りすると、地上の言語では説明のできない、微妙で複雑な法則や事情を取り扱うことになるということです。

 物資界に生まれ出るに際しては、大体において今回はこうしたいという確たる目的を心に決めております。が、いざ物的身体に宿ってしまうと、種々雑多なエネルギーの相互作用に巻き込まれます。

中にはその初心の霊的目的に気づかないまま、愚かな道にはまり込んでしまう人もいます。自由意思がある以上、それもやむを得ません。

 そこで背後霊というものが用意されていて、自己実現にとって最善の道へ導こうと努力します。あなた方のもとを訪れる人の中には、そうやって背後に導かれて来ている場合があるのです。その時こそあなた方の活躍の好機です。その人にとっても起爆剤に点火される決定的な出会いとなるかも知れません。

 そうした指導をするに際して私たちが使用するエネルギーやテクニックは極めて微妙で、地上の言語ではとても説明できません。が、基本的には、地上で使用する身体は自分で選んでおり、歩むべき道もあらかじめ承知しております。しかも、順調に運べば見事に開花してサービスに役立てることのできる霊的才能をたずさえていることもあります。

 しかし、人間には自由意志が許されています。いよいよ重大な岐路にさしかかった時、約束したはずの道を嫌がって気楽な人生を選んでしまえば、それはそれでやむを得ないことです。

そういう選択をした者が、死後に後悔して、もう一度やり直すということも現実にあることです。これでお答えになりましょうか」


───まだ残っております。

 「最後の一点はわざと残しておきました。そうやって道を間違えた場合に、その人生を途中で切り上げるということは致しません。背後霊にもそういう権限はありません。力量もありませんし、そうしたいとも思いません。あくまでもサービスと指導へ向けて努力します。自己実現をしようとしている魂に余計な干渉はしません」


───自分の身体を自分で選んだということは、親も自分で選んだということですか。

 「むろんです。賢明なる子は親のことをよく知っております」(賢明なる親はわが子のことをよく知っている、というシェークスピアのセリフを言いかえている)


───もしも自由意志を放棄したらどうなりますか。

 「それも自由意志の行使ではないでしょうか」


───それまで歩んできた道をもうイヤだと思いはじめたらどうなりますか。

 「ですから、自分の地上生活は自分の思うようにすればいいのです。そのかわり、その物的身体で行なうことについて、すべて自分が責任を負わなくてはいけません。自分で選択したものなのですから」


───自由意志を放棄するのも自由意志の行使になるのでしょうか。

 「さきほどそう申し上げたつもりですが、私の言い方がまずかったのでしょう。人間は大霊の無限の創造活動の永遠の過程に参加することができるのです。それもあなたの自由意志にまかされています」


───さきほど背後霊による微妙なエネルギーとテクニックの話をされましたが、いわゆるデーバ(精霊の高級なもの)の勢力が霊媒現象にどのように関与するかについてお話ねがえませんか。

 「生命というのは無限ですから、無限の形態で顕現しております。人間的存在だけではありません。物質に宿ったことのない高等な存在もいます。

 さらに原始霊といって、人間よりは進化の程度は低いのですが、やはり生命力を持った存在がいます。これも無数の分野───植物・動物・鉱物・花・その他───の自然法則の運用に貢献しております。物的現象の背後をご覧になれば、大自然の摂理が見事に重なり合いながら、完ぺきな調和と協調関係が保たれていることがお分かりになります。

 さてご質問の、デーバの勢力が霊媒現象に関与する際にエネルギーを提供しているかということですが、いわゆる物理的心霊現象を起こす時によく働いています。〝物質化〟に協力しているのです」


───〝寛大な社会〟(※)はわれわれの間でも意見の分かれるところですが、どう思われますか。

 ※───道徳的な面について寛大ということで、性の解放に重点が置かれている。

 「私は何事につけ自分で正しいと判断したことには寛大であるべきという考えに賛成です。人間には神の監視装置が植えつけられています。皆さんが道義心とか良心と呼んでおられるものです。それが正しいか間違っているかを告げてくれるようになっています」

