Thursday, November 5, 2026

シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva

近藤千雄訳 



八章 背後霊の仕事 

── 一般的に言って指導霊というのは人間のパーソナリティの規模を拡張した、その延長と考えてよろしいでしょうか。それともまったく別個の存在でしょうか。


 とても複雑な問題です。今おっしゃったパーソナリティはインディビジュアリティに置きかえた方がよいと思います。私は物的身体から派生する人物像であるパーソナリティと、その人物像という仮面(マスク)の背後の実像であるインディビジュアリティとを区別しております。

 地上ではあなたという存在はあくまでも独立した一人物ですが、霊的なインディビジュアリティは必ずしもそうではありません。例えばアフィニティというのがあります。これは一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがあるのです。

 それから私がダイヤモンドの側面に例えている〝霊相〟とでも呼ぶべきものがあります。一個のダイヤモンドがあって、それに沢山の〝相〟facet があります。それぞれが地上に誕生して体験を持ち帰り、ダイヤモンドの光沢を増します。

 さらにそのダイヤモンドがいくつか集まって一個のインディビジュアリティを構成しております。例えばこの霊媒(バーバネル)と奥さん(シルビア・バーバネル)と私(シルバーバーチ)とは一個のインディビジュアリティに所属しております。一人の支配霊がいくつかの類魂を従えていることがあるわけです。

それを〝延長〟と呼びたければそう呼ばれても結構です。が、結局は同じことに帰一します。つまり地上で肉体を通して顕現するのはインディビジュアリティの極々小さな一部と言うことです。

(訳者注──これまでインディビジュアリティとダイヤモンドが同一であるような表現で説明していたのを、ここで初めて霊側からみた場合の違いを解説している。

 要するに意識の中枢であるインディビジュアリティがあって、その分霊を受けた魂の集団、いわゆるグループソールがある。その魂の一つにも相 facet があり、その相が地上へ誕生してくることもある。一つだけのこともあれば二つ、三つ、あるいはもっと多くの相が一度に一個の人間として誕生してくることもあり、全部が、つまり一個のダイヤモンドがそっくり誕生してくることもある。魂が大きいというのは相が数多く携えているということである。使命が大きいほど多くの相を携えている。

 ダイヤモンドに例えられているのは一個の魂のことであり、その魂がたくさん集まって一個のインディビジュアリティを構成している。地上で〝自分〟として意識しているのは脳を中枢として顕現している地上特有の人物像であって、その中において霊的自我の占める要素は極めて少ない。よほどの切実な試練でも体験しない限り目覚めない。

そこでシルバーバーチは安楽な生活より苦難の生活の方が有難いのです。と言うわけである。

 なお以上の説明は〝霊側からみた場合の違い〟であって、それを人間側からどう理解するのかは、例えや用語の受け止め方によって各人まちまちであろう。シルバーバーチがたびたび言っているように、用語にはあまりこだわらない方がよい)


──霊の導きを受けていることは私にも分かりますし、そのレベルの高さも分かるのですが、分からないのは、その導きの源が普遍的な始源なのか、それとも特定の指導霊なのかという点です。祈りまたは瞑想によってその出所を確かめる方法はあるのでしょうか。

 よく引用される諺をまた使用させていただきましょうか。〝師は弟子に合わせて法を説く〟 と言います。これがご質問への答えにならないでしょうか。このようなことにこだわってはいけません。

すべての導きは宇宙の大霊すなわち神から来ます。神庁から派遣される霊、およびあなたと霊的近親関係にある高級霊が、あなたが地上へ誕生する前から付いてくれているのです。

 必ずしも姿を見せるとは限りませんが、霊によってはきちんと姿を見せて地上での仕事について相談し、よく納得してから誕生させる場合もあります。その霊を何と呼ばれても結構です。今もちゃんと控えて下さっています。

側を離れることはありません。(九巻の解説《〝霊がすぐ側にいる〟ということの意味》参照)。その仕事は聖書(詩篇)にある通りです───〝神は天使を遣わして汝を守り、すべての面倒を見させ給う〟


 いずれも光り輝く存在です。それぞれの受け持ちの人間を取り囲み、保護と指導と援助という、みずから課した責任の遂行に当たります。その最後の目標は霊的発達を促すための道へ導くことです。それは容易なことではありません。岩や石ころだらけです。しかも見慣れた景色を後にするにつれて、ますます困難さを増していくものです。

(同じことを別のところで〝霊的理解が深まるにつれて、ますます孤独感が増していくものです〟と表現している──訳者)

 しかし、低く沈むだけ、それだけ高く上がることもできるのです。志は無限に高くもつことができます。完全というのは、いつかどこかで達成される性質の過程ではありません。到達せんとする過程の無限の連続です。

 霊の褒章を手に入れたければ、それなりの犠牲を払う覚悟がなくてはなりません。しかし、いったん手に入れたら二度と失うことはありません。

 私たちには人間世界の困難な事情、問題、そして欲求のすべてをよく理解しております。物的な世界に住んでおられるのだということを十分認識しております。

そこで、奉仕的な仕事に打ち込んでおられる方が食べるものや飲むものに事欠くことのないように、その供給源との連絡を取りもっております。必要最小限のものは必ず手に入ります。

 皆さんだけでなく、お会いする人すべてに申し上げていることは、人間としての最善を尽くしてさえいればよろしいと言うことです。それ以上のものは要求しません。たとえ倒れてもまた立ちあがることができるのです。


──支配霊にはレッド・インディアンが多いようですが、霊媒が次々と他界していったあと、それを継ぐ人がいないようです。もっと多くのインディアンの支配霊の働きを期待したいのですが・・・・・・

 情けないことを言ってはいけません。時が至れば必ず手段は見つかるものです。もとより霊媒も生身である以上は、いつかは霊界へ来なくてはなりません。神は肉体が永遠の生命を持つようには計画されていません。地球というのはほんの束の間の生活の場です。永遠の住処ではありません。


 (招待客の一人で心霊治療家として活躍している女性が述べる)

──霊媒のバーバネルさんが他界なさる時が来たらどうしようかと心配でなりません。

 心配はお止めなさい。心配してもなんの解決にもなりません。不安を抱いてはいけません。私は時折、私がこの霊媒たった一人を道具として使命を開始した時のことを振り返ってみることがあります。

英語を一言も話すことが出来なかったのです。それが今ではこうして大勢の方とお話ができるようになった幸運をしみじみと味わっているところです。

 あとのことはあとの者が面倒を見ます。ますます発達していく科学技術のお陰で私たちが成し遂げた以上の規模の人々に真理を普及する手段が活用されるようになります。

 あなたが治療家としてどれほどの貢献をなさっておられるかは、あなたご自身にはお分かりになりません。地上的なものさしを超えたものだからです。身体を癒しておられるのは事実ですが、もっと大切なことは魂の琴線に触れることです。

眠ったままの小さな神性の種子が目を覚まし、芽を出し、花を開く、その端緒をつけてあげるのです。最終的には個としての存在価値を成就させてあげることになる、そのスタートとなります。

そうした意義ある仕事をするチャンスを数多く与えられていることを喜んでください。あなたは病人の人を癒すために生まれて来ておられます。


──でも、時たまですが、がっかりさせられることがあります。

 分かっております。半世紀近くも地上で仕事をしてきた私が、人間の煩悩に気が付いていないと思われては心外です。あなたにも莫大な霊的潜在力が宿されております。イザという時に頼りにできる霊的な武器です。

 しかし万が一そこから十分なものを引き出すことができない時は、私たちを頼りにしてください。けっして見放すようなことはいたしません。

 もしもうんざりしたり困惑したり悲観的な気持ちになったりした時は、地上の喧騒から逃れて魂の静寂の中へ引っ込むことです。そうしてそこに溢れる豊かな光輝に馴染み、美しさに思い切り浸り、そこから得られる静けさと落着きと安らぎと自信を味わうことです。こうして気分一新してから再び地上世界へ戻り、はつらつと仕事を始めるのです。

 とかく前向きに進むほかはありません。引き退がってはなりません。どこにいても人のためになることを心掛けるのです。援助を求めてあなたのもとを尋ねる人をけっして拒絶してはなりません。

かといって、そういう人を求め歩いてはいけません。向こうからやってくるものなのです。〝病気を治してほしい人はいませんか〟などと町を触れて回るようなことをしてはなりません。あなたの援助を求めて先方から駆け付けるものなのです。(そういうふうに霊界の方で取り計らってくれるということ───訳者)

 無限なる叡智を具えた神によって霊的才能を賦与された人間は、導かれるところはどこへでも出向き、いかなる人にでも救いの手を伸ばしてあげるべきです。その行為が蒔く種子が肥沃な土地に落ちて魂を豊かにすることになることを期待しながら、どしどし種子を蒔いていくことです。

人間には霊の道具として成し遂げつつある仕事の大きさを測り知ることは出来ませんし、その価値を評価することも出来ません。


──私には二人の指導霊がついて下さっていると聞いております。一人はエジプト人で、もう一人は北米インディアンです。本当かどうか、確認して頂きたいのですが・・・・・・

 なぜそのようなことにこだわるのかが理解できません。その二人がしっかりとした霊であることはお認めになっているのでしょう?


──その点は疑問の余地はございません。

 だったら、その二人の霊が地上でどこに住んでいたかなどということはどうでもよいことではありませんか。大切なのは霊の威力です。間違いなく霊の世界からのものであることを示してくれる力です。あなたを愛し、そして援助してくれる背後霊に密かな信念をお持ちなさい。あなたを迷わせるようなことは致しません。イザという時は必ず道を示してくださいます。

シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva

近藤千雄訳 


七章  再生問題を語る 

(前にも一度招待されたことのある熱心なスピリチュアリストが再度招かれた。霊的なことにまったく理解を示してくれない夫が重病の床にあって、今夫人はかつてない厳しい精神的試練に立たされているからだった。その夫人に向かってシルバーバーチが語る)

 今あなたが人生最大の試練に立たされていることは私から改めて指摘するまでもないことと思います、しかし、いかなる困難に取り囲まれていようと、あなたはきっと切り抜けていかれることでしょう。背後に控える力が実に強力だからです。決してあなたを見捨てるようなことはいたしません。

 いかなる人生にも、赤裸々な現実に直面させられる時期が必ずあるものです。その時こそあなたの信念が確固たる知識の上に築かれていることを確認しなくてはなりません。

つまりその現実に直面することによって自分の存在価値を試され、いかに身近で切実な問題であろうと、それによってあなたがこれこそ実在であると信じているもの───絶対に裏切ることのない霊的原理から気をそらされることがない(迷わない)ことを立証させられるのです。

 その点あなたは、こうした危機において砦となるべき知識へ導かれてその用意が出来ていたことは幸せというべきです。

 ですから、あなたは決して首をうなだれてはなりません。表情と振舞いによって、あなたが霊的自由をもたらしてくれた真理をいささかも忘れていないことを示すように努力してください。


───子供たちもこの逆境によく耐えてくれておりますが、それとは別の問題があるのです。末の子がスピリチュアリズムや心霊的なことにとても興味を抱いているのですが、夫はまったく理解がなく、私がその子にそれを止めさせようとしないことを咎めるのです。

 夫にしてみれば自分の信仰とことごとく対立することばかりなので、そのことで心を傷めております。私はどちらの気持ちを優先させるべきかが分からず悩んでいるところです。


 私は年輩の者の信仰よりも若者にとっての必要性の方が大切であると考えます。
 一方は地上生活のコースを殆ど終えた段階にあります。他方はこれからという段階であり、全コースが前途に横たわっております。これまでと同じように、あなたの才覚と臨機応変の知恵を探ってください。ただし、あなたの信じる霊的原理から外れたことは絶対にしてはなりません。

 自然に具わっている心霊的能力を抑え付けることが望ましいことでないことは、あなたも理解しておられるはずです。万一抑え付けるようなことをすれば、お子さんの全人的構造に歪みを生じさせることになります。自然に具わっているものを出させないようにするよりも、全人的健全さを身につけさせる方が好ましいことは言うまでもありません。

是非そこのところは、あなたなりの才覚と知恵によって、これまでと同じように、ご主人の為にもなるように工夫してみて下さい。


───その息子は再生というものを信じているらしいのです。しかし今自分の父親が死にかかっているのを見て不安を抱いております。父親が死んで家族が別れ別れになったあと、父親がどこかに再生してしまえば、はたしてうまく再会できるかどうかが心配だと言うのです。

 そういう心配はご無用です。再生するまでには永い永い年月を要することがあるからです。あなた方の世界の諺で私もなかなか良いことを言っていると思うものに〝橋のたもとに来るまでは橋を渡ってはいけない〟(余計な取り越し苦労をするな)というのがあります。

再生は確かにあるのですが、これにはいろんな要素が絡んでおります。そのために、それが理解できない人に説明することは容易でありません。

 私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。

その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。

 それは、支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業(カルマ)を持った人が因果律の働きで戻って来る場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命を持って降誕する場合もあります。その霊の持つ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。

 これはとても複雑な問題です。私がダイヤモンドに例えているインディビジュアリティというのがあり(厳密にいうと両者は異なる。その違いを八章で説明している───訳者)、それは、たった一回の地上生活で発揮されるパーソナリティ(人物像)よりもはるかに大きなものであるということが理解できるようでなければ、この問題は扱えません。

 そのパーソナリティとインディビジュアリティとを混同している方が多いようです。一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して地上に沢山のパーソナリティを持つことが出来ます。

インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数は沢山ですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。

 パーソナリティというのは仮面を意味するラテン語のパーソナから来た言葉で、物的身体にまつわるものを意味します。インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部に過ぎません。

 パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我に比べると実にお粗末なものしか表現しておりません。

 このようにインディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きなものです。死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。

そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。

地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きい部分───多くの側面───がまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。

 二人の人間がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人と一諸になれた時は、物的な富では測れない豊かさがもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です。こう申し上げても理解できないでしょうが、こうした霊的な問題は言語による説明がとても難しいのです。

 一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生を受けます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。

 一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性を持っている場合にのみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。霊的のレベルが違うからです。

 夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーションが残っていますが、それには永続性がありません。

 霊は物質に勝ります。霊に関わるものは死後にも残り続けますが、物質に関わるものはそのうち消えます。お子さんにそのことをよく説明してあげないといけません。

なかなかうまく説明できないかも知れませんが、とにかくすべてが不変の法則によって支配されているのです。その法則の根本にあるものは愛です。愛は大霊の表現です。神、創造主、どう呼ばれても結構です。

 首をうなだれてはいけません。あなたはしっかりと導かれ援助を受けておられます。きっと乗り切ることが出来ます。一瞬たりとも挫折の心配を抱いてはなりません。このたびの経験は結果的にはあなたの霊性を強化し、前途に横たわる未来において大きな豊かさをもたらしてくれる貴重な教訓を植え付けてくれることでしょう。

 私は地上の同志の方に気楽な人生、何の障害もない人生をお約束することは絶対にできません。私から言えることは、障害も困難もその一つ一つが挑戦すべき目標だということです。一つ克服するごとに、あなたは霊的に成長するのです。

 地上の人間はいつかは死ななくてはなりません。物的身体を携えて永遠に生きるということは、自然法則上、不可能なことです。

無知と迷信から生まれる死の恐怖さえ克服すれば、地上の人間にとって死が暗闇から光明へ導いてくれる天使であり、地上で活用されることのなかった才覚と能力とを発揮する好機を与えてくれるものとして歓迎するようになることでしょう。


───〝霊〟(スピリット)と〝魂〟(ソウル)の違いについて教えていただけませんか。スピリチュアリズムの七つの綱領の中で私たちは死後の個性の存続をうたっておりますが、次に生まれ変わる時、実際に再生するのは最初の霊の個性とは別のものでしょうか。

 これはまた厄介な質問をしてくださいました。問題は用語にあります。言語を超えたものを説明するための用語を見つけなければならないので厄介なのです。

 魂と霊の違いがその好例です。使用する際にはどういう意味で使用するかを明確にしないといけません。ここでは単純に、魂とは無限なる宇宙の大霊から出た分子、粒子、神性ということにしましょう。そして霊とはその魂の媒質(※)です。

 それが肉体から分離すると地上時代よりはるかに自由自在に機能を発揮するようになります。肉体は物質でできています。それが霊の表現を制約しているのです。

(※現象界においてはこの二者が一体となって初めて存在できるもので、切り離すことができない。日本語の〝霊魂〟という言い方はその意味で当を得ているが、問題はその理解である。しかし厳密に言えば違いはあっても、実際にはシルバーバーチも置き換えて使用することが多い。

次元が異なるので、止むを得ないことであろう。それはちょうど太陽は厳密に言えば東から昇ってもいないし西に沈んでもいないが、地上から見る限りはそう表現するよりほかに方法がないのと同じであろう。第二巻〝霊〟と〝魂〟についての解説参照───訳者)

 それゆえ、あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです。パーソナリティというのはその肉体を携えた地上生活において表現されている側面のことでしかありません。それは本当の自我であるインディビジュアリティのごく小さな一部にすぎません。肉体に包まれているために存分に自我を発揮できないのです。


───次に生まれ変わるのはその地上生活で発揮したパーソナリティ(人物像)ではなくて、その奥の霊または魂なのですね。

 その通りです。前回の地上生活の時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえません。人物像は肉体の死と共に消滅します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。


───私の考えでは、われわれは皆、かつてはもっと大きな意識を持っていたのを、今こうして地上に存在している間はそれを放棄し、死後霊界へ行ってからそれを取り戻すのだと理解しております。そう考えるといろんな疑問が解けるのです。

  あなたは今歩んでいる道を地上に来る前に選択されたのです。その時はその大きな意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないからです。

 その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日が来ます。


───地上へ誕生しようとするのは何か特別やりたいことがあるからでしょうか、それとも、より多くの知識を得るためでしょうか。

(両方ともそうですが)それ以外にも何か奉仕的な仕事を行い、その中で神から授かった霊的資質を開発するための場合もあります。


───私にとっては霊的知識こそ神からの授かりものです。

 無限なる叡智を持つ神があなたに授けられたのです。


───ある書物に、われわれは同時に二つの場所に生まれ出ることができると書いてありました。事実でしょうか。

 私は、真の自我であるダイヤモンドには無数の側面があり、それがさまざまな体験を持ち帰ってダイヤモンドの光沢を増す、という考えです。ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティのすべてを宿すことは不可能だからです。

 パーソナリティとインディビジュアリティの違いを理解しないといけません。パーソナリティというのは物的身体を通して顕現した地上だけの人物像です。インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上で七〇年や八〇年、あるいは九〇年の間に発揮することは到底不可能です。

 〝われわれ〟とおっしゃった同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ることです。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。

 もう一度生まれ変わりたいという願望を持つようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な〝借金〟が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。

二度、三度と繰り返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。

 再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。

 
───なぜ再生してこない人がいるのでしょうか。そういう人はそれから先どうなるのでしょうか。

 支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。地上での用事がすっかり終わったということです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上との一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念することが出来ます。


 ───もう下層界へ下りることがないわけですね。ひたすら上へ向けて進歩し、下降することがないのですね。

 進化は常に向上です。下降であれば退化となります。もっとも、進化は必ずしも直線的なものではありません。渦巻状(スパイラル)に同じことを繰り返しているようで、実際には着実に向上しています。

 そこには因果律という自然の摂理が働いており、完全な公正が支配しています。人間の法律はごまかせますが、神の摂理はごまかせません。因果律が生み出すものには絶対的に従わねばなりません。あなたが心配なさる必要はありません。

 ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いということです。人間世界でいうところの 〝劣等感〟(コンプレックス)です。現在の自分の身の上がいくら惨めでも、かつて前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。

 しかし再生とはそういうものではありません。(前世では〇〇という人物だったというのはナンセンスです、と別のところで述べている──訳者)。 自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが、その場合は霊界において清算されます。そういうものなのです。


 ───霊界へ行ってからでもカルマを清算することが出来るのでしょうか。

 無論です。それが普通です。


 ───ではなぜ地上へ戻って来るのでしょうか。

 地上でしか支払えない借りがあるからです。地上の危急存亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの貢献をするために再生してくるのです。すべてに計画があるのです。


 ───私だったらこの地上よりそちらで償いをしたいですね!

 選択の自由は与えられています。が、忘れないでいただきたいのは、その自由意志も相対的なものであることです。やりたくてもできないことがあり、また、どうしても選べないコースというのがあります。最終的にはあなたがそれまでに到達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。


  (スイスからの招待客が質問する)

──地上へ再生するまでに霊界で何年くらい、あるいは何世紀くらい待つのでしょうか。一〇六〇年という説があり、男性だった者は女性に生まれ変わるというのですが、本当でしょうか。

 その数字はどなたが計算されたのでしょうか。 


──ある大学の講演で聞きました。

 地上に戻ってくる人がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数が決められているわけではなく、あくまでも一つの計算に基づいてそうなるのです。

 カルマによる義務の遂行のために戻ってくる人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻ってくる人もいます。男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差別防止条例はありませんので!
 
 霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ではありません。大切なのはその人の行為です。

 また、男性と女性にはそれぞれに果たすべき役目があり、双方が一体となって完全な全体ができあがるように、互いに補完し合うようになっているのです。互いがアフィニティであることを見つけ合うことがあるのはそのためです。そうなったら二度と別れ別れにはなりません。


──戻ってくることもあり戻ってこないこともあるということですね。

 為すべき仕事があればそれをしに戻ってきます。仕事が未完のまま残されていればそれを仕上げに戻ってきます。すべては法則と秩序の問題です。ともかく地上で表現する自我は大きなインディビジュアリティのごく一部に過ぎません。


──前世を思い出すのに催眠術を使用するのがブームになっております。あのような体験で教訓が学べるものでしょうか。

 学べることが皆無というわけではありません。が、そうした体験には、単に現在の自分が立派でないことから、潜在意識が立派でありたかった願望を描こうとする、一種の虚栄心の表れであることがあります。

 別のケースとして、それにカルマが絡んでいる場合があり、過去世において大きな影響を及ぼした苦難または悲劇を現世で呼び戻し、それを意識することでカルマが消滅することがあります。

これは好い結果をもたらす例です。が、それがただの取りとめもない想像にすぎないことが多いのです。もう一つのケースとして、催眠状態における憑依霊の仕業である場合もあります。


──普通だったらとっくに死んでいる筈の患者が医術によって何か月も生き続けている場合があるように思うのですが、こういう場合はどうなるのでしょうか。

 死ぬべき時期がくれば、いかなる医師も生かし続けることはできません。


──でも、そう思えるケースがよくあります。例えば最近ではアメリカの少女の例があります。

 その子の場合、医師が死期を延ばしているという証拠はどこにあるのでしょう?私が理解しているかぎりでは、地上の医師はまだ死期について確定的なことは分かっておりません。正確な死の瞬間について論争が続いているではありませんか。

 死の過程は生命の糸(シルバーコード)が切れて霊体が肉体を離れた瞬間をもって終了します。その時初めて〝死んだ〟と言えるのです。いったんその分離が生じたら最後、いかなる医師も肉体を蘇生させることはできません。


──催眠術による遡及によって過去世の証拠が得られるものでしょうか。実際にはただの霊の憑依ないしは支配にすぎないでしょうか。

 いわゆる遡及によって前世とコンタクトできるという事実は否定しません。しかし、必ずしもそうでないところに問題があるのです。

それというのも、人間の精神には莫大な可能性が秘められており、地上の人間には到底その深奥まで掘り下げることはできないからです。創造力もありますし、潜在的願望もありますし、霊によって憑依される可能性もあります。

 こうした要素をすべて考慮に入れなくてはなりません。催眠中に体外遊離(幽体離脱)が起きて、その間の一連の記憶が印象づけられることもあります。こうした場合は過去世を思い出していることにはなりません。


──生れ変わる時は知り合いの霊の仲間ないしは高級霊団による指示と助力を受けるということを米国の心理学者が催眠術による遡及を通じて明らかにしているのですが、これについてどう思われますか。
℘131
 地上で奉仕的な仕事に献身したいという自覚をもった霊は自発的に再生します。が、霊的真理に目覚めるまでに相当な期間を要することがあり、そうした霊の場合は守護霊や指導霊が手助けします。

私はそうした問題については、いわゆる催眠術による遡及は頼りにならないと考えます。催眠術者は、せいぜい、前世とおぼしきものを引き出そうとしているに過ぎません。


──その米国の心理学者は被術者に再生する時に痛みとか恐怖心とかが無かったのかを聞いております。

 施術者の動機がいかに真面目であっても、催眠術による前世への遡及はよくよく用心して掛からないといけません。催眠術の基本は〝暗示性〟にあります。したがって施術者が述べていることは控え目に受け取らないといけません。被術者は必ずしも施術者の暗示通りに反応しているとは限らないからです。


 訳者注───ここで催眠術がテーマとなっているが、基本的には霊能者や審神者(さにわ)についても言えることで、見当違いのことを大まじめにやっていることがあるので用心が肝要である。その弊害に陥らないための最大の武器は、やはり、しっかりとした心霊学の知識である。

 心霊学は霊的なことについての学問であるから、霊的なことに関わる人のすべてが心得ておくべきものであるはずなのに、神道や仏教の当事者はもとよりのこと、霊能者、霊媒及びその審神者が基本的な知識すら持ち合わせていないことに呆れることがあるし、何と危険なことだろうと、恐ろしささえ覚えることがある。


 そうした事実を考慮して私は『霊訓』の続編である 『インペレーター霊訓』 の冒頭で霊的通信の入手経路について概略を述べておいた。またインペレーターの霊言及び自動書記通信の中には霊媒及び霊能者に対する忠言、特に邪霊・悪霊・イタズラ霊の存在について言及しているものが多く見られるので、ぜひ参考にしていただきたい。

 見た目に清潔そうに見えてもバイ菌がうようよしているように、平凡な日常生活の背後にバイ菌のような霊がうようよしている。問題はそうした霊に操られた霊能者や霊媒が多すぎることである。それは最近の書店の心霊コーナーを見れば一目瞭然であろう。

 嘆かわしいことこの上ないが、これも凡人には測り知れない神の計画の一端なのかもしれないと思って諦めつつも、せめてそれが真実でないことを指摘することだけはすべきだという考えから、敢えて付言させていただいた。

事のついでであるが、私が親しくしている米国人のスピリチュアリストに最近の米国の心霊事情を尋ねたところ、英国に比べて精神的なものより現象的なものが多く、しかもいかにも米国らしくスケールの大きい催しがあるが、

いかがわしいものが多いので自分は久しくそういう催しに出席していないと言い、個人的には英国のスピリチュアリズムの方が性分に合っている、とのことだった。

 その英国のサイキックニューズ紙の最新号(二二・八・一九八七)で主筆のオーツセンが、編集手帳のようなコラムの中で面白い話を持ち出して、それに厳しい批判を加えている。

 あらましだけを拾って紹介すると、ある日オーツセンに電話でいい霊媒を紹介してほしいという依頼があった。わけを聞くと、エルビス・プレスリーの十周忌の記念行事としてプレスリーの霊を呼び出すための〝国際的交霊会〟を催したいという。

アメリカとオーストラリアの方はすでに話がついているが、イギリスからも参加してもらいたいという。オーツセンは無論それを断ったと述べてから次のように警告している。

 「正直言って私はジャーナリストやテレビ局からのこの種の依頼にうんざりしている。名前を呼べば簡単に出てきてしゃべってくれると思っているらしいが、霊との交信はそういう調子にはいかないのである。

 いかなる霊媒も、こちらから霊を呼び出すことはできない。あくまで霊の方から親近性と愛を掛け橋として戻ってくるのである。依頼されればどんな霊でも呼び出してあげられると豪語する霊媒は今すぐ霊能養成会へ行って一からやり直すしかない」

シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva

近藤千雄訳 



六章 音楽を語る  


(神の計画の中で音楽は一種名状しがたい役割を演じているようである。ある日の交霊会でシルバーバーチは英国の音楽界で指導的地位にある音楽家に次のように語りかけた)

 あなたが音楽を通じて世の中のために貢献していらっしゃるその実態は、あなたご自身にはまず理解できないことです。音楽、なかんずくインスピレーション的な曲は、あなた自身はごく自然な形で作曲しているつもりでも、魂を癒し慰め刺激し鼓舞する特質を具えているものです。

それはそれなりに魂の琴線に触れて、五感を通じて得られるものよりはるかに偉大な生命の荘厳さがあることを認識させます。

 これから先どこで演奏なさる時も、あなたは偉大な目的のための道具であること、あなたに感謝の気持ちを伝えられない大勢の人々に心の調和と同情と激励と幸福と健康をもたらす一助となっていることを思い出して下さい。

 こちらの世界へお出でになれば、大変な楽しみがあなたを待っております。と申しますのは、霊界には今のあなたには理解できない性質と卓越性を持った音楽が存在するからです。地上でまだ一度もお聞きになったことのないオクターブがあります。

シンフォニ―もあります。コンチェルトもあります。オーケストラもあります。最高の作曲家や演奏家が無数にいます。地上にはほんのわずかしかおりません。

 地上で大作曲家と言われている人のすべてがこちらへ来ているわけですが、その巨匠がその後さらに向上進化しているのです。鑑賞力を持った人なら立派な音楽をいくらでも聴くことが出来ます。

ミュージックホールは霊界が誇る財産といってもよいほどです。地上のいかなる楽器でも表現できないオクターブの音をあなたも聴くことになるのです。

 それから、もちろん地上を豊かにする音楽はみな霊界を始源としております。人間がこしらえているのではありません。演奏家も作曲家もみな一種の霊媒なのです。


───本日こうして出席させていただきましたことを大へん光栄に存じます。あなたの教えが私の人生において素晴らしい啓示となっていることを是非とも申し上げたいと思っておりました。

 そのことを私と一緒に神に感謝しようではありませんか───私は神の使いとなったことの光栄とその好機を与えていただいたことを、そしてあなたと奥さんはその真理を授かることが出来たことを、です。

 何十年か前、私は同志もなくたった一人でこの地上へやって参りました。是が非でも地上人類に霊的実在の存在を教え、霊力の働きかけの場を設立する必要があるとの理由から、私が霊界においてそれまで獲得したものをお預けして、

(次元が異なるが故の)困難な条件のもとで、この地上へ戻ってくれないかとの要請を受けたのです。それを私は挑戦のつもりでお引き受けしました。

 今夜あなたから、私が光栄にも伝達させていただいた教訓───私が考え出したものではないのです───があなたの人生で大きな啓示となっていることをお聞かせくださいました。そのことに私は感謝したいと思います。

と申しますのは、そのことは私に愛念を覚えさせて下さる方がまた一人増えたことを意味するからです。それは私にとって大へんうれしいことなのです。

 これより先あなたには、ご自身がこれまでに恵みを受けられたように他の人々に恵みを施す機会が次々と与えられることでしょう。その機会を逃さないことです。と言って私は、あなたを始め私の同志のどなたにも、熱狂的な伝道者になってほしいと思っているわけではありません。

しゃにむに他人を信じさせようとなさることは期待しておりません。後で平静を取り戻した時にはもう忘れているような、一時的な興奮状態の群集心理につけ込む非理性的手段で真理を説いて下さることは望みません。

 私が申し上げているのは、あなたにはあなたとのご縁を通じて援助の手を差し伸べるべき機会が与えられることになるということです。その時にあなたなりの最善を尽くせばよいのです。地上世界には為さねばならないことが山ほどあります。

 物的財産は一時的な所有物にすぎません。所有物といっても真に自分のものではなく、ただの一時的保管物にすぎません。一方、霊的財産は錆びることも色あせることもありません。永続性があります。

 人のために自分を役立てることほど立派な宗教的行為はありません。それが霊の通貨(コイン)なのです。自分より恵まれない人のために手を差しのべていれば、そのうち自分の生きるべき道がきっと啓示されます。あなたが窮地にあって啓示を受けられたように、窮地に置かれた人があなたの手の届くところまで導かれてくるようになるでしょう。


(別の招待客が耳障りな現代音楽の話を持ち出して、インスピレーションが形態を変えた結果なのかと尋ねた。すると───)

 インスピレーションが変わることはありません。インスピレーションは片時も休むことなく送られております。ただ、それを受け取る用意の出来た者だけが受け取っているにすぎません。波長がそれに合わなければ受け取れないということです。インスピレーションは休みなく送られております。霊力と同じく、地上へ顕現する通路を求めております。

 要するに波長の一致の問題です。地上には音楽、絵画、その他あらゆる芸術分野に先駆者がいます。その人たちは時代に先んじすぎているために、在世中は一般から理解してもらえないことがあります。が、時代が進むにつれて理解力の水準が上がり、その先駆者たちに正しい評価が為されるようになります。

 しかし、そのことは地上でよく生じる音楽の俗悪化には当てはまりません。それはむしろ今日の地上を蝕んでいる狂暴化の傾向と結びついた問題です。


───現代という世代が音楽に影響しているのではないかと思っておりました。

 物質を霊から切り離すことは出来ません。物質的なものが霊的なものへ、霊的なものが物質的なものへと、互いに反応し合い影響し合っているからです。あなたの身体は霊に影響を及ぼし、あなたの霊は身体に影響を及ぼしております。両者は隔絶したものではありません。



───(スイスの精神医学者の)ユングは内部にあるものは必ず外部に出るものであると述べています。現代の気違いじみた音楽にはその例証といえる要素があるのでしょうか。内部にあるよりも外部へ発散してしまった方がよいのでしょうか。それが狂暴性を発散させることになるのでしょうか。

 いえ、残念ながらそれは、ごく当たり前の反応にすぎません。物的なもの、一種の利己性、つまり他人の幸せに対する完全な無関心の表れです。貪欲が巾を利かしているのです。自分たちの地上生活を自ら蝕んでいる狂暴性の原因はそこにあるのです。それが素行の面のみならず音楽や芸術、その他ありとあらゆる生活面に表れているのです。
                             

Wednesday, November 4, 2026

シルバーバーチの霊訓 (十)

 Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva

近藤千雄訳 





五章 死んだあと、どうなるのか  
 

 (われわれはいつかは肉体を捨てて次の世界へ行く。そこでの生活はどのようなものなのか、何をして過ごすのか、こうした疑問にシルバーバーチが答える)



 こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。

 こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食料を買うためにするのではありません。

 地上で発揮されることのなかった能力や才能や技能を持つ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与することができます。

 みんな自分がしたいと思うことにたずさわっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の名曲を鑑賞することが出来ます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読むことが出来ます。絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞することができます。

 子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をすることができます。魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事にたずさわります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上に更に私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。

 とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。たとえば音楽であれば、地上にない音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩があります。そのすべてをお話しすることはとても不可能です。


───霊界へ行っても地上と同じように何らかの形体を具えるのでしょうか。

 幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部そろっています。

 ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代わって、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。

 よく理解していただきたいのは、あなた方人間にとって物質は固体性があり、実感があり、霊というと何だか影の様で実態がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないということです。

 と言っても、人間がしゃべるに必要な器具は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。霊界では思念は実体のある存在なのです。

存在するものすべてが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れることが出来るのです。

(訳者注───別のところで、言葉でしゃべる必要があると思い込んでいる間はまだ幽質の発声器官が残っていて実際にしゃべり合っていると述べている。いわゆる地縛霊として地球圏内で自分が死んだことにも気づかずに生活している霊には地上時代に使用した器官がすべて残っていて、同じように食べて飲んで寝るという生活を繰り返しているのが実情である)

 海もあれば山もあり、湖もあり、花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分からない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいても、それは例外に属します。

 もう一つの霊界の有難い点は、地上のような〝生きるための必需品〟を得るための苦労が要らないことです。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。


───物的財産というものが無くなれば、貪欲とか権力欲とかも無くなりますか。

 いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思うことに実体が伴い実感があるのです。

 私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられることの方が実体があります。このことはなかなか説明が難しいのですが、たとえば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。

もしも永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。乗る船も飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。

 こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。

そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われることになります。(これが本当の意味での〝成仏する〟ということ───訳者)

 困ったことに、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。


 ───と言うことは、地上をうろつく霊がますます増え、同時にそれが地上問題の解決を難しくしているということでしょうか。

 その通りです。というのは、こちらの世界は地上からの他界者で構成されていることを知らねばなりません。地球からの渡来者しかいないのです(※)。何の用意も身支度も出来ていない未発達霊で適応性のない霊をそちらから送り込んでいる限り、地上と霊界双方の問題を増幅するばかりです。

そこで私たちが地上人類の啓発のためにこうして働いているのです。暴力・貪欲・唯物思想・利己主義・強欲等々、要するに世界各地での戦争と不協和音と分裂の元凶である恐ろしいガンの発生を防ぐためです。

(※同じく〝霊界〟という言い方をしても地球圏の霊界、太陽の霊界、太陽系の霊界、銀河系の霊界、そして宇宙全体の規模の霊界がある。ここでは地球に限っての話である───訳者)


───霊界はこの地球からの他界者で占められているとおっしゃいましたが、その世界は地球を取り巻くように存在しているのでしょうか。それともずっと遠くまで広がっているのでしょうか。霊界も沢山あるのでしょうか。

 神は無限です。生命は無限です。あなた方の小さな天球は宇宙の中の一個のマメ粒のような存在でしかありません。


───地球のような世界がたくさんあって、それぞれに霊界があるということですね?
 
 霊の住む世界は無数に存在します。あなた方はこの宇宙の孤児(みなしご)ではありません。


───となると〝死後の世界〟はどこにあるのかという問いにはどう答えたらよいのでしょうか。明確に答えるのは困難だと思いますが・・・・・・

 死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。死んでからではなく今の時点で霊の世界に住んでいるのです。死んでからそこへ行くのではありません。今いる場所に霊界があるのです。

その世界の波長ないし振動、その他どう呼ばれても結構ですが、それをキャッチするための霊的感覚を発揮しないかぎり、それが認識できないというに過ぎません。別個の世界ではないのです。宇宙全体を構成する不可欠の側面であり、地球もその小さな一側面にすぎません。


───その見えない世界の存在を認識するために霊的感覚を養成することも、地上に生活しているわれわれの義務と言ってよいでしょうか。

 おっしゃる通りです。物質の世界の裏側に霊的側面があることを認識してはじめて本当の意味で生きていることになります。霊的実在に気づかない限り、悲しいかな、霊的な意味で目と耳と口を塞がれているようなものです。


───霊界から地上へ戻ってくると地上が陰鬱に感じられるとおっしゃいました。するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・・・・

 自我の表現形態が変わるのです。霊界でのいつもの振動の速度を落とす操作をするのです。地上の低いオクターブをキャッチするために高いオクターブの振動に属する要素を霊界にあずけてこなければなりません。


 (質問者が代わる)

───なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。


 それに対する答えは〝なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか〟という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな状況に備えて、勉強させるためです。

物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去ったあとに訪れる生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してくれます。次の段階に備えるための学習の一過程です。

 物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的なエネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終わりもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。

  大霊の意志の表現である自然法側の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。

 人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。

宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規制されているのです。

 私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。

 皆さんのどなたよりも永い間顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完璧さに驚くことの連続です。

 そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的特性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることに他ならないからです。

 あなたは有限の知性で持って無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。


───あなたはその〝大霊〟と交信なさるのですか。

 あなた方の理解しておられる〝交信〟(コミュニケーション)の意味では〝ノー〟という答えになります。人間が交信するには口でしゃべるか、書くか、とにかく何か道具を使用しなければなりません。

自分の言いたいことを伝えるには言語を使用しなければなりません。しかし言語は有限なものであり、したがって無限なものを表現することはできません。いかなる文章の達人も宇宙の無限性と、そこに存在するもの全てを、言語によって表現することは不可能です。

 霊界では界層が高くなると意志の伝達が心と心との直接的なものとなります。そこで、私が大霊と交信し合うのかとのご質問ですが、交信が言語の使用を意味するのであればノーです。私達は直接的に意志を通じ合うのです。大霊の無限の力にチャンネルを合わせて、できるだけ多くの力を頂戴するように努力するのです。


───あなたたち霊の方が私たち人間より大霊と密接な関係にあるとお考えですか。

 あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人ひとりに宿って生命を与えているからこそ生きていられるのです。

 それとも〝密接〟とおっしゃったのは大霊とのより大きな調和、より強い一体関係が得やすいという意味でしょうか。それならば〝イエス〟です。なぜならば霊には無限の可能性と完全性が秘められていて、こちらの方がそれを発揮しやすいからです。しかし地上においても霊界においても、その完全性をすべて発揮できる段階は来ません。


 (質問者が代わる)

───完全性は永遠に達成できない───完全を目指しての絶え間ない努力の連続であるとおっしゃるのですが、それは完全性が二重性の一面だからでしょうか。二重性の原理を超えたところに別の意識の界層ないし状態があるのでしょうか。もしあるとすれば、それは理解を超えたものであるに相違ありません。


 〝完全〟というものは、その本質ゆえに達成できません。〝これで完全です〟という段階、もうこれ以上目指すものがないという段階があるとしたら、ではその先はどうなるのかという問題が生じます。

 完全とは無限に続く過程です。霊の純金を磨き出すために絶え間なく不純なものを取り除いていく過程です。知識と同じです。知れば知るほど、また先に知るべきものが存在することを知ります。

全知識の頂上に到達することは出来ません。意識には無限の次元、レベル、界層があるのです。それが霊の属性の一つであり、無限であるが故に絶え間なく発展して行くことを意味します。