───悪は、善と違って、それ自身の存在原理を有しないという説をどう思われますか。と申しますのは、哲学思想や宗教思想の中には、全宇宙および全存在は善と悪の二つの原理の対立から生まれた結果であるというのがあります。悪も善と同じレベルの存在と見るわけですが、いかが思われますか。

 「生命には両極があるということをまず認識して下さい。作用があれば反作用があります。光があれば闇があり、日の当たる場所があれば日陰があります。戦争があれば平和があり、善があれば悪があるといった具合です。硬貨の表と裏といってもよいでしょう。

 物理学でも作用と反作用は同じであり、かつ正反対であるとしています。悪は善の倒錯であり、憎しみは愛の倒錯です。本来は善に換えられる同じエネルギーだということです。

 日向ばかりにいては光の何たるかは分かりません。死があるから生を意識できるのです。悲しみがあるから喜びが味わえるのです。病気になってはじめて健康の有り難さが分かります。

これを両極性の法則といいます。転んだことのない者は立ち上がるということを知りません。あらゆる性質が本源的には同じものであり、従って低級なものも高級なものになりうることを意味します」


───ということは、この世においてもそちらの世界においても、進歩、特に霊的な進化は、その両極性、善と悪の対立を軸として展開するということになるのでしょうか。つまり善悪は死後にも存在するということでしょうか。

 「悪とは、得てして無知のことである場合があります。悪であるということを知らないでいるということです。邪心も、得てして無意識のうちに出していることがあります。邪悪であることを知らずにいるということです。

根っから邪悪な人間は、そう沢山いるものではありません。そういう人たちは未熟な魂であることを認識してあげてください。生命の進化は永遠の過程である以上、発達した者と未熟な者とが常に存在することになります。

 それはこちらの世界でも同じことです。ピンからキリまで、無数の階梯の存在がおります。〝ヤコブのはしご〟(※)は地上界のどん底から天界の最上界まで伸びているのです。

 要は相対性の問題です。地上の人間にとって幸せに思えることが、私たちから見ると惨めに思えることがあります。たとえば赤ちゃんの誕生はあなた方にはおめでたいことでしょうが、私たちにとっては必ずしもそうは思えません。また人間は死を悲しみますが、私たちは霊の解放と受け止めます。見方の違いです」

 ※───旧約聖書に出てくる話で、ヤコブが見た天界のはしご。それを天使が上り下りしていたという。


───霊の世界には時間はないというのは本当でしょうか。

 「私たちの世界の太陽は昇ったり沈んだりしませんから、夜と昼の区別はありません。従ってそれを基準にした時間はありませんが、物事が発生し進行するに要する時間はあります。私も本日この場所へやってまいりました。それには時間が掛かりました」


───言いかえると、何らかの変化が生じる時、つまり出来ごとの発生する順序はある種の時間が必要です。その計り方は物的なものではないわけですね?

 「あなたがおっしゃってるのは時間ではありません。時間の経過の計り方です。それは地上とは大いに異なります」

 予定の時刻まであと五分ですと聞かされてシルバーバーチが締めくくりの祈り(ベネディクション)の言葉を述べる。

 「ではお終いに皆さんとともに来し方を振り返り、私たちを包み込む慈悲深き大霊の無限の力に感謝を捧げましょう。そして、これからもその存在をますます自覚できるように日々の生活を整えるように努力いたしましょう。

 大霊の心をわが心とし、全生命の始源と一体となるように心掛けましょう。それが正しく行なわれる時、大霊の加護と導きのマントに包まれていることを自覚するようになりましょう。

 かくして私たちは大霊の愛の配剤のもとにあることを知り、さらにまた、サービスに勤しむ者に必ず訪れる内的やすらぎを得るにふさわしい資質を発揮しつつあることを自覚なさることでしょう。
 大霊の祝福の多からんことを」


シアトルの夏 スイスにおける交霊会から

 Lift Up Your Hearts Compiled by Tony Ortzen

シルバー・バーチ最後の啓示  
スピリチュアルな言葉が教える”生きることの喜び”