 ところで、あなたは〝二重性〟という言葉を用いておられますが、どういう意味ですか。


───〝対照性の原理〟のことです。

 私のいう〝両極性〟のことですね。無限の知性と叡智によって案出され、ありとあらゆる可能性に配剤した自然法則があります。これには改正とか破棄とかの必要性は絶対に生じません。本質そのものが無限の知性の働きの証なのです。

もうこれでおしまいという限界がない───どこまで行ってもまだその先があるというのは、これは素晴らしいことです。いわゆるニルバーナ───霊的進化のゴールとしての至福の境涯はないということです。


───いわゆる因果律の次元を超えて、現在のわれわれに理解できない別の次元の摂理が存在しますか。

 摂理は無限に存在します。が、いかなる摂理も因果関係を律している総合的摂理の一部です。


───このサークルから離れている時のあなたは、どういうレベルの意識で機能しておられるのでしょうか。

 人間の理解力を超えた境涯へ戻っております。霊の世界では地上的言語を超越し内的直覚を必要とする状態となります。私がこの地上を去って本来の次元の住処に引き返している間は、地上でこうして交信している時には出すことのできない高いレベルの意識を表現しております。それは皆さんに理解していただけるような言語ではまったく用をなさない、霊的実感の世界です。


 (初めてサークルに招待された人が質問した)

───死後の生命の存在を立証しようとすると、いろいろと不可解に思えることが生じてきます。どう証拠立てたらよいか思案しているのですが、存続するというのは一種のエネルギーとしてでしょうか、思念としてでしょうか。それともそれは今のわれわれと同じような、何らかの身体を具えたものなのでしょうか。

 死後の生命とおっしゃいますが、私は時おり地上世界を見渡して、果たして死ぬ前に生命があるのかと、疑わしく思うことさえあります。まったく生きているとは思えない人、あるいは、かりに生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。

 霊界での生活がどのようなものであるかを伝えるのは、とても困難です。なぜかと言えば、私たちは人間のその五感に限られた状態で理解できる範囲を超えた次元で生活しているからです。言語というのは、あなた方の三次元の世界を超えたものを伝えるにはまったく無力です。

 死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上には無いので、うまく言い表せないのです。強いて言えば、本来の自我の開発を望む人達の憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮されることなく終わった才能が存分に発揮されるのです。

 経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体ではなく魂が関心のすべてだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。

 界層ないしは境涯というものがあり、そこに住む者の進化の程度に応じて段階的な差ができています。あなたが他界後に落ち着く先は、あなたが地上で身に付けた霊的成長に似合った界層であり、それより高いところへは行けません。行きたくても行けません。

また、それより低いところでもありません。行こうと思えば行けますが、何らかの使命を自発的に望む者は別として、好んで行く者はいないでしょう。

 霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性があること、完全への道は果てしない道程であることを認識するようになります。と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪等が強烈に意識されるようになり、その償いをするための行ないに励むことになります。

 埋め合わせと懲罰の法則があり、行為の一つ一つに例外なく働きます。その法則は完全無欠です。誰一人としてそれから逃れる者はいません。見せかけは剥ぎ取られてしまいます。すべてが知れてしまうのです。と言うことは、正直に生きている人間にとっては何一つ恐れるものはないということです。

 難しい問題が無くなってしまう分けではありません。解決すべき問題は次から次へと生じます。それを解決することによって魂が成長するのです。何の課題もなくなったら、いかなる意味においても〝生きている〟ということにはならなくなります。魂は陽光の中ではなく嵐の中にあってこそ自我を見出すものなのです。

 もしも私があなたの悩みは全部こちらで引き受けてあげますと申し上げたら、それはウソを言っていることになります。私にできることは、問題に正面から対処して克服していく方法をお教えすることです。いかに大きな難題も障害も、霊の力の協力を得れば、人間にとって克服できないものはありません。

 霊は、今の私のように人間の口を借りてしゃべらなくても、いつまでも援助の手を差し伸べることができます。時間と空間という厄介なものがないからです。あなたがいつどこにいても援助できます。その時の条件下で可能なかぎり援助し続けましょう。


───埋め合わせと懲罰があるということは、たとえば立派な行いには褒賞があるということになりますが、そういうことを裁定する神様はどこにいるのでしょうか。

 もしも埋め合わせと懲罰がなかったら、神の公正はどうやって発揮されるのでしょう。罪深い人間が聖者と同じ霊格を具えることがあって良いでしょうか。もちろん、よいはずはありません。いかなることにせよ、良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうのが道理です。

 良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的命運を定めていくのは、あなた自身です。あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。もしも死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受け入れれば立ちどころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇というべきです。


───最後に責任を負うのは私であるとしても、それは生まれる時に思い通りの才能を選ばせてくれていたならば、の話です。私には選択の余地はありませんでした。

 そう言い切れる根拠はどこにありますか。


───自分でそう自覚しているはずですが・・・・・・
 
 その自覚は本来の自覚の一かけらにすぎません。あなたはこの地上へ誕生するに際して今の意識よりはるかに大きな意識によって、そう決断なさったのです(※)。ですから、それを最大限に活用しないといけません。

 (※別のところで、このことは大半の人間について言えることだが、それは人間にはなかなか得心のいかないことでしょう。とも言っている。インペレーターもそれは高級霊でも同じであると言い、唯一その自覚を取り戻せたのはイエスだけだと言っている───訳者)


───その小さな意識を活用しろということでしょうか。

 いえ、あなたが選んだ地上人生を、です。でもあなたは幸せな方です。一ばん必要とする時に霊的な啓示を受けられたのですから。人生における最大の危機にもしも霊があなたの進むべき道を指示してくれなかったら、現在のあなたはどうなっていたか分かりません。

 あなたは地上のどこのマーケットでも買うことのできない知識を手にされた、本当に恵まれた方です。霊的実在についての知識を手にされたのです。バイブルにも〝汝の信仰に知識を加えよ〟とありますが、私は反対に〝汝の知識に信仰を加えよ〟と申し上げておきます。

(よく指摘される問題として、来世についての通信の食い違いがあることが挙げられる。その点について質されてシルバーバーチがこう語った)


 霊の世界が無辺であること、したがって当然そこに住む者による体験の多様性もまた無限であることを知らなければいけません。霊界の生活には霊的に上下の段階があり、従ってそれぞれに体験の相違というものが生じるわけです。

 あなたと交信している霊は、その時の段階での自分の体験を述べているだけです。その後進歩してもう一つ上の次元の存在の場へ行けば、かつて抱いていた意見を改める可能性があるわけです。

 このように、霊界についてどういう内容のことが伝えられるかは、通信霊の進歩の程度によって違ってくるわけです。ここで忘れてならないのは、地上近くで生活している霊ほど、これから体験することになっている上層界の高度な霊的事実を伝える能力が限られているということです。

 その霊が今生活している界層については何でも入手できます。が、それより高い界層のことは理解出来ませんから、伝えてくることは必然的にその霊にとって明白なことに限られることになります。低い界へ下りることはできますが、高い界へは上がれないのです。

 私から申し上げる忠告はいつも同じです。霊からの通信はことごとく理性で持って判断しなさいということです。常識的に考えてどうしても受け入れ難いものは拒否なさることです。私たちとて絶対に間違いを犯さないわけではありません。

まだまだ完全からは程遠い存在です。完全に到達するには無限の時を要するのです。何度も申し上げているように、それは永遠に続く過程なのです。

 サークルのメンバーの方にも、あるいはご招待した方にも、私は決して〝こうしなさい〟とか〝これを信じなさい〟とかは申しません。独裁的指導者ではないからです。私たちは協力者なのです。

皆さんの愛さえ獲得すれば仕事は成就したも同然であるとの認識のもとに私たちは、真実と叡智と論理と理性と愛を持って皆さんの協力を得なければならないと考えているのです。

 私たちの宗教は真理の宗教です。私たちから提供するのは真理のみです。私たちが真実であると理解した限りの真理、私たちおよび皆さんに啓示された通りの真理です。その表現の仕方は拙劣(せつれつ)かもしれません。なぜなら私たち霊団の者もあなた方と同じ人間味を残している存在であり、過ちも犯しますし、欠点もあるからです。

 しかしこれからも私たちは、人生のすべての基盤となっている永遠にして不変の霊的原理であると信じるものを皆さんに説き続けます。その霊的摂理に忠実に生きているかぎり、絶対に危害はこうむらないことを断言します。

 と言って、地上生活につきものの困難と苦難と面倒なことから逃れることはできません。なぜなら、それは魂の進化にとって必須のものだからです。光明を味わうには暗黒を体験しなくてはなりません。太陽の有難さを知るには雨の日を体験しなくてはなりません。

人生は両極性を体験しなくてはなりません。一方だけでは他方の存在価値が分からず、物質的にも精神的にも霊的にも啓発が得られないからです。

 無限の叡智を具えた大霊はあなた方に理性と言う才能を賦与なさっています。何ごとにもそれを使用することです。たとえ霊界からのものであっても理性が反発を覚えるものは恐れずに拒否なさるがよろしい。


───私は地上はいずれまた戻ってくる学校だと考えているのですが、正しいでしょうか。

 学ぶべき教訓を学ばずに終われば、それは学ぶためにまた戻って来なければならないでしょう。
しかしこれまであなたの人生を振り返ってご覧になれば、万事休すと思われた時に霊の道標(みちしるべ)があなたの進むべき方角を教えてくれていることがお分かりになるはずです。

霊の力はそういう形で働いているのです。あなたは決して一人ぼっちではありません。いつもあなたと血族関係のあった霊だけでなく、血縁とは別の霊的近親関係によって結ばれている霊によっても導かれております。神の子を導くことによって神に奉仕する、その手段として人間を導いているのです。


 (質問者が代わる)

───霊界でピアノを習いたいときはやはり練習が必要なのでしょうか。

 もちろんです。何もしないで身に付くものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。地上において経済的理由や社会的環境の為に発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから驚くほど素晴らしい機会を与えられることがよくあります。霊界では、なにものにも束縛されることなくそれを最高度に発揮することができます。


───睡眠の必要がないそうですが。休息とか寛ぎの時間はありますか。

 あります。寛ぐ必要を感じたら寛ぎます。


───霊体はどうやって養いそして維持するのでしょうか。

 食べ物によって養う必要のある物質的身体ではありません。


───霊的な栄養はありますか。

 あります。摂取すべき霊的エネルギーがすべて揃っています。霊は無限です。


───こうしたことは無論そちらへ行くまでは理解できないことなのでしょうね。

 その通りです。こちらへお出でになれば、今度は私と同じように、それを地上の人に説明する難しさを知ります。


───ここにいる私が、死後はあなた方と同じ世界へ行くことは疑う余地もなく理解しております。あなたのお陰でその事実に途方もなく大きな意味があることを知りました。その意義を地上にいる間に実現しなければなりません。

また私たち人間には何らかの霊的才能が宿されていて、それを地上において発達させるのが私たちの義務であることも知りました。私たちは地上では大たい以上のように理解するのが精一杯であると考えてよろしいでしょうか。

 非物質的な霊の世界のことを物質界の言語で表現できないのは、あなた方の思考そのもの、あなた方の精神的概念のすべてが、その言語によって規制され、意識がその三次元の地上界だけに縛られているからです。

 五感もそれ自体は素晴らしいものですが、現実にはそれが外界から摂取するものを制限し、また摂取したものの理解を制約しています。

霊覚者は表面の生命活動の裏側にある大きな実在を霊覚によって認識しますが、それを伝えようとすると言語の無力さを痛感します。言語は人間がこしらえたものであり、インスピレーションはその言語を超越したものだからです。


───霊界の各界層間の連絡はどのようにして行うのでしょうか。

 今も申し上げた通り、そうした質問にお答えする上で問題なのは、言語を超越した実在を言葉によって表現しなければならないということです。〝界層〟という用語自体がまず問題です。皆さんは地球の表面のようなところを想像なさるのでしょうが、実際はただの〝状態〟であり、〝段階〟の一つです。

 霊界は段階的に上下の差があります。一つの段階はすぐ上と下の段階と融合してつながっており、それが限りなく続いております。明確な境界線が引かれているわけではありません。地理的な区域というものはないのです。

 ある界からそれより高い界へ一方的に通信を送ることは出来ません。が、高い界から低い界へ向けて通信を送ることはできます。その方法は以心伝心によります。言葉はしゃべりません。音声を発するための物的な器官がないからです。思念対思念による交信です。


 ───すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか。

 ありません。私たちの世界では何一つ隠すことができません。すべてが知れてしまうからです。だからといって、別に恥ずかしく思うことはありません。地上ではごまかし、ウソをつき、だますことができます。名前を合法的に変えることもできます。が、本性を変えるわけにはまいりません。


(招待客が自分のホームサークルに出てくる霊の中には歴史上の著名な人物の名を名のるのがいることを述べると───)

  私たちの世界では名前は何の意味もありません。地上時代の名声は何の価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書ではなく、何を為したかによって自ら裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界での唯一のパスポートは魂の発達程度です。それが衆目に赤裸々にさらされるのです。

 ごまかすことはできません。ウソをつくこともできません。見せかけも通じません。こちらへ来ると地上時代の仮面が剥ぎ取られ、あるがままの姿が知れてしまいます。魂の霊的発達程度が誰の目にも分かります。

 名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものにすぎません。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたにすぎません。イエスはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。

 大切なのはどれだけ人のためになることをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、いわゆる有名人の名前を名のって出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の規準は何と名のっているかではなくて、どういう態度でどんなことを説いているかです。

 いつもお願いしているように、もしも私の言っていることにあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなところがあったら、遠慮なく拒絶なさってください。愛の心で接し真理の核印を押されたものを説きながら、それで皆さんの魂に訴えることが出来なかったら、それは私達霊団の努力は失敗に終わったことを意味します。

(親密な間柄だった親戚の霊がどうしても出てくれないのはどういう事情があってのことかとの質問に対して───)