   本章で紹介するのは、スイス在住のさる心霊家の家で開かれた交霊会の録音から抜粋したものである。出席者が珍しく四十人を超える大交霊会となった。その中には二年前に同じ部屋で最初の交霊会が開かれた時の出席者も何人かいた。

 シルバーバーチの挨拶から始まる。

 「まず、前回ここで言葉を交わした古き友に〝ようこそ〟と申し上げます。そしてまた、今日はじめてお会いする方々にも同じ歓迎の気持を述べたいと思います。

 私たちは同じ生命の道を歩みつつ、昨日よりは今日、今日よりは明日と、生命について少しでも深く理解させてくれる啓発を求めている同志だからです。

 皆さんは、物質的な視点から言えば、とても美しい国にお住いです。が、霊的な視点から言えば、残念ながら美しいとは申せません。無知と迷信と誤解があまりに多すぎます。霊的実在について幾らかでも知識のある人は、ほんの一握りにすぎません。

 そこで、霊の崇高なる照明がその輝きをより多くの人々にもたらすためには、二つの邪魔ものを排除しなくてはなりません。

 一つは伝統的宗教です。宗教的な有り難い教えを継承しているつもりでしょうけど、肝心な宗教としての機能を果たしておりません。本当の宗教とは大霊との絆を結んでくれるものでなければなりません。なのに、この国の宗教はもはやその役目を果たしておりません。

かつては基盤となっていたインスピレーションはとっくの昔に教会から追い出され、代って教義と信条とドグマと儀式のみが残っております。

 こうしたものは宗教とは何の関わりもないものばかりです。大霊に近づけるという宗教の本来の目的には何の役にも立たないからです。

インスピレーションは無限の存在である大霊から発しております。それに引きかえ神学は人間の知能から発したものです。都合のいい理屈から生まれた教義が、宇宙の大源から発したものの代りができるはずはありません。

 もう一つの邪魔ものは、崇拝の対象です。かつて〝黄金の子牛〟と呼ばれていた物的な財産が崇拝の対象とされています。

人生の基盤が霊的実在であることを宗教が説き明かすことができなくなったために、圧倒的大多数の人間が、物質こそ存在のすべてであり、五感で感じ取れるもの以外には何も存在しないのだと信じるようになっています。

 そこで彼らは、人生は七十か八十か九十年、どう長生きしてもせいぜい百年だ。存分に快楽を味わうために金を儲け、財産を貯えようではないかと言います。イザヤ書にある〝食べて飲んで陽気にやろうではないか、どうせ明日は死ぬ身よ〟という一節がそれをうまく表しております。

 責任は教会やシナゴーグや寺院にあります。基本的な霊的原理の大切さすら説くことができないからです。生命は物質ではありません。霊的なものです。物質はただの殻にすぎません。実在の影です。実在は霊であり、いま自分として意識しているあなたは霊なのです。

人生の究極の目的は、その、あなたという霊の属性を発揮することです。逃れることのできない肉体の死とともに始まる次の段階の生活にそなえるためです。

 この国でも、子供はみんな学校へ通います。義務教育だからです。他にもそういう国がたくさんあります。なぜでしょう? 言うまでもなく、卒業後から始まる社会生活に必要な教育を受けるためです。

勉強が十分にできていないと、小学校から中学校へ上がってから、中学校から高等学校へ上がってから、そして高等学校から大学へ進学してから苦労します。そして社会へ出てから困ります。

 それと同じです。あなた方はこの世を去ったあとから始まる霊的生活のためのトレーニングを受けるために、今この世に置かれているのです。今のうちに霊的教育を受けていないと、こちらの世界へ来た時に何の準備もできていなくて、大変なハンディを背負って生活しなければなりません。

 誤解を避けるために申し添えますが、私は物的身体に関わることは放っときなさいと言っているのではありません。それはそれなりに大切です。地上にあるかぎりはその物的身体が唯一の表現の媒体です。言わば〝霊の宮〟です。

 その〝宮〟に宿る霊に、内部に宿る霊性ないし神性を発揮する機会を存分に与える必要があります。その霊性こそ大霊なのです。あなたの内部にひそむ大霊です。それを発揮する機会を求めるのも地上生活における義務です。そのために肉体をたずさえて生まれてきているのですから。

 こんな説教じみた話ばかり聞かされては面白くないでしょう。が、スイスという国、およびそこに住む皆さんが、霊的にみてどういう状態にあるかを知っていただきたかったのです。

 さ、ご質問をお受けしましょうか。私が少しでもお役に立てばと思います。皆さんは為すべきことがたくさんあります。これから徐々に開けゆくサービスの機会を有り難く思わないといけません」


───人間はなぜ霊と精神と肉体という構成になっているのでしょうか。

 「それは、地球という特殊な体験を提供してくれる世界で精神的に霊的に成長するには、そういう表現手段が必要だからです。

精神は、霊すなわち本当のあなたが、脳という物的器官を通して自我を表現するための媒体です。脳は、地上界の物的現象を認知する五感をそなえた物的組織の中枢です。

 地上界は、実にさまざまな考えや性格をもった人間が入り混じって同じ平面上で生活している、特殊な世界です。その千変万化の生活模様の中からいろいろと学ぶ機会が得られるわけです。

 こちらの世界はその点が異なるのです。こちらへ来て落着く先は、あなたと同じ程度の霊性をそなえた者ばかりが集まっている境涯です。当然、発達とか成長というものが地上界とはまったく異なります。

 こちらへ来ると、まず地上界の避けがたい穢れを払い落す事から始め、霊の純金を出すことに努力します。どれほど純金があるかによって落着く先が自動的に決まります。そしてそれに磨きがかけられることによって、霊的により高い境涯へと参ります。

その辺がこちらとそちらとの違いです。霊と精神が肉体に宿って同一平面上で生活するところに地上界の意義があるのです」


───ということは、こちらとそちらとでは進化の仕組みが異なるということですか。

 「その通りです。進化の原則は一定不変で、一瞬の途切れもなく働いております。が、その顕現の仕方が霊的なレベルの違いによって異なるということです。

さきほども言いましたように、地上界ではさまざまなバリエーションの文化、考え方、性格の人間が同一平面上に存在し、互いに影響を受け合っております。無数といってよいほどのバラエティに富んだ人間と接触する機会があるわけです。こちらではそれはありません」


───同じレベルの者ばかりでは退屈しませんか。

 「とんでもありません。霊的成長度が同じで親和性のある者との交流であり、個性と能力はさまざまですから、少しも退屈はしません。

地上で退屈するというのは、親和性のない者と同じ場所に閉じ込められた場合に生じるもので、たしかにうんざりするでしょう。霊的に、そして精神的に親和性のある者同士の間には、倦怠感は生じません。

 こちらの世界で互いに愛し合い、同じレベルの霊性を身につけた者どうしは、人間の言語では表現できないほどの生きる喜びを味わいます。退屈するどころか、説明のしようのない喜悦を覚えます」


───私たちは地上で夫婦となるべく創造されているのでしょうか。

 「これは難しい問題ですね。まず基本的な話から始めましょう。霊そのものには始めも終わりもありません。生命そのものである霊は、無窮の過去から存在し続けているのです。歴史の舞台をいくらさかのぼっても、これまで存在しなかった霊が突如として存在を現わし、そして人間が歴史の表舞台に踊り出たという幕はありません。

過去・現在・未来という過程ではないのです。ですから、ここにお集まりの皆さんも、霊としては(無意識の状態で)ずっと存在していたのです。

 その霊の一部が個体として物質をまとい、地上へ誕生する段階がやってまいります。それを二度、三度、四度とくり返し、その体験によって身につけたものが全体へ付加されていきます。

 一個のダイヤモンドがあって、それに幾つもの切り子面(カット)があるのと同じです。その一つ一つの面が地上界へ顔を出し、その体験によって輝きを増し、その総合的結果としてダイヤモンド全体が一段と輝きを増すというわけです。