 自由意志の問題です。地上へ無理に引き戻そうとする強制力は一切働きません。こちらの世界へ来て、例えようもない楽しさと美しさと光輝を少しでも味わった者にとって、地上というところは、戻ってみたいと思うほど魅力ある世界ではありません。

薄暗くて、じめじめして、これほど面白くない雰囲気はありません。こうした世界へ戻ってくるのは大変な犠牲を強いられるのです。


─── テレパシーによって霊との交信ができた場合、それは霊にとって苦痛なのでしょうか。自分の所属界にいるままでは交信できないものでしょうか。

 それは十分可能なことです。私たちとしてはそちらとこちらとがお互いに半分ずつ歩み寄る形で交信できれば有難いのですが、残念ながらそう希望どおりにはまいりません。私たちの方から地球の大気圏、地上的環境、地上界のバイブレーションの中へ下りて行かねばならないのが実情です。

つまり霊的なものを物的なものへ近づけなければならないのです。本当は物的なものを霊的なものへ近づけてほしいのですが・・・・・・


 (質問者が代わる)

───人間が幽体で旅行する話を聞くことがありますが、私にも同じ体験があるみたいです。どういう現象なのでしょうか。

 いたって簡単なことです。幽体が肉体から脱け出て、時には私たちの世界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しております。

一時的に肉体を離れて私たちの世界を訪れ、縁のある人たちと会っているのです。これは死後の環境の変化がショックにならないように、あらかじめ準備させるための神の配慮なのです。

 死の現象(二つの身体をつないでいるコードの切断)をへてこちらの住民となれば (意識の中枢が幽体へ移って)地上時代の睡眠中の体験を思い出し、それから始まる素晴らしい霊界生活への準備が整います。皆さんは毎晩死んでいると言ってもよいのです。


───誰しも夢を見ます。その中で親しい人と会ったことを思い出すことがありますが、本当に会っているのでしょうか、それともただの想像にすぎないのでしょうか。あるいは会いたいという願望がそういう夢となって現れるのでしょうか。

 いえ、実際にその人と会っておられるのです。といって想像力を見くびってはいけません。厄介な面もありますが、豊かな創造性も秘めております。純粋にして最高の形態で発揮された時の想像力は驚異的な働きをします。未開発の能力を花開かせていく創造的な力となります。

 夢のすべてが霊的体験というわけではありません。潜在意識に蓄積した観念の反映にすぎないこともありますし、夜遅く食べた物の反応にすぎないこともあります。


───その違いは分かるものなのでしょうか。

 分かります。食べた物や潜在意識のせいである場合は霊的な効用がありません。実際に霊界の愛する人に会った場合は精神的ならびに霊的な温もり、充足感を覚えます。その違いは明確に分かります。

 もっとも、その違いを見分けるには能力の発達が要請されます。物質的な印象にすぎない場合は肩にずっしりと重たさを感じますが、霊的な体験の場合は蝶に口づけをされたみたいな気分がいたします。


 (質問者が代わる)

─── 霊界では一個の霊が数か所で同時に仕事をすることができると聞いております。これはグループソールの原理と関係したことなのでしょうか。つまり一個のダイヤモンドの複数の相の一つ一つが行うことが、あたかも一つの相が同時に行っているように思えるのでしょうか。

 霊界ではさまざまな霊相を表現することが出来ますが、一個の霊が複数の相を別々の場所で同時に表現することはできません。一度に一つの場所にしか存在できません。

 ただ、地上の人間のように物的条件による距離の制約は受けません。たとえば地上の距離にして何千マイルも離れたところへでも、行きたいと思えば一瞬の間に行くことができます。

 それはダイヤモンドの一側面、つまりグループソールの一個の単位であることとは何の関係もありません。その側面が全体としての進化に寄与するための体験を獲得するために地上へ誕生します。


───その結果ダイヤモンドが全体としてより立派なものとなるわけですね。

 そういうことです。一段と深い霊的覚醒と発展が得られるからです。各側面が地上での体験によって霊性を高めるのです。地球も本質的には霊的進化の場としての存在価値を有しているのです。そうでなかったら存在しないはずです。


───地上で意識しているような時間は無いのでしょうか。

 ありません。地上の時間というのは昼と夜と四季を生じさせている地球の自転と公転によって支配されております。私たちは地球の回転の影響は受けません。したがって昼とか夜とか春夏秋冬の区別がありません。時間は私たちにとっては存在しません。強いて言えば〝永遠の現在〟の中に生きております。


───〝永遠の過去〟でもあるわけですね。

 私たちにとっては過去も未来も、ともに永遠の現在です。皆さんの睡眠中のことをお考えなれば、さほど理解の困難な話ではないと思います。睡眠中は一時的に物的束縛から解放されています。

ですから夢の中ではそういう束縛を受けないで、途方もない距離を行き来できます。いつもの時間の観念が無視されています。永い夢の出来事も数分のうちに起きております。


───この世では時間に縛られているかに思えても、霊界では時間というものが存在しないのですね。

 時間そのものには過去も未来もありません。時間は永遠の現在の中に存在しています。過去と未来はあなたと時間との係わり方一つによって生じているにすぎません。

(別のところで時間を無限に回転する輪にたとえ、今触れているところが現在で、すでに触れたところが過去、これから触れるところが未来ですと言っている──訳者)

 皆さんは三次元の世界に生きておられます。私たちは地軸の回転、つまり昼と夜を生じさせる回転する球体とは無縁です。永遠の光の中で生活しております。これをどう説明すればよいのでしょう。

肉体のような物質的身体がありませんから眠る必要がありません。睡眠を必要とする身体を持っていないのです。休息を必要とする時は、元気が回復するまで休止するだけです。

 私たちの世界は、皆さんには到底想像できないほど豊かで美しい世界です。皆さんの聴覚を超えたオクターブの世界、みなさんの視覚の限界を超えたスペクトルの世界がどうして説明できましょう。どうにもならないほど説明が難しいのですが、それでも実在しているのです。

 物質の世界に生まれて来た以上は物質の法則によって制約を受けざるを得ません。が、皆さんも霊なのです。魂が宿っているのです。それはいかなる物質なものよりも上です。霊が主人であり物質は召使いです。霊は不変の実在であり、物質には永続性はないのです。

 その霊が去ると肉体はもろくも崩れてチリと化します。形体を変えてしまいます。 そして二度と同じ形体には戻りません。一方、真実のあなたである霊は生き生きと輝いた姿を見せております。

心臓だの肝臓だの肺だのによって生かされているのではないのです。肉体に生きるエネルギー、あるいは生命を維持する上で必要なものすべてを供給しているのは霊なのです。
  

Tuesday, November 3, 2026

シルバーバーチの霊訓 (十)

Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva

近藤千雄訳 




四章 死ぬということはどういうことか



 死ぬということは霊が肉体から脱皮して姿を現す過程のことです。何一つ怖がる要素はありません。死は有難い解放者です。死は自由をもたらしてくれるのです。

 地上では赤ん坊が生まれると喜びます。ところが、いよいよ地上へ誕生しようとする時こちらでは泣いて別れを惜しむ霊が大勢いるのです。それと同じく、地上で誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を出迎えて喜んでいる人たちがいます。

 死とは地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさとを味わう用意が出来たことを意味します。少なくとも本来はそうあらねばならないのです。

 皆さんにも霊が宿っております。生命を与えている霊的本性です。肉体もお持ちですが、それもその霊によって生命を賦与されてはじめて存在しているのです。霊が最終的に引っ込めば───〝最終的に〟と申し上げるのは、一時的には毎晩のように肉体から引っ込み、朝になると戻ってくるからです──肉体に死が訪れます。生命活動が切れたからです。
 
 霊視能力者が見れば、霊体と肉体とをつないでいるコードが伸びて行きながら、ついにぷっつりと切れるのが分かります。その時に両者は永久に分離します。その分離の瞬間に死が発生します。そうなったら最後、地上のいかなる手段をもってしても肉体を生き返らせることはできません。


(訳者注──近似死体験というのがあるが、これは医者が〝ご臨終です〟と宣告しても玉の緒がまだ切断していなかった場合である)

──臓器移植の技術的進歩によって新たな問題が生じております。医師たちは死者の心臓とか腎臓を取り出すために死の瞬間を待ちうけております。問題は〝果たして本当に死んだと言えるか──もう臓器を取り出してもよいか〟という点です。

 臓器移植についてはよく存じております。そして又、その動機が立派な場合があることも承知しております。しかし私としては人体のいかなる部分も他人に移植することに反対であると申し上げます。


──死者はある一定期間そっと安置しておいてあげる必要があると信じている人がいます。それと言うのも、最近では人体を使って実験をするために死体をかっさらうように実験室へ持っていくことがよくあるのです。こうしたことは魂ないし霊にとって害があるのでしょうか。

 それはその死者の霊が霊的事実についての知識があるかどうかによります。もし何の知識もなければ、一時的に害が生じる可能性があります。と言うのは、霊体と肉体とをつないでいるコードが完全に切れた後も、地上での長い間の関係によって相互依存の習性が残っているからです。

 その意味では一般的に言って埋葬または火葬迄に死後三日は間を置いた方がよいでしょう。それから後のことは、どうなさろうと構いません。死体を医学的な研究の材料として提供したければ、それも結構でしょう。そちらで判断なさるべきことです。

 ただ一言いわせていただけば、誰にも生まれるべき時があり死すべき時があります。もしも死すべき時が来ていれば、たとえ臓器移植によってもその肉体を地上へ永らえさせることは出来ません。


──飛行機事故で即死するケースがありますが、その場合は霊的にどういう影響があるのでしょうか。

 今申し上げたこととまったく同じです。霊的事実についての知識がある人は何の影響もありません。知識のない人はそのショックの影響があるのでしょう。が、いずれにせよ、時の経過とともに意識と自覚を取り戻します。


──偶発事故による死があるとなると再生の事実を受け入れたくなります。

 偶発事故という用語は感心しません。私は因果律の働きしか知らないからです。偶発のように思えることも、ちゃんとした因果律の働きの結果なのです。再生の問題ですが、これは大変複雑な問題で、今ここで十分な説明をする余裕がありません。

(訳者注──原書をお持ちの方のために参考までに付言すれば、本章のここのところまでは Silver Birch Speaks <シルバーバーチは語る>というカセットテープに収められた特別交霊会での〝死〟にまつわる部分が引用されているが、ところどころでリーバ女史が修正している。

内容上は別に問題はないが、この最後の再生に関する部分はカセットのままの方が分かりやすいので、その通りに訳してある。なお他の章にも断片的に同じカセットから引用されているが、カセットをお持ちの方の便宜も考えて、それらをまとめて次の第十一巻で紹介する予定である)

     
 (質問者が代わる)

──私はテレビで The Making of Mankind <人類発達史>を見ておりますが、見ているうちに人類の霊魂の起源のことを考え始めました。その当初において人類の霊魂は何らかの動物の種から発生したのでしょうか。

 いいえ。


──ということは、動物界はわれわれ人類と別個の存在ということでしょうか。

 いいえ。

──では人類の霊魂はどこから発生したのでしょうか。

 何処からも発生しておりません。霊魂に起源はありません。


──これまでずっと私は、人類の霊魂は徐々に進化してきたものと思っておりました。

 そうではありません。進化してきたのは身体の方です。霊は大霊の一部であり、無始無終です。霊は無窮の過去から存在しています。それが人間の身体に宿った時に個別性を具えるのです。霊には始まりも終りもありません。

バイブルにも〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟というイエスの言葉があります(第八巻101頁参照)。霊は常に存在しているのです。霊は人間的形体に宿って初めて個別性を持つことになるのであり、霊ないし魂は常に存在していたのです。(P119参照)

 (質問者が代わる)

 ──霊魂の永遠性についてお伺いしたいことがあります。年輩の霊と若い霊という言い方をする人がいますが、霊が新たにこしらえられることがあるのでしょうか。私たちはどこから来たのでしょうか。すべての霊が再生されたものなのでしょうか。それとも大霊から新しい霊が産み出されてくるのでしょうか。

 霊はこしらえられるものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。先ほど〝私はアブラハムが生まれる前から存在している〟というイエスの言葉を引用しました。霊としてはあなたも無始無終に存在しているのです。

霊を新たにこしらえなければならなかったことは一度もありません。無が有になる段階というものはこれまで一度もありません。

 生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生まれるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、全てそうです。霊は存在の大原動力です。

 母胎に子供が宿された時、それは新しい霊でも新しい魂でもありません。無始無終に存在している永遠の霊の一部です。それが人体に宿って個別性を獲得し、その個体がしばらくの間地上で機能するわけです。

 しかし霊は様々な側面を持つことができます。その幾つかが地上に再生して本霊であるダイヤモンドに新たな光沢を加えることはあり得ます。その意味では〝年輩の霊〟〝若い霊〟と呼べる霊は存在します。しかし〝新しい霊〟というものはこしらえられません。地上での自我の表現機関として新しい身体が提供されるだけです。

 胎児が無事に宿り地上生活のための身体が用意されると、霊は個別的存在として地上へ誕生してきます。霊そのものは別に新しいものではありません。個的形態を具えたというだけです。一個の人物となったというだけです。その男性また女性が成長してやがて地上を離れると、大きい自我の一側面として新しい要素を加えることになります。


──各自に生まれるべき時があれば、同じく死ぬべき時もあることになりますが、帝王切開で生まれた場合はどうなるのでしょうか。決っていた誕生の日時を変えることになりませんか。

 「それは地上へ生まれ出る日時を変えるだけです。母胎に宿って個としての表現を開始した日時を変えることにはなりません。また地上的生命に自ら終止符を打つ自由も与えられておりますが、その時はその時で自動的に報いがあります。


──出産を医師が人為的に早めたりすることがあります。するとその子は定められた時期より早く生まれることになりますが、これは占星学的になにか影響を及ぼしませんか。

 「出生の日時がよくよく気になると見えますね! 地上への誕生に関して唯一大切なことは、いつから自我を表現し始めるかということです。それは受胎した瞬間からであって、生まれ出た時からではありません。占星学については私は何の関心もありません。受胎と共に地上的生命が始まります。受胎なしには地上的生命はありません。