 再生とか転生は、そういった目的のための手段の一つです。これにもある程度の選択の余地があります。いったん地上生活を送って帰ってきた霊が、どうしてもやり遂げたい目的があって、もう一度地上へ降誕したいという場合に、それが許されることもあります。

 それを、簡単に許されるかに想像してはいけません。高級霊との相談の上で、そうすることによってかくかくしかじかの徳、利点、他人へのサービスが成就されるとの認識が十分に検討された上でのことです。

 地上の歴史にも輝かしい足跡を残した人物が数多くいます。重大な危機に際して目覚ましい活躍をした人物です。そういう人たちは皆、そういう時機に遭遇することを承知の上で誕生しているのです。

 たとえば病に苦しむ人を救ってあげたいという願望に燃えた霊が許しを得て地上へ降誕します。誕生後いろいろと紆余曲折はあっても、最終的には医師・専門医・外科医などになるでしょう。

心理療法、精神療法などいろいろとある療法のうちのどれかを修するかも知れませんし、もしかしたら心霊治療家になるかも知れません。

 ここで疑問が生じるでしょう。そうした誕生前の決意ないし願望が意識されるようになるためにはどうすればよいかということです。が、残念ながらこれは、一概にこうすればよろしいということが言えない性格のものなのです。

 と言いますのは、魂の覚醒にはその起爆剤となる強烈な体験が必要です。それが肉親との死別である場合もあれば人生の危機の体験であることもあり、大病となることもあります。それが霊的覚醒の第一段階です。

 さて、ご質問の配偶者の問題ですが、同じダイヤモンドの二つの面が同じ時代に地上に誕生して夫婦となることは、滅多にありませんが、ないことはありません。いわゆるアフィニティどうしのケースです。これまで数多くの交霊会で何組かのアフィニティに出会っております」


───となると、今こうして生まれてきているということは、大きなチャンスでもあり挑戦でもあるということでしょうか。

 「そうですとも!そうでなくてどうしましょう。内部の神性を発現させるチャンスを本当のあなた(自我)に与える絶好の機会なのです。あなたはその身体ではありません。その身体があなたではありません。あなたという存在は霊をたずさえた身体ではありません。身体をたずさえた霊なのです。

本当のあなたは鏡に写っているあなたではないのです。本当のあなたは肉眼には見えないものなのです。 その身体は、あなたが自我を表現するための機械にすぎません。あなたという霊が引っ込んで(死んで)しまえば、その機械は動かなくなります。それを皆さんは、〝死〟と呼んでいます。

これでお分かりと思いますが、あなたは死んでから霊になるのではありません。こうして生きている今から立派に霊的存在であり、だから死後も生き続けるのです。

 その地上生活での体験から教訓を学ぶことには大きな意味があります。しかも、あえて言えば、大きな教訓ほど、困難や障害、ハンディを背負った生活に耐え抜くことから得られるのです。その葛藤の中で内部の霊性が呼び覚まされるのです。

 さんさんと太陽がふりそそぎ、すべてが平穏で、問題が何一つ生じないような生活の中では、霊的進化は得られません。困難に遭遇し、それを克服した時にはじめて霊性が向上するのです。鋼鉄が猛火のるつぼの中において鍛え上げられるように、あなたの霊性も苦難との闘いの中においてこそ鍛え上げられるのです」


───誕生前に決意した仕事を成就せず、進むべき方向へ進まずに一生を終わることも有り得るのでしょうか。

 「二つの可能性が考えられます。一つは、生まれた時からハンディを背負って生まれてくる場合。もう一つは、然るべき仕事を成就せずに終わった者がやり直しのためにもう一度生まれてくる場合。

こうしたことも全て自然の摂理によって情容赦なく自動的に働きます。いかなる聖職者もごまかしは利きません。阻止することもできません。大霊の叡知によって考案され行使されているのですから、絶対的に働くのです。

 スイスという国の法律をスリ抜ける者はいるでしょう。が、大霊の法則はごまかせません。また、国が定めた法律は時代とともに改めないといけなくなりますが、大自然の摂理は永遠に改められることはありません。

その必要性がないのです。あらゆる事態、あらゆる人物に対処した摂理が用意されているからです。大霊の定めた摂理が行き届かない事態が生じるということは絶対にありません」


───脳死状態となった植物人間の生命を永らえさせるのは正しいでしょうか。

 「これも難しい問題ですね。が、何事も動機がカギとなります。植物人間とはいえ、まだ生きている身体の機能を完全に止めてしまう動機は何かということです。

 本来人間は自然の摂理にかなった生活をしていれば、死も自然な形で訪れるようになっております。リンゴが熟して地上へ落ちるように、霊が熟すると(地上を離れるべき時機に至ると)身体は自然に朽ちていきます。

 ところが残念ながら人間は必ずしも大自然の摂理にかなった生き方をしておりません。それで霊と精神と身体の調和のとれた相互関係が崩れて、いわゆる病気になるわけです。

 さて、脳が回復不能の損傷を受けることがあります。医学者の中にはそれをもって生命の終りとする人がいますが、必ずしもそうとは言えないのです。タイプライターのキーが故障して使えなくなったことをもって、タイピストが死んだとは言えないのと同じです。タイピストが仕事をする道具が使いものにならなくなったというにすぎません。

 同じことが、脳が損傷して使えなくなった場合にも言えます。それをもって〝死んだ〟とするのは間違いです。本当の死は霊が身体から完全に離れてしまった時のことです。それは俗にシルバーコードと呼ばれている発光性の生命の紐(玉の緒)が切れた時のことです。

 この世に誕生した赤ん坊はヘソの緒が切断されてはじめて一個の独立した人間となるように、霊もシルバーコードが切れた時にはじめて霊界の一員となるのです。

 地上の医師にはその事実を確認する手だてがありません。実を言いますと、身体は植物状態になっていても、霊そのものも本当の死に至るまでにいろいろと学ぶべきことがあるのです。

 ですから、結論としては、最初に言いましたように、動機は何かという点に舞い戻ってきます。死なせることが患者にとって最善の策だと真剣に考えるのであれば、そうすればよろしい。

 ただ残念ながら医師は本来はそういう決断を下す立場にはないということを知ってください。権利が乱用される心配があります。信頼のおける霊視能力者がいて、シルバーコードが切れる瞬間を見届けてくれるようになれば、それが一番望ましいのですが・・・・・・」

───世界的規模で政治・科学・宗教の各分野で大きな変動が起きておりますが、これは好ましい方向への変化の表れでしょうか。

 「今、地上世界は大きな変動期を迎えています。その原因の一つは、第一次・第二次の二つの世界大戦がもたらしています。変動期には必ずしもベストなものが表舞台に出るとはかぎりません。

今の時代は、二つの大戦の結果として、おもに若者の世代に、現体制への不満が渦巻いています。前世代から引き継いだものへの反感です。自分たちが享受している自由や便益や特権が先駆者や革命家たちによる大きな犠牲によって得られたものであることを知らないのです。

 また、宗教・科学・哲学の各分野の在来の教え、世の中の不公平と不公正、当世風のモラル、こうしたもの全てが気に食わないのです。そうした不満から、これを一気に忘れようとして、しばしば麻薬に走ります。

 このように、世の中は変動期にあります。外面を見るかぎりでは、公共物の破壊行為、どん欲や強欲の張り合い、利己主義ばかりが目につきますが、これは〝陰〟の側面であって、〝陽〟の側面もあるのです。若者の中にはボランティア精神に燃えた者が多くなっています。

これから生まれる新しい世界の輪郭がおぼろげながら見えています。何ごとにつけ、誕生というものは必ずしも苦痛の伴わない、素晴らしいものばかりとは限らないのです。

 地上界は今、霊力が地球上の無数の地域に浸透することによって、大きく変動しつつあります。突破口が一つ開けられるごとに、そこに橋頭堡が築かれ、さらに次の橋頭堡を築くための準備がなされています。