──ブラジルに来られたローマ法王が民衆の貧しさに嘆かれ、一方、家族計画(産児制限)は許されるべきでないことを強調されましたが、その矛盾をどう理解すればよいのでしょうか。

 法王はとても立派な方ですが、宇宙の全知識を貯えられているわけではありません。家族計画は人類自身で解決すべきことですから、これからも続く問題です。ただ、一個の霊が人間界へ誕生することになっている時は、いかなる計画を立てても必ず生まれてきます。


 (質問者が代わる)

──死後の生命なんかほしくないと、本心からそう思っている人がいます。そういう人たちにどう説かれますか。

 地上なんかに二度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ。しかしそれは、いかんともし難いことなのです。自然の摂理との縁を切ることは出来ません。あなたがどう思うかに関係なく摂理は働きます。開けゆく大自然のパノラマが人間の小さな欲求や願望、あるいは反坑にもお構いなく展開していく姿をご覧になれます。


──と言うことは、私たちは地上へ来たくなくても無理やり来させられるということでしょうか。私はその点は自由な選択が許されると思っていました。

 必ずしも強制されるわけではありません。地上からこちらへ来るのにも自由選択が許されるように、こちらから地上へ行くのにも選択の余地が与えられています。

是非とも為さねばならない仕事があることを自覚して地上へ誕生する霊がいます。行きたくはないけど、どうしてもしなければならない用事があるので止むを得ず誕生する霊もいます。あるいは償わねばならない業(カルマ)があって誕生してくる場合もあります。


──自殺することまで計画されていることがあるというのは本当でしょうか。

 とんでもありません! 計画というのは母胎に宿る以前に霊自身によって立てられるのです。


──自殺行為によって学べる教訓は何一つ無いということでしょうか。

 あるわけがありません! 生命は宇宙の大霊が授けるのです。それを縮める権利は人間にはありません。

──死んで霊界入りした人間は自分が死んだことが自覚できるのでしょうか。

 みんながみんな自覚できるとは限りません。大半の者が自覚できます。が、完全な自覚(悟り)に到達するには相当な時間が掛かります。


──霊界の人たちは何もしてくれないのでしょうか。

 いえ、いろいろと指導しております。本人は気付かなくても陰から手助けしております。霊界はすべてが知れるように組織されております。上層界には高級霊による政庁が組織されており、その中には一度も物質界に誕生したことのない霊(天使)がいます。

その霊達が神の計画推進の任に当たっているのです。大規模な総合計画があって、有意識・無意識の区別なく、あらゆる存在を包摂しております。その宇宙的規模の摂理から外れて存在できるものは何一つありません。


──人間が死ぬと肉親や愛する人たちが出迎えて手引きしてくれるそうですが、それらの霊は他界者と同じ霊格の者ばかりでしょうか。

 そうではありません。なぜなら、その霊たちは死後も霊的に進化しているからです。他界してきた者のレベルに合わせて交信するために、いわば階段を下りてくるのです。霊的成長とは成熟していくことであることを理解しないといけません。

 地上の年齢とは一致しません。では、さっき述べた完全な悟りに到達できるのはどの段階においてかということですが、これはお答えしにくい問題です。と申しますのは、悟りというのは固定した限りあるものではなく、いつまでも成長し続ける状態だからです。

悟りには無限の奥行きがあります。これでおしまいという終点がないのです。深まれば深まるほど、さらにその奥に悟るべきものがあることを自覚するものです。

 それは事実上永遠に続く過程です。段階的に少しずつ理解が深まっていく過程です。無知の状態からいきなり悟りが開かれるという、そういう突然の変化ではありません。段階があり、魂がより高い段階への準備が整うにつれて、少しずつ開けていくのです。


──たとえ生活水準が今より向上したところで不老不死ということは有り得ないのは言うまでもないのですが、もしも完全な生活条件が整ったら百五十歳までは生きられるのではないかと思うのですが・・・・・・

 肉体的年齢と霊的成熟度とを混同してはいけません。大切なのは年齢の数ではなく、肉体を通して一時的に顕現している霊の成長・発展・開発の程度です。

 肉体が地上で永らえる年数を長引かせることは神の計画の中にはありません。リンゴが熟すると木から落ちるように、霊に備えが出来ると肉体が滅びるということでよいのです。ですから、寿命というものは忘れることです。長生きをすること自体は大切ではありません。

 地上生活の一番肝心な目的は、霊が地上を去ったのちの霊界生活をスタートする上で役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。


 (永年スピリチュアリズムの仕事に努力した夫に先立たれた女性にシルバーバーチが次のような励ましの言葉を述べた)

 本日あなたをここへお迎えして、苦労と試練の時の力となった基本的な霊的真理の真実性を改めて確認して差し上げることを、とてもうれしく思います。

 地上に籍を置く人間にとって、たとえ死後にも生命があるとの知識を手にしている方でも、身近な者が宇宙の別の次元の世界へ連れて行かれた時に平然としていることは、容易なことではありません。

死という身体上の別離には悲しみが伴うものであるという事実を軽視するのは、愚かでもありましょう。しかし、それはあくまでも身体上の別離であって霊的には少しも別れてはいないことを御認識すべきです。

 地上に生を受けた人間にとって死は避けられません。いつかは地上に別れを告げなければならない時がまいります。それは、もはや地上生活がそれ以上その霊に与えるものが無くなり、完全へ向けての進化の不可欠の要素として、次の冒険へ旅立つ用意が出来たということです。

 その死別という試練に直面した時に自分をどう慰められるかは、各自が考えるべきことです。それが容易でないことは私も理解しております。

 しかし死は愛によって結ばれた者を引き裂くことはできません。愛は、生命と同じく不滅です。また愛は、生命と同じく、条件さえ整えば望み通りのことを叶えさせる強烈な威力を秘めております。もとより、心ひそかに声もなく流される涙もあることでしょう。しかし、うなだれてはいけません。霊の力は決して見捨てません。必ずや援助の手が差し伸べられます。

 悩んではいけません。悩みの念はその援助の通路を塞いでしまいます。あなたはご自分ではそうは思えないかも知れませんが、ある意味でとても幸せな方です。と申しますのは、悲哀のドン底を味わうことによって霊的真理を受け入れる資格を身につけられたからです。

そのドン底から這い上がるのは容易ではありませんでしたが、道は間違いなく啓示されました。今あなたは愛する方が身近な存在として実在していることを確信なさっておられます。

 私はいつも思うのですが、地上の人々、中でも特に霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感を持って認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者へ無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです.

 その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。それで私はここに集まる同志の方にいつも申し上げているのですが、新しい一日の訪れを素晴らしい霊的冒険の到来として喜んで迎えることです。

 あなたの人生は、手にされた証拠によって一変しました。そこであなたは今、ご自身が有難く思われた同じ思いを人にも体験させてあげようと、いろいろと努力をなさっておいでです。私は実際にそのご様子を拝見して、良く存じております。

 他人がどう言おうと気になさらぬことです。まったく下らぬことばかり言っております。大切なのはあなたの人生をどう生きられるかです。できるかぎりの最善を尽くして人のために力になってあげることです。

 ご主人は肉体の束縛から解放されました。晩年にイヤな思いをされたあの痛みと不自由はもう二度と味わうことはありません。これからは今なお〝わが家〟とされているあなたの住居での生活の中で、ご自分の死後の存在の事実をあなたに実感させてくれることでしょう。

ですから、気を強くお持ちになり堂々と胸を張って、愛する者を失っても霊的知識があればこれだけ立派に生きて行けるのだという、一つに手本を示していただきたいのです。

 別離といっても身体上のことであり、霊的には別れていないのです。愛によって結ばれた者どうしを引き裂く力は地上にも霊界にも何一つありません。愛は、生命と同じく、死よりも強いのです。愛は、生命と同じく霊に属するものであり、霊は決して滅びないのです。
     

シルバーバーチの霊訓 (十)

Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva
近藤千雄訳


三章 生きがいある人生を送るには
  
 われわれ一同は神の道具です。神の道具として役立つということは光栄なことです。人の為に役立つことをすることほど立派な宗教的行為はありません。それこそが霊の正貨(コイン)です。人のために自分を役立てることは崇高なことです。

 それは人の生活を豊かにすると同時に自分の生活をも豊かにします。また、この世には自分のことを思ってくれる者はいないと思い込んでいる人々に慰めをもたらします。

 人のために役立っていると思う時、私たちは心の奥に安らぎと静けさと満足感を覚えます。宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩また一歩近づかんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人のために尽くしている中でこそ得られるのです。

 目標の頂点は宇宙の大霊すなわち神です。われわれが生活するこの果てしない宇宙を創造し、ありとあらゆる存在に配剤するための摂理を考案した無限の愛と叡智の粋です。

 大霊と離れて何ものも存在しません。大霊が全てなのです。大なるもの、小なるもの、複雑なもの、単純なもの、生命現象のありとあらゆる側面に対して神の配剤があるのです。

霊の働きがあってこそ、すべてが存在できているのです。神の霊がすべてに潜在している以上、神との縁は切ろうにも切ることができないのです。人間がいかなる説を立てようと、神がすべてに宿り給い、したがって神はすべてであり、すべてが神であるという事実は変えることはできません。

 無限なる創造主であり、その愛と叡智によって壮大な宇宙を経綸し、その完全なる知性によって摂理を考案して、壮大といえるほど大きいものから顕微鏡的に小さいものまでの、ありとあらゆる存在を包摂し、その一つ一つに必要な配剤をしてくださっている大霊を超えた存在は、誰一人、何一つありません。

その摂理の作用は完全無欠であり、その支配の外に出られるものはありません。

 小さすぎるからということで無視されたり、見落とされたり、忘れ去られたりすることはありません。それは大霊の一部が生きとし生けるものすべてに宿っているからです。言いかえれば神がその霊性の一部を各自に吹き込んだからこそ存在しているのであり、その霊性が神とわれわれとを結びつけ、また、われわれお互いをつないでいるのです。

 その絆を断ち切ることの出来る力は地上にも死後の世界にも存在しません。その絆があるからこそ、叡智と真理と啓示の無限の貯蔵所を利用することも可能なのです。

 生命力すなわち霊がすべての存在、すべての人間に宿っているのです。その最高の形が他ならぬ人類という存在に見られます。人類の一人一人の中に、永遠に神と結び付け、また人間同士を結びつけている霊性が宿っているのです。その絆こそ万全の宇宙的ネットワークの一環なのです。


 皆さんより永い経験を持つ私達霊団の者も、この果てしない大機構を生み出された神の叡智の見事さに感嘆せずにはいられないことばかりです。

 また私たちの心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理と叡智とインスピレーションの絶え間ない流れ、私たちの一人一人に宿る霊の力、わがものとすることができるにも関わらず、霊の豊かさと神と同胞とのつながりについて何も知らずにいる地上の人たちのために活用すべき才能を授かっていることに、私たち霊団の者は改めて感謝の意を表明せずにはいられません。

 大自然の法則は、われわれの一人一人に生命を吹き込んでくださった創造神と常に一体関係にあるように、そして地上世界はおろか霊の世界のいかなる力によってもその絆が断ち切られることが無いように配慮してあるのです。

 さらにその霊の機構を愛の力が導き管理し常に調和を維持して、受け入れる用意のある者が霊力と叡智と真理とインスピレーションとを授かるための手段を用意しております。

 その上われわれ自らが道具となって、地上の人間生活を豊かにし、病める者を癒やし、喪に服する人を慰め、人生に疲れた者に力を与え、道を見失える者に導きを与える、全存在の始源からの崇高な霊力の恩恵をもたらすことができるのです。

 われわれはそのための才能を授かっているのです。それを発達させることによって、われわれが手にした掛けがいのない知識の恩恵にあずかれずにいる不幸な人たちの為に活用することができます。

要するに、この荘厳な霊力の流れる通路として一層磨きをかけ、受け入れる用意のできた人々に惜しみなく恩恵をもたらしてあげられるようになることが、われわれの大切な務めなのです。

 さて、ここで人生体験が霊的に見てどのような意味を持っているかをご説明しましょう。
℘29
地上の人間は、なぜ苦しみがあるのか、病気には何の目的があるのか、なぜ危機、困難、障害といったものに遭遇しなければならないかといった疑問を抱きますが、これらはみなそれに遭遇することによってまず カタルシス(※)を起こさせ、続いてカタリスト(※※)として霊的真理を学ばせる機会を提供してくれる、魂が是非とも体験しなければならない挑戦課題なのです。


(※ 語源的には〝浄化する〟ということで、それが精神医学において、無意識の精神的抑圧を洗い流す作用を意味する。※※ 精神的革命の触媒となるもの───訳者)

 魂は低く落ち込むことが可能であるだけ、それだけ高く向上することもできます。それが両極の原理です。すなわち作用と反作用は相等しいものであると同時に正反対のものであるという法則です。憎しみと愛、光と闇、嵐と静けさ、こうした〝対〟は同じコインの表と裏の関係にあるのです。

 私の好きな諺がバイブルの中にあります。〝信仰に知識を加えよ〟というのですが、私はこれを〝知識を得たら、それに信仰を加味せよ〟と言い変えたいところです。所詮すべての知識を手にすることはできません。あなた方は人の子であり、能力に限界があるからです。

人生の嵐に抵抗し、何が起きようと盤石不動であるためには、その土台として霊的知識を必要としますが、限られた知識ではすべてを網羅(カバー)することは出来ません。その足らざる部分は信仰心で補いなさいと私は言うのです。

 本来の住処である霊界から地上へこうして戻ってきて皆さんの賛同を得るのに私たち霊団が愛と理性に訴えていることを、私は誇りに思っております。有無を言わせず命令することはしません。