大自然の摂理によって、霊力がヒーリングや慰安、導き、インスピレーションをもたらし、それが愛と叡知の本源から送られてきたものであることの証となっております。

 口先ではなく、本当の意味で、案ずることは何もありませんと申し上げます。と言って、あしたの朝目を覚まして見たら天国となっているという意味ではありません。

地上天国はそういう調子で訪れるのではありません。霊力を顕現させる道具(霊媒・超能力者・治療家)が用意され、人々の重荷や心痛や苦悩を軽減してあげることの積み重ねによって、徐々に明るい地上世界が招来されるのです」


───低級霊が有名人の名を騙って出てくるということも有り得るでしょうか。

 「霊媒の程度によっては有り得ることです。未熟な霊媒、正しい生活をしていない霊媒の場合は、低級霊が支配霊のスキをねらって憑依し、それらしく振舞います。

いったんスキをみせると、入れ替り立ち替り侵入するようになります。支配霊の役目はそういうことにならないように監視し、高級霊が出られるような条件を整えることです。

 ただ、念のために申し上げますが、霊界の者が地上に出て語る場合、その声は、その霊自身のものではないということです。地上時代の声帯になるべく近いものを(エクトプラズムで)こしらえるのです。その意味では、騙っているのとは違っても、一種の扮装をすることにはなります。

 物質化現象も同じです。肉体はすでにないのですから、(エクトプラズムで)地上時代と同じ体型をこしらえ、霊界の技師の助けを借りて、できるだけ地上と同じものに近づけるようにします。これも、ごまかすというのではなく、扮装です。本人がそこにいないとそれができませんから」



──憑依と支配とは同じものでしょうか。

 「同じ硬貨にも表と裏とがあるように、人間と霊との関係には積極的と消極的の二面性があります。いったんコミュニケーションのドアが開かれますと、進化の階梯からいって上は最高の天使級から下は最下層の低級霊に至るまでの、ありとあらゆる霊的存在による影響にさらされることになります。

 霊の世界も地上界から送られてくる人間によって構成されています。ですから、人間がみんな聖人君子であってくれれば、霊界も聖人君子ばかりになるのですが、残念ながら地上から送られてくる人間は利己的で邪悪で、他への思いやりがありません。地上界にいた時と同じレベルのままこちらへ来るわけです。

 ですから、親和力の原理で、同じレベルの地上の人間と簡単につながりができます。低い者であれば麻薬とかアルコールなどの習慣で霊界の低級霊が引っつきます。高潔な人間であれば高級界の霊とのつながりが出来て、崇高なインスピレーションに接することができます。

 つまり高級な支配はインスピレーションの形を取り、それが低級になると憑依という形を取ることになります。親和力の原理においては両者は同じです。硬貨の表と裏のようなものです」



───立派な人生を送りながらも死後の存続の事実を知らないまま他界した人は、そちらでの覚醒はどんなものになるのでしょうか。

 「すべては自然の摂理によって規制されているのです。こちらの世界には無限の意識の階層があって、それらが下から上へ、また下から上へと融合しながらつながっております。皆さんのいう〝死〟のあとこちらへ来ると、それまでに到達した霊性に応じたレベルに落ち着きます。

 あなたのおっしゃる〝立派な人生〟を送った人なら、当然、かなりのレベルに落ち着くでしょう。少なくとも地縛霊になることはないでしょう。もっとも、新しい環境に馴染むまでには、ある程度の期間を要するでしょう。が、あなたがたの時間感覚でいう〝長い〟期間ではないでしょう。

 それはともかくとして、実は、死後への準備は地上生活中にある程度までなされているのです。それが行なわれるのは睡眠中です。幽体で離脱してそれ相応の場所を訪れています。


その間の体験は脳に印象づけられないために記憶にないのですが、意識の深層に刻まれていて、いよいよシルバーコードが切れてこちらの住民となった時に役に立ちます」