ああしてほしいとか、こうしてくれとかの要求もいたしません(※)。あなた方の判断によって自由におやりになられるがよろしい。そして霊の世界から申し上げることがあなた方の理性を納得させることができず反発を覚えさせる時、知性が侮辱される思いをなさる時は、遠慮なく拒絶なさるがよろしい。

(※ この姿勢は頭初からの方針として徹底しており、例えば霊言を公表すべきか否かについてさえバーバネルとスワッハーとの間で意見が対立し激論を闘わせたこともあったのに、シルバーバーチはそのことに一言も口をはさんでいない。

これは霊界の計画だから早く公表するように、といった助言があっても良さそうに思えるのであるが、それすらなく、実際にサイキックニューズ紙に掲載され、やがて霊言集として出版されるまでに十数年の歳月が流れている──訳者)

 私たちとしては皆さんが自発的に望まれた上で協力と忠誠心を捧げて下さるように、皆さんの内部の卑俗なものではなく最高の判断力に訴えなければならないのです。と言って私たちの方からは何もしないというのではありません。

それぞれの活動の分野、日常の仕事において援助を受けていらっしゃることに気づかれる筈です。そしてそれとは別の分野において、人のために役立つことをするように導かれているのです。

 私も私なりに皆さんのお役に立ちたいと願っております。気付いていらっしゃらないかも知れませんが、これまでに味わったことのない精神的ないし霊的な豊かさをきっと手にされることになる生き方にそって導かれていらっしゃいます。

そうした中にあってさえ皆さんの心の中には次々と悩みが生じ疑問を抱かれるのも、地上の人間としては止むを得ないこととして私は理解しております。がしかし、どう理屈をこねたところで、全宇宙の中にあって唯一の実在は〝霊〟であることを改めて申し上げます。

 物質はその本性そのものが束の間の存在であり移ろいやすいものです。物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。

原動力は霊なのです。霊こそがあなたを、そして他の全ての人を地上に生かしめているのです。霊が引っ込めば物質は崩壊します。あなたの身体は元の塵に戻りますが、本当のあなたである霊は永遠の進化の旅を続けます。

 あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械に過ぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使です。

 こうした事実を追及していくうちに、あなたの視野と焦点の置きどころが変わっていくことに気づかれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます。どういう種類のことであっても結構です。自分の能力を伸ばして他人への援助を啓発の為に活用する───それがあなた方のなすべきことです。

 忘れないでいただきたいのは、皆さんは不完全な世界に生きている不完全な存在だということです。もしも完全であれば神はあなた方を地上へ送らなかったでしょう。その不完全な世界においてあなた方は、持てる才能をいかに活用するかについて、自由な選択権が与えられております。

 地上世界の特異性は対照的、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えたものと、それらを欠いたものとが同じ地上に存在していることです。これは霊界では有り得ないことです。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません。

 地上生活の目的は善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、強くたくましく成長するチャンスを提供することです。それで悪事があり、罪があり、暴力があるわけです。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。

 私が霊界の界層の話をする時、それは必ずしも丸い天体のことを言っているのではありません(※)。さまざまな発達段階の存在の場のことを指しており、それらが地理的に平面上で仕切られているのではなくて、低いレベルから高いレベルへと、段階的に繋がっているのです。

(※〝必ずしも〟と言っていることから察せられるように、地球と同じ丸い形をした界層も存在する。それがとりもなおさず地縛霊の世界で、地球圏の範囲から抜け出られないまま地上と同じような生活の場を形成している。同じことが各天体についても言えると考えて良い──訳者)

 それが無限に繋がっており、これでおしまいという頂上がないのです。霊性が開発されるにつれて、さらに開発すべきものがあることに気づきます。知識と同じです。知れば知るほど、その先にもっと知るべきものが存在することに気づきます。

 各界層にはほぼ同等の霊的発達段階にある者が集まっております。それより高い界層へ進むにはそれに相応しい霊格を身につけなければなりません。それより低い界層へはいつでも行くことができます。現に私たちは今こうして低い界層の人々を啓発する使命を担って地上へ下りて来ております。

 向上とは不完全さを洗い落とし、完全へ向けて絶え間なく努力して成長していくことです。それには今日一日を大切に生きるということだけでよいのです。毎朝の訪れを性格形成のための無限の可能性を告げるものとして迎えることです。それが自我を開発させ、人生に目的性を持たせることになります。残念ながら今の地上の余りに大勢の人たちが人生に対する目的意識を忘れております。

 神の心をわが心とするように心掛けることです。霊力と一体となるように心がけることです。皆さんの一人一人が神の愛の御手が触れるのを感じ取り、常に守られていることを知り、明日が何をもたらすかを恐れないようにならないといけません。そして人のために自分を役立てる機会をいただいたことを喜ぶことです。

 私たちは大きな戦いに参加しております。小競り合い、大規模な戦争がいくつもありました。が、本当に闘っている相手は貪欲、怨念、利己主義という、地上を蝕んでいる物質中心主義の副産物です。

 そこで私たちは全存在の始源は、無限の創造主から発せられる聖なる霊力であることを実証し、死が言語に絶する素晴らしい霊の世界への扉に過ぎないことをお教えするのです。

 それがあなた方も参加しておられる闘いです。その将校や指揮官は、戦闘のあまりの激しさに退却することがないよう、厳しい試練を受けねばなりません。

 あなた方の進むべき道は、霊界からあなた方を愛している大勢の霊が必ず示してくれます。それは地上で血縁関係にあった者だけではありません。霊的な近親関係にある者もいます。その霊たちがあなた方を使って恵まれない人々のために影響力を行使するのです。

 われわれはみな同じ霊的巡礼の旅を続ける仲間です。神への巡礼の道は無数に存在します。いかなる知識も、それがわれわれの視野の地平線を少しでも広げ、この宇宙についての理解を深める上で役立っていることを感謝いたしましょう。

 知識には責任が伴います。それなりの代価を支払わねばなりません。知識を手にしたということは、それを手にしていない人よりも責任が大きいということです。しかし私たち霊界の者は、私たちの道具として協力してくださる地上の人々を見棄てるようなことは決していたしません。

本当ならここで、あなた方地上の人たちも決して私たちを見捨てませんと言うセリフをお聞きしたいところですが、残念ながらそれは有り得ないことのようです。

 皆さんはご自分で気づいていらっしゃる以上に霊界からいろいろと援助を受けておられます。いずれ地上を去ってこちらへお出でになり、地上でなさったことを総合的に査定なされば、きっと驚かれることでしょう。私たちは魂の成長に関わったことで援助しているのです。それが一ばん大切だからです。


 それに引きかえ、地上の各分野での混乱ぶりはどうでしょうか。宗教は本来の目的を果たせなくなっております。科学者は自分たちの発明・発見が及ぼす被害の大きさを十分に認識しておりません。

唯物思想の袋小路に入り込んでしまった思想家たちは、誰一人救えないどころか自分自身すら救えなくなっております。その点われわれは光栄にも神の道具として大切な仕事を仰せつかり、一人ひとりに託された信頼を自覚しております。

 私たち霊界の者は、縁あって皆さんのもとを訪れる人たちに霊と精神と身体に真実の自由をもたらす崇高な真理を理解させ真の自我を見出させてあげるべく、皆さんを導き、勇気づけ、元気づけ、鼓舞する用意が出来ております。本当の自分を見出すこと、それが人生の究極の目的だからです。

 地上には霊的進歩を計るものさしがありませんから、そうした協力関係の中で皆さんがどれほどの貢献をなさっているかがお分かりになりません。しかし、たった一人の人の悲しみを慰め、たった一人の人の病気を治し、たった一人の人に真の自我に目覚めさせてあげることができたら、それだけであなたの全人生が無駄でなかったことになります。私たちはひたすら〝人のために役立つこと〟を心掛けております。

 不安を抱いたり動転するようなことがあってはなりません。不安は無知の産物です。知識を授かった人は、それによって不安を追い払えるようでなくてはなりません。皆さんは宇宙最大のエネルギー源とのつながりが持てるのです。

これまでに知られた物的世界のいかなるエネルギーよりも壮大です。崇高なエネルギーです。それをあなた方を通して流入させ、恵み深い仕事を遂行することが出来るのです。

 落胆したり悲観的になったりしてはなりません。幸いにして不変の基本的な霊的真理を手にした者は、いかなる事態にあっても霊は物質に勝るとの信念を忘れてはなりません。解決策はきっと見つかります。ただ、必ずしもすぐにとはいきません。

しばらく待たされることがあります。(別のところで、忍耐力と信念を試すためにわざとギリギリのところまで待たせることもする、と述べてる───訳者)

 自分より恵まれない人のための仕事に従事することは光栄この上ないことです。われわれが人のために尽くしている時、われわれみずからも、より高い、進化せる存在による働きかけの恩恵を受けているのです。

自分のことは何一つ望まず、ただひたすらわれわれを鼓舞して、暗闇のあるところには光を、無知のはびこっているところには真理を、窮地に陥っている人には援助をもたらすことに精励しているのです。

 そうした強大な霊団───生きがいのある人生を模索している人のために、われわれを道具として尽力している高級霊───の存在をますます身近に感じることが出来るように努力いたしましょう。 

 その崇高なる霊力がますます多くの人間を通じて地上へ注がれ、恩恵を広め、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、道に迷いもはや解決の手段は無いものと思い込んでいる人々に導きを与えることが出来ているということは、本当に有り難いことです。

 霊力がどこかで効を奏すると、そこに橋頭保が敷設され強化されます。続いて新たな橋頭保の敷設と強化を求めます。かくして次第に霊力が地球を取り囲み、ますます多くの人々がその莫大な恩恵にあずかることになります。

 われわれはこれまでに存在の始源から勿体ないほどの多くの恩恵を授かってまいりました。それによって同志の多くが霊的に豊かになりました。なればこそ、われわれより恵まれない人たちが同じ豊かさと美と栄光を分かち合えるように、われわれの奉仕的精神を一段と堅固に、そして強力にすることができるように神に祈りたいと思います。

 知識がもたらすところの責任も片時も忘れないようにいたしましょう。われわれはもはや、知らなかったでは済まされません。精神的自由と霊的解放をもたらす真理を手にしているからです。

人間の一人一人に神性の一部を植え付けて下さった宇宙の大霊とのより一層の調和を求めて、人のために自分を役立てる機会をますます多く与えて下さるように祈ろうではありませんか。

 そうした生き方の中においてこそ、すべて神が良きにはからって下さるという内的な安らぎ、静寂、悟り、落ち着きを得ることが出来ます。そして無限の創造活動を促進する上でわれわれも役目を担っていることになるのです。


 ───あなたは人類全体が霊において繋がっているとおっしゃっていますが、大半の人間はそのことに気づいておりません。その霊性を発見するためになぜ目覚めなくてはならないのでしょうか。そこのところがよく分かりません。

 
 表面をご覧になって感じられるほど不可解な謎ではありません。理解していただかねばならないのは、人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです。

物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在のすべて、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。

 改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。

 地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です。今この地上においてあなたは教訓を正しく身につけ、精神を培い、霊性を鍛えて、神から頂いた才能を心霊治療その他の分野で人のために使用できるまで発達させることを心掛けるべきです。


 ───この世的なものをなるべく捨てて霊的なものを求める生き方が理想なのでしょうか。それとも出来るだけ多くの地上的体験を積むべきなのでしょうか。

 物質と言うものを霊から切り離して、あたかも水も通さない程に両者が仕切られているかに思ってはいけません。両者には密接な相互関係があります。地上にいる間は、霊が物質を支配していても物質がその支配の程度を規制しております。物質を霊から切り離して考えてはいけません。

 地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来たときに霊に十分な備えが出来ているように、さまざまな体験を積むことです。まずこの地球へ来るのはそのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

 あなた方にとってイヤな体験こそ本当はいちばん為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。

 酷い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。

  
 (ベトナムから訪れた青年が質問する)

───私は余暇を利用して人のために何かしたいと思っているのですが、何をしたらよいか分かりません。何かアドバイスをいただきたいのですが・・・・・・


 距離的にも霊的にも、あなたはずいぶん長い旅をしてこられましたね。しかし今こうしてこの交霊界に出席していらっしゃるという事実が、霊力というものがイザという時に導いてくれることの証明です。

 人のために何かをなさりたいという願望に対しては、いずれそのチャンスが用意されます。ただし、急(せ)いては事を仕損じます。地上の大勢の方々に苦言を呈すれば、長い迷いの末に霊的実在に目覚めた方は、とかく何でもいいから心霊的能力を発揮したいという気持ちに駆られすぎます。

 道はそのうち示されます。導きを祈ることです。あなたもこれまでの人生で、もう少しで人間への信頼を失いそうになるほどの精神的打撃を受けてこられました。しかし信頼を地上の人間にのみに置いてはいけません。神すなわち愛と叡智と知識の権化である大霊が存在します。

 疑念が生じた時は精神を統一して物質界の喧騒から逃れるのです。すると霊的理解が得られます。統一状態が深まれば深まるほど内的な安らぎ、静寂、安心感、決意といったものが深まり、自分にとって最良のものが授けられるとの確信を持つことができるようになります。

 私からお答えできるのはそれだけです。あなたは今素晴らしい御手に抱かれております。決して一人ぼっちにはされません。時がたつにつれて人のために仕事をするチャンスが背後霊によってもたらされてまいります。


 (もう一人の招待客が尋ねる) 


───心霊治療を体験したあと私自身もグループを結成して心霊治療を開始したのですが、その後私だけ独立して一人で治療活動を続けております。人のためになるのであればどういう形でやっても同じと考えてよろしいでしょうか。


 あなたご自身はどうお考えですか。

───私は霊的な観点から言うと同じではないと思います。私なりに出来るだけの努力はしているつもりです。が、次々と難しいことが生じてくると、私の取った態度が霊界側に迷惑をかけたのではなかろうかと思うことがあるのです。

 奉仕は霊の正貨です。奉仕に勝る宗教はありません。人のために自分を役立てることは尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事ができなくても、人のためになると思うことを、その時その時に行えばよろしい。ドアを押してみてすぐに開けば、その道を行けばよろしい。カギの掛かったドアをしつこく叩いてはいけません。時間とエネルギーの無駄です。

 次々と生じる難問に動じてはいけません。困難は挑戦すべき課題です。困難もなく難問もなく、障害を妨害もないようでは、潜在する能力を発揮するチャンスがないことになります。

 人間は危機に直面して初めて、自分の奥に思いも寄らなかった力があることに気づきます。ふだんはその貯えの表面をひっかいている程度に過ぎません。その潜在力と背後霊の導きをもってすれば、克服できないほど大きな困難はありません。

 私たち霊界の者は地上で仕事をしなければならないのです。したがってその限界というものを弁えております。つまり私たちが使用する道具は人間的煩悩を具えており、もろく、かつ気まぐれです。しかし私たちとしては差し当たって使用出来るもので最善を尽くすしかありません。

 このサークルに来られる人々にいつも申し上げていることですが、信念に迷いが生じた時は、かつて自分がドン底にあった時に立ち返ってみることです。もう絶対に救われる見込みはないと思われた奈落の底にいたのです。そしてその絶体絶命のピンチで道が開かれたのです。これからも道は必ず開けてまいります。

 あなたはあなたなりに最善を尽くしていればよいのです。所詮あなたは完全な存在ではありません。地上においても霊界においても、完全というものは達成できないのです。

完全への道は永遠に続くのです。このことは、このサークルのメンバーの方は耳にタコができるほど聞かされております。しくじってもまた立ち直ることができるのです。

(ここでその質問者はシルビア・バーバネルに向って 「私はあなたがお書きになった When a Child Dies <子供の死後> を読んでいろいろと慰められました。私も娘を二人亡くしているものですから。つい最近も男の子を亡くされた方にお貸ししたばかりです。私と同じように大きな慰めを得てくださればと期待しているところです」と述べると、シルバーバーチがこう述べた)

 パン種が発酵するのです。これからも発酵し続けることでしょう。この大規模な戦いにおいて、われわれは勝ち組の方に属しております。最後は必ず勝利者となります。敗者とはなりません。背後に控える勢力は全宇宙でも最大のものです。

大霊の力なのです。地上で知られているいかなる力よりも強大です。これまでその力が成就してきた数々の驚異をこの目で見てきている私は、その力に全幅の信頼を置いております。私の目には何一つ心配すべき理由は見当たりません。


 (霊的指導者としても人生相談にものっている人が述べる)

 ───自分自身、霊的指導者として恥じない生活をしているだろうかという疑問を抱くことがよくあります。人には自信を持って霊的真理を説きながら自分では時おり、ふと、疑いの念を抱くことがあるのです。

 あなたのお名前はまさかトマス(※)ではないでしょうね。疑ってはなりません。霊的現象をその目でご覧になりその耳で聞くことのできた人は幸いです。すぐ身の回りに存在する驚異的生命の世界をかい間見るという大変な光栄に浴されたのです。

その世界には自分のことは何一つ求めず、寄るべない身の上をかこつ人々の救済のために献身している霊がひしめいているのです。それが私たちの仕事でもあるのです。

(※イエスの弟子の一人で非常に疑い深い性格で、イエスの復活についても実際に手と足のクギ跡を見るまでは信じなかった。八日目にイエスが物質化して出現してトマスにその傷を見せて信じさせた。その時の有名なセリフが〝見ずして信じることの出来る者は幸いである〟───現代人にも通じる名言と言うべきであろう───訳者)

 私には人間のもろさ、疑念や取り越し苦労はよく理解できます。しかし、これまで荘厳と美観と光輝と威力と指導力とを見せ付けてくれた霊力に全幅の信頼を置けば、その霊力は絶対にしくじることがないということを、徐々にではあっても理解していかれることでしょう。

人間の方が私たちを裏切った例はたくさんあります。が、私たちがその人達を裏切ったことは一度もありません。

 くり返しますが、あなた方にはご自分がどれほど貢献していらっしゃるかが推し測れないのです。絶体絶命と思いこんだ魂が本当の自我を見出す上で、あなた方もずいぶん手助けしていらっしゃいます。

 自分がいったい誰なのか、何者なのかが分からず、霊的実在に目も耳も塞がれている無数の人を見るのは悲しいことです。道を見失い、沼地に足を取られ、もがきながら生きております。これだと確信できる道が見出せないのです。

 幸いにしてそれを見出しているわれわれは、その責任の重大さを自覚して、われわれを頼ってくる人々を喜んで迎え、暗闇の中で光明を見出させてあげようではありませんか。

シルバーバーチの霊訓 (十)

Light from Silver Birch

Edited by Pam Riva
近藤千雄訳





まえがき
 
 人間は何のために生まれてくるのだろうか。死んだらどうなるのだろうか。もっと幸せで生き甲斐のある生活を送るにはどうすればよいのか。天地万物の背後には知的な〝こころ〟が存在するのだろうか。物的宇宙に、そして人間に、何か〝計画〟というものがあるのだろうか。

 知性の芽生えとともに、人類はこうした謎を追求しつづけてきた。そして今その解答が、かつて同じこの地球で生活し今は一段と次元の高い世界へ進化して行っている人類の先輩霊の一人によってもたらされつつある。

 その霊は人間の無知の暗闇を照らす松明の持ち手としての使命を引き受け、地上で語るための霊媒としてモーリス・バーバネルを選んだ。

 間もなくそのバーバネルを通して語るメッセージに耳を傾ける小さなグループができた。そしてそのうちの一人で〝フリート街の法王〟(英国ジャーナリズム界の御意見番)の異名をもつハンネン・スワッハーの名を冠して〝ハンネン・スワッハー・ホームサークル〟を正式の名称とした。

 そのメンバーのうちの三人は世襲的にはユダヤ教徒であり、さらに三人はキリスト教徒だった。が、シルバーバーチと名のるその霊は 
 「我々が忠誠を捧げるのは一つの教義でもなく、一冊の書物でもなく、一個の教会でもなく、生命の大霊とその永遠不変の大自然の摂理です」
と語るのだった。

 一人の人間が人類全体の命運を左右することは現実に有りうることである。イエスがそうだったし、ヒトラーがそうだった。このモーリス・バーバネルとシルバーバーチという二つの世界にまたがるコンビは、以来、数え切れないほどの人々の人生を変え、悲しむ人には慰めを、絶望の淵に沈む人には希望を与え、今や世界のすみずみまでその愛好者が増えつつある。

 ところで、そのシルバーバーチとはいったい何者であろうか。

 それについては、最も身近かな存在である霊媒のバーバネルも、一九二〇年に始めて入神させられてシルバーバーチのマウスピースとなった時に何も知らなかったことは、間違いない事実である。そしてそれから六十一年後に他界するまで、もしかしたら知っていたかも知れないが、ひとことも口にしていない。

 が、彼はその六十一年の歳月を支配霊シルバーバーチの語るメッセージを世界中に広めることに献身した。他界する当日まで倦むことなく忠実にその使命を全うし続けた。本書には彼による最後の交霊会の霊言が収録されている。

 私はこの霊言集を次の三人の先達に捧げたい。すなわち優れた編集者であり、ジャーナリストであり、作家であり、また実業家としての才も見せた霊媒のモーリス・バーバネル、四十九年間にわたってその地上での良き伴侶であった奥さんのシルビア、そしてサークルのメンバーであり同時に霊言の速記者でもあったフランシス・ムーア女史である。                  パム・リーバ



 一章 シルバーバーチの挨拶

 私たち霊団の者は、一種名状しがたい暗闇に包まれている地上各地において、大々的救済活動に従事しております。霊の光がその暗闇を突き破り、人間が全生命の根源──物質的に精神的に霊的に豊かにする崇高な霊力の恩恵にあずかれるようにしてあげなければならないのです。

 進歩は遅々たるものです。克服しなければならない障害が山ほどあります。が、着実に進展しつつあります。各地に新しい橋頭堡が築かれつつあります。霊力はすでに地上に根づいております。それが、幾百万とも知れぬ人々に恩恵をもたらすことでしょう。

 私をはじめ、私を補佐してくれる霊団の者、そして地上にあって私たちの道具となってくれるあなた方は、この気高い事業に奉仕する栄誉を担っているわけです。それ故にこそわれわれは、双肩に託された信頼をいかなる形にても汚すことのないように心掛ける責任があると言えます。

あなた方は霊力を活用する立場にあります。私も同じです。そして必要とあれば私は、こうして私たちがあなた方のために尽力しているように、あなた方が他人のために自分を役立てるための霊力を、さらに余分に引き出すこともできます。

 これまでに啓示していただいた知識のおかげで、われわれは背後に控える力が地上のいかなる霊力よりも強大であるとの認識によって、常に楽観と希望をもって臨んでおります。敗北意識を抱いたり意気消沈したりする必要はありません。

すべて神の計画どおりに進行しており、今後もそれは変わりません。人間が邪魔することはできます。計画の進展を遅らせることはできます。が、宇宙最高の霊が地球救済のために開始した計画を台なしにしてしまうことはできません。

 われわれが有難く思うべきことは、地上的なものが提供してくれるいかなるものにも優る、物質の領域を超えた、より大きくより美しい生命の世界をかいま見ることを可能にしてくれる霊的知識を手にしていることです。

その世界には、地上に豊かな恩恵をもたらす霊力の道具としての人間を援助し鼓舞し活用することを唯一の望みとしている、進化せる高級霊が存在することをわれわれは、信仰ではなく事実として認識しております。

 その霊力は病気を癒やし、悲しむ人を慰め、道を失った人を導き、無知を知識に置きかえ、暗闇を光明に置きかえ、生きる意欲を失った人には元気を与え、真理に渇いた人の心をうるおし、真の自我を見出そうとする人には神の計画に基づいたガイドラインを提供してあげます。

 援助を求める祈りが聞かれないままで終わるということはありません。人のために何か役立つことをしたいという願いが何の反応もなしに終ることはありません。霊界においては、自分より恵まれない人のために役立てる用意のある地上の人間を援助せんとして万全の態勢を整えております。

ただ単に霊感や啓示を手にすることができるというだけではありません。霊力という具体的なエネルギーの働きかけによって、受け入れる用意のできた魂にふんだんに恩恵がもたらされるのです。
 
 その道具として、内部の神性をより多く発揮すべく、進化と発達と開発のために不断の努力を怠らないというのが、われわれの絶対的な義務です。

 生命に死はありません。墓には生命を終わらせる力はありません。愛にも死はありません。なぜなら愛は死を超えたものだからです。この生命と愛こそ、われわれが所有しかつ利用することのできる大霊の絶対的神性の双子(ツイン)です。それを発達させ開発させることによって、われわれより恵まれない人々のために、他の資質とともに活用することができます。

 今の地上は大霊すなわち宇宙の神よりも富の神マモンを崇拝する者の方が多くなっております。本来ならば人間生活を豊かにする霊的知識を携えた霊的指導者であるべきはずの宗教家がまずもって無知なのです。

霊的真理とは何の関係もない、人間が勝手にこしらえた教義や信条やドグマを信じ、それに束縛されているからです。洞察力に富んでいなければならない立場の人みずからが、悲しいかな、一寸先も見えなくなっているのです。

 そのために、霊の力を地上に顕現させ、生命と愛とが永遠であるとの証拠を提供し、医者に見放された患者を治してあげることによって霊力の有難さを味わわせてあげるためには、いろいろとしなければならないことがあるわけです。

 霊力の機能はそれ以外にもあります。日常の生活において他のすべての策が尽きたと思えた時の支えとなり、指示を与え、導きます。

宇宙機構の中における地上の人生の目的を認識することによって、各自がその本性を身体的に精神的に霊的に発揮できる道を見出し、かくして、たとえわずかな間とはいえ、この地上での旅によって、これ以後にかならず訪れる次のより大きい生命の世界に備えて、大自然の摂理の意図するままに生きられるように導いていきます。

 自分はこれからどうなるだろうかという不安や恐怖を抱く必要はどこにもありません。霊は物質に勝るのです。大霊はいかなる地上の人間よりも強大な存在です。いつかは必ず神の計画どおりになるのです。

 そのためには、あなた方人間の一人ひとりに果たすべき役割があります。いま住んでおられるところを、あなたがそこに存在するということによって明るく豊かにすることができるのです。そのための指針はあなたが霊的に受け入れる用意ができたときに授けられます。

 いったん宇宙の最大の力とのつながりができたからには挫折は有り得ないことをご存知ならば、いつも明るく信念と希望に燃えてください。あなたを愛する霊たちがいつでも援助に参ります。

あなたと地上的な縁によってつながっている霊だけではありません。霊的知識を地上全体に広めるためにあなたを霊的通路として活用せんとしている上層界の霊である場合もあります。

 私からのメッセージはいつも同じです───くよくよせずに元気をお出しなさい、ということです。毎朝が好機の訪れです。自己開発のための好機であると同時に、あなた自身ならびに縁によってあなたのもとを訪れる人々の地上での目的が成就される、その手段を提供してくれる好機の訪れでもあります。


  シルバーバーチの祈り

 私ども一同は、暗黒と無知と迷信と利己主義と暴力、そのほか地上のガンともいうべき恐ろしい害毒を駆逐することによって、神の永遠の創造活動にわれわれならではの役目を果たすことができますよう祈ります。

 私どもの仕事は、そうした害毒に代わって、神の子等が内部にその可能性を宿している燦爛たる光輝を発揮させる崇高な知識を授けることです。

これまでに私どもが授かった恩恵への感謝の表明として、私どもは今後ともその崇高な叡智と霊力の通路たるにふさわしい存在であり続け、恵まれない人々を救い他の人々に救いの手を差しのべ、生き甲斐ある人生の送り方を教える、その影響力の及ぶ範囲を強化し、そしてますます広げていく上で少しでもお役に立ちたいと祈る者です。

 ここに、常に己を役立てることのみを願うインディアンの祈りを捧げます